シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。
※シャングリラ学園シリーズには本編があり、番外編はその続編です。
バックナンバーはこちらの 「本編」 「番外編」 から御覧になれます。
シャングリラ学園番外編は 「毎月第3月曜更新」 です。
第1月曜に「おまけ更新」をして2回更新の時は、前月に予告いたします。
お話の後の御挨拶などをチェックなさって下さいませv
澄み切った青空が広がる行楽の秋、食欲の秋。シャングリラ学園ではマザー農場での収穫祭で食欲を満たし、その後は学園祭へと一気に突っ走るのが恒例です。二学期の開始と共に学園祭の準備にかかる有志も多いですけど、私たちは至ってのんびりと。
「かみお~ん♪ いらっしゃい!」
今日も授業お疲れ様、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」が迎えてくれて、栗の渋皮煮のパイが切り分けられました。コーヒーや紅茶も好みで選んで、いつものティータイムの始まりです。やがて部活を終えた柔道部三人組も加わり、お腹をすかせたキース君たちには焼きそばが。
「あっ、ぼくも! ぼくも焼きそば!」
ジョミー君が手を挙げ、サム君も。スウェナちゃんと私も「少しだけ」と頼み、結局、全員が「そるじゃぁ・ぶるぅ」特製焼きそばに舌鼓。この焼きそばは学園祭の柔道部の屋台でも出され、今や名物になりつつあります。秘伝の味の指導係はキース君たちで。
「今年もその内に焼きそば指導か…」
秋だしな、とキース君がボソリと呟けば、シロエ君が。
「…去年のレシピ、覚えてるわけないですよねえ…。なにしろソースの配合が…」
「門外不出の秘伝ですしね、口伝になっていますから…」
みんな絶対忘れてますよ、とマツカ君。
「ぼくも記憶が怪しいです。ベースが市販のお好み焼きソースで…」
「そこに中濃ソースとオイスターソースと…」
醤油もですね、とシロエ君が記憶を確認中。記憶力抜群のキース君も確認作業に加わり、三人揃って焼きそば作りの手順まで語り合っていますけど…。
「うん、芸術の秋だよね」
まるで繋がらない台詞を会長さんが突然口にし、全員がポカーン。
「「「……芸術?」」」
秘伝の焼きそばは芸術でしょうか? そりゃあ、料理も場合によっては芸術の域で、プロ顔負けの「そるじゃぁ・ぶるぅ」の腕前は充分に芸術かもしれません。でも……焼きそばはちょっと違う気が…。
「あ、違う、違う、焼きそばの話じゃなくて!」
考え事をしていたものだから、と会長さんは慌てて右手を左右に振りました。
「ちょっとね、この間から色々と…。お抱え絵師って知ってるかな?」
「「「お抱え絵師?」」」
確かに絵師なら芸術でしょう。焼きそばとは別の次元ですけど、お抱え絵師って何のお話?
会長さんが言いたいことはサッパリ分かりませんでした。唐突にお抱え絵師なんて口にされても意味不明です。そもそも、お抱え絵師というのが耳慣れない言葉なんですが…。
「うーん、キースなら知らないかな? お抱え絵師だよ、言葉そのまま」
「アレか、昔の権力者とか金持ちとかが自分好みの絵を描かせていた絵描きのことか?」
「そう、それ、それ!」
屏風絵だとか襖絵だとか、と会長さん。
「いわゆるパトロンってヤツだよね。生活費も全部面倒見るから、心のままに描いてくれ…って太っ腹な人たちのお蔭で凄い芸術家たちが生まれたわけ。それを再現しようって企画が」
「「「は?」」」
「ぼくもこの間、璃慕恩院の老師に聞くまで知らなかったよ。アルテメシアの座禅の宗派のお寺の一つがそういう企画をやっていたらしい。名付けて現代のお抱え絵師プロジェクト!」
これが凄くて、と会長さんは膝を乗り出して。
「絵師は公募で選んだんだけど、その絵師さんを何年もお寺に住み込ませてさ…。座禅やお寺の掃除なんかの修行もセットで体験して貰いつつ、襖絵を何十枚も描かせていたんだ。ついに完成したってことでお披露目があって、老師も招待されたらしいよ」
「ほう…。そんなのがあったのか…」
俺も初耳だ、とキース君。
「なかなかに凄い企画だな。今どき住み込みで絵を描こうという芸術家の方も少なそうだが」
「そうなんだよねえ…。しかもプロジェクトのコンセプトがさ、絵師の育成っていうのが凄すぎ。名前のある人を連れて来るんじゃなくって、無名に限るという条件で公募」
「「「無名?」」」
それじゃいい絵にならないのでは、と誰もが思いましたが、違うのだそうで。
「無名だからこそ、新しい境地に挑戦できる。お寺の生活を身体に刻んで、そこの空気に相応しい絵を次々と…ね。出来上がった襖絵は素晴らしかった、と老師も手放しで褒めてたよ」
そういうのって素敵だよね、と会長さんの瞳がキラリ。
「…それを聞いてから考えてたわけ、ちょうど芸術の秋だしね。ぼくもお抱え絵師をゲットして襖絵を描いて貰おうかな…って」
「寺を持つ気か?」
キース君がすかさず突っ込みを入れると、会長さんは「ううん」と否定。
「そんな面倒なことはしないよ、住職稼業は大変だしさ。ぼくの家にも襖はあるし、あれを素敵に描き変えようかと」
ちょっといいだろ、と言われましても。今の襖絵、それなりにお高いヤツなのでは…?
マンションの最上階にある会長さんの家はフロアの全部を占めています。広いリビングやダイニング、ゲストルームも幾つもある中、和室も一つ。特別生になった最初の年の夏、埋蔵金探しで掘り当てて来た黄金の阿弥陀様のお厨子が置かれた立派な部屋で。
「おい。…あそこの襖絵、璃慕恩院の老師様の客間と同じ人の絵じゃなかったか?」
確かその筈、とキース君が指摘しましたが、会長さんはニッコリと。
「そうなんだけどね…。長年同じ絵を眺めてるとさ、飽きもくるっていうもので」
「あの手のヤツは年月を経て更に値打ちが出るものだろうが! 取り替えてどうする!」
今のままで行け、というキース君の意見はもっともでした。花鳥風月が描かれた襖絵は部屋の雰囲気に馴染んだもの。和室の廊下に面した側に小さな物置と板を張った廊下があって、そこと和室を隔てる境が襖です。今の襖絵、とてもいい絵だと思うんですけど…。
「うーん…。ぼくも嫌いじゃないんだけどねえ、模様替えもたまには悪くないかと」
今の襖を捨てるわけじゃなし、と会長さん。
「今のもきちんと取っておいてね、気分で入れ替えっていうのはどうかな?」
「…そう来たか…。で、お抱え絵師だとか言い出すからには住み込みで襖絵を描かせるのか?」
「もちろんさ。公募しなくても喜んで描きそうな人物がいるし」
「「「へ?」」」
誰が襖絵を描くんでしょう? まさか私たちの内の誰かが? あっ、ひょっとして…。
「もしかして、サム?」
ジョミー君がサム君を指差しました。
「え、俺かよ?」
なんで、とキョトンとしているサム君ですけど、有望株には違いありません。
「サムってブルーの弟子だよね? 朝のお勤めにも通ってるんだし、きっとそうだよ」
「それを言うなら、お前もブルーの弟子じゃねえかよ」
お勤めには一度も来ねえけどな、とサム君が返し、シロエ君が。
「喜んで描きそうっていう辺りからして、サム先輩じゃないですか? 会長とは公認カップルですしね、住み込みとなれば嬉しいでしょう?」
「そ、そりゃそうだけど…。でもよ、俺って絵心もねえし」
「落ち着け、サム。公募した方は無名というのが条件だ」
だからお前で決まりだろう、とキース君も読んだのですが。
「…残念でした。サムもいいけど、もっと相応しい人物が一人!」
それを使わずして何とする、と人差し指を立てる会長さん。サム君じゃないならいったい誰が…?
会長さんがお抱え絵師に使いたい人に心当たりが無い私たち。サム君よりも適役となると、私たち七人グループの内の誰かでは無いような…。
「まさかキースってことはないよね?」
真面目に仕事はしそうだけどさ、とジョミー君が言えば、当のキース君が。
「馬鹿を言え! 俺は副住職の仕事があるんだ、住み込みなんぞやってられるか!」
「でも、先輩の御両親は喜んで送り出しそうですよ?」
銀青様の家に住み込みですし、とシロエ君。
「おまけに襖絵を描くとなったら名誉な話じゃないですか? お寺の世界は分かりませんけど」
「あー、それはあるよな、キースって線も」
坊主としては凄い名誉、とサム君が。
「ブルーのために何か仕事をするとなったら、副住職なんか目じゃねえぜ。行って来いって言われるんでねえの、それこそ壮行会付きで」
「………。あの親父ならやりかねんな…」
俺なのか、と困惑顔のキース君。
「ブルーだと思うと迷惑千万だが、銀青様のお宅の襖絵となれば話は別だ。…しかしだ、俺だと手本通りのつまらん絵にしかならんと思うが」
なにしろ寺の人間だから、とキース君は悩んでいます。
「あちこちで襖絵を拝みすぎた。…斬新な発想というヤツは俺には無いぞ」
「うん、それはぼくにも分かってる」
だから君には頼まないさ、と会長さんがバッサリと。
「斬新な発想が無いのもアレだけど、銀青の名前に釣られて来られちゃ抹香臭い絵しか出来ない。お抱え絵師である以上、パトロンへの敬意は必要だけどね…。絶対服従でもダメなんだな」
自分の意見をガンとして曲げない姿勢も必要、と会長さん。
「パトロンと大喧嘩をやらかしてでも自分の描きたい絵を描いてこそ、後世に残る名作が出来る。キースはぼくと普段から喧嘩するけど、襖絵を描くとなったら無意識の内に絶対服従」
「…否定は出来ん。銀青様の家を飾る絵となれば誠心誠意尽くすしかない」
襖絵に関して喧嘩は出来ん、と項垂れるキース君は階級制度が厳しく敷かれたお坊さんの世界の住人です。会長さんが望む斬新な絵とやら、間違っても描ける筈も無く。
「…じゃあ、誰なんだよ? 俺もキースも失格ならよ」
「ジョミーかしら?」
「ぼくが喜ぶわけないし!」
ぼくだけは無い、とジョミー君。はてさて誰が適役なのやら、全然分かりませんってば…。
やはり私たち七人グループの中には、お抱え絵師が務まる人は居なさそう。それとも会長さんの視点からすれば大穴の誰かが含まれてるとか? お前だ、お前だ、と押し付け合いが始まりつつある中、会長さんがスッと右手を上げて。
「はい、そこまで! …君たち全員、間違ってるし!」
あ、やっぱり? じゃあ誰が、と顔を見合わせた私たちですが。
「分からないかな、ぼくのためなら喜んで絵を描く人物だよ? そして住み込みも大歓迎! そんな人間、一人しかいないと思うんだけどねえ?」
「「「……???」」」
「ハーレイだってば、シャングリラ学園教頭、ウィリアム・ハーレイ!」
「「「教頭先生!!?」」」
あまりにもブッ飛びすぎた答えに全員の声が引っくり返り、キース君が口をパクパクと。
「…お、おい、正気か? あんた、本気で教頭先生を…?」
「そうだけど? 楽しいじゃないか、どんな絵を描いてくれるのか」
ぼくのための絵をうんと自由な発想で! と会長さんはパチンとウインク。
「お抱え絵師として住み込んで貰って、芸術の秋に相応しく…ね。もちろん朝夕のお勤めはして貰うけれども、後は自由にのびのびと! とはいえ、ぼくもパトロンだ。気に食わない絵を描いた時には描き直させるし、そこをハーレイがどう論破するかも面白い」
この秋は芸術に浸って過ごそう、とやる気満々の会長さん。
「ハーレイは嫌とは言わないだろうし、お抱え絵師を持つというのも素敵だろ? ハーレイの家に一人で行くのは禁止だけれど、ぼくの家にハーレイを泊まらせる方は禁止じゃないしさ」
パーティーとかでも泊めているしね、と言われてみればその通り。でも…。
「ヤバくねえのかよ、教頭先生、何か勘違いしそうだぜ?」
サム君が声を上げ、シロエ君も。
「そうですよ。一緒に住むのはマズそうですけど…」
「問題ない、ない! お抱え絵師はお抱え絵師だよ、あくまでパトロンに養われるだけの立場に過ぎないし! ハーレイの夢とは真逆の方向」
あっちはぼくを養ってなんぼ、と会長さんは立て板に水。
「ぼくとぶるぅを贅沢三昧で暮らさせるのと、ぼくとぶるぅに養われるのとじゃ月とスッポン、似ても似つかない日々ってね。その中でハーレイをいびり倒すのもまた良きかな! いい襖絵を描いてくれたら苛めないけどさ」
そこは期待を裏切らない筈、と微笑む会長さんが期待するのが苛めの日々か良い襖絵かは誰も怖くて訊けませんでした。明日は土曜日、会長さんの家で教頭先生を面接するそうです。お抱え絵師を選ぶためとか言ってますけど、どう考えても出来レースですよ…。
次の日、私たちは朝から会長さんの家にお邪魔しました。朝食は食べて行ったのですけど、ふわふわの厚焼きホットケーキを御馳走して貰って大満足。その内に玄関のチャイムが鳴って、教頭先生の御到着です。面接会場はリビングで…。
「やあ、ハーレイ。よく来てくれたね」
コーヒーでも飲みながら話をしよう、と会長さん。テーブルを挟んで会長さんと教頭先生が向き合い、私たちの席はその周り。絨毯が敷かれた床に飲み物を持って散らばり、固唾を飲んで見守る中で会長さんが早速口火を。
「話があって、としか言わなかったけど、芸術についてどう思う?」
「…芸術? 芸術の秋の、あの芸術か?」
「うん。君とは縁が無さそうだけどね」
遠慮のない言葉に、教頭先生は頭を掻いて。
「…ああ、まあ……恥ずかしながら…。その方面はサッパリだ」
「いいね、そのフレッシュさが気に入った。実はフレッシュな人材を探していてさ…。お抱え絵師にならないかい? ぼくの」
「お抱え絵師?」
「そう。ぼくの家に住み込んで襖絵を描いて欲しいんだ。君の心の赴くままに、ぼくの家に相応しい襖絵を…ね」
どんな絵を描くのも君の自由、と会長さんは極上の笑み。
「お抱え絵師な以上、ぼくがパトロン。ぼくのためだけに襖絵を描いてくれるなら、即、採用! 今日からぼくの家で暮らして、朝夕のお勤めをして貰う。条件としてはそれだけかな。ぼくの家での暮らしを通して、それに相応しい襖絵を是非。…嫌なら他を当たってみるけど」
「…そ、その条件は嬉しいのだが…。私には絵心というヤツが…」
とんと無くて、と答えながらも教頭先生が惹かれていることは一目瞭然。すかさず会長さんが畳みかけるように。
「絵心が無い点、大いに結構! フレッシュな人材と言っただろ? 君だってクレヨンや水彩で絵を描いたことはある筈だ。画材は何でもいいんだよ。退色しそうなヤツを使って描いた時にはサイオンでコーティングしておくからさ」
「そうなのか? ならば私でも務まるかもしれんが、そのぅ……どういった絵を…」
「君に任せる。やってくれるなら和室の方に案内しよう」
どうするんだい? と問い掛けられた教頭先生、考えもせずに即答でした。
「やろう! お前が任せてくれるというなら、住み込みで描く!」
「それはどうも。…じゃあ、ついて来て」
和室はこっち、と会長さんが立ち上がり、教頭先生がその後に。会長さんの計画通りにお抱え絵師が誕生ですけど、どんな襖絵が出来るのやら…。
お抱え絵師に決まった教頭先生、一旦帰宅して着替えなどを大きなボストンバッグに詰め込んで戻って来ました。ゲストルームの一つが教頭先生の寝室になり、もう一つがアトリエになるようです。家具を撤去して広くなった部屋は襖絵を描くのにピッタリで。
「発想を練る場所は特に決めない。リビングでもダイニングでも自由にどうぞ」
頑張っていい絵を描いてよね、と会長さんは壮行会と称して鍋パーティーの夕食を。私たちもお相伴して寄せ鍋を始めようか、という所へ。
「…こんばんは。凄い計画が始まるってねえ?」
前祝いに、と声がして空間が揺れ、会長さんのそっくりさんが。紫のマントの正装ではなく私服姿で、なんと樽酒を抱えています。
「お祝いに買って来たんだよ。ノルディに貰ったお小遣いが沢山あるからね」
「何しに来たわけ?」
呼んだ覚えは無いんだけれど、と会長さんが睨みましたが、ソルジャーはまるで気にせずに。
「壮行会だろ、お祝いを持参した以上は混ざっていいよね? 君もハーレイもいけるクチだし」
まずは鏡割り、と樽酒を包んだ縄をサイオンでパチン! と切ったソルジャー。菰を外して竹の箍を緩め、蓋の栓を抜いて…と下準備をしてから「そるじゃぁ・ぶるぅ」に。
「確か木槌はあったよね? ドカンとやろうよ」
「かみお~ん♪ 鏡割りだね!」
お祝いだぁ~! と飛び跳ねていった「そるじゃぁ・ぶるぅ」は木槌を三本抱えて戻ると。
「はい、ハーレイ! それとブルーとブルーだね!」
どうぞ、と手渡された木槌を教頭先生とソルジャーが握り、会長さんも仕方なく。
「…まあいいや。来ちゃったものはどうしようもないし…」
「その意気、その意気! ハーレイの栄えある前途を祝して!」
ソルジャーの音頭で教頭先生が木槌を振り下ろし、会長さんとソルジャーも。パァーン! と景気のいい音がして樽酒の蓋が割れ、それからは寄せ鍋を囲んで大宴会で。
「こっちのハーレイも出世したよね、ブルーのお抱え絵師だって?」
まあ一杯、とソルジャーが枡酒を注ぎ、教頭先生、グイッと一気に。
「ありがとうございます。私も正直、夢を見ている気分でして…」
「そりゃそうだろうね、お抱えだもんね。ちゃんとペースは守って飲んでよ、最初の夜から失敗したんじゃ話にならない」
勃たなくなったら大変だ、とソルジャーが注意し、教頭先生が。
「分かっております。足腰が立たなくなるまで飲んでしまっては、明日の朝にも差支えますし」
「そうそう、朝が肝心だよ、うん」
大いに飲もう、と枡酒を注いでいるソルジャー。教頭先生、飲みすぎないようにして下さいよ~!
ソルジャーが持ち込んだ樽酒で盛り上がっている飲める面々。「そるじゃぁ・ぶるぅ」もチビチビ舐めつつ寄せ鍋の世話をしています。私たち七人グループは飲めませんから、ひたすら鍋をつついていたわけですが。
「いいかい、ハーレイ? 初めてで緊張するだろうけど、がっつかないように!」
あくまでブルーが最優先、と枡酒をグイと呷るソルジャー。
「なんたってブルーも初めてなんだし、そこの気遣いをきちんとしなくちゃ」
「もちろんです。芸術の方はサッパリですが、任されたからにはやり遂げます」
「芸術は二の次でいいんじゃないかな」
夜のお勤めが大切だろう、とソルジャーが返せば、教頭先生も頷いて。
「そうですね。…一にお勤め、二にお勤め。朝夕のお勤めは欠かすべからず、とブルーにも言われましたし、頑張るのみです」
「うんうん、実に素晴らしいよ。夜はともかく朝もっていうのが最高だよね」
明日の朝もガンガン攻めて行け、とソルジャーは教頭先生の背中をバンッ! と。
「とりあえず明日は日曜だ。ブルーの身体を気遣いながら、やれるとこまでヤッてみようか」
「は、はいっ! 気合を入れて早起きします!」
そして一緒にお勤めを…、と教頭先生、枡酒をグイグイ。ソルジャーも手酌で飲んでいますが、同じく枡酒を楽しんでいた会長さんの手がピタリと止まって。
「…ブルー? ちょっと訊きたいんだけど」
「ん? なんだい?」
大人の時間ならドンとお任せ、と片目を瞑るソルジャー。…えっと、大人の時間って? そんな話が出てましたっけ? 案の定、会長さんがドンッ! と拳を机に叩き付けて。
「そんな話じゃないってば! 君は何処からそういう方に!」
「何処からって……。最初からだけど? ハーレイが君のお抱え絵師になるんだろう?」
でもって朝と夜とにお勤め、とソルジャーは枡酒を注ぎつつ。
「考えたよねえ、まずは婚前交渉からかぁ…。毎日、夜と朝とにやってりゃ腕も上がるし、君の好みに躾も出来る。襖絵は二の次、まずは大人の時間が一番!」
そのためにも今夜の成功を祈る、と枡酒をグイッ。
「あんまり飲むと勃たなくなるって話もあるから、君もハーレイもほどほどにね? あ、ぼくは飲んでも大丈夫なクチ! で、訊きたいっていうのは初心者向けの体位とか?」
それならハーレイと一緒に聞くべし、とソルジャーはとびっきりの笑みを浮かべましたが。
「勘違いにも程があるーっ!!!」
この色ボケの大馬鹿野郎、と会長さんの怒り炸裂、樽酒の樽がサイオンを食らって粉々に…。三人がかりでどれだけ飲んだのか知りませんけど、あまり零れませんでしたねえ?
