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シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。

「よし、今日はコレだ」
 知ってるだろう、とハーレイが教室の前のボードに描いた相合傘のマーク。生徒たちの集中力が切れてしまわないよう、絶妙のタイミングで繰り出される楽しい雑談の時間。
 愉快な話の時もあったり、薀蓄だったり、聞き逃すと損をしてしまうから、居眠りしかけていた生徒もガバッと起きる。これは聞かねば、と。
 ハーレイは満足そうに頷き、「由緒正しいおまじないだぞ」と相合傘の絵をコンと叩いた。
 傘のマークの下に名前は無いけれど。「此処に名前だ」と丸が幾つか書かれたけれど。
 ハーレイ曰く、相合傘のマークはSD体制が始まるよりも遠い遥かな昔に生まれたおまじない。この地域の辺りにあった小さな島国、日本で幾つも、幾つも描かれた相合傘の絵。それに名前も。
 「この人と両想いになれますように」と祈りをこめて相合傘と、自分の名前と、相手の名前。
 念願叶って恋が実ったカップルも描いた相合傘。「カップルなんです」と誇らしげに。喫茶店や旅先などで、「自由に何でもお書き下さい」というノートに会ったりした時に。



 由緒ある日本のおまじない。恋の成就を祈って描くのが相合傘。
 描き方は色々、傘の上にハートのマークを描いたり、傘の柄の線を伸ばしたものが傘の真ん中を横切っていたり、横切る線は無かったり。
 傘の真ん中を線が横切ると傘が二つに断ち切られるから、「別れるマークだ」と嫌っていた人もあったという。
 今の時代は好みだけれど。真ん中の線を描く人もいれば、描かない人も。
 ただし、必ず傘のマークは一筆描きで。それが大切な決まり事だから、上手に相合傘を描くなら真ん中の線はあった方がいい。バランスが取れた傘が描けるし、相合傘の見栄えが良くなるから。
 傘の下にはそれぞれの名前、傘の柄を挟んで自分と好きな人の名前と。
 それを書く場所も、自分の名前が左だったり、女性が右だと言い張る人があったり、傘を横切る線と同じで入り乱れた説。
 こちらも今では決まり事は無くて、どう書くのも自由。
 相合傘の下に名前を書きさえすれば。恋する相手と自分自身と、二人分の名前を並べて書けば。



「そして、こいつは俺の学校でのオリジナルだった相合傘のおまじないだが…」
 オリジナルと聞いて身体を乗り出すクラスメイトたち。オリジナルなら他所には無いのだから。
 おまけにオリジナルとして伝わっているなら、きっと効果は抜群だから。
 ハーレイは「おいおい、正直なヤツらだな」と苦笑しながら、「よく聞けよ?」と話し始めた。
 今の学校の上の学校、義務教育を終えた十八歳から後に進む学校。
 かつてハーレイが通っていた学校もそれの一つで、その学校の運動部員たちの間のオリジナル。相合傘を使った恋のおまじない。
 オムライスの上にケチャップで描いた相合傘。傘のマークと、二人分の名前と。
 相合傘を描いたオムライスは残さず綺麗に食べ切る、それが運動部員たちが使ったおまじない。



 オムライスの上にこのマークだ、とハーレイがコンと叩いたボード。
「相合傘はともかく、名前も書かなきゃ駄目だしなあ…。こいつがなかなか難しいんだ」
 思った通りに上手くは描けんものだぞ、お前たちも自分でやってみれば分かる。
 何が何でも描いてやるんだ、と特大のオムライスを作って描いてたヤツなんかもいたな。
 運動部員ならではってトコだ、こんなにデカいオムライスを一人で食わなきゃいけないんだぞ。残しちまったら、相合傘を描いた意味が全く無いんだからな。
「そのおまじないは効くんですか?」
 オムライスのは効きますか、とサッと手を挙げたクラスのムードメーカーの男子。
「効くんだろうなあ、そういう噂だったからこそ伝わってたんだし」
 そうでなければ何処かで消えてしまっただろうさ。あんなのはただの遊びなんだ、と。
「ハーレイ先生もやりましたか?」
 オムライスに描いた相合傘、と興味津々の男子だったけれど。
「さてなあ…? そいつはコレとは関係無いしな、このマークとは」
 授業に戻るぞ、と相合傘のマークが消されて終わった雑談。
 けれどもブルーの胸にしっかり刻み込まれた、相合傘のマークとオムライスを使うおまじない。
 ハーレイが通った学校には変わったおまじないがあったようだと、相合傘を食べるのかと。



 心に残ったハーレイの雑談、相合傘のおまじないの話。
 学校が終わって家に帰っても、忘れ去ってはいなかった。ダイニングでおやつのケーキと紅茶を味わう時にも、相合傘が頭にぽっかり浮かんで来たから。
 ハーレイがボードに描いていた絵と、おまじないとが鮮明に浮かび上がって来たから。
(ぼくは相合傘、描かなくっても…)
 もうハーレイとは両想いなのだし、結婚すると決まっているから、相合傘のマークは必要無い。おまじないなどはしなくていい。
 自分の名前とハーレイの名前を並べた相合傘を描くとしたなら、授業中に聞いた喫茶店だの旅先だので出会った記念のノート。「ご自由にお書き下さい」と置かれているノート。
 でも…。
(ちょっとおまじない、しておきたいかも…)
 念のために、と思うわけではないけれど。
 相合傘のおまじないが無くても結婚出来るし、とっくの昔に両想い。
 前の自分たちが生きた頃から両想いだった恋の続きで、今度こそ晴れて結婚式。前の生では隠し続けた恋を明かして、二人で誓いのキスを交わして。
 その日が早く来るといいから、早く来て欲しいと思うから。
 祈りをこめて相合傘だ、と考えた。せっかくハーレイの授業で教わったのだし、と。



 そうと決まれば、相合傘のおまじないはハーレイの学校のオリジナル。
 同じやるならハーレイに習ったそれをやりたい、オムライスの上に描く相合傘。綺麗に食べれば恋が実ると伝わる素敵な相合傘。
 まずはオムライスが必要だから、と空になったケーキのお皿やカップをキッチンの母に渡して、何食わぬ顔で訊いてみた。
「ママ、晩御飯は何?」
 もう決まってるの、晩御飯のメニュー。…決めてないなら…。
「どうしたの、何かリクエストなの?」
 食べてみたいお料理が急に出来たの、晩御飯に作って欲しいものが?
「うん、オムライスが食べたいなあ、って…」
「あらまあ…」
 学校で誰かが話してたのかしら、それとも食べたい気分になって来たとか…。
 いいわよ、ブルーが「これが食べたい」ってリクエストすることは珍しいものね。
 オムライスくらいはお安い御用よ、晩御飯、楽しみにしていて頂戴。



 いともあっさり、オムライス作りを引き受けてくれた優しい母。
 夕食はそれにしておくわね、と。
(やった!)
 小躍りしながら部屋に戻った、今夜はオムライスが食べられるから。
 母が作ってくれるオムライス、それに相合傘を描こうと。赤いケチャップで相合傘。ハーレイの名前と自分の名前を並べて書いて、おまじない。
(上手に描いて、しっかり食べて…)
 そうすれば恋が叶うから。とうに叶っている恋の場合は、きっと絆が固くなるから。
 結婚式の日が早く来るとか、プロポーズの日が早まるだとか。オムライスの素敵なおまじない。
(ふふっ、相合傘…)
 名前を書きたいハーレイは寄ってくれなかったけれど、今日はその方が都合がいい。夕食の席にハーレイがいたら、とても恥ずかしくて相合傘を描けはしないから。
 「お前、早速やっているのか?」と笑われるだろうし、からかわれたりもするだろう。
 普段だったら、ハーレイが寄ってくれなかった日はガッカリだけれど、今日は特別、いない方が嬉しい気がするハーレイ。
 おまじないをする所を見られたくないし、でも、おまじないはしておきたいし…。



 そんなことまで考えたのに。「ハーレイが来なくて良かった」と胸を撫で下ろしたのに。
 いざ、夕食になって、母に呼ばれて勇んでダイニングに出掛けて行ったら。
「はい、召し上がれ」
 ブルーのリクエストのオムライスよ。パパはこれだと物足りないでしょ、コロッケもどうぞ。
「おっ、悪いな、ママ。…わざわざコロッケ作らなくても、デカいオムライスで良かったのに」
 ブルーみたいにオムライスだけで、と笑顔の父。ブルーのリクエストとは珍しいな、と。
 オムライスは作って貰えたけれども、両親も一緒の夕食の席。同じテーブルに着いている両親、当然、ブルーの前に置かれたオムライスの皿は丸見えで…。
(…これじゃ無理だよ…)
 描けるわけがなかった、ハーレイと自分の名前を並べた相合傘。
 両親が側に居たのでは。ケチャップでそれを描いていたなら、もう絶対に見られるのだから。
 これでは描けない、相合傘も、大好きなハーレイの名前ですらも。
 オムライスに描いた相合傘のおまじないは出来ない、ハーレイが此処にいなくても。



 描くに描けない相合傘。両親の前では描けはしなくて。
(うー…)
 なんということになったのだろう、とショックだけれども、リクエストまでしたオムライス。
 これさえあったら、とても素敵なおまじないが出来る筈だったオムライス。
 けれど描けない、相合傘は。おまじないに使う傘のマークは。
(でも、何か…)
 こうして作って貰ったからには、真似事くらいはしておきたい。相合傘は無理でも、何か。何かケチャップで描いておきたい、オムライスを使ったおまじない。
 自分の名前だけでも書いておこうか、と思ったけれども、ハーレイの名前が無くては片手落ち。自分の分しか書けない名前は少し癪だし、ウサギを描こうと決意した。
(ぼくも、ハーレイも、ウサギ年…)
 お揃いだった生まれ年の干支。
 お互いの前世はウサギだったかも、という話もした。前の自分たちに生まれる前には、ウサギのカップルだったのかも、と。
 白いウサギと茶色いウサギで、同じ巣穴で仲良く暮らしたウサギのカップル。最後は一緒に肉のパイになったかもしれない、白いウサギと茶色いウサギ。
 だからウサギ、とケチャップの容器を手に取った。
 オムライスにおまじないをかけておくなら、ウサギのカップル。ウサギ年の恋人同士だよ、と。



 オムライスの上、真っ赤なケチャップで描いたウサギの顔。一つだけしか描けなかったけれど。
「あら、ウサギ?」
 もしかして、それが描きたかったの、ウサギの絵が?
「そういや、ブルーは小さい頃には、ウサギになるって言ってたっけなあ…」
 思い出したのか、将来の夢を?
 それでウサギの絵なのか、ブルー?
 こいつはなんとも傑作だよなあ、今頃になってウサギか、うん。
 しかしだ、上手く描けたじゃないか。ウサギになるって言ってた頃には描けなかったのに。
「そうねえ、失敗してたわねえ…」
 ウサギの耳しか描けなかったり、顔を描いたら耳を描く場所が無かったり…。
 あの頃よりもずっと上手よ、ちゃんとウサギに見えるものね。
 ウサギの絵が描きたくなったからオムライスなのね、と母が微笑み、父も笑っているけれど。
 「絵が描きたかったのなら、もっとデカいのにすればウサギを丸ごと描けたぞ」などと言われたけれども、描きたかったものは相合傘。ウサギの全身を描いても何の意味も無いから。おまじないにはなってくれなくて、ただのウサギというだけだから。
 欲しかったのはオムライスそのもので、絵は二の次だと嘘をついておいた。今日はオムライスが食べたい気分で、だからオムライス、と。
 ケチャップの絵は、子供の頃に描こうとしたのを思い出したからやってみただけ、と。



 ウサギの絵つきのオムライス。相合傘は無いオムライス。
 食べ終えて母に御礼を言ってから、部屋に帰って。
(失敗しちゃった…)
 オムライスで出来るおまじない。相合傘を描いたオムライスをペロリと平らげるおまじない。
 ハーレイが通っていた学校に伝わっていたと聞いたオリジナル、それを試してみたかったのに。
 オムライスの上にケチャップで描いた相合傘。
 自分の名前とハーレイの名前、傘の柄を挟んで並べて描いてみたかったのに…。
(相合傘、描けなかったっていうことは…)
 まさか、両想いになれる代わりに、別れてしまうという意味にはならないだろうけど。
 そんな結末になりはしないと思うけれども、少し恐ろしくなってきた。
 相合傘を描こうとオムライスを用意したというのに、描けずに終わってしまったから。相合傘の欠片も描けずに、ウサギの絵になってしまったから。
(まさかね…?)
 大丈夫だよね、と自分に言い聞かせるけれど、募る心配。
 オムライスのおまじないが失敗したなら、その恋はどうなってしまうのだろうか、と。



 描けなかったケチャップの相合傘。出来なかったオムライスのおまじない。
 恋の行方が気掛かりになって、次の日になっても忘れられなくて。
(どうなっちゃうの…?)
 ぼくとハーレイ、と勉強机の前に座って溜息をついていたら、そのハーレイが来てくれたから。仕事の帰りに寄ってくれたから、いつものテーブルを挟んで向かい合わせで切り出した。
「あのね、ハーレイ…。昨日、授業で言ってた相合傘のおまじない…」
 もしもオムライスに相合傘が描けなかったら、どうなるの?
 そういう時には別れてしまうの、相合傘に名前を書こうとしていた二人は?
「いや、そうじゃないな。相合傘を描かないことには恋が実らないっていうだけだが?」
 ついでにオムライスも綺麗に平らげないとな、相合傘を描いたら終わりじゃなくて。
「じゃあ、相合傘を描こうとしていたのに描けなかったら?」
 相合傘を描くんだ、ってオムライスを用意したのに、相合傘を描けなくなっちゃった時は…?
「描けなくなった、という時か…。そいつは望みが無いってことになるかもなあ…」
 相合傘を描くだけ無駄だ、という意味になるのかもしれん。最初から描けないわけなんだし。
 二人の名前を並べて描ける日なんかは絶対に来ない、ってことで、望みは無し、と。



 俺はその手の噂は知らないが、とハーレイは付け加えてくれたけれども。
 描けなかったケースは聞いていないし、あくまで俺の推測だから、と言ってはくれたけれども。
(望みが無い…?)
 それはショックな一言だった。
 別れるどころか、望み無し。二人の名前を相合傘に並べて描ける日などは来ない、と。
 恋が実ってカップルになったら、色々な所で相合傘を描けるのに。
 喫茶店やら、旅先やらで見付けたノートに相合傘。二人で来ました、と恋の記念に。誇らしげに二人の名前を並べて、描いて置いてゆく相合傘。
 そういう素敵な相合傘を描ける日は来ないというのだろうか?
 ハーレイの名前と自分の名前を並べられる日は来ないのだろうか…?
(もしかしたら、ぼくの恋、実らないの…?)
 大きくなったら結婚出来ると信じていたのに、その日を夢見て生きているのに。
 今度こそハーレイと結婚式だと、二人一緒に暮らせるのだと信じて疑いもしなかったのに。
 けれど、冷静に考えてみれば、自分もハーレイも男同士で、普通の結婚とは違うから。
 両親に強く反対されてしまって、結婚は無理だというのだろうか?
 ハーレイとも会えなくなってしまうのだろうか、両親に見張られて、家にも鍵をかけられて…。



(…そんな…)
 まさか望みが無いなんて、と落ち込んでしまった気持ちと心。
 砕けてしまいそうな自分の未来と、ハーレイと二人で築く筈だった幸せな未来。
「どうしたんだ?」
 おい、急に黙ってしまって、どうした、ブルー?
「…なんでもない…」
「なんでもないって顔じゃないぞ、お前」
 お先真っ暗って感じの顔だが、いったい何があったんだ?
 俺が来た時から、心配そうな顔つきには見えていたんだが…。そういや、お前、オムライス…。
 例のおまじないがどうこうと俺に訊いていたよな、もしかして、アレか?
 相合傘がどうかしたのか、とハーレイに尋ねられたから。
「うん…。ハーレイが言ってた、オムライスに描く相合傘…」
 描けなかったんだよ、描こうとしたのに。
 ハーレイが言った「望み無し」だよ、ぼくとハーレイの名前、相合傘の下には書けないんだよ。
 最初から並べて書ける望みが無いから、オムライスに相合傘を描くのは無理だったんだよ…。



 昨夜、描き損なっちゃった、と白状した。
 オムライスの夕食をリクエストしたのに、同じテーブルに着いた両親。相合傘などは描ける筈もなくて、挑戦する以前の問題だった、と。
「なるほどなあ…。それで代わりにウサギを描いた、と」
 しかしだ、お前のオムライスじゃなあ…。
 相合傘と二人分の名前はサイズ的に描くのに無理がないか、と言われてみれば。
 そうかもしれない、昨夜の自分用のオムライス。
 父のオムライスは大きかったけれど、自分の胃袋に合わせて母が作ってくれたオムライスは…。
 小さめだったオムライスの上には、相合傘を描くのは無理かもしれない。ウサギの顔を描くのが精一杯で。
(…余計に無理…)
 絶望的だ、と肩を落とした相合傘。オムライスを使った恋のおまじない。
 それが出来ない自分の場合は、ハーレイとの恋は「望み無し」。
 二人分の名前を相合傘の下に書ける日などは永遠に来ない、喫茶店でも、旅先でも。
 「ご自由にお書き下さい」と置かれたノートを見る度に泣くのだろうか、いつか、自分は。
 これにハーレイと二人で描きたかったと、相合傘を描く筈だったのに、と。



 思わず零れ落ちそうになった涙をグイと拭ったら。
 今から泣いていては駄目だと、あれはハーレイの推測だから、と泣きそうになる自分の心に言い聞かせようとしていたら…。
「お前、相合傘、描きたいのか?」
 オムライスの上に、相合傘。…望み無しだ、と言われないように。
「…うん…」
 だけど無理だよ、ぼくのオムライスには相合傘は描けなかったんだもの。
 パパとママがあそこにいなかったとしても、ぼくのオムライスは本当に小さすぎるから…。
「分かっているさ。大丈夫だ、土曜日の昼飯にリクエストしとけ、オムライス」
「え?」
 土曜日のお昼御飯って…。ハーレイが来る日?
「そうだ、その日だ。相合傘、俺が描いてやる」
 お前のオムライスに、ちゃんと相合傘。そしたら望みが無いってことにはならないだろうが。
「ホント!?」
 本当に描いてくれるの、相合傘を?
 ぼくのオムライスは小さいのに…。ホントのホントに、ウサギくらいしか描けないのに…。



 このくらいのサイズなんだけど、と両手を使って作ってみせたオムライスの大きさ。
 ハーレイと一緒に食べたことも何度もあるのだけれども、改めて伝えておきたかったから。
「任せておけ。なんたって、俺はプロだからな」
 相合傘くらいはお安い御用だ、お前の望み通りに立派なのを描いてやるってな。
「…ハーレイ、相合傘、描いていたの?」
 オムライスにケチャップで相合傘。
 授業中に訊かれた時には、「さてな?」って答えただけだったけど…。
「いや? 俺は一度も描いていないが」
 おまじないをしたい相手がいなかったしなあ、いつも見ているだけだったが。あのおまじない。
「でも、プロだって…」
「勘違いするなよ、相合傘の方のプロじゃない。単に料理のプロだってだけだ」
 今の俺はプロの料理人ってヤツをやってはいないが、前の俺は厨房にいたろうが。
 あの頃の俺と比べて腕は鈍っていない筈だぞ、むしろ上達してるんじゃないかと思うわけだが。
「そっか、ケチャップの使い方…!」
 ぼくよりも上手く描ける筈だよね、ケチャップを使った模様とか。
 やっとウサギが描けるようになったぼくなんかよりも、ずっと凄いのが描けるんだものね…!



