シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。
山の別荘と海の別荘、両方への旅を楽しみたければ「お盆の棚経を頑張ってこなせ」と言われてしまったジョミー君とサム君。サム君の方は会長さんと公認カップルを名乗るくらいの惚れ込みようですから、デート代わりに会長さんの家まで朝のお勤めに行き、たまに手料理を御馳走して貰って喜ぶ日々。でも…。
「サムだけが行けばいいじゃないか! なんでぼくまで!」
ジョミー君の方は仏弟子の自覚が皆無です。無理やり出家させられた上に会長さんの直弟子として本山に登録済みだというのに、何の修行もせずに悪あがき。そのツケが回って来たのが今回の棚経修行でした。沢山の檀家さんを回り切るために必須の足は自転車ですけど、法衣で乗るのは大変です。
「いたたたたた…。誰か助けてよ、起きられないよ!」
私たちが見物に現れた早々、元老寺の境内で派手に転んだジョミー君。自転車のハンドルに絡まってしまった衣の袖を外そうと格闘中ですけども、それよりも前に口をついて出たのが「なんでぼくまで」の文句とあっては、会長さんの態度が冷たくなるのは自然な成り行き。
「…最初から救助要請してれば、ぼくも考えたんだけどねえ? いきなり文句を投げ付けられては、気分を害するに決まってるだろう。自分で起きるか、それともサムかキースにお願いするか。…ここの連中はギャラリーだから無関係だよ」
手助け無用、と私たちに釘を刺している会長さん。言われなくてもスウェナちゃんと私は倒れた自転車を引き起こすなんて力仕事はしたくないですし、シロエ君は最初から高みの見物。ついでに「そるじゃぁ・ぶるぅ」はと言えば、会長さんから「あれは自転車に乗る練習だから、邪魔しないようにね」と説明されておしまいです。
「うう…。どうして衣で自転車なんかに…」
呻きつつもなんとか起き上がったジョミー君ですが、自転車のハンドルに絡んだ衣は無残に着崩れてしまっていました。おまけに裾もメチャクチャです。墨染めの衣の下に着た白衣が乱れて脛が丸出し、見られたものではありません。
「その格好でうろつかれては檀家さんに申し訳ない。さっさと庫裏で整えてこい!」
キース君に怒鳴りつけられ、ジョミー君は倒れた自転車を放置して庫裏へ去ろうとしたのですが。
「おい、自転車はちゃんと端の方に片付けて行けよ。あそこの木の下でいいだろう」
示されたのは境内に聳える大木の根元。ジョミー君は纏わりつく白衣に足を取られつつ、すごすごと自転車を押してゆきます。おまけになんだか足取りがおぼつかないような…?
「靴ずれを起こしているんだよ」
会長さんがクスッと小さく笑いました。
「慣れない衣に足袋だろう? おまけに草履ときたものだから、普通に歩くだけでも長距離はキツイ。自転車を漕ぐとなったら力の入れ方も靴の時とは違うしねえ…。靴ずれと言うか、鼻緒ずれ? 指の間も足の甲の方も、真っ赤に擦れて痛いと思うよ」
「じゃあ、サム先輩はどうなんですか?」
今も自転車を漕いでますけど、とシロエ君。サム君の方は砂利でガタガタの境内の中を左右に揺れながらも走っています。衣の裾を気にしているのでスピードは大して出てませんけど、足が痛む様子は見られません。
「ああ、サムかい? 昨夜の内にメールしたんだ。自転車を漕ぐなら草履の鼻緒が当たる部分に絆創膏かテープを貼っておくように…ってね。ぼくの大事な直弟子だもの」
ケロリとした顔の会長さんに、私たちは「贔屓だ」と口々に突っ込みを入れたのですけど。
「え、なんで? 普段から修行を積んでいる弟子の体調を気遣ってあげるのは師僧の務め! 日頃ご無沙汰な弟子が困っていようと知ったことではないんだよ」
だからジョミーは自業自得、と会長さんは思い切り見捨ててかかっていました。着崩れを直して庫裏から戻ったジョミー君がキース君に「その着付けはなんだ!」と叱られようが、知らんぷりです。結局、この日の自転車修行はジョミー君の身体に無数の青あざと生傷を作って終わりました。そして次の日も、また次の日も…。
「ぼく、なんだか分かって来たって気がするよ」
ジョミー君がボソッと呟いたのは棚経修行の最終日。明日は山の別荘へ出発だという日の朝のことです。私たちは毎日、みんな揃って瞬間移動で野次馬に来ているわけですが、キース君が作った修行メニューは午前が自転車、午後がお勤め。お昼休みは宿坊で私たちの分まで昼食が出ます。
「…なんだ、悟りが開けたのか? いいことだ」
キース君が応じましたが、ジョミー君は止めてある自転車に寄りかかりながら。
「ほら、たまに道路で見かけるじゃない。お坊さんがスクーターで走ってるヤツ」
「それがどうした? 俺の親父も月参りにはスクーターだぞ」
「あれってさあ…。車で乗り付けた先でガレージが無かったら困るからだと思ってたけど、違うんだね」
「「「は?」」」
ジョミー君が何に開眼したのか、キース君にも私たちにもサッパリ分かりませんでした。お坊さんにスクーターは定番なのだと思ってましたが、あれには深い理由でも…?
「おい、ジョミー」
言っておくがな、と口を開いたのはキース君。ジョミー君やサム君と一緒で法衣と輪袈裟を着用です。鬼コーチをしている時にもこの姿ですが、住職の位を持つだけはあって流石の貫録。外見は同じ年頃なのに落ち着きようは大したもので、見習い小僧とは月とスッポン、雲泥の差とでも申しましょうか。
「ウチの親父が月参りに行くのはスクーターだが、車で行く人も大勢いるぞ。檀家さんの家にガレージがあるのが前提だとは聞くが、コインパークなどを利用するというケースも聞くな。…そういえば、俺の大学の先輩が先月の末の月参り中に駐車違反の切符を切られたそうだ」
「「「駐車違反?」」」
「ああ。いつもは空いている貸しガレージが満車だったとかで、少しの間ならいいだろう…と。その間に運悪くパトカーが巡回してきたらしい」
「うわぁ…」
やっぱり車はダメなんじゃない、とジョミー君が深い溜息。
「スクーターが一番なんだよ、自転車修行をしている間に気が付いたんだ。自転車は跨らないと乗れないけれど、スクーターなら足を揃えて座れるし! あれなら衣の裾が乱れないから、お坊さんが愛用してるんだよね? 車と違ってドアを開けなくてもサッと乗れるし」
次の檀家さんの家に向かってすぐに出発できそうだ、とジョミー君は力説しています。自転車修行で分かったことってコレですか? だからと言ってどうすると…?
「えっと…。すぐに免許が取れる所って無いのかな? あったら棚経までにスクーターを…」
「馬鹿野郎!」
炸裂したのはキース君の怒鳴り声。
「俺だって自転車で回っていると言っただろう! もう住職の位も取ったし、副住職にもなれそうだから今年の棚経はスクーターにしたい、と親父に頼んだら却下されたぞ! 住職と副住職の差はデカイんだ。おまけに俺は親父の弟子だし、スクーターなぞ二十年早いと…」
「「「二十年?」」」
なんですか、その二十年という長い年数は? せめて五年とか、十年とか…。
「甘いな。せめてシャングリラ・プロジェクトが無かったら…。親父が順当に歳を取ってくれれば、十年くらいでスクーターの許可が下りたかもしれんが、親父も俺も歳を取らない。…親父が言うにはスクーターってヤツはそれなりの年季が入った坊主が乗るものだ…と」
若人は黙って自転車で、というのがアドス和尚の譲れないポイントらしいです。お坊さんの世界は師僧の言葉に絶対服従。アドス和尚に二十年先と言われてしまえば二十年間、キース君は自転車を漕いで月参りに行くしかないのでした。ということは、更に下っ端のジョミー君たちは…。
「サムは頑張って修行を積んだら俺よりも早くスクーターに乗れるかもしれないな。なんと言ってもブルーの弟子だし、親父はブルーに頭が上がらん。…まあ、そうなるにはサムも何処かの寺の住職になって一人立ちするのが前提だがな」
しかし元老寺の徒弟扱いの間は自転車あるのみ、とキース君は境内をビシッと指差して。
「いいか、自転車修行は今日中に完璧に仕上げるんだぞ? 午前中で無理なようなら午後の時間も自転車に充てる。読経の稽古は旅行先でも指導できるが、自転車の方はそうはいかない」
「おや、そうかい?」
会長さんが口を挟みました。
「マツカの山の別荘にも自転車はあるし、法衣持参でお出掛けすれば練習できるよ。空気が綺麗な高原の道を疾走するのもいいかもねえ…。高く聳える山をバックに白樺林や湖の岸辺を自転車で走るお坊さん! きっと絵になると思うけどな」
「…それは他の観光客に迷惑だろう…」
坊主だぞ、とキース君はジョミー君たちと自分の衣を眺めています。
「この格好で連想するのは通夜か法事か葬式か…。月参りにしても棚経にしても、仏壇と縁が切れないぞ。アルテメシアは寺が多いから、この格好でうろついていても「修行中だな」と暖かい目で見て貰えるが、別荘地なぞに坊主が出たらロクな発想にならんと思うが」
「なるほどね。…ちょっとワケ有りで読経に行くとか」
うんうん、と頷いている会長さん。ワケ有りで読経って、どういう意味? 私たちが首を捻っていると、会長さんはクスッと笑って。
「山に湖、自然満載の別荘地! そこでお坊さんが呼ばれるとしたら、遭難した人を山の麓まで下ろして来たとか、湖に仏様が上がったとか…。まあ、別荘地でも管理人さんとかが住んでいるから、お葬式とか法事の可能性もゼロではないけど」
「「「仏様…」」」
会長さんが言う仏様とやらが阿弥陀様だの御釈迦様だのという仏様とは別物なのは明白でした。要するに「今すぐにお経を唱えてあげる必要がある」仏様です。わざわざ別荘地まで出掛けて行って、その手の仏様は御免ですとも! そんなシチュエーションを連想させる別荘地での自転車修行はさせられません。
「分かったな、ジョミー? 自転車は何が何でも今日中にマスターして貰う。サムは問題無さそうだから、安全運転で好きに境内を走ってくれ。近所だったら路上でもいいぞ」
俺はジョミーを指導する、とキース君は燃えていました。改めて自転車の乗り降りに始まり、裾を乱さないペダルの漕ぎ方、着崩れしない力の入れ方。なんともハードな自転車修行は昼食の後も続行です。サム君の方は修行完了のお墨付きを貰い、クーラーの効いた宿坊の一室で会長さん直々にお経の稽古。
「そう、そこで御仏壇に一礼を…ね。本番の時にはクーラーが無い家も多いだろうけど、頑張って」
君なら出来る、と会長さんは満足そう。けれどジョミー君は蝉の大合唱がうるさい境内で必死に自転車を漕ぎ続けるだけ。靴ずれならぬ鼻緒ずれやら筋肉痛やら、打ち身、切り傷、擦過傷。満身創痍の状態ですけど、明日からは楽しい山の別荘暮らしです。心置きなく別荘ライフを楽しむためにも、自転車修行を頑張って~!
