シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。
(百名山…)
こんなのがあるんだ、とブルーが眺めた新聞記事。学校から帰って、おやつの時間に。
ダイニングで広げてみた新聞。其処に「百名山」の文字。何処かの山の名前だろうか、と思って記事を読み始めたら…。
(ずっと昔に…)
まだ人間が地球しか知らなかった時代、この辺りに在った小さな島国。それが日本で、その国でブームになった登山。同じ登るなら、目標があった方がいい。
その目標になった山たちが百名山。元は登山家でもあった小説家が選んだ、百の山たち。随筆の中で「この山がいい」と「百名山」という言葉も作った。
最初の頃には、ごくごく一部の山好きだけが知っていたという百名山。ところが、登山ブームが到来、登りたい人がググンと増えた。
どうせ登るなら、百名山に行くのがいい。日本のあちこちに散らばる山たち、百もある山を制覇しようと。「全部登った」と誇るのもいいし、「あと幾つ」と数えてゆくのも楽しいから。
若い人から、仕事を辞めた後の趣味にと始める人まで、大勢の人が百名山を目指したけれど。
(うーん…)
とても高い、と驚いてしまった山の標高。
特に人気だった山たちの高さが幾つか、どれも千メートルを軽く超えていた。一番低かった山も千メートル以上、というデータ。
(…千メートルって…)
かなり高いよ、と山登りをしない自分でも分かる。沢山の人が登りたがった百名山は、登山家が選んだ山だっただけに、簡単に登れる山ばかりではなかったらしい。
(魔の山だって…)
遭難事故が多発したから、そう呼ばれた山も百名山の一つ。それでも登りにゆく人たち。
もっとも、地球が滅びに向かった頃には、忘れ去られていたのだけれど。百名山も、山に登るという趣味も。
登りに行けたわけがないしね、と滅びようとしていた地球のことを思う。
大気は汚染されてしまって、地下には分解不可能な毒素。海からは魚影が消えていったし、緑も自然に育たなくなった。自然の中で楽しみたくても、もはや何処にも無かった自然。
(…百名山だって、きっと禿山…)
高い山だけに、緑の木々たちが消える前から、天辺の方は禿げていたかもしれないけれど。
二千メートルを越す山たちだったら、最初から木などは一本も無くて、むき出しの岩肌ばかりの景色だったかもしれないけれど。
(それでも高山植物くらい…)
あった筈だし、その植物さえ失われたのが滅びゆく地球。
人間は山に登る代わりに、懸命に地球にしがみ付こうとした。母なる地球を取り戻そうと努力し続け、結局、離れざるを得なかった地球。SD体制を敷いてまで。
(それでも、青い地球は取り戻せなくて…)
SD体制の崩壊と共に、燃え上がった地球。激しい地殻変動の末に、蘇ったのが今の地球。
青い地球が宇宙に戻ったお蔭で、前とは違う日本が出来た。かつて日本が在った辺りに。
其処に戻った人間たち。今の時代は誰もがミュウ。
日本の文化を復活させて楽しみながら暮らす間に、山好きの人が唱え始めた。登山をするなら、百名山があった方がいい。新しい時代の百名山はこれにしよう、と。
(それで今でも、百名山っていうのがあるんだ…)
せっかくの百名山だから、と今は失われた百名山と同じ名前をつけたりして。
遥かな昔にあった本物、その名で呼ばれる蘇った地球に生まれた山。正式名称は違う名前でも、山好きの間では通じる名前。「ああ、あの山か」と。
(ホントの名前は違う山でも、山が大好きな人には富士山…)
そういった具合に愛される山。
本物の富士山は地殻変動で消えてしまって、もう無いのに。…それでも今も富士山はある。山が大好きな人の間では、そういう名前で呼ばれる山が。
新しく選ばれた、今の時代の百名山。昔と同じに、日本のあちこちに散らばる山たち。
その百名山を目指す人たちもいる。サイオンは抜きで、自分の足で。
(凄いよね…)
記事に書かれた、今の百名山も高いのに。優に千メートルを超える山たち、今もやっぱり。
高すぎだよ、と思う百名山。下の学校の遠足で出掛けた郊外の山でも、自分には充分、高かった山。千メートルにはとても届かない山で、遠足には丁度いい高さでも。
(学校のみんなで出掛けて行っても…)
下の学年の子たちと一緒に、途中に残った遠足もあった。弱い身体では登れないから、疲れないように山道の途中でおしまい。学校に上がったばかりの子たちも、それほど登れはしないから。
(ちょっとだけ登って、そこでお弁当…)
自分よりも下の学年の子たちと、一緒に食べたお弁当。山道をもっと上に向かった、他の生徒が戻って来てくれるまで、待っていた自分。
休んでしまった遠足もあった。病気だというわけでもないのに。
(下の学年の子たちの遠足、別の場所だと…)
疲れても途中で残れはしないし、先生だって一人だけのために一緒に残っているのは無理。低い山でも山は山だし、足を挫いたりする子もいるから…。
(先生、みんなと行かないと…)
他の生徒の面倒を見ることが出来ない。だから最初から、遠足は休み。
(パパやママと一緒に行った山でも…)
お遊び程度の山登り。小高い丘のような山やら、小さな子供でも歩けるハイキングコース。町の景色が綺麗に見えたら、「此処でお弁当にしよう」と父が足を止めて、おしまいだとか。
山の頂までは行かない登山。…あれでも登山と言うのなら。
小さな頃からそんな具合で、今も虚弱で体育は直ぐに見学だから…。
(百名山なんて…)
絶対に無理で、登れるわけがない山たち。
逆立ちしたって、ただの一つも登れはしない。一番低いと書かれた山でも、千メートルを超えている高さ。自分の足ではとても無理だし、挑むだけ無駄といった趣。
世の中には変わった趣味があるよね、と新聞を閉じて戻った二階の自分の部屋。キッチンの母に「御馳走様」と、空になったカップやお皿を返して。
(百名山かあ…)
山好きの間では、蘇っているらしい百名山。元になった山は失われたのに、わざわざ同じ名前で呼んで。正式な名前がちゃんとあるのに、それとは別に。
サイオンは抜きで、自分の足で登る山。大変だろうに、百名山を登る人たち。なんとも凄い、と思うけれども、自分には無理な趣味なのだけれど。
(でも、昔から…)
登山が好きな人たちがいたから、好まれた山が百名山。全部登ろう、と大勢の人が目指した山。
遠い昔の日本の人たち、百名山を愛した山登りを趣味にしていた人たち。
そういう人が多かったから、今の時代も百名山がある。新しく選ばれた百名山が。
今は人間は誰もがミュウだし、「サイオンは抜きで」登るのがいいと言われていたって、いざとなったら使えるサイオン。「使うな」とは誰も言わないから。
(使わないのが社会のルールで、マナーだっていうだけのことで…)
困った時には大人だって使う。急な雨で傘を持っていなくて、それでも先を急ぐなら雨を弾いてくれるシールド。誰も「駄目だ」と咎めはしないし、「急ぐんだな」と見ているだけ。
けれど、本物の百名山があった時代に生きた人には、サイオンは無い。ミュウはいなくて、人類しか住んでいなかった地球。サイオンが使えないのなら…。
(遭難事故だって…)
記事に載っていた魔の山でなくても、きっと幾つもあった筈。
足を滑らせて転落したって、サイオンが無いと止まれない。落っこちたら死ぬしかない所でも。高い崖から宙へと放り出されても。
それでも登っていた人たち。とても高い山や、危険な場所が幾つもある山を。
どんなに大変な道のりでも、山が好きだから。山の頂に立ちたいから。
(其処に山があるから…)
そう言ったという、登山家の話を聞いたことがある。地球が青かった時代に生きた登山家。
其処に山があるから、「だから登る」と。…ただ登りたいだけなのだと。
確か、エベレストを目指した人の言葉だった、という記憶。地形が変わってしまう前の時代の、地球に聳えていた最高峰。まだ未踏峰だった頂を、「其処に山があるから」と目指した登山家。
(…其処にあっても、ぼくは御免だけどね)
高い山など、登れはしない。どう頑張っても、弱い身体で登るのは無理。
地球を夢見た前の自分も、自分の二本の足を使って山に登ろうとは思わなかった。エベレストがあったヒマラヤ山脈、其処にも行きたかったのに。
もしかしたら、例の登山家の言葉。「其処に山があるから」という言葉は、前の自分が何処かで目にしたものかもしれない。白いシャングリラのデータベースか、ライブラリーで。
ヒマラヤの高峰に咲くという花、青いケシの花に焦がれていたから。
いつか地球まで辿り着いたら、やりたかった夢の一つが青いケシ。青い天上の花を見ること。
(ヒマラヤの青いケシを見るには…)
空を飛んでゆこうと夢を描いていた。白いシャングリラで地球に着いたら、空を飛ぼうと。
前の自分は自由自在に空を飛べたし、ケシが咲く峰よりも高く舞い上がれたから。空の上から、青いケシの花を探すことだって出来たから。
そういう夢を持っていたのに、生まれ変わって青い地球まで来られたのに…。
(…ぼくのサイオン、うんと不器用になっちゃって…)
空を飛ぶなど、夢のまた夢。
青いケシを見に出掛けてゆくなら、今の自分はヤクの背中に乗るしかない。ヒマラヤ育ちの強い動物、ヤクの足で登って貰う山。自分ではとても登れないから。
(ヒマラヤだったら、ヤクがいるけど…)
日本の山にヤクはいないし、百名山はもうお手上げ。ヤクがいるなら、乗せて貰って登ることも出来そうなのだけど。…ヤクの足で行ける所までなら。天辺までは無理かもしれないけれど。
(山の天辺、尖ってたりするから…)
ヤクの足では登れない山もあるだろう。それでも途中までならば、と思ってもヤクはいないのが日本。百名山に登りたければ、自分の足で歩くしかない。
麓から歩き始めるにしても、途中までは車で行ける道路があったにしても。
無理だよね、と思う百名山。一番低い山でも無理、と。
(その辺の山でも大変なんだよ、今のぼくだと…)
学校の遠足で出掛けた山でも、天辺まで行けなかったほど。下の学年の子たちと一緒に、山道の途中で待っていたほど。上まで登りに行った同級生たち、彼らが山を下りてくるまで。
遠足で行くような山に登るだけでも一苦労、と考えた所で不意に掠めた記憶。
前の自分が見ていた山。空を自由に飛ぶことが出来た、ソルジャー・ブルーだった自分が。
(…山があっても、直ぐにおしまい…)
白いシャングリラが長く潜んだ、アルテメシアの山はそうだった。雲海に覆われた星の山たち。
あの星にあった育英都市。アタラクシアと、エネルゲイアと。
二つの育英都市を取り巻くような形で、緑の山はあったのだけれど…。
(山登りをして、越えるのは禁止…)
そういう規則になっていた。人類が暮らす世界では。
テラフォーミングされて、緑の木々が茂る山並み。その山肌から緑が消えて、岩山に変わる所が境界。緑の山には自由に行けても、岩山の方へ越えては行けない。
岩山を越えて外へ出ることは禁止だった世界、それがアタラクシアとエネルゲイア。
(前のぼくたちには、そんな規則は…)
関係無いから、シャングリラは其処に隠れていた。人類の規則などミュウには無意味なのだし、守らねばならない理由も無い。その人類に追われる身だから、逃れなくてはならないから。
岩だらけの山と荒れた大地の上を覆う雲海、白い雲の中がシャングリラの居場所。山を越えたら何があるのか、前の自分たちは知っていたけれど…。
(アルテメシアにいた子供たちは…)
ハイキングで山を越えてゆけなくて、子供たちを育てる養父母も同じ。規則は規則で、養父母が山を越えていたなら、子供たちも真似をしたくなるから。
(あんな星だと、百名山なんて…)
作りたくても、作れなかったことだろう。その山を越えて行けないなら。山の頂に立って下界を見下ろすことが出来ないのなら。
百もの山を登る趣味だって、持てそうになかったアルテメシア。人類が暮らした都市の周りに、それだけの数の峰は無かったと思うから。
アルテメシアには無かっただろう、と考えざるを得ない百名山。前の自分は百名山など、聞いたことさえ無かったけれど。
(他の星なら…)
あったのかな、とも思う百名山。素敵な山が百あったならば、百名山は作れるから。今の日本が新しいのを作っているように、他の星でも。
(ノアとかだったら…)
SD体制の時代の首都惑星、ノア。白い輪さえかかっていなかったならば、地球と間違えそうな青さを誇っていた星。人類が最初にテラフォーミングに成功した星だったし、ほぼ全体が…。
(人間が暮らせる環境だった筈で…)
山だって、きっと幾つもあった。百どころではない数だろう山が。
あの星だったら百名山も作れたろうか、と考えていたら、チャイムの音。仕事帰りのハーレイが訪ねて来てくれたから、テーブルを挟んで向かい合わせで訊いてみた。
「ハーレイ、百名山って知ってる?」
今日の新聞に載ってたんだよ、有名な山らしいんだけど…。全部で百もあるんだって。
「百名山か…。あるなあ、俺も幾つか見たことはあるぞ」
実に綺麗な山なんだよな、とハーレイは目を細めている。「どれも、まさしく名山だ」と。
「見たことがあるって…。それじゃ、登っていないんだね?」
どの山も、見たっていうだけのことで…?
「登ろうってトコまでは、やっていないな。…近くまでは行ってみたんだが」
もう少し行ったら登山口だ、って所まで出掛けた山もあったな。景色が綺麗だったから。
山を見ながらのんびり歩いて、ちょっとしたハイキング気分てトコだ。
親父たちや友達と旅に出掛けた時だな、なかなかに素敵な山ばかりだぞ。
どの山もな、とハーレイは旅先で眺めた山を思い浮かべているらしい。山には登らず、見ていただけの名山たち。「あれがそうだ」と指差し合って。記念写真も撮ったりして。
いい山なんだぞ、とハーレイが山の姿を褒めるものだから、不思議になって傾げた首。そんなに素敵な山だったのなら、登ってくればいいのに、と。
柔道と水泳で鍛えた身体を持つハーレイなら、ひ弱な自分とは違う。楽々と山を登れそうだし、登山口まで行ってしまえば良さそうなのに。「ちょっと登ってくるから」と。
「…その山、なんで登らなかったの?」
上まで登るのは、時間、足りないかもしれないけれど…。少しくらいなら…。
ハーレイだったら、身体、鍛えてあるんだし…。山登りをしたって疲れないでしょ?
旅行の記念に登ってくれば良かったのに、と疑問をそのままぶつけたら。
「そいつは無理だな、ああいう山じゃ。…百名山、記事で読んだんだろう?」
山によっては高さが凄いし、俺が旅先で見て来た山はそういうヤツだ。遠足気分の山じゃない。
その手の山を登るとなったら、相応の装備が必要になる。道具じゃなくても、服や靴だな。
ついでに届けも厳しいからなあ、「ちょっと登ってみるだけです」とはいかないんだ。
「届け…?」
それって何なの、山に登るのに何か出さなきゃいけないの…?
「そういう決まりになってるな。昔の時代の真似ってことで」
本物の百名山があった時代の日本を真似ているんだ。
山に登る前には、入山届けを出さなきゃいかん。こういうコースで登ります、とな。
それを登山口で係に渡して、それから装備のチェックを受ける。山を登るのに相応しい靴やら、服の準備が整っているか。…足りていないと、もう駄目だってな。
観光気分で登ろうとしたら止められちまう、とハーレイが軽く広げた両手。
高い山に登れば危険が伴うものだし、遭難事故が起こらないよう、観光客はお断りだ、と。
「…観光気分じゃ駄目って言っても…。でも…」
みんなサイオンを持っているでしょ、ぼくみたいに不器用でなければ安心。
足を滑らせても、ちゃんとサイオンで止まれるんだから、事故なんかにはならないよ?
「そのサイオンをだ、使わないのがルールだからなあ…。登山ってヤツは」
入山届けも、装備のチェックも、遊びの内だ。
きちんと準備が出来てますか、と念を押されるわけだな。それに、届けを出しておけば、だ…。
山に入った後、もしも天候が荒れたりしたなら、入山届けを出した所から連絡が来る。避難した場所は安全なのか、という確認やら、「救助に行った方がいいか」という質問も。
「避難するって…。シールド、あるでしょ?」
嵐の中でも、大丈夫だと思うけど…。そりゃ、消耗を防ぐんだったら、シールドよりも山小屋に入る方がいいけど…。山小屋が無くても、岩陰だとか。
それに救助も、要らないって人が多そうだけど…。瞬間移動で戻れる人もいる筈だよ?
瞬間移動は無理にしたって、サイオンがあれば安全な場所まで行ける筈だし…。
それなのに救助を頼んだりするの、と尋ねたら。
「そのようだ。ギリギリの所まで踏ん張ってこそだ、というのが登山の醍醐味らしいぞ?」
サイオンは使わずに、いける所まで。…救助に出掛ける方はサイオンを使うんだがな。
瞬間移動で飛んで行ったり、救助方法は色々らしいが…。
そいつを「頼む」と言わずに何処まで頑張れるかが、登山をやる連中のプライドってヤツだ。
「凄いね…。なんだか我慢大会みたい…」
シールドを張ったら安心なのに、張らないだなんて。…救助を頼んだりするなんて…。
「登山はスポーツの一種だからな。そういうことにもなるだろうさ」
自然を相手に戦うわけだし、そう簡単に「参りました」と降参したくはないだろう?
俺ならしないな、ギリギリまで。…まだ戦える、と思う間は。
「山登り、スポーツだったんだ…」
それって、前のぼくたちが生きてた時代にもあった?
「はあ? 登山のことか?」
山に登ってるヤツらはいたのか、っていう質問なのか、お前が言うのは…?
それだったら…、とハーレイが答えようとするのを遮った。訊きたかったことは別だから。
「登山じゃなくって、山の方だよ」
山に登るなら、まず山が無いと駄目じゃない。
でないと登山に行けないものね、山が何処にも無かったら。
ぼくが訊いてるのは、そっちの方。…登れる山はあったのかどうか。
百名山だよ、と抱えていた疑問を口にした。ハーレイが訪ねて来るよりも前に、考えていた山のこと。前の自分が生きた時代も、百名山は何処かにあっただろうか、と。
「百名山、今は新しいのがあるでしょ? ハーレイも幾つか見たってヤツが」
前のぼくたちが生きた頃にも、百名山はあったのかな、って思ってて…。
アルテメシアには無さそうだけど…。
あそこの星だと、山を越えるの、一般人は禁止だったから。アタラクシアも、エネルゲイアも。
そんな決まりがあった星だと、登れそうな山は百も無いしね。百名山は選べないよ。
でも、他の星にはあったのかなあ、って…。
ノアとかだったら、山も沢山ありそうだから…。育英惑星ってわけでもないしね、百名山。
「…無いな、結論から言えば」
前の俺たちが生きた時代に、百名山は存在しなかった。存在する理由も、その意義もな。
あったわけがない、というハーレイの言葉に驚いた。
「え…? 無かったって…」
どういうことなの、百名山が無かっただけなら分かるけど…。
そんなに沢山、綺麗な山が見付からなかったってことだよね、って思うけど…。
だから存在する理由が無いのはいいけど、意義が無いって、どういう意味?
まるで百名山、存在してたら駄目みたいな風に聞こえるよ…?
「その通りだが?」
無かったんだ、登山そのものが。…スポーツとしては。
登るヤツらがいないんだったら、百名山を作る必要も無い。…むしろ無い方がいいってこった。
山が無いなら、誰も登りに行かないぞ。
うっかり百名山があったら、登ろうと思うヤツらが出て来る。だから作っちゃ駄目なんだ。
「…なんで?」
どうして百名山を作っちゃ駄目なの、それに登山が無かったりするの…?
登山は今も人気のスポーツなんでしょ、サイオンを使わないのが面白い、っていうくらいに…?
「其処が問題だったんだ。…命懸けのスポーツだという所がな」
今でもプロの登山家はいるわけなんだが、前の俺たちが生きてた時代。
誰が登山家になればいいのか、そいつを機械が決めるのか…?
よく考えて思い出してみろよ、と言われたSD体制の時代。マザー・システムが統治した世界。
完全な管理出産だった社会の中では、適性を調べて決められた進路。
育英都市での成績や発育ぶりを機械が見定め、成人検査で振り分けた。次の教育段階へ。
養父母の許を離れた後には、教育ステーションで四年間。成績と才能の有無で選別、決められる最終的な職業。
命懸けの仕事も無いことはなくて、軍人やパイロットなどがそう。ただし、どちらも欠かせないもので、彼ら無しでは成り立たない社会。いわば必須の職業なのだし、命懸けでも必要なもの。
けれど、登山家は社会に欠かせない職業ではない。いなくても誰も困りはしない。
同じスポーツ選手だったら、命を懸ける登山家などより、皆が眺めて楽しめるスポーツのプロを養成すべき。サッカーだとか、マラソンだとか。
「…登山家、いなかった時代だったんだ…」
前のぼくたちはシャングリラの中しか知らなかったし、スポーツ選手も詳しくなくて…。
プロがいるんだ、って知っていただけで、どんなスポーツのプロがいたかは知らないよ。
だけど確かに、登山家は必要無かったかも…。山まで出掛けて眺めないしね、登ってる所。
「そういうことだ。職業としての登山家は存在しなかった。SD体制の時代はな」
人類が登山家をやるとなったら、もう文字通りに命懸けだ。サイオンを持っていないんだから。
そんなスポーツのプロを作ったりしたら、不満が噴出しかねない。殺す気なのか、と。
だから登山は趣味でやるもので、その趣味の方も、安全に登れる低い山だけだった。
惑星の開発などの仕事で、高い山に登ったヤツらはいたが…。
それは仕事の一環なんだし、安全を確保するのが第一だ。命は懸けずに守る方だな。
最先端の技術を駆使して、ロボットにサポートさせたりもした。安全に登っていけるように。
命を守って、出来るだけ楽に登るというのが、高い山を登る時の常識だったから…。
サイオンも抜きで登るもんだ、というスタイルの今の登山とは…。
まるで違うぞ、という説明。
同じ高い山を登るにしたって、今は楽しみながら登るスポーツ。自分自身の体力や気力、それを限界まで引き出して。…サイオンは抜きで出来る所まで。
遭難しそうになっていたって、自分のサイオンを使う代わりに救助要請。それでこそ真の登山家なのだし、アマチュアもプロもそういう精神。
けれど、SD体制の時代は違った。命懸けの登山をする人間は誰もいなくて、百名山も無かった時代。人間がそれに挑み始めたら、危険が増えるだけだから。
「…プロの登山家は作れなかった、っていうのは分かるけど…」
危ない仕事で、だけど社会の役に立つようなものでもなくて…。
わざわざプロを作ったとしても、事故が起きたら困ったことになりそうだけれど…。
そんな時代でも、山に登ろうって人はいなかったの?
「其処に山があるから」っていう言葉があるでしょ、山に登りに行く理由。昔の登山家の言葉。
あれみたいに、山があるから登るっていうのは無かったの…?
アルテメシアでは山を越えるのは禁止だったけど、そうじゃない星なら登りたい人も…。
いそうだけれど、と考えたけれど、ハーレイは「SD体制の時代だぞ?」と苦い顔をした。
「人類を治めていたのは機械だ。…最終的な判断は全部、機械がやっていたってな」
機械は遊び心というのを理解しないし、理解しようとも考えない。…機械なんだから。
とにかく社会を守るのが一番、人間の命も守ってこそだ。ミュウだと殺しちまったんだが。
守るべき人間が危険な山に登りたい、と言い出したならば、禁止だな。「危険だから」と。
そうでない場合は、命を守るための工夫を山ほど施された上で、仕事で登山だ。
やむを得ず登るわけなんだしなあ、命なんか懸けたくないのにな…?
「…仕事はともかく、登りたいって言っても禁止だなんて…」
それって、面白みがないよ。…命懸けってことが、とても楽しいとは言わないけれど…。
危ないから、って最初から禁止されてる世界じゃ、のびのび暮らしていけないかも…。
「だからこそ、今は人気だってな」
登山も、百名山を登りに出掛けてゆくってことも。…サイオンは抜きで。
「そっか…。自分の限界と戦うってことが、出来る時代になったんだね」
いけません、って機械に止められずに。…やりたい人は、好きに山に登れて、百名山もあって。
時代のお蔭もあったのか、と思った今の百名山。前の自分が生きた時代は無かったもの。登山もプロの登山家たちも、百名山も。
SD体制の時代と今とが違うことは百も承知だけれども、登山まで消えていたなんて、と本当にただ驚くばかり。遠い昔には、「其処に山があるから」と登った登山家もいたというのに。
ハーレイが百名山の幾つかを見たと聞いたら、「登っていないの?」と不思議だったほど、今は登山が普通なのに。
「えっとね…。登山、今はすっかり普通になってるみたいだけれど…」
こんな風に登山の話をしてたら、ハーレイ、登りたくならない?
記念写真だけで帰って来ちゃった、綺麗だったっていう山とかに。
ハーレイ、山も好きそうだけど、と尋ねてみたら。
「俺か? そうだな、惹かれないでもないが…。機会があれば、と思いもするが…」
お前、登山は無理だろう?
百名山に登るどころか、その辺にあるような低い山でも。
「無理に決まっているじゃない!」
学校から遠足に出掛けた時でも、ぼくは途中でおしまいだったよ?
山の天辺まで登れないから、下の学年の子たちと一緒に途中までだけ…。其処でお弁当。
天辺まで行ったみんなが帰って来るまで待ってたんだよ、疲れてしまわないように。
途中で待つのが無理な時だと、遠足ごとお休みだったんだから…!
熱なんか少しも出ていないのに、ぼくに山登りは無理だから、って止められてお休み…。
「ほらな、お前は身体が弱いし、そうなっちまう」
お前がそういう具合だからなあ、俺も山には登らない。
これからも記念写真だけで終わりだ、どんなに綺麗で登りたくなる山に出会っても。
「…どうして?」
ハーレイだったら登れそうだよ、難しすぎる山じゃなかったら。
プロの登山家でなければ無理です、っていう山は無理でも、百名山はそうじゃないでしょ?
いろんな人が目指してるんだし、体力があれば登れそうだけど…。
ぼくは無理でも、ハーレイならね。
記念写真は山の天辺で撮ればいいのに、と持ち掛けた。自分は一緒に写れないけれど、百名山の頂に立つハーレイは素敵だろうから。
「記念撮影、山の天辺の方が断然いいよ。麓なんかより」
高い山なら、うんと遠くまで写りそうだし…。それとも一面の青空かな?
きっと素敵な写真が撮れるよ、そういうハーレイの写真、見たいな…。
登りに行くなら下で待ってる、と言ったのに。…山小屋に泊まって帰って来るなら、宿で留守番しているから、とも言ったのに。
「さっきも言ったが、一人じゃつまらん。…お前が一緒じゃないなんて」
お前と二人で暮らしているのに、俺だけロマンを追い掛けるなんて、論外だ。
百名山を登るというのも、魅力的ではあるんだが…。お前に留守番させたくはない。
俺は登山家には向いていないな、こんな調子じゃ。
名のある登山家にはなれやしないぞ、とハーレイが笑うものだから。
「それ、どういうこと?」
ハーレイの何処が向いていないの、登山家に?
ぼくが留守番するのと何か関係あるわけ、ハーレイが登山家になれるかどうか…?
「大いに関係あるってな。今の時代は大して意味は無いんだが…」
人間がミュウじゃなかった時代。…遭難したら、死んじまうしかなかった頃の登山家ってヤツ。
ずっと昔の登山家たちは、恋人よりもロマンが優先だったんだそうだ。
山に登るというロマン。登った挙句に、山で死んじまっても本望だ、とな。
「それって…。それじゃ、恋人は…?」
大切な人が山で死んでしまったら、恋人の方はどうなっちゃうの…?
「もちろん一人で残されちまうが、なにしろ山で死んだんだしな」
大好きな山で死んだんだから、と納得して健気だったそうだぞ。
とんでもない事故に遭ってしまって、身体さえ回収出来なくても。…雪崩に巻き込まれて行方が分からないとか、何処に落ちたか、探してもサッパリ手掛かり無しとか。
それでも山を恨みはしないで、いい人生を送った人だ、と思ったらしいが…。
好きな山で命を落としたわけだし、本人も大満足だろう、と。
昔の登山家はそうしたモンだ、というハーレイの言葉に震え上がった。
独りぼっちで置いてゆかれるなど、とんでもない。いくら恋人が満足だろうと、残されるなんて耐えられない。…前のハーレイはそれに耐えたけれども、自分にはとても無理だから…。
「ぼくには無理だよ、そんなのは…!」
今の時代は誰でもミュウだし、山で死んだりするようなことはないだろうけど…。
救助に行く人もきちんといるから、遭難したって怪我くらいで済むんだろうけど…。
それでも嫌だよ、昔の話だ、って言われても…!
悲しすぎるよ、独りぼっちになるなんて…!
「俺もお前を置いては死ねん。…それも好き勝手にした末だなんて、最低だろうが」
いくら自分が好きなことでも、お前を残して死んじまうような真似は出来んな、間違っても。
だから登山家は向いてないんだ、俺なんかには。
登ったら気持ちいいだろうな、と思うような山があったって。…百名山がある時代でも。
だがな…。
せっかく山がある時代だから、と向けられた笑み。
アルテメシアの雲海に潜んだ時代と違って、今は二人で蘇った青い地球の上。
何処まで行っても「山を越えるな」と言われはしないし、登山は無理でも、山のある世界を満喫しよう、と。
緑の山を幾つ越えても、それで終わりにはならない星。
アルテメシアにいた頃だったら、緑の山を越えた後には、岩山と荒地だったのに。山を見ながら暮らした育英都市の子供や養父母、彼らは山を越えることを禁じられたのに。
その上、登山家もいなかった時代。
百名山がある星どころか、プロの登山家がいなかった。趣味で山登りをするにしたって、安全に登れる低い山だけ。
それが前の自分たちが生きた時代で、機械が治めていた世界。
「あの忌々しいSD体制は終わっちまって、今じゃ地球だって青くて、だ…」
俺たちはその地球に生まれたんだし、山に登れる世界を楽しまなきゃ損だ。
お前は低い山しか登れないから、百名山とはいかないが…。
俺たち流に決めて登るというのもアリだぞ、せっかくの青い地球なんだから。
きっと楽しいぞ、と言われたけれども、「俺たち流」というのが謎。首を傾げるしかない言葉。
「何を決めるの?」
ぼくたちに合わせるっていう意味みたいだけど、何を決めるわけ…?
「百名山に決まっているだろうが、俺たち流の」
お前でも登れそうな山を百ほど選んで、そいつを制覇してゆく、と。
姿の綺麗な山がいいなあ、低い山でも綺麗な山は幾つもあるんだから。
「…それもぼくには無理そうだけど…」
だって山でしょ、途中で疲れてしまいそう。低い山でも、山は山だもの。
天辺までは登れないかも…、と挑む前から音を上げた。「ぼくには無理」と。
「無理か、そういう百名山も?」
だったら、山の麓に立ってみるだけでもいいじゃないか。綺麗な景色を見ながらな。
この山の向こうにもずっと幾つも幾つも、山ってヤツが続いているんだ、と見るだけでも。
誰も「越えるな」と言いやしないし、岩山が来たら終わりってわけでもないんだから。
「そうだね…!」
何処の山でも終点じゃないね、越えちゃ駄目な山は無いものね…。
岩だらけの山で緑が無くても、其処でおしまいってわけじゃないから…。
その山を越えてずうっと行ったら、また緑の山が戻って来るよ。岩だらけの山に緑が無いのは、山が高すぎるせいで、低くなったら、また木があるから…。
アルテメシアとは違うよね、と分かっている青い地球の岩山。
高い山には、緑の木々は無いけれど。…それは森林限界のせいで、人工的な星とは違う。
「山を越えるな」と禁止されていた、アルテメシアとは違った世界。
低い場所では山は緑だし、登山家だっている時代。
山登りが趣味の人も多くて、今の時代は百名山まで出来ている。
せっかくなのだし、いつかハーレイと暮らし始めたら、山を満喫してみよう。
前の自分たちが生きた頃には無かった職業、プロの登山家までいるほどだから。
サイオンは抜きで山に挑むのも、今の平和な時代だからこそ出来ること。
(百名山を登るのは無理だけど…)
山は見に行かなくっちゃね、と夢見る未来。
ハーレイと二人で山を眺めて、記念写真も沢山撮ろう。
山を越えても、誰も咎めはしない時代。
どんな山でも自由に登れて、写真も撮りに行けるから。
何処までも続いてゆく青い地球の山を、百も二百も、幾つでも眺められるのだから…。
山があるから・了
※SD体制が敷かれた時代は、いなかったのがプロの登山家。機械が設けなかった職業。
山を越えてゆくことが禁止だったり、今とは全く違った世界。百名山があるのも今ならでは。
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こんなのがあるんだ、とブルーが眺めた新聞記事。学校から帰って、おやつの時間に。
ダイニングで広げてみた新聞。其処に「百名山」の文字。何処かの山の名前だろうか、と思って記事を読み始めたら…。
(ずっと昔に…)
まだ人間が地球しか知らなかった時代、この辺りに在った小さな島国。それが日本で、その国でブームになった登山。同じ登るなら、目標があった方がいい。
その目標になった山たちが百名山。元は登山家でもあった小説家が選んだ、百の山たち。随筆の中で「この山がいい」と「百名山」という言葉も作った。
最初の頃には、ごくごく一部の山好きだけが知っていたという百名山。ところが、登山ブームが到来、登りたい人がググンと増えた。
どうせ登るなら、百名山に行くのがいい。日本のあちこちに散らばる山たち、百もある山を制覇しようと。「全部登った」と誇るのもいいし、「あと幾つ」と数えてゆくのも楽しいから。
若い人から、仕事を辞めた後の趣味にと始める人まで、大勢の人が百名山を目指したけれど。
(うーん…)
とても高い、と驚いてしまった山の標高。
特に人気だった山たちの高さが幾つか、どれも千メートルを軽く超えていた。一番低かった山も千メートル以上、というデータ。
(…千メートルって…)
かなり高いよ、と山登りをしない自分でも分かる。沢山の人が登りたがった百名山は、登山家が選んだ山だっただけに、簡単に登れる山ばかりではなかったらしい。
(魔の山だって…)
遭難事故が多発したから、そう呼ばれた山も百名山の一つ。それでも登りにゆく人たち。
もっとも、地球が滅びに向かった頃には、忘れ去られていたのだけれど。百名山も、山に登るという趣味も。
登りに行けたわけがないしね、と滅びようとしていた地球のことを思う。
大気は汚染されてしまって、地下には分解不可能な毒素。海からは魚影が消えていったし、緑も自然に育たなくなった。自然の中で楽しみたくても、もはや何処にも無かった自然。
(…百名山だって、きっと禿山…)
高い山だけに、緑の木々たちが消える前から、天辺の方は禿げていたかもしれないけれど。
二千メートルを越す山たちだったら、最初から木などは一本も無くて、むき出しの岩肌ばかりの景色だったかもしれないけれど。
(それでも高山植物くらい…)
あった筈だし、その植物さえ失われたのが滅びゆく地球。
人間は山に登る代わりに、懸命に地球にしがみ付こうとした。母なる地球を取り戻そうと努力し続け、結局、離れざるを得なかった地球。SD体制を敷いてまで。
(それでも、青い地球は取り戻せなくて…)
SD体制の崩壊と共に、燃え上がった地球。激しい地殻変動の末に、蘇ったのが今の地球。
青い地球が宇宙に戻ったお蔭で、前とは違う日本が出来た。かつて日本が在った辺りに。
其処に戻った人間たち。今の時代は誰もがミュウ。
日本の文化を復活させて楽しみながら暮らす間に、山好きの人が唱え始めた。登山をするなら、百名山があった方がいい。新しい時代の百名山はこれにしよう、と。
(それで今でも、百名山っていうのがあるんだ…)
せっかくの百名山だから、と今は失われた百名山と同じ名前をつけたりして。
遥かな昔にあった本物、その名で呼ばれる蘇った地球に生まれた山。正式名称は違う名前でも、山好きの間では通じる名前。「ああ、あの山か」と。
(ホントの名前は違う山でも、山が大好きな人には富士山…)
そういった具合に愛される山。
本物の富士山は地殻変動で消えてしまって、もう無いのに。…それでも今も富士山はある。山が大好きな人の間では、そういう名前で呼ばれる山が。
新しく選ばれた、今の時代の百名山。昔と同じに、日本のあちこちに散らばる山たち。
その百名山を目指す人たちもいる。サイオンは抜きで、自分の足で。
(凄いよね…)
記事に書かれた、今の百名山も高いのに。優に千メートルを超える山たち、今もやっぱり。
高すぎだよ、と思う百名山。下の学校の遠足で出掛けた郊外の山でも、自分には充分、高かった山。千メートルにはとても届かない山で、遠足には丁度いい高さでも。
(学校のみんなで出掛けて行っても…)
下の学年の子たちと一緒に、途中に残った遠足もあった。弱い身体では登れないから、疲れないように山道の途中でおしまい。学校に上がったばかりの子たちも、それほど登れはしないから。
(ちょっとだけ登って、そこでお弁当…)
自分よりも下の学年の子たちと、一緒に食べたお弁当。山道をもっと上に向かった、他の生徒が戻って来てくれるまで、待っていた自分。
休んでしまった遠足もあった。病気だというわけでもないのに。
(下の学年の子たちの遠足、別の場所だと…)
疲れても途中で残れはしないし、先生だって一人だけのために一緒に残っているのは無理。低い山でも山は山だし、足を挫いたりする子もいるから…。
(先生、みんなと行かないと…)
他の生徒の面倒を見ることが出来ない。だから最初から、遠足は休み。
(パパやママと一緒に行った山でも…)
お遊び程度の山登り。小高い丘のような山やら、小さな子供でも歩けるハイキングコース。町の景色が綺麗に見えたら、「此処でお弁当にしよう」と父が足を止めて、おしまいだとか。
山の頂までは行かない登山。…あれでも登山と言うのなら。
小さな頃からそんな具合で、今も虚弱で体育は直ぐに見学だから…。
(百名山なんて…)
絶対に無理で、登れるわけがない山たち。
逆立ちしたって、ただの一つも登れはしない。一番低いと書かれた山でも、千メートルを超えている高さ。自分の足ではとても無理だし、挑むだけ無駄といった趣。
世の中には変わった趣味があるよね、と新聞を閉じて戻った二階の自分の部屋。キッチンの母に「御馳走様」と、空になったカップやお皿を返して。
(百名山かあ…)
山好きの間では、蘇っているらしい百名山。元になった山は失われたのに、わざわざ同じ名前で呼んで。正式な名前がちゃんとあるのに、それとは別に。
サイオンは抜きで、自分の足で登る山。大変だろうに、百名山を登る人たち。なんとも凄い、と思うけれども、自分には無理な趣味なのだけれど。
(でも、昔から…)
登山が好きな人たちがいたから、好まれた山が百名山。全部登ろう、と大勢の人が目指した山。
遠い昔の日本の人たち、百名山を愛した山登りを趣味にしていた人たち。
そういう人が多かったから、今の時代も百名山がある。新しく選ばれた百名山が。
今は人間は誰もがミュウだし、「サイオンは抜きで」登るのがいいと言われていたって、いざとなったら使えるサイオン。「使うな」とは誰も言わないから。
(使わないのが社会のルールで、マナーだっていうだけのことで…)
困った時には大人だって使う。急な雨で傘を持っていなくて、それでも先を急ぐなら雨を弾いてくれるシールド。誰も「駄目だ」と咎めはしないし、「急ぐんだな」と見ているだけ。
けれど、本物の百名山があった時代に生きた人には、サイオンは無い。ミュウはいなくて、人類しか住んでいなかった地球。サイオンが使えないのなら…。
(遭難事故だって…)
記事に載っていた魔の山でなくても、きっと幾つもあった筈。
足を滑らせて転落したって、サイオンが無いと止まれない。落っこちたら死ぬしかない所でも。高い崖から宙へと放り出されても。
それでも登っていた人たち。とても高い山や、危険な場所が幾つもある山を。
どんなに大変な道のりでも、山が好きだから。山の頂に立ちたいから。
(其処に山があるから…)
そう言ったという、登山家の話を聞いたことがある。地球が青かった時代に生きた登山家。
其処に山があるから、「だから登る」と。…ただ登りたいだけなのだと。
確か、エベレストを目指した人の言葉だった、という記憶。地形が変わってしまう前の時代の、地球に聳えていた最高峰。まだ未踏峰だった頂を、「其処に山があるから」と目指した登山家。
(…其処にあっても、ぼくは御免だけどね)
高い山など、登れはしない。どう頑張っても、弱い身体で登るのは無理。
地球を夢見た前の自分も、自分の二本の足を使って山に登ろうとは思わなかった。エベレストがあったヒマラヤ山脈、其処にも行きたかったのに。
もしかしたら、例の登山家の言葉。「其処に山があるから」という言葉は、前の自分が何処かで目にしたものかもしれない。白いシャングリラのデータベースか、ライブラリーで。
ヒマラヤの高峰に咲くという花、青いケシの花に焦がれていたから。
いつか地球まで辿り着いたら、やりたかった夢の一つが青いケシ。青い天上の花を見ること。
(ヒマラヤの青いケシを見るには…)
空を飛んでゆこうと夢を描いていた。白いシャングリラで地球に着いたら、空を飛ぼうと。
前の自分は自由自在に空を飛べたし、ケシが咲く峰よりも高く舞い上がれたから。空の上から、青いケシの花を探すことだって出来たから。
そういう夢を持っていたのに、生まれ変わって青い地球まで来られたのに…。
(…ぼくのサイオン、うんと不器用になっちゃって…)
空を飛ぶなど、夢のまた夢。
青いケシを見に出掛けてゆくなら、今の自分はヤクの背中に乗るしかない。ヒマラヤ育ちの強い動物、ヤクの足で登って貰う山。自分ではとても登れないから。
(ヒマラヤだったら、ヤクがいるけど…)
日本の山にヤクはいないし、百名山はもうお手上げ。ヤクがいるなら、乗せて貰って登ることも出来そうなのだけど。…ヤクの足で行ける所までなら。天辺までは無理かもしれないけれど。
(山の天辺、尖ってたりするから…)
ヤクの足では登れない山もあるだろう。それでも途中までならば、と思ってもヤクはいないのが日本。百名山に登りたければ、自分の足で歩くしかない。
麓から歩き始めるにしても、途中までは車で行ける道路があったにしても。
無理だよね、と思う百名山。一番低い山でも無理、と。
(その辺の山でも大変なんだよ、今のぼくだと…)
学校の遠足で出掛けた山でも、天辺まで行けなかったほど。下の学年の子たちと一緒に、山道の途中で待っていたほど。上まで登りに行った同級生たち、彼らが山を下りてくるまで。
遠足で行くような山に登るだけでも一苦労、と考えた所で不意に掠めた記憶。
前の自分が見ていた山。空を自由に飛ぶことが出来た、ソルジャー・ブルーだった自分が。
(…山があっても、直ぐにおしまい…)
白いシャングリラが長く潜んだ、アルテメシアの山はそうだった。雲海に覆われた星の山たち。
あの星にあった育英都市。アタラクシアと、エネルゲイアと。
二つの育英都市を取り巻くような形で、緑の山はあったのだけれど…。
(山登りをして、越えるのは禁止…)
そういう規則になっていた。人類が暮らす世界では。
テラフォーミングされて、緑の木々が茂る山並み。その山肌から緑が消えて、岩山に変わる所が境界。緑の山には自由に行けても、岩山の方へ越えては行けない。
岩山を越えて外へ出ることは禁止だった世界、それがアタラクシアとエネルゲイア。
(前のぼくたちには、そんな規則は…)
関係無いから、シャングリラは其処に隠れていた。人類の規則などミュウには無意味なのだし、守らねばならない理由も無い。その人類に追われる身だから、逃れなくてはならないから。
岩だらけの山と荒れた大地の上を覆う雲海、白い雲の中がシャングリラの居場所。山を越えたら何があるのか、前の自分たちは知っていたけれど…。
(アルテメシアにいた子供たちは…)
ハイキングで山を越えてゆけなくて、子供たちを育てる養父母も同じ。規則は規則で、養父母が山を越えていたなら、子供たちも真似をしたくなるから。
(あんな星だと、百名山なんて…)
作りたくても、作れなかったことだろう。その山を越えて行けないなら。山の頂に立って下界を見下ろすことが出来ないのなら。
百もの山を登る趣味だって、持てそうになかったアルテメシア。人類が暮らした都市の周りに、それだけの数の峰は無かったと思うから。
アルテメシアには無かっただろう、と考えざるを得ない百名山。前の自分は百名山など、聞いたことさえ無かったけれど。
(他の星なら…)
あったのかな、とも思う百名山。素敵な山が百あったならば、百名山は作れるから。今の日本が新しいのを作っているように、他の星でも。
(ノアとかだったら…)
SD体制の時代の首都惑星、ノア。白い輪さえかかっていなかったならば、地球と間違えそうな青さを誇っていた星。人類が最初にテラフォーミングに成功した星だったし、ほぼ全体が…。
(人間が暮らせる環境だった筈で…)
山だって、きっと幾つもあった。百どころではない数だろう山が。
あの星だったら百名山も作れたろうか、と考えていたら、チャイムの音。仕事帰りのハーレイが訪ねて来てくれたから、テーブルを挟んで向かい合わせで訊いてみた。
「ハーレイ、百名山って知ってる?」
今日の新聞に載ってたんだよ、有名な山らしいんだけど…。全部で百もあるんだって。
「百名山か…。あるなあ、俺も幾つか見たことはあるぞ」
実に綺麗な山なんだよな、とハーレイは目を細めている。「どれも、まさしく名山だ」と。
「見たことがあるって…。それじゃ、登っていないんだね?」
どの山も、見たっていうだけのことで…?
