忍者ブログ

シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。

※シャングリラ学園シリーズには本編があり、番外編はその続編です。
 バックナンバーはこちらの 「本編」 「番外編」 から御覧になれます。




シャングリラ学園、今日も平和に事も無し。…そんな感じの毎日ですけど、季節は秋です。学園祭の話題で華やぐ校内、1年A組はグレイブ先生の意向でお堅いクラス展示なオチでも。私たち七人グループは毎度お馴染み別行動で…。
「かみお~ん♪ 授業、お疲れ様ーっ!」
今日のおやつは洋梨のキャラメルムースなの! と「そるじゃぁ・ぶるぅ」が迎えてくれる放課後の溜まり場。ソファに腰掛け、飲み物の注文なんかも取られて、ムースケーキを食べ始めたら。
「…コレをどう思う?」
会長さんがテーブルにコトリと置いた物。それは…。
「ちょ、本物!?」
ジョミー君が叫んで、キース君が。
「何処のヤクザから拝借したんだ、こんな物を!」
「か、会長だったらヤクザもお友達かもしれませんけど、流石にこれは…!」
銃刀法違反で捕まりますよ、とシロエ君も大慌て。
「早く返して来て下さい! お友達に!」
「…借りたってわけじゃないんだけどね?」
「それなら余計にヤバイだろうが!」
何処で買った、とキース君がテーブルをダンッ! と。
「今どき、レトロなタイプではあるが…。ヤクザ向けではないかもしれんが…!」
「まあねえ、ヤクザはオートマだよね?」
あっちの方が何かとお手軽、と会長さんが手に取った物。それは拳銃、いわゆるピストル。でも、オートマって何のことかな?
「あっ、知らないかな? これはリボルバーで、此処が弾倉。回転式になってるんだよ。オートマはオートマチックの略でさ、弾倉が入れ替え式なわけ」
握りの部分の内側が弾倉、という説明。西部劇とかでお馴染みなのがリボルバーの方で、ヤクザの皆さんは「弾倉さえ入れ替えれば楽々連射」なオートマチックらしいです。
それについては分かりましたけど、拳銃はどれでもマズイですよ!



この国で拳銃を堂々と持てる法律は無かったように思います。一般人は。なのに拳銃、「どう思う?」も何も無いもんだ、と私たちは大騒ぎになったんですけど。
「ふふ、引っ掛かった。…これは一応、偽物なんだよ」
とても良く出来たモデルガン、と会長さんが銃口を天井に向けて引き金を。パアン! と音はしましたけれども、あれっ、クラッカー…?
「そうだよ、ちょっとカスタマイズを…。普通の弾よりこっちの方が面白いから」
「あんたな…。それならそうだと先に言え!」
キース君が噛み付くと、会長さんは涼しい顔で。
「種明かしは後って、相場が決まっているけれど? 本物そっくりに見えるだろう?」
重さの方も本物と同じ、と会長さんがキース君に渡し、そこから順に回って来た拳銃。けっこう重さがありますです。材料を工夫してあるそうで…。
「リアリティーを追求してみたんだよ。殺傷力は無いけどね」
クラッカーな弾がパアン! と出るだけ、と会長さん。
「これをさ、学園祭で使ってみようと思ってさ…。作ってみたってことなんだけど」
「「「作った!?」」」
会長さんがモデルガンをですか?
「か、会長…。こんなの作れたんですか!?」
シロエ君が口をパクパクさせてます。シロエ君の趣味は機械いじりですし、シロエ君が作ったと言うんだったら分かるんですけど…。
「ぼくが作っちゃいけないかい? 人間、芸域は広い方がね」
何かとお得、と拳銃を手にした会長さん。
「学園祭の売り物に付加価値をつけるのもいいんじゃないかと…」
「「「付加価値?」」」
「サイオニック・ドリームのスペシャルの方だよ、お値段高めの」
あれの売り方にひと工夫、という話。学園祭での私たちの売り物はサイオニック・ドリームを使ったバーチャル・トリップ。「そるじゃぁ・ぶるぅ」の不思議パワーと銘打って販売、ドリンクなどを飲んでいる間に旅が出来るという仕様。
スペシャルを買えば、よりリアリティー溢れるトリップですけど、どう付加価値を…?



学園祭の出し物、サイオニック・ドリーム喫茶な『ぶるぅの空飛ぶ絨毯』。毎年、商売繁盛です。スペシャルはお値段高めになるのに、絶大な人気。
けれど、バーチャル・トリップと拳銃、どの辺で結び付くんでしょう?
「おい、今年のスペシャルは西部劇か?」
ガンマン限定の旅になるのか、とキース君。
「それでは女子を逃すと思うが…。男子には売れるかもしれないが」
「西部劇じゃないよ? ラインナップは今年も豊富!」
でもね、と会長さんが例の拳銃をいじりながら。
「普通にお金を出して買うより、そこに博打な要素をね…。運が悪いと買えないという!」
「「「は?」」」
「ロシアン・ルーレットって聞いたことないかな、こんなヤツで」
まずは弾倉から弾を抜いて…、とクラッカー弾を取り出してゆく会長さん。一個、二個…、とテーブルに置いて、それから弾倉を指差して。
「ほら、一発だけ残っているだろう? 此処に」
でもって、コレを…、と弾倉を元に戻してからジャジャッと何度か回転させて…。
「さっきの弾が何処に行ったか、これで全く分からないってね」
サイオンで透視しない限りは…、と言い終えると「はい」と拳銃をキース君に。
「一番、どう? 頭に向けてパアンと一発!」
「や、やっぱりソレか! ロシアン・ルーレットと言っていたのは!」
「そうだけど? どうせ当たってもクラッカーだよ、勇気を出して運試し!」
引き金をどうぞ、という台詞。ロシアン・ルーレットって、もしかしなくても…。
「うん、当たっちゃったら死ぬってヤツだよ、元々は」
だけどクラッカーの弾だから、と押し付けられた運試し。リアリティー溢れる拳銃なだけに、キース君の顔色は良くありませんが…。
「くそっ、当たっても所詮はクラッカーだ! 南無阿弥陀仏…」
どうか御加護を、と左手首の数珠レットを繰って、頭にピタリと当てた銃口。引き金を引いたらカチッという音、当たらなかったみたいですねえ…?



ホッと息をついたキース君の次はジョミー君でした。やっぱりハズレで、次がサム君。音はカチッと鳴っただけ。マツカ君も同じで、スウェナちゃんも、それに私も。次は…。
「ま、待って下さい! ぼく、確実に当たるんじゃあ…!?」
誰も当たっていないんですから、とシロエ君。
「そうだと思うぜ? でもよ、シロエの番なんだからよ」
ちゃんとやれよ、とサム君がギロリ。
「他の誰かに当たるだろう、って最後まで名乗らなかったくせによ」
「ぼ、ぼくは確率の問題ってヤツを計算していた内にですね…!」
「どんどん確率が上がり始めて最後になったというだけだろうが!」
いい加減にしろよ、とキース君が凄みました。
「スウェナたちだってやったんだ! 次は貴様だ!」
「…は、はい…」
死んで来ます、とシロエ君が頭に向けた銃口。引き金を引くとパアン! という音、シロエ君はクラッカーの色とりどりのテープや紙片まみれに。
「…やっぱ、最後は当たるのかよ…」
例外はねえのな、とサム君が頷き、会長さんが。
「そりゃまあ、そういう仕様だからね? …七発入りなら最後は当たるよ」
学園祭では六発入りの標準タイプ、と言ってますけど、標準タイプって…?
「リボルバーは基本が六発なわけ。これは君たち用にカスタマイズで、実は八発」
「「「八発!?」」」
「そう! …シロエの運の悪さも大概だよねえ、運が良ければ当たらなかったのに」
「「「うーん…」」」
弾倉に何発入るかまでは、誰も確認していませんでした。そっか、八発入りだったんだ?
「そういうことだね。シロエもカチッて音で済んでた可能性もある」
でも、学園祭だと誰かが確実に当たる、と会長さん。
「スペシャルな夢を買いたい人は、まずはロシアン・ルーレット! 買わない人もね!」
一つのテーブルに今年は六人、と会長さんの思い付き。テーブルに着いたら六人でロシアン・ルーレット開始、弾に当たればスペシャルな夢は買えない仕組み。
「他の買わない人の権利は、決して譲って貰えないんだよ!」
また並び直して下さいという方向で…、との案らしいです。それは確かに博打ですねえ?



面白いじゃないか、と誰もが思ったロシアン・ルーレットな販売方法。高い夢を買うぞ、と勇んでテーブルに着いたとしたって、弾に当たれば買えません。残念な目に遭う人を見たなら、買うつもりが無かった他の人たちが…。
「買う可能性が高くなりますね!」
自分は運がいいわけですから、と弾に当たったシロエ君。
「運が良かった、とハイテンションになっていたなら、財布の紐も緩みますよ!」
「ぼくの狙いは其処だってね! ついでに、当たった人も必死で並び直すし!」
いつもの年なら一度で満足の所を二回来るから、と会長さんの悪辣な読み。
「商売繁盛間違い無しだよ、この方法は!」
「ええ、やりましょう!」
ぼくも拳銃を作りたいです、とシロエ君が手を上げました。会長さんは「頼もしいねえ…」と大喜びで、早速、瞬間移動でモデルガンのキットの箱を何箱も。
「それじゃ頼むよ、テーブルの数がこれだけだから…。予備も含めて、全部でこれだけ」
改造方法はこっちの紙に書いてあるから、と明らかに押し付けモードですけど。
「分かりました! えーっと、グリップがこうで、重しを入れて、と…」
コーティングがこうで…、とシロエ君が読み込んでいる会長さんの改造方法。
「大丈夫です、今週中には完成しますよ」
「本当かい? それじゃ、クラッカー弾も頼めるかな?」
クラッカーの装填がちょっと面倒なものだから…、と会長さんがまたも押し付け、シロエ君は。
「任せて下さい! 細かい作業は得意ですから!」
やり甲斐があります、と快諾しているクラッカー弾作り。
「…あいつ、上手いこと使われてねえか?」
サム君がヒソヒソと声をひそめて、ジョミー君が。
「ほら、さっき弾に当たっちゃったし…。ナチュラルハイじゃないの?」
「その可能性は大いにあるな。だが、やりたいなら任せておこう」
俺たちがババを引くわけじゃなし、とキース君。うん、シロエ君が喜んでやるんだったら、何も言うことはないですよね…!



シロエ君が作った拳銃とクラッカー弾は、学園祭で大好評でした。今年のテーブルは一つに六人、席に着いたら始まるロシアン・ルーレット。最初に誰が引き金を引くかはジャンケンで。
順に回して、弾に当たればスペシャルな夢は買えません。クラッカーまみれになるだけに嘘は絶対つけない仕様で、並び直すしか無かったオチ。
「会長の計算、当たりましたねえ…!」
例年以上に大入り満員になりましたよ、とシロエ君がベタ褒めの打ち上げパーティー。私たちは会長さんの家に来ていて、お好み焼きパーティーの真っ最中です。
「ぼくが思った以上に売れたね、スペシャルな夢も。…運がいいと思うと買うんだねえ…」
去年より高めの値段にしたのに、と会長さんが言う通り。ぼったくり価格がついていたのに、飛ぶように売れたスペシャルな夢。
ロシアン・ルーレットのせいで買い損なった人も並び直してまた来てましたし、商売繁盛だったんです。中にはとびきり運の悪い人も…。
「最悪だったヤツ、三度目の正直って引いた時にも当たってたよなあ…」
それも一発目で、とサム君が。
「うんうん、ジャンケンには勝っていたのにね…」
そのジャンケンで運が尽きちゃったよね、とジョミー君。気の毒すぎる男子生徒がそれでした。今度こそは、と勇んで引いた引き金でパアン! と。
「…四度目でようやくゲットだからな…」
普通は「四」は避けるものだが、とキース君が合掌を。
「死に通じると嫌われる数字で、しかも四人目…。あれで当たらなかったのは強運と言える」
「そうね、四回目の四人目なら、四が二つで死に番だわねえ…」
人の運というのも分からないわ、とスウェナちゃん。でもでも、学園祭は大賑わいでボロ儲けでしたし、ロシアン・ルーレットの効果は絶大だったと言えますよね…!



評判だったロシアン・ルーレット。せっかくだから、と私たちも再チャレンジをすることに。午後のおやつのアップルパイで、当たってしまえばおかわりは無しという約束。
「えーっと、面子が九人だから…」
八発用のだと足りないか、と会長さんが奥の部屋へと。
「「「……???」」」
まさか九人用も作ったんでしょうか、会長さんならやりかねませんが…。待っている所へ、部屋の空気がフワリと揺れて。
「こんにちはーっ!!」
楽しそうなことをやっているよね、と翻った紫のマント。別の世界から来たソルジャーです。
「あんた、何しに現れたんだ!」
キース君が叫ぶと、ソルジャーは。
「そりゃあ、もちろん…。ぼくもロシアン・ルーレットを!」
運の強さには自信があって、と威張るソルジャー。
「ダテにSD体制の世界で生きていないよ、だからやりたい!」
「…弾数に無理がありそうですけど?」
シロエ君が突っ込むと、ソルジャーは会長さんが消えた方を眺めて。
「その点は心配要らないってね! ブルーが十発入りのを持ってくるから!」
「「「十発!?」」」
「ぼくが来るかも、って計算していたみたいだよ? それにさ、数の関係で…」
奇数よりかは偶数の方がいいらしい、と言われた装弾出来る弾数。それじゃ、ホントに十発入りの登場ですかね…?
「はい、お待たせ…って、やっぱり来たんだ?」
拳銃を持って戻った会長さんが呆れ、ソルジャーが。
「ぼくが来ない筈がないだろう! 学園祭の間は遠慮したけど!」
今日は混ぜてよ、と拳銃を見詰めて、「十発だよね?」と。
「ちゃんと十発入るだろ、それ? ぼくの分まで!」
「…入るけど…。ぼくの分って、当たりたいわけ?」
「ううん、全然!」
当たったらアップルパイのおかわりが無いし、と食い意地が張っているソルジャー。運には自信があるそうですから、おかわりゲットのつもりですね?



ソルジャーも混ざることになったロシアン・ルーレット。会長さん自慢の十発入りの拳銃が登場、弾倉には十発入っていたようです。クラッカー弾が。
「空の所に一個入れるより、抜いていく方がスリルがねえ…」
学園祭では時間の関係で出来なかったけど、と弾を抜いてゆく会長さん。
「これも一種の演出ってヤツだよ。…よし、これで残りは一発だけ、と」
ジャジャッと回転させた弾倉、会長さんはソルジャーをジロリと睨んで。
「あのね…。これはサイオン禁止だから! 今、透視したよ!」
「ご、ごめん、つい…!」
「ぼくは君より経験値が低いわけだけど…。その程度のことは分かるから! サイオン禁止!」
改めて…、と回転させられた弾倉。そして順番決めのジャンケン、念押しに弾倉をもう一度回転、一番手のシロエ君が銃口を頭に向けて引き金を。…カチッ、と音がしただけで…。
「良かったあ…。今日は当たりませんでした!」
「おめでとう、シロエ。次はサムだね」
順番にどうぞ、と会長さん。サム君も外れ、キース君も、マツカ君も。
「ふうん…? それでぼくまで回って来た、と…」
ソルジャーがマツカ君の次で、拳銃の銃口を頭にピタリ。
「ちょっとドキドキするものだね。…オモチャなんだとは分かっていてもさ」
ぼくは本物を突き付けられたこともあるものだから…、とハイなソルジャー。初めてサイオンが目覚めた時には、問答無用で撃たれまくったらしいです。子供だったのに。
「全部サイオンで受け止めたからさ、死ななかったけど…。今日はどうかな?」
「運には自信があるんだろ?」
会長さんが「どうぞ」と促し、ソルジャーは引き金を引いたんですけど…。
「「「うわー…」」」
パアン! という音で派手に弾けたクラッカー弾。…まさかのソルジャーに当たりです。クラッカー弾の中身にまみれたソルジャーは…。
「当たっちゃったよ…。ぼくのアップルパイのおかわりは…?」
「無いねえ、そういう約束だからね!」
弾は出たから、今回、此処まで! と会長さんが仕切って、おやつの時間に。「そるじゃぁ・ぶるぅ」特製アップルパイのおかわり、ソルジャーの分だけが今日は無しです。悪いですけど、そういうルール。私たちで美味しく頂きますね~!



残念無念な結果に終わった、ソルジャーの初のロシアン・ルーレット。本当にサイオンを使っていなかったんだ、という点だけは評価出来たので、特別に、とアップルパイのおかわりが少し。他のみんなより小さいですけど。
「うーん…。あそこで当たらなかったら、もっと大きなアップルパイが…」
運には自信があったのに、と私たちのお皿を見ているソルジャー。
「だけど、スリルはあったかな。…パアンと当たった瞬間にね!」
ソルジャー、「死んだ」と思ったそうです。日頃、修羅場を渡り歩いているだけに。
「…人類軍が相手だったら、死ぬってわけにはいかないし…。オモチャだからこそ!」
ドキドキ感を味わえた、と楽しそうな所が凄すぎるかも。
「こっちの世界には、素敵な遊びがあるものだねえ…。気に入ったよ!」
絶賛するソルジャーに、会長さんが。
「あのねえ…。ぼくが遊びに変えたってだけで、元は命が懸かってるんだよ?」
「本当かい!?」
「今でもやる人がいるかどうかはともかくとして…。出来た当時は度胸試しで命懸け!」
本物の弾だし、当たれば終わり、という会長さんの解説。ソルジャーは「へえ…」と。
「ますますいいねえ、真剣勝負! これって癖になりそうだよ!」
「…毎回、これで遊びたいと?」
「機会があればね!」
サイオン抜きでロシアン・ルーレット。当たれば終わりというスリルの世界は、ソルジャーを魅了したようです。寄せ鍋だった夕食の席までに、何度もロシアン・ルーレット。誰かがクラッカー弾を食らう度にパアン! という音が。
夕食の後も、好みの飲み物を出して貰えるかどうかでロシアン・ルーレットを。キース君が弾に当たってしまって、コーヒーは貰えず、水をチビチビ。
「…くっそお…。ツイていないな」
コーヒーが飲みたい、というキース君のぼやき、ソルジャーは拳銃を振り回して遊びながら。
「そうだ、これって他にもあるんだよね? シロエが沢山作っていたから」
「あるけど? だけど、あれは六発入りだよ。…この人数では使えないよ」
会長さんの指摘に、ソルジャーが。
「ううん、六発あれば充分! ぼくの世界でも遊んでみたくて…」
一つ頂戴、とソルジャーは六発入りを貰ってウキウキ帰って行きました。クラッカー弾も箱一杯に貰っていたんですけど、どう遊ぶんだか…。



ロシアン・ルーレットにハマッたソルジャーが拳銃を貰って帰って、一週間。私たちも放課後に何度か遊んでいました。十発入りとか、八発入りで。
今日は土曜日、会長さんのマンションにお邪魔してるんですけど…。
「こんにちはーっ! 遊びに来たよーっ!!」
この間はどうも、と降って湧いたソルジャー。おやつの栗のタルトを頬張り、ニコニコと。
「いいねえ、ロシアン・ルーレット! あれで毎日、楽しんでるよ!」
「…君のシャングリラを巻き込んだのかい?」
その辺の面子を何人か、と会長さん。
「六発だしねえ…。ぼくの読みだと、君のハーレイの他に長老の四人?」
ゼルにヒルマン、エラとブラウ、と会長さんが挙げた名前に、ソルジャーは「ううん」と。
「最初はそれも考えないではなかったんだけど…。六発だからね」
丁度六人になるものだから…、と指を折るソルジャー。
「会議って言ったら、その六人だし…。其処で遊ぼうと思ったんだけどさ。でも…」
実際に弾を入れている内に気が変わったのだ、という話。
「こう、弾倉に一発ずつ入れていくだろう? クラッカー弾を」
「まあね、演出の内だしね? 装弾したのを抜いていくのは」
会長さんの相槌に、ソルジャーは「うん」と頷いて。
「そう思ったから、弾を入れてて…。六発だな、と」
「六発だねえ?」
「その六発で何か閃かないかい? もしも弾倉から抜かなかったら?」
「「「…へ???」」」
全部が当たりでロシアン・ルーレットどころじゃないですよ、その拳銃?
「ロシアン・ルーレットとしては駄目なんだけど…。六発というトコが大切なわけで!」
しかも抜かない! とソルジャーは強調しています。
「抜かないんだよ、六発の弾を! これが本当の抜かず六発!」
「やめたまえ!!!」
会長さんが怒鳴り、ソルジャーが。
「抜かず六発と言えばヌカロク、もうそのための拳銃だよ、あれは!」
「「「…はあ???」」」
ヌカロクって何か謎なんですけど、確か大人の時間の言葉。そういう拳銃なんですか、あれ?



