シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。
急流下りにバーベキュー、涙と笑いの記念撮影と盛り沢山だったラフティングから数日が経った放課後のこと。いつものように「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお部屋で寛いでいると、部活を終えた柔道部三人組が入って来ました。そこまでは普段と変わらない風景だったのですが…。
「おい」
キース君が挨拶も無しに会長さんの前へスタスタと。礼儀正しいキース君が年長者であり高僧でもある会長さんに挨拶しないのは余程のことがあった時だけです。長年の付き合いで学習している私たちは一気に真っ青に…。会長さん、何かやらかしましたか? けれど会長さんは平然として。
「やあ。挨拶無しとはいい度胸だねえ? ぼくは身に覚えは全く無いけど」
「そんな筈があるか! 忘れたふりをしやがって!」
一気にブチ切れたキース君。握り締めた拳が震えています。
「あれはあんたがやったんだろうが! 俺はハッキリ覚えているぞ、脱毛サロンに連れて行ったとあんたが喋っていたのをな!」
「「「!!!」」」
ウッと息を飲む私たち。脱毛サロンと言えば先日の校外学習です。教頭先生を水族館のイルカショーに出演させた会長さんが誂えたのがハイレグの水着。そのままで着るとマズイから、と教頭先生を脱毛サロンに引っ張って行ったんでしたっけ…。
「ああ、あれね。…でも脱毛はしてないよ? あの時も言ったと思うけれども、ハーレイが脱毛だけは嫌だと喚くから剃っちゃっただけで」
ペロリと舌を出す会長さん。
「だけど流石にプロの腕前は凄いよね。同じ剃るのでも仕上がりが違う。剃り残しは無いし、綺麗だし…。大画面で見ても全然問題無かったじゃないか。あの水着を着せて正解だったな」
ムダ毛は全く見えなかったし、と会長さんは誇らしげでした。大画面というのは先日のラフティングに付属していたサービスの一つ。川下りを終えて会社の車で着替えに戻ると、ラフティング中に撮って貰った記念写真の上映会があったのです。大きな画面に映し出される写真の中から気に入ったものを選んでアルバムに。
「ハーレイは水着のすり替えに気付いてたけど、写真撮影に出て来た時にはウエットスーツを着ているつもりだったしねえ? お蔭で素敵な写真が撮れた。実に貴重なツーショットだよ、うん」
会長さんは自分とのツーショットを餌に教頭先生を釣り、ラフティングどころか一人乗りのカヤックで急流下りをさせたのでした。見事に釣られた教頭先生、終着点での記念撮影に漕ぎつけたまではいいのですけど、ウエットスーツの下の水着が例のハイレグにすり替えられてしまっていたから、さあ大変。
「でもハーレイが悪いんだよ? 集合写真を撮るより前にすり替えたから、水着姿で撮ろうと言っても断っただろう? なのに、ぼくとのツーショットだけは撮りたいだなんて、厚かましい! ウエットスーツで来たっていうのが最低だってば」
ツーショットは二人の衣装が釣り合ってなんぼ、と会長さんは主張しています。一緒に川下りをした記念に撮るのであれば、揃ってウエットスーツにするか水着かの二択。二人の衣装がちぐはぐなのはツーショット失格の写真だそうで…。あの日も教頭先生に自説を滔々と説き、反論の余地を与えなかったのが凄すぎです。
「ラフティングの記念にツーショット! 多少恥ずかしい水着姿でも、揃って水着というのがいいんだ。現にハーレイは写真を買っていただろう? ホントに嫌なら買わない筈だし、アルバムにするだけの価値があることに気付いたんだよ。ウエットスーツで写ってるより水着の方が雰囲気あるって!」
「「「………」」」
本当にそうだろうか、と疑問がフツフツ湧き上がりますが、誰も口には出しませんでした。あんなハイレグ水着よりかはウエットスーツの方が何十倍もマシだと思うんですけれど…。
「ね、君たちもそう思わないかい? でもって、ハーレイがハイレグ水着を着こなせたのは脱毛サロンのスタッフさんのお蔭! ツーショットも水族館のイルカショーでも、無駄毛が無いから美しいんだ」
無駄毛が見えたら興醒めだよ、と会長さんが得々と言った所で。
「やかましい!」
バンッ! とキース君がテーブルを叩き、睨み付けた相手は会長さん。
「それが悪いと言っているんだ! 教頭先生がどんな気持ちでいらっしゃるのか、あんたは分かっていないようだな!」
「えっ、ハーレイ? …どうかしたわけ、ハーレイが?」
今朝も会ったけど普通だったよ、と会長さんは怪訝そうな顔。
「今日はサムが朝のお勤めに来ていたからねえ、一緒にぶるぅの部屋に瞬間移動で来たんだよ。ついでに中庭まで送って行って、戻る途中でハーレイに会った。嬉しそうに挨拶してたけど? 今日はラッキーデーだとか言って」
朝一番に出歩くことは滅多にしない会長さん。そんな会長さんと朝の挨拶を交わせた時は教頭先生にとってラッキーデーになるのだそうで…。
「ハーレイ自身がラッキーデーだと思ってるんだよ? どんな気持ちでいらっしゃるのかと質問されたら、答えは「幸せ一杯」じゃないか。…うん、ちゃんと理解してるさ、ぼくは」
会長さんはニッコリ微笑みました。怒鳴り込んで来たキース君とは認識に違いがあるようですけど、教頭先生の今日の気分はラッキーデーで大ハッピー? それとも逆に落ち込んでるとか…?
「…あんた、本当に分かっていなかったのか……」
エネルギーの無駄だった、とキース君はソファにドサリと腰掛けました。思い切り疲れた表情です。マツカ君とシロエ君も深い溜息をついてますから、やっぱり何かあったのかも。柔道部三人組と教頭先生の接点は柔道部の部活。でも、キース君は脱毛サロンがどうとか言っていましたし…。
「かみお~ん♪ お話、終わった? はい、食べて! お腹が空くとイライラするって言うもんね」
テーブルに「そるじゃぁ・ぶるぅ」特製のお好み焼きがドカンと置かれ、続いてお菓子も出て来ました。私たちが一足お先に食べ始めていたブルーベリーと赤すぐりのタルトです。キース君はお好み焼きを平らげてからコーヒーを啜り、タルトにフォークを入れながら。
「…俺が黙って食ってる間に少しは考えてみたんだろうな? ブルー、あんたに言ってるんだが」
「それってハーレイの話かい? あれは終わったと思ってたけど?」
とっくに違う話になっちゃってるし、と会長さんは目を丸くしています。私たちは心に引っ掛かるものがあったのですが、会長さんに別の話題を振られてしまえば深く追求は出来ません。流されるままに賑やかなお喋りが続き、教頭先生のことは頭から消えてしまっていました。そういえばキース君の怒りの原因、聞いてませんよね。
「勝手に話を終わらせるな! 俺が脱力しただけだ!」
キース君はお好み焼きとコーヒーでエネルギーのチャージ完了らしく、更にタルトでヒットポイント上昇中。無敵とまではいきませんけど、会長さんに食ってかかるには充分です。
「いいか、教頭先生がラッキーデーだと仰っていても、それは相手があんただからだ! あんたの何処がいいのかサッパリ謎だが、心底惚れてらっしゃるからな…。あんたに会えればラッキーだろうし、妙なツーショットでも欲しいだろうさ。だがな、教頭先生は本当に悩んでいらっしゃるんだ!」
「ふうん? あのハーレイに悩みだって…?」
何だろう、と首を傾げる会長さん。
「ぼくと結婚出来ないことなら今更悩むほどでもないし…。ああ、ツーショットの写真をオプションで追加するべきだったと思ってるとか? 脱毛サロンがどうこうと言っていたものねえ…。ハイレグ水着を恥ずかしがって一枚だけしか撮らなかったことを後悔中?」
「そんなわけがあるか!」
ダンッ! とテーブルにキース君の拳が炸裂、紅茶やコーヒーが飛び散ったのを「そるじゃぁ・ぶるぅ」が手早くキュキュッと掃除。小さな両手に布巾を握って拭いて回られると、キース君もクールダウンしたらしく。
「悪かった、ぶるぅ。…少し落ち着くことにする」
「えっ、お話の途中でしょ? 気にしないで!」
続けてよね、と健気な「そるじゃぁ・ぶるぅ」は笑顔ですけど、会長さんが。
「ぜひ落ち着いて貰いたいね。で、ハーレイの悩みというのは何なのさ? ぼくの意見を述べようとすると君が怒るし、言ってくれた方が早いと思うよ。…本当に見当がつかないんだ。今朝もニコニコ笑っていたし」
「……脱毛サロンと言っただろうが。それでも全く分からないのか?」
「うーん…。ひょっとして剃り残しの毛が見付かったとか? プロに任せたんだし、有り得ないって気はするけれど、絶対無いとも言い切れないよね。でもさ、自分で気付いたんなら自己処理すればいいんじゃないかな」
「どうしてそっちの方向に行く!」
まるで逆だ、とキース君は聞えよがしに特大の溜息を吐き出すと。
「…教頭先生が悩んでらっしゃるのは合宿が近付いているからなんだ。柔道部は夏休みに入ったらすぐに合宿だろう? あと一ヶ月も残っていない」
「ああ、夏休みも近いもんねえ。ラフティングも校外学習も天気が良かったから忘れがちだけど、今は一応梅雨だったっけ。今年は思い切り空梅雨かな?」
「空模様の方はどうでもいい! 要は合宿が近いんだ」
「それで?」
話が全然見えてこないよ、と会長さんが先を促します。確かに柔道部の合宿だけでは教頭先生の悩みは見えてきません。柔道十段の教頭先生、合宿とくれば水を得た魚のように生き生きするんじゃないですか?
「柔道部の合宿は厳しい半面、家族のような雰囲気というのも大事でな」
ここが肝だ、とキース君。
「礼儀作法や上下の関係は絶対なんだが、それだけではシゴキで終わってしまう。教頭先生が求めておられるのは心技体の三位一体だ。心を養うには家族が一番という方針で、合宿中は礼儀を重んじつつ家族のように、と指導なさっている」
「脱毛と繋がらないんだけれど?」
「黙って最後まで聞いてから言え! 家族である以上、裸の付き合いも大切だ。普段は下級生が上級生の背中を流すが、その逆の日もあったりする。それくらい仲がいいんだと言ったら気が付くか?」
「ううん、全く」
お風呂の何処が脱毛なのさ、と口にしてから会長さんは。
「分かった! 合宿までに腕も綺麗に剃るべきか否か、悩んでいるっていうわけだね。それとも胸かな? 脇は剃ったし問題ない筈…。ああ、一ヶ月もあれば伸びてくるからその処理とか?」
「だから逆だと言ってるだろう! あんたには言葉が通じないのか?」
頭が痛い、と呻くキース君。
「…今の流行りはメンズエステで脱毛なのかもしれんがな…。柔道をやろうという連中には無縁の世界だ。武道とは相容れられない代物だとでも言っておこうか。今の所は教頭先生の足は道着の下だから問題ない。…だが、合宿で皆と一緒に風呂に入れば嫌でも見えてしまうだろうが!」
「へえ…。ハーレイがそう言ったのかい?」
「部活の後で溜息をついておられたからな、俺たちの態度が悪かったのかと更衣室まで謝りに行ったら「そうではない」と仰って…。合宿の風呂をどうしようかと相談された。とりあえず今は保留中だ」
教頭先生、無駄毛が無いのが悩みでしたか! 合宿に行ってお風呂に入ればツルツルの足が丸分かり。無論、ツルツルの脇だって…。一ヶ月あれば少しは伸びるかもですけれど、きっと半端な長さですよね?
ハイレグ水着を着こなすために無駄毛を剃られた教頭先生、合宿に向けて悩み中。キース君に言われてみれば柔道部という男の世界とメンズエステは対極です。同じ柔道でも女子だったなら無駄毛の処理は無問題どころか常識なんでしょうけれど…。
「でもさあ…」
暫く続いた沈黙を打ち破ったのはジョミー君でした。
「教頭先生の肌の色だと、気にしなくてもいいんじゃない? そりゃあ、無いのは分かるだろうけど……他の部分に比べて悪目立ちしそうな感じじゃないよ? キースとかシロエだったらアウトだけどさ」
ぼくだって全然目立たないもん、とズボンの裾を捲るジョミー君。そっか、白い肌で金色ですからパッと見たんじゃ分からないだけで、ジョミー君の足にも体毛ってヤツはありました。教頭先生の場合は褐色の肌に金色です。んーと、それほど目立たないかも…?
「でも、教頭先生、けっこう濃いわよ?」
手の甲を見れば分かるじゃない、とスウェナちゃん。とはいえ、逞しい手の甲に生えている毛は近くで見ないと気が付きません。その程度ですし、お風呂もワイワイガヤガヤと入っていれば無問題では? 背中を流したり、流されたり…って距離に近付けば嫌でも分かることなんでしょうが、誰も笑いはしないでしょうし…。
「だよな、気にしねえ方がいいんでねえの?」
堂々と風呂に入っていくのが一番! とサム君が言い、キース君も「そうかもな…」と頷いています。
「水族館で何があったかは学校中に知れてるんだし、どうして無駄毛を処理する羽目になったかは誰でもすぐに気が付くか…。それを笑い物にするようなヤツに柔道を続ける資格は無いし、そんな部員も居ないしな」
「笑うようなヤツはいませんよ! いたら次の日からみっちりと!」
性根を入れ替えるまで徹底的にしごきましょう、とシロエ君が燃え上がりました。キース君とマツカ君もそれで異存は無いみたい。うん、気にしないのがお勧めですって!
「ふふ、結論が出たみたいじゃないか。ハーレイもいい弟子を持ったねえ」
大きく伸びをする会長さん。
「これでお悩み解決、ってね。…もっともハーレイが素直に納得するかどうかは謎だけど」
「「「は?」」」
「試しに進言してごらん? きっと即答しないだろうから」
クスクスクス…と笑い始める会長さんに、キース君が眉を吊り上げて。
「あんた、教頭先生を馬鹿にしているな? そんな軟弱な方ではないぞ!」
「どうなんだか…。そもそも悩んでいたんだろ? 君に相談しちゃう程にさ」
「それは俺が勘違いをして謝りに出掛けて行ったからで! あれが無ければ耳にすることは無かったかと…。教頭先生は隠し事をなさる方ではないから、打ち明けて下さっただけだと思う」
信頼されているのが実感出来て嬉しかった、とキース君。シロエ君とマツカ君も同意見でした。けれど会長さんのクスクス笑いは止まらずに…。
「ハーレイの悩みがソレだというなら、君たちもまだまだ甘いよね。うん、悩みはソレで間違いないけど」
「なんだって?」
聞き捨てならん、とキース君が向けた射るような視線に会長さんはパチンとウインク。
「君がうるさく言うものだから、ハーレイの心を読んでみた。確かに嘘は言っていないし、悩みの理由は合宿中のお風呂。…だけど、よくよく考えたかい? 部外者のジョミーたちでも簡単に思い付く解決策だよ、堂々とお風呂に入るのは。それを散々悩みまくったハーレイが考え付かないとでも?」
そこまで頭は悪くないだろうに…、と会長さんは指摘して。
「ハーレイが悩んでるのは外から見たんじゃ分からない部分。…あれでお風呂は確かにキツイよ」
「「「???」」」
「ぼくも綺麗に忘れ果ててた。だって現場にいたわけじゃないし、水着を着ちゃうと見えないし…。ハーレイもとんだ窮地に陥ったよね」
会長さんが何を言っているのか、まるで分かりませんでした。脱毛サロンが問題だったら教頭先生を連行したのは会長さんですし、現場にいたに決まっています。会長さんがいない所で教頭先生の身にいったい何が…?
