シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。
※こちらは2009年8月1日に「ハーレイの日」企画で書きました。
後書きは当時のものですが、笑ってお許し頂ければ…。
シャングリラ学園教頭、ハーレイの朝は早い。授業のある平日はもちろんのこと、夏休み中といえどもそれは同じだ。目覚めて一番最初にすることは―――。
「おはよう、ブルー」
枕の下から取り出した写真にキスを贈る。ラミネート加工を施したそれはシャングリラ学園生徒会長、ブルーの写真。ブルーはハーレイが担任している唯一の生徒で、どのクラスにも属さない。学園の創立時から三百年以上も在籍しており、シャングリラ・ジゴロ・ブルーと呼ばれるほどの女好き。だがハーレイはブルーに心底惚れていた。
「ブルー、今日は天気がいいぞ。…お前に会えそうな予感がするな」
そう言いながらパジャマを脱いで着替えを済ませ、顔を洗って髭を剃り…丁寧に髪を撫でつける。
「よし。飯を食ってゆっくり出れば丁度いい時間になりそうだ」
夜の間に洗っておいた洗濯物をきちんと干すと、冷蔵庫から卵を出して朝食の支度。一人暮らしが長いハーレイだが、家事は決して手抜きをしない。いつかブルーと結婚したい、と大それた夢を見ているからだ。ブルーの側には家事万能の「そるじゃぁ・ぶるぅ」が影のようにピタリとくっついている。結婚しても一緒についてくるだろう。その時に自分が無能だったら、ブルーが愛想を尽かすではないか。
「ふむ。今日も綺麗に焼けたな」
会心の出来の出し巻き卵を皿に盛りつけ、昆布と鰹で出汁を取った味噌汁の味を確かめる。焼きたてのアジの干物も食卓に並べ、炊き上がった御飯を茶碗に移して…。
「いただきます」
誰もいなくても合掌するのは、やはりブルーとの結婚生活に備えてのことだ。日頃から習慣づけておかないことには新婚早々幻滅されてしまうに違いない。ブルーは気紛れで悪戯好きだが、修行を積んだ高僧でもある。礼儀作法にはうるさそうだ、とハーレイは勝手に決め付けていた。教頭室を訪ねてくる時、ブルーは必ずノックしてから「失礼します」と入ってくる。その後で何をやらかすとしても、挨拶だけは欠かさないのだ。
「…今日は大したニュースもないな…」
テーブルの端に置いていた新聞に目をやり、手に取った。特に惹かれる記事もなかったが、新聞片手に黙々と出し巻きを頬張り、味噌汁の椀を持とうとして。
「いかん、いかん。…やってしまった。新聞を読みながら食べるというのは妻に嫌われる原因だったな」
妻もいないくせにハーレイは慌てて新聞を置き、「すまん」と深く頭を下げる。相手は心の中のブルーだ。ブルーの写真は此処には無いが、あれば写真の前まで行って詫びの言葉を言っただろう。…それほどブルーに惚れているのに、ブルーの態度は常に冷たい。
「…一度くらい振り向いてほしいものだが…。いや、今日こそチャンスがあるかもしれん」
朝食の片付けを済ませたハーレイは鏡を覗いて服装をチェックし、買い物に行く時に使う布製の大きなバッグを取って来る。靴を履き、一人住まいには大きすぎる家を出て向かった先は……朝市だった。
アルテメシア公園には土日になると朝市が立つ。近隣の農家から運ばれてきた新鮮な野菜や漬物が売りだ。シャングリラ学園と密接な関係を持つマザー農場の出店もある。そして何よりも…アルテメシア公園に近いマンションの最上階にはブルーが住んでいるのだった。朝市に行けばかなりの確率でブルーと顔を合わせられるし、そこではブルーも悪戯を一切仕掛けてこない。
「キャプテン! 今日はトマトがお買い得ですよ」
威勢良く声をかけてきたのはマザー農場の若者だ。朝市に来る人々はシャングリラ号など知りはしないので、キャプテンと呼ばれても問題はない。草野球チームのキャプテンかもしれないし、ハーレイの体格からすればフットボールということもある。
「…トマトか。確かに美味そうだな」
「そうでしょう? 玉葱と一緒にマリネにしても美味しいですし、冷やしたポタージュも夏向きです」
どうぞ、とポタージュのレシピを渡されたのを読んでいると。
「かみお~ん♪」
元気のいい声が耳に入った。ブルーと暮らしている「そるじゃぁ・ぶるぅ」独特の挨拶だ。慌てて視線を下に向けると小さな身体の「そるじゃぁ・ぶるぅ」が買い物籠を抱えて見上げている。
「おはよう、ハーレイ。…トマトを買うの?」
「ああ、おはよう。トマトは…どうしようかと考え中だ」
独り者には多すぎるからな、とトマトが入った大きなビニール袋に溜息をつく。お買い得なのは確かなのだが、こんなに買っても仕方がない。煮詰めてソースに…と考えてみても、料理に凝りたいわけではないし…。
「そっか、ハーレイ、一人だもんね」
無邪気な言葉がグサッと心に突き刺さった。独身生活を続けているのは誰のせいだと思っているのだ、「そるじゃぁ・ぶるぅ」は? ブルーが嫁に来てくれさえすれば一人暮らしにはオサラバなのに。けれど「そるじゃぁ・ぶるぅ」は三百年以上も生きているのに幼い子供のままだった。独身男の哀愁なんぞを理解するとは思えない。
「…ハーレイ? どうしちゃったの?」
首を傾げる「そるじゃぁ・ぶるぅ」の罪のない瞳に汚れた心を見透かされたようで、ハーレイは慌てて取り繕った。
「あ、いや…なんでもないんだ。ぶるぅはトマトを買いに来たのか?」
「ん~とね、他にも色々欲しいんだけど…持てるかなぁ?」
トウモロコシにカボチャ、それからキュウリ…と指折り数える「そるじゃぁ・ぶるぅ」。どう考えても子供の身体で持てる量ではなさそうだった。
「一人なのか? …ブルーはどうした」
「えっとね、ブルー、よく寝てたから…起こしちゃったら可哀想でしょ?」
朝御飯を作って置いてきたよ、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」は胸を張る。実に立派な心がけだが、ハーレイとしては、正直あんまり嬉しくない。ブルーに会えるかもしれない…というのが朝市のお楽しみなのだから。…いや待て、ものは考えようだ。
「そうか、一人か…。それだけ持つのは大変そうだな」
「うん、いっぺんに買うのは無理みたい。…えっと…向こうのベンチに置こうかな?」
あそこなら木の陰で見えにくいよね、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」は指差した。多分買った物をベンチに纏めておいて、瞬間移動で一気に運ぶつもりだろう。ブルーと「そるじゃぁ・ぶるぅ」はタイプ・ブルーと呼ばれ、最強のサイオン……俗に言う超能力を持っていた。そのサイオンの力を使えば瞬間移動など朝飯前だ。…しかし。
「ぶるぅ、ジョギングしている人も多いぞ? 見つかって驚かれたら大変だからサイオンは使わない方がいい」
「え? 大丈夫だよ、いつもやってるもん」
「いつもはそうかもしれないが…。何のために私がいるんだ? 貸しなさい、家まで運んでやろう」
荷物持ちという大義名分があればブルーの家まで行くことができる。…玄関先で追い返されても、ブルーの顔を一目見られればラッキー・デーだ。夏休みに入ってからというもの、ブルーに会える機会といったら朝市くらいしかないのだから。ハーレイの下心に気付いていない「そるじゃぁ・ぶるぅ」は嬉しそうにピョコンと頭を下げた。
「ありがとう! でもハーレイのお買い物は? トマト買うんじゃなかったの?」
「いいんだ、朝市には散歩も兼ねて来ているからな。で、トマトの他には何を買うんだ?」
上機嫌になったハーレイは「そるじゃぁ・ぶるぅ」の買い物に付き合い、山と積み上がった野菜をマザー農場の若者に貰った空き箱に詰めて、いそいそとブルーの家へ向かった。
「かみお~ん♪ ブルー、起きてる?」
ガチャリと玄関の扉を開けて大声を出す「そるじゃぁ・ぶるぅ」。奥からブルーの返事が聞こえた。それだけでハーレイの心が浮き立つ。軽やかな足音が近付いてきて…。
「おかえり、ぶるぅ」
現れたブルーは襟元が開いた薄い水色のパジャマを着ていた。これは最高にツイている、とハーレイはゴクリと唾を飲む。ブルーのパジャマ姿など滅多に拝めるものではない。しかも鎖骨が覗いているのがいいではないか。結婚すれば毎日のように…いやいや、パジャマどころかもっと素敵なあれやこれやを…。
「……エプロンとか?」
ブルーの言葉にハーレイは素直に頷いた。
「……エプロンの前に裸がつく?」
更に勢いよく頷くハーレイ。頭の中は既に妄想モードだ。その質問をしたのが誰だったのかも全く気付いていなかった。
「………そうなんだ………」
空気が凍結しそうな声が聞こえて、赤い瞳が目に入る。ハーレイを睨むブルーの瞳は軽蔑の色に溢れていた。そこでハッタと我に返ったが、もう遅い。
「ハーレイのスケベ!! 裸エプロンが何さ、パジャマだけでもお釣りがくるよ!!」
「す、すまん…! そ、そんなつもりじゃ…」
慌てふためくハーレイをブルーは冷たい視線で眺めて。
「いいけどね。ぶるぅの買い物を手伝ってやってくれたんだろう? ご苦労さま」
ありがとう、と野菜が詰まった大きな箱を受け取るためにブルーが腕を伸ばしてきたが、未来の花嫁に重量物を持たせたりしたら男がすたる。
「やめておけ、かなり重いんだから。…何処に置くんだ、キッチンか?」
「…スケベなことを考える男を家に上げるような馬鹿はいないよ」
青い光が走ったかと思うと野菜の箱は消えていた。瞬間移動でアッサリと運び去られたらしい。空っぽになった両手を下げるのも忘れ、そのままポカンと突っ立っていると…。
「その手で何をするつもり? 痴漢行為はお断りだな」
「い、いや……。そ、そういうわけでは…!」
ハーレイは両手をビシッと両脇につけて直立不動の姿勢を取った。せっかくブルーに会えたというのに痴漢にされてはたまらない。しかしブルーはキョトンとしている「そるじゃぁ・ぶるぅ」を見下ろして。
「…ぶるぅ、お客様のお帰りだ。お見送りして」
「うん! ハーレイ、今日はありがとう! 助かっちゃった」
またね、と手を振る「そるじゃぁ・ぶるぅ」をブルーが玄関の奥に引っ張り込んで、扉がバタンと無情に閉まる。何も入っていない自分用の買い物袋を提げたハーレイは未練がましく閉まった扉を見詰めていたが、不穏な気配を感じた気がしてエレベーターに近い非常口へと身を潜めた。途端にバン! と扉が開いて。
「ぶるぅ、塩!」
「えっ?」
「いいから塩を持っておいで。壺ごとだ」
パジャマ姿のブルーが上薬のかかった茶色の壺を抱えて扉から顔を覗かせた。
「…まだハーレイの匂いがする。朝っぱらから痴漢だなんて最悪だよ! まったく、なんでハーレイなんか…」
言うなり塩を派手にブチ撒き、これでもか…とサンダル履きの足で踏み躙って。
「ぼくとしたことが、油断した。ぶるぅ、今度からハーレイがついてきた時は言うんだよ」
「はーい!」
「荷物持ちには役に立つから、こき使うのはかまわない。いいね」
上手に使いまくるんだよ、と教えながらブルーは扉を閉めた。どうやらハーレイは下僕になり下がってしまったらしい。おまけに塩まで撒かれるとは…。しかし。
(怒った顔も綺麗だな。…パジャマ姿もしっかり見たし、今日はなかなかツイている)
朝食を食べながら見た新聞の今日の運勢を思い返して、ハーレイは非常に御機嫌だった。下僕だの塩だのでへこんでいてはブルーの相手は務まらない。こんな日は宝くじを買うのもいいな、と鼻歌交じりにエレベーターに乗り、ブルーの家を後にする。朝市では何も買えなかったが、ブルーに会えれば満足だ。帰ったらのんびりシャワーを浴びて、ブルーのパジャマ姿をオカズにして…、と良からぬ妄想を繰り広げながらハーレイは楽しく家路についた。
朝市ならぬ近所のスーパー横の宝くじ売り場で買ってみたスクラッチくじは当たりだった。ブルーと二人で豪華ディナーに行けそうだ、とハーレイの夢が大きく膨らむ。誘った所で断られるか、当選金を巻き上げられるのがオチという現実は見えてはいない。なんといってもラッキー・デーだ。
「ただいま、ブルー」
帰宅するなり寝室に行ってブルーの写真にキスをする。さっきブルーに塩を撒かれたことは何の障害にもならなかった。写真の中のブルーは魂まで蕩けそうな笑顔でハーレイの方を見ているのだから。それからバスルームでたっぷり楽しみ、サッパリとした服に着替えてラッキー・デーを確認しようと壁に下がったカレンダーを見ると…。
「しまった、今日から八月だったか。めくるのをすっかり忘れていたな」
カレンダーは七月のままだった。そこにはこんな今月の言葉が書かれている。
『貪る人は貧しく 施す人は豊かに生きる』
ふむ、とハーレイは納得した。「そるじゃぁ・ぶるぅ」の荷物を持ってやったらブルーに会えた。これが施しと豊かさというヤツだろう。そして幸運にも出会えたブルーの姿に舞い上がってしまい、あれこれ妄想しまくっていたら叩き出されて塩を撒かれた。まさに貪る人は貧しく……だ。では八月の言葉は何だ? 勢い込んでめくってみれば…。
『浄土は心のふるさと』
どうしろと、とハーレイは深く溜息をついた。このカレンダーはブルーが属する宗派の総本山が発行している。きっとブルーも同じカレンダーを使っているに違いない、という思い込みから買うようになって何年くらい経っただろうか? 普段は普通の教訓などだが、たまに抹香臭い言葉が出るのが玉に瑕だ。
「八月一日、土曜日…か。四緑仏滅、つちのえとら…だな」
更に『八朔』と書いてあった。朔は朔日、一日を指す。今日は八月の一日なのだし、八朔なのは当然だろう。何か意味がある日のようにも思えたのだが、急には思い出せなかった。
「ラッキー・デーが一日というのは縁起がいい。仏滅は見なかったことにしておこう」
ブルーさえいれば人生バラ色のハーレイにとって、こんないい日は気分もいい。昼食は何にするかな…、と冷蔵庫の中身を確かめていると不意に玄関のチャイムが鳴った。宅配便か何かだろうか? インターフォンで確認もせずにハーレイは扉を開けたのだが…。
「!!?」
庭を挟んだ門扉の向こうに立っている筈の訪問客は、すぐ目の前に立っていた。どうやって、と聞くまでもない。この来訪者には門扉どころか扉も意味をなさないのだから。
「こんにちは、ハーレイ」
さっきはどうも、と風呂敷包みを両手で抱えたブルーが言った。パジャマではなく眩しいくらいに白いシャツを着て制服のズボンを履いている。
