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シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。

※シャングリラ学園シリーズには本編があり、番外編はその続編です。
 バックナンバーはこちらの 「本編」 「番外編」 から御覧になれます。





シャングリラ学園、桜満開の中で新年度スタート。私たちは毎度の1年A組、年度始めの校内見学やクラブ見学、新入生歓迎パーティーなんかも一段落して、ソルジャー夫妻や「ぶるぅ」たちとの桜見物も終了です。明日は久しぶりに会長さんの家でのんびりという予定なんですが。
「…すまん、明日だが…」
俺は午後からの参加になる、とキース君が言い出した放課後の「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお部屋。急な予定でも入ったんでしょうか、昨日までは聞いていませんでしたよ?
「キース先輩、法事ですか?」
「いきなり法事はねえだろうが!」
アレは予約が要るんだぜ、とキース君の代わりにサム君が。
「元老寺の本堂でやるにしたって、檀家さんの家に行くにしたって、法事ってヤツは予約だしよ」
でないと住職が捕まらねえし、という話。法事は週末になりがちですから、早い者勝ちらしいです。先に予約を入れた人の勝ち、後から行っても思い通りの日時は取りにくいものだそうで。
「だから飛び込みで法事だけはねえよ、どっちかって言えば葬式じゃねえか?」
「「「あー…」」」
それは仕方ない、と私たちは頷きました。お葬式なら待ったなしです、つまり今夜はお通夜ということ。キース君も早めに帰って準備なんだな、と思いましたが。
「誰が葬式だと言った!」
「えっ、でも…。キース先輩、急な用事じゃあ…」
それ以外に思い付きません、とシロエ君。
「それともお父さんの代理で法事に行くことになったんですか? お父さんが腰を痛めたとか」
「…ありがちな話だが、それでもない。檀家さん絡みではあるんだがな」
「えーっと…?」
シロエ君が首を捻って、私たちも同じ。檀家さん絡みなら抹香臭い用事ばかりだと思うんですけど、法事でもお葬式でもないなら、どういう用事…?
「バイトではないな、親父が無料で引き受けたからな」
「「「は?」」」
「昨日の夕方、檀家さんが頼みに来たらしい。俺を貸してくれ、と」
「「「へ?」」」
貸してくれって、キース君を借りてどうするのでしょう。お坊さんの出前って、やっぱり法事かお葬式しか思い付きませんが、それだと無料は有り得ませんよね…?



「…文字通り、俺は貸し出されるんだ。ついでに坊主の仕事ではない」
まるで全く無関係だ、とキース君はフウと溜息を。
「俺の見た目を買われたらしい。…テレビ映りが良さそうだとかで」
「「「テレビ!?」」」
なんですか、テレビ映りって? キース君、何かの番組に出るの?
「…明日の昼過ぎだ、全国ネットで出る羽目になった」
「「「えーーーっ!!!」」」
いったいどんな番組に、と仰天した私たちですが。この国のあちこちを回る番組、今週はアルテメシアの近辺から毎日生中継。それのスポットの一つが檀家さんの家らしくって。
「…でも、お坊さんの仕事じゃないなら何なんです?」
どうしてキース先輩が、とシロエ君の疑問。
「檀家さんの家族のふりをするとか、そういう系の出演ですか?」
「まあな。一種のヤラセだ、檀家さんの家族は前から旅行の予定だったとかでトンズラなんだ」
テレビ出演より海外旅行、とキース君。
「お得なプランがあったか何かで、キャンセルしたくはないらしい。…明日の朝イチの飛行機で出るし、テレビに出ている暇は無い。それで俺なんだ、檀家さんが思い付いたのが!」
いつも親父とお茶を飲んでは喋っているし…、というアドス和尚のお友達らしき檀家さん。自分一人で出演するより、見栄えのする若者を一名募集で、キース君にブスリと白羽の矢が。
「…キース先輩、どういう場面で出るんですか?」
「多分、最初から最後までだろう」
「「「出ずっぱり!?」」」
「恐らくな。…檀家さんが取材を受けている間は映らないかもしれないが…」
それ以外は映りっ放しだろう、と頭を振っているキース君。
「救いは土曜日だということだけだな、俺の同業者は大抵、忙しくしているからな」
生中継を見ている暇があったら法事か法事の準備だか…、とキース君が気にしているものは同じ業界の友達とやらの視線に違いありません。あまり見られたくないんだ、それ…。
「当然だろうが、ヤラセだぞ?」
あんな番組に出ていたな、とツッコミが入るとキツイものが…、と言ってますけど、ホントにどういうヤラセ出演なんでしょう?
「気になるんだったら、テレビを見てくれ。明日の昼にな」
録画したってかまわないぞ、と私たちには開き直りの境地らしいです。明日のお昼の番組かあ…。



キース君が何をするのか分からないまま、迎えた土曜日。会長さんの家へ行こうと集合したバス停にキース君の姿は当然無くって、会長さんの家へ行ってもいるわけがなくて。
「かみお~ん♪ いらっしゃい!」
今日はキースがテレビの日! と飛び跳ねている「そるじゃぁ・ぶるぅ」。
「お昼の番組、とっても楽しみ! みんなで見ようね!」
「それなんだけど…」
行き先は謎? とジョミー君が会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」に尋ねました。リビングで出された午前のおやつは桜のロールケーキなんですけれども、桜クリームの中に鏤められた桜餡。まるでベリーが入ってるみたい、ちょっと素敵なお菓子です。
「えとえと…。キースが出掛ける所?」
「そう、それ!」
ぶるぅとブルーは分かるんじゃあ…、というジョミー君の指摘はもっともでした。キース君の心を読み取ってたとか、サイオンで居場所を追跡中とか…。
「あのね、ミステリーってことになってるの!」
その方が断然面白いから、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」。
「調べてもいいけど、アッとビックリするのがいいね、ってブルーも言うし…」
「そうなんだよね」
開けてビックリ玉手箱、というのも楽しいサプライズだよ、と会長さんが。
「せっかく全国中継なんだし、何処で出るのか楽しく待とうよ」
「それじゃ、全然、調べてないわけ?」
「まるで手つかずで放置だけど?」
ぼくもぶるぅも、と会長さん。
「キースを借りようって言うくらいだから、人手は必要なんだろうけど…」
果たしてキースは何に登場するのやら、と本当に調べていない様子で。
「あの番組って、どういう所が映るんだっけ?」
昼時だけに料理コーナーがあるのは知っているけど、とジョミー君が挙げれば、シロエ君が。
「色々ですよ、取材に出掛けた地域で話題のスポットなんかも…」
「そうなってくると分かんねえなあ…」
料理コーナーじゃねえとは思うけどよ、というサム君の意見。けれども蓋を開けるまでは謎、キース君、割烹着姿で出て来たりして…?



お昼御飯はテレビを見ながらということに。キース君が何処で映るか分かりませんから、手元がお留守でも食べやすいようにと「そるじゃぁ・ぶるぅ」特製ふわとろオムライスです。スプーンで食べつつ待っている内に、噂の番組が始まりましたが…。
「…まだ出ませんね、キース…」
「料理のコーナーではなかったですね」
調理中の所にいませんでしたし、とマツカ君とシロエ君が交わす言葉通り、自信作の料理を制作中の面々の中にキース君の顔はありませんでした。料理が出来たらまた映りますが、その時だけのエキストラとも思えませんし…。
画面の向こうでは複数のリポーターさんが現地中継、いろんな場所へとカメラが移動。今度は農家にお邪魔するとか言っていますが…。
「「「ええっ!?」」」
出た! と揃った私たちの声。キース君が墨染の衣の代わりに作業服を着て立っていました、ツナギじゃなくって農作業用の。隣にはキース君を借りたと噂の檀家さんらしき男性が。
「こちら、これからの季節に何かと話題の畑にお邪魔しています」
リポーターさんが紹介、広い畑が映りましたが、他にも作業中の人が大勢。どうしてキース君が駆り出されたか謎なんですけど…。
「あそこで作業をしてらっしゃる人に伺ってみましょう、こんにちはーっ!」
こんにちは、と振り向くだろうと思った相手は黙々と作業中でした。リポーターさんが「お邪魔してまーす!」と叫んでも全く手を止めませんし、あの人、耳が遠いとか?
「はい、実はあそこの人たち、皆さん、案山子なんですねーっ!」
「「「案山子!?」」」
そういえば噂を聞いたことがあります、本物の人間そっくりの案山子を並べ立ててる畑があると。本当に効果があるのかどうかは今となっては謎らしいですが、始めた人が凝りに凝りまくり、パッと見ただけじゃ、どれが人だか案山子だか…、というのがコレ?
リポーターさんは案山子作りを始めた経緯を紹介し始め、男性が笑顔で応えています。
「いやあ、家族にも凝りすぎだと言われているんですがねえ…」
「でも、息子さんもこうしてお手伝いをなさっているわけですね?」
「手伝いと言いますか、まあ、なんと言うか…。本来の仕事はしてくれてますね」
案山子は抜きで、と男性が笑い、キース君は向けられたマイクに「ノータッチです」とぶっきらぼうに。うーん、なかなかの役者です。テレビ映りもいいですよね!



案山子な農家の取材が終わると、キース君の出番も終わりましたが。その番組を見終わった後の私たちは案山子の話題で花が咲くことに。
「…親父さんの趣味の案山子の取材じゃ、そりゃあ旅行が優先だよなあ…」
自分の出番がねえもんな、とサム君が言えば、ジョミー君が。
「だけど、あの案山子、凄くない? ちゃんとポーズもつけてあるしさ」
「凝ってますよね、効き目があるかは置いておくとしても」
少なくとも人間は驚きますよ、とシロエ君。
「道を訊こうと声を掛ける人もあるって言ってたじゃないですか。今の番組」
「どっちかと言うと、人間向けの案山子かもねえ…」
ビックリさせるという意味ではね、と会長さんも賛成です。
「案山子は驚かせてなんぼなんだし、あそこの案山子は人間用だよ」
「「「うーん…」」」
何か使い方を間違ってないか、と思わないでもないんですけど、さっきの農家の人の趣味なら今更どうにもならないでしょう。少なくともテレビに取り上げられたわけで、その点だけは評価できますけれど…。
「全国中継ですもんねえ…。人間向けの話題ですね」
会長の言う通り人間用の案山子ですよ、とシロエ君が言った所で、会長さんが。
「…待てよ? 案山子で人間用なんだ…?」
「会長、どうかしましたか?」
「…いや、使えるかと一瞬、思ったんだけど…」
難しいかな、と呟いた所へキース君からの思念波が。もう終わったから今から行く、と。
「かみお~ん♪ キースのお迎え、する?」
「そうだね、人の少ない所に移動するよう伝えよう」
そうすれば瞬間移動が可能で移動時間が短縮できるし、と会長さんが思念波を飛ばし、間もなく玄関のチャイムがピンポーン♪ と。「そるじゃぁ・ぶるぅ」が開けに出掛けて…。
「キースが来たよーっ!」
「すまん、遅くなった。…昼飯を御馳走になっていたんでな」
「テレビ出演、お疲れ様ーっ! 座って、座って!」
コーヒーだよね、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」。今日のヒーローが到着しました、ヤラセ取材の気分とか色々訊かなくっちゃー!



キース君のテレビ出演、お昼御飯を御馳走になった以外は、全くのタダ働きだったらしいです。作業服まで着て出ていたのに、タダですか…。
「親父が引き受けてしまった以上は、俺にはどうにも出来ないからな…」
飯が食えただけマシだと思おう、とキース君。
「最悪、案山子のメンテの手伝いも覚悟してたし、それが無かっただけまだマシだ」
「「「メンテ?」」」
「けっこう大変だと聞いているからな、あの案山子どものメンテナンスは」
服の着せ替えとか、顔とかの色の塗り直しとか…、と出ました、案山子を維持しておくために必須の作業。カメラの前でそれをするのかと思って出掛けたみたいです。
「俺は取材に答えるだけで済んだわけだし、ラッキーだったと思っておこう。案山子のメンテは坊主の仕事の範疇外だ」
「そうだろうねえ…」
まるで無関係な仕事だからね、と会長さんが相槌を打って。
「おまけにあの案山子、動物用には効いてるかどうか謎らしいしね?」
「そこなんだよなあ、もはや檀家さんの趣味の世界だ」
写真撮影に来る愛好家向けにますます凝ってゆくようだ、という話。作物を荒らす動物相手の戦いは放ってウケ狙い。次はどういうアイデアで驚かせようか、と頑張っているらしくって。
「本当に人間用の案山子ですね、それ…」
シロエ君が呆れ、ジョミー君が。
「案山子の道から外れていない? ビックリしたって、逆に人間が寄ってくるんじゃあ…」
案山子は来させないのが役目、と言われてみればそうでした。鳥やイノシシに「人間がいるぞ」と思わせるための道具の筈です。近寄らせないように立っているのに、人間を呼び集めるような案山子は外道だとしか…。
「ぼくもそう思う。使えるかな、と思ったのはホントに一瞬だけだったしね」
案山子は駄目だ、と会長さん。何に使うつもりだったんでしょう?
「えっ? 人間用の案山子だよね、って話になっていたから、そういう案山子」
「「「は?」」」
「これさえ置いたら特定の人間を追い払えるとか、そういうのだよ」
若干一名、案山子で追い払いたい人間が…、と説明されたらピンと来ました。何かと言えば湧いて出るのが異世界からのお客様。トラブルメーカーのソルジャー除けに案山子ですね?



「ブルーを案山子で追い払えたらねえ…」
いいんだけどね、と会長さんはブツブツと。
「だけど人間用の案山子は逆に人間を呼び込むようだし、そこはブルーでも同じだよ、きっと」
ドン引きするような案山子を置いてもビックリするのは最初だけ…、と深い溜息。
「案山子と分かれば興味津々、それを眺めに来るってね! どんな案山子を作ってもさ」
「…あいつがドン引きって、どんな案山子だ?」
サッパリ想像がつかないんだが、とキース君。私だって思い浮かびません。なまじのことでは驚きませんよ、あのソルジャーは?
「そこはやっぱり、ハーレイを使うべきだよね。こんなのは嫌だ、と思うようなの」
ハーレイそっくりの案山子でドン引き、と会長さんは恐ろしい例を挙げ始めました。姿形はそっくりに作って、案山子を着せ替え。ソルジャーがとても耐えられないようなメルヘンチックなドレス姿やメイドな衣装で、顔にはメイク。
「そんな案山子をリビングにドカンと置いておけばさ、ドン引きするかと思ったんだけど…」
耐え切れずに逃げて帰るとか…、と。
「でも、考えてみたら案山子だし…。怖いもの見たさでやって来るとか、逆にメイクをし始めるだとか、着せ替え用の服を買って来るとか…。結果的に逆に引き寄せそうで…」
「その線だろうな、間違いなく」
ドン引きしている時期が過ぎたら遊び始めるだろう、とキース君も会長さんと同意見でした。他のみんなも首をコクコク、ソルジャーに案山子を突き付けたら最後、遊びに来る回数が増えるだけだと思います。
「ほらね、君たちもそう思うだろ?」
だから使えない、と会長さん。
「ブルーに格好の遊び道具を与えるだけでさ、追い払うことは出来ないんだよ」
「遊ぶでしょうねえ、きっと嬉々として」
メイクに着せ替え、とシロエ君も。
「キース先輩がやりたくなかったメンテっていうヤツに凝りまくりますよ、そんな案山子を置いておいたら」
「だよねえ、絶対、訪問回数増えまくりだよ」
毎日来るんじゃなかろうか、とジョミー君だって。
「着せ替え人形の感覚で来るよ、今度はこんなのにしてみよう、って!」
そして楽しい遊び道具を提供する羽目になるだけだ、というソルジャー用の案山子。末路は最初から見えていますし、作らないのが吉ですってば…。



人間をビックリさせることは出来ても、逆に呼び込む人間用の案山子。追い払えないようなものは案山子と呼べないのでは、と笑い合っていたら。
「こんにちはーっ!」
いきなりユラリと揺れた空間、紫のマントのソルジャー登場。もしや案山子の話を聞かれたのでは、と身構えた私たちですけれど。
「キースがテレビに出たんだってねえ! どんな感じで?」
生憎と見そびれたものだから…、と珍しい台詞が。四六時中と言っていいほど覗き見ばかりのソルジャーのくせに、昨日から分かっていたテレビ出演を何故に…?
「えっ、この格好を見たら分からない? ついさっきまで会議をやってたんだよ、昼御飯つきで延々とね!」
年寄りは話が長くていけない、と自分の年は見事に棚上げ、ソルジャーの世界の長老たちを年寄り呼ばわりしています。ゼル先生とかヒルマン先生のそっくりさんがいるんですよね?
「そうそう、ホントに瓜二つ! その連中がうるさくてねえ…」
テレビを見逃してしまったのだ、と残念そうに。
「もしかして、録画してたとか? それなら是非とも見たいんだけど!」
「んとんと…。キースが可哀相かな、って録画するのはやめにしてたし…」
残ってないの、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」。再放送も無いんだよ、と。
「えーっ!? それじゃ、誰かの記憶でいいから!」
せっかくのキースの晴れ舞台、と頼まれましたし、中身も変ではなかったですから…。
「分かったよ。ぶるぅ、記憶を見せてあげて」
「オッケー!」
はい! と「そるじゃぁ・ぶるぅ」が小さな右手を差し出し、ソルジャーがその手をキュッと握って「よろしく」と。記憶の伝達は一瞬ですから、ソルジャーは直ぐに手を離してしまって。
「…そうか、農家の息子さん役ねえ…。ご苦労様、キース」
「いや、それほどでも…」
「なかなかに楽しい番組だったよ、案山子というのも面白かったし…」
ところで、と言葉を切ったソルジャー。
「人間用の案山子が気になるんだけど? ぼくを引き寄せる案山子がどうとか」
「「「ええっ!?」」」
ヤバイ、と私たちは青ざめました。「そるじゃぁ・ぶるぅ」が伝えた番組の記憶、余計なものまでついてましたか…?



「ぶるぅのせいではないんだけどねえ…」
ちょっと引っ掛かったものだから、とソルジャーは唇に笑みを浮かべて。
「案山子、案山子、と妙にはしゃいだ心がね。何なのかな、と軽く探ったら人間用の案山子が出て来て、ぼくを引き寄せるって話の欠片が」
この先は君たちに尋ねた方が得るものが多そうだと思うから、とソルジャーの読み。つまりは話せという意味です。話さなかったらどうなるかと言うと…。
「当然、強引に聞き出すってね!」
聞き出せない時は心を読むまで、と脅し文句が。これは全面降伏しかなく、洗いざらいを喋らされる羽目に陥って…。
「…そういう意味かあ、人間用の案山子って…」
確かに逆に引き付けるだろうね、とソルジャーはアッサリ認めました。そんな案山子が置いてあったら何度でも来ると、着せ替え作業も頑張ると。
「最初はドン引きかもだけど…。案山子と分かれば怖くはないしね、やっぱり大いに遊ばなくっちゃ! ハーレイの人形なんだから!」
しかも等身大、と遊ぶ気満々、溜息をつく私たち。ソルジャー用にと案山子を置いてもこうなるのだ、と改めて証明されたのですが。
「…待ってよ? ハーレイなんだよね?」
その案山子、と訊かれました。さっきから何度も言ってますけど、ソルジャー用ならハーレイ案山子になりますよ? ドン引きして貰わないと駄目なんですから…。
「ハーレイかあ…。でもって、人間用の案山子はビックリさせても逆に人間を引き付ける、と…」
これは使える、と会長さんとは逆の台詞が。それはそうでしょう、ソルジャーは案山子で遊ぶつもりで、ハーレイ案山子を設置したが最後、頻繁に遊びに来るつもりですし…。
「そうじゃなくって! ぼくが言うのは案山子の効果!」
人間を引き付ける人間用の案山子がポイント、とソルジャーは指を一本立てました。
「最初はビックリ、でも、その後は寄って来るんだろう? これを使わずにどうすると?」
「……何に?」
会長さんがおっかなびっくり訊き返すと。
「もちろん、ぼくのハーレイに!」
「「「キャプテン!?」」」
キャプテン相手に案山子なんかをどうするのだ、と思いましたが、ソルジャーの思考は常に斜め上という傾向が。分からなくって当然ですよね、案山子の使い道とやら…。



人間を追い払う代わりに引き寄せてしまう人間用の案山子。それをキャプテンに使いたい、と言い出したソルジャーは大真面目で。
「…ぼくとハーレイ、結婚してから円満な毎日なんだけど…。欲を言えばもっと、頻繁に青の間に来て欲しいわけ! 勤務中でも!」
そのために案山子を置いてみたい、と赤い瞳に真剣な光。
「仕事の合間に寄って行くこともあるんだよ。少し時間が出来ましたので、って。…でも、そんなことは滅多に無くて…。大抵、仕事の報告だよね」
キャプテンの任務でやって来るのだ、と言うソルジャーによると、キャプテンが昼間に青の間に現れる場合は九割以上が仕事絡み。キスの一つも貰えないそうで、なんともつまらないらしく。
「そういうハーレイを引き寄せるために、ここは案山子で!」
「…どう使うわけ?」
案山子の役目はあくまでドン引き、と会長さん。
「君のハーレイがドン引きしちゃって、その後は足繁く通ってくるって、どんな案山子さ?」
君がポーズを取っている方が早いんじゃあ…、と会長さんは半ばヤケクソ。
「悩殺ポーズをキメていればね、その方がよっぽど釣れそうだけど?」
「それはとっくにやってるよ!」
なのに効果が見られないのだ、と超特大の溜息が。
「仕事モードの時のハーレイ、何をやっても無駄なんだってば! 脱いで見せても!」
失礼します、と出て行ってしまって終わりなのだ、と嘆くソルジャーですけど、お仕事中なら無理もないでしょう。ソルジャーの誘惑に引っ掛かったら仕事どころじゃないですし…。
「仕事、仕事、って言うけどさ! どうでもいい仕事もあるわけでさ!」
トイレの故障はどうでもいいだろ、とソルジャーは愚痴り始めました。船を纏め上げるのがキャプテンの仕事、ついでに几帳面な性格だったらしくって。
「上がって来た報告、端から見ないと気が済まないんだ! そして現場に行っちゃうことも多くって…。トイレの修理に立ち会っていても、正直、意味が無いんだけれど!」
そんな所に行く暇があったら青の間で一発やっていけば、と強烈な台詞。ソルジャーは基本が暇な毎日、昼間といえどもベッドでキャプテンと過ごしたいようで。
「ぼくはトイレに負けてるんだよ、優先順位で! トイレの故障に!」
それに勝つためにも案山子の出番、と言ってますけど、ソルジャーの悩殺ポーズも効かないキャプテン相手に、どんな案山子を置くつもりでしょう…?