教頭先生の悩みの種は水着の下にあるようです。原因は無駄毛だとばかり思ってましたが、水着を着れば隠れる部分に無駄毛は無関係でしょう。それに教頭先生が無駄毛を剃りに連れて行かれた脱毛サロンも、会長さんが現場を知らない以上は関係なし。なのにお風呂が問題だなんて、どういう理由?
「ひょっとして刺青しちゃったとか!?」
ジョミー君の素っ頓狂な声に、アッと息を飲む私たち。刺青だったら納得です。彫った場所によっては水着でバッチリ隠されますし、お風呂に入るとバレるのも事実。教頭先生、背中にコッソリ彫りましたか? でもって後からマズイと気付いて只今後悔中だとか…?
「刺青もいいかもしれないねえ…。ハーレイだけに思い込んだら彫りそうだ。ブルー命とか、そういうヤツを」
ブルー命は勘弁だけど、と可笑しそうに笑う会長さん。ということは、刺青はハズレ…?
「うん、ハズレ。さっきから言っているだろう? ハーレイの悩みは無駄毛に関係してるとね」
「念のために確認するが、脱毛サロンは本当に関係無いんだな?」
キース君の問いに、会長さんは。
「どうしてそういうことになるわけ? ぼくが現場にいなかったってことと、忘れ果ててた辺りかな?」
「脱毛サロンが現場だったのか!?」
「そうだけど? ハーレイが剃って貰っているのを横で見たがるほど酔狂なわけじゃないんだ、ぼくは」
剃るのはスタッフの人にお任せ、と可笑しそうに笑う会長さん。
「本気で脱毛するんだったら見物する価値もあるけどさ。剃るだけなんだし、見ていなくても…。ついさっきまでそう思ってた。今はちょっぴり後悔してる」
「教頭先生に何か悪さをしたことをか? だったら今すぐ謝りに行け!」
そして窮地を救うんだ、とキース君が詰め寄りましたが。
「…んーと…。窮地はちょっと救いようが…。でもって後悔しているのはね、過程を見ておくべきだったなぁ…って。それと仕上がりもキッチリ確認するべきだった。…まさかあんなに凄いだなんて」
「あんた、いったい何をしたんだ!?」
おおっ、ナイス突っ込み、キース君! 私たちはゴクリと唾を飲み込み、来る衝撃に備えたのに。
「ツーフィンガー」
「「「は?」」」
会長さんが返した答えは斜め上過ぎて、間抜けな声しか出ませんでした。ツーフィンガーって何なんですか?
「誰が水割りの話をしている! 逃げる気か、あんた!」
汚ないぞ、と叫ぶキース君ですが、会長さんは真面目な顔で。
「事実なんだから仕方ない。流石に大学を卒業してると知識が格段に増えるよね。…ツーフィンガーっていうのは水割りに入れるウイスキーの量さ。ずっと昔に流行った言葉で今はダブルと言うのが普通。グラスに指二本分の高さまで入れて、その後に水を入れるとダブル。指一本分だとシングルになるわけ」
なるほど、お酒の量でしたか! ん? でも、これって答えになってませんよ? 会長さんが教頭先生相手にやらかした事は何かが問題なのに、ツーフィンガーだなんて言われても…。
「まさか教頭先生を酔い潰したんじゃないだろうな? それから脱毛サロンに引き摺って行ってロクでもないことを…」
「ハーレイがツーフィンガー如きで酔い潰れると? ちゃんと答えを言っているのに、聞いてないのは君の方だろう? ツーフィンガーと言えばツーフィンガー!」
水割りのツーフィンガーとは無関係、と会長さんはキッパリ言い切りました。
「だけど語源は似てるかな。指二本分って所は同じだ。…ちなみにワンフィンガーというのもあってね、これがいわゆるシングルってヤツ。…水割りで言えば」
「水割りじゃないと言わなかったか? 何処まで俺たちを馬鹿にする気だ!」
「してないってば。あんまり頭に来てるとハゲるよ? 君の職業にはピッタリだけどさ」
「誰のせいだ、誰の!」
キース君はキレそうでしたが、会長さんに敵う筈もなく…。ツーフィンガーとかワンフィンガーとか、何処までがホントの話でしょう? シングルもダブルも高校生の身では飲酒自体がマズイですから分かりませんし、どう考えればいいのやら…。
「キースの知識が邪魔してるんだよ。ごくごく普通に、文字通りに取れば簡単なのに」
ツーフィンガーは指二本、と会長さんが人差し指と中指を並べて立てて見せました。
「指二本分の幅を残して綺麗に脱毛! これがいわゆるツーフィンガー」
えっと。脱毛なのに何を残すと…? それでは意味を成さないのでは?
「今、外国で流行ってるんだよ。最先端の脱毛ってトコ。…残すのはねえ、ハイレグ水着でもビキニパンツでも完璧に隠れる部分の毛だけど? 今のハーレイはツーフィンガー!」
「「「!!!」」」
会長さんが何を言っているのか、私たちはようやく理解しました。教頭先生が剃られてしまった無駄毛は足や脇だけではなかったのです。ハイレグ水着を身に着ける以上、Vラインの処理は必須でしょうけど、それ以上の範囲を剃られた、と…。指二本分だけの幅を残して綺麗サッパリって、それってどういう状態ですか~!
「ぼくもさっきサイオンでチラ見しただけで、いわゆる覗き見レベルだからさ…」
しっかり見てはいないんだけど、と断りつつも、会長さんは思い出し笑いを堪えられないようでした。キース君に怒鳴られるまでノーチェックだったと言うんですから、無責任も此処に極まれりです。
「ハーレイを連れてった脱毛サロンでVラインも宜しくお願いします、と注文したら「オプションで好きな形に出来ます」って勧められてね。どうせならコレもやって貰え、と…。だって脱毛は嫌だって言うし! 剃るだけだったらいずれ伸びるし、遊び心を入れたいじゃないか」
「…それで注文して、それっきり忘れていたんだな? まったく、あんたというヤツは…」
額を押さえるキース君。私たちだって開いた口が塞がりません。余計なオプションをつけたんだったら、責任を持って見届けるのが筋というもの。なのに…。
「面白そうだとは思ったけどさ、ハーレイのそんなトコロの剃り方なんか見たい気持ちにならないよ。だけど合宿のお風呂で困っている、とキースに言われてツーフィンガーを思い出したわけ。…どんな形になったんだろう、ってハーレイの心を読んだついでに服の下の方も覗いてみたのさ」
あれは笑える、と会長さんのクスクス笑いは止まりません。気の毒な教頭先生の大事な部分は指二本分の幅しか毛が無いのだとか。
「あの状態で合宿とはねえ…。そりゃハーレイも腰が引けるし悩みもするよ。お風呂に入るか、入らざるべきか、誰に訊くわけにもいかないし…。育毛剤を必死に探しているようだけど、市販のヤツじゃ無理じゃないかな」
「合宿までに伸ばそうってか? 医薬品なら伸びるのか?」
病院で何とか出来るものなら何処かで薬を貰うとか…、とキース君は真剣でした。そりゃそうでしょう、柔道部の合宿は部活の中の一大イベント。会長さんの悪戯のせいで教頭先生の指導方針が狂ったのではたまりません。教頭先生のツーフィンガーが事実だとしたら、堂々とお風呂に入れる姿じゃないですし…。
「……残念だけど、現時点では劇的に伸びる薬というのは無いんだよね」
「「「!!?」」」
あらぬ方から会長さんの声が聞こえてバッと振り返る私たち。紫のマントが優雅に揺れて、そこにソルジャーが立っていました。
「こんにちは。…ハーレイが育毛剤を探してるって? 凄い事情で」
ツーフィンガーとか聞こえてきたよ、とソルジャーは楽しそうに微笑みながら。
「こっちの世界には面白い文化があるんだねえ? その後始末、薬で済むのなら手伝ってあげてもいいんだけれど…。ぼくの世界でもそういう薬はまだ出来てない。あったらゼルは禿げていないさ」
ひぃぃっ、教頭先生の悩みは全く解決していないのに、ソルジャーが遊びに来るなんて…。劇的に毛が伸びる薬を持って来たと言うなら歓迎ですけど、そうじゃないなら邪魔ですってば~!
校外学習は教頭先生と「そるじゃぁ・ぶるぅ」のシンクロで幕を閉じました。イルカプールでのショーだったというのに肝心のイルカを観ていた生徒が何人いたかは全く謎。シンクロはインパクト大だったのです。そりゃそうでしょう、水着だけでも半端ではなく…。
「かみお~ん♪ ラフティングって水着は要るの?」
ラフティングを明日に控えた金曜日の放課後、「そるじゃぁ・ぶるぅ」は高揚感を抑え切れないようでした。飲み物を運ぶのも、おやつの桃のミルフィーユを切り分けるのも十八番の『かみほー♪』の鼻歌混じり。足取りも半ばスキップです。
「あのね、水着が要るんだったらコレでもいいかな?」
ニコニコ笑顔で抱えて来たのはショッキングピンクの女子用水着。金銀ラメとスパンコールが施されたそれは先日のイルカショーで着ていたヤツで…。
「………。なんでソレなわけ?」
頭が痛い、とジョミー君が訴えているのは教頭先生の水着姿を思い出してしまったせいみたいです。同じデザインでも教頭先生の水着はハイレグ。ショーを見に来た生徒たちには大ウケでしたが、教頭先生の練習風景を毎日見ていた私たちには激しい衝撃だったんですよね…。練習ではビキニパンツを履いてましたし。
「えっ、ジョミー、頭が痛いの? 大変、大変」
良い子の「そるじゃぁ・ぶるぅ」は大慌てで冷却シートを持って来ました。体調が悪いと明日のラフティングに参加出来なくなってしまう、と心配そうです。ジョミー君は「大丈夫だよ」と苦笑して。
「頭が痛いのは変なモノを思い出しちゃったせいだから! …教頭先生の水着、凄かったしね」
「えっと…。ぼくのとお揃いだよ? あっちの方が足が長く見えるデザインだけど」
「「「………」」」
それが余計だ、と全員が額を押さえる中で聞こえてくるのはクスクス笑い。言わずと知れた会長さんです。
「やれやれ、年は取りたくないものだねえ? ぶるぅは純粋に新しい水着を喜んでるのに、君たちはそうじゃないらしい。加齢と共に心も汚れる。…一度、滝行でもやってみる?」
「「「滝行?」」」
「うん。滝に打たれて身心の汚れを祓いましょう…、ってヤツのことさ。ぼくは経験しているけれど、キースは滝行はやってないよね」
「俺たちの宗派には無いだろうが! あんたは恵須出井寺にも修行に行っているから知ってるだけで」
騙されないぞ、とキース君が拳を握り締めて。
「その調子でぶるぅも上手に丸め込んだな? 新品の水着で良く似合うとか、今はお揃いが流行りだとか!」
「…人聞きの悪い…。ぶるぅにはハーレイとお揃いだよ、って言っただけ! ぶるぅはハーレイに懐いているから同じデザインだと嬉しいのさ」
そんな言葉を証明するように「そるじゃぁ・ぶるぅ」が。
「ハーレイと一緒にイルカさんと遊べて楽しかったもん! だからラフティングに水着が要るならコレにしよう、って思ってるんだ」
「なんで?」
ジョミー君の二度目の問いに「そるじゃぁ・ぶるぅ」はニッコリと。
「ハーレイ、ラフティングはしないって言ってたでしょ? それって何だか寂しいし…。お揃いの水着を持って行ったら一緒に遊んでくれるかなぁ…って」
「…ぶるぅ……。それは逆だ」
キース君が疲れた声で言い、ジョミー君が。
「…ぼくも逆だと思うよ、ぶるぅ。教頭先生は水着は忘れてしまいたいんじゃないかな」
「えっ…。せっかくお揃いで作って貰ったのに…」
ガックリと肩を落とす「そるじゃぁ・ぶるぅ」はお揃いの水着の何処が悪いのか本当に分かっていませんでした。私たちもこれくらい純粋だったら、世の中、変わっていたのでしょうか? 顔を見合わせていると会長さんが「そるじゃぁ・ぶるぅ」の水着を手にして。
「ぶるぅ、ラフティングに水着は要るけど、コレはちょっと…。ハーレイが見ちゃったら遊ぶどころじゃないと思うよ。でも……ハーレイと一緒に遊びたいんだね?」
「だって、みんなでお出掛けするんでしょ? それなのにハーレイが遊んでくれないなんて…」
残念だよう、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」は未練たらたら。教頭先生がお揃いの水着を受け入れられない理由が分からない子供ですから、ラフティングを断っておられる理由もイマイチ分かっていないのでしょう。自分が楽しそうだと思ったものは他人も楽しく感じるもの、と思い込むのが子供ですから!
「なるほどね…。ぶるぅもハーレイと遊びたい、と…」
考え込んでいる会長さん。いえ、そんなこと、考えなくてもいいですから! 会長さんが策を巡らしたらロクな結果になりませんから! 私たちは全力で回避するべく、ショッキングピンクの水着を奥の小部屋に押し込みました。ラフティングはもう明日なのです。波乱は絶対お断り!
翌日の朝、集合したのはアルテメシア駅の中央改札前。ここから少し電車に乗って、それからバスに乗り換えて行くとラフティングの出発地点に着きます。私たちは「そるじゃぁ・ぶるぅ」が例の水着を持ってこないかとドキドキでしたが…。
「かみお~ん♪ アヒルちゃんの水着を持ってきたよ! 浮き輪とお揃い!」
浮き輪は置いてきたけれど、とリュックを背負って現れた「そるじゃぁ・ぶるぅ」にホッと一息。アヒルちゃんの水着というのはワンポイントで黄色いアヒルが印刷されている子供用の紺のボックス水着で「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお気に入りです。浮き輪の方は単なる黄色のアヒルですけど。
「でも…。アヒルちゃん、隠れてしまうんだよね。他の水着でも良かったかなぁ?」
上にウエットスーツを着るんだしね、と言う「そるじゃぁ・ぶるぅ」の頭を一番最初に来て待っていた教頭先生がクシャリと撫でて。
「ぶるぅ、ちゃんと勉強してきたんだな。いいことだぞ」
「だって楽しみだったんだもん! 昨日まで良く知らなかったけど、ブルーに教えてもらったよ!」
げっ。会長さんの名前が出たので身構えてしまう私たち。けれど「そるじゃぁ・ぶるぅ」は褒められて嬉しかっただけだったらしく、それ以上は何も言いませんでした。よしよし、そのまま水着の話題はフェードアウトで! 電車に乗り込み、暫く走ると眼下に川が見えてきます。
「ほほう…。もう下っている連中がいるな」
教頭先生の視線の先には川を下る大きなゴムボート。私たちもああいうボートに乗ってラフティングをするらしいです。見た目には緩やかな川ですけれど、ボートはけっこう揺れているような…?