「登ろうってトコまでは、やっていないな。…近くまでは行ってみたんだが」
もう少し行ったら登山口だ、って所まで出掛けた山もあったな。景色が綺麗だったから。
山を見ながらのんびり歩いて、ちょっとしたハイキング気分てトコだ。
親父たちや友達と旅に出掛けた時だな、なかなかに素敵な山ばかりだぞ。
どの山もな、とハーレイは旅先で眺めた山を思い浮かべているらしい。山には登らず、見ていただけの名山たち。「あれがそうだ」と指差し合って。記念写真も撮ったりして。
いい山なんだぞ、とハーレイが山の姿を褒めるものだから、不思議になって傾げた首。そんなに素敵な山だったのなら、登ってくればいいのに、と。
柔道と水泳で鍛えた身体を持つハーレイなら、ひ弱な自分とは違う。楽々と山を登れそうだし、登山口まで行ってしまえば良さそうなのに。「ちょっと登ってくるから」と。
「…その山、なんで登らなかったの?」
上まで登るのは、時間、足りないかもしれないけれど…。少しくらいなら…。
ハーレイだったら、身体、鍛えてあるんだし…。山登りをしたって疲れないでしょ?
旅行の記念に登ってくれば良かったのに、と疑問をそのままぶつけたら。
「そいつは無理だな、ああいう山じゃ。…百名山、記事で読んだんだろう?」
山によっては高さが凄いし、俺が旅先で見て来た山はそういうヤツだ。遠足気分の山じゃない。
その手の山を登るとなったら、相応の装備が必要になる。道具じゃなくても、服や靴だな。
ついでに届けも厳しいからなあ、「ちょっと登ってみるだけです」とはいかないんだ。
「届け…?」
それって何なの、山に登るのに何か出さなきゃいけないの…?
「そういう決まりになってるな。昔の時代の真似ってことで」
本物の百名山があった時代の日本を真似ているんだ。
山に登る前には、入山届けを出さなきゃいかん。こういうコースで登ります、とな。
それを登山口で係に渡して、それから装備のチェックを受ける。山を登るのに相応しい靴やら、服の準備が整っているか。…足りていないと、もう駄目だってな。
観光気分で登ろうとしたら止められちまう、とハーレイが軽く広げた両手。
高い山に登れば危険が伴うものだし、遭難事故が起こらないよう、観光客はお断りだ、と。
「…観光気分じゃ駄目って言っても…。でも…」
みんなサイオンを持っているでしょ、ぼくみたいに不器用でなければ安心。
足を滑らせても、ちゃんとサイオンで止まれるんだから、事故なんかにはならないよ?
「そのサイオンをだ、使わないのがルールだからなあ…。登山ってヤツは」
入山届けも、装備のチェックも、遊びの内だ。
きちんと準備が出来てますか、と念を押されるわけだな。それに、届けを出しておけば、だ…。
山に入った後、もしも天候が荒れたりしたなら、入山届けを出した所から連絡が来る。避難した場所は安全なのか、という確認やら、「救助に行った方がいいか」という質問も。
「避難するって…。シールド、あるでしょ?」
嵐の中でも、大丈夫だと思うけど…。そりゃ、消耗を防ぐんだったら、シールドよりも山小屋に入る方がいいけど…。山小屋が無くても、岩陰だとか。
それに救助も、要らないって人が多そうだけど…。瞬間移動で戻れる人もいる筈だよ?
瞬間移動は無理にしたって、サイオンがあれば安全な場所まで行ける筈だし…。
それなのに救助を頼んだりするの、と尋ねたら。
「そのようだ。ギリギリの所まで踏ん張ってこそだ、というのが登山の醍醐味らしいぞ?」
サイオンは使わずに、いける所まで。…救助に出掛ける方はサイオンを使うんだがな。
瞬間移動で飛んで行ったり、救助方法は色々らしいが…。
そいつを「頼む」と言わずに何処まで頑張れるかが、登山をやる連中のプライドってヤツだ。
「凄いね…。なんだか我慢大会みたい…」
シールドを張ったら安心なのに、張らないだなんて。…救助を頼んだりするなんて…。
「登山はスポーツの一種だからな。そういうことにもなるだろうさ」
自然を相手に戦うわけだし、そう簡単に「参りました」と降参したくはないだろう?
俺ならしないな、ギリギリまで。…まだ戦える、と思う間は。
「山登り、スポーツだったんだ…」
それって、前のぼくたちが生きてた時代にもあった?
「はあ? 登山のことか?」
山に登ってるヤツらはいたのか、っていう質問なのか、お前が言うのは…?
それだったら…、とハーレイが答えようとするのを遮った。訊きたかったことは別だから。
「登山じゃなくって、山の方だよ」
山に登るなら、まず山が無いと駄目じゃない。
でないと登山に行けないものね、山が何処にも無かったら。
ぼくが訊いてるのは、そっちの方。…登れる山はあったのかどうか。
百名山だよ、と抱えていた疑問を口にした。ハーレイが訪ねて来るよりも前に、考えていた山のこと。前の自分が生きた時代も、百名山は何処かにあっただろうか、と。
「百名山、今は新しいのがあるでしょ? ハーレイも幾つか見たってヤツが」
前のぼくたちが生きた頃にも、百名山はあったのかな、って思ってて…。
アルテメシアには無さそうだけど…。
あそこの星だと、山を越えるの、一般人は禁止だったから。アタラクシアも、エネルゲイアも。
そんな決まりがあった星だと、登れそうな山は百も無いしね。百名山は選べないよ。
でも、他の星にはあったのかなあ、って…。
ノアとかだったら、山も沢山ありそうだから…。育英惑星ってわけでもないしね、百名山。
「…無いな、結論から言えば」
前の俺たちが生きた時代に、百名山は存在しなかった。存在する理由も、その意義もな。
あったわけがない、というハーレイの言葉に驚いた。
「え…? 無かったって…」
どういうことなの、百名山が無かっただけなら分かるけど…。
そんなに沢山、綺麗な山が見付からなかったってことだよね、って思うけど…。
だから存在する理由が無いのはいいけど、意義が無いって、どういう意味?
まるで百名山、存在してたら駄目みたいな風に聞こえるよ…?
「その通りだが?」
無かったんだ、登山そのものが。…スポーツとしては。
登るヤツらがいないんだったら、百名山を作る必要も無い。…むしろ無い方がいいってこった。
山が無いなら、誰も登りに行かないぞ。
うっかり百名山があったら、登ろうと思うヤツらが出て来る。だから作っちゃ駄目なんだ。
「…なんで?」
どうして百名山を作っちゃ駄目なの、それに登山が無かったりするの…?
登山は今も人気のスポーツなんでしょ、サイオンを使わないのが面白い、っていうくらいに…?
「其処が問題だったんだ。…命懸けのスポーツだという所がな」
今でもプロの登山家はいるわけなんだが、前の俺たちが生きてた時代。
誰が登山家になればいいのか、そいつを機械が決めるのか…?
よく考えて思い出してみろよ、と言われたSD体制の時代。マザー・システムが統治した世界。
完全な管理出産だった社会の中では、適性を調べて決められた進路。
育英都市での成績や発育ぶりを機械が見定め、成人検査で振り分けた。次の教育段階へ。
養父母の許を離れた後には、教育ステーションで四年間。成績と才能の有無で選別、決められる最終的な職業。
命懸けの仕事も無いことはなくて、軍人やパイロットなどがそう。ただし、どちらも欠かせないもので、彼ら無しでは成り立たない社会。いわば必須の職業なのだし、命懸けでも必要なもの。
けれど、登山家は社会に欠かせない職業ではない。いなくても誰も困りはしない。
同じスポーツ選手だったら、命を懸ける登山家などより、皆が眺めて楽しめるスポーツのプロを養成すべき。サッカーだとか、マラソンだとか。
「…登山家、いなかった時代だったんだ…」
前のぼくたちはシャングリラの中しか知らなかったし、スポーツ選手も詳しくなくて…。
プロがいるんだ、って知っていただけで、どんなスポーツのプロがいたかは知らないよ。
だけど確かに、登山家は必要無かったかも…。山まで出掛けて眺めないしね、登ってる所。
「そういうことだ。職業としての登山家は存在しなかった。SD体制の時代はな」
人類が登山家をやるとなったら、もう文字通りに命懸けだ。サイオンを持っていないんだから。
そんなスポーツのプロを作ったりしたら、不満が噴出しかねない。殺す気なのか、と。
だから登山は趣味でやるもので、その趣味の方も、安全に登れる低い山だけだった。
惑星の開発などの仕事で、高い山に登ったヤツらはいたが…。
それは仕事の一環なんだし、安全を確保するのが第一だ。命は懸けずに守る方だな。
最先端の技術を駆使して、ロボットにサポートさせたりもした。安全に登っていけるように。
命を守って、出来るだけ楽に登るというのが、高い山を登る時の常識だったから…。
サイオンも抜きで登るもんだ、というスタイルの今の登山とは…。
まるで違うぞ、という説明。
同じ高い山を登るにしたって、今は楽しみながら登るスポーツ。自分自身の体力や気力、それを限界まで引き出して。…サイオンは抜きで出来る所まで。
遭難しそうになっていたって、自分のサイオンを使う代わりに救助要請。それでこそ真の登山家なのだし、アマチュアもプロもそういう精神。
けれど、SD体制の時代は違った。命懸けの登山をする人間は誰もいなくて、百名山も無かった時代。人間がそれに挑み始めたら、危険が増えるだけだから。
「…プロの登山家は作れなかった、っていうのは分かるけど…」
危ない仕事で、だけど社会の役に立つようなものでもなくて…。
わざわざプロを作ったとしても、事故が起きたら困ったことになりそうだけれど…。
そんな時代でも、山に登ろうって人はいなかったの?
「其処に山があるから」っていう言葉があるでしょ、山に登りに行く理由。昔の登山家の言葉。
あれみたいに、山があるから登るっていうのは無かったの…?
アルテメシアでは山を越えるのは禁止だったけど、そうじゃない星なら登りたい人も…。
いそうだけれど、と考えたけれど、ハーレイは「SD体制の時代だぞ?」と苦い顔をした。
「人類を治めていたのは機械だ。…最終的な判断は全部、機械がやっていたってな」
機械は遊び心というのを理解しないし、理解しようとも考えない。…機械なんだから。
とにかく社会を守るのが一番、人間の命も守ってこそだ。ミュウだと殺しちまったんだが。
守るべき人間が危険な山に登りたい、と言い出したならば、禁止だな。「危険だから」と。
そうでない場合は、命を守るための工夫を山ほど施された上で、仕事で登山だ。
やむを得ず登るわけなんだしなあ、命なんか懸けたくないのにな…?
「…仕事はともかく、登りたいって言っても禁止だなんて…」
それって、面白みがないよ。…命懸けってことが、とても楽しいとは言わないけれど…。
危ないから、って最初から禁止されてる世界じゃ、のびのび暮らしていけないかも…。
「だからこそ、今は人気だってな」
登山も、百名山を登りに出掛けてゆくってことも。…サイオンは抜きで。
「そっか…。自分の限界と戦うってことが、出来る時代になったんだね」
いけません、って機械に止められずに。…やりたい人は、好きに山に登れて、百名山もあって。
時代のお蔭もあったのか、と思った今の百名山。前の自分が生きた時代は無かったもの。登山もプロの登山家たちも、百名山も。
SD体制の時代と今とが違うことは百も承知だけれども、登山まで消えていたなんて、と本当にただ驚くばかり。遠い昔には、「其処に山があるから」と登った登山家もいたというのに。
ハーレイが百名山の幾つかを見たと聞いたら、「登っていないの?」と不思議だったほど、今は登山が普通なのに。
「えっとね…。登山、今はすっかり普通になってるみたいだけれど…」
こんな風に登山の話をしてたら、ハーレイ、登りたくならない?
記念写真だけで帰って来ちゃった、綺麗だったっていう山とかに。
ハーレイ、山も好きそうだけど、と尋ねてみたら。
「俺か? そうだな、惹かれないでもないが…。機会があれば、と思いもするが…」
お前、登山は無理だろう?
百名山に登るどころか、その辺にあるような低い山でも。
「無理に決まっているじゃない!」
学校から遠足に出掛けた時でも、ぼくは途中でおしまいだったよ?
山の天辺まで登れないから、下の学年の子たちと一緒に途中までだけ…。其処でお弁当。
天辺まで行ったみんなが帰って来るまで待ってたんだよ、疲れてしまわないように。
途中で待つのが無理な時だと、遠足ごとお休みだったんだから…!
熱なんか少しも出ていないのに、ぼくに山登りは無理だから、って止められてお休み…。
「ほらな、お前は身体が弱いし、そうなっちまう」
お前がそういう具合だからなあ、俺も山には登らない。
これからも記念写真だけで終わりだ、どんなに綺麗で登りたくなる山に出会っても。
「…どうして?」
ハーレイだったら登れそうだよ、難しすぎる山じゃなかったら。
プロの登山家でなければ無理です、っていう山は無理でも、百名山はそうじゃないでしょ?
いろんな人が目指してるんだし、体力があれば登れそうだけど…。
ぼくは無理でも、ハーレイならね。
記念写真は山の天辺で撮ればいいのに、と持ち掛けた。自分は一緒に写れないけれど、百名山の頂に立つハーレイは素敵だろうから。
「記念撮影、山の天辺の方が断然いいよ。麓なんかより」
高い山なら、うんと遠くまで写りそうだし…。それとも一面の青空かな?
きっと素敵な写真が撮れるよ、そういうハーレイの写真、見たいな…。
登りに行くなら下で待ってる、と言ったのに。…山小屋に泊まって帰って来るなら、宿で留守番しているから、とも言ったのに。
「さっきも言ったが、一人じゃつまらん。…お前が一緒じゃないなんて」
お前と二人で暮らしているのに、俺だけロマンを追い掛けるなんて、論外だ。
百名山を登るというのも、魅力的ではあるんだが…。お前に留守番させたくはない。
俺は登山家には向いていないな、こんな調子じゃ。
名のある登山家にはなれやしないぞ、とハーレイが笑うものだから。
「それ、どういうこと?」
ハーレイの何処が向いていないの、登山家に?
ぼくが留守番するのと何か関係あるわけ、ハーレイが登山家になれるかどうか…?
「大いに関係あるってな。今の時代は大して意味は無いんだが…」
人間がミュウじゃなかった時代。…遭難したら、死んじまうしかなかった頃の登山家ってヤツ。
ずっと昔の登山家たちは、恋人よりもロマンが優先だったんだそうだ。
山に登るというロマン。登った挙句に、山で死んじまっても本望だ、とな。
「それって…。それじゃ、恋人は…?」
大切な人が山で死んでしまったら、恋人の方はどうなっちゃうの…?
「もちろん一人で残されちまうが、なにしろ山で死んだんだしな」
大好きな山で死んだんだから、と納得して健気だったそうだぞ。
とんでもない事故に遭ってしまって、身体さえ回収出来なくても。…雪崩に巻き込まれて行方が分からないとか、何処に落ちたか、探してもサッパリ手掛かり無しとか。
それでも山を恨みはしないで、いい人生を送った人だ、と思ったらしいが…。
好きな山で命を落としたわけだし、本人も大満足だろう、と。
昔の登山家はそうしたモンだ、というハーレイの言葉に震え上がった。
独りぼっちで置いてゆかれるなど、とんでもない。いくら恋人が満足だろうと、残されるなんて耐えられない。…前のハーレイはそれに耐えたけれども、自分にはとても無理だから…。
「ぼくには無理だよ、そんなのは…!」
今の時代は誰でもミュウだし、山で死んだりするようなことはないだろうけど…。
救助に行く人もきちんといるから、遭難したって怪我くらいで済むんだろうけど…。
それでも嫌だよ、昔の話だ、って言われても…!
悲しすぎるよ、独りぼっちになるなんて…!
「俺もお前を置いては死ねん。…それも好き勝手にした末だなんて、最低だろうが」
いくら自分が好きなことでも、お前を残して死んじまうような真似は出来んな、間違っても。
だから登山家は向いてないんだ、俺なんかには。
登ったら気持ちいいだろうな、と思うような山があったって。…百名山がある時代でも。
だがな…。
せっかく山がある時代だから、と向けられた笑み。
アルテメシアの雲海に潜んだ時代と違って、今は二人で蘇った青い地球の上。
何処まで行っても「山を越えるな」と言われはしないし、登山は無理でも、山のある世界を満喫しよう、と。
緑の山を幾つ越えても、それで終わりにはならない星。
アルテメシアにいた頃だったら、緑の山を越えた後には、岩山と荒地だったのに。山を見ながら暮らした育英都市の子供や養父母、彼らは山を越えることを禁じられたのに。
その上、登山家もいなかった時代。
百名山がある星どころか、プロの登山家がいなかった。趣味で山登りをするにしたって、安全に登れる低い山だけ。
それが前の自分たちが生きた時代で、機械が治めていた世界。
「あの忌々しいSD体制は終わっちまって、今じゃ地球だって青くて、だ…」
俺たちはその地球に生まれたんだし、山に登れる世界を楽しまなきゃ損だ。
お前は低い山しか登れないから、百名山とはいかないが…。
俺たち流に決めて登るというのもアリだぞ、せっかくの青い地球なんだから。
きっと楽しいぞ、と言われたけれども、「俺たち流」というのが謎。首を傾げるしかない言葉。
「何を決めるの?」
ぼくたちに合わせるっていう意味みたいだけど、何を決めるわけ…?
「百名山に決まっているだろうが、俺たち流の」
お前でも登れそうな山を百ほど選んで、そいつを制覇してゆく、と。
姿の綺麗な山がいいなあ、低い山でも綺麗な山は幾つもあるんだから。
「…それもぼくには無理そうだけど…」
だって山でしょ、途中で疲れてしまいそう。低い山でも、山は山だもの。
天辺までは登れないかも…、と挑む前から音を上げた。「ぼくには無理」と。
「無理か、そういう百名山も?」
だったら、山の麓に立ってみるだけでもいいじゃないか。綺麗な景色を見ながらな。
この山の向こうにもずっと幾つも幾つも、山ってヤツが続いているんだ、と見るだけでも。
誰も「越えるな」と言いやしないし、岩山が来たら終わりってわけでもないんだから。
「そうだね…!」
何処の山でも終点じゃないね、越えちゃ駄目な山は無いものね…。
岩だらけの山で緑が無くても、其処でおしまいってわけじゃないから…。
その山を越えてずうっと行ったら、また緑の山が戻って来るよ。岩だらけの山に緑が無いのは、山が高すぎるせいで、低くなったら、また木があるから…。
アルテメシアとは違うよね、と分かっている青い地球の岩山。
高い山には、緑の木々は無いけれど。…それは森林限界のせいで、人工的な星とは違う。
「山を越えるな」と禁止されていた、アルテメシアとは違った世界。
低い場所では山は緑だし、登山家だっている時代。
山登りが趣味の人も多くて、今の時代は百名山まで出来ている。
せっかくなのだし、いつかハーレイと暮らし始めたら、山を満喫してみよう。
前の自分たちが生きた頃には無かった職業、プロの登山家までいるほどだから。
サイオンは抜きで山に挑むのも、今の平和な時代だからこそ出来ること。
(百名山を登るのは無理だけど…)
山は見に行かなくっちゃね、と夢見る未来。
ハーレイと二人で山を眺めて、記念写真も沢山撮ろう。
山を越えても、誰も咎めはしない時代。
どんな山でも自由に登れて、写真も撮りに行けるから。
何処までも続いてゆく青い地球の山を、百も二百も、幾つでも眺められるのだから…。
山があるから・了
※SD体制が敷かれた時代は、いなかったのがプロの登山家。機械が設けなかった職業。
山を越えてゆくことが禁止だったり、今とは全く違った世界。百名山があるのも今ならでは。
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※シャングリラ学園シリーズには本編があり、番外編はその続編です。
バックナンバーはこちらの 「本編」 「番外編」 から御覧になれます。
夏、真っ盛り。楽しい夏休みも真っ盛りです。今年もマツカ君の山の別荘ライフを楽しみ、お次は海の別荘ですけど。それまでの間に挟まるお盆が問題、キース君にとっては地獄な季節。暑さの方もさることながら、お盆と言えば…。
「くっそお…。あの親父めが!」
まただ、とキース君が唸る会長さんの家のリビング。アドス和尚がどうかしたんですか?
「この時期に「またか」で親父だったら、およそ想像がつくだろうが!」
「あー…。また卒塔婆かよ?」
押し付けられてしまったのかよ、とサム君が訊くと。
「それ以外の何があると言うんだ! ドカンと束で来やがったんだ!」
山の別荘から帰って来たら、俺の部屋の前に積んであった、とキース君。卒塔婆が五十本入りだとかいう梱包された包み、それが部屋の表の廊下に三つ。
「「「三つ!?」」」
五十かける三で百五十になるのでは、と聞き間違いかと思いましたが、それで正解。
「親父め、今年はやたらとのんびりしていやがると思ったら…。俺にノルマを!」
遊んで来たんだから頑張るがいい、と積み上げてあったそうです、卒塔婆。
「…キース先輩、こんな所で遊んでいてもいいんですか?」
百五十本ですよ、とシロエ君。
「急いで帰って書いた方がいいと思いますが…」
「俺のやる気が家出したんだ、今日はサボリだ!」
「でもですね…。お盆が近付いて来てますよ?」
間に合わないんじゃあ、と正論が。
「あそこのカレンダーを見て下さい。今日のツケは確実に反映される筈です」
「…俺も分かってはいるんだが!」
あんな親父がいる家で努力したくはない、とブツブツと。そう言えば、クーラー禁止でしたか?
「そうなんだ! 暑いし、セミはうるさいし…!」
卒塔婆プリンターなら楽なのに、と手抜き用な機械の名前までが。いっそポケットマネーで買えばいいかと思いますけど、家に置いたらバレるのかな…?
「なんだと? 卒塔婆プリンター?」
バレるに決まっているだろうが、と顔を顰めるキース君。
「あれはけっこう場所を取るんだ、卒塔婆自体がデカイからな!」
だから無理だ、と悔しそう。
「いつかは買いたいと思っていてもだ、親父が健在な間は無理だな」
「それじゃ、一生、無理なんじゃない?」
アドス和尚も年を取らないし、とジョミー君。
「キースも年を取らないけどさ…。アドス和尚もあのままなんだし」
「…キツイ真実を言わないでくれ…」
そして俺には百五十本の余計な卒塔婆が、と項垂れるしかないようです。
「一日のノルマを計算しながら書いて来たのに、ここでいきなり計算が…。もうリーチなのに!」
お盆は其処だ、と嘆くキース君に、会長さんが。
「サボるよりかは、前向きの方が良くないかい? 此処で書くとか」
「…なんだって?」
「ぼくの家だよ、和室はクーラーが入るからね」
あそこで書いたらどうだろうか、という提案。
「アドス和尚は君が出掛けたと知ってるんだし、卒塔婆のチェックはしないと思うよ」
此処へ運んで書いて行けば、と会長さん。
「心配だったら、運んだ分の卒塔婆はサイオニック・ドリームでダミーをね…」
減っていないように見せるくらいは朝飯前で、という申し出にキース君は飛び付きました。早速、会長さんが瞬間移動で卒塔婆や書くための道具を運んで…。
「かみお~ん♪ キース、お部屋の用意が出来たよ!」
「…有難い。クーラーだけでも違うからな」
「お茶とお菓子も置いてあるから、休憩しながら頑張ってね!」
行ってらっしゃぁ~い! と「そるじゃぁ・ぶるぅ」に送り出されて、キース君は和室に向かいました。愛用の硯箱とかも運んで貰って、環境はバッチリらしいです。きっと元老寺よりはかどりますよね、頑張って~!
キース君は卒塔婆書きに集中、私たちは邪魔をしないようリビングの方でワイワイと。防音はしっかりしてありますから、大笑いしたって大丈夫です。その内にお昼御飯の時間で…。
「今日のお昼は夏野菜カレー! スパイシーだよ!」
暑い季節はスパイシー! と「そるじゃぁ・ぶるぅ」が用意してくれ、冷たいラッシーも出て来ました。キース君は少し遅れてダイニングの方にやって来て…。
「美味そうだな。…いただきます」
合掌して食べ始めたキース君に、サム君が。
「どんな具合だよ、はかどってんのか?」
「ああ、家で書くより早く書けるな。やはり環境は大切だ」
涼しいだけでもかなり違う、と嬉しそう。
「ブルーのお蔭で助かった。夕方までやれば、家で書く分の三日分はクリア出来るだろう」
「キース先輩、良かったですね! いっそこのまま徹夜とか!」
「いや、徹夜はしないと決めている。…卒塔婆書きは集中力が命だからな」
よほどリーチにならない限りは徹夜はしない方が効率的だ、という話。書き損じた時の手間が余計にかかってしまう分、徹夜でボケた頭で書いたら駄目だとか。
「そうなんですか…。じゃあ、夕方までが勝負ですね」
「そうなるな。飯を食ったらまた籠らせて貰う」
急いで食って卒塔婆書きだ、と食べ終えたキース君は和室に戻って行きました。お茶やお菓子を差し入れて貰って、書いて書きまくって、夕方になって…。
「どうだった、キース? 卒塔婆のノルマ」
ジョミー君の問いに、ニッと笑ったキース君。
「家で書く分の四日分は書いた。…なんとか光が見えて来たぞ」
今日は此処まででやめておこう、と肩をコキコキ。やっぱり肩が凝りますか?
「当たり前だろう、書き仕事だぞ?」
それも一発勝負なんだ、というのが卒塔婆。キース君、お疲れ様でした~!
晩御飯はキース君のためにスタミナを、と焼肉パーティー。マザー農場の美味しいお肉や野菜がたっぷり、みんなでジュウジュウ焼き始めたら…。
「こんばんはーっ!」
遊びに来たよ、と飛び込んで来た私服のソルジャー。夜に私服って、今日はこれから花火大会にでもお出掛けですか?
「えっ、花火? それは別の日で、今はデートの帰りだけれど?」
「「「デート?」」」
「ノルディとドライブに行って来てねえ、海辺で美味しい食事をね!」
海の幸! と焼肉の席に混ざったソルジャー、自分の肉を焼き始めながら。
「焼肉もいいけど、今日の食事は素敵だったよ! 鮮度が一番!」
「…お刺身なわけ?」
会長さんが訊くと、ソルジャーは「焼いたんだけど?」という返事。
「海老もアワビも生きてるんだよ、それをジュウジュウ!」
海老は飛び跳ねないようにシェフが押さえて…、とニコニコと。
「ついさっきまで生きてました、っていうのを美味しく食べて来たんだよ!」
「「「あー…」」」
あるな、と思ったそういう料理。ちょっと可哀相な気もしますけれど、お味の方は絶品です。ソルジャーは海辺のレストランで食べた料理を絶賛しつつ…。
「残酷焼きって言うんだってね、ノルディの話じゃ」
メニューにはそうは書かれていなかったけど、という話。残酷焼きって、可哀相だから?
「…そうじゃないかな、ぼくだってアルタミラでは焼かれちゃったしね!」
実験の一環で丸焼きだって、と怖い話が。…焼かれたんですか?
「うん。どのくらいの火で火傷するのか、試したかったらしくてねえ…」
「「「うわー…」」」
それ、食欲が失せちゃいますから、続きは後にしてくれませんか?
「駄目かな、残酷焼きの話は?」
「君の体験が生々しすぎるんだよ!」
焼肉が終わるまで待ちたまえ、と会長さん。せっかくのお肉、美味しく食べたいですからね…。
ソルジャーも交えての焼肉パーティー、終わった後は食後の紅茶やコーヒーが。キース君もエネルギーをチャージ出来たそうで、明日も元気に卒塔婆を書くんだそうです。
「此処で書かせて貰えると有難いんだが…。追加で来た分が片付くまでは」
いいだろうか、という質問に、会長さんは「どうぞ」と快諾。
「君の苦労は分かっているしね、たまには力になってあげるよ」
「感謝する! そうだ、家でも幾らか書いておきたいし…。道具を運んで貰えるか?」
「それはもちろん。ぶるぅ、キースの部屋に和室の硯とかをね…」
「オッケー、運んでおくんだね!」
はい、出来たぁ! とリビングから一歩も動きもしないで、瞬間移動させたみたいです。流石、と驚くタイプ・ブルーのサイオンですけど…。
「えーっと…。さっきの続きを話していいかな?」
残酷焼き、とソルジャーが。
「あの美味しさが忘れられなくて…。此処でも御馳走になりたいなあ、って!」
生きた海老やらアワビをジュウジュウ、と唇をペロリ。
「ぶるぅだったら美味しく焼けるに決まってるんだし、明日のお昼とか!」
「あのねえ…。君が言ったんだよ、残酷だからメニューにそうは書かないのかも、って」
あれは残酷焼きなんだけど、と会長さん。
「それを此処でって、今をいつだと思ってるんだい?」
「夏だけど?」
「ただの夏っていうわけじゃなくて、今はお盆の直前なんだよ!」
だからキースも卒塔婆がリーチ、と会長さんが指差す和室の方向。
「明日もキースは卒塔婆書きだし、そんな時期に残酷焼きはお断りだね!」
何処から見たって殺生だから、と会長さんはキッパリと。
「お盆が済むまで待ちたまえ。海の別荘なら、元から似たようなことをやってるんだし」
「そうですね。サザエもアワビも獲れ立てですし…」
それをそのままバーベキューです、とシロエ君。そっか、考えてみれば、あれも残酷焼きでした。海老だって焼いてることもあります、立派に残酷焼きですねえ…。
残酷焼きは海の別荘までお預けだから、というのが会長さんの論。少なくとも、会長さんの家でやる気は無いようです。
「ぼくの家では絶対、禁止! 食べたいんだったら、自分で行く!」
本家本元の残酷焼きに行くのもいいし、と会長さん。
「…本家本元? それって、もっと凄いのかい?」
残酷の程度が違うんだろうか、とソルジャーが訊いて、私たちだって興味津々。物凄く残酷な焼き方をするのが本家でしょうか?
「…まさか。それこそお客さんの食欲が失せるよ、君の体験談を聞くのと同じで!」
「ふうん? 其処だと、もっと美味しいとか?」
「どうだろう? あれは登録商標だから…」
「「「はあ?」」」
何が登録商標なんだ、と首を傾げた私たちですが。
「残酷焼きだよ、その名前で登録したのが本家本元!」
それが売りの旅館なんだから、と会長さんが教えてくれた大人の事情。海の幸が自慢の温泉旅館が「残酷焼き」を登録商標にしているそうで、他の所では使えないとか。
「だからブルーが食べた店でも、その名前になっていなかったわけ!」
「なんだ、そういうオチだったんだ…。残酷焼きって書いたら可哀相っていうんじゃなくて」
商売絡みだったのか、と少し残念そうなソルジャー。
「名前くらい、どうでもいいのにねえ…。それにあの名前がピッタリなのに…」
生きたままで焼くから美味しいのに、と残酷焼きに魅せられた模様。
「でも、今の時期は駄目なんだよね? ぶるぅに焼いて貰うのは?」
「お盆の季節は、本来、殺生禁止なんだよ!」
坊主でなくても慎むものだ、と会長さん。
「昔だったら、お盆の間は漁だって禁止だったんだから!」
「「「え?」」」
「漁船だよ! お盆は海に出なかったんだよ、何処の海でも!」
そういう時期が控えているのに残酷焼きなど言語道断、と会長さんは断りました。そうでなくてもキース君が卒塔婆書きをしている真っ最中です、会長さんの家。…そんな所で残酷焼きって、いくらなんでもあんまりですよね?
こうして終わった、残酷焼きの話。ソルジャーは「分かった、残酷焼きは海の別荘まで待つよ」と帰って行って、次の日も会長さんの家でキース君が卒塔婆書き。
「…キース、頑張るよなあ…」
全く出ても来ねえんだから、とサム君が感心するほど、キース君は和室に籠っています。お昼御飯を食べに出て来た以外は、もう本当に籠りっ放し。夕方になって、ようやく出て来て。
「…やっと終わった。まさか二日で書き上がるとは…」
百五十本も、と感慨深げなキース君。
「あの部屋を貸して貰えて良かった。…家でやってたら、まだまだだったな」
「それは良かった。後は元からのノルマだけだね」
会長さんの言葉に、キース君は「ああ」と頷いて。
「此処へ来て遊んでいたって、充分書ける。…そうだ、ジョミーも練習しておけよ」
棚経の本番が迫っているぞ、とニヤニヤと。
「当日になってから「出来ません」では済まないんだしな?」
「分かってるってば、ぼくは今年も口パクだよ!」
どうせお経は忘れるんだし、と最初からやる気ゼロらしいです。これも毎年の風景だよな、と眺めていたら…。
「こんばんはーっ!」
またもソルジャーがやって来ました、今日は私服じゃないですけれど。
「…何しに来たわけ?」
会長さんの迷惑そうな視線に、ソルジャーは。
「食事とお喋り! こっちの世界の食事は何でも美味しいから!」
「かみお~ん♪ 今日はパエリアとタコのスープと…。スタミナたっぷり!」
キースに栄養つけて貰わなくっちゃ、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」。ダイニングのテーブルに魚介類ドッサリのパエリアに、タコが入ったガーリックスープ。これは栄養がつきそうです。ソルジャーも早速、頬張りながら。
「残酷焼きでなくても美味しいねえ…。地球の海の幸!」
「ぶるぅの腕がいいからだよ!」
それに仕入れも自分で行くし、と会長さん。料理上手な「そるじゃぁ・ぶるぅ」は、新鮮な食材をあれこれ買いに行くのも好きですもんね!
またしてもソルジャーが出て来てしまった夕食の席。お喋りとも言っていましたけれども、早い話が暇なのでしょう。なんでもいいから暇つぶしだな、と思っていたら…。
「そうそう、昨日の残酷焼きのことなんだけど…」
「海の別荘まで待てと言ったよ、君も納得していただろう?」
お盆の前には無益な殺生は慎むものだ、と会長さん。
「こんな風にパエリアとかなら、生きたまま料理をするわけじゃないし…。間違えないように!」
「分かってるってば、そのくらいはね!」
ぼくの話は別件なのだ、と妙な台詞が。
「「「別件?」」」
「そう、別件! 残酷焼きの楽しみ方の!」
「どっちにしたって、お盆前だから!」
慎みたまえ、と会長さんが眉を吊り上げました。
「何を焼きたいのか知らないけどねえ、お盆が終わってからにしたまえ!」
「…うーん…。半殺しなのを本殺しにしようってコトなんだけど?」
「それを殺生と言うんだよ!」
本殺しだなんて…、と会長さんはソルジャーをギロリと睨み付けて。
「半殺しっていうのも大概だけどさ、まだ殺してはいないしね? それで、君は…」
何を半殺しにしたと言うのさ、と尋問モード。
「まさか人間じゃないだろうね? 君の敵は人類らしいから」
「…まるでハズレってこともないかな、人間ってトコは」
「なんだって!?」
本当に人間を半殺しなのか、と会長さんが驚き、私たちだってビックリ仰天。ソルジャー、人類軍とかいうヤツの兵士を捕えてシャングリラで拷問してるとか…?
「失礼な…! そういうのは人類の得意技だよ、ぼくたちミュウは控えめだよ!」
捕まえたとしても心理探査くらいなものだろうか、という返事。それじゃ、半殺しは…?
「人類じゃないし、ミュウでもない…かな? ミュウは登録商標かもだし」
「「「はあ?」」」
「ミュウって言葉! こっちの世界には無いんだろう?」
人類が登録商標にしているのかも、という笑えないジョーク。そもそも、ソルジャーの世界に登録商標なんかがあるのか疑問ですってば…。
登録商標の有無はともかく、私たちの世界に「ミュウ」という言葉はありません。ソルジャーの世界だと、サイオンを持っている人間はミュウということになるらしいですけど。
「そうなんだよねえ、ぼくの世界だとミュウなんだけど…。こっちだとねえ…」
言葉自体が無いものだから、とソルジャーの視線が私たちに。
「君たちもミュウの筈なんだけどね、ミュウじゃないんだよね?」
「…その筈だが?」
ミュウと呼ばれたことは無いな、とキース君が返して、会長さんが。
「ぼくも使ったことが無いねえ、その言葉は。…単に「仲間」と呼んでいるだけで」
「やっぱりねえ…。だから、ミュウでもないのかな、って」
ぼくが言ってる半殺しの人、ということは…。それって、私たちの世界の誰かをソルジャーが半殺しにしてるって意味?
「今はやっていないよ、現在進行形っていう意味ではね!」
でも何回も半殺しにしたし、と不穏な言葉が。いったい誰を半殺しに…?
「君たちもよく知ってる人だよ、こっちの世界のハーレイだけど?」
「「「ええっ!?」」」
まさかソルジャー、教頭先生を拉致して苛めていましたか?
「違う、違う! 君たちも共犯と言えば共犯なんだよ、特にブルーは!」
「…ぼく?」
どうしてぼくが共犯なんかに…、と会長さんはキョトンとした顔、私たちだって同じです。教頭先生を半殺しになんか、したことは無いと思いますけど…?
「…ううん、何度もやってるね。半殺しにするのはぼくだけれどさ、その片棒を!」
「「「片棒?」」」
「そのままだってば、こっちのハーレイを陥れるってヤツ!」
そのネタは主に大人の時間で…、とソルジャーの唇に浮かんだ笑み。
「ぼくがハーレイに御奉仕するとか、覗きにお誘いするだとか…。鼻血体質のハーレイを!」
そして毎回、半殺し! と言われてみれば、そうなるのかもしれません。会長さんの悪戯心とソルジャーの思惑が一致する度、教頭先生、鼻血で失神ですものねえ…?
「分かってくれた? それが半殺しというヤツで!」
ぼくが目指すのは本殺し、とソルジャーはクスクス笑っています。
「失神しちゃうと半殺しで終わってしまうから…。失神させずに本殺しを目指したいんだよ!」
その過程で残酷焼きになるのだ、とソルジャーはニヤリ。
「失神したくても出来ないハーレイ! 本殺しになるまでジュウジュウと!」
生きたまま炙られて残酷焼きだ、と言ってますけど、それって、どんなの…?
「えっ、簡単なことなんだけど? 要は鼻血を止めさえすればね!」
失神出来なくなるであろう、というソルジャーの読み。
「ムラムラしたまま最後まで! どう頑張っても天国にだけは行けないままで!」
「「「へ?」」」
「混ざりたくても混ざれないんだよ! 羨ましくて涎を垂らすだけ!」
それが残酷! とソルジャーはグッと拳を握りました。
「本当だったら、鼻血さえ出なければ乱入出来るんだろうけど…。ハーレイだからね!」
そんな根性があるわけがない、と完全に馬鹿にしているソルジャー。
「羨ましくても、混ざりたくても、最後の一歩が踏み出せない! 見ているだけ!」
ムラムラしながら炙られ続けて、とうとう力尽きるのだ、ということは…。教頭先生が見せられるものって、もしかして…?
「そうだけど? ズバリ、ぼくとハーレイの大人の時間!」
是非ともじっくり見て貰いたい、と赤い瞳が爛々と。
「ぼくがサイオンで細工するから! 鼻血で失神出来ないように!」
「ちょ、ちょっと…!」
会長さんが滔々と続くソルジャーの喋りを遮って。
「君のハーレイ、今はそれどころじゃないだろう! 海の別荘行きを控えて!」
特別休暇を取るんだから、と会長さん。
「その前にやるべき仕事が山積み、キースの卒塔婆書きと同じでリーチなんだと思うけど!」
「…まあね、ご無沙汰気味ではあるよ」
だからノルディとデートに行った、と頷くソルジャー。
「でもね、その分、休暇に入れば凄いから! パワフルだから!」
海の別荘では毎年そうだ、と力説してます。それは間違いないですけどねえ、部屋に籠って食事までルームサービスだとか…。
毎年、毎年、ソルジャー夫妻に振り回されるのが海の別荘。実害が無い年も、日程だけはソルジャーが決めてしまいます。結婚した思い出の場所というわけで、日程はいつもソルジャー夫妻の結婚記念日に合わせられるオチ。
ご他聞に漏れず、今年もそう。…その別荘で教頭先生を残酷焼きにしたいんですか?
「…だって、ブルーも言ったじゃないか! 残酷焼きは海の別荘まで待てと!」
それで待とうと考えていたら残酷焼きを思い付いた、と言うソルジャー。
「普通の残酷焼きは元からやっているしね、もっと楽しく、残酷に!」
「ぼくは普通ので充分だから!」
サザエやアワビで間に合っている、と会長さん。
「伊勢海老を焼いてる年だってあるし、残酷焼きはそれで充分だよ!」
「でもねえ…。せっかく新しい言葉を覚えたんだし、焼く物の方も新鮮にしたい!」
ハーレイの残酷焼きがいい、とソルジャーの方も譲りません。
「あの大物をジュウジュウ焼きたい! ぼくとハーレイとの夫婦の時間を見せ付けて!」
お盆は終わっているんだから、とソルジャーは揚げ足を取りにかかりました。
「お盆がまだなら、無益な殺生と言われちゃうかもしれないけれど…。終わってるしね?」
海の別荘に行く頃には、と重箱の隅をつつくソルジャー。
「それに本殺しと言いはしてもね、本当に殺すわけでもないし…」
「迷惑だから!」
手伝わされるのは御免だから、と会長さんが叩いたテーブル。
「君は楽しいかもしれないけどねえ、ぼくたちは楽しいどころじゃないから!」
「そうですよ! いつも酷い目に遭うだけです!」
ぼくも反対です、とシロエ君。
「残酷焼きはバーベキューだけで充分ですよ!」
「まったくだ。…いくらお盆が終わっていてもだ、殺生は慎むのが筋だ」
それが坊主というもので…、とキース君が繰る左手首の数珠レット。
「ブルーはもちろん、サムもジョミーも僧籍なんだし…。あんたを手伝うことは出来んな」
「…手伝いは別に要らないんだけど?」
素人さんには難しいから、とソルジャーはフウと溜息を。えーっと、それって、ソルジャーが勝手に残酷焼きをやるんですかね、私たちとは無関係に?
巻き込まれるのがお約束のような、ソルジャーが立てる迷惑企画。教頭先生絡みの場合は、巻き込まれ率は百パーセントと言ってもいいと思います。
それだけに残酷焼きな企画も巻き添えを食らうと思ってましたが、「素人さんには難しい」上に、「手伝いは別に要らない」ってことは、ソルジャーの一人企画でしょうか?
「一人ってわけでもないけれど…。ぼくのハーレイは欠かせないしね」
夫婦の時間を披露するんだし、と言うソルジャー。
「それと、ぶるぅの協力が必須! ぼくの世界の方のぶるぅの!」
「「「ぶるぅ!?」」」
あの悪戯小僧の大食漢か、と思わず絶句。「ぶるぅ」の協力で何をすると?
