シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。
「ハーレイの家、楽しかったのに…」
ブルーは自分のベッドの上で膝を抱えて蹲っていた。今日は初めてハーレイの家に招かれ、母が焼いてくれたパウンドケーキを手土産に提げて出掛けて行った。家の中をぐるりと一周して見せて貰ったり、ハーレイが作ってくれたシチューなども食べた。
それは楽しい時間を過ごして、明日も行きたいと思ったのに。今日は土曜日だから明日は日曜、ハーレイが家に来てくれる予定だったし、代わりに自分が訪ねて行きたいと思ったのに。
「…もうハーレイの家に行けないだなんて…」
ブルーの表情が年相応ではなかったから、と大きくなるまで来てはいけないと言われてしまって次の機会は無くなった。ハーレイにバス停まで送って貰う時から、もう悲しくてたまらなかった。
バスが来て、ハーレイと別れて乗って。手を振っているハーレイの姿が遠くに見えなくなったら涙が零れた。そのまま泣き出しそうになるのをグッと堪えて我慢した。
ハーレイの家には行けなくなってしまったけれども、それは小さい間だけ。いつか身体が大きくなったら呼んで貰えるのだし、その時はいつかやって来る。ほんの数年待つだけなのだし、何より自分は前の生より幸せだから…。
懸命に自分にそう言い聞かせて、「今日はとっても楽しかったよ」と両親に告げた。
夕食の席ではハーレイの家での出来事を笑顔で二人に話して聞かせた。素敵な時間をたっぷりと味わって来たことは事実だったし、話したいことは山ほどあった。
それでも自分の部屋に戻って、後は寝るだけになると寂しくなる。ハーレイが暮らしている家に明日も遊びに行きたかった、と悲しくなる。
(…でも、明日はハーレイが来てくれるから…。また会えるから…)
前の生でメギドへ飛んだ時には明日など無かった。
最後にハーレイの腕に触れた右の手。その手に残ったハーレイの温もりだけを抱いて逝くのだと覚悟して飛んだ。それなのにキースに撃たれた痛みが酷くて、大切な温もりを失くしてしまった。独りぼっちになってしまったと、ハーレイには二度と会えないのだと泣きながら死んだ。
あの時の絶望と悲しみを思えば、今の自分はどれほど幸せなことか。
明日もハーレイに会うことが出来て、明後日も、その先のずっと先までも…。
そしていつかはキスを交わして、本物の恋人同士になれる。結婚して共に歩んでゆく。
ほんの少しの我慢なのだ、とブルーはベッドにもぐり込んで丸くなった。
(…今は一人だけど、大きくなったら…)
いつかは一人で眠らなくてもいい日が来る。ハーレイの優しい腕に抱かれて眠れる日が来る。
ハーレイの家に行けるくらいに大きくなったら、そうなる日もきっと近いのだ…。
そんな思いで眠った次の日。約束通りハーレイが午前中からブルーを訪ねて来てくれた。普段と変わらない顔だったけれど、母がお茶とお菓子をテーブルに置いて部屋から出てゆくと…。
「ブルー、昨日はすまなかったな。…大丈夫か、あれから泣かなかったか?」
ごめんな、と大きな手で頭をクシャリと撫でられた。
「お前を呼んではやりたいんだが、色々と…な。本当にすまん」
「ううん、ぼくなら大丈夫。泣いていないよ」
本当は帰りのバスで泣きかかったけれど、ブルーは笑顔で「平気」と答えた。ハーレイがホッとしたのが分かる。自分を心配してくれていたのだ、と感じて嬉しくなる。
(…本当のことを言わなくて良かった…)
ハーレイを悲しませたくはなかったから。本当のことを告げたところで、ハーレイの家に呼んで貰えるわけではないと分かっていたから。そんな判断が出来る自分がちょっぴり誇らしく思えて、自慢したい気持ちになっていたら。
「そうだ、昨日の約束な」
ハーレイが胸ポケットに手を突っ込んだ。
「約束?」
昨日交わした約束と言えば、ハーレイの家へ二度と訪ねて行かないこと。もしかして誓約書でも作って持って来たのだろうか? そんな書類にサインしなくても、約束はちゃんと守るのに…。
(ぼくって、信用されてない?)
少しガッカリしたのだけれど。
「ほら、ブルー。約束通り持って来てやったぞ」
ハーレイがポケットから取り出したものは、折れ曲がらないように透明なケースに収めた一枚の写真。日だまりの床にチョコンと座った真っ白な可愛い猫の写真で。
「アルバムにあるか探しておくと言ってただろう? おふくろの猫だ」
「これ、ミーシャなの?」
「そうさ、お前に約束したから探してきたんだ。約束はきちんと守らないとな」
お前もだぞ、と写真をテーブルに置きながらハーレイが微笑む。
「寂しいだろうが、大きくなるまで俺の家には絶対来るなよ。前とそっくりに大きくなったら、好きなだけ遊びに来ればいいから」
「うんっ!」
ハーレイが約束を守ってくれたことが嬉しかった。ブルー自身はすっかり忘れてしまっていたというのに、写真を探して持って来てくれた。ほんの小さな約束をきちんと守ってくれたハーレイ。だから自分も応えなければ。ハーレイの家に行けないことは悲しいけれども、約束だから。
テーブルの真ん中に置かれたミーシャの写真。ハーレイの家で聞いた話に出て来たとおりの白い猫。ハーレイが生まれるよりも前から、ハーレイの母が飼っていた猫。
「可愛い猫だね、ホントに真っ白」
「この頃で何歳くらいだったかなあ…。今のお前よりも年上の筈だが」
「ええっ?」
ブルーは写真を覗き込んだ。そんな年にはとても見えない可愛らしい猫。
「お前より上には見えんだろう? それがミーシャの凄い所さ、おまけに甘えん坊だったしな? 俺の家に来た客はすっかり騙されていたもんだ。年寄り猫だとは誰も気付かん」
「それでおやつを貰えてたの?」
「可愛いですね、なんて言われてな。撫でて貰って、おやつ付きだ」
「そうなんだ…」
写真の猫は確かに可愛い。道端で会ったらブルーだって声を掛けずにはいられないだろう。声を掛けて、そっと撫でてみて。甘えてくるなら抱き上げてみて…。
「ミーシャは本当に甘えん坊でな。その辺りはお前にそっくりだったな」
「ぼく?」
「甘えん坊な所がな。…俺の方が後に生まれて来たのに、俺が学校に行き始める頃にはミーシャに甘えられていたもんだ。自分よりでかくて抱っこしてくれれば甘えていいと思ったんだろうな」
うん、本当にお前に似ている。
ハーレイは向かい側に座ったブルーを見ながら目を細めた。
「前のお前は俺より年上だったしな? それなのに俺に甘えてばかりで、本当にミーシャそっくりだった。…ミーシャと違うのは俺にしか甘えて来なかったっていう所だな」
「……ソルジャーだったし……」
「それだけか? お前が一番年寄りだったからだろ、ゼルよりもな」
「…そうなのかも……」
年長者としての遠慮も確かにあった。長老だけしかいない席では冗談なども飛び交っていたが、其処でもブルーは一番年上。砕けた口調で話しはしても、甘えた覚えは一度も無かった。
前の生でブルーが甘えられた相手はハーレイだけ。アルタミラを脱出して間もない頃から甘えていたと記憶している。誰よりも頑丈で体格の良かったハーレイは、少年の姿で成長が止まっていたブルーを壊れ物のように扱い、何かと言えば「しっかり食べろ」と言っていたものだ。
ブルーがソルジャーになってからはハーレイも敬語で話したけれども、それまではブルーを年下扱いするかのような言葉遣いが多かった…。
懐かしく遠い過去へと思いを馳せていたら、ハーレイが「おい」と呼び掛けて来た。
「まさかお前、今度は狙って生まれて来たんじゃないだろうな?」
「えっ?」
「俺より小さく生まれて来ようと、わざと後から生まれなかったか?」
怪しいぞ、と言われたブルーは「違うよ!」とムキになって反論した。
「そんなわけないよ、ぼくは小さすぎたから困ってるのに!」
しかしハーレイは可笑しそうに笑う。
「そうか? 小さすぎなければ俺がデカイ方が良かったんじゃないのか、その辺の加減を間違えて生まれてしまっただけで」
予定ではもっと早く生まれて、充分大きく育った姿で出会うつもりで…、と揶揄われると自信が無くなってきた。十四歳を迎えたらハーレイと出会う運命だったのだろう、とブルーは固く信じているのだけれど、もしかしたら、もっと大きく育った姿で再会するつもりだったかも…。
(…失敗しちゃった? 今のハーレイに出会う時にはもっと育ってる筈だった?)
前の生での姿そっくりに育っていたなら、待ち時間などは必要無かった。出会って直ぐに本物の恋人同士になれたし、ハーレイの家に来てはいけないと言われることも無かった筈で…。
「……ぼく、計算を間違えちゃった…?」
シュンとするブルーに、ハーレイが「いいじゃないか」と穏やかな笑みを浮かべて語る。
「たとえ計算ミスだとしても、俺はその方が嬉しいな。今度こそお前を守ってやれるし、俺の方が年上なんだから正真正銘、保護者になれる。教師と生徒じゃなくても、だ」
自分がブルーを何処かへ連れて出掛けるのならば立場は保護者だ、とハーレイは言った。
「実際は何処にも連れてはやれんが、海でも山でも俺が保護者ということになる。遊園地でもな。そして今は保護者として出掛けられない代わりに、将来は俺がお前の保護者になるんだろう?」
お前のお父さんとお母さんに代わって、お前をしっかり守らないとな。
軽く片目を瞑るハーレイに、ブルーの頬が赤く染まった。いつかハーレイと一緒に暮らす時にはハーレイが保護者。保護者と呼ぶのかどうかはともかく、ブルーは守られる立場なのだ。
小さすぎたのは失敗だけれど、ハーレイに守って貰える立場だと思うと嬉しい。前の生でもそうだったのだが、あの頃はハーレイの方が年下。その事実を思い出す度に心配になった。ハーレイは優しくしてくれるけれど、何処かで無理をしてはいないか、と。
(今度は心配しなくていいんだ…。ハーレイ、ホントにぼくより大きいんだもの)
ハーレイは今のブルーよりもずっと年上。倍以上も年が離れている。だから甘えても可笑しくはないし、ハーレイにもうんと余裕がある。そういったことを考えていたら、尋ねられた。
「ブルー、お前はどうなんだ? 俺よりも早く生まれていた方が良かったか? 姿は前と同じだとしても、今の姿の俺に出会うには、お前、三十七歳以上でないとな」
俺は三十七歳だから、とハーレイは自分を指差した。
「…そっか、ハーレイよりも年上だったら三十七歳以上になるんだ…」
ブルーは赤い瞳を丸くした。
自分の外見の年は前の姿で止めているにしても、三十七歳のハーレイに会うには自分の年はそれ以上でないといけない計算になってくる。
(んーと…。一歳だけ年上でも今で三十八歳なわけ? ぼくは十四歳だから、今の年に二十四年も足すの? そんなに足さなきゃいけないの?)