「ふうん、この辺でも揺れるのか…」
ちょっと意外、と会長さん。
「上流だけかと思ったんだけどな、揺れるのは。…で、みんなはウエットスーツを借りるわけ? それともTシャツに短パンかな?」
「…借りるつもりで来たんだけど」
ジョミー君が答え、キース君が。
「俺もだ。ブルーに話を聞いただけでも濡れそうな場所が山ほどあるし、ボートを降りて流されながら下る所もあるようだし…。自前の服で濡れ鼠になる趣味は無い」
「ですよね、服が濡れたら重そうですよ」
シロエ君が頷いた所で教頭先生が満足そうに。
「いい判断だ。ライフジャケットが必須とはいえ、川に入るのには違いない。着衣泳法の練習ではないし、体力を消耗しないためにもTシャツと短パンはやめた方がいいな。ヘトヘトになりたくないだろう?」
「…そんなに疲れますか?」
マツカ君が尋ねると、教頭先生は。
「疲れるぞ。…女子は去年の水泳大会が着衣泳法だったから覚えてないか?」
「「ああ…」」
あれか、とスウェナちゃんと私は深い溜息をつきました。すっかり記憶の彼方でしたが、セーラー服で泳がされたのは去年のこと。会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」のサイオンで補助して貰っていたので負担は感じなかったのですけど、他のクラスの女子は大変そうでしたっけ…。
「服は水を吸うと重くなるんだ。たとえTシャツでも信じられないほど邪魔になる」
本当だぞ、と教頭先生。
「私は今日は見ているだけだが、万一の時には助けてやると約束をしているからな…。下に水着を着てるんだ。救助のために飛び込む時には服は捨てる。服を着たまま飛び込んでしまえば自分も溺れるリスクが高い」
焦らないことが大切だ、と教頭先生は大真面目でした。実に頼もしい発言と冷静さですが、実際のラフティングのルートは道路から離れた地点が多数。教頭先生に助けて貰える可能性はゼロに近いのですから、ライフジャケット着用とはいえ気を引き締めてかからなくっちゃ!
電車を降りてバスに乗り換え、下車した所は川沿いのバス停。すぐ隣に建つ二階建ての建物がラフティングを手掛ける会社です。教頭先生が予約を入れてくれていたので手続きはスムーズ、ウエットスーツのサイズを選んで渡して貰って更衣室へ。
「えっと…。貴重品は金庫に入れるのよね?」
ロッカーにも鍵はかかるけれど、とスウェナちゃん。番号のついたロッカーの中に更に金庫があるのです。金庫に入れるほどの大金ではなくても財布は財布。金庫の方がいいだろう、と二人で話をしていた所へ…。
『なんなのさ、ソレ!』
いきなり頭に響いてきたのは会長さんの思念波でした。それと同時に更衣室の壁がサイオン中継の画面に変わり、映し出されたのは男子更衣室。水着やウエットスーツ姿の男の子たちの姿が見えます。会長さんはウエットスーツを着込み、怒り心頭といった様子で。
『下に水着を着て来たって言うから誘ったんだよ? ぼくとツーショットのオマケもつけて!』
『だから参加することにしたのだが…。いったい何が気に入らないんだ?』
オロオロしているのは教頭先生。会長さんは教頭先生をラフティングに誘ったみたいです。ツーショットのオマケというのが気になりますけど、それって何? と、会長さんから私たち宛の思念波が。
『やっぱりハーレイにも一緒に下って欲しいだろ? ぶるぅも遊んで欲しがっていたし…。それでオマケで釣ってみた。ラフティングに参加してくれたら、終点でぼくとツーショット!』
ラフティング中はスタッフの人が写真を撮ってくれるらしいのです。沢山の写真から好きなのを選んでアルバムも作ってもらえる仕組み。会長さんとのツーショットで締め括られるアルバムに釣られた教頭先生、スピードへの苦手意識を無理やり捩じ伏せ、ラフティングに参加することに。水着があればOKですしね。
「教頭先生、大丈夫かしら?」
「それ以前になんで怒られてるのか分からないけど…」
スウェナちゃんと私は顔を見合わせ、中継画面の向こうの男の子たちも困惑しているのが伝わってきます。教頭先生の何が会長さんの逆鱗に…?
『まるで見当がつかないわけ? つくづく君には呆れ果てるよ。それだってば、それ!』
『……???』
会長さんに指差されても首を捻るしかない教頭先生。海でお馴染みのボックス水着でウエットスーツを手にした姿の何処に問題があるのでしょう? しかし会長さんは追及の手を緩めずに。
『君の心意気と誠意ってヤツが全く見えてこないんだよね。まさか水着がそんなのだなんて…。岸から応援しているだけで泳ぐ予定は無かっただろう? ライフジャケットを着けるんだから溺れる危険はそうそう無いし、そんな事態になったとしても君が居合わせるとは限らないし!』
『…それはそうだが、やはり水着を着ていた方が…。褌にすべきだったのか?』
水着のチョイスを間違えただろうか、と教頭先生。普段の下着が紅白縞だけに褌を下着代わりに着けてくるのは思い付かなかったらしいのです。けれど会長さんはフンと冷たく鼻で笑って。
『褌だって? 水着は他にもあるだろう。この間のショーで着たヤツとか』
『「「!!!」」』
中継画面の向こうと此方で同時に固まる私たち。会長さんが言っているのはハイレグ水着のことでしたか!
『あの水着を下に着てたんだったら、ぶるぅとお揃いを目指したってことで心意気だけは買えたんだ。ぶるぅと気分だけでも一緒に遊ぼう、って心意気がね』
『し、しかし…。ぶるぅは普通の水着のようだが…』
『そりゃそうさ。君がラフティングをしてくれるなんて思っちゃいないし、用意してない。でもね、ぶるぅはその気になったら瞬間移動でパパッと着替えが可能なんだよ。…ぶるぅ、お揃いにしたかったよね?』
会長さんに尋ねられた「そるじゃぁ・ぶるぅ」は。
『うん! ぼく、あの水着で来ようと思ったの! だけどブルーに止められちゃったの、ハーレイが見たら嫌がるから…って…。ハーレイ、あれを着て来てないから、やっぱりホントに嫌なんだ…。お揃いなのに…』
『い、いや…。お前とお揃いなのが嫌というわけではなくてだな…』
しどろもどろの教頭先生に会長さんが。
『もう遅いってば! ぶるぅはショックを受けちゃってるし、ぼくとのツーショットの話は無かったことに』
『そ、それは…。だったらラフティングは見守る方で…』
『ラフティングまで断るわけ!? ウエットスーツもレンタルしたのに、ぼくと写真が撮れないってだけで逃げようだなんて許せないね。…でも、君と一緒にボートを漕いで下るというのも腹が立つ。君には別便で下って貰う!』
『「「別便?」」』
意味が掴めない教頭先生と私たちに、会長さんが人差し指でビシッと示したのは壁のポスター。
『ここはカヤックもやっているよね? 個人指導も承ります、と書いてある。君はカヤックに変更だ。インストラクターがつけば初心者だって下れるのが売り!』
『か、カヤックだと……?』
愕然としている教頭先生。ポスターには一人乗りのカヤックで川下りをする一団の写真が刷られていました。この会社では初心者向けに一人乗りカヤックの指導をしてくれるコースがあるそうです。着て行くものはラフティングと何一つ変わらないらしく…。
『ハーレイ、頑張って下るんだね。…見事やり遂げたらツーショットの件は考え直してあげてもいいよ。リタイヤした時は御褒美は無しで』
ゴール間近でリタイヤしてもツーショットには応じられない、と会長さんは更衣室から出てゆきました。同時に中継画面も消え失せ、スウェナちゃんと私が集合場所に行ってみると。
「やあ。ハーレイはカヤックに決定したから! あっちで手続きしているよ」
会長さんが視線を向けた先では教頭先生がカヤックの貸し出し手続き中。ツーショットという餌に釣られて申し込むとは、教頭先生、凄すぎるかも…。ラフティングも遠慮したがる教頭先生に一人乗りのカヤックだなんて、絶対、無茶な注文ですって!
ラフティングの出発点は流れがゆったりした場所です。ウエットスーツにライフジャケット、ヘルメットも着けた私たちは大きなゴムボートに乗り込みました。インストラクターの指揮の下、一人一本パドルを握って川を下ってゆくわけですけど、「そるじゃぁ・ぶるぅ」は小さすぎるので乗っているだけ。それでも…。
「かみお~ん♪ しゅっぱぁ~つ!」
掛け声だけは元気一杯、「そるじゃぁ・ぶるぅ」は御機嫌です。川の中央へ向けて漕ぎ出してゆく私たちの後方ではウエットスーツを着込んだ教頭先生がカヤックに乗ろうとしている所。隣にはインストラクターの人のカヤックが…。教頭先生、大丈夫かな?
「ん? ハーレイなら平気、平気!」
クスクスと笑う会長さん。
「ヘルメットもライフジャケットも着けてるしね? そうでなくても泳ぎの達人、放り出されたくらいじゃ溺れないって! それより、カヤックの方が小回りが利く。追い抜かれないように頑張らないと」
さあ、漕げ! と号令されてパドルを握り直し、インストラクターさんの指示を仰ぎつつ息を合わせて流れに乗って…。おおっ、けっこうスピードが出ます。流れは緩いように見えていたのに…。
「な、なんか思ってたより速くない?」
ジョミー君が声を上げると、最後尾で舵を取っているインストラクターさんが。
「川は見た目じゃ分かりませんよ。下で渦を巻いている場所もあるので気を付けて」
「「「渦!?」」」
「そういう所は避けて下りますけど、川の怖さは覚えておいた方がいいですね。遊びに行った先に川があっても迂闊に入って泳がないこと!」
危ないんですよ、と言われて「はーい!」と答える私たち。楽しいラフティングになりそうです。後ろについて来ている教頭先生もインストラクターさんのカヤックと並んで上手にパドルを操ってますし…。
「教頭先生、普通について来てますね…」
シロエ君が振り返った時、インストラクターさんが「しっかり前を見て下さいよ」と注意しました。
「この先のカーブを曲がると流れが急になりますからね。皆さん、息はピッタリですけど、他所見はバランスを崩します。後ろのカヤックが気になるのなら、先に下って貰いましょうか?」
えぇっ、教頭先生が先に? 後からの方が速さに対する心の準備が出来そうなのに…、と誰もが思ったのですが。
「いいね、それ」
会長さんは容赦がありませんでした。
「急流下りでバランスを崩すとボートから放り出されるし…。そういうのは御免蒙りたい。あっちを先に下らせてよ」
「分かりました。おーい、そっちが先! 先に行ってくれ!」
合図しているインストラクターさん。私たちは流れの速い部分から外れ、ボートを漕いで待機です。その間に教頭先生と指導係のインストラクターさんのカヤックが通過してゆき、それを見届けてから元のコースへ。うん、よく見えるようにはなりましたけど…。
「カーブを曲がったら急流だっけ?」
ジョミー君が言い、キース君が。
「そうらしいな。教頭先生の方が一足お先に急流下りか…」
「パニックにならなきゃいいんですけどね」
シロエ君は心配そうですが、私たちのボートのインストラクターさんが大きく笑って。
「素人さんでも大丈夫ですよ、ジェットコースターみたいな速さじゃないですからね、落ち着いて漕げば乗り切れます。さあ、皆さんも頑張って!」
もうすぐですよ、という声が終わらない内に教頭先生のカヤックがカーブを曲がってゆきました。少し遅れて私たちのゴムボートも。…って、いきなり急流じゃないですか!
「その先の岩の間を抜けますよ! もっと右! 右に寄せて!」
「「「わわわ~っ!」」」
見る間に迫る大きな岩。もう教頭先生どころではなく、ひたすら漕ぐしかありません。ボートは大揺れ、激しく飛び散る水飛沫。乗っているだけの「そるじゃぁ・ぶるぅ」の歓声を背中に聞きつつ懸命に漕いで、漕ぎまくって…。
「お疲れさま~。もうすぐ休憩スポット到着ですよ」
激流を乗り切った先は穏やかな流れと明るい河原。会長さんが豪華食材でと注文していたバーベキューをする場所です。そこまで漕げば休憩なんだな、と思ったら…。
「この辺りはそんなに深くありませんから、良かったら川に入りませんか? 流れが運んでくれますよ。ボートは私が漕いでいきます」
「かみお~ん♪ ぼく、入る!」
バシャーン! と勢いよく飛び込んだ「そるじゃぁ・ぶるぅ」はライフジャケットを浮き輪にプカプカ流れて下ってゆきます。男の子たちも次々に飛び込み、会長さんもスウェナちゃんも…。よしっ、私も!
「いい天気だねえ…」
こんな休日も楽しいよね、と会長さん。みんなで流されるままに川を下って、ゴムボートと一緒に岸辺に着いて、いざバーベキュー! …ん? 河原に仰向けに倒れているのは…。
「「「教頭先生!?」」」
溺れたのか、と頭が真っ白になったのですけど、会長さんは。
「心配しなくてもダウンしてるだけだよ。急流下りで疲労困憊したらしい。放っておいてお昼にしよう」
「「「………」」」
いいのかな、と思いましたが、教頭先生を指導していたインストラクターさんはバーベキューの用意を始めています。つまり心配無用というわけで…。
「ハーレイの分の食材も一緒に入っているんだよね。起きてこないなら完食するまで!」
食べてしまえ、と会長さんが煽り、声を揃えて「いただきまーす!」。お肉に、海老にとあれこれ焼いて、ワイワイ騒いで盛り上がっていると。
「…ブルー。とりあえず此処まで頑張ったのだが……」
教頭先生がようやく復活してきました。暗に褒めてくれと仄めかしているのに、会長さんは。
「お先に始めさせて貰っているよ。午後からも先に下るのは君だ。ぼくたちは遊んで待っているから、ゆっくり食べてくれていいからね」
「……私はとても頑張ったのだが……」
「あ、その肉はぼくが焼いてるヤツ! 君はそっちの野菜でいいだろ」
会長さんは褒めるどころか馬耳東風。好きなだけ食べて、その後は私たちを引き連れて川の方へと。
「向こうの岩がジャンプスポットになってるんだよ。一休みしたら、やりたい人は飛び込んでみたら? 写真も撮ってくれるしね」
川岸に聳える大岩に登り、川に向かって飛び込むそうです。やる気満々の「そるじゃぁ・ぶるぅ」や男の子たちは飛び込む時のポーズについて検討中。絵になるポーズで飛ぶべきだとか、着水した時の衝撃に備えた方がいいとか、なんとも賑やか。流石に川にジャンプはちょっと…。怖いから遠慮しておこうっと!
たっぷり休んで、男の子たちと「そるじゃぁ・ぶるぅ」は岩の上から次々にジャンプ。会長さんは見物組に回ったのですが、それと気付いた教頭先生がジャンプしたのはビックリでした。それも飛び込みの選手よろしく宙返りまで入れて颯爽と!
「…必死のアピールが泣けてくるねえ…。そんなにツーショットの御褒美は魅力的かな?」
ただの写真に過ぎないのに、と会長さんは笑っていますが、付き合いの長い私たちにはツーショットの貴重さがよく分かります。ブライダルフェアで撮った写真のように無駄に立派なものはあっても、無いのが普通のツーショット。この機会に、と教頭先生が燃えているのも無理はなく…。
「皆さん、午後の部に出発しますよ~!」
インストラクターさんに呼ばれて私たちは再びボートに。教頭先生もカヤックに乗って漕ぎ出し、やがて始まる急流下り。先を行くカヤックが岩に挟まれた段差の下に見えなくなったと思った途端に私たちのボートも揺れ始めて…。
「左! もっと左!」
「ひいぃっ、ぶつかる~!」
午前のコース以上の難所が幾つも続き、教頭先生にまで気が回りません。やっとのことで激流をクリアし、行きの電車から見えていた辺りまで下って行った頃に心の余裕が…。この先はもう急流下りは無いのだそうで、半時間もすれば終着点。あれっ、教頭先生が元気にカヤックを漕いでいますよ!
