シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。
- 2012.01.18 繋がる小細工 第3話
- 2012.01.18 繋がる小細工 第2話
- 2012.01.18 繋がる小細工 第1話
- 2012.01.18 桜の花咲く頃 第3話
- 2012.01.18 桜の花咲く頃 第2話
会長さんの追跡を振り切ってエロドクターの写真を撮りに出掛けたソルジャー。翌日の放課後、私たちは戦々恐々として「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお部屋に入りました。会長さんがショックを受けて沈没していなければいいんですけど…。ソルジャーが単独行動を取った場合はロクな結果になりませんから。
「かみお~ん♪ 今日のおやつは桜のシフォンケーキだよ!」
マザー農場で生みたて卵を貰ったから、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」はニコニコ顔です。そういえばソルジャーが朝食にホットケーキをリクエストしてて、そのために卵を貰いに行くとか聞きましたっけ。この様子では昨夜は何事もなかった…のかな?
「…なかったんだと思いたいね」
ソファに座っていた会長さんがフウと吐息をつきました。
「ぼくは結局、ブルーの行動を把握することが出来なかった。夜遅くにフラッと帰ってくるなり、おやつを寄越せと言い出して……ぶるぅがフルーツサンドを作ったんだ。そしたらお皿を持ってプリンターのある部屋に籠っちゃってさ。出て来た時にはカメラのデータは消されていたし、プリントアウトされた写真も見てない」
「じゃあ、写真は…?」
恐る恐る尋ねたジョミー君に、会長さんは。
「撮って来たらしいよ。見てみるかい、と言われたけれど…ノルディの写真なんか見たくもないし」
白衣かスーツ姿ならともかく、と会長さんは仏頂面です。ドクターの手足をサイオンで呪縛できる人形を作るためには素肌の露出が必要不可欠。腕と足をむき出しにしたドクターの写真なんて会長さんが見たくないのは無理ありません。
「…自己顕示欲丸出しの写真なんだと思うんだよね」
会長さんは嫌悪感に溢れた顔で言いました。
「ノルディはジムで鍛えてるから身体に自信を持っている。手足の写真を撮らせて欲しい、なんて言われたら大喜びでポーズをとるよ。…どんな人形が出来上がるのか知らないけれど、呪縛はキースに任せようかな」
「俺!?」
驚いて自分を指差すキース君。
「そう。君が適任じゃないかと思って…。今後はともかく、健康診断の結果を聞きに行く時はボディーガードに委ねておくのが一番だ。ぼくが不埒な真似をされそうになったら、即、呪縛」
「ちょっ……ちょっと待て! 俺のサイオンはまだ不安定だぞ? 坊主頭のサイオニック・ドリームも十分にキープしきれない状態なのに、そんな高度な…」
「大丈夫。花祭りの時と同じだよ。ぼくがサイオンで仕掛けをするから、君はノルディの像を押さえればいい。手とか足とかをギュッと掴むだけで効果を発揮できると思う」
それでダメなら殴るだけだ、と会長さん。
「像を殴れば確実にダメージを与えられる。気絶するか、激しい痛みで座り込むか…。それとも藁人形風の方がいい? 痛覚とシンクロさせて針でつつけば大ダメージっていう仕掛けを施しておくのがいいかな?」
「い、いや…。普通でいい! とにかく押さえればいいんだな? 分かった、なんとかやってみよう。人形を上手く使えなかったら俺が自力で投げ飛ばすだけだ。それだけの覚悟は出来ている」
キース君は決意を固めたようです。ソルジャーがどんな人形を作ってくるのか謎ですけども、効果抜群な人形だったらエロドクターの脅威が減るかも…?
それから平凡な日々が流れてアッという間に水曜日。会長さんが診断結果を聞きに行く日です。授業を終えた私たちは「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお部屋に集まり、腹ごしらえと称してお好み焼きを食べ始めました。そこへユラリと空気が揺れて…。
「こんにちは」
紫のマントを翻してソルジャーが優雅に近付いてきます。
「今日はお好み焼きなんだ? ぼくは海老入りのヤツがいいな」
「かみお~ん♪ 海老入りだね!」
早速焼き始める「そるじゃぁ・ぶるぅ」。ソファに腰を下ろしたソルジャーの手には四角い箱がありました。大きさからして中身はきっとドクターの…。ゴクリと唾を飲み込む私たちをソルジャーの赤い瞳が見渡して。
「…うん、ノルディの人形が入ってる。でも……。ごめん、ブルー」
「「「えっ?」」」
ソルジャーの謝罪なんて耳にしたのは初めてでした。すまなそうに頭を下げるソルジャーの顔は真面目そのもの。いったい何を謝ることが…? 少し間を置いて会長さんが。
「…ごめんって……何さ?」
「だから、ごめん。…ノルディの人形、作ってあげるって言ったよね。だけど失敗しちゃったんだ。人形はここに持って来たけど…」
箱をテーブルに乗せるソルジャー。
「この人形、全然効果が無いんだよ。君に教わったとおりにしたのにダメだった。やっぱり修行を積んでいないと無理ってことかな…」
「効果って…。試したのかい? ぼくに無断で?」
会長さんの問いにソルジャーは謝罪の言葉を重ねてから。
「だって気になってしまうじゃないか。上手く出来たのかどうなのか…って。ごめん、期待させといて失敗だなんて」
「いいよ、あったらいいなと思っただけの人形だしね。でもいつの間に実験したのさ? こっちに来たなら寄ってくれればよかったのに。ぶるぅはお客様が大好きだから。ねえ、ぶるぅ?」
「うん! ぼくも遊びに来てほしかったな、ぶるぅと一緒に」
「ありがとう。そう言ってもらえると気が楽になるよ。…でも実験はこっちの世界でやったんじゃない。ぼくの世界で試してみたんだ」
見事に失敗しちゃったけどね、と箱を眺めるソルジャーに向かって会長さんが。
「君の世界って…。まさかそっちのノルディを使って実験を?」
「そう。仕事の虫で澄ました顔をしているけども、実はスキモノだったりして…と気になっていたものだから…。こっちのノルディは淫乱だしさ。だけど全く効果なし」
「「「………」」」
ソルジャーが何をやらかしたのか、知りたいとも思いませんでした。けれど会長さんは立ち直りも早く、ソルジャーの前から箱を素早く引っ手繰って。
「キース、ノルディの人形は君に預ける。さあ、これを…」
箱の蓋を取った会長さんがそのままの姿勢で凍り付いてしまい、クスクスクス…とソルジャーの笑いが零れます。
「失敗作でも良しとしておくよ、君にはウケたようだしね。ぼくの力作、いい出来だろう?」
青いサイオンの光に包まれたドクターの像が箱の中からフワリと出てきてテーブルの上に鎮座しました。教頭先生の人魚像と同じくらいの縮小サイズみたいですけど、会長さんが読んだ通りに自信満々のポージング。しかも一糸纏わぬ姿だなんて、会長さんが硬直するのも当然と言えば当然かも…。
「ふふ、ぼくが写真を撮りに行ったらノルディが自分で言ったんだ。どうせ比較するなら全身くまなく比べませんか…って。ポーズも自分でとってくれたし、有難く沢山写真を撮らせて貰ったわけ。…この後かい? もちろんベッドに誘われたからサービスしようかと思ったけれど…。ぼくがサービスされちゃった」
「「「サービス!?」」」
エロドクターのサービスだなんて想像したくもありません。会長さんの動揺は激しく、ソルジャーがクッと喉を鳴らして。
「そうか、失敗作じゃなかったのか…。この人形は使えるんだ? こっちのノルディ限定で」
「―――!!!」
会長さんが息を飲み、掠れた声で。
「…ど、どうしてそれを…」
「君が仰天している間に遮蔽が弱くなってたからね、ちょっと心を読ませて貰った。キースに預けるって言った辺りでどうも怪しいと思ったんだ。…この人形はモデルになった人間にしか効かないんだね。姿形が瓜二つでも、ぼくの世界のノルディじゃダメだというわけか」
「…………」
「せっかく仕組みが分かったんだ。キースに預けておくのは惜しい。この人形はぼくが使うよ、今日だけね。次からは君の好きにするといい」
言い終えるなりソルジャーの手の中にドクターの像が瞬間移動で出現しました。
「それじゃノルディの所に行こうか。そろそろ時間なんだろう? 心配しなくても君の身は守るさ、そのために作った人形だから」
ほら早く、と像を手にしたまま会長さんの制服にサイオンでパッと着替えるソルジャー。壁の時計は確かに約束の時間に近付いています。私たちは冷めかけていたお好み焼きを大急ぎで食べ、みんなで校門へ向かいました。タクシーに分乗して行先はドクターの自宅に接した診療所。ソルジャーがドクターの人形を手にしているのは吉と出るのか、それとも大凶…?
診療所には今日もドクターだけしかいませんでした。ドクターはソルジャーを目ざとく見つけて両手を広げ、「先日はどうも」と嬉しそうな笑み。
「如何でしたか? あなたの世界のノルディとの違いは見つかりましたか?」
「そうだねえ…。なにしろ脱いでくれないからね、入浴中に盗み見するしかないものだから……まだなんとも」
「同じ私とも思えませんね。無粋な男だ。あなたに誘われて脱がない男などいないでしょうに」
呆れたものです、と首を振るドクターとソルジャーの間に何があったのかは聞くだけ野暮というものでしょう。しかもソルジャーは例の人形を何処かに隠してしまったらしく、ドクターは何も気付いていません。ドクターが次に矛先を向けたのは勿論会長さんでした。
「ブルー、先日の健康診断の結果ですが…。どうぞ診察室へお越し下さい。よろしければお一人で」
「お断りだよ。今日も全員、付き添いなんだ」
年寄りには付き添いが要るからね、と私たちをお供に診察室に入る会長さん。ドクターは会長さんを椅子に座らせ、あれこれ結果を説明してから…。
「残念ながら今回も異常はありませんでした。また一年間あなたを診察できないと思うと寂しいですよ。…あなたは虚弱体質ですから、もっと頻繁に来て下さってもよろしいのに…」
「ごめんだね。君に診察されるよりかは家で寝ている方がマシ。ぶるぅにお粥を作ってもらって静養するさ」
プイと顔を背ける会長さんに、ドクターがハタと思い出したように。
「静養といえば、小耳に挟んだのですが…。全身エステに凝ってらっしゃるというのは本当ですか?」
「へえ…。地獄耳とは知らなかったな。あれはホントに気持ちがいいよ。生き返ったような気分になれる」
会長さんは今も機会がある度に教頭先生を呼び出して全身エステを受けています。チョコレート・スパの時には私たちも居合わせましたが、その他にも色々やっているようで…。長老の先生方も教頭先生にエステを頼んだりしていますから、ドクターの耳に入ったのでしょう。案の定、ドクターは苦い顔つきになって。
「…エステティシャンはハーレイなのだと怪しい噂を聞きましたが…?」
「怪しい? どこが? 腕前はいいし、長老のみんなも頼んでいるし……出張エステとしては高級な部類に入ると思うよ。なんなら君も頼んでみる? はい、チラシ」
宙に取り出されたのはチラシならぬ立派なリーフレット。いつの間にやら定番として広まっているみたいです。ドクターはリーフレットを受け取り、ザッと目を通してフフンと鼻を鳴らしました。
「なるほど、すっかりプロ気取りですか…。いや、失礼、副業なだけでプロなのですね。ここに書いてあるのが本当ならば、エステティシャンとしてのテクニックはあなたが仕込まれたそうですし」
「そうさ、ぼくがハーレイに技を仕込んだ。だから安心して任せられるし、気に入ってるんだ。おかげで体調を崩すこともなくなったね。マッサージで血行が良くなるらしい。…君の出番はもう無さそうだ」
ぼくは健康、と微笑む会長さんにドクターは「本当ですか?」と疑わしそう。
「本当だってば。疲れ気味だな、と思った時には即、エステ。マッサージを受けてウトウトしてると疲れも取れるし、身体もすっかり元通りさ。君も試してみればいい」
「そうですか…。ですが、エステは医療行為ではありませんよ? 私の方が絶対に腕が確かです。ハーレイがあなたに全身エステを施している、と聞いた時から実は特訓しましてね…。鍼灸に整体、カイロプラクティック。本物の医者の立場で極めてきました。今ならマッサージを特別にサービスいたしますよ」
「「「………」」」
エロドクターのマッサージ。いくら本物のお医者さんと言っても下心が嫌と言うほどありそうです。会長さんも私たちも変質者を見るような視線でしたが、ソルジャーだけは。
「腕は確かだよ、保証する。ぼくもサービスして貰ったんだ。…身体が蕩けそうなほど気持ち良かった」
え。サービスって…。それじゃ先週の夜にソルジャーがドクターにして貰ったというサービスは…?
「マッサージさ。君たちは派手に勘違いしてたけれども、ノルディがぼくにしてくれたのはマッサージ。これが本当に気持ちよくてね、お礼にサービスしようと思っていたのに寝ちゃってさ…。ごめんよ、ノルディ」
「いえいえ。お楽しみはまたの機会に…。あなたも急いでおいででしたし」
お気になさらず、とドクターは余裕たっぷりでした。ソルジャーの方なら会長さんと違ってモノに出来そうだと考えている証拠です。実際、あちらの世界まで押しかけたこともあったくらいの行動派。あの時は返り討ちに遭いましたけど、全く懲りていませんし…。そんなドクターの今日のターゲットはソルジャーではなく会長さん。
「ブルー、今のを聞きましたか? ハーレイのエステもよろしいですが、たまには医者のマッサージも…。骨格などが知らない間に歪むことだってあるのですよ。さあ、こちらへ。念入りにマッサージして差し上げます」
ドクターがカーテンを開けると、診察用のベッドの代わりにエステサロンの広告などで見る専用ベッドがありました。会長さんも実は家に一台持っていたりします。もちろんエステに使うためで…。
「どうしました、ブルー? ああ、服は脱いで下さいね。エステで慣れておいででしょうが」
「………」
顔を引き攣らせている会長さん。どう考えても安全なわけがありません。ドクターが鼻の下を伸ばし、会長さんの腕を掴んだ時。
「ぐわっ!!!」
会長さんの足許に蹲るドクター。なんだか苦しそうですけども、ドクターの身にいったい何が…?