「一人でハーレイの家に行っちゃいけない…って言われてるから玄関先で失礼するよ。これ、いつもお世話になってる御礼」
「…御礼?」
「うん。ビックリして叩き出しちゃったけど、後でカレンダーを見たら八朔だった。…お中元とは別の意味でね、日頃お世話になっている人に贈り物をして挨拶する日。だから悪いことをしたと思って…。ハーレイはぼくの担任なのに」
言われてみれば…、と八朔の意味を思い出す。ブルーから贈り物を貰えるなんて、叩き出されてみるものだ。あの時、お礼を言われていたらそこで終わっていたのだから。
「ぶるぅの荷物を持ってくれたのに、お茶も出さずに本当にごめん。…受け取ってもらえるかな?」
風呂敷の中から出てきた箱をハーレイは大感激で受け取った。ブルーは回れ右をして帰っていったが、細かいことはどうでもいい。あのブルーから…贈り物。やっぱり今日はラッキー・デーだ。
「八朔か…。確かにそんな習慣が残っている所もあると聞いたな。ブルーは寺とも付き合いが深いし、坊主の世界では常識になっているのだろう」
うんうん、とハーレイは一人頷く。坊主の世界ではなく花街に色濃く残る習慣なのだが、そういう所に縁のないハーレイに気付けと言う方が無理な話だ。ブルーが置いていった箱は渋い包装紙に包まれていて、中身は何か分からない。はやる心を抑えて開けると薄い包みが入っている。その下にも何か詰まっているようだ。まずは、と取り出した包みの中から出てきたものは団扇だった。
「……これは……」
どうしたものか、とハーレイは団扇を裏返してみる。
「むむぅ…」
他に言葉が出てこなかった。紺色の団扇の表側には金色の文字で般若心経。裏側には銀色で妙な模様が描かれている。逆さになった釜の絵の下に般若のお面、その下は…人間の腹か? 額の皺を深くしながら謎の暗号を追っていく内に突然ハタと合点がいった。絵般若心経というヤツらしい。般若心経が覚えられないと悩む人々のために絵に描いて教える経文と聞くが、こっちの方が難解なような…。
「こんな団扇を貰っても……」
困るのだが、と団扇の下に詰められていた品を見ようと薄紙をめくり、ハーレイはウッと仰け反った。入っていたのは浴衣用の生地の反物。白地に紺のありがちな配色はともかくとして、どうして模様が絵般若心経になっているのだ…! 総本山発行のカレンダーを使ってはいても、ハーレイは熱心な仏教徒というわけではない。なのに何故…。きちんと巻かれた反物を持ち上げてみると、白い封筒が一緒に出てきた。ブルーが書いた手紙らしい。
「…ブルーから…?」
これは嬉しいサプライズだった。ブルーは綺麗な字を書くのだが、悲しいことに年賀状しか寄越さない。私的な手紙はごくたまにしか貰えはしないし、それも大抵は悪戯絡みで…。しかし今回は悪戯ではなく、きっと真面目な手紙だろう。面妖な品といえども贈り物を持って来たのだから。心臓がドキドキと脈打ち始める。手紙を開いて読み進めると鼓動は更に速くなった。
「そうか、お揃いの生地なのか…。団扇もブルーとお揃いなのだな。これは早速仕立てなければ…」
手紙には『シャングリラ学園の納涼お化け大会はお揃いの浴衣と団扇にしたいね』と素晴らしい提案が書かれていた。ブルーの浴衣と同じ生地だと知らされた今は絵般若心経も気にならない。浴衣に合う帯も買わなくては。おまけに手紙の結びの言葉は…。
『デジタルの時計を見ていて素敵なことに気が付いたんだ。8月1日ってハーレイの日になっているんだね。ほら、0801って書くだろう? 最初のゼロは放っておいて、801。ハチ、レイ、イチでハーレイと読める。だからハーレイの日って呼んでもいいかな?』
もちろんだ、とハーレイは相好を崩して呟く。
「ハーレイの日か…。ブルーも可愛いことを言う。…私のためにあるような日だな。どおりでツイていたわけだ」
カレンダーを眺め、太字のペンを手に取った。やはり記念日は書かねばなるまい。今日の日付の横の空欄にデカデカと大きな文字で書き込む。『ハーレイの日』と。教師らしく赤い花丸で囲み、ハーレイは大いに満足した。8月1日はハーレイの日。今夜は赤飯もいいかもしれない。そしてビールで祝杯といこう。
ブルーとの結婚を夢見るハーレイの独身生活、三百年余。最高にツイていたハーレイの日の8月1日は夢見の方も最高だった。ブルーとお揃いの浴衣を纏って花火大会を見に行く夢。金魚すくいに綿飴に…と、はしゃぐブルーはとても可愛く、それから二人で家に帰ってシャワーを浴びて…。
幸せな夢の余韻に浸りまくって夏休みを過ごしていたハーレイが奈落の底に転落するのは『納涼お化け大会』の日の夜のこと。仕立て上がった絵般若心経浴衣でキメて、帯に般若心経団扇を挟んで会場に行ったハーレイはブラウやゼルに爆笑されてしまったのだ。ブラウは会場の隅の方にいたブルーの姿を指差した。
「ハーレイ、あんた、騙されたのさ。ブルーの浴衣は秋草だよ。ほら、紺の地色に桔梗と萩と…。女物じゃないかと思うんだけど、似合ってるだろ?」
団扇も秋草模様だった。隣には金魚の子供浴衣の「そるじゃぁ・ぶるぅ」がくっついている。
「……ははは……。そうか、騙されたのか…」
身体からガクリと力が抜けた。さらば、最高のラッキー・デー。さらば、良き思い出のハーレイの日…。
「ハーレイの日じゃと!?」
なんじゃそれは、とゼルが目をむき、ブラウがハーレイを問い詰める。そして教職員たちに散々笑われた末にハーレイの日は伝説となった。8月1日が巡ってくる度、ハーレイの家の郵便ポストには仲間たちからのカードが届く。
『ハーレイの日、おめでとう』
祝いの言葉が書かれたカードの山をハーレイは泣き笑いしながら眺めるしかない。一番凝ったカードを寄越すのがブルーだというのが救いだろうか。今年は飛び出すメロディーカードだ。
「…ブルー、お前のせいでハーレイの日が定着したぞ。いつかお前を嫁に貰ったら思い知らせてやるからな。私のためにあるような日だ、妻として存分に祝ってもらわないと…」
もちろんエプロンは外せないな、とハーレイは分不相応な夢を見る。そのエプロンが災いの元だったことを彼は完全に忘れていた。……8月1日はハーレイの日。きっと今年こそラッキー・デーだ。
※このお話はシャングリラ学園シリーズですが、本編でも番外編でもなく、
外伝というヤツでございます。
今後の学園生活に「ハーレイの日」は出てきません。
でも、もしかしたらブルーや先生たちは毎年やっているのかも…?
シャングリラ学園は不思議一杯の学校ですから!
そして暦をお持ちの方は、ちょこっと調べてみて下さい。
8月1日が土曜日で「四緑仏滅、つちのえとら」なのは今年です(笑)
ピラミッド旅行の後はごくごく普通の春休みでした。元老寺の手伝いに忙しいキース君もたまに抜け出して来て、ドリームワールドにカラオケに…と過ごしている内にシャングリラ号がアルトちゃんとrちゃんを迎えに来たようです。会長さんは「そるじゃぁ・ぶるぅ」とフィシスさんを連れて出かけて行ってしまいました。
「んーと…。あの辺だって聞いてたけども、見えないね」
ジョミー君が空を指差したのは会長さんのマンションに近いアルテメシア公園の芝生の上。まだ風は少し冷たいですけど、私たちはシャングリラ号を見送りたくて朝から集まっていたのです。会長さんの話では、アルトちゃんたちを乗せたシャングリラ号は公園の遥か上空を通過していく筈でした。
「…時間は合っているんだがな」
キース君が腕時計を確認して。
「あっちの方からこう横切って行くんだろう? やはり俺たちのサイオンよりもステルス・デバイスが上だってことか。ブルーも運が良ければ見られるとしか言わなかったし…」
「そうですね。ジョミー先輩にも見えないんなら無理っぽいかも…」
シロエ君が残念そうに呟いた時、マツカ君が声を上げました。
「あっ、あそこ! あれじゃないですか?」
青空の遥か高い所を飛んで行くのは間違いなくシャングリラ号でした。普通の人の目にも、人工衛星などからも見えないステルス・デバイスに守られた船。それが見えるのはサイオンを持った仲間だけです。私たちは手を振りたくなる気持ちを押さえて空を見上げていましたが…。
「「「あっ!?」」」
バサバサバサ、と鳩の群れが舞い、シャングリラ号を隠してしまって…降って来たのは会長さんの苦笑交じりの思念の声。
『見送ってくれるのは嬉しいけどね、何もない空を見ている団体というのは間抜けだよ? 鳩に餌でもやりたまえ。向こうのベンチでお爺さんが注目しているようだ』
「「「え?」」」
ベンチを振り返ると犬を連れたお爺さんが不審そうに私たちを見詰めています。ううっ、私たちUFOでも探してるように見えたんでしょうか? 空を仰ぐとシャングリラ号はもうありません。仕方なく買ってきていた菓子パンを鳩に食べさせ、お爺さんが立ち去ってからトボトボと歩き始める私たち。
「…行っちゃったね…」
ジョミー君が寂しそうに言い、サム君が。
「俺たちも行きたかったのになあ…。新しい仲間の進路相談の時は正規の乗組員しか乗れないだなんて」
「仕方ないわよ、アルトちゃんたちの大事な相談会だもの」
部外者はご遠慮下さいってヤツね、とスウェナちゃんが肩を竦めました。
「それより、シャングリラ号が帰って来たら温泉旅行よ! 会長さんお薦めの温泉宿って楽しみじゃない?」
「ああ。あのブルーが何度も泊まりに行くんだろう? なかなかに期待できそうだ」
キース君に言われるまでもなく、温泉旅行は楽しみでした。ソルジャーはファラオの呪いを発動させかかった罰で参加を断られてしまいましたし、今度こそ平穏な旅と温泉ライフを満喫です。出発の日はシャングリラ号が帰還してから二日おいて、という予定。会長さんにもソルジャーとしての用事が色々あるのでしょう。
シャングリラ号での進路相談会は2泊3日の計画通りに終了しました。会長さんから「帰って来たよ」とメールがあって、温泉旅行も確定に。当日の朝、私たちはワクワクしながらアルテメシア駅の改札前に行ったのですが…。
「かみお~ん♪ こっち、こっち!」
リュックを背負った「そるじゃぁ・ぶるぅ」が元気一杯に手を振っています。
「みんな、お弁当は買ってきた? まだだったら早く買ってきてね。はい、切符」
全員の切符を配ってくれる「そるじゃぁ・ぶるぅ」はちゃんと駅弁を持っていました。私たちも買いに行きましたけど、会長さんはどこでしょう? 駅弁売り場には見当たりません。改札前に戻って来ても「そるじゃぁ・ぶるぅ」が立っているだけ。
「お弁当、買えた? じゃあ、ついて来てね。こっちだよ」
先頭に立って改札をくぐる「そるじゃぁ・ぶるぅ」に連れて行かれた先にはお座敷列車が停まっていました。温泉気分を盛り上げるために貸し切り予約をしてあるのだ、と会長さんから聞いていますが、でも、肝心の会長さんは…?
「ブルー、後から来るんだって。大事な用事が出来たから…って」
許してあげて、と頭を下げる「そるじゃぁ・ぶるぅ」。
「えっ、そんな…。用事なら仕方ないですよ」
マツカ君が優しく微笑み、キース君が。
「すまんな、それで切符を届けて引率までしてくれたのか…。ぶるぅ、子供は気を遣わなくていいんだぞ? ほら、座れ。ちょっと早いが昼飯にしよう。…で、シャングリラ号は楽しかったか?」
「うん!」
嬉しそうにお弁当を広げる「そるじゃぁ・ぶるぅ」。私たちも駅弁の包みを開けて、話題は「そるじゃぁ・ぶるぅ」が体験してきたシャングリラ号での三日間。
「あのね、ハーレイと公園で鬼ごっこして遊んだんだよ。何回もポーンって投げてもらえて楽しかったぁ!」
教頭先生は約束をきちんと守ったようです。その現場をぜひ見たかった、と悔しがっていると…。
「ハーレイってやっぱり人気なんだね」
なんでだろう、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」が首を傾げました。えっ、野次馬根性は人気にカウントされますか? …それに「やっぱり」ってどういう意味? なんだか話が噛み合ってません。
「おい、ぶるぅ」
聞き咎めたのはキース君でした。
「人気って…なんだ? アルトさんたちが何かやらかしたのか、シャングリラ号で?」
「うん…。ブルーがちょっと自信喪失」
「「「えぇっ!?」」」
会長さんが自信喪失って、いったい何が…? 「そるじゃぁ・ぶるぅ」は海老フライを一口齧って。
「ブルーのソルジャー服は学園祭で見せびらかすから、アルトさんたちも知ってるよね。だけどハーレイの船長服は一度も見せていないでしょ? アルトさんたち、ブリッジでハーレイを見てキャーキャー騒ぎ出しちゃって…。それでブルーが自信喪失」
アルトちゃんたちは教頭先生と記念写真を撮りたがったらしいです。会長さんのソルジャー服は学園祭で撮り放題ですし、ツーショットを頼んでいるのも目撃しました。でも教頭先生の船長服はシャングリラ号での限定品。それを撮りたいアルトちゃんたちの気持ちも分からないではありませんけど…。
「あいつが自信喪失とはな…」
見てみたかった気がするぜ、とキース君が意地悪な笑みを浮かべています。アルトちゃんたちの進路相談会は会長さんにとってはドツボな結果に終わったのかも。それもたまにはいい薬だと思いましたが…。
「ブルー、温泉で憂さ晴らしするって言ってたよ」
「「「!!!」」」
無邪気な「そるじゃぁ・ぶるぅ」の言葉に私たちは固まりました。キース君の顔も笑みの形で凍っていたり…。温泉で骨休めだと聞いていたから大喜びでやって来たのに、憂さ晴らしって何ですか? 私たち、無事に帰れますか~? 泣きそうな気分を乗せたお座敷列車が駅のホームに滑り込みます。もう後戻りはできません。会長さんが来るまでの間に温泉だけでも楽しみますか…。
会長さんお薦めの温泉宿は駅から迎えのマイクロバスに乗って山道を走った先でした。いわゆる秘湯というヤツですけど、建物はとても立派です。知る人ぞ知る高級旅館で料理も定評があるのだとか。会長さんの定宿の一つで、そのコネで今日は貸し切りになっていました。
「かみお~ん♪ また来たよ!」
玄関で迎えてくれた女将と握手している「そるじゃぁ・ぶるぅ」。女将は私たちにも愛想よく挨拶してくれて…。
「いらっしゃいませ。ブルー様はお連れの方と後からお越しになるんですって?」
「「「はぁ!?」」」
その瞬間、私たちは目が点になっていたと思います。お連れの方って……それって誰?