シロエ君が学園祭用にと作った拳銃。標準タイプだという六発装弾出来るタイプで、たったそれだけ、クラッカー弾が六発入るだけ。どう転がったら大人の時間に…、と首を捻りましたが。
「分からないかな、弾を抜かないなら抜かず六発! とにかく素敵な拳銃で!」
これは有難く使わないと、とソルジャーは思ったらしいです。
「そんなわけだから、ゼルだのヒルマンだのと遊んでいるより、ハーレイと!」
「「「…二人?」」」
それは面子が足りなさすぎです。六人揃ってこそのロシアン・ルーレットでは…?
「細かいことはいいんだよ! 交互にやればいいんだから!」
ぼくとハーレイとで三回ずつ! と言うソルジャー。三かける二だと、六ですけど…。
「ほらね、ちゃんと合わせて六回! ハーレイとやろう、って思ったわけで!」
そして毎晩遊んでいるのだ、とソルジャーは胸を張りました。
「もちろんサイオンは抜きで引き金! ぼくも、ハーレイも!」
弾は一発を残して抜いて…、とロシアン・ルーレットの基本は変わらない模様。
「ぼくの番でパアン! と鳴ったら、御奉仕なんだよ!」
「「「御奉仕?」」」
「もう、ハーレイの望み通りに! しゃぶるのも、口で受け止めるのも!」
「退場!!!」
会長さんがレッドカードを叩き付けても、ソルジャーは帰りませんでした。
「ハーレイの番でパアン! と鳴ったら、そこはヌカロク! 抜かず六発!」
ガンガンとヤッてヤリまくるのみ! とヌカロクの登場、やっぱり意味が分かりません。御奉仕の方も謎ですけれど。
「そんな調子で、毎晩、ロシアン・ルーレット! 大人の時間を素敵に演出!」
最高の夜が続いているよ、とソルジャーは実に嬉しそうです。
「あの拳銃に感謝だね! ぼくのハーレイも喜んでるし!」
ただの御奉仕よりも嬉しいらしい、と感極まっているソルジャー。
「なにしろ、六発もあるものだから…。どっちに当たるか、それも謎だから!」
キャプテンが三発ともを無事にクリア出来たら、ソルジャーの御奉仕とやらが出てくるロシアン・ルーレット。そこまで長く待たされなくても、ソルジャーが一発目でパアン! と当たることだってあって、スリルが凄いらしいのです。役に立ってるなら、まあいいかな…。



どういう風に使われているのか、イマイチ謎が残る拳銃。けれどソルジャー夫妻にとっては、大人の時間を楽しめるアイテムに化けたらしくって。
「もう毎日が最高だからさ、この幸せをお裾分けしてあげたいと思ってね!」
「要らないから!」
会長さんが即答したのに、ソルジャーは。
「誰が君にお裾分けをするって言った? 可哀相なこっちのハーレイ向けだよ!」
ただし、ロシアン・ルーレットで、とソルジャーはニヤリ。
「…あのクラッカー弾ってヤツだけど…。中身、ハズレにも出来るよね?」
「「「ハズレ?」」」
ハズレも何も、クラッカー弾がパアン! と鳴ること自体がハズレの証拠ですけれど?
「それはそうだと思うけど…。これもやっぱり演出ってヤツで」
音だけ鳴って空クジというヤツ、とソルジャーも知っていた空クジなるもの。
「それを一発装弾したなら、余計に面白くなるのかな、とね!」
一人ロシアン・ルーレットだから、と言うソルジャー。
「「「…一人?」」」
「そう! 一人ロシアン・ルーレット! 引き金を引けるのは一日一回だけ!」
六発入りでもたったの一回、とソルジャーは指を一本立てました。
「弾倉に弾を一発残して、それからハズレの弾を追加で…。合計二発!」
それをこっちのハーレイが自分の頭に向けて引き金を引く、という説明。
「ロシアン・ルーレットはパアン! と鳴ったらハズレなんだけど、そこを逆にして!」
「…弾に当たれば当たりなのか?」
キース君の問いに、ソルジャーは「うん」と。
「だからハズレの弾を一発! ぬか喜び用に!」
「なるほどな…。しかし、当たったらどうなるんだ?」
「当たりかい? 幸せのお裾分けだしねえ…!」
ぼくからの御奉仕をサービスだよ、とソルジャーは笑顔で、会長さんが。
「それも要らないから!!」
「何を言うかな、選ぶのはこっちのハーレイだから!」
君の出番は全く無い! とキッパリと。…御奉仕って大人の時間ですよね、ロクでもない方へと話が向かっていませんか…?



キャプテンとロシアン・ルーレットで大人の時間を楽しむソルジャー、教頭先生にもお裾分けをと計画を。会長さんが「帰れ」と怒っているのに、シロエ君に。
「クラッカー弾、君が量産してたよね? ハズレ弾だって作れるのかい?」
「えーっと…。音だけっていうのは出来ますけれど…」
要は中身を入れないだけですから、とシロエ君。
「ぼくがわざわざ作らなくても、クラッカー弾の中身を抜けば完成する筈ですよ?」
サイオンで抜けるんじゃないですか、とシロエ君は真面目に答えたのに。
「縁起でもないよ、抜けるだなんて! 抜かず六発、抜くなんて駄目だね!」
作って欲しい、とソルジャーはズイと詰め寄りました。
「必要だったら、手間賃だって払うから! 希望の額を!」
「…そうですか…。それじゃ、一発分で、こんな所で」
これだけ下さい、とシロエ君が出した数字は暴利でした。けれどソルジャーは瞬間移動か、空間移動で財布を取り出し、気前良く「はい」と。
「とりあえず、百発分ほどね!」
「「「百発!?」」」
「こっちのハーレイ、運の悪さはピカイチじゃないか。だから百発!」
多めに仕入れておいて丁度いいくらい、とソルジャーはハズレ弾を発注しました。
「で、いつまでに作れるんだい?」
「材料さえあれば、今から作って…。そうですね、今日の夕方までに充分」
「素晴らしいよ! それじゃ、よろしく!」
ぼくと一緒に材料の仕入れに…、とソルジャーはシロエ君の首根っこを捕まえ、瞬間移動で消え失せました。間もなく帰って来たシロエ君はゲストルームにこもってハズレ弾作り、夕方には百発が完成したようで。
「出来たよ、ハズレ弾! 後はクラッカー弾と拳銃よろしく!」
貸して、と会長さんに強請るソルジャー。
「貸してくれないなら、サイオンで強引に貰って行くけど? 君の家から!」
「わ、分かったよ…!」
どうぞ、と会長さんが持って来た拳銃と、クラッカー弾が詰まった箱。ソルジャーはハズレ弾を詰めた箱を持っていますし、どうやら準備は完了ですね…?



ソルジャーがハマッたロシアン・ルーレット。教頭先生にも幸せをお裾分けとやらで、会長さんがギャーギャー怒っているのに、馬耳東風。
豪華ちゃんこ鍋だった夕食が済むと、私たちまで強引に連れて教頭先生の家へ瞬間移動。青いサイオンがパアアッと溢れて、フワリと身体が浮き上がって…。
「な、なんだ!?」
仰天しておられる教頭先生、食後のコーヒーをリビングで飲んでらっしゃった所。ソルジャーは愛想のいい笑みを浮かべると。
「こんばんは。…最近、ぼくはとても幸せなものだから…。君にも少しお裾分けをね」
「お裾分け…ですか?」
「そうだよ、御奉仕! 悪くないだろうと思うんだけどね?」
ぼくが御奉仕するだけだから、と一歩前へと。
「舐めて、しゃぶって、素敵に御奉仕! 本当は一発やらせてあげてもいいんだけれど…」
初めての相手はブルーと決めているそうだしね、と残念そうに。
「でも、御奉仕なら問題は無いし…。どうかな、御奉仕?」
「是非!!」
即答してから、教頭先生はアッと慌てて口を押さえて。
「す、すまん…! ブルー、い、今のはだな…!」
「君の本音だろう? …スケベ」
好きにすれば、と会長さんは冷たい瞳。
「それにね、君の運の問題でもあるようだから…。どうなるんだか、御奉仕の方」
「…運?」
はて、と怪訝そうな教頭先生に向かって、ソルジャーが。
「御奉仕の前に、まずはロシアン・ルーレット! そういう決まりなんだな、これが!」
「…ロシアン・ルーレット?」
「知らないかなあ? こういう遊びで…」
これが必須、とソルジャーは拳銃を取り出しました。
「これを頭に向けて引き金を…ね」
「はあ…。では、あなたの番の時に弾が飛び出したら、して頂けると…?」
教頭先生、頬が赤いです。…ロシアン・ルーレット、やっぱり御存知なんですね?



ロシアン・ルーレットが何かは御存知らしい教頭先生。ソルジャーは「うーん…」と拳銃を眺め、「それをやってるのは、ぼくのハーレイ!」と。
「ぼくのハーレイとは、そういう決まりでやってるけれど…。お裾分けだから…」
引き金を引くのは君だけだねえ、と教頭先生に銃口を。
「それも一日に一回限り! 弾に当たれば、ぼくが御奉仕!」
「…私が当たる方ですか!?」
「当たりクジとも言うからね! 当たるとクラッカーが飛び散る仕掛けで…」
そういうクラッカー弾が中に六発、と弾倉を示すソルジャー。
「この六発をさ、一発を残して抜いちゃうんだけど…。六発と言えば!」
「ヌカロクですか!」
「流石に君は分かっているねえ! うん、それでこそ!」
じゃあ、抜きまーす! とソルジャーは弾を抜き始めました。一個、二個と。五個抜き取ると、教頭先生に。
「はい、これで残りは一発だけど…。此処でハズレを仕込みます、ってね」
これは音だけのハズレ弾! と込められたシロエ君が作ったハズレ弾。
「音は鳴っても、クラッカーじゃないから…。ぬか喜びって弾なんだけどね」
「ええ、ぬかですね! ヌカロクを連想してしまいますね…」
教頭先生は舞い上がっておられ、ソルジャーは弾倉をジャジャッと回転させてから。
「はい、どうぞ。今日の一発、運試しに!」
「ええ!!」
教頭先生は自分の頭に銃口を向けて、何のためらいもなく引き金を。…本物の銃だったらどうしようとか、そういう考えさえも無いようです。引き金を引いた結果の方は…。
「残念でしたー! ハズレ弾さえ出ませんでした、ってね!」
カチッと音がしただけだよね、とソルジャーが拳銃を取り上げ、自分の頭に向けて引き金。今度もカチッと音がしただけ、「はい」と渡されたキース君がやってもカチッと。
「残り三発…。ハズレと当たりと、カチッていうのと…」
ソルジャーが言うなり、「そるじゃぁ・ぶるぅ」が。
「かみお~ん♪ ぼくもーっ!」
パアン! と飛び散ったクラッカー。教頭先生は「やはり当たりはあったのか…」と唖然呆然。なるほど、当たりの存在を知らせるパフォーマンスでしたか、今のヤツ…。



ソルジャー提供のロシアン・ルーレット、当たりが入っていることは確実。教頭先生はクラッカーまみれの「そるじゃぁ・ぶるぅ」をまじまじと見て…。
「…外れましたか、残念です…。私には運が無かったようです」
「そうみたいだねえ…。でもさ、君にも救いはあるよ」
これだけ出してくれれば、一日に一回チャンスをあげる、とソルジャーが示した暴利な金額。豪華ホテルのディナーコースが余裕で食べられて、おつりが来そうな数字ですけど…。
「分かりました! では、もう一回…!」
財布を出そうとする教頭先生に、ソルジャーは「駄目」と。
「一日一回! ロシアン・ルーレットの値打ちが下がるよ、何回もやれば!」
「そ、そうですね…。では、明日ですか?」
「そうなるねえ…」
今日は此処まで、とソルジャーが宣言、教頭先生は泣く泣く「では、お茶でも…」と私たちにも買い置きのクッキーを御馳走して下さいました。なかなか美味しいクッキーでしたし…。
「かみお~ん♪ クッキー、美味しかったね!」
瞬間移動で会長さんの家に帰ると、「そるじゃぁ・ぶるぅ」がピョンピョンと。
「明日の夜にもお出掛けなんでしょ、ハズレだったらケーキだよね!」
「用意するって言ってたからねえ…。ハーレイとしては、是非とも当てたいトコだろうけど…」
運が悪い自覚はあるらしい、とソルジャー、腕組み。
「みんなも食べたいお菓子があったら、明日からリクエストしておくといいよ」
「おい、明日からって!?」
あんた、いつまで通うつもりだ、と訊いたキース君に、ソルジャーは。
「それはもう! ハーレイが諦めるか、見事に当たりを引き当てるまで!」
毎晩、ロシアン・ルーレット! って、平日もですか?
「平日もだけど? そうだ、御飯を御馳走になって、それからロシアン・ルーレットもいいね」
そっちのパターンも考えよう! と、ソルジャーは暴利ばかりか食事も貪るつもりです。私たちもお供させられてしまうようですし…。
「キース先輩、何かリクエストしたい料理はありますか?」
ぼくは豪華ならラーメンでもいいんですけれど、とシロエ君。キース君は…。
「そうだな、俺は何を食うかな…」
ジョミー君たちも相談をし始めてますし、教頭先生、もう完全にカモですねえ…。



翌日から、教頭先生はロシアン・ルーレットに挑み続ける日々になりました。私たちも付き添いという名目で、ハゲタカのように教頭先生の家で食べ放題。夕食を御馳走になった後には…。
「御馳走様でしたーっ! はい、今日も始めようか」
当たるといいねえ…、とソルジャーが弾を抜いてゆく拳銃の弾倉。一発残して抜いた後には、ハズレ弾の方も一発装弾。弾倉をジャジャッと回してから「どうぞ」と。
「当たりますように…。どうかな?」
「頑張ります!」
ロシアン・ルーレットで頑張るも何も無いのですけど、教頭先生、そう仰るのがお約束。頭に銃口を当てて引き金、今夜もカチッと空しい音が。
「駄目だったねえ…。今日は誰がやる?」
「あっ、ぼく、三発目を希望です!」
シロエ君が手を上げ、キース君が「俺は最初で」と。ジョミー君は四発目を予約、二発目はスウェナちゃんが名乗って…。
「うん、今日はシロエが大当たりってね!」
おめでとう! とソルジャーが渡す金一封。いつの間にやら、そういうルールが出来ました。教頭先生がお支払いになる、ロシアン・ルーレットへの挑戦代。そこから少々、ソルジャーが分ける金一封。クラッカー弾が当たった人が貰える仕組み。
「いいよな、シロエ…。お前、めちゃめちゃツイてるじゃねえかよ」
金一封、これで何度目だよ? とサム君が言う通り、バカヅキなのがシロエ君。本人によると、ただの勘なのだそうで。
「…一番最初に当たってしまったからでしょうか? なんだか相性、いいみたいです」
「らしいよねえ…。シロエ、羨ましすぎ…」
また当たるなんて、とジョミー君も指をくわえて見ています。でもでも、きっと教頭先生の方が遥かに羨ましいと思っておいででしょう。来る日も来る日もハズレですから。
「…私は、ハズレ弾さえ当たったことがないのだが…」
なんとか加減をして貰えないだろうか、と教頭先生が取り出した財布。
「…倍ほどお支払いさせて頂きますから、一日にせめて二回ほど…」
「駄目だね、これはそういうルールだからね!」
ソルジャーが断り、賄賂も通じず。…こんな調子で、どうなるんだか…。



街にジングルベルが流れ始めるクリスマス・シーズン、それでも当たらないのが教頭先生のロシアン・ルーレット。私たちは年を越すかどうかの賭けまで始めましたが…。
「あくまでぼくの勘ですよ? …此処ですね」
この日に賭けます、とバカヅキと噂のシロエ君が印を書いたクリスマス・イブの二日前。
「強気だねえ…。みんな年越しコースなのに…」
会長さんが呆れてますけど、シロエ君曰く、その日付を見たら嫌な予感がするのだそうで。
「…ぼくにとっての嫌な日ってヤツは、金一封を貰えない日ですから…」
きっと、この日を境に貰えなくなるって意味ですよ、と自信たっぷり。教頭先生がその日に当たりを引いてしまって、ロシアン・ルーレットも終了なのだと。
そして運命のシロエ君が賭けた日がやって来て…。
「さて、ハーレイ。今日は当たるとシロエが予言をしてたわけでね」
あのバカヅキのシロエなんだよ、とソルジャーが拳銃を教頭先生に手渡しました。夕食の後で。
「シロエの予言は当たるのかどうか、楽しみだねえ…」
「そうですか、シロエが…。では!」
教頭先生が拳銃を頭に当てて、引き金を引いて…。
「「「うわぁ!!!」」」
当たった! と誰もがビックリ、パアン! と弾けたクラッカー弾。色とりどりの紙テープが舞い、小さな紙片もヒラヒラと…。
「おめでとう! それじゃ早速、御奉仕を…!」
長かったねえ、とソルジャーが教頭先生の前に跪き、ズボンのベルトに手をかけた途端…。
「あれっ、ハーレイ?」
「…………」
教頭先生は仰向けに倒れてゆかれました。鼻血を噴いて、バッタリと。今日まで妄想逞しくなさったツケが回って来たのでしょうか?
「…それっぽいねえ…。うーん、この調子だと、頭がショートで寝込みクリスマスかも…」
ロシアン・ルーレットは怖かったんだねえ、とソルジャーが拳銃を見詰めています。当たったら死んだみたいだけれど、と。
「シロエの勘は当たったんだけど、これではねえ…」
まあ、存分に儲けたから、とロシアン・ルーレットは今日で終わりになるらしいです。ということは、私たちは賭けに負け、シロエ君が最後まで一人勝ち。これって拳銃との相性なんですか、私、山ほど賭けたんです。他のみんなも泣いてますです、あんまりです~!




            運の良し悪し・了


※長らくシャングリラ学園を御贔屓下さってありがとうございました。
 生徒会長が自作した、ロシアン・ルーレット専用の拳銃。学園祭でも、その後も大活躍。
 弾に当たりたい教頭先生、クリスマス前まで頑張り続けて、やっと当たりが出たんですが…。
 結果は最後まで「お約束通り」、シャングリラ学園番外編は、こういうお話ですからね。
 さて、シャングリラ学園番外編は、今月限りで連載終了。14周年を迎えた後のお別れです。
 とはいえ、実は完結している、このシリーズ。誰も覚えていないでしょうけど(笑)
 そして場外編、シャングリラ学園生徒会室の方は、今後も毎日更新です。
 番外編も、気が向いた時に、何か書くかもしれません。
 皆様、これからも、シャングリラ学園生徒会室とハレブル、よろしくです~!

