シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。
- 2014.01.06 聖痕
- 2013.07.28 奇跡の狭間で
- 2012.07.28 奇跡の青から <5>完結
- 2012.07.28 奇跡の青から <4>
- 2012.07.28 奇跡の青から <3>
「あっ…!」
ツキン、と右目の奥が痛んだ。反射的に右手で押さえる。瞳から熱いものが溢れ出して細く白い指を濡らし、そしてポタリと…。
「……まただ……」
どうして、とブルーは広げていたノートに落ちた雫を呆然と眺める。
透明な涙の雫ではなく、ブルー自身の瞳の色を溶かしたような鮮血の赤。指についた雫を舐めると鉄錆を思わせる味がした。それは紛れもなく血液そのもの。
けれど鏡を覗き込んでみても瞳にも瞼にも傷一つ無い。涙の代わりに流れたかの如く、赤い血が滴り落ちたというだけのことで。
(…ぼくは一体、どうしたんだろう…)
こんなことは今まで無かったのに、と白いノートを汚した血の染みを見詰めていると声が聞こえた。
「ブルー! パパが帰ったから食事にしましょう!」
「うん、今、行く!」
言えない。両親に話したら、きっと心配するに違いない。目から血の涙が出るなんて…。
怪我をしているわけではないし、ついこの間までは何ともなかった。
そうでなくても進学したばかりで何かと慌ただしい毎日なのだし、病院になんか行っていられない。洗面所に駆け込んで手と頬を染めた血を洗い流すと、ブルーは両親の待つ階下へと下りて行った。
遠い昔には人が棲めないほどに荒廃していたと聞く水の星、地球。その地球にブルーが生を享けてから、今年で早くも十四年になる。
優しい両親との満ち足りた日々に何の不満も無く生きて来たのに、それは突然やって来た。
目の奥に走る不快な痛みと、涙のように零れる鮮血。
最初は怪我をしたのかと驚き慌て、パニックに近い状態で鏡を覗いた。しかし何処にも傷は見当たらず、一筋の血が流れ落ちた後は特に何事も起こらない。それ以上の出血が続くわけでなく、視界も全く普段と変わらず、問題があるとは思えなかった。
「…大丈夫だよね?」
自分自身に言い聞かせるように呟き、放っておいたのが一ヶ月ばかり前のこと。進学してすぐの忙しさに紛れて翌日には忘れていたのだけれど、それは何度か繰り返された。今日ので多分、五回目くらいになるのだろうか。
それでも目には傷一つ無いし、見えにくくなるわけでもないし…。
「ブルー? 何処か具合が悪いのかい?」
テーブルに着いていた父が新聞を置いて声を掛けて来た。
「ううん、なんでもない」
「それならいいが…。お前は身体が丈夫ではないし、勉強もあまり根を詰めてはいけないよ」
「そうよ、ブルー。無理のしすぎは良くないわよ」
今日は早めにお休みなさい、と母が優しく微笑みながら料理の皿をテーブルに置いた。
「ほら、ブルーの好きなカリフラワーのポタージュよ。だから、お肉もちゃんと食べなさい」
「…うん」
食の細いブルーのために、と母は色々と工夫を凝らしてくれる。父も何かと気遣ってくれるし、こんな二人に「血の涙が出る」などと言おうものなら大騒ぎになってしまうだろう。
ノートの染みは鼻血でも出たことにしておこう、とブルーは思う。
(鼻血だったら普通だしね)
そうそう誰もが出すわけではないが、そう珍しいことでもない。血の涙よりは自然だし…。
(…パパとママが見ている時に出ませんように…)
言い訳が出来ない状況は困る。そんな事態になりませんように、と祈りながらスープを掬って口に運んだ。野菜の甘みが母のように優しい味わいのスープ。肉料理もブルーが好きな部類のハンバーグだ。
(きちんと食べて栄養をつけたら、血の涙なんて出なくなるかな?)
頑張って今日は多めに食べよう、と決心をしてもブルーの食事のスピードは遅い。先に食べ終えた父が「まだ食べてるのか」と苦笑する。
「でも、沢山食べるのはいいことだな。細っこいままだと、ますますそっくりになってしまうぞ。…なあ、ママ?」
「そうねえ、ホントに似て来たわよねえ…。今日もお隣の奥さんに言われたの。お宅のブルー君、ソルジャー・ブルーの昔の写真にそっくりよねえ、って」
その瞬間、ブルーの右目の奥がズキンと痛んだ。
「ブルー!?」
「ど、どうしたの、ブルー?」
サラダを食べていたフォークを取り落とし、右目を押さえたブルーの指の間から零れる鮮血。母が悲鳴を上げ、父が慌てて立ち上がった。もう言い逃れは許されない。ブルーは父の車に乗せられ、病院へ行く羽目になってしまった。
頭部スキャンに全身スキャン。眼球は特に詳細に調べられ、採血などの検査もされた。けれど何処にも異常は見られないらしく、褐色の肌の男性医師が首を傾げる。
「こんなことは前からありましたか?」
尋ねられたブルーは黙っていたが、母に「どうなの?」と促されて仕方なく俯き加減で答える。
「……今日で五回目くらいです」
両親が息を飲むのが分かった。…だから言いたくなかったのに。
「五回目ですか。…最初はいつ頃?」
「…ひと月ほど前…」
ブルーの答えに母が「知らなかったわ」と悲しそうな声を上げ、両手で顔を覆う。
「私、母親失格ね。…子供の病気にも気付かないなんて」
「ごめんなさい、ママ…。言ったら心配すると思って」
謝るブルーに父が母の肩を抱きながら言った。
「その方がよほど心配だよ。…それで先生、ブルーの目は?」
「分かりません。こんな症状は初めて見ます。…ブルー君、何か前兆のようなものはありますか? 頭が痛むとか、目が霞むとか」
「…ありません。今日も別に…」
そこまで口にしてから、ふと思い出した。目の奥が痛み出す前に耳にした言葉。そう、母は確かに「ソルジャー・ブルー」と…。
「…え、えっと…。関係ないかもしれませんが…」
口ごもるブルーに、医師は「些細なことでも話して下さい」と穏やかに言った。
「心当たりがあるのでしょう? 何がありましたか?」
「……ソルジャー・ブルー。そう聞いた途端に目の奥がズキッと痛んだんです。…食事の前にも同じように血が出て、その時にノートに書こうとしたのもその名前でした」
「…ソルジャー・ブルー…。ミュウの初代の長の名前ですね。歴史の授業ではよく出て来ますが、以前は大丈夫だったのですね?」
「はい…」
本当に前は大丈夫だった。幼い頃から何度も聞いたし、学校で習うのも初めてではない。なのに何故。そういえば最初に血を流した日は、今の学校でその名を教わった初日のことで…。
「……ソルジャー・ブルーねえ……」
医師は首を捻りながら、ブルーの姿を上から下まで眺め回した。
「…言われてみれば君はそっくりですねえ、歴史書の彼に」
赤い瞳に銀色の髪。両親はごくごく普通の外見だったが、ブルーは生まれつき色素を欠いて生まれたアルビノだった。遙か昔のミュウの初代の長、ソルジャー・ブルーとは其処が異なる。
ソルジャー・ブルーは昔の世界で行われていた成人検査が切っ掛けでアルビノになったと伝わっているが、ブルーの名前は彼にちなんで名付けられた。今の時代、人類は全員がミュウであり、それゆえに心を読むのも隠すのも当たり前のように誰でも出来る。
「それで、ブルー君のサイオン・タイプは?」
医師の質問に父が答えた。
「ブルーです。…ソルジャー・ブルーの時代ならともかく、特に珍しくもないですが」
「なるほど、サイオン・タイプまでソルジャー・ブルーと同じですか…。私は医者ですから、あまり変わったことを言いたくはないのですけれど…。聖痕というものを御存知ですか?」
ブルーにとっては初めて聞く単語。しかし両親は知っていたようだ。ソルジャー・ブルーが生きた時代よりも昔、神の受難の傷痕をその身に写し取り、血を流した人々がいたという。
「…ソルジャー・ブルーの最期がどうであったかは誰も知りません。惑星破壊兵器、メギドと共に散ったことしか今に伝わってはいませんが…。その前に銃撃を受けたという説がありますね。…ブルー君は彼が受けた傷を再現しているのかも…」
「…まさか!」
ブルーは即座に否定した。
「ぼく、その話は習っていません! 銃撃なんていう説はまだ誰からも…」
「そうですか? ですが、ソルジャー・ブルーと無関係とも思えないのですよ。症状が初めて出たのが十四歳になった直後ですね? …ソルジャー・ブルーがアルビノとなり、ミュウの力が覚醒したのと同じ年です。私は生まれ変わりを信じているわけではありませんが…」
もしかしたら、と医師は「異常なし」のデータが並んだブルーのカルテに目をやった。
「ブルー君はソルジャー・ブルーの生まれ変わりかもしれませんよ? そうそう、私の従兄弟に面白いのがいましてね。キャプテン・ハーレイにそっくりなんです」
苗字までちゃんとハーレイなんです、と笑う医師の名札にブルーは初めて気が付いた。医師の苗字も同じくハーレイ。自分がソルジャー・ブルーとそっくりなように、ミュウの船のキャプテンとして教科書に載っているハーレイにそっくりな人も居るのか…。
「そのハーレイですが…。近々、ブルー君が通っている学校に教師として行くことになっています。会った途端に目から血の涙が流れるようなら、ブルー君は本当にソルジャー・ブルーの生まれ変わりかもしれませんね。残念ながら、私の従兄弟はキャプテン・ハーレイではないそうですが」
その言葉にブルーはホッと安堵の吐息をついた。血の涙だけでも気味が悪いのに、生まれ変わりだなどと言われても…。自分は普通の十四歳の子供で、伝説の戦士とは違うのだから。
異常なしと診断されたブルーは観察入院もせずに済み、両親と家に帰ることが出来た。しかし、次に同じ症状が出たらまた病院に行かねばならない。両親にも「二度と隠さないように」と強く言われたし、我慢するしかないのだが…。
(…もう起こらないといいんだけどな…)
そう願っていることが効いたのだろうか。ソルジャー・ブルーに関する時代の授業は無事に終わって、平穏な日々が戻ってきた。彼の名を聞いても血の涙は出ない。生まれ変わりだの聖痕だのと聞かされて少し怖かったけれど、再発しなければ大丈夫。あれはたまたま、ほんの偶然。
(そうだよね? ソルジャー・ブルーの生まれ変わりだなんて有り得ないよ)
ぼくはぼく、と読みかけの本を机に置いたまま、考え事をしていると。
「おい、ブルー! 新しい先生が来るらしいぜ」
「えっ?」
クラスメイトの声でブルーはハッと我に返った。
「なんだよ、聞いていなかったのかよ? 古典の先生、変わるんだってよ。年度初めに来る予定だったのが遅れたらしくて、なんか今日から」
「…ふうん? なんで遅れてたんだろ」
「前の学校で欠員が出てさ、引き止められてたみたいだぜ? 宿題出さねえ先生だといいな」
今の先生は宿題多すぎ、とクラスメイトが嘆いた所で授業開始のチャイムが鳴った。それと同時に教室に現れた褐色の肌の新任教師に、ブルーの胸がドクリと脈打つ。
(ハーレイ…!)
教科書で見たキャプテン・ハーレイにそっくりな彼。
何故「キャプテン」の呼称を抜かしたのかも分からない内に、右目の奥がズキンと痛んだ。
「お、おい、ブルー!?」
どうしたんだよ、と叫ぶクラスメイトの声は酷く遠くて、肩が、脇腹が、目の奥が痛い。絹を裂くような女子たちの悲鳴が聞こえる。床に倒れたブルー自身は知らなかったが、右目だけでなく両肩と左の脇腹からも血が溢れ出して制服の白いシャツを赤く染めていて…。
「どうしたんだ! おい、しっかりしろ!」
駆け寄って来た教師がブルーを抱え起こした、その瞬間。
(……ハーレイ?!)
(…ブルー?!)
触れ合った部分から流れ込み、交差する夥しい記憶。
そうだ、ぼくはこの手を知っている。そしてハーレイも、ぼくを知っている……。
授業は自習となり、ブルーは駆け込んで来た救急隊員たちに担架に乗せられ、ハーレイに付き添われて先日の病院へと搬送された。検査結果は全て異常なし、身体にも傷は見当たらない。それでも出血が多かったからと点滴を打たれ、それが終わるまで帰れないのだが…。
「…ハーレイ先生は?」
ブルーは病院に駆け付けてきた母に尋ねた。
「さっき学校へお帰りになったわ」
「……そうなんだ……」
ブルーの胸がツキンと痛む。
ハーレイ。やっと会えたのに…。ぼくは全てを思い出したし、君も思い出してくれたのに……。
「どうしたの、ブルー? ハーレイ先生がどうかしたの?」
「…ごめんなさい、ママ…」
ブルーは儚げな笑みを浮かべた。
「……ぼく、思い出してしまったんだよ。…ぼくはソルジャー・ブルーだったみたいだ。あの傷、ぼくが昔に撃たれた時のと同じ…」
「…そ、そんな……」
そんなことが、と声を詰まらせる母にブルーは懸命に詫びる。
「ごめんなさい。…ママの子供なのに、ごめんなさい…。でも、本当のことだから…」
「……それじゃ、まさかハーレイ先生も…?」
「うん…。先生はキャプテン・ハーレイだった……」
ごめんね、ママ。先生はキャプテン・ハーレイっていうだけじゃない。
ぼくの……。ううん、ソルジャー・ブルーの大切な……。
(……ハーレイ……)
自分の唇に指先で触れる。
覚えている。こんなにも君を覚えている。…君の唇も、温かい手も、身体中が君を覚えている。
…会いたいよ、ハーレイ。すぐに、今すぐに君に会いたい。
ハーレイ、ぼくは帰ってきたから。君のいる世界に帰ってきたから…。
点滴が終わり、会社を早退してきた父の車で家に戻ったブルーは大事を取って寝かされた。
今の生の記憶と、その前の……ソルジャー・ブルーの膨大な記憶。それらを融合させるためには有難い時間だったけれども、大切なものが欠けていた。
ハーレイがいない。…全てを思い出す切っ掛けになったハーレイが側に居てくれない…。
「会いたいよ、ハーレイ…」
もう何度目になるのだろう。涙で枕を濡らしながら小さな声で呟いた時、寝室のドアが軽く叩かれた。
「ブルー? ハーレイ先生が来て下さったわよ」
どうぞ、と母がドアを開け、懐かしい姿が現れた。記憶の中の彼と違ってキャプテンの制服を纏ってはおらず、教師としてのスーツ姿だけれども、忘れようもない彼の人の姿。
どうして自分は忘れていたのか。忘れ去ったままで十四年も生きて来られたのか…。
恐る恐る上掛けの下から差し出した手を、褐色の手が強く握ってくれた。
ああ、ハーレイ。
君の手だ。君の温かい手だ……。
「ママ……」
少しの間だけ、二人きりにさせて。
ブルーの言葉に母は頷き、「お茶の用意をしてくるわね」と部屋を出て階段を下りて行った。その足音が遠ざかるのを確認してからブルーは微笑む。
「……ただいま、ハーレイ。帰って来たよ」
「ブルー! ブルー、どうしてあんな…! もう心臓が止まるかと…!」
「ごめん。あの傷が思い出させてくれたんだ…」
「あんな酷い傷を、いったい何処で…! どうしてあんな姿になるまで…!」
行かせるのではなかった、とハーレイが何度も繰り返す。ブルーをメギドに行かせるべきではなかったのだ、と。
「…いいんだよ。あの時はぼくがそう決めた。…でも……」
今度は君と離れたくない。
そう言ったブルーの身体をハーレイがベッドから抱き起こし、両腕で強く抱き締める。その腕をブルーは覚えていた。前の生では幾度となくこうして抱き締められて、そして……。
「……ハーレイ?」
パッとハーレイの身体が離れて、扉が小さくノックされる。紅茶とクッキーを運んで来た母の何処となく寂しげな表情。
そうだ、母は自分たちの過去を全く知らない。ソルジャー・ブルーのことも、キャプテン・ハーレイのことも歴史に記された部分しか知らず、また知りようもなかったのだ…。
こうしてブルーは思い出した。
かつて自分が何者であったのか、何を思い、誰を愛したのかを。
ブルーの身体を染めた血が贄であったかのように、ハーレイの記憶も蘇った。ブルーの右目の奥は二度と痛まず、血が頬を伝うこともない。
けれど……。
「…ハーレイ…」
「駄目だ。ブルー、お前はまだ子供だ」
キスを強請ろうとして断られた。
あれからハーレイはブルーの家をしばしば訪ねて来てくれる。その度に自分の部屋に通して、母がお茶を置いて立ち去るとすぐに広い胸に甘え、優しい腕に抱き締められて幸せなひと時を過ごすのだけれど。
魂に刻まれた前世とは違い、ブルーは十四歳になったばかりの子供で、ハーレイは倍以上もの年を重ねた大人だった。
「…子供、子供って、そればっかり…」
「だが、本当のことだろう? …安心しろ、ちゃんと待っていてやるから」
ハーレイの手がブルーの銀色の髪を愛おしげに撫でた。
「……ホント?」
「本当だ。お前が充分に大きくなるまで気長に待つさ。…俺だって待つのは辛いんだがな」
でも、教え子に手を出すわけにはいかんだろうが。
「ふふっ、そう……かもしれないね」
ハーレイ、いつまで待てばいい? 来年? 再来年? それとも、もっと…?