「もちろん、覗きのお手伝いをして貰うんだよ! こっちのハーレイを御案内!」
最高のスポットで覗けるように、とニッコリと。
「鼻血を止める細工の方もさ、ぶるぅがいればより完璧に!」
ぼくがウッカリ忘れちゃってもフォローは完璧、と自信たっぷり。
「そんな感じで残酷焼きだし、君たちは何もしなくてもいいと思うんだけど?」
高みの見物コースでどうぞ、とパチンとウインクしたソルジャー。
「「「…高み?」」」
「そうだよ、被害の無い場所で! ゆっくり見物!」
中継の方も「ぶるぅ」にお任せ、と聞かされて震え上がった私たち。それってギャラリーをしろって意味になってませんか…?
「それで合ってるけど? 見なけりゃ損だと思わないかい?」
「「「思いません!!!」」」
見なくていいです、と絶叫したのに、ソルジャーは聞いていませんでした。
「うんうん、やっぱり見たいよねえ? こっちのハーレイの残酷焼き!」
海の別荘では絶対コレ! と決めてしまったらしいソルジャー。私たちの運命はどうなるんでしょうか、それに教頭先生は…?
海の別荘では教頭先生の残酷焼きだ、と決めたソルジャー。最初からそういう魂胆だったに決まっています。溜息をつこうが、文句を言おうが、まるで取り合う気配無し。夕食が済んだ後にも居座り、残酷焼きを喋り倒して帰って行って…。
「…おい、俺たちはどうなるんだ?」
このまま行ったら確実に後が無さそうだが、と途方に暮れているキース君。お盆が済んだら海の別荘、其処で待つのが教頭先生の残酷焼きで。
「…忘れるべきじゃないでしょうか?」
覚えていたって、いいことは何もありません、とシロエ君が真顔で言い切りました。
「どうなるんだろう、と心配し過ぎて心の病になるのがオチです!」
「確かにそうかもしれねえなあ…。人生、笑ってなんぼだしよ」
忘れた方が良さそうだぜ、とサム君も。
「俺やキースはお盆もあるしよ、そっちに集中した方がいいぜ」
「…ぼくも今年は真面目に棚経やろうかなあ…」
そしたら忘れられそうだし、とジョミー君もお盆に逃げるようです。
「お盆はいいかもしれないわねえ…。私も今年は何かしようかしら?」
お盆の行事、というスウェナちゃんの言葉に、会長さんが。
「やりたいんだったら、ぼくの家でやってもいいけれど? …それっぽいのを」
迎え火から始めてフルコースで、という案にスウェナちゃんが縋り付きました。シロエ君もマツカ君も食い付きましたし、私だって。
「会長、よろしくお願いします!」
今年のお盆は頑張ります! とシロエ君が決意表明、抹香臭い日々が始まるようです。でもでも、ソルジャーが立てた迷惑企画を忘れられるのなら、お盆の行事も大歓迎。
迎え火だろうが、棚経だろうが、会長さんの指導で頑張りますよ~!
そんなこんなで、迎えたお盆。遠い昔に火山の噴火で海に沈んだ会長さんの故郷、アルタミラを供養するというコンセプトで私たちは毎日法要三昧。
キース君はサム君とジョミー君もセットの棚経でハードな日々が始まり、フィナーレは無事に書き上げた卒塔婆を供養して檀家さんに渡すという法要。
それだけやったら頭の中はお盆一色、終わった後には誰もが完全燃焼で白く燃え尽きていたと思います。雑念なんかは入る余地も無くて、煩悩の方も消し飛んで…。
「かみお~ん♪ 今年も海が真っ青ーっ!」
「いっぱい泳がなくっちゃねーっ!」
海だあ! と飛び跳ねている「そるじゃぁ・ぶるぅ」と「ぶるぅ」のコンビ。海の別荘ライフの始まり、荷物を置いたら揃ってビーチへ。
「わぁーい、バーベキュー!」
ちゃんと用意が出来てるよ! と「そるじゃぁ・ぶるぅ」は大喜びで、教頭先生がキース君たちに「行くか」と声を掛けました。
「食材も用意してあるようだが…。やはり獲れ立てが一番だからな」
「そうですね。俺たちも何か獲って来ましょう」
狙いはアワビにサザエですね、とキース君が大きく頷き、男の子たちは獲物を求めて素潜りに。漁が済んだら、ビーチで始まるバーベキュー。ジュウジュウと焼けるサザエやアワビは、生きているのを網に乗っけるわけですが…。
「あっ、始まったね、残酷焼き!」
待ってましたあ! と覗きに来たのがビーチでイチャついていたバカップル。ソルジャー夫妻とも言いますけれど。
「ええ、獲れ立てですから美味しいですよ。どうぞ幾つでも」
お好きなだけ取って食べて下さい、と教頭先生が気前良く。…ん? 残酷焼き…?
「ありがとう! 好きなだけ食べていいんだね、どれも?」
「もちろんです。サザエでもアワビでも、ご遠慮なく」
どんどん獲って来ますから、と教頭先生は笑顔ですけど。…何か引っ掛かる気がします。残酷焼きって、それに教頭先生って…?
綺麗サッパリ、残酷焼きを忘れ果てていた私たち。ビーチでは全く思い出せなくて、何か引っ掛かるという程度。教頭先生とか、ジュウジュウ焼かれるアワビやサザエが。
別荘ライフの初日の昼間はビーチで終わって、夕食も大満足の味。それぞれお風呂に入った後には、広間に集まって賑やかに騒いでいたんですけど。
「そうそう、ハーレイ。…君に話があるんだけどね?」
こっちのハーレイ、とソルジャーが指差した教頭先生。キャプテンと一緒に部屋に籠ったんじゃなかったでしょうか、夕食の後は?
「あっ、ぼくかい? …話があるから出て来ただけで、済んだら失礼する予定」
夫婦の時間を楽しまなくちゃ、と艶やかな笑みが。
「それでね…。ハーレイ、君さえ良かったら…。昼間の残酷焼きの御礼をしようと思って」
「はあ…」
残酷焼きですか、と教頭先生は怪訝そうな顔。その瞬間に私たちは思い出しました。ソルジャーが立てていた迷惑企画を。
(((き、来た…)))
忘れていたヤツがやって来た、と顔を見合わせても今更どうにもなりません。ソルジャーは教頭先生に愛想よく微笑み掛けながら。
「君の残酷焼きってヤツはどうかな、いつもは半殺しだからねえ…。鼻血が出ちゃって」
失神してそれでおしまいだよね、と教頭先生にズイと近付くソルジャー。
「その鼻血をぼくのサイオンで止める! 失神しないで覗きが出来るよ?」
ぼくたちの熱い夫婦の時間を…、というお誘いが。
「覗くって所までだけど…。混ざって貰うとぼくも困るけど、その心配は無さそうだしね?」
今までの例から考えてみると…、とソルジャーは笑顔。
「普段だったら混ざってくれてもいいんだけどねえ、結婚記念日の旅行だからさ」
「分かっております。…が、本当に覗いてもいいのですか?」
残酷焼きの御礼と仰いましたが、と鼻息も荒い教頭先生。
「もちろんだよ! 心ゆくまで覗いて欲しいね、ぼくからのサービスなんだから!」
ちょっぴり残酷なんだけどね、というソルジャーの誘いに、教頭先生はフラフラと。
「ざ、残酷でもかまいません! …残酷焼きは好物でして!」
私が焼かれる方になっても満足です、と釣られてしまった教頭先生。ソルジャーは「決まりだね」と教頭先生の手を引いて去ってゆきました。「こっちだから」と。
教頭先生とソルジャーが消え失せた後の大広間。呆然と残された私たちは…。
「…どうしよう…。もう完全に忘れてたよ、アレ…」
ぼくとしたことが、と会長さんが頭を抱えて、シロエ君も。
「言い出したぼくも忘れていました、「忘れましょう」と言ったことまで全部…」
ヤバイですよ、と呻いた所で後の祭りというヤツです。でも…。
「待って下さい、望みはあります」
ぼくたちだけしかいませんから、とマツカ君が広間を見回しました。
「この状態だと、何が起こっても分かりませんよ。…部屋の外のことは」
「そうでした! マツカ先輩、冷静ですね」
「いえ、何度も来ている別荘ですから…。此処から出なければ大丈夫だと思います」
朝まで息を潜めていれば…、とマツカ君。
「食べ物も飲み物もありますし…。トイレも其処にありますからね」
「よし! 俺たちは今夜は此処だな」
布団が無いのは我慢しよう、とキース君が言えば、サム君が。
「そこは徹夜でいいんでねえの? 寝なくてもよ」
「いや、それは駄目だ。寝ないで海に入るのはマズイ」
「「「あー…」」」
溺れるリスクが上がるんだっけ、と理解しました。適当な所で横になるしかないようです。安全地帯にいたければ…、って、あれ?
「なんだよ、コレ!?」
シャボン玉かよ、とサム君がつついた透明な玉。それは途端にポンと弾けて…。
「かみお~ん♪ ぶるぅだあ!」
ぶるぅのサイオン! と「そるじゃぁ・ぶるぅ」が跳ねて、出現したのがサイオン中継で使われる画面。これって、もしかしなくても…。
「ぶ、ぶるぅって言いましたか?」
シロエ君の声が震えて、「そるじゃぁ・ぶるぅ」が「うんっ!」と元気良く。
「ぶるぅが中継してくれるんだって、残酷焼き!」
「「「うわー…」」」
そんな、と叫んでも消えない画面。ついでに部屋から逃げ出そうにも、外から鍵がかかったようです。絶体絶命、見るしかないっていうわけなんですね、教頭先生の残酷焼きを…?
中継画面の向こう側では、教頭先生が食い入るように覗いておられました。ソルジャー夫妻の部屋に置かれたベッドの上を。
ベッドの方はソルジャーの配慮か、モザイクがかかって見えません。声も聞こえて来ないんですけど、教頭先生は大興奮で。
「おおっ…! こ、これは…!」
凄い、と歓声、けれど押さえていらっしゃる鼻。…鼻血が出そうなのでしょう。通常ならば。
「…鼻血、出ないね?」
いつもだったら、こういう時にはブワッと鼻血、とジョミー君。
「…そういうタイミングには間違いないな…。残酷焼きだと言ってやがったが…」
どうなるんだ、とキース君にも読めない展開、会長さんだって。
「ハーレイがスケベなことは分かるけど…。鼻血さえ出なけりゃ、覗いていられるらしいけど…」
なんだか苦しそうでもある、と顎に手を。
「眉間の皺が深くなって来てるよ、限界が来ない分、キツイのかも…」
「それは大いに有り得ますねえ…」
精神的にはギリギリだとか、とシロエ君。
「お身体の方も、キツイ状態かもしれません。…なにしろ残酷焼きですから」
最終的には命が無いのが残酷焼きです、と肩をブルッと。
「死ぬことは無いと思いますけど、普段の鼻血より酷い結果になるんじゃあ…?」
「本殺しだって言ってたぜ、あいつ…」
ヤバイんでねえの、とサム君も恐れた教頭先生の末路。私たちの末路も怖いんだけど、と消えてくれない中継画面を見守るしかないまま、どのくらい経った頃でしょうか。
「「「えっ!?」」」
画面がいきなりブラックアウトで、そのままパッと消えちゃいました。中継、終わったんですか?
「…消えましたね?」
終わりでしょうか、とシロエ君が言い終わらない内に、「そるじゃぁ・ぶるぅ」の泣き声が。
「うわぁぁぁん、ぶるぅが気絶しちゃったぁー!」
「「「気絶!?」」」
「ハーレイ、酷いよ、ショートするなら一人でやってーっ!!!」
ぶるぅを巻き込まないで欲しかったよう、と泣き叫んでいる「そるじゃぁ・ぶるぅ」。残酷焼きにされた教頭先生、限界突破で頭が爆発したみたいですね…?
次の日の朝、教頭先生は食堂においでになりませんでした。それに「ぶるぅ」も。ソルジャー夫妻はルームサービスですから、現れるわけが無いんですけど…。あれっ、ソルジャー?
「…おはよう。…昨夜はとんでもない目に遭っちゃって…」
ソルジャーの目の下にはクマが出来ていました。何があったと言うんでしょう?
「…残酷焼きだよ、あのせいで巻き添え食らったんだよ!」
こっちのハーレイが派手に爆発、とソルジャーは椅子に座って朝食の注文。キャプテンは…?
「…ハーレイなら意識不明だよ。こっちのハーレイとセットでね」
まさか頭が爆発したらああなるとは、とブツクサ、ブツクサ。…どうなったと?
「サイオン・バーストとは違うんだけどね、凄い波動が出ちゃってさ…」
ぶるぅも、ぼくのハーレイも意識を手放す羽目に…、と嘆くソルジャー。
「でもって、ハーレイは真っ最中だったものだから…。抜けなくってさ!」
「その先、禁止!」
言わなくていい、と会長さんが怒鳴りましたが、ソルジャーは文句を言い続けました。貫かれるのは好きだけれども、入ったままで抜けないというのは最悪だとか、最低だとか。
お蔭で腰がとても辛いとか、トイレも行けない有様だとか。
「「「…???」」」
「いいんだよ、君たちが分かってくれるとも思ってないから!」
残酷焼きは二度と御免だ、とソルジャーは懲りているようです。海産物でしかやりたくないと。
「…いったい何があったんでしょう?」
「俺が知るか! 無益な殺生をしようとするからだ!」
二度とやらないなら、仏様も許して下さるであろう、とキース君。何が起こったか謎だとはいえ、もうやらないならいいでしょう。教頭先生、記憶もすっかり飛んでしまったそうですし…。
残酷焼きって怖いんですねえ、ソルジャーまでが残酷な目に遭ってしまったみたいです。海産物でやるに限りますよね、やっぱりアワビやサザエですよね…!
残酷に焼いて・了
※いつもシャングリラ学園を御贔屓下さってありがとうございます。
ソルジャーが思い付いた、教頭先生の残酷焼き。海産物の残酷焼きと違って迷惑な企画。
途中までは楽しめたらしいですけど、とても悲惨な結末に。懲りてくれればいいんですが…。
さて、シャングリラ学園、11月8日で番外編の連載開始から、14周年を迎えました。
「目覚めの日」を迎える14歳と同じ年月、書き続けて来たという勘定です。
昨年に予告していた通りに、今年限りで連載終了。更新は来月が最後になります。
湿っぽいお別れはしたくないので、来月も笑って読んで頂けると嬉しいですね。
次回は 「第3月曜」 12月19日の更新となります、よろしくです~!
※毎日更新な 『シャングリラ学園生徒会室』 はスマホ・携帯にも対応しております。
こちらでの場外編、11月といえば紅葉の季節。豪華旅行の話も出たのに…。
←シャングリラ学園生徒会室は、こちらからv
バックナンバーはこちらの 「本編」 「番外編」 から御覧になれます。
夏、真っ盛り。楽しい夏休みも真っ盛りです。今年もマツカ君の山の別荘ライフを楽しみ、お次は海の別荘ですけど。それまでの間に挟まるお盆が問題、キース君にとっては地獄な季節。暑さの方もさることながら、お盆と言えば…。
「くっそお…。あの親父めが!」
まただ、とキース君が唸る会長さんの家のリビング。アドス和尚がどうかしたんですか?
「この時期に「またか」で親父だったら、およそ想像がつくだろうが!」
「あー…。また卒塔婆かよ?」
押し付けられてしまったのかよ、とサム君が訊くと。
「それ以外の何があると言うんだ! ドカンと束で来やがったんだ!」
山の別荘から帰って来たら、俺の部屋の前に積んであった、とキース君。卒塔婆が五十本入りだとかいう梱包された包み、それが部屋の表の廊下に三つ。
「「「三つ!?」」」
五十かける三で百五十になるのでは、と聞き間違いかと思いましたが、それで正解。
「親父め、今年はやたらとのんびりしていやがると思ったら…。俺にノルマを!」
遊んで来たんだから頑張るがいい、と積み上げてあったそうです、卒塔婆。
「…キース先輩、こんな所で遊んでいてもいいんですか?」
百五十本ですよ、とシロエ君。
「急いで帰って書いた方がいいと思いますが…」
「俺のやる気が家出したんだ、今日はサボリだ!」
「でもですね…。お盆が近付いて来てますよ?」
間に合わないんじゃあ、と正論が。
「あそこのカレンダーを見て下さい。今日のツケは確実に反映される筈です」
「…俺も分かってはいるんだが!」
あんな親父がいる家で努力したくはない、とブツブツと。そう言えば、クーラー禁止でしたか?
「そうなんだ! 暑いし、セミはうるさいし…!」
卒塔婆プリンターなら楽なのに、と手抜き用な機械の名前までが。いっそポケットマネーで買えばいいかと思いますけど、家に置いたらバレるのかな…?
「なんだと? 卒塔婆プリンター?」
バレるに決まっているだろうが、と顔を顰めるキース君。
「あれはけっこう場所を取るんだ、卒塔婆自体がデカイからな!」
だから無理だ、と悔しそう。
「いつかは買いたいと思っていてもだ、親父が健在な間は無理だな」
「それじゃ、一生、無理なんじゃない?」
アドス和尚も年を取らないし、とジョミー君。
「キースも年を取らないけどさ…。アドス和尚もあのままなんだし」
「…キツイ真実を言わないでくれ…」
そして俺には百五十本の余計な卒塔婆が、と項垂れるしかないようです。
「一日のノルマを計算しながら書いて来たのに、ここでいきなり計算が…。もうリーチなのに!」
お盆は其処だ、と嘆くキース君に、会長さんが。
「サボるよりかは、前向きの方が良くないかい? 此処で書くとか」
「…なんだって?」
「ぼくの家だよ、和室はクーラーが入るからね」
あそこで書いたらどうだろうか、という提案。
「アドス和尚は君が出掛けたと知ってるんだし、卒塔婆のチェックはしないと思うよ」
此処へ運んで書いて行けば、と会長さん。
「心配だったら、運んだ分の卒塔婆はサイオニック・ドリームでダミーをね…」
減っていないように見せるくらいは朝飯前で、という申し出にキース君は飛び付きました。早速、会長さんが瞬間移動で卒塔婆や書くための道具を運んで…。
「かみお~ん♪ キース、お部屋の用意が出来たよ!」
「…有難い。クーラーだけでも違うからな」
「お茶とお菓子も置いてあるから、休憩しながら頑張ってね!」
行ってらっしゃぁ~い! と「そるじゃぁ・ぶるぅ」に送り出されて、キース君は和室に向かいました。愛用の硯箱とかも運んで貰って、環境はバッチリらしいです。きっと元老寺よりはかどりますよね、頑張って~!
キース君は卒塔婆書きに集中、私たちは邪魔をしないようリビングの方でワイワイと。防音はしっかりしてありますから、大笑いしたって大丈夫です。その内にお昼御飯の時間で…。
「今日のお昼は夏野菜カレー! スパイシーだよ!」
暑い季節はスパイシー! と「そるじゃぁ・ぶるぅ」が用意してくれ、冷たいラッシーも出て来ました。キース君は少し遅れてダイニングの方にやって来て…。
「美味そうだな。…いただきます」
合掌して食べ始めたキース君に、サム君が。
「どんな具合だよ、はかどってんのか?」
「ああ、家で書くより早く書けるな。やはり環境は大切だ」
涼しいだけでもかなり違う、と嬉しそう。
「ブルーのお蔭で助かった。夕方までやれば、家で書く分の三日分はクリア出来るだろう」
「キース先輩、良かったですね! いっそこのまま徹夜とか!」
「いや、徹夜はしないと決めている。…卒塔婆書きは集中力が命だからな」
よほどリーチにならない限りは徹夜はしない方が効率的だ、という話。書き損じた時の手間が余計にかかってしまう分、徹夜でボケた頭で書いたら駄目だとか。
「そうなんですか…。じゃあ、夕方までが勝負ですね」
「そうなるな。飯を食ったらまた籠らせて貰う」
急いで食って卒塔婆書きだ、と食べ終えたキース君は和室に戻って行きました。お茶やお菓子を差し入れて貰って、書いて書きまくって、夕方になって…。
「どうだった、キース? 卒塔婆のノルマ」
ジョミー君の問いに、ニッと笑ったキース君。
「家で書く分の四日分は書いた。…なんとか光が見えて来たぞ」
今日は此処まででやめておこう、と肩をコキコキ。やっぱり肩が凝りますか?
「当たり前だろう、書き仕事だぞ?」
それも一発勝負なんだ、というのが卒塔婆。キース君、お疲れ様でした~!
晩御飯はキース君のためにスタミナを、と焼肉パーティー。マザー農場の美味しいお肉や野菜がたっぷり、みんなでジュウジュウ焼き始めたら…。
「こんばんはーっ!」
遊びに来たよ、と飛び込んで来た私服のソルジャー。夜に私服って、今日はこれから花火大会にでもお出掛けですか?
「えっ、花火? それは別の日で、今はデートの帰りだけれど?」
「「「デート?」」」
「ノルディとドライブに行って来てねえ、海辺で美味しい食事をね!」
海の幸! と焼肉の席に混ざったソルジャー、自分の肉を焼き始めながら。
「焼肉もいいけど、今日の食事は素敵だったよ! 鮮度が一番!」
「…お刺身なわけ?」
会長さんが訊くと、ソルジャーは「焼いたんだけど?」という返事。
「海老もアワビも生きてるんだよ、それをジュウジュウ!」
海老は飛び跳ねないようにシェフが押さえて…、とニコニコと。
「ついさっきまで生きてました、っていうのを美味しく食べて来たんだよ!」
「「「あー…」」」
あるな、と思ったそういう料理。ちょっと可哀相な気もしますけれど、お味の方は絶品です。ソルジャーは海辺のレストランで食べた料理を絶賛しつつ…。
「残酷焼きって言うんだってね、ノルディの話じゃ」
メニューにはそうは書かれていなかったけど、という話。残酷焼きって、可哀相だから?
「…そうじゃないかな、ぼくだってアルタミラでは焼かれちゃったしね!」
実験の一環で丸焼きだって、と怖い話が。…焼かれたんですか?
「うん。どのくらいの火で火傷するのか、試したかったらしくてねえ…」
「「「うわー…」」」
それ、食欲が失せちゃいますから、続きは後にしてくれませんか?
「駄目かな、残酷焼きの話は?」
「君の体験が生々しすぎるんだよ!」
焼肉が終わるまで待ちたまえ、と会長さん。せっかくのお肉、美味しく食べたいですからね…。
ソルジャーも交えての焼肉パーティー、終わった後は食後の紅茶やコーヒーが。キース君もエネルギーをチャージ出来たそうで、明日も元気に卒塔婆を書くんだそうです。
「此処で書かせて貰えると有難いんだが…。追加で来た分が片付くまでは」
いいだろうか、という質問に、会長さんは「どうぞ」と快諾。
「君の苦労は分かっているしね、たまには力になってあげるよ」
「感謝する! そうだ、家でも幾らか書いておきたいし…。道具を運んで貰えるか?」
「それはもちろん。ぶるぅ、キースの部屋に和室の硯とかをね…」
「オッケー、運んでおくんだね!」
はい、出来たぁ! とリビングから一歩も動きもしないで、瞬間移動させたみたいです。流石、と驚くタイプ・ブルーのサイオンですけど…。
「えーっと…。さっきの続きを話していいかな?」
残酷焼き、とソルジャーが。
「あの美味しさが忘れられなくて…。此処でも御馳走になりたいなあ、って!」
生きた海老やらアワビをジュウジュウ、と唇をペロリ。
「ぶるぅだったら美味しく焼けるに決まってるんだし、明日のお昼とか!」
「あのねえ…。君が言ったんだよ、残酷だからメニューにそうは書かないのかも、って」
あれは残酷焼きなんだけど、と会長さん。
「それを此処でって、今をいつだと思ってるんだい?」
「夏だけど?」
「ただの夏っていうわけじゃなくて、今はお盆の直前なんだよ!」
だからキースも卒塔婆がリーチ、と会長さんが指差す和室の方向。
「明日もキースは卒塔婆書きだし、そんな時期に残酷焼きはお断りだね!」
何処から見たって殺生だから、と会長さんはキッパリと。
「お盆が済むまで待ちたまえ。海の別荘なら、元から似たようなことをやってるんだし」
「そうですね。サザエもアワビも獲れ立てですし…」
それをそのままバーベキューです、とシロエ君。そっか、考えてみれば、あれも残酷焼きでした。海老だって焼いてることもあります、立派に残酷焼きですねえ…。
残酷焼きは海の別荘までお預けだから、というのが会長さんの論。少なくとも、会長さんの家でやる気は無いようです。
「ぼくの家では絶対、禁止! 食べたいんだったら、自分で行く!」
本家本元の残酷焼きに行くのもいいし、と会長さん。
「…本家本元? それって、もっと凄いのかい?」
残酷の程度が違うんだろうか、とソルジャーが訊いて、私たちだって興味津々。物凄く残酷な焼き方をするのが本家でしょうか?
「…まさか。それこそお客さんの食欲が失せるよ、君の体験談を聞くのと同じで!」
「ふうん? 其処だと、もっと美味しいとか?」
「どうだろう? あれは登録商標だから…」
「「「はあ?」」」
何が登録商標なんだ、と首を傾げた私たちですが。
「残酷焼きだよ、その名前で登録したのが本家本元!」
それが売りの旅館なんだから、と会長さんが教えてくれた大人の事情。海の幸が自慢の温泉旅館が「残酷焼き」を登録商標にしているそうで、他の所では使えないとか。
「だからブルーが食べた店でも、その名前になっていなかったわけ!」
「なんだ、そういうオチだったんだ…。残酷焼きって書いたら可哀相っていうんじゃなくて」
商売絡みだったのか、と少し残念そうなソルジャー。
「名前くらい、どうでもいいのにねえ…。それにあの名前がピッタリなのに…」
生きたままで焼くから美味しいのに、と残酷焼きに魅せられた模様。
「でも、今の時期は駄目なんだよね? ぶるぅに焼いて貰うのは?」
「お盆の季節は、本来、殺生禁止なんだよ!」
坊主でなくても慎むものだ、と会長さん。
「昔だったら、お盆の間は漁だって禁止だったんだから!」
「「「え?」」」
「漁船だよ! お盆は海に出なかったんだよ、何処の海でも!」
そういう時期が控えているのに残酷焼きなど言語道断、と会長さんは断りました。そうでなくてもキース君が卒塔婆書きをしている真っ最中です、会長さんの家。…そんな所で残酷焼きって、いくらなんでもあんまりですよね?
こうして終わった、残酷焼きの話。ソルジャーは「分かった、残酷焼きは海の別荘まで待つよ」と帰って行って、次の日も会長さんの家でキース君が卒塔婆書き。
「…キース、頑張るよなあ…」
全く出ても来ねえんだから、とサム君が感心するほど、キース君は和室に籠っています。お昼御飯を食べに出て来た以外は、もう本当に籠りっ放し。夕方になって、ようやく出て来て。
「…やっと終わった。まさか二日で書き上がるとは…」
百五十本も、と感慨深げなキース君。
「あの部屋を貸して貰えて良かった。…家でやってたら、まだまだだったな」
「それは良かった。後は元からのノルマだけだね」
会長さんの言葉に、キース君は「ああ」と頷いて。
「此処へ来て遊んでいたって、充分書ける。…そうだ、ジョミーも練習しておけよ」
棚経の本番が迫っているぞ、とニヤニヤと。
「当日になってから「出来ません」では済まないんだしな?」
「分かってるってば、ぼくは今年も口パクだよ!」
どうせお経は忘れるんだし、と最初からやる気ゼロらしいです。これも毎年の風景だよな、と眺めていたら…。
「こんばんはーっ!」
またもソルジャーがやって来ました、今日は私服じゃないですけれど。
「…何しに来たわけ?」
会長さんの迷惑そうな視線に、ソルジャーは。
「食事とお喋り! こっちの世界の食事は何でも美味しいから!」
「かみお~ん♪ 今日はパエリアとタコのスープと…。スタミナたっぷり!」
キースに栄養つけて貰わなくっちゃ、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」。ダイニングのテーブルに魚介類ドッサリのパエリアに、タコが入ったガーリックスープ。これは栄養がつきそうです。ソルジャーも早速、頬張りながら。
「残酷焼きでなくても美味しいねえ…。地球の海の幸!」
「ぶるぅの腕がいいからだよ!」
それに仕入れも自分で行くし、と会長さん。料理上手な「そるじゃぁ・ぶるぅ」は、新鮮な食材をあれこれ買いに行くのも好きですもんね!
またしてもソルジャーが出て来てしまった夕食の席。お喋りとも言っていましたけれども、早い話が暇なのでしょう。なんでもいいから暇つぶしだな、と思っていたら…。
「そうそう、昨日の残酷焼きのことなんだけど…」
「海の別荘まで待てと言ったよ、君も納得していただろう?」
お盆の前には無益な殺生は慎むものだ、と会長さん。
「こんな風にパエリアとかなら、生きたまま料理をするわけじゃないし…。間違えないように!」
「分かってるってば、そのくらいはね!」
ぼくの話は別件なのだ、と妙な台詞が。
「「「別件?」」」
「そう、別件! 残酷焼きの楽しみ方の!」
「どっちにしたって、お盆前だから!」
慎みたまえ、と会長さんが眉を吊り上げました。
「何を焼きたいのか知らないけどねえ、お盆が終わってからにしたまえ!」
「…うーん…。半殺しなのを本殺しにしようってコトなんだけど?」
「それを殺生と言うんだよ!」
本殺しだなんて…、と会長さんはソルジャーをギロリと睨み付けて。
「半殺しっていうのも大概だけどさ、まだ殺してはいないしね? それで、君は…」
何を半殺しにしたと言うのさ、と尋問モード。
「まさか人間じゃないだろうね? 君の敵は人類らしいから」
「…まるでハズレってこともないかな、人間ってトコは」
「なんだって!?」
本当に人間を半殺しなのか、と会長さんが驚き、私たちだってビックリ仰天。ソルジャー、人類軍とかいうヤツの兵士を捕えてシャングリラで拷問してるとか…?
「失礼な…! そういうのは人類の得意技だよ、ぼくたちミュウは控えめだよ!」
捕まえたとしても心理探査くらいなものだろうか、という返事。それじゃ、半殺しは…?
「人類じゃないし、ミュウでもない…かな? ミュウは登録商標かもだし」
「「「はあ?」」」
「ミュウって言葉! こっちの世界には無いんだろう?」
人類が登録商標にしているのかも、という笑えないジョーク。そもそも、ソルジャーの世界に登録商標なんかがあるのか疑問ですってば…。
登録商標の有無はともかく、私たちの世界に「ミュウ」という言葉はありません。ソルジャーの世界だと、サイオンを持っている人間はミュウということになるらしいですけど。
「そうなんだよねえ、ぼくの世界だとミュウなんだけど…。こっちだとねえ…」
言葉自体が無いものだから、とソルジャーの視線が私たちに。
「君たちもミュウの筈なんだけどね、ミュウじゃないんだよね?」
「…その筈だが?」
ミュウと呼ばれたことは無いな、とキース君が返して、会長さんが。
「ぼくも使ったことが無いねえ、その言葉は。…単に「仲間」と呼んでいるだけで」
「やっぱりねえ…。だから、ミュウでもないのかな、って」
ぼくが言ってる半殺しの人、ということは…。それって、私たちの世界の誰かをソルジャーが半殺しにしてるって意味?
「今はやっていないよ、現在進行形っていう意味ではね!」
でも何回も半殺しにしたし、と不穏な言葉が。いったい誰を半殺しに…?
「君たちもよく知ってる人だよ、こっちの世界のハーレイだけど?」
「「「ええっ!?」」」
まさかソルジャー、教頭先生を拉致して苛めていましたか?
「違う、違う! 君たちも共犯と言えば共犯なんだよ、特にブルーは!」
「…ぼく?」
どうしてぼくが共犯なんかに…、と会長さんはキョトンとした顔、私たちだって同じです。教頭先生を半殺しになんか、したことは無いと思いますけど…?
「…ううん、何度もやってるね。半殺しにするのはぼくだけれどさ、その片棒を!」
「「「片棒?」」」
「そのままだってば、こっちのハーレイを陥れるってヤツ!」
そのネタは主に大人の時間で…、とソルジャーの唇に浮かんだ笑み。
「ぼくがハーレイに御奉仕するとか、覗きにお誘いするだとか…。鼻血体質のハーレイを!」
そして毎回、半殺し! と言われてみれば、そうなるのかもしれません。会長さんの悪戯心とソルジャーの思惑が一致する度、教頭先生、鼻血で失神ですものねえ…?
「分かってくれた? それが半殺しというヤツで!」
ぼくが目指すのは本殺し、とソルジャーはクスクス笑っています。
「失神しちゃうと半殺しで終わってしまうから…。失神させずに本殺しを目指したいんだよ!」
その過程で残酷焼きになるのだ、とソルジャーはニヤリ。
「失神したくても出来ないハーレイ! 本殺しになるまでジュウジュウと!」
生きたまま炙られて残酷焼きだ、と言ってますけど、それって、どんなの…?
「えっ、簡単なことなんだけど? 要は鼻血を止めさえすればね!」
失神出来なくなるであろう、というソルジャーの読み。
「ムラムラしたまま最後まで! どう頑張っても天国にだけは行けないままで!」
「「「へ?」」」
「混ざりたくても混ざれないんだよ! 羨ましくて涎を垂らすだけ!」
それが残酷! とソルジャーはグッと拳を握りました。
「本当だったら、鼻血さえ出なければ乱入出来るんだろうけど…。ハーレイだからね!」
そんな根性があるわけがない、と完全に馬鹿にしているソルジャー。
「羨ましくても、混ざりたくても、最後の一歩が踏み出せない! 見ているだけ!」
ムラムラしながら炙られ続けて、とうとう力尽きるのだ、ということは…。教頭先生が見せられるものって、もしかして…?
「そうだけど? ズバリ、ぼくとハーレイの大人の時間!」
是非ともじっくり見て貰いたい、と赤い瞳が爛々と。
「ぼくがサイオンで細工するから! 鼻血で失神出来ないように!」
「ちょ、ちょっと…!」
会長さんが滔々と続くソルジャーの喋りを遮って。
「君のハーレイ、今はそれどころじゃないだろう! 海の別荘行きを控えて!」
特別休暇を取るんだから、と会長さん。
「その前にやるべき仕事が山積み、キースの卒塔婆書きと同じでリーチなんだと思うけど!」
「…まあね、ご無沙汰気味ではあるよ」
だからノルディとデートに行った、と頷くソルジャー。
「でもね、その分、休暇に入れば凄いから! パワフルだから!」
海の別荘では毎年そうだ、と力説してます。それは間違いないですけどねえ、部屋に籠って食事までルームサービスだとか…。
毎年、毎年、ソルジャー夫妻に振り回されるのが海の別荘。実害が無い年も、日程だけはソルジャーが決めてしまいます。結婚した思い出の場所というわけで、日程はいつもソルジャー夫妻の結婚記念日に合わせられるオチ。
ご他聞に漏れず、今年もそう。…その別荘で教頭先生を残酷焼きにしたいんですか?
「…だって、ブルーも言ったじゃないか! 残酷焼きは海の別荘まで待てと!」
それで待とうと考えていたら残酷焼きを思い付いた、と言うソルジャー。
「普通の残酷焼きは元からやっているしね、もっと楽しく、残酷に!」
「ぼくは普通ので充分だから!」
サザエやアワビで間に合っている、と会長さん。
「伊勢海老を焼いてる年だってあるし、残酷焼きはそれで充分だよ!」
「でもねえ…。せっかく新しい言葉を覚えたんだし、焼く物の方も新鮮にしたい!」
ハーレイの残酷焼きがいい、とソルジャーの方も譲りません。
「あの大物をジュウジュウ焼きたい! ぼくとハーレイとの夫婦の時間を見せ付けて!」
お盆は終わっているんだから、とソルジャーは揚げ足を取りにかかりました。
「お盆がまだなら、無益な殺生と言われちゃうかもしれないけれど…。終わってるしね?」
海の別荘に行く頃には、と重箱の隅をつつくソルジャー。
「それに本殺しと言いはしてもね、本当に殺すわけでもないし…」
「迷惑だから!」
手伝わされるのは御免だから、と会長さんが叩いたテーブル。
「君は楽しいかもしれないけどねえ、ぼくたちは楽しいどころじゃないから!」
「そうですよ! いつも酷い目に遭うだけです!」
ぼくも反対です、とシロエ君。
「残酷焼きはバーベキューだけで充分ですよ!」
「まったくだ。…いくらお盆が終わっていてもだ、殺生は慎むのが筋だ」
それが坊主というもので…、とキース君が繰る左手首の数珠レット。
「ブルーはもちろん、サムもジョミーも僧籍なんだし…。あんたを手伝うことは出来んな」
「…手伝いは別に要らないんだけど?」
素人さんには難しいから、とソルジャーはフウと溜息を。えーっと、それって、ソルジャーが勝手に残酷焼きをやるんですかね、私たちとは無関係に?
巻き込まれるのがお約束のような、ソルジャーが立てる迷惑企画。教頭先生絡みの場合は、巻き込まれ率は百パーセントと言ってもいいと思います。
それだけに残酷焼きな企画も巻き添えを食らうと思ってましたが、「素人さんには難しい」上に、「手伝いは別に要らない」ってことは、ソルジャーの一人企画でしょうか?
「一人ってわけでもないけれど…。ぼくのハーレイは欠かせないしね」
夫婦の時間を披露するんだし、と言うソルジャー。
「それと、ぶるぅの協力が必須! ぼくの世界の方のぶるぅの!」
「「「ぶるぅ!?」」」
あの悪戯小僧の大食漢か、と思わず絶句。「ぶるぅ」の協力で何をすると?
「もちろん、覗きのお手伝いをして貰うんだよ! こっちのハーレイを御案内!」
最高のスポットで覗けるように、とニッコリと。
「鼻血を止める細工の方もさ、ぶるぅがいればより完璧に!」
ぼくがウッカリ忘れちゃってもフォローは完璧、と自信たっぷり。
「そんな感じで残酷焼きだし、君たちは何もしなくてもいいと思うんだけど?」
高みの見物コースでどうぞ、とパチンとウインクしたソルジャー。
「「「…高み?」」」
「そうだよ、被害の無い場所で! ゆっくり見物!」
中継の方も「ぶるぅ」にお任せ、と聞かされて震え上がった私たち。それってギャラリーをしろって意味になってませんか…?
「それで合ってるけど? 見なけりゃ損だと思わないかい?」
「「「思いません!!!」」」
見なくていいです、と絶叫したのに、ソルジャーは聞いていませんでした。
「うんうん、やっぱり見たいよねえ? こっちのハーレイの残酷焼き!」
海の別荘では絶対コレ! と決めてしまったらしいソルジャー。私たちの運命はどうなるんでしょうか、それに教頭先生は…?
海の別荘では教頭先生の残酷焼きだ、と決めたソルジャー。最初からそういう魂胆だったに決まっています。溜息をつこうが、文句を言おうが、まるで取り合う気配無し。夕食が済んだ後にも居座り、残酷焼きを喋り倒して帰って行って…。
「…おい、俺たちはどうなるんだ?」
このまま行ったら確実に後が無さそうだが、と途方に暮れているキース君。お盆が済んだら海の別荘、其処で待つのが教頭先生の残酷焼きで。
「…忘れるべきじゃないでしょうか?」
覚えていたって、いいことは何もありません、とシロエ君が真顔で言い切りました。
「どうなるんだろう、と心配し過ぎて心の病になるのがオチです!」
「確かにそうかもしれねえなあ…。人生、笑ってなんぼだしよ」
忘れた方が良さそうだぜ、とサム君も。
「俺やキースはお盆もあるしよ、そっちに集中した方がいいぜ」
「…ぼくも今年は真面目に棚経やろうかなあ…」
そしたら忘れられそうだし、とジョミー君もお盆に逃げるようです。
「お盆はいいかもしれないわねえ…。私も今年は何かしようかしら?」
お盆の行事、というスウェナちゃんの言葉に、会長さんが。
「やりたいんだったら、ぼくの家でやってもいいけれど? …それっぽいのを」
迎え火から始めてフルコースで、という案にスウェナちゃんが縋り付きました。シロエ君もマツカ君も食い付きましたし、私だって。
「会長、よろしくお願いします!」
今年のお盆は頑張ります! とシロエ君が決意表明、抹香臭い日々が始まるようです。でもでも、ソルジャーが立てた迷惑企画を忘れられるのなら、お盆の行事も大歓迎。
迎え火だろうが、棚経だろうが、会長さんの指導で頑張りますよ~!
そんなこんなで、迎えたお盆。遠い昔に火山の噴火で海に沈んだ会長さんの故郷、アルタミラを供養するというコンセプトで私たちは毎日法要三昧。
キース君はサム君とジョミー君もセットの棚経でハードな日々が始まり、フィナーレは無事に書き上げた卒塔婆を供養して檀家さんに渡すという法要。
それだけやったら頭の中はお盆一色、終わった後には誰もが完全燃焼で白く燃え尽きていたと思います。雑念なんかは入る余地も無くて、煩悩の方も消し飛んで…。
「かみお~ん♪ 今年も海が真っ青ーっ!」
「いっぱい泳がなくっちゃねーっ!」
海だあ! と飛び跳ねている「そるじゃぁ・ぶるぅ」と「ぶるぅ」のコンビ。海の別荘ライフの始まり、荷物を置いたら揃ってビーチへ。
「わぁーい、バーベキュー!」
ちゃんと用意が出来てるよ! と「そるじゃぁ・ぶるぅ」は大喜びで、教頭先生がキース君たちに「行くか」と声を掛けました。
「食材も用意してあるようだが…。やはり獲れ立てが一番だからな」
「そうですね。俺たちも何か獲って来ましょう」
狙いはアワビにサザエですね、とキース君が大きく頷き、男の子たちは獲物を求めて素潜りに。漁が済んだら、ビーチで始まるバーベキュー。ジュウジュウと焼けるサザエやアワビは、生きているのを網に乗っけるわけですが…。
「あっ、始まったね、残酷焼き!」
待ってましたあ! と覗きに来たのがビーチでイチャついていたバカップル。ソルジャー夫妻とも言いますけれど。
「ええ、獲れ立てですから美味しいですよ。どうぞ幾つでも」
お好きなだけ取って食べて下さい、と教頭先生が気前良く。…ん? 残酷焼き…?
「ありがとう! 好きなだけ食べていいんだね、どれも?」
「もちろんです。サザエでもアワビでも、ご遠慮なく」
どんどん獲って来ますから、と教頭先生は笑顔ですけど。…何か引っ掛かる気がします。残酷焼きって、それに教頭先生って…?
綺麗サッパリ、残酷焼きを忘れ果てていた私たち。ビーチでは全く思い出せなくて、何か引っ掛かるという程度。教頭先生とか、ジュウジュウ焼かれるアワビやサザエが。
別荘ライフの初日の昼間はビーチで終わって、夕食も大満足の味。それぞれお風呂に入った後には、広間に集まって賑やかに騒いでいたんですけど。
「そうそう、ハーレイ。…君に話があるんだけどね?」
こっちのハーレイ、とソルジャーが指差した教頭先生。キャプテンと一緒に部屋に籠ったんじゃなかったでしょうか、夕食の後は?