「フィシス様かと思いましたら、担任の先生でらっしゃるとか。皆様も学校のお友達だと伺ってますし、クラブか何かの旅行ですの?」
いいですわねえ、と笑顔の女将に私たちは返す言葉がありませんでした。頭の中は既に真っ白。シャングリラ号で教頭先生にお株を奪われた会長さんの復讐劇が温泉で…? 風情のある部屋に案内されて荷物を置いても心は此処に在らずです。誰からともなく集まった先は「そるじゃぁ・ぶるぅ」が泊まる部屋。
「…考えてみたら最初からおかしかったんだ」
部屋付きの露天風呂を見遣ってキース君がチッと舌打ちしました。
「いくらコネがあるといっても宿を貸し切るには金が要る。おまけにお座敷列車も貸し切りときた。かかる費用は半端じゃないぞ。…あのドケチが金を払うからには裏があるってことを読むべきだった」
「「「………」」」
誰も反論できません。会長さんはソルジャーとして高額な収入を得ているくせに、打ち上げパーティーの費用を教頭先生から巻き上げてみたり、旅の費用をマツカ君に丸投げしたりとケチなのでした。その会長さんが私たちを温泉旅行に招待だなんて、「タダより高いものはない」の典型であっても不思議はなくて…。
「ぶるぅ、お前、口止めされていたのか? 教頭先生が来るというのを」
キース君の問いに「そるじゃぁ・ぶるぅ」は頷いて。
「えっとね、ブルー、最初はハーレイを呼んでオモチャにするって言ってたんだよ。…だけど、シャングリラ号から帰って来てから仕返しだって言い出して…。なんだったっけ、コンゼンリョコウだったっけ…?」
「「「婚前旅行!?」」」
あまりにも不穏な言葉に頭を抱える私たち。会長さんの憂さ晴らしって、またまたアヤシイ何かですか? 十八歳未満お断りの大人の世界が炸裂ですか…?
『それで正解』
響いてきたのは会長さんの思念波でした。
『今からハーレイと電車に乗るんだ。夕食までにはそっちに着くから、温泉でゆっくりしておいで。でね…』
会長さんは一方的に指示を下すと思念波を切ってしまいました。何も知らない教頭先生と仲良く電車に乗ったのでしょう。二人きりで婚前旅行だと世にも恐ろしい大嘘をついて。
「…ぼくたち、ホントにやらなきゃダメ…?」
ジョミー君の声には泣きが入っていました。
「逆らったら後が怖いと思うぞ。正直、俺もやりたくはないが…」
キース君も深くめり込み、サム君はすっかり傷心モード。
「…ブルーが婚前旅行だなんて…。嘘だってのは分かってるけど、分かってるけど…。なんで教頭先生なんだよ!」
私たちの心はズタボロでした。この温泉は傷によく効くらしいのですけど、心の傷にも有効でしょうか? いえ、今の心の傷が癒えても、会長さんが到着したら傷は再びザックリと…。
「かみお~ん♪ お風呂、行こうよ! 大浴場の露天風呂って景色がよくて最高なんだ♪」
婚前旅行の意味も知らない「そるじゃぁ・ぶるぅ」がウキウキ浴衣を用意しています。
「風呂に入るか…。あいつが来たら俺たちに自由はないからな」
キース君が立ち上がり、私たちもそれに続きました。鬼の居ぬ間に何とやら。せっかくここまで来たんですから、温泉くらいは堪能しないと~!
ドン底気分で入ったものの、温泉は滑らかないいお湯でした。浴衣に着替えて「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお部屋に戻り、お饅頭や持ってきたお菓子を食べている内に時間は過ぎて……日がとっぷりと暮れてきた頃。
『今、着いた。タイミングは合図するから宜しくね。部屋は君たちの続きなんだ』
会長さんからの思念が届き、廊下を移動する微かな音が。一番奥の部屋に向かうようです。館内案内図で確認すると他の部屋とは間取りが違う特別室らしき大きな部屋。サム君はもう涙目です。
「ブルー、教頭先生と何してるんだろ…。婚前旅行だって言ったからにはキスしたりとか…」
『どうだろうね? 来て確かめてみればいい』
頼んだとおりにやるんだよ、と会長さんの思念が囁きました。私たちは肩を落として部屋を出ようとしたのですが。
『ダメダメ、それじゃお通夜みたいだ。もっと明るく、にこやかでないと』
ぶるぅの顔を見習いたまえ、と言われてみれば「そるじゃぁ・ぶるぅ」はニコニコ顔。会長さんが来たのが嬉しいのでしょう。三百歳を越えてはいても中身は小さな子供ですから、私たちを引率してくるのは心細かったかもしれません。よし、お手本はこの笑顔! 備え付けの鏡を覗いた私たちは互いに頷き、「そるじゃぁ・ぶるぅ」を先頭にして会長さんたちの部屋へ向かいました。
「かみお~ん♪」
入口の扉をカラリと開けて中へ入った「そるじゃぁ・ぶるぅ」が襖を大きく開け放ちます。そこには会長さんと教頭先生が並んで座っていましたけれど、二人の脇には浴衣があって…。
「ぶるぅ!?」
ギョッとした顔の教頭先生。続いて登場した私たちの姿に呆然と口を開けていますが…。
「「「婚前旅行、おめでとうございます!」」」
私たちは控えの間にきちんと正座し、一斉に頭を下げました。何が悲しくてこんな台詞を口にしなくちゃいけないんでしょう? 会長さんが満足そうに頷き、教頭先生の肩を叩いて。
「ほら、ハーレイ。みんなが祝福してくれてるよ。…君には内緒にしてたんだけど、彼らは立会人なんだ。ハーレイと結婚したら本当に幸せになれるのかどうか、正直、ぼくには自信がない。だから婚前旅行で相性を試そうと思ってさ…。で、第三者にも冷静な目で君を採点して貰おうと」
「……採点……?」
教頭先生の掠れた声をサラッと無視した会長さんは、自分の旅行鞄の中から大きな封筒を取り出しました。
「はい、ぶるぅ。みんなに1つずつ配ってあげて」
「オッケー!」
封筒の中身はクリップボードに留め付けられた会長さん自作の採点表とボールペン。それが全員に行き渡った所で会長さんが教頭先生の手を取って…。
「じゃあ、まずはお風呂に入ろうか。部屋付きの露天風呂っていいよね、二人きりで寛いで入れるし」
「ま、待ってくれ、ブルー! 二人きりって……そこの子たちは?」
正座したままの私たちの手にはクリップボードとボールペン。会長さんは喉をクッと鳴らして。
「立会人だって言っただろう? もう採点は始まってるよ。気にしていないで入ろう、ハーレイ」
セーターとシャツを脱ぎ捨てた会長さんが浴衣を羽織り、露天風呂の方に歩いていきます。浴槽の側で浴衣とズボンを床に落とすと、残ったものは黒白縞のトランクス。いえ、多分いつぞやのHURLEY製だとかいうサーフパンツだと思うのですが、とにかくそれしか着けていません。
「…お先に、ハーレイ」
サイオンで舞い上がらせた浴衣をカーテン代わりに黒白縞を脱ぎ、かかり湯をした会長さんは露天風呂にトプンと浸かりました。採点表には『お風呂』の項目が一番最初に書かれています。会長さんへの気遣いはどうか…だの、入浴マナーは合格か…だのと。会長さんが誘っているのに応じなかった教頭先生。これは気遣いゼロでしょうか?
「1個目のとこ…。マイナスかな?」
ジョミー君がボールペンをクルリと回し、サム君が。
「どう考えてもマイナスだぜ!」
ふむ、と私たちは気遣いポイントのマイナスの欄に揃ってチェックを入れました。焦ったのは教頭先生です。
「おい、本当に採点するのか? どういう基準になっているんだ?」
「プラスとマイナス、どちらともいえない……の三項目です」
キース君が始めた説明は会長さんの指示どおり。やりたくないと言ってはいても、やると決めたら揺るがないのがキース君の強さでした。
「今のマイナス評価は入浴前のブルーに対する気遣いについて。…旅が終わってプラスの評価が多かった場合、結婚を前提としたお付き合いになると聞いています。具体的な数値で言えば、全員の評価を集計した上で八割を超えた場合です。それ以下の時は残念ながら、結婚の話は無かった事に…」
「無かった事になるというのか!?」
血相を変えた教頭先生はキース君の返事も待たずに走って行ってしまいました。着ていた服と紅白縞のトランクスを大急ぎで脱ぎ、かかり湯も忘れて湯船の中へ。会長さんのゲンナリした顔を見るまでもなく入浴マナーはマイナスです。…えっと、この調子でずっと採点ですか? お風呂に食事に……『床入り』だなんて書かれてますけど、床入りっていったい何なんですか~!
高級旅館での豪華な夕食。浴衣に着替えた会長さんと教頭先生の部屋に私たちの分も運ばれ、食事中にもしっかり採点。会長さんは挨拶に来た女将にぬかりなく…。
「実はゲームをしてるんだ。ぼくの先生の成績表をつけてるところ。…この宿は改めて評価するまでもなく最高だしね。今日の料理も美味しいよ」
「まあ、ありがとうございます。ごゆっくりなさって下さいませね」
深くお辞儀して出て行く女将。採点表は仲居さんが見ていましたから、女将も心配だったでしょう。宿の評価じゃないのか…って。この気配りは流石ですけど、教頭先生への気遣いなんかは限りなくゼロな会長さん。食事が終わり、奥の部屋に二組の布団が敷かれたのを見て悪戯っぽく微笑みながら。
「ここから先が重要なんだ。床入りって書いてあるだろう? 結婚生活において夜の営みは必要不可欠。しっかり採点してくれたまえ。…とはいえ、君たちには理解しにくいだろうし、簡単な方法にしておいた。そこだけ○か×かになってる」
「「「………」」」
床入りの項目は確かに○×式でした。非常に分かりやすいんですけど、問題はこの書かれ方です。『合体は成功したか』に○か×かで答えるってことは、私たち、見てなきゃダメなんでしょうか。合体って…合体って…あまりにも直接的だと思うんですけど~! 「そるじゃぁ・ぶるぅ」がいるというのに、シールドに入れとも言われません。
『当然だろう。採点係の視線に意味がある。見えないギャラリーじゃダメなのさ』
思念波を送ってきた会長さんは教頭先生に肩を寄せて…。
「ハーレイ、床入りの時間だよ。ぼくを楽しませてくれるんだろう? 婚前旅行に来たんだものねえ」
「…い、いや、私は……。それにぶるぅとその子たちが…!」
真っ青になった教頭先生を意にも介さず、会長さんは布団の上に座りました。
「採点係は必要なんだよ。それに評価は○×式だ。君のテクニックは問われない。ぼくとの合体に成功すれば○、失敗すれば×がつく。…もちろんチャレンジしなければ×さ。どうする、ハーレイ?」
「…………」
教頭先生は気の毒なほど脂汗を流し、拳を握り締めたり浴衣の袖で汗を拭ったり。会長さんは布団に身体を横たえ、誘うように浴衣の胸元をはだけてみたりしていましたが…。
「…すまん、ブルー…」
声を絞り出した教頭先生がガバッと畳に土下座しました。
「すまん、私には出来そうもない。お前に恥をかかせてもいかんし、始める前にやめておく。ここの評価が×になったら総合評価で八割超えは無理なのだろうが……こんなに大勢が見ていたのではどうにもこうにもならんのだ!」
「…やっとヘタレを認めたか…」
身体を起こした会長さんが冷たい視線を向けています。
「それでいいんだよ、分相応って言葉があるだろ? 婚前旅行なんて千年早い。これは最初から罠なんだ。ぼくの見せ場を奪った罰さ」
「…見せ場…?」
「そう、見せ場。シャングリラ号でアルトさんたちに船長服を絶賛されていただろう? 撮影に応じられないからって、地球で撮った写真を渡していたっけね。クルーの交流会で写したヤツをさ。…ソルジャーのぼくを差し置いて目立とうだなんて、どう考えても厚かましいよ!」
それは完全に八つ当たりでした。なのに教頭先生はオロオロと謝り、会長さんの機嫌を取ろうと必死に努力しています。無駄じゃないか、と私たちがウンザリ気分でいると…。
「…いいお湯だねえ」
リラックスしきった声が露天風呂の方から聞こえてきました。ギョッとして視線を向けると同時に間の襖がカラリと開いて。
「お邪魔してるよ」
露天風呂の縁に腕をもたせかけ、白い顔がこちらを見ています。銀色の髪に赤い瞳の会長さんのソックリさんが湯煙の中にゆったりと…。
「温泉くらい入らせてもらっていいだろう? ぼくの出番もありそうだしね。…ハーレイ、ぼくは恥をかいても気にしないから君の評価に協力しよう」
言い終えるなりソルジャーはザバッと湯船から上がり、タオルだけを腰に巻いた姿でスタスタと部屋に入ってきました。滴っていたお湯はサイオンで瞬時に乾いたようです。唖然としている教頭先生の前を横切り、ソルジャーは会長さんの腕を引っ張って…。
「交代するよ。君も採点に回るといい。…君のハーレイの素質を見極めるチャンスじゃないかと思うけどな。さあ、ハーレイ……二人で朝まで頑張ってみよう。一度くらいは○がつくかもしれないだろう? …来て」
ねえ? と布団に横たわったソルジャーの肌は温泉で温まってほんのり桜色。腰のタオルはバスタオルならぬ宿の小さなタオルです。教頭先生がウッと短く呻いて鼻からツーッと赤い筋が。そしてそのままドターン! と仰向けに倒れ、二度と復活しませんでした。
「…ダメだね、あれは。まだまだ修行が必要と見た」
浴衣姿のソルジャーが私たちのクリップボードを集めて×印をせっせと書き込んでいます。
「婚前旅行だなんて楽しそうなことをやり始めたから、進展するかと思ったら……触りもせずに失神か。もっと鍛えてやらなくちゃ」
「余計なことはしなくていいっ!」
柳眉を吊り上げる会長さんにソルジャーはクスッと笑みを零して。
「じゃあ、温泉と豪華な食事。宿の情報は操作するから、ぼくも逗留させて欲しいな。君たちは1泊で帰るんだろう? ぼくは君のふりをして暫く滞在させてもらうよ、ぶるぅも呼んで三日間ほど。今は安全な時期だからね」
「…うぅ…。その条件を飲まなかったら?」
「そこのハーレイをぼくの世界に連れて帰って三日間ほど強化合宿。…どっちがいい?」
会長さんの答えは聞くまでもありませんでした。温泉三昧の権利を手に入れたソルジャーは上機嫌で帰ってしまい、会長さんは不機嫌です。教頭先生に仕返しするという目的は達成しましたけれど、ソルジャーと「ぶるぅ」の宿泊料で大事なお金が飛ぶんですから。
「…それ、教頭先生に払ってもらえばいいんじゃないの?」
とんでもないことを口にしたのはジョミー君でした。
「教頭先生、貯金が沢山あるんでしょ? ブルーのためなら喜んで払うと思うんだけどな」
あぁぁ。特別生として一年間を過ごす間にジョミー君もすっかり会長さんの流儀に馴染んだようです。いえ、私だってチラッとそんな考えが…。素晴らしい提案に会長さんの顔が輝きました。
「凄いよ、ジョミー。その手でいけば全部ハーレイに丸投げできる。…婚前旅行が大失敗で恥をかかされちゃったんだからね。ハーレイの評価はどうなってる?」
採点表をチェックした会長さんは満足そうに頷いて。
「よし、どう転んでも挽回できない点数だ。結婚の話はもちろん無しだし、こういう場合は慰謝料を請求しても許されるよね。旅行費用と慰謝料と…。ふふ、アルトさんたちの歓迎会の費用を出しても十分お釣りが…」
「「「アルトさん!?」」」
私たちの声が重なりました。歓迎会っていうことは…アルトちゃんたちはシャングリラ学園に特別生として来るのでしょうか? それとも仲間としての歓迎会?
