シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。
1年A組は学園祭で『そるじゃぁ・ぶるぅの生活』というテーマでクラス展示をすることになりました。A組に在籍している影の生徒会メンバー5人は、展示内容の充実のため「そるじゃぁ・ぶるぅ」の生活に二十四時間密着しようと土日を利用して泊り込み取材の真っ最中。美味しい昼食と午後のおやつを食べさせて貰って大満足なのは普段と全く変わりませんが、スウェナちゃんが写真を撮ったり、キース君がメモを取ったりしています。
「えっと、レシピも取材するの?隠し味は秘密にしておいてね」
などと言いつつ、「そるじゃぁ・ぶるぅ」は全面的に協力してくれ、アッという間に夕方に。そろそろ晩御飯の支度にかかるのかな、と思っていたら会長さんがソファからゆっくり立ち上がりました。
「そろそろ家に帰らなきゃね」
え?家って…帰るって、私たち、お泊りで取材をしたいんですけど~!
「違うよ。帰れと言ってるわけじゃなくって、ぼくとぶるぅの家に帰らなきゃっていう意味なんだけど」
「「「家!??」」」
私たちはビックリ仰天。今夜は「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお部屋で雑魚寝だと思っていたのです。此処は「そるじゃぁ・ぶるぅ」の家ではなかったんですか?
「まさか。ぶるぅはシャングリラ学園のマスコットだけど、だからといって学校に住んでるわけじゃない。夜はちゃんと家に帰って寝るんだよ。誰も来そうにない週末とか、長期休暇の時は一日中家で過ごすこともあるし」
「…そうだったんだ…」
ジョミー君が呟く横でキース君がメモを書いています。これは確かに特筆すべき事実でしょう。会長さんは「そるじゃぁ・ぶるぅ」と二人がかりで家まで私たち全員を瞬間移動させるから、荷物を持って部屋の真ん中に集まるようにと指示しました。ドキドキしながら肩を寄せ合って立ち、フワッと浮き上がる感覚がして。
「ようこそ、ぼくとぶるぅの家へ」
移動した先は広いリビングルームでした。「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお部屋とよく似ています。違うのは大きな窓があって、外の景色が見えること。どうやらマンションの一室みたいです。
「あっ、あそこ…。もしかしてアルテメシア公園じゃない?」
スウェナちゃんが指差す先に見えていたのはアルテメシア公園と後ろに続く山並み。この見え方だと、ここは十階くらいでしょうか?
「うん。ぼくたちの部屋が最上階なんだ。小さなマンションだから、ぼくとぶるぅはフロア全部を使ってる。下の階はもう少し戸数があって、シャングリラ学園の関係者ばかりが住んでるんだけどね」
それから会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」は家の中を案内してくれました。立派なキッチンやバスルームや…ゲストルームも幾つかあります。私たちはそこに泊めてもらえるのだとか。一番最後に案内されたのは会長さんの寝室でした。青で統一され、照明もかなり暗めの落ち着いた部屋に、立派なベッド。会長さんの普段の言動が『シャングリラ・ジゴロ・ブルー』なだけに、ちょっぴり顔が熱くなります。慌ててベッドから視線を移した先にあったのは…。
「…ここにも土鍋が置いてあるのか」
呆れたような声を出したのはキース君。青い照明のせいで海の中にいるような感じの部屋に不似合いな大きな土鍋が床の上にドンと置かれていました。
「だって。ぼくの寝床だもん。…土鍋が一番落ち着くんだよ」
「そうかな?ぼくのベッドにもぐり込んでる時もあるじゃないか」
会長さんの笑いを含んだ言葉に「そるじゃぁ・ぶるぅ」はプゥッと頬っぺたを膨らませて。
「いつもは一人で寝られるもん!…怖いテレビとか見ちゃった時だけ、一人で寝るのが怖いんだもん!」
「…なるほど。怖い話が苦手なようだな」
キース君のメモにまた新しい事実が加わりました。家の案内はこれで最後で、リビングに戻ってジュースとかを出してもらったんですけども…。フィシスさんの部屋ってあったかな?会長さんがいつか「フィシスの部屋はぜひ見て欲しい」みたいなことを言ってましたが。
「フィシスは別のフロアに住んでるんだよ。ぼくの家にもよく来るけれど、どの部屋を使っているかは今はまだ教えられないな」
うーん…。ゲストルームのどれかでしょうか?ともかく一緒に住んでるわけではないみたいです。安心したような、気が抜けたような…。
「だって、結婚してるわけじゃないしね。校則は守っておかないと。…男女の深い交際がバレたら退学ってことは知ってるだろう?」
意味深なことを言う会長さんに私たちは頭を抱えました。じゃあ、やっぱりさっき見てきた部屋のどれかがフィシスさんのための部屋なんです。ゲストルームの内装は全部違いましたし、きっとあの中にその部屋が…。そして会長さんの寝室か、ゲストルームのベッドかのどちらかで…ひょっとしたら両方ともで会長さんとフィシスさんが…。
「詮索したくなる気持ちは分かるけど。…君たち、何か忘れてないかい?取材するのはぶるぅだろう?」
会長さんに言われて目的を思い出した時には「そるじゃぁ・ぶるぅ」はいませんでした。大失態、というヤツです。
「ぶるぅはキッチンに行ってるよ。晩御飯の仕上げをしている筈さ」
私たちは慌ててキッチンに走り、大きなお鍋でカレーを煮込んでいた「そるじゃぁ・ぶるぅ」を捕まえました。カレーは昨日から仕込んでいたらしいので、自慢のスパイスの配合などを聞き出している間に炊飯器のご飯が炊き上がります。冷蔵庫からサラダも出てきて、ダイニングの大きなテーブルでみんな揃って晩御飯…だと思ったのですが。
「ブルーは後で食べるんだよね?」
お皿にカレーライスを盛りつけながら「そるじゃぁ・ぶるぅ」が尋ねました。
「うん。…みんなは先に食べていて」
急な来客があるのだそうで、会長さんはお客様と夕食を食べるらしいです。私たちは「そるじゃぁ・ぶるぅ」特製カレーライスに舌鼓を打ち、もちろん写真も何枚か撮って…テーブルの上を片付けて。お皿洗いなどは全部「そるじゃぁ・ぶるぅ」がテキパキとやってしまうので、家事のコツなども頑張って取材しました。外はすっかり真っ暗になり、時計を見ると8時前。こんな時間からお客様が…?
「そろそろかな。…ぶるぅ、悪いけどみんなと一緒に奥に行ってて」
「うん!カレーは温めるだけでいいからね」
元気に返事した「そるじゃぁ・ぶるぅ」に連れられ、私たちはダイニングを後にしました。
「…えっと…。勝手に入っていいんですか?」
心配そうな顔のマツカ君。私たちが案内されたのは、よりにもよって会長さんの寝室でした。
「ブルーがここにいてくれって言ってたよ?ぼくの取材に来たんでしょ。せっかくだから土鍋の説明をしてあげるね」
素材と形にこだわったという「そるじゃぁ・ぶるぅ」専用の土鍋。寝心地の良さの秘密は身体にフィットするカーブにあるとか、冬は暖かくて夏は冷たいらしい土鍋の素材に関する薀蓄とかに耳を傾けていると、チャイムの音が鳴りました。
「あ、来たみたい。…ちょっと待ってね」
壁際に行った「そるじゃぁ・ぶるぅ」が端末を操作しています。見る間に壁がスクリーンに変わり、映し出されたのは玄関先。そこには会長さんと教頭先生が立っていました。お客様って教頭先生だったんですか!
