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シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。

カテゴリー「シャングリラ学園・番外編」の記事一覧

会長さんが教頭先生とバカップル・デートを繰り広げてから順調に日は過ぎ、新入生のためのエッグハントや親睦ダンスパーティーも終わって普通の日々が始まりました。1年生の授業内容はすっかり覚えた私たちですが、それでも毎日きちんと登校。出席義務の無い特別生も4年目で…。
「かみお~ん♪ 今日もお疲れさま!」
放課後に「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお部屋へ行くのは今年も同じ。これが楽しみで登校しているという話もあります。ジョミー君たちとは休み時間にも話せますけど、やっぱり此処が一番ですよね。
「やあ。グレイブは今日も絶好調だったみたいだね」
ソファで寛いでいた会長さんに微笑みかけられ、キース君が。
「あんたが来るかと思ったんだが…。今年も抜き打ちテストのフォローは無しか?」
「ぼくが出るのは定期試験と年度初めの実力テスト! 抜き打ちテストまで付き合っていたらキリが無い。グレイブだけがやるわけでなし」
「…まあな…」
苦笑いしているキース君。今日はグレイブ先生が抜き打ちテストをやったのでした。点数が悪かった生徒は補習を受けねばなりません。クラスメイトたちは会長さんが来てくれないかと期待していたようですけども、残念ながら救いの神は現れず…。内容からしてクラスの半分は補習を受ける羽目になりそうな予感。
「補習もたまには必要だよ。全面的にぼくに頼るというのは良くないし…。知識のフォローは必要最低限にしておかないと自分で学ぶ力が無くなる」
会長さんの言葉には説得力がありました。「そるじゃぁ・ぶるぅ」の不思議パワーを売りにして1年A組に入り込む会長さんは定期テストで全員に満点を取らせる力を持っています。問題の答えを意識の下に送るわけですけど、同時に実力で解けるようにと知識のフォローもしているわけで。
「そうだな。あんたの力に頼りっぱなしだと来年以降に困るだろうしな…」
キース君が頷き、シロエ君が。
「勉強するにも自分に合った方法とかがありますからねえ…。今の間にコツを掴んでおかなかったら将来色々と苦労しますよ」
「そうだよなあ…」
相槌を打ったのはサム君です。
「俺、この学校に入った時にはブルーと別のクラスだったし、けっこう必死に勉強したぜ。それでも追試の射程圏内に入っちまって、途中からブルーに助けて貰って…。でも勉強をしてた経験は生きてるかな」
「何に? 今じゃ抜き打ちテストも楽勝なのにさ。…サムが勉強って似合わないけど?」
遠慮の無い質問をしたジョミー君に、サム君は。
「いわゆる学校の勉強じゃないぜ? 学校によっては勉強だろうし、キースは勉強したんだろうけど…。ほら、お経って長いし難しいだろ? あれを覚えるのに役に立つんだ」
わわっ、お経の勉強でしたか! サム君は正式に会長さんの弟子になりましたし、将来に向けてお経は必須。そういえばジョミー君だって…。案の定、ジョミー君は真っ青な顔をしています。
「ジョミー、お前も人ごとじゃねえぞ? お盆の棚経にお供するなら覚えないと…」
「パス! ぼくは全面的にパス!!!」
両手で×印を作って騒ぐジョミー君に私たちはお腹を抱えて大笑い。サム君とジョミー君が出家したことはスウェナちゃんが作った記事が広報誌に載った時点でサイオンを持った仲間たちにバレるのですけど、そうなっても果たして逃げ切れるかな?
「ジョミーの往生際の悪さもピカイチだねえ…」
クスクスと笑う会長さん。
「誰かさんを思い出させるよ。もっとも、あっちは逃げるんじゃなくて追いかけてくる方だけど」
「「「???」」」
「ハーレイだってば。何度痛い目に遭っても懲りやしないし、ひたすら前進あるのみ…ってね。バカップル・デートで失敗した後、めり込んでたのはほんの数日! ぼくを追い掛けて三百年以上だし、ジョミーの場合は仏の道から三百年以上逃げ続けたって不思議はないね」
「「「三百年?」」」
何処まで逃げて行くんでしょうか、ジョミー君は? 教頭先生ほどのタフさは無さそうですから、三百年後にはお坊さんになっていそうですけど…。そして本人にもそういう自覚はあるらしく。
「三百年も逃げられるかなぁ? パパもママも怒ると怖いしね…」
広報誌に載ったら「頑張りなさい」と言われそうだ、とガックリ肩を落としています。
「あーあ、お経の勉強かぁ…。やりたくないけど、やっぱりやるしかないのかな?」
「さあね。ハーレイを見習って諦めの悪さを貫いてもいいよ」
ぼくは止めない、と会長さん。ジョミー君の未来は流されるままにお坊さんなのか、逆らい続けて肩書きだけがお坊さんという意味不明な結果に落ち着くのか。三百年後が楽しみなような…?

私たちがワイワイ盛り上がっていると、会長さんが「ところで…」と口調を変えました。
「今週の金曜日は空いてるかな? 授業中じゃなくて放課後だけど」
「「「えっ?」」」
「この時期と言えばアレだよ、アレ。…健康診断の通知が来たんだ」
げげっ。健康診断と言えば毎年恒例のヤツですか? ソルジャーとしての義務だとかいう、エロドクターの診療所に行って受けるヤツ…。
「そう、それ」
会長さんが溜息をついて。
「あれだけは逃げるわけにはいかないからねえ、ジョミーみたいにイヤだと言って済ませられないし。正直、行きたくないんだけれど…通知が来た以上、どうしようもない」
「で、俺たちがボディーガードか?」
キース君が尋ねると会長さんは。
「察しが良くて助かるよ。来てくれるんなら、とっておきのネタを披露してもいい」
「ネタ? なんだ、それは?」
怪訝そうなキース君。私たちにもまるで見当がつきません。エロドクター絡みのネタなんでしょうか?
「違うよ、ノルディのネタじゃない。…それで、付き添いはお願いできるのかな? 来られる人だけでいいんだけれど」
「俺は行くぜ!」
サム君がグッと拳を握り締めています。
「ブルーを一人で行かせるなんて出来ねえよ! 元々用事は入ってないけど、あってもそっちをキャンセルするし!」
「…見捨てるわけにはいかんだろうな…」
危険なことは分かっているし、とキース君が続き、シロエ君たちも賛同しました。男子全員が出掛けるとなれば、スウェナちゃんと私も同行するのが筋でしょう。あまり役には立ちませんけど、監視人が増えればエロドクターも自重するかもしれませんしね。
「悪いね、毎年お願いしちゃって…。金曜日はお礼に御馳走するから泊まりに来てよ」
「かみお~ん♪ ブルーをよろしくね!」
そういうわけで金曜日の放課後は会長さんのお供でエロドクターの診療所に行くことに決定です。ところで、ネタって何だったのかな?

「ああ、ネタね。…これなんだけど」
会長さんが宙に取り出したのは立派な封筒。これって何…?
「ブライダルフェアで写してもらった写真だよ。ハーレイが大事に持っているのをちょっと拝借」
はい、と封筒から引っ張り出された台紙つきの写真は本格的な仕様。表紙の次に薄紙が入り、それをめくると…。
「……すげえ……」
「フォトウェディング並みに凝ってますよね…」
感嘆の声を上げるサム君とシロエ君。去年の春休みに会長さんがホテル・アルテメシアでフォトウェディングを申し込んで遊んでいた後、写真が沢山届きましたが、その時のヤツに負けていません。ウェディングドレスの会長さんはとても綺麗で、この姿を生で見た教頭先生が指輪を贈ったのも無理はなく…。
「その写真よりも、こっちかな。ぼくとハーレイのツーショット」
「「「………」」」
チャペルで写したという二人の姿はどう見ても新婚カップルでした。しかもドレスとタキシードを着替えたものが他に二種類。幸せ一杯な顔の教頭先生、さぞかし結婚への夢が膨らんでいたことでしょう。
「ね、いいだろう、この写真。バカップル・デートで失敗したって写真が残れば幸せらしいね、ハーレイは。毎日眺めてニヤニヤしてるよ。さてと、バレない内に返しておくかな」
写真を封筒に戻した会長さんは瞬間移動で教頭先生の家に送り返して。
「ネタとして形になっているのは現時点ではアレだけだけど、近い将来、もう一つ増える」
「他にも写真を撮ったのか?」
キース君の問いに、会長さんは。
「写真じゃなくって、もっとしっかり形になって残るモノ。ぼくの嫁入り道具だよ」
「「「嫁入り道具!?」」」
会長さんったら今度は何をやらかす気ですか? エロドクターの健康診断を控えて困っているというのに、ストレス発散で悪戯ですか?
「嫁入り道具で思い出さない? ハーレイが夫婦茶碗に憧れてたのが発端じゃないか。片方を叩き割って置いてきたけど、ハーレイは本当に諦めが悪かった。…アレを金継ぎに出したのさ」
「きんつぎ…?」
それって何さ、とジョミー君。私も初めて聞く言葉です。けれどキース君とマツカ君は知っていたようで。
「金継ぎか…。確かにそれなら直せるな」
「ちょっと味わいもありますしね…」
意味が分からない私たちに会長さんが金継ぎについて教えてくれました。割れたお茶碗やお皿の破片を漆でくっつけ、金を塗って仕上げる修復方法のことだとか。
「漆が乾くのに時間がかかるから、出来上がるのは今月末かな? 修理できたら並べて棚に飾る気らしいね、ぼくの分の湯呑みとセットにして」
そう来たか、と教頭先生のタフさに感動を覚える私たち。この様子では会長さんが残していった黒白縞のトランクスも凄いことになっていそうです。見せパンツとは知らない教頭先生、会長さんの生パンツだと固く信じているわけで…。
「うん、それが究極のネタだとも言える」
誰の考えが零れていたのか、会長さんがパチンとウインクをして。
「ぼくが残した黒白縞は大切に箱に仕舞われてるよ。普通の防虫剤だと無粋だと思ったらしくて、ラベンダーのサシェが添えてある。まったく、どんな顔して買いに出掛けたのやら…」
通販にすればいいのにねえ、と会長さんは笑っています。教頭先生はわざわざ専門店でサシェをお買い上げ。黒白縞を保管するのに使う品物は自分の目で確かめて最高の物を、という心意気は天晴れとしか言えません。なのにネタ扱いにされている上、黒白縞も生パンツではなく…。
「いいんだってば、ハーレイだから! それよりも週末のノルディが問題」
セクハラされなきゃいいんだけれど…、と顔を曇らせる会長さん。いっそ教頭先生をボディーガードに…って、それは無理なんでしたっけ。うっかり二人で結託されたら会長さんの危機ですもんねえ…。

そしてやって来た金曜日。お泊まり用の荷物は出掛ける前に会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」が瞬間移動で運んでくれたので、私たちは通学用の鞄だけ持って登校です。キース君も大学を卒業しましたから以前のような辞書やノートパソコンの詰まった大きな鞄はお役御免で…。
「去年までだと、この時期は忙しかったんだがな…」
放課後に「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお部屋へ向かう途中でキース君が呟きました。
「えっと…。大学の講義が始まる頃だっけ?」
そう訊いたのはジョミー君です。
「ああ。俺は登録できる講義は端から登録していた上に、聴講もやっていたから大変だった。あっちの教室からこっちの教室、と駆け回っていたのが懐かしいぜ」
「でもさ、最初の頃しか出てなかった講義も沢山あった筈だよね? ウチの学校で授業を受けてる時間がどんどん長くなっていたもの」
「必要最低限に絞っていたんだ。出席は取らない、内容は自分の著書を読んでいるだけ…、なんて講義も多かったしな。そういう講義はレポートさえ出せば問題ない」
押さえる所さえ押さえておけば…、とキース君は笑っていますが、それでも首席で卒業するには相当努力した筈です。第一、本を読んでいるだけの授業と言っても、自分で読んで理解不能なら出席しないとマズイわけで…。
「そうとも言うな。たかがレポートだが、これが案外難しいんだぞ。教授の持論に反対の立場で書くと容赦なく落とすってケースもあったぜ。要は傾向と対策だ」
「へえ…。やっぱり高校とは違うんだね」
面白いや、とジョミー君が返すと、シロエ君が。
「ジョミー先輩もどうですか? 聴講だけなら登録できると思いますよ」
「イヤだってば! お坊さんに近くなっちゃうだろ!」
お坊さんの大学なんか…、とジョミー君は膨れっ面。会長さんの弟子になっても努力する気は皆無ですから、諦めの悪さで教頭先生と張り合いながら逃げ回るのでしょうか。そんなこんなで漫才のような会話を繰り広げつつ生徒会室に行き、壁の紋章に触れて壁を通り抜けて…。
「かみお~ん♪ いらっしゃい!」
「ごめんね。今日はよろしく頼むよ」
会長さんがペコリと私たちに頭を下げると「そるじゃぁ・ぶるぅ」が早速おやつを運んできます。ボリュームたっぷりのミートパイは明らかにこの後の修羅場を乗り切るための栄養剤というヤツでしょう。夕食は健康診断が終わってからになりますしね。
「お代わりもあるから沢山食べてね! ブルーが栄養つけときなさい、って」
ああ、やっぱり…。でも栄養剤だと分かっていても美味しいものは美味しいです。みんなでパクついていると、会長さんが風呂敷包みを取り出しました。
「これの中身は分かるかな? ぼくも忘れていたんだけれど」
「「「え?」」」
「健康診断の通知が届いたら思い出したんだ。…ほら、ブルーが作ったノルディの人形」
私たちの顔がサーッと青ざめ、キース君が。
「わ、分かったから出さなくていい! 俺も思い出した。確かジルナイトとか言っていたな?」
「うん。ノルディの身体とシンクロさせられる人形だよ」
それはサイオンを伝達しやすいジルナイトという鉱石で作られた人形。元々は会長さんが悪戯で教頭先生の人魚姿の人形を作って遊んでいたのが発端です。エロドクターを封じるのに使えるかも…、と思い付いたまではいいのですけど、本人そっくりに出来ていないと効果が無いため、会長さんは作りたくなくて…。
「あいつが普通の人形を作ってくれていたらマシだったんだが…」
溜息をつくキース君。「あいつ」というのは会長さんのそっくりさんのソルジャーのことで、エロドクターの人形はフルヌードでポージングしているのでした。
「ブルーには言うだけ無駄ってヤツさ。だから普段は存在自体を忘れるように自分に暗示をかけているわけ。…でも、健康診断の時には役に立つから」
「今回も痛覚とシンクロさせたのか?」
「それが一番効果的だろ? で、君にお願いしたいんだけど」
「また俺か…」
いいけどな、とキース君が包みを預かっています。エロドクターが何もしなければ人形の出番は無いのですけど、果たして今日はどうなることやら…。

