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シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。

カテゴリー「ハレブル」の記事一覧

 今日は土曜日。ハーレイが訪ねて来てくれて、ブルーは楽しい一日を過ごした。最初はブルーの部屋でのティータイム。紅茶とお菓子で語らった後は昼食、午後もブルーの部屋で紅茶とお菓子。夕食は両親も一緒にダイニングで和やかに食べたのだけれど。
 食事が終わって、母が飲み物を用意しようと立ち上がった。
「ハーレイ先生はコーヒーでよろしかったかしら? それとも紅茶になさいますか?」
「今日はコーヒーでお願いします」
 ハーレイが答え、父もコーヒーを注文した。ブルーには苦すぎて飲めないコーヒー。でも…。
「ママ! ぼくもコーヒー!」
 急にコーヒーが飲みたくなった。ハーレイはいつもブルーに付き合って紅茶だけれども、本当はコーヒーが大好きなことを知っている。前の生でも大好きだったし、今のハーレイもブルーが一度だけ遊びに出掛けた家でコーヒーを飲んでいた。それも大きなマグカップで。
 ハーレイが大好きなコーヒーだから、たまには飲んでみたいと思った。ハーレイと一緒の夕食の席で、ハーレイと同じ飲み物を。
「いいでしょ、ママ? ぼくも飲みたい!」
 せがむと母は「苦いわよ?」と困ったような顔をした。ハーレイも横から口を出す。
「おいおい、眠れなくなるぞ? それに苦いし」
「パパも苦いと思うがなあ…。どうしても欲しいなら薄めに淹れて貰いなさい。なあ、ママ?」
「やだっ!」
 同じでなければ意味が無い。ハーレイの大好きな苦いコーヒー。絶対にハーレイと同じがいい。お子様仕様のコーヒーにされてたまるものか、とブルーは駄々をこねた。
「みんなと同じコーヒーがいい! 薄いのなんて子供用だし! コーヒーは前も飲んでたし!」
 前の生でも飲んでいたのだ、とソルジャー・ブルーだった前世を持ち出してみたら、ハーレイが「おい」と止めに入った。
「おいおい、ブルー。お前はソルジャー・ブルーだった頃にもだな…」
「紅茶だったって言うんでしょ? それは好みの問題だから!」
 コーヒーがいい、と強請り続けると、ハーレイは仕方なさそうに。
「だったらカップに半分にして貰え。薄められるからな」
「それもやだっ! ぼくは絶対、みんなと同じ!」
 ハーレイと同じがいいとはとても言えないから、「みんな」と誤魔化す。それに気付いたらしいハーレイがフウと大きな溜息をついた。
「知らんぞ、俺は。…どうなってもな」
「どうもならないっ! ママ、ぼくもコーヒー飲むんだから!」
 母は「しょうがないわねえ…」とキッチンに向かう。ブルーは嬉しくてたまらなかった。食後の飲み物はハーレイと同じ。ハーレイの大好きなコーヒーなのだ。



 念願の香り高いコーヒーのカップ。湯気を立てるそれを御機嫌で口にしたブルーだけれど。
「……苦い……」
 あまりの苦さに顔を顰めれば、ハーレイが「当たり前だ」と呆れ顔で。
「だから言っただろう、半分にしろ、と。薄められるように」
「うー…。ママ、お砂糖…」
 ハーレイや両親と同じ量の砂糖では全く足りない。それを見越した母がコーヒーと一緒に持って来ておいたシュガーポットを渡して貰った。
(…ハーレイと同じじゃなくなっちゃうけど、飲めないよりマシ…)
 たっぷりと砂糖を入れたというのに、かき混ぜて飲んでもまだ苦い。ブルー好みの味には程遠い苦さ。もっと、とシュガーポットに手を伸ばしたら「無駄だな」とハーレイの声がした。
「砂糖を入れても苦味は残るぞ。お母さんには申し訳ないが、半分捨てて貰ってミルクをだな…」
「ハーレイ先生の仰るとおりだな。ブルー、カフェオレにして貰いなさい」
 父にも言われて折れるしか無かった。半分がミルクのカフェオレとやらになれば飲めるかと期待したのに、ブルーにはまだ苦すぎる。飲んで飲めない味ではないが…。
 それでもハーレイの好きなコーヒー。なんとしても飲み干すのだ、と頑張ってみても苦いものは苦い。顔に出さないよう振舞ったものの、少しずつしか飲んでいなければ見抜かれる。ハーレイがブルーをチラと眺めて、母の方へと視線を移す。
「カフェオレでもまだ苦すぎるようですね。…ホイップクリームに砂糖たっぷりで。それを入れてやって頂けますか?」
「そうですわね…。ブルー、カップを寄越しなさい」
 こうなれば諦めるしかない。ブルーは殆ど減っていないカフェオレのカップを母に手渡し、間もなく憧れのコーヒーはホイップクリームをこんもりと浮かべた別物になって戻って来た。泣く泣く飲むことにしたカップの中身は、悔しいけれども口に合うもので。
(…これなら美味しい…)
 コーヒー風味の甘い飲み物。コクリと飲んで、またコクリと。さっきまでとは全然違う。
「あらあら…」
 母がクスッと笑った。
「これならブルーも飲めるのね。流石はキャプテン・ハーレイですわね」
「…こいつには前科があるんです。都合よく忘れているようですが」
 シャングリラでも苦労しました、というハーレイの言葉に両親がブルーを見ながら頷いている。こう見えて頑固な子供なのだし、ソルジャーだった頃はさぞかし強情であっただろうと。
 ブルーが頼んだコーヒーは食後の時間の格好の話題となり、ハーレイは両親と何度も笑い合った末に「また明日な」と帰って行った。こんな筈ではなかったのに。ハーレイと同じ食後の飲み物を飲んで、幸せに浸る筈だったのに…。



 ハーレイと同じコーヒーが飲めなかった残念さゆえか、悲しさゆえか。その夜、ベッドに入ったブルーは寝付けないまま何度も寝返りを打った。部屋は暗いのに眠くならない。いつもなら直ぐに眠りがやって来るのに、何故か意識が冴え返る。
(…やっぱり悔しかったからなのかな?)
 コーヒーが飲めない子供扱い。おまけに本当に飲めなかった上、すっかり別物に化けてしまった自分のコーヒー。ハーレイと両親はほんの少しだけクリームを入れて、砂糖だってブルーが紅茶に入れるくらいしか入れなかったというのに、ブルーは砂糖にミルクにホイップクリーム。
 そんな目に遭って悔しくならない筈が無い。自分は子供だと思い知らされたようで、ハーレイと同じ物を飲むには幼すぎると言われたようで。
 悔しいから腹が立って眠れないのだ、とブルーはパッチリと目を見開いた。暗い天井を見上げ、情けなかったホイップクリームたっぷりのコーヒーを思い浮かべて睨み付ける。憎くて腹立たしい子供の飲み物。自分が前よりも小さいばかりに登場してきた甘い飲み物。
(ハーレイ、ホントに酷いんだから…!)
 子供な自分を鼻で笑ってミルクを入れろだの、砂糖たっぷりのホイップクリームだのと言いたい放題、前の生での好みまで暴露してくれた。お蔭で両親に笑いの種を提供してしまい、昔はもっと頑固だったの、強情だのと…。
(……あれ?)
 前の生での自分の好み。コーヒーにはミルクをたっぷりと入れて、ホイップクリームにも砂糖をたっぷり。それをこんもりと浮かべたコーヒーを飲んでいたのはいつだったろう?
(……もしかして、ぼく、子供じゃなかった……?)
 アルタミラからの脱出直後はコーヒーを楽しむどころではなかった。けれどその頃が前の生での成長期。成人検査を受けた時のままの姿で時を止めていたブルーの背が伸び、幼さが消えて大人になっていった時期。
(…あの頃、コーヒー、あったっけ…?)
 無かったこともないのだろうが、ミルクやホイップクリームなどをふんだんに使えた筈が無い。そういったものを嗜好品に回せるようになった頃にはシャングリラの改造も完全に終わっていた。ブルーのために青の間が出来、其処でハーレイとお茶の時間を過ごしていた。
(…うん、ハーレイが紅茶を淹れてくれてた…。熱いですよ、って…)
 一緒に紅茶を飲んでいたハーレイ。たまにやたらと時間をかけて自分用にとコーヒーを淹れて、その香りだけは美味しそうに感じる苦い飲み物を楽しんでいた…。
(ひょっとして、ハーレイが言ってたのって…)
 前のぼくだ、とブルーの記憶が蘇った。ミルクとホイップクリームたっぷりのお子様仕様の甘いコーヒー。それはソルジャー・ブルーだった自分の好みで、子供の姿では既に無かった。



 思い出し始めると次から次へと浮かび上がってくる前の生の記憶。ハーレイが飲んでいるものと同じものが欲しい、と前にも思った。芳しい香りが漂うコーヒー。紅茶よりもずっと濃い色をしたハーレイの大のお気に入り。
 「ねえ、ハーレイ。ぼくも欲しいな」。
 飲んでみたいな、と強請ってみたら「苦いですよ」と返されたけれど。「あなたの舌には不向きですよ」とも言われたけれども、どうしても飲んでみたかった。せがんで、強請って、頼み込んで淹れて貰ったコーヒー。苦すぎて一口で顔を顰めてしまったコーヒー。
(…ぼくの前科って……)
 ハーレイが両親に言った言葉を思い出す。「こいつには前科があるんですよ」という台詞が何を指していたのか、今なら分かる。ソルジャー・ブルーだった自分も全く同じことをしていたのだ。ハーレイが好む飲み物が欲しいと頼んで、そのくせに苦くて飲めなくて…。
(…ハーレイ、あれで大慌てしちゃったんだっけ…)
 ハーレイのお気に入りが口に合わなくて悲しかった。ハーレイは美味しそうに飲んでいるのに、飲めない自分。置き去りにされてしまった気がして、寂しくて悲しくて俯いた。決してハーレイのせいではないのに、ハーレイは酷く狼狽えて…。
(最初にミルクを沢山入れてくれて、それでも駄目でお砂糖たっぷりのホイップクリーム…)
 そこまでして貰って、ようやく飲めた。ハーレイが好むコーヒーとはまるで別物になった飲み物だけれど、コーヒーの香りは残っていた。
 そんな経験をしていたくせに、何度もコーヒーを強請った自分。その度にハーレイは律儀に手をかけて淹れてくれては、ミルクとホイップクリームまで入れる羽目になって…。
(だけど一度も断られたことは無かったよね…)
 どうなるか結果が見えているのに、否と言われはしなかった。丁寧に淹れたコーヒーのカップを「どうぞ」と差し出し、ただ穏やかに微笑んでくれた。
(…いつもミルクとホイップクリームたっぷりになっちゃったのに…)
 そして眠れなくなっていたのに、と我儘だった自分を思い出す。遅い時間に口にしたコーヒーのせいで目が冴えて眠れず、ハーレイがブリッジから青の間に来た時もまだ起きていて。
(だから言ったでしょう、って叱られたっけ…)
 夜にコーヒーを飲むからです、と眉間に皺を寄せはしたけれど、ハーレイは唇に優しい口付けをくれた。眠れないと訴えるブルーを寝かしつけてくれた。
 あんなに目が冴えて眠れずにいたのに、ハーレイの腕に抱かれて心地よく眠って、いつの間にか朝になっていて…。



