忍者ブログ

シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。

カテゴリー「シャングリラ学園・番外編」の記事一覧

※シャングリラ学園シリーズには本編があり、番外編はその続編です。
 バックナンバーはこちらの 「本編」 「番外編」 から御覧になれます。

 シャングリラ学園番外編は 「毎月第3月曜更新」 です。
 第1月曜に「おまけ更新」をして2回更新の時は、前月に予告いたします。
 お話の後の御挨拶などをチェックなさって下さいませv




初めての中間試験が終わってホッと一息の1年A組。入学式の日の約束通りに試験に登場した会長さんは例によって見事にクラス全員に全科目の百点満点をもたらしました。お蔭で1年A組はぶっちぎりの学年一位で、グレイブ先生も大満足の結果でしたが…。
「かみお~ん♪ お弁当、届けに来たよ!」
昼休みの1年A組の教室に「そるじゃぁ・ぶるぅ」がやって来ました。トコトコと教室の一番後ろの机に向かい、「はい」と大きなバスケットを。
「ありがとう、ぶるぅ。今日のは何だい?」
机の主は会長さん。学年一位な発表を見届けるべく朝から教室に来ています。いえ、そう言えば聞こえはいいんですけど、本音はクラスメイトの感謝と称賛の声が聞きたいだけ。ついでに豪華弁当を自慢し、午後の授業はまるっとサボッてトンズラするのが毎度のパターン。
「えっとね、サンドイッチとスープなの! カリフラワーのポタージュスープにしてみたよ。サンドイッチはローストビーフとサーモンと…」
ズラズラズラと美味しそうな具を羅列する「そるじゃぁ・ぶるぅ」に、教室中がゴクリと生唾。会長さんがバスケットを開け、「そるじゃぁ・ぶるぅ」がヒョイと何処からか子供椅子を取り出してチョコンと座ると周囲にたちまち人垣が…。
「うへえ…。派手にやってるぜ」
サム君が自分のお弁当箱の蓋を開けながら後ろを振り返り、キース君が。
「いつものパターンだ、放っておけ。どうせ俺たちの分は無いんだからな」
「ですよね、会長、自慢出来ればいいんですもんね」
ぼくたちは侘しい昼食ですよ、とシロエ君も。とはいえ、机を適当にくっつけてお弁当タイムな私たちのお弁当の中身もそこそこです。会長さんがお弁当自慢をやらかす日だ、と誰もが家で予告をしていますから、ママたちも気合が入りますし…。ん?
「…おい、キース。お前、本当に侘しくねえか?」
「うわー、ホントだ…。何それ、何かやらかしたわけ?」
海苔弁以下、とサム君とジョミー君が思い切り正直な感想を。キース君のお弁当箱には白い御飯がビッチリ詰められ、パラパラと胡麻が振られていました。ただそれだけ。梅干しすらも入っていません。これって、あまりにあんまりなのでは…。
「そう見せかけて凄いんじゃない? 実は焼肉弁当です、ってオチでしょ、キース?」
御飯の間に挟むパターンがあるものね、とスウェナちゃんが覗き込みましたが。
「…違うんだ。今日は本当にこれしか無くてな…」
上から下まで白米オンリー、胡麻が振ってあるのは御愛嬌だ、とキース君。えっ、本当に本当ですか? 豪華弁当と張り合おうって日に海苔弁以下って、まさかイライザさんのウケ狙い…?



キース君以外の面子のお弁当には海老フライとか、ミートボールとか。ジョミー君はハンバーグまで入っていますし、御曹司のマツカ君は凝ったテリーヌなんかも。そんな中で白米オンリー弁当。インパクトだけはありますけれども、イライザさんって凄いんだぁ…。
「キースのお母さん、やる時はやるね…」
ホント凄すぎ、とジョミー君が褒めると、キース君は。
「いや、おふくろのセンスではない。それに狙ったわけでもない。…朝イチで枕経が入ってな…。親父の支度と、その後の段取りでバタバタしていて弁当がお留守になったんだ」
「宿坊の人もいるでしょう?」
そっちに朝食を出す筈ですよ、とシロエ君が指摘。
「ついでに作って貰えば良かったんですよ、キース先輩」
「…その発想は無かったな…。気がついたらバスの時間が迫っていたし、慌てて制服に着替えて弁当箱に飯だけを詰めた」
「キース先輩の自作ですか?」
「そういうことだ」
悪かったな、とキース君が白米オンリー弁当を頬張る姿に、マツカ君が。
「舌平目の一口フライですけど、おかずにどうぞ」
白米の上に置かれたフライに「有難い」と合掌しているキース君。私たちは自分のお弁当箱を眺め、数が多めに入っているものを一つずつキース君に譲りました。これで少しはお弁当らしくなったかな、と笑い合っていると。
「かみお~ん♪ キースのお弁当、これもあげるよ!」
はいどうぞ、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」が現れ、ボワンと机の上にお皿が。ローストビーフやサーモンのスライスが何枚も乗っかっています。こ、これはいったい…?
「ブルーのサンドイッチに挟んだ残り! ブルーがね、キースに分けてあげなさい、って!」
「そ、そうか…。感謝する」
申し訳ない、とキース君が頭を下げて、人垣の向こうの会長さんにも。
「すまん、有難く頂いておく。世話をかけた!」
「どういたしまして」
会長さんが椅子の上にでも立ったのでしょうか、人垣の上から顔を覗かせました。
「スープも沢山作ったからねえ、みんなでどうだい? カリフラワーのポタージュなんだよ」
「美味しいよ! ぼくの自信作~!」
食べて、食べて! と「そるじゃぁ・ぶるぅ」が飛び跳ね、私たちの机にホカホカと湯気の立つスープカップが一つずつ。ちゃんとスプーンも添えられています。うわぁ、ありがとう、キース君! 白米弁当のお蔭で会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお相伴ですよ~!



熱々のカリフラワーのスープは絶品でした。滑らかな舌触りに自然な甘み。お弁当タイムにインスタントじゃない作り立てスープを飲める贅沢、幸せだなぁ、と味わっていると。
「…あれ?」
なんかみんなの視線がこっちに、とジョミー君。顔を上げてみれば、会長さんの机を取り囲んでいたクラスメイトたちが私たちに注目しています。…なんで?
「見たか、スープのカップが出たぞ」
「出た、出た! ついでにスプーンも出たよな」
「でもって食えるみたいだぜ? マジックじゃなくて本当に食えるみたいなんだが」
ザワザワしているクラスメイトたち。…そ、そういえば瞬間移動って、まだ披露していなかったような…。今年の1年A組の面子は今ので初めて見たのです。とはいえ、これからは馴染みの技になるんですから問題なし、と無視してスープを啜っていると。
「会長、今のは何なんですか!」
クラスメイトたちは疑問を会長さんに直接ぶつけました。
「スープカップが降ってわいたとしか見えないんですが!」
「そうです、その直前には肉とかを盛り付けた皿がボワンと!」
あれはいったい何なんです、と口々に騒ぐクラスメイトたちに、会長さんは。
「ぶるぅの力の一つだよ。試験で満点を取らせるだけだと芸が無いだろ、他にも色々あるんだよ。ね、ぶるぅ?」
「うんっ! ぼく、お料理が大好きなの! お掃除も好きだし、お裁縫とかも」
お家のことは何でもするよ、と会長さんの隣に戻った「そるじゃぁ・ぶるぅ」が胸を張ると。
「いや、えーっと…。料理とか、それに裁縫とか?」
「そういうのは別に不思議と言わないんじゃあ…」
普通だよな? と顔を見合わせているクラスメイトたち。
「もっとこう、何かパァーッと派手で物凄い力ってヤツは?」
「…えとえと…。ぼく、お料理はプロ並みだよ! ドレスとかだって作れるし!」
ホントだよ、と力説する「そるじゃぁ・ぶるぅ」の論点は明らかにズレていました。クラスメイトたちは「うーん…」と唸って、両手を広げて。
「こりゃダメだぁ…。ボワンと出せる力だけかよ…」
「それで充分、すげえんじゃねえか? 普通は絶対無理だしな!」
「ちがいねえ。…おっと、昼休みが終わっちまうぜ」
飯だ、飯だ、と会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」を囲んでいたクラスメイトたちは慌てて戻ってゆきました。男子も女子も、もれなくです。思わぬ所で瞬間移動が披露されましたが、カリフラワーのスープ、冷めても美味しい~!



お弁当を食べ終えた会長さんは「それじゃ、ぼくはこれで」と鞄を手にして帰って行ってしまいました。「そるじゃぁ・ぶるぅ」も空になったスープカップとスプーンを回収に来てバスケットに入れると、「じゃあね~♪」と手を振り、サヨウナラで。
「やっぱり午後はサボリだったね」
来なかったね、とジョミー君。終礼に来たグレイブ先生も会長さんが消えた件については特に何も言わず、1年A組の学年一位を改めて褒めただけでした。定期試験は毎年、毎回、このパターン。試験終了日の打ち上げパーティーと同じく、判で押したようにお決まりのコース。
「ブルーがサボるのは普通だけどよ、今日は珍しいパターンだったぜ」
キースのお蔭で、と放課後の中庭を歩きながらサム君が。
「惨めな弁当が出て来なかったら、カリフラワーのスープは無かったんだしよ」
「それは言えてる! アレ、美味しかった!」
教室でっていうのが最高なんだよ、とジョミー君が指を立て、シロエ君も。
「そうですね! 会長の家で食べても美味しいですけど、お弁当が基本な教室って場所がグンと気分を盛り上げるんです」
ピクニックとかと同じ理屈かも、と言われて納得。普段とは違う場所で食べると同じものでも違うもの。今日のスープは美味しかった、と私たちは御機嫌で「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお部屋に入って行ったのですけど。
「かみお~ん♪ いらっしゃい!」
パッと立ち上がった「そるじゃぁ・ぶるぅ」がキッチンに駆けてゆきました。でも…。いつもは綺麗に片付いているテーブルの上にスケッチブックや画用紙なんかが雑然と散らかり、色鉛筆が沢山入ったケースも。これって、何?
「あ、ごめん、ごめん。散らかしちゃってて」
ちょっと夢中になっちゃってね、と会長さんが画用紙を集めてスケッチブックと一緒に重ね、色鉛筆のケースも蓋をして奥の小部屋にお片付け。「そるじゃぁ・ぶるぅ」と一緒にお絵描きしてたのでしょうか?
「そんなトコかな。あれこれやってて、ついつい時間が」
どうぞ座って、と会長さんに勧められてソファに腰を下ろすと「そるじゃぁ・ぶるぅ」がテーブルを拭き、オレンジシフォンケーキが出て来ました。コーヒーや紅茶も配られ、オレンジの香りも高いケーキを食べながらのティータイム。まずはキース君がお昼の御礼を。
「今日は思いがけず御馳走になった。礼を言う」
「どういたしまして。白米弁当とは悲惨だったねえ、副住職」
それでも持って来ただけマシか、と会長さん。そっか、持たずに来るっていう選択肢もありましたっけ。コンビニ弁当を買ってくるとか、パン屋さんとか。キース君、真面目だったんだぁ…。



潔く白米弁当を持参したキース君の勇気を讃えて万歳三唱。本人曰く、お弁当自慢の日だと思い込んだら一直線で「持って行かない」という考えは浮かびもしなかったそうですが…。
「本当に必死だったんだ。とにかく弁当を持って行かねば、と」
「それで白米オンリーだもんね、なんか凄すぎ」
ふりかけとかは無かったわけ? とジョミー君が訊くと、キース君は。
「普段、あんまり食べないからな…。何処にあるのか分からなかったし、とりあえず胡麻で」
「胡麻はその辺にあったんだ?」
「寺だからな」
精進料理の基本は胡麻だ、とキース君。どうやら御本尊様にお供えするお膳用の胡麻を失敬してきたみたいです。御本尊様とペア弁当か、と思わず吹き出す私たち。そこへ…。
「よし! 御本尊様とペア弁当までやった勇者なら大丈夫だ!」
君なら出来る、と会長さんがキース君にビシッと人差し指を。えっ、何ですか、何のお話?
「キースを真の勇者と見込んで、とびきりの栄誉を与えよう」
「「「は?」」」
キース君も私たちも『?』マークで一杯でした。勇者って、それに栄誉って?
「ぶるぅのパワーを披露するための広告塔だよ、1年A組のみんなが期待してたろ?」
「かみお~ん♪ お裁縫の腕もスゴイんだよ、って自慢したいの!」
是非よろしく、とウインクを飛ばす会長さんと、瞳を輝かせる「そるじゃぁ・ぶるぅ」と。広告塔だの、お裁縫だのって、全然話が見えませんけど…?
「広告塔って言ったら分からないかな、モデルって言えばいいのかな? ぶるぅの自作の服を着込んで授業に出てくれればいいんだけれど」
「なんだって!?」
キース君がガタンと立ち上がりました。
「ぶるぅの自作の服で授業だと!? それは校則違反だろうが!」
「だからそこだよ、大切なのは。クラスのみんなは瞬間移動よりも派手なパワーに期待している。だからこの際、サイオニック・ドリーム! 全校生徒にはキチンと見えて、先生方には制服に見える素晴らしい服を披露しようかと」
「ほ、本気か…?」
「本気だってば、思いっ切りね」
ぶるぅとあれこれ考えたんだ、と会長さんはニッコリ微笑みました。
「ぶるぅパワーと裁縫の腕を両立させる素敵企画だ、もちろんやってくれるだろう? 白米弁当の恩もあるしね、副住職」
否を言わせない迫力の台詞。キース君は「バレないのならな…」と渋々、頷いたのでした。



「そるじゃぁ・ぶるぅ」の不思議パワーとお裁縫の腕を宣伝するための広告塔。キース君が引き受けた途端、会長さんは奥の小部屋へと。さっき画用紙やスケッチブックを片付けた部屋です。そんな所に何の用が、と誰もが首を捻っていると。
「…さて、どれにしよう? キース、好みの服はあるかい?」
あれば言ってよ、と会長さんがズラリ並べた画用紙に描かれたデザイン画。色鉛筆で色もつけられ、実にお洒落でカラフルですけど、このデザインって…。
「な、なんだこれは!」
キース君の声が引っくり返り、会長さんがしれっとした顔で。
「ロリータ・ファッション」
「「「ロリータ?」」」
「そう、ロリータ」
可愛いだろう、とデザイン画をめくる会長さん。
「フリルひらひら、リボンにレースに、ふんわりスカート。ぶるぅの裁縫の腕をアピールするには一番なんだよ、こういうのがね」
「かみお~ん♪ この服はどう? 背中をリボンで編み上げみたいに閉じるヤツなの、腰におっきいリボンもつくよ!」
スカートの形も可愛いんだよね、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」はニコニコニコ。
「下のパニエが見えてるような感じに仕上げてレースたっぷり! この辺とかにリボンを沢山つけてもいいよね、ブラウスもレースたっぷりで!」
袖口なんかもヒラヒラだもん、と小さな指先が示すブラウスは膨らんだ袖と袖口に重なったレースがなんともゴージャス。背中の編み上げデザインがいいでしょ、と言うジャンパースカートと共に仕立てるのに手間がかかりそうです。
「…こ、こんなのを俺が着るのか…?」
引き攣った顔のキース君に、会長さんが。
「何か問題でも? 校則違反はサイオニック・ドリームでバッチリ解決、ぶるぅのパワーを大きく印象付けられる。それに裁縫が上手いというのもロリータファッションならインパクト大!」
「……そ、そんな……」
「四の五の言わずにビシッと着る! 他のデザインでもいいけどさ」
お好みは? と会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」が広げるデザイン画はどれでも似たり寄ったりでした。色も形もバリエーションだけは豊かですけど、どう転んでもロリータファッション。ふんわりスカートとひらひらテイストは外せないポイントというわけで…。
「く、くっそぉ…。煮るなり焼くなり、好きにしやがれ!」
俺も男だ、とキース君が叫び、私たちは思わず拍手喝采。ここまで過激なロリータファッション、スウェナちゃんと私でもキツイですってば…。



お裁縫の腕を披露出来ることになった「そるじゃぁ・ぶるぅ」は張り切りました。放課後のおやつは手抜きなしですが、衣装の方も着々と。奥の小部屋からミシンの音がダダダダダ…と響く日もあれば、細かい部分を手縫いするとかで物音ひとつしない日も…。そして。
「かみお~ん♪ やっと出来たよ、キースの服!」
「らしいよ、お披露目は明日ってことで。よろしく、キース」
朝一番で此処に来るように、と会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」。
「えっとね、下着とか靴も用意しとくから、制服のままでこっちに来てね!」
「く、靴もか…?」
「決まってるでしょ? スニーカーとかじゃ似合わないもん!」
スカートと共布の可愛らしいのを作ったよ、と自慢する「そるじゃぁ・ぶるぅ」は靴まで作ってしまったようです。スゴイ、と息を飲んでいると。
「ちゃんとバッグも作っちゃったぁ! 鞄が無いと授業に出られないもんね!」
「バッグだと?!」
「うんっ! ハートの形になってるんだよ♪」
だけど強度と収納スペースはバッチリだもん、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」は自信満々。どうやらキース君は鞄の中身も入れ替える羽目に陥る模様。サイオンでパパッと着替えさせる技は今まで何度も見て来ましたけど、明日のキース君はどうなるのやら…。
「……俺の人生、明日で終わった……」
キース君がボソリと呟く帰り道。ハイテンションだった「そるじゃぁ・ぶるぅ」と会長さんが壮行会と称して豪華なデザートバイキングを開催してくれ、私たちは大いに満足、満腹。キース君の前途に乾杯です。終わったなんて言ってますけど、どうせ先生方には見えないんですし…。
「ああ、先生方には見えないだろうさ。…しかしだ、生徒はもれなく見るんだ!」
「見えなきゃ広告塔って言わないし!」
見えてなんぼ、とジョミー君。
「それにキースが引き受けたんだし、文句があったらブルーに言えば?」
「それが出来たら誰も悩まん!」
相手はブルーで銀青様だ、と悩みをズルズルと引き摺りながら、キース君は元老寺の方面へ向かう路線バスに足取りも重く乗ってゆきました。私たちはバス停で無責任に手を振り、明日は始発のバスで来ようとガッチリ約束。キース君の変身過程を最初から見なくちゃ損ですよ~!



翌日の朝、校門前で待ち受けていた私たちの姿にキース君は露骨に顔を顰めましたが、怯むような面子は一人もおらず、みんな揃って「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお部屋へと。
「かみお~ん♪ キースのお洋服、素敵でしょ?」
見て、見て! と「そるじゃぁ・ぶるぅ」は大はしゃぎ。レースとフリルたっぷりの白いブラウスに、リボンが幾つも縫い付けられた可愛いピンクのジャンパースカート。デザイン画よりも遙かにゴージャスな仕上がりのソレは凄すぎで。
「…こ、これを着るのか…」
覚悟を決めていた筈のキース君さえ腰が引けています。しかし会長さんが奥の小部屋からピンクのサテンのハート型のバッグを持って来て。
「まずは荷物を入れ替えたまえ。忘れ物まではフォローしないし、教科書に筆箱、ティッシュなんかも忘れずにね。…そうそう、今日は柔道部は?」
「誰が出るか!」
今日は休みだ、と吐き捨てるように言い、キース君は鞄の中身をハートなバッグへ。「そるじゃぁ・ぶるぅ」の自信作だけあって、華奢な作りに見えていながら重い教科書やノートを入れても型崩れしない出来栄えです。ハート模様の刺繍なんかも可愛いなぁ、と眺めていると。
「荷物が出来たら着替えだね。制服とアンダーシャツを脱いだら、これを着て」
「「「………」」」
会長さんがビラッと広げたものはレースびらびらのキャミソールとペチコート。それもまさかの「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお手製で。
「下着のサイズが合ってないとね、服が綺麗に着られないらしい。遅刻したくなければさっさと着替える!」
「……そこまでするのか……」
どうして俺がこんな目に、とキース君は泣きの涙で制服とアンダーシャツを脱ぎ、キャミソールとペチコートを身に着けました。お次はふんわり膨らんだパニエ。ブラウスに袖を通し、ジャンパースカートを着れば「そるじゃぁ・ぶるぅ」が背中の紐を編み上げてキッチリ結んで。
「わーい、サイズもピッタリだぁ! 後は靴下を履いて、この靴だよ!」
「…分かった。これで仕上げだな?」
真っ白な靴下もまたレースびらびら、ジャンパースカートと共布のピンクの靴はリボンを編み上げてふくらはぎまで。これは凄い、とキース君のロリータファッションを眺めていると。
「はい、仕上げは頭にヘッドドレス~♪」
これがなくちゃキマらないもんね、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」が白いレースとピンクのリボンで出来たカチューシャもどきをキース君の頭に被せて、顎の下で白いリボンをキュキュッと。うひゃあ、ここまでやりますか! もう完璧なロリータファッション、装飾過剰の域ですってば…。



「おい、本当に大丈夫なんだろうな?」
ちゃんと制服に見えるんだろうな、と教室に向かう廊下でキース君は何度も念押し。けれど…。
「ごめん、ぼくたちも生徒だからさ…」
その服にしか見えないんだよね、とジョミー君が言いにくそうに。
「キース先輩、事務局に顔を出してみますか? あそこだったらエラ先生が」
「馬鹿野郎! 飛んで火に入る夏の虫というヤツだろうが!」
エラ先生は風紀の鬼だぞ、とキース君。この格好で出くわした日には、特別生といえども停学は免れないでしょう。厳しいという点ではグレイブ先生も同様です。会長さんが操っているサイオニック・ドリームが本物かどうかは先生方に出会う時点まで分からないわけで…。
「広告塔だと言っていやがったのを信じるしかないな。…万が一の時には停学か…」
ブツブツと呟きながらキース君が歩く廊下に人影はまだありません。他の生徒が登校するには少し時間が早すぎるのです。グラウンドへ行けば朝練の生徒が多分大勢いるでしょうけど。
「グラウンドに行くっていうのはどうだよ? シド先生とかいるんじゃねえか?」
そこで試せよ、というサム君の意見をキース君は即座に却下しました。
「シド先生はチェックするには最適だが…。他の生徒が問題だ。朝練の邪魔をするのはマズイ」
「お前が見られたくないってだけの話じゃねえかよ」
どうせ時間の問題だぜ、とサム君が言い終えるのと同時に1年A組の前に到着。扉をガラリと開けて入ってゆくと…。
「「「あーーーっ!!!」」」
すげえ、と中から歓呼の嵐。ど、どういうことですか、なんでクラスメイトがこんなに沢山…!
「夢で言われたとおりだったな!」
「ぶるぅのパワーってすげえんだなあ、夢枕にまで立つのかよ!」
そしてコレが夢で言ってた力作だな、とキース君に群がるクラスメイトたち。
「凄いわ、ホントの本物よ~!」
「どうなってんだよ、これ? ちょっとスカートめくってもいいか?」
「ま、待ってくれ、これには事情が…!」
それに俺にも心の準備が、とキース君はパニックですけど、クラスメイトたちはお構いなし。
「いいって、いいって! ちゃんとぶるぅに聞いてるし!」
「そうよ、今日はモデルをするのよね? 全校生徒限定で!」
先生方には見えないのよね、と女子はキャーキャー、男子はワイワイ。ハート型のバッグは手渡しで回覧されつつあります。会長さんったら、ご丁寧に夢で宣伝しましたか! うわぁ、隣のクラスからも人が来ましたよ、この後はもう口コミで学校中に拡散ですねえ…。