年に一度の会長さんの健康診断が行われるのはエロドクターの豪邸の隣に建っている診療所。予約の時間に合わせてタクシーに分乗して着くと、扉には『本日休診』の札が。会長さんが行く時はいつもこうです。受付の人もスタッフもおらず、いるのはドクターただ一人。
「…今、ふと思い付いたんだが…」
キース君が扉の前で会長さんを振り返りました。
「なんでドクターは野放しなんだ? 教頭先生の家に一人で行くのは禁止されてると言っていたな? だったらドクターも同じだろう? ゼル先生とかに付き添いを頼めばいいんじゃないか?」
あ。それはそうかもしれません。エロドクターはお医者さんですけど、危険度は教頭先生の比ではない筈。そんな所へ会長さんを一人で健康診断に行かせるだなんて、長老の先生方は何を考えているんだか…。
「ノルディは後発部隊だからだよ。危険視されていなかったんだ」
最初からね、と会長さん。
「だって、ゼルたちから見れば百歳も下の若造だし…。つまり、ぼくから見ても百歳下だとブラウたちも端から思い込んでる。ぼくが相手にするわけもないし、ノルディが熱を上げても無駄だ、って」
「しかし…。現に危険があるわけだろう? 事情が変わったと説明すれば…」
「ぼくが挑発したって事実を告白しないとダメなんだよ? キスマークをつけることが出来たら抱かせてやる、と言ったってことをゼルたちの前で白状しろと? …しかもドジを踏んでその条件を飲む羽目になっただなんて言いたくないね」
ぼくのプライドが許さない、と会長さんは唇を尖らせています。エロドクターの毒牙と自分のプライドを秤にかけたらプライドが勝つというのが凄いですけど、いい加減、白状すればいいのに…。
「それにノルディがブラックリストに入ったりしたら、ぼくだけの問題じゃ済まなくなるんだ」
「「「え?」」」
「サイオンを持つ仲間を専門に診られる医者はノルディしかいない。その医者がセクハラでマークされちゃうと大変なんだよ。今は単なる同性愛者で済んでいるけど、ソルジャーにセクハラしたとか強姦しようとしているとかが表沙汰になったら懲戒免職」
それは絶対に避けないと…、と会長さんは大真面目でした。
「代わりになれる医者が育ってくるまで我慢するしかないわけさ。ぼくが悪戯心を出さなかったら、ノルディも指を咥えて見ているだけで終わっただろうし、ゼルたちは今もそうだと信じてる。…仮に君たちが訴え出たとしても、ぼくは全力で否定するからね」
ノルディを失うわけにはいかない、と言い切った会長さんに、キース君は「分かった」と頷いて。
「あんたが覚悟を決めてるんなら俺たちの出る幕じゃない。セクハラの危機を回避できるよう、地道に努力するまでだ。しかし、あんたも大変なんだな…。自業自得と言えなくもないが、ソルジャーの肩書きは思った以上に重たいらしい」
行くか、とキース君が扉を開いて診療所に足を踏み入れました。サム君が会長さんをガードして続き、その後ろに私たちと「そるじゃぁ・ぶるぅ」がズラズラと。煌々と明かりが灯った待合室に人影は無く、受付もやはり無人です。その奥の診察室から白衣のエロドクターが満面の笑みで現れて…。
「ようこそ。お待ちしておりましたよ。…今年もお供を大勢お連れのようですね」
「ボディーガードと言ってほしいな。健康診断は欠かせないから仕方ないんだ」
「ソルジャーの健康チェックを怠るわけにはまいりませんよ。それでは早速始めましょうか」
あちらで着替えを、と促すドクター。更衣室に向かう会長さんにはサム君がピッタリくっついて行き、その一方でキース君が風呂敷包みを取り出すと。
「…こいつの中身は分かっているな? ブルーにおかしな真似をしてみろ、力一杯ぶん殴る!」
「おやおや、例の人形ですか? 私は暴力には反対ですよ」
「人形を殴っても傷害罪にはならないそうだぞ。法律は呪術の存在を認めていない」
「そうきましたか。お互い平和にいきたいものです」
ブルーに会うのも久しぶりですし…、とエロドクターはニヤニヤしています。去年は会長さんにプロポーズしようと指輪を用意してましたからセクハラは全く無かったのですが、今年は何が起こるのでしょうか…?

検査服に着替えた会長さんが更衣室から出てくると、私たちは揃って診察室へ。まずは問診で、この辺はセクハラの危険はありません。聴診器や血圧計が出てくる辺りからドクターの手つきがアヤシイ感じになる筈ですけど…。あれ…?
「…今年も普通って感じじゃない?」
スウェナちゃんがそう言ったのは私と一緒に待合室へ戻った後。心電図から後は女子は放り出されてしまうのです。そりゃあ…検査服をキッチリ着込んだままでは心電図は取れませんものね。
「んーと…。やっぱり普通に見えた?」
「どう見ても普通のお医者さんだったわよ? 前はもっとベタベタ触って、採血なんかサドじゃないかって思うくらいに痛そうな針の刺し方してたけど…」
去年はそうじゃなかったわよね、とスウェナちゃん。
「また下心があるのかしら? 懲りずにプロポーズしてくるとか?」
「さあ…」
エロドクターの発想が分かるようになったら終わりじゃないか、という言葉が口まで出かかったのをゴクリと飲み込み、待合室で大人しく待っていると。
「お疲れ様でした。一週間後に結果を聞きにいらして下さいね」
「分かってるよ。…着替えてくるから、タクシーを呼んでおいてくれるかな?」
会長さんと男の子たちが診察室から出てきました。キース君が握り締めている風呂敷包みが解かれた形跡はありません。もしかしてエロドクターが改心したとか、そういう素敵なオチだったりして…?
「…さっきブルーがタクシーを呼べと言ってなかったか?」
更衣室へ行った会長さんとサム君が扉を閉めた後で口を開いたのはキース君です。着替えはすぐに済むんですから、タクシーを早く呼ばないと…。けれどドクターは動こうとせずに。
「確かめたいことがありましてね。…ああ、ブルーが戻ってきたようです」
制服に着替えた会長さんが「タクシーは来た?」と尋ねると、エロドクターは。
「まだですよ。それよりも…。先日、不思議なものを見かけました」
「…不思議なもの?」
「ええ。狐に化かされたか、はたまたこの世の終わりが来たかと大いに驚きましたとも。あなたとハーレイが仲良く腕を組んでチャペルに入って行きましたよ。…ホテル・アルテメシアでね」
「「「!!!」」」
エロドクターが何を見たのか、誰もが瞬時に理解しました。会長さんが教頭先生とバカップル・デートをした時のブライダルフェアのスペシャル・コース。チャペルで記念写真を撮りに出掛けていった所を目撃されていたのです。
「はて、私は幻を見たのでしょうか? 医師会の集まりで多少飲んではいましたが…。もしも事情を御存知でしたら、ぜひ説明して頂きたい。平和にお話合いをしたくて今日は控えていたのですよ」
触ったり色々としたい気持ちを抑えてね…、とエロドクター。えっと、平和にお話合いって、何を話そうというんでしょうか? セクハラを我慢してまでお話合い…。ヤバイんじゃあ、と私たちの背中に冷たいものが流れた時。
「…いいねえ、平和にお話合い。ぼくも一緒に説明とやらを聞きたいな」
フワリと紫のマントが揺れて、現れたのはソルジャーでした。
「ブルーの健康診断は面白いから、ちょっと覗き見してたんだけどね。今年のノルディも紳士的だったし、素敵なことがあるんじゃないかと思っていたら…。ブルーとハーレイが腕を組んでチャペルに入って行ったって? それが幻覚ならノルディの頭も末期かな」
クスクスクス…と笑いを漏らすソルジャー。果たしてソルジャーは何処まで知っているのでしょう? バカップル・デートもコッソリ覗き見してそうですけど、このタイミングで来なくても…。でも、エロドクターは嬉しそうに。
「これはこれは…。ようこそいらっしゃいました。お話合いは人数が多いと盛り上がりますしね」
こちらへどうぞ、と待合室のソファを勧めるエロドクター。この二人が組むとロクな結果になりません。そうなる前にお話合いを済ませてサッサと帰ってしまわなきゃ…。
「さて、ブルー。…御説明して頂けますね? 手帳にメモもしておりますし、幻覚ではなかったと思うのですが」
この日でしたね、とエロドクターが読み上げたのはバカップル・デートの日付とブライダルフェアの会場にいた頃の時刻。会長さんはウッと息を飲み、視線を宙に彷徨わせています。エロドクターがお話合いを持ち掛けて来た目的は? 私たち、無事に帰れるのかな…?




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ついにやって来た日曜日。私たちはドキドキしながらアルテメシア公園の正門前に集合しました。ここからだとドリームワールドへの直通バスがありますし、公園自体も立派なデートスポットです。バカップル・デートの提案者の会長さんは私服でキメて御機嫌だったり…。
「もうすぐ約束の時間なんだ。ハーレイは遅れずにやって来るかな?」
「さあな。で、結局ドリームワールドなのか?」
キース君が尋ねた所へ教頭先生の到着です。いつものスーツ姿ではなくて私服ですけど、デートを意識してコーディネートしたのか、上着をきちんと着込んでいるのはナイスかも。会長さんは「やあ」とニッコリ笑って挨拶すると。
「今日はよろしくお願いするよ。あのね、ぼくはドリームワールドに行きたいんだけど…」
「そうか、ドリームワールドか。だが、その前にお茶でもどうだ? ホテル・アルテメシアのラウンジのケーキが美味いそうだぞ」
「え? でも、ハーレイは甘いものは…」
「コーヒーの方も評判らしい。ちゃんと下調べをしてきたんだ。あのホテルはお前も好きだろう?」
教頭先生は会長さんの好みをガッチリ把握済みのようです。会長さんは少し考えていましたが…。
「みんなにも御馳走してくれるんなら、ドリームワールドの前にお茶でもいいかな」
「よし。バスよりもタクシーの方が早いだろう」
太っ腹な教頭先生は私たちにもタクシー代を渡してくれて、会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」を連れてタクシー乗り場へ。なるほど、最初はお茶ですか…。
「お茶ってデートの定番だよね?」
ジョミー君が納得しています。美味しいケーキが食べられるなら私たちも異存はありません。タクシーに乗ってホテルに着くと、日曜日だけあってロビーも賑やか。そんな中で「そるじゃぁ・ぶるぅ」が手を振っていて…。
「かみお~ん♪ こっち、こっち! 席、取っといたよ!」
落ち着いた内装のラウンジの奥が私たちの席。教頭先生はコーヒーを頼み、会長さんと私たちは見本のケーキから幾つか選んで食べ始めました。うん、美味しくて見た目も綺麗! 「そるじゃぁ・ぶるぅ」は特製のチョコレートパフェに舌鼓です。会長さんと教頭先生はデートっぽく並んで座っていたのですが。
「ブルー、ロビーにあった案内を見たか?」
教頭先生の問いに、会長さんが首を傾げて。
「え? 披露宴の会場とかを書いたヤツかな?」
「そうか、見ていなかったのだな。…今日はブライダルフェアをやっているんだ」
ニコニコと微笑んでいる教頭先生。
「せっかくだから見て行かないか? バカップルごっことやらに相応しいかと思って来てみたんだが…」
「ブライダルフェアか…。うん、そういうのもいいかもね」
「決まりだな? 実はスペシャル・コースを予約したんだ。先に受付を済ませてくる」
いそいそと出て行く教頭先生。ブライダルフェアって何なんですか~!?
「知らないかな? 結婚式場の下見を兼ねて色々と楽しめる催しなんだよ。デートに使われることもあるけど、ハーレイにしては上出来だよね」
面白いことになりそうだ、と会長さんの瞳が輝いています。
「ブライダルフェアに行くなら子供はお邪魔! ぶるぅは君たちにお願いしよう」
「「「え?」」」
「バカップルごっこを極めるためには二人きりでないと…。ぶるぅ、ジョミーたちと一緒に待っておいで。終わる頃には連絡するから」
分かったね? と言われた「そるじゃぁ・ぶるぅ」は素直に「うん!」と頷いて。
「バカップルごっこ、楽しんできてね♪」
分かっているのか、いないのか…。やがて戻って来た教頭先生は私たちの分の伝票を持ち、会長さんと語らいながらラウンジを出て行ってしまいました。えっと、私たち、これからいったいどうすれば…?

しばし呆然としていた後で行動したのはキース君です。フロントで貰って来たというブライダルフェアのチラシを眺める私たち。結婚式場の下見やケーキの試食、ドレスの試着もあるみたい。でも…。
「俺たちが入り込むのは場違いだろうな…」
「うん、多分…」
キース君とジョミー君が話している所へ聞こえてきたのは向こうの席の女子大生たちの会話。
「そろそろ行こっか?」
「人数も増えてきた頃よね、きっと。ドレスの試着が楽しみだわ」
「それよりビュッフェとウェディングケーキよ!」
はしゃぎながら席を立った女子大生は五人グループ。男子の姿はありません。
「おい。遊び感覚でも参加できるのか、ブライダルフェアというヤツは?」
キース君が尋ね、シロエ君が。
「会場がガラガラよりかは賑やかな方がいいですしね…。ぼくたちでも参加できるんでしょうか?」
「試してみる価値はあるかもな。だが、料金が…。ん? 入場無料か」
「ウェディングメニューの試食会とスペシャル・コース以外はタダみたいですよ」
チラシをチェックしたシロエ君が答え、「そるじゃぁ・ぶるぅ」が「ぼくも行きたい!」と言い出して…。
「ダメ元で行くか、ここで待つのも退屈だ」
「だよね。このままじゃ、ブルーが戻るまでダラダラ食べてるだけだろうし!」
行ってみようよ、とジョミー君。私たちは揃ってロビーに戻り、ブライダルフェアの受付デスクを探しました。なんだ、けっこう目立つ所じゃないですか!
「それでは七名様とお子様が一名様ですね。会場は五階の広間になります」
どうぞ、と渡された案内状を手に五階へ上がると華やかな生花が飾られていて『ブライダルフェア』の看板が。チャペルの見学なども出来るようですけど、まずは会長さんと教頭先生を探さないと…。
「あれっ、いない?」
キョロキョロしているジョミー君。超絶美形の会長さんと長身の教頭先生は目立つ筈ですが、会場にいるのは明らかに物見遊山な若い女性のグループ多数と何組かの男女のカップルです。会長さんたちは何処なのでしょう? 戸惑っている私たちを他所に「そるじゃぁ・ぶるぅ」はビュッフェに突撃!
「チャペルの方に行ったかもしれん。ウロウロするより此処で待つか」
「そうですね。せっかくですから試食しましょう」
キース君とシロエ君の提案で私たちもビュッフェのコーナーへ。立食ですけど、けっこう色々あるものです。ウェディングケーキも食べられますし、これが無料ならカップル以外のお客さんでも楽しめますよね。と、係員の女性が近付いてきて。
「ドレスの試着は如何ですか? オプションでメイクも出来ますよ」
「え?」
どうしよう、とスウェナちゃんと顔を見合わせていると、キース君が。
「ちょっとお尋ねしたいんですが…。試着とかは別の会場ですか? 先に入った知り合いが見当たらないんです」
「お知り合いの方…ですか? ドレスの試着をお申込みになられました?」
「いえ、スペシャル・コースだと言っていました」
おおっ、流石はキース君! 冴えていますよ、係の人なら詳しいですよね、そういうことは。制服の女性は「それでしたら…」と微笑んで。
「本日はウェディングメニューの試食会もございまして、そちらは有料で別室となっております。スペシャル・コースは試食も試着も個室で三組様限定、プロのカメラマンによる記念撮影などもつきますが」
「「「えぇっ!?」」」
会長さんったら、そんなコースに出掛けて行ってしまったんですか? どおりで見つからない筈です。個室だなんて、私たちには潜り込む隙がありませんよ…。
「おい、どうする?」
係員が立ち去った後でキース君がヒソヒソと。
「さっきの人に終了時間を聞いて何処かで待つか? 男はドレスの試着も出来んし、此処にいても仕方ないだろう」
「ブルーの行き先が分からないしね。…もしかして、ぶるぅは分かるのかな?」
聞いてみようよ、とジョミー君が尋ねてみると。
「えっ、ブルー? んーと…。ドレスを選んでいるみたいだよ? あ、ちょっと待ってね」
思念で会話していたらしい「そるじゃぁ・ぶるぅ」が「ごめんなさい…」とペコリと頭を下げました。
「ブルーが覗き見しないでくれ、って。終わったら連絡するからロビーか何処かで待ってなさい、って」
「「「………」」」
どうやら会長さんはスペシャル・コースを堪能している様子です。私たちは仕方なくブライダルフェアの会場を出て、ホテルの中ではリーズナブルなお値段のカフェレストランに移りました。ここなら飲み物のお代わりも出ますし、長居したって大丈夫でしょう。
「スペシャル・コースというのはコレか…」
詳しいことは書いてないな、とキース君がさっきのチラシを見ています。先着三組様、と書かれたそれは料金の方もゴージャスでした。分かっているのは個室での試食と試着、プロのカメラマンが記念撮影をするということだけ。会長さんと教頭先生、今頃は何をしているのかな…?