今の生では十四年しか生きていないが、前の生での記憶があるから二十四年という歳月の長さは見当がつく。それだけでも長すぎると思えてくるのに、ハーレイと出会うまでには三十八年という年数が必要なわけで、最小限の年齢差でさえ三十八年。
(…前と同じくらいに年上だったら…)
想像するのも恐ろしかった。そんなに長い間、一人で待てない。ハーレイに会えずに一人きりで何十年も待ちたくはないし、待てるわけがない。
「ぼく、待てないよ…。ハーレイと会うまで、そんなに待てない! 今が限界!」
十四年でも長すぎだよ、とブルーは叫んだ。出来るものなら少しでも早く出会いたかった。同じ地球の上で、同じ町で二人とも暮らしていたのに、この年になるまで会えなかった。記憶が蘇っていなかったから平気だったけれど、それでも今から思えば悲しい。
もっと早くハーレイと出会いたかった。子供扱いの期間が長くなっても、それでも幸せだったと思う。大好きなハーレイと同じ町に住んで、休日になればこうして会って…。
切々と訴えたブルーに向かって、ハーレイがニヤリと笑ってみせた。
「…俺は三十七年間ほど待ったんだが? 寂しい独身人生ってヤツで」
「ハーレイ、凄い…」
ブルーは心の底からそう思った。三十七年も待ったハーレイは偉い。今の生がどんなに充実していようと、三十七年という歳月は長い。その間、ブルーは何処にも居なかったのに。十四年前には生まれていたけれど、ハーレイとは出会えなかったのに。
「ハーレイ、一人で寂しくなかった? 独身人生とか、そんなのじゃなくて」
「ん? …そうだな、誰かが家に居てくれたらいいのにな、と思ったことなら何度もあったが…。その先を考えられなかった。俺の家には子供部屋もあるのに、嫁さんはなあ…」
全く想像出来なかった、とハーレイは不思議そうに首を傾げた。
「親父もおふくろも嫁はまだかとも言わなかったし、そのせいってこともないんだろうが…。どういうわけだか、嫁さんも子供もまるで頭に浮かばなかった。今から思えばお前のせいだな」
こんな美人を貰う予定ではどうにもならん、とハーレイが笑う。
「俺にとってはお前が最高の美人だからなあ、それ以外は目にも入らなかったんだろう。ずいぶん長いこと待たされた上に、まだまだ嫁には貰えそうもない」
「ごめんね、ハーレイ…。ぼくだったらそんなに待てないと思う…」
だから急いで大きくなる、とブルーは言ったが、ハーレイは「いや」と優しく微笑んだ。
「ゆっくりでいいさ、焦らなくてもゆっくりでいい。…俺はお前にもう会えたんだし、長い時間を待つのも慣れた。三十七年も待っていたんだ、お前の顔を見ていられるなら何年でも待てる」
「でも…」
「お前が大きくなりたいってか? そうだな、俺の家にも来られないしな、今のままだと」
だが焦るな、とハーレイの手がブルーの頭をポンポンと叩く。
「俺は小さなお前が好きだし、俺がお前を守れる大人で良かったと思う。前みたいに外見だけってわけじゃなくてだ、中身の方も俺が年上なんだ。…その年上の俺が言うんだ、子供の時間をうんと楽しめ。前に叶わなかった分まで幸せに生きて、ゆっくり大きくなるんだ、ブルー」
「…うん……」
早く大きくなりたいけれども、ハーレイが「ゆっくり」と何度も繰り返すのだし、それは大切なことなのだろう。
(…だけど、やっぱり早く大きくなりたいよ…)
どっちの方がいいのかな、とブルーは思う。ゆっくり大きくなるのがいいのか、早く大きくなる方なのか。でも、どちらでもきっと幸せになれる。大きくなったら、きっと幸せに…。
(…ハーレイより後に生まれて良かった)
テーブルの上のミーシャの写真を眺める。甘えん坊で可愛らしくても、ハーレイより年上で先に生まれていたミーシャ。前の生の自分はミーシャとまるで変わらない。年下だったハーレイの胸に縋って甘やかされて、その温かさに酔っていた。
けれど今の自分は前とは違う。ハーレイはブルーよりも遙かに年上で、立派な大人。ハーレイの方がずっと大きくて、ブルーは小さな子供に過ぎない。今はその差が悲しいけれども、ハーレイが先に生まれていたから、今度は本当に守って貰える。
前の生のようにハーレイの負担になっていないかと気にしなくていい。ハーレイは本当に守れる立場に生まれたのだし、ずっと年上なのだから。
(ちょっぴり小さすぎちゃったけど…。でも、いつか必ず大きくなるから)
そして今は行けないハーレイの家にも、何度でも呼んで貰えるようになる。またハーレイの家に行けるようになったら、本物の恋人同士にもなれる。
(…それまでは我慢しなくっちゃ…。ハーレイの家に行けないのは寂しいけれど、でも…)
ブルー自身も忘れ去っていた約束を守ってくれたハーレイ。
アルバムからミーシャの写真を探して、ブルーの家まで持って来てくれたハーレイ。
(ハーレイ、約束を忘れずにいてくれたもんね…)
だからぼくも寂しいけど、約束を守る。
いつかハーレイがいいと言うまで、ハーレイの家には行かない約束。
今のぼくはハーレイよりもずっと小さな子供だから。
ぼくより年上なハーレイの言うことはちゃんと守るよ、ハーレイはぼくより大人だから…。
白い猫の写真・了
※今回のお話はシリーズ第9話、「初めての訪問」の後日談でした、今更ですけど。
これもじっくり書いておきたかったんです。それに、ブルーとハーレイの絆も。
先に生まれて待っていたハーレイ。今度こそブルーは本当に甘えていいのです。
そして、このお話。
管理人的には「すっげえターニングポイント」ってヤツです、どうでもいいですが。
このお話のプロットを作ろうとしていた日の朝、別のプロットが頭にありました。
そこで「おっと、牛乳瓶、出しておかないと」と玄関先に向かった管理人。
牛乳配達用の箱の蓋をパタンと閉めた瞬間、プロットを綺麗に忘れていました。
どう頑張っても思い出せなくて、「まあいいか」と別の話を作ったわけですけれど。
あの日、牛乳配達用の箱にプロットを突っ込まなかったら、連載は残り僅かでした。
牛乳瓶と一緒に突っ込んだばかりに、別の方向へと向かったお話。
御存知の方は御存知でしょうが、ストック、100話をとっくに超えてます。
別コンテンツとのしがらみで「出せずにいる」という小心者です、ここ、別館だし…。
144話目を某ピクシブにフライングでUPしてみました。
「早くそこまでUPして!」という方がおられましたら、拍手から一言お願いします~!
←pixivへは、こちらからv
←拍手やコメント下さるなら、こちらv
←聖痕シリーズ書き下ろしショートは、こちらv
それは十四歳の小さなブルーがメギドでの出来事を夢に見て飛び起きてしまった夜のこと。前の生での悲しすぎた最期をもう何度夢に見ただろう。その度にとても怖くなる。自分は本当に生きているのかと、何もかもが儚い夢ではないかと。
(…怖いよ、ハーレイ…)
ハーレイに側に居て欲しい。ブルーは確かに生きているのだと、強く抱き締めて教えて欲しい。前世よりも小さな今の身体が本物なのだと、メギドで撃たれた身体の代わりに手に入れたのだと。
けれどハーレイの家は何ブロックも離れた所で、夜の夜中に一人で行くには遠すぎた。前の生と違って瞬間移動が出来ないブルーには越えられない距離。ハーレイだけに届く思念も紡げない。
(…会いたいよ、ハーレイ…。怖いよ、ハーレイ…)
側にいてよ、と涙を零してもハーレイが来てくれるわけもない。ハーレイの家はとても遠いし、そうでなくても「来てはいけない」と言われてしまった。一度だけ出掛けたハーレイの家。其処でブルーが見せた表情が年相応ではなかったとかで、大きくなるまでは行けなくなった。
そういったことを考えてゆけば「今」は確かにあるのだけれど。
その「今」が揺らぎそうになる。ハーレイとの日々はメギドで死んだソルジャー・ブルーが見ている夢で、十四歳の小さな自分は地球に行きたかった彼の魂が作り出した幻なのではないかと。
気が付けば全てが消えていそうで怖かった。自分は死んで独りぼっちで、ハーレイも今の両親も誰もいなくて、この部屋も家ごと消えてしまって…。
(怖いよ、ハーレイ…。側にいてよ…)
会いたいのに、と泣きながらブルーは眠りに落ちていった。前の生の最期にハーレイの温もりを失くして凍えた右の手をキュッと握り締め、その手をいつも温めてくれるハーレイの大きな温かい手を思い浮かべて…。
怖くて恐ろしくてたまらなかったのに。辛くて悲しくて寂しかったのに、何故か優しい温もりに包まれ、それを求めて縋り付いた。すると温もりはブルーをすっぽり包んでくれて、暖かな眠りが訪れる。温もりが何なのか分からないけれど、恐ろしさも怖さも何処かへ消えた。
(…気持ちいい…)
それに温かい、と心地よい温もりに身体を擦り寄せ、それに包まれてぐっすり眠った。そうして夜が明け、ぱっちりと目を覚ましてみたら。
「…あれ?」
夢だとばかり思っていた温もりがまだ側に在る。どうしてだろう、と見回してみるとハーレイの腕の中に居た。これも夢かと瞬きをしたが、ハーレイは消えるわけではなくて。
(そっか、ハーレイ、来てくれたんだ…!)
怖い夢を見て泣いていたから、気付いて来てくれたのだろう。もう嬉しくてたまらない。幸せな気持ちが溢れ出すままに、ハーレイに向かって微笑みかけた。
「…おはよう、ハーレイ。もしかして、気が付いて来てくれた…?」
ところがハーレイの答えはブルーが予想だにしなかったもので。
「違う、来たのはお前の方だ。…お前がいるのは俺のベッドで、この家は俺の家なんだが…」
言われた途端に気が付いた。自分のベッドよりも大きなベッド。ならば自分は飛んで来たのだ。出来ない筈の瞬間移動で空間を超えて、ハーレイの家まで。
(ぼく、飛べたんだ…!)