そして翌日。元老寺と縁が切れた私たちは電車に乗り込んでマツカ君の山の別荘へ向かっていました。貸し切りのグリーン車は追加で連結された車両です。他のお客さんが乗ってませんから騒ぎ放題、気分は殆どお座敷列車。お菓子や駅弁を食べている内に目的の駅に到着で…。
「やったぁ、山だー!」
さあ、遊ぶぞ! とジョミー君が万歳しています。棚経の練習も暫くお休み、心ゆくまで高原の休日を満喫しながらリフレッシュ。迎えのマイクロバスが来ていて、4年ぶりの山の別荘に着くと。
「いらっしゃいませ」
お馴染みの執事さんがお出迎えです。あれっ、豪華客船クルーズのお供に行っているんじゃないんですか? 私たちの驚いた顔に、マツカ君が。
「船には仕事を持ち込まないのがルールなんですよ。でも、会社の方まで休みってわけには行きませんから、そっちを仕切る人と父との間の連絡係が必要で…。ですから残っているんです」
なるほど、そういう理由でしたか。だったら遠慮なくお世話になって遊びまくってもいいですよね? 執事さんは早速、制服の使用人さんたちを指図し、私たちを部屋に案内してくれて…。
「やっぱり会長の部屋が最上級ってわけですか…」
他とは格が違いますよ、とシロエ君。滞在中の予定を立てるべく集まってみた会長さんの部屋には寝室と居間の他に応接室までついていました。会長さんがソルジャーであることはマツカ君の御両親も御存知ですし、最高の部屋を提供するよう指示して行ったに決まっています。
「別にいいじゃないか、応接室があると便利だしさ。これだけの人数が来ても余裕だ」
で、どうする? と会長さん。
「せっかく来たんだし、登山に乗馬? 自転車修行をやった後なら馬くらいきっと楽勝だよ」
「うーん…。思い出したけど、ぼくたち、落馬の王子様だっけ…」
ジョミー君が言っているのは山の別荘に初めて来た時のエピソードです。みんなで乗馬に出掛けたものの、会長さんとマツカ君を除いた男の子たちは揃って落馬。会長さんが白馬に乗って難しい障害コースを走る姿と自分たちの惨めさを引き比べた上で生まれた言葉が『白馬の王子様』ならぬ『落馬の王子様』でした。
「そういえば、そんな言葉もあったねえ…」
すっかり忘れてしまっていたよ、とクスクス笑う会長さん。
「あの頃は君たちも特別生ではなかったし……サイオンの存在も全く明かしていなかった。でも今となっては事情が違う。棚経でズルは許さないけど、乗馬くらいはズルもいいかな」
「「「???」」」
「乗馬は趣味と娯楽だからね、サイオンでコツを伝授してもいいよ。ほら、ハーレイがバレエを踊れるのと理屈は同じさ。…その代わり、棚経は全力で頑張って貰わないといけないけれど」
毎朝、毎晩、きちんと復習! と会長さんがジョミー君をビシッと指差し、それを見ていた男の子たちが。
「御指名だぜ、ジョミー。俺と違って基礎が全く無いもんな」
「ああ。サムは殆ど問題無い。要はジョミーだ」
「頑張って下さい、ジョミー先輩! ぼくたちの命運が懸かってるんです」
口々に迫られたジョミー君はウッと息を飲み、天井を仰いでから諦めたように。
「…分かったよ。朝晩お経の練習をすればいいんだろ! それで落馬をしなくなるなら頑張るよ!」
「了解。約束を破った場合は伝授したコツは消去ってことで」
それもサイオンで簡単に出来る、と会長さんが軽く片目を瞑ってみせて、キラリと光った青いサイオン。えっ、まさか今ので伝授完了? まさか、まさか…ね…。
「そのまさかさ」
クスクスクス…と会長さんが笑っています。
「後は個々人の素質と身体能力かな? 女子にも伝授しておいたから、明日にでも乗ってみるといい。前に来た時は乗馬クラブの人に手綱を引いて貰っていたよね? 今度は一人で乗れる筈だよ、コースの方だって自由自在さ」
馬で湖への散歩にも行ける、と聞かされてスウェナちゃんと私は大感激。そういうのって憧れじゃないですか! 別荘地を馬で優雅に散策。会長さんが白馬で一緒に来てくれれば気分最高かもしれません。せっかくのコツを消去されてしまわないよう、ジョミー君には毎朝毎晩、せっせと読経をして貰わねば…。
会長さんが伝授してくれた乗馬のコツは本物でした。翌朝、ジョミー君が別荘の和室で棚経用のお経を練習するのを見届けてから朝食を食べて、みんな揃って乗馬クラブへ。前に来た時はクラブの人に任せっぱなしだったのに、気付けば一人で馬に跨り、コースに出ている自分がいたり…。
「すげえや、マジで乗れるじゃねえかよ!」
これは絶対落ちないぜ、とサム君が大喜びではしゃいでいますし、キース君もシロエ君も、ジョミー君だって手綱さばきは鮮やかなもの。落馬の王子様たちは乗馬の達人に華麗な変身を遂げていました。障害コースも何のそのです。スウェナちゃんと私は障害コースよりも外へ散歩に行きたくて…。
「外へ行くのかい? じゃあ、ぼくも一緒に行こうかな」
やった、会長さんが来てくれますよ! それも白馬で。
「かみお~ん♪ ぼくも! ぼくも行きたい!」
ポニーに乗った「そるじゃぁ・ぶるぅ」も行くと言うので、私たちはクラブのスタッフさんをお供に出発することに。…えっ、どうしてお供が必要なのかって? 馬は生き物ですからねえ…。おまけに馬用の公衆トイレはありませんから、公道とかを汚さないよう掃除係が要るんですって! それでも散歩は素敵でした。
「おーい、そっちはどうだった?」
クラブに戻るとジョミー君が大きく手を振っています。男の子たちはマツカ君でも難しいという障害コースの最上級のに挑戦している真っ最中。前に会長さんが楽々走り抜けていたコースです。
「ふうん、ずいぶん自信がついたようだね」
ヒヨコのくせに生意気な、と鼻で笑っている会長さん。
「ぼくたちの散歩コースは最高だったよ。クラブの人が教えてくれたカフェのケーキも美味しかったし、あちこちで写真も撮られたし…。この別荘地の広報誌を出してる人にも頼まれてモデルをしたから、次の号あたりに載るのかな? 悪い気分はしないよね、うん」
モデルを務めた会長さんは住所と名前を訊かれてましたし、きっと広報誌を貰えるのでしょう。残念ながらスウェナちゃんと私と「そるじゃぁ・ぶるぅ」はお呼びではなく、会長さんだけが白樺並木と湖を背景にポーズを決めたり、白馬で疾走してたんですけど…。
「あんた、モデルをやってきたのか!?」
何処まで目立てば気が済むんだ、とキース君が呆れています。会長さんはそんな男の子たちに障害コースでの勝負を挑み、見事トップでゴールインして…。
「付け焼刃の君たち如きには負けやしないさ。もっとも、その付け焼刃の腕前すらもジョミーがサボれば消滅ってね。嫌ならキッチリ監視したまえ。滞在中にジョミーが一度もサボらなければ本物になるさ」
御褒美としてプレゼント、と会長さんが約束をしたものですから、男の子たちは結束を固め、ジョミー君を和室へ連行するのが習慣に。とはいえ、ジョミー君だって乗馬の技術は欲しいのですから、逃亡したりはしませんけどね。
乗馬クラブに、湖でのボートに、初心者向けのトレッキング。山の別荘ライフは快適に過ぎて、明後日の朝にはアルテメシアへ帰るという日の夜のことです。いつものように棚経の練習を終えたジョミー君が、暖炉のある広間で声を潜めて。
「…あのさ…。これって、来る前に調べて来たんだけどさ…」
「なんだ? 勿体つけずにさっさと言え!」
キース君が先を促すと、ジョミー君は。
「……心霊スポットがあるらしいんだよ」
「「「はあ?」」」
なんじゃそりゃ、と私たちは大きく仰け反りました。平穏極まりない別荘地の何処に心霊スポットがあるんですって? そんな噂すら聞きませんけど…。
「あ、別荘地の中ってわけじゃないんだ。えっとね、車で向こうのトンネルを抜けて、隣の村になるんだけれど」
「なんでそんなのを知っているんだ?」
胡乱な目をするキース君に、ジョミー君は「夏といえば怪談が定番だから」と澄ました顔で。
「この近くにも何か無いのかなぁ…って調べていたら見付かったわけ。ちょっと半端じゃないらしくって、心霊写真がバンバン撮れて、心霊体験も山ほどあるって」
「…まさか行く気じゃないだろうな?」
「えっ、行かないでどうするのさ? サムは霊感バッチリなんだし、キースはプロのお坊さんだし、ブルーは無敵の高僧だし! それでも何か起こるのかどうか、行ってみたいと思わない?」
好奇心の塊と化したジョミー君には自分も僧侶の端くれである、という自覚は全くありませんでした。供養しに行こうと言うならともかく、物見遊山はマズイんじゃあ…。案の定、黙って聞いていた会長さんが。
「行ってもいいけど、ぼくは責任持たないよ? 正確に言うと、ぼくが行ったら出るものも出ない。端から成仏させちゃうからね。…それは心霊スポット見物じゃないし、ぼくは入口で待機してるさ」
「入口で待機?」
「そう、君たちのお手並み拝見。キースは本職、君とサムも棚経の稽古でそこそこのお経は読める筈だ。心霊現象の十や二十は自力で解決してくるんだね。…どうにも出来ませんでした、っていう分だけを成仏させよう」
ホントは行かないのが一番だけど、と会長さん。会長さんはジョミー君の心を読んだらしくて、そのスポットがどういう場所かをキッチリ把握したようです。
「山の中腹にお寺があるんだろう? でもって、そこまでの道が心霊スポット。この地方で亡くなった人の霊はそこの山からお浄土に行く。…成仏出来なかった人が山道に大勢いるってわけだ」
「「「………」」」
それは怖い、と背筋が寒くなったのですけど、夏はやっぱり怪談ですよね。何かあっても最終的には会長さんが助けてくれるわけなんですから、山の別荘での思い出作りにチャレンジするのも一興かも…。
別荘ライフで気分が盛り上がり、ナチュラルハイな状態だった私たち。普段なら心霊スポット行きを止めるであろうキース君までが腕試しになると思い込んでしまい、翌日、ジョミー君の朝の読経と朝食が終わるとマイクロバスを出して貰って隣村へと出発です。別荘地の外れから長いトンネルを抜けると小さな村が…。
「はい、到着。頑張って行ってくるんだね」
ぶるぅとバスで待っているから、と会長さん。オバケが苦手な「そるじゃぁ・ぶるぅ」は会長さんの隣で震えています。
「大丈夫だよ、ぶるぅ。誰かが背負ってこない限りは結界から出ては来ないから! 一応、あそこに結界石が」
登山道の両脇に苔むした石碑が建っていました。つまりその先が心霊スポット、無法地帯というわけです。その割に立派な駐車場があったりするのは、亡くなった人の供養に卒塔婆を背負って上のお寺まで届けに行くという風習が今も残っているからだそうで…。
「お寺参りをする人のために、お助け杖も置いてあるだろ? かなり険しい山道と石段が続くようだし、足に自信が無いんだったら借りて行くのもいいと思うよ」
確かに『お助け杖』と書かれた杖が何本も置かれています。借りようかな、とも思いましたが、心霊スポットの備品を借りるというのも薄気味悪く…。
「じゃあ、出発! 行ってきまぁーす!」
やる気満々のジョミー君を先頭にして私たちは登山を開始しました。山道は所々で石段に変わり、道の脇には石仏や石塔が。おまけに大木が鬱蒼と茂って、いい天気なのに薄暗く…。
「おい、本当に出るのかよ?」
見えねえぞ、とサム君が言い、キース君も特に感じる所は無い様子。雰囲気だけは満点ですけど、普通の山道と変わらないんじゃあ…?
「騙されたかもしれないな…。あいつだったらやりかねないぞ」
キース君が溜息をつき、ジョミー君が。
「ええっ? それじゃガセネタだったわけ?」
「そういうのは大抵ガセなんだ。そう簡単に本物は無い。…くそっ、こんなオチなら乗馬クラブに行けば良かった」
そっちの方が実りがあった、とキース君は残念そうです。誰もが同じ思いでしたが、だからと言って心霊スポットとやらを踏破しもせずに山を下るのも悔しいですし…。
「此処まで来たんだ、寺にお参りして帰ろうぜ。あいつに笑われたくはないしな」
それだけは避けたい、とキース君が拳を握り、私たちはお寺を目指して登山を続行。やっとのことで辿り着いたお寺の本堂の前でお賽銭を入れ、お参りをして、さあ、帰ろう…とした時です。
「あれ? あんな所に鐘があるんだ」
撞いてこよう、とジョミー君が走って行って…。
「おい、ジョミー!」
撞くな、とキース君が止める暇も無くゴーンと鐘の音が響き渡りました。
「馬鹿野郎! 戻り鐘なんか撞きやがって!」
「何、それ?」
「寺参りの鐘はお参りの前しか撞かないんだ! 出る前に撞くのは葬式の列が出る時だけで!」
「え…?」
そうだったの? とジョミー君がキョトンとしている所へ、お寺から老僧が現れて…。
「お参りですかな? ご苦労様です。ああ、振り向いていいのは此処までですぞ」
「「「???」」」
「山門の手前に赤い橋がございましたでしょう? あれを極楽橋と言いましてな。そこから先の帰り道では、下の結界の石を抜けるまで決して後ろを向かれませんよう…。振り向くと帰りたい霊を背負って降りると言われております。…では、お気を付けて」
「「「………」」」
私たちは顔面蒼白でした。ガセだと信じて登って来たのに、思い切りマジネタっぽいじゃないですか! しかも振り返ると背負うだなんて…。
「…お、おい、ジョミー…」
サム君の声が震えています。
「も、門の所に…。山門の外に、なんか山ほど…。みんなお前を見てるんだけど…」
「ちょ、サム、マジで?」
冗談はやめてよ、と叫んだジョミー君にキース君が。
「戻り鐘だ…。あれで期待を掛けられたんだ、お前が連れて帰ってくれると…」
「「「ぎゃーっ!!!」」」
それから後は何が何だか、誰も覚えていませんでした。とにかく自分が大事です。後ろを決して振り返らずに、前だけを見て必死の山道。転がるように走り下って、結界石の向こうの明るい駐車場にスックと立った会長さんの緋色の衣が眩しくて…。
「…結局、三人とも、まだまだってことさ」
修行が足りない、と可笑しそうに笑い続ける会長さん。いつの間に衣に着替えたのかは謎ですけれど、助けられたのは確かです。心霊スポットを嘗めてかかったジョミー君は更なる修行を約束させられ、サム君とキース君は自発的に研鑽を積もうと決意を新たに。まずはお盆の棚経だそうで…。
「棚経でお迎えする霊がどんな人なのか、それも分からない間は駄目なんだよね。きちんと相手が見えていないと話も通じず、どうにもならない」
迷っている霊を成仏させるなど夢のまた夢、と会長さんはピシャリと言い切りました。山の別荘での最後のイベントは夏の定番のお楽しみから仏道修行の一過程へと変身を遂げたみたいです。ジョミー君には気の毒ですけど、自業自得ってこのことですよね…?