バカップルごっこの付き添いを覚悟してきた私たちですが、肝心のバカップルがいないとあって拍子抜けするほど平和な時間が流れました。のんびりお昼ご飯を食べて、コーヒーや紅茶のお代わりをして…。お次はケーキでも頼もうか、と話し合っていると。
『待たせてごめんね。今、終わったから、そこで待ってて』
会長さんの思念が飛び込んできて、それから間もなく会長さんと教頭先生の登場です。
「遅くなってすまん。ここは私が支払っておこう」
「悪いね、ハーレイ。それで、この後なんだけど…。上の階のカフェに個室があるから、そっちでケーキタイムはどうかな?」
どうかな、と言いつつ会長さんには有無を言わさぬ雰囲気が。私たちはゾロゾロとカフェに移動し、奥の個室に案内されてケーキセットを注文しました。教頭先生は今度もやっぱりコーヒーだけです。注文の品が揃った所で会長さんが微笑みながら。
「楽しかったよ、ブライダルフェア。最初にドレスを幾つか選んでさ…。何着でも試せるっていうのがいいよね。それからメイクをしてくれるんだ。ドレスに合わせてメイクも変わるし、なんだか新鮮」
「うむ。メイクの間、待っているのは退屈なものだと話に聞いたがそうでもないな。見ていて飽きない。ブルーだからかもしれないが…」
教頭先生も大いに楽しんできたようでした。しかも…。
「ハーレイもタキシードを色々試着したんだよ。そうだよね?」
「カップルで記念撮影となると、いい加減なものは着られないしな。ブルーのドレスに合わせて選ばないと」
あらら。プロのカメラマンによる記念撮影って、カップルで写すものでしたか! てっきり会長さんのドレス姿だとばかり思っていた私たちには衝撃です。おまけにチャペルで撮影ですって?
「だって、ブライダルフェアだしね? チャペルに映えるドレスかどうかも気になるじゃないか。その場でも一応チェックしたけど、台紙つきの仕上げも頼んだんだ。せっかくだから」
別料金になるんだけれど、と会長さん。でも教頭先生の頬は緩んでいます。花嫁姿の会長さんと一緒にチャペルで写した写真となれば別料金でも嬉しいのでしょう。
「でね、写真撮影の後が試食でさ…。披露宴にどんな料理を出すかを検討するには便利だよね。だいたいの見当はついたし、後は式場の仮予約かな。夏は暑いし、秋はどうかなぁ…って」
「「「仮予約!?」」」
私たちの声が見事に引っくり返りました。仮予約って……式場の仮予約って、なに?
「君たちも来てくれるだろ? ぼくとハーレイの結婚式だよ」
「「「えぇっ!?」」」
「試食の後でハーレイがこれを出してきたんだ。ついつい、その気になっちゃって…。ブライダルフェアでデートをすると結婚を決めるカップルが多いって聞いていたけど、本当なんだね」
ほら、と会長さんが私たちに見せた左手の薬指にはルビーの指輪。私たちが普通の1年生だった頃に教頭先生がプロポーズをして突き返された因縁の指輪なのですが……それを会長さんが嵌めているっていうことは…。
「も、もしかして…」
キース君が震える声で。
「あんた、プロポーズを受けたのか? 結婚する気か!?」
「そのつもりだけど?」
「「「………!!!」」」
あまりの急展開についていけずに、私たちの頭の中は真っ白です。バカップルごっこだと聞いていたのに、いきなり婚約発表ですか? こ、こんな時ってどうすれば…。サム君なんか顔面蒼白になっていますよ~! と、キース君が周囲を見回し、人影が無いのを確認してから。
「赤!」
鋭い叫びで思い出したのは、会長さんが口にしていた魔法の言葉。それを唱えれば教頭先生に隙が出来ると聞きましたっけ。言葉は教えて貰えませんでしたがヒントは『赤』です。キース君が叫んだ言葉に驚いた教頭先生が思い切りドジを踏んでくれれば、婚約の話は御破算とか? …なのに。
「うん、綺麗だよね」
会長さんがウットリとルビーの指輪を眺めました。
「ノルディがブルーにプレゼントしちゃったルビーの指輪も凄かったけど、ぼくはこっちの方が好きかな。婚約指輪はダイヤって人が多いけれども、瞳の色に合わせてあるのも御洒落だろう?」
あぁぁぁぁ。赤は赤でもルビーの赤に話が行ってしまいましたか! 婚約指輪を嵌めた会長さんは幸せそうで、教頭先生も嬉しそうです。バカップルごっこ転じて御婚約。お次は嫁入り道具の夫婦茶碗のお誂えか、と頭を抱える私たちの横で「そるじゃぁ・ぶるぅ」だけが大喜びで…。
「ブルーがお嫁に行くってことは、ハーレイがパパになってくれるの? わーい!」
小さな子供は無邪気でいいな、と私たちは泣きそうでした。サム君は涙を拭って会長さんを祝福しています。大好きな会長さんの幸せのためなら恋をスッパリ諦められるって、とっても男らしいかも…。

ティータイムを終えた会長さんはドリームワールド行きを提案しました。ドリームワールドと言えば絶叫マシーンが人気です。けれど教頭先生は絶叫マシーンが大の苦手で、会長さんがバカップルごっこを思い付いた時点では絶叫マシーンで教頭先生を脱落させる予定だったかと…。
「ブルー、私はドリームワールドは…ちょっと…」
「分かってるよ、苦手だからブライダルフェアに逃げたってことは。…でもさ、ちゃんと付き合ってあげたんだから、ぼくの方にも付き合って」
「……仕方ないな……」
渋々腰を上げる教頭先生に、私たちが見出したのは一縷の希望。会長さんが教頭先生を油断させておいて奈落の底へ突き落す…、という展開は王道です。今回は結婚話という破格のネタが飛び出しただけに、絶叫マシーンで引っ張り回した挙句に「男らしくない」と切り捨てる結末は如何にもありそう。
「諦めるな、サム。まだ希望はある」
キース君が言い、私たちも一発逆転を夢見てドリームワールドへ出発しました。もちろん教頭先生がタクシー代を出してくれたんですけど、いざ着いてみると。
「じゃあ、ぼくはハーレイと観覧車に乗ってくるからね。ぶるぅをよろしく」
「それは可哀想だろう。私はかまわないから一緒に行こう」
「でもさぁ…。あれってカップルで乗るものだろう?」
いいから行こう、と会長さんは私たちに「そるじゃぁ・ぶるぅ」を預けて教頭先生と出掛けてしまいました。小さな子供連れでは私たちも揃って絶叫マシーンに乗るわけにもいかず、留守番組と乗車組とに分かれる羽目に。
「…さっきチラッと見えたんだが…」
留守番組だった私たちの所に戻って来たキース君が向こうの方を指差して。
「教頭先生とブルーがカフェにいたぞ? 俺たちは完全に蚊帳の外だな」
「宙返りの真っ最中に見てたわけ?」
ジョミー君が目を見開くと、キース君は。
「いや、宙返りの後の逆落としだ。見ているつもりはなかったんだが、あの二人は目立つ」
「カフェですか…。ぶるぅまで放って何してるんだか…」
シロエ君が嘆きましたが、バカップルには言うだけ無駄というものです。絶叫マシーンで破談どころか、観覧車にカフェでのティータイム。ドリームワールドまで来ても亀裂が入らない以上、会長さんの婚約と結婚は本決まりと思っていいでしょう。バカップルは終日、二人きりでデートを楽しんで…。
「今日はぶるぅを預かってくれてありがとう。ぶるぅ、一人で帰れるね?」
別れ際の会長さんの言葉に「そるじゃぁ・ぶるぅ」が「えっ?」と瞳を丸くしました。
「ブルー、お出掛け? まだ何処か行くの?」
「ハーレイの家へ結婚式の打ち合わせにね。もう婚約まで済ませたんだし、一人で行っても叱られないだろ?」
「ちょっと待て!」
遮ったのはキース君です。
「ぶるぅを一人で帰らせるのか? 可哀想じゃないか!」
「でも…。打ち合わせだけで済むなら一緒でいいけど、泊まってくるかもしれないし…」
その先は言われなくても分かりました。大人の時間に突入するなら子供は邪魔だというわけです。つい一昨日まで嫁入り道具の予定は未定だなんて言っていたくせに、会長さんは何処まで行ってしまうのでしょう? サム君がズーンとめり込み、私たちが宥めている内に。
「じゃあね、今日は付き添いありがとう。ぶるぅは一人に慣れているから大丈夫だよ。フィシスが泊まりに来ている時には一人だしさ」
バイバイ、と軽く手を振った会長さんは、教頭先生の腕に両腕を絡ませてタクシーに…。走り去るタクシーを見送った私たちはポカンと口を開けていましたが。
「……ブルーのヤツ……。正気なのか?」
信じられない、とキース君が呟き、ジョミー君が。
「ブライダルフェアに行ったってだけで結婚する気になるものなの? そりゃあ、万に一つくらいは可能性もあるって言ってたけれど…」
「バカップルごっこがツボったのかもしれないな。教頭先生も指輪まで用意しておられたし…。だが、それにしても…」
急すぎる、とキース君が呻いた時。
『舞い上がっているのはハーレイだけだよ』
馴染んだ思念が流れてきました。
『敵を欺くにはまず味方から! 君たちが呆れたり祝福したりしてくれたから、ハーレイは完全に騙されてるさ。今から仕上げにかかるんだ。ぶるぅを連れてついておいでよ、ぶるぅ一人でも玄関先から家の中への瞬間移動は出来るしね。後はシールドで隠れればいい』
到着を楽しみにしてるから、と会長さんの思念がクスクス笑っています。そう、これでこそ会長さん! どんな仕上げが知りませんけど、急がなくっちゃ~!

タクシーに分乗して着いた教頭先生の自宅前。私たちは周囲を見回し、誰もいないのを確認してから「そるじゃぁ・ぶるぅ」のサイオンで家の中へと移動しました。シールドで姿を隠して抜き足差し足、声のする方へと歩いて行くと…。
「やっぱり料理は試食したヤツに一品加えるのがいいんじゃないかな? ジョミーたちは食べ盛りだしね」
「そうだな。ぶるぅも子供用のコースは特に必要なさそうだし…」
リビングでは会長さんと教頭先生が披露宴の料理の打ち合わせ中。私たちがリビングの床に腰を下ろして見物していると、会長さんがテーブルの下でVサインを作って寄越します。そんなこととは夢にも知らない教頭先生、打ち合わせが済むと憧れの夫婦茶碗のデザインについて語り合って。
「…お前が一人で来てくれるとは夢のようだ。秋には此処で一緒に暮らせるのだな」
「別に秋まで待たなくっても…。それとも、けじめ? 結婚式も挙げない内から生徒を家に泊めるのはまずい?」
会長さんが教頭先生の手をキュッと握って。
「ぼくもね、その気になるとは全く思っていなかったんだけど…。だから冗談のつもりで言ったんだけど、デート前の約束、覚えてる?」
「約束?」
「ほら、ぼくをモノにしたいんだったら赤いパンツを履いておいで…って言っただろう? お正月明けにプレゼントした勝負パンツの赤トランクス」
その瞬間、私たちの脳裏を掠めていったのは魔法の言葉。ヒントは赤だと聞いてましたが、赤いトランクスのことでしたか! 勝負パンツの名を出されたら、そりゃあ教頭先生だって動揺します。だって、あれは…。
「ねえ、ハーレイ? あれを履いてきて「今日の私は赤パンツだ」って言ってくれたら、ぼくがその気になるかもね…ってプレゼントした時に言ったよね。今日は履いてる? それとも…」
「…も、もちろん…今日は赤パンツだが…。もしかしたら、とは思っていたし…」
しどろもどろな教頭先生。あーあ、あれじゃ赤パンツが泣きますよ! けれど会長さんは「分かった」と微笑んで立ち上がると。
「それじゃ今夜は君の家に泊めて貰おうかな? ぼくの着替えはあるんだろう?」
「き、着替え? お前と私ではサイズが違うし…」
「大丈夫。明日は月曜だから学校に行くし、制服は自分で取り寄せるさ。…そうじゃなくって、君と一晩過ごすための服。…色々揃えてくれてるよね?」
教頭先生はたちまち耳まで真っ赤になったのですけど、会長さんは気にせずに。
「今日まで散々焦らしちゃったし、夕食よりもぼくを食べたいだろう? でも、先にお風呂に入ってきたいな。その間に着替えを揃えておいてよ、君の好みのを着るからさ」
それじゃ、とバスルームに向かう会長さんを見送った後の教頭先生は見ものでした。ウロウロ、ソワソワとリビング中を歩き回って、それから一人で万歳をして二階の寝室へ猛ダッシュです。クローゼットから引っ張り出したのはレースとフリル満載のガウンやシースルーのネグリジェなどなど妄想の副産物の山。
「どれもブルーに似合いそうだが、初めての夜だし清楚なものがいいのだろうか? それとも…」
あれこれと悩む教頭先生を笑いを堪えて見守っていると、会長さんの思念波が。
『ハーレイ、もうすぐ上がるから! ぼくの下着だけ洗って干しておいてくれると嬉しいな』
『そ、そうなのか? 今、そっちへ行く!』
私たちにも届くレベルの思念で叫んだ教頭先生が選び出したのはミントグリーンの清楚なガウンと白いレースの下着でした。それを抱えて階段を駆け下り、脱衣室へと飛び込んでゆきます。
「ブルー、バスタオルの上に置いておくぞ。で、下着だったな?」
「うん。そこに脱いであるだろ、夫婦パンツの片割れが」
「め、夫婦…」
教頭先生の視線は脱衣籠に釘付けでした。無造作に放り込まれた会長さんの衣類の一番上にチョコンと置かれた黒白縞のトランクス。まさか会長さん、本気でコレを履いてきたとか?
『勘違いしないでほしいね、見せパンツだよ。…ふふ、ハーレイもそろそろ限界かな?』
クスクスクス…、と笑う思念は私たちだけに伝わったもの。そうとも知らない教頭先生、破裂しそうな心臓を押さえて黒白縞に手を伸ばしましたが、その瞬間に。
「お待たせ、ハーレイ」
ふわり、と薔薇のボディーソープの香りが漂い、バスルームから湯気を纏った会長さんが現れたからたまりません。黒白縞を引っ掴んだまま、教頭先生は哀れ仰向けに…。ドッターン…!