「ハーレイに決まっているだろう!」
ドン引き用の案山子なら、とソルジャーはキッパリ。でもでも、キャプテンを脅かすための案山子がキャプテンだなんて、何か間違ってはいませんか…?
「間違っていないよ、ドン引きさせるならハーレイの案山子なんだってば!」
ただし、こっちのハーレイの協力が必要、という話。そりゃそうでしょうね、キャプテンの協力で作った案山子なら、キャプテンは何もかもお見通しですし…。
「そうなんだよ! こっちのハーレイで凄い案山子を作らなくっちゃ!」
ぼくのハーレイもドン引きの案山子、と主張するからには、私たちが話題にしていたような案山子でしょうか? ドレスやらメイドの服を着せ付け、メイクしちゃった案山子とか…。
「ううん、メイクは要らないね。素顔で勝負!」
それから服も要らないのだ、と妙な台詞が飛び出しました。それって、裸という意味ですか?
「決まってるだろう! ドン引きな案山子を作るんだから!」
大切なのはポーズなのだ、とグッと拳を握るソルジャー。
「キースが出ていた番組の案山子も、いろんなポーズをしてたじゃないか! 畑仕事の!」
「…それはそうだけど…。でも…」
ドン引きするようなポーズって何さ、と会長さんも理解出来ないようです。ソルジャーは「分かってないねえ…」と呆れ顔で。
「裸のハーレイ案山子だよ? ポーズはもちろん、ヤッてる最中!」
「「「ええっ!?」」」
どんなポーズだ、と思いましたが、ソルジャーの方は得々として。
「何通りほど作ればいいのかなあ…。キースが出ていた番組の農家の人じゃないけど、凝りたい気持ちはよく分かるよ!」
基本のだけでも幾つもあるし…、とニコニコと。
「案山子で効果が見られるようなら、うんと沢山揃えてもいいね。四十八手を全部とか!」
「「「…しじゅう…?」」」
それって相撲の決まり手でしょうか、四十八手と言ったら相撲。力士のポーズを取った案山子を揃えるのかと思ったら。
「違うね、相撲は無関係! 大人の時間の決まり手の方で!」
ノルディにあれこれ教えて貰ってハーレイと二人で実践中、とソルジャーは高らかに言い放ちました。四十八通りもあるらしい決まり手なるもの、それの案山子を作りたい、と。



「いいかい、人間用の案山子はドン引きの後で引き付けるもの!」
ハーレイもきっとドン引きした後、引き付けられるに違いない…、と踏んでいるソルジャー。青の間にハーレイ案山子を置いたら足繁く通ってくれるであろう、と。
「勤務時間中でも通ってくれてさ、トイレの故障は後回し! ぼくと一発!」
なにしろ案山子があるんだからね、とソルジャーは自信に溢れていました。大人の時間の決まり手のポーズを取った案山子が置かれていたなら、キャプテンは熱心に通う筈だと。
「だってさ、案山子はぼくとヤろうとしているわけでさ…。きっと気分が落ち着かないよ!」
案山子なんだと分かってはいても、ついつい足を運びたくなる、と言うソルジャー。
「案山子がぼくを襲うなんてことは無いわけだけれど、ぼくのベッドにドカンと案山子! もう絶対に落ち着かなくって、案山子を放り出して代わりに自分がベッドにね!」
勤務時間中でもハーレイが釣れる、とソルジャーの発想は良からぬもので。キャプテンの仕事はどうなるんでしょうか、滞ってしまって大変だとか…。
「それは無い、無い! 案山子を置く時はTPOを考えるから!」
ハーレイが覗きに来たって案山子が無い時もあるであろう、と真の意味でのソルジャーらしい考えも一応持ってはいる模様。キャプテンが仕事を放棄してしまっても大丈夫な時しか案山子は置かないみたいです。
「…どうかな、ぼくのハーレイ案山子は?」
「好きにすれば?」
ぼくたちに実害が無いんだったら、と会長さん。
「その案山子ってヤツは君の世界でしか使わないんだろ、君のハーレイを釣るんだから」
「そうだよ、ぼくの青の間専用! …作ってもいい?」
こっちのハーレイをちょっと借りてもいいだろうか、とお願い目線。
「案山子を作るにはモデルが要るしね、四十八手を全部作るにしたって、まずは基本の一つから! ぼくを押し倒してコトに及ぼうってポーズで一つ目!」
「はいはい、分かった。勝手に頼んで作る分には止めないよ」
「ありがとう! それじゃ早速…」
君の協力もお願いしたい、とソルジャーは膝を乗り出しました。
「…ぼく?」
「そう! 君でないとハーレイはヤる気が出ないし!」
ポーズをつけるために協力を…、と言われた会長さんは即座に突っぱね、たちまちギャーギャー大喧嘩。会長さんが協力するわけないですってば、そんなモノ…。



ソルジャーが作ろうとしたハーレイ案山子。会長さんの協力は得られそうにないと悟ったソルジャー、それでも諦め切れないらしく。
「…ぼくが勝手に作るんだったらいいんだね?」
「お好きにどうぞ。四十八手をズラリ揃えようが、ぼくは一切、関知しないから!」
その後の効果も保証しない、と会長さんは冷たい表情。キャプテンに案山子の効果が無くても、責任は一切負わないから、と。
「…分かったよ。そういうことなら、君の協力は無理そうだから…」
ぶるぅ! とソルジャーが宙に向かって一声、「かみお~ん♪」とクルクル宙返りしながら現れた「ぶるぅ」。悪戯小僧の大食漢です。
「なあに? おやつくれるの、それとも御飯!?」
「どっちも後で食べ放題! その前にひと仕事してくれたらね」
ほら、とソルジャーが何処からかカメラを取り出しました。見慣れない形ですけれど…?
「ああ、これはねえ…。ぼくたちの世界の立体カメラ! 立体画像が撮れるんだよ!」
これでハーレイのポーズを撮影、と満面の笑顔。
「後はぼくのシャングリラでハーレイ案山子を作るだけ! 画像を元に!」
「また時間外労働させる気かい!?」
会長さんが突っ込みましたが、ソルジャーは。
「基本だってば、そういうのはね! データ操作と記憶の消去も!」
セットものだ、と涼しい顔のソルジャーに「ぶるぅ」が「写真を撮るの?」と。
「ねえねえ、何を撮ったらいいの? 何を作るの?」
「ハーレイ案山子を作るんだよ! 青の間のベッドに置くためのね!」
人間用の案山子はこういうもので…、というソルジャーの説明を聞いた「ぶるぅ」は大喜びで。
「楽しそうーっ! お手伝いすればいいんだね!」
「大正解! ぼくを相手にこっちのハーレイがポーズを取ったら、そのカメラで!」
「分かった、写真を沢山撮るよ!」
早く案山子が出来ないかなあ! と「ぶるぅ」が飛び跳ね、「そるじゃぁ・ぶるぅ」が。
「ぶるぅ、お仕事しに行くの?」
「うんっ! ブルーのお手伝いだよ、ぶるぅも見たい?」
「見たいーっ!」
一緒に行くんだ! と言い出した「そるじゃぁ・ぶるぅ」を私たちは必死に止めました。行かれたら最後、私たちだって巻き添えです。「みんなでお出掛け」が好きなんですから~!



やっとの思いで「そるじゃぁ・ぶるぅ」を踏み止まらせることは出来たものの。
「…くっそお、見ないと駄目なのか…」
強制的に中継なのか、とキース君が毒づき、ジョミー君が。
「一緒に行かずに済んだだけマシだよ、見てればいいっていうだけだしね…」
出来れば見たくはないんだけれど、と言い終わらない内にリビングの壁に中継画面がパッと。
「こちら、現地からお送りしてまーす!」
ソルジャーが例の番組のリポーターよろしく手を振り、画面の向こうは教頭先生の家でした。瞬間移動で飛び出して行ったソルジャーと「ぶるぅ」のコンビ、中継は「ぶるぅ」がやってます。ソルジャーは私服に着替えてお出掛け、教頭先生の家のチャイムをピンポーン♪ と。
「はい?」
「ぼくだけど!」
それだけで通じた教頭先生、玄関の扉をガチャリと開けて。
「こんにちは。…どうなさいました、本日は?」
「君に折り入ってお願いがね…。実は案山子を作りたくってさ」
中でゆっくり話をしよう、と上がり込んだソルジャー、アッと言う間に教頭先生を丸め込んでしまって、めでたく撮影会な運びに。
「…脱げばいいのですか?」
「そう、全部! ブルーには内緒にしておくからさ」
もう気持ち良く全部脱いで! とソルジャーが煽り、教頭先生はいそいそと。
「…ポーズを教えて下さるとか…?」
「うん。ぼくは脱がないけど、こんな感じで横になるから…」
一発ヤるつもりで来てみよう! とソルジャーが横たわった寝室のベッド。教頭先生、普段のヘタレは何処へやら…、といった感じでベッドに上がり込むと。
「…こうですか?」
「それじゃ駄目だね、もうちょっと、こう…。うん、そんな感じ」
そこで腰の運動をすればバッチリで…、とソルジャーが素っ裸の教頭先生に指示を出していて、「ぶるぅ」は中継をしつつシールドの中から写真をパシャパシャ撮っているようです。
「いいねえ、グッと来るってね! その腰遣いなら、ブルーもきっと!」
「…惚れてくれるでしょうか?」
「いけると思うよ、ちゃんとベッドに誘えればね!」
それじゃこの次はポーズを変えて…、とモザイクだらけの撮影会。教頭先生、ソルジャーと二人きりだからこそヘタレないのか、案山子作りのお手伝いだからヘタレないのか、どっちでしょう?



「やったね、データをゲットってね!」
後は案山子を作るだけだ、と瞬間移動で戻ったソルジャー。「ぶるぅ」はカメラを持って一足お先に帰ったようです。ソルジャーは御褒美にお弁当とお菓子を山ほど買って帰るそうですけれど。
「…まさか写真が撮れるだなんて…」
ハーレイの鼻血はどうなったのだ、と会長さんが仏頂面。教頭先生、あの後ポーズを二回も変えていたのに鼻血無し。帰るソルジャーにも笑顔で手を振っていましたし…。
「ああ、あれね。…今はこうだけど?」
ソルジャーがパチンと指を鳴らすと、再び現れた中継画面。其処では紅白縞だけを履いた教頭先生が鼻血まみれで床に仰向けに倒れていました。
「「「…え…?」」」
なんで、と驚いた会長さんと私たちですが。
「ハーレイの鼻血スイッチを切っておいたんだよ、今日のぼくには崇高な目的があったからねえ! 倒れられたら元も子も無いし、チョチョイとね!」
とても高度なサイオンの使い方なんだけど、と胸を張るソルジャー。
「案山子のためなら頑張るよ! …四十八手を全部揃えられるかは謎だけど…」
鼻血体質が酷すぎるから、と言いつつ、当初の目的は果たしたわけで。
「それじゃ、帰って案山子作り! 上手くいったら報告するねーっ!」
青の間に置くハーレイ案山子、とソルジャーはウキウキ帰ってゆきました。そして…。



「…効いたらしいな、例の案山子は」
考えたくもないんだが…、とキース君がぼやいた一週間後の土曜日のこと。ソルジャーはあれから一度だけしか来ていません。案山子の自慢に現れただけで、それっきり姿が見えなくて。
「…人間用の案山子の効果は抜群だったらしいですしね…」
キャプテンをドン引きさせて見事にゲットだそうで、とシロエ君。
「あんなポーズの案山子なんかが効くというのが理解不能ですよ、ぼくは!」
「押しのけたいって気持ちになるらしいよね…」
謎だけどさ、とジョミー君が零した所へ「こんにちはーっ!」とソルジャーが。
「先週は素敵な案山子のアイデア、ありがとう! もうハーレイが凄くって!」
しょっちゅう青の間に来てくれるんだ、とソルジャーは御満悦でした。
「案山子を置いた甲斐があったよ、三つのポーズを入れ替えで置いているんだよ!」
でもって目指すはコンプリート! と広げられた紙。会長さんが「退場!」と叫び、紙には一面のモザイクが。
「何をするかな、これから指導に行くんだよ! ハーレイの家へ!」
四十八手のポーズの案山子を揃えるんだから、という台詞からして、紙には四十八手とやらが描かれているに違いありません。
「目指せ、案山子のコンプリート! 今日もぶるぅと二人で楽しく!」
撮影会だ、とソルジャーの姿がパッと掻き消え、会長さんが。
「…いいんだけどねえ、ぼくには実害が無いようだしね?」
鼻血スイッチとやらを切らない限りは永遠のヘタレなんだから、と開き直りの会長さん。キャプテンを引き寄せると噂の人間用の案山子、コンプリートは出来るんでしょうか?
「…無理だと思うが」
「ぼくもです」
幾つ目でソルジャーの夢が破れるだろうか、と始まりました、トトカルチョ。私は今日で轟沈に賭けたんですけど、勝てるでしょうか。教頭先生、鼻血よろしくお願いします~!




           人間と案山子・了


※いつもシャングリラ学園を御贔屓下さってありがとうございます。
 キース君のテレビ出演が切っ掛けで、ソルジャーが考案したキャプテン用の案山子。
 なんとも凄い案山子ですけど、ちゃんと効果があるようです。教頭先生、美味しい役かも。
 次回は 「第3月曜」 11月16日の更新となります、よろしくです~!

※毎日更新な 『シャングリラ学園生徒会室』 はスマホ・携帯にも対応しております。
 こちらでの場外編、10月は行楽と食欲の秋で、松茸山にお出掛けすることに。
 ←シャングリラ学園生徒会室は、こちらからv













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(制御室…)
 急がなくては、と辺りを見回したブルー。早く行かないと、メギドの炎がシャングリラを襲う。一度目の攻撃は受け止められたけれど、二度目が来たらもう防げない。
 自分だけでは無理だ、と思った第一波。ジョミーが、トォニィたちが来てくれたから助かった。急成長して仲間を守った子供たち。彼らは力尽きてしまっていたから…。
(もう誰も…)
 シールドを張れる仲間はいないだろう。ジョミーの力も、相当に削られている筈だから。
 そう考えたから、此処まで来た。たった一人で、このメギドまで。地獄の劫火を滅ぼすために。自分の命と引き換えにして。
 けれど、シャングリラからメギドまでの距離。ジルベスター・セブンとジルベスター・エイト、二つの惑星の間を飛んだ。ジルベスター・エイトまで辿り着いたら、展開されていた人類軍の船。
 メギドを目指す自分を撃ち落とそうと、何度レーザーが放たれたことか。それを躱して飛んで、飛び続けて。…ようやっとメギドに着いたけれども。
 奪われてしまっていた体力。それにサイオン。余計な力は使えなかった。制御室を破壊するのに必要な力、それが無ければ来た意味が無い。
 だから出来なかった瞬間移動。メギドの制御室まで飛ぶこと。
 十五年もの長い眠りから覚めて間もない身体な上に、残り僅かになった寿命。生きていることが不思議なくらいに、もう残されていない生命力。メギドの制御室へと一気に飛んだら、それだけで力尽きるだろう。肝心のシステムを破壊出来ずに、床へと倒れ込んでしまって。
 それを防ぐには、自分の足で歩くしかない。制御室の在り処は透視出来るから、その場所まで。
 サイオンの使用は最低限に留め、自分の二本の足で進んで。



 装甲を破るのに使ったサイオン、力が抜けてゆくのを感じた。人類軍が誇る最終兵器は、堅固な城塞だったから。そうして中へと入り込んだら、直ぐに通路があったのだけれど。
(…制御室までに、何層あるのか…)
 幾つの床を抜けてゆかねばならないのか。抜けたその先で、どれだけの距離を歩くのか。
 考えただけで気が遠くなりそうな、制御室へと向かう道のり。それを歩いてゆかねばならない、出来るだけサイオンを使わずに。床と壁とを壊す時しか、サイオンを使ってはならない。
(…あの先へ…)
 二層、三層と抜けて来たけれど、まだまだ長く続いてゆく道。遥か彼方に見えている扉、其処も単なる目印の一つ。扉の先は行き止まりだから、床を壊して下の層へと。
 辿り着いても、終点にはなってくれない扉。制御室に行くには、もっと下まで。もっと遠くへ。
 とにかく進んでゆかなければ、と歩くけれども、ふらつく足。よろけて壁についてしまう手。
 息はとっくに荒くなっていて、文字通り肩で息をするよう。
 とても苦しくて、歩くだけでも辛くて、倒れてしまいそうで。
(ハーレイ…)
 誰か、と心で呼び掛けてみても、返ってくる筈もない仲間たちの声。
 このメギドには、ミュウは一人もいないから。たった一人で来たのだから。



 懸命に前へ進むけれども、よろけて足元が危うい身体。壁にもたれては、整える息。
(…ハーレイ…)
 こんな時には支えてくれた、あの手が無い。「ソルジャー」と呼ばねばならない時でも、支えてくれていたハーレイ。「これもキャプテンの役目ですから」と。
 シャングリラの通路で、視察先などでよろめいた時は、いつも。「無理をなさらないで」と。
 恋人同士なことを知られないよう、キャプテンの貌をしていたハーレイ。けれど、ソルジャーを支えるふりをしながら、あの手で支えていてくれた。逞しい筋肉を纏った腕で。
 なのに、苦しくてたまらない今。誰かに支えていて欲しい今。
 誰も此処へは来てくれないから、一人で歩いてゆくしかない。床に倒れてしまいそうでも。
(ぼくが選んだ…)
 こうすることを。
 シャングリラから遠く離れたメギドで、一人きりで死んでゆくことを。
 それは覚悟の上だったけれど、ハーレイに最後の言葉も残して来たけれど。
(こんなに苦しいことだったなんて…)
 思わなかった、と壁に預けた背中。先を急ぐけれど、息を整えねば、と。無理をしすぎて此処で倒れたら、全てが終わってしまうのだから。
(支えてくれる手が、無いというだけで…)
 なんと苦しくて長い道のりなのか。まだ遠い扉、其処は終点ではないというのに。
 制御室の場所はまだずっと先で、此処まで来た距離の比ではないのに。



 何処まで続くのか、この苦しくてたまらない道は。早く終わりが来て欲しい道は。道が終われば自分の命も終わるけれども、それを「早く」と願うほどの辛さ。歩くことが苦痛なのだから。
(…シャングリラでも、歩けなくて…)
 倒れたのだった、と思い出した、キースと対峙した時。
 捕虜の逃亡や、錯乱状態だったカリナのサイオン・バースト。大混乱だった船の中では、一人も気付きはしなかった。自分が眠りから覚めたことにも、格納庫へ向かっていることにも。
 あの時もふらつく足で歩いて、何度も倒れてしまった通路。ハーレイが来てくれなかったから。支えてくれる手が無かったから。
 それと同じに、今も一人きり。果てが無さそうに思える道をただ一人、よろめきながら。
(でも、みんなを…)
 白いシャングリラを守るためには、歩くしかない。此処で倒れるわけにはいかない。
 どんなに苦しくて辛い道でも、自分の足で。一人きりで。
(ハーレイ…)
 君の手が此処にあったなら、と支えてくれる手を思ったけれど。
 ハーレイがいてくれるわけがない。
 もう二度と生きて会えはしないのだから、その道を自分が選んだから。
 メギドは自分が止めてみせると。命と引き換えに破壊しようと、此処まで飛んで来たのだから。



