シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。
教頭先生のブラウロニア誓紙騒ぎでスタートを切った新学期。会長さんが要求した莫大な御布施と迷惑料と慰謝料とやらは、期限内に口座に振り込まれたとのことでした。差し押さえ部隊として待機していた私たちには少し残念なような…。
「やってみたかったよねえ、差し押さえ」
せっかく札まで用意したのに、とジョミー君が口を尖らせています。放課後の「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお部屋のテーブルの上には真っ赤な札が。教頭先生が支払わなかった場合に使う予定だった強制執行とやらの必須アイテムだそうで、札にデカデカと書かれているのは『御布施滞納処分差押財産』の文字と会長さんの名前。
「支払うだろうとは思っていたけど、ぼくも差し押さえの方が良かったな」
そっちの方が楽しいし、と会長さんもつまらなそうです。何を差し押さえるのかをリストアップまでしていただけに、空振りしたのが悔しいのでしょう。まあ、差し押さえ部隊が突入していたら、教頭先生は全財産を差し出してでも貼られた札を剥がして貰っただろうと思いますけど。
「…あんたのリストは普通じゃないしな。差し押さえるのは金目の物が基本だと聞くぞ」
俺も現場を見たわけじゃないが、とキース君。たまに墓地の運営なんかに失敗したお寺が差し押さえを食らうらしいです。車は確実に対象になり、掛軸や仏具、仏像なんかも差し押さえ。お金になりそうだと判断されたら襖までもが。
「寺の襖絵は名の知れた画家が手掛けることも多くてな。だから襖も差し押さえるわけだが、ブルーが作ったリストときたら…。何処に換金価値があるんだ」
「あるわけないだろ、端から期待してないし! それにハーレイがキャプテンとして受け取る給料は多いと言ったよ? そっちからなら返済可能だ。ぼくとの結婚生活に備えて貯めてるんだし、先払いと思えば安いものだと思うけどねえ?」
クスクスクス…と笑う会長さんが差し押さえ用に作ったリストの中身は爆笑モノ。差し押さえ部隊が最初に向かうのは二階の寝室の予定でした。教頭先生が会長さんへの想いを押さえきれずに集めまくった数々の品に差し押さえの赤札をベタベタと…。
「やりたかったなぁ、ハーレイの目の前で抱き枕とかアルバムとかを差し押さえ! ぼくの写真が入ったヤツは漏れなく差し押さえの対象だしね」
「あんたの写真を取り返すためなら教頭先生も必死だろうしな…。下手に車なんかを差し押さえるよりも効果的だというのは認める」
あくまでも教頭先生限定だが…、とキース君は苦笑い。幻に終わった差し押さえ部隊は今日ものんびり、まったりです。でも…。
「明日が健康診断ってことは、もうすぐ水泳大会だよね?」
ジョミー君が口にした単語にピキンと凍りつく私たち。二学期は何かと行事が多いのですけど、最初に来るのが水泳大会。それに先だって健康診断が行われ、水泳大会の日が正式に発表されるという流れ。
「…しまった、そっちでもハーレイを脅迫するべきだった」
ぼくとしたことが失敗した、と天井を仰ぐ会長さん。
「すっかり忘れてしまっていたよ。…去年みたいな展開になったら目も当てられない。セーラー服はキツかったんだ」
あの格好は二度と御免だ、と会長さんは嘆いています。去年の水泳大会に女子の部で参加した会長さんですが、女子の種目は着衣水泳。それも学校側の指定で白いセーラー服だったという…。
「でもさ、男子も嫌だと言ってなかった?」
ジョミー君が突っ込み、サム君が。
「そうそう、蛇の目傘を持って泳がされたし! アンカーは足で扇子を広げろっていう無茶ぶりだったし!」
「…どっちに転んでも試練に不本意とフィシスの占いには出ていたけどね…」
今年は何が出てくるんだか…、と会長さんは不安そうです。気になるのならサイオンで探ればいいのでは、と私たちは提案したのですけど。
「それをやったら面白くない、って毎年言っているだろう? 正攻法で聞き出してなんぼ! せっかくのチャンスだったのに…。慰謝料ついでに喋ってもらう、と脅せば一発だったのにさ」
脅しの何処が正攻法だ、と誰もが思いつつ、口には出しませんでした。会長さんに二度目のチャンスは無いでしょう。今年は女子の部か、男子の部なのか。どちらにしても「出場しない」という選択肢だけは会長さんの頭の中に入ってはいないようですねえ…。
健康診断が行われる日の朝、1年A組の教室には会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」がやって来ました。全員が体操服に着替えている中、会長さんは例によって水色の検査服です。でもって「そるじゃぁ・ぶるぅ」は保健室の奥の特別室でセクハラと称されるバスタイム。まりぃ先生は絶好調で、バスタイムの次は会長さんを特別室へと引っ張り込んで…。
「会長、やっぱり帰ってきませんでしたね」
シロエ君が呟き、キース君が。
「いつものパターンどおりだな。終礼に出てきて女子か男子かを決めるんだろう、ぶるぅの分も」
「どっちを選ぶか賭けませんか? ぼくは男子だと思うんですけど」
「ブルーがか? それとも、ぶるぅか?」
「会長に決まっているじゃないですか。長年女子で出てましたから、今年はきっと男子ですよ」
自信満々のシロエ君。そういえば会長さんは私たちが普通の1年生だった年を除けば女子での参加ばかりです。そろそろ男子で出たくなるかも、と賭けが始まりかけたのですが。
「待て。…よく考えたら賭けるだけ損だ」
キース君が待ったを掛けてきました。
「ブルーは水泳大会の種目絡みではサイオンを封印しているようだが、俺たちに対しても同じだと思うか? 違っていたら賭けていたのは即バレだぞ」
「あー…。それはそうかもしれないね」
充分あり得る、とジョミー君が頷き、キース君は更に続けて。
「バレていた場合、賭け金はまず間違いなく、巻き上げられて終わりだろう。ついでに娯楽の提供費として余分に毟られる危険性が高い。…この間の教頭先生にしたって慰謝料と迷惑料を別にカウントされていたんだぞ」
「どっちも似たような項目ですよね、慰謝料と迷惑料…。分かりました、賭けはやめときましょう」
損をしたくはないですし、とシロエ君が作りかけの表を破り捨て、賭けの話は無かったことに。…案の定、終礼の直前に戻って来た会長さんは破り捨てられた表をゴミ箱から拾い上げてきて。
「…賭けてくれればよかったのに。ぼくは今年こそ男子の部でいく」
「本当か? まだ分からんぞ」
グレイブ先生がどう出るか、とキース君が言った所でカツカツと高い靴音が。
「諸君、静粛に!」
いつものことながら嘆かわしい、と手を打ち合わせるグレイブ先生。私たちは慌てて自分の席へと戻り、水泳大会の日取りが発表されました。予定通りに来週です。
「さて、此処で話があるのだが…。ぶるぅはどうした?」
「もう帰りました。用件はぼくが伝えておきます」
会長さんが声を上げると、グレイブ先生はツイと眼鏡を押し上げて。
「そうか、ぶるぅはいないのか。今年も男子で参加させるよう、上からの指示が来ているのだが」
「え? じゃあ、ぼくは…?」
「例年通りに女子の部だ。特例の男子用水着の着用許可も既に出ている。今回は選択の余地は無い。いいかね、これは決定事項なのだよ」
「で、でも…!」
反論しようとした会長さんに、グレイブ先生は出席簿に挟まれた紙を見せながら。
「虚弱体質の上、本日の健康診断においても時間中に倒れ、保健室にて静養させたと書いてある。この弱さでは男子の部は無理だ。ぶるぅに任せておきたまえ」
分かったな、と強く念押しをしてグレイブ先生は終礼を終え、教室を去ってゆきました。クラスメイトたちは会長さんが女子の部という衝撃的な話題に大興奮ですが、会長さんは大ショック。今年こそ男子と意気込んでいたのに、選ぶ自由も無かったのですから。それだけに「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお部屋に引き揚げた後も…。
「ぶるぅはいいよね、元気一杯で…」
「かみお~ん♪ 子供は風の子、元気な子だもん! 夏バテだってしないもん!」
まだまだ暑いしアイスが最高、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」はアイスケーキを切り分けています。アイスとクレープを何層も重ね、仕上げは滑らかなクリームで。早い話がキャラメルナッツのアイスクリームのミルクレープですけど、これが絶品。水泳大会の話題も忘れてしまって味わっていると。
「…なんで男子になれないのかな…」
何処から見ても男なのに、と会長さんが深い溜息。
「保健室の話だって、まりぃ先生と特別室のベッドに行ってたからで…。まりぃ先生、どうして考慮してくれないんだろう?」
「あんたが倒れたってことにしておかないと自分がヤバイからだろうが」
分かり切ったことを、とキース君。
「ヒルマン先生を代理に立てておいて、あんたと奥で遊んでました……なんて素直に報告すると思うか? いくら理事長の親戚筋でもヤバイ時にはヤバイんだ。男子で出場したかったんなら昼寝は控えるべきだったな」
「……今、猛烈に後悔しているよ。報告書の内容なんて考えたことも無かったし…。そうか、男らしさをアピールするには保健室でサボリは逆効果だったか」
「まりぃ先生にサイオニック・ドリームを見させておいて、あんたはベッドで昼寝しているだけなんだろうが。まりぃ先生には男らしさをアピール出来ても、ヒルマン先生は虚弱体質と勘違いしておいでだと思うぞ」
「…身から出た錆って、こういうヤツを言うのかな? まりぃ先生にはサービスしたのに…」
大人の時間なサイオニック・ドリームの大盤振舞いをしてきたという会長さんはガックリと肩を落としていました。まりぃ先生は幸せ一杯、お色気たっぷり、お肌ツヤツヤらしいのですけど。
「うーん、時間さえ遡れたらなぁ…。保健室に行く直前まで時計の針を戻せないかな?」
「かみお~ん♪ 何時に戻すの?」
簡単だよ、と壁の時計を下ろそうとしている「そるじゃぁ・ぶるぅ」の可愛い反応に私たちは拍手喝采。やはり男子の部には「そるじゃぁ・ぶるぅ」が出るべきです。時計の針すら戻す勢いで飛び跳ねてくれるパワーがあれば1年A組の勝利は間違いなしで、女子の部の方も会長さんのサイオンと機転があれば安泰で…。
「あんたは女子の部で頑張るんだな。女子に感謝されて悪い気持ちはしないんだろう?」
キース君の鋭い指摘に、会長さんは「そうだったね」と気分を切り替えたみたいです。
「女の子たちの熱い視線を間近で浴びるのも悪くない。…うん、男子にエールを送られるよりも、女子の黄色い悲鳴がいいよね」
目指せ、女子の部のスターの座! と会長さんは開き直りました。今年の水泳大会、どんな種目が来るんでしょう? 女子が何かも気になりますけど、虚弱体質だと出られないという男子の種目が心配かも…。
謎の種目な水泳大会。体力勝負らしい男子の部がどんな内容になるのか見当もつきませんでした。過去の水泳大会で一番ハードだったのは恐らく寒中水泳でしょうが、あの時のような凍結プールを作り出すにはそれなりの準備が必要です。プールを全面的に閉鎖し、時間をかけて凍らせないとダメなのですから。
「…今日もプールは閉鎖してないね」
普通だよ、とジョミー君が言っているのは放課後の「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお部屋。私たちは毎朝と終礼後の掲示板チェックを欠かしていません。プールに何らかの動きがあれば掲示板にお知らせが出るのは確実です。けれどプールも水泳部の部活も普段と全く変わりは無いまま。
「水泳部のヤツらにも訊いてみたんだが…」
特に変化は無いようだぞ、とキース君。
「ただ、水泳大会の前日だけは部活が休みになると聞いたな。英気を養っておくように、との学校側の意向らしいが、運動ってヤツは日々の鍛錬が大切なんだ。水泳大会に備えるんなら、その前日も普段どおりに泳いでおくのがベストじゃないか?」
「そうですね…」
おかしいですよ、とシロエ君が頷いています。
「ぼくたちだって大会の前は怪我をしないよう注意しますけど、練習は普通にやりますしね。完全に休んでしまうと身体の調子が狂いますってば」
「やっぱり妙だと思うよな? また何か仕掛けてくるんじゃないのか」
怪しいぞ、と体育館の方向を眺めるキース君に、会長さんが。
「まあ、何か仕掛けが出て来たとしても、酷い目に遭うのは男子だしね。ぼくは女子だから、のんびりやらせて貰うまでさ」
「くそっ、完全に開き直りやがって…。女子の部のスターに男子は関係無いってか?」
「うん。せいぜい頑張って学園一位を狙ってよ。ぶるぅがいるから大丈夫だとは思うけれども」
「かみお~ん♪ ぼく、頑張る!」
男の子だもん、と拳を突き上げている「そるじゃぁ・ぶるぅ」は種目なんかは気にしていません。水泳大会に出るということ自体が楽しみでたまらないのです。そういえば去年もアンカーになって足で扇子を広げる技を嬉々として披露してましたっけ…。
「あーあ、ぶるぅは気楽でいいよな」
サム君が溜息をつけば、ジョミー君が。
「ぶるぅが巻き返してくれるってヤツならいいんだけどね…。いくらぶるぅの力があっても人魚とかは御免蒙りたいな」
「「「あー…」」」
そういうのもあった、と脱力している男子たち。教頭先生の人魚ショーが人気だった一昨年の男子の種目は人魚泳法。銀色の人魚の尻尾を着けて泳がねばならず、ジョミー君たちは人魚泳法をマスターしている「そるじゃぁ・ぶるぅ」にサイオンで泳ぎ方を伝授して貰ったのでした。
「ぶるぅか…。今、ぶるぅが持っている技は何があった?」
人魚は二度と出ないとして、とキース君が首を捻れば、会長さんがニッコリ笑って。
「プールで出番のあるヤツだよね? 今年の旬はシンクロだよ」
「「「……シンクロ……」」」
愕然とする男の子たちに、会長さんは楽しそうにクスクス笑いながら。
「校外学習の水族館でハーレイと披露してただろう? イルカショーに花を添えるためにさ。お揃いの水着まで誂えたんだし、今、熱いのはアレじゃないかな」
「…し、しかし! シンクロはそう簡単に身につくものでは…」
ぶっつけ本番では絶対無理だ、とキース君が切り返しましたが、会長さんは意にも介さずに。
「ぶっつけ本番、大いに結構! ウチの学校がそんな事を考慮するとでも? なるほど、シンクロも有り得るかもねえ…。女子の部にされてしまったことを感謝しておこう。…で、どうする?」
「…何をだ? 俺たちに逃げ場は無いと思うが」
「いや、準備とかはしなくていいのかなぁ…って。シンクロだったら、より美しくキメたいよね。ぼくのオススメは此処なんだけど」
今ならキャンペーン期間中で割引があるよ、と会長さんが取り出したのはメンズエステのチラシでした。
「足脱毛とか、必要ない? 君たちは目立つってわけじゃないけど、同じやるならツルツルの方が…」
「なんでそうなる!」
お断りだ、とキース君が叫び、シロエ君が制服のズボンの裾を捲り上げて。
「…えっと…。特に気にしてなかったですけど、これ、目立ちますか?」
「大丈夫じゃねえの?」
分からねえよ、とサム君が答えたとおり、シロエ君の体毛は「言われてみれば分かるレベル」に過ぎません。同じく黒髪のキース君でもそこは同じで、脱毛なんて要らないんじゃあ…?