床と絨毯に飛び散ったお酒を「そるじゃぁ・ぶるぅ」が拭き掃除する中、会長さんとソルジャーはギャーギャーと喧嘩をしていました。ソルジャー曰く、教頭先生の主な仕事は夜と朝との大人の時間。お勤めイコール大人の時間らしいです。
「だってアレだろ、君がハーレイを雇って面倒みるんだろ? それでお勤めが必須となったら、ソレしか思い付かないし!」
「なんでそっちの方に行くかな、お勤めと言ったらお勤めだってば!」
朝と夜とに読経三昧、と会長さんが叫べばソルジャーも負けじと声を張り上げて。
「だから度胸だろ、度胸は必須! でないと勃つものも勃たないし!」
「その必要は無いんだってば!」
ハーレイは絵だけを描けばいいのだ、と会長さんが喚き、ソルジャーが。
「じゃあ、フレッシュって言っていたのは何なのさ! 童貞って意味じゃないのかい?」
「誰もそういう話はしてないっ!」
よくも不愉快な勘違いを、と怒り狂っている会長さん。その一方で教頭先生は難しい顔で腕組み中。
「…ふむ……。フレッシュな感性を活かさねばならないのだったな…」
それにお勤め、と考え込んでいる教頭先生。
「やはり寺という要素をまるでゼロには出来ないか…。実に難しい注文だ…」
えーっと…。ソルジャーが勘違いしまくって大人の時間を語った事実と、会長さんと盛大に喧嘩中なことは教頭先生の耳に入っていないのでしょうか? ちゃんとお勤めとお寺が結び付いているようですし…。
「もしもし、ハーレイ?」
ちゃんと聞いてた? とソルジャーが教頭先生の肩を揺すると、ガッシリした体躯がビシッと背筋を伸ばした上で。
「もちろんです! 飲みすぎ禁止で朝が肝心、今夜の心構えもです!」
「…なんだ、こっちは分かってるんだ? いいかい、ブルーの扱い方はね…」
初心者向きならこんな感じで…、と囁きかけたソルジャーの背後で会長さんが仁王立ち。鏡割りに使った木槌を両手で振り上げ、鬼の形相。
「その先、禁止!」
「ちょ、ちょっと…! まだハーレイに何も伝えてないし!」
ちょっと待った、というソルジャーの制止を無視して会長さんは思い切り木槌を振り下ろし…。
「退場!!!」
木槌が床をドッカンと叩き、ソルジャーの姿はありませんでした。空間を超えて文字通り高飛びしたようです。散々に場を引っ掻き回しておいてトンズラですか、そうですか…。
「…なんだったんですか、アレ…」
ソルジャーが消えた辺りを見詰めてシロエ君が呆然と。
「さあな…。俺も積極的に知りたくはないが」
それくらいなら忘れてやる、とウーロン茶を呷るキース君。
「勘違い野郎が出て来たというだけで充分だろう。…とにかく襖絵には関係が無い」
「だよね。やたらお勤めにだけ、こだわっていたみたいだし?」
そんなにお経が好きだったかな、とジョミー君が首を捻れば、サム君が。
「お念仏も嫌いだったと思ったけどなぁ…。あれで意外と異文化に理解があったりしてな」
ソルジャーってヤツをやってんだから、と言われて納得。何処かズレていた気もしましたけど、ソルジャーが教頭先生に朝夕のお勤めについて説いていたことは紛うことなき真実です。大切だとも言ってましたし、教頭先生もここは努力で会長さんとお勤めをして下さらないと…。
「まあね…」
そうなんだけどね、と会長さんが疲れた口調で。
「ハーレイ。…若干一名、変なのが湧いたようだけど…。君の仕事は分かっているよね?」
「当然だ。そのためのお抱え絵師だろう?」
襖絵のことなら任せておけ、と教頭先生は分厚い胸を叩きました。
「樽酒が出たのには仰天したが、酒に飲まれるなど言語道断。今夜の夜のお勤めとやらを疎かにするつもりなどないし、明日の朝もきちんと起床する。…朝のお勤めは何時からだ?」
「…なるほど、至って正気である、と」
安心した、と微笑む会長さん。
「朝のお勤めはサムが来る日は六時からだよ。日曜は基本、サボリだけども…。お抱え絵師には修行も大切、起きられそうなら四時に起床で準備からかな」
詳しい手順はぶるぅに聞いて、との言葉を受けて「そるじゃぁ・ぶるぅ」が。
「えっと、えっとね…。朝一番にお水を汲んで、阿弥陀様の前にお供えして…。あ、その前にお掃除も! お厨子とかをキチンと拭くとこからだよ」
それからお香で部屋を清めて、お花も活けて…、と次から次へと飛びまくる指示を教頭先生は頭の中に懸命にメモしてらっしゃる様子。お酒は飲んでも飲まれないと仰るだけのことはあります。
「…よし、分かった。では、明日の朝は四時に起床で頑張ってみよう。夜のお勤めの方は…」
どうなるのだ、と訊かれた会長さんが和室の方を指し示して。
「やる気になったなら始めようか。…鍋パーティーはこれでお開き! 今夜は解散」
希望者は瞬間移動で家まで送るよ、との好意に甘えて私たちは送って貰うことに。会長さんと教頭先生はそれが済んだ後で身体を清めて、阿弥陀様の前で読経だそうですよ~!
こうしてスタートを切った教頭先生、朝夕のお勤めをこなしつつ襖絵の構想を一週間ほど練っておられて、次の日曜日から製作開始。私たちが土曜日に遊びに行って尋ねたところ、素晴らしいアイデアが浮かんだとかで…。
「朝のお勤めと食事が済んだらアトリエに籠もって描いてるようだよ」
どんな絵かなぁ、と会長さんは好奇心に瞳を輝かせながら、家を訪れた私たちに。
「せっかくだから、覗き見はしないと決めたんだ。ぼくも、ぶるぅも」
「かみお~ん♪ 仕上がった時の、何だったっけ…カンドーだっけ?」
「そうそう、感動が薄れるからね。ハーレイもその方がいいだろう」
制作過程で何かと文句をつけられるよりは自由自在に筆を揮って、と会長さん。
「出来上がったヤツが気に入らなければ描き直し! 同じ描き直しなら下絵とか一枚だけの段階でやらせるよりもさ、仕上がったヤツがパアになる方がダメージが思い切り大きいしねえ?」
製作期間も延びてしまって修行の日々が…、と可笑しそうに笑う会長さんは朝夕のお勤めで教頭先生をいびり倒しているようです。サム君の証言によると指導の厳しさは修行体験ツアーの比ではなく、キース君がたまにジョミー君にやるシゴキに匹敵するレベル。
「え、シゴキ? それくらいやらなきゃ意味が無いだろ、お抱え絵師だよ?」
創作の方を自由にさせる分、締めるべき所はキッチリ締める、と会長さんは鬼の笑み。「そるじゃぁ・ぶるぅ」も補佐役として教頭先生の立ち居振る舞いをチェックしているそうで。
「えっとね、畳の縁は踏んだらダメでしょ? それと歩幅も大事なの!」
「基礎の基礎だよね、修行のね」
それも出来ないような絵師にはロクな襖絵は描けやしない、と会長さん。そうやってシゴキまくられた教頭先生、本日は創作に没頭中。お昼御飯も食べにおいでにならなかったため、「そるじゃぁ・ぶるぅ」が食べやすいお弁当を作ってお届けに…。
「どうだった、ぶるぅ? 描いていたかい、ハーレイは?」
会長さんの問いに、「そるじゃぁ・ぶるぅ」はコックリと。
「うんっ! なんかブルーが来ていたけれど…」
「「「は?」」」
ブルーって? もしかして、こないだの樽酒騒動の…?
「ハーレイとお話していたよ? 後でこっちに来るんじゃないかなぁ」
きっと見学希望だよね、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」が言っていた通り、それから間もなく私服のソルジャーが私たちの集うリビングに来たのですけど。
「えっ、資料?」
何の、と首を傾げる会長さんに、ソルジャーが。
「襖絵のだよ。…ネタに詰まって苦しんでたから、こないだ資料を提供したんだ」
「君がかい? 資料だったら、ぼくかぶるぅに言えばいいのに…」
その辺については文句は言わない、と会長さんが返せば、ソルジャーは。
「…言いにくいんだろ、シャイだしさ。お抱え絵師っていう立場だけで緊張しているみたいだよ」
毎日のお勤めが大変らしいね、と教頭先生に同情しきりで。
「もう少し、こう…。優しく扱ってあげればいいのに。ハーレイ、お勤め初心者だろう?」
「君が余計なことを言わなきゃマシだったかもね、お勤めの時間」
樽酒持参で勘違いして思いっ切り、と会長さんは吐き捨てるように。
「あれで徹底的にいびると誓ったんだよ、自分の心に! その代わり創作はのびのびと! 緩める所は緩めてあるんだ、文句を言われる筋合いは無い」
「なるほどねえ…。それじゃ気の毒な絵師を慰める役目は引き受けておくよ、資料提供とかも含めてさ」
「鼻血が出ない程度で頼むよ、襖絵がパアになっちゃうからね」
ハーレイの仕事を邪魔するな、と会長さんが釘を刺し、ソルジャーが。
「分かってるってば、一から描き直しになるんだろう? 心配しなくてもモデルはしないし、そうでなくてもぼくのハーレイも忙しいから手伝いに来てはあげられないよ」
「君のハーレイ? …確かに同じハーレイだけどさ、きっと感性が違うと思う。それに襖絵の絵師は今回は一人! 絵師が集団で請け負うケースもあるけど、ぼくはハーレイに頼んだんだからね」
姿形がそっくり同じでも絵師が二人じゃ話が違う、と会長さんはキャプテンの協力を即座に却下。そりゃそうでしょう、キャプテンの方はお抱え絵師って括りを外れてしまいますし…。
「ぼくが芸術の秋に求めるのはお抱え絵師! 君のハーレイもウチに住み込んでいるならともかく、他の世界からフラッと来るんじゃ意味が無い。アルバイトの絵師は要らないんだよ、無料で来るならボランティアかもだけど」
どちらにしてもお呼びじゃない、と大却下ですが、ソルジャーは特に言い返しもせずに。
「了解。それじゃハーレイのアトリエに寄ってから帰ろうかな。こないだ渡した資料の件で、まだ煮詰まってたみたいだしね」
下絵はかなり進んでいたけど、と語るソルジャーに襖絵の出来を質問する人はいませんでした。お抱え絵師のフレッシュなセンスを評価するのがこのプロジェクト。まるっと描き直しになったとしても、完成品を拝んでなんぼの企画ですってば…。
製作開始から一ヶ月。会長さんの厳しいシゴキに耐え、忙しい学校行事に追い回されつつ、黙々と筆を揮い続けた教頭先生の襖絵がついに完成の日を迎えました。お披露目の土曜日、私たちが会長さんの家に出掛けると先にソルジャーがちゃっかり来ていて。
「こんにちは。…ハーレイの襖絵、披露に一役買うことになってね」
ね、ブルー? と訊かれた会長さんが苦笑い。
「…しょっちゅう様子を見に来ていたし、ハーレイも頼りにしていたみたいで…。それにブルーのサイオンがあれば完成品を襖っぽく見せられるんだ。和室にズラッと立てて並べて」
そうでなければ床に並べて眺めることに…、と会長さん。
「ぼくのサイオンでも同じことは出来る。でもね、そのためには現物を見なきゃならないし…。一旦床で眺めるよりかは最初から襖仕立てだよ、うん」
「というわけで、ぼくの出番さ。ハーレイは和室に控えているし、襖絵は綺麗に並べておいた。みんな揃って見てあげてよね」
ハーレイの渾身の力作を! と先に立って歩いていくソルジャー。私たちも会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」の後ろに続いて、教頭先生と襖絵が待つ和室に入って行ったのですけど。
「な、な、な………」
会長さんが目を白黒とさせ、「そるじゃぁ・ぶるぅ」の目はまん丸。私たちは…。
「…これってパクリって言わないわけ?」
何処かで見た、とジョミー君がしげしげと見入り、キース君が。
「…まんまではないが、パクリだな。これを知らないヤツはモグリだ」
「鳥獣戯画って言うんですよね、確かお寺の所有物で…」
シロエ君の台詞に、教頭先生が自信たっぷりに。
「うむ。せっかくだから寺の要素を取り入れてみた。そしてブルーへの想いをぶつけて四十八手に挑んだのだが、どうだろう? 資料はブルーが貸してくれてな、動物のチョイスも手伝ってくれた」
「「「…四十八手?」」」
なんのこっちゃ、と襖絵の中で相撲を取っている兎や猿やカエルの数を数えてみれば確かに四十八組あります。相撲の決まり手も実に様々、もつれまくって絡む様子は斬新で…。
「……ハーレイ……。なんでこういう展開なわけ?」
会長さんの地を這うような声が響いて、教頭先生が不思議そうに。
「お前、壮行会の時に言わなかったか? こういう時間が肝心だとか」
「それを言ったのはブルーだってば、ぼくじゃなくって!」
よくもエロい絵を阿弥陀様の前に並べ立ててくれたな、と会長さんは怒り心頭。この絵って何処かエロいんですか? 鳥獣戯画のパクリだとしか思えませんけど…。
「君たちもそう思うだろ? それにエロと芸術は紙一重だとか言うんだってね、こっちの世界じゃあ? ハーレイの渾身の作の襖絵、もう最高だと思うんだけど…」
これぞ芸術の真骨頂! とブチ上げるソルジャーと、樽酒で酔って情報が混乱したのか自信溢れる教頭先生の最強タッグ。会長さんにはお気の毒ですが、何処がエロいのか分からない以上、これは芸術だと思います。お抱え絵師さん作の鳥獣戯画で新しい襖絵、如何ですかぁ~?
お抱えの絵師・了
※いつもシャングリラ学園を御贔屓下さってありがとうございます。
教頭先生が描いた襖絵、とんでもないモノになったようです。おまけにパクリ。
ちなみに「お抱え絵師プロジェクト」は実在しました、座禅の宗派な某寺ですけど。
そしてシャングリラ学園番外編は、11月8日で連載開始から7周年になりますです。
7周年記念の御挨拶を兼ねまして、今月は月に2回の更新です。
次回は 「第3月曜」 11月16日の更新となります、よろしくです~!
※毎日更新な 『シャングリラ学園生徒会室』 はスマホ・携帯にも対応しております。
こちらでの場外編、11月は、先日の巨大スッポンタケの末路が問題なようで…。
←シャングリラ学園生徒会室は、こちらからv
※シャングリラ学園シリーズには本編があり、番外編はその続編です。
バックナンバーはこちらの 「本編」 「番外編」 から御覧になれます。
シャングリラ学園番外編は 「毎月第3月曜更新」 です。
第1月曜に「おまけ更新」をして2回更新の時は、前月に予告いたします。
お話の後の御挨拶などをチェックなさって下さいませv
桜の花咲く入学式を経てシャングリラ学園、新年度スタート。私たちは毎度お馴染みの1年A組、担任はグレイブ先生です。入学早々の抜き打ちテストやクラブ見学などの行事も一段落して、今日から授業スタートで。放課後は「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお部屋へレッツゴー!
「かみお~ん♪ いらっしゃい!」
授業が始まるとみんなが来るのが遅くなるよね、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」は残念そう。昨日までは行事の最中に抜け出して遊びに来たりもしていましたけど、当分それは無理っぽく…。
「授業が始まると抜けにくいよね…」
抜けたら最後、戻れなさそう、とジョミー君が言うと、会長さんが。
「最初から出ないって選択肢も特別生にはあるんだけどねえ? それで校内をウロついていても文句を言われるわけじゃなし」
パスカルたちを見習いたまえ、と引き合いに出されたパスカル先輩は数学同好会所属の特別生です。アルトちゃんとrちゃんが在籍していることでも分かる通りに数学同好会は特別生の溜まり場になっている上、欠席大王と名高い1年B組のジルベールもメンバーの一人。
「いいかい、あそこの顧問はグレイブだよ? なのに授業どころか学校にも来ないジルベールとか、来ても学食でランチだけっていうパスカルだとかボナールだとか…。そういうのがまかり通っているんだ、君たちもサボればいいのにさ」
「…それはそうなんですけども…」
柔道部はサボりにくいんですよ、とシロエ君。
「毎日練習で朝練も基本のクラブですし…。ぼくたちは本来だったら卒業している年齢ってことで多少の自由はありますけれど、心技体を重んじる柔道部の部員がサボリはちょっと」
後輩に示しがつきません、と説明する隣でキース君も。
「それに加えて俺の場合は、副住職だと学校中に思い切り知れ渡っているからな…。やはり真面目にやるしかないんだ」
「なるほどねえ…。今年も自己紹介でグレイブにキッチリ暴露されてたよね」
あれも年中行事になりつつあるね、と思い出し笑いをする会長さんにキース君がどんよりと。
「…言わないでくれ…」
昨夜は大変だったんだ、という妙な言葉に、サム君が。
「また葬式かよ?」
「いや、枕経を頼まれたわけではないが…」
そっちの方がまだマシかも、とはこれ如何に。枕経といえば誰かが亡くなったという知らせを受けて上げに行くお経。その後はお通夜、お葬式と続いてゆくわけで、キース君も全くのノータッチとはいきません。その枕経よりも大変だなんて、何が起こったというのでしょう?
副住職の肩書き絡みでキース君の顔を曇らせる昨夜の出来事。興味津々の私たちは「そるじゃぁ・ぶるぅ」が焼いてきた熱々の桜スフレをスプーンで掬いつつ膝を乗り出し、会長さんが。
「いったい何があったんだい? 夜のお寺で大変とくれば枕経しか思い付かないけど」
「…普通はな。正直、俺も腰が抜けるかと」
「「「へ?」」」
どんな凄いことが起こったんだ、と私たちの目がまん丸に。まさか強盗でも入ったとか?
「いや。…ハリテヤマだ」
「「「ハリテヤマ?」」」
なんだそれは、と派手に飛び交う『?』マークの中、シロエ君が。
「ハリテヤマって、確かポケモンでしたよね? 先輩、アレがお気に入りですか?」
えっ、ポケモン? いわゆるポケットモンスター?
「そういうわけでもないんだが…。とにかく張り手が得意なもんで、そんな渾名がついている」
「キースの家って相撲部屋にも貸してたっけ?」
初耳だけど、とジョミー君。相撲の巡業の時にお寺が宿舎になるという話は知っています。でも、それって長期の地方巡業の時で、アルテメシアみたいに短期間の場所だとホテルとかに泊まっているんじゃあ…。
「相撲部屋とは縁がないな。…ハリテヤマとも正直、御縁は欲しくないんだ」
「それって、どういう御縁なんです?」
シロエ君の質問に、キース君は。
「…夜中に庫裏の裏口で音がするんだ、ドカン、ドカンと。宿坊にも来ると従業員さんが証言している。生ゴミのバケツに思い切り張り手をかました挙句に、倒して中身をガツガツと…」
もう片付けが大変で、との嘆きっぷりに相撲取りではないらしいことが分かりました。つまりはソレが昨夜も出た、と…。
「そっちの方なら驚かん。俺も親父も、昨夜は本当に恐ろしい思いをしたんだからな」
おふくろもだが、と深い溜息。
「坊主の道に入ってン十年の親父でさえも震え上がっていたんだぞ」
「…ハリテヤマでかよ?」
たかが生ゴミ漁りだろ、と呆れ顔のサム君と私たち。夜な夜な生ゴミのバケツに張り手をかます程度の存在なんかより、怒らせたら鬼なアドス和尚の方が遙かに怖そうなんですけれど…。
「…お前たちもその場にいたら笑うどころではないと思うがな」
よく聞けよ、とキース君はコーヒーで喉を潤してから。
「昨夜は親父と碁を打っていたんだ。やたらと「待った」をかけてくるから時間もどんどん遅くなってな。あれは十一時をとっくに回った頃だったか…。いきなり窓の向こうに明かりが」
「「「???」」」
「渡り廊下で繋がった先に本堂がある。その本堂に急に明かりが点いたんだ」
「お母さんじゃないの?」
何か用事があったとか、とジョミー君が訊いたのですけど。
「おふくろは俺たちに夜食を運んで来たところだった。つまり、おふくろでは有り得ない」
「宿坊の人もいるだろう?」
休業中でないのなら、との会長さんの指摘に、キース君は「まあな」と即答。
「だが、本堂は夜間は施錠してるんだ。仏像泥棒も多い昨今、御本尊様を盗まれたのではたまらんからな。…そして本堂の鍵は庫裏にしかない」
持ち出す場合は一声かけてが鉄則だ、とキース君。早い話がキース君やアドス和尚に無断で夜の本堂には入れないわけで。
「当然、親父はおふくろに訊いた。誰か本堂に用だったのか、と。だが、おふくろは「知りませんよ」と答えたんだ。それで親父が宿坊に訊いたら「こっちは全員揃っています」と」
「じゃあ、泥棒…」
警察ですよね、とシロエ君の声が少し震えれば、キース君が。
「泥棒が明かりをつけると思うのか? そんな真似をしたら即バレだろうが!」
「…そ、それじゃあ…」
何なんです、とマツカ君の顔が青ざめ、スウェナちゃんも。
「…ま、まさか、幽霊…?」
「それしか残っていないぞ、普通は」
寺だけに、と肩を竦めるキース君。
「日頃のお勤めが足りなかったか、はたまた成仏希望の通りすがりか。…どっちにしても夜更けの本堂に出たとなったらただでは済まん。立派な心霊現象だ」
「「「………」」」
それはコワイ、と顔を引き攣らせる私たち。もちろん当事者だったキース君たちも其処は同様。とはいえ本職だけに逃げてもいられず、法衣に着替えて数珠を握って現場に向かったというから流石です。よりにもよって本堂にオバケ。深夜に明かりって怖すぎですって…。
幽霊だろうと踏んだキース君とアドス和尚ですが、泥棒はともかく不審者の可能性もゼロではありません。棒で武装した宿坊の男性従業員二人を先頭に渡り廊下を通って本堂の扉の前に着くと。
「…物音ひとつしないんだ、これが。怖いだろう?」
「「「…う、うん…」」」
怖すぎるよね、と見交わす視線。どう考えても幽霊です。
「とにかく開けよう、と廊下側の鍵を開けてだな…。従業員さんたちと踏み込んでみたら、御本尊様の前のお花が畳に撒き散らかされていて、お供え物が」
「「「お供え物?」」」
「そうだ。お前たちも知っているだろう? 果物や菓子を供えてあるのが荒らされてたんだ」
「「「は?」」」
どんなアクティブな幽霊なんだ、とビックリ仰天。ポルターガイストの類だろうか、と思いましたが、キース君は「まだ分からんか…」とコーヒーをズズッと。
「親父たちと顔を見合わせていたら、ガタンと音がして影が走った。そして柱の上にだな…、こう、思い切り毛を逆立てたハリテヤマが」
「「「ハリテヤマ?!」」」
「ああ。どうやら天井裏から入って本堂で悪さをしていたらしい。でもってウッカリ電気のスイッチを入れたんだろうな、ケダモノだけに」
法衣まで着たのにとんだ道化だ、とブツブツ呟くキース君。
「おまけにその後が大変で…。追い出そうにも柱の上で怯えてやがってどうにもならん」
机を置いてやっても下りて来ないし、餌を差し出しても涎を垂らしているだけで…、と嘆き節。
「しかし放置もしておけん。仕方ないから本堂の扉を開け放ってだ、俺たちは一旦撤収で…。一時間後に見に行ってみたら既に姿は無かったな」
釣り餌代わりに置いておいた葡萄パンも消え失せていたが、とブツブツブツ。
「まあ、幽霊でなくて良かったと言えば良かったんだが…。それから本堂の掃除と片付けをして寝たのが朝の四時だぞ? 本堂は土足厳禁だからな、畳もキッチリ拭かないと…」
ましてケダモノは穢れたモノで、と大変っぷりを強調されるとお気の毒としか言えません。御本尊様も時ならぬ『お身拭い』とやらをしたのだそうで、宿坊の従業員さんたちも総動員の真夜中のお掃除タイムとは…。
「というわけでな、怪奇現象で震え上がるわ、後片付けに振り回されるわで俺は正直、疲れているんだ。ハリテヤマなぞ二度と御免だが、そういうわけにもいかなさそうで…」
本堂に侵入されたとなると…、と腕組みをしているキース君。ところでハリテヤマで話が進んでますけど、ハリテヤマって、そもそもどういうモノなの?