「やっぱり耐え切れなかったか。赤パンツには百年早いね。…いや、千年か…」
会長さんはしっかり水着を着けていました。更にサイオンでササッと服を着、教頭先生が用意してきたガウンとレースの下着のセンスを思い切り馬鹿にした上で。
「バカップルごっこの締めに相応しい盛大に派手な鼻血だよ、うん。まさに出血大サービスだ。ぶるぅ、ティッシュを詰めといてあげて。それからマジックをくれるかな?」
「お、おい…。何をする気だ?」
私たちを包んでいたシールドが解かれ、心配そうに覗き込むキース君に向かって会長さんは。
「お仕置きだよ。結婚しようって大口を叩いたくせに、未来の花嫁に赤っ恥をかかせるような男にはこうだ」
会長さんの手が教頭先生のベルトを外し、ズボンのジッパーを手早く下ろすと現れたのは赤いトランクス。そのトランクスに黒いマジックでデカデカと書かれた文字は『役立たず』でした。
「一世一代の勝負パンツも、これで一巻の終わり…ってね。ついでにこれも」
左手の薬指から指輪を外した会長さんが宙に取り出したのは一対の夫婦茶碗です。
「はい、フィニッシュ」
キラッと青いサイオンが走り、真っ二つになって床に転がったのは大きい方の湯呑み。
「やっぱり割るならハーレイの分の湯呑みだろ? ぼくの分を割るのは縁起が良くない」
会長さんはルビーの指輪を割れた湯呑みの上に転がし、小さな湯呑みを隣に並べて下に紙片を敷いています。
「夫婦茶碗の請求書だよ。人間国宝のヤツではないけど、ブルーが買ってたヤツより高い。役立たずな旦那の湯呑みは割られて当然! ハーレイは片方だけになった夫婦茶碗の代金を支払わされるわけ」
これがホントの離婚茶碗、と笑い転げる会長さん。教頭先生、勝負パンツはオシャカになるわ、夫婦茶碗は割られてしまうわ、婚約指輪まで返されるとは気の毒な…。
「いいんだってば、バカップルごっこは出来ただろ? それにブライダルフェアで撮った写真はハーレイの家に届くんだ。それで満足しておけばいい。どうせハーレイは懲りやしないし、結婚への夢が膨らむだけさ」
今日はとっても楽しめた、と会長さんは上機嫌でした。
「ハーレイはここに転がしておこう。黒白縞は握らせておくよ、ぼくの生パンツだと信じているから家宝にするかもしれないし」
「気持ち悪いとは思わんのか!?」
キース君の突っ込みに、会長さんは涼しい顔で。
「別に? 黒白縞なんて履いたことないから、どう使われても平気だってば。…それより、今夜は慰労会! みんなをハラハラさせちゃったからお詫びに何か御馳走しよう。ね、ぶるぅ?」
「かみお~ん♪ 家に帰って出前を取ろうね!」
ハーレイがパパになってくれないのは残念だけど、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」。会長さんの結婚騒ぎで一番大きな夢を見たのはパパが欲しい「そるじゃぁ・ぶるぅ」だったのかも…?
「おやすみ、ハーレイ。ぼくの生パンツでいい夢を」
黒白縞を大事にね、と会長さんが教頭先生の耳元で囁き、私たちは青いサイオンに包まれました。会長さんの家へ着いたら慰労会! ハラハラドキドキのバカップル・デート、魔法の言葉の意味も分かって気分スッキリ、大団円で終了です~。

 

 

 

新学期恒例の紅白縞のお届け行列。中庭を抜けて本館に入り、教頭室の重厚な扉の前に立った会長さんは「そるじゃぁ・ぶるぅ」から箱を受け取ると大きく息を吸い込んで。
「失礼します」
軽くノックして扉を開けた会長さんの後ろに私たちも続きました。教頭先生が嬉しそうに微笑んでいます。
「おお、来たか。…遅いから心配していたのだが」
「もう貰えないんじゃないかって? 大丈夫、ちゃんと届けに来てあげたよ。はい、青月印の紅白縞を五枚」
「いつもすまんな。ありがとう」
机の上に置かれた箱を押し頂いている教頭先生。やっぱり手放しで喜んでいます。会長さんったら「喜んでくれるかな?」なんて言ってましたけど、教頭先生が紅白縞を大切にしているのは周知の事実。五枚では足りないからと自分のお金で買い足す品も紅白縞で…。
「ふうん、やっぱり嬉しいわけだ。無いよりはマシっていうんじゃなくて?」
「は?」
会長さんの妙な台詞に怪訝そうな顔の教頭先生。私たちも首を傾げました。無いよりはマシって、どういう意味で言ってるのでしょう?
「紅白縞よりも欲しいものがあるのは知ってるんだよ。バレてないとでも思ってた?」
「な、なんの話だ?」
「白々しい…。これでも知らないと言う気なのかな?」
会長さんが宙に取り出したのは一冊の本。教頭先生がウッと息を飲み、私たちの方は目が点です。淡いピンクの表紙の本には金色の文字で『旅の思い出』と書かれていますが、その下に入ったサブタイトルは『ハーレイ&ブルー』の名前とハートマーク。この装丁はどう見ても…。
「あ、君たちも気が付いた? 例のバカップルの旅のアルバムなんだよ、ハーレイはちゃんと謝礼を貰ったらしいね」
「「「………」」」
ソルジャーは約束を守りましたか! ということは、本の中身はバカップルの写真がてんこ盛り。でも、このアルバムと紅白縞にいったいどんな関係が? 教頭先生、アルバムを既にお持ちだったら、紅白縞よりも欲しいものがあるとは思えませんが…。顔を見合わせる私たちの前で会長さんはアルバムの最後のページを広げました。
「ほら、ここ! この写真がハーレイの夢なわけ」
「「「???」」」
そこに1枚だけ貼られていたのはバカップルの写真ではなく、二つ並んだお揃いの湯呑み。片方は大きくどっしりとして、もう片方は小さめで…。いわゆる夫婦茶碗です。温泉旅行で出掛けたホテルの売店でソルジャーがキャプテンにねだって買わせてましたっけ…。
「ハーレイはねえ、ぼくとセットで夫婦茶碗を持ちたいという妄想が止まらないんだよ。バカップルの写真を堪能した後でこの写真を見ると羨ましくてたまらないらしい。…そうだよね、ハーレイ?」
「う…。そ、そのぅ……なんと言うか、微笑ましいな…と…」
「そりゃあそうかもしれないけどさ、夫婦茶碗なんていうのは一緒に暮らして使わなければ意味ないよ? 君の家に一つ、ぼくの家に一つと分けて持つんじゃ夫婦じゃなくて離婚じゃないか」
「……離婚……」
青ざめている教頭先生。まだ結婚もしていないのに離婚も何もあったものではないんですけど、会長さんに言われてしまうと心にグサッとくるみたいです。会長さんはクスクスと笑い、夫婦茶碗の写真を指差して。
「これは仲良く並んでるけど、分けちゃったらホントに離婚と言うか別居と言うか…。それに夫婦茶碗にこだわらなくても、究極のお揃いがあるだろう?」
「…究極?」
「ああもう、全然分かってないし!」
会長さんは唇を尖らせ、教頭先生にズイと詰め寄りました。
「見ないと分からないのかな? じゃあ…」
「「「!!!」」」
教頭先生のベルトをガシッと掴んだ会長さん。いきなり何をやらかす気ですか?

突然のことに教頭先生は固まってしまい、思考も停止した様子。会長さんは涼しい顔で教頭先生のベルトをカチャカチャと外し、続いてズボンのジッパーを…。
「お、おい!」
声を上げたのはキース君でした。
「それはいったい何の真似だ!?」
「ん? ハーレイは分かっていないようだし、ちょっと自覚して貰おうかと…。ハーレイ? ちゃんと聞こえてる?」
会長さんに頬をピタピタと叩かれ、我に返った教頭先生は耳まで真っ赤になりました。そりゃそうでしょう、片想いして三百年以上の会長さんの手で脱がされかかっているのですから。しかもズボンを…。
「よし、現状は把握したみたいだね。それじゃ聞くけど、このトランクスは何なのかな?」
「お、お前に貰ったヤツなのだが…。今日はお前が来るのが分かっているから、そういう時には取っておきのを…」
「だよね、青月印の紅白縞! で、ぼくもお揃いで履いているわけ。紅白縞じゃなくって黒白縞だけど……せっかくだから確認してみる?」
一歩下がった会長さんは悪戯っぽい笑みを浮かべて。
「君がその手で脱がせられたら黒白縞を御披露しよう。ぼくから脱いであげる気はない」
「……そ、それは……」
「出来ないって? そりゃ無理だろうね、出来るんだったらとっくの昔に体当たりでプロポーズとかをやってそうだし…。そして賢明な判断でもある。君が脱がせにかかった途端にぼくが叫ばないという保証は無いしさ。ここで一声、痴漢と叫べばゼルが走って来るかもねえ?」
言い訳できない状況だよ、と会長さんは楽しそうです。確かにヤバイ光景でした。教頭先生のズボンの前は見事に全開、紅白縞が丸見え状態。そんな教頭先生が会長さんのベルトやジッパーに手を掛けていたら、誰が見たって痴漢行為の真っ最中で…。脂汗を流す教頭先生に向かって、会長さんは。
「こんな目に遭っても分からないかな? 夫婦茶碗よりも凄い究極のお揃いっていうのが何なのかが。いいかい、君のが紅白縞で、ぼくが履いてるのが黒白縞! カップルでペアの下着をオーダーするのが最近人気らしいんだけど…ぼくたちのだってペアパンツだよ?」
「…ペアパンツ…」
鸚鵡返しに口にした教頭先生、鼻血が出そうな顔つきです。頭の中では会長さんが履いているという黒白縞がグルングルンと回っているに違いありません。
「そう、ペアパンツ。…言い換えるなら夫婦パンツってところかな」
「め、夫婦…」
バッとティッシュを握って鼻を押さえる教頭先生。あーあ、またしても切れちゃいましたよ、鼻の血管…。そんなことにはお構いなしに会長さんは自分のベルトに手をやっています。
「夫婦パンツだと思うんだけどねえ、紅白縞と黒白縞。ホントに今日も履いてるんだよ? 想像しただけで鼻血なんかを出されてしまうと、ちょっと見せたくなってきたかな」
「「「!!!」」」
硬直してしまった私たちの中から飛び出したのはキース君。
「させるかぁ!」
叫ぶなり会長さんの腕を掴んでベルトから剥がし、ゼイゼイと肩で息をして。
「…あんたが脱いだらロクなことにならん。ゼル先生を呼ぶ気だったな?」
「おや。ぼくの心が読めるのかい? それは凄いね」
「読めなくってもそのくらい分かる! …教頭先生、今の間に早くズボンを…」
「す、すまん…」
ゴソゴソとズボンを引っ張り上げる教頭先生。ジッパーを閉め、ベルトをきちんと直した所で会長さんがチッと舌打ちを。
「…確認できない夫婦パンツより、いつも見られる夫婦茶碗というわけか…。離婚茶碗になっていいなら付き合ってあげてもいいんだけどさ」
「いや、それは…」
困る、と教頭先生は即答でした。結婚もしない内から離婚されてはシャレになりませんし、夫婦茶碗は諦めたのでしょう。ソルジャーとキャプテンみたいな仲だからこそ持てるんですよね、夫婦茶碗って。教頭先生の場合は夫婦パンツで良しとしておくのがお勧めです。会長さんの黒白縞が大嘘なことに気付かなければ無問題!

夫婦茶碗の夢が無残に砕けた教頭先生に別れを告げて、私たちは「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお部屋に戻ってきました。今回はとっても疲れましたが、新学期恒例の紅白縞は次は二学期まで無いわけで…。
「まったく…。どうなることかと思ったぜ」
キース君がコーヒーを啜りながら愚痴り、コクコク頷く私たち。あそこでゼル先生が呼ばれていたら大惨事です。教頭先生、その場で張り倒されてタコ殴りの刑か、はたまたサイドカーでの爆走か。サイドカーの方だと、後遺症が出たら大変ですしね…。
「後遺症?」
なんだったっけ、と会長さんは綺麗サッパリ忘れていました。おめでたいと言うか、なんと言うか…。溜息をつく私たちを代表する形でキース君が。
「あんた、本気で忘れたのか? そりゃあ…あれから一年も経つし、ソルジャーとしての仕事も色々あるんだろうから忘れても仕方ないのかもしれん。いや、それよりも数の内にも入っていない悪戯だったということか? あの時は真剣に心配していたと思ったが」
「心配? ぼくが? …ちょっと待ってよ、一年前だね? んーと…。ああ、あれか!」
思い出した、と会長さんは手を打って。
「ハーレイがEDになったヤツだろ? そう言えばあったね、そういうのが。ゼルにお仕置きされてサイドカーで爆走したショックで再起不能に…。うん、あの時は大変だった」
「思い出したんならそれでいい。教頭先生はスピードが大の苦手なんだ。いいか、ゼル先生をけしかけるなよ」
「そんなことを言われても…。ハーレイの焦った顔って、見ていて凄く面白いんだよ。でもEDは確かに困るな、治療するのに苦労するしね」
「…まあな…」
疲れ切った顔のキース君。教頭先生のED騒動は一年前のことでした。会長さんにフォトウェディングをしようと誘き出されてホテルにやって来た教頭先生、通報を受けていたゼル先生に罵倒された上にサイドカーでアルテメシア市中引き回しの刑に。その衝撃でEDになり、治療したのが会長さんです。
「EDの原因を取り除くためにデートをしてあげたんだっけ。勝負パンツを履いてスピード克服、絶叫マシーンもドンと来い、ってね。ハーレイにとってはいい思い出じゃないのかなあ」
「だが、教頭先生は今もスピードは苦手なままだぞ。柔道部の連中が誘っても、絶叫マシーンには乗れないからとドリームワールドは断ってらっしゃる」
「勝負パンツの効果は一日限りだったしね。調子に乗られたら困ると思って期限付きにしておいたんだけど、ぼくと一緒でも絶叫マシーンはダメなのかな?」
「知るか! 自分で訊けばいいだろうが」
やってられん、とキース君がコーヒーを呷っています。会長さんは少しの間、考え事をしていましたが…。
「ちょっといいかもしれないね、それ」
「「「は?」」」
「自分で訊くっていうヤツさ。ぼくと一緒なら絶叫マシーンに乗ってくれるのか訊いてみるわけ。でも、それだけじゃイマイチだなぁ…。他に何かこう、オプションと言うか…」
あらら。会長さんったら教頭先生とデートする気になっちゃいましたか? 絶叫マシーンで泡を噴かせて笑い物にするとか、そういう良からぬ考えに…? どうせ私たちもオマケで連れて行かれるのでしょうが、温泉旅行に乱入してきたバカップルよりはマシですよねえ? あれはホントに目の毒でしたし!
「なるほど…」
キラッと光った会長さんの目がこちらに向けられ、クックッと小さな笑いが漏れて。
「バカップルというのがあったね。…あれはハーレイが頑張って指導してたんだっけ。他人にはあれこれ指図できても自分じゃ何も出来ないというのは片手落ちだ。そんなヘタレには実践あるのみ!」
「「「実践?」」」
「うん、実践。バカップルを机上の空論で終わらせないで真面目に取り組んでみればいい。ぼくも遊び感覚でならハーレイの妄想に付き合えるしね」
これはなかなかに面白そうだ、と瞳を輝かせている会長さん。
「だけどデートと言っただけではハーレイも用心していて釣れないだろうし、夫婦茶碗を餌にしてみよう。ぼくとのデートを成功させれば夫婦茶碗をお買い上げ!」
「ちょっと待て! あんた、どういう思考回路をしてるんだ?」
キース君が突っ込みましたが、会長さんはサラッと右から左に聞き流しました。
「デートに行くのはいつにしようか? 今度の日曜、予定は空いてる?」
あぁぁぁぁ。ここまで来たら逃げられません。私たちの日曜日は会長さんに押さえられてしまい、おまけに今夜は…。
「かみお~ん♪ 頑張って御馳走作るからね!」
「ハーレイの家に一人で行くのは禁止されてるって知ってるだろう? 夕食が済んだら、みんなでデートのお誘いに行こう」
会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」は大乗り気でした。御馳走はとっても嬉しいですけど、その後が…。教頭先生をデートに誘おうだなんて、会長さんの発想はサッパリ分からないです~!