『…どうするんだ? あんた、本気でツーショットを?』
キース君がインストラクターさんに聞かれないように思念波を使えば、会長さんは。
『別に減るものじゃないからねえ? それに上映会もあるんだ』
「「「上映会!?」」」
思わず声に出してしまった私たちですが、インストラクターさんは疑問を抱きもせずに。
「上映会は全部終わってからですね。終点で何枚か写真を撮ったら車で会社に戻るんです。着替えを済ませて頂いた後で、今日の写真を一挙に上映! けっこう好評なんですよ」
大画面で迫力たっぷりです、と言われましても…。会長さんったら、そこまで承知でツーショットを?
『もちろんさ。この上映会で気に入った写真を選ぶんだ。それが記念のアルバムになる』
『『『………』』』
ツーショットのアルバムが出来るだけでなく、上映会まであったとは…。教頭先生が釣られるわけだ、と納得です。午前の部ではヘロヘロだったのに今はスイスイ先を行くのも御褒美が待っているからでしょう。会長さんとのツーショットまで残す所は数百メートル!
「おめでとう、ハーレイ。やり遂げたことは認めるよ」
楽しくもスリリングだったラフティングが終わり、会長さんが微笑んでいます。教頭先生は不屈の闘志でカヤックを操り、ゴールイン。記念撮影はボートの上と、岸に上がっての全員集合バージョンと。教頭先生を真ん中にして、みんな笑顔でパシャリと一枚。そして、お次は…。
「ウエットスーツを着てないヤツも撮りたいね。せっかく川遊びに来たんだしさ」
会長さんの提案で私たちは早速、水着姿に。あれ? 教頭先生は…? ウエットスーツを脱ぎ掛けた手が止まっています。
「どうしたのさ、ハーレイ? 撮っちゃうよ?」
「い、いや、私は…。お前たちだけで撮ってもらいなさい」
「そう? じゃあ、遠慮なく」
みんな並んで、と仕切りにかかる会長さん。今度は「そるじゃぁ・ぶるぅ」が真ん中です。でも、教頭先生、どうしたのかな? ウエットスーツを脱がないなんて…。
「ハーレイ、最後は約束のツーショットだよ? これも要らない?」
要らないんなら終了だね、と会長さんはカメラマンに合図しかかったのですが。
「待ってくれ!」
ダッと飛び出した教頭先生、会長さんの隣に並びました。
「現金だね、ハーレイ? そういう所も嫌いじゃないよ。はい、笑って、笑って」
「うむ。…そのう、肩を抱いてもいいだろうか?」
「どうぞ。せっかくのツーショットだしね」
会長さんがニッコリ微笑み、教頭先生の頬が緩んでパシャリと響くシャッターの音。しかし…。
「ツーショットは格好が釣り合っていないと駄目なんだよ。ぼくだけ水着は論外だね」
教頭先生のウエットスーツは脱げてしまって足元に。どう考えても会長さんの仕業です。でもって教頭先生の水着はショッキングピンクに金銀ラメの例のハイレグ。
「「「わははははは!!!」」」
私たちはお腹を抱えて笑い、カメラマンも必死に笑いを噛み殺し中。会長さんったら、いつの間に水着をすり替えたのやら…。
「ハーレイ、上映会とアルバム、楽しみだねえ? 今日はありがとう、感謝してるよ」
今の写真は絶対アルバムに入れなくちゃ、と会長さんは御満悦。教頭先生は真っ赤な顔でウエットスーツと格闘中ですが、焦るほど上手く着られないみたい…。
目に痛いほどのショッキングピンクで締め括られたラフティング。この写真を記念に買うべきか否か、帰り道でじっくり考えますね~!
楽しみにしていた校外学習の行き先は、ラフティングではなく水族館。初めてのラフティングと聞いてワクワクだった「そるじゃぁ・ぶるぅ」はガッカリです。ラフティングに決定しかかったのを覆してしまったのは教頭先生。会長さんは教頭先生に責任を取らせると主張していて…。
「とにかくハーレイの所に行こう。話はそれから!」
「お、おい…。いきなり押しかけようっていうのか?」
キース君が止めに入りましたが、会長さんは気にも留めずに。
「直談判が一番なんだよ、こういうのはね。君たちにも一緒に来てもらわないと…。ぶるぅがどんなに残念がったか、場合によっては証人が要るかと」
行くよ、と急かされた私たちは仕方なく立ち上がるしかありませんでした。会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」を先頭にして中庭を抜け、本館の奥の教頭室へ。重厚な扉を会長さんがノックして…。
「失礼します」
「な、なんだ?」
ゾロゾロと連なって入ってきた行列に驚きを隠せない教頭先生。そこへ会長さんが冷たい口調で。
「何をしに来たのか分からないって? ぶるぅは朝からガッカリなんだよ」
「は?」
「校外学習! 行き先が発表されただろ?」
「ああ、あれか…。どうしてぶるぅがガッカリなんだ? 水族館は大好きだろう」
イルカと握手出来るんだぞ、と教頭先生は「そるじゃぁ・ぶるぅ」に笑顔を向けて。
「やりたければショーもすればいい。水族館には今年もお世話になると思います、と言ってある。ショーに出るならブルーに電話して貰いなさい。貸し切りの時間が取れるからな」
教頭先生、しっかり根回ししてあるようです。此処まで心を砕いているのに、ラフティングをボツにしたという理由で会長さんにボロクソに言われ、責任を取らされてしまうのでしょうか? でも、責任を取るって、どうやって…?
「イルカショーの貸し切りくらいは当然じゃないか、水族館だし」
珍しくもない、と会長さん。
「ぶるぅがガッカリしているのはね、珍しいイベントが中止になったからなんだ」
「イベントだと? 何のことだかサッパリなのだが…」
そう言いながらもカレンダーと手帳を確認している教頭先生は律儀です。けれど今日の日付で中止になったイベントなどがある筈もなく、ますます混乱したようで。
「…本当に分からないのだが…。校外学習のことかと思えばイベントだと言うし、かと言って今日は何の予定も無いようだし…。それとも私が知らないだけで何か催しが決まっていたのか?」
「決まってたんだよ、この間まで…ね。今日に関係あるヤツが!」
君がオシャカにしたんだろう、と会長さんは教頭先生にビシッと指を突き付けました。
「校外学習は水族館の予定じゃなかった。ゼルの提案でラフティングってことになっていたのに、安全第一だとか言っちゃってさ! 何が校長先生なのさ、君がわざわざ御注進しに出向かなかったら知らずに終わっていただろう!」
「…ど、どうしてそれを…」
「今更それを訊くのかい? 校外学習、気になるじゃないか。去年も水族館だったんなら放っていたと思うけど……一日修行体験の次は何が出るのかと知りたくもなるさ」
だから覗き見してたんだ、と会長さんは悪びれもせずに言い放つと。
「ラフティングっていう予定を聞いて、ぶるぅはワクワクしていたんだよ。どんなものなの、って知りたがったから色々教えた。それで楽しみにしちゃってねえ…。早く行きたい、って待っていたのに、君が水族館に変えちゃったんだ」
「そうだったのか…。すまないな、ぶるぅ。お前が楽しみにしていた気持ちは分からないでもないんだが…。ラフティングが何か知っているなら話は早い。もしも事故があったりしたら大変なんだ。そうなってからでは間に合わないし、やめておくのが学校として取るべき道だ」
分かるな? と「そるじゃぁ・ぶるぅ」に真摯な目を向ける教頭先生。しかし文句を言いに来ているのは「そるじゃぁ・ぶるぅ」ではなく会長さんです。会長さんは「ぶるぅを丸めこもうとしたって無駄だからね」と教頭先生を睨み付けて。
「ぶるぅはイルカとショーが出来れば御機嫌だけど、ガッカリしたのは本当なんだ。発表があるまでは行き先変更の可能性もあるかもしれない、と希望を持ってたみたいだし…。この責任は取って貰うよ」
「責任だと?」
「そう、責任。子供の夢をブチ壊したのに、大人の理屈を並べ立てた上に「分かるな?」だって? 最低だよ! 普通はそこで「連れてってやろう」とか言うものだろ!」
おおっ、そういう方向でしたか、責任って! 教頭先生に引率されて私たちだけでラフティングとか…?
勝ち誇った顔で教頭先生を見詰める会長さん。校外学習の代わりに個人的に「そるじゃぁ・ぶるぅ」をラフティングに連れて行けば教頭先生は責任を取ったことになるようです。簡単な事じゃないですか! スピードが苦手なことは知ってますけど、ラフティング程度なら大丈夫だと会長さんも言ってましたし…。
「ぶるぅを連れてラフティング…だと? すまん、考えてもみなかった」
平謝りの教頭先生。会長さんはクスクス笑いながら。
「だろうね、学校単位で動くことしか頭に無かったみたいだし…。で、連れてってやってくれるわけ? それとも…」
「もちろん連れて行ってやる。私の夢はいつかお前を嫁に貰って、ぶるぅを子供にすることだしな。今から仲良くなっておかんと話にならない」
大いに楽しんでくるといい、と教頭先生は穏やかな笑み。ん? この言い方だと教頭先生は連れて行くだけで自分は参加しないとか…? 案の定、会長さんが「ちょっと待って」と突っ込みました。
「楽しんでくるといい、って…君はボートに乗らないのかい? もしかして保護者よろしく岸から応援?」
「そのつもりだが…。何か問題でも?」
「当たり前だよ! 一緒に下ってやらないつもり? 見てるだけ?」
「万一の時には助けてやるぞ? 泳ぎには自信があるからな」
任せておけ、と自信に溢れた教頭先生ですが、会長さんは呆れたように。
「…ハーレイ。ラフティングに反対した段階で下調べはしてる筈だよねえ? あそこのコースで川沿いの道路がどれほどあるって? 大部分は川から離れているか、川沿いでも崖の上だとか…。岸から応援って言った時点で「見ていません」って宣言したのも同然なんだよ。助けるも何も、見えていないし!」
「…い、いや…。その……」
教頭先生は真っ青でした。本当にコースを知らなかったものと思われます。しどろもどろで言い訳をしたり、謝ったり。そんな教頭先生の姿に、会長さんはフウと大きな溜息をついて。
「…分かったよ。要するに、君はラフティングをする自信は無い…、と。たかが川下りだから大丈夫だとは思っていても、経験が無いから分からないんだね?」
「…すまん。下り始めてから止めてくれとか、下ろしてくれとは言えないしな…」
申し訳ない、と頭を下げる教頭先生。ラフティングが中止になった裏には教頭先生の私的な事情も少しは絡んでいそうです。引率役に徹するつもりで出掛けて行っても、会長さんが来ている以上はラフティングをする羽目になる可能性ゼロとは言えませんし! うーん、やっぱりヘタレでしたか…。
「そういうわけなら無理にやれとは言わないよ。でも、ぶるぅは本当に行きたがっていたからねえ…。連れて行ってはくれるんだろうね?」
「その件については約束する。校外学習の週の週末はどうだ?」
土曜か日曜、とカレンダーを示す教頭先生。やった、ラフティングに行けますよ! 会長さんが「じゃあ、土曜日で」と頷き、「そるじゃぁ・ぶるぅ」も大喜び。もちろん私たちもお相伴です。
「…気が回らなくて本当にすまなかった。ラフティングは楽しみにしていてくれ。私は見ているだけだがな」
「その分、御馳走を奮発してよ。休憩スポットで昼御飯の時間があるだろう?」
抜け目なく毟りにかかる会長さんに、私たちは苦笑するばかり。昼食はバーベキューで食材を予め選べるのだとか。最上級でお願いするね、と会長さんは遠慮がありません。校外学習が終わった週末はラフティング! 初めての体験に加えて大自然の中でのバーベキューなど、盛り沢山になりそうですよ~。
こうして来週末の予定が決まり、私たちの頭から校外学習の方はストンと抜け落ちてしまいました。水族館は所詮、水族館。イルカショーに「そるじゃぁ・ぶるぅ」が出演するのもお約束です。とにかく拍手を送ればいいや、と思い込んでいたのですけど、それが根底から覆ったのは翌日の放課後。いつものように「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお部屋に出掛けてゆくと、会長さんが。
「やあ。ぶるぅのイルカショーなんだけどね、ちょっと趣向を凝らしたくって」
「「「は?」」」
「普通にイルカと泳ぐだけでは見ていて楽しくないだろう? もう一工夫欲しいよね」
「…今度もドルフィン・ウェディングか? それとも人魚ショーなのか?」
キース君が過去のイルカショーにくっついてきたイベントを挙げています。最初の年は「そるじゃぁ・ぶるぅ」がイルカプールに乱入しちゃっただけなのですが、その翌年から妙なイベントが…。
「どっちでもないけど、あえて言うなら人魚ショーの方が近いかな? 一緒に泳ぐのはハーレイだし」
「「「!!!」」」
またか、と頭を抱える私たち。教頭先生の人魚姿は瞼にクッキリ焼き付いています。ショッキングピンクの人魚の尻尾を付けてプールや海で飛んだり跳ねたり、それはそれはダイナミックな見世物で…。今の1年生は教頭先生人魚を知りませんから、水族館で披露したならウケることだけは間違いなし。けれど…。
「人魚ショーではないんだよね。ハーレイには頑張って貰わないと」
「何をだ?」
胡乱な目をするキース君に、会長さんは。
「練習だよ。校外学習は来週なんだし、時間は少ししか無いだろう? 早く始めないと間に合わない。…連行するからついて来て」
「なんで俺たちまで巻き込むんだ!」
「ギャラリーに慣れておかないとね。当日はスタジアムに生徒が沢山溢れるんだよ? あがってしまって上手に出来ませんでした、なんてことになったらつまらないし!」
行くよ、とソファから立ち上がった会長さんを止められる人はいませんでした。私たちはゾロゾロと会長さんの後ろに続いて教頭室へ。扉をノックした会長さんに教頭先生が「どうぞ」と答えて…。
「なんだ、どうしたんだ? みんな揃って…。ラフティングなら予約しておいたぞ」
食事の方もバッチリだ、と教頭先生は笑顔です。休憩地点でのバーベキューの食材は会長さんの注文通り最上級。昼食には教頭先生も加わるそうで…。
「あれから私も調べたんだ。昼食場所は道路から近くて行きやすいらしい。…それとも私が一緒では嫌か?」
「とんでもない」
スポンサーは大歓迎、と会長さんが笑みを浮かべて。
「一緒に昼食を食べるんだったら親睦を深めておかないとね? ちょうど良かった」
「…何の話だ?」
「ぼくたちとの絆の話だよ。今日から暫く付き合って貰おうと思って誘いに来たんだ。あ、付き合うと言ってもデートじゃないし! みんな揃って出掛けるだけだし!」
「………。焼肉か?」
首を傾げる教頭先生。会長さんはクッと笑うと。
「残念でした。フィットネスクラブに行くんだよ。…君にはイルカショーで大活躍をしてもらう」
「…に、人魚か? またアレをやれと?」
「いいから黙ってついてくる! 今日は貸し切りにしといたからね、ぼくたち以外に見ている人はいないんだ。仕事にサッサと区切りをつけたら急いでお出掛け!」
瞬間移動で飛ぶことにする、と言う会長さん。フィットネスクラブはサイオンを持つ仲間が経営していて、会長さんはVIP会員です。瞬間移動で飛び込んだって何の問題もありませんけど、教頭先生、いったい何をさせられるのかな…?