声も出せないドクターの両手が押さえていたのは股間でした。身体を丸めているので見えませんけど、顔も歪んでいるのでは…。驚愕している私たちの前にソルジャーが取り出したのは例のドクター人形です。
「ブルーが言ったとおりだね。…こっちのノルディには効果抜群」
「何をしたのさ!?」
声を荒げる会長さんに、ソルジャーは肩を竦めてみせて。
「キースの代わりに君を守っただけだけど? まあ、キースなら腕を押さえて終わりだったかもしれないけどさ。本当に効くのかどうかも疑問だったし、一撃で効く必殺技を」
こうやって、とソルジャーの指先がドクター人形のデリケートな部分を弾いた瞬間、ドクターは白目をむいて悶絶しました。ぶっ倒れているドクターに「そるじゃぁ・ぶるぅ」が近付いて…。
「ノルディ、気絶しちゃったみたいだよ? おしぼり用意した方がいい?」
「どうだろう? アンモニアか何かないのかな。病院だしね」
気付けに一発、と棚を探ろうとするソルジャーに会長さんが厳しい顔で。
「守ってくれたのは感謝するけど、やり過ぎだ! ただ封じれば充分なのに、気絶させるなんて!」
「…ふうん…。ノルディの肩を持つんだ? この程度で懲りるようなタマじゃないから放っておけばいいのにさ」
「だからって…。ぼくも一応、ソルジャーなんだよ? 仲間を傷付けるのは不本意だ!」
会長さんが叫んだ所で床の上のドクターがピクリと動いて…。
「…その……言葉だけ…で…」
不敵な笑みを浮かべたドクターが顔を上げ、痛そうに身体を起こしながら。
「その言葉だけで…嬉しいですよ、ブルー…。あなたの…愛が…感じられます…」
いたたたた、と呻きつつもドクターは椅子に座って会長さんを見詰めました。
「ブルー、私を愛して下さっていたのですね。たとえソルジャーとしての愛であっても、いずれ私が変えてみせます。ええ、私の心に溢れる愛で」
「…そ、それは……そうじゃなくて……」
引き気味の会長さんの肩をソルジャーがポンと叩きました。
「ほら、ぼくが言ったとおりだろう? あんなのじゃ懲りやしないって。この人形の威力を見せ付けておいた方がいい。そしたら君に手を出せないかも」
ソルジャーの言葉にドクターが眉間に皺を寄せて。
「…人形ですって?」
「そう、人形。これなんだけど、見ていたら何か思い出さない?」
目の前に突きつけられた全裸の人形にドクターは驚きの声を上げました。
「こ、これは…。先日写真を撮りに来られた時の…。あの写真を元にこの人形を…?」
「うん。あの時ぼくが急いで帰ったのはプリントアウトするためでね。そういう事情がない時だったらマッサージのお礼に一発や二発、付き合ってあげてもよかったんだけど…。ぼくはブルーと違うから」
ヌカロクだって大歓迎、と意味不明な言葉を付け足したソルジャーは、ドクター人形をツーッと撫でて。
「どう? 今、身体がゾクッとしなかった?」
「え、ええ…確かに…。その人形は何なのですか?」
「ブルーに作り方を教えて貰った身代わり人形。君の身体とシンクロさせて色々なことが出来るらしいよ。ブルーは君のイヤラシイ手足を封じたかったみたいだけどね、例えばこんな使い方も…」
ソルジャーの舌がペロリと人形を舐め、ドクターが艶っぽい声を漏らします。
「やっぱり感じてくれるんだ? じゃあもっと…」
「ブルーっ!!!」
血相を変えて怒鳴る会長さん。ソルジャーはつまらなそうに唇を尖らせ、渋々といった様子でドクター人形を舐めるのをやめました。
「うーん、楽しいと思うんだけどな…。ノルディだって喜んでたし、もっと遊んでみたいのに…」
「ぼくと君とは身体のパーツが同じなんだ! ノルディがもっと高望みをするようになったらどうするのさ! 追いかけ回されるだけでも迷惑なのに、奉仕しろなんて言われた日には…」
「ブルー。君の後ろに十八歳未満の子たちが一杯」
「…うっ……」
会長さんが詰まっています。何か問題発言があったのでしょうか? 私たちは顔を見合せましたが、心当たりはありませんでした。ソルジャーは愉快そうに笑っています。
「奉仕の内容が問題なんだよ、君たちは知らなくていいんだけどさ。で、ブルー…。君と同じ身体のパーツがダメだと言うなら、他の身体ならいいのかな?」
「えっ?」
「こんなのもあったな、と思ったんだよ。…ほらね」
パアッと青い光が走って、空中に出現したのは教頭先生の人魚像。ドクター人形の先輩格の人形ですが、ソルジャーはこれをどうすると…?
「ねえ、ノルディ。…こっちはハーレイの人形なんだ。事情があって下半身が人魚になってるけどさ。どう思う?」
「…不細工な人魚もいたものです。なんとも悪趣味な人形ですね」
「悪趣味…ね。作ったのはブルーなんだけど」
ドクターはたちまち血相を変えて。
「……!! も、申し訳ありません、ブルー…。あなたの趣味を疑うなど…」
「別に。実物も悪趣味だったし」
尻尾はショッキング・ピンクだったんだ、と会長さんが言い終わらない内に再び光った青いサイオン。
「「「教頭先生!?」」」
帰宅して寛いでいたのでしょう。ラフな格好の教頭先生がポカンとした顔で立っていました。人魚像のモデルを召喚したのはどう考えてもソルジャーです。ドクター人形と教頭先生人魚の像が揃うと恐ろしいことが起こるとか…?
「こんばんは、ハーレイ。…婚前旅行以来かな?」
ソルジャーの台詞に教頭先生の顔が真っ赤に染まり、ドクターが聞き咎めました。
「なんですって? 婚前旅行?」
「そうだよ。ブルーが企画したんだ。ぼくは途中で参加してね、おかげで温泉三昧の日々」
また行きたいな、と言うソルジャーにドクターは必死に食い下がり、事の顛末を聞き出すと…。
「ははは、実にハーレイらしい話です。私なら満点どころか婚前旅行を新婚旅行に切り替える自信がありますよ」
「だろうね。そんなハーレイに相応しいのがこの像だ。…下半身が無いからこうやっても…」
ピシッと指で人魚像の股間あたりを弾くソルジャー。教頭先生は所在なげに立っているだけです。
「ほらね、ハーレイは痛がりもしない。これが君の像の場合だとさっきみたいに大変な事になるってわけさ」
「なるほど…。身代わり人形でさえ大事な部分がついていない、と。これでは本当に役立たずですね」
勝ち誇ったように笑うドクターに、ソルジャーは「そうでもないんだ」と呟いて。
「覚えてるかな? ぼくがトンズランスの検査に来た時、君とハーレイに薬を飲ませてベッドで仲良くしろって言ったのを」
「「「!!!」」」
綺麗に忘れ果てていた私たちですが、一気に思い出しました。ソルジャーが二人に強力な精力剤を飲ませて放置して逃げた事件です。ドクターはベッドで、教頭先生はトイレで、それぞれ薬が切れるまで不毛な作業に励んでいたとか…。ソルジャーはクスッと笑って二つの人形を手に取りました。
「今日こそ仲良くしてもらおうかな。こんな感じで」
教頭先生人魚の像でドクターの像をゴシゴシと擦り始めるソルジャー。
「ふふ、ハーレイの感じる所は知ってるし…。どう? ノルディも熱くなってきたかな?」
「「…うっ……」」
ドクターと教頭先生の息が次第に荒くなります。私たちは呆然としていましたが、我に返ったのは会長さんで。
「ブルー!!!」
恐らくサイオンを使ったのでしょう、凄い勢いでソルジャーの懐に飛び込み、二つの像を奪い取ると…。
「ごめん、ハーレイ! なんでもないから今の忘れて!」
青い光が迸り、教頭先生は消えていました。会長さんは肩で息をしながらソルジャーをキッと睨み付けて。
「ハーレイの記憶は消去した。ノルディはともかく、ハーレイはああいうことに慣れてないから…」
「悪い遊びはやめてくれ、って? 愛してるんじゃないか、ハーレイのこと」
「違う! 刺激されると矛先がぼくに向くから困るんだって言っただろう! ノルディは発散する場所があるけど、ハーレイは何もないんだからさ!」
「…そうだっけね……」
忘れてたよ、と素直に謝るソルジャー。会長さんは教頭先生の像を瞬間移動で家に帰すと、もう一体の像をドクターの前に突きつけて。
「これの効力は分かったよね? ぼくに手を出そうとしたら使わせて貰う。苦痛を与えることもできるし、こうやって…」
ドクターの身体が強張り、会長さんが像の胴体を握っています。
「身体の動きを封じることも出来るんだ。これに懲りたらぼくには二度と手を出さないこと。キスマークもマッサージもお断りだ!」
じゃあね、と会長さんはドクターに背を向け、私たちを引き連れて診療所を後にしたのでした。タクシーを呼ぶのも面倒だったらしく「そるじゃぁ・ぶるぅ」の力も借りて瞬間移動で一気に家まで…。
「あーあ、ブルーのせいで酷い目に遭った」
信用したぼくが馬鹿だったよ、と会長さんは愚痴っています。けれどソルジャーは馬耳東風。
「そうかな? ちゃんとエロドクターから守ってあげたし、身代わり人形も作ったし…。言っておくけど、ぼくが写真を撮って作らなかったらあの人形は無いんだからね」
ドクター人形は布に包まれ、収納棚の奥に放り込まれてしまっていました。教頭先生人魚の方は棚に置かれているのですけど…。私たちは健康診断の打ち上げで焼肉パーティーの真っ最中です。エロドクターの診療所とは当分縁が切れる筈。会長さんがキスマークをネタに脅されていた頃と違って、追われる理由もないですし…。
「いいのかい、身代わり人形を片付けちゃって? ノルディが来るかもしれないよ」
ソルジャーの問いに会長さんは。
「来たら速攻で取り出してやる! 君がもう少しマシな人形を作ってくれたら置いておけたかもしれないのに…。いくらなんでもアレはちょっと」
「指で弾くだけで気絶するほどダメージを与えられるんだからいいじゃないか。傑作中の傑作だよ、うん」
我ながら上出来、とソルジャーは自画自賛しています。そして焼肉を頬張りながら言った言葉は…。
「あの人形ってなかなかいいね。ぼくもハーレイのを作ろうかな」
「「「え?」」」
そんなもの必要ないのでは…と思ったのは多分全員です。ソルジャーとあちらのキャプテンは両想いですし、身代わり人形の出番はありません。
「…あるんだな、これが」
ソルジャーの瞳が悪戯っぽく輝きました。
「休暇を取ってほしくなった時に使うんだよ。ぼくが青の間でハーレイの人形に指とか舌で色々と…ね。そしたら身体の芯からムズムズしてきてブリッジに居づらくなると思わないかい? まさかトイレで処理するわけにもいかないだろうし……処理しちゃったら再チャレンジ。よし、今度写真を撮らせて貰おう」
騙して撮ればオッケーだ、とソルジャーはあれこれポーズを考えています。元はといえば会長さんの健康診断に端を発した身代わり人形、とんでもない使われ方をされた挙句に別の世界に飛び火しそうな勢いですけど、ソルジャーは本当に作る気でしょうか? もしもキャプテン人形が作られたなら……キャプテン、許して下さいです~!
サイオンの伝導効率がいいジルナイトとやらを使って作られた教頭先生人魚の像。作り方は会長さんしか知りません。その会長さんが手に入れたいのはエロドクターことドクター・ノルディの人形でした。恒例の健康診断に備えて悪戯防止にドクターを呪縛してしまいたいらしいのですが…。
「ノルディの人形が欲しいんだろう?」
ソルジャーが会長さんに探るような視線を向けました。
「ぼくに作り方を教えてくれればいいんだよ。君には作りたくない深い事情があると見た。…ハーレイの人形は作ったくせに、ノルディのは無理だと言うんだから」
「………」
「難しい…ってわけはないよね。もっと複雑で深刻な理由だ。…ひょっとして、接触しなくちゃ作れないとか? 直接ノルディのサイズを測って、覚えた感触を元に正確無比に縮小してから作るのかな?」
あ。そういえば会長さんは教頭先生を人魚にした時、尻尾をペタペタ触っていました。あれが制作に必須だとしたら、ドクターの人形を作る為にはドクターに触れるしかありません。会長さんを食べたくてたまらないドクターなんかを触りに行ったら、下手をすればそのまま返り討ちに…。またキスマークをつけられてしまえば振り出しに戻ってしまうのですから。
「図星? それとも他にまだある?」
「…別に触らなくても作れる」
会長さんがテーブルの上に投げ出したのは一冊の写真集でした。人魚の姿でポーズを決めた教頭先生の写真が沢山…。私たちが協力させられた撮影会の成果ですけど、長老の先生方に配っただけでなく自分用まであったんですか! ソルジャーは写真集をパラパラとめくり、載せられた写真と装丁のセンスを絶賛してから。
「それで、この写真集がどうしたって? ノルディも写真集を作れるほどに熟知しないとダメって意味かい?」
「違う。これを作る過程で撮りまくった写真が要るんだよ」
写真の束がバサリとテーブルに置かれ、会長さんが選り分けています。
「これと、これと…それからこれ。えっと、他にも…」
全部でこれだけ、と並べられたのは教頭先生人魚の像とそっくり同じポーズの写真。後ろ姿や正面や…様々な角度から撮られたもので、私たちの脳裏に撮影会の記憶が蘇りました。有名な人魚姫の像に似せたポーズだと聞いてましたし、何枚も撮るのはそのせいだろうと思ったんですが…。
「ジョミーたちは覚えているだろう? 花祭りはゼルが来てから思い付いたっていうことを…ね。この写真はハーレイの像を作るのに必要だった。記憶だけでは正確に再現できないものだし、大雑把な像では効力を発揮させるのは難しいから」
「…本当に?」
ソルジャーが首を傾げました。
「適当でいいって気もするけどね、だって人形なんだろう? あのハーレイの像にしたってサイオンで細工をしていない時は何の効果も無いんだからさ」
「そっくりの姿だってことに意義があるんだ。本人の縮小版の人形だから、モデルになった相手に影響を及ぼすことが可能なのさ。…つまり正確さが命なわけ。でもノルディだと…」
絶対に無理、と会長さんは項垂れています。エロドクターの写真くらいは誰でも撮れそうな気がしますけど、写真嫌いか何かなのかな? 隠し撮りではいろんな角度で写してくるのは不可能ですしね…。
「分かった。まずはノルディの写真なんだね。そこから先は?」
ポンと手を打ったソルジャーはやる気満々でした。前段階の写真が無理だと会長さんが言っているのに、聞いていたんだかいないんだか…。会長さんは呆れた顔でソルジャーを見詰め、並べた写真から1枚を取って。
「写真と自分の記憶を合わせて相手の姿を正確に…正確無比に頭の中に再現する。それを適当なサイズに縮小したのをサイオンで形作って原型にして……型を取って材料をそこに流し込むだけ」
「なんだ、簡単なことじゃないか。それならぼくでも作れそうだ。オッケー、君の代わりに作ってあげるよ、あのドクターの人形を…ね。そうだ、ぼくのハーレイのも作ろうかな?」
楽しめそうだ、と唇に笑みを刻むソルジャーに会長さんが。
「それは君の自由だけどさ…。ノルディの人形、作るのはきっと難しいよ。なにしろ写真撮影が無理だ」
ああ、やっぱり…! ドクターは写真が嫌いでしたか。しかしソルジャーも負けてはいません。