「そっか、コーヒー…」
 それで全然眠れないんだ、と今のブルーと前の生の記憶が結び付いた。ハーレイと同じ飲み物が欲しくて頼んだコーヒー。「眠れなくなるぞ」と止めたハーレイはソルジャー・ブルーだった頃のブルーがどうなったのかを恐らく覚えていたのだろう。
(…ど、どうしよう…)
 枕元の時計に目をやれば、とっくに日付が変わっている。眠れないままで経った時間が数時間。明日は日曜日で休みだとはいえ、大好きなハーレイが訪ねて来てくれる日。寝不足で過ごしたくはないのに眠れない。眠気は訪れそうもない。
(…どうしたらいいの? どうやったら眠くなって寝られるの?)
 ハーレイが得意だった寝かしつけ方。
 いつだって魔法のようにブルーを眠りへと導いてくれて、側に寄り添っていてくれた。心地よい眠りをくれたハーレイ。その方法を教えて欲しい。
(ハーレイ、寝られないんだけど…!)
 呼び掛けたくても、今のブルーにはハーレイだけに届く思念は紡げない。それにハーレイだって深く眠っていそうな夜中。自業自得で眠れないブルーのためには起きてくれそうもない。
(…何か方法がある筈なんだけど…)
 ハーレイだけが知っていた方法なのか、コーヒーを好む者たちの間では有名なのか。目が冴える飲み物だと知っているのだから、対処法も知っているかもしれない。
(……お薬とか?)
 それはありそうだ、とブルーは思った。前の生ではドクターが睡眠薬を処方してくれた。戦闘で心身が疲弊していても気が昂って眠れない時、そういう薬を何度も貰った。もちろんキャプテンのハーレイが知らない筈が無い。どんな薬か、いつ飲んだかも報告が行っていただろう。
(…あの薬かな?)
 ブルーがコーヒーを飲んだ夜には貰いに出掛けていたかもしれない。眠れないブルーを叱り付けながら優しい口付けをくれたハーレイ。あの時に口移しで薬を飲ませていたのかも…。
「うー……」
 薬だとしたら手も足も出ない。今のブルーは睡眠薬など飲んではいないし、両親も同じ。家庭の常備薬ではないから、薬箱などを覗いて探すだけ無駄。
「…眠れないよ……」
 寝られないよ、と届く筈もない声でハーレイに向かって訴える。眠りたいのに眠れないと。前と同じで眠れなくなってしまって辛いんだけど、と。
 そうこうする内に身体が疲れ果てたか、ようよう眠りが訪れてくれて…。



 翌朝、目覚ましの音で目覚めたブルーは普段よりも頭が重かった。体調不良の兆候ならぬ単なる寝不足と分かっているから、目をゴシゴシと擦って起きる。冷たい水で顔を洗って、両親と朝食を食べる頃には眠かった意識もスッキリとした。
 二度とコーヒーなど飲んでたまるか、と思うけれども、ハーレイの大好きな香り高いコーヒー。前の生でも今の生でも、ハーレイが好む苦い飲み物。
(…ハーレイと同じの、飲みたいんだけど…)
 しかしハーレイが寝かしつけてくれた前世と違って、今はもれなく寝不足の状態に陥りそうだ。いつかハーレイと同じ家で暮らせる時が来るまで、飲まない方がいいのだろうか?
(…そうなのかも…)
 それとも寝かせ方の秘訣をハーレイに訊くか。薬だったらどうしようもないが、そうでないなら望みはある。自分で出来る方法だったら、それを習っておけばいい。
(やっぱりコーヒー、飲みたいもの…)
 苦くてもハーレイの大好きな飲み物。大好きなハーレイが好む飲み物…。
 そんな思いを抱え込みながら部屋を掃除し、ブルーはハーレイの来訪を待った。



 チャイムが鳴り、母に案内されて部屋を訪ねて来たブルーの待ち人。母が紅茶とお菓子を置いて出てゆき、その足音が階下に消えると、ハーレイは椅子に腰掛けながら問い掛けた。
「ブルー、昨夜はよく寝られたか?」
 堪え切れない笑みを湛えた表情。投げ掛けられた質問といい、全てを承知している顔。ブルーは憮然としてハーレイの向かいの椅子に座ると、八つ当たり気味に答えをぶつけた。
「ハーレイ、ぼくがどうなったか知ってるくせに!」
 脹れっ面になったブルーに、ハーレイが「すまん、すまん」と謝りつつも笑う。
「いや、すまん。しかしだ、俺は言った筈だぞ、眠れなくなる、と」
「言ったけど…! ちゃんと言ってたけど、ハーレイ、酷い!」
 酷い、とブルーはハーレイを睨む。
「前はハーレイが寝かせてくれていたこと、忘れていたし! 言ってくれなきゃ!」
「今度は寝かせてやれないからな、と俺は言わなきゃ駄目だったのか?」
「そうだよ、酷いよ!」
 寝不足になってしまったんだから、と苦情を申し立ててからハーレイへの質問を口にする。前の生ではどうやって自分を寝かせていたのか、と。
「ハーレイ、口移しで薬でも飲ませてた? それとも何か秘訣があるの?」
 それを教えて欲しいんだけど、と言った途端にハーレイが盛大に吹き出した。何が可笑しいのか肩を揺すって笑っている。テーブルの上のカップがカタカタと小さく揺れるくらいに。
「ハーレイっ! なんで笑うの、教えてってば!」
「こ、これが笑わずにいられるかって…! いやはや、まったく…」
「だから、どういう方法なの!?」
「お前にはまだまだ分からんさ、うん」
 ハーレイが懸命に笑いを飲み込み、パチンと片目を瞑ってみせた。
「ついでに今のお前の場合は、だ…。あの方法では寝かせられんな、子供だからな」
「……子供?」
 やはり睡眠薬だったのだろうか、とブルーは考えたのだけれども、それではハーレイが笑うほど可笑しいわけがない。子供には使えない寝かしつけ方だと言われても…。
(…寝かしつけるのって、普通、子供だよね?)
 何か変だ、とハーレイがしてくれていた寝かしつけ方を頭の中で追ってゆく。口付けをくれて、抱き締めてくれて。その腕の中に自分を閉じ込めて…。
(…あっ!)
 それで終わりではなかった気がする。寝付くまでの間に、ハーレイと二人…。



「…も、もしかして……」
 ブルーの頬が真っ赤に染まった。その先は声に出せないけれども、ハーレイが前の生で眠れなくなった自分を寝かしつけていた方法は…。
「思い出したか? お前が大きく育つまではだ、あの方法は使えないわけだ。なにしろお前は消耗しちまって寝ていただけで、そこまで消耗させるには……なあ?」
(……や、やっぱり……)
 今はまだ叶わない本物の恋人同士になること。そういう仲になった時しか出来ないハーレイとの甘い過ごし方。二人でベッドで眠る前にする、とても暖かくて幸せな…。
 赤くなったまま口をパクパクとさせるブルーに、ハーレイは「分かったか?」と微笑んだ。
「今のお前には、何年早過ぎる手なんだか…。今はコーヒーを飲んだら寝不足になるしかないってことだな、今日みたいにな」
「…うー……」
 ハーレイを上目遣いに睨み付けても、こればっかりはどうにもならない。ブルーは本当に小さな子供で、前の生での寝かしつけ方は不可能で…。
「それじゃコーヒー、もう飲めないの?」
 ハーレイが大好きな苦いコーヒー。今の生でも前の生でも好きなコーヒー。
「今のところは諦めるしかなかろうが? 寝不足になって懲りたんならな」
 コーヒーは当分やめておけ、と頭をポンポンと叩かれた上に。
「そうだ、コーヒー牛乳を買って貰うか? あれなら立派にお子様向けだ。シャングリラにアレは無かったな、うん」
「コーヒー牛乳!?」
「気分だけでもコーヒーだろう? なあ、ブルー?」
 子供にはそれが丁度いいのさ、とハーレイは笑い続けるけれど。
 ブルーが飲みたいものはコーヒーであって、コーヒー牛乳などではなかった。
 大好きなハーレイが好きなコーヒー。ブルーの舌には苦すぎるけれど、ハーレイが大好きな苦い飲み物。ハーレイが好きな飲み物だから飲んでみたいし、同じコーヒーを飲みたいと思う。
(…やっぱり諦められないよ…)
 大きくなるまで待つなんて無理、とブルーは目の前の紅茶を見詰めた。
 紅茶なら寝不足にならないけれども、これよりも絶対、コーヒーがいい。
 眠れなくなってしまったとしても、またコーヒーを飲みたいと思う。
 ハーレイが大好きなコーヒーだから。ハーレイのことが好きでたまらないから、苦い飲み物でもコーヒーが欲しい。ハーレイと同じコーヒーを飲んで、ハーレイの側にいたいから…。




            憧れのコーヒー・了


※ブルーには苦すぎて飲めないコーヒー。大人の飲み物だったからではなかったのです。
 ソルジャー・ブルーだった頃からの苦手、眠れなくなっても幸せだったみたいですけどね。
 ←拍手してやろうという方がおられましたら、こちらからv
 ←聖痕シリーズの書き下ろしショートは、こちらv






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 気付けば青の間に独り立っている。海の底を思わせる静謐な空間は主の眠りを守るためのもの。整えられたベッドは常のとおりなのに、其処に彼の人の姿は無い。
(ブルー…)
 ハーレイは人が眠った痕跡すら無い大きなベッドを、唇を噛んで見下ろしていた。
 此処で眠っていた筈の恋人。深い眠りに沈んではいても、訪れれば姿を見ることが出来た。声も思念も返らなくても、その手を握って日々の出来事を、彼への想いを語ることが出来た。
 誰よりも美しく、気高かったミュウの長、ソルジャー・ブルー。その座を後継者に譲ってもなおソルジャーと呼ばれ、崇め敬われたミュウたちの神にも等しい存在。
 ハーレイもまた彼を人前で呼ぶ時は「ソルジャー」だったし、それが当然だと思っていた。その尊称で彼を呼び続けた自分たちが道を間違えたのか、ブルー自身が心に決めていたのか。ブルーは最後までソルジャーだった。ソルジャーの務めを果たすためだけに行ってしまった。
 二度と帰っては来られない場所へ。死が待つだけのメギドへ向かって。
(…そしてあなたは逝ってしまった…)
 ハーレイの固く引き結んだ唇が歪み、堪えていた涙が頬を伝った。
 逝ってしまった。自分を残して逝ってしまった。
 いつまでも共にと誓ったのに。恋人同士になった時から何度となく繰り返し誓ったのに。
 自分たちは何処までも共に在るのだと、その手を決して離しはしないと。
(…それなのに、あなたは逝ってしまった…)
 固く繋いだ手を振りほどくように、別れの言葉すら告げることなく。
 次の世代を支えてくれ、とハーレイの腕に触れた手から思念で送り込んだだけで、何も言わずに飛び去って行った。
(…どうしてあの手を掴まなかった…)
 そうしていれば、とハーレイは悔やむ。
 たとえその手を掴んだとしても、ブルーならばサイオンを使って瞬時に自由になれるけれども。それでも肉体の力ではハーレイが勝る。あの瞬間にブルーの手首を捕えていたなら、彼を喪わずに済んだかもしれない。留め置くことが出来たかもしれない…。
(ブルーが生きたいと願うとしたなら、それは私と…)
 何処までも共に、とブルーも応えた。だから自分が止めていたなら、ブルーは生き残る道を模索したかもしれない。
 全てが終わってしまった後で、ジョミーは確かに言ったのだ。自分がメギドへ飛ばなかったからブルーを喪うことになった、と。ブルーに止められても追うべきだったと、ナスカで無駄に時間を使う代わりにブルーを追い掛け、二人で戦うべきだったと。