「うーん、やっぱり必要ないか…」
ちょっとは期待したんだけれど、と残念そうな会長さん。いつぞやの教頭先生じゃないんですから、脱毛まではしなくても…、と思った所でキース君が会長さんの手からチラシを奪い取ると。
「分かった、あんたの狙いはコレだな? 御紹介キャンペーン中と書いてある。客を連れて行ったら紹介料が入る仕組みか!」
「バレちゃったか。…お小遣い稼ぎに良さそうだろ?」
「だからといって俺たちを売るな!」
売られてたまるか、と食ってかかるキース君に他の男子も続きました。流石のサム君も脱毛サロンに売られるのは御免みたいです。はてさて、男子の水泳大会、いったい何が出て来ますやら…。
水泳大会の前日、キース君から聞いていた情報どおりにプールは閉鎖されました。体育館は開いてますけど、プールのあるフロアは立ち入り禁止。体育の授業もプールを使わない内容に変わり、生徒たちは興味津々です。
「何年か前にさ、似たようなことがあったらしいぜ。…噂だけど」
「プールが凍った? なんか凄すぎ…」
「生徒会長が女子の部にされたのはその時が最初って話も聞いたな」
凍結プールは私たちが特別生になった年のことですから、体験した生徒はもう学校には残っていません。とはいえ、縦の繋がりが強い体育系のクラブなどでは先輩が指導に来ることもあり、過去の水泳大会の噂も自然と伝わっていくようで…。
「今年も生徒会長は強制的に女子の部だしなあ、プールが閉鎖ってことは何か仕掛けがありそうだぜ」
「一日では凍らないとは思うけどな…。プールにサメってのも定番だっけか?」
「サメかあ…。今頃、水族館から輸送中とか?」
海水に棲むサメに合わせてプールの水質を調整中、という説がまことしやかに流れています。一日だけの閉鎖ですから水質調整はありそうでした。プールは真水ですもんねえ。
「…ふうん? 水質調整中だって?」
それは無いとは言い切れないね、と会長さんが大きく伸びをしたのは、もちろん「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお部屋。水泳大会を明日に控えて部活の時間も短縮になり、柔道部三人組も交えてワイワイおやつを食べている真っ最中です。身体を冷やさないようにとアイス禁止が辛いですけど。
「えっ、アイス禁止は当然だろう? 体調は整えておかなくちゃ」
特に男子は、とビシッと指差す会長さん。
「虚弱体質のぼくが外されちゃうような種目なんだよ? シンクロにせよ、サメに追いかけられて逃げ回るにせよ、体力勝負だと思うんだ。アイスくらいは我慢したまえ。ちゃんとクーラーも効いてるんだし」
「シンクロよりかはサメの方がマシだな」
俺はそっちを希望する、とキース君。
「サメの牙は削ってあるんだし、噛まれたとしても大したことは…。それに比べたらシンクロは心に傷が残りそうだ」
「そうかな? ハーレイは残ってなさそうだけど?」
「あんたが仕掛け人だからだろう! 教頭先生は心底惚れていらっしゃるから、あんたの悪戯も許せるんだ。…あんな酷い目に遭わされてもな」
キース君はそこで言葉を切りましたけど、その後に続くであろう文句は容易に想像出来ました。シンクロ用の悪趣味な水着とか、水着を着るために脱毛サロンに連行したとか。あまつさえ脱毛サロンで、水着とは全く関係無いのにツーフィンガーなんかにされちゃって…。
「ハーレイの場合、惚れた相手にかまってもらえるだけで嬉しいというのが泣けるよねえ…。でもさ、水泳大会、シンクロのリスクもゼロではないよ? 水質調整しててもね」
「「「えっ?」」」
何故にシンクロで水質調整? そんなことして何になると? 首を傾げた私たちに、会長さんは。
「水質調整で気が付いたんだよ。もしもプールが塩分濃い目になってたら? 塩分が濃くなると浮いちゃうことは知ってるだろう」
「ああ、そんな湖がありましたね」
楽しいんですよ、とマツカ君。
「小さな頃に行きましたけど、泳げない子供でも浮くんです。父なんか浮かんだまま本を読んでましたっけ。…でも、あんまり長い時間は入ってられないそうですよ」
マツカ君が話す湖のことは知っていました。魚も棲めない塩辛い水で、カナヅチな人でも楽々プカプカ。でも、長時間は駄目だというのは初耳です。…なんで?
「えっと…。塩分が海水の十倍ですしね、身体に悪いらしいんです。長くても十五分くらいで上がってシャワーで洗い流しておいて、まだ入りたかったら一休みしてから。シャワーを浴びずにそのままでいると全身から塩を吹くと聞きましたよ」
「「「……塩……」」」
それは凄い、と驚いていると、会長さんがニヤリと笑って。
「もしもプールがそんな水質になってたら? シンクロするのも一苦労だろうね、潜れないんだし」
「お、おい…。そんな調整もアリなのか?」
キース君の問いに、会長さんは。
「凍結プールを作り出すような学校だよ? 沈まないプールが出ても不思議じゃないと思うけど? でもってそこで泳ぐとなったら大変かもねえ…」
浮力はあっても水の辛さは半端ではない、と真顔で続ける会長さん。おまけに塩分が濃いわけですから、小さな傷でもあろうものなら、文字通り「傷口に塩を塗る」のと同じだそうで。
「「「…………」」」
「悲惨な顔をしなくってもさ、そうと決まったわけじゃなし! 明日になったら普通の海水でサメとかイルカがいるだけかもね」
でもまあ覚悟はしておくように、とウインクされて私たちは泣きそうな気分でした。会長さんは水泳大会については一切サイオンを使っていないと言ってますけど、本当でしょうか? 明日になったら塩分濃度が海水の十倍なプールが出るんじゃないでしょうね…。
キース君たちはシンクロに怯え、スウェナちゃんと私は塩辛い水の恐怖に震えてお肌のチェック。小さな傷でも防水の絆創膏を貼っておかねばなりません。間違っても新しい傷なんか作らないよう用心しながら登校した翌朝、1年A組の教室には既に会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」が来ています。
「かみお~ん♪ 水泳大会、凄く楽しみ!」
「やあ、おはよう。ぼくもしっかり頑張るからね」
学園一位を頂かなくちゃ、とニッコリ微笑む会長さんにクラスメイトは大歓声。シンクロや塩分濃い目のプールについては会長さんから「憶測でものを言わないように」と釘を刺されているので話せません。思念波でコソコソやり取りしたものの、裏付けは誰も取れていないそうで…。
『今朝もプールは立ち入り禁止だ。何がどうなっているのか分からん』
水泳大会が始まるまで謎は解けないだろう、というキース君の思念に私たちは溜息をつくばかり。そこへグレイブ先生が現れて…。
「諸君、おはよう。今日はお待ちかねの水泳大会だ。学園一位になる必要は無い、と言いたい所だが、諸君には言うだけ無駄だったな」
「「「はーい!!」」」
元気よく返事したクラスメイトの中から男子の一人が手を挙げて。
「質問でーす! 学園一位になると何かが貰えるんですか?」
「フッ…。その件については諸君も噂を知っているだろう。貰える年もあり、そういう形ではない年もある。今年がどちらかはお楽しみだ。逃したくなければ頑張りたまえ」
グレイブ先生は余裕綽々。ということは、私たちが学園一位になってもグレイブ先生だけがババを引くわけではなさそうです。これは遠慮なく勝ちに行けそうですけど、その前に競技種目の方は? それを質問した生徒に対するグレイブ先生の答えはこうでした。
「余計な心配をする暇があれば、競技に全力を尽くすのだな。学園一位を他のクラスに掻っ攫われてもいいのであれば好きにすればいいが、そうでないなら努力あるのみだ。いいか、私は一位が好きだ!」
すっかりお馴染みになった熱い演説を滔々と聞かされ、朝のホームルームは終了しました。他のクラスがゾロゾロと廊下を歩いています。私たちも水着やタオルを詰め込んだバッグを抱えて一斉に飛び出し、体育館の方向へ。目指すプールに何が出ようと、栄えある学園一位の座だけは1年A組がゲットですよ~!
お盆と棚経という一大イベントが加わった上に、山へ海へと忙しかった夏休み。締めの納涼お化け大会にも顔を出したりしていたせいで、海から後はアッと言う間に始業式の日になりました。今年も残暑が厳しいですから気分は真夏のままだというのに、暦はしっかり九月です。
「暑いよねえ…」
早く涼しくならないかな、とジョミー君がぼやいているのは「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお部屋でした。始業式が済み、早速やって来たわけです。此処も教室もクーラーが効いているのですけど、途中で通った中庭などにクーラーがある筈も無く。まだまだ蝉もうるさいですから、文句も言いたくなるわけで…。
「かみお~ん♪ チョコレートパフェにしてみたよ! リキュールも入れたし、夏バテ、飛んでけ~!」
栄養第一、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」が特製パフェをテーブルに並べ、スプーンを握る私たち。こだわりの材料を使ったパフェは美味しいんです。チョコも絶品、アイスも滑らか。お代わりだっていけそうだね、と笑い合いながら食べていると。
「そうそう、忘れるとこだった」
会長さんがソファから立って、奥の部屋へと向かいました。「そるじゃぁ・ぶるぅ」もくっついて行って、二人が両手に提げて来たのは紙袋です。
「んーと…。これがジョミーで、こっちがキース、と」
ジョミー君とキース君の脇に紙袋が置かれ、「そるじゃぁ・ぶるぅ」が提げていた袋はサム君とマツカ君の足元に。えっと、これって何なのでしょう? 会長さんたちは再び奥の部屋に入って、今度は紙袋が合わせて三つ。
「シロエにスウェナに…。はい、これで全部」
お仕事完了、と会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」はソファに腰掛け、パフェの続きを食べ始めます。紙袋についての説明は無く、私たちは互いに顔を見合わせて…。
「何なんだ、これは?」
キース君が紙袋を見下ろし、シロエ君が。
「名札が付けてありますけれど、袋には文字が無いですね…。その割に立派なヤツですけども」
「うんうん、無駄にしっかりした作りだよな」
重い物でも大丈夫そうだ、とサム君が袋を持ち上げてみて。
「こういうのって、こないだ見たぜ。…そうだ、親父が貰って来たんだ、結婚式で」
「ああ、引き出物か。そう言えばこういう袋だな、あれは」
見覚えがあると思った、とキース君。言われてみればパパたちが貰って来ることがあります。でも、あの袋にはホテルとかのロゴが入ってますよ? この袋は完全に無地なんですけど…。
「…会場がホテルじゃなかったからねえ…」
「「「は?」」」
会長さんの言葉に私たちの目が真ん丸に。いったい何の話でしょう?
「もう忘れちゃった? バカップルだよ、ブルーとハーレイ」
「「「あー……」」」
会場がホテルでなくって結婚式というのが、この夏、確かにありました。マツカ君の海の別荘でソルジャーとキャプテンが人前式とやらで挙式してしまい、新婚の日々を過ごした挙句に結婚証明書をお土産に貰って幸せそうに帰って行きましたっけ…。
「あの二人からの引き出物なんだってさ。二人とも存在が秘密だからねえ、みんなの家に直接送るとマズイっていうんで預かる羽目になったんだ。まったく、人前式なら地味婚らしく引き出物も無しにしとけばいいのに」
迷惑なんだ、と会長さんは引き出物の袋を指差して。
「この袋までが必須らしいよ、誰かさんの妄想のお蔭でね。…ブルーときたら別荘からの帰りの電車でハーレイ……もちろん、こっちの世界のハーレイにだけど、思念波で指示を仰いだらしい。理想の結婚式について教えてくれ、って」
新婚熱々のバカップルは電車の中でも二人の世界に籠ってましたが、その最中でも教頭先生に質問が出来ていたとは驚きです。流石はソルジャー、ダテに場数を踏んでいません。
「でもって結婚式が簡単だった分、引き出物を送っておこうと思ったようだ。自分の幸せっぷりを自慢したいだけとも言うけどね。…なにしろ、あっちの世界に帰れば誰にも言えない結婚だから」
「そうだったな…」
その点だけは同情する、とキース君が溜息をついて紙袋に手を突っ込んで。
「で、あいつは何を寄越したんだ? さっぱり見当が付かないんだが」
「開ければ分かるよ、それもハーレイの趣味だと思う」
「「「???」」」
何だろう、と紙袋から取り出したものは綺麗に包装された箱。ソルジャーも出入りしているデパートのロゴが入っています。金と白という慶事用の紙を剥がして箱を開けてみれば、中身はペアのワイングラスで。
「…お名前入れサービス券?」
何だこれは、と紙片を手にするキース君に、ジョミー君が。
「これじゃない? ほら、こっちのグラスは名前入りになっているけど、こっちは何も書かれてないよ」
「…俺の名前が入っているな…。お前のはお前の名前なのか?」
「うん。此処にアルファベットでジョミー、って」
「俺のはサムって書いてあるぜ」
「ぼくはシロエになっていますよ」
「ブルーだったよ、ぼくのヤツはね」
見てごらん、と会長さんが宙に取り出した箱の中身もグラスでした。ペアの片方に会長さんの名前が刻まれ、もう片方には何も無し。これって、いったい…。
「いつか結婚相手が出来たら名前を入れるって趣向じゃないかな。ペアグラスだし、そうじゃないかと…。ぶるぅにまで送って寄越されたって、ぶるぅが結婚するわけないし!」
「それを言うなら俺たちだって同じだぞ」
万年十八歳未満お断りだ、とキース君が苦笑し、私たちへの引き出物とやらは会長さんの家の物置に死蔵されることになりました。お酒だって飲めない身なのに、ワイングラスは要りませんってば…。
一方的に幸せ自慢し、引き出物まで寄越したソルジャー。別荘から後は会ってませんけど、元気にしているみたいです。そのこと自体は喜ばしい、と私たちは引き出物は放置でワイワイと…。
「結婚したっていうことはさ…」
二度と家出もして来ないよね、とジョミー君が言えば、会長さんが。
「長い目で見れば夫婦の危機はよくあることだし、絶対安全とは言えないけどさ。でも、今までみたいに些細な理由で家出したりはしないだろうね。ハーレイの方も相当な覚悟があるみたいだから」
「…地獄に落ちても本望らしいな、あいつが幸せに過ごせるんなら」
凄すぎるぜ、とキース君。
「あんたが使ったブラウロニア誓紙とかいうヤツなんだが、帰ってから色々調べてみたんだ。ブラウロニア三山で神前式で式を挙げたら、裏にアレを貼った結婚証明書が発行されるということだった。…それがヒントか?」
「ご名答。でもってハーレイがブラウロニアで言っていたように、全盛期には遊女と馴染み客の間でも交わされた程の人気アイテム! だから誓いを破ったからって地獄落ちは無いと思うけど…」
バカップルにムカついたから脅してみた、と会長さんはパチンとウインク。
「あっちのハーレイもヘタレだろう? 離婚になったら地獄行きだと聞かされたんじゃあ、署名しないかもと思ったんだよ。ブルーが後から署名することになっていたとしても、必死に止めようとするとかね」
「…思い切り逆になったようだが? 署名した上に、あいつのためなら地獄に落ちると宣言してたぞ」
「甘く見すぎていたかな、ぼくも。同じヘタレでも三百年も指を咥えて見ているだけの超絶ヘタレと、暴れ馬に振り落とされても手綱にしがみ付こうと頑張っている健気なヘタレじゃ中身が全く違うみたいだ」
だからこそ両想いになれたのかもね、と感慨深げな会長さん。えっと、それなら教頭先生がもっと真剣にアプローチして来たら、考え直すということですか?