大車輪で仕事を片付けた教頭先生の愛車は、会長さんが瞬間移動で家のガレージまで送ったようです。曰く、疲れると運転が危なくなるから乗らない方が安心だそうで…。お次は私たち全員がフィットネスクラブに瞬間移動。教頭室から一気に見慣れたプールサイドへ。
「まずは向こうで着替えてきてよ」
はい、と教頭先生にスポーツバッグを差し出している会長さん。えっと……あのサイズでは人魚の尻尾は入っていそうにないですが? 教頭先生も受け取りながら眉間に皺を寄せています。
「あれっ、もしかして人魚の方が良かったとか? …そんな顔だね」
「いや、それは…。人魚は出来れば遠慮したいが…」
「じゃあ、いいじゃないか。…待っているから早めにね」
会長さんがヒラヒラと手を振り、教頭先生はロッカー室へと。人魚ショーではないと聞かされたのは確かですけど、ホントに人魚は関係無いとか…? でも、泳ぐだけで芸になるんでしょうか? 私たちが悩んでいると。
「なるんだな、これが。…あ、ハーレイが戻ってきたよ」
「「「!!!」」」
教頭先生が着けていたのは競泳用のメンズビキニ。でも、ショッキングピンクの地色に金銀のラメとスパンコールって、思い切り悪趣味と言うのでは…? 教頭先生もそれが気になるようで。
「…ブルー、このデザインはどうにかならないのか?」
「気に入らない? 人魚の尻尾がショッキングピンクで似合ってたからテーマカラーにしようかなぁ、って…。注文生産の特注品だよ。急げばなんとか間に合うものだね」
「…特注品だと言われても…。これで私に何をしろと?」
「目立つってことが大切なんだ。ホントは女性用の水着みたいにカバーする範囲が広い方が映えるんだけどねえ、プールには」
華やかな柄も入れられるし…、と会長さんは真顔です。教頭先生は慌てて首を左右に振って。
「こ、この水着で充分だ! デザインも色も実に素晴らしい」
「そう? だったら早速始めようか。…イルカショーで使う曲を流すから、まずは心の赴くままに」
「「「???」」」
会長さんが何を言っているのか、私たちには意味不明でした。教頭先生だって同じです。心の赴くままにって…何が? と、バッシャーン! とプールで水音が。
「「「ぶるぅ!?」」」
いつの間にか水着に着替えていたらしい「そるじゃぁ・ぶるぅ」がプールでスイスイ泳いでいます。何故か水着は女の子用のスクール水着っぽいヤツですけども、それ自体は理解の範疇内。シャングリラ学園の水泳大会では「そるじゃぁ・ぶるぅ」が女子で登録することもあり、その時は女子用スクール水着ですから。
「あ、あの水着って…」
ジョミー君が口をパクパクとさせ、キース君が。
「…教頭先生の水着と揃いのようだな。ショッキングピンクにスパンコールだ」
なんともド派手な水着を着けた「そるじゃぁ・ぶるぅ」はプールの真ん中まで行くとトプンと潜り、次に出て来たのは右足だけ。その右足がヒョイと沈むと上半身がザバッと現れ、両手を上げてポーズを取って…って、あれってシンクロとか言いませんか?
「シンクロだよ?」
見れば分かるだろう、と会長さんが微笑みながら。
「ぶるぅはシンクロは得意だしねえ? あっちの世界のぶるぅと組んでた『ぶるぅズ』だって人魚だけれど基本はシンクロ! ハーレイにはシンクロをやってもらう」
「な、なんだと…?」
愕然とする教頭先生に、会長さんは。
「イルカショーに花を添えるためにも、ぶるぅと組んでデュエットを…ね。だから水着は目立つのがいいと言ったんだ。ぶるぅと同じデザインにしたいんだけど…」
げげっ、と凍りつく私たち。教頭先生にあんな水着は今以上に視覚の暴力です。ビキニパンツでも大概なのに…。教頭先生だって両手で大きな×印を作って拒否してますし!
「そんなに全力で否定しなくてもいいのにさ。…OK、ビキニパンツで良しとしておく。とりあえず心の赴くままに演じてみてよ」
「……何をだ?」
「シンクロって言っているだろう! どんな振付にすればいいのか、ぼくにもイメージが掴めてないんだ。音楽に合わせて自由に演技を! それを見てから考えるよ」
始め! と会長さんがプールを指差し、仕方なく飛び込む教頭先生。間もなく大音量で音楽が始まりましたが、教頭先生、シンクロなんて出来るんでしょうか?
「大丈夫! ハーレイズを覚えているだろう? あれはシンクロの基礎が必要なんだよ」
ニヤリと笑う会長さん。ハーレイズというのは教頭先生とソルジャーの世界のキャプテンが人魚の格好で組んだ時の名前で、ジャンプや輪くぐりなども見事にこなしてましたっけ。けれどシンクロそのものは一度も見たことがありません。…ん? んんん?
「ほらね、ちゃんと出来てるじゃないか。好きにやらせるのもなかなかいいね」
「…出来ていることは認めるが…」
美しくないぞ、とキース君が正直な意見を述べています。教頭先生の逞しい足がプールからニュッと突き出す様はシュールと言うか何と言うか…。しかも回転とか色々な技が披露されますし!
「美しさ? それは求めたら負けじゃないかなぁ。…で、どんな振付がいいと思う?」
プールを見詰める会長さんの頭の中は既にシンクロで一杯でした。こうなってしまうと何を言っても無駄というもの。同じ阿呆なら踊らにゃ損、損、みんなで振付を考えますか…。
その日から私たちと教頭先生のプール通いが始まりました。鬼コーチと化した会長さんが教頭先生をビシバシ指導し、「そるじゃぁ・ぶるぅ」が模範演技をしたり、デュエットしたり。
「いいかい、校外学習の華はイルカショーなんだよ」
生徒を楽しませることが一番だ、と会長さんは譲りません。
「ラフティングにしとけば良かったのにねえ? それならイルカショーは無かったわけだし、こんなサービスも要らなかったのに…。自業自得ってコレのことかな?」
「わ、私がサービスする必要は無いと思うのだが…」
「そうかな? 今の3年生は知ってるんだよ、水族館にはショッキングピンクの人魚だってことを。その噂がどれだけ広まってるかは謎だけれども、水族館と聞いて期待している生徒もいるかと…。それを裏切るのは言語道断! 第一、ぶるぅの夢も壊したわけだし?」
「ラフティングには連れてってやると言っているのに…」
どうしてこんなことに…、と教頭先生は嘆いています。それでも真面目に練習するのは会長さんと過ごす時間が気に入っているからでしょう。普段は全く構って貰えないのに、シンクロの指導はマンツーマン。きっと教頭先生の脳内ではゴージャスな夢のデートに変換されているんじゃないかと…。
そんな感じで日は過ぎていって、いよいよ明日は校外学習。
「ハーレイ、本番では指導係はつかないからね。ぼくはスタジアムで見物だから」
「…分かっている。ぶるぅと二人で頑張るまでだ」
拳をグッと握る教頭先生、技も振付も完璧です。今夜はこれから会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」の三人だけで水族館に行き、イルカプールで距離感を掴んで最後の仕上げをするのだとか。本当は私たちも見たいんですけど、ショーとして完成された形は校外学習で初めてお披露目を、というのが会長さんの主張。
「だってさ。他の生徒にはサプライズなんだし、君たちにも少しは新鮮なステージを見せてあげたい。…ハーレイが当日に委縮しないよう、今日までギャラリーを務めてくれたことへの感謝も込めてね」
「うむ。…イルカと組んだら印象も変わってくるだろうしな」
毎日付き合わせてすまなかった、と教頭先生に御礼を言われて私たちはひたすら恐縮です。会長さんの悪ノリに便乗して振付とかで無茶をやらかしたのに…。でも、会長さんはクスッと笑って。
「気にしなくてもいいんだよ。ハーレイは幸せ一杯だから! ぼくと毎日練習が出来て。…そうだよね?」
「…その部分に関しては否定できんな…」
楽しかった、と頬を緩める教頭先生を残して私たちはフィットネスクラブを後にしました。明日のイルカショーでは教頭先生と「そるじゃぁ・ぶるぅ」のシンクロが披露されるのです。ショーの主役はイルカか、はたまたシンクロチームか。校外学習、待ち遠しいなぁ…。
そして翌日、シャングリラ学園の1年生は観光バスで水族館にやって来ました。会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」は1年A組のバスに乗り込み、車中でイルカショーをよろしくとアピールです。補習になる所を手形パワーで助けて貰ったクラスメイトは「見に行きます!」と大歓声で…。
「よし。宣伝効果はバッチリだよね」
会長さんが満足そうに頷いたのはシャングリラ学園の生徒で満席になったスタジアム。滞在時間中の最後のイルカショーが貸し切りにされ、案内板にも表示が出ています。しかし1年A組の生徒たちによるクチコミ効果も大きくて。
「ぶるぅがショーに出るんだってよ」
「拍手したら御利益あるかもな! 次のテストで満点とかさ」
不思議パワーのお裾分けに与りたい生徒も多数のようです。残念ながらショーには御利益無いんですけど…。少し申し訳ない気持ちになっていると、会長さんが。
「御利益が無くても大丈夫さ。ショーで笑えば気分スッキリ、笑う門には福来るってね」
「…それはそうかもしれないが…」
教頭先生が気の毒だ、と呻くキース君の声を遮るようにアナウンスの声が響きました。
「只今よりイルカショーを開催いたします! まずはスペシャル・ゲストの「そるじゃぁ・ぶるぅ」君です!」
「かみお~ん♪」
ショッキングピンクにスパンコール水着の「そるじゃぁ・ぶるぅ」がステージに現れ、たちまち起こる盛大な拍手。悪趣味な水着も子供が着ると可愛いというのが不思議ですよね。
「もう一人のゲストをご紹介します。シャングリラ学園教頭、ウィリアム・ハーレイ先生です!」
「「「!!!」」」
その瞬間の衝撃は一生忘れられないかも…。教頭先生が着けていたのはビキニパンツではありませんでした。小さな「そるじゃぁ・ぶるぅ」とお揃いの水着、よりにもよってハイレッグカット。爆笑と悲鳴が交錯する中、会長さんはウインクして。
「いいだろう、あれ。昨日、君たちが帰った後で着ろと言った時の騒ぎといったら…。脱毛サロンにまで連れて行かれたんだし、当然かな」
「「「脱毛サロン!?」」」
「うん。でないとハイレグは無理だしさ。…ついでに毛脛でシンクロというのもアレかと思って…。脱毛だけは勘弁してくれって絶叫したから、スタッフに剃られて終了だけど。脱毛する前に剃るんだってね」
「「「………」」」
それはヒドイ、と私たちは心の底から教頭先生に同情しました。ハイレグ水着のために脱毛サロン。メンズエステが流行りと言っても、逞しさが売りの教頭先生に脱毛サロンは…。
「そうかなぁ? ウケてるから別にいいじゃないか」
大人気だよ、と会長さんが指差す先では教頭先生と「そるじゃぁ・ぶるぅ」の華麗なデュエットが始まっています。イルカの芸に合わせて流れる音楽に乗り、足を上げたり回ったり。客席からは「そるじゃぁ・ぶるぅ」コールに混じって教頭先生への声援も…。
「ね、ハーレイも喜んでいると思うよ、教師は生徒に好かれてなんぼ! 身体を張った芸の一つや二つは当たり前ってね」
未来の嫁と子供も喜ばせられて一石二鳥、と会長さんは御満悦でした。嫁に行く気も無いくせに…。校外学習、ラフティングの方が教頭先生にはマシだったんじゃあ? とはいえ今更手遅れですから、週末の私たちとのラフティングの件、よろしくお願い申し上げます~!
大迷惑だったソルジャーの恩返しとやらが幕を閉じ、教頭先生と会長さんの関係はすっかり元通り。会長さんときたら、教頭先生に襲われかかったことも大して気にしていないようです。ベッドに運ばれてしまったというのに、タフだと言うか何と言うか…。
「いいじゃないか、何も起こらなかったんだしね。あの程度のことで目くじら立ててちゃ、ハーレイではとても遊べないよ。今までだって色々あっただろ?」
ねえ? と会長さんが笑っているのは放課後の「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお部屋。私たちの前には沢山のケーキが入った大きな箱が…。会長さんはそれを指差して。
「それにさ、慰謝料でこんなケーキも買える。あの明くる日には食べ歩きにも出掛けられたしね」
「「「………」」」
会長さんは恩返し騒動の翌日に私たちを連れて教頭先生の家へ押し掛け、慰謝料を毟り取ったのでした。支払わないとゼル先生に全てを話すと脅迫した上、私たち全員が目撃証人だと告げたんですから堪りません。教頭先生は顔面蒼白、言われるままに財布の中身を丸ごと献上する羽目に…。
「ああ、ハーレイの財布を気にしてるわけ? 心配しなくても毎度のことだよ、ぼくのせいで金欠になるのはね。…未来の花嫁に貢いだんだから先行投資さ」
「嫁に行く気もないくせに…」
キース君が呆れたように呟きましたが、会長さんは。
「ハーレイ自身が諦めない限り、そこはどうにもならないんだけど? この間だって言ってたじゃないか、初めての相手はぼくだと決めているってね。…本人が好きで譲らないんだ、何をされても自業自得だよ」
気の毒な教頭先生は何処までもオモチャにされる運命にあるらしいです。ソルジャーの恩返し強化月間でカードと差し入れを貰っていた間は幸せだったんでしょうけれど…。もっとも会長さんに言わせれば、オモチャの分際で幸せ気分など厚かましいそうで。
「あーあ、ブルーが勝手にやっていたとは言っても、ハーレイが幸せだったなんてねえ…。なんだか許せないと思わないかい? このぼくがハーレイを気遣って差し入れしてたと言うんだよ?」
「…たまには気遣って差し上げろ。あんたを大切に思ってらっしゃることは確かなんだ」
傍で見ていても良く分かる、とキース君は溜息まじり。けれど会長さんはフンと鼻を鳴らしただけで。
「本当に大切に思ってるんなら襲ったりしないと思うけど? いくらブルーが唆したにしても、思い切り危なかったんだ」
「魔が差すということもある。あの時はまさにそれじゃないかと」
「普段から妄想を繰り広げているからそうなるのさ。…まあ、ブルーの指導がついていたってハーレイには無理だと思うけどね」
「あんた、危なかったのか大丈夫なのか、どっちなんだ…」
疲れた口調のキース君。私たちの気持ちも同じでした。会長さんは教頭先生に無理やり……そのう、大人の時間に突入されるとは思っていないくせに、その危機だけを強調しては振りかざすから困るのです。
「そんなことを言われても…。危ない時ってあると思うよ、ハーレイだって男だもの。EDにでもならない限り、リスクはゼロとは言えないさ」
「だが、EDはお断りだと言ったじゃないか」
キース君の鋭い突っ込みに、会長さんは。
「そうなると追い掛けて来てくれないからねえ…。身を引かれたらつまらない。でも、襲われるのは趣味じゃない。…こう、ギリギリのバランスっていうのが醍醐味なんだよ。それが崩れたらアウトなわけ」
襲われたのはアウトの内だ、と言う会長さんにとっては大人の時間を巡るドタバタもゲームなのかもしれません。なにしろシャングリラ・ジゴロ・ブルーですから女性と遊ぶのは明らかにゲーム。その感覚を教頭先生との間柄にも持ち込んでいてアウトだ、セーフだとやっているとか…? 私たちがコソコソ話し合っていると。
「失礼な!」
会長さんがピシャリと遮りました。
「女性とハーレイを同列にするなんて、女性に対して失礼だよ! 謝りたまえ!」
「「「はーい…」」」
そう来たか、と渋々頷く私たち。シャングリラ学園は今日も平和です。教頭先生から毟ったお金で買ったケーキも綺麗でとっても美味しいですよね。
「ところでさ…。EDで思い出したんだけど」
会長さんが2個目のケーキにフォークを入れながら私たちを見回しました。
「今年の校外学習について、何か噂は聞いている?」
「「「え…?」」」
何故にEDで校外学習? ひょっとして今年は何処かの病院に行ってボランティアとかそういうのですか? 去年の一日修行体験も大概でしたが、ボランティアというのも楽しくないかも…。
「なんだ、やっぱり聞いてないのか。情報統制は完璧だね」
流石はシャングリラ学園、と感心している会長さんに「そるじゃぁ・ぶるぅ」が。
「ねえねえ、EDって何だっけ? 校外学習、今年も水族館には行かないの? イルカさんと遊びたいのに…」
つまらないよ、と言う「そるじゃぁ・ぶるぅ」は水族館がお気に入りでした。私たちが普通の1年生だった頃から校外学習の行き先は水族館。そこのイルカショーのプールでイルカと遊ぶのが「そるじゃぁ・ぶるぅ」の大好きな時間なのですが……去年は水族館からお寺に変更されたのです。また今年も…?