(どうして止めなかったのだ…。ブルーの決意が分かっていたのに、どうして私は…)
 死なせると知っていてブルーを行かせた。それが正しいのだと信じていた。
 けれど心は揺らぎ続ける。ブルーを生き残らせる道が何処かにあった筈だと己の判断の愚かさを呪う。本当にあれで良かったのかと、キャプテンとして正しい選択だったかと。
(…それに、どうして追わなかった…)
 キャプテンの自分には出来る筈もない、けして許されはしない選択。それはブルーを追ってゆくこと。一直線に死へと飛んでゆくブルーを追ってメギドへ飛ぶこと。
 そうすればブルーと共にいられた。戦闘能力は皆無であっても、防御能力ならブルーのそれにも匹敵する。メギドでブルーの盾となるべく飛んで行っても、足手まといになることはない。自分が盾になりさえすればブルーは有利に戦えただろう。
(…そして最後までブルーを守れた…)
 ブルーがどういう戦い方をしたのかは分からないけれど。人類側の情報を解析したからメギドが沈んだということは分かる。ブルーの身体を消してしまったメギドの爆発。自分の力でも爆発からブルーを守れはしないが、それでも抱き締めて包みたかった。ブルーと共に逝きたかった。
(私は馬鹿だ……)
 救いようのない愚か者だ、と青の間に独り、ただ立ち尽くす。
 この世の誰よりも愛したブルーが死へと飛び去る背中を見送っただけで、止めもしなければ共に逝く道も選ばなかった愚か者。あまりにも自分が愚かだったから、こうして此処に立っている。
 青の間にブルーはいなくなってしまい、自分だけが独り立ち尽くしている…。
(ブルー……)
 もういない。何処を探してもブルーはいない。
 この青の間に来ても自分は独りで、この先も、ずっと。
 ブルーが遺した言葉を守ってジョミーたちを支え、地球に着くまで。
 いつの日か地球に辿り着くまで、逝ってしまったブルーを追ってはゆけない。
 そう、いつの日にか地球に着いたなら…。戦いが終わり、キャプテンとしての自分が不要になる日が来たなら、ブルーの許へ。この忌まわしい生に終止符を打って、そしてブルーに…。
「いけないよ」
 ブルーの声が聞こえた気がした。
「君はまだこっちに来てはいけない。君は生きて。…ぼくの分まで」
 ああ、ブルーならばそう言うだろう。死んで自分を追って来いとは言いはしないし、望んでなどいない。けれど自分はブルーを追い掛けて逝きたいのだ。
 たとえブルーが望まなくても、その逆が彼の望みであっても、それこそが自分の本当の…。



「ハーレイ?」
 背後から呼び掛けて来たブルーの声。心の中にだけ聞こえる幻ではない、とハーレイの補聴器に覆われた耳が感じ取り、弾かれるように振り返った。
「どうしたの、ハーレイ?」
 其処にブルーが立っていた。
 逝ってしまった彼の人ではなく、まだ少年の姿のブルー。
 十四歳の幼いブルーがハーレイを見上げ、小首を傾げて問い掛けて来た。
「ハーレイ、どうして泣いているの?」
「…あなたが…。あなたが何処にも見えませんでした」
 涙を拭ってブルーを見詰める。小さいけれども幻ではなくて、本物のブルー。自分の願いが紡ぎ出した儚い存在ではなく、命と身体を伴ったブルー。
 幼いブルーが「此処にいるよ」と微笑んだ。
「ハーレイ、ぼくなら此処にいるよ?」
 ずっといるよ、とブルーはか細い両腕を一杯に広げ、ハーレイにギュッと抱き付いて来た。
「ぼくはずっといたよ? ぼくは何処にも行かないよ」
 ブルーから伝わる確かな温もり。その鼓動までが薄い胸を通して伝わってくる。
 生きている。ブルーは生きて目の前にいる…。
(…ああ、お前だ。……俺のブルーだ)
 ハーレイは小さな身体を力の限りに抱き締めた。小さなブルーが「痛いよ」と声を上げても腕を緩めず、己の胸へと強く抱き込んだ。
「苦しいよ、ハーレイ」
「頼む、このままでいさせてくれ。ああ、本当にお前なんだな…」
 生きてるんだな、と小さなブルーを抱き締めたままで涙を流す。先刻までの後悔と悲しみの色に染まった涙とは違う、喜びの涙。喪った筈のブルーが戻って来てくれた、と嬉しさのあまりに泣き続ける。
 ブルーがいる。自分の腕の中にブルーがいる…。
 其処で目覚める時もあったし、小さな身体を抱き締めすぎて「ハーレイのバカッ!」とブルーに叫ばれ、「すまん」と謝りながら目覚める時もあった。
 全ては夢の中での出来事。
 遠い昔に失くしたブルーは帰って来たし、ハーレイも地球に生まれ変わった。
 十四歳の小さなブルーと、彼が通う学校の教師のハーレイ。
 辛く苦しかった日々は前の生であり、今はブルーと二人、幸せな時を生きている…。



 そんな夢を何度見ただろう。青の間で、ブリッジで、公園や誰もいない通路で。ブルーを喪った悲しみに囚われ、その面影を求めて彷徨い、あるいは立ち尽くすハーレイの前にヒョイとブルーが現れる。十四歳のブルーが微笑み、抱き付いてくる。
 小さなブルーを抱き締めてハーレイの悪夢は終わるし、目覚めればブルーが生きている世界。
 ごくたまにブルーが現れないまま泣き濡れて目覚めることもあったが、大抵はブルーが出て来て助けてくれた。後悔に苛まれる世界は夢だと、生きた自分がいるのだからと。
 それがハーレイが見る夢の結末。
 前の生の記憶を取り戻してから見るようになった悲しくて苦しい夢の終わり方。
 目覚めたハーレイは眠り直したり、時間によっては起きたりする。朝が来れば夢とはまるで違う世界がハーレイを迎え、十四歳のブルーに出会える。
 学校で制服のブルーに会ったり、ブルーの家を訪ねて過ごしたり。
 まるで夢のような、前世でブルーを失くした自分が見たなら夢としか思わないだろう幸せな時。
 しかし、その夢の世界こそが現実の世界。
 自分もブルーも青い地球に生まれ、巡り会って記憶を取り戻した……。



 そういう幸せに満ちた世界で過ごしてゆく中、ある日ブルーに尋ねられた。休日にブルーの家を訪れ、ブルーの部屋で向かい合って話していた時に。
「ねえ、ハーレイ。…ハーレイは怖い夢って見ないの?」
 赤い瞳が見上げてくる。
「怖い夢?」
「うん。…ぼくはメギドの夢を見るけど、ハーレイはそういう夢は見ないの?」
 前の自分だった時の怖い夢。
 ブルーの問いにハーレイは「俺も見るな」と頷いた。
「お前の夢の怖さとは全く違うが、青の間に行ってもお前がいない。…シャングリラの中の何処を探してもお前が何処にも居ないんだ」
「そうなんだ…。ハーレイも泣く?」
 泣くの? とブルーが首を傾げる。
「ハーレイも夢の中で泣く? 怖くて泣いてしまったりする?」
「いや、俺は……」
 ハーレイは少し間を置いてから穏やかな笑みを浮かべて続く言葉を口にした。
「俺はお前に助けられるな、いつもお前が来てくれる」
 本当はブルーが現れずに終わる夢もあるけれど、ブルーが現れる夢に救われているから微笑んで言った。あれほど心強い援軍は何処にも無い、と。
「そっか…。いいな、ハーレイは大人だからかな?」
 羨ましいな、とブルーが寂しそうな顔で俯く。
「ぼくはハーレイ、来てくれないよ…。いつだってメギドで独りぼっちなんだ」
 赤い瞳が少し潤んで、ブルーは小さな拳で目元を拭った。
 ハーレイの胸がズキリと痛む。前にメギドの夢を見た後、ハーレイの家へ無意識の内に瞬間移動してきたブルー。その恐ろしい夢の世界でブルーはいつも独りきりなのか。誰も現れず、助けにも来てくれないメギドでブルーは独りで死んでゆくのか…。
 何故だ、とブルーが見る夢の惨さを思って気が付いた。
 自分の悪夢とブルーの悪夢と。どちらも悪夢には違いないけれど、その状況が違うのだ。自分はブルーがいない時間を長く生きたが、ブルーの方は…。
 ハーレイは向かい側に座るブルーを手招きした。自分の膝の上に座るように、と。



「…なあ、ブルー」
 膝の上に座ったブルーをそっと抱き締め、柔らかな頬を撫でてやる。
「お前の夢に俺が出てこないのは、お前が子供だからではないさ。…時間のせいだ」
「時間?」
 怪訝そうな顔のブルーに「そうだ」と答えた。
「夢に見ている世界で過ごした時間の長さが違うだろう? …お前はメギドで独りきりになって、そのまま直ぐに死んじまった。右手が冷たくなったと泣いていた時間は短かっただろうが」
「うん、多分…。ぼくにとっては長かったけれど、一瞬か、長くても何分間か」
「長かったとしても、お前は数分。…俺はお前のいない時間を独りきりで何年も生きていたんだ。そして何度も考えた。こんな時にお前ならどうするだろう、何と言ってくれるのだろうと」
 お前の声を、お前の姿を追い続けていた、とハーレイはブルーに教えてやる。自分の標はブルーだった、と。
「俺にしか聞こえないお前の声を聞いていたのさ、俺もお前に呼び掛けていた。声に出したことも何度もあったな、お前が其処に居るかのように。…もちろん人のいない場所で、だ」
 でないと正気を疑われる、と自嘲の笑みを浮かべてみせた。
「俺の部屋だとか、青の間だとか…。何度お前を呼んだか分からん。…そういう時には俺の心に、お前の声が聞こえたもんだ。まるでお前が生きているように、お前そのものの声が聞こえた」
「ぼくが返事をしてたのかな? …覚えてないけど」
「それは分からん。俺が自分で都合のいい答えを聞いていたっていうのが真相だろうが…。だが、俺はお前と語り合うのを想像しながら生きていたんだ、それが習慣になっていた」
 だからお前に出会えるんだろうな、夢の中でも。
 語り合うのが常だったから、とハーレイはブルーを胸に抱き寄せた。
「俺に都合のいい幻だろうが、俺はお前と生きていた。失くした筈のお前を俺の側に置いて、独りきりの辛さを癒していた。…その幻が今のお前と置き換わるんだな、俺の夢の中で」
「…だったら、ぼくがハーレイに会うのは無理なの? ぼくはメギドで、もうハーレイには二度と会えないって泣きながら死んでしまったから…。会えないままの夢しか見ないの?」
「そうじゃない。時間の長さだと言っただろう? お前は俺が来てくれたらと考える暇もないまま死んじまったから、そう簡単には俺は出ないさ。…しかしだ、俺が居るのが当たり前の生活が長く続けば変わるんじゃないか? これは夢だ、と気が付くとかな」
 そういう夢もあるだろうが、とブルーの銀色の髪を優しく撫でる。
「学校に遅刻しちまった夢の世界で今日は休みだと思い出すとか、お前には無いか?」
「たまに間違えてバスに乗るよ。学校と反対の方へ行くバス」
 ブルーは「ふふっ」と笑みを零した。
「早く降りなきゃ、って慌ててる時に思い出すんだ。ぼく、寝てたっけ、って。…そっか、いつかあんな風に夢の途中で気が付くようになるんだね。でも、ハーレイに会う方がいいな」