「えっ、まさか。それだけは無いよ、有り得ないし!」
全然無い、と笑って右手を左右に振っている会長さんに、キース君が。
「あんたはそうでも、教頭先生の方はどうなんだか…。あんたのためなら地獄に行ける、と思ってらっしゃるかもしれないぞ」
「無理無理、ぼくが署名しないと誓約自体が成立しない。行きたくっても行けないんだよ、地獄には…ね」
残念だけど、とクスクス笑う会長さん。
「ハーレイの思い込みの激しさは超一流で、妄想の方も最大級。ブルーが寄越した引き出物だってハーレイの妄想の産物なんだし、引き出物の候補だけでも頭の中に幾つ入っているのやら…。でもね、妄想は所詮、妄想だ。妄想で結婚は不可能なんだよ」
結婚証明書を作成するには相手が必要、と会長さんは自信満々。
「そういうわけで、いくらハーレイが地獄行きの決意を固めたとしても、無理、無茶、無駄というヤツだ。どうしても地獄に行きたいのなら勝手にどうぞ、という所だね。ぼくには全く無関係!」
ぼくはお浄土に行くんだからさ、と会長さんはニッコリ微笑みました。
「仏門に入って修行を積んで、事ある毎にお念仏! これで極楽浄土に往生出来なきゃ頑張って来た甲斐が無い。…もっとも、いつになったらお迎えが来るか、まるで見当も付かないけどね」
百年くらいでは来そうにも無い、と言う会長さんは千年経っても生きていそうな気がします。みんなも同じ考えらしく、「不死身かもね」なんて話になって、そうなると地獄も極楽も行けそうにないと大笑いして…。
「おっと、ウッカリ忘れてた」
壁の時計を見た会長さんがペロリと舌を出し、「そるじゃぁ・ぶるぅ」に。
「アレ、取ってきてくれるかな? まだ遅刻って程でもないよね」
「かみお~ん♪ ちょっと遅れたくらいだと思う!」
もっと遅くなった事だってあるし、と奥の小部屋に走って行った「そるじゃぁ・ぶるぅ」が運んで来たのは嫌と言うほど見覚えのある箱でした。お馴染みのデパートの包装紙に包まれ、リボンがかかった平たい箱。新学期の始業式の日は、コレが出てくるのが恒例で…。
「よし。君たちの記憶にも刻み込まれていると分かって嬉しいよ。新学期といえば青月印の紅白縞! 教頭室までお届けってね」
さあ出発! と会長さんが先頭に立ち、紅白縞のお届け行列が「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお部屋を出ました。新学期を迎える度に教頭先生にトランクスを五枚お届けするのが会長さんの約束事です。
「いっそ、こういうヤツをブラウロニア誓紙に書けばいいんだ」
生徒会室側へ抜けた時点でキース君がボソッと口にし、揃って吹き出す私たち。紅白縞をお届けします、と『おカラスさん』ことブラウロニア誓紙に書き込んだ場合、届けなかったら会長さんが地獄行き。教頭先生は受け取らなかった場合が地獄行きですし、やっぱり地獄には行けそうもなく…。
「教頭先生が受け取らない筈が無いもんね」
どう考えても地獄は無理、というジョミー君の意見に賛成しながら、私たちはトランクスの箱を掲げた「そるじゃぁ・ぶるぅ」と会長さんの後ろを歩いてゆきました。教頭先生、もうすぐ青月印が届きますからね~!
うだるような暑さの構内を歩き、中庭を抜けて本館へ。教頭室に着くと会長さんが重厚な扉をノックして。
「失礼します」
遅くなってごめん、と入っていった会長さんの姿に顔を輝かせる教頭先生。
「…来てくれたのか。もう来ないのかと心配だったが」
「お喋りしてたら盛り上がっちゃって…。はい、いつもの青月印だよ。紅白縞を五枚だよね」
教頭先生は差し出された箱を押し頂いて机に置くと。
「これが来ないと新学期を迎えた気がしない。…お前が嫁に来てくれたなら、そういうことも無くなるだろうが…」
「あーあ、またまた言ってるし! 二人で仲良く下着を選びに行くんだっけ?」
「それが出来たら幸せだろうと思うのだがな…。やはり今でも気は変わらんか?」
「残念だけど、ぼくは結婚する気は無いから」
フィシスとだってしてないんだし、と会長さんは微笑んでいます。
「そういう束縛は好きじゃないんだ。あ、もちろんフィシスは別格だよ? でもね、結婚しちゃうと女神じゃなくなってしまいそうでさ…。そういう意味で保留なだけ。そして君とは絶対結婚したくない。一生束縛されるだろうし」
「…私はそういうタイプではないが…」
「そうかなあ? 君の理想の結婚生活ってヤツを知る度にそういう認識が深まるけれど? 束縛しているつもりは無くても、ぼくの方が息が詰まるんだ。四六時中ベッタリ貼り付かれるとね」
適度な距離を保ちたい、と言う会長さんの意見は一理あるように思えました。教頭先生の妄想の一部は私たちだって知っています。家に帰ると会長さんが迎えてくれて…、というヤツですが、それを実現しようと思えば、会長さんは教頭先生の帰宅時間に合わせて動かなければいけないわけで…。
「君の夢見る結婚生活は妄想の中に留めておくのがいいと思うよ。妄想する分には大目に見るさ。…夫婦茶碗を飾っていようが、ペアグラスにぼくの名前を刻もうが」
「「「!!!」」」
ペアグラスって、もしかしなくてもアレですか? さっき会長さんの家の物置に瞬間移動で放り込んで来たソルジャーとキャプテンの結婚祝いの引き出物の? 教頭先生は耳まで真っ赤に染めてしまって。
「そ、そのぅ…。せっかく貰った引き出物だし、名前入れ用のサービス券も入っていたし…。個人的に棚に飾る分には問題無いかと…」
「それで注文しちゃったわけだね、ぼくの意見も聞かないで。…事後承諾ってことで許すけれども、そこまでだよ? ついでにゼルとかが遊びに来た時、見られないように気を付けて。でないと、ぼくが君に惚れたと盛大に誤解されちゃいそうだ」
「…分かっている。夫婦茶碗と一緒に寝室の棚に飾るつもりだ」
「「「………」」」
夫婦茶碗には思い切り覚えがありました。春休みに行った温泉旅行に乱入してきたソルジャーとキャプテンが買って帰ったのが羨ましかった教頭先生、すったもんだの末に会長さんから片方が割れた夫婦茶碗を貰ったのです。いえ、代金は教頭先生が支払う羽目になったんですけど。
「夫婦茶碗にペアグラスねえ…」
止めないけどさ、と溜息をつく会長さん。
「夫婦茶碗は君の分を真っ二つに割っておいたというのに、金継ぎなんかに出しちゃって…。修復済みというのが泣けるよ、そこまでして揃えておきたいものかな? 今度のワイングラスにしたって、ぼくの名前を刻んだ所で夢が叶うわけじゃないけれど?」
「それでもいつかは…と思ってしまうし、想い続ければ叶うかもしれんと信じている。…現にブルーも結婚したしな」
「あっちのブルーは別物だよ!」
ぼくとは思考回路が違うんだ、と会長さんは力説しています。なのに教頭先生は分かっているのか、いないのか…。
「とにかく私はお前が好きだし、お前以外の誰かを嫁に欲しいとも思わない。…神に誓ってお前だけだ」
「はいはい、それじゃそういうことで」
じゃあね、と手を振りかけた会長さんを教頭先生が呼び止めて。
「…これを貰ってくれないか? 嫌なら私が保管しておくが」
「え?」
何さ、と首を傾げる会長さん。私たちも回れ右しかかっていた足を止め、教頭先生の方に向きました。えっと…引き出しを開けてますけど、お小遣いでも渡す気でしょうか? お小遣いなら会長さんは大喜びで貰う筈だと思いますですよ~。
「…頑張って回って貰って来たんだ」
大変だった、と教頭先生が取り出したのは何の変哲もない書類袋。さほど厚みもありません。お小遣いでは無さそうですし、頑張って回ったとはスタンプラリーの類とか? 全部回ると賞品をくれるスタンプラリーが流行りですから、後は賞品を引き換えるだけというシートが中に…?
「ふうん…。何を頑張ってきたんだい?」
興味津々の会長さんに、教頭先生は自信たっぷりに。
「おカラスさんだ」
「「「おカラスさん!?」」」
私たちの声が揃って引っくり返り、会長さんも目を白黒とさせています。おカラスさんと言えばブラウロニア誓紙。さっき話題にしていたアレを教頭先生が貰ってきたと…? ブラウロニアって日帰りで行こうと思えば行けるでしょうけど、辺鄙な場所だけに大変ですよ?
「ハ、ハーレイ…。おカラスさんって……頑張って回ってきたって、まさかブラウロニアの三山を全部?」
会長さんの震える声に、教頭先生は大きく頷いて。
「もちろんだ。やはり誓いを立てるからには回るべきかと思ってな…。しかしアレだな、あそこは車があっても不便だな。高速道路も通っていないし」
「つまり車で行ったわけだね?」
「ああ、日帰りで強行軍だ。新学期までに日が無かったし、早くお前に渡したかったし…」
本当にとても大変だった、と教頭先生が書類袋から三枚の紙を出しました。どれもカラスが躍ってますけど、デザインが全部違います。会長さんが使っていたのはどれでしたっけ?
「これがブラウロニア本宮のだ。お前が貰いに行ったヤツだな」
「…それで?」
腰が引けている会長さんに、教頭先生は穏やかな笑み。
「やはり一番大事な誓いは本宮で頂いたものに書くべきかと…。これでどうだろう?」
教頭先生が裏返した『おカラスさん』には毛筆でこう書かれていました。
『私は一生、ブルーを愛し続けると誓います』。
ひいぃっ、教頭先生も誓いを破れば地獄落ちという紙に誓いを立ててしまうとは…。思い込みの激しさは超一流だと会長さんが評してましたが、ここまでやるとはビックリです。キャプテンの言葉に触発されてブラウロニアを目指し、おカラスさんを三枚も…。
「他の二枚はこうなのだが」
「「「………」」」
裏返された二枚の紙に誰もがポカンと立ち尽くすだけ。そこに書かれた言葉はこうです。
『結婚するなら神に誓ってブルーだけです』。
『初めての相手も、その後の相手も、私には一生ブルーだけです』。
あちゃ~。教頭先生が口にするのは幾度となく聞いてきましたけれど、改めて書かれると迫力が…。おまけに書き付けた紙はブラウロニア誓紙。誓いを破れば地獄落ちという恐ろしい紙が合計三枚。教頭先生がブラウロニア誓紙で地獄に落ちるには会長さんとの結婚証明書が必須なのだと思ってたのに…。
「……やっちゃったか……」
ここまでされると正直怖い、と会長さんが首を左右に振って。
「ハーレイ、これじゃストーカーと変わらないんじゃないかと思うけど?」
「ストーカーだと? 何故だ、これは私の本心からの気持ちを綴った誓いの紙で…」
熱い想いを籠めたのだ、と語る教頭先生に、会長さんは。
「だからさ、それが迷惑なんだよ。…君が誓いを破った場合は地獄に落ちるわけだろう? ぼくにしてみれば、君の想いを受け入れないのは君を地獄に落とすのと同じ、と脅迫されてる気分になるわけ」
「わ、私はそんなつもりでは…!」
「違うだろうねえ、君からすれば。…悪気が無いのは分かってるけど、ストーカーだってそういうものさ。自分の想いを分かってくれ、と自分本位で追い掛け回すのがストーカー! この紙もそれと似ているんだよ」
困ったモノを作ってくれちゃって…、と会長さんは自分の肩に手をやって。
「君が地獄に落ちるかどうかが、ここにズッシリ乗っかったのさ。ぼくは一生、君を気にして生きて行かなきゃならなくなった。…君の心が離れそうになったら引き止めなくっちゃいけないんだよ? ぼくだけを想ってくれていたんじゃないのか、と。…これさえ無ければ、君が誰かと結婚するなら心から祝福出来たのに」
うわわ、そういう展開ですか! 確かにこの紙が存在する以上、教頭先生が会長さんから別の人に心を移せば地獄落ちということになりますが…。
「ハーレイ、ぼくは束縛されたくないって言ったよねえ? この紙はそれよりも前に既に書かれていたわけだけど、これが束縛でなければ何だと? 君は自分の地獄落ちを盾にぼくを脅して、一生、縛り付けるんだ」
「す、すまん…。本当にそんなつもりじゃなかった。私の想いを証しておこうと思っただけで…」
教頭先生は真っ青になり、平謝りに謝っています。けれどブラウロニア誓紙に誓った言葉は破れないのがお約束。破ればブラウロニアの神様のお使いのカラスが一羽亡くなり、誓いを破った人間もまた血を吐いて地獄に落ちると言われているんですよね…。
土下座して床に額を擦り付け、「すまん」と謝る教頭先生。けれど会長さんの表情は険しく、ついに横からキース君が。
「おい、本当に地獄落ちってわけじゃないんだろう? 最盛期には遊女と馴染み客も交わした人気アイテムとか言わなかったか?」
「アイテムとしてはそうかもしれない。でもね、こういった類のヤツは真剣に願えば効力が増す。ハーレイが自分で言っただろう? 自分の想いを証するために書いたんだ、って。…実際に地獄落ちまで行くかどうかは分からないけど、ぼくを縛るには充分なんだよ」
万一ってこともあるんだから、と会長さんは大真面目でした。
「ぼくのせいで地獄落ちなんてことになったら、ぼくの来世にも差し障りが出る。極楽往生する気でいるのに、六道輪廻に差し戻しかもね。ハーレイを地獄に落としておいて自分は極楽浄土に行くなんてことを、阿弥陀様は許して下さるのかい?」
「そ、それは…。お念仏を唱えれば極楽往生出来るんだから、あんたほどの高僧だったら…」
「仮説の域を出ないよね、それ。…ぼくも地獄に行くかもしれない。全部この紙のせいなんだけどさ」
よりにもよって三枚も、と会長さんが溜息をつけば、教頭先生は大きな身体を縮こまらせて。
「すまない、ブルー。お前を困らせるつもりは無かった。わ、私が全部背負ってゆくから……地獄へは私一人で行くから、お前は極楽へ行ってくれ」
「そう言われてもねえ…。おカラスさんが存在する限り、どうすることも出来ないんだよ。破っていいなら破るけどさ」
「や、破る…? 破ったら地獄に落ちるんだぞ!」
やめなさい、と教頭先生が叫びましたが、時すでに遅し。会長さんは三枚のブラウロニア誓紙を重ねて掴むと真っ二つに引き裂いてしまいました。これには私たちも顔面蒼白、悲鳴すらも喉から出ては来ず…。ブラウロニア誓紙は更に細かく破られ、サイオンの青い焔で燃やし尽くされ、会長さんが何やら呪文を。
「のうまく しっちりや じびきゃなん たたぎゃたなん…」
な、なんですか、これは? 意味不明な上に長いです。
「…たらまち しったぎりや たらんそわか」
唱え終わった会長さんはクスッと笑うと。
「ハーレイ、今のは高くつくよ。三枚もチャラにしてあげたんだし」
「な、何をしたんだ? あれを破ればお前も地獄に…」
無茶な事を、と教頭先生は半ばパニック。けれど会長さんは涼しい顔で平然と。
「チャラにしたって言っただろう? おカラスさんは消しちゃったから誓いは無効だ。そして破ったことで生じる罪も消滅ってね」
「…消せる……のか…?」
「ぼくを誰だと思ってるのさ? 今、唱えたのは大金剛輪陀羅尼。一切の罪業が消滅すると言われている。半端な人間が唱えたんでは神様相手には無理だろうけど、ぼくなら可能だ」
御布施の相場はこんなもの、と会長さんが机の上のメモに書き付けた数字は強烈でした。三日以内に会長さんの口座に振り込まないと、教頭先生の家に乗り込んで差し押さえだとか。
「それと迷惑料と、精神的苦痛を被ったことへの慰謝料と…。えっと、ハーレイ、聞こえてる? ハーレイってば!」
教頭先生の口から魂が抜けていくのが見えました。落ちるかもしれない地獄などより、生きて赤貧地獄の方がダメージが大きいみたいです。支払わなければ差し押さえ。おカラスさんに「支払います」って誓いを書くのも一興かも…?