「あっ、ぼくかい? …話があるから出て来ただけで、済んだら失礼する予定」
夫婦の時間を楽しまなくちゃ、と艶やかな笑みが。
「それでね…。ハーレイ、君さえ良かったら…。昼間の残酷焼きの御礼をしようと思って」
「はあ…」
残酷焼きですか、と教頭先生は怪訝そうな顔。その瞬間に私たちは思い出しました。ソルジャーが立てていた迷惑企画を。
(((き、来た…)))
忘れていたヤツがやって来た、と顔を見合わせても今更どうにもなりません。ソルジャーは教頭先生に愛想よく微笑み掛けながら。
「君の残酷焼きってヤツはどうかな、いつもは半殺しだからねえ…。鼻血が出ちゃって」
失神してそれでおしまいだよね、と教頭先生にズイと近付くソルジャー。
「その鼻血をぼくのサイオンで止める! 失神しないで覗きが出来るよ?」
ぼくたちの熱い夫婦の時間を…、というお誘いが。
「覗くって所までだけど…。混ざって貰うとぼくも困るけど、その心配は無さそうだしね?」
今までの例から考えてみると…、とソルジャーは笑顔。
「普段だったら混ざってくれてもいいんだけどねえ、結婚記念日の旅行だからさ」
「分かっております。…が、本当に覗いてもいいのですか?」
残酷焼きの御礼と仰いましたが、と鼻息も荒い教頭先生。
「もちろんだよ! 心ゆくまで覗いて欲しいね、ぼくからのサービスなんだから!」
ちょっぴり残酷なんだけどね、というソルジャーの誘いに、教頭先生はフラフラと。
「ざ、残酷でもかまいません! …残酷焼きは好物でして!」
私が焼かれる方になっても満足です、と釣られてしまった教頭先生。ソルジャーは「決まりだね」と教頭先生の手を引いて去ってゆきました。「こっちだから」と。
教頭先生とソルジャーが消え失せた後の大広間。呆然と残された私たちは…。
「…どうしよう…。もう完全に忘れてたよ、アレ…」
ぼくとしたことが、と会長さんが頭を抱えて、シロエ君も。
「言い出したぼくも忘れていました、「忘れましょう」と言ったことまで全部…」
ヤバイですよ、と呻いた所で後の祭りというヤツです。でも…。
「待って下さい、望みはあります」
ぼくたちだけしかいませんから、とマツカ君が広間を見回しました。
「この状態だと、何が起こっても分かりませんよ。…部屋の外のことは」
「そうでした! マツカ先輩、冷静ですね」
「いえ、何度も来ている別荘ですから…。此処から出なければ大丈夫だと思います」
朝まで息を潜めていれば…、とマツカ君。
「食べ物も飲み物もありますし…。トイレも其処にありますからね」
「よし! 俺たちは今夜は此処だな」
布団が無いのは我慢しよう、とキース君が言えば、サム君が。
「そこは徹夜でいいんでねえの? 寝なくてもよ」
「いや、それは駄目だ。寝ないで海に入るのはマズイ」
「「「あー…」」」
溺れるリスクが上がるんだっけ、と理解しました。適当な所で横になるしかないようです。安全地帯にいたければ…、って、あれ?
「なんだよ、コレ!?」
シャボン玉かよ、とサム君がつついた透明な玉。それは途端にポンと弾けて…。
「かみお~ん♪ ぶるぅだあ!」
ぶるぅのサイオン! と「そるじゃぁ・ぶるぅ」が跳ねて、出現したのがサイオン中継で使われる画面。これって、もしかしなくても…。
「ぶ、ぶるぅって言いましたか?」
シロエ君の声が震えて、「そるじゃぁ・ぶるぅ」が「うんっ!」と元気良く。
「ぶるぅが中継してくれるんだって、残酷焼き!」
「「「うわー…」」」
そんな、と叫んでも消えない画面。ついでに部屋から逃げ出そうにも、外から鍵がかかったようです。絶体絶命、見るしかないっていうわけなんですね、教頭先生の残酷焼きを…?
中継画面の向こう側では、教頭先生が食い入るように覗いておられました。ソルジャー夫妻の部屋に置かれたベッドの上を。
ベッドの方はソルジャーの配慮か、モザイクがかかって見えません。声も聞こえて来ないんですけど、教頭先生は大興奮で。
「おおっ…! こ、これは…!」
凄い、と歓声、けれど押さえていらっしゃる鼻。…鼻血が出そうなのでしょう。通常ならば。
「…鼻血、出ないね?」
いつもだったら、こういう時にはブワッと鼻血、とジョミー君。
「…そういうタイミングには間違いないな…。残酷焼きだと言ってやがったが…」
どうなるんだ、とキース君にも読めない展開、会長さんだって。
「ハーレイがスケベなことは分かるけど…。鼻血さえ出なけりゃ、覗いていられるらしいけど…」
なんだか苦しそうでもある、と顎に手を。
「眉間の皺が深くなって来てるよ、限界が来ない分、キツイのかも…」
「それは大いに有り得ますねえ…」
精神的にはギリギリだとか、とシロエ君。
「お身体の方も、キツイ状態かもしれません。…なにしろ残酷焼きですから」
最終的には命が無いのが残酷焼きです、と肩をブルッと。
「死ぬことは無いと思いますけど、普段の鼻血より酷い結果になるんじゃあ…?」
「本殺しだって言ってたぜ、あいつ…」
ヤバイんでねえの、とサム君も恐れた教頭先生の末路。私たちの末路も怖いんだけど、と消えてくれない中継画面を見守るしかないまま、どのくらい経った頃でしょうか。
「「「えっ!?」」」
画面がいきなりブラックアウトで、そのままパッと消えちゃいました。中継、終わったんですか?
「…消えましたね?」
終わりでしょうか、とシロエ君が言い終わらない内に、「そるじゃぁ・ぶるぅ」の泣き声が。
「うわぁぁぁん、ぶるぅが気絶しちゃったぁー!」
「「「気絶!?」」」
「ハーレイ、酷いよ、ショートするなら一人でやってーっ!!!」
ぶるぅを巻き込まないで欲しかったよう、と泣き叫んでいる「そるじゃぁ・ぶるぅ」。残酷焼きにされた教頭先生、限界突破で頭が爆発したみたいですね…?
次の日の朝、教頭先生は食堂においでになりませんでした。それに「ぶるぅ」も。ソルジャー夫妻はルームサービスですから、現れるわけが無いんですけど…。あれっ、ソルジャー?
「…おはよう。…昨夜はとんでもない目に遭っちゃって…」
ソルジャーの目の下にはクマが出来ていました。何があったと言うんでしょう?
「…残酷焼きだよ、あのせいで巻き添え食らったんだよ!」
こっちのハーレイが派手に爆発、とソルジャーは椅子に座って朝食の注文。キャプテンは…?
「…ハーレイなら意識不明だよ。こっちのハーレイとセットでね」
まさか頭が爆発したらああなるとは、とブツクサ、ブツクサ。…どうなったと?
「サイオン・バーストとは違うんだけどね、凄い波動が出ちゃってさ…」
ぶるぅも、ぼくのハーレイも意識を手放す羽目に…、と嘆くソルジャー。
「でもって、ハーレイは真っ最中だったものだから…。抜けなくってさ!」
「その先、禁止!」
言わなくていい、と会長さんが怒鳴りましたが、ソルジャーは文句を言い続けました。貫かれるのは好きだけれども、入ったままで抜けないというのは最悪だとか、最低だとか。
お蔭で腰がとても辛いとか、トイレも行けない有様だとか。
「「「…???」」」
「いいんだよ、君たちが分かってくれるとも思ってないから!」
残酷焼きは二度と御免だ、とソルジャーは懲りているようです。海産物でしかやりたくないと。
「…いったい何があったんでしょう?」
「俺が知るか! 無益な殺生をしようとするからだ!」
二度とやらないなら、仏様も許して下さるであろう、とキース君。何が起こったか謎だとはいえ、もうやらないならいいでしょう。教頭先生、記憶もすっかり飛んでしまったそうですし…。
残酷焼きって怖いんですねえ、ソルジャーまでが残酷な目に遭ってしまったみたいです。海産物でやるに限りますよね、やっぱりアワビやサザエですよね…!
残酷に焼いて・了
※いつもシャングリラ学園を御贔屓下さってありがとうございます。
ソルジャーが思い付いた、教頭先生の残酷焼き。海産物の残酷焼きと違って迷惑な企画。
途中までは楽しめたらしいですけど、とても悲惨な結末に。懲りてくれればいいんですが…。
さて、シャングリラ学園、11月8日で番外編の連載開始から、14周年を迎えました。
「目覚めの日」を迎える14歳と同じ年月、書き続けて来たという勘定です。
昨年に予告していた通りに、今年限りで連載終了。更新は来月が最後になります。
湿っぽいお別れはしたくないので、来月も笑って読んで頂けると嬉しいですね。
次回は 「第3月曜」 12月19日の更新となります、よろしくです~!
※毎日更新な 『シャングリラ学園生徒会室』 はスマホ・携帯にも対応しております。
こちらでの場外編、11月といえば紅葉の季節。豪華旅行の話も出たのに…。
「あれっ…。雨になりそう?」
暗くなってきたよ、とブルーが眺めた窓の外。
ハーレイと過ごす休日の午後に、俄かに曇り始めた空。さっきまで晴れていた筈なのに。いつの間にやら湧いていた雲が、青かった空を覆い尽くそうとしているのが今。
「そうだな、こいつは降りそうだな」
ひと雨来るぞ、とハーレイも窓の向こうの空を見ている。「すっかり曇っちまったな」と。
「雨になっちゃうんだ…。酷くなる?」
酷い雨になったら、ハーレイが帰る時が大変…。今日は車じゃないんだもの。
傘はパパのを貸してあげられるけれど、バス停に着くまでに濡れちゃいそうだよ。
酷い雨だと、地面からも跳ねてくるもんね、と心配になった。叩き付けるように降る土砂降りの雨は、地面で跳ねて靴やズボンを濡らすから。
傘では防げない、地面の上で跳ねる雨粒。シールドを張れば防げるけれども、ハーレイはそれを好まない。今の時代はサイオンを使わないのがマナーで、子供はともかく、大人なら…。
(濡れて大変、って分かっていたって…)
雨の中では張らないシールド。急な雨で傘を持っていなければ雨宿り。余程でなければ、大雨の中をシールドで走る大人はいない。仕事でとても急いでいるとか、そんな時だけ。
だから夜まで雨が止まなければ、ハーレイだって困るだろう。何ブロックも離れた家まで、雨の中を歩いて帰るのは無理。路線バスを使って帰るにしたって、バス停までに濡れる靴やズボン。
せっかくハーレイが来てくれたのに、と見上げる雲。大雨にならなきゃいいけれど、と。
「そう酷い雨にはならんだろう。ザッと降るかもしれないが…」
いきなり大粒で来そうな雲だが、まあ、その内に止むんじゃないか?
直ぐに止むとは言えないが…。
俺が帰るような時間までには、充分に止むと思うがな…?
こいつは夜まで降り続ける雨じゃないだろう、というのがハーレイの読み。土砂降りの雨でも、多分、長くは降らない雨。早ければ一時間も経たない間に、雲ごと何処かへ去ってゆく。
「そんなトコだと思うんだが…。雲の感じと、流れ方でな」
よく見ろ、一面の雲に見えても止まっちゃいない。凄い速さで流れてるから。
こういう雲だと、行っちまうのも早いんだ。
雨も雲ごと行っちまうから、とハーレイが指した空の雲。確かに雲は流れている。
「ホントだ、凄い速さで流れてる…。空を丸ごと蓋したみたいに見えるのに」
それじゃ降っても、直ぐ止むんだね。雲と一緒に行っちゃうから。
良かった、夜まで降る雨じゃなくて。ハーレイの予報は、よく当たるもの。
「俺だって外すこともあるがな、人間だから」
プロがやってる天気予報でも外れるんだし、仕方ない。未来が見えるわけでもないしな。
はてさて、どんな雨になるやら…。
じきに降るぞ、というハーレイの言葉通りに、暫く経ったら、もう真っ暗になった外。日が沈むにはまだ早いのに、まるで夕方になったかのよう。
(…昼間なのに、夜になっちゃった…)
明るかった空を覚えているから、夜が来たような気がするよね、と思っている間に、大粒の雨が降り出した。庭の木々や屋根に大きな雨粒が一つ、二つと落ちる音がして、それが始まり。
みるみる内に外は一面の雨で、ザーザーと激しく降り注ぐ音。窓ガラスにも雨の雫が流れる。
「ハーレイの予報、大当たりだね」
いきなり降ってくるって所も、大粒なのも。ホントに凄い雨だけど…。
この雨、じきに止むんだっていう方の予報も当たる?
「さてなあ…? そいつは空の気分次第で…」
こういった雲が次から次へと湧いて来るなら、直ぐには止まん。
今の雲が他所へ流れて行っても、次の雲が流れて来ちまうから…。雨を降らせるような雲がな。
其処までは俺も読めやしないし、どうなんだかなあ…。
天気予報を見て来た感じじゃ、そうはならんと思うんだが。
おっと、光った…!
空を切り裂いた稲光。そして雷鳴。
ゴロゴロと轟いた音が消えたら、「思った通りか…」と空を見ているハーレイ。
「雲の具合からして、来るんじゃないかと思ったが…。やっぱり雷つきだったな」
派手に鳴ったな、とハーレイは雷まで予想していたらしい。流れて来る雲を見ただけで。
「凄いね、雷が鳴るっていうのも分かるんだ…」
これって、近い?
今の雷、もう直ぐ側まで来ているの…?
「来ているだろうな、だから木の下は危ないぞ」
雨宿りをしに入っちゃいかん、とハーレイが指差す庭にある木たち。葉を茂らせた木たちは雨を防いでくれそうだけれど、こういう雨の時には危険。
家よりも高くなっている木は、雷を招きやすいから。いわゆる落雷。
「…落ちるんだ…。木の下にいたら、雷が…」
避雷針が近くにあっても駄目なの、やっぱり落ちる…?
「当然だろうが、雷ってヤツは気まぐれなんだ。…こういう雲と同じでな」
避雷針みたいに高くなってりゃ、気の向いた場所にドカンと落ちる。選んじゃくれんぞ。
あっちに避雷針があるから、と避けて行ってはくれないってな。
ついでに言うなら、お前みたいにシールドも出来ないガキの場合は心配ないが…。
「…何かあるの?」
雷とシールド、何か関係あったりするわけ…?
まさか雷を呼びやすいってことはないよね、シールドはそういう性質じゃないし…。
でも危ないの、と丸くなった目。シールドの何処が落雷の危機を招くのだろう?
「シールドそのものが駄目ってことではないんだが…」
なまじシールドが上手いガキだと、こんな雨の中で傘が無くても濡れないからな。
それで安心して、「雨が止んだらまた遊ぼう」というのが危ない。
家に帰ったり、軒下に入って雨を避ける代わりに、そのまま其処に突っ立ってると…。
その場所がうんと見晴らしが良くて、周りに何も無いようなトコ。
野原だの、広いグラウンドや河原だったりするとだな…。
そいつに向かって真っ直ぐ落ちて来ちまうぞ、とハーレイが軽く広げた手。
周りに高い木などが無ければ、人間めがけて落ちる雷。其処が一番高いわけだし、たかが子供の背丈くらいでも落ちて来る。雷は高い所に落ちやすいから、ポツンと立つ子は格好の餌食。
もっとも、雷が落ちた場合は、シールドの方も本能的に強化されるから…。
「衝撃で倒れるとか、飛ばされるとか…。そんな程度ではあるんだが」
打ち身や軽い擦り傷ってトコだ、ショックの方はデカイがな。
いきなりドカンと来ちまうわけだし、気絶するのが普通だから…。シールドは消えて、すっかりずぶ濡れな末路なんだが。
「ずぶ濡れでもいいよ、その程度の怪我で済むんなら」
良かった、もっと大変なのかと思っちゃった。雷が落ちると、木だって裂けたりするんでしょ?
子供に落ちたら大怪我するとか、死んじゃうだとか…。
そうならないなら安心だよね、と言ったのだけれど。
「勘違いするなよ、今の時代だから安心なだけだ。子供に雷が落ちた時でも、今だから無事だ」
みんなサイオンを持ってるお蔭で、雷の危険もグンと減ったというわけだな。
ずっと昔は、落雷のせいで死んじまう人も多かったんだ。
前の俺たちが生きてた頃でも、ゼロじゃなかったかもしれないなあ…。
きちんと対策していなかったら、人類は危なかったろう、とハーレイが言うものだから。
「サイオンが無いと落雷で死んじゃうんなら…。ぼくも危ない?」
人類と変わらないくらいに不器用なんだよ、ぼくのサイオン。…シールドも無理。
ぼくに落ちたら、死んじゃうのかな…?
「お前の場合も、本能ってヤツでいけるだろ。命の危機なら、サイオンの方で出て来るさ」
シールドしよう、と思わなくても、それよりも前に。お前が自覚しなくても。
なんと言っても最強のタイプ・ブルーなんだし、一度とはいえ瞬間移動もしてるしな。
あの時は俺もビックリしたが…。目を覚ましたら、お前が俺のベッドの中にいるんだから。
「…あれ、もう一回やりたいんだけど…」
ハーレイの家まで行ってみたいよ、寝てる間に。そしたら、一緒に朝御飯…。
「勘弁してくれ、俺にとっては大迷惑なサプライズだから」
チビのお前じゃ、手がかかるだけだ。…ちゃんと育ったお前だったら歓迎だがな。
来るんじゃないぞ、と釘を刺されてしまった、ハーレイの家への瞬間移動。
前の自分と同じ背丈に育たない限り、ハーレイの家には行けない決まり。出掛けて行っても中に入れては貰えない。チャイムを押しても、きっと無視されるだけ。
(でなきゃ、「帰れ」って言われちゃうんだよ)
チビだから仕方ないけどね…、と心の中で溜息をついているのに、ハーレイの方は雨見物。
「おっと、また光った」
派手に光ったぞ、お前、見てたか…?
「今の、近いね。さっきのより」
光って直ぐに音がしたもの、さっきは少し間があったよ。稲光を見てから、音がするまでに。
「その通りだな。雷は音で分かりやすいんだが…」
近いのかどうか、近付いて来ているかどうかも、音が目安になるんだが…。
それがだ、青空でも落ちることがあるから危ないんだぞ。何の前触れも無いってヤツだ。
「青空なのに雷なの…?」
どういう仕組み、と質問してみた、青空の時に落雷するケース。やはり、何処かに雷雲が隠れているらしい。人間の目には遠い距離でも、雷にとってはほんの少しで、遠い所から飛んで来る。
怖いけれども、自然は凄い、と感心していたら尋ねられた。
「お前、雷は怖くないのか?」
好奇心一杯って顔をしてるが、怖いと思わないのか、雷…?
「平気だよ、なんで?」
そりゃ、落雷は怖いけど…。シールドも全然自信が無いから、落ちて欲しくはないけれど…。
「今はそうだろうが、ガキの頃だな」
怖くなかったのか、雷ってヤツ。
今みたいに急に暗くなってだ、ゴロゴロと鳴り出すわけだから…。
チビには怖い代物だろうが、雷の仕組みも全く分かっていないんだしな。
小さかった頃はどうなんだ、とハーレイに訊かれた雷のこと。もちろん怖いものだった。両親にくっついて泣いていたほど、恐ろしかったものが雷。
「小さい頃なら、ぼくだって怖いに決まってるじゃない…!」
パパやママにくっついて泣いてたくらいで、雷なんか大嫌い。うんと怖くて、苦手だったよ。
今は平気になったけど…。もう子供とは違うから。
「そうだろうなあ、大抵のガキと犬は雷が駄目なモンだし」
お前も怖くて当然だってな。俺は怖かった覚えは無いがだ、物心つくまでは駄目だったろう。
いくら俺でもガキはガキだし、犬と似たようなモンだろうから。
「犬って…?」
なんで犬なの、どうして犬が出て来るの…?
雷の話をしているんだよ、と傾げた首。幼い子供の方はともかく、犬というのは何だろう?
「犬か? 犬ってヤツは、あの音が苦手らしいんだ。ガキと同じで」
雷には音が付き物だしなあ、昼間だろうが、夜に来ようが。…ゴロゴロ鳴るのが雷だろ?
犬の耳には、不愉快すぎる音らしい。逃げ出したくて、鎖を切っちまうくらい。
お前も音だろ、苦手だったの。
今じゃ全く平気なようだが、雷が怖くて泣いてた頃は…?
「えーっと…」
どうだったのかな、雷だよね…?
ピカッと光って、ゴロゴロ鳴ってて、うんと怖くて泣きじゃくってて…。
パパとママの側にいたんだっけ、と手繰ってみた記憶。幼かった自分が嫌った雷。
(…ゴロゴロ鳴るから…)
早く何処かに行って欲しくて、両親にしがみついていた。雷は大嫌いだったから。
鳴っている間はピカピカ光るし、もう恐ろしくてたまらない。うっかり顔を上げた途端に、空を切り裂いてゆく稲妻。
(…昼でも光るし、夜だともっと強く光って…)
あの稲光が怖かった。窓の向こうで走る稲妻、その後で音がやって来る。
けれど、音より稲妻の方。音はしないで、夜に遠くで光る稲光も怖かったから。夜空を真っ白に染める光も、雲を切り裂くような光も。
怖かったものは稲光。雷鳴よりも、ずっと怖かった光。
ゴロゴロと鳴る音が聞こえなくても、夜ならば見える稲光。その光だけで身体が竦んだ。じきにピカピカ光り出すから、雷がやって来るのだから。
「…ぼくの苦手は、雷の音じゃなかったみたい…」
音も怖いけど、その前に光。雷の音は光の後に鳴り始めるから、光ほどには…。
多分、怖くはなかったと思う、と話したら。
「はあ? 光って…」
雷と言えば音だろうが、とハーレイは怪訝そうな顔。「犬も子供も、音が苦手だ」と。
「違うよ、ぼくは稲光だよ」
音よりもずっと怖かった筈で、音がしなくても怖かったから。…光っただけで。
夜の雷だと、うんと遠くで鳴っていたって、光だけ見えることがあるでしょ?
ゴロゴロいう音は聞こえなくても、雲がピカピカ光ってる時。
…ああいう光も、ぼくは嫌いで怖かったから…。ホントに光が苦手だったんだよ、音よりも。
「稲光だってか、あの音じゃなくて…?」
お前、何か勘違いってヤツをしてないか?
フクロウの鳴き声も駄目だったんだろ、小さかった頃は。…この前まで苦手だったくらいに。
前の俺がヒルマンに頼まれて彫ったフクロウ、アレの話をしてやるまでは。
フクロウの声でメギドの夢を見ちまったろうが、と指摘されたけれども、それとは別。
「あれはオバケだよ、フクロウの声は。…オバケの声だと思ったんだもの」
雷はオバケじゃなくて雷。どんなにゴロゴロ音が凄くても、雷はオバケじゃないものね。
だから鳴っても、光ほど怖くなかったんだよ、と説明したら。
「それは分かったが、雷がオバケじゃないのなら…」
どうして光が苦手になるんだ、怖がらなくてもいいだろうが。
音とセットで怖がってたなら話は分かるが、光だけでも怖かったなんて変だぞ、お前。
それとも雷は光のオバケか、お前にはそう見えていたのか…?
「さあ…?」
どうだったんだろう、雷、光のオバケなのかな?
それなら怖くて当然だけれど、光のオバケの怖い絵本があったとか…?
雷の音より、稲光の方が恐ろしかった幼い自分。すっかり忘れていたけれど。
(なんで光が怖かったわけ…?)
ハーレイにも変だと言われたけれども、自分でも不思議に思うこと。どうして稲光だったのか。雷を怖がる子供だったら、音が苦手なのが普通だろうに。
(ホントに光のオバケの絵本があったのかな…?)
空から降ってくる光のオバケ。そういう絵本に出会っていたなら、稲光が苦手でも分かる。光はとても怖いものだし、あれはオバケ、と震える子供。
(だけど、怖い絵本なんかを小さい子供に…)
読ませるとは、とても思えない。幼稚園にも、きっと置いてはいなかっただろう。子供が怖がる本を置くなど、幼稚園の先生たちがするわけがない。
(下の学校の図書室だったら、怖い絵本もあったけど…)
それは「怖さ」を楽しめる年の子供たちのためで、幼稚園から上がったばかりの子たちは、ただ怖そうに見ていただけ。「あの棚の本は、表紙を見ただけでもオバケが出そう」と。
(学校に行くようになる前から、雷、怖かったんだし…)
図書室で読んだ本のせいではない。光のオバケの怖い絵本があったとしても。
稲光が怖くて泣いていたのは、もっと幼くて小さい頃から。幼稚園の頃にはとうに怖くて、空が光るのが嫌だった。音を連れて来る昼の稲光も、夜に遠くで光っているだけの稲光でも。
(やっぱり光が怖いんだよね…?)
何故、と更に遡ってみた記憶。ずいぶんおぼろな記憶だけれども、怖かったことは覚えている。稲光がピカピカするのが怖くて、泣き叫んでいた子供時代。
(パパやママにギュッとくっついて…)
見ないでいようとした稲光。
あれが光ったら、全部おしまい。何もかも全部消えてしまって、おしまいだから。
そう思って震えていた自分。稲光で空が光った時には、「全部おしまいになっちゃうよ」と。
それだ、と思い出したこと。稲光が怖いと思った理由。
「稲光…。あれが光るとおしまいなんだよ、そう思ったから怖くて泣いてた…」
パパもママも、世界も全部おしまい。全部消えちゃう、って怖くって…。
だから稲光が怖かったんだよ、音じゃなくって光の方が。
世界が消えてしまうんだもの、とハーレイに話した、幼かった頃の自分が感じた恐怖。雷の音が聞こえなくても、稲光だけで震えていた自分。
「おいおい、世界が消えちまうって…。そいつは神様のお怒りか?」
神様がお怒りになった時には、雷が鳴ると言うんだが…。
この世界が終わっちまう時にも、神様の怒りで雷が轟くとは言うが…。
お前、そんなの知っていたのか、今よりもずっとチビなのに…?
幼稚園の先生が聖書の話でもしたか、絵本があったか。そんなトコだと思うんだが…。
「パパとママもそう言ったけど…。「それは神様の本の中だけ」って」
悪い子じゃないから、神様は世界を消したりしない、って言ってくれたけど…。
雷が来ても大丈夫、って教えてくれたんだけれど、やっぱり駄目。
稲光を見たら、怖くて泣いてた。あれが光ると、全部おしまいになっちゃいそうで…。
ずっと怖かったよ、何も起きないって分かる年になるまで。
稲光で空が光っていたって、世界はおしまいになったりしない、って。
「なるほどなあ…。稲光が光ると、世界が終わっちまうのか…」
それで音よりも光の方が怖かった、と。
雷が苦手な子供は多いもんだが、光が駄目とは、珍しいタイプだったんだな、お前。
少なくとも俺は一度も聞いたことがないぞ、音よりも稲光が怖いだなんて話は。
「ハーレイも珍しいと思うんだ…」
ぼくって変かな、自分でも忘れていたけれど…。雷の音より、光の方が怖かったこと。
でもね、本とかのせいじゃないような気がするよ。
幼稚園で聞いた話や、読んだ絵本にあったことなら、きっと、あんなに怖くないから。
パパとママが「それはお話の中だけだから」って言ってくれたら、「そうなんだ」って思うよ、きっと。元が絵本や、先生のお話だったらね。
怖い気持ちは消えていた筈、と育った自分でも分かること。
稲光が光ると世界が消えてしまうのだ、と絵本や先生の話で知識を仕入れたのなら、両親が違う話を聞かせてくれたら、それを信じる筈だから。
「絵本にはこう書いてあったけど、違うんだよ」と。幼稚園の先生に聞いたとしたって、両親が違うと言ってくれたら、小さな子供のことだから…。
(パパとママの話が本当だよ、って…)
疑いもなく信じることだろう。幼い子供が暮らす世界では、先生よりもずっと大きな存在なのが両親。その両親が「大丈夫」と言ってくれたら、何も怖くはなくなるもの。
最初の間は無理だとしたって、繰り返す内に。「光ってるけど、パパもママもいてくれるよ」とギュッと抱き付いて、「ここは安全」と。
(だけど稲光、パパやママがいても、怖かったんだし…)
おまけに世界が消えてしまうと思っていたのが、幼かった自分。稲光を見る度に怖くて怖くて、音よりもずっと恐ろしくて…。
もしかしたら、と気付いたこと。幼かった頃の自分は、何も覚えていなかったけれど…。
「前のぼくかな、稲光がとても怖かったのって…?」
記憶は戻っていないままでも、稲光で怖い思いをしたこと、何処かに残っていたのかも…。
「お前、とんでもない嵐の時でも飛んでたろ」
アルテメシアで、ミュウの子供を助けに飛び出して行った時には。
船の周りが雷雲だろうが、飛んで行く先が酷い雷雨だろうが。
第一、そうやって飛んで行っても、世界が終わりはしないじゃないか。助け損なった子供たちもいたが、世界が滅びはしなかった。…シャングリラは無事に飛んでたからな。
待てよ…?
アルテメシアじゃなくてだな…、とハーレイは顎に手をやった。
「どうかした?」
何か思い出したの、前のぼくと稲光のことで…?
「…心当たりというヤツなんだが…」
今、確証を探してる。本当にそれで合っているのか、違うのか、前の俺の記憶を。
ハーレイが追っているらしい記憶。アルテメシアでなければ何処の稲光なのか。
(…稲光が空に見えるような星に、行ってはいない筈なんだけど…)
シャングリラが他の惑星に降りたことなど、数えるほどしか無かった筈。白い鯨に改造する時、どうしても重力が必要だから、と降りた星には…。
(雲なんか無くて、星が見えるだけで…)
そういう惑星を選んでいた。下手に大気を持った星だと、有毒な雨が降ったりもする。人体や、船を構成する金属には毒になる雨。それは困るし、いっそ大気は無い方がいい。
(大気が無いから、雲だって無くて…)
稲光が光るわけがないのに、と考えていたら…。
「あれだ、アルタミラだ…!」
間違いない、とハーレイが口にしたから驚いた。
「え?」
アルタミラって…。アルタミラだよね、前のぼくたちが逃げ出した星。
「そうだ、あそこで見たんだが…。覚えていないか、あの星で見た稲光」
光ってたぞ、と言われたけれども、生憎と炎の記憶しかない。アルタミラといえば炎の地獄で、空も炎の色に染まっていたのだから。
「アルタミラの空は、燃えてたよ?」
メギドで星ごと焼かれたんだし、空まで真っ赤。空は煙と赤い雲だけ。
「それなんだがな…。心当たりと言っただろうが」
俺もナスカが燃えるまで忘れちまっていた上、そのまま放っておいた記憶だ。…今日までな。
前のお前を失くしちまって、ナスカごと封印しちまったから。
ナスカがメギドにやられた時にだ、俺たちは地上をモニターしてた。通信が繋がっていた間は。
それで見たんだ、ナスカの空に稲光が光っていたのをな。
メギドの炎は、星を丸ごと滅ぼすついでに、稲光も連れて来るらしい。大気も乱れちまうから。
たまに光るのを見ている間に、気が付いた。
俺はアルタミラでも見ていたんだ、と。
メギドが呼んだ稲光をな…、とハーレイが掴んだ稲光の記憶。アルタミラで見たという稲光。
けれど、その光を自分は覚えてはいない。空は真っ赤に燃えていただけ。
「稲光って…。いつ?」
ぼくは少しも覚えていないよ、ハーレイだけが見たんじゃないの…?
前のぼくがシェルターを壊して直ぐなら、ぼくはポカンと座り込んでただけだったから。
「違うな、あれよりも後のことだ。お前と一緒に走っていた時」
一人でも多く助け出そう、とシェルターを開けに急いだだろうが。…あの時の空だ。
雷の音は覚えちゃいないが、こう、空を切り裂いて光ってた。
それこそ神様が怒ったみたいに、炎の色の空を横切ったり、地上に向けて落ちていったり。
「そうだっけ…!」
忘れちゃってた、と蘇って来た時の彼方の記憶。前の自分が燃えるアルタミラで目にした光景。
炎の地獄の中で見たのだった、空を引き裂く稲光を。
(ピカッと光って…)
其処から空が裂けてゆくように思えた、忌まわしい光。メギドの炎が呼んだ稲妻。
ハーレイと二人、閉じ込められた仲間たちを救おうとして、走るのに懸命だったけれども…。
(終わりの光だ、って…)
そう感じていた稲光。あれが光ると、滅びに一歩近付くのだと。
激しい地震で揺れ動く地面とは、また別のこと。空が裂かれて消える気がして、稲光が空を引き裂く度に、空が無くなってしまうような気がして。
空が無くなったら、もう呼吸は出来ない。誰も生きてはいられない。
(そうなっちゃう前に…)
一人でも多く助けなければ、とハーレイと二人で走り続けた。稲光に裂かれる空の下を。
そうやって開けた、最後のシェルター。「早く」と中の仲間を逃がした。
彼らと一緒に駆け込んだ船で、ギリギリまで待った生き残り。もう全員が乗った筈だけれども、誰か逃げては来ないかと。…間違った方へ逃げた仲間がいるなら、待たねばと。
その船からも見ていた終わりの光。
空を引き裂き、天から地へと落ちる滅びの稲妻。
神ではなくて人がやったのだけれど、星の終わりを連れて来たのは稲光だった…。
あれだったのか、と気付いた世界の終わり。幼かった自分が「全部おしまい」と思い込んでいた稲光。それが光れば全て終わると、世界が消えてしまうのだと。
「…稲光が怖かったの、前のぼくの記憶?」
雷の音は覚えてないけど、きっと聞こえなかったんだろうね。地震が何度も起こっていたから、揺れる音やら崩れる音で。
稲光だけが記憶に残って、世界の終わりだと思ってて…。
前のぼくはホントに世界の終わりを見たから、今のぼくも稲光が怖かったのかな…?
「そうなんだろうな、それ以外には何も思い付かないし…」
前のお前は稲光の怖さを克服してたが、今のお前に出ちまったか。雷の音よりも稲光が苦手な、珍しい子供になっちまって。
前のお前みたいに育っていなくて、チビだったからかもしれないな。
生まれてから、ほんの数年しか経っていないチビ。
世界の終わりをその目で見るには、まだ小さすぎるようなチビなんだしな…?
「なんだか凄いね。記憶は戻っていなかったのに、稲光は覚えていたんだ、ぼく…」
稲光が光ったら、世界が終わってしまうこと。…全部なくなって消えてしまうこと…。
それで怖くて泣いてたんなら、他のことも覚えていたかったよ。
ほんのちょっぴりだけでいいから、ハーレイのことも覚えていてもいいのに…。
稲光よりも、そっちがいい、と恋人の鳶色の瞳を見詰めた。同じ持つなら、ハーレイの記憶。
「俺だって?」
記憶が戻っていない時でも、俺を覚えていたかったってか…?
「うん。ハーレイなんだ、って分からなくても、見たら大好きになっちゃうんだよ」
稲光は嫌いだったけれども、ハーレイなら好きに決まっているもの。
公園とかでジョギング中のハーレイを見付けて、気に入ってしまって、追い掛けるとか。
大好きなんだもの、捕まえなくちゃね、ハーレイを。
「追い掛けるって…。お前、倒れちまうぞ、そんな無茶をしたら」
俺のスピード、幼稚園児が追い掛けられるような速さじゃないぞ。今のお前でも無理そうだが。
「だから呼ぶってば、お兄ちゃん、って」
頑張って追い掛けて走るけれども、ちゃんと声だって出して呼ぶから。
そしたら止まってくれるでしょ、と笑みを浮かべた。小さな子供が呼んでいるなら、ハーレイは放って行ったりはしない。いくら知らない子供でも。「何処の子供だ?」と首を捻っても。
「ハーレイ、絶対、行っちゃわないよ。ぼくが追い掛けて走っていたら」
子供の声でも、「待ってよ」って大きな声で呼んだら。「お兄ちゃん、待って」って。
ハーレイだったら止まる筈だよ、と自信たっぷりで言ったのに。
「お兄ちゃんなあ…」
お兄ちゃんか、と複雑そうな顔の恋人。「止まってやるさ」と答える代わりに。
「…どうかしたの?」
ハーレイ、止まってくれないの?
ぼくが「お兄ちゃん」って呼んでいたって、聞こえないふりをして行ってしまうの…?
「いや、行っちまいはしないがな…。それよりも前の問題なんだ」
可愛い声でだ、「お兄ちゃん」と呼ばれる代わりに、「おじちゃん」と呼ばれそうなんだが…。
お前が幼稚園児の頃なら、俺はまだ二十代なのにな…?
後半だが、というハーレイの言葉。たとえ後半でも、二十代なら「おじちゃん」は酷だろう。
けれど、幼稚園児の目から見たなら、きっと「おじちゃん」。「お兄ちゃん」と呼べる相手は、今の学校の生徒くらいまでだろうと思うから…。
「そうかもね。お兄ちゃんじゃなくて、おじちゃんかも…」
おじちゃんだったら、ハーレイは嫌?
「ショックではあるが、お前、可愛いから許してやる。おじちゃんでもな」
お兄ちゃんだ、と言い直させるかもしれないが。
「ホント? ハーレイにも、ぼくが分かるわけ?」
ぼくがハーレイを大好きになって追い掛けるみたいに、ハーレイもぼくに気付いてくれるの?
「お前なんだ、とは分からんだろうが、可愛い子だな、とは思うだろう」
俺のことを「おじちゃん」呼ばわりされても、「お兄ちゃん」と呼んでくれなくてもな。
「それじゃ、一緒に遊んでくれる?」
「もちろんだ。しかし、出会えていないようだし…」
出会う運命では無かったんだろうな、同じ町に住んでいたってな…。
時が来るまで会えない運命だったんだろう、とハーレイは残念そうな顔。
「おじちゃんでもいいから、チビのお前に会いたかったな」と、公園はよく走るのに、と。
「まったく、どうして駄目だったんだか…。公園、お前もお母さんと行っていたらしいのに」
すれ違いさえもしなかったなんて、神様も意地悪なことをなさるもんだな。
ちょっと会わせてくれればいいのに、俺たちが知り合いになれるように。
「いつもそういう話になるよね、もっと早くに出会えていたら、って」
赤ちゃんのぼくには会ったかもしれない、って聞いたけど…。
生まれた病院を退院する時、ハーレイが見たっていう赤ちゃん。…ストールにくるまって、春の雪が降る日に退院した子。
「あれも記憶はハッキリしてはいないしなあ…」
同じ雪の日に退院してった、他の赤ん坊かもしれないからな。
なにしろ雪が舞っていたんだ、ストールでくるもうと思う母親、多いだろうから。
「それはそうだけど…。赤ちゃんが風邪を引いたら困るし、暖かくしてあげるんだろうけど…」
ハーレイが見たのが、ぼくだとしたなら、なんでその時は会えたのかな?
それから後は一度も会えなくなってしまったのに、どうして退院した日だけ…?
「神様のお計らいってことだろ、お前が初めて外に出た日だ」
生まれた時には病院なんだし、外の世界に出るのはその日が初めてだろうが。
俺に出会える最初のチャンスで、その瞬間に通り掛かるよう、神様が決めて下さったんだ。俺が走って行く速さやら、どういうコースで走るのかを。
「だから会えたの?」
神様のお蔭で、ぼくが初めて外に出た日に…?
「お前だったとすれば、だがな」
まさに運命の出会いというヤツで、お前は外の世界に出た瞬間に俺と出会ったわけだ。
それっきり二度と会えないままでも、うんと劇的な出会いだぞ。
病院の外はこんな世界、と出て来た途端に、未来の恋人が前を走ってゆくんだから。
そういう出会いも洒落てるじゃないか、とハーレイが目をやった窓の外。
「あの日は雪で、今日は雨で…」と、眺めたガラス窓の向こうは…。
「おっ、止んで来たな、凄い雨だったが」
雷もそんなに鳴らなかったな、お前の声が聞き取れないほどに酷くはなかったし。
じきに止むぞ、という言葉通りに止みそうな雨。空もすっかり明るくなって。
「ハーレイの予報、当たったね」
酷い雨でも、そんなに長くは降らないだろう、って。
それに雷が鳴ったお蔭で、稲光がとても怖かった謎も解けちゃった。小さかった頃には怖かったことも忘れていたけど、あれって、前のぼくだったんだ…。
稲光が光ったら、全部おしまいだと思ってたのは。
「お前がアルタミラの稲光を覚えていたとはな…」
それもすっかり克服した筈の、メギドの炎が呼んだ稲光の怖さってヤツを。
人間の記憶は分からんものだな、何がヒョッコリ顔を出すやら…。
「他にも何かあるのかな?」
アルタミラで見てた稲光の他にも、前のぼくの記憶を引き摺ってること。
ぼくはちっとも気付いてなくても、怖いものとか、好きなものとか。
「俺たちのことだ、きっと山ほどあるんだろう」
自分じゃ全く知らない間に、前の自分だった頃の記憶を重ねてしまっていること。
お前も、もちろん俺の方でも。
まあ、そういうのを探しながら、だ…。
のんびりと生きていこうじゃないか、とパチンと片目を瞑ったハーレイ。
これからも時間はたっぷりとあるし、「今日は思わぬ雷見物も出来たしな」と。
「まさかお前が、稲光が怖いチビだったとは…」
今じゃすっかり平気なようだが、稲光が光ると世界の終わりが来るんだな?
「そう思っていたみたいだけど…。今のぼくは少しも怖くないから」
またハーレイと二人で見たいな、稲光。…雷の話を聞いたりして。
犬は雷が嫌いだなんて、ぼくはちっとも知らなかったから。
「お前、今度も克服したんだな。稲光の怖さを」
全部おしまい、と怖くて泣いてたチビの子供が、今じゃ雷見物か。また見たいとは、恐れ入る。
稲光が遠くで光るだけでも、お前、駄目だったと聞いたのに…。
「育ったからね、あの頃よりも」
じきに前のぼくとそっくり同じに育つよ、ちゃんと背が伸びて。
そしたらハーレイとデートに行けるし、キスだって…。
「其処は急ぐな。急がなくてもいいんだ、お前は」
稲光が怖い子供のままだと可哀相だから、育ってくれて良かったが…。
これから先はゆっくり育て、とお決まりの台詞。「子供時代を、うんと楽しめ」と。
(…チビのぼくだって、早く卒業したいのに…)
稲光が怖い子供を卒業したように、チビの自分も早く卒業したいけど。
前の自分と同じ背丈に、早く育ちたいと思うけれども、ハーレイの気持ちも分かるから…。
焦らずにゆっくり大きくなろう。
神様が背丈を前と同じにしてくれるまでは、子供時代を楽しもう。
今日の稲光で一つ思い出したように、ハーレイと二人で前の自分たちの思い出を集めながら。
幾つもの記憶の欠片を拾い集めながら、幸せな日々を過ごしてゆこう。
青い地球では、稲光が幾つ光ったとしても、世界が終わりはしないのだから…。
終わりの稲光・了
※幼かった頃のブルーが怖がった雷。けれど、音ではなくて稲光の方が怖かったのです。
「あれが光ると、全部おしまい」と思わせたのは、アルタミラで見た稲光。不思議ですよね。
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暗くなってきたよ、とブルーが眺めた窓の外。
ハーレイと過ごす休日の午後に、俄かに曇り始めた空。さっきまで晴れていた筈なのに。いつの間にやら湧いていた雲が、青かった空を覆い尽くそうとしているのが今。
「そうだな、こいつは降りそうだな」
ひと雨来るぞ、とハーレイも窓の向こうの空を見ている。「すっかり曇っちまったな」と。
「雨になっちゃうんだ…。酷くなる?」
酷い雨になったら、ハーレイが帰る時が大変…。今日は車じゃないんだもの。
傘はパパのを貸してあげられるけれど、バス停に着くまでに濡れちゃいそうだよ。
酷い雨だと、地面からも跳ねてくるもんね、と心配になった。叩き付けるように降る土砂降りの雨は、地面で跳ねて靴やズボンを濡らすから。
傘では防げない、地面の上で跳ねる雨粒。シールドを張れば防げるけれども、ハーレイはそれを好まない。今の時代はサイオンを使わないのがマナーで、子供はともかく、大人なら…。
(濡れて大変、って分かっていたって…)
雨の中では張らないシールド。急な雨で傘を持っていなければ雨宿り。余程でなければ、大雨の中をシールドで走る大人はいない。仕事でとても急いでいるとか、そんな時だけ。
だから夜まで雨が止まなければ、ハーレイだって困るだろう。何ブロックも離れた家まで、雨の中を歩いて帰るのは無理。路線バスを使って帰るにしたって、バス停までに濡れる靴やズボン。
せっかくハーレイが来てくれたのに、と見上げる雲。大雨にならなきゃいいけれど、と。
「そう酷い雨にはならんだろう。ザッと降るかもしれないが…」
いきなり大粒で来そうな雲だが、まあ、その内に止むんじゃないか?
直ぐに止むとは言えないが…。
俺が帰るような時間までには、充分に止むと思うがな…?