会長さんのマンションに瞬間移動で連れて行かれた私たち。夕食は「そるじゃぁ・ぶるぅ」が沢山の餃子を作ってくれて、何種類ものスープで楽しむ餃子鍋でした。豚骨スープや味噌スープなど基本のものからトマトスープまで! 締めのラーメンを入れる頃には誰もが此処に来た目的をすっかり忘れていたんですけど…。
「ぶるぅ、ハーレイの様子はどうかな?」
デザートの杏仁豆腐を掬いながら尋ねる会長さんの姿に私たちの背筋が凍りました。食事を終えたら教頭先生の家までお出掛けでしたっけ…。震え上がる私たちを他所に「そるじゃぁ・ぶるぅ」は。
「えっとね、晩御飯は終わったみたいだよ。お皿を洗って片付けてるし、もう少ししたらテレビの時間じゃないかと思う」
「了解。それじゃこっちも後片付けが済んだら出発しようか」
「オッケー! みんな、杏仁豆腐のお代わりは? いっぱい作ってあるからね♪」
「おかわりっ!」
もうヤケだ、と器を差し出すジョミー君にサム君が続き、キース君たちも。そして杏仁豆腐がすっかり無くなり、「そるじゃぁ・ぶるぅ」がテキパキと後片付けを済ませた所で…。
「出掛けるよ。ハーレイが釣れるように祈ってて。…ぶるぅ!」
「かみお~ん♪」
パァァッと溢れる青いサイオン。私たちはアッと言う間に教頭先生の家のリビングに立っていました。
「な、な……なんだ!?」
ソファに腰掛けていた教頭先生が飛び上がらんばかりに驚いています。その隣には会長さんが贈ったばかりの紅白縞が入った箱。テーブルの上にはバカップルの思い出アルバムが…。
「こんばんは、ハーレイ」
会長さんがニッコリ微笑みかけて。
「そのアルバム、無事に持って帰れたみたいだね。君の家から教頭室まで移動させたのはいいけど、元に戻すのを忘れてた。…ゼルに見つかったら没収だけでは済まないだろう?」
「…謝りに来てくれたのか? 正直、学校を出るまで生きた心地がしなかったぞ」
「ごめん、ごめん。…そのお詫びってわけじゃないけど、今度の日曜日は空いてるかな?」
「日曜日? 今のところ特に予定はないが…」
カレンダーを見る教頭先生。
「暇なんだね? だったら遊びに行かないかい? ぼくと一緒にバカップル!」
「…バカップル…?」
「うん。そのアルバムを見てるだけではつまらないだろ? バカップルごっこをしたいんだったら付き合うよ。ぼくは退屈してるんだ。何か面白いことは無いかなぁ、って」
ね? と会長さんは教頭先生の隣に座ると紅白縞が入った箱をポンと叩いて。
「夫婦パンツよりも夫婦茶碗が欲しいんだろう? バカップルごっこで楽しませてくれたら夫婦茶碗をオーダーしよう」
「オーダーだと? ああいうのは既製品ではないのか?」
教頭先生、早くも釣り餌に食らいついてしまっているようです。バカップルごっことは何かとか、そういうことを問いただす前に夫婦茶碗が気になりますか、そうですか…。会長さんは軽く片眼を瞑ってみせると。
「ぼくは知り合いが多いんだ。その中に陶芸作家がいてさ。気難しくって数も殆ど作らないけど、人間国宝になっている。ぼくの頼みなら夫婦茶碗を作ってくれるよ、その写真なんか目じゃないヤツを」
「し、しかし…。そういう品は高いのでは…」
「夫婦茶碗が欲しくないのかい? ぼくは安物はお断りだな。あっちのハーレイだって思い切り奮発してたじゃないか」
「…並べておけるわけではないしな…」
口籠っている教頭先生に、会長さんはクッと喉を鳴らして。
「ぼくと君とで別々に持つから離婚茶碗になるって話? それなら全く問題ないよ、誂えたヤツは君に預けておくからさ。いずれはぼくの嫁入り道具に…」
「よ、嫁に来てくれる気になったのか!?」
「残念ながら予定は未定。…だけどバカップルが癖になったら考えるかもね。…どうする? バカップルごっこをやってみる?」
会長さんが持ち出した餌は特大でした。人間国宝が作った夫婦茶碗を嫁入り道具にすると言われては、釣れない方がどうかしています。教頭先生はバカップルごっこの意味を深く追求しようともせず、二つ返事で承諾を…。
「決まりだね? じゃあ、日曜日はバカップル・デート! そこの子たちもついて来るけど、外野のことは気にしない! それからねえ…」
耳元で何か囁かれた教頭先生はバッと立ち上がり、ティッシュの箱へと突進しました。せっせと鼻に詰めている後ろ姿に会長さんが「お大事に」と声を掛け、私たちは青いサイオンの中へ。フワリと身体が浮いたかと思うと、もう会長さんの家のリビングです。
「みんな、今日はお疲れ様。日曜日のバカップル・デートもよろしく頼むよ」
上機嫌の会長さんに逆らえる人はいませんでした。新学期早々、とんでもないことに巻き込まれている気がしますけど、今更どうにもなりませんよね…。夜はとっぷり更けています。会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」が瞬間移動で家まで送ると言ってますから、帰り路だけは楽々かな?

翌日からの私たちは毎日戦々恐々でした。シャングリラ学園の年度始めは校内見学やクラブ見学などが続きますから授業は全くありません。特別生には校内見学もクラブ見学も無関係じゃないのかって? クラブ見学の方は柔道部三人組には重要な行事の一つです。
「かみお~ん♪ 今日も実演お疲れさま!」
放課後の「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお部屋にキース君たちがやって来ました。柔道部に入って五年目ともなると、クラブ見学で担当するのは実演部門。顧問の教頭先生相手に色々な技を繰り出してみたり、部員同士で練習したりと忙しくしているみたいです。
「はい、焼きそば! お腹すいてるでしょ?」
絶妙のタイミングで「そるじゃぁ・ぶるぅ」が焼き上げて山盛りにしたのを平らげていくキース君たち。いつ見ても気持ちのいい食べっぷりですが、クラブ見学期間は特にお腹が空くらしく…。
「その様子だと今日もハーレイは絶好調だったみたいだね」
会長さんの問いに頷く三人組。シロエ君がお代わりのお皿を受け取りながら。
「凄いですよ、教頭先生! キース先輩でも歯が立ちません。ぼくなんか何度投げられたことか…。そうですよね?」
「ああ。俺もシロエも普段だったら立て続けに投げられるような無様な真似はしないんだが…。こう、なんと言うか、隙が全く無いと言うのか…。一瞬でも気を抜いたら最後、見事に技をかけられてるな」
二人の言葉にマツカ君が相槌を打っています。教頭先生が絶好調なのは日曜日の予定のせいでしょうか? 会長さんとデートだと思っただけで高揚してきて、柔道の技も冴えているとか?
「決まってるじゃないか。武術は精神状態も大切だから、今のハーレイは無敵状態」
君たちではとても勝てないよ、と会長さんが紅茶のカップを口に運んで。
「でもね、投げられてばかりは嫌だと言うなら反則技が無いわけでもない。…これを言えばハーレイに確実に隙が生じるという魔法の言葉があるけれど?」
「「「魔法の言葉?」」」
反応したのは全員でした。柔道部三人組も興味津々かと思ったのですが、さにあらず。
「俺は反則というのは好かんな」
キース君が言い、シロエ君が。
「魔法の言葉は気になりますけど、使おうって気にはなれませんね。勝負は正々堂々と、です」
「ふうん? だったらコレは要らないか…。ハーレイのためにも封じておこう」
思わせぶりな会長さんの台詞はそこで終わってしまいました。代わりに出てきた話題は私たちが恐れているもので…。
「ところで、バカップルごっこのことだけどね。何処に行ったらいいと思う?」
「「「………」」」
またか、と頭を抱える私たち。万年十八歳未満お断りな精神年齢のせいで、私たちはこの手の話題に疎いのです。流行りのデートスポットを尋ねられても答えられませんし、そういうのって会長さんの方が詳しいに決まっているじゃないですか! なんと言ってもシャングリラ・ジゴロ・ブルーですもの。
「絶叫マシーンは外せないからドリームワールドでいいのかな? でも、ハーレイの頭の中ではドリームワールドは妄想から除外されていそうでねえ…。そんな所でバカップルごっこが出来るのかどうか…」
「だから何度も訊いてるだろうが、俺たちも!」
ついにキース君がキレました。
「あんたはバカップルを楽しみたいのか、バカップルを演じ切れなくて脱落していく教頭先生が見たいというのか、どっちかハッキリしてくれとな! 行き先は目的によって違うだろうが!」
「うーん…。どっちだろう? ぶるぅ、どっちがいいのかな?」
「えっ? んーと、んーと…ブルーはどっちが好きなわけ?」
「小さな子供まで巻き込むな! もういい、尋ねた俺が馬鹿だった…。結局、何も考えていないんだな」
溜息をつくキース君に会長さんは悪びれもせずに「うん」と応じています。
「ハーレイの妄想どおりに突っ走ってみるのも楽しいかなぁ、って思うんだよね。ほら、超のつく奥手じゃないか、ハーレイは。いつも妄想している通りに身体が動くとは限らない。躓いた所で揚げ足を取るのも素敵だろう? 明日は一日イメージトレーニングに燃えるんじゃないかと予想してるんだ」
「そういえばもう明後日だったな、日曜は…」
キース君の言うとおり、バカップルごっこの日は明後日でした。会長さんはロクでもない罠を張り巡らすのかと思ってましたが、ぶっつけ本番で挑む可能性が高そうです。つまり何が起こるのか予測は不可能。
「いいじゃないか、そんなに身構えなくても。バカップルは周りは見えていないし、君たちは好きにすればいい。もしも夫婦茶碗を誂えるような結果になったら、砂でも吐いてくれればいいよ」
「「「え?」」」
「ハーレイには本気を見せるようにと煽っておいた。三百年以上もぼくに惚れているんだ、万に一つくらいは成功する可能性もある。その時は祝福してくれるよね?」
サラリと告げられた言葉にサム君の顔が歪んでいます。ひょっとして公認カップル崩壊の危機が迫ってますか? まさか、まさか…ね…。
「君たちは日曜日に備えて明日はゆっくり休んでおいて。そうそう、さっきの魔法の言葉だけれど…。ヒントは赤さ」
意味の分からないヒントだけを貰って、私たちは解散させられました。教頭先生に隙が生じる魔法の言葉を教わった方が良かったでしょうか? 会長さんが教頭先生と夫婦茶碗を誂えるようなことになったら唱えてチャラにしてしまうとか…?
「なあ…。ブルー、本気じゃないんだよな?」
弱々しく呟くサム君の背中がとても小さく感じられます。夫婦茶碗で教頭先生を釣ったつもりの会長さんが逆に釣られてしまったら…? それだけは無いと思いますけど、魔法の言葉が知りたいです~!



春のお彼岸の最終日をもって正式に僧籍となったジョミー君とサム君。二人は元老寺で春のお彼岸のお手伝いをしていましたから、会長さんが慰安旅行を企画したのに…何故かソルジャーとキャプテンに乱入されてしまい、散々な結果に終わりました。まあ、温泉だけはいいお湯でしたし、河原を掘ると露天風呂が出来るというのも楽しかったのは確かですけど。
そんな春休みが済むと入学式。もう五回目になるんですねえ…。
「おはよう!」
校門の所でジョミー君たちが手を振っています。五回目でもやっぱり記念撮影は欠かせません。『シャングリラ学園入学式』と書かれた看板を囲んで全員集合。それから会場の講堂に行って…。
「諸君、入学おめでとう。私は教頭のウィリアム・ハーレイ」
厳めしい顔で司会を務める教頭先生を見る私たちの頭の中では先日の旅の光景が蘇っていました。教頭先生はキャプテンに色々と指示して、ソルジャーとバカップルになるよう指導係をしていたのです。報酬としてバカップルの旅の記念アルバムを貰えるという約束でしたが…。
『アルバムって結局、どうなったのかな?』
ジョミー君が思念を送って来たのは校長先生の退屈なお話が始まってから。私たちは退屈しのぎとばかりに思念波を使ってヒソヒソと…。普段は思念波は使いませんけど、こういう時には便利ですよね。その程度には使えるようになってきましたよ、私たちも!
『アルバムと言えば例のヤツだな?』
確かに謎だ、とキース君。
『最終的にあいつの機嫌は直ったようだが、帰る時にはアルバムの話は出ていなかったし…。だが、アルテメシア駅で俺たちと別れる前にも教頭先生に記念写真を撮らせていただろう?』
『駅前広場のベンチですよね?』
あのバカップルぶりも大概でした、とシロエ君が溜息をついています。駅前広場は噴水などもある憩いの場ですが、夜になると目立つのがカップルの姿。日が暮れてからアルテメシアに戻って来た私たちの旅の仕上げに、とソルジャーは駅前広場に出掛けて行ってしまったのでした。
『もしもアルバムが貰えなかったら、教頭先生、気の毒だよねえ…』
ジョミー君の思念に、キース君が。
『間違えるな! 気の毒なのは俺たちだぞ? しかも筆頭はお前とサムだ。お前たちの慰安旅行を乗っ取られてしまった結果がアレだ』
『そりゃそうだけどさ…。あっ、慰安旅行で思い出した! スウェナ、あの記事書いちゃったの?』
『とっくに提出しちゃったわよ? 会長さんもそれでいいって言ってくれたし、もう印刷に回ったかもね』
『……嘘……』
ドーン…と落ち込むジョミー君。記事というのはサイオンを持つ仲間内に配る広報誌用にスウェナちゃんが書き上げたもので、ジョミー君とサム君の僧籍登録が写真付きで載るという仕様。素晴らしいお披露目記事ですけども、ジョミー君には嬉しいニュースとは言えないでしょう。
『…あーあ、パパとママにもお坊さんになったってバレちゃうんだ…。きっと頑張りなさいって言われるんだろうな、ブルーの直弟子になったんだもんね…』
ブルーはあれでもソルジャーだし、と泣きが入っているジョミー君の思念でしたが、それをぶった切るような形で流れて来たのは会長さんの思念です。
『居眠るな、仲間たち!』
おおっ、出ました、入学式恒例のお約束。この思念波を受け取った新入生がいれば新しい仲間が誕生するというわけですけど、今年はどうかな? アルトちゃんとrちゃんを最後に校内からは仲間は増えていないんですが…。
『今年も新しい仲間はいないようだよ』
反応が無い、と会長さんの思念が届きました。
『フィシスの占いにもそう出ていたから別にどうでもいいけどね。…というわけで、今年もぶるぅの部屋は君たちの溜まり場になるってことだ。また一年間よろしく頼むよ』
『『『はーい!』』』
元気よく返事してしまった後で気が付きましたが、また一年間、会長さんの悪戯やら気紛れやらに付き合わされるわけですか…。とはいえ、「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお部屋は今やすっかり生活の一部。私たちの溜まり場が存続することを喜ばなくっちゃ!