 そうは思っても、辛すぎる道。苦しいだけの道をたった一人で、死へと向かって歩いてゆく。
 歩くより他に道は無いから。余計なサイオンは使えないから、長い長い道を。
(行かないと…)
 ぼくがみんなを守らないと、と背を預けていた壁を離れて、歩き始めた所で目が覚めた。
 ぽっかりと、自分のベッドの上で。…青の間ではなくて、今の自分の子供部屋で。
(……夢……)
 囀っている小鳥たちの声。白いシャングリラにはいなかった小鳥。
 カーテンの隙間から射している光、土曜日の朝だと教えてくれる地球の太陽。
 そうだったっけ、とソルジャー・ブルーからチビの自分に戻った。ぼくは今のぼく、と。
 さっきまで自分が歩いていたのは、前の自分が歩いた道。遠い昔に、あのメギドで。
(…いつもの夢と違ったよ…)
 何度も襲われたメギドの悪夢。青い光が満ちる制御室で、たった一人で死んでゆく夢。
 撃たれた痛みでハーレイの温もりを失くしてしまって、独りぼっちだと泣きじゃくりながら。
 右手が冷たく凍える夢も辛いけれども、今日の夢も悲しい、と零れた涙。
 死へと向かって歩いてゆくのに、誰も支えてくれはしない道。苦しくて、とても辛いのに。
(…早く死んじゃいたい、って思うくらいに苦しかったよ…)
 なのにちっとも終わらないんだ、と前の自分と重なった心。果てが無いように思えた道。
 たった一人で歩く途中に、何度終わりを願っただろう。早く全てを終わらせたいと。一人きりで歩く道が辛くて、とても苦しくて。
(…忘れちゃってた…)
 すっかり忘れていた記憶。早く、と死が待つ場所に着くのを願ったくらいに辛かったのに。
 涙ぐみそうな思いをしたのに、自分は忘れてしまっていた。
 あの後のことが辛すぎて。やっと辿り着いた制御室の中で、悲しすぎる死が待っていたから。



 夢だったんだよね、とホッとした今の自分の部屋。両親がくれた、小さなお城。
(ぼくの家…)
 パパもママもいてくれる家、と胸に溢れる温かさ。一人きりで歩かなくてもいいから。苦しくて辛い長い道のり、あの道はもう過去のものなのだから。
 顔を洗って、着替えも済ませて、噛み締めて食べた朝御飯。幸せだよ、と。
(今のぼく、ホントに幸せ一杯…)
 トーストだって食べられるし、と大きく口を開いて齧った。口一杯に。いつもは少しずつ齧ってゆくのに、まるで食べ盛りの友達たちのように。
「あら、どうしたの?」
 今日はお腹が空いているの、と尋ねた母。そんなに大きく齧るなんて、と。
「前のぼくの夢、見ちゃったから…。今のぼくは此処にちゃんといるよね、って」
 トーストだって本物だよ、って口一杯に頬張っちゃった。
 だって、メギドの夢だったから…。
「…痛かったのね? ブルー、血だらけになっちゃったものね」
 痛かったでしょう、と顔を曇らせる母は知っている。聖痕と同じ傷を負わされたことを。
「ううん、それじゃなくて、独りぼっち…」
 メギドの中を歩いてたんだよ、制御室まで行かなくちゃ、って。制御室、とても遠いのに…。
 うんと長い道を歩いて行くのに、ぼくは独りぼっち。メギドに仲間はいなかったから…。
 身体が辛くてフラフラなのに、誰も支えて助けてくれない夢だった、と話したら。
「…そうだったのか…。可哀相にな」
 栄養、しっかりつけておかないと。頑張って歩いて行けるようにな。
 今のお前は元気に歩けよ、と父が分けてくれたソーセージ。「これも食べてな」と。



 ポンとお皿に引越しして来たソーセージ。一気に戻れた幸せな現実。
 ソーセージは有難迷惑だけれど。朝から沢山入らないのに、貰っちゃった、と。パパは酷い、と仕方なくフォークで刺して齧ったら、その父が「偉いぞ」と笑顔になって。
「栄養もつけなきゃいけないが…。お前が頑張って歩いて行く時には、だ…」
 パパもママも一緒に歩いてやるぞ。お前を独りぼっちにしたりはしないさ。
 よろけて倒れそうになったら、パパが支えて歩くわけだな。もちろん、ママも。
「ええ、そうよ。ブルーが倒れないように」
 何処でも一緒に行ってあげるわ、メギドでもね。
「メギドって…。ママも死んじゃうよ、メギドなんかに行っちゃったら…!」
 逃げる方法、無いんだから。…メギドを壊したら、巻き添えになってしまうんだから。
「だけど、ブルーが行くんでしょう? ちゃんと歩けもしないのに」
 ママは行くわよ、ブルーと一緒に。一人で行かせられないもの。
「パパもそうだな、お前はパパの子なんだから。メギドだからって、逃げやしないぞ」
 お前が行くと言うんだったら、パパも一緒に行かないと。お前が倒れてしまわないように。
 フラフラなんだし、ただでも弱くてチビなんだから。
「…パパもママも来てくれるんだ…。メギドなんかでも…」
「当たり前でしょ、何処の家でもそうよね、パパ?」
「誰だってそう言うだろうなあ、子供を独りぼっちにさせるような親はいないぞ、ブルー」
 今の時代は本物の家族なんだから、と父の手でクシャリと撫でられた頭。何処でも一緒に歩いてやるさ、と。
「ありがとう、パパ! ママも、ありがとう…!」
 ぼく、本当に幸せだよ。一緒に歩いて貰えるだなんて、ぼくはホントに幸せ一杯…。



 両親に御礼を言って、幸せな気分で食べた朝食。父が分けてくれたソーセージの分、食べ過ぎた気分はするけれど。
 でも幸せ、と部屋に帰って、勉強机の前にチョコンと座った。
(パパとママ、ぼくと歩いてくれるって…)
 一緒に歩いて支えてくれる父と母。きっと本当に来てくれるのだろう、メギドの中を歩いてゆく時でも。辿り着いた先には、死が待つとしても。
 そう言ってくれた両親は頼もしいけれど、もっと一緒に来て欲しい人は…。
(ハーレイ…)
 絶対に来ては貰えない人。メギドには来てくれない人。
 ハーレイが来ると言ってくれても、自分は止めねばならないから。メギドの中では、どうしてもソルジャーになってしまうから。
(パパとママなら、来てくれたら、とても嬉しいけれど…)
 ハーレイは無理だと分かっている。生きて戻れない、あの道を一緒に歩けはしない、と。
 もしもハーレイを連れて行ったら、シャングリラはキャプテンを失うから。ハーレイ抜きでは、船は地球まで行けないから。
 だから駄目だ、と首を横に振るしかない恋人。
 今日は訪ねて来てくれるけれど、あの辛かった道を一緒に歩けはしないハーレイ…。



 パパとママは歩いてくれるのに、と悲しい気持ちを拭えないままで、ハーレイを迎えてしまった部屋。いつもの土曜日と変わらないのに、あの夢を忘れていなかったから。
 母がお茶とお菓子をテーブルに置いて去ってゆくなり、大きな身体にギュッと抱き付いていた。自分の椅子は放ってしまって、ハーレイの膝の上に座って。
「なんだ、どうした?」
 甘えん坊だな、今日のお前は。…土曜日だからって、甘えすぎじゃないか?
「…夢を見たんだよ。だからハーレイにくっつきたくて…」
 ちょっとだけ、こうしていてもいいでしょ。ハーレイの側にいたいんだから。
「夢って、メギドか?」
 見ちまったのか、あの時の夢。俺にくっつきたがるなら、メギドの夢しか無さそうだが…。
「そうだけど…。メギドの夢だったんだけど…」
 いつもの夢と違ったんだよ、独りぼっちで歩いて行く夢。
 制御室まで行かなくっちゃ、ってメギドの中を歩いて行くんだけれど…。とても遠くて、途中の道がとても長くて…。
 ぼくの身体は弱っているから、足はフラフラで、息だって切れてしまってて…。
 苦しくて辛くて、それでも一人で歩くしかなくて…。
 メギドには誰もいないんだものね、ぼくを支えて一緒に歩いてくれる人は、誰も…。



 とても悲しい夢だったんだよ、と訴えた。苦しくて辛い道を歩いているのに、ぼくは一人、と。
「こんなに苦しいだなんて思わなかった、って考えてるんだよ。…夢の中のぼく」
 早く終わって欲しいくらいで、だけど終わりはずうっと先で。
 道の終わりに着いた時には、死ぬんだって分かっているくせに…。それでも早く着きたい、って思っているんだよ。
 苦しい思いをしながら歩き続けるより、終わっちゃった方が楽なんだから。
「…妙に生々しい夢だな、それは。…本当にあったことなのか?」
 前のお前がそう思ったのか、メギドの中を歩きながら…?
「うん…。ぼくもすっかり忘れてたけど…」
 最後に起こったことの方がずっと、悲しくて辛くて苦しかったから…。
 もうハーレイには会えないんだ、って泣きじゃくりながら死んじゃったから。
 歩いてた時のことなんかは思い出しもしないよ、何もかも失くしちゃったんだもの。
 ハーレイの温もりを失くしてしまって、もう本当に独りぼっちで、それっきりだから…。
「そうだったのか…。前のお前は、独りぼっちで歩いていたのか…」
 メギドの制御室に着くまでの間に、お前が歩いて行った距離。
 相当なもんだぞ、メギドのデカさは桁外れだからな。
 ただでも長い道だというのに、よろけながら歩いて行っただなんて…。
 その時間、きっと長かったよな…。一分や二分で着くわけがないしな、制御室には。
「時間なんか覚えていないけど…。それに時計も無かったから」
 でも…。夢の中でぼくが見たのと、おんなじ。
 今は記憶がハッキリしてるし、夢のせいで長かったんじゃないんだな、って分かっているよ。
 本当に長い道だったんだよ、サイオンは出来るだけ残しておかなきゃいけなかったから。
 床や壁は壊さなきゃ前に進めないけど、他は歩いて行かなくちゃ…。
 瞬間移動で一気に飛んでしまったら、ぼくのサイオン、それで無くなってしまうから…。
 制御室を壊す力が無くなっちゃうから、瞬間移動は無理だったんだよ…。



 前の自分がメギドで歩いた、苦しくて、とても長かった道。早く終わりを、と願うくらいに。
 辿り着けば死ぬと分かっていたのに、道の終わりを待ち望んだほどに。
 支えてくれる人は、誰一人としていなかったから。一人きりで歩くしかなかったから。
「…長かったんだよ、ホントのホントに。歩いても、歩いても終わらなくって…」
 何度もよろけて、急がなくちゃ、って思っていたけど休憩もして。
 ほんのちょっぴりだったけれども、壁にもたれて一休みしてた。倒れちゃったら駄目だから。
 倒れるよりかは、一休みの方がマシだもの。…休んだら、また歩き出せるから。
「やっぱり俺も行くべきだったな、お前を支えに」
 よろけちまったら、手を差し出して。俺に掴まって歩けるようにと、腕だって貸して。
 いざとなったら抱き上げて歩くっていう手もあるしな、シャングリラでもやっていたろうが。
 お前の具合が悪くなったら、俺が青の間まで運んだもんだ。…いろんな場所から。
「それは駄目だよ。…ハーレイはメギドに来ちゃ駄目なんだよ」
 ハーレイがいなくなってしまったら、誰がシャングリラを地球まで運ぶの?
 誰がジョミーを支えるって言うの、ぼくを支えるよりジョミーの方が大切なんだよ。
 死んでしまうぼくを支えていたって、何の役にも立たないんだから。…ジョミーを支えて、地球まで行ってくれなくちゃ駄目。
 …パパとママに夢の話をしたらね、ぼくと一緒に歩いてくれるって言ったけど…。
 二人とも、ぼくを支えてメギドの中でも歩いてあげる、って言ってくれたんだけど…。
 パパとママは一緒に来てもいいけど、ハーレイは駄目。
 別の役目があるんだから。…ハーレイにしか出来ないことなんだから…。



 来て貰うならパパとママだよ、とハーレイを止めた。本当は誰よりも来て欲しい人を。メギドで思い浮かべた人を。絶対に駄目、と。
「…ハーレイの役目は、シャングリラを地球まで運ぶこと。…ジョミーを支えてあげること」
 前のぼくも、ハーレイにジョミーを頼んで行ったよ。ぼくと一緒に来るなんて、駄目。
「だが、そう思ってしまうじゃないか。お前がどんな思いをしたのか、それを知ったら」
 俺の温もりを失くして独りぼっちになるよりも前から、お前は一人だったんだろうが。
 メギドの中でよろけていたって、誰も支えてくれやしなくて。
 そいつを聞いたら、俺も行くべきだったと思う。お前を支えて、一緒に歩いてやるために。
 おまけに、お前のお父さんたちも、そうするんだと言ったとなると…。
 俺が行かないわけにはいかんな。前のお前がよろけた時には、俺が支えていたんだから。
「だけど、キャプテンは来ちゃ駄目なんだよ、メギドには」
 キャプテンの役目は、シャングリラを守ることなんだから。メギドを沈めに行くんじゃなくて。
 どうせ死ぬんだって分かり切ってる、前のソルジャーを支えに行くことじゃなくて…。
 夢の中でも、絶対に、駄目。
 ぼくを助けて逃げる夢ならかまわないけど、一緒に死んじゃう夢なんか駄目。
 だから一緒に歩いちゃ駄目だよ、ぼくがメギドでよろけていたって。…独りぼっちで苦しそうに歩いていたとしたって。
「分かっちゃいるがな…」
 前の俺が正しい選択をしたということは。…俺にとっては間違いだったが。
 俺はお前を追うべきだったと今も思うが、キャプテンがそれをするべきではない。
 そうしていたなら、シャングリラが無事に地球まで行けたか、俺にも自信が無いからな。
 お前が言う通り、俺は行っては駄目なんだろう。前のお前を支えたくても、メギドには。
 船に残って、最後まで指揮を執り続ける。それがキャプテンなんだろうがな…。



 しかし…、と苦しそうな顔のハーレイ。
 そんな思いまでさせていたのかと、苦しくて辛い道を一人で歩かせたのか、と。
「…お前がメギドに着いてからの話は、俺は殆ど知らないからな…」
 お前、喋りはしないから。…俺もわざわざ訊きはしないし、本当に何も知らなかった。
 早く終わりがくればいいのに、と思いながら歩いていたなんて…。独りぼっちで歩いたなんて。
「大丈夫、直ぐに忘れちゃうから」
 夢を見たせいで、今はハッキリ覚えているけど…。今日まで一度も思い出さなかったもの。
 ハーレイの温もりを失くしてしまって、独りぼっちになっちゃった方が辛かったから…。
 右手が冷たくなっちゃった方が、ずっと悲しくて辛かったんだし、それが最後の記憶だから…。
「そうかもしれんが、辛い思い出を、もっと辛くて悲しい思い出で消すというのもなあ…」
 いい思い出で消えてしまうのならいいが、辛い思い出のお蔭で忘れられるだなんて…。
「平気だってば。今日まで、そうやって消えていたんだから」
 ぼくは平気だよ、きっと明日には忘れてるから。
 もしも覚えていたとしたって、とっくに終わったことなんだもの。…ずっと昔に。
「だが、お前…。こうして甘えているじゃないか」
 俺にくっついていたい気分で、抱き付いて、膝に乗っかって。
 最近はずいぶん減っていたのに、俺に会うなり抱き付くだなんて…。その夢のせいだろ、一人で歩いていたっていう。…俺が一緒なら良かったのに、と思わなかったか?
「…ほんの少しね。夢の中でも、前のぼくも」
 でも、駄目だって分かっているから…。一人でも頑張って歩いて行かなきゃ。
 ハーレイに甘えたい気分になるのも、今日だけだよ。いきなり思い出しちゃったから。
「そうは言われても…」
 俺だって、辛くなっちまう。前のお前がどんな気持ちで、一人で歩いていたのかと思うと…。
 歩いてた道が長かったんなら、辛い時間も苦しい時間も、その道の分だけあったんだから。



 お前に何かしてやりたかった、とハーレイは背中を撫でてくれるけれど、戻れない過去。
 あの日へと時を戻せはしなくて、やり直すことは出来はしなくて。
 それに、戻れても、ハーレイにメギドには来て貰えない。ミュウの未来が危うくなるから。
 今の自分も分かっているから、夢の世界でもメギドに連れては行けないハーレイ。
 辛くて苦しかった道を歩く夢に、来てくれるのは両親だけ。「頑張れよ」と支えてくれる父と、手を握ってくれる優しい母と。
 ハーレイは決して、来てはくれない。夢の中でも、あの長い道を歩く時には。
(悲しかったけど、仕方ないもの…)
 支えて欲しいのにハーレイがいない、と思ったメギド。
 夢の中の自分も考えたけれど、前の自分も変わらなかった。あの手が欲しい、とハーレイの手に縋りたいのを堪えて歩いた。
 自分が選んだ道なのだから、と。一人で歩いてゆくしかないと。



 それでも苦しくて悲しかった、とハーレイの身体に抱き付いていたら。広くて逞しい胸に、頬をすり寄せて甘えていたら…。
「ふうむ…。前のお前には何もしてやれなかったんだが…」
 今となっては、もうどうしようもないんだが。…お前、やっぱり可哀相だしな…。
 よし、今はまだ少し早すぎるんだが、楽しみに待っているといい。
 お前のお父さんたちに負けてはいられないからな、俺だって。お前の恋人なんだから。
「待つって…。何を?」
 早すぎるって、いったい何を待っていればいいの?
「俺がお前にしてやれることさ。前のお前に出来なかった分、今のお前に」
 前のお前がメギドで一人で歩いていた分。前の俺がお前を、一人で歩かせちまった分。
 お前の隣で支えてやれなかった分を、幸せな所で今のお前に返してやろう。うんと幸せな気分になって、独りぼっちで歩いた辛さを忘れられるように。幸せなんだ、と思えるように。
 これは俺にしか出来ないことだし、お前のお父さんたちには決して負けないってな。
「幸せな所って…。何処で?」
「まだまだ先だな、俺とお前の結婚式ってヤツだから」
 少し早すぎると言っただろうが。お前はチビだし、結婚出来る歳にもなっていないし。
「結婚式の時に、何かするわけ?」
「定番と言えば定番なんだが…。お前、抱き上げて欲しいんだろうが」
 俺に抱き上げて貰って、記念写真を撮りたいと言っていなかったか?
 お姫様抱っこというヤツで。あのポーズで俺と写真を撮るのが夢なんだ、とな。
「そうだけど…?」
 ママたちも写真を飾っているから、やっぱりあれを撮りたいよね、って…。
 だけど、白無垢だと抱き上げる写真は無いみたいだから、ちょっぴり悩んでいるんだよ。
 白無垢にしたら、ああいう写真は無理なんでしょ?
 ウェディングドレスでないと駄目かな、って思うけれども、白無垢だって…。



 幸せ一杯の結婚式の写真。両親の記念写真を眺めて、憧れたポーズ。いつかはぼくも、と。
 けれど、白無垢を花嫁衣装に選んだ時には、撮れないらしいのが、あのポーズの写真。白無垢も素敵だと思っているのに、ああいう写真が撮れないのなら…、と頭を悩ませている問題。
 白無垢はハーレイの母が着たと聞くから、着てみたいのに。
「そいつだ、お前の憧れの写真。…それを必ず撮らせてやろう。結婚式の日に」
 前のお前を一人で歩かせちまったからなあ、その時の分をお前に返そう。
 結婚式の時は、俺がお前を抱き上げて歩く。支える代わりに、ヒョイと抱き上げて。
 ほんの短い距離なんだろうが、幸せな気分を味わってくれ。俺の嫁さんになったんだ、とな。
 お前が白無垢を選んだとしても、俺がしっかり抱え上げてやる。
「…ホント? 白無垢でも、あの写真、撮ってもいいの?」
 駄目なんだって思っていたけど、あのポーズで記念写真を撮れるの?
「心配は要らん。俺がお前を抱き上げるんだし、カメラマンがちゃんと撮ってくれるさ」
 普通はしないポーズなんだが、と思っていたって、プロなんだから。
 きっと最高の写真が撮れるぞ、幸せ一杯のお前の笑顔。白無垢でも、ウェディングドレスでも。
 俺がきちんと抱いててやるから、何枚でも写して貰うといい。
 でもって、それから後はずっと、だ…。