「写真を撮るのが無理だって? シールドがあれば済むことだろう。カメラを貸してよ、行ってくるから」
「一つのポーズでいろんな角度って言った筈だよ。隠し撮りの限界ってヤツだ。君もぼくも普通の人間より遥かに速く動けるけどね、カメラの性能がついていかない。シャッター速度が遅すぎる」
「だったら正面突破で行くさ。ぼくはノルディに貸しがあるんだ」
ソルジャーはフフンと鼻を鳴らして。
「ずいぶん前にスクール水着の写真を撮らせてあげたからね。たとえノルディが写真嫌いでも、文句を言われる筋合いはないよ」
「「「………」」」
すっかり忘れ果てていたスクール水着とソルジャーの事件。あれを貸しだと言うのだったら嫌々ながらも撮影に応じてくれそうです。けれど会長さんは浮かない顔。
「……ノルディは写真嫌いじゃないよ。ただ、スーツや白衣じゃダメなんだ」
「「「えっ?」」」
ソルジャーと私たちの声が重なりました。会長さんは溜息をつき、教頭先生の像を指差して…。
「あの像とハーレイがシンクロするのは上半身だけ。…ブルーも知らなかっただろう?」
「知ってるよ。下半身が無いから残念だなって思ったし…」
「それは見た目の問題だよね。君が悪戯したい部分がついてないっていうことだけ。…でも本当にあの像は上半身しか役立たないんだ。下半身は人魚の尻尾で覆われてるから、ハーレイと繋がりようがない。ぼくの言う意味が分かるかい…?」
「…もしかして…皮膚が露出している部分だけしかシンクロしない…?」
まさかね、と言うソルジャーに会長さんは憂い顔で。
「そうなんだよ。さっき話に出てきた陰陽道っていうヤツだったら人形に名前を書いただけでも全身に効力を及ぼすんだけどさ…。サイオンでの細工じゃ無理みたいだ。ぼくも花祭りで初めて気が付いた。あの像の下半身にチョコをかけられた時はハーレイは全く平気だったし」
「そうなんですか?」
シロエ君が驚き、キース君が。
「悪戯の張本人だけに細かく観察してたってわけか…。俺たちは教頭先生に気を取られてたしな」
「ずいぶん苦しそうだったものねえ…」
チョコって甘くて美味しいのに、とスウェナちゃん。デザートが大好きなソルジャーは「ぼくも同感」と微笑みながら。
「そうか、あのチョコ攻撃、下半身には効かなかったのか…。意外とあの像、ガードが堅いね」
「うん。だけど上半身には有効だったし、みんな頭からチョコをかけてたし…。チョコが下の方まで流れていったらハーレイの苦悶がマシになるってことに気が付かなければ、今も知らないままだと思うよ」
会長さんとソルジャーはサイオン談義を始めました。話がズレている気もしますけど、エロドクターの人形なんかは忘れ去られた方が吉かも…。
教頭先生の像と教頭先生の舌がシンクロした件について会長さんたちは面白そうにあれこれ話していましたけれど、思念波が精一杯の私たちにはサッパリ謎な内容でした。「そるじゃぁ・ぶるぅ」に解説を頼んでみたものの、子供だけにやはり要領を得ず…。
「ごめんね、難しい話は分からないんだ。瞬間移動もブルーが前に説明してくれたけど、出来るのと分かるのとは違うみたい」
済まなそうに謝る「そるじゃぁ・ぶるぅ」にジョミー君が明るい笑顔で。
「だよね、そういうもんだよね! ぼくもサッカー得意だけどさ、物理は全然分からないもんね!」
「おい、自慢するようなことなのか、それは…?」
キース君が額を押さえていますが、物理が苦手でもサッカーボールを蹴るのに支障は無いですよねえ。「そるじゃぁ・ぶるぅ」にサイオンの理屈が分からないのも無理ありません。まだまだヒヨコの私たちが会長さんたちの会話を理解できないのも当然で…。
「ねえ、聞いてるかい?」
いきなりソルジャーに話を振られて、私たちは大慌て。
「なんだ、やっぱり聞いていなかったのか。ブルーが思い切り不機嫌なのに、君たちは楽しそうだから…」
「「「え?」」」
知らない間に険悪な空気が流れています。会長さんが猫だったなら、全身の毛が逆立っていることでしょう。ソルジャー、何をやらかしたんだか…。
「言ってみただけなのに本気で怒り出しちゃってさ。ホントに頭が固いよね」
「固くないっ! 君が柔らかすぎるんだ!」
「…柔軟な発想と言って欲しいな」
柳に風と受け流すソルジャー。
「ぼくは思ったままを言ったまでだよ。舌とシンクロさせられるなら他の部分も可能だよね…って」
「「「???」」」
「だからさ、舌じゃなくって下ともシンクロさせられるだろ? ハーレイのとっても大事な部分。男の急所で男のシンボル」
「ブルーっ!!!」
会長さんがテーブルを引っくり返しそうな勢いで怒鳴り、ソルジャーをギッと睨み付けて。
「絶対やらせないからね! ぼくそっくりの手と指を使ってハーレイのを…なんて冗談じゃない!」
「いいじゃないか、君が自分でやるわけじゃなし。…手が嫌だったら舌でもいいよ、きっとハーレイは極楽気分だ。ぼくは口でイかせるのも得意だからね」
「!!!」
声も出せない会長さん。ソルジャーはニヤリと笑って唇を舌でペロリと舐めましたが…。
「冗談だよ、冗談。君の許可もないのにやらないさ。…約束しただろ、君のハーレイを下手に刺激はしないって。それでノルディの人形だけど、どうするんだい?」
よかった、話が元に戻ったようです。もしもソルジャーが暴走してたら、今頃、教頭先生は…。ソルジャーはニヤニヤ笑っています。この調子ではエロドクターの人形の方は完全にオモチャにされそうですが…?
「あーあ、なんだかドッと疲れた気がする…」
会長さんはソルジャーが帰った途端にソファに突っ伏し、「そるじゃぁ・ぶるぅ」が蒸しタオルを運んで来ました。
サム君と二人がかりでマッサージもして、回復したのは半時間後。
「…こんなんじゃ健康診断に引っ掛かるかもね。当日までは安静にしよう」
「水曜だったか?」
キース君の問いに会長さんは。
「うん。ノルディの都合で毎年曜日が変わるんだ。付き合いが忙しいらしくてさ…。ぼくなんか忘れてくれればいいのに」
「でも人形で封じるんでしょ?」
大丈夫だよ、とジョミー君。ソルジャーはドクターの人形を作ると約束をして帰ったのでした。けれど会長さんは遠い目をして。
「ああ、あれね…。あんまりアテにはしていないんだ。それに元になる写真を撮るのは健康診断に行く日だし…。どっちかといえば心配かな」
「そうだよなあ…」
心配なのはよく分かるぜ、とサム君が納得しています。ソルジャーは何かと騒ぎの元になりがちですし、写真撮影は放っておいてエロドクターにちょっかいとか…。
「とにかく、そういうわけだから……頼りになるのは結局君たちだけなんだ。よろしく頼むよ、去年みたいに」
「おう! 任せとけって」
サム君が胸を叩き、柔道部三人組もグッと拳を握っています。ジョミー君とスウェナちゃん、そして私も腕に覚えはありませんけど、いるというだけで抑止力にはなるでしょう。いざとなったら警察に電話? それとも教頭先生に…?
「別にゼルでもいいんだよ?」
これが連絡先、と会長さんが携帯電話の番号を教えてくれました。
「ぼくがノルディに襲われてる、と言えばすぐにバイクで駆けつけてくれる。自慢の名刀を引っさげて…ね」
「「「バイク!?」」」
「あれ、知らなかった? ゼルはバイクに凝ってるんだ。黒いレザーのライダースーツにフルフェイスのヘルメット、それに自慢の大型バイク。よくツーリングにも出かけているよ。ちょっと知られたライダーなのさ」
「「「………」」」
剣道七段、居合道八段なのは知ってましたが、バイク乗りだとは知りませんでした。外見がアレなのでフルフェイスのヘルメットを被り、大型バイクでツーリング…?
「うん、ライダーとしては超一流。バイクレースに出ることもあるし、ついた渾名が…」
「「「過激なる爆撃手!?」」」
激しい渾名もあったものです。ゼル先生って『パルテノンの夜の帝王』だとか威張ってましたが、他にも異名がありましたか…。
「難コースでもエンジン全開、フルスロットルで突っ込んでいく命知らずってことらしいよ。追い越されたバイクが事故っていようと、絶対後ろを振り返らない」
えっと。ゼル先生の凄さは分かりました。電話をしたら即、バイクで…ってことは教頭先生よりも機動力がありそうですけど、引っさげてくる名刀って…?
「もちろん真剣。ノルディを一刀両断してくれるさ」
それは流石にまずいんじゃあ……と私たちの顔色が変わります。ヘタレであっても教頭先生の方が穏便に事を収めてくれるでしょう。
「うーん、やっぱり? 叩き切るぞと脅された方が大人しくなると思うんだけどね…。第一、ハーレイを呼んだらノルディと組んでぼくを食べるかもしれないんだよ?」
「それだけは無いな」
キース君が即答しました。
「俺たちの今までの経験からして、教頭先生は安全だ。あんたとサシの時なら知らんが、俺たちがいれば手は出せん。エロドクターが煽っても無駄だ」
うんうん、と首を縦に振る私たち。会長さんはチッと舌打ちしていましたけど、ゼル先生なんて怖くて呼び出しできませんよう~!
それからはソルジャーが出没することもなく、水曜日の放課後を迎えました。会長さんは健康診断に備えて少しは節制するかと思えば、いつもどおりにサボリの日々。大学とシャングリラ学園の両方に通うキース君の言では不健康極まりない怠惰な生活というヤツです。
「いいんだよ、ぼくは年寄りだから」
そうは言っても骨も内臓も元気印なのは誰もが知っていることで…。三百歳を超えているという事実さえなければ、健康診断なんか微塵も必要ないのでした。ついでにソルジャーの肩書きがなければ健康診断もまるっとサボってしまうのでしょうが…。
「仕方ないよ、ソルジャーのお役目の一つだし。…今年も血圧は高いんだろうな」
去年はエロドクターに無理やりディープキスをかまされ、会長さんの血圧は高めになってしまったのでした。
「安心しろ。今年は俺も遠慮なくヤツをぶっ飛ばす」
あいつのやり口はよく分かったし、とキース君。
「この一年で学んだぜ。いちいち気配りしてられるか! あんたがキスマークをつけられたりしたら終わりだろう? そうなる前に投げ飛ばしてやる」
シロエ君とマツカ君も頼もしい顔をしています。サム君も柔道部三人組に負けず劣らず、闘志を漲らせているのが分かりました。公認カップルの面目躍如な展開になるのか、平和に健康診断が済むか…。足りない面子はあと一人。やがて時計が午後五時を指して…。
「こんにちは。みんな揃っているようだね」
フワリと紫のマントが翻り、ソルジャーが姿を現しました。
「約束通り来てあげたよ。ブルー、カメラの用意はしてくれたかい?」
「もちろん」
はい、と会長さんが渡したカメラをソルジャーはきちんと確認してから制服を借りて着替えます。うーん、いつ見ても会長さんと瓜二つ…。
「このまま入れ替わって健康診断を受けようか? で、君が代わりに写真を撮る…と」
「断る! ぼくの健康診断なんだし、君のデータじゃ仲間に顔向けできないよ。それに…」
言い淀む会長さんにソルジャーがクスッと笑いを零して。
「君じゃノルディの写真は撮れない……か。できるだけ皮膚の露出を多く、だものね。白衣を脱いでくれなんて言ったが最後、君を抱えてベッドに直行されるだろうし」
「………」
「ぼくも色々考えたんだ。どうすれば最適な写真が撮れるかを。君が封じたいのはノルディの手足で、それも手先や足先じゃない。腕は丸ごと、足もできれば丸ごとだろう。…まあ任せてよ、いいのを撮るから。一週間後には像をきちんと完成させる」
大船に乗った気持ちでいて、とソルジャーは自信満々でした。名案を思い付いたのでしょう。
「で、肝心の写真は君がプリントしてくれるのかい? それともぼくが? どっちもでいいけど、ぼくのシャングリラに対応しているプリンターはないよ」
そもそもカメラの仕組みが違う、とソルジャーは手の中のそれを弄っています。会長さんは暫し考えてから。
「君がプリントしてくれるかな? ノルディの写真なんか見たくもないし、そんなデータがあるのも嫌だ。今夜は泊まってくれていいから、プリントしてからデータを消して」
「そうこなくっちゃ。じゃあ、ぶるぅのご飯が食べられるね。朝はホットケーキがいいな、ホイップクリームにチョコレートソース」
「かみお~ん♪ マザー農場で生みたて卵をもらってくるね!」
お客様だぁ、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」は大喜び。おもてなし大好きですから今夜も御馳走してくれるのですけど、私たちは明日が学校なのでお泊まりしません。ちょっぴり寂しかったのでしょうね。
校門を出てタクシーに分乗し、着いた先はお馴染みのドクター・ノルディの自宅兼診療所。豪邸とは別棟になった診療所の中には今日もドクターしかいませんでした。受付の人も看護師さんも、会長さんの健康診断の日は出勤しないのが恒例なのだそうです。
「お待ちしておりましたよ、ブルー。…予約はお一人と伺いましたが、追加ですか?」
そちらのブルーも、とソルジャーに視線を向けるドクター。そっくり同じ制服なのに会長さんとソルジャーを間違えないのは流石です。ドクターはツカツカと会長さんに歩み寄ると…。
「いつぞやのデート以来ですね。あの時は大変失礼しました。名誉挽回させて頂けますか?」
右手を取って手の甲に口付けようとした途端にサム君が。
「要らねえよ!」
会長さんの手首を掴んでグイと引き戻し、殺気立った目でドクターをキッと睨んでいます。
「おやおや…。去年のヒヨコが今年は実力行使ですか。するとそちらの皆さんも…傷害罪で訴えられても構わないというお覚悟で?」
小馬鹿にした調子の声にシロエ君が身構えるのをキース君が制しました。
「待て、挑発に乗ってどうする。…俺たちは確かにその覚悟だが、追い出されては元も子もない。今は大人しく様子を見るんだ」
「「「………」」」
緊張感が漂う中で会長さんがソルジャーの方を振り向いて。
「どうする、ブルー? 君も健康診断を受ける? それとも見ているだけにする?」
「君の世界の健康診断…ね。興味はあるけど、ぼくはそれよりもノルディの方が興味深くて」
「…私ですか…?」
不審そうに眉を寄せるドクターにソルジャーはカメラを取り出してみせて。
「ぼくの世界にも君そっくりの男がいるのは知ってるだろう? 彼との違いが気になってね…。今日は写真を撮らせて欲しくてカメラを持って来たんだよ。帰ったら写真を見比べるんだ」
「ほほう…。そんなに違うのですか?」
「違うね。彼は男に興味がないし、女にだって興味があるのかどうか…。とにかく仕事一筋なのさ。君にはちょっと考えられない?」
遊び好きだと知っているソルジャーの質問に、ドクターはフッと不敵な笑み。
「仕事の虫にはなれませんね。…それで健康診断は?」
「遠慮しとくよ。君もブルーの身体を触りまくれたら満足だろう? ぼくは見学させて貰うさ」
「ボディーガードが増えましたか…」