入学式は土鍋に入った「そるじゃぁ・ぶるぅ」が登場しての三本締めや来賓の方々の挨拶などなど、順調に進行してゆきました。最後に教頭先生が学校生活の心得とクラス発表の掲示場所を話して式は終了。さてと、私たちは今年も1年A組ですよね?
「あった、あった!」
みんな一緒だよ、とジョミー君が講堂の横に貼り出された紙を指差しています。私たち七人グループとアルトちゃん、rちゃんの名前は1年A組にあり、ついでに『担任は見てのお楽しみ』の文字。
「見なくても分かっているんだがな…」
キース君が苦笑し、一緒になって笑う私たち。「担任するとババを引く」と評判の1年A組の担任になると特別手当がつくのでした。それが目当てのグレイブ先生、「気の毒だから代わってあげよう」と申し出たヒルマン先生を丁重にお断りしたのだと会長さんから聞きましたっけ。
「今年の実力テストはどうなるでしょうね?」
目を輝かせるのはシロエ君です。グレイブ先生は入学式の日にクラス全員に実力テストをさせるのですが、会長さんの登場によって全員が満点になってしまうのが毎年のこと。去年は会長さんに試験問題を渡さないという技を繰り出したグレイブ先生、果たして今年はどう出るか…。
「どう転んでも全員のテストを満点にするのがあいつだぜ? でないと1年A組に入れないしな」
グレイブ先生も頑張るだろうが、と腕組みをするキース君。
「ぶるぅの御利益を手土産にして乗り込むあいつと、なんとか阻止したいグレイブ先生の一騎打ちだ。まあ、グレイブ先生に勝ち目は無いと思うがな」
「だよねえ? ブルーに勝てる人っていないよ」
うんうん、とジョミー君が頷いています。向かう所敵無しの会長さんに勝てる人と言ったら先日の旅行に割り込んで来たソルジャーですけど、ソルジャーは学校行事にはノータッチ。当然、グレイブ先生の味方に付くわけがありません。今年の実力テストも会長さんの登場で全員満点になるのでしょう。私たちは賑やかに1年A組の教室に向かい、出席番号順に着席しました。
『『『来た、来た…』』』
カツカツと高い靴音が近付いて来て、ガラリと開いた前の扉。いかにも厳しそうなグレイブ先生を初めて目にするクラスメイトたちが息を詰めるのが分かります。
「諸君、入学おめでとう。私が1年A組の担任、グレイブ・マードックだ。グレイブ先生と呼んでくれたまえ。この学校は少々特殊で、特別生という制度がある」
「「「特別生?」」」
「年を取らない生徒の噂を知っている者もいるだろう。何年経っても同じ学年に在籍するのが特別生だ。1年A組には九人いる」
たちまち起こる大きなざわめき。私たちもちょっとビックリです。例年だったら私たちのことはサラッと流して実力テストな筈なんですけど…。グレイブ先生は「静粛に!」と手を叩いて。
「例年、私は入学式の日に実力テストを行ってきた。しかし毎年、邪魔する輩がいるのでな…。今年はテストの代わりに自己紹介をしてもらう」
「「「自己紹介!?」」」
「持ち時間は一人一分間だ。その間にどれだけ自分をアピールできるか、それを採点することにした。言っておくが、諸君の内申書や面接試験での一問一答は私の頭に入っている。嘘偽りを言えば減点だ。そして私はウケ狙いもあまり好きではない」
出来るだけ真面目にやるように、とグレイブ先生はツイと眼鏡を押し上げて。
「自己紹介が上手くて損をすることは決して無いのだ。将来、必ず役に立つ。就職試験にでも挑むつもりでやりたまえ。不公平にならないように順番は私がランダムに決める」
「「「えぇっ!?」」」
「心の準備をしている時間を与えたのでは話にならん。…とはいえ、トップバッターをまるっきりの新入生にやらせるというのも酷だろう。トップは特別生の一人にやらせよう。その後は本当にランダムだ」
「「「………」」」
特別生の中から…一人。それって誰、と顔を見合わせた私たちを他所にグレイブ先生の声が響きました。
「キース・アニアン! お前がトップだ」
うわぁ…キース君ですか! 大学も首席で卒業できた優秀な頭脳の持ち主ですから妥当な人選ではありますが…一分間で何をしろと? 私なんかは名乗っただけで後は黙り込むという情けない自信があるんですけど~!

キース君を指名したグレイブ先生が教卓の上に広げたものは出席簿ならぬ採点表。内容は私たちには見えませんけど、細かい項目があるようです。恐らくそこにチェックをしていき、その結果を見て点数をつけるつもりでしょう。そして左手にはストップウォッチが。
「自己紹介は長すぎても短すぎても良い点数にはならないからな。三十秒経過したら右手を上げて合図する。残り十秒の時点で二度目の合図だ。一分経ったら三度目の合図だが、話の途中だった場合は最後まで話して終わるように」
分かったな、とクラスを見渡すグレイブ先生。
「ついでに言うと、この自己紹介が実力テストの代わりになる。諸君の能力を見極めさせてもらうというわけだ。良い点数がつかなかった者は個別指導の対象になるから覚悟するように」
「「「個別指導!?」」」
「そうだ。明日の放課後から早速始める。出席番号順に一人ずつ呼び出し、実力テストを受けさせた上で能力を伸ばせるように指導を行う」
げげっ。実力テストを個人的に実施ですって? これは非常にヤバイです。会長さんの長年に渡るフォローのお蔭で今や私も実力テストはドンと来い、な能力を身につけてますけど、新入生のクラスメイトは人によってはボロボロな点を取るでしょう。そうなったら補習? それとも追試?
『まずいよ、これ…』
ジョミー君が思念を送ってきました。
『個人テストだとブルーが割り込む隙が無いよね? 自己紹介だってブルーじゃどうにもならないし…』
『そのようだな。現にあいつの姿が無い』
例年だったらとっくに来ている、とキース君が応じた所でグレイブ先生がカッと踵を打ち合わせて。
「諸君、心の準備は整ったかな? では、自己紹介を始めてもらう。キース・アニアン、立ちたまえ!」
「はいっ!」
キース君が立ち上がり、グレイブ先生が「始めっ!」とストップウォッチを押します。トップバッターに指名されたキース君はスウッと息を吸い込んで…。
「ぼくの名前はキース・アニアン。さっきグレイブ先生から紹介されたとおり特別生だ。この学校には入学してから五年目になる。一年目に一度卒業した時に大学に入り、二足の草鞋で両方の授業を受けていた。その大学も今年の春に卒業したから、これからはシャングリラ学園の授業に専念する」
おおっ、流石はキース君。流れるように淀みなく喋っていますよ! グレイブ先生の右手の合図に合わせるように自己紹介を続け、最後は「一年間、よろしく頼む」とキッチリ締め括って持ち時間終了。凄い、完璧じゃないですか!
「よろしい。まずまず…と言った所か」
ふむ、と採点表をチェックしているグレイブ先生。えぇっ、今ので「まずまず」だなんて、いったい何が悪かったと? クラスメイトたちもキース君自身も怪訝そうな顔をしています。グレイブ先生はフンと鼻で笑って。
「肝心な部分が抜けていたぞ、キース。大学では何を専攻した?」
「えっ…。ぶ、仏教学ですが」
「結構。しかし、それだけではなかったな? 大学へ行った目的と卒業後の進路を話していない。確かにシャングリラ学園の生徒としては不要だろうが、君という人間を語る上では欠かせない要素だと思わないかね? いずれは副住職に就任するのだと聞いているぞ」
「「「副住職!?」」」
クラスメイトの視線がキース君に一気に集中しました。ひいぃっ、キース君、入学式の日から容赦なく坊主バレですか! これが自己紹介というヤツですか…。グレイブ先生はクックッと笑い、ペンで採点表をポンと叩くと。
「そうだ、キースは寺の息子で跡取りだ。去年の暮れに住職になるための資格を取得し、大学も首席で卒業している。私も大いに期待している生徒なのだが、隠し事とは感心せんな。…他の諸君も私のチェックを誤魔化せるとは思わないように」
「「「………」」」
教室の空気が一気に重たくなるのが感じられます。一分間の自己紹介で何処まで語らねばならないのか。カッコよく決めようと美化してみたり、キース君のように隠したりすれば即、減点。その場でグレイブ先生に指摘されたらクラス中に知れ渡って大恥をかくのも、また確実。これって実力テスト以上に最悪かも…?

それから後の自己紹介は実に惨憺たるものでした。名前を名乗っただけで詰まってしまう生徒も多数。かく言う私もその一人です。いえ、辛うじて「特別生です」という一言は付け加えられたんですけども。沈黙した生徒は当然減点、明日からの個別指導の対象で…。あっ、今度はジョミー君が自己紹介をする番みたい。
「ジョミー・マーキス・シン、特別生です。キース・アニアンとは同期で入学しました。正式な入部は認められなかったので練習に参加するだけですが、サッカー部の補欠みたいなものです」
あらら、けっこうやるじゃないですか! ジョミー君、本番に強いタイプでしたか…。キース君に負けず劣らず見事に喋り、締め括りは。
「この春、正式にお坊さんとして登録されました。駆け出しなのでお経も全く読めませんけど、お手柔らかにお願いします」
ペコリと頭を下げたジョミー君が着席するとパチパチパチ…と拍手の音。凄い、ジョミー君、時間も一分ピッタリですよ! 自己紹介の中身も抜けている部分は無さそうですし、これはキース君より高得点かもしれません。と、グレイブ先生が「ほほう…」と感心したように。
「君も出家をしていたのかね。それは全く知らなかったな」
「「「え?」」」
ジョミー君を含めた私たち七人グループの声が重なりました。そ、そういえば…スウェナちゃんが取材をしていた広報誌に載るのが仲間内への正式発表だと会長さんが言っていたような…? ジョミー君、言わなくてもいいことまでを言っちゃいましたか! 自分から坊主バレなんて…。グレイブ先生は採点表に何やら書き込み、ニッと笑うと。
「この私へのアピールが大きければ得点もグンと高くなる。これから自己紹介を始める諸君は心に留めておきたまえ。正直者は得をするのだ。…現時点ではジョミーが最高点だな。備考欄に『坊主』と書き入れておいた」
「そ、そんな…」
真っ青になったジョミー君は必死に訂正を申し出ましたが、グレイブ先生は「事実は事実」とスッパリ切り捨て、次の生徒を指名しただけ。幸か不幸かサム君の自己紹介がまだでしたから、サム君も「出家しました」と宣言したのでジョミー君の道連れは増えましたけど…。
『最高点でも嬉しくないよ…』
なんでこんなことに、とジョミー君が思念波で嘆いています。自己紹介タイム、恐るべし。キース君は坊主バレするわ、ジョミー君は自爆するわで良い点は一つもありません。
『あいつが来ないのも納得出来るな…』
キース君が言う「あいつ」というのは会長さん。フォロー不可能だと気付いた時点で来るのを放棄してしまったか、それとも全てが終わった後で悠然と来て自己紹介か。どちらにしても減点された生徒の救済は難しいかと思われます。今年は1年A組の生徒になるのを諦めるのかな? あ、でも定期試験がありますよねえ…。
『会長の狙いは1年A組でのイベントだけですし、入学式から割り込まなくてもいいわけですよ』
シロエ君が私と同じ考えに至ったようでした。球技大会は中間試験が済んでから。つまり中間試験で1年A組に滑り込んでくれば球技大会に参加出来るのです。うーん、やっぱり逃げられましたか…。私たちが思念波でコソコソやっている間にグレイブ先生は最後の生徒まで自己紹介をさせ終えて…。
「よし。このクラスの諸君がどういうものか、お蔭でしっかり把握できた。今後の参考にさせてもらおう。では、個別指導の対象者の名を今から順に発表する」
ひえぇっ、本気で個別指導と実力テストのコンボですか! 実力テストは気にしませんけど、個別指導はかなり嫌かも…。そんなの受けたら「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお部屋に行けなくなっちゃいますし! きっと行けない時に限ってスペシャルなおやつが出たりするんだ、と泣きそうな気持ちになった時。
「かみお~ん♪」
「こんにちは。初めましてと言うべきかな?」
カラリと前の扉が開いて会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」が入って来ました。もしかしなくても救いの神? この危機を解決してくれるとか…?

「やあ、グレイブ。自己紹介とは考えたねえ、これでは手も足も出ないじゃないか」
スタスタと教卓に近付いていった会長さんがクスッと笑って。
「ぼくも自己紹介をさせてもらうよ、1年A組に混ざるためには必須なんだろ? さてと…」
ざわめいているクラスメイトを右手をスッと上げて黙らせ、会長さんは教卓の横に姿勢よく立つと。
「グレイブ、ストップウォッチなんて無粋なものは御免だよ。ぼくのスピーチは単純明快、言いたいことは一つだけ! 1年A組のみんな、実力テストと個別指導は嫌だよねえ? 嫌だって人は手を挙げて」
「「「………」」」
手を挙げる人はいませんでした。恐怖の自己紹介タイムを食らっただけに、グレイブ先生が怖いのです。会長さんは「なるほどね…」と頷いて。
「みんなグレイブを怖がってるのか。無理もないけど、ぼくが来たからには大丈夫。ぼくの名はブルー。この学校に三百年以上在籍していて、生徒会長をやっている。そしてこっちは…」
「かみお~ん♪ 入学式で会ったでしょ? ぼく、ぶるぅ! そるじゃぁ・ぶるぅでもどっちでもいいよ」
ピョンピョン飛び跳ねる「そるじゃぁ・ぶるぅ」を会長さんがにこやかな笑顔で眺めながら。
「入学式でぶるぅの御利益にあやかる三本締めをやっただろう? 実はぶるぅのパワーはダテじゃない。どんなテストでも満点に出来てしまうのさ。グレイブがやらせた自己紹介だって文句なしの点に変えられる。不思議パワーを引き出すための条件は一つ」
ゴクリと唾を飲むクラスメイトに会長さんはパチンとウインクしました。
「ぼくたちを一年間、クラスメイトにしてくれるなら不思議パワーを約束しよう。お試し見本で自己紹介の点数をパパッと改変しちゃおうかな? ぶるぅ!」
「オッケー!」
サッと右手を上げた「そるじゃぁ・ぶるぅ」がグレイブ先生の持つ採点表に…ペタン! 押されたのは真っ赤な手形です。グレイブ先生が止める暇も無く、採点表には次から次へと手形が押され…。
「ぶるぅの右手で押される手形はパーフェクト! これで全員、合格点の筈だけど? どうだい、グレイブ?」
「…うう…。卑怯だぞ、ブルー!」
「阿漕なことをするからだよ。可哀想に、キースもジョミーも初日から坊主バレしちゃったじゃないか。ぼくが折を見てバラしてやろうと思っていたのに、せっかくの楽しみを奪うなんてさ」
つまらない、と口にする会長さんにジョミー君の顔が引き攣っています。もしも自分でバラさなかったら、どんなシチュエーションで暴露されることになっていたのか考えただけでも背筋が寒くなるのでしょう。それはグレイブ先生にバラされてしまったキース君だって同様で…。
『結局、坊主だとバレる運命だったか…』
『…墓穴を掘ったと思ってたけど、自己紹介の方がまだマシだよね?』
伝わってきた二人の思念に、私たちは溜息をつくだけでした。お坊さん人生に抵抗感がまるで無いのってサム君だけしかいないんですよね…。そして不思議パワーに大感激のクラスメイトは全員一致で会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」を1年A組に迎え入れることに。シャングリラ学園、今年度も波乱の幕開けです~!