こいつは夜まで降り続ける雨じゃないだろう、というのがハーレイの読み。土砂降りの雨でも、多分、長くは降らない雨。早ければ一時間も経たない間に、雲ごと何処かへ去ってゆく。
「そんなトコだと思うんだが…。雲の感じと、流れ方でな」
よく見ろ、一面の雲に見えても止まっちゃいない。凄い速さで流れてるから。
こういう雲だと、行っちまうのも早いんだ。
雨も雲ごと行っちまうから、とハーレイが指した空の雲。確かに雲は流れている。
「ホントだ、凄い速さで流れてる…。空を丸ごと蓋したみたいに見えるのに」
それじゃ降っても、直ぐ止むんだね。雲と一緒に行っちゃうから。
良かった、夜まで降る雨じゃなくて。ハーレイの予報は、よく当たるもの。
「俺だって外すこともあるがな、人間だから」
プロがやってる天気予報でも外れるんだし、仕方ない。未来が見えるわけでもないしな。
はてさて、どんな雨になるやら…。
じきに降るぞ、というハーレイの言葉通りに、暫く経ったら、もう真っ暗になった外。日が沈むにはまだ早いのに、まるで夕方になったかのよう。
(…昼間なのに、夜になっちゃった…)
明るかった空を覚えているから、夜が来たような気がするよね、と思っている間に、大粒の雨が降り出した。庭の木々や屋根に大きな雨粒が一つ、二つと落ちる音がして、それが始まり。
みるみる内に外は一面の雨で、ザーザーと激しく降り注ぐ音。窓ガラスにも雨の雫が流れる。
「ハーレイの予報、大当たりだね」
いきなり降ってくるって所も、大粒なのも。ホントに凄い雨だけど…。
この雨、じきに止むんだっていう方の予報も当たる?
「さてなあ…? そいつは空の気分次第で…」
こういった雲が次から次へと湧いて来るなら、直ぐには止まん。
今の雲が他所へ流れて行っても、次の雲が流れて来ちまうから…。雨を降らせるような雲がな。
其処までは俺も読めやしないし、どうなんだかなあ…。
天気予報を見て来た感じじゃ、そうはならんと思うんだが。
おっと、光った…!
空を切り裂いた稲光。そして雷鳴。
ゴロゴロと轟いた音が消えたら、「思った通りか…」と空を見ているハーレイ。
「雲の具合からして、来るんじゃないかと思ったが…。やっぱり雷つきだったな」
派手に鳴ったな、とハーレイは雷まで予想していたらしい。流れて来る雲を見ただけで。
「凄いね、雷が鳴るっていうのも分かるんだ…」
これって、近い?
今の雷、もう直ぐ側まで来ているの…?
「来ているだろうな、だから木の下は危ないぞ」
雨宿りをしに入っちゃいかん、とハーレイが指差す庭にある木たち。葉を茂らせた木たちは雨を防いでくれそうだけれど、こういう雨の時には危険。
家よりも高くなっている木は、雷を招きやすいから。いわゆる落雷。
「…落ちるんだ…。木の下にいたら、雷が…」
避雷針が近くにあっても駄目なの、やっぱり落ちる…?
「当然だろうが、雷ってヤツは気まぐれなんだ。…こういう雲と同じでな」
避雷針みたいに高くなってりゃ、気の向いた場所にドカンと落ちる。選んじゃくれんぞ。
あっちに避雷針があるから、と避けて行ってはくれないってな。
ついでに言うなら、お前みたいにシールドも出来ないガキの場合は心配ないが…。
「…何かあるの?」
雷とシールド、何か関係あったりするわけ…?
まさか雷を呼びやすいってことはないよね、シールドはそういう性質じゃないし…。
でも危ないの、と丸くなった目。シールドの何処が落雷の危機を招くのだろう?
「シールドそのものが駄目ってことではないんだが…」
なまじシールドが上手いガキだと、こんな雨の中で傘が無くても濡れないからな。
それで安心して、「雨が止んだらまた遊ぼう」というのが危ない。
家に帰ったり、軒下に入って雨を避ける代わりに、そのまま其処に突っ立ってると…。
その場所がうんと見晴らしが良くて、周りに何も無いようなトコ。
野原だの、広いグラウンドや河原だったりするとだな…。
そいつに向かって真っ直ぐ落ちて来ちまうぞ、とハーレイが軽く広げた手。
周りに高い木などが無ければ、人間めがけて落ちる雷。其処が一番高いわけだし、たかが子供の背丈くらいでも落ちて来る。雷は高い所に落ちやすいから、ポツンと立つ子は格好の餌食。
もっとも、雷が落ちた場合は、シールドの方も本能的に強化されるから…。
「衝撃で倒れるとか、飛ばされるとか…。そんな程度ではあるんだが」
打ち身や軽い擦り傷ってトコだ、ショックの方はデカイがな。
いきなりドカンと来ちまうわけだし、気絶するのが普通だから…。シールドは消えて、すっかりずぶ濡れな末路なんだが。
「ずぶ濡れでもいいよ、その程度の怪我で済むんなら」
良かった、もっと大変なのかと思っちゃった。雷が落ちると、木だって裂けたりするんでしょ?
子供に落ちたら大怪我するとか、死んじゃうだとか…。
そうならないなら安心だよね、と言ったのだけれど。
「勘違いするなよ、今の時代だから安心なだけだ。子供に雷が落ちた時でも、今だから無事だ」
みんなサイオンを持ってるお蔭で、雷の危険もグンと減ったというわけだな。
ずっと昔は、落雷のせいで死んじまう人も多かったんだ。
前の俺たちが生きてた頃でも、ゼロじゃなかったかもしれないなあ…。
きちんと対策していなかったら、人類は危なかったろう、とハーレイが言うものだから。
「サイオンが無いと落雷で死んじゃうんなら…。ぼくも危ない?」
人類と変わらないくらいに不器用なんだよ、ぼくのサイオン。…シールドも無理。
ぼくに落ちたら、死んじゃうのかな…?
「お前の場合も、本能ってヤツでいけるだろ。命の危機なら、サイオンの方で出て来るさ」
シールドしよう、と思わなくても、それよりも前に。お前が自覚しなくても。
なんと言っても最強のタイプ・ブルーなんだし、一度とはいえ瞬間移動もしてるしな。
あの時は俺もビックリしたが…。目を覚ましたら、お前が俺のベッドの中にいるんだから。
「…あれ、もう一回やりたいんだけど…」
ハーレイの家まで行ってみたいよ、寝てる間に。そしたら、一緒に朝御飯…。
「勘弁してくれ、俺にとっては大迷惑なサプライズだから」
チビのお前じゃ、手がかかるだけだ。…ちゃんと育ったお前だったら歓迎だがな。
来るんじゃないぞ、と釘を刺されてしまった、ハーレイの家への瞬間移動。
前の自分と同じ背丈に育たない限り、ハーレイの家には行けない決まり。出掛けて行っても中に入れては貰えない。チャイムを押しても、きっと無視されるだけ。
(でなきゃ、「帰れ」って言われちゃうんだよ)
チビだから仕方ないけどね…、と心の中で溜息をついているのに、ハーレイの方は雨見物。
「おっと、また光った」
派手に光ったぞ、お前、見てたか…?
「今の、近いね。さっきのより」
光って直ぐに音がしたもの、さっきは少し間があったよ。稲光を見てから、音がするまでに。
「その通りだな。雷は音で分かりやすいんだが…」
近いのかどうか、近付いて来ているかどうかも、音が目安になるんだが…。
それがだ、青空でも落ちることがあるから危ないんだぞ。何の前触れも無いってヤツだ。
「青空なのに雷なの…?」
どういう仕組み、と質問してみた、青空の時に落雷するケース。やはり、何処かに雷雲が隠れているらしい。人間の目には遠い距離でも、雷にとってはほんの少しで、遠い所から飛んで来る。
怖いけれども、自然は凄い、と感心していたら尋ねられた。
「お前、雷は怖くないのか?」
好奇心一杯って顔をしてるが、怖いと思わないのか、雷…?
「平気だよ、なんで?」
そりゃ、落雷は怖いけど…。シールドも全然自信が無いから、落ちて欲しくはないけれど…。
「今はそうだろうが、ガキの頃だな」
怖くなかったのか、雷ってヤツ。
今みたいに急に暗くなってだ、ゴロゴロと鳴り出すわけだから…。
チビには怖い代物だろうが、雷の仕組みも全く分かっていないんだしな。
小さかった頃はどうなんだ、とハーレイに訊かれた雷のこと。もちろん怖いものだった。両親にくっついて泣いていたほど、恐ろしかったものが雷。
「小さい頃なら、ぼくだって怖いに決まってるじゃない…!」
パパやママにくっついて泣いてたくらいで、雷なんか大嫌い。うんと怖くて、苦手だったよ。
今は平気になったけど…。もう子供とは違うから。
「そうだろうなあ、大抵のガキと犬は雷が駄目なモンだし」
お前も怖くて当然だってな。俺は怖かった覚えは無いがだ、物心つくまでは駄目だったろう。
いくら俺でもガキはガキだし、犬と似たようなモンだろうから。
「犬って…?」
なんで犬なの、どうして犬が出て来るの…?
雷の話をしているんだよ、と傾げた首。幼い子供の方はともかく、犬というのは何だろう?
「犬か? 犬ってヤツは、あの音が苦手らしいんだ。ガキと同じで」
雷には音が付き物だしなあ、昼間だろうが、夜に来ようが。…ゴロゴロ鳴るのが雷だろ?
犬の耳には、不愉快すぎる音らしい。逃げ出したくて、鎖を切っちまうくらい。
お前も音だろ、苦手だったの。
今じゃ全く平気なようだが、雷が怖くて泣いてた頃は…?
「えーっと…」
どうだったのかな、雷だよね…?
ピカッと光って、ゴロゴロ鳴ってて、うんと怖くて泣きじゃくってて…。
パパとママの側にいたんだっけ、と手繰ってみた記憶。幼かった自分が嫌った雷。
(…ゴロゴロ鳴るから…)
早く何処かに行って欲しくて、両親にしがみついていた。雷は大嫌いだったから。
鳴っている間はピカピカ光るし、もう恐ろしくてたまらない。うっかり顔を上げた途端に、空を切り裂いてゆく稲妻。
(…昼でも光るし、夜だともっと強く光って…)
あの稲光が怖かった。窓の向こうで走る稲妻、その後で音がやって来る。
けれど、音より稲妻の方。音はしないで、夜に遠くで光る稲光も怖かったから。夜空を真っ白に染める光も、雲を切り裂くような光も。
怖かったものは稲光。雷鳴よりも、ずっと怖かった光。
ゴロゴロと鳴る音が聞こえなくても、夜ならば見える稲光。その光だけで身体が竦んだ。じきにピカピカ光り出すから、雷がやって来るのだから。
「…ぼくの苦手は、雷の音じゃなかったみたい…」
音も怖いけど、その前に光。雷の音は光の後に鳴り始めるから、光ほどには…。
多分、怖くはなかったと思う、と話したら。
「はあ? 光って…」
雷と言えば音だろうが、とハーレイは怪訝そうな顔。「犬も子供も、音が苦手だ」と。
「違うよ、ぼくは稲光だよ」
音よりもずっと怖かった筈で、音がしなくても怖かったから。…光っただけで。
夜の雷だと、うんと遠くで鳴っていたって、光だけ見えることがあるでしょ?
ゴロゴロいう音は聞こえなくても、雲がピカピカ光ってる時。
…ああいう光も、ぼくは嫌いで怖かったから…。ホントに光が苦手だったんだよ、音よりも。
「稲光だってか、あの音じゃなくて…?」
お前、何か勘違いってヤツをしてないか?
フクロウの鳴き声も駄目だったんだろ、小さかった頃は。…この前まで苦手だったくらいに。
前の俺がヒルマンに頼まれて彫ったフクロウ、アレの話をしてやるまでは。
フクロウの声でメギドの夢を見ちまったろうが、と指摘されたけれども、それとは別。
「あれはオバケだよ、フクロウの声は。…オバケの声だと思ったんだもの」
雷はオバケじゃなくて雷。どんなにゴロゴロ音が凄くても、雷はオバケじゃないものね。
だから鳴っても、光ほど怖くなかったんだよ、と説明したら。
「それは分かったが、雷がオバケじゃないのなら…」
どうして光が苦手になるんだ、怖がらなくてもいいだろうが。
音とセットで怖がってたなら話は分かるが、光だけでも怖かったなんて変だぞ、お前。
それとも雷は光のオバケか、お前にはそう見えていたのか…?
「さあ…?」
どうだったんだろう、雷、光のオバケなのかな?
それなら怖くて当然だけれど、光のオバケの怖い絵本があったとか…?
雷の音より、稲光の方が恐ろしかった幼い自分。すっかり忘れていたけれど。
(なんで光が怖かったわけ…?)
ハーレイにも変だと言われたけれども、自分でも不思議に思うこと。どうして稲光だったのか。雷を怖がる子供だったら、音が苦手なのが普通だろうに。
(ホントに光のオバケの絵本があったのかな…?)
空から降ってくる光のオバケ。そういう絵本に出会っていたなら、稲光が苦手でも分かる。光はとても怖いものだし、あれはオバケ、と震える子供。
(だけど、怖い絵本なんかを小さい子供に…)
読ませるとは、とても思えない。幼稚園にも、きっと置いてはいなかっただろう。子供が怖がる本を置くなど、幼稚園の先生たちがするわけがない。
(下の学校の図書室だったら、怖い絵本もあったけど…)
それは「怖さ」を楽しめる年の子供たちのためで、幼稚園から上がったばかりの子たちは、ただ怖そうに見ていただけ。「あの棚の本は、表紙を見ただけでもオバケが出そう」と。
(学校に行くようになる前から、雷、怖かったんだし…)
図書室で読んだ本のせいではない。光のオバケの怖い絵本があったとしても。
稲光が怖くて泣いていたのは、もっと幼くて小さい頃から。幼稚園の頃にはとうに怖くて、空が光るのが嫌だった。音を連れて来る昼の稲光も、夜に遠くで光っているだけの稲光でも。
(やっぱり光が怖いんだよね…?)
何故、と更に遡ってみた記憶。ずいぶんおぼろな記憶だけれども、怖かったことは覚えている。稲光がピカピカするのが怖くて、泣き叫んでいた子供時代。
(パパやママにギュッとくっついて…)
見ないでいようとした稲光。
あれが光ったら、全部おしまい。何もかも全部消えてしまって、おしまいだから。
そう思って震えていた自分。稲光で空が光った時には、「全部おしまいになっちゃうよ」と。
それだ、と思い出したこと。稲光が怖いと思った理由。
「稲光…。あれが光るとおしまいなんだよ、そう思ったから怖くて泣いてた…」
パパもママも、世界も全部おしまい。全部消えちゃう、って怖くって…。
だから稲光が怖かったんだよ、音じゃなくって光の方が。
世界が消えてしまうんだもの、とハーレイに話した、幼かった頃の自分が感じた恐怖。雷の音が聞こえなくても、稲光だけで震えていた自分。
「おいおい、世界が消えちまうって…。そいつは神様のお怒りか?」
神様がお怒りになった時には、雷が鳴ると言うんだが…。
この世界が終わっちまう時にも、神様の怒りで雷が轟くとは言うが…。
お前、そんなの知っていたのか、今よりもずっとチビなのに…?
幼稚園の先生が聖書の話でもしたか、絵本があったか。そんなトコだと思うんだが…。
「パパとママもそう言ったけど…。「それは神様の本の中だけ」って」
悪い子じゃないから、神様は世界を消したりしない、って言ってくれたけど…。
雷が来ても大丈夫、って教えてくれたんだけれど、やっぱり駄目。
稲光を見たら、怖くて泣いてた。あれが光ると、全部おしまいになっちゃいそうで…。
ずっと怖かったよ、何も起きないって分かる年になるまで。
稲光で空が光っていたって、世界はおしまいになったりしない、って。
「なるほどなあ…。稲光が光ると、世界が終わっちまうのか…」
それで音よりも光の方が怖かった、と。
雷が苦手な子供は多いもんだが、光が駄目とは、珍しいタイプだったんだな、お前。
少なくとも俺は一度も聞いたことがないぞ、音よりも稲光が怖いだなんて話は。
「ハーレイも珍しいと思うんだ…」
ぼくって変かな、自分でも忘れていたけれど…。雷の音より、光の方が怖かったこと。
でもね、本とかのせいじゃないような気がするよ。
幼稚園で聞いた話や、読んだ絵本にあったことなら、きっと、あんなに怖くないから。
パパとママが「それはお話の中だけだから」って言ってくれたら、「そうなんだ」って思うよ、きっと。元が絵本や、先生のお話だったらね。
怖い気持ちは消えていた筈、と育った自分でも分かること。
稲光が光ると世界が消えてしまうのだ、と絵本や先生の話で知識を仕入れたのなら、両親が違う話を聞かせてくれたら、それを信じる筈だから。
「絵本にはこう書いてあったけど、違うんだよ」と。幼稚園の先生に聞いたとしたって、両親が違うと言ってくれたら、小さな子供のことだから…。
(パパとママの話が本当だよ、って…)
疑いもなく信じることだろう。幼い子供が暮らす世界では、先生よりもずっと大きな存在なのが両親。その両親が「大丈夫」と言ってくれたら、何も怖くはなくなるもの。
最初の間は無理だとしたって、繰り返す内に。「光ってるけど、パパもママもいてくれるよ」とギュッと抱き付いて、「ここは安全」と。
(だけど稲光、パパやママがいても、怖かったんだし…)
おまけに世界が消えてしまうと思っていたのが、幼かった自分。稲光を見る度に怖くて怖くて、音よりもずっと恐ろしくて…。
もしかしたら、と気付いたこと。幼かった頃の自分は、何も覚えていなかったけれど…。
「前のぼくかな、稲光がとても怖かったのって…?」
記憶は戻っていないままでも、稲光で怖い思いをしたこと、何処かに残っていたのかも…。
「お前、とんでもない嵐の時でも飛んでたろ」
アルテメシアで、ミュウの子供を助けに飛び出して行った時には。
船の周りが雷雲だろうが、飛んで行く先が酷い雷雨だろうが。
第一、そうやって飛んで行っても、世界が終わりはしないじゃないか。助け損なった子供たちもいたが、世界が滅びはしなかった。…シャングリラは無事に飛んでたからな。
待てよ…?
アルテメシアじゃなくてだな…、とハーレイは顎に手をやった。
「どうかした?」
何か思い出したの、前のぼくと稲光のことで…?
「…心当たりというヤツなんだが…」
今、確証を探してる。本当にそれで合っているのか、違うのか、前の俺の記憶を。
ハーレイが追っているらしい記憶。アルテメシアでなければ何処の稲光なのか。
(…稲光が空に見えるような星に、行ってはいない筈なんだけど…)
シャングリラが他の惑星に降りたことなど、数えるほどしか無かった筈。白い鯨に改造する時、どうしても重力が必要だから、と降りた星には…。
(雲なんか無くて、星が見えるだけで…)
そういう惑星を選んでいた。下手に大気を持った星だと、有毒な雨が降ったりもする。人体や、船を構成する金属には毒になる雨。それは困るし、いっそ大気は無い方がいい。
(大気が無いから、雲だって無くて…)
稲光が光るわけがないのに、と考えていたら…。
「あれだ、アルタミラだ…!」
間違いない、とハーレイが口にしたから驚いた。
「え?」
アルタミラって…。アルタミラだよね、前のぼくたちが逃げ出した星。
「そうだ、あそこで見たんだが…。覚えていないか、あの星で見た稲光」
光ってたぞ、と言われたけれども、生憎と炎の記憶しかない。アルタミラといえば炎の地獄で、空も炎の色に染まっていたのだから。
「アルタミラの空は、燃えてたよ?」
メギドで星ごと焼かれたんだし、空まで真っ赤。空は煙と赤い雲だけ。
「それなんだがな…。心当たりと言っただろうが」
俺もナスカが燃えるまで忘れちまっていた上、そのまま放っておいた記憶だ。…今日までな。
前のお前を失くしちまって、ナスカごと封印しちまったから。
ナスカがメギドにやられた時にだ、俺たちは地上をモニターしてた。通信が繋がっていた間は。
それで見たんだ、ナスカの空に稲光が光っていたのをな。
メギドの炎は、星を丸ごと滅ぼすついでに、稲光も連れて来るらしい。大気も乱れちまうから。
たまに光るのを見ている間に、気が付いた。
俺はアルタミラでも見ていたんだ、と。
メギドが呼んだ稲光をな…、とハーレイが掴んだ稲光の記憶。アルタミラで見たという稲光。
けれど、その光を自分は覚えてはいない。空は真っ赤に燃えていただけ。
「稲光って…。いつ?」
ぼくは少しも覚えていないよ、ハーレイだけが見たんじゃないの…?
前のぼくがシェルターを壊して直ぐなら、ぼくはポカンと座り込んでただけだったから。
「違うな、あれよりも後のことだ。お前と一緒に走っていた時」
一人でも多く助け出そう、とシェルターを開けに急いだだろうが。…あの時の空だ。
雷の音は覚えちゃいないが、こう、空を切り裂いて光ってた。
それこそ神様が怒ったみたいに、炎の色の空を横切ったり、地上に向けて落ちていったり。
「そうだっけ…!」
忘れちゃってた、と蘇って来た時の彼方の記憶。前の自分が燃えるアルタミラで目にした光景。
炎の地獄の中で見たのだった、空を引き裂く稲光を。
(ピカッと光って…)
其処から空が裂けてゆくように思えた、忌まわしい光。メギドの炎が呼んだ稲妻。
ハーレイと二人、閉じ込められた仲間たちを救おうとして、走るのに懸命だったけれども…。
(終わりの光だ、って…)
そう感じていた稲光。あれが光ると、滅びに一歩近付くのだと。
激しい地震で揺れ動く地面とは、また別のこと。空が裂かれて消える気がして、稲光が空を引き裂く度に、空が無くなってしまうような気がして。
空が無くなったら、もう呼吸は出来ない。誰も生きてはいられない。
(そうなっちゃう前に…)
一人でも多く助けなければ、とハーレイと二人で走り続けた。稲光に裂かれる空の下を。
そうやって開けた、最後のシェルター。「早く」と中の仲間を逃がした。
彼らと一緒に駆け込んだ船で、ギリギリまで待った生き残り。もう全員が乗った筈だけれども、誰か逃げては来ないかと。…間違った方へ逃げた仲間がいるなら、待たねばと。
その船からも見ていた終わりの光。
空を引き裂き、天から地へと落ちる滅びの稲妻。
神ではなくて人がやったのだけれど、星の終わりを連れて来たのは稲光だった…。
あれだったのか、と気付いた世界の終わり。幼かった自分が「全部おしまい」と思い込んでいた稲光。それが光れば全て終わると、世界が消えてしまうのだと。
「…稲光が怖かったの、前のぼくの記憶?」
雷の音は覚えてないけど、きっと聞こえなかったんだろうね。地震が何度も起こっていたから、揺れる音やら崩れる音で。
稲光だけが記憶に残って、世界の終わりだと思ってて…。
前のぼくはホントに世界の終わりを見たから、今のぼくも稲光が怖かったのかな…?
「そうなんだろうな、それ以外には何も思い付かないし…」
前のお前は稲光の怖さを克服してたが、今のお前に出ちまったか。雷の音よりも稲光が苦手な、珍しい子供になっちまって。
前のお前みたいに育っていなくて、チビだったからかもしれないな。
生まれてから、ほんの数年しか経っていないチビ。
世界の終わりをその目で見るには、まだ小さすぎるようなチビなんだしな…?
「なんだか凄いね。記憶は戻っていなかったのに、稲光は覚えていたんだ、ぼく…」
稲光が光ったら、世界が終わってしまうこと。…全部なくなって消えてしまうこと…。
それで怖くて泣いてたんなら、他のことも覚えていたかったよ。
ほんのちょっぴりだけでいいから、ハーレイのことも覚えていてもいいのに…。
稲光よりも、そっちがいい、と恋人の鳶色の瞳を見詰めた。同じ持つなら、ハーレイの記憶。
「俺だって?」
記憶が戻っていない時でも、俺を覚えていたかったってか…?
「うん。ハーレイなんだ、って分からなくても、見たら大好きになっちゃうんだよ」
稲光は嫌いだったけれども、ハーレイなら好きに決まっているもの。
公園とかでジョギング中のハーレイを見付けて、気に入ってしまって、追い掛けるとか。
大好きなんだもの、捕まえなくちゃね、ハーレイを。
「追い掛けるって…。お前、倒れちまうぞ、そんな無茶をしたら」
俺のスピード、幼稚園児が追い掛けられるような速さじゃないぞ。今のお前でも無理そうだが。
「だから呼ぶってば、お兄ちゃん、って」
頑張って追い掛けて走るけれども、ちゃんと声だって出して呼ぶから。
そしたら止まってくれるでしょ、と笑みを浮かべた。小さな子供が呼んでいるなら、ハーレイは放って行ったりはしない。いくら知らない子供でも。「何処の子供だ?」と首を捻っても。
「ハーレイ、絶対、行っちゃわないよ。ぼくが追い掛けて走っていたら」
子供の声でも、「待ってよ」って大きな声で呼んだら。「お兄ちゃん、待って」って。
ハーレイだったら止まる筈だよ、と自信たっぷりで言ったのに。
「お兄ちゃんなあ…」
お兄ちゃんか、と複雑そうな顔の恋人。「止まってやるさ」と答える代わりに。
「…どうかしたの?」
ハーレイ、止まってくれないの?
ぼくが「お兄ちゃん」って呼んでいたって、聞こえないふりをして行ってしまうの…?
「いや、行っちまいはしないがな…。それよりも前の問題なんだ」
可愛い声でだ、「お兄ちゃん」と呼ばれる代わりに、「おじちゃん」と呼ばれそうなんだが…。
お前が幼稚園児の頃なら、俺はまだ二十代なのにな…?
後半だが、というハーレイの言葉。たとえ後半でも、二十代なら「おじちゃん」は酷だろう。
けれど、幼稚園児の目から見たなら、きっと「おじちゃん」。「お兄ちゃん」と呼べる相手は、今の学校の生徒くらいまでだろうと思うから…。
「そうかもね。お兄ちゃんじゃなくて、おじちゃんかも…」
おじちゃんだったら、ハーレイは嫌?
「ショックではあるが、お前、可愛いから許してやる。おじちゃんでもな」
お兄ちゃんだ、と言い直させるかもしれないが。
「ホント? ハーレイにも、ぼくが分かるわけ?」
ぼくがハーレイを大好きになって追い掛けるみたいに、ハーレイもぼくに気付いてくれるの?
「お前なんだ、とは分からんだろうが、可愛い子だな、とは思うだろう」
俺のことを「おじちゃん」呼ばわりされても、「お兄ちゃん」と呼んでくれなくてもな。
「それじゃ、一緒に遊んでくれる?」
「もちろんだ。しかし、出会えていないようだし…」
出会う運命では無かったんだろうな、同じ町に住んでいたってな…。
時が来るまで会えない運命だったんだろう、とハーレイは残念そうな顔。
「おじちゃんでもいいから、チビのお前に会いたかったな」と、公園はよく走るのに、と。
「まったく、どうして駄目だったんだか…。公園、お前もお母さんと行っていたらしいのに」
すれ違いさえもしなかったなんて、神様も意地悪なことをなさるもんだな。
ちょっと会わせてくれればいいのに、俺たちが知り合いになれるように。
「いつもそういう話になるよね、もっと早くに出会えていたら、って」
赤ちゃんのぼくには会ったかもしれない、って聞いたけど…。
生まれた病院を退院する時、ハーレイが見たっていう赤ちゃん。…ストールにくるまって、春の雪が降る日に退院した子。
「あれも記憶はハッキリしてはいないしなあ…」
同じ雪の日に退院してった、他の赤ん坊かもしれないからな。
なにしろ雪が舞っていたんだ、ストールでくるもうと思う母親、多いだろうから。
「それはそうだけど…。赤ちゃんが風邪を引いたら困るし、暖かくしてあげるんだろうけど…」
ハーレイが見たのが、ぼくだとしたなら、なんでその時は会えたのかな?
それから後は一度も会えなくなってしまったのに、どうして退院した日だけ…?
「神様のお計らいってことだろ、お前が初めて外に出た日だ」
生まれた時には病院なんだし、外の世界に出るのはその日が初めてだろうが。
俺に出会える最初のチャンスで、その瞬間に通り掛かるよう、神様が決めて下さったんだ。俺が走って行く速さやら、どういうコースで走るのかを。
「だから会えたの?」
神様のお蔭で、ぼくが初めて外に出た日に…?
「お前だったとすれば、だがな」
まさに運命の出会いというヤツで、お前は外の世界に出た瞬間に俺と出会ったわけだ。
それっきり二度と会えないままでも、うんと劇的な出会いだぞ。
病院の外はこんな世界、と出て来た途端に、未来の恋人が前を走ってゆくんだから。
そういう出会いも洒落てるじゃないか、とハーレイが目をやった窓の外。
「あの日は雪で、今日は雨で…」と、眺めたガラス窓の向こうは…。
「おっ、止んで来たな、凄い雨だったが」
雷もそんなに鳴らなかったな、お前の声が聞き取れないほどに酷くはなかったし。
じきに止むぞ、という言葉通りに止みそうな雨。空もすっかり明るくなって。
「ハーレイの予報、当たったね」
酷い雨でも、そんなに長くは降らないだろう、って。
それに雷が鳴ったお蔭で、稲光がとても怖かった謎も解けちゃった。小さかった頃には怖かったことも忘れていたけど、あれって、前のぼくだったんだ…。
稲光が光ったら、全部おしまいだと思ってたのは。
「お前がアルタミラの稲光を覚えていたとはな…」
それもすっかり克服した筈の、メギドの炎が呼んだ稲光の怖さってヤツを。
人間の記憶は分からんものだな、何がヒョッコリ顔を出すやら…。
「他にも何かあるのかな?」
アルタミラで見てた稲光の他にも、前のぼくの記憶を引き摺ってること。
ぼくはちっとも気付いてなくても、怖いものとか、好きなものとか。
「俺たちのことだ、きっと山ほどあるんだろう」
自分じゃ全く知らない間に、前の自分だった頃の記憶を重ねてしまっていること。
お前も、もちろん俺の方でも。
まあ、そういうのを探しながら、だ…。
のんびりと生きていこうじゃないか、とパチンと片目を瞑ったハーレイ。
これからも時間はたっぷりとあるし、「今日は思わぬ雷見物も出来たしな」と。
「まさかお前が、稲光が怖いチビだったとは…」
今じゃすっかり平気なようだが、稲光が光ると世界の終わりが来るんだな?
「そう思っていたみたいだけど…。今のぼくは少しも怖くないから」
またハーレイと二人で見たいな、稲光。…雷の話を聞いたりして。
犬は雷が嫌いだなんて、ぼくはちっとも知らなかったから。
「お前、今度も克服したんだな。稲光の怖さを」
全部おしまい、と怖くて泣いてたチビの子供が、今じゃ雷見物か。また見たいとは、恐れ入る。
稲光が遠くで光るだけでも、お前、駄目だったと聞いたのに…。
「育ったからね、あの頃よりも」
じきに前のぼくとそっくり同じに育つよ、ちゃんと背が伸びて。
そしたらハーレイとデートに行けるし、キスだって…。
「其処は急ぐな。急がなくてもいいんだ、お前は」
稲光が怖い子供のままだと可哀相だから、育ってくれて良かったが…。
これから先はゆっくり育て、とお決まりの台詞。「子供時代を、うんと楽しめ」と。
(…チビのぼくだって、早く卒業したいのに…)
稲光が怖い子供を卒業したように、チビの自分も早く卒業したいけど。
前の自分と同じ背丈に、早く育ちたいと思うけれども、ハーレイの気持ちも分かるから…。
焦らずにゆっくり大きくなろう。
神様が背丈を前と同じにしてくれるまでは、子供時代を楽しもう。
今日の稲光で一つ思い出したように、ハーレイと二人で前の自分たちの思い出を集めながら。
幾つもの記憶の欠片を拾い集めながら、幸せな日々を過ごしてゆこう。
青い地球では、稲光が幾つ光ったとしても、世界が終わりはしないのだから…。
終わりの稲光・了
※幼かった頃のブルーが怖がった雷。けれど、音ではなくて稲光の方が怖かったのです。
「あれが光ると、全部おしまい」と思わせたのは、アルタミラで見た稲光。不思議ですよね。
(植木鉢…)
こんな所に、とブルーが眺めた鉢。学校の帰りに、バス停から家まで歩く途中で。
いつもの住宅街だけれども、あちこちの庭や花壇をキョロキョロ見ながら帰るのが好き。今日もそうして歩く間に、生垣越しに覗いた庭。
植木鉢は其処に置かれていた。庭の芝生の上にチョコンと、鮮やかな色の植木鉢。
(子供の名前…)
如何にも子供が好きそうなデザインの鉢で、名前つき。可愛らしい字で書いてあるけれど、この家に子供はいたろうか?
どう見ても小さな子供の文字だし、それから鉢。
(この植木鉢…)
幼稚園とかで貰う植木鉢にそっくり。幼稚園と、下の学校に入って間も無い頃に貰った植木鉢。だから子供の物だと分かる。鉢のデザインも、書かれた名前も持ち主は子供だと教えてくれる。
(子供、いたっけ…?)
小さな子供を庭で見掛けた覚えは無い。ついでに植木鉢の方も問題。
何も植わっていない鉢には、土がたっぷり入っていた。幼稚園や学校から鉢を貰って来たなら、何か植わっている筈なのに。花の時期はもう過ぎたとしたって、その後の茎。
それも枯れたというのだったら、お役御免の植木鉢。綺麗に洗って次のシーズンまでは何処かに仕舞っておくとか、そうでないなら新しく蒔いた種のラベルをつけるとか。
植木鉢ならそうなるだろうに、どちらでもなくて、中身は土だけ。
おまけに置かれた場所は芝生で、普通だったら今が盛りの花の鉢などを飾りたい筈で…。
なんとも謎だ、と気になり始めた植木鉢。
道から良く見える場所に置くなら、土だけの鉢より何か植わった植木鉢がいいと思うのに。花が咲いたものや、葉っぱが綺麗な植物や。
小さな子供がいるのだったら、貰ったばかりの鉢を置くかもしれないけれど…。
(…それでも何か植わってるよね?)
土だけでラベルも無いだなんて、と首を傾げていた所へ、出て来た御主人。家の裏側から、庭の手入れをするために。
「こんにちは!」
ピョコンと頭を下げて挨拶、「おかえり」と返してくれた御主人。
「ブルー君、どうかしたのかい?」
庭を見てたね、と尋ねられた。庭仕事の支度をしている時から、きっと気付いていたのだろう。こちら側からは見えないけれども、御主人には見えていた姿。生垣の側に立っているのが。
「えっと、その鉢…」
植木鉢が気になっちゃって…。覗いたら、其処にあったから…。
「ああ、これだね。子供用だからねえ、そりゃ気になるだろうね」
うちに子供はいないから。…いったい何処から来たんだろう、と不思議なんだろう?
この鉢は孫がくれたんだよ、と御主人は嬉しそうな顔。
少し離れた所に住んでいるという、お孫さん。植木鉢に名前が書いてある子供。お孫さんから、鉢ごと貰ったプレゼント。「おじいちゃんと、おばあちゃんに」と。
もっとも、今は人間は誰もがミュウの時代なのだし、お年寄りではない「おじいちゃん」。今は買い物に行っているらしい「おばあちゃん」だって、名前だけのこと。
それでも、お孫さんにとっては、大好きな「おじいちゃん」と「おばあちゃん」。
だから大事な植木鉢を持って来たらしい。今日の昼間に、「プレゼント」と。
どおりで知らない筈だよね、と思った可愛い植木鉢。学校に行っている間に届いたのだし、朝は無かったわけだから。…昨日帰って来る時にも。
お孫さんから貰った鉢なら、芝生に置いておくのも分かる。土しか入っていなくても。花なんか咲いていない鉢でも、心のこもったプレゼント。
(きっと、お孫さんと一緒に…)
置く場所を選んだんだよね、と温かくなった胸。「此処に置こう」と、芝生に鉢を飾る御主人の姿が目に浮かぶよう。見栄えのする花が咲いた鉢より、お孫さんに貰った鉢が一番。
そう考えていたら、御主人が指差した植木鉢。
「この鉢だけどね…。幼稚園で花を育てていた鉢を、貰って帰って来たらしいんだよ」
プレゼント用の花とセットになっているらしくてね…。だからプレゼントに、というわけさ。
「花?」
何処に、と見詰めた植木鉢の中。土しか入っていない鉢だし、花のラベルもついてはいない。
「ちゃんと植わっているんだよ。この土の中に」
何の花かは内緒だよ、と可愛い秘密だったから…。実は私も知らなくってね。
芽を出してからのお楽しみだ、と御主人が眺めている植木鉢。土が入っているだけの鉢。
「いったい何が咲くんだろうね」と、お孫さんの顔を見ているみたいに目を細めて。
「…何の花かも分からないなんて…。育て方は?」
どうすればいいの、と丸くなった目。花の正体が謎のままでは、育て方だって分からない。
「芽を出すまでは、たまに水やり。…乾きすぎない程度にね」
まだ、それだけしか聞いていないね。ほら、この通り、土しか見えないから。
芽が出て来たなら、育て方の続きを孫が教えてくれるんだ、と御主人は笑顔。
「いつ芽が出るかも謎だけれどね」と、「早く報告してあげたいね」と。
お孫さんはきっと秘密の続きを教えられる日を、楽しみに待っている筈だから。どうやって花を咲かせればいいか、大得意で説明したいだろうから。
これはそういうプレゼントだよ、と聞かされて家に帰って来て。
ダイニングでおやつを食べる間に、また植木鉢を思い出す。芝生にチョコンと置かれた鉢。今は土しか見えない鉢でも、自慢の花が咲いている鉢を飾って披露するかのように。
(おじさん、楽しそうだったよね…)
正体不明の花が植わった植木鉢。それを教えてくれる間も、何度も植木鉢を眺めて。
植木鉢は母も幾つか持っているけれど、謎の植木鉢は一つも無い。鉢に植わった花たちの種は、母が自分で蒔くのだから。「この鉢はこれ」とラベルも添えて。
(ああいうプレゼント、素敵だよね…)
何が育つのか分からない鉢。幼稚園の先生の粋なアイデア。
ただ植木鉢を持って帰るより、ああした方がずっといい。「自分で好きな花を植えてね」と鉢を貰うのも嬉しいけれども、そのままプレゼントになる鉢の方が心が弾む。
(パパやママにあげても喜ばれるし…)
あの御主人のような、おじいちゃんたちに届けに行っても、きっと喜ばれる植木鉢。芽が出たら続きを教えて貰える、土だけに見える素敵な鉢。
(おじさんも、透視したりしないで…)
透視すれば種か球根かくらいは分かる筈なのに、調べない鉢の土の中。
お孫さんの心を覗いても答えが出て来るだろうに、それもしないで芽が出るのを待つ。いったい何の花だろうか、と土が乾いたら水やりをして。
花を育てながら謎解きも出来る、そういう楽しみ。
いつか土から芽が出て来たって、芽だけでは何か分からない花もあるから余計に面白い。詳しい人に尋ねてみるとか、色々な所で調べてみたなら、芽だけでも分かるだろうけれど…。
(おじさん、それもしないよね?)
もっと育って正体が分かる時が来るまで、お孫さんから習った通りに世話をするだけ。水やりをしたり、必要だったら肥料も与えてみたりして。
芽が出るまでは謎が一杯、芽が出てからも謎は解けないかもしれない植木鉢。芽が出て来た、と思いはしたって、正体不明の花の苗。
なんとも素敵で、ワクワクしそうなプレゼント。貰った方も、プレゼントした子供の方も。
(内緒だよ、って…)
幼稚園に通っているという、幼い子供が抱えた秘密。あの御主人のお孫さんだって、早く秘密を教えてみたいし、芽が出る日を楽しみに待つのだろう。芽だけでは謎の植物だったら、もっと長く秘密を抱えておける。
(ホントはこの花、っていう答え…)
教えたいけれど、教えない。おじいちゃんたちも、たまに訊くのだろう。「何の花だい?」と。それでも「内緒」と答えるだろう幼い子供。「花が咲くまで秘密だよ」だとか。
(ぼくもあげれば良かったかも…)
貰った相手も、自分も楽しいプレゼント。謎が詰まった植木鉢。
ぼくだって、おじいちゃんとかに…、と思ったけれど。幼稚園で貰った植木鉢なら、確かに家にあったのだけれど。
(植木鉢、届けに行くには遠すぎ…)
祖父や祖母が住んでいる家は。父方も、それに母方だって、日帰りするには遠すぎる場所。
そのせいで思い付きさえしなかったろうか、植木鉢をプレゼントするということ。
(秘密の花は植えてなくても…)
春になったら花が咲くよ、と届けたら喜んで貰えたろうに。咲く花のラベルがついていたって、秘密の鉢ではない鉢だって。孫から貰った植木鉢だし、きっと大切に世話をしてくれた筈。
けれど自分はそうしなかったから、貰って帰った植木鉢は…。
(ママが花を植えて…)
せっせと世話して育てていた。「せっかく貰ったんだから」と、幼い自分が「ブルー」と名前を書いた植木鉢で。子供が好きそうなデザインの鉢で、名前も書かれている鉢で。
(あの植木鉢…)
流石に今は、もう庭に無い。「子供っぽい鉢はもうおしまい」と。
母のことだから、大切に何処かに仕舞っているかもしれないけれど。一人息子の名前が書かれた植木鉢だし、捨てたりしないで、ちゃんと包んで。
ママなら仕舞っておきそうだよね、と考えながら戻った二階の自分の部屋。
「ブルー」と名前を書いた植木鉢は、今でも家にありそうな感じ。貰った自分が大きくなって、鉢の出番が無くなっても。…母が何かを植えなくなっても。
(植木鉢…)
今の自分は貰ったけれど、前の自分は植木鉢など持っていなかった。成人検査を受ける前なら、貰ったのかもしれないけれど。本物の家族はいない時代でも、子供時代はあったから。
(ぼくが忘れてしまっただけで…)
前の自分も、幼かった頃は植木鉢を持っていたかもしれない。今とは時代が違うのだから、謎の植木鉢は無理だけれども。…プレゼントしようにも、祖父母は何処にもいなかったから。
(子供たちはヒルマンに貰ってたっけ…)
白いシャングリラにいたミュウの子供たち。幼い子たちは、今の自分が貰ったように可愛い植木鉢を貰った。鉢に自分の名前を書いて、花の命を育てていた。ヒルマンの教育方針で。
子供でなくても、部屋に植木鉢を置く仲間たちの数は少なくなかった。自分の部屋にも花や緑が欲しい仲間は、植木鉢。沢山の花を育てたいなら、プランターだって。
白いシャングリラにも植木鉢はあって、子供たちや大人が花を育てていたけれど…。
(ぼくが育てたかった花は、スズラン…)
ハーレイに贈るためのスズラン。
五月一日には恋人同士が贈り合っていた、スズランを束ねた小さな花束。そのスズランを摘みに行きたくても、ソルジャーの身ではどうにもならない。
(でも、青の間でスズランの花を育てても…)
五月一日にスズランの花が消えてしまったら、誰かに贈ったと知られてしまう。部屋付きの係は鉢を見るだろうし、「花が無くなった」と直ぐに気付くから。
ソルジャーが恋をしていることがバレるスズラン、それを育てるのは無謀なこと。恋の相手も、きっと詮索されるから。そうなったならば、ハーレイとの恋が知れそうだから。
此処では無理だ、と諦めたスズランの花を育てること。
植木鉢さえ置いておけたら、スズランを咲かせられるのに。…ソルジャーでなければ、咲かせた花を愛おしい人に贈れるのに。
(だから、花なんて…)
育てたことさえ無かったっけ、と思った青の間。前の自分が暮らしていた部屋。やたらと大きな部屋だったけれど、あそこに植木鉢は無かった。
その気になったら、置けるスペースはあったのに。一つどころか、もう幾つでも。
けれど、無かった植木鉢。育てたい花は無理なのだから、と貰いに行きさえしないままで…。
(…あれ?)
あったような気がしないでもない。青の間には一つも無かった筈の植木鉢。それも普通の植木鉢とは違って、名前が書かれた植木鉢が。
(…ブルーって…?)