 夢の中でハーレイに会える方がいいな、とブルーがハーレイの胸に甘える。
「メギドが夢だと気付くのもいいけど、ハーレイが見てる夢みたいなのを見てみたい。ハーレイが出て来て「これは夢だ」と言ってくれるとか、そういうのがいい」
「そうだな、俺も行ってやりたい。…お前を守りに。お前を夢から助け出しに」
 出来るものなら行ってやりたいとハーレイは心の底から思った。いつも自分を悪夢の底から救い出しに来てくれる小さなブルー。自分もブルーの夢の中に行って、メギドから救ってやりたいと。前の生では叶わなかった分、せめて夢では救いたいと…。
 小さなブルーは自分が守る。今度の生では必ず守る、と固く誓いを立てている。だからブルーの夢の中でも守ってやりたい。それが叶うよう、ブルーを抱き締めて優しく言い聞かせた。
「いつかきっと、お前の夢の中にも俺が現れるようになると思うぞ。俺はお前を必ず守ると誓っただろう? お前がそれが普通なんだと思うようになった頃には、きっと……な」
「そうなるといいな…」
「絶対になるさ。俺はお前の側に居るんだし、お前のピンチに助けに行かない筈が無い」
 俺を信じろ、とブルーの額に口付けた。
「夢だと教えに行ってやるから。…お前が撃たれる前に教えてやるから」
「弾を受け止めてはくれないの? ハーレイの力なら充分出来るよ」
「それもいいな。それでこそお前を守れるわけだな、この俺が」
 よし、とハーレイはブルーの小指に自分の小指を絡ませた。
「約束だ、ブルー。いつか必ずお前の夢の中に行ってやるから。いいか、この約束を覚えておけ。メギドの夢を見たら思い出すんだ、俺と約束していたことをな」
「…そしたらハーレイが来てくれる?」
「ああ。お前と約束していただろう、と出て行ってやるさ。お前を守って助け出すために」
「…うん……」
 約束だよ、とブルーがハーレイの手に頬を擦り寄せながら。
「撃たれる前に弾を止めてね、あの夢はとても痛いから…。夢なのに痛くて、ハーレイの温もりが消えてしまって悲しいから…」
 ぼくの右手、と今も夢の中では冷たく凍えるという右手がハーレイの褐色の手に重ねられ、その温もりを味わっていたのだけれど。
「あっ、そうだ!」
 いいことを思い付いたようにブルーの顔がパッと輝いた。



「ねえ、ハーレイ?」
 甘えた声がハーレイの鼓膜を心地よく擽り、ハーレイは自然と笑顔になる。
「なんだ? どうした、妙に嬉しそうだが?」
「ハーレイ、約束してくれたよね? ぼくの夢の中に来てくれるって」
「したぞ。お前がそいつを忘れさえしなきゃ、必ず助けに行ってやるさ」
「それなんだけど…」
 一つお願い、とブルーの瞳が期待に満ちた煌めきを湛えた。
「いつかハーレイが来てくれるんなら、キースが撃つ前に来てくれる?」
「ふむ…。どのタイミングで撃つのか知らんが、間に合うように行けばいいんだな」
「そう! それでね、キースを格好良く投げて欲しいんだけど」
 ハーレイ、柔道が得意だよね? とブルーは憧れのヒーローを見る瞳で言った。
「夢の中だから、きっとハーレイの方がキースより強いと思うんだ。だから投げてよ、格好良く! そしたら二度とメギドの夢を見なくなるかもしれないし!」
「そう来たか…。お前がメギドの夢を見なくなると言うなら努力してみよう。お前の注文どおりに投げるんだったら一本背負いか、まあ、やってみるが…。って、こら、お前!」
 それはお前の夢だろうが、とハーレイはブルーの頭をコツンと拳で軽くつついた。
「お前が見ている夢の中なんだ、俺じゃなくってお前が頑張る所だぞ。俺の方がキースより強いと信じた上でだ、うんと格好いい俺を想像してくれ。そうすれば出来る」
「…ホントに出来る?」
「今は駄目でもいつかはな。約束しただろ、俺はお前を守るんだ。今度は必ず守ってみせる。夢の中でも守らせてくれ。…いいな?」
 ブルー、お前は俺を信じろ。俺はお前の側に居るから。
 お前が悲しい夢を見ないよう、俺が全力で守ってやるから。
 …俺だけがお前に助けられるなんて、夢の世界でも俺は御免だ。
 いつか必ず助けに行く。お前を助けにメギドまで行く。たとえお前の夢の中でも……。




          悪夢から救う者・了


※ハーレイが悪夢に捕まった時はブルーが救いに来てくれるのです。夢の世界のブルーが。
 けれど、ブルーの悪夢には現れないハーレイ。きっといつかは来てくれますよね。
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「ブルー」
「ん?」
 ハーレイと向かい合わせでの昼食。此処はブルーの部屋だったから、二人きりでの昼食である。休日にハーレイが訪ねて来てくれると、昼食は大抵、このパターンだ。ブルーの母が頃合いを見て食後のお茶を持ってくるまで、ゆっくり食事を楽しむのだけれど。
 ハーレイが手を止めてブルーの顔を覗き込むから、ブルーの食事の手も止まった。
「ハーレイ、ぼくがどうかした?」
「いや…。お前、何でもよく食べるな」
「えっ?」
 思いもよらない言葉にブルーは自分の前に置かれた昼食の皿に目をやり、首を傾げた。ピラフとスープと、それからサラダ。ハーレイのピラフは大盛りだったが、ブルーの分はお子様ランチかと思われそうなほどの量しかない。スープもサラダもハーレイの分よりずっと少ない。
 どう見ても「少なめ」でしかない食事なのに、よく食べるだなどと言われても…。
「ああ、違うんだ。俺が言うのは量じゃなくてだ、お前は食べる量が俺よりも少ないってだけで、実に何でも食べるよな…と思ってな。好き嫌いは無いのか、お前?」
「そう言えば…。無いね」
 ハーレイと再会してから何度も一緒に食事をしてきた。ブルーの家での昼食と夕食、ハーレイの家で一度だけ御馳走になった昼食。どれも盛り付けられた分は食べたし、普段の食事も特に嫌いなものは無い。料理も、むろん食材も。
「パパとママにもよく言われるよ。小さい頃から好き嫌いが無い子供だったから、身体が弱くても大きな病気はしないのかも、って」
「なるほどなあ…。俺も好き嫌いは全く無いんだが、この身体だから不思議がるヤツがいるわけが無いし、自分でも特に何とも思わなかった。しかしだ、お前も好き嫌いが無いとなるとだ」
 これは前世のせいかもな、と言われてブルーは目を丸くした。
「そっか…。そうかもしれないね」
 思ってもみなかった前の生の自分。ソルジャー・ブルーであった頃の自分…。



 前世でハーレイと共に暮らしていた白い船。あのシャングリラがミュウたちの楽園になるまでは長くかかったし、アルタミラを脱出して間もない頃には様々な苦労をしたものだ。
「うん、あの頃は好き嫌いどころじゃなかったよね。食べ物はあるだけで有難い、って」
 最初の間はシャングリラの前身であった船に積み込まれていた食料だけ。それが無くなりそうになった頃、ブルーが近くを航行していた輸送船から食料をコッソリ盗み出した。食材を選ぶ余裕は無いから、コンテナの中にあった分が全て。
 食料が無くなってくればブルーが出掛けて調達する。そういう日々が長く続いた。食料を詰めたコンテナの中身は非常食ばかりの時もあったし、やたらジャガイモだけが多かったりもした。
「ふふ、思い出した。来る日も来る日もジャガイモだらけの食事とかさ」
「あったな、まるごと全部がジャガイモだったら悲惨だったろうな」
「流石にそれだと再調達だよ、どうにもならない」
「まったくだ。芋だけでは栄養が偏っちまうからなあ…」
 ジャガイモ尽くしの他にもキャベツだらけで急いで食べねばならなかったことや、大量の牛肉に喜んだものの皆が食べ飽きてしまったことや。今となっては笑い話な食材の話は沢山あった。
「でも、ハーレイ。…食べ飽きたり出来るだけマシだったんだよね、アルタミラよりは」
「ああ。アルタミラは本当に酷かったからな」
 人間扱いされていなかった研究所。実験動物に過ぎないミュウの食事など餌でしかない。しかも実験動物なのだから家畜以下であり、肉体の質を高めるための餌は与えて貰えなかった。
「ハーレイが大きく育ったんだし、栄養は足りていたんだろうけど…。何も選べなかったよね」
「基本がシリアルだったしなあ…。後はせいぜい、パンとスープか」
「そう。おかずがついたら大御馳走でさ、どんなものでも嬉しかったよ」
 調理されて器に盛られた料理は餌ではないと思えたから。成人検査よりも前の記憶は欠片すらも残っていなかったけれど、餌と食事の違いくらい分かる。
 味の良し悪しは気にしなかった。熱を通して味が付けてある、それだけで食事なのだと思えた。いつも同じなパンとスープやシリアルとは違う、ヒトの食べ物。
 研究員たちにそういう意図があったかどうかは分からなかったが、特別な食事。ブルーは喜んでそれを食べたし、ハーレイも同じだったという。実験動物から人に戻れる時間。
「俺たちはアレを美味いと思って食っていたしな…」
「本当に美味しかったもの。独りぼっちの食事だったけど」
「違いない。檻の中で黙々と食うだけだったな」
 誰とも会話を交わすことなく、餌を与えられるだけの食事の時間。それでも料理と呼べるものが出て来ると嬉しかった。動物から人に戻れたようで。自分は今も人間なのだと思うことが出来て。



 アルタミラから辛くも脱出したものの、シャングリラでの食事も最初の間は大変だった。外から調達する方法はリスクが高いと自給自足を目指しはしたが、軌道に乗るまで試行錯誤の繰り返し。既にキャプテンだったハーレイの元には頭の痛い報告が殺到していたものだ。
「シャングリラもなあ…。最初は本当に苦労したよな、あれが採れすぎたとか、足りないだとか」
「野菜がきちんと採れるようになるまでは卵も船の中では無理だったものね」
「家畜も魚も餌が要るしな。あんな頃でも、お前がきちんと食べてくれたから嬉しかった。お前が育っていくのを見るのが嬉しかったな、栄養が足りてる証拠だからな」
「…スープしか飲まない日もあったけど?」
 君のスープ、とブルーは笑う。ハーレイが野菜を細かく刻んで煮込んでくれた野菜のスープ。
「あれもなあ…。もうちょっと何かあったならなあ、もっと美味いのを作れたんだが」
「ぼくはあの味が好きだったよ。…だから最初のままのが良かった」
「お前、頑固にそう言ったからな。それで何ひとつ工夫を凝らせないまま今に至る、と」
 ハーレイが作る「野菜スープのシャングリラ風」は今もブルーの好物だった。基本の調味料しか使わないから、ブルーの母が何かと口を出したがるそれ。ブルーが体調を崩した時に、ハーレイが見舞いがてら作りに来てくれるスープ。
「あのスープ、ホントに好きなんだもの。でも…。ぼくってどうして育たないのかな、ハーレイに会ってから頑張ってるのに。きちんと食べてミルクも飲むようにしてるのに…」
「今に育つさ。そしてとびっきりの美人になるんだ、誰もが振り返って見るくらいのな」
 そしてその美人は俺のものだ、とハーレイは片目を瞑ってみせる。
 育ったブルーは自分一人だけのものなのだから、他の人間には見ることだけしか許さないと。