会長さんの阿漕な出店がボロ儲けをした翌日からは夏休み。私たちは早速、夏休みの計画を立てに「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお部屋に来ていました。会長さんの家に行ってもいいのですけど、夏休み初日は毎年この部屋で話し合うのが恒例です。
「キースたちは明後日から合宿に行くんだったよね?」
手帳を見ながらチェックしている会長さん。
「ハーレイのワンフィンガーも無事に誤魔化せそうだし、何の問題も無さそうで良かったよ」
「…本当に大丈夫なんだろうな?」
キース君が念を押したくなるのも分かります。教頭先生の紅白縞に隠された大事な部分には指の幅一本分しか毛がありません。脛や脇の毛は少し伸びたかもですけど、剃られて間もないワンフィンガーはまだまだ人目には晒せそうもなく…。
「大丈夫な筈だよ、本人も度々確認してるしね。ゼルを誘って銭湯に行ったり、一人で銭湯巡りとかさ。…とりあえず変な目で見られてないから問題無いっていうことで」
「銭湯か…。確かにハッキリしそうだよな」
露骨に目をそらされてしまうとか、とキース君は納得しています。教頭先生のワンフィンガー限定のサイオニック・ドリームはちゃんと身についているようでした。冷静に考えてみれば情けないサイオンの使い方ですが…。
「えっ、そうかな? 三百年以上もサイオニック・ドリームとは無縁で来たハーレイが操ってるってだけで凄いという気がするけれど?」
会長さんの言葉でアッと口を押さえたのは私一人ではなく、ホッと一息。みんな考える所は似ているみたいで安心です。それはともかく、キース君たちが合宿にお出掛けということは…。
「柔道部の合宿は例年通りに一週間だし、サムとジョミーも毎年お決まりのコースでいいよね?」
ニッコリ微笑む会長さん。
「璃慕恩院では今年も夏の修行体験ツアーの参加者を絶賛募集中! 璃慕恩院の老師の方から早くに電話が来てたんだ。サムとジョミーは来るんじゃろうな、って」
「うえ~…。今年も行くの?」
辟易した様子のジョミー君に会長さんは「決まってるだろう」と冷たい口調。
「喉元過ぎれば熱さ忘れるとはよく言うけれど、君の場合は喉元どころか唇かもね。出家したのが去年の秋で、ぼくの直弟子として登録されたのが春のお彼岸だった筈だよ。…春のお彼岸には元老寺に行って色々お手伝いをしていたのにさ」
「あ、あれは……あれは不可抗力っていうヤツで!」
「君がどう言おうと、ぼくの直弟子になった事実は変わらない。ぼくが破門だと言わない限りは逃亡は不可能だと思いたまえ。そして師僧としての命令だ。この夏も璃慕恩院で仏弟子として修行を積むこと!」
師僧の命令は絶対だ、と告げる会長さんの横からサム君が。
「諦めろよ、ジョミー。お師僧さんのお言葉は絶対だぜ? 何があっても逆らえないんだ」
「そ、そうなの?」
「おう! お師僧さんが白いと仰ったらカラスも白いのが坊主の世界。お前、普段は自由にさせて貰ってるんだし、夏休みくらいは真面目にやれって」
「自由にって…何処が?」
覚えが無いよ、とジョミー君が返すとキース君が鋭い視線でギロリと睨んで。
「ならば聞かせて貰うがな…。お前、一度でも朝のお勤めに行ったのか? サムは熱心に通っているのに一度も行っていないだろう! 朝は眠いとか、ブルーの家まで遠いとか言って!」
「だ、だって…。ホントに早起き出来ないんだから仕方ないだろ! ブルーも何も言わないし…」
「それを自由にさせて貰っていると言うんだ! 俺なんか実の親でも本当に容赦無かったぞ」
朝は早起きして朝のお勤めに境内の掃除、とキース君。坊主頭が似合わないと気付いて反抗し始めるまでは、小さい頃から真面目に小僧さん生活をしていたそうです。アドス和尚もビシバシしごいていたらしく…。
「境内の掃除は専属の人がちゃんといるんだ。それでも一緒に掃除してこい、と冬の朝でも叩き出された。雪が積もった朝は嬉しかったな、境内全部を掃除しなくて済むからな」
「「「…境内全部…」」」
それはスゴイ、と尊敬の眼差しを送る私たち。子供の頃から頑張ったからこそ今のキース君があるわけで…。
「まあ、子供が掃除をすると言っても大人には敵わないんだが…。俺が掃除した後を大人がきちんと掃除しないと見られたものではなかったんだが、親父は本当に厳しかった。ジョミーはその頃の俺より大きいんだ。朝のお勤めくらいしなくてどうする!」
「で、でも…。好きでお坊さんになったわけじゃないし!」
悪あがきをするジョミー君でしたが、会長さんがスッと巻紙を差し出して。
「修行体験が嫌だと言うなら、これに紹介状を書く。宛先は……誰がいいかな、少人数でやってるお寺の方が目が行き届いていい感じかな? ひと夏預かってやって下さい、と書けば一発」
「え? ええっ?」
「ぼくの直弟子を仕込んで下さい、って書くんだよ。どうも覚えが悪くって、と書き添えておけば完璧だね。そっちのコースを希望する? それとも一週間だけサムと一緒に璃慕恩院に…」
「璃慕恩院に行く!」
ジョミー君は即答しました。夏休み中ずっと知らないお寺で修行よりかは一週間の璃慕恩院行きを選んだ方がお得です。明後日から柔道部三人組は合宿、ジョミー君とサム君は璃慕恩院。お馴染みのコースの始まりですよ~!
男の子たちが柔道部と璃慕恩院の二手に分かれて旅立った後、留守番組はのんびり夏休み。フィシスさんも一緒にプールに出掛けたり、会長さんの家で男の子たちの様子を覗き見したり。柔道部の方では教頭先生がサイオニック・ドリームを頑張っているのも分かりました。そうやって一週間が経ち…。
「かみお~ん♪ お帰りなさ~い!」
元気一杯の「そるじゃぁ・ぶるぅ」の声が会長さんの家に響いて、男の子たちのお帰りです。去年まではシャングリラ学園の「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお部屋で出迎えていましたが、今年はこっち。何かと気楽で話しやすいというのが理由です。だって、ワンフィンガーとか…ねえ…?
「で、ハーレイはどうだった?」
覗き見をして知っているくせにワクワクしている会長さん。スウェナちゃんと私に届いた思念波によると「四六時中見ているわけではないから」らしいのですけど。
「教頭先生は平常心でいらっしゃったぞ。合宿の風呂もいつもどおりだ」
普段から鍛錬を積んでおられるだけのことはある、とキース君が言えば、会長さんは。
「どうだかねえ…。たまに夜中に飛び起きていたみたいだよ。サイオニック・ドリームを発動させるのを忘れてお風呂に入った夢を見て…さ。柔道部員に点目で見られて愕然とするヤツと笑われるヤツの二通り」
「あんた、覗き見していたな!」
「うん。ハーレイがお風呂に行く前に部屋の鏡に向かって気合を入れるの、そこの子たちも一回見たさ。もちろん、ぶるぅの中継で」
「くそっ、あんたというヤツは…!」
何処まで性根が腐ってるんだ、とキース君は呻いています。私たちの名誉のために付け加えると、中継で見せて貰った教頭先生は後ろ姿で、お尻しか見えなかったのですけど…。教頭先生、紅白縞を下ろして鏡を眺めていたのです。鏡にはワンフィンガーな姿が映っていたのか、誤魔化した姿が映っていたのか、それも身体の陰で見えなくて…。
「いいじゃないか。ハーレイのワンフィンガーは、このメンバーには周知の事実! せっせと育毛剤を塗っているけど、夏休みの間に何処まで伸びるか…。本来は頭に使う薬を変な所に使ってるのは笑えるね。普通は脱毛したい場所だろ?」
会長さんはクスクス笑って合宿中の教頭先生の姿を思念波で私たちに送って来ました。育毛剤の瓶をしっかり握って布団の上で屈み込んでいる所です。電灯が真上にあるので大事な部分は真っ暗ですが。
「夜な夜な、こんな感じで育毛中! もう合宿も終わったからね、一日に三回くらいは塗るんじゃないかと思ってる。朝昼晩の毎食後とかさ。…育毛剤の使い方ってヤツは知らないけれど」
ぼくには無縁のモノだから、と笑い飛ばしてから、会長さんはジョミー君とサム君の方に向き直って。
「ところで、そっちはどうだったのかな? 文字通り育毛剤とは無縁の世界に生きている先輩たちにビシバシしごいて貰ったかい?」
「…いきなりジョミって呼ばれたし!」
ジョミー君は仏頂面でした。
「サムはそのまんまサムだったのに、ぼくだけジョミだし!」
その言葉を受けてブッと吹き出すキース君。
「お前、法名で行ったのか! そいつはいいな、さぞ可愛がって貰えただろう」
「笑い事じゃないよ! 名簿が配られたら徐未って書いてあるし、一緒に参加した本物のお寺の息子さんたちから何処のお寺の跡継ぎなのかって訊かれるし!」
「なるほどな。それで何と答えてきたんだ?」
「違います、って言いたかったのに……なんでか知らないけど口が勝手に「元老寺の徒弟です」って!」
次の瞬間、広いリビングの中は爆笑の渦。どうやら会長さんがサイオンで操っていたらしいのです。意識の下の情報を操作し、ある種の質問をされた時にはそういう答えが出てくるように。
「…げ、元老寺の徒弟って…」
それって見習い弟子ってことですよね、とシロエ君が笑い転げています。会長さんが思念波で一瞬にして送ってくれた情報の中には徒弟の意味も含まれていて、もう誰もかもが可笑しさに涙を流していたり…。サム君の方は法名で登録されていなかったそうで、ジョミー君の友達とだけ認識されていたのだとか。
「酷いよ、お坊さんの修行をしてるのは本当はサムの方なのに! サムは「在家の人なのに凄いよな」って褒めて貰えて、ぼくは「お前、将来苦労するぞ」って!」
ジョミー君は危うく同年代のお寺の跡継ぎ集団に仲間入りさせられる所だったと泣きの涙で語っています。携帯が持ち込み禁止だったお蔭で逃げられたものの、そうでなければアドレス交換は免れなかったと。
「せっかくだから解散式の後で交換してくれば良かったのに…」
勿体無いよ、と会長さんが言っていますが、ジョミー君にとっては望まぬ付き合い。うっかりメーリングリストでも出来ようものなら、将来の道場入りに向かって一直線に決まっています。君子危うきに近寄らず。逃げ帰って来て正解ですって!
さて、男の子たちの合宿と修行体験も一件落着、これからは楽しい夏休み! 宿題の無い特別生には遊び放題の日々の始まりです。今年は何処で何をしようか、それを決めに集まっているわけですけど…。
「山! 久しぶりに山がいいなぁ」
ジョミー君が意気込んで提案しました。
「入学した年にマツカの家の山の別荘に行ったでしょ? あれっきり山には行けていないし、別荘の都合がつくんだったら絶対、山!」
「なるほど。山の別荘か…」
そんなのもあったね、と会長さんが腕組みをして。
「マツカの意見はどうなのかな? 別荘にお客様をお招きすることも多いだろう。ぼくたちが行って御迷惑をかけても悪いしね」
「えっと、この夏は特に長期の御滞在は無かったと思うんですけど…。ちょっと確認してみます」
マツカ君は携帯を取り出し、執事さんと話し合ってから。
「全く問題ないそうです。この夏のお客様へのおもてなしはクルーズなんで、別荘の方は山も海のも殆どおいでにならないようで…。いつでもどうぞ、と言ってました」
「へえ…。クルーズって、豪華客船貸し切りとか?」
サム君が尋ねると、マツカ君は。
「ええ。せっかくの夏ですからね、世界一周とまではいかないものの、かなり長期になるようですよ。あちこちの寄港地でお客様を乗せたり、下ろしたり…。ヘリでおいでになる方もいらっしゃるとか」
「うっわ…。なんだか世界が違うね」
まるで想像もつかないよ、とジョミー君が目を白黒とさせています。マツカ君の話によると船の中には幾つものレストランにプールにカジノ、映画館やダンスホールやフィットネスクラブも完備だそうで。しかもマツカ君の御両親が招いたお客様しか乗りませんから、クルーの方が多いのですって!