※毎日更新な 『シャングリラ学園生徒会室』 はスマホ・携帯にも対応しております。
 こちらでの場外編、12月は恒例のクリスマス。今年はサンタが大活躍…?
←シャングリラ学園生徒会室は、こちらからv











PR
今年もシャングリラにクリスマス・シーズンがやって来た。ブリッジを仰ぐ船で一番広い公園、其処には大きなツリーが飾られ、名物の「お願いツリー」も登場している。
(クリスマスに欲しいプレゼントを書いて、お願いツリーに吊るしておくと…)
 サンタさんが届けてくれるんだよね、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」は小さいツリーを眺めている。大人の場合、欲しいプレゼントを贈ってくれるのは、恋人だったり、プレゼント担当の係だったり。断然、子供の方がお得で、もう願い事を書いて吊るした子供もいるけれど…。
(ぼくは、もうちょっと、考えようっと!)
 考え事をするには、エネルギーだ、と早速、出掛けることにした。行先はもちろん、行きつけの店というヤツだ。このシャングリラに店は無いから、つまりは、船の外だったりする。
「行ってきまぁ~す!」
 誰が聞いているわけでもないのに、大きな声で宣言すると、瞬間移動でパッとアタラクシアへ。シャングリラが潜む雲海の星はアルテメシアで、育英都市が二つある。アタラクシアは、その一つ。
(さーて、と…)
 今日は、どの店に入ろうかな、と少し悩んで、最近ブームの激辛料理の店にした。全宇宙的に、只今、激辛料理が流行中。子供を育てるための育英惑星だって、例外ではない。
(育英都市にも、大人は沢山いるもんね!)
 大人の方が多いくらい、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」は空いている席を見付けて座って、ぐるりと店内を見回した。今の時間は、子供は学校に行っているから、店の中には大人たちと…。
(学校も幼稚園も、まだ早いんです、って子供ばっかり…)
 でもでも、ぼくは平気だもん、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」は胸を張る。なんと言っても、最強のタイプ・ブルーの子供。情報操作はお手のものだから、店員たちも見た目なんかは気にしない。
「いらっしゃいませ! ご注文は、何になさいますか?」
 おしぼりと水を持って来た店員の前でメニューを広げ、「これ!」と「本日のおすすめ」を指で示した。写真を見る限り、あまり辛そうな感じはしない。だから余計に、気になるわけだ。
「レンコンと骨付き肉の汁物ですね? そちら、辛さが選べるのですが…」
 激辛ですか、と店員に訊かれて、「おすすめで!」と即答した。長年、食べ歩きをやって来たから、経験で覚えたことがある。こういう時には自分の好みにするより、おすすめを選ぶのがベスト。
「おすすめですと、さほど辛くはないですが…。よろしいですか?」
「うんっ、おすすめの味が本物だもんね!」
 もちろんソレで、と食通らしく答えて、注文の品が来るのを待つ。どんなのかな、と。



(激辛のお店で、辛さ控えめなんてあるんだ…?)
 メニューに何か書いてないかな、と見直してみたら、各種料理の紹介の所に「全ての料理が辛いわけではありません」と記されていた。この店は、昔、地球で一番辛いと言われた種類の中華料理、それを売りにしているのだけれど…。
(全部が全部、激辛だった、ってわけじゃなくって…)
 辛さ控えめで素材を活かす、といった料理も多かったらしい。さっき頼んだ「レンコンと骨付き肉の汁物」も、その中の一つ。
(やっぱり辛さ、控えて良かったあ!)
 激辛にしてたら味が台無し、と自画自賛する内に、熱々の汁物が運ばれて来た。レンゲで掬って口に入れると、レンコンは味が染みてホクホク、骨付き肉は骨が勝手に外れてゆくほどの柔らかさ。
(わぁーい、とっても美味しいよ、コレ!)
 よく煮えてるし、と御機嫌で食べて、「もう一杯!」と、おかわりをした。激辛料理を追加するより、これを追加して食べまくってこそ、真の食通というものだろう。
(おすすめなんだし、今日は一番、力が入っている筈だも~ん!)
 お鍋を空っぽにしちゃうもんね、と頼みまくっても、よほど力を入れていたのか、「完売です」とは言われなかった。むしろ「そるじゃぁ・ぶるぅ」の胃袋の方が…。
(……もう入らない……)
 お腹一杯、と退散する羽目になったけれども、レジの横にあるテイクアウト用の肉まん、それを頼むのも忘れない。シャングリラに帰って今夜のおやつ、と「肉まん、10個ね!」と元気良く。
 肉まんを箱に詰めて貰って、クリスマス前の街を散歩してから、瞬間移動で船に戻って…。



(まだまだ、お腹、一杯だから…)
 悪戯のアイデアでも考えようかな、と自分の部屋で、床にコロンと転がった。寝床の土鍋もいいのだけれども、それだと眠ってしまいそうだし、考え事には向いていない、と。
(えーっと、悪戯…。だけど、さっきの、とっても美味しかったよね!)
 激辛料理のお店で辛さ控えめのが美味しいなんて、と思い出しただけで唾が出て来そう。料理の世界は奥が深い、と感心せずにはいられない。「今日のおすすめ」になっていなかったなら、きっと一生、頼まなかったような気がする。「激辛の店だし、辛くなくっちゃ!」と頭から思い込んで。
(おすすめの料理、あちこちで選んで来たけれど…)
 こんなサプライズは初めてだよね、と新鮮な驚きと感動がある。世の中にはいろんな「一番」があって、「激辛料理の店だから、激辛が一番美味しい」とは限らないらしい。
(ホントに不思議なお話だよね…)
 すると一番美味しい料理って、どんなのだろう、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」は首を傾げた。この広い宇宙に、料理は文字通り「星の数ほど」存在する。まだ食べたことのない未知の料理も、色々とあるに違いない。それらも含めて、「一番美味しい」料理を食べたいと思ったら…。
(……地球で一番美味しいお店の、おすすめ料理ってことになるわけ?)
 地球は人類の聖地で、最高の星らしいもんね、と顎に手を当てる。首都惑星のノアも、なかなか栄えているそうだけれど、聖地には敵わないだろう。人類のお偉方が、最高の料理を食べに出掛けてゆくとなったら、当然、地球にある店で…。
(地球にも、お店は幾つもあって、その中で一番美味しいお店が最高で…)
 其処で出される料理の中でも、最高の品が「宇宙で一番、美味しい料理」との評判を取っているのだと思う。「こちらが当店おすすめの料理になります」と、店員が運んで来るヤツが。
(…食べてみたいかも…!)
 それに…、と頭に閃いたこと。「地球で一番、美味しい料理」を食べるためには、その店がある地球に出掛けて行くしかない。
(お取り寄せだと、一番美味しい状態で届くわけじゃないから…)
 地球の店に入って食べるのが一番、その店に「食べに行く」ことは、つまり…。
(食事しに、地球に行くってことだよ!)
 行かないと食べられないんだから、とナイスなアイデアが浮かんで来た。今年のクリスマスは、これをお願いすればいい。そうすれば地球に行くことになって、地球の座標が分かって…。
(ブルーと一緒に、地球に行けるよ!)
 シャングリラでね、と飛び跳ねる。「今年のお願い、これに決めたあ!」と。



 クリスマスに欲しいものが決まったからには、有言実行。「そるじゃぁ・ぶるぅ」はウキウキと「お願いツリー」の所に出掛けて、願い事を書いた札を吊るして大満足。悪戯のアイデアを練るのはすっかり忘れて、肉まんを食べて土鍋に入って、ぐっすり眠ってしまったけれど…。
「ソルジャー、ぶるぅが、こんなものを…」
 欲しいと言って寄越しました、とキャプテン・ハーレイが青の間に行くことになった。ツリーに吊るされたプレゼントを用意する係の者が、「キャプテン、これは…」と言って来たせいで。
「クリスマスに欲しいプレゼントかな?」
 何か問題でもあるのかい、とソルジャー・ブルーが炬燵の中から尋ねる。この時期、青の間には炬燵が出て来て、上にはミカンが盛られた器や、緑茶を淹れるための道具が並ぶのが常。
「はい、ソルジャー。…ご覧下さい」
 この通りです、とハーレイが差し出した紙には、「そるじゃぁ・ぶるぅ」の字で、こう書かれていた。「地球で一番美味しいお店で、おすすめ料理が食べられるチケット、下さい」。
 ソルジャー・ブルーは赤い瞳を真ん丸にして、その願い事を何度も読み返して…。
「うーん…。どう考えても無理だね、これは」
「そうなのです。ぶるぅには、コレを諦めて貰うしか…」
「無いんだけどねえ…。今はぐっすり眠っているし、夜も遅いし…」
 明日、よく言い聞かせて変更させるよ、とソルジャー・ブルーは苦笑する。
「きっとぶるぅは、一石二鳥だと思っているんだろう。美味しく食べて、地球の座標も…」
「分かるでしょうねえ、地球の店で食べるんですからねえ…」
 上手く断って下さいよ、とハーレイは眉間の皺を指先で揉んだ。
「もちろんだよ。でないと、ぶるぅが機嫌を損ねて大変なことになるんだろう?」
「ええ、大暴れで悪戯大盤振る舞いに違いありません!」
 クリスマス前は、悪戯を我慢しているだけに…、とハーレイも充分、承知している。悪い子には欲しいプレゼントが届かないから、今の時期の「そるじゃぁ・ぶるぅ」は大人しいのだ、と。
 そんなハーレイにミカンを持たせて送り出した後、ソルジャー・ブルーは「さて…」と赤い瞳を瞬かせる。「ぶるぅに上手く諦めさせるためには、どう言おうかな…?」と。



 翌日、「そるじゃぁ・ぶるぅ」は、またも出掛けて食べまくった後、船に戻って、自分の部屋で「地球で一番美味しい料理」に思いを馳せていた。「どんな料理で、どんなお店?」と、想像逞しく夢の翼を大きく広げて、ヨダレが垂れそうな顔をして。其処へ…。
『ぶるぅ、青の間まで来てくれるかな?』
 大好きなブルーの思念が飛んで来たものだから、「そるじゃぁ・ぶるぅ」は急いで飛んだ。
「かみお~ん♪ 何かくれるの?」
 瞬間移動で青の間に入って、いそいそと炬燵のブルーの向かいに座る。ブルーは炬燵の上にあるミカンを一個、「はい」と「そるじゃぁ・ぶるぅ」に渡すと、「あのね…」と口を開いた。
「ぶるぅ、サンタさんに食事のチケットを頼んだそうだね?」
「そう! 地球で一番、美味しいお店に行きたいの!」
 でもって、其処のおすすめ料理を食べるんだよ、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」は得意満面、名案を披露し始める。宇宙で一番美味しい料理を食べることが出来て、地球にも行ける、と。
「えっとね、お店のお料理、一番美味しく食べるためには、お店に行くのが一番だから…」
 チケットを貰えば、地球にあるお店の場所も分かるよ、と大好きなブルーに説明した。でないと店には行けないのだから、地球の座標も分かる筈だ、と。
「なるほどね…。それは間違いないだろうけど、その前に…」
 地球に行ける人は、どういう人かな、とブルーは「そるじゃぁ・ぶるぅ」に尋ねた。人類ならば誰でも行ける資格があるのか、それともそうではないのか、と。
「んーと…。んーとね、きっと、うんと偉い人たちだけじゃないかな?」
 メンバーズ・エリートだったっけ、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」は考え込む。他にはどういう偉い肩書があっただろうか、と乏しい知識を総動員して。ノアにいるのは、メンバーズの他に…、と。
「ほらね、人類の中でも、地球に行ける人は少ないんだよ?」
 サンタクロースは行けそうだけど…、とブルーは困った表情になった。「でもね」と、「サンタさんはチケットを手に入れられても、其処には、きっと…」とブルーの顔が曇ってゆく。「恐らく、サンタさんの名前が書かれているだろうね」と。
「サンタさんの名前って?」
 なあに、と怪訝そうな「そるじゃぁ・ぶるぅ」に、ブルーは答えた。
「そのチケットを、使っていい人の名前だよ。サンタクロース様、と書いてあるチケットは…」
「もしかして、それ、サンタさんしか使えないの?」
「そうなるね。だから、ぶるぅが貰っても、使えないんだし…」
 願い事は他のものにしなさい、とブルーは諭した。「サンタさんだって、困るだろう?」と。



(そっかぁ…。サンタさんがチケット、手に入れて、ぼくにくれたって…)
 使えないんじゃ仕方ないね、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」はチケットを諦め、お願いツリーに別の願い事を書き込んだ紙が吊るされた。「ステージ映えするカラオケマイクを下さい」と。
 ソルジャー・ブルーも、ハーレイも、プレゼントを用意する係もホッと一息、そしてクリスマスイブがやって来て…。
「では、ソルジャー。今年も行って参ります」
 サンタクロースの衣装を纏ったハーレイが、大きな白い袋を手にして「そるじゃぁ・ぶるぅ」の部屋に向かった。何度か此処で懲りているので、罠があるかどうかもチェックしてから…。
(よしよし、今年もよく寝ているな。寝ていれば、普通に可愛いんだが…)
 悪戯小僧め、とハーレイは「そるじゃぁ・ぶるぅ」の枕元にプレゼントを並べてゆく。ブルーや長老たちからのプレゼントに、ご注文の品のカラオケマイクに…、と順番に。
(これで良し、っと…。無事に済んだな、今年の私のお役目は)
 いい年だった、と新年も来ていないというのに、ハーレイの中では一区切り。青の間でブルーに報告をして、キャプテンの部屋に戻って眠って、シャングリラの子供たちも夢の中。
 次の日の朝、「そるじゃぁ・ぶるぅ」が目を覚ますと…。
「わあ、プレゼントが今年も一杯! んとんと、うわあ、ピカピカのカラオケマイク!」
 これならステージで映えるよね、と歓声を上げた所へ、大好きなブルーの思念が届いた。
『ハッピーバースデー、ぶるぅ! みんなが公園で待ってるよ? それに大きなケーキもね』
「あっ、忘れてたあ! お誕生日もあったんだあ!」
 今、行くねーっ! と叫んで瞬間移動で、ブリッジの見える公園へ飛んで行くと…。
「「「ハッピーバースデー、そるじゃぁ・ぶるぅ!!!」」」
 おめでとう! とシャングリラの仲間たちが笑顔で迎えて、バースデーケーキが担がれて来た。それは大きな、みんなで食べても充分、たっぷり余ってしまいそうな豪華な超特大のが。
 船の誰もが手を焼く悪戯小僧だけれども、今日は主役で、クリスマスパーティーも賑やかに。
 ハッピーバースデー、「そるじゃぁ・ぶるぅ」。今年もお誕生日、おめでとう!




              美味しい注文・了

※「そるじゃぁ・ぶるぅ」お誕生日記念創作、読んで下さってありがとうございます。
 管理人の創作の原点だった「ぶるぅ」、いなくなってから、もう5年になります。
 2007年の11月末に出会って、其処からせっせと続けた創作、なんと今年で15年目。
 シャングリラ学園番外編の方は、今年で連載終了ですけど、場外編は続いてゆきます。
 つまり良い子の「ぶるぅ」は現役、けれど悪戯小僧な「ぶるぅ」も大好きな管理人。
 お誕生日のクリスマスには記念創作、すっかり暮れの風物詩。今年もきちんと書きました。
 「そるじゃぁ・ぶるぅ」、16歳のお誕生日、おめでとう!
 2007年のクリスマスに、満1歳を迎えましたから、15年目の今年は16歳です。
 アニテラだと、ステーション生活は4年ですけど、原作だと2年間な件。
 16歳になった今年は卒業ですねえ、メンバーズになれる年齢です。ちょっとビックリ。

※過去のお誕生日創作は、下のバナーからどうぞです。
 お誕生日とは無関係ですけど、ブルー生存EDなんかもあるようです(笑)












「すみません。此処へ行くバスはどれですか?」
 そう尋ねられて、その人の顔を見上げたブルー。学校の側のバス停で。
 今日の授業はもう終わったから、帰りのバスを待っていた所。地図を持っている若い男性、その地図を指差すのだけれど…。
(えーっと…)
 男性の指が示している場所、其処へ真っ直ぐに行くバスは無い。このバス停に来るバスの中には一本も。乗り換えないと行けないらしい目的地。
(其処のバス停も分かってないよね、きっと…?)
 地図を眺めても、バス停の名前はまるで書かれていないから。此処も含めて。
 こういう時にはこれが一番、とバス停にある路線地図を指して説明した。目的の場所に一番近いバス停は此処で、其処に行くなら乗り換えは此処、と。
「乗り換える場所まで行くバスは…。このバスです」
 じきに来ますよ、と時刻表も見て確かめてから微笑んだ。遅れていないなら、もうすぐ来る筈。
「ありがとう。君のお蔭で助かったよ。…運転手さんに訊こうと思ってたんだ」
 地球は初めてだから、よく分からなくってね。バスの乗り方は分かるんだけど…。
 バス停なんかサッパリ駄目だ、と男性が軽く手を広げるから。
「え…?」
 初めてって…。他所の星から来たんですか…?
 嘘、と見詰めた男性の顔。遠い所から来たとしたって、他の地域だと思ったのに。
「そうだよ、地球はホントに初めてで…。有名な星だけど、来たことが無くて」
 宇宙遺産のウサギを見ようと思って、此処まで来たんだ。
 あれがあるのは、此処の博物館だしね、という男性の言葉に驚いた。
(宇宙遺産のウサギって…。ハーレイのアレ…!)
 前のハーレイが、トォニィの誕生祝いに作った木彫りのナキネズミ。皆がウサギと勘違いして、宇宙遺産になってしまった。ミュウの子供が沢山生まれますように、というお守りなのだ、と。
 それを見に来たのもビックリだけれど、今の展示はレプリカの方。本物は百年に一度だけの特別公開、次に見られるのは五十年ほど先になる。
 知らないのかな、と丸くなった目。木彫りのウサギがレプリカなこと、と。



 わざわざ他の星から来たのに、レプリカだったらガッカリだろう。しかも本当はウサギではないナキネズミ。
(…いいのかな、これで…)
 どうしよう、と言葉を失くしたけれども、男性は気付かなかったらしくて。
「もう見て来たんだよ、木彫りのウサギ。今日の午前中に」
 レプリカでも見ておきたいからね。…本物の公開を待っていたんじゃ駄目だから。
 やっぱり側できちんと見ないと、いろんな方向からじっくりと。…芸術家としては。
「芸術家?」
「そう。彫刻家の卵といったトコかな、専門は木彫り」
 他の素材も彫るんだけれどね、木彫りが一番好きなんだ。木には命があるだろう?
 石とかには無い温もりがあるよ、木で出来ている作品には。宇宙遺産のウサギもそうさ。
 あんな風に後世に残る作品を作りたいんだよ、と話す男性。
 宇宙遺産とまではいかなくても、大勢の人を惹き付ける何か。そういう作品を作れたら、と。
(なんだか申し訳ないんだけど…!)
 あれはウサギじゃないんだから、と穴があったら入りたい気分。彫った犯人を知っている上に、その犯人が自分の恋人。生まれ変わったキャプテン・ハーレイ。
 下手くそな木彫りのナキネズミを見に、他の星から来る人がいるとは夢にも思っていなかった。特別公開の時ならともかく、今はレプリカの展示なのに。
(…ごめんなさい…。あれって、芸術なんかじゃなくて…)
 勝手に勘違いされちゃっただけ、と心の中で慌てる間に見えて来たバス。男性が乗っていくべき路線だと分かるバスだから…。
「あ、あのバスです!」
 助かった、と遠くに見えるバスを教えた。路線地図も示して、「此処で乗り換え」と。
 あのバスに乗って走るだけでは、辿り着けない目的地。乗り換え場所に着いたら、この路線のに乗り換えて、此処、と。男性が降りるべきバス停の名前。



 男性は路線地図やバス停を確認してから、それは素敵な笑顔になった。
「此処で乗り換え、降りるのが此処、と…。ありがとう、小さなソルジャー・ブルー君」
 宇宙遺産のウサギを見た日に君に会えて良かった、と差し出された手。握手のために。
 小さなソルジャー・ブルーにも会えたし、とても縁起のいい日だった、と。
「え、えっと…。ぼくは案内しただけで…」
 そんなに役に立っていません、と恐縮するばかり。握手している間にも。
 男性の方は大喜びでも、自分は知っている宇宙遺産のウサギの正体。本物を彫った犯人だって。
「とんでもない! 今日は最高の日だよ、ウサギを見られただけでもラッキーだったのに」
 道案内をしてくれたのが小さなソルジャー・ブルーだなんてね、ぼくはツイてる。
 いつかぼくの名前が売れた時には、会いに来てよね。小さなソルジャー・ブルー君。
 芸術家としての名前は、まだ無いんだけど…。卵だから。
 ぼくの名前はヘンリーだよ、と手を振ってバスに乗って行った男性。「ありがとう」と。
 走り去るバスが見えなくなるまで、ずっと手を振っていてくれたけれど…。
(普通すぎる名前…)
 特に珍しくもない名前がヘンリー。ごくごく普通で、学校のクラスの生徒にもいる。学校全体で数えたならば、ヘンリーは何人いるだろう?
(…芸術家になっても、分からないかも…)
 ヘンリーという名前では。
 芸術家としての名前は別につくのだけれども、本名を明かす人だって多い。きっとヘンリーも、そのつもり。だから教えてくれたのが名前。「ヘンリーだよ」と。
 けれど、多いだろうヘンリー。…そういう名前の、木彫りを作る彫刻家。
(顔で分かればいいんだけどね?)
 その顔だって、ヘアスタイルだけで変わっちゃうし、と思う間に自分が乗るバスもやって来た。いつもお世話になっているバス。
 それに乗り込んで走り始めたら、じきに着くのが家の近くにあるバス停。ヘンリーが乗り換えるバス停と違って、本当に近い場所だから。身体が丈夫な子供だったら、バス通学はしない距離。
 ヘンリーを乗せたバスは先に走って行ったけれども、乗り換え地点はずっと先。間に幾つも入るバス停、まだ暫くは着かないだろう。