 もう一人では歩かなくてもいいだろうが、と笑ったハーレイ。「俺がいるんだから」と。
「支えるどころか、ずっと一緒だ。どんな時でも、どんな所でも」
 お前を一人で歩かせやしない、絶対にな。お前が一人で歩きたいなら、止めはしないが。
「結婚したら、ずっとハーレイと一緒?」
 ぼくが歩く時は、いつもハーレイが一緒に歩いてくれるの、何処へ行く時も?
「流石に仕事の間は無理だが、それ以外の時は一緒だな」
 そういうもんだろ、結婚式を挙げるんだから。
 お前は俺の嫁さんになって、二人で暮らしていくんだし…。前よりもずっと幸せになれるぞ。
 俺はお前を支え放題だし、抱き上げて歩いていたっていい。何処へ行くにも。
 シャングリラだと、支え放題とはいかなかったしなあ…。キャプテンの仕事の範囲でしか。
 前のお前に付きっ切りというのは無理だった。…俺の居場所はブリッジだったし。
「そうだっけね…」
 視察の途中でよろけた時とか、具合が悪くなっちゃったとか…。そういう時だけ。
 寝込んじゃってても、支えに来てはくれなかったよね。仕事が終わらない内は。
「そうだったろう?」
 しかし、今度は堂々と恋人同士だからなあ、いくらでもお前を支えてやれる。
 お前が一人で息を切らして、苦しい思いで歩くことはないんだ。俺が必ず支えるから。
 まあ、それ以前に、そんな目にお前を遭わせはしないが…。
 のんびり歩いていればいいんだし、息なんか切れはしないんだがな。



 お前のペースでゆっくり歩こう、とハーレイは微笑んでくれたけれども、ふと思ったこと。前の自分がメギドで歩いた、あの長い距離。
 一人だったから、とても辛くて苦しかったけれど、二人だったらどうなるだろう、と。もちろんメギドは御免だけれども、幸せな今。いつかハーレイと二人で歩ける時だったなら…、と。
(もっと長くて厳しい道でも、幸せかも…)
 メギドでは普通の通路だったけれど、足を取られるような厄介な道。足がすっぽり沈んでしまう深い雪とか、ツルツルと滑る凍った道。
(おまけに風邪まで引いてるとか…)
 熱っぽい頭で、コンコンと咳をしている時でも、二人なら幸せかもしれない。もう帰りたい、と思う代わりに、もっと先まで、と強請るとか。
 ハーレイに「帰ろう」と手を引かれても。「連れて戻るぞ」と抱き上げられても。
 メギドの時には、早く終わって欲しかったのに。辛くて苦しいだけの道など、最後に待っているものが死でも、早く終われと願ったのに。
(雪道で、風邪でも、もっと先まで…)
 行きたいとハーレイに強請るのだろうか、「まだ行きたいよ」と。もっと二人で歩こうと。
 風邪を引いていて、苦しいのに。足が靴ごと雪に埋まるのに。



 そう思ったから、ハーレイに訊いてみることにした。最高の場所が見付かったから。雪が沢山、ありそうな場所。風邪を引くかもしれない場所。
「あのね…。ハーレイと二人で歩きたい時に、ぼくが息切れしててもいい?」
 風邪を引いてて、熱も咳も出てて、歩こうとしたらフラフラのぼく。
 ハーレイ、ぼくを支えてくれる?
 前のぼくをメギドで支えられなかった分まで、うんと長い道を歩いてくれる…?
「風邪を引いて熱って…。そんな状態で歩きたいのか、お前は?」
 しかも俺とって、デートなのか、それは?
「うん。…旅行中だと、また別の日に、って言ったって無理な時があるでしょ?」
 三日間しかいられないのに、ぼくの風邪、治らないだとか…。だけど、どうしても見たいとか。
 サトウカエデの森を見たいよ、雪の季節に行こうって約束してたよね?
 その時にぼくが風邪を引いたら、雪の森で、支えて歩いてくれる…?
「熱が出ていて、咳までしてて…。それでも雪の森に出掛けてデートだってか?」
「駄目? 本物のサトウカエデの森を見るのは、前のぼくの夢の一つだけれど…」
 メイプルシロップが採れる季節に、ハーレイ、行こうって言ってくれたよ。
「…分かった、そういうことならな。お前を支えて歩いてやろう」
「もっと先まで、って頼んでもいい? ハーレイが帰ろうって言い出したって」
 まだ見たいんだ、って我儘、言ってみたいな。フラフラでも、雪で歩きにくくても。
「任せておけ。支えてもいいし、いざとなったら俺が抱き上げて歩いてやるから」
 サトウカエデの森なら、いくらでも歩いてやるさ。ヨロヨロしてるお前と一緒に。
 同じようによろけていたって、行き先がメギドの制御室だと、ついて行けないらしいからな。
 その分、余計に頑張らないと。メギドは夢でも駄目らしいしなあ…。
「パパとママは来てくれるんだけどね」
 でも、ハーレイは絶対に駄目。…メギドの中では、キャプテンだから。
「お前のお父さんたちは行くというのに、行けないのが俺だというのがな…」
 サトウカエデの森で頑張るとするか、お父さんたちに負けないように。
 お前がどんなに我儘だろうが、倒れそうでも「行くんだ」と言っていようがな。



 俺が支えて行ってやる、とハーレイに約束して貰えたから。
 抱き上げて運んでもくれるそうだから、いつか幸せに無理をしようか。
 前の自分がメギドで一人で歩いた道より、もっと長くて歩きにくい道をハーレイと二人。
 息が切れても、熱や咳で身体がとても辛くても、ハーレイと一緒。
 足元が雪で歩きにくくても、ハーレイにしっかり支えて貰って、サトウカエデの森の中を。
 もっと先へと、もっと歩こうと。
 「行きたい」と強請って、支えて貰って、きっと幸せに歩いてゆける。
 一人で歩く道ではないから。
 ハーレイが隣で支えてくれるし、いざとなったら、抱き上げて運んでくれるのだから…。




            一人だった道・了


※前のブルーがメギドの中で歩いた道。瞬間移動は使えないだけに、一人きりでよろけながら。
 けれど、今度は、もっと長い道になっても、ハーレイが支えてくれるのです。雪の中でも。
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 ←聖痕シリーズの書き下ろしショートは、こちらv










(わあっ…!)
 懐かしい、とブルーの目を引き付けたもの。学校から帰って、おやつを食べに来たダイニング。ふと見たテーブルの上にアルバム、見覚えのある表紙の一冊。
(幼稚園の…)
 卒園記念に貰ったアルバム。表紙は幼稚園でつけて貰ったけれども、アルバムにしてくれたのも幼稚園の先生たちだけど。
(ぼくも作った…)
 頑張ったっけ、と思い出が蘇ってくるアルバムの中身。先生に「はい」と貰った画用紙、それに絵を描いたり、みんなお揃いのアルバム用紙に写真を貼ったり。
 半分ほどは自分で作った手作り品。この世に一冊、そう言ったっていいくらい。
(そうそう、こんな絵!)
 描いたんだよ、と浮かび上がってくるクレヨンを握った自分の姿。もっと上手に、と一所懸命。誰よりも上手く描きたくて。卒園記念になるのだから。
 頑張ったぼく、とパラリ、パラリと順にページをめくっていたら…。
「懐かしいでしょ?」
 ブルーのアルバム、と母がダイニングに入って来た。おやつのケーキや紅茶のカップ、ポットも載せたトレイを手にして。
「このアルバム…。ママが出して来たの?」
「ええ、そうよ。他のアルバムを取りに行ったら、あったから」
 きっとブルーも喜ぶと思って…。普段はアルバム、わざわざ探しに行かないでしょう。
 せっかくだから、ハーレイ先生にも見て頂く?
「えっ?」
 ハーレイって…。幼稚園のアルバム、ハーレイに見せるの?



 それはちょっと、と絶句してしまった、開いたばかりのアルバムのページ。先生が作ってくれたページで、将来の夢を書くページ。「おおきくなったら、なりたいもの」という見出し。
 絵を描いた子もいたのだろうけれど、幼稚園児だった頃の自分は…。
(…書いちゃった…)
 たどたどしい字で「ウサギ」と書かれた、将来の夢。クレヨンで描いたウサギの絵まで。
(まだ諦めていなかったんだ…)
 この頃には、と恥ずかしい気持ちになる「ウサギ」。幼かった頃の自分の夢。ウサギになったら元気一杯、と夢を見ていた。野原を自由に走ってゆけるし、弱い身体が元気になるよ、と。
 ウサギになるには、まず友達にならなくては、とウサギの小屋を覗いていた。幼稚園に行く度、覗き込んでは「ぼくもウサギになりたいな」と。
 両親にも夢を語ったけれども、人間はウサギになれないから。気付いた時に諦めた夢。ウサギは無理、と。
(ウサギのこと、ハーレイも知っているんだけれど…)
 知ってくれていて、「お前がウサギになるんだったら、俺もウサギだ」と言ってくれたけれど、それはそれ。「小さい頃の夢だったんだよ」と話をするのと、こうして証拠があるのとは違う。
(本気だったのか、って笑われちゃうよ…)
 卒園アルバムにも書くほどなのか、と可笑しそうに眺めるハーレイの姿が目に浮かぶよう。
 「笑うつもりは全く無いぞ」と言っていたって、揺れているだろうハーレイの肩。懸命に笑いを堪えているのが分かる肩。そうでなければ、遠慮しないで大笑いするか。



 ハーレイにはとても見せられない、とパタリと閉じた記念アルバム。「ウサギ」と夢が書かれたページ。これは秘密にしなければ。見せるだなんて、とんでもない。
「こんなの、駄目だよ。恥ずかしいもの」
 絵とか、字とかが下手くそなのは、子供だから仕方ないけれど…。みんな同じだと思うけど。
「あら、そう? ウサギさんになるっていう夢、可愛いらしいのに」
 小さかったから見られた、素敵な夢よ。今のブルーは、ウサギだなんて思わないでしょ?
 それに、ハーレイ先生には内緒でも…。いつかは誰かが見ると思うわよ、ブルーのアルバム。
「見るって…。誰が?」
「ブルーのお嫁さんには渡さないとね、「見て下さい」って」
「え?」
 お嫁さんって…。ぼくのお嫁さんには見せるものなの、このアルバムを?
「当たり前でしょ、ブルーのお嫁さんなのよ?」
 ちゃんと見せなきゃ、と微笑んだ母。一緒に暮らす人なんだもの、と。
「そういうものなの? …アルバム、見せなきゃいけないの?」
「いけないっていうのとは少し違うわ。見せたら、自分も見せて貰うのよ」
 どちらが先っていう決まりは無いわね、お互いに見せ合うものよ、アルバム。だって、思い出が一杯でしょう。こういう風に育ちました、って。
「ママも、パパのを見たりした?」
「色々見たわよ、幼稚園のも、学校のも。…家族写真のアルバムもね」
「…ママのは? ママのアルバム、パパも知ってるの?」
「よく知ってるわよ、この家に持って来たんだもの」
 ブルーのアルバムとかと一緒に仕舞ってあるから、何度もパパと一緒に見たわね。幼稚園のも、他のアルバムも。
「アルバム…。お嫁さんに行く時は、持って行くものなの?」
「もちろんよ。パパだって自分のを持って来てるわよ、大切な思い出なんだから」
 結婚して二人で暮らすんだったら、お互い、持って来なくっちゃ。赤ちゃんの時の写真だって。



 だからブルーのアルバムも誰かが見るわね、と楽しそうにページをめくっていた母。
 「将来の夢はウサギさんね」と、例のページを何度も広げて、他のページも懐かしそうに。
 その時は、それで終わったけれど。「絶対に見せないでよ?」と念を押したから、ハーレイには見せずに済みそうだけれど。
 おやつの後で部屋に帰って、座った勉強机の前。大変なことになっちゃった、と。
(ぼく、お嫁さんは貰わないけれど…)
 ハーレイのお嫁さんになるのだけれども、お嫁さんはアルバムを持って行くもの。一緒に暮らす結婚相手と、それを開いて見るために。母だって持って来たのだから。
 幼稚園のも、他のアルバムも、持ってお嫁に行くのなら。そういうものなら、「ウサギ」という夢が大きく書かれた、自分の卒園記念アルバムも…。
(ハーレイが見るんだ…!)
 今日はなんとか隠しおおせても、きっといつかは。
 結婚する時に持って行くなら、ハーレイが見るだろう卒園記念に作ったアルバム。他にも持って行くわけなのだし、アルバムは全部見られてしまう。生まれて直ぐの写真から、全部。
(恥ずかしすぎるよ…!)
 ウサギのアルバムも恥ずかしいけど、と思わず抱えてしまった頭。
 あのとんでもない夢の他にも、まだ色々とあるのだろう。アルバムに仕舞って忘れてしまった、今から思えば恥ずかしい夢。下の学校でも、何度もアルバム作りをしたから。
 写真の方だって、きっとドッサリ。覚えていない写真が沢山。変な顔のとか、悪戯中とか。
(女の子の格好はしていないだろうけど…)
 そういう友達のアルバムを目にした記憶が幾つも。仮装だったり、お姉さんのスカートを履いた所をパシャリと撮られた写真だったり。
 「カッコ悪いけど、剥がしたら叱られるんだよなあ…」と頭を掻いた友達。剥がして捨てたら、きっとゲンコツでは済まないから、などと。



 自分にもありそうな恥ずかしい写真。覚えていない分、余計に厄介な写真。「ウサギ」と書いた卒園記念アルバムのことを、すっかり忘れていたように。
(お嫁に行く時は、アルバムを持って行くなんて…)
 将来の夢がウサギだった証拠や、顔から火が出そうな写真やら。全部纏めて持ってゆくらしい、いつかハーレイと結婚する時。
 アルバムなんかは無かったことにしておこうか、とも思うけれども。
(…ママが荷物に入れちゃうよね?)
 持って行かない、と置いてあるのに、「入れ忘れてるわ」と親切に。アルバム用の箱を作って、丁寧に詰めて、箱の外には「アルバム」の文字。一目で中身が分かるようにと。
(どうしよう…)
 ハーレイに全部見られちゃうよ、と嘆いていたら、聞こえたチャイム。仕事の帰りにハーレイが訪ねて来てくれたから、もう本当に落ち着かない。ハーレイのせいで悩んでいたのだから。
(本当に全部、見られるんだよね…?)
 出来れば見ないで欲しいんだけど、と向かいに座ったハーレイをチラリ、チラリと見る内に。
「俺の顔に何かついているのか?」
 ケーキの欠片でもくっついてるか、とハーレイがグイと拭った唇。
「そうじゃないけど…」
 ドキリと跳ねてしまった心臓。そんなにハーレイを見ていたろうか、と。
「ふむ…。お前、やたらと焦っていないか?」
「なんで分かるの!?」
 飛び上がるほどビックリしたら、鳶色の瞳に可笑しそうな色。
「図星か…。そんなに驚かなくても、取って食ったりはしないが、俺は」
 頭からバリバリ食いはしないぞ、人食い鬼じゃないんだから。
 もっと育って美味そうになったら、優しく食べてやるんだけどな。



 チビの間はミルク臭くて…、と普段だったら嬉しい冗談。今日はちょっぴり恋人扱い、と幸せな気分になれるけれども、今は大きな問題が一つ。
 ハーレイが「食べ頃だな」と思ってくれたら、自分はお嫁に行くのだから。見せたくないよ、と隠しておきたいアルバムが詰まった箱と一緒に。
 どうしよう、と恥ずかしい気持ちが膨らむ一方、穴があったら入りたいくらい。アルバムを全部抱えて入って、蓋をパタンと閉めたいくらい。
「…重症だな。とびきりの言葉をプレゼントしても、お前、喋りもしないんだから」
 で、何を焦っているんだ、お前。…俺が来た時には、もう焦っていたみたいだが。
「えっと、アルバム…」
「アルバム?」
 それは写真を貼るアルバムのことか、なんでアルバムで焦るんだ?
「ママが、結婚する時には持って行くものよ、って…」
 赤ちゃんの時からのアルバムを全部、持って行くんだって言ったんだけど…。
 ママもパパも、この家に持って来たんだから、って…。
「普通はそうだな、大事なアルバムは持って行くもんだ」
 元の家は直ぐそこなんです、っていう時は置いて行く人も少なくないが…。見たくなった時に、見たい分だけ選んで運べばいいことだからな。最初から持って行かなくても。
 そのアルバムがどうしたんだ?
「恥ずかしいじゃない、アルバムを持って行くなんて!」
 自分じゃ覚えていないくらいに、小さい頃のもあるんだよ?
 こんな写真は恥ずかしいよ、って思う写真も入っているのに、それだって全部…。
 あんまりだよね、って思ってたんだよ、ぼくもお嫁に行くんだから…!
「アルバムつきだと恥ずかしい、ってか…。それで嫁に行く相手の俺を見てた、と」
 見られちまう、と焦っていたんだろうが、いいことじゃないか。素晴らしいことだ。
「何が?」
「今の俺たちだから出来ることだぞ、アルバムは困る、と焦るってヤツ」
 お前が焦る気持ちも分かるが、それは幸せなことなんだ。…今だからこそだぞ、そのアルバム。



 前の俺たちは持っていたか、と訊かれたアルバム。卒園記念や、赤ん坊の頃からの写真が山ほど詰まっているアルバム。
 今の自分は何冊も持っているけれど。記憶から消えたアルバムの数も多そうだけれど。
「…前のぼく…。アルバムなんかは無かったね…」
 それに記憶も無くなっちゃってた、子供の頃の。…育ててくれた人たちの顔も、育った家も…。学校も友達も、何もかも全部。
 今のぼくだと忘れてるだけで、切っ掛けがあれば思い出せるけど…。前のぼくだと、全然駄目。成人検査と人体実験で、全部消されてしまったから。
「それだけじゃないだろ、あの時代だと無理だったんだ。子供時代のアルバムってのは」
 ミュウじゃなくても、普通に育って成人検査をパスした子でも。
 成人検査を受けた後には全部処分だ、そうだったろうが。
 子供時代の記憶ってヤツは、機械が消して上手く書き換えていたんだから。
 違うのか、と言われた通り。前の自分たちが生きていたのは、そういう時代。子供時代の沢山の思い出、それが詰まったアルバムを持った大人は一人もいなかった。人類が暮らす世界には。
「…そっか、ジョミーがお母さんと一緒に見てたアルバム…」
 目覚めの日の前に、懐かしそうに見ていたけれど…。ジョミー、持ってはいなかったよね。
 ジョミーの子供の頃のアルバム、シャングリラには無かったんだっけ…。
「無くなってただろ、ジョミーが家に帰った時には」
 前のお前が「帰っていい」と言ってやった後、ジョミーは真っ直ぐ帰ったが…。
 もうあの時には無かった筈だぞ、俺はこの目で見ちゃいないがな。
「うん、無かった。アルバムも、家族写真が入った写真立ても全部…」
 ユニバーサルから専門の職員が送り込まれて、処分しちゃった後だったよ。
 あの時代は、何処の家でも同じ。…次の子供を育てる人だと、前の子供の思い出は処分。
 次に来る子が、不思議だと思わないように。「この人、だあれ?」って訊かないように…。



 血縁関係の無い親子だけしかなかった時代。養父母が愛情を注ぐ子供は、原則として一人だけ。
 十四歳まで育て上げたら、新しい子供が貰えたけれど。養父母はそれでかまわないけれど、次の子供は「前の子供」のことを知らない方がいい。親の愛情を信じられなくなるから。
 新しい子供が何も疑問を抱かないよう、消されてしまった「前の子供」の痕跡。アルバムやら、家族写真やら。子供部屋の中身も含めて、全部。
「ほらな、人類でも持てなかったんだ。子供時代のアルバムは」
 普通に暮らしていた人類は誰も、アルバムを持っちゃいなかった。自分の成長記録の分は。
 おまけに記憶も曖昧なんだぞ、成人検査で消されちまって。
 前の俺たちほどではなくても、親の顔とかはハッキリ覚えてなかったようだし…。
 子供時代のアルバム以前に、そいつの中身の記憶が無かった。漠然とした記憶が残っただけだ。
 アルバムに写真を貼っていこうにも、貼るべき写真が無かったんだな。頭の中にも。
「じゃあ、今は…。アルバムを持ってる今のぼくたちは…」
 とても凄いんだね、前のぼくたちが生きた時代に比べたら。…アルバムが幾つもあるんだから。
「幸せすぎる時代だろうが。記憶は一つも失くしちゃいないし、子供時代のアルバムもある」
 自分じゃすっかり忘れていたって、アルバムを見れば思い出せるんだ。
 赤ん坊の頃は流石に無理でも、もう少し大きくなった頃なら。
 写真を撮った場所は何処だったかとか、このオモチャがお気に入りだったとか。
 アルバムってヤツは宝箱だな、思い出の宝庫。懐かしい思い出が山ほど詰まっているんだから。



