シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。
- 2012.07.09 宇宙で休日を・第3話
- 2012.07.09 宇宙で休日を・第2話
- 2012.07.09 宇宙で休日を・第1話
- 2012.06.18 華やかな野望・第3話
- 2012.06.18 華やかな野望・第2話
居心地のいい部屋を後にして向かった公園には既に大勢のクルーが集まっていました。三日間も続く勝負の間、纏う衣装が決まるとあれば誰だって気になるでしょう。会長さんはにこやかに挨拶しながら公園の中央に向かってますけど、前哨戦って何をするのかな?
「待ちかねたぞ、ブルー! …いや、ソルジャー」
特設ステージに立っていたのは長老服のゼル先生です。その後ろにはキャプテンの制服の教頭先生を始め、長老の先生方がズラリと…。会長さんはステージの階段に足をかけ、私たちにもついて来るよう合図してからステージの上へ。
「そっちはスタンバイ出来てるようだね。選手は誰かな?」
「ソルジャー、それは反則なのでは?」
選手は同時に発表です、と教頭先生が返すと、会長さんは。
「やっぱり引っ掛からないか…。それと敬語とソルジャー禁止! 他のクルーは仕方ないけど、みんなはシャングリラ学園流でお願いしたいな。なんだか調子が狂いそうだ」
「ほほう…。では、あえてソルジャーとお呼びしますかな?」
それも戦術かと存じますが、とヒルマン先生が言えば、ブラウ先生が。
「面白いかもしれないねえ。でもさ、やっぱり普段通りが肩が凝らなくていいじゃないか。ブルーはブルーさ」
「ありがとう、ブラウ。だけど御礼に手加減したりはしてあげないよ?」
「そうこなくっちゃ。あんたが静かじゃつまらないしね」
ソルジャーと呼んだら借りて来た猫になっちまう、と豪快に笑うブラウ先生。でも…会長さんはソルジャー扱いでも好き勝手にやらかしているような? 去年も一昨年もGWのシャングリラ号は賑やかで…。あ、そういえば長老の先生方は敬語を使っていなかったかも!
『そうなんだよね。他のクルーだと敬語でもソルジャーでもいいんだけどさ』
ハーレイたちにやられると寒いんだ、と会長さんの思念波が。途端にピーッと電子音。
「ブルー、何か悪口を言いおったな?」
分かっておるぞ、とゼル先生がステージの床を指差して。
「サイオン検知装置を仕込めと言ったのはお前じゃろうが。悪口はともかく、いざ勝負じゃ! 選手は決まっておるんじゃろうな?」
「うん、ぼくの独断と偏見で」
えっ。私たちは顔を見合わせました。選手って…誰? 何の勝負かも分からないのに…。けれどブラウ先生が進み出ると。
「よーし、それじゃ選手は前へ! 勝負は早食い競争だ!」
な、なんと! どうなるんだ、と思った途端に会長さんがジョミー君の背中を押して。
「君が出たまえ。他の子たちはファミレスでたらふく食べていたからねえ…。君の胃が一番余裕があるんだ」
「ぼ、ぼく? ぶるぅの方がいいんじゃあ…」
「ぶるぅは桁外れに食べられるから、最初から外されていたんだよ。とにかく頑張ってくるんだね。…ぼくたちの衣装は君の胃袋にかかっているのさ」
負けたらハーレイたちが選んだ衣装だ、と肩を叩かれたジョミー君の対戦相手は教頭先生。これって不戦敗とか言いませんか? まるで勝てる気がしないんですけど~! ん? 食べるパンを選ぶことが出来るのかな? 教頭先生とジョミー君がジャンケン勝負をしています。で、でも…。
「「「……負けた……」」」
ジョミー君は教頭先生にアッサリと負け、教頭先生は余裕の笑みで二つのパンの片方をチョイス。気持ちサイズが小さめです。もうダメ、この勝負、最初から負けに決まってますよ~!
「では、ジョミーの強運を称えて乾杯!」
会長さんがグラスを差し上げたのは私たちに与えられた部屋に戻ってから。早食い競争は運も勝負の内だったとかで、パンは二種類あったのでした。片方はジャムパン、もう片方はカレーパン。ジャンケンで勝った教頭先生がチョイスしたのはジャムパンで…。
「サイオン検知装置を仕込んでおいた甲斐があったよ。パンの中身を透視されたらおしまいだからね。あそこでハーレイがカレーパンを選んでいたらジョミーの負けだし、透視が出来ないジョミーが勝ってジャムパンを選んでいてもジョミーの負け。…ハーレイがジャムパンだったから勝てたんだ」
会長さんは御満悦です。甘いものが苦手な教頭先生、早食い競争だと分かってはいてもジャムパンを猛スピードで食べ尽くすことが出来ずに惨敗。お蔭で前哨戦は私たちの勝利に終わったわけですが…。
「あれっ、嬉しくないのかい? 記念すべき第一戦に勝ったのに」
「そりゃあ……勝ったけどさぁ…」
乾杯なんて気分じゃないよ、と膨れっ面のジョミー君。私たちも勝利の美酒とは全く言えない気持ちでした。いえ、グラスの中身は元からお酒じゃないですけども…。
「かみお~ん♪ みんな似合ってるよ? もしかしてウサギさんの方が良かった? ごめんね、ブルーが勝手に決めちゃって…」
だけどブルーが大将だし…、と謝る「そるじゃぁ・ぶるぅ」にキース君が。
「いいんだ、ウサギでも大して変わらんからな。…いや、ウサギの方がもっと酷いか…」
「決まってるじゃないか! こっちの方がまだマシなんだよ」
でもイヤだ、と叫ぶジョミー君の頭には黒い猫耳がくっついていました。キース君もサム君も、マツカ君もシロエ君も…みんな頭に猫の耳。いわゆる猫耳カチューシャです。もちろん私の頭にだって…。グラスを掲げて御機嫌な会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」の頭上にも。
「猫耳、いいと思うんだけどなぁ。ぼくたちのチームは猫耳、長老チームはウサギ耳! これだと頭に乗っけるだけだし、制服の邪魔にならないんだよ」
名案だろう? と自画自賛する会長さんの説明によると、一見して同じに見えるクルーの制服にも実は違いがあるのだそうです。肩や袖にシャングリラ学園の校章に似たマークがついている人とそうでない人、それぞれ役職が違っていたり…。
「耳だとマークが隠れたりすることはないだろう? それにパッと見てどちらのチームか一発で分かる。ランチタイムが済んだら本格的な勝負開始で、自分が対戦相手に勝ったら自分側の耳に付け替えさせると宣言したし…。猫耳の人で溢れ返ったらぼくたちが優勢、ウサギ耳が多いようなら巻き返さないと」
いろんな意味で便利なんだよ、と語る会長さんは猫耳にまるで抵抗が無いようです。
「猫耳には特に嫌な思い出も無いからねえ…。ウサギの耳ならあるけどさ」
「待て! その先は言うな」
俺たちだって聞きたくない、とキース君が遮りました。この中で誰が一番ウサギの耳が嫌かと言えば恐らくキース君でしょう。一時期、エロドクターまで乗り出してきたほどに流行りまくったウサギ耳。その正体はバニーガールの仮装で、最初にそれをやらされたのがキース君です。会長さんはクスッと笑って…。
「なんだ、やっぱり覚えてたのか。大丈夫、今回は耳だけだから! だけど勝負は真剣にね。今回も勝ったチームには賞品が出るんだ」
「えっ、ホント!?」
ジョミー君が一気に立ち直り、私たちも浮上しました。シャングリラ号での賞品と言えば超豪華! 地球で使える旅行券とかが惜しみなく出るのがお約束です。これは頑張って勝たないと…。猫耳ごときでヘコんでいては運が逃げるじゃないですか!
「分かってくれたみたいだね。じゃあ、改めてジョミーの強運にあやかるためにも…乾杯!」
「「「かんぱーい!!!」」」
カチン、とグラスを合わせてジュースを飲み干す私たち。そろそろランチタイムです。これが終わると対戦開始。ウサギ耳の人を猫耳に付け替えさせるための予備の猫耳は私たちにも配られていますが…。
「そうだ、長老の先生たちが考えてた衣装って分かりますか?」
何だったのか気になります、とシロエ君が会長さんに質問しました。それは私も知りたいです。ジョミー君たちも興味津々! 会長さんは「知ってるよ」と微笑んで。
「あっちが用意していたヤツはゼッケンと鉢巻だったんだ。それも紅白。ハーレイたちが白で、こっちを赤にする気でいたらしい。…そんなダサイのは御免だよ。それに赤は年寄りチームが着けるべきだと思うんだけどねえ?」
還暦の赤に健康長寿の赤パンツ、と論っている会長さん。えっと…赤か白かはともかくとして、ゼッケンと鉢巻って運動会とかで普通に使うじゃないですか! 猫耳なんかよりも余程マトモかと…。
「「「…そっちの方が良かったです…」」」
揃って呟いた私たちの声は無視されました。こんな結果なら前哨戦は負けてしまった方が良かったのでは? けれど初戦で敗北というのも全体の士気に関わりますし、この機を逃さず勝ち進むしか…。えーい、猫耳で目指せ、豪華賞品!
ユニフォームならぬ猫耳をつける羽目に陥ってしまった私たち。この格好で部屋の外に出るのは憂鬱ですが、長老チームと勝負するには出て行かないといけないのです。快適なお部屋に引き籠っていては勝負の機会を逸しますし…。
「この部屋と青の間には長老チームは立ち入り禁止! 逆にぼくたちはブリッジがダメだ。それと長老たちの部屋だね」
それ以外の場所は何処で勝負を挑んでもいい、と会長さん。もちろん逆に挑まれることもあるわけです。どんな勝負が待っているのか、それは挑戦者次第であって。
「君たちの方から仕掛けていってもいいんだよ? ハーレイ相手に果たし状を出して公園で柔道一直線とか」
「…遠慮しておく」
そんなことをしたら確実にウサギの耳にされてしまう、とキース君が呻きました。そう、私たちが負けたら猫耳はウサギの耳と交換しなくてはなりません。君子危うきに近寄らず。負けが見えている勝負はしないが吉です。
「慎重だねえ…。まあ、とりあえずお昼ご飯を食べに行こうか。ランチタイムが終了したら食堂だって戦場だ」
あそこにもウサギ耳のクルーがいる、と会長さんに指摘された私たちは食堂へ急ぎ、ランチを注文。なるほど、注文を取りに来た女性クルーはウサギの耳をくっつけています。でも全員がそうというわけでもなくて…。
「だってクジ引きで決めたわけだし、猫とウサギはランダムだよ。…ん?」
会長さんの視線がテーブルに釘付けになりました。今日のランチはカツレツですけど、お皿が並べられた隣に伏せて置かれているのは一枚の紙。此処で伝票は無い筈なのに…。
「なんだろう?」
紙を表返した会長さんの目が丸くなり、それからクスクス笑い始めて。
「早速挑戦状とはね…。ランチタイムが済んだら勝負を挑ませて頂きます、って書いてある。皿洗いで勝負するらしい。どちらが早く洗い上げるか、是非ともお願いします…ってさ」
「「「皿洗い!?」」」
そんな勝負もアリですか! ここは「そるじゃぁ・ぶるぅ」に受けて立って欲しい所です。家事万能ですし、華麗に勝つと思うんですけど…。ところが会長さんは人差し指をチッチッと左右に振って。
「向こうもきちんと考えてるさ。ぶるぅ相手じゃ敗北は必至。対戦相手は話題のお坊さんチームにしたいと書いてあるよ」
「お、お坊さんチームって…」
ぼくたちのこと? と情けない声を出すジョミー君。いくら広報誌で特集記事を組まれたとはいえ、「お坊さん」で一括りにされるのは不本意でしょう。けれどクルーの方からすればジョミー君たちは「お坊さんチーム」。名指しで勝負を挑まれた以上、知りませんでは済みません。
「御指名を受けたからには頑張って洗いまくるんだね。キースは柔道部の合宿で皿洗いも経験していることだし、いい線いくと思うんだ。それより何より、負けたらウサギの耳になるのは君たち三人。ぼくも含めて他のみんなは無関係!」
連帯責任じゃないんだから、と会長さんに冷たく言われたジョミー君たちは厨房の方を眺めて深い溜息。なんと言っても対戦相手は皿洗いのエキスパートです。卑怯なり、と文句をつけたくなるのは山々ですが…。
「どんな形で勝負するかは切り出した方のアイデア次第。負けちゃった時は勝てそうな戦法を考え出して雪辱戦をするしかないさ」
勝ち負けは時の運なんだから、と会長さん。やがてランチタイムが終わって、全艦放送でブラウ先生が。
「さあ、お待ちかねの勝負の時間が始まるよ! 猫耳が勝つか、ウサギの耳か。…始めっ!」
カーンとゴングの音まで入って真剣勝負の開幕です。ジョミー君たちは厨房のスタッフ三人に皿洗い勝負に連行されて…。
「………。要するに、派手に負けたわけだね」
会長さんの視線がジョミー君たちの頭上に注がれています。三人の頭には猫耳の代わりにウサギ耳。キース君が不満そうに。
「俺は決められた量の皿とカップを一番に洗い上げたんだ! なのにジョミーとサムがグズグズと…。でもって、勝負はチーム単位のものだから、と俺までウサギにされてしまった」
「なるほどねえ…。お坊さんチームだから仕方ないか」
諦めたまえ、と会長さん。開戦早々、負けてしまったジョミー君たちに巻き返しのチャンスはあるのでしょうか? それに明日は我が身という話も…。全員ウサギになってしまう前に、急いで撤退しなくっちゃ~!
長老チームは立入禁止の部屋へと戻る途中は生きた心地がしませんでした。あっちにもこっちにもウサギ耳のクルーがいるのです。もしも勝負を挑まれたなら断ることは出来ないわけで…。
「くっそぉ…。なんで最初から負けるんだ!」
部屋に入るなりキース君が悔しそうにテーブルを叩きました。自分は勝ったのに連帯責任でウサギ耳では、やり切れないものがあるのでしょう。ジョミー君とサム君は申し訳なさそうに項垂れていますが、会長さんは可笑しそうに。
「ウサギの耳が嫌だったんなら挑戦すればよかったのに。誰に挑んでもいいんだよ? 通路に何人もウサギがいただろ、ジャンケンしてみれば猫耳に戻れていた…かもしれない」
「そこで負けたらウサギの耳がダブルになってしまうんだろうが!」
キース君の叫びにアッと息を飲む私たち。確かにもう一度ウサギに負ければ耳がダブルになりそうです。そういう場合は二つ同時に着けるとか…? 恐る恐る会長さんに尋ねてみると。
「もちろんダブルさ。更に負ければトリプルになるし、頭にくっつけるには多すぎる量の耳を持つ羽目になる…かもしれない。そういう時はね…」
会長さんがそこまで説明してくれた所でピーッという音が鳴り響きました。公園で聞いたサイオン検知装置の警告音に似ています。なんで此処で? と思った途端に部屋に開いたのはスクリーン。シャングリラ号独特の、円形で縁に葉っぱをくっつけたようなデザインで…。
「コッソリ付け替えは反則ですわよ?」
スクリーンの中で微笑んでいたのはフィシスさんでした。
「今のはジョミーへの警告ですわ。手持ちの猫耳と取り替えようとしたでしょう?」
「「「え?」」」
指摘を受けてジョミー君を見れば、確かに右手に猫耳が。私たちが勝った場合に敗者に着けさせる猫耳です。ジョミー君ったら、なんて姑息な真似を!