つまりません、と呟くドクター。それでも会長さんが検査服に着替えてくると俄然やる気になり、聴診器を使っての血圧測定に、わざと痛くしていそうな採血に…と趣味全開。心電図から後はスウェナちゃんと私は追い出されたので分かりませんが、見学してきたソルジャーによると明らかにセクハラだったそうです。
「…それでは結果は来週の水曜日ということで」
必ず聞きにいらして下さい、と慇懃に告げるドクターは不満そう。会長さんに触りまくることは出来たものの、ソルジャーという強力なボディーガードがついてきたせいで今一つ楽しめなかったのでしょう。会長さんも去年みたいに怯えた顔ではありません。
「じゃあ水曜日に。世話をかけたね。…帰るよ、みんな。ほら、サムもいつまでも怒ってないで」
元の制服に着替える前に会長さんが呼んでおいたタクシーが来ています。車が来るのを待っている間にエロドクターに絡まれるのは御免だという意思がありありと…。扉を開けて外へ出て行く私たちを背後からドクターが呼び止めました。
「お待ち下さい。…お帰りになってしまうのですか?」
「それ、誰に言っているんだい?」
不快そうに振り返る会長さんにドクターは大袈裟に肩を竦めて。
「あなたではなくてブルーにですよ。私の写真を撮りたいと仰っていたと思うのですが…」
「…ああ……。そうだっけね。どうする、ブルー? ぼくの家でみんなで夕食だけど」
「そっちがいいな。ノルディよりずっと魅力的だ」
デザートもつくんだよね、とソルジャーは先に立ってタクシーに乗り込みます。あれっ、写真は? 落胆した様子のエロドクターを残して私たちは診療所を後にしたのでした。
夕食のメインは海の幸の包み焼き。デザートのフォンダンショコラを美味しく食べて、リビングで雑談でも…と移動を開始した時です。
「そろそろいいかな。ノルディも夕食を終えたようだし」
ソルジャーが何処からかカメラを取り出しました。瞳が楽しげに輝いています。
「健康診断の続きじゃ撮影会には生ぬるい気がしたんだよね。もっとこう、それらしい時間が欲しいんだ」
「…生ぬるい?」
会長さんが聞き咎めると、ソルジャーは「そう」と笑みを浮かべて。
「ぼくは撮影をしに来たんだよ? 自分自身が納得できる写真を撮らなきゃ気が済まない。…写真集とまではいかないけれど、像を作るには最高だと言える写真をモノにしなくちゃ」
「べ、別にそこまで極めなくても…。適当でいいよ、適当なので。ノルディの手足さえ写っていれば」
「ぼくの腕に不満があるとでも? 帰りは多分遅くなるから、その子たちは家に帰した方が…」
行ってくるね、とニッコリ笑ってソルジャーは消えてしまいました。会長さんはサイオンで追跡を試みましたが、例によって不可能らしく…。
「ダメだ、ブルーもノルディも見えない。ちゃんと写真を撮ってくれればいいんだけれど…なんだか不安になってきた。約束は守ってくれると思いたいな」
「…守らなかったら?」
キース君の問いに会長さんは「さあ?」と首を傾げて。
「ノルディの人形が手に入らなくても特に困りはしないんだよね。あればいいな、と思っただけだし。…だからブルーが写真を撮ってこなくても構わない。ノルディの人形が手に入らないのは残念だけどさ。…それよりも心配なのはブルーの悪戯」
「…悪戯な…」
そっちの方が問題だな、とキース君。ソルジャーは私たちが帰宅する時間になっても帰っては来ず、会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」が瞬間移動で家の玄関まで送ってくれることに。
「おやすみ。みんな、今日はありがとう」
「また来てね~!」
青い光に包まれて私たちは家に帰りました。ソルジャーは何をしてるのでしょう? エロドクターの方の無事を祈ったウッカリ者は私だけではない筈です。どうか何事も起こらないまま、明日の太陽が昇りますように…。
校内見学日とクラブ見学日が済み、無事に授業がスタートしました。今年も私たち七人グループとアルトちゃん、rちゃんを担任することになったグレイブ先生も今のところは御機嫌です。悪戯者の会長さんが出てこない限り、平穏な日々が続くのですから。私たちも放課後は「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお部屋に通う日々。
「アルトさんたち、今年は来ないね」
去年は入学式の後に来てたのに、とジョミー君が首を傾げると。
「…君たちとは待遇を別にするって言っただろう」
会長さんが澄ました顔でシフォンケーキを頬張っています。
「ぼくの悪戯好きはバレてるけども、ハーレイにトランクスを届けているのは内緒にしたい。他にも色々と隠しておきたい面があるのさ、男としてはね」
「本気で愛人扱いする気なのか!? 坊主のくせに罰当たりな…」
キース君が詰りましたが、会長さんは余裕でした。
「罰当たり? じゃあ、君に聞くけど、パルテノンの高級クラブや料亭なんかのお得意さんにお坊さんが多いのはどういうわけかな? 璃母恩院よりも厳しい筈の恵須出井寺だって上得意だ。きちんと修行を積んでさえいれば、後ろ指を指される筋合いはないよ」
「……それはそうだが…」
春休みに会長さんがファラオの呪いを封じて以来、キース君は修行の面ではまるで頭が上がりません。まだ口の中でモゴモゴ言いつつ、負けを認めたみたいです。でも、そっか……アルトちゃんたちは「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお部屋に遊びに来ないんだ…。
「遊びに来てたよ? クラブ見学の日に」
特製クレープを御馳走したんだ、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」は嬉しそう。
「二人とも、ちゃんとサイオンを使えるようになったから…壁の紋章が見えるんだよね。だからブルーが思念波で呼んで、ぼくも一緒におしゃべりしてた」
「「「………」」」
それは全く知りませんでした。クラブ見学の日も放課後はここに来ましたけれど、見学時間中は柔道部でキース君たちが勧誘活動をやっているのを見てたのです。柔道十段の教頭先生目当てに入学してきた人はもちろん、見学中の人にも今年から豚汁を配っていたり…。合宿の名物なんだそうです、特製豚汁。
「君たちが留守にしていたからね、鬼の居ぬ間になんとやら…さ」
会長さんはフフンと鼻で笑いました。
「できる男は幾つもの顔を使い分ける。アルトさんたちにもリラックスして過ごして欲しいし、専用のカップを買おうと思ってるんだ。もちろん二人の好みを聞いて。…食器の管理はぶるぅだからね、君たちの目には触れない場所に置いてもらって大事にしよう」
「「………」」
顔を見合わせたのはスウェナちゃんと私。女の子扱いして貰っているつもりでしたが、私たち、二人とも格下でしたか…。
「ん? 君たちも愛人希望? だったらジョミーたちとは別になるけど、それでもいい?」
ぼくは大いに歓迎だけど、と微笑んでみせる会長さんは超絶美形。女の子なら誰でも憧れます。でも…愛人希望かと尋ねられたら、そこまではちょっと…。
「ふふ、みゆもスウェナも万年十八歳未満お断り…だっけね。みんなとセットで遊んでいたまえ、背伸びしないのが一番だよ。君たちにはそれが似合ってるんだ」
出ました、女殺しの魅惑の笑み。スウェナちゃんと私が頬を染めている間に話は別の方へと行ってしまって、今度の土曜日は会長さんの家に招かれることに。
「みんなでおいでよ、お花見をしたばかりだけどさ」
歓迎するよ、と会長さん。「そるじゃぁ・ぶるぅ」もニコニコ顔です。アルトちゃんたちのように特別扱いも素敵ですけれど、やっぱりみんな揃ってこそ…かな?
土曜日のお昼前、私たちは会長さんのマンションにお邪魔しました。何種類ものピザが並んで壮観です。あれこれ選んで食べまくってからリビングの方に移動すると…。
「なんだ、まだ片付けていないのか?」
キース君が目を留めたのは棚の上に置かれた人魚像。鈍い金色に輝くそれは教頭先生を象った逞しい像で…。
「ああ、あれね。何か使い道がないかと思って、しばらくは置いておくつもり」
「…またチョコか? 教頭先生、相当にダメージが大きかったみたいだぞ」
溜息をつくキース君。花祭りと称して溶かしたチョコを浴びせまくられた人魚の像は、どういう仕掛けか分かりませんが教頭先生の舌にチョコの甘さをダイレクトに伝えるものだったのです。甘いものが苦手な教頭先生は倒れてしまい、翌日の柔道部の朝練に出て来なかったらしいのですが…。
「ダメージねえ…。ハーレイが倒れた本当の原因は甘さじゃなくってチョコのイメージの方なんだよ? ぼくの身体を連想しちゃったハーレイが悪い」
ぼくは全然悪くない、と主張している会長さん。人魚の仮装をさせた挙句に像を作ってオモチャにするなんて、誰が聞いても悪戯なのに…悪戯は罪じゃないのでしょうか? と、棚の前に行って像を見ていたシロエ君が。
「これって何で出来てるんですか? 今は触ってもいいんでしょうか?」
「ああ、いいよ。ハーレイと常にシンクロしているわけではないし。…それが気になる?」
好きなだけどうぞ、と会長さんは人魚像を掴んでテーブルの上に持って来ました。
「シロエは機械弄りが好きなんだっけね。だから仕組みを知りたいのかな?」
「ええ、まあ……。そんなところです」
「興味を持つのはいいことだよ。そう簡単には壊れないから、叩いてみてもかまわない」
会長さんのお許しを貰ったシロエ君は像を手に取り、重さを確かめ、表面を撫でたり指先で軽く弾いたり。隅から隅まで調べたものの、得られるところが無かったようで…。
「駄目です、全くのお手上げですよ。…金属製だとは思いますけど、どうやって教頭先生の味覚とシンクロしたのか分かりません。仕掛けは何も見当たりませんし」
ゴトリ、と像をテーブルに戻すシロエ君。
「そうなのか? そう言われると俺も気になる」
メカは専門外だがな、とキース君が像を持ち上げ、コンコンと軽く叩いてみて。
「この音からすると中までキッチリ詰まっているな。空洞だったら内側に呪符の類を入れるってこともあるんだが」
「「「ジュフ?」」」
聞き慣れない単語に首を捻ると、キース君は「お札だ」と説明してくれました。
「呪文なんかを書き付けた紙を呪符と呼ぶ。効果は呪文によって自在に変わるし、守ることも呪うことも出来ると聞くぞ。…素人が書いたものでは効果は無いが、ブルーくらいの高僧だったら十分だ。そういう仕掛けかと思ってみたが、それも違うか…」
降参だ、と像を戻して両手を上げるキース君。私たちも像を順番に手渡ししながら見てみましたが、金属らしい重さを確認できただけです。
「どうだった? やっぱり誰にも分からない?」
会長さんの問いに、私たちは素直に頷く以外にありませんでした。会長さんはテーブルに置かれた像の頭をチョンとつついて。
「素材に秘密があるんだよ。これは普通の合金じゃない。ぼくたちの…シャングリラ号には必要だけど、この地球上で生活するにはさして意味のない配合かな、うん」
「「「え?」」」
「シャングリラ号のブリッジを覚えているだろう? サイオンキャノンの発射装置は?」
「あ!」
シロエ君が声を上げました。
「ホントだ、あれと同じ色です! 興味があったんでよく覚えてます。…あれって特殊鋼か何かですか?」
「まあね。サイオンキャノンの試射も見せたけど、サイオンキャノンはその名のとおりサイオンを利用したシステムだ。そのためにはサイオンを伝えやすい素材を使わないと…。他のセクションでも使われてるよ、この合金は。要になっているのはね…」
「……ジルナイト鉱石」
「「「!!?」」」
答えを言ったのは私たちの中の誰でもなくて、もちろん「そるじゃぁ・ぶるぅ」でもなくて…。
「こんにちは。温泉旅行は楽しかったね」
紫のマントをフワリと翻してソルジャーがリビングに立っていました。い、いつから話を聞いてたんですか? それに何しに来たんですか~!?
空いているソファに腰を下ろしたソルジャーの前に「そるじゃぁ・ぶるぅ」が急いで紅茶を運んできます。私たちにも飲み物が配られ、ダックワーズを盛ったお皿も…。
「これがハーレイの人魚像か。本物を見ると実に傑作」
花祭りの騒動を覗き見していたというソルジャーは人魚の像を撫で回したり、持ち上げてみたり。
「いいね、これ。…ぼくもこういうのを作ろうかな? モデルに逃げられそうだけれども」
「これが見たくて来たのかい?」
迷惑そうな会長さんに、ソルジャーは「ううん」と首を横に振って。
「像の素材でみんなが頭を悩ませてたから、正解を言いに。…それと、ぶるぅのおやつかな。いつも美味しくてハズレが無いし」
「お誉めに与ってどうも。…で、ジルナイト鉱石って?」
会長さんの言葉にソルジャーはキョトンとした顔で。
「え? サイオンの伝導効率を高めるために混ぜると言ったらジルナイトだろう? それとも、こっちじゃ別のものかな?」
こんなのだけど、とソルジャーが会長さんに思念で情報を伝えているようです。会長さんは納得した様子で「なるほど」と呟き、私たちに。
「じゃあ、ジルナイトってことにしておこう。ぼくが言いたかったものとジルナイトとは同じだから」
「ジルナイト!? そんな鉱石ありましたっけ?」
シロエ君が突っ込み、キース君が。
「俺も初耳だ。他の惑星で採れるのか?」
「…まさか。シャングリラ号は地球で造った船だよ? 材料を採りに他の星まで行ったと思う? 言っておくけど、生身で宇宙空間に出て行けるのはタイプ・ブルーのぼくとぶるぅしかいないんだからね。そこまでしないと造れない船なら諦めてるさ」
そうだろう? と会長さん。言われてみればそのとおりですが、キース君たちも知らないような稀少な鉱石がシャングリラ号の要ですか…? 会長さんは疑問だらけの私たちを見回して。
「ぼくたちの世界では別の名前で呼ばれてる。そして珍しいものでもない。…ただ、サイオンが知られてないから地球上では意味がないだけだ。君たちには『サイオンを伝えてくれる鉱石』と説明しようと思ってたけど、ちょうどいい別名が出てきたからね…。ジルナイトってことで納得しといて」
本当の名前はシャングリラ号のクルーにならないと教えられないのだ、と会長さんは真顔でした。そういう理由ならジルナイトでもいいですけども、それが入った合金製の教頭先生人魚の像の仕掛けの方は…? サイオンを伝えやすい素材で出来ているから、あんな悪戯が出来たんですか? 口々に尋ねる私たちに、会長さんはニッコリ笑って。
「そういうこと。ぼくのサイオンで表面を覆って、ハーレイの身体の方にもぼくのサイオンを侵入させて…味覚と直結させたってわけ。その要領で色々できるよ」
「…うん、本当に色々と…ね」
相槌を打ったのはソルジャーでした。
「上手に使えばコレだけでハーレイを昇天させるのも可能かな」
「「「昇天!?」」」
冗談ごとではない恐ろしい単語に、私たちは顔面蒼白。ま、まさか…この像に釘を打ったら教頭先生はお亡くなりに…? それって藁人形と同レベルでは? いくらなんでも丑の刻参りはあんまりでは…?