「こらっ、子供がそういう話をするもんじゃない!」
コツン、と頭を小突かれる。
ああ、本当にいつまで待てばいいんだろう。いつになったら昔みたいに本物の恋人同士になれるんだろう? だけど、こういう時間さえもが愛おしい…。
「ねえ、ハーレイ…。君の身体の時間は止めて待っててくれるんだよね?」
「そのつもりだ。でないと釣り合いが取れなくなるしな」
だから頑張って沢山食べろ。
そう言うハーレイに「うん」と返して厚い胸に頬を擦り寄せる。
今はまだ、こうして甘えるだけしか出来ないけれど。母が「お茶のお代わりは如何?」と来はしないかと、ドアを気にしながらの逢瀬だけれど。
でも、ハーレイ。君にもう一度会えて良かった。
ぼくはもう何処へも行かないから。二度と君から離れないから、いつまでもぼくの側に居て…。
分かるかい、ハーレイ? 今、ぼくがどれだけ幸せなのか………。
聖痕・了
地球を目指して星の海を渡るミュウたちの白い船、シャングリラ。
人類軍がモビー・ディック……『白い鯨』と呼ぶ優美な船体に秘められた戦闘能力は大きく、
それをサポートするナスカの子たちのタイプ・ブルーのサイオンの下、地球への道は今や確実に
拓けつつあった。
「まだだ。もっと引き付けてから一斉射撃!」
人類軍の一大艦隊を前にキャプテン・ハーレイの指示が飛ぶ。
「右舷前方、攻撃、来ます!」
「グラン・パ!」
「頼む、トォニィ!」
着弾前に爆発してゆく幾つものミサイル、四散し消滅するレーザー。ソルジャー・シンの
陣頭指揮に従うナスカの子たちと、ハーレイに従うブリッジ・クルーと。
「サイオン・キャノン、発射!」
光の筋が敵艦隊へと吸い込まれてゆき、数ヶ所で起きた大爆発と、続く誘爆の連鎖の後に
もう敵艦の姿は見えない。これほどの大艦隊に遭遇することは以前は滅多に無かったのだが、
この一ヶ月ほどで急激に増えた。
シャングリラを侮れないと知った人類側も必死になっているのだろう。
「やりましたね、ソルジャー!」
「ああ。みんな、よく頑張ってくれた。ありがとう」
ソルジャー・シンの労いの声に歓声が上がり、続いてハーレイからの訓示を兼ねた重々しい
言葉が緩んだ空気を引き締める。それがいつもの光景だった。しかし…。
「「「キャプテン!?」」」
立っていたハーレイの身体がグラリと傾ぎ、そのまま床にくずおれる。ルリの悲鳴がブリッジを
劈き、エラとブラウが倒れたハーレイに駆け寄った。肩を揺すり、手首を握っても何の反応も
返らない。
「ドクターを呼べ!」
医療チームもだ、とソルジャー・シンが叫び、先ほどまでとは違う緊張と慌ただしさとが
ブリッジの上を覆っていった。
「……ハーレイ?」
不意に呼ばれたような気がして、ブルーは青の間を見回してみる。戦闘があったことは
承知していたが、今のブルーはソルジャーではない。ソルジャー・シンからの要請があるか、
或いはナスカの子たちの危機でも察知しない限り、戦線には出ないと決めていた。
『…ハーレイ…?』
終わったのか、と思念波で呼び掛けてみたが応えは無い。恐らく戦闘の結果を踏まえて今後の
進路や作戦などを皆と検討しているのだろう。そういう時に思念を送っても返事が無いのは
いつものことだ。分かっていたのに…、と苦笑する。
(駄目だな…。ハーレイの邪魔をしてはいけない、と分かっているのに)
ついうっかりと忘れてしまう。ソルジャーだった頃は決してこんな風に気安く呼んでみたりは
しなかったのに、退いて青の間に引き籠ってから弱くなった…、とブルーは腰掛けていたベッドの
傍らに視線をやった。そこに置かれたもう一つのベッド。
(……ハーレイ……)
ベッドの主の名を心の中で呼んで、そっとシーツを指先で撫でる。
ずいぶん遠い昔に思える、この手でメギドを沈めた日。あの日、奇跡にも似た形で救われて
以来、ブルーの傍らには常にハーレイが居た。
夜も自分の部屋には戻らず、ブルーの病室に詰めたハーレイ。そのハーレイの祈りがブルーの
命を繋いでいる、と知ったソルジャー・シンたちが、このベッドを青の間に運び込んだ。
ハーレイがいつもブルーを見守りながら眠れるように…、と。
(……でも……)
形だけのベッドになっているよね、とブルーの頬がうっすらと染まる。
ハーレイが自分のベッドを使っていた時期は確かにあったが、それはブルーがまだ本調子では
なかった頃。ブルーの容体が安定してからは、ハーレイはブルーを抱き締めて眠った。
初めの間は文字通りただ腕の中にそっと閉じ込めるだけ。それが恋人同士の営みへと
変わったのはいつだったろう。ブルーの身体が弱り始めて以来、絶えて無かった熱い時間を
取り戻すように幾度も幾度も身体を重ねた。そうして、今は…。
(…ハーレイ、無理をしていないかい? 君が死んだように眠っている日が増えているように
思うのだけど…)
ハーレイが青の間に戻る時間が日毎に遅くなってゆく。独りで夕食を終えて先にベッドに
入っているブルーの唇に口付けを落とし、シャワーを浴びて…。ベッドに潜り込んでブルーを
抱き寄せ、二言、三言を交わしたかと思うと、もう深い眠りに落ちている。
そんな日が長く続いていた。ハーレイの温もりを感じられればブルーはそれで充分だったし、
抱いて欲しいと強請るつもりも無い。けれど、ハーレイの疲労の色が濃くなってゆくのが、
ただ心配で堪らなかった。
無理をしすぎていないだろうか。休むようにと言うべきだろうか、と逡巡する内に扉が開く
気配を感じる。今日は早めに帰れたのか、と顔を上げたブルーの視線が凍り付き、ガクガクと
身体が震え始めた。
嘘だろう、ハーレイ…。君に呼ばれたと思ったのに……!
「大丈夫です、ソルジャー。落ち着いて下さい」
そう言ってくれた声は耳に馴染んだものではなくて、肩に置かれた手もドクターのもの。
ブルーが帰りを待ち焦がれていた褐色の身体は隣のベッドに横たわっていた。力が抜けたように
立ち上がれないでいるブルーの目の前で、ハーレイの腕に繋がれた点滴のチューブに滴がポタリと
落ちる。
「一通り検査を致しましたが、特に異常は見られません。連日、無理をしておられたようで…。
いわゆる過労と思われます。明日には意識が戻るでしょうが、当分は安静にして頂きます」
ソルジャー・シンも了承しておられます、とドクターは言った。
「ソルジャー・シンも御存知ない時間まで仕事をなさっておられたとか。もっと早くに気付く
べきだった、と長老方も反省しきりでいらっしゃいます。ソルジャー、あなたにお任せしても
よろしいでしょうか?」
「えっ?」
「心身の安静が第一ですので、三日間ほどは面会謝絶にすべきであると考えます。ソルジャー・
シンや長老の皆様方がお越しになれば仕事が頭を掠めるでしょうし…。私と医療スタッフ以外は
立ち入り禁止にしたいのですが」
ドクター・ノルディが何を求めているのか、ブルーはようやく理解した。ハーレイを看ていて
貰えないか、と言われているのだ。否と答えるわけがない。自分一人では心許ないが、ドクターと
医療スタッフも来てくれるのならば…。
「かまわないよ。どうせ一線を退いた身だ、こんな時くらいしか役に立てない」
「いえ、そんなことは…。ソルジャー、ありがとうございます」
キャプテンのお身体なら御心配は要りませんから、とノルディは点滴のパックとチューブを
チェックし、交換の時間にはメディカル・ルームからスタッフを寄越すと約束した。
「もちろん、キャプテンの分の食事も運ばせます。明日の朝には様子を見に寄りますから、
夜間のことはスタッフに任せてお休み下さい」
そう告げられて初めて夜であることに気が付いた。戦闘が始まる直前に軽い夕食を摂ったの
だったか…、と思い当たる。人類軍からの攻撃には昼も夜も無い。このところ、ハーレイは
夜中に飛び起きてブリッジに走ってゆくことも度々で…。
倒れるほどに疲れていたのか、とハーレイの頬に手を伸ばす。触れた肌からは何の思念も
感じず、疲れの酷さと眠りの深さが察せられた。
「それでは、失礼いたします。ソルジャーもお疲れになりませんよう」
ドクターが一礼して去って行った後も、ブルーは長い間、ハーレイの頬の辺りをそっと
擦り続けた。
少し伸び始めたらしい髭がチクチクと当たる。いつもシャワーのついでに剃っていたのか、と、
余計な手間を取らせていたことを悔いつつ、その気遣いが嬉しくて。
(ハーレイ…。暫くはぼくが世話をするから、ゆっくり休んで)
もう二度と無理をするんじゃないよ、と補聴器が外された耳元に唇を寄せて囁き掛ける。
こんな非常時に、とは思うけれども、ハーレイと二人きりの時間が三日間。ハーレイの目が
覚めたら、久しぶりにゆっくり話をして…、と心躍る時に思いを馳せながらブルーは自分の
ベッドに戻った。
ハーレイの腕と温もりが感じられないことは寂しかったが、独りで眠るには広すぎるベッドの
柔らかさは身体に心地良い。大きな枕に頭を凭せ掛けて間もなく、ハーレイの昏倒に驚きすぎた
心はゆるゆると眠りに誘われていった。
明日、目を覚ましたらハーレイはもう起きているのだろうか? 起きていなければ寝顔を
見ながらゆっくり待とう、と夢の狭間にブルーは揺蕩う。それから食事を運んで貰って、
ハーレイがベッドから起き上がれないようならフォークやスプーンで口まで運んで…。
ハーレイは何と言うだろう? 頬を赤らめて「自分で出来ますよ」と膨れそうだ…。
(………!??)
ザァッ、と激しい風が吹き付け、渦を巻いた。目を閉じ、顔を庇ったブルーが瞼を開くと、
其処は青の間よりも遙かに眩い光が満ちた空間で。
「やはりお前か。ソルジャー・ブルー!」
あの男が……黒髪の地球の男が銃口をこちらに向けていた。まさか、此処は…。
「此処まで生身でやって来るとは…。まさしく化け物だ。だが、此処までだ。残念だが、
メギドはもう止められない!」
銃口が火を噴き、右肩に衝撃と痛みとが走る。止めなければ。メギドを止めなければ…!
容赦なく撃ち込まれる弾丸に堪らず床に膝を付きつつ、反撃のチャンスとタイミングを計る。
残されたサイオンを極限まで高め、メギドと共にあの男をも…。
「これで終わりだ!」
視界の半分が真っ赤に塗り潰された次の瞬間、サイオンを床へと叩き付けた。暴走した青い
光の輪が広がってゆき、地球の男を飲み込もうとする直前に。
「キース…!!!」
飛び込んで来た人影が背後から地球の男を抱えるようにして消え去った。
鮮やかな碧のサイオン・カラー。
今の男は…ミュウだった……のか…? それならば。地球の男の傍らにすら、ミュウが
生き延びるだけの余地があるならば。
(ジョミー! …みんなを頼む!)
このメギドだけは壊して逝くから。
ミュウたちの生きられる場所を探して、君たちは地球へ…。
(…ハーレイ、君もどうか無事で…。ぼくの分まで、地球をその目で…)
でも、ハーレイ…。もう一度だけ会いたかったよ、君の碧が見たかった。さっきのミュウを
見て思い出したんだ。ぼくだけの懐かしい、暖かく輝く碧の光を…。
どうか最後に一目だけでも、と願った思いは叶わなかった。漆黒の奈落に囚われ、闇の底へと
引き摺り込まれる。もう会えない。自分は此処で闇黒に飲まれて、たった一人で…。
「ハーレイ…っ!!!」
伸ばした手が空を切り、ブルーは底知れぬ冥暗の獄へと投げ出された。
落ちる。落ちてゆくのだ、永遠に。会えなかった想い人の名を呼び続けながら、永劫の時を
泣き叫びながら、果てしなく何処までも、光すら届かぬ真の闇の中を……。
「ハーレイ! …ハーレイっ…!!」
自分の泣き声で目が覚めた。落下は止まり、ベッドの天蓋が上の方に見える。
(……此処は……)
青の間なのか、とホッと安堵し、全ては夢であったと悟った。けれどいつもなら抱き締めて
くれる腕が無い。
「恐ろしい夢を見たのでしょう」と、「大丈夫ですよ」と頬を優しく撫でてくれる手も、
温かな口付けをくれる唇も…。
「……ハーレイ…?」
もうブリッジに行ったのか、と身体を起こし、傍らのベッドに気付いて血の気が引いた。点滴の
チューブに繋がれ、死んだように眠っているハーレイ。点滴パックが満杯に近い状態だから、
寝ている間に医療スタッフが交換をしに来たのだろう。
昨夜、過労で倒れたハーレイは多分、あれから一度も目覚めてはいない。目覚めたのなら
思念でブルーを呼ぶ筈だ。ブルーがどれほど心配したかは分かる筈だし、「ご心配をお掛けして
すみません」と一言必ず告げてくれる。
(…このせいかな……)
酷い夢だった、とブルーは前髪を掻き上げた。
メギドの悪夢は今でもたまにブルーを苛む。けれど最後には碧の光がブルーを包み込み、
ハーレイの許へと運んでくれるのが常だった。いつもハーレイが気付いて目覚め、夢が
恐ろしい方へと向かわないように優しく起こしてくれるのだから。
その誘導が無いとこうなるのか、と身体を震わせたブルーの心にフッと不吉な翳が差す。
体力の限界に達したハーレイ。
ブルーをメギドから救い出して以来、その命の灯を決して消すまいと祈り続けてくれる
ハーレイ。彼の祈りだけで生かされていることは自覚していたし、無上の幸せでもあった。
ただ、心の片隅に蟠っている疑問が一つだけ。
ブルーの命を繋いでいるものは本当にハーレイの祈りだろうか? 祈りではなく、その祈りに
托されて流し込まれるハーレイの命で自分は生きているのではないか…。
人の血を吸って永遠の命を得ていたという伝説の中の吸血鬼。彼らのように自分もハーレイの
命を啜り、削り取りながら今も生き永らえているのではないか…。
それを一度だけ口にした時、ハーレイは豪快に笑い飛ばした。そんな器用なことは出来は
しないし、仮にそうなら自分はとっくの昔に死んでいますよ、と。
(そうでしょう、ブルー…、と、君は言ったね。本当ならば老衰で死んでいた筈のぼくを、
あれだけの傷を負って死にかけたぼくを今の状態まで戻すためには命が幾つあったとしても
足りないと…。でも……。君とぼくとが思った以上に、君の寿命は長かったのかもしれないよ…)
限界が来たんじゃないのかい、とブルーはポツリと呟いた。
「過労だとノルディは言ったけれども、本当はぼくのせいかもしれない。君の命を削り続けて、
とうとう限界に近付いたのかも…。そうだとしたら、もういいよ」
これ以上はもう祈らないで、とブルーは眠り続けるハーレイの唇に口付ける。
「君はシャングリラのキャプテンだ。ぼくよりもずっと、ミュウのみんなが必要としている
人間なんだよ。…だから、君の命は君のためだけに…。ぼくは充分に生きたから」
メギドから連れ戻してくれてありがとう、とハーレイの手に額をつけて礼を言ったものの、
先刻の悪夢が蘇って来た。充分すぎるほど生きたけれども、またハーレイと離れて逝くのか…。
「ハーレイ…。せめて最期は手を握っていてくれるかい…? 戦闘の真っ只中だったとしても、
ぼくの側に居て手を握っていて欲しいんだ。それがぼくからの最後のお願い。…君の手があれば、
きっと最後まで幸せなままで旅立てるから…」
ちょっと我儘すぎるだろうか、と微笑むブルーの瞳に涙の粒が盛り上がる。
逝きたくはない。まだ逝きたくはないのだけれど、ハーレイ、君の命は受け取れないよ…。
もうこれ以上、ハーレイの命は貰えない。
ブルーは決意を固めはしたが、それをハーレイにどう告げたものか。
二度と祈るな、と言おうものならハーレイは意地でも祈り続けることだろう。彼の命の灯が
燃え尽きるその瞬間まで、ブルーを決して離しはすまいと…。
ハーレイの祈りを拒絶する術はブルーには無く、望まれるがままに生き続けるだけ。強引に
それを断とうとするなら、自分自身を害するしかない。ブルーが自ら命を絶てばハーレイの命は
守れるだろうが、ハーレイの心はどれほど傷つき血を流すことか…。
「…ハーレイ…。ぼくはどうすればいい? どうすれば君の命を守れる…?」
分からないよ、とブルーの中で答えの出ない問いが廻り続ける。
ハーレイのベッドの傍らを離れ、自分のベッドに仰向けに転がって見えない答えを探し続ける。
誰かに相談すべきだろうか? ソルジャー・シンならハーレイの祈りを強制的に遮断し、ブルーの
命を絶てるだろうか?