「ち、違うよ! この部屋は中立地帯だって言うし、休憩中くらいウサギの耳を取ってもいいかなぁ…って思っただけで!」
「そうかしら? あわよくばこのまま誤魔化せないかな、と思っていたから警告させて頂きましたわ。…ブルー、しっかり監督しないと反則負けになりますわよ」
気を付けて、と通信が切れるとスクリーンも消え、ジョミー君が猫耳を手にしたままで。
「い、今の通信は何だったの? 警告だって言っていたけど、ぼくたちって監視されてるわけ?」
「監視対象は君だけじゃないよ」
艦内全部だ、と会長さんが答えました。
「猫の耳にもウサギの耳にも思念波の検知装置が仕込まれている。不正に外そうという考えを起こすと反応する仕組みになってるのさ。それを監視して警告するのがフィシスの仕事。補佐役のリオと一緒に天体の間で頑張ってるよ」
「「「………」」」
「ついでに多すぎるほどの耳を持つことになった人の管理もフィシスの管轄。これ以上は頭に載せられない、という状態に陥った時は増殖した耳を天体の間で一時預かり」
あちゃ~。載せきれないほどのウサギの耳って考えたくもありません。みっともない姿になりたくなければ勝負に勝たねばならないのです。既にウサギ耳になってしまったキース君たちの場合は猫耳に戻る所から始めなければ…。
「やっぱり負けが込んだらウサギの耳が増えるのか…」
困ったものだ、とボヤいたキース君に会長さんが。
「だけど増殖を恐れて勝負を投げればウサギの耳のままだからね? まあ、ウサギならサムとジョミーも現時点ではウサギだし……どっちかに勝てば猫耳に戻れないことはない。負けた方はウサギ耳がダブルだけどさ」
おおっ、そんなのもアリですか! あれ? でもサム君もジョミー君も猫耳のスペアは持ってますけどウサギの耳は持ってませんよ? 首を傾げる私たちに向かって会長さんは。
「その辺のフォローもフィシスたちの仕事! 手持ちの耳が足りないという思念も天体の間に伝わるからね、すぐに追加が届くんだ。ぼくとぶるぅが配達係さ」
瞬間移動で待たせずお届け、とウインクされて背筋が寒くなりました。こんな勝負が三日間も続くんですって? 勝てる自信が無いんですけど、私たち、これからどうなっちゃうの…?
ウサギの耳と猫の耳。休戦になるのは夜間だけです。他の時間はもれなく熾烈な戦いが続き、私たちの頭の上にはウサギ耳が載ったり、猫耳に戻ったりと大忙し。ソルジャーである会長さんの悪友という認識だけでも目立っているのに、今をときめくお坊さん三人組までいたのでは…。
「なんとか全員、猫耳に戻れたみたいだねえ?」
会長さんがそう言ったのは勝負の最終日の朝のこと。いわゆる端午の節句の日です。今日の正午で勝負は終わりと聞いていますし、後は猫耳を死守していればいいんですよね?
「そういうことになるのかな。欲を言えばもうちょっと積極的に挑んで欲しい所だけれど…。実は大接戦になってるんだよ」
ほら、と会長さんの指が閃き、私たちの休憩室である中立地帯にスクリーンがパッと出現しました。そこに映し出されたデータは天体の間でリアルタイムで集計中のウサギ耳と猫耳の勢力図。何度か目にしてきましたけれど、これは確かに大接戦です。ウサギ耳と猫耳がほぼ同数。
「猫耳が少しリードしてはいる。だけど何が起こるか分からないしねえ? まあ、君たちが頑張ったって他の誰かが派手に負ければ猫耳チームの負けなんだけどさ…」
僅差で負けるのは嫌なんだ、と会長さん。けれど迂闊に勝負を挑んで逆に負けたら大変ですし…。
「ダメダメ、それじゃ勝てないよ。今日までの勝負で分かっただろう? 挑戦する方が有利なんだ。自分の土俵で戦えるから」
言われてみればその通りです。そうなると期待の星はキース君率いるお坊さんチーム。キース君がシャングリラ号の中で書き上げた勤行用のお経をズラリとコピーした冊子が武器でした。これを勝負の相手に渡して、淀みなく読み上げた方の勝ち。私たちだって強化合宿などのお蔭で素人さんよりはマシに読めますし…。
「「「頑張ってきまーす!」」」
こうして私たちの最終日の勝負は読経三昧。途中で挑まれたジャンケン勝負で敗北した分も読経勝負で取り返しましたし、猫耳チームの勝利は確実でしょう。会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」も広いシャングリラ号の何処かで最後の戦いをしている筈です。そして正午の時報が艦内に響き、天体の間からフィシスさんの放送が。
「間もなく結果発表を行います。手の空いている方は公園の特設ステージ前までお越し下さい」
「へえ…。公園で発表なんだ」
前哨戦も公園だったね、とジョミー君。あそこでチーム分けは猫耳とウサギ耳だと決定してから長かったですが、それもようやく終わりの時が。勝ったら何が貰えるのかな? ドキドキしながら私たちは揃って公園へ。すると入口にリオさんが立っていて…。
「皆さんは特設ステージに上がって下さい」
「「「え?」」」
「勝負がつかなかったんですよ。大将チームの対決になります」
「「「えぇぇっ!?」」」
た、大将チームって……私たちと長老の先生方との対決ですか? 今度こそ負けるに決まってますよ…。それにしてもなんで勝負がつかなかったんだろう、と話し合っていると。
「やあ。リオから話は聞いているよね? 一緒に行こう」
現れた会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」はウサギの耳を着けていました。よりにもよって最後の最後で負けたんですか、大将とその側近が…?
「だってさ、二人差で猫耳チームが勝ちそうになっていたんだよ」
しれっと言ってのける会長さんに、キース君が。
「二人差で負けそうだったから挑みに行ったと言うなら分かる。なんで勝ち戦なのに負けに行くんだ!」
「決勝戦をやってみたくてねえ…。大差だったら諦めるけど、接戦となればヤラセでいける。わざと負けるのも楽しいものさ」
足取りも軽く特設ステージに向かう会長さんは何を考えているのでしょう? わざと負けてまで決勝戦を希望だなんて、それって一体どんなものなの?
特設ステージの上にはウサギ耳を着けた長老チームが勢揃い。私たちがステージに上がるとリオさんとフィシスさんもやって来ました。この二人は審判みたいな役割ですからウサギでも猫でもありません。公園に集まっているクルーの方は猫とウサギが半々で…。
「それでは発表いたしますわね。猫とウサギは同数でした」
フィシスさんの声に広がるどよめき。どうなるんだ、と騒ぐ人々をリオさんがマイクを握って制して。
「勝者は大将チームの対決によって決まります。対戦方法は予め届け出済みとなっていまして、前哨戦を制したチームが提出した案が採用されます」
え。なんですか、それは? 私たち、何も聞いてませんが…。会長さんの方を盗み見てみるとニヤニヤしているのが分かります。と、フィシスさんがリオさんに封筒を渡しました。
「対戦方法は封印されておりましたので、私たちも何か知りません。こちらがソルジャー・チームからお預かりした封筒です。…では、発表させて頂きます」
封筒の中身を取り出したリオさんがウッと息を飲み、それから大きく深呼吸をして。
「対戦方法はポッキー・ゲーム! ポッキー・ゲームと決まりました!」
「「「えぇぇっ!?」」」
ポッキー・ゲームって、一本のポッキーの両端を二人で咥えて齧っていって、先に口を離した方が負けだって言うアレですか? 大将チームの戦いってことは、会長さんと教頭先生が…?
「いかん、いかんぞ!」
わしは反対じゃ、とゼル先生が叫んでいます。
「ブルーとハーレイにポッキー・ゲームなぞさせられんわ! 万一のことがあったらどうするんじゃ!」
「楽しいじゃないか、そういうのもさ」
ニッコリ笑う会長さん。
「それとも団体戦にしてみるかい? 団体戦だと同じチームの中で二人組を作るんだよね。でもって残ったポッキーが短い方のチームが勝ち…、と。ただし団体戦は目を瞑ってポッキーを齧る決まりだ。不幸な事故でキスする羽目になっても気にしないんなら団体戦で」
「「「!!!」」」
今度は私たちが猛烈に抗議する番でした。どう組んだって事故った時には悲劇です。長老の先生方も同じ考えだったらしくて、団体戦の話はお流れに。ということは、決勝戦は…。
「位置について!」
リオさんが何処からか調達してきたポッキーを差し出し、ウサギ耳を着けた会長さんと教頭先生が向かい合いました。まずはポッキーを咥える所から。会長さんが片方の端をヒョイと咥えて上目遣いに教頭先生を見ています。その教頭先生は耳まで赤くなり、額に汗が噴き出していて…。
「勝者、ソルジャー・チーム!」
リオさんの声が高らかに響き、猫耳のクルーたちが大歓声。特設ステージの上には教頭先生が仰向けに倒れ、ゼル先生が忌々しげに蹴りつけながら。
「万一のことなぞ心配するだけ損じゃったわ! ええい、不戦敗になりおって! だらしない!」
教頭先生はポッキーを咥える寸前に鼻血を噴いて倒れてしまい、私たちのチームが勝ったのです。会長さんが決勝戦に持ち込みたかった理由はコレでしたか…。
「だってさ、最高に素敵だろ? ハーレイの鼻血を大公開! 撮影していた人も多いし、次の月刊シャングリラでは特集記事が組まれるかもね」
上機嫌で頭のウサギ耳を引っ張っている会長さんに、キース君が。
「キャプテンの威厳はどうなるんだ! あんた、一応、ソルジャーだろうが!」
「クルーの心を掴んでおくのもキャプテンの重要な仕事の一つだって前にも言わなかったっけ? ポッキー・ゲームで鼻血で失神って美味しいネタだと思うけどな」
恥ずかしいのは本人だけ、と会長さんは涼しい顔です。
「月刊シャングリラは新鮮なネタが売りなんだ。猫耳とウサギ耳の勝負もいい記事になるよ。あちこちで写真が撮られていたのは知っていた?」
げげっ。それは気付いていませんでした。クルー同士の記念撮影だと思っていたのに、あれって取材?
「決まってるだろう、シャングリラ号を挙げてのお祭り騒ぎを取材しないでどうすると? ああ、今回は君たちは特に協力していないから家のポストに届きはしないさ」
安心して、と言われても…。ウサギ耳やら猫耳やらの写真が記事になるのは確実です。ソルジャー・チームの代表として扱われていたわけなんですから、何処にも逃げ場がありません。
「…どうしよう…。お坊さんの次は猫耳だよ…」
ジョミー君が嘆けば、キース君も。
「ウサギの耳の方かもしれんぞ。畜生、二ヶ月続けて時の人ってか…」
災難だ、と頭を抱えるキース君たちの隣で私たちも泣きそうな気分でした。これから豪華賞品が発表されるそうですけども、それよりも記事を消したいです。賞品なんて……賞品なんて…。
「おや、要らない? 今回は本当に豪華なんだよ」
地球で使える金券がこんなに…、という会長さんの声で思わず歓声を上げてしまった私たち。その瞬間にフラッシュが光り、「笑って下さーい!」と注文が。ええい、こうなったらスマイル、スマイル! 今年のGWは宇宙で猫耳、ウサギ耳です~!
スウェナちゃんが書いた特集記事のせいで、危うくお坊さんとしての進路指導をされてしまう所だったジョミー君。会長さんの助け舟のお蔭で九死に一生を得たわけですけど、完全に逃げられたわけでもなく…。会長さん曰く、ジョミー君の未来を拓くためには私たちの結束だか団結力が必要だとか。
「たった一人で頑張るというのはジョミーには無理があるんだよ。ぼくは一人で修行したけど、お寺にはぶるぅが一緒に来てくれたしねえ…。本当に一人ぼっちの修行だったら途中で挫けていたかもしれない。キースにも大学の仲間がいたから、まるで孤独ってわけじゃないよね」
道場で私語は禁止だけれど、と会長さん。
「覚悟して修行の道に入ったぼくやキースでもキツイんだ。そうじゃないジョミーは挫折する可能性も高いわけ。それを防ぐには団結力! 一人じゃないんだ、という心の支えが必要不可欠」
「そっか…。俺じゃ足りねえかな?」
名乗りを上げたサム君に、会長さんは。
「もちろんサムには期待してるよ、ジョミーと一緒に修行してくれそうなのはサムだけだしね。でもさ、苦楽を共にするかどうかはともかくとして、応援してくれる仲間というのは多いほどいい。そこで団結力の出番だ。友達というのは一生モノの財産だよ」
「なるほどな…。それで俺たちの結束を高めようと言うわけか」
キース君が頷いています。
「で、シャングリラ号に誘うってことは、合宿か? また強化合宿をしようと言うんじゃないだろうな」
「「「強化合宿!?」」」
私たちの脳裏に蘇ったのは抹香臭い思い出でした。去年の三月末にパパやママたちがシャングリラ・プロジェクトで宇宙の旅をしていた間、会長さんのマンションで行われていたのがサイオン強化合宿です。集中力の訓練だとかでキース君の指導でお勤め三昧、鐘や木魚を叩き続けてお経を読んで…。まさかシャングリラ号でアレをやるとか?