「君たちも初日から災難だったね」
会長さんがケロッとした顔でそう言ったのは好奇心の塊のクラスメイトたちから解放された放課後のこと。いつもの「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお部屋には甘い香りが漂っています。満開の桜の花に相応しく、桜の花びらを一面に散らした桜のムースケーキがお皿の上に乗っかっていたり…。
「ブルーにバラされるよりはマシだと思っておくしかないよ」
膨れっ面のジョミー君。会長さんに暴露されるよりマシと言っても、新年度の初日にお坊さんだとカミングアウトをしてしまったのが痛恨の極みみたいです。
「お前は坊主だとバレただけだが、俺なんか坊主のプロフェッショナルだと思われてるぞ? 副住職なんて渾名がついたら立ち直れないな」
「それだけはないさ」
大丈夫、と太鼓判を押す会長さん。
「君が大学を首席で卒業したことまでセットでバレているからねえ…。大先輩に失礼な真似をするような生徒はいないよ、このシャングリラ学園には。君より年上の特別生だと分からないけど…。そういえばグレイブは数学同好会の顧問だったっけ」
「………。パスカル先輩たちに副住職と呼ばれるのか?」
「呼ばないだろうと思うけど? なんだか偉そうに聞こえちゃうから、どっちが先輩で後輩なんだか…」
だけど陰では呼ぶかもね、と会長さんは笑っています。キース君は頭を抱え、ジョミー君が「ぼくの方がマシな状況だよね」と妙な所から立ち直りを見せ……今日もシャングリラ学園は平和でした。そう、あの箱が出てくるまでは…。えっ、あの箱って何なのかって? 新学期と言えばアレですよ!
「ぶるぅ、そろそろ用意をしてくれるかな?」
会長さんが声をかけると「そるじゃぁ・ぶるぅ」が奥の部屋から平たい箱を運んで来ました。嫌と言うほど見覚えのあるデパートの包装紙とリボンに包まれたそれは普段は忘れ去られているモノ。会長さんはテーブルに置かれた箱を軽く叩いて極上の笑みを浮かべると。
「新学期には青月印の紅白縞! ハーレイが教頭室で待ちくたびれてる。みんなで届けに行かないとね」
「…行かないという選択肢は無いのか?」
キース君の言葉を会長さんは綺麗に無視してソファから立ち上がり、箱を「そるじゃぁ・ぶるぅ」に持たせています。
「ぶるぅが持つのがやっぱり一番可愛いね。…それともキースが持ってみるかい?」
「い、いや、俺は…」
「遠慮しとくって? まあ、ハーレイもキースが持って届けに来たんじゃガッカリだろうし、君たちはお供についてればいいよ。ハーレイ、喜んでくれるかな?」
楽しみだよね、と足取りも軽く部屋を出てゆく会長さんに私たちも続くしかありませんでした。嬉しそうにスキップしている「そるじゃぁ・ぶるぅ」を先頭にして、新学期の恒例行事となってしまったトランクスのお届け行列、出発です~。
「…喜んでくれるかな、って言わなくてもさ…」
ジョミー君がブツブツ呟き、キース君が。
「いつも楽しみにしておられるんだし、教頭先生は首を長くしてお待ちだよな」
「だよねえ? 何を分かり切ったことを言ってるんだろ、ブルーったら…」
それにしたって紅白縞は凄いセンスだと思うけど、と呻くジョミー君に私たちも全面的に賛成でした。教頭先生と紅白縞は切っても切れない仲ですけども、もう少しなんとかならないでしょうか? でも考えるだけ無駄だと言うのも分かっています。今も昔も紅白縞。この先もきっと紅白縞…。



シャングリラ号で宇宙に行っていた会長さんが戻って来たのはお彼岸が終わった翌日でした。けれどその日には会うことは出来ず、ジョミー君たちの慰安旅行の日程と持ち物が書かれた紙が届いただけ。瞬間移動でポストに放り込んだみたいです。そっか、水着が要る温泉かぁ…。何処なんだろう、とスウェナちゃんたちと意見交換をしてみたものの。
(まあいいや。駅まで行ったら分かることだし!)
ソルジャーのことは見ないふり、という合言葉だか標語だかを掲げた私たちは旅立つ日の朝、旅行用の荷物を持ってアルテメシア駅の改札前に集合しました。会長さんたちはまだ来ていません。
「あのさあ…。ちょっと聞きたいんだけど」
ジョミー君が声を掛けた相手はスウェナちゃん。
「元老寺で撮ってた写真はどうなるわけ? 広報誌がどうとかって言ってなかった?」
「ああ、あれ? 載せてもらえるみたいなのよ。会長さんからメールが来てたわ。記事もよろしくお願いするよ、って」
「ちょっ…。それって!」
マズイ、とジョミー君が青ざめた所へ会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」の登場です。
「かみお~ん♪」
「やあ、おはよう。ジョミーは何がマズイんだって?」
会長さんがニッコリ笑って。
「お蔭様で訓練の方は無事に済んだよ。サムとジョミーも僧籍として登録したと璃慕恩院から連絡が来てた。スウェナが素敵な写真を撮ってくれたようだし、これはニュースにしなくっちゃ! 広報誌の編集部は新鮮なネタに飢えてるからねえ」
「…それってウチにも届くわけ?」
不安そうなジョミー君に、会長さんは。
「基本的には一般配布はしないんだけど、記事になった人の家には届くよ。良かったね、御両親にも報告できて」
「良くないよ! 頑張れって言われたりしたら立ち直れないし…」
どうしよう、と嘆くジョミー君とは対照的にサム君はとても嬉しそう。会長さんの直弟子としてお披露目されるのが誇らしいに違いありません。公認カップルの件は仲間内だけの話ですけど、直弟子ともなれば別格ですし…。さて、この二人はどうなるのでしょう? 立派なお坊さんになれるかな?
「なんだ、朝から賑やかだな」
元気そうで何よりだ、と現れたのは教頭先生。ピッタリ時間どおりです。…ということは、もうそろそろ…。
「おはよう。今日はお世話になるよ」
「おはようございます。よろしくお願いいたします」
ソルジャーとキャプテンがやって来ました。キャプテンが教頭先生に改めてお辞儀しているのを見て思い出しましたが、こちらも師匠と弟子でしたっけ。そして早速…。
「ブルー、荷物は私が持ちます」
キャプテンがソルジャーの旅行鞄を預かり、ソルジャーが。
「なるほど、指導が入ったか。こういう調子でビシバシ頼むよ」
視線の先では教頭先生が「分かりました」と頷いています。それからソルジャーはキャプテンの方を振り向き、厳しい口調で。
「婚前旅行で荷物を持つのは当然だったみたいだねえ? 改札に来るまでかなり歩いたけど、ぼくに荷物を持たせてたってことは減点対象。何点引いたらいいと思う?」
「そ、それは…」
「まあいい、旅はこれからだから今のはオマケしておこう。えっと、採点係の方は…」
ニヤリと笑ったソルジャーに、私たちは慌てて首を左右に振りました。巻き込まれてはたまったものではありません。ソルジャーは「仕方ないなぁ…」と苦笑して。
「そんなことじゃないかと思ってたから、採点表はぼくが持ってる。○×△の三択式になっているんだ。当てはまると思ったヤツに挙手してくれれば自分で書くよ。点数の配分もぼくが決めるし」
「「「………」」」
それはキャプテンに不利なんじゃあ…。けれど迂闊なことを言ったら採点表を自分で書けと言われそうです。キャプテンには申し訳ないですけど、そこまでフォローは出来ません~!

会長さんが配ってくれた切符の駅名は前に行った温泉とは違いました。宿までは駅からマイクロバスで山道を入って行くのだそうで、いわゆる秘湯というヤツかも? キース君とマツカ君は心当たりがあるようです。
「なるほど、あそこなら労働というのも頷けるな」
「キースは行ったことがあるんですか?」
「まさか。俺の家は寺なんだぞ? 家族旅行なんて余程でないと…。予約を入れておいても葬式が入ったら即キャンセルだし、旅行中に枕経を頼まれたりしたら大変だからな」
「「「枕経?」」」
それってアレかな、人が亡くなったらお願いするというお経かな? お通夜より前に…。
「何度か説明してないか? 檀家さんに不幸があったら、すぐ駆け付けてお経を上げると決まっている。それが枕経だ。坊主が留守では話にならん。…家族旅行は子供の頃に数回行っただけだな」
その時はお手伝いのお坊さんを呼んだみたいです。キース君が成長してからは、そういう機会も無くなって…。なんだか可哀想になってきました。お寺で暮らすって大変なんだぁ…。
「ぼくだって日々、大変だけど?」
割り込んで来たのはソルジャーでした。
「旅行に行けないだけじゃなくって、いつ枕経を読んで貰う方の立場になるやら…。だから生きてる間に楽しまないとね? そのためにハーレイを連れて…。んっ…」
「「「!!!」」」
目が点になる私たち。ソルジャーはキャプテンに抱き竦められ、情熱的なキスをされていました。ここは電車の中なんですけど……貸切車両にはなってますけど、また大胆な…。目のやり場に困って教頭先生の方を見ると、広げた新聞の影で頬を赤らめながらチラチラ様子を窺っています。これも指導をしたんでしょうか?
「…ふふ、上出来」
唇が離れた後、ソルジャーが満足そうに一枚の紙を取り出して。
「キスで現実を忘れさせるというのは考えたねえ? ぼくのハーレイでも思い付きはするけど、人目があるような場所ではちょっと…。今の指導は素晴らしかったよ。ありがとう、ハーレイ」
「い、いえ…」
新聞で顔を隠してしまった教頭先生。キャプテンも赤くなって自分の席へと戻ってゆきます。その席はソルジャーと隣同士ですから、この先はきっとバカップルとしてイチャイチャと…。
「もちろんさ。こっちのハーレイの指導があればバッチリだよ。…ところで、さっきのキスだけど…。君たちはどう評価する? ○かな、×かな、それとも△? これだってヤツに手を挙げて」
ソルジャーが読み上げ、私たちは全員一致で○でした。「そるじゃぁ・ぶるぅ」も元気に右手を挙げています。小さな子供に分かるかどうかは謎ですけれど、ゲーム感覚で参加したいのなら構わないかな?
「いきなり○で埋まったか…。幸先がいいと言うべきだよねえ、素敵な旅になりそうだ」
じゃあね、とキャプテンの隣に戻って行ったソルジャーは採点表を見せ、それから再び熱いキス。
「…どこから見てもバカップルだな」
キース君が溜息をつくと、会長さんが。
「あれがハーレイの夢だと思うと頭痛がするよ。でもブルーには逆らえないから放っておこう。…ハーレイは指導係で満足しているみたいだしさ。新聞の影でスパイ気取りだ」
雑誌だと隠れられないし…、とクスクス笑う会長さん。電車は順調に走っていました。駅弁を広げる時間になると、ソルジャーとキャプテンはお箸で摘んだお弁当の中身を「あ~ん」と相手の口の中へと…。
「…砂を吐いてもいいと思うか?」
キース君が呻き声を上げ、シロエ君が「ザーッ」と効果音を。
「吐いときました。キース先輩、見ないふりをするしかないですよ」
「そうだな、相手はバカップルだしな」
「ぼくとハーレイそっくりのね…」
頭が痛い、と泣きが入っている会長さん。ジョミー君とサム君の慰労会になる筈だった旅行は完全にソルジャーの私物と化していました。どんな温泉に行くのか知りませんけど、そこでも絶対バカップル…。

電車を降りたのは山合いの小さな駅でした。ソルジャーがキャプテンに持たせた荷物の中から取り出したのはカメラです。
「シャッターお願い出来るかな? あの辺りなんか良さそうだけど」
ね? とソルジャーが指差す先にはベンチがあって、そこに座れば駅舎が綺麗に収まりそう。でも誰がシャッターを切るんでしょうか? ベンチに座るのはバカップルに決まっているのに…。
「いいですよ。お撮りしましょう」
教頭先生が気のいい笑顔で進み出ました。そっか、この程度ならヘタレな教頭先生でも写せますよね。でもってソルジャーに焼き増して貰って宝物に…。ソルジャーとキャプテンがベンチに腰掛け、仲良く寄り添い合った所でシャッターがパシャリ。
「ありがとう。…うん、いい感じだよね」
写真を確認したソルジャーは教頭先生に微笑みかけて。
「こんな調子で写真を撮ろうと思うんだ。もちろんアルバムに仕立ててプレゼントするから楽しみにしてて。…さっきのハーレイのポーズも良かった」
的確な指導に感謝する、と言うソルジャーによると、キャプテンは人前でイチャつくのに慣れていないそうです。電車は貸切でしたけれども、駅の前にはそれなりに人がいるわけで…。それでもカップルらしい写真が撮れたのは教頭先生がポーズを指示したお蔭。
「素晴らしい師匠がついててくれて嬉しいよ。この先も採点表に○ばかり並ぶといいんだけどなあ。…で、ここからはどうするって?」
「…あそこのマイクロバスに乗るんだよ」
会長さんが素っ気なく告げ、スタスタとバスの方へと歩いて行きます。教頭先生が荷物を持とうと申し出ましたが、思い切り冷たく断られました。
「間違えないで欲しいね、ハーレイ。…婚前旅行をやっているのはぼくじゃない。ぼくを気遣う暇があったら、あっちの二人をフォローして。ブルーがキレたら大惨事だよ?」
「う、うむ…。分かっている」
残念そうな教頭先生。私たちはマイクロバスに乗り込み、ソルジャーとキャプテンは二人掛けのシートでベタベタと…。あれが教頭先生の夢かと思うと、なんだか色々複雑です。その教頭先生の視線はキッチリ窓の方。恐らく窓ガラスに映るバカップルの様子を逐一チェックしているのでしょう。景色を見ないなんて勿体ないなぁ…。
「かみお~ん♪ あそこだよ!」
一番前に陣取っていた「そるじゃぁ・ぶるぅ」が歓声を上げ、辿り着いたのは川沿いに建つ立派なホテル。こんな田舎には似つかわしくない佇まいです。これは秘湯と言わないかな? 山奥とはいえ、他にも小さなホテルや旅館がありますし…。
「ちょっと変わった温泉…って、何処が?」
バスから降りたジョミー君が周囲をキョロキョロ見ています。確かに山奥にしては高級すぎるホテルですけど、それだけで変わっているとは言いませんよねえ?
「すぐに分かるさ。水着が要るって言っただろう?」
会長さんが先に立ってホテルに入り、チェックインをしている間に私たちはロビーを観察。あれっ、フロントの壁のあの張り紙はなんでしょう?
「…スコップあります…?」
張り紙を読み上げて首を傾げたのはシロエ君でした。
「ご宿泊のお客様に限り、とも書いてあるようですね。そういえば会長が労働がどうのこうのって…。あれと関係あるんでしょうか?」
「スコップだもんねえ…」
労働っぽいよ、とジョミー君が応じた所へボーイさんがやって来てお部屋の方へ。わあっ、お部屋も広くて素敵! んーと…ソルジャーとキャプテンのお部屋はダブルベッドだったりするのかなあ?
『それ以外にどうしろと? あの二人をさ』
会長さんの思念が届いて、私たちは会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」が泊まるお部屋に集まりました。続き部屋と和室がついた特別室ですが、ソルジャーとキャプテンのお部屋はもっと広いそうで…。
「ブルー、宿は及第点だろう? 後はハーレイの指導で頑張るんだね」
会長さんの言葉に、ソルジャーは大きく頷いて。
「うん、あのベッドなら楽しめそうだ。でもその前に温泉に入っておきたいな。水着が要るっていうのが不思議だけども…。温泉ってお風呂じゃないのかい?」
「ホテルの大浴場は水着無しでも入れるよ。でなきゃお風呂の意味が無いしね。…水着が要るのは別の温泉」
「露店風呂…のことではないよね?」
「違うんだな。…誰か入っていれば一発で分かることなんだけど、生憎誰もいないようだ。温泉に行きたい人は水着を持ってロビーに集合! 行く人は?」
全員が手を挙げました。ロビーといえば例の張り紙があった場所です。スコップは温泉と何か関係あるのかな? とにかく水着を取ってこなくちゃ!