 首を長くして待った土曜日、母にオムライスをリクエストしておいた日。
 朝食のテーブルで母に訊かれた、「またウサギ?」と。
「えーっと…。ウサギになるかな、この間は上手に描けたから…」
 もっと上手に描いてみたいけど、パパが言ってたみたいにウサギを全部描くのは無理かも…。
 尻尾が描けなくなってしまうとか、耳がはみ出してしまうとか。
「ハーレイ先生と遊びたいのね、オムライスの絵で」
 きっと先生の方が上手よ、先生はお料理なさるんだから。
「そうだぞ、それにハーレイ先生のオムライスはグンと大きいからな」
 お前よりも絵を描ける部分がグッと広いし、見栄えのする絵が描けそうだ。
 ウサギの絵、お前、負けるだろうなあ、きっとハーレイ先生に。
 負けても悔しがったりするなよ、最初から勝ち目は無いんだからな。



 両親はウサギか何かのケチャップ絵で勝負をするらしいと思い込んでしまった昼食。
 その方がずっと都合がいいから、「頑張るね」と笑顔で返しておいた。
 やがてハーレイが訪ねて来てくれて、待ちに待っていた昼食の時間。母が作ってくれたふんわり金色のオムライスが二つ、ハーレイ用の大きなものと、ブルー用の小さなオムライスと。
 それにケチャップ、相合傘を描くための。
 母はウサギだと信じている絵。オムライスの上にケチャップで描いて食べる絵。
「ハーレイ、これに描いてくれるの?」
 ぼくのオムライス、と尋ねたら。
「そのオムライス、皿ごと、こっちに寄越せ」
「え?」
 お皿ごとって…。何をするの?
 今の場所だと描きにくいの、とオムライスの皿を手渡してみたら、ハーレイは「よし」と。
「こう並べて、だ…。俺の皿が此処で」
 いいか、ここからが肝心なんだ。
 こっちが俺ので、こっちがお前で。相合傘、描いてやるから、よく見ていろよ…?



 半分ずつ描くのがポイントなんだ、と二人分の皿を並べたハーレイ。
 オムライスの間を隔てる距離が出来るだけ短くなるように。二つ仲良く並ぶように。
 こうだ、とハーレイが手にしたケチャップの容器、引いてゆかれる赤い線。
 まずは相合傘の傘から、「一筆書きとはいかないんだがな」と断りながら。「そいつをやったらテーブルも皿も汚れちまうし、気分だけは一筆書きってことで」と。
 ハーレイの分と、ブルーの分。オムライスの上に相合傘の傘の部分が半分ずつ。
 それが描けたら隣り合ったオムライスが並んだ部分に、「本来、こいつは一本なんだが」と傘の柄が描かれた、オムライスの端に引かれた線。
 早い話が、相合傘が二つに分かれた、ブルーの皿とハーレイの皿のオムライスの上に半分ずつ。
「…さてと、お次は名前だな」
 これはオムライスの持ち主の名前でいいだろ、こっちにブルー、と。俺のがハーレイ、と。
 …でもって、最後にコレをつけんと。



 ハートのマークも半分ずつだ、と描いて貰った相合傘。
 二つのお皿に分かれたけれども、相合傘はきちんと描けた。傘の上にハートのマークもつけて。
「わあ…!」
 凄いね、ハーレイ。ホントに本物の相合傘だよ、オムライスのおまじないの相合傘…!
 ぼくのオムライスだと絶対無理だと思っていたのに、相合傘、ちゃんと出来ちゃった…!
「俺はプロだと言っただろうが。…相合傘の方のプロじゃないがな」
 もう安心だろ、オムライスの上に相合傘は描けたんだ。
 お前が泣くほど心配していた「望み無し」ってヤツにはならんさ、こうして描けた以上はな。
 後はおまじないの方の仕上げだ、このオムライスを残さないで綺麗に平らげる方だ。
 この相合傘、俺もお前も全部ペロリと食わんとな。
 お前のオムライス、いつもと同じで小さいんだから、お前、充分、食べられるだろ?
「うんっ!」
 オムライスの大きさも大切だけれど、相合傘を描いて貰ったし…。
 これでおまじないが出来るわけだし、全部しっかり食べるよ、ぼく。
 綺麗に食べたら恋が叶うっておまじないでしょ、頑張らなくちゃ。
 望み無しかと思っちゃった分、うんと幸せに食べられるよ。だって、相合傘、出来たんだもの。



 一度は諦めかけてしまった相合傘。
 オムライスのおまじないが出来ない自分は「望み無し」だと、絶望しそうになった相合傘。
 ハーレイと二人で描けはしないと、それを描ける日は来ないのだと。
 それなのにハーレイに描いて貰えた、相合傘を。二人で一つの相合傘を。
(ハーレイとぼくと、半分ずつ…)
 なんて幸せなんだろう、とオムライスをパクリと頬張っていたら。
 ケチャップで描かれた相合傘が消えるのが惜しくて、塗り付けないでそのままスプーンで掬って口へと運んでいたら、ハーレイも同じことをしながら。
 自分の名前も相合傘も、ハートのマークも壊さないようにと、模様のままで掬いながら。
「うん、やっぱり二人で一緒に食ってこそだよな、相合傘のオムライス」
 おまじないで一人で食うのもいいがだ、そいつが叶った後にはなあ…。
 一人で食うより、やっぱり二人だ。
 オムライスの相合傘で叶った恋なら、こうして二人で食わないとなあ、相合傘のオムライス。



 この食べ方をやってたヤツらを見たことがある、と微笑むハーレイ。
 俺が学生だった時代に、通ってた学校の食堂でな、と。
「食堂って…。ホント?」
 そんな所で相合傘なの、学校の食堂だったら他にも人が大勢いそうな気がするけれど…。
 だけど二人で相合傘を描いたオムライスだったの、これみたいな…?
「うむ。これよりもずっと凄かったがなあ、あのオムライスは」
 俺の友達の中の一人だ、オムライスの相合傘のお蔭で出来た彼女だ、と食堂に連れて来てな。
 やたらデカい皿を持って来たな、と思っていたらだ、オムライスを二つ注文したんだ。二つだ、自分の分と彼女の分だ。
 そいつが出来たらデカい皿の出番で、その上にオムライスを二つ並べてくっつけちまった。
 後は分かるな、ケチャップでデカデカと相合傘だ。
 俺たちのヤツは二つの皿に分かれちまってて、傘の柄が二本あるわけなんだが…。
 デカい皿の上でくっつけてあれば、柄は一本で足りるだろうが。
 実に見事な一筆書きで仕上がっていたぞ、デカい相合傘。
 俺たちのと同じでハートマークが上に描いてあって、友達と彼女の名前を並べて書いて。



 本当に凄い相合傘だった、とハーレイが語る、二つ並んだオムライス。
 恋人同士だった二人は、それを半分ずつ、仲良く食べていたと言うから、すっかり綺麗にお皿を空にしたと言うから。
「凄いね…。周りに他の人もいるのに、ハーレイだって見てたのに…」
 だけど二人でオムライスなんだね、相合傘が描いてあるヤツ。二つ並べて。
「そりゃもう、熱々のカップルだったってな」
 この食堂のオムライスの相合傘が結んでくれた御縁だから、って食べに来たんだ、二人でな。
 食堂で相合傘のオムライスを一人で食っていたのは、俺の友達だけなんだが…。
 おまじないをしたのはそいつだけでだ、彼女の方は相合傘のおまじない、しなかったんだが…。
 それでも相合傘のオムライスを食べに付き合おうってほどの彼女だからなあ、最高の仲だ。
 もちろん結婚したんだぞ。学校を卒業した後にな。
 だからだ、オムライスの相合傘は効くぞ、俺が保証する。
 こうして二人で食べたからには、「望み無し」には絶対ならんさ。
 お前は俺と結婚するんだ、そして目出度く相合傘をあちこちで描いて回れるってな。
 「ご自由にお書き下さい」と書いてあるノートを見付けた時とか、好きに何でも描き殴っていい落書きだらけの壁だとか…。
 そういった所に二人で描くんだ、俺とお前の名前が並んだ相合傘をな。



 ハーレイが「いつか描ける」と保証してくれた相合傘。二人の名前を並べて書ける相合傘。
 それもいつかは描きたいけれども、今は半分ずつで柄が二本もある相合傘。その柄を一本だけにしてみたい、ハーレイに聞いた熱々のカップルがやっていたように。
 大きなお皿にオムライスを二つ、くっつけて並べて、柄が一本の相合傘を一筆書きで。
「ねえ、ハーレイ。オムライスを二つ、お皿の上で並べたヤツ…」
 相合傘を一筆書きで描けるオムライス、ぼくもやりたいよ。
 ハーレイと二人で食べてみたいよ、大勢の人が見てる食堂では恥ずかしいから嫌だけど…。
 二人だけしかいない所でハーレイに大きく描いて欲しいな、今日みたいに。
「ふうむ…。いつかお前との結婚が決まったら、やってみるとするか」
 今日みたいに半分ずつに分かれちまって、一筆書きでもないヤツじゃなくて、正真正銘、本物の相合傘ってヤツを。
 オムライス二つに一筆書きで描くってわけだな、俺が昔に見てたみたいに。
「やろうよ、二人で半分ずつの相合傘!」
 半分ずつでも、二つ並べたら本当に一個の相合傘。
 今日のおまじないが叶いました、ってオムライスを二つくっつけて並べて相合傘だよ…!
「よし、その時は俺が作ろう、オムライスを」
 二人だけで食べたいと言うんだったら、それが一番いい方法だ。
 店に行ったら人が見てるし、お前の家でも「大きな皿は何に使うのか」と不思議がられるし…。
 オムライスを二つくっつけるんなら、そいつは俺が作ってやるさ。



 俺の家でな、とハーレイがパチンと片目を瞑るから。
 「お前の胃袋に丁度いいサイズに作ってやろう」と、ドンと引き受けてくれたから。
 いつかは大きな一枚の皿に、二人分の並んだオムライス。
 ハーレイのオムライスは大きなサイズで、自分のオムライスはきっと小さめ。
 今日のよりは幾らか大きくなってはいるだろうけれど、ハーレイの分には敵わない。
 そのオムライスを二つくっつけて、並べて置いて。
 ハーレイがケチャップで相合傘を見事に描いてくれるのだろう。
 一筆書きで、ハートマークもつけて。
 それを二人で食べた後には、もう幾つでも描ける相合傘。
 何処へ出掛けても、描いていい場所があったなら。
 ハーレイと自分の名前を並べて、傘の上にハートのマークも描いて、幾つも幾つも相合傘を…。




           描きたい相合傘・了

※今のハーレイの学校にあった、オリジナルの恋のおまじない。オムライスに描く相合傘。
 ブルーの挑戦は失敗でしたけど、ハーレイが描いてくれたのです。二人の恋は叶いますよね。
 ←拍手して下さる方は、こちらからv
 ←聖痕シリーズの書き下ろしショートは、こちらv









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(たまにはコレが美味いんだ)
 うん、とハーレイが大きく頷いたシーザーサラダ。平日の夜に、自分の家のダイニングで。
 たっぷりの新鮮なロメインレタスに、海老や茹で卵なども加えてメインディッシュに。もちろんドレッシングは手作り、クルトンだって。
 パルメザンチーズを振ってから豪快に混ぜた、食べる直前に混ぜるのがシーザーサラダの醍醐味だから。気の利いた店だと、客の目の前で混ぜてサービスするのがシーザーサラダ。
 今日はブルーの家に寄るには遅くて、けれども時間はあったから。
 こんな日にはメニューを考えながらの買い出し、シーザーサラダが食べたくなった。クルトンを作る所から始めて、海老や卵も茹でて入れて…、と。



 パンを小さなサイコロ形に切ってカリッと焼き上げたクルトンは多めに作ったから。ついでだと食パン二枚分をクルトンにしたから、シーザーサラダに沢山入れても…。
(明日の朝にも使えそうだな)
 朝食のスープに浮かべてみるとか、レタスと混ぜてシーザーサラダもどきと洒落込むか。
 これは美味いし、と取り分けたシーザーサラダを頬張る。大きな器に盛ったサラダは、そのまま食べたい気分だけれど。どうせ一人しかいない食卓、食べ切るのだからかまわないけれど。
(…やっぱり行儀というヤツがだな…)
 学生時代に水泳や柔道の先輩たちから叩き込まれた礼儀作法。一人の時でも「いただきます」と合掌するのを忘れないのと同じくらいに、気になる食事のマナーというもの。
 大皿から直接食べるなどは論外、必ず器に取り分けろ、と何度も言われた、先輩たちに。羽目を外していい時だったら一興だけども、普段にやっては絶対駄目だ、と。



 そんなわけだから、適量を取り分けて口に運ぶサラダ。フォークでパクリと。
 思った通りになんとも美味しい、決め手はドレッシングとクルトン。ガーリックを刻んで入れたドレッシングもいいのだけれども、さっき作ったばかりのクルトン。これが無くては決まらない。
 レタスやドレッシングと一緒に味わうカリッとした味、口の中でサクッと砕けるクルトン。
 食べる直前に混ぜるからこそクルトンが生きるシーザーサラダ。出来たての味。
 これがいいんだ、と顔が自然に綻ぶクルトン、ポタージュスープにも浮かべておいた。サラダとスープと、どちらもクルトン。
 明日の朝にも使いたいクルトン、多めに作ったのだから。
 スープか、朝からシーザーサラダか。悪くないな、と眺めた器に盛ったクルトン。



(ガキの頃は嬉しかったんだ)
 クルトンを入れて貰うのが。パンを四角く切って焼いただけなのに、何故だか、これが。
 自分の家でもクルトンが入れば嬉しかったし、たまに連れて行って貰ったレストラン。スープが器に注がれた後に、スプーンで加えてくれるクルトン。
 特に決まりは無かったのだろうか、浮かべてくれる量はまちまちで。多めに入れて貰えた時には心が弾んだ、「今日はクルトンがこんなにある」と。
 クルトンを入れてくれる人を見詰める子供時代の自分の瞳が輝いていたのか、あるいは無意識の内に心が零れて「もっと!」と叫んでいたものか。
 常よりも沢山入れて貰えたことが何度か、それはもう得をした気分。
 大喜びで味わったクルトンたっぷりのスープ、たかがパンをカリッと焼いただけのものなのに。レストランならば幾らでもある、少し固くなったパンを使ったものだったろうに。



 子供だった頃の憧れのクルトン、レストランでスープを飲むならクルトン。
 多いといいなと、沢山入れて貰えるといいなと、何度ウェイターの顔を見上げたことか。多めに入れてくれそうな人か、気前よく入れてくれるだろうかと。
(懐かしいなあ…)
 両親と出掛けたレストランでの、幸せな思い出。スープに浮かべて貰ったクルトン。
 今ではスープも、クルトンも自分で作れるようになってしまって、凝ったシーザーサラダまで。入れ放題になったクルトン、なにしろ自分で作るのだから。沢山作っていいのだから。
(ここはだな…)
 せっかく思い出したからには、やらねばなるまい。
 もう一杯、とポタージュスープをおかわりして来て、クルトンをたっぷり、スプーンで掬って。惜しげもなく入れた、四角く切って焼き上げたパンを。
(よし!)
 ガキの頃の夢だ、と満足感が湧き上がるスープ。ここまでの量のクルトンは入れて貰った覚えが無い。自分の家での食事はともかく、レストランでスープを飲んだ時には。
 もう最高に贅沢な気分、子供時代の自分の夢。熱いスープにクルトンたっぷり、パラリと一匙の量と違ってドッサリと。



 流石にスープよりもクルトンが多くはならないけれど。所詮はスープの浮き身だけれど。
 やっぱり美味いと、シーザーサラダもスープもクルトンがあってこそだと味わっていたら、心をフイと掠めた記憶。
(…待てよ?)
 前にもこうしてクルトンを入れた。器からスプーンで掬って、たっぷり。
 ポタージュスープが入った器に、パラッと飾りに振るのではなくて、もっと多めに。
(…なんたって俺の夢だしな?)
 子供時代の憧れのクルトン。自分で好きに入れられるのだから、きっと前にもやったのだろう。今夜のように子供だった頃の自分がヒョイと顔を出して、クルトンの思い出が蘇ったはずみに。
(スープはしょっちゅう作るしなあ…)
 クルトンだって、と納得しかけて「違う」と気付いた。
 あれは自分の器ではなかった、自分はクルトンを掬って入れていたというだけ。誰かのスープにたっぷりクルトン、子供時代の夢そのままに。
 普通はこれだけの量だけれども、ここは沢山入れなくては、と。



 自分のものではなかったスープと、それにドッサリ加えたクルトン。今の自分のスープと同じ。レストランなどでは貰えない量、こんなには入れて貰えない。
 それを自分が誰かのスープに入れたとなると…。
(俺の家で作ったスープだよな?)
 レストラン勤めの経験は無いし、柔道や水泳の合宿には無いお洒落なクルトン。スープを作ったことはあってもクルトンまでは作ってはいない、見た目よりも量が大切だという場所だったから。クルトンを作る暇があったら、同じパンで一品作って来い、と言われそうな世界だったから。
(…俺の家で作るスープとなったら…)
 教え子たちがやって来る時にも、たまに料理はするけれど。
 ドカンと大皿で出すような料理が定番、それにスープをつけただろうか?
 パエリアなどの類だったら、多分、つけてはいるだろうけれど。ろくに味わいもせずガツガツと平らげる運動部員たちを相手に、洒落たクルトンなどをわざわざサービスしてやるだろうか?