「特別生だよ。君たちと同じ1年生。ああ、でも…ぼくの大事なレディーたちだし、君たちとは区別しなくっちゃ。品性下劣だと思われるのはぼくだって御免蒙りたい」
「ちょ、誰が品性下劣だって!?」
全部あんたのせいだろう、とキース君が食ってかかります。サム君が会長さんの弁護に回り、シロエ君がキース君の肩を持ち…それから後はすったもんだの大騒ぎ。倒れたままの教頭先生、これでも意識が戻りません。まあ、気付いたら最後、物凄い額のお金を要求されて目の玉が飛び出ることでしょうから、朝まで倒れていた方が…。ひとしきり口論が続いた後で会長さんがコホンと咳払い。
「この件は横に置いといて…。もうすぐ三度目の1年生になるわけだけど、これから先もぼくに付き合ってくれるかい? 悪戯しても友達がいなきゃ張り合いがない。それとも嫌になったかな、ぼくが…?」
だったら好きにしていいよ、と視線を逸らす会長さん。その横顔は少し寂しそうに見え、「そるじゃぁ・ぶるぅ」が心配そうに私たちの顔を見ています。えっと…散々な目に遭わされ続けて、明日の朝には教頭先生を酷い目に遭わせる片棒を担ぐわけですけども、会長さんたちと過ごした日々は楽しい思い出に溢れていました。きっとこの先もドキドキワクワクするようなことが…。
「ブルー! 俺、絶対ブルーについていくから!」
サム君の力強い宣言に釣られるように私も右手を上げていました。俺も、ぼくも、と賛成の声が重なります。特別生も4月になったら二年目で……それでもやっぱり1年生で。不思議一杯のシャングリラ学園、まだまだ奥が深そうです。会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」にくっついていけば新しいことが分かるかな? 分かるといいな、色々なこと。シャングリラ学園、また来年度もよろしくです~!
王家の谷は川の西岸にありました。まずはホテルで昼食を摂り、観光バスに乗り込んで…フェリーで川を渡るのですが、早い話が渡し船です。観光客だけでなく地元の人や土産物売りも乗っかっていて、会長さんが「バスの外には出ないように」と厳命しました。川風が気持ちよさそうのなのに何故なんでしょう?
「…買い物をしたいんだったら止めないけどね」
好きにしたまえ、と会長さんが指差す先では観光客の人が土産物売りのオジサンたちと商談中です。
「船の上は逃げ場がないんだよ。商談のように見えてはいても、あれは完全に相手のペース。向こう岸に着くまでの間に必ず何か買う羽目になる。で、行くのかい?」
「「「………」」」
パピルスの複製やスカラベ、織物に香水瓶。いつかは買いたいお土産ですけど、ぼったくり価格は御免でした。ピラミッド観光でバカ高い布きれを買わされて以来、私たちはとても慎重です。
「ほらね、土産物売りは懲りてるだろう? ああいうものはしっかりしたお店で買わなくちゃ。ホテルショップなんか高いように思えるけれど、それだけ品質がしっかりしてるっていうことだから。…でなけりゃ市場できちんと値切る! 観光客は甘く見られがちだし」
いいカモにされた過去を持っているだけに、逆らう気にもなれません。やがてフェリーは対岸に着き、有名な巨像や葬祭殿を観光してからバスはいよいよ王家の谷へ。まずはファラオの呪いで知られた墓です。
「…なんかずいぶん小さいね」
ジョミー君が周囲を見回しながら言いました。駐車場からずいぶん歩いてきましたけれど、王家の谷というだけあってファラオや王妃の墓が幾つも口を開けています。でも、どれも入口の大きさは似たりよったり、大した規模ではないような…。
「盗掘防止が目的だからね、悪目立ちする墓は作らないさ」
そう答えたのは会長さん。
「ピラミッドの時代とは違うんだよ。こう見えても中はけっこう広い。…この墓は小さい方だけれどね」
先に立って地下への階段を降りていく会長さんに続いて中に入ってみると、壁画が描かれた通路の先にピラミッドの中とは比べ物にならない小さな部屋がありました。柵越しに見下ろせる場所には柩を収めたケースがあって…。
「あの中にミイラがあるんだよな?」
サム君がゴクリと唾を飲み込み、ソルジャーが。
「他の墓のミイラは博物館にあるんだってね。このミイラだけがここにあるのは例の呪いのせいなんだろう?」
「そういうこと」
会長さんが静かに両手を合わせてブツブツと何か呟いています。ファラオ相手にお経なんかが効くんでしょうか?
「言葉の力は凄いんだよ。原典に近いお経は絶大な力を持っている。…ほら、ぶるぅが飛び出してきた掛軸を封印するのに使った光明真言を覚えてるかい? あれを唱えると亡者が喜ぶと言われている。今、ぼくが唱えてたヤツなんだけど…君たちも一緒にやってみる?」
教えてあげるよ、と微笑む会長さんですが、私たちは首を横に振りました。キース君とサム君だけが神妙に柩に両手を合わせています。サム君の修行は順調に進んでいるようですね。
「…ブルーが拝んでいたってことは、やっぱりファラオの呪いって…あるの?」
ジョミー君の問いに会長さんは「まあね」と答えました。
「ジョミー、君は尋ねる相手を間違えたんだよ。ブルーの世界は確かに遥か未来の世界で、科学も進んでいるけれど……この世界とは別物だ。ぼくたちの世界の出来事の結末をブルーに教えて貰おうだなんて甘いのさ」
「…でも…」
唇を尖らせるジョミー君ですが、会長さんは大真面目でした。
「いいかい、君の考えが正しいのなら、ぼくたちの未来はどうなると思う? SD体制に突入したらお尋ね者だよ、ぼくたちは。…そうならないよう、ぼくは努力してきた。だから未来は共通じゃない。ブルーには悪い気もするけどさ……瓜二つの姿形のくせに気楽に遊んでばかりだからね」
「いいよ、ぼくなら気にしない。遊びに来られるだけで十分」
ソルジャーがニッコリと笑い、ファラオの柩を眺めました。
「あれが呪いのミイラってわけか…。特に感じるものもないけど、本当に呪われているのかい?」
「呪いの力は失われてる。だからミイラをここに置いておく必要はないんだよね。…でも、そんなこと…誰も信じやしないだろう? ロマンだと思って放っておくさ」
さあ次に行こう、と会長さんは歩き出します。ファラオの呪いを解明しようなんて考えていた私たちがバカでした。三百年以上も生きてきている会長さんなら、呪い騒ぎをリアルタイムで見聞きしていた筈なんです。この様子では呪いの正体も知っていそうですけど、教えてなんかくれないでしょうね…。
それから私たちは幾つもの王墓に入りました。観光客には非公開の墓も含まれていて、マツカ君の強力なコネに感謝しながら見学三昧。王家の谷って本当にお墓ばかりです。おまけに緑が全然なくて暑いといったらありません。
「2リットルを一気飲みか…」
信じられんな、とキース君が空になったペットボトルを振りました。ペットボトル持参で観光したのに、バスに戻るなり私たちがやらかしたことは冷えたジュースの一気飲み。しかも2リットル入りのボトルです。相当に空気が乾いていたのでしょう。川を渡ってホテルに戻ってもティールームで紅茶にハーブティー。そんなこんなで日は暮れて…。
「今日は沢山見学したけど、未発見のお墓ってあるのかしら?」
スウェナちゃんが夕食の席で夢見る口調で言いました。
「そういうお墓を探し出せたら素敵よねえ…。ジャーナリストとして発掘作業に同行したいわ」
「呪われてるかもしれないですよ?」
シロエ君が突っ込みましたが、スウェナちゃんは気にしていません。
「そうなったら腕の見せ所よ! 呪いの正体は何か、次に呪われるのは誰なのか! いい記事になると思わない?」
「週刊誌か?」
キース君の言葉は禁句だったようで、スウェナちゃんはブチ切れました。
「失礼ね! 私が目指すのは新聞記者なの! スポーツ新聞でも地方紙でもなくて全国紙!!!」
「…一流の、ね…。でもさ…」
無理だと思うよ、とジョミー君。
「だってさ……ぼくたちって年を取らないわけだし、今の外見で新聞記者は難しそうだよ。取材に行っても相手にされないと思うけどな。…それともスウェナだけ頑張って大人になるの? ぼくたちは成長できないんだって前にブルーが言っていたのに?」
スウェナちゃんはグッと詰まりました。私たちは仲良し七人グループです。仲間が高校一年生をやっているのに一人だけ社会人サイズに成長するのは、かなり勇気が要りそうな気が…。しかも努力も必要かもです。そこへソルジャーが口を挟みました。
「いいんじゃないかな? ぼくの世界もそうなんだけど、こっちの世界の長老たちも外見年齢の差が大きいよね。スウェナだけが大人になって他のみんなが子供のままでも、きっと仲良くやっていけるさ」
「…それって……私だけオバサンになるってことじゃない…」
あんまりだわ、と打ちのめされるスウェナちゃん。けれどソルジャーが言うのは正論でした。ジャーナリストになりたかったらスウェナちゃんは年を取るしかなさそうです。…そして数分後、スウェナちゃんはキッパリと夢を捨てました。
「いいのよ、夢は叶わないから夢なのよ! どうしても新聞を作りたくなったらシャングリラ学園でスクープを取るわ。そしてシャングリラ号で壁新聞として発表するの!」
「「「…壁新聞…」」」
白い巨大宇宙船の中に壁新聞。シュールな光景を想像した私たちはポカンと口を開け、ソルジャーがおかしそうに笑っています。会長さんが頭を抱えているのはスクープされそうな日頃の行いを思い返しているせいでしょう。夕食は和やかに終わり、翌日は大神殿の見学に、帆かけ舟でのクルーズに…。旅は順調に続き、川の上流の遺跡群も堪能してから私たちはピラミッドの街に戻りました。
「かみお~ん♪ ピラミッド、今日も楽しかったね!」
御機嫌で飛び跳ねる「そるじゃぁ・ぶるぅ」。帰国を明日に控えた日の昼間は買い物、夜はピラミッドで音と光のショー見物。ピラミッドの滑り台が気に入った「そるじゃぁ・ぶるぅ」はショーの時間中、赤や緑にライトアップされるピラミッドを滑りまくっていたのでした。ホテルに帰った私たちはスイートルームの広いリビングでグータラと…。
「けっこうアッと言う間でしたね」
マツカ君が言い、ソルジャーが。
「そうかな? ぼくはこんなに長いことシャングリラを離れていられて幸せだったよ。途中で戻る羽目になるかな、と思っていたから余計に…ね。ハーレイはとっくの昔に特別休暇を返上しちゃったみたいだけれど。…ぼくと二人で引きこもりっ放しって、平和な時しか出来ないんだから続行しとけばいいのにさ」
ありゃりゃ。あちらのキャプテンは既に通常勤務でしたか…。ソルジャーは更に言葉を続けて。
「ハーレイはね、特別休暇が長引いちゃうと、からかわれると思ったらしい。でも…ぼくが姿を現さない以上、結果は同じだと思わないかい? ぼくが青の間から一歩も出られないほどハードな夜が毎日続いているってわけで…」
「ストップ!」
会長さんが割り込みました。
「その先を続けたら叩き出すよ。十八歳未満の団体だって言ってるだろう!」
「冷たいね。…じゃあ、黙るから代わりに観光させて欲しいな。旅の記念に最後に一ヶ所。とっておきの場所がある筈だ」
スッと人差し指を立てるソルジャーに、首を傾げる会長さん。
「とっておきって…?」
「…王家の谷さ。スウェナが未発見の墓はないのかって言ったよね。あの時、君の思考が一瞬、揺れた。君の遮蔽は完璧だけど、ぼくにはチラッと見えたんだ。…未発見の王家の墓を知ってるだろう?」
「「「えぇぇっ!?」」」
会長さんが未発見の墓を知ってるですって!? そんな馬鹿な…と思ったのですが。
「バレてたか…。でも、アレはダメだよ。ね、ぶるぅ?」
「うん。やめといた方がいいと思う」
怖いんだよ、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」。えっと…「そるじゃぁ・ぶるぅ」も知ってるんですか? 私たちの視線を受けた「そるじゃぁ・ぶるぅ」はコクリと大きく頷きました。
「あのね、入口まではブルーと一緒に行ったんだけど…入ったのはブルーだけなんだ。危ない場所だから来ちゃダメだって言われたんだよ。えっと…コブラの巣だったっけ?」
「サソリもいた。…そういうわけで、あそこは駄目だ」
コブラにサソリと来ましたか…。それは勘弁願いたいです。ところがソルジャーは動じもせずに。
「シールドを張れば全て解決するだろう? せっかくだから見て帰りたい。ここから王家の谷まで全員を連れて飛んでもいいけど、ダメだと言うならぼくだけでも…」
「本当の本当に危険なんだよ。…ダメだと言ったらダメだってば!」
二人は押し問答を始めましたが、会長さんに譲る気持ちは無いようです。…と、突然パァッと青い光が迸って。
「ブルー!?」
サム君の悲鳴が響きました。…会長さんが何処にもいません。ついでにソルジャーも見当たりません。
「ま、まさか…今の光は…」
キース君が「そるじゃぁ・ぶるぅ」の肩をガシッと掴んで。
「ぶるぅ、ブルーは何処へ行った!? ブルーの世界へ連れて行かれたのか!?」
「…えっとね、ブルーが来ちゃダメって…。王家の谷にいるみたい」
「「「王家の谷!?」」」
会長さんは物見高いソルジャーに王家の谷へ連れて行かれてしまったようです。ソルジャーのお目当てはコブラとサソリが生息している未発見の王墓でしょう。実力行使に出られた以上、ソルジャーが満足するまで会長さんは帰れそうもありません。私たちは溜息をつき、テーブルの上のお菓子を食べ始めました。最後の晩に会長さんを拉致するなんて、ソルジャーはやっぱりトラブルメーカー…。
夜も更けてきたスイートルームで「そるじゃぁ・ぶるぅ」が語ってくれた所によると、会長さんが王家の谷で未発見の墓に出くわしたのはシャングリラ号が建造される前のこと。資金作りに埋蔵金を掘っていた時代らしいです。当時は発掘されていない墓が沢山あって、会長さんはそれを目当てに何度も通っていたのだとか。
「あのね、その頃は今みたいに法律が厳しくなかったから…古い物を高く買ってくれる人が沢山いたんだ。あ、でも盗んだわけじゃないよ? お墓の持ち主にきちんと訊いて、持ってっていいって言われた物を貰ってきてた」