ハーレイの家まで飛んで来られた。喜びで胸が弾けそうになる。昨夜見た夢は怖かったけれど、ハーレイはちゃんと目の前にいる。ハーレイの家も本当に在る。この幸せな今が現実。
「ハーレイ…!」
大きな身体に抱き付き、広い胸に頬を擦り寄せた。もう今度から怖い夢を見ても大丈夫。自分は飛ぶことが出来るのだから、こうして飛んで来ればいい。
そう言ったらハーレイは「怖い夢を見たらいつでも来い」と許してくれたし、普段は来られないハーレイの家も夢を見た時は例外にして貰えるのだろう。
嬉しくて幸せでたまらないのに、ハーレイは何処か遠い目をしていて。
「…ハーレイ? どうしたの、何か迷惑だった?」
心配になって尋ねれば、苦笑いしながら。
「い、いや…。今日は学校は休みだったな、と思ってな」
朝飯にするか? と訊かれてブルーはコクリと頷いた。そういえば今日は土曜日だった。学校のある日でなくて良かった、とブルーも思う。ハーレイの家で一緒に朝食を食べられるのだから。
「よし、お前のために腕を奮うとするか。これでも料理は得意なんだぞ」
沢山食べて大きくなれよ、とハーレイがブルーの髪をクシャクシャと撫でてベッドから降りた。そのハーレイが徹夜でブルーへの欲望と戦っていたことをブルーは知らない。だから急いで自分もベッドから降り、ハーレイの腕にギュッと抱き付く。
「こらっ、俺はこれから歯磨きと着替えだ! ついてくるなよ!」
「なんで?」
「お前の視線は心臓に悪い!」
此処で待ってろ、と二階の寝室から一階のリビングへ連れて行かれた。ソファに座らされ、目の前の床にスリッパが置かれる。
「足が冷たいなら履いていろ。裸足でもいいぞ」
じゃあな、と出てゆくハーレイは裸足。シャングリラに居た頃と違って、今の生では家の中では靴は履かないのが基本だった。来客用のスリッパをじっと見詰めてから、履かない方を選択する。次はいつ来られるか分からないハーレイの家なのだから、素足で床を感じていたい。
(…ふふっ、フカフカ)
リビングに敷かれた絨毯の柔らかな感触を味わい、それから部屋をあちこち眺めた。壁際の棚のトロフィーはハーレイが柔道や水泳で勝ち取ったもので、前に来た時に見せて貰った。ハーレイの好みらしい落ち着いた壁紙などは前の生でのハーレイの部屋を思わせる。
キョロキョロしていると、半開きの扉の向こうからハーレイの声が聞こえて来た。
「ええ、ええ…。はい、怖い夢を見たのが引き金だったようで…」
(あれ?)
ぼくのことだ、と耳をそばだてた。話している相手は多分、母か父。
「大丈夫です、後で送って行きます。…元々、伺う予定でしたから」
ご心配なく、という声を最後に会話は終わって、暫く経って。
「待たせたな、ブルー。食事にしようか」
着替えを済ませたハーレイが来て、「寒くないか?」と訊かれたけれど、パジャマ姿でも風邪を引くような季節ではない。
「うん、平気!」
「すまんな、お前が着られそうな服は無いからなあ…。じゃあ、飯にするか」
こっちだ、とダイニングに向かうハーレイの腕にブルーはまたしても抱き付いていた。
ハーレイの家を一度だけ訪ねた時に、二人で昼食を食べたテーブル。そこの椅子の一つに座ったブルーに、ハーレイが隣のキッチンから声を掛けてくる。
「ブルー、オムレツの卵は何個……って、訊くまでもないな、一個だな?」
「ハーレイ、二個なの?」
驚いたものの、身体の大きなハーレイだったら自分の倍は食べるだろう。そう思ったのに。
「それだけじゃ足らんし、俺はソーセージも焼くんだが」
「……嘘……」
「ということは、お前、ソーセージは要らないんだな? うんうん、分かった」
すぐ作るからな、と笑いの混じったハーレイの声。やがてホカホカと美味しそうな湯気を立てるオムレツの皿が運ばれて来て、大きい方のオムレツの皿にはソーセージが一緒に乗っかっている。
(…凄いや…。ハーレイ、朝からこんなに食べるの?)
トーストだってハーレイの分はうんと分厚く、ブルーのトーストは薄くてたったの一枚。そう、ハーレイのトーストは分厚くて二枚。
「ブルー、ミルクはこれに一杯でいいか?」
温めるか、と出て来たマグカップの大きさにブルーは仰天した。いつも家で使っているカップの倍くらいは入りそうな大きなカップ。そんなカップに一杯だなんて言われても…。
「そ、それの半分くらいでいいから!」
「遠慮しなくていいんだぞ? お前、大きくなりたいんだしな」
勢いよくミルクを注ぎ入れるハーレイを「ダメ!」と叫んで必死に止めたら、「冗談だが?」とニッと笑われた。
「これは俺のだ。お前にはこっちで充分だろう」
普通サイズのカップが出て来てホッとするブルーに、ハーレイがクックッと喉を鳴らした。
「お前、これだけしか飲めないのか…。そんな調子じゃ、いつになったら育つやら…」
「もうすぐだよ!」
「どうだかな? 朝食ってヤツは大事なんだぞ、それがこんなにちょっぴりではなあ…」
俺ならとても昼まで持たん、とハーレイは豪快に食べ始める。オムレツにソーセージ、ミルクもたっぷり。分厚いトースト、サラダもブルーの倍以上はあった。どれもとっても美味しいけれど。
(…あんなに沢山、食べられないよ…)
幸せだけれど、少し悔しい。お前はまだまだ小さいままだ、とハーレイにからかわれてしまったようで…。
朝食が終わるとハーレイが手際よく後片付けを済ませ、「さてと、お前を送らないとな」と口にしたものの。自分のベッドから瞬間移動をして来たブルーはパジャマしか着てはいなかった。家の中なら問題は無いが、ブルーの家まで車で移動をするにしても…。
「うーむ…。お前の服をどうしたもんかな…」
ハーレイはブルーの姿を眺めて考え込んだ。デザインは普通のシャツに見えるし、襟だって一応ついている。一見してパジャマと分かりはしないが、パジャマには違いないわけで。
(…だが、俺のシャツを貸した方が余計に変だよな? 致命的にサイズが違うしな…)
上から羽織るものでもあれば、と思ったけれども、良いものを全く思い付かない。バスタオルは却って可笑しいだろうし、毛布の類は言わずもがなだ。
「ハーレイ、ぼくはこのままでいいよ?」
ハーレイの服は着られないでしょ、とブルーが自分のパジャマの襟を引っ張りながら。
「パジャマなんです、って言わなかったら普通のシャツに見えると思うし」
「どうだかなあ…。しかし、それしか無いようだな。仕方ない、堂々と座っていろ」
「うん、そうする」
裸の王様みたいだね、とブルーはニッコリ微笑んだ。裸という言葉にハーレイの心臓がドキリと跳ねたが、それはブルーがベッドに飛び込んで来てから徹夜で己の欲望と戦い続けていたからで。
(…いかん、童話のタイトルに反応していてどうする!)
己を叱咤し、ハーレイはブルーの足元に目をやった。スリッパを履いていない裸足の足。小さな足に合うサイズの靴は家には無い。服はパジャマで済ませるとしても、裸足で外には出られない。
「…俺の靴ではデカすぎるしなあ…」
ハーレイの呟きに、ブルーも自分の足を見た。ハーレイの足より遙かに小さい自分の足。
「でも、ハーレイの靴しかないよね?」
「脱げちまいそうだな、いっそスリッパにしておくか? 一足くらいならダメになっても…」
ハーレイが言うスリッパは来客用のもの。本来は家の中で履くものなのだが、ブルーのためなら一足くらい外に出しても、と考えた。それならばブルーの足にも合う。けれど…。
「もったいないよ!」
ブルーが叫んだ。
「それにハーレイの靴、履いてみたいよ、脱げてもいいから」
「履いてみたいって…。お前…」
「ぼく、ハーレイの恋人だもの! ハーレイの靴、履いてみたいな…」
ダメ? と上目遣いに強請られ、ハーレイは折れた。ブルーの愛らしく小さな素足に自分の靴という美味しい眺めはハーレイ自身も惹かれるものがあったから…。
こうして履物は決まったのだが、いざ履いてみるとハーレイの靴はブルーの足には大きすぎた。歩けば小さな足だけが前に出てゆき、重たい靴が取り残される。これでは駄目だと最初の案だったスリッパに手を伸ばすハーレイをブルーが「待って」と止めた。
「ハーレイ、あれは?」
指差す先に大きなサンダル。ハーレイが愛車を洗う時などに履くもので、お世辞にも綺麗だとは言い難い。もちろん綺麗に洗ってはあるが、使用感があると言うべきか。
「あれか? …あれは洗車と水撒き用ので、外に出掛ける靴じゃないしな…」
「あれでいいよ」
決めた! とブルーはピョコンと飛んだ。サンダルの上に着地し、両足に履いて一歩踏み出す。
「うん、これだったら大丈夫! 引っ掛かるから!」
でも大きい、と自分の足の周りに余ったスペースをまじまじ見回しているブルー。
「そりゃ大きいさ、底の面積は靴よりもうんと広い筈だぞ」
「そうなの? 靴もずいぶん大きかったけど…」
脱げちゃうんだもの、と借りそびれてしまった靴を見つつも、ブルーは満足そうだった。たとえサンダルでもハーレイが普段、履いている物。それを自分が履いているのが嬉しいのだろう。
(しかし本当に小さな足だな…)
ハーレイの唇に笑みが零れる。前の生のブルーも細くて華奢だったけれど、今のブルーはもっと小さい。ハーレイの大きな靴を履かせても、その眺めに胸が高鳴る代わりに愛らしさばかりが目につくほどに…。
パジャマ姿で、足にはハーレイの大きなサンダルを履いて。ブルーはドキドキしながら離れ難いハーレイの家の玄関から出た。次に来られるのはいつだろう?