「それって、いつかぼくたちでも乗せて貰えるのかな?」
ジョミー君の期待に溢れた瞳は私たちの総意でした。歳を取らない長い人生、一度くらいは豪華クルーズもしてみたいです。マツカ君はニッコリ笑って…。
「ぼくが父の手伝いとして間に合うようになったら、お招きさせて頂きますよ。招待の基本は「お友達」ですし、その内に」
「いいねえ、ぼくも楽しみだな。ソルジャーの肩書でゴリ押ししたら今でも乗せて貰えそうだけど」
だけど一人じゃつまらない、と会長さん。多分ソルジャーとして乗り込むのなら「そるじゃぁ・ぶるぅ」も行けるのでしょうが、大人の中に二人だけでは確かに面白くないですよね。
「じゃあ、会長もみなさんも、いずれ御招待させて頂きますね。ところで山の別荘ですけど、いつからお出掛けになりますか?」
「うーんと…。すぐにでも、って思ってたけど…」
大事な用事があったんだっけ、と会長さんが人差し指を顎に当てました。
「マツカが一人前になったら豪華クルーズに御招待、って話で思い出したんだ。…キース、副住職の就任許可が下りたんだって?」
「な、なんであんたが知っている!?」
「ほら、ぼくは璃慕恩院の老師とツーカーだから。夏はお盆で慌ただしいし、秋はお彼岸でドタバタするし…。それが済んだら就任式をするんじゃないかと思ってさ」
「…ま、まあ…。許可は下りると踏んでいたから、親父が根回ししてはいた。法事を全て断る予定の日は決まっている」
わわっ、ついにキース君が副住職に就任ですか! それはおめでたい話ですけど、山の別荘とどう繋がると? 私たちが首を傾げていると、会長さんが。
「分からないかな、キースは秋には副住職になるんだよ? 檀家さんへの顔繋ぎなんかも今まで以上に重要になる。だからお盆は頑張らないと」
「「「お盆…?」」」
お盆と言えば墓回向。初めてキース君の家にお邪魔した時にもアドス和尚が日盛りの墓地で墓回向中で、キース君がお手伝いに行きましたっけ。あれを一人で頑張るのかな、と思ったのですが…。
「違うよ、お盆で大切なのは棚経と法要なんだってば。墓回向は檀家さんが都合のいい時にお参りに来るのをフォローしてればそれでいいけど、棚経の方はそうはいかない。お盆の初日に全部の檀家を回り切るのが理想だね。…檀家さんが多いと二日間になることもあるけどさ」
「棚経ですか…」
ぼくの家には来ませんね、とシロエ君が言い、私たちも頷きました。そもそも家にお仏壇というのがありません。お坊さんもお寺も縁のない生活をしているわけです。たまーに、お彼岸のお墓参りに行くだけで…。
「まあ、棚経は月参りと同じで、直接家でお祭りしている御先祖様がいらっしゃらない家には行かないしね。御先祖様の供養にお経を読んで、お位牌の戒名を端から読み上げて…。月参りと違うのは全部の家に分け隔てなくお参りに行くって所かな。月参りは御命日にだけ行くものだから」
会長さんの説明によると、棚経というのは「お盆の間、出来れば初日に」御先祖様の霊にお唱えするお経だそうです。檀家さんを全部回るのですから、並大抵のことではないらしく。
「元老寺は檀家さんが多いからねえ、一番最初にお参りする家に到着するのは朝6時! そこから延々回り続けて、お昼御飯もお茶漬けをかき込んで、次に出発。最後の棚経が終わる時間って何時だっけ?」
会長さんの問いに応えてキース君が。
「夕方の五時過ぎって所だな。…今年はもう少し早く終わるかと」
「君が何軒かを引き受けるからってことだよね? 普段から顔馴染みの御近所の分を」
「ああ。…だが、それがどうかしたか?」
住職の位を取ったからには一人で棚経に行くのは当然だ、とキース君。月参りだって一人で行くことがあったのですから別に不思議じゃありませんけど、大変そうなのは確かです。だってお参りに回る家の数が多いんですし…。
「キース、君に折り入ってお願いがある」
会長さんが姿勢を正しました。
「アドス和尚にも頼んでおくけど、サムとジョミーを棚経のお供に連れてってやって欲しいんだよね」
「「「えぇぇっ!?」」」
私たちの声が見事に引っくり返り、ジョミー君の顔は引き攣っています。た、棚経のお供って…。それって一体、何をするわけ…?
会長さんの申し出にキース君は目が点でした。しかし仏道修行と柔道部で鍛えた精神力はダテではなかったようで、一分間ほどの沈黙の後に。
「…そういえば前にそんな話をしていたか…。初詣デビューと春のお彼岸も手伝ったからには次はお盆の棚経だ、とな」
「うん。思い出してくれて嬉しいよ。お坊さんが三人も一度にお邪魔したんじゃ檀家さんもビックリしちゃうし、アドス和尚と君とに一人ずつお供を付けて欲しいな。…君だって最初はお父さんと一緒に回ってただろう」
「それはそうだが…。あれは檀家さんに顔を覚えて頂くためと、お参りする家の場所と仏壇の場所を覚えるためでもあったわけで…」
「でも、一番の目的は場の雰囲気に慣れておくことと、お経に馴染むことだよね? 出家したての子供の頃からお父さんと一緒に行ってた筈だよ。それくらい、ぼくが知らないとでも?」
心を読むのは簡単なんだ、と会長さんが片目を瞑ればキース君は。
「…分かった。要するにサムとジョミーにも慣れさせておけ、と言うんだな。二人とも既に出家してるし、連れて行くのに問題は無い。だが、それなりの作法は覚えて貰うぞ。小さな子供とは訳が違うからな」
キース君にギロリと睨まれ、ジョミー君が竦み上がりました。
「ええっ? た、棚経なんて知らないよ! 見たことも無いし、どうすればいいのか分からないし!」
「その辺の事情はサムも同じだ。だが、サムの方はブルーの家で朝のお勤めをやっているから少し仕込めば形になる。問題はお前の方なんだが…」
どうするか、と溜息をつくキース君。
「なにしろ暑さが半端じゃない。暑いからと言って衣の下に冷却シートは許されないぞ。ついでに汗もアウトだな。檀家さんが用意して下さっている扇風機やクーラーを有難くお受けし、涼しい顔でお勤めしてこそ棚経を喜んで頂けるんだ。御高齢の方になると扇風機も無しで団扇で煽いで下さる家もある」
「う、団扇って…。たったそれだけ?」
「それだけだ。そして棚経は数をこなさなくてはいけないからな、お茶やお菓子を頂戴している暇はない。お参りが終わったら直ちに失礼させて頂いて、次の家へと走ることになる」
「は、走る…?」
それって譬えというヤツだよね、とジョミー君は訊いたのですが。
「甘いな。文字通り走るんだ。親父の場合はスクーターだが、俺は昔から自転車だ。安心しろ、お前とサムも自転車の持ち込みは許してやる」
「「自転車…?」」
サム君とジョミー君がポカンと口を開けました。ただでも着なれない法衣を纏って自転車ですか! しかもアドス和尚と組まされた方はスクーターに負けない速度でペダルを漕いで走るんですか…。
「まずは法衣で自転車に乗る練習からだな。慣れないと一発で着崩れてしまうし、そんな姿で棚経に行くなど許されない。二人とも、明日から特訓だ! 自転車を持って俺の家に来い」
「そ、そんなぁ…。なんでせっかくの夏休みに!」
涙目になるジョミー君。けれど会長さんが鋭い口調で。
「夏休みを心置きなく楽しみたければ、棚経の練習をしておくんだね。山の別荘だけでいいと言うなら構わないけど、海の別荘にも行きたいんだろう? 両方こなすなら、二つの旅の間あたりがお盆になるんだ」
「「「………」」」
えらいことになった、と私たちは冷や汗ですけど、山の別荘にも海の別荘にもお邪魔したいのが本音です。ジョミー君たちが無事に棚経を終えてくれれば海の別荘への道が開けるとあれば、ここは一発、犠牲になって貰うしか…。火元になった会長さんは壁のカレンダーを指差して。
「山の別荘に出掛ける前に自転車はクリアして貰おうか。…元老寺の境内は広いからねえ、練習するには丁度いいさ。時期的にお墓参りに来る人もあるし、墓回向の方も見ておくといい。それとお経の稽古だね。…最低限のヤツは頼むよ、キース」
「承知した。流石に陀羅尼は教えられんが、朝のお勤めと共通の分にプラスアルファで仕込んでやろう。…それで、山の別荘へはいつ行くんだ?」
「うーんと…。みんな、基本は暇だよね? ここだけはダメっていう日はあるかい?」
そんな日は誰もありませんでした。習い事はしていませんし、夏期講習も塾も無関係。柔道部は部活がありますけれど、特別生の生活が長くなった今、練習は出ても出なくても同じ。ですから予定はトントン拍子に纏まって…。
「じゃあ、五日後に出発ってことで。マツカは別荘の手配を頼むよ」
仕切りまくっている会長さんにマツカ君が頷き、執事さんに電車の切符の手配なんかを頼んでいます。繁忙期なのに数日前でも席が取れるのが凄いですけど、グリーン車で貸し切りと聞けば納得ですよね。豪華客船でクルーズが夏のおもてなしという家なんですから、それくらいのことは朝飯前!
翌日からジョミー君とサム君の棚経修行が元老寺で開始されました。棚経に修行も何も…、という気はしますが、二人とも会長さんの直弟子である以上、「見栄えが大切」らしいのです。修行する二人と指導係のキース君以外には無関係な四日間の強化合宿ならぬ強化訓練。でも、見たい気持ちは止められません。
『かみお~ん♪ みんな、準備はいい?』
家でのんびり寝坊してから朝食を食べ、クーラーの効いた部屋で漫画を読みつつダラダラしていた私の頭に「そるじゃぁ・ぶるぅ」の思念が元気よく。
『用意できてるみたいだったら、元老寺まで飛ぶからね! あ、シロエがまだかな?』
シロエ君は趣味の機械弄りをしていたらしくて、キリがいい所までやってしまわないと後が大変なのだそうです。待ち時間の間に持っていくバッグの中身を再確認し、それから会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」の青いサイオンに包まれて…。
「はい、到着~!」
移動した先は真夏の日差しの照り返しが眩しい元老寺の境内のド真ん中でした。そんな所へ瞬間移動で出現しちゃって大丈夫なのかって? そこが会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」のサイオンの技の見せどころ。お墓参りのついでに本堂の方にも寄って来たらしい人が何人かいますが、全く気にしていないようです。それよりも…。
「どっちかと言えば、あっちの方が目立つと思うね。この状況じゃ」
会長さんの視線の先には自転車が二台。境内に敷かれた石畳の通路は檀家さんの通り道と決まっているので、砂利が敷き詰められた所をガタガタ揺れながら走行中です。
「こらっ、衣の裾を乱すな! ペダルはもっと静かに漕ぐんだ!」
「で、で、でも…。ゆっくり漕いだら安定が…。わわぁっ!」
キース君の怒号に続いてジョミー君の悲鳴が境内に響き、自転車の片方が転倒しました。放り出されたジョミー君は自転車の下敷きになってしまった上に、衣の袖がハンドルに絡んで起き上がれそうもありません。棚経の修行は自転車からとは聞きましたけど、これはなんともハードそうです。
「…頑張れとしか言えないよね、もう」
衣も自転車も慣れるしか無い、と笑って見ている会長さん。墨染めの衣に輪袈裟のジョミー君とサム君、山の別荘への出発までに華麗な走りを披露できるようになるんでしょうか…?
夏休みを控えた教頭先生の悩みは会長さんの悪戯心で剃られてしまった大事な無駄毛。柔道部の合宿で部員たちと一緒にお風呂に入るのが伝統らしいのですけど、それも躊躇われるほどの恐ろしい秘密が紅白縞の下に…。会長さん曰く、ツーフィンガー。指二本分だけの幅を残して剃り落とされた無駄毛です。
「良かったよねえ、ブルーのお蔭で悩みが綺麗に無くなってさ」
会長さんが蒸し返した話題に「またか…」と頭を抱えたくなる私たち。五日間の期末試験が無事に終わって、今は打ち上げパーティーの真っ最中。教頭先生に貰ったお金でお気に入りの焼肉店に来ています。いつもより軍資金が多めとあって会長さんは上機嫌。
「ハーレイが奮発してくれたのは悩みが消えたからだろう? 助かったって言っていたしね。…ブルーも御礼を貰ったらしいよ」
「「「え?」」」
いつの間に、と私たちはビックリ仰天。ソルジャーが教頭先生にサイオン・バーストを起こさせ、ツーフィンガーを誤魔化すためのサイオニック・ドリームを使えるようにして貰ったのは見ていました。けれどその後、教頭先生は会長さんとソルジャーにサイオンで診察台に縛り付けられ、エロドクターに毛を剃られ…。
「もしかして御礼どころじゃないって思ってる? ワンフィンガーにされちゃったから」
「当たり前だろう!」
キース君が声を荒げました。
「ただでも悩んでらっしゃったのに、更に酷いことをしやがって! サイオニック・ドリームが出来なかったらどうするんだ!」
「それが出来ると分かってるからオシャレに処理してくれたんじゃないか、ノルディはね。…個人的にはノルディと結託したくはないけど、ああいう悪戯は大好きだな」
少しノルディを見直したよ、と会長さん。エロに走らないエロドクターは案外面白いヤツかもしれない、と思ったそうです。私たちも際どいネタながら笑いが止まりませんでしたけど、キース君はしみじみ後悔しているようで…。
「俺は猛省してるんだ。どうしてあの時、何もせずにボーッとしてたのか…とな。教頭先生には御恩があるのに」
「ふうん? それを言うなら普段はどうだい? ぼくがハーレイをオモチャにするのは毎度のことだよ。ハイレグ水着を着せた時だって君は爆笑してたじゃないか」
会長さんに鋭く突っ込まれたキース君は。
「う…。そ、それはだな…」
「自由時間と柔道部の部活中とは違うって? そんな所で公私を分けても意味無いさ。人生、笑ってなんぼなんだよ。笑う門には福来る! ワンフィンガーも笑っておけば問題ない、ない」
ただし合宿中のお風呂の時間は笑わないように気をつけて、と会長さん。キース君も大先輩で高僧でもある会長さんから人生訓を説かれてしまうと逆らえません。
「そういうものか…。まあ、表面上は解決したんだし、ここは吉だと思っておくか」
「うん。ハーレイ自身がそう言ってるんだ、君も良心が咎めるんならワンフィンガーは忘れるんだね」
口では言いつつ、会長さんがやらかしたことは指を一本立てること。私たちは堪らず吹き出し、個室に敷かれた畳を叩いて笑い転げて…。指一本と言えばワンフィンガー! 教頭先生のツーフィンガーをワンフィンガーに剃り上げたエロドクターは仕上がりを披露してくれたのです。大事な所にはタオルをかけて…。
「ノルディはホントに器用だよね。外科が専門ってだけのことはある。あれなら看護師さんが一人もいない野戦病院でも安心して手術を任せられるさ。…野戦病院は御免だけど」
「そこがあんたとあいつの違いか…」
キース君が「あいつ」と呼ぶのはソルジャーのこと。SD体制が敷かれたソルジャーの世界ではサイオンを持つ人間は異端です。ソルジャーにも人体実験の対象にされた過去があり、今現在も戦時中。野戦病院でも「あるだけマシ」というもので…。
「ブルーに比べれば、ぼくなんて…。同じソルジャーでも遊びみたいなものだしね。だからブルーが何をやらかそうが、笑って許そうと思うけど……これがなかなか」
難しくって、と苦笑している会長さん。それだけに、ソルジャーのせいでワンフィンガーにされたような形の教頭先生がソルジャーにも御礼を渡したというのが嬉しいようで。
「ほんのお小遣い程度だが受け取ってくれ、って言われたってさ。それなりの額ではあったみたいで、あっちのぶるぅと食事に行くって喜んでたよ」
おおっ、大食漢の「ぶるぅ」が満足できる食事となれば相当な量になるのは間違いなし。教頭先生、奮発なさったんですねえ…。今日の打ち上げの費用も多めでしたし、ワンフィンガーに乾杯かな? 未成年ですからアルコールは飲めませんけど、ここはジュースで!