まさか、と手繰ってみる記憶。遠く遥かな時の彼方で、前の自分が見ていたこと。
三百年以上の歳月を生きたソルジャー・ブルー。白い鯨になった船でも長く暮らして、青の間で生きていたけれど。深い海の底を思わせる部屋に、思い出は幾つもあるのだけれど…。
植木鉢に名前を書いた覚えなどは無いし、植木鉢の記憶もハッキリしない。どういう形の植木鉢だったか、その欠片さえも浮かんで来ないから…。
(夢なのかな…?)
前の自分が生きていた頃に、青の間のベッドで見た夢だとか。
子供たちと何度も遊んでいたから、その子供たちになったつもりで。夢の中では、自分も子供の一人になっていたかもしれない。
(植木鉢に花…)
子供たちが鉢に種を蒔いたり、球根を植えたりしている所もよく見ていた。ヒルマンに植木鉢を貰った子供が、嬉しそうに名前を書く姿も。
(…子供になってる夢を見たなら…)
前の自分も、夢の中でヒルマンに貰っただろう。自分専用の植木鉢を。
きっと貰ったら大喜びで名前を書いて、土を入れたら、ワクワクしながら花の種や球根を中へ。他の子供たちと一緒にはしゃいで、「これは、ぼくの」と。
そのせいかな、と思ったけれど。名前が書かれた植木鉢は夢で、前の自分が夢の中で持っていたものなのだろう、と考えたけれど。
(でも…)
青の間にあった植木鉢。そういう思いが消えてくれない。
子供になった夢を見たなら、植木鉢が青の間にあるわけがない。子供たちと遊んだ部屋や公園、そういった場所に置かれただろう植木鉢。ソルジャーが暮らす部屋ではなくて。
(子供なんだし、青の間になんか…)
来ようとも思わないだろう。楽しい夢を見ていたのならば、なおのこと。
ソルジャーであることを忘れて、ただのブルーで子供の自分。植木鉢を貰えるような幼い子供になった夢なら、青の間はきっと出て来ない。
(…それなのに、青の間に植木鉢なんて…)
まさか本物があの部屋にあった筈もないのに、と首を捻っていたら、チャイムの音。仕事帰りのハーレイが訪ねて来てくれたから、テーブルを挟んで向かい合うなり問い掛けた。
「あのね、植木鉢のことを知ってる?」
「はあ?」
植木鉢って…、と怪訝そうな顔のハーレイ。「植木鉢と言っても色々あるが」と。
花が植わった植木鉢から、花を育てるための植木鉢まで、大きさも形も実に様々。どの植木鉢のことを言っているのか、と逆に訊き返されたから…。
「うんと基本の植木鉢だよ、多分、誰でも一番最初に貰いそうなヤツ」
幼稚園とかで貰って色々植えるでしょ?
自分の名前を書いて世話して、花が終わったら植木鉢を貰って持って帰るんだよ。
「ああ、あれなあ!」
確かに人生初の植木鉢だ、あれで出会うっていうのが普通だよな。
幼稚園児じゃ、いくらなんでもガーデニングの趣味なんか持っちゃいないから…。
家族に好きな人がいたって、一緒に花を植える代わりにスコップで土を掘るのが子供だ。
せっかくの花壇を踏んづけちまって、すっかり駄目にしちまうのも。
そういう子供に花の育て方を教えるんだな、と綻ぶハーレイの顔。「遊びを兼ねた教育だ」と。
「もっとも、それを教えてみたって、そうそう上手くはいかないが…」
自分が育てる花は大事にしてやっていても、家だと花壇にボールを投げ込んじまうとか。
子供ってヤツはそういうモンだし、小さい間は難しい。叱られても、分かっちゃいないから。
あの植木鉢か、お前が言うのは。…俺も朝顔とかを植えたな、幼稚園でも、学校でも。
お前は何を植えたんだ、という質問。「人生初の植木鉢の花は何だった?」と。
「えっとね、最初は多分、チューリップ…」
それに朝顔も下の学校で植えてたよ。観察日記を書いていたから。
「定番だよなあ、その辺りはな。…チューリップも朝顔も、強い花だから」
子供でも充分育てられるし、育てた甲斐がある花も咲く。如何にも花だ、という花がな。
…それで、その植木鉢がどうしたんだ?
今の学校じゃ出番が無いぞ、と教師としてのハーレイの指摘。下の学校とは違うわけだし、植木鉢に何かを植えているのは園芸部の生徒くらいだが、と。
「今じゃなくって…。前のぼくだよ、シャングリラが白い鯨になった後のこと」
シャングリラにもあったよ、植木鉢が。
小さな子たちがヒルマンに貰って、名前を書いてた植木鉢がね。
「あったな、そういう植木鉢も」
ヒルマンがきちんと世話させていたが、あの植木鉢が何か問題なのか?
前のお前の記憶のことか、と鳶色の瞳で覗き込まれた。「植木鉢で何か思い出したか?」と。
「ああいう鉢をね、前のぼくも持っていたような気がするんだけれど…」
それもね、ただの植木鉢とは違うんだよ。
子供たちが持ってた鉢と同じで、名前付きの鉢。…前のぼくの名前。
でも、気のせいかもしれないし…。
名前を書いた覚えは無いしね、植木鉢には。それに記憶も少しもハッキリして来ないから…。
前のぼくが見ていた夢だったのかな、小さな子供になったつもりで。
植木鉢、青の間にあったような気がするんだけれども、夢の記憶と混ざっちゃったとか…。
青の間に植木鉢は無かったしね、と話したら、ハーレイも頷いた。
「あるわけないよな、あそこには…。そもそも、花なんか育てちゃいないし」
おまけに、お前の名前が書いてある植木鉢なんて…。
それこそ有り得ん、「ソルジャー・ブルー」と書かれた植木鉢なんぞは。
いや、待てよ…?
植木鉢だな、と顎に手を当てたハーレイ。「俺も見たような気がして来た」と。
「見たって…。ホント?」
前のハーレイも植木鉢を見たの、青の間で…?
ぼくが夢で見たヤツじゃなくって、本当に本物の植木鉢を…?
何処にあったの、と身を乗り出した。ハーレイもそれを見たと言うなら、植木鉢は本当にあった筈。前の自分の夢とは違って、実在していた植木鉢。ならば植木鉢に書かれた名前も…。
(ぼくの名前で、ぼくが書いたわけ…?)
子供たちと一緒に鉢を貰って、花を育てていたのだろうか。「ぼくもやるよ」と我儘を言って、ヒルマンに鉢を一つ譲って貰っただとか。
「ちょっと待ってくれ、今、整理中だ。植木鉢を見たってトコまでは…」
ハッキリして来た、植木鉢は確かに青の間にあった。だが、置かれていた理由がだな…。
なんだってアレがあったんだか…。それに花を見たという覚えも無いし…。
そうだ、お前が貰ったんだ!
「えっ?」
貰ったって何なの、誰に植木鉢を貰ったわけ…?
くれそうな人がいないんだけど…、と探った記憶。前の自分は植木鉢どころか、花さえも貰っていないと思う。恋人だったハーレイからも貰わなかったし、ましてや植木鉢なんて…。
「お前に植木鉢をプレゼントしたのは、子供たちだ」
いつもソルジャーに遊んで貰って、仲良くしていたモンだから…。
御礼に植木鉢をプレゼントしたってわけだな、何が咲くかはお楽しみ、と。
「そうだっけ…!」
貰ったんだっけ、子供たちから…。
養育部門へ遊びに行ったら、「これ、ソルジャーにプレゼント」って…。
思い出した、と蘇った記憶。前の自分が子供たちからプレゼントされた植木鉢。
今日の帰り道に出会った御主人、あの御主人と全く同じに、謎のプレゼントを貰ったのだった。何かの種が植わっているらしい植木鉢。見た目にはただ、土が入っているだけの。
(ホントに、今日のと同じだったよ)
何が咲くかは秘密だから、と子供たちが煌めかせていた瞳。「ソルジャーにも内緒」と、それは嬉しそうに。時々水をやっていたなら、その内に芽が出て花が咲くから、と。
(ぼくの名前も…)
ちゃんと「ソルジャー」と書かれていた鉢。子供らしい字で、「ソルジャー」とだけ。
ソルジャーは前の自分だけしかいなかったのだし、子供たちもそう呼んでいたから。
(プレゼント、とても嬉しくて…)
子供たちが「秘密」と言ったからには、探りはすまいと自分で決めた。何が咲くのかは気になるけれども、透視することも、子供たちの心を読むこともしてはならないと。
手に入れた素敵なプレゼント。いつか何かの花を咲かせる植木鉢。
でも…。
「ハーレイ、前のぼくが貰った植木鉢…。確かに貰ったんだけど…」
貰った後はどうなっちゃったの、とても嬉しかった筈なのに…。
覚えていないよ、植木鉢があったことまで忘れていたくらいに。…どうしてかな?
何か変だよ、とハーレイに訊いた。「どうして覚えていないんだろう?」と。
「忘れちまったか? そうなるのも無理はないんだが…」
植木鉢はともかく、青の間には問題があったんだ。植木鉢と暮らしてゆくにはな。
「問題って…。なあに?」
「芽が出るまでは良かったんだが…。土の中ってトコは真っ暗だしな」
ところが、土から出て来た後。芽がヒョッコリと顔を出した後が駄目だった。
あそこ、灯りが暗かったろうが。
部屋全体が見渡せないよう、照明を暗く設定していた。あの部屋を広く見せるために。
そのせいでだな…。
「…思い出したよ、せっかく芽を出してくれたのに…」
栄養が足りなさすぎたんだっけ…。元気にすくすく育つためには、光が栄養だったのに。
顔を出して直ぐは良かったけれども、元気が無かった弱々しい芽。伸びてゆくほどに、生命力が減ってゆくかのよう。
前の自分も、じきに気付いた。青の間の光が暗すぎるのだと。
白いシャングリラの公園や農場、植物を育てる場所は何処も明るい。太陽を模した人工の照明、それが煌々と照らし出すから。
けれど、青の間ではそうはいかない。照明は暗くしておくもの。部屋を作る時なら、工事用にと明るい照明もあったけれども…。
(取り外しちゃって、もう無くて…)
明るくしようにも、そのための設備を持っていないのが青の間だった。奥にあるキッチンやバスルームならば、もっと明るく出来るのだけれど。…他の仲間たちの部屋と同じに。
それが分かったから、前のハーレイに相談した。勤務を終えて、青の間に来てくれた時に。
「この鉢だけど…。此処だと光が足りなさすぎるよ、どんどん弱って来てしまって…」
奥のバスルームやキッチンだったら、充分に明るく出来そうだけれど…。
点けっ放しには出来ないよね、昼の間はずっとだなんて…。この植木鉢のためだけに…?
「それは問題ありませんが…。エネルギーの使用量だけから言えば」
船のエネルギーには余裕があります、部屋の一つや二つを賄えないようでは話になりません。
昼間どころか二十四時間、点けっ放しになさっていたって何の支障もございませんが…。
ただ、バスルームやキッチンで花を育てゆくというのは…。
可哀相では、というのがハーレイの意見。
花は人の目を楽しませるために咲くものなのだし、見て貰えない場所で咲かせるなど、と。
前の自分もそう思ったから、少し考えてこう言った。
「普段はキッチンの方で育てて、たまにこっちへ持って来るのはどうだろう?」
今みたいな時間に運んで来たなら、君と二人で見てやれるから…。
夜は植物も眠るらしいし、朝まで此処でも大丈夫だろう。朝食の後で返してやれば。
「そういう方法もありますね。…昼間でも、あなたが御覧になる時は此処へ持って来るとか」
少しの間くらいでしたら、暗くなっても大丈夫でしょう。
外の世界で育っていたなら、雨や曇りの日は普段よりもずっと暗いのですから。
その方法なら上手く育ちそうです、とハーレイも賛成してくれた案。
昼間はキッチンに鉢を運んで、灯りを点けっ放しにする。農場や公園ほどではなくても、充分に明るく出来るから。青の間よりは、ずっと明るいから。
「じゃあ、その方法でやってみるから、エネルギーの方はよろしく頼むよ」
この鉢だけのために、キッチンが無駄に明るくなるけれど…。
ぼくが暮らしているだけだったら、三度の食事の時くらいしか照明は必要無いのにね。
他で節約しようとしたって、この部屋はもう、これ以上は暗く出来ないし…。
「船のエネルギーなら、問題は無いと申し上げましたが?」
キッチン程度の広さでしたら、それこそ百ほど点けっ放しでも大丈夫です。それも二十四時間、夜も昼間も関係無く。…ですから、どうぞキッチンの方でお育て下さい。
明日の朝から早速に…、とキャプテンからの許可も下りたし、キッチンに移してやった鉢。何が咲くのか謎の植木鉢は、キッチンで暮らしてゆくことになった。
夜は灯りを消してやったり、青の間の方へ運び出したり、昼と夜とを作り出そうと努力した鉢。
キッチンで光を浴びられるようになった途端に、みるみる元気に育ち始めて…。
「どうやらチューリップのようですね」
蕾の方はまだですが…。この葉はチューリップの葉ですよ、きっと。
似たような葉の花があるかもしれませんが…、とハーレイが眺めた植木鉢。夜になったから、とキッチンから青の間へ運んで来ておいたのを、しげしげと。
「君もチューリップだと思うかい?」
そういう葉だよね。これだけ大きくなったんだから、間違いないと思うんだけれど…。
蕾がつくまで分からないかな、子供たちは今も答えを教えてくれないし…。
「花で分かるよ」としか言わないんだよね、本当に秘密のプレゼントらしい。
チューリップだろうと思うけれども、早く蕾がつかないかな…?
花が咲くのが楽しみだよね、と何度もハーレイと話す間に、蕾がついた。
ぐんぐん大きく育つ蕾は、もう間違いなくチューリップ。何色の花が咲くのだろう、とワクワク眺めて、色がつくのを待ち続けた。
そうしたら、うっすらと見えて来たピンク。緑色だった蕾にピンクが宿ったから…。
(女の子が選んでくれたのかな?)
ピンク色なら、女の子が選びそうな色。「この色が好き!」と、幾つもの色がある中から。
それとも誰かが「強そうだから」と選んだ球根、色のことなど考えもせずに。ヒルマンが幾つも並べた中から、「これ!」と掴んで、この植木鉢へ。
(ピンク色だしね…?)
まさかソルジャーの自分に似合う色でもあるまいし…、と膨らむ想像。わざわざ選んだピンク色なのか、偶然ピンクの花だっただけか。
ピンク色をした花に至るまでの事情は実に様々、どれが当たりか分からないから、また楽しい。それでもピンク色の花だし、「ピンクだったよ」とハーレイにも見せようとして運び出したら。
(あ…!)
キッチンから外に出したら翳ってしまったピンク。薄紫の紗を被せたように。
青の間の灯りでは、あのピンク色は綺麗に見えない。これはこれで綺麗な色だけれども、本来の素敵なピンク色。元気な子供たちの頬っぺたみたいな、あの艶やかなピンク色は…。
(此処だと、見えない…)
青い灯りに吸われてしまって、まるで夜の国で咲く花のよう。太陽の光が射さない国で。
この部屋では育てられないどころか、花の色さえ、キッチンかバスルームでしか見られない花。持って生まれた本当の色を、出すことが出来ないチューリップ。
もうすぐ開く筈なのに。…輝くようなピンク色の花が、誇らかに咲く筈なのに。
(可哀相…)
此処で咲いても、本当の姿を見て貰えないチューリップ。
キッチンでは綺麗に咲いていられても、愛でるためにと運び出されたら、たちまち失せてしまう色。美しいことに変わりはなくても、自慢の色が損なわれる花。
せっかく此処まで育ったのに。…もうすぐ花が咲きそうなのに。
そんな花はとても可哀相だ、と痛んだ心。同じ咲くなら、本当の姿を見せられる場所で咲かせてやりたい。
そう思ったから、仕事を終えたハーレイが青の間にやって来た時、植木鉢を見せた。
「ほら、ピンク色の花だったんだよ。…やっと分かった」
今日の昼間に、色を覗かせたんだけど…。じきにすっかりピンクになるよ。蕾が丸ごと。
「そうですね。あとどのくらいで咲くのでしょう?」
楽しみですね、と眺めるハーレイは気付いているのか、いないのか。…この花の色に。
「ぼくも楽しみなんだけど…。でもね、此処じゃ綺麗に見えないんだ」
ピンク色だとは分かるけれども、本当の色はこうじゃない。…キッチンで見ると分かるんだよ。
「此処は照明がこうですから…。青みを帯びてしまいますね…」
「そう。本当の色で咲かせてやるには、キッチンかバスルームでないと駄目なんだ」
だけど、そんな所で咲かせるなんて…。可哀相だよ、せっかく咲くのに。
キッチンで育てるのは可哀相だ、と此処へ運んでは、君と眺めてやったのに…。
肝心の花が駄目になるなんて、と曇らせた顔。本当に可哀相だから。
「では、この花をどうなさりたいと?」
「綺麗な姿で咲ける所へ、此処から移してやりたいよ。…明るい所へ」
公園でもいいし、農場でもいい。場所は幾らでもあるんだけれど…。
問題は、これをプレゼントしてくれた子供たち。
子供たちの心を傷つけないで移せる方法、何か無いかな…?
此処だと綺麗に咲けないんだから、とにかく花が幸せになれる所へね。
「それは…」
仰ることはよく分かるのですが…。
花が可哀相だとお思いになるのも、もっともなことだと思うのですが…。
しかし…、と考え込んでしまったハーレイ。
「この鉢を、何処かへ移すというのは…」と。元を辿れば子供たちからのプレゼント。今日まで此処で育てて来たから、大丈夫だと思い込んでいるのが子供たち。
青の間の照明では駄目だから、とキッチンで育てたことは知らない。青の間では花の色が綺麗に見えないことにも、気付きはしない。
「…今から何処かへ移すとなったら、子供たちはガッカリするでしょう」
ソルジャーのお気に召さない花だったのか、と勘違いをして。
チューリップの花がお嫌いだったと考えるのか、ピンク色の花がお嫌いだったと思うのか…。
いずれにしても、今からですと、そういう結果にしかならないかと…。
「そうだよね…。もっと早くに移していれば…」
青の間の灯りでは植物を育てられないから、と説明して他所に移せば良かった。
でも手遅れだよ、此処まで育ててしまったから。
何か無いかな、上手く引越し出来る方法…。
「あればいいのですが…。何か…」
子供たちも、あなたも、どちらも傷つかない方法。…それがあれば…。
何か見付かればいいのですが…、とハーレイは腕組みをして眉間に皺。深く考えている時の癖。
「…駄目かな、君でも思い付かないのかい?」
船の仲間たちのことも、この船のことも、君はぼくより詳しい筈で…。
ぼくは漠然と知っているだけで、君のようにデータで知っているわけじゃないからね。
「そう仰られても…。いえ、その船です…!」
こういう方法は如何でしょう?
このチューリップを、船の仲間たちに鉢ごとプレゼントなさるのは。
「プレゼント?」
「そうです。ソルジャーが此処までお育てになった、立派な花を贈るのですよ」
これからが綺麗な時だから、と船の仲間たちが眺めて楽しめるように。
食堂だったら皆が見ますよ、食事に出掛けてゆく度に。
「いいね、あそこは明るいし…。この花も綺麗に咲ける筈だよ」
子供たちから貰った花を、今度はぼくが贈るわけだね。…船のみんなに。
ありがとう、とハーレイに抱き付いて御礼のキスを贈った。
その方法なら、子供たちの心も傷付かない。プレゼントした花は立派に育って、船の仲間たちの目を楽しませるために食堂に引越しするのだから。
綺麗な花が咲くと分かったからこそ、船の仲間たちに贈るプレゼントに選ばれたのだから。
(それなら絶対、大丈夫だもんね…?)
子供たちが贈った謎の植木鉢は、大出世。ソルジャーからのプレゼントとなったら、皆の注目を浴びるもの。たとえチューリップの鉢であろうが、一輪しか咲かない花だろうが。
そう決まったから、次の日の朝、朝食の後で植木鉢を食堂まで運んで行った。
キャプテンのハーレイに恭しく持たせて、「ソルジャー」と書かれたチューリップの鉢を。
迎えに出て来た食堂の者たちに、「青の間で育てた花だから」と譲り渡した植木鉢。映える所に置いて欲しい、とソルジャーとしての笑みを浮かべて。
「あの花、人気だったよね?」
ぼくは青の間から思念で見ていたけれど…。咲く前から注目されてたよ。
「うむ。咲き終わった後にも、奪い合いでな」
ソルジャーが育てたチューリップだから、と女性たちが欲しがって大騒ぎだった。
なにしろ相手はチューリップだしな、きちんと世話すりゃ次の年だって咲くんだから。
次の年と言えば、そっちも期待されたよなあ…。
また来年もソルジャーから花のプレゼントが来るかもしれん、と。
「うん…。期待するのはかまわないけど、青の間、花には向いてないから…」
またキッチンで育てるだなんて、花が可哀相すぎるんだよ。…どんな花でも。
「お前、ヒルマンに上手く断らせたんだよなあ…。次の年の花のプレゼント」
子供たちは残念がっていたがな、「ソルジャーにプレゼントしちゃ駄目だなんて」と。
「食堂の花が人気だったの、子供たちだって知っていたしね」
でも、青の間では見られないんだもの。…どう頑張っても、せっかくの花が。
「其処なんだよなあ…。お前がせっせと世話をしたって、最後がなあ…」
船の仲間へのプレゼントなんじゃ、お前が頑張る意味が無いから。
園芸係ってわけでもないのに、育てただけで終わっちまって、花を見られずじまいじゃな。
たった一回きりだったよな、とハーレイが笑う植木鉢。
青の間にたった一度だけあった、植木鉢という花を育てる道具。
「お前、今度はどうしたい?」
俺の家なら植木鉢も置けるぞ、何処にだって。…家の中でも、庭でもな。
育てたいなら、植木鉢を置いてくれてもいいが。
「植木鉢…。今度は確かに置けるだろうけど、子供たちは、もうくれないよ?」
此処はシャングリラじゃないし…。
今日のおじさんの家みたいに、お孫さんが持っても来てくれないし…。
「ふうむ…。なら、俺がプレゼントしてやろうか?」
お前がやってみたいと言うなら、謎の植木鉢のプレゼント。
今のお前じゃ、どう頑張っても、正体が分かるわけがないからな。
俺の心を読めやしないし、植木鉢の中を透視するのも無理なんだから。
「いいかも…!」
植木鉢で何か育てるんなら、ハーレイがくれる謎の植木鉢がいいな。育て方も謎で、名前も謎。
どんな花が咲くのか、育ててみないと分からないのを育てたいよ…!
もう青の間じゃないんだけどね、と欲しくなって来たプレゼント。
何が育つかまるで分からない、ハーレイがくれる謎の植木鉢。
それを育ててみるのもいい。
芽が出ただけでも、きっと幸せ。
立派に育ってハーレイと花を眺める頃には、もっと幸せ一杯だから…。
謎の植木鉢・了
※ブルーが出会った、何が咲くか謎な植木鉢。前のブルーも、それを育てていたのです。
子供たちから貰って、青の間で育てた花ですけれど…。青の間の照明には、問題がありすぎ。
←拍手して下さる方は、こちらからv
←聖痕シリーズの書き下ろしショートは、こちらv
こんな所に、とブルーが眺めた鉢。学校の帰りに、バス停から家まで歩く途中で。
いつもの住宅街だけれども、あちこちの庭や花壇をキョロキョロ見ながら帰るのが好き。今日もそうして歩く間に、生垣越しに覗いた庭。
植木鉢は其処に置かれていた。庭の芝生の上にチョコンと、鮮やかな色の植木鉢。
(子供の名前…)
如何にも子供が好きそうなデザインの鉢で、名前つき。可愛らしい字で書いてあるけれど、この家に子供はいたろうか?
どう見ても小さな子供の文字だし、それから鉢。
(この植木鉢…)
幼稚園とかで貰う植木鉢にそっくり。幼稚園と、下の学校に入って間も無い頃に貰った植木鉢。だから子供の物だと分かる。鉢のデザインも、書かれた名前も持ち主は子供だと教えてくれる。
(子供、いたっけ…?)
小さな子供を庭で見掛けた覚えは無い。ついでに植木鉢の方も問題。
何も植わっていない鉢には、土がたっぷり入っていた。幼稚園や学校から鉢を貰って来たなら、何か植わっている筈なのに。花の時期はもう過ぎたとしたって、その後の茎。
それも枯れたというのだったら、お役御免の植木鉢。綺麗に洗って次のシーズンまでは何処かに仕舞っておくとか、そうでないなら新しく蒔いた種のラベルをつけるとか。
植木鉢ならそうなるだろうに、どちらでもなくて、中身は土だけ。
おまけに置かれた場所は芝生で、普通だったら今が盛りの花の鉢などを飾りたい筈で…。
なんとも謎だ、と気になり始めた植木鉢。
道から良く見える場所に置くなら、土だけの鉢より何か植わった植木鉢がいいと思うのに。花が咲いたものや、葉っぱが綺麗な植物や。
小さな子供がいるのだったら、貰ったばかりの鉢を置くかもしれないけれど…。
(…それでも何か植わってるよね?)
土だけでラベルも無いだなんて、と首を傾げていた所へ、出て来た御主人。家の裏側から、庭の手入れをするために。
「こんにちは!」
ピョコンと頭を下げて挨拶、「おかえり」と返してくれた御主人。
「ブルー君、どうかしたのかい?」
庭を見てたね、と尋ねられた。庭仕事の支度をしている時から、きっと気付いていたのだろう。こちら側からは見えないけれども、御主人には見えていた姿。生垣の側に立っているのが。
「えっと、その鉢…」
植木鉢が気になっちゃって…。覗いたら、其処にあったから…。
「ああ、これだね。子供用だからねえ、そりゃ気になるだろうね」
うちに子供はいないから。…いったい何処から来たんだろう、と不思議なんだろう?
この鉢は孫がくれたんだよ、と御主人は嬉しそうな顔。
少し離れた所に住んでいるという、お孫さん。植木鉢に名前が書いてある子供。お孫さんから、鉢ごと貰ったプレゼント。「おじいちゃんと、おばあちゃんに」と。
もっとも、今は人間は誰もがミュウの時代なのだし、お年寄りではない「おじいちゃん」。今は買い物に行っているらしい「おばあちゃん」だって、名前だけのこと。
それでも、お孫さんにとっては、大好きな「おじいちゃん」と「おばあちゃん」。
だから大事な植木鉢を持って来たらしい。今日の昼間に、「プレゼント」と。
どおりで知らない筈だよね、と思った可愛い植木鉢。学校に行っている間に届いたのだし、朝は無かったわけだから。…昨日帰って来る時にも。
お孫さんから貰った鉢なら、芝生に置いておくのも分かる。土しか入っていなくても。花なんか咲いていない鉢でも、心のこもったプレゼント。
(きっと、お孫さんと一緒に…)
置く場所を選んだんだよね、と温かくなった胸。「此処に置こう」と、芝生に鉢を飾る御主人の姿が目に浮かぶよう。見栄えのする花が咲いた鉢より、お孫さんに貰った鉢が一番。
そう考えていたら、御主人が指差した植木鉢。
「この鉢だけどね…。幼稚園で花を育てていた鉢を、貰って帰って来たらしいんだよ」
プレゼント用の花とセットになっているらしくてね…。だからプレゼントに、というわけさ。
「花?」
何処に、と見詰めた植木鉢の中。土しか入っていない鉢だし、花のラベルもついてはいない。
「ちゃんと植わっているんだよ。この土の中に」
何の花かは内緒だよ、と可愛い秘密だったから…。実は私も知らなくってね。
芽を出してからのお楽しみだ、と御主人が眺めている植木鉢。土が入っているだけの鉢。
「いったい何が咲くんだろうね」と、お孫さんの顔を見ているみたいに目を細めて。
「…何の花かも分からないなんて…。育て方は?」
どうすればいいの、と丸くなった目。花の正体が謎のままでは、育て方だって分からない。
「芽を出すまでは、たまに水やり。…乾きすぎない程度にね」
まだ、それだけしか聞いていないね。ほら、この通り、土しか見えないから。
芽が出て来たなら、育て方の続きを孫が教えてくれるんだ、と御主人は笑顔。
「いつ芽が出るかも謎だけれどね」と、「早く報告してあげたいね」と。
お孫さんはきっと秘密の続きを教えられる日を、楽しみに待っている筈だから。どうやって花を咲かせればいいか、大得意で説明したいだろうから。
これはそういうプレゼントだよ、と聞かされて家に帰って来て。
ダイニングでおやつを食べる間に、また植木鉢を思い出す。芝生にチョコンと置かれた鉢。今は土しか見えない鉢でも、自慢の花が咲いている鉢を飾って披露するかのように。
(おじさん、楽しそうだったよね…)
正体不明の花が植わった植木鉢。それを教えてくれる間も、何度も植木鉢を眺めて。
植木鉢は母も幾つか持っているけれど、謎の植木鉢は一つも無い。鉢に植わった花たちの種は、母が自分で蒔くのだから。「この鉢はこれ」とラベルも添えて。
(ああいうプレゼント、素敵だよね…)
何が育つのか分からない鉢。幼稚園の先生の粋なアイデア。
ただ植木鉢を持って帰るより、ああした方がずっといい。「自分で好きな花を植えてね」と鉢を貰うのも嬉しいけれども、そのままプレゼントになる鉢の方が心が弾む。
(パパやママにあげても喜ばれるし…)
あの御主人のような、おじいちゃんたちに届けに行っても、きっと喜ばれる植木鉢。芽が出たら続きを教えて貰える、土だけに見える素敵な鉢。
(おじさんも、透視したりしないで…)
透視すれば種か球根かくらいは分かる筈なのに、調べない鉢の土の中。
お孫さんの心を覗いても答えが出て来るだろうに、それもしないで芽が出るのを待つ。いったい何の花だろうか、と土が乾いたら水やりをして。
花を育てながら謎解きも出来る、そういう楽しみ。
いつか土から芽が出て来たって、芽だけでは何か分からない花もあるから余計に面白い。詳しい人に尋ねてみるとか、色々な所で調べてみたなら、芽だけでも分かるだろうけれど…。
(おじさん、それもしないよね?)
もっと育って正体が分かる時が来るまで、お孫さんから習った通りに世話をするだけ。水やりをしたり、必要だったら肥料も与えてみたりして。
芽が出るまでは謎が一杯、芽が出てからも謎は解けないかもしれない植木鉢。芽が出て来た、と思いはしたって、正体不明の花の苗。
なんとも素敵で、ワクワクしそうなプレゼント。貰った方も、プレゼントした子供の方も。
(内緒だよ、って…)
幼稚園に通っているという、幼い子供が抱えた秘密。あの御主人のお孫さんだって、早く秘密を教えてみたいし、芽が出る日を楽しみに待つのだろう。芽だけでは謎の植物だったら、もっと長く秘密を抱えておける。
(ホントはこの花、っていう答え…)
教えたいけれど、教えない。おじいちゃんたちも、たまに訊くのだろう。「何の花だい?」と。それでも「内緒」と答えるだろう幼い子供。「花が咲くまで秘密だよ」だとか。
(ぼくもあげれば良かったかも…)
貰った相手も、自分も楽しいプレゼント。謎が詰まった植木鉢。
ぼくだって、おじいちゃんとかに…、と思ったけれど。幼稚園で貰った植木鉢なら、確かに家にあったのだけれど。
(植木鉢、届けに行くには遠すぎ…)
祖父や祖母が住んでいる家は。父方も、それに母方だって、日帰りするには遠すぎる場所。
そのせいで思い付きさえしなかったろうか、植木鉢をプレゼントするということ。
(秘密の花は植えてなくても…)
春になったら花が咲くよ、と届けたら喜んで貰えたろうに。咲く花のラベルがついていたって、秘密の鉢ではない鉢だって。孫から貰った植木鉢だし、きっと大切に世話をしてくれた筈。
けれど自分はそうしなかったから、貰って帰った植木鉢は…。
(ママが花を植えて…)
せっせと世話して育てていた。「せっかく貰ったんだから」と、幼い自分が「ブルー」と名前を書いた植木鉢で。子供が好きそうなデザインの鉢で、名前も書かれている鉢で。
(あの植木鉢…)
流石に今は、もう庭に無い。「子供っぽい鉢はもうおしまい」と。
母のことだから、大切に何処かに仕舞っているかもしれないけれど。一人息子の名前が書かれた植木鉢だし、捨てたりしないで、ちゃんと包んで。
ママなら仕舞っておきそうだよね、と考えながら戻った二階の自分の部屋。
「ブルー」と名前を書いた植木鉢は、今でも家にありそうな感じ。貰った自分が大きくなって、鉢の出番が無くなっても。…母が何かを植えなくなっても。
(植木鉢…)
今の自分は貰ったけれど、前の自分は植木鉢など持っていなかった。成人検査を受ける前なら、貰ったのかもしれないけれど。本物の家族はいない時代でも、子供時代はあったから。
(ぼくが忘れてしまっただけで…)
前の自分も、幼かった頃は植木鉢を持っていたかもしれない。今とは時代が違うのだから、謎の植木鉢は無理だけれども。…プレゼントしようにも、祖父母は何処にもいなかったから。
(子供たちはヒルマンに貰ってたっけ…)
白いシャングリラにいたミュウの子供たち。幼い子たちは、今の自分が貰ったように可愛い植木鉢を貰った。鉢に自分の名前を書いて、花の命を育てていた。ヒルマンの教育方針で。
子供でなくても、部屋に植木鉢を置く仲間たちの数は少なくなかった。自分の部屋にも花や緑が欲しい仲間は、植木鉢。沢山の花を育てたいなら、プランターだって。
白いシャングリラにも植木鉢はあって、子供たちや大人が花を育てていたけれど…。
(ぼくが育てたかった花は、スズラン…)
ハーレイに贈るためのスズラン。
五月一日には恋人同士が贈り合っていた、スズランを束ねた小さな花束。そのスズランを摘みに行きたくても、ソルジャーの身ではどうにもならない。
(でも、青の間でスズランの花を育てても…)
五月一日にスズランの花が消えてしまったら、誰かに贈ったと知られてしまう。部屋付きの係は鉢を見るだろうし、「花が無くなった」と直ぐに気付くから。
ソルジャーが恋をしていることがバレるスズラン、それを育てるのは無謀なこと。恋の相手も、きっと詮索されるから。そうなったならば、ハーレイとの恋が知れそうだから。
此処では無理だ、と諦めたスズランの花を育てること。
植木鉢さえ置いておけたら、スズランを咲かせられるのに。…ソルジャーでなければ、咲かせた花を愛おしい人に贈れるのに。
(だから、花なんて…)
育てたことさえ無かったっけ、と思った青の間。前の自分が暮らしていた部屋。やたらと大きな部屋だったけれど、あそこに植木鉢は無かった。
その気になったら、置けるスペースはあったのに。一つどころか、もう幾つでも。
けれど、無かった植木鉢。育てたい花は無理なのだから、と貰いに行きさえしないままで…。
(…あれ?)
あったような気がしないでもない。青の間には一つも無かった筈の植木鉢。それも普通の植木鉢とは違って、名前が書かれた植木鉢が。
(…ブルーって…?)
まさか、と手繰ってみる記憶。遠く遥かな時の彼方で、前の自分が見ていたこと。
三百年以上の歳月を生きたソルジャー・ブルー。白い鯨になった船でも長く暮らして、青の間で生きていたけれど。深い海の底を思わせる部屋に、思い出は幾つもあるのだけれど…。
植木鉢に名前を書いた覚えなどは無いし、植木鉢の記憶もハッキリしない。どういう形の植木鉢だったか、その欠片さえも浮かんで来ないから…。
(夢なのかな…?)
前の自分が生きていた頃に、青の間のベッドで見た夢だとか。
子供たちと何度も遊んでいたから、その子供たちになったつもりで。夢の中では、自分も子供の一人になっていたかもしれない。
(植木鉢に花…)
子供たちが鉢に種を蒔いたり、球根を植えたりしている所もよく見ていた。ヒルマンに植木鉢を貰った子供が、嬉しそうに名前を書く姿も。
(…子供になってる夢を見たなら…)
前の自分も、夢の中でヒルマンに貰っただろう。自分専用の植木鉢を。
きっと貰ったら大喜びで名前を書いて、土を入れたら、ワクワクしながら花の種や球根を中へ。他の子供たちと一緒にはしゃいで、「これは、ぼくの」と。
そのせいかな、と思ったけれど。名前が書かれた植木鉢は夢で、前の自分が夢の中で持っていたものなのだろう、と考えたけれど。
(でも…)
青の間にあった植木鉢。そういう思いが消えてくれない。
子供になった夢を見たなら、植木鉢が青の間にあるわけがない。子供たちと遊んだ部屋や公園、そういった場所に置かれただろう植木鉢。ソルジャーが暮らす部屋ではなくて。
(子供なんだし、青の間になんか…)
来ようとも思わないだろう。楽しい夢を見ていたのならば、なおのこと。
ソルジャーであることを忘れて、ただのブルーで子供の自分。植木鉢を貰えるような幼い子供になった夢なら、青の間はきっと出て来ない。
(…それなのに、青の間に植木鉢なんて…)
まさか本物があの部屋にあった筈もないのに、と首を捻っていたら、チャイムの音。仕事帰りのハーレイが訪ねて来てくれたから、テーブルを挟んで向かい合うなり問い掛けた。
「あのね、植木鉢のことを知ってる?」
「はあ?」
植木鉢って…、と怪訝そうな顔のハーレイ。「植木鉢と言っても色々あるが」と。
花が植わった植木鉢から、花を育てるための植木鉢まで、大きさも形も実に様々。どの植木鉢のことを言っているのか、と逆に訊き返されたから…。
「うんと基本の植木鉢だよ、多分、誰でも一番最初に貰いそうなヤツ」
幼稚園とかで貰って色々植えるでしょ?
自分の名前を書いて世話して、花が終わったら植木鉢を貰って持って帰るんだよ。
「ああ、あれなあ!」
確かに人生初の植木鉢だ、あれで出会うっていうのが普通だよな。
幼稚園児じゃ、いくらなんでもガーデニングの趣味なんか持っちゃいないから…。
家族に好きな人がいたって、一緒に花を植える代わりにスコップで土を掘るのが子供だ。
せっかくの花壇を踏んづけちまって、すっかり駄目にしちまうのも。
そういう子供に花の育て方を教えるんだな、と綻ぶハーレイの顔。「遊びを兼ねた教育だ」と。
「もっとも、それを教えてみたって、そうそう上手くはいかないが…」
自分が育てる花は大事にしてやっていても、家だと花壇にボールを投げ込んじまうとか。
子供ってヤツはそういうモンだし、小さい間は難しい。叱られても、分かっちゃいないから。
あの植木鉢か、お前が言うのは。…俺も朝顔とかを植えたな、幼稚園でも、学校でも。
お前は何を植えたんだ、という質問。「人生初の植木鉢の花は何だった?」と。
「えっとね、最初は多分、チューリップ…」
それに朝顔も下の学校で植えてたよ。観察日記を書いていたから。
「定番だよなあ、その辺りはな。…チューリップも朝顔も、強い花だから」
子供でも充分育てられるし、育てた甲斐がある花も咲く。如何にも花だ、という花がな。
…それで、その植木鉢がどうしたんだ?
今の学校じゃ出番が無いぞ、と教師としてのハーレイの指摘。下の学校とは違うわけだし、植木鉢に何かを植えているのは園芸部の生徒くらいだが、と。
「今じゃなくって…。前のぼくだよ、シャングリラが白い鯨になった後のこと」
シャングリラにもあったよ、植木鉢が。
小さな子たちがヒルマンに貰って、名前を書いてた植木鉢がね。
「あったな、そういう植木鉢も」
ヒルマンがきちんと世話させていたが、あの植木鉢が何か問題なのか?
前のお前の記憶のことか、と鳶色の瞳で覗き込まれた。「植木鉢で何か思い出したか?」と。
「ああいう鉢をね、前のぼくも持っていたような気がするんだけれど…」
それもね、ただの植木鉢とは違うんだよ。
子供たちが持ってた鉢と同じで、名前付きの鉢。…前のぼくの名前。
でも、気のせいかもしれないし…。
名前を書いた覚えは無いしね、植木鉢には。それに記憶も少しもハッキリして来ないから…。
前のぼくが見ていた夢だったのかな、小さな子供になったつもりで。
植木鉢、青の間にあったような気がするんだけれども、夢の記憶と混ざっちゃったとか…。
青の間に植木鉢は無かったしね、と話したら、ハーレイも頷いた。
「あるわけないよな、あそこには…。そもそも、花なんか育てちゃいないし」
おまけに、お前の名前が書いてある植木鉢なんて…。
それこそ有り得ん、「ソルジャー・ブルー」と書かれた植木鉢なんぞは。
いや、待てよ…?
植木鉢だな、と顎に手を当てたハーレイ。「俺も見たような気がして来た」と。
「見たって…。ホント?」
前のハーレイも植木鉢を見たの、青の間で…?
ぼくが夢で見たヤツじゃなくって、本当に本物の植木鉢を…?
何処にあったの、と身を乗り出した。ハーレイもそれを見たと言うなら、植木鉢は本当にあった筈。前の自分の夢とは違って、実在していた植木鉢。ならば植木鉢に書かれた名前も…。
(ぼくの名前で、ぼくが書いたわけ…?)
子供たちと一緒に鉢を貰って、花を育てていたのだろうか。「ぼくもやるよ」と我儘を言って、ヒルマンに鉢を一つ譲って貰っただとか。
「ちょっと待ってくれ、今、整理中だ。植木鉢を見たってトコまでは…」
ハッキリして来た、植木鉢は確かに青の間にあった。だが、置かれていた理由がだな…。
なんだってアレがあったんだか…。それに花を見たという覚えも無いし…。
そうだ、お前が貰ったんだ!
「えっ?」
貰ったって何なの、誰に植木鉢を貰ったわけ…?
くれそうな人がいないんだけど…、と探った記憶。前の自分は植木鉢どころか、花さえも貰っていないと思う。恋人だったハーレイからも貰わなかったし、ましてや植木鉢なんて…。
「お前に植木鉢をプレゼントしたのは、子供たちだ」
いつもソルジャーに遊んで貰って、仲良くしていたモンだから…。
御礼に植木鉢をプレゼントしたってわけだな、何が咲くかはお楽しみ、と。
「そうだっけ…!」
貰ったんだっけ、子供たちから…。
養育部門へ遊びに行ったら、「これ、ソルジャーにプレゼント」って…。
思い出した、と蘇った記憶。前の自分が子供たちからプレゼントされた植木鉢。
今日の帰り道に出会った御主人、あの御主人と全く同じに、謎のプレゼントを貰ったのだった。何かの種が植わっているらしい植木鉢。見た目にはただ、土が入っているだけの。
(ホントに、今日のと同じだったよ)
何が咲くかは秘密だから、と子供たちが煌めかせていた瞳。「ソルジャーにも内緒」と、それは嬉しそうに。時々水をやっていたなら、その内に芽が出て花が咲くから、と。
(ぼくの名前も…)
ちゃんと「ソルジャー」と書かれていた鉢。子供らしい字で、「ソルジャー」とだけ。
ソルジャーは前の自分だけしかいなかったのだし、子供たちもそう呼んでいたから。
(プレゼント、とても嬉しくて…)
子供たちが「秘密」と言ったからには、探りはすまいと自分で決めた。何が咲くのかは気になるけれども、透視することも、子供たちの心を読むこともしてはならないと。
手に入れた素敵なプレゼント。いつか何かの花を咲かせる植木鉢。
でも…。
「ハーレイ、前のぼくが貰った植木鉢…。確かに貰ったんだけど…」
貰った後はどうなっちゃったの、とても嬉しかった筈なのに…。
覚えていないよ、植木鉢があったことまで忘れていたくらいに。…どうしてかな?