 その宝箱を持っている上に…、とハーレイが指差した自分の頭。この中にも、と。
「俺たちの場合は、此処にも秘密の宝箱が入っているってな。デカイのが一個」
 前の俺たちの分まで持っているだろ、記憶をドッサリ。普段は忘れちまっているが…。
 一人で二人分の人生の記憶だ、こいつは凄い。生憎と、前のアルバムは持っちゃいないがな。
「そうだね、前のぼくたちの分は、子供時代が無いけれど…」
 成人検査よりも前の記憶は、何も残っていないんだけど。
 あの時代の普通の子供たちより、ずっと酷い目に遭ったから。…何も残らなかったから…。
「それでも、余分に持ってるじゃないか。前の俺たちはこう生きた、とな」
 普通の人だとそうはいかんぞ、生まれてくる前の記憶なんぞは無いんだから。
 今のが全てで、今の人生の分だけだ。頭の中にある、記憶のアルバムっていうヤツも。
 ところが、俺たちはもう一人分、持っている。前のお前や、前の俺が生きた人生の分の記憶を。
 そいつをヒョイと思い出しては、今のと比べられるんだ。此処が違うと、此処も違うと。
 うんと幸せな今の人生を、何倍も楽しめるというわけだな。前の人生が不幸だった分だけ。
「不幸って…。前も幸せだったよ、ぼくは」
 辛いことも沢山あったけれども、前もやっぱり幸せだった。
 不幸だったか、幸せだったか、どっちなのかと訊かれた時には、幸せだったって答えるよ。
 やせ我慢じゃなくて、ホントに幸せだったから。
 だってね…。



 ハーレイと一緒だったから、とニッコリ笑った。だから幸せ、と想いをこめて。
 辛い人生だったけれども、ハーレイと会えた前の生。
 前の自分が生きていたから、前のハーレイとも巡り会えた。出会って、同じ船で暮らして、恋が芽生えて、キスを交わして。…長い長い時を二人で生きた。幸せな時を二人で過ごした。
 白いシャングリラの中が全ての世界でも。誰にも恋を明かせなくても。
「前のぼくはとても幸せだったよ、ハーレイに会えて、ハーレイと一緒」
 ハーレイに会う前は辛かったけれど、それよりも後はずっと幸せ。
 どんなに悲しいことがあっても、ハーレイがいてくれたから。…いつでも一緒だったから。
 最後は離れてしまったけれども、またハーレイと会えたでしょ?
 だからホントに幸せなんだよ、前のぼく。今の幸せは、前のぼくがいたお蔭だから。
「なるほどなあ…。前のお前とのことに関しちゃ、確かに幸せだけだったな。前の俺だって」
 あのシャングリラで幸せだった、と思う記憶には、前のお前がいるもんだ。何処かに、必ず。
 俺も幸せな人生だったが、残念なことに、アルバムが無いな。
 子供時代の分じゃなくてだ、前のお前との思い出の分。そいつの写真を貼ったアルバム。
 頭の中にはアルバムがあるが、手に取って見られるヤツが無いんだ。
「無いね、前のぼくと前のハーレイの思い出が詰まったアルバム…」
 写真集なら出てるんだけどな、あれはアルバムとは言えないし…。
 自分で写真を貼ったヤツじゃないし、スナップ写真や記念写真とは違う写真だし…。
「それもそうだが、写真集、前のお前のばかりじゃないか」
 前の俺のは出ていないんだよな、欲しがるヤツが無いからなんだが…。
 キャプテン・ハーレイの写真集なんか、出したって売れやしないんだが。
「ぼくは悔しいよ、前のハーレイの写真集が出ていないこと!」
 もしも出てたら、お小遣いをはたいて買っちゃうのに…。
 カッコいいキャプテン・ハーレイの写真、アルバムでなくても欲しいのに…!



 アルバムが無かった前の自分たち。子供時代のアルバムは無くて、恋人同士のアルバムも。前のハーレイと恋をしたのに、そのアルバムは残っていない。アルバムは存在しなかったから。
 けれど、前の自分たちも幸せに生きた。不幸な時代だったけれども、恋人同士で生きた時間は。
 恋人同士になるよりも前も、二人一緒なら幸せだった。アルタミラで出会った時から、ずっと。二人一緒にいた時は、いつも。
 最後は悲しい別れだったけれど、それも今へと繋がったから。幸せな恋の続きが始まったから、きっと幸せだったのだろう。あの悲しかった別れでさえも、今の幸せへの旅立ちならば。
「前のぼくたちのアルバム、欲しかったな…」
 いろんな所で、二人で写真。青の間もいいし、公園だって。…展望室も、ブリッジとかも。
 ハーレイと二人で写したかったよ、いろんな写真を。
 恋人同士になる前の分も、沢山あったら良かったのにね…。
 ハーレイが厨房で料理をしていて、ぼくが隣で見ているのとか。二人でジャガイモの皮を剥いているのとか、他にも色々。
 思い出は山ほど残っているのに、それの写真が無いなんて…。アルバムに貼っておきたい大切な写真、一枚も残っていないだなんて…。
「お前なあ…。どう考えても無理だろうが。前の俺たちのアルバムなんて」
 前のお前の公式な写真でさえも無かったんだぞ、シャングリラには。
 今は有名なヤツがあるがだ、前の俺はアレを知らないってな。あれを撮るためにポーズをつける前のお前も、写真を写したカメラマンも。…知っているだろ、真正面を向いた前のお前の写真。
「あるね、前のぼくの写真集にも入っていたよ」
 アレが表紙になっているヤツも、ホントに沢山あったっけ…。いつの写真か知らないけれど。
 でも、前のハーレイの写真集は一冊も無くて、なんだかホントに悲しい気分。
 ハーレイの写真集があったら、アルバムの真似が出来るのに…。
 写真集を買って来て、お気に入りのを切り取って貼れば、それっぽいのが出来そうなのに…。
 前のぼくの写真集も買って切り取って、一緒に貼って。
 いい感じにサイズとかが合ったら、お揃いの枠で囲んだりして、ハートも描いて…。



 ホントに残念、と前のハーレイの写真集が無いことを嘆いたら。前の自分たちの恋のアルバムは作れやしない、と零していたら。
「仕方ないだろう、前の俺の写真集を作ろうってヤツがいないんだから」
 売れそうもない本は無理だからなあ、文句を言ってもしょうがない。
 前の俺たちのアルバムが無いのも、今更どうしようもない。時間を戻して作れやしないし、前の俺たちに戻ったとしたら、写真どころじゃないんだから。…アルバムもな。
 その分、今度は作れるぞ。誰にも遠慮は要らないわけだし、写真は何処でも撮り放題だ。
 アルバムだって山ほど作れる、ハートも山ほど描いたっていいし。
 一番最初に作るアルバムは、結婚式のアルバムだろうな。花嫁姿のお前が主役の。
「ウェディングドレスか、白無垢だよね。…どっちにするかは決めてないけど…」
 ハーレイの写真も沢山欲しいよ、結婚式のアルバムだもの。うんとカッコいいハーレイが沢山。
 二人一緒のも山ほど写して、後で選ぶのに困るくらいに写真が一杯。どれを貼ろうか、って。
「悩むんだろうなあ、どの写真のお前も綺麗だろうし…」
 とても選べん、と全部纏めて貼っちまうかもな、分厚いアルバムを買って来て。
「そうかも…。ぼくもハーレイの写真、全部貼ろうとしそうだから…」
 この写真もいいし、こっちもいいね、って迷って選べそうにないから。
 最初のアルバムは写真選びに困りそうだけど、その後もいっぱい作りたいね。ハーレイとぼくの写真のアルバム、前のぼくたちのアルバムが無かった分まで。
「もちろんだ。家でも沢山写すんだろうが、あちこち出掛けて写さないとな」
 旅行もそうだし、親父たちと釣りに行くのもいいし…。
 親父たちの家でも色々撮れるぞ、夏ミカンの実でマーマレードを作る時とか。



 あの木の下でも写真を撮ろう、と提案された夏ミカンの木。隣町で暮らすハーレイの両親、その家の庭の目印だという大きな木。夏ミカンがドッサリ実る季節や、花の季節に。
(…最初に撮れるの、いつなのかな?)
 黄色い実が山ほど実っているのか、白い花が沢山咲いているのか。それとも小さな緑色の実が、幾つも下がっている頃なのか。
 早く写真を撮りたいよね、とハーレイと並んで木の下に立つ日を夢見ていたら…。
「アルバム作りを始めるからには、前のアルバムも見ようじゃないか。お前と二人で」
 俺はコーヒーでも淹れて。…お前は紅茶か、ココアでも飲んで。
「前のアルバムって…。前のぼくたちの写真集?」
 ハーレイの写真集は無いから、前のぼくので、ハーレイが沢山写っているヤツ?
 あれ、ぼくは好きじゃないんだけれど…。
 このハーレイは素敵だよね、って思う写真は、前のぼくとセットなんだから。
 ハーレイを盗られちゃった気がして、腹が立って買わなかったんだよ。これは嫌い、って。
 あんな写真集が欲しいの、ハーレイ?
 ぼくが大きく育った後なら、今みたいに腹は立たないのかもしれないけれど…。
「いや、それじゃなくて…。前というのは、今の俺たちの前って話で」
 今の俺たちの昔のアルバム。子供時代からのアルバムってヤツだな、幾つもあるだろ?
 お前もそいつを持ってくるんだし、二人でゆっくり見るのもいいぞ。
 こんな時代もあったんだよな、って笑って、思い出話をして。
「子供時代のアルバムって…」
 ハーレイ、見たいの、ぼくのアルバム?
 お嫁に行く時に持って行ったら、ハーレイ、それを見るって言うの?



 酷い、と叫んだのだけど。悲鳴を上げてしまったけれども、ニヤリと笑みを浮かべたハーレイ。余裕たっぷり、腕組みをして。
「ほほう…。俺のアルバム、見たくないのか?」
 子供時代のアルバムってヤツは、俺だって持っているわけだ。…今の俺はな。
 前にミーシャの写真を探して見せてやったぞ、おふくろが飼ってた白い猫のミーシャ。
 俺の子供時代のアルバムの写真、お前はそれしか知らない筈だが…。
 他には何も見せちゃいないし、ミーシャの写真に俺は写っていなかったしな。
「そういえば…。ミーシャは見せて貰ったけれど…」
 ハーレイの写真は見たことがないよ、ミーシャが家にいた頃の写真。
 ねえ、ハーレイのアルバム、どんな写真が入っているの?
 子供時代のハーレイが沢山写っているよね、釣りの写真も、柔道の写真も入ってる…?
「さてなあ…? そいつは見てのお楽しみってな」
 しかしだ、お前が見せてくれんというのに、俺だけがお前に見せるのか?
 どうぞ遠慮なく御覧下さい、と俺のアルバムを公開するのか、お前のは内緒らしいのに?
 そいつは不公平ってモンだぞ、そう思わないか?
 お前はアルバムを見られるのが嫌で、出来れば持たずに嫁に来たいわけで…。
 そうするのは別にかまわないんだが、俺のだけ見せろと言われても…。



 俺のアルバムを見たいのならば、お前も持って来ないとな、とハーレイがパチンと瞑った片目。
 不公平なのは良くないからな、と。
「それって、交換条件ってこと?」
 ハーレイのアルバムを見せて欲しかったら、ぼくのアルバムも見せろってこと…?
 結婚する時にはちゃんと持って行って、ハーレイに全部、見て貰うわけ…?
「さっきも言ったが、持って来なくてもいいんだぞ。お前が嫌なら」
 嫌だと言うのを無理にとは言わん、誰にだって秘密はあるもんだ。前の俺たちだって、最後まで隠し通したからなあ、恋人同士だったことをな。
 だから、お前がアルバムを一生秘密にするのもいい。俺には見せん、と隠したままでも。
 その代わりに、だ…。俺のアルバムも隠しておく。
 俺が仕事に行ってる間にコソコソ見られないように、きちんと秘密の場所を作って。
「えーっ!?」
 見せてくれないの、ハーレイのを?
 隠してしまうの、ぼくが絶対見られないように…?
 ハーレイの子供時代の写真、とっても見たいのに…。いろんな写真を見てみたいのに!
 幼稚園の卒園記念アルバムとかもあるでしょ、それも見たいよ。
 でも、見たいのなら、ぼくのを持って行かなくちゃ駄目…?
 赤ちゃんの頃からのアルバムだとか、幼稚園の卒園記念アルバム…。
「当然だよなあ、俺のを見ようとしているのなら」
 秘密にするなら、お互い、一生、見せずに過ごす。お前も、俺も。
 見てみたいのなら、自分のアルバムも「どうぞ」と出すのが常識だろうが。
 俺にだって秘密はあってもいいんだ、お前が秘密を持ちたいのなら。
 いいな、俺のアルバムを見たいんだったら、お前もきちんと持って来い。
 どうやら幼稚園の卒園記念アルバムってヤツを、隠しておきたいみたいだが…。そいつも一緒に持って来るんだぞ、俺の幼稚園時代のアルバムを見せろと言うのなら。



 どんな秘密が隠れているのか知らないが…、とスウッと細められた鳶色の瞳。卒園記念アルバムとやらで、お前は何をやったんだか、と。
「楽しみにしてるぞ、お前の秘密。…嫁に来るまでに、覚悟を決めておくんだな」
 幼稚園の卒園記念アルバム、それを一番に見ようじゃないか。俺のも家にあるからな。
 だがな、お前が出さなかったら、俺のも秘密の場所に突っ込む。
 前のお前なら、一瞬で在り処が分かっただろうが、今のお前じゃ無理だしな?
 何処に隠すかな、屋根裏にするか、庭にデッカイ穴でも掘るか…。鍵付きの頑丈な箱も何処かで買って来て。鍵は隠すより俺が持つのが一番だ、うん。
 そうやっておけばコソ泥が出ても安心だしな、と一人で頷いているハーレイ。秘密を持つなら、対策の方も万全に、と。
 アルバムを隠すつもりでいるハーレイ。もしも自分が、アルバムを秘密にしたならば。
 結婚する時に持たずに行ったら、ハーレイのアルバムは鍵がかかった箱の中。屋根裏か庭で発見できても、肝心の鍵が開けられない。鍵はハーレイが持って出掛けてゆくのだから。



 自分のアルバムを恥ずかしがったら、見られないらしいハーレイのアルバム。
 子供時代のハーレイが山ほど詰まっているのも、幼かった頃の夢が書かれていそうな、幼稚園の卒園記念アルバムも。
 それが見たいなら、自分もアルバムを見せるしかない。将来の夢が「ウサギ」と書かれた、あの恥ずかしいアルバムも。とんでもない写真が潜んでいそうな、小さかった頃のアルバムも。
(…どうしたらいいの…?)
 見せたら絶対、笑われるのに、とハーレイを睨みたいけれど。
 前の自分は、こんな幸せな悩みは持っていなかった。
 アルバムなどは無かったから。子供時代はこうだったから、と披露しようにも、そのアルバムが無かったから。それに、よくよく考えてみれば…。
(前のぼく、ハーレイと最初から一緒…)
 アルタミラの地獄で出会った時から、二人一緒にあの船で生きた。それまでの記憶は、消されて持っていなかった。前の自分も、前のハーレイも、お互いに無かった子供時代。
 そんな記憶は無かったから。見せ合おうにも、記憶もアルバムも無かったから。



 けれども、今は持っている過去。今のハーレイも、今の自分も、子供時代の記憶やアルバム。
 思い出が山ほど、記憶も山ほど。それが詰まったアルバムだって。
(ぼくの知らない、ハーレイの写真を見たいなら…)
 アルバムを持ってお嫁に行く。母や父がアルバムをこの家に持って来たように。
 そしてハーレイと二人で広げる、「ぼくのはね…」と、「俺のヤツは…」と。
 見せるのはとても恥ずかしいけれど、二人で見せ合ったら、きっと…。
(恥ずかしさだって、きっと減るよね?)
 余裕たっぷりのハーレイにだって、変な写真がありそうだから。可笑しすぎる将来の夢だって。
 思い切って自分も持って行こうか、さっきの卒園記念アルバムを。小さかった頃のアルバムも。
 今の自分は、まだ恥ずかしくて、ハーレイに見せられないけれど。
 将来の夢は「ウサギ」と書かれた、アルバムは隠しておきたいけれど。
 それでも、あれを持って行こうか、いつかお嫁に行く時は。
 いつかはハーレイに、自分を丸ごと貰ってもらうのが今の夢だから。
 丸ごと貰ってもらうのだったら、秘密だってきっと、ハーレイのものになるのだから…。




              秘密のアルバム・了


※ブルーの卒園記念アルバム。将来の夢がウサギなだけに、ハーレイには秘密にしたいのに…。
 ハーレイのアルバムを見るためには、自分も見せるしかないのです。でも、それも幸せ。
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「今の時代は、こういう文化は無いんだが…」
 話の種に聞いておくんだな、と始まったハーレイお得意の雑談。教室の前のボードに書かれた、「切符」という文字。どう見ても切符。列車に乗るための乗車券。いわゆるチケット。
 ある筈だけど、と首を傾げたブルー。他のクラスメイトたちも。
 切符と言う人やら、乗車券やら、呼び方は人それぞれだけれど、今も存在している切符。これを買わないと乗れない列車。何処へ行くにも必要なもの。列車に乗ってゆくのなら。
 皆の疑問を読み取ったように、ニヤリと笑みを浮かべたハーレイ。腕組みをして余裕たっぷり、「ただの切符だと思っているな?」と。
「…違うんですか?」
 ぼくたちの思う切符とは、と男子の一人が声を上げたら。
「もちろんだとも。特別に売られた切符なんだぞ、俺が言うのは」
 期間限定と言うべきか…。ある時期が来ないと発売されない切符だな。
「記念切符は今もありますが?」
 イベントに合わせて、絵がついてるのとか、何かグッズがつくだとか…。
 今だって、幾つも売られていると思いますけど。
「違うな、もっと特別だ」
 ついでに、切実でもあった。こいつに全てを賭けるとまでは言わんが、手に入れたい切符。
 まあ、今の時代も、記念切符を手に入れようと行列するヤツはいるんだが…。
 朝も早くから駅に出掛けて、並んでるヤツも多いんだがな。
 しかし、俺が言う切符は遥かに特別だった。そういう記念切符とかよりも、ずっと。



 合格切符、とハーレイが書き加えた「合格」の文字。ボードの「切符」のすぐ前に。
 ざわめくクラスメイトたち。合格の意味は分かるけれども、合格切符とはなんだろう?
 学校で受ける様々な試験、体育や他の授業でも。合格したなら、次のステップへ進める仕組み。逆に落ちたら、「出来ていない」と補習があったり、余分に課題を貰ったり。合格するまで。
 けれど、合格に切符は要らない。自分の努力が必要なだけ。そもそも切符が売られてはいない、職員室に出掛けて行っても。合格のための切符なんかは。
 ハーレイは「知らんだろうな」とクラスを見回して。
「ずっと昔には、受験というのがあったんだ。SD体制が始まるよりも前のことだな」
 受験だから、試験を受けるわけだが…。お前たちが知ってる試験なんかとは全く違った。
 そいつに落ちたら、行きたい学校に行けないどころか、後の人生まで変わるんだ。夢に見ていた未来が壊れちまうとか、それは散々な目に遭った時代。
 努力で挽回出来ればいいがな、出来なかったら「あの時、合格していれば…」と、一生、嘆いているしかなかった。スタートラインで失敗した、と。
 そうなっちまえば人生台無し、誰だって行きたくない道だろう?
 避けるためには合格すること、それが大切なんだから…。合格したい、と買いに出掛けたのが、合格切符というヤツだ。
 買ったら受かるというわけじゃないが、合格しそうな気分になれる。お守りだな。
 切符には行き先とかが書いてあるだろ、そいつで縁起を担ぐんだ。
 駅の名前を上手く並べて読んだら、「本調子」になって調子が出るとか、そんな具合に。
 本調子で試験に臨めたんなら、実力を発揮できるしな。