打ち上げパーティーが済めば待っているのは終業式。夏の日差しが朝からカッと照り付ける中を登校すると、校門の所にジョミー君たちが集まっています。いったい何をしてるんでしょう?
「あ、来た、来た!」
ジョミー君が大きく手を振り、他のみんなも「早く来い」とばかりに手招きを。早足で校門の前まで行けば、シロエ君が校内を指差して。
「…今年は目覚ましらしいんですよ」
えっ、目覚まし? 何のことかと思うまでもなく、目に入ったのは目覚まし時計。デジタル式の目覚まし時計が通路の両側や植え込みの中にズラズラズラと…。
「去年は猫で今年は目覚まし。先生方のセンスはサッパリ分からん」
キース君が眉間に皺を寄せるのも無理はありませんでした。一学期の終業式の日に校内に並べられるモノは夏休みの生活を左右する大事なアイテム。シャングリラ学園名物の宿題免除がコレにかかっているのです。ズラリ並んだアイテムの中に宿題免除の特典が隠されていたりするのですから、決めているのは先生方で…。
「ぼくたちが入学した年は信楽焼の狸だったね」
懐かしそうにジョミー君が言うと、サム君が。
「でも次の年は何も無かったんじゃなかったか? 『冷やし中華はじめました』って書かれた旗を探してくれば良かっただけで」
そういえば…、と思い返してみる私たち。でも『冷やし中華はじめました』というセンスが既にブッ飛んでいます。おまけに翌年からは再びアイテムが並ぶようになり、今に至っているわけで。
「これってブルーはどうするのかな?」
首を傾げるジョミー君。
「宿題免除のアイテムを売ろうとするのか、見物なのか…。去年は売らない方だったよね」
「後になってから売れば良かったと後悔してたって話があるしな」
俺にも謎だ、とキース君が目覚まし時計を眺めながら。
「これがどういう仕掛けなのかが肝だろう。それとアイテムがどのくらいの数か、その辺で決まってくるんじゃないか? とにかく発表を待つしかないな」
「そうだね、終業式で発表だっけ」
とにかく教室に行ってみよう、と歩く途中にも目覚まし時計。四角い形とメタリックな外観は全部お揃いみたいです。ということは、入学した年の狸みたいに別バージョンの色のを探せば当たりとか? 信楽焼の狸の時は金なら1体、銀なら5体の狸を探して宿題免除の権利をゲット出来たんですけど…。
「うわぁ、教室の中にも目覚ましですよ」
マツカ君が声を上げ、私たちはロッカーの上や窓際などに並べ立てられた目覚まし時計に深い溜息。去年はピンクの猫でした。中に宿題免除の許可証を入れてあったのに、蓋を開けるための仕掛けにトラブルがあって大騒ぎ。今年は無事に済むんでしょうか?
「……爆発するんじゃないだろうな」
時計だしな、とキース君が指摘し、シロエ君が。
「それは勘弁して下さいよ! また会長に駆り出されそうな気がしてきました」
「あー…。シロエは得意だもんなぁ、そういうの」
頑張れよ、とサム君がシロエ君の肩を叩いた所で教室の前の扉がカラリと開いて。
「諸君、おはよう」
カツカツと靴音を響かせ、グレイブ先生が入って来ました。
「いよいよ明日から夏休みだが、私から諸君へのプレゼントだ。これが夏休みの宿題になる」
教卓にドカンと積み上げられたドリルやプリントの山に1年A組は阿鼻叫喚。上を下への大騒ぎですが、グレイブ先生は不愉快そうに。
「静粛に! もれなく宿題をプレゼントしたいというのが私の意見だ。だが、我が校には実に嘆かわしい制度がある。…終業式で発表されるアイテムをゲットした生徒は宿題免除になるのだよ」
「「「えぇっ!?」」」
まじで、と叫ぶクラスメイトたちにグレイブ先生はツイと眼鏡を押し上げると。
「嘘をついても仕方がない。果たして今年のアイテムは何か、聞き逃さないよう終業式では先生方の話に集中したまえ。…以上だ」
では行くぞ、と生徒を率いて講堂に向かうグレイブ先生。その道中にも目覚まし時計が鎮座しています。今年の宿題免除アイテム、爆発物でなければいいんですけど…。
講堂での終業式は校長先生の訓話で始まりました。いつもの長くて退屈な話です。その後は教頭先生から夏休み中の生活に関する注意があって、終わるとコホンと咳払い。
「さて、お待ちかねの宿題免除アイテムの発表だ。今年のアイテムは既に目にしていると思うが、校内に置かれた目覚まし時計に入っている」
おおっ、とどよめく全校生徒。やはり目覚まし時計でしたが、どうやってアイテムを入手するんでしょう? 時間以内に取り出さないと爆発するのが一番ありそうな感じですけど…。ワイワイ騒ぎ立てる生徒たちを教頭先生が両手をパンと叩いて鎮めると。
「目覚まし時計の中身は『宿題免除』と書かれた紙と『残念でした』と書かれたハズレの二種類だ。当たりはそれなりの数を用意してあるが、運だけでは手に入らない。諸君の努力も必要になる」
「「「???」」」
「目覚まし時計を手に取り、裏蓋を開けた時点でタイマーが作動する仕掛けだ。今は普通のデジタル式の時計になっているが、時計の代わりに残り時間が表示される。制限時間は十分間。その間にタイマーを解除できなかった場合は…」
講堂はシンと静まり返り、針が落ちても聞こえそうです。全校生徒が息を詰める中、教頭先生はいつもの優しい笑顔を見せて。
「愉快なオチになるらしい。裏蓋を開けると裏返しの紙が見えるそうだが、勿論そこそこ厚みがあるから当たりかどうかは分からない。そして制限時間が切れた時には別の仕掛けのスイッチが入り、時計が紙を食べる仕組みだ」
「「「えぇっ!?」」」
「食べると言っても正確には切り刻むだけなのだが…。切断された紙を繋ぎ合わせて提出しても宿題免除は認められない。とはいえ、それまでの努力が水の泡なのも気の毒だから、切り刻まれた部分が全体の三分の一に満たない場合は宿題免除の対象になる」
「「「………」」」
誰もが危機感を抱いているのが分かりました。まずは時計の確保からですが、当たりの時計を手にしたとしても気は抜けないというわけです。教頭先生は更に続けて。
「なお、タイマーの解除に失敗しても仕掛けは作動するそうだ。残り時間が何分あろうが関係無い。その代わり時計は充分な数がある。果敢に挑戦してみなさい」
うわあ、と悲鳴が上がっています。失敗しても宿題免除アイテムは切り刻まれてオシャカですか! けれど教頭先生は淡々と…。
「タイマーを解除する方法は簡単だ。裏蓋を開けると何種類かのコードが見える。それを正しい順序で切断していけばタイマーが止まる仕組みだな。ただし、どの時計でも切断順序が同じだということはない。知識があれば分かるそうだが、運だめしだと思って挑むといい」
「「「そ、そんなぁ…」」」
「以上で説明を終了する。アイテムゲットの制限時間は正午までだ。コードを切るための工具を講堂の出口で受け取り、目覚まし時計と戦うように。…なお、宿題免除は必要無い、という者は正午まで自由時間としておく」
健闘を祈る、と教頭先生がマイクをブラウ先生に渡し、ブラウ先生が。
「じゃあ、始めるよ。時間は今から正午まで! 工具の受け取りは押し合わないよう整然と!」
その声が終わらない内に生徒たちは講堂の出口に向かって全力でダッシュ。たちまち長蛇の列が出来上がり、早くしろと怒号が飛んでいます。えっと……私たちはどうすれば…?
「急ぐ必要は無いだろう」
キース君が落ち着いた声と表情で。
「特別生に宿題は関係ない。みんなの邪魔にならないように後でゆっくり出て行けばいいさ」
「だよね、関係ないもんね!」
宿題は無いし、とジョミー君が応じ、私たちはのんびりと高みの見物をしていたのですが。
『…そろそろ並んでくれないかな?』
いきなり頭に飛び込んで来たのは会長さんの思念波でした。
『今年の宿題免除アイテムゲットは相当ハードルが高そうだ。商売として成り立ちそうだし、工具を貰って欲しいんだよね』
「俺たちの分まで工具があるのか!?」
まさか、と声に出したキース君に会長さんの思念波が。
『シーッ! サイオンの存在は極秘だよ? 質問も思念波でお願いしたいな。でもって工具だけど、人数分を用意したらしい。ほら、験を担ぐ人っているだろう? 最後の一個は嫌だとかいうヤツ。だから数だけは足りているんで、せっかくだから貰ってきて』
他の生徒と同じ条件で戦おうよ、と会長さん。どうせ何処かでズルをするくせに…と誰もが思いましたが、大人しく従わないと恐ろしいのもまた事実。私たちは残り数人となった行列に並び、エラ先生とゼル先生が配布している工具セットを受け取りました。目ざまし時計のタイマー解除は私なんかには無理ですけどね…。
工具セットは思ったよりも小さく、コンパクトなもの。それを手にして向かった先は「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお部屋です。
「かみお~ん♪ いらっしゃい!」
「やあ。工具セットを貰って来たんだし、誰かチャレンジしてみないかい?」
ほら、と会長さんが指差したのはテーブルの上。校内から集めたらしい目覚まし時計がズラリと並べたてられています。あーあ、またしても当たりのヤツを端から失敬してきましたか…。
「えっ、全部が当たりというわけじゃないよ? とりあえずコレはハズレの時計だ。失敗したら何が起こるか見てみたいから持ってきた。…誰がやる?」
「おい、失敗が前提か?」
キース君の突っ込みに会長さんは。
「まあね。大抵の生徒は失敗すると踏んでいる。仕掛けを組んだのはゼルなんだ。今年は去年の失敗を踏まえて事前に全てチェック済み。ゼルのサイオンに仕掛けが左右される心配はない。…チェックはぼくがやったんだけど、仕掛けが動くのは見ていないから…」
見たいんだよ、と会長さん。大した野次馬根性ですが、宿題免除アイテムを食べる時計は私たちだって気になります。しかし、会長さんはゼル先生の残留思念で解除の手順が読めるらしくて、挑戦する気はないのだとか。そしてシロエ君はこういう仕掛けはお手の物。ということは…。
「俺か、ジョミーか、サムか、マツカか。…それとも女子が挑戦するか?」
どうするんだ、というキース君の問いに私たちは顔を見合わせ、視線はピタリとキース君へと。成績優秀なキース君ですけど、こういうモノは守備範囲外。
「お前がやれよ」
ニヤリと笑ったのはサム君です。
「一度くらいはシロエを勝たせてやりたいもんな。お前から一本取ってみせると誓って入学してから何年だ? 未だに実現してないんだろ?」
「勿論だ。俺は努力を怠っていない。簡単に抜かれてたまるものか」
「だったらシロエの得意な分野で勝負してみろよ、ひょっとしたらってこともあるぜ」
「運次第だということか…。分かった、やってみようじゃないか」
俺も男だ、とキース君は会長さんからハズレの時計を受け取りました。ソファに腰掛け、みんなが見守る中で裏蓋を開けた途端にカチッという音。タイマーが作動したようです。会長さんが「ちょっと見せて」と言い、キース君が時計を持ち上げるとデジタル時計の表示は残り時間に…。
「つまり十分切ったってことか。頑張りたまえ」
もう邪魔しない、と会長さん。時計はゼル先生の遊び心なのか、普通に時間を刻んでいた時はデジタル式に相応しく無音だったのに、今はチッチッと音を立てています。これは嫌でも焦りますよね。
「くそっ、こんなに配線が多くては…。俺の運にも限りがあるぞ」
キース君は二本のコードを無事に切ったものの、残りはまだまだ沢山あります。更に一本、二本と切った所でバチンと異質な音が響いて…。
「「「わわっ!?」」」
残ったコードが一斉に切れ、同時に時計の枠の一つが勝手に動き出しました。正確には枠にくっついた形で静止していたカッターのスイッチが入ったのです。配線の向こうに見えていた紙は今や剥き出しになっていますが、それをカッターの刃がガシガシと…。
「き、刻んでるよ! ホントに食べてる!」
面白すぎる、とジョミー君が言えばサム君が。
「力ずくで止めたら手が切れるよな。まさに流血の大惨事だぜ」
時計はアッと言う間に紙をすっかりズタズタに。キース君は三本の線をちゃんと切ったのに、どうして評価されないんでしょう? 私たちが首を捻ると、シロエ君が。
「正しい手順じゃなかったっていうことですね。キース先輩が切ったコードは一つ間違えるとカッターが作動するヤツだったんです。偶然が重なって三本までは切れましたけど、どれも間違いというわけで…」
こういう仕掛けはデリケートです、と指摘されたキース君は潔く。
「…俺の負けだ。ブルーがアイテムを販売するんだろう? 残りのヤツはお前に任せる」
「ありがとうございます。初めて先輩から負けたと言って貰えて嬉しいですよ」
今日は最高の日になりそうです、と工具を手に取ったシロエ君は会長さんが差し出す時計の仕掛けを手早く解除し、『宿題免除』と書かれた紙を見事にゲット。続く時計も次々に開けて宿題免除アイテムは全部で十枚が手に入りました。これで出店の準備は完了、後は売り捌くだけですよ~!