「も、持ち主って…?」
まさかファラオのことじゃないよね、と唇を震わせるジョミー君に「そるじゃぁ・ぶるぅ」はニコニコ顔で。
「ファラオだよ? でなきゃ王妃様とか偉い人とか…。ぼくは全然ダメなんだけど、ブルーはそういう人と色々お話できちゃうんだ。お坊さんって凄いよね。…サムも出来るようになるかもしれないんでしょ? ブルーが期待してるもん」
ひぃぃっ! ファラオの霊とお話って…心霊特集みたいになってきました。会長さんがサム君には素質があると見込んでいるのはこれですか…。でも、お墓から副葬品を持ち出すのを許してくれるなんて、ファラオって凄く太っ腹かも? そういう話をしていると「そるじゃぁ・ぶるぅ」が。
「ファラオがくれたのは壺とかだよ? 黄金や宝石はくれないんだ。でもね、壺でも凄く昔の物だから…とっても高く売れたんだって」
「…おい。壺とかはファラオの生活必需品だろう?」
キース君が首を捻りました。
「死後の世界で生きていた時と同じレベルで暮らせるように、と色々用意をしたと聞いたが…。いくらお経を読んでくれても、手放したんでは困るんじゃないか?」
なるほど。言われてみれば副葬品にはそういう意味があったかもです。けれど「そるじゃぁ・ぶるぅ」は「大丈夫!」と胸を張って。
「壺とかは多めに入ってるから、余ってる分を貰うんだ。それに長い間、拝んでくれる人もいなかった仏様だしね…。お経のお礼にくれちゃうこともあったみたい」
「「「お経?」」」
「うん! ブルーが王家の谷で言ってたでしょ? お経は凄い力を持っている…って。きちんと拝んで礼を尽くせばファラオの呪いも平気らしいよ」
「「「え?」」」
ファラオの呪いも平気って……それじゃ呪いは祟りですか? 心霊現象の強烈なヤツってわけですか? 口々に尋ねる私たちに「そるじゃぁ・ぶるぅ」はヒソヒソ声で。
「そうなんだって。ブルーと一緒に来ていた時にね、このお墓はやめておこうって言われたんだ。拝むのに時間がかかりすぎるから面倒だ…って。それを他の国の人が見付けて掘ったらファラオの呪いになっちゃった」
「「「えぇぇっ!?」」」
「シーッ! ブルーも責任感じてるんだし、大きな声を出さないでよお…。あの時に拝んでおけば良かったって後から何度も言ってたもの。ファラオの呪いが止まらないから、最後は拝みに行ったんだもの…」
本当だよ、と語る「そるじゃぁ・ぶるぅ」は真剣でした。そういえば王家の谷で会長さんが「呪いの力は失われている」と言いましたっけ。会長さん自身が関わったのなら、明言するのは当然でしょう。
「うーん、呪いの正体は祟りだなんて…」
呻き声を上げるジョミー君。
「これじゃ発表できないよ。せっかく謎が解けたのにさ…」
「まあ待て。俺たちのサイオンと同じで今は公にできないだけで、遠い未来にはなんとかなるかもしれないぞ」
諦めるな、とキース君がジョミー君の肩を叩きます。キース君もお坊さんとして修行を積んだら、ファラオの呪いを封じられるような力がついたりするんでしょうか? それはそれでちょっと興味があるかも…。サム君はファラオの霊と話せる素質があるそうですし、ジョミー君は会長さんに高僧候補と見込まれてますし……いつか大成した三人と一緒にピラミッドの国を旅したい気が…。
「そうだ! キース先輩たちが高僧になったら、この国を回ってみませんか?」
シロエ君も同じ考えに至ったようです。
「観光旅行とは違う視点で素敵な旅ができそうです。マツカ先輩に頼んでおけば王家の谷で護摩を焚くとか派手なパフォーマンスもできますし! 歴代のファラオを供養する旅。きっと楽しくなるんじゃないかと…」
「あのな、シロエ」
キース君がドスの効いた声で。
「俺たちの宗派は基本的には護摩は焚かない。おかしな夢を勝手に語るな」
「す、すみません、キース先輩…」
ごめんなさい、とシロエ君が頭を下げた所へ…。
「「ただいま」」
パッと姿を現したのは会長さんとソルジャーでした。ソルジャーは楽しそうにしていますけど、会長さんはゲッソリした顔。
「行ってきたよ、王家の谷! あんな墓があるのを黙ってるなんて、ブルーも人が悪いよね」
未盗掘の素晴らしい王墓だった、とソルジャーは右手を差し出しました。
「ほら、これが証拠のスカラベだけど……博物館で見たヤツよりも細工が凝ってると思わないかい?」
黄金と瑠璃色の石で飾られたスカラベは実に見事な逸品でしたが。
「ブルー! あんなに触るなって言ったのに!」
会長さんが激怒した次の瞬間、明かりがフッと消えてしまって真っ暗闇になりました。街の灯もまるで見えません。これってもしかして停電ですか? 市内まるっと大停電に…?
自分の手も見えない闇に包まれ、私たちはパニック寸前でした。サイオンで周囲を見る高等技術は持ってませんし、懐中電灯も無いですし…。と、闇の中から不気味な声が響いてきました。
「…………」
「「「えっ?」」」
それは聞き覚えのない謎の言語で、私たちには意味不明。誰が喋っているのでしょうか? 会長さん? それともソルジャー?
「……………」
再び謎の言葉が響いたかと思うと、聞き慣れた声が。
「王の眠りを妨げる者に死の翼触れるべし。…そう言ってるけど、どうしようか?」
青いサイオンの光を纏った会長さんが闇に浮かび上がり、何処からか取り出した数珠をジャラッと鳴らすと…。
「「「ひぃぃっ!!!」」」
不気味な声がしていた辺りに現れ出たのは白い人影。博物館でさんざん見てきたファラオそっくりの姿です。ファラオが出てきて死の翼って……それって非常にマズイのでは?
「うん、まずい。全部ブルーの責任だけどね」
会長さんがサポートしてくれたらしく、闇の中でも互いの姿が見られるようになりました。お化けが苦手な「そるじゃぁ・ぶるぅ」は丸くなって震えていますし、他のみんなも顔面蒼白。ソルジャーだけが苦笑しながら手の中のスカラベを指差して…。
「ひょっとしてコレがまずかったのかい? ちょっと借りてきただけなんだけどな。みんなに見せたら返しておこうと思っていたのに、死の翼とは大袈裟だねえ」
「君は会話ができないくせに! 借りるにしたって手続きってモノが必要なんだよ。そうでなくても気難しいファラオで、入れて貰うのが精一杯の場所なのにさ…。だからぶるぅにはコブラの巣だって言っといたのに、君がどうしてもってゴネるから!」
二人も入るのは大変なんだ、と会長さんは赤い瞳を燃え上がらせて怒っています。念入りに読経して許可を貰ったらしいのですが、そんな厄介なファラオの墓からスカラベなんぞを持ち出したとはソルジャーも大胆不敵と言うか…。そのソルジャーは肩をすくめてスカラベを眺め、ポイッと放り投げました。
「分かったよ、返せばいいんだろう?」
スカラベはフッと宙で消え失せ、どうやら墓に戻ったようです。それを追ってファラオの影が出て行き、部屋の明かりがパパッと点いて街の灯もすっかり元通りに…。よ、良かったぁ…ファラオが退散してくれて…って、会長さん? その格好はいったい何ごと…?
「王家の谷まで行ってくる。かなり怒らせちゃったからねえ…。いつか発掘隊が入った時にマズイことになると困るから…。ブルー、君も一緒に来て謝りたまえ。正座していれば十分だ」
諸悪の根源は君なんだから、とソルジャーの腕を掴んだ会長さんは緋色の衣を着けていました。瞬間移動で取り寄せてきたみたいです。ついでにお経の本が大量に…。
「お、おい…」
キース君が山と積まれたお経本を見回して。
「大般若法要をやるつもりか? あんた一人で…?」
「仕方ないだろう。手伝いを頼みたい所だけれど、ホントに頑固なファラオなんだ。ブルーは素人だから役に立たないし、お経本はサイオンで操るしかない」
朝までにはちゃんと戻るから、と会長さんはソルジャーを連れて王家の谷へ。えっと…大般若法要って何なのでしょう? 私たちの視線がキース君に集中します。キース君は咳払いをして、お経本が積まれていた辺りを示しました。
「さっきのは大般若経といって六百巻ある。全部読むと絶大な御利益があるというんだが…声に出して読むのはまず無理だ。だから普通は転読する」
「「「テンドク…?」」」
「ああ。作法に則ってパラパラとめくるだけなんだがな、それでも人海戦術に近い。それを一人でやろうだなんて、流石ブルーというべきか…。あいつの正体が銀青様だと知った時には絶望したが、やっと納得できた気がする」
たった一人でファラオの呪いを封じることが出来るんだからな、とキース君は感動していました。そして明け方、帰ってきた会長さんが尊敬の眼差しで迎えられたことは言うまでもありません。えっ、ソルジャーはどうだったかって? 足が痺れたとかで不機嫌でしたけど、自業自得ってこのことですよね。
原因不明の大停電は新聞記事のトップを飾ってしまいました。その新聞を記念に買ってピラミッドの国にさようなら。自家用ジェットでまた快適な空の旅です。
「あーあ、酷い目に遭っちゃった。…一人大般若は疲れるんだよ」
ソファに寝転がった会長さんの手足や背中を「そるじゃぁ・ぶるぅ」が懸命にマッサージしています。その昔、例のファラオの呪いを鎮めた時も一人で大般若経を転読したのだ、と会長さんは教えてくれました。
「あの時は昨夜より大変だった。ミイラが運び込まれた先でコッソリやらなきゃいけなかったし…。シールドの中でやっていたんだ、誰にも見つからないようにしてね」
「…じゃあ、昨夜はホントに危機一髪? 死の翼って言ってたし…」
有名なファラオの呪いと同じだよね、と尋ねるジョミー君に会長さんはコクリと頷いて。
「そうさ。ファラオが最初に呪うのはブルー。次が旅仲間の君たちだ。…だけどブルーはタイプ・ブルーだから、呪い殺される前にファラオの霊を砕くだろうね。ただし、それをやられるとミイラは粉々、貴重な文化遺産がパアだ。まるく収まってよかったよ、うん」
骨休めに温泉にでも行きたいな…、と伸びをしている会長さん。春休みはまだ残っていますし、温泉の旅も素敵かも。あ、でも…会長さんはソルジャーとしてシャングリラ号に乗らなきゃいけないんでしたっけ。
「うん、アルトさんたちの進路指導をしなくっちゃ。それが済んだら温泉旅行に行ってみようか、ブルーは抜きで。…ファラオの呪いの罰ってヤツだ」
「えぇっ!?」
あんまりだ、と騒ぐソルジャーに同情する人はいませんでした。呪いの巻き添えを食らいそうになったんですから当然です。ピラミッドの国の旅は楽しく幕を閉じ、ソルジャーは会長さんのマンションから自分の世界へ帰りました。私たちは明日から普通の春休み。キース君は月参りとお彼岸の準備に追われる日々の始まりです。温泉旅行は果たして実現するのでしょうか? 行けるといいな、みんなで温泉…。
卒業式が終わった後の1年A組では2年生に向けての授業が始まりました。何日か登校してみたものの、進級できない特別生にはあんまり意味がなさそうです。来年は何組になるのか分かりませんけど、また1年生になることだけはハッキリ決まっているんですから。
「う~ん、やっぱり本当は春休みなんだよね…」
ジョミー君が呟いたのは放課後のこと。私たちは「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお部屋に揃っていました。
「2年生用の勉強をしたって2年生にはなれないし…。グレイブ先生には毎朝また来たのかって笑われちゃうし、セルジュたちはもう学校に来てないし! 特別生らしく休むべきかな?」
「…俺は登校し続けるぞ。最後の一人になったとしてもな」
キース君が腕組みをしています。
「家にいたら親父を手伝わないといけないんだ。早めの春休みだなんて言ったが最後、親父について毎日のように月参りだぜ。一人で行くなら我慢もできるが、親父と行くのはキツすぎる。…親父は俺の髪の毛に不満を持っているからな」
お参りが済んで檀家さんの家を出る度にネチネチ文句を言われるのだ、とキース君は溜息をつきました。
「坊主頭でないと有難味が無いとか、檀家さんに顔向けできないだとか…。終業式まで授業に出てれば、その間は文句を言われずに済む。…だが、お前たちは休みたかったら休んでくれ」
「「「………」」」
深刻そうな事情を聞いてしまうと、春休みを取りにくい雰囲気です。今日はその相談で集まったのに…キース君はお休みしないってことなんでしょうか? と、会長さんが口を開いて。
「なるほど、キースは今年も単独行動ってことか。去年は一人で歩き遍路をやっていたしね。…で、君たちは春休みを取るのかい?」
「そうしようかって言ってたんだけど…。せっかくだから旅行もしたいし」
ねえ? とジョミー君が言い、シロエ君が。
「そうですよ! 卒業旅行はおかしなことになっちゃいましたし、今度はもっと…。春休みを取るんだったら今年こそピラミッドに行きたいですね。パスポートだって取りに行ったじゃないですか」
うんうん、と頷く私たち。実はこういう場合に備えてパスポートを取っていたんです。シャングリラ学園は不思議一杯の学校ですから、何が起こるか分かりません。突然の長期休暇ということもある、と言い出したのが誰だったのか…。とにかく私たちはパスポートを持っているのでした。
「ピラミッドですか…」
いいですね、とマツカ君が頷いています。
「去年は行けませんでしたけど、今年は行ってみましょうか。ぼくもピラミッドは久しぶりですし…。ブルーとぶるぅはどうします?」
「ぼくもぶるぅも行ってみたいな。…じゃあ、キースだけ留守番ってことで」
「ちょっと待て!」
誰が行かないと言った、と眉を吊り上げるキース君。
「家から脱出できるんだったら春休みでも全く問題はない。俺も一緒に旅行に行くぞ」
「…それじゃ、いつものメンバーですね。日程が決まり次第、ホテルとかを全部手配して…。費用の方も任せて下さい」
おおっ、マツカ君、太っ腹! 私たちは早速カレンダーを囲み、計画を練り始めました。今度こそ夢の観光旅行。それも初めての外国ですよ~!