 はて…、と考えたけれど、分からない。
 とはいえ、料理が好きなのが自分。たまに気まぐれでお洒落に演出したかもしれない、こういうスープも作れるんだぞ、と。クルトンも俺が作ったんだ、と。
 ただ、そうやって作ったスープ。それにクルトンを入れてやるなら…。
(公平にだぞ?)
 生徒の扱いは公平にするのが大原則。見込みがあると目を掛けてやっている教え子がいたって、食事の席で贔屓はしない。あくまで平等、スープの量も、それに加えるクルトンも。一人分だけを多くするなど、有り得ない。
 けれども、自分が他の誰かにスープを振舞うとしたなら、それくらい。
 教え子たちを家に招いての食事、他には全く思い付かない。友人たちも招くけれども、そうした時には食事よりも酒、そちらの方がメインになるから。スープにクルトンと洒落ているより、同じパンからカナッペでも作って出した方がよほど喜ばれるから。



 そうなってくると、あの記憶はやはり教え子との食事。ポタージュスープにクルトンたっぷり。生徒を贔屓はしないけれども、そんな教師ではないけれど。
(…クルトン好きのヤツでもいたのか?)
 家を訪ねて来た教え子の中に。手作りのスープを御馳走してやった運動部員たちの団体の中に。
 クルトンを入れに回っていた時、その子に頼まれただろうか。「多めに下さい」と、クルトンが大好物なんです、と。
(それだったら…)
 多分、喜んで入れてやっただろう。おかわりを頼まれるのと変わらないのだし、多めに掬って。
 「もっと入れるか?」などと冗談交じりに、山ほど掬って見せたりして。
 ついでに記憶に残っていそうでもある、それを頼んだ生徒の顔が。
 クルトン好きとは実に面白いと、遠慮しないで頼む所が気に入った、と。



 誰だったのだろう、あの生徒は。クルトンを沢山欲しがった子は。
(…誰だ…?)
 愉快な奴だ、と記憶を手繰るけれども、その子の顔が浮かんで来ない。「多めに下さい」と注文した子が思い出せない、今まで教えた子供たちの顔は一つも忘れていないのに。
 その中にいない、クルトンを多めに入れてやった子。こいつだ、とピンと来ない顔。
 けれども確かにクルトンを入れた、スプーンでドッサリ掬ってやって。
(俺がスープを作ってだな…)
 それに入れた、と思った途端。
 手作りのスープに手作りのクルトン、気前よく振舞ってやったのだった、と思った途端。
(シャングリラか…!)
 この家のことじゃなかったのか、と気が付いた。遠い記憶が蘇って来た。
 前の自分が暮らしていた船、シャングリラ。あの船の中で、前の自分が入れていた。クルトンをスプーンで掬ってたっぷり、ブルーのスープに。
 今の自分の教え子ではなくて、前のブルーのスープのために。



 遠い遠い昔、シャングリラがまだ白い鯨ではなかった頃。
 前の自分もキャプテンではなくて、厨房で料理をしていた頃。あれこれと工夫を凝らして様々な料理を作った、その時々の食材で。
 シャングリラはまだ、自給自足の船になってはいなかったから。前のブルーが人類の輸送船から奪った食料、それを頼りに生きていたから。
 そうは言っても、ブルーの能力は非常に高くて、食材が偏ってジャガイモだらけになったりした時代はほんの初期だけ。「急いで奪って急いで戻れ」とうるさく言われた時期を過ぎたら、楽々と奪いに出掛けたブルー。輸送船の積荷を短時間で見抜いて、食料も物資も充分な量を。



 人類の船から失敬して来た食材で作っていた料理。
 同じ食事なら心が豊かになるものを、とデータベースで色々調べて、ポタージュスープの演出に使えそうだと思ったクルトン。少し固くなったパンも活用できるし、美味そうでもあるし…。
 やってみよう、とパンを小さなサイコロ形に切る所から始めた試作。オーブンを使うほどの量は無いから、とフライパンを用意していたら、厨房を覗きに来たブルー。小さなブルーと似たような姿だったブルーが、刻まれたパンを指差して訊いた。
「何が出来るの?」
 こんなに小さく切ってしまって、何を作るの、このパンで…?
「スープがお洒落に変身するのさ、こいつを作って入れてやればな」
 その筈なんだ、とフライパンでカリッと焼き上げたクルトン。一つ食べてみて、その香ばしさに成功作だと確信したから、試食用にと作ってあったポタージュスープを器に注いで。
 こんな具合に使うもんだ、とクルトンをパラリと入れて見せたら。
「へえ…!」
 スープの真ん中に浮かべるものなんだね。飾りみたいに?
「な、お洒落だろ?」
 ちょっと豪華に見えてこないか、いつものスープと同じヤツでも。
「うん、そうだね!」
 それに食べたらカリッとしていてとても美味しい、と笑顔になったブルー。
 パンが素敵に変身したね、とクルトンをそのままで一つ食べてみて、次はスープに入れてみて。
 「スープに入れるのが断然美味しい」と大喜びで、「もっと沢山入れていい?」と尋ねられた。スープは今の量でいいから、四角いパンをもっと入れてもいいか、と。
「もちろんだ」
 此処で食ってるの、俺とお前しかいないしな?
 試作品だし、好きなだけ食え。お前、あんまり食わないんだから、これくらいはな。
 こいつだって元はパンだし、栄養はちゃんとある筈なんだ。それに立派な名前もあるぞ。由来は知らんがクルトンだそうだ、ポタージュスープにはクルトンだってな。



 どうやらブルーは、クルトンが気に入ったらしいから。
 試作品だったクルトンをせっせと自分のスープに入れては、嬉しそうに口に運んでいたから。
(あいつが喜んで食ってくれるんなら、って思ったんだよなあ…)
 今と同じで食が細かった、前のブルー。おかわりなどはしなかったブルー。
 そのブルーが自分から進んで食べたがったパン、正確にはパンの加工品。パンそのものなら少し食べれば「御馳走様」と言っていたくせに、クルトンは沢山食べてくれたから。スープに浮かべてやった量より、もっと余計に五つ、六つと追加で食べてくれたから…。
(あいつのスープには、沢山入れてやっていたんだ…)
 食堂で皆にポタージュスープを出した日、クルトンを披露して、大評判を取った後。
 船の仲間たちが「あれは美味かった」と、「また作ってくれ」とクルトンの味を覚えた後。
 何度も作ってはポタージュスープに浮かべたクルトン、それをブルーには多めに入れた。食堂の給仕係は他にいたから、クルトンの日だけは「俺がやる」と入れる役目を引き受けて。
 前のブルーの席に行ったら、スプーンで掬ってたっぷりと入れてやったクルトン。他の者よりもずっと多い量を、軽く二倍はあったろう量を。もっと多めの時だってあった。
(嬉しそうな顔して見ていたからなあ…)
 自分のスープにプカプカと浮かんだクルトンを。「もっと貰える?」と声に出しこそしなかったけれど、クルトンを入れる前の自分の手元を、顔を見上げる瞳が輝いていた。宝石のように。
 だから幾つも入れてやったクルトン、贔屓だと言う者はいなかった。
 ブルーのクルトンだけが多かったとしても、クルトンの元はブルーが調達して来た食料だから。それが無ければクルトンは出来ず、ポタージュスープも出来ないのだから。



(そうか、クルトン…)
 前のあいつの思い出だったか、とシーザーサラダを頬張った。これも決め手はクルトンだな、とサクサクと砕ける食感を楽しみ、ポタージュスープにもクルトンを追加。
 白いシャングリラで作ったクルトン、前のブルーにたっぷりと入れてやったクルトン。
 小さなブルーにも、これを食べさせてやりたいけれど。「覚えてるか?」とポタージュスープにクルトンを浮かべてやりたいけれども、手料理を持って行くのは無理で。
 ブルーの母に気を遣わせるから、自分で作って行けはしなくて。
(しかし、クルトンを買って行くのもなあ…)
 いつも行く食料品店の棚にはクルトンも置いてあるけれど。忙しくて作っている暇が無い時は、便利に使える品だけれども。ブルーの母は手作り派だった、よく御馳走になるから分かる。其処へ店で買ったクルトンを持って行くというのも失礼すぎるし…。
(こうなってくると…)
 ブルーの母に頼むしかないか、と腹を括った。
 土曜日が来るまでに通信でも入れて、と。
 小さなブルーと二人で食事が出来るのは週末の昼食だから。そこで思い出のクルトンを山ほど、ブルーのスープに入れて食べさせてやりたいから。



 そう考えていたら、上手い具合に次の日、寄れたブルーの家。
 仕事帰りに訪ねられたから、門扉を開けに出て来てくれたブルーの母に挨拶を済ませ、玄関へと二人で歩く途中に頼んでみた。
「すみません。厚かましいとは思うのですが…。今度の土曜日のことでお願いが…」
 昼御飯にポタージュスープを作って頂けないでしょうか、材料は何でもいいですから。
「えっ?」
 どうしてポタージュスープなのだろう、と驚いているらしいブルーの母。食材を指定すれば少しマシだったろうか、と反省しつつも、二人で入った玄関のスペースで説明をした。
「本当にスープの味は何でもいいんです。…スープよりもクルトンが大切でして…」
 クルトンを入れてあげたいんです、ブルー君に。
 実はシャングリラで私が厨房にいた頃、何度も入れてあげたのだった、と思い出しまして…。
 シャングリラの思い出の味なんです。
 ご無理をお願いして申し訳ありませんが、作って頂けるようでしたら…。
「分かりましたわ、それなら普通のポタージュスープが良さそうですわね」
 ごくごく基本のポタージュスープ。それとも、これだというスープが何かあるんでしょうか?
「いえ、普通ので充分です。こだわりたいのはクルトンですから」
 そして、クルトンは浮かべずに器に入れておいて頂けますか?
 私が掬って入れるというのが、シャングリラの思い出になりますので。
「ええ。別の器にクルトンですのね」
 それなら多めに用意いたしますわ、その方が見栄えも良くなりますし…。
 ブルーがなかなか思い出せなくても、クルトンが無くなりはしないでしょうし。



 快く引き受けてくれたブルーの母。「忘れずに、土曜日のお昼御飯にお出ししますわ」と。
 玄関スペースでそんな遣り取りをしていただけに、少し遅れたブルーの部屋へと移動する時間。
 小さなブルーが「ハーレイ、ママと話してた?」と尋ねるから。
「少しだけな」
 なあに、大したことじゃない。お前の成績のことでもないさ。
 ちょっとした時候の挨拶ってヤツだ、たまにはそういうことも大事だ、いい天気ですねと。
「ふうん…?」
 いいお天気が続いているけど、大人って、ちょっぴり面倒かもね。
 ぼくなんか、友達の家に行っても、「こんにちは」って挨拶してるだけだよ、それで充分。
 …前のぼくだと、「こんにちは」では済まなかったけど…。
「ほらな、そいつと同じだ、同じ」
 大人ってヤツには色々あるんだ、チビと違って。たかが天気の話でもな。
 だから…、と誤魔化しておいたブルーの母との立ち話。
 クルトンのことは話さなかった。もちろんポタージュスープのことも。
 ブルーの母にも「ブルー君を驚かせたいので」と口止めしたから、秘密は漏れはしないだろう。前の自分たちの記憶を呼び戻すクルトンのことは。小さな四角いクルトンの遠い思い出話は。



 そうしてブルーが何も気付かないまま、土曜日が来て。
 クルトンの名前も、ポタージュスープも、まるで関係無いことをブルーと話して、笑い合って。
 やがて迎えた昼食の時間、運ばれて来たポタージュスープ。約束通りに、クルトンを別の小さな器にたっぷりと入れて、スプーンもつけて。
 小さなブルーはニコニコとして、昼食の皿が並んでゆくのを見ていたけれど。野菜のキッシュやパンのお皿が全て揃うのを待っていたけれど、用意が整って母が出て行った後。
 赤い瞳でテーブルの上をまじまじと眺め、困ったように呟いた。
「ママ、忘れたまま行っちゃった…」
 クルトンを入れずに出て行っちゃったよ、ごめんね、ハーレイ。
 お客様に自分で入れさせるなんて、あんまりだから…。ぼくが入れるよ、ママの代わりに。
「いや、お母さんは忘れたんじゃない。俺が頼んだんだ」
 クルトンは別に出して下さいと、この前、俺が来た時にな。
「え? なんでクルトン…」
 どうしてクルトンが別なのがいいの、スープに入れて直ぐのが好きなの?
 キッチンからママが入れて来たんじゃ、湿ってしまって美味しくないとか…?
「おいおい、そういう贅沢を言うと思うか、この俺が?」
 好き嫌いが無いというのも売りだが、今では前の俺の記憶もあるってな。
 グルメなんかを気取ってられるか、キャプテン・ハーレイなんだぞ、俺は。
 クルトンは入れたばかりでないと、なんて食通ぶりを発揮するどころか、すっかり冷めたスープだってだ、「美味しいですね」と言える自信があるんだが?
 その俺だ、前の俺の話だ。
 思い出さんか、このクルトンとポタージュスープを見たら…?



 お前のスープにはクルトン多めだ、とパチンと片目を瞑ってみせた。
 キャプテン・ハーレイの話ではなくて、俺が厨房にいた頃なんだが、と。
「クルトンの時だけは、俺が給仕に回ったんだが…。普段はやってはいなかったけどな、配膳係」
 俺がクルトンの器を持って回って、端から順に入れていくんだ、スプーンでな。
 前のお前の所まで来たら、うんと多めに掬ってやって。
 …そうだな、こんな具合だったな、前のお前のスープにだけは。
 ほら、と掬って入れてやったクルトン。ブルーのスープに、スプーンで掬って。
 小さなブルーは目を丸くしてから、「ああ…!」と顔を輝かせた。
「思い出したよ、ハーレイのクルトン!」
 いつも沢山入れてくれたよ、ぼくのスープに。
 最初は試作品を作っていたよね、厨房でパンを小さく切って。フライパンで焼いて、クルトンが出来て…。スープに入れたのを貰ったんだっけ、ぼくが一番最初に。
 あれからクルトンが食堂に出来て、ハーレイが配って回ってて…。
 ぼくのスープには、いつでも沢山。
 もっと欲しいな、って思った分だけ、いつもドッサリくれていたんだよ、何も言わなくても。
 前のぼくは思念も飛ばしてないのに、ハーレイは分かってくれていたっけ。
 嬉しかったんだ、あのクルトン。
 ぼくだけオマケでうんと沢山貰ったけれども、材料は固くなったパンだったしね。



 他の食べ物と違って遠慮しないでドッサリ貰えた、と小さなブルーは笑顔だから。
 材料が何か分かっていたから、好物を沢山食べられたっけ、と懐かしそうにスープを掬うから。クルトンを食べて、「うん、この味!」と本当に嬉しそうだから…。
「ふうむ…。ガキはクルトンが好きなんだよなあ…」
「え…?」
 ガキってぼくのことなの、ハーレイ?
 それとも、前のぼくのことかな、クルトンを沢山入れて貰って喜んでた頃の。
 ハーレイがキャプテンになった後にはクルトンの係は代わっちゃったし、「もっと入れて」って頼まなかったから…。
 みんなと同じ量のクルトンがあれば充分だったし、前のぼくが今と同じでチビだった頃…?
「そうじゃなくてだ、ガキっていうのは俺のことだ」
 今の俺がガキだった頃に好きだったんだ、このクルトンが。
 レストランで多めに入れて貰えたら嬉しかったし、もっと入れて欲しいと思ってたもんだ。
 そいつを懐かしく思い出してて、スープにクルトンをドカンと入れて…。
 ガキの頃の夢だと、こいつがやりたかったんだ、と食っていたら思い出したんだよなあ、前にもこういうことがあったな、と。
 クルトン多めだとスープに入れたと、あれはいつだったかと考えていて…。
 今の教え子かと思ったんだが、そうじゃなかった。前のお前のスープに入れていたんだ、お前の好物だったからな。入れてやったら嬉しそうだから、山ほど、クルトン。



 ガキはクルトンが好きらしいな、と話してやった自分の子供時代。
 前のお前が好きだったのも、子供だったせいかもしれないな、と言ったのだけれど。
「それ、違うかもしれないよ。…ハーレイ、ぼくのことを覚えていたとか…」
 クルトンが好きだった前のぼくのこと、ハーレイ、覚えていたんじゃないの?
 それで沢山入れて貰うと嬉しかったっていうことはない?
 前のハーレイの記憶は戻ってなくても、クルトンは沢山入れるんだ、って。
「まさか…。いくらなんでも、偶然だろう」
 俺は本当にクルトンが好きで、沢山入れて貰った時には得をした気分で。
 今だってガキの頃の夢だと山ほど食ったぞ、この記憶が戻って来た日の夜に。
 シーザーサラダとポタージュスープで、クルトン、沢山食っていたしな?
 お前もシーザーサラダは知っているだろ、アレはクルトンが無いと全く話にならないだろうが。
 だから関係無いと思うぞ、前の俺の記憶というヤツは。
 前のお前の好物がアレだと覚えていたとは思えないがな、クルトンが多めだったってこと。



 そうは言ったものの、そうかもしれない。
 自分でもまるで気付かない内に、前のブルーの好みを真似していたかもしれない。
 前の自分が愛したブルー。最後まで恋をしていたブルー。
 その恋人が子供の姿をしていた頃に好きだったクルトン、それはこうして食べるものだと。
 ポタージュスープにたっぷりと入れて、カリッとしたのを心ゆくまで。
 多いほどいいと、嬉しいものだと、それを好んだ人の真似をして。無意識の内に恋人を追って。
 前の自分が失くしてしまった愛おしい恋人、その恋人が好んだクルトン。
 それが欲しいと、それが食べたいと、前の自分がヒョッコリ出て来ていたかもしれない。
 なにしろ自分は好き嫌いが無かったのだから。
 クルトンの量など、さほどこだわらなくてもいいのに、何故か多めが良かったクルトン。
 これが好きだと、今日は多めだと嬉しかったのは、きっと…。



 前の自分か、と思い当たった。今頃になって。
 クルトンが沢山入ったスープが好きだった子供時代の自分は、前のブルーを真似ていたのかと。
「そうか、俺は…。知らずにお前の真似をしてたんだな、前のお前の」
 スープにクルトンを入れるんだったら多めでないと、と前のお前を見てたってわけか…。
 前のお前を俺はすっかり忘れていたのに、お前の食べ方、覚えていたのか…。
「きっとそうだよ、ハーレイだもの」
 ぼくにクルトンを多めにくれてた頃から…。ううん、アルタミラで初めて会った時から。
 ハーレイはぼくの特別だったし、ハーレイもそれは同じでしょ?
 だから忘れていなかったんだよ、前のぼくのこと。
 クルトンを沢山入れたスープが好きだったことも、ハーレイが多めに入れてくれたことも。
「そうなんだろうな、俺は忘れていなかったんだな…」
 前のお前がいたってことを。スープに沢山、クルトンを入れてやってたことを。
 …そう言うお前はどうなんだ?
 今もクルトンは多めがいいのか、さっきたっぷり入れてやったが。
「クルトン…。多めがいいな、って思うほど沢山食べられないから…」
 パパやママとレストランで食事をしたって、すぐにお腹が一杯になるし…。
 最初に出て来るスープの時から「多めがいいな」って思ったりはしないよ、クルトンだけでも。
 お料理、全部食べ切れるかな、って心配ばかりで、多めなんかは絶対に無理。
 もっと少ない量でいいのに、って考えながら飲んでるスープに、クルトンは沢山要らないよ。



 小さなブルーに、クルトンは多めがいいと思った記憶は無いと言うから。
 前の自分とは違うようだと首を振り振り、クルトンたっぷりのスープを掬っているから。
「そりゃ残念だな、こうして用意をしてやったのにな?」
 わざわざお前のお母さんに頼んで、前のお前の好物を出して貰ったのに…。
 今のお前はクルトンはどうでも良かったんだな、前と違って…?
「そうみたいだけど…。前のぼくが好きだったことは、すっかり忘れたみたいだけれど…」
 でも、ハーレイが覚えてくれていたなら、充分だよ。
 子供の頃から、ずっと覚えてて、クルトンは多めがいい、って思って食べて…。
 ハーレイのお蔭で思い出せたよ、前のぼくのこと。
 自分でも忘れてしまっていたのに、ハーレイ、覚えていてくれたんだ…。



 凄く嬉しい、とブルーが微笑むから。
 前の記憶が戻る前から真似をしてくれていたなんて、と幸せそうな笑みを浮かべているから。
「明日には忘れちまっているかもしれないんだがな、クルトンのことは」
 たまたま思い出したっていうだけなんだし、いつまで覚えているやらなあ…。
 次にクルトンを食った時には、綺麗サッパリ忘れているってこともあるよな、前の俺のことは。
「うん、ぼくも…」
 ハーレイみたいにクルトンに特別な思い出が無い分、ハーレイよりも早く忘れそう。
 ママが「クルトンの思い出って、なんだったの?」って訊いてくれても、「なんだっけ?」って言ってそうだよ、明日になったら。
 ぼくよりもパパとかママの方がずっと頼りになるかも、クルトンのことは。
 今日の間に訊いてくれたら、二人とも、ちゃんと覚えていそうだから…。
 前のぼくの思い出、今のぼくのと同じくらい大事にしてくれてるから、パパとママは。
 …ぼくが話した思い出は、全部。