 バス停から家まで歩いて帰って、制服を脱いでおやつの時間。ダイニングで。母が焼いてくれたケーキを頬張りながら、帰り道での出会いを思う。
(さっきのバスは…)
 ヘンリーに「あれです」と教えたバスは、何処まで走って行ったろう。乗り換え地点まで行っただろうか、教えたバス停に着いただろうか。
 バスの中でも案内はあるし、ヘンリーは間違えずに降りられる筈。「次です」という車内案内、それを聞いて降車ボタンを押して。
(降りたら、バス停で時刻表を見て…)
 次に乗るバスが来るのを待つ。多分、本数は少なくないから、そう待たなくても乗れるだろう。目的地まで運んで行ってくれるバスに。
(それに乗り換えて、あそこで降りて…)
 ヘンリーが目指す場所から近いバス停。降りたら何を見に行くのだろう、芸術家の卵だと話したヘンリーは?
(あそこにあるのは…)
 確か小さな美術館。其処に行くのか、その近くで宿を取ったのか。あるいは食べたい料理の店。自分はまるで知らないけれども、美味しいと評判の店があるとか。
(そういうのかもね?)
 地球は初めてだと言っていたから、考えられる可能性は幾つも。
 この辺りに住む人だったならば、同じように道を訊いたとしたって、友達の家に行くだとか…。
(でなきゃ、美術館か、食事に行くか…)
 そのくらいのことで、宿は要らない。ヘンリーだったら、宿というのも有り得るのに。何処かに泊まって続ける旅。地球にヘンリーの家は無いから、何処へ行くにも。
(親戚の家も無さそうだもんね?)
 地球に初めてやって来たなら、きっと親戚も地球にはいない。誰かいるなら、ヘンリーくらいの年になるまでに一度は来ると思うから。
 青い水の星は、今の時代も宇宙の人々の憧れの場所。親戚が住んでいるとなったら、訪問がてらやって来るもの。小さな子供に地球を見せるために、「これが地球だよ」と見せてやるために。



 だから親戚はいない筈、とヘンリーのことを考える。親戚が地球に住んでいないのなら、泊まる場所は宿を探すしかない。何処に行っても、必要な宿。
(泊まる場所、色々あるけれど…)
 立派なホテルも、個人が営む小さな宿も。ヘンリーが目指すバス停の辺りには、大きなホテルは無いけれど…。
(小さいホテルはあった筈だし、もっと小さな所とか…)
 夫婦でやっているような宿。そういう宿もけっこう人気が高い。まるで親戚の家にいるようで、居心地がいいらしいから。
(他の地域から来た人とかにも…)
 人気なのだと聞いているから、ヘンリーも泊まるのかもしれない。あのバス停から近い宿とか、またバスに乗って移動した先で予約を取ってあるだとか。
(あそこが終点じゃないってことも、ありそうだよね…)
 ヘンリーの今日の旅の中では。
 終点なのかもしれないけれども、まだ続くということだって。美術館を見るとか、食事だとか。それが済んだら、あのバス停からまたバスに乗る。今日の宿がある所まで。
(ホントに可能性が一杯…)
 あのバス停で降りた後のヘンリー。何をするのか、何処へ行くのか。今日の移動はあのバス停が終点なのか、もっと先まで移動するのか。
(それに、地球から帰る時には…)
 何処から帰ってゆくのだろうか、ヘンリーが暮らしている星に。芸術家になろうと決心した星、宇宙の何処かにある故郷に。
(ヘンリー、地球は初めてなんだし…)
 此処の他にもあちこち回って、他の地域の宙港から宇宙船に乗るかもしれない。それとも、他の地域は回って来た後で、此処の地域から出港するか。
 故郷の星へと飛んでゆく船で、チビの自分は乗ったことがない宇宙船で。



 最後は宇宙船だよね、と其処だけは分かるヘンリーの旅。さっき見送ったバスでの旅は、何処が終点なのか謎だけれども。今日の間の移動だけでも、まるで分からない旅の終点。
(バスの次は何に乗るのかな…?)
 それだって謎、と思うヘンリーが旅に使う乗り物。バスの種類も色々あるから、この地域の中はバスだけを使っても旅してゆける。遠い所まで走ってゆくバスは何種類も。
(海がある場所まで走って行って…)
 港に着いたらバスごと船へ。直ぐに渡れる所だったら、バスに乗ったままで渡れる海。何時間かかかる海の旅なら、バスから降りて甲板や船室で過ごすと聞いた。
 そんな風にバスごと船に乗ってゆくか、バスはおしまいで船にするのか。
(船でしか行けない場所だって…)
 幾つもあるから、バスの次は船になるかもしれない。そうやって旅を続けてゆくのか、地球での目的は果たしたから、と宙港行きのバスに乗り込んで、次に乗るのは宇宙船なのか。
 ヘンリーの故郷の星へ飛んでゆく宇宙船。チケットを買って、バスから宇宙船に乗り換え。
(その気になったら…)
 いろんな所へ行けるんだ、と気付いた乗り物。乗り換えて、乗り継いで何処までも行ける。
 今日の帰りに使ったバス停、あそこから宇宙へ行くことだって。宙港の方へ行くバスのバス停、其処までバスに乗って行ったら。宙港行きのバスに乗り込んだなら。
(バスに乗っかっているだけで…)
 連れて行って貰える、宇宙船が発着する宙港。其処で降りたら、チケットを買う。行きたい星に運んでくれる船のチケットを。それを買ったら、宇宙船に乗って宇宙への旅。
(なんだか凄い…)
 最初はバスに乗ったのに。家から近いバス停で乗って、乗り換えたら着いてしまう宙港。バスで出掛けたのに、いつの間にやら宇宙船。窓の向こうは漆黒の宇宙。
 そういう旅が出来るらしくて、ヘンリーはその逆で地球にやって来た。宇宙船に乗って、地球の宙港に着いて、其処から多分、乗っただろうバス。何処の地域へ降りたにしても。
 その後も色々な乗り物に乗って、さっき出会ったバス停まで。
 「此処へ行くバスはどれですか?」と、尋ねられた学校の側のバス停。何処かの星から宇宙船で来て、立っていたのがあのバス停。この町の住人とまるで変わらない格好で。



 凄すぎるよね、と感心しながら戻った二階の自分の部屋。空になったお皿などを母に返して。
 今の時代は、バス停から宇宙に旅立てるらしい。その逆で地球に来たヘンリーに会って、バスを教えたから気が付いた。「乗り換えは此処で、降りるのは此処」と。
 ヘンリーはバスに乗り込んで行って、地球での旅が終わった後には、また宇宙船。宙港で故郷の星に行くチケットを買って、瞬かない星が散らばる宇宙に飛び立つ。青い地球から。
 ヘンリーがいたのはバス停なのに。…宇宙船なんか、何処にも見えはしなかったのに。
(前のぼくたちだと…)
 乗せても貰えなかったバス。人類ではなくて、ミュウだったから。
 今の時代とは違った時代。宇宙は人類だけの世界で、ミュウは追われて殺されるだけ。ミュウに生まれたというだけのことで、人類に端から殺されていった。けして存在を認められはせずに。
 ミュウが生きられた場所はシャングリラだけ。箱舟だった白い船だけ。
 あの船の中が世界の全てで、バスに乗るなど夢物語。もちろん乗り換えだって出来ない。バスを乗り継いで何処かへ行くことも、他の乗り物に乗り換えることも。
 人類のものだったバスはもちろん、白いシャングリラから何かに乗り換えるのも…。
(無理だったよね…)
 シャトルでもあったギブリに乗っても、またシャングリラに戻るだけ。飛び立った場所へ戻って来るだけ、他の所へ旅立てはしない。
(ナスカがあっても…)
 赤いナスカを手に入れた後も、シャングリラから飛んだギブリは、ナスカに降りていっただけ。乗り換えてナスカに行くのではなくて、シャングリラとナスカを結んでいただけ。
 つまり、そういう路線バス。白いシャングリラから赤いナスカへの定期便。一本きりだった路線バス。乗り換えるバスが無かったミュウたち。…ギブリはバスではないけれど。
(世界が狭いよ…)
 バスが一本きりなんて、と勉強机の前に座って考える。乗り換えも無理な世界だなんて、と。
 それに比べて今の時代は、宇宙はなんと広いのだろう。なんて自由な時代だろう。
 乗り換えさえすれば、何処へでも行ける。出発点が家の近所のバス停でも。いつも学校へ向かうバス停、あそこからバスに乗り込んでも。



(バスに乗ったら、後は宙港まで行ける乗り換え方と、宇宙船のチケットと…)
 それだけで行ける、バス停から宇宙へ飛び出す旅。乗り換えるバスを間違えないよう、ちゃんと調べて乗ったなら。途中で迷ってしまった時には、ヘンリーみたいに誰かに訊いて。
(誰でも教えてくれるだろうし…)
 チビの自分でも着ける宙港。チケットを買えば、直ぐに宇宙へ飛び出せる。ヘンリーのように、他の星から青い地球にも来られたりする。住んでいる家から宙港に行けば。
(ヘンリーだって、最初はバス…)
 宙港行きのバスに乗って旅を始めたのだろう。バスに乗ったら、青い地球まで来られる時代。
 ホントに凄い、と感動していたらチャイムの音。仕事帰りのハーレイが訪ねて来てくれたから、テーブルを挟んで向かい合うなり切り出した。
「あのね、今の時代って、とても凄いね」
「何がだ?」
 いったい何が凄いんだ、とハーレイの疑問はもっともなもの。「凄い」だけでは伝わらない。
「凄いんだってば、バスで宇宙に行けるんだよ」
 バスで行けちゃう、と大発見を披露したのに、ハーレイは「はあ?」と目を見開いた。
「おいおい、お前、寝ぼけてないか?」
 俺が来るまで昼寝してたのか、バスは宇宙を飛んだりしないぞ。…バスなんだから。
 それっぽい名前の宇宙船が無いとは言わんが、バスとは似ても似つかないしな?
「ごめん…。ぼくの言い方、ちょっぴり極端すぎたかも…」
 バスからどんどん乗り換えていけば、宇宙に行ける、って意味なんだけど。
 いつもぼくが乗るバス停があるでしょ、あそこからでも行けるんだよ。宙港に行けるバスが出ている、バス停までバスに乗って行けばね。…直通のは無いから、乗り換えて。
 其処まで行ったら、宙港行きのバスが来るから、それに乗ったら宙港に着くよ。
 宙港に着いたら、後はチケット…。
 行きたい星までのチケットを買って、宇宙船に乗れば宇宙だってば。
 出港時間になったら宇宙に飛び出せるんだよ、家を出た時はバスだったのに。いつも使っているバス停から乗って、バスの座席に座ってたのに…。



 バス停から宇宙へ行けちゃうんだよ、と乗り換えのことを説明した。最初に乗るのは路線バス。普通のバスと全く変わらないのに、乗り換えてゆけば宇宙にも行ける。宙港に行けば。
「ちゃんと宇宙に行けてしまうんだよ、最初に乗ったのは普通のバスでも」
 決まった路線を走っているバス、そういうのに乗って走り出しても。
 これって凄いよ、前のぼくたちだと、乗り換えなんて無理だったでしょ?
 ミュウはバスには乗れないし…。シャングリラは最初から宇宙船だったし、乗り換えたって行き先が何処にも無いんだから。
 ギブリに乗っても、またシャングリラに戻って来るだけ。…ナスカがあっても同じことだよ。
 ナスカに行くか、シャングリラに帰るか、それだけしかコースが無かったから。
 乗り換えなんかは出来ないんだよ、と前の自分たちが生きた時代を話した。路線バスは無理で、シャングリラからも乗り換えて何処にも行けはしない、と。
「確かになあ…。今の時代だと、バスに乗ったら宇宙に飛び出せちまうのか…」
 バスが宇宙を飛ぶわけじゃないが、宙港までバスに乗って行ったら。
 お前、凄い所に気が付いたな。宇宙船に乗ったことは無いと言ってたが…。
 宇宙から見た地球も知らないくせに凄いじゃないか、とハーレイが手放しで褒めてくれたから、得意になって種明かしをした。
「帰りに道を訊かれたからね」
 学校の側のバス停にいたら、宇宙から旅をして来た人に。
 バスで行きたい場所があるのに、どのバスに乗ったらいいのか分からなかったらしくって…。
 「此処に行くバスはどれですか?」って訊かれたんだよ。
 でもね、その場所に真っ直ぐに行くバスは一つも無かったから…。
 此処で乗り換えて、此処で降りてね、って教えてあげたら、「ありがとう」って。
 他の星から来た人だなんて、聞くまでちっとも分からなかったよ。
 その人のことを考えていたら、バスで宇宙に行けることにも気が付いちゃった。だって、帰りは宇宙船に乗って行くんだもの。何処かの宙港までバスで行ってね。
 …そうだ、ヘンリー!



 どうしてヘンリーが地球に来たのか、理由の一つを思い出した。宇宙遺産のウサギのレプリカ、それを見て来たと聞いたのだから…。
(宇宙遺産のウサギの正体…)
 本当は前のハーレイが彫ったナキネズミなのに、と申し訳ない気持ち。ヘンリーを騙した犯人が目の前に座っているから、これは咎めねばならないだろう。
「ハーレイ、ヘンリーに謝ってよね」
 全部ハーレイのせいなんだから、と恋人の顔を睨み付けた。
「ヘンリーだって? 誰なんだ、それは?」
 お前のクラスのヘンリーのことか、それとも別のクラスのヤツか?
 どのヘンリーだ、とハーレイも首を傾げるくらいに多い名前がヘンリー。平凡すぎる名前。
「バス停でぼくに行き方を尋ねた人だよ、地球に来たのは初めてだって」
 芸術家の卵で、木彫りが好きな彫刻家。木には命があるからね、って言ってたけれど…。
 ヘンリーは、ハーレイのウサギを見に来たんだよ。宇宙遺産のウサギをね。
 もう見て来たって話をしてたよ、今日の午前中に行ったって。…博物館まで、ウサギを見に。
「ほほう…。そいつは素晴らしいな」
 俺の作品を見に来てくれたか、俺と言っても前の俺だが…。
 芸術家の卵が、俺の木彫りを眺めるために他の星から旅をして来たとは光栄だ。
 いい話だ、と悦に入っているのがハーレイ。あれはウサギではなくてナキネズミなのに。
「分かってる? ヘンリーが見たいと思っていたのはウサギだよ?」
 宇宙遺産のウサギなんだよ、それって間違ってるじゃない!
 前のハーレイが作った木彫りは、ウサギじゃなくってナキネズミでしょ!
「それはそうだが…。しかし、お前が出会ったヘンリーはだな…」
 俺が作った木彫りを見に来てくれたんだろうが。正体が何であろうとな。
 特別公開の時ならともかく、今の展示はレプリカなのに…。
 よく出来ちゃいるが、本物じゃない。それでも来てくれた所がなあ…。
 芸術家の卵ともなれば、やっぱり一味違うってことか。レプリカでもいいから、本物ってヤツに触れてみたかったんだな。あれは地球にしか無いもんだから。



 ミュージアムショップのレプリカだって、あそこでしか買えん、とハーレイの顔は誇らしげ。
 「他の星では買えないんだぞ」と、「あの博物館のオリジナルだ」と。
「…ヘンリーも買って帰ったかもなあ、あれのレプリカ」
 値段自体は高くはないしな、博物館の土産物だから。他の星では買えないってだけで。
 土産物としてもかさばらないし、とハーレイが自慢するウサギ。その正体はナキネズミ。
「分かってるんなら、謝ってよ! ヘンリーに!」
 ヘンリー、ホントに騙されちゃっていたんだから…。あのナキネズミはウサギなんだ、って。
 それに、あんな風に後世に残る作品を作りたい、って言っていたんだから!
 みんながウサギと間違えたせいで、今も残っているだけなのに…、と責めたけれども。
「俺の芸術が素晴らしい証拠だ、そのヘンリーは見る目があるな」
 あれの素晴らしさと価値を分かってくれたというのは、芸術を見る目があるってことだろう?
「無いってば! …ううん、芸術を見る目はあるんだろうけど…」
 ハーレイのウサギを見る時はきっと、曇ってしまっているんだよ。宇宙遺産のウサギです、って御大層な説明がついているから、そのせいで。
「どうなんだか…。俺の作品を見る目もあると思うがな?」
 わざわざ地球まで見に来る辺りが根性があるし、数ある芸術品の中から俺のをだな…。
 選んでくれたのがヘンリーなわけで、もう間違いなく俺の芸術を理解してると思うんだが。
 でなきゃ選ばん、とハーレイは全く譲らないから、チクリと嫌味を言うことにした。
「ハーレイのウサギだけじゃなくって、他にも色々見たいんじゃないの?」
 他の地域にも彫刻はあるし、この地域にも幾つもあるよ。宇宙遺産のも、そうでないのも。
 ハーレイのは一番有名だから、とにかく見ようって思っただけ。
 いろんな方向からじっくり見なきゃ、って言っていたけど、それは観賞の基本でしょ?
 どういう風に彫ってあるのか、写真だけでは分かんないから…。
 あれっ、でも…。



 なんだか変だ、と引っ掛かったこと。ハーレイを苛めている真っ最中に。
 ヘンリーが別れ際に差し出して来た手。バスに乗り込む前に握手して、ヘンリーは…。
「…ヘンリー、ぼくと出会えて縁起がいい、って…」
 そう言ったんだよ、別れる時に。握手して、とても嬉しそうに。
「なんだ、そりゃ?」
 お前と会ったら、どの辺が縁起がいいって言うんだ?
 縁起物っていう顔じゃないだろ、お前の顔は。…縁起物にも色々あるがな、ユニークなのが。
 フクロウもそうだし、無事カエルもだ、とハーレイが挙げる縁起物。「似てるのか?」と。
「…似てるらしいよ、カエルとかじゃなくて、ソルジャー・ブルー…」
 小さなソルジャー・ブルー君、って言ってたんだよ、ヘンリーは。
 宇宙遺産のウサギを見た日に、ぼくに会えて、とても縁起がいい、って…。
「ふうむ…。小さなソルジャー・ブルーに会えたら縁起がいいんだな?」
 それならやっぱり、尊敬しているのは俺なんだろう。前の俺の木彫りの腕前だ。
 キャプテン・ハーレイとソルジャー・ブルーは、今の時代はセットみたいなモンだから…。
 俺のナキネズミを拝んだ後にだ、ソルジャー・ブルーにそっくりなチビと出会えたら、そりゃあ嬉しくもなるだろう。
 なんて幸先がいいんだろうと、芸術家としての前途だってきっとツイている、とな。
「そう思うんなら、謝ってよ! ヘンリーに!」
 ホントはウサギじゃないんです、って、ハーレイ、きちんと謝って!
 ハーレイのことを尊敬しちゃっているんだったら、ますます大変なんだから!
 わざわざ地球まで来ちゃったんだよ、とヘンリーが気の毒でたまらない。前のハーレイが彫ったウサギを見たくて旅して来たのに、ウサギは間違いなのだから。正体はただのナキネズミで。
「俺にどうやって謝れと言うんだ、もういないだろ」
 ヘンリーはバスに乗ってったんだし、とっくに移動しちまった。此処にいるなら謝りもするが、いないんではなあ…?
「そうだけど…。ヘンリー、行っちゃったけど…」
 何処に泊まるのか、そんなのも聞いていないんだけど…。