「ぶるぅ、水族館に行きたいのかい?」
会長さんが尋ねると「そるじゃぁ・ぶるぅ」は「うん!」と元気一杯に。
「イルカさんと遊ぶの、楽しいもん! ブルーに連れてって貰う時には握手だけしか出来ないけれど、校外学習だと一緒にショーが出来るもん!」
あれがやりたい、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」。水族館がお休みの日に出掛けて行ってイルカプールでジャンプなどをさせて貰うこともあるそうですが、ギャラリーがいないのがつまらないとか。普通の営業日だと子供たちに混じって握手が精一杯ですし…。会長さんは「うーん…」と考え込んで。
「水族館がダメだった時はジョミーたちに頼もうかな? そうすればギャラリーが少し増えるし」
「えっ、水族館……ダメかもしれないの?」
残念そうな「そるじゃぁ・ぶるぅ」に会長さんは。
「まだ決まってはいないんだ。水族館がいいと主張している先生もいるしね」
「そうなんだぁ…。その先生に頑張って欲しいな♪ ぼく、お願いに行こうかなぁ?」
「いいけど、相手はハーレイだよ?」
ぼくが大金を毟った相手、と会長さんが告げるのを聞いてガックリ項垂れる「そるじゃぁ・ぶるぅ」。でも、教頭先生は「そるじゃぁ・ぶるぅ」を可愛がってますから大丈夫なんじゃあ…? 私たちが口々に慰めると「そるじゃぁ・ぶるぅ」は少しやる気が出たようです。
「うん、やっぱりお願いに行ってくる! 水族館にして下さい、って!」
「そう? 水族館でなくても楽しいんじゃないかと思うけどねえ?」
何処に行くのか話してないよ、と会長さん。…えっと、病院でボランティアなんじゃあ…? それって何か楽しいですか?
「なんでボランティアってことになるのさ? ああ、EDって言ってたからか…」
一人で納得している会長さんに「そるじゃぁ・ぶるぅ」が「EDってなに?」と無邪気に再び問い掛けます。
「ん? ハーレイが自信喪失する病気。…だから水族館を主張ってわけでもないけどね」
えっと…。話がサッパリ見えません。どうして教頭先生が水族館を推していて、EDがどう絡むのでしょう?
「ふふ、知りたい? 情報統制中なんだけどねえ…」
だけどぼくにはお見通し、とクスッと笑う会長さん。
「結論から言えば、去年の行き先は不評だった。発案者のグレイブは「精神修養になって素晴らしかった」と自画自賛だけど、シャングリラ学園の校風には合わないと判断されたらしいんだ。それで今年は元通りに水族館へってことになりかけていたら、今度はゼルが」
「「「ゼル先生?」」」
意外な人が出てきたものです。剣道と居合の達人ですから今年は武術の道場とか? そういえば教頭先生がEDになったのはゼル先生にサイドカーに乗せられて爆走されたせいでしたっけ。教頭先生、ゼル先生のプランに反対するとは、ああ見えて根に持つタイプだとか…?
「…ハーレイがゼルに反対なのは教頭の立場からなんだ」
会長さんの意外な台詞に首を傾げる私たち。個人的な恨みで反対というのも似合いませんけど、教頭だから反対意見を唱えるというのは何なのでしょう? 教頭先生は先生側に立つのか生徒側なのか、それも今一つ分かりませんし…。どっちなんだろう、と皆で悩んでいると、会長さんが。
「もちろんハーレイは先生側だよ? 教頭なんだし先生たちを束ねる立場。…ただし悲しい中間管理職とも言えるんだよねえ、ハーレイの上には校長先生がいるし」
「そっか、校長先生がいたんだっけ…」
影が薄いから忘れていたよ、とジョミー君。なんとも失礼な話ですけど、そう言う私も忘れていました。校長先生はシャングリラ学園創立当時から校長を務めておられ、理事長先生と共に私財を投じて学園の基礎を築いたと聞かされています。ちゃんと銅像も建っているのに忘れられてしまう影の薄さは何なのでしょう?
「忘れられちゃうのも無理ないけどね。…校長先生も理事長もサイオンは標準以下でしかないし、そのせいで長老のメンバーには加わっていない。仲間内でも影が薄いんだよ」
シャングリラ号にも乗り込まないし、と会長さんが説明してくれて。
「だけど校長には違いないから、シャングリラ学園で何かあったら校長先生の責任になるってわけ。ハーレイはそうならないよう、教頭として反対した。ゼルの意見が通ってしまうと危険だからね」
「「「危険…?」」」
校外学習で危険とくれば、やはり武術の道場でしょうか。慣れない生徒が剣道や居合をするんですから事故が起こるかもしれません。怪我した生徒への謝罪と補償もさることながら、場合によっては新聞記事のネタになるとか、色々と面倒なことになりそうな…。
「そう、考え方としてはそれで合ってる。ハーレイが恐れているのは事故と学校への風当たり」
怖いよねえ、と首を竦める会長さんにシロエ君が。
「やっぱり武術の道場なんかに行くんですか? 剣道と居合の体験とか…?」
「残念でした。ぼくはEDで思い出したって言った筈だよ? 剣道や居合がEDとどう結び付くと?」
ニヤリと笑う会長さん。うーん、確かに剣道も居合もEDなんかとは無縁そうです。
「そりゃね、打ちどころが悪かったりしたらEDもアリかもしれないけどさ。普通はちょっと有り得ないよ。…だけどヒントになるのはED。…どう? 何か見当がつきそうかい?」
「…俺には無理だな」
サッパリ分からん、とキース君が早々に白旗を上げ、私たちもそれに続きました。会長さんと同じ連想が出来るようになったら、それは末期というものでしょう。会長さんは「簡単なのに…」と悪戯っぽい笑みを浮かべて。
「ハーレイがEDになったのはゼルのせい! サイドカーに乗せられて爆走されたせいだけれども、全てはスピードが悪いんだよ。ハーレイは絶叫マシーンも無理だろ? つまりゼルといえばED、でもってスピード」
「…ますますもって分からんぞ」
もっと簡単にならないのか、とキース君が苦情を言えば、会長さんは。
「ゼルが持ち出した案でスピードだよ? ついでに危険も伴うんだ」
「…バイクの講習会とかじゃないだろうな?」
「君たちはともかく、1年生じゃバイクの免許は取れないよ。お試しにしても保護者から苦情が来そうだよね」
「事故と学校への風当たりと言うなら充分に該当しそうだが?」
おまけにゼル先生が好きそうだ、とキース君。けれど会長さんは「違うね」と首を左右に振って。
「ゼルが推してるのはラフティングだよ」
「「「ラフティング!?」」」
「うん。…聞いたことあるだろ、郊外の川でやってるヤツ」
スピードがあって、おまけに危険。ラフティングだと明かされてみれば実に分かりやすいヒントでしたが、教頭先生は反対の立場。校外学習、どうなるのかな…?
シャングリラ学園の情報統制はそれから後も続きました。行き先で揉めているなら生徒の意見を取り入れるために投票だとか、そんなのがあっても良さそうなのに…。数日経った放課後、「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお部屋で私たちがブツブツ言い合っていると、会長さんが。
「ちなみに、君たちは水族館? それともラフティング、どっちがいいわけ?」
「え? えっと…」
どっちだろう、とジョミー君が首を捻っています。シロエ君も考え込んでいますし、キース君だって…。水族館はお馴染みの場所になってますけど、自由行動が出来てのんびりまったり。ラフティングはスリリングな急流下り。どっちがいいかと尋ねられても、ちょっと即答しにくいかも…。と、元気な声が弾けました。
「ぼく、ラフティング!」
楽しそうだもん、と燃えているのは「そるじゃぁ・ぶるぅ」。
「ブルーに教えてもらったんだ! みんなで一緒にボートを漕いで川を下っていくんでしょ? それに他にも色々あるよ、って!」
「色々って…?」
ジョミー君が尋ね、私たちもそれに便乗です。川下りってだけではないんですか? 「そるじゃぁ・ぶるぅ」はエヘンと胸を張って。
「えっとね、ボートから下りて川で泳いだり出来るんだって! なんてったかなぁ……ライフジャケット? 浮き輪みたいなのを着けていくから泳がなくってもプカプカ浮けるし、ボートと一緒に流れていったり…。ぼく、そういうのがやってみたいな」
「へえ…。そんなオプションがあったんですか」
知りませんでした、とシロエ君が言うと会長さんがニッコリ笑って。
「オプションじゃなくてコースの内だよ? 川に親しむというのがコンセプトでね、あれこれ工夫してるんだ。面白そうだと思わないかい?」
「…教頭先生が来なくても…か?」
念を押したのはキース君です。スピードが苦手な教頭先生はラフティングも好きではなさそうな気が…。会長さんが教頭先生を引き摺り込んで何かやらかさないという保証は何処にもありません。ところが…。
「ハーレイは校外学習には必ず参加するんだよ。そういう決まりになっている」
「あんた、また良からぬことを考えてるな?」
キース君の鋭い指摘に、会長さんは。
「…ラフティングに関しては別に何も? たかが急流下りだろ。いくらハーレイがスピードが苦手だと言っても、急流下りくらいじゃねえ…。そりゃEDは連想したけど、それは速いって言葉からでさ」
特に何も起こらないだろうから期待はしてない、と会長さんは微笑んでいます。
「学校行事で出掛けるんだし、手出しのしようがないんだよ。…個人的に行くんだったら川に突き落とすとかも出来るけどさ」
「…だったら、あんたは水族館派か?」
「ぶるぅがラフティングを希望してるから、ラフティング。…たまには真っ当に楽しんでみるよ、校外学習。去年は修行体験でイマイチだったし、ぼくだって遊べる所を希望」
水族館よりラフティング! と会長さんも期待しているようです。教頭先生を巻き込まないのなら、ラフティングにするのがベストでしょうか? ああ、でも…選択権は私たちには無いんでしたっけ…。決めるのはあくまで先生たちで、生徒はそれに従うのみです。ラフティングがいいな、と呟き始めた私たちですが。
「…そろそろ決まるみたいだよ?」
会長さんが本館のある方角へ視線を向けて。
「ぶるぅ、中継をお願い出来るかな? 会議室のハーレイたちだ」
「オッケー!」
たちまち壁に映し出されたのはテーブルを囲む先生たち。配られた資料を前に検討中です。
「わしは断固、ラフティングじゃ! 力を合わせてボートを漕ぐ! 皆で難コースを乗り切った後の達成感は学校生活のいい思い出じゃし、人間としても成長出来よう」
ゼル先生が熱弁を揮い、頷いている先生が多数。これはラフティングに決定だな、と画面をワクワク眺めていると…。
「その件についてだが、校長の御意見も一応伺ってきた」
教頭先生の言葉に、ゼル先生がギッと怒りの形相で睨み付けて。
「なんじゃ、ハーレイ、余計な事を! 校長なんぞはただの飾りじゃ!」
「そうは言っても最終的な責任は校長に行く。水族館に行くなら往復の交通事故くらいしか危険は無いが、ラフティングとなれば話は別だ」
「で。校長はなんて言ったんだい?」
早く言いな、とブラウ先生。教頭先生は軽く咳払いすると。
「…例年、水族館と決まっていたものを敢えて変更しなくても…と。昨年の一日修行体験のように危険を伴わない場所ならともかく、ラフティングは危険すぎないか…とも仰っていた」
「なるほどねえ…。あんたと同じ意見なわけか。こいつは考え直さないとね」
「ええい、そんな必要は微塵も無いわい! 校長とハーレイが反対しようが、他の連中は賛成なんじゃ!」
ラフティングじゃ、とゼル先生は叫びましたが、最初に反対意見に賛同したのはヒルマン先生。そこから先は雪崩を打つように反対票が次から次へと…。
「では、今年の校外学習の行き先は恒例の水族館に決まりだな」
これで私も安心だ、と会議を終えて立ち上がった教頭先生、校長先生の所へ報告に行くみたいです。解散してゆく先生方の中でゼル先生だけが頭から湯気が出そうな勢いで怒っていたり…。
「……水族館になっちゃった……」
ションボリしている「そるじゃぁ・ぶるぅ」。ラフティングに行く気満々だっただけに意気消沈しているのでしょう。まったく、教頭先生ときたら…。中間管理職は大変なのかもしれませんけど、ラフティングでいいじゃないですか~!