やがてキンコーン♪ と予鈴が鳴って、隣近所からの見物客は立ち去り、クラスメイトたちも自分の席へ。キース君も緊張の面持ちで座っていますが、パニエで膨らんだスカートは椅子の両脇からはみ出しています。机の横には学校指定の鞄の代わりにハート形をしたピンクのバッグが…。
「諸君、おはよう」
グレイブ先生が靴音も高く入って来ました。教室中をグルリと見渡し、満足そうに。
「ふむ、今日も全員出席、と…。服装の乱れも無くて大いに結構。それでは今から出欠を取る。…ん? どうかしたかね?」
私の顔に何かついているかね、と尋ねるグレイブ先生に、クラスメイトたちは声を揃えて。
「「「なんでもありませーん!」」」
「…そうか。では、締まらない笑顔は慎むように。キース・アニアン!」
「はいっ!」
今年の名簿ではキース君が一番でした。ピシッと背筋を伸ばして答える頭にはレースびらびらのヘッドドレスが揺れ、服はピンクのロリータファッション。けれどグレイブ先生は淡々と次の生徒の名を呼び、朝のホームルームは何事もなく…。
「すげえや、あれがぶるぅの不思議パワーかよ!」
バレなかったぜ、とクラスメイトたちに取り囲まれたキース君は一躍、クラスの英雄です。
「これって写真に撮れるのかな? あれっ、撮れねえ…」
「ホントだ、制服が写るんだ…。先生に見えてるのはこっちのバージョンなんだな?」
ますますスゲエ、と話題沸騰。噂は光の速さで広がり、お弁当を広げる昼休みには上の学年からも見物客が次々と。上級生は「学園祭でこの力を使った出店がある筈」とサイオニック・ドリームが売りの『ぶるぅの空飛ぶ絨毯』の宣伝までしていってくれました。
「すげえな、そるじゃぁ・ぶるぅって…。1年A組で良かったぜ!」
「うんうん、マジで一年間、色々楽しめそうだしな!」
ワクワクしている男子がいれば、ドキドキしている女子たちも。
「こんなドレスが作れるなんて凄すぎよ! もしかして靴も手作りかしら?」
「あ、ああ…。まあ、そう聞いているが」
キース君が答えると「キャーッ!」と黄色い悲鳴が炸裂。
「こういうのって買うととっても高いでしょ? バッグだって安物だとすぐに破れちゃうし…。お願いしたら何か作って貰えるのかしら、ダメ元でお願いしようかしら?」
「そうね、ついでに会長さんとお近づきになれたら最高かも!」
「い、いや、それは…」
悪い事は言わんからあいつはやめとけ、というキース君の忠告は無視されました。キース君にこれを着せちゃった人が会長さんだと大声で言ったら女子生徒の熱は収まるでしょうか? ううん、嘘だと流されて終わりでしょうねえ、超絶美形な会長さんの人気は半端じゃありませんから…。



「そるじゃぁ・ぶるぅ」の不思議パワーとお裁縫の腕の動く広告塔、キース君。移動教室でも全くバレず、午後の授業も無事に終わって残るは終礼だけという時。
『ちょ、ちょっと…!』
「「「???」」」
会長さんの悲鳴のような思念が頭の中に響きました。何だろう、と顔を見合わせましたが、同じサイオンを持つ特別生のアルトちゃんとrちゃんは知らん顔です。ということは、今の思念波は私たち七人グループ限定。いったい何が、と思った瞬間。
『ダメだってばーっ!!!』
会長さんの絶叫が聞こえ、教室の前の扉がガラリと。
「諸君、終礼…」
そこまで言ったグレイブ先生がピキンと固まり、入口でワナワナと震えています。一度青ざめた顔がみるみる真っ赤に変わって、出席簿でバァン! と壁を殴ると。
「な、なんだ、その服は、キース・アニアン!!!」
「…えっ?」
「しらばっくれるな! 答えてみろ、今日はハロウィンかね、カーニバルかね?!」
「「「………!!!」」」
バレた、と私たちは瞬時に悟りました。グズグズしてはいられません。何が起こったか分かりませんけど、サイオニック・ドリームが解けたのです。証拠写真を撮影されたり、このまま連行されたりしたらキース君はたちまち停学の危機。ここは急いで逃げるしか…!
「キース先輩、逃げて下さい!」
シロエ君が叫び、サム君が。
「急げ、捕まったら終わりだぞ!」
「こらぁっ、お前たち、さては共犯か! 全員、今すぐ…」
「「「失礼しまーすっ!」」」
最後まで言わせず、私たちは教室を飛び出しました。キース君はハート形のバッグをしっかりと抱え、私たちも自分の鞄を持って。クラスメイトたちのエールを背中に、ひたすらダッシュ。
「頑張ってー!!」
「最高のショータイム、ありがとうなー!!」
「そるじゃぁ・ぶるぅと会長によろしくーっ!!!」
あぁぁ、みんなパフォーマンスだと信じていますよ、これって不幸な事故なのに! あっ、向こうから教頭先生?! すみません、私たち、急ぐんです! こんな格好で失礼しますーっ!!!



「廊下を走るな」と言いたかったらしい教頭先生は、キース君のロリータファッションと私たちの必死の形相に圧倒されたか、ザッと壁際に退避しました。その前を駆け抜け、中庭で出くわしたゼル先生の怒声をぶっちぎり、息を切らして走り込んだ「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお部屋では…。
「こんにちは。凄いね、その服」
「「「!!!」」」
ちょっと見せて、とツカツカと近付いてくる会長さんのそっくりさん。紫のマントの正装でなくても分かります。もしかしなくても、サイオニック・ドリームが解けたのは…。
「…ごめん。ブルーがロリータファッションに興味を持っちゃって…」
申し訳ない、と頭を下げる会長さん。
「え、別にいいだろ、少しでも早く見たかったんだし…。あのままだったらまだ一時間は此処に帰って来そうもないし」
学校中の人気者、とソルジャーはいけしゃあしゃあと。
「サイオニック・ドリームが解けてしまったら逃げるより他に無いからねえ? ちょっとブルーと勝負をね」
「…で、負けたんだな?」
あんたの方が、とキース君が会長さんをギロリと睨んで。
「停学になったらどうしてくれる! あんたが絶対安全だと言うから引き受けたんだぞ、広告塔を! 俺の立場はどうなるんだ!」
「ああ、それねえ…。ぼくが見たくて呼んだんだからさ、万一の時にはフォローはバッチリ! 証拠隠滅も記憶操作も任せといてよ、SD体制の世界に比べりゃチョロイもんだし」
それよりも、とソルジャーはキース君の姿を上から下まで眺め回しました。
「これがロリータファッションかぁ…。裁縫の腕を競う服だと思ってたから、普通に覗き見してたんだけど…。今日はノルディとランチに出掛けて、そこでキースの話をしたらさ、ノルディが「もったいないですねえ、キースには…」って」
「「「は?」」」
「なんか、そそられる服なんだって? この下はどうなっているんだろうとか、どう脱がすのが素敵だろうとか…。過剰包装の極みみたいなファッションだからさ、脱がしてみたいって気持ちになったらワクワクしてくるタイプの服だと」
普通の男は着ないらしいけどね、と片目を瞑ってみせるソルジャー。
「でもさ、女装が好きなタイプの男の中にはこっち系が売りのもいるらしい。ノルディは場数を踏んでいるから、そういう系のも好みだそうだよ。でもって、ぼくのハーレイにお勧め」
この手の服で燃えそうだってさ、とソルジャーはキース君のスカートをヒョイとめくって。
「うん、いいね。…めくっても中がまるで見えない」
ぶるぅ、ちょっと、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」に手招きを。これは良くないフラグのような…。



「んとんと…。ブルーだったらピンクもいいけど、もっと赤いのも似合いそう!」
大人っぽい感じになっちゃうけどね、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」がデザイン画を幾つも並べています。テーブルの上にはレモンクリームたっぷりのシトロンのタルトが置かれていますが、ソルジャーはそれどころではないらしく。
「うーん…。ハーレイの好みはどっちだろう? 大人っぽいのか、ふんわりお姫様テイストか…。ねえ、君たちはどう思う?」
「知らないよ!」
会長さんが突っぱね、キース君も。
「知るか! それより、これは脱いでもいいのか!?」
「あーっ、ダメダメ! 脱がす過程が大事なんだってノルディが言ったし、参考のために後でじっくりと…。いいだろう、キース? 脱がすくらいは」
君に手を出したりはしないからさ、と言われたキース君、顔面蒼白。
「ちょ、ちょっと待て…! なんであんたが…!」
「どうせ自分じゃ脱げないだろう? 背中の方とか無理だと思うよ、着る時もぶるぅが着せていたしね。ぶるぅかぼくかの違いだけだよ、後で是非!」
何処から脱がすかも参考までに、とソルジャーは赤い舌で自分の唇をペロリ。
「ヘッドドレスは最後がいいかな、それとも靴と靴下を残すべきかな? とにかくぼくが脱がしたいから、そのまま着てて」
ぼくのドレスが決まるまで、と言うなりキィン! と青いサイオンが走り、キース君が慌ててヘッドドレスを結び付けた顎のリボンに手をかけて…。
「…ほ、ほどけない…?」
「マジかよ、ぶるぅが普通に結んでたぜ?」
ほどけるだろう、とサム君がリボンを掴んだものの、結び目はビクとも動かないらしく。
「無理、無理! ぼくのサイオンで縛ったからねえ、君たちじゃ絶対ほどけないね。ドレスも靴も全部そうだよ、ぼくが脱がすまで待っててくれれば簡単、簡単」
「…ま、待て! 俺はあんたに脱がされる趣味は…!」
「いいじゃないか、別に減るもんじゃなし…。それより、ぶるぅ。背中はやっぱりリボンで締めるタイプがいいかな、手間暇かかるっていう意味ではさ」
「かみお~ん♪ 脱がしにくいのを選ぶんだったらお勧めだよ!」
キースのと同じタイプだよね、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」はソルジャーのために作るドレスのデザイン選びに燃えていました。そしてソルジャーは後でキース君をじっくり脱がせるつもりです。キース君は会長さんに必死に助けを求めていますが、会長さんにも不可能らしく。
「…ご、ごめん…。サイオニック・ドリームが解けた責任はブルーに取らせるし、その対価だと思って耐えて! 多分、脱がされるだけだから…。手つきが多少アヤシイかもだけど、実害は無い筈だから…!」
「耐えられるかーっ!!!」
殺される、というキース君の悲鳴を私たちは耳を塞いでスル―しました。キース君には悪いですけど、ここは一発、人柱! ソルジャーの興味はキース君の方へと向いてますから、広告塔らしく最後まで! ロリータファッションを極めたいソルジャーのフォローよろしくお願いします~!




          お裁縫も得意・了

※いつもシャングリラ学園を御贔屓下さってありがとうございます。
 キース君のロリータファッションですけど、元ネタ、実はあるんですよね、本家キースで。
 放映当時に出たスピンオフ漫画、『青き光芒のキース』。当時はスルーしてましたけど。
 今頃になって読んだらキースが女装で、「公式でやっていたんなら!」と…。
 来月は第3月曜更新ですと、今回の更新から1ヶ月以上経ってしまいます。
 よってオマケ更新が入ることになります、3月は月2更新です。
 次回は 「第1月曜」 3月7日の更新となります、よろしくです~!

※毎日更新な 『シャングリラ学園生徒会室』 はスマホ・携帯にも対応しております。
 こちらでの場外編、2月は、ソルジャーをスカウトしたい人物が現れたようで…。
 






PR

※シャングリラ学園シリーズには本編があり、番外編はその続編です。
 バックナンバーはこちらの 「本編」 「番外編」 から御覧になれます。

 シャングリラ学園番外編は 「毎月第3月曜更新」 です。
 第1月曜に「おまけ更新」をして2回更新の時は、前月に予告いたします。
 お話の後の御挨拶などをチェックなさって下さいませv




シャングリラ学園の新年はお雑煮の大食い大会から。この大会で優勝すると担任の先生の他に二人の先生を指名し、闇鍋を食べさせる権利が貰えます。1年A組は例年無敵の優勝を誇り、今年もグレイブ先生と教頭先生、それにゼル先生の三人に超絶マズイのを食べさせたのですが…。
「諸君、おはよう」
翌朝のホームルームに現れたグレイブ先生の御機嫌もまた超絶最悪というヤツでした。
「闇鍋の件で私は文句を言うつもりはない。諸君は学校からの指示のとおりに食品を一品ずつ持ち寄っただけに過ぎないからな。…だが!」
グレイブ先生は教室を見回し、一番後ろに机が増えていないことを確認すると。
「ブルーは何処だ? 来ていないのか?」
「「「来てませーん!」」」
一斉に答えるクラスメイトたち。会長さんが出て来る時には机が一つ増えるのです。無いんですから来るわけがなく、来るつもりもないのは自明の理。グレイブ先生もそれは分かっている筈で…。
「そうか、いないなら仕方ない。ブルーは1年A組だったな? それでは諸君にお願いしよう」
「「「???」」」
「昨日の闇鍋は最悪だった。ここ数年でも屈指の出来で、私は今朝までトイレと友達だったのだ! この鬱憤を晴らすためにはトイレ掃除しかないだろう。諸君! 放課後は諸君に全校のトイレ掃除を命じる。終礼までに分担を決めておくから覚悟したまえ」
「「「えーーーっ!!!」」」
それはない、とクラス全員がブーイング。闇鍋は恨みっこなしがルールです。なのに…。
「やかましい! 1年A組では私が法律だ! やれと言ったら必ずだ! ブルーがいたなら一人でトイレ掃除をさせたが、いないからには諸君が連帯責任なのだ!」
分かったな、と言い捨てたグレイブ先生は靴音も高く出てゆきました。教室の中は一気にお通夜な雰囲気です。
「…トイレ掃除かよ…」
「あれって普段は業者さんだよな? 学校中ってトイレが幾つあるんだ?」
「さ、さあ…。職員用のも入るのか?」
「どうするのよ、まさか素手でやれとか言わないわよね?」
手が荒れちゃう、と嘆く女子やら、ひたすら文句の男子やら。私たち七人グループも思わぬ出来事に頭が回らず、会長さんに思念波で連絡どころか休み時間に「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお部屋へ駆け込むことさえ考え付きませんでした。その結果…。



「諸君、覚悟は出来ているかね?」
分担表を作って来たぞ、とグレイブ先生が終礼で黒板に紙を張り出しました。
「各班ごとに受け持ちのトイレとトイレの場所が書いてある。掃除のやり方は別紙を見たまえ。掃除を終えたら順に報告に来るように。業者さんがチェックし、OKが出たら解散だ。一つでも不可の班があったら、完了するまでクラス全員下校は出来ん。そのつもりでキリキリ頑張るのだな」
「「「………」」」
掃除も連帯責任ですか! 各班の代表が黒板を見に行き、項垂れています。一つの班が掃除するトイレは男女別に二ヶ所か三ヶ所、職員用も含まれていて。
「…ウチは本館ばかり二ヶ所だ」
戻って来た班長さんの台詞で私の班がババを引いたことが分かりました。本館のトイレは教職員専用になってますけど、学校に来た偉い人たちも使います。それだけに充実の設備と備品で、掃除の手間は生徒用に比べて何割増しかは考えたくもない所。他の班も落ち込みポイント多数のようで。
「…仕方ない、行くか…」
「行かないと終わらないからな…」
帰るためにはやむを得ない、とガタガタとあちこちで立ち上がる音が聞こえた時です。
「かみお~ん♪」
ガラリと教室の前の扉が開き、「そるじゃぁ・ぶるぅ」が入って来ました。
「グレイブ、みんなを苛めちゃダメ~! 闇鍋は恨みっこなしだもん!」
「ほほう…。だったらブルーはどうした? まずはあいつが顔を出すのが筋だろう」
お前ではな、と鼻先で笑うグレイブ先生。
「文句があるなら子供ではなく、しかるべき責任者が出て来るものだ」
「だから来たもん! 責任者だもん! コレはぼくしか出せないもん!」
ズイッと突き出された「そるじゃぁ・ぶるぅ」の小さな左手。
「ブルーが押して来なさいって! 気合を入れて丸一日は効く分で!」
「な、なんだと?!」
グレイブ先生が訊き返すのと「そるじゃぁ・ぶるぅ」が飛び上がったのとは同時でした。小さな左手がグレイブ先生の右の頬っぺたにペタン! と押し付けられて、其処に真っ黒な手の痕が。落款よろしく白抜きで「そるじゃぁ・ぶるぅ」の名前入りです。
「わぁーい、押しちゃったぁー! 左の手形はアンラッキー!」
トイレ掃除をさせるんだったらもっと押すよ、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」はニコニコニコ。グレイブ先生はスーツの胸ポケットから取り出した鏡で自分の顔を呆然と眺め、トイレ掃除の刑は取り止めに。クラスメイトは狂喜乱舞で「そるじゃぁ・ぶるぅ」は胴上げですよ~!



得意満面の「そるじゃぁ・ぶるぅ」を先頭に立てて、私たちはいつもの溜まり場へ。生徒会室の奥の壁を通り抜けて入った部屋では会長さんがお茶の用意をしていました。
「やあ。今日は災難だったようだね」
「誰のせいだと思ってるんだ!」
あんただろうが、とビシィと指差すキース君。けれど会長さんは涼しい顔でアップルジンジャーのショコラタルトを切り分け、ホットココアを配ってから。
「助け舟なら出しただろう? ちゃんとぶるぅを行かせたじゃないか」
「…それはそうだが…。しかしだな!」
「放課後までの間、生きた心地がしなかったって? ぼくに連絡が無かった辺りがパニックぶりの証明だけどさ、たまには普通の学生気分もいいと思うよ」
グレイブの八つ当たりは今に始まったわけじゃなし、と会長さん。
「それにね、黒い手形を披露したいと思わないかい? ぶるぅの手形は有名だけれど、それは右手の赤いヤツ。左手で押された黒い手形の効き目の方もさ、披露しといて損は無い」
生徒相手に使うつもりは無いけれど、と会長さんが言えばキース君が。
「当然だろうが! アレを一般人に使うな!」
「ふふ、究極の破壊兵器だしねえ? 早速始まったみたいだよ」
パチンと会長さんの指が鳴らされ、壁に中継画面が出現。その中ではグレイブ先生が頭からビショ濡れで廊下にへたり込み、バケツを抱えた業者さんが平謝りです。
「拭き掃除中の業者さんと目出度く正面衝突ってね。謝ってるのは業者さんだけど、グレイブが先に足を滑らせてぶつかった。目撃者多数だし、非はグレイブの方に在りだよ」
目撃者は通行人の生徒たち。グレイブ先生は怒るに怒れず、気を取り直して立ち上がったものの、今度は濡れた床で滑って顔からズベーッ! と廊下を磨く羽目に。
「「「……スゴイ……」」」
なんと激しい効き目なのだ、と見ている私たちも衝撃です。「そるじゃぁ・ぶるぅ」の黒い手形はアンラッキー。押されたが最後、それが消えるまで不運に見舞われる代物ですけど、久しぶりに見た効果のほどは凄まじく…。
「まだまだ続くよ、ぶるぅには丸一日のコースで行けって言っといたしね。明日の終礼くらいまでかな。…他の先生たちも手形に気付くし、災難は増える一方かと」
アンラッキーに加えて人的災難も大いに招く、とほくそ笑んでいる会長さん。あっ、中継画面の向こうにブラウ先生が出て来ました。グレイブ先生の頬の手形を見付けたらしくてニヤニヤニヤ。おおっ、早速、携帯端末で写真を撮って送信ですか! グレイブ先生の不幸、一気に拡散…。



右の頬っぺたに黒い手形をペッタリ押されたグレイブ先生。手形パワーに引き寄せられた不運の数々もさることながら、他の先生方が仕掛ける悪戯や罠も半端ではなかったらしいです。
「…諸君、そろそろ消えただろうか?」
憔悴しきったグレイブ先生。翌日の終礼の席で頬を指差し、私たちが。
「「「まだついてまーす!!!」」」
揃って答えた次の瞬間、黒板の上に飾られていた額が落下してグレイブ先生の頭を直撃。はずみで突っ伏した教卓で顔面を強打し、暫く呻いておられましたが…。
「「「…あっ、消えた…」」」
フラフラと身体を起こしたグレイブ先生の頬から黒い手形が消えていました。グレイブ先生は直ぐにポケットから出した鏡で確かめ、ホッと息をついて。
「…やっと消えたか…。諸君、これが恐ろしい手形パワーというヤツだ。在学中に押されないよう、くれぐれも気をつけることだな」
「「「分かってまーす!」」」
元気一杯のクラスメイトたち。黒い手形が生徒に押されることはない、と私たちが説明したため、1年A組を含めた全校生徒がグレイブ先生のアンラッキーを高みの見物だったのです。おまけに頬っぺたの手形があまりにも見事だったため、その次の日から。