キース君曰く、張り手が得意なハリテヤマ。ポケットモンスターといえばかつての人気ゲームで、シロエ君はハリテヤマのビジュアルを知っているようです。男の子たちはマツカ君を除いてそれなりに心当たりがあるようですけど、それに似ている動物でしょうか?
「…ああ、すまん。女子にはイマイチ通じなかったか…。まあ、ジョミーたちでも危うそうだが」
外見までハリテヤマに似ているわけではないからな、とキース君。
「世間一般にはハリテヤマと言うよりラスカルだろうな」
「「「ラスカル?」」」
「ほれ、アレだ。昔の子供向けアニメで人気だったと聞いたことはないか?」
「あー、アライグマ!」
アニメの方は知らないけれど、とジョミー君。私もその名前だけは知っています。もちろん他の男の子やスウェナちゃんも。小さな子供とはいえ三百年以上も生きている「そるじゃぁ・ぶるぅ」はラスカルと聞いて大喜びで。
「キースの家にラスカルが来るの!? いいなぁ、ラスカル、可愛いもん!」
遊びたいよう、と瞳がキラキラ。その一方でキース君と同じく僧籍にある会長さんは。
「…ハリテヤマでは気付かなかったけど、アライグマかぁ…。それはマズイね」
「マズイだろう?」
「うん。マズイというのは良く分かる」
どうするんだい、と滅多に見せない真面目モードな会長さん。お寺にアライグマってマズイんですか? そういえば国宝のお寺の屋根を破ったとか聞いたかなぁ…。
「屋根だけじゃないよ、柱や壁もやられるさ」
本堂まで入ったとなると問題なんだ、と会長さんは真剣な顔。
「生ゴミバケツを漁ってる間は他所から来てるってこともあるしね、さほど神経質にならなくてもいい。だけど本堂に侵入したなら、まず間違いなく住み付かれている。屋根が破られたり柱が傷だらけになるのも時間の問題」
「…そこなんだ。親父も本堂を片付けながら何度も溜息三昧で…」
実に困った、とキース君。
「既に入られてしまっていたら駆除する以外に方法は無い。しかしだ、今の法律では…」
「「「法律?」」」
アライグマに法律があるんですか?
「ああ。特定外来生物による生態系等に係る被害の防止に関する法律。略して外来生物法だ」
これがマズイ、とキース君が答えて、会長さんが。
「早期発見と迅速な完全排除。…アライグマはこれに該当するんだよ」
お寺にとってはマズすぎだよね、と言われましても、どの辺が?
法律まであるらしいハリテヤマことアライグマ。その法律がお寺にはマズイらしいのですけど、どうマズイのかが私たちにはサッパリでした。本堂に住み付かれたと言うんだったら完全排除で出て行って貰えば終わりなのでは…。
「それが違うんだな。完全排除は処分の意味さ」
保健所に持ち込んで殺処分しろという決まり、と会長さん。
「捕獲したアライグマを他所に放すのは禁止されてる。捕まえた以上は責任を持って保健所へ、と決まっているからマズイんだよ。…お寺は殺生厳禁だしね」
アドス和尚もそこで困っているんだろう、と会長さんが水を向けるとキース君は。
「そうなんだ。放っておいたら出て行くだろうか、とも親父は言っているんだが…。出て行ってから本堂の屋根裏に入れそうな場所に網を張るか、とか」
それまでの間は多少の傷は我慢するとして…、という消極的な対処法がアドス和尚の方針らしいです。殺生が出来ない以上は仕方ないか、と私たちも納得したのですけど。
「甘いよ、キース。時期が悪すぎ」
これが夏なら良かったんだけど、と会長さん。
「夏なら子育ても一段落して子供も大きくなるからねえ…。新天地を求めて旅立つ可能性もゼロではないけど、今は子育てシーズンだから当分は出て行かないよ」
下手をしたらまだ子供は生まれていないかも、との会長さんの言葉にキース君が。
「…子供だと? あれ一匹ではないというのか?」
「うん、多分。時期が時期だけに確実に夫婦、おまけにもれなく子供つきさ」
生まれているかお腹の中かの違いだけだ、と断言されてキース君は口をパクパク。
「…こ、子供つき…。まだ増えるのか?」
「それはもう! なにしろアライグマは妊娠率が百パーセントで」
「「「百パーセント!?」」」
なんですか、その驚異的としか言えない数字は? けれど会長さんはスラスラと。
「そこがアライグマの処分が必須な所以さ、メスは1歳、オスは2歳で成獣になる。でもって生後2年以上の妊娠率はほぼ百パーセントというのが定説。不妊症でない限り、確実に産む。それも一度に三匹から六匹」
「…ひ、百パーセント…。三から六匹…」
もうダメだ、とキース君は頭を抱えました。
「夫婦は確実、おまけに子供…。そ、そんなのを放っておいたら本堂が…。屋根や柱や壁はともかく、御本尊様でも引っ掻かれたら…」
だからといって捕獲したら最後、殺生の罪が…、と悩みまくっているキース君。アドス和尚も子供つきと聞いたら思い切りショックを受けるでしょうねえ…。
本堂の屋根裏で増殖するらしいアライグマ。一匹でも昨夜の騒動なだけに、更に子供が増えるとなると大惨事になるかもしれません。しかし捕まえれば保健所送りという法律の前に、殺生禁止な元老寺とキース君たちは大ピンチ。子育てが済んで出て行くまでに御本尊様がやられたら…。
「くっそぉ…。もう少し前に聞いていればな、その恐ろしい妊娠率を…」
知っていたなら本堂の屋根に登って入られそうな場所に網を張った、とキース君が悔やみまくっても後悔先に立たずです。ハリテヤマことアライグマの夫婦はとっくに入ってしまった後で。
「ど、どうすればいいんだ、ウチは…。百パーセントでは逃げ切れん…」
三匹でも夫婦の倍以上の数字で六匹だったら四倍で…、とアライグマ家族の増えっぷりと拡大するであろう被害に泣きの涙のキース君。増えれば増えるほど御本尊様に傷をつけられる確率もググンとアップしてゆくわけで…。
「なんで百パーセントなんだ! おまけになんでそんなに産むんだ!」
殺生な、と嘆かれましても、その殺生が厳禁な以上、どうにもこうにもなりません。それにしたって百パーセントとは強烈な数字ですけども…。
「うん、本当にすごいよね」
あやかりたいな、と声が聞こえてバッと振り返る私たち。フワリと紫のマントが揺れて、ソルジャーが赤い瞳を輝かせていました。
「今日は桜のスフレだって? ぶるぅ、今からぼくのも作れる?」
「んとんと…。生地から作るから時間がかかるの…。そんなに待てる?」
「それは無理! それじゃ他ので」
待たずに食べられるお菓子がいいな、というソルジャーの注文でふんわりピンクの生地が素敵な桜のロールケーキが出て来ました。私たちのスフレのお皿も下げられ、代わりにケーキが。桜のスフレは「そるじゃぁ・ぶるぅ」がソルジャーの夜食用に作ると言っています。
「いいのかい? それじゃ喜んでお願いするよ。来て良かったなぁ」
ついでにアライグマにもあやかりたいな、と現れた時の台詞がもう一度。
「百パーセントってことはハズレ無しだろ、それって絶倫って意味だよね?」
「「「は?」」」
なんのこっちゃ、と首を傾げる私たちに向かってソルジャーは。
「だから精力絶倫だってば、ヤッたら確実に妊娠だなんて凄すぎる数字だと思わないかい? そのパワーに是非あやかりたいと思うんだけども、アライグマの薬って無いのかな?」
あったらぼくのハーレイに…、とソルジャーが言い終える間もなく会長さんがテーブルをダンッ! と拳で叩いて。
「退場!!!」
今はそういう場合ではない、と柳眉を吊り上げる会長さん。そりゃそうでしょう、百パーセントの妊娠率で困っているのに、あやかりたいだなんて不謹慎ですよ…。
アライグマの驚異的な妊娠率に釣られて出て来たソルジャー。会長さんが怒鳴り付けても帰るどころかドッカリ居座り、ロールケーキを頬張りながら。
「…ねえ、本当に無いのかい? オットセイとかの薬はあるよね、アライグマは?」
「無いってば!」
そんな薬は存在しない、と会長さんは素っ気なく。
「そもそも漢方薬の国には生息してない動物だしねえ、誰もチャレンジしてないよ。生息場所だと毛皮がメインで、あとはせいぜいペットくらいかと」
「そうなんだ…。だったら作るのも難しそうだね」
「それ以前の問題として、アライグマなんかが効くかどうかが疑問だよ!」
バカバカしいことに挑戦するな、と突っぱねてから、ハッと息を飲む会長さん。
「…今、作るって言ったかい?」
「言ったけど?」
だけどハードルが高すぎるかな、とソルジャーは首を捻っています。
「こっちの世界でも無理な薬をぼくの世界で作るというのは難しいかも…。こっちで買った漢方薬の精力剤をさ、ノルディに再現可能か訊いたら「無理ですね」って却下されたし…」
そもそも材料の問題が…、と語るソルジャー。
「ぼくの世界では手に入らない材料が多用されてるらしい。一部は合成可能らしいけど、肝心かなめの材料が……ね。オットセイとか」
「なるほどね…。だったら材料があればいいのか」
「うん、多分」
材料さえあれば後はノルディの腕次第、と紅茶のカップを傾けるソルジャー。
「ぼくの世界のノルディは仕事の鬼だし、アライグマの薬もいつかは完成させるかも…。それに無理でも百パーセントの妊娠率を誇る生き物がシャングリラにいればハーレイも燃えてくれそうだ」
アライグマのサンプルを是非一匹、とソルジャーが言い出し、会長さんが。
「えっと…。検疫の問題は? こっちの世界の生き物を連れて帰るのはリスクが高いと前に言ってなかったっけ?」
「ああ、それかい? 君たちの話を聞いた感じじゃ、アライグマってヤツは子供にウケがいいんだろう? 子供たちの遊び相手に連れて来た、と言えばキッチリ検査をしてくれるさ」
検査に通れば後は飼育部の仕事、とソルジャーはやる気満々です。でもアライグマって凶暴なんだと聞いていますよ、子供の相手には向かないんじゃあ?
「えっ、凶暴? うーん、それは…。でもまあ、可愛かったらいいんだよ、うん」
遊べなくても和めば充分、とアライグマお持ち帰りコースを希望のソルジャー。もしかしてコレって渡りに船かも?
百パーセントの妊娠率を誇るアライグマを使って精力剤を、というソルジャーの思い付き。そのサンプル用に一匹欲しい、と言っていますが、アライグマは一匹どころか夫婦と子供つきで元老寺を悩ませている存在です。上手くいったら…、と会長さんも考えているらしく。
「サンプルとなったら一匹よりも二匹の方が良くないかい? 絶倫っぷりを調べたいなら一匹ではちょっと…。やっぱりここはオスとメスとをセットものでさ」
「ああ、そうか! オスだけだと調べられないねえ…」
「そうだろう? ついでに子供もセットでどうかな、避妊しちゃえば増えないし」
可愛い動物だと主張するなら子供も是非、と会長さんが提案すればソルジャーも納得したようで。
「そうだね、動物の子供は可愛いものだし…。どうせ検疫するんだったら何匹いたって問題ないかな、そっち方面はぼくの仕事じゃないんだからさ」
「よし、決まり! 君に謹んでプレゼントするよ、キースの家のアライグマを」
「いいのかい?」
本当にぼくが貰っちゃっても、と狂喜するソルジャーはキース君を悩ませていたアライグマ騒動をまるで理解していませんでした。何処から覗き見していたのかは謎ですけども、百パーセントの妊娠率と聞いた瞬間から自分に都合のいい部分だけを拾い上げて話を組み上げたようで。
「生まれてるかどうかは分からないけど子供つきの夫婦を貰えるわけだね、帰ったら話を通しておくよ。まずは検疫部門と飼育部と…。ノルディの方はその後でいいや」
実物をゲットしてから相談しよう、とソルジャーはそれはウキウキと。
「ぼくの世界にもアライグマはいる筈だけども、動物園で飼われているだけだからデータくらいしか知らないんだよ。飼育方法はヒルマンに調べて貰おう」
久しぶりの大きな拾い物だ、とはしゃぐソルジャー、以前はシャングリラで飼育している動物たちの初代を人類側から盗み出したりしていたそうです。その時代にもシャングリラに病原菌などを持ち込まないよう検疫は必須だったため、今度のアライグマも問題無しで。
「まさか別の世界からやって来ただなんて思わないだろうし、少々変なモノが出たって「別の惑星で育ったアライグマか」って思われる程度だよ。なにしろ宇宙は広いからさ」
「それは良かった。じゃあ、キースの家のアライグマは捕まえとくから、君の世界の準備が出来たら取りに来てよね」
「喜んで! 精力絶倫の生き物を連れて来るから、ってハーレイにもしっかりアピールしておく」
アライグマに負けない勢いで励むようにと発破をかける、とブチ上げたソルジャーは勢い込んで帰ってゆきました。えっ、夜食用の桜のスフレはどうなるのかって? 焼き上がる頃合いを見計らって会長さんの家に行くそうですよ、今はアライグマが最優先事項らしいです~。
「…マッハの速さで解決したねえ、君を悩ませたハリテヤマ」
まさかブルーが引き受けるとは、と会長さんはニコニコと。キース君も安堵の表情です。
「いや、本当に助かった。これで安心して捕まえられるが、問題は…」
「まだ何か?」
会長さんの問いに、キース君は顎に手を当てて。
「捕まえた後はあいつの世界に送られるわけだが、その辺のことは親父にも言えん。あいつの存在は極秘だからな。捕まえはしても殺処分しない理由をどうしたものか…。アライグマを生かしたままで引き受けてくれる施設なんぞは無い筈だ」
「そうか…。どうだろう、そこはマツカのコネとでも言って」
「「「は?」」」
どういう意味だ、と当のマツカ君までが怪訝そうですが、会長さんはアッサリと。
「マツカのお父さんは世界中に顔が利くだろう? アライグマの生息地にもね。そっち方面の人に頼んで引き取って貰うんです、ってことでどうかな」
「いいですね、それ。…ぼく、どうして思い付かなかったんでしょう…」
キースがあんなに困っていたのに、とマツカ君は軽く自己嫌悪。会長さんも同じくで。
「ぼくも今まで頭に無かった。もうちょっと頭が回っていればねえ…。でもさ、最初っからコレを思い付いていたら手続きが何かと面倒だよ? それこそ検疫とか色々と…ね。里親探しもしなきゃダメだし、もちろん御礼も」
その点、ブルーが持ち帰りコースなら世話要らず、と開き直った会長さん。
「捕まえてブルーに引き渡すだけだし、心の底から喜ばれるし…。誰に迷惑もかけないわけだし、結果オーライというヤツさ。アドス和尚には「引き取ってくれる人が見付かったから捕まえる」と説明しておきたまえ」
「分かった。…で、捕まえる方法は…。罠は借りられないからな…」
アレは届け出が必要らしい、とキース君。
「ついでに捕まえたアライグマを保健所に引き渡すのとセットらしいし、罠は自作か?」
「ぼくが作ってみましょうか?」
機械弄りよりは簡単でしょう、とシロエ君が。
「探せば資料がありますよ、きっと。堂々と捕まえていいんだったら何の工夫も要りませんしね」
罠を作るのも面白そうです、と乗り気になったシロエ君は今夜から作業にかかるそうです。元老寺に住み付いたらしいアライグマの夫婦だかファミリーだかは、近日中にあの世ならぬ別の世界に送られることになるようですよ~!
それから一週間ほどが経ち、ハリテヤマことアライグマの夫婦は見事お縄になりました。会長さんからの知らせで土曜日の朝から出掛けてゆくと、会長さん宅のリビングの一角にシールドが張られ、その中の檻にアライグマが二匹。
「昨日の朝に一匹かかったっていうのはキースから聞いていただろう? 昨夜もう一匹かかったんだよ、メスの方がね」
やっぱり思ったとおりにおめでた、と会長さんが指差すメスはお腹がふっくらしています。ということは、増殖する前に捕獲成功ってわけですね?
「そういうこと! これで屋根裏にアライグマは居なくなったし、キースは少し遅れて来るよ」
「あ、ホントだ」
いないや、とジョミー君がリビングをキョロキョロ見回して。
「なんでキースは遅れるわけ?」
「ん? それはね、アライグマの捕獲に成功したから、二度と入られないように屋根に網をね…。宿坊の男の職員さんたちが業者さんと一緒に登って仕事をしてる。こんな事でもないと本堂の屋根なんて登る機会が無いだろう、とアドス和尚がキースにも行けと言ったのさ」
「そういや自分で言ってたよなあ、網を張っときゃよかったってよ」
元から登るつもりだったぜ、とサム君が思い出し、スウェナちゃんが。
「そうね、だったらお手伝いくらい大したことはないわよね」
「…さあ、それはどうだか…」
本人が来たら聞いてごらん、と会長さんがクスクスと。可笑しいことでもあるのだろうか、と不思議に思った私たちですが、疑問はキース君の登場と同時に解消しました。
「…二度と御免だ、もう絶対に本堂の屋根には登らんぞ…」
親父にもそう宣言してきた、と言って檻の中のアライグマを睨むキース君。
「お前たちのせいで俺は死ぬ目に遭ったんだ! よくも屋根の上にあちこち糞をしやがって…。親父が下からキッチリ掃除しろと怒鳴るんだがな、命綱をつけてもあの屋根の傾斜は怖かったぞ!」
いつ滑るかとヒヤヒヤだった、とキース君は文句たらたら。それでもアライグマは捕まったんですし、殺生がどうこうという悩みも解決するんですから贅沢を言えば罰が当たるんじゃあ…。
「まあ、それはそうだが…。で、あいつは来るのか?」
「ブルーかい? 検疫部門も飼育部もとっくに説得済みだそうだよ、もうすぐ来ると思うけど」
なにしろ御希望のアライグマの夫婦、と会長さんが言い終える前に部屋の空間がユラリと揺れて。
「やっと捕まったんだって?」
もう楽しみで楽しみで、と現れたソルジャーは不純な目的に燃えていました。妊娠率百パーセントのアライグマを持って帰って研究三昧、絶倫の薬がどうとかこうとか…。
ソルジャーの世界に連れてゆかれたアライグマの夫婦は検疫をクリアし、メスはその後に無事に出産、六匹の子宝に恵まれたらしいです。アライグマの一家、シャングリラの子供たちはおろか大人たちにも人気の見世物になっているそうで。
「実にいいものを貰ったよ、うん。ぼくの株も上がっているんだけども…」
でもねえ、と溜息を吐き出すソルジャー。今日は日曜、会長さんの家で昼前からお好み焼きパーティーの真っ最中ですが、ソルジャーの顔色は冴えません。
「ノルディにこっちで買った薬のサンプルを色々渡して、アライグマの観察と研究もさせているんだけども…。妊娠率が百パーセントの件はともかく、その先がねえ…」
どうも芳しくないんだよね、とソルジャーはフウと再び溜息。
「コレという決め手が無いらしい。アライグマの薬は無理じゃないか、と言われちゃったよ。こうなった以上、ハーレイのライバル魂に火を点けるしかないわけで…。何度もアライグマを見せてコイツは絶倫なんだから見習って頑張れ、とは言ってるんだけど…」
元から頑張ってきたハーレイだけに難しくって、と気落ちしているソルジャー。
「昔みたいにヘタレな頃なら劇的に向上したかもだけれど、今ではねえ…。これ以上を、となれば特別休暇で朝までコースで、薬が無いならさほど変わりはしないんだよねえ…」
せっかくアライグマをゲットしたのに、とソルジャーはとても残念そう。自分とアライグマの人気が上がっても、元々の目的を果たせなければガックリ気分になるでしょう。でも…。
「仕方ないだろ、ぼくは最初から言ってた筈だよ? アライグマの薬は無いってね」
自業自得だ、との会長さんの指摘に、ソルジャーも。
「分かってるってば…。だけどアレだよ、少しくらいはアライグマな気分が欲しいんだけど…」
「アライグマな気分?」
「そう。妊娠率が百パーセントな絶倫とヤッているんです、っていう最高の気分」
気分だけでも欲しいんだよね、と未練たらたらのソルジャーの台詞に、会長さんが。
「それじゃ着ぐるみでも着せとけば?」
「着ぐるみ?」
「君のハーレイだよ。アライグマの着ぐるみを着せればいいだろ、コスプレ気分で!」
それでヤッておけ、と吐き捨てるように言い放つ会長さん。あのキャプテンに着ぐるみですか? アライグマだなんて、どう考えてもお笑いですが…、って、あれ? ソルジャー?
「……着ぐるみかぁ……」
いいかもね、とお好み焼きをつつくソルジャーの意識は何処かに飛んでいるようでした。待って下さい、本気で着ぐるみ? 大人の時間は分かりませんけど、本当にそれでいいんですか?