(…でも……。そうすれば君が困るよね、ジョミー…)
ぼくを殺せと言うのも同じ、とブルーは両手で顔を覆った。
アルテメシアでサイオンに目覚めたばかりのジョミーが自分を生かしたことがある。今の
ハーレイのように祈りと願いの力だけで。
あれもジョミーの命によるものだったら、自分の命を一度は注いで生かしたブルーを殺せる
だろうか? たとえゆっくりと衰え死んでゆくのだとしても、ブルーの命を消せるだろうか…。
ましてトォニィやナスカの子たちには頼めない。あの幼さで人の命を絶ち続けるのは戦場だけで
沢山だ。同じ船で生き、共に暮らしているブルーの命を子供ゆえの純粋な使命感だけで絶てたと
しても、いつか成長した暁には心の傷となりそうで…。
(…ハーレイ…。ぼくは死ねないよ…。死ねないけれど、死ななきゃならない。君のためには
死ぬしかないんだ。でも方法が見付からないよ……)
ヒルマンなら何か分かるだろうか、と教授と呼ばれるシャングリラの碩学を思い浮かべる。
あるいは過去の歴史に詳しいエラあたりか。しかし、誰に相談しに行くにしても…。
「三日間、頼むと言われたっけ…」
ハーレイは三日間、面会謝絶だ。その間の看病を引き受けた以上、青の間を抜け出すわけには
いかない。ましてハーレイに自分の決意を見抜かれたりすれば、ただでも過労で倒れた身体に
更なる負担がかかってしまう。
「…あと三日だけ、夢を見るのがいいのかな…」
三日くらいなら誤差の範囲か、とブルーは無理やり結論付けた。ハーレイに心を
読まれないよう、思考ごと遮蔽し封じると決める。自分自身でも思い出せない記憶の奥底に
決意を閉じ込め、解き放つ時は三日の後。
ソルジャー・シンか、長老たちか。彼らの内の誰かが青の間を訪れるまで心の底へ、と
ブルーは思考の一部に固く鍵を掛けた。
ブルー自身も忘れてしまった命への疑問。
翌朝、何も知らずに目覚めたブルーは傍らにハーレイの温もりが無いことに驚き、隣のベッドで
独り眠っている想い人を見付けて昨夜の騒ぎを思い出した。
「まだ目が覚めてはいないんだよね…」
ベッドから起き出し、ハーレイのベッドに腰掛ける。心なしか少し窪んだ頬へと手を
滑らせれば、昨日感じた髭の感触が思い起こされて。
「…また伸びてる…」
そっと辿ってみた髭の生えた辺りは昨夜よりも強くその存在を主張していた。それが生命力の
証に思えて、ふっと頬が緩む。点滴のパックはさっき交換されたばかりのようだが、ハーレイが
目覚めればきっと食事も摂れるだろう。しかし、髭は自分で剃ることが出来るのだろうか?
(…食事はぼくが食べさせてあげられそうだけれど、髭はどうかな…)
どうやって剃るのか分からないよ、とブルーは頭を悩ませる。着替えや身体を拭くのと同じで
医療スタッフに任せるべきか、この機会に挑戦してみるか。
(えーっと…。とりあえず、やり方を知らないことにはね…)
少しだけ心を読んでもいいかな、とハーレイの寝顔を覗き込んだ時。
「……謹んで遠慮させて頂きますよ」
切り傷も剃刀負けも御免です、と口にしながらハーレイがゆっくりと目を開けた。
「あなたはいったい、何をなさる気で…。………???」
ハーレイの鳶色の瞳がブルーの顔と点滴パックと、自分の腕に刺さったチューブとを何度も
何度も見比べる。自分の身に何が起こっているのか、まるで分かっていない様子にブルーは
クスッと笑みを浮かべた。
「君は働き過ぎなんだよ。過労だってさ、昨日ブリッジで倒れたそうだ」
「で、では…。今のシャングリラはどうなって…」
起き上がろうとするハーレイの肩をブルーの腕が押さえ付ける。
「急に動いちゃ駄目だろう! 点滴のチューブが外れてしまうよ、それにドクターに叱られる」
「…ドクター?」
「三日間、面会謝絶だと言っていた。ドクターと医療スタッフしか来ない。君の世話はぼくに
お願いします、と一任されたから任せておいて」
食事を運んで貰う前に髭を剃ってみてもいいだろう、と茶目っ気たっぷりに微笑むブルーに
ハーレイは青ざめ、自分で剃れると逃げを打つ。攻防戦の末、ハーレイは点滴の台を
引き摺るようにしてバスルームへと歩いてゆき…。
「ふうん…。そうやって剃るんだ、髭って」
興味津々で背後から鏡を覗き込むブルーに、ハーレイは剃刀を使いながら。
「シェーバーを使っている者たちも多いですよ」
「…シェーバーって?」
「いわゆる自動の髭剃り機ですね」
私の好みではありませんが、と返されたブルーの胸がじんわりと少し熱くなる。
まだハーレイについて知らない部分があるようだ。知れて嬉しい、と思うと同時にもっと
知りたい、と思いが募る。ハーレイのことをもっと幾つも、一緒に生きてゆく中で幾つも、
幾つも…。
医療スタッフに三度の食事を運んで貰って、朝と夜とにドクターの診察。点滴のパックも
三日目の朝には外され、ブルーとハーレイはそれは穏やかな面会謝絶の期間を二人で過ごした。
ハーレイが多忙を極めて以来、絶えて無かった二人だけの長くてゆったりとした時間。
他愛もない話をしたり、ハーレイの髭を剃りたがるブルーと揉めたり、同じテーブルで
食事を摂ったりと、まるで蜜月であるかのように。
これは後から知れた事実だが、キャプテンの疲労回復を妨げぬよう、ソルジャー・シンは
地球への進攻を一時中止し、フィシスの占いなども取り入れて人類軍のいない宙域を選んで
航行していたらしい。その甲斐あって、面会謝絶は四日目の朝に無事に解かれて。
「なんだい、思ったよりも元気にしてるんじゃないか」
つくづくタフな男だねえ、と朝食後にブラウが訪れた。
それは蜜月の終わりの合図。心の底深く秘められた鍵が外れて、遮蔽が解ける。
(……そうだった……)
三日間だけの夢だったのだ、とブルーの胸の奥に冷たい氷の塊が出来た。
ハーレイの命を削り続けて生きて来た自分。この忌まわしい命をどうやって絶つか、誰に
相談するべきなのか。ブラウは多分、適役ではない…。
「…ブルー? どうなさいました?」
お顔の色が、とハーレイが心配そうに尋ね、ブラウがブルーの顔を覗き込んで。
「アレだね、看病疲れだろ。ハーレイ、あんた、色々我儘言ったね」
「いや、私は…」
「違うんだ、ブラウ。…そうじゃない」
ハーレイは何も、と止めに入ったブルーの肩をブラウはポンと軽く叩いた。
「こんなデカイのの世話を三日もお疲れさま。…だけどアンタが元気そうにしてて良かったよ。
ハーレイが引っくり返った時には共倒れかと焦ったからねえ…」
「…共倒れ?」
怪訝そうに訊き返すブルーに「そうですよ」と答えを返した人物は、朝の診察のために
入室してきたノルディだった。
「キャプテンがあなたの命を繋いでいることは疑いようのない事実です。ただ、それがどういう
形なのかが分からなかった。キャプテンは祈りだけだと仰いましたが…」
「正直、自分の命を分けているんじゃないかと誰もが心配していたわけさ」
ブラウの言葉にブルーはギクリと自分の胸元に手を当てる。
告げるまでも無く知られてしまった。それにハーレイも聞いている。これでは、自分は…。
「何をビクビクしてるんだい? はは~ん、さてはアンタも心配してたね?」
「…ブラウ…。頼む、ハーレイの前でその話は……」
しないでくれ、と縋るようにブルーはノルディに視線を送った。面会謝絶が解けたばかりの
ハーレイに心労を与えてはまずい。日を改めて、と思念と瞳で哀願したが。
「ソルジャー、どうか御心配なく。…今回の騒ぎで分かりましたよ、キャプテンのお話が
正しいようです。もしも本当に命を分けておられるのならば、あなたも倒れておられた筈です」
「…そ、それは…。幾らかはストックがあっただろうし…」
それで倒れずにいられただけだ、とブルーは声を絞り出す。けれどノルディは首を横に振った。
「お言葉ですが、命をストックするというのは恐らく無理かと思われます。仮に可能だったと
しても三日もの間、キャプテンが不調でおられたとなると影響が出ます。ですが、あなたは
普段と変わらず健康な状態でいらっしゃいましたし…。祈りで間違いなさそうですね」
「そういうことだよ、だから心配無用ってね。命を削ってるわけじゃないんだ、このデカブツは
長生きしそうだし、うんと長生きさせて貰いな」
百年くらいは軽い、軽い、とブラウは声を立てて笑った。ハーレイは顔を真っ赤に染めつつ、
ブルーに優しく微笑みかける。
「…そんな御心配をお掛けしていたとは…。ブルー、申し訳ありません。お詫びに一度くらい
でしたら、私の髭を剃って下さっても…」
「おや、なんだい? 髭って何さ?」
面白そうだねえ、とブラウが話に首を突っ込み、「剃っちまいな」とブルーを唆し…。やがて
訪れたソルジャー・シンや他の長老たちも交えて髭剃りは時ならぬ娯楽となった。
誰もがブルーの命のことを気遣いつつも口に出来ずに秘めていた分、何の心配も無いと分かった
反動はシャングリラの船体をも揺るがしそうな笑いの渦へと広がっていって…。
「…ブルー、いささか痛むのですが…」
やはり遠慮しておくべきでした、とハーレイが顎に手を滑らせる。面会謝絶は解けは
したものの、キャプテンはまだ当分は安静ということになっていた。
「構わないと言ったのは君だろう? 剃刀負けにはこれだ、とノルディも言ったし」
塗ってあげるよ、とブルーは軟膏のケースを手に取り、中身を指先に掬い取る。
「ほら、じっとして動かない! 明日の朝にはきっと治るさ」
「いたたたた…。本当に髭剃りは二度と勘弁願いますよ」
「うん。ぼくには向いていないみたいだし…。自分で剃るのが一番だよね」
でも疲れた日は剃らなくていい、とブルーはしっかり釘を刺した。
「シャワーだって次の日の朝で構わないんだよ、ぼくは全く気にしないから」
「…ですが、あなたと同じベッドで休むのですし…。休養期間が終わりましたら」
それまでは別のベッドですが、と言うハーレイの手をブルーの白い手がギュッと握った。
「それなんだけど…。ドクターが診察に来る前に起きて移動でいいんじゃないかな」
「…ブルー?」
「君の命を削っているんじゃないかと怖かったんだ。君が倒れて、そうだと思った。君の側には
もう居られない、死ぬしかないと思っていたんだよ…」
でも怖かった、とブルーはハーレイの胸に縋り付く。
「どうやって死ねばいいかも分からなかったし、君と離れるのも怖かった。君が最後まで手を
握っていてくれるなら…、とも思ったけれど……ずっと君の側に居たいとも思った」
どれも選べなかったんだ、と訴え掛けるブルーの心からハーレイの中に思いの全てが流れ込んで
いった。命を繋ぐ祈りを捧げ続ける絆を通して逆流したと言うべきか…。
自ら命を絶つことすらをも考えたほどに思い詰めていたブルーの深い嘆きと悲しみ。
ハーレイの命を守るためだけに死にたいと願い、それでもハーレイの側に居たいと……最後まで
手を握って欲しい、と涙を零して心を固く封じたブルー。
倒れたハーレイに余計な心痛をかけまいとして、辛い思いを、答えの出ない問いを心の奥底に
沈め閉じ込め、その封印が解ける瞬間まで柔らかく微笑み続けたブルー…。
ハーレイは声も出せなかった。あまりの痛みに、その健気さに心が張り裂けそうになる。
これほどの苦しみを負わせたのか、と。
ただ守りたいとひたすらに願い、どんな苦痛も悪夢でさえも近付かせまいと大切にしてきた
つもりのブルーを、これほどまでに苦しめたのか……と。
今度こそブルーを離しはすまい。
二度とブルーを悲しませないよう、苦しめぬよう、華奢な身体を守らなければ…。ハーレイの
腕に力が籠もる。ブルーをその胸に閉じ込めるように。
「……ハーレイ……?」
「ブルー、あなたの仰せのままに……」
ドクターが来る前に起きて移動を致しましょう、とハーレイはブルーを強く抱き締めた。
側に居たいと望むブルーが求めているであろう確かな温もり。ブルーが味わった悲しみと流した
涙の代わりと呼ぶにはあまりにもささやかなものだけれども、せめて腕の中で休ませたいと…。
ハーレイと離れて逝かねばならぬ、と一度は決意したベッドの上でブルーは想い人の体温と
匂いに包まれる。
「……温かい……」
君の身体は温かい、と胸に頬を擦り寄せるブルーの背をハーレイの手が優しく撫でる。
「…ブルー、申し訳ありません…。もう長いこと、ただ添い寝するだけの夜ばかりで…。それも
私が先に眠るなど、さぞかしお寂しかったでしょうに……」
もう少し身体を気遣います、とハーレイはブルーに口付けた。
「すみません…。今はこれだけが精一杯で……。あなたが嫌だと仰るほどにお身体に私を
刻み付けられるよう、頑張って体力を取り戻しますよ」
「…そんなこと……。そんなのは無くてもいいんだよ。……ぼくは長い間、君を待たせた。
メギドから戻って来た後もそうだし、その前は十数年も待たせ続けて眠ったままで…」
だから今度はぼくが待つよ、とブルーはハーレイに口付けを返す。触れるだけの口付けを
何度も、何度も、想いをこめて唇に、頬に、まだ痛むらしい剃り跡の傷を労わるように。
「君がすっかり元気になるまで、一緒に眠れるだけでいい…。明日はドクターが来る前に
ぼくが起こすよ、だから安心してゆっくり眠って……」
「…ブルー、あなたこそ…。辛い想いをなさったのです、今夜はどうぞ良い夢を…」
明日の朝はごゆっくりお休み下さい、とハーレイは自分で起きると言い張った。互いに相手の
身体を気遣い、自分が起こす、と約束し合いながら、二人して眠りに落ちてゆく。
先に眠ったのはハーレイだったか、それともブルーだったのか。
固く抱き合い、寄り添い合ったままで眠り続ける恋人たちは気付かない。
部屋を訪れたドクターが一つ溜息をついて、首を振りながら出て行ったことに。
キャプテン・ハーレイ、過労につき当分は青の間で静養とする。
入室する者は事前にドクターの許可を得るよう、との告知がシャングリラ全艦に流された。
ソルジャー・シンや長老たちもその例外ではないらしい。
そんな告知が出されたとも知らず、ハーレイとブルーは眠り続ける。
二人が共に目覚めた時にはブルーの心を引き裂いた痛みも、ハーレイの顎の剃刀負けも
きっと癒えていることだろう。互いの温もりは何にも勝る特効薬で、それを上回るものは
無いのだから。
地球への道は長く険しいけれども、二人は地球の夢を見る。
青い星に二人で降りてゆく夢。
夢はいつの日か、遠い未来に奇跡となって青い地球の上で叶う筈……。
奇跡の狭間で・了
≪作者メッセージ≫
ハレブル別館にお越し下さってありがとうございました!