「丑の刻参り? なんだい、それは」
今度はソルジャーが首を傾げる番でした。流石にSD体制が敷かれたソルジャーの世界に丑の刻参りは無いようです。でも似たものはあるんですよね? 呪いの人形は確かブードゥーでしたっけ? ジルナイトみたいに名前は違えど、きっと呪いの人形が…。
丑の刻参りの説明を会長さんから聞いたソルジャーはプッと吹き出し、散々笑い転げました。もしかして私たち、藁人形で人が殺せると信じ込んでいる非科学的な人間だと思われてますか? ソルジャーの世界にだって、呪いの人形はあるというのに…。鰯の頭も信心からです。しかし…。
「ごめん、ごめん。つい……おかしくってさ」
涙まで出てきちゃった、と指で目尻を拭ったソルジャーは不満一杯の私たちに謝ってから。
「丑の刻参りにブードゥーだっけ? ぼくの世界にそういう類の迷信は無い。SD体制以前の古い本を読んで、その気になってやっている人は存在するのかもしれないけれど…。呪いで人は殺せない。あくまで普通の人間には…ね」
「「「???」」」
「ミュウはサイオンで人を殺せる。それを望むミュウはいないというのに、その能力を持つというだけで恐れられるし、抹殺される。…この話は暗くなるから置いといて……さっきの君たちの反応だけどさ。昇天の意味を間違えてるよ」
「「「は?」」」
ソルジャーの世界の話で沈んだ気分になりかかっていた私たちですが、ソルジャーの瞳は悪戯っぽく輝いています。昇天の意味って、ひょっとして…お亡くなりという意味ではなくて、エロドクターがよく口にする口説き文句の中のアレ…? ジョミー君たちも思い当たったのか、頬がちょっぴり赤くなっています。
「やっと分かったみたいだね。そう、ぼくが言ったのはそっちの方さ。でも、この人形は残念なことに人魚になっているものだから…」
ツツーッと指で教頭先生の像の首から下を辿るソルジャー。
「肝心の部分が無いんだよねえ。…もっとも、あのハーレイなら上半身だけで十分だって気もするけれど。ちょっと試してみようかな」
「却下!!!」
会長さんの雷が落ち、青い光がソルジャーの指をパシッと弾き飛ばしました。教頭先生の像はシールドに包まれ、青く発光しています。
「いたたた…。なんだ、結局、ハーレイのことが好きなんじゃないか。…ぼくに触らせたくないほどに」
「違う! ハーレイが妙な気分になったら一番にぼくが困るんだ! 家に電話がかかってきたり、熱烈なラブレターを送ってきたり…。本当にムラムラしちゃった時は最悪なんだよ、プレゼントを送って寄越すから」
「…プレゼント? 何を?」
「こういうヤツ!!!」
バサリとソルジャーの膝の上に落ちて来たのは青い布きれの塊でした。
「………???」
両手で広げてみたソルジャーの目が点になり、ジョミー君がウッと仰け反り、私たちの脳裏に一昨年の夏がフラッシュバック。…それは超ミニ丈で青いスケスケの……ベビードールではありませんか! 教頭先生が「これを着たあなたを見てみたい」というカードをつけて会長さんに贈り、会長さんがそのままジョミー君に回して着せてしまった因縁の…。
「…これを……君のハーレイが…?」
有り得ない、と一蹴するソルジャーに、会長さんは大きな溜息をついて。
「それがあるんだよ、十年に一度あるか無いかの御乱心ってヤツが。…分かったらハーレイを刺激するのはやめてほしいな。あの人形のせいで昇天なんかしちゃった日には、絶対ロクでもないことに…」
「なるほどねえ…。そういうわけなら手を引こう。珍しいものも拝めたしさ」
一世一代のプレゼントか……とベビードールを矯めつ眇めつ眺めるソルジャー。会長さんったら、まだあんなものを残していたとは驚きです。まりぃ先生が言っているように歪んだ愛でもあるのでしょうか? ソルジャーもそれを指摘しましたが、答えは実に明快でした。
「何が愛だって? バカバカしい。…脅しのネタに置いてあるだけだよ。これを学校に提出したらハーレイの立場はどうなると思う? 証拠品は大事にしておかなきゃね、場合によってはお金にもなるし」
「「「………」」」
まだまだ毟り足りないのか、と頭痛を覚える私たち。ソルジャーもガッカリしたようですけど、この性格こそが会長さん。三百年の筋金入りは多分直りはしないでしょう。
ベビードールが片付けられると「そるじゃぁ・ぶるぅ」が何種類ものケーキやスコーン、サンドイッチを運んで来ました。会長さんの家でのアフタヌーンティーは久しぶりです。ソルジャーのお目当てはこれだったらしく、「ぶるぅ」の分を持ち帰り用に詰めて貰って上機嫌。美味しいお菓子に舌鼓を打っていると…。
「…身代わりを立てるっていうのはマズイよね…」
唐突な会長さんの台詞に全員の手が止まります。身代わりって…誰の? そして何の? 矢継ぎ早に質問を浴びせるソルジャーと私たちに、会長さんは苦笑しながら。
「いいんだ、どう考えても無茶だから。…第一、ソルジャーの立場では許されるわけがないんだし」
「…だから何のさ?」
言ってみたまえ、とソルジャーが畳み掛けると、会長さんは少し逡巡していましたが…。
「………。年に一度の健康診断」
「「「健康診断?」」」
ソルジャーは怪訝な顔でしたけど、私たちにはすぐ分かりました。去年、サム君が会長さんをエロドクターから守ろうと必死になっていたヤツです。もう一年になるんですか…。会長さんはソルジャーとしての自分に健康診断の受診が義務付けられている事情を話し、逃げられないのだと語ってから。
「…ノルディがぼくに御執心なのは知ってるだろう? 去年の借りは返したけれど、またキスマークをつけられちゃったら大変だ。それで今年もボディーガードを頼むつもりでキースたちを呼んだんだけど…。君が乱入したってわけ」
「それじゃ身代わりって言っていたのは…ぼくのことかい?」
「うん。君はノルディも平気だからね、代わりに行って貰おうかなあ、って思ったんだよ。…だけど…必要なのはぼくの健康診断だ。ぼくの代わりがいない以上は、ぼく自身が受けておかないと…」
万一の時に困るから、と珍しく殊勝な会長さん。日頃の行いからはとても想像できませんけど、ソルジャーとしての自覚はあるようです。三百歳を超えているだけに健康管理は大切でしょう。それでも気乗りしないというのは行き先がドクター・ノルディの所だからで…。
「あーあ、ハーレイの人形じゃなくてノルディの人形が作れたらなあ…」
「「「は?」」」
会長さんの真意が掴めません。ドクターの人形なんかがあったとしたらどうするんですか? 会長さんは棚の上の教頭先生の像を見遣り、私たちの方に視線を戻して。
「キースが言っていただろう? 呪符を使えば色々出来る…、って。あの時に頭を掠めていったんだよね、陰陽道の人形が」
「「「ヒトガタ?」」」
えっと。人形と書くヒトガタですか? 漫画や映画で陰陽師が呪文を唱えて紙の人形に人間の身代わりをさせる話を見ましたけれど、あれなんでしょうか…?
「そう、ヒトガタ。字は人形と同じなんだ。キースの言葉で思い浮かんだのは人形をぼくの身代わりに立てることだったけどさ…。今、考えてるのは別のこと。ノルディの身代わり人形が欲しいなぁ、って。それでノルディを呪縛しとけば不埒な真似は出来ないだろうと」
「あんた、陰陽道の心得まであったのか!?」
仰天しているキース君。会長さんは「少しだけね」と微笑みました。
「でも本当に齧っただけだし、身代わり人形までは作れない。陰陽道の技では…ね。だけどハーレイの人形と同じ方法だったら、ぼくにも作ることは可能だ。そういう人形があればいいのに…」
「作ってしまえばいいじゃない」
ジョミー君が何のためらいもなく言い放ちました。
「教頭先生はオモチャにされたら可哀想だけど、エロドクターならいいと思うな。ブルーを追っかけ回してるだけで、ちっとも大事にしていないもの」
「おう! ジョミーが言ってる通りだぜ!」
拳を握って叫ぶサム君。会長さんが大好きなだけに、エロドクターへの嫌悪感も半端じゃないのです。
「あいつ、何かって言えばブルーに悪さをしようとするし……作っとけよ、その人形。絶対それがいいと思うぜ」
「俺もそう思う。…作るべきだな」
まるで同情の余地はない、とキース君も断言します。シロエ君もマツカ君も、スウェナちゃんも私も賛成でした。あのドクターを封じるための人形があれば、安心して生活できそうですから。…ソルジャーも乗り気になり、作ってしまえと言ったのですけど。
「……それが出来たら苦労はしないよ」
無理なんだ、と悔しげに唇を噛む会長さん。
「さっき言っただろう、陰陽道は少しだけしか齧っていない…って。そんなレベルじゃノルディの人形は作れやしない。絶対的に力不足だ」
もっと極めておくべきだった、と項垂れている会長さん。いいアイデアだと思ったのですが、作れないんじゃダメなのかなあ…。ん? あれ? さっき作れるって言ってたような…? それとも私の聞き間違い…?
エロドクターを封じられるかもしれない身代わり人形。作り出そうと盛り上がったのに、不可能と知って落胆したのは私だけではありませんでした。サム君などは歯軋りをしてキース君に詰め寄っています。
「おい、お前の知り合いにプロの陰陽師はいないのかよ! 坊主って顔が広いんだろ!」
「そんなこと俺に言われても…。ブルーの方が人脈もあるし、なんといっても高僧だし…そっちのツテが確かだって! なあ、ブルー?」
「ん…? あ、そうだね…。そうかもしれないね…」
煮え切らない様子の会長さん。自分の身を守るアイテムに関する問題なのに、心ここに在らずと言った感です。視線も何処か定まりませんし、気になることでもあるのでしょうか…?
「……ブルー。ぼくは記憶力に自信があるんだけどね」
こっちを向いて、とソルジャーが会長さんに声をかけました。会長さんは一瞬ビクッと肩を震わせ、すぐに普段の顔に戻って。
「あ、ああ、ごめん。ちょっと考え事をしていて…」
「考え事ねえ…。ノルディのことだろ? …もう一度言うよ。ぼくは記憶力には自信がある。ついでに、この補聴器は記憶装置を兼ねているんだ。ブルー、君はノルディの人形を作れると言ったと思うんだけど、ぼくの記憶は間違ってるかい?」
「…………」
否定はしない会長さん。それは無言の肯定でした。ソルジャーも私も作れると聞いたドクターの人形が作れないことになったのは何故…? ジョミー君たちも記憶を遡って確認したのか、肘でつつきあって顔を見合せています。ソルジャーが重ねて問い掛けました。
「ハーレイの人形と同じ方法で作れると確かに聞いたんだよ。なのに君は別の方法を持ち出して来て、力不足で無理だと言う。…片方は可能で片方は不可能。この矛盾はどこから来るんだろうね? ノルディの人形を作りたくないんだとしか思えないけど…?」
「………」
「でも君は人形が欲しいと言った。…その人形、ぼくが作ってあげようか?」
「えっ?」
俯きかかっていた顔を弾かれたように上げた会長さんに、ソルジャーはクスクスと笑い出しました。
「やっぱりぼくでも作れるらしいね。…やり方は? 教えてくれれば作ってみるよ。ハーレイの人形で遊びたいって言ったら止められちゃったし、代わりにノルディで遊んでみたい。ぼくは人形遊びが出来て、君はノルディの人形を手に入れる。…ね、悪くない取引だろう?」
げげっ。エロドクターとソルジャーといえば何かとお騒がせな組み合わせですが、これから一体どうなるのでしょう? 会長さん、許可を出すのでしょうか? それに人形の作り方は…? この胸騒ぎは気のせいなんだと思いたいですけど、嫌な予感が治まりません~!
ジョミー君が王様になった王様ゲームは教頭先生を苛めまくるというものでした。王様は会長さんが作った命令書の中から一つ選ぶだけで、命令は全て教頭先生がターゲット。しかも命令を下せなかったら、その命令が王様自身に降りかかるとあってはたまりません。ジョミー君が非情な命令を読み上げ、哀れな教頭先生は…。
「ブルー…。本当にこれを着けないとダメなのか?」
教頭先生の声は震えていました。絨毯の上にはショッキングピンクの魚の尻尾、渡されたのは紫のレースのTバック。人魚に変身しろという命令だけでも大概なのに、変身用の尻尾を装着するにはTバックを履かないとダメらしいのです。会長さんは教頭先生をチラリと眺めて。
「ん? 人魚の尻尾がそんなに不満? それとも嫌なのはTバックかな? Tバックの方は別に無理にとは言わないけどさ」
「そ、そうか…」
ホッとした教頭先生ですが、会長さんが続けた言葉は…。
「その尻尾はね、身体にぴったりフィットするように作ってあるんだ。だから出来るだけ身体のラインを出さなくちゃ。Tバックが一番だと思うんだけど、嫌ならノーパンにするしかないかな」
「…なんだと…?」
教頭先生の顔からサーッ血の気が引きました。
「せ…専用下着というのはそういう意味か? 他の下着ではダメなのか? その……そのぅ、ビキニとかでは…」
「ビキニねえ…。まあ、いいか。…で、今すぐ用意できるんだろうね? 買いに行くっていうのはダメだよ?」
あまり時間が無いんだから、と会長さんは壁の時計を示します。教頭先生はグッと詰まって。
「こ…ここには無いが、家にはあるんだ。バレエのレッスンで履いてるヤツが」
なんと! 教頭先生、今もバレエを続けてましたか。会長さんにサイオンでバレエのテクニックを仕込まれたのは去年の1月のことだったのに…。その後、更に技を磨いてゼル先生たちと『四羽の白鳥』を披露してくれたのが私たちが卒業した直後の謝恩会。まだレッスンを続けていたとは驚きですが、確かにバレエに紅白縞は不向きですよね。…でも会長さんの口調はあくまで冷たく…。
「それで?」
「い、いや…。だから、ビキニでは駄目なのか、と…」
「かまわないって言っただろう? ほら、早くあっちの部屋で履き替えてきて」
仮眠室の扉を指差す会長さんに、教頭先生は脂汗を浮かべながら。
「…ビキニは家に置いてあるんだ。寝室のクローゼットは知ってるな? 下から二番目の引出しの中に…」
「取ってこいって? ぼくに?」
会長さんは何度か瞬きをして、信じられないといった表情で。
「なんでハーレイの下着なんかを取りに行かなきゃいけないのさ? 瞬間移動で取り寄せるのもお断りだね。…ぶるぅ、お前も手伝ってあげちゃいけないよ。ハーレイが自分でやればいいんだ」
「うん。…でも、ハーレイって瞬間移動できたっけ?」
タイプ・グリーンだと思うんだけど、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」。瞬間移動はタイプ・ブルーの会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」にしか出来ない筈です。けれど会長さんは容赦しませんでした。
「タイプ・グリーンでもやって出来ないことはない。まだ成功した人がいないってだけで、可能性は十分あるんだよ。…どうする、ハーレイ? Tバックかノーパン、どっちも嫌なら根性でビキニを取り寄せたまえ。制限時間は一分間だ。はじめっ!」
私たちは教頭先生に注目しました。タイプ・グリーン初の瞬間移動は見事成功するのでしょうか? 淡いグリーンの光が教頭先生の身体を包み、しばらく揺らめいていましたが…。
「…無理だ…」
教頭先生は肩を落とすと溜息をついて。
「どうやればいいのかサッパリ分からん。…仕方ない、専用下着とやらにしよう。それは写真は撮らんのだろうな?」
「ああ、そんな悪趣味な写真は撮らないよ。安心して履いてくるといい」
会長さんに背中をポンと叩かれ、教頭先生はTバックを手にして仮眠室に入って行きました。数分後に扉がガチャリと開いて…。
「………これでいいのか?」
「「「!!!」」」
逞しい身体に紫色のTバックだけを着けた姿で歩み出てきた教頭先生。視覚の暴力そのものですが、会長さんは澄ました顔で。
「ジョミー、命令をもう一度。大きな声で読み上げたまえ」
「…は、はいっ! え、えっと…ハーレイは人魚に変身した上、記念撮影に応じること!」
王冠を被ったジョミー君の命令が下りました。会長さんが指をパチンと鳴らし、「そるじゃぁ・ぶるぅ」がショッキングピンクの魚の尻尾に隠されていたファスナーを開けます。教頭先生が下半身をゴソゴソと潜り込ませるとファスナーが素早く引き上げられて…。
「はい、出来上がり」
満面の笑みの会長さんの足許に大きな人魚がゴロンと横たわっていたのでした。
教頭先生の褐色の肌にショッキングピンクの人魚の尻尾は似合いません。おまけに教頭先生が人魚になるのは無理があります。人魚といえば美しい女性の上半身がお約束では…。
「甘いね。君たちはまだまだ勉強不足だ」
ざわついている私たちに会長さんが言いました。
「人魚は女性に限らないよ。世界最古の人魚像はね……肥沃な三日月地帯ってあるだろう? あそこで出土したレリーフの中の、長い髭が生えた男性なんだ」
「「「………」」」
世界最古の人魚が男。それも髭面のオジサンだとは衝撃でした。会長さんが思念で送って寄越した映像からして、これは嘘ではなさそうです。海に浮かんだ船の間に魚に混じって髭の人魚が…。
「ついでに言うと、グレイブの先祖は男の人魚かもしれないよ」
「「「は!?」」」
なんでグレイブ先生の名が? 教頭先生のことも忘れて私たちの視線が会長さんに向けられます。
「ケルト神話で有名な島は知っているよね。あそこは人魚の伝説が多い。あの島では女の人魚をメロウ、男の人魚をマードックと呼ぶ」
「へえ…」
知らなかった、とジョミー君。グレイブ先生の姓はマードックですし、もしかして関係あるのかも…? 一度尋ねてみようかな、と誰もが思ったのですが。
「グレイブの先祖が人魚だとしたら、物好きな人がいたんだろうね。なにしろ伝説のマードックときたら、胴体は逞しい男性なのに姿がとっても醜いらしい。豚のような目に赤い鼻、緑色の歯で髪の毛は海藻みたいにモジャモジャで…」
「「「………」」」
ちょっと想像がつきませんでした。教頭先生人魚の方がビジュアル的にはまだマシそうです。会長さんは教頭先生の人魚の尻尾を眺めながら。
「マードックがあまりにも醜すぎるから女の人魚は人間の男に恋をする。その結果、先祖は人魚だって家系が幾つもあるのさ。グレイブの先祖はマードックなのか、人間を恋人にしたメロウの方が罪滅ぼしに名前を借りたのか…それとも全く無関係か。でも、そんなことより今はハーレイ人魚が肝心」
さて、と会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」がサイオンでパパッと取り寄せたのは撮影用の機材でした。
「男の人魚もいるって教えたし、ハーレイ人魚に文句はないだろ? 髭面だとかマードックよりは見られる筈だよ、ハーレイ人魚。さあ、撮影を始めよう。…君たちは今から撮影助手だ。あ、ジョミーの王冠はもう要らないね」
紙の王冠がフッと消え失せ、平民に戻ったジョミー君と私たちは教頭室にブルースクリーンを張り、ライトをセットし、小道具の岩を据え付けて…。
「ハーレイ、準備が整ったよ。岩に座ってくれないかな」
「………」
憮然とした顔で寝そべっていた教頭先生が上体を起こし、岩の方へと這って行きます。柔道部三人組が手伝って岩に座らせ、会長さんがポーズをつけて…撮影係はスウェナちゃん。ジャーナリスト志望だったのが裏目に出ちゃったみたいです。
「じゃあ、撮りますね。笑って下さぁ~い」
パシャッパシャッとシャッターが切られ、珍妙な人魚の記念写真が撮られました。次はポーズと角度を変えて…。と、いきなり教頭室の扉が開いて。
「ハーレイ、さっきの…」
言葉が途中で途切れてしまい、固まっているのはゼル先生。えっと、どうすればいいんでしょう? 私たち、叱られちゃうんでしょうか? こんなの想定外ですよぅ~!