元老寺にハリテヤマが出なくなり、誰もがアライグマのことなど忘れ去ってしまったゴールデンウィーク後のとある土曜日。会長さんの家のリビングにたむろしていた私たちの前に空間を超えてソルジャーが出現しました。
「こんにちは。この前は素敵なアイデアをどうも」
「「「は?」」」
何の話だ、と心当たりなどゼロの集団が騒いでいると。
「ほら、着ぐるみだよ、アライグマの! ブルーが言ったろ、ぼくのハーレイに着せてヤったらいい、って!」
「「「あー……」」」
そういえば、と蘇る記憶と共に頭にポンッ! と着ぐるみ姿のキャプテンの映像が浮かびました。まさか本気で着せたんですか? タヌキみたいに間抜けですけど…。
「そのイメージは間違いだってば!」
サッサと消す! とチッチッと指を左右に振ったソルジャーは胸を張って。
「男らしさと絶倫のパワーは大事な部分に宿るんだよ、うん。そんな部分こそアライグマにあやかって頑張るべきでさ、当然、着ぐるみもその部分にね」
「「「………???」」」
ソルジャーが何を言っているのか全く分かりませんでした。着ぐるみと絶倫が何ですって?
「分からないかな、アレとか息子とか言ったら分かる?」
「退場!!!」
会長さんがレッドカードを突き付けましたが、ソルジャーは怯む気配も見せずに。
「実はね、着ぐるみは特製ゴムなわけ! アライグマって尻尾がシマシマだろう? でもってハーレイのアレもついてる場所の前後が違ってるだけで尻尾みたいだし、そこにシマシマのゴムを被せてヤッてみようかってことでハーレイと二人で盛り上がってさ」
「「「…ゴム?」」」
輪ゴムしか頭に浮かんでこない私たちを他所に得意げに続くソルジャーの声。
「でもねえ、ぼくの世界には無いんだよねえ、ゴムってヤツが。だからこっちのノルディに頼んでアライグマの尻尾っぽい模様のゴムを特注で…。それを使ったら、気分は妊娠率百パーセント! ゴムつきでも妊娠出来そうなほどに、もう最高の…」
シマシマ尻尾を装着したアライグマなハーレイは本当の本当に凄いんだ、と喋りまくるソルジャーを止める気力は会長さんにも無いようです。滔々と流れ続ける話の中身は大人の時間らしいですけど、シマシマ尻尾って何でしょう? そもそもゴムって何なんでしょうね、何処に被せる着ぐるみなんだか誰か教えて下さいです~!
パワフルな獣・了
※いつもシャングリラ学園を御贔屓下さってありがとうございます。
今回の騒動の原因になった、ハリテヤマことアライグマの実態ですけれど。
妊娠率が百パーセントというのも含めて嘘ついてないです、本当の話らしいですよ?
そしてシャングリラ学園番外編は来月、11月8日に連載開始から7周年を迎えます。
7周年記念の御挨拶を兼ねまして、11月は月に2回の更新です。
次回は 「第1月曜」 11月2日の更新となります、よろしくです~!
※毎日更新な 『シャングリラ学園生徒会室』 はスマホ・携帯にも対応しております。
こちらでの場外編、10月はソルジャーが巨大スッポンタケを探しているとかで…。
←シャングリラ学園生徒会室は、こちらからv
※シャングリラ学園シリーズには本編があり、番外編はその続編です。
バックナンバーはこちらの 「本編」 「番外編」 から御覧になれます。
シャングリラ学園番外編は 「毎月第3月曜更新」 です。
第1月曜に「おまけ更新」をして2回更新の時は、前月に予告いたします。
お話の後の御挨拶などをチェックなさって下さいませv
シャングリラ学園の新年恒例イベント、水中かるた大会が終わると入試シーズンが近づいて来ます。入試とくれば会長さんやフィシスさんが売り歩く合格グッズ。私たちは外見が1年生のままだから、という理由で未だに販売員に加えて貰えません。
「うーん…。ネタってなかなか出ないよね…」
ギブアップ、とジョミー君が天井を仰ぎ、サム君も。
「時間延長して貰っても出て来ねえものは出ねえよな、うん」
諦めようぜ、とレポート用紙をパラパラとめくってギブアップ。今日は土曜日、私たちは朝から会長さんのマンションに来ていました。合格グッズに使うネタの締め切りは昨日でしたが、ロクなネタが無い私たちのために時間延長があったのです。でも…。
「もうギブアップするのかい? あと1時間あるんだけども」
頑張ってみたら、と会長さんが時計を指差し、「そるじゃぁ・ぶるぅ」が。
「かみお~ん♪ クリームたっぷりのココア、飲む? 甘い物って頭に効くんでしょ?」
「ああ、まあ…。そうではあるが…」
だが無理だ、とキース君。
「これは閃きの問題だしな。一週間悩んで出なかったものがココアくらいで出るわけがない」
「ですよね、今年も会長にけなされまくって終わりですよ…」
ぼくの頭も限界です、とシロエ君がレポート用紙の束を投げ出し、マツカ君とスウェナちゃんも続きました。これは私も考えるだけ無駄。テーブルの上のレポート用紙を裏返してしまってギブアップです。会長さんは「あーあ…」と呆れ顔。
「締め切り前に全員ギブアップしちゃうわけ? 入試への参加はこれだけだよ?」
「そう言われても無理なんだってば!」
どうせ今年もダメなんだ、とジョミー君が頬を膨らませ、会長さんがレポート用紙を回収して。
「…なるほどねえ…」
ロクなネタが無いね、と身も蓋も無い言われよう。一週間も考えまくった数々のネタは一蹴されてしまい、採用された人は一人もおらず。
「君たちには遊び心ってヤツが足りないよ。それとキースは凝りすぎだ」
もっと子供らしく幼い気持ちで! と会長さん。
「ぶるぅの欲望っていうのが肝だよ、ネタ作りはね。それでいてクリアが大変な注文、この二つを兼ね備えてこそのパンドラの箱さ」
まだまだ君たちには任せられない、と断言されてガックリ、しょんぼり。合格グッズの『パンドラの箱』は今年も会長さんが一人でウキウキ作り上げることになりそうです…。
ぼったくり価格を誇る合格グッズの中で唯一、破格の安値な『パンドラの箱』。釣りとかに使うクーラーボックスを転用したもので、買った人が開けると注文メモが出て来る仕掛け。「そるじゃぁ・ぶるぅ」の欲望が詰まっているとの謳い文句で、そのネタ作りが例のレポート用紙。
「さてと…。今年はクリアする人が出て来るといいね」
一人くらいはクリアを希望、と口にする会長さんにキース君が。
「あんたがハードルを思い切り上げまくっているんだろうが! アイスはともかく!」
「アイスキャンデーは基本だからね」
アレだけは絶対外せない、と会長さんが返し、「そるじゃぁ・ぶるぅ」も。
「ぼくのホントのお願いだもん! アイスキャンデー、大好きだしね♪」
今年も沢山食べたいなぁ、と瞳がキラキラしています。私が『パンドラの箱』で補欠合格を遂げた時にもアイスなメモがありました。指定されたお店のアイスキャンデーを全種類買ってパンドラの箱に突っ込めという無茶ぶりでしたが…。
「ぶるぅのアイスを捻るって手もあったんだよ?」
ゼスチャーだけで全部買うとか、と会長さんが挙げた一例にアッと息を飲む私たち。
「アイスの注文は確実なんだし、そこを上手に捻っていたなら採用の確率はググンとアップさ」
「うっわー、そうかよ!」
気付かなかったぜ、とサム君がテーブルに突っ伏し、他のみんなも唖然呆然。こんな基本を見抜けないようじゃ、ネタの採用に至るまでの道は遠そうです。いったい何年かかるやら…。
「かみお~ん♪ ちょっと早いけど、お昼にする?」
みんな疲れてるみたいだし、という「そるじゃぁ・ぶるぅ」の提案に私たちは一斉に飛び付きました。頭を使うとお腹が減るとか聞いていますが、それとは少し違った気分。脱力した時は腹ごしらえして仕切り直しが一番で…。
「ありがたい。疲れた時には飯に限るな」
よろしく頼む、とキース君が頭を下げて、私たちも揃ってペコリとお辞儀。
「じゃあ、作るね! ちょっと待ってて♪」
すぐ出来るからね、とキッチンへ飛び跳ねて行った「そるじゃぁ・ぶるぅ」は、特製ふわとろオムライスを作ってくれました。ダイニングに移動し、熱々のオムライスとポタージュスープ、サラダの昼食に舌鼓。こんな日も悪くありません。ネタには苦労しましたけども…。
「うん、こんな日も悪くないねえ」
「「「!!?」」」
あらぬ方から同意の声が。バッと振り返った先には会長さんのそっくりさんが居たのでした。
降ってわいたソルジャーは紫のマントの正装ではなく、私服にロングコートです。何処へお出掛けしようと言うのか、はたまた出掛けてきた後なのか。「そるじゃぁ・ぶるぅ」がキッチンに駆けてゆこうとすると…。
「あ、お昼はいいんだ、食べて来たから」
「「「は?」」」
「正確に言えば朝昼兼用って所かな。ノルディと一緒に獲れたてのカニを」
「「「カニ?」」」
何処で、と訊くだけ愚問というもの。ソルジャーはコートを「そるじゃぁ・ぶるぅ」に預け、空いていた椅子にストンと座って。
「ぶるぅ、お茶だけくれるかな? ミルクたっぷりの紅茶がいい」
「オッケー!」
すぐにホカホカと湯気の立つカップがソルジャーの前に。ソルジャーはカップを傾けながら、カニについて話し始めました。
「ノルディに誘われたんだよね。漁港の近くにいい宿があるから獲れたてのカニを食べに行きませんか、って…。ただ、カニはいいけど、泊まりはちょっと」
「当たり前だろ!」
ノルディなんかと宿に泊まるな、と柳眉を吊り上げる会長さん。
「どう考えても下心アリだよ、カニよりも先に食べられるってば!」
「そうなんだよねえ、それはハーレイに申し訳ないし…。だけど地球の海の傍で獲れたてのカニを食べるというのも捨て難い。…だから、ドライブ」
「「「ドライブ?」」」
「うん。朝早くからノルディの車で海まで行ってさ、旅館で朝食! 他の人たちは普通の朝食らしいんだけど、ぼくとノルディは特別に…ね」
本来だったら夕食に出す料理を朝から賞味、とソルジャーは至極ご機嫌でした。
「カニのお刺身とか焼きガニとかさ、カニ鍋もとても美味しかったよ。しっかり食べてからノルディの車で帰って来たわけ。…ノルディはお酒が飲めなかったのが残念だったみたいだけれど」
飲酒運転になっちゃうからね、と肩を竦めてみせるソルジャー。
「次は泊まりで、と誘われちゃった。たまにはそれも悪くないかな…」
御馳走つきなら泊まりもいいかも、と恐ろしいことを言い出したソルジャーですけど、会長さんが震える声で。
「…ちょ、ちょっと…。それって何さ?」
えっ、何ですか、会長さん? ソルジャーがどうかしましたか?
心なしか顔色が青ざめている会長さん。何事なのか、とソルジャーを観察してみたものの、特に変わった所は何も…。えーっと、服は普通にセーターですし…。あれ?
「ああ、コレかい?」
ちょっといいだろ、とソルジャーが示した右の耳たぶ。そこにはソルジャーの瞳と同じ色をした真紅のピアスが光っていました。気付いてしまえば分かりやすい赤、煌めきと確かな存在感。なんで今まで気付かなかったか、と不思議に思うくらいです。
「最高級のルビーらしいよ、ピジョンブラッドっていうヤツで」
前に指輪も貰ったっけ、とソルジャーは笑顔。
「アレは元々ブルーに贈るつもりで買ってた指輪だったけど、今度のピアスはぼく専用! ぼくのためだけに最高の石を買ってくれたわけ」
「…そ、それでピアスを…?」
ピアス穴まで開けちゃったのかい、と会長さんは顔面蒼白。まさかソルジャーがエロドクターのためにピアス穴を開けてしまうとは…。
「あ、それは無い、無い! これはいわゆる…何だったかな?」
はい、とソルジャーがピアスを外すと其処に穴は無く、でも手のひらに乗っかったモノは確かにピアスの形そのもの。会長さんが恐る恐るといった風で。
「…もしかしてマグネットピアスだとか?」
「そう、それ! 磁石でくっつく仕掛けなんだよ。普通は裏側を見れば丸わかりなのが多いらしいけど…。これはノルディが特注で作ったヤツだからねえ、見かけも完璧らしいんだよね」
素敵だろ、とソルジャーはルビーのピアスを見せびらかして鼻高々。
「カニを食べに行きませんか、って誘われた時にくれたんだ。ほら、泊まりの旅に誘うわけだし、思い切り気合を入れてたらしい。…ぼくってそんなに愛されてるかな?」
「…だろうね、ぼくより脈アリだからね」
少なくとも食事の誘いに乗る程度には、と会長さん。
「それでピアスは片方だけ? 一対じゃなくて?」
「そうだけど? なんか片方っていうのが大切らしいね、ノルディの話じゃ」
「……や、やっぱり……」
ズズーン…と落ち込む会長さんですが、ピアスが片方ってマズイんですか? 特注品なら石が一個な分、お安く上がったと思うんですけど……片方だけなのが大切ってことは深い意味でもあるんでしょうか?
「…ピアスって意味があったっけ?」
知らないよ、とジョミー君が首を傾げれば、キース君が。
「片方だけのピアスってヤツか…。男の場合は勇気の印だったと思ったが…」
そいつの何処がマズイんだ、との言葉に私たちの頭上に飛び交う『?』マーク。勇気の印のピアスだったら特に問題ないんじゃあ?
「…ブルー、念のために確認するけど」
顔を上げた会長さんがソルジャーに。
「そのピアス、つける耳を指定されたかい? たとえば右とか、左にとか」
「うん、そこはキッチリ丁寧に説明されたけど? 間違っても左につけないように、って」
「……じゃあ、意味も当然聞いたわけだね?」
「それはもちろん!」
ついでに記憶力にも自信あり、とソルジャーは胸を張りました。
「左耳のピアスはキースが言ってた勇気の印で、右耳のピアスはゲイのアピール!」
「「「ゲイ!!?」」」
そんなアピールがあったのか、と驚愕と同時にストンと納得。会長さんが落ち込むわけです。自分そっくりのソルジャーが、エロドクターに貰ったピアスでゲイをアピールするわけですから。
「…で、君はノルディの希望通りにピアスをつけてドライブしてきた、と」
「そういうこと! 喜んでくれたよ、似合いますねって」
ぼくのハーレイにも言われたけどね、と悪びれもせずに話すソルジャー。
「ノルディにピアスを貰った時にさ、すぐハーレイに見せたわけ。意味もきちんと説明して…ね。つけて見せたら「お似合いですよ」と褒めてくれたし、いっそ本物のピアスにしようかって言ったんだけど…」
どうせ補聴器で見えないものね、とソルジャーは片目を瞑ってみせて。
「お前への愛の証にピアス穴を開けてもいいんだけれど、と提案したのに、却下されたよ。ドクターに見られたらどうするんです、だって。そういえば診察の時には補聴器を外すし、見付かっちゃうよねえ…」
ぼくはそれでもいいんだけどね、とソルジャーが言おうとも、あちらのキャプテンは気にするでしょう。なにしろソルジャーとの仲がバレバレなことを知らない上に、必死に隠そうとしているわけで。別の世界の話とはいえ、ゲイのアピールという右ピアスは流石に…。
「そうそう、そこが問題なんだよ。だからピアスは磁石でね」
そしてデートの時に限定! とルビーのピアスを右の耳たぶに戻すソルジャー。キャプテンとのデートってあるんですかねえ、あっちの世界のシャングリラ号で?
最高級のルビーのピアスが御自慢のソルジャーは、訊かれもしないのにベラベラと喋りまくってくれました。キャプテンと大人の時間を過ごす時にも付けているとか、全裸でピアスだけの姿にキャプテンがとても興奮したとか、それはもう…。
「退場だってば!!!」
さっさと帰れ、と会長さんが怒鳴り付けても帰ってくれないお客様。これは当分、ソルジャーの右耳のピアスに祟られそうな感じです。会長さんも力尽きたのか、だんだんと声が小さくなって。
「……ぶるぅ、お茶にしよう……」
喉が限界、という言葉を合図に私たちはリビングに移動しました。ソルジャーも当然のようにくっついて来てソファに腰掛け、ニッコリと。
「ブルー、君も右耳にピアスをしてみたら? 多分、ハーレイが喜ぶかと」
「お断りだよ!」
叫んだものの、肩で息をする会長さんに「そるじゃぁ・ぶるぅ」がサッと温かいジンジャーティーのカップを。会長さんは喉を潤し、ソルジャーをギロリと睨み付けると。
「ハーレイを喜ばせる義理なんか無いね、たとえマグネットピアスでもさ!」
「えーーーっ、そうかなぁ? バレンタインデーが近いじゃないか」
毎年、貰いっ放しのくせに、とソルジャーは会長さんに指を突き付けました。
「こっちのハーレイ、毎年、君のために心をこめて作っているよね、ザッハトルテを? なのにホワイトデーは完全にスルーで、何一つ返していないだろう?」
それは最悪、と厳しい指摘。
「マナーとしてもどうかと思うよ、ザッハトルテは食べてるんだし! たまにはお返ししてあげたまえ。右耳ピアスで脈アリかもという夢だけでもね」
「なんでぼくが!」
「つけるだけで済むから楽っぽいけど? 君はピアスをつけるだけ! 後はハーレイがお得意の妄想で勝手に一人で盛り上がるから、君は何一つしなくていいかと」
「むしろ、その逆!」
盛り上がったハーレイが押し掛けて来る、と肩を震わせる会長さん。
「ついにその気になってくれたか、とか、もう色々と…。花束はもちろん、後生大事に仕舞いっ放しのルビーの指輪も出て来るよ。ぼくにプロポーズをしてきた時の!」
あれは何年前なんだか…、と会長さんはブツブツと。
「とにかくハーレイに右耳ピアスは逆効果! 黙るどころか妄想爆発」
でもってぼくが大迷惑、と顔を顰めた会長さんですが。
「ん? ……右ピアス?」
これはいいかも、と小さな呟き。右ピアスは却下と言いませんでしたか?
右耳にピアスをつけるなんて、と嫌がっていたくせに、会長さんの頭の中で何かが閃いたらしいです。赤い瞳が生き生きと輝き、ソルジャーの右耳に光るピアスを「いいねえ…」と。
「やっぱり男は右ピアスかも…。君のアイデア、貰っておくよ」
「その気になった? きっとハーレイも大喜びさ」
「だろうね、ぼくからの贈り物だし」
心をこめて、と返した会長さんにソルジャーが。
「…贈り物って…。まさか右ピアスな君がハーレイの家を訪問とか?」
「うーん、訪問は訪問だけど…。ぼくは贈り物を持って行くだけで、右ピアスは無し」
「えっ?」
それって一体どういう意味さ、とソルジャーは怪訝そうな顔。私たちにも会長さんの意図は不明で、ソルジャーと会長さんとを何度も見比べていたのですけど。
「ぼくはアイデアを貰ったんだ。プレゼントするのが右ピアスなわけ」
「「「は?」」」
「右ピアスはゲイのアピールだろう? だったら、ハーレイもアピールすべき!」
ぼくを嫁に欲しいと言うんだから、と会長さんは得々と。
「ハーレイは童貞一直線だけど、中身は立派なゲイだよねえ? それをアピール出来ないようでは、ぼくとの結婚なんて夢のまた夢。きちんと世間にアピールしろ、と励ましの気持ちをこめて右耳用のピアスをプレゼント!」
それが最高、とブチ上げる会長さんの姿に、ソルジャーも。
「…なるほどねえ…。まずはアピールさせるんだ? 右耳ピアスなゲイなんです、って?」
「そういうこと! うんとカッコいいピアスにしなくっちゃねえ、男らしさが際立つような。…ブラックダイヤモンドなんかがいいと思うけど、どうだろう?」
こんな石だよ、と会長さんの手のひらに硬質な煌めきを放つ漆黒の石がコロンと。
「ふふ、宝石店から無断借用。別にいいだろ、買うんだからさ」
「へえ…。ダイヤモンドなのに真っ黒なんだ?」
ソルジャーが興味津々で直径5ミリほどの円形の石を覗き込み、会長さんが。
「黒いからねえ、男性向けのジュエリーによく使われる。これで1カラットくらいかな。透明なダイヤモンドよりずっと安いし、お買い得なわけ」
これをピアスに加工して貰って…、と会長さんはやる気でした。
「ホワイトデーを待つまでもない。ちょうどチョコレートみたいに黒いし、バレンタインデーにプレゼントしよう。ハーレイの感激する顔が楽しみだよね」
今年のバレンタインデーは久しぶりにぼくからもプレゼント! とブラックダイヤモンドのルースを手のひらの上で転がしている会長さん。ソルジャーがピアスをしていたばかりに妙な話になりましたけれど、教頭先生、右ピアスなんてなさいますかねえ…?