目的地のビザを取ってもらって、ホテルなどの手配も整って…後は出発の日を待つだけになった私たち。今日は会長さんのマンションに集まり、服装や持ち物の確認をしていたのですが…。
「ふうん…。これがパスポートなのか」
いきなりヒョイと手が伸びてきて、リビングのテーブルにあった会長さんのパスポートをつまみ上げました。
「生年月日に顔写真に…。うん、これなら簡単に偽造できそうだ」
「「「!!???」」」
私たちの目に映ったものは、ソルジャーの正装をした会長さんのそっくりさん。ソルジャーはパスポートをパラパラとめくり、マツカ君にニッコリ微笑みかけて。
「どうやら休暇が取れそうなんでね。…追加、お願いできるかな? あ、ぶるぅは留守番に置いてくるから一人分で」
「え? で、でも…」
マツカ君は真っ青でした。国内旅行なら何人増えてもいいんでしょうけど、今回の行先は外国です。ソルジャーはパスポートもビザも持ってませんし、いきなり追加と言われても…。でもソルジャーは平気な顔で。
「大丈夫、絶対にバレないように細工するから。…ぼくたちの世界は君たちの世界より遥かにチェックが厳しいんだ。そんな世界で生きてるんだし問題ないよ、こっちで旅行するくらい。…パスポートもちゃんと用意するさ」
ソルジャーは自信満々で会長さんを見詰めました。
「ブルー、君なら分かるだろう? ぼくがヘマをするわけないってことが。…君たちが旅行の計画を始めた時から参加したいと思ってたんだ。だけど直前まで休めるかどうか分からなくって…。ふふ、シャングリラの連中への言い訳はいつもどおりに特別休暇」
「「「………」」」
私たちの顔には非難の色が浮かんでいたかもしれません。ソルジャーの言う特別休暇とは、あちらのキャプテンと過ごす大人の時間を指すのです。つまりソルジャーが私たちと旅をしている間、キャプテンは「ぶるぅ」と青の間で留守番しながら過ごさなくてはいけないわけで…。
「いいんだってば。ハーレイはぼくに甘いんだ」
だから安心、と笑うソルジャーの手から会長さんのパスポートがパッと消え失せて。
「ちょっと借りるよ。ぶるぅに頼んで偽物を作りに行ってもらった。ぶるぅはシャングリラと外の世界とを自由に行き来しているし…街の事情にも詳しいし」
ソルジャーの言葉に「そるじゃぁ・ぶるぅ」の目がまん丸になりました。
「ぶるぅって凄かったんだ…。ぼく、パスポートの偽物が作れるお店なんかは知らないよ」
「ぼくの世界には色々あるのさ。体制が厳しければ厳しいほど、抜け穴を作る連中も増える。まあ、パスポートの偽物なんて偽物の内にも入らないけどね。ぼくたちからすれば手帳を複製するレベルだし」
それはそうかもしれません。ソルジャーの世界は宇宙船が普通に行き交う所。パスポートがあったとしても紙媒体ではないでしょうね。やがて「ぶるぅ」から会長さんのパスポートとセットで送られてきたものは…。
「うわぁ、本物そっくり…」
「ビザもあるわ」
「でもブルーのと同じじゃないか! 生年月日まで!」
これじゃバレるぜ、とサム君が指摘しましたが、ソルジャーは動じませんでした。
「そこでサイオンの出番なのさ。ぼくは電子情報も操れる。…ブルーにだって出来るだろ? もちろん人間相手の情報操作も簡単だ。このパスポートの持ち主はブルーであって、ブルーじゃない。どこに出しても平気だってば」
そしてソルジャーはマツカ君の肩をポンと叩くと。
「人数の追加、よろしくね。ブルー、細かいフォローは頼んだよ。また出発の日にこっちに来るから、ぼくの荷物も用意しといて」
「えっ? 荷物って…ブルー!!」
会長さんが叫んだ時にはソルジャーの姿は消えていました。増殖したパスポートだけがテーブルの上に残っています。
「……やられた……」
面倒なことを押しつけられた、と会長さんは深い溜息。人数の追加のフォローにソルジャーの分の荷物の用意とは、会長さんも貧乏クジです。けれど旅行は楽しそうですし、それを励みに頑張って下さ~い!
数日後の朝、私たちは会長さんのマンションの前に集合しました。マツカ君が手配してくれたマイクロバスも来ています。会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」、それにソルジャーがスーツケースを持って出てきて…。
「おはよう。昨夜はブルーに泊めて貰ったんだ」
旅行の知識ももうバッチリ、とソルジャーは明るい笑顔でした。会長さんも元気そうですし、どうやら平和な夜だったみたい。たまにソルジャーが会長さんに迫ろうとして言い争いになるらしいんですよね。私たちの荷物がマイクロバスに積まれ、私たちも乗り込んで、いざ空港へ。
「すげえや、俺たち、あれに乗るのか…」
サム君がポカンと口を開けています。空港のVIPルームで出国手続きを終えた私たちの前には立派なジェット機がありました。マツカ君の家の自家用ジェットというヤツです。どう見ても小型ではありません。タラップを上がると中は普通の飛行機ではなく、ゆったりとしたソファにテーブルに…。
「あ、離陸の時だけシートベルトをお願いします」
マツカ君がキョロキョロしている私たちに言いました。
「普通の飛行機よりも高い所を飛びますからね、飛行中は安定してるんですけど…離着陸の時は危ないですし」
えっと。どうやら一般の空域を遥かに超える高高度って所を飛ぶようです。滑走路に入る待ち時間も無く、私たちはアッという間に空の上。機内見学に回ってみると、驚いたことにシャワールームまでありました。お菓子も食事も好きな時に食べられますし、眠くなったらベッドもあって……快適なフライトを終えるとピラミッドの国。
「…まさか機内で入国審査が出来るとはな。おまけに両替まで手配済みとは…」
ビックリしたぜ、とキース君。会長さんがクスッと笑って。
「自家用ジェットならではだよ。出国の時も早かっただろう? テロやハイジャックの危険を避けるために色々と…ね。マツカに感謝しておきたまえ」
タラップの下には迎えのバスが来ています。まずはピラミッド観光ですけど、ソルジャーのパスポート、出国の時も入国の時も何も言われなかったのは流石と言うか…。
「…バスの外って暑いんだよね?」
空港を出たバスから外を見ながらジョミー君が首を傾げました。
「飛行機を降りてすぐにバスに乗っちゃったから、太陽が眩しいなって思っただけで終わったけどさ。…ベストシーズンでも暑くないってことはないよね?」
「もちろん暑いさ」
バスに冷房が入っているだろう、と会長さん。でもジョミー君の疑問も分かります。歩いている人はみんな長袖。男の人は足首まである長いワンピースみたいな服を纏っていますし、女の人も似たようなもの。頭のてっぺんから足の先まで黒い布で覆った女の人も…。半袖やノースリーブの人はどう見ても観光客でした。
「ああ、あれね。…あの格好の方が涼しいんだよ。君たちもバスを降りたら納得するさ」
長袖を着ろと言ったのに、と会長さんは私たちを見ています。会長さんとソルジャーは長袖のシャツを着ていましたが、私たちはマツカ君を除いて全員半袖。砂漠の国に来たというのに、長袖なんてきっと暑いに決まっています。現地の人が長袖なのは宗教上の問題に違いありません。肌の露出を避けるように、という厳しい戒律は有名ですから! そして早めの昼食を食べるために立ち寄ったホテルの綺麗な庭で…。
「やっぱり普通に暑いよなあ?」
サム君が空を見上げました。見たこともないほど深い青色が木々の間から覗いています。
「暑いですよ! 湿気は全然ないですけども、気温は真夏並みですよね」
シロエ君も暑いを連発しています。まだお昼にもなっていないのにこの暑さでは、これからどれほど暑くなるやら…。会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」、それにソルジャーはビュッフェ形式の食事をのんびりゆったり楽しんでいるんですけど、暑さが酷くなってくる前に早く出発しましょうよ~!
ピラミッドに到着したのはお昼過ぎでした。駐車場から歩いていると足元の砂が焼けるようです。おまけにピラミッドの中は息苦しいほどの蒸し暑さ。狭い通路は思った以上の急傾斜で…。
「足場が無かったら滑りそうだね」
ジョミー君の言葉に「そるじゃぁ・ぶるぅ」が。
「そっかぁ、これって滑り台にできるかもね! 帰りは滑ってみようっと!」
今はぼくたちしかいないもん、と言った「そるじゃぁ・ぶるぅ」は帰りに本当に滑って行ってしまいました。木製の足場に引っ掛かりもせず、ツーッと凄い勢いで…。どうして引っ掛かったりしないんでしょう?
「サイオンで少しだけ浮いているのさ。リニアカーにちょっと似ているかもね、磁力じゃないけど」
子供ならではの発想だよ、と会長さんが微笑んでいます。なるほど…リニアカーですか…。だったらピラミッド自体も巨大滑り台になったりして…?
「かみお~ん♪ それって最高!」
うわわわわわ…。滑って行った筈の「そるじゃぁ・ぶるぅ」が目の前にヒョコッと出現しました。
「入口の所で待ってたんだけど、なかなか降りてこないから…。みんなも滑って降りればいいのに。とっても早くて楽しかったよ。また先に行って待ってるね~!」
ピューッと滑り降りていく「そるじゃぁ・ぶるぅ」。まさかピラミッド本体を滑る気になってしまったとか…?
「滑ると思うよ。君たちはラクダにでも乗っていたまえ」
会長さんの読みは大当たり。「そるじゃぁ・ぶるぅ」はピラミッド……それも3つある中の最大のヤツを滑り台にして遊ぶつもりでした。その前に3つとも中を見物しなくては、と歩き始めた私たちですが…。
「…痛い…」
ボソリと言ったのはジョミー君。
「まさか太陽が痛いだなんて! 腕がヒリヒリしてくるんだけど」
それは私も同感です。日焼け止めを塗ってきたというのに、肌が真っ赤になっていました。キース君もサム君も、シロエ君もスウェナちゃんも…みんな半袖から覗いた腕の痛さを実感中。長袖着用の会長さんたちは涼しい顔をしていますけど、あの長袖には日よけの意味があったんですか~! しかし後悔先に立たず。もう諦めて日焼けするしか…。
「マダーム」
後ろから声をかけられたのはその時でした。女子高生に向かってレディーならともかくマダムだなんて失礼な、と振り向くと色とりどりの布を籠に詰めたオジサンが立っています。ズルズルの民族衣装で頭には布。どう見ても土産物売りというヤツです。
「これ、日よけ、なるね。とってもチープね、みんな、買う、買う?」
派手な花模様の大きな布を肩にフワッとかぶせられると日差しがスパッと遮られました。これこそまさに地獄で仏。オジサンはキース君やジョミー君たちにも悪趣味な模様の布を次々にかぶせ、誰もがホッとした表情に…。ここで買わねば負け組です。私たちは財布を取り出し、言われるままに支払って…とてもいい買い物をしたと心の底から喜びながら次のピラミッドに入ったのですが。
「…君たちの買値、相場の百倍!」
会長さんがニヤリと笑って言い放ったのは空っぽの石棺がポツンと置かれた部屋でした。
「「「百倍!?」」」
そんな馬鹿な。多少はボラれたかもですけれど、いくらなんでも百倍は…。アルテメシアで似たようなものを買ったら多分値段はあのくらいですし…。
「物価が全然違うんだよ。ああいう時には値切らなくっちゃね。まあ、あの状況じゃあ…そんな余裕も無いだろうけど。いいかい、ラクダに乗る時はしっかり値切る! 相場は…」
会長さんがしっかり教えてくれたというのに、私たちはダメダメでした。いえ、ラクダ屋さんが百戦錬磨と言いましょうか。どう頑張っても相場の5倍以下には負けてはくれず、それ以上安くするなら乗せないとまで言われてしまい、仕方なく支払ってピラミッドを一周する旅に出てゆくと…。
「あっ、あそこ!」
私の前のラクダに乗っていたスウェナちゃんが指差しました。一番大きなピラミッドの斜面をピョンピョン跳ねて登って行くのは「そるじゃぁ・ぶるぅ」。確か登るのは禁止の筈です。なのに番人の人も観光客も全然気付いてないみたい。キース君たちも一列に連なったラクダの上からそっちの方を眺めています。
「かみお~ん♪」
御機嫌な声も他の人には届いていない様子でした。小さな身体のお蔭でピラミッドの大きさがよく分かりますが、どうして誰にもバレないんでしょう?
『シールドを張っているんだよ。見えないギャラリーの時と同じさ』
会長さんの思念が届き、2頭のラクダがやって来ました。会長さんとソルジャーが乗っかっています。
「君たちが高値で乗ってくれたお蔭で安く乗れたよ、ありがとう」
いいカモだよね、と顔を見合せている会長さんとソルジャーが支払った額を聞かされ、私たちは大ショックでした。なんと相場の半額以下。二人分でも1頭分より安いんです。
「君たちという上客を連れて来ただろう、と言ったら喜んでオマケしてくれたんだ。布を売ってた人も仲間だったらしくってさ」
「「「………」」」
涙目になりそうな私たちの耳に「かみお~ん♪」と雄叫びが聞こえ、大ピラミッドの頂上に着いた「そるじゃぁ・ぶるぅ」がピラミッドの斜面を滑り台にして一気に滑っていきました。会長さんとソルジャーはラクダに相場の半値以下で乗り、「そるじゃぁ・ぶるぅ」は巨大ピラミッドを遊び場に。三人とも旅を満喫しています。…私たち、これからどうなるんでしょう? 負けっぱなしはキツイんですけど…。
ピラミッドの滑り台遊びが気に入ったらしい「そるじゃぁ・ぶるぅ」は3つのピラミッドを全部滑って、最後に再び大ピラミッドに挑みました。ピラミッドの石はとても大きく、一段が「そるじゃぁ・ぶるぅ」の背丈くらいもあるんですけど、リニアカーみたいに少しだけ浮いて滑る分には全く問題なかったようです。
「楽しかったよ、ピラミッド! みんなも滑ってみればいいのに」
あんな大きな滑り台って見つからないし、と大喜びの「そるじゃぁ・ぶるぅ」は次に「ぶるぅ」が遊びに来たら一緒に滑ると言っています。瞬間移動でパッとやって来て滑りまくって遊ぶのでしょう。ソルジャーもその意見には大賛成で…。
「いいねえ、ぼくたちの世界じゃピラミッドはもう地球に残ってないらしいから……ぶるぅもきっと喜ぶよ。ぼくもラクダに乗りに来ようかな。地球といえば海が真っ先に浮かぶんだけど、砂漠もなかなか楽しいし…」
「だろう? ここは巨大なオアシスみたいなものだから」
さっき見てきた川がこの一帯を潤している、と会長さんが川の方角を指差します。地球で一番長い川だと習っていますが、案外川幅は小さいように思えました。ピラミッド見物の後はバスで川沿いに市街地へ戻って、夕食は川に浮かんだクルーズ船でのディナーです。そこで出て来たのは…セクシーな衣装のベリーダンサー。
「ふうん…。地球には変わったダンスがあるんだね」
ぼくたちの世界じゃ見かけないな、とソルジャーが面白そうに眺めていたのが悪かったのでしょうか。
「…おい、なんか俺たちの方を見てないか? 近付いてきてるように思うんだが…」
キース君の言うとおり、スパンコールやビーズで飾られた黒い衣装を煌めかせながらダンサーが距離を縮めてきています。オイルダラーのオジサンたちで賑わうテーブルの近くで踊っていたのに、いつの間にやらこっちの方へ…って、ひぃぃっ、私たちの背後で踊られても~! 腰をくねらせ、艶めかしい踊りを披露するなら別のテーブルに行った方が…って、会長さん?