 ハーレイと恋人同士だってことは話していないよ、と肩を竦めるブルーだけれど。
 前のブルーの思い出話のクルトンのことを、ブルーの両親が耳にして覚えてくれるかどうかは、まるで予想がつかないけれど。
 もしも、今夜の夕食の席でクルトンの話題が出ずに終わって、ブルーも自分も、それをすっかり忘れたとしても、またいつか思い出すだろう。
 結婚して二人で暮らし始めたら、食卓にクルトンも出るだろうから。
 スープの皿に入れようとして思い出すとか、入れて貰って思い出すだとか。
「クルトンか…。お前と結婚した後に思い出したら、たっぷりと入れてやらんとな」
 今日のスープみたいに、お前の皿に。このくらいだったな、と景気よくな。
「うん、お願い」
 ハーレイが入れてくれるんだったら、沢山が好き。前のぼくと同じで多めのがいいよ。
「よし。ついでにシーザーサラダも作るか」
 クルトンを沢山作るとなったら、シーザーサラダも是非、作らんとな。
「ハーレイ、得意?」
「うむ。シャングリラには無かったような豪華版だぞ、現にこの前のもそうだった」
 海老をドッサリ入れていたんだ、シャングリラに海老はいなかったろうが。
 あれは養殖していなかったし、白い鯨になった後には海老の料理は無理だったってな。
 海老に限らず、シーザーサラダは色々あるしな、美味いのを作って食わせてやるか。



 前の俺には作れなかったヤツを作ってやろう、と約束した。
 ふんだんに手に入る地球の食材、それを使ってうんと豪華に、と。
「きっと美味いぞ、地球の食材は何でも美味いんだからな」
 そいつを沢山使って作れば、もう最高に美味いシーザーサラダの出来上がりだ。
 ポタージュスープもシーザーサラダもクルトンたっぷり、前のお前の大好物を山ほどな。
「いつかやろうね、そういうクルトン一杯の食事」
 ハーレイと二人きりで食べられるんだし、前よりもずっと美味しいよ、きっと。
「だろうな、今度はお前と結婚出来るんだしな」
 俺たちの家で二人で食べよう、クルトンのことを思い出したら。
 前のお前は好きだったよな、と多めにたっぷり入れていたことを今みたいに思い出したらな…。



 今日のクルトンは忘れてしまうかもしれないけれど。
 自分もブルーも、また忘れるかもしれないけれど。
 いつか結婚して二人で暮らし始めたらきっと、忘れてもまた思い出す。
 何度忘れても、また思い出して、クルトンを作って、二人で食べて。
 そしてポタージュスープとシーザーサラダが揃う食卓が、定番になってゆくのだろう。
 何度もクルトンを作っている内に、シャングリラの思い出が刻み込まれて。
 子供時代の自分の中にも、前の自分がいたように。
 クルトンが沢山入ったスープが好きだった人を、無意識に真似ていたように。
 その恋人とまた巡り会って、恋をして、共に生きてゆく。
 今度こそ二人離れることなく、この青い地球で、しっかりと手を繋ぎ合って…。




           クルトンの記憶・了

※前のブルーが大好きだったクルトン。前のハーレイがブルーにだけ多めに配ったもの。
 残念なことに、今のブルーに好みは継がれていませんでしたが…。いつか二人でたっぷりと。
 ←拍手して下さる方は、こちらからv
 ←聖痕シリーズの書き下ろしショートは、こちらv











※シャングリラ学園シリーズには本編があり、番外編はその続編です。
 バックナンバーはこちらの 「本編」 「番外編」 から御覧になれます。




今年も秋の気配が忍び寄って来ました。やっと残暑にサヨナラなのだ、と思う間もなく急転直下な冷え込みというのが凄いです。週の頭には「暑い」と文句を言っていたのに、昨夜は寒くて上掛けを追加。今日は土曜日、会長さんの家に来てみれば…。
「かみお~ん♪ 寒くなったよね!」
バス停からの道が寒かったでしょ、とホットココアで迎えられるという始末。実際、それが有難いと思う寒さだったのが強烈かも。
「俺としたことがホットココアの一気飲みか…」
コーヒー党なのに、とキース君が嘆きつつも。
「だが、ホッとしたぞ。なにしろ今朝は朝のお勤めがキツくてキツくて…」
「あー、分かるぜ…。寒いもんなあ」
本堂はきっと冷えるよな、とサム君が言えば。
「それもなんだが、花入れの水を取り替えたりといった水仕事がなあ…。これからどんどん辛くなってくるな、まあ、その内に慣れるんだが…」
冬になる頃には慣れっこの筈だがそれまでが辛い、とお坊さんならではの泣き言が。私たちにとっては他人事ですし、「頑張れ」と無責任に励ますだけで午前のティータイムに突入しました。それにしても寒い、なんて言い合う間にお昼時で。
「お昼、フカヒレラーメンにしたよ!」
冷えるもんね、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」。大歓声でダイニングに移動、熱々のフカヒレラーメンを啜り、大満足でリビングに戻って「こんな生活なら寒すぎる秋もいいな」なんて話していると。
「こんにちはーっ!」
「「「!!?」」」
誰だ、と振り返った先に私服のソルジャー。お出掛け前か、お出掛けの後かが問題ですが…。
「えっ、ぼくかい? デートの帰りに決まってるじゃないか!」
ノルディとランチだったのだ、と悪びれもせずに報告すると、空いていたソファにストンと腰を下ろして。
「ぶるぅ、ぼくにも何か飲み物! 甘いのがいいな!」
「オッケー、ホットココアでいい?」
「ホイップクリームたっぷりで!」
今日はそういう気分なんだ、と言っていますが、ソルジャーは元々甘いものが好き。甘いお菓子に目が無いですから、別に驚いたりはしませんとも…。



ソルジャーの乱入も別段珍しいことではないから、と食後のお茶を続行していると、ホットココアの出来上がり。受け取ったソルジャーはコクリと一口、如何にも甘そうなココアを飲むと。
「ブルーは甘いものは好きだったっけ?」
「え、ぼく? 嫌いじゃないけど?」
それが何か、と会長さん。
「フカヒレラーメンの後に君のみたいなココアは如何なものか、ってコトでジャスミンティーを飲んでいるだけで、甘い飲み物も大好きだけどね?」
「甘いお菓子も?」
「もちろん好きだよ、でないとぶるぅも腕の奮い甲斐が半減だよ」
お菓子作りが大好きだしね、と会長さんが答える隣で「そるじゃぁ・ぶるぅ」が。
「ぼくのお菓子の試食係はブルーなの! いつも色々食べてくれるの!」
「ほらね、ぶるぅもそう言ってるだろ?」
「それは良かった。甘いものは嫌だと言われちゃったらどうしようかと…」
「君のおやつが無くなるとでも?」
そういう心配は無用だから、と返されたソルジャーは「そうじゃなくって!」と。
「甘い生活っていうのもいいよね、と思っちゃってさ」
「「「甘い生活?」」」
「うん。毎日がうんと甘い生活!」
ドルチェ・ヴィータと言うらしいのだ、とソルジャーは耳慣れない言葉を口にしました。ドルチェ・ヴィータって何ですか、それ?
「ドルチェは「甘い」って意味らしいんだよ、音楽用語でもあるって聞いたね」
「「「へえ…」」」
それは学校では習わないな、と音楽の授業を思い返してみる私たち。それとも高校一年生の授業範囲ではないというだけで、上の学年なら習ってますか?
「習わないけど?」
会長さんが即答しました。誰の心が零れてたんだか、ナイス・フォローに感謝です。ソルジャーの方は全く気にせず。
「習うかどうかはともかく、音楽! もっと甘く、って時にドルチェという指示!」
「「「ふうん…?」」」
ソルジャー、今日はデートついでに音楽鑑賞もしたのでしょうか? 生演奏を聴きながらフルコースを食べるっていう豪華なプランもあるそうですしね?



ドルチェだかドルチェ・ヴィータだか。仕入れ立てらしい知識を披露するソルジャーに、会長さんが「今日は音楽鑑賞かい?」と質問すると。
「ただのランチだけど? ああ、もちろんフルコースを御馳走になったけれどね!」
「それじゃ、何処からドルチェなんて…」
「ノルディの理想ってヤツらしいよ? ドルチェ・ヴィータが」
それでドルチェから教えて貰った、とソルジャーは胸を張りました。
「どうせだったら知識は多い方がいいでしょう、っていうのがノルディの信条で…。あれはインテリって言うのかな? 博識だよねえ、流石は遊び人!」
「まあねえ…。知識不足だと歓迎されないからねえ、遊び人はね」
会長さんが頷きましたが、遊び人ってそういうものですか? 知識も必須?
「そうだね、少なくともノルディが行くような高級な店だとそうなってくるね」
「かみお~ん♪ ブルーだっていつも言ってるよ! 自分だけ遊んじゃ駄目なんだよ、って!」
舞妓さんたちも楽しませてあげないとダメなんだって、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」。
「えっと、えっとね…。自分も一緒に歌を歌ったり、楽器を弾いたり…。そういうのが無理なら、お喋りが上手くないと歓迎されない、って言ったかなあ…?」
「「「ええっ!?」」」
そ、そこまで要求されるんですか、遊び人って? 歌に楽器にお喋りですって?
「そうだけど? ぼくの場合はお喋り専門。その気になったら歌や楽器も出来るけどねえ…」
柄じゃないしね、と会長さん。じゃあ、エロドクターもそういったスキルを持ってると?
「持ってるようだよ、専門はトークの方だけれどね。頼まれればピアノも弾くらしい」
「「「うわー…」」」
エロドクターのスキル、恐るべし。ソルジャーに音楽用語を教えるわけだ、と納得です。ドルチェでしたっけか、それのどの辺が理想だと?
「音楽じゃなくて、ドルチェ・ヴィータの方だってば! 甘い生活!」
其処を間違えないように、とソルジャーに指摘されました。
「ノルディはそれを夢見ていると言っていたねえ、ラ・ヴィ・アン・ローズは間に合ってるとか」
「「「ラ・ヴィ・アン・ローズ?」」」
なんじゃそりゃ、と思わず復唱。それも音楽用語でしたか、ラ・ヴィ・アン・ローズって聞いたことがあるような無かったような…。
「薔薇色の人生って意味らしいけど?」
音楽は関係なくってね、と言うソルジャー。そういうタイトルの歌だの曲だのはあるそうですけど、音楽用語じゃないそうです、はい~。



ドルチェ・ヴィータの次はラ・ヴィ・アン・ローズ。薔薇色の人生って意味らしいですが、エロドクターは間に合っているという話。夢見ているのがドルチェ・ヴィータ…?
「そう、ドルチェ・ヴィータ。ラ・ヴィ・アン・ローズは既にゲット済みってことらしくって」
毎日が薔薇色、とソルジャーはエロドクターの人生の充実っぷりを語りました。お金持ちで大きな邸宅に住んで、あちこちで美少年やら美形の男性やらを口説いて回って、人生、薔薇色。まさにラ・ヴィ・アン・ローズという話ですが、それなのに夢がまだあると…?
「足りないらしいよ、人生に愛と幸せが。それでドルチェ・ヴィータ」
甘い生活に憧れるらしい、とソルジャーは残ったホットココアを飲み干し、おかわりを希望。ちょうどいいから、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」がタルトを切ってきてくれました。アーモンド粉がたっぷりのスポンジに松の実を乗っけて焼き上げたタルト、ラズベリーのジャムがアクセントです。
「「「美味しい!」」」
「でしょ、でしょ~! ちょっと秋らしく松の実なの!」
秋にはナッツ、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」。収穫の秋にナッツは似合う気がします。スポンジの方もしっとり甘くて美味しくて…。
「まさにドルチェだね、このタルト」
いいね、とソルジャーがタルトを切って頬張りながら。
「ノルディの人生にはこういう甘さが、ドルチェが足りない。だからドルチェ・ヴィータな甘い生活にはなってくれなくて、これからの季節、その侘しさが身に染みるとか…」
「「「???」」」
「分からないかな、ノルディの好みは色々あれども、本当に惚れててゲットしたいのはブルーなんだよ! それが全く振り向かないから、代わりにぼくとデートなわけで…」
「「「あー…」」」
そっちか、と理解出来ました。会長さんと二人で暮らす甘い生活、ドルチェな生活。それがエロドクター御希望のドルチェ・ヴィータで、ラ・ヴィ・アン・ローズでは足りないと…。
「そういうこと! 今日のランチの話題がそれでさ、何度も溜息をついていたけど、ぼくは結婚しちゃった身だし…。ブルーもノルディに嫁入るつもりは無いだろうしね?」
「あるわけないだろ、なんでノルディと!」
「ハーレイの方は?」
「そっちも絶対、お断りだよ!」
ぼくはとっくに間に合っている、と会長さんは言い放ちました。フィシスさんとの甘い生活、ドルチェ・ヴィータはゲット済み。人生の方も毎日が薔薇色、ラ・ヴィ・アン・ローズで何の不自由もしていないのだ、と。



「これ以上のドルチェ・ヴィータもラ・ヴィ・アン・ローズも要らないねえ…」
もう充分に満足だから、と答えた会長さんですが。
「うーん…。君は満足なんだろうけど、ノルディはともかく、ハーレイがねえ…。人恋しい秋で、最近は急に冷え込んだって? 良くないねえ…」
ドルチェな生活が欲しいだろうに、とソルジャーの方も譲らなくって。
「この際、秋冬限定のボランティアでもいいからさ! ハーレイの家で甘い生活!」
「秋冬限定だなんて、お菓子とかでもあるまいし!」
なんでぼくが、と会長さんは不機嫌そうに。
「そもそもハーレイに甲斐性が無いから未だに独り身、寂しい独身男なわけで! なんでぼくからボランティアだと行ってあげなきゃいけないのさ!」
「やっぱり駄目かい? 甘いものは好きだと言ってたくせに」
「間に合ってるとも言っただろう!」
ぼくのドルチェ・ヴィータは充実の日々、と会長さん。
「此処の連中と遊んでない時はフィシスとデートで、夜ももちろん! これ以上を望んでどうすると! 君と同じで満足なんだよ、自分のパートナーっていうヤツには!」
結婚していないというだけなのだ、とフィシスさんとの愛の絆の確かさを熱く語ってますけど、なにしろシャングリラ・ジゴロ・ブルーです。遊びたいから結婚しないのか、高校生を続けたいから結婚しないのか、その辺りは謎。
「えっ? 女神は結婚なんていう俗なものとは無縁なんだよ」
「「「………」」」
そういえばコレが定番だった、と久々に聞いた決まり文句。ともあれ、フィシスさんで甘い生活が足りているなら、教頭先生の出番なんぞは全く皆無で、あるわけが無くて。
「こっちのハーレイ、ホントに気の毒なんだけどねえ…」
「ぼくはどうでもいいんだよ! ハーレイなんかは!」
君と違って健全な思考と精神を持っているものだから、と一刀両断。
「ハーレイの面倒を見たいんだったら、君が見てやれと言いたいけどね! 君の場合は面倒の見すぎでロクな方へと向かわないから、そっちも禁止!」
「えーっ!? ぼくがボランティアで面倒を見るのも駄目なのかい?」
「絶対、禁止!」
ハーレイに餌を与えるな、と会長さんはガッチリと釘を刺しました。ただでも人恋しくなる季節が来るのに、ドルチェ・ヴィータを味わわせるなど論外だ、と。



「駄目かあ…。ちょっと憧れないでもなかったんだけどな…」
ドルチェ・ヴィータ、とソルジャーの口から妙な言葉が。甘い生活、結婚していてバカップルなソルジャーも充実していそうなのに、どうして憧れるんでしょう?
「え、だって。ぼくとハーレイ、結婚していることも内緒だからねえ…」
結婚生活どころか愛の巣も無くて、とソルジャーは溜息をつきました。
「ぼくの青の間は結婚前から何も変わらないし、ドルチェ・ヴィータが目に見える形にならないんだよ! いわゆる新居ってヤツが無いから!」
「今更、新居も何も無いだろ?」
結婚してから何年経っているんだっけ、と会長さんが突っ込んだのに。
「其処は年数、無関係だから! ノルディが言うには、永遠のドルチェ・ヴィータだから!」
甘い生活は永遠なのだ、と流石のバカップルぶり。お互いに熱く惚れている限りは甘い生活、それに相応しい家やベッドも欲しくなるのだ、と言い出して…。
「こっちのハーレイの家でだったら揃いそうだな、って…。だから憧れ」
「揃ったとしても、君のハーレイの家じゃないだろう!」
そもそもハーレイが別物だから、と会長さん。
「それともアレかい、君はカッコウをやらかそうとでも言うのかい?」
「カッコウ?」
「鳥のカッコウだよ!」
知っているだろ、と出て来たカッコウ。カッコー、と鳴くアレでしょうけど、何故にカッコウ? ソルジャーもそう思ったらしく。
「なんでカッコウ? ぼくにカッコウの知り合いなんかはいないけど?」
「カッコウの真似をやらかすのか、って訊いてるんだよ!」
あれは托卵をするからね、と会長さんはカッコウの習性なるものを話し始めました。自分で子育ては面倒だから、と他の鳥の巣に卵を産んで放置のカッコウ。産みの親とは種類まで違う鳥に温められて孵ったヒナは、他の卵をポイポイと巣の外へ。
「卵を上手く捨てられるように、背中に窪みまでついてるそうだよ、カッコウのヒナは」
「「「窪み…」」」
卵を放り出すためにだけ、背中に窪み。何処まで厚かましい鳥なのだ、と思いますけど、それがカッコウ。他の鳥の巣にドカンと居座り、餌を貰って巣立ちしたならサヨウナラ。
「君はそういうのをやらかす気かい、と言ったんだけれど?」
どうなんだい、と会長さん。えーっと、ソルジャーがカッコウを真似たらどうなると…?



訊かれた当のソルジャーでさえも面食らっているカッコウ発言。どう真似るのか、と怪訝そうで。
「…ぼくはとっくに育っているから、ハーレイに育てて貰わなくてもいいんだけれど…」
「そうだろうねえ、それは図太く、ふてぶてしく育っているようだねえ?」
この上もなく、と会長さん。
「まるで無関係なぼくにドルチェ・ヴィータだの何だのとボランティアに行けと言い出すくらいの無神経さ! 結婚している相手がいながら、自分が行ってもいいだとか! 行きたいだとか!」
でもカッコウを真似るなら話は分かる、と会長さんは続けました。
「こっちのハーレイの家に出入りしながら、ああだこうだと自分の好みを取り入れまくって、憧れの新居とやらを仕上げて…。それからハーレイを放り出すなら理解できるね」
「放り出すだって? ぼくがこっちのハーレイを?」
「なんだ、違うわけ? 出来上がった新居を乗っ取っちゃって、君のハーレイと暮らそうってわけではなかったんだ?」
そっちだったら応援したのに、と会長さんは恐ろしいことをサラッと口に。
「そういうカッコウ計画だったら止めはしないし、ぼくも応援するんだけどねえ?」
「…ハーレイを騙して放り出せと? カッコウみたいに?」
「そう! カッコウの卵は喋らないけど、君は巧みに喋れるだろう? 上手く騙して自分好みの新居を作らせて、用済みになったら巣の外へポイと!」
外へ捨てたら代わりに君のハーレイを呼べ、と会長さんの計画は強烈なもので。
「お、おい…。それじゃ教頭先生は…」
どうなるんだ、と訊いたキース君に対して、アッサリと。
「ホームレスに決まっているじゃないか! 庭にテントを張って暮らすのも良し、寒いんだったら車の中で暮らすというものもいいねえ…」
「「「ほ、ホームレス…」」」
冬に向かおうかという秋なんて時期はホームレスには向きません。せめて夏とか、暖かくなってくる春だとか…、と言いたいですけど、会長さんの場合、思い立ったが吉日で。
「ホームレスに何か問題でも? どうせブルーは直ぐに飽きるし、永遠のホームレス生活が待っているっていうわけでもないしね」
問題無し! という結論。
「それで、君の意見はどうなんだい? ハーレイを騙してドルチェ・ヴィータは?」
「カッコウで甘い生活かあ…」
夢の新居が手に入るのか、とソルジャーの顔は既に夢見る表情で。教頭先生、言葉巧みに騙される道が待ってそうです、甘い生活…。



カッコウよろしく教頭先生の家に出入りし、自分好みに作り上げたら教頭先生を外へポイッと。そうすればキャプテンとの甘い生活が可能とあって、ソルジャーはすっかり乗り気になってしまい。
「いいねえ、君のカッコウ計画! それなら応援してくれるんだね?」
「ぼくに被害が及ばないからね」
たとえハーレイがホームレスになっても放置あるのみ、と会長さん。
「騙されたハーレイは自業自得だし、自分の面倒は自分で見ろと言われても仕方ないだろう。そしてハーレイが騙されてる間は君に夢中で、秋にありがちなラブコールってヤツも今年は来ないと思うから!」
「ああ、なるほど…。人恋しい季節は危険だったね、こっちのハーレイ」
デートしたくなったり色々と…、と頷くソルジャー。
「それじゃ今年の秋対策はぼくにお任せ! カッコウ計画で騙しておくから!」
「よろしく頼むよ、必要だったら口添えしようか?」
「嬉しいねえ! だったらお願いしようかな? こっちのハーレイが怪しまないように」
「オッケー! 今から行くなら全員で口裏を合わせてあげるよ、甘い生活」
ねえ? と私たちの方に視線が向けられ、断れそうもない雰囲気。とはいえ、今回の被害者は一方的に教頭先生、私たちはただの傍観者ですし…。
「ヤバイって予感はしないな、今日は?」
キース君が見回し、シロエ君も。
「そうですねえ…。ぼくたちには対岸の火事ってヤツです、教頭先生の家が隣にあるんだったら大変ですけど」
「だよなあ、誰の家から近いってわけでもねえもんな!」
関係ねえな、とサム君が改めて確認を。教頭先生の家が建っている場所、私たちの中の誰のお隣さんでも無ければ、隣組でもご町内でもありません。庭でホームレスなテント生活をなさっていたって見えもしないし、本当にどうでもいいわけで…。
「よし。対岸どころか彼岸の火事だな」
キース君の例えにプッと吹き出す私たち。対岸だったら煙くらいは見えるでしょうけど、彼岸の火事ならあの世なだけに煙どころか火事になったという事実すらも全く知りようがなくて。
「彼岸だったら無関係だね!」
いいんじゃない? とジョミー君が。私も大いに賛成です。マツカ君も、もちろんスウェナちゃんだって。というわけで…。
「じゃあ、君たちも証人ってことで。甘い生活は素敵ですよ、という件の」
ブルーと一緒に出掛けようか、と会長さん。教頭先生の家にソルジャーなるカッコウが入り込みそうですが、知ったことではございませんです~!