「なんかすげえな、大流行りだぜ」
サム君が言う通り、先生方の間でフェイスペイントが大流行。一日目はグレイブ先生を嘲笑うように全員揃って右の頬っぺたに真っ黒なマーク。手形あり、猫やアヒルの足形ありとバラエティ豊かにキメて来ました。次の日からは思い思いのペイントで。
「これは当分、流行りそうだが…。かるた大会くらいまでか?」
それが済んだら入試前だし、とキース君。
「いくらなんでも下見の生徒が来る時期まではやらんだろうしな」
「さあ、どうだか」
なにしろウチの学校だし、と会長さんが放課後の「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお部屋でクスクスと。
「自由な校風が売りだからねえ、生徒の服装さえキチンとしてれば逆に好感度はアップかも…。先生方の実力の方は昔から評判なんだしさ。三百年を超える実績!」
「そうだっけ…。じゃあ、当分は続くわけ?」
ジョミー君が今日の先生方のフェイスペイントのユニークさを挙げれば、シロエ君が。
「続いても不思議はないでしょう。…ぼくの読みでは鍵は教頭先生かと」
「「「教頭先生?」」」
「そうです。未だに何も描いてないのって、教頭先生だけですし」
「「「あー…」」」
そういえば、と記憶を遡ってみる私たち。フェイスペイントが流行り始めて一週間ほどになりますけれど、教頭先生だけは一度も描いてらっしゃらないのです。初日の黒いマークで揃えた日でさえ、我関せずと不参加で。
「教頭先生、柔道部の部員に訊かれて「私の柄ではないからな」と仰ってましたけど、相手はウチの学校です。柄じゃないからってやらないでいるとノリが悪いと看做されそうです」
絶対そっちの方向です、とシロエ君。
「ですから、まだまだ続くと思うんですよ。…教頭先生が参加なさるか、あるいは無理やり参加させられるか。先生方が全員揃ってフェイスペイントを披露なさる日まで、ブームは収まらないと見ました」
「そうかもなあ…」
サム君が頷き、スウェナちゃんが。
「有り得るわね。かるた大会の寸劇が済んでも教頭先生が今のままなら、入試シーズンに突入しようとフェイスペイントは続くわよ」
寸劇は弾けるイベントでしょ、とスウェナちゃん。
「それをやってもフェイスペイントをなさらなかったら、ノリが悪いじゃ済まされないわ。強制参加の方に行くわね」
きっとそうよ、というスウェナちゃんの読みが正しかったことを、それから間もなく私たちは知ることになったのでした。



新年恒例の闇鍋と並ぶシャングリラ学園の冬の名物、かるた大会。プールに散らされた大きな百人一首の取り札を奪い合うクラス対抗イベントです。これで学園一位に輝くとクラス担任の他に先生を一人指名し、寸劇をして貰えるという仕組み。これまた1年A組の学園一位がお約束で。
「…諸君、おはよう。昨日は楽しんでくれたかね?」
グレイブ先生、かるた大会の翌朝のホームルームで咳払い。今日は頬っぺたにヒエログリフが輝いています。えーっと、あれって意味があるんですよね、どう読むんだろ?
「今日のペイントは昨日の寸劇に因んでみた。…あの寸劇が誰の趣味かは知らんがね」
うぷぷぷぷぷ…。クラス中が笑いを堪えています。グレイブ先生は自分の右の頬を示すと。
「語学と歴史は私の専門ではないが、笑い物で終わるのは頂けない。これはヒエログリフと言って昨日の寸劇の舞台になった世界の文字だ。それだけではないぞ。この文字を囲む模様にも意味がある。教養の足りない諸君には何に見えるかね? 位牌かね?」
どうだ、と訊かれた模様は位牌のようにも、墓石のようにも見えました。ヒエログリフを取り囲んでいる線のことです。キース君なら知ってるかも、と盗み見れば答えを知っている様子。けれどクラスメイトたちは私と同じで分からないらしく、グレイブ先生は勝ち誇った顔で。
「この模様はカルトゥーシュと呼ばれている。王の名前を囲むためだけに存在している記号なのだよ。ヒエログリフの文章にこれを見付けたら王の名前だと思いたまえ。…そしてカルトゥーシュに囲まれたこの文字はメンフィスと読む」
「「「メンフィス!?」」」
それは昨日の寸劇でグレイブ先生が演じた役名。ピラミッドの国の王の名です。
「昨日の劇は『王家の紋章』という少女漫画から取ったらしいが、男子生徒には知らない者も多いだろう。この機会にカルトゥーシュの存在を覚えることだ。そうすれば少し教養が増える」
馬鹿騒ぎだけで終わらせるな、と靴の踵をカッと鳴らしてグレイブ先生は出欠を取り始めました。寸劇は例によって会長さんの企画です。グレイブ先生は長い黒髪のカツラを被って少女漫画のファラオを演じ、教頭先生がヒロインでしたっけ…。そしてホームルームが済み、一時間目が。
「………おはよう」
チャイムが鳴って入って来た古典の先生。いわゆる教頭先生ですけど、誰もが声を失いました。
「「「………」」」
「そんな顔をしないで欲しいのだが…。私の方も恥ずかしいのだ」
決して私の趣味ではない、と強調している教頭先生。
「これは朝からブラウとエラが…。本当だ、私が描いたのではない!」
違うのだ、と叫ぶ教頭先生を他所に1年A組は爆笑の渦に。教頭先生の顔には両目を黒々と縁取るアイラインやら、濃すぎる緑のアイシャドウやら。昨日のヒロイン、王妃キャロルさながらの派手なメイクはフェイスペイントの一種でしょうねえ…。



教頭先生が無理やり施されたフェイスペイントは悪質なことに油性でした。よほど強力なものを使ったのか、その次の日も取れないまま。その一方で他の先生方はフェイスペイントをピタリと止めてしまっただけに悪目立ち度は群を抜いていて。
「かみお~ん♪ ハーレイ、今日も凄かったね!」
似合ってないね、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」が子供ならではの遠慮の無さで言い放つ放課後。
「劇と違って服もカツラも無いもんね♪」
「…あった方が怖かったんだが…」
夢に出そうだ、とキース君。
「しかしスウェナが言ったとおりにフェイスペイントは収まりそうだな。教頭先生のメイクも週末までには消えるだろう」
「だろうね」
会長さんが頷いています。
「ぶるぅの手形から思わぬ方向に発展したけど、楽しかったよ。手形を披露した甲斐があった」
「うん、その点はぼくも同意見!」
えっ、会長さんの声が二人分? なんで、と振り返った先で紫のマントがフワリと揺れて。
「こんにちは。なんか凄いね、ハーレイのメイク」
似合わないなんて次元じゃなくて、と言いつつ現れた会長さんのそっくりさん。ソルジャーはスタスタと部屋を横切り、空いていたソファに腰掛けました。
「ぶるぅ、今日のおやつは何があるわけ?」
「えっとね、恵方巻ロールケーキの試作品!」
こんな感じで、と運ばれてきた大皿の上に乗っかったロールケーキはまさしく節分の恵方巻。海苔の代わりに黒いクレープで巻かれた太巻き寿司です。
「「「うわぁ…」」」
こんなケーキもアリなのか、と驚いている間に切り分けられて各自のお皿に。
「シャリの代わりにお米の粉のケーキなの! でね、中の具を何にしようかなぁ…って」
カンピョウとか色々入れるでしょ、と説明してくれる「そるじゃぁ・ぶるぅ」。色とりどりの具は甘く煮た果物だったりピューレだったり、クリームだったり。
「キュウリは今日は固めのピューレにしたけど、ホウレンソウのケーキで作ってもいいし…。節分までに色々試してみなくっちゃ!」
ケーキ作りの醍醐味だよね、と供された試作品とやらは充分に美味しいケーキです。節分の日にはきっと絶品の恵方巻ロールが出来るでしょう。これは今から楽しみかも~!



恵方巻ロールに感動しながらパクパク食べて、美味しい紅茶やコーヒーも。教頭先生のフェイスペイントのことは誰もがすっかり忘れてましたが。
「…あのさ、ハーレイのメイクだけども」
いきなりソルジャーが口を開いて。
「あれってフェイスペイントだってね、物凄いけどさ。…寸劇のメイクも強烈だったし」
「君のハーレイにもやらせたいとか?」
止めないけれど、と会長さんが言うと、ソルジャーは。
「そうじゃなくって…。せっかくフェイスペイントまで辿り着いたんだ。もう一歩踏み込んでみたらどうかな、と思ったんだよね」
「「「は?」」」
「実は昨日はノルディとディナーで」
ノルディの家で、と悪びれもせずに語るソルジャー。
「いいトリュフが入りましたから、って誘われちゃってさ…。今はトリュフの旬なんだってねえ? トリュフ尽くしで御馳走になって、その時の話題がフェイスペイント」
「…それで?」
嫌な予感しかしないんだけど、と会長さんが先を促せば。
「話が早くて助かるよ。ぼくはノルディに「飾るのは顔しかないのかい?」と訊いたわけ。どうせだったらアソコを飾るとか、そういう系のは無いのかなぁ…って」
「退場!!」
さっさと出て行け、とレッドカードを突き付ける会長さんですけど、ソルジャーは。
「嬉しいなぁ、アソコだけでバッチリ通じるなんてね。…つまりさ、ぼくはハーレイの大事な部分を飾るのとかは難しいかな、ってノルディに訊いてみたんだけれど…」
「退場だってば!」
「人の話は最後まで聞く! ノルディが言うにはアソコにチョコレートを塗ってチョコバナナ風とかが王道だけども、飾るんだったらボディーペイントっていうのがあるんだって?」
「「「ボディーペイント?」」」
なんじゃそりゃ、と首を傾げる私たち。フェイスペイントが顔なんですから、ボディーペイントだと身体でしょうか? 飾るとか言っていますから…。
「そう、身体! これがなかなか凄くってさ」
ノルディが色々と画像を見せてくれたよ、とソルジャーの顔が輝いています。ボディーペイントとやらを吹き込んだ人がエロドクターだけに、ロクでもない画像のオンパレードとか?



ソルジャーがエロドクターの家で見て来た画像について話す前から私たちの警戒感は既にMAX。何を言われても心に耳栓、驚かないぞと決めていたのに。
「服を着ているヤツもあるんだよ」
「「「え?」」」
それは普通に当たり前では? ボディーペイントでも最低限の服は必須というものでしょう。
「あれっ、もしかして通じてないかな? 服を着たように見えるヤツって意味だよ。本当はスッポンポンなんだけど」
「「「えぇっ!?」」」
スッポンポンって…全裸ですか? 裸でボディーペイントですか?
「それが王道みたいだよ? 背景の壁と同じ色に塗って透明人間風を気取るとか、動物なりきりでシマウマみたいに塗っちゃうとか…。服を着ていちゃそうはいかない」
な、なんと…! 服は無いのがデフォですって?
「そうなんだよねえ、中には上半身とかだけっていうのもあるけどさ。…ノルディが言うにはアートの域まで達するためには潔く全身ペイントらしいよ。その一環として服を着ているヤツも」
服と見せかけて実は描いてあるのだ、とソルジャーは解説を始めました。
「もうね、服の模様からボタンとかベルトまでキッチリと描いてあるんだな。近寄って見たらスッポンポンだと気付くだろうけど、遠目には絶対分からないね。ああいう世界をハーレイにやらせてみたらどうかと」
フェイスペイントから踏み込んで、と指を一本立てるソルジャー。
「もちろん自分で出来るアートじゃないからねえ? ハーレイの身体はあくまでキャンバス、ペイントするのは他の人! それをブルーがやると言ったら絶対に釣れる!」
「…あまりやりたくないんだけれど?」
スッポンポンのハーレイなんて、と会長さんは全く乗り気じゃないのですけど、ソルジャーは。
「ううん、やったら楽しいって! 漠然とそういう考えでいたら、恵方巻ロールケーキの試作品なんて素敵なモノがね…。どうだろう、ハーレイの身体をお菓子みたいに飾ってみるとか! イチゴを描いたり、クリームを塗ったり、デコレーションケーキのハーレイ風!」
でね、と微笑んでみせるソルジャー。
「デコレーションケーキなペイントにするなら、画材の方も食べられるヤツで! 上手く描けたら食欲アップで君がハーレイを食べたくなるとか、ぼくが味見とか、こう、色々と」
「却下!!!」
「誰も食べろとは言っていないし、食べるとも言っていないけど? 要するにアレだよ、ハーレイをその気にさせる餌だよ」
飾るだけ飾って後は笑い物、とソルジャーはニヤリ。つまり絵を描くだけなんですか?



フェイスペイントならぬボディーペイント。ソルジャーの提案は実に恐ろしいものでした。教頭先生の身体をキャンバスに見立て、デコレーションケーキ風に仕上げるつもり。あまつさえ食べられる素材で絵を描き、食べて貰えると思い込ませる方向で…。
「いいアイデアだと思うけどねえ? それにさ、万に一つの可能性でさ、君がハーレイを食べたくなるかもしれないし…。食べないなら食べないで笑えばいいしね」
「……うーん……」
会長さんが葛藤していることが傍目にもハッキリ分かりました。日頃から教頭先生をオモチャにしたがる会長さん。フェイスペイントの切っ掛けになった寸劇もその一つです。ブラウ先生とエラ先生にメイクをされた教頭先生の姿も大いに楽しんでいるわけですから、ボディーペイントも…。
「…悪くないとは思うんだけど……」
落とし所をどうするか、と腕組みをする会長さん。
「笑い物にするっていうオチだったら、ボディーペイントをする価値はある。でもねえ、飾って笑ってそれで終わりに出来るかなぁ…?」
ハーレイは諦めが悪いんだ、と会長さんはブツブツブツ。それでも心はかなりボディーペイントへと傾いてしまっているようです。
「面白そうだし、食べられる画材でやるっていうのも楽しいけれど…。全身お菓子なデコレーションケーキに「食べてくれ」って追われるのはねえ…」
それだけは勘弁願いたい、と零す会長さんに、サム君が。
「外へ逃げればいいんじゃねえか?」
「ああ、そうか! 外へ出ちゃったらストリーキングか…」
服を着てないんだったっけね、と会長さんがポンと手を打ち、キース君が。
「いわゆる公然猥褻罪だな、警察を呼ばれても仕方ない。…俺はそこまでやりたくはないし、その前に教頭先生を止めに入るのが筋だと思うが」
「なるほどねえ…。ハーレイがしつこかったら外に逃げる、と。退路があるならやってもいいかな、ブルーのお勧め」
その気になった会長さんに、ソルジャーが至極満足そうに。
「いいねえ、やる気になったんだ? それじゃ顔のメイクが取れそうな頃合いで土曜日はどう? 君がいつでも逃げ出せるようにハーレイの家へ押し掛けてってさ」
「そうだね、ぼくの家では逃げても外の廊下だし…。それにスッポンポンのハーレイを家で拝むのも嬉しくないし」
「決まりだね。土曜日はハーレイをデコレーション! 美味しそうなデザインを考えといてよ、恵方巻ロールの試作ついでに!」
楽しみだなぁ、とワクワクしながらソルジャーは帰ってゆきました。やるんですか、ボディーペイントを? それも食べられる材料で…?



教頭先生の顔のメイクがなんとか消えた金曜日の放課後。「そるじゃぁ・ぶるぅ」は恵方巻ロールケーキの試作を続けているようですけど、私たちのおやつはフランボワーズのタルトでした。試作品は会長さんと試食した後、「ぶるぅ」に送っているようで。
「あのね、ぶるぅも試食をしたいらしいの! それに一人でうんと沢山食べるしね♪ 一日に三十本でも食べられるよ、って!」
頼もしい協力者の出現で恵方巻ロールは素晴らしい進化を遂げそうです。節分には最高の出来のが出て来るでしょうが、その前に明日が問題で。
「…おい」
キース君が会長さんに声を掛けました。
「教頭先生には言ってあるのか、例の話は」
「言ってないけど? そういうのって基本はサプライズだろ?」
ぼくがハーレイを食べてあげるかもしれないんだよ、と会長さん。
「鼻血を堪えてボディーペイント! 食べられる画材も用意したしね。ね、ぶるぅ?」
「うんっ! お勉強にも行ったんだよ、ぼく!」
「「「お勉強?」」」
何処へ、と尋ねた私たちに「そるじゃぁ・ぶるぅ」はエッヘンと。
「ケーキ屋さん! イラストケーキとキャラクターケーキのお店なの!」
「「「えっ?」」」
なんですか、それは? イラストケーキ…?
「えっとね、写真とか絵とかをケーキの上に描くんだよ♪ 普通のケーキも作ってるけど!」
こんな感じで、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」が見せてくれた写真には会長さんとフィシスさんの似顔絵が描かれた大きなケーキが。フィシスさんはもちろん金髪、会長さんの瞳は赤です。二人の似顔絵の周囲にクリームを絞り出し、フルーツなんかもトッピング。
「お勉強に行って作って来たの! ブルーとフィシスと、ぼくと三人で食べたんだ♪」
「フィシスもとっても喜んでくれたよ、沢山写真を撮ったんだけど…。見る?」
けっこうです、と言うよりも先に会長さんがプリントした写真を何枚も。ケーキを前に笑顔の会長さんとフィシスさんやら、ウェディングケーキの入刀式風やら、御馳走様ですとしか感想の出ない甘々な写真が次から次へと…。
「というわけでね、ぶるぅは食べられる画材の知識はもうバッチリ! どんな色でも作り出せるし、ハーレイをデコレーションケーキに見立てるくらいは朝飯前さ」
「かみお~ん♪ この写真だってケーキに描くなら描けちゃうもんね!」
青でも緑でもドンとお任せ! と胸を張りつつ、こう付け加えるのも忘れなかった「そるじゃぁ・ぶるぅ」はプロ中のプロ。
「でもね、恵方巻ロールは自然の色で頑張るよ!」
食用色素は使わないんだ、との嬉しいこだわり、流石です~!



こうして迎えた運命の土曜日。私たちが会長さんのマンションに行くと、ソルジャーが先に来ていました。私服姿で会長さんと一緒にボディーペイントの材料をチェック中で。
「こんにちは。ハーレイのケーキはチョコレートクリームでいくらしいよ」
「素材の色は活かさなくっちゃね? ぶるぅもそういう意見だし」
だからチョコレートクリームたっぷり、と会長さんが指差すボウル何杯分ものクリーム。教頭先生の肌の色を見事に再現してあるようです。
「これをベースにフルーツとかを描いていくわけ。君たちに絵心は期待しないけど、クリームくらいは手伝ってよね」
「「「えぇっ!?」」」
「ムラが出来ないよう、綺麗に塗る! ケーキだとパレットナイフになるけど、相手はハーレイの身体だし…。刷毛を用意したからコレでお願い。細かい部分はこっちの筆で。ノルマは女子が腕を一本ずつ、残りは男子がジャンケンでどうぞ」
両足と顔から下の身体だ、と会長さんに言われた男子は顔面蒼白。ですが…。
「あっ、待って! 大事な部分はぼくが塗りたい!」
一度は練習しておかないと、とソルジャーが名乗りを。
「ノルディお勧めのチョコバナナをねえ、やろうと思っているんだな。もちろん、ぼくのハーレイで! デコレーション用のチョコペンもピンクとか青とか買ったんだよ。だけどベースのチョコを塗らなきゃ」
そのために予行演習を、と燃えるソルジャーのお蔭で男子の役割分担も決まった模様。私たちは会長さんたちの青いサイオンにパァッと包まれ、瞬間移動で教頭先生の家のリビングへと。



「な、なんだ!?」
教頭先生はソファで寛いでおられましたが、突然の来客に腰を抜かさんばかりです。
「御挨拶だねえ…。素敵な提案をしに来たのにさ」
まあ聞いてよ、と会長さん。
「この間からフェイスペイントが流行ってたけど、君の好みじゃなかったようだね。ボディーペイントはどうだろう? 好みだったらしてあげたいな、と」
「…ボディーペイント?」
「そう。君の身体をキャンバスに見立てて絵を描くわけ。…実はブルーのアイデアでさ。君をまるっとケーキみたいにデコレーション! 美味しそうに描けたら食べたい気持ちになる…かもしれない。ブルーは味見をしたいらしいし」
「あ、味見…?」
教頭先生の頭の中では妄想が渦巻いているようです。頬が赤いのがその証拠。そこへ会長さんが更に重ねて。
「ケーキに仕立てようって言うんだからねえ、服も下着も脱ぐんだよ? さっきシャワーを浴びたトコだろ、脱いでくれたら直ぐに描くから!」
「かみお~ん♪ 絨毯が汚れないように、この上に寝てね!」
ケーキだから寝た方が絵になるの、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」が言い、会長さんも。
「全身くまなく塗るってボディーペイントもあるけどね…。今回のヤツは寝たままで! 気に入ってくれたら全身バージョンも考えるよ」
「…ほ、本当か?」
「その様子だと好みらしいね、ボディーペイント? どう、やりたい?」
「是非!!!」
教頭先生は即答でした。「そるじゃぁ・ぶるぅ」がシートを床に広げるとセーターを脱ぎ、ズボンも脱いでお次は下着をいそいそと。スウェナちゃんと私の視界にはモザイクが入り、教頭先生が仰向けに横たわって…。
「こ、こんな感じでいいのだろうか?」
「上等、上等。それじゃベースのチョコクリームから! 君の肌の色にそっくりだろう?」
ぶるぅが頑張ってチョコとかを調整したんだよ、と会長さんがボウルの中身を自慢し、私たちは刷毛を握って自分のノルマを塗り塗り塗り。あっ、教頭先生、くすぐったいのは分かりますけど、身動きしないで下さいますか? クリームがムラになっちゃいます~!