海の別荘の滞在予定は一週間。それだけの長期休暇をもぎ取って来たソルジャーとキャプテン、それに「ぶるぅ」が張り切っているのは当然です。一応、非常事態に備えて自分たちの世界のシャングリラ号を常に追ってはいるそうですけど、まず心配は無いのだとかで。
「初日から海を楽しめて良かったよ」
明日以降はどうなるか分からないから、とソルジャーが言ったのは夕食の席。別荘のシェフが腕を揮ったコース料理を味わっている真っ最中です。私たちの前にはホワイトソースの焦げ目が食欲をそそるロブスターのテルミドールが…。
「どうなるか分からないだって? 自制すれば済むことじゃないか」
それが出来ないのならお好きにどうぞ、と会長さん。
「海で遊ぼうと思ってるんなら、夜の時間は控えめに! 夜の時間の方が大事だと言うなら止めないよ」
「んー…。大事だと言うか、何と言うか…。ハーレイと二人きりで過ごせる時間はシャングリラでは殆ど無いし、この機会を逃したくないんだよ。次に長期休暇を取れるのがいつになるかも分からないんだし」
「「「………」」」
それを言われると私たちだって何も反論できません。仕方ないか、とロブスターをナイフとフォークで殻から外し、切り分けて口に運んでいると。
「あ、そうだ」
ソルジャーが唐突に声を上げ、ロブスターの身を刺したフォークを手にしたままで。
「ジンゼンシキって、何なのさ?」
「「「…ジンゼンシキ?」」」
それはこっちが訊きたいです。テーブルの上には今夜のメニューが置かれていますが、そんな料理は載ってませんし…。顔を見合わせている私たちの様子に、ソルジャーは。
「うーん…。その感じだと、一般的ではないのかな? ブルーが浜辺で言っていたから、常識なのかと思ってたけど」
「「「???」」」
ますますもって心当たりは皆無でした。会長さん、そんな単語を言いましたっけ? 浜辺での話題はソルジャーのお肌自慢とバカップル。それから後は海で砂浜でと遊びまくってワイワイ騒いでいただけで…。しかし、会長さんには思い当たる節があったようです。
「えっと…。それって、もしかしてハーレイ……。そう、こっちのハーレイとぼくとの会話?」
「うん。君がズラズラと立て板に水の勢いで並べ立てていたヤツ」
「神前式に仏前式…って言った続きに?」
「そうそう、それの続きにジンゼンシキだよ」
ぼくの記憶に間違いなし、と語るソルジャーは得意げでした。
「そこまでの流れが流れだからねえ、結婚式の一種かなぁ…って。初耳だから気になってさ。…ジンゼンシキってどんなヤツだい? 人の前って書くのかな、と勝手に想像してるんだけど」
「……書き方としてはそれで合ってる。だけど中身は色々だよ」
特に約束事は無いようだ、と会長さんは指を折りながら。
「まずは指輪の交換と……誓いの言葉も言うのかな? 結婚証明書も作ると思う。だけどその辺も自由なんだよ、人前式は」
「へえ…。もしかして凄く簡単だったりする? 結婚します、の一言だけで済むくらい?」
「極端に言えばそうなるね。人前式って言うくらいだから立会人とでも言うのかな? 式に参列してくれた人が結婚したことの証人です、っていう形だよ。それだけのことだから挙式する場所も何処だっていいし、宗教だって気にしない。最近、人気があるみたいだね」
「なるほどねえ…」
そういう形もあるものなのか、とソルジャーは感心しています。エロドクターと模擬結婚式を挙げようとしたソルジャーだけに、結婚式というのは一大イベントだと思い込んでしまっていたらしく…。
「そんな風に挙式出来るんだったら、もしかして今でも出来るわけ? たった今、ぼくが結婚しますと宣言しても無問題?」
「「「は?」」」
「だからさ、今、ぼくのハーレイと結婚します、と宣言しても結婚したことになるのかな、って訊いてるんだよ。指輪も何も用意が無いけど」
「「「!!!」」」
なんと、そういう展開でしたか! バカップルだとは思ってましたが、夕食の席で電撃結婚する勢いで付き合っていたとはビックリです。いえ、深い関係なのは知ってましたよ? 知ってましたけど、結婚ですか…。
ポカンと口を開けたままの私たちを無視して、ソルジャーは人前式を挙行する気になっていました。ロブスターのお皿は下げられ、牛リブロースステーキが各自の好みの焼き加減で届いています。この後はデザートのケーキにフルーツ、コーヒーか紅茶で夕食は終わり。
「ぼくの世界じゃシャングリラの中しか暮らせる所が無いからねえ…。結婚式だって簡単なものさ。人前式ってヤツと似てるかな? ぼくはハーレイと結婚したって構わないんだけど、なにしろハーレイが乗り気じゃなくてさ」
そうだよね? と問われたキャプテンは咳払いをして。
「え、ええ…。ブルーのことは愛していますが、そのぅ……ソルジャーとキャプテンが結婚となると、シャングリラの秩序がどうなるのかと…。ソルジャーにしてもキャプテンにしても、最高権限を持つ役職です。そんな二人が結婚すれば、シャングリラを私物化していると思われそうで…」
「大丈夫だって言ってるのにさ、そうは思いません、の一点張り! ぼくたちの仲はバレバレなんだし、結婚しようが何も変わりはしないのにねえ? なのに隠し通そうと頑張ってるんだ、ハーレイは。…この辺りのヘタレ具合も直らないらしい。それでも前よりは遙かに情熱的だし、多少のヘタレは大目に見ないと」
欲張ったらキリが無いんだし…、とソルジャーがキャプテンの手を軽く叩くと。
「…分かりましたよ、どの辺りを食べてみたいんです?」
キャプテンは自分のお皿に乗ったステーキを切り分け、ソースを絡めて。
「どうぞ」
「ん…。…………。やっぱりお前とは好みが合いそうにないな」
美味しい肉には違いないけど、と呟くソルジャー。要するに私たちの目の前で「キャプテンに食べさせて貰っていた」わけです。このバカップルを何とかしてくれ、と叫び出したい気分でしたが、それよりも。
「…多少好みが合わないからこそ、結婚してみる意味もあるかと…。ぼくたちの世界で結婚するのは無理そうだから、こっちの世界で結婚しようと思うんだよね。人前式なら今すぐだって出来ちゃうんだろう?」
デザートが終わったらやっていいかな、とソルジャーは赤い瞳を煌めかせて。
「それとも食事が済んでから場所を移した方がいい? プールサイドも良さそうだよねえ、ライトアップが綺麗だし…」
「ちょ、ちょっと…」
ちょっと待った、と会長さんがやっとのことでソルジャーの話を遮りました。
「人前式で結婚するって、本気かい? 君のハーレイは結婚に賛成していないんだろ?」
「それはぼくたちの世界での話! こっちで結婚したからといって、あっちで公にしたりはしないし、ぶるぅだって秘密は守れるさ。…出来るよね、ぶるぅ?」
「うん! ブルーとハーレイはぼくのパパとママだもん! ちゃんと結婚してくれた方が嬉しいもん! 言っちゃダメなら内緒にしとくよ」
約束するもん、と「ぶるぅ」も結婚に大乗り気です。ということは、残るはキャプテンの意見次第で…。
「ハーレイ、お前はどうなんだ? シャングリラには影響が無いと分かっている世界でも、ぼくと結婚するのは嫌か?」
「と、とんでもありません!」
なんと、キャプテンは即答でした。
「あなたと結婚したくないわけがありません。ただ……ただ、そういう機会が無かっただけで……」
「決まりだな。…結婚しよう、ハーレイ」
「……ええ、ブルー……」
デザートのお皿も来ていないというのに、バカップルは熱いキスを交わしてしっかりと固く抱き合っています。会長さんは何て言いましたっけ? 誓いの言葉さえあれば人前式は成立するんでしたっけ? なし崩し式に立会人にされてしまったようですけども、ソルジャー、キャプテン、御成婚おめでとうございます~!
翌日の朝、バカップル……いえ、ソルジャーとキャプテン夫妻は朝食の席に姿を現さず、代わりに「ぶるぅ」がトコトコと一人でテーブルにつき、明るく元気一杯に。
「かみお~ん♪ 今日からよろしくね!」
「「「えっ?」」」
「えっとね、ブルーもハーレイも朝御飯の時間は疲れてるから、お休みなの! 起きられるようになったら出て行くよって言っていたけど、それまでお世話になりなさい…って」
「「「………」」」
新婚熱々の御夫妻は育児を放棄したようです。私たちに「ぶるぅ」の面倒を見させて、自分たちは何をしているのやら…。文句タラタラでトーストやサラダ、ソーセージなどを頬張る私たち。
「そういや、あいつらの部屋の前に「起こさないで下さい」って札があったな」
キース君が毒づけば、マツカ君が。
「ええ。朝食はお電話があったらお届けすることになっているんです」
「なんだって? そこまで決まっていたのかい?」
いつの間に、と会長さんが尋ねると、マツカ君はニッコリ笑って。
「ご結婚なさったわけですからね、色々と気配りが必要かと…。それで執事に相談したら、お食事は御希望があればルームサービスにした方が良い、ということで」
「「「ルームサービス!?」」」
「そうなんです。お飲み物などもお届けすることに決まりました。お食事は基本はルームサービス、お部屋の掃除はお二人がお出掛けの間に手早く、です」
あちゃ~…。ということは、最悪の場合、御夫妻とは最終日まで顔を合わさないかもというわけですか…。執事さんが有能なのは素晴らしいですが、新婚バカップルの愛の巣なんかをわざわざ作ってあげなくても…。
「なんでこういうことになるかな…」
会長さんが頭を抱えているのとは逆に、教頭先生は感動中。いつかは自分も同じような『邪魔の入らない新婚旅行』を実現させたいみたいです。もちろん相手は言うまでもなく会長さんで。
「ブルー、二人を祝福してやらないと…。私たちの世界に初めて来てから今日までの間に何年かかった? 想い合っていても三年以上もかかったんだ。片想いだけで三百年だと先は長いな」
「先は長いって…。本気で言ってる? まあいいけどね、思ってるだけなら実害は無いし。…その点、ブルーはどうかと思うよ。散々バカップルっぷりを垂れ流した挙句にお籠りだって?」
考えただけで溜息が出る、と会長さんは新婚夫妻の部屋の方角へ目をやって。
「マツカ、ぼくが頼んでいた夜釣りだけどね。予定変更、今日から毎晩! 漁船のチャーター費用ってヤツは思った以上に安いようだし」
「毎晩ですか? そりゃあ……チャーター費用は充分ですけど…」
「お釣りが来るだろ、毎晩でも? バカップルがお籠りしているんだよ、少しでも離れていたいじゃないか」
夜釣りが済んだら寝に帰るだけ、と主張している会長さんに私たちも大賛成でした。昼間はビーチで、夜は海の上。バカップルとは距離を置くのが一番被害が少なそうです…。
お籠り中の新婚夫妻はその日は姿を見せないまま。もしかしたら昼食は部屋から出たのかもしれませんけど、私たちの方がビーチから戻らずに過ごしていたので分かりません。育児放棄された「ぶるぅ」は「パパとママがラブラブなのはいいことだ」と思っているらしく、御機嫌で海で遊び続けて…。
「ねえねえ、夜釣りって何をするの?」
そっちも楽しみ、と「ぶるぅ」は早めの夕食の席ではしゃいでいます。船に乗るので夕食は軽めのメニューでした。とはいえ、シェフの気配りで栄養たっぷり、バテないように色々工夫が。
「夜釣りかい? 魚を釣りに行くんだけどね、ぼくが頼んだのは釣りじゃない」
「「「え?」」」
会長さんの答えに『?』マークだらけの私たち。彩りよく盛られた海老やグレープフルーツ入りのアボカドのカクテルを食べている手も止まりましたが。
「行けば分かるさ、港に行けば…ね。ぼくも初めて挑戦するんだ」
釣りじゃないのに夜釣りとは如何に? 深まる謎に夕食のテーブルは大いに盛り上がり、食後はハーブティーを飲んでいざ出発! マイクロバスで小さな港に着くと明かりの点いた漁船が待っていました。
「いらっしゃい! まず救命胴衣を着けて下さいね。それから、いきなり船の上で振り回すのは初心者さんには難しいですから、そちらで練習なさって下さい」
「「「……えっと……」」」
船長さんの指示通り救命胴衣を着けた私たちの前に並んでいたのはスチール製の握りがついたタモ網でした。長さは私たちの背丈ほど。教頭先生には余裕の長さですけど、「そるじゃぁ・ぶるぅ」と「ぶるぅ」には少し長すぎませんか? でも…。
「ああ、お子様でもそのサイズです。でないとトビウオは掬えませんよ」
「「「トビウオ!?」」」
「皆さん、御存知なかったんですか? これからトビウオ掬いに出航します。相手は空も飛びますからねえ、そのくらいの網が必要なんです。充分に素振りしておいて下さい」
出航準備をしてきます、と船長さんが乗り込んで行くと、お手伝いらしき船員さんが。
「もっとこう、大きく振り回さないとダメですよ。集魚灯に向かって泳いでくるのを掬うんです。場合によっては飛んでますから、その時は虫採りの要領でパッと」
まさか空飛ぶ魚を獲りに行くとは想像もしていませんでした。網は見た目よりも軽く、「そるじゃぁ・ぶるぅ」たちもブンブン振って遊んでいます。これって釣りより面白いかも? 間もなく出航した船は夜の海を沖へと進み、集魚灯を点けて待機中。んーと…。何もいませんよ?