『奇跡の狭間で』は、『奇跡の碧に…』と『奇跡の青から』の間の何処かが
舞台になっているお話です。特に何話の辺りとは決めてませんねえ…。
地球の座標は掴んだものの、まだまだ遠い宇宙を旅していた頃です。
昨年の『奇跡の青から』でブルー生存EDを書き上げたくせに、いざ7月が
近付いてくると「何かせずにはいられない」という損な性分。
「ウチのブルーは生きてます!」と再確認&主張するために書いてみました、
奇跡シリーズな『奇跡の狭間で』。
ブルーを生かしているものが何であるかもハッキリさせておきたいですしね。
ハーレイの命を貰っているわけではありませんから、御安心を。
祈りという奇跡で生きているブルー。
祈りを捧げ続けるハーレイ。
そんな二人が青い地球まで星の海を渡ってゆくのです。
青い地球の上に降り立つことが出来たブルーは、幸せに生きているでしょう。
ハーレイと二人で穏やかな日々を、文字通り「ただのブルー」として。
今年も「運命の17話」の放映日、7月28日が巡って来ました。
アニテラでは叶わなかった未来だからこそ、ブルーを青い地球の大地の上へ。
一連の『奇跡』シリーズは、そのためだけに存在します。
ハーレイとブルー、二人の幸せな未来を祈りつつ…。
7月28日ですから、黙祷。
2013年7月28日(日)、アニテラ17話放映から6周年。
岩盤に押し潰される衝撃が来るまでの時間は酷く長かった。砕けたシールドの欠片が青い光の
粒に変わるのを赤い瞳でぼんやりと見ながらハーレイを想う。今度こそハーレイは泣くだろう
けれど。…でも、キースたちを守って無事に地上へ戻って欲しい。地球の未来を見届けて
欲しい…。
「ブルー!!!」
視界に青い光が溢れ、ブルーをまさに押し潰さんとしていた岩が粉々に弾け飛んだ。現れたのは
ジョミーではなく、オレンジ色の瞳のトォニィ。
「間に合った…。飛ぶよ、ブルー!」
燃えるような髪を持つ青年の腕に抱えられ、一瞬の後にはジョミーたちが待つ地下通路へと移動
していた。
トォニィはブルーを両腕で抱いたままでジョミーに向かって叫ぶ。
「グラン・パ、上の方も崩れ始めてる! 歩いていたんじゃ間に合わない。ぼくとグラン・パの
力で飛ぼう。何度かに分ければ上に出られる!」
ぼくはそうやって降りて来た、というトォニィの提案にジョミーが頷き、ハーレイがブルーを
腕に抱き取った。そんな中でジョミーが「すみません」とブルーに謝る。
「あなたを迎えに飛ぼうとしました。…そこへ地震が起こってしまって、目標を定められなく
なった。もしもトォニィが来てくれなかったら…。本当にすみませんでした」
『…君が謝る必要はない。あそこに残ると言ったのは、ぼくだ。…君が地震の中で飛べない程に
消耗したのはグランド・マザーのせいだろう? …気に病むな、ジョミー。それよりも、上へ』
「はい…!」
行きましょう、とジョミーとトォニィがハーレイとキースを挟んで向かい合った。ハーレイの
腕の中にはブルー。キースの腕にはマツカ。二人のタイプ・ブルーが力を合わせれば、その
サイオンは相乗される。テレポートを重ねて上へ、上へと飛んでゆく間、ハーレイはブルーを
しっかりと抱いて離さない。
『ブルー…。今度こそ駄目かと思いましたよ。…ソルジャーとしての御判断も結構ですが、もう
おしまいにして下さい。私の心臓が保ちません』
『…ぼくを生かしている分を削れば大丈夫だろう?』
『何度も申し上げた筈ですが…。あなたが生きていらっしゃることこそが、私の生きている
意味です。…ですから生きて下さい、ブルー』
シャングリラに帰ったらすぐに手当てを、とハーレイは言うが、痛みはそれほど感じなかった。
傷口を凍らせられていることもあったが、それ以上に精神的なものが大きい。一つ判断を誤れば
皆を巻き添えにしかねない状況だけに、気をしっかりと保たねばならぬ。…そう、地の底から
脱出するまでは。
「グラン・パ! 上に誰か居る!」
「なんだって?」
何処だ、と問い返しながらもジョミーはトォニィと共にブルーたちを連れてテレポートする。
ぽっかりと開けた空間は薄暗かったが、そそり立つ扉と女神のレリーフに見覚えがあった。
カナリアと呼ばれる子供たちがいたフロアだ。
「ゼル!? それに…ヒルマンたちか?」
「「「ソルジャー!?」」」
ジョミーの呼び掛けに応えた声は長老たちのもの。絶え間ない地震で壁がひび割れ、落下物が
散乱する暗い広間に彼らは居た。
「こんな所で何をしているんだ! 崩れるぞ!」
「…ソルジャーたちを探して此処まで降りて来たんじゃが…」
「先へ進めなくなっちまってさ。でも、あんたたちが無事で良かったよ。…と、無事ってわけでも
ないようだね」
ブルーの傷と気を失っているマツカに気付いたブラウに、ブルーは声を出す代わりに思念で
尋ねた。
『…此処に子供たちがいなかったか? それとも脱出した後だったか…』
「あの子たちならシャングリラに送り届けました。…それにフィシスも」
ヒルマンが穏やかな瞳で高い天井を仰ぐ。
「こんな所に子供がいたのには驚きましたが、見殺しには出来ませんでしょう。私たちの力を
合わせればそのくらいは…。ただ、私たちが戻るのはもう無理なようです」
来た道は塞がってしまいましたし、とヒルマンが指差す先には崩れ落ちた通路。此処はまだ
地上までの中間地点に過ぎず、脱出不可能と悟った彼らは子供たちと年若いフィシスを優先して
逃がしたのだろう。
「ソルジャー、あなたは逃げるんじゃ。勿論、ソルジャー・ブルーもですぞ」
「ハーレイ、あんたも行くんだよ。ブルーはあんたがいなけりゃ生きられないし、シャングリラ
にはキャプテンが必要だからね」
行きな、とブラウが明るく笑い、ヒルマンやエラたちも声を揃えた。ミュウと人類の未来の
ためにも自分たちを捨て、ジョミーやキースたちが生き残って皆を導くべきだと。
「ほらほら、何をグズグズしてるんだい? 早く逃げないと崩れちまうよ。…そこの大将も上で
お供が待っているんだ」
ブラウが大将と呼んだのは他ならぬキースのことだった。
「あんただよ、国家主席様。…人類にはシールドなんて器用なことは出来ないからねえ、よろしく
頼むと言われたんだ。探しに行くなら閣下も是非…って。シャトルが出られるギリギリまでは
待ってるってさ」
「…では……会談は無事に終わったのだな?」
キースの問いにゼルがフフンと余裕の笑みを浮かべる。
「当然じゃろう。…まったく、あんなメッセージを流したくせに無責任に出ていきおって…。
お前の部下たちは気の毒じゃったぞ、右往左往というヤツじゃ。あちこちの星で暴動が起こるわ、
軍人どもは戦いを放棄するわで後始末に頭を痛めておったわい」
早く戻って手伝ってやれ、と促したゼルの目が不審そうに細められた。
「…なんじゃ? この感覚は…。もしやミュウではあるまいな? お前はミュウを連れて
おるのか?」
「連れているとも。マツカはミュウだ。…そして私自身も…ミュウらしいな」
唇の端を吊り上げたキースの身体からサイオンのイエローが立ち昇る。長老たちは息を飲み、
其処へジョミーが今に至るまでの経過の全てを思念で伝えた上で畳み掛けた。
「分かるな、これからが大切なんだ。逃げるなら誰一人欠けてはならない」
「ソルジャー! 無茶を仰られては困りますな」
どうぞお早く、とヒルマンがブルーたちから離れて退き、ブラウたちも壁際に下がろうと
したが。
『アルテラ! タージオン、ペスタチオ、みんな、手を貸せ!』
トォニィの強大な思念が遙か上へと向かって放たれ、ナスカの子供たちの青いサイオンが
シャングリラからユグドラシルの地下深くへと飛び込んで来た。そのサイオンに巻き上げられる
ようにゼルが、ブラウが、ヒルマンとエラの姿が消えてゆく。
「「「ソルジャー…!!!」」」
「先に戻っていろ! ぼくたちもキースを送り届けたら戻る!」
行け! とジョミーがシャングリラが浮かぶ宇宙へと思念を送り、ブルーたちの方を振り
返った。
「ぼくたちも行こう。…急ぐぞ、ユグドラシルが崩れてしまったらシャトルが飛べない」
「グラン・パ、シャングリラからもシャトルが出てる!」
アルテラに聞いた、と告げるトォニィに、ハーレイが満足そうな微笑みを見せた。
「シドが決断を下したか…。地球を離れる代わりに人命救助の道を選ぶとは、いいキャプテンに
なるだろうな」
「まだキャプテンは君だろう? 行くぞ、トォニィ!」
ジョミーのサイオンがトォニィのそれと重なり、ブルーたちを連れてユグドラシルの上を
目指して飛ぶ。点在する空間から空間へと、地震と地鳴りの間隙を縫って。
そうやって辿り着いた地上は激しい揺れと地割れからの噴火に見舞われ、ブルーとハーレイに
とってはアルタミラの惨劇を思い起こさせる熱く燃え盛る大気の中を何基ものシャトルが
上昇してゆく。地球にいた人類たちは皆、無事に脱出できただろうか?
ユグドラシルの地上部は壁や通路のあちこちが裂け、照明すらも落ちた内部に人影は無い。
辛うじて外部からの有毒ガスだけはまだ入り込んでおらず、地震の度に縦に横にと揺れる通路を
格納庫へと進んでゆくと。
「アニアン閣下!」
キースの側近の一人だった浅黒い肌の国家騎士団員の青年が、一基だけ残っていたシャトルの
中から駆け出して来た。
「閣下、御無事で…! マツカは!?」
「大丈夫だ、まだ死んではいない。私を庇って怪我をした。…そこのミュウたちが応急処置を
してくれたのだ。私を此処まで連れて来てくれたのも彼らだ」
キースの言葉に青年はジョミーたちに最敬礼をし、続いて深々と頭を下げた。国家騎士団と
言えば軍人の中でもエリート中のエリート。その騎士団員がミュウに対して礼を取るという
行為が新しい時代の始まりを示していた。
「ありがとうございました! …閣下、此処はもう危険です。ユグドラシルにいた者たちは
脱出しました。我々も早く!」
「ああ、急がねばな。…世話になった、ジョミー。ソルジャー・ブルー。…そしてトォニィ。
それにキャプテンも……。礼を言う」
また会おう、とマツカを抱いたまま会釈し、キースはシャトルへと乗り込んで行った。既に
準備が整っていたシャトルは滑るように離陸しようとしたが、その瞬間にユグドラシルが大きく
揺れる。天井に激突しかかったシャトルを間一髪で支え、燃える空へと解き放ったのは
ジョミーとトォニィのサイオンだった。
『…すまない、最後まで世話をかけたな。お前たちも早く逃げてくれ』
キースから届いた思念波にジョミーが遠ざかるシャトルへと手を振り、ブルーたちの方を
振り向く。
「ぼくたちが最後らしいです。…帰りましょう、シャングリラへ。もう地球で出来ることは
何もありません」
『…そうだね、ジョミー。…こんな星へ行けと頼んですまなかった』
「ブルー、これからが新しい時代ですよ。ミュウにとっても、地球にとっても。…見届けて
下さい、あなたのその目で」
帰りますよ、と強い意志を秘めたジョミーの瞳が大気圏内に降下してきていたシャングリラを
見上げ、最後のテレポートがブルーたちを展望室へと運んだ。
ガラス張りの窓からユグドラシルが沈み、崩れ落ちてゆくのが見える。地球に寄生していた
SD体制の象徴たる忌まわしい毒キノコが宿主の怒りに触れ、毟り取られて踏み躙られ、
地の底へと葬り去られる姿が…。
『…ハーレイ……。地球が……燃える…』
アルタミラみたいに、と思念で呟くブルーを両腕で抱いたまま、ハーレイも窓の外を見詰めて
いた。
「そうですね…。けれど、私は地球は再生すると信じています。あなたに青い地球を見て頂ける
日が必ず来ると信じていますよ…」
あなたが生きて下さったように、とハーレイの思念がブルーの心に囁き掛けた。
『ソルジャーに戻ると仰った時、私は覚悟を決めていました。…あなたに万一のことがあったら、
私も生きて戻りはすまい……と。ですが、私たちはシャングリラに戻ってきたでしょう?
青い地球にもきっと行けます。あなたが生きて下されば……きっと……』
そのためにも早く傷の手当てをなさらなければ、とハーレイに促され、ジョミーが思念を
飛ばしてドクターと医局の者たちを呼び寄せても、ブルーは赤々と燃え上がる地球から視線を
離そうとはしなかった。
長い年月、焦がれ続けた青い水の星………地球。
この星がいつか元の姿を取り戻す日が来るのだろうか、と地表を流れる灼熱の溶岩と
マグマが噴き出す無数の地割れとを眺め続ける。ドクターに打たれた麻酔のために意識が
薄れ始めても………地球を。
重傷を負ったブルーの手術はメギドから帰還した時ほどに長くは掛からなかった。傷は深いとは
いえ一ヶ所だけであったし、ジョミーが取った処置とハーレイが注ぎ込んだ命が体力の消耗を
防いでいたために回復も早い。ブルーが意識を取り戻した時、最初に瞳に映ったものは…。
「…ハー…レイ…?」
「はい。ずっとお側にいましたよ、ブルー…」
見覚えのあるメディカル・ルームのベッドの脇にハーレイが優しい笑みを湛えて腰掛けている。
「……地球は……どうなった…? 人類…と…ミュウは…?」
「キースとマツカを救ったのがミュウだと公表されたお蔭で一気に距離が縮まりました。あの後、
すぐに人類側の旗艦ゼウスの艦長でマードックと名乗る人物がシャングリラに表敬訪問を…。
私が船内を案内しましたが、友好的な男でしたよ。…ナスカでの戦いの直後に残存ミュウの
掃討命令を無視したそうです」
人類側も好戦的な者ばかりでは無かったのですね、とハーレイはそっとブルーの手を取った。
「あちこちの惑星で起こったという暴動も、全てマザー・システムの破壊が目的でした。
施設に収容されていたミュウは自由になり、人類と共に暮らし始めているとのことです。
人類のミュウ化も既に報告が入っております。…これは機密扱いだったそうですが、
国家騎士団員の中にも少し前から潜在ミュウが」
「…それもマツカのせい…なのかな…?」
「恐らくは。…けれど他にも事例があるようですから、ミュウ因子を持った者がいたの
でしょうね」
これからはミュウの時代ですよ、と微笑むハーレイにブルーも笑みを返す。地球は青くは
なかったけれども、幾つもの星がミュウが踏みしめられる大地になったのだ。SD体制は
過去のものとなり、ミュウは頸木から解放された。
地球を目指せと約束の場所として掲げ続けた自分の罪はこれで少しは軽くなるだろうか?