「なあ、ブルー。いつかお前が大きくなったら、俺たちの好き嫌いを探しに行こうか」
「なに、それ?」
 ブルーはキョトンとした顔でハーレイを見た。好き嫌いを探しに行くとは何だろう?
「好き嫌いさ。この世の中にはいろんな食べ物があるらしいしな?」
 SD体制の頃と違って、とハーレイがブルーに微笑みかける。
「あの頃は何処の星でも似たような物を食ってたらしいが、今はこの地球だけでも何種類の料理があるんだか…。何処の地域も独自性を出そうとSD体制前の資料まで調べて頑張ってるぞ」
「そうだね。ぼくたちの住んでる所は和風を目指してるんだよね」
「何処まで昔のとおりか知らんが、俺たちが見たことも無かった料理も沢山あるしな」
「うん。少なくともシャングリラに昆布出汁は無かったよ」
 魚は養殖していたけれども、海藻までは手が回らなかった。回ったとしても、昆布からスープの材料が取れるという知識を持たなかった。昆布出汁を使った料理は今の生で生まれて来た地域では珍しくはなく、本物の地球の海で育った昆布を元にして透明なスープが作られる。
「昆布出汁なあ…。あれは本当に聞いたことすら無かったな、前は」
「ぼくは昆布も知らなかったよ」
「俺もだ。アルテメシアにも海はあったが、昆布が生えていたかどうかも知らん」
「海藻はあったけど、昆布はどうかなあ…」
 ブルーはユニバーサルに追われるミュウを救出する途中で海に何度か潜った。自分たちが目指す地球を覆う海もこの海とよく似ているのだろうか、と頭の何処かで思っていた。地球が死に絶えた星のままだとは考えもせずに、その青い海を夢に見ていた。
 アルテメシアの海の底でゆらゆらと揺れていた何種類もの海藻。あれは植物園の植物と同じで、見るためだけのものだったろうか。たとえ昆布が生えていたとしても、それが食べられる海藻だということを誰も知らないままだったろうか…。
 遙か遠くに過ぎ去った昔。アルテメシアの海を見ていたブルーはもういない。ソルジャーだったブルーはメギドで死んで、蘇った地球に生まれ変わった。それなのに今の生でも好き嫌いを感じたことが無いとは、前の生でどれほどの辛酸を嘗めていたのか…。
 ブルーは少しだけ悲しくなった。ハーレイと二人、青い地球の上に生まれて出会って、こんなに幸せに生きているのに、前の生を自分でも知らない所で引き摺ってしまっているのかと。
 その思いを読み取ったかのように、ハーレイがもう一度、ブルーに言った。
「お前の好き嫌いを探しに行こうじゃないか。もちろん俺の分も一緒に探すぞ」



 いつか、とハーレイの鳶色の瞳が細められる。
「いつかお前と結婚したらだ、あちこちに食べに行かないか? この地域だけじゃない、それこそ地球のいろんな所へ出掛けて行くんだ、好き嫌いを探しに」
 きっと何処かに一つくらいはあると思うぞ、俺たちでも「嫌い」と言うようなものが。
 茶目っ気たっぷりに煌めく瞳に、ブルーは「うーん…」と首を捻った。
「そんなの、あるかな? だって、ぼくたちだよ?」
 初期のシャングリラで長く耐乏生活をして、アルタミラでは家畜にも劣る扱いで。どんな物でも口に入れられる物は必ず食べたし、好き嫌いなどありはしなかった。今の平和な地球で調理された食材が口に合わないだなんて、まず有り得ないとブルーは思うのだけれど。
 ハーレイの方はそうは思わないらしく、自信たっぷりに返してきた。
「何処かにはあるさ。そうでなければ、人生、つまらん」
「そんなものなの?」
 驚くブルーに「そうさ」とハーレイは親指を立てる。
「前の俺たちには好き嫌いをするだけの余裕が無かった。そんな環境でもなかったしな。しかし、今の俺たちはそうじゃない。人並みに好き嫌いってヤツを作りたいじゃないか」
「好き嫌いって、作るものなの?」
「ああ。嫌いが無ければ好きでもいい。もう一回あれを食べたいってヤツを見付けるとかな」
「いいね、それ。ぼくにそういう食べ物が出来たら、作ってくれる?」
 ブルーは期待に瞳を煌めかせた。料理は得意だと聞くハーレイ。野菜スープのシャングリラ風は昔と同じ味だし、一度だけ訪ねたハーレイの家で出て来たシチューも美味しかった。二人で旅して見付けた料理をハーレイが再現してくれたなら、どんなに素敵なことだろう。
 そのハーレイもまた、ブルーのおねだりが嬉しかったらしく。
「もちろんだ。腕によりをかけて作ってやるさ」
 自信満々で答える姿に、ブルーの中に悪戯心が生まれて来た。それをそのまま口にしてみる。
「其処でしか獲れない魚とかなら、どうするの? 取り寄せたって、きっと美味しくないよ」
 獲れたての魚と、そうでない魚はやっぱり違う。好き嫌いの無いブルーだけれども、同じ魚でも刺身で食べるなら新鮮な方が断然いい。そう思ったから魚と言った。ハーレイを少し困らせるにはピッタリのものだと思ったから。
 けれどハーレイは事も無げにサラリとこう告げた。
「二人で何度でも食べに行けばいいさ。それが出来る自由ってヤツも手に入れたんだ、俺たちは」



 海の幸でも山の幸でも、一年の間のほんの僅かな時期しか手に入らない食材でも。それを食べるために何度でも出掛けてゆける。何処へでも二人で旅が出来る、とハーレイが語る。
「そうだろう、ブルー? 俺たちは何処へでも行けるんだ。シャングリラでしか生きられなかった時代は終わって、もう俺たちは自由だろうが」
「うん。…うん、そうだね」
「おまけに寿命もたっぷりとあるぞ? この俺だって平均寿命には三百年以上足りないしな」
 たとえ百歳で結婚したって二百年以上も旅が出来る、とハーレイはブルーの瞳を見詰めた。
「いいか、二百年以上だぞ? 俺たちが白い鯨になったシャングリラで旅をしたのと同じくらいに長い時間だ。それも結婚が俺が百歳の時だった時の話で、実際はもっと早いだろうしな」
「…ぼくの背、全然伸びないんだけど…」
「俺は今、三十七歳なんだ。百歳までには六十年もかかるわけでだ、いくらお前でも六十年かけて二十センチってことは無いだろう。長くて三十年ってトコだと思うぞ」
「さ、三十年!?」
 酷い、とブルーは悲鳴を上げた。そんなに待てるわけがない。
「三十年も待つくらいだったら、小さくっても結婚するよ! 十八歳で結婚出来るんだから!」
「分かった、分かった。もしもお前がチビのままなら、適当なトコで貰ってやるさ」
 その代わり結婚してもキスは無しだぞ、と言われたけれども、ブルーは頷く。キス無しだろうが本物の恋人同士になれなかろうが、ハーレイと一緒に暮らせるだけで幸せだから。結婚しない限りその幸せは決して訪れはしないから…。
「約束だよ、ハーレイ? ぼくが小さくても結婚してよ?」
「それはかまわんが、俺としては育った方がいい。見せびらかして歩きたいしな、美人のお前を。好き嫌い探しの旅の先でも見せびらかすのさ、このとびっきりの美人は俺のものだ、と」
 旅をしよう、とハーレイが誘う。足の向くまま、気の向くままに、前の生では叶わなかった好き嫌いをするために食べ歩くのだと。
 前の生でブルーが行きたいと焦がれ、ハーレイが懸命に目指した地球。その地球の上をあちこち旅して、名物を食べて、景色を眺めて。
 気に入った物をまた食べるために、気に入った場所をまた訪れるために、同じ場所へも出掛けてゆく。もちろん新しい場所も訪ねて、お気に入りを増やしてゆくのだと。好き嫌いも増やして味に文句を零してみたり、舌鼓を打って「また食べたい」と記憶に刻み付けるのだと…。



「ねえ、ハーレイ。…景色より食べる方が先?」
「可笑しいか? まずは俺たちが失くしちまった好き嫌いを探すのが肝心だろうが」
 それに、とハーレイは大真面目な顔で古典の教師らしく古い諺を挙げた。
「花より団子、と習わなかったか? 見て綺麗なだけの花よりもだ、食って美味い団子の方が役に立つんだと言うだろう。景色は綺麗なだけなんだからな、名物を食うのが正解だ」
「そっか、そういうものなんだ…」
 ブルーは素直に納得したのに、教えたハーレイがプッと吹き出す。
「こらっ、其処で信じるヤツがあるか! 今のは俺のこじつけってヤツで、花より団子の使い方としては微妙なトコだな。テストでお前が書いて来てもだ、丸をつけつつ「?」と書くな」
 もう少し巧い例を書かないと「?」マーク抜きの丸はやれない、と笑うハーレイ。
「前のお前は知らなかっただろう諺だから仕方ないんだが…。優等生だろ、せっかくの上等な頭は賢く使えよ? 俺に騙されるようでは話にならん」
「ハーレイの方が先生なんだよ、ぼくより賢くて当然だから!」
 ブルーは唇を尖らせた。
「先生の方が絶対、賢い! だから間違ったことを教えないでよ!」
「そう来たか…。うんうん、でもなあ…。好き嫌い探しはしたいだろうが?」
 どうなんだ? と尋ねられたら否とは言えない。景色を見るのも良さそうだけれど、今の生まで引き摺ってしまった「好き嫌いの無い自分」を解き放ってやるのも楽しそうだった。
 ハーレイと二人で旅をして、それぞれの好き嫌いを何処かで見付け出す。好きな食べ物は何度も食べに出掛けてもいいし、自分たちの家で作れる料理ならハーレイに作って貰って食べる。
 食べ物も景色も、我儘を言ってかまわない旅。シャングリラでは決して叶わなかった我儘放題の旅に二人で出掛ける。前の生で行きたいと願った地球で。ハーレイが辿り着いた時には死に絶えた星だった地球が蘇り、二人して其処に生まれたのだから。
 ブルーはハーレイに「うん」と笑顔で返すと、未来の夢を言の葉に乗せた。
「うん、ハーレイ。…いつか行こうね、好き嫌い探し」
「ああ、行こう」
 ハーレイがコクリと大きく頷き、微笑みながら。
「二人で見付け出さなきゃな。俺たちがすっかり失くしてしまった好き嫌いってヤツを、何処かで必ず見付けよう。だから頑張って沢山食べろ」
 残ってるぞ、と褐色の指がブルーの皿のピラフを指差す。
 いいか、俺と二人で旅に出るには、結婚するのに相応しい背丈にきちんと育つトコからだ。
 大きくならんと始まらないしな、俺たちの旅は。
 万が一、お前がチビだった時は…。約束どおり貰ってはやるが、その前にまずは努力してくれ。




          好き嫌いを探しに・了


※食が細くても好き嫌いが無いブルー。前の生での記憶を引き摺っているみたいですね。
 ハーレイと一緒に食べ歩きの旅で見付けて欲しいものです、今ならではの好き嫌い。
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 ハーレイは寝室で風呂上がりの一杯を楽しんでいた。季節はそろそろ初夏だったから、喉越しのいい酒に氷を浮かべてゆったりと。ビールも好きだが、寝る前に飲むにはあまり向かない。今日は仕事が忙しかったし、早めに休もうと寝室での一杯と相成った。
(ブルーの家にも寄れなかったな…)
 小さな恋人の顔を思い浮かべる。平日でも時間が取れた時にはブルーの家を訪ねる習慣。だが、今週は対外試合を控えた柔道部の指導と仕事の両立で時間が取れずに週の半ばに至っていた。
(明日には寄ってやりたいんだが…)
 そのためには仕事の段取りをどうするか、と頭の中で計画を立てる。早めに出勤して仕事をしてから柔道部の朝練をするべきか。校門が開くのは何時だったか、家を何時に出ればいいのか。
(…確か六時には開いてる筈だな、すると五時半に起きて朝飯で…)
 今から寝れば睡眠時間は充分に取れる。もう一時間早く起きても平気なくらいに早い時間。
「よし、それでいくか」
 ブルーに会うためにも早く寝よう、とグラスの酒を一気に呷ろうとして。
「しまった…!」
 勢いをつけすぎた酒がグラスと唇の間から僅かに伝って、ポトリと一滴、滴り落ちた。真っ白なシーツに琥珀色の染み。ほんの一雫だが、白いシーツだけによく目立つ。
「………。ロクなことにならんな」
 つい、うっかり。
 寝室のソファとテーブルで飲めば良かったものを、風呂上がりにキッチンで注いで二階の寝室に持って上がって来たから、そのままベッドに腰掛けた。部屋に入ってすぐにドッカリと。
「しかしなあ…。ベッドで一杯も捨て難いしな?」
 まあいいか、と空になったグラスをテーブルに置くために立って、直ぐに戻った。琥珀色をした染みは気になるが、どうせシーツは洗う予定をしていたし…。その時にひと手間増えるだけだ。
「つい、うっかり……か」
 ベッドに入る前のひと時、染みを見ていたら思い出した。前の生でのブルーのことを。