「ようこそ、ハーレイ。よく来てくれたね」
スピーカーから会長さんの声が聞こえてきます。教頭先生は会長さんに手土産らしいケーキの箱を渡して、やや緊張した面持ちで。
「ぶるぅの姿が見えないな。あいつなら十個は軽いと思ってケーキを多めに買ってきたぞ」
「ぶるぅは食べ歩きに出かけたよ。遠出するから明日の朝まで帰ってこないと言ったんだ。…一人で夕食って味気ないしね、来てくれてとても嬉しいな。なんだか家庭訪問みたいだけれど」
ええっ!?「そるじゃぁ・ぶるぅ」はここにいますし、私たちだってお邪魔してるのに、会長さんはどうして嘘を?なんだか嫌な予感がしてきたような…。
「なるほど、家庭訪問か。夜に来るのは初めてだから緊張したが、家庭訪問だと思えば気が楽になるな」
「じゃあ、家庭訪問ってことでゆっくりしてよ」
会長さんは教頭先生をダイニングのテーブルに案内し、カレーライスとサラダを2人分並べました。
「ハーレイに食べてもらいたくって、手料理に挑戦してみたんだ。…これが精一杯だったけど」
手料理という言葉を聞いた教頭先生は感激しているようでした。散々な目に遭わされてきても、会長さんに御執心なのは今も変わってないわけです。その会長さんの手料理となれば天にも昇る心地でしょうが、本当は「そるじゃぁ・ぶるぅ」が作ったと知ったら心底ガッカリしてしまうかも…。
「これは美味いな。ブルー、なかなか才能があるぞ」
「よかった。…じゃあ、いつでもお嫁に行けるかな?」
会長さんがニッコリ笑い、教頭先生の手がスプーンを握ったまま硬直しました。
「よ、嫁って…。まさか…」
「行かないよ。でも、ハーレイを呼んだこととは関係あるんだ。…この間、ぼくにプロポーズしてくれたよね。婚約する、って騙した時」
マツカ君の家の執事さんとの婚約騒動は私たちもハッキリ覚えています。教頭先生は真っ赤になってしまいました。想いをこめて会長さんにプロポーズしたのに、からかわれただけだったんですから。
「…あれから、ぼくも考えたんだよ。ハーレイが本気だったのはよく分かったし、もしかしたら…ぼくを一番大切にしてくれる人はハーレイなのかもしれない、って」
「…ブルー…?」
「女の子とは今まで色々と付き合ってきたし、フィシスもいる。だから男なんて眼中になかったんだけど…ハーレイのプロポーズを聞いて思ったんだ。…食わず嫌いってよくないよね。…ハーレイがその気になってくれたら、だけど…。…その……」
会長さんは口ごもりながら教頭先生に揺れる瞳を向けて。
「……泊っていってくれないかなぁ、って…」
「………!!」
どう聞いても誘っているとしか思えない言葉に教頭先生は息を飲み、私たちは「またか」と溜息です。会長さんが本気だなんて有り得ませんし、教頭先生は騙されてるに決まっているのに…これが惚れた弱みというものでしょうか。すっかりその気になってしまって、長い時間をかけて会長さんの意思を確かめて。
「…本当にいいのか、ブルー?」
「うん。…ハーレイがかまわないのなら」
会長さんが教頭先生の首に腕を回すと、教頭先生の逞しい腕が会長さんを軽々と抱き上げました。そしてダイニングを出て、会長さんの小さな声が促すままに歩き始めたその先は…。
「ちょっ…。ヤバイよ、これ!」
ジョミー君が叫び、私たちは逃げようとしたのですが…ドアから出れば教頭先生と鉢合わせしてしまいます。何処か…何処か、隠れる場所は!?右往左往していた時間はとんでもなく長く感じられたものの、実際は1分も無かったでしょう。ガチャ、と音がしてドアが開いて、サッと光が差し込みました。
「「「きゃーっっっ!!!」」」
会長さんを両手で抱いた教頭先生が目にしたものは、「そるじゃぁ・ぶるぅ」と無様に逃げ惑う5人の生徒。スクリーンの映像は消され、「そるじゃぁ・ぶるぅ」が寝室の真ん中に立っていました。私たちの方は壁に張り付いていたり、床に伏せたり、ベッドの下に頭だけを突っ込んでいたり。誰がどれかは語りたいとも思いません。私は「そるじゃぁ・ぶるぅ」のマントの中に隠れようとして身体がはみ出た状態でした。
「………!!!」
固まってしまった教頭先生の腕をほどいて、会長さんが床に滑り降ります。
「…泊っていってくれるよね、ハーレイ?…ちょっとギャラリーが多いけれども」
ねえ?と背伸びした会長さんの手が教頭先生の首に絡みつき、誘惑するように顔を上向けて。
「…かまわない、って言ったじゃないか。それとも…これじゃ気が散ってどうにもならない?」
教頭先生は気の毒なほど青ざめて硬直していました。石像と化してしまったように指一本すら動かせません。会長さんがクスクスと笑い、青い閃光が走った次の瞬間、教頭先生の姿はかき消すように見えなくなって。
「ふふ。…おやすみ、ハーレイ」
自宅のベッドに送ったよ、と会長さんが笑っています。
「ヘタレのわりには、よく頑張ったと思わないかい?…ギャラリーさえ気にならなければ、ぼくをモノにすることができたのに…まだまだだね」
「…あ…あんたというヤツは…」
隠れ場所から出たキース君が震える声で言いました。
「心にもないことをサラッと言うな!…ギャラリーどころか子供まで揃えて、最初っから出鼻をくじく気だったんだろうが!!」
「…そうでもないよ?ギャラリーを気にしないんなら、夢くらいは…ね」
見せてあげてもよかったんだ、と会長さん。その横で「そるじゃぁ・ぶるぅ」が残念そうな顔をしています。
「ねぇねぇ、ハーレイ、お家に帰しちゃったの?…お泊りするかも、って言ってたのに」
「もしかしたら、って言っただろう?…多分ダメだと思っていたさ」
「そっか…。まぁいいや、今日はお客様、沢山いるしね♪」
それから私たちは気を取り直して「そるじゃぁ・ぶるぅ」の取材を再開。会長さんが後で教えてくれたのですが、教頭先生の家はマンションではなく、シャングリラ学園の教員ばかりが住んでいる住宅地の中にあるそうです。
思いも寄らないハプニングこそありましたけど、二十四時間密着取材はなんとか無事に終りました。マンションのお部屋には翌日のお昼御飯まで居て、瞬間移動でシャングリラ学園の「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお部屋に戻って…。
「…レポートにはどこまで書いたらいいんだろう…」
ポツリと呟いたのはジョミー君。教頭先生誘惑事件は発禁モノですし、瞬間移動のことも書けません。「そるじゃぁ・ぶるぅ」の家が別の所にあるのはいいとして、所在地を書くのはまずいかも…。
「メシと風呂と寝る時間。…あとはトイレとレシピくらいか。家事のコツはウケるかどうか分からないし」
キース君がメモを見ながら言いました。なんだか中身が無いようですけど、絵日記よりかはマシでしょうか?
「大丈夫!…レポートの仕上げはぼくに任せて♪」
突き出されたのは「そるじゃぁ・ぶるぅ」の右手でした。
「赤い手形はパーフェクト!…これでいいかな、っていうのが出来たら手形を押してあげるから」
おおっ!その手がありましたっけ。私たちのレポートはほんの1日で出来上がりました。赤い手形が押されたそれを見て、グレイブ先生もクラスメイトも大満足。「そるじゃぁ・ぶるぅ」の写真も順調に揃い、学園祭の準備はバッチリです。そうそう、会長さんの家を訪問し損ねたサム君とシロエ君は、私たちが行った翌日の放課後に連れて行ってもらって夕食を御馳走になり、ゲストルームに泊ったとか。
「…教頭先生は来なかったか?」
キース君の問いに二人は首を横に振り、怪訝そうな顔をしていました。どうやら平穏無事なお宅訪問をしてきたようです。私たちが見てしまったモノをどうするべきか、と思っていたら…。
「「ひぃぃぃっ!!」」
サム君とシロエ君が額を押さえ、会長さんが悪戯っぽい笑みを浮かべています。
「…君たちの記憶を共有させたよ。せっかくの仲間なんだし、公平なのが一番だよね」
こうして教頭先生の夜の家庭訪問事件は影の生徒会室メンバー全てに知れ渡ってしまったのでした。あれだけ弄ばれても教頭先生は諦めないで会長さんを追うのでしょうか?…今回ばかりは立ち直れないかもしれませんけど、逆に燃え上がっていたりして…。教頭先生が報われる日は多分こないと思うんですが。
学園祭が近づいてきました。お祭り騒ぎが楽しみなのははもちろんですが、クラスごとにテーマを決めて展示をするか、劇をするかを選択しないといけません。提出期限の日の朝、A組の一番後ろにはまた会長さんの机が増えていました。会長さんはアルトちゃんとrちゃんに声をかけ、何か話をしています。そこへガラリと扉が開いて。
「諸君、おはよう。…またブルーが来ているのか」
グレイブ先生は溜息をつき、学園祭で何をするかを決定するためのホームルームを始めました。