教頭先生の家への出発が決まり、まずは周到に下準備。瞬間移動でのお出掛けですけど、目指すは甘い生活、ドルチェ・ヴィータというだけに…。
「ハーレイが仰け反るパターンは回避するのがベストだろうね」
礼儀正しく訪問せねば、と会長さんの論。思念波どころか、なんと電話のご登場。会長さん好みのレトロな電話機、ダイヤル式に見えてはいても短縮番号で一発、発信。ただし受話器は「そるじゃぁ・ぶるぅ」が握っていて…。
「かみお~ん♪ もしもし、ハーレイ? あのね…。えとえと、今から行ってもいい?」
みんないるの、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」は説明しました。いつもの面子とソルジャーなのだと、これから出掛けて行ってもいいか、と。
「えっ、大丈夫? うん、分かった!」
チンッ! と受話器を置いた「そるじゃぁ・ぶるぅ」は「五分後だって!」と元気な声で。
「えっとね、お片付けをして待っているから、五分経ったら来て下さい、って!」
「お片付けねえ…」
全く散らかっていないようだけれども、と会長さん。
「何に五分も…って。ああ、トイレかな?」
「ぼくは身だしなみってヤツだと見たね」
もちろんトイレにも行くだろうけど、とソルジャーも教頭先生の家がある方向へ視線をやって。
「先にトイレか…。うん、あのトイレにも素敵なカバーをかけたいねえ…」
「そういうグッズはハーレイが豊富に揃えているよ、多分」
「それは君との結婚生活に備えてだろう? そんなお宝、出してくれるかな?」
「宝の持ち腐れになるよりいいだろ、布とかだって経年劣化というものが…ね」
恐らく気前よく出すであろう、と会長さんは読んでいました。死蔵するより使ってなんぼで、使ってしまえば補充してなんぼ。
「だからね、リネン類とかも! 君の気に入ったものがあったらバンバン頼む!」
「とことん毟っていいのかい?」
「どうせ置いておいても劣化しちゃって、買い替える羽目になるんだからね」
今までだってそうだったのだ、と言われてビックリ、初めて知った教頭先生の夢と律儀さ。会長さんとの結婚生活に備えて買い揃えているガウンやネグリジェなんかも入れ替えしているらしいです。衣替えのついでにチェックしてみて、せっせと買い替え。
「じゃあ、古いのは?」
捨ててるのかな、とジョミー君が訊くと。
「バザーに寄付しているようだよ? 質がいいだけに、人気商品」
「「「うーん…」」」
捨てる神あれば拾う神あり、教頭先生が買い集めたグッズ、慈善バザーに大いに貢献しているようです。買って行く人、まさかそういう裏があるとは知らないでしょうね…。



キッチリ五分後、会長さんとソルジャー、「そるじゃぁ・ぶるぅ」の青いサイオンに包まれ、瞬間移動。教頭先生の家のリビングに全員でパッと出現しましたが、予告してあっただけに向こうも余裕たっぷりです。髪の毛もきちんと撫でつけてあって。
「ようこそいらっしゃいました」
ソルジャーに挨拶をして、私たちにも「よく来たな」と。
「何をお飲みになりますか? …ああ、ブルーたちも好きなのを」
「ホットココアはあるのかな? うんと甘いのがいいんだけど…」
ホイップクリームもあるといいな、というソルジャーの注文に教頭先生は見事に応えました。御自分は甘いものが苦手なくせに、ホイップクリーム入りのホットココアを手際よく。もちろん私たちが好き勝手に注文したコーヒーや紅茶なんかも出揃って…。
「すみません。お菓子がこれしかありませんで…」
「上等じゃないか、フルーツケーキ!」
美味しいんだよね、とソルジャーは見るなり御機嫌です。日持ちするからと教頭先生が買っておくお菓子の中では大当たりの部類、ドライフルーツがずっしり詰まったフルーツケーキ。それに早速フォークを入れながら、ソルジャーが。
「これも美味しいけど、明日からはもっと甘いのがあると嬉しいんだけど…」
「は?」
「明日からだよ! 実はね、君にドルチェ・ヴィータを提供したくて」
「ドルチェ…ヴィータ…?」
何ですか、と尋ねる教頭先生は遊び人ではありませんでした。古典の教師だけに音楽の方もサッパリですから、ドルチェ・ヴィータで何が閃くわけでもなくて。
「分からない? ドルチェは甘いって意味の言葉で、ドルチェ・ヴィータで甘い生活!」
「甘い生活…。し、しかし、私は甘いものは…!」
「苦手だって? 食べ物じゃなくて生活でも?」
「生活…ですか?」
まるで分かっていない教頭先生に、ソルジャーは指をチッチッと。
「今日、ノルディとランチに出掛けたんだけど…。そのノルディの夢がドルチェ・ヴィータで、ブルーとの甘い生活なんだ。君もそういう甘さの方なら好きじゃないかと」
「ブルーと? …ブルーとの甘い生活ですか!?」
「そうなんだよねえ、ブルーそのものは無理っぽいけど」
本人に却下されちゃって、と舌をペロリと出したソルジャー。
「だから代わりにぼくでどうかな、甘い生活。人恋しい秋にドルチェ・ヴィータ!」
それを提案しに来たんだけれど、とパチンとウインク。はてさて、教頭先生は…?



「…甘い生活…。ブルーの代わりにあなたとですか…」
そんなことが本当に出来るのでしょうか、と首を傾げながらも教頭先生の頬は微かに染まっていました。甘い生活とやらの中身を考えているに違いありません。
「ぼくとしてはね、趣味と実益を兼ねているんだよ! ハーレイと結婚したのはいいけど、新居ってヤツを持てないし…。その点、君なら素敵な新居をぼくに提供してくれそうだし!」
「し、新居ですか!?」
「うん。ぼくの好みで色々揃えて、これぞ新居だって家が出来たらいいな、と…。それを目指して甘い生活、君と二人であれこれ選んで!」
どう? と艶やかな笑みを浮かべるソルジャー。
「そういう新居が欲しいんだけど、って前から思っていたんだよ。其処へノルディがドルチェ・ヴィータって言葉を教えてくれてさ、閃いたんだよね、君の家なら出来るかも、って!」
そうだったよねえ? と私たちの方を振り返られて、「はいっ!」とばかりに首を縦に。どうせ彼岸の火事なのです。ソルジャーのお気に召すまま、望むまま。教頭先生は目を丸くして。
「ほ、本当に私の家でよろしいのですか?」
「君の家だからこそ出来るんだよ! どうかな、明日から君と二人で!」
甘い生活を始めようじゃないか、とソルジャーに言われた教頭先生、ポーッとした顔で。
「あ、あなたと二人で…」
「そうだよ、愛の共同生活! もっとも、ぼくも忙しい身だし、そうゆっくりは出来ないけれど…。必要なものを買いに行くとか、選ぶとか。そういう時間は取れるようにするよ」
もちろん君さえ良かったらだけど、と付け加えるのをソルジャーは忘れませんでした。バカップルでも恋の駆け引きウン十年だか、何百年だか。殺し文句を放つタイミングは実に見事で、教頭先生は深く考えもせずに。
「よ、良かったらも何も、大歓迎です!」
是非来て下さい、とガバッと頭を。
「私の一番はブルーで間違いないのですが…。初めてはブルーと決めていますが、そこまで仰って頂けるのなら、す、少しくらいは譲っても…!」
「決まりだね? ぼくと二人の甘い生活、してくれるんだね?」
「喜んで!」
明日からと言わず今日からでも! と教頭先生は胸を叩いて、ソルジャーと二人の甘い生活、ドルチェ・ヴィータが決定しました。いいんですかね、そのソルジャーは実はカッコウなんですが…。夢の新居が出来上がった時は教頭先生をポイと捨てる気ですが…?



ソルジャーが本当は何を考えているか、ドルチェ・ヴィータなんて嘘八百でキャプテンと暮らす新居が欲しいだけだなんていう真実をバラす馬鹿は一人もいませんでした。私たちはフルーツケーキを美味しく御馳走になって、瞬間移動で帰って来て。
「よーし、明日から夢の新居を実現ってね!」
頑張るぞ、とソルジャーが拳を握っています。
「ブルーが言ってた通りだったよ、あの家、ホントに宝の山だよ! トイレのカバーから部屋のカーテン、その他もろもろ揃ってるってね!」
思い切り新婚向けっぽいのが、と満面の笑顔。
「ああいったヤツを活用しながら、家具とかも買い替えていきたいけれど…。流石にマズイか…」
「ずうっと住もうって言うんだったら止めないけどねえ…」
飽きたら青の間に帰るんだろう、という会長さんの指摘にソルジャーは「うん」と。
「こっちの世界に住み着くわけにもいかないし…。だから家具類までは無理かな。それにこっちのハーレイにしても、家具は君と二人で買いたいだろうしね」
特に愛を育むためのベッドは! という言葉に、会長さんが顔を顰めて。
「ぼくにそういう趣味は無いから! 今、ハーレイが買い揃えているリネン類だけでも充分、悪趣味だと前から思っているから!」
「そうなのかい? いいと思うけどねえ、フリルやレースがたっぷりなのも…」
あの辺りのは明日にでも引っ張り出そう、とソルジャーは瞳を煌めかせています。
「ぼくの好みにピッタリのヤツもありそうだ。これぞ新婚! っていう雰囲気のが!」
でも足りない、と不穏な台詞も。
「あらかじめ買ってあったのを使うだけでは物足りない。洗い替え用とかも沢山要るしね、店はハーレイが詳しそうだから、明日の午後には買い出し第一弾だよ!」
二人であれこれ見て歩くのだ、とニコニコニッコリ。
「これがホントのボランティア! ハーレイとしっかり腕を組んでさ、どれがいいかなと見て回るんだ。気に入ったのがあればお買い上げ! そうやって甘い生活を!」
明日も、明後日も、その次も! とブチ上げるソルジャーは極悪なカッコウと化していました。教頭先生が買い集めた分を使うだけならまだ可愛いのに、足りないからと買わせるつもりです。リネン類とか、カーテンだとか、他にも色々…。
「いけないかい? ハーレイが幸せに買い物するなら問題ないと思うけど?」
「無いねえ、ハーレイが自分で選んだ道だしね?」
あのスケベが、と会長さんが吐き捨てるように。そういえば教頭先生、「少しくらいは譲っても」とか言ってましたね、あわよくばソルジャーを食べる気ですねえ、ヘタレのくせに…。



こうしてソルジャーのカッコウ計画がスタートしました。翌日の日曜日、会長さんのマンションに出掛けてゆくと、会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」が中継画面をリビングに用意して出迎えてくれて、「さあ、どうぞ」と。
「まあ、見てよ。朝も早くからこうなんだよねえ…」
「かみお~ん♪ 全部、ハーレイのコレクションなの!」
画面に大きく映し出された教頭先生の家の寝室。其処の床にドッサリと広げられているリネン類。白にピンクに、可憐な小花模様とか。フリルやレースをふんだんに使ったものやら、贅沢に刺繍がしてあるものやら。
「これなんかどうかな、ぼくの肌によく似合いそう?」
ソルジャーがマントよろしく一枚羽織って、教頭先生が「素晴らしいです…」と鼻の下を伸ばし。
「どれもお似合いです、ブルーのためにと買い集めた甲斐がありましたよ」
「そう言われると嬉しいねえ…。ぼくとしてはさ、もっと他にも選びたい気分なんだけど…」
これだけあるのに厚かましいかな? と小首を傾げたソルジャーが放ったおねだり目線に教頭先生はハートを射抜かれたらしく。
「それならば、買いに行きましょう! 昼食がてら、是非とも二人で!」
「いいね! それなら他にも買ってみたいな、新居に相応しい色々なものを二人でね」
時間をかけてゆっくり探そう、とソルジャーは別の一枚を取り上げて身体にフワリと巻き付けて。
「カーテンだとか、トイレのカバーだとか…。少しずつ揃えていくのもいいねえ、吟味しながら二人でね」
「そうですねえ…。遅くまでやっている店もありますし、二人で毎日出掛けてみましょう」
「もちろん夕食も一緒に…だね?」
「ええ!」
仕事は早めに終わらせます、と教頭先生は燃えていました。ソルジャーが厚かましいカッコウとも知らず、お好みの品を揃えて新居を完成させるのだと。
「見事に家が出来上がったら、そのぅ…。あなたとの甘い生活も…」
「より甘くなるかもしれないねえ? 君さえヘタレていなかったらね」
「頑張りますとも!」
ブルーとの甘い生活に備えて予行演習だと思っておきます、と教頭先生はすっかり本気。ソルジャーとの甘い生活とやらで新居に相応しい品を揃えて、それにどっぷり浸るのだと。ヘタレじゃ最初から無理っぽいのですが、それ以前にソルジャー、カッコウですしね…?



それから毎日、来る日も来る日も、教頭先生はソルジャーとデート。二人で外食、新居のためのお買い物。あれこれ揃えて、とうとうソルジャー好みの品々が集まったようで…。
「今日はこれから、ハーレイと模様替えなんだよ!」
とある土曜日、ソルジャーが会長さんの家に揃っていた私たちの前に現れました。
「アイテムは全部揃ったからねえ、後は取り替えるだけってね! 甘い生活の総仕上げなんだ、二人でカーテンもベッドカバーも、それにシーツも枕カバーも、全部交換!」
力仕事はこっちのハーレイにやらせないと…、とソルジャーはニヤリ。
「完成したらハーレイはお役御免なんだよ、ぼくのハーレイを呼ばなきゃいけないからね!」
そのために土曜日を選んだのだ、と極悪な笑みが。
「しっかり特別休暇が取れる日! もう思いっ切り楽しまなくちゃ!」
「…で、ハーレイは家から放り出されるわけだね」
「もちろんさ! カッコウってそういう生き方なんだろ、君もお勧めの!」
「巣を乗っ取るんだから、そんなものだね。あ、そうだ。ハーレイを放り出す時は…」
財布くらいはつけてやって、と会長さん。
「それと車のキーとだね。それがあったら何とかなるだろ、ホームレスでも」
「安心してよ、学校に着て行くスーツとか下着類くらいはお情けで投げてあげるから!」
ただしクリーニングのサービスは無し、とソルジャーはキッパリ言い切りました。
「今日まで甘い生活をたっぷり提供してあげたんだし、ぼくの役目はそこまでなんだよ」
「かみお~ん♪ ハーレイ、ホームレスになるの?」
「どうなんだか…。ケチりさえしなきゃ、ビジネスホテルに泊まるお金はある筈だけどね?」
だけど当分、家ってヤツは無くなるねえ…、と会長さんはクスクスと。
「でも本望だろ、これから夢の新居が実現するんだし! 自分の手でね!」
「そこはぼくとの共同作業と言ってよ、甘い生活の最終段階!」
じゃあ、行って来まーす! とソルジャーの姿がパッと消え失せ、代わりに会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」が中継画面を用意して…。
「ブルー、トイレのカバーはこれでしたね?」
「そうだよ、トイレが済んだら次はカーテン!」
「最後がベッドルームでしたね、今日は二人で頑張りましょう!」
「うん、もちろん。甘い生活を楽しまなくちゃね、君と二人でたっぷりとね…」
愛しているよ、と熱く囁かれて教頭先生は耳の先まで真っ赤ですが。甘い生活、もうすぐ終わりが来るんですけど…。カッコウなソルジャーに放り出されて代わりにキャプテンが暮らすんですけど、分かってますか? 甘い生活、暗転するまでお楽しみになって下さいね~!





          夢の甘い生活・了

※いつもシャングリラ学園を御贔屓下さってありがとうございます。
 ソルジャーの夢の甘い生活。実現するためにはカッコウになって教頭先生の家を乗っ取り。
 そうとも知らない教頭先生の方も、甘い夢を描いたようですが…。お気の毒としか…。
 シャングリラ学園は、去る4月2日で連載開始から11周年になりました。なんと11周年。
 アニテラは4月7日で放映開始から12周年、つまり干支が一周したという…。
 更に新元号まで発表、二つの元号をまたいで書くことになってしまって、自分でもビックリ。
 次回は 「第3月曜」 5月20日の更新となります、よろしくです~!