「…まったく…。何をパニック起こしてるのさ、単なるサービスってヤツじゃないか」
しごく冷静な会長さんにジョミー君が。
「で、でも…。これって大人の人向けじゃないの?」
「民族舞踊だと思うんだけどねえ…。まあ、君たちにはちょっと刺激が強すぎるようだし、残念だけどお帰り願おうか」
ぼくにとっては目の保養なのに、と言いつつ会長さんが取り出したのは紙幣でした。それもこの国の最高額の。会長さんは紙幣を無造作に折り、やおら立ち上がるとダンサーの衣装の腰の部分にスッと挟んだではありませんか。
「「「!!!」」」
目が点になった私たちの前でダンサーは派手に腰を振ってみせると別のテーブルへ向かいました。か、会長さんって凄すぎるかも…。ダンサーの衣装の胸元や腰には紙幣が挟んでありましたけど、そういうのは全部おじ様たちからのチップってヤツで…。ソルジャーも呆気にとられています。
「シャングリラ・ジゴロ・ブルーの名前はダテじゃないっていうことか…」
「そりゃあね。…君には出来ない芸当かな?」
「出来ないことはないと思うけど、別にやりたいとも思わないしさ。ぼくは女性にはさほど興味が…」
「そこまで!」
十八歳未満の団体だよ、と会長さんがソルジャーを封じ、アヤシイ会話は打ち切られました。その夜から豪華ホテルに連泊をして、考古学博物館を見学したり、三大ピラミッドよりも古い時代のピラミッドを巡ってみたり、海底遺跡で知られた河口にある古い港町まで行って観光したり…と平穏な日々。ソルジャーの世界も平和らしくて、様子を見に帰る気配もないようです。
「今日はいよいよ王家の谷へ行けるんですね」
楽しみです、とシロエ君が言ったのは豪華な特急列車の中。快適なコンパートメントを幾つも押さえた私たちは食堂車で朝食を食べていました。自家用ジェットでひとっ飛びという案も出たんですけど、鉄道の旅も面白そうだと列車の中で一泊で…。えっ、通訳はついていないのかって? ついていません。タイプ・ブルーの会長さんが一緒ですから言葉の壁は無いも同然。ガイドさんはついているものの移動の足の手配がメインで、観光する時は私たちだけで行くというのが基本です。
「王家の谷ってファラオの呪いで有名だけど、呪いってホントにあるのかな?」
ジョミー君が尋ねた相手は会長さんではありませんでした。ハムエッグを頬張っていたソルジャーが赤い瞳を見開いて。
「…その質問を何故ぼくに?」
「えっ…。だってさ、世界は違うけど同じ地球があるっていうし……ピラミッドだってあったって言うし! だったらファラオの呪いもあったのかなぁ、って…。あったんだったら解明されているんじゃない?」
うわ。ジョミー君にしては鋭い指摘です。キース君がヒュウと口笛を吹いて。
「冴えてるな、ジョミー。確かにその手は使えそうだ」
「だろう? だから訊こうと思ってさ。…ファラオの呪いってホントにあった?」
興味津々の私たちにソルジャーは「残念ながら…」と肩を竦めてみせました。
「それについては君たちの世界の方が望みがあるんじゃないかと思うな。ぼくの世界にも王家の谷は確かにあったし、ファラオの呪いも歴史上の出来事として伝わってはいる。でもそこまででおしまいなんだ。歴史の中の点に過ぎない。…あまりにも昔の出来事な上に、王家の谷ももう無いからね」
「そうなんだ…。じゃあ、ファラオの呪いも一つだけ? 二十世紀のヤツだけだった?」
ジョミー君の問いにソルジャーはコクリと頷いて。
「うん、それだけしかぼくは知らない。呪いの正体についても仮説だけだ。…いっそ君たちが解明したら? この世界の未来はぼくの世界とは大きく違っていそうだしさ」
春休みのいい思い出になるよ、とソルジャーは笑って言いましたけど、春休みレベルで解決するような問題でしょうか、ファラオの呪い…。とにかくまずは見学です。乗り心地のいい特急列車に別れを告げた私たちは一旦ホテルにチェックイン。バルコニーの向こうに見える川の対岸が王家の谷のある場所でした。もしもファラオの呪いが解明できたら、私たち、一気に有名人かも~?
教頭先生からバレンタインデーのお返しを貰うのだ、と会長さんは上機嫌でした。正確に言えば絞り取るつもりらしいですけど、教頭先生のお財布、空っぽになってしまうのでは…。会長さんのバレンタインデーのプレゼントがアレだっただけに、なんとも心配でたまりません。
「いいんだよ。ハーレイに呼ばれているんだからさ」
ほらね、と会長さんが取り出したのは小さな封筒。今朝、「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお部屋に滑り込ませてあったそうです。壁から手だけを突っ込んで入れて行ったということでしょうが、差出人は教頭先生。
「放課後、教頭室にバレンタインデーのお返しを取りに来いっていうんだよね。じゃあ、行こうか」
立ち上がる会長さんにキース君が顔色を変えて。
「おい! 行こうか…って、俺たちもか?」
「当然だろう?」
会長さんは自信に溢れていました。
「この封筒、宛名が書かれていないんだよ。中のカードもおんなじだ。…つまりこの部屋を溜まり場にしている全員に権利があるってことさ」
「し、しかし…。俺たちはバレンタインデーには何もプレゼントしていないぞ。お邪魔虫になってしまうじゃないか!」
「そんなこと、今更気にしなくても…。こないだの打ち上げパーティーでぼくを脱がせようとしたハーレイだよ? あの時、みんな現場にいたからハーレイの下心ってヤツはバレバレだ。その報いだと思って耐えて貰うさ」
出かけるよ、と会長さんが促します。いつもの『見えないギャラリー』ではなく、堂々と一緒に来いという意味でした。もちろん「そるじゃぁ・ぶるぅ」もくっついてきて、私たちは会長さんを先頭にして本館へ…。階段を上り、廊下の先の重厚な扉を軽くノックする会長さん。
「失礼します」
「おお、来たか」
顔をほころばせた教頭先生でしたが、会長さんの後ろに続いた私たちを見るなり落胆して。
「…ブルー、この連中はいったい何だ?」
「えっ? お返しを取りに来いとは書いてあったけど、宛名が書いてなかったから…。とりあえず全員連れてきちゃった」
「…………」
教頭先生は額を押さえ、深い溜息をつきました。
「…私にバレンタインデーのプレゼントをくれたのは一人だけだと思うのだがな…。ブルー、人払いは出来ないのか?」
「人払い? そこまでしなくちゃ渡せないほど物騒なモノを用意したわけ? 用心棒を大勢連れて来て正解だったと思っちゃうな。…まさかハーレイもお返しは自分だなんて恐ろしいことは言わないだろうね?」
会長さんの軽口に頬を赤らめる教頭先生。えっ、もしかして本当に…教頭先生がお返しですか? 私たちの顔が引き攣り、会長さんの眉がピクリと動いて。
「…図星? ハーレイ、まさか学校でぼくを押し倒そうと…?」
「ち、違う…! いくらなんでもそこまでは…」
「そこまでは…? どうやら疚しい何かがありそうだね。お返しって何さ? 白状しないと心を読むよ」
ズイと近付いた会長さんに教頭先生は脂汗を浮かべ、引き出しから包みを取り出しました。
「…これを渡したかったんだ…。そのぅ…」
「伝えたいことはハッキリと! ぼくだけに伝わる思念波は禁止。さあ、堂々と声に出して!」
「……言葉にしないと駄目なのか…?」
「もちろん」
そうでなければ受け取れないよ、と不敵に笑う会長さん。教頭先生はリボンがかかった包みを手にして悩みまくっていたのですけど、会長さんが踵を返そうとした瞬間に。
「待ってくれ、ブルー! これは……このチケットは奮発したんだ。だから貰ってくれないか?」
「チケット…ね。コンサート? それともスポーツ観戦かな? 趣味じゃないのは困るんだけど…」
「…スイートルームだ」
教頭先生が拳を握り、会長さんをじっと見つめて。
「ホテル・アルテメシアのスイートルームのペアチケット。…お前の都合のいい日に、私と二人で泊まりに行こう」
なんと! 教頭先生、思い切ったモノを出して来ました。ヘタレ卒業か、御乱心なのか。会長さんと二人でホテル……それもスイートルームだなんて、エロドクターもビックリですよ!
とんでもないチケットを贈られてしまった会長さん。受け取るわけがないだろう、と私たちは思ったのですが…。
「ありがとう、ハーレイ」
会長さんは花のような笑みを浮かべてチケット入りの包みをしっかり貰ったのでした。教頭先生は感極まった様子で壁のカレンダーを眺め、震える声で。
「…ブルー、私の予定はまた改めて連絡しよう。…春休みの間に都合が合えばいいのだが…」
「ぼくの方はいつでもOK。ハーレイと違って仕事もないしね」
「そ、そうか…。そういえばそうだな、シャングリラ号に乗る時以外は暇なんだったな。では、私の予定次第というわけか」
「ううん、ぶるぅの気分次第さ。家のことは全部ぶるぅに任せているから」
たまには休みをあげないと、と会長さんは微笑んでいます。
「ぶるぅ、ハーレイがいいものくれたよ。ホテル・アルテメシアのスイートルームに泊まれるんだって。たまには二人でホテルもいいね」
「えっ、いいの? それ、ハーレイと使うんじゃあ…」
そう聞いたよ、と言う「そるじゃぁ・ぶるぅ」に会長さんはウインクして。
「平気だよ。ぼくが貰ったチケットだから、誰と行くかを決めるのはぼくだ。えっと…」
包みを開いた会長さんの瞳が嬉しそうに輝きました。
「うん、朝食つきのプランだね。ディナー券もあるし、有効期限も半年間。…ハーレイ、粋なプレゼントをありがとう。ぶるぅと存分に楽しんでくるよ」
「……ブルー……。そのチケットは私と二人で…」
「えっ? ハーレイと二人で…何さ?」
聞こえないよ、と会長さんは耳の後ろに手を当てます。
「ちゃんと大声で言ってくれないと…。最近、耳が遠いんだ。ぼくと二人でホテルに泊まって何をしようと思ってたって? ベッドに押し倒して嬲りまくろうとか、バスタブの中で…」
「ブルーっっっ!!!」
意味不明の単語を並べまくった会長さんを遮ったのは教頭先生。顔は真っ赤で額には汗がびっしりと…。
「も、もういい、ブルー…。すまん、私が悪かった。バレンタインデーのチョコはお前だなんて言っていたから、私も悪ノリしてみただけだ」
「………。本当に? それにしては奮発しすぎだけれど? あ、ダメ元っていうヤツだった?」
「…うっ…。ま、まあ……そんなところだ」
「なるほどね…。あわよくば、と良からぬことを思ってたワケだ。…ハーレイ、これは高くつくよ。ぼくをホテルに引っ張り込もうとしたっていうのが学校にバレたらどうなると思う?」
謹慎処分は間違いないね、と会長さんは冷たく笑いました。
「言い訳しようにも証人が大勢揃っているし、チケットだってあるわけだし…。卒業式を間近に控えて謹慎食らって大恥をかくか、口止め料を支払うか。…どっちがいい? って、聞くまでもないか」
蒼白になった教頭先生に会長さんはパチンと指を鳴らしてみせて。
「いいかい、恥をかきたくなかったら……ぼくが思念で伝えたとおりに。もしも従わなかった場合は、明日の朝一番でゼルの所に駆け込んじゃうから覚悟しといて」
「…………」
呆然としている教頭先生に「さよなら」と軽く手を振り、会長さんは教頭室を出て行きます。私たちも慌てて続きました。会長さんが教頭先生に何をするよう命令したのか、傍受できた人は一人もいません。まさか校内で裸エプロンをさせる気なんじゃあ…? ヒソヒソ話をしながら歩く私たちですが、教頭先生の運命や如何に…?
「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお部屋に帰り着く頃、私たちは教頭先生の末路は裸エプロンで校内一周という意見の一致を見ていました。先日、焼肉屋さんでやらかしたのと同じ方法で、一見スーツで実は…というヤツ。この時間でも部活の生徒が残っていますし、職員さんや先生たちは全員います。そこを回るのはかなり勇気が要るでしょう。
「…普通に一周するだけじゃないと思うわ」
スウェナちゃんが恐ろしいことを言い出しました。
「先生方に会ったら必ずお茶を飲んでいくとか、そういう何か余計なものが…」
「正門で仁王立ちとか、帰っていく生徒にもれなく声をかけるとか…?」
ありそうです、とシロエ君。この寒空にエプロン1枚とは、教頭先生、お気の毒に…。柔道で鍛えてらっしゃるだけに肉体的なダメージは少ないのかもしれませんけど、心の中はさぞ寒々と冷えて凍えることでしょう。ひょっとして、今頃はもう校内一周の旅に出ておられるとか…?