「海をよく見て下さいね。青白いものが近付いて来たら、そこをすかさず掬って下さい」
船員さんに説明されても何の事だか…って、キース君!?
「お見事!」
キース君のタモ網の中で魚がピチピチ跳ねていました。船員さんがトロ箱に入れています。トビウオ掬いは競い合うのが醍醐味だそうで、人数分のトロ箱が。これは私も頑張らないと、と思う間もなく会長さんが掬ったようです。続いて「ぶるぅ」が、ジョミー君が…って、うひゃあ!
「かみお~ん♪」
私の目の前に飛んで来たトビウオを「そるじゃぁ・ぶるぅ」の網が一閃、素早くキャッチ。こうなってきては負けられません。えーい、掬って掬って掬いまくっちゃえー!
「そっち、そっち!」
「うわーっ、来たー!」
トビウオ掬いは体力勝負。どのくらいの時間を戦っていたのか分かりませんが、港に戻った私たちは新婚バカップルの存在を気持ちよく忘れて眠れる程度に疲れていました。一番沢山掬い上げたのはキース君で、次点が教頭先生です。新鮮なトビウオはフライにすると美味しいそうで、明日の朝食が楽しみかも…。
こうして私たちの別荘ライフは昼間はビーチ、夜は漁船で海の上。新婚バカップルがビーチに来る日もありますけれど、バカップルだけに不可侵条約が暗黙の了解事項になっていて…。ともあれ、無視する術は身につけました。バカップルは食事もルームサービスで食べるのですから。しかし…。
「うーん、やっぱり一発お見舞いしないと気が済まないよね」
不穏な台詞を口にしたのは会長さん。別荘ライフも残り三日という日のことです。朝食のテーブルで揚げたてのトビウオを頬張りながら、会長さんは真剣な顔で。
「…ブルーが結婚したいのは分かる。そして結婚したらしい。…でもって、ぼくたちが迷惑を被ってるわけで、ここは仕返ししておきたい」
「やめなさい、ブルー」
止めに入ったのは教頭先生。
「人の恋路を邪魔するな、と昔から言われているだろう。馬に蹴られて死にたいのか?」
「だから色々考えたさ。邪魔にならなくて、仕返しも出来て、一石二鳥の方法を…ね。もしかしたら仕返しどころか喜ばれちゃって終わりかもだけど、そうなったらそれはその時のことで」
「…何の事だか分からんのだが…」
「結婚証明書を用意してあげようと思うんだ。せっかく結婚したというのに証人がいただけだろう? 思い出になる品を持って帰れれば幸せだろうし、証拠にもなる」
それが最高、と会長さんはブチ上げましたが、結婚証明書の何処が仕返し? 喜ばれて終わるのは火を見るよりも明らかですが…。「ぶるぅ」だってワクワクしてますし!
「かみお~ん♪ 結婚証明書って、結婚したって証明だよね? わーい、本当にパパとママが結婚したって証拠が出来たら、今よりもっと仲良くなるよね! それって最高!」
用意してよ、と「ぶるぅ」はピョンピョン飛び跳ねています。食事の最中に跳ね回るのは、お行儀がいいとは言えませんけど…。ところで、結婚証明書って何処に行ったら買えるのでしょう? それとも会長さんが手作りするとか?
「朝御飯が済んだら出掛けよう。今日もたっぷり泳ぎたいから、用事は早めに済ませたい」
そう宣言した会長さんは、食事が終わると私たち全員に「一緒に来るかどうか」を意思確認し、全員が「行く」と答えた時点で会長さんの泊まる部屋へと移動して…。
「何処へ行くんだ?」
教頭先生の問いに、会長さんは。
「ブラウロニア」
「「「えっ?」」」
それって大きな滝と原生林とで有名な場所の名前では? そんな所へ何をしに、と思う間もなく会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」のサイオン発動。私たちの身体がフワリと宙に浮き、降り立った場所は神社の境内でした。確かブラウロニアの三つの神社を巡る参詣道が世界遺産で、そのパンフレットで見たような…?
「ブラウロニアの本宮だよ」
滝があるのは別の神社、と説明しながら会長さんはスタスタ歩いてゆきます。そっか、やっぱりブラウロニア三山っていう神社の一つに来ているんですね。だけど、どうしてブラウロニアへ…?
「ちょっと買い物。いや、買い物と言ったら罰が当たるかな? 頂きたいものがあるからさ」
何が何だか分からないまま、私たちは神社にお参り。お参りが済むと会長さんは社務所に向かって…。
「おカラスさんをお願いします」
「「「???」」」
なんですか、それ? キョトンとしている私たちの後ろで教頭先生がウッと息を飲んだのが分かりました。会長さんが受け取った袋に視線が釘付けですけど、ちょっと大きめの紙袋に入っているのが『おカラスさん』かな? これで用事は終わったらしく、私たちは再び瞬間移動でマツカ君の別荘へ。
「ぶ、ブルー…」
紙袋を備え付けの机の引き出しに入れようとしている会長さんに、教頭先生が震える声で。
「おカラスさんとか言っていたな? その言葉には聞き覚えが無いが、その紙袋はブラウロニア誓紙か?」
「…流石は古典の教師だけあるね。正式名称はブラウロニア牛王神符、通称『おカラスさん』。世間一般にはブラウロニア誓紙と呼ぶようだけど」
これで結婚証明書の用意はバッチリ、と微笑む会長さんに、教頭先生が心配そうに。
「いや、その…。最盛期には遊女と馴染み客の間でも交わしていたと聞くがな、大丈夫なのか、本当に?」
「高僧のぼくが扱い方を誤るとでも? 問題ない、ない」
さあ海に行こう、と会長さんが号令をかけ、私たちは着替えに走りました。今日もビーチでバーベキュー! 夜はトビウオ掬いですよ~。
別荘ライフも残り二日となった日の朝、食堂のテーブルには熱々のトビウオのフライ。毎朝美味しく食べてましたが、この味とは今日でお別れです。楽しかったトビウオ掬いは昨夜が最後だったのでした。今夜も行くのだと思っていたのに、会長さんが予定変更してしまって…。
「トビウオ掬いは来年だって行けるしね。それでも行きたくてたまらないなら、シーズン中にまた連れて来てあげる。瞬間移動でパパッと来ちゃえば宿の手配も要らないしさ」
だからおしまい、と会長さんが言い、「そるじゃぁ・ぶるぅ」が。
「えっとね、今夜はパーティーするんだって! ハーレイとブルーが結婚したでしょ、そのお祝いをしていないから、みんなで祝ってあげなさい、って」
「「「………」」」
そう来たか、と私たちは昨日の『おカラスさん』とやらを思い返して納得です。あれで作った結婚証明書を渡してお祝いしようと言うのでしょうけど、食事はルームサービスで食べるバカップルが出て来るのかな…?
「ブルーの部屋には手紙を入れておいたんだ。結婚式をした思い出に最後にパーティーしないかい、って。どうせ明日には揃って電車に乗り込むわけだし、お互い無視し合った状態のままで最終日を迎えてしまうよりかは、賑やかに祝福のパーティーを…とね」
ああ、なるほど。それでバカップルが出てくれば良し、出て来なければ豪華な夕食でおしまい、と。毎晩トビウオ掬いでしたから、船酔いしないよう夕食メニューはサッパリしたものが続いていました。今夜は久々にコッテリ系かな? 海で丸一日遊びまくれるのも今日が最後ですし、しっかり泳いでおかなくちゃ!
日が傾くまで海で遊んで、更にプールでひと泳ぎ。その間にバカップルとは一度も出会いませんでした。これは駄目かもしれないね、と話しながら部屋に戻ってお風呂と着替え。それから食堂へ出掛け、テーブルについて…。主賓のソルジャーとキャプテンの席は空席です。
「…来ないのかな?」
ジョミー君が呟いた所へ「ごめん、ごめん」と声がして。
「こういう席には何を着るのか分からなくって…。それで様子を見てたんだ。普通の服で良かったんだね」
「お招き下さってありがとうございます。…恐縮です」
ソルジャーとキャプテンがラフな格好で現れました。そっか、お祝いの席にはドレスコードというものが…。何も考えていなかった私たちはTシャツなどの普段着です。会長さんも教頭先生も改まった服は着ていませんし、会長さんの連絡ミスか、はたまたこれも仕返しなのか…。真相は分からないまま、まずは乾杯。
「ブルー、結婚おめでとう。それにハーレイも」
会長さんがシャンパンのグラスを手にして祝辞を。
「お祝いが遅くなったけれども、二人の前途を祝して乾杯!」
「「「かんぱーい!!!」」」
和やかに食事が始まり、素晴らしい料理が次々と。ソルジャーとキャプテンはお互いに食べさせ合ったり、キスをしたりとバカップルも此処に極まれりです。会長さんが毎晩トビウオ掬いに連れ出してくれていなかったなら、私たち、バカップルが気になって寝不足に陥っていたのかも…。
「幸せそうで良かったよ。…ところで、ブルー」
残るはデザートという段になって、会長さんがソルジャーに。
「君の性格からしてウェディングケーキは今更じゃないかと思ったんだよね。君の世界のハーレイも甘い食べ物は苦手らしいし、お祝いのケーキが仇になるのは良くないだろう? だからデザートは普通なんだけど、代わりにプレゼントを作ってみたんだ」
「…プレゼント?」
「うん。結婚証明書を手作りしたのさ。新郎新婦と立会人の代表が署名する仕様。ぼくの署名はしておいたから、後は君とハーレイが署名をすれば完成だ」
「本当かい?」
ソルジャーの顔がパッと輝き、キャプテンの頬も緩んでいます。
「結婚証明書ですか…。お心遣いに感謝します」
「嬉しいよね、ハーレイ。早速署名といきたいけれど、食事の後かな?」
尋ねられた会長さんが頷いて。
「お遊びのヤツじゃないからね。証明書にも敬意を払ってほしいんだ」
「ふうん…。なんだかドキドキしてきたよ。じゃあ、食事が済んだら宜しくね」
ハーレイと仲良く署名するんだ、とソルジャーは大喜びでした。ほーら、やっぱり仕返しになっていませんよ…。
そして訪れた署名の時間。二階の広間に場所を移して、中央にテーブルが据えられています。白いテーブルクロスと生花で飾られた其処へ、会長さんがスッと一枚の紙を。
「これが結婚証明書。ぶるぅのママがどっちなのかで揉めたりしたのを知っているから、新郎とも新婦とも書いてはいないよ。二人の名前を書く欄があるだけ。どちらの欄に署名するかは好みでどうぞ」
「そこまで考えてくれたのかい? えーっと、ソルジャーのぼくの名前が先でいいかな? それともキャプテンの署名の方が先なのかなあ?」
「ソルジャーが先だと思いますよ、ブルー。あなたあってのシャングリラです」
お先にどうぞ、とキャプテンが譲り、ソルジャーはテーブルに備え付けられていた羽根ペンでサラサラと署名しました。続いてキャプテンがペンを手にしたのですが、会長さんがスッと制して。
「…署名する前に、大切なことを言っておかないと…。この証明書の裏には『おカラスさん』が貼ってあるんだ。ほらね、カラスの模様が可愛いだろう?」
裏返された証明書の裏には沢山のカラスが躍っていました。それで『おカラスさん』なんですね。
「とある神社が発行していて、ブラウロニア誓紙と呼ばれている。この紙に書いた誓いを破ると神社のお使いのカラスが一羽亡くなり、誓いを破った人間の方も血を吐いて地獄に落ちるんだってさ」
「「「!!!」」」
か、会長さんったら、そんな恐ろしい物を作ったんですか? それが結婚証明書ってことは、ソルジャーとキャプテン、別れたりしたら大変な事に…。けれど顔面蒼白の私たちを他所に、キャプテンは迷うことなく署名して。
「…ブルー、誓ったのは私の方です。私が誓いを破った時は血を吐いて地獄に落ちるでしょう。けれど、あなたはどうぞ自由に…。あなたが私を捨てて行かれても、あなたは地獄に落ちません」
「……ハーレイ……?」
「あなたが先に署名なさって良かったです。後に書き込んだ私一人が罰を受ければ良いのですから」
縛られることなく御自由に…、と微笑むキャプテンは包容力に溢れていました。ソルジャーは「馬鹿っ!」と叫んで、「一人で地獄に行かせはしない」と命令口調で言い切った後は、キャプテンと強く抱き締め合って二人の世界。会長さんの仕返しとやらは脅しにもならず、絆を深めるだけの結果に…。
今年の夏の海の別荘は結婚式の会場となり、帰りの電車でも新婚バカップルは熱々でした。ソルジャー、キャプテン、どうぞ末永くお幸せに~!