青い地球を夢見て死んでいった者たちに少しは顔向け出来るだろうか…。
「ブルー? …まだ苦しんでおられるのですか、地球の姿に?」
ハーレイはブルーの命を繋ぎ続けているだけはあって、心の動きにも敏感だった。
否定しようかと一瞬迷ったが、ブルーは頷いて銀色の睫毛を悲しげに伏せる。
地球を……見たかった。朽ち果てた姿でも紅蓮の焔に包まれた姿でもなく、青く輝く水の星を。
地球に降りた日の夜にハーレイが見せてくれた、彼の心の中に在る青い星。自分とハーレイの
命が尽きる時にはあの青い地球へ行けるのだろうか? 地球を夢見て斃れた仲間たちも皆、
青い地球に辿り着けただろうか…。
「ブルー…。あなたが焦がれておられた青い地球まで、お連れ出来るかもしれません。
夢ではなくて、このシャングリラで。…ヒルマンも人類側の学者たちも皆、その可能性を
語っていますよ」
「……まさか……」
そんなことが、と目を瞠るブルーにハーレイは小さなスクリーンを開いてみせた。
「御覧下さい。あなたが眠っておいでになった数日間の間の地球です」
時間を縮めて再生される映像の地球は噴き上げるマグマに深く切り裂かれ、地表を覆うのは
燃える溶岩。どんな生物も棲めぬであろう海が煮え滾る岩の熱で干上がり、豪雨となって地上に
降り注ぐ。ブルーが見た地球が死の星ならば、この地球は地獄と言うべきだろうか。
「グランド・マザーは人類の留まる場所としてユグドラシルを維持していたようです。
マントル層にまで達してはいても、それを動かしはしなかった。…けれど今の地球は文字通り
地の底から動き始めています。汚染された大地を地下深く引き込み、新しい大地を生み出そうと
しているのですよ」
「…そういえば……最初の生命が生まれた頃の地球はこんな風だった、という説があったかな…」
「ええ。まるでその時代に戻ったようだ、とヒルマンたちは言っています。この速さで地殻の
破壊と再生が進むようなら、落ち着いた頃にテラフォーミングを施してやれば青い地球へと戻るの
ではないか…と。我々にも要請が来ていますよ。ナスカでの経験を地球に生かさないか、と」
ナスカは人類が見捨てた惑星だった。それを草花の育つ星にしたミュウの力が地球の再生に
有効ではないか、と人類側の学者たちは考えたらしい。既にヒルマンと連絡を取り合い、情報
交換が始まっているようだ。
「ナスカか…。ぼくは一度も降りなかったけれど、あの星と地球が繋がるのなら……死んでいった
仲間たちも喜ぶだろうか? そうなってくれれば…ぼくも嬉しい…」
「ジョミーが話していましたよ。ナスカで最初に根付いた植物を植えてみようかと。…ブルー、
あなたも御存知の植物です。あなたが改良なさった豆があったでしょう? あれがナスカで
最初に根付きました」
「…あの豆が…? あの豆を……地球へ…?」
「はい。生命力がとても強いですから、緑化には有効な植物です。それに植物は酸素を作り出し
ますし…。人類側の学者も興味を示しているそうです」
「……そんなつもりで作ったわけではないんだけれど……」
食料が乏しかった時代にシャングリラの中でも簡単に育てられる食物を、とサイオンを
使って改良したのがハーレイが言う豆だった。環境が改善されるにつれて忘れ去られたものと
思っていたが、その豆がナスカの大地で育てられ、今度は地球の再生のために使われようと
しているとは…。
「ブルー。…長生きはしてみるものでしょう? もうソルジャーに戻られる必要も無いの
ですから、生きて下さい。私がこの船で青い地球へとお連れする日まで」
約束ですよ、と強く握られた手をブルーはまだあまり力の入らない手で握り返した。
……約束するよ、ハーレイ。
君が連れて行ってくれると言うなら、青い水の星に還れる時まで生きていよう。でも……。
「…ハーレイ…。生きているのは地球に着くまででいいのかい?」
ハーレイがハッと息を飲み、慌てて叫んだ。
「いいえ! いいえ、ブルー…。その先まで。ずっとずっと遙かな未来まで、私と生きて
頂きます!」
青くなり、すぐに耳まで真っ赤に染まったハーレイの顔がとても可笑しくて、ブルーは
フフッと小さく笑った。
分かっているよ、ハーレイ。
君と一緒に、遠い未来まで……。
シャングリラは揺れ動く地球とソル太陽系を離れ、アルテメシアへと戻っていった。地上で
暮らしたいと願った者たちを降ろし、その後は……SD体制下で首都星と呼ばれていたノアへ。
ジョミーはミュウの長として人類側の代表であるキースと共に新しい体制を創り出すために
奔走していたが、住居とする場所はシャングリラだった。かつて人類軍がモビー・ディックと
名付けた白い巨艦はミュウの自由の象徴となり、見学希望者が後を絶たない。
人類の過半数がミュウ化した時点でキースが自身とマツカのミュウ化を明らかにする声明を
出すと、頑強にミュウとの接触を拒んでいた者たちも一気に軟化し、人類の進化は加速してゆく。
「ブルー」
務めを終えて戻ったジョミーがハーレイを伴い、青の間へと入って来た。
「この調子だと、あと半年も経たない内に全員がミュウになりそうですよ。自然出産をする
人たちも増えています。地球の地殻変動は続いていますが、大きな地震は減ってきましたね。
…調査船からの報告では汚染物質は既に地表には全く残っていないそうです」
「凄いね、人は…。それに地球も…」
「ええ。思った以上の速さで時代は変わり続けていますよ。…それなのに、あなたは相変わらず
……ですね。楽な服をいくら届けさせても、着替える気にはなれませんか…」
ジョミーが深い溜息をつく。彼の服装はノアの統治機関での勤務用ですらなく、慣れ親しんだ
家で寛いだひと時を過ごすのに相応しいラフで着心地の良いものだった。しかし、対するブルーは
頑なに、白と銀の上着に紫のマントというソルジャーの衣装しか着ようとはしない。
「これはぼくへの戒めなんだよ。青い地球へ還り着くのだと繰り返し唱え続けた以上は、その
地球へ皆が行ける時まで、ぼくの務めは終わらない。ぼくを信じてついて来てくれた仲間たちを
皆、地球へ連れて行ってやらなければ」
「もうソルジャーは必要ないんですけどね…。でも、あなたが地球を目指さなかったら何も
始まりはしなかった。誰もがそれを認めていますし、キースたちも理解してくれています。
…ですから、地球が再生したら………ブルー、あなたが最初に降りるんですよ」
「……ぼくが……?」
俄かには信じられない言葉に、ブルーは赤い瞳を零れ落ちそうなほどに見開いた。ジョミーが
頷き、キャプテンの制服を纏ったハーレイをブルーが腰掛けるベッドの方へと押し遣る。
「今日の重要な議題の一つが地球のテラフォーミングの件でした。地殻変動が落ち着き始めた
地域については開始するという方針です。…それでキースと休憩時間に話をしていて、
テラフォーミングが成功したら最初にあなたを降ろすべきだ…と。勿論、ハーレイと
一緒にですが」
「何故、ぼくを…」
「それが最良だからですよ。誰だって一番最初に地球へ降りたいに決まっています。
下手をすれば争いになりかねない。…けれど、あなたなら誰も文句は言えないんです。あなたが
降りて、その後は公平に抽選にでもしようかと…。ぼくとキースは多分、二番手で降りることには
なるのでしょうが」
楽しみに待っていて下さい、とジョミーは明るい笑顔を見せた。
「あなたが改良したという豆もテラフォーミングに使います。生命力の強さでは飛び抜けた
ものがあるらしいので…。緑に覆われた地球で咲いている姿を見たいでしょう? 安定し始めたら
成長の早い植物を育てますからね、恐らく三十年も経てば人が降りても問題ないレベルまで自然が
回復するかと」
たったの三十年ですよ、と告げてジョミーが出て行った後、ハーレイがブルーの隣に座って
その肩を抱く。
「…ブルー、お聞きになったでしょう? あなたを青い地球までお連れ出来ます。三百年以上も
生きてこられたあなたにとって、三十年は長くはない筈です。私もお側におりますから…」
「キャプテンとして、ジョミーの補佐役として色々と多忙みたいだけれど?」
「す、すみません…! 確かに夜まで戻らない日が多いですね…。ゼルたちに任せてもっと時間を
取るようにします。せめて昼食は御一緒に…」
「いいよ、今のままで」
クスッと笑ってブルーはハーレイの大きな身体に凭れかかった。
「ぼくの力はもう必要とされていない。…だから君の力が役に立つなら、ぼくの分まで存分に
動いてくれればいいよ。ぼくが自分の力で生きていられる身体だったら、ジョミーの力にも
なれただろうに…。それだけが少し悔しいかな。君に生かして貰っている身で、こんなことを
言うのは我儘だけれど」
「ブルー…。あなたは充分に力を持っておいでですよ。でなければ地球が蘇った暁に最初に降りて
頂くことなど、誰も考えたりはしません。…いいですか、あなたが全ての始まりなのです。
キースたちは今はいい意味でオリジンと呼んでいますよ、あなたのことを」
御自分を卑下なさらぬように…、と温かい手で頬を撫でられ、ハーレイの唇が寄せられる。
「行きましょう、ブルー。いつか蘇る青い地球まで、このシャングリラで」
「…うん……。行こう、ハーレイ。ぼくたちの約束の場所だった星へ…」
口付けを交わす間にハーレイが今も心に抱き続ける青い水の星の幻が見えた。ハーレイの地球に
引き寄せられるように、ブルーも自らの心の遮蔽を解いてゆく。
身体を、心を融け合わせて過ごす至福の時。互いを求め合う夜を幾重にも重ね、身体も心をも
結び合わせて………いつの日か………地球へ。
グランド・マザーとユグドラシルを地の底深く葬った地球は廃墟と化した高層建築群をも
飲み込み、溶岩と共に新たな大地を送り出した。強酸性の海は蒸発し、雨となって降り注いでは
再び気化され、その繰り返しが水と大気から毒素を取り去り、青い海と空が蘇る。
其処から先は人間たちの腕の見せ所だった。
幾つもの惑星を人が棲める場所としてテラフォーミングしてきた技術を惜しみなく投じ、
海には微生物や海棲藻類、それらを糧とする生き物たちを。大地には数多の草木を茂らせ、
其処を宿とする生命たちを…。
死の星だった地球が胎動を始めた時、学者たちが予言していたとおりに青い水の星は再生を
遂げた。人の手が二度と母なる星を損なわないよう、定住は認めないというのが皆の一致した
見解だったが、許可を得た者が短期間だけ滞在することは許される。
その青い星へ一番最初に降り立つことを全ての人間が認め、心の底から祝福したのがミュウの
先の長、ソルジャー・ブルー。彼が青い地球を約束の地として示したからこそ、地球は古えの姿を
取り戻せたのだと。
「ブルー。もうすぐ地球が見えます」
ハーレイがシャングリラのブリッジでブルーの肩を抱き、スクリーンに映る月の彼方を指差す。
まだ人類との戦いの只中に居た頃、同じ言葉を思念波で聞いた。あの時はこうして二人で
寄り添うことも出来ず、ただ手を握り合って立っていただけ。
そして月の向こうから現れた地球は…。
「………地球だ………」
ブルーの瞳から涙が零れて頬を伝った。
遠い日に見た赤黒い残月と化した地球と同じ星とはとても思えぬ、何処までも青く美しい星。
白く渦巻く雲を纏わせ、緑の大地をその身に鏤めた一粒の真珠。
気が遠くなるほどの長い歳月と、戦いの日々と……。幾つもの奇跡がブルーの命を繋ぎ止め
続け、ついに此処まで還って来た。何度となく諦め、見られぬと涙し、最後には夢をも
打ち砕かれてしまった青い星。何処にも存在しなかった筈の青く輝く母なる地球へ、
ブルーは生きて還って来たのだ。
シャングリラが地球へと降下してゆく。
地表の七割を占めると言われる真っ青な海が近付いて来る。これほどの豊かな水を持つ星は
未だに一つも見つかっていない。この大海原こそが水の星、地球である証。
「ブルー、シャトルを降ろします。ハーレイと一緒に格納庫へ」
久しぶりにソルジャーの衣装を纏ったジョミーの言葉に、ブルーは首を左右に振った。
「…要らないよ。此処からならハーレイと一緒にテレポートで飛べる。地球の大気を守るためにも
シャトルは出さない方がいい」
「それを言われると、ぼくたちの立場が無いんですけどね…。ぼくはともかく、キースやマツカや
長老たちは飛べないんですよ」
ジョミーたちはブルーが降り立った後、少し経ってから第二陣として降りて来ることが
決まっていた。あの日、地球の運命を変えた勇気ある者たちとして、文句無しに選ばれ、皆、
シャングリラに乗っている。キースとマツカはシャングリラに続いて降下予定のゼウスの
シャトルに。
「君たちは構わないだろう? きちんと計算されて選ばれた人数とシャトルなのだから。
…使わないのは、ぼくの我儘だ。シャトルの中から出るのではなくて、地球の大気に直に
飛び込みたいだけなんだよ」
だから帰りは君たちのシャトルに乗せて貰うさ、と微笑んでブルーはハーレイの手を握った。
「飛ぶよ、ハーレイ。…行こう、地球へ」
「ブルー? しかし、お身体が…!」
皆まで言わせず、ブルーはサイオンを発動させた。
一瞬の後に、濃すぎるほどに感じる大気と身体中を押し包む湿気とに抱き止められる。
焦がれ続けた星、地球の清らかな大気。足許には緑の草に覆われた大地が広がり、少し先には
豊かな森と水平線まで続く海とが…。
吹き抜ける風にそよぐ草に混じって淡い桃色の花が揺れていた。遠い昔にブルーが作り出し、
シャングリラの中で育てていた豆。その花が夢にまで見た地球の大地に咲いているとは、自分は
どれほど幸運なのか。
そしてハーレイと二人きりで青い地球へ最初に降り立つことを許されるとは、どれほど恵まれて
いるのだろうか…。
「…ハーレイ…。本当に……地球だ。君が連れて来てくれたんだ…」
「いえ、私は……。私には此処まで飛ぶ力は…」
「違うよ、ハーレイ。ぼくの命も、ぼくのサイオンも…君がいなければ無いものだろう?
君がぼくを生かしてくれたし、地球まで連れて来てくれた。…ぼくは約束を果たせたんだよ、
君のお蔭で」
ブルーは高く澄み切った空を仰いだ。シャングリラは白く小さな点にしか見えない。
あの船で青い地球へ行こうとミュウの仲間たちに初めて語ったのはいつだったか…。その約束は
死の星だった地球に覆され、紆余曲折を経てやっと叶った。これで青い星へと皆を導ける。
喪われた命にも、これから地球を目指す者にも、幻ではない青い水の星を…。
「ありがとう、ハーレイ…。やっとソルジャーの務めを果たせた。君には心配ばかり掛けて
きたけど、今度こそ、ただのブルーに戻るよ。だから…」
ジョミーたちが地球へ降りて来たら。
みんなと一緒に地球で過ごしてシャングリラへ戻ったら、君がソルジャーの衣装を脱がせて
くれるかい…?