※毎日更新な 『シャングリラ学園生徒会室』 はスマホ・携帯にも対応しております。
 こちらでの場外編、4月は、マツカ君の別荘でお花見。花板さんの御馳走つきですけど…。
 ←シャングリラ学園生徒会室は、こちらからv









(んーと…)
 こんなのは貰ったことがない、とブルーが眺めた広告の写真。
 学校から帰って、おやつの時間。ダイニングのテーブルに置かれた新聞、それの広告。リボンで包装されたプレゼント用の箱、それがブルーの目を引いた。
 高価なものやら特別なプレゼントの類ではなくて、ただのお菓子の広告だけれど。様々な種類の菓子と一緒に写っている箱入り、それを引き立てるプレゼント用。
 店のロゴ入りの包装紙で綺麗に包まれ、かけてあるリボン。そのリボンにも店のロゴが刷られているというのがお洒落でいい。同じお菓子でも少し特別、そんな感じがするギフト。
 広告の写真は、きっと中身は空だろうけれど。撮影用の箱で、中にお菓子は無いだろうけれど。



(ハーレイ、お土産はくれるけど…)
 たまに貰える、お菓子や食べ物。「近所の店で売っていたから」と買って来てくれたり、前世の記憶を思い出したから、と引き金になったものを持って来てくれたり。
 お菓子も食べ物も、ハーレイの手作りは決して無いから。「お母さんに気を遣わせるだろ?」と断られるから、どんなものでも「買って来たもの」。何処かの店で。
 この広告の菓子と同じで、プレゼント用にだって出来そうなもの。菓子類は特に。
 けれど、ハーレイがくれるお土産にリボンなんかはかかっていない。せいぜい箱入り、店のロゴつきの紙の箱。包装紙さえも滅多についてはいない。
 こんな風にリボンがかかっていたなら、もうそれだけで特別な気持ちがするのだろうに。
 素敵なものを貰ってしまったと、プレゼントなのだと胸が高鳴るのだろうに。
 たとえ中身がお菓子でも。
 ハーレイと二人で食べてしまったら、半時間もしないで消えるものでも。



 いいな、と広告のお菓子の写真をじっと眺める。けして高くも珍しくもないお菓子。店へ行けば気軽に持ち帰れる菓子、箱入りのだってお小遣いで買える値段の菓子。
 それがリボンと包装紙だけでグンと素敵に見えてくる。プレゼント用だと、特別なのだと。
 もしもハーレイがくれるお土産が、こういう風になっていたなら。包装紙に包まれて、リボンがかかっていたならば。
(…リボンをほどいて、包装紙だって…)
 綺麗に結ばれたリボンを外して、中のお菓子が傾かないよう、注意しながら剥がす包装紙。
 きっとドキドキするに違いない、中身はお菓子だと分かっていても。
 包装紙はともかく、その前にほどく飾りのリボン。ほどいたら元のとおりには結べないリボン、キュッと結んであるリボン。
 それをワクワクほどいてみたい。これをほどいたら何が出てくるかと、プレゼントだからリボンつきだと、心を躍らせながら、そうっと。



 なのに一度も貰ってはいない、リボンがかかったお菓子の箱。いつも紙箱、包装紙も無し。
(ちょっと包んで来て貰えばいいのに…)
 そういう気持ちが湧き上がってくる、この広告を眺めていたら。とても目を引くお菓子の広告、リボンつきの箱が無ければ「ふうん?」と見ただけで終わりだろうに。お菓子なんだな、と。
 そういう計算も含めて載せてあるのだろう、リボンつきの箱が。華やかに演出するために。
(こんなの、欲しいな…)
 同じお土産なら、ギフト用。贈り物です、と一目で分かるプレゼント用に包装されたもの。
 ハーレイに是非とも持って来て欲しい、こういった感じになっているものを。
 よく貰う食料品店の特設売り場に来ている店では、そこまでのサービスはしていなかもしれないけれど。店のロゴ入りの箱が限界なのかもしれないけれども、一つだけ望みがありそうなもの。
 たまに貰える、ハーレイの家の近所で売られているクッキー。柔道部員の御用達らしい徳用袋が目玉商品、とても美味しいクッキーの店。
 あそこだったら、クッキーの専門店だから。詰め合わせの箱も色々あると聞いているから、店の包装紙も置いているだろう。もしかしたらロゴ入りのリボンだって。
 この家の近くのケーキの店でも、「リボンをおかけしましょうか?」と訊かれたりする。ほんの小さな箱を買っても、自宅用とは限らないから。
(リボンがつくだけで、うんと特別な感じになるんだけどな…)
 赤いリボンでも、ピンク色でも。
 凝ったリボンでなかったとしても、店のロゴなど無かったとしても。



 おやつを食べ終えて、二階の自分の部屋に戻って。
 勉強机の前に座っても、心から消えてくれないリボン。さっき見た広告のリボンつきの箱。
 本当に素敵に思えたから。中身のお菓子の方はともかく、あのリボンをほどいてみたい気がしてたまらないから。
(リボンつきの箱…)
 一度でいいから貰ってみたい。そういった箱をハーレイから。リボンをほどいて開ける何かを。
 いずれやって来る、誕生日になら貰えそうではあるけれど。
 ハーレイの誕生日に二人でお金を出し合って買った羽根ペンの箱がそうだったように、リボンがかかった何かを貰えるとは思うけれども。
(予行演習…)
 一足お先に味わってみたい、ドキドキな気持ちを少し先取り。
 ちょっと特別な気がするプレゼント。ただのお土産でも、リボンをほどいて、包装紙をそうっと剥がして開けて。
 そんなお土産を持って来て欲しい、贅沢を言いはしないから。
 凝ったリボンをかけて欲しいとか、店のロゴつきのお洒落なリボンにしてくれだとか。



(リボンつきのお土産、頼めないかな…)
 柔道部員御用達の店のクッキーでいいから、と考えていたら、チャイムの音。窓に駆け寄ったらハーレイの姿、門扉の向こうで手を振るハーレイ。
 応えて大きく手を振り返しながら、これはチャンスだと嬉しくなった。リボンがかかった何かを頼むには絶好のチャンス、上手くいったら週末に何か貰えるだろうと。
 だから部屋に来たハーレイと二人、テーブルを挟んで向かい合うなり、こう切り出した。紅茶もお菓子もそこそこにして、早速、自分の頼み事を。
「あのね、ハーレイ。リボンをつけて欲しいんだけど…」
 お願い、とペコリと頭を下げたら。
「はあ? …リボンをか?」
 お前の髪にか、と呆れたハーレイ。鳶色の瞳が真ん丸になった。
 「お前、そういう趣味だったのか」と、ポカンとした顔、唖然としているらしい、その表情。
 ハーレイは勝手に勘違いをした、頭を振り振り、ブルーを見ながら呟いた。
「俺の嫁さんになるとは聞いていたがだ、リボンとはなあ…」
 そこまでだとは思いもしなかったぞ、俺も。
 まあ、似合わないこともないだろうしな、リボンも悪くはないんだが…。
 結婚式には頭に花も飾るんだろうが、今からリボンとは恐れ入ったな、つけたいとはな。
「違うよ、ぼくにリボンじゃなくて!」
 つけてくれとは言っていないよ、ぼくの頭には!
 髪飾りのリボンが欲しいんじゃないよ、つけて欲しいだなんて頼んでいないよ…!



 髪につけるリボンじゃなくって、プレゼントにリボン、と強請ってみた。
 いつも貰うお土産にリボンはついていないから、それにリボンが欲しいんだけど、と。
「俺の土産なあ…。そりゃまあ、特設売り場で買ってくるのは本物の店のヤツではあるが…」
 あちこちの有名な店がやっては来るがだ、あそこに店を構えてるわけではないからな?
 一週間ほど来るだけなんだし、そんな所で贈り物用にと買うヤツは多分、少ないだろうし…。
 包装紙はあってもリボンまで持っては来ないだろうなあ、出番が無いしな?
「やっぱり…。でも、クッキーのお店はハーレイの家の近くにあるんでしょ?」
 徳用袋のクッキーのお店、クッキーの専門店だよね?
「ああ、あそこか。…あの店だったら本物だな、うん」
 店でクッキーを焼いてるんだし、昔からあそこにある店だしな。
 分かった、あそこのリボンつきのが欲しい、と。
 次に買って来ることがあったら、そいつにすればいいってことだな。



 クッキーを詰めた袋にリボンを結んだヤツがあるから、それでいいかと訊かれたから。
 袋の口を縛って、リボン。金色のリボンがお洒落なんだぞ、と真顔だから。
「そうじゃなくって、包装紙とリボン!」
 くっついてます、っていうんじゃなくって、ちゃんと結んで欲しいんだよ、リボン!
 詰め合わせの小さな箱でいいから、包んで貰ってリボンをつけて貰ってよ!
 リボンの色はなんでもいいから、金色じゃなくって赤でもピンクでもかまわないから!
「包んで貰って、おまけにリボンって…。いつもの店のクッキーだぞ?」
 おまけに小さな箱でもいいって、なんでそこまでしなくちゃならん。
 クッキーは美味けりゃ充分だろうが、そうでなくても、お前の気に入り、徳用袋だと思ったが?
 デカすぎて食うのに苦労するくせに、俺が柔道部のガキどもに御馳走してるってだけで。
 同じクッキーが食べたいから、って何度も強請った筈だがな、あれを?
 徳用袋にリボンはつかんぞ、それじゃ徳用じゃなくなっちまう。
「分かってるけど、欲しいんだよ! リボンつきのが!」
 ちゃんと包んでリボンもかけてあるのが欲しいよ、徳用袋じゃないクッキーが!
 お店で一番小さい箱でも、そうしてあったら特別って感じがするじゃない!
 ちょっとリボンがかけてあったら、プレゼント用です、って一目で分かるんだから!



 箱にかかったリボンをほどいてみたいのだ、と訴えた。
 リボンをほどいて、それから剥がす包装紙。中から出てくるプレゼント。
 広告の写真が素敵だったと、ただのお菓子の箱だったけれど、とても特別に見えたのだと。
「ああいう箱を開けてみたいよ、リボンがきちんと結んである箱」
 ハーレイからお土産に貰ってみたいよ、ホントに小さなクッキーの箱でかまわないから。
 貰ったんだ、って嬉しくなれるし、リボンをほどいてドキドキ出来るし…。
「ふうむ…。お前の気持ちは分からんでもない、確かにリボンは特別ではある」
 ちょっと結んであっただけでだ、グンと中身が引き立つもんだ。何が入っているか分かっている箱でも、開ける時にワクワクするというのは認めよう。
 お前が欲しがる気持ちは分かるが、お前への土産というのはなあ…。
 俺が土産を提げて来たなら、お母さんだって見るんだしな?
 いつも「買って来ました」と言ってるわけだし、その箱にリボンというのはマズイ。
 中身は大したヤツじゃないです、と説明したって、リボンのせいで立派に見えちまうからな。



 普段の土産にリボンはちょっと…、と渋られた。
 お母さんに気を遣わせてしまうだろうが、と。
「わざわざリボンをかけて来たんだ、特別なものだと思われちまう。御褒美だとかな」
 そうなったら、ただの土産じゃない。それは立派なプレゼントだ。
 お母さんは「何かお返しをしなくては」と思うだろうし、実際、世の中、そうしたもんだ。何か貰ったら、お返しをする。お裾分けでもそうだろうが?
 貰って直ぐに、というわけじゃないが、何かの時に「先日はどうも」と御礼に何か。
 貰いっ放しでかまわないのは、ごくごく親しい間柄ってヤツで…。
 俺とお前は親しいわけだが、お母さんたちにとっては「お世話になってる先生」なんだぞ?
 その俺がお前に特別な何かを持って来たなら、お返しは当然、来るんだろうなあ…。
 どんな形になるかは知らんが、たかが土産の御礼にしては凄すぎるのがな。



「それじゃ、リボンつきの何かをハーレイから貰うっていうのは…」
 駄目だって言うの、ママを困らせてしまうから?
 小さなクッキーの箱でも駄目なの、特別に見えてしまうから…。
「そういうことだな、お前が自分で言ったんだろうが、リボンがついたら特別だと」
 誰が見たって同じってことだ、同じものでもリボンで特別になっちまうんだ。
 「中身はいつものクッキーなんです」と説明しようが、リボンつきで持って来た理由。そいつが何か特別なんだ、と考えるのが普通だろうな。
 お前のお母さんは、お前が俺に褒められるようなことをしたとか、そういう風に思うだろうさ。
 そして御礼をする方向へと行っちまうんだな、俺にそういうつもりが無くても。
「…じゃあ、リボンは…」
 ハーレイ、リボンはくれないっていうの、リボンつきの箱。あれが欲しいのに…。
 ホントにクッキーの箱でいいのに…。
「お前の誕生日プレゼントとなったら、リボンをつけてやってもいいが」
 いや、むしろリボンをつけて当然なのが誕生日なんだし、きちんとリボンをつけて貰うが?
 もちろん包装紙で包んで貰って、「誕生日用です」と立派なリボンを。
「誕生日って…。それまで駄目なの?」
 ちょっとしたお土産にリボンでいいのに、誕生日まではリボンは駄目…?
「まず無理だな」
 理由は説明してやったろうが。
 お前が一人暮らしをしているならともかく、お母さんたちと一緒に暮らしている子供だぞ?
 そこへリボンつきの土産なんかを持って来てみろ、もう間違いなくお返しが来るコースだな。
 俺の帰り際に「どうぞ」と何かを渡されちまうんだ、お母さんから。



 そうなることが分かっているから、リボンがかかった土産はちょっと…、と断られてしまった。
 リボンがついたものは駄目だと、髪にリボンを飾りたいのなら手伝ってやるが、と。
「お前が自分じゃ上手く飾れない、と言うんだったら俺がつけてやろう」
 この辺りがいい、と言われた辺りに結んでやるとか、くっつけるだとか。
 だが、そのリボンも俺はプレゼントしたりはしないからな?
 欲しけりゃ自分で買って来るんだな、結ぶリボンにしても、髪飾りになってるリボンにしても。
「…なんで?」
 ぼくにリボンをくっつけるんなら、ハーレイが買ってくれても良さそうなのに…。
 お菓子と違って小さいから鞄に入ってしまうし、ママだって気が付かないし。
 貰ったんだよ、って得意で見せに行かない限りは、リボン、バレないと思うけど…。
「俺がプレゼントしたんだ、ってことはバレずに済むかもしれないが…」
 お前が引き出しに隠し持ってりゃ、まるでバレないかもしれないんだが…。
 バレても、俺の悪ふざけってことで済まされそうだが、問題は俺の気持ちってヤツだ。
 リボンだの、リボンの髪飾りだの。
 そんなものをお前に贈れはしないな、間違えてもな。



 土産の菓子にリボンをつけて持ってくるより難しいんだ、と苦笑いされた。
 髪の毛につけるリボンはアクセサリーだぞ、と。
「アクセサリーって…。それも駄目なの?」
 リボンのついたお土産よりも難しいだなんて、どうしてなの?
 ママに見付かるわけじゃないんだし、お土産よりも簡単そうに思えるんだけど…。
「駄目だな、アクセサリーってヤツは女性に贈る定番だからな」
 男が意中の女性に何かをプレゼントするなら、かなりの確率でアクセサリーだぞ。小さい上に、それをつけてデートに来て貰えたりしたら嬉しいしな?
 お前は女性ってわけではないがだ、俺の嫁さんになるんだろうが。
 今からアクセサリーなんかを贈ってどうする、気が早いにも程があるってもんだ。
 髪にリボンを飾りたいなら、自分で買え。
 つけるくらいは手伝ってやるから、結ぶリボンでも、リボンを使った髪飾りでもな。
「その趣味は無いよ!」
 結婚式の時にリボンの飾りが似合いそう、っていうんだったらつけるけど…。
 つけてもいいけど、普段からリボンをつけたりしないよ、男なんだし!
 スカートを履いたりしないのと同じで、リボンだってつけたりしないんだから!



 髪にリボンや、リボンの髪飾りは御免だけれど。
 ハーレイがつけてくれると言っても要らないけれども、リボンは欲しい。包装紙に包まれた箱にかけられたリボン、そういうリボンは欲しいから。
「…リボンつきの何か…。誕生日にはくれるんだよね?」
 ちゃんとリボンがかかっている箱、プレゼントしてくれるんだよね…?
「お前が欲しいと言うのならな」
 リボンの他にもラッピングってヤツは色々あるがだ、お前はリボンがいいんだな?
 凝った包装紙で包んであるとか、凝った箱入りとか、そういうのよりもリボンがいい、と。
「絶対、リボン!」
 箱とか包装紙が凝っていたって、リボンが無ければつまらないよ!
 開ける時のドキドキは、多分、リボンが一番だもの…!
 普段からリボンつきのを貰っているなら、違うのがいいって思うかもだけど…。
 ぼくは一度も貰っていないし、リボンつきのが欲しいんだよ!
 リボンをほどく時のドキドキ、それが欲しくてリボンだって言っているんだから…!



 そう叫んでから気が付いた。
 リボンをほどいて開けるもの。キュッと結ばれたリボンをほどいて、中の何かを取り出すもの。
 今の自分も一度も貰っていないけれども、前の自分も貰っていない、と。
 三百年以上も生きていたのに、ハーレイと共に暮らしていたのに、ただの一度も。あの白い船でそれを貰いはしなかった。リボンのかかった贈り物を。
「…ハーレイ、リボンの話だけれど…。ぼくも貰っていないけど…」
 前のぼくも一度も貰っていないよ、リボンのかかったプレゼントは何も。
 ハーレイから一度も貰わなかったよ、ずうっと一緒の船にいたのに。恋人同士だったのに…。
「…そういえば…」
 俺にも全く記憶が無いなあ、前のお前にリボンつきの何かを渡した記憶。
 お前が言うまで綺麗サッパリ忘れちまってたが、いつもリボンは無しだったよなあ…。



 白いシャングリラで暮らしていた頃、ハーレイと恋人同士だった頃。
 毎晩のように一緒に眠って、今よりも距離が近かったのに。本物の恋人同士だったというのに、リボンどころかプレゼント自体を殆ど貰っていなかった。
 自給自足の船の中では、今のように気軽に買いに行けるわけではなかったから。どんな物資も、船の中だけで賄うもの。目新しい何かがあるわけでもなくて、珍しいものもあるわけがなくて。
 前のハーレイから貰ったものと言ったら、木彫りのスプーンくらいなもの。木彫りが趣味だったハーレイの最初の作品、下手だと評判だった腕前にしてはマシな部類だった実用品。
 それをプレゼントされたけれども、リボンはかかっていなかった。箱もついてはいなかった。
 「こういうのを作ってみたのですが」と渡されただけ。
 「よろしかったらお使い下さい」と、「木はしっかりと乾いていますから、丈夫ですよ」と。
 青の間で愛用していたけれど、木の温もりが優しいスプーンだったけども。
 ハーレイに貰った、と顔が綻ぶスプーンだったけれど、無かった箱。ほどかなかったリボン。
 せっかくのプレゼントだったのに。
 買ったものではなくて手作り、最高の贈り物だったのに…。
 他にも何か貰っていただろうけれど、リボンの記憶は一つも無いから。ドキドキしながら開けた記憶は何処にも無いから、ハーレイも「いつもリボンは無しだった」などと言っているから…。



「…どうしてリボンをかけてくれなかったの?」
 今のハーレイなら仕方ないけど、前のハーレイなら出来たのに…。
 ぼくの所にプレゼントを持って来たって、誰も見る人はいなかったんだし…。前のぼくが一人で開けるだけなのに、どうしてリボンは無しだったの…?
 ハーレイが作ったスプーンだってリボンも箱も無しだったよ。今のハーレイがくれるんだったら箱もリボンもつきそうなのに…。
 「俺が作ったスプーンなんだぞ」って、わざわざ何処かで包んで貰って来そうなのに。もちろんリボンもつけて貰って、綺麗な箱まで買って来ちゃって。
「…すまん、そういう発想が無かった」
 今の俺なら、お前が言った通りに得意満面で包んで貰ってくるんだろうが…。
 その手の店も色々あるしな、アレにピッタリの箱を選んで貰って、似合いの紙とリボンを使って綺麗に包んで貰うんだろうが…。
 前の俺には、贈り物にはリボンだという考えが全く無かったんだ。
 渡せばそれで充分だろうと、心はきちんと伝わる筈だと思っていたのが前の俺だな。贈り物には心がこもるし、ちゃんと分かって貰えるってな。
 それに、だ…。