「いいか、展示か演劇か…だ。順位がつけられるわけではないから、私の意見は特に無い。ついでに言うと、諸君にはあまり期待はしていないのだ。…このクラスはブルーに頼りっぱなしで遊び惚けているからな」
誰も反論しませんでした。テストも球技大会も水泳大会も、会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」に助けてもらって1位を取ってきたA組です。楽をすることに馴れきっていて、自分たちの力で何かをしようなんて思ったこともないんですから。
「とにかく今日が提出期限だ。展示をするのか劇をしたいのか、それくらいは決断してくれないとな」
多数決で決めることになり、無記名投票をやった結果は…。グレイブ先生が黒板に「正」の字を書いていったのですが、全く同じ数の票が入って意見は割れてしまいました。でも…。あれ?会長さんの机が増えてるってことは、同数になることは有り得ませんが…。
「誰だ、投票しなかったヤツは?」
グレイブ先生の瞳が眼鏡の奥でキラッと鋭く光ります。みんなはブンブンと首を横に振り、自分ではないと必死にアピール。私だってちゃんと投票しました。第一、教卓の前に置かれた投票箱に席の順番に一人ずつ入れに行ったんですから、白紙投票ということはあっても棄権は絶対不可能です。
「…しらばっくれるな。さっさと自首して、演劇か展示か意見を述べろ。それで決着がつくんだからな」
5分経っても誰も名乗り出ず、グレイブ先生はイライラしながらチョークで黒板を叩きました。
「いい加減にしろ!」
カッ、と音がして白いチョークの破片が飛び散ります。欠けたチョークで「正」の字を上から順にカツカツと数え、声を張り上げて。
「名乗り出ないのなら、私にも考えがある。…怠慢なA組諸君に勤勉に働いて貰おうか。学園祭は展示と演劇、両方を希望ということにしよう。早速、展示のテーマと劇の演目を決めねばならん」
「「「えぇぇぇぇっ!?」」」
悲鳴と怒号が飛び交いました。両方だなんて無理に決まっています。
「これは連帯責任だ。誰かが投票しなかったせいで両方することになったわけだが、それでも名乗り出る気はないのかね…投票しなかった誰かさんは?君が手を上げて自分の意見を述べれば、片方だけで済むのだぞ」
戦犯、という言葉が頭に浮かびました。でなきゃスケープゴートです。とにかく誰かが名乗り出れば…。疑心暗鬼に陥った教室の一番後ろで会長さんがスッと手を上げました。
「ブルー、お前か!」
グレイブ先生が勝ち誇った笑みを浮かべた時。
「ぼくじゃない。…それより、グレイブ。君は数学担当だったと思ったが…」
「そうとも、私は数学教師だ。数学同好会の顧問でもある。それがいったい何だというのだ」
「…計算が出来ないみたいだから」
「なんだと!?」
目を吊り上げたグレイブ先生に向かって、会長さんは静かな口調で。
「怒ると血圧が上がってしまうよ。それより票の数を落ち着いて計算した方がいい。…今、教室には何人いる?」
グレイブ先生は「正」の字の数を数え、振り返って生徒の数を数えて。
「………。余計に投票したヤツは誰だ!?」
あらら。会長さんが指摘したとおり、票は1票余計でした。誰かが余分に入れた票のせいで同数になっているだけです。1票多く投じるチャンスは誰にでもあったわけなんですから、先生の目を盗んだ誰かを探して余計な票を取り下げさせれば問題は簡単に解決します。でも、誰が…?教室中がザワザワする中、会長さんが立ち上がって。
「いつまでも隠れていないで出ておいで。…かくれんぼの時間は終わりだよ、ぶるぅ」
投票箱がガタガタと揺れ、蓋が勢いよく吹っ飛びました。
「かみお~ん!!!」
あんな箱にどうやって入っていたのか、クルンと宙返りして降り立ったのは「そるじゃぁ・ぶるぅ」。
「ぼく、劇がいい!!」
騒然となった教室に無邪気な声が響きました。
「あのね、あのね…。ぼく、劇に出てみたかったんだ。だから1票入れたんだよ」
記入した紙を持って箱に入って、箱を開けて票を取り出す間はロッカーの中に隠れてたんだ…と得意そうです。
「……。無効だな。私が配った投票用紙と違うものに書かれた意見は無効だ」
グレイブ先生が淡々と告げ、黒板に書かれた「正」の字の中から1画分をササッと消して。
「1年A組はクラス展示をすることになった。テーマの決定は諸君に任せる」
そしてホームルームはテーマを決めるための臨時会議となったのでした。
クラス単位の展示と言われても、案は簡単に出てきません。喫茶店とかお化け屋敷はダメなんですか、という提案はグレイブ先生に一言の下にはねつけられてしまいまいした。
「そういうのは催し物というのだ。展示の他に手がけるクラスもあるが、展示内容が手抜きにならないように努力している。諸君に両立は出来ないだろう」
写真でもパネル展示でもなんでもいいから発表することが大切なのだ、と言われても…。悩みまくる私たちの机の間を「そるじゃぁ・ぶるぅ」がトコトコ歩き回っています。劇の方に決まっていたら張り切って騒いでいたのでしょうが、展示ということになりましたから、退屈そうに欠伸をしては。
「…まだ決まらないの?やっぱり劇の方にしようよ」
ねえねえ、と未練たっぷりですけど、不正行為はいけませんよね。それにしても展示のテーマ、何にも思いつかないんですけれど…。退屈しきった「そるじゃぁ・ぶるぅ」は何処からかアイスキャンデーを取り出し、美味しそうに舐め始めました。影の生徒会室に通うメンバーのにとっては、ごくありふれた風景です。ところが、この姿を見てピンときたクラスメイトが一人。
「そうだ、チラシで見た顔だ!」
男の子の一人が立ち上がって大声で叫びました。
「そるじゃぁ・ぶるぅ研究会っていうのがあるじゃないか。あそこのチラシに刷ってあったの、アイスキャンデーを食べてる写真で…。お宝写真だとか言って自慢してるのを確かに聞いたぜ」
そういえば、そんな事件もありました。クラブ見学に回ってた時、チラシを持った研究会の人たちに取り囲まれて危機一髪で。親睦ダンスパーティーの時も『そるじゃぁ・ぶるぅ研究会』は現れましたが、その後は平穏無事だったのですっかり忘れていたんです。
「研究会まで出来てるヤツが俺たちのクラスに来てるんだから、こいつの写真を飾っておけば凄い展示になるんじゃないか?みんなが撮った写真を寄せ集めたら枚数もかなり稼げるだろうし」
「いいかも!…入学式の時に校長先生が言ってたものね。滅多に姿を見せないって」
とても楽そうな上に人気の出そうな展示です。A組の展示テーマはアッという間に「そるじゃぁ・ぶるぅ」に決定しました。これでオッケー、とグレイブ先生に申し出ると…。
「写真だけとは感心せんな。せめて観察日記くらいは欲しい。A組の展示のテーマは『そるじゃぁ・ぶるぅの生活』と書いて提出しておく。頑張って生態をレポートしておけ」
一方的に展示テーマと中身に口出しをして、グレイブ先生は提出用の書類に記入し、届出に…。私たちは思いも寄らない仕事が増えてガックリです。写真は一杯ありましたから、それを引き伸ばして貼っておくだけだったら楽勝なのに…。
「いっそ自分で書かせろよ。この際、絵日記でも十分だろう。…っていうか、自筆なら凄く値打ちがある」
誰かが言い出し、ナイスアイデアだと拍手喝采していると。
「イヤだよ。絵日記なんか書かないもんね、面倒だもん」
肝心要の「そるじゃぁ・ぶるぅ」に即座に却下されました。
「でも、ぼくの生活を知りたいんなら歓迎するよ?…お客様って楽しいしね」
泊まりに来てよ、と言っていますが、みんなは及び腰でした。「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお部屋は先生でさえ簡単には辿り着けないと言われています。そこに毎日たむろしている私たちはともかく、一般の生徒は「うかつについて行ったら最後、二度と帰って来られないかも」と恐れを抱いているようで…。
「と、泊まりになんて…行けないよな?」
「ああ。…何が起こるか分からないもんな」
男子も女子も「そるじゃぁ・ぶるぅ」から離れた所にギュウギュウ集まって何か相談しています。私たちと会長さんはまるでお呼びじゃないみたい。もしかして、みんなが話しているのは…。
「お待たせ。決まったぜ」
伝言役に選ばれたらしい男子が私たちの方にやって来ました。
「そるじゃぁ・ぶるぅの生活レポはプロに任せるのが一番だろう?俺たちが写真を展示するから、そっちは二十四時間密着レポを担当してくれ。いつも一緒に遊んでるんだし、扱いにかけてはプロだよな?」
ひえええ!私たちが調べるんですか?「そるじゃぁ・ぶるぅ」の一日を…?