お騒がせなソルジャーが現れた日から時は順調に流れ、入試シーズンを経て学校中がお祭り騒ぎなバレンタインデーがやって来ました。チョコの贈答をしない生徒は礼法室で説教の上に反省文を提出とあって、友チョコ保険も健在です。
「かみお~ん♪ 今年もいっぱい貰っちゃったぁ!」
沢山あるから「ぶるぅ」にも分けてあげようっと、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」は大はしゃぎ。放課後の「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお部屋は会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」の戦利品のチョコの山が出来、キース君たちも大きな紙袋持参。中身はしっかりチョコレートで。
「俺たちも貰える数が増えたよな…」
今年もおふくろが張り切りそうだ、とキース君。会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」がホワイトデーに配る御礼は手作り品が多いですから、キース君たちも手作り品をお返しする年が多いのです。そういう年には誰の家でもお母さんが技術指導に燃えまくるわけで。
「檀家さんにはとても言えんな、副住職がエプロンをつけて菓子作りとはな…」
「いいじゃないか、若い檀家さんに親しみを持って貰えるよ」
会長さんが茶化しましたが、キース君にそんな気は全く無くて。
「いや、ただでも見た目が若すぎるんだ。悪ノリはダメだ」
菓子作りなぞはもっての外だ、とバッサリと。
「それより、あんたはどうなったんだ? 本気で教頭先生に…?」
「ピアスかい? このとおり無事に出来てきたけど」
ほらね、と会長さんが宙から小さな箱を取り出しました。きちんとラッピングされてリボンもかかった箱の中身を瞬間移動でヒョイと出してみせて。
「どう? ブルーのと同じでマグネットピアスになってるんだよ、ピアス穴を開けろとは言えないからね。…ハーレイのザッハトルテは宅配便で届くし、それを食べたらお届けってことで」
「…ま、まさか…」
キース君の声が掠れて、シロエ君が。
「…ぼくたちも…ですか?」
一緒に行くことになってるんですか、と確認するだけ無駄でした。
「決まってるだろう、ぼくがハーレイの家に一人で行くことは禁止されてる。それにザッハトルテ、毎年、ぼくの家に食べに来てるよねえ? ブルーもセットで」
「「「………」」」
ヤバイ、と思っても時すでに遅し。甘い物が大好きなソルジャーも空間を超えて来ちゃいましたし、もはや逃亡不可能です…。
瞬間移動で連れて行かれた会長さんの家での夕食は、じっくり煮込んだビーフシチュー。寒い夜にはシチューだよね、などと現実逃避をしている間に玄関のチャイムがピンポーン♪ と。教頭先生から会長さんへの貢物、ザッハトルテの到着です。
「うわぁ、今年もいい出来だねえ…」
来た甲斐があった、と上機嫌で頬張っているソルジャー。ホイップクリームをたっぷり添えて頂く教頭先生作のザッハトルテは絶品でした。ただ、問題はこの後で…。
「かみお~ん♪ ブルー、後片付け出来たよ!」
「御苦労様、ぶるぅ。それじゃ行こうか」
「うんっ! しゅっぱぁ~つ!!」
パアァッと溢れる青いサイオン、三人前。野次馬のソルジャーつきで瞬間移動した先は教頭先生の家のリビングで。
「な、なんだ!?」
どうしたのだ、と腰を抜かさんばかりの教頭先生。ソファから半ばずり落ちていらっしゃいます。
「ザッハトルテは送っておいたが、まさか届かなかったのか?」
「ううん、みんなで美味しく食べたよ。御馳走様」
それでねえ…、と会長さんが一歩進み出て。
「いつも貰ってばかりじゃ悪いし、これはぼくからのプレゼント。…そのぅ…。良かったら使って欲しいんだけど…」
「…???」
渡された箱をじっと見詰める教頭先生に「開けて」と促す会長さん。教頭先生はリボンを解き、包装紙を剥がして箱を開けてみて。
「タイピンか?」
「違うよ、マグネットピアスって知ってる? 磁石でくっつけられるピアスで穴を開けずに使えるんだけど」
「…ピアス?」
「そう、ピアス。右耳につけて貰えたら…って思ったんだけど、右ピアスの意味を知っている?」
教頭先生の顔がボンッ! と真っ赤になり、意味を御存知なことが伺えます。会長さんは耳まで赤く染めた教頭先生に、更に重ねて。
「その石、ブラックダイヤモンドなんだ。男性に人気ってこともあるけど、ダイヤだし…。永遠の愛って意味でもダイヤだよね、って思ったわけ。…もちろん嫌なら、つけてくれなくても…」
「いや、喜んで使わせて貰う! それでだな…」
狂喜して会長さんに抱きつかんばかりの教頭先生でしたが、その手はスカッと空を掴むことに。瞬間移動でそそくさと消えた会長さんの逃げ足の速さは流石としか…。
「いいのかい、あれで?」
気分は婚約みたいだけれど、と教頭先生の家の方角を眺めるソルジャー。会長さんから黒いとはいえダイヤのピアスを貰ってしまった教頭先生、大感激で男泣きなさっているそうです。
「あの調子だと明日から君たちの学校につけて行くかと思うけど…」
そうなった時の君の立場は? とソルジャーに訊かれた会長さんは平然と。
「どうもしないよ、ハーレイが一人で暴走しているだけだし…。シャングリラ学園の生徒だったら婚約指輪以外のアクセサリーは禁止だからねえ、「婚約しました」って届け出をしなくちゃいけないけれども、教師は別枠!」
届け出義務も無ければ用紙も無い、と冷たい笑みの会長さん。
「ぼくに貰ったと主張したって、今までの積み重ねが色々と…ね。誰も真面目に受け止めやしないよ、悪戯だろうって思われるだけ!」
ハーレイと言えばセクハラ疑惑、と会長さんはクスクスと。そう受け取られても仕方ないほど教頭先生に濡れ衣を着せまくってきた張本人が会長さんです。今回もまたロクでもない結果に終わるのだろう、と容易に予想がつきました。ソルジャーもフウと溜息をついて。
「…ホントにハーレイは報われないねえ、せっかくのバレンタインデーの夜なのに…。ぼくとハーレイは特別休暇で楽しむ予定を組んでいるのに、君たちときたら…」
「そっちの趣味は無いんだってば!」
「分かってるけど、でもハーレイが気の毒としか…。ぼくがコレさえつけてなければ…」
悪いことをしちゃったかな、とソルジャーが広げた右の手のひらにルビーのピアスが。
「今夜はハーレイと二人っきりだし、出番なんだよ。ハーレイに言わせれば、もう最高にそそられるらしいね。…一糸纏わぬぼくの右耳にキラッとピアスが光るというのが」
「その先、禁止!」
喋るな、と止めにかかった会長さんに、ソルジャーは。
「心配しなくてもすぐに帰るさ、時間が勿体ないだろう? じきにハーレイの勤務が終わる。ピアスをつけて待っていなくちゃ」
でもって朝まで思いっ切り! と赤いピアスを右耳につけたソルジャーの姿がパッとかき消え、代わりに「そるじゃぁ・ぶるぅ」が無邪気な声で。
「わぁっ、ハーレイ、すっごく似合うよ!」
「「「!!!」」」
つけてしまったのか、と目を見開いた私たちの頭の中に「そるじゃぁ・ぶるぅ」がサイオンで覗き見していた教頭先生の映像が。ブラックダイヤモンドのピアスを右耳につけて鏡を覗き込んでおられます。褐色の肌によく似合いますが、勇気の印の左ではなく右耳って所が問題かと…。
翌日からのシャングリラ学園は教頭先生の噂でもちきりでした。飾りっ気などまるで無かった教頭先生がいきなりブラックダイヤモンドのピアス。自分で買ったのか、はたまた誰かの贈り物かと噂が噂を呼びまくりで。
「…おい」
えらい事態になってるんだが、とキース君が会長さんに詰め寄るまでにさほど時間はかかっていません。ピアス登場から一週間目の放課後ですけど、何があったの?
「なんだい、キース?」
柔道部で何か問題でも? と小首を傾げる会長さん。キース君はテーブルをダンッ! と叩いて。
「しらばっくれるな! あんたが贈ったピアスのせいで大変なことに…!」
「え、練習に支障でもあった? それなら指導中は外すようにってハーレイに言えばいいだろう」
運動する時はアクセサリーは外すのが基本だよね、と会長さんが答えましたが。
「違う! 右耳ピアスはゲイのアピールだ、と噂が流れまくったからな…。ウチの柔道部やOBにそっちの道の人はいないが、今までに試合で交流してきた他の学校には多いんだ!」
「ゲイの人かい?」
多いだなんて思わなかったな、と会長さんは大きく伸びを。
「それで? 柔道部の人たちが困っているとか?」
「い、いや…。実害としては出ていないんだが、こう、教頭先生宛の手紙やプレゼントを預けられるヤツが多くてな…。教頭先生に渡そうとしても笑って取り合って下さらない。だから取り次げない、と何度断っても「捨てて下さっていいですから」と押し付けられて…」
部室に手紙とプレゼントの山が、とキース君が額を押さえて、シロエ君とマツカ君も。
「そうなんです! 会長、なんとかして下さい!」
「ぼくからも宜しくお願いします。心のこもった手紙やプレゼントを捨てるなんてこと、柔道の精神に反します!」
どうかよろしく、と頭を下げる二人と、なんとかしろと噛み付くキース君と。…そっか、男の世界な柔道部の部室にラブレターとプレゼントの山が出来ちゃったんだ…。
「なんとかしろと言われてもねえ…」
ハーレイ自身にその気が無いと、と会長さんはのんびりと。
「ゼルやブラウにも「何の真似だ」と突っ込まれたのに、堂々として「ブルーに貰った愛の証だ」と言い切ったような男だよ? 二人ともその場で吹き出したんだけどねえ…」
その反応で普通は気付く、と可笑しそうに笑う会長さん。
「どう聞いても悪戯としか思えないからゼルとブラウが吹き出してるのに、ハーレイときたら「お前たちはブルーの気持ちを無碍にするのか」と逆ギレだよ? もう馬鹿としか言いようがない」
ぼくが本気で贈ったんなら廊下でキスの一つや二つ、と言われてみればその通り。教頭先生の前に姿も見せずに過ごしている辺り、冷静に考えてみれば怪しさ満載ですってば…。
右耳ピアスでゲイをアピールな教頭先生の噂は更に広がり、在校生までは動かないものの、密かに憧れていたらしい卒業生が訪ねて来るようになりました。校内へは入れて貰えませんから門衛さんに手紙やプレゼントを預ける人が多いのですけど。
「…あ、あのう…。ちょっといいかな?」
朝の校門前で後ろから男性の声に呼び止められて、おっかなびっくりジョミー君たちと一緒に振り返れば。
「悪い、見かけた顔だったから…。これを教頭先生に…!」
渡しておいて、と言うなり路上駐車してあった車で走り去ってしまった若い男性。私の記憶が確かだったら、何年か前に一緒に1年生をやっていたような…。
「…うへえ、あいつもそっちだったのかよ?」
敵わねえな、とサム君が嘆き、スウェナちゃんが。
「なんだかどんどん増えているわよ。教頭先生、モテるんだわ…」
「それよりさぁ…。ぼくも人間不信になりそう…」
誰がゲイだか、とジョミー君がぼやけば、キース君も。
「俺はとっくに人間不信だ。好敵手だと思っていた人から教頭先生にラブレターだぞ?」
アイデンティティが崩壊しそうだ、というキース君の心からの叫びは私たち全員のものでした。ゲイも個性の一つであると理解するのと、目の前の現実を受け入れるのとはまた別物で。
「…あのバカップルなら、まだ諦めもつくんだけれど…」
この状態は流石に無理、とジョミー君はお手上げ、私たちも重い足を引き摺りながら。
「…今日はサボるか。俺もそろそろ限界だ」
「だよなあ、ぶるぅの部屋に行こうぜ。おっと、その前に…」
これ、どうするよ? と困り顔のサム君の手の中にお手紙つきのプレゼントの箱が。私たちを狙って取り次ぎ希望の人はサム君の人の好さを知ってますから、狙い撃ちです。
「門衛さんに預けとこうよ、いつもそうだし」
サボるんだけどね、とジョミー君が首を竦めて見せ、シロエ君が。
「それでいいでしょう、門衛さん経由が通常のお届けルートですし…。教頭先生、受け取ってらっしゃらないそうですけど」
事務局に山積みらしいですよね、と情報通っぷりを発揮しつつも、シロエ君はサム君の代わりにプレゼントと手紙を門衛さんに押し付けました。後は野となれ山となれ。サボる以上は会長さんに全責任を、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお部屋へ出発です~!
「かみお~ん♪ いらっしゃい!」
今日は早いね、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」が出迎えてくれて早速出て来るパンケーキと飲み物。けれど和んでいる場合ではなく。
「あんた、いい加減に何とかしやがれ!」
この騒動を、とキース君が怒鳴りましたが、会長さんは。
「ハーレイ的には何の問題も無いみたいだよ? 元々ぼくに惚れてるだけに、自分に自信がついたようでさ…。これだけモテるなら時間の問題でぼくも落ちる、と思って御機嫌」
だから放置でいいじゃないか、と他人事のように言う会長さん。
「ぼくも見ていて楽しい日々だし、右耳ピアスに感謝だよ、うん」
「しかしだな…!」
俺たちは本当に限界なんだ、と訴えるキース君の後ろで私たちも視線で「お願い」攻撃。けれど根っから楽しんでいる会長さんには全く効かず…。
「あの右ピアスをハーレイが自ら外すまではね、ぼくは楽しませて貰う気なんだよ」
「「「………」」」
そんな殺生な、という魂の叫びが奇跡的に空間を超えて響いたか、はたまた単なる偶然か。
「えっ、あのピアスを外させる方法かい?」
とびっきりのヤツを知ってるけども、とフワリと翻る紫のマント。優雅な手つきで補聴器を外したソルジャーの右耳にはルビーのピアスが光っていました。
「ぼくのピアスが元ネタらしいし、外させる方法を教えてもいいよ」
「ダメだってば!」
ぼくはまだまだ楽しむんだ、と唇を尖らせた会長さんに、ソルジャーは。
「…自主的に外したい気持ちに駆られたハーレイが裸で逃げ出す方法でもかい?」
「「「裸?」」」
「そう、裸。ブルーは手紙を書くだけでいいんだ、待ち合わせのね」
それだけでハーレイが裸で逃げ出した上にピアスを自分で外す、と畳み掛けられた会長さんは興味を抱いた様子です。
「それってどういう方法なのさ?」
「君は知らないと思うけどねえ、ノルディから仕入れた情報ではさ…」
そっくりさん二人が額を寄せ合い、小声でコソコソ、ヒソヒソと。やがて会長さんが書き上げた手紙を「そるじゃぁ・ぶるぅ」が教頭室までお届けに。あれの中身って何なのかな?
その日の夜。私たちとソルジャーは会長さん宅へ鍋パーティーに招かれ、グツグツと煮える寄せ鍋のお供とばかりに壁にサイオン中継の画面が。仕事を終えた教頭先生、家に帰って私服に着替えて愛車で雪が舞う夜の街へと…。
「ふむ、此処か」
とあるスーパー銭湯の駐車場に車を入れると建物の中へ。えーっと、お風呂の覗き見ですか?
「ブルーが待っているのは濁り湯、と…。そしてロッカーの鍵は左足首に付けるのが通の証、と」
浴衣に着替えて服や貴重品をロッカーに仕舞った教頭先生、ロッカーの鍵を左の足首に。そういうのが「通」の証明だなんて、スーパー銭湯恐るべし…。
「違うよ、左の足首に鍵を付けたらヤバイんだってば」
特に此処では、とソルジャーが鍋をつつきつつ。
「ブルーが待ち合わせを指示した濁り湯、その道の人の御用達! もちろん普通の人も多いから、同好の士だと見分けるための目印が左足首の鍵なわけ」
「「「えぇっ!?」」」
それってゲイの人が多いお風呂ってことですか? ビックリ仰天な私たちにソルジャーは悪戯っぽくパチンとウインク。
「ノルディの情報に間違いは無いよ。ハーレイの騒動、ノルディの耳にも入っていてさ…。どうせだったらモテまくるのがいいでしょう、と教えてくれたのが此処なんだ」
右耳ピアスに左足首の鍵で濁り湯に行けばモテまくり、と自信溢れるソルジャーの言が正しかったことは時を経ずして見事に証明されました。
「ち、違う、私は此処で待ち合わせを…! 誰でもいいというわけでは…!」
そんなつもりで来たわけでは、と湯煙の向こうから響き渡る野太い悲鳴。
「ブルー、まだなのか!? お前が来るまで待っていられそうにないのだが! ブルー…!!」
もうダメだ、という絶叫と共に素っ裸の教頭先生が中継画面を駆け抜けてゆき、スウェナちゃんと私の目にはモザイクが。教頭先生が走り去った後の濁り湯ではブーイングの声が何人分も。
「はい、待ち合わせもオシャカってね」
これで結婚の夢は振り出しに…、とソルジャーが笑い、会長さんも。
「お風呂での甘い時間で始めよう、って書いたしねえ? 約束を破る男に未来は無いさ。ついでに迫られまくった記憶がトラウマ、右耳ピアスは外すしかないね」
ぼくと二人きりの時を除いて…、と爆笑している会長さん。濁り湯の中で本物の人に囲まれまくった教頭先生、スーパー銭湯を出てゆく時には耳にピアスはありませんでした。会長さんの愛が詰まったブラックダイヤモンド、二度と出番は無いかもですねえ…。
男の右ピアス・了
※いつもシャングリラ学園を御贔屓下さってありがとうございます。
教頭先生の右耳に輝く、ブラックダイヤモンドのピアス。ビジュアル的には渋いです。
ちょーっと問題ありすぎましたが、似合うんじゃないかと思いますよ?
次回、10月は 「第3月曜」 10月19日の更新となります、よろしくです~!
※毎日更新な 『シャングリラ学園生徒会室』 はスマホ・携帯にも対応しております。
こちらでの場外編、9月はお彼岸。ソルジャーがスッポンタケの法要を希望で…。
←シャングリラ学園生徒会室は、こちらからv
※シャングリラ学園シリーズには本編があり、番外編はその続編です。
バックナンバーはこちらの 「本編」 「番外編」 から御覧になれます。
シャングリラ学園番外編は 「毎月第3月曜更新」 です。
第1月曜に「おまけ更新」をして2回更新の時は、前月に予告いたします。
お話の後の御挨拶などをチェックなさって下さいませv
キース君とサム君、ジョミー君が棚経や法要で走り回ったお盆も過ぎて、私たちは毎年恒例のマツカ君の海の別荘に来ています。ソルジャー夫妻の結婚記念日と重ねるというのがお約束ですからバカップルは当然のこと、「ぶるぅ」や教頭先生も参加していて…。
「かみお~ん♪ 楽しかったね、スタンプラリー!」
海水浴もいいけどこんなのもいいね、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」。別荘に到着するなり執事さんに教えて貰ったのが地元のスタンプラリーでした。海水浴に来た人に観光スポットを回って貰ってアピールしようという趣向です。
「参加賞しか貰えなかったけど、まあいいかなぁ…」
いつも全然観光しないし、とジョミー君が言えば、サム君も。
「だよな、基本は別荘の近くしか行かねえもんな。…暑かったけどよ」
それでも達成感はあるかも、とスタンプがズラリ押されたラリー用のマップを広げるサム君。たまに海釣りでお世話になっている漁港をはじめ、ローカルなお寺や神社なんかをせっせと回って来たのです。そりゃ汗だくにはなりましたけれど、こういう遊びも新鮮で。
「いいじゃないか、参加賞もそれなりだったし」
会長さんが大きく伸びをしました。
「目の前の海で獲れたサザエの壺焼きだよ? バーベキュー三昧の日々ではあるけど、自分たちで調達して来なくても食べさせて貰えたって所が魅力」
「それはそうだな、座っているだけで出て来るんだしな」
潜って獲るのも楽しいんだが、とキース君。海の別荘ライフの定番はプライベートビーチでのバーベキューです。教頭先生や男の子たちが獲って来る海産物をジュウジュウと…。
「ダブルチャンスで海産物セットが抽選で二十名様に当たるんだったんですよね…」
シロエ君が用紙に書かれた説明を読み上げ、スウェナちゃんが。
「当たらなくても良かったんじゃない? ここの食事は美味しいもの」
「そうだぜ、干物がメインだろ、それは」
どっちかと言えば海鮮丼を当てたかったぜ、とサム君は少し残念そう。だけど、それだと当たった人だけ海鮮丼でハズレの人は壺焼きですよ?
「ああ、そうかぁ…。ハズレのヤツらに恨まれるよな」
壺焼きだけで充分だよな、と頭を掻いているサム君。暑い最中にしっかり歩き回ったものの、私たちは元気一杯でした。流石にビーチまで出掛ける根性は無かったものの、お庭のプールでひと泳ぎして身体もひんやり。別荘ライフは始まったばかり、当分楽しめそうですよ~。
その夜、豪華な夕食を終えて二階の和室に集まっていると。
「スタンプラリーかぁ…。アレって応用出来そうだねえ?」
ソルジャーが妙な台詞を口にしました。
「要するにアレだろ、スタンプが揃えば記念品だとか賞品だとか」
「…そうだけど?」
どう応用が、と怪訝そうな顔の会長さんに、ソルジャーは。
「ぼくとハーレイはとっくの昔にゴールインしているわけだけれども、ゴールどころかスタート地点にも立ててない人がいるよね、一人」
そこに一名、とビシッと指を差された教頭先生。
「別荘ライフは長いんだからさ、その間にスタンプラリーはどうかな? ハーレイ一人じゃつまらないから、ぼくのハーレイも一緒に参加! スタンプが無事に集まったらゴールインとか」
「有り得ないし!」
そんな理屈で結婚させられてたまるものか、と会長さんがすかさず反撃。しかしソルジャーは意に介さずに。
「誰が結婚しろとまで言った? キスくらいならしているじゃないか、悪戯で」
「……それはまあ……」
「だろ? 都合でもうちょっとキワドイとこまでやってみるとか、こう、色々と」
遊び甲斐があると思うんだよね、とパチンとウインクするソルジャー。
「海で遊ぶのも楽しいけどさ、スタンプラリーも楽しかったんだ。だからハーレイにチャレンジさせてみて、仕上がり具合をチェックするのも面白いかと…」
「何処でスタンプを集めさせるわけ? まさか近所の神社とか?」
「ううん、要するにスタンプだから! ラリーの用紙もハーレイの身体でいいんじゃないかと」
「「「は?」」」
どういうスタンプラリーですか、それ? ソルジャーは我が意を得たり、とニヤニヤと。
「スタンプ代わりにキスマークだよ。ぼくとブルーがつけてあげてさ、いい感じに集まってきたらキスの御褒美とか、ぼくのハーレイの場合は二人でベッドにお出掛けだとか」
「却下!!」
誰がやるか、と会長さんがブチ切れました。そりゃそうでしょう、教頭先生にキスマークをつけるだけでも大概なのに、それが集まったらキスの御褒美って最悪としか…。
機嫌を損ねた会長さんはポテトチップスの徳用袋を一人で抱えてパクパクと。触らぬ神に祟りなしだ、と遠巻きにする私たちですが、残念そうなのが教頭先生。会長さんとの結婚なんかを夢見るだけに、ソルジャーの提案に顔を輝かせていたのです。
「…ううむ…。やはりブルーはガードが固いか…」
遊び感覚ならOKなのかと思ったのだか、と小声で呟く教頭先生にキャプテンが。
「仕方ありませんよ、私のブルーとは別人ですしね。私でしたらスタンプラリーは大いに歓迎、ブルーも乗り気だと思うのですが」
「やはりそうですか…。いつかは実現出来るでしょうか?」
「…そこは私にも分かりかねます。とにかく努力なさっては?」
日々の積み重ねが大切ですよ、と説くキャプテン。
「私も色々と苦労しましたしね…。今でこそ結婚記念日を祝える身ですが、それまでは茨道でした。何かと言えばヘタレと詰られ、家出されたり浮気するぞと脅されたりと、それはもう…」
そこを乗り越えて今の幸せがあるわけで、との体験談には説得力がありました。ソルジャーの家出騒動には何回となく巻き込まれましたし、浮気の方も然りです。教頭先生も努力あるのみ、そうすればいつかは報われるかも…。
「…誰が報われるんだって?」
「「「!!!」」」
背筋が凍りそうな声。ヒソヒソ話に夢中になって背後がお留守になっている間に、ポテトチップスの袋を抱えた会長さんが真後ろに立って見下ろしています。
「黙っていれば好き勝手なことをベラベラと…。ぼくはハーレイとは結婚しないし、そっちの趣味も全く無いんだ。報われるも何も、一生無いと思うけど?」
「…す、すまん…。つい……」
ついつい夢を見てしまったのだ、と教頭先生は平謝り。畳に頭を擦り付けんばかりに土下座を繰り返してらっしゃいますけど、会長さんは冷ややかに。
「夢じゃないっていうのは分かるよ、君の願望で目標なんだろ? ぼくとの結婚」
「もちろんだ!」
即答してしまった教頭先生、慌てて口を押さえましたが、時すでに遅し。
「…目標ねえ……」
それって何かと重なるよねえ、と会長さん。目標が何と重なると? 会長さんとの結婚ですかね、いえ、それがそもそも目標ですよね?