「…な、な……」
ゼル先生は血管が切れそうな顔で私たちを睨んでいたかと思うと、凄い雷を落としました。
「なんじゃハーレイ、その格好は! それを見せたくて呼んだんかいっ!!」
「「「え?」」」
呼んだ? いったい誰がゼル先生を? 教頭先生が怒鳴られてますけど、思念波でSOSでも出しましたか…? 教頭先生は必死に首を左右に振ると。
「ち、違う、誤解だ! 私は……私は何も……」
「いいや、お前の番号じゃった! かけ直しても返事がないから走ってきてみればこの有様じゃ!」
烈火の如く怒り狂っているゼル先生。内線呼び出しがあったようです。…まさか、そのコールの発信者は…。
「御苦労さま、ゼル」
ニッコリ笑って手を上げたのは、やはり会長さんでした。岩に座って身を縮めている教頭先生のショッキングピンクの尻尾をペタペタと触り、尾びれを「よいしょ」と持ち上げてみせて。
「ぼくが内線で呼んだんだ。ハーレイ人魚、凄いだろう? テープでくっつけてあるんだけれど、継ぎ目が全く分からないよね。水に入れたらちゃんと泳げる」
「…ほほぅ……」
ゼル先生の頬がほんの少しだけ緩みました。
「不細工な人魚じゃが、よく出来とるな。しかし、わしを呼び出してどうするつもりじゃ。プールはシドの管轄じゃぞ。わしに使用許可を貰って来いと?」
「ううん、プールは使わないよ。ぼくは目撃者が欲しかっただけさ。ハーレイはシャングリラ号でぼくのお株を奪ってくれたし、仕返しに恥ずかしい写真を撮って配ろうかな、と…。でもね、証人がないと合成写真で片付けられてしまうだろう?」
ウインクをする会長さん。ゼル先生は腕組みをして会長さんと教頭先生を交互に見比べていましたが…。
「おお、そうか。思い出したぞ、アルトとrか! ハーレイのキャプテン姿に見惚れとったな。…思い出した、思い出した。頭に来たとか怒っとったが、そうか、あの時の仕返しか!」
よくやったぞ、とゼル先生は会長さんの肩を持ったではありませんか。いったい何故…?
「ゼルも注目して貰おうとブリッジで気合を入れていたのに、アルトさんたちはハーレイばかり見ていたんだよ。…そうだよね?」
「うむ。ハーレイは実に目障りじゃった。ワープドライブの起動はわしが命令するんじゃぞ! なのにハーレイが注目されおって…。ワープと叫ぶくらいのことは猫でも杓子でも出来るわい!」
えっと。流石に猫と杓子には無理じゃないかと思うんですけど、単に「ワープ」と叫ぶだけなら私たちでも出来そうです。ゼル先生も教頭先生に敵愾心を燃やしていましたか…。そういえば『パルテノンの夜の帝王』と呼ばれていたと聞いた気がします。会長さんったら計算ずくでゼル先生を呼び出したみたい。
「ね、ハーレイは生意気なんだ。この写真、後で背景を合成してから長老のみんなに配っちゃおうと思うんだけど」
「それは素晴らしいアイデアじゃな。ブラウあたりが喜びそうじゃ。…いっそ背景は教頭室というのもいいかもしれん。赤っ恥にはもってこいじゃぞ」
「そうだね。それもいい記念になりそうだ。…ぶるぅ!」
ブルースクリーンがサッと巻き上げられ、教頭先生は重厚な机と書棚をバックに写真を撮られてしまいました。ゼル先生がスウェナちゃんのカメラを覗き込み、撮影データを見せて貰ってあれこれ写真を選んでいます。
「これと、これと……これもなかなか良さそうじゃのう。どうじゃ、わしら限定で写真集に仕立てて配るというのは」
「タイトルは人魚姫で? 楽しい絵本が出来るかもね」
悪辣な相談を始めた二人を私たちは呆然と見ているだけでした。教頭先生は泣きそうな顔をしています。会長さんはアルトちゃんとrちゃんにも写真を渡して幻滅させたいと言ったのですけど…。
「いかん、いかん」
ゼル先生が即座に止めました。
「写真を渡すというのはいかん。いくら特別生といえども、まだ1年目のヒヨコではのう…」
あ。教頭先生、嬉しそう。やっと庇って貰えたようです。ゼル先生も悪ノリして暴走するだけじゃなかったんですねえ……って、え? なんですって?
「こうハッキリと顔が写っておっては流出したら大変じゃぞ。シャングリラ学園の大恥になる。もっとこう、校内限定で楽しめそうなネタなら歓迎じゃがな」
げげっ。ゼル先生ったらまだ言いますか! 会長さんがクスッと笑って。
「…学園祭の時の花魁みたいに? あれは外部の人も見ていたけれど」
「うむ。ああいう祭りは害が無いのう」
今が学園祭の時期だったら…、とゼル先生は残念そうです。会長さんも溜息をついて教頭先生の人魚の尻尾をじっと見詰めていましたが…。
「そうだ、お祭りにすればいいんだ! ありがとう、ゼル、閃いたよ。…楽しみにしてて」
ゼル先生の耳に何やら囁きかける会長さん。ゼル先生はニヤリと笑い、教頭先生を上から下まで眺め回すと「ではこれで」と立ち去りました。私たちはブルースクリーンをバックに教頭先生の撮影を続け、会長さんがデータをチェック。やっとのことで撮影が終わると会長さんはサイオンで機材を片付けましたが、人魚の尻尾は放置です。
「ハーレイ、人魚の尻尾は君にあげるよ。シャングリラ号のクルーの交流会で変身したらウケると思うな」
ねえ? と尾びれを撫でる会長さんに、教頭先生は疲れた顔で。
「貰うのはかまわんのだが、外していってくれないのか?」
「王様ゲームの命令は記念撮影に応じるとこまで。アフターサービスはやってないんだ。頑張って自力で外したまえ。じゃあね、ハーレイ」
軽く手を振った会長さんは私たちに「帰るよ」と合図して教頭室を出て行きます。絨毯の上で伸びているショッキングピンクの人魚をチラチラ振り返りながら私たちは会長さんに続きました。
会長さんの閃きが何だったのかは教えて貰えませんでした。教頭先生人魚の姿が頭の中から離れないまま、翌日は新入生歓迎会。恒例のエッグハントは特別生は裏方です。校内に卵を隠して回って、後は「そるじゃぁ・ぶるぅ」の帰りを待つだけ。「そるじゃぁ・ぶるぅ」は卵に化けて一等賞の賞品を隠し持つのがお役目だったり…。
「かみお~ん♪ みんな、お待たせ!」
一等の旅行券を渡し終わった「そるじゃぁ・ぶるぅ」が影の生徒会室に戻って来ました。桜の葉を練り込んだ生地と桜の餡とクリームを使ったロールケーキが配られてきて、ティータイム。昨日はウェディング・ケーキにチョコレート・フォンデュと豪華でしたが、その後が…。やっぱり平和が一番ですよね。
「うん、美味しい! これって全部、桜なんだ?」
ジョミー君がケーキを頬張り、キース君が。
「桜か…。そういえば今日は花祭りだな」
「あ、白い象を引っ張るお祭りね?」
スウェナちゃんの言葉をキース君が「ちょっと違う」と訂正しました。
「象が主役の祭りじゃないぞ。お釈迦様のお誕生日だし、メインはあくまでお釈迦様だ」
「甘茶をかけて祝うんですよね?」
そう言ったのはマツカ君。キース君が頷いた所で会長さんが割り込んできて…。
「花祭り、今年はシャングリラ学園でもやるんだよ」
「なんだと? 何も聞いていないぞ」
それに生徒は帰った筈だ、とキース君は首を捻りましたが…。
「いいんだってば。特別生が残っているし、教職員もいるからね。…ハーレイだけは知らないけどさ、花祭りのこと」
「「「えっ?」」」
なんだか嫌な予感がします。特別生と教職員だけで花祭り。しかも教頭先生が蚊帳の外だなんて、これはロクでもない展開に…?
「ご名答。昨日、ゼルに言われて思い付いた。せっかくだからお祭りしよう、って。…ほらね」
パアッと青い光が溢れて、会長さんの両手の中に現れたのは…。
「「「教頭先生!?」」」
それは手のひらサイズの教頭先生人形でした。素材が何かは分かりませんが、鈍い金色の……人魚になった教頭先生が岩に座っている像だったのです。小さいながらもよく出来ていて、顔立ちも体格も教頭先生そのものですけど…。
「素敵だろう? 昨日写した写真を元に作ったんだよ、ぼくのサイオンを使ってね。外注したら楽なんだけど、それじゃ写真の流出になるし…。でも、ぼくならではの細工が出来た」
会長さんは得意そうです。いったいどんな細工をしたんだか…。いえ、それよりもこの人形で花祭りって、甘茶をかけたりするわけですか? 顔を見合わせる私たちに、会長さんは極上の笑みを浮かべてみせて。
「まずは準備をしなくっちゃ。みんなケーキを食べ終わったようだし、一緒に中庭に来てくれるかな? 会場を設営するんだよ」
会長さんはスッと立ち上がると、教頭先生の像を持ったまま壁を抜けて出て行ってしまいました。その後を「そるじゃぁ・ぶるぅ」が追いかけ、私たちもバタバタと…。中庭に着くと会長さんが瞬間移動で机を設置し、白い布をかけて…そこに置かれたのは「そるじゃぁ・ぶるぅ」愛用のパエリア鍋。会長さんは鍋の真ん中に教頭先生の像を据えると…。
「本物の花祭りじゃないから盥に取っ手があってもいいよね。まあ、角盥みたいに取っ手のついた盥もあるし」
「………おい」
キース君の目が据わっています。会長さんを睨み、ドスの効いた声で。
「この人形で花祭りだと? 罰当たりにも程がある。お釈迦様を馬鹿にしてるのか!?」
「まさか。お釈迦様がお生まれになったおめでたい日だよ? 知ってるかい、人魚は凶兆だって説が有名だけど、国家長久の瑞兆だとも言われてるんだ。人魚が現れると国が栄える。…おめでたいじゃないか、人魚の像も。花祭りを祝うのに相応しいよね」
罰当たりどころか素晴らしいんだ、と会長さんは言い放ちました。パエリア鍋の上には花で飾られた屋形が乗せられ、演出効果バッチリです。…本物の花祭りだと子供時代のお釈迦様の像ですけども、私たちのは人魚像。それも教頭先生がモデルだなんて、罰当たりとしか思えません。でも伝説の高僧の会長さんが主催者ですから、いいのかな…。
「よし、準備オッケー。ぶるぅ、頼むよ」
「かみお~ん♪」
青い光と共に現れたのはチョコレート・フォンデュ用の鍋とコンロでした。パエリア鍋の隣に据えられ、鍋の中には溶けたチョコレートが入っています。会長さんがスープの盛り付けに使う深めのスプーンでチョコをかき混ぜ、トロリと掬い上げてみて…。
「上出来、上出来。甘さもちょうどいい感じ」
小指にチョコをつけ、ペロリと舐めた会長さんは満足そうに微笑みました。
「それじゃ花祭りを始めようか。…みんなを呼ぼう」
続いて校内に響いた思念は…。
『校内の諸君、シャングリラ学園生徒会長、ブルーからのお知らせだ。今から中庭で花祭りをする。参加したい人は急いで来ること!』
間もなく中庭に特別生や先生方が姿を現わし、机の周りを取り囲みます。長老のゼル先生たちは一番最後に来たのですけど…。
「花祭りだなんて聞いていないぞ」
「いや、わしは聞いた。エラもブラウもヒルマンも知っとる。…知らんというのはお前だけじゃが、ちゃんと仕事をしておるか?」
「もちろんだ。第一、ブルーの担任は私だぞ。イベントなどの許可申請なら私の所に…。ん? 花祭りだと…?」
ゼル先生と言い争いながら中庭に来た教頭先生の視線が会長さんの上で止まりました。
「そういえば…祭りにすればいいとか言っていたような…。まさか、ブルー…この花祭りがそうなのか…?」
「大当たり。冴えてるね、ハーレイ」
会長さんはとても綺麗な笑みを浮かべて、スプーンで鍋のチョコを掬うと…。
「花祭りには甘茶だけれど、シャングリラ学園のはチョコレート。お釈迦様の像にかけるんじゃなくて、ハーレイの像にかけるんだ。人魚姫の姿になっているのはお遊びさ。一番にぼくがやってみるね」
溶けたチョコレートがトロリ…と教頭先生の像にかけられた時。
「うわぁぁぁ!!!」
野太い悲鳴が中庭に響き、頭を抱えて蹲ったのは教頭先生。甘いものが苦手なことは知ってますけど、目にしただけでもダメなんですか…?