 色々なパターンがあったんだぞ、とハーレイが挙げる合格切符。遠い昔の日本の文化。
「ずいぶん人気を集めたらしいが、今の時代は縁が無さそうだな、こいつはな」
 それにSD体制の時代は、縁が無いなんていうものじゃなかった。合格切符は。
「受験が無かったからですね?」
「その通りだ。あの時代にも試験は色々あったわけだが…」
 お前たちの知ってる試験と変わりはないなあ、必要な知識や技術があるかを調べるためだし。
 だが、その前が全く違った。昔の受験に当たる部分だな、自分の進路を決めたい学校。
 其処に行くのに、選択肢ってヤツが存在しなかった。
 あの時代は何もかも、問答無用だったんだ。機械が決めていたんだぞ、進路。
 パイロットになりたい、と思っていたって、菓子職人のためのコースに放り込まれて、ケーキを作る一生なんかは当たり前だった。
 どうする、そんなことになったら?
 夢も希望もありやしないぞ、自分じゃ選べはしないんだから。やりたい仕事も、未来もな。
「困ります、それは!」
 スポーツ選手は流石に無理でも、仕事は自分で選びたいです、と大騒ぎするクラスメイトたち。自分の能力の限界はともかく、行きたい道に行きたいんです、と。パイロットでも、料理人でも。
「だろうな、普通はそういうもんだ。…だから人生、楽しいわけだ」
 パイロットの道に行った後でだ、やっぱり漁師になりたいだとか。
 農業が好きでやっている内に、栽培技術を極めてみたくて、研究者の道に行っちまうとか。
 好きに選べて、なんとでも出来る。
 その楽しみってヤツを奪っていたのがSD体制だったわけだな、合格切符の時代より酷い。
 合格切符の時代だったら、努力次第で巻き返しだって出来たんだから。



 SD体制の時代に生まれずに済んで良かったな、とハーレイは笑っているけれど。クラスメイトたちも「ホントにそうです!」と、みんな明るい笑顔だけれど。
(ハーレイ、あの時代の生き証人…)
 前のハーレイは死んでしまったから、生き証人と言えるかどうかはともかく、SD体制の時代に生きていたのが前のハーレイ。自分の他には、両親と聖痕を診てくれた医師しか知らないけれど。
 機械が統治していた歪んだ世界。今は誰もが誤りだったと認める時代。
 其処で確かに生きていたのに、こうして話のネタにしているハーレイは強い。
 前の自分たちは、進路すらも決めては貰えなかったのに。ミュウに生まれたというだけで。SD体制が良しとしなかった因子、それを持って生まれて来ただけで。
 けれど、ハーレイの話はそちらに行かずに…。
「合格切符は今では人気が無さそうなんだが…。売っても誰も買いそうにないが…」
 同じ時代に、幸福切符もあったんだ。幸福駅に行くための切符がな。
「幸福駅って…。それは欲しいです!」
 欲しい、と上がった幾つもの声。男子も女子も、瞳を輝かせた幸福切符。
「やっぱりなあ…。幸福行きの切符は欲しい、と」
 残念ながら、こいつも今は無くなっちまった。
 なにしろ幸福駅が無いから、其処へ行くための切符も無いんだ。当然と言えば当然だろうが。



 幸福切符を売るためだけに駅を作るのも…、と言われてみればもっともな話。合格切符も本当にあった駅の名前を使ったからこそ、人気だった切符。その駅は実在したのだから。
 実在しない駅をわざわざ作って幸福切符を売り出したって、それでは効き目が無いだろう。駅は新しく作られたもので、有難味が全く無いのだから。
(…でも、ずっと昔の幸福駅って…)
 やっぱり誰かが作ったのだろうか、切符を売ろうと幸福駅と名前をつけて。それが次第に人気を集めて、新しい駅でもかまわないから、と大勢の人が買ったのだろうか、と考えたのに。
「勘違いしているヤツもいそうだから、言っておくがな…」
 幸福切符の幸福駅は、最初から本物の幸福駅だぞ。切符を売るための駅名じゃなくて。
「えっ!?」
 本当ですか、と驚くクラスメイトたち。彼らも疑っていたらしい。商売用の駅名では、と。
「正真正銘、本物だ。幸福は駅の名前でもあったが、そういう地名だったんだ」
 まだ人間が住んでいなかった土地を開拓した時、幸福という名を付けた。同じ住むなら、素敵な地名がいいに決まっているからな。それで幸福駅が生まれた、其処に線路が敷かれた時に。
 ただ、人間の住む土地は変わってゆくもんだ。幸福駅の近くで暮らす人が減って、列車の乗客も減っちまったから…。幸福駅を通る線路は廃線になって、列車は走らなくなった。
 そうなった後も、幸福駅は残ったそうだ。駅があるなら、入場券があるからな。入場券が欲しい人が大勢買いに来るから、列車が通らなくなった後にも、幸福駅はあったらしいぞ。



 本当にあった幸福駅。其処を通る列車が無くなった後も、入場券が売れたという駅。今はもう、何処にも無いけれど。地球が滅びてしまった時代に、幸福駅も消えてしまったけれど。
(合格切符はどうでもいいけど、幸福切符は欲しいよね…)
 今の時代も、幸福駅があったなら。幸せになれる切符がある駅、幸福駅。
 合格切符の方も、ちょっぴり欲しい気持ちがするけれど。体育の時間の実技試験に、ポンと合格できるなら。いつも落っこちてばかりなのだし、合格切符で受かるなら。
(だけど、落ちるの、ぼくのせいだし…)
 自分のせいだと自覚はあるから、合格切符は無くてもいい。落っこちるのも自分の個性。
 けれど、幸福切符は欲しい。幸せを運んでくれそうだから。幸福駅に行く切符だから。ホントに欲しい、とクラスメイトたちもワイワイ騒いでいるけれど。
「文化は色々復活したがだ、幸福駅を作るってのはなあ…」
 この辺りに駅があったんです、と調べることは簡単なんだが、今の時点で計画は無いな。線路を作ろうって計画の方も。
 まあ、いつか出来るかもしれないが…。夢のある駅だし、誰かがやろうと言い出してな。
 お前たちの中の誰かが作るかもな、と締め括られた今日の雑談。作るんだったら頑張れよ、と。
 今は無いという幸福駅。
 幸福切符は欲しいけれども、買いに行こうにも、無いらしい駅。
 とても素敵な駅名なのに。その駅があれば、幸福駅へ行ける切符が買えるのに…。



 ちょっと残念、と考えたせいか、家に帰ってから思い出したのが幸福切符。母が作ったケーキを食べて、幸せな気分で戻った部屋で。
(幸福切符…)
 そういう切符があったんだよね、と頬杖をついた勉強机。合格切符が手に入らなくても、今なら困らないけれど。体育の実技試験に落っこちていても、人生が狂いはしないのだけれど。
(SD体制の時代だったら、困ってたかもね?)
 成人検査にパスしていたなら、運動が苦手な子供だからと何処へ行かされただろうか。
(エリート候補生は無理…)
 全ての面で優れた子供しか入れなかった教育ステーション。前の自分はどう転んでも、地球には行けていなかったらしい。エリート候補生になれなかったら、一生、地球には行けないから。
(だけど今だと、運動が駄目でも困らないんだし…)
 手に入れるのなら、合格切符より幸福切符。断然、そっちが欲しいのだけれど、幸福駅が無いというなら仕方ない。存在しない駅の切符は買えない。
(誰か、駅を作ってくれてたら…)
 幸福切符が買えたのに、と惜しい気持ちがしてしまう。幸福駅行きの素敵な切符。眺めるだけで幸せがやって来そうな切符。
 沢山の文化を復活させるついでに、幸福駅も作って欲しかった。遠い昔に駅があった場所に。



 もしもあったら、どんな駅だろう、と想像してみた幸福駅。きっと昔の幸福駅にそっくりな駅。小さくて可愛い駅なのだろうか、白く塗られていたりして。木で建てられた素朴な駅で。
 今もあったら、と思い描いた幸福駅の駅舎だけれど。幸福駅に行ける切符も買えるけれども。
(幸福切符を買わなくっても、みんな幸せ…)
 人間が全てミュウになった今は、もう争いも起こらない。せいぜい喧嘩で、喧嘩したって直ぐに仲直り出来るのがミュウの特徴。相手の気持ちが分かるから。心を読まなくても、表情だけで。
 すっかり平和になった時代に、幸福駅は要らないのだろう。幸福切符を手に入れなくても、人は幸福なのだから。幸せに生きてゆけるのだから。
 もっと、もっと、と欲張って幸福を求めないように、幸福駅も幸福切符も無いのだろう。誰もが充分に持っているから、幸福を、幸せというものを。
(神様にだって、都合があるよね…)
 平和な時代をくれた神様。人間が幸せに生きられる世界をくれた神様。それだけで奇跡、神様が創った最高の世界。おまけに地球まで青く蘇って、誰でも地球を見られる世界。
 こんなに幸福な今の時代に、「もっと」と考えるのは欲張りだから。もっと幸せになりたい、と願うのは我儘だろうから。
(幸福駅も、幸福切符も…)
 無いんだよね、と納得出来る。あったら欲しい切符だけれども、それが無いのも当然な時代。
 誰もが幸せになったから。幸福切符を持っていなくても、幸せがやって来るのだから。
 前の自分が生きた時代なら、そうではなかったのだけど。不幸だらけの世界だったけれど。



 ミュウに生まれただけで不幸だった、と言い切れる世界。前の自分が生きていた時代。
(…ミュウだとバレたら、それでおしまい…)
 その場で撃ち殺されて終わりか、実験施設に送られるか。人間としては扱われなくて、実験用の動物になるか、生きる価値も無いと処分されるか。
 なんとか其処から逃れたとしても、シャングリラの他に居場所は無かった。閉ざされた世界で、箱舟の中でしか生きられなかったミュウという種族。
 それが今では、誰もがミュウ。
 もう人類は追って来ないし、殺されることも無い時代。シャングリラの中で生きた頃には、誰も想像出来なかったくらいに幸福な世界。ミュウのために世界があるのだから。
 けれども、前の自分たちは…。
(ホントに不幸だったんだよ…)
 幸福駅行きの切符があったら、縋りたいほどに。ただの切符でも、幸福駅と書かれているだけの切符でも。
 いつか幸福に辿り着けそうな気持ちがするから、きっと大切にしただろう。
 生き地獄だったアルタミラから逃れ、シャングリラという船を手に入れた後も、まだ欲しかった幸福の切符。そういう切符があったとしたなら、幸福駅に行こうと願っただろう。
 切符に書かれた幸福の文字を、何度も何度も見詰めながら。
 これがあったらきっと行けると、幸福が溢れる幸せな駅に行くのだと。



 前の自分が幸福切符を持っていたなら、どんな幸福を夢見ただろう。今のような時代は、きっと夢にも思わないから、もっと小さくてささやかな幸福。考え付く限りの、幾つものこと。
(ミュウが殺されない時代になりますように、って…)
 それに地球にも行かなければ、と前の自分になったつもりで色々と挙げてみたのだけれど。幸福切符に託したい夢を、一つ、二つと数えたけれど。
(……切符……)
 シャングリラには無かったっけ、と気付いた切符。幸福切符も、合格切符も、普通の切符も。
 あの船からは、何処にも行けはしなかったから。切符は売られていなかったから。
(シャングリラの中が、世界の全部…)
 外の世界は人類の世界。ミュウを受け入れてはくれない世界。
 白いシャングリラが出来上がった後も、バスにさえ乗りには行けなかった。アルテメシアに辿り着いても、雲海の中から出られなかった。外へ出たなら、たちまち攻撃されるから。
 ミュウの仲間を救い出すために、人類の世界に紛れ込んでいた潜入班。彼らはバスに乗っていたけれど、あくまで任務で、自分のために乗ったわけではなかったバス。乗る時にだって、データを誤魔化して乗っていたから、乗車券を持っていたとしたって、買ってはいない。
(…それに、バスが限界…)
 アルテメシアには二つの都市があったけれども、潜入するなら片方だけ。同じ人間が同時に二つ担当したなら、発見されるリスクが高くなる。アタラクシアに派遣する者と、エネルゲイアとは、必ず別にしてあった。だから長距離移動はしないし、乗るならバスだけ。
 白いシャングリラには切符が無くて、人類の世界に降りた者でも、バスが限界。
 ミュウに生まれたというだけのことで、バスにしか乗れはしなかった。列車にも、船にも、他の星へゆく宇宙船にも。
 人類の世界に降りることが出来た、潜入班所属の者たちでさえも。



 誰も持ってはいなかったんだ、と思い出した切符。シャングリラには切符が無かったから。
(前のぼく…)
 一度も切符を手にしなかった。あの時代にも切符はあったのに。
 切符と呼んでいたかはともかく、列車に乗るにも船に乗るにも、切符は必要だったのだから。
(合格切符や幸福切符は無かったけれど…)
 アルテメシア行きの切符もあっただろうし、アタラクシア行きやエネルゲイア行きの切符。首都惑星だったノア行きの切符や、あちこちの教育ステーションに行くための船の切符やら。
(でも、地球行きの切符は…)
 無かったのだろう、あんな赤茶けた死の星では。…前の自分は知らなかったけれど、青い地球は無かったのだから。
 マザー・システムが人類の聖地と呼んだ、母なる地球。その地球は青くなくてはいけない。青く輝く水の星だと、皆に教えていたのだから。宇宙で一番美しい星、それが地球だと。
 けれど、本当は違ったから。地球は死の星のままだったから。
 誰も行かせては貰えない。青い地球などありはしないと、皆に知れたら大変だから。
 あの時代に地球まで辿り着けたのは、秘密を漏らさないエリートだけ。一般人を乗せた宇宙船が地球に行くことは無いし、地球行きの切符は無かっただろう。エリートたちを地球へ運ぶ船なら、切符は要らないだろうから。「ご苦労」と乗り込み、偉そうに乗ってゆくだけだから。



 無かったよね、と思った地球行きの切符。今の時代なら、何処の星でも買えるけれども。自分が住んでいる青く蘇った地球、此処へと向かう宇宙船の切符。
(あれ…?)
 そういえば、と浮かんで来た記憶。シャングリラには無かった切符のこと。
 前の自分も、切符というものを手に取ったことはあったのだった。白い鯨になる前の船で。
 人類の輸送船から奪った物資で皆の命を繋いでいた頃。物資の中に、たまに紛れていた切符。
(誰かの荷物が混ざってたりして…)
 明らかに個人の持ち物と分かる、切符が入っていた荷物。それを開けたら出て来た切符。
 そんな荷物に出くわす度に、切符を失くした持ち主はどうしているだろう、と笑い合っていた。無事に行き先へ着けるだろうかと、まさか船から放り出されはしないだろうが、と。
 切符が無ければ、船に乗る資格が無いのだから。そう言われても仕方ないから。
(SD体制の終わりの頃に…)
 冬眠カプセルに入れられて宇宙に放り出された人があった、と何かで読んだ。ミュウが落としたアルテメシアなどからの移民船で。
 まだ人類の勢力下にあった星に移住しようと、全財産を処分してまで乗り込んだ人を。
 大勢の人類を乗せていた船は、まるで奴隷船のようだったという。混み合っていた上に、食料も充分ではなかった船。乗組員の機嫌を損ねたら最後、宇宙に放り出されてしまった。一人減ったら増えるスペース、食料だって余裕が出来るのだから。
(酷い話だよね…)
 けれど、前の自分が奪ってしまった切符の持ち主。その人類は無事に目的地に着けただろう。
 切符を持っていないことが知れたら、始まっただろう取り調べ。本人に事情を訊くよりも前に、問い合わせる先はマザー・システムが持つ個人情報。この人間で間違いないかと、船に乗り込んだ目的は、と。
 瞬時に分かる、その人間が切符を持っていたこと。切符を紛失しただけなのだ、と。
 そういう意味では、マザー・システムは有難い存在だった。徹底していた管理社会も。



 何度か出会った、人類の持ち物だった切符たち。行き先は宇宙に散らばる惑星だったり、様々な場所へ向かう船が集まる中継用の宇宙ステーションだったり。
(あの切符の中に地球行きのは…)
 一枚も無かったのだった。今の自分は無かった理由を知っているけれど、前の自分は本当に何も知らなかったから、地球行きの切符が欲しかった。青い地球へと向かう船の切符。
 それがあったら、大切に持っていたかったのに。
 いつか地球まで辿り着けるよう、お守りにして眺めていたかったのに。
(あれって…)
 幸福駅行きの切符と同じ、と気が付いた。前の自分が欲しいと思った地球行きの切符。
 地球に着いたら、きっと幸せになれるから。苦しい時代はきっと終わって、青い水の星で幸せに生きてゆけるから。
 その地球へ行けると書いてあるのが、地球行きの切符。まるで幸福切符のように。
(…そんな切符は無かったんだけど、知らなかったから…)
 地球行きの切符の方が欲しかったのに、と見ていた違う行き先の切符。ミュウだった前の自分は買えもしないのに、「地球行きの切符だったら良かったのに」と。
 前の自分が生きた時代に幸福切符は無かったけれども、いつの時代も人は求めていたのだろう。
 幸福駅へと向かう切符を、幸福という駅に行ける切符を。
 手に入れたいと願う幸福、其処へと自分を運んで行ってくれる素敵な夢を乗せた切符を。



 前の自分が欲しかった切符。幸福駅へ行く切符ではなくて、地球行きの切符。
 けれども、それは前の自分のための幸福切符だから。欲しいと願った切符だから。幸福駅行きの切符を教えてくれた、ハーレイに話したい気分。「前のぼくも欲しかったんだよ」と。
(ハーレイ、来てくれたらいいのにな…)
 帰りに寄ってくれないかな、と窓の方に何度も目を遣っていたら、聞こえたチャイム。待ち人が訪ねて来てくれたから、いつものテーブルを挟んで向かい合うなり切り出した。
「あのね、今日の授業の時に言ってた、切符の話…」
 こんな切符があったんだぞ、って話していたでしょ、昔の切符。
「合格切符か、面白い話だっただろう?」
「そっちじゃなくって、幸福の方だよ! 幸福切符!」
 幸福駅行きの切符の話…。幸福駅、今は無いらしいけど…。
「なんだ、お前も幸福切符が欲しいのか?」
 クラスのヤツらも欲しがっていたが、お前も欲しいクチなんだな。幸福切符。
「うん。でも、欲張り…」
 今の時代は、幸せが沢山ある時代だから…。みんな幸せに暮らせる時代で、幸せ一杯。
 そんな時代に幸福切符を欲しがったりしたら、欲張りだよね、って。
 クラスの友達はかまわないけど、ぼくだと欲張りすぎだから…。
 前のぼくよりずっと幸せなんだし、もっと幸せになりたいだなんて、欲張りすぎだよ。
「まあなあ…。俺たちの場合はそうなるだろうな」
 もっと幸せになりたいんです、とは言いにくいからな、前が前だけに。
 今の時代の暮らしだけしか知らなかったら、欲張りってことにはならないだろうが。
「ハーレイだって、そう思うでしょ?」
 今のぼくだと、幸福切符を欲しいと思うのは欲張りすぎ、って。
 でもね、そういう切符なんだけど…。



 欲しかったんだよ、と打ち明けた。「ぼくじゃなくって、前のぼくが」と。
「前のぼくが欲しかった切符は、地球行きの切符。たまに切符が紛れてたでしょ?」
 人類の船から物資を奪ってた頃に、時々、人類が持ってた宇宙船の切符。
 見付かる度に、地球行きの切符があればいいな、って思ってたんだよ。
「そういや、お前、欲しがってたなあ…」
 今度も違った、って残念そうな顔で見てたな、違う行き先が書かれた切符。
 地球行きのヤツが欲しいのに、と。
「うん…。地球行きの切符が手に入ったら、大切に持っていたかったのに…」
 お守りにしたいと思っていたのに、いつだって別の行き先ばかりで…。
 とうとう一枚も無かったんだよ、地球行きのは。…切符、何度も紛れていたのに…。
「そうだったっけな。…あの頃の俺は、きっと航路が違うんだろうと思っていたが…」
 地球へ向かう船は、もっと違う所を飛んでいるんだと信じていたな。
 座標も分からなかった星だし、そう簡単には近付けない所にあるに違いないと。
 コソコソ隠れて飛んでいる船じゃ、地球行きの船と航路が交わりはしないんだろうと…。
「前のぼくも、そうじゃないかと思っていたけど…。きっと出会えないだけなんだ、って」
 だけど、本当は地球行きの船が無かっただけ。青い地球は何処にも無かったから。
 普通の人を地球まで載せて行く船は、あの頃は一つも無かったから…。
 あるわけないよね、地球行きの切符。そんな切符を持っている人がいないんだから。
「まったくだ。あの時点で気付くべきだったんだな、あちこちで物資を奪ってたんだし」
 どうも怪しいと、誰も地球へは行こうとしないと。
 切符の数は、それほど多くはなかったが…。それにしたって、人類の夢の星だったんだから。
 一枚くらいは混じっているのが普通だよなあ、地球行きの切符。
 誰もが行きたい夢の星なら、地球へ向かうヤツも多いんだろうし。
「そうなんだよね…。地球に住めるのは一部の人でも、行くのは自由だろうから」
 地球を見に旅行するんです、って人が沢山いる筈なんだよ。本当に人類の聖地だったら。