何か変だよ、とハーレイに訊いた。「どうして覚えていないんだろう?」と。
「忘れちまったか? そうなるのも無理はないんだが…」
植木鉢はともかく、青の間には問題があったんだ。植木鉢と暮らしてゆくにはな。
「問題って…。なあに?」
「芽が出るまでは良かったんだが…。土の中ってトコは真っ暗だしな」
ところが、土から出て来た後。芽がヒョッコリと顔を出した後が駄目だった。
あそこ、灯りが暗かったろうが。
部屋全体が見渡せないよう、照明を暗く設定していた。あの部屋を広く見せるために。
そのせいでだな…。
「…思い出したよ、せっかく芽を出してくれたのに…」
栄養が足りなさすぎたんだっけ…。元気にすくすく育つためには、光が栄養だったのに。
顔を出して直ぐは良かったけれども、元気が無かった弱々しい芽。伸びてゆくほどに、生命力が減ってゆくかのよう。
前の自分も、じきに気付いた。青の間の光が暗すぎるのだと。
白いシャングリラの公園や農場、植物を育てる場所は何処も明るい。太陽を模した人工の照明、それが煌々と照らし出すから。
けれど、青の間ではそうはいかない。照明は暗くしておくもの。部屋を作る時なら、工事用にと明るい照明もあったけれども…。
(取り外しちゃって、もう無くて…)
明るくしようにも、そのための設備を持っていないのが青の間だった。奥にあるキッチンやバスルームならば、もっと明るく出来るのだけれど。…他の仲間たちの部屋と同じに。
それが分かったから、前のハーレイに相談した。勤務を終えて、青の間に来てくれた時に。
「この鉢だけど…。此処だと光が足りなさすぎるよ、どんどん弱って来てしまって…」
奥のバスルームやキッチンだったら、充分に明るく出来そうだけれど…。
点けっ放しには出来ないよね、昼の間はずっとだなんて…。この植木鉢のためだけに…?
「それは問題ありませんが…。エネルギーの使用量だけから言えば」
船のエネルギーには余裕があります、部屋の一つや二つを賄えないようでは話になりません。
昼間どころか二十四時間、点けっ放しになさっていたって何の支障もございませんが…。
ただ、バスルームやキッチンで花を育てゆくというのは…。
可哀相では、というのがハーレイの意見。
花は人の目を楽しませるために咲くものなのだし、見て貰えない場所で咲かせるなど、と。
前の自分もそう思ったから、少し考えてこう言った。
「普段はキッチンの方で育てて、たまにこっちへ持って来るのはどうだろう?」
今みたいな時間に運んで来たなら、君と二人で見てやれるから…。
夜は植物も眠るらしいし、朝まで此処でも大丈夫だろう。朝食の後で返してやれば。
「そういう方法もありますね。…昼間でも、あなたが御覧になる時は此処へ持って来るとか」
少しの間くらいでしたら、暗くなっても大丈夫でしょう。
外の世界で育っていたなら、雨や曇りの日は普段よりもずっと暗いのですから。
その方法なら上手く育ちそうです、とハーレイも賛成してくれた案。
昼間はキッチンに鉢を運んで、灯りを点けっ放しにする。農場や公園ほどではなくても、充分に明るく出来るから。青の間よりは、ずっと明るいから。
「じゃあ、その方法でやってみるから、エネルギーの方はよろしく頼むよ」
この鉢だけのために、キッチンが無駄に明るくなるけれど…。
ぼくが暮らしているだけだったら、三度の食事の時くらいしか照明は必要無いのにね。
他で節約しようとしたって、この部屋はもう、これ以上は暗く出来ないし…。
「船のエネルギーなら、問題は無いと申し上げましたが?」
キッチン程度の広さでしたら、それこそ百ほど点けっ放しでも大丈夫です。それも二十四時間、夜も昼間も関係無く。…ですから、どうぞキッチンの方でお育て下さい。
明日の朝から早速に…、とキャプテンからの許可も下りたし、キッチンに移してやった鉢。何が咲くのか謎の植木鉢は、キッチンで暮らしてゆくことになった。
夜は灯りを消してやったり、青の間の方へ運び出したり、昼と夜とを作り出そうと努力した鉢。
キッチンで光を浴びられるようになった途端に、みるみる元気に育ち始めて…。
「どうやらチューリップのようですね」
蕾の方はまだですが…。この葉はチューリップの葉ですよ、きっと。
似たような葉の花があるかもしれませんが…、とハーレイが眺めた植木鉢。夜になったから、とキッチンから青の間へ運んで来ておいたのを、しげしげと。
「君もチューリップだと思うかい?」
そういう葉だよね。これだけ大きくなったんだから、間違いないと思うんだけれど…。
蕾がつくまで分からないかな、子供たちは今も答えを教えてくれないし…。
「花で分かるよ」としか言わないんだよね、本当に秘密のプレゼントらしい。
チューリップだろうと思うけれども、早く蕾がつかないかな…?
花が咲くのが楽しみだよね、と何度もハーレイと話す間に、蕾がついた。
ぐんぐん大きく育つ蕾は、もう間違いなくチューリップ。何色の花が咲くのだろう、とワクワク眺めて、色がつくのを待ち続けた。
そうしたら、うっすらと見えて来たピンク。緑色だった蕾にピンクが宿ったから…。
(女の子が選んでくれたのかな?)
ピンク色なら、女の子が選びそうな色。「この色が好き!」と、幾つもの色がある中から。
それとも誰かが「強そうだから」と選んだ球根、色のことなど考えもせずに。ヒルマンが幾つも並べた中から、「これ!」と掴んで、この植木鉢へ。
(ピンク色だしね…?)
まさかソルジャーの自分に似合う色でもあるまいし…、と膨らむ想像。わざわざ選んだピンク色なのか、偶然ピンクの花だっただけか。
ピンク色をした花に至るまでの事情は実に様々、どれが当たりか分からないから、また楽しい。それでもピンク色の花だし、「ピンクだったよ」とハーレイにも見せようとして運び出したら。
(あ…!)
キッチンから外に出したら翳ってしまったピンク。薄紫の紗を被せたように。
青の間の灯りでは、あのピンク色は綺麗に見えない。これはこれで綺麗な色だけれども、本来の素敵なピンク色。元気な子供たちの頬っぺたみたいな、あの艶やかなピンク色は…。
(此処だと、見えない…)
青い灯りに吸われてしまって、まるで夜の国で咲く花のよう。太陽の光が射さない国で。
この部屋では育てられないどころか、花の色さえ、キッチンかバスルームでしか見られない花。持って生まれた本当の色を、出すことが出来ないチューリップ。
もうすぐ開く筈なのに。…輝くようなピンク色の花が、誇らかに咲く筈なのに。
(可哀相…)
此処で咲いても、本当の姿を見て貰えないチューリップ。
キッチンでは綺麗に咲いていられても、愛でるためにと運び出されたら、たちまち失せてしまう色。美しいことに変わりはなくても、自慢の色が損なわれる花。
せっかく此処まで育ったのに。…もうすぐ花が咲きそうなのに。
そんな花はとても可哀相だ、と痛んだ心。同じ咲くなら、本当の姿を見せられる場所で咲かせてやりたい。
そう思ったから、仕事を終えたハーレイが青の間にやって来た時、植木鉢を見せた。
「ほら、ピンク色の花だったんだよ。…やっと分かった」
今日の昼間に、色を覗かせたんだけど…。じきにすっかりピンクになるよ。蕾が丸ごと。
「そうですね。あとどのくらいで咲くのでしょう?」
楽しみですね、と眺めるハーレイは気付いているのか、いないのか。…この花の色に。
「ぼくも楽しみなんだけど…。でもね、此処じゃ綺麗に見えないんだ」
ピンク色だとは分かるけれども、本当の色はこうじゃない。…キッチンで見ると分かるんだよ。
「此処は照明がこうですから…。青みを帯びてしまいますね…」
「そう。本当の色で咲かせてやるには、キッチンかバスルームでないと駄目なんだ」
だけど、そんな所で咲かせるなんて…。可哀相だよ、せっかく咲くのに。
キッチンで育てるのは可哀相だ、と此処へ運んでは、君と眺めてやったのに…。
肝心の花が駄目になるなんて、と曇らせた顔。本当に可哀相だから。
「では、この花をどうなさりたいと?」
「綺麗な姿で咲ける所へ、此処から移してやりたいよ。…明るい所へ」
公園でもいいし、農場でもいい。場所は幾らでもあるんだけれど…。
問題は、これをプレゼントしてくれた子供たち。
子供たちの心を傷つけないで移せる方法、何か無いかな…?
此処だと綺麗に咲けないんだから、とにかく花が幸せになれる所へね。
「それは…」
仰ることはよく分かるのですが…。
花が可哀相だとお思いになるのも、もっともなことだと思うのですが…。
しかし…、と考え込んでしまったハーレイ。
「この鉢を、何処かへ移すというのは…」と。元を辿れば子供たちからのプレゼント。今日まで此処で育てて来たから、大丈夫だと思い込んでいるのが子供たち。
青の間の照明では駄目だから、とキッチンで育てたことは知らない。青の間では花の色が綺麗に見えないことにも、気付きはしない。
「…今から何処かへ移すとなったら、子供たちはガッカリするでしょう」
ソルジャーのお気に召さない花だったのか、と勘違いをして。
チューリップの花がお嫌いだったと考えるのか、ピンク色の花がお嫌いだったと思うのか…。
いずれにしても、今からですと、そういう結果にしかならないかと…。
「そうだよね…。もっと早くに移していれば…」
青の間の灯りでは植物を育てられないから、と説明して他所に移せば良かった。
でも手遅れだよ、此処まで育ててしまったから。
何か無いかな、上手く引越し出来る方法…。
「あればいいのですが…。何か…」
子供たちも、あなたも、どちらも傷つかない方法。…それがあれば…。
何か見付かればいいのですが…、とハーレイは腕組みをして眉間に皺。深く考えている時の癖。
「…駄目かな、君でも思い付かないのかい?」
船の仲間たちのことも、この船のことも、君はぼくより詳しい筈で…。
ぼくは漠然と知っているだけで、君のようにデータで知っているわけじゃないからね。
「そう仰られても…。いえ、その船です…!」
こういう方法は如何でしょう?
このチューリップを、船の仲間たちに鉢ごとプレゼントなさるのは。
「プレゼント?」
「そうです。ソルジャーが此処までお育てになった、立派な花を贈るのですよ」
これからが綺麗な時だから、と船の仲間たちが眺めて楽しめるように。
食堂だったら皆が見ますよ、食事に出掛けてゆく度に。
「いいね、あそこは明るいし…。この花も綺麗に咲ける筈だよ」
子供たちから貰った花を、今度はぼくが贈るわけだね。…船のみんなに。
ありがとう、とハーレイに抱き付いて御礼のキスを贈った。
その方法なら、子供たちの心も傷付かない。プレゼントした花は立派に育って、船の仲間たちの目を楽しませるために食堂に引越しするのだから。
綺麗な花が咲くと分かったからこそ、船の仲間たちに贈るプレゼントに選ばれたのだから。
(それなら絶対、大丈夫だもんね…?)
子供たちが贈った謎の植木鉢は、大出世。ソルジャーからのプレゼントとなったら、皆の注目を浴びるもの。たとえチューリップの鉢であろうが、一輪しか咲かない花だろうが。
そう決まったから、次の日の朝、朝食の後で植木鉢を食堂まで運んで行った。
キャプテンのハーレイに恭しく持たせて、「ソルジャー」と書かれたチューリップの鉢を。
迎えに出て来た食堂の者たちに、「青の間で育てた花だから」と譲り渡した植木鉢。映える所に置いて欲しい、とソルジャーとしての笑みを浮かべて。
「あの花、人気だったよね?」
ぼくは青の間から思念で見ていたけれど…。咲く前から注目されてたよ。
「うむ。咲き終わった後にも、奪い合いでな」
ソルジャーが育てたチューリップだから、と女性たちが欲しがって大騒ぎだった。
なにしろ相手はチューリップだしな、きちんと世話すりゃ次の年だって咲くんだから。
次の年と言えば、そっちも期待されたよなあ…。
また来年もソルジャーから花のプレゼントが来るかもしれん、と。
「うん…。期待するのはかまわないけど、青の間、花には向いてないから…」
またキッチンで育てるだなんて、花が可哀相すぎるんだよ。…どんな花でも。
「お前、ヒルマンに上手く断らせたんだよなあ…。次の年の花のプレゼント」
子供たちは残念がっていたがな、「ソルジャーにプレゼントしちゃ駄目だなんて」と。
「食堂の花が人気だったの、子供たちだって知っていたしね」
でも、青の間では見られないんだもの。…どう頑張っても、せっかくの花が。
「其処なんだよなあ…。お前がせっせと世話をしたって、最後がなあ…」
船の仲間へのプレゼントなんじゃ、お前が頑張る意味が無いから。
園芸係ってわけでもないのに、育てただけで終わっちまって、花を見られずじまいじゃな。
たった一回きりだったよな、とハーレイが笑う植木鉢。
青の間にたった一度だけあった、植木鉢という花を育てる道具。
「お前、今度はどうしたい?」
俺の家なら植木鉢も置けるぞ、何処にだって。…家の中でも、庭でもな。
育てたいなら、植木鉢を置いてくれてもいいが。
「植木鉢…。今度は確かに置けるだろうけど、子供たちは、もうくれないよ?」
此処はシャングリラじゃないし…。
今日のおじさんの家みたいに、お孫さんが持っても来てくれないし…。
「ふうむ…。なら、俺がプレゼントしてやろうか?」
お前がやってみたいと言うなら、謎の植木鉢のプレゼント。
今のお前じゃ、どう頑張っても、正体が分かるわけがないからな。
俺の心を読めやしないし、植木鉢の中を透視するのも無理なんだから。
「いいかも…!」
植木鉢で何か育てるんなら、ハーレイがくれる謎の植木鉢がいいな。育て方も謎で、名前も謎。
どんな花が咲くのか、育ててみないと分からないのを育てたいよ…!
もう青の間じゃないんだけどね、と欲しくなって来たプレゼント。
何が育つかまるで分からない、ハーレイがくれる謎の植木鉢。
それを育ててみるのもいい。
芽が出ただけでも、きっと幸せ。
立派に育ってハーレイと花を眺める頃には、もっと幸せ一杯だから…。
謎の植木鉢・了
※ブルーが出会った、何が咲くか謎な植木鉢。前のブルーも、それを育てていたのです。
子供たちから貰って、青の間で育てた花ですけれど…。青の間の照明には、問題がありすぎ。
※シャングリラ学園シリーズには本編があり、番外編はその続編です。
バックナンバーはこちらの 「本編」 「番外編」 から御覧になれます。
シャングリラ学園に今年も春がやって来ました。入学式にはもちろん参加で、今年もやっぱり1年A組だった私たち。担任は不動のグレイブ先生、どう考えてもブラックリストで札付きなのが分かります。グレイブ先生は入学式の日の実力テストで会長さんと熱いバトルで…。
「今年もこういう季節ですねえ…」
バタバタもそろそろ一段落でしょうか、とシロエ君。今日は土曜日、みんなで会長さんのマンションに遊びに来ています。お花見シーズンは終わりましたから、普通にダラダラ。
「だよなあ、校内見学もクラブ見学も終わったしよ…。新入生歓迎パーティーも」
週明けからは授業が始まるし、とサム君が相槌、シャングリラ学園の年度初めは毎年ドタバタ。いろんな行事がてんこ盛りだけに、授業はなかなか始まりません。
「新入生歓迎パーティーってさあ…。ぼくたちは今年も出てないけどさ」
とっくに資格が無さそうだし、とジョミー君。
「当たり前だろう、俺たちが何回、入学式に出たと思っているんだ!」
厚かましいぞ、とキース君が顔を顰めて。
「裏方に回って当然だ! 一度は卒業した身というのを忘れるなよ?」
「覚えてるけど…。だから今年もエッグハントの手伝いで卵を隠してたけど…」
どうして卵なんだろう、と言われましても。新入生歓迎パーティーの花はエッグハントで、校内のあちこちに隠された卵を新入生が探すイベント。見付けた卵は貰ってオッケー、目玉商品は「そるじゃぁ・ぶるぅ」が化けた青い卵です。それを見付ければ豪華賞品ゲットな卵。
「どうして卵って…。エッグハントですよ、ジョミー先輩?」
文字通りに卵じゃないですか、とシロエ君が返して、マツカ君が。
「イースターのエッグハントの真似だったように思うんですけど…」
「そうよ、それよ! 宗教は関係ありません、ってリオさんが説明してるじゃないの」
毎年その筈、とスウェナちゃんも。
「イースターにはエッグハントで、卵を探して回るものでしょ?」
「うん、スウェナが言うので間違いないね」
イースターのをパクッたんだよ、と会長さんが証言しました。
「ウチの学校、お祭り騒ぎが大好きだしねえ…。それに、ぶるぅがいるものだから」
卵にドロンと化ける達人、と舞台裏を聞いて納得です。卵から生まれた「そるじゃぁ・ぶるぅ」は卵に化けるのが大得意。使わない手はありませんよね!
会長さんと同じく三百歳を軽く超えている「そるじゃぁ・ぶるぅ」。でもでも、実年齢はともかく中身は子供で、六歳になる前に卵に戻ってリセットだという不思議な生き方。自分の意志でも卵に変身可能ですから、豪華賞品を預けておくにはピッタリです。
「えっと…。ぼくが言ってるのは、そっちの卵で…」
エッグハントの方なら分かる、とジョミー君の話は「そるじゃぁ・ぶるぅ」の生き方よろしく、出だしにリセット。
「ぶるぅがいるからエッグハントだっていうのも分かるんだけど…。そのぶるぅだよ」
「「「ぶるぅ?」」」
「うん。…なんで、ぶるぅは卵なわけ?」
人間だよね、とジョミー君は「そるじゃぁ・ぶるぅ」をまじまじと。
「かみお~ん♪ ぼくはもちろん、人間だよ!」
オバケじゃないもん、と元気な返事で、ジョミー君は更に。
「そうだよねえ…。でもさ、どうして卵から生まれて来ちゃったわけ?」
それに六歳になる前に卵に戻ってまた孵化するし、という質問をされた「そるじゃぁ・ぶるぅ」は真ん丸な目で。
「…なんでって…。ぼくは卵で…。子供のままでいるのがいいから、卵に戻って…」
「やり直しだよね、それも知ってる。だけど、卵な理由は何?」
「えーっ!? そんな難しいことを訊かれても…」
分かんないよう! と「そるじゃぁ・ぶるぅ」は会長さんに助けを求めました。
「ねえねえ、ブルー、ぼくって、どうして卵なの?」
「うーん…。それが分かれば、ぼくだって苦労はしないんだけどね?」
卵の仕組みは未だに謎だし、と会長さんまでが腕組みする有様。
「…本当に卵に戻った時には、いつ孵化するかも読めないわけで…。ぼくにも色々と制約が…」
「あんた、適当に放って遊んでいるだろうが!」
温めているとは聞かないぞ、とキース君の鋭いツッコミが。
「特製クッションに乗せておいたらオッケーだとかで、放って遊び歩きやがって!」
「んとんと…。それは仕方がないと思うの!」
ブルーも色々、忙しいもん! と会長さんの肩を持つ「そるじゃぁ・ぶるぅ」は絵に描いたように立派な良い子。とはいえ、どうして卵から生まれて来るんでしょうねえ…?
卵に戻って孵化してみたり、卵に化けたりするのが「そるじゃぁ・ぶるぅ」。それを生かして新入生歓迎パーティーのエッグハントまでがあるというのに、どうして卵なのかは謎みたいです。卵から生まれる「そるじゃぁ・ぶるぅ」本人にも、一緒に暮らしている会長さんにも。
「…分かってないんだ、卵の理由…」
ジョミー君は残念そうで、会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」は顔を見合わせて。
「…最初から卵だったしねえ?」
「そだよ、気が付いたら卵の中だったよ、ぼく!」
その前のことは分からないもん、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」。遠い昔に火山の噴火で海に沈んだアルタミラという島が二人の出身地ですけど、その島に住んでいた会長さんの枕元にコロンと転がっていたのが二人の出会い。片方は卵なんですけれど。
「ぶるぅの卵があった理由も謎だしねえ…。誰も教えてくれなかったし」
「ぼくも誰にも聞いてないもん…」
ブルーの声が殻の向こうから聞こえてただけ、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」も言ってますから、本当に理由は謎なのでしょう。何故、卵なのか。
「…謎なのかよ…」
ホントに分かっていなかったのな、とサム君が頭を振った所へ。
「お互い様だよ、ぶるぅの卵は謎だらけだよ!」
「「「!!?」」」
誰だ、と一斉に振り向いた先にフワリと翻った紫のマント。別世界からのお客様です。
「ぶるぅ、ぼくにもケーキと紅茶!」
「オッケー! 今日はイチゴたっぷりミルフィーユだよ!」
はい、どうぞ! とサッと出て来たミルフィーユと紅茶。ソルジャーは早速、ミルフィーユにフォークを入れながら。
「ぶるぅが卵から生まれる理由は、ぼくにも分かってないってば!」
「あのとんでもない悪戯小僧か?」
大食漢の、とキース君が訊くと、「他に誰がいると?」と返したソルジャー。
「ぶるぅの方がもっと謎だよ、卵以前の問題だから!」
そもそも卵ですらもなかった、とソルジャーに言われてみれば…。「ぶるぅ」の場合は、卵になる前に石ころの時期があったんでしたっけ…。
ソルジャーの世界のシャングリラに住む「そるじゃぁ・ぶるぅ」のそっくりさんが「ぶるぅ」。悪戯と大食いが生き甲斐、趣味は大人の時間の覗きだという迷惑な子供。ソルジャーとキャプテンが温めた卵から生まれたのだと聞いてます。でも。その前は…。
「ぶるぅは最初は石だったんだよ? こんなに小さな!」
ソルジャーが示す指先くらいのサイズ。しかも真っ白で、「そるじゃぁ・ぶるぅ」のような青い卵ではなかったとか。クリスマスの後に青の間で拾って、サイオンで探ろうとしたら青い卵に変身、仕方ないので温めたという展開で…。
「あれに比べれば、こっちのぶるぅは普通だよ! 最初から卵なんだから!」
「「「うーん…」」」
そうかもしれない、と妙に説得力があるのがソルジャーの話。石が卵に育つよりかは、最初から卵だった方が遥かに普通で、まだマシなのかもしれません。
「えーっと…。その石ころって、サンタクロースのプレゼントなわけ?」
クリスマスなら、とジョミー君。
「なんでぶるぅを貰えるのかは謎だけど…。サンタクロースしかいないよね?」
「多分ね、不法侵入だけどね!」
ぼくのシャングリラの防御システムは完璧なのに、とソルジャーはフウと溜息を。
「ぼくのサイオンにも引っ掛からずに入り込んだ上に、青の間まで来たというのがね!」
あんなに目立つ姿のくせに、とソルジャーの思考はズレていました。
「真っ赤な服とか、担いだ大きな袋とか…。太っている上にお爺さんだし、逃げ足も遅いと思うんだけど…。このぼくが遅れを取るなんて!」
ソルジャーのメンツが丸潰れだよ、とサンタクロースの侵入を許した自分が情けないとか。
「おまけに、くれたプレゼントがぶるぅなんだよ? あんまりだってば!」
「もっと他のが欲しかったわけ?」
会長さんが尋ねると、「決まってるじゃないか!」とソルジャー、即答。
「悪戯小僧で無芸大食、サイオンだけが無駄に強くて、趣味が覗きって最悪だよ!」
「…それってさあ…。ホントに別のだったら良かった?」
サンタクロースのプレゼント、とジョミー君がソルジャーに。
「同じ卵でも、もっと別のとか」
「「「卵?」」」
ジョミー君の頭は卵から逃れられないのでしょうか、他にどういう卵があると?
「そるじゃぁ・ぶるぅ」も悪戯小僧の「ぶるぅ」も、青い卵から生まれた子供。ジョミー君は「そるじゃぁ・ぶるぅ」が卵から生まれる理由を知りたかったみたいですけど、理由は謎。「ぶるぅ」の方だと更に謎だらけ、ジョミー君の頭の中は卵一色らしいです。
「別の卵って…。どういう意味だい?」
お得用の卵パックだろうか、とソルジャーの言葉も斜め上でした。
「確かに、そういう卵だったら食べてしまえば良かったわけだし…。プレゼントに貰うには丁度いいかもね、美味しいケーキが出来そうだから!」
卵料理は御免だけれど、と言うソルジャーは偏食家。こっちの世界だと「地球の食べ物は何でも美味しい」とグルメ三昧しているくせに、自分の世界では「お菓子があれば充分」な人。食事をするなど面倒だから、と栄養剤を希望、キャプテンが苦労しているようです。
「ケーキを作って貰えるんなら、卵も美味しいのがいいねえ…。お得用のパックよりかは、断然、平飼いの卵だね! …ぼくの世界にあるかどうかは謎だけど!」
「そういう卵じゃなくってさ…。ハーレイの卵だったら、どう?」
「「「ハーレイの卵!?」」」
「うん。…はぁれぃって言うべきなのかもしれないけどね」
ちょっと呼びにくいけど、とジョミー君。
「サンタクロースのプレゼントなんだし、そっちだったらいいのかと思って」
「はぁれぃの卵って…。なんだい、それは?」
ソルジャーがポカンとしていますけれど、ジョミー君は。
「ぶるぅの卵か、はぁれぃの卵か、どっちかだったら、はぁれぃかなあ、と」
孵化したら「ぶるぅ」の代わりに「はぁれぃ」、とジョミー君の発想もぶっ飛んでいます。
「はぁれぃの方が嬉しいかな、って。…結婚するくらいに好きみたいだから」
「…はぁれぃねえ…」
それは考えたことも無かった、と唸るソルジャー。
「つまりアレかい、ぶるぅみたいにミニサイズのハーレイが生まれて来ると?」
「そうだけど…。そっちの方が良かったかな、と」
だって一応、ハーレイだしね、とジョミー君は言ってますけれど。はぁれぃの卵とやらを貰った方が良かったんですかね、ソルジャーは…?
「はぁれぃかあ…。ビジュアル的には悪くないけど…」
ぶるぅみたいにチビのハーレイ、とソルジャーは顎に手を当てて。
「でもねえ…。それもやっぱり悪戯小僧で、凄い大食いなんだろうねえ?」
おまけに覗きが大好きで、と歓迎出来ない様子ですけど。
「それはどうだか分からないよ?」
元ネタが全く別物だから、と会長さんが指摘しました。
「ジョミーがそこまで考えてたかは知らないけれどね、はぁれぃの卵を貰った場合は、ぶるぅとはまるで違った子供が孵化してたかも…」
「何か根拠があるとでも?」
ぶるぅが卵から生まれる理由も分からないくせに、とソルジャーが言うと、会長さんは。
「あくまで、ぼくの推測だけど…。こっちのぶるぅには当てはまらないけど、君のぶるぅを考えてみると、はぁれぃだと別になりそうで…」
「どんな具合に?」
「君のハーレイを強烈にデフォルメしたような感じ!」
ぼくにもイメージ掴めないけど、と会長さん。
「デフォルメだって?」
「そう! 君の世界のぶるぅだけれどね、君を強烈にデフォルメしたって感じでねえ…」
まずは大食い、と会長さんは指を一本立てて。
「君は大食漢ってわけじゃないしね、自分の世界じゃ殆ど食べないって話だけれど…。でも、食べること自体は好きと見た! お菓子限定で!」
「…それは否定はしないけど…。お菓子だったらいくらでも食べるし、三食全部おやつだったら大歓迎だよ、ハーレイが許してくれないけどさ」
ぼくの世界のノルディもうるさく文句を言うし、とソルジャーは不満そうな顔。
「お菓子だけで食べていける世界が夢なんだけどねえ、ぼくの世界なら」
「ほらね、好物なら食べるんだよ、君は! こっちの世界じゃグルメ三昧だし!」
ぶるぅの大食いは君に生き写しで、もっと強烈になったケース、と会長さん。
「お菓子じゃなくてもオッケーなだけで、丸ごと君に似たんだよ! 強烈にデフォルメされちゃってるから、凄い大食いになったんだってば!」
ご意見は? という会長さんの問いに、ソルジャーは反論出来ませんでした。好物だったら好きなだけ食べるという点は間違っていないんですから。
悪戯小僧な「ぶるぅ」の大食いはソルジャーの食生活をデフォルメしたもの。言われてみれば頷ける説で、会長さんは二本目の指をピッと立てると。
「でもって、悪戯! これも君の性格と無関係だとは思えないけどね?」
ぼくたちが日頃、蒙っている色々な迷惑から考えても…、と会長さん。
「君に自覚は全く無くても、ぼくたちからすれば立派なトラブルメーカーなんだよ! ぶるぅには負けるというだけで!」
「…そうなのかい?」
ぼくは迷惑なんだろうか、とソルジャーがグルリと見回しましたが、首を縦に振った人はゼロ。横に振った人もゼロですけれど。
「ご覧よ、誰も否定をしないってトコが証拠だよ! ぶるぅと同じで悪戯小僧!」
その性格をもっと極端にしたら「ぶるぅ」が出来る、と会長さんが立てた三本目の指。
「それから、ぶるぅのおませな所! 胎教だとばかり思っていたけど…」
卵をベッドで温めてた間もお盛んだったようだし、と会長さんはフウと溜息。
「そのせいなんだと思い込んでいたけど、それも違うね! 君のせいだね!」
「…ぼくは覗きはしないけど?」
「君が覗いてどうするのさ! 覗くよりかは覗かれる方が好きなんだろう!」
「…覗かれていても燃えないからねえ、好きってことはないんだけどね?」
覗かれていても平気なだけだ、とソルジャーが答えて、会長さんが。
「そのふてぶてしい性格だよ! ぶるぅはそれを貰ってるんだよ、強烈にデフォルメした形で!」
だから叱られても覗きをやめない、と会長さん。
「ついでに君の恥じらいの無さとか、やたら貪欲な所も絡んでくるものだから…。大人の時間を覗き見するのが大好きな上に、おませなんだよ!」
これだけ揃えば立派な「ぶるぅ」の出来上がり、という会長さんの説に誰からともなく上がった拍手がパチパチ。なるほど、「ぶるぅ」はソルジャーそのもの、小さい代わりに性格が強烈になったんですねえ、デフォルメされて…。
会長さん曰く、悪戯小僧で大食漢で、おませな「ぶるぅ」はソルジャーの性格を丸ごとパクッて、強烈にデフォルメしてある存在。ソルジャーを子供にしたような姿ですから、元ネタはソルジャーらしいです。
「だからね、モノがはぁれぃの卵だった場合は、別物になると思うんだけど!」
元がハーレイなんだから、と会長さん。
「君のハーレイの性格を強烈にデフォルメしたようなのが出来るかと…」
はぁれぃだったらそうなる筈、という推理には頷けるものがあります。キャプテンを小さくしたような姿で生まれて来るのが「はぁれぃ」、性格の方も元ネタをパクッていて当然。
「なるほどねえ…。はぁれぃの卵を貰っていたなら、今頃は別のがいたわけだ?」
姿も中身も…、とソルジャーも理解したようで。
「どんな性格になるんだろうねえ、そのはぁれぃは?」
「…引っ込み思案ってトコじゃないな」
ヘタレを強烈にデフォルメなんだし、と会長さんが言い、キース君も。
「そんなヤツかもしれないな…。自己紹介もマトモに出来ないようなヘタレなんだな?」
「ぼくはそうだと思うけど?」
ヘタレは確実に出るであろう、と会長さん。
「それからクソがつくほど真面目で、とことん丁寧な言葉遣いで!」
「「「あー…」」」
キャプテンの性格をデフォルメするならそうなるな、と思うしかない真面目な「はぁれぃ」。言葉遣いもきっと丁寧、舌足らずながらも頑張って喋る「ですます」口調。
「…ぶるぅとはまるでイメージ違うんだけど?」
本当にそうなるんだろうか、とソルジャーが尋ねて、会長さんが。
「ぼくにもイメージは掴めないと言ったよ、こうじゃないかと思う程度で!」
生まれてみないと分からないよね、と会長さん。
「でもねえ、ぼくの推理が当たっていたなら、はぁれぃは全く別物だよ! ぶるぅとは!」
「…そうなるわけか…。どっちの方がマシなんだろう?」
もう手遅れって気もするけれど、と言うソルジャー。サンタクロースは「ぶるぅ」の卵を寄越したわけで、プレゼントはもう貰っちゃったし、と。多分、返品も交換も無理だよねえ、と。
「返品ねえ…。それに交換…」
手遅れだろうね、と会長さんも。
「ぶるぅが来てから年単位で時間が経っちゃってるから、どっちも無理だと思うけど…」
クーリングオフの期間もとっくに過ぎたであろう、という見解。
「もっとも、ぶるぅは買った品物ではないんだし…。クーリングオフは無さそうだけど」
「クーリングオフかあ…。それも出来なくて、返品も交換もとっくに無理、と」
ぶるぅで諦めるしかないってことか、とソルジャーは深い溜息を。
「…はぁれぃの方が良かったような気がするんだけどねえ…」
「あっ、やっぱり? 選べるんなら、はぁれぃなんだ?」
ジョミー君が訊くと、ソルジャーは「うん」と。
「そっちの方が素敵だよ、うん。悪戯はしないし、大食いでもないし、真面目だし…」
「同じ卵でも、ぶるぅとは月とスッポンですからね」
ぼくたちも「はぁれぃ」の方が良かったです、とシロエ君。
「次の機会がありそうだったら、是非、はぁれぃを貰って下さい!」
「えっ、次って…。まだ増えるのかい?」
ぶるぅだけでも大変なのに、はぁれぃまでが、とソルジャーは赤い瞳を見開いて。
「それは御免だよ、返品か交換なら歓迎だけど!」
「…ぶるぅは捨てると?」
はぁれぃを貰えるんなら捨てるのかい、と会長さんが顔を顰めましたが。
「別にいいじゃないか、同じ貰うなら素敵な卵の方がいいしね!」
サンタクロースが相談に乗ってくれないだろうか、とソルジャーが言い出した酷すぎる考え。いくら「ぶるぅ」に手を焼いていても、今更、返品だの交換だのって…。
「あんた、自分に正直すぎるぞ!」
キース君が怒鳴って、ジョミー君も。
「ぼくが言ったのは、もしも、ってコトで…。ぶるぅが来ちゃった段階で、はぁれぃはもう貰えないとか、そんな感じで…」
「そうですよ! ぶるぅが可哀相じゃないですか!」
間違っても本人にそんな話はしちゃ駄目ですよ、とシロエ君。私たちだってそう思いますです、可哀相すぎますよ、どんなに「ぶるぅ」が悪戯小僧でも子供には違いないんですから。
「ぶるぅ」には絶対に聞かせちゃ駄目だ、とソルジャーに何度も釘を刺しておいた「はぁれぃ」の卵という話。けれども、ネタとしては笑える代物なだけに、ソルジャーが夕食を食べて帰ってゆくまでの間に何度も話題に上りました。「ぶるぅ」の代わりに「はぁれぃ」だったら、と。
そしてケタケタ笑い転げて、それっきり忘れた「はぁれぃ」の卵。翌日の日曜日はソルジャーも来なくて極めて平和で、週が明けても平和な日々で。やがて迎えた土曜日のこと。
「ちょっといいかな!?」
ソルジャーが空間移動で飛び込んで来た会長さんの家のリビング。おやつ目当てでやって来たな、と直ぐに分かるだけに、「そるじゃぁ・ぶるぅ」がベリーのタルトを用意しましたが…。
「あっ、ありがとう! 腹が減っては戦が出来ぬと言うからねえ…!」
これは有難く頂いておいて、とガツガツと食べているソルジャー。何か急ぎの用でもあるのか、凄い速さで食べ終わると。
「これを見てくれるかな、こんなのだけど!」
見た目にはただの石なんだけど、とテーブルに置かれた白い石ころ。指先くらいの大きさです。
「…この石がどうかしたのかい?」
ただの石にしか見えないけれど、と会長さんが訊くと、ソルジャーは。
「そこが問題なんだってば! ただの石にしか見えないってトコが!」
「…石だろう?」
「あるべき所にあったんだったら、確かにただの石なんだけど!」
公園に落ちていたんだったら何も問題無いんだけれど、と謎の台詞が。
「…メイン・エンジンとかワープドライブの辺りかい?」
それは確かに問題かもね、と会長さん。
「ああいう機関に異物は禁物、おまけに石があったとなると…。子供が出入りをしてるわけだし、厳重に注意しておかないと」
色々な意味で危険すぎる、と会長さんもソルジャーだけのことはあります。
「監視カメラはついてるんだろう? 直ちに映像を解析すべきで、持ち込んだ子供を特定出来たら厳しく叱っておくべきだね!」
「…そっちの方がよっぽどマシだよ!」
これはハーレイの部屋で見付かったのだ、とソルジャーは石を指差しました。キャプテンの部屋の床にコロンと転がっていたらしいんですけど、その場所に何か問題が…?
キャプテンの部屋にあったという石。白い小さな石で、何処から見たって普通の石で。
「…君のハーレイの部屋だと何がいけないんだい?」
会長さんの問いに、ソルジャーは。
「ハーレイの部屋で石ってトコだよ、これが青の間なら、ぶるぅなんだよ!」
「「「は?」」」
「ぶるぅだってば、ぶるぅの卵も最初はこういう白い石で!」
サイオンで探ったら青い卵に変わったのだ、とソルジャーの顔に焦りの色が。
「ハーレイの部屋にあったってことは、これは、はぁれぃの卵じゃないかと…!」
「はぁれぃって…。それはいくらなんでも…」
考えすぎじゃないのかい、と会長さん。
「第一、今はクリスマスでもないからね? サンタクロースが来るわけがないし!」
「それはそうだけど、でも、ハーレイは石なんかを部屋に持って行ってはいないと…!」
なのにベッドから転がり落ちた所が問題、と言うソルジャー。床に転がっていたと言いませんでしたか、ベッドから床に落ちたんですか?
「うん、多分…。ベッドに入る前には落ちてはいなかったからね」
ハーレイとベッドで楽しく過ごして、起きたら床に転がっていた、という証言。
「だからベッドから落ちたんじゃないかと…。でも、ハーレイは石なんか部屋に持っては来なかったらしいし、危険すぎるんだよ! はぁれぃの卵の可能性大!」
「…それで?」
ぼくたちに何をどうしろと、と会長さん。
「季節外れのプレゼントを貰ってしまったと言うなら、それは君の世界の問題だろう?」
「そうなんだけど…。ぶるぅだけでもう手一杯だよ!」
この上、はぁれぃまでは要らない、とソルジャーは身勝手すぎました。キャプテンの部屋に「はぁれぃ」が住み着いてしまえば、夫婦の時間にも悪影響が…、などと言うのがソルジャー。
「はぁれぃはクソ真面目だから覗きはしない、と言うだけ無駄だよ、ぼくのハーレイには!」
部屋に余計な住人がいるだけでヘタレには脅威になるのだそうで。
「現にハーレイ、これがはぁれぃの卵だったら、もうハーレイの部屋では嫌だと言ってたし…」
あの部屋で大人の時間を過ごせなくなる、とソルジャーが恐れる「はぁれぃ」の卵。ただの石にしか見えないんですし、考えすぎじゃないですか…?
ソルジャーが一人で大騒ぎしている白い石。「はぁれぃ」の卵だと慌ててますけど、ただの石ころっていう線もありますよ?
「そ、そうなのかな…? ハーレイに覚えが無いってだけで…?」
何かのはずみに紛れ込んだかな、とソルジャーは首を捻っています。リネン類とかを運ぶ台車があるかはどうかは知りませんけど、運搬中に子供が突っ込んだかも…。
「子供ねえ…。まるで無いとは言い切れないねえ、それでそのままハーレイの部屋に?」
「そういうオチかもしれないよ? 上手い具合にくっついてたかも」
ベッドメイキングの係がサイオンを使っていたら、と会長さん。
「大きなベッドを相手にするなら、補助のサイオンは欲しいトコだし…。シーツとかをバッと広げて被せようって時に、石もそのまま運んじゃったとかね」
「そうだね、その可能性もゼロではないか…。ホッとしたけど、念のため…」
確認だけはしておこう、とソルジャーが右手で石を握って、その手がボウッと青い光に包まれています。サイオンで探っているわけですね、ただの石かどうか。
「やっぱり心配になるからね! うん、大丈夫かな、反応しないし」
心配して損をしちゃったよ、とソルジャーが石をテーブルにコトンと置いた途端に。
「「「えっ?」」」
今度は石がボウッと光って、一瞬の内にピンク色の卵に変わっていました。鶏の卵くらいのサイズで、つまりは「そるじゃぁ・ぶるぅ」が化ける卵と同じ大きさ、ただし色違い。
「…卵になった!?」
ジョミー君が顔を引き攣らせて、キース君が。
「まさか、はぁれぃの卵なのか、これは!?」
「…ぼ、ぼくも信じたくないけれど…。で、でも…!」
ハーレイの部屋にあった以上は「はぁれぃ」の卵なのだろう、とソルジャーは再び大慌て。
「こういうことだよ、はぁれぃの卵なんだよ、これは!」
「持って帰って温めたまえ!」
君の世界の卵なんだし、と会長さんが扉の方を指差しましたが、ソルジャーの方は。
「そうはいかないって言ったじゃないか! ぼくもハーレイも困るんだよ!」
はぁれぃまで育てる余裕はとても…、と話は振り出しに戻っています。要らないだなんて言う方が無茶で、育てるべきだと思うんですけど…?
ソルジャーが持ち込んだ白い石ころ、転じてピンク色をした卵。「ぶるぅ」が生まれるまでの状況と似てはいるものの、発見された場所はキャプテンの部屋。ゆえに「はぁれぃ」の卵であろう、とソルジャーでなくても考えるわけで…。
「はぁれぃの卵なら、君たちできちんと温めるべきだよ!」
育児放棄をしてどうするのだ、と会長さんは眉を吊り上げました。
「こうして卵になったからには、育てる責任は君たちにあるから!」
「でも、ハーレイが反対なんだよ! ぼくもだけど!」
はぁれぃの卵は孵化するまでにも一年かかる、と騒ぐソルジャー。
「その間、ぼくたちのベッドにドンと卵が居座るわけだし、おまけに中身は、はぁれぃだし…!」
「はぁれぃの方で良かったじゃないか、ぼくの推理が当たっていたならクソ真面目だから!」
どんな胎教を食らったとしても真面目な子供になるであろう、と会長さん。
「いつか卵が孵った時には、実にいい子になるかもねえ…。何かと言えば特別休暇に励む君たちに説教をかましてくれるような!」
「せ、説教って…?」
「こんな所で励んでいないで仕事をしたら、と横で注意をしてくれるんだよ!」
それは覗きとは言わないから、と会長さんはピッシャリと。
「大人の時間にうつつを抜かしている弛んだ君たちにお説教! 仕事に行け、と!」
君の方は暇でもハーレイには仕事があるんだから、と会長さん。
「はぁれぃは頼もしい子になってくれるよ、胎教が酷ければ酷いほど!」
「そ、そんな…! ハーレイがますますヘタレるじゃないか!」
ぶるぅの覗きよりも酷い展開、とソルジャーは焦りまくっています。
「覗きだけでも、ハーレイは萎えてしまうのに…! 堂々と出て来てお説教なんて…!」
「いいと思うよ、そういう真面目な子供も君たちには必要だよ!」
君のシャングリラの未来のためにも、「はぁれぃ」は希望の光になるね、と会長さんが挙げる「はぁれぃ」という子供の素晴らしさ。特別休暇と称してサボッてばかりのソルジャー夫妻にお説教をかまし、日頃の夫婦の時間も翌日に備えて早めに切り上げるように監視モードで…。
「はぁれぃは絶対、育てるべきだね! 君のシャングリラで!」
「そういう子供は困るんだってば!」
ぼくの士気にも関わるから、とか言ってますけど、見られていたって平気というのがソルジャーですから、説得力はゼロですねえ…?