海の別荘へ行きたい一心で棚経をクリアしたジョミー君。サム君の方は「いい勉強と修行になった」と思っているようですが、ジョミー君は「また坊主に一歩近づいてしまった」と悲しんでいる様子です。とっくの昔に僧籍のくせに、今更何を言ってるんだか…。そんな二人がお盆の行事を全てこなして、今日は休養日。
「二人とも、よく頑張ったね。お蔭で恥をかかずに済んだよ」
弟子の不始末は師僧の責任になるんだから、と会長さん。元老寺でのお盆の最大の行事、施餓鬼会とやらには会長さんもお目付け役で出掛けたという話でした。もちろん高僧の証の緋色の衣を纏って、です。会長さんの登場で法要の格が上がったとアドス和尚は非常に喜んでいたそうで…。
「要らないよって言ったのにさ、どうしても受け取ってくれって渡されちゃって…。どうする、これ?」
私たちは会長さんの家に遊びに来ていました。明日からマツカ君の海の別荘に出発ですけど、その前の打ち合わせのようなものです。会長さんがテーブルの上に出してきたのは熨斗袋でした。
「けっこう入っているんだよ。…だけど別荘でかかる費用はマツカが出すと言ってくれてるし、普段に遊ぶ費用はハーレイから巻き上げてなんぼって所があるからねえ…」
「巻き上げなければいいじゃないか」
それが一番、とキース君。
「あんた、教頭先生には御迷惑を掛けっ放しだろう。その金は次の打ち上げパーティーにでも使うんだな」
「普通に考えればそうだろうけど、ハーレイの場合は違うんだよ。ぼくに貢ぐのが生甲斐になってる部分があってさ。…嘘だと思うなら試してみようか?」
会長さんは携帯を取り出し、教頭先生を呼び出して。
「もしもし、ハーレイ? ちょっと聞きたいことがあるんだ。明日からマツカの海の別荘に行くんだけれど、一緒に行く?」
「「「えぇっ!?」」」
なんでそういう展開に? 貢ぐかどうかを訊くのが目的だったんでは…? けれど会長さんは私たちにパチンとウインクしてみせて。
「あ、そう。…忙しいんなら仕方ないね。えっ、一日で片付ける? でもって残りは代理を立てる…? そりゃあ、来てくれるのは嬉しいけれど…。でも、代理を頼んでスカンピンになった君じゃ全く意味が無いんだよね」
へ? 代理だのスカンピンだのって、どういう意味? 顔を見合わせている私たちを他所に、会長さんは。
「高くついても構わないって? じゃあ、楽しみにしてるから。…っていうのは冗談、臨時収入が入ったんだよ。え? ええっ? …ちょっと待ってて」
そこで会長さんが私たちの方へ視線を向けて。
「ほらね、財布代わりにされると分かっていても一緒に来たいのが証明されたと思うけど? 臨時収入があったと言ったらショックを受けてる。今年は呼んで貰えないのか…って。自己負担でも構わないから行きたいらしいよ。…どうかな、マツカ?」
「教頭先生も一緒にですか? ぼくは構いませんけれど…。もちろん費用は頂きません」
「それは嬉しいね。ハーレイを呼ぶ気は全然無かったんだけど…。来たなら来たで楽しいだろうし、よろしく頼むよ。…あ、ハーレイ? マツカがどうぞ来て下さい、って。費用もマツカが出してくれる。持つべきものは出来る弟子だね。心から感謝しておきたまえ」
集合場所とかは後でメールする、と告げて会長さんは電話を切りました。なんと、教頭先生も一緒に海の別荘へお出掛けですか! まあ、毎年おいでになってますから、特に問題ありませんけど。
「…というわけで、ハーレイも参加するってさ。今から仕事を大車輪だね、何処まで出来るか知らないけどさ」
クスクス笑う会長さんに、キース君が。
「おい、代理を立てるとかいうのは何だ? 代理を頼むとスカンピンだとか言っていたな」
「あれっ、前に話さなかったっけ? ウチの学校の教職員は全員がサイオンを持っているから、仕事の引き継ぎも代理を引き受けるのも朝飯前だ…って。ハーレイの仕事が今日中に終わらなかったら、残った仕事は代理を募集するんだよ」
言われてみれば聞いた気もします。確か代理で仕事をすれば特別手当が入るとか…。
「そう、そのシステムのことを言ってるのさ。特別手当は学校の方から出るんだけれど、予め届け出がしてあった時は学校が全額を負担。今のハーレイみたいに急遽募集ということになると、頼んだ方も自己負担をする決まりでねえ…。最近の比率は何割になっているのかな? とにかく負担はゼロにはならない」
「「「………」」」
教頭先生、自腹を切って代理を雇ってでも会長さんと海の別荘ですか…。なんとも見上げた心意気です。会長さんがアドス和尚から貰ったお金で払ってあげればいいのでは?
「うーん…。このお金でハーレイをオモチャに雇うって? それはちょっと…。もう少し、こう…。いい使い道っていうのは無いかな?」
せっかく御礼に貰ったんだし、と熨斗袋を見詰める会長さん。そこへ…。
「ぼくが使ってあげようか?」
「「「!!?」」」
紫のマントがフワリと翻り、現れたのはソルジャーでした。暫く姿を見なかったのに、このタイミングで来るなんて~!
教頭先生の参加に加えてソルジャー出現。驚きの連続で声も出せない私たちには目もくれないで、ソルジャーは熨斗袋を手に取ると。
「ひい、ふう、みい…。思った以上に入っているね。キースのお父さんは気前がいい」
「それが相場だよ! 勝手に数えないで貰おうか」
会長さんが叫び、ソルジャーが。
「開けてないからいいじゃないか。…これが相場って、お坊さんという職業は儲かるわけ? 君は座ってただけだろう? それもたったの半日だけだ」
「…言いたくないけど、坊主丸儲けって言葉ならある。そしてぼくが自分から参加したというんでなければ、法要に出た御礼として頂ける金額の相場がそれなわけ。坊主の場合は御礼じゃなくて御布施だけどさ」
「ふうん…。坊主丸儲けねえ…。そんなに儲かる職業を嫌がるなんて、ジョミーの気持ちが分からないや。…それはともかく、このお金。いい使い道を探してるんなら出資してよ」
「出資?」
怪訝そうな顔の会長さん。私たちも訳が分かりません。ソルジャーの世界と私たちの世界は違いますから、こちらのお金を持ち帰っても役に立たないと思うのですが…。
「分からないかな、ぼくも海の別荘に行きたいんだよね。それにハーレイも、ぶるぅも行きたがっている。三人揃って休暇を取るために根回ししていて今日までかかった。このお金で三人分の旅費が出せるだろう?」
「と、とんでもない!」
声を上げたのはマツカ君です。
「費用なんか頂けません! ぼくの両親はぼくに友達が大勢出来たことを本当に喜んでいますから……お金は頂けないんです。休暇が取れたと仰るのなら、是非、皆さんでいらして下さい」
「本当かい? それは嬉しいな。喜んでお邪魔させて頂くよ。…突然のお願いですまないね。でも、ほら、ぼくの世界は色々と問題が山積みなものだから…。計画通りに事が運ぶかは直前になるまで分からないんだ」
「そんなこと、お気になさらなくても…。じゃあ、教頭先生も入れて四人追加でいいんですね」
マツカ君は執事さんに電話をかけるとテキパキと指示。別荘行きの面子がアッと言う間に四人も増えてしまいました。賑やかなのはいいことですけど、波乱の予感がするような…。
「えっ、波乱?」
ソルジャーが私たちを見回した所を見ると、誰もが私と同じ考えだったみたいです。海の別荘行きは毎年騒ぎになっていますし、去年なんかはキャプテンが一人旅に挑戦したばかりに要らない知識まで仕入れちゃって…。
「そういえば鏡張りの部屋は去年だったね」
あのラブホテルは最高だった、と頷くソルジャー。鏡張りとは電車を乗り間違えたキャプテンが何も知らずに泊まってしまったラブホテルにあった部屋のこと。それをソルジャーが気に入ってしまい、その後もキャプテンと何度か泊まっているのです。
「鏡張りねえ…。今のぼくたちには刺激は特に必要ないけど、あの頃はぼくも必死に頑張ってたっけ。なにしろハーレイがヘタレだったし、おまけにマンネリ。それに比べて今は天国!」
だから波乱はお断り、とソルジャーはニッコリ微笑みました。
「一生満足させてみせます、って叫んだハーレイの言葉はダテじゃなかった。ぼくだって家出して来ないだろ? 本当に至極円満なんだよ、こんなに幸せでいいのかな…って思うくらいに」
「分かった、分かった」
ノロケはもういい、と会長さんがソルジャーを遮って。
「幸せ気分を振り撒きたいのは分かるんだけどね、この子たちが万年十八歳未満お断りな事実は忘れないように。別荘でも露骨にイチャイチャしてたら叩き出すよ?」
「それは困るなぁ。…大人しくするよう努力してみるよ、休暇をもぎ取った以上はね。…あ、マツカ。ぼくとハーレイはダブルベッドの部屋でお願いしたいな」
それじゃよろしく、と言い残してソルジャーはフッと姿を消したのですけど。
「「「…来ちゃったよ…」」」
ガックリと肩を落とすジョミー君にサム君。会長さんやキース君たちも思い切り脱力しています。思えば棚経の練習が始まって以来、ソルジャーのことは忘れていました。そのツケが今頃来たのでしょうか? いえ、ツケでなくても海の別荘にはソルジャーの姿が付き物でしたが…。
「……このお金……」
会長さんが疲れた口調で。
「漁船でもチャーターして海釣りに行く? 一般人が操舵している船の上ならブルーも静かだと思うんだ」
「なるほどな…」
名案かもしれない、とキース君。
「波乱はお断りだと言ってはいたが、バカップルも大概迷惑だ。一日くらいは休養したい。いや、丸一日も船の上では疲れるか…。その辺は適当に考えるとして、一般人つきの漁船は使えるんじゃないか?」
「だよね、サイオンで誤魔化し可能と言っても、誤魔化しながらのバカップルだと気分もイマイチ乗らないだろうし…。よし、このお金でぼくたちの心の平穏を買おう。…頼めるかい、マツカ?」
そう問い掛けた会長さんに、マツカ君は。
「漁船をチャーターするんですね? その費用も出させて頂きます、と言いたい所ですけれど…。分かりました、漁協の方に問い合わせをさせておきますよ。ぼくは釣りには詳しくないので、楽しめそうな釣り場とかを」
「悪いね、急に色々と…。そうだ、釣りなら夜がいいかな」
夜釣りに行けば夜の時間を削れるから、とニヤリと笑う会長さん。
「ブルーの行動が怪しくなるのは主に夜だし、ついて来ないなら放っておいて遊べるしさ。…うん、夜釣りで」
「夜釣りですね。その方向で調べさせておきます」
任せて下さい、と答えるマツカ君が神様のように見えました。ソルジャーの動きを封じてしまうか、あるいは放ってトンズラするか。どちらにしても夜釣りは大いに期待出来ます。会長さんがアドス和尚に貰ったお金で夜の平和をゲットですよ~!
翌朝、海の別荘へ出掛ける面子がアルテメシア駅の中央改札前に集合。ソルジャーとキャプテン、「ぶるぅ」の姿も当然のように…。ソルジャーたちの服は私たちの世界の夏物です。また会長さんたちに借りたのでしょうか?
「やあ、おはよう。…この服かい? ノルディに貰ったお小遣いで買ったんだけど」
「「「………」」」
悪びれもせずに答えるソルジャー。えっと、最近はキャプテンとの仲が良好で家出の必要も無くなったと聞いてましたが、エロドクターは別格ですか? 会長さんも額を押さえています。
「え、だって。こっちの世界は魅力的だし、なんと言っても本物の地球! 暇が出来たら息抜きを兼ねて遊びに来るんだ。自然の中で過ごす分にはタダだけれども、店に入るにはお金が必要。…お金とくればノルディに頼むのが一番だよね」
気前が良くてお金持ち、とソルジャーは至極御機嫌です。エロドクターは遊び人だけに、ソルジャーに今もせっせと貢ぎ続けているらしく…。
「ぼくはハーレイで満足してるから出番は無いよ、って言ってるのにさ。たまに顔を見せて一緒に飲んだり、ランチやディナーに付き合うだけでポンとお金をくれるわけ」
「…まだやってるとは知らなかったよ。君のハーレイはそれでいいわけ?」
呆れた口調の会長さんに、キャプテンが。
「ブルーは日頃からソルジャーとして戦い続けているわけですし…。気分転換に出掛けたくなるのは自然なことです。こちらの世界でフォローして下さる方がおいでだと私も安心です」
「君のブルーと挙式しようとした男だけどねえ? まあ、君たちがそれでいいなら、ぼくからは何も言わないけどさ」
好きにしたまえ、と大袈裟な溜息をついた会長さんは、私たちに。
「さて、駅弁を買いに行こうか。ハーレイ、今年も買ってくれるよね?」
「もちろんだ。…ただ、そのぅ……。なんだ、安い弁当を選んでくれると嬉しいのだが」
教頭先生のお仕事は昨日一日では片付かなかったみたいです。代理の人を頼んだ費用がお高くついてしまったのでしょう。けれど会長さんが情状酌量する筈も無く、駅弁の売り場で受け取ったのは予約してあった高級料亭の特製弁当。私たちはサンドイッチや格安のお弁当を買いましたけど、これじゃ焼石に水ですよねえ…。
「そうか、こっちのハーレイは金欠なのか」
貸し切りの車両の中でソルジャーがクスクス笑っています。そのソルジャーとキャプテン、「ぶるぅ」の三人が食べているのは、会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」が買ったのと同じ特製弁当だったりして…。
「此処のお弁当は美味しいよねえ、本当に。ハーレイが金欠だって分かっていたら、余分に予約をしてあげたのにさ。…ぼくの幸せの恩返しに」
「い、いえ、それは気にして頂かなくても…!」
謹んで遠慮させて頂きます、と教頭先生は耳まで真っ赤になっていました。ソルジャーが『恩返し強化月間』と銘打って来ていた時のあれやこれやを思い出してしまった様子です。行きの電車からしてこの調子では、別荘に着いたらどうなるのやら…。夜釣りで逃亡するにしたって、毎日毎晩海の上では落ち着きませんよ~。
電車の窓から青い海が見え始め、やがて停まった海の別荘の最寄り駅。迎えのマイクロバスに乗り込み、お馴染みの別荘に到着すると。
「いらっしゃいませ、ようこそお越し下さいました」
此処でも執事さんがお出迎えです。使用人さんたちが荷物を運んでくれて、割り当てられたゲストルームへ。お天気がいいですから、早速ひと泳ぎするべく水着に着替えて玄関前に集合で…。
「かみお~ん♪ この水着、持って来ちゃった!」
浮き輪を抱えて飛び跳ねている「そるじゃぁ・ぶるぅ」が着ている水着は明らかに女子用でショッキングピンク。そこに金銀ラメで派手な模様が入っています。こ、この水着はもしかしなくても…。
「そうだよ、イルカショーでぶるぅが着ていたヤツさ」
ニッコリ笑う会長さん。
「ハーレイもお揃いのを持ってくるかもしれないよ、って言ったら大喜びで荷物に詰めていたんだけれど…。残念ながら違うようだねえ?」
会長さんの視線の先には教頭先生がごくごく普通のボックス水着で立っていました。会長さんに「そるじゃぁ・ぶるぅ」、私たちにまでジロジロ見られた教頭先生は申し訳なさそうに。
「す、すまん…。特にリクエストも無かったわけだし、それに、そのぅ……」
「ああ、その状態で着るのは無理かもね」
了解したよ、と会長さんが頷いて。
「脛毛もバッチリあるみたいだし、それでハイレグは視覚の暴力! …ところで、脛毛はサイオニック・ドリーム? それとも本物?」
「お前なら訊かなくても一目で分かるんじゃないか?」
「そりゃね、サイオンで調べてみれば一発だけど、他の子たちには分からないし…。だから訊いてる。もう大丈夫なレベルに伸びたってわけ?」
「ま、まあな…」
多少不自然さは残っているが、と教頭先生は自分の足を見下ろしています。えっと、おかしくないですよ? 普通に金色の脛毛ですよ?