 青い地球が何処かにあったなら。きっと人類は旅をしたのに違いない。地球を見ようと、其処に住めるほど偉くなくても、青い星を一目見てみたい、と。
 けれど無かった地球行きの切符。それを持った人が何人も旅をしているだろうに、一枚も手には入らなかった。…今から思えば、とても奇妙なことだったのに。
「前のぼく、なんで気付かなかったんだろう…」
 地球行きの切符が無いっていうのは、変だってこと。
 他の星へ行こうとする人の数より、地球へ行こうとする人の方が多そうなのに…。
 それが一枚も混じっていないだなんて、なんだか変じゃないか、って。
「地球行きの切符だったからじゃないのか?」
 前のお前が行きたかった星で、幸福駅行きの切符みたいなものだろう?
 幸福を運んでくれる切符なんだと思い込んでいたから、手に入らなくても不思議じゃない。
 素敵な夢の切符ってヤツは、そう簡単には手に入らないからこそ価値がある。
 地球行きの切符が山ほどあったら、有難味も何も無いからな。お守りどころか、ただのゴミだ。
「そう、それなんだよ!」
 前のぼくは幸福切符も、幸福駅も知らなかったけど…。
 幸福駅行きの切符の代わりに、地球行きの切符が欲しくって…。お守りに持っていたくって。
 もしも地球行きの切符があったら、地球まで運んでくれそうだから。
 幸福行きの切符で幸せになれるみたいに、地球に行けるお守りになりそうだから…。
 人間って、いつの時代でも同じなんだね。
 幸せになれる切符が欲しくて、行き先が地球か、幸福駅かの違いだけなんだよ。
「そうかもなあ…」
 前のお前は、幸福切符を知らなかったが、同じような意味で地球行きの切符が欲しかった。
 SD体制よりも前の時代の日本のヤツだと、幸せになりたくて幸福切符。
 わざわざ幸福駅だけ残して、入場券を買いに出掛けて…。
 同じようなことをしたかったんだな、前のお前も。地球行きの切符を、幸福行きの切符にと。
 面白いもんだな、考えてみると。…前のお前が幸福切符を探してたなんて。



 SD体制が始まるよりも遠い昔に、人気を集めた幸福切符。幸福駅という名の駅名の切符。その駅を通る列車が無くなった後も、幸福駅は残り続けた。切符を欲しがる人がいたから。
 幸福という駅に行きたくて。幸せに辿り着きたくて。
 前の自分は、それと同じに地球行きの切符が欲しかった。行き先に「地球」と書いてある切符。
 そういう切符が手に入ったなら、地球まで運んでくれそうだから。その切符が使える宇宙船には乗れないけれども、いつか地球まで行けそうだから。
「…前のぼくは地球行きの切符が欲しくて、ずうっと昔の人は幸福駅行きの切符が欲しくて…」
 どっちも幸せになれる切符で、今だって欲しがる人はいるのに…。
 クラスのみんなも欲しがっていたし、ぼくだって欲張りすぎでなければ欲しいよ、幸福切符。
 そう思うけれど、幸福駅、今は無いんだね。
 …ちゃんとあっても良さそうなのに。日本の文化で、作っておいてもいいと思うのに…。
 幸福駅があった所と同じ所に、昔のとそっくりな幸福駅を。
 きっと人気が出ると思うよ、列車が通る駅じゃなくても。駅だけポツンと建っていたって。
「今は無いのは、要らないからだろ。…幸福駅が」
 観光名所にはなりそうなんだが、心の底から幸福が欲しくて駅に行くヤツがどれほどいるか…。
 いつか幸せになってみせる、と頑張らなくても、幸せを持っているんだから。
 前の俺たちなら、幸福切符が欲しいと本気で願っただろうが…。幸福駅に行ける切符ってヤツが欲しかったろうが、今の俺たちだと、そいつは本当に必要なのか?
 そうじゃないだろ、幸せはとっくに山ほど持っているんだから。
 他のヤツらも同じことだな、幸福切符を手に入れなくても幸せなんだ。もうちょっと、と欲張ることはあっても、ほんの小さな幸せじゃないか?
 デカイ幸せは、最初から持っているんだから。暖かな家も、温かな家族も、何もかも全部。



 そうだろうが、とハーレイが穏やかに微笑む通り。
 今の時代は、幸福を求めなくても幸せな時代。幸福駅行きの切符に縋らなくてもいい時代。
 誰もが幸せに生きてゆけるし、幸福切符で貰える幸福は小さなもの。もうちょっとだけ、と願う小さな幸福、ささやかな幸せ、たったそれだけ。
「そっか、幸福駅行きの切符が無いのは、欲張りになっちゃうからだけじゃなくて…」
 幸福切符を持っていたって、あんまり意味が無いからなんだね。大きな幸せは、みんな最初から全部揃っているんだから。
「そういうことだな、幸福駅も幸福切符も必要ないのさ。…今の時代は」
 俺たちだって要らないだろうが、幸福切符は。
 前の俺たちには必要だったが、今の俺たちには要らないってな。
「んーと…。ホントは、ちょっぴり欲しいんだけど…」
 幸福駅が今もあるなら、幸福駅行きの切符が欲しいよ。
 前のぼくは地球行きの切符を手に入れられなかったから…。代わりに、今の幸福切符。
「おいおい、そいつで何をするんだ?」
 どんな幸せを頼むつもりだ、幸福切符に?
「決まってるでしょ、ハーレイと幸せになりたいんだよ」
 前よりも、うんと幸せに。…結婚して、ハーレイと一緒に暮らして。
「幸せにって…。なれないわけがないだろう…!」
 そんな切符に頼らなくても、お前は幸せになるんだろうが。
 今度こそ俺と一緒に暮らして、いつまでも幸せ一杯で。
 お前は帰って来たんだから。…俺の所へ。
 新しい命と身体を貰って、うんと幸せに生きて行ける地球に生まれて来たんだから。
 幸福駅の役目がすっかり終わっちまったほど、平和で幸せな青い地球にな。



 そうじゃないのか、と言われた通りに、今の時代は幸福駅が要らない時代。幸福駅行きの切符が無くても、生きているだけで誰もが幸せになれる。青い地球でも、他の星でも。
 人間は全てミュウになったし、大きな幸せは最初から持っているものだから。もうちょっと、と願う幸せも、生きていればきっと貰えるのだから。
「いいか、今の俺たちが生きてる時代ってヤツは、だ…」
 誰でも幸せを山ほど抱えて、幸福駅に向かって歩いているってな。自分の足で。
 自分だけの幸せを見付けていくんだ、歩きながら。幸福駅はいつでも、目の前なのさ。
 一歩進めば、直ぐに幸福駅に着く。もっと、と先へ進んで行ったら、其処にも幸福駅ってな。
「そうかもね…!」
 歩けば歩くほど幸せになってゆけるんだものね、今の時代は。
 明日は今日よりもっと幸せで、その次は、もっと。
 いつかハーレイと結婚したって、幸せはまだまだあるんだもの。幸福駅が一杯、駅が山ほど。
 自分で歩いて見付けるんだね、今の時代の幸福駅は…。
 幾つも幾つもある幸福駅、と胸に溢れた幸せな気持ち。今は幸福駅が幾つも。
 この幸せな今の時代を、ハーレイと二人で歩いてゆこう。
 幸福駅に行く列車は無くても、線路も無くても、幸福駅はあるのだから。
 切符が売られる駅とは違って、誰の前にもある幸福駅。
 何処までも、いつまでも、幸せの中を、ハーレイと歩いてゆけるのだから…。




              幸福への切符・了


※遠い昔に実在していた幸福駅。そこの切符が人気だったように、前のブルーが望んだ切符。
 地球へ行く切符は、手に入らないままでしたけど…。今は幸福駅の切符も要らない時代。
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 さて…、とハーレイが皆を見回した古典の授業。小さなブルーも座っている教室。
 昼間だが怖い話でもするか、と。
「今は怪談の季節だからな。シーズンにピッタリというヤツだ」
 職業柄、怖い話は山ほど知ってる。どんなのが聞きたい、怖くて眠れなくなるようなヤツか?
 シーズンだしなあ、とびきり怖いのを話してもいいぞ。
「間違ってると思いますが!」
 今が怪談の季節だなんて、と声を上げたクラスのムードメーカーの男子。怪談の季節はとっくに終わっているから、ハーレイ先生は間違えてます、と。
「間違えてるだと? それはお前だ、間違ってるのはお前の方だ」
 だが…。お前だけでもないんだろうなあ、間違えてるのは。
 よし、怪談の季節は夏だと思うヤツは手を挙げろ。俺が数えるから。
 夏なヤツは、と訊かれてサッと挙がった何人もの手。もちろんブルーも。
(…夏だもんね?)
 見回してみたら、全員の手が挙がっていたからホッとした。ぼくだけじゃない、と一安心。
 けれど、ハーレイの方は「ふうむ…」と腕組みをして。
「みんな揃って夏だと来たか。何処で訊いてもこうなるんだが…」
 間違ってるのは俺の方だと言い返されるのも、定番なんだが…。怪談は夏のものだとな。
 作られたイメージは今も健在ってことか、SD体制の時代は遠い昔のことなんだが。
「え?」
 クラス中がキョトンと見開いた瞳。SD体制の時代とは、いったいどういう意味だろう?
 遥かな昔に機械が統治していた世界。機械が作った偽の情報を誰もが信じた時代。当時は死の星だった地球が青いと思い込まされたり、血縁の無い親子関係が普通なのだと思っていたり。
 その時代はとうに過去のものになって、支配していたマザー・システムも壊された後。
 なのにどうして、作られたイメージが今も残っているのだろう?
 しかも怪談の世界なんかに、SD体制の名残などが。



 変だ、と誰もが首を傾げる中、ハーレイは「マザー・システムは無関係だぞ?」と前のボードをコンと叩いた。俺の話とSD体制は関係無い、と。
「似てるトコはだ、作られたイメージを信じ込んでる所だな。怪談は夏のものなんだ、と」
 だが、間違えて覚えてるのもいいことだ。
 SD体制が消しちまってた、日本の文化が復活している証拠だからな。怪談は夏だ、というのは日本の文化の一つだ。他の地域じゃ、特に夏とは言わないんだから。
 ついでに日本も、昔は夏とは決まってなかった。
 …百物語というのがあるだろ、集まって怖い話を披露するヤツ。百話目を語り終わった途端に、本物の化け物が登場すると言われているが…。
 百話だぞ、百話。それだけの怪談を繰り広げるなら、夜の時間が長くないとな?
 夏は日暮れが遅いものだし、夜明けも早い。そんな季節にやっているより、時間がたっぷりある季節の方が雰囲気が出る。だから、元々は春雨の夜や、秋の夜長が怪談の季節だったんだ。
 つまり今だな、秋は怪談のシーズンだった。ずっと昔の日本ではな。



 ところが、とハーレイがボードに書いた「歌舞伎」の文字。江戸時代に流行った歌舞伎のことは授業で教わる。後の時代まで愛された芝居。
「こいつが季節を変えちまったんだ、怪談の。…歌舞伎は年中、やってたわけだが…」
 夏になったら、芝居小屋の入りが悪くなる。今と違って冷房が無いから、人の集まる所なんかに行きたくないのが人情ってモンだ。
 どうせお客は来ないんだから、と人気役者も休みを取ってた。そうなると残るのは若手だろ?
 自分たちの人気では客を呼べんし、ただでも客が来ない季節だし…。
 なんとか人を呼べないものか、と目を付けたのが怪談だった。大掛かりな仕掛けや、本物の水。そういったものを派手に使って、怖い芝居をやったわけだな。
 そいつが人気を集めたもんで、夏に怪談をやることになった。客の方でも、夏は怪談を楽しみに出掛けてゆくって寸法だ。芝居小屋へと。
「へええ…。それで怪談は夏なんですか…」
 江戸時代に決まっちゃったんですか、と目をパチクリとさせているクラスメイトたち。
 まさか歌舞伎のせいだったとはと、それまでは春や秋だったのかと。
「そうなるな。夏になったら、怪談をやって客を集めるわけだから…」
 芝居の中身も、本来は冬の場面だったヤツを夏に置き換えて演じるとかな。
 季節感ってヤツも大切だろうが、芝居の世界に客を引き込むには。
「季節を変えるって…。そこまでやってたんですか!?」
「客を呼べないと話にならんし、サービス精神だったんだろうな」
 芝居を見ている客の方でも、「おや?」と思うヤツはいたんだろうが…。
 面白かったらそれで充分、と文句はつけなかっただろう。せっかくの芝居見物の席で、つまらん話はするもんじゃない。無粋な客だと思われちまうし、周りも楽しくないからな。



 そういうわけで…、と続いた話。
 江戸時代に出来てしまったイメージ、夏になったら怪談の季節。芝居小屋の目玉が怪談だけに、芝居小屋の外でも流行った怪談。怖い話は夏が似合う、と。
 お蔭で後の時代になっても、怪談と言えば夏のもの。客を怖がらせるお化け屋敷も、夏に幾つも作られたという。
「怖いと背筋が寒くなるしな、暑い夏にはピッタリだったというわけだ。涼しくなって」
 生憎、SD体制の時代には消されちまっていたが…。怪談は夏だというイメージは。
 それが立派に復活して来て、お前たちも夏だと思い込んでる。日本の文化が戻ったからだ。
 だが、秋だからと油断するなよ。年中、お化けは出るもんだ。
「出るんですか!?」
「夏は作られたイメージなんだ、と言った筈だぞ」
 お化けや幽霊にシーズンオフは無いんだからな、と結ばれたハーレイの今日の雑談。
 如何にも出そうな夜中なんかは気を付けるように、と。
(お化けにシーズンオフは無し…)
 ちょっぴり怖い、と震えたブルー。
 フクロウの声をお化けだと思って怯えた、幼かった頃。幸い、本物の幽霊やお化けに出くわしたことは無いのだけれど。
(一年中、出るってことだよね…?)
 夜に一人で歩くのはやめよう、と肝に命じた。
 元々、夜の散歩はしないけれども。庭がせいぜい、垣根の外へは行かないけれど。



 学校が終わって家に帰って、おやつを食べて。
 美味しかった、と部屋に戻ったら、ハーレイの雑談を思い出した。ずっと昔は、秋は怪談。夜の時間が長くなるから、百物語に丁度いい季節。気候も快適、寒くも暑くもない季節。
(本当は今が怪談の季節で、お化けとかにはシーズンオフが無いんだったら…)
 出るのだろうか、お化けや幽霊。
 夜にパチンと明かりを消したら、この部屋にだって。何処からかスウッと入り込んで。
 ああいったものに、壁などは意味が無いだろうから。屋根だって通り抜けるだろうから。
(今のぼくだと、大丈夫だけど…)
 お化けはともかく、幽霊の方は部屋に入って来ないだろう。恨まれるような人は誰もいないし、恐ろしい目にも遭ってはいないから。…幽霊のいそうな場所に行くとか。
(でも、前のぼく…)
 チビの自分はいいのだけれども、生まれ変わる前の自分の方。
 ソルジャー・ブルーだった頃の自分は、恨みを買ってはいないだろうか。普段はすっかり忘れてしまっているのだけれども、前の自分は人を殺した。ミュウの未来を守り抜くために。
 躊躇いもなくぶつけた強いサイオン。いったい何人殺しただろうか、あのメギドで。前の自分が倒して進んだ警備兵たち、彼らの数だけ命も思いもあったのに。
(恋人がいた人とか、家に家族がいた人だとか…)
 そんな兵士もいたかもしれない、あの中には。
 メギドへと飛ぶ前の自分を撃ち落とそうとして、同士討ちになってしまった人類の船。幾つもの船が宇宙に散ったし、彼らも恨んでいたかもしれない。前の自分に出会わなければ、と。



 恨まれてはいない、と言い切れないのが前の自分。人を殺して、人類軍の船に同士討ちをさせてしまった自分。もしも彼らが恨み続けて、幽霊になっていたのなら…。
(…もしかして、出る?)
 この部屋にだって、と見回したけれど、前の自分は彼らの幽霊に出会ってはいない。前の自分が見ていないものは出ない筈、と安堵しかけて気が付いた。
(ぼく、死んじゃったし…)
 それでは出会うわけがない。恨んで出たって相手も幽霊、まるで話にならない状況。幽霊同士で会った所で、怖がっては貰えないのだから。
(じゃあ、今のぼくに…)
 その分を返しに来るだろうか、と肩をブルッと震わせたけれど、今の自分はもう時効だろう。
 ソルジャー・ブルーにそっくりなチビでも、同じ魂でも、時間が経ちすぎているのだから。
 自分がこうして生まれ変わって来たのと同じで、彼らも何処かで新しい命を貰った筈。人類軍にいたことは忘れて、今の時代ならミュウとして。
 ひょっとしたら、何処かで会っているかもしれない。幼かった自分に、公園でお菓子をくれたりした人たち。その中に混じっていたかもしれない、温かな笑顔の人たちの中に。
 今は平和な時代だから。人殺しなどは起こらない時代、人を恨みもしないから。



 どうやら会わなくて済みそうな幽霊。前の自分が、誰かの恨みを買っていたとしても。
 心配なのはお化けくらいで、幽霊の方は大丈夫だよ、と思った所で気が付いた。
(シャングリラ…)
 前の自分が暮らした船。三百年以上もの時を過ごしたけれども、幽霊が出るとは聞かなかった。ただの一度も聞いてはいないし、幽霊はいないのかもしれない。
(怪談、沢山あるんだけれど…)
 今の時代も語られるけれど、シャングリラには無かった幽霊話。あれだけ大きな船になったら、一つくらいはありそうなのに。
(アルタミラで殺されてしまった仲間が、夜になったら歩き回るとか…)
 あるいは助けられずに殺されてしまったミュウの子供たち、彼らの声が聞こえるだとか。照明を落とした夜の通路で、はしゃぎ回る子供たちの声や足音。
 あってもおかしくない話。見た人がいたり、聞いた仲間が何人もいたり。
 けれど、一つも無かった怪談。幽霊の話は誰もしなくて、前の自分も聞いてはいない。そういう話があったのならば、確かめに行こうとする筈だから。
 アルタミラで死んでしまった仲間や、助け損ねた子供たち。
 彼らが船に乗っているなら、助けてやらねばならないから。…いつまでも船に乗っていないで、また幸せに生きられるように。
 どうしても船に残りたいなら、船の仲間たちを怖がらせないように注意もして。
 前の自分はソルジャーだったし、それも仕事の内だったろう。船に幽霊が出るというなら、皆が怯えてしまわないよう、手を打つことも。
 その必要は無かったけれど。
 シャングリラに幽霊は乗っていなくて、怪談も無かったのだから。
 でも…。



 ふと思い出した、幽霊のこと。前の自分が聞いていた言葉。
(誰か、幽霊って…)
 幽霊などはいなかった筈のシャングリラ。なのに幽霊を探していた誰か。
 誰だったのか思い出せないけれども、確かに誰かが探していた。出る筈もない幽霊を。あの船で誰も見なかったものを。
(誰…?)
 いったい誰が探していたのか、何故、幽霊を探すのか。怪談が好きで探すにしたって、そういう噂も無かった船では、探し回るだけ無駄だったろうに。
 探していた人も、理由も全く分からないや、と小さな頭を悩ませていたら、聞こえたチャイム。仕事帰りのハーレイが訪ねて来てくれたから、テーブルを挟んで向かい合うなり切り出した。
「あのね、幽霊なんだけど…」
 幽霊のことで、ハーレイに教えて欲しいんだけど。
「お前、幽霊、見たことあるのか?」
「ううん、一度も見たこと無いけど…」
 ぼくも、前のぼくも、幽霊には会っていないんだけど…。
「なら、怪談をしてくれってか? とびきりの怖い話ってヤツを」
 今日の授業では話さなかったが、今は怪談のシーズンだしな?
 どんなのがいいんだ、俺が帰ったらガタガタ震え出すほど怖い話か?
 この部屋で一人で眠れなくなって、お母さんたちの部屋に行くようなヤツ。…風呂もトイレも、とても一人じゃ入れません、って泣きながら付き添いを頼むくらいの。
「そうじゃなくって…!」
 本物の怖い話じゃなくって、幽霊の方。
 幽霊が出て来る話を聞かせて欲しいんじゃなくて、幽霊のことを訊きたいんだよ…!