ベースが出来たら会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」の出番です。ソルジャーは未だにノルマの部分が上手に塗れないみたいですけど…。
「うーん、ぼくって不器用だから…。ブルー、並行して描いちゃってよ」
「そうだねえ…。そこの飾りは最後でいいかな、食べたい気分になるかどうかも疑問だし」
それじゃお絵描き、と会長さんは「そるじゃぁ・ぶるぅ」と手分けしてフルーツや絞り出したクリームなどの絵を描き始めました。おおっ、なんだか本格的! 教頭先生の身体が巨大なデコレーションケーキに変身しつつありますよ~!
「…見事なものだな、どうなることかと思ったが」
キース君が感心する横で、マツカ君が。
「確かにこれならアートですね。もうケーキにしか見えません」
「ですね、会長の腕も確かですよ」
シロエ君も手放しで褒めています。でもソルジャーが引き受けた部分の作業は滞り気味で…。
「もうダメだぁ~! ぼくには向いていないよ、コレ!」
ただのチョコバナナじゃダメなのかい、とぼやくソルジャー。
「塗って飾って食べるだけだし、要は食べられればいいんだろう! 塗りが下手でも!」
「ちょ、ちょっと…!」
待った、と会長さんが止めに入ったのに、ソルジャーは。
「ハーレイ、君もそう思うよね? 見た目がどうでも食べて貰えれば嬉しいよねえ?」
「そ、それは…。それは、まあ……」
「だってさ。それじゃ本人のお許しも出たし、少し味見を…」
いっただっきまーす、とソルジャーの口から赤い舌が。私たちはウッと息を飲み、ザッと後ろに下がりましたが…。



「なにさ、ヘタレ!!」
まだ味見だってしていないのに、とソルジャーは眉を吊り上げてプンプンと。デコレーションケーキと化した教頭先生は鼻血を噴いて気を失っておられました。会長さんが大きな溜息を吐き出し、「そるじゃぁ・ぶるぅ」に。
「…こうなる予感はしてたんだよね…。ぶるぅ、例のヤツを」
「かみお~ん♪ お祝いケーキには蝋燭だよね!」
何のお祝いだったっけ、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」が取り出した蝋燭の太さは一センチ以上ありそうです。色もピンクや緑などなど鮮やかなそれを会長さんがクスクス笑いながら。
「やっぱりケーキは飾らなくちゃね。ついでにお灸も兼ねるんだ、これは」
「「「お灸?」」」
「ぼくが本気でハーレイを食べようと考える筈がないだろう? そこを読み違える妄想男にお灸で罰を下すわけ。この蝋燭をこうして飾って……と」
刺さらないからサイオンで、と会長さんは何十本もの蝋燭を教頭先生の身体の上に並べ終えると。
『もしもし、ハーレイ? 今からお灸をすえるから! 蝋燭が燃え尽きるまで君をサイオンで縛っておくから、しっかり反省するといい。その色ボケを反省しながら熱さに耐えて頑張って!』
タイプ・グリーンなら火傷はしない筈なんだよね、と艶やかに笑ってサイオンで点火。ほ、本当に大丈夫ですか、蝋燭は熱いと思うんですが!
「だからお灸と言っただろう? タイプ・グリーンだし、お灸程度で済むと思うよ」
じわじわとお灸を一時間、と会長さんは悪魔の微笑み。一時間タイプの蝋燭だったみたいです。
『じゃあね、ハーレイ。それじゃ、さよなら~!』
バイバイ、と会長さんが私たちと瞬間移動で逃げる瞬間に教頭先生の意識が戻りました。サイオンで叩き起こしたに違いありません。
「ま、待ってくれ、ブルー! 私は動けないのだが!」
助けてくれ、という教頭先生の絶叫は中継画面の彼方から。私たちはソルジャーも一緒に会長さん宅のリビングで…。
「あーあ…。お灸が君の趣味なんだ? 食べるんじゃなくて?」
如何にも残念そうなソルジャーに、会長さんが。
「ぼくは君とは違うからね? 落とし所を考えてた時から蝋燭の案は出ていたさ」
食べるなら君の世界でどうぞ、と言われたソルジャー、少し悩んで。
「そうだね、帰って食べようかな? 最高級のチョコバナナ!」
恵方巻ロールも完成したら是非よろしく、とウインクを残してソルジャーは自分の世界へと。デコレーションケーキな教頭先生の上ではお灸な蝋燭がゆらめいています。何のお祝いか知りませんけど、歌った方がいいのでしょうか? 教頭先生、バースデーソングでよろしいですか~?




           素肌を飾ろう・了

※新年あけましておめでとうございます。
 シャングリラ学園、本年もよろしくお願いいたします。
 新年早々、下品な話でスミマセンです、でも、こういうのがシャン学ですから!
 ボディーペイントはホントに凄い世界です、画像はネットに色々あります。
 次回は 「第3月曜」 2月15日の更新となります、よろしくです~!

※毎日更新な 『シャングリラ学園生徒会室』 はスマホ・携帯にも対応しております。
 こちらでの場外編、1月は、スッポンタケの形だという粥杖が欲しいソルジャーが…。
 ←シャングリラ学園生徒会室






※シャングリラ学園シリーズには本編があり、番外編はその続編です。
 バックナンバーはこちらの 「本編」 「番外編」 から御覧になれます。

 シャングリラ学園番外編は 「毎月第3月曜更新」 です。
 第1月曜に「おまけ更新」をして2回更新の時は、前月に予告いたします。
 お話の後の御挨拶などをチェックなさって下さいませv




秋のお彼岸が済んでから十日ほどが経った、ある日の放課後。衣替えの時期ですけれども残暑が厳しい年もあることから今は移行期、半袖で登校も許されます。私たち七人グループは長袖、半袖が混ざっていますが、キース君は流石のキッチリ長袖。
「暫く休んで済まなかった。俺がいなかった間に何かあったか?」
「何も無かったけど? 残念ながら」
会長さんが即答しました。キース君が欠席していた三日間の間は平穏無事。特に報告事項も無くて、「そるじゃぁ・ぶるぅ」がいつものようにお菓子の用意をしています。
「コーヒーと紅茶、どっちがいい? 今日は胡桃のタルトなんだけど」
「ぼく、紅茶!」
「俺はコーヒーで頼む」
ジョミー君を筆頭に皆が注文、アッと言う間にテーブルにおやつが並びましたが。
「ちょっと待ってくれ、これもあるんだ」
キース君が紙袋から包装された箱を取り出して。
「つまらないものだが、皆で食べてくれ。俺の土産だ」
「ふうん…。本当につまらないねえ」
芸が無いよ、と身も蓋も無い会長さん。キース君のお土産の包み紙には銘菓の文字があり、旅行先だった地方の名所旧跡のイラストも入っているのですけど、モノはありふれた御饅頭。遠慮なく箱を開けた会長さんが配ってくれてケーキより先に頬張ってみても…。
「普通だよな?」
サム君がモグモグと口を動かし、シロエ君が。
「あえて言うなら蕎麦饅頭ってヤツですか? 中は漉し餡なんですね」
「何処でも売っていそうよ、これ」
包装を変えただけじゃないの、とスウェナちゃん。会長さんが「うんうん」と。
「販売者じゃなくて製造元が書いてあるのは確かだけどさ…。もっと捻りが欲しかったよね」
「やかましい! 土産物を買うのに製造元が地元のを探すのは大変なんだぞ!」
大抵の土産は販売者名だ、とキース君が反論を。
「それだと下手をすれば全国チェーンで名称が違うだけだしな。これでも俺は頑張ったんだ!」
「そうだろうけど…。別に何でも良かったんだよ、ウケ狙いでもさ」
サファリパークにも行って来たくせに、と会長さんは不満そう。ライオン饅頭だとかキリン煎餅が欲しかったんでしょうか、そんな商品が存在するかは謎ですけれど…。



キース君が出掛けた旅行は二泊三日。メインは温泉、それと周辺の観光です。ただし普通のツアーではなく、キース君の属する宗派の青年会の支部が主催の親睦旅行。つまり参加者はもれなくお坊さんだというわけで。
「坊主がサファリパークかよ…。似合わねえよな」
なんかイマイチ、とサム君が言えば、キース君が。
「…その辺もあって、じっくり土産を探せなかった。ウケ狙いは俺も考えたんだが」
「えっ、なんで?」
気にせず選べばいいじゃない、とジョミー君。
「他の人のことは知らないけどさ、キースって普通に髪の毛あるし…。旅行じゃ法衣も着てないだろうし、営業妨害じゃないと思うな」
「ですよね、墨染に袈裟のお坊さんがゾロゾロいたら問題あると思いますけど」
お葬式を連想しますし、とシロエ君も同意。でもキース君は「それが…」と口ごもって。
「サファリパークに限らず、何処でも肩身が狭かったんだ。添乗員さんが真面目な人でな」
「「「は?」」」
添乗員さんが真面目だったら何がいけないというのでしょう? 何かと遅れがちな旅のスケジュールをやりくりしながら必要な時間をたっぷり取ってくれそうですが?
「よく通る声の若い女性で、実に有能な人だった。行く先々で点呼を取って、集合時間とかもキッチリ教えてくれるんだが…。問題は点呼とかなんだ」
「それって普通じゃないですか?」
揃ってますかと訊くヤツでしょう、とシロエ君が確認すると。
「まあ、普通だが…。俺たちのグループがマズかった。どこそこの団体さんはおられますか、と大きな声で言うだろう? そこで呼ばれるのが「アルテメシア組の皆さん」なんだ」
「「「アルテメシア組?」」」
「俺たちの宗派は地方によって教区が分かれる。その中で更に地域別に細分化をして組になるんだが、元老寺はアルテメシア組に属するわけだ。その組の名前で呼ばれてみろ!」
「何かマズイわけ?」
ジョミー君の素朴な疑問に、キース君は。
「組と言ったらヤクザだろうが! おまけに殆どが坊主頭の団体だ! そうでなければ建設業でも通りそうだが、坊主頭だけはマズイんだ!」
「「「あー…」」」
ヤクザの旅行と間違われたわけか、と同情しきりな私たち。それじゃ土産物もゆっくり選んでられないでしょう。周囲の視線が突き刺さりますし、店員さんだって怯えますってば…。



お坊さんとは正反対な稼業のヤクザの団体。行く先々でアルテメシア組の名を連呼されたキース君の旅行ですけど、サファリパークは楽しめたようで。
「土産物こそ買えなかったが、面白かったのはダチョウだな」
「「「ダチョウ?」」」
「記念写真を撮れるんだ。ダチョウに乗ってな」
こんな感じで、と見せて貰った写真の中ではキース君の友人らしい私服のお坊さんがダチョウの背中に乗っていました。へえ、ダチョウって乗れるんだぁ…。
「俺も一応、乗ってみたんだぞ? まあ見てくれ」
次の写真はダチョウの背中に颯爽と跨るキース君の姿。
「オプションで乗って走れるコースもあったが、そっちは時間が足りなくてな」
走ったヤツは誰もいない、とキース君は少し残念そう。
「乗り心地はともかく、鳥の背中に乗れるだけでも面白い。それで走れるなら楽しそうだが」
「うん、本当に楽しそうだね」
乗りたいかも、と相槌を打った声は会長さんにそっくりでしたが、その声は何故か背後から。
「「「!!?」」」
「こんにちは。胡桃のタルトとキースのお土産の御饅頭だって?」
ぼくにもよろしく、と優雅に翻る紫のマント。現れたソルジャーはソファに腰掛け、早速紅茶を注文しました。
「ダチョウって何処で乗れるんだい? ぼくもチャレンジしたいんだけど」
「…乗るだけだったらダチョウ牧場があるよ」
会長さんの台詞に「えっ?」と驚く私たち。それって何処にあるんですか?
「アルテメシアのすぐ近く。車だったら半時間もあれば着く所だね」
行ってみるかい? と会長さん。
「キースも未練があるみたいだし、ブルーも行きたいと言ってるし…。どうせならダチョウレースをお願いするのもいいかもね」
「「「ダチョウレース?」」」
「グループで申し込めるんだよ。コースがあってさ、ダチョウに乗って競馬よろしく疾走するわけ。ただしダチョウは乗って走るのが難しい。鞍も手綱もついてなくって、翼の付け根をしっかり握ってしがみつくだけだと聞いてるね」
やってみたい? という問いに瞳を輝かせる男子たちとソルジャー。もちろん小さな「そるじゃぁ・ぶるぅ」も。
「かみお~ん♪ ぼく、乗りたい!」
ダチョウさんに乗って走るんだぁ! と拳を突き上げ、やる気満々。どうやら次のお出掛け先はダチョウ牧場になりそうですねえ…。



こうしてダチョウ牧場行きが決定しました。行楽の秋とはいえ、ダチョウ牧場はそんなに混んではいないスポット。今週末でも良かったのですが、キース君が旅行帰りとあって来週の土曜日に行くことに。早速、会長さんが電話をかけて…。
「うん、オッケー! ダチョウレースは貸し切っといた。でないと落ちた時に晒し者だし」
見物客がいた場合、と説明されて納得です。無様な姿は他人様には見られたくないもの。乗り方が難しいダチョウともなれば尚更で。
「えーっと、それって練習できるの?」
当日までに、とジョミー君が訊けば、会長さんは素っ気なく。
「自分で行ってくるならね。放課後の自主練、大いに歓迎。今度の土日も行っておいでよ」
「面倒だし! 他に行く人がいるならいいけど…」
誰か一緒に、とキョロキョロ見回すジョミー君ですが。
「ぶっつけ本番でいいじゃねえかよ。みんなそうだぜ?」
サム君が突き放し、キース君も。
「普通はぶっつけ本番だろう? 運だめしってことで俺は落ちても気にしない」
それも一興、との意見にソルジャーが。
「だよねえ、ぼくも自分の運動神経に賭けたいな。サイオンは抜きで」
一応自信はあるんだよね、とバランス感覚を自慢しています。
「ブルーも乗るだろ、サイオン抜きでね」
「うーん…。正直、ぼくは自信が無いんだけれど…。まあ、いいか」
落っこちた時はサイオンでガード、と会長さんもサイオン抜きを選択しました。これはなかなか楽しいレースが見られるかもです。えっ、自分の立場はどうしたって? スウェナちゃんと私は見学ですとも、記念撮影だけで充分満足。でもって、会長さんたちは…。
「そうだ、ハーレイも呼ぼうかな? サイオン抜きなら」
あの体格なら落っこちそうだ、とほくそ笑む会長さんに、ソルジャーが。
「それはどうかなぁ? 柔道とかで鍛えてるんだし、バランス感覚は良さそうだ。…ぼくのハーレイはどうだろう? ハーレイ同士で技を競うのもいいかもね」
「いいね、たまには健康的にスポーツなんかもお勧めするよ」
普段はロクな目的で来ないから、と会長さん。
「ちょうどスポーツの秋だしさ! こっちのハーレイは誘っておくから、君たちも二人で来るといい。ぶるぅも呼んであげたいけれどさ、悪戯がね…。ダチョウは怒ると怖いんだよ」
「そうなのかい? だったら、ぶるぅは留守番だね」
危険は回避しなくっちゃ、とソルジャーはキャプテンとの二人参加を決めました。ダチョウ牧場とレース、楽しみですよね!



その週末の日曜日。会長さんの家でピザ食べ放題のパーティーをしていた私たちの前に、いきなりソルジャーが現れて。
「ぼくにもピザ! そこのと、それと…」
誰もどうぞと言っていないのに椅子に座って好みのピザを鷲掴み。「そるじゃぁ・ぶるぅ」が取り皿を持って来るよりも先に齧りついています。
「うん、美味しい! でもってダチョウも美味しいってね?」
ダチョウ牧場のメニューを覗き見したよ、とソルジャーは食い意地MAXで。
「ダチョウの卵のオムライスとか、チーズケーキとか、プリンとか! 丸ごとの目玉焼きなんかも捨て難いよねえ、もちろんダチョウステーキも! 当然、食べに行くんだろう?」
「そりゃあ、もちろん」
ダチョウレースでお腹もすくし、と会長さん。
「ハーレイを呼ぶから予算の方も心配いらない。好きなだけ食べて大満足だね」
「嬉しいなぁ。ぼくのハーレイもダチョウ料理でパワーアップだ」
「パワーアップ?」
なんでまた、と会長さんは首を傾げて。
「ダチョウ料理はヘルシーなのが売りなんだよ? 高たんぱく質、低脂肪、低カロリーってことで注目されてる食材なんだ。ダイエット志向の女性はもとより、メタボ気味な男性にもお勧めで」
「えーーーっ? 精がつくんじゃないのかい?」
そんな馬鹿な、と素っ頓狂な声を上げるソルジャー。
「だってダチョウって、絶倫だろう? 一夫多妻でヤリまくりの!」
「「「は?」」」
いったい何処からそんな話に、と誰もが顔を見合わせましたが。
「調べたんだよ、せっかくダチョウに乗るんだからね! ライブラリの資料じゃイマイチだったし、ノルディの家でパソコンを借りた。そしたらノルディが手伝ってくれて」
「…どんな風にさ? ガセ情報でも仕入れたんだろ?」
あのノルディならやりかねない、と会長さんが指摘したのをソルジャーはフンと鼻で笑って。
「甘いね、ノルディはきちんとダチョウ牧場について調べてくれたよ。…検索ワードが絶倫だったことは認めるけどさ」
でも本当に本物のダチョウ牧場のホームページが見付かったのだ、と胸を張るソルジャー。
「実はダチョウはスゴイんです、って書いてあったよ、取材に入った記者の視点で!」
「「「………」」」
どうスゴイのだ、と訊きたいような聞きたくないような。ダチョウってホントに凄いんですか?



「いやぁ、この時期で良かったよ。冬は繁殖期じゃないらしくって」
卵も産まないらしいんだよね、と話し始めたソルジャーは顔を輝かせて。
「そして繁殖期のダチョウってヤツは凄いんだ。一羽のオスにメスが二羽、三羽は当たり前! それを殆ど百発百中、有精卵の率も高いんだってさ。だから美味しい!」
「…それで? 有精卵の料理を食べてあやかりたいと?」
会長さんが突っ込みを。
「残念だったね、卵の方もヘルシーだから! 精がつくようなモノじゃないから!」
「そっちの方はいいんだよ。あやかりたいのはダチョウのパワーで、料理じゃないし!」
まあ聞きたまえ、とソルジャーの瞳がキラキラと。
「ダチョウが普通の鳥と違うのは知っている?」
「…飛べねえよな?」
サム君が真っ当な意見を述べた横から、キース君も。
「飛べない鳥なら他にもいるが、走る速さは馬並みらしいな」
「そう、馬並み! 時速七十キロまで出せるんだってさ、直線コースなら馬にも負けない」
でもそれだけじゃないんだな、とソルジャーは膝を乗り出して。
「馬並みと言えば有名な例えがあるんだってね?」
「「「は?」」」
「大事な部分が大きいこと! 男の分身で息子とも言うヤツ」
「退場!!!」
会長さんがレッドカードを突き付けましたが、ソルジャーに効果がある筈もなく。
「まだ猥談はしてないよ? ダチョウの話をしてるだけでさ」
しれっとした顔で返したソルジャー、更に続きを。
「ダチョウが他の鳥と決定的に違う部分は飛べない所じゃないんだな。飛べない鳥はダチョウの他にも沢山いるだろ? ダチョウのオスには大事な息子がついている。これが重要!」
「えっ? 鳥ってどれでも…」
交尾するよね、という後半部分をジョミー君は口にしませんでした。けれど誰もが思いは同じ。鶏にしたって有精卵を売ってるってコトは、それなりに…。
「違うよ、ダチョウと白鳥と鴨とか以外の鳥にはくっついてないんだってば! 代わりに専用の器官があってね、それを使って交尾するわけ。だからメスが合意しないと交尾は出来ない」
そんな話は初耳でした。そっか、ダチョウって他の鳥とは違うんだ…。って言うより、他の鳥の方が犬とか猫とかの動物とは違う身体の構造なんだ?
「知らなかったんだ? というわけで、ダチョウの凄さはここからなんだよ」
ぜひ聞いてくれ、とソルジャーは生き生きしていますけど。その話、聞いても大丈夫?



普通の鳥とは違っているらしいダチョウの身体。ソルジャーはエロドクターの力を借りて色々調べてきたようです。ん? エロドクター? なんだかとてつもなく嫌な予感が…。
「それでね、さっきの馬並みだけどさ…」
もうこの部分が最高で、とソルジャーは拳を握りました。
「ダチョウのアレって、サイズが半端じゃないんだよ! 首の半分はあろうかっていう特大サイズで、それを駆使してメスとガンガン交尾するわけ!」
凄いだろう、と胸を張られましても、どう返したらいいのやら。けれどソルジャーは滔々と。
「おまけにアレを持ってる所が素晴らしい。使い物になる状態であればガンガンやれるし、メスの合意は要らないってさ。つまりレイプも可能ってことで」
「その先、禁止!」
会長さんの必死の制止もソルジャーには届いていませんでした。
「自分さえ準備オッケーだったら相手を選ばずヤリまくる! それにさ、オスの準備が整っていれば人間がお手伝いもしているようだし」
「「「は?」」」
「分からないかな、ダチョウのアソコを丁重に持って、メスに突っ込んであげるわけ! そうすれば目出度く有精卵が出来るってことで、ダチョウ牧場では普通らしいよ?」
この図太さも素晴らしすぎだ、とソルジャーは感慨深げです。
「ぼくのハーレイは見られていると意気消沈だって言ってるだろう? なのにダチョウは見られるどころかお手伝いまでされてもOK! 馬並みといい、図太さといい、これにあやからずしてどうすると? そのためには食べてパワーを充填!」
精力のつく料理でなくても効果が無いとは言い切れない、と語るソルジャー。
「そしてダチョウの交尾ってヤツも本当に凄いらしいんだ。オスがね、メスにドサッと乗っかって腰を揺すってウンウンと…。それは気持ち良さそうにヤッてるんだって書いてあったし!」
この辺も夜の生活の基本、とソルジャーはパチンとウインクしました。
「気持ち良さそうに交尾する動物って、あまり聞いたことないだろう? ダチョウは実に素晴らしいよ。そんなダチョウを無事に乗りこなして、美味しい料理をしっかり食べれば御利益の方もバッチリだよねえ?」
ハーレイの中にダチョウのパワーを取り込むのだ、と燃え上がるソルジャーは、自分や会長さんや男の子たちも同じコースを歩む事実を綺麗に忘れているようです。ダチョウレースとダチョウ料理で変なパワーが身につくのなら、誰もやりたがらないと思いますけどね?