「…ブルー…。ええ、ブルー…!」
感極まったように声を詰まらせるハーレイの逞しい腕に抱き締められて、ブルーは銀色の睫毛を
伏せた。地球の風が頬を撫でてゆく。爽やかな風は馨しく心地良く感じられたが、それよりも
ハーレイの変わらぬ温もりと厚くて広い胸とが嬉しい。
ミュウたちを導くソルジャーとして焦がれ、還りたかったのは母なる地球。けれど、一人の
人間として帰りたかった場所はハーレイの腕の中だった。
メギドで命尽きようとしていた時も、この地球でグランド・マザーと戦った時も。
ソルジャーとしての務めの重さと青い地球までの道の遠さに押し潰されそうになって涙していた、
辛く苦しかった日々の中でも…。
「帰ろう、ハーレイ。蘇った地球から、ぼくたちの船へ…」
青く輝く奇跡の星から、ぼくたちが共に暮らした船へと。君と渡ってきた星の海へと…。
君と一緒なら、ぼくは何処まででも行くことが出来る。
この青い星を遠く離れて、今度こそ………君と二人で歩く未来へ。
ぼくはもうソルジャー・ブルーじゃない。
青い地球の呪縛から解き放たれた、君一人だけのブルーだから。
此処まで連れて来てくれた君のためだけに、これからのぼくは生きてゆくから…。
………愛してる………。
ハーレイ……。
奇跡の青から・了
以下、作者メッセージです。「読んでやろう」という方はどうぞ。
間もなく国家騎士団の制服を纏ったマツカがリボーン職員に連れられて到着した。彼もキースの
メッセージを聞いていたらしく、少し青ざめた顔でミュウの代表たちを見回している。
「マツカ。…グランド・マザーの所へ出掛ける。ミュウの方々に失礼のないようにな」
「は、はいっ!」
最敬礼したマツカを従え、リボーン職員に先導されたキースが部屋を出てゆくのにジョミーが
続いた。ブルーがジョミーの背を追うように歩き始めるとハーレイが後ろについたのが分かる。
「…行ってくるよ。大丈夫、ハーレイも一緒だから」
長老たちに微笑みかけると、その間からトォニィが一歩前に出てジョミーを呼び止めた。
「グラン・パ! 機械の思考は読めないんだ。そいつの目的が何か知らないけど、危険
なんじゃ…」
「さっきのメッセージを見ただろう? …キースにぼくたちへの敵意は無い。ぼくたちが
戻るまでの間に皆で話し合っておくがいい。人類は、ミュウはどうすべきかと。…行こう、
キース」
ジョミーが促し、足を止めていたキースが再び歩き始めた。会談が行われていた部屋から
無機質な通路を進み、ユグドラシルの中央に出る。ブルーの思念でも探れなかった部分に
隠されていたのは地下へと降りる専用のエレベーターだった。乗り込み、降下が始まってから
かなり経っても一向に止まる気配が無い。
「…ずいぶん降りるんだな」
ジョミーが漏らした声にキースが応じた。
「このユグドラシルはマントル層にまで到達している。そこから直接エネルギーを取り出し、
地上の浄化を進めている」
「浄化だって? そんな風には見えなかったが」
「…お前たちにもそう見えるか。だが、我々はそれを信じてやってきた」
微かな揺れがエレベーターの停止を伝え、外に出てみたが其処にグランド・マザーの姿は
無かった。リボーン職員に導かれた先には不自然なまでに明るい空間。壁一面に青空と
大きな草花が描かれた広間の奥から大勢の子供たちが我先に此方へ駆け寄ってくる。
「ねえ、外に出られるの?」
「浄化は終わったの?」
口々に問われてブルーたちは言葉を失った。何故、こんな所に子供がいるのか。外とは、
浄化とは地球のことなのか…? リボーン職員に視線を向ければ明快な答えが返って来た。
「カナリアと呼ばれる子供たちです。地球の浄化が終わった暁には彼らが大地を謳歌する
予定です」
「いつなんだ、それは! この子たちの世代で浄化が終わるとでも? それとも今すぐにでも
外へ出すつもりなのか?」
ジョミーの厳しい表情と声音に子供たちは一瞬、怯えを見せたが、すぐに無邪気な笑顔に
戻った。広間を隔てた通路へと歩き出すブルーたちに「またね」と手を振り、笑い掛ける。
「カナリアか…。遙か昔に、空気に有毒なガスが含まれていないかを確かめるために
カナリアという小鳥を使っていたと聞いたことがある。その意味でカナリアと呼んで
いるのか、キース・アニアン?」
ブルーの指摘にキースもリボーン職員も答えず、やがて巨大な女神のレリーフが施された
扉の前へと案内された。扉の奥にはリボーン職員も進めないらしい。其処に入れるのは……。
「国家主席、キース・アニアン!」
≪承認。キース・アニアン≫
国家主席たる者の名乗りに耳障りなコンピューター・ボイスが響き、扉が左右にスライドする。
キースが中へと一歩を踏み出し、ブルーたちの方を振り返った。
「行くのだろう? グランド・マザーはこの下にいる」
リボーン職員だけを残して乗り込んだエレベーターは更に下へと降下してゆく。周囲は
壁面のライトを除いて一面の闇。何処まで降りるのか、何があるのか、ブルーのサイオンでも
捉えられない。その闇を眺めながらキースが呟いた。
「…愚かしいだろう、人類は。地球が浄化出来ると信じて全てをマザーに委ねた挙句にこの
有様だ。あのカナリアにしても矛盾している。仮に浄化が完了したとして、地球が彼らの
物になるなら、育英惑星で育てられた者たちの立場はどうなるのだ? 何もかもが欠陥
だらけなのだ…」
「キース! でも、あなたは人類を代表する者として…」
遮ろうとしたマツカをキースが静かに振り返る。
「私は懸命に努力してきた。人類の理想の指導者たるべく、生ずる疑問を封じ続けて生きて
来た。…だが、マザーにミュウ因子の排除の禁止とミュウの抹殺という相反するプログラムが
施されていたと知った瞬間から、歯車が狂ってきたのだろうな」
自分の心に嘘はつけない、とキースは深い溜息をついた。
「…私もまた、排除されるべきミュウの一人だ。しかしマザーは違うと言い切る。その上で
マザーは判断を私に委ねた。ミュウと交渉するも良し、焼き払うも良し…と。ならば賭けて
みようと思ったのだ。人類ではなく、新人種であるミュウの未来に」
「…あなたが……ミュウだと言うのですか…?」
マツカの瞳が大きく見開かれ、キースは低い笑いを漏らした。
「お前には信じられないだろうな。だが、そこのミュウたちは全員が知っているのではないか?
誰も驚かないのがその証拠だ。お前が皆に話したのだろう、ソルジャー・ブルー?」
「ジョミーとハーレイの二人だけにね。…君の考えが読めない以上、皆に知らせれば混乱を招く」
「それは賢明な判断だったな。ミュウが挙って私を仲間扱いしていたならば、あの会談が無事に
終わったかどうか…。人類はミュウの意見に耳を傾けはしない。…今となっては違うだろうが」
聞け、とキースが操作したのは胸に着けていた通信機だった。スピーカーに切り替えられた
それから流れて来るのは国家騎士団員たちの声。
≪…各地で戦線が崩壊していく…≫
≪戦闘を放棄した艦隊が多数…≫
≪我々はミュウに敗れたということなのか?≫
≪…そうではないだろうが…戦い続けるのは不可能だ…≫
彼らの言葉は戦いの終わりを意味していた。人類とミュウとの間に横たわっていた溝が
崩れ落ち、まさに埋まろうとしているのだ。キースが賭けたミュウの未来が開けつつある。
人類とミュウとは、キースがあのメッセージで語ったとおりに手を取り合って進化の階段を
登ってゆくことになるのだろう。
「キース。ミュウの長として君の決断に感謝する。…ありがとう」
ジョミーが頭を下げようとするのを、キースは「まだだ」と手で制した。
「礼を言うのはまだ早い。…グランド・マザーは私の意見をまだ聞いていない。決定権がマザーに
あるとは思いたくないが、グランド・マザーが存在する限りSD体制は続くのだ」
「では、グランド・マザーを……破壊するしかないというのか?」
「分からない。…マザーは私に任せると言った。私の答えは決まっている。しかし、マザーが
それを受け入れ、承認するかどうかはマザー次第だとしか答えられない。…ついて来てしまって
良かったのか? ジョミー・マーキス・シン。ソルジャー・ブルー。…そしてソルジャー・
ブルーの想い人…だったな」
キースの鋭い視線がジョミーを、ブルーを、ハーレイを射る。けれど誰の心にも後悔は
無かった。
ジョミーにはソルジャーとしての責任があり、ブルーにはジョミーを選び地球を目指した
前ソルジャーとして果たさねばならない目的がある。ブルーの命を繋ぎ続けて地球まで連れて
来たハーレイにもまた、ブルーの側を離れないという固い決意と約束とが…。
「…着くぞ。無事にマザーと折り合いがつくよう祈るがいい。…生きて地上に戻りたければ」
エレベーターが止まり、通路を抜けて辿り着いたのは円形の部屋。扉が開き、広がった光景に
ブルーたちの息が一瞬、止まった。地下とは思えない高い青空。人工的ではあるが、夢に描いた
青い地球の空そのもののように澄み、地平線まで続く緑の大地がその空の下に広がっている。
だが、そのままであれば美しいとも形容できる風景の中央にそそり立つ白い巨像と緑の大地を
埋め尽くす黒いモニュメントが禍々しい空気を地下空間いっぱいに満たしていた。
(これが……グランド・マザー……)
ブルーと時を同じくしてジョミーも掠れた声で呟く。凄まじい威圧感に押し潰されそうな中、
巨像の胸の辺りの空間に不釣り合いなほど大きな女性の目が浮かび上がり、ゆっくりと開いて
ブルーたちを遙かな高みから睥睨した。
地球の浄化と再生の名の下、SD体制を維持し続けて来た永遠の命を持つ機械の女神。
数多のミュウの血を贄として啜り、犠牲の命を貪りながらも地球を蘇らせられなかった
グランド・マザー。
明らかに人間のものとは異なる瞳がブルーたちを見下ろし、異質な声で問い掛ける。
≪キース・アニアン。結論は出たか? …ミュウの根絶は我に与えられし絶対命令。この
プログラムを変更できるのはそのために創られた完璧な人間のみ。…答えを聞こう。
人類は我を、必要や、否や?≫
「「「…キース!?」」」
この質問に答えるためにキースは此処まで降りて来たのか、とブルーたちはキースの表情を
窺う。キースはSD体制にミュウを受け入れるためのプログラムは存在しないと語っていた。
プログラムの変更とは即ち、グランド・マザーの停止を意味しているのだろう。
マザーに判断を任された時から考え続けてきたというキース。自らがミュウであることを認め、
全宇宙に向けてマザー・システムを否定するメッセージを発信した以上は、彼の答えは…。
「もういい、あなたは時代遅れのシステムだ。我々はあなたを必要としない」
≪理解不能。我は人類が造りし最後の良心である。SD体制は人類の欲望を制御し、世界に
恒久的な秩序と調和を齎した≫
「あなたが排除してきたミュウこそが次の時代を担う種族だ! 人類の進化を妨げるあなたが
良心でなどあるものか! プログラムを変更して貰おう。ミュウを根絶してはならない!」
叩き付けるようなキースの叫びの後、暫しの沈黙が地下の空間を支配した。グランド・マザーが
停止するのか、あるいはプログラムを書き換える方法があるというのか。針が落ちる音すら
聞こえそうなほどの静寂が破られたのは、巨像に至る真っ直ぐな道の両脇に並ぶ甲冑が
捧げ持つ剣たちによって。
≪…精神解析終了。キース・アニアンはミュウ化の傾向あり。これを速やかに処分すべし≫
無数の剣が甲冑から離れ、グランド・マザーに答えを告げるべく前に出ていたキース目掛けて
降り注ぐのを目にしたブルーが、ジョミーが動くよりも早く。
「キース!!!」
テレポートにも近い速さで飛び出して行ったのはマツカだった。キースを庇うように覆い
被さったマツカの背に深々と一本の剣が突き刺さるのを認め、ジョミーの全身から青い
怒りの焔が立ち昇る。
「貴様…。機械め…!」
ジョミーが地を蹴り、グランド・マザーの懐に飛び込んで行った。タイプ・ブルーのサイオンと
グランド・マザーが造り出すシールドが拮抗し、強大なエネルギーの激突に青いプラズマが
地下空間を走り抜ける。
「ハーレイ! 頼む、キースとマツカを!」
咄嗟に自分たちの周囲に張り巡らしたシールドの中でブルーは叫んだ。キースが自らを
庇って倒れたマツカの名前を呼び続けているが、マツカの意識は戻らない。そうさせた
のは……ブルー。
「此処ではマツカの手当てが出来ない。ぼくが彼の身体を凍らせた。…ぼくの力が
及ばなくなったら君が力を引き継いでくれ。そして二人のシールドを頼む。君の
力なら大丈夫だ」
「ブルー、あなたは!?」
「ソルジャーに戻る。ジョミーだけに血は流させない…!」
…頼んだよ、ハーレイ。
同じ言葉を遠い昔に口にしたような記憶がある。そういえば、あれはナスカ上空での
ことだったか、と走馬灯のように流れてゆく過去とハーレイへの想いを振り捨ててブルーは
翔んだ。
「ブルー!!!」
ハーレイの血を吐くような叫びにブルーの胸が微かに痛む。
(…ごめん、ハーレイ。…戦うことになってしまって……ごめん)
けれど、戦いはこれで最後。人類とミュウとが和解しつつある今、グランド・マザーを倒しさえ
すればSD体制は終わり、もうソルジャーは要らなくなる。そのためにジョミーと共に戦うのが
自分の最後の務めなのだ、とブルーは渦巻くプラズマの只中に向かって滑り込んで行った。
ぶつかり合うサイオンとマザーの電気エネルギーとが作り出す磁場。平衡感覚さえ狂わせる
ほどの電磁波が荒れ狂う地下の空高くブルーが舞う。
(ジョミー! ぼくも今、行く)
グランド・マザーと死闘を繰り広げるジョミーはブルーの参戦に気付いてはいない。ブルー
自身も機械のエネルギーに抗い、サイオンを高め続ける間にジョミーのことを気遣う余裕など
無くなっていった。マントル層に根差すグランド・マザーはタイプ・ブルーのサイオンをも
軽く凌駕する圧倒的な破壊力を持つ。
≪お前たちの力で勝てはしない。我は永遠。我の力は地球と共にある≫
嘲笑うグランド・マザーが放つ力に高く投げ上げられ、振り回されて地面に叩き付けられる。
その衝撃をシールドでかわし、合間に青いサイオンを炸裂させては巨像と巨大な瞳とを少しずつ
切り裂き、出来た裂け目を押し広げてゆく。あと少し。…あと少しだけの力があればグランド・
マザーを倒すことが出来る…。
『全てのミュウよ。ぼくに力を! …地の底へ。地球へ向けて…!』
ジョミーの思念が協力を求めて呼び掛けるのがブルーにも聞こえた。瞬時に意識をジョミーへと
飛ばし自分のサイオンを同調させれば、ミュウたちの思念をその身に集めた若きソルジャーが
一筋の青い光となってグランド・マザーの瞳を破魔の矢の如くに射抜き、撃ち抜く。瞳の奥に
聳え立つ白い巨像をも。
(ジョミー…!!)