 シャングリラにリボンは殆ど無かっただろう、と言われてみればその通りだった。
 自給自足の船の中では店などは無いし、包装紙もリボンも出番が無い。使うべき場所が何処にも無ければ、包装紙もリボンも根付かない。
 まるで無かったというわけではないけれど。包装紙もリボンもあったけれども。
 それらが登場する時といえば、クリスマスに子供たちが貰ったプレゼントだとか、そんな程度の船だった。白いシャングリラの日常の光景にリボンは無かった、包装紙だって。
「そっか、前のぼくたちには誕生日なんかは無かったから…」
 アルテメシアで保護した子たちは、誕生日を覚えていたけれど…。
 前のぼくたちには無かったっけね、自分が生まれた日がいつだったのかという記憶。
「そうだな、特別なプレゼントを贈るための日が無かったからなあ…」
 誕生日があれば、違ったのかもしれないが。
 そんな日くらいは、と誰もが色々工夫を凝らして、プレゼントを贈り合ったんだろうが…。
 覚えていない日は祝いようも無いし、仮に覚えていたとしたって。
 あの船にいた頃の俺たちにすれば、誕生日が地獄の始まりだったからな。
 成人検査を受けさせられてミュウになっちまって、後は実験動物の日々だ。祝おうって気分にはなれなかったろうさ、とてもじゃないが。
 育ててくれた親の記憶は失くしちまって悲しかったが、誕生日にこだわりは無かったからな。



 自給自足で生きてゆく船では、大人同士のクリスマスプレゼントの交換なども無かった。無駄に物資を消費するより、残しておこうという堅実な世界。特に必要も無いのだから、と。
 恋人同士で贈り合っていた者たちにしたって、プレゼントは至ってささやかなもの。船の中では豪華なものなど手に入らないし、手作りの品とか、とっておきの菓子をプレゼントだとか。
 そんな船ではあったけれども、恋人同士の贈り物ならば…。
「ねえ、ハーレイ。…シャングリラでリボンの出番は殆ど無かったけれど…」
 だけど、恋人同士でプレゼントし合ってた人のにはきっと、リボンはかかっていたと思うよ。
 リボンを貰いに行っちゃ駄目だ、って決まりは何処にも無かったんだから。
 係の人に「欲しいんですが」って言えば誰でも貰えた筈だよ、使う分だけ、好きなリボンを。
「そうだろうなあ…。俺は現場を見てはいないが…」
 俺が備品倉庫の管理をしていた頃には、リボンをくれって言って来たヤツはいなかったし…。
 あの頃に何人も来ていたんなら、俺だって「贈り物にはリボンなんだな」と気付いたろうが…。
 すまない、俺が悪かった。
 前のお前にリボンつきのプレゼントってヤツを、一度も贈らなかっただなんてな。
「ううん、前のぼくだって気付いていなかったんだし…」
 リボンをつけて、って頼んでないから、前のぼくにも責任はあるよ、お互い様だよ。
 プレゼントを貰うならリボンなんだ、って思っていたなら、「贈り直して」って頼んでいたよ。
 前のハーレイの手作りのスプーンも、他に貰っていたものも。
 リボンつきの方がずっといいから、リボンをつけて贈り直して、って。



 でも…、とますます欲しくなってしまった、リボンがついたプレゼント。
 前の自分も一度も貰っていないとなったら、貰わずにいられるわけがない。中身は何かと、胸を躍らせてリボンをほどく贈り物。お土産にリボンは駄目だと断られてしまったからには、誕生日。
 その時はきっと、と欲が出る。
 誕生日用のプレゼントだったら、リボンはつきものなのだから。凝った包装紙や凝った箱より、断然、リボン。それが欲しいと、ワクワクしながら結ばれたリボンをほどいてみたいと。
「約束だよ? ぼくの誕生日プレゼントにはリボンをつけてね」
 プレゼントは何でもかまわないけど、リボンをつけるのを忘れないでよ?
 それが大切なんだから。ぼくはリボンをほどきたいんだから。
 ハーレイから貰う、リボンつきの最初のプレゼント。ドキドキしながら開けてみたいんだから、忘れずにリボン…!
「分かった、リボンは絶対なんだな」
 そいつを忘れたら、贈り直せと言われるんだな、チビのお前に?
 前のお前でもそう言っただろう、と言ったからには、今のお前だって。
「うん。これは違うよ、って開ける前に言うよ」
 リボンがついていないじゃない、って箱を睨んで、ハーレイの顔も睨んじゃうからね。
「…贈り直しをさせられる上に、睨まれるのか…。忘れないように気を付けておくが…」
 忘れちゃならん、と肝に銘じておくってヤツだが、どうなることやら…。
 まあ、プレゼントの基本だしなあ、忘れないとは思うんだが。
 ついでに、恋人同士でリボンつきのプレゼントを贈るということになると…。
 チビのお前の間は無理だが、堂々とお前にそいつを贈れる時となったら…。



 婚約の時か、と片目を瞑られたから。
「え?」
 なんで婚約でリボンつきなの、そういうプレゼントがくっついてくるの?
 プロポーズしてくれるっていうだけじゃないの、ぼくが「うん」って答えるだけで…?
「指輪だ、指輪。…プロポーズの時にはつきものだろうが、婚約指輪」
 婚約指輪を贈る時こそリボンだな、と頷くハーレイ。
 指輪が入った小さな箱に、キュッと結んであるリボン。とても絵になる光景だぞ、と。
 箱の中身は何にしようかと、どんな指輪を贈ろうかと。
「指輪…?」
 婚約指輪って、結婚指輪の他にも指輪?
「うむ。お前は男だし、結婚指輪だけでいいかと思っていたが…」
 俺と揃いの指輪があったら充分だろうと思ってたんだが、リボンとくれば婚約指輪だ。あれこそ最高のリボンつきのプレゼントってヤツだ、恋人に贈るとなったらな。
 前の俺がお前に贈り損なったリボンつきのプレゼントの分まで含めて、そいつがいいだろ?
 どういう指輪が欲しいんだ、お前。
 俺が選んで買ってもいいんだが、二人で選びに行くのもいいよな。
「指輪なんかは要らないから…!」
 婚約指輪なんかは欲しいと思っていないよ、そんなの頭に無かったよ…!
 結婚指輪は嵌めたいけれども、婚約指輪は要らないってば…!



 左手の薬指に嵌める指輪は結婚指輪だけで充分、ハーレイとお揃いの指輪で充分。
 もしもシャングリラ・リングがあったら、抽選で当たる白いシャングリラの金属で出来た指輪が当たれば、もう最高の結婚指輪。
 シャングリラ・リングが当たらなくても、ハーレイとお揃いの指輪があったら言うことはない。他に指輪は何も要らない、ただの一つも。
 そう答えたら。結婚指輪があれば充分だと微笑んだら…。
「なるほどなあ…。婚約指輪は要らない、と」
 一世一代のリボンつきのプレゼントってヤツは贈れないのか、指輪入りの箱。
 贈ろうとも思っていなかったんだが、断られちまうと少し寂しい気もしてくるな。プロポーズの時にリボンつきの指輪の箱を贈って、感激するお前を見たかったんだが…。
 残念だ、とハーレイがボソリと零したから。鳶色の瞳は、本当に残念そうだから。
「それじゃ、指輪の代わりに何か!」
 リボンつきのを何かちょうだい、婚約の時に。
「何かって…。何をだ?」
 婚約指輪の他に何があるんだ、プロポーズの時に渡して絵になるもの。リボンつきの箱で。
「分からないけど、特別なもの!」
 リボンをほどいて、ドキドキしながら開けられるもの。
 ハーレイからこれを貰ったんだよ、ってワクワクしながらリボンをほどいて取り出せるもの。



 婚約記念にピッタリのもので、リボンつきの箱に入った何かをくれる? と首を傾げたら。
 そういうのがあれば嬉しいんだけど、と恋人の顔を見詰めたら。
「さてなあ…。指輪が駄目なら何があるやら…」
 こう、格好良く取り出して渡せそうなもの。
 リボンが似合いで、婚約指輪にも負けていないほど、絵になりそうなプレゼントなあ…。
 まるでサッパリ思い付かんが、お前が欲しいと言うんだったら、考えておくか。
 婚約までに時間はたっぷりとあるし、いいものが見付かるかもしれん。
 だがなあ、あまり期待はするなよ?
 定番は婚約指輪なんだし、それと張り合えるほどに素晴らしい物を思い付くとは限らんからな。



 期待するな、とは言われたけれども、考えてはくれるらしいから。
 プロポーズされる日は、まだまだ先になるだろうから。
 もしもハーレイがいいアイデアを思い付いたら、貰えるかもしれない特別なリボンつきの箱。
 婚約記念の何かが入った、ハーレイからの一世一代のプレゼント。
 だからリボンがついたプレゼントは、楽しみに取っておくことにしよう。
 我儘を言って強請っていないで、それを貰える時が来るまで。
 誕生日にはきっと貰えるだろうし、もしかしたらプロポーズされた時にも。
(前のぼくだって一度も貰っていないし…)
 リボンをほどいて開けるプレゼントは、今度が初めてなのだから。
 欲張らずに待とう、それを開けるのに相応しい時を。
 きっとその方が値打ちがあるから、ドキドキする気持ちも、幸せも大きくなるだろうから。



 最初に貰えるリボンつきのプレゼントは誕生日。
 そして、それからは幾つも幾つも、リボンつきのプレゼントを貰ってゆける。
 結婚する前も、結婚した後も。
 ハーレイに貰った箱のリボンを、ワクワクしながらほどいてゆける。
 幸せが詰まっているだろう箱。
 それのリボンを、鳶色の瞳に見守られながら、胸を高鳴らせてほどいて、開けて。
 きっとハーレイにキスをしたくなる、御礼のキスを贈りたくなる。
 幾つも、幾つもキスを交わそう、青い地球の上で、幸せの色をしたリボンをほどいて。
 幸せが入った箱のリボンをほどいて、ハーレイと二人、何処までも幸せに歩いてゆこう。
 今度はリボンをほどけるから。
 リボンがキュッと結ばれた箱を、プレゼントに贈って貰えるのだから…。




          リボンつきの箱・了

※前のブルーも貰っていないのが、リボンがかかった箱に入った贈り物。ただの一度も。
 けれど今度は、それを幾つも貰えるのです。婚約の時も、もしかしたら素敵な贈り物が…?
 ←拍手して下さる方は、こちらからv
 ←聖痕シリーズの書き下ろしショートは、こちらv









(ふうむ…)
 珍しいな、とハーレイが覗き込んだショーケース。
 いつもの食料品店に設けられている特設売り場、ブルーの家には寄れなかった金曜日。こういう日には買い出しなんだ、と店に入って来たけれど。そこで出会った菓子を並べたショーケース。
 何の気なしに「ケーキの店だな」とザッと眺めたその中にあった、様々なベリーで飾られた白い菓子。最初は普通のケーキと間違えかけた菓子だけども。
 その菓子の前にだけ、特に目立つ札。商品名が大きく書かれた札。「パブロワ」の名が。
 パブロワといえば、焼き上げたメレンゲに生クリームとベリーを乗せたもの。ケーキさながらに大きく焼いたメレンゲを使うものやら、一人前の量に丁度いいサイズに作るものやら。
(どっちにしたって、メレンゲだからな…)
 卵白と砂糖で出来たメレンゲ、生クリームとベリーを乗せたら、時間が経つほど湿るもの。形はさほど崩れなくても、失われてしまうサクッとした食感。
 つまり日持ちがしない菓子だから、作ったその日に食べてしまわないと美味しくないから、店に並ぶことは殆ど無い。ベリーの季節ならばともかく、今の時期は特に。



 ところがバッタリ出会ったパブロワ、それも一人用のサイズに作られたもの。小さめのカップを思わせる形、真っ白なメレンゲで焼かれたカップ。生クリームとベリーが詰まったメレンゲ。
 これならデザートにピッタリだから。夕食の後にコーヒーを淹れて…。
(久しぶりに…)
 食べてみよう、と店員に「一つ」と頼んで買った。滅多に出会えはしない菓子だし、見た目にも美味しそうだから。
 特設売り場は日曜日までで、明日来ても確実に買えるパブロワ。期待通りの出来だったならば、明日はブルーへの土産に買って持ってゆこうと。
 小さなブルーは何か貰うと、それは幸せそうな顔をするから。
 食べれば消えてしまうものでも、「お土産なの?」と本当に嬉しそうだから。
(…いつかは食べ物じゃないプレゼントも持って行きたいもんだが…)
 今は出来ない、ブルーは子供で、まだ幼くて。
 前世の記憶を持ってはいても、キスさえ出来ない十四歳にしかならない子供。恋人への贈り物は持ってゆけない、色々とマズイことになるから。
 ブルーの両親さえも知らない、誰にも秘密の恋人同士。この辺りは前の自分たちの恋と似ているけれど。隠さねばならない恋なのだけれど。
(今度は結婚出来るんだからな?)
 そこが違う、と頷いた。いずれは明かせる、祝福されて結婚出来る。隠すことなく、堂々と。
 プレゼントも贈れる、幾つも、幾つも。
 それまでは食べ物で我慢して貰おう、小さなブルーへの贈り物は。家に届けてやる土産物は。



 特設売り場のパブロワの他にも、あれやこれやと買って帰った食料品。仕分けが済んだら夕食の支度、料理をするのは好きだから。手際よく作って満足の食卓、一人暮らしでも豊かな彩り。
 「御馳走様」と合掌した後はキッチンで片付け、ついでに熱いコーヒーも淹れた。愛用の大きなマグカップ。それにたっぷり、例のパブロワも紙箱から出してケーキ用の皿に。
 何処で食べるか少し思案して、書斎へと。懐かしい菓子には似合いの部屋だから。本棚に並んだ本と同じで、パブロワにも思い出が詰まっているから。



 机の前に座って、まずはコーヒー。淹れたての味と香りを一口、それからパブロワ。
(こいつは、行儀よく食うのも美味いんだが…)
 綺麗な形が崩れないよう、端の方からフォークで切っては口に運ぶのもいいのだけれど。それが本来の食べ方だけれど、こうして書斎に持って来た菓子。
 俺は断然、こっちだな、とザックザックと崩していった。カップのように焼かれたメレンゲを。フォークを手にしてザックザックと、メレンゲとベリーと生クリームが混ざるように。
 もう原型は無いけれど。すっかり崩れてグシャグシャだけれど。
(パブロワは、これに限るってな!)
 混沌とした皿の上のパブロワをフォークで掬って、一口食べて。頬が緩んだ、その味わいに。
 崩れたメレンゲと、それに絡んだ生クリームと、ベリーの味と。絶妙に絡み合ったそれ。上品に端から食べていっても、決してこうはならないパブロワ。
 学生時代に教えて貰った、柔道や水泳の先輩たちに。「パブロワはこう食べるべきだ」と。
 運動部員ならイートン・メスだと、この食べ方が相応しいのだと。



 遠い遥かな昔の地球。SD体制が始まるよりも遠い遠い昔、イギリスと呼ばれていた島国。
 その国にあったメレンゲの菓子がイートン・メス。伝統ある名門、イートン校の名がつけられた菓子。それの由来はパブロワだったと教わった。先輩たちから、誇らしげに。
 イートン校のクリケット試合で供されたパブロワ、それを生徒たちがグシャグシャに崩したのが始まりなのだと、実に由緒ある食べ方なのだ、と。
 だから運動をやる者だったら、パブロワを食べるならイートン・メス。
 こうして崩せと、豪快にやれと、行儀よく端から食べてゆくなど論外だぞ、と。
 ベリーの季節に習った食べ方、「こうやって食え」とパブロワを崩した先輩たち。それは驚いたものだけれども、恐る恐る食べたら違う意味でもっと驚かされた。
 なんと美味しい食べ方だろうと、崩すだけでこうも違うのかと。それに…。



(イートン・メスってヤツはだな…)
 別のものだと思っていた。そういう名前の菓子があるから、パブロワとはまるで違うから。
 新鮮なベリーが出回る季節に母が作っていたイートン・メス。ガラスの器に盛られたデザート。指でヒョイとつまめるサイズに焼かれた小さなメレンゲ、それとベリーと生クリーム。順に入れて重ねて、それの繰り返し。
 メレンゲとベリー、ふわりとホイップされた生クリーム、重なったそれはパフェにも見えて。
 けれどパフェほど冷たくはなくて、スプーンで掬って食べていた。ベリーとメレンゲが意外にも合うと、生クリームが味を引き立てていると。
(よく考えたら、材料は同じなんだよなあ…)
 パブロワも、それにイートン・メスも。
 ベリーの季節に家で食べた菓子、パフェを思わせたイートン・メス。それがパブロワのふざけた食べ方から生まれたと聞けば、素直に納得出来たから。
 最初にそれをやらかしたと伝わるイートン校の生徒とやらも、自分たちのように運動が好きで、やんちゃ盛りだったのだろうと嬉しくなってしまったから…。



 それ以来、パブロワを見掛けたら食べる、こうやってグシャグシャにフォークで潰して。
 学生時代を懐かしみながら、先輩たちや仲間たちの顔を思い浮かべて微笑みながら。
 パブロワを食べるならイートン・メス。どんなに綺麗に作られていても、崩して食べるのが運動部員。遠い昔のイートン校の生徒たちのように、行儀なんぞは知ったことかと。
(こいつにはコレが一番なんだ)
 それに美味いし、とザックザックと混ぜるパブロワ、元の形はもう分からない。売っていた店の者が見たなら、これを作ったパティシエが見たら、きっと唖然とするだろう。
 けれども、これが醍醐味だから。パブロワはこうして食べたいから。
 知ったことかと、買ったからには俺のものだとザックザックと混ぜていて。
 パブロワを食うなら崩してこそだと、こうでないと、と崩す楽しみを満喫していて…。
(ん…?)
 こんなトコか、と最後にグシャリとやった所で引っ掛かった記憶。
 前にも崩して混ぜたのだった、こんな具合に。
 大きなパブロワをフォークでグシャグシャに壊して、混ぜたベリーと生クリームと。
 運動部員たちと食べたものより、もっと立派なパブロワを。
 何人前だか分からないほど、それは大きく作り上げられた見事で綺麗なメレンゲの菓子を。



 崩して食べたパブロワの記憶、あんなものを売る店があるだろうかと首を傾げてしまう大きさ。いったい何人で食べたというのか、あまりに大きなパブロワの記憶。
 けれど自分は確かに崩した、それを大勢で賑やかに。焼き上げられたメレンゲを壊してベリーや生クリームと混ぜた、これはこうやって食べるものだと。
(何処でだ…?)
 記憶の彼方の大きすぎるパブロワ、何処で崩して食べたのだろう?
 遠征試合で出掛けた先で出されただろうか、歓迎の印に。それくらいしか思い浮かばない。普段行かないような何処かで、けれどもパブロワが出て来そうな場所。
(…運動部員の食い方は確かにアレなんだが…)
 だからと言って、柔道や水泳と縁のある菓子ではないパブロワ。元々はクリケットの試合で出た菓子、遠い遥かな昔の地球で。イギリスという国のイートン校が出ていた試合で。
 かつてイギリスがあった地域なら、今の時代は色々な試合でパブロワなのかもしれないけれど。クリケットでなくても、パブロワが出るかもしれないけれど。
 今の自分が暮らす地域や、遠征試合で出掛けて行った先。柔道や水泳のためにと訪れた選手に、あの菓子を振舞ってくれるだろうか?
 超特大だと思えるパブロワ、それをわざわざ作ってまで。グシャグシャにして食べられてしまう菓子を、パブロワとは縁の無い運動をしに来た選手のために。
(…いくらなんでも…)
 気前が良すぎないかと思う。それくらい大きかったパブロワの記憶、あれは凄いと。