会長さんが用意していたものは『アイテムあります』と書かれたお馴染みの看板。いつもは終業式の前に開店準備を済ませてますけど、今日は途中から店を出すので男の子たちが机の運搬係です。
「ブルー、値段は書かないのかよ?」
生徒会室を出る時にサム君が訊くと、会長さんは。
「今回は時価。…理由はすぐに分かると思う」
「「「???」」」
どういう意味だ、と不思議に思いつつ出店の定位置になっている中庭に行くと…。
「えっ、先客?」
ジョミー君が示す先には既に机が置かれていました。その前に生徒たちが整然と列を作っています。
「商売敵の出現か?」
なんだアレは、とキース君が言えば、いち早く走って見に行ってきたシロエ君が。
「商売敵じゃないようですけど、競合しているみたいです。看板には『時計、開けます』と書いてあります」
「「「は?」」」
「時計を開けるのが売りらしいですよ。お客が持ち込んだ時計を開けるんです」
「そうなんだよね」
先を越された、と苦笑している会長さん。
「今回のアイテムは商売になると思ったらしい。ただ、持ち込んだ時計を代わりに開けるというだけだから、当たりが出るとは限らない。何度持ち込んでもOKとはいえ、制限時間があるんだし…。とりあえずウチは看板だけ出して様子見だよね」
場所はあそこ、と会長さんが店の設置を決定したのは先に出ていた店から数メートル離れた芝生の上。机を置いてテーブルクロスをかけ、『アイテムあります』の看板を出し、その横に『時価』と張り紙が。お隣の店はきちんと料金を表示してますから、時価の店にお客が来る筈も無く…。
「なんか、いきなり暇だよねえ…」
閑古鳥だよ、とジョミー君。隣の店は商売繁盛、行列の一番後ろには『最後尾はこちら』と誘導用のプラカードを持ったセルジュ君がいます。炎天下で列の整理をやっているのがボナール先輩、接客係はパスカル先輩とアルトちゃん。そう、出店の主は他ならぬ数学同好会でした。
「…ぼくたちもあの方式でやってた方が良かったでしょうか?」
切り替えますか? とシロエ君が尋ねましたが、会長さんは微笑んで。
「今のままでいいよ。せっかくrさんが頑張ってるんだ、邪魔はしないさ。それに残り物には福があるとも言うからね」
「そうですか…。でも、rさん、やりますよねえ…」
凄いですよ、と感心しているシロエ君。お隣の店で時計の仕掛けを解除するのはrちゃんの役目だったのです。鮮やかな手つきでパチン、パチンとコードを切っては中身の紙をお客さんに渡しています。
「前に爆弾の起爆装置を解除したとか聞いたよね」
お歳暮ゲットのバトルの時に、というジョミー君の言葉で全員が思い出しました。先生方からのお歳暮を貰う条件の一つがゼル先生作の爆弾の起爆装置の解除だった年があったのです。もちろん本物の爆弾ではなく、失敗したら白煙が出るだけのお遊びでしたが…。
「従兄に教わったと聞いてるよ。…シュウちゃんって名前の」
会長さんによれば、シュウちゃんとやらは相当ハードな生き方をしているみたいです。某国の特殊空挺部隊に教官待遇で在籍中ですが、その前は別の国の外人部隊に所属していたとか。早い話がその道のプロ、教わったrちゃんも凄いわけです。
「rさんの腕は確かだけれど、問題は持ち込む方の運なんだ。当たりは1枚しか出てないらしい」
いずれウチの店の出番が来るよ、と会長さんが予言したとおり、正午まで残り半時間になった所で一人の男子生徒が机の前に立ちました。
「あのぅ…。アイテムあります、って本当ですか?」
「うん、あるよ」
応対したのは会長さん。その男子生徒は隣の店に並んだものの、ハズレの紙しか出なかったそうで…。
「あるんだったら買いたいです! でも……時価ですよね?」
「君は幸運なお客だと思う。今は終了時間まで三十分だからお買い得なんだ。残り時間が少なくなるほど値が上がる。なにしろ数に限りがあるからねえ…」
今すぐ買えば値段はこれだけ、と会長さんが紙にサラサラと書き付けた数字は隣のお店の定価の十倍でした。いくらなんでも暴利では、と思うのですけど、会長さんは。
「いいかい、隣の店に今から十回は並べない。どう考えても一回が限度、それも終了時間ギリギリってトコだ。そこで外せば後が無いよ? それに比べてこっちは確実! ちなみに残り時間が二十分を切ると…」
「買わせて頂きます!」
男子生徒は即決でした。持ち合わせが足りないとかで残金は三日以内に指定の口座へ振り込みです。それから終了時間までの間に会長さんの言い値はガンガン上がっていったのですけど、最終的に…。
「「「完売御礼…?」」」
嘘だ、と叫ぶ生徒たち。手持ちは沢山あるのだろう、と決めてかかって隣のお店を優先した結果、間に合わなかったというわけで…。
「残念だったね。用意してたのは十枚だったし、御縁が無かったということで諦めてよ」
これにて閉店、と片付けにかかる会長さんはガッポリ儲けてホクホクです。数学同好会も儲かったようで、みんなで食事にお出掛けだとか。なのに…。
「儲けを還元? ぼくがいなけりゃ当たりの時計は分からないんだよ?」
シロエもキースに勝てたんだからそれでいいよね、と会長さん。確かにそれは正論ですけど、せめてファミレスのランチくらいは奢って貰いたかったです。終業式の日からこの有様では、夏休み中も美味しい思いは出来ないのかもしれません。でも、せっかくの夏休み。今年も楽しく過ごせますように~!
教頭先生の大事な部分に残された毛は指の幅二本分だけのツーフィンガー。しかも形を綺麗な長方形に整えるために長さも揃えて切ってあったり…。脛毛を剃られた件も大概ですけど、ツーフィンガーを見てしまった今、脛毛や脇の無駄毛の処理は些細な事と言うべきでしょう。
「あれじゃハーレイが悩んでいるのも無理ないよ。悩み過ぎて十円ハゲになっちゃう前に専門家の意見を聞くべきだってば」
十円ハゲになってからでは遅いんだ、と主張しているのはソルジャーです。
「下の毛が指二本分の幅しか無くて頭の方は十円ハゲって悲惨だよ? ツーフィンガーはお風呂の時しか目につかないけど、十円ハゲは一目瞭然! 場所によってはハーレイの髪でも隠せないかもしれないし!」
「そうかな? オールバックだから上手く隠せば…」
大丈夫そうだよ、と会長さんが反論すればソルジャーは。
「ハゲるのが頭の天辺だとは限らないよ? 生え際だとか項に近い場所がハゲたらどうするのさ?」
「十円ハゲも愛嬌じゃないかと思うけどなぁ。…ツーフィンガーだって」
「愛嬌で済むんならハーレイは絶対悩んでいない! 要するに君が行きたくないだけなんだろ、ノルディの所へ」
ソルジャーがビシッと指摘し、会長さんは渋々といった様子で頷きました。
「…まあね。十円ハゲの方はともかく、ツーフィンガーがお風呂に入るのに差し障りそうなのは認めるよ。ハーレイを連れてった先はメンズエステだし、ああいう処理をしている人もいるんだろうけど…。少なくともぼくは見たことは無い。だからハーレイの悩みは分かる。分かるんだけど…」
「ノルディの所へ行ったりしたら自分の立場が危うい、と。…ノルディは君に御執心だしねえ…。だったら、ぼくが連れて行こうか?」
ノルディとはバッチリ顔馴染み、と片目を瞑ってみせるソルジャー。
「ハーレイの頭を悩ませているツーフィンガーはぼくもしっかり目撃したし、的確に説明出来ると思う。きっとハーレイは恥ずかしがって答えるどころじゃないだろうしね」
「うーん…。そっちの方がマズイ気がする。なにしろ君は前科が多い」
「失礼な! ぼくが今まで何をしたと?」
「思い出すのも嫌になるほど色々やらかしてくれただろ! ノルディ相手にもハーレイにもさ」
その調子で出て行かれたら困るんだ、と会長さんは文句たらたら。
「君がハーレイの受診に付き添ってるってだけでノルディは妙な勘繰りをしそうだし…。そうでなくても相談するのがツーフィンガーへの対処法だし、ぼくの名前が嫌でも出てくる。だからって犯人は君だっていうことにでもしたら、それはそれで話がこじれるんだよ」
「別にこじれてもいいじゃないか。解決すれば結果オーライ」
「全然良くない! ノルディがぼくをどんな目で見るか、はたまた君とノルディが更に危ない関係になるか…。そこへハーレイまで絡んで来たら、どうにもこうにもならないし!」
「運命の糸が縺れまくりっていうのも素敵じゃないかと思うけどねえ? ツーフィンガーを機会に三角関係、四角関係、ぼくは大いに歓迎するよ」
どんと来いだ、とソルジャーは楽しげな笑みを浮かべています。けれど会長さんがそんな展開を喜ぶ筈も無いわけで…。
「お断りだよ! それくらいなら、ぼくが行く!」
バンッ! と会長さんがテーブルを叩いた所でソルジャーがスッと差し出した物は携帯電話。見覚えのあるそれは会長さんの携帯でした。
「じゃあ、電話。…君がハーレイを連れて行くんだろ? ノルディの所って予約制だよね」
「な、なんでそういう方向に…!」
「君が自分で言ったんじゃないか。嫌ならぼくが電話するけど? えーっと…」
携帯を弄り始めたソルジャーの手から、会長さんがマッハの速さでそれを奪い取って。
「分かったよ、かければいいんだろう! …もしもし?」
電話はすぐに繋がったらしく、会長さんは不快そうな顔で。
「…ぼくだけど。ちょっと予約をお願いしたくて…。え? 特別に開けてくれるって? そ、それは…。細かいことは行ってから言うよ、6時以降だね。それじゃ、よろしく」
通話を終えた会長さんの顔にはデカデカと『不本意』の三文字が。エロドクターは会長さんが受診するのだと思い込んだ上、本来ならば休診の所を都合をつけると言ったとか。
「医師会の仲間と飲む約束はドタキャンにしておくってさ。今日が休診なのは知っていたから明日以降だと思ったのに…」
「早い方が有難いじゃないか、毛は一日にして伸びずだよ。後はハーレイに話をつけるだけだね」
善は急げ、とソルジャーは内線電話に手を伸ばしました。パパッとダイヤルを押して教頭室を呼び出しています。会長さんは顔色を変え、受話器をサッと引ったくると。
「あ、ハーレイ? さっきはごめん。別に笑い物にしたかったってわけじゃないんだ、ブルーが出てきてゴチャゴチャ言うから…。でね、物は相談なんだけど…」
エロドクターの診療所に行かないか、という会長さんの提案に教頭先生は躊躇したようですが、ツーフィンガーで悩んでいるのは事実。解決策が見つかるのなら…、と藁にも縋る気持ちで申し出を受け入れ、会長さんとお出掛けすることに。餅は餅屋と言いますものね、劇的に効く育毛剤がありますように…。
約束の6時を迎える少し前。私たちはお通夜のような気分で教頭室に向かって歩いていました。シールドで姿を隠したソルジャーも一緒に来ています。
「なんで俺たちまで行かされるんだ…」
キース君がぼやけば、会長さんが。
「ボディーガードだと言っただろう。ノルディの所に行くんだよ? ブルーとハーレイとぼくだけで行けば何が起こるか想像がつくと思うけど?」
「しかしだな…。教頭先生はこんな面子は全く望んでらっしゃらないかと」
「ハーレイの意見はどうでもいいんだ。ぼくの安全が一番大切! そう言えば必ず納得するさ」
「「「………」」」
一様に押し黙る私たち。そして辿り着いた教頭室では会長さんの読みの通りに教頭先生の承諾が。
「…ブルーを危ない目に遭わせるよりは、私一人が辛抱する方がいいだろう。正直、かなり恥ずかしいのだが……一度見られた後でもあるしな」
恥ずかしいのは我慢しよう、と教頭先生は赤くなりながらも付き添いを受け入れる覚悟です。そこでソルジャーがクッと笑って…。ええ、とっくの昔にシールドを解いていましたとも!