「…さっき出発したみたいだよ」
クスクスクスと会長さんが笑っています。奪い取って来た宿泊券の包みを広げ、中を確かめて満足そう。
「なにしろ急な話だらねえ、言い訳が大変そうだった。仕事も途中で放り出したし」
「全部あんたのせいだろうが!」
キース君の叫びを会長さんはサラッと無視しました。
「努力の成果はたっぷり拝見しなくちゃね。…君たちだって見たいだろう? だから今夜は遅くなりますって家に連絡しておいて」
「「「は?」」」
「遅くまでかかるって言ったんだよ。家の人に心配かけるといけないからね、今の間に」
有無を言わさぬ会長さん。教頭先生の校内裸エプロン行脚、やはり一周だけでは済まないようです。私たちは家に連絡を入れ、教頭先生が遭遇なさるであろう様々な難局に思いを巡らせていたのですが…。
「そろそろいいかな。ぶるぅ、ハーレイの様子はどうだい?」
「うん、バッチリ!」
会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」が頷き合って、私たちは鞄を持つように言われました。下校がてら教頭先生を見物するっていう趣向ですか? 会長さんは微笑んで…。
「まあね。それじゃ行くよ」
「かみお~ん♪」
パアッと青い光が溢れて身体がフワッと浮き上がります。瞬間移動でいったい何処へ…と思った次の瞬間、私たちは会長さんのマンションの前に立っていました。
「「「えっ…?」」」
見慣れた建物を見上げていると会長さんが暗証番号を打ち込んで玄関を開け、エレベータに乗って最上階に到着です。いつもはリビングとかに直接飛ぶのに、どうして今日は回り道を? いえ、それよりも校内を裸エプロンで歩いてらっしゃる教頭先生を見捨ててきちゃっていいんですか? 騒ぎ始めた私たちですが、もうどうしようもありません。
「…教頭先生、大丈夫でしょうか…?」
マツカ君が言い、サム君が。
「大丈夫だろ、ブルーはいつも完璧だから。そう簡単には裸だってことバレないって!」
「裸の王様って童話もあるけどね…」
一人くらいは見破るかも、とジョミー君。それを聞いたキース君の目が細められて…。
「…それを狙っているんじゃないだろうな? 騒ぎになった時にバックレるために俺たちを連れてトンズラしたとか…?」
「「「うわぁ……」」」
なんて悲惨な、と頭を抱える私たち。だったら遅くなるのも納得です。会長さんがそう簡単に教頭先生を助けに行くわけがありませんから、夜が更けるまでほったらかしの放置プレイで、他の先生方に糾弾される光景だけを中継で楽しみ続けるとか…。
「それもなかなかいい趣向だね」
でも、と会長さんが玄関のチャイムを鳴らしました。あれ? フィシスさんがお留守番をしてるのでしょうか? ガチャリ、と内側から扉が開いて…。
「お帰りなさいませ、御主人様」
「「「!!!!!」」」
私たちは通路の反対側まで飛びすざっていたと思います。こ、この光景はいったい何ごと~!?
玄関ホールに立っていたのは膝丈くらいの大きく膨らんだスカートが印象的な黒いドレスのメイドでした。レースとフリルで飾られた白いエプロンと可愛いキャップを着けていますが、ガタイの良さと浅黒い肌、くすんだ金髪はどう見ても…。
「「「教頭先生!?」」」
裸エプロンで校内巡りをしている筈の教頭先生がどうして此処に…? と、会長さんが口を開いて。
「君は誰なのか、と不思議がられているようだよ。今夜はぼくの家のメイドだけれど、その正体はシャングリラ学園教頭、ウィリアム・ハーレイ。…そうだよね?」
「…はい、御主人様…」
消え入りそうな声で答える教頭先生。会長さんは手に提げていた鞄を教頭先生に渡し、靴を脱いで家に上がると。
「ハーレイ、お客様たちにお茶とケーキをお出しして。夕食は舌平目のグラタンとチキンガーリックソテー、カブのスープが食べたいな」
「かしこまりました、御主人様」
教頭先生はお辞儀をしてからキッチンの方へ向かいます。えっと…「そるじゃぁ・ぶるぅ」はお手伝いをしないのかな?
「ぶるぅは今日はお休みだよ。ハーレイに全部やってもらうと決めたんだ。そうだよね、ぶるぅ?」
「うん! ぼくのレシピはキッチンにあるし、ハーレイは家で自分の御飯を作ってるから出来る筈だよ。…ちょっと時間はかかりそうだけど」
会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」は先に立ってリビングに入り、ソファに腰掛けてしまいました。私たちも座った所で教頭先生がワゴンを押して入ってきます。切り分けられたシフォンケーキは「そるじゃぁ・ぶるぅ」が作っておいたものらしいですが、紅茶とコーヒーは教頭先生が淹れたわけで…。
「気にしない、気にしない。冬休みにハーレイの家に泊まった時にも食事を作って貰っただろう? 安心してドンと任せるといいよ、今夜のハーレイはメイドだから」
偉そうに言い放つ会長さん。実際、ソルジャーの肩書きを持つ会長さんは教頭先生よりも地位は上なんですけど、普段の学校生活の中では教頭先生の方が強い立場です。なのにメイドにしてしまうなんて……こき使おうとしてるだなんて…!
「あんなチケットを寄越すからさ。ヘタレのくせに、時々突っ走るんだから」
会長さんの視線はキッチンで夕食の支度を始めた教頭先生を監視しているようでした。私たちには無理ですけれど、サイオンを使えば朝飯前のことらしいです。会長さんは教頭先生に貰ったチケットを宙に取り出し、ヒラヒラと振って。
「スイートルームのペアチケットなんて、暴走するにも程がある。…ノルディが寄越すなら分からないでもないんだけどね……癪だけど使い方もよく心得てたし。でもハーレイがあの部屋を使って何をすると? 下手くそなキスくらいしか出来ないくせに。キスマークだってつけるだけでは意味ないんだよ」
ヘタレっぷりはバレバレだから、と去年の春休みのシャングリラ号での一件を引き合いに出す会長さん。私たちがシャングリラ号に乗り込んだ時、会長さんは教頭先生を青の間に呼び出してオモチャにして遊んだのでした。
「…だからといってメイドというのは…」
あんまりじゃないか、と言ったキース君に会長さんは。
「じゃあ、君たちの想像どおりに裸エプロンの方が良かったと? 今からそっちに切り替えたっていいんだけどね、まだ先生も職員さんも残っているし、サッカー部とかも活動中だし…送り返そうか、学校に?」
「い、いや…。それよりは…」
「ずっとマシだろう、メイドの方が? 元から計画してはいたんだ、チケットの件がなくても…ね。チョコレート・スパのお返しだからハーレイにも身体を張って貰おうか、と。そしたらチケットを出してきたから、もう問題は無いと思うんだ。…悪戯じゃなくて仕返しってことで」
ぼくは無罪さ、と会長さんは余裕たっぷりでした。教頭先生も裸エプロンで校内一周よりかはメイドさんがいいと思うでしょうけど、それにしたってあの格好は…。会長さんが言うにはメイド服は「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお手製で、教頭先生の早退の理由は「急な腹痛」。会長さんの家には瞬間移動で送り込まれて私たちを出迎えたのだそうです。
「御主人様、お夕食の用意が整いました」
教頭先生が作ってくれたカブのスープに舌平目のグラタンとチキンのガーリックソテー。温野菜のサラダもいける味です。多分「そるじゃぁ・ぶるぅ」のレシピが細かく書かれているのでしょう。デザートはなんとキャラメル仕立ての焼きリンゴ! 教頭先生、頑張ってます~。そして食事が終わった後は…。
「ああ、ハーレイ。お客様たちが裸エプロンを御所望だそうだ」
「「「えぇっ!?」」」
そんなこと誰も言ってないのに、会長さんは勝手に話を進めました。
「いいね、ぼくがサイオンでスーツ姿に見せかける。君は玄関から下の駐車場から車に乗って、学校まで行って帰ってくること。…そうそう、学校に着いたら守衛さんに忘れ物をしたからと言って中へ入って貰おうか。で、入った証拠に教頭室から君の置き傘を取ってくるんだ」
「ちょっ……ブルー!!」
「御主人様と呼べ、と言った筈だよ。ぼくの命令は絶対だ。…返事は?」
「はい…御主人様…」
泣きそうな顔の教頭先生。青いサイオンがキラッと光り、教頭先生のメイド服がエプロンを残して消え失せました。車のキーを渡された教頭先生がどうなったかは語るまでもありません。私たちは全てを会長さんのサイオン中継で見ていましたけど、他の人の目にはスーツ姿に映るというのに私たちが見ると裸エプロン。裸エプロンでの運転姿は最高に笑える光景でした。置き傘を持って戻った教頭先生を待っていたのは…。
「御苦労さま。君の任務はこれでおしまい。…帰ってくれていいからね」
「ありがとうございます、御主人様」
「ブルーでいいよ。それじゃ、さよなら」
会長さんがニッコリ微笑み、教頭先生はホッとした様子で裸エプロンのままリビングを出て行ったのですが。
「ブルー!!!」
バタバタという足音と共に凄い勢いで戻って来ると、扉から顔を覗かせて。
「私の服を何処へやった!? 着替えて吊っておいた筈だが…」
「ああ、瞬間移動で君の家に送ったけれど…。悪かったかな? 服ならメイドのがあるだろう」
「私にアレを着て帰れと…?」
「要らないのかい? 嫌なら裸エプロンのままでもいいよ。ただしサイオンで細工はしてあげないから、途中で警察に捕まるかもね」
どこから見ても変態だし、と会長さんは冷たい目です。
「メイド服なら仮装パーティーの帰りってことで通るだろうけど、裸エプロンは無理だろうねえ…。どうする、ハーレイ? 裸エプロン? それともメイド?」
「…エプロンなしのメイドでいいっ!」
「それは不可。メイド服ならエプロン付きで」
結局、教頭先生はメイド服一式を着込んで帰らされる羽目になりました。私たちは散々笑い転げて夜遅くまで会長さんのマンションで騒ぎまくっていたんですけど、裸エプロンで学校まで…という悪戯が私たちのせいか会長さんの思い付きかは、最後まで謎で終わったのでした。
繰り上げホワイトデーの三日後は卒業式。いよいよアルトちゃんとrちゃんが卒業です。その前夜、グッスリ眠っていると…。
『起きて。そして何でもいいから、外に出られる服を着て』
会長さんからの思念波が届き、着替えをすると青い光に包まれて…。
「「「あれっ?」」」
ジョミー君たちの驚いた声が聞こえました。私たちはシャングリラ学園の校庭にいて、会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」の姿もあります。その他に見える人影は…ボナール先輩にパスカル先輩、欠席大王のジルベールまで!?
「いやあ、今年はウチの同好会から卒業生が出るもんでな」
ボナール先輩は大きな袋を提げていました。こんな夜中に何をしに…?
「シャングリラ学園の伝統だよ」
そう言ったのは会長さん。
「いつもはぼくがやってるけれど、やりたいって仲間は多いんだよね。で、パスカルとボナールが今年は数学同好会に権利をくれって言ってきて…。アルトさんたちがお世話になったし、ここは譲っておくべきだろうと」
「「「???」」」
「でも来年はぼくがやる。その時は君たちにも手伝って欲しいと思ってるから…後学のために呼んだんだ」
「おい。話が全然見えないんだが」
キース君の質問に会長さんはクスッと笑って。
「すぐに分かるさ。ほら、始まった」
会長さんが指差す先でパスカル先輩が梯子をかけようとしていました。校長先生の銅像に…です。ボナール先輩やセルジュ君たちが袋を持って周囲に集まり、ジルベールが提げているのはバケツ。数学同好会の面々は袋から取り出したパーツを次々にパスカル先輩に渡し、最後に交代したボナール先輩が塗料が入ったバケツ片手に梯子を登って…。
「どうだ、俺たちの力作だぞ! ブルーには絶対出来ないネタだ。これから先は更に無理だな、キースという新たな面子が増えたし」
「……悔しいけれどその通りだよ……」
会長さんが唇を尖らせて見ている前で銅像の台座に張り紙がペタリとくっつけられます。キース君が張り紙と像を交互に眺めて「罰当たりな…」と呟きました。書かれた文字は『創立者坊主』。校長先生の像は大きな笠をかぶって錫杖を持ったお坊さんの姿に変身させられ、ご丁寧に数珠まで持たされていたり…。しかも全身、塗料でしっかりブロンズ色。そういえばこの像、去年は『くいだおれ人形』に変身してましたっけ。
「これ、目からビームが出るんだぜ」
パスカル先輩が自慢しました。
「俺のケータイがリモコン代わりになっててさ。目からビームはこのボタンな。でもって、こっちのボタンを押すと、お数珠パンチで数珠が飛び出す」
バヒューン…と数珠が飛んで行くのを私たちは点になった目で見送りました。卒業式にビームもパンチも必要ないと思うのですが、数学同好会って何を考えているんでしょうか…。しかし会長さんは私たちの方を振り返って。
「シロエ。君はメカには強かったよね?」
「え? は、はいっ!」
「来年から君に頑張ってもらう。目からビームは標準装備だ」
「「「えぇぇっ!?」」」
そんな馬鹿な、と騒いでいる内に数学同好会の人たちは撤収していってしまいました。残されたのはお坊さんと化した校長先生の銅像だけ。来年の卒業式にはこの像を何かに変身させろと? しかも目からのビームとセットで…。ちょっとクラクラしてきましたけど、伝統だったら仕方ないかな? 私たちは苦笑し合って、青い光に包まれて…気付いたら自分の部屋にいて。ひと眠りしたら卒業式の朝でした。
「アルトさんたち、卒業だね」
制服を着て登校するとジョミー君に声をかけられました。キース君もサム君も、みんな銅像の前に集まっています。一般の生徒も像を見上げて騒いでますけど、アルトちゃんにrちゃん、数学同好会の面々も銅像前にいたりして…。
「かみお~ん♪ アルトもrも卒業だよね」
クルリと宙返りしながら出現したのは「そるじゃぁ・ぶるぅ」。会長さんが笑顔で歩いてきます。
「アルトさん、rさん。…二人とも卒業おめでとう。君たちに似合うドレスを用意したから、式の前に着替えてくれるかな? もちろん、ぼくからのプレゼントだよ」
遠慮しないで、と二人の手を取り、連れて行こうとする会長さん。これがホントの両手に花?
「くそっ、相変わらず気障なヤツだぜ」
ボナール先輩が舌打ちをして、パスカル先輩が上着の中からケータイを…。
「アルト、r、二人とも今日はおめでとう! 数学同好会からのお祝いメッセージは目からビームだ!」
キラッと銅像の目が輝いて、校舎の壁に「おめでとう」の文字が浮かびました。ワッと大きな歓声が上がり、パスカル先輩は得意顔。
「ついでに祝砲、お数珠パーンチ!」
銅像の手から飛び出した数珠が空中でパァン! と音を立てて弾け、紙吹雪がヒラヒラと舞い降ります。アルトちゃんとrちゃんは感激に頬を染め、会長さんにエスコートされて講堂へ入っていったのでした。卒業式では二人とも華やかなドレス。クラスメイトに仮装させられて卒業式に出た私たちとは大違いです。校長先生の挨拶に「そるじゃぁ・ぶるぅ」が登場しての三本締め。卒業式はつつがなく終わり、アルトちゃんとrちゃんは無事に卒業していきました。
「…行っちまったな…」
キース君がポツリと呟き、マツカ君が。
「二人ともシャングリラ号に乗るんですよね。また学校に来るでしょうか?」
「来るわよ、きっと」
会長さんがいるんだもの、とスウェナちゃんが言い終わる前に。
「呼んだ?」
「かみお~ん♪」
会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」がヒョイと姿を現して。
「卒業式が終わってしまうと特別生の出番はないよ。明日から怠惰な春休みだ。もちろん登校してもいいけど」
「ぼくのお部屋も開いてるよ! 授業に出なくても遊びに来てね」
待ってるから、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」はニコニコ顔です。そっか、春休み扱いになっちゃうんですね。そういえばグレイブ先生が終礼の時にそんな話をしていたような…。だけどなんだかピンと来ません。きっと明日からも普通の日々。シャングリラ学園特別生の1年目は終わったみたいですけど、まだまだ遊び足りないんです~!