そんなこんなで思考がブっ飛んでしまったソルジャー、ダチョウのパワーを教頭先生にも伝えておきたいと言い出しました。教頭先生が会長さんに惚れ込んでいることを踏まえてです。
「ダチョウレースに参加する以上、知っておくべきだと思うんだよ」
「迷惑な! 第一、ハーレイはパワーにあやかる以前だし!」
そもそも相手がいないんだから、と会長さんは突っぱねましたが、次の瞬間、青いサイオンがパァッと走って教頭先生が私たちのいるダイニングに。
「…??? どうしたのだ?」
「やあ、ハーレイ。ちょっと伝えたいことがあってね」
ピザはすっかり食べちゃったんだけど、と舌をペロリと出すソルジャー。
「だけど話は美味しいと思うよ、聞いといて損はしないから!」
ぼくのお勧め、とダチョウの凄さを喋りまくるソルジャーと、耳まで真っ赤になった教頭先生と。鼻血レベルではないようですけど、刺激的な内容に違いはなくて。
「…というわけでね、今度の土曜日のダチョウレースは心して挑むべきだと思うよ」
何が何でもゴールイン、とソルジャーはニコリ。
「君はいわゆる攻めだろう? いや、まだ実践には至ってないけど、ブルーとヤるなら当然、君が攻めだよね? 攻めを目指すならダチョウくらいは乗りこなすべき!」
嫌がる相手にものしかかってこそ、と焚き付けるソルジャーに会長さんが眉を吊り上げて。
「のしかかられる趣味は無いけれど?」
「ご愛敬だよ、その点は! ダチョウはレイプも可能な変わり種の鳥! その勢いでいつかは嫌がる君を組み敷くのも男の甲斐性! そうだろ、ハーレイ?」
「…は、はあ…。まあ…。しかし、私は…」
「ブルーの嫌がることはしないって? それもいいけど、パワーは大切!」
まずはそこから、とソルジャーは力説しています。
「ダチョウレースで見事なゴールを披露するのも今後のための布石だよ。ダチョウは意中のメスを相手にダンスでアピールするそうだ。そんな感じでブルーに君のパワーをアピール!」
不幸にして落ちても追いかけて乗れ、と言うソルジャー。
「時速七十キロの相手を追うんだ、カッコイイなんてレベルじゃないよ? 追い付く自信が無いというなら落ちても根性でしがみつく! 背中に乗り直すのが不可能だったらダチョウを担げばいいと思うな」
ダチョウには足があるんだし、とソルジャーは斜め上な提案をかましました。
「あの長い足を肩に担いで肩車! それで疾走してゴールインするのも素晴らしいよね」
健闘を祈る、と言われた教頭先生、ダチョウパワーに圧倒されたか、はたまた妄想爆発か。ダチョウレースで会長さんにアピールする、と決意も新たにしておられますが、はてさて、結果はどうなりますやら…。



ダチョウレースに遊びしか求めていない面子と、ダチョウパワーを夢見るソルジャー夫妻と、ソルジャーに丸め込まれてレースに挑む教頭先生と。土曜日を迎えて、会長さんのマンションに集合してからマツカ君が手配してくれたマイクロバスに乗り、ダチョウ牧場に到着です。
「わぁーい、ダチョウさんが一杯だぁ~!」
何処で乗れるの、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」は大はしゃぎ。まずは牧場を見学してから、レースに備えて腹ごしらえというコースですけど…。
「…うーん…。何処に行ったらやってるんだろう?」
ソルジャーの疑問に、会長さんが。
「ダチョウレースは一番奥に専用のコースがあるらしいよ。今日は貸し切りだし、行っても見学出来ないさ」
「それは知ってる。ダチョウレースは後でいいんだ。そうじゃなくって、肝心のアレ」
「何さ?」
「ダチョウの馬並み!」
走りじゃなくて、と言い放ったソルジャーの肩を会長さんの手がピシャリと一撃。
「いたたたた! 何するのさ!」
「君が悪いんだろ、場を弁えずに発言するから!」
「でもさあ、せっかく来たんだし…。こんなに沢山ダチョウがいるんだし、見学しないのは損だと思う。…ハーレイ、お前もそうだろう?」
見たいよねえ、と話を振られたキャプテン、頬を染めてゴホンと咳払い。
「そ、それはまあ…。凄いと話を伺いましたし」
「あの首をごらんよ、あんなに長い首の半分もあるんだよ? お前の何倍くらいだろうねえ…」
「…も、申し訳ございません…」
「いいって、いいって! 人間は人間に見合ったサイズってヤツがあるからね」
お前は大きい部類の筈だし、と嫣然と笑まれてキャプテンは真っ赤。その顔色にも負けない色をしたレッドカードを会長さんが突き付けているのに、ソルジャーは我関せずと。
「見るだけで御利益ありそうだしね? 絶対、現場を見なくっちゃ!」
馬並み、馬並み、と連呼するソルジャーが先頭に立ってキャプテンと腕を組みつつ牧場見学。私たちは恐ろしい現場に出くわさないよう祈るばかりです。…と、行く手に現れたおじさんが一人。
「見学かい? ダチョウのアソコはホントのホントに大きくてねえ…」
いきなり話し掛けられて目が点ですけど、馬並み発言が聞こえていたに違いありません。
「交尾をね、さっきもやっていたんだけど、見た?」
「えーーーっ!? 何処で?」
ソルジャーが大声を上げ、おじさんが。
「見逃したんだ? 残念だねえ」
ハッハッハ…と呵々大笑して去ってゆくおじさんは牧場のオーナーさんでした。「またその内にやり始めるから」と言われたソルジャー、それから後は右へ左へ。呪文の如く「馬並み、馬並み」と唱える姿が怖いですってば…。



ソルジャーの歩くコースが悪かったのか、ダチョウにその気が無かったのか。幸いなことに絶倫を誇るダチョウがパワーを発揮する現場には出くわさなくて済みました。そろそろ昼御飯の時間です。予約しておいた食堂に行くと、テーブルの上に大きなホットプレートが。
「何するんだろ、これ?」
ジョミー君が指差し、シロエ君が。
「…ステーキでしょうか? なんだか雰囲気イマイチですけど」
「だよなあ、ステーキも焼けるけどよ…」
焼いて鉄板に乗せて来るのがいいよな、とサム君がぼやいた所へ食堂のおばさんが大きな卵を抱えて来ました。大きいなんてものではなくて桁違い。
「はい、お待たせ~。ダチョウの目玉焼き、始めましょうね」
なんと卵を割るための道具がハンマーなどの日曜大工の世界なアイテム。分厚い殻をガンガンと割って取り除いていき、中身が見えるようになったらホットプレートの上にドロリと。超特大の目玉焼きが出来るまでの間にオムライスとステーキが出て来ました。うん、美味しい!
「いいね、これ! はい、ハーレイ。あ~ん♪」
「どうぞ、ブルー。あ~ん♪」
「「「………」」」
始まりました、バカップル。見ないようにと食事に集中、視線はホットプレートへも。固まりにくいというダチョウの卵の目玉焼きが焼けて切り分けられると、バカップルはこれまた「あ~ん♪」で、デザートのチーズケーキとプリンは甘いものが苦手なキャプテンの分までソルジャーが。
「ありがとう、ハーレイ。でもさ、ちょっとは食べてよね。あやからなくっちゃ」
「そうですね。ダチョウのパワーは凄いのでしたね」
「馬並みだしね? はい、あ~ん♪」
バカップルのやり取りを教頭先生が涎の垂れそうな顔で見ていて、会長さんに。
「…ブルー、そのぅ…。よかったら、私のケーキとプリンを…」
「くれるって? ブルー、君のぶるぅに差し入れはどう?」
ハーレイが気前よくくれるらしいよ、と会長さんはマッハの速さでソルジャーに回し、教頭先生の愛が詰まったケーキとプリンは空間を超えて「ぶるぅ」の胃袋に収まった模様。
「ぶるぅが御礼を言ってたよ。ありがとう、ハーレイ」
「い、いえ…。御礼でしたらブルーの方に…」
悄然と項垂れる教頭先生ですが。そもそも甘い食べ物は苦手なんですから、会長さんに譲った所で愛情は評価されないですよ?



昼食が終わって一休みしたら本日のハイライト、ダチョウレース。ダチョウの放牧場を抜けてゆく間もソルジャーは交尾中のダチョウを求めてキョロキョロと。ついに見付けられないままにレース場へと到着です。おおっ、ゲートもあって本格的~!
「かみお~ん♪ ダチョウさん、決めていい?」
どれに乗ろうかなぁ、と飛び跳ねる「そるじゃぁ・ぶるぅ」がお目当てのダチョウを決めると、他の面々も係員の人と相談しながらダチョウ選び。教頭先生とキャプテンには一際大きな身体のダチョウが選ばれました。
「いいですか、乗る時は翼の付け根をしっかり握って下さいよ。落ちたらすぐに逃げて下さい」
でないと蹴られますからね、と係員さん。しかしソルジャーは…。
「えーっと、ハーレイ? お前じゃなくて、そっちのさ…。落ちて逃げたらカッコ悪いよ?」
「分かっております。何が何でもゴールインでしたね」
ブルーにアピールするためにも、と胸を叩いておられる教頭先生。会長さんは「やれやれ」と。
「ぼくはどうなっても知らないからね? そもそも今日は反則無しだし」
あえてサイオンと言わない会長さんに、ソルジャーも。
「そうだよ、ぼくも頑張るつもり。ダテに場数は踏んでいないさ」
まあ見ていろ、と嘯くソルジャーを筆頭に会長さんや教頭先生、男の子たちもダチョウの背中に。スウェナちゃんと私もダチョウに乗って記念撮影タイムです。それから皆のゲート入りを見届け、スウェナちゃんと私は観覧席へ。間もなく係員さんが旗を振り上げ、ゲートが開いて。
「うわぁーっ!!」
猛ダッシュのダチョウから一番最初にジョミー君が落ち、続いてサム君。柔道部三人組は頑張ったものの、マツカ君、シロエ君、キース君の順にコースに落下。会長さんとソルジャーは共に見事な走りっぷりで、「そるじゃぁ・ぶるぅ」がその後ろを。おおっ、ソルジャー、ゴールイン!
「やったね、勝った!」
ガッツポーズで飛び降りるソルジャーに続いて会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」も走り込みましたが、教頭先生とキャプテンのダチョウはスピードの方がイマイチです。やっぱり二人とも重いですし…って、うわぁ、同時に落ちちゃったぁー!
「「「!!?」」」
転げ落ちたキャプテンはコース外に退避したのに、教頭先生はダチョウの足を両手でガッツリと。弾みで転倒したダチョウを担ぎ上げ、バタバタ暴れる足を掴んで肩車よろしくノッシノッシと…。ほ、本気ですよ、ソルジャーに唆されたとおりにダチョウを担いで歩いてますよ~!
「き、危険です! 放して下さい、ダチョウは怒ると非常に危険で!」
係員さんの絶叫も聞かずにノシノシと。会長さんのハートを射止めるためならダチョウを担いで肩車ですか、そうですか…。



早々に落ちた男の子たちや、ゴールインした会長さんたちが見守る中を教頭先生はダチョウの足をしっかり握ってゴールへと。やっぱりここは拍手でしょうか? あれっ、ゴールでダチョウを回収していた係員さんたちが逃げましたよ? なんで?
「ブルー、ゴールだ! 見てくれたか!?」
教頭先生が高らかに叫び、ダチョウを肩から地面に下ろしたその瞬間。前向きに下ろされたダチョウがクルリと教頭先生の方に向き直り、思いっきり足を蹴り上げました。ゲシッという鈍い音に合わせて『キーン!』と思念でアフレコした人がソルジャーだったか会長さんかは分かりません。
「……ぐうっ!!」
教頭先生、股間を押さえて地面に転がり、まさに悶絶。まだ蹴り付けようとするダチョウを係員さんたちが網で取り押さえ、間もなく担架が運ばれて来て。
「大丈夫ですか、すぐに救急車が来ますから!」
駐車場まで運びます、と教頭先生は抱え上げられ、担架の上に。唸っているだけの教頭先生に会長さんが冷たい一瞥。
「とんだアピールだねえ、使い物にならなくなるかもね、アレが」
「……うう……」
言葉になっていない教頭先生の心の声が零れて来ました。『それは困る!』と、切実に。
「使い物にならなくなったら大変だしねえ…。えっと、救急車を呼んだって? だったら搬送先を指定していいかな、ぼくが懇意にしている病院」
そこによろしく、と会長さんが係員さんに告げた病院はエロドクターが経営している総合病院。
「何処よりも頼れる病院なんだよ、任せて安心!」
「そうですか。では、救急隊員にそう伝えます」
とにかく早く運びませんと、と担架を担いでゆく係員さんたち。その後ろ姿を追うように、会長さんの思念波が。
『ふふ、本当に使い物にならなくなるかもねえ? ダチョウの蹴りは犬も殺すと聞いてるし…。ハーレイのアソコを潰すくらいは朝飯前だよ、それにノルディもついてるし』
『…な、なんだと…?』
教頭先生の脂汗が垂れそうな思念波が届き、会長さんが。
『ライバルはアッサリ処分かもねえ? 手間暇かけて治療するより切断手術をしてしまうとか』
『…そ、そんな…! そんなことになったら私は…!』
『困るって? ぼくは全然困らないんだな、どちらかと言えば大歓迎かも』
君が結婚出来なくなるし、と思念で嘲笑う会長さん。教頭先生、もしや本当に切断の危機? ダチョウにあやかってパワーどころか、肝心の部分が無くなりますか…?



「…悪いことをしちゃったかなぁ…」
ダチョウは蹴るなんて知らなかったんだよ、とソルジャーが係員さんたちがいなくなったレース場で呟きました。ダチョウレースに使われたダチョウは後で回収ということで大きな囲いに入れられています。
「犬も蹴り殺すんだって? ハーレイのアソコ、大丈夫かな…」
「私も心配でたまりません。御無事だったらいいのですが…」
やはり縫ったりするのでしょうか、とキャプテンの顔色も冴えませんけど、会長さんは他人事のようにクスクスと。
「…本人も気付いてないようだけれど、ちゃんとサイオンが発動したさ。タイプ・グリーンは流石だよ。表面はダメージ深そうだけどね、中身の方には問題ない、ない!」
「…表面って?」
ソルジャーの問いに、クスッと笑う会長さん。
「うーん、厚みはどのくらいだろ? 薄皮よりかは深い部分まで届く一撃ではあったと思う。あんな所の打ち身なんかは聞いたことがないし、やっぱり腫れたりするのかな? それともアザかな、どっちにしたって見たいと思わないけれど」
「そ、それは…。痛いのは思い切り痛そうだねえ?」
たとえ打ち身でも、と大袈裟に震えてみせるソルジャーに、会長さんは。
「当分、トイレが辛いかもね? だけど腫れたら自慢の部分の体積が増える。ノルディも大いに笑ってくれるさ、切ると脅すのもホントにアリかも」
「…じゃあ、君にアピール出来るようになるまで当分の間は入院とか?」
「どうだろう? ズボンが普通に履けない間は学校には来られないからねえ…」
全治一ヶ月か数週間か、はたまた二日か三日で復帰か、と会長さんは無責任なことを可笑しそうに喋っていましたが…。
「シッ、黙って!」
ソルジャーが人差し指を唇に当てて。
「始まりそうだよ、例の馬並み! あっちの牧場で羽をバサバサしてるだろ?」
「「「???」」」
レース場から少し離れた放牧場で一羽のダチョウが大きな翼をバタつかせていました。
「ノルディから仕入れた情報ではねえ、まずはダンスで始まるらしい。それから馬並みのアレがニュニュ~ッと出て来て、メスの上に乗ってひたすらヤる!」
見に行ってくる、とソルジャーはキャプテンの手をしっかり握って二人で走り去ってゆき…。



ヤリまくっているダチョウとやらは遠目にはサッパリ謎でした。けれどソルジャーとキャプテンは放牧場の柵に張り付き、しっかり見学しているようです。おまけに時々、頼みもしないのに歓喜の思念波が伝わってきたり…。
『凄いよ、まさに馬並みだって!』
『本当ですねえ…。あんなパワーを秘めた鳥に乗って走れた上に、料理まで…』
『だろう? おまけに現場も見られたんだし、もう最高にラッキーだよ! 今夜が楽しみ』
『私もです、ブルー。パワーが湧き上がってくる気がします』
頑張りましょう、とソルジャーの肩を抱いているキャプテン。毎度のバカップルがダチョウで更にパワーを増したようですけど、遠くの方では救急車のサイレンがピーポーと。
「…教頭先生、運ばれてったみたいだね…」
エロドクターの病院に、とジョミー君が言い、マツカ君が。
「ダチョウに蹴り飛ばされるなんて…。乗るのは面白かったんですけれど…」
「逃げなかったハーレイがバカなんだよ、うん」
ブルーの口車に乗る方が馬鹿、と会長さんは全く同情しませんでした。
「ダチョウなんかには馴染みが無い筈のブルーでさえも、あれだけ知識を仕入れてたんだよ? こっちのハーレイがダチョウの蹴りを知らなかったでは済まされない。うんと後悔すればいいさ」
そう簡単にぼくは落とせない、と嘲笑う会長さんの視線の先ではバカップルが固く抱き合っています。ダチョウのカップルは離れてますから交尾が終わったのでしょう。そして感銘を受けたバカップルが熱いキスを交わしているわけで…。
「結局、ダチョウで得をしたのはブルーかな? ダチョウレースは楽しかったけどね」
「かみお~ん♪ ハーレイが治ったら、また来ようね!」
今度はぼくが一番だもん! と純粋にレースの順位だけが気になる「そるじゃぁ・ぶるぅ」はダチョウ牧場にまた来る気です。それを聞き付けたらしいソルジャーが「ぼくも来る!」と手を振りながらこちらへと。ダチョウのパワーは表裏一体、吉だと絶倫、凶だと大怪我でよろしいですか?




        変わり種の鳥・了

※いつもシャングリラ学園を御贔屓下さってありがとうございます。
 ダチョウの話は嘘ついてません、本当にそういう鳥なんです。
 乗って走れる件も本当、やってみたい方はダチョウ牧場にお出掛け下さい。
 本年の更新はこれにておしまい、皆様、どうぞ良いお年を。
 次回は 「第3月曜」 1月18日の更新となります、よろしくです~!

毎日更新な 『シャングリラ学園生徒会室』 はスマホ・携帯にも対応しております。
 こちらでの場外編、12月は、外来種のスッポンタケが欲しいソルジャーが…。
 ←シャングリラ学園生徒会室は、こちらからv




※シャングリラ学園シリーズには本編があり、番外編はその続編です。
 バックナンバーはこちらの 「本編」 「番外編」 から御覧になれます。

 シャングリラ学園番外編は 「毎月第3月曜更新」 です。
 第1月曜に「おまけ更新」をして2回更新の時は、前月に予告いたします。
 お話の後の御挨拶などをチェックなさって下さいませv




シャングリラ号でゴールデンウィークの後半を過ごし、今日から再び授業スタート。連休で弛んだクラスメイトたちはグレイブ先生のお気に召さなくて、1年A組、朝のホームルームから叱られまくり。お蔭で放課後は全員で掃除をする羽目になり…。
「かみお~ん♪ いらっしゃい!」
遅かったね、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお出迎え。掃除の時間が長引いたために柔道部三人組も部活に行き損ね、私たちと一緒に来ています。
「やあ。たっぷり掃除をして来たようだね」
お疲れ様、と会長さんに労われ、「そるじゃぁ・ぶるぅ」は大量の焼きそばを作ってくれて。
「みんな、お腹が空いたでしょ? 庭までお掃除してたもん」
「ああ、すまん。…流石の俺も今日は疲れた」
なんで業者さんの担当区域まで掃除になるんだ、とキース君までが疲れた顔。私たちは焼きそばで体力をチャージし、それから今日のおやつの蜂蜜シフォンをパクパクと。気力が戻って愚痴祭りも終わり、いつものお喋りが始まりましたが…。
「ウチって火渡り、しないんだよねえ?」
ジョミー君の唐突な台詞に全員が「は?」と。
「なんだよ、それ? ウチの学校にはそんなのねえぞ」
サム君が目を剥き、シロエ君が。
「そもそも火渡りって何なんです? もしかして火の上を歩くアレですか?」
「そう、それ、それ! 昨日パパがさ、テレビで見てて…。ジョミーはコレはやらないのか、って訊くんだよ! 璃慕恩院には無いよね、アレ?」
「無いねえ…」
「無いな」
会長さんとキース君が同時に答えて、会長さんがその先を。
「あれは山伏の修行の一つだし、山伏と関係の深い宗派のお寺でないと…。でも火渡りをやりたいんだったら紹介するよ? 精神修養をしたいと言うなら大歓迎さ」
「要らないし! あんなのまで絶対やりたくないから!」
無いんだったら安心だし、と言うジョミー君は未だにお坊さんの修行どころか、会長さんの家での朝のお勤めにも出ていません。精神修養に火渡りなんかをやりたがる筈ないですってば…。



ジョミー君の発言が引き金になって話題は一気に火渡りへ。私もテレビでしか知りませんけど、火の上を裸足で歩くだなんて、火傷したりはしないのでしょうか?
「しないよ、初心者でもきちんと歩けば」
小さな子供でも大丈夫、と会長さん。
「素人さんがやる時は山伏さんが一緒に歩いてくれる。注意を守れば安全だね。あれは焦って走ったりするとマズイんだよ、うん」
「かみお~ん♪ ぼくもやったことある!」
ブルーと一緒に歩いたもん、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」は得意そう。そっか、会長さんも「そるじゃぁ・ぶるぅ」もバッチリ体験済みなんだぁ…。
「そりゃあ、修行の一環としてね。璃慕恩院ではやらないけれども、ぼくは恵須出井寺にも行ったから…。あっちの宗派じゃ火渡りもアリさ。よかったら君たちも体験してみる?」
今からだったら此処と此処と…、と場所を挙げ始める会長さんに、ジョミー君が。
「お断りだし! やりたくないって最初に言ったし!」
「そう? 他のみんなは?」
「「「……うーん……」」」
どうだろう、と目と目で見交わし、経験者の「そるじゃぁ・ぶるぅ」をチラチラと見つつ。
「……遠慮しときます」
お坊さんコースは結構です、とシロエ君が返し、サム君が。
「俺、まだ璃慕恩院の方でも一人前になっていねえし…。またの機会ってことにしとくぜ」
「…興味がゼロだとまでは言わんが、他の宗派の行事はマズイな」
もう少し修行を積んでからだ、とキース君も。キース君たちの宗派はお念仏が第一、他の宗派に心動かす事なかれ、という厳しい教えがあるのだそうで。
「勿論、他の宗派も尊重するが…。ブルー並みの境地ならともかく、俺のレベルでは他の教えに転びそうだと看做される。実際、転んだら大惨事だ」
まるで前例が無いわけではない、と語るキース君によると、お寺の息子さんが別の宗派のお坊さんになってしまうケースもあるそうです。それだけにウッカリ火渡りをしてハマるとマズイ、と思うらしくて。
「残念だが、今は遠慮しておく。だが、他のヤツがやるなら見学は行くぞ」
「いえ、ぼくも今回はパスしておきます」
みんなやらないようですし、とマツカ君が逃げ、スウェナちゃんと私も断りました。会長さんはガッカリしたようですけど、他を当たって下さいよ~!