「ハーレイは長さが不十分だと言いたいらしい。それと剃られてから後に生えた毛はともかく、剃られた時に発育途上だった毛は毛先が自然じゃないからねえ…。細くなる代わりにスッパリぶった切られているのが分かるし、その辺のことが気になるわけさ、ハーレイは」
滔々と説明してくれる会長さんに、私たちは改めて教頭先生の脛毛を眺めましたが、褐色の肌に金色なだけに今一つ分かりませんでした。教頭先生が気にするほどのことは全くありません。良かったですよね、剃られちゃった毛が生え揃って。と、ソルジャーがヒョイと教頭先生の前の方へと回り込んで…。
「…で、こっちの方は?」
ソルジャーの指が示した先は教頭先生のボックス水着。
「ノルディが綺麗に剃り上げてたのは脛毛とかより後だよねえ? こっちの長さはどうなのかな? ハイレグ水着だとはみ出しちゃうのかもしれないけれど、まだ充分とは言えないんじゃあ…?」
「…え、ええ…。そ、そうですね、ま、まだまだという所でして…」
教頭先生は気の毒なほど脂汗をかいておられます。ソルジャーと会長さん、それにエロドクターという豪華メンバーの悪戯のせいで、教頭先生は水着の下に隠れて見えない部分にとんでもない秘密を抱える羽目に。指一本分の幅のワンフィンガーとやらだけを残して毛を剃られた上、残っている毛も見栄え良くカットされていて…。
「ふうん…。辛うじて伸びました、って感じだねえ。だけどハイレグ水着は無理かぁ…」
サイオンで水着の下を確認したらしいソルジャーは「ちょっと残念」とキャプテンの方に目をやって。
「凄かったんだよ、ハイレグ水着。ほら、こっちのぶるぅが着てるだろ? それとお揃いのデザインでさ…。覗き見だけでもインパクトがあったし、肉眼で! と思ったけれど…。あ、大丈夫、お前に着ろとは言わないからさ」
「………。本当ですか?」
「本当だってば。着るには下準備が必要なんだ。…こんな感じで」
ソルジャーは思念でキャプテンにワンフィンガーの情報を送ったみたいです。キャプテンがゲホゲホと激しく咳き込み、「ごめん、ごめん」と謝るソルジャー。
「お前がそんな姿になったら夜の時間が楽しめないよ。…いや、夜に限らず、朝でも昼でもぼくはいつでも大歓迎! せっかく休暇をもぎ取ったんだし、地球の休日を満喫しよう。ダブルベットの部屋も用意して貰ったものね」
とても楽しみにしてるから、とソルジャーがキャプテンの首に腕を回すと、すかさず始まる濃厚なキス。えっと…。此処はマツカ君の海の別荘の玄関先で、まだビーチではないんですけど…。執事さんだって「ご用があるかも」と向こうに待機してるんですけど、いきなりバカップルですか…。
玄関先でのキスに始まり、ソルジャーとキャプテンの仲が良好なことは嫌と言うほど分かりました。真っ白な砂が眩しいプライベート・ビーチに着いた途端に、ソルジャーが始めたのはお肌の自慢。
「見てよ、傷一つ無いだろう? あ、違う、違う、ぼくの世界のハードさを言っているんじゃなくてさ」
そっちの怪我はまた別モノ、とソルジャーはとても得意そうです。
「ぼくは場数を踏んでるからねえ、そう簡単には怪我しない。でも、ここ数日は気を付けていたよ、せっかく海に行こうというのに泳げなくなったら元も子も無いし…。だからハーレイに毎晩念を押していたんだ。決して痕をつけないように、って」
「「「!!!」」」
そっちの方を言ってたんですか! そう言えばキャプテンと一緒に海に来る度に、ソルジャーは大人の時間が原因になって泳げない日がありましたっけ。つまり最近は毎日毎晩、キャプテンと大人の時間を過ごしているというわけですね?
「決まってるじゃないか。いい感じだって何度も言ったろ、こっちのハーレイに恩返ししたくなるほどにさ。…ついでに解説させて貰うと、痕を付けずにぼくを満足させるというのは難しいんだよ? それを頑張ってくれるハーレイを見てると愛されてるんだって実感するよね」
もう本当に幸せで…、と赤い瞳を輝かせているソルジャーの隣でキャプテンが真っ赤になっています。人前で堂々とキスは出来ても、まだ免疫が足りない部分もあるようで…。それに気付いたソルジャーは。
「うーん、完全にヘタレ脱却とはいかないか…。でも、そんな所も好きだよ、ハーレイ」
「…私もです、ブルー…」
あぁぁ、またしても二人の世界ですよ~! バカップルは放っておいて泳ぎに行くとしましょうか。あれっ、教頭先生、視線がバカップルに釘づけに…。その背中を会長さんが指でトントンと軽く叩いて。
「…ハーレイ? ハーレイってば!」
「…!? あ、ああ……。なんだ、お前か」
「ご挨拶だねえ、ぼくはどうでもいいってわけ? あっちの二人に混ざりたい? ブルーは心が広いからさ、一晩くらいなら混ぜてくれるかもしれないよ」
「い、いや、それは…!」
慌てて鼻を押さえる教頭先生。バカップルを見ている間に妄想が広がっていたのでしょう。けれど、どんなに姿形が似通っていても、ソルジャーと会長さんは別人です。夢に見ている結婚どころか、バカップルすらも夢のまた夢。
「君が何を考えていたかは、およそ想像がつくけどね…。ぼくとああいうことをしたけりゃ、まずは結婚を前提としたお付き合い! それが始まりもしない内から大それた夢を持たないように」
「…分かっている…。ついでに望みも無いんだったな」
「無いね、可能性は限りなくゼロ! お遊びの結婚式なら挙げてあげてもいいんだけどさ、結婚証明書に名を連ねるのは勘弁だよ」
チャペルで挙式も神前式も仏前式もお断りだ、と会長さん。
「もちろん人前式も嫌だし、入籍なんて論外だからね。つまり結婚する気は無し!」
「……そのう、なんだ…。改めて言われると堪えるな……」
教頭先生は苦笑しつつも、そこは片想い歴三百年以上。サックリ切り替え、バカップルへの未練も捨てて私たちを連れて海の方へと…。今日はバーベキューの予定もありませんから、素潜りはメニューに入っていません。みんなで泳いだり、「そるじゃぁ・ぶるぅ」が持ってきていたビーチボールで遊んだり。
「うん、やっぱり本物の地球の海は最高だね」
来られて良かった、とソルジャーが満足そうに言えば、隣で「ぶるぅ」が。
「ぼくたちの世界のアルテメシアにも海はあるけど、あそこじゃ遊べないもんね…。えとえと、こっちじゃ毎日遊んでいいんだよね? ハーレイがお疲れ気味で遊べなくっても、ブルーが壊れそうでベッドから出てこられなくっても、ぼくだけ遊んでいいんだよね?」
「うん。ぼくはハーレイと好きに過ごすから、お前も自由にするといい」
そのために部屋も分けてある、とソルジャーは余裕の笑みを浮かべていました。マツカ君が手配したソルジャーとキャプテンの部屋に続き部屋があるのは知ってましたが、それは「ぶるぅ」のためでしたか! でもって、お疲れ気味だの、壊れそうだのって…。
「ぼくたちの夜の時間に決まってるだろう? 地球で過ごす夜を満喫しないと」
ぼくたちに構わずお好きにどうぞ、とパチンと片目を瞑るソルジャー。ビーチから引き揚げて夕食が済んだら部屋に引き籠るつもりのようです。会長さんが夜釣りを手配したのは正解でした。こんな調子で毎日毎晩ベタベタされたら目の毒どころか、私たちの方がお邪魔虫気分。えっと、夜釣りに行くのはいつでしたっけ…?
特別生になってから後では初めての山の別荘行き。4年ぶりに訪れた高原は普通の1年生だった夏と全く変わらず、爽やかな空気と清々しい緑が私たちを迎えてくれたのですが…。数年間のブランクの間に変わっていたのは私たちの方でした。歳を取らない身体とサイオン。それだけでも充分、普通じゃないのに。
「全部お前が悪いんだ、お前が!」
キース君が怒鳴っているのは会長さんの家の広いリビング。怒りの相手はジョミー君です。
「心霊スポットへ行こうだなんて言い出しやがって! おまけに本物の心霊スポットに建ってる寺で戻り鐘なんか、普通は撞くか!?」
坊主としての自覚が足らん、とキース君は激昂中。そう、前にマツカ君の山の別荘に出掛けた時には、高僧である会長さんを除けばキース君だけがお坊さんで元老寺の跡取り、他は普通の一般人で…。けれど今ではジョミー君とサム君が会長さんの直弟子なのです。増殖したお坊さんたちが調子に乗ってやらかしたのが心霊スポット云々な事件。
「…戻り鐘は一応、常識だしねえ…」
教える必要があるとは思わなかった、と会長さんがアイスティーをのんびり飲みながら。
「師であるぼくの責任ってことになるのかな? だったら、ぼくに怒ってくれれば…」
「そういうわけにはいかんだろう。…あんたが助けてくれなかったら、俺たちがどうなっていたかは分からん」
「別に命までは取られはしないと思うけどねえ? ただ、運気は思い切り落ちるだろうから、結果的に車に撥ねられるとか、その手の事故が全く無いとは言い切れないけど」
無事に終わったんだしいいじゃないか、と会長さんは笑っています。山の別荘での最後のイベントはジョミー君がネットで見付けたという心霊スポットへのお出掛けでしたが、これが本当に危険な場所だったのが不幸の始まり。あまつさえジョミー君が寝た子を起こす形になってしまって、会長さんが後始末を…。
「あの後、数珠さえ切れなかったら親父にはバレなかったんだがな…」
ブツブツと呟くキース君の左手首にはお馴染みの数珠レットが嵌まっていました。一見、普段と変わらないように見えるのですけど、実はこの数珠レットは新しい物。私たちが見慣れていたヤツは別荘ライフから戻った次の日の朝に切れてしまったらしいのです。
「切れる時には切れるものだし、君の言動さえ怪しくなければ何も問題は無かったかと…。だって中身はゴム紐だよ? 輪ゴムよりかは強いけどさ」
力いっぱい引っ張れば切れる、と会長さん。けれどキース君は「それが…」と顔を曇らせて。
「あんたの事だし、とっくに全部お見通しかと思ってたんだが…違うようだな。数珠は切れたが、それだけじゃない。親玉が見事に真っ二つに…」
「「「は?」」」
親玉って…なに? 首を傾げる私たちに、キース君は「これだ」と左手を差し出して。
「この大きい玉を親玉と呼ぶ。ただ大きいというだけじゃなくて、数珠の中心になる玉なんだ。俺たちの宗派だと親玉は阿弥陀様でもあるわけで…。それが真っ二つに割れたとなると、俺でなくても青くなるだろうな」
「ああ、なるほど…。それはマズイね、坊主じゃなくても」
非常にマズイ、と会長さんが頷きました。
「君たちが背負ってきた霊は全部あの場でお浄土に上げてしまったけれど、それよりも前に親玉に負荷がかかっていたか…。君の身代わりになって力を使い果たしたわけだ」
「へえ…。そういうことって、よくあるのか?」
サム君が尋ねると、会長さんは。
「いや。世間ではパワーストーンだとか、身代わりになって色が変わるとか、割れてしまうとか、色々言われているけどねえ…。実際の所、そこまでの力を持っている数珠の玉は滅多に無い。普通は単なる偶然だ。でも、キースの場合はきちんと修行を積んでいるから、正真正銘、身代わりだよね。いいことじゃないか」
「…そう言われると悪い気はせんが、割れた理由が理由だしな。…青くもなるさ」
キース君が言うには、数珠が切れたのは朝のお勤めをしようと早起きをして、顔を洗おうとした直前のこと。パァン! と鋭い音が響いて数珠が飛び散り、ゴムが切れたのだと思ったキース君が玉を拾い集めていると親玉が割れていたのだそうで…。
「そこへ親父が来たわけだ。あんな事件さえ起こってなければ、俺だって「なんだか縁起が悪そうだよな」と話して終わっていただろう。…だが、実際は違ったわけで……親父の前で挙動不審に…」
ポーカーフェイスが得意なキース君ですが、アドス和尚は実の父親。いつも冷静なキース君が挙動不審な言動をすれば「何かある」とピンとくるでしょう。ダテに長年キース君の父親をやってませんから、問い詰めるのにも長けています。その結果、キース君は心霊スポットに突入したことを白状する羽目になってしまって…。
「未熟者めが、と怒鳴られた。数珠はその日の内におふくろが新しいのを買って来てくれたが、それまでの間が大変で…。身代わりになって下さった御本尊様にお詫びしろ、と、ひたすら本堂で五体投地を…」
「ふうん? それで怒っていたわけだ。もしかして全身筋肉痛かな?」
クスクスと笑う会長さんに、キース君は「千回だぞ!」と悲痛な顔つき。
「…修行道場で失敗しても一度に千回とまでは言われなかった。これが冬だったら全身に湿布を貼れるんだがな…」
夏では無理だ、とキース君は呻いています。本当に身体中が痛むみたいで、ジョミー君に当たり散らしたくなるのも仕方ないかも…。ジョミー君が言い出さなければ事件は起こらなかったんですしね。
怒り心頭だったキース君ですが、親玉が割れたのは日頃の修行のお蔭で阿弥陀様が守って下さったからだ、と会長さんに言われて落ち着いた様子。事件の直後にも「更に修行を積む」と誓ってましたし、こうなると切り替えは早いです。
「ところで、ジョミー。…お前の修行はどんな具合だ?」
「え? え、えっと……。どう…なのかな?」
ジョミー君が会長さんの方へ視線を向けると、会長さんが。
「なんとか形にはなってると思う。ただ、本番ではどうなるか…。なにしろ暑いし、一日中だし、慣れない衣で自転車だし…。正直言って、保証はしかねる」
「やっぱりそうか…」
こっちの方がよっぽどマズイ、とキース君は顔を顰めました。お盆が近くなってきたので元老寺の方は超がつく多忙。そこで会長さんがキース君に代わって、ジョミー君とサム君を直々に指導しているわけですが…。
「棚経はただでもキツイものだし、ぶっ倒れる坊主も少なくはない。だから見習いの小僧が倒れても檀家さんは暖かく見守って下さるだろうが、ご迷惑をかけるわけにはいかんしな…。仕方ない、俺がジョミーの係か…」
「「「えっ?」」」
それってどういう意味ですか? 首を傾げた私たちに、キース君は苦笑して。
「棚経のお供だ。親父と俺とで一人ずつ。…どちらがジョミーの係をするかで親父と相談していたんだが、ブルーの目から見て大丈夫そうなら親父が受け持つ筈だった。なんと言っても親父の方が貫録があるし、落ち着きのないジョミーを連れて出掛けてドジを踏まれても、その場を上手く取り繕えるかと」
「だったらアドス和尚でいいじゃないか。ジョミーがぶっ倒れてもフォローは完璧」
そっちを推すよ、と会長さんは言ったのですけど、キース君は。
「いや、それが…。ドジで済むレベルなら心配無いんだ。そこは親父もプロだからな。…ただ、棚経ってヤツはその親父でもハッキリ言って相当にキツイ。時間に追われて心に余裕が無くなってくる。そこでジョミーが致命的なミスを犯してみろ。たちまち瞬間湯沸かし器だ」
「「「…うわー…」」」
簡単に想像がついてしまいました。檀家さんの前でジョミー君を叱り飛ばしたりしようものなら、アドス和尚の威厳が失墜します。その点、キース君なら若いですから、ブチ切れて怒鳴り散らしていたって「若い者は元気がいいねえ」と笑って許して貰えそう。元老寺の将来のためにも、ジョミー君はキース君について行った方が…。
「…というわけだから、ジョミーには俺と組んで貰う。倒れた場合は捨てて行くからその気でいろよ」
道端だろうが放って行く、とキース君は冷たく言い放ちました。
「明らかにヤバイと思った時には救急車くらいは呼んでやるがな、次を急ぐから付き添いは出来ん。一人で病院に運ばれて行け」
「そ、そうなるわけ? 倒れたら終わり?」
「終わりだな。…それが嫌ならブルーかぶるぅに助けて貰え。謝礼は高くつくと思うが、見殺しにだけはされんだろう」
「うう…。そっちも何だか嫌っぽい…」
どんな謝礼か分からないよ、とジョミー君は泣きそうでした。お坊さん関連で会長さんに借りを作ったら、最悪の場合は坊主頭にされてしまうことも有り得ます。問題の棚経はもう目前。でも、そこを乗り切れば海の別荘が待っているわけで。
「…もしも倒れて入院してたら、別荘行きはどうなるのかな?」
ジョミー君の問いに、マツカ君が。
「途中参加もOKですよ。必要だったら迎えのヘリも出しますし」
「ありがとう、マツカ! ちょっと元気が出て来た気がする」
頑張るよ、とジョミー君がグッと拳を握り締めます。棚経を終えて、お盆の間のお手伝いをして、それが終われば海の別荘。ジョミー君、途中からの参加にならないように、ここは一発、ファイトですよ~!