畳に正座な教頭先生は蛇に睨まれたカエル状態。土下座しようにも睨まれていては顔を伏せられず、額にびっしり脂汗が。
「…も、申し訳ない…。今のは口が…」
「口が勝手に? 違うだろう?」
口が滑ったと言うんだろう、と会長さんはポテトチップスの袋をポイと「そるじゃぁ・ぶるぅ」に投げ渡しました。
「こんなのを持ってちゃ格好がつかない。ぶるぅ、頼むよ」
「うんっ! ぶるぅと一緒に食べててもいい?」
「空になっても構わないさ。ぼくはハーレイに話があるから」
「「「………」」」
急激に下がる部屋の室温。空調は壊れていない筈ですけども、気分は一気に氷点下です。けれど無邪気な「そるじゃぁ・ぶるぅ」は大食漢の「ぶるぅ」と一緒にポテトチップスの袋に手を突っ込んでパリパリと。ああ、お子様って得ですよねえ…。
「さて、ハーレイ」
両手が空いた会長さんが腕組みを。
「簡単に口が滑るくらいに、ぼくとの結婚が目標なわけだ。…目標といえば今日はみんなで頑張ったっけね、漁港や神社やお寺なんかを回ってさ」
暑かったよねえ、と回想モードに入った対象はスタンプラリー。
「瞬間移動でズルをしないでテクテク歩いて一つずつ! 参加賞しか貰えなかったとはいえ、ゴールという目標には辿り着いたんだ。…ブルーが提案したスタンプラリーは却下したけど、君の発言で撤回しようと思ったよ」
「本当か!?」
ドン底だった教頭先生、一気に地獄から天国へ。ソルジャーが言ったスタンプラリーが実現するなら夢の世界が広がります。会長さんから身体にキスマークをつけて貰って、集まった時にはキスの御褒美。血色を取り戻すどころか頬を紅潮させてらっしゃる気持ちは分かりますとも!
「嬉しそうだねえ、そこまで喜ばれると撤回した価値があったかな?」
「ありがとう、ブルー! 言ってみるものだな、正直な気持ちというものを」
感涙にむせぶ教頭先生に、会長さんはクスクスと。
「何か忘れていないかい? 挑戦するのは君だけじゃない。あっちのハーレイも一緒なんだけど」
「いや、かまわん! …あちらの二人には敵わないまでも、せめてお前とのキスをだな…」
それにキスマークも欲しいのだ、と頬を染めている教頭先生。ソルジャーが言ってたスタンプラリーはスタンプじゃなくてキスマークってヤツですものね…。
「いいねえ、キスマークでスタンプラリーがスタートなんだ?」
実に楽しくなりそうだ、と言い出しっぺのソルジャーが横からしゃしゃり出て来ました。
「最初は何処から始めようか? 手の甲がいいかな、それとも首筋?」
「いきなり素肌は勘弁だよ!」
それじゃキツすぎ、と会長さんが突っぱね、ソルジャーの顔に『?』マークが。
「じゃあ、どうするわけ? ハーレイの図解でも描いてキスするとか?」
「甘いね、まずは服からってね」
ただでも夏場で汗臭いんだし、と教頭先生の身体を指差す会長さん。
「いくらシャワーを浴びて来たって、ぼくがいるだけで興奮して汗が噴き出すよ。だから最初は服にスタンプを集めて貰う。それが揃ったら素肌ってことで」
「ああ、なるほど…。ぼくはハーレイの汗の匂いも好みだけれど、君には悪臭ってわけなんだ?」
男らしくていいんだけどねえ、とソルジャーがキャプテンの腕に頬を擦りつけ、会長さんがペッと嫌そうな声を。
「…君の趣味には頭が下がるよ、どう転んだらそれが嬉しいんだか…。とにかく、ぼくは最初から素肌は御免蒙る。ついでに服にスタンプを集めるってヤツは王道だから!」
「そうなのかい?」
「君は興味が無さそうだけど、お遍路さんというのがあってね。昔、キースが卒業旅行で出掛けてたこともあったんだ。ソレイド地方に散らばっている八十八のお寺を回って御朱印を集めてくるんだよ」
「御朱印? それってスタンプなわけ?」
ハンコだよね、と尋ねるソルジャーに、会長さんは「まあね」と肯定。
「確かにお寺にお参りしました、って証拠に押して貰うわけ。ぼくやキースは宗派が違うし、御朱印帳っていう専用の帳面と掛軸に押して貰って来たんだけれど…。そっちの宗派の人は白衣にも御朱印を押して貰うんだよ」
そういう仕様になっている、と会長さん。言われてみればキース君の旅に同行した時、お遍路さんの白装束の上着に御朱印を押してある人を見ましたっけ。だけど八十八個もあったかなぁ?
「巡拝用のはまた別物だよ、全部押すのは死装束さ」
亡くなった時にお棺に入れて貰うヤツ、と会長さんの解説が。お遍路の旅で着る白衣には鶴とか亀とか、一部の御朱印しか押さないらしいです。なるほど、御朱印だらけじゃ見た目に変かも?
そんなわけで、と会長さんは宙にTシャツを取り出しました。一目で教頭先生サイズだと分かる大きいサイズのTシャツが二枚。色は真っ白、何の模様もありません。
「これにスタンプを集めて貰う。アイデア源のソレイド八十八ヶ所に因んで八十八個! えーっと、八十八だから…」
表に四十四で裏に四十四、と同じく宙から取り出した筆でTシャツに線を引いていく会長さん。なんでも着物の柄を染める時に下絵に使う青花とかいう染料の一種を使っているそうで、何度か洗えば完全に色が抜けてしまうので下絵用だとか。
「スタンプの方は色落ちしないように加工をすればね、それなりに記念になると思うよ」
「…そのスタンプだが…」
教頭先生がモジモジしながら。
「キスマークをつけてくれるんだな? そのぅ……お前と、そっちのブルーが」
「えっ? まずはスタンプラリーなんだよ、母印で充分だと思うんだけど」
Tシャツにキスマークをつけるのは無理、と会長さんは澄ました顔で。
「いくら万年童貞でもさ、そのくらいのことは分かるだろう? Tシャツは布だよ、いくら頑張って吸い付いたところでキスマークなんか出来やしないよ」
だから母印で、と朱肉を取り出す会長さん。
「御朱印だって朱肉なんだし、これで母印を押せば完璧! ブルーはどうするか知らないけどさ」
「…そ、そんな…。ならばスタンプを集めた後にはどうなるのだ?」
母印だなんて、と愕然とする教頭先生ですが。
「あ、そっちはきちんとキスマーク! 達成の証はそれなりに…ね」
「そうなのか。では頑張って集めなければな」
八十八か、と拳を握る教頭先生を横目に、ソルジャーがキャプテンの頬に軽くキスを。
「聞いたかい? あっちはキスマークを付けないらしいよ、酷いよねえ…。その気になればTシャツにだって唇マークは付けられるのにさ。大丈夫、君のはきちんとぼくが唇の痕をつけるから!」
口紅は趣味じゃないんだけども、と言いつつソルジャーはポテトチップスの徳用袋を「ぶるぅ」と二人で食べ終えてしまった「そるじゃぁ・ぶるぅ」に。
「えーっと…。Tシャツにキスマークを付けたいんだけど、どんな口紅がいいのかな?」
「んとんと…。デパートに行けば分かるけど…」
もう閉まってるね、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」が答えて、マツカ君が。
「明日の朝までに取り寄せさせておきますよ。お好みの色はどんなのですか?」
「ありがとう! じゃあ、執事さんに相談して…」
王道はやっぱり真っ赤なのかな、とソルジャーはマツカ君と一緒に部屋を出て行ってしまいました。Tシャツに朱肉と口紅でスタンプラリー。いったい何が起こるのやら…。
翌日、シェフが注文に応じて作ってくれる卵料理などの朝食を終えた後、プライベートビーチに出掛ける前に会長さんが全員に招集を。集められた部屋は昨夜の和室で。
「例のスタンプラリーだけどねえ、八十八ものチェックポイントは設けるだけでも大変だ。人数も全然足りないし…。それで条件を変えようと思う。一曲完璧に歌い上げればスタンプってことで」
「「「一曲?」」」
なんじゃそりゃ、と私たちが目を剥き、教頭先生とキャプテンも目を白黒。歌うって…何を?
「目的からすればラブバラードとかがいいんだろうけど、ハーレイの暑苦しい歌は聴きたくない。ついでに対象者の二人がよく知っている歌でないとね。…つまり、『かみほー♪』」
「「「かみほー!?」」」
『かみほー♪』と言えばシャングリラ号の歌で、元々はソルジャーの世界で歌われていたものを会長さんが知らずに共有してしまった歌。更に「そるじゃぁ・ぶるぅ」が無意識の内に広めてしまって、こっちの世界でもヒットした時代があったりします。
「そう、『かみほー♪』を歌って貰う。これなら何処でも歌えるだろう? 別荘の中でもビーチでも…ね。八十八回も歌うとなると大変だけども、まあ、頑張って」
見事やり遂げたらスタンプの場所が素肌に移動、と嫣然と微笑む会長さん。
「もちろん素肌にキスとなったら母印みたいなセコイ真似はしない。何処に押すかは決めてないけど、それがぼくからのキスの御褒美! もしかしたら素肌巡りで八十八ヶ所なんて美味しい話もあるかもねえ?」
「…す、素肌巡り……」
ツツーッと教頭先生の鼻から真っ赤な筋が。想像しただけで鼻血が出ちゃったみたいです。会長さんはクスッと笑うと、ソルジャーに。
「君はもちろん言われなくても素肌巡りをやるだろう? 八十八ヶ所、バッチリと!」
「それはもう! ただし君とは八十八ヶ所のチョイスが違うって気がするけれど」
素肌巡りをやり遂げる前にレッドカードを出されそうで、とキャプテンの腕を掴むソルジャー。
「君はせいぜい腕だろうけど、ぼくが巡るならじっくりと! まずは指先から順番に…。肩も胸とかも外したくないし、最後は熱くて」
「その先、禁止!!」
もう喋るな、と会長さんが柳眉を吊り上げ、「熱くて」の先に何が続くのか私たちには分かりませんでした。ともあれ、『かみほー♪』を熱唱するというスタンプラリーが始まります。教頭先生とキャプテンのTシャツ、御朱印ならぬ母印と唇マークで埋まりますかねえ?
水着に着替えてプライベートビーチに向かった私たち。マツカ君の海の別荘ライフでの昼間の過ごし方の定番です。ビーチパラソルの下で寛ぐも良し、海で泳ぐのもまた良きかな。バーベキュー用の竈には炭が熾され、獲って来た獲物を焼き放題で。
「かみお~ん♪ スタンプラリーのリベンジ、しようね!」
壺焼きは一人一個だったし、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」が言えば「ぶるぅ」が「うんっ!」と。
「ぼく、一個だと足りないもん! 今日はいっぱい食べるんだもん♪」
沢山獲ってね、と飛び跳ねる姿にキース君たちが早速海へと駆け出しましたが。
「…教頭先生、一緒にいらっしゃらないんですか?」
俺たち先に行きますよ、と振り返ったキース君に教頭先生は頷いて。
「うむ。私は一曲歌ってからだ」
「あー、そうだっけ…」
歌わないとスタンプ無しだったっけ、とジョミー君がポンと手を叩き。
「せっかくだから聞いていこうかな? アレってシャングリラ号の朝礼で歌うって聞いてるし」
「そういえば朝礼、未だに見たことないですね…」
朝早いですし、とシロエ君までが。シャングリラ号には何度もお邪魔していますけれど、『かみほー♪』が歌われると聞く朝礼の時間は爆睡していて一度も出くわしていないのでした。
「学園祭の後夜祭だと合唱になっていますしね」
教頭先生の独唱は知りませんよ、とマツカ君も。キース君とサム君も「聞いていく」と言い出し、教頭先生は照れておられますが。
「大丈夫ですよ、私も御一緒いたしますから」
スタンプは欲しいですからね、とキャプテンが名乗りを上げて、瓜二つのそっくりさんコンビが歌うことに。二人とも水着姿でTシャツはビーチパラソルの下に置かれています。見事、きちんと歌い上げればTシャツのスタンプ欄が一個埋まるというわけで。
「じゃあ、カウントダウン!」
会長さんが号令をかけ、ソルジャーが。
「3、2、1……。はじめっ!」
教頭先生とキャプテンは緊張しつつも『かみほー♪』を歌い始めました。うん、なかなかにいい声です。きちんと声もハモッていますし、これなら問題なさそうですが…。ん? 教頭先生、ちょっと詰まっておられたような? キャプテンの方は滑らかですけども…。
「はい、おしまい~。お疲れ様」
会長さんが拍手し、ソルジャーはレジャーシートの上に置いていた荷物の中から口紅を。キスマークをつけるためのアイテムです。あれっ、会長さんは朱肉を出さないんですか?
ソルジャーは「そるじゃぁ・ぶるぅ」が差し出す鏡を見ながら鮮やかな赤の口紅を塗り、キャプテン用のTシャツを手に持って。
「えーっと…。ぼくは知識がサッパリで…。最初は何処に押せばいいんだい?」
「ああ、それね。本物の御朱印ってわけじゃないから区分は適当。本物は厳密に決まってるけど、こっちは好きなように押しておけばいいよ」
「そうなんだ? じゃあ、ぼくからの愛をこめて心臓の辺りにでも…」
愛してるよ、とウインクされたキャプテンが頬を赤らめ、ソルジャーはTシャツの左胸にキス。綺麗なキスマークがつきました。まだ唇に紅が残っているソルジャーにキャプテンが近付き、グッと抱き寄せて。
「…口紅を塗った唇というのも素敵ですね…。思わず食べたくなりますよ」
「「「………」」」
あちゃ~…。始まりました、バカップル。私たちなど居ないかのように思いっきりのディープキスをかまし、キャプテンが口紅を舐め取ってしまうまでイチャイチャと。
「…ふふ、すっかり熱くなっちゃった。でもねえ…」
スタンプが一個しかないのに退場したら叱られるかな、とソルジャーが艶やかな笑みを浮かべて、キャプテンが。
「では、頑張って集めましょうか。歌いますよ?」
二度目の『かみほー♪』が白い砂浜に響いているのに、教頭先生の方は。
「…ブルー、私も歌っていいのだろうか?」
「二度目をかい? 厚かましいにも程があるね」
一度目もクリアしていないくせに、とジロリと睨む会長さん。
「さっき途中で詰まった上に、音程も少し外れただろう? あれじゃスタンプは押せないよ。…言い忘れてたけど、失敗したらやり直し! 完璧に歌い終えないとスタンプは無しだ」
今から歌うなら二度目でも一度目、と突き放された教頭先生は涙目でした。キャプテンは既にかなり先の方を歌ってますから、すぐに歌い出したら失敗は必至。つまりキャプテンの三度目を待つか、休憩時間を狙って歌うか。
「…完璧に八十八回なのか?」
おずおずと問い掛けた教頭先生に、会長さんは「当然だろう」と鼻を鳴らして。
「スタンプが全部集まった時には何があるのか知っているよね? ぼくのキスマークで素肌巡りだ。それほどの御褒美を貰うためには血の滲むような努力が必要かと」
嫌ならここでリタイヤしておけ、と言い放たれた教頭先生の視線の先では、二度目の『かみほー♪』を歌い終えたキャプテンが口紅スタンプを貰っていました。この状況でリタイヤしたら男がすたるというものですけど、八十八回を完璧に歌いこなす道もまた地獄な茨道としか…。
その日、ビーチには『かみほー♪』が響き続けました。キャプテンに甘いソルジャーは歌いさえすれば口紅キスマーク。あまつさえ抱き合ってキスな甘々っぷりですが、会長さんの採点は非常に厳しく、五回に一回くらいしか認めて貰えません。
「また外したね? 今までに何回『かみほー♪』を歌って来たんだか…。シャングリラ号のキャプテンが聞いて呆れる」
そんなことではクルーのみんなに示しがつかない、と会長さんはビシバシと。おまけに歌い出しでしくじっていても最後まで歌わせるという鬼っぷり。教頭先生の歌声に力が無くなってくれば海の方角を指差して。
「しばらく喉を休めておこうか。キースたちと一緒に泳いできたまえ」
ついでにアワビとかサザエもよろしく、と獲物まで求める厳しい注文。それでも文句の一つも言わずにバーベキュー用の魚介類を獲って戻る教頭先生は凄すぎでした。会長さんのためなら必死に歌って、獲物も獲って…。なのに肝心のスタンプの方は。
「…たった四分の一とはねえ…」
あっちのハーレイは半分近く埋まっているけど、と大袈裟に両手を広げる会長さん。
「滞在中に全部埋める事が出来るのかい? あくまでスタンプラリーだからねえ、別荘ライフが終わると同時に終了だから! ついでに素肌巡りなんていうトンデモな企画、実現可能なのは帰る日の前の夜までだよね、うん」
最終日にそんなことはしたくない、と会長さんの冷たい宣告。昨夜スタンプラリーの話が持ち上がった二階の和室で教頭先生は悄然と。
「…実質、あと三日間ということか…」
「そうなるね。ブルーの方は明日にでも全部埋まるだろう。そしたら素肌巡りかな? 君の方は素肌巡りどころか、幾つ空欄が残る事やら」
自業自得というヤツだけど、と会長さんが教頭先生の『かみほー♪』の下手さを詰れば、ソルジャーが。
「歌はどうにもならないけどねえ、ぼくのハーレイがゴールインして更なる打撃だと気の毒だ。輪をかけて音が外れそうだし、ゴールインするなら一緒でどうだい?」
ねえ、ハーレイ? とソルジャーの腕がキャプテンの首に回され、キャプテンも。
「そうですね…。あと三日間お待ちしますよ、そこそこの所でセーブしておいて。なにしろ私たちはスタンプラリーを逃したところで特に困りはしませんし」
「うん。素肌巡りなら日を改めてやってあげるよ、心をこめて…ね」
またバカップルがイチャイチャイチャ。けれど「一緒にゴールイン」というエールを貰った教頭先生はバカップルの姿をガン見しながら決意に燃えておられるようです。八十八ヶ所、Tシャツに母印なスタンプラリー。教頭先生、無事に達成出来るでしょうか…?
教頭先生は歌い続けました。朝も早くからビーチで『かみほー♪』、夕方になって引き揚げて来ても会長さんや私たちが寛ぐロビーや広間で懸命に熱唱。日頃から柔道で鍛えた身体は『かみほー♪』三昧でも衰えはせず、どちらかと言えば声に深みが出て来たような…。
「今日の夜までだったな、ブルー?」
あと三個だ、と撤収中のビーチで胸を張っている教頭先生。会長さんは八十五個目の母印をTシャツに押しながら。
「うん、夜まで。あっちのハーレイを待たせてるんだから、心してよね」
向こうは昨日の間に八十七個、と顎をしゃくった会長さんに、教頭先生は「うむ」と。
「まだ夕食までに時間もあるし…。夜には八十八個を揃えるつもりだ」
「はいはい、分かった。でもって素肌巡りだね?」
ぼくも約束は守るから、と会長さん。えーっと、本気で素肌巡り…ですか?
「約束を破っちゃダメだろう? ハーレイも必死に頑張ったんだし、ぼくもやるまで」
そう言い切った会長さんに、顔を見合わせる私たち。
「…おい、本当にやるんだと思うか?」
そっちは母印じゃないんだよな、とキース君が呟き、サム君が。
「う、うん…。俺にもそう聞こえたけど、どうなるんだよ?」
「口紅じゃないの?」
そっちだったら母印じゃないわよ、とスウェナちゃん。
「ですね、口紅は塗らなきゃですけど、その線と読むのが妥当でしょうね」
それ以上だとは思えません、とシロエ君が応じ、マツカ君も。
「口紅ですよね、きっとそうです」
そのキスマークだと思いたい、と囁き合う私たちにも僅かな知識はありました。万年十八歳未満お断りの身ですけれども、ソルジャーが散々やらかしたせいで「吸い痕」の方のキスマークってヤツを知ってます。会長さん、まさかそっちの方じゃあ…?