「そっか、みんなでお泊りだね?」
話を聞いていた「そるじゃぁ・ぶるぅ」が嬉しそうな顔で言いました。
「ブルー、お客様だって!ぼく、頑張っておもてなししなきゃ」
でも、クラスのみんなは「普段どおりに生活して欲しい」と頼み込み、私たちも「普通がいいよ」と言ったので…お泊りはごくごく平凡なものになりそうです。本音を言えば精一杯のおもてなしとやらで歓待して欲しいんですけれど、それはまた別のチャンスに期待しておきましょう。
そして週末。影の生徒会室メンバーの中でA組所属の私とスウェナちゃん、ジョミー君、キース君とマツカ君の5人はお泊り用の荷物を持って「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお部屋を訪問しました。
「かみお~ん♪いらっしゃい!好きなだけ、ぼくを観察してね」
私たちが泊るのは初めてですから「そるじゃぁ・ぶるぅ」は大はしゃぎ。美味しそうなお菓子が並べられ、スウェナちゃんが写真を撮っています。会長さんが「普段はすぐに食べちゃうのにね」とからかいましたが、今日の私たちは取材をするのがお仕事ですし、遊んでばかりじゃダメですよね。
「なるほど。…じゃあ、アヒルちゃんの写真も撮るのかな?」
「えっ?え、えっと…それは…」
口ごもっているスウェナちゃん。『アヒルちゃん』というのは「そるじゃぁ・ぶるぅ」愛用の洋式便器で、アヒルの形をしているのです。
「ぶるぅは規則正しくトイレに行くようしつけてあるから、アヒルちゃんタイムはきちんと記録した方がいい」
会長さんが大真面目に言うと「そるじゃぁ・ぶるぅ」も頷いています。
「ぶるぅの生活を調べに来たなら、ついでにぼくの生活も調べてみる?」
クスクスクス。会長さんはスウェナちゃんのカメラに視線を向けて微笑みました。
「ぼくは全然かまわないよ。…あ、でも…展示するのはぼくの生活じゃなかったね」
そう言いながらも会長さんはニッコリ笑って立ち上がって。
「ぶるぅの生活を調べていけば、ぼくの生活と切り離せないのが分かってくるさ。どこまで書くかは任せるけれど、ぼくの名誉は守って欲しいな」
え。会長さんの名誉ってなんでしょう?首を傾げる私たちを見て、会長さんは楽しそう。
「食事の用意も後片付けも、掃除洗濯も…全部ぶるぅがしてくれてるんだ。そのとおりにレポートを書かれてしまうと、ぼくが無能に見えてこないかい?」
確かにそれはまずいかも。ちょっとくらいは脚色なんかも入れておいた方が良さそうです。でも、これを聞いていた「そるじゃぁ・ぶるぅ」は…。
「ううん、ブルーは頭がいいし、ぼくのこと大事にしてくれるし。…ぼくが子供のままでいられるのって、ブルーがいてくれるからなんだよ。無能だなんて書かないでね。ちゃんと調べて本当のことを書いてくれなきゃ、ぼく、思い切り噛み付いちゃうから!」
げげっ。「そるじゃぁ・ぶるぅ」の生活調べは前途多難かもしれません。とにかく、土日を利用した二十四時間、学園祭での展示に向けて全力で取材しなくては。せっかくお部屋に泊まるんですし、成果があがるといいんですけど…。
三日間に渡る中間試験が始まりました。試験期間中は放課後の居残りは禁止。「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお部屋にたむろするわけにはいきません。ちょっと顔を出してお菓子を食べて、すぐ下校です。そんな試験の初日のこと。私たちが帰ろうとすると、マツカ君が「ちょっと会長さんに用があるので」と言いました。待っていようと思ったのですが、会長さんは。
「とても大事な話なんだ。…あまり聞かれたくないんだけれど」
マツカ君も真剣な顔で頷いています。何なんだろう、と首を傾げつつ私たちは影の生徒会室を後にしました。マツカ君は翌日も一人だけ後に残って会長さんとお話です。そして三日目、試験終了。「そるじゃぁ・ぶるぅ」の部屋に勢揃いした私たちは試験の打ち上げパーティーに行こう、ということになって…。
「やっぱり焼肉が盛り上がるよね」
ジョミー君の提案に皆が頷き、「そるじゃぁ・ぶるぅ」も一緒に一学期と同じ高級焼肉店で食べまくることに決定です。そして会長さんが先頭に立って影の生徒会室を出たと思ったら、校門ではなく教頭室のある本館へ向かわされました。またまた嫌な予感がします。焼肉パーティーに使うお金をねだりに…というかカツアゲするために教頭先生の財布の中身を狙っているに違いありません。
教頭室の扉を会長さんがノックし、返事を待ってガチャリと開けて。
「こんにちは、ハーレイ」
「ブルーか。…今日で試験はおしまいだったな。今日はこれから打ち上げか?」
教頭先生は穏やかな笑みを浮かべて机の引き出しを開け、紅白の水引がかかった熨斗袋を取り出して言いました。
「持って行きなさい。私の気持ちだ」
なんと!熨斗袋の中身はかなり入っていそうです。教頭先生、先制攻撃に出ましたか…。私たちはホッと胸を撫で下ろし、会長さんは遠慮もせずに熨斗袋に手を伸ばします。
「ありがとう。…もうお祝いをくれるんだ?まだジョミーたちにも話してないのに、早耳だね」
「は?」
教頭先生は怪訝な顔。私たちも顔を見合わせました。会長さんが言っているのは試験終了のお祝いなのか、学年1位のお祝いなのか。でも、私たちにも話してない…って、いったいどういう意味でしょう?会長さんはクスッと笑って熨斗袋の表書きを眺めながら。
「なんだ、ただのお祝いだったのか。ちょっと残念」
「残念って…。祝うようなことがあったのか?…私は何も聞いていないが」
何かで賞でも取ったのか、と教頭先生。会長さんはニッコリ笑って「違うよ」と首を振りました。
「もうちょっと先になってから言おうと思ってたけど、このまま帰ったら何のことかと気になるだろうし…。実は、ぼく…婚約することになったんだ」
「「「婚約!!?」」」
教頭先生と私たちの声が重なりました。会長さんが婚約だなんて寝耳に水の話です。
「こ、婚約って……誰と…」
うろたえている教頭先生。私たちが縋るような目で見る中、会長さんはカバンを開けて。
「えっと…写真は持ってきたんだ。みんなには今日、発表しようと思ってたから」
台紙つきの大きめの写真が、教頭先生の机の上に置かれました。表紙があるので中は全く見えません。
「せっかくだからハーレイに最初に見てもらおうかな。なんといっても担任だものね」
「…いいのか…?」
教頭先生の指が震えています。会長さんに御執心なだけに、複雑な気分なのでしょう。本来なら祝うべきなのですけど、婚約ってことは結婚しちゃって、教頭先生の手の届かない所に行ってしまうってことなんですから。
「遠慮しないで見てくれていいよ。とても素敵な人なんだ」
あ。ひょっとしてフィシスさんの写真かな?ついに入籍を決意したとか、そういうこともありそうです。表紙をめくる教頭先生の手許に私たちの視線が集まりました。うん、フィシスさんしかないですよね!しかも台紙つきの立派な写真。振袖かな?ドレスかな?…パラリ、と表紙がめくられ、内表紙の薄紙がめくられて…。
「「「!!!!!」」」
私たちは思い切りのけぞりました。現れたのは華やかな衣装に包まれたフィシスさんの姿ではなく、仕立ての良いスーツを着たロマンスグレーの渋い『おじさま』。
「どう?…みんな覚えているだろう。ハーレイも一度会っているよね」
写真の主はマツカ君を「ぼっちゃま」と呼んでいた執事さんでした。会長さんはマツカ君を見つめて嬉しそうに。
「マツカがぼくたちのキューピッドなんだ。別荘に呼んで貰わなかったら、ぼくたち、出会っていないものね」
「…いえ…。大したことはしてないです…」
控えめに答えるマツカ君の頬はほんのり赤くなっています。そりゃ…自分の家の執事さんと会長さんが婚約となると、やっぱり照れてしまいますよねえ。この間から二人だけで話してたのは、こういう理由だったんですか!