 今のブルーよりも背が高く、顔立ちも大人のそれだったブルー。それは美しく、気高かった前の生での恋人。いつからか彼に心惹かれて、親しい友から想いを寄せる人へと変わった。その想いを胸に秘めておくべきか、打ち明けるべきか。
 既にソルジャーと呼ばれ、青の間を居としていたブルーはハーレイが独占出来る存在ではない。常にシャングリラ全体に思念を巡らせ、船を守っているブルー。全てのミュウを愛する彼を自分の欲で一人占めなど出来るわけがない…。
 そう考えたから、躊躇した。募る想いを打ち明けたとしても、ブルーは困惑するだろうから。
 けれども、ふとしたブルーの仕草。ハーレイと二人きりの時しか見せない、その表情。自分だけでは無かったのだ、と気付いた時、どれほど嬉しかったか。ブルーも同じ思いなのだ、と。
 それからゆっくりと時間をかけてブルーの想いを確かめ、ようやく優しいキスを交わした。その日から恋人同士となって、少しずつ想いを深めていって。
 青の間でブルーと結ばれた時は、もうお互いに溢れる想いが止まらなかった。想いのままに腕を絡めて、求め合って。…そうして二人、抱き合ったままで眠ったのだけれど。
 次の日の朝、ブルーよりも先に目覚めたハーレイは身体を起こすなり絶句した。
(……これはあまりに……)
 全身から血の気が引いてゆく。まだ眠っているブルーの身体の下のシーツは酷く乱れて皺だらけだった。もちろんハーレイの下に広がるシーツも。
 しかも恐らく、皺だけで済みはしないだろう。愛し合うことに夢中で何も考えてはいなかった。自分もブルーも何度達したのか覚えていないし、その後始末などは頭に無かった。
(…ま、まずい…)
 ブルーの身体を傷つけたりはしていないと思う。苦痛を与えないように注意したから、血の色の染みは無いとは思う。しかし血の染みは無かったとしても、自分とブルーが放ったものは…。
 その跡は隠しようがない。ブルーのベッドで何があったか、係の者に知られてしまう。ブルーの相手が自分だとまでは知れないとしても、ブルーが誰かと愛を交わしていたことは。
(最悪だ……)
 ソルジャーとして誰もが敬うブルー。そのブルーを自分が引き摺り落とした。誰よりも気高く、凛として高みに立っていたブルーを、恋に溺れる「ただの人」にまで落としてしてしまった…。



 激しい後悔に苛まれ、暗澹たる気分で瞑目していたハーレイの耳に「どうしたの?」と柔らかな声がかかった。目を開けばブルーが横たわったままで見上げている。まだうっとりと酔いを残した瞳で、甘やかな笑みを湛えた唇で。
「…ブルー…」
 言えない。この愛しい人にはとても言えない、とハーレイは起こしていた身体を沈めてブルーを強く抱き締めた。何としてでもブルーを守る、と思ったけれども、どうすれば良いのか。この船の備品は自分の権限で動かせるものの、誰にも見られずにシーツを処分する方法などは…。
「…ハーレイ?」
 言葉にせずとも不安は伝わる。目覚めてから暫くはハーレイに甘え、その胸に身体を擦り寄せていたブルーが半身を起こし、ハーレイの不安の元を探った。ベッドに何かがあるのだ、と。
「あっ…!」
 ハーレイと同じものを其処に見たのだろう。ブルーも言葉を失っていたが、どうしようもない。
「…すみません、ブルー。私が…、私が注意するべきでした…」
 申し訳ありません、とハーレイは身体を起こして詫びた。
「直ぐにシーツを取り替えます。…係の者が替えに来る前に洗いに出せば分からないかと…。青の間の分のシーツのデータは私が何とか誤魔化しますから」
 船長の権限で書き換えられないことはなかった。不審に思う者があってもデータが無ければ思い違いで済むだろう。それしかない、と考えたのだが。
「…大丈夫」
 ブルーが白い指でシーツをそうっと撫でた。
「大丈夫だよ、ハーレイ、こんなものは…ね。こうしてしまえば」
 一瞬、青い光がベッドを覆って、消えた後には染み一つ無い真っ白なシーツ。激しく乱れて皺が寄った跡も何ひとつとして無い、いつもの通りのブルーのベッド。
「……魔法ですか?」
 思わず口をついて出たハーレイの言葉に、ブルーが「まあね」と微笑んでみせる。
「ベッドメイクは見慣れているから、その通りにしてみたんだけれど…。新しいシーツに替えて、前のは洗濯。もう水の中に浸けてあるから誰も汚れに気が付かないよ」
「…で、ですが…。係の者には、いったい何と?」
「多分、ぼくには訊かないだろうと思うけど…。もしも訊かれたら、水を零したと言っておくよ」
 自分が汚したシーツの始末は自分でしないと。ソルジャーでもね、とブルーは笑った。
 誰よりも強いサイオンを持ったブルーにとっては、シーツの入れ替えはほんの一瞬。ハーレイの目には魔法に見えたそれが、青の間で何度繰り返されたことだろう。たまに訊く者が出てくる度にブルーが答えた「水を零した」。その言い訳はいつしか定番になった。



 誰も気付かなかった青の間での秘めごと。初めて二人で過ごした翌朝の小さな事件が二人の間で笑い話になった頃には、ハーレイの部屋でも逢瀬を重ねた。
 キャプテンであるハーレイの部屋もまた、青の間同様、専属の者がベッドメイクをするのが常。此処でもブルーが乱れたシーツをサイオンで取り替え、新しいものを用意した。その手際良さに、ハーレイは目を瞠ったものだ。
「あなたのベッドなら慣れておられるのも分かりますが…。私の部屋のベッドメイクなど、いつの間にご覧になったのです?」
 暇潰しに覗いていたのだろうか、とハーレイは不思議に思ったのだが。
「これかい? 此処のベッドが覚えてるんだよ、どうするのかをね」
「ベッドが…ですか?」
「正確に言えば、係の残留思念かな? こう引っ張って、こっちをこう、と緊張している気持ちがよく分かる。キャプテンの部屋で失礼が無いよう、若いクルーは必死なんだね」
 キャプテンはとても怖いものね、とブルーが赤い瞳を煌めかせてハーレイの眉間に触れた。
「ほら、此処に皺。これを見るだけでも怖いってね」
「そんなことは…!」
「分かっているよ。君は怒鳴りも怒りもしない、って。…だから余計に尊敬される。若いクルーの憧れなんだよ、キャプテンは。そのキャプテンのお部屋係だ、頑張らないと」
 それで、とブルーは小首を傾げた。
「憧れのキャプテンのシーツを取り替えに来てくれた子に、何と言い訳するんだい? 自分で取り替えなければならなくなった不始末とやらは何にするわけ?」
「…私の場合は、水と言うより酒でしょうか…」
 ハーレイは苦笑しながら答えた。
「水を零した、は使用中だと仰るのでしょう? ならば酒しか思い付きません」
「ぼく専用の言い訳だからと独占する気は無いけれど…。オリジナリティは大切かもね。ぼくだと水で、君だとお酒。うん、お酒を零したと言っておいてよ」
 こうしてハーレイの部屋での逢瀬の後は「酒を零した」がハーレイの決まり文句となった。係のクルーは素直に信じて、中には零して減った酒の心配をした者までがあったほどで。
 そんな調子だから、ハーレイはたまにブルーをこう誘った。「酒を零しに来ませんか?」と。
 ブルーは酒に弱くて苦手だったけれど、いつも艶めいた笑みを返して酒を零しに訪れた。肝心の酒は飲みもしないで、ハーレイとの逢瀬に酔いしれるために…。



「本当に零しちまったな…」
 あれから長い長い時を飛び越え、辿り着いた地球でハーレイは呟く。「酒を零した」と言い訳をしていたキャプテンの部屋は今はもう無い。流れ去った時が白いシャングリラごと連れ去った。
 そのシャングリラで辿り着いた地球も、あの時の死に絶えた星ではない。
 青い水の星として蘇った地球。其処に自分は還って来た。死の星だった地球の地の底で息絶えた身体の代わりに今の身体を得て、新しい生を手に入れて。
 同じ地球の上に、今の自分が住む同じ町に、ブルーも生まれ変わって来た。メギドで失った命の代わりに新しい生を得、十四歳の少年として生きている。前よりも幼く、小さなブルー。ブルーに会いにゆくのだった、と思い出す。
 考えごとをしていた間に時が経ったかと時計を見たが、さほど時間は流れていない。テーブルの上の酒のグラスもまだ乾いてはいなかった。飲めるほどには残っていないが、グラスの底に残った液体。シーツに小さな染みくらいなら作れるかもしれない、ほんの僅かな量の酒。
 その酒のお仲間がシーツに拵えた染みを見ながら、ハーレイはフッと笑みを零した。
「…酒を零してくれるどころか、水も零せはしないんだがな…。今のあいつは」
 十四歳の小さなブルー。恋人なのだと主張しはしても、あまりに幼い身体のブルー。ハーレイと結ばれる日を夢見てはいるが、身体も心も幼すぎてどうにも話にならない。
「あいつが酒を零してくれる代わりに、俺が零してしまったか…。まだまだ待てと言われたようで縁起でもないが、ゆっくり育って欲しいからなあ…」
 前世のブルーが失くしてしまった幼い時代の幸せな記憶。ブルーにはそれを取り戻して欲しい。前の分を補ってなお余りある幸福な時間を過ごして欲しい。そのためならば何十年でも待てる、と思っているのだけれど。
「はてさて、あいつが酒だの水だの、零してくれるのはいつのことやら…」
 前の生での誘い文句をブルーは覚えているのだろうか?
 小さなブルーに「俺の家へ酒を零しに来ないか?」と言おうものなら、「行ってもいいの?」と喜びそうだ。その意味すらも考えはせずに、遊びに来ていいと許可を貰ったと歓声を上げて。
(…酒を零して遊ぶというのは、いったいどういう状況だろうな?)
 サッパリ分からん、と小さなブルーが考えそうな中身を想像してみる。スポーツ選手が祝賀会でやるシャンパンシャワー。その手のものしか思い付かない。学生時代に何度かやったが、なかなか高揚するものではある。ブルーに浴びせたら喜ぶだろうか?
(はしゃぎそうだが、酒は零してくれんしなあ…)
 ずぶ濡れになったブルーの姿はハーレイの心臓に悪そうだ。シャツがうっかり透けたりしたなら理性が危うくなってくる。これ以上はもう考えるな、とハーレイは自分にストップをかけた。