(また来たいけど…。でも、どうやって飛んで来たのか分からないしね…)
恐ろしい夢を見ないと来られそうになく、必ず来られるわけでもない。メギドの夢なら今までに何度も見たのに、飛んで来られたことは一度も無い。
(…当分、来られないのかも…)
名残惜しげに覗き込んでいた扉をハーレイが閉めて鍵をかけた。
「さあ、行くか。お前、俺の車は初めてだったな」
「うんっ!」
ブルーの胸のドキドキは車のせい。前に来た時には見ていただけのハーレイの車。学校の駐車場でも目にするけれども、乗せて貰えるとは思いもしなかったハーレイの車。
ハーレイと二人で庭を横切り、ガレージに行って。助手席のドアを開けて貰ってハーレイよりも先に乗り込んだ。ブルーの身体には些か大きすぎるシートだったが、座り心地はいい。
(…ふふっ)
まさかハーレイの車に乗れるなんて、と嬉しい気持ちがこみ上げて来る。ハーレイのサンダルにハーレイの車。パジャマ姿でも気にしない。
「おいおい、なんだか嬉しそうだな」
隣に乗り込んだハーレイがエンジンをかけながら言うから、「うん!」と答えた。
「だって、ハーレイの車だもの」
「なるほど、ちょっとしたドライブ気分か」
行くぞ、とハンドルを握るハーレイ。
「シャングリラみたいに飛びはしないが、車もけっこう面白いもんだ」
走り出した車はゆっくりと住宅街の中を抜けてゆく。前にハーレイに「もう来てはいけない」と言われたブルーが、それを告げたハーレイに送られてションボリと歩いて帰った道。あの時と同じ道をまたハーレイと通っている。今度はハーレイが運転する車に乗って。
(…夢みたいだ…)
ハーレイの車、とドキドキしているブルーはろくに景色も見ていなかった。真っ白な猫が尻尾をピンと立てて道を横切り、ハーレイが「おっ!」と声を上げても生返事。
「ブルー、今の猫、ちょっとミーシャに似ていたな……って、聞いちゃいないか」
見えてもいないな、とハーレイは苦笑しながら助手席に座った恋人をチラリと横目で眺める。
(まったく、何を見ているんだか…。そんな所も可愛いんだが)
この小さすぎる恋人を本物のドライブに連れ出せる日はいつのことやら、と考えつつハンドルを握るハーレイの横顔をブルーがドキドキしながら見詰める。
(…かっこいいよね…)
シャングリラに居た頃は、舵を握るハーレイに見惚れていることは出来なかった。ハーレイとの仲を悟られないよう、常にソルジャーの貌をしていた。
(あの頃もこういう顔だったのかな、キャプテン・ハーレイ…)
それとも今は自分を隣に乗せている分、優しい顔をしているだろうか? あるいは穏やかで甘い顔なのか、運転中だから厳しいのか。
(…よく分からないや…)
もっと見ていたい、とブルーは願う。家までの道が少しでも混んでいるように。信号で少しでも長く止まっているように…。
けれど夢のドライブは呆気なく終わってしまって、気付けば見慣れた住宅街。ブルーの家を取り巻く生垣が見えたかと思うと、ハーレイが車を来客用のスペースに入れる。もう少しだけ、と強く願ったのに、車は停まった。
「ブルー、着いたぞ。…ほら、お母さんだ」
そう言いながらハーレイが運転席から降りて助手席のドアを開けてくれたから、ブルーは車から出るしかなかった。ハーレイの大きなサンダルを履いた足を地面に下ろせば、扉を開けに来ていた母が「あらっ!」と気付いて声を上げる。
「ハーレイ先生、すみません、ブルーが色々とご迷惑を…。この子ったら、もう、パジャマだけで靴も履かないで…! ブルー、靴を持ってくるから其処にいなさい」
パタパタと急いで戻って行った母は直ぐにブルーの靴を持って来て履き替えさせた。ハーレイの大きなサンダルがブルーの足から消えて無くなる。
(…ハーレイのサンダル…)
もう少し履いていたかったのに、と思う間も無くサンダルは消えた。ハーレイの手がサンダルをヒョイと掴んで助手席の床に放り込み、ドアをバタンと閉めてしまった。さっきまでブルーが独占していた乗り心地のいいシートもサンダルと一緒にドアの向こうに消えた。
「ブルー? ハーレイ先生にきちんと御礼を言うのよ」
そして急いで着替えなさい、と指図する母はハーレイにしきりに謝っている。家の中から父まで出て来た。「ハーレイ先生、すみません!」と謝りながら。
「いえいえ、どうせついでですから」
今日はこちらに来る日でしたし、とハーレイは両親と挨拶を始めてしまって、ブルーの大好きな恋人の顔ではなくなった。そう、今のハーレイは「ハーレイ先生」。
(…なんだか魔法が解けたみたいだ…)
ハーレイのサンダルを脱いでしまったら魔法が解けたシンデレラ。お姫様ではないのだけれど、そんな気持ちがしてしまう。魔法のサンダルを探してハーレイの車を覗こうとしたら、母の声。
「ブルー、いつまでパジャマで立ってるの? それとハーレイ先生に、御礼!」
「う、うんっ! …ありがとう、ハーレイ。それに、ごめんね」
頭を下げると「いいや」と大きな手でクシャリと頭を撫でられた。
「さあ、着替えて来い。俺は後からゆっくり行くから」
「はーい! ハーレイ、また後でね!」
魔法が解けてしまった小さな足にサイズぴったりの自分の靴。ブルーはハーレイに向かって手を振り、玄関の方へと駆け出した。魔法の時間は終わったけれども、今日は一日、ハーレイと一緒。此処は夢でもメギドでもなくて、青い地球の上。
(ずっとハーレイと一緒なんだよ)
これから先も、ずっと、ずっと、ハーレイと一緒。いつかハーレイと結婚して……。
夢のような朝・了
※今回のお話はシリーズ第2話、「君の許へと」の裏話でした、今更ですけど。
一度じっくり書きたかったのです、あの日の二人の朝御飯とかを。
ブルーの足には大きなサンダル、パジャマ姿でも幸せな朝。
←拍手してやろうという方は、こちらv
←聖痕シリーズの書き下ろしショートは、こちらv
前の生の最期にハーレイの温もりを失くしたブルー。メギドへと飛ぶ前、ハーレイの腕に最後に触れた右手に残った温もりを抱いて逝くつもりだったのに、撃たれた痛みで失くしたブルー。右の手が冷たいと、独りぼっちになってしまったと泣きながら死んだ前の生のブルー。
その悲しみを覚えているから、ブルーは右の手をハーレイが握ってやると喜ぶ。温もりが戻って来たと幸せそうな顔で微笑む。
凍えた右手が前世の最後の記憶だったから、右手を握ることが一番多いのだけれど。ハーレイと再会した時にブルーの身体に浮かび上がったメギドで撃たれた時の傷痕。小さな身体を血に染めた傷痕が現れた場所に手を当ててやることもブルーは好んだ。
後ろからそっと抱き締められて、両方の肩に、左の脇腹に、順に当てられてゆくハーレイの手。最後に撃たれた右の瞳に手を当ててから、ハーレイはブルーの右の手を握る。傷の痛みで失くしてしまったという温もりを移してやるために。
メギドでブルーが撃たれた傷痕。キースが弾を撃ち込んだ数も、容赦なく撃ちながら狙った順もハーレイはすっかり覚えてしまった。
小さなブルーはもちろんだけれど、ソルジャー・ブルーだった頃のブルーも細くて華奢な身体をしていたというのに、そんな身体に何発もの弾を撃ち込むとは、何処まで残虐な男なのか。獲物を狩るような気持ちで楽しみながらブルーを撃ったのだろうか、と考えてしまう。
死の星だった地球でキースに再会した時は、ブルーの死の真相など知らなかった。だから冷静に会談に臨むことが出来たが、彼がブルーをどう扱ったかを知っていたなら、どうなったことか。
キャプテンとしての立場も忘れてキースを罵り、あるいは殴っていたかもしれない。八つ裂きにしても足りないくらいに憎いけれども、あの時のハーレイは知らなかった。目の前の男がブルーを撃ったことも、その傷の痛みのせいでブルーがハーレイの温もりを失くしたことも。
皮肉なことに、ハーレイが全てを知った時にはキースは何処にも居なかった。遙かに過ぎ去った時の彼方で英雄になってしまっていた。人類とミュウとの和解を促し、SD体制を終わらせた男。遠い日にブルーを撃った男は、生ある間にブルーに心で詫びただろうか。
それすらも今は分からない。自分もブルーも青い地球の上で新たな生を生きているのだし、前の生での恨み言など口にしても仕方ないのだけれど。過ぎたことだと思いたいけれど、ブルーを抱き締めて傷の痕に順に手を当ててゆく時、ハーレイの胸がキリリと痛む。
ブルーが味わった苦痛と悲しみ。それをブルーに与えた男を殴ることすらしなかった自分。
知らなかったからと済ませてしまうには、あまりにも苦しい戻れない過去。
ミュウと人類の懸け橋となったキースを憎むわけにはいかない。ブルーもまたキースを恨んではいない。
キースを殴れる機会は二度と来ないし、殴るべきでもないのだが…。
今となってはどうしようもない遠くへ流れ去ってしまった時間。小さなブルーの身体に順に手を当てる時は温もりを移すことだけを…、と考えていても、たまにこうして囚われる。過去に戻ってキースを捕まえ、力の限りに殴りたくなる。
(…どうして気付かなかったんだ…。あいつがブルーに何をしたのか、あの時、俺が気付いていたなら…!)
思わず腕の中のブルーを強く抱き締め、愚か過ぎた過去の自分を激しく悔やむハーレイの耳に、遠慮がちな声がかけられた。「…ハーレイ?」と呼び掛けてくるブルーの声。
「ねえ、ハーレイ…。どうかしたの?」
いつから呼ばれていたのだろうか。我に返ったハーレイの顔をブルーが心配そうに見上げる。
「考えごと? 今日はもしかして忙しかった?」
「…いや、なんでもない。すまん、傷の手当てが途中だったな」
後は右目か、とブルーの左の肩に当てていた手を離し、その手で右目を覆おうとしたら。
「ハーレイ。…キスは額と頬っぺたしかダメ?」
唐突なブルーの言葉に、ハーレイは驚いて動きを止めた。
「キス?」
「うん。ハーレイ、いつも言ってるよね? ぼくへのキスは頬と額だけだ、って」
「その通りだが?」
いきなり何を言い出すのか、とブルーを見下ろす。今はブルーがメギドで受けた傷痕を順に辿る途中で、キスをせがまれるような覚えは無かった。しかしハーレイが暗澹たる思いに囚われていた間に、ブルーの方も考えごとをしていた可能性はゼロではなくて。
(…キスというのが怪しいな…)
ハーレイが傷の痕に手を当ててゆく時、ブルーはいつも目を閉じている。手のひらから伝わってくる温もりを逃してしまわないよう、余さずその身に取り込めるよう。全身で温もりを感じる内に心地よさに酔い、前の生の自分と重ねてしまうのか、キスを強請ってくることもあった。
そういう時には腕を絡ませてくるのが常なのだけれど、何度も「駄目だ」と叱り付けただけに、戦法を変えて来たかもしれない。此処は軽くあしらっておくに限る、と判断をして。
「なんだ、手の甲にでもキスしろってか?」
お姫様か、と冗談めかして言えば、「そうじゃなくって…」とブルーが返した。
「手の甲じゃなくて、右目、ダメかな?」
「右目?」
ハーレイは思わず目を見開いた。
ブルーが最後に撃たれた右目。サイオンシールドで防ぎ切れなくて撃たれてしまった。その時の痛みがハーレイの温もりを完全に消してしまったという。
今は傷痕すら無いブルーの右の目。けれどハーレイは小さなブルーの瞳から流れた血の色の涙を覚えている。あれが全ての始まりだった。ブルーの身体に撃たれた傷痕が浮かび上がって、夥しい血が溢れ出して…。駆け寄り、抱え起こした瞬間、自分が誰かを思い出した。
メギドで撃たれたブルーは右の瞳も、ハーレイの温もりも失くしてしまった。その痕跡を微塵も留めていない瞳で、小さなブルーがハーレイを見詰める。
「次に温めてくれる場所って、右目だよね? ハーレイの手だと大きすぎるよ、いつも言ってる」
「そうだな、文句を言われるな。肝心の目が温まらないから指で触れ、と」
ブルーの右目を覆って温めてやるには、ハーレイの手は大きすぎた。顔の半分を覆わんばかりの手は額や頬を温めはしても、窪んだ目には届かない。ついつい忘れて手で覆っては苦情を言われ、指を揃えて瞼を温めることになる。
「…それね、指先だけで温めて貰うよりキスがいいな、って思ったんだけど…」
ダメ? とブルーは小首を傾げた。
「ハーレイ、キスはやっぱり額と頬っぺたにしかしてくれない?」
「…お前の右目か…」
ハーレイは暫し考え込んだ。ブルーへのキスは頬と額だけだと決めていたけれど、それは唇へのキスを欲しがるブルーを戒めるため。まだ十四歳にしかならないブルーに唇へのキスは早過ぎた。しかし瞼はどうだろう?