「…ブルー…」
ようやく我に返った教頭先生が青ざめた顔で言いました。
「この写真、私には男に見えるのだが」
「男だよ?…マツカの別荘で会っただろう。とても素敵な紳士なんだ」
「…マツカの家の執事だということは分かる。だが、婚約者の写真だと言わなかったか?」
「言ったけど。…婚約者が男じゃいけないのかい?」
え。言われてみれば、雰囲気に飲まれてすっかり失念してましたけど…会長さんは男の人で、婚約するという執事さんだって男性で。これって物凄く変なのでは?…もしかしなくても、まりぃ先生が趣味で描いてる妄想イラストの世界です。
教頭先生は額に汗を滲ませ、グッと拳を握り締めて。
「…ブルー、どっちが言い出したんだ。婚約だなんて、そんなこと…」
「プロポーズされたのは、つい最近。でも夏休みから付き合ってたよ?…ぼくに一目惚れしたんだってさ。ずっと独身だったんだけど、やっと見つけた理想のタイプなんだって」
ひえええ!…私たちはマツカ君に「本当?」と尋ねましたが、「本当です」と返されてしまい。会長さんが執事さんと近日中に婚約するのは、どうやら間違いないようです。
教頭先生は頭を抱え、かなり長いこと唸っていました。私たちも顔を見合わせるだけで、まるで言葉が出てきません。「そるじゃぁ・ぶるぅ」だけがニコニコとして会長さんの隣に立っています。きっと会長さんが結婚したら一緒について行くのでしょう。とてつもなく長く感じる時間が過ぎて、口を開いたのは教頭先生。
「…ブルー、学校はどうするつもりだ」
「卒業するよ」
会長さんはいとも簡単に答え、私たち7人を見渡しました。
「ぼくの後を継いでくれそうな仲間も沢山見つけたし。…三百年と何年だっけ?長い間、ぼくの担任でいてくれてありがとう。とっても楽しかったよ、ハーレイ」
「…本気なのか…」
「うん。婚約はするけど、結婚するのは卒業してから…って決めたんだ。だから三月までは学校にいる。卒業となると忙しくなるし、色々手伝ってくれるよね?」
会長さんは幸せそうに微笑んでいます。まりぃ先生の妄想イラストの世界であっても、会長さんがそれでいいなら祝福するしかありません。けれど教頭先生は…。
「本当に分かっているのか、ブルー?結婚しても同じ時間は生きられないぞ。…いつかお前が置いていかれる」
そうでした。会長さんは三百年以上生きていますし、教頭先生も同じくらい生きてきたみたい。でも、マツカ君の家の執事さんは…多分、普通に年を重ねてきた人で。教頭先生の言葉からして、会長さんより先に寿命が尽きてしまうのは確実です。そしたら会長さんは…こんな言い方するのかどうかは知りませんけど、未亡人として残されて…。
「…分かってる。でも、その時はその時だから。ぶるぅもいるし、一人ぼっちになるわけじゃない」
「だが…。どうして今になって結婚なんだ。学校が嫌になったのか?」
「…そういうわけじゃないけれど…。ぼくを必要だって言ってくれたのは、あの人が初めてだったんだよ。そんなこと言われたことが無かった。とても嬉しくなったんだ。…必ず幸せにするから、って」
のろけ話を聞かされた私たちの頬が赤くなりましたが、そのすぐ後に起こったことは…。
「ブルー!!」
教頭先生が会長さんの肩を両手で捕まえ、赤い瞳を覗き込みます。
「お前が必要だと…そう言われて嬉しかったから結婚するのか?…置いていかれると分かっていても?」
無言で頷いた会長さんを、教頭先生が抱きすくめました。
「ダメだ。…ブルー、行くんじゃない。必要だと言って欲しいのならば、私が何度でも言ってやる。三百年以上、ずっと見てきた。私にはお前が必要なんだ」
「……ハーレイ…?」
「行くな、ブルー。卒業したいならしてもいいから、ずっと私のそばにいてくれ」
ひゃああ!これってプロポーズですよね?執事さんの次は教頭先生!?…いえ、教頭先生の方が遥か昔から会長さんに御執心なわけですが…。呆然とする私たちを他所に、会長さんが抱きすくめられたまま小さな声で言いました。
「…じゃあ…ぼくと結婚してくれる?…それなら婚約の話、断ったっていいんだけれど…」
「もちろんだ」
教頭先生は会長さんをギュッと抱き締め、私たちを完全に忘れ去って。
「一緒に婚約指輪を買いに行こう。お前が卒業したらすぐに式を挙げて、ずっと二人で暮らすんだ」
「…本当に?」
「ああ。嘘なんてつくものか。三百年以上、お前だけを見てきたんだから」
二人の世界に入ってしまった教頭先生が会長さんを上向かせ、キスをしようとしています。まりぃ先生の妄想世界が今まさに実現しようとした…その瞬間。
「はい、そこまで」
会長さんの明るい声がしたかと思うと、教頭先生の腕からスルリと抜け出し、執事さんの写真を手に取って。
「マツカ、この写真、返しておくよ。色々と無理を言って悪かったね」
「いえ…。ぼく、ちゃんとお役に立てたんでしょうか?」
「もちろん。…みんな見事に引っかかったし」
クスクスクス。会長さんは悪戯っぽい笑みを浮かべて教頭先生を見つめました。
「ハーレイ、コロッと騙されたね。婚約なんて嘘に決まってるだろ?…でも、プロポーズしてくれてありがとう。頑張ればちゃんと言えるじゃないか、口説き文句」
「……………」
唖然としている教頭先生に更に追い討ちをかけるように。
「そうそう、ぼくが本当に結婚するなら相手はフィシスか、他の女の子だ。男と結婚なんて選択肢だけは絶対に無いから覚えておいて」
教頭先生はガックリと床に膝をつき、前のめりに倒れてしまったのでした。
それから私たちは教頭先生がくれた熨斗袋を持って焼肉店へ。美味しい焼肉で盛り上がる中、さっきの写真が回されてきます。ロマンスグレーの執事さんが写った台紙つき写真。
「結局、これってマツカが用意したわけ?」
ジョミー君が尋ねると、マツカ君が微笑んで頷きました。
「ええ、会長さんに頼まれたんです。…一昨日の朝、放課後に一人で残ってくれるようにと声をかけられて…皆さんが帰った後で、この計画を知らされて。昨日の放課後は写真を届けて、今日の打ち合わせをしていました」
マツカ君だけが居残った陰には恐ろしい陰謀があったのです。会長さんは教頭先生が打ち上げパーティー対策の熨斗袋を用意したことを見越していたか、婚約ネタで陥れた末にパーティー費用を脅し取ろうと企んだか…。どっちにしても教頭先生は弄ばれる運命だったというわけで。
「…あんた、どこまで教頭先生を苛めるつもりだ」
キース君の問いに会長さんは艶やかに微笑んで答えました。
「苛め甲斐がなくなる日まで」
焼肉パーティーはまだまだこれから。教頭先生、今日も遠慮なくご馳走になっておきますね~!
明日から中間試験です。会長さんのおかげで全員満点間違いなしのA組は今日も緊張感に欠けていました。もちろん私ものんびりまったり、注意散漫。休み時間にスウェナちゃんとおしゃべりしながら廊下を歩いていると…。
「あっ、ごめん!」
ドンッ、と突き当たられて転んだ私の右足首に痛みが走り、知らない男の子がペコペコ謝っています。
「大丈夫かい?…先輩が試験のヤマを教えてくれるって聞いて、急いでて…。立てる?」
平気です、と答えると男の子はもう一度謝ってから慌てて走り去りました。中間試験を実力で受けるというのは大変みたい。男の子の後姿を見送ってから立ち上がろうとした私でしたが、いたたた…。足首、捻ったかな?スウェナちゃんが手を貸してくれましたけど、これは…かなり痛いかも…。
「保健室に行った方がいいわ」
「…でも、すぐに授業が始まるし…」
「待ってて。ジョミーたちに伝言、頼んでくるから」
A組の教室に向かったスウェナちゃんはすぐに帰ってきました。一緒にいるのは会長さんです。会長さんも保健室に行こうとしているところでしょうか。
「行かないよ。明日から試験だし、今日は最後まで授業に出るつもり」
そう言って会長さんはスッとしゃがむと、私の右足首に触れました。
「捻挫だね。…動かないで、じっとしていて」
フワッと暖かいものが足首を包み込み、痛みが嘘のように引いてゆきます。会長さんの力はケガの治療にも有効ですか!