「面白いんだけどねえ、火渡り…」
本当に誰もやらないのかい、と会長さんは未練たらたら。そんなに言うなら「そるじゃぁ・ぶるぅ」と行けばいいじゃないか、と思うのですけど、初心者にやらせてなんぼだそうで。
「あんなの出来るわけがない、と逃げ腰な人がおっかなびっくり足を踏み出すのが醍醐味なんだよ。君たちだったらピッタリなのに…」
「それじゃ教頭先生は?」
初心者だよね、とジョミー君。おおっ、自分が逃げるためなら教頭先生を売りますか! でも…教頭先生、初心者でしょうか?
「ハーレイかぁ…。確かに誘ったことは無いねえ…」
「じゃあ、教頭先生でいいじゃない! ぼくも応援に行くからさ」
教頭先生なら絵になると思う、とジョミー君が言い出し、私たちも賛成しました。火渡り自体は興味深いですし、教頭先生が参加なさるのだったら是非とも見学したいです。
「…ハーレイねえ…。悪くはないけど後がマズそう」
お寺に迷惑がかかりそうだ、と会長さん。えっ、なんで?」
「火傷だよ。…普通は絶対火傷しないけど、雑念だらけだと危険なわけ。そしてハーレイを連れてった場合、頭の中はもれなく妄想。男を上げてぼくのハートを射止めようとか、そういう系で」
「「「あー……」」」
それはありそう、と容易に想像がつきました。そんな理由で火傷されても責任はお寺に行くでしょう。次から火渡り禁止になったら謝って済む問題では無く。
「…だからハーレイには無理ってね。妄想まみれの男に修行は向かない。ぼくが主催の火渡りだったら、救護班設置で火渡り三昧させるんだけどさ…」
モノが宗教行事なだけに妄想男を担ぎ出すための開催はちょっと、と残念そうな会長さん。
「ぼくが銀青でさえなければねえ…。いわゆるヒラの坊主だったら娯楽のための火渡り大会もアリなんだけども」
運動会の感覚で…、と溜息をついた会長さんは諦め切れないみたいです。とはいえ、火渡りは宗教行事。ヒラのお坊さんならキース君ですが、他の宗派の行事には参加出来ないと言っている以上、主催どころじゃないですし…。
「うーん…。何か無いかな、妄想ハーレイを追い込む方法…」
火渡りでなくてもいいんだけれど、と腕組みをして考え込んでいる会長さんは既に思考がズレていました。教頭先生を苛め倒して遊びたい、という目的が見え見えです。これはロクでもないことになりそう、と戦々恐々として見守っていると。
「そうだ、アレ!」
アレが使える、と赤い瞳に悪戯っぽい煌めきが。何か閃いちゃいました…?



「火の反対は水なんだよ、うん。でもって集中力が大切!」
人差し指を立てる会長さんに、キース君がすかさず突っ込みを。
「教頭先生は古式泳法の達人でいらっしゃるんだぞ? そう簡単にはいかんと思うが」
「…水泳ならね」
違うんだな、と会長さんはニヤニヤと。
「前にニュースで見たんだよ。外国のイベントで、プールの上に斜めになった柱が突き出してるわけ。その先っぽに旗がついてて、柱を駆け登って行ってそれを取ったら優勝ってヤツ」
「「「???」」」
簡単そうに聞こえますけど、傾斜が半端じゃないのでしょうか? それとも水面からの高さが凄くて、グレイブ先生みたいに高所恐怖症の人だと登るどころじゃなかったり…?
「傾斜の方は普通かな。高さの方は、まあ、そこそこ…。高飛び込みの台くらいだしね」
でも問題は其処じゃない、と会長さん。
「その棒、たっぷりと油が塗ってあるんだよ。歩いても滑る、走っても滑る。滑ったら最後プールにドボンで失格なオチ」
「あんた、教頭先生にやらせるつもりか!?」
もしかしなくても一人参加か、と噛み付くキース君に、会長さんは。
「ハーレイが一人じゃ可哀相なら、君もやる? 他にも参加希望者がいればハードルを低くしてもいい。…プールにカミツキガメを放すコースは諦めるさ」
「「「カミツキガメ?!」」」
「うん。ただドボンだけじゃ面白くないし、火傷の代わりにガブリガブリと…。ハーレイは防御に優れたタイプ・グリーンだ、カミツキガメでも怪我はしないよ」
外すのに苦労するだけで…、とクスクス笑う会長さん。
「顎の力が凄いらしいね、カミツキガメは。でもハーレイの馬鹿力なら剥がすのも案外、簡単かもだし…。どうかな、誰か参加する? それならカミツキガメはやめておくけど」
「…お、俺は謹んで遠慮させて貰う」
カミツキガメがいなくてもな、とキース君が逃げ、他の男の子たちも大却下。スウェナちゃんと私が参加する筈もなく、教頭先生の一人参加が決定で。
「いいねえ、計画どおりってね。一人参加だからドボンした時はやり直しのチャンスを認めよう。カミツキガメのプールから脱出するには蜘蛛の糸! ギャラリーな君たちの人数分を用意するけど、エロい考えを起こしたが最後、プツンと切れてドボンといくわけ」
いろんな意味で集中力が欠かせないよね、と会長さんの瞳が輝いています。これって火渡りよりも大変なんじゃないですか? 油を塗った棒とか、カミツキガメとか…。



ウキウキと火渡りならぬ水渡りもどきのプランを練っている会長さん。仲間が経営しているフィットネスクラブの飛び込み用のプールを貸し切り、柱をセットするつもりです。教頭先生を呼び出す方法もバッチリだそうで。
「頑張って旗をゲット出来たら、ぼくからキスのプレゼントってね。単なる祝福のキスってヤツでさ、頬っぺたにチュッとやるだけだけど…。ハーレイはそうは思わない。思いっ切りのディープキスを夢見て、釣られてノコノコ出て来るわけだよ」
そして滑ってプールに落ちたら蜘蛛の糸、とニヤニヤニヤ。
「エロいことを考えたら切れると分かっていてもね、御褒美がぼくのキスだろう? プツンと切れるのは間違いないさ。人数分の蜘蛛の糸を無駄にしちゃうか、心頭滅却して這い上がるか。火渡りよりも遙かにスリリングな精神修養の世界だってば」
火傷代わりのカミツキガメも控えているし、と会長さんは壁のカレンダーを眺め、吉日を選び出しました。フィットネスクラブに連絡をして臨時休業の約束を取り付け、決定した日は来週の土曜日。それまでに教頭先生を釣り上げ、柱なんかも用意して…。
「いいねえ、ぼくも見学していい?」
「「「!!?」」」
誰だ、とバッと振り返った先に会長さんのそっくりさんが。スタスタと部屋を横切り、ソファに腰掛けて蜂蜜シフォンを御注文。
「ハーレイが精神修養だって? 面白そうだし、見たいんだけど」
「…止めないけどさ…」
ハーレイの苦労は増えそうだねえ、と会長さん。
「君がハーレイにエールを送ると、蜘蛛の糸がプツプツ切れまくりそうで」
「その蜘蛛の糸! どんなシステムにするつもりなわけ?」
「タコ糸をサイオンで強化して柱から垂らしておこうかなぁ、と思ってる」
落っこちた場所にサイオンで結び付けて、という会長さんの答えに、ソルジャーは。
「それじゃイマイチ面白くないよ。蜘蛛の糸ってアレだろ、誰だったっけ…。偉い人が天国から垂らしてくれるんだろう?」
「お釈迦様だよ、それに天国じゃなくって極楽!」
間違えるな、と会長さんは苦い顔ですが、ソルジャーはまるで気にせずに。
「そうだっけ? 何でもいいけど、そのオシャカ様? それの係をぼくがやりたい!」
「「「は?」」」
お釈迦様の役を希望とは、これ如何に? ソルジャーは何をやりたいと?



降ってわいたソルジャーですけど、蜂蜜シフォンをフォークで切って頬張りながらニコニコと。
「エロい考えを起こしたら切れるって言っていたよね、蜘蛛の糸! 単に柱に結んであるんじゃエロい考えになりにくいから精神修養になってない。君そっくりのぼくが糸を握って垂らしていたとしたら、どうなると思う?」
「そ、それは……。結んだパターンよりも厳しいかと…」
「だろう? おまけに励ましの言葉も付ければバッチリだよね」
糸はプツンと切れまくり、と微笑むソルジャー。
「ぼくは基本的にはハーレイを応援してるんだけど…。君と結婚してくれたらなぁ、と思ってるけど、それには精神修養ってヤツも必要なのかもしれないしね。さっき話してた火渡りだっけ? それも出来ないような男に君が惚れるとは思えない」
「うん、有り得ない」
銀青としては認められない、とキッパリ言い切る会長さん。ソルジャーは深く頷いて。
「そうだろうねえ、だからハーレイには精神力をつけて欲しいんだ。ぼくが絡んでも見事に旗をゲット出来たら、少しは株が上がりそうだし」
「…まあ、少しはね…」
ほんの少しね、と嫌々といった感じの会長さんですが、ソルジャーの方は御機嫌で。
「やっぱり株が上がるんだ? それじゃ大いに励まさなくっちゃ! ぼくの蜘蛛の糸の誘惑に負けず、エロい考えを封じまくって立派にゴールインするんだよ、って!」
それでこそハーレイの男が上がる、とブチ上げたソルジャー、蜘蛛の糸なタコ糸を垂らす係を会長さんから任命されることに。
「…どんなエールを送るつもりか知らないけどねえ、ハーレイの苦難が増えるんだったら大歓迎! あ、ズルをしてハーレイを助けるパターンは無しだよ?」
「心配しなくても今回は無し! ハーレイの男を下げるだけだし」
頑張りまくって自力でクリア出来てこそ、とソルジャーは会長さんに約束しました。お助けアイテムな蜘蛛の糸はソルジャーのせいで切れ易くなってしまいそうですが、教頭先生、大丈夫かな…。
「さあねえ? ぼくは最初からハーレイで遊ぶつもりだったしね」
ブルーのお蔭で楽しさ倍増、と会長さんは教頭先生を呼び出すための手紙の文面を考えています。曰く、君の本気を見てみたいだとか、精神修養で男を上げた君にキスを贈ろうとか…。
「そこはさ、もう一歩突っ込んで! キスの先まで行きたい気持ちにさせてくれるのを期待していると書いとくべきだよ」
「その案、採用!」
乗った、と会長さんの唇に悪魔の笑みが。ソルジャーの参加でハードルは上がりまくりです。教頭先生、来週の土曜日は受難の日になるんじゃないですかねえ…。



火渡りに端を発した水渡りもどき。教頭先生は会長さんの手紙にアッサリと釣られ、次の週の土曜日、私たちが待ち受けるフィットネスクラブにやって来ました。
「来たね、ハーレイ。敵前逃亡しなかったんだ?」
まだ今からでも逃げられるけど、と笑みを浮かべる会長さんですが。
「いや、逃げるような真似はせん。要は精神修養だろう? 水渡りだったか…。初耳だが」
頑張るまでだ、と胸を叩いた教頭先生はイベントの内容を全く知らされていませんでした。手紙で指示されたとおり水着持参でいらしただけで、油を塗った柱のこともカミツキガメも、蜘蛛の糸も何も御存知無くて。
「いい覚悟だねえ…。それじゃ後悔しないようにね」
まずは水着に着替えて来て、と言われた教頭先生、更衣室へと向かわれました。颯爽と戻って来られた時にはキリリと赤い褌が。その姿にソルジャーが見惚れています。
「カッコイイねえ、赤褌! ぼくのハーレイだと締めても披露する場所が無くてさ」
「あ、ありがとうございます…。精神修養と聞いたからには、やはり褌だと思いまして」
締めると気持ちが引き締まるので、と教頭先生。そのやり取りを聞いていた会長さんがクスッと笑って。
「緊褌一番って所かい? それじゃルールを説明するから会場の方へ」
こっち、と先頭に立ってプールに向かう会長さん。フィットネスクラブは臨時休業の名目で本日貸し切り、すれ違う人は誰もいません。重いドアを開けて入ったプールには競泳用の大きなプールと、飛び込み用の深いプールが。
「ハーレイ、水渡りは向こうのプールになるんだ。あそこに柱が見えるだろう?」
上の方だよ、と会長さんが指差す先に、飛び込み台の代わりに取り付けられた平均台より少し太いくらいの四角い柱が。長さ六メートルくらいでしょうか、急な坂レベルの傾斜付き。
「あの柱をね、駆け登って先に付けてある白い旗を取ってくればいい」
「…それだけか?」
「そう、それだけ。ただし柱には油が塗ってあるから滑るよ? 滑ったらプールにドボンとね」
「なるほど…。それで水渡りなのか」
気を付けて行こう、と顔を引き締める教頭先生に、会長さんは。
「火渡りの方は知っているよね? 雑念があるとペースが乱れて火傷する。水渡りも同じさ、精神統一が出来ていないと滑りやすい。そして落ちたら噛み付かれるから」
「は?」
「カミツキガメだよ。タイプ・グリーンの力があるから怪我はしない筈!」
でも噛まれたら剥がれないんだよね、と会長さん。教頭先生、プールを覗いて真っ青ですよ…。



「…ブ、ブルー…。大きな亀がウジャウジャいるのだが…」
アレがそうか、と震える声の教頭先生の後ろからプールを覗き込んだ私たちも息を飲みました。甲羅の長さが五十センチはありそうな亀が無数に泳いでいます。全部カミツキガメですか?
「うん、あれがカミツキガメだけど? 攻撃されると噛むらしいんだよ」
君が落ちて来たら攻撃と見なして噛むだろうねえ、と可笑しそうに笑う会長さん。
「でもね、落ちたら終わりってコトじゃないんだな。此処で見ているギャラリーの人数分だけ蜘蛛の糸がある」
「蜘蛛の糸だと?」
「そのまんまの意味さ、キースたち七人グループに因んで七本の糸を用意した。お釈迦様の役目はブルーが引き受けてくれてるんでね、ブルーが垂らした糸を掴んでプールから柱まで攀じ登ればいい。…ただし!」
この先が肝心で…、と会長さんは指を一本立てました。
「昔話の蜘蛛の糸ってヤツは自分のことしか考えなかった罰でプツンと切れるよね? 君を助ける糸も同じさ。精神修養だってことを忘れてエロい考えを起こした途端にプッツンだ。ぼくとブルーが君の心を監視する。エロさを感じたら容赦なく切る!」
カミツキガメの上に落っこちてしまえ、と言われて顔面蒼白の教頭先生。
「…そ、そんな…。で、では、私は……」
「えっ、簡単なことだろう? 精神統一して駆け登って行けば旗を取るのは簡単だ。運悪く滑っても蜘蛛の糸がある。それも七本! これだけのフォローがあっても水渡りが成功しないようなら、最初から望みは無いんだよ。ぼくのキスなんて夢のまた夢」
今すぐ棄権も認めるけれど、と会長さんが最後のチャンスをチラつかせましたが。
「い、いや…! 私も男だ、此処まで来たのに逃げるわけには…。あの旗を取って水渡りを成功させるまでだ!」
拳を握り締める教頭先生。覚悟のほどは御立派ですけど、どうなったって知りませんよ? 会長さんもフンと鼻を鳴らして。
「そこまで言うなら頑張りたまえ。いいね、集中力が大切! 旗を取ることだけを考えるんだね、そうすれば自然と道は開ける。精神修養とはそういうものさ」
火渡りも水渡りも心頭滅却! と発破をかけられ、教頭先生は飛び込み台へと向かわれました。決意も固く登ってゆかれて、いざ、柱へと。平均台より少し太いだけの幅な上に油で滑りますから、気合を入れて一気に走って下さいね~!



何回か大きく深呼吸をして、ダッと駆け出した教頭先生。一歩目からツルッと滑りましたが、両手を広げてバタバタと必死にバランスを取って二歩、三歩。あらら、走れるものなんだ…。
「へえ…。なかなかやるねえ、こっちのハーレイ」
ぼくの出番は無かったりして、とソルジャーが感心した途端にツルリと踏み出した足が宙に浮き。
「「「あーーーっ!!!」」」
二メートルくらい駆け登っていた教頭先生、体勢を崩して真っ逆さまにプールへと。ドッパーン! と派手な水飛沫が上がり、続いてバシャバシャと激しい水音。
「た、助けてくれーっ!!」
亀が、亀が、と浮かび上がった水面で手を振り回している教頭先生。カミツキガメが丈夫な顎で身体のあちこちに噛み付いています。会長さんがプールサイドで声を張り上げて。
「亀のフォローはしてないんだよ! まず剥がしてから救助要請! そしたら蜘蛛の糸!」
「な、なんだって!?」
「タイプ・グリーンなんだし、平気だろ? とにかく剥がす!」
君の馬鹿力で、と会長さんが叫び、教頭先生は懸命に姿勢を保ちながらカミツキガメに立ち向かいました。指くらいなら噛み切る力があるそうですから口を開けさせるのも簡単ではなく…。おおっ、拳を振り上げていらっしゃいます、ここは一発、殴るんですね?
「バーカ」
会長さんが小馬鹿にした口調で言い放つなり、大声で。
「総員、退避ーーーっ!!!」
「「「えっ?」」」
事情を飲み込む前に張られたシールド。ソルジャーまでが会長さんのシールドに包まれ、目を白黒とさせています。
「なっ、何?! 何があったわけ?」
「最後っ屁!」
会長さんの言葉と指差す方向。プールの中では苦悶の表情の教頭先生がカミツキガメと戦っています。顔が思い切り歪んでますけど、最後っ屁って何のことですか?
「カミツキガメはね、危険を感じると足の付け根から悪臭を出す習性があるんだな。ハーレイがガツンと殴っただろう? あれで最後っ屁をかましたわけさ」
当分シールドを解きたくはない、と会長さんが言い終える前に再び最後っ屁が放たれた模様。群がる亀を引き剥がすまでにオナラを何発食らわされるのか、あまり数えたくなかったり…。



鼻が曲がるほどに臭くて凄まじいらしいカミツキガメの最後っ屁。散々にやられた教頭先生はズタボロでしたが、お身体の方に怪我は無く。
「…か、亀はなんとか剥がしたぞ…!」
今の間に引き上げてくれ、と仰向けに浮いていらっしゃる教頭先生。攻撃されなければ噛まないというカミツキガメは周囲にウヨウヨいるのですけど…。
「えーっと、行ってもいいのかな? まだ臭そう?」
だったら一応シールドを、とソルジャーが尋ね、会長さんが。
「もう散ってると思うけど…。換気を強めにしておいたから」
「じゃあ、行ってくる。蜘蛛の糸、まずは一本目だね」
トン、とプールサイドを蹴って飛んだソルジャー、棒の上の宙にフワリと浮いて。
「ハーレイ、聞こえる? 今から糸を垂らすから! これに掴まって登ってきたまえ」
蜘蛛の糸だよ、とソルジャーの手から白いタコ糸が。ええ、文字通りのタコ糸です。スルスルと伸びて教頭先生の前まで降りて来たものの、教頭先生、心許ない表情で。
「…い、糸か…。これは本当に切れないのか?」
「疑ってると切れるかもねえ?」
君は信心が足りなさすぎだ、と会長さん。
「救いの糸だよ、信じて登る! そしたら足を滑らせた場所までちゃんと登っていけるから!」
「わ、分かった、登ればいいのだな?」
お前の言葉を信じよう、とタコ糸を掴んだ教頭先生の腕に筋肉がググッと盛り上がりました。ソルジャーが垂らす糸を頼りに腕を伸ばしてグンと攀じ登り、もう一方の腕を上へと。
「すげえや、糸でも登れるのかよ!」
揺れていねえぜ、とサム君が感心すれば、会長さんが。
「サイオンで強化してあるからねえ、糸でも強度はロープ以上さ。揺れの方はブルーが抑えてる。エロい妄想をしたならともかく、揺れてドボンじゃ気の毒だ…ってね」
「ほほう…。あいつらしいな」
惚れた相手には手加減するのか、というキース君の台詞に、会長さんの訂正が。
「惚れていないよ、ハーレイにはね。自分の伴侶と同じ顔には手加減する、の間違いだってば!」
「そうだった…。同じ顔だというだけだったな」
間違えた、とキース君が苦笑した所へソルジャーからの思念波が。
『ブルー、どうする? もう少しで君のキスをゲットだ、ってハーレイの心が零れてるけど』
「ぼくのキス!? その発想はエロいって!」
ぶった切れ、と会長さんが指示を飛ばして、蜘蛛の糸はそこでプッツンと。半分ほど登った教頭先生、カミツキガメが群れるプールへと落下してゆかれたのでした…。



せっかくの救いの糸をフイにしてしまわれた教頭先生。落ちたプールでカミツキガメに噛まれ、最後っ屁をかまされまくった末に二本目の糸をゲットし、今度は無事に棒の上まで。ソルジャーに励まされて「頑張ります!」と駆け出したものの…。
「また落ちたか…」
でも半分までは行ったのか、と会長さん。教頭先生はプールの中でカミツキガメに囲まれ、容赦なく最後っ屁を食らっています。とはいえ、既に半分まで走ったからには残り半分、行けないことはないのかも…。
「まあね。体力さえ持てば残り半分をクリアすることは出来るだろう。蜘蛛の糸も五本も残っているし…。ただね、ゴールに近づけば近づくほど、妄想も入りやすくなる」
その妄想を追い出せてこその水渡りだ、と会長さんは冷ややかな目で。
「どう思う、ブルー? ハーレイは最後まで行けそうかな?」
「うーん、どうだろ…。ぼくのハーレイと似てるんだったら、詰めは非常に甘そうだ。最後の最後でツルッと滑ってドボンと落ちてしまいそうだよ」
「やっぱりねえ…。まあ、仮に成功したとしてもさ、祝福のキスしか無いわけだけど」
そうとも知らずに頑張ってるねえ、とプールを眺める会長さん。
「その先のことを期待したくなるように努力しろ、と書いておいたから妄想だけは山ほどある筈! ゴールが近くなれば自然と気分がそっちの方に」
「だろうね。そして心が乱れて滑って落ちるか、蜘蛛の糸をプツンと切られるか。ぼくとしては妄想にしっかり蓋をしといてゴールインして欲しいけど…」
ちょっと無理かな、と首を振り振り、ソルジャーは亀を引き剥がした教頭先生のために蜘蛛の糸を垂らしに出掛けました。さっきみたいに登り切れるか、一度目のように切られるか。ハラハラしながら見守っていると、会長さんへのお伺いもなく糸がいきなりプッツンと…。
「うわぁーーーっ!!!」
野太い悲鳴と共に教頭先生はプールにドボン。カミツキガメは「落ちて来るものは敵」と学習したらしく、噛み付くと同時に最後っ屁までもお見舞いしている模様です。教頭先生、まさに踏んだり蹴ったりですけど、ソルジャーはどうして糸を切ったの?
「え、聞くまでもなかったからね」
スイッとプールサイドに下りて来たソルジャーが蜘蛛の糸を持っていた右手をヒラヒラと。
「せっせと無心で登る間に蜘蛛の糸の話を思い出したらしい。極楽から垂らされた糸だったな、と考える内に頭の中が理想の蓮に…ね」
「「「は?」」」
「アレだよ、ぼくの理想の蓮! キースにお願いしてあるヤツさ」
阿弥陀様から遠い場所に在ってハーレイの肌の色が映えるヤツ、と言われて浮かんだソルジャー夫妻の夢の極楽。来世はそういう蓮に生まれてヤリまくるのが夢でしたっけ…。