(…前は何度もキスしてたんだが…)
前の生では宝石のようなブルーの瞳が愛おしくて瞼にキスを落とした。おやすみのキスも幾度となく瞼に落としてやった。頬と額へのキスも、瞼へのキスもさして変わりはないとも思える。
(…それに右目だしな…)
ブルーが最後に撃たれた右の目。
小さなブルーがそれを語るまで知らなかったが、キースは薄い笑いさえ浮かべて撃ったという。勝ち誇ったように「これで終わりだ」と言い放って。
あの頃のキースのやり口からして、如何にも最後に撃ちそうな場所。ブルーの息の根を止めるのではなく、ただ悪戯に傷つけ、貶めるために。無意味に苦しめ、優越感を味わうために。
強い意志を宿して煌めいていたブルーの瞳。
深い憂いと悲しみとを底に湛えてもなお、美しく澄み切っていたブルーの瞳。
それを撃つなど狂気の沙汰だ。どうすれば撃つことが出来るというのだ、あの瞳を。
あの忌まわしいキースしか撃てない。あの悪魔にしか撃てるわけがない…。
「……ハーレイ?」
またしても自分の思いに囚われてしまったハーレイの心をブルーの声が呼び戻す。十四歳にしかならない小さなブルーが愛くるしい瞳で見上げてくる。
ソルジャー・ブルーだった頃とは違うけれども、ハーレイを捕えて離さない瞳。撃たれた痕跡を残してはいない、一対の赤く輝く宝石。その宝石の中にハーレイの姿が映っている。
「ハーレイ、右目はやっぱりダメ?」
少し悲しそうな色を浮かべる赤い瞳は、前の生で潰れてしまった右目。キースに撃たれて潰れた右の目。それを思うとたまらなくなる。その場を見てはいないけれども、この瞳が潰されてしまうなど耐えられはしない。決して潰してはならないと思う。だから…。
「…分かった。右目はキスがいいんだな?」
「うん」
嬉しそうにブルーが頷いた。
「キスだけでいいよ、じっと温めてくれなくてもいい」
「当たり前だ。…そういうキスをしろと言うなら俺は断る」
額や頬と同じキスだからな、とハーレイはブルーに念を押した。触れるだけのキスを軽く落とすだけで、温めるためのキスではないと。
「…じゃあ、お願い」
よろしく、とブルーが瞳を閉じる。それ自体は普段と変わらないもので、傷痕に順に手を当てる時のブルーの習慣。現にさっきまでも目を閉じていたし、何ら問題無いのだが…。
(…お、おい…。この状態でキスなのか?)
右目へのキスを承諾したものの、ハーレイは窮地に陥った。
頬や額へのキスと同じつもりでいたのに、何かが違う。ブルーの瞳が閉じているだけで胸の奥が微かに波立ってくる。
(…こ、これは……)
額や頬にキスを落としてもブルーは目を閉じてしまうけれども、最初から目を瞑ってはいない。目を閉じてキスを待ってはいない。それなのに今は二つの宝石が見えない状態。
これでは、まるで…。
(…どう見てもキスを待ってるんだが! いや、本当に待っているんだが!)
ブルーの注文は右目へのキス。右の瞼に落とされるキス。それを待って瞼を閉じているのだが、ハーレイの心はあらぬ方へと向かってしまう。
前の生でブルーが瞳を閉じてキスを待っている時、それはおやすみのキスでは無かった。
頬や額へのキスでもなくて、待っていたのは恋人同士が交わすキス。唇を重ねる本物のキス。
(…ま、まずい……)
こんな筈では、と焦れば焦るほど前世の記憶が蘇ってくる。ブルーと交わした本物のキス。瞳を閉じて待つブルーの顎を捉え、そうっと唇を重ねた記憶。噛み付くようにキスしたこともあった。
美しかったソルジャー・ブルー。
幼い顔立ちの小さなブルーとは違うのだ、と分かってはいても重なって見える。その内面を映し出す瞳が見えないせいで余計に二人が重なってしまう。ソルジャー・ブルーと小さなブルー。前の生で愛したソルジャー・ブルーと、今の愛らしい小さなブルーが。
(…こ、これは厳しい…)
キスをしなければならない右の目。それなのに唇にキスしたくなる。右の瞼にキスする代わりに唇にしてしまいそうになる。そんなハーレイの心を知ってか知らずか、ブルーの唇が小さく動く。
「ハーレイ、まだ?」
「…あ、ああ…」
キスだったな、と返して咳払いをするのが精一杯だった。
ブルーには少し待っていて貰おう。ざわめく心が凪いでくるまで、胸の鼓動が鎮まるまで…。
無理難題を持ち出したブルーの方には、ハーレイを困らせる気など全く無かった。本物のキスを強請る気も無く、右目へのキスが欲しかっただけ。
前の生の最期に撃たれた右の目。それまでに撃たれた傷の痛みも酷かったけれど、弾を防ごうと張ったシールドを貫かれるとは思わなかった。弾が飛んで来るのが見えていたのに、避けるだけの力がもう残ってはいなかった。
右の瞳に走った激痛。真っ赤に塗り潰された視界は直ぐ闇に変わり、右目を失くしたと気付いた時には右の瞳よりも大切なものを失っていた。右の手に残ったハーレイの温もり。最期まで抱いていようと思ったハーレイの温もりを痛みで失くした。
持てるサイオンの全てをぶつけてメギドを破壊したけれど。
メギドの制御室に満ちた青い光とサイオン・バーストの光との中で、ブルーは独りきりだった。ハーレイの温もりがあれば一人ではないと思ったのに。ハーレイからは遠く離れた場所でも、心は最期まで共に在るのだと思っていたのに。
ハーレイの温もりを持っていた筈の右手は冷たく凍えて、ブルーは独りぼっちになった。右手が冷たいと泣きじゃくっても、温もりは戻って来なかった。
独りぼっちになってしまったと、右手が冷たいと泣きじゃくりながらブルーは死んだ。
あの時、右目さえ撃たれなければ。
右の瞳さえ撃たれなければ、ハーレイの温もりを持っていられた。傷の痛みの前に薄れて微かなものになってしまってはいても、まだハーレイの温もりは在った。それがあればブルーは一人ではなくて、ハーレイと共に居た筈なのだ…。
(…右目が最悪だったんだよ、うん)
だから温めて欲しいと思った。ハーレイの武骨な指で温めて貰うのも好きだけれども、たまにはキスが欲しいと思った。額と頬にしか貰えないキス。それでも心が温かくなる。幸せで胸が一杯になる。ハーレイの温かな唇が降ってくるだけで。柔らかな感触が触れてゆくだけで。
(…まだかな、キス…)
欲しいんだけどな、と待ちくたびれて「ハーレイ、まだ?」と促した。そうしたら…。
「…あ、ああ…。キスだったな」
ハーレイらしくない少し狼狽えた声と、咳払い。おまけにキスはまだ貰えない。
(……なんで?)
いったい何がダメなんだろう、とブルーは懸命に考えた。やっぱりキスは頬と額にしか貰えないもので、右目といえども例外ではないということだろうか?
日頃から唇へのキスを強請っているくせに、小さなブルーは気付かなかった。今の状況が唇へのキスを待っているのとそっくり同じであることに…。
「…ねえ、ハーレイ…」
やっぱりダメ? とブルーはパチリと目を開けた。ソルジャー・ブルーの瞳とは違う、無邪気な光を湛えた瞳。それは追い詰められていたハーレイを救うには充分すぎる煌めきで。
「こら、目を開けたらキス出来んだろう!」
「ごめんなさいっ!」
慌ててギュッと瞑った瞼にハーレイのキスが降って来た。
キースに最後に撃たれた右の目。瞳と一緒にハーレイの温もりまで失くしてしまった悲しすぎる記憶。その右の目を癒すかのように温かな唇が優しく触れて、心がじんわり温かくなった。ほんの一瞬、触れて離れていった唇。それでもとても嬉しくなる。手で温めて貰うよりも…。
(うん、これからは右目にはキス!)
それがいいな、とブルーは瞳を閉じたままウットリと考えていたのだけれど。
ハーレイの方は夢見心地のブルーの顔をまともに見られず、不自然に目を逸らしていた。
(…まずいぞ、やっぱりこのパターンはまずい)
ブルーが子供らしい表情でダメ押しをしたからキス出来たものの、次回は上手く運ぶかどうか。それに毎回、躊躇してはブルーに強請られてキスということになったら、ブルーもいつかは気付くだろう。何故ハーレイがキスを躊躇うのか、その裏に隠された事情なるものに。
(…そうなったら絶対、こいつは調子に乗ってくるんだ)
何かといえば「キスしていいよ?」と口にするブルー。普段は鼻であしらっているが、右目へのキスにかこつけて目を瞑ったまま言われたら…。
自分がそれでキスをするとは思わない。そうしないだけの自制心はある。けれど波立ち騒ぐ心をその度に抑えつけ、穏やかな笑みを浮かべ続けることは拷問に近い。だから…。
「…ブルー、悪いが……」
お前へのキスはやっぱり、頬と額だけだ。
そう告げられたブルーは心底ガッカリしたのだが、元々、キスはそういう約束。
「…うん、分かった…」
とても温かかったのに、と残念がるブルーの右の手をハーレイが握る。
「ほら、ブルー。最後は右手を温めるんだろう?」
「うんっ!」
ハーレイの温もりを失くした右の手。前の生の最期に凍えてしまったブルーの右の手。
その手にハーレイは温もりを移す。ブルーが気に入ったらしい右目へのキスをしてやれない分の謝罪をこめて。
どうかブルーの今度の生が幸せなものであるように。
この手が二度と凍えないよう、何処までも自分が守ってやるから、と……。
右目へのキス・了
※ブルーの瞳が閉じているだけで、瞼へのキスを躊躇うハーレイ。無理もありませんが。
その原因に全く気付かないブルー、まだまだ小さなお子様ですね。
※聖痕シリーズの書き下ろしショート、50話を超えました。何処まで行くのやら…。
←拍手してやろうという方は、こちらv
←聖痕シリーズの書き下ろしショートは、こちらv
ハーレイが教えてくれたシャングリラの写真集。白く優美な船が表紙を飾る。
それをブルーは大切そうに本棚から取り出して机に広げた。
(ふふっ)
夕食を終えて、お風呂に入って。ベッドに入る前のひと時、これを眺める時間が好きだ。
(ハーレイも今頃、これ、見てるかな?)