明日はいよいよ棚経本番。朝が早いため、ジョミー君とサム君は前の晩から元老寺に泊まることになりました。なにしろ朝6時には最初の檀家さんの家に着いていないといけないのです。それまでに朝のお勤めなどなど、することは山ほどありますし…。
「さあ、どうなるか楽しみだよね」
会長さんがウキウキと焼いているのは特上の肉。キース君たち坊主三人組を除いた面子が会長さんの家に泊まりに来ています。早起きに備えて体力をつけよう、と焼肉パーティーの真っ最中で…。
「…いいんでしょうか、先輩たちは精進料理みたいですけど…」
シロエ君が口ではそう言いつつも、自分用の肉をキープ中。こだわりの焼き加減があるんでしょうねえ、基本的には「そるじゃぁ・ぶるぅ」が次から次へと肉や野菜を手際よく焼いてくれるんですし。
「お盆の棚経に行こうって坊主が焼肉なんかはもっての他だよ。それに、お盆はとっくに始まっている」
「「「え?」」」
会長さんの言葉に首を傾げる私たち。お盆の初日が棚経なのだと聞かされています。その棚経は明日ですが…?
「世間一般にお盆というのは明日からの三日間だけど…。迎え火ってヤツがあるだろう」
「え? えっと…。送り火じゃなくて?」
聞き返したシロエ君に、会長さんは。
「送り火の方は観光行事になってる所も多いからねえ、圧倒的にメジャーなだけさ。本来あれは迎え火とセット。お盆の前の夜に家の前で焚くのが迎え火なんだよ」
「「「へえ…」」」
そんなのは知りませんでした。会長さんによると、昔はお仏壇のある家は何処でも焚いていたそうですけど、最近は生活様式の変化などもあって焚く家が激減したのだとか。
「だって、ほら…。ぼくもこういう家だしね? 玄関の前で迎え火なんかを焚こうものなら、スプリンクラーが即、作動する。火災報知機だって鳴り響くんだよ」
だから省略、と会長さんは澄ましていますが、私たちが夕方にお邪魔した時、微かにお香の香りがしました。珍しいな、と思ったあれは、今から思えば迎え火の代わりに焚かれたお香だったのでしょう。会長さんが何故、お坊さんの道を志したかは去年の夏に知りましたから…。
「というわけで、迎え火は御先祖様をお迎えする火だ。つまりお盆のスタートなわけ。そもそも、お盆の前にお墓参りもしたりするよね。お坊さんにとっては忙しい時期さ」
その絶頂が明日の棚経、と会長さんは香ばしく焼けたお肉をニンニクたっぷりの特製ダレに浸しながら。
「時間との勝負でひたすら読経、しかも場所がどんどん移動する。下手な修行より余程ハードだ。サムは日頃から頑張ってるから大丈夫だろうと思うんだけど、ジョミーの方はギブアップかな。討ち死にしたら骨はきちんと拾ってあげるさ、ぼくも本職の坊主だからね」
「会長…。その冗談は笑えません…」
ホントに倒れたらどうするんですか、とシロエ君が言えば、マツカ君が。
「ここが対策本部じゃなかったんですか? 救護所も兼ねて」
「ああ、それかい? 人聞きが悪いから表向きは…ね。真の姿は見物用の桟敷席だよ」
食事と冷たい飲み物つき、と会長さんがクスクス笑っています。やっぱりそういうオチでしたか! 対策本部を設置するから、と呼ばれた時点でアヤシイ予感がしてましたけど。
「でもね、まるっきり嘘ってわけでもないさ。ちゃんと真面目に頑張るようなら、水分補給のポイントを随時設けてフォローくらいはしてあげようと…。ね、ぶるぅ?」
「うん! スポーツドリンク、沢山冷やしてあるもんね。缶ジュースを買ってる時間は無いし、飲まず食わずで突っ走らなくちゃいけないし!」
冷たいおしぼりも用意するんだ、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」は得意そうです。対策本部は確かに存在するようですが、機能するのは真剣に棚経をこなした時だけ。そうでなければ高みの見物、しかも桟敷ときたものです。今夜の焼肉パーティーからして、他人事な姿勢が出まくりですって…。
会長さんの家のリビングに設立された、お盆の棚経対策本部。棚経の日の朝、私たちは早朝に叩き起こされました。
「かみお~ん♪ 5時だよ、起床、起床ーっ!!!」
廊下を走る「そるじゃぁ・ぶるぅ」の声で目覚めて急いで着替え、顔を洗って対策本部に出掛けてゆくと…。
「やあ、おはよう。ジョミーたちはとっくに準備を始めているよ」
会長さんが爽やかな笑顔で迎えてくれて。
「ここから眺めてもいいんだけれど、まず朝御飯を食べようか。ぼくたちだってお腹が空くしね。ぶるぅがダイニングで用意してくれてる」
行こう、と先に立つ会長さん。ダイニングのテーブルには焼き立てのパン、ホットケーキにソーセージなど。卵料理も「そるじゃぁ・ぶるぅ」が注文に応じて作ってくれます。
「卵も野菜もマザー農場で新鮮なのを貰ってきたよ。沢山食べてね♪」
「ジョミーたちの代わりに食べるといいよ。あっちは今朝も精進料理さ」
栄養は足りてるんだけど、と会長さんは言っていますが、修行道場で慣れているキース君はともかく、ジョミー君とサム君は精進料理じゃパワーはチャージ出来ないでしょう。なにしろ一番の栄養源が胡麻豆腐だと言うのですから。
「胡麻のパワーは凄いんだよ? イライザさんが張り切って手作りしたのに、ジョミーは全く分かっていない。これじゃ足りないと思ったようだ。…流石に口には出さなかったけど」
そのジョミー君は法衣に着替えて本堂で朝のお勤めをしているそうです。それが済んだら棚経に出発。朝食を終えた私たちも飲み物を手にリビングへと。
「ふうん…。キースの方が先発隊か。ぶるぅ、頼むよ」
「オッケー!」
たちまちリビングの壁の一部がスクリーンと化し、自転車を押して境内を出てゆくジョミー君とキース君が映し出されました。自転車で山門の階段は下りられませんから、裏手の駐車場から出るようです。アドス和尚とサム君はまだ庫裏の玄関で草履を履いている真っ最中。
「キースは秋には副住職になるからねえ…。檀家さんに顔を売っておかなきゃダメだし、元老寺から遠い区域を任されたようだ。近い場所なら普段から顔を合わせるものね」
「そうなんですか? でもキース先輩、前から月参りには行っていますよ。顔は知られているんじゃあ…」
シロエ君の問いに、会長さんは。
「月参りは断る家も多いんだ。毎月決まった日にお坊さんが月参りに来るというのは迎える方も大変なんだよ。仏間だけじゃなく仏間に行くまでに通る所も掃除しておく必要があるし、何より留守に出来ないし…。準備万端で待っていたって、お坊さんの滞在時間は短いしねえ?」
お茶とお菓子を用意していても一軒あたり三十分が限界だろう、と会長さん。
「元老寺みたいに檀家さんが多いと月参りも一日に何軒もある。時間どおりに回って行かないと次の檀家さんに御迷惑が…。檀家さんの方でも頑張って掃除した挙句に三十分ではキツイよね。月参りの時間次第では外出だって難しくなるし…。そういう訳で月々の回向はお寺の方でお願いします、って家も増えたのさ」
その手の檀家さんはキース君と馴染みがありません。棚経は殆どの家を回るそうですが、キース君がアドス和尚のお供につくようになったのは最近です。なんとなく顔は覚えている、という程度の人も多いらしくて…。
「だから今年は一人立ちの宣伝も兼ねて、道ですれ違う機会も少ないような地域をメインに回るみたいだ。さて、ジョミーは何処まで頑張れるかな?」
会長さんの説明を聞いている間にジョミー君もサム君も元老寺の駐車場から出発しました。サム君はアドス和尚のスクーターを追い掛けて自転車を漕ぎ、ジョミー君はキース君の後ろを自転車で。朝の6時前とはいえ、お日様はとっくに昇っています。気温も上昇中でしょう。サム君もジョミー君も、頑張って~!
中継画面はジョミー君とキース君を中心に据えたようでした。サム君の方は会長さんが思念だけで追い、万一の時にはスポーツドリンクなどを差し入れる方針。つまり見物の対象として有望なのはジョミー君というわけですね?
「決まってるじゃないか。ジョミーだって面白そうだけど、キースも気になる。若いお坊さんというだけで舐められる可能性もゼロではないし」
「「「…舐められる?」」」
「うん。ぼくが探った情報によると、ストップウォッチが待ってるようだ」
「「「はぁ?」」」
なんですか、それは? 何故に棚経でストップウォッチ?
「元老寺の辺りは田舎だろう? そのせいかどうか、悪ガキが多い。そこへ棚経が若和尚だという噂が回って、夏休みの日記のターゲットにされてしまったんだよ。小学生の男の子たちが時間を計って日記に書き込んでトトカルチョを…ね」
「と、トトカルチョって…。もしかして賭けの対象ですか!?」
シロエ君の声が引っくり返り、会長さんが。
「そういうこと。誰の家の棚経の読経時間が一番長いか、賭けをするようだ。小学生だから賭けているのはアイスだけれど、ワクワク気分が漂っていてね。…キースが回る範囲をサイオンで下見した時に読めちゃったわけ」
「「「………」」」
小学生の男の子がいる家に行くと、もれなくストップウォッチで時間を計られてしまうようです。そうとも知らないキース君はジョミー君をお供に、早速一番最初の家へ。自転車を降りて衣を整え、打ち水がされた玄関先からスタスタと…。
「失礼します」
上がり込んだキース君にジョミー君が続き、お仏壇の前へ。キース君が読経を始め、ジョミー君も唱和しています。お経の途中でキース君が供えられていた木の枝を手に取り、お仏壇に向かって空中に何か書きながら。
「のうまくさらば たたぎゃた ばろきてい おんさんばら さんばらうん」
えっ? こんな呪文がありましたっけ? 会長さんがジョミー君たちに教えていた中には無かったような…? それにジョミー君も黙って座っているみたいですし…。
「ああ、あれかい? あれは変食陀羅尼と言ってね、お供えしてある御膳を仏様に差し上げるために唱えてるんだよ。ジョミーとサムは唱えるにはまだ修行不足だ。もう少ししたら阿弥陀如来根本陀羅尼という更に長いのを唱えるけれど、そこもジョミーとサムは頭を下げて合掌するだけ」
会長さんの言葉の通り、間もなくキース君が呪文を唱え始めました。
「のうぼうあらたんのうたらやぁや のうまくありやみたばや たたぎゃたや…」
ひぃぃっ、頭が混乱しそうです。お坊さんってこんなのを覚えなくっちゃいけないんですか! さっきの短いのはカッコイイ気もしましたけれど、この長いのは勘弁ですって…。しかし呪文はこの二つだけだったらしく、間もなく棚経は終わりました。キース君が御布施を押し頂いてから衣の袖に入れ、ジョミー君と再び自転車に。
「一軒目は無事に終了か…。サムの方も順調にこなしているよ」
流石はサム、と会長さんは嬉しそうです。ジョミー君は緊張のあまりカチコチですけど、サム君は檀家さんにも愛想よくお辞儀し、堂々と振舞っているようで…。
「やっぱり日頃の努力が物を言うね。付け焼刃のジョミーとは雲泥の差だ。さてと、次の家にはストップウォッチがあるようだけど…」
ニヤニヤしている会長さん。キース君が自転車を止めた家の前には如何にも悪ガキという顔の男の子が…。けれどキース君は「熱意溢れる子供」と受け取ったらしく、笑顔で挨拶をして奥へ入ってゆきました。ジョミー君を従え、クーラーの効いた仏間で更に団扇で煽いで貰いながら一連の読経を終えた所で。
「2分6秒!」
子供の声が響き渡ってキース君はビックリ仰天、檀家さんの方は大慌て。謝りまくられたキース君ですが、なんとか平常心は保てたようです。しかし何軒もの家でストップウォッチの刑に処される内に…。
「…なあ、ジョミー。俺は自信が無くなってきたぜ。俺は本当にちゃんとお勤め出来てるんだろうか? ストップウォッチで計って誤差が数秒あるか無いかの流れ作業をやってるだけ…とか…」
本当に自信が無くなったんだ、と高く昇った夏の太陽の下を自転車で走りながら話すキース君。
「どう思う、ジョミー? ブルーなら「その程度のことで揺らいでどうする」とか言いそうだが…って、おい、聞いてるか?」
ジョミー君の答えはありませんでした。懸命に自転車を漕いでいるだけで、無我の境地というヤツです。
「…ジョミーの方が真面目なのかもしれないな…。動機はどうあれ、迷いが無い分、俺よりも格が上かもしれん。…負けるわけにはいかないってか」
頑張るぞ、とハンドルを握る手に力を籠めるキース君。ジョミー君はとっくの昔に棚経しか頭に無いのですから、ある意味、お坊さんとしては素晴らしいのかもしれませんね。
会長さんが設置した棚経対策本部は「高みの見物」と言いつつ、立派に役に立ちました。アドス和尚のスクーターを追う内に貧血を起こしかけたサム君をサイオンで素早くフォローし、衣の下にコッソリ冷却シート。必死に自転車を漕ぎ続けるジョミー君にも冷却シート。そして…。
「かみお~ん♪ 給水スポットだよ!」
周りには見えてないから今の間に飲んでよね、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」がシールドを張りつつスポーツドリンクに蜂蜜などを加えた特製ドリンクを差し入れです。もちろんアドス和尚にも…。
「ご苦労様。不肖の弟子が足を引っ張っていなきゃいいけど」
会長さん手ずからコップを渡され、アドス和尚は大感激。この日はこの夏の最高気温を更新しましたが、対策本部の働きもあって最後まで誰も倒れることなく棚経は無事に終わったのです。もっとも、自転車で走り回った上に朝から夕方まで読経三昧だったジョミー君とサム君は元老寺に帰還した途端にダウンでしたけど。
「対策本部を立ち上げておいた甲斐はあったね。サムもジョミーも立派にお盆の行事をこなせそうだ。十六日のお施餓鬼も長丁場だけど、元老寺でやるから肉体的な負担は軽いし…」
揃って海の別荘へ行けるよ、と会長さんは微笑みました。お盆は残り二日です。サム君、ジョミー君、根性を見せて乗り切って~!