 でも、その前に、と釘を刺すのも忘れなかった。「怖い話はしないでよ?」と。
 とびきり怖い怪談とやらを、聞かされたのではたまらないから。小さなチビの自分が聞いたら、きっと酷い目に遭うだろうから。
「ホントに怪談は要らないからね。…授業中に聞かされちゃったら諦めるけど、今は嫌だよ」
 それで、幽霊の話なんだけど…。
 今日のハーレイの話を聞いたら、色々と思い出しちゃって…。
 シャングリラには幽霊、出なかったでしょ?
 見たって話も聞かなかったし、出るって話も無かった筈。だけど、誰かが探してたんだよ。幽霊なんかは出ない筈の船で、幽霊探し。
「なんだって?」
 そんな酔狂なヤツがいたのか、シャングリラに…?
 怪談を楽しむ余裕があるなら結構なんだが、出て来ないものは探しても無駄だと思うがな?
「そう思うんだけど…。だけど、確かに幽霊を探していたんだってば」
 誰だったか思い出せないんだけど…。何故、幽霊を探してたのかも。
「それは、いつ頃のシャングリラだ?」
「えっ?」
「アルタミラから逃げ出した後か、白い鯨になった後かだ」
 時期によって探す幽霊が変わって来そうだからな。
 白い鯨なら、助け損ねた子供の幽霊。…アルタミラの方なら、船に乗れなかった仲間たちだ。
 逃げ出す前に死んじまった仲間は大勢いたから、幽霊になって乗っていたっておかしくないし。
「そうだね、時期は手掛かりになりそう…」
 誰だったのかも分からないけど、船の景色とかで思い出せるかな…?
 改造してすっかり変わっちゃったし、幽霊探しの場所くらいなら分かるかも…。



 えーっと、と遠い記憶を手繰る。幽霊を探して歩いていた誰か、その人が行った所は、と。
(誰だっけ…?)
 それに何処、とハーレイに貰ったヒントを頼りに探ってゆく。場所は何処なのか、いつの話か。おぼろげな記憶は頼りなさすぎて、何も掴めそうにないのだけれど。
(…乗降口…?)
 其処だ、と浮かんだ小さな手掛かり。いつも閉まっていた扉。
 白いシャングリラに乗降口と呼ばれるものなどは無くて、改造前の船にあったもの。宇宙空間に乗り降りをする場所は無いから、常に閉まっていたわけで…。
(ハンス…!)
 たった一度だけ、乗降口を使った時。アルタミラから脱出する時、皆が其処から乗り込んだ。
 もう生き残りは一人もいない、と確認した後もギリギリまで待って離陸した船。誰かいるなら、助けたいという一心で。誰もいないと分かってはいても。
 そうして地面を離れてゆく時、閉めるのを誰もが忘れた扉。ブリッジの者たちは全く気付かず、乗降口から外を見ていた前の自分たちも、閉めることに思い至らなかった。開けたままだと危険なことにも、離陸するなら閉めるものだという鉄則にも。
 其処から放り出されたハンス。ゼルの弟。
 ゼルはハンスの手を握り締めて、引き上げようと力を尽くしたけれど。その手は離れて、燃える地獄へ落ちて行ったハンス。「兄さん」という叫びを残して、ただ一人きりで。



 思い出した、と蘇った記憶。
 ゼルが弟を探していた。夜を迎えて明かりを落とした船の中で。暗くなった乗降口の辺りで。
 もしや姿が見えはしないかと、幽霊でもかまわないからと。乗っているのかと、ハンスの幽霊を探したゼル。いるのなら、きっとこの辺りだと。ハンスは此処しか知らないから、と。
「ゼルだった…!」
 幽霊、ゼルが探していたんだよ。ホントだよ、ずっと若かったゼルが。
「あいつがか?」
「うん…。ハンスの幽霊を探していたよ。乗降口の所に行って」
 夜になったら探してたんだよ、毎日かどうかは知らないけれど…。
 前のぼくが泣きそうな思念を拾った時には、いつだってゼル。…ハンスの幽霊を探してたゼル。
 知ってたの、前のぼくだけなのかな?
 そういう話は聞いていないし、前のハーレイも知らなかったのかな…?
「ゼルなあ…。待てよ、そういえば…」
 俺も会ったな、幽霊を探していたゼルに。
 夜に通路を歩いていた時、妙な方から来たもんだから…。そっちに用があったのか、と訊いたらハンスを探していたんだ。乗降口まで行った帰りだと答えたっけな。
 幽霊でもいいから会いたいんだが、と話していた。「今夜も会えなかったがな」と。
「ゼル…。ハンスの幽霊に会えたのかな?」
 会えたから、探さなくなったのかな?
 もう一度会えて、もしかしたら話も出来たとか…?
「会えていないと思うがな…?」
 ずいぶん後になってからでも、酔った時にたまに零してた。
 ハンスときたら、会いにも来ないと。幽霊になって来ればいいのに、一度も会いに来ないとな。



 だから会えてはいないんだろう、とハーレイはフウと溜息をついた。ゼルがいつまで幽霊探しをしたかはともかく、ハンスには会えなかったようだ、と。
「幽霊ってヤツは、この世に思いを残して死んだ人間の霊だという話だから…」
 そいつが本当の話だったら、ハンスの幽霊が出てもおかしくはないが…。
 ゼルと一緒にシャングリラにいたくて、乗っていたって少しも不思議じゃないんだが。
「幽霊、いないの?」
 ハンスの幽霊が出なかったんなら、幽霊は存在しないものなの…?
「そう思うのか?」
「だって、見たことがないよ、前のぼくは」
 三百年以上も生きていたって、ただの一度も。
 アルタミラだったら、幽霊、山ほどいそうなのに…。研究所の中、ミュウの幽霊だらけで。
 それにシャングリラだって、幽霊は沢山いそうな感じ。ハンスもそうだし、アルタミラで死んだ仲間たちが大勢、「乗せてってくれ」って乗っていそうだし…。
 アルテメシアで助け損ねた子供たちだって、乗せて欲しくて来そうだよ?
 だけど幽霊の話は一つも無くって、前のぼくも見てはいないんだから。
「前の俺も、其処は同じだが…」
 あの船で幽霊を見てはいないが、幽霊が存在するかどうかってことになったら…。
 今の時代もいるかはともかく、昔はいたんじゃないかと答える。魂は存在するんだから。
 お前も俺も生まれ変わりだ、魂があるって証拠だろうが。
 身体を持たずに此処にいるなら、俺たちは立派に幽霊なわけだ。
 つまり、幽霊は存在する。魂があるなら、幽霊だって存在しないわけがないからな。



 ただ、問題は出るかどうかで…、とハーレイの指がトンと叩いたテーブル。魂があっても、姿を見せに行かない限りは幽霊になれはしないから、と。
「お前も俺も、魂を持っているわけで…。こうして生まれ変わる前なら、幽霊になれた」
 思いを残して死んだ人間しか出ないにしたって、残した思いがあったなら…な。
 俺はお前を追い掛けることしか考えていなかったわけだから…。
 思い残すことは無かったわけだが、お前は違う。…地球を見たかった、という気持ちはどうだ?
 本当に微塵も思わなかったか、地球を見ないままで死ぬのは嫌だ、と。
「…ちょっぴりなら…」
 ほんの少しなら思っていたかも…。
 シャングリラが地球に行くんだったら、幽霊になって一緒に行きたかったかも…。
 それに船にはハーレイもいるし、幽霊になることが出来るなら。
「ほらな、お前は幽霊になれる資格があったんだ。…何処にも生まれていなかったんなら」
 死んだ途端に、何処かに生まれ変わっていたなら、幽霊になってる暇は無いんだが…。
 今頃になって俺と二人で地球にいるんだ、生まれ変わっていたとは思えん。お前も、俺もな。
 そして、お前が幽霊になって出てゆきたいなら、俺も一緒に行っただろう。
 アルテメシアでも、解体される前のシャングリラでも。
「…でも、前のぼくの幽霊、出ていないよね?」
 ハーレイと二人で出てはいないよね、出たなら記録がありそうだから。
「まったくだ。…ソルジャー・ブルーとキャプテン・ハーレイの幽霊なんだぞ」
 怪談じゃなくて、神様が現れたみたいな扱いになっていそうじゃないか。
 此処に確かにいたんです、って像が出来たりして、観光名所になっちまってな。
「ホントだね…」
 恨んでます、っていう顔で出るんじゃないから、見た人、大喜びしそう…。
 凄い幽霊に出会ったんだ、って自慢して回っていそうだよ。
 もしもカメラを持っていたなら、ぼくたちの幽霊、写真に撮ろうと大慌てかも…。撮影するまで消えないで下さい、ってカメラを向けて、うんと沢山、写真を撮るかも…。
 幽霊の写真、撮れるとは限らないのにね…?



 きっと撮っても写らないよね、とハーレイに言ったら、「そうでもないぞ?」と返った返事。
 遠い昔には、幽霊の写真が流行った時代があったのだという。人間が地球しか知らなかった頃、大流行した心霊写真。人間の目には何も見えなくても、カメラが捉えた幽霊の姿。
「本物かどうかは分からないがな、ずいぶん流行っていたそうだ」
 此処へ行ったら撮れるらしい、って場所に大勢、カメラを持って押し掛けるとか。
「そうなんだ…。じゃあ、撮れたのかもしれないね。前のぼくとハーレイの幽霊だって」
 だけど、幽霊が出たっていう記録も無いみたいだし…。ハーレイも知らないみたいだし。
 出ていないんだね、前のぼくたち。…幽霊になり損なっちゃった。
 ジョミーたちなら出ていたのかなあ、アルテラだとか。
「そっちも知らんな、もしも出たなら有名になってる筈だから…。出ていないんだろう」
 ジョミーはともかく、アルテラだったらトォニィのことが心残りで出そうだが…。
 出ても少しも不思議じゃないのに、出ていない。…ハンスと同じだ。
「ミュウは幽霊になれないのかな?」
 魂はあっても、幽霊になれる資格がありそうな人も、ミュウだと幽霊になれないだとか…?
 だからハンスもアルテラも駄目で、幽霊は出ないままだったのかな…?
「そうかもなあ…。ミュウは幽霊になれないのかもな」
 アルタミラにあった研究所とかなら、物凄い数の幽霊が出そうな気がするんだが…。
 あそこでさえも一つも見てはいないし、前のお前も知らないと言うし。
 第一、ミュウが幽霊になれるとしたなら、人体実験をやめちまったかもなあ、研究者どもは。
「夜になったら幽霊が出て来て、怖くて腰を抜かすから?」
「そういうことだ。…それに幽霊は昼でも出るぞ」
 本当に強い恨みがあったら、昼間でも遠慮はしないんだ。それが幽霊の怖いトコだな。
 しかし、アルタミラにミュウの幽霊は出なかった。
 シャングリラにも幽霊は出ないままでだ、アルテラの幽霊だって出てはいないんだよなあ…。



 実に不思議だ、と考え込んでいるハーレイ。今の今まで気付かなかったが、なんとも妙だと。
「アルタミラにしても、シャングリラにしても…。幽霊は出そうな感じなんだが」
 実験で殺されちまったヤツらや、シャングリラに乗れなかった子供の幽霊やらが。
 ところが、まるで出なかったもんで、そういうもんだと思ってた。
 キャプテンだった俺にしてみれば、有難いことではあったわけだが…。
 幽霊が出るって噂が立ったら、きちんと対処しなくちゃならん。怖がるヤツらも多いだろうし、夜勤をしないと言い出すヤツらも増えそうだ。それは大いに困るからなあ、キャプテンとしては。
「そっか、ハーレイの仕事になるんだ…。幽霊対策」
 前のぼくだと思っちゃってた、仲間たちの幽霊なんだから。ぼくが話を聞いてあげたり、いてもいい場所を教えてあげたり。
「いや、まあ…。俺の仕事だというだけのことで、俺には何も出来んしなあ…」
 昔話の坊さんみたいに、出なくなるような有難い話も聞かせてやれんし、前のお前に頼むことになっていただろう。あそこに出るから、なんとか出ないようにしてくれないか、と。
 幸い、何も出なかったが…。お蔭で俺は助かったんだが。
「ミュウの幽霊、なんでいないんだろ?」
 どうして一人も幽霊にならなくて、アルタミラにもシャングリラにも出なかったんだろ…?
「俺が思うに、思念体ってヤツのせいかもなあ…」
「思念体って…。どういうこと?」
 なんで幽霊にならなくなるわけ、思念体のせいで?
「俺は思念体になって抜け出すことは出来ないんだが…。昔も今も」
 しかし、前のお前やジョミーは抜け出せたろうが。身体からヒョイと、精神だけで。
 魂が自由に出入り出来るようなモンだろ、あれは?
 あそこまでの技は、生きてる間はサイオンが強いヤツにしか出来ない芸当なんだが…。
 ミュウは誰でも、死んじまったら思念体のようになるんだろう。ああ、これか、と気付くんだ。
 だから、魂が本当に身体を離れちまった時に抵抗が無いのかもしれん。
 死んじまった、とは思うんだろうが、「まあいいか」と、そのまま飛んでっちまう。この世への未練が少ないわけだな、しがみ付いてなくても次があるさ、と。



 幽霊になって恨みがましく残るよりかは、次の世界に行くんじゃないか、というハーレイの説。言われてみれば、そんな気がしないでもない。今の自分は思念体にはなれないけれど。
(ぼくのサイオン、不器用だから…)
 とても抜け出せない身体。けれども、前の自分は違った。思念体で身体を抜け出していた。
 精神だけがスルリと身体を離れて、様々な場所へ。…あまり遠くへは行けなかったけれど。
(身体に戻れなくなったら困るし…)
 このくらいかな、と考えていた限界。これより先へ行っては駄目だ、と。
 その限界が無くなったなら、と思ったことは何度もあった。いつか寿命が尽きた時には、身体を離れるだろう魂。その時が来たら、地球へまでも飛んで行けるだろうか、と。
 青い地球まで飛んで出掛けて、心ゆくまで眺めてみたいと。
(でも、ハーレイがいないんだよね…)
 死んでしまったら、ハーレイとの間に出来てしまう溝。死者と生者を隔てる壁。
 それが恐ろしくて、離れたくなくて、いつも途中で打ち消した思い。魂だけで地球に行くより、ハーレイの側がいいのだから、と。



 前の自分が考えていたことを思い出したら、腑に落ちた思念体のこと。
 アルタミラの研究所で殺されていった多くの仲間も、アルテメシアで救い損ねて死んだ子供も、幽霊になって残る代わりに未来へと飛んで行ったのだろう。希望の光が見える方へと。
「ハーレイの言う通りかも…」
 前のぼくもね、たまに思っていたんだよ。いつか死んだら、青い地球まで行けるかも、って。
 思念体だと遠い所へは行けないけれども、魂だけになったなら、って…。
「なるほどなあ…。前のお前は、そうやって飛んで行ったんだな」
 シャングリラで地球を目指して行くより、その方がずっと速いんだから。
 幽霊になって船をウロウロするより、断然、そっちだと思ったわけか。
「…どうだったのかは分からないけどね」
 ぼくは地球に行くより、ハーレイの側にいたかったから…。
 幽霊になってハーレイの側で暮らせるんなら、そっちを選んだだろうけど…。
 でも、前のぼくの幽霊、出ていないんだし、真っ直ぐに地球に行っちゃったかも…。
 だけど、青い地球は無くてガッカリしちゃって、その後は何処へ行ったのかな…?
「行くべき所ってトコじゃないのか?」
 俺の所へ戻って来るより、これだと思う道があったんだろう。先に死んだ仲間が行った道がな。
 思念体になれるミュウの場合は、前向きに未来を目指してゆこうとするのかもしれん。…幽霊になって過去にしがみ付くより、とにかく先へ進もう、ってな。
「そうかもね…」
 ハーレイの所へ戻らなかったの、そのせいかもね。
 幽霊になって戻って行くより、先に行って待っていよう、って。
 いつかハーレイが来てくれた時は、あちこち案内しなくっちゃ、って。
 何があるのか、どんな所か、うんと詳しく調べておいて。こっちだよ、って迎えに出掛けて。



 きっとそうだよ、と綻んだ顔。ハーレイが来るのを待っていようと、前の自分は考えたろう。
 幽霊になって、元の世界にしがみ付くよりも。…他の仲間たちも通ったろう道、その道を行った先の世界で、ハーレイが来るまで待つのがいいと。
「ふむ…。お前が言うなら、そうなんだろうな。ミュウの幽霊が出ない理由は」
 そういや、今の時代もだ…。幽霊が出たという話は全く聞かないし。
 いない幽霊が出るわけがないな、誰も幽霊にはならないんだから。
「んーと…。夏の怪談は?」
 怖い話はハーレイも沢山知ってるんでしょ、幽霊はやっぱりいるんじゃないの?
「それはそうだが…。具体的な情報ってヤツを、聞いたことがあるか?」
 あそこに出るのは誰の幽霊で、生きていた時の住所は此処で、といった具合に。
 漠然と白い影が出たとか、そういう話はアテにならんぞ。誰の幽霊か、知っているのか?
「ううん、知らない…」
 名前や住所は聞いたことがないよ、怖い話を聞かされたって。
 ずうっと昔の幽霊だったら、ぼくにも名前は分かるけど…。地球が滅びる前の人なら。
「ほらな、ミュウじゃない幽霊だろうが」
 でもって、そういう時代の幽霊は、だ…。
 きっと、とっくに生まれ変わって何処かで生きていると思うぞ。
 こんなに平和でいい時代なんだ、幽霊のままで踏ん張ってたって、損をしてると思わんか?
 美味いものも食えなきゃ、あちこち旅にも行けないってな。
 そんなつまらん幽霊なんかをやっているより、新しい命を貰うべきだろうが。
 幽霊なんぞはいないだろうな、今の世界は。とうの昔に生まれ変わって、全部絶滅しちまって。
 絶滅と言うかどうかは知らんが、多分、一人もいないだろうさ。



 今も残っている可能性があるのは、お化けの方だ、と笑ったハーレイ。
 幽霊は絶滅しただろうけれど、お化けだったら出るかもな、と。
「お化け…。ハーレイ、夏に探してたっけね」
 帰り道で会えるかもしれないな、って帰って行ったよ、楽しそうに。
 夏だけのものじゃなさそうだけど…。今日のハーレイの話を聞いたら。
「うーむ…。俺もすっかり毒されていたか、今の文化に」
 これは一本取られたな。夏にやってた、俺のお化け探し。
「秋もお化けのシーズンなんでしょ、本当は?」
 おまけにシーズンオフは無くって、一年中、いつでもお化けのシーズン。
 気を付けろよ、ってハーレイ、授業で言ったんだから。
「よし。…ここは前向きに受け止めるとするか、ミュウの幽霊が出ない理由を見習って」
 せっかく怪談のシーズンなんだし、失敗をバネにお化け探しだ。
 今もいるかどうか、頑張って探すことにするかな、次に歩いて帰る時から。
 今日は車で来ちまってるから、今度の土曜の帰り道からだ。
「お化け探し…。それ、見付けちゃったら怖くない?」
 凄く怖そうだよ、今の時代まで生き残ってるほどのお化けだなんて。
「何が出るかは知らないが、だ…。かかってくるなら、投げ飛ばす!」
 ダテに柔道はやっていないぞ、投げてしまえばこっちのもんだ。
 参りました、と降参するまで押さえ込んでギュウギュウ締め上げるってな。



 お化けなんぞはただの化け物、と言うハーレイなら、確かに投げ飛ばせそうだから。カッコ良く投げて、ギュウギュウ締め上げて、お化けを降参させそうだから。
「お化け、見付けたら教えてね」
 どんなのだったか、ぼくに詳しく説明してよ?
 怖くて寝られなくならない程度に、姿とか、お化けの声だとか。
「もちろんだ。俺の武勇伝つきで語ってやるさ」
 それにだ…。いいか、年中、お化けのシーズンなんだぞ?
 お前も一緒に探しに行こうな、いつかはな。結婚したなら夜のデートで、お化け探しだ。
 出るそうだという噂を聞いたら、俺と二人で出掛けて行って。
「えーっ!」
 待ってよ、なんで二人で行くの!?
 ハーレイが行けば充分じゃないの、お化けが出たらどうするの…!
 今のぼくはサイオンが上手く使えないから、見付かっちゃったらおしまいだってば…!
 お化けを投げ飛ばせるのはハーレイだけだし、ぼくは逃げるしかないんだから…!



 怖いじゃない、と叫んだけれども、楽しそうではある、お化け探し。
 今の時代は幽霊がいなくて、シャングリラの時代はお化けの方がいなかった。
 昔話に出て来る沢山のお化け、百鬼夜行の化け物だって。
 けれども、今は幽霊の代わりに、お化けの方がいそうだから。
 何処かの闇からヒョイと出て来て、人間をビックリさせそうだから。
 シャングリラの時代はいなかったお化け、それを二人で探してみようか。
 青い地球なら、何かいるかもしれないから。
 SD体制よりも古い時代に生まれたお化けに、バッタリ会えるかもしれないから。
 シーズンオフが無いらしいお化け。
 出会って怖い思いをしたって、きっとハーレイなら、カッコ良く投げてくれるだろうから…。




            怪談の季節・了


※ハンスの幽霊を探していたゼル。けれど出会えず、シャングリラには出なかった幽霊。
 何故かは全く謎ですけれど、今の時代にいそうなのは、お化け。いつか探すのも楽しそう。
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