父に買って貰った本だけれども、この写真集はハーレイが持っているものと同じ。ハーレイとのたった一つのお揃い。
ページを捲りながら「ハーレイも同じページを見てるといいな」と考えたりする。同じページでなくても、この本を同じ時間に広げてくれているだけでいい。手に取らずとも、本棚に目をやって存在に気付いてくれればいい。
ブルーの本とお揃いなのだと、ブルーもこれを広げているかもしれないと。
たった一つだけの、ハーレイとお揃いのブルーの持ち物。
前の生で共に暮らした白いシャングリラの写真集。
ブルーが守ったミュウたちの船。ハーレイが舵を握っていた船。
シャングリラはもう何処にも残っていないけれども、ブルーもハーレイも確かにこの船で生きていた。この船だけを拠り所にして地球を目指した。
ブルーは辿り着けなかった地球。ハーレイが辿り着いた時には死の星だった母なる地球。
長い長い時を経て蘇った青い地球の上に生まれ変わって、またハーレイと生きている。今はまだ共には暮らせないけれど、ブルーが前世と同じくらいに大きくなったら…。
(そしたら結婚するんだよ)
ハーレイと結ばれて、同じ家で暮らして、もう「さよなら」を言わなくてもいい。離れる時には「行ってきます」と「行ってらっしゃい」、帰って来た時には「ただいま」と「お帰りなさい」の言葉があればいい。
その時が来たら、きっと沢山の「お揃い」が出来るだろう。お揃いのカップはもちろんのこと、サイズがあるならスリッパなんかも。同じものを揃えて当たり前の暮らし。
でも、それまでは…。
(…この本だけで我慢するしかないのかな……)
本当はお揃いで使える何かが欲しい。文具でもいいし、ノートでもいい。
けれど両親でさえハーレイの前世はキャプテン・ハーレイだとしか知らないのだし、そういったお揃いの品を持つことは難しそうだ。
(ハーレイが何かくれればいいんだけれど…)
お揃いの何か、と思うけれども強請るわけにもゆかなくて。
だから本だけが唯一のお揃い。前の生で暮らしたシャングリラの写真集だけが…。
恋人同士だった前の生でもハーレイとの仲は隠し通したから、「お揃い」の物は持てなかった。もっともシャングリラの中だけが世界の全てな生活だったし、誰もが似たような物を支給されては自分好みに手を加える程度の暮らしだったけれど。
衣服さえもが制服であったシャングリラ。小さな子供たちから大人に至るまで、基本のデザインが似通った服を纏っていた。
ソルジャーであったブルーとキャプテンだったハーレイ、それに長老と呼ばれた四人。その六人だけが皆とは違った服を着ていたが、ブルーの服はハーレイの服と実は模様がお揃いだった。
デザインも色も全く違うし、身に着ける人間の体格も違う。あまりにも見た目が似ていないから直ぐにそれとは分からないけれど、同じ模様をあしらった上着。
ブルーの上着と同じ模様の服を着ていたのは、後継者となったジョミーの他にはハーレイたった一人だけ。次のソルジャーだったジョミーの服よりも、ハーレイの服の方がブルーのものに近い。ウエストの部分を飾る模様よりも下に描かれた線はジョミーの服には無かったのだ。
そのようにしろ、とブルーが指示したわけではない。ただ偶然にそうなった。
ハーレイとブルーの服にしても同じで、特に頼みはしなかった。デザインした者からも何ひとつ聞かされたことがなかったし、出来上がった服を身に着けただけ。
お揃いなのだと気付いた後でそれとなく尋ねたら、「ソルジャーとキャプテンはシャングリラに欠かせないお二人ですから」という答えが返った。
まだ跡を継ぐ者が必要なのだと考えもしなかった若かった頃。
ハーレイとお揃いの服が嬉しくてたまらず、見た目にお揃いと気付かれないデザインがまた秘密めいていて胸がときめいた。
誰も知らないハーレイとの仲。それなのに服はお揃いなのだ、と。
ソルジャーとキャプテン。
シャングリラを守るブルーと、その舵を握るハーレイと。
どちらが欠けてもシャングリラの安全は守れない。そんな二人だから同じ模様の上着になった。その服が出来て纏った頃にはまだハーレイとは恋仲ではなく、親しい友人だったと思う。
お互いに特別だったけれども、お揃いの服だと気付いて嬉しい偶然を喜び合うには想いが熟していなかった。青の間で、あるいはハーレイの部屋で何度も二人でお茶を飲んだし、向かい合わせで語り合ったのに、服の模様に気付くほどには意識し合っていなかった。
二人の間の距離が近くなり、少しずつ心が寄り添い合って。
恋が実って結ばれた後、ブルーが先にそれと気付いた。
青の間で夜を共に過ごして、ハーレイは其処からブリッジに行く。そんな日々を重ねたある朝、上着を身に着けるハーレイを見ていて「服の模様が同じだ」と気付いた。
しかし、直ぐに告げるには不向きな時間。
ハーレイはキャプテンとしてブリッジで指示を下さねばならず、ブルーは万一の時に備えて青の間に待機せねばならない。人類側との不幸な遭遇は日が昇っている間が一番多い。
幸せな発見を胸の奥深く大切に仕舞い、ハーレイをブリッジに送り出して。青の間で一人、その幸せを何度も何度も繰り返し噛み締めて、笑みを浮かべて。
その夜、勤務を終えて訪れたハーレイに「お揃いだね」と自分の上着を指差して見せた。
怪訝そうな顔をしたハーレイだったが、「この模様だよ」と指で辿れば、「ああ」と自分の服を眺めて、それは嬉しそうに頷いたものだ。「同じですね」と。
シャングリラの中に、同じ模様をあしらった上着が二人分だけ。恋人同士の二人だけが着ているお揃いの上着。
まるで初めからそのために作られた服だったようで、そのことがとても嬉しくて。
ハーレイと二人、お互いの服の模様を指で何度も辿り合っては笑みを交わした。
その夜は服が乱れることも構わず、お揃いの上着を羽織ったままで抱き合い、幾度も幾度も愛を交わして、そして眠った。
誰にも明かすことが無かった秘密の恋。
お揃いの上着がその恋を守ってくれているように思えて頼もしかった。
ジョミーを後継者として迎え入れた時、ハーレイとの「お揃い」の服が無くなってしまいそうで悲しかったけれど、ブルーがデザインに口を出したなら、隠してきた仲が知れるかもしれない。
そう思ったから諦めた。ブルーの寿命は幾らも残っていなかったのだし、ハーレイとお揃いの服を着ていられる時間もあと僅かなのだと分かっていたから。
それなのに、どういう偶然なのか。あるいは神が誰にも明かせない恋人同士の仲を憐れみ、力を貸してくれたのか。ブルーが危惧したジョミーの上着はブルーのものに似ていたけれども、模様が少し違っていた。
基本のデザインが似ているせいで、ブルーの上着とそっくりに見えるジョミーの上着。見た目は殆ど同じに出来ているのに、それに施された模様が違う。ブルーとジョミー、それにハーレイとが並んで立っても誰も気付きはしないだろうけれど、模様が同じなのはブルーとハーレイ。
ジョミーの服をデザインした者に確かめなかったから意図は不明だが、ブルーがハーレイと喜び合った「お揃いの模様」は二人だけのものとして残された。傍目にはブルーとジョミーがお揃いの上着だとしか見えないけれども、本当のお揃いはハーレイの上着だったのだ。
ハーレイとの「お揃い」はこうして守られ、ブルーは嬉しくてたまらなかった。残り少ない命であっても、ハーレイとの恋は続くのだと。最期までハーレイが側に居てくれるとブルーは信じた。
自分の命の灯が消える時にも、自分の側にはハーレイの姿があるだろう。キャプテンとしての顔であっても、自分の魂が飛び去る時には手を握っていてくれるだろう…。
きっとそうだと夢を見ていた。
現実はそうはいかなかったけれど。
切なくも甘い別れの代わりに、言葉さえ交わせない最後の別れと独りきりの死がブルーを待っていたのだけれど…。
最期の瞬間まで抱いていたかったハーレイの温もりを失くしてしまって、ブルーの右手は凍えてしまった。その手が冷たいと泣きじゃくりながら、たった一人で死ぬしかなかった。
ハーレイとの絆が切れてしまったと、もう会えないのだと泣きじゃくりながら…。
あまりにも悲しすぎた永遠の別れ。ハーレイに会うことは二度と叶わず、独りぼっちになったと思った。そうやって終わった前の生の後に、ブルーは青い地球の上に生まれて来た。先に生まれたハーレイを追うように、彼が住んでいる町に生まれて来た。
再び巡り会えた前の生からの恋人同士の二人だというのに、今の生に「お揃い」の服は無い。
お揃いの物さえ、シャングリラを収めた写真集の他には何ひとつ無い。
それがブルーには少し寂しい。
ハーレイと二人だけの秘密であった、前の生で着ていたお揃いの上着。
自分たちは対の存在なのだと、互いが互いのために在るのだと示すかのようなお揃いの上着。
せっかく二人で生まれて来たのに、前世で焦がれた青い地球の上に生まれて来たのに、お揃いの上着を纏うどころか、同じ写真集を持っているだけ。
もっとハーレイとの絆が欲しい。
二人の間を結び付けてくれる強い何かが欲しいのだけれど、それを求めるのは我儘だろうか?
ハーレイはブルーの守り役として頻繁に訪ねて来てくれるのだが、その前に教師と生徒の関係。学校ではブルーは制服を着なくてはならず、ハーレイはスーツ。
好きな服を着ていい下校後や休日もお揃いの服は無理そうだった。前の生のように仕立てて貰うなど夢のまた夢、既製品の服で揃えたくてもブルーの両親はハーレイとの仲を知らないのだから、揃いの服など買って貰える筈もない。
ましてやハーレイがブルーとお揃いの服を買って来て贈ってくれるわけもなく…。
(…やっぱり、お揃いの本が限界なのかな…)
欲しいんだけどな、とブルーは呟く。
誰一人気付く者など無くてもいいから、ハーレイとお揃いの何かが欲しいと。
出来ればいつも二人で着ていられる服。それが一番欲しいけれど、と。
いつかハーレイと恋人同士だと堂々と言えるようになったら、お揃いの服を着られるだろうか?