地下空間を揺るがす爆発が起こり、グランド・マザーは二人のソルジャーとミュウたちの
エネルギーの前に屈した。空からの光もプラズマも全て消え失せ、漆黒の闇が訪れる。その中に
灯る淡い光はジョミーとブルーが纏う青いサイオンと、激しい戦いの最中も消えることがなかった
ハーレイのシールドを示す碧と。
≪…この力。破滅の力。力は欲望により解放される。我…欲望を制御し…世界に秩序と…≫
崩れ落ちた機械が発する音声は急速に乱れ、やがて沈黙していった。
終わった。…ついに終わったのだ、長い戦いが。そして…。
(…ハーレイ…。ありがとう、ハーレイ…。君のお蔭で戦うことが出来た。…ソルジャーの務めを
果たすことが出来た…)
先に地表に降りたジョミーがハーレイたちの元へ駆けてゆくのが見える。消耗してはいるの
だろうが、流石に健康で若い身体は疲れを知らない。
『ハーレイ…。ごめん、ぼくの身体では走れないよ。もう少し待っていてくれるかい…?』
『ブルー、御無事で…! どうぞ、ごゆっくりお戻り下さい』
待っていますよ、と返すハーレイの隣ではジョミーがマツカの身体に手を翳していた。この地下
深くから地上に脱出するまでの間、仮死状態が解けないように力を注いでいるのだろう。
(良かった…。これで皆で揃って地上に帰れる。誰も欠けずに済んだんだ…)
疲労で崩れそうになる足で瓦礫に覆われた地面を踏みしめながらハーレイたちの所へと歩いて
ゆく。シールドを解いたハーレイがブルーの微かな足音に気付き、振り返って微笑むと迎える
ために立ち上がった。
「おかえりなさい。ブルー…」
ああ…。帰って来た。ぼくは生きて……また生き延びて、ハーレイの所へ帰ることが出来た…。
涙が溢れそうになるのを堪えて懐かしい温もりに身を委ねようとしたブルーの意識を、
冷やかな殺意が不意に掠めた。
「危ない、ジョミー!」
グランド・マザーの残骸から放たれた一本の剣。
真っ直ぐに飛んだ剣が貫こうとした若きミュウの長を、ブルーは残された渾身の力で
突き飛ばす。脇腹に鈍い衝撃と熱く鋭い痛みとが走り、ハーレイの絶叫が地下空間の
暗闇に響き渡った。
「ブルー!!!」
(……ごめん。ごめん、ハーレイ……)
夢を見ているような気がした。唇から血が溢れ、身体がゆっくりと……酷くゆっくりと
倒れてゆく。こんな筈ではなかったのに。…ハーレイを最後の最後で悲しませるつもりなど
なかったのに。
本当に…ごめん。
ハーレイ…。ぼくは君と一緒に帰りたかったよ……。ごめん…。
ハーレイが一杯に伸ばした腕に抱き止められたブルーは自分の命が消えてゆくのを感じていた。
グランド・マザーとの戦いで力を使い果たした身体に時間はいくらも残されていない。右の
脇腹から流れる鮮血と共に残り僅かな命までもが砂粒のように零れ落ちてゆく。
(ハーレイ…)
愛する者の名を呼ぼうとした口から溢れ出したものは血の色の泡。もうハーレイに声すら
届けられない。
『…ごめん…』
薄れかける意識を懸命に繋ぎ止め、ブルーは最期の思念を紡いだ。
『……ごめん、ハーレイ……。でも……約束は守ったから…。君の…腕の届かない所で、死んで
いったりはしないから……』
「ブルー! 生きて下さい、ブルー!」
ハーレイの歪んだ泣き顔がブルーの霞んだ瞳に映る。けれどブルーを生かし続けて来た
ハーレイの祈りは弱り切った身体を満たす代わりに傷口から虚しく流れ去るばかり。もう
この身体は限界なのだ、とブルーはハーレイを切ない思いで見詰めた。
ハーレイの腕の中に戻れて良かった。…最期に見るものがハーレイの姿で本当に良かった。
出来ることなら泣き顔ではなく、微笑んでいて欲しかったけれど。でも、そんな我儘は
言えないから…。
(……ありがとう、ハーレイ……。ついてきてくれて……)
最期の想いを届けようとして果たせず、一粒の涙を零して重い瞼が閉じてゆく。これで終わり。
呆気ない幕切れだったけれども、ハーレイと交わした約束だけは……。
『ブルー!!』
ハーレイのそれとは違う強い思念がブルーを揺さぶり、消えかけた命の底で弾けた。
『ここで諦めてどうするんです! 生きるのでしょう、ブルー、あなたは!!』
(…ジョミー? 君…なのか? ……ぼくは…もう……)
『自分で生きるのは無理かもしれない。でも、ぼくがあなたを死なせません! この傷口さえ
閉じてしまえば、あなたの命は消えない筈だ!!』
キィン、と剣が砕け散る音を聞いた気がした。ジョミーの一途な、直向きなサイオンが
流れ込んでくる。遠い日にアルテメシアの上空から落ちてゆく自分の身体に送り込まれたものと
同じ、熱い思いが…。
『ブルー、あなたが望んだ地球です。見届けて下さい、地球が、ミュウと人類が何処へゆくのか。
生きて未来を見届けるのでしょう、ソルジャー・ブルー!!』
(…ジョミー…)
ブルーは意識しなかったのに、閉じていた瞼が自然に開いた。驚きに揺れる赤い瞳をジョミーの
深い緑の瞳が覗き込む。
「傷口だけを凍らせました。本当は仮死状態にするべきでしょうが、あなたはそれを望まないと
思いましたから。…脱出します。此処はもうすぐ崩れ落ちてしまう」
ハーレイ、と若き指導者は傍らに控えていたキャプテンを呼んだ。
「ブルーを頼む。今までどおりに祈ればいい。それでブルーは生き延びられる。傷の手当ては
此処を脱出してからだ」
「分かりました。…ブルー、痛むかもしれませんが、上に着くまで暫く我慢していて下さい」
逞しい腕がブルーの身体を抱き上げる。ブルーは思念で「うん」と頷き、ハーレイの腕の中から
地下の空間を見渡した。ジョミーが見届けろと言っていた未来。新しい地球の未来が、今、胎動を
始めている。
(…ぼくは未来を見られるのか…。ハーレイと一緒に、地球の未来を)
もう無いものと思っていた命が再び満ちてゆくのが分かった。それはハーレイの心からの祈り。
ブルーの命をひたすらに守り、生かそうと願い続けるハーレイの祈り。
『…ごめん、ハーレイ…。ぼくがいては動きづらいだろうに』
「そうお思いなら、気をしっかりとお持ち下さい。気を失ってしまわれれば重くなります」
私の事なら大丈夫ですよ、と返してくれる声が嬉しい。そして、今度こそ消えると思った命が
まだ未来へと繋がっていて、ハーレイと共にこの地の底から出てゆけることが…。
グランド・マザーの制御を失った大地は鳴動していた。揺れる度に地下空洞の天井が崩れ、
落ちて来た岩が次から次へと行く手を塞ぐ。
怪我人を伴って歩くことも覚束ない道をゆくのはハーレイ一人だけではなかった。背を血に
染めて意識を失くしたマツカを背負い、キースがジョミーのすぐ後を進む。キースの周囲に
張られたシールドの色は、マツカの碧とは異なるイエロー。それこそがキースがミュウである証。
落下してくる岩をシールドで防ぎつつ歩むキースの後ろに続くのはハーレイ。防御に優れた
タイプ・グリーンだけに、キースの力では防ぎ切れないと判断した場合はサイオンの補助を
惜しまない。
先頭をゆくジョミーは立ちはだかる岩を破壊し、あるいは抜け道を求めて岩壁を砕いては上へ、
上へと向かっていた。
「…キース。君の飲み込みが早くて助かった。シールドを張るのは初めてだろう?」
通路を塞いでいた巨岩を少しずらして通り抜けられる隙間を確保したジョミーが振り返って
訊くと、キースが不敵な笑みを浮かべる。
「当然だ。ミュウの力を使える立場にはいなかったからな。…だが、私を誰だと思っている?
メンバーズの戦闘訓練を受けてきた身だ、使えない力など持ってはいない」
「なるほどね…。流石に大した自信だ。しかし、これは…」
どうしたものか、と首を捻ったジョミーの視線の先には完全に崩落した通路があった。
グランド・マザーが据えられていた地下空洞と地上を繋ぐのは専用のエレベーターと非常用の
脱出通路のみ。エレベーターが使えない今は階段とスロープで構成された通路を行くしか
ないのだが…。
「この上が崩れ落ちている。通れる隙間も作れそうにない。…テレポートでなら抜けて
いけるが、今のぼくでは一人を連れて飛ぶのが限度だ。一人ずつ運ぶ間に大きな地震が
起こったりしたら…」
「なら、怪我人から先に運べばいいだろう」
キースの意見にジョミーは首を左右に振った。
「それは出来ない。運んだ先で怪我人がどうやって身を守る? 次の一人を運ぶまでの
時間が危険すぎる。最初にハーレイを移動させれば向こうでのシールドは完璧だろうが、
今度はこっちが…」
「私だけでは心許ないということか…」
そうだろうな、とキースが唇を噛む。キースのシールドは此処までは保ったが、ハーレイの
補助があってこそだ。キース一人の身を守るだけでも場合によっては危ういというのに、
ブルーとマツカまで守り抜くことは難しい。そして地震は間断なく襲い、今も小規模な
揺れが続いていた。
ブルーはハーレイの腕に抱かれたまま、辛うじて使えるサイオンで周囲の空間を探ってみる。
崩壊した通路の先までは見えず、かなりの距離が崩れ落ちてしまっているらしい。更に
自分たちがいる辺りの天井にも亀裂が走っており、次の揺れで其処が崩れれば果たして
脱出できるかどうか…。
『…ジョミー…。ハーレイを連れて先に飛ぶんだ』
体力の消耗を避けるため、ブルーは思念で呼び掛けた。
『ぼくの力でも少しの間ならシールドを張れる。…その間にキースとマツカを向こうへ』
「ブルー! それは……今のあなたにそんなことは…!」
『このままでは誰も助からない。…だから最善の道を行くんだ、ジョミー。…それにハーレイも』
行って、とハーレイの心に直接語りかければ、出来ないと思念が返ってくる。
『…出来ません、ブルー…。もしもあなたに何かあったら…!』
『此処までぼくが生きているのが奇跡だろう? これ以上はもう望まない。ぼく一人のために
全員を巻き添えにしたくないんだ。…こんな地球へと皆を導いたぼくに、それ以上の罪を
重ねさせようというのかい?』
行くんだ、と強く思念を送ってハーレイの腕に手を掛けた。ハーレイが自分を置いて
行けないのならば、その手から逃れてしまうまで。…自分さえいなければ、少なくとも
キースやマツカたちは…。
「…分かりました。ブルー、私が先に行きます。いいですか、力は最小限に留めるのですよ」
苦渋の決断を下したハーレイはブルーを通路の端にそっと下ろすと、傷に響かないように
横たえた。キースを呼び、その脇に座らせる。
「キース。ブルーはこのお身体です。あなたとマツカの身は、出来るだけあなたの力で
守って下さい」
「言われなくても分かっている。早く行け、でないとまた崩れるぞ」
キースのシールドがマツカとブルーをも包み込むのを確認したジョミーは、ハーレイを連れて
テレポートした。間もなく戻り、今度はマツカを。次はキースを。
(それでいい、ジョミー)
ジョミーとキースが消えるのを認めた瞬間、突き上げるような揺れが襲った。すかさず張った
シールドの上に天井が崩れ落ちてくる。ジョミーが戻るまで持ち堪えねば、と思いはしたが、
予想を上回る重量の岩にブルーのシールドは軋み、サイオンも急速に失われてゆく。
最後に残った者がキースだったらシールドを保つことが出来ただろうか、と浮かんだ考えを
ブルーは即座に打ち消した。
シールドを使うのは初めてだと言っていたキースが無事でいられる保証は無い。それに人類は
国家主席たるキースの力を必要としているだろう。グランド・マザーを失った人類を導いて
行けるのはミュウの前ソルジャーなどではなくて、あくまで人類であったキースだ。
(…ぼくは間違っていなかったと思う。…でも……)
ハーレイ。…君との約束を果たせなかった。
ごめん。此処まで連れて来てくれたのに……一緒に帰ることが出来なくて……ごめん。
ぼくの分まで地球の未来を生きて見届けてくれるかい?
(……ハーレイ……)
巨大な岩の直撃を受けたシールドが微塵に砕け散ってゆく。
(…ハーレイ…。ごめん……)
ぼくは先に行って待っているから。君は全てを見届けてから、遠い未来にぼくの所へ…。
ユグドラシルの内部は基本的にはテレポートで抜けてゆくことが出来る。グランド・マザーの
居場所たる地下はその限りではないが…。しかし、国家主席の部屋の周囲にはグランド・マザーの
力の一部が及んでいた。其処に至る最後の一区画だけは自分の足で歩くしかない。
だが、警備兵は眠らせてゆくつもりで来たというのに、一人もいないのはどうしたわけか。
(…罠か? だとしても……。いや、そうだとしたら余計に引き返すわけにはいかない)
ミュウに害意のある者を放ってはおけない、と唇を引き結び、ひと際大きな扉の前に立つと、
それは微かな音を立てて開いた。照明を落とした部屋の向こうに取られた窓から射し込む
光は……宇宙から見た残月ではなく、真円の月。地球の衛星が赤く濁った大気を通して
屍と化した高層建築群を煌々と照らし出している。
その月を窓際で仰ぐ国家主席は背後を振り向きもしなかった。
「…やはり来たか。ソルジャー・ブルー」
分かっていた、と言わんばかりの言葉と警備兵の不在と。訝るブルーの心を読んだかの
ように。
「お前が来ると思っていたからな。無粋な兵たちは遠ざけておいた。…メギドから生きて
戻れる程の男だ、来ないわけがない」
ゆっくりと向き直ったキースの唇の端が吊り上げられた。
「それは違う。…ぼくはメギドで死ぬ筈だった。地球にも来られる筈がなかった。此処まで
来られたのはジョミーの力だ」
相対しながらキースの心に入り込めないかと探ってみるが、ブルーが現れたことにすら
驚かない男は隙など見せない。
「ほう…。では、あいつがメギドから救ったのか。あの戦闘の最中に大した余裕があった
ものだな」
「…ジョミーではない」
「そういえば他にも何人かいたか、タイプ・ブルーが。…まあいい、お前は何処まで知って
いる? 私の所に来たということは何か目的がある筈だ。見抜いたのか、私の正体を?」
「…マザーが創り出した生命体。君の心を覗いた時に見えたイメージはフィシスのものと
同じだった。フィシスも君と同じ生まれだ。…その君がミュウをどうするつもりか、それを
探りに来たんだが」
隙が無いなら正面から突破するまでだ、とブルーは敢えて真実を口にしてみた。しかし
キースは低く笑うと、「分からないか?」と挑むような視線を向ける。
「そう簡単に心を読ませはしないからな…。オリジンといえども気付かないのも無理はない。
だが、そんなことではミュウの仲間をまた失うぞ、ソルジャー・ブルー」
「あのミュウのことか? 君の側にいるタイプ・グリーンの」
「ユグドラシルにいるミュウがマツカだけだと思うのか? お前たちはミュウだけで固まって
いるから気付かないのかもしれないな。…ミュウはいくらでも増やすことが出来る。人類もまた、
ミュウに変化する」
「知っている。…ぼくがフィシスをミュウにした。だが、このユグドラシルの中に他にも
ミュウが?」
信じられない、とブルーは赤い瞳を見開いた。ユグドラシルを探った時に見付けたミュウは、
キースがマツカと呼んだタイプ・グリーンの一人だけだ。長い年月、アルテメシアで仲間の思念を
見付け出しては救出してきた自分のサイオンがミュウの存在を見落とす筈がないのだが…。
「なるほど、あの女がミュウになったのはお前のせいか。…私の母親が世話になったようだな。
親子揃ってミュウになるとは、マザーにも計算外だっただろうが」
「君が…ミュウだと…? 馬鹿な……」
予想だにしなかった事を告げられ、ブルーは目の前の男を見据える。固い心理防壁は微動だに
せず、キースの心は今も読めない。本当にキースがミュウだというのか? これも罠では
ないのだろうか?
「信じられないか、私の言葉が? 我々は様々な実験をしてきた。その過程で分かったことは、
ミュウと人類を一緒にしておけば人類はミュウに変わるという事実だ。お前たちは人類に
向かって常に意識下で働きかける。自分と同じように変革しろ…と。そして人類はミュウに
なってしまう」
「……そんなことが……」
「あるわけがない、と言いたいのか? だが、これは本当のことなのだ。若い者ほど変化は
早い。幼い子供ならば一週間もあれば変化する。そして私ほどの訓練を受けた者であっても、
逃れることは不可能だったようだ。私を創る元になった遺伝子データの持ち主もミュウに
なっていたのは運命の皮肉と言うべきか…」
キースは深い溜息をついた。
「グランド・マザーは私にミュウ化の傾向は無いと断じている。しかし自分が何者なのかにも
気付かないほど私は愚かではない。…マザー・システムにミュウ因子を取り除くシステムは
無いが、生まれて来たミュウは抹殺する。その矛盾したシステムが認めた指導者がミュウでは
何かと都合が悪いのだろうな」
「…では、君は……」
「私がミュウをどうするつもりかは、今は言えない。お前がミュウの指導者であれば、明かして
いたかもしれないが…。でなければ私をミュウと見抜くか。それが出来なかった者に多くを語る
つもりはない」
帰るがいい、と再び背を向けたキースが送って寄越したものは……思念。
『私をミュウに変えたのはマツカだ。…マツカに自覚は全く無いが、彼を側に置いていたのが
原因なのだと思っている。もっとも、マツカも私がミュウだとは未だに知りはしないのだがな』
そう簡単に読ませるものか、と笑う思念は正しくミュウのそれだった。人類が心を読まれる
ままに任せるものとは根本的に性質が違う。
『キース…。君は本当に……』
『分かったのなら、せいぜい努力するがいい。マツカと私、少なくとも二人の仲間を失くさない
よう気を付けることだ。…明日の会談が楽しみだな。お前は体調が優れないと聞いた。よく
眠っておけ、ソルジャー・ブルー』
こんな夜中にウロウロするな、と言い捨てたキースは二度と振り返りはしなかった。心も
完璧に閉ざされ、僅かな感情すらも漏れてはこない。しかし、キースがミュウであるなら、
明日の会談がブルーたちにとって不利な展開になったとしても希望は残る。
「…君を信じよう、キース・アニアン。ぼくからも一つ、明かしておく。…メギドから
ぼくを救い出したのはハーレイだ。タイプ・ブルーなどではない。…マツカと同じタイプ・
グリーンだ」
「マツカと同じ…? その程度の力でメギドから救い出しただと? モビー・ディックは
ジルベスター・セブンに在った筈だ。それとも別の船で近くに潜んでいたというのか?」
背を向けたままのキースの表情は見えなかったが、驚いているのは間違いない。何処までを
話しておくべきか、とブルーは一瞬、迷ってから。
「…ぼくはマツカのサイオンを見てハーレイを思い出したんだ。ハーレイを呼ばずには
いられなかった。…その思念を受け止めたハーレイがジョミーのサイオンを無意識に操り、
ぼくをメギドから連れ戻した。ナスカの上空にいたシャングリラ………君たちの言う
モビー・ディックの中に居ながら」
「キャプテンゆえの責任感というヤツか。命拾いをしたわけだな。…お前の捨て身の戦いぶりに
敬意を表した私にすれば、なんとも残念な結末だが」
「そうだったのか? それは御期待に添えなくて申し訳ないことをした。では、更に失望して
貰おうか。…ハーレイがぼくを救い出したのはキャプテンとしての行動ではない。…ぼくを
助けたかった、ただそれだけだ。ぼくがハーレイの何であるかは御想像にお任せしておく」
「なんだと!?」
それ以上を話すつもりはなかった。頭脳明晰なマザーの申し子ならば考えた末に答えに
辿り着くだろう。踵を返して部屋を出てゆき、テレポートで抜けられる地点まで歩く途中で
微かなキースの思念を拾った。確固たる信念に基づき、動こうとする者の強い意志。
(…あの時の…。だが、あれの中身は何なのだ…?)