「これでいい。でも、念のために保健室に行っておいで。…スウェナ、保健室まで付き添ってあげて」
「了解!…みゆ、肩を貸すからゆっくり静かに歩いてね」
「行ってらっしゃい。エラ先生にはちゃんと言っておくから」
授業開始の鐘が鳴ったので会長さんは教室の方へ。私はスウェナちゃんの肩につかまって保健室へと歩き出しました。足首は全然痛みませんけど、ついさっきまで猛烈に痛かったのは事実です。湿布を貼ってもらうくらいはしておいた方がいいんでしょうね。
時間をかけて慎重に歩き、やっと辿り着いた保健室。スウェナちゃんが扉をノックしました。
「はぁ~い、どなた?」
「1年A組のスウェナです。みゆちゃんが捻挫しちゃったみたいで…」
カチャ、とスウェナちゃんが扉を開けると、机に向かって何かしていたまりぃ先生が慌てた様子で振り向いて。
「あ、はいはい…捻挫したのね。ちょっと待ってて」
スケッチブックらしきものを棚に乗せてから、まりぃ先生は机の横の椅子を引き寄せます。
「じゃ、ここに座ってくれるかしら。…捻挫したのはどっちの足?」
「右足です。…今は痛みはないんですけど」
「そうねぇ…特に腫れてはいないようね。だけど一応、湿布しといた方がいいと思うわ」
まりぃ先生は湿布と包帯を出し、手際よく手当てをしてくれました。お礼を言って立ち上がろうとした時です。
「キュッ、キュッ。…キュッ!?」
奇妙な鳴き声のような音が聞こえて、机の上にポテッと落ちてきたのはとても小さなゴマフアザラシ。
「あらら、いないと思っていたら…。この子、ちびゴマちゃんって言うのよ」
可愛いペットを紹介された私たち。ちびゴマちゃんを撫でてみようと差し出した手を直撃したのは、大きなスケッチブックでした。ちびゴマちゃんに当たらなくってよかったです。
「ごめんなさぁ~い!…ちびゴマちゃんを庇ってくれたのね」
「キュッ、キュッ、キュッ!」
ちびゴマちゃんも懸命にお礼を言っているみたい。よかったね、とスウェナちゃんと顔を見合わせ、落ちてきたスケッチブックを何の気なしに眺めると…。あれ?もしかしてこれ、会長さん?…開いていたページに鉛筆で描かれていたのは会長さんの肖像でした。うわぁ、とっても綺麗に描けてる…。
「まりぃ先生、絵も描くんですか?」
スウェナちゃんが尋ねると、まりぃ先生は「ヘタクソだけど」と答えます。ううん、下手だなんてとんでもない!
「他のページも見ていいですか?」
好奇心旺盛なスウェナちゃんは返事を待たずにスケッチブックをめくりましたが…。
「!!?」
「なになに?…何かいいモノあった?」
スウェナちゃんに続いて覗き込んだ私はその場に凍りつきました。ど、どうしよう…。これっていったい何?
「…あ~あ、いけない子猫ちゃんね。十八歳未満お断りの絵も入ってるのよ」
そこに鉛筆で描かれていたのは会長さんの…一糸纏わぬ上半身。それだけならまだいいんですけど、同じページに教頭先生が描かれています。柔道十段の逞しい腕が会長さんの身体を引き寄せ、二人の唇は今にも触れそうなほどに近づいていて…。その構図はどこから見てもキス寸前にしか見えません。えっと、えっと…。
「見ちゃったわね」
まりぃ先生は悪びれもせず、スケッチブックをめくりました。
「趣味で描き溜めているんだけれど、ついでに他のも見てってみる?これなんか自信作なのよ」
え。そこには横たわる会長さんの姿が描いてあります。裸身を紐で縛り上げられ、手足の自由を奪われて。…私たちはあまりのことに絶句したまま、カチンコチンに硬直中。まりぃ先生はウフンと微笑み、通勤用の大きなバッグを持ってきました。
「…勤務中だと鉛筆描きしかできないのよねえ。さすがに保健室で絵の具や筆を広げるわけにはいかないでしょう?…だから学校では湧き上がったイメージをスケッチブックにぶつけるの。で、これは!という絵ができた時には、家で頑張って仕上げるんだけど…。どお?こっちはカラーバージョン」
書類ケースから引っ張り出されたのは、真っ赤な紐で縛り上げられた会長さんの全身像。背景代わりに描き込まれた黒い蝶の絵が妖しい雰囲気を醸し出しています。まりぃ先生は得意そうな顔で彩色された絵を次々に披露し始めました。会長さんと教頭先生のキスシーンとか、二人が半裸で絡み合う絵とか…。
「どうかしら?…二人とも、こんな絵はあまり趣味じゃない?」
怪しげな絵をチラつかせながら、まりぃ先生は楽しそうです。
「同好の士が欲しいんだけど、大っぴらに募集できるものでもないし。もしも分かってもらえるんなら、一緒におしゃべりしましょうよ。…生徒会長、素敵でしょ?あんな綺麗な男の子には逞しい男も似合うのよねえ」
ほら、と差し出されたのは教頭先生に机の上で貪り食われる会長さんの絵。十八歳未満お断りの世界をドカンと見せられ、スウェナちゃんと私は真っ赤になってヘタヘタと座り込みました。まりぃ先生の危ない趣味の話は会長さんから聞いてましたが、ここまで妄想が凄かったなんて…。なんだか眩暈がしてきたみたい。スウェナちゃんも額を押さえて目を閉じています。
「…うーん、ちょっと刺激が強すぎたかしら?二人とも横になった方がいいわね」
確かに教室に戻る気力はもうありません。私たちは保健室のベッドに寝かされ、額に冷却シートを貼られました。そのまま眠ってしまったらしく、気がつくともう放課後で。ベッドの横に私たちのカバンが置かれ、まりぃ先生がスポーツドリンクのペットボトルを渡してくれます。
「お友達と生徒会長がカバンを届けに来て心配してたわ。いつものお部屋に来られるかなぁ、って言ってたけれど、行けそうかしら?」
私たちはスポーツドリンクを一気飲みして、ゆっくりとベッドを降りてみて。…うん、大丈夫みたいです。これなら「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお部屋に行けそう!まりぃ先生の趣味の話は美味しいオヤツを食べて忘れてしまいましょう。それでもきちんとお礼を言って保健室を出ようとすると…。
「あ、待って。これ、あなたたちが寝てる間に作ったの」
まりぃ先生が書類袋を2つ持ってきました。はい、と1つずつ渡されましたが、診断書にしては分厚いような…。
「うふ。中身は特選カラーコピー集よ。自信作のコピーを二十枚セットでプレゼント。十八歳未満お断りのも入ってるから、気に入ったらいつでも遊びに来てね。禁断の世界について先生と熱く語りましょ♪」
げげっ!なんてモノを、と思いましたが、断れる雰囲気じゃありません。私たちは書類袋をカバンに押し込み、保健室を後にしました。うーん、この書類袋、どう処分したらいいんでしょう?…燃やす以外に無さそうですけど、学校の焼却炉というのは危険すぎます。とりあえず家のベッドの下に隠して、パパとママが出かけてる日に庭でこっそり燃やそうかな…。
スウェナちゃんと私は顔を洗って気分を切り替え、書類袋のことは棚上げにして「そるじゃぁ・ぶるぅ」の部屋に行きました。みんなに「心配かけてごめんね」と謝ると、「捻挫で保健室に出かけて付き添いごと貧血で倒れるなんて…」と笑われましたが、本当のことは言えません。笑いたい人は笑わせておけばいいんです。
「かみお~ん♪二人とも、待ってたよ!今日のおやつはブラウニー。アルトが教えてくれたバナナ入りのヤツなんだ」
あらら。アルトちゃんのレシピとは驚きです。「そるじゃぁ・ぶるぅ」はブラウニーをお皿に乗せてフォークを添えると、欠伸をして目を擦りました。なんだかとっても眠そうですが…。
「ごめんね、さっきから凄く眠くって。みゆたちが来るまでは…って我慢してたけど、ちょっとだけ昼寝してもいい?」
私たちが頷くと「そるじゃぁ・ぶるぅ」は部屋の端に置かれた土鍋に入ってクルンと丸くなり、すぐに寝息が聞こえてきます。眠いのに待っててくれただなんて。バナナ入りブラウニーを食べながら、心で「遅くなってごめんね」と呟いていると。
「…遅くなった原因を見せてほしいな」
会長さんが意味ありげな微笑を浮かべてスウェナちゃんと私を見つめていました。
「まりぃ先生に貰った書類袋の処分で悩んでる内に遅くなった。…そうだろう?そして処分はまだしていない。さあ、書類を出して、ぼくたちに見せて」
うひゃああ!書類って…もしかしなくてもアレですか?まりぃ先生の特選カラーコピー集!?あんなモノ、出せるわけありません。中身は確かめていませんけれど、十八歳未満お断りの絵も入ってるって言ってましたし、そうでなくても会長さんのとんでもない絵がてんこ盛りで…。
「大丈夫、ぶるぅは眠らせた。これからは大人の時間だよ。…って、君たちは大人じゃなかったか」
クスクスクス。会長さんがおかしそうに笑い、キース君の目が鋭くなります。
「三百年以上も生きてるあんたから見れば、俺たちはヒヨコどころか卵だろうな。大人じゃない、と改めて言われると腹が立つ」
「そう?…じゃ、遠慮なく重要書類を披露しよう。みゆ、スウェナ。…書類を出して」
私たちがためらっていると、ジョミー君が私のカバンを勝手に開けてしまいました。
「書類袋って、これのことかな?」
引っ張り出された書類袋を見て会長さんが頷くと、サム君がスウェナちゃんのカバンの中から同じものを取り出します。会長さんは二つの書類袋を受け取って満足そうに眺め、テーブルの上を片付けて。
「いいかい、順番に出すからね。見やすいようにテーブルの両端に1枚ずつ置くよ。…はい、これが最初の1枚」
「「「!!!!!」」」
みんなの目が点になったのが分かりました。それは縛り上げられた会長さんの絵。赤い紐と黒い蝶に見覚えがあります。会長さんは平然として次の絵をテーブルの両端に。今度は会長さんと教頭先生のキスシーンでしたが、こんなシロモノをみんなに披露できる会長さんの神経は鋼鉄製に違いありません。絵の内容はどんどんエスカレートしていき、マツカ君が青ざめてソファに突っ伏しました。サム君は目を覆っていますし、シロエ君は口を押さえています。ジョミー君は目の焦点が合ってないみたい…。
「…これでラスト。まりぃ先生、よっぽど仲間が欲しかったんだね。みゆとスウェナも、こういう趣味の世界を齧ってみる?」
一番最後に取り出された絵は、妄想が爆発していました。スウェナちゃんと私は頭を抱え、会長さんの顔を見ることもできません。だって…だって、描かれているのは会長さんと教頭先生のとんでもない絵で…。そんな中、掠れた声を絞り出したのはキース君。
「…あんた、恥じらいっていうのはないのか…。全部あんたの絵なんだぞ?」
「三百年以上も生きているとね、案外平気になるものなんだ」
会長さんはクスクスと笑い、テーブルの上に広げていた絵を書類袋に片付けながら。
「ぼくは人生経験豊富なんだよ。お寺で修行していた時に、そっちの道で有名な人に布団部屋に連れ込まれそうになっちゃったこともあったしね」
ひえええ!そっちの道って…布団部屋って…。
「そうそう、その人、ちょっとキースに似てたっけ。…キースが三十歳くらいになったら、あんな感じになるんじゃないかな」
キース君がソファに沈みました。これで男の子は全員討ち死にです。スウェナちゃんと私がなんとか正気を保っているのは、一度見た絵が混ざっていたのと、書類袋を持ち込んでしまった責任感かな?