ハーレイとブルー、二人だけのためにデザインされた服を誂えることが出来るだろうか?
前の生と違ってソルジャーでもなく、キャプテンでもない自分たち。特別な立場にいるわけではなく、その責任や地位を表す服は作って貰えそうにない。
(…普通の服なら作れるかな?)
スポーツをやる友人たちが揃いのシャツを作っていたり、子供たちのためのキャンプに出掛けた友人が「キャンプ中はコレを着るんだぜ!」とマーク入りのシャツを得意げに着ていたりしたから誂えられることは知っているけれど、そういった服はあくまで普段着。
(ハーレイ、学校に着て行けないよね…)
お揃いは休日か仕事が終わった後にしか着られないのだろうか、と溜息をつく。
前の生のお揃いの上着は何処へでも着て行けたのに。それが自分たちの正装であって、着ていることが普通だったのに…。
(…今のハーレイが仕事で着るならスーツなんだけど…)
お揃いのスーツが作れたとして、その時は自分がどうなるか。
ハーレイとお揃いのスーツを身に着けた自分の姿など、ブルーには想像もつかなかった。
(…ぼく、先生になれるんだろうか?)
スーツを着るなら、ハーレイと同じ教師を選べば同じ職場に通うことも夢ではなさそうだ。父のような会社員もスーツが多いし、選択肢としては無難だけれど…。
(どっちかと言えば先生なのかな…)
生まれつき身体の弱いブルーは、友人たちが夢見るようなスポーツ選手や宇宙船のパイロットといった花形職業を思い描いたことは無かった。本を読むことが好きだったから、学者になろうかと思っていた。具体的に何を専攻するのか、其処までは考えていなかったけれど。
(…学者も先生も似てるよね、うん)
先生になるのもいいのかも、と思ったのだが、弱すぎる身体が問題だった。病欠の多い教師など聞いたこともないし、ブルーには不向きな職かもしれない。ハーレイと同じ職場が魅力とはいえ、「なりたい」と「なれる」が違うことは分かる。
(…学者だったら、弱くてもなんとかなりそうだけど…)
研究室に籠もって実験三昧は無理だし、ハードなフィールドワークをこなすのも無理。学者なら何でも出来るわけではなさそうだったが、教師よりはまだマシだろう。
(そのくらいしかないのかなあ? 学者だってスーツは着てるよね?)
でも…、と前の生を思い浮かべてガックリとした。
死の星だった地球が再生するほどの時を経てもなお、語り継がれているソルジャー・ブルー。
伝説のミュウの長、タイプ・ブルー・オリジンとして誰もが畏敬の念を抱く存在。
それほどの人間であったからこそ、ハーレイとお揃いの上着を纏ってシャングリラに居た。皆が上着を作ってくれた。
(…ぼくはスーツが限界っぽいよ…)
ハーレイとお揃いの上着を着ていたソルジャー・ブルーのようにはとても生きられそうもない。
前の自分が偉大すぎて近付けそうもない。
(…ぼくって、何になれるんだろう…)
ハーレイと結婚することしか思い付かない、小さすぎる自分。
学者になるという目標さえも、ハーレイとの結婚という夢の前には雲散霧消してしまう。
(もしかして、ぼくはハーレイと結婚するだけ?)
学者になってスーツを着ている自分の姿よりも、その方が何故かしっくりと来た。
母がやっているように仕事に出掛けるハーレイを見送り、家事や料理をしながら帰りを待って。ハーレイが家に帰って来たなら、二人でゆっくりと夕食を食べて、寛いで…。
そういう姿しか浮かんでこない。ハーレイとお揃いのスーツどころか、それさえ要らないらしいポジション。前の自分が偉大すぎた分、今度の生はうんとちっぽけになるのかも…。
(…ぼくってダメかも……)
よりにもよって、なりたいものが「お嫁さん」。そういう呼び方をするのかどうかは分からないけれど、ハーレイと結婚して温かな家庭を守る職業。伝説のタイプ・ブルー・オリジンと呼ばれたソルジャー・ブルーの生まれ変わりが、そんな未来でいいのだろうか?
(…前はシャングリラを守ってたのに…。今度は家を一軒、守るだけなの?)
落差が大きすぎて情けない気持ちになってきた。
いつもならハーレイとお揃いの写真集を広げて幸せな気持ちに浸る筈なのに、お揃いの上着まで思い出して欲しくなったばかりに大失敗。今の自分にハーレイとお揃いの上着は似合わない。
「…でも、この写真集はお揃いだよね?」
いつかハーレイの分と並べて同じ本棚に入れるんだもの、と呟いたら少し心が温かくなった。
将来、自分が何になろうと、隣には必ずハーレイが居る。
(…うん、お嫁さんでも別にいいよね)
小さすぎるけどぼくの本当の夢だもの、とブルーは写真集を抱き締めた。
母のような料理上手でなくても、ハーレイなら許してくれるだろう。学校へ出掛けるハーレイに「行ってらっしゃい」と手を振って、帰って来たら「お帰りなさい」と抱き付いて…。
ハーレイと自分が持っている写真集が並べて棚に置かれる時には、きっと幸せな自分がいる。
(…ハーレイもこの写真集、見てるといいな)
そうっと写真集を本棚の元の位置に戻して、ベッドに入って目を閉じた。
(小さな夢でもいいよね、ハーレイ? お嫁さんでもいいよね、ハーレイ…)
お揃いの上着は着られないけれど、ハーレイの側に居られればいい。
ちっぽけな未来しか無さそうな今の自分に、ハーレイとお揃いの上着は要らない。
守らなければならなかった船はもう無いのだから。
ハーレイが舵を握っていた白いシャングリラは何処を探しても、もう無いのだから。
大きな船を守る代わりに、小さな家を守ってゆくのが今の生。
お揃いの上着を作る代わりに、お揃いのカップやスリッパなどを揃えて二人で暮らせばいい。
ささやかに生きていければいい、とブルーは願う。
早くハーレイと自分の写真集を並べて、同じ家で暮らせますように…、と。
お揃いの上着・了
※ソルジャー・ブルーの上着の模様と、キャプテン・ハーレイの上着の模様。
お揃いなのです、パッと見ただけでは分からないのが素敵です。
←拍手してやろうという方は、こちらからv
←書き下ろしショートは、こちらv
夕食を終え、片付けを済ませて、シャワーも浴びて。覚え書きのような日記をつけたハーレイは書斎から離れられずにいた。
机の上に広げられたソルジャー・ブルーの写真集。『追憶』というタイトルのそれは、ブルーと再会して暫く経ってから買ったもの。
書店に出掛けた目的はシャングリラの写真集だった。前の生で自分が舵を握り、ブルーが守った白い船。今はもう無い船を見たくて買いに行ったが、其処で目にした本が『追憶』であった。
ソルジャー・ブルーの最期を捉えた写真を何枚も載せた写真集。人類軍が撮影していた映像から起こした写真はサイオンの青い尾を曳いて宇宙空間を飛翔するブルーで始まる。ブルーの命の最後の輝き。前の生では見たことが無かった、ハーレイの知らないブルーの姿。
メギドの装甲を破って入り込んでからのブルーは写っていない。監視カメラが映した映像ごと、メギドは沈んでしまったから。
ブルーの最期を収めた写真たちは爆発するメギドの青い閃光で終わっていた。
書店で見た時は最初の一枚で心が挫け、買って帰って書斎の机で続きを捲った。初めて目にしたブルーの最期。自分の知らない暗い宇宙で、独りきりで逝ってしまったブルー。
あまりの衝撃に心は過去へと引き戻されてしまい、ブルーを亡くした苦しみに泣いた。ブルーを喪い、孤独と悲しみの内に終わった前の生の記憶に飲み込まれて泣いた。
気付けば自分は今の書斎に居て、この家から数ブロック離れた先にブルーの家が在り、十四歳の子供の姿で暮らしている。
ハーレイもブルーも前世で目指した青い地球の上に生まれ変わって、新しい生を生きていた。
遠い日に失くしたブルーは戻って来たし、もう前の生に囚われる必要は無いのだけれど。
辛く苦しかった日々を思い出させる写真集など、持っていなくとも良いのだけれど。
ソルジャー・ブルーという副題がついた『追憶』の名を持つ写真集。
捨てることなど出来る筈もなく、目に入らない場所に押し込んで忘れることも出来そうになく。
どうしたものかと考えた末に、日記と同じ引き出しに入れた。
其処ならブルーも寂しくない。
一日に一度は座る場所だし、日記を出す時に必ず目にする。
ブルーの最期を突き付けて来る最後の章を見ることはとても辛かったけれど、たまに今のように取り出して机に広げてページを捲る。
ブルーを追えなかった自分の弱さに気付かされた時に。
失くしてしまった時の辛さを思い出した時に。
ブルーは確かに今の生を生きているのだけれども、それでも時折、前の生のブルーがハーレイの心を掠めてゆく。
サイオンの青い尾を長く曳いて暗い宇宙を駆け抜け、メギドへと一直線に飛んで行ってしまったソルジャー・ブルーが。
「…なあ、ブルー。…お前は本当にあれで良かったんだろうか」
ハーレイはぽつりと呟いた。開いたページに青い閃光。気高く美しかったソルジャー・ブルーの身体をこの世から消し去ってしまった爆発。
その瞬間までブルーが生きていたのか、息絶えていたのかは定かではない。
生まれ変わりである十四歳のブルーに訊いても、恐らく分かりはしないだろう。前の生で自分がいつ死んだのかなど、ブルーには些細なことだったから。死よりも悲しく辛い思いに包まれ、涙の中でブルーの前の生は終わったのだから。
後悔した、とブルーは言った。
死が待つメギドへ飛んだことは何も後悔していないけれど、右の手がとても冷たかった、と。
キャプテンだったハーレイの腕に最後に触れた時に感じた温もり。それを最期まで大切に抱いて持ってゆくつもりでいたのに、撃たれた痛みで失くしてしまって右手が冷たく凍えたのだ、と。
右の手が冷たいと泣きじゃくりながら死んでいったソルジャー・ブルー。
本当にあれで良かったのか、と何度思ったことだろう。
ブルー自身は「仲間たちを救えたから、それでいい」と微笑んだけれど、本当にそれで良かったのか、と考えずにはいられない。
ソルジャーだったブルーにとっては「良かった」と言える最期であっても、ブルー自身の思いはどうだったのか。ハーレイの温もりを失くしたと泣いて、後悔したと語ったブルーは…。