 どうやって謝ればいいと言うんだ、と言われてみれば、名前だけしか知らないヘンリー。
 平凡すぎる名前はともかく、何処の星から来たのかさえも聞いてはいない。いつか芸術家として現れた時は、名前も変わっているだろう。本名が分かっていたとしたって、ヘンリーだけに…。
(…木彫りの彫刻家で、ヘンリーって人…)
 何人いてもおかしくないから、もうヘンリーに賭けるしかない。芸術家にはプロフィールが必ずつくものなのだし、其処にきちんと書いてくれることを。
「じゃあ、いつかハーレイを尊敬している彫刻家がデビューした時は、謝って!」
 芸術家が持ってる名前とは別に本名も分かって、それがヘンリー。
 本名がヘンリーで、キャプテン・ハーレイをとても尊敬しています、っていう彫刻家!
 そういう人が現れちゃったら、間違いなく今日のヘンリーだから!
 ちゃんと会いに行って謝ってよね、と注文をつけた。その方法ならば、お詫び出来そうだから。
「謝るのは別にいいんだが…。行きたくないとは言わないが…」
 俺が謝っても意味なんかないぞ、ただの古典の教師だから。
 いったい何を謝ってるんだ、と不思議そうな顔をされるのがオチだ。
 そうだな、せいぜい、こんな所か…。
 「古典の資料で解釈するなら、そうなりますか?」と訊かれるんだな、ウサギの正体。
 キャプテン・ハーレイの航宙日誌に、何か暗号があるだとか。ナキネズミだ、と読み取れる妙な暗号もどき。古典の教師の俺が思い付いた、実に斬新な新説ってヤツで。
 そう読めるんだ、と主張しながら、「ウサギじゃないです」と謝りに来た奇特な男、と。
 何も言わずに黙っていたなら、謝らなくてもいいのになあ…。自分勝手な新説だから。
 ヘンリーにしてみりゃ、熱烈なファンならではのお詫びってトコか。ヘンリーが大切に思ってるウサギ、そいつにヘンテコな説を唱えてすみません、とな。
 俺が正体を明かしているなら、話は別になるんだが…。そうでなければ、意味が無いだろ。
「そっか…」
 ハーレイが誰か分かっていないと、そういうことになっちゃうね…。
 いくらキャプテン・ハーレイと同じ顔でも、似ているだけで別人だから…。



 どうやらハーレイが謝りに行っても無駄らしい。宇宙遺産のウサギのこと。
 ヘンリーにとってはウサギはウサギで、彫刻家を志した切っ掛けの一つ。今のハーレイが謝ってみても、「ナキネズミですか?」と首を傾げるだけ。ハーレイが自分の正体を伏せたままならば。
(…今の所は、前のぼくたちのことは、黙ったままでいようって…)
 そう思っているのが自分たち。二人きりで静かに生きてゆけたら、それでいい。
「…だったら、心で謝ってよね。ヘンリーに通じないんなら」
 ヘンリーが立派な芸術家になったら、心の中で「ごめんなさい」って。
 だって、騙したのは本当だものね、宇宙遺産のウサギの正体、ナキネズミだから。
「うーむ…。俺はどう転がっても悪者なのか…」
 芸術家の卵を騙しちまった悪党なんだな、宇宙遺産にされてしまったナキネズミで。
 あれも芸術だと思うんだがなあ、他の星から見に来るヤツがいるんなら。
 …それで、そのヘンリーからバスで宇宙に行ける話か?
「うん。ヘンリーが次は何に乗るのか考えていたら、そうなっちゃった」
 ぼくが使っているバス停からでも、宇宙に出発できるよね、って。
 旅行用の荷物を持ってバスに乗ったら、乗り換えて宙港に行けるんだから。
「バスで宇宙なあ…」
 お前がいきなり言い出した時は、寝ぼけたのかと思ったが…。バスは宇宙を飛べんしな?
 とはいえ、お前の考え方。
 バスで宇宙っていう言葉自体も、あながち、間違ってはいないのかもな。
 言葉の意味をきちんと確認しなくても…、とハーレイが笑みを浮かべるから。
「えっ…?」
 バスで宇宙に行くのは無理だよ、ハーレイ、今も言ったじゃない。バスは宇宙船とは違うよ?
 乗り換えたら宇宙に行けるけれども、バスで行けるのは宙港までで…。
「その宙港から先の話だ、チケットを買う宇宙船だな」
 チケットさえ買えば誰でも乗れるし、何処の星へも行けるんだが…。
 そいつは今の時代だからだぞ、前の俺たちが生きた時代とは違うってな。
 今の旅には、制限ってヤツが全く無いから。



 SD体制の頃とはかなり違うぞ、とハーレイが教えてくれたこと。
 今は宙港でチケットを買えば何処へでも行けるし、どんな旅でも自由に出来る。
「そのヘンリーが格安で旅をしてるんだったら、宇宙船でもバス並みかもな」
 直行便で飛ぶとチケットは高いが、あちこちの星に停まるヤツだと安くなるから。
 日数はかなりかかっちまうが、その分、値段が安いんだ。同じ距離を飛ぶ宇宙船でも。
「ふうん…?」
 速く飛べない分、割引みたいになるんだね。急ぐ人だと、そういう船には乗れないけれど。
「そうなるな。だから、時間に余裕のあるヤツらが乗るわけだ」
 格安で旅をするんだからなあ、学生なんかの御用達だ。時間はたっぷり、しかし小遣いはあまり持ってはいないから。
 たとえば、だ…。
 地球からアルテメシア行きの船があるだろ、直行便で。
 あれに乗る代わりに、色々な星に寄って行く船に乗ったら、費用はだな…。
 こんなモンらしい、と告げられた金額はピンと来なかったけれど、同じ金額のチケットで飛べる距離を聞いたら仰天した。
「変わらないわけ、ソル太陽系の中を飛んで行くのと?」
 一番速い便でソル太陽系の中を飛ぶのと、アルテメシアまで飛ぶのと値段がおんなじ…?
 アルテメシアまで飛んで行く便は、一番遅いヤツって言われても…。
「そうなるらしいぞ、面白いよな」
 バスもそうだろ、遠い所まで走るバスだと料金は高い。短い時間になればなるほど。
 同じバスでも、路線バスだと少しも高くないんだが…。乗り継いで行っても、それほどはな。
 宇宙船でも同じってことだ、今の時代はバス並みだ。
 前の俺たちが生きてた頃には、その手の便を作ろうとしても制限がありすぎて無理だったが。
「制限って…?」
「軍事拠点や教育ステーション、育英都市には立ち寄り制限があっただろうが」
「そういえば…!」
 軍事機密とか、子供たちの成長の邪魔になるとか、色々と…。
 どんな船でも入っていいです、っていう場所はあんまり無かったかもね…。



 そういう時代だったっけ、と零れた溜息。なんとも不自由な時代だった、と。
「ミュウでなくても、乗り換えは自由じゃなかったんだね…」
 バスには乗れても、其処から飛び出せる宇宙に制限。…人類はバスに乗れたのに。
 宇宙船のチケットも買えたけれども、乗り換えて自由に旅をするのは無理だったんだね。
「そうだったようだ、バス並みの感覚で乗れる宇宙船だって無かったからな」
 あの頃に比べりゃ、今は本当にいい時代だ。誰だって好きに旅行が出来て。
 バス停から宇宙に飛び出せるなんて、もう最高の時代だってな。
 そうなったからこそ、俺の芸術も他所の星からわざわざ見に来て貰える、と。
 お前はヘンリーに会ったわけだが、他にも大勢いるかもしれんな。芸術家の卵で、俺を尊敬しているヤツら。…宇宙遺産のウサギを是非とも見なくては、と地球に来るヤツ。
「ハーレイのせいだよ、謝ってよ!」
 他の人たちは分かんないけど、ぼくはヘンリーに会ったんだから!
 あんな下手くそな木彫りなんかに騙されちゃってる、未来の立派な彫刻家に…!
「俺は知らんぞ、ヘンリーに会ってもいないしな」
 それにだ、いい彫刻家になれば何も問題無いだろうが。そのヘンリーが腕を磨きさえすれば。
 誰が心の師匠だろうが、結果が全てなんだから、とハーレイは本当に涼しい顔。
 「俺は知らん」と、「ヘンリーの腕さえ良けりゃいいだろ」と。
(…ハーレイ、無責任で酷いんだから…!)
 謝る方法が無いと思って知らんぷり、と酷い腕前だった前のハーレイを責めてみたって、まるで効果は無さそうな感じ。ヘンリーに謝る方法は無いし、住所も聞かなかったから。
 けれど、ヘンリーの旅が格安で、バス並みの旅をしているのなら…。
(他にも色々、芸術作品…)
 たっぷりとある時間を使って、あちこち眺める旅を続けてゆくだろうから。この地球だけでも、山のような数の芸術品がある筈だから…。
 あのヘンリーには、いつか素晴らしい彫刻家になって欲しいと思う。
 宇宙遺産のウサギを勘違いしたままでも、心の師匠が前のハーレイでも。
 自由に旅が出来る世界で、沢山の芸術作品に触れて、勉強して。
 いい作品を幾つも彫って、「命があるよ」と話していた木に、新しい命を吹き込んでやって…。




               バスと旅人・了


※ブルーが出会った、前のハーレイを尊敬している芸術家の卵。地球までやって来た旅人。
 今の時代はバスに乗ったら、宇宙への旅行が始まるのです。宙港へ行って、宇宙船に乗って。
←拍手して下さる方は、こちらからv
←聖痕シリーズの書き下ろしショートは、こちらv











(百名山…)
 こんなのがあるんだ、とブルーが眺めた新聞記事。学校から帰って、おやつの時間に。
 ダイニングで広げてみた新聞。其処に「百名山」の文字。何処かの山の名前だろうか、と思って記事を読み始めたら…。
(ずっと昔に…)
 まだ人間が地球しか知らなかった時代、この辺りに在った小さな島国。それが日本で、その国でブームになった登山。同じ登るなら、目標があった方がいい。
 その目標になった山たちが百名山。元は登山家でもあった小説家が選んだ、百の山たち。随筆の中で「この山がいい」と「百名山」という言葉も作った。
 最初の頃には、ごくごく一部の山好きだけが知っていたという百名山。ところが、登山ブームが到来、登りたい人がググンと増えた。
 どうせ登るなら、百名山に行くのがいい。日本のあちこちに散らばる山たち、百もある山を制覇しようと。「全部登った」と誇るのもいいし、「あと幾つ」と数えてゆくのも楽しいから。
 若い人から、仕事を辞めた後の趣味にと始める人まで、大勢の人が百名山を目指したけれど。
(うーん…)
 とても高い、と驚いてしまった山の標高。
 特に人気だった山たちの高さが幾つか、どれも千メートルを軽く超えていた。一番低かった山も千メートル以上、というデータ。
(…千メートルって…)
 かなり高いよ、と山登りをしない自分でも分かる。沢山の人が登りたがった百名山は、登山家が選んだ山だっただけに、簡単に登れる山ばかりではなかったらしい。
(魔の山だって…)
 遭難事故が多発したから、そう呼ばれた山も百名山の一つ。それでも登りにゆく人たち。
 もっとも、地球が滅びに向かった頃には、忘れ去られていたのだけれど。百名山も、山に登るという趣味も。



 登りに行けたわけがないしね、と滅びようとしていた地球のことを思う。
 大気は汚染されてしまって、地下には分解不可能な毒素。海からは魚影が消えていったし、緑も自然に育たなくなった。自然の中で楽しみたくても、もはや何処にも無かった自然。
(…百名山だって、きっと禿山…)
 高い山だけに、緑の木々たちが消える前から、天辺の方は禿げていたかもしれないけれど。
 二千メートルを越す山たちだったら、最初から木などは一本も無くて、むき出しの岩肌ばかりの景色だったかもしれないけれど。
(それでも高山植物くらい…)
 あった筈だし、その植物さえ失われたのが滅びゆく地球。
 人間は山に登る代わりに、懸命に地球にしがみ付こうとした。母なる地球を取り戻そうと努力し続け、結局、離れざるを得なかった地球。SD体制を敷いてまで。
(それでも、青い地球は取り戻せなくて…)
 SD体制の崩壊と共に、燃え上がった地球。激しい地殻変動の末に、蘇ったのが今の地球。
 青い地球が宇宙に戻ったお蔭で、前とは違う日本が出来た。かつて日本が在った辺りに。
 其処に戻った人間たち。今の時代は誰もがミュウ。
 日本の文化を復活させて楽しみながら暮らす間に、山好きの人が唱え始めた。登山をするなら、百名山があった方がいい。新しい時代の百名山はこれにしよう、と。
(それで今でも、百名山っていうのがあるんだ…)
 せっかくの百名山だから、と今は失われた百名山と同じ名前をつけたりして。
 遥かな昔にあった本物、その名で呼ばれる蘇った地球に生まれた山。正式名称は違う名前でも、山好きの間では通じる名前。「ああ、あの山か」と。
(ホントの名前は違う山でも、山が大好きな人には富士山…)
 そういった具合に愛される山。
 本物の富士山は地殻変動で消えてしまって、もう無いのに。…それでも今も富士山はある。山が大好きな人の間では、そういう名前で呼ばれる山が。



 新しく選ばれた、今の時代の百名山。昔と同じに、日本のあちこちに散らばる山たち。
 その百名山を目指す人たちもいる。サイオンは抜きで、自分の足で。
(凄いよね…)
 記事に書かれた、今の百名山も高いのに。優に千メートルを超える山たち、今もやっぱり。
 高すぎだよ、と思う百名山。下の学校の遠足で出掛けた郊外の山でも、自分には充分、高かった山。千メートルにはとても届かない山で、遠足には丁度いい高さでも。
(学校のみんなで出掛けて行っても…)
 下の学年の子たちと一緒に、途中に残った遠足もあった。弱い身体では登れないから、疲れないように山道の途中でおしまい。学校に上がったばかりの子たちも、それほど登れはしないから。
(ちょっとだけ登って、そこでお弁当…)
 自分よりも下の学年の子たちと、一緒に食べたお弁当。山道をもっと上に向かった、他の生徒が戻って来てくれるまで、待っていた自分。
 休んでしまった遠足もあった。病気だというわけでもないのに。
(下の学年の子たちの遠足、別の場所だと…)
 疲れても途中で残れはしないし、先生だって一人だけのために一緒に残っているのは無理。低い山でも山は山だし、足を挫いたりする子もいるから…。
(先生、みんなと行かないと…)
 他の生徒の面倒を見ることが出来ない。だから最初から、遠足は休み。
(パパやママと一緒に行った山でも…)
 お遊び程度の山登り。小高い丘のような山やら、小さな子供でも歩けるハイキングコース。町の景色が綺麗に見えたら、「此処でお弁当にしよう」と父が足を止めて、おしまいだとか。
 山の頂までは行かない登山。…あれでも登山と言うのなら。
 小さな頃からそんな具合で、今も虚弱で体育は直ぐに見学だから…。
(百名山なんて…)
 絶対に無理で、登れるわけがない山たち。
 逆立ちしたって、ただの一つも登れはしない。一番低いと書かれた山でも、千メートルを超えている高さ。自分の足ではとても無理だし、挑むだけ無駄といった趣。



 世の中には変わった趣味があるよね、と新聞を閉じて戻った二階の自分の部屋。キッチンの母に「御馳走様」と、空になったカップやお皿を返して。
(百名山かあ…)
 山好きの間では、蘇っているらしい百名山。元になった山は失われたのに、わざわざ同じ名前で呼んで。正式な名前がちゃんとあるのに、それとは別に。
 サイオンは抜きで、自分の足で登る山。大変だろうに、百名山を登る人たち。なんとも凄い、と思うけれども、自分には無理な趣味なのだけれど。
(でも、昔から…)
 登山が好きな人たちがいたから、好まれた山が百名山。全部登ろう、と大勢の人が目指した山。
 遠い昔の日本の人たち、百名山を愛した山登りを趣味にしていた人たち。
 そういう人が多かったから、今の時代も百名山がある。新しく選ばれた百名山が。
 今は人間は誰もがミュウだし、「サイオンは抜きで」登るのがいいと言われていたって、いざとなったら使えるサイオン。「使うな」とは誰も言わないから。
(使わないのが社会のルールで、マナーだっていうだけのことで…)
 困った時には大人だって使う。急な雨で傘を持っていなくて、それでも先を急ぐなら雨を弾いてくれるシールド。誰も「駄目だ」と咎めはしないし、「急ぐんだな」と見ているだけ。
 けれど、本物の百名山があった時代に生きた人には、サイオンは無い。ミュウはいなくて、人類しか住んでいなかった地球。サイオンが使えないのなら…。
(遭難事故だって…)
 記事に載っていた魔の山でなくても、きっと幾つもあった筈。
 足を滑らせて転落したって、サイオンが無いと止まれない。落っこちたら死ぬしかない所でも。高い崖から宙へと放り出されても。
 それでも登っていた人たち。とても高い山や、危険な場所が幾つもある山を。
 どんなに大変な道のりでも、山が好きだから。山の頂に立ちたいから。
(其処に山があるから…)
 そう言ったという、登山家の話を聞いたことがある。地球が青かった時代に生きた登山家。
 其処に山があるから、「だから登る」と。…ただ登りたいだけなのだと。



 確か、エベレストを目指した人の言葉だった、という記憶。地形が変わってしまう前の時代の、地球に聳えていた最高峰。まだ未踏峰だった頂を、「其処に山があるから」と目指した登山家。
(…其処にあっても、ぼくは御免だけどね) 
 高い山など、登れはしない。どう頑張っても、弱い身体で登るのは無理。
 地球を夢見た前の自分も、自分の二本の足を使って山に登ろうとは思わなかった。エベレストがあったヒマラヤ山脈、其処にも行きたかったのに。
 もしかしたら、例の登山家の言葉。「其処に山があるから」という言葉は、前の自分が何処かで目にしたものかもしれない。白いシャングリラのデータベースか、ライブラリーで。
 ヒマラヤの高峰に咲くという花、青いケシの花に焦がれていたから。
 いつか地球まで辿り着いたら、やりたかった夢の一つが青いケシ。青い天上の花を見ること。
(ヒマラヤの青いケシを見るには…)
 空を飛んでゆこうと夢を描いていた。白いシャングリラで地球に着いたら、空を飛ぼうと。
 前の自分は自由自在に空を飛べたし、ケシが咲く峰よりも高く舞い上がれたから。空の上から、青いケシの花を探すことだって出来たから。
 そういう夢を持っていたのに、生まれ変わって青い地球まで来られたのに…。
(…ぼくのサイオン、うんと不器用になっちゃって…)
 空を飛ぶなど、夢のまた夢。
 青いケシを見に出掛けてゆくなら、今の自分はヤクの背中に乗るしかない。ヒマラヤ育ちの強い動物、ヤクの足で登って貰う山。自分ではとても登れないから。
(ヒマラヤだったら、ヤクがいるけど…)
 日本の山にヤクはいないし、百名山はもうお手上げ。ヤクがいるなら、乗せて貰って登ることも出来そうなのだけど。…ヤクの足で行ける所までなら。天辺までは無理かもしれないけれど。
(山の天辺、尖ってたりするから…)
 ヤクの足では登れない山もあるだろう。それでも途中までならば、と思ってもヤクはいないのが日本。百名山に登りたければ、自分の足で歩くしかない。
 麓から歩き始めるにしても、途中までは車で行ける道路があったにしても。



 無理だよね、と思う百名山。一番低い山でも無理、と。
(その辺の山でも大変なんだよ、今のぼくだと…)
 学校の遠足で出掛けた山でも、天辺まで行けなかったほど。下の学年の子たちと一緒に、山道の途中で待っていたほど。上まで登りに行った同級生たち、彼らが山を下りてくるまで。
 遠足で行くような山に登るだけでも一苦労、と考えた所で不意に掠めた記憶。
 前の自分が見ていた山。空を自由に飛ぶことが出来た、ソルジャー・ブルーだった自分が。
(…山があっても、直ぐにおしまい…)
 白いシャングリラが長く潜んだ、アルテメシアの山はそうだった。雲海に覆われた星の山たち。
 あの星にあった育英都市。アタラクシアと、エネルゲイアと。
 二つの育英都市を取り巻くような形で、緑の山はあったのだけれど…。
(山登りをして、越えるのは禁止…)
 そういう規則になっていた。人類が暮らす世界では。
 テラフォーミングされて、緑の木々が茂る山並み。その山肌から緑が消えて、岩山に変わる所が境界。緑の山には自由に行けても、岩山の方へ越えては行けない。
 岩山を越えて外へ出ることは禁止だった世界、それがアタラクシアとエネルゲイア。
(前のぼくたちには、そんな規則は…)
 関係無いから、シャングリラは其処に隠れていた。人類の規則などミュウには無意味なのだし、守らねばならない理由も無い。その人類に追われる身だから、逃れなくてはならないから。
 岩だらけの山と荒れた大地の上を覆う雲海、白い雲の中がシャングリラの居場所。山を越えたら何があるのか、前の自分たちは知っていたけれど…。
(アルテメシアにいた子供たちは…)
 ハイキングで山を越えてゆけなくて、子供たちを育てる養父母も同じ。規則は規則で、養父母が山を越えていたなら、子供たちも真似をしたくなるから。
(あんな星だと、百名山なんて…)
 作りたくても、作れなかったことだろう。その山を越えて行けないなら。山の頂に立って下界を見下ろすことが出来ないのなら。
 百もの山を登る趣味だって、持てそうになかったアルテメシア。人類が暮らした都市の周りに、それだけの数の峰は無かったと思うから。