「ちょ、ちょっと…。なんで宇宙で強化合宿?」
あんまりだよ、とジョミー君の泣きが入りました。
「そりゃあ、ぼくだって……あんな記事が出ちゃった以上はマズイってことは分かるけど……でも…! せっかくシャングリラ号に乗り込めるのに、どうしてお経の練習なのさ!」
「…それを言うなら他のみんなの方が気の毒だと思うけど? 完全に君の巻き添えなんだし」
会長さんがフウと溜息をついて。
「やっぱり団結力に問題アリだね。一枚岩には程遠い。みんなが自分の好きにしてたら結束どころかバラバラだってば。…こんな調子じゃ心を一つにして事に当たるのは難しそうだ。いい機会だから頑張りたまえ」
えぇっ、やっぱり強化合宿ですか? シャングリラ号でお経の練習? 指導役がキース君から会長さんに変わるってだけで、宇宙に行っても木魚をポクポク…? あんまりだ、と肩を落とした私たちに向かって、会長さんは。
「どんな場所でも努力は大切! シャングリラ号ではクルーのみんなも期待してるよ」
「「「………」」」
そういえば月刊シャングリラは宇宙にだって届くのです。会長さんの話によるとシャングリラ号のクルーに配られる分は船の中で印刷製本されているそうで、発行日は地球と全く同じ。つまり今頃はジョミー君たちの特集記事がクルーの話題になっているわけで…。
「特集されたお坊さんが三人も乗り込むんだから、注目の的になるのは間違いないね。それに二人はぼくの直弟子! 何かと耳目を集めると思う。きっと楽しい旅が出来るよ」
ソルジャーのぼくが保証する、と断言されても嬉しくはありませんでした。シャングリラ号に乗って二十光年の彼方で読経三昧。これなら混み合ったドリームワールドとかで行列に並ぶ方が遙かにマシかも…。とはいえ、今更遅いですよね? 会長さんに逆らったりしたら、強化合宿の訓練メニューが大幅に増えるだけですってば…。
こうしてGW後半戦の予定が強引に決められてしまいました。5月3日から6日までの間はシャングリラ号でサイオン強化合宿。そう言えば聞こえはいいんですけど、中身はお勤め三昧です。それを言い渡した会長さんはGWに入るなりフィシスさんと旅行に出掛けてしまい、「そるじゃぁ・ぶるぅ」もくっついて行って…。
「あーあ、なんだか鬱になりそうですよ…」
シロエ君が愚痴っているのはアルテメシアの繁華街にあるファミレスです。会長さんは旅から戻っているようですけど、シャングリラ号に乗り込む準備だとかでシャングリラ学園には来ていません。当然「そるじゃぁ・ぶるぅ」も登校しておらず、いつもの溜まり場は使えないのでした。それで放課後はファーストフード店やファミレスに…。
「鬱って…。だったらカラオケでも行く?」
ジョミー君の提案に、シロエ君は。
「遠慮しときます。どうせ明日から四日間ほどお経ばかりで、声が嗄れるに決まってますし…。今、カラオケなんかに出掛けて行ったら喉を痛めるじゃないですか! ただでも鬱になりそうなのに、喉までやられたら悲惨です」
「そうよね…。ホント、考えただけでも暗くなりそう」
あんな記事を書くんじゃなかったわ、とスウェナちゃんが頭を抱えました。
「あれさえ無ければジョミーのおバカ発言は無かったわけだし、会長さんも強化合宿なんて言い出さなかったと思うのよね。普通にシャングリラ号に乗せて貰って自由にあちこち見られたんだわ」
「それはそうかもしれないな…」
相槌を打つキース君。
「完全に自由かどうかはともかく、サイオン強化合宿だけは無かっただろう。…もっとも、去年のパンケーキレースとどっちがマシかって話もあるが」
「「「あー…」」」
あれか、と遠い目になる私たち。去年のGWもシャングリラ号で三日間を過ごしたのですが、乗り込んで間もなく渡されたものはフライパン。シャングリラ号のクルーたちが熱くなっていたのもフライパン料理の練習でした。噂は色々ありましたけど、結局、フライパンはパンケーキレースに使用するもので…。
「あれも酷かったと思うけど?」
筋肉痛になったじゃない、とジョミー君が言えばサム君が。
「でも、パンケーキレースは元から決まっていたんだぞ? 俺たちが後から混ざっただけで…。賞品も用意してあったんだし」
「一昨年は餅つき大会と福引でしたね…」
マツカ君の言葉で私たちの記憶は更に過去へと遡りました。あの年はマザー農場でヨモギを摘んで行ってクルー総出の草餅作り。それを美味しく頂いた後で福引があって、豪華賞品が色々と出て…。特別賞の会長さんを引き当ててしまったキース君が、緋の衣を着た会長さんに坊主頭にされそうになった事件もありましたっけ。
「ね、普通にシャングリラ号に乗せて貰ってもヤバイ時にはヤバイんだよ」
鬱になるより踊らにゃ損々、と笑うジョミー君の頭をキース君が拳でゴツンと一発。
「いたたた…! キース、何するのさ!」
「自覚が全く無いようだから、目が覚めるかと思ってな。パンケーキレースにしても福引にしても、黒幕と言うか……戦犯はブルーというヤツだ。だが今回は事情が違う。念仏三昧になってしまったのは誰のせいなのか分かっているか?」
「うーん…。やっぱり、ぼくのせいってことになるわけ?」
「決まってるだろうが! 喜んで朝のお勤めをしているサムと元から坊主の俺はともかく、他の皆にはいい迷惑だ。お詫びの気持ちを示すためにも、今日はお前の奢りだな」
此処で謝罪をしておくべきだ、とキース君は私たちにメニューを差し出しました。
「ブルーが強化合宿と言い出した以上、俺たちの食事は精進料理かもしれないぞ? 今日の間に納得がいくまで食っておけ。肉でも魚でもデザートでも…だ。ジョミーの財布が空になったら俺が貸す」
「えっ、キースが?」
いいのかよ、と目を丸くするサム君に向かってキース君は。
「大学に行く時に親父がカードを作ってくれた。だから安心して食ってくれ」
「本当ですか? うわぁ、ぼく、何にしようかなぁ…」
鬱な気分が吹っ飛びました、とシロエ君がメニューを覗き込んでいます。スウェナちゃんも私も早速デザートのページを端から物色中。ジョミー君のお小遣いが何ヶ月分吹っ飛ぼうとも、明日からの地獄の日々を思えば羽を伸ばしておかなくっては…!
心置きなく食べまくった私たちは家で一晩ぐっすり眠って、翌朝早くシャングリラ学園の職員さんが運転するマイクロバスに乗り込みました。パパもママも今は仲間ですから家の前までお迎えが来ても大丈夫。ただ、遊びに行くのだと思われているのが悲しいような…。
「そう? ぼくは頑張って修行しなさいって言われたけどなあ…」
ジョミー君は仏頂面です。昨日、財布が見事に空になってしまい、キース君に返すお金を前借りするのに事情を話すしかなかったらしく、仏道修行のサイオン強化合宿だとバレバレになっているのだとか。そんなジョミー君を「自業自得だ」と皆で囃し立てている内にマイクロバスはシャングリラ学園専用の空港に着いて。
「おはよう。みんな元気そうだな」
シド先生がシャングリラ号のクルーの制服を着て滑走路の手前に立っています。
「ソルジャー……いや、ブルーは先に行っているから、俺たちのシャトルが到着したら宇宙に向かって出発だ。今年も楽しくなりそうだぞ」
「「「はーい…」」」
仏道修行の何処が楽しいんだ、と私たちは心で半泣きでしたが、そんなことを言える筈もなく。シド先生が操縦するシャトルは私たちを乗せて滑るように離陸し、雲海を抜けて青い空に浮かぶシャングリラ号へ…。白く輝く宇宙クジラが四日間の合宿所です。あぁぁ、もう格納庫に着いちゃいましたよ~! シド先生はシャトルを降りると居住区へ案内してくれて。
「君たちの部屋は去年と同じでこのブロックだ。一人部屋にするも良し、相部屋も良し。俺は出航の準備があるからブリッジに行くが、君たちは自由にすればいい。集まるのなら大きい部屋は其処にあるから」
そう言い残してシド先生はブリッジへ。私たちは部屋に荷物を置いて、シド先生が教えてくれた大きい部屋に行ってみました。去年のような会議室かと思いましたが、これはどう見ても休憩室です。
「…なんだか居心地良さそうだね」
絨毯もソファもフカフカだ、とジョミー君。観葉植物なんかも飾られ、サイオン強化合宿という名の仏道修行をしに来た身には贅沢すぎる部屋ですけども。
「…このくらい心安らぐ空間が無いと耐えられないほどビシバシ修行の日々かもしれんぞ」
キース君の鋭い指摘に私たちはズーン…と落ち込みました。その間に出航準備が整ったらしく、全艦放送で教頭先生の号令が。
『シャングリラ、発進!』
何の振動も感じさせずに宇宙クジラの出航です。いよいよ二十光年の彼方へ修行の旅に出発ですか…。
シャングリラ号は地球を離れ、月の裏側からワープイン。私たちの部屋に船の外を覗ける窓は無いので分かりませんが、外は緑色を帯びた時空間になっているのでしょう。間もなくワープアウトの放送が流れてシャングリラ号の定位置に到着。ということは…。
「そろそろブルーが来るんだろうな」
覚悟しておけ、とキース君が表情を引き締めました。
「恐らく修行するのはこの部屋ではない。此処には阿弥陀様も置かれていないし…。何処かに本格的な修行部屋を作っていると見た」
「本格的…?」
それって何さ、とジョミー君が尋ねると。
「俺たちが知っているシャングリラ号に和室は無かったが、模様替えくらいは何とでもなる。ソルジャーの意向となれば尚更だ。まず間違いなく畳だな。四日間みっちり正座だろう」
「「「………」」」
うわぁ、と青ざめる私たち。正座と読経がセットとなるとキツさは一気にグレードアップ。今いる部屋が息抜き用に用意されたのも納得です。たまにはのんびり足を伸ばせないと倒れてしまいますってば…。こうなったのもジョミー君の迂闊な発言のせいだ、とブチ切れたって許されますよね? 責められまくったジョミー君は。
「昨日、みんなに奢ったじゃないか! あれでチャラだと思うんだけど…」
「甘いですよ、ジョミー先輩! ぼくたち、四日間も精進料理なんですからね!」
食べ盛りには耐えられません、とシロエ君が文句を言えばキース君が。
「ブルーのことだ、精進料理も恩着せがましく出すだろうさ。宇宙船の中では考えられない贅沢メニューだとか、食堂のメニューとは別に作らせているんだからとか…。そうなると般若心経もセットか」
「「「般若心経?」」」
なんですか、それは? 般若心経は食べるものではないんですけど、どうして精進料理とセット…? ジョミー君への怒りも忘れて目を丸くする私たちに向かって、キース君は。
「俺たちの宗派が般若心経を使わないのは気付いているだろう? 前のサイオン強化合宿でも唱えていないし、俺の家でやる法要にも般若心経は入っていない。だが、一つだけ例外がある。…食事の前だ」
え? それってまさか、食事の前に般若心経を唱えるとか…? でも、そんなこと、やった覚えは…。
「やった覚えは無いだろうな。恐らくサムも知らない筈だ」
なんと言っても道場で修行する坊主専用、とキース君は続けました。
「住職の資格を貰う時に限らず、寺でやってる道場に行くと作法は一気に厳しくなる。あれこれ細かく守らなくてはいけない決まりが出てくるわけだが、般若心経もその一つなんだ。食事の前には必ず唱えなくてはならない。…まあ、初めて唱えるお経じゃないから大丈夫だろう」
多少年数は経っているが、と言われなくても般若心経の思い出はガッツリ残っています。シャングリラ学園を普通の生徒として卒業した時、卒業旅行先にチョイスされたのはソレイド八十八ヶ所お遍路の旅。キース君が歩いて巡拝すると決めたので見物がてら出掛けたのですが、会長さんが八十八ヶ所の御朱印を集めていたもので…。
「あの時は大変でしたよねえ…」
シロエ君が天井を仰ぎました。
「お寺に着いたら般若心経を唱えなくちゃいけなかったんですし! それも二ヶ所も!」
「本堂と大師堂でしたっけ?」
唱えたかどうかチェックしているお寺が幾つもありましたっけね、とマツカ君。とにかく般若心経をメインに据えた数分間の読経をしないと御朱印が貰えなかったのです。ですから八十八のお寺で般若心経を二回ずつ唱えて回ったわけで、その大変さは今も忘れていません。なのに食事の前に般若心経を唱えろですって?
「いや、確証はないんだがな。…大丈夫だと言い切る自信も無い」
心の準備はしておいた方が…、とキース君が私たちを見渡した所で部屋の扉がシュッと開いて。
「やあ。…暗い顔してどうしたんだい?」
颯爽と入って来たのはソルジャーの正装をした会長さん。記憶装置も着けています。
「かみお~ん♪ 朝、早かったからお腹が空いてるんじゃない? 差し入れ持ってきたよ」
はい、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」がテーブルに置いたバスケットの中身はサンドイッチ。美味しそうなコロッケサンドにカツサンド、スタンダードな卵やハムも…。あれ? 精進料理じゃ…ない…? それとも最後の晩餐ならぬ精進料理突入前の最後の朝食?
「えっ、最後の晩餐って……なんの話さ?」
誰の心が零れていたのか、会長さんが首を傾げました。「そるじゃぁ・ぶるぅ」も不思議そうに。
「えっと…お昼御飯は普通にあるよ? まだ食堂はランチメニューの時間じゃないから作って来たけど、もしかしてケーキセットとかを食べに行く方が良かったのかなぁ?」
「「「???」」」
精進料理一直線だと思い込んでいた私たちは意表を突かれ、全く状況が掴めません。ぐるぐるしている頭の中を会長さんが読み取ったらしく、いきなりププッと吹き出して…。
「そうか、そういう話になっていたんだ? シャングリラ号で精進料理に般若心経とはゴージャスだねえ…。誰もそこまで言ってないけど?」
「えっ、じゃあ……もしかして、ぼく、大損したわけ?」
昨夜は奢らされたんだよ、というジョミー君の必死の訴えは会長さんに大ウケしました。おかしそうに笑い転げてますけど、精進料理じゃないんですか? ちょっとだけ救いが見えてきたかも…。
食事は普通のメニューらしい、と知った私たちは差し入れのサンドイッチを早速パクパク。「そるじゃぁ・ぶるぅ」が飲み物も用意してくれます。この部屋にはキッチンもあるのでした。座り心地のいいソファで寛いでいると、サイオン強化合宿に連れて来られたことを忘れてしまいそう。気を引き締めてかからないと…。
「おやおや、まだ勘違いしているのかい?」
クスクスクス…と笑う会長さん。私たちは顔を見合わせ、勘違いとは何のことかと揃って首を捻ったのですが。
「ホントに分かってないみたいだね。精進料理と般若心経も凄かったけど、思い込みの勝利と言うべきか…。ジョミーにファミレスで奢らせるほど追い詰められていたんだったら、期待に応えてあげようか?」
「「「は?」」」
「だから、期待に応えて仏道修行! 一応、青の間にも緋色の衣は置いてあるんだ。着替えてきて指導をしてもいいんだけれど、それだとクルーの期待を裏切る」
「「「えっ…?」」」
会長さんが何を言っているのか、全く分かりませんでした。私たちがシャングリラ号に乗り込んだ目的は結束と団結力を高めるためのサイオン強化合宿です。なのに会長さんが指導役を買って出るとクルーの期待を裏切ることになるんですか? クルーの人もジョミー君たちの将来を期待してるんじゃあ…?
「ああ、サムとジョミーの将来ねえ…。キースともども注目されているようだけど、期待と言ってもそれほどのことは…。だって、所詮はお坊さんだよ?」
実生活では役立たないよね、と会長さん。
「ぼくの直弟子のサムとジョミーが高僧になれるかどうかで賭けをしようかって話ならあった。でもさ、住職の資格が取れるまでに何年かかるかってことを思うとすぐに結果は出ないよねえ…。だから立ち消え。とりあえず一時的なスターに過ぎない」
人の噂も七十五日、と会長さんはペロリと舌を出しました。
「シャングリラ号の中でジョミーたちを見ても「ああ、特集記事に載ってたな」くらいの認識だよ。ソルジャーの悪友という印象の方が遙かに強い」
「「「悪友……」」」
酷い話もあったものです。真面目に修行に来たというのに、これでは私たちも浮かばれません。会長さんに指導して貰うとクルーの期待を裏切るだなんて、会長さんには他に重大な役目でも…?
「それなんだけど、大前提からして激しく間違っているんだってば」
会長さんがクッと喉を鳴らして。
「ぼくは君たちの結束を高めようと言っただけだよ? サイオン強化合宿をするとは一言も言っていないんだけれど…?」
「「「えぇっ!?」」」
私たちはビックリ仰天。慌てて記憶を辿りましたが、確かに会長さんは合宿とは言っていませんでした。思い込みと憶測で話を進める私たちに相槌を打っていただけで…。それじゃ、シャングリラ号に連れて来られた目的は? クルーの人たちも期待していると聞きましたけれど…?