私たちは「はぁれぃ」の卵を温めるように、と口々にソルジャーに言ったのですけれど。なにしろ相手は自分勝手で、「ぶるぅ」を返品して「はぁれぃ」と交換出来たらいいのに、と言い放ったような思考の持ち主。旗色が悪い、と考えたらしいソルジャーは逃げて帰ってしまって…。
「…会長、この卵、どうするんですか?」
親がいなくなってしまいましたが、とシロエ君が見ているピンク色の卵。テーブルの上に放っておかれて、それは寂しそうな感じに見えます。
「うーん…。ぶるぅの卵と同じ仕組みなら、温めなくてもいいんだけれど…。あっちのぶるぅは温めないと駄目だったようでもあるからねえ…」
「俺たちで温めるしかねえのかよ?」
このままだと駄目になっちまうよな、とサム君が卵をつつくと、キース君が。
「孵卵器は使えないんだろうか? あれが使えるなら便利なんだが…」
時々、卵の向きを変えてやるだけで良かった筈だ、と挙がった孵卵器。でも…。
「それは駄目だね、あっちのぶるぅの卵は大きく育つんだから」
「「「あー…」」」
そうだったっけ、と思い出しました。「そるじゃぁ・ぶるぅ」の卵の殻は成長しませんけれども、「ぶるぅ」の卵は育ったのだと聞いています。最終的には抱えるほどの大きさに。
「…仕方ない、親が逃げた以上は里親だよね」
でも、ぼくたちも余計な時間は取られたくないし、と会長さんの指がパチンと鳴って。
「な、なんだ!?」
瞬間移動で教頭先生が呼び出されました。家で寛いでらっしゃったのに違いありません。
「悪いね、君に頼みたいことが出来ちゃって…」
子供を育てて欲しいんだけど、と会長さん。
「子供だと?」
「そう。…ブルーが捨てて行っちゃったんだよ、この卵を!」
一年間ほど温めてやると「はぁれぃ」という子供が孵化する筈で…、と会長さんは説明を。
「ミニサイズの君みたいなのが生まれる予定の卵で、温めてくれそうな人が他にいなくて…」
「し、しかし…。私にも仕事というものが…!」
「そこは適当でいいんだよ! 温められる時だけで充分だから!」
多分…、と会長さんは卵を眺めて、それから「駄目かな?」とお願い目線。会長さんに惚れている教頭先生はハートを射抜かれてしまい、卵を引き受けてしまわれました。二つ返事で。
こうして里親が無事に決まった「はぁれぃ」の卵。ソルジャー夫妻よりも真面目に温めたのが良かったらしくて、二週間ほどでグンと大きくなったようです。抱えるくらいに育った卵を私たちも見学に出掛けました。会長さんの家から瞬間移動で。
「うわあ、大きく育ちましたねえ…!」
もうすぐ孵りそうですよ、とシロエ君が卵を撫でると、キース君も卵に触ってみて。
「そうだな、今日にでも孵るかもしれん。…だが、あの馬鹿は一度も来ないし…」
「こっちで育てるしかないのかしら?」
性格は問題無さそうだけど、とスウェナちゃん。
「真面目な子供なら、お留守番だって出来そうだけど…。でも、家が無いわね」
「ぼくの家はぶるぅがいるからねえ…。キース、元老寺で引き取れないかい?」
将来はお坊さんになる見習いってことで、と会長さんが凄い提案を。
「真面目なんだし、お経も早く覚えると思う。月参りの時に連れて行ったら評判もいいよ?」
「…そうかもしれんな、小坊主は人気が高いものだし…。親父に相談してみるか」
大食いも悪戯もしない子供なら大丈夫だろう、とキース君。
「それは良かった。じゃあ、暫くはハーレイの家で預かって貰って、話がついたら元老寺に…」
「その話、待った!」
私が育てることにしよう、と教頭先生が名乗り出ました。ベッドで卵を抱えたままで。
「えーっと…。ハーレイ、情が移ったとか?」
「いや、そのぅ…。お前に頼まれて温めたのだし、気分はお前と私の子供で…」
「ふうん? だったら、そういうことで」
いいんじゃないかな、とニンマリと笑う会長さん。これが狙いで元老寺を持ち出したのに違いありません。「はぁれぃ」を育てることになったら、教頭先生の自由時間は激減しますし…。
「そうだよ、おまけにコブ付きなんだよ! もう結婚の資格は無いね!」
ぼくはコブ付きはお断りで…、という会長さんの言葉に教頭先生は顔面蒼白。けれど今更、育てる話を撤回したら更に軽蔑されることは必定、ピンチとしか言いようがない状況で…。
「あっ、生まれるかな?」
ピシッと卵にヒビが入ったのをジョミー君が見付けて、私たちは固唾を飲んで見守ることに。教頭先生がコブ付きになると噂の「はぁれぃ」、どんな姿をしているのでしょう?
ワクワクと見ている間にピシッ、ピシッとヒビが広がっていって…。
「かみお~ん♪ はじめまして、パパ、ママ!」
「「「ええっ!?」」」
現れた子供は「そるじゃぁ・ぶるぅ」にそっくりの見た目、「はぁれぃ」じゃなかったんですか?
「わあっ、ぶるぅだ!」
ずっと卵に化けていたの、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」の歓声が。すると、目の前に素っ裸で立っている小さな子供は…。
「「「ぶるぅ!?」」」
「そだよ、ブルーに連絡してくれる? はぁれぃの卵が孵りました、って!」
二週間も放っておかれたんだから! とニヤニヤと笑う「ぶるぅ」は悪戯小僧の顔でした。まさかソルジャー夫妻は「ぶるぅ」の不在に気付かず、「はぁれぃ」の卵だと思い込んだままで…。
「多分ね、ぼくのパパとママだから! はぁれぃと交換したかった、なんて言ってたから!」
「「「うわー…」」」
その瞬間に私たちは悟りました。ソルジャー夫妻が「ぶるぅ」に超ド級の借りを作ったことを。
「…あ、あいつら、これからどうなるんだ…?」
恐ろしくて考えたくもないんだが、とキース君が左手首の数珠レットを繰り、会長さんが。
「だからぶるぅには聞かせちゃ駄目だと言ったのに…。話しちゃったんだ、はぁれぃの卵…」
「うんっ! 何をして貰ったらいいかな、ぼく? 二週間も放っておかれたもんね!」
一緒に悪戯を考えてくれる? という「ぶるぅ」の誘いに、背筋が寒くなりましたけれど。
「…こんなチャンスは二度と無いからな、俺たちに最強の味方が出来たぞ!」
今までの借りを返そうじゃないか、とキース君が拳を握って、会長さんも。
「そうだね、ハーレイ、君も話に入りたまえ! 卵を温めた功労者だから!」
「い、いや、私はだな…」
「遠慮している場合じゃないだろ、何回コケにされたんだい?」
さあ! という会長さんの悪魔の囁き、教頭先生もお仲間です。ソルジャー夫妻に復讐出来るチャンス到来、「ぶるぅ」が味方につきました。二週間も放置されてた間に悪戯も山ほど考えたでしょう。その悪戯、私たちも大いにアイデア出します、ソルジャー夫妻に天誅ですよ~!
はぁれぃの卵・了
※いつもシャングリラ学園を御贔屓下さってありがとうございます。
卵から生まれる「ぶるぅ」たちですけど、「はぁれぃ」の方がいいと言ったソルジャー。
そして来てしまった「はぁれぃ」の卵、里子に出したのが運の尽き。正体がアレではねえ…。
このシャングリラ学園番外編、来月で連載開始から14周年。今年で連載終了です。
更新は残り2回ですけど、最後まで笑って読んで頂けると嬉しいな、と思っています。
次回は 「第3月曜」 11月21日の更新となります、よろしくです~!
※毎日更新な 『シャングリラ学園生徒会室』 はスマホ・携帯にも対応しております。
こちらでの場外編、10月はソルジャーがマグロ漁船に乗ると言い出しまして…。
←シャングリラ学園生徒会室は、こちらからv
バックナンバーはこちらの 「本編」 「番外編」 から御覧になれます。
シャングリラ学園に今年も春がやって来ました。入学式にはもちろん参加で、今年もやっぱり1年A組だった私たち。担任は不動のグレイブ先生、どう考えてもブラックリストで札付きなのが分かります。グレイブ先生は入学式の日の実力テストで会長さんと熱いバトルで…。
「今年もこういう季節ですねえ…」
バタバタもそろそろ一段落でしょうか、とシロエ君。今日は土曜日、みんなで会長さんのマンションに遊びに来ています。お花見シーズンは終わりましたから、普通にダラダラ。
「だよなあ、校内見学もクラブ見学も終わったしよ…。新入生歓迎パーティーも」
週明けからは授業が始まるし、とサム君が相槌、シャングリラ学園の年度初めは毎年ドタバタ。いろんな行事がてんこ盛りだけに、授業はなかなか始まりません。
「新入生歓迎パーティーってさあ…。ぼくたちは今年も出てないけどさ」
とっくに資格が無さそうだし、とジョミー君。
「当たり前だろう、俺たちが何回、入学式に出たと思っているんだ!」
厚かましいぞ、とキース君が顔を顰めて。
「裏方に回って当然だ! 一度は卒業した身というのを忘れるなよ?」
「覚えてるけど…。だから今年もエッグハントの手伝いで卵を隠してたけど…」
どうして卵なんだろう、と言われましても。新入生歓迎パーティーの花はエッグハントで、校内のあちこちに隠された卵を新入生が探すイベント。見付けた卵は貰ってオッケー、目玉商品は「そるじゃぁ・ぶるぅ」が化けた青い卵です。それを見付ければ豪華賞品ゲットな卵。
「どうして卵って…。エッグハントですよ、ジョミー先輩?」
文字通りに卵じゃないですか、とシロエ君が返して、マツカ君が。
「イースターのエッグハントの真似だったように思うんですけど…」
「そうよ、それよ! 宗教は関係ありません、ってリオさんが説明してるじゃないの」
毎年その筈、とスウェナちゃんも。
「イースターにはエッグハントで、卵を探して回るものでしょ?」
「うん、スウェナが言うので間違いないね」
イースターのをパクッたんだよ、と会長さんが証言しました。
「ウチの学校、お祭り騒ぎが大好きだしねえ…。それに、ぶるぅがいるものだから」
卵にドロンと化ける達人、と舞台裏を聞いて納得です。卵から生まれた「そるじゃぁ・ぶるぅ」は卵に化けるのが大得意。使わない手はありませんよね!
会長さんと同じく三百歳を軽く超えている「そるじゃぁ・ぶるぅ」。でもでも、実年齢はともかく中身は子供で、六歳になる前に卵に戻ってリセットだという不思議な生き方。自分の意志でも卵に変身可能ですから、豪華賞品を預けておくにはピッタリです。
「えっと…。ぼくが言ってるのは、そっちの卵で…」
エッグハントの方なら分かる、とジョミー君の話は「そるじゃぁ・ぶるぅ」の生き方よろしく、出だしにリセット。
「ぶるぅがいるからエッグハントだっていうのも分かるんだけど…。そのぶるぅだよ」
「「「ぶるぅ?」」」
「うん。…なんで、ぶるぅは卵なわけ?」
人間だよね、とジョミー君は「そるじゃぁ・ぶるぅ」をまじまじと。
「かみお~ん♪ ぼくはもちろん、人間だよ!」
オバケじゃないもん、と元気な返事で、ジョミー君は更に。
「そうだよねえ…。でもさ、どうして卵から生まれて来ちゃったわけ?」
それに六歳になる前に卵に戻ってまた孵化するし、という質問をされた「そるじゃぁ・ぶるぅ」は真ん丸な目で。
「…なんでって…。ぼくは卵で…。子供のままでいるのがいいから、卵に戻って…」
「やり直しだよね、それも知ってる。だけど、卵な理由は何?」
「えーっ!? そんな難しいことを訊かれても…」
分かんないよう! と「そるじゃぁ・ぶるぅ」は会長さんに助けを求めました。
「ねえねえ、ブルー、ぼくって、どうして卵なの?」
「うーん…。それが分かれば、ぼくだって苦労はしないんだけどね?」
卵の仕組みは未だに謎だし、と会長さんまでが腕組みする有様。
「…本当に卵に戻った時には、いつ孵化するかも読めないわけで…。ぼくにも色々と制約が…」
「あんた、適当に放って遊んでいるだろうが!」
温めているとは聞かないぞ、とキース君の鋭いツッコミが。
「特製クッションに乗せておいたらオッケーだとかで、放って遊び歩きやがって!」
「んとんと…。それは仕方がないと思うの!」
ブルーも色々、忙しいもん! と会長さんの肩を持つ「そるじゃぁ・ぶるぅ」は絵に描いたように立派な良い子。とはいえ、どうして卵から生まれて来るんでしょうねえ…?
卵に戻って孵化してみたり、卵に化けたりするのが「そるじゃぁ・ぶるぅ」。それを生かして新入生歓迎パーティーのエッグハントまでがあるというのに、どうして卵なのかは謎みたいです。卵から生まれる「そるじゃぁ・ぶるぅ」本人にも、一緒に暮らしている会長さんにも。
「…分かってないんだ、卵の理由…」
ジョミー君は残念そうで、会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」は顔を見合わせて。
「…最初から卵だったしねえ?」
「そだよ、気が付いたら卵の中だったよ、ぼく!」
その前のことは分からないもん、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」。遠い昔に火山の噴火で海に沈んだアルタミラという島が二人の出身地ですけど、その島に住んでいた会長さんの枕元にコロンと転がっていたのが二人の出会い。片方は卵なんですけれど。
「ぶるぅの卵があった理由も謎だしねえ…。誰も教えてくれなかったし」
「ぼくも誰にも聞いてないもん…」
ブルーの声が殻の向こうから聞こえてただけ、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」も言ってますから、本当に理由は謎なのでしょう。何故、卵なのか。
「…謎なのかよ…」
ホントに分かっていなかったのな、とサム君が頭を振った所へ。
「お互い様だよ、ぶるぅの卵は謎だらけだよ!」
「「「!!?」」」
誰だ、と一斉に振り向いた先にフワリと翻った紫のマント。別世界からのお客様です。
「ぶるぅ、ぼくにもケーキと紅茶!」
「オッケー! 今日はイチゴたっぷりミルフィーユだよ!」
はい、どうぞ! とサッと出て来たミルフィーユと紅茶。ソルジャーは早速、ミルフィーユにフォークを入れながら。
「ぶるぅが卵から生まれる理由は、ぼくにも分かってないってば!」
「あのとんでもない悪戯小僧か?」
大食漢の、とキース君が訊くと、「他に誰がいると?」と返したソルジャー。
「ぶるぅの方がもっと謎だよ、卵以前の問題だから!」
そもそも卵ですらもなかった、とソルジャーに言われてみれば…。「ぶるぅ」の場合は、卵になる前に石ころの時期があったんでしたっけ…。
ソルジャーの世界のシャングリラに住む「そるじゃぁ・ぶるぅ」のそっくりさんが「ぶるぅ」。悪戯と大食いが生き甲斐、趣味は大人の時間の覗きだという迷惑な子供。ソルジャーとキャプテンが温めた卵から生まれたのだと聞いてます。でも。その前は…。
「ぶるぅは最初は石だったんだよ? こんなに小さな!」
ソルジャーが示す指先くらいのサイズ。しかも真っ白で、「そるじゃぁ・ぶるぅ」のような青い卵ではなかったとか。クリスマスの後に青の間で拾って、サイオンで探ろうとしたら青い卵に変身、仕方ないので温めたという展開で…。
「あれに比べれば、こっちのぶるぅは普通だよ! 最初から卵なんだから!」
「「「うーん…」」」
そうかもしれない、と妙に説得力があるのがソルジャーの話。石が卵に育つよりかは、最初から卵だった方が遥かに普通で、まだマシなのかもしれません。
「えーっと…。その石ころって、サンタクロースのプレゼントなわけ?」
クリスマスなら、とジョミー君。
「なんでぶるぅを貰えるのかは謎だけど…。サンタクロースしかいないよね?」
「多分ね、不法侵入だけどね!」
ぼくのシャングリラの防御システムは完璧なのに、とソルジャーはフウと溜息を。
「ぼくのサイオンにも引っ掛からずに入り込んだ上に、青の間まで来たというのがね!」
あんなに目立つ姿のくせに、とソルジャーの思考はズレていました。
「真っ赤な服とか、担いだ大きな袋とか…。太っている上にお爺さんだし、逃げ足も遅いと思うんだけど…。このぼくが遅れを取るなんて!」
ソルジャーのメンツが丸潰れだよ、とサンタクロースの侵入を許した自分が情けないとか。
「おまけに、くれたプレゼントがぶるぅなんだよ? あんまりだってば!」
「もっと他のが欲しかったわけ?」
会長さんが尋ねると、「決まってるじゃないか!」とソルジャー、即答。
「悪戯小僧で無芸大食、サイオンだけが無駄に強くて、趣味が覗きって最悪だよ!」
「…それってさあ…。ホントに別のだったら良かった?」
サンタクロースのプレゼント、とジョミー君がソルジャーに。
「同じ卵でも、もっと別のとか」
「「「卵?」」」
ジョミー君の頭は卵から逃れられないのでしょうか、他にどういう卵があると?
「そるじゃぁ・ぶるぅ」も悪戯小僧の「ぶるぅ」も、青い卵から生まれた子供。ジョミー君は「そるじゃぁ・ぶるぅ」が卵から生まれる理由を知りたかったみたいですけど、理由は謎。「ぶるぅ」の方だと更に謎だらけ、ジョミー君の頭の中は卵一色らしいです。
「別の卵って…。どういう意味だい?」
お得用の卵パックだろうか、とソルジャーの言葉も斜め上でした。
「確かに、そういう卵だったら食べてしまえば良かったわけだし…。プレゼントに貰うには丁度いいかもね、美味しいケーキが出来そうだから!」
卵料理は御免だけれど、と言うソルジャーは偏食家。こっちの世界だと「地球の食べ物は何でも美味しい」とグルメ三昧しているくせに、自分の世界では「お菓子があれば充分」な人。食事をするなど面倒だから、と栄養剤を希望、キャプテンが苦労しているようです。
「ケーキを作って貰えるんなら、卵も美味しいのがいいねえ…。お得用のパックよりかは、断然、平飼いの卵だね! …ぼくの世界にあるかどうかは謎だけど!」
「そういう卵じゃなくってさ…。ハーレイの卵だったら、どう?」
「「「ハーレイの卵!?」」」
「うん。…はぁれぃって言うべきなのかもしれないけどね」
ちょっと呼びにくいけど、とジョミー君。
「サンタクロースのプレゼントなんだし、そっちだったらいいのかと思って」
「はぁれぃの卵って…。なんだい、それは?」
ソルジャーがポカンとしていますけれど、ジョミー君は。
「ぶるぅの卵か、はぁれぃの卵か、どっちかだったら、はぁれぃかなあ、と」
孵化したら「ぶるぅ」の代わりに「はぁれぃ」、とジョミー君の発想もぶっ飛んでいます。
「はぁれぃの方が嬉しいかな、って。…結婚するくらいに好きみたいだから」
「…はぁれぃねえ…」
それは考えたことも無かった、と唸るソルジャー。
「つまりアレかい、ぶるぅみたいにミニサイズのハーレイが生まれて来ると?」
「そうだけど…。そっちの方が良かったかな、と」
だって一応、ハーレイだしね、とジョミー君は言ってますけれど。はぁれぃの卵とやらを貰った方が良かったんですかね、ソルジャーは…?
「はぁれぃかあ…。ビジュアル的には悪くないけど…」
ぶるぅみたいにチビのハーレイ、とソルジャーは顎に手を当てて。
「でもねえ…。それもやっぱり悪戯小僧で、凄い大食いなんだろうねえ?」
おまけに覗きが大好きで、と歓迎出来ない様子ですけど。
「それはどうだか分からないよ?」
元ネタが全く別物だから、と会長さんが指摘しました。
「ジョミーがそこまで考えてたかは知らないけれどね、はぁれぃの卵を貰った場合は、ぶるぅとはまるで違った子供が孵化してたかも…」
「何か根拠があるとでも?」
ぶるぅが卵から生まれる理由も分からないくせに、とソルジャーが言うと、会長さんは。
「あくまで、ぼくの推測だけど…。こっちのぶるぅには当てはまらないけど、君のぶるぅを考えてみると、はぁれぃだと別になりそうで…」
「どんな具合に?」
「君のハーレイを強烈にデフォルメしたような感じ!」
ぼくにもイメージ掴めないけど、と会長さん。
「デフォルメだって?」
「そう! 君の世界のぶるぅだけれどね、君を強烈にデフォルメしたって感じでねえ…」
まずは大食い、と会長さんは指を一本立てて。
「君は大食漢ってわけじゃないしね、自分の世界じゃ殆ど食べないって話だけれど…。でも、食べること自体は好きと見た! お菓子限定で!」
「…それは否定はしないけど…。お菓子だったらいくらでも食べるし、三食全部おやつだったら大歓迎だよ、ハーレイが許してくれないけどさ」
ぼくの世界のノルディもうるさく文句を言うし、とソルジャーは不満そうな顔。
「お菓子だけで食べていける世界が夢なんだけどねえ、ぼくの世界なら」
「ほらね、好物なら食べるんだよ、君は! こっちの世界じゃグルメ三昧だし!」
ぶるぅの大食いは君に生き写しで、もっと強烈になったケース、と会長さん。
「お菓子じゃなくてもオッケーなだけで、丸ごと君に似たんだよ! 強烈にデフォルメされちゃってるから、凄い大食いになったんだってば!」
ご意見は? という会長さんの問いに、ソルジャーは反論出来ませんでした。好物だったら好きなだけ食べるという点は間違っていないんですから。
悪戯小僧な「ぶるぅ」の大食いはソルジャーの食生活をデフォルメしたもの。言われてみれば頷ける説で、会長さんは二本目の指をピッと立てると。
「でもって、悪戯! これも君の性格と無関係だとは思えないけどね?」
ぼくたちが日頃、蒙っている色々な迷惑から考えても…、と会長さん。
「君に自覚は全く無くても、ぼくたちからすれば立派なトラブルメーカーなんだよ! ぶるぅには負けるというだけで!」
「…そうなのかい?」
ぼくは迷惑なんだろうか、とソルジャーがグルリと見回しましたが、首を縦に振った人はゼロ。横に振った人もゼロですけれど。
「ご覧よ、誰も否定をしないってトコが証拠だよ! ぶるぅと同じで悪戯小僧!」
その性格をもっと極端にしたら「ぶるぅ」が出来る、と会長さんが立てた三本目の指。
「それから、ぶるぅのおませな所! 胎教だとばかり思っていたけど…」
卵をベッドで温めてた間もお盛んだったようだし、と会長さんはフウと溜息。
「そのせいなんだと思い込んでいたけど、それも違うね! 君のせいだね!」
「…ぼくは覗きはしないけど?」
「君が覗いてどうするのさ! 覗くよりかは覗かれる方が好きなんだろう!」
「…覗かれていても燃えないからねえ、好きってことはないんだけどね?」
覗かれていても平気なだけだ、とソルジャーが答えて、会長さんが。
「そのふてぶてしい性格だよ! ぶるぅはそれを貰ってるんだよ、強烈にデフォルメした形で!」
だから叱られても覗きをやめない、と会長さん。
「ついでに君の恥じらいの無さとか、やたら貪欲な所も絡んでくるものだから…。大人の時間を覗き見するのが大好きな上に、おませなんだよ!」
これだけ揃えば立派な「ぶるぅ」の出来上がり、という会長さんの説に誰からともなく上がった拍手がパチパチ。なるほど、「ぶるぅ」はソルジャーそのもの、小さい代わりに性格が強烈になったんですねえ、デフォルメされて…。
会長さん曰く、悪戯小僧で大食漢で、おませな「ぶるぅ」はソルジャーの性格を丸ごとパクッて、強烈にデフォルメしてある存在。ソルジャーを子供にしたような姿ですから、元ネタはソルジャーらしいです。
「だからね、モノがはぁれぃの卵だった場合は、別物になると思うんだけど!」
元がハーレイなんだから、と会長さん。
「君のハーレイの性格を強烈にデフォルメしたようなのが出来るかと…」
はぁれぃだったらそうなる筈、という推理には頷けるものがあります。キャプテンを小さくしたような姿で生まれて来るのが「はぁれぃ」、性格の方も元ネタをパクッていて当然。
「なるほどねえ…。はぁれぃの卵を貰っていたなら、今頃は別のがいたわけだ?」
姿も中身も…、とソルジャーも理解したようで。
「どんな性格になるんだろうねえ、そのはぁれぃは?」
「…引っ込み思案ってトコじゃないな」
ヘタレを強烈にデフォルメなんだし、と会長さんが言い、キース君も。
「そんなヤツかもしれないな…。自己紹介もマトモに出来ないようなヘタレなんだな?」
「ぼくはそうだと思うけど?」
ヘタレは確実に出るであろう、と会長さん。
「それからクソがつくほど真面目で、とことん丁寧な言葉遣いで!」
「「「あー…」」」
キャプテンの性格をデフォルメするならそうなるな、と思うしかない真面目な「はぁれぃ」。言葉遣いもきっと丁寧、舌足らずながらも頑張って喋る「ですます」口調。
「…ぶるぅとはまるでイメージ違うんだけど?」
本当にそうなるんだろうか、とソルジャーが尋ねて、会長さんが。
「ぼくにもイメージは掴めないと言ったよ、こうじゃないかと思う程度で!」
生まれてみないと分からないよね、と会長さん。
「でもねえ、ぼくの推理が当たっていたなら、はぁれぃは全く別物だよ! ぶるぅとは!」
「…そうなるわけか…。どっちの方がマシなんだろう?」
もう手遅れって気もするけれど、と言うソルジャー。サンタクロースは「ぶるぅ」の卵を寄越したわけで、プレゼントはもう貰っちゃったし、と。多分、返品も交換も無理だよねえ、と。
「返品ねえ…。それに交換…」
手遅れだろうね、と会長さんも。
「ぶるぅが来てから年単位で時間が経っちゃってるから、どっちも無理だと思うけど…」
クーリングオフの期間もとっくに過ぎたであろう、という見解。
「もっとも、ぶるぅは買った品物ではないんだし…。クーリングオフは無さそうだけど」
「クーリングオフかあ…。それも出来なくて、返品も交換もとっくに無理、と」
ぶるぅで諦めるしかないってことか、とソルジャーは深い溜息を。
「…はぁれぃの方が良かったような気がするんだけどねえ…」
「あっ、やっぱり? 選べるんなら、はぁれぃなんだ?」
ジョミー君が訊くと、ソルジャーは「うん」と。
「そっちの方が素敵だよ、うん。悪戯はしないし、大食いでもないし、真面目だし…」
「同じ卵でも、ぶるぅとは月とスッポンですからね」
ぼくたちも「はぁれぃ」の方が良かったです、とシロエ君。
「次の機会がありそうだったら、是非、はぁれぃを貰って下さい!」
「えっ、次って…。まだ増えるのかい?」
ぶるぅだけでも大変なのに、はぁれぃまでが、とソルジャーは赤い瞳を見開いて。
「それは御免だよ、返品か交換なら歓迎だけど!」
「…ぶるぅは捨てると?」
はぁれぃを貰えるんなら捨てるのかい、と会長さんが顔を顰めましたが。
「別にいいじゃないか、同じ貰うなら素敵な卵の方がいいしね!」
サンタクロースが相談に乗ってくれないだろうか、とソルジャーが言い出した酷すぎる考え。いくら「ぶるぅ」に手を焼いていても、今更、返品だの交換だのって…。
「あんた、自分に正直すぎるぞ!」
キース君が怒鳴って、ジョミー君も。
「ぼくが言ったのは、もしも、ってコトで…。ぶるぅが来ちゃった段階で、はぁれぃはもう貰えないとか、そんな感じで…」
「そうですよ! ぶるぅが可哀相じゃないですか!」
間違っても本人にそんな話はしちゃ駄目ですよ、とシロエ君。私たちだってそう思いますです、可哀相すぎますよ、どんなに「ぶるぅ」が悪戯小僧でも子供には違いないんですから。
「ぶるぅ」には絶対に聞かせちゃ駄目だ、とソルジャーに何度も釘を刺しておいた「はぁれぃ」の卵という話。けれども、ネタとしては笑える代物なだけに、ソルジャーが夕食を食べて帰ってゆくまでの間に何度も話題に上りました。「ぶるぅ」の代わりに「はぁれぃ」だったら、と。
そしてケタケタ笑い転げて、それっきり忘れた「はぁれぃ」の卵。翌日の日曜日はソルジャーも来なくて極めて平和で、週が明けても平和な日々で。やがて迎えた土曜日のこと。
「ちょっといいかな!?」
ソルジャーが空間移動で飛び込んで来た会長さんの家のリビング。おやつ目当てでやって来たな、と直ぐに分かるだけに、「そるじゃぁ・ぶるぅ」がベリーのタルトを用意しましたが…。
「あっ、ありがとう! 腹が減っては戦が出来ぬと言うからねえ…!」
これは有難く頂いておいて、とガツガツと食べているソルジャー。何か急ぎの用でもあるのか、凄い速さで食べ終わると。
「これを見てくれるかな、こんなのだけど!」
見た目にはただの石なんだけど、とテーブルに置かれた白い石ころ。指先くらいの大きさです。
「…この石がどうかしたのかい?」
ただの石にしか見えないけれど、と会長さんが訊くと、ソルジャーは。
「そこが問題なんだってば! ただの石にしか見えないってトコが!」
「…石だろう?」
「あるべき所にあったんだったら、確かにただの石なんだけど!」
公園に落ちていたんだったら何も問題無いんだけれど、と謎の台詞が。
「…メイン・エンジンとかワープドライブの辺りかい?」
それは確かに問題かもね、と会長さん。
「ああいう機関に異物は禁物、おまけに石があったとなると…。子供が出入りをしてるわけだし、厳重に注意しておかないと」
色々な意味で危険すぎる、と会長さんもソルジャーだけのことはあります。
「監視カメラはついてるんだろう? 直ちに映像を解析すべきで、持ち込んだ子供を特定出来たら厳しく叱っておくべきだね!」
「…そっちの方がよっぽどマシだよ!」
これはハーレイの部屋で見付かったのだ、とソルジャーは石を指差しました。キャプテンの部屋の床にコロンと転がっていたらしいんですけど、その場所に何か問題が…?
キャプテンの部屋にあったという石。白い小さな石で、何処から見たって普通の石で。
「…君のハーレイの部屋だと何がいけないんだい?」
会長さんの問いに、ソルジャーは。
「ハーレイの部屋で石ってトコだよ、これが青の間なら、ぶるぅなんだよ!」
「「「は?」」」
「ぶるぅだってば、ぶるぅの卵も最初はこういう白い石で!」
サイオンで探ったら青い卵に変わったのだ、とソルジャーの顔に焦りの色が。
「ハーレイの部屋にあったってことは、これは、はぁれぃの卵じゃないかと…!」
「はぁれぃって…。それはいくらなんでも…」
考えすぎじゃないのかい、と会長さん。
「第一、今はクリスマスでもないからね? サンタクロースが来るわけがないし!」
「それはそうだけど、でも、ハーレイは石なんかを部屋に持って行ってはいないと…!」
なのにベッドから転がり落ちた所が問題、と言うソルジャー。床に転がっていたと言いませんでしたか、ベッドから床に落ちたんですか?
「うん、多分…。ベッドに入る前には落ちてはいなかったからね」
ハーレイとベッドで楽しく過ごして、起きたら床に転がっていた、という証言。
「だからベッドから落ちたんじゃないかと…。でも、ハーレイは石なんか部屋に持っては来なかったらしいし、危険すぎるんだよ! はぁれぃの卵の可能性大!」
「…それで?」
ぼくたちに何をどうしろと、と会長さん。
「季節外れのプレゼントを貰ってしまったと言うなら、それは君の世界の問題だろう?」
「そうなんだけど…。ぶるぅだけでもう手一杯だよ!」
この上、はぁれぃまでは要らない、とソルジャーは身勝手すぎました。キャプテンの部屋に「はぁれぃ」が住み着いてしまえば、夫婦の時間にも悪影響が…、などと言うのがソルジャー。
「はぁれぃはクソ真面目だから覗きはしない、と言うだけ無駄だよ、ぼくのハーレイには!」
部屋に余計な住人がいるだけでヘタレには脅威になるのだそうで。
「現にハーレイ、これがはぁれぃの卵だったら、もうハーレイの部屋では嫌だと言ってたし…」
あの部屋で大人の時間を過ごせなくなる、とソルジャーが恐れる「はぁれぃ」の卵。ただの石にしか見えないんですし、考えすぎじゃないですか…?
ソルジャーが一人で大騒ぎしている白い石。「はぁれぃ」の卵だと慌ててますけど、ただの石ころっていう線もありますよ?
「そ、そうなのかな…? ハーレイに覚えが無いってだけで…?」
何かのはずみに紛れ込んだかな、とソルジャーは首を捻っています。リネン類とかを運ぶ台車があるかはどうかは知りませんけど、運搬中に子供が突っ込んだかも…。
「子供ねえ…。まるで無いとは言い切れないねえ、それでそのままハーレイの部屋に?」
「そういうオチかもしれないよ? 上手い具合にくっついてたかも」
ベッドメイキングの係がサイオンを使っていたら、と会長さん。
「大きなベッドを相手にするなら、補助のサイオンは欲しいトコだし…。シーツとかをバッと広げて被せようって時に、石もそのまま運んじゃったとかね」
「そうだね、その可能性もゼロではないか…。ホッとしたけど、念のため…」
確認だけはしておこう、とソルジャーが右手で石を握って、その手がボウッと青い光に包まれています。サイオンで探っているわけですね、ただの石かどうか。
「やっぱり心配になるからね! うん、大丈夫かな、反応しないし」
心配して損をしちゃったよ、とソルジャーが石をテーブルにコトンと置いた途端に。
「「「えっ?」」」
今度は石がボウッと光って、一瞬の内にピンク色の卵に変わっていました。鶏の卵くらいのサイズで、つまりは「そるじゃぁ・ぶるぅ」が化ける卵と同じ大きさ、ただし色違い。
「…卵になった!?」
ジョミー君が顔を引き攣らせて、キース君が。
「まさか、はぁれぃの卵なのか、これは!?」
「…ぼ、ぼくも信じたくないけれど…。で、でも…!」
ハーレイの部屋にあった以上は「はぁれぃ」の卵なのだろう、とソルジャーは再び大慌て。
「こういうことだよ、はぁれぃの卵なんだよ、これは!」
「持って帰って温めたまえ!」
君の世界の卵なんだし、と会長さんが扉の方を指差しましたが、ソルジャーの方は。
「そうはいかないって言ったじゃないか! ぼくもハーレイも困るんだよ!」
はぁれぃまで育てる余裕はとても…、と話は振り出しに戻っています。要らないだなんて言う方が無茶で、育てるべきだと思うんですけど…?
ソルジャーが持ち込んだ白い石ころ、転じてピンク色をした卵。「ぶるぅ」が生まれるまでの状況と似てはいるものの、発見された場所はキャプテンの部屋。ゆえに「はぁれぃ」の卵であろう、とソルジャーでなくても考えるわけで…。
「はぁれぃの卵なら、君たちできちんと温めるべきだよ!」
育児放棄をしてどうするのだ、と会長さんは眉を吊り上げました。
「こうして卵になったからには、育てる責任は君たちにあるから!」
「でも、ハーレイが反対なんだよ! ぼくもだけど!」
はぁれぃの卵は孵化するまでにも一年かかる、と騒ぐソルジャー。
「その間、ぼくたちのベッドにドンと卵が居座るわけだし、おまけに中身は、はぁれぃだし…!」
「はぁれぃの方で良かったじゃないか、ぼくの推理が当たっていたならクソ真面目だから!」
どんな胎教を食らったとしても真面目な子供になるであろう、と会長さん。
「いつか卵が孵った時には、実にいい子になるかもねえ…。何かと言えば特別休暇に励む君たちに説教をかましてくれるような!」
「せ、説教って…?」
「こんな所で励んでいないで仕事をしたら、と横で注意をしてくれるんだよ!」
それは覗きとは言わないから、と会長さんはピッシャリと。
「大人の時間にうつつを抜かしている弛んだ君たちにお説教! 仕事に行け、と!」
君の方は暇でもハーレイには仕事があるんだから、と会長さん。
「はぁれぃは頼もしい子になってくれるよ、胎教が酷ければ酷いほど!」
「そ、そんな…! ハーレイがますますヘタレるじゃないか!」
ぶるぅの覗きよりも酷い展開、とソルジャーは焦りまくっています。
「覗きだけでも、ハーレイは萎えてしまうのに…! 堂々と出て来てお説教なんて…!」
「いいと思うよ、そういう真面目な子供も君たちには必要だよ!」
君のシャングリラの未来のためにも、「はぁれぃ」は希望の光になるね、と会長さんが挙げる「はぁれぃ」という子供の素晴らしさ。特別休暇と称してサボッてばかりのソルジャー夫妻にお説教をかまし、日頃の夫婦の時間も翌日に備えて早めに切り上げるように監視モードで…。
「はぁれぃは絶対、育てるべきだね! 君のシャングリラで!」
「そういう子供は困るんだってば!」
ぼくの士気にも関わるから、とか言ってますけど、見られていたって平気というのがソルジャーですから、説得力はゼロですねえ…?
私たちは「はぁれぃ」の卵を温めるように、と口々にソルジャーに言ったのですけれど。なにしろ相手は自分勝手で、「ぶるぅ」を返品して「はぁれぃ」と交換出来たらいいのに、と言い放ったような思考の持ち主。旗色が悪い、と考えたらしいソルジャーは逃げて帰ってしまって…。
「…会長、この卵、どうするんですか?」
親がいなくなってしまいましたが、とシロエ君が見ているピンク色の卵。テーブルの上に放っておかれて、それは寂しそうな感じに見えます。
「うーん…。ぶるぅの卵と同じ仕組みなら、温めなくてもいいんだけれど…。あっちのぶるぅは温めないと駄目だったようでもあるからねえ…」
「俺たちで温めるしかねえのかよ?」
このままだと駄目になっちまうよな、とサム君が卵をつつくと、キース君が。
「孵卵器は使えないんだろうか? あれが使えるなら便利なんだが…」
時々、卵の向きを変えてやるだけで良かった筈だ、と挙がった孵卵器。でも…。
「それは駄目だね、あっちのぶるぅの卵は大きく育つんだから」
「「「あー…」」」
そうだったっけ、と思い出しました。「そるじゃぁ・ぶるぅ」の卵の殻は成長しませんけれども、「ぶるぅ」の卵は育ったのだと聞いています。最終的には抱えるほどの大きさに。
「…仕方ない、親が逃げた以上は里親だよね」
でも、ぼくたちも余計な時間は取られたくないし、と会長さんの指がパチンと鳴って。
「な、なんだ!?」
瞬間移動で教頭先生が呼び出されました。家で寛いでらっしゃったのに違いありません。
「悪いね、君に頼みたいことが出来ちゃって…」
子供を育てて欲しいんだけど、と会長さん。
「子供だと?」
「そう。…ブルーが捨てて行っちゃったんだよ、この卵を!」
一年間ほど温めてやると「はぁれぃ」という子供が孵化する筈で…、と会長さんは説明を。
「ミニサイズの君みたいなのが生まれる予定の卵で、温めてくれそうな人が他にいなくて…」
「し、しかし…。私にも仕事というものが…!」
「そこは適当でいいんだよ! 温められる時だけで充分だから!」
多分…、と会長さんは卵を眺めて、それから「駄目かな?」とお願い目線。会長さんに惚れている教頭先生はハートを射抜かれてしまい、卵を引き受けてしまわれました。二つ返事で。
こうして里親が無事に決まった「はぁれぃ」の卵。ソルジャー夫妻よりも真面目に温めたのが良かったらしくて、二週間ほどでグンと大きくなったようです。抱えるくらいに育った卵を私たちも見学に出掛けました。会長さんの家から瞬間移動で。
「うわあ、大きく育ちましたねえ…!」
もうすぐ孵りそうですよ、とシロエ君が卵を撫でると、キース君も卵に触ってみて。
「そうだな、今日にでも孵るかもしれん。…だが、あの馬鹿は一度も来ないし…」
「こっちで育てるしかないのかしら?」
性格は問題無さそうだけど、とスウェナちゃん。
「真面目な子供なら、お留守番だって出来そうだけど…。でも、家が無いわね」
「ぼくの家はぶるぅがいるからねえ…。キース、元老寺で引き取れないかい?」
将来はお坊さんになる見習いってことで、と会長さんが凄い提案を。
「真面目なんだし、お経も早く覚えると思う。月参りの時に連れて行ったら評判もいいよ?」
「…そうかもしれんな、小坊主は人気が高いものだし…。親父に相談してみるか」
大食いも悪戯もしない子供なら大丈夫だろう、とキース君。
「それは良かった。じゃあ、暫くはハーレイの家で預かって貰って、話がついたら元老寺に…」
「その話、待った!」
私が育てることにしよう、と教頭先生が名乗り出ました。ベッドで卵を抱えたままで。
「えーっと…。ハーレイ、情が移ったとか?」
「いや、そのぅ…。お前に頼まれて温めたのだし、気分はお前と私の子供で…」
「ふうん? だったら、そういうことで」
いいんじゃないかな、とニンマリと笑う会長さん。これが狙いで元老寺を持ち出したのに違いありません。「はぁれぃ」を育てることになったら、教頭先生の自由時間は激減しますし…。
「そうだよ、おまけにコブ付きなんだよ! もう結婚の資格は無いね!」
ぼくはコブ付きはお断りで…、という会長さんの言葉に教頭先生は顔面蒼白。けれど今更、育てる話を撤回したら更に軽蔑されることは必定、ピンチとしか言いようがない状況で…。
「あっ、生まれるかな?」
ピシッと卵にヒビが入ったのをジョミー君が見付けて、私たちは固唾を飲んで見守ることに。教頭先生がコブ付きになると噂の「はぁれぃ」、どんな姿をしているのでしょう?
ワクワクと見ている間にピシッ、ピシッとヒビが広がっていって…。
「かみお~ん♪ はじめまして、パパ、ママ!」
「「「ええっ!?」」」
現れた子供は「そるじゃぁ・ぶるぅ」にそっくりの見た目、「はぁれぃ」じゃなかったんですか?
「わあっ、ぶるぅだ!」
ずっと卵に化けていたの、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」の歓声が。すると、目の前に素っ裸で立っている小さな子供は…。
「「「ぶるぅ!?」」」
「そだよ、ブルーに連絡してくれる? はぁれぃの卵が孵りました、って!」
二週間も放っておかれたんだから! とニヤニヤと笑う「ぶるぅ」は悪戯小僧の顔でした。まさかソルジャー夫妻は「ぶるぅ」の不在に気付かず、「はぁれぃ」の卵だと思い込んだままで…。
「多分ね、ぼくのパパとママだから! はぁれぃと交換したかった、なんて言ってたから!」
「「「うわー…」」」
その瞬間に私たちは悟りました。ソルジャー夫妻が「ぶるぅ」に超ド級の借りを作ったことを。
「…あ、あいつら、これからどうなるんだ…?」
恐ろしくて考えたくもないんだが、とキース君が左手首の数珠レットを繰り、会長さんが。
「だからぶるぅには聞かせちゃ駄目だと言ったのに…。話しちゃったんだ、はぁれぃの卵…」
「うんっ! 何をして貰ったらいいかな、ぼく? 二週間も放っておかれたもんね!」
一緒に悪戯を考えてくれる? という「ぶるぅ」の誘いに、背筋が寒くなりましたけれど。
「…こんなチャンスは二度と無いからな、俺たちに最強の味方が出来たぞ!」
今までの借りを返そうじゃないか、とキース君が拳を握って、会長さんも。
「そうだね、ハーレイ、君も話に入りたまえ! 卵を温めた功労者だから!」
「い、いや、私はだな…」
「遠慮している場合じゃないだろ、何回コケにされたんだい?」
さあ! という会長さんの悪魔の囁き、教頭先生もお仲間です。ソルジャー夫妻に復讐出来るチャンス到来、「ぶるぅ」が味方につきました。二週間も放置されてた間に悪戯も山ほど考えたでしょう。その悪戯、私たちも大いにアイデア出します、ソルジャー夫妻に天誅ですよ~!
はぁれぃの卵・了
※いつもシャングリラ学園を御贔屓下さってありがとうございます。
卵から生まれる「ぶるぅ」たちですけど、「はぁれぃ」の方がいいと言ったソルジャー。
そして来てしまった「はぁれぃ」の卵、里子に出したのが運の尽き。正体がアレではねえ…。
このシャングリラ学園番外編、来月で連載開始から14周年。今年で連載終了です。
更新は残り2回ですけど、最後まで笑って読んで頂けると嬉しいな、と思っています。
次回は 「第3月曜」 11月21日の更新となります、よろしくです~!
※毎日更新な 『シャングリラ学園生徒会室』 はスマホ・携帯にも対応しております。
こちらでの場外編、10月はソルジャーがマグロ漁船に乗ると言い出しまして…。