 けれどもまるで思い出せない、あのパブロワを食べた場所。何処だったろうか、あんなに大きなパブロワを崩して食べていた場所は?
 地球の上では無かっただろうか、宇宙船で出掛けた先だったろうか?
(宇宙船なあ…)
 シャングリラも宇宙船だった。それも巨大な白い船。今の時代も伝説の船で、ミュウたちの箱舟だった船。白い鯨に似た、楽園という名を持っていた船。
 まさかシャングリラには無かったろうに、と思った途端。
 同じ宇宙船でも違いすぎると、今の自分が遠征試合で乗った船とはまるで違うと思った途端。
(違う…!)
 それだ、と蘇ったパブロワの記憶。超特大だった見事なパブロワ。
 あの船で食べた、白いシャングリラで、白いパブロワを。純白のメレンゲを焼き上げた菓子を。
 ベリーと生クリームをたっぷりと乗せて、美しいそれを惜しげもなくフォークで突き崩して。
 原型を留めないほどに壊して、混ぜて。
 白いシャングリラのブリッジが見える大きな公園、あそこで皆で食べたパブロワ。
 こうやって食べるための菓子だと、崩して食べるのが正しいのだと。



 遠い記憶が蘇って来た、前の自分が食べたパブロワの。白い鯨のメレンゲの菓子の。
 公園に設けられた大きなテーブル、其処に置かれていたパブロワ。ベリーと生クリームで飾ったメレンゲの菓子、崩される前は芸術品のようだった菓子。
 絞り出された形そのままに焼き上げられた白いメレンゲが。上に盛られた様々なベリーが、その周りを囲む生クリームが。
 厨房のスタッフが腕を奮った会心の作。
 どうせ壊れてしまうのに。フォークでグシャグシャにされてしまって、形が残りはしないのに。
 それでも腕を奮ったスタッフ、素晴らしい出来栄えだったパブロワ。
 壊されるために生まれて来たのに、食べる前には崩されるのに。



(あれは祝いの菓子だったんだ…)
 そうだった、と前の自分の記憶に残ったパブロワを眺める、壊される前の。崩される前の見事な姿を、厨房のスタッフたちの誇らしげな顔を、パブロワが置かれていたテーブルを。
 自給自足の生活を始めたシャングリラ。白い鯨への改造が済んで、奪うことをやめて。
 そのシャングリラでの鶏の飼育が軌道に乗って、かつて貴重だとされた卵がいつでも好きなだけ食べられるようになったから。卵白だけを使うメレンゲまでもが作れるようになったから。
 野菜もベリーも充分に採れて、白い鯨は本物の楽園になったから…。
(卵に不自由しない生活ってヤツを祝おうってことで…)
 どういうわけだか、卵を祝おうということになった。他の食べ物も色々あるというのに、白羽の矢が立ったのが何故だか卵。それを贅沢に使って何かと、素敵な何かが作れないかと。
 祝いに似合いの卵の菓子。お祭り騒ぎにもってこいの菓子、そういったものが何か無いかと。
 話を持ち掛けられた厨房のスタッフが、「メレンゲでしょうか」と答えたから。
 卵白だけで作るメレンゲ、黄身は使わないのが贅沢だろうと言ったから。
 かつて厨房にいた前の自分も、それが良さそうだとメレンゲに賛成したものだから…。



 ヒルマンとエラがデータベースであれこれ探した、伝統あるメレンゲの菓子というのを。
 祝いはともかく、お祭り騒ぎ。皆でワイワイと食べることが出来て、思い出にもなるメレンゲの菓子を。卵白と砂糖から作る特別な何か、誰もが喜びそうな菓子。
 二人が懸命に調べて探して、見付かったのがパブロワだった。パブロワそのものは普通の菓子で珍しくもなく、祝いの菓子でもないけれど。ごくごく平凡なのだけれども、その食べ方。
 遠い昔にイートン校の生徒たちが壊して食べたパブロワ、そこから生まれたイートン・メス。
 これぞ伝統とお祭り騒ぎの融合だろう、とヒルマンとエラが自信に溢れて提案して来た。
 パブロワを作って、崩して食べる。
 それに限ると、その食べ方から新しい菓子が生まれたくらいに美味らしいからと。
 おまけに地球のイートン校。遥かな昔の小説を読めば、名前が出て来るほどの名門。真似るには充分すぎる食べ方、今は何処にも残ってはいない名門校の生徒たちの悪ふざけ。
 お祭り騒ぎにはピッタリだから。
 出来上がった菓子を崩すというのも、贅沢すぎる食べ方だから。
 パブロワにしようと決めたのだった、前の自分やブルーや、ヒルマンたちが。パブロワを作って卵が食べられる時代を祝おうと、美しい菓子をグシャグシャに崩せる贅沢な時代を楽しもうと。



 こうして決められ、厨房のスタッフが作り上げた大きくて見事なパブロワ。
 純白のメレンゲの上にベリーと生クリームを乗せ、それは美しく飾られたパブロワ。テーブルに置かれて皆に披露され、誰もが惜しみなく拍手を送った。
 こんな菓子が作れる時代になったと、シャングリラは本物の楽園なのだと。
(せっかくだからと、クリケットの代わりに…)
 パブロワを崩して食べる前には、クリケットの試合があったと言うから。
 あの公園でサッカーをしたのだったか、希望者を募って、疲れない程度に。他の仲間が応援する中、公園の芝生で真似事のようなサッカーの試合。
 それが終わったら、パブロワの食べ方をヒルマンとエラが由緒も含めて説明をして。
 「壊してから食べるものなのか」と酷く驚いた仲間たち。こんなに美しい菓子なのに、と。
 けれど、全員にフォークが配られ、「こうなのだがね?」とヒルマンがグサリと加えた一撃。
 続いてエラが、ゼルが、ブラウが、それにブルーと前の自分が、パブロワにフォークをお見舞いしたら、ワッと上がった皆の歓声。
 もうその後は、誰も遠慮はしなかった。グサリ、グサリと刺さったフォーク。
 美しかった菓子はみるみる壊れて、メレンゲもベリーも生クリームもグシャグシャに混ざった、元の形がどうだったのかも想像出来ないほどに無残に。
 破壊の限りを尽くした宴は、皆の笑顔を連れて来た。見た目は酷い形だけれども、混ざり合ったメレンゲとベリーと生クリームはとても美味しいと、別々に食べるよりずっと素敵だと。
 この食べ方を考え付いたイートン校の生徒に感謝せねばと、悪ふざけも時には素晴らしいと。



(そうだ、あの船にあったんだ…)
 白いシャングリラにはパブロワがあった、美味しいと皆が喜んだから。
 ベリーが採れるシーズンになったら、超特大とはいかないまでも作られていたメレンゲの菓子。真っ白なケーキさながらの姿に出来上がるけれど、壊される菓子。そのままで食べはしない菓子。
 パブロワはいつもグシャグシャにされた、食べようとしていた仲間たちの手で。
 いわゆる本物のイートン・メスの方も、いつの間にやら誕生していた。ガラスの器にメレンゲとベリー、生クリームを順に重ねて入れるもの。
 そちらの方が簡単だから。壊さなくても混ぜるだけでいいし、手軽に味を楽しめるから。
(…あのシャングリラに、パブロワなあ…)
 まさかあったとは思わなかった、とグシャグシャになったパブロワを頬張り、笑みを浮かべた。前の自分も食べた味かと、白いシャングリラで食べていたかと。
(こいつは、ブルーに…)
 持って行かねばならないだろう。
 そうするつもりでいたのだけれども、グンと重みを増したパブロワ。白いシャングリラで食べていた味、前のブルーとフォークで崩して食べたパブロワ。
 明日は買ってゆこう、パブロワを二つ。
 遠い記憶の超特大には及ばないけれど、一人用のケーキのサイズだけれど。



 次の日はよく晴れていたから、歩いて出掛けたブルーの家。
 途中で昨日の食料品店に寄って、パブロワを二つ、詰めて貰った小さな紙箱。出店している店のロゴが入った箱を受け取りながら思った、「崩して食うとは思うまいな」と。
 朝一番から綺麗に作ったパティシエには申し訳ないけれど。ショーケースに並べた店員にも少し悪いけれども、これはそういう菓子だから。
 学生時代の自分も先輩からそう教わったし、白いシャングリラでもそうだったから。
(…俺のせいではないんだ、うん)
 文句を言うならイートン校の生徒に言ってくれ、と心の中でクックッと笑う、彼らが諸悪の根源だからと。遥かな昔のイートン校だと、何不自由なく育ったヤツらの悪ふざけなんだ、と。



 紙箱を提げて、生垣に囲まれたブルーの家に着いて、門扉の脇のチャイムを鳴らして。
 迎えに出て来たブルーの母に、「買って来ました」とパブロワが入った箱を渡した。前の自分も食べた菓子だから、ブルー君へのお土産です、と。
 パブロワは早速、ケーキ皿に載せられ、ブルーと二人で向かい合わせに着いたテーブルに運んで来られたから。紅茶のポットやティーカップなども揃ったから。
 小さなブルーは母の足音が消えるのを待ちかねたように、ケーキ皿の上を指差した。
「えーっと…。これ、ハーレイのお土産だよね?」
 なんでパブロワなの、ハーレイのお勧めのお店でも来てた?
「いや、そうじゃなくて…。懐かしいだろ?」
「えっ?」
 何が、とキョトンとしているブルー。やはり忘れてしまったのだろう、自分と同じで。
 白いシャングリラにあったパブロワを、あの日の派手なお祭り騒ぎを。
「忘れちまったか、こいつの食べ方?」
 こうなんだがな、とフォークで端を突き崩したら。もう一撃、とグシャリとやったら。
「食べ方って…。ハーレイ、壊しちゃうの?」
 こんなに綺麗に出来ているのに、とブルーの瞳が真ん丸になる。「酷くない?」と。
 それにお行儀も良くないけれど…、と赤い瞳が見ているから。
「いいから、崩して食ってみろ。美味いんだから」
 こうだ、すっかり壊しちまって、こうグシャグシャに混ぜてだな…。
「うん…」
 なんだか信じられないけれども、ハーレイがそう言うのなら…。
パブロワ、そういう食べ方じゃないと思うんだけど…。
 


 壊すなんて、と不思議そうにパブロワをフォークで崩したブルーだけれど。
 おっかなびっくりといった様子で混ざったそれを口へと運んだけれど。
「本当だ…!」
 ホントに美味しい、と顔を輝かせたブルー。
 パブロワのままよりずっと美味しいと、「ハーレイの食べ方、とても凄いね」と。
「だろう…!」
 でなけりゃ、やってみろとは言わんさ。崩した挙句に不味い菓子になってしまうんならな。
 学生時代はこうやってパブロワを食っていたもんだ、先輩たちに教えられてな。
 「運動部員が食うならこうだ」と、柔道でも水泳でも言われていたなあ、崩して食えと。
 しかし、お前も食ってたんだぞ、こうやって。
 前のお前もグシャグシャにしてたな、パブロワを食ってた時にはな。
「え…?」
 ぼくが、とブルーが首を傾げるから。
 前の自分はそんな食べ方をしていたろうか、とフォークを持つ手も止まったから。
「これよりも遥かにデカかったなあ、もう桁外れの大きさだったが」
 公園に置いても、少しも小さく見えなかったぞ、あのパブロワは。公園は広いというのにな。
 それとサッカーの試合だ、サッカー。
 やりたいヤツらを集めてサッカーをさせて、それをみんなで応援してから食ったんだが…。
 覚えていないか、デカいパブロワ。
 前のお前もフォークでグサリとやっていたがな、ヒルマンが最初にグサリとやって。
「ああ…!」
 あったね、凄く大きなパブロワ。
 みんなでフォークで壊したんだっけね、とても綺麗に出来たパブロワだったのに…!



 思い出した、と手を打ったブルー。
 シャングリラで特大のパブロワを食べたと、あれは卵のお祝いだった、と。
「そっか、イートン・メス、シャングリラの頃にもあったんだ…」
 あれが切っ掛けでパブロワが流行って、いつの間にかイートン・メスも出来てて…。
 ベリーの季節にはメレンゲを作って食べていたよね、生クリームと一緒に器に盛って。
「イートン・メス…。今のお前も知っているのか?」
 シャングリラの頃にも、と言い出すってことは、今のお前も知ってるんだな?
 こうして壊して食う方じゃなくて、混ぜて食う方のイートン・メスを?
「うん。ママが作ってくれることがあるよ」
 今年も夏の頃に食べたよ、ハーレイとは食べていないけど…。
 ぼくのおやつに作って貰って、ぼくが一人で食べてたんだけど…。
 でなきゃ、ママと一緒。ママと二人で混ぜて食べたよ、イートン・メスを。



 ハーレイにお行儀の悪いお菓子は出さないものね、と言われて気付いた。
 ベリーが出回るイートン・メスのシーズンの頃はまだ、小さなブルーと出会ったばかり。
 この家を訪ねて来てはいたけれど、今よりもずっと客扱いだった、あの頃の自分。
 そんな自分にイートン・メスを出しはしなかったろう、ブルーの母は。器に盛られたメレンゲとベリー、生クリームをスプーンで混ぜるイートン・メスは。
 来客に出すには些か行儀の悪い食べ物、美味しいけれども食べ方が絵にはならないから。
 イートン・メスは普段着の菓子で、それくらいならば綺麗なパブロワの方がいいだろうから。
 そして自分も、ブルーの家に来てパブロワが出たら、それを崩そうとはしなかったろう。崩して食べたい気持ちであっても、崩しはしないで、行儀よく。
 けれど…。
「なあ、ブルー。あの頃に食ってりゃ、俺たちは思い出せたのか?」
 イートン・メスは行儀が悪いと出なかったとしても、パブロワの方。
 お前のお母さんがパブロワを出してくれていたなら、シャングリラのパブロワ、思い出せたか?
 あのとてつもないデカいパブロワ、みんなで崩して食ったってことを。
「どうだろう…?」
 思い出せたのかな、ママがパブロワを作っていたら…。
 ハーレイと二人で食べていたなら、あの時のヤツだって気付いたのかな…?



 二人、考えてみたけれど。
 パブロワを食べたら思い出せたか、お互い、自分の遠い記憶を手繰ったけれど。
 白いシャングリラの頃の記憶は、沢山ありすぎるものだから。
 超特大のパブロワがあった記憶も、思い出す前には掠めたことさえ一度も無かったものだから。
「…無理だったかもね…」
 ママがパブロワを作ってくれてても、イートン・メスを出してくれたとしても。
「俺も無理だったような気がするな、お前の家で出して貰ったら、壊せはしないし…」
 行儀が悪くてとても出来んぞ、あの頃の俺でなくても無理だ。
 今日のパブロワは壊すつもりで買って来たから、こうして崩して食ってるわけだが…。
 お前のお母さんが作ってくれたヤツなら、壊すなんてことは出来ないな。
 そうなってくると、俺の記憶が戻る切っ掛けにはならないだろう。
 イートン・メスが出て来ていたって同じことだな、ただ混ぜるだけじゃ俺の記憶は戻らんしな。



 もしも、あの頃にパブロワが出ても、イートン・メスが出されていても。
 きっと食べながら別の話をしていただろう。メレンゲの菓子は話題にもならず、ただ食べられて終わりなだけ。空になった器が残るだけ。
 あの頃はブルーも今と違って、やたらとくっつきたがっていたし…。
 こうして向かい合わせで座っているより、膝の上に乗っている方が多かったブルー。ベッタリと胸に甘えたがっては、「温めてよ」と右手を出したりもして。
「…今だから思い出せたんだろうな、あのパブロワ」
 前の俺たちが食ったパブロワ、とてつもなくデカいヤツだったがな。
「うん、きっと…」
 今だからだよね、ぼくだって思い出さなかったし…。
 イートン・メスをおやつに食べていたって、スプーンで混ぜながら食べていたって。
 どうして今まで思い出さなかったのか、とっても不思議な気がするけれど…。
 ハーレイがいきなり思い出したのも、凄く不思議な感じだけれど。
「全てのわざには時がある、って言うからな」
 ヒョッコリ浮かんで来たってわけだな、時が来たから。
「えーっと…?」
 なにそれ、時が来るって、なあに?
「聖書の言葉さ、全てのわざには時がある、ってな」
 生まるるに時があり、死ぬるに時があり…、って感じで続いてゆくんだ、色々と。
 泣くに時があり、笑うに時があり、愛するにも、語るにも時がある。
 そんな具合で、思い出すにも時ってヤツがあるんだろう。
 時が来るまでは出て来ないんだな、どんなに条件が揃っていても。記憶を呼び戻せる切っ掛けが幾つ揃っていたとしたって、ヒョイと戻ってはくれないってことだ。時が来ないと。



 今がその時だったんだろう、と微笑んだ。イートン・メスに関しては、と。
 パブロワが売られているのを見付けて、それを買おうと思い立って。自分用にと買って帰って、崩した一個。そのパブロワが俺の記憶を運んで来た、と。
「つまりは時が来たってことだ。こいつで思い出すがいい、と」
 俺は先輩に教わった通り、パブロワを崩していただけなんだが…。
 こうして食うのが美味いんだから、と運動部員ならではの食い方をしていただけなんだがな。
「そうだね、ハーレイはいつも通りに食べてただけだね、こうでなくちゃ、って」
 思い出そうとして頑張ったわけでもなんでもなくって、思い出が勝手に出て来ただけで…。
 ホントに時が来たってことだね、神様のせいか、そうじゃないかは分からないけど。
 …パブロワは崩して食べるもんだ、って言ってたハーレイの先輩たち、どうしてるんだろ?
 今でもこうやって食べているのかな、壊してグシャグシャに混ぜてしまって。
「多分な。実際、美味いんだから」
 俺と同じで、人前では普通に食うんだろうが…。
 自分の家だとやってるだろうな、グシャグシャと。パブロワはこれが美味いんだ、とな。
「ゼルたちも何処かで食べてるといいね、パブロワに会って」
 これはこうして壊すんだった、って崩してパブロワ、食べてるといいね…。
「そうだな、「懐かしいのう」なんて言いながらな」
 今じゃすっかり若くなっちまって、「懐かしいのう」なんて言いはしないかもしれないが。
 うんと若いゼルが「懐かしいぜ!」とフォークでグシャグシャやってるかもなあ、何処かの星で運動部員になってしまって、何かのはずみで思い出して。
「あははっ、それって最高かも…!」
 ゼルだと何の運動だろうね、何をやるのが似合うんだろう?
 サッカーとかかな、それとも陸上部員とかになって、思い切り走ったりしちゃうのかな…?



 偶然出会った、学生時代の思い出の菓子。崩して食べろと教えられたパブロワ。
 それがシャングリラの懐かしい記憶を連れて来た。時の彼方から、超特大だったパブロワを。
 きっと他にもあるのだろう。
 その時がまだ来ていないだけで、今と昔が繋がるものが。
 今の自分たちも前の自分たちも知っているものが、パブロワの他にも、きっと幾つも。
「俺たちの思い出、もっと見付けていかんとなあ…」
 時が来ないと駄目なようだが、まだまだ幾つもある筈だからな。
「うん、ハーレイと二人でね」
 ぼくが思い出すか、ハーレイが先に思い出すのか。
 それとも同時か、ちょっと楽しみ。
 ホントに沢山ありすぎるものね、前のぼくたちが作った思い出の数。
「そうだな、山ほどあるからなあ…」
 三百年以上だ、こいつは多いぞ。ちょっとやそっとじゃ拾い切れんな、俺とお前と二人がかりで拾い集めて回るにしてもな。



 前の自分たちが生きた記憶と、今の自分たちが生きている今と。
 思い出を繋いでくれる切っ掛けは、きっと幾つもあるだろうから。
 結婚するまでも、結婚した後も、それを二人で見付けてゆこう。
 幾つも幾つも思い出しては、幸せな記憶を拾い上げながら歩いてゆこう。
 この地球の上で、何処までも二人、手を繋ぎ合って。
 思い出を拾ってはキスを交わして、今の幸せを二人で何度も確かめ合って…。




           メレンゲの菓子・了

※シャングリラにもあった、パブロワの不思議な食べ方。グシャグシャに崩したメレンゲ菓子。
 遠い昔の地球の真似ですけど、今では素敵な思い出の一つ。他にも沢山の思い出がある筈。
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