「うん、思い切り期待はされてる。…ただしクルーの半数から…ね」
「半数だと?」
なんだそれは、とキース君が突っ込みました。
「あんた、投票でもさせてたのか? 坊主に期待するかどうかで」
「違うよ、まだ思い込みが抜けないかな? 坊主は何の関係も無い。ついでに期待しているクルーはクジ引きでソルジャー側に決まったクルーで、長老側になったクルーは恐れていると言うべきか…」
「「「???」」」
今度こそ何が何だか分からなくなってしまいました。ソルジャー側だの長老側だの、いったい何の話でしょうか? 私たちの団結力に期待する人と恐れている人、おまけにクジ引きがどうのとか…。仏道修行は確かに関係なさそうですけど、だったら何で団結しろと?
「5月5日は子供の日という祝日だけど、本来は端午の節句なんだよ」
会長さんの言葉は思い切り斜め上でした。私たちが尋ねているのは祝日の由来なんかではなく、シャングリラ号で何をすべきか、何処で団結するべきなのかで…。
「話は最後まで聞きたまえ。端午の節句と言えば菖蒲だ。菖蒲は勝負に通じるからね、男の子の節句で兜なんかも飾るだろう? この日に凧上げ合戦とかをやってる地方なんかもあって…。今年はシャングリラ号でも勝負しようかって話になった」
「「「勝負?」」」
「そう、勝負。クルーを二手に分けて賑やかに競い合おうってわけ。それでクジ引きで決めたのさ」
やっと話が見えてきました。要するに私たちはソルジャーである会長さん側というわけです。クルーの人から期待されてるのは戦力としてだったんですねえ…。
「そういうこと。長老側との勝負となれば力を合わせて頑張らないとね? だから結束を高める必要がある、と言ったんだよ。団結力も欠かせない。…その辺の所を君たちが一方的に勘違いして暴走したのさ。面白いから黙っていたら、まさかジョミーが毟られるとはね」
「どうして教えてくれなかったのさ! ぼく、向こう三ヶ月間、お小遣い無しだよ! 赤貧だよ!」
あんまりだよ、と食ってかかったジョミー君に、会長さんは。
「大丈夫。御両親にはちゃんと訂正してあげるから。ちょっと行き違いがあって不幸な事故になったんです、とお詫びの電話をしておくよ。地球に帰ったらぼくが弁償したっていいし…。もっとも、払うと言っても遠慮されちゃいそうだけどね」
そりゃそうだろう、と溜息をつく私たち。会長さんの正体が知れている以上、よほどの大金でない限り請求しにくいものがあります。第一、勘違いをして毟り取ったのは会長さんじゃないですし…。とはいえ、ジョミー君のお小遣い差し止めが解除されるのは喜ぶべきことで、おまけに仏道修行も無し。勝負が何かは知りませんけど、修行よりかは楽しいですよね?
「もちろんさ。クルーのみんなも盛り上がってるよ。勝負は今日から始まるんだ」
「端午の節句だけではないのか?」
えらく長いな、とキース君が言うと、会長さんは。
「最終的には大将同士の一騎打ちかもしれないけどね。そうなれば勝負は一瞬だからつまらない。どっちが勝つのか、三日間ほど競い合うから楽しいんだよ。その過程で団結力も生まれる」
なるほど、私たちが勘違いをした団結力とはこれでしたか! 会長さんはニッコリ笑って。
「シャングリラ号も定位置に着いたし、昼食の前に前哨戦だ。ソルジャー側が勝つか、長老側が勝つかでチームの衣装を決定するのさ」
「「「衣装?」」」
「うん。せっかく勝負をするわけだしね、どちらのチームか一目瞭然というのがいいだろ?」
おおっ、ユニフォームまで揃えて本格的に勝負ですか! これは絶対勝たなくちゃ、とジョミー君たちが拳を握り締めます。更に会長さんが気合を入れるように。
「ここで負けたらハーレイたちが選んだ衣装になっちゃうんだ。あっちのセンスは期待できない」
なんと言っても長老チーム、と言われて頭に浮かんだのは長老組の制服です。キャプテンはともかく、あの服はちょっと…。負けてしまったらあんな衣装を着せられるのか、と思っただけで背筋が寒くなりそうでした。
「ね、負けるわけにはいかないんだよ。おっと、そろそろ時間かな?」
前哨戦の会場は公園なのだ、と会長さんが立ち上がりました。長老の先生方が選んだ衣装を着たくなければ勝負に勝つしかありません。ここ一番の勝負、勝ち星を挙げてみせますよ~!
ソルジャーとエロドクターの模擬結婚式での大騒ぎから数日が経った放課後。いつものように「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお部屋へ出掛けて行った私たちの頭の中はGWの予定で一杯でした。今年は5月の3日から6日まで4連休! とっても期待できそうです。
「シャングリラ号ってGWは必ず地球に戻って来るもんね」
今年はここに決まってる、とジョミー君。会長さんから聞いた話ではGWは纏まって休みが取れるので長老の先生方が揃って乗り込み、各セクションのチェックなどをなさるのが定例だとか。それに合わせて私たちも乗せて貰って宇宙で過ごすのが一昨年以来のお楽しみで…。
「4日間かあ…。絶対、乗せて貰わなくっちゃな」
穴場なんだし、とサム君も私たちも大乗り気。乗らずにどうする、と意気込みながら生徒会室の壁の紋章に触れ、壁をすり抜けて「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお部屋へと。
「かみお~ん♪ いらっしゃい!」
「やあ。首を長くして待ってたんだよ」
はい、と会長さんがテーブルの上に薄い冊子を置きました。大判で、薄いと言ってもページ数はそこそこありそうです。雑誌ほどではないですけども。何だろう、と覗き込んだ私たちの目に飛び込んできた文字は…。
「「「月刊シャングリラ!?」」」
「うん。仲間たちのための広報誌さ。最新号が出来たんだ。ああ、ジョミーやキースの家のポストにも今日の間に届くと思うよ」
「えぇっ!?」
反応したのはジョミー君でした。顔色がたちまち青ざめ、冊子を指差し震える声で…。
「も、もしかしてスウェナの写真と記事が載ってるヤツ?」
「そうだけど? ほら、ここにドカンと」
いい出来だろう、と会長さんが広げたページには見開きで特集が組まれていました。『未来を拓くお坊さん』というタイトルで、元老寺での春のお彼岸でスウェナちゃんが写した法衣姿のジョミー君にサム君、キース君のカラー写真が何枚か。アドス和尚の写真入りコラムもくっついています。
「や、やばいよ、これ…。ぼくの家にも送ったって?」
ジョミー君が頭を抱え、会長さんが。
「当然だろう、取材に協力してくれたんだし…。この広報誌は一般配布はしないんだよ? 要職についている人とシャングリラ号のクルーたち、それとシャングリラ学園の先生たちが主な読者で」
他は仲間だけで運営される施設に配られるんだ、と会長さん。マザー農場なんかのことですね。じゃあ、取材に同行した私やシロエ君の家には来ないのかな?
「残念ながら、今回はサムとジョミーとキースの家と……記事を書いてくれたスウェナの家だけ。他のみんなは此処で読んでよ」
どうぞ、と会長さんが差し出す冊子。私たちはおやつよりも先に特集記事に飛び付きました。記事のメインは元老寺の副住職を目指すキース君の抱負と経歴。住職の資格を取ったのですから主役になって当然ですけど、会長さんの直弟子になったサム君とジョミー君の扱いも負けてはおらず…。
「へえ…。会長が伝説の高僧だって話、仲間内では全然隠してないんですね」
シロエ君が言う通り、記事には『銀青』という会長さんの法名と略歴も入っています。スウェナちゃんは会長さんに確認してから記事を書いたそうで、「璃慕恩院と恵須出井寺で修行」の件もキッチリと。
「仲間相手には隠すだけ無駄って話もあるしね。ハーレイたちとは出家前から知り合いなわけだし、ソルジャーの裏の顔はお坊さんっていうのも楽しいじゃないか。ただの生徒会長より意外性がある」
そういう問題なんでしょうか? それはともかく、サム君とジョミー君は会長さんの初の直弟子ということで記事の中でもクローズアップ。結びの一文は「三人の将来が大いに期待されるところです」と。
「酷いや、スウェナ!」
記事を読み終えたジョミー君が叫びました。
「これじゃ喜んでお坊さんをやってるみたいじゃないか!」
「あら、そうでしょ? キースはとても頑張ってるし、サムだってやる気満々じゃない」
間違ったことは書いていないわ、とスウェナちゃんは涼しい顔。
「ジョミーも会長さんの直弟子なのよ? そう聞けば誰でも期待しちゃうわ。実はジョミーは嫌がってます、なんて事実を書けると思う? それにね、この冊子はシャングリラ号のライブラリに保存されるのよ。将来、ジョミーが立派なお坊さんになったとするでしょ? その時にみっともない記事が出てきたら…」
とってもカッコ悪いんだから、と逆に注意するスウェナちゃん。
「そこまで見越して記事を書いたの。よく読んだ? 頑張っていますと書いただけよ。喜んでます、なんて表現、何処にも無いわ」
スウェナちゃんの指摘どおり、記事には当たり障りの無い文章が綴られていました。どう読み解くかは読者次第ということです。ジャーナリスト志望だったスウェナちゃんの全力投球の記事は天晴れな出来。会長さんも手放しで喜んでいて…。
「この記事は仲間にウケると思うよ。ソルジャーのぼくが高僧なのに、仲間たちの中にお坊さんはゼロだったんだ。いろんな専門職がいるというのに、お坊さんはどうも不人気で…。アドス和尚も住職だけど、シャングリラ・プロジェクトで仲間に加わったんじゃ重みがイマイチ」
最初からサイオンを持った人間が頑張ってなんぼ、と会長さんは拳を握って。
「その点、キースは完璧だ。サイオニック・ドリームを使って自慢の長髪を死守しているのもポイントが高い。既に住職の資格も取ったし、立派なお坊さんだよね。更にキースに続く形でぼくの直弟子が二人も誕生! これを切っ掛けにお坊さんを目指す仲間が増えるといいな」
大いに崇めて貰えるし…、と会長さんの夢は大きく果てしなく。ソルジャーとしての特別扱いは嫌いなくせに、緋の衣を見せびらかすのは大好きなのが会長さんです。遠い未来にシャングリラ号のクルーとは別に、会長さんを頂点とするお坊さんの団体が出現するかも? シャングリラ念仏青年団とか…。
その翌日、私たちは月刊シャングリラの最新号の威力を思い知ることとなりました。登校してきたジョミー君が思い切り黄昏れていたのです。
「うえ~…。やっぱり早起きは無理…」
「なんだ、どうしたんだ?」
キース君が尋ねると、ジョミー君は机に突っ伏したままで。
「ママに叩き起こされたんだよ、いつもより2時間以上も早く…。ね、眠い…」
「なんでそうなる?」
「ぼくの家からブルーの家までバスで出掛けて朝のお勤めをする気だったら早起きするよう練習しなきゃ、って。それで学校で居眠るようなら夜更かしせずに早めに寝なさいって言われたんだよ~…」
もう限界、という言葉を最後にジョミー君は眠ってしまい、私たちが顔を見合わせていると。
「よう、おはよう!」
片手を挙げて入って来たのはサム君でした。
「あれっ、ジョミーは寝てるのか? なんで?」
「そう言うお前は元気そうだな。今日も朝からお勤めか?」
キース君の問いに、サム君は。
「決まってるだろう、昨日の今日だぜ? こないだまでは父さんも母さんも「また行くのか?」って顔してたけど、今日は全然違ったなぁ…。「早く立派なお坊さんになって、ソルジャーに喜んで頂きなさい」ってさ」
頑張らなくちゃ、と決意を新たにしているサム君。起きた時間はジョミー君と変わらない筈ですけども、なんとも爽やかな笑顔です。そしてキース君は二人よりも更に早起きなのだそうで…。
「副住職をやるとなったら、親父の留守には一人で寺を取り仕切れるようにしておかないとな。とりあえず朝のお勤めの用意をするのは俺の役目ということになった。朝一番に起きて掃除からだ」
元老寺の掃除は宿坊に勤めている人がするそうですが、本堂の内陣……御本尊様がある大切な場所は住職自ら掃除するのがアドス和尚の方針だとか。そこでキース君は朝も早くから掃除を済ませて仏具を磨き、それから法衣に着替えてアドス和尚とお勤めを…。
「今日は親父も特に気合が入っていてな。広報誌で紹介されたからには無様な姿を見せてはならん、と久しぶりに朱扇で叩かれた」
「「「………」」」
朱扇というのはお坊さんが持つ骨の部分が朱塗りの扇。キース君が除夜の鐘撞きに備えてサム君とジョミー君を指導した時、その扇でジョミー君をビシバシ叩いていましたが……なんと今頃キース君自身が?
「坊主の世界は形にうるさい。立ち居振る舞い、経の読み方、鐘や木魚の叩き方…。何から何まで作法があるんだ。一通り覚えたつもりなんだが、何十年も続けてきている親父からすれば甘い部分があるんだろうさ」
当分は厳しくしごかれそうだ、と苦笑しているキース君。月刊シャングリラの影響はキース君にも及んでましたか…。この調子ではジョミー君も御両親に無理やり朝のお勤めへと送り出されてしまうかも?
「そうは言っても、今、爆睡だ。とても務まるとは思えんな」
お勤め中に居眠りするのが目に見えている、とキース君がジョミー君の頭をつつきましたが、起きる気配はありません。ジョミー君、そのまま気持ち良く眠り続けて…。
「諸君、おはよう」
ガラリと教室の扉が開いてグレイブ先生が現れました。流石のジョミー君もやっと目が覚め、出欠を取るグレイブ先生に眠そうな声で「は~い…」と返事し、再びコックリコックリと。朝のホームルームは恐らく何一つ聞いてはいなかったでしょう。そして。
「ジョミー・マーキス・シン!」
「は、はいっ!」
いきなり大声で名前を呼ばれてしまったジョミー君。慌てて立ち上がったはずみに椅子がガターン! と倒れていたり…。
「私は立てとは言っていないが? 随分気持ち良く寝ていたようだな」
「す、すみません……」
「まあいい。それと、サム・ヒューストン」
「はいっ!」
こちらはきちんと座ったままでサム君が返事。グレイブ先生は満足そうに頷いて。
「二人とも、放課後に進路指導室まで来るように。…いや、この時期に進路指導室というのは無いのだったな…。生活指導室でいいだろう。とにかく来なさい」
「「は、はい…?」」
サム君とジョミー君は怪訝そうな顔をしつつも従うより他にありません。何故に今頃、進路指導室? 二人とも私たちと同じく特別生ですから、針路なんてものはとっくの昔に決定している筈ですが? そう、特別生という立ち場そのものが私たちの選んだ道なのですし…。
一日中、眠そうにしていたジョミー君は、終礼が済むとサム君と一緒にグレイブ先生に連れてゆかれてしまいました。行き先は生活指導室。私たちが踏み込める場所ではないので、追跡しても無意味です。こういう時は「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお部屋に行くのがベストでしょう。会長さんならきっと色々知っている筈!
「かみお~ん♪ 授業、お疲れさま!」
「おや。いつもの顔が見えないようだね」
遅刻かな? と、会長さん。けれど唇には楽しそうな笑みが…。
「ぶるぅ、おやつを用意して。サムとジョミーは遅くなりそうだ」
「やっぱりそうなの? えとえと、生活指導室って…」
怖いんだよね、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」。授業とは無関係な子供ですけど、シャングリラ学園のマスコットだけに様々な施設の意味は漠然と分かっているようです。生活指導室が全校生徒に恐れられる場所だというのは間違いではなく…。
「はい、今日のおやつは紅茶のシフォンケーキだよ♪ でも、サムたちって…叱られちゃうの?」
ちょっと心配、と「そつじゃぁ・ぶるぅ」がケーキのお皿を配ってくれます。この様子では「そるじゃぁ・ぶるぅ」は何も事情を知らないみたい。ジョミー君たち、大丈夫かな?