そのブルーが生まれ変わって話したからこそ、ハーレイはそれを知っているのだけれど。
何ブロックも離れた場所だとはいえ、ブルーは同じ町に暮らしているのだけれど。
こんな夜には、ふと辛くなる。思い出してしまって悲しくなる。
ハーレイは写真集を閉じて立ち上がり、棚から酒を取り出した。シャングリラでは酒といっても合成のものが殆どだったが、今はこの地球の水で仕込まれた酒が手に入る。
気に入りの酒と、それからグラス。気のおけない友人たちと飲むために使うグラスの中から二つ取り出し、それぞれに酒を満たしてから。
一つを『追憶』の手前にコトリと置いた。もう一つのグラスは自分の前に。
『追憶』の表紙には背景に青い地球を合成してあるブルーの顔写真。
真正面を向いたブルーの写真は、数多いブルーの写真の中でも最も知られたものだった。背景は何を合わせるのも自由だったから宇宙などもあるが、地球を合成したものが一番多い。青い地球がとてもよく似合うブルー。
(…よくも探して来たものだ、これを)
ソルジャー・ブルーの存命中に公式の肖像写真は無かった。誰も作ろうと言わなかったし、その必要も感じなかった。シャングリラを優しく包み込むブルーの思念。ただそれだけで充分だった。
ブルー亡き後は戦いに次ぐ戦いの日々で、先の指導者を偲ぶための遺影の選定どころではなく、誰もが自らの心に刻まれた在りし日のブルーを思っていただけ。
ハーレイもまたブルーを亡くした悲しみにくれる中、恋人の面影を求めてデータベースを隈なく捜し回ったが、其処に求めるものは無かった。ソルジャーとしてのブルーなら幾らでもあるのに、個人的な肖像写真と呼べそうな表情のブルーは見付からなかったと記憶している。
けれど『追憶』の表紙に刷られたブルーは気高さと凛々しさの奥に深い憂いを秘めていた。見る者を惹き付ける強い瞳に僅かに見てとれる悲しみの色。ブルーの孤独を思わせるそれ。
誰がいつ、何処で見付けたものか。由来も発見者の名も時の流れに消えてしまって分からないのだが、よくぞ見付けたものだと思う。恐らくは映像の中のほんの一瞬、この表情をしたのだろう。
ハーレイだけが知るブルーの孤独と悲しみ。それを捉えた一枚の写真。
魂の奥底に訴えかけるような眼差しをしているがゆえに、この写真がどれよりも有名になった。ソルジャー・ブルーの名を冠した本には必ず入っている写真。ハーレイが前の生で探して探して、いくら探しても見付けられなかった真のブルーを捉えた写真。
その写真が刷られた『追憶』の表紙に語りかける。グラスに注いだ酒を押しやりながら。
「…一杯やるか? お前は酒に弱くて滅多に飲まなかったが、たまには付き合え」
自分の分のグラスを軽く掲げて口に運んでから、苦笑した。
「…すまん、ソルジャーのお前に叩く口では無かったな。だが、もうこの口調で慣れてしまった。だから「お前」で許してくれ」
前の生ではブルーを「あなた」と呼んでいた。常に敬語で話していたのに、今ではまるで違っていた。十四歳のブルーに「お前」と呼び掛け、砕けた言葉遣いで話す。
ブルーは十四歳の子供の姿で戻って来た。ハーレイの前に戻って来た。なのに…。
「…俺は何をしているんだろうな?」
こんな風に酒まで置いて、と『追憶』の表紙のブルーを見詰める。
「お前は十四歳の子供で、こんな時間にはぐっすり眠っている筈なのに…。暖かいベッドで眠っている筈なのに、酒なんか供えてどうするんだろうな?」
両親と暮らす家のベッドで眠っているだろう小さなブルー。グラスに注いだ酒が届く筈もなく、届いたところでブルーは飲めない。
前の生のブルーは酒に弱くてすぐに酔ったし、二日酔いをすることも多かった。ハーレイが酒を美味そうに飲むからと欲しがった挙句、よく酷い目に遭っていた。
今のブルーも恐らく酒には弱いのだろうが、それ以前にまだ十四歳の子供に過ぎない。未成年に酒は飲ませられないし、ハーレイの仕事柄、勧めたと知れれば厳重注意では済みそうもない。
「まったく…。お前を酒に付き合わせるなんて、最低最悪な教師なんだが…」
だが、とソルジャー・ブルーの写真を苦しげな顔で眺めて言った。
「…すまん、とてもお前を忘れられそうにない。メギドで逝ってしまったお前を…」
写真集の側に置かれたグラスの酒は少しも減らなかったが、ハーレイのグラスは空になった。
暫し考えてから酒のボトルを手に取り、もう一度自分のグラスに注ぐ。この写真の中のブルーと飲む時、一杯で済んだ試しが無い。
前の生でブルーを喪った後は、酒に逃げている暇など無かった。生きていることすら辛いと思う生であっても、ブルーが遺した言葉のとおりに皆を支えねばならなかった。
どうしても眠ることが出来ない夜に「明日に備えて疲れを取らねば」とほんの僅かな寝酒を口にし、ベッドにもぐり込んだだけ。グラスに一杯分もの酒は数えるほどしか飲まなかった。
あの頃の反動が出るのだろうか、と思うくらいに、写真集の表紙のブルーを前にして酒を飲むと二杯、三杯とグラスを重ねてしまう。辛い思い出を酒で消すように、何杯もの酒を呷ってしまう。
(…これもいつかは笑い話になるんだろうが…)
ブルーと一緒に暮らすようになったら、こんな夜を過ごさなくてもよくなるのだろう。この写真そっくりの面差しのブルーが同じ屋根の下に居るようになったら、こんな思いをしなくてもいい。
写真と同じ顔立ちであっても、今のブルーは悲しみに満ちた瞳をしてはいないだろう。ただただ幸せそうに微笑み、自分の隣に居ることだろう。
もしもブルーがこの写真集を見たならば…、と思いを巡らせてみた。
懐かしそうにページを捲るのだろうか?
それとも自分の写真ばかりで埋め尽くされた本を見て真っ赤になってしまうのだろうか…。
(そうだな、お前はもしかしたら笑うかも知れないな。…俺には辛すぎる最後の章で)
メギドへと飛ぶブルーは全く気付いていなかっただろう。人類軍が映像を記録していることなど考えもせずに、メギドを止めることだけを思って宇宙を駆けたに違いない。
だから、ブルーがメギドへと飛ぶ自分の姿の写真を見たならば…。
(笑い出しそうだな、「隠し撮りをされていたなんて知らなかったよ!」と)
そして十四歳のブルーなら…、と今の小さなブルーを思い浮かべる。
ハーレイと一緒に暮らせるほどに大きく育ったブルーだったら「隠し撮りだね」と楽しむ余裕もありそうだったが、小さなブルーは脹れっ面になりそうだった。
(あいつなら、きっと「酷いや!」と言うな)
ぼくは必死に飛んでいたのに、と怒るブルーが目に見えるようだ。
死を覚悟して駆けてゆく姿を隠し撮りされた上に、写真集まで出されてしまっていた、と。
「…そうだな、お前なら文句たらたらだな」
うん、と頷いてグラスに残った酒を飲み干したハーレイだったが、新たな酒は注がなかった。
写真集の表紙のブルーのためにと満たしたグラスの酒の方は「…うーむ…」と少し考えてから。
「供えた酒を捨てるのもなあ…。まあ、このくらいはまだ問題ないか」
それにブルーの分だしな、と言い訳してから一息に呷る。実のところ、ハーレイは酒には強い。一人でボトルを空けてしまっても、翌日まではまず残らない。
しかし同じ酒なら楽しい酒にしたかった。前の生の辛く悲しい記憶を打ち消すための一人きりの酒宴は、文字通り酒に逃げるもの。何度もそういう夜を過ごしたが、今夜は逃げ切れそうだった。
「…ブルー、お前のお蔭だな」
写真集の表紙にではなく、心に浮かんだ小さなブルーにそう声を掛ける。
「ありがとう、ブルー。…小さなお前の脹れっ面を思い出したら元気が出たさ」
お前は確かに生きているんだな、とブルーがベッドで眠っているだろう家の在る方角へと視線をやった。何ブロックも離れている上、今の世界ではどの家も思念を遮蔽する加工が施されている。そのせいで気配を感じることさえ出来ないけれども、ブルーがこの町に生きている。
隠し撮りをされたと怒りそうなブルーが。
前の生の自分の悲しい最期を収めた写真集を見て、脹れっ面をしそうなブルーが…。
(うんうん、右の手が冷たかったことも、泣いていたことも忘れて怒るな)
子供だからな、と可笑しくなった。
そして今よりも成長したなら、きっと笑ってくれるだろう。こんな隠し撮りをされていた上に、本まで出されてしまった、と。「まるで有名人みたいだね」とクスクス笑って、「恥ずかしいな」と頬を染めるのだろう。
前の生の最期に凍えた右手を「温めてよ」と差し出しながら……。
(さて、片付けを済ませたら寝るか)
明日も学校に行かねばならない。教師の自分が居眠るなどは言語道断、柔道部の朝練習もある。朝一番での走り込みに備えてしっかり休んで、きびきびと指導しなければ。
酒のボトルは棚に戻して、二つのグラスは綺麗に洗って…。
だが、その前に。
「…おやすみ、ブルー」
写真集の表紙のブルーの写真の向こうに小さなブルーの顔を重ねた。
「ちゃんといい夢を見るんだぞ? メギドの夢なんか見るんじゃないぞ」
いいな、と小さなブルーに言い聞かせてから、引き出しを開けて写真集を入れた。
その上にそっと自分の日記を乗せる。
まるで上掛けを被せるかのように、写真集に大切に覆い被せる。
「…ゆっくり眠れよ。こうして俺が守ってやるから」
俺がお前を守ってやるから、と前の生では叶わなかった願いを祈るように口にし、自分の日記で写真集をすっぽり覆い隠した。
こんな風にブルーを守りたかった、と思いをこめて、祈りをこめて。
(…今度こそ俺がお前を守る)
この身体で、俺の全身全霊を懸けてお前を守る。
「ブルー、お前は俺の影に隠れていればいい。いいか、決して出るんじゃないぞ」
守らせてくれ、と日記の下の写真集の表紙のブルーに告げて引き出しを閉めた。
今度は俺が全力でお前を守ってやるから、と……。
追憶の夜・了
※『追憶』という写真集の表紙を飾るブルーの写真は、劇場版ポスターのイメージです。
ハーレイの日記を被せて貰って、大切にされて。前のブルーもきっと幸せ一杯です。
聖痕シリーズの書き下ろしショート、40話超えてますです、よろしくです!
←拍手して下さる方は、こちらからv
←書き下ろしショートは、こちらからv