「まさか、まさか…ね」
絶対ないよね、とジョミー君が肩を竦めて、キース君も。
「そう願いたいぜ。…ただし相手はあいつだからな…。正直、何をやらかしたとしても俺は全く驚かんがな」
一番いいのはスタンプが集まらないことだ、との意見に誰もが賛成。けれど私たちの願いも空しく、その夜、打ち上げとばかりに集まっていた和室での教頭先生とキャプテンの『かみほー♪』の合唱で八十八個の母印が揃ってしまったのでした…。
「揃ったぞ、ブルー! 八十八個だ!」
押してくれ、とTシャツを差し出す教頭先生。向こうではソルジャーがキャプテンのTシャツに口紅を塗った唇を押し当てています。会長さんも母印を押して、スタンプラリーは終了しました。二枚のTシャツは記念品として「そるじゃぁ・ぶるぅ」が帰ってから加工するそうで。
「かみお~ん♪ 青花の線はきちんと消すからね! マークはキッチリ残すから!」
「ありがとう、ぶるぅ。でも、これは…。ぼくのシャングリラでは着られないかな」
キャプテンがこの格好ではねえ、と零すソルジャーにキャプテンが。
「いえ、制服の下に着られますから! これでブリッジでもあなたと一緒にいられますよ」
「それはいいねえ。ぶるぅ、サイオン・コーティングも頼めるかな?」
耐久性を高めたい、というソルジャーの注文に「そるじゃぁ・ぶるぅ」がコックリと。「ぶるぅ」は
「パパとママがいつも一緒だぁ♪」と大喜びですし、あのTシャツも役に立つのだな、と私たちが感慨に耽っていると。
「…それじゃスタンプも揃ったことだし、素肌巡りに出発しようか」
ねえ? とソルジャーがキャプテンの腕を取りました。
「八十八ヶ所だったよね。まずは一ヶ所目で、君の有能な指先からだよ」
いつだってぼくを熱くしてくれる、とソルジャーはキャプテンの右手の親指の先を口に含んでチュッと音を立て、それから指全体を舐め上げて。
「…はい、一ヶ所。ふふ、ゾクッときた? まだまだこれから八十七ヶ所!」
かまわないよね、とお次は人差し指を。教頭先生は耳まで赤くなり、会長さんの方をチラチラと。
「…ブ、ブルー……。そのぅ、なんだ……」
「ああ、素肌巡り? そういう約束だったよね」
それじゃこっちへ、と会長さんは手招きを。会長さんの目の前に立った教頭先生、もう頭から湯気が出そうで。
「…い、いいのか? 本当に…?」
「何を今更…。ただね、ちょこっと問題が」
「問題?」
何のことだ、と尋ねる教頭先生に、会長さんが小首を傾げて。
「素肌巡りをしてあげる、って約束したけど、君に好みのコースはあるわけ? こういうルートで八十八ヶ所、って明確に希望があるんだったらそれに添うけど」
「好みのルート?」
「うん。日頃から色々考えてるのは知ってるんだよ。だからね、出来れば希望のコースがいいのかなぁ、って」
あれば教えて、と言い出した会長さんにサーッと青ざめる私たち。それってヤバくないですか? 相手は妄想一筋の教頭先生、その道三百年以上ですってば~!
ただでも危ない素肌巡りを教頭先生好みのルートで、などと言っている会長さん。しかも口紅をつける気配はありません。ソルジャーと同じく吸い痕の方のキスマークなのか、と声も出せない私たちを他所に会長さんは。
「実はね、ぼくも素肌巡りなんていう経験は無くて…。君がルートを教えてくれればそれに従う。好みのルートは決まってる?」
「…い、いや、それは……。確かに夢には見ていたが…」
スタンプラリーに必死になっていてコースどころでは無かったのだ、と教頭先生。
「来る日も来る日も『かみほー♪』だったし、頭の中がそれ一色で…。正直、今もまだ『かみほー♪』がグルグル回っている状態だ。…そのぅ、本当に恥ずかしいのだが…」
「なるほどねえ…。そういうことなら、あっちを手本にしようかな?」
「あっち?」
「そう、あっち」
あそこでやってるバカップル、と会長さんの赤い瞳が見詰めた先ではソルジャー夫妻がイチャついていました。ソルジャーは既にキャプテンの両方の手指を舐め終えたらしく、手のひらにキスを落としています。
「両手の指で十ヶ所らしいよ、あと手のひらで十二ヶ所かな。…そんな調子で良かったら」
「…う、うむ…。指か、そういうルートもあるのか…」
ならば頼む、と大きな右手を会長さんに預けつつ、ソルジャー夫妻が気になるらしい教頭先生。そりゃそうでしょう、手の次は何処に会長さんの唇が来るのかドキドキしているに決まっています。そのバカップルの片割れ、手のひらへのキスを終えまして。
「…うーん…。やっぱりこれじゃ物足りないかな…」
ちょっと失礼、とキャプテンの首をグイと引き寄せ、太い首筋に噛み付くようなキス。それを見ていた教頭先生の顔がボンッ! と赤くなり、会長さんが「どうかした?」と。
「それじゃ始めるよ、素肌巡りの八十八ヶ所! まずは右手の親指だっけね」
チュッ、と会長さんの唇が落とされたのと、ソルジャーの両手が動いたのとは同時でした。キャプテンが着ていたシャツを引き裂き、晒された逞しい胸に思い切りキスを。そして会長さんと教頭先生に視線を送って、聞こえよがしに。
「…ハーレイ、ぼくたち、お手本にされているらしいよ? どうやらここでヤるしかないようだけども、仰向けに寝てくれるかな?」
「…こ、ここで……ですか?」
「かまわないだろう、ぼくは見られていたって平気さ」
張り切っていこう! とソルジャーが叫んだ次の瞬間、ドッターン! と大きな音がして…。
「ふん、素肌巡りには三百年以上早いってね」
指一本でノックアウト、と両手をパンパンとはたく会長さん。床の上には教頭先生が仰向けに倒れ、鼻血を噴いて失神中です。お手本とやらと嘯いていたソルジャー夫妻はしてやったりと消え失せてしまい、今頃は大人の時間かと…。
「あんた、知っててやらかしたな!?」
こうなることを、とキース君が噛み付けば、会長さんはニンマリと。
「そうだねえ、ブルーがスタンプラリーって言い出してブチ切れたせいではあるけども…。あの時、ハーレイが余計なことさえ言わなかったらこんな結果にはならなかったかと」
ぼくのガードがどうとかこうとか、と鼻でせせら笑う会長さんには罪の意識はありませんでした。会長さんにとってはあくまで仕返しらしいです。
「え、いいじゃないか。記念Tシャツは残るんだよ? ぼくの母印つきの」
それだけだって充分にレアだ、とブチ上げていた会長さんですが、そのTシャツは青花抜きの加工中に「そるじゃぁ・ぶるぅ」がミスをしたとかで母印が消えてしまったのだとか。後日、それを聞かされた私たちは口々に「そるじゃぁ・ぶるぅ」に事情を聞いてみたのですけど。
「…えっと、えっとね…。ぼくでも失敗することあるの! ホントだよ!」
懸命に主張する「そるじゃぁ・ぶるぅ」に、キース君が。
「…嘘だな」
「うん、嘘で絶対間違いないよ」
キャプテンの分のTシャツは完璧な仕上がりだったもんね、とジョミー君。取りに来たソルジャーが嬉しそうに抱えて持って帰った姿は私たちの瞳に焼き付いています。これでブリッジでもハーレイはぼくと一緒なんだ、とか言いつつ、いそいそと…。
「教頭先生、つくづくお気の毒でしたよね…」
トラウマにならなきゃいいんですけど、とシロエ君が『かみほー♪』の心配を。歌わされまくった挙句に何一つ報われなかったシャングリラ号の歌、教頭先生、当分は口パクだったりして…?
集めて御褒美・了
※いつもシャングリラ学園を御贔屓下さってありがとうございます。
素肌巡りで八十八ヶ所、なんとも罰当たりな企画っぽいですけど、こういうオチ。
教頭先生、そうそう美味しい思いが出来るわけありません。
今月は月2更新ですから、今回がオマケ更新です。
次回は 「第3月曜」 9月21日の更新となります、よろしくです~!
※毎日更新な 『シャングリラ学園生徒会室』 はスマホ・携帯にも対応しております。
こちらでの場外編、9月はスッポンタケの後付けお葬式の件を引き摺り中で…。
←シャングリラ学園生徒会室は、こちらからv
※シャングリラ学園シリーズには本編があり、番外編はその続編です。
バックナンバーはこちらの 「本編」 「番外編」 から御覧になれます。
シャングリラ学園番外編は 「毎月第3月曜更新」 です。
第1月曜に「おまけ更新」をして2回更新の時は、前月に予告いたします。
お話の後の御挨拶などをチェックなさって下さいませv
学園祭も終わって秋が深まり、日暮れも早くなりました。放課後を「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお部屋で過ごして帰る頃には暗くなっている有様です。え、下校時刻にそんなに暗くはならないだろうって? 特別生は時間厳守じゃありませんから六時過ぎでも無問題。
「今日も日が暮れたみたいだねえ…」
会長さんが壁の時計を眺めつつ。
「こんなに秋が深くなるとさ、鍋パーティーなんかがいいと思わないかい?」
「えっ、鍋パーティー?」
ジョミー君が即座に反応しました。
「いいよね、ちゃんことか寄せ鍋とか! 今度の週末?」
「うん。鍋をやるなら夜がいいかな、みんなでウチに泊まりにおいでよ」
「「「行く!」」」
私たちは一斉に手を挙げ、「そるじゃぁ・ぶるぅ」が。
「かみお~ん♪ お鍋は夜でも朝から来てくれていいからね! お昼も作るし!」
「やったあ、土曜は鍋パーティーだね!」
お昼も楽しみ、とジョミー君。私たちもワクワクです。学園祭までは準備で校内が賑やかでしたし、収穫祭などのイベントなんかも。けれど学園祭が終わってしまえば行事は何もありません。中間試験の後は期末試験で、クリスマスは終業式が済んでから。
「ふふ、少しお祭り気分になった?」
会長さんの問いに誰もがコクコク。特別生の日々に不満は無いですし、放課後は素敵なティータイムつき。それでもやっぱり一連のお祭りが終わってしまうと心が寂しくなるもので…。
「じゃあ、決まり。今度の週末はウチに泊まって鍋パーティーだね」
盛大にやろう、と会長さんが親指を立て、大歓声の私たち。お昼御飯も期待出来そうです。どんなお鍋が食べられるのかなぁ、お昼もとっても豪勢かも?
待ちに待った土曜日はいい天気でした。会長さんのマンションの近くのバス停で待ち合わせをして、お泊まり用の荷物持参で訪ねてゆくと。
「かみお~ん♪ いらっしゃい!」
どうぞ入って、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」がお出迎え。
「ブルーも待ってるし、すぐにお昼にするからね!」
それまで飲み物とお菓子で待ってて、と紅茶にコーヒー、柚子味のパウンドケーキなどが。食べ終わった頃合いでダイニングに呼ばれ、熱々のグラタンが焼き上がっています。サラダと栗のポタージュスープにキノコたっぷりのピラフなど。
「「「いっただっきまーす!」」」
グラタンはキノコとチキンが入ってスパイスとハーブがいい感じ。鍋パーティーもやっぱりキノコでしょうか?
「それはもちろん」
会長さんがスープを口に運びながら。
「キノコ鍋ってわけじゃないけど、季節の味覚は使わなきゃ! でもって今日は味噌仕立て! お酒が進む鍋がいいんだ」
「「「お酒?」」」
三百歳を軽く越えている会長さんは勿論お酒もいけるクチです。小さな子供の「そるじゃぁ・ぶるぅ」もチューハイなんかが大好きですけど、鍋パーティーでお酒って飲んでいたかなぁ?
「ああ、君たちは飲めないよね。キースが少し飲めるくらいか…。だから普段は飲まないんだけど、今夜のパーティーは特別だから」
「記念日か?」
キース君が尋ねましたが、会長さんは「ううん」と首を左右に。
「記念日とかでは全然ないけど、ちょっとゲストの関係で…ね」
「「「ゲスト?」」」
ゾゾゾゾゾ…と嫌な予感が背中を走り抜け、頭に浮かんだ会長さんのそっくりさん。それに加えて教頭先生のそっくりさんなキャプテンですね、またバカップルが来るわけですか…。
「あ、違う、違う! 今日のゲストはそっちじゃなくて」
あっちの二人は忙しいそうだ、と会長さん。
「特別休暇を取ってるらしいよ、鍋より二人の時間だってさ。一応、声はかけたんだけど」
でないと後が恐ろしいから、と言われなくても納得です。ソルジャーに内緒で鍋パーティーなんて、命知らずにも程がありますってば…。あれっ、それならゲストって……誰?
お酒が進む鍋パーティーに相応しいゲストとは誰を指すのか、首を傾げる私たち。ソルジャー夫妻が来ないんだったら該当する人が無さそうですが…。
「誰か忘れていないかい? バカップルを連想したなら、そのついででさ」
「「「…ついで?」」」
バカップルのついでとくれば、もしかして、もしかしなくても…。
「あんた、ぶるぅを呼んだのか!?」
キース君の叫びに誰からともなくギャッと悲鳴が。ソルジャー夫妻のおまけとくれば悪戯小僧で大食漢の「ぶるぅ」です。胃袋は底抜け、お酒も大好き。何もあんなのを呼ばなくっても…! それとも押し付けられたのでしょうか、特別休暇に邪魔だから、と?
「…なんでそっちの方に行くかな、ぶるぅだったら丁重にお断りさせて貰うよ」
鍋とお酒をデリバリーする羽目になろうとも、と会長さんはキッチリ否定。
「あんなのが来たらパーティー気分がブチ壊し! ブルーたちがいないと全く歯止めが利かないからねえ、食い散らかされて終わりってだけじゃなく、心身共にズタボロだってば」
おませな発言が炸裂しまくり、と指摘されればそのとおり。バカップルなソルジャー夫妻に育て上げられた「ぶるぅ」は大人の時間に興味津々、覗き見ばかりしています。特別休暇中に一人で来ちゃって酔っ払ったら口から何が飛び出すか…。
「ね、そういうのは御免だろう? 今日のゲストは人畜無害なチョイスなんだけど」
「「「へ?」」」
「そう、への字。思い切りヘタレなハーレイを呼んでみました…ってね」
「「「教頭先生!?」」」
なんでそういうことになるのだ、と私たちはビックリ仰天でしたが、会長さんはニコニコと。
「最近、とみに寂しいらしいんだよ。侘しい独身生活が…。秋は人肌恋しい季節で、日暮れも早くて家に帰れば真っ暗で…。こんな時に嫁がいてくれれば、と毎日溜息」
「で、嫁に行こうと決意したのか?」
止めないがな、とキース君が言えば、返った答えは。
「行くわけないだろ、そっちの趣味は無いんだから! だけど楽しく事情聴取をしたいんだ」
「「「事情聴取?」」」
「うん。たっぷり飲ませて、ぼくに対する本音をね…。そう簡単に酔わないことは分かってるから、お酒の方も特別製で」
「かみお~ん♪ ちゃんぽんブレンドなの!」
いろんなお酒を混ぜてみたよ、と自信たっぷりな「そるじゃぁ・ぶるぅ」。あれこれ飲むと酔いが回ると聞いていますが、ブレンドとしたとは凄すぎるかも…。
キノコたっぷりの昼食が済むと、リビングでまったりゲームやお喋り。鍋パーティーとゲストの話題は一切出て来ず、アップルチーズタルトや焼き立てクッキーを食べている間に日が暮れて…。
「さてと。ハーレイが下に着いたようだよ」
今日は車じゃないんだよね、と窓の下を見下ろす会長さん。横から覗くとマンションの入口に見慣れた大きな人影が。教頭先生、鍋パーティーはお酒つきだと招待されたため、路線バスでいらしたみたいです。間もなく玄関のチャイムが鳴って「そるじゃぁ・ぶるぅ」が駆けてゆき…。
「ハーレイが来たよ~!」
「すまん、遅れたか?」
バスが渋滞に引っ掛かって、と詫びながら教頭先生が入って来ました。
「紅葉シーズンなのを失念していた。日が暮れてからもライトアップで混むんだったな」
「週末だからねえ、仕方ないよ。マイカーだったら抜け道を走るって手もあるけれど」
でも飲酒運転はお勧めしない、と会長さんはニッコリと。
「今夜はゆっくりしていってよね。鍋もお酒もたっぷりあるんだ」
「ありがとう。何か手土産をと思ったんだが、手ぶらで来てくれと言われたし…」
「遠慮は無用さ、みんなで楽しく盛り上がれればいいんだよ」
早速鍋を始めよう、という声を合図にダイニングへと移動してゆけば大きなテーブルにコンロが据えられ、土鍋が既にセッティング済み。
「三、四人で一つの鍋ってトコかな、十人で三つの鍋だから。面子は特に固定しないし、ノリで自由に移動しながら好きに食べるのがルールなんだけど…」
固定したければ固定でもいい、と会長さんの視線が教頭先生の上に。
「ハーレイは大いに飲みたいだろうし、飲めない面子の鍋に行ったらイマイチだよね。どうかな、真ん中の鍋でぼくと飲む? ぶるぅも一緒に」
「…お前とか?」
頬を赤らめる教頭先生に、会長さんは「嫌だった?」と。
「嫌なら席は入れ替えってことで…」
「い、いや! いや、嫌ではなくて、そのぅ……なんだ……」
「ふふふ、嫌ではないってことだよね? それならぼくの向かいにどうぞ」
勧められた席に座った教頭先生は傍目にもドキドキときめきMAX。鍋パーティーに招かれただけでも嬉しいでしょうに、会長さんと同じ鍋です。ちゃんぽんブレンドで事情聴取が待っているなんて御存知無いですし、気分は極楽、天国ですよね!
味噌仕立ての鍋は予め煮込んであった様子で、どれもニンニクがたっぷりと。すりおろしではなく粒が丸ごと、柔らかく煮えたのを具材と一緒に掬って食べるという趣向。更に刻みニンニクを混ぜてレンジでチンした特製味噌を好みで添えるのが「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお勧めで。
「えとえと、お味噌は今日はちょっぴり甘めなの! お酒にとっても良く合うんだよ♪」
ハーレイがダメな甘さじゃないしね、と説明された教頭先生、キノコや肉や新鮮な魚介類がドカンと入った寄せ鍋の具を器に取って特製味噌をつけてみて…。
「なるほど、美味いな。酒が飲みたくなる味だ」
「でしょ? お酒も沢山飲んでってね!」
どうぞ、と大きめの徳利が。いわゆる熱燗を会長さんが教頭先生の盃になみなみと。
「はい、遠慮しないでグーッといってよ」
「すまんな、お前も一緒にやろう」
徳利を持とうとした教頭先生を会長さんは手で制して。
「あ、ぼくはワインでやりたいんだ。鍋には合わないって言われてるけど、長年生きてるとピッタリなワインも見付かるものでさ」
辛口の白がいいんだよね、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」が運んで来たボトルからグラスにトクトク。
「君も一杯、試してみるかい? なかなかいけるよ」
「そうなのか。是非、御馳走になろう」
「ちゃんぽんだけどね、それも良きかな!」
ぶるぅ、グラスを! と会長さんが頼み、出ました、教頭先生の前にもワイングラス。
「まあ飲んでみてよ。ここの白がね、寄せ鍋にはもう最高で」
「…ふむ…。これは確かに絶品だな」
味噌仕立ての鍋に実によく合う、と教頭先生、大絶賛。
「しかし、この熱燗の方もなかなか…。大吟醸ではないようだが」
「あっ、分かる? ぼくとぶるぅの自慢のヤツでさ…。泡盛を銘水で割って充分に寝かせてから熱燗にすると、凄く美味しくなるんだよね。そのまんま熱燗にしたらアウトで」
「ほほう…。それは知らなかったな」
「ひと手間かけるのが美味しく飲むコツ! ワインの方もどんどんやってよ」
食べたら飲んで、飲んだら食べて…、と勧め上手な会長さんにまんまと乗せられ、教頭先生は熱燗ちゃんぽんブレンドとやらと白ワインとを交互にグイグイ。流石の酒豪も飲み続ける内にすっかり出来上がり、普段よりもずっと饒舌に。うーん、そろそろ事情聴取かな?
ワハハと笑っては盃を、グラスを傾ける教頭先生。お鍋の方は締めのラーメンが投入されて各自の丼にドッカンと。教頭先生が御機嫌でズルズルと啜り、スープもすっかり飲み干した頃合いを見計らったように会長さんが。
「…ハーレイ、今日は泊まってく? もう遅いしさ」
「かまわないのか?」
「部屋は余っているからね。それともアレかな、ぼくと一緒の部屋がいいとか?」
ぼくのベッドは大きいから、と妖艶な笑みを向けられた教頭先生は酔った勢いで首をコックリと。普段のヘタレは何処へやらです。
「なるほど、ぼくのベッドを希望、と。…それじゃ好みのシチュエーションは?」
「シチュエーション?」
「脱がしたいとか、脱いで欲しいとか、その辺だけど」
うわわわわ…。会長さんったら、大人の時間な質問をぶつけるつもりですよ! これじゃ「ぶるぅ」が押し掛けて来ておませ発言をかましているのと特に変わりはないような…。でもでも、相手は教頭先生。悲惨な事にはならない筈、と高をくくった私たちですが。
「………。強いて言うなら騎乗位だろうか」
「「「…キジョーイ?」」」
なんじゃそりゃ、と頭上に飛び交う『?』マーク。洗剤のジョイとは違うんですよね?
「騎乗位ねえ…。ぼくにそれをやれと?」
「やはり男のロマンだろう。…お前が自分で乱れてくれれば最高の気分だと思うわけだな」
さぞかし美しいだろう、と教頭先生はウットリと。
「…私の上で乱れまくるお前を見ていられれば天国だ。もうそれだけで私の方も」
「何発でもヤれる自信がある、と」
「もちろんだ!」
それこそ徹夜で抜かず六発エンドレス! と鼻息も荒く盃を空にし、ワインを喉に流し込み…。教頭先生、絶好調に熱く語っておられますけど、ヌカズロッパツって何のこと?