「さあね。…大丈夫なんだか、そうでないのか、叱られちゃうのか、違うのか…。やっぱり気になっちゃうのかな?」
クスッと笑う会長さんに、キース君が。
「当然だろうが! どうして生活指導室なんだ? なんで今頃、進路指導が…」
「ん? そりゃあ…。昨日からの流れで分からないかな?」
これ、と会長さんが取り出したものは例の月刊シャングリラでした。
「先生たちの家にも届く、と言っただろう? 本当は学校にも置いておきたいとこなんだけど、教職員はともかく生徒は一般人が殆どだしねえ…。どんなはずみで目に触れないとも限らない。だから先生の家には個別に配達。そして楽しく読まれているわけだけど…」
今回はちょっと問題が、と会長さん。月刊シャングリラは広報誌だけにシャングリラ号の航行スケジュールなど重要な情報も載っていますが、連載小説や仲間へのインタビューなども掲載される総合誌。ゼル先生がお料理コーナーを持っているのも分かりました。そういう気楽な読み物を先生方は毎月楽しみにしていて…。
「最初に気付いたのが誰だったのかは分からない。とにかく、キースたちの特集記事が注目を集めたことは確かだ。でもって、本格的にお坊さんの道を目指すんだったら全面的にサポートを、という話になった」
「それで進路指導室と言っていたのか!?」
キース君が素っ頓狂な声を上げ、シロエ君が。
「そ、それじゃ今頃、サム先輩とジョミー先輩は…」
「うん。進路指導の真っ最中ってところかな?」
こんな感じで、と会長さんがパチンと指を鳴らすと、壁の一部がスクリーンに。今日は会長さんが自らサイオンで中継をしてくれるつもりみたいです。画面の中には長老の先生方が勢揃い。そこにグレイブ先生が加わり、生活指導室の机を挟んでサム君とジョミー君が腰掛けていて…。
「で、この先はどうするのかね?」
ヒルマン先生が温厚な眼差しでジョミー君たちを見守っています。
「その昔、ブルーが修行に出掛けた時は学校は休学扱いだった。何年もかかる長い修行だ、それも当然の成り行きと言える。しかし、君たちの同級生のキースがやり遂げたように、大学に行って二足の草鞋という道もあるようだ。…まずは君たちの希望を聞こうか」
「き、希望って…」
ジョミー君は恐れおののき、サム君の方は。
「俺…いえ、ぼくは大体決めてます。ブルーの家で朝のお勤めをしながら作法なんかを教えて貰っているんですけど、お寺の師弟なら子供の頃から自然にやってることらしいので…。ブルーの指導で基本的なことを身につけてから本格的に勉強しようと思っています」
「ほほう…。では、大学に行くのだね」
「それが一番早そうですから。ただ、キースみたいに一般の講義も受けるコースにするのか、仏教だけを専門的に勉強するかは、まだ決めてなくて…」
どちらも一長一短なんです、とサム君は先生たちに逆に説明を始めました。
「一般コースだと卒業までに四年かかってしまうんです。キースみたいに頭が良ければスキップできますけど、そんな自信は無いですし…。専修コースは二年で卒業出来る代わりに全寮制で、休学しなくちゃいけません。それに住職の資格を貰える時には専修コースは格下なんです」
「「「格下…?」」」
よく分からない、といった面持ちの先生方。サム君はそこへ滔々と…。
「ブルーの話では勉強の内容が違うそうです。一般コースの方が広い範囲を学ぶことになるので、知識が多いと認定されます。ですから住職の資格を取りに道場へ行った場合、知識が多い一般コースの出身の方が一段階上の位を貰えることになってます」
「ほう…」
そうだったのか、とヒルマン先生。
「確かにそれは判断に苦しむ所だね。ただ住職の資格を取れればいいというなら専修コース、より上を目指すなら一般コースで四年間か…。よく考えてから決断するのが良さそうだ。具体的なビジョンもあるようだし…。他の先生方はどう思われますかな?」
「私たちの出番は無さそうですわね。いずれ大学に行こうという時に改めて相談してくれれば…」
エラ先生が微笑み、教頭先生が。
「そうだな、それが一番だ。休学するにせよ、二足の草鞋で頑張るにせよ、君の居場所はこの学校だし」
「うむ。特別生はわしらの可愛い生徒じゃしな」
頑張るのじゃぞ、とゼル先生。おおっ、進路指導はこれでサクッと終了ですか? やったねサム君、会長さんの家に通って仏の道に精進した甲斐がありましたよ~!
中継画面に向かってパチパチパチ…と拍手していた私たち。サム君たちは晴れて無罪放免、生活指導室にはオサラバなのかと思ったのですが。
「では、君も同じ方向で考えているというわけかね?」
ヒルマン先生がジョミー君の方に向き直りました。あちゃ~、すっかり忘れてましたよ、ジョミー君の存在を! 会長さんの家での朝のお勤めには出たことも無く、お坊さんにもなりたくないと叫び続ける問題児を…。案の定、ジョミー君は血相を変えて。
「ぼ、ぼくは何にも考えてません!」
「「「………」」」
たちまち先生方の表情が変わり、キース君が「馬鹿め…」と深い溜息。
「ジョミーのヤツ…。嘘も方便と言うだろうが! サムとおんなじ考えです、と答えておけば済んだのに」
「無理、無理! ジョミーはサムの話が全く分かってないからね」
会長さんが可笑しそうに笑っています。
「ああ言っておけば何年間でも長考の構えで逃げられるのに…。普段から関心を持ってないから墓穴を掘る。さて、ヒルマンたちはどう出るかな?」
生活指導室ではヒルマン先生が腕組みをして難しい顔。グレイブ先生はジョミー君の前の机を神経質そうに指でコツコツ叩きながら。
「君はふざけているのかね? 今の発言が皆に知れたらソルジャーの顔に泥を塗ることになるのだぞ? ブルーの顔なら泥を塗っても問題は無いが、ソルジャーとなれば大問題だ」
「…グレイブ。ブルーの顔ならいいと言うのか?」
それも失礼な話だが、と突っ込んだのは教頭先生。けれどグレイブ先生は微塵もひるまず。
「ソルジャーとブルーは別物です! やっていることは根本的に同じだという感はありますが、皆が従うのはソルジャーですから」
「ふむ。確かにグレイブの言うとおりじゃな」
ソルジャーは別格、とゼル先生がグレイブ先生の肩を持ち、他の先生方も続きました。会長さんの日頃の行いの悪さがこういう結果を招くのでしょう。とはいえ、それでジョミー君から矛先が逸れる筈もなく…。
「つまり、だ。…君はまだまだ覚悟が足りないというわけだね」
まるで自覚が出来ていない、とヒルマン先生が呆れたように。
「同じソルジャーの直弟子でもサムとは随分違うようだ。さて、君の指導をどうしたものか…。ソルジャーの直弟子という肩書きがついて回る以上、せめてそういう発言だけでも謹んで貰わねばならないのだが…」
「いっそ大学に進学させては?」
口を開いたのはエラ先生。
「今からきちんと手順を踏めば推薦入学が可能です。そもそも、今日はそういう相談で二人を呼んだわけですし…」
「おお、そうじゃ。大学に行けば周りは坊主の卵じゃからのう、自覚も出来ようというものじゃて」
大賛成じゃ、とゼル先生が自慢の髭を引っ張り、教頭先生が。
「…強引な気がしないでもないが、やはり直弟子の自覚は持って貰わないと…。近い内に御両親も交えて相談しよう。グレイブ、個人懇談の機会を設けてジョミーの御両親を呼び出すように」
「分かりました。早急に手配いたします」
「ちょ、ちょっと待ってよ!」
それは困る、と真っ青な顔のジョミー君。そりゃそうでしょう、このまま行けば坊主街道一直線。来年の春にはキース君が卒業してきたあの大学へ推薦入学させられちゃって、お念仏の日々が始まるのです。まさに大ピンチですが、鬼の進路指導陣から逃げを打つには圧倒的に力不足。
「……終わったな、ジョミー……」
気の毒に、とキース君が呟いた時。
「あれっ、会長!?」
シロエ君がキョロキョロと周囲を見回し、「そるじゃぁ・ぶるぅ」が。
「後はよろしく、って言われたよ? ぼくの力で中継してるの!」
会長さんは姿が見えなくなっていました。いったい何処へ行っちゃったのかな…って、わわっ!? 生活指導室の扉がカチャリと開いて、顔を覗かせたのは会長さんです。
「やあ。…なんだか揉めてるみたいだけれど、ジョミーの自覚が足りていないのは、ぼくのせいでもあるんだよね」
「「「ソ、ソルジャー!?」」」
「ブルーでいいよ、学校だから。それで、ジョミーのことなんだけど…。何年もかけて指導してきて、この程度っていうのが現実。ジョミーを無理やり大学に行かせるとなると、ぼくの力量不足を大々的に宣伝することになっちゃうわけ。…まずくないかな?」
「……まずいですな……」
非常にマズイ、とヒルマン先生。会長さんは「そうだろう?」と困った顔をしてみせて。
「とりあえずジョミーの個性は非常に強くて反発心も旺盛だ、っていう方向でイメージ作りをするしかないかな。それを立派に仏の道へと導いていけば、ぼくの株だって上がるわけだし」
「なるほど、逆の発想ですか。…ジョミーが見事な仏弟子になれば、ソルジャーの徳の高さを広められるというもので」
我々も気長に行きますか、とヒルマン先生が応じ、他の先生方も賛同しました。こうしてジョミー君は進路指導から解放されて、サム君や会長さんと一緒に「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお部屋へと…。
「あーあ、酷い目に遭っちゃった…」
私たちと合流したジョミー君の第一声はこれでした。テーブルの上には月刊シャングリラが乗っかっています。ジョミー君はそれを恨めしそうに眺めながら。
「…スウェナがあんな記事を書くから、進路指導までされちゃったよ。もうちょっとで大学生にされちゃう所だったんだから!」
「それはジョミーが悪いのよ。サムは何にも言われてないわよ? 中継でちゃんと見てたんだから」
ねえ? と同意を求められ、揃って頷く私たち。会長さんがクスクスクス…と笑っています。
「ジョミーも真面目に勉強してれば、サムと同じでいいと答えるのが逃げ道にもなるって分かったのにねえ…。とにかく助けてあげたんだから、今後はもう少し心構えと自覚を持って」
「無理だってば! 今日もママに早起きさせられたんだけど、朝御飯を何処に食べたか覚えてないし!」
多分寝ながら食べたんだ、とジョミー君は膨れっ面。
「朝のお勤めなんて絶対無理! ぼく、お坊さんには向いてないんだ」
きっと体質の問題だよね、と屁理屈をこねるジョミー君。早起きはお坊さんに限ったものではないんじゃないかと思いますけど、恐らく言うだけ無駄でしょう。会長さんも苦笑してますし…。
「ジョミーをお坊さんに仕立て上げるのは大変そうだ。だけどその分、遣り甲斐もあるよね。ヒルマンたちも言ってたみたいに気長に行くさ」
急いては事を仕損じる、と月刊シャングリラの特集ページを開いて見せる会長さん。
「ほらね、『未来を拓くお坊さん』って書いてある。ジョミーの未来を開拓するにはサムとキースも役に立つかも…。まずは結束を高めなくっちゃ」
「「「結束?」」」
なんじゃそりゃ、と首を傾げる私たち。みんなでジョミー君の包囲網とか? いえ、サム君とキース君とか言ってますから二人でせっせと追い込み漁?
「結束と言うか…。団結力と言うべきか。みんな、今年のGWは暇かな? 良ければシャングリラ号に来ないかい? 5月の3日から6日までの予定なんだけど…」
おおっ、渡りに船とはこのことでしょうか? これが言いたくて「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお部屋を目指して出発してから紆余曲折。月刊シャングリラに行く手を阻まれてしまいましたが、回り回って目的地に辿り着けそうですよ~!
翌日の朝、ソルジャーは会長さんの私服を借りて上機嫌で出掛けてゆきました。ガーリックライスの強烈な匂いはどうなったかって? 私たちも同じものを食べているだけにサッパリ分かりませんけれど……多分サイオンで隠していると思います。だって行き先は…。
「あーあ、本気で行っちゃったよ…」
ノルディの家に、と会長さん。ソルジャーはエロドクターの家に瞬間移動し、そこから二人でホテル・アルテメシアへ行くのです。ウェディングドレスをオーダーしに。
「朝御飯は要らないって言うから何かと思えば、ノルディと一緒に食べるだなんて…」
「ぼくの御飯より美味しいのかな? ちょっと自信が無くなっちゃった」
せっかく用意をしてたのに…、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」は残念そう。ソルジャーは昨夜ゲストルームに引っ込んだ後でエロドクターと色々打ち合わせをしたらしく、朝食のお誘いもその時に受けたと思われます。もしかしてエロドクターの手料理とか…?
「それは無いね」
誰の思考が零れていたのか、会長さんがアッサリと。
「ノルディも料理は出来るんだけど、専属の料理人がいる。ブルーを朝食に誘ったからには凝ったメニューを作らせてそうだ。…でも、ぶるぅの腕も負けてはいないよ。プロ並みだから」
ね、ぶるぅ? と訊かれた「そるじゃぁ・ぶるぅ」は「えっと…」と口籠って。
「ぼく、お料理は習ってないよ? ゼルみたいに修行もしてないし」
「だけどホントにプロ顔負けだろ? レシピが無くても食べたら再現できちゃうしね」
「ブルーもでしょ? これってサイオンのお蔭だよね!」
元気一杯な「そるじゃぁ・ぶるぅ」の言葉に私たちはちょっとビックリ。サイオンで様々な知識を伝達できるのは知ってましたが、料理もその中に含まれますか! だったら私たちも努力さえすれば超一流の料理人になれるとか…?