ユグドラシルを探っていた時、誰もいない部屋で話すキースを目にした。何をしているのかと
気になったそれは、メッセージの収録であったらしい。キースはそのデータを何処かへ送信
するべく机の上の端末を操作している。
だが、内容も誰に向けてのメッセージなのかも読み取ることが出来なかった。ミュウと化した
ことを明かしてもなお、キースは心を読ませない。
(キースが我々のことを前向きに考えてくれていればいいのだが…。人類側の代表としてでは
なくて、一人のミュウとして冷静な判断を下してくれるよう祈るしかない…)
最悪のシナリオとしては、キースが自らのミュウ化を明かすと共に自分とマツカの処分という
道を選ぶ可能性もゼロではなかった。
『…キース…。何を考えている…?』
そっと送った思念に対する応えは無い。ブルーは後にしてきた部屋の方角へチラと視線を
走らせてから、ハーレイが眠る部屋に向かってテレポートで瞬時に空間を抜けた。
戻った部屋は暗く、閉ざされたカーテンは満月の光も通さない。それとも月は見えない位置に
あるのだろうか、と埒もないことを考えながらクローゼットの扉を音を立てないように注意して
開く。マントを肩から外そうとした手が後ろから不意に掴まれた。
「…ブルー。何処へ行っておられたのですか?」
「ハーレイ? …君には敵わないな…。これから出掛けようとしていたんだよ」
少しだけね、と誤魔化そうとして強い力で捕えられる。
「嘘を仰られては困ります。お身体がこんなに冷えておられるのに…。正直にお話し頂け
ませんか? ベッドを抜け出して、いったい何処へ…? 話して下さらないのなら私にも
考えがありますが」
そう言いながらハーレイはブルーのマントを外し、上着を脱がせてクローゼットに片付けて
ゆく。
「アンダーも着替えて頂きます。夜着では流石にお出掛けもお出来にならないでしょうし」
これを、と強引に押し付けられたのはブルーのための夜着だった。
「大人しく着替えて下さらないなら、私がお手伝いいたします。…あなたの肌を目にして
心静かにいられる自信は今は全くございませんが…。抜け出そうなどとお思いになれぬように
するには、何が一番かは分かっておられる筈ですね、ブルー?」
顎を捉えられ、口付けられる。ただ触れるだけの口付けだったが、ハーレイが何を
言わんとしているのかはそれで充分に伝わった。拒否すればブルーを抱き、心身ともに
融け合わせてから遮蔽を外すと脅しているのだ。そうされたくなければ自分で着替え、
行き先も素直に話すように…と。
以前のブルーなら、そんな脅しは通用しない。けれどハーレイの祈りと願いで生かされて
いる今の身体は、その命を繋ぐ力の主の前では簡単に同調し、遮蔽も脆く崩れてしまう。
ハーレイがそれをしたことは一度も無いが、そのくらいは互いに理解していた。
「…ごめん。ちゃんと着替えて話すから…。君には叱られそうだけれども」
「悪いことをしたという自覚はおありのようですね。…では、あちらでお待ちしております」
ハーレイがベッドに腰掛けて背中を向ける。その間にブルーはアンダーを脱ぎ、夜着に
着替えてからハーレイの隣に腰を下ろした。
「…いつ気付いたんだい、ぼくが部屋から抜け出した…って」
「恐らく、すぐだと思いますが…。まだ温もりが残っていました」
本当に困ったことをなさる方だ、とハーレイはブルーの身体を抱き寄せ、ベッドに入る
ようにと促す。ブルーは逆らわずにハーレイと共に横になり、逞しい腕に頭を乗せた。
「何から話せばいいんだろう…。ぼくの心を読んで貰った方が早いと思うけど、これだけは
言葉で言うべきだろうね。…キースの所に行っていたんだ」
「なんですって!?」
ハーレイは酷く驚き、ブルーの身体を折れんばかりに抱き締めた。
「よく……。よく、御無事で……。どうして、お一人でそんな所へ…。キースはあなたを
殺そうとした男ですよ? 今の状況では殺されることは無かったにしても、それでも
危険な所でしょうに…」
「そうだね…。それは分かってた。だけど……行かずにはいられなかったし、今では
行って良かったと思う。君には謝るしかないんだけれど…。黙って危ないことをして
しまってごめん」
後はぼくの心を読んで…、とブルーはハーレイに心を明け渡す。キースとの会話、見て
来たことの全て。ハーレイが息を飲み、ブルーの身体を抱き込んだ腕に力が籠る。
「…まさか…。まさか、キースがミュウだったとは…。ミュウと居るだけで人類がミュウに
変化してしまうとは…」
「ぼくも本当に驚いたよ。…でも間違いなく、キースはミュウだ。それをキースがどう考えて
行動するかは分からない。仲間を失わないように気を付けろ、と言っていたから生き残る意思は
あるんじゃないかと思わないでもないんだけれど…」
彼の心は分からない、とブルーはハーレイの胸に頬を擦り寄せた。
「マザー・システムは矛盾しているとキースは言った。そのシステムを彼はどうしたいのか…。
明日には全てが分かる筈だけど、地球でさえもこの有様だ。…確かな未来など在りはしないと
いう気もするよ」
「それでも……ソルジャーに戻ろうと仰るのですね、あなたは」
「ハーレイ!?」
弾かれたように顔を上げたブルーをハーレイが引き戻し、その腕の中に閉じ込める。
「…先ほど見えてしまったのです、あなたの心が。…ソルジャーにお戻りになることを止めは
しません。けれど、グランド・マザーの下へ行かれるのなら必ず私もお連れ下さい。それだけが
私の命をお使いになる条件です。…お分かりですね? あなたの命は私が差し上げたものなの
ですから」
「駄目だ、ハーレイ! 危険すぎる」
「だからこそ…です。私の腕が届かない所であなたを喪うのは二度と御免です」
それだけは約束して下さい、と強く請われたブルーは頷かざるを得なかった。ハーレイを
危険な目に遭わせたくはない。なのに、その一方で嬉しいとも思ってしまう自分がいる。
もう二度と……ハーレイの側を離れたくはない…。
「ブルー。私のことなら気になさらなくていいのですよ。あなたは約束して下さいましたね、
メギドから戻ってきた時に。…私の腕が、心が届かない場所で一人逝ったりは決してしない…と。
その約束を果たして頂くために私がついてゆくだけですから」
今は安心して眠って下さい、とハーレイはブルーの銀の髪を撫でた。
「朝食は部屋に運んで頂くように言っておきます。ですからごゆっくりお休み下さい。
…いいですか、お疲れになったお身体では何もお出来にならないのですよ。充分に
眠って頂かないと…」
「…うん…。心配ばかりかけて、本当に…ごめん…」
勝手なことばかりして、無茶ばかりして…ごめん。何度も声で、思念で謝りながらブルーは
眠りに落ちていった。傍らにはハーレイの優しい温もり。この腕が…ハーレイの心が側にいて
くれるなら、どんな相手にも向かっていける。一人きりで戦うしかなかったメギドとは比較に
ならない力を誇るグランド・マザーであろうとも………きっと。
会談の日の朝、ブルーが目覚めたのは太陽が高く昇ってから。閉ざされたカーテンが地球の
景色を遮っていたが、ブルーはハーレイに頼んでそれを開けさせ、荒れ果てた大地と朽ちた
廃墟を静かに見詰める。
「…会談の結果がどう転ぶかは分からないけれど…。こんな星でも来て良かった、と思える
方向に行って欲しいな…」
ブルーの呟きに隣に立っていたハーレイが頷き、肩に手を置いた。
「そうですね…。しかし、まだどうなるかは分かりません。場合によっては戦うおつもり
なのでしょう? 朝食をしっかり召し上がって下さい。あまり時間がございませんし…。
ジョミーには会談の前に寄ってくれるようにと言っておきました」
「ジョミーに?」
「はい。キースのことをお話しになるかもしれない、と思いましたので…。そのおつもりが
無いのでしたら、朝の挨拶だけでよろしいでしょう」
「いや…。ありがとう、ハーレイ。ジョミーも多分怒るだろうけど、伝えておくべき情報だしね。
会談に向かう途中で思念で送るつもりでいたんだ」
時間が取れるとは思わなかったし…、とブルーはハーレイの心配りに感謝していた。
キースがミュウと化していた事実は仲間たち全員に明かすには時期尚早だ。トォニィも重要な
戦力とはいえ、ミュウの未来を左右しかねない判断を委ねられるほどの経験を積んではいない。
伝えるならばジョミーだけに、と思っていたのをハーレイは感じ取ってくれたのだろう。
そのハーレイはテーブルを挟んだ向かい側に座り、ブルーに窓の向こうの地球を意識させまいと
他愛ない会話を交えたりしながら朝食を摂り、細々と世話を焼いてくれている。トーストに
バターを塗りつけるくらい、大した手間ではないというのに。
「この地球が青い星だったなら…。きっと幸せな朝だったろうね…」
「私にはこれで充分です。あなたが生きていて下さるだけで本当に幸せなのですよ。…約束は
守って頂きます。何処までも私をお連れ下さい」
「…分かってる…。それが君の望みだと言うのならば」
決して一人で行きはしない、と誓えば、ハーレイは満足そうな笑みを湛えてブルーの右手を
強く握った。
二人が朝食を終えて間もなくジョミーの思念が来室を告げ、入って来たのは若き指導者。
朝食の席に現れなかったブルーの体調を気遣った彼は、そのブルーから知らされた昨夜の
出来事に息を詰めた。
「キースがミュウだと言うのですか…。だとすれば、今日の会談は…」
「そう。実質上、代表者はミュウ同士だということになる。キースが自分のミュウ化を誰にも
明かしていない以上は、人類とミュウとの会談だが…。だから、君も慎重に動いて欲しい」
「そうですね…。人類側の反感を買わないように気を付けます。キースの決断次第によっては
退却も視野に入れておきましょう。敵の懐の中に居たというのに、ぼくも些か甘過ぎたようです」
ぼくが行動するべきでした、と詫びてジョミーが部屋を出てゆく。会談の時間が迫っていた。
ブルーはハーレイを見上げ、背伸びして唇に軽く口付けて。
「行こう、ハーレイ。…これからミュウの未来が決まる」
「ええ。…あなたは御自分のお心のままに動いて下さい。私はあなたについてゆくだけです」
これだけは絶対に譲れません、とブルーの細い身体を力の限りに抱き締めてから、ハーレイは
先に立って通路へと繋がる扉を開いた。恋人同士でいられる時間は終わったのだ。甘い時間を
生きて再び持てるのかどうか、ブルーにも先は分からない。
(…でも、ハーレイが来てくれる…。今度は一人きりじゃないんだ、ぼくは)
一人きりで戦ったメギドでも沈められたのだから、必要とあらばグランド・マザーをも倒して
みせる。其処で自分は命尽きようとも、ミュウたちの未来を切り開くために…。
人類側の代表団との会談の席。現れたのは国家主席たるキースと八人のリボーン職員だった。
席に着き、口火を切ったのはキース。
「ミュウが此処まで辿り着いたことと、圧倒的な戦力は認めざるを得ないと言えるだろう。
だが、我々にミュウを受け入れる用意は無い。ミュウは何処までも異端なのだ」
自らもまたミュウだというのに、キースの発言はミュウに対する否定そのもの。たまらず
ハーレイが口を開いた。
「それがあなた方自身の意志なら我々も考えよう。しかし、コンピューターの意志は
受け入れない!」
「マザーを否定するのですか!」
すかさず上がったリボーン職員の声が合図であったかのように、会談の席は相反する発言の
応酬となった。
しかしキースは黙したままで動かない。ジョミーも動かず、ブルーも自ら動くことはしない。
「マザー・システムを否定するなら誰が地球を再生すると!?」
「再生じゃと? この地球の何処が!」
会談はマザー・システムとSD体制の是非を巡って平行線を辿り、ついにジョミーが声を
発した。
「そんなにもSD体制が人類にとって大切ならば、遠くの星に我々は去ってもいい。生まれて
来るミュウの存在を認め、我らの許に送り届けてくれるならば」
「それは出来ない!」
キースが即答し、ジョミーが切り返す。
「何故、出来ない!?」
「我らの尊厳に関わるからだ!」
返された答えに会談の場にどよめきと緊張が走った。予想だにしない発言だったらしく、
リボーン職員たちの間に困惑が広がる。
「…どういう意味ですか、閣下!」
「ミュウが我々の尊厳にどう関わると?」
動揺するのはミュウもまた同じ。人類の尊厳と急に言われても、人類がミュウ化する事実を
知らない仲間たちには意味が全く掴めないだろう。
人類とミュウ、双方の混乱を制するかの如くキースが右手を上げ、その動きにつれてテーブルの
上に複数のスクリーンが前触れもなく迫り出した。
「質問の答えは今から全宇宙規模で放送される。私が自由アルテメシア放送のスウェナ・
ダールトンに託したデータだ。人類側の放送システムには弾かれてしまう内容だからな。
…よく見るがいい」
「閣下!?」
「何を放送するというんじゃ!」
リボーン職員やミュウたちの声はスクリーンに映し出された女性のアナウンスによって
中断され、続いて始まったキースのメッセージに誰もが食い入るように見入った。
(…キース…。昨日、君が収録していたメッセージがこれか。君は全てを明らかにしようと
いうのか、マザー・システムに逆らってまで…)
スクリーンの中のキースは衝撃的な内容を表情を変えることなく話し続ける。一個人としての
話だと前置きしつつもミュウは進化の必然だと説き、マザー・システムの欠陥をも。
≪SD体制にミュウを受け入れるためのシステムは存在しない。プログラムは完璧ではないのだ。
マザーに全てを委ねていられる時代は終わった≫
静まり返った室内にキースのメッセージだけが響いていた。
≪だが、諸君。ミュウという種は寛容だ。我々人類を劣等種として蔑みはしない。共に進化の
階段を登るべく、手を差し出すのがミュウに備わった特徴なのだ。手を取り合うか、頑なに
旧人種の殻に籠って生きるか。…これからは一人々々が、何をすべきかを考えて行動せよ≫
そう告げてキースの姿が画面から消える。同時にスクリーンも元の場所へと収納されてゆき、
あちこちからキースへの声が上がった。
「か、閣下…。今の放送は…」
「あたしたちが進化の必然だって? だったらあんたはどうするのさ!」
「そうです、閣下! この会談をどうすれば…」
キースは薄く笑って人類側の代表たちを見詰める。
「自分で考えて行動せよ、と言った筈だが? …私はグランド・マザーの所に行く。お前も
来るか? ジョミー・マーキス・シン」
「勿論だ! ミュウを抹殺し続けてきた機械をこの目で見ずに帰れるとでも?」
ジョミーが立ち上がり、キースの随行員として一人のリボーン職員がついた。その機を逃さず、
ブルーも進み出る。
「ぼくも行く。…ミュウの長として長い年月、ぼくはマザー・システムと戦ってきた。その要を
一目見ておきたい。そして…」
「私がブルーに同行することをどうか許して頂きたい。詳しい説明は省略するが、ブルーの命は
私から離れると危うくなる。体調が優れないと言っていたのはそのためだ」
ハーレイの申し出にキースは頷き、リボーン職員たちが異を唱えた。ミュウの方の数が
多すぎると。
「なるほどな。…では、私の随行員を一人増やそう。マツカを此処に呼んで来るように」
ジルベスター・セブン以来の側近の名に安堵の空気が広がってゆく。そのマツカもまた
ミュウであると知ったら、彼らはどんな顔をするのだろう?
いや、それよりも前にキース自身がミュウなのだ。それをメッセージで明かさなかったのは
恐らくパニックを避けるため。既にミュウと化した国家主席の言葉を受け入れることは難しい。
だが、メッセージを聞かされた後に国家主席がミュウ化したなら、人類からミュウへと変化する
ことを人類は恐れはしないだろうから…。