「いい覚悟だね、ハーレイ。その決心に見合う成果が上がればいいんだけれど…。そうそう、ノルディの診察を受けてみれば、って提案したのはぼくだから! 劇的に伸びる薬があったら盛大に恩を感じて欲しいな」
「…あなたの発案だったのですか…。どおりで妙だと思いました」
ブルーはノルディを嫌ってますし、と教頭先生は苦笑い。それでも会長さんが予約をしてくれ、更に同行してくれることが嬉しくて堪らないみたいです。ツーフィンガーに追い込んだのは他ならぬ会長さんですけども、そっちの恨みは忘れたんですか、そうですか…。いえ、最初から恨んでなんかいないんでしょうねえ。
「おっと、6時だ」
ソルジャーが壁の時計を見て言い、会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」に「行くよ」と合図。
「かみお~ん♪ しゅっぱぁ~つ!」
パアッと青い光が溢れて私たちはサイオンに包まれました。目指すはエロドクターの診療所。教頭先生が駐車場に置いていた愛車も同時に教頭先生の家のガレージへと運ばれて行ったことでしょう。身体がフワリと浮く感覚があり、床に足がつくと…。
「ようこそいらっしゃいました」
白衣を着けたエロドクターが待合室に立っています。
「ブルーとぶるぅだけかと思えば、なんと皆さんお揃いで…。しかし、何故ハーレイまでいるのです? 今日の患者はブルーなのでは? …ブルーの付き添いでしたらハーレイは余計な気がしますがねえ…」
解せません、と首を捻るエロドクターにソルジャーが。
「今日の患者はハーレイなんだよ」
「は?」
「だからハーレイが患者だってば! 一人じゃ度胸が出ないだろうから付き添いが要ると思ったんだけど、ぼくが付き添うと言ったらブルーが文句を…。だけどブルーは自分一人で付き添いをするのは嫌なんだよね。…そういうわけで増殖したのさ、付き添いが」
「はあ…。付き添いの件はそれで分かりました。が、ハーレイが患者ですか…」
風邪ひとつ引かない男だったと思うのですが、とエロドクター。
「まさしく鬼の霍乱ですね。ギックリ腰でもないようですし…。で、本日はどうなさいました?」
奥へどうぞ、とエロドクターは診察室へ入ってゆきます。さて、教頭先生の窮地を救う素晴らしい薬はあるのでしょうか? こんな所まで来たんですもの、収穫無しでは浮かばれませんよ~!
診察室の椅子に所在無げに座った教頭先生。育毛の相談だとは思いもしないエロドクターは普段の診察のマニュアルどおりに口を開けさせて喉をチェックし、お次は定番の聴診器です。更に脈を取り、血圧を測り、手元のカルテに目を通すと。
「…これといった症状は無いようですが、腹痛ですか、それとも頭痛? 黙ってらっしゃったのでは困りますねえ…。メタボ検診をご希望でしたら先に仰って頂きませんと」
「いや、私は……そのぅ、メタボではないと思うが…」
「そうでしょうねえ、三月の末にシャングリラ号で検査した時には正常値でしたし。とはいえ、油断するとメタボになりますよ。今日も何らかの自覚症状があって受診なさってらっしゃるのでしょう? 痛風でしたらメタボの方も改めて検査しませんと」
エロドクターの発想は思い切り斜め上でした。何処から痛風が沸いて出たんだか…。教頭先生もブスッとしています。
「…断じて痛風などではないぞ」
「おや、そうですか? 足の方を気にしてらっしゃるように見えましたので…。これは失礼」
なるほど、痛風といえば普通は足に出ますよね。ツーフィンガーもさることながら脛毛も剃られた教頭先生、頻りと足を見ていたようです。気になっているならズバリと言ってしまえばいいのに、言えない所が微妙な男心でしょうか? と、ソルジャーが教頭先生の肩を軽く叩いて。
「ほらね、勘違いされちゃってるし! 足なら足だとハッキリ言う!」
「…し、しかし……」
「相手は本物のお医者さんだよ? 相談に乗って欲しいんだったら言わなくちゃ」
「……だが……」
やはり言えない教頭先生にエロドクターが溜息をついて。
「何処が悪いのか自分で説明できないケースは赤ん坊と幼児くらいなものですよ? 仕方ありません、脱いで下さい」
「なんだと?」
眉間に皺を寄せる教頭先生に、エロドクターは涼しい顔で。
「とりあえず全部脱いで頂けますか? それから診察台に横になって頂ければ全身をチェック致します。…私もプロの医者ですからね、それで大体分かりますとも」
「こ、断る…!」
「ほほう…。即座に仰った所をみると、何か脱いだらマズイことでも? 上半身は先ほど見せて頂きましたし、問題は下半身ですか?」
言い当てられた教頭先生、ウッと呻いたのが運の尽き。エロドクターはニヤニヤと…。
「ああ、見当がつきました。EDが再発したわけですね。そういうことなら薬を出させて頂きますので、それで暫く様子を見て…。おや、EDではないのですか?」
ブンブンと首を横に振っている教頭先生。それでもツーフィンガーをカミングアウトする度胸は出てこないらしく、痺れを切らしたソルジャーが。
「…剃られちゃったんだよ、下半身の毛を」
「は?」
間抜けな声を上げたエロドクターにソルジャーは重ねて言いました。
「メンズエステに連れて行かれて危うく脱毛される所を剃るだけで勘弁して貰ったとか…。脛毛と脇毛は綺麗に剃られて、なんだったかな…Vライン? それも剃られて、トドメにツーフィンガーなのさ」
「……はあ……」
ポカンと口を開けているエロドクターの頭の上には『?』マークが飛び交っています。そりゃそうでしょう、教頭先生とは結び付かない単語の嵐で、挙句の果てにツーフィンガーでは…。
「あーあ、君でも混乱しちゃうのか…。だったらハーレイが悩みまくるのも無理ないね。診察に来たのは劇的に伸びる育毛剤があるといいな、っていう理由。今の状態では恥ずかしくって合宿でお風呂に入れないらしい。…こんな風になっちゃってるから、急ぎで伸ばしたいんだよ」
見て、とソルジャーがやらかしたのは教頭先生のズボンと紅白縞を椅子に座ったままの状態でストンと床に落とすこと。サイオンを使えば簡単だとは分かってますけど、わざわざ公開しなくても…。ツーフィンガーは一回見れば充分です。いくらモザイクつきだとはいえ、二回も見せられちゃうなんて~!
「………。これは確かに問題ですね」
エロドクターが我に返って口を開くまでには1分以上かかったかもしれません。その間、教頭先生は動くことも出来ずに指二本分の幅で残された毛と大事な部分を大公開。どうやらソルジャーがサイオンで縛っているようです。エロドクターは徐にメジャーを取り出すと。
「…4センチ」
計ったものはツーフィンガーの幅でした。
「でもって、長さが…。ふむふむ、剃られた部分はこの辺りまでということですか」
あちこちにメジャーを当ててからカルテに図解と数値を書き込み、教頭先生の方へ向き直って。
「剃られてしまったと伺いましたが、どういう理由でメンズエステに? 毛深いのは好みでは無いと誰かに言われでもしましたか? 如何にもブルーが言いそうですがねえ…」
「「言わないよ!」」
会長さんとソルジャーの声が見事にハモッて、ソルジャーが。
「ぼくはワイルドな方が好きだし、剃っちゃうなんてとんでもない! でもって、ブルーは毛深かろうがツルツルだろうが、ハーレイなんかは眼中に無いさ。…だけどハーレイなら剃りそうだねえ? ブルーにツルツルが好きだと言われたら」
「なるほどねえ…。すると犯人は、こっちの世界のブルーですか? 上手く騙して剃らせたとか?」
「騙された方がハーレイは幸せだったと思うな、ブルーが喜ぶと思い込んで自発的に剃りに行くわけだしね。…連れて行かれたって言っただろう? 無理やり剃られてしまったんだよ、脇とか脛もセットにして」
ほらね、とソルジャーが指差したのは教頭先生の剥き出しの脛。ええ、教頭先生は今も下半身は丸裸のままなのです。靴下とスリッパは履いてますけど。
「おやおや、足までツルツルですねえ。脇も剃られたと仰いましたが、なんでまた? そんな必要がいったい何処に…?」
「話せば長くなるんだけどね、ブルーが水着を着せようとしたのが発端かな。それもハイレグの」
こんな感じで、とソルジャーが思念でイメージを直接送ったらしく、おええっ、と呻くエロドクター。
「な、なんなのです、これは! 不気味としか言いようがありませんが」
「ウケたようだよ、シャングリラ学園の生徒たちには。ブルーも個人的に気に入ったのか、ツーショットなんかを撮っていたっけ」
「ツーショットですって!?」
有り得ません、とエロドクターは教頭先生を睨み付けて。
「あんな格好でブルーと写真に写ろうだなんて、厚かましい…。ブルーの隣に相応しいのはテクニシャンの私の方ですとも! ブルーを喜ばせるだけの自信も技も持ってますしね」
「……そ、そのぅ……」
教頭先生が消え入りそうな声を上げました。
「ズボンを履いてもいいだろうか? 診察は済んだと思うのだが…」
「おや。てっきり好きで露出してらっしゃるのかと…。これは失礼。ご自由にどうぞ」
ソルジャーのサイオンによる拘束が解けたらしくて、教頭先生は床に滑り落ちていた紅白縞とズボンを慌てて身に着けています。エロドクターはそれを横目で眺めながら。
「で、診察にいらした目的は劇的に伸びる育毛剤は無いかということでしたね? みっともないモノを見せて頂きましたが、私にそれを育毛しろと?」
「い、いや…。い、言い出したのは私ではなくて…」
しどろもどろの教頭先生に代わって、ソルジャーが。
「ぼくが言ったんだよ、育毛するならプロの意見を聞くべきだ、ってね。柔道部の合宿が近いらしくて、それまでに伸ばしておきたいらしい。足はともかくツーフィンガーは悪目立ちするし」
「…ああ、ツーフィンガーは目立つでしょうねえ…」
分かります、と頷くエロドクターはツーフィンガーという単語を知っていたようです。遊び人だけに、そういう流行りモノにも詳しいのでしょう。しかし…。
「こうなった以上、いっそワンフィンガーになさっては? それとも全部剃ってしまうとか…。その方が潔いですよ。育毛剤で劇的に伸びるということは無いですからねえ」
そんな薬は無いのです、とエロドクターはバッサリ切って捨てました。教頭先生、わざわざ此処まで連れて来られた上に恥ずかしい思いもさせられたのに、育毛剤が無いなんて…。御愁傷さまとしか言えませんよね。
合宿までにツーフィンガーは解消しそうにないと悟った教頭先生は傍目にも分かるガックリ状態。伸ばせないなら剃ってしまえとエロドクターは煽っていますが、そっちの方が更に情けないのは間違いなしです。何もかも会長さんのせいなんですけど、サイオニック・ドリームで誤魔化してあげる気は無いそうですし…。
「…弱ったな…。やはり風呂は諦めるしかないのだろうか…」
教頭先生の力無い呟きを聞き咎めたのはエロドクター。
「風呂を諦める? それは感心しませんね。夏こそ清潔にするべきです」
「…いや、風呂に入らないというのではなくて…。生徒と一緒に入浴するのはマズかろうと」
「それで合宿までに伸ばそうと焦っておられたのですか。…お気の毒ですが、育毛剤で伸びが速くなることはありません。この辺りは体質とでも申しますか…。体毛は男性ホルモンが多いと伸びるのが速いのは確かですがね」
そう言ったエロドクターに向かってソルジャーが。
「へえ…。だったら、それを投与してみたら? 少しは速くなるかもしれない」
「そう簡単にはいきませんよ。あなたの世界にそういう薬は?」
「うーん…。ぼくの世界にも劇的に伸びる薬というのは無いんだよ。人類側の最先端のデータバンクにはあるのかな? でも……ゼルの頭もダメだったし…」
ソルジャーは自分の世界のゼル機関長が薄毛に悩み始めた頃に人類側のデータを調べに行ったそうです。たかが仲間のハゲのために危険な橋を渡らねばならないとは、ソルジャー職は大変なのだなぁ…、と誰もが思ったのですが。
「あれは完全にぼくの趣味! 人類側に入り込むのは大好きでね」
「「「………」」」
「スリリングだし面白いよ? あっち側の人間になりすましてみたり、色々やっているんだけれど…。特に好きなのは研究所かな」
虎穴に入らずんば虎児を得ず、と得意げにウインクするソルジャー。それでも育毛剤のデータは無かったわけで、教頭先生、やはり諦めて頂くしか…。と、エロドクターがニッと笑って。
「私と代わって差し上げられればいいのですがねえ…。私は伸びるのが速いのですよ」
「「「は?」」」
なんのこっちゃ、と皆の視線が集中する中、ドクターは。
「スケベな人は髪が速く伸びる、とお聞きになったことはないですか? これが男性ホルモンと関係があると言われる所以です。…実際に速く伸びるのですが、髪ではなくて体毛でして…」
なんと! エロドクターの異名はダテではないと? ああ、教頭先生にその体質があったなら…。
「ハーレイもそれなりに速い方ではないかと思いますがねえ、濃さから言って。…しかし私の方が上です。濃くはないですが伸びるのは速い。…ブルー、無駄毛は多めの方がお好みですか?」
エロドクターが尋ねた相手はソルジャーでした。ソルジャーは「うーん…」と首を捻って。
「ハーレイ限定なら無駄毛の処理はしてない方が好みかなぁ。…だけど、君ならどうだろう? ツーフィンガーとかワンフィンガーとか、素っ頓狂な処理をされるよりかは、普通に無駄毛は少なめでいいかな」
「分かりました。では、どうですか? せっかくおいでになったのですから、私と一晩」
「いいかもねえ…。そうだ、ブルーも一緒にどう? ハーレイなんかは放っておいてさ」
きっと素敵な思い出になるよ、とソルジャーが誘えば、会長さんは顔面蒼白。なのにソルジャーは会長さんの手首をガッシリ掴むと。