「無理、無理。そんなに甘くは無いよ」
サクッと夢をブチ壊してくれる会長さん。
「ある程度のセンスと手先の器用さが必要なんだ。このメンバーの中で料理人になれそうなのは…キースかな? 基本をキッチリ押さえそうだし、応用も上手く出来そうだしね」
「それってズルイ…」
お坊さんなのに、とジョミー君が口を尖らせました。
「キースばっかりプロになれるって差別だよ! お坊さんも料理人もって!」
「お坊さんは君も努力すればプロだ。…もう忘れた?」
本山に届け出済みなんだよ、と言われたジョミー君は大慌てで前言撤回です。お坊さんのプロにされたのでは悲しいなんてものではなくて…。こんな調子で朝食が終わり、「そるじゃぁ・ぶるぅ」がお皿を洗って片付けました。さて、この後はどうすれば? ガーリックライスの匂いは私たちにもついてますし…。
「ドリームワールドならガーリックの匂いがしてても平気だよね?」
遊びに行こうよ、と提案したのはジョミー君です。しかし…。
「ダメダメ、今日はブルーを監視しないと」
何をやらかすか分からないから、と会長さんがエロドクターの家の方角を眺めました。
「あっちも食べ終えたみたいだね。ノルディの車で出掛けるようだ」
「「「………」」」
ついに模擬結婚式の準備が本格的に始動ですか! あのソルジャーがドレスのオーダー…。それもエロドクターとの挙式もどきに使うドレスとは、なんと言ったらいいのやら…。
リビングに陣取った私たちは飲み物やお菓子を手にして会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」の解説に聞き入ることになりました。ソルジャーは覗き見をシャットアウトする気は無いようですが、中継は不可らしいのです。
「せっかくドレスを誂えるんだし、見てのお楽しみにしたいんだってさ。ぶるぅとぼくにはバレバレだけど、他のゲストにはサプライズってことで」
「ドレスなんてどれも同じじゃないのか?」
キース君の発言に、会長さんは。
「分かってないねえ…。それじゃ女性にモテないよ。ブルーの場合は女性じゃないけど、この際、心得ておくといい。袖のデザインがちょっと違うとか、襟が違うとか、細かい所にこだわりたいのが女心さ。同じデザインでも色が違えば迷っちゃうのも女性だし!」
ねえ? と同意を求められたスウェナちゃんと私は頷きました。色違いで色々欲しくなるのはよくあることです。流石はシャングリラ・ジゴロ・ブルーと呼ばれる会長さん! 女心をよく御存知で…。
「フィシスの買い物に付き合ってると時間がかかるよ? そこで「迷うなら全部買っちゃえば?」なんて気軽に言うのもまた無粋! どれも似合うっていう時くらいしか「全部買えば?」はNGなんだ」
「なんだか知らんが難しいんだな」
俺にはサッパリ理解できん、とキース君が呻いています。その間にもソルジャーはドレスをあれこれ選び出しているらしく…。
「だいたい候補が決まったのかな? これから試着するようだ」
「試着って? オーダーするんじゃなかったの?」
ジョミー君の疑問は尤もでした。オーダーするのに何故に試着を?
「普段の服とは違うからだよ。自分に似合いそうなデザインとかを把握しないとオーダーはちょっと…。ノルディがあれこれ助言していたみたいだけれど」
エロドクターは自分の好みを優先しつつも何着か選んだみたいです。ソルジャー自身も何着か選び、それから順に試着してみて写真を撮って…。
「うーん…。やっぱり可愛いドレスはイマイチだねえ」
「フリルとリボンは難しそうだね」
覗き見している会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」は楽しそう。可愛いドレスとやらはエロドクターが選んだ中にあったのだとか。ソルジャーはそれを却下し、シンプルなドレスを贅沢な生地で仕立てる方向でお次はデザイナーさんと相談を。オーダーってけっこう大変ですねえ…。
「日曜日に間に合うように仕上げるとなると急がないとね。普通はもうちょっと時間に余裕があるものだけど」
「しかし1週間で出来るというのが凄すぎるな」
キース君が感心しています。お坊さんの袈裟には出来上がるまでに数ヶ月かかるものがある、と聞かされて驚きましたけれども、会長さんによればそれが常識。
「最高級の袈裟は注文が入ってから布を織るんだ。もう完全にオーダーメイド! その点、ドレスは生地の在庫さえあれば縫うだけだし」
早いものだよ、とウインクした会長さんは引き続きソルジャーを監視と称して見物中。ようやくデザインが決まって採寸を済ませ、ソルジャーとエロドクターはメインダイニングへ昼食に…。つまり昼過ぎまでドレスにかかっていたわけです。私たちもお腹が空いてきました。
「かみお~ん♪ お昼にしようよ!」
すぐ作るね、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」がお得意のオムライスを手早く仕上げ、スープとサラダも添えてテーブルに。ソルジャーとエロドクターは豪華なコース料理を時間をかけて優雅に楽しみ、それが済んだら…。
「式場と宴会場を下見してからハーレイの家に行くみたいだよ?」
「「「!!!」」」
会長さんに聞くまで教頭先生のことは綺麗サッパリ忘れていました。花嫁の父役を頼みに行くんでしたっけ。ついでに会長さんも同じ依頼をしに行く予定でしたっけ…。教頭先生、引き受けるかな?
式場などのチェックを終えたソルジャーはエロドクターの車で教頭先生の家へ。予期せぬ訪問者に仰天した教頭先生、挙式と聞いて倒れそうになったらしいのですが…。
「やっぱり真面目に引き受けたか…」
そうだろうと思った、と会長さんがブツブツと。今度も中継はして貰えなくて、私たちは話を聞くだけ。教頭先生は結婚式が本物ではないのを確認してから花嫁の父役を引き受けたそうで。
「形だけでも挙式をすればノルディがブルーに目移りするかも、と思ったらしいよ。ブルーはノルディの家でお茶をしてから帰るようだし、ぼくたちはその後でハーレイの家に突入だね」
「俺たちも行くのか…」
ゲンナリしているキース君に、会長さんは。
「そもそも君が言ったんじゃないか。ハーレイがその場にいると心強い…って。ブルーが話をつけただけでは心許ない。第一、ブルーは招待客の話をしなかったし!」
「そうなのか?」
「うん。せっかくだから披露宴もすることにした、と言っただけさ。ハーレイは単純だから招待客は自分一人だと思ってる。披露宴のお客が一人だなんて小規模にも程があるってものなんだけど、身内だけならアリだしねえ…。他にもゲストがいるんだよ、と教えなくっちゃ。…ん?」
そこで会長さんは口を噤んでしまいました。いったい何があったんでしょう? しばらく沈黙が続いた後で…。
「ブルーに監視されてたか…。あっちのハーレイとぶるぅを招待するのは内緒なんだ、と言われちゃった。あっちのハーレイには頼み辛いから、って言って頼んでたねえ、そういえば…。まあいいや、その辺は細かいことだし」
ブルーが帰ったらぼくたちの番、と意気込んでいた会長さんが腰を上げたのは一時間ほど経ってから。ソルジャーは自分の世界にお帰りになったみたいです。私たちは会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」の瞬間移動で教頭先生の家のリビングに飛び込んで…。
「な、なんだ!?」
ソファに座っていた教頭先生が仰け反りました。はずみで吹っ飛んだ冊子を会長さんが拾い上げて。
「ふうん、花嫁の父の心得ねえ…。誰か結婚するのかい?」
「そ、それは…。その……。単なる興味だ。別に父親役をするわけでは…」
教頭先生の額にたちまち噴き出す脂汗。会長さんがクッと笑って。
「語るに落ちるってこのことかな? この冊子には花嫁の父だけでなくて他にも色々載っているけど? で、誰の父親役をするんだって?」
「ご、誤解だ! 私は何も…」
「ぼくそっくりのブルーの父親役。結婚相手はドクター・ノルディで、今度の日曜にホテル・アルテメシアのチャペルで挙式。…どう、間違ってる?」
「…な、何故それを…」
ソファからずり落ちそうな教頭先生に、会長さんは。
「ぼくも招待されてるんだよ。ついでにそこの子たちも…ね。模擬結婚式と言えども披露宴は賑やかにやりたいらしい。花嫁の父役を君に頼むというのも聞いた。それ、ぼくに隠さなきゃいけないことかい?」
「お、お前はノルディが嫌いだし…。お遊びとはいえ、ノルディとの挙式と聞いたら怒り出しそうな気がしてな…」
座り直した教頭先生は冷や汗ダラダラ。会長さんに内緒で引き受けたつもりが即バレどころの騒ぎじゃないのですから、無理ないですけど。
「ぼくが怒ると思ってたんなら、どうして引き受けちゃったのさ?」
「…ノルディがお前から手を引くかも、と思ったのだ。あっちのブルーはノルディを現地妻にしたいと言ったし、そうなれば……そのぅ……」
「それなりの仲になるからノルディが大人しくなりそうだって? …好きだよ、ハーレイ」
ありがとう、と会長さんは綺麗な笑みを浮かべました。
「ぼくもそういう展開を希望。だけどノルディは油断がならない人物だしね…。ぼくを結婚式に招待しておいて両手に花とか、如何にも言い出しそうじゃないか。危険防止にボディーガード! そんな気持ちで臨んでみてよ」
「…お前のボディーガードをしろと?」
「それと花嫁の父役と! 大いに期待しているからね。これは報酬の前払い」
会長さんが教頭先生にギュッと抱き付き、唇と唇が触れんばかりに顔を近づけて…。
「!!?」
フウッとガーリック臭い息を吹きかけられた教頭先生が反射的に顔を反らしてしまった次の瞬間。
「御挨拶だね、キスのプレゼントは要らないって? 二度とあげない!」
「い、いや、今のは……つい…身体が勝手に…」
「身体が勝手に動いちゃうほどイヤだって? だったら頑張ってタダ働きだね、ボディーガードはして貰うから!」
一方的に怒鳴り散らした会長さんは「帰る!」と叫び、たちまち迸る青いサイオン。最初からキスなんてプレゼントする気も無かったくせに、と私たちは溜息です。教頭先生も顔を背けたガーリックの匂い、明日までに抜けてくれないとクラスメイトに「昨日は焼肉?」と訊かれちゃうかも…。
こうしてソルジャーとエロドクターの模擬結婚式の準備は着々と進んでいきました。教頭先生は花嫁の父役という大役を務めるために鏡の前で姿勢チェックに余念が無いとか。その教頭先生に招待状を届けに行ったソルジャーが放課後の「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお部屋にやって来て…。
「こんにちは。はい、君たちにも招待状だよ」
本格的な封筒入りの招待状を貰ってしまって私たちの気分は複雑です。教頭先生には伏せておくようにとソルジャーが会長さんに指示した、残り二人の招待客は? キャプテンと「ぶるぅ」も招待状を貰ったのでしょうか?
「んーと…。それが時間が取れなくて…」
まだ言い出せていないんだ、とソルジャーは舌を出しました。
「どうせ瞬間移動でパパッとこっちに来ちゃうわけだし、当日の朝でもかまわないかな…って」
「えっ? それだと服が間に合わないんじゃ…」
キャプテンの服では出られないよ、と会長さん。模擬結婚式とは言うものの、会場が会場だけに、私たちも制服かお洒落な服を着て行くように、と会長さんから言われています。キャプテンの船長服はシャングリラ号では正装でしょうが、結婚式では浮きそうですし…。けれどソルジャーは平然と。
「大丈夫! それもこっちのハーレイにお願い済みさ。ぼくのハーレイは礼服を持ってないから君のを貸してやってくれ…ってね」
教頭先生に借りた礼服を添えて招待状を渡すのだ、とソルジャーは胸を張りました。
「ぶるぅは前にクリスマス・パーティー用に誂えて貰ったタキシードがあるし、問題はハーレイだけなんだ。きっと似合うと思うんだけど」
「…じゃあ、式の内容の説明とかは? 本物の結婚式だと勘違いしたら大変だよ?」
会長さんが尋ねると。
「サイオンを使えば複雑なことも一瞬で伝達可能じゃないか。当日の朝でも充分さ」
心配無用、とソルジャーは悠然と構えています。青天の霹靂なキャプテンが腰を抜かさなければいいんですけど…。微妙な空気が流れた所へ「そるじゃぁ・ぶるぅ」が。
「はい、今日のおやつはミルフィーユ! お代わりもあるよ♪」
「ありがとう。でも…」
お代わりはちょっと無理かも、と言ったソルジャーは本当に一切れしか食べませんでした。いつもだったら二切れは軽いのに、どうしちゃったの? まさかダイエットをしてるとか…?
「君らしくないね」
会長さんがズバッと遠慮なく。
「お代わりすると太るって? 誂えたドレスが入らなくなったらマズイだろうし…。今日も仮縫いに行っていたっけ。ぼくの服を勝手に持ち出して…ね」
「…見ていたんなら分からないかな? ぼくは毎日大変なんだよ!」
ソルジャーは紫のマントを外してバサッと放り投げました。銀をあしらった白い上着も脱ぎ、その下の黒い衣装のジッパーを…って、なんで突然ストリップ? パニックに陥りかけた私たちですが。
「…コレのせいでロクに食べられないんだ」
ほら、と指差すソルジャーの胴に嵌まっていたのはコルセット。純白にレースをあしらったブライダル用らしきデザインです。どうしてソルジャーがコルセットなんか…。
「ノルディが買ってきたんだよ。ドレスには専用のインナーが無いとシルエットが綺麗に出ないとか言って…。でもって強く締め付けるから、当日初めて着けて気分が悪くならないように時々着けて慣れておけってさ」
「それで真面目に着込んだ結果、キツくておやつも食べられないと?」
良かったねえ、と会長さんがクスクス笑っています。
「君の間食の量が減ったら厨房の人が喜ぶだろう? 気ままにくすねているみたいだし」
「ぼくなんか数の内にも入らないよ! つまみ食いと盗み食いはぶるぅが凄いし!」
「でもコルセットを外す気は無い…、と。ご苦労様」
頑張りたまえ、と会長さんに肩を叩かれたソルジャーはコルセットの上から服を再び身につけて。
「これってキツイし、圧迫感も半端じゃないんだけどね。ノルディが「見ているだけで興奮しますよ、早く外したくてたまらなくなる」って言うものだから…。清楚なドレスにセクシーな下着! 最高の取り合わせだと思わないかい?」
目指せ、完璧な花嫁姿! とソルジャーは闘志を燃やしています。どんなドレスを誂えたのか、とっても気になるところですよね。
そんなこんなで金曜日が来て、会長さんの健康診断の結果を聞きに行く日になりました。キース君がドクター人形を風呂敷に包んでしっかりと持ち、私たちも覚悟と会長さんのガードを固めてエロドクターの診療所へと。今日も休診の筈ですが…。あれ?
「なんだか先客が大勢いますよ?」
駐車場が一杯です、とシロエ君。いつもはガランとしている専用駐車場に車や自転車が何台も。そして扉には『診療中』の札が下がっているではありませんか! 入ってみれば受付の人や看護師さんの姿があって、待合室のソファも満杯。
「えっと…。どうすればいいんだろう?」
会長さんも度肝を抜かれたらしく、代わりにキース君が受付に行くと間もなく会長さんの名前が呼ばれて。
「ようこそ」
忙しいので手短に、と告げるドクターの机にはカルテが山を成しています。エロドクターは一番上に乗っかっていた会長さんのカルテを取ると。
「今回も特に異常はありませんでした。ではまた、来年のこの時期にご案内を出させて頂きます」
えっ、これだけで終わりですか? ポカンとしている会長さんと私たちに、ドクターは。
「明後日のブルーとの式には来て頂けますね? やはり乗り気の相手が一番です。私はブルーのことで頭が一杯なのですよ」
花嫁姿が楽しみです、とニヤニヤしているエロドクター。診療所を普通に開けていることといい、興味は完全にソルジャーに向いているみたい。模擬結婚式と披露宴が無事に終わったら会長さんは安全圏かもしれません。
「良かったな、おい」
これの出番は無かったぞ、と外へ出てからキース君が風呂敷包みを会長さんに渡しました。
「うん、ぼくも本当にビックリしたよ。まさかノルディがブルーに夢中になるとはね…。ハーレイとブライダルフェアに行ったのがバレたと知った時には人生終わったと思ったけれど、災い転じて福となす……かな?」
素敵な結婚式になるといいね、と会長さんが言い、「そるじゃぁ・ぶるぅ」が。
「ぶるぅも来るって言ってたもんね。早く明後日になるといいなぁ♪」
御馳走を食べて遊ぶんだ、と飛び跳ねている「そるじゃぁ・ぶるぅ」。私たちも踊り出したい気分でした。さらば、危険なエロドクター。ソルジャーと末永くお幸せに!