目先の変わった行き先になるかと期待してしまった校外学習。水族館になったからには「そるじゃぁ・ぶるぅ」は行かないかも…と心配でしたが、翌週の朝、1年A組の一番後ろに会長さんの机が増えて。
「やあ、おはよう。今日は校外学習のお知らせが配られるからねえ」
「かみお~ん♪ イルカさんに会うのも楽しいもんね!」
みんなで行けばギャラリーも増えるし、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」は前向きに考え直したようです。やがてグレイブ先生が教室に現れ、会長さんの姿に舌打ちしながらお知らせを配ると。
「諸君、校外学習もいいが、本来の学習にも身を入れるように。…先日の抜き打ちテストを採点してみたが悲惨だったぞ」
今日から補習だ、と対象者の名前を順に読み上げるグレイブ先生。呼ばれてしまったクラスメイトは縋るような眼で会長さんを見ています。抜き打ちテストは会長さんのフォローの範疇外。年度初めの実力テストと定期試験だけしか請け負わない、とキッパリ宣言しているのですが、姿があれば気になりますよねえ…。
「なんだ、ブルーを見ているのか? 諸君はブルーに頼り過ぎだ」
嘆かわしい…、とグレイブ先生は溜息をついて。
「抜き打ちテストは全部のクラスで実施してきたが、大多数が補習などという無残な結果はA組だけだ。中間試験で全員満点、堂々の学年一位に輝いたのと同じクラスとも思えんな。…校外学習の前日まで補習を行う」
「「「………」」」
楽しいお知らせの後は補習のお知らせ。教室はお通夜状態です。補習を免れたクラスメイトはほんの数人、そうなってしまうのも無理はなく…。と、会長さんが「そるじゃぁ・ぶるぅ」に。
「ぶるぅ、出番かもしれないよ? 手形パワーの」
「かみお~ん♪ どこに押したらいいの?」
「グレイブが持ってる名簿じゃないかな。でも、その前に…」
会長さんがスッと席を立ち、スタスタと教卓の方に歩いて行きます。手形パワーと聞いたグレイブ先生は補習対象者の名簿を挟んだ出席簿を両手でしっかり抱えてガードして…。
「ホームルーム中の勝手な行動は慎みたまえ! 席に戻って黙って座る!」
「…ぼくに常識が通じるとでも? 補習の発表を終礼まで待てば良かったんだよ。そしたらぼくは帰った後だし、何も問題無かったのにねえ? …みんなに頼りにされてしまうと見捨てて帰るのは良心が痛む」
どいて、とグレイブ先生を押し退けてしまった会長さんは教卓の横に姿勢よく立つと。
「校外学習の行き先は水族館! ぶるぅはイルカが大好きだから、イルカとショーをするんだよ。イルカショーの案内板に貸し切りと書かれた時間帯がある筈だ。その時間にショーを見に来て声援を送ってくれるんだったら、補習を無しにしてあげてもいい」
「ホントですか!?」
「行きます、絶対見に行きますっ!」
口々に叫ぶクラスメイトに会長さんは大満足で。
「ありがとう。ぶるぅの応援、よろしくね。…ぶるぅ、手形だ!」
「かみお~ん♪ グレイブ、名簿、ちょうだい!」
くれなかったら黒い手形を押しちゃうもんね、とニコニコ笑顔で脅迫されたグレイブ先生は慌てて名簿を渡しました。「そるじゃぁ・ぶるぅ」の右手から出る赤い手形はパーフェクトですが、左手から出る黒い手形を押された人はアンラッキー。グレイブ先生はとっくの昔に経験済みです。
「押しちゃった~! 補習、無しだよ!」
ピョンピョン飛び跳ねる「そるじゃぁ・ぶるぅ」にクラスメイトは拍手喝采。きっと水族館のイルカプールでも惜しみない拍手が送られるでしょう。ラフティングがお流れになっちゃった分、「そるじゃぁ・ぶるぅ」にはショーを楽しんで欲しいです。会長さんもそう思ったから手形をサービスしたんでしょうね。
「あーあ、ホントに水族館だよ…」
ジョミー君が残念そうに校外学習のお知らせを眺めているのは放課後のこと。中継で一部始終を見ていたものの、奇跡の大逆転でラフティングの方になりはしないかと誰もが思っていたのです。しかしお知らせが出てしまった以上、水族館に決定で。
「ぶるぅはショーに出られるけれど、ぼくたちは別に何もないしね…」
「ですよね、ラフティングだったら目新しいこともあったんでしょうけど…」
水族館は見慣れてますし、とシロエ君も相槌を打っています。あーあ、行きたかったなぁ、ラフティング…。
「ぼくだってラフティングの方が良かったさ」
ぶるぅもね、と会長さんが言えば「そるじゃぁ・ぶるぅ」が。
「イルカさんと遊ぶのも大好きだけど、ラフティングもやりたかったのに…。あんなに楽しそうなのに~!」
会長さんにラフティングの内容を聞かされて以来、夢が大きく膨らんでいたらしいです。そうは言っても決まったものは変えようがなく、水族館で我慢するしかありません。小さな子供には酷ですけども。
「…うーん…。これはハーレイに文句を言うべきだよね」
せっかくのプランをボツにしたのはハーレイだから、と会長さん。えっと……教頭先生のせいでボツになったのは確かですけど、校長先生が言い出したんじゃあ?
「ハーレイが意見を聞きに行かなかったら校長先生だってノータッチだよ。ゼルも言ったろ、お飾りだって」
責任は全てハーレイにある、と会長さんは完全に決めてかかっています。
「生徒の安全第一というのもいいけどねえ…。ぼくに言わせれば万一の時に責任を被るのを回避しただけのヘタレ根性! 他の学校は実施してるのに」
けっこう人気のコースなのだ、と会長さん。それに今まで無事故だそうで…。
「よし、決めた。ハーレイに責任を取らせよう」
「「「え?」」」
「ぶるぅをガッカリさせた責任だよ。子供の夢は大切なんだ」
夢を壊すような大人は論外、と言ってますけど、そもそも覗き見していなければラフティングなんて知らずに終わっていたのでは? こんな展開ってアリなんですか…?
恩返しするなら堂々と、と会長さんに言われてしまったソルジャーは困惑し切っているようでした。黒子に徹して表に出ないつもりでいたのに、真っ向から否定されたのですから。…とはいえ、ソルジャーが正体を隠して恩返しを続けてゆくというのは危険極まりない行為です。
「堂々と出来ない恩返しなら中止だね。…君が恩返しをすればするほど、ぼくの立場が危うくなるんだ。ハーレイは思い込んだら一直線だし」
後先考えずに突っ走るタイプ、と会長さんは大きな溜息。
「そのハーレイにメッセージカードと差し入れだって? お帰りなさいのカードだけでも勘違いするには充分なのに、おにぎりと栄養ドリンクだって?」
「おつまみもだよ。いつも覗き見しているからね、大体の好みは見当がつく」
「それが余計にマズイんだってば!」
ハーレイの思い込みに拍車がかかる、と会長さんは呻いています。
「自分の好みに合わせたものを選んでくれているんだな、って幸せ気分に浸ってそうだ。しかも普段から理想の結婚生活なんかを飽きずに妄想しているし…。頭の中ではコンビニおにぎりが手作りおにぎりに変換されたに決まってる」
「そういうものかな? だったら思い込みと勘違いを正せば恩返ししても構わないわけ?」
ぼくは御礼をしたいんだ、とソルジャーが尋ね、会長さんが。
「堂々と表に出るんならね。…とにかく、ぼくがやってると思われないようにしてくれないと」
「分かった。じゃあ、堂々とやらせて貰うよ。その方がハーレイも喜びそうだ」
「え?」
怪訝そうな顔をした会長さんに向かってソルジャーは。
「カードを添えてこっそり陰から応援するより、家に帰れば出迎えてくれる人がいるって方がいいだろう? もっとも、ぼくも忙しいから毎日は無理だ」
「ちょ、ちょっと…。出迎えって何さ?」
「出迎えと言えばお出迎え! カードの代わりに直接ぼくが「お帰りなさい」を言うんだけれど?」
これぞ究極の恩返し、とソルジャーは得意げに言い放ちました。
「こっちのハーレイの理想だろ? 帰ってきたらエプロンを着けた君が出てきて「お帰りなさい。お風呂にする? 食事にする?」って微笑むヤツが。ぼくと君とはそっくりなんだし、たとえぼくだと分かっていてもドキドキすると思うんだ。…さて、ハーレイの予定を聞きに行こうかな? 善は急げって言うからね」
「ストーップ!」
ちょっと待った、と会長さんがソルジャーの手首を引っ掴んで。
「それって出迎えるだけでは済まないんだろう? その台詞を言ってコンビニおにぎりを差し出すだけってことはないよね?」
「………。他にオプションをつけろって?」
ソルジャーはポカンとしています。えっ、まさかソルジャー、それだけで終わる気だったんですか? アヤシイ何かがつくのではなく…? 会長さんと私たちを代わる代わる見ていたソルジャーが突然笑い出して。
「なるほど、お帰りなさいのメッセージだけでは足りないんだね? お風呂にするか食事にするかを尋ねた以上は責任を持ってフォローしろってことなんだ?」
「「「!!!」」」
その瞬間に墓穴を掘ったと気が付きましたが、後の祭りというヤツです。ソルジャーはクスクス笑いながら。
「ぼくとしては恩返し強化月間中に暇を見付けて通ってきては「お帰りなさい」を言うだけのつもりだったんだけどねえ? だってほら、ぼくのハーレイとは素敵な関係が続いてるんだし、夜は二人で過ごしたいじゃないか。…だけど……その毎日も大恩人のお蔭と思えば一日くらいは奉仕すべきか…」
「い、いや…。何もそこまでしなくても…! お帰りなさいでいいと思うよ」
それで充分、と会長さんは必死です。ここでソルジャーを止めなかったら恩返しは凄い方向に行ってしまって、教頭先生の勘違いよりも恐ろしいことになりそうな…。けれどソルジャーもまた、思い込んだら一直線のタイプでした。
「決めた、ハーレイに恩を返すには素敵な関係のフォローが一番! 君との仲が進展しなくて色々と辛い思いをしてるし、ここは一肌脱がせて貰うよ。花嫁が家にいる生活ってヤツを堪能出来ればハーレイもきっと男になれるさ」
目指せ、自信に満ちた生活! とソルジャーは拳を握っています。ま、まさか教頭先生を男にするって、大人の時間のことなんですか…?
とんでもない展開になってしまった恩返し。ソルジャーはやる気満々ですし、会長さんは顔面蒼白。こんなことならソルジャーがコッソリ恩返しをしていた方が良かったのでは…。凍りついた時間が流れて、私たちも固まっていたのですけど。
「…今更やめてくれって言っても君は絶対聞かないだろうね?」
会長さんが口を開くと、ソルジャーが。
「もちろんさ。大恩人に身体を張って御礼が出来るチャンスだよ? 週末あたりがいいのかな…。ハーレイの都合を聞くよりサプライズの方が断然いいよね」
「…堂々とやれと言ったのはぼくだ。君が恩返しだと主張する以上、仕方がない。サプライズでも何でも好きにしたまえ。ただし! 監視はさせて貰うから」
「監視?」
「そう、監視。君がハーレイをどう扱おうと知ったことではないけれど……ハーレイの関心がぼくに向くよう煽る行為は頂けない。途中で放り出してぼくのベッドに送り込まれてはたまらないしね」
そんな事態に陥らないように監視する、と会長さんは厳しい顔で。
「君は見られていても平気なんだと君のぶるぅが言っていた。シールドの中から見てるんだったら平気以上に気にならないだろ? ハーレイは気にする以前の問題だろうし」
「ああ、まあ……それどころではないだろうねえ」
恐らくぼくの身体に夢中、とソルジャーは可笑しそうに笑っています。
「オッケー、監視つきでもいいよ。…で、そこの子たちは? 万年十八歳未満お断りだし来ないのかな?」
「連れて行くさ!」
会長さんの台詞に私たちはゲッと仰け反りましたが、ソルジャーはいとも楽しげに。
「なるほど、ボディーガードというわけか。君のシールドをブチ破る自信はあるんだけれど、これだけの人数で固められてちゃどうにもならない。…ハーレイを君の目の前に放り出すのは諦めるよ」
「そうして欲しいね。君が目指すのは恩返しであって、迷惑行為ではない筈だ」
「…ハーレイへの恩返しなんだし、君との仲を劇的に進展させるのもアリなのに…」
ちょっと残念、と呟きながらもソルジャーの頭は恩返しのプランで一杯になっているらしく。
「それじゃ週末ってことでいい? 監視の都合があるだろうから確認しとかないと…。ハーレイの家のカレンダーを見る限りでは土曜はどうやら暇そうだ」
「土曜日だね。何時に出掛けるか決定したら連絡してよ」
こっちの予定は空けておく、と会長さんは私たちの意見も聞かずに一方的に決めてしまいました。土曜日は元々空いていたので会長さんの家で食事という話があったんですけど、食事どころか監視ですって? いえ、監視という名の覗きですってぇ? えらいことになった、と顔を見合わせる私たちを他所にソルジャーは。
「じゃあ、土曜日に、ハーレイの家で。…ぼくのハーレイと週末を過ごせないのは寂しいけれど、たまには離れてみるのもいいよね」
それも恋にはスパイスの内、と軽く片眼を瞑ってみせるとソルジャーは姿を消しました。本気で恩返しをする気な上に、会長さんまで承諾するとは…。私たち、ドツボにハマッてしまったようです。万年十八歳未満お断りなのに、大人の時間の覗きにお出掛け。この週末は仮病を使って寝込むべきかも…。
お騒がせなソルジャーが帰った後は上を下への大騒ぎでした。会長さんが「恩返し禁止」の姿勢を貫いていれば、如何なソルジャーでも教頭先生の家に乗り込もうとまではしなかった筈。こっそり恩返しを続けた可能性はありますけれど、所詮はカードと差し入れなのです。
「あんた、どういうつもりなんだ!」
キース君が会長さんに食ってかかると。
「えっ、どういうって……あのとおりだけど? ブルーはハーレイの家に押し掛けるって言ってるんだし、監視しなくちゃいけないだろう? ハーレイをその気にさせといて丸投げされたらどうするのさ。…大惨事なんてレベルじゃないし!」
「断るという選択肢だってあっただろうが! あんた、最初は恩返し禁止とか言ってなかったか? 何処で話が間違ったんだ!」
考えただけで頭痛がする、と額を押さえるキース君。なのに会長さんは平然として。
「ぼくも初めは断ろうかと思ったさ。いや、断りたかったと言うべきか…。ハーレイの家で花嫁ごっこはともかくとして、その後が大変そうだったしね。…なんと言ってもブルーがその気だ」
「その分、余計にマズイだろう!」
「うーん…。マズイって気は確かにしたけど、ブルーの相手はハーレイなんだよ」
「それがどうした!」
分かり切ったことを、とキース君が怒鳴り、私たちもコクコク頷きます。ソルジャーの狙いは教頭先生を「男にする」こと。万年十八歳未満お断りの身でも意味する所は辛うじて理解出来ました。会長さん一筋に三百年以上、童貞人生まっしぐらで来た教頭先生に大人の時間を仕込もうとしてるってことで…。
「ちゃんと冷静に考えたかい? ハーレイがどういう人間なのか」
日頃の行動パターンとかを、と会長さんがニヤリと笑って。
「ハーレイと言えば鼻血、鼻血と言えばハーレイってほどにヘタレているのがハーレイなのさ。たとえブルーが誘った所で、コトに及べるわけがない。思い切り派手に鼻血を噴いてぶっ倒れるのが関の山かと」
「「「………」」」
言われてみればそうでした。いつぞやのバカップル・デートの締め括りの時も、教頭先生、湯上りの会長さんを見ただけで鼻血でダウン。勝負パンツまで履いていたのに倒れたのですし、ソルジャーが押し掛け女房の如く家に上がり込んで誘惑したって結果は見えているような…。
「ね? だから心配ないんだよ。それどころかブルーの誘い方によっては自信喪失しちゃうかも…。前にEDになった時にさ、自分から身を引くと言い出しただろう? あんな感じで落ち込んじゃったら笑えるな、と」
「………。笑うのはいいが、身を引かれたら困るとか言っていなかったか?」
オモチャはタフさが身上だとか、とキース君が指摘しましたが。
「EDになられたら困るけれども、そっちの方には行かないと思う。自分の役立たずっぷりを思い知らされて更なる努力に燃えると言うか…。まあ、努力するだけ無駄なんだけどさ」
努力したって直るものでなし、直した所で結婚の夢が叶うということも絶対無いし、と嘲笑っている会長さん。
「ハーレイが鼻血で倒れるのが先か、ブルーがブチ切れて帰るのが先か。…あっちのハーレイと円満に暮らしているって言っていただろ? 不毛な週末を過ごすよりかは帰って楽しむ方だと見たね」
ソルジャーの膨れっ面が目に浮かぶ、と会長さんは愉快そうに。
「アテが外れて文句たらたらのブルーが見られて、ハーレイの鼻血もセットでつくんだ。そう考えたら見なくちゃ損って気になった。……ただし鼻血で倒れる前のハーレイなんかを押し付けられてはたまらない。暑苦しくって迷惑なだけ! 大丈夫だとは思うけどさ」
ブルーはハーレイを仕込む気だから、と会長さん。
「でも万一ってことはある。備えあれば憂いなしって言葉もあるから、ボディーガードをよろしく頼むよ」
「結局そこに落ち着くのか…」
溜息をつくキース君。私たちには断るという選択肢はありませんでした。週末は教頭先生の家で大人の時間の覗き見です。教頭先生が早い段階で挫折することを祈っておくしかないでしょうねえ…。
ソルジャーの決意は鈍らないまま、ついに土曜日。私たちは昼前に会長さんのマンションに集合しました。サプライズを目指すソルジャーが教頭先生の家を訪問するのは夕方だそうで、それに備えて腹ごしらえです。こんなことさえ起こらなかったら普通に食事しておやつを食べて…。
「あーあ、どうしてこうなっちゃうのさ」
ジョミー君がぼやき、キース君が。
「運が悪かったと諦めるしかないだろう。俺たちだって煽ったようなものだしな…。あいつは出迎えと差し入れだけで済ますつもりでいたというのに、勘違いしたのは俺たちだ」
「でも、ぼくたちは何も言ってないし!」
「ハッキリ言ったのはブルーだとはいえ、俺たちの顔にも出ていたと思う」
うーん、と呻く私たち。ソルジャーの日頃の行いが行いだけに、余計なオマケがついてくるものと思い込んだのは仕方ありません。大変なことになった、と焦った顔をソルジャーはしっかり見ていたわけで…。
「あれって煽ったと言うんでしょうか…」
シロエ君が溜息をつきましたけど、ソルジャーの闘志に火が点いたのは確かです。教頭先生を男にするのだと決意した以上、大人の時間の実現を目指して突っ走るのは間違いなし。…あれ? でも、今日って休日なんじゃあ? 教頭先生をお出迎えなんて出来るのかな?