「ふふ。やっぱり女の子の方が強いものだね」
全部の絵を書類袋に戻して、会長さんが微笑みました。
「まりぃ先生の絵は保健室でこっそり見てるけれども、こういうのって楽しいのかな?」
スウェナちゃんと私は首を横に振るのが精一杯です。まりぃ先生には悪いですけど、この趣味はついていけません。
「そうか…。じゃあ、この書類袋は必要ないんだ」
会長さんはニッコリと笑い、「貰ってもいい?」と尋ねます。もともと処分に困っていたものですし、渡りに船…と一度は頷きかけたのですが。もしかして、もしかしなくても…会長さんにこれを渡したら、今より凄いことになるかも…。そのことに気付いた瞬間、私は凄い速さで飛び出し、会長さんから書類袋を奪い返してキッチンへ。そして2つの書類袋の中身をシンクに突っ込み、栓をして…醤油が入った一升瓶の蓋を開けると、黒い液体をドボドボと注いだのでした。ついでにストックの瓶の封も切り、一升分の醤油を一気に…。
「あーあ…。やっちゃった」
醤油の海にドップリ沈んだ二十枚セットのコピー2組。会長さんは溜息をつき、シンクの中を見下ろしました。
「…ハーレイにプレゼントしたかったけど、台無しだな。仕方ない、今回は諦めよう」
やっぱり!醤油漬けにして良かった…と思いましたけど、「そるじゃぁ・ぶるぅ」が目を覚ましたら醤油もストックも無くなっている、と空の瓶を振り回して騒ぐでしょうか?
「当然だね。ぶるぅが目を覚ます前に買っておかないと大変だよ」
会長さんに言われた私は醤油の買出しに出かけようとしましたが。
「待ちたまえ。…右足を捻挫したんだろう?そんな足で…第一、女の子に一升瓶の醤油を2本も持たせるなんて、とんでもない。ここは男子の出番だね」
やがてジョミー君やキース君たち、男子全員が醤油の買出しに出かけていきました。買出しに行ったら、醤油漬けになった絵に関する記憶の『忘れたい部分』を消去して貰えるというのですから行きたくない筈がありません。たった2本の醤油を買うのに5人というのは多すぎますけど。ところで、スウェナちゃんと私の記憶は…?
「君たちはそのまま覚えていればいいだろう。まりぃ先生が喜ぶよ」
せっかく勧誘されたんだしね、と会長さん。…私たちの記憶はやっぱり消しては…貰えないんですか?
中間試験が迫ってきたので、今日から部活はお休みです。1年A組にはいつものように会長さんの机が増えていました。会長さんはアルトちゃんとrちゃんに話しかけ、またプレゼントを渡しています。今日の贈り物は可愛いポーチ。既製品だと思っていたら「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお手製でした。
「お守り、いつも持ち歩いてくれてるだろう?…これに入れたらいいかと思って」
この前はお守りを入れておく小物入れをプレゼントしてましたけど、今度は持ち歩き用のアイテム登場。つまり二人はあのお守りを大事にしていて、寮では机の引き出しか何処かに大切にしまい込み、出歩く時は忘れずに持って出かけているわけで。会長さんがそれを知ってるってことは、お守りは多分、活用されているのでしょう。アルトちゃんたちはポーチを手にして大感激。
「喜んでもらえて嬉しいな。ぶるぅに頼んだ甲斐があったよ」
でも最後の仕上げはぼくがしたんだ、という殺し文句にアルトちゃんたちの目はすっかりハート。仕上げといっても大したことはしていないのに決まっていますが、効果の方は絶大です。フィシスさんに聞いた『シャングリラ・ジゴロ・ブルー』という名が頭の隅を掠めました。…まぁ、いいか…アルトちゃんたちが幸せならば。そんな元気な会長さんは三時間目の半ばで保健室に行き、終礼まで戻ってきませんでした。
放課後は柔道部の三人も一緒に「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお部屋へ直行。今日のおやつは栗のタルトです。美味しく食べていつものようにおしゃべりを…と思ったところでサム君がカバンを開け、教科書とノートを取り出しました。
「あれ?サム、そんなもの出してどうするの?」
「…ジョミーと違ってヤバイんだよ。俺、今回は追試の射程圏内」
歴史に数学、その他もろもろ。サム君の一学期の成績表が私たちとは真逆の意味で凄かったことを知ってしまった瞬間でした。C組にいるサム君は会長さんの恩恵を受けているA組と違って実力で試験に臨んだ結果、悲惨なことになったようです。同じC組でもシロエ君は呑気にタルトをおかわりしていますけど。
「よかったらサムにも試験の答えを教えようか?」
会長さんの提案にサム君はガバッと顔を上げました。
「なにっ!?…そんなことが出来るのかよ?」
「うん」
「じゃあ、なんで今まで…。俺、一学期は赤点スレスレだったのに!」
「…だって、頼まれなかったから」
会長さんはクスッと笑って紅茶を一口。
「頼みに来ないから、実力で勝負するつもりだと思ったんだよ。現にキースがそうだから。…ジョミーたちと同じA組だけど、キースはぼくが意識下に流す答えを完全に遮断しているのさ」
「「「ええぇっ!?」」」
じゃあ、キース君は正真正銘、全科目満点というわけです。あれ?…なんでキース君まで驚いてるの?
「…俺のは実力だったのか…」
力が抜けたような顔で呟くキース君。
「てっきり、あんたの力だとばかり…。だから、このままではダメ人間になると思って毎晩必死に勉強を…」
「必死に勉強、大いにけっこう。今度の中間試験もぼくの出番はなさそうだね。…ぼくの思念が入り込む隙が無いほど集中できる君の将来が楽しみだ」
なんと、キース君は自分の実力に全く気付いていなかったみたい。家で勉強していたんなら、気が付きそうなものですが…。問題集とかやったんでしょうし。
「そこがキースのいいところさ。決して自分を甘やかさない。…まぁ、本当のところを言えば…お寺の勉強と二足の草鞋で必死だったせいもあるんだろうけど」
「お寺、お寺と楽しそうに言うな!」
「…楽しいじゃないか。最近は休みの日には月参りにも行ってるようだし」
月参り!?…それって檀家を回ってお経を読むというアレですか?