日曜日は朝から気持ちよく晴れて、絶好の結婚式日和。シャングリラ学園の制服を着た私たちとスーツでキメた会長さん、それに子供用スーツの「そるじゃぁ・ぶるぅ」がホテル・アルテメシアのロビーに集合です。エロドクターは放っておいて、目指すは花嫁控室。ソルジャーは上手に化けたかな?
「やあ。…どうかな、このドレス?」
椅子から立ち上がったソルジャーの姿に誰もが息を飲みました。コルセットまで着けて頑張っただけのことはあります。スラリとした身体を包むドレスは見事にフィットし、流れるようなレースのトレーンが美しく…。会長さん御自慢のウェディングドレスも素敵ですけど、それとは違った魅力です。
「かみお~ん♪ 綺麗! すっごく綺麗!」
小さな子供の「そるじゃぁ・ぶるぅ」に手放しで褒められたソルジャーは大満足で。
「そう? じゃあ、ハーレイも喜んでくれるかな?」
「「「は?」」」
どうして此処でキャプテンの名前が出るのでしょう? 今日のキャプテンは招待客の一人に過ぎません。喜ぶと言うよりトンビに油揚げなポジションなのでは…?
「あ、そうか。泣いちゃう方かもしれないねえ…」
どっちにしても楽しみだ、と微笑むソルジャーは花婿が誰か本当に分かっているのでしょうか? 現地妻がどうこうと言ってますから本命はキャプテンかもしれませんけど、花婿はエロドクターですよ?
「うん、その辺は分かってる。ドレス代も式と披露宴の費用もノルディが払ってくれるんだし…。ティアラも本物を買ってあげますよ、って言われたんだけど、そこまでは…ね。だから生花で」
ソルジャーの髪にはブーケとお揃いの真っ白な薔薇が飾られていました。勿論、レースの縁取りがついた長いベールもお約束。
「ほほう…。綺麗に出来たな」
時間になって入って来たのはモーニングを着た教頭先生。そのまま見惚れるかと思いきや、視線は自然と会長さんの方へ。ウェディングドレスのソルジャーよりもスーツの会長さんに惹かれるんですか、そうですか…。教頭先生はソルジャーをエスコートして部屋を出、私たちも続いてチャペルへ。ところが…。
「おい。キャプテンとぶるぅが来てないぞ」
遅刻なのか、と声を潜めるキース君。二人揃って来ていないなんて、あちらの世界で非常事態? 会長さんも心配そうです。教頭先生と一緒に入って来る筈のソルジャーが現れなければ挙式どころではありません。エロドクターはそれを知ってか知らずか、白いタキシードで祭壇の前。
「ブルー、来るかな?」
もしかして帰っちゃったかも…、とジョミー君が呟いた所でチャペルのドアが開きました。教頭先生にエスコートされたソルジャーが滑るような足取りでバージンロードを進んでゆきます。キャプテンは? それに「ぶるぅ」は…? と、チャペルに転がり込んで来た人影が…。
「ブルー!!!」
ソルジャーの名前を絶叫しつつ乱入したのは礼服を着たキャプテンでした。ドアの外にはタキシード姿の「ぶるぅ」が見えます。瞬間移動でキャプテンを連れて来たのでしょう。赤い絨毯を踏んで突き進むキャプテンにソルジャーがピシャリと鋭い一喝。
「足!」
「…は?」
「バージンロードを踏んでるんだよ、思いっ切りね。此処を歩ける男は花嫁の父の他には花婿しかいない筈なんだけど、お前は何だ?」
どんなつもりでやって来たのだ、とソルジャーの唇に冷たい笑みが。
「その服と招待状に手紙を添えておいただろう? ノルディと結婚するってね。ぼくを一生、満足させる自信があるなら攫って逃げるというのもアリだと」
げげっ。ソルジャーは本物の結婚式だと大嘘をついてきましたか! そりゃキャプテンも焦ります。ソルジャーは冷笑を湛えながら。
「攫いに来たってわけじゃないならお前はただの招待客だ。…ぶるぅと一緒にそっちの席へ。ぼくの結婚を祝福したまえ」
邪魔なんだよ、とソルジャーが促しましたが、キャプテンはバージンロードから足をどける代わりにソルジャーの腕をグッと掴んで。
「い、一生満足させてみせます!」
「…ふうん? とてもそうとは思えないけど?」
ヘタレな上にマンネリだもんねえ…、とソルジャーが言い終えない内に。
「が、頑張らせて頂きます!」
一生努力あるのみです、と叫んだキャプテン、ソルジャーをサッと抱き上げるなり脱兎の如く開け放たれたままのドアの彼方へ…。気付けば「ぶるぅ」も消えていました。
「「「………」」」
どうやら花嫁は拉致されちゃったみたいです。花嫁姿のソルジャーが「ハーレイも喜んでくれるかな?」と言っていたのは、これを見越してのことでしたか! 今頃、キャプテンは向こうの世界でソルジャーのウェディングドレスをいそいそと脱がせ、セクシーなコルセット姿に悩殺されつつ大人の時間に突入中…?
「残念ですよ、花嫁を攫われてしまうとは…」
やられました、とシャンパンを呷るエロドクター。
「またしても脱マンネリというヤツなのでしょうか? 私は本気だったのですがねえ…」
エロドクターが座っているのは一段高くなった高砂席。結婚式は壊れましたが、披露宴の御馳走などは出来ていたので皆で食べようというわけです。私たちはキャプテンと「ぶるぅ」の分が空席になった招待客用のテーブルで美味しい料理を堪能中。
「ブルーのアレって結婚詐欺になるのかな?」
ジョミー君が尋ね、キース君が。
「最初から模擬結婚式だし、結婚詐欺とは言わんだろう。…悪質だとは思うがな…」
絵に描いたような花嫁の略奪騒ぎは宴席の格好の話題でした。教頭先生はキャプテンと「ぶるぅ」が呼ばれていることを知らなかっただけに、とても感動したのだとか。一方、大人なエロドクターは高砂席で悠々と食事し、ウェディングケーキにも一人で入刀! 本物のケーキですから切り分けて皆に配られて…。
「どうですか、ブルー? 食事もケーキも御満足頂けたかと思うのですが」
エロドクターが高砂席を下りて会長さんの側にやって来ました。
「次はあなたが花嫁役など如何です? 最高の贅沢をお約束しますよ」
ニヤついているエロドクターに、会長さんは。
「お断りだね。ハーレイ、君の出番だよ」
「は?」
「ボディーガードをしてくれるんだろ? それに逃げた花嫁の尻拭いをするのは花嫁の父の役目だってば」
行くよ、と教頭先生を引っ張って宴会場を出てゆく会長さん。何をしようと言うのでしょう? しばらく経ってから会長さんの後ろに隠れるようにして戻って来た教頭先生は…。
「「「わはははははは!!!」」」
私たちもエロドクターも笑いが止まりませんでした。教頭先生が纏っていたのは、以前、シャングリラ号でのガーデンウェディングで着せられていたフリルとリボンが満載のドレス。会長さんは可笑しそうに。
「ノルディは可愛いドレスが好みなんだ。君が花嫁役をやってあげれば喜ぶよ」
「う、うむ…」
教頭先生が眉間に皺を寄せ、エロドクターが。
「私にも選ぶ権利はあるのですがね。…とはいえ、ブルーの代わりでは断れませんか…」
止むを得ません、と仏頂面のドクターの隣に座らせられた教頭先生。ソルジャーの代役誕生で高砂席に新郎新婦が揃いました。考えてみれば会長さんを好きな人同士、最高にお似合いのカップルかも…。凄い披露宴になりましたけど、二人の前途を祝して乾杯~!
会長さんと教頭先生のバカップル・デートを目撃していたというエロドクター。正確にはホテル・アルテメシアでのブライダルフェアの一部を目にしただけなんですけど、よりにもよってチャペルに入って行く所とは…。更にソルジャーまでが押し掛けてきて、私たちは戦々恐々です。
「ブルー? 私が見たのは何だったのだと仰るのですか?」
お話合いをしましょうね、とエロドクターは猫なで声。
「あなたはハーレイと結婚する気は無いと信じていたのですが、どうやら間違っていたらしい。実に幸せそうなカップルでしたよ、お似合いとしか言いようの無い」
「………」
黙り込んでいる会長さん。迂闊に返事をすれば墓穴を掘りかねないからでしょう。
「黙っていては分かりませんねえ、あなたはどういうおつもりなのです? まさか結婚なさったとか? それとも極秘に入籍ですか? ソルジャーとキャプテンが結婚となれば我々にも知らせがあるでしょうし…。まあ、隠しておきたいという気持ちも分からないではありませんがね」
あなたは高校生ですし、とエロドクターは唇を笑みの形に吊り上げました。
「シャングリラ学園の校則は存じませんが、不純異性交遊は恐らく禁止事項でしょう。かといって学生の身分のままで結婚というのも他の生徒の目がありますし…。在学中には婚約までが限界なのではないですか? 結婚したとなれば自主退学を余儀なくされるかと」
「……結婚も入籍もしてないってば」
会長さんがやっとのことで口を開いて。
「ぼくは今の所は結婚する気は全く無いし、ましてハーレイなんて願い下げだよ! 結婚するなら絶対、フィシス! もうちょっと遊びたいから保留なだけさ」
「そうなのですか? では、ホテル・アルテメシアで私が見たのは…」
「勘違いだろ?」
「なるほど。確かに写真も撮っていませんし、あなただという証拠は何も無いわけですが…」
おかしいですねえ、とドクターは首を傾げています。そりゃそうでしょう、超絶美形な会長さんと目立つ体躯の教頭先生、どちらも何処にでもいそうなタイプではなく、見間違える方が難しそう。ソルジャーとキャプテンというそっくりさんがいると言っても、別の世界の住人ですし…。
「まあ、勘違いならそれはそれで。…そうそう、あの日はブライダルフェアがありましたっけね」
「「「!!!」」」
ウッと息を飲む私たち。ブライダルフェアの受付デスクはロビーの目立つ所にありましたから、エロドクターが気付いたとしても別に不思議ではありません。ひょっとすると内容の方もバレているとか…? 案の定、エロドクターはニヤニヤと。
「先着限定三組様のスペシャル・コースがあったというのも知っていますよ。個室でのウェディングメニューの試食とチャペルでプロが記念撮影をするのでしたか…。もしや、下見にお出掛けになられたとか? とりあえず今は婚約だけで卒業してから挙式でしたら、ブライダルフェアも納得です」
「誤解だってば!」
勢いよく叫んだ会長さんに、エロドクターはクッと喉を鳴らして。
「おやおや、誤解と来ましたか。それではブライダルフェアにお出掛けになったのは事実ですね? で、どの部分が誤解なのです?」
「…そ、それは……」
しまった、という表情を浮かべる会長さんの横からソルジャーが。
「ふふ、ブルーはハーレイと結婚する気は無いんだよ。ブライダルフェアも言い出したのはブルーじゃないし」
「ほう? 結婚する気も無いというのにブライダルフェアのスペシャル・コース…。ハーレイには手痛い出費ではないかと思うのですが、それをブルーが仕掛けたのではなくてハーレイが?」
信じられませんね、と顎に手をやるエロドクター。
「それにブルーが承知したというのが理解できません。自分から言い出した計画だったら乗り気でしょうが、ハーレイの申し出でブライダルフェア…。二人仲良くチャペルで記念撮影だなどと、有り得ない話だと思いますがね」
「それがそうでもないんだよね」
クスクスクス…と笑うソルジャーに、エロドクターは。
「お話合いは人数が多いほど盛り上がる、と考えたのは正解でした。あなたは色々と御存知のようで…。私が見たのは何だったのです? どうしてブルーがブライダルフェアに?」
「それはねえ…。何から話せばいいのかな?」
どうしよう、とソルジャーは楽しげな笑みを浮かべています。ソルジャー、どこまで知ってるんですか…?
「最初はデートだったんだよ」
お話合いに乱入してきたソルジャーは、いきなり爆弾発言をかましました。
「デートですって?」
エロドクターの声が引っくり返り、それから「ああ…」と両手を打って。
「なるほど、昔の私と同じケースかもしれませんね。ブルーにデートを申し込んだら散々な目に遭わされました。…あの感覚で悪戯というなら理解できます」
勝手に一人で納得しているエロドクターに、私たちも思い出しました。あれは特別生の一年目も終わろうという三学期のこと。その一年前に会長さんを食べようとして果たせなかったエロドクターが「一年間も待ったのだから利子をつけて頂きたい」とデートを申し込んできたのです。
「私はそこのボディーガードたちに邪魔されましたが、ハーレイも酷い目に遭わせたのですか? チャペルでは幸せそうでしたがね」
「んーと…。特に酷い目には遭ってないかな」
ソルジャーはパチンとウインクをして。
「どっちかと言えば幸せ一杯? なにしろデートのテーマがねえ…。バカップルごっこだったっけ?」
ひぃぃっ、そこまでバレてましたか! そしてバカップルという単語はエロドクターの耳にバッチリ入ったようです。
「バカップル…ごっこ? なんですか、それは」
「話せば長くなるんだけれど…。そもそも春休みに行った旅行が発端なんだ」
「…旅行…。ブルーとハーレイが?」
「他にもゾロゾロいたけどね。そこの子たちは勿論参加。ぼくと、ぼくの世界のハーレイも行った。河原を掘ったら露天風呂が作れるんだよ」
面白かった、と語るソルジャーに、エロドクターは怪訝そうに。
「いわゆる団体旅行ですね。ハーレイとブルーの仲が進展するような旅だったとは思えません。それがどうしてバカップルごっこに?」
「ぼくとハーレイの旅のテーマさ、バカップルは。せっかく旅行に行くんだからね、婚前旅行っぽく楽しみたくて…。こっちのハーレイに指南役をお願いしたってわけ。そういう風に使えますよ、とぼくのハーレイに紹介してくれたのは君だろう?」
新婚生活を夢見る師匠として、と続けるソルジャー。
「今回の旅でも大いに役に立ってくれたよ。バカップルな旅のアルバムまで作れたし…。それを師匠にプレゼントした辺りから話が大きくなったんだ。こっちのハーレイが羨ましがっているのをブルーが逆手に取って悪戯を…ね」
「おや。やはり悪戯ではないですか」
「それは最後の部分だけ! 悪戯で締めたってだけで、そこまでは楽しくデートしてたさ。でもって、デートのテーマがバカップルごっこ。だからこっちのハーレイも張り切っちゃって、ブライダルフェアを予約したんだ」
あちゃ~。ソルジャーは全て喋ってしまいました。ブライダルフェアの発案者が教頭先生だったと知ったエロドクターは腕組みをして考え込んでいましたが…。
「あのハーレイがスペシャル・コースを奮発したとなりますと……頑張らないといけませんね。ブルーの花嫁姿を拝める上にチャペルで記念撮影ですか…。私も負けてはいられません」
ズイと乗り出すエロドクター。
「ブルー、私とゴージャスなブライダルフェアは如何です? 個室で試食などと言っていないでゲストも呼んで賑やかに…ね。そこの皆さんをお招きすればグッと会場が華やぎますよ」
「な、なんでぼくが…!」
会長さんの顔が引き攣るのも気にせず、ドクターは。
「次のブライダルフェアを待つほどのこともありません。ああいうものは出すものを出せばいくらでも…。あなたのためなら安いものです。模擬結婚式と洒落込みましょう」
「ちょ、ちょっと…!」
「断るのですか? では、健康診断の結果をメチャクチャにして差し上げましょうか。月に一度は検査のために来院しなくてはならないように書き換えるとか…。ええ、あなたは多分今回も何の問題も無いでしょうから。ですが、それは医者としてどうかという話もございますしね…」
バレたら懲戒免職ですし、とエロドクターは大袈裟な溜息をついて。
「あなたの主治医という美味しい立場は私も失いたくありません。さて、断られないためにはどうするか…。断ったらキスをプレゼントするというのもいいですねえ…」
テクニックには自信があるのです、と会長さんの顎を捉えようとしたエロドクターに、キース君が。
「触るな! 人形に一発お見舞いするぞ」
キース君の手が風呂敷包みの結び目をグッと握っています。何かあったら風呂敷を解いてドクター人形を殴りつけるつもりでしょう。ドクターは「やれやれ…」と苦笑しながら。
「キスをされればブルーもその気になりそうですがね? 私とベッドに行きたくなるようなキスを仕掛ければいいだけのことで…。そういう仲なら模擬結婚式どころか結婚式でも大丈夫ですよ」
「やかましい!」
キース君が怒鳴り付け、サム君がエロドクターを睨み付け…。会長さんは顔色を失くして半ばパニック。これは相当ヤバイんじゃあ…、と私たちが思った時。
「模擬結婚式か…。それって、ぼくだとダメなのかな?」
「「「は?」」」
割り込んで来たのはソルジャーでした。エロドクターも会長さんも、誰もがポカンとしています。何がソルジャーだとダメなんでしょう?