「…なんか通じてないみたいだよ、そこの子たちに」
ねえ、ハーレイ? と会長さんが茶々を入れても教頭先生は気になさらずに。
「いや、私はだな…。お前さえいればもう充分で…。どうだ、今から試してみないか?」
「オッケー、騎乗位で朝までなんだね」
まあ一杯、と会長さんが熱燗を注ぎ、教頭先生がクイッと一気に。どうなるのやら、とハラハラしている私たちを他所にワインと熱燗を飲み続けた果てに…。
「ふん、騎乗位が聞いて呆れる」
酔っ払いめ、と会長さんの冷たい瞳。教頭先生はダイニングの床に仰向けに転がり、グオーッとイビキをかいておられました。
「ぼくに何処まで求めているのか事情聴取をしてみたけれど…。酔っ払った末に出た本音ってヤツが騎乗位ねえ…。まず絶対に無理っぽいよね」
「おい、キジョーイとやらは何なんだ?」
分からんぞ、とキース君がすかさず突っ込み、私たちも「教えて下さい」とお願い目線。会長さんはフウと溜息をついて。
「君たちに通じる筈もないけど、漢字で書くと騎馬戦の騎と乗るとで騎乗。それと位さ。大人の時間の楽しみ方の一つってヤツだね、上級者向けの」
「「「………」」」
意味はサッパリ不明でしたが、上級者向けと言われたことで教頭先生には無理だと分かります。酔った勢いで口には出来ても、その実態は鼻血三昧のヘタレ人生なわけですから。
「…さて、この思い上がりも甚だしいバカをどうしてくれよう…。お望みの騎乗位とやらを実現するなら騎馬戦かなぁ?」
ぼくが乗れればいいんだし、と会長さんはワインを一口。ちゃんぽんブレンドもちゃんぽんも無しにワイン一筋、酔っ払ってはいない模様で。
「だけどハーレイはこのガタイだし、騎馬戦しようにも組める人がね…」
「そうだな、かなりキツイと思うぞ」
やってやれないことは無さそうだが、とキース君が応じれば、会長さんが。
「無理やり騎馬戦をやらかしたって、ハーレイとぼくとの二人きりにはならないし…。二人きりでぼくが乗っかるとなると、肩車しか無いんだろうか?」
「「「肩車?」」」
「騎乗位はねえ、ぼくがハーレイの上に乗っかる所に意味がある。肩車でも乗ってはいるしね」
ただし少々問題が…、と考え込んでいる会長さん。
「ハーレイの肩に乗っかるとなると、この首の後ろにハーレイの喜ぶ部分がグッと密着! それじゃハーレイが喜ぶだけだし、ぼくだって気分がよろしくない」
そこを何とか出来ないものか、とブツブツ呟く会長さんに「そるじゃぁ・ぶるぅ」が。
「んーと…。ハーレイがブルーのお馬さんになるの?」
「そんなトコかな、肩車だけど」
「お馬さんなら、鞍をつければいいんじゃないかと思うんだけど…」
お馬さんに乗るなら鞍が要るよね、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」は無邪気な笑顔。教頭先生に鞍ですか? それも肩車に乗るために?
教頭先生の夢の騎乗位を別の形で実現したいらしい会長さん。何も分からない「そるじゃぁ・ぶるぅ」の鞍発言にピンと何かが閃いたようで。
「馬には鞍かぁ…。これは使える」
何処だったかな、と壁の方を眺めていたかと思うと「あった、あった」と包帯みたいなモノが宙にポンッ! と。なんですか、それは?
「これかい? ノルディの診療所から失敬してきたギプス用包帯」
変形自由で固くて丈夫、と会長さんはイビキをかいている教頭先生の上体を起こせと柔道部三人組に指示を出しました。
「そうそう、そんな感じで暫く起こしといてよ。型を取るから」
「「「型?」」」
「ギプスで鞍を作るわけ。本来は水に浸して使うんだけど、その辺はサイオンでどうとでも」
まずは首の後ろ、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」と二人がかりで包帯を当てて型取りを始めた会長さん。ギプス用包帯は固まるまでに時間がかかるそうなのですが、そこもサイオンで省略可能で。
「首の方はこれでOK、と…。次は肩だね、でもって後で組み立てて…」
とにかく採寸、と教頭先生の首から両肩の型をギプス包帯で取った会長さん。お次は強力な接着剤の出番で、首の部分と肩の部分をくっつけて…。
「これでよし、と。鞍の基本の形は出来た。問題は座り心地の方だね」
「かみお~ん♪ クッションみたいにする? それとも革張り?」
どっちでも作っちゃうけれど、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」はやる気満々。会長さんは再び床に転がされた教頭先生をゲシッと蹴飛ばし、「両方で」と「そるじゃぁ・ぶるぅ」に。
「座り心地が大切だから、クッションで衝撃を緩和だね。でもって仕上げは革張りで!」
「分かった! ハーレイ専用の鞍なんだね♪」
ぼく、頑張る! と「そるじゃぁ・ぶるぅ」がギプス包帯で組み上げられた型を小さな両手で確かめています。教頭先生の身体に当たる側にも革を張るとか言ってますけど、一晩じゃ流石に無理でしょうねえ…。
ちゃんぽんブレンドと白ワインのちゃんぽんで泥酔なさった教頭先生は型取りされた後、柔道部三人組に担がれてゲストルームへと運ばれました。翌朝、私たちが朝食を食べ終える頃にようやく目覚めて謝りまくって帰られたものの、記憶は一切無かったようで。
「つくづくバカだね、本音を暴露したというのに」
まるで気付いてないのが笑える、と会長さんがケラケラと。
「これは絶対、鞍を作って乗らなくちゃ! まずは校内一周からだね、罰ゲームとでも説明しとけばゼルたちだって気にしないから」
「「「………」」」
シャングリラ学園で乗ろうと言うのか、と私たちは絶句。しかし会長さんは鞍さえあれば肩車でも平気らしくて、鞍が完成した月曜日の放課後。
「見てよ、ぶるぅの力作を! 立派な鞍だろ?」
これでハーレイの首にも肩にも触れずに乗れる、と見せられた鞍は茶色の革張り。
「肩車だからね、ハーレイの頭は持つしかないわけだけど…。これで早速校内一周、騎乗位の旅に出掛けてこよう」
行くよ、と促されてカボチャのムースケーキを喉に押し込み、みんな揃って教頭室へ。問題の鞍は「そるじゃぁ・ぶるぅ」が大切そうに頭の上に掲げています。本館にある教頭室に着くと、会長さんが重厚な扉をノックして。
「…失礼します」
「なんだ?」
書類をチェックしていた教頭先生が顔を上げ、先日の醜態を思い出したらしく。
「…ああ、そのぅ…。なんだ、この間はすまなかった」
「どういたしまして。お蔭で君の夢ってヤツがよく分かったから来てみたよ」
ニッコリ微笑む会長さんに、教頭先生は首を捻って。
「…夢?」
「そうだよ、君が心の底に熱く秘めている男のロマンというヤツさ。…騎乗位だってね?」
「…な、な、な……!」
何故それを、とアタフタしている教頭先生の机の上から書類がバサバサ床に雪崩を。会長さんは散らばった書類を拾い集めて「はい」と机に纏めて置くと。
「君が自分で叫んだんだよ、ぼくとやるなら騎乗位がいい、と。…それで考えたんだけど…」
今からどう? と妖艶な瞳を向けられた教頭先生の鼻から毎度お馴染みの鼻血がブワッ。…騎乗位とやらは鼻血多めで噴出するほどヤバイ代物みたいですねえ?
それから十五分ほどが経ち、教頭先生の鼻血が治まった頃。逞しい肩に特製の鞍を乗っけた会長さんが教頭先生の肩に跨り、右手に持った鞭をピシッ! と鳴らして。
「さあ、ハーレイ。お望みどおり乗ってあげたよ、校内一周!」
「…こ、この格好で行けと言うのか?」
「君が願った騎乗位だ。まさに本望だと思うんだけど」
歩け、歩け! と会長さんの鞭がピシピシと。仕方なく歩き出された教頭先生、本館を出るなりゼル先生とバッタリ遭遇。ゼル先生は肩車な会長さんと教頭先生をジロジロ見比べた挙句。
「ハーレイ、それは新手のセクハラかのう?」
「ち、違う! こ、これはブルーが…」
決して私が乗せたわけでは、と冷汗三斗な教頭先生の肩の上から会長さんが。
「ぼくもセクハラは御免だからねえ、鞍を作って乗ってるよ。…実はさ、こないだの週末、みんなでパーティーしていた時にハーレイが酷く酔っちゃって…。思い切り場が白けちゃったし、罰ゲームってことで馬にしたわけ」
「なるほどのう…。馬か、こやつが」
「そうなんだ。だからね、君からも罰を与えたかったら餌やりタイムを設けるけれど」
「「「餌やりタイム?」」」
ゼル先生と私たちの声が見事にハモりました。教頭先生も怪訝そうですが、会長さんは。
「ぶるぅ、ニンジン!」
「かみお~ん♪ お馬さんの好物だよね!」
ニンジンたっぷり、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」が背負っていたリュックの中身は大量の生のニンジンでした。そういえばリュックを背負ってたっけ、と今頃気付きましたけど。
「ここから好きなのを一本出してよ。それをハーレイが食べるから!」
生のまんまでボリボリと、と聞いたゼル先生はニヤリと笑って特大の一本を選び出し。
「ほれ食え、ハーレイ! 生徒の前で酔っ払うなぞ言語道断、馬にされるのも当然じゃて」
「…う、うう…」
生のニンジン、しかも皮つき。教頭先生の額に脂汗が滲みましたがゼル先生は手を引っ込めず、会長さんは鞭でビシバシと。
「ほら、食べるんだよ、ハーレイ号! とても美味しいニンジンだからね」
マザー農場の採れたてニンジン! と促されまくった教頭先生、退路を断たれて生ニンジンをバリバリと。そこから先の校内一周騎乗位の旅、噂を聞き付けたブラウ先生やエラ先生にヒルマン先生までがニンジンを食べさせたいと何度も現れ、リュックはすっかり空っぽでしたよ…。
「ふふ、生野菜は身体にいいって本当なんだねえ?」
あれからハーレイは毎日快調! と放課後の「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお部屋で会長さんがクスクスと。
「植物繊維は便秘に効くって前から聞くけど、ドッサリ出ているみたいだし」
「出すぎだろうが!」
キース君が噛み付き、シロエ君も。
「どう考えても効きすぎです! あれは快調とは言いません!」
「ですよね、少しやつれてらっしゃいますよ」
マツカ君が頭を振るのも至極当然、生ニンジンを毎日リュック一杯食べさせられた教頭先生のお腹は連日下り気味。それでも会長さんに騎乗位をやめる気はさらさら無くて。
「さて、今日も楽しくお出掛けしようか。ハーレイ号が待っているからね」
「…それなんだけどさ」
もう一歩、踏み込んでみないかい? と背後から声が。
「「「!!?」」」
バッと振り返った先にフワリと紫のマントが翻り。
「こんにちは。なんか騎乗位の旅なんだってねえ?」
面白いじゃないか、と現れたソルジャーは「そるじゃぁ・ぶるぅ」が両手で持っていた特製の鞍を検分すると。
「この鞍はよく出来ているけど、乗ってる馬がイマイチかと…。騎乗位の達人のぼくからすれば中途半端もいいところだよ」
「退場!!」
すぐに出て行け、と会長さんが突き付けたレッドカードに怯みもせずにソルジャーは。
「誰も本気で騎乗位をやれとは言っていないさ、君にその手の趣味は無いしね。…だけど騎乗位を気取るんだったら裸馬! 鞍はともかく、服を着込んだ馬じゃ興ざめ!」
騎乗位はマッパの馬に跨ってなんぼなのだ、と自説を展開するソルジャー。なんのことだか分かりませんけど、服を着た馬……いえ、教頭先生に跨ったのでは気分が乗らないらしいです。
「せめてアレだね、褌一丁! それなら文句は無いだろう?」
「…褌かぁ…。確かに褌一丁で外を歩くには不向きな季節になっているけど…」
「褌だってば、裸馬でこそ騎乗位が本領を発揮するんだとぼくは思うな」
ついでにハーレイは今以上に晒し者度がアップ、と唆された会長さんが頷いたまでは良かったのですが…。
「なに、全力で走れだと?」
別に私は構わんが、と教頭先生。私たちに紛れ込んだソルジャーも込みで出掛けた教頭室で、会長さんは褌一丁での校内一周を命じた上で全力疾走のコマンドまでも。教頭先生は承諾したものの、いつもの鞍をまじまじ見詰めて。
「乗り手のお前は大丈夫なのか? 振り落とさないという自信が全く無いのだが…」
「ああ、そこは全く問題ないよ。暴れ馬は他の面子に試させる。キースたちが乗って大丈夫そうなら最後にぼくが……ね。逆に言うなら君の運かな、祭りの如く暴れまくって走りまくっても誰も落ちなきゃ騎乗位の栄誉」
ただし手加減したら騎乗位は終わり、と冷たい口調の会長さん。その一方ではキース君たちが真っ青な顔をしています。
「…お、俺たちに乗れと言うのか?」
「ぼくも乗るわけ? …走ってるヤツに?」
落馬するよ、と泣きの涙のジョミー君たち。なのに教頭先生は会長さんを最後に乗せる栄誉が欲しくて仮眠室に引っ込み、水泳用の赤褌だけをキリリと締めて戻って来て。
「誰が乗るのだ? 私とブルーの未来のためにもしっかり乗りこなして欲しいものだが…」
「「「…は、はいっ!」」」
落ちたら絶対に教頭先生に恨まれる、と怯える男子たちの思念がヒシヒシと。とはいえ、無事に乗りこなしても会長さんに恨まれそうで、どちらに転んでも針のむしろというヤツです。どうなるんだろう、とスウェナちゃんと私が顔を見合わせていると。
「かみお~ん♪ ぼく、乗りたい!」
乗ってもいいよね、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」が元気に右手を上げました。お子様なだけに私たち以上に事情が掴めず、お祭りという景気のいい言葉に反応しちゃったみたいです。
「そうか、ぶるぅが私に乗るのか。…落っこちるなよ?」
ではニンジンは他の誰かに預けておけ、と教頭先生が床に屈んで「そるじゃぁ・ぶるぅ」を肩車。ニンジン入りのリュックはサム君が預かり、教頭先生が立ち上がって。
「では行くぞ。ぶるぅ、しっかり掴まったな?」
「うんっ! しゅっぱぁ~つ!」
ハーレイ号、発進! と可愛らしくも高らかな声が号令、褌一丁の教頭先生は肌寒いを通り越した晩秋の校内一周へと旅立たれました。パカラッ、パカラッと効果音を入れたくなるような激しい走りで疾走中。今日のお供は男子に任せてギブアップしないとやってけません~!
右に左にと身体を揺すって走りまくった裸馬こと褌一丁な教頭先生。今日もゼル先生たちからニンジンを貰っていたそうですけど、それ以外の時間は全力で校内を駆け抜けて…。
「どうだ、ブルー! やり遂げたぞ!」
ぶるぅは肩から落ちなかったぞ、と教頭室に戻った教頭先生は満面の笑み。
「私は手加減していない。そうだな、ぶるぅ?」
「楽しかったぁ~! ブルーも乗ったらいいと思うよ、すっごく速くて面白いから!」
歩いてるのとは違うと思う、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」の瞳がキラキラ。体験してきた凄い走りを会長さんにも、と心の底から思い込んでいる瞳です。でも…。
「ぶ、ぶるぅ…。ぼくはそのう、お前ほど身体が軽くはないし…」
必死に逃げを打つ会長さんに、教頭先生が胸を張って。
「いや、お前が羽根のように軽いのは承知している。ぜひ乗ってくれ、せっかく祭りな気分なのだし…。そもそもお前を乗せるために馬になったのだしな」
肩車にももう慣れた、と自信溢れる教頭先生は褌一丁で校内を走らされて注目を浴びても晒し者というより祭りな気分が勝っているらしく。
「さあ、行こう! 最高の騎乗位を体験してくれ、今なら注目浴び放題だ!」
「そ、それはそうかもしれないけれど…」
ぼくの心は繊細で、と腰が引けている会長さん。まさか「そるじゃぁ・ぶるぅ」が乗るとも思わず、男子の誰かが乗せられて落馬と踏んでいたに違いありません。うかうかと乗る約束をしていたばかりにソルジャー言う所の裸馬に乗る羽目に陥りそうで…。
「乗らないのか、ブルー? いつもよりもスリルが増すと思うが…」
「そ、そういうのとは別の次元で嫌なんだってば!」
裸馬なんて、と会長さんが悲鳴を上げれば、ソルジャーがスイッと横から進み出て。
「どうやらブルーは乗る気を失くしたみたいだねえ? ぼくで良ければ喜んで乗せて貰うけど」
「…あなたがですか? まあ、それは…。誰も気付いていないようですが…」
ブルーそっくりのあなたが一緒に校内を走っていても、と教頭先生。校内一周暴走の旅にはソルジャーも同行したのです。会長さんも走ってましたし、瓜二つの人間がウロついていても誰にもバレていなかったことは事実。ということは…。
「ね、ぼくが乗ってもバレないってば! ブルーの代わりに是非乗りたいな」
スリル溢れる暴れ馬に、との申し出を教頭先生は快諾しました。そっくりさんとはいえ会長さんと見た目は同じです。騎乗位とやらに憧れる気持ち、ソルジャーにぶつけてみたいのでしょうね。
褌一丁の教頭先生は頑張りました。会長さんに乗っては貰えなくても、肩の上にはそっくりさん。もう夕方で冷え込む校内をくまなく駆け抜け、オマケ気分で校舎の階段も上り下り。付き添いで走った男子たちの方が息を切らす中、教頭室へと意気揚々と御帰還で…。
「如何でしたか、私の走りは?」
「良かったよ。ぼくのハーレイではちょっと無理かな、シャングリラの中で肩車なんて人目に立ち過ぎて無理だからねえ…」
楽しい経験をさせて貰った、と教頭先生の肩から滑り下りたソルジャーは会長さんの肩をポンと叩いて。
「最高だったよ、裸馬! やっぱり騎乗位はこうでないとね」
「シッ!」
余計なことを、と言わんばかりに会長さんが鋭く注意しましたが、時すでに遅し。教頭先生は聞こえた単語を復唱してみて。
「…裸馬……ですか?」
「そう! ぼくが提案したんだよ」
褌は最後の良心なんだ、とソルジャーが得意げな笑みを浮かべて。
「ブルーは君を晒し者にする方のチョイスで褌一丁と言ったけどねえ、騎乗位のエキスパートのぼくに言わせれば乗るなら馬は裸でなくっちゃ!」
「……はあ……」
教頭先生は腑に落ちない顔で、私たちもまたソルジャーの台詞は意味不明。エキスパートだと何故に裸馬、という問いが頭の中でグルングルンと回っています。
「分からないかな、君の憧れの騎乗位だよ? 肩車なんて遊びじゃなくって正真正銘、本番の方! ぼく……いや、君の夢ではブルーかな? 乗ってる方の気持ちにすればね、相手が服を着ていたんでは気分が出ないし、エロい気分にもなれないってば!」
すっぽんぽんの相手に跨るからこそ燃えるのだ、とソルジャーが言い放ち、教頭先生の鼻からツツーッと真っ赤な筋が。…えーっと、教頭先生には今の言い回しで通じたのかな?
「だからね、ハーレイ? 裸馬に乗る気分になれないブルーの代わりに、ぼくで良ければ乗ってあげるよ。ああ、勘違いしないでよ? 校内一周の旅じゃなくってホントの本番!」
遠慮しないで乗せてみて、とソルジャーは教頭先生の逞しい腕を掴みました。
「ぼくは鞍なんか使わなくっても裸馬には乗り慣れてるんだ、ホントの意味でね。…鞍なんか無しで乗せてみないかい? もちろんぼくも脱ぐからさ」
そっちの仮眠室で是非一発! と腕にしがみ付かれた教頭先生、ブワッと鼻血を噴きまして…。
「…ほ、本番……」
それはブルーと、と辛うじて言い終えるなりドオッと仰向けに倒れた身体。限界を突破したみたいですけど、裸馬とか本番って……なに?
「うーん…。やっぱり妄想の域を出ないか、こっちのハーレイ…」
今日はいけるかと思ったんだけど、と不満たらたらのソルジャーの頭を会長さんが拳でゴツン。
「なんだかんだで摘み食いする気で出て来ただろう!?」
「えっ? それはまあ…。そういう気持ちもゼロではないかな」
だけど最終目標は高く! とソルジャーは教頭室の天井に向かってブチ上げました。
「こっちのハーレイの夢は騎乗位、そこを叶えてあげないと! しかも最初から騎乗位だなんて素人さんには難しすぎるし、こう、色々と手順を踏んで! でもって見事に乗りこなすんだよ、君がこっちのハーレイを……ね」
「嫌だってば!」
肩車だけで充分なのだ、と会長さんは脹れっ面。
「そもそも本音が騎乗位だなんて、この秋限定かもしれないし! だから肩車でいいんだってば、それでもお釣りが来るレベル!」
「…この秋限定? 常に本気で騎乗位じゃなくて?」
その辺のランチやディナーのコースじゃあるまいし、と目を丸くするソルジャーですけど、会長さんはツンケンと。
「君はハーレイを分かっていないよ、妄想一筋で童貞一直線の寂しい独身男だよ? その時々の妄想加減で夢の本音はどうとでも変わる。たまたま今が騎乗位なだけ!」
「…そうなんだ…。それじゃ明日にはコロッと変わってシックスナインになったりも?」
「するだろうねえ、ハーレイだけに」
だから当分は乗馬とニンジンで苛めればいい、と会長さんは騎乗位とやらを継続する気らしいです。ソルジャーも呆れて物が言えないみたいですけど、騎乗位って実際、何なのでしょう? シックスナインとかヌカズロッパツとか、もう謎だらけ。大人の世界は分かりません~!
馬になりたい・了
※いつもシャングリラ学園を御贔屓下さってありがとうございます。
教頭先生の夢は叶うどころか、別の方向へと向かってしまったみたいですねえ?
肩車とはいえ、生徒会長に乗って貰って嬉しい気持ちはしたでしょうけど…。
9月の更新は第3月曜だと今回から1ヶ月以上空いてしまいますから、月2更新。
次回は 「第1月曜」 9月7日の更新となります、よろしくです~!
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こちらでの場外編、8月はお盆の棚経ですけど、問題はそれに留まらないようで…。
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