 年相応に無垢で愛らしい小さなブルー。無邪気な笑顔を思い浮かべれば邪心を抱ける筈もない。前の生では同じ姿でも一人前の戦士だったし、サイオンも比類ない強さだったけれど。
「…今のあいつには出来そうもないな、零す以前の問題だな」
 シーツに出来てしまった琥珀色の染みを指先でつつく。
 水や酒を零したと言い訳をしては、一瞬の内にシーツを取り替えた前世のブルー。魔法のように見えたその技を今のブルーは持ってはいない。瞬間移動が出来ないのだから、その応用とも言える例の魔法を使うことなど無理なのだ。
「あいつが自分のベッドに水を零したら、まずはママだな」
 大慌てで駆けてゆく姿は想像するのに難くない。「ママ、零しちゃった!」と叫びながら部屋を飛び出し、転がるように階段を下りて母の所へと一直線に。
 サイオンの扱いに長けるどころか、不器用かもしれない小さなブルー。それもまたハーレイには嬉しかった。ブルーが力を伸ばさなくてもいい世界だという証明だから。
(…そんなあいつが、あれを見たなら…)
 クックッとハーレイは笑い始めた。
 青の間で初めて二人一緒に過ごして、翌朝、愕然と眺めたベッド。前の生のブルーはソルジャーならではの冷静さと技で対処し、微笑んでさえいたのだけれど。
(あいつは間違いなくパニックだな)
 そう、あのベッドを見せられたならば小さなブルーはパニックだろう。どうしてベッドがそんな状態に陥ったのかも分かりはしないに違いない。そう考えると可笑しくなる。
 何かと言えば「本物の恋人同士になりたい」と口にする小さなブルー。ハーレイに向かって何度「キスしていいよ?」と誘ってきたかも数え切れないくらいだったが、中身は正真正銘の子供。
(うんうん、あいつは覚えていないぞ、肝心のことは)
 そうに違いない、とハーレイは思う。
 前世の記憶を全て思い出した、とブルーは言うし、実際、記憶は持っているらしい。だからこそ本物の恋人同士になれる日を待ち焦がれ、早く育ちたいと願うのだが…。
(本当に色っぽい記憶となったら抜け落ちているか、ぼやけているかだ)
 現に誘われたことがない。あの懐かしい誘い文句をブルーから聞いたことがない。
 ハーレイの部屋に行きたいと強請る代わりに、前世のブルーが笑みを浮かべて囁いた言葉。
 桜色の唇が歌うように紡いでいた言葉。
「ハーレイ? 最近、お酒を切らしているようだけど?」と。
 滅多に誘われなかったからこそ覚えている。普段は自分が誘っていたから。
 そう、彼の人から誘われる前に「酒を零しに来ませんか?」と。



 今のハーレイの家に、ブルーは遊びに来られない。ハーレイ自身がそう決めた。それをブルーはきちんと守って、ハーレイの方から訪ねて来るのを待っている。
 ハーレイの家に来たい筈なのに、前世での口実の酒を持ち出さないブルー。
 まだ十四歳の小さな子供で、法律でも酒は飲めないブルー。
 小さな身体と無垢で幼い心に合わせて、記憶もきっとぼやけるのだろう。背伸びしている子供と同じで大人びたことを口にしてはいても、ブルーは何も分かってはいない。
(…あのベッドだって確実に忘れているな)
 前の生で初めての朝を迎えたベッド。
 小さなブルーに、そういう記憶は、きっと、無い。
 それでもブルーが愛おしい。この地球の上で巡り会えたブルーが愛おしい…。
「…寝るか、明日はあいつの家まで行ってやらんとな」
 ついでに少しからかってみるか、とハーレイはシーツに残った琥珀色の染みに視線を落とす。
 懐かしい誘い文句を忘れたであろう小さなブルー。
 ハーレイが「昨夜、うっかり酒を零してな」と白状したなら、何と答えを返すだろう?
 「酔っ払ったの?」か、それとも「もったいないよ」か。
 どちらにしても、前の生のブルーの艶やかな笑みと言葉は返らない。
 「それじゃ今夜はぼくが行くよ」と微笑んだブルー。
 あの頃のブルーとそっくり同じに育ったブルーを手に出来る日はまだ遠いけれど。
(…うん、今のあいつも可愛らしいんだ)
 待っていろよ、とハーレイはベッドにもぐり込んだ。
 明日はお前の家に行くから、と……。




           言い訳の雫・了


※前のハーレイとブルーの秘めごと。小さなブルーは覚えていない、前の自分の誘い文句。
 今度は言い訳の要らない二人ですけど、二人きりで過ごせる夜はまだ遠いようです…。
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 夏休みのある日。今日はハーレイは午前中に柔道部の指導があるから、ブルーの家を訪ねて来るのは午後になる。ブルーは母と昼食を食べて、二階に戻ろうとしたのだけれど。
「ブルー。それ、ママの部屋に持って行ってくれるかしら?」
 母が紙袋を指差した。綺麗な色と模様の紙袋。
「うんっ!」
「ドレッサーの所に置いてくれればいいから」
「分かった!」
 化粧品の類なのだろう。小さな紙袋を提げたブルーは足取りも軽く階段を上り、母の部屋の扉を開けて入って、ドレッサーの前に袋を置いて。
(ママの部屋かあ…)
 この部屋に母のベッドは置いてあるのだが、恐らく母は使っていない。隣の父の部屋に置かれた大きなベッドが多分、二人用。幼い頃にはブルーも其処で何度も両親と一緒に眠っていた。今なら二人用のベッドの意味が良く分かる。
(…ぼくとハーレイ、いつになったら一緒のベッドで寝られるのかな…)
 出会った時の百五十センチから伸びない背丈。前世の自分と同じ背丈にならない限りはキスさえ許して貰えない。同じベッドなんて夢のまた夢、いつになるやら見当もつかず。
(…早く結婚したいんだけど…)
 母の部屋に飾られた結婚式の写真。今よりも若い両親が幸せそうな笑顔で写っている。ブルーはそれを羨ましそうに眺めながら。
(ぼくって、ドレスを着るのかな? 二人ともタキシードなんて変だよね?)
 並んで立っている分にはかまわないけれど、これは流石に可笑しいと思う。母を両腕でしっかり抱き上げて立つ父と、その腕の中で笑顔の母と。結婚写真の定番の一つ。このポーズでハーレイがタキシードのブルーを抱いていたなら、さながらコメディ。
(やっぱりドレスしか無さそうだよね…)
 こういう写真は撮りたいもの、と両親の写真を目に焼き付けてブルーは自分の部屋に戻った。



(ドレスかあ…)
 生まれてこの方、ドレスなんかは着たこともない。学校はずっと共学だったし、いくらブルーが可愛らしくても演劇などで女の子の役は回って来ない。小さい頃に「女の子?」と訊かれたことは多かったけれど、ちゃんとズボンを履いていた。
(でも、あの写真を撮りたかったらドレスだよね…)
 ドレスというものの着心地どころか、どうやって着るのかも分からなかった。その辺りはプロにお任せとしても、ああいった服で上手に歩くことが出来るのだろうか?
(踏んづけて転んじゃったりして…)
 それは非常に格好が悪い。かと言って最初からハーレイに抱いて歩いて貰うのも…。
(思い切りルール違反だよね?)
 結婚式が終わるまでは自分の足で歩いてゆくしかない筈だ。これは困った、とドレスの長い裾をどう捌くべきか悩み始めたブルーだったが。
「…あれ?」
 そういえば、と思考が別の方向へ向いた。
「ぼく、一回もハーレイに抱っこして貰ってないよ…」
 ドレス姿でないと似合いそうにない結婚式の写真の定番、新郎の両腕に抱かれた花嫁。
 前の生ではハーレイと結婚こそ出来なかったけれど、ああいう風に抱き上げられたことは何度もあった。ハーレイの逞しい腕に抱えられて運んで貰った。
 なのにハーレイと再会してから、そんな経験は一度も無い。ハーレイはブルーを胸に抱き締めてくれるけれども、あんな風に抱き上げて貰ったことは無い。
(…お姫様抱っこって言うんだっけ…)
 シャングリラに居た頃、若いミュウたちがそう呼んでいた。ハーレイに「お姫様抱っこだね」と言ったら「あなたは私のお姫様ですから」と真顔で返され、二人して大笑いしたものだ。ブルーは実はソルジャーではなく、シャングリラのお姫様だったのか、と。
(あれも大きくなるまでダメなの?)
 キスと同じでお預けだろうか、と考えたけれど、お預けにされる理由が思い当たらない。唇へのキスは大人のものかもしれなかったが、両腕でヒョイと抱き上げるくらい…。
(パパだって抱っこしてくれるよ、うん)
 ブルーが熱を出した時など、父が抱えてベッドに運んでくれたりする。ということは、特に問題なさそうだ。一度ハーレイに頼んでみよう、と決心した。そう、今日ハーレイが来たら、早速。



 間もなくハーレイが訪ねて来てくれ、母が部屋まで案内してきた。母はアイスティーとお菓子をテーブルに置いて階下へと去り、ブルーは勇んで切り出してみる。
「ねえ、ハーレイ」
「なんだ?」
「お姫様抱っこはかまわないよね?」
「はあ?」
 ハーレイがポカンと口を開けた。それにかまわず、ブルーは続ける。
「お姫様抱っこ! まだ一回もして貰ってないよ」
「…お姫様抱っこって…。アレか、俺がお前を抱き上げるヤツか?」
「そう! パパもしてくれるし、お姫様抱っこはダメじゃないよね、キスと違って」
 期待に満ちた瞳でハーレイを見詰め、「お願い!」とペコリと頭を下げた。
「ちょっとでいいから抱っこしてみてよ」
「……全く必要無いと思うが」
 つれない返事にブルーは「なんで?」と目を見開いた。
「ぼくがお願いしているんだから、必要はあると思うけど…」
「無いな」
「どうして? 前は抱っこしてくれてたよ? それに前よりずっと軽いよ」
 ぼくの体重、と自分の小さな身体を指差す。
「今の方がずっと軽いのに…。持ち上げやすいのに、なんでダメなの?」
「前より軽いのは知っているさ。俺の膝の上に乗っかっていても軽いからな」
「だったら、どうして! 重くないのに! ちょっとでいいから!」
 ほんの少し歩いてくれるだけでいいのだ、とブルーは強請った。けれどハーレイは「駄目だ」の一点張りで、立ち上がる気配も見せてくれない。
「ハーレイのケチ!」
「ケチでかまわん。とにかく俺はやる気はない」
「…ちょっとだけでも?」
「そのちょっとで、だ。お前は何処へ行くつもりなんだ」
 鳶色の瞳がブルーの瞳を真正面から覗き込んだ。
「俺がお前を運んでいた先は、ベッド以外に無かった筈だぞ」
「えっ…?」
 思いもよらない言葉に暫し考え込み、遠い記憶を探ってみる。お姫様抱っこで連れて行って貰う先には、本当にベッドしか無かっただろうか?