「だからさ、花嫁役はブルーじゃないとダメなのか、ってこと! そっくりさんでもいいんだったら、ぼくが代わりに出たいんだけどな」
「「「………」」」
えっと。ソルジャーって女装の趣味とかありましたっけ? 会長さんのウェディングドレスを貰って行ったりチャイナドレスを誂えたりはしてましたけど、エロドクターの花嫁役って、なんでまた…?
予想もしない提案に呆気に取られた私たちですが、立ち直りが一番早かったのはエロドクター。会長さんのそっくりさんの花嫁姿も悪くはないと思ったらしく…。
「ブルーの代わりにあなたが…ですか? 確かにあなたなら嫌がりもせずに楽しくお付き合い下さるでしょうが、ブライダルフェアに興味を持たれましたか?」
「まあね。見ててけっこう面白かったし…。それに君のは模擬結婚式とか言わなかったっけ? そこの子たちを呼んで披露宴もどきってヤツも出来るんだろう?」
「それは勿論。ご希望でしたらウェディングケーキもお付けしますよ。…ええ、あなたの方がブルーよりいいかもしれませんねえ…。嫌がる相手をその気にさせるのも燃えるものですが、ブルーの場合は物騒なボディーガードがおりますし…」
風呂敷包みの中身も脅威です、と言うエロドクターとキース君の間で火花が一瞬バチッと散って。
「やはりブルーは諦めた方が吉ですね。せっかく乗り気の花嫁役がいらっしゃるのに、お断りをするというのも失礼ですし…。で、本当に模擬結婚式を御希望ですか?」
「うん。ぼくの方もゲストを呼べるんならね」
「ゲスト…? しかし、あなたの世界の皆さんは…」
「こっちの世界があるって話はしていない。でも二人だけ例外がいる。ぶるぅとハーレイ」
ソルジャーはクスッと小さく笑うと。
「ハーレイをぼくの結婚式に招待したらどうなると思う? 前に現地妻の募集もしたのに、ホントに危機感が無くってさ…。結婚するぞ、と脅してやりたい」
「そういえば指輪をプレゼントさせて頂きましたね。今度は挙式をなさりたい、と」
「結婚式まで挙げるとなったら現地妻は君で決定だろう? 現地妻の座を確保したとなればハーレイも手出し出来ないさ。…前は殴られてくれたっけね」
「いえいえ、どういたしまして」
大したことではありませんよ、とエロドクターが返しています。すっかり忘れていましたけれど、教頭先生がキャプテンに新婚生活の心得とやらを伝授していた時にソルジャーがエロドクターに監禁されたふりをしたのでした。キャプテンはソルジャーを取り戻そうと屋敷に乗り込み、ドクターにアッパーをお見舞いしたという…。
「今度は結婚式だからねえ、ハーレイも殴りはしないと思う。泣き崩れるのが関の山かと…。ゲストに呼んでもいいのかな?」
「かまいませんよ。ぜひ盛大にやりましょう」
エロドクターは大乗り気です。
「あなたとでしたら、式の後にはスイートルームで過ごすというのもいいですね。如何ですか、私と一晩」
「それはマズイと思うけど…。あ、ブルーにバレなきゃいいだけのことか」
バレるも何も、此処で話している段階で筒抜けでは…と思うのですが、ソルジャーとエロドクターは意気投合。アッと言う間に挙式の日取りは一週間後の日曜日とまで決まってしまって…。
「部屋もバッチリ押さえましたし、後はあなたのドレスなど…ですね」
仕事の早いエロドクターはホテル・アルテメシアにしっかり予約を入れました。えっ、会長さんは口を挟まなかったのかって? 下手な事を言えば自分が花嫁役にされちゃいますから、忍の一字で必死に耐えたみたいです。スイートルームで一泊の件は、後でソルジャーに厳重注意でもする気でしょう。
「ドレスはオーダーしませんか? せっかくですから」
急げば充分間に合いますよ、と聞かされたソルジャーは大賛成。明日は早速エロドクターと一緒にホテル・アルテメシアの衣装室へと出掛けるそうです。この二人、もう放っておくしか…。
「ああ、そういえば。大切なことを忘れていました」
私としたことが、とエロドクター。
「模擬結婚式をするのでしたら、エスコート役が必要です。いわゆる花嫁の父役ですね。…あなたの世界のハーレイにやらせますか?」
「えっ? それだと何かが違いそうな…。でも…」
他に適当な人材も無いか、とソルジャーが首を捻っています。
「ぶるぅじゃどうにもならないし…。そこの子たちの誰かに頼むというのも手かな?」
「「「!!!」」」
キース君たちは必死になって首を左右に振りました。お遊びとはいえ、ソルジャーとエロドクターの結婚式に手を貸すなんて、誰だって遠慮したいでしょう。ソルジャーは誰を指名すべきか、順々に視線を向けていましたが…。
「そうだ、適役がいるじゃないか! ハーレイだったらこっちにもいる」
忘れていたよ、と嬉しそうに微笑むソルジャー。
「ぼくがノルディと式を挙げたらブルーは晴れて自由の身だ、と言ってあげれば食い付くだろう。…どう思う?」
「そうですねえ…。では、交渉をなさいますか?」
「うん。明日、ドレスをオーダーしに行くついでに寄ってみよう。きっと嫌とは言わない筈さ」
あーあ…。とうとう教頭先生まで巻き込むことになっちゃいましたよ! こんな調子でソルジャーとエロドクターは話を進め、段取りもガッチリ組まれてしまって…。
「今日は良い日になりましたよ。明日は楽しみにお待ちしております」
「こちらこそ、よろしく。どんなドレスが似合いそうかな?」
ワクワクするよ、と言うソルジャーを止められる人はいませんでした。会長さんの健康診断の結果は来週の金曜日に聞きにこなくてはいけないのですけど、エロドクターは最早そっちはどうでもいいようで…。
「ブルー、来週の日曜日ですよ。私とブルーの結婚式と披露宴にご出席頂けますね? そちらの皆さんも」
また招待状をお届けします、と告げるエロドクターはソルジャーの方ばかり見ていました。会長さんから矛先が逸れたのはいいことですけど、おかしな展開になっちゃったような…?
ドッと疲れていた私たちはタクシーを呼んで貰うのも忘れてしまい、瞬間移動で会長さんのマンションへ。今夜は御馳走を食べてお泊まりの予定なのですが…。
「どうして君がついてくるのさ!」
リビングに着くなり声を荒げたのは会長さんです。
「え、だって…」
一度戻るのは面倒じゃないか、とソルジャーが悠然と答えを返して。
「明日はドレスのオーダーに行かなきゃならないし…。こっちのハーレイにエスコート役をお願いしに行くのも明日だしね? 今夜は泊めてもらおうかな、って」
「あれだけ勝手をやらかしておいて、今更泊めて貰えるとでも?」
「ふうん? じゃあ、君がノルディと挙式するかい? ぼくとしては君の窮地を救ったつもりなんだけど…。ぼくが花嫁役を引き受けなかったら君が花嫁にされていた」
「………」
否定できない会長さん。そして会長さんが花嫁役の場合でも、エロドクターはスイートルームに予約を入れていたでしょう。そうなっていたら私たちはドクター人形を武器に乱入するしかないわけですけど、あんまりやりたくないですし…。
「ね? 助かったって自覚があるなら、ぼくの機嫌は取っとくべきだよ。ところで、今日の夕食は?」
「かみお~ん♪ 鉄板焼きだよ! いいお肉が沢山買ってあるんだ」
お魚とかも、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」は元気一杯。
「ね、ね、結婚式の御馳走って何が出るのかなぁ? ウェディングケーキもあるんだよね」
とっても楽しみ! と飛び跳ねている「そるじゃぁ・ぶるぅ」。小さな子供だけに、結婚式はイベントでしかないのでしょう。発端になったブライダルフェアでもビュッフェコーナーに突撃していましたし…。
「ぶるぅはホントにいい子だね。結婚式にはぼくのぶるぅも来るからよろしく」
「うん! ぶるぅと一緒に遊べるといいな♪」
早く来週の日曜日になあれ! と叫ぶと「そるじゃぁ・ぶるぅ」は手際よく夕食の支度を整えました。ダイニングのテーブルにホットプレートを幾つも据えて、お肉や海老やホタテなんかをジュウジュウと…。何種類ものタレは勿論手作り。とりあえず今は削られた体力の回復のために食べまくらなきゃ!
「ぶるぅ、ガーリックは多めにね」
会長さんが指示を出したのは締めのガーリックライスです。スライスされたガーリックが食欲をそそる匂いをさせてますけど、もっと増やせってことなのかな?
「えと、えと…。追加?」
「ドカンとね。明日は休みだから匂いがしたって平気だし!」
あ。その瞬間に私たちにも分かりました。ガーリックを増やすのは明日お出掛けのソルジャーに対する嫌がらせです。ホテルの衣装室でドレスのオーダー。サイズを測る人やデザイナーさんたちの前でガーリックの匂いがプンプンするのは最悪ですよね。
「そう来たか…。でも、ぼくだってダテにソルジャーやってないし?」
フフンと鼻で笑うソルジャー。
「匂いをシャットアウトすることくらい、君だって朝飯前だろう? 君よりも遙かに場数を踏んでるぼくに出来ない筈が無い。ガーリックの追加、大いに結構。ガーリックライスは美味しいしね」
「「「………」」」
こりゃ駄目だ、とガックリ肩を落とす私たち。その間に「そるじゃぁ・ぶるぅ」がガーリックをたっぷり追加してくれ、美味しいけれども丸一日は人前に出られそうもないガーリックライスの出来上がりです。ソルジャーは全く気にせず胃袋に収め、デザートのケーキとアイスクリームも平らげて…。
「それじゃ、お先に寝させてもらうね。明日は忙しくなりそうだから、ゆっくり休んでおかないと」
まずはシャワーだ、と出てゆくソルジャーは会長さんの私服でした。押し掛けて来た時にサッサと着替えてしまったヤツなのです。パジャマも適当に借りるのでしょう。当然、明日のお出掛けにも…。ソルジャーにとって会長さんの家は勝手知ったる他人の家。何を言っても無駄なんですから、好きにさせるしかありませんよね。
ソルジャーがゲストルームに引っ込んだ後、私たちは飲み物を持ってリビングに移動。本当だったら健康診断の付き添い第一弾の終了祝いで盛り上がっていた筈なんですけど、状況は完全に真逆でした。
「どうしよう…。ブルー、やる気になっちゃってるよ…。よりにもよって挙式だなんて…」
溜息をつく会長さんにキース君が。
「落ち着け、挙式と言っても遊びみたいなモノなんだろう? 誓いの言葉は言わないそうだし」
「まあね…。模擬結婚式だし、籍が入るってわけでもないけど…」
それでも色々と問題が…、と会長さんは項垂れています。
「だって相手はブルーだよ? ノルディに対して嫌悪感が無いし、現地妻だなんて言ってたし…。スイートルームにも泊まる気満々、これからどうなっちゃうんだろう、って…」
「考えようによってはチャンスじゃないか? エロドクターがあいつに夢中になったら、あんたは一気に安全圏だ」
「うん…。ハーレイにもそう持ち掛けてエスコート役をさせるつもりだと思う。だけどノルディはブルーを手に入れて満足するようなタイプじゃない」
ぼくとブルーは別人だから、と会長さんは再び深い溜息。
「二人いるなら二人とも、と考えそうなのがノルディなんだよ。ブルーの方で味を占めたら次はこっちに向かってくるね。…だけど結婚式を止めようとしたら確実にぼくが花嫁役にされちゃうし…」
「最初からそのつもりだったようだしなあ…。エロドクターは」
「ブルーが来たから助かったのか、更に危なくなっただけかが今一つぼくにも分からない。どっちにしてもブライダルフェアに行っていたのを目撃されたのが敗因だよね」
失敗した…、と会長さんは額を押さえています。けれど、あの会場付近にエロドクターが来ていたことには誰も気付いていなかったわけで。同じ時間帯にホテルの中をウロウロしていた私たちだって医師会の集まりを全く知らなかったのですから、バカップルごっこに興じていた会長さんが気付かないのも無理はなく…。
「…不幸な事故だと思うしかないな」
キース君がキッパリ言い切りました。
「これ以上の事故を重ねないためにも用心するしかないだろう。エロドクターの方は注意してればなんとかなる。教頭先生という強い味方もいらっしゃるんだし、今回の件はもう諦めて失敗は次の機会に生かせ」
「次の機会って…?」
「エロドクターが改めて言い寄って来た時だな。あんたにはブルーがいるだろう、とか、妻がいるヤツの浮気の相手をする気は無いとか…。とにかく物は言いようだ」
「そうか、ノルディが結婚式を挙げるってことは、それから後はブルー以外だと浮気になるのか…」
いいことを聞いた、と会長さんが喜び、私たちも万歳をしかけましたが。
「ただし本物の挙式じゃないのが問題と言えば問題だがな」
あちゃ~…。キース君の冷静な突っ込みは真実でした。模擬結婚式だとお芝居みたいなものですもんねえ、ソルジャーがはしゃいでいるだけで。まあ、現地妻には充分すぎるイベントですけど…。
「ブルー、この先はあんた次第だ。エロドクターに隙を見せないように努力するだけでも違うだろう。いいか、結婚式を挙げるブルーとあんたは違う」
流されるな、とキース君が会長さんの肩を叩きました。
「あんたは俺たちと同じ招待客だし、当日はドンと構えておけ。いざとなったら教頭先生もいらっしゃる。多分……だがな」
「ハーレイか…。ぼくからも頼んでおこうかな?」
会場に来てくれていれば安心だよね、と会長さん。教頭先生、エスコート役をちゃんと引き受けて下さるでしょうか? そうなってくれるようにと今は祈るしかありませんです~!