「…君の蓮の花を連想したのか…。それじゃ水渡りは絶望的かな?」
蜘蛛の糸はこの先プツンプツンと切れまくり、と会長さんが嘲笑い、ソルジャーが。
「そうなりそうだね、ぼくも手加減する気は無いし。…残り四本だったっけ? 無我の境地で登り切れるのが何本あるか…。そして最後に登り切った場所が旗の近くかどうかって所が運なのかな」
もしかしたら根性で腕を伸ばして旗を取るかも、と僅かな可能性に賭けるソルジャー。けれど蜘蛛の糸を垂らす係がソルジャーであり、そのソルジャーが理想の蓮を常に夢見ているとなっては…。
「絶望だよな?」
まず無理だよな、と油を塗った棒を見上げるサム君。
「あと半分も残ってるしよ…。糸の数だけでいけば無理とも言い切れねえけどよ」
「カミツキガメで消耗する分もあるしね…」
噛むし、おまけに最後っ屁だし、とジョミー君が肩を震わせています。
「ぼくだったらとっくにギブアップだってば、水渡りなんて…」
それくらいなら火渡りでいい、とお坊さん嫌いのジョミー君が言い出すくらいにカミツキガメは強烈でした。泳ぎも力も並みの人より優れている筈の教頭先生でさえ、脱出までにかなりの時間がかかるのです。おまけに臭いと来た日には…。
「まさに地獄というヤツか…。蜘蛛の糸は地獄に仏なんだが…」
それを活用出来るかどうかが勝負だな、とキース君が言い、マツカ君が。
「教頭先生ならこの逆境を乗り越えられると思いたいですけど…。どうでしょう…」
「賭けますか?」
ちょっと不謹慎ではありますけれど、というシロエ君の提案に賛同する人はいませんでした。教頭先生が旗をゲット出来る可能性は限りなくゼロに近そうです。そっちに賭けて当たった場合は大穴ですけど、負ける可能性の方が遙かに高いわけでして…。
「ブルー、君はハーレイに賭けてあげないのかい?」
男を上げて欲しいんだろう、と会長さんがソルジャーに水を向けましたが。
「嫌だよ、ぼくは確実に勝てる戦いしかしたくないんだ。負けるなんてこと、たとえ賭けでも縁起が悪い。それに不正は厳禁だよね?」
ハーレイのエロい妄想を見逃したりしちゃダメなんだろう、と尋ねられた会長さんがコックリと。
「当たり前! 君の役目は蜘蛛の糸を厳しく管理すること!」
いくらハーレイに肩入れしたって不正は厳禁、と会長さん。教頭先生をカミツキガメのプールから救える蜘蛛の糸を垂らすソルジャーの夢は理想の蓮。それに気付いた教頭先生、もう地獄へと真っ逆さまに落ちまくるしかないですってば…。



頑張るだけ無駄と思われた教頭先生だったのですけれど。大量のカミツキガメに噛まれまくって最後っ屁を山ほど浴びせられたことが結果的には良かったらしく。
「かみお~ん♪ 凄い、凄いよ、登ってるー!」
今までで一番速いよね、と感激している「そるじゃぁ・ぶるぅ」。最後に残った七本目の蜘蛛の糸を教頭先生はグイグイ攀じ登っていました。腕に加えて足の力もMAXです。赤褌だけを締めた身体に盛り上がる筋肉、そして無我の境地。
『…うーん、登ることしか考えてないや…』
頭の中は亀地獄からの脱出だけ、と蜘蛛の糸を垂らしているソルジャーの思念。頭の中から妄想の山を駆逐するほどにカミツキガメのプールは生き地獄だったみたいです。この糸を無事に登り切ったら旗までの距離は一メートル弱。滑ったとしても腕を伸ばせば届くかも…。
「おい、ひょっとしてひょっとするのか?」
シロエの賭けに乗るべきだったか、とキース君が呻き、ジョミー君も。
「うわぁ、賭ければ良かったよ~。いけるよ、絶対いけるって!」
「だよなあ、俺も賭けときゃ良かった…」
あと少しだぜ、と見上げるサム君。賭けを口にしていたシロエ君も残念そうで。
「…ぼく一人でも賭けるべきでしたね、大穴に…。ゴールで間違いなさそうです」
「うーん…。ぼくはハーレイに祝福のキスを贈るわけ?」
まあいいけどね、と会長さんがブツブツブツ。教頭先生はぐんぐん登って棒まで辿り着きました。ソルジャーがトンとプールサイドに飛び降りるのと、バランスを確かめていた教頭先生が旗を目指してダッシュしたのとは殆ど同時で。
「「「!!!」」」
ダダダッと勢いよく駆け登っていった教頭先生、気が焦ったのか腕を伸ばすのが速すぎた様子。右腕が旗を掠めて空を切り、左足がツルンと真上に滑って…。
「「「おぉぉっ!!!」」」
墜落する、と思った次の瞬間、教頭先生は二本の足でガシッと棒を捕えました。グググ…と身体を曲げ、上半身を起こして旗を取ろうと懸命です。
『く、くっそぉ…。諦めてたまるか、なんとしても私はブルーのキスをっ!!』
ギリギリと歯を食いしばる教頭先生の思念がビンビンと。そっか、蜘蛛の糸じゃなければ妄想が原動力になっていたって大丈夫というわけですか…!
「や、やばい…。やっぱりキスかな…」
会長さんの呟きにソルジャーが。
「諦めたまえ。立派に水渡りを成し遂げたんなら仕方ないだろ、キスくらい!」
減るモンじゃなし、と背中を叩かれた会長さんがガックリと肩を落とした時。



「ブルー、今いくぞーっ!!!」
上体をグイと曲げて旗を掴もうとした教頭先生の身体を支えていた足がツルリと油で滑りました。筋肉隆々、金色の脛毛に覆われた二本の足が空中で無様に開かれ、体勢を立て直す暇も無く…。
「ブルーーーっ!!!」
腹の底からの叫びを残して、教頭先生はその頭からプールに突っ込んでゆかれました。カミツキガメの甲羅に激突するゴツンという音が鈍く響くなり、一斉に放たれる最後っ屁。文字通りこれで最後です。蜘蛛の糸はもう無く、旗は空しくプールの上に翻り…。
「…派手にやったねえ……」
プール中の亀が最後っ屁なんじゃないのかい、とシールドを張りつつ、ソルジャーが。
「そうみたいだねえ…。キスせずに済んで良かったよ。ハーレイの精神修養はともかく、君に背中を押されるのだけは避けたいし!」
キスだけで済むとは思えないから、と苦笑いをする会長さん。
「ついでにデートとか余計なオマケがついて来そうだ、ハーレイが水渡りに成功してたら」
「あっ、分かった? 色々と考えていたんだけどねえ…」
「ぼくも色々考えていたよ。君の注文にどう切り返すか、ハーレイをどう封じるか…。でもねえ、ハーレイは当分、そういう妄想をする余裕は無いかと」
失敗のダメージは大きいんだよ、と会長さんが指摘するとおり、教頭先生はカミツキガメに噛み付かれたままプカプカと浮いておられました。唇が小さく動いてますけど、会長さんの名前を呼んでいるとか…?
「違うね、あれは「臭い」と言っているんだよ」
最後っ屁が、と会長さんが笑って答えて、ソルジャーも。
「うん、そうとしか聞こえない。頭の中まで「臭い」で一杯、救出するのは後でいいかな」
匂いがすっかり抜けてから…、と笑い合っている会長さんとソルジャーと。教頭先生の努力の甲斐無く、水渡りは成功しませんでした。せめて最後に呟いていたのが会長さんの名前だったら…。「臭い」なんていうモノじゃなかったら、少しは希望があったんですかねえ…?




        精神力で勝て・了

※いつもシャングリラ学園を御贔屓下さってありがとうございます。
 カミツキガメはね、噛むだけじゃなくて最後っ屁なんですよ、本当です。
 近所の池にもいるらしいですが、挑む勇気は無いですね…。
 今月は月2更新ですから、今回がオマケ更新です。
 次回は 「第3月曜」 12月21日の更新となります、よろしくです~!

※毎日更新な 『シャングリラ学園生徒会室』 はスマホ・携帯にも対応しております。
 こちらでの場外編、12月は、迷惑な外来種というヤツの話題で始まり…。
 ←シャングリラ学園生徒会室は、こちらからv





※シャングリラ学園シリーズには本編があり、番外編はその続編です。
 バックナンバーはこちらの 「本編」 「番外編」 から御覧になれます。

 シャングリラ学園番外編は 「毎月第3月曜更新」 です。
 第1月曜に「おまけ更新」をして2回更新の時は、前月に予告いたします。
 お話の後の御挨拶などをチェックなさって下さいませv





今年も夏休みが始まりました。柔道部の合宿と、その期間に合わせたジョミー君とサム君の璃慕恩院での修行体験ツアーも無事に終わって、まずはマツカ君の山の別荘へ。高原の澄んだ空気の中、ハイキングや乗馬なんかをしているのですが。
「…帰ったらまた卒塔婆書きか…」
キース君が夕食の席でボソリと。シェフが腕を奮ったチキンの香草焼きに卒塔婆はまるで似合わない発言です。とはいえ、キース君はシャングリラ学園特別生であると同時に元老寺の副住職。お盆を控えたこの時期、卒塔婆書きは欠かせない仕事なのでした。
「卒塔婆、残っているのかい?」
大変だねえ、と会長さん。
「ノルマを決めてキチンと書いてると聞いていたけど、また増えたとか?」
「ああ、いつものパターンというヤツだ。親父が押し付けてきやがった。お前は遊びに出掛けるんだから親孝行しろとか抜かしやがって!」
よくも、とキース君が唸るパターンももはやお馴染み。卒塔婆書きはハードな作業だけあって、アドス和尚はあの手この手でキース君に自分のノルマを押し付けようとするのです。断ったら最後、雷が落ちるか禁足令が出て外出禁止か。キース君にとってこの時期はまさに地獄と言えるかも…。
「しかも今年は卒塔婆の数が多いんだ! 親父め、最初からそういうつもりで適当にサボッていやがったらしい。俺が合宿に行っている間、一本も書いていないな、あれは」
もう嫌だ、と泣きの涙のキース君。
「家に帰ったら卒塔婆がズラリと待っているんだ…。あれだけの数、いくら俺でもお盆の直前までかかるだろうな。棚経までに一日休みが取れるかどうか…。しかも今年は猛暑なんだ!」
卒塔婆書きでスタミナが尽きたら棚経の途中で倒れてしまう、とキース君は嘆いています。
「おふくろは栄養ドリンクを買っておくとか言ってるんだが、それでもな…。サムかジョミーが資格さえ取ってくれていたなら、少しは手伝って貰えるのに…」
「あー、悪い…。俺もお盆の卒塔婆はまだ書けないしよ」
頑張れよ、とサム君が励まし、ジョミー君も。
「ほら、棚経はフォローするからさ…。どうせ今年も行かされるんだし、倒れた時には救急車くらい呼んであげるよ」
「……シャレになってないぞ……」
本当に救急車の世話になりそうだ、とぼやきつつチキンを頬張るキース君。この様子では山の別荘ライフの間に英気を養って卒塔婆書きに挑んで貰うしかなさそうです。マツカ君も「明日からスタミナがつく料理にしますか?」とか訊いていますし、そっち方面に期待ですよね…。



別荘のシェフはキース君のためにメニューに工夫をこらしてくれました。高原らしく軽やかでお洒落な料理が多かったのが食べ応えのある内容になり、ガーリックなども多めに使用。それでもキース君の帰宅後のノルマが減るわけではなく、明日は帰るという夜になって。
「…なんで寺なんかに生まれたんだ…。世間はお盆休みだというのに、俺の家は!」
どうしてこうなる、と夕食後に集まって遊ぶ広間の畳に突っ伏すキース君。
「ガキの頃から俺の家にはお盆休みなんか無かったんだ! 同級生は田舎に帰ったり家族旅行に行っていたのに、俺の家ときたら棚経だの墓回向だの施餓鬼供養だの…。それでも今よりはマシだった! 今の俺にはお盆と言えば卒塔婆書きに棚経、墓回向…」
それに施餓鬼、と指折り数えて。
「文字通り逆さ吊りの日々がこの先、一生…。俺は一生、逆さ吊りなんだぁーっ!!!」
「「「…逆さ吊り?」」」
それは穏やかじゃありません。卒塔婆書きのノルマを果たせなかったらアドス和尚に逆さ吊りにされてしまうのでしょうか? 御本尊様の前とかで…。それはコワイ、と震え上がった私たちですが、会長さんがクッと笑って。
「おやおや、ジョミーはともかくサムも知らない? 逆さ吊りと言えばお盆のことだよ」
「「「は?」」」
「お盆の正式名称が盂蘭盆会というのは知ってるだろう? これはお釈迦様の国の言葉のウラバンナを漢字で表したもので、ウラバンナの意味が逆さ吊り。逆さ吊りの苦しみに遭っているような人を救う法要ってことなんだな」
その由来は知りませんでした。なるほど、それで逆さ吊り、と…。卒塔婆書き三昧に棚経三昧、猛暑の中の墓回向とくれば気分は逆さ吊りかもです。ですが、キース君が元老寺に生まれた上に副住職となると、頑張ってとしか言える筈も無く。
「キース先輩、逆さ吊りですか…。今年も頑張って下さいね」
シロエ君が励まし、スウェナちゃんも。
「どうせ一生やるんでしょ? その内に慣れてなんとかなるわよ」
「そうだぜ、それに何十年か待っててくれたら俺とジョミーも手伝うからよ」
それまでの間は我慢しろな、とサム君が背中を叩いたのですが。
「…何十年…。俺の悩みはまさにソレなんだ、終わる見込みが無いんだからな!」
次の代に譲るという選択肢が無い、とキース君は拳を握りました。
「年を取らないから跡継ぎの子供も生まれない。俺は一生、親父の下でこき使われて逆さ吊りの苦しみを味わい続けるだけなんだーっ!!」
「「「………」」」
言われてみればそうでした。後継者に譲って楽隠居って道、キース君には無かったですね…。



気の毒だとは思いましたが、こればっかりは救う方法がありません。サム君とジョミー君が助っ人に使えるレベルになるまで待って貰うより道は無し、と私たちは苦悶しているキース君に背を向け、広間の机に用意されていたお菓子や軽食に手を伸ばしました。
「…相当追い詰められてるね、あれは」
重症だよ、と会長さんがポテトチップスを口に放り込み、サム君はサンドイッチをガブリと。
「仕方ねえよな、お寺に生まれちまったんだしよ…。待っててくれれば俺とジョミーが」
「誰もやるなんて言っていないし!」
ぼくは坊主はお断り、とカナッペを口に頬張ったままでジョミー君がモゴモゴ。
「やりたきゃサムが一人で行ってよ、ぼくは絶対行かないからね!」
「…お前なあ…。それこそ一生逃げちゃいられねえぜ、ブルーの弟子だろ?」
人間、諦めが肝心だぜ、とサム君がジョミー君の肩を掴んだ時です。
「これが諦めていられるかぁーっ!」
背中を丸めて落ち込んでいたキース君がガバッと勢いよく身体を起こして。
「俺は諦め続けてきたんだ、それこそガキの頃からな! 寺を継がないと言ってた時でも、おふくろに頼まれて墓回向だけは手伝ってきた。お盆が無かった年は一度も無いんだ、一度くらいは俺はお盆から逃げ出したい!」
「「「えっ?」」」
「しかし今更逃げると言っても、卒塔婆書きは待ってくれんだろう。それは書く! だが棚経だの墓回向だの施餓鬼供養だのが続く期間に俺は休みが欲しいんだ! 世間一般で言うお盆休みが!」
人並みのお盆というヤツが欲しい、と叫ぶキース君は我慢の限界に達してしまったみたいです。副住職がお盆を放棄って、アドス和尚が許さないでしょうに…。
「うーん…。いわゆる病欠かい?」
それなら文句は言えないよね、と会長さんが口を挟みました。
「和尚さんが棚経の途中で熱中症でギブアップというケースを聞いたことがあるよ。どこのお寺も忙しい時期だし、急に代役は見付からない。後日、檀家さんに謝って回ったみたいだね。…そんな感じで仮病を使えば休めるかと」
「病気で寝込めばお盆休みにならんだろう! 親父にブツブツ文句を言われるし、おふくろにも迷惑をかけそうだ。…要するに俺はお盆の期間は元老寺から離れていたいんだ!」
「家出するとか?」
後の始末が大変だけど、と会長さんが尋ねると、キース君はバッと畳に土下座。
「頼む、誰か名案を考えてくれ! 親父に文句を言われずに済んで、お盆をスル―する方法を! このとおりだ!」
頼む、と頭を下げられましても。…アドス和尚は怖いんですから、誰も片棒担ぎませんよ…。



「…合法的にお盆脱出ねえ……」
普通の方法じゃまず無理だろうね、と重々しく告げる会長さん。
「お寺の責任は重いんだ。檀家さんのお布施で食べさせて貰って、住まいに困らないのも檀家さんのお蔭。その代々の檀家さんたちを供養するのがお盆ってヤツで…。そこを疎かにして逃げようだなんて、それこそ坊主失格だけど」
「…分かっている。だが、本当に俺のお盆は一生続くんだ! 三百年以上も生きて来たあんたには大したことではないかもしれんが、俺はまだ悟りの境地に至ってもいない若造なんだ!」
それに、とキース君は続けました。
「俺はウッカリ真面目に副住職になってしまったが、同期のヤツには自由を謳歌しているヤツらも大勢…。ついこの間も「海外の聖地巡りをしています」という暑中見舞いが送られてきて…」
日焼けして楽しそうな笑顔だった、と羨ましそうに遠い目をするキース君。そっか、大学を卒業したら誰でもすぐに副住職とか住職ってわけじゃないんですね。
「…なるほどねえ…。それは少々こたえるかもね」
卒塔婆書きに忙殺されている君にはキツかったかも、と会長さんが相槌を打てば、キース君も。
「そうだろう? 他にも自転車で旅をしているヤツとか、バックパッカーで世界一周だとか…。見聞を広めるためと言われれば文句は言えんが、世間から見ればいい御身分だ」
俺ももう少し遊びたかった、と肩を落とすキース君に「そるじゃぁ・ぶるぅ」が。
「えとえと…。キース、高校生だし、学校あるでしょ? でも夏休みとかもちゃんとあるよね」
「…そこなんだよな…。普段は高校生でいられるという所で油断した。兼業で副住職をやれと言われてOKしたが、猶予を貰えば良かったんだ…」
せめて同期の連中が自坊に腰を据えるまで、とキース君は自分の判断の甘さを呪っています。とはいえ、副住職になってしまった以上はもはや手遅れ。会長さんの言葉通りに責任ある身で、お盆を放棄して逃亡だなんて檀家さんに対する裏切りとしか…。
「…本当に俺が甘かった。甘かったんだが、一度でいい。一度きりでいいから、逆さ吊りから逃げて自由なお盆というのは叶う筈もない夢なんだろうか…」
俺は一生この道なのか、と縋るような目で見回されても、助け舟なんか出せません。キース君を匿えそうな場所をこの国どころか世界のあちこちに持っているであろうマツカ君だって、困惑しきった顔でキース君と目を合わさないようにしてますし…。
「……やっぱり駄目か…。俺は一生、このままなんだな…」
明後日からまた卒塔婆書きか、とキース君が自虐的な笑みを浮かべた時です。
「…方法はまるで無いこともない」
会長さんが口を開きました。もしかして何か手がありますか? シャングリラ号で宇宙の彼方へ高飛びするとか、それなら追手もかかりませんよね!



普段は二十光年の彼方を拠点にしているサイオンを持った仲間たちの宇宙船、シャングリラ号。夏休みは大規模な人員交代の時期で地球の近くに来ています。そこへ逃げ込めば絶対安全、アドス和尚も手も足も出ないというわけで。
「シャングリラ号に乗せちゃうわけ?」
いい手だよね、とジョミー君が言い出し、シロエ君も。
「ですよね、期間限定のボランティアとかなら誰も文句は言えませんよ。シャングリラ号の順調な航行に必要となれば駆け付けなくっちゃいけませんしね」
キース先輩なら交代要員に相応しい能力が充分にありそうです、と太鼓判。確かに真面目なキース君なら、ブリッジクルーは流石に無理でも様々な部門で役立ちそうで。
「シャングリラ号かよ、あそこなら安全圏だよな!」
でもってゲスト扱いでのんびり出来るぜ、とサム君が頷きつつ会長さんに。
「キースがシャングリラ号に行くんだったら、俺も一緒に行きてえなあ…。キースが元老寺にいねえってことは俺もジョミーも棚経の手伝いがねえってことだし、暇だしよ」
「あっ、ぼくも! ぼくも乗りたい!」
棚経が無いならシャングリラ号、とジョミー君も挙手。こうなってくると私たちだって便乗しない手はありません。あの船はとても快適ですから、乗り込んで素敵なお盆休みをゲットです。我先に手を挙げ、私も、ぼくも、と頼み込んだまではいいのですけど。
「…誰がシャングリラ号に乗せるって言った? まあ、君たちは歓迎だけどね」
唇に笑みを湛える会長さん。
「「「は?」」」
シャングリラ号じゃないんですか? だったらキース君を何処へ逃がすと?
「合法的に、と言っただろう? 副住職としての責任を放棄しようと言うんだ、なまじのことではアドス和尚が納得しない。檀家さんの方は例え理由が大学の同期と海水浴でも快く許してくれるだろうけど…。まだ若いしね」
それでもアドス和尚は駄目だ、と会長さんは再度繰り返して。
「頑固で融通の全く利かないアドス和尚を納得させて、なおかつキースの副住職の面子を保つ方法は一つ! 元老寺のお盆より格の高い行事を正面からガツンとぶつけるだけだよ」
「「「…正面から?」」」
どんな行事があると言うのだ、と顔を見合わせる私たち。キース君は暫し考えてから。
「…璃慕恩院へ行けと言うのか? 確かに親父からは逃れられるが、それ以上に!」
親父よりも厳しい先輩方が目を光らせている、と逃げ腰になるキース君。けれど会長さんはニッコリと笑い、人差し指を立てて。
「此処に居るだろ、璃慕恩院の老師も頭を下げる伝説の高僧、銀青が……ね」
それでどう? と尋ねる会長さん。えーっと、それってどういう意味?