「そういえば…」
教頭先生もお休みだよね、とジョミー君が頷いてくれました。
「ソルジャーがやるって言ってたヤツは無理なんじゃない? 教頭先生、家にいるでしょ?」
「それなんだけどね…」
ブルーは実に上手くやった、と会長さん。
「ちゃんと手を打っているんだよ。ぼくも気になったからチェックしてたら、例のカードをハーレイの家に届けたわけ。でもって「土曜日の午後はフィットネスクラブでリフレッシュすれば?」と書き添えてあった」
「「「………」」」
流石はソルジャー、やると決めたら徹底的にやるようです。カードを貰った教頭先生はすっかりその気で、今日は午後からお出掛けの予定。プールで泳いで、それからサウナで寛いで…。
「ブルーはハーレイが帰って来る頃を見計らって家に乗り込むつもりなのさ。ぼくたちに指定してきたのもその時間だ。出迎えをしてそれから何をどうする気なのかは謎だけどね」
分かっているのは「お帰りなさい」に続くお約束の台詞だけだ、と会長さんは嘆いています。そのまま大人の時間に直行なのか、夕食くらいは挟まるのかも分からないとか。
「ぼくにも心の準備ってヤツがあるから教えてくれ、って頼んでみたけど無駄だった。カードを届けたのが分かってるなら読み取ってみればいいだろう、と笑って返されちゃったんだ。…ぼくには無理だと分かってるくせに」
会長さんとソルジャーは最強のタイプ・ブルーですけど、経験値の差が大きいのでした。数々の修羅場をくぐり抜けてきたソルジャーの方が何枚も上手。それだけにソルジャーが遮蔽してしまえば心を読むのは不可能で…。
「とにかく覚悟はしておいた方がいいだろうね。ハーレイを出迎えた後はベッドに直行という線で…。まあ、ぼくたちは見てるだけだし、モザイクの方は任せておいて」
「…本当に見ているだけで済むのか?」
キース君の疑問に、会長さんは「さあ…」と自信なさげに。
「万一、ハーレイの矛先がぼくに向くようなことになったら、君にお願いするしかないかな。遠慮なく投げ飛ばしてくれていいから」
「ボディーガードだっけな…」
承知した、と腹を括ったキース君。こういう時に頼りになるのは柔道部三人組の腕力です。
「かみお~ん♪ ブルーを守ってあげてね!」
しっかり栄養つけておいて、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」が具だくさんのオムレツなどを並べてくれました。もちろん「そるじゃぁ・ぶるぅ」も行くのですけど、なにしろ子供。シールド以外はお役立ちじゃないんですよね…。
会長さんが言っていたとおり、教頭先生は昼食を終えて一休みしてからフィットネスクラブに向かったようです。それから間もなくソルジャーから「来たよ」と連絡が入り、私たちも教頭先生の家へ瞬間移動。シールドはまだ要りません。
「やあ。みんな揃っているようだね」
リビングに陣取っていたソルジャーは紫と銀の正装ではなく、いわゆる私服というヤツでした。
「どうかな、これ? ブルーのを借りようかとも思ったんだけど、ぼくが来た目的が目的だしねえ…。借りて恨まれるというのも困るし、買って来たんだ」
「…ぼくのと見た目がそっくりだけど?」
何処から見ても全く同じだ、と苦い顔をする会長さんにソルジャーは。
「そりゃそうだよ、君の行きつけの店で買ったから! クローゼットの中身は把握してるし、やっぱりハーレイを喜ばせるには見た目が一番大切だろう? 君が出迎えに来てくれたのか、と勘違いしてくれなくっちゃね」
「すぐにバレるに決まってるよ」
「でも一瞬なら誤魔化せそうだ。恩返しだもの、一瞬といえども舞い上がらせてあげたい」
カードだってそうなんだし…、と自己満足に浸っているソルジャーの辞書には「糠喜び」という単語が無いようです。教頭先生、会長さんじゃないと知ったらガッカリすると思うんですけど…。
「平気、平気! ブルーじゃないから出来るってこともあるわけだしね。あ、そろそろハーレイが帰って来るみたいだよ」
「「「!!!」」」
それはヤバイ、と顔を引き攣らせた私たちは瞬時にシールドに包まれました。会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」も一緒です。教頭先生はスーパーで買い物をしてから帰宅する様子。無駄に広い家ですからシールドから出さえしなければ鉢合わせなどは有り得ません。
「そうそう、ぼくを監視するならその調子でね。…さてと、お出迎えの用意をしようか」
ソルジャーは二階へ上がってゆきます。教頭先生の寝室に入り、クローゼットの中から取り出したものはフリルひらひらの真っ白なエプロン。
「あ、あれって…」
ジョミー君が指差し、会長さんが。
「ハーレイの妄想の副産物の一つだよ。ブルーは花嫁修業に来ていた時にエプロンをしてたし、必需品だと認識したか…。さて、ハーレイがどう出るかな?」
「喜ぶに決まっているじゃないか」
自信たっぷりのソルジャーはエプロンを着け、キッチンへ。料理なんかが出来るのだろうか、と眺めているとヤカンをコンロに載せただけ。お湯を沸かすのが精一杯らしいのですけど、教頭先生、喜ぶのかな…? と、ソルジャーが玄関へ駆け出して行って。
「お帰りなさい!」
「…ブ、ブルー…?」
鍵を手にした教頭先生が呆然と立ち尽くしています。そりゃそうでしょう、鍵を開けて家に入ったらお出迎えされてしまったのですし! ソルジャーは気にせず、例の台詞を。
「食事にする? それともお風呂?」
「………。ブルーでは……ない…のか…?」
怪訝そうな顔の教頭先生に、ソルジャーはニッコリ微笑みかけて。
「あ、バレちゃった? 君には色々お世話になったし、恩返しってヤツをしたくてさ…。ブルーだと思って接してくれると嬉しいな。そのつもりで今日は押し掛け女房!」
「押し掛け女房?」
「うん。…料理は全く駄目なんだけど、コーヒーくらいは淹れられるかも…。やり方を教えてよ」
お湯は沸かしてあるからさ、とソルジャーが言い終えない内にキッチンの方からピーッとヤカンが鳴る音が…。
「あ、いけない。沸いちゃったかな」
「沸いていますよ!」
教頭先生はキッチンにダッシュし、ソルジャーが沸かしたお湯でコーヒーを淹れて差し出しながら。
「…料理には向いておられないようですね。恩返しだとか仰いましたが、いったい何の…?」
「ぼくのハーレイへのバカップル指南! あれ以来、いい雰囲気なんだよ。だからどうしても御礼をしたくて、カードとか差し入れを届けていたんだ」
「………。あなたが届けて下さったのですか? てっきりブルーがやっているものと…」
気付かなくてすみません、と教頭先生は平謝りですが。
「いいんだよ。恩返しは本来、そういうものだし…。でもね、君がブルーにケーキを届けたから、ブルーの方にバレちゃって。間違えられると迷惑だから堂々とやってくれってさ」
「は…?」
「だから、堂々と恩返し! 押し掛け女房をする件についてもブルーはちゃんと承諾済みだ。ぼくと二人で甘い一夜を過ごそうよ。いつかブルーを口説く日のために色々覚えておくといい。…大丈夫、初心者には優しくするから」
その誘い文句は間違ってるんじゃあ…、と私たちはシールドの中で激しいツッコミ。一方、教頭先生は…。
「お気持ちはとても嬉しいです。しかし、その…。私は初めての相手は絶対にブルーだと決めていまして…」
「そうなんだ? 真面目なんだね、ハーレイは。じゃあ、とりあえず添い寝だけでも」
ね? と囁かれた教頭先生、その誘惑もグッと堪えて。
「とにかく食事にしましょうか。…ブルーと結婚した時のために料理を頑張っているのですよ。作って貰うのも楽しみですが、私の手料理を食べて貰うのも夢でして…。お付き合い下さるのなら、そちらの方を」
「うーん…。恩返しに来て御馳走になるというのも何だかねえ…」
ソルジャーは渋りましたが、教頭先生はいそいそとキッチンに立って料理を始め、合間にお風呂の湯加減もチェック。出掛ける前にタイマーをセットしていたようです。
「ブルー、お風呂が沸いていますよ。よろしかったらお先にどうぞ」
甲斐甲斐しくソルジャーのお世話をしている教頭先生はとても満足そうでした。会長さんとの夢の結婚生活とやらを実行中に違いありません。大人の時間はきちんと断っておられましたし、心配しちゃって損したかも…?
「…添い寝どころか寝室も別か…」
無駄足だった、と会長さんが大きく伸びをしています。教頭先生は寝室に引き揚げ、ソルジャーも二階のゲストルームへ。私たちはシールドを張ってはいるものの、リビングですっかり寛ぎムード。
「教頭先生、喜んでたよね」
ジョミー君が二階の方へ視線をやって。
「見た目がブルーにそっくりっていうのはポイント高いっていうことかな? 別人だって分かっていても御機嫌だったし…」
「ブルーが恩返しに燃えていたのが良かったんだよ」
いつもだったら絶対に何か良からぬことが…、と会長さん。
「ハーレイがキッパリ断っていても無理やりベッドに押し掛けるとかね。…今日のでちょっと見直したかな、ブルーも、それにハーレイも」
「…教頭先生もなのか?」
なんだそれは、とキース君が尋ね、首を傾げる私たち。ソルジャーは分かりますけど、どうして其処で教頭先生?
「なんて言うのかな…。ぼくの外見に惚れてる部分も大きいのかな、と思ってたわけ。だけどブルーを前にしててもキス一つしないし、見た目で惚れたんじゃないんだなぁ…って見直した。それに理想の結婚生活ってヤツの気配りが凄い」
「なるほどな。…だったら嫁に行ったらどうだ」
「そんなつもりはないってば! 悪い相手じゃないっていうのと結婚するのとはまた別で…」
会長さんがそこまで口にした時。
「ブルー!!!」
「うわっ!?」
いきなり野太い声が響いて、会長さんは逞しい腕にガッシリ掴まれ、抱き寄せられて…。
「ハーレイ!? ちょ、なんで…!」
悲鳴を上げる会長さんはシールドの外に出されていました。教頭先生に抱き竦められ、逃れようと必死に暴れています。けれど教頭先生は頬を紅潮させ、会長さんを捕えたままで。
「お前が見直してくれたとはな…。ブルーが一部始終を見せてくれたんだ。そして此処まで瞬間移動で送ってくれた。どうだ、このまま嫁に来ないか? 今ならブルーが手順を教えてくれるそうだ」
「手順って何さ!?」
「私はお前が初めてだしな、不安もあるし自信も無い。…そこをブルーが指導してくれる」
「し、指導って…。ブルー!!」
会長さんの悲鳴が響き、ソルジャーがパジャマ姿でパッと姿を現して。
「呼んだかい? ぼくもあれこれ考えたんだ。恩返しに来て逆にお世話になるというのは心苦しい。…そしたら君が面白そうなことを言っていたから、今度こそぼくの出番かな…って。心配しなくても初心者向けの指導をするよ。大恩人には恩返し! ハーレイ、ブルーを君のベッドへ」
「ありがとうございます。…ご指導よろしくお願いします」
教頭先生が会長さんをサッと抱き上げ、私たちはパニック状態に。止めようにもシールドから出られません。「そるじゃぁ・ぶるぅ」にもシールドを解くことが出来ないらしく、これはソルジャーの仕業としか…。どうするんだ、と飛び交う怒号も教頭先生には届かないようです。ああぁ、階段をスタスタ上がって行きますよ!
「ハーレイ!」
絶叫も空しく、寝室に運び込まれてベッドに下ろされた会長さん。教頭先生はソルジャーを指導係と心得てますから、見られていても全く平気。ソルジャーが「まずはキスから」と言った所で。
「ちょっと待った!」
会長さんが圧し掛かって来る教頭先生を押し戻して。
「満足させる自信はあるんだろうね? 指導係がついた以上はヌカロクでないと許さないから!」
「…い、いや、それは…」
教頭先生の額に脂汗が浮かび、ソルジャーの顔が青ざめて。
「い、いきなりそれは無理じゃないかな…。どう考えても上級者向け…」
絶対無理、と二人が揃って呻いた瞬間、ソルジャーの力が弱まったらしく、「かみお~ん♪」の雄叫びと共に私たちは青いサイオンに包まれました。やった、会長さんを連れて脱出成功! マンションに逃げ帰ってへたり込んだ私たちですが、ヌカロクって何のことなのかな? 未だに謎の言葉です。
「ああ、あれかい? ハーレイがヘタレる魔法の呪文と思えばいいよ」
ブルーもヌカロクが絡むと苦労してるし、と会長さん。魔法の呪文が功を奏して逃げ出せたものの、教頭先生はどうなったやら…。
「えっ、ハーレイ? ぼくに逃げられて落ち込み中。とんだ恩返しもあったものだね」
やらない方がよっぽどマシだ、と会長さんは毒づいています。ソルジャーはキャプテンと過ごすべく自分の世界に帰ってしまい、教頭先生は哀れ一人寝。鶴の恩返しは鶴に逃げられて終わりですけど、あれってこういう筋でしたっけ…? でもまあ、会長さんが無事なんですから「めでたし、めでたし」でいいんでしょうねえ?