教頭先生は頭痛がするのか、蹲ったまま唸っていました。会長さんがクスクスと笑い、ブラウ先生にスプーンを渡して。
「次はブラウがやってみてよ。この像にはサイオンで細工がしてあって…表面がハーレイの舌の味覚に直結してる。チョコをかければ口いっぱいにチョコの甘さが広がる仕組みさ」
「へえ…。そいつは面白そうじゃないか。ハーレイの舌にチョコレートとはね」
ブラウ先生がチョコを掬って像にかけると、教頭先生は蛙が潰れたような呻き声を上げ、苦悶の表情。会長さんが作った像には酷い仕掛けがしてあったのです。
「どれどれ、私も…。ほほう、本当によく出来ている」
これは傑作だ、とヒルマン先生。ゼル先生もウキウキしながらチョコをトロ~リと…。
「ふふん、胸がすくとはこのことじゃわい! …いやいや、何でもないんじゃぞ。別に何でもないんじゃが…苦手があると辛いのう、ハーレイ?」
「…ぐぅっ…」
苦しむ教頭先生に、エラ先生が。
「大丈夫、ハーレイ? お水でも持ってきましょうか」
「…す、すまん…」
掠れた声で答えながらも嬉しそうな教頭先生。エラ先生はペットボトルを取ってきましたが、教頭先生に手渡す代わりに…。
「ブルー、こっちでいいのでしょう?」
ドボドボドボ…と教頭先生の像に水が景気よく注がれます。それでも教頭先生の喉からは安堵の吐息が漏れたのですが、次の瞬間。
「休憩終わり!」
会長さんの声が響いて、その手がチョコをたっぷりと…。それから後は先生方や特別生がチョコをかけたり、甘いジュースを注いだり。けれどアルトちゃんとrちゃんは食堂で調達してきたコーヒーを持って並んでいました。あぁぁ、そんな助け船を出したら会長さんが怒るだけでは…。
『心配ないよ。ハーレイと本気で張り合っていたら男の値打ちが下がるだろう? ぼくは心が広いんだ』
クスクスクス…と笑う思念が伝わってきて。
『そろそろ限界が近いかな。…ふふ、ハーレイには弱みがあるし』
数学同好会のボナール先輩がチョコを注いで、続いてパスカル先輩が…。と、教頭先生がウッと呻いて。
「「「教頭先生!?」」」
鼻を押さえた教頭先生の手を鮮血が伝い、身体が芝生に崩れ落ちます。慌てて駆け寄ったシド先生が抱き起こしましたが、どうやら意識がないみたい。蜂の巣をつついたような大騒ぎの中、エラ先生が脈を取ってみて…。
「単に失神しているだけね。鼻血はチョコの食べ過ぎでしょう。…食べたと言うのか微妙だけれど。まりぃ先生は帰った後だし、手当ても特に必要ないし…」
これで十分、と鼻にティッシュを詰められた教頭先生はシド先生とグレイブ先生が教頭室へ運び、仮眠室のベッドに寝かせたようです。花祭りは自然解散になり、残ったのは私たち七人グループと会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」。エラ先生たち長老方は会長さんから包みを貰って帰りましたけど、あれってやっぱり…?
「うん、特製の人魚姫絵本。君たちも欲しい?」
私たちは首をブンブンと横に振りました。ショッキング・ピンクの人魚姫なんか記憶の中だけで沢山です。
「そっか、残念…。この人魚姫の像は残しておこうと思うんだけどね」
今日の記念に、と楽しそうに言う会長さん。また良からぬことをやらかさなければいいのですが…。
「よからぬこと? それはハーレイに言って欲しいな、鼻血も失神もそのせいだから」
「「「え?」」」
首を傾げる私たちに会長さんはフォンデュ鍋のチョコを指差して。
「バレンタインデーのこと、覚えてる? チョコレート・スパをやっただろう? あれ以来、ハーレイはチョコの香りを吸い込み過ぎるとぼくの身体を思い出すんだ。だから鼻血で失神ってわけ。チョコの食べ過ぎってのは誤診だよ。…本職のノルディでも正確に診断できるかどうかは謎だけどね」
チョコレート・スパの話をノルディに教える気はないし…と会長さん。
「さて、ハーレイをどうしようか? 人魚姫の写真で脅すか、人魚の像を人質にするか…。他にも色々楽しめそうだし、今年もオモチャにしなくっちゃ。お付き合い、よろしくお願いするよ」
「「「………」」」
新学期早々、巻き込まれてしまった私たち。これから先はどうなるのでしょう? なんだかとっても心配ですけど、会長さんや「そるじゃぁ・ぶるぅ」と一緒にいるのは楽しいし…後は野となれ山となれ、です。
「かみお~ん♪ チョコの残りでフォンデュしようよ!」
「そうだね。家へ遊びにおいで」
アルテメシア公園の桜が窓から綺麗に見えるんだ、と会長さん。そう、これだからやめられません、会長さんたちと過ごす日々。この時間から行くってことは晩御飯もきっと出るでしょう。教頭先生には気の毒ですけど、私たち、お花見に行ってきますね~!
チョコレート・フォンデュの鍋の中から砂糖細工の教頭先生人形を釣り上げてしまったジョミー君。教頭先生人形が当たった人が王様だよ、という会長さんの言葉どおりに紙製の王冠を被せられた姿は罰ゲームのように見えました。自分じゃなくて良かった…と思う反面、王様が何なのか気になります。
「…知らないかな? ガレット・デ・ロワ」
会長さんが微笑んで。
「イエス・キリストと三人の博士の話は知ってるだろう? 博士が馬小屋を訪ねたのが1月6日の公現節……エピファニーでね、その日に食べるお菓子がガレット・デ・ロワ。直訳すると王様のお菓子。パイ生地の中にアーモンドクリームがたっぷり詰まっているんだよ」
「…それが何?」
王冠を被ったジョミー君が唇を尖らせています。
「王様のお菓子だからって、それとぼくとが関係あるの?」
「大いにね。ガレット・デ・ロワは紙の王冠とセットで売られるものなんだ。お菓子の中にはフェーブっていう陶器の人形が入ってる。切り分けてみんなで食べるんだけど、自分のガレットからフェーブが出てきた人が王様になれるという仕組み。王冠を被ってみんなに祝福されるのさ。…ジョミー、君はフェーブを当てただろう?」
「…フェーブって、これ…?」
陶器じゃないよ、とジョミー君はお皿の上の教頭先生人形をフォークでコロンと転がしました。チョコレートまみれですけど全く溶けてはいないようです。
「陶器じゃなくてもフェーブってことにしといてよ。ガレット・デ・ロワはね、場所によっては新年のケーキになったりするんだ。ヴァシロピタって呼ぶ国もある。そこでは人形の代わりにコインが入るし、当たった人には幸運が来ると言われているのさ。で、今日は新年度の最初の日だからガレット・デ・ロワっぽくいこうかと」
「だから王様…?」
「そういうこと。ラッキーなんだよ、喜びたまえ」
大当たりだし、と会長さんは笑顔ですけど本当にラッキーなんでしょうか? 素敵な役目がどうとか言っていた上に、誰も王様にならなかったら強制的に指名するとか物騒なことも聞こえましたが…。疑いの眼差しを向けているのはジョミー君だけではありませんでした。でも会長さんは気にも留めずに。
「ぶるぅ、ハーレイ人形をどうしようか? お菓子作りに使うかい?」
「えっと…。使ってもいいんだけども、みんな食べるのを嫌がりそうだよ」
ハーレイだもん、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」がジョミー君のお皿の教頭先生人形をコップの水の中で揺するとチョコは綺麗に取れました。形も塗りも崩れてはおらず、釜茹でになっていたとは思えません。これを砕いてお菓子の材料に使われるのは確かにかなり嫌かもです。
「…食あたりしそうだな」
キース君が言い、シロエ君が。
「チョコの中って相当熱いと思うんですけど、溶けてないなんて…怖いですよ」
「そういえばそうね…」
何か仕掛けがあるのかしら、とスウェナちゃん。会長さんは「ご名答」と教頭先生人形をつまみ上げました。
「サイオンでちょっとコーティングをね。で、食べたい? 食べたくない? …ハーレイ人形」
「「「………」」」
私たちが顔を見合せ、揃って首を横に振ると。
「やっぱり食べたくないだろうねえ…。調子に乗って作らせたのはいいんだけれど、欲しいって人もいないだろうし…。仕方ない、ヤスに食べさせちゃおう」
「「「ヤス?」」」
誰ですか、それは? そんな名前の職員さんとかいましたっけ?
「ゼルの犬だよ」
大型犬で猛犬注意、と会長さんがパチンと指を鳴らすと頭の中に獰猛そうな犬のイメージが浮かびました。ゼル先生の家の庭の様子をサイオンで中継しているようです。
「これが一号で、あっちの陰にいるのが二号。…一号の方が甘党なんだ」
ほら、と会長さんが瞬間移動で放り込んだらしい教頭先生人形が庭にコロコロと転がって…。ヤス一号と呼ばれた犬はフンフンと匂いを嗅いでから大喜びで舐め始めました。あれでは番犬の意味をなさないのでは…? 薬とかが入っていたら一発でアウトじゃないですか~!
「一号も二号も、ぼくの匂いを知ってるからね。知らない人から貰ったものは食べないよ、うん」
とても頭がいいんだから、と会長さん。すぐに二号も近付いてきて、教頭先生人形は二匹の犬のオモチャになってしまいました。齧ってみたり、奪い合ったり…。
「これ以上は残酷な光景だからやめておこうか」
自分でやらかしておいて残酷も何も…と思いましたが、会長さんは素知らぬ顔。サイオン中継を打ち切りにすると、ジョミー君の方に向き直って。
「ハーレイ人形の処分も済んだし、次は王様の出番だね。…今日は何の日?」
「「「え?」」」
何の日って…入学式の日ですけれども、他にも何か…???
今日はシャングリラ学園の入学式。アルトちゃんとrちゃんが特別生として入学してきて、数学同好会の人たちと歓迎会に出かけていって…その他に何かあったでしょうか。思い当たる行事はありません。会長さんは大袈裟な溜息をつき、「仕方ないか」と呟くと。
「去年は違う日だったしね…。色々と事情があったから。でも、今年からは覚えておいて。入学式の日はコレなんだよ。…ぶるぅ!」
「かみお~ん♪」
奥の部屋から「そるじゃぁ・ぶるぅ」が持って来たのはリボンがかかった平たい箱。こ、この箱はどう見ても…。
「そう、青月印の紅白縞が5枚。本来は入学式の日に届けていたけど、去年はハーレイとの仲がこじれていたからね。今年は婚前旅行も行ったし、いつもどおりでいいだろう」
「「「………」」」
私たちの顔がサーッと青ざめました。一泊二日の温泉旅行で起きた事件は忘れていません。会長さんに騙されて誘い出された教頭先生、散々な目に遭わされた果てに乱入してきたソルジャーに悩殺されて失神して……翌日の朝、突き付けられたのは高額の旅行費用と慰謝料を合わせた請求書。なのに教頭先生は会長さんを詰りもせずに「困ったヤツだ」と微笑んだだけで…。
「大丈夫、ハーレイは全然怒っていないから。請求書どおりに振り込んでくれたし、帰りの電車の中でも嬉しそうにしていただろう? ぼくと旅行に行けただけでも幸せだって言ってたよ。心配ない、ない」
安心して、と会長さんは涼しい顔です。
「そういえばハーレイに全額負担させればいい、って思い付いたのはジョミーだったっけ。そのジョミーが王様になったっていうのが面白いよね。ふふ、流石はタイプ・ブルーって所かな。ぼくの後継者候補としてハーレイに対する態度も学んでくれると嬉しいけども」
「あんた、後継者なんか要らんだろうが!」
キース君が突っ込みました。
「まだまだ長生きする気のくせに、ジョミーに妙なことを吹き込むな!」
「…バレちゃったか。まあ、ジョミーじゃハーレイ苛めは無理なんだけどね…。ハーレイがジョミーに惚れてないから」
残念だけど、と会長さん。そしてジョミー君に視線を移して…。
「紅白縞を届ける時に色々とサプライズがつくのは知ってるだろう? 君たちも何度も同行しているし…。実は今日のサプライズが王様なんだ」
「「「王様?」」」
私たちの声が重なり、会長さんが。
「そう、王様。…ぶるぅがウェディング・ケーキに乗せる人形を作ってた時に閃いたのさ、ハーレイ人形で王様を決めて王様ゲームをしよう…ってね」
「「「えぇっ!?」」」
とんでもない言葉に私たちは固まりました。王様ゲームって……普通に王様ゲームですよね? ジョミー君が王様ってことは、私たち、ジョミー君の命令を何でも聞かなきゃダメなんですか? 大変なことになりましたけど、王様ゲームの何処がサプライズになるんでしょう? 教頭室で王様ゲームをやったとしても、教頭先生は子供の遊びを微笑ましく見ているだけなのでは…?