 アルテメシアには無かっただろう、と考えざるを得ない百名山。前の自分は百名山など、聞いたことさえ無かったけれど。
(他の星なら…)
 あったのかな、とも思う百名山。素敵な山が百あったならば、百名山は作れるから。今の日本が新しいのを作っているように、他の星でも。
(ノアとかだったら…)
 SD体制の時代の首都惑星、ノア。白い輪さえかかっていなかったならば、地球と間違えそうな青さを誇っていた星。人類が最初にテラフォーミングに成功した星だったし、ほぼ全体が…。
(人間が暮らせる環境だった筈で…)
 山だって、きっと幾つもあった。百どころではない数だろう山が。
 あの星だったら百名山も作れたろうか、と考えていたら、チャイムの音。仕事帰りのハーレイが訪ねて来てくれたから、テーブルを挟んで向かい合わせで訊いてみた。
「ハーレイ、百名山って知ってる?」
 今日の新聞に載ってたんだよ、有名な山らしいんだけど…。全部で百もあるんだって。
「百名山か…。あるなあ、俺も幾つか見たことはあるぞ」
 実に綺麗な山なんだよな、とハーレイは目を細めている。「どれも、まさしく名山だ」と。
「見たことがあるって…。それじゃ、登っていないんだね?」
 どの山も、見たっていうだけのことで…?
「登ろうってトコまでは、やっていないな。…近くまでは行ってみたんだが」
 もう少し行ったら登山口だ、って所まで出掛けた山もあったな。景色が綺麗だったから。
 山を見ながらのんびり歩いて、ちょっとしたハイキング気分てトコだ。
 親父たちや友達と旅に出掛けた時だな、なかなかに素敵な山ばかりだぞ。
 どの山もな、とハーレイは旅先で眺めた山を思い浮かべているらしい。山には登らず、見ていただけの名山たち。「あれがそうだ」と指差し合って。記念写真も撮ったりして。



 いい山なんだぞ、とハーレイが山の姿を褒めるものだから、不思議になって傾げた首。そんなに素敵な山だったのなら、登ってくればいいのに、と。
 柔道と水泳で鍛えた身体を持つハーレイなら、ひ弱な自分とは違う。楽々と山を登れそうだし、登山口まで行ってしまえば良さそうなのに。「ちょっと登ってくるから」と。
「…その山、なんで登らなかったの?」
 上まで登るのは、時間、足りないかもしれないけれど…。少しくらいなら…。
 ハーレイだったら、身体、鍛えてあるんだし…。山登りをしたって疲れないでしょ?
 旅行の記念に登ってくれば良かったのに、と疑問をそのままぶつけたら。
「そいつは無理だな、ああいう山じゃ。…百名山、記事で読んだんだろう?」
 山によっては高さが凄いし、俺が旅先で見て来た山はそういうヤツだ。遠足気分の山じゃない。
 その手の山を登るとなったら、相応の装備が必要になる。道具じゃなくても、服や靴だな。
 ついでに届けも厳しいからなあ、「ちょっと登ってみるだけです」とはいかないんだ。
「届け…?」
 それって何なの、山に登るのに何か出さなきゃいけないの…?
「そういう決まりになってるな。昔の時代の真似ってことで」
 本物の百名山があった時代の日本を真似ているんだ。
 山に登る前には、入山届けを出さなきゃいかん。こういうコースで登ります、とな。
 それを登山口で係に渡して、それから装備のチェックを受ける。山を登るのに相応しい靴やら、服の準備が整っているか。…足りていないと、もう駄目だってな。
 観光気分で登ろうとしたら止められちまう、とハーレイが軽く広げた両手。
 高い山に登れば危険が伴うものだし、遭難事故が起こらないよう、観光客はお断りだ、と。
「…観光気分じゃ駄目って言っても…。でも…」
 みんなサイオンを持っているでしょ、ぼくみたいに不器用でなければ安心。
 足を滑らせても、ちゃんとサイオンで止まれるんだから、事故なんかにはならないよ?
「そのサイオンをだ、使わないのがルールだからなあ…。登山ってヤツは」
 入山届けも、装備のチェックも、遊びの内だ。
 きちんと準備が出来てますか、と念を押されるわけだな。それに、届けを出しておけば、だ…。



 山に入った後、もしも天候が荒れたりしたなら、入山届けを出した所から連絡が来る。避難した場所は安全なのか、という確認やら、「救助に行った方がいいか」という質問も。
「避難するって…。シールド、あるでしょ?」
 嵐の中でも、大丈夫だと思うけど…。そりゃ、消耗を防ぐんだったら、シールドよりも山小屋に入る方がいいけど…。山小屋が無くても、岩陰だとか。
 それに救助も、要らないって人が多そうだけど…。瞬間移動で戻れる人もいる筈だよ?
 瞬間移動は無理にしたって、サイオンがあれば安全な場所まで行ける筈だし…。
 それなのに救助を頼んだりするの、と尋ねたら。
「そのようだ。ギリギリの所まで踏ん張ってこそだ、というのが登山の醍醐味らしいぞ?」
 サイオンは使わずに、いける所まで。…救助に出掛ける方はサイオンを使うんだがな。
 瞬間移動で飛んで行ったり、救助方法は色々らしいが…。
 そいつを「頼む」と言わずに何処まで頑張れるかが、登山をやる連中のプライドってヤツだ。
「凄いね…。なんだか我慢大会みたい…」
 シールドを張ったら安心なのに、張らないだなんて。…救助を頼んだりするなんて…。
「登山はスポーツの一種だからな。そういうことにもなるだろうさ」
 自然を相手に戦うわけだし、そう簡単に「参りました」と降参したくはないだろう?
 俺ならしないな、ギリギリまで。…まだ戦える、と思う間は。
「山登り、スポーツだったんだ…」
 それって、前のぼくたちが生きてた時代にもあった?
「はあ? 登山のことか?」
 山に登ってるヤツらはいたのか、っていう質問なのか、お前が言うのは…?
 それだったら…、とハーレイが答えようとするのを遮った。訊きたかったことは別だから。
「登山じゃなくって、山の方だよ」
 山に登るなら、まず山が無いと駄目じゃない。
 でないと登山に行けないものね、山が何処にも無かったら。
 ぼくが訊いてるのは、そっちの方。…登れる山はあったのかどうか。



 百名山だよ、と抱えていた疑問を口にした。ハーレイが訪ねて来るよりも前に、考えていた山のこと。前の自分が生きた時代も、百名山は何処かにあっただろうか、と。
「百名山、今は新しいのがあるでしょ? ハーレイも幾つか見たってヤツが」
 前のぼくたちが生きた頃にも、百名山はあったのかな、って思ってて…。
 アルテメシアには無さそうだけど…。
 あそこの星だと、山を越えるの、一般人は禁止だったから。アタラクシアも、エネルゲイアも。
 そんな決まりがあった星だと、登れそうな山は百も無いしね。百名山は選べないよ。
 でも、他の星にはあったのかなあ、って…。
 ノアとかだったら、山も沢山ありそうだから…。育英惑星ってわけでもないしね、百名山。
「…無いな、結論から言えば」
 前の俺たちが生きた時代に、百名山は存在しなかった。存在する理由も、その意義もな。
 あったわけがない、というハーレイの言葉に驚いた。
「え…? 無かったって…」
 どういうことなの、百名山が無かっただけなら分かるけど…。
 そんなに沢山、綺麗な山が見付からなかったってことだよね、って思うけど…。
 だから存在する理由が無いのはいいけど、意義が無いって、どういう意味?
 まるで百名山、存在してたら駄目みたいな風に聞こえるよ…?
「その通りだが?」
 無かったんだ、登山そのものが。…スポーツとしては。
 登るヤツらがいないんだったら、百名山を作る必要も無い。…むしろ無い方がいいってこった。
 山が無いなら、誰も登りに行かないぞ。
 うっかり百名山があったら、登ろうと思うヤツらが出て来る。だから作っちゃ駄目なんだ。
「…なんで?」
 どうして百名山を作っちゃ駄目なの、それに登山が無かったりするの…?
 登山は今も人気のスポーツなんでしょ、サイオンを使わないのが面白い、っていうくらいに…?
「其処が問題だったんだ。…命懸けのスポーツだという所がな」
 今でもプロの登山家はいるわけなんだが、前の俺たちが生きてた時代。
 誰が登山家になればいいのか、そいつを機械が決めるのか…?



 よく考えて思い出してみろよ、と言われたSD体制の時代。マザー・システムが統治した世界。
 完全な管理出産だった社会の中では、適性を調べて決められた進路。
 育英都市での成績や発育ぶりを機械が見定め、成人検査で振り分けた。次の教育段階へ。
 養父母の許を離れた後には、教育ステーションで四年間。成績と才能の有無で選別、決められる最終的な職業。
 命懸けの仕事も無いことはなくて、軍人やパイロットなどがそう。ただし、どちらも欠かせないもので、彼ら無しでは成り立たない社会。いわば必須の職業なのだし、命懸けでも必要なもの。
 けれど、登山家は社会に欠かせない職業ではない。いなくても誰も困りはしない。
 同じスポーツ選手だったら、命を懸ける登山家などより、皆が眺めて楽しめるスポーツのプロを養成すべき。サッカーだとか、マラソンだとか。
「…登山家、いなかった時代だったんだ…」
 前のぼくたちはシャングリラの中しか知らなかったし、スポーツ選手も詳しくなくて…。
 プロがいるんだ、って知っていただけで、どんなスポーツのプロがいたかは知らないよ。
 だけど確かに、登山家は必要無かったかも…。山まで出掛けて眺めないしね、登ってる所。
「そういうことだ。職業としての登山家は存在しなかった。SD体制の時代はな」
 人類が登山家をやるとなったら、もう文字通りに命懸けだ。サイオンを持っていないんだから。
 そんなスポーツのプロを作ったりしたら、不満が噴出しかねない。殺す気なのか、と。
 だから登山は趣味でやるもので、その趣味の方も、安全に登れる低い山だけだった。
 惑星の開発などの仕事で、高い山に登ったヤツらはいたが…。
 それは仕事の一環なんだし、安全を確保するのが第一だ。命は懸けずに守る方だな。
 最先端の技術を駆使して、ロボットにサポートさせたりもした。安全に登っていけるように。
 命を守って、出来るだけ楽に登るというのが、高い山を登る時の常識だったから…。
 サイオンも抜きで登るもんだ、というスタイルの今の登山とは…。



 まるで違うぞ、という説明。
 同じ高い山を登るにしたって、今は楽しみながら登るスポーツ。自分自身の体力や気力、それを限界まで引き出して。…サイオンは抜きで出来る所まで。
 遭難しそうになっていたって、自分のサイオンを使う代わりに救助要請。それでこそ真の登山家なのだし、アマチュアもプロもそういう精神。
 けれど、SD体制の時代は違った。命懸けの登山をする人間は誰もいなくて、百名山も無かった時代。人間がそれに挑み始めたら、危険が増えるだけだから。
「…プロの登山家は作れなかった、っていうのは分かるけど…」
 危ない仕事で、だけど社会の役に立つようなものでもなくて…。
 わざわざプロを作ったとしても、事故が起きたら困ったことになりそうだけれど…。
 そんな時代でも、山に登ろうって人はいなかったの?
 「其処に山があるから」っていう言葉があるでしょ、山に登りに行く理由。昔の登山家の言葉。
 あれみたいに、山があるから登るっていうのは無かったの…?
 アルテメシアでは山を越えるのは禁止だったけど、そうじゃない星なら登りたい人も…。
 いそうだけれど、と考えたけれど、ハーレイは「SD体制の時代だぞ?」と苦い顔をした。
「人類を治めていたのは機械だ。…最終的な判断は全部、機械がやっていたってな」
 機械は遊び心というのを理解しないし、理解しようとも考えない。…機械なんだから。
 とにかく社会を守るのが一番、人間の命も守ってこそだ。ミュウだと殺しちまったんだが。
 守るべき人間が危険な山に登りたい、と言い出したならば、禁止だな。「危険だから」と。
 そうでない場合は、命を守るための工夫を山ほど施された上で、仕事で登山だ。
 やむを得ず登るわけなんだしなあ、命なんか懸けたくないのにな…?
「…仕事はともかく、登りたいって言っても禁止だなんて…」
 それって、面白みがないよ。…命懸けってことが、とても楽しいとは言わないけれど…。
 危ないから、って最初から禁止されてる世界じゃ、のびのび暮らしていけないかも…。
「だからこそ、今は人気だってな」
 登山も、百名山を登りに出掛けてゆくってことも。…サイオンは抜きで。
「そっか…。自分の限界と戦うってことが、出来る時代になったんだね」
 いけません、って機械に止められずに。…やりたい人は、好きに山に登れて、百名山もあって。



 時代のお蔭もあったのか、と思った今の百名山。前の自分が生きた時代は無かったもの。登山もプロの登山家たちも、百名山も。
 SD体制の時代と今とが違うことは百も承知だけれども、登山まで消えていたなんて、と本当にただ驚くばかり。遠い昔には、「其処に山があるから」と登った登山家もいたというのに。
 ハーレイが百名山の幾つかを見たと聞いたら、「登っていないの?」と不思議だったほど、今は登山が普通なのに。
「えっとね…。登山、今はすっかり普通になってるみたいだけれど…」
 こんな風に登山の話をしてたら、ハーレイ、登りたくならない?
 記念写真だけで帰って来ちゃった、綺麗だったっていう山とかに。
 ハーレイ、山も好きそうだけど、と尋ねてみたら。
「俺か? そうだな、惹かれないでもないが…。機会があれば、と思いもするが…」
 お前、登山は無理だろう?
 百名山に登るどころか、その辺にあるような低い山でも。
「無理に決まっているじゃない!」
 学校から遠足に出掛けた時でも、ぼくは途中でおしまいだったよ?
 山の天辺まで登れないから、下の学年の子たちと一緒に途中までだけ…。其処でお弁当。
 天辺まで行ったみんなが帰って来るまで待ってたんだよ、疲れてしまわないように。
 途中で待つのが無理な時だと、遠足ごとお休みだったんだから…!
 熱なんか少しも出ていないのに、ぼくに山登りは無理だから、って止められてお休み…。
「ほらな、お前は身体が弱いし、そうなっちまう」
 お前がそういう具合だからなあ、俺も山には登らない。
 これからも記念写真だけで終わりだ、どんなに綺麗で登りたくなる山に出会っても。
「…どうして?」
 ハーレイだったら登れそうだよ、難しすぎる山じゃなかったら。
 プロの登山家でなければ無理です、っていう山は無理でも、百名山はそうじゃないでしょ?
 いろんな人が目指してるんだし、体力があれば登れそうだけど…。
 ぼくは無理でも、ハーレイならね。



 記念写真は山の天辺で撮ればいいのに、と持ち掛けた。自分は一緒に写れないけれど、百名山の頂に立つハーレイは素敵だろうから。
「記念撮影、山の天辺の方が断然いいよ。麓なんかより」
 高い山なら、うんと遠くまで写りそうだし…。それとも一面の青空かな?
 きっと素敵な写真が撮れるよ、そういうハーレイの写真、見たいな…。
 登りに行くなら下で待ってる、と言ったのに。…山小屋に泊まって帰って来るなら、宿で留守番しているから、とも言ったのに。
「さっきも言ったが、一人じゃつまらん。…お前が一緒じゃないなんて」
 お前と二人で暮らしているのに、俺だけロマンを追い掛けるなんて、論外だ。
 百名山を登るというのも、魅力的ではあるんだが…。お前に留守番させたくはない。
 俺は登山家には向いていないな、こんな調子じゃ。
 名のある登山家にはなれやしないぞ、とハーレイが笑うものだから。
「それ、どういうこと?」
 ハーレイの何処が向いていないの、登山家に?
 ぼくが留守番するのと何か関係あるわけ、ハーレイが登山家になれるかどうか…?
「大いに関係あるってな。今の時代は大して意味は無いんだが…」
 人間がミュウじゃなかった時代。…遭難したら、死んじまうしかなかった頃の登山家ってヤツ。
 ずっと昔の登山家たちは、恋人よりもロマンが優先だったんだそうだ。
 山に登るというロマン。登った挙句に、山で死んじまっても本望だ、とな。
「それって…。それじゃ、恋人は…?」
 大切な人が山で死んでしまったら、恋人の方はどうなっちゃうの…?
「もちろん一人で残されちまうが、なにしろ山で死んだんだしな」
 大好きな山で死んだんだから、と納得して健気だったそうだぞ。
 とんでもない事故に遭ってしまって、身体さえ回収出来なくても。…雪崩に巻き込まれて行方が分からないとか、何処に落ちたか、探してもサッパリ手掛かり無しとか。
 それでも山を恨みはしないで、いい人生を送った人だ、と思ったらしいが…。
 好きな山で命を落としたわけだし、本人も大満足だろう、と。



 昔の登山家はそうしたモンだ、というハーレイの言葉に震え上がった。
 独りぼっちで置いてゆかれるなど、とんでもない。いくら恋人が満足だろうと、残されるなんて耐えられない。…前のハーレイはそれに耐えたけれども、自分にはとても無理だから…。
「ぼくには無理だよ、そんなのは…!」
 今の時代は誰でもミュウだし、山で死んだりするようなことはないだろうけど…。
 救助に行く人もきちんといるから、遭難したって怪我くらいで済むんだろうけど…。
 それでも嫌だよ、昔の話だ、って言われても…!
 悲しすぎるよ、独りぼっちになるなんて…!
「俺もお前を置いては死ねん。…それも好き勝手にした末だなんて、最低だろうが」
 いくら自分が好きなことでも、お前を残して死んじまうような真似は出来んな、間違っても。
 だから登山家は向いてないんだ、俺なんかには。
 登ったら気持ちいいだろうな、と思うような山があったって。…百名山がある時代でも。
 だがな…。
 せっかく山がある時代だから、と向けられた笑み。



 アルテメシアの雲海に潜んだ時代と違って、今は二人で蘇った青い地球の上。
 何処まで行っても「山を越えるな」と言われはしないし、登山は無理でも、山のある世界を満喫しよう、と。
 緑の山を幾つ越えても、それで終わりにはならない星。
 アルテメシアにいた頃だったら、緑の山を越えた後には、岩山と荒地だったのに。山を見ながら暮らした育英都市の子供や養父母、彼らは山を越えることを禁じられたのに。
 その上、登山家もいなかった時代。
 百名山がある星どころか、プロの登山家がいなかった。趣味で山登りをするにしたって、安全に登れる低い山だけ。
 それが前の自分たちが生きた時代で、機械が治めていた世界。
「あの忌々しいSD体制は終わっちまって、今じゃ地球だって青くて、だ…」
 俺たちはその地球に生まれたんだし、山に登れる世界を楽しまなきゃ損だ。
 お前は低い山しか登れないから、百名山とはいかないが…。
 俺たち流に決めて登るというのもアリだぞ、せっかくの青い地球なんだから。
 きっと楽しいぞ、と言われたけれども、「俺たち流」というのが謎。首を傾げるしかない言葉。
「何を決めるの?」
 ぼくたちに合わせるっていう意味みたいだけど、何を決めるわけ…?
「百名山に決まっているだろうが、俺たち流の」
 お前でも登れそうな山を百ほど選んで、そいつを制覇してゆく、と。
 姿の綺麗な山がいいなあ、低い山でも綺麗な山は幾つもあるんだから。
「…それもぼくには無理そうだけど…」
 だって山でしょ、途中で疲れてしまいそう。低い山でも、山は山だもの。
 天辺までは登れないかも…、と挑む前から音を上げた。「ぼくには無理」と。
「無理か、そういう百名山も?」
 だったら、山の麓に立ってみるだけでもいいじゃないか。綺麗な景色を見ながらな。
 この山の向こうにもずっと幾つも幾つも、山ってヤツが続いているんだ、と見るだけでも。
 誰も「越えるな」と言いやしないし、岩山が来たら終わりってわけでもないんだから。
「そうだね…!」
 何処の山でも終点じゃないね、越えちゃ駄目な山は無いものね…。
 岩だらけの山で緑が無くても、其処でおしまいってわけじゃないから…。
 その山を越えてずうっと行ったら、また緑の山が戻って来るよ。岩だらけの山に緑が無いのは、山が高すぎるせいで、低くなったら、また木があるから…。