「そうだよ。毎月、月命日の日に回るんだ。休みの日に法事をする家が多いから、キースの家では月命日が休日と重なった月は月参りを休みにしてもらっていたみたいだけれど…今はお父さんが法事をやって、キースが月参りに行くんだよね」
「……余計なことをベラベラと……」
「いいのかい?…緋の衣に逆らったら後が怖いよ、お寺の世界は」
キース君はウッと息を詰まらせ、黙り込んでしまいました。お寺のことはよく知りませんけど、きっと究極の階級社会なのでしょう。ついでに封建社会なのかも。…それにしても、あのキース君が月参り。夏休みに元老寺で見た墨染めの衣は今でもハッキリ覚えています。キース君が月参りやお寺の勉強をするようになったのは会長さんのおかげですから、お父さんたちはとっても感謝しているでしょうね。
「…で、サムは回答の横流しを希望、と。全科目?」
「お願いします!」
サム君が両手を合わせて会長さんを拝んでいます。
「了解。…シロエは?」
「あ、ぼくは実力で勝負しますから。キース先輩が実力だったと分かった以上、ぼく、絶対に負けられません!」
闘志を燃やしているシロエ君は物凄く嬉しそうでした。キース君をライバル視しているだけに、キース君の点数はとても気になるところでしょう。なにしろ入学前からの目標だった『キース君から一本取る』という柔道の方も、まだ果たせてないみたいですし。
「へへ、これで試験対策はバッチリだぜ…、と♪」
追試の恐怖から解放されたサム君は大喜びで教科書とノートを片付けました。あとは楽しいおしゃべりタイム。キース君のお寺ライフを皆でからかったりしている内に…。
「…あんた、俺を苛めて楽しいか?」
キース君がとうとうブチ切れ、会長さんをジト目で睨んで。
「緋の衣だかなんだか知らんが、あんた自身のことはどうなんだ」
「ぼく自身?」
「ああ。前から疑問に思っていたことを、この際、はっきり聞かせてもらおう。…いつも教頭先生をきわどいネタでからかってるよな?本当のところ、いったいどこまでの関係なんだ」
ひえぇぇ、なんて聞きにくいことを!…これだから天才がキレると怖いんです。
「どこまでって…何が?」
「具体的に言えというのか!?」
「うん♪」
会長さんは負けていませんでした。キース君は一瞬ひるみましたが、すぐに「そるじゃぁ・ぶるぅ」を指差して。
「…ダメだ、あそこに1歳児がいる。こんな所で話せるか!」
「ああ、ぶるぅ?…ぶるぅなら心配いらないよ。1歳の子供に何が分かると?…ほらほら、遠慮しないで言ってみて。…何がどこまでか言ってくれないと分からないし」
言葉にしなくても読み取れるくせに、会長さんは完璧に苛めモードです。どうなるのかとハラハラしている私たち。キース君はしばらく迷って、何度か口を開いて閉じて…とうとう大声で叫びました。
「要するに!…できてるのか、できてないのかってことだ!!」
「…できてるよ?」
「「「!!!!!」」」
あまりのことに私たちは驚いて声も出ませんでした。できてる、って…教頭先生と会長さんが…?
「うん。担任と生徒ってことで、正式な関係ができてるけれど…何をそんなに驚いてるのさ」
「……そうじゃなくて……」
呆然としている私たちより先に立ち直ったキース君。今度こそ、と覚悟を決めているのが分かります。
「ええい、こうなったらキッパリ言ってやる!…この間、俺たちに教頭先生の夢を共有させたよな?要するに、あの夢よりも先の段階へ進んだことがあるのか、無いのか。どうだ、これならいいだろう!」
たとえ子供が聞いていてもな、とキース君は続けました。確かに…すごく名案です。
「なるほど。ぶるぅに配慮してくれた、というわけか」
会長さんは艶然と笑みを浮かべて「そるじゃぁ・ぶるぅ」を手招きすると。
「ねぇ、ぶるぅ?…ぼくとハーレイって、一緒に寝たことあったっけ?」
「…んーと…。多分…無いと思うけど、ブルー、たまに夜中にいなくなるよね」
「こらぁ!子供を巻き込むな!!」
キース君の怒声が響くのを無視して、会長さんは…。
「じゃあ、キスは?…ぼくとハーレイはキスしてたっけ?」
「…知らないよ。っていうか、ぼくは見たことないや」
それがどうしたの?と「そるじゃぁ・ぶるぅ」。小さな頭の中に浮かんでいるキスという単語は、お子様向きのキスでしょう。ホッペにチュウとか、おでこにチュウとか、よくてせいぜい手の甲にキス…。
「今のを聞いてくれたかい?…つまり、そういう関係ってこと」
会長さんは「そるじゃぁ・ぶるぅ」の柔らかな頬にチュッとキスをして微笑みました。
「…ぼくとハーレイの間には何も無い。あの夢よりも先の段階どころか、夢の入り口にすら辿り着けてないのが実情なんだよ、残念ながら」
だってハーレイはヘタレだからね、とおかしそうに笑う会長さん。この間の教頭先生の夢の中身を考えてみても、どうやら嘘ではなさそうです。
「そうか…。やっぱり何もないのか。教頭先生を疑ったりして悪かった」
キース君が言うと、マツカ君とシロエ君が頷きました。二人とも、あの夢を見せられて以来、気になっていたらしいのです。教頭先生と会長さんは深い関係じゃないのか、って。
「ハーレイはそうなりたいと思っているよ。だから特製パイでスペシャルな夢をプレゼントしたのに、夢でさえモノに出来なかっただなんて…情けないったらありゃしない」
「…トランクス見て鼻血だったもんね…」
ジョミー君がボソリと呟きました。白黒縞のトランクス…もとい、トランクスと見せかけた海水パンツの会長さんを見た教頭先生が鼻血を出したのは二学期の初め。もしも深い関係だったら、あの程度で鼻血なんかを出しているわけがないのです。
「その割には妙な度胸あるよな。…ほら、ジョミーが着せられた服とかさ」
サム君が言うと、会長さんはクスクスと笑い出しました。
「ああ、あれね…。ベビードールは凄かったよね。でも、あれは背中を後押ししている黒幕がいたりするんだけども」
「「「黒幕!?」」」
ヘタレだという教頭先生にベビードールはミスマッチ。後押ししている人がいるとなれば納得ですが、いったい誰がそんなことを?
「黒幕は…まりぃ先生だよ。保健室のね」
「「「まりぃ先生!!?」」」
信じられない名前を聞いて私たちは腰が抜けそうでした。まりぃ先生といえば会長さん専用の特別室を用意して…会長さんと「あ~んなことや、こ~んなこと」をしている夢で酔っ払ってる筈なのですが。
「うん。それはそうなんだけど、まりぃ先生、ちょっと危ない趣味もあるんだ。腐女子って言うんだったっけ?…ぼくを見てると妖しい妄想が浮かび上がってくるらしいんだよ。ぼくと遊ぶのとは全く別の次元でね」
そんな趣味を持つまりぃ先生と教頭先生が出会ったのが不幸の始まりだったんだ、と会長さん。この春、シャングリラ学園に着任したばかりのまりぃ先生は、親睦ダンスパーティーでタンゴを踊ってくれるパートナーを募集していた時に教頭先生と会ったらしいのです。二人の息の合ったタンゴはリアルタイムでは見逃したので録画で見て感動したのですが…。
「タンゴの稽古で保健室に通っている間に色々と話をしてたようだね。すっかり仲良くなってしまってさ…。教頭先生が隠し持っていたぼくのウェディング・ドレスの等身大写真があったろう?あれを作ったのはまりぃ先生なんだ」
ひえええ!…教頭先生の趣味を承知の上で、あんな写真を作って引き渡すような人だったら…ベビードール事件の黒幕というのも頷けます。きっと教頭先生をうまいこと煽ったのでしょう。
「…まりぃ先生は学校に内緒で夜着ショップのオーナーをしているんだよ」
夜着ショップ!?…それって、パジャマとかのお店ではなくて…?
「実用性よりお色気重視のショップなのさ。完全に趣味の店なんだけど、ハーレイに店のチラシを渡してその気にさせたらしいんだ。…その手の店って、並んでるものを見ているだけで正気を失うみたいだね」
だからヘタレでもベビードールを買えたんだよ、と会長さん。メッセージカードも購入した時に勢いで書いて、そのまま前後の見境を無くしてプレゼントしたのが青いベビードール。…勢いで買ったものの、ヘタレな気性が頭をもたげて渡し損ねたのが赤いベビードール。…うーん、気の毒な話かも…。
「そんなわけだから、ぼくとハーレイは清い仲。御期待に添えなくて悪かったかな?」
私たちは首を激しく左右に振りました。どうせ会長さんはこれからも教頭先生をオモチャにするに決まってますし、何の関係も無いと分かれば安心して見ていられるというものです。しかし、等身大ウェディング・ドレス写真とベビードール事件の黒幕がまりぃ先生だったとは!…ところで『腐女子』って、なんなのでしょうね?