「そこがいいんだ。教頭室で王様ゲーム、子供らしくていいと思うな。ジョミー、君は大当たりのクジを引いたってわけ。…王様ゲームのルールのことはみんなも知っているだろう? 教頭室でジョミーが命令書を選んで命令を下す。命令書の方は…」
「かみお~ん♪ この箱の中に入ってるよ!」
ニコニコ顔の「そるじゃぁ・ぶるぅ」が四角い箱を抱えています。蓋に円形の穴が開けられ、そこから手を入れて中身を取り出すようですが…。
「いいかい、ジョミー。命令書はサイオンで読み取ったりは出来ない仕組みだ。元々そこまで出来ないだろうけど、念のため。…後は引いてのお楽しみさ」
君たちもね、とニッコリ微笑む会長さん。あぁぁ、命令書って何でしょう? サプライズだけに教頭先生に何か悪戯を仕掛けるようにと書かれていそうで怖いです。こんな結末だと分かっていたら、王様になった方がマシだったのに…。私たちはジョミー君の頭に載った金色の王冠を恨めしそうに眺めました。
「それじゃ行こうか。ああ、ジョミー……その王冠は外していいよ、学校の中じゃ目立つだろうし。ぶるぅの頭に被せておこう」
ちょっと大きめサイズの王冠が「そるじゃぁ・ぶるぅ」の小さな頭にポンと乗せられ、教頭室へ出発です。会長さんの手にはトランクスの箱、「そるじゃぁ・ぶるぅ」の手には命令書入りの四角い箱。私たちはガックリと肩を落として会長さんに続きました。ここまでドツボな気持ちになったトランクスお届け行列は初めてかも…。
入学式の日は部活もないので校内に生徒は残っていません。好奇心満載の視線を浴びることなく本館に着き、教頭室の重厚な扉の前で…。
「失礼します」
ノックをした会長さんが扉を開けると、書きものをしていた教頭先生が顔を上げました。
「来たよ、ハーレイ」
「ブルー…」
嬉しそうな顔の教頭先生。婚前旅行だと騙されてから十日も経っていないのですが、立ち直りの早さは天晴れとしか言えません。私たちがゾロゾロ入って行っても、慣れてしまったのか苦笑しただけ。会長さんはトランクスの箱を机に置くと極上の笑みを浮かべました。
「はい、いつもの青月印だよ。婚前旅行にも行った仲だし、心をこめてプレゼントするね。…婚前旅行は残念な結果に終わったけどさ」
「…う、うむ……」
咳払いをする教頭先生。会長さんはクスクスと笑い、トランクスの箱をポンと叩いて。
「そういえば今年の初めにブルーから素敵な下着を貰っただろう? ぼくとブルーにぴったりサイズのセクシー下着の詰め合わせを。…どう? あれから役に立ってる?」
うっ、と短い呻き声が上がって教頭先生がティッシュで鼻を押さえました。クスクスクス…と笑う会長さん。
「ふふ、役に立ってるみたいだね。夜のお供にいいだろう? 一人なら色々と盛り上がれるのに、どうして肝心の時に役に立たないかな、ハーレイは…。婚前旅行で失敗だなんて、慰謝料程度じゃ足りないくらいだ」
「……すまん……」
「別にいいけどね、悪戯だったし。だけどブルーが来ちゃったからさ……ハーレイ、恥の上塗りだよ? ヘタレは前からバレてたけども、婚前旅行でも役立たずっていうのは最悪じゃないか。ブルーがあっちのハーレイに話しちゃったら笑いものだよ、甲斐性なしって」
情けなくって涙が出る、と会長さんは言っていますが、もしも教頭先生に甲斐性があったとしたら婚前旅行なんかに誘い出したりしないでしょう。会長さんにはそっちの趣味は無いのですから。…なのに責め立てられて素直に謝る教頭先生、どこまでも一途で実はけっこう漢なのかも。教頭先生が謝りまくるのを堪能した後、会長さんは微笑んで。
「そのくらいでいいよ、ハーレイ。今日はおめでたい日だから許してあげる」
「…おめでたい?」
怪訝そうな顔の教頭先生。私たちも首を傾げましたが、答えはすぐに分かりました。
「もう忘れた? 入学式だよ、アルトさんとrさんの…ね。二人ともぼくのお気に入りだし、特別生になって残ってくれたのが嬉しいんだ。もっとも二人とも、ハーレイにも…ちょっと気があるみたいだけれど」
「い、いや……。違う、それは違う! 珍しかっただけなのだろう、私の服が」
教頭先生の額に汗が浮かんでいます。シャングリラ号に乗り込んだアルトちゃんとrちゃんは教頭先生のキャプテン姿に惚れ込んだらしく、それが原因で会長さんが婚前旅行を企画したのは周知の事実。なので教頭先生にとっては蒸し返したくない話題でした。会長さんは喉をクッと鳴らしておかしそうに。
「そうかな? 本当に服のせいだけなのかな…。まあ、ハーレイがモテたところで意味はあんまり無さそうだけどね…。結婚したい相手はぼくだけだろう?」
「もちろんだ!」
「その思い込みも消えないねえ…。脈無しだって言ってるのにさ。で、今日はおめでたい日だからゲームをしてもいいかな、ハーレイ?」
教頭室で、と会長さん。
「…ゲーム?」
「うん。…王様ゲームって知ってるだろう? もう王様は決まってるんだ」
「ぶるぅなのか?」
まじまじと「そるじゃぁ・ぶるぅ」の頭の王冠を見つめる教頭先生。
「違うよ、ぶるぅは代理で王様はジョミー。…ダメかな?」
「…ほほう…。お前たちがゲームをするのか?」
「ハーレイが許してくれたらね」
嫌ならいいよ、と会長さんは思わせぶりな瞳です。教頭先生は額に指先を当てて、少し考えていましたが…。
「よし、特別に許可しよう。ここは遊びに使う部屋とは違うのだがな」
「そうこなくっちゃ。ジョミー、ほら、君が王様だよ」
会長さんが「そるじゃぁ・ぶるぅ」の頭から冠を取ってジョミー君の頭に載せました。「そるじゃぁ・ぶるぅ」が抱えているのは命令書入りの四角い箱。とうとうゲームのスタートです。教頭先生、どんな命令が出るかも知らずにゴーサインを出してよかったんですか~?
悪戯好きの会長さんが書いた命令が詰まった恐ろしい箱。それを実行させられるのは私たちです。教頭先生に恨まれちゃったらどうしましょう。会長さんは惚れられてますから何をやっても平気ですけど、私たちは生徒としてしか愛されてません。場合によっては嫌われちゃうかも…。教頭先生と会長さんを交互に見ながら肘でつつき合っていると、会長さんが。
「ジョミー、命令を出してくれないかな。…これじゃゲームが始まらないよ」
「あ、そっか。じゃあ、悪いけど…」
ジョミー君は四角い箱に手を突っ込んでガサガサと中を探ったかと思うとサッと1枚を引っ張り出して広げました。その顔がみるみる蒼白になり、手が小刻みに震え出します。
「…え、えっと………えっと……」
「どうしたんだい? 遠慮しないで読みたまえ、ジョミー」
明らかに笑いを含んだ会長さんのよく通る声。ジョミー君はどんな命令を引いたのでしょう? 私たちも血の気が引いて行くのが分かりました。いったい何をさせられるのか、考えただけで身震いが…。
「……ジョミー。君が王様だろう? 命令を」
会長さんの有無を言わさぬ口調に、ジョミー君はグッと紙を握って。
「…は………ハーレイ……ハーレイは……に、にんぎょ……」
「「「人形?」」」
なんじゃそりゃ、と頭の中に思い浮かんだのは砂糖細工の教頭先生人形でした。今頃はゼル先生の家でヤス一号と二号に食べ尽くされて影も形も無いのでしょうが……アレを今更どうしろと? 復元作業をしろと言われても困るのですが、一から作れと言うのでしょうか? ジョミー君、人形をどうすればいいの…?
「ジョミー、声が震えてる。もっとしっかり、最後まで!」
「…で、でも…」
躊躇しているジョミー君ですが、会長さんは容赦しませんでした。
「ジョミー。その命令は君が作った命令なのかい? だったら良心の呵責ってヤツで読みたくないのも無理はないけど」
「ち、違うよ! ブルーが用意してたんじゃないか!」
必死の形相で叫ぶジョミー君に、教頭先生がビクリとして。
「…何? ブルーが…?」
「うん、ぼくが」
会長さんが花のような笑顔で答えました。
「ぼくが用意を整えたんだよ、王様ゲーム。王冠も命令も全部ぼくが……ね。さあ、ジョミー…命令を。言い忘れたけど、命令を読めなかった場合は王様自身がその命令に従うんだよ。それが罰則」
げげっ。さっきまで羨ましかった王冠の輝きが一気にくすんで見えました。罰ゲームつきとは恐ろしすぎです。ジョミー君は覚悟を決めたらしくて、スウッと息を大きく吸い込んでから。
「…命令! ハーレイは人魚に変身した上、記念撮影に応じること!!」
「「「えぇぇっ!?」」」
に、人魚!? 人形じゃなくて人魚ですって? しかも教頭先生が人魚に変身だなんて、いったいどういう命令ですか~!
「……ブルー……」
上を下への大騒ぎの中、会長さんの名を呼んだのは他ならぬ教頭先生でした。
「ん? なんだい、ハーレイ。どうかした?」
小首を傾げる会長さんに、教頭先生は眉間の皺を深くしながら。
「…王様ゲームと聞いたのだが? お前たちがゲームをして遊ぶものだと思っていたから許可したのだが…?」
「だからジョミーが王様じゃないか。…何か気になる問題でも?」
「私の名前が聞こえてきたぞ」
「そうだろうね。だって、そういう命令だから」
ケロリとした顔の会長さんに罪の意識は無いようです。私たちが固唾を飲んで見守る中で会長さんは「そるじゃぁ・ぶるぅ」から命令書入りの箱を受け取り、両手で軽く振りました。カサカサと大量の紙が触れ合う音がします。
「命令は他にもあるんだよ。嫌だというなら引き直したっていいんだけどね…。どうする、ジョミー?」
「えっ…」
「君は命令を読み上げたから罰則はない。ハーレイは人魚になるのが嫌みたいだし、もう一度引いてあげるかい?」
どうする? と尋ねる会長さんにキース君が。
「お、おい…。まさか、その箱の中の命令ってヤツは…全部教頭先生に…?」
声を震わせているキース君に、会長さんは「当たり」とウインクしてみせました。
「他にも色々用意したんだ。記念撮影はどれを選んでもついてくるけど、変身の他にも色々と…ね。で、ハーレイ……人魚がお気に召さないのなら命令を変えてあげようか?」
「…お前たちのゲームじゃないのか? どうして私がやらねばならん!」
「王様ゲームって言っただけだよ。そして王様ゲームの命令ってヤツは絶対なんだ。…ぼくが悪戯するのは簡単だけど、ハーレイを油断させたくってさ…。それで王様ゲームにしてみた。王様はちゃんと公平に選んだけどね」
ジョミー君が王様に決まった経緯については会長さんは沈黙しました。教頭先生人形を釜茹でにした挙句、ゼル先生の犬に食べさせたことを明らかにするのは流石に心が痛んだのかも…?
『まさか。ウェディング・ケーキの話がバレたら、ハーレイが分不相応な夢を持つからね。それだけは断固阻止したいんだ』
私たちだけに届く思念で会長さんが伝えてきます。そんな理由じゃないかとも思いましたけど、やっぱり本当にそうでしたか…。教頭先生の方はあまりの展開に頭を抱えて机に突っ伏して唸っていたり。
「…卑怯だぞ、ブルー…」
「そう? 作戦勝ちだと言って欲しいな。ぼくとしては早くゲームをしたいんだけど、王様に命令を選び直して貰うのかい? それとも人魚のままでいい?」
会長さんはジョミー君を側に呼び寄せ、「そるじゃぁ・ぶるぅ」に命令入りの箱を持たせて引き直しの準備態勢に入っています。教頭先生は脂汗を拭い、掠れた声で尋ねました。
「…記念撮影がつくと聞いたが、変身の他には何があるんだ? 具体例を聞かせてほしい」
「それは反則。命令の中身は教えられない。でも、そうだねえ……参考までに言っておくなら、どれを選んでも記念撮影をするだけの価値は絶対にあるよ。保証する」
「そんなことを保証されてもな……」
困るのだが、と教頭先生。記念撮影がついてくる以上、どれを選んでもロクな命令ではなさそうです。さて、ジョミー君は新しい命令を引き直すのか、人魚のままで決行なのか…? と、会長さんが腕時計を見て。
「…ごめん、ハーレイ。…時間切れ」
「時間切れ?」
「そのまんまだよ、時間切れさ。あまり遅くなると時間に余裕がなくなるからね、制限時間を決めていたんだ。王様ゲームは君が人魚に変身ってことで決定した」
「ま、待ってくれ、ブルー!」
教頭先生の縋るような声を会長さんは無視しました。
「ジョミー、王様の命令をもう一度。大きな声でしっかり頼むよ」
「う、うん……。でも本当にいいのかな?」
「ぼくが許す。言いたまえ、ジョミー」
「…え、えっと…。教頭先生、ごめんなさい…。それじゃ読みます。…ハーレイは人魚に変身した上、記念撮影に応じること!」
王冠を被ったジョミー君の命令が教頭室に響き渡りました。教頭先生が人魚に変身。…それってサイオンでパパッと変身? それとも写真に残せるレベルの高度なサイオニック・ドリームなのかな?
「さあ、ハーレイ。王様の命令が出たよ、人魚に変身してもらおうか」
会長さんの赤い瞳が教頭先生を見据えています。教頭先生は口をパクパクとさせ、私たちをグルリと見回して。
「…無理だ…! わ、私はサイオニック・ドリームは……そのぅ…」
「得意じゃないって? そんなことを言っていいのかな?」
生徒の前だよ、と会長さんは冷たい口調。
「ハーレイ。君は知らないと思うけれども、ジョミーとキースはサイオニック・ドリームの特訓中だ。それも写真に写るレベルの高度なヤツをね。…仮にも長老でシャングリラ号のキャプテンを務める君が逃げを打つのは潔くない」
「…し、しかし……」
「出来ないものは出来ない、って? そう言ってくるんじゃないかと思って一応用意はしておいたんだ。ぶるぅ!」
「かみお~ん♪」
パアッと青いサイオンの光が走ったかと思うとドスン! とショッキングピンクの物体が絨毯の上に落ちて来ました。とても大きな魚です。ピカピカの鱗に立派な尾びれ。あれ? でも…頭がない…? それに中身が詰まっていません。ひょっとしてコレは魚じゃなくて…?
「出してあげたよ、変身ツール」
会長さんが極上の笑みを浮かべて魚の方を指差しました。
「ハーレイのサイズに合わせて特注で作った人魚の尻尾さ。ぴったりフィットする筈だ。装着用のテープもあるけど、ぼくのサイオンでも補助できる。着けてプールで泳げるんだ」
「プールだと!? 写真撮影だけじゃないのか?」
教頭先生は真っ青でした。会長さんはクスッと笑って。
「泳げとまでは言っていないよ。だけど命令を聞かなかったらエスカレートしていくかもね。まず、これに着替えてくれなくちゃ」
はい、と会長さんが教頭先生に手渡したのは紫色のレースでした。
「なんだ、これは?」
「専用下着」
しれっと答えた会長さんは仮眠室の扉をピシッと指して。
「それを履かないと人魚の尻尾がくっつかないんだ。あっちの部屋を使っていいから履き替えてきて。ああ、人魚だから上半身は裸だよ? それを履くついでに脱ぐといい。…そうそう、もちろん下半身の方もそれ一枚で」
「…………」
教頭先生の目が点になり、レースの下着がハラリと床に落ちました。それを「そるじゃぁ・ぶるぅ」が拾って教頭先生の手に押し付けましたが、あのデザインはTバックでは…。教頭先生、あれを履かないとダメなんですか? ショッキングピンクの人魚の尻尾も大概ですけど、紫色のTバックなんて…。えっ、ちょっと待って。私たち、教頭先生が人魚に変身する前段階の紫色のTバック姿から見守ることになってるわけ~!?