 アルテメシアとは違うよね、と分かっている青い地球の岩山。
 高い山には、緑の木々は無いけれど。…それは森林限界のせいで、人工的な星とは違う。
 「山を越えるな」と禁止されていた、アルテメシアとは違った世界。
 低い場所では山は緑だし、登山家だっている時代。
 山登りが趣味の人も多くて、今の時代は百名山まで出来ている。
 せっかくなのだし、いつかハーレイと暮らし始めたら、山を満喫してみよう。
 前の自分たちが生きた頃には無かった職業、プロの登山家までいるほどだから。
 サイオンは抜きで山に挑むのも、今の平和な時代だからこそ出来ること。
(百名山を登るのは無理だけど…)
 山は見に行かなくっちゃね、と夢見る未来。
 ハーレイと二人で山を眺めて、記念写真も沢山撮ろう。
 山を越えても、誰も咎めはしない時代。
 どんな山でも自由に登れて、写真も撮りに行けるから。
 何処までも続いてゆく青い地球の山を、百も二百も、幾つでも眺められるのだから…。



           山があるから・了


※SD体制が敷かれた時代は、いなかったのがプロの登山家。機械が設けなかった職業。
 山を越えてゆくことが禁止だったり、今とは全く違った世界。百名山があるのも今ならでは。
←拍手して下さる方は、こちらからv
←聖痕シリーズの書き下ろしショートは、こちらv










※シャングリラ学園シリーズには本編があり、番外編はその続編です。
 バックナンバーはこちらの 「本編」 「番外編」 から御覧になれます。




夏、真っ盛り。楽しい夏休みも真っ盛りです。今年もマツカ君の山の別荘ライフを楽しみ、お次は海の別荘ですけど。それまでの間に挟まるお盆が問題、キース君にとっては地獄な季節。暑さの方もさることながら、お盆と言えば…。
「くっそお…。あの親父めが!」
まただ、とキース君が唸る会長さんの家のリビング。アドス和尚がどうかしたんですか?
「この時期に「またか」で親父だったら、およそ想像がつくだろうが!」
「あー…。また卒塔婆かよ?」
押し付けられてしまったのかよ、とサム君が訊くと。
「それ以外の何があると言うんだ! ドカンと束で来やがったんだ!」
山の別荘から帰って来たら、俺の部屋の前に積んであった、とキース君。卒塔婆が五十本入りだとかいう梱包された包み、それが部屋の表の廊下に三つ。
「「「三つ!?」」」
五十かける三で百五十になるのでは、と聞き間違いかと思いましたが、それで正解。
「親父め、今年はやたらとのんびりしていやがると思ったら…。俺にノルマを!」
遊んで来たんだから頑張るがいい、と積み上げてあったそうです、卒塔婆。
「…キース先輩、こんな所で遊んでいてもいいんですか?」
百五十本ですよ、とシロエ君。
「急いで帰って書いた方がいいと思いますが…」
「俺のやる気が家出したんだ、今日はサボリだ!」
「でもですね…。お盆が近付いて来てますよ?」
間に合わないんじゃあ、と正論が。
「あそこのカレンダーを見て下さい。今日のツケは確実に反映される筈です」
「…俺も分かってはいるんだが!」
あんな親父がいる家で努力したくはない、とブツブツと。そう言えば、クーラー禁止でしたか?
「そうなんだ! 暑いし、セミはうるさいし…!」
卒塔婆プリンターなら楽なのに、と手抜き用な機械の名前までが。いっそポケットマネーで買えばいいかと思いますけど、家に置いたらバレるのかな…?



「なんだと? 卒塔婆プリンター?」
バレるに決まっているだろうが、と顔を顰めるキース君。
「あれはけっこう場所を取るんだ、卒塔婆自体がデカイからな!」
だから無理だ、と悔しそう。
「いつかは買いたいと思っていてもだ、親父が健在な間は無理だな」
「それじゃ、一生、無理なんじゃない?」
アドス和尚も年を取らないし、とジョミー君。
「キースも年を取らないけどさ…。アドス和尚もあのままなんだし」
「…キツイ真実を言わないでくれ…」
そして俺には百五十本の余計な卒塔婆が、と項垂れるしかないようです。
「一日のノルマを計算しながら書いて来たのに、ここでいきなり計算が…。もうリーチなのに!」
お盆は其処だ、と嘆くキース君に、会長さんが。
「サボるよりかは、前向きの方が良くないかい? 此処で書くとか」
「…なんだって?」
「ぼくの家だよ、和室はクーラーが入るからね」
あそこで書いたらどうだろうか、という提案。
「アドス和尚は君が出掛けたと知ってるんだし、卒塔婆のチェックはしないと思うよ」
此処へ運んで書いて行けば、と会長さん。
「心配だったら、運んだ分の卒塔婆はサイオニック・ドリームでダミーをね…」
減っていないように見せるくらいは朝飯前で、という申し出にキース君は飛び付きました。早速、会長さんが瞬間移動で卒塔婆や書くための道具を運んで…。
「かみお~ん♪ キース、お部屋の用意が出来たよ!」
「…有難い。クーラーだけでも違うからな」
「お茶とお菓子も置いてあるから、休憩しながら頑張ってね!」
行ってらっしゃぁ~い! と「そるじゃぁ・ぶるぅ」に送り出されて、キース君は和室に向かいました。愛用の硯箱とかも運んで貰って、環境はバッチリらしいです。きっと元老寺よりはかどりますよね、頑張って~!



キース君は卒塔婆書きに集中、私たちは邪魔をしないようリビングの方でワイワイと。防音はしっかりしてありますから、大笑いしたって大丈夫です。その内にお昼御飯の時間で…。
「今日のお昼は夏野菜カレー! スパイシーだよ!」
暑い季節はスパイシー! と「そるじゃぁ・ぶるぅ」が用意してくれ、冷たいラッシーも出て来ました。キース君は少し遅れてダイニングの方にやって来て…。
「美味そうだな。…いただきます」
合掌して食べ始めたキース君に、サム君が。
「どんな具合だよ、はかどってんのか?」
「ああ、家で書くより早く書けるな。やはり環境は大切だ」
涼しいだけでもかなり違う、と嬉しそう。
「ブルーのお蔭で助かった。夕方までやれば、家で書く分の三日分はクリア出来るだろう」
「キース先輩、良かったですね! いっそこのまま徹夜とか!」
「いや、徹夜はしないと決めている。…卒塔婆書きは集中力が命だからな」
よほどリーチにならない限りは徹夜はしない方が効率的だ、という話。書き損じた時の手間が余計にかかってしまう分、徹夜でボケた頭で書いたら駄目だとか。
「そうなんですか…。じゃあ、夕方までが勝負ですね」
「そうなるな。飯を食ったらまた籠らせて貰う」
急いで食って卒塔婆書きだ、と食べ終えたキース君は和室に戻って行きました。お茶やお菓子を差し入れて貰って、書いて書きまくって、夕方になって…。
「どうだった、キース? 卒塔婆のノルマ」
ジョミー君の問いに、ニッと笑ったキース君。
「家で書く分の四日分は書いた。…なんとか光が見えて来たぞ」
今日は此処まででやめておこう、と肩をコキコキ。やっぱり肩が凝りますか?
「当たり前だろう、書き仕事だぞ?」
それも一発勝負なんだ、というのが卒塔婆。キース君、お疲れ様でした~!



晩御飯はキース君のためにスタミナを、と焼肉パーティー。マザー農場の美味しいお肉や野菜がたっぷり、みんなでジュウジュウ焼き始めたら…。
「こんばんはーっ!」
遊びに来たよ、と飛び込んで来た私服のソルジャー。夜に私服って、今日はこれから花火大会にでもお出掛けですか?
「えっ、花火? それは別の日で、今はデートの帰りだけれど?」
「「「デート?」」」
「ノルディとドライブに行って来てねえ、海辺で美味しい食事をね!」
海の幸! と焼肉の席に混ざったソルジャー、自分の肉を焼き始めながら。
「焼肉もいいけど、今日の食事は素敵だったよ! 鮮度が一番!」
「…お刺身なわけ?」
会長さんが訊くと、ソルジャーは「焼いたんだけど?」という返事。
「海老もアワビも生きてるんだよ、それをジュウジュウ!」
海老は飛び跳ねないようにシェフが押さえて…、とニコニコと。
「ついさっきまで生きてました、っていうのを美味しく食べて来たんだよ!」
「「「あー…」」」
あるな、と思ったそういう料理。ちょっと可哀相な気もしますけれど、お味の方は絶品です。ソルジャーは海辺のレストランで食べた料理を絶賛しつつ…。
「残酷焼きって言うんだってね、ノルディの話じゃ」
メニューにはそうは書かれていなかったけど、という話。残酷焼きって、可哀相だから?
「…そうじゃないかな、ぼくだってアルタミラでは焼かれちゃったしね!」
実験の一環で丸焼きだって、と怖い話が。…焼かれたんですか?
「うん。どのくらいの火で火傷するのか、試したかったらしくてねえ…」
「「「うわー…」」」
それ、食欲が失せちゃいますから、続きは後にしてくれませんか?
「駄目かな、残酷焼きの話は?」
「君の体験が生々しすぎるんだよ!」
焼肉が終わるまで待ちたまえ、と会長さん。せっかくのお肉、美味しく食べたいですからね…。



ソルジャーも交えての焼肉パーティー、終わった後は食後の紅茶やコーヒーが。キース君もエネルギーをチャージ出来たそうで、明日も元気に卒塔婆を書くんだそうです。
「此処で書かせて貰えると有難いんだが…。追加で来た分が片付くまでは」
いいだろうか、という質問に、会長さんは「どうぞ」と快諾。
「君の苦労は分かっているしね、たまには力になってあげるよ」
「感謝する! そうだ、家でも幾らか書いておきたいし…。道具を運んで貰えるか?」
「それはもちろん。ぶるぅ、キースの部屋に和室の硯とかをね…」
「オッケー、運んでおくんだね!」
はい、出来たぁ! とリビングから一歩も動きもしないで、瞬間移動させたみたいです。流石、と驚くタイプ・ブルーのサイオンですけど…。
「えーっと…。さっきの続きを話していいかな?」
残酷焼き、とソルジャーが。
「あの美味しさが忘れられなくて…。此処でも御馳走になりたいなあ、って!」
生きた海老やらアワビをジュウジュウ、と唇をペロリ。
「ぶるぅだったら美味しく焼けるに決まってるんだし、明日のお昼とか!」
「あのねえ…。君が言ったんだよ、残酷だからメニューにそうは書かないのかも、って」
あれは残酷焼きなんだけど、と会長さん。
「それを此処でって、今をいつだと思ってるんだい?」
「夏だけど?」
「ただの夏っていうわけじゃなくて、今はお盆の直前なんだよ!」
だからキースも卒塔婆がリーチ、と会長さんが指差す和室の方向。
「明日もキースは卒塔婆書きだし、そんな時期に残酷焼きはお断りだね!」
何処から見たって殺生だから、と会長さんはキッパリと。
「お盆が済むまで待ちたまえ。海の別荘なら、元から似たようなことをやってるんだし」
「そうですね。サザエもアワビも獲れ立てですし…」
それをそのままバーベキューです、とシロエ君。そっか、考えてみれば、あれも残酷焼きでした。海老だって焼いてることもあります、立派に残酷焼きですねえ…。



残酷焼きは海の別荘までお預けだから、というのが会長さんの論。少なくとも、会長さんの家でやる気は無いようです。
「ぼくの家では絶対、禁止! 食べたいんだったら、自分で行く!」
本家本元の残酷焼きに行くのもいいし、と会長さん。
「…本家本元? それって、もっと凄いのかい?」
残酷の程度が違うんだろうか、とソルジャーが訊いて、私たちだって興味津々。物凄く残酷な焼き方をするのが本家でしょうか?
「…まさか。それこそお客さんの食欲が失せるよ、君の体験談を聞くのと同じで!」
「ふうん? 其処だと、もっと美味しいとか?」
「どうだろう? あれは登録商標だから…」
「「「はあ?」」」
何が登録商標なんだ、と首を傾げた私たちですが。
「残酷焼きだよ、その名前で登録したのが本家本元!」
それが売りの旅館なんだから、と会長さんが教えてくれた大人の事情。海の幸が自慢の温泉旅館が「残酷焼き」を登録商標にしているそうで、他の所では使えないとか。
「だからブルーが食べた店でも、その名前になっていなかったわけ!」
「なんだ、そういうオチだったんだ…。残酷焼きって書いたら可哀相っていうんじゃなくて」
商売絡みだったのか、と少し残念そうなソルジャー。
「名前くらい、どうでもいいのにねえ…。それにあの名前がピッタリなのに…」
生きたままで焼くから美味しいのに、と残酷焼きに魅せられた模様。
「でも、今の時期は駄目なんだよね? ぶるぅに焼いて貰うのは?」
「お盆の季節は、本来、殺生禁止なんだよ!」
坊主でなくても慎むものだ、と会長さん。
「昔だったら、お盆の間は漁だって禁止だったんだから!」
「「「え?」」」
「漁船だよ! お盆は海に出なかったんだよ、何処の海でも!」
そういう時期が控えているのに残酷焼きなど言語道断、と会長さんは断りました。そうでなくてもキース君が卒塔婆書きをしている真っ最中です、会長さんの家。…そんな所で残酷焼きって、いくらなんでもあんまりですよね?



こうして終わった、残酷焼きの話。ソルジャーは「分かった、残酷焼きは海の別荘まで待つよ」と帰って行って、次の日も会長さんの家でキース君が卒塔婆書き。
「…キース、頑張るよなあ…」
全く出ても来ねえんだから、とサム君が感心するほど、キース君は和室に籠っています。お昼御飯を食べに出て来た以外は、もう本当に籠りっ放し。夕方になって、ようやく出て来て。
「…やっと終わった。まさか二日で書き上がるとは…」
百五十本も、と感慨深げなキース君。
「あの部屋を貸して貰えて良かった。…家でやってたら、まだまだだったな」
「それは良かった。後は元からのノルマだけだね」
会長さんの言葉に、キース君は「ああ」と頷いて。
「此処へ来て遊んでいたって、充分書ける。…そうだ、ジョミーも練習しておけよ」
棚経の本番が迫っているぞ、とニヤニヤと。
「当日になってから「出来ません」では済まないんだしな?」
「分かってるってば、ぼくは今年も口パクだよ!」
どうせお経は忘れるんだし、と最初からやる気ゼロらしいです。これも毎年の風景だよな、と眺めていたら…。
「こんばんはーっ!」
またもソルジャーがやって来ました、今日は私服じゃないですけれど。
「…何しに来たわけ?」
会長さんの迷惑そうな視線に、ソルジャーは。
「食事とお喋り! こっちの世界の食事は何でも美味しいから!」
「かみお~ん♪ 今日はパエリアとタコのスープと…。スタミナたっぷり!」
キースに栄養つけて貰わなくっちゃ、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」。ダイニングのテーブルに魚介類ドッサリのパエリアに、タコが入ったガーリックスープ。これは栄養がつきそうです。ソルジャーも早速、頬張りながら。
「残酷焼きでなくても美味しいねえ…。地球の海の幸!」
「ぶるぅの腕がいいからだよ!」
それに仕入れも自分で行くし、と会長さん。料理上手な「そるじゃぁ・ぶるぅ」は、新鮮な食材をあれこれ買いに行くのも好きですもんね!



またしてもソルジャーが出て来てしまった夕食の席。お喋りとも言っていましたけれども、早い話が暇なのでしょう。なんでもいいから暇つぶしだな、と思っていたら…。
「そうそう、昨日の残酷焼きのことなんだけど…」
「海の別荘まで待てと言ったよ、君も納得していただろう?」
お盆の前には無益な殺生は慎むものだ、と会長さん。
「こんな風にパエリアとかなら、生きたまま料理をするわけじゃないし…。間違えないように!」
「分かってるってば、そのくらいはね!」
ぼくの話は別件なのだ、と妙な台詞が。
「「「別件?」」」
「そう、別件! 残酷焼きの楽しみ方の!」
「どっちにしたって、お盆前だから!」
慎みたまえ、と会長さんが眉を吊り上げました。
「何を焼きたいのか知らないけどねえ、お盆が終わってからにしたまえ!」
「…うーん…。半殺しなのを本殺しにしようってコトなんだけど?」
「それを殺生と言うんだよ!」
本殺しだなんて…、と会長さんはソルジャーをギロリと睨み付けて。
「半殺しっていうのも大概だけどさ、まだ殺してはいないしね? それで、君は…」
何を半殺しにしたと言うのさ、と尋問モード。
「まさか人間じゃないだろうね? 君の敵は人類らしいから」
「…まるでハズレってこともないかな、人間ってトコは」
「なんだって!?」
本当に人間を半殺しなのか、と会長さんが驚き、私たちだってビックリ仰天。ソルジャー、人類軍とかいうヤツの兵士を捕えてシャングリラで拷問してるとか…?
「失礼な…! そういうのは人類の得意技だよ、ぼくたちミュウは控えめだよ!」
捕まえたとしても心理探査くらいなものだろうか、という返事。それじゃ、半殺しは…?
「人類じゃないし、ミュウでもない…かな? ミュウは登録商標かもだし」
「「「はあ?」」」
「ミュウって言葉! こっちの世界には無いんだろう?」
人類が登録商標にしているのかも、という笑えないジョーク。そもそも、ソルジャーの世界に登録商標なんかがあるのか疑問ですってば…。



登録商標の有無はともかく、私たちの世界に「ミュウ」という言葉はありません。ソルジャーの世界だと、サイオンを持っている人間はミュウということになるらしいですけど。
「そうなんだよねえ、ぼくの世界だとミュウなんだけど…。こっちだとねえ…」
言葉自体が無いものだから、とソルジャーの視線が私たちに。
「君たちもミュウの筈なんだけどね、ミュウじゃないんだよね?」
「…その筈だが?」
ミュウと呼ばれたことは無いな、とキース君が返して、会長さんが。
「ぼくも使ったことが無いねえ、その言葉は。…単に「仲間」と呼んでいるだけで」
「やっぱりねえ…。だから、ミュウでもないのかな、って」
ぼくが言ってる半殺しの人、ということは…。それって、私たちの世界の誰かをソルジャーが半殺しにしてるって意味?
「今はやっていないよ、現在進行形っていう意味ではね!」
でも何回も半殺しにしたし、と不穏な言葉が。いったい誰を半殺しに…?
「君たちもよく知ってる人だよ、こっちの世界のハーレイだけど?」
「「「ええっ!?」」」
まさかソルジャー、教頭先生を拉致して苛めていましたか?
「違う、違う! 君たちも共犯と言えば共犯なんだよ、特にブルーは!」
「…ぼく?」
どうしてぼくが共犯なんかに…、と会長さんはキョトンとした顔、私たちだって同じです。教頭先生を半殺しになんか、したことは無いと思いますけど…?
「…ううん、何度もやってるね。半殺しにするのはぼくだけれどさ、その片棒を!」
「「「片棒?」」」
「そのままだってば、こっちのハーレイを陥れるってヤツ!」
そのネタは主に大人の時間で…、とソルジャーの唇に浮かんだ笑み。
「ぼくがハーレイに御奉仕するとか、覗きにお誘いするだとか…。鼻血体質のハーレイを!」
そして毎回、半殺し! と言われてみれば、そうなるのかもしれません。会長さんの悪戯心とソルジャーの思惑が一致する度、教頭先生、鼻血で失神ですものねえ…?