「早い話がぼくの家でさ、お盆期間の見習いってことで」
表向きは、と会長さんは計画を語り始めました。
「銀青が指導するとなったら、アドス和尚の頭の中では「箔がつく」ってことになるだろう。檀家さんが無いから棚経は無くても、他に色々と学ぶべきことが多そうだ。喜んで送り出してくれるさ、「失礼の無いよう頑張ってこい」と」
そして指導の実態は…、とニヤリと笑う会長さん。
「シャングリラ号で過ごそうなんて話も出てたし、みんな揃って泊まりにおいでよ。お盆はいつも暇にしてるし、たまには帰省で人が溢れて民宿みたいになるお盆気分もいいものさ」
「かみお~ん♪ それって楽しそう! お客様だぁ~!」
いっぺんやってみたかったんだ、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」も飛び跳ねています。お盆と言えば帰省ラッシュに里帰り。田舎なんかだと何家族もが帰省してきて民宿並みだと聞きますし…。
「そうか、あんたの家でお盆の見習いか…。それなら親父も文句は言えんな」
「いい理由だろ? ぼくから一筆書いてあげるよ、御子息とサムとジョミーをお預かりして面倒見ます、と」
任せておけ、と会長さんは宙から巻紙と硯箱などを取り出し、早速墨を磨り始めました。それから間もなく見事な筆さばきで書かれた手紙が出来上がり…。
「はい、キース。これを持って帰ってアドス和尚に渡したまえ。迎え火を焚く十三日から御子息をお借りして指導をさせて頂きます、と書いといた。サムとジョミーもセットでね。…お盆の行事を最後まで見せたいのでお返しするのは十七日です、と」
これでお盆の期間中は君は自由だ、と告げられたキース君の嬉しそうな顔といったら! ジョミー君も万歳三唱です。例年、暑さや疲労や膝の痛みと戦ってきた地獄の棚経が今年は無し。代わりに会長さんの家でのんびりとくれば、もう極楽というもので。
「やったあ、今年はブルーの家だあ! 棚経無しだぁーっ!!」
手放しで喜ぶジョミー君の隣で、キース君が頭を深々と。
「…礼を言う。寺に生まれて初めてお盆の無い生活だ。…なんだか夢を見ている気分だ」
「それはどうも。ぼくの名前が役に立つなら嬉しいよ」
その代わり卒塔婆書きは頑張って、という会長さんの激励に表情を引き締めるキース君。
「勿論だ。十三日までにはフリーになるよう、誠心誠意、努力する。その代わり、お盆はよろしく頼む」
「了解。君の人生で多分最初で最後のお盆休みだ、思い切り羽を伸ばすことだね」
有意義なお盆を過ごしたまえ、と微笑む会長さんにキース君はピシリと正座し、もう一度頭を下げました。伝説の高僧、銀青様にしか出来ない究極のお盆脱出方法。私たちもキース君と一緒のお盆休みは最初で最後になりそうですから、悔いのないよう過ごさなくっちゃ!



キース君のお盆脱出という前代未聞の計画を秘めて山の別荘ライフは終わりました。会長さんが書いた手紙が功を奏してジョミー君にもサム君にも棚経を控えての呼び出しはかからず、キース君はせっせと卒塔婆書き。夏休みを満喫している間に十三日が訪れて…。
「かみお~ん♪ いらっしゃい!」
卒塔婆書きを終えたキース君も交えて面子が揃った私たち七人グループは朝から会長さんが住むマンションへ。最上階に着いて玄関のチャイムを鳴らすと「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお出迎えです。
「今日からみんなでお泊まりだよね! ブルーも楽しみに待ってるんだよ♪」
入って、入って! と促されてリビングに行くと、クーラーの効いた部屋で会長さんがソファに座ってティータイム中。
「やあ、来たね。ぶるぅも朝から張り切っているし、何と言ってもキースのためのお盆休みだ。のんびりゆっくり楽しまなくちゃ。…最低限の行事はするけど」
アドス和尚の手前もあるし、と殊勝なことを口にする会長さん。
「とりあえず今日は迎え火かな。ぼくにも一応、供養するべき家族はいるから」
「「「………」」」
アルタミラで亡くなった家族の人か、と私たちは少ししんみり。会長さんの故郷の島、アルタミラは火山の爆発で海に沈んでしまいました。家族を一人残らず亡くした上に、島の人たちも全滅で…。その人たちの供養のために会長さんはお坊さんになったと聞いています。
「あ、そんなつもりで言ったわけじゃあ…。ずっと昔の話だからね」
気にしないで、と会長さんが笑顔になって、「そるじゃぁ・ぶるぅ」が飲み物の注文を取ってくれました。アイスティーにアイスコーヒー、オレンジスカッシュ。お昼までは少しあるから、とレモンの皮をくりぬいた中に詰まったレモンババロアも。
「…これが普通のお盆休みか…」
いいもんだな、とキース君。例年だったら明日の早朝に始まる棚経に向けての準備と、裏山の墓地を訪れる檀家さんのための墓回向とで汗だくになっている頃だそうです。
「喜んで貰えて嬉しいよ。ぼくの名前が役に立ったなら何よりだ」
お盆休みをたっぷり満喫したまえ、と会長さんが応じた時。
「…ぼくも満喫したいんだよね」
「「「???」」」
あらぬ方から声が聞こえてバッと振り返る私たち。紫のマントが優雅に翻り、ソルジャーが姿を現しました。
「今日からお盆休みだってね、ぼくにも是非!」
素敵なお盆休みをよろしく、とパチンとウインクするソルジャー。なんでソルジャーが出て来るんですか? 第一、ソルジャーの住んでる世界にお盆休みなんかがありましたっけ?



例年、夏休みになると必ずやって来るのがソルジャー夫妻。マツカ君の海の別荘で結婚して以来の伝統です。結婚記念日と重ねたいからと日付指定で押し掛けて来ますが、海の別荘行きはまだ先の話。なのにどうしてソルジャーが…? 会長さんもそこは疑問に思ったらしく。
「君の休暇はまだだろう? 海の別荘に来るんだからさ」
「それは勿論。だから今日のは別件で!」
お盆休みが欲しいんだよね、とソルジャーは空いていたソファに腰掛けました。おもてなし大好き「そるじゃぁ・ぶるぅ」がアイスティーとレモンババロアを用意し、ソルジャーは至極満足そう。
「これこれ、これが醍醐味ってね。今日からおもてなし三昧になるんだろう?」
お盆ってそういうものなんだってね、と語るソルジャー。
「キースがお盆休みって連呼してたし、ノルディに訊きに行ったんだ。ぼくの世界には無い行事だし、ライブラリーの古い本を調べてみてもお盆はあってもお盆休みは載っていなくて」
「……そうだろうねえ…」
お盆休みはこの国限定、と会長さんは疲れた口調。
「仏教のある国にお盆はあっても、お盆休みの習慣は無い。君の世界の記録には無くて当然かと」
「そうなんだ? …とにかくノルディに質問したら、「時間があるなら体験なさるといいですよ」って言われたんだよ。明日からいいかな、ぼくとハーレイ」
「「「は?」」」
会長さんだけでなく私たちまでが「は?」と返すしかありませんでした。お盆休みの体験はともかく、何処からキャプテンが湧くのでしょうか?
「かまわないかなって訊いてるんだよ、ぼくたちの休暇は調整したし」
海の別荘の分が近いから休暇をもぎ取るのに苦労した、とソルジャーは大袈裟に両手を広げて。
「ホント、ゼルたちはうるさいったら…。今の時点で特に気になる案件は無いし、人類側との小競り合いもない。休暇が少々増えたくらいで困りはしないと思うんだけどね?」
それに今回はぶるぅを残しておくんだから、と話すソルジャー。
「海の別荘の方はぶるぅもセットで休暇を取るから、不安というのはまだ分かる。お盆休みはぶるぅが残るし、万一の時の初動は問題ないかと…。ぶるぅはパワー全開で三分は保つし、三分あったら態勢も充分整うからね。…というわけで、お盆休みをもぎ取って来たさ」
「…もぎ取った?」
まさか明日から来る気なのでは、という会長さんの問いに、ソルジャーは。
「決まってるだろ、お世話になるよ。気心の知れた実家に帰ってのんびりするのがお盆だってね? ぼくに実家というのは無いけど、此処が実家のようなものだとノルディがね…」
ついでに夫婦でお邪魔するのが本筋だとか…、と一方的に喋りまくったソルジャー、おやつを食べ終えるなり「それじゃ帰省の準備があるから」とお帰りに。その帰省先っていうのが此処なんですか、そうですか…。



よりにもよってソルジャーどころかソルジャー夫妻が押し掛けて来るらしいお盆休み。紫のマントが空間の向こうに消え失せた後も私たちは呆然としていましたが。
「…おい。なんでこういうことになるんだ?」
俺の休みはどうなるんだ、とキース君。
「お盆休みを満喫するとか言ってやがったな、あいつ、いったい何をする気だ?」
「知らないよ、ぼくに訊かれても!」
ぼくも青天の霹靂なんだ、と会長さんがソルジャーが消えた辺りを見詰めて。
「ハーレイも連れて来るとか言っていたっけ…。おまけに帰省のつもりらしいし、上げ膳据え膳を希望と見たね。…いわゆる夫婦で里帰りのパターン」
「ちょ、ちょっと…」
それってぼくたちの立場の方は、とジョミー君が声を上げ、シロエ君も。
「キース先輩のお盆休みは無かったことになっちゃうんですか? 一生に一度のチャンスとやらがフイになる気がするんですけど…」
「……残念ながらそのパターンかな……」
相手が悪すぎ、と額を押さえる会長さん。
「だけどブルーが夫婦で帰省を気取ってるんなら、まるで望みが無いこともない。お盆休みの花は嫁と姑、それに小姑のバトルだという話もある。幸か不幸かブルーたちは未だにぶるぅのママの座を決定してないようだし、そうなってくれば二人とも嫁だ」
「「「嫁?」」」
「そう、嫁。そして此処が実家だと言うならぼくの立場は姑かな? 君たちは小姑として派手にバトルを繰り広げたまえ。気配りが足りないとか、当家の家風にそぐわないとか」
「…そ、それは……」
相当に無理がありすぎないか、とキース君が口ごもりながら。
「家風も何も、あいつは普段から自由に出入りしているぞ? 突っ込みどころを探せと言われても、そう簡単には見付からない気が…」
「普段ならね」
今はお盆だ、と即座に切り返す会長さん。
「お盆の行事から逃亡してきたキースには少々申し訳ないけど、この時期、やる家はやってることだし…。ぼくも長年適当にやってきたんだけれども、今年は真面目にお膳を作ろう」
「「「お膳?」」」
「そう、お膳。御先祖様にお供えする食べ物のお膳を朝昼晩の三食分! これの手伝いを嫁にやらせることにする」
まあ見ていろ、とほくそ笑んでいる会長さんですが、果たして上手く行くのでしょうか?



ソルジャー夫妻の来訪を明日に控えて戦々恐々としつつ、私たちは夕食前に「そるじゃぁ・ぶるぅ」がお仏壇の前にお供えするお膳を用意するのを見学しました。御飯はともかく和え物に煮物などなど本格的です。しかも全てが精進料理。
「えっとね、お料理はきちんと作らなくっちゃいけないけれど…。そのままのサイズだと器からはみ出してしまうでしょ?」
だから材料は小さく切るんだよね、との解説つきで出来上がったお膳はミニサイズ。それでも品数が多いですから作る作業は大変そうです。これを明日からソルジャー夫妻が?
「そういうこと!」
厳しくチェックしていびりまくれ、と会長さん。
「いいかい、どの器に何を盛り付けるかも大切なんだよ。そこも突っ込むポイントだね。おまけに精進料理なんていうモノ、ブルーたちはロクに分かってない筈!」
妙な素材を使おうとしたらネチネチと…、と小姑の心得を叩き込まれて、お膳をお供えしたら迎え火の時間。本物の火を焚くと火災報知機が鳴り出しますから、これは香炉で代用です。会長さんの家族やアルタミラの人たちに手を合わせた後に夕食で。
「夕食の前に確認しとく。明日からはブルーたちが来る。お客様面して後片付けもせず、のんびりまったり過ごしてるようなら小姑攻撃を繰り広げたまえ。気が利かないとか、なってないとか…。ブルーは駄目でもハーレイの方は確実に音を上げるかと」
そして早めにお帰り頂く、との会長さんの作戦はなかなかに使えそうでした。ソルジャーの面の皮の厚さは天下一品、会長さんでも太刀打ち出来ないレベルです。しかしキャプテンは真面目な上に気配りの人。嫌味攻撃を続けていれば早々に帰ってくれるかも…。
「いいね、とにかく粗探し! キースの平穏なお盆休みのためにも努力あるのみ!」
会長さんの檄に「頑張りまーす!」と拳を突き上げる私たち。最初で最後かもしれないキース君の貴重なお盆休みを根性で守ってみせますとも!



翌朝、キース君は大学に入って以来初めてだという棚経の日の朝寝坊なるものを満喫しました。大学に入学した年からアドス和尚のお供で棚経を始めましたから、この日は遅くとも午前四時起床。それが日の高くなる頃まで寝放題で。
「あ~、よく寝たぜ。…なんだ、もう朝飯を食ってるのか?」
早いんだな、と起きて来たキース君が席に着き、みんなでワイワイ朝御飯。元老寺では棚経の日は精進料理と決まっているため、ジョミー君とサム君にも久しぶりの肉OKな日というわけです。
「今日も思い切り暑そうだよねえ…。棚経、休めて良かったなぁ…」
毎年こんな中を肉も食べられずに棚経だもんね、とジョミー君。ベーコンエッグやソーセージなどをお皿に山盛り、もちろんキース君とサム君も。
「美味いな、禁断の肉だと思うと美味さの方も倍増だ。お盆だなんて夢のようだぜ」
世間にはこんなお盆があるのか、とキース君の感激はひとしおでした。朝食の後はリビングに移動し、ゆったり過ごしていたのですけど。
「…えっ、ブルー? …まさか…」
なんで、と会長さんが窓際の方へ。何ですか、ソルジャーがどうかしましたか? 空間移動で部屋に直接来るかと思えば外へ来たとでも言うのでしょうか?
「なんだ、どうした?」
外か、とキース君が窓の方へ行き、私たちも揃って見下ろせば。
「…あ、あれ…。あそこの車…」
会長さんが指差す先に深いグリーンの高級そうなスポーツタイプの車が停まっていました。やがてドアが開き、助手席側から私服のソルジャーが下りて、運転席から…教頭先生? いえ、雰囲気が違います。あれは私服のキャプテンでは? そのキャプテンがドアに鍵をかけていますけど…?
「…此処まで運転してきたんですか?」
そもそも誰の車ですか、とシロエ君がうろたえ、会長さんが。
「ノルディに借りてきた車らしいね、ブルーの得意そうな思念が零れてる。運転技術もノルディのをコピーしたようだ。ついでに免許証はこっちのハーレイのを元に偽造したらしい」
何故そこまで、と会長さんが読み取れない部分をあれこれ推測している内にチャイムが鳴って。
「こんにちは。お盆休みの間、よろしくね」
「…お世話になります。こちらは皆さんで召し上がって下さい」
お口に合えばよろしいのですが、とキャプテンが差し出すお菓子の箱。なんと手土産つきですか!
「ノルディに教わって来たんだよ。手土産はあった方がいいですねって話だったし」
ノルディお勧めのゼリー詰め合わせ、とソルジャーはニッコリ。この段階ではいびれないかも…。



「そもそも、なんで車で来たわけ? ノルディのだろ、アレ!」
全然理解出来ないんだけど、という会長さんの問いに、ソルジャーは。
「…お盆休みについて調べたんだよ、こっちでね。帰省ラッシュが名物らしいけど、混んだ電車は御免だし…。道路渋滞もちょっと困るな、と思っていたらアルテメシアは逆に空くんだって?」
ノルディに聞いた、と胸を張るソルジャー。
「郊外はともかく中心部とかは空きますよ、と教えて貰って、車を貸しましょうかと言われたんだ。いつもドライブはノルディとだしねえ、ハーレイの運転で帰省したら気分が出ますよ、って」
「そうなのです。御親切に運転技術もブルー経由で私に教えて下さいまして」
この免許証はシャングリラの潜入部門で作らせました、とキャプテンが顔写真入りの免許証を。元の免許証の持ち主の教頭先生、一時的に消えていたことも全く御存知ないそうです。
「…ブルーを乗せて初めての運転ということで、少し緊張しましたが…。慣れればシャングリラの舵を握るより簡単でしたよ」
乗り心地のいい車ですし、とキャプテンが褒める車はエロドクターが何台も所有している中の一台。教頭先生の愛車とは比較にならない高級車で。
「うん、助手席でも快適なんだ。…というわけでさ、お盆休みの間は借りる約束」
ハーレイとドライブに行くんだよ、とソルジャーは夢見心地です。
「これで実家に顔も出したし、これから早速行ってくる。お昼頃には戻って来るから、ぼくとハーレイのお昼をよろしく」
「ちょっと待った!」
その前に、と会長さんが引き止めた理由は当然、お昼の精進料理のお膳作りだったわけですが。
「え、何? …あっ、そうか…。ぼくとハーレイが泊まる部屋だね、ダブルベッドの部屋ってあったっけ? 無ければ広い部屋にベッドを入れておいてよ、ベッドのアテはあるだろう?」
マツカの別荘から瞬間移動で借りるとか…、とソルジャーの喋りは一方通行。
「ついでに荷物も運んでおいて。ぼくとハーレイの分でこれだけ!」
二つしか無いから楽勝だろう、と床に置いてあったボストンバッグを指差すと、ソルジャーはクルリと背中を向けました。
「行こうよ、ハーレイ。まずはノルディのお勧めの喫茶店! フルーツパフェとパンケーキとが美味しくってさ…。お前は甘いものが苦手だけれど、コーヒーも美味しい店だから!」
お前の運転する車で乗り付けられたら最高だよね、とキャプテンと腕を絡め合ってイチャつきながら出て行ってしまったバカップル。えーっと、お膳はどうなるのでしょう? 色々と注文つけられまくりは私たち小姑組のようですが…?



エロドクターの愛車を借りて帰省してきたソルジャー夫妻は歯の立つ相手ではありませんでした。午前中のドライブから戻ったかと思うと昼食もそこそこに午後のドライブ。いっそ渋滞に巻き込まれてしまえ、と誰もが思ったのですけれど。
「…ダメだね、ブルーが最強のカーナビなんだよ。渋滞している筈の所も裏道を縫ってスイスイ走るし、向かう所に敵なしってね」
おまけに下手に文句をつけられない、と歯軋りをする会長さん。
「…お膳作りを押し付けていびる計画、しっかりバレていたらしい。二人して「できる嫁」を演出するべく、夜のお膳作りに備えて下準備中」
「「「えっ?」」」
「ノルディの家にはシェフがいるだろ? ちゃっかり頼んで最高の出来の精進料理を詰め合わせて貰う魂胆らしい。盛り付ける器の解説付きで」
「…それは最強と言わないか?」
いびりようがないぞ、とキース君が呻けば、マツカ君も。
「プロが相手じゃ無理ですね…。素材もキッチリ選ぶでしょうし」
「そうなんだよねえ…。おまけにさ…」
より困るのはこっちの方、と会長さんが深い溜息を。
「いびりまくったら宿泊先を変えるようなんだ。ハンドルの向くまま、気の向くままにラブホテルをハシゴするつもり。…それくらいだったら腹は立つけどダブルベッドを用意するしか…」
「「「………」」」
いびったら最後、エロドクターの高級車でドライブがてらラブホテル巡りと来ましたか! それはマズイ、と誰もが青ざめ、シロエ君が。
「…ナントカに刃物ってよく言いますけど、バカップルに車でしたか…」
「今回限りにしといて欲しいよ、ぼくとしてもね」
キースのお盆休みの筈だったのに何処で方向を間違えたんだか…、と会長さんの嘆き節。
「だけどキースのお盆休みはキッチリ満喫させてあげたい。あの二人、お盆休みにかこつけてドライブ三昧でデートをしたいだけらしいから、いびるのはやめてヨイショしておこう」
そうすれば上げ膳据え膳で迷惑なだけの帰省組、と説明されて、お盆の帰省でイラつくという迎える側の気持ちってヤツが少し分かった気がします。
「くっそぉ…。俺はお盆休みのそんな部分まで求めたわけではないんだが…!」
違うんだが、とキース君が唸った所で勝手知ったるソルジャー夫妻が玄関の扉を開けて御帰還。
「ただいまぁ~! お膳だったっけ、用意してきたよ!」
「ええと、どちらにお供えすればいいのでしょう? 盛り付け方も聞いて来ました」
明日の朝の分もぬかりなく用意しております、とクーラーボックスを抱えて笑顔のキャプテン。キース君の長年の夢で一生に一度かも知れないお盆休みは、小姑気分を味わいながら過ごす期間になりそうです。でも貰えただけマシというもの、キース君、今年はお盆休みを楽しんで~!




         休みたいお盆・了

※いつもシャングリラ学園を御贔屓下さってありがとございます。
 キース君の念願だったお盆休みですけど、ソルジャー夫妻のせいで悲惨なことに。
 美味しい話はそうそう無いのか、キース君に運が無さすぎるのか…。

 でもってシャングリラ学園番外編は、去る11月8日で連載開始から7周年でした。
 まさか7年も続くとは思いもしませんでしたよ、こんな阿呆な連載が…。
 来月は第3月曜更新ですと、今回の更新から1ヶ月以上経ってしまいます。
 よってオマケ更新が入ることになります、12月も月2更新です。
 次回は 「第1月曜」 12月7日の更新となります、よろしくです~!

※毎日更新な 『シャングリラ学園生徒会室』 はスマホ・携帯にも対応しております。
 こちらでの場外編、11月は、巨大スッポンタケをもう一度、とソルジャーが…。
 ←シャングリラ学園生徒会室は、こちらからv




Copyright ©  -- シャン学アーカイブ --  All Rights Reserved

Design by CriCri / Material by 妙の宴 / powered by NINJA TOOLS / 忍者ブログ / [PR]