 前の生で何度も抱き上げてくれたハーレイの腕。頑丈だった腕の逞しさと力強さを覚えている。今よりも重かったブルーの身体を軽々と抱き上げ、危なげもなく運んでくれた。ふわりと宙に浮く感覚。自分のサイオンで浮き上がるのとは全く違った心地よさ。
「…ベッドだけってこと、ないと思うけど…」
 それならば青の間かハーレイの部屋での記憶だけしか無い筈だ。ブルーの記憶が違うと告げる。シャングリラの長い通路やブリッジ、公園なども覚えていた。何処でもハーレイの腕にしっかりと抱かれて周りを見たり、高い天井を見上げたり…。
「ハーレイ、絶対、間違ってるよ! 通路も公園もそれで歩いた!」
「いや、間違えているのはお前だ。俺はお前をベッドにしか運んでいないんだが?」
「そんなことない!」
 通路はともかく、ブリッジや公園にベッドは無い。百歩譲って通路の方なら行き先がメディカルルームのベッドということもあっただろうが…。
 懸命に言い募るブルーだったが、ハーレイは「お前が忘れているだけだ」と譲らない。
「俺がお前を運ぶ時には行き先はベッドだ、間違いはない」
「でも…! ブリッジと公園にベッドは無いよ!」
「ああ、ブリッジと公園にはな。せいぜい休憩用の椅子くらいだな」
「だったら、なんで!」
 ハーレイの記憶違いか、お姫様抱っこをしたくないがゆえの逃げ口上か。どちらかだとブルーは思ったのだが、ハーレイがフウと溜息をつく。
「…覚えてないのも無理ないかもな。俺が目的地に着いた頃には、お前、大抵、寝ていたからな」
「寝てた…?」
 そんな記憶は全く無かった。ハーレイの腕に抱かれて移動するシャングリラの通路や公園などは気持ち良かったし、眠ってしまうわけがないのに…。
「ぼくは寝ないよ、せっかくハーレイがぼくを運んでくれているのに」
「その気が無くても寝てるんだ。…俺はお前が倒れた時しか、外でお前を運んではいない。お前、冷静に考えてみろよ? それ以外で俺がお前を運んでいたなら、周りに何と言い訳するんだ」
「あっ…!」
 そう言われればその通りだった。前の生では身も心も結ばれた本物の恋人同士だったけれども、周囲にはそれを隠し通した。ハーレイが理由も無くブルーを抱き上げて運んで歩けば、当然、仲を疑われる。ということは、自分の記憶が抜けているだけで…。
「分かったか? お前は運ぶ途中で寝ちまっただけだ。行き先はベッドだったんだ」
 ハーレイの指摘に反論出来ない。お姫様抱っこで辿り着く先は本当にベッドだったのだ。



「…思い出したか? つまりだ、俺に今のお前を運ぶ理由は無いわけだ」
 お前はピンピンしてるんだから、と鳶色の瞳に笑みの色が浮かぶ。
「気分が悪いわけでもないし、倒れちまったわけでもない。…ついでに、そういう理由以外で俺がお前をベッドに運ぶには早過ぎるしな」
「嘘……」
 あの懐かしい浮遊感を味わえないなんて。今のブルーの身体だったらヒョイと抱き上げて何処へでも運んで貰えそうなのに、行き先はベッド限定だなんて…。
「じゃ、じゃあ…。じゃあ、ハーレイ…」
 ブルーは一縷の望みを託して尋ねてみた。
「もしも学校でぼくが倒れて動けなかったら、運んでくれる?」
「………。それはお姫様抱っこでか?」
「うん。それならいいよね、保健室まで」
 保健室ならば行き先はベッド。いつもは保健委員のクラスメイトや担任に連れられて行っているけれど、ブルーはヨロヨロ歩いてゆくか、あるいは車椅子で運ばれるか。しかしハーレイが倒れた現場に行き合わせたなら、抱き上げて運んでくれるだろう。それだけの力は充分にあるし…。
「お前を保健室までか?」
「そうだよ、保健室のベッドに運んで欲しいんだけど」
 倒れたからには気分は相当に悪いのだろうが、ハーレイの腕で運ばれるのなら悪くない。途中で意識を失くしたとしても、お姫様抱っこをして貰える。ほんの一瞬のことであっても、胸に幸せな記憶が残る。今の生でのお姫様抱っこ。
 赤い瞳をキラキラと輝かせるブルーの姿に、ハーレイは「お前なあ…」と苦笑いをした。
「…その運び方は、普通は嫌がるモンなんだが?」
「そうなの?」
 ブルーは驚いて目を丸くした。あんなに気持ちのいい運ばれ方は無いと思うのに、嫌がるなんて信じられない。クラスメイトの肩を借りて重い足を引き摺って歩くより、ぐらぐらと揺れる身体を車椅子に委ねて運ばれてゆくより、ずっと、ずっと楽で気持ちが良くて…。
 顔いっぱいに「信じられない」気持ちが溢れるブルー。けれどハーレイがプッと吹き出す。
「まあ、女の子なら大喜びだな、なにしろお姫様抱っこだからな? しかしだ、男は全く違うぞ。何処の学校でも俺のクラブのヤツらにとっては罰ゲーム的な扱いだったが」
 注意を守らずに怪我をした生徒をアレで運ぶ、とハーレイは言った。
「やめて下さいと叫んでいようが、知ったことではないからな。下ろして下さいと泣きの涙が定番なんだが、俺は下ろさん。それが究極の罰ってヤツだ」



 男子たるもの、お姫様抱っこで運ばれるなどは屈辱の極み。それがハーレイが顧問を務めてきた柔道部や水泳部の生徒の共通の認識なのだという。自分が注意を守らなかったがゆえに怪我をし、その見せしめとして校内引き回しの刑を食らうのだ、と。
 ブルーは心底、驚いた。ハーレイに抱き上げられて運ばれることを嫌がる者がいるなんて…。
「じゃあ、どうやって運んでいるの? そういう罰にならない時は?」
 きちんと注意を払っていても怪我をすることは少なくない。体育の時間は苦手だけれども、その体育で何度も見て来た。転んだり、誰かと接触したりして怪我をした子を。
 不幸にして怪我をしてしまったハーレイの教え子はどうなるのだろう? ブルーが抱いた素朴な疑問に、ハーレイは「ああ」と事も無げに答えた。
「もちろん、背負うさ」
「背負う!?」
 ハーレイの広い背中だったら、体格のいい生徒であっても背負えるだろう。そして…。
「ぼく、一回もやったことない!」
 ブルーはハーレイの広い背中に背負って貰ったことが無かった。今の生でも一度も無いし、前の生でも経験が無い。あんなに大きな背中なのに。がっしりとした肩幅が頼もしいのに…。
 自分は如何に美味しい思いをし損ねたのか、という気がした。お姫様抱っこも素敵だけれども、背中だってきっと気持ちいい。ハーレイの温もりを感じながら揺られて、支えられて。
 むくむくと湧き上がって来る背中への憧れ。ハーレイの背中に背負われてみたい。
「それ、やって欲しい! 背負って欲しいよ!」
 前の時にもやってないもの、とブルーがせがむと「前は必要無かったろうが」と返された。
「お前は大きくても軽かったしな? 様子を見ながら運ぶ分には抱いた方がいい」
「でも…!」
「お前も背負えと言わなかったぞ、抱っこで満足してたんだろうが」
「……うーっ……」
 言い返そうにも、前の生で背負って欲しいと思ったことが無いのは事実。ハーレイが他の誰かを背負って歩いていたなら思い付いたろうが、生憎と一度も目にしなかった。それでも背中に向いてしまった目は「それもやりたい」とブルーの心をかき立てる。あの広い背中に背負われたいと。
 そう、今度の生では背負って欲しい。お姫様抱っこもやって欲しいし、温かな背中も感じたい。どちらも家では無理そうだけれど、もしも学校で倒れたならば…。



「ハーレイ、背負うか、抱っこか、どっちか!」
 どっちでもいいから、とブルーは強請った。学校の中で倒れていたなら運んで欲しいと。
「分かった、分かった。…いつかその辺で倒れてたらな」
 行き先がベッドだったら運んでやる、とハーレイがパチンと片目を瞑る。
「ただしあくまで学校で、だぞ。この家の中なら運ぶまでもないしな、ベッドは其処だ」
 担ぎ上げたらゴールインだ、と笑うハーレイに、ブルーは「学校でいいよ」と頷く。
「学校でいいから、どっちか、お願い」
「よしきた、俺に任せておけ。…いやはや、今から楽しみだな? どんな噂が立つやらなあ…」
「噂?」
「お前の噂さ、お姫様抱っこで運ばれてったら不名誉だぞ! 一生モノの男の恥だ」
 女の子にも何と言われるやらなあ、とハーレイは可笑しくてたまらないという様子で笑った。
「俺とお前が恋人同士なんていう嬉しい噂はまず立たないさ。お前に笑える名前がつくのが見えるようだな、ブルーちゃんとか」
「ブルーちゃん!?」
「お姫様だぞ、女の子の名前は「ちゃん」づけだろうが」
「…そ、それは……」
 小さな頃には「ブルーちゃん」だった。よく女の子と間違えられていた頃は、お隣のおばさんや郵便配達のおじさんたちにそう呼ばれていたし、ブルー自身も気にしなかった。それがいつからか「ブルー君」に代わり、成長した気になっていたのに「ブルーちゃん」だとは…。
「嫌だよ、ブルーちゃんなんて! 学校で抱っこは要らないよ!」
「なんでだ、して欲しかったんだろう?」
 遠慮するな、と胸を叩いてみせるハーレイに「背負う方でいいよ!」とブルーは叫んだ。
「抱っこの方は我慢するから! 大きくなるまで!」
 そうは言ったものの、少し寂しい。して欲しかったお姫様抱っこ。ハーレイの腕に身体を預けて運ばれる時の例えようもない充足感と心地よさは当分、今の身体では味わえない。
 俯いてしまったブルーの頭をハーレイの手がクシャリと撫でた。
「…分かってるさ、お前の気持ちはな。だがな、今はまだ応えてやれないんだ」
 すまん、と真摯な瞳で謝るハーレイ。さっきまでの笑いが嘘だったように。
「…ハーレイ…?」
「いつかお前が大きくなったら、ちゃんとベッドまで連れてってやる。…意味は分かるな?」
「…うん…」
 ブルーの頬が真っ赤に染まった。いつか望みが叶う時には、自分は、きっと…。



 今は叶わないらしい、お姫様抱っこ。
 けれどブルーには今の生での目標が出来た。前の生では思いもしなかったハーレイの背中。その広い背中に背負って貰って移動すること。
「ねえ、ハーレイ? 背負って貰う方なら学校でやってくれるんだよね?」
「お前の家だとベッドに担ぎ上げて終わりだからなあ、まあ、学校しか無いだろうな」
 だが、とハーレイはブルーの額を指先で弾く。
「それを狙って無理して学校へ来るのは無しだ。お前が寝込む姿は見たくないんだ」
「…だけど…」
「でも、も、だけど、も聞きたくはないな」
 病気になって辛い思いをするのも、苦しくなるのも、お前だろうが。
 背負ってやるのは何でもないが、その前に、お前。行き倒れるなよ、学校で……な。
 しっかり食べて、丈夫になれ。
「……うん……」
 それがハーレイの心からの望みで、ブルーの身体を気遣っての言葉なのだと分かったから。
 ブルーはコクリと頷いた。
 学校で倒れないようにしたい。ハーレイに心配させたくはない。
(…でも……)
 同じ倒れるならハーレイの前で、と子供ならではの欲張り心も顔を出す。
 お姫様抱っこは当分無理でも、ハーレイの背中。其処に背負って貰えるのならば、保健室行きも気にしない。倒れて、寝込んで、学校を休んでしまったとしても…。
(それにハーレイのスープもつくしね)
 ブルーが寝込んだ時には大抵、ハーレイが家まで作りに来てくれる。
 前の生でブルーのためだけに作ってくれていた野菜のスープ。何種類もの野菜を細かく刻んで、基本の調味料だけでコトコト煮込んだ素朴で優しい味わいのスープ。
 広い背中に背負って貰って、あの懐かしい味のスープが飲めるなら…。
(うん、それだけでとっても幸せだよね)
 ふふっ、とブルーは微笑んだ。ハーレイに心配させたくはないのだけれども、心配してかまって欲しいとも思う。いつか一緒に暮らせるようになるまでの間は、そのくらい…。
(いいよね、ちょっとくらいはね…)
 ねえ、ハーレイ?
 ちょっとくらい我儘を言ってもいいよね、ぼくはハーレイの恋人だから…。




            ぼくを運んで・了


※今はして貰えない、お姫様抱っこ。流石に色々無理がありすぎますね、これは。
 今度は背負って欲しくなったようですが、子供ならではの我儘全開かも…。
 ←拍手して下さる方がおられましたらv
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