「分かってくれた? それが半殺しというヤツで!」
ぼくが目指すのは本殺し、とソルジャーはクスクス笑っています。
「失神しちゃうと半殺しで終わってしまうから…。失神させずに本殺しを目指したいんだよ!」
その過程で残酷焼きになるのだ、とソルジャーはニヤリ。
「失神したくても出来ないハーレイ! 本殺しになるまでジュウジュウと!」
生きたまま炙られて残酷焼きだ、と言ってますけど、それって、どんなの…?
「えっ、簡単なことなんだけど? 要は鼻血を止めさえすればね!」
失神出来なくなるであろう、というソルジャーの読み。
「ムラムラしたまま最後まで! どう頑張っても天国にだけは行けないままで!」
「「「へ?」」」
「混ざりたくても混ざれないんだよ! 羨ましくて涎を垂らすだけ!」
それが残酷! とソルジャーはグッと拳を握りました。
「本当だったら、鼻血さえ出なければ乱入出来るんだろうけど…。ハーレイだからね!」
そんな根性があるわけがない、と完全に馬鹿にしているソルジャー。
「羨ましくても、混ざりたくても、最後の一歩が踏み出せない! 見ているだけ!」
ムラムラしながら炙られ続けて、とうとう力尽きるのだ、ということは…。教頭先生が見せられるものって、もしかして…?
「そうだけど? ズバリ、ぼくとハーレイの大人の時間!」
是非ともじっくり見て貰いたい、と赤い瞳が爛々と。
「ぼくがサイオンで細工するから! 鼻血で失神出来ないように!」
「ちょ、ちょっと…!」
会長さんが滔々と続くソルジャーの喋りを遮って。
「君のハーレイ、今はそれどころじゃないだろう! 海の別荘行きを控えて!」
特別休暇を取るんだから、と会長さん。
「その前にやるべき仕事が山積み、キースの卒塔婆書きと同じでリーチなんだと思うけど!」
「…まあね、ご無沙汰気味ではあるよ」
だからノルディとデートに行った、と頷くソルジャー。
「でもね、その分、休暇に入れば凄いから! パワフルだから!」
海の別荘では毎年そうだ、と力説してます。それは間違いないですけどねえ、部屋に籠って食事までルームサービスだとか…。



毎年、毎年、ソルジャー夫妻に振り回されるのが海の別荘。実害が無い年も、日程だけはソルジャーが決めてしまいます。結婚した思い出の場所というわけで、日程はいつもソルジャー夫妻の結婚記念日に合わせられるオチ。
ご他聞に漏れず、今年もそう。…その別荘で教頭先生を残酷焼きにしたいんですか?
「…だって、ブルーも言ったじゃないか! 残酷焼きは海の別荘まで待てと!」
それで待とうと考えていたら残酷焼きを思い付いた、と言うソルジャー。
「普通の残酷焼きは元からやっているしね、もっと楽しく、残酷に!」
「ぼくは普通ので充分だから!」
サザエやアワビで間に合っている、と会長さん。
「伊勢海老を焼いてる年だってあるし、残酷焼きはそれで充分だよ!」
「でもねえ…。せっかく新しい言葉を覚えたんだし、焼く物の方も新鮮にしたい!」
ハーレイの残酷焼きがいい、とソルジャーの方も譲りません。
「あの大物をジュウジュウ焼きたい! ぼくとハーレイとの夫婦の時間を見せ付けて!」
お盆は終わっているんだから、とソルジャーは揚げ足を取りにかかりました。
「お盆がまだなら、無益な殺生と言われちゃうかもしれないけれど…。終わってるしね?」
海の別荘に行く頃には、と重箱の隅をつつくソルジャー。
「それに本殺しと言いはしてもね、本当に殺すわけでもないし…」
「迷惑だから!」
手伝わされるのは御免だから、と会長さんが叩いたテーブル。
「君は楽しいかもしれないけどねえ、ぼくたちは楽しいどころじゃないから!」
「そうですよ! いつも酷い目に遭うだけです!」
ぼくも反対です、とシロエ君。
「残酷焼きはバーベキューだけで充分ですよ!」
「まったくだ。…いくらお盆が終わっていてもだ、殺生は慎むのが筋だ」
それが坊主というもので…、とキース君が繰る左手首の数珠レット。
「ブルーはもちろん、サムもジョミーも僧籍なんだし…。あんたを手伝うことは出来んな」
「…手伝いは別に要らないんだけど?」
素人さんには難しいから、とソルジャーはフウと溜息を。えーっと、それって、ソルジャーが勝手に残酷焼きをやるんですかね、私たちとは無関係に?



巻き込まれるのがお約束のような、ソルジャーが立てる迷惑企画。教頭先生絡みの場合は、巻き込まれ率は百パーセントと言ってもいいと思います。
それだけに残酷焼きな企画も巻き添えを食らうと思ってましたが、「素人さんには難しい」上に、「手伝いは別に要らない」ってことは、ソルジャーの一人企画でしょうか?
「一人ってわけでもないけれど…。ぼくのハーレイは欠かせないしね」
夫婦の時間を披露するんだし、と言うソルジャー。
「それと、ぶるぅの協力が必須! ぼくの世界の方のぶるぅの!」
「「「ぶるぅ!?」」」
あの悪戯小僧の大食漢か、と思わず絶句。「ぶるぅ」の協力で何をすると?
「もちろん、覗きのお手伝いをして貰うんだよ! こっちのハーレイを御案内!」
最高のスポットで覗けるように、とニッコリと。
「鼻血を止める細工の方もさ、ぶるぅがいればより完璧に!」
ぼくがウッカリ忘れちゃってもフォローは完璧、と自信たっぷり。
「そんな感じで残酷焼きだし、君たちは何もしなくてもいいと思うんだけど?」
高みの見物コースでどうぞ、とパチンとウインクしたソルジャー。
「「「…高み?」」」
「そうだよ、被害の無い場所で! ゆっくり見物!」
中継の方も「ぶるぅ」にお任せ、と聞かされて震え上がった私たち。それってギャラリーをしろって意味になってませんか…?
「それで合ってるけど? 見なけりゃ損だと思わないかい?」
「「「思いません!!!」」」
見なくていいです、と絶叫したのに、ソルジャーは聞いていませんでした。
「うんうん、やっぱり見たいよねえ? こっちのハーレイの残酷焼き!」
海の別荘では絶対コレ! と決めてしまったらしいソルジャー。私たちの運命はどうなるんでしょうか、それに教頭先生は…?



海の別荘では教頭先生の残酷焼きだ、と決めたソルジャー。最初からそういう魂胆だったに決まっています。溜息をつこうが、文句を言おうが、まるで取り合う気配無し。夕食が済んだ後にも居座り、残酷焼きを喋り倒して帰って行って…。
「…おい、俺たちはどうなるんだ?」
このまま行ったら確実に後が無さそうだが、と途方に暮れているキース君。お盆が済んだら海の別荘、其処で待つのが教頭先生の残酷焼きで。
「…忘れるべきじゃないでしょうか?」
覚えていたって、いいことは何もありません、とシロエ君が真顔で言い切りました。
「どうなるんだろう、と心配し過ぎて心の病になるのがオチです!」
「確かにそうかもしれねえなあ…。人生、笑ってなんぼだしよ」
忘れた方が良さそうだぜ、とサム君も。
「俺やキースはお盆もあるしよ、そっちに集中した方がいいぜ」
「…ぼくも今年は真面目に棚経やろうかなあ…」
そしたら忘れられそうだし、とジョミー君もお盆に逃げるようです。
「お盆はいいかもしれないわねえ…。私も今年は何かしようかしら?」
お盆の行事、というスウェナちゃんの言葉に、会長さんが。
「やりたいんだったら、ぼくの家でやってもいいけれど? …それっぽいのを」
迎え火から始めてフルコースで、という案にスウェナちゃんが縋り付きました。シロエ君もマツカ君も食い付きましたし、私だって。
「会長、よろしくお願いします!」
今年のお盆は頑張ります! とシロエ君が決意表明、抹香臭い日々が始まるようです。でもでも、ソルジャーが立てた迷惑企画を忘れられるのなら、お盆の行事も大歓迎。
迎え火だろうが、棚経だろうが、会長さんの指導で頑張りますよ~!



そんなこんなで、迎えたお盆。遠い昔に火山の噴火で海に沈んだ会長さんの故郷、アルタミラを供養するというコンセプトで私たちは毎日法要三昧。
キース君はサム君とジョミー君もセットの棚経でハードな日々が始まり、フィナーレは無事に書き上げた卒塔婆を供養して檀家さんに渡すという法要。
それだけやったら頭の中はお盆一色、終わった後には誰もが完全燃焼で白く燃え尽きていたと思います。雑念なんかは入る余地も無くて、煩悩の方も消し飛んで…。
「かみお~ん♪ 今年も海が真っ青ーっ!」
「いっぱい泳がなくっちゃねーっ!」
海だあ! と飛び跳ねている「そるじゃぁ・ぶるぅ」と「ぶるぅ」のコンビ。海の別荘ライフの始まり、荷物を置いたら揃ってビーチへ。
「わぁーい、バーベキュー!」
ちゃんと用意が出来てるよ! と「そるじゃぁ・ぶるぅ」は大喜びで、教頭先生がキース君たちに「行くか」と声を掛けました。
「食材も用意してあるようだが…。やはり獲れ立てが一番だからな」
「そうですね。俺たちも何か獲って来ましょう」
狙いはアワビにサザエですね、とキース君が大きく頷き、男の子たちは獲物を求めて素潜りに。漁が済んだら、ビーチで始まるバーベキュー。ジュウジュウと焼けるサザエやアワビは、生きているのを網に乗っけるわけですが…。
「あっ、始まったね、残酷焼き!」
待ってましたあ! と覗きに来たのがビーチでイチャついていたバカップル。ソルジャー夫妻とも言いますけれど。
「ええ、獲れ立てですから美味しいですよ。どうぞ幾つでも」
お好きなだけ取って食べて下さい、と教頭先生が気前良く。…ん? 残酷焼き…?
「ありがとう! 好きなだけ食べていいんだね、どれも?」
「もちろんです。サザエでもアワビでも、ご遠慮なく」
どんどん獲って来ますから、と教頭先生は笑顔ですけど。…何か引っ掛かる気がします。残酷焼きって、それに教頭先生って…?



綺麗サッパリ、残酷焼きを忘れ果てていた私たち。ビーチでは全く思い出せなくて、何か引っ掛かるという程度。教頭先生とか、ジュウジュウ焼かれるアワビやサザエが。
別荘ライフの初日の昼間はビーチで終わって、夕食も大満足の味。それぞれお風呂に入った後には、広間に集まって賑やかに騒いでいたんですけど。
「そうそう、ハーレイ。…君に話があるんだけどね?」
こっちのハーレイ、とソルジャーが指差した教頭先生。キャプテンと一緒に部屋に籠ったんじゃなかったでしょうか、夕食の後は?
「あっ、ぼくかい? …話があるから出て来ただけで、済んだら失礼する予定」
夫婦の時間を楽しまなくちゃ、と艶やかな笑みが。
「それでね…。ハーレイ、君さえ良かったら…。昼間の残酷焼きの御礼をしようと思って」
「はあ…」
残酷焼きですか、と教頭先生は怪訝そうな顔。その瞬間に私たちは思い出しました。ソルジャーが立てていた迷惑企画を。
(((き、来た…)))
忘れていたヤツがやって来た、と顔を見合わせても今更どうにもなりません。ソルジャーは教頭先生に愛想よく微笑み掛けながら。
「君の残酷焼きってヤツはどうかな、いつもは半殺しだからねえ…。鼻血が出ちゃって」
失神してそれでおしまいだよね、と教頭先生にズイと近付くソルジャー。
「その鼻血をぼくのサイオンで止める! 失神しないで覗きが出来るよ?」
ぼくたちの熱い夫婦の時間を…、というお誘いが。
「覗くって所までだけど…。混ざって貰うとぼくも困るけど、その心配は無さそうだしね?」
今までの例から考えてみると…、とソルジャーは笑顔。
「普段だったら混ざってくれてもいいんだけどねえ、結婚記念日の旅行だからさ」
「分かっております。…が、本当に覗いてもいいのですか?」
残酷焼きの御礼と仰いましたが、と鼻息も荒い教頭先生。
「もちろんだよ! 心ゆくまで覗いて欲しいね、ぼくからのサービスなんだから!」
ちょっぴり残酷なんだけどね、というソルジャーの誘いに、教頭先生はフラフラと。
「ざ、残酷でもかまいません! …残酷焼きは好物でして!」
私が焼かれる方になっても満足です、と釣られてしまった教頭先生。ソルジャーは「決まりだね」と教頭先生の手を引いて去ってゆきました。「こっちだから」と。



教頭先生とソルジャーが消え失せた後の大広間。呆然と残された私たちは…。
「…どうしよう…。もう完全に忘れてたよ、アレ…」
ぼくとしたことが、と会長さんが頭を抱えて、シロエ君も。
「言い出したぼくも忘れていました、「忘れましょう」と言ったことまで全部…」
ヤバイですよ、と呻いた所で後の祭りというヤツです。でも…。
「待って下さい、望みはあります」
ぼくたちだけしかいませんから、とマツカ君が広間を見回しました。
「この状態だと、何が起こっても分かりませんよ。…部屋の外のことは」
「そうでした! マツカ先輩、冷静ですね」
「いえ、何度も来ている別荘ですから…。此処から出なければ大丈夫だと思います」
朝まで息を潜めていれば…、とマツカ君。
「食べ物も飲み物もありますし…。トイレも其処にありますからね」
「よし! 俺たちは今夜は此処だな」
布団が無いのは我慢しよう、とキース君が言えば、サム君が。
「そこは徹夜でいいんでねえの? 寝なくてもよ」
「いや、それは駄目だ。寝ないで海に入るのはマズイ」
「「「あー…」」」
溺れるリスクが上がるんだっけ、と理解しました。適当な所で横になるしかないようです。安全地帯にいたければ…、って、あれ?
「なんだよ、コレ!?」
シャボン玉かよ、とサム君がつついた透明な玉。それは途端にポンと弾けて…。
「かみお~ん♪ ぶるぅだあ!」
ぶるぅのサイオン! と「そるじゃぁ・ぶるぅ」が跳ねて、出現したのがサイオン中継で使われる画面。これって、もしかしなくても…。
「ぶ、ぶるぅって言いましたか?」
シロエ君の声が震えて、「そるじゃぁ・ぶるぅ」が「うんっ!」と元気良く。
「ぶるぅが中継してくれるんだって、残酷焼き!」
「「「うわー…」」」
そんな、と叫んでも消えない画面。ついでに部屋から逃げ出そうにも、外から鍵がかかったようです。絶体絶命、見るしかないっていうわけなんですね、教頭先生の残酷焼きを…?



中継画面の向こう側では、教頭先生が食い入るように覗いておられました。ソルジャー夫妻の部屋に置かれたベッドの上を。
ベッドの方はソルジャーの配慮か、モザイクがかかって見えません。声も聞こえて来ないんですけど、教頭先生は大興奮で。
「おおっ…! こ、これは…!」
凄い、と歓声、けれど押さえていらっしゃる鼻。…鼻血が出そうなのでしょう。通常ならば。
「…鼻血、出ないね?」
いつもだったら、こういう時にはブワッと鼻血、とジョミー君。
「…そういうタイミングには間違いないな…。残酷焼きだと言ってやがったが…」
どうなるんだ、とキース君にも読めない展開、会長さんだって。
「ハーレイがスケベなことは分かるけど…。鼻血さえ出なけりゃ、覗いていられるらしいけど…」
なんだか苦しそうでもある、と顎に手を。
「眉間の皺が深くなって来てるよ、限界が来ない分、キツイのかも…」
「それは大いに有り得ますねえ…」
精神的にはギリギリだとか、とシロエ君。
「お身体の方も、キツイ状態かもしれません。…なにしろ残酷焼きですから」
最終的には命が無いのが残酷焼きです、と肩をブルッと。
「死ぬことは無いと思いますけど、普段の鼻血より酷い結果になるんじゃあ…?」
「本殺しだって言ってたぜ、あいつ…」
ヤバイんでねえの、とサム君も恐れた教頭先生の末路。私たちの末路も怖いんだけど、と消えてくれない中継画面を見守るしかないまま、どのくらい経った頃でしょうか。
「「「えっ!?」」」
画面がいきなりブラックアウトで、そのままパッと消えちゃいました。中継、終わったんですか?
「…消えましたね?」
終わりでしょうか、とシロエ君が言い終わらない内に、「そるじゃぁ・ぶるぅ」の泣き声が。
「うわぁぁぁん、ぶるぅが気絶しちゃったぁー!」
「「「気絶!?」」」
「ハーレイ、酷いよ、ショートするなら一人でやってーっ!!!」
ぶるぅを巻き込まないで欲しかったよう、と泣き叫んでいる「そるじゃぁ・ぶるぅ」。残酷焼きにされた教頭先生、限界突破で頭が爆発したみたいですね…?



次の日の朝、教頭先生は食堂においでになりませんでした。それに「ぶるぅ」も。ソルジャー夫妻はルームサービスですから、現れるわけが無いんですけど…。あれっ、ソルジャー?
「…おはよう。…昨夜はとんでもない目に遭っちゃって…」
ソルジャーの目の下にはクマが出来ていました。何があったと言うんでしょう?
「…残酷焼きだよ、あのせいで巻き添え食らったんだよ!」
こっちのハーレイが派手に爆発、とソルジャーは椅子に座って朝食の注文。キャプテンは…?
「…ハーレイなら意識不明だよ。こっちのハーレイとセットでね」
まさか頭が爆発したらああなるとは、とブツクサ、ブツクサ。…どうなったと?
「サイオン・バーストとは違うんだけどね、凄い波動が出ちゃってさ…」
ぶるぅも、ぼくのハーレイも意識を手放す羽目に…、と嘆くソルジャー。
「でもって、ハーレイは真っ最中だったものだから…。抜けなくってさ!」
「その先、禁止!」
言わなくていい、と会長さんが怒鳴りましたが、ソルジャーは文句を言い続けました。貫かれるのは好きだけれども、入ったままで抜けないというのは最悪だとか、最低だとか。
お蔭で腰がとても辛いとか、トイレも行けない有様だとか。
「「「…???」」」
「いいんだよ、君たちが分かってくれるとも思ってないから!」
残酷焼きは二度と御免だ、とソルジャーは懲りているようです。海産物でしかやりたくないと。
「…いったい何があったんでしょう?」
「俺が知るか! 無益な殺生をしようとするからだ!」
二度とやらないなら、仏様も許して下さるであろう、とキース君。何が起こったか謎だとはいえ、もうやらないならいいでしょう。教頭先生、記憶もすっかり飛んでしまったそうですし…。
残酷焼きって怖いんですねえ、ソルジャーまでが残酷な目に遭ってしまったみたいです。海産物でやるに限りますよね、やっぱりアワビやサザエですよね…!




            残酷に焼いて・了


※いつもシャングリラ学園を御贔屓下さってありがとうございます。
 ソルジャーが思い付いた、教頭先生の残酷焼き。海産物の残酷焼きと違って迷惑な企画。
 途中までは楽しめたらしいですけど、とても悲惨な結末に。懲りてくれればいいんですが…。
 さて、シャングリラ学園、11月8日で番外編の連載開始から、14周年を迎えました。
 「目覚めの日」を迎える14歳と同じ年月、書き続けて来たという勘定です。
 昨年に予告していた通りに、今年限りで連載終了。更新は来月が最後になります。
 湿っぽいお別れはしたくないので、来月も笑って読んで頂けると嬉しいですね。
 次回は 「第3月曜」 12月19日の更新となります、よろしくです~!

※毎日更新な 『シャングリラ学園生徒会室』 はスマホ・携帯にも対応しております。
 こちらでの場外編、11月といえば紅葉の季節。豪華旅行の話も出たのに…。
←シャングリラ学園生徒会室は、こちらからv








Copyright ©  -- シャン学アーカイブ --  All Rights Reserved

Design by CriCri / Material by 妙の宴 / powered by NINJA TOOLS / 忍者ブログ / [PR]