スウェナちゃんと一緒にエレベーターでロビーに降りると、そこには既に先客が。奥まったソファをバカップルが占拠しています。えっと、キャプテン、人前でイチャイチャするのは慣れていないと聞きましたが? 観葉植物の影だとはいえ、ロビーは公共のスペースですが…?
「あれもハーレイの夢らしいんだよ」
恨みがましい声が聞こえて、会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」がやって来ました。
「ハーレイときたら、新婚たるもの所かまわずイチャつくものだと頭から思い込んでいるらしい。ハーレイと結婚したらああなるのかと想像しただけで寒気がするね」
絶対に嫌だ、と会長さん。その視線を追うと売店の中に教頭先生の姿があります。なるほど、あそこからキャプテンに指示を出していましたか…。ソルジャーが怒鳴り込んでこない所を見ると、現時点では教頭先生の夢はお気に召しているみたいです。ソルジャーの趣味もよく分からなくなってきました。バカップルねえ…。
「とりあえず全員揃ったらバカップルを回収しよう。ホテルの人にも御迷惑だし」
会長さんがブツブツ言っている所へジョミー君たちが揃い、バカップルへの伝令役には「そるじゃぁ・ぶるぅ」がトコトコ走って行きました。何も知らない子供ですからバカップルの邪魔をするくらいは朝飯前です。ソルジャーとキャプテンが出てくると、教頭先生も売店からロビーへ。
「かみお~ん♪ 呼んできたよ! 次はスコップ?」
「そうだね。一人一つにしとけばいいかな?」
「オッケー!」
お願いしまぁ~す! とフロントに駆けてゆく「そるじゃぁ・ぶるぅ」。やっぱり温泉にスコップでしたか! そして本当にフロントの奥からスコップが運ばれてきたのです。砂遊びに使うようなオモチャではなく、どう見ても本格的な土木作業用のスコップが…。
「はい、一つずつ持って。ああ、女の子はハーレイに持たせていいからね。ブルーは、と…。なんだ、もうハーレイの指示が出た後か」
苦々しい顔の会長さんの隣でキャプテンがスコップを二つ受け取っています。それにしてもスコップで何をしろと? 首を捻る私たちに向かってキース君が。
「これで温泉を掘るんだと思うぞ。…そうだな、マツカ?」
「ええ、多分。ぼくも来たことはありませんから、想像の域を出ませんけれど…」
「「「掘る!?」」」
それって温泉を掘削するってことですか? そんな無茶なこと言われても…。何メートル掘れと言うんですか~!
「大丈夫だよ。自分の好みで掘ればいいから」
会長さんがパチンとウインクしました。
「この温泉はね、其処の河原からもお湯が出るんだ。好きな場所を掘れば温泉が湧く。自分専用の露天風呂を掘って、ゆっくり浸かって楽しむわけ。ただ、周りから丸見えだろ? それで水着が必要なのさ」
なんと! そんな労働なら大歓迎です。私たちはワイワイ賑やかに騒ぎながら専用の通路で河原まで降り、宿泊客用の更衣室で水着に着替えて…。わっ、河原へ出ると風が冷たい?
「掘り終わるまで上着は着ていた方がいいよ? 水着の季節には早すぎるしね。でも…」
バカップルは熱々だから平気かな、と会長さんが示した先ではキャプテンが河原を掘っていました。真っ赤な六尺褌を締めてますけど、キャプテンって六尺褌は駄目だったんじゃあ? ソルジャーの手作りの黒猫褌が精一杯だったと聞かされたような…?
「更衣室でハーレイが教えたんだよ、六尺褌の締め方をさ。それでブルーが喜んじゃって…。褌を締めたくらいでヘタレは直らないのにねえ?」
バカバカしい、と呆れ果てている会長さん。けれどソルジャーは河原にチョコンと座って嬉々とした表情でキャプテンの穴掘りを眺めています。二人とも上着は羽織っていません。
「ほら、バカップルはいいから上着、上着! 風邪を引いたらシャレにならない」
私たちは上着を取りに戻って、それからスコップでマイ露天風呂! バカップルは二人で一つのお風呂に浸かって教頭先生に写真を撮らせています。そんなバカップルさえ気にしなければ河原のお風呂は格別でした。みんなで入れる大きなお風呂を掘り上げた時の達成感はもう最高! ジョミー君たちの慰安旅行に感謝です~。

河原の温泉を堪能してからホテルに戻ると、ソルジャーが採点表を持ち出しました。キャプテンの褌の締め方をどう思うか、というわけです。二人で入れる穴を掘っても緩まなかった褌ですから、これは間違いなく○でしょう! ソルジャーは満足そうに頷き、キャプテンの方を振り返って。
「バッチリだってさ、その褌! 今夜はサービスして貰わないと…。駅弁の代金はぼくが払ったし、ぼくが立て替えた費用の分は頑張って返す約束だよねえ?」
「「「???」」」
いったい何の話でしょう? その時は聞き流していたのですけど、それから大浴場に行って、貸切のお座敷で豪華な夕食を食べて…。もちろん夕食の席でもバカップルは健在でした。お互いに「あ~ん」とやっているのを教頭先生が撮影していたり…。
ソルジャーの台詞の謎が解けたのは夕食を終えて解散してから行った売店でのこと。家へのお土産に何を買おうかと皆で出掛けたら、バカップルが先に来ていたのです。
「やっぱりさ、夫婦茶碗は旅の記念に買わないと!」
浴衣のソルジャーが指差しているのは名物の焼き物の湯呑みのセット。たかが湯呑みと侮るなかれ、お値段はとてもゴージャスです。そうは言ってもソルジャーは日頃エロドクターから沢山お小遣いを貰っていますし、大打撃と言うほどの値段でもなく…。さっさと買って立ち去ってくれ、と私たちは思ったのですが。
「しかし…。この値段はちょっと高すぎませんか?」
あっちの方が、とキャプテンが安い湯呑みを眺めているのをソルジャーが肘でドンとつついて。
「指導役が留守にしてると一気にヘタレてしまうわけ? 欲しいと言われたら普通はポンと買うものだろう!」
「ですが、私の財布の中身はあなたからお借りしたもので…」
「使った金額に見合うサービスをすればオッケーだって言ったけど? それとも自信が無くなった? この値段分のサービスとなるとヌカロクになってしまうもんねえ」
「「「!!!」」」
どういう約束を交わしてきたのか、やっと答えが分かりました。ヌカロクの意味は今も不明のままですけれど、要は大人の時間の中身。ソルジャーに借りたお金を使うと、キャプテンは文字通り身体で返すしかないらしいのです。気の毒すぎる、と私たちが顔を見合わせた所へ教頭先生が入って来て…。
「ありがとう、ハーレイ。二人で大事に使おうね」
愛してるよ、とソルジャーがキャプテンの首に抱き付いています。お高い夫婦茶碗をお買い上げの上、周囲を気にしないバカップル再び。教頭先生の指導があったのは明らかでした。教頭先生、ソルジャーがキャプテンと交わした約束をきっと御存知ないのでしょう。旅は一泊二日ですけど、今晩、無事に済むのかな?

教頭先生のバカップル指導は売店までで終わったようです。大人の時間は教頭先生が下手に口を出すよりもキャプテンの自主性に任せた方が楽しめそうだ、とソルジャーが判断したらしく…。
「すまんな、おかしな旅になってしまって」
教頭先生が私たちに謝ったのは会長さんのお部屋の和室。売店で買ってきたお菓子を差し入れてくれた上に平謝りですが、会長さんは冷たい口調で。
「全部ブルーの希望だってことは知っているから、その件に関しては諦めてるさ。でもねえ…。君の素晴らしい指導を見てると、ますます結婚する気が失せる。ぼくはバカップルにはなりたくないから」
「お前が嫌なら何も要求したりはしないぞ。お前の意思は尊重したいし」
「本当に? 外では絶対腕を組まないとか、手を握らないとか、ちゃんと神仏に誓えるかい?」
「…うっ…」
それは難しいかもしれん、と教頭先生が額に脂汗を浮かべた時。
『ハーレイの馬鹿ーっ!!!』
凄まじい思念波が部屋を貫き、私たちは咄嗟に耳を押さえました。思念の主はソルジャーです。「ハーレイの馬鹿」って一体、何事? 夫婦喧嘩でも始まりましたか? バカップル転じて離婚の危機…?
「ど、どうしよう…。見に行った方がいいのかな?」
会長さんが私たちを見回し、キース君が。
「あんたのサイオンで探れないのか? 下手に動くよりその方がいいぞ」
「そうかも…。えっ、なんて…?」
どうやらソルジャーが会長さんに何やら言ってきているようです。私たちや教頭先生には分からない思念波でのやり取りの後で会長さんは。
「ブルーが全員で部屋に来てくれってさ。採点係を頼みたいとか言って来たけど」
「「「採点係…?」」」
この状況で採点ですか? 恐らく大人の時間を巡るトラブルでしょうに、私たちに何を採点しろと?
「お床入りでないことを祈ってて。…ぼくにも状況が分からないんだ」
行くよ、と立ち上がった会長さんに続いて部屋を出てゆく私たちの気分はドン底でした。お床入りの採点どころか大人の時間の採点だったらどうしましょう? 売店でアヤシイ会話をしていたバカップルも見たことですし…。
「ブルー、入るよ?」
会長さんが声を掛けるとソルジャーの部屋の扉が開き、目に入ったのは土下座しているキャプテンの姿。仁王立ちのソルジャーが冷ややかな視線で見下ろしています。
「どう思う、これを? 思い切り×がつきそうだけど?」
「いきなりそんなことを訊かれても…!」
分からないよ、と返した会長さんに、ソルジャーはチッと舌打ちをして。
「一から説明するのかい? まあいいけどね…。昼間に河原を掘っただろう? ぼくはハーレイに掘らせてたけど、君たちが全員で入れるヤツを掘り始めたのが面白そうでさ。…途中から混ぜてもらったよね?」
「それで?」
「サイオンは日頃から使ってるけど、肉体労働には縁が無い。筋肉痛になっちゃったんだ。それでハーレイにマッサージしてくれないかって頼んだら…」
「頼んだら…?」
訊き返す会長さんの声が震えています。マッサージからどう転んだらバカップルが喧嘩になるのでしょうか? 教頭先生もオロオロしてますし…。何よりキャプテンが土下座したまま顔も上げないのが怖いですよ~!
「ハーレイときたら、マッサージはプロがいいですよ、って! せっかく気分が盛り上がった所で人を呼ぶのかとも思ったけれど、前に泊まった温泉旅館の人は上手かったしねえ…。このホテルも期待できるかな、ってフロントに電話をかけようとしたら、ハーレイはなんて言ったと思う?」
「「「???」」」
「私にもエステティシャンの心得があれば良かったですね、って! プロというのはこっちの世界のハーレイを指していたんだよ! いくら師匠か知らないけれど、自分そっくりの男にさ……惚れた相手をマッサージされて気にならないなんて最低だってば!」
恋人失格、とソルジャーはキャプテンの背中を踏み付けました。
「婚前旅行の雰囲気ブチ壊しだし、無神経にも程がある! さあ、採点! これは絶対×だろう?」
×と思う人は手を挙げて、と睨み付けられた私たちは慌てて手を挙げ、ソルジャーはフンと鼻を鳴らして。
「今までの○を全部足しても、この×の分は埋められないね。…どうする、ハーレイ? 駅弁と夫婦茶碗の代金だけでもヌカロクだよって言ったよねえ? 台無しになった婚前旅行のお詫びの気持ちもヌカロクで! それとも四十八手に挑戦するかい? 褌の締め方も習ったからには容赦しないよ」
だけど今夜はお預けだ、とキャプテンに背中を向けるソルジャー。
「キスマークなんかつけられちゃったら河原のお風呂に入れないしね。素敵な夜ならそれでもいいけど、バカの相手はお断り! 朝まで一人で反省すれば? ぼくはブルーの部屋に行くから」
バカップルに戻るかどうかは明日の朝の気分次第、と言い捨てたソルジャーはキャプテンと別居。えっと…こんな展開でいいんでしょうか? ジョミー君たちの慰安旅行を破壊してまで割り込んで来たのに、そういうオチ…?
「いいんだってば、大人の時間はシャングリラに戻ってからじっくりと! それより筋肉痛が辛くてさ…。ハーレイ、マッサージを頼めるかな?」
「「「………」」」
自分で頼むなら教頭先生でも構わないのか、と私たちは頭痛を覚えました。教頭先生、バカップルの指導係にマッサージにと大忙しです。私たちだって採点係にされてましたし、婚前旅行はもう懲り懲り…。
「…慰安旅行の仕切り直しって無いのかな?」
ジョミー君がポツリと呟き、サム君が。
「仕切り直しても同じ面子になると思うぜ。あっちのブルーも仕切り直しをしたがるだろうし」
「だよね…」
普通に旅行したかった、と肩を落としているジョミー君。慰安旅行がこうなったのでは泣きたい気分になるでしょう。そして旅行費用を負担した上、バカップル指導をさせられていた教頭先生、ちゃんと写真を貰えるのかな? 頑張って色々撮ったのに…。
貰えるといいね、と私たちは頷き合いました。一人くらいは報われないと、正直言ってやり切れません。
翌朝、筋肉痛が治ったソルジャーは私たちに謝りもせずに部屋へ戻って、またキャプテンとバカップルに…。
「なあ、俺たちって…」
結局何しに来たんだろう、と明後日の方を見ているキース君。広い河原に新しく掘った露天風呂は今日もいいお湯です。慰安旅行か、はたまた湯治か。お湯の効能にヘタレ直しは無かったですよねえ…?



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