「この際だから楽しもう! ノルディのベッドまで直行便だ」
ユラリと立ち昇る青いサイオン。ソルジャーのもう一方の手はエロドクターの手を握っています。
「おい、待て!」
キース君が叫んで飛び出すよりも早く空間が歪み、もうダメだ……と思った時。
「ブルー!!!」
教頭先生の絶叫と共に弾けた緑色の光。誰かが「伏せろ!」と私たち全員の身体を突き飛ばして…。
「……高価な医療機器もあったのですがねえ……」
溜息をつくエロドクター。診察室は足の踏み場も無い状態で、医療機器やカルテが床に散乱しています。その真ん中に仰向けに倒れている教頭先生の傍らにソルジャーが屈み込んでいて。
「仕方ないだろう、ブルーの真似をしたまでさ。新しい技には興味があるんだ。…でも、こんなサイオンの使い方はぼくの世界では出来ないし」
周囲が何かとうるさくて…、とソルジャーは診察室を見回すと。
「被害は最小限に抑えた筈だよ、この部屋の外には振動一つ伝わってないさ。警備システムも作動してない。ブルーだとこうはいかないね。下手をしたら診療所ごと吹っ飛んでいる。…そうだろ、ブルー?」
「…悔しいけれど当たっているよ。で、君はハーレイをバーストさせるためにノルディの誘いに乗ったのかい?」
「うん。君が絡めばバーストするかと…。案の定、派手にやってくれたよ」
ソルジャーはエロドクターの誘いに応じるふりをし、会長さんを巻き込むことで教頭先生の危機感を煽ったみたいです。切羽詰まった教頭先生、ついにサイオンが大暴走。その機に乗じてソルジャーが教頭先生のサイオンをサイオニック・ドリームを操れるように方向づけて…。
「ノルディが誘ってくれなかったら、この方法は思い付かなかった。でも一瞬で思い付いた上に実行に移して、ちゃんと結果を出せたってことは場数を踏んでいるからで…。感謝して欲しいね、ぼくの力に」
そんなソルジャーにエロドクターが。
「結局、ハーレイはどうなったのです? サイオニック・ドリームを操れるようになったそうですが、体毛限定だとか聞こえましたが…?」
「そうだよ? キースが髪の毛限定で使える話は知ってるだろう? それと同じで体毛限定。正確に言えばツーフィンガーを誤魔化せるというのが正しいかな。足と脇は意識して気合を入れないと難しいかもね」
クスクスクス…と笑うソルジャーに、エロドクターは思い切り苦い顔をしています。
「診察室をメチャクチャに壊された私からすれば、感謝する気にはなれませんねえ…。部屋と医療機器の修理は高くつきますが、請求書をハーレイ宛に送った所で払えないのは見えていますし…」
「ぼくで良ければ身体で返してあげるけど? 君が企画してくれた模擬結婚式以来、ぼくのハーレイは言うこと無しだし! 一生満足させてみせます、と誓っただけのことはあるんだ」
「…謹んで遠慮させて頂きますよ、今日の所は。とりあえず、ハーレイを起こして仕上がりを確認なさっては?」
エロドクターに促されたソルジャーが教頭先生をサイオンで目覚めさせると、教頭先生は部屋の惨状に息を飲み…。
「すまん、ノルディ。…本当に申し訳ないことを…」
平謝りに謝る教頭先生に支払い能力はありませんでした。会長さんとの結婚を夢見て貯金しているキャプテンの給料からなら払えるそうですが、エロドクターはそれを固辞して。
「ブルーには私も惚れていますし、ブルーのために貯めてある資金をピンハネしたくはないのですよ。この費用は……そうですね、身体で払って頂きましょうか」
「「「身体で?」」」
力仕事でもするのだろうか、と散らかった診察室を見渡す私たち。修理に備えて片付けるだけでも大変そうな雰囲気です。それを教頭先生にやらせるのなら納得だ、と思ったのですが、エロドクターは。
「ともあれ、脱いでみて下さい。本当にサイオニック・ドリームが操れるかどうかの確認です」
「…あ、ああ…」
スウェナちゃんと私が揃って後ろを向いている間に教頭先生はズボンと紅白縞を下ろし、ソルジャーに叩き込まれたサイオニック・ドリームを披露。結果の方は文句無しで…。
「良かったね、ハーレイ。これで合宿も平気だろ?」
「ありがとうございます。本当に一時はどうなることかと…」
ソルジャーに頭を下げる教頭先生。そこへエロドクターが拾い集めたアルコール綿やハサミを持ってきて…。
「では、万事解決ということでお支払いの方をお願いします。…ワンフィンガーなどは如何でしょうか? 私の専門は外科でしてね。切るのは勿論、毛刈りも得意なのですよ。剃毛は医者の仕事の範囲外ですが、たしなみです」
看護師がいない現場でも手術出来てこそプロでして…、とハサミを鳴らすエロドクター。
「ま、待ってくれ、ノルディ! そ、それだけはやめてくれ~!」
教頭先生の野太い悲鳴が響き、ソルジャーのサイオンが教頭先生を金縛り。会長さんが床に倒れた診察台をサイオンで引っ張り起こして、教頭先生を上に乗っけて、しっかりと台に固定して。
「綺麗に剃って貰ったら? ワンフィンガーはぼくも興味があるな」
「皆さんが協力的で嬉しいですよ。では、早速」
腕まくりをしたエロドクターと、会長さんとソルジャーと。共犯者たちが笑みを交わした後は、チョキチョキと鳴るハサミの音と、ジョリジョリジョリ…と剃刀の音。教頭先生のツーフィンガーはワンフィンガーへと変身中です。とんだ結末になりましたけど、教頭先生、流行りの形でオシャレにキメて下さいね~!
会長さんの悪戯心で無駄毛を剃られた教頭先生。ハイレグ水着を身に着けるのに必要な部分だけ剃れば充分なのに、まるで無関係な所の毛までを剃り落とされたらしいのです。会長さん曰く、ツーフィンガー。指二本分だけの幅を残して。
「それって意味があるのかい? ぼくにはサッパリ分からないけど」
そう言ったのは時空を越えて現れたばかりのソルジャーでした。どの辺りから聞いていたのか分かりませんが、私たちの世界を覗き見するのが好きなのです。おまけにソルジャーはトラブルメーカー、よりにもよってこんなタイミングで出てくるなんて最悪としか…。
「ツーフィンガーの意味は分かるんだ。指の幅二本分だろう?」
このくらいかな、と指を揃えて出すソルジャー。
「それとも剃られる人の体格に合わせて決まるわけ? だったらもう少し太めになるね。ハーレイの手は大きいからさ」
「…別にそういうわけでもないけど」
会長さんがフウと溜息。来てしまったものは仕方ない、と腹を括ったみたいです。ソルジャーの方は興味津々、ツーフィンガーについて一通りの話を聞き出すまでは帰るつもりも無さそうでした。そんなソルジャーに会長さんは。
「指二本分は目分量ってトコじゃないかな、ぼくが見せられた参考図では長方形が描いてあっただけだから。もちろん写真なんかじゃない。ただのイラスト」
「イラストだって? 写真の方が良さそうなのに」
そっちの方が仕上がりをイメージしやすい、とソルジャーは指摘したのですけど。
「写真で出すのはアウトだってば! そういうサロンもあるかもだけど、真っ当なサロンは違うと思う。…君の世界はどうなってるのか知らないけどね、こっちの世界じゃそういう部分を撮った写真は表に出せない」
「…ふうん? そうか、教育上よろしくないのか…」
「大人相手でも一応禁止! 芸術以外はダメじゃないかと」
「なんだか面倒な世界だねえ…。そんな世界でツーフィンガーにする意味なんか何処にあるんだい? ますますもって分からないよ。見せられないんじゃ意味無いし!」
だってそういうものだろう、とソルジャーはソファに腰掛け、「そるじゃぁ・ぶるぅ」が差し出す紅茶とタルトのお皿を受け取りながら。
「わざわざプロの手を借りて整えるんなら、それなりにお金もかかるじゃないか。披露しないでどうすると? こんなに綺麗にしてますよ、って見せびらかすのが普通じゃないかと…。ああ、もしかして温泉とかかな? 大浴場なら人も多いし、そういう所に行くためとか?」
「大浴場でも温泉場でもないってば! あえて言うなら身だしなみ!」
会長さんが繰り出した言葉に私たちはビックリ仰天。教頭先生が合宿でお風呂に入るべきか否か悩むようなヤツの、いったい何処が身だしなみだと? それが本当なら教頭先生の悩みは不要、育毛剤を探さなくてもいいわけで…。会長さん、教頭先生に言いに行ってあげて下さいよ~! …しかし、会長さんは私たちの方をチラリと眺めて。
「ああ、勘違いさせちゃったね。この国ではまだメジャーじゃないから、変な目で見られてしまうかと…。外国で流行っているとは言っても、どのレベルまで普及してるかは知らないんだ。だけどブルーがどんな意味かと訊いてくるから、身だしなみだと答えただけ!」
「…それってホントに身だしなみの意味があるのかい? 変な目で見られてしまうんだったら、やらない方が良さそうだけど?」
ますますもって意味不明、とソルジャーは自分の指を眺めて。
「この幅に何か深い意味でも隠されてるとか? なにしろ場所が場所だしねえ…。シンボル的な何かとか?」
「深読みしなくていいってば! ワンフィンガーもあるって言ったろ、単なる処理法の問題なんだよ!」
「………ワンフィンガー?」
それって何さ、とソルジャーが首を傾げました。もしやソルジャー、途中からしか話を聞いていませんでしたか? 会長さんが慌てて口を押さえています。ツーフィンガーに加えてワンフィンガー。ソルジャーの好奇心をくすぐる単語を出してしまうとは、思い切りドツボか特大の墓穴…?
「ねえ、黙っていたんじゃ分からないけど? ワンフィンガーって、どんなヤツだい?」
ソルジャーは気になって仕方ないという顔をしています。会長さんの心を読めば簡単に分かると思うのですけど、それをしないのがソルジャーの流儀。本当に興味をそそられた時は、相手が答えを口にするまで手を変え品を変えして追及するのが大好きで…。
「要は処理法なんだよね? ツーフィンガーというのは分かった。それとセットでワンフィンガーってヤツもある…、と。すると問題は毛の残し方?」
「下品な物言いはやめたまえ!」
柳眉を吊り上げる会長さんに、ソルジャーはフンと鼻で笑って。
「ぼくは毛の残し方としか言っていないよ? あそこの毛だとは一言も口にした覚えはないね」
「今、言った!」
「細かいことは言いっこなし! で、やっぱり残し方が問題になるってわけ? ツーフィンガーが指の幅二本分なら、ワンフィンガーは一本分?」
「………。分かってるんなら聞かなくっても…」
会長さんは額を押さえましたが、ソルジャーは全く気にしない風で。
「なるほど、ワンフィンガーは指一本ねえ…。そんな幅のを未練たらしく残しておくなんて、ますます意味が分からないなぁ。全部スッパリ剃ればいいのに」
「勿論そういう人だっているさ。身だしなみだと説明しただろ? ツーフィンガーもワンフィンガーも、手をかけてます、ってアピールなんだ。無駄毛の手入れをしていることが重要なんだよ」
「ふうん…。だったらハーレイも気にしなくってもいいのにねえ? ちゃんと手入れをしています、って証拠なんだし、わざわざ育毛しなくたってさ。ツーフィンガーとやらに整えたんだし」
堂々とお風呂に入ればいいんだ、と言うソルジャーは脱毛と男の世界な柔道部とが相容れないことを理解できないらしいです。会長さんやキース君たちも何と説明すればいいのか困っていますし、これは世界が異なるゆえの認識の差として流すべきかと思った所へ。
「ああ、ちょっと分かってきた気がするよ。セックスアピールが重要なんだね」
「「「は?」」」
ソルジャーが口にした妙な単語に、今度は私たちが『?』マークを飛ばす番。セックスアピールって、何処をどうすればそうなると? そもそもセックスアピールの意味自体、万年十八歳未満お断りの身にはイマイチ掴めていないのですが…。けれどソルジャーは勝手に一人で納得中。
「こっちの世界のハーレイを基準に考えようとしたのが失敗だった。ぼくのハーレイに置き換えてみれば良かったんだ。…もしもハーレイがツーフィンガーとやらになっちゃってたら興醒めというか、悲しいというか…。百年の恋も冷めそうだよね」
「「「???」」」
「だからさ、ぼくがハーレイとベッドインしようとしたとするだろ? 期待に満ちて脱がせてみたらツーフィンガーって最低だよ! ワイルドさの欠片も無いじゃないか」
男はやっぱり獣でないと…、とソルジャーは主張し始めましたが、そこで漸く会長さんが我に返って。
「ストーップ! 理解したらしいのは有難いけど、その辺でやめてくれないかな? この子たちはそういう話は理解出来ないし、余計な知識も増やしたくない。…とにかく、ハーレイは悩んでいるんだよ。それが分かれば充分だろう」
「うーん…。男らしさをアピールするには毛が無いとダメで、だけど現状はツーフィンガーで…。そうだ、それって見た目はどんな感じになるのかな? こう、漠然と想像するのと、実際に見るのとは違うとか?」
ソルジャーの関心はツーフィンガーから教頭先生の実情の方へと移ったようです。なんだか嫌な予感がするのは私だけ? ソルジャーは教頭室のある方向に視線を向けていますけど…。
「…幅は想像したとおりかな」
このくらい、とソルジャーが指を二本並べてみせました。
「だけど覗き見では幅くらいしか分からないね。ハーレイがトイレにでも行ってくれればいいんだけれど」
「トイレ?」
怪訝そうな会長さんに、ソルジャーは。
「トイレに行けばズボンを下ろしてくれるかなぁ…って。あ、紅白縞が残っているから見えないか…」
「いったい何が言いたいのさ?」
「君も覗き見したんだろ? ズボンの上から見てるだけだと実態がよく分からない。脱いだ時にはどんな具合か、やっぱり気になってしまうじゃないか!」
なんと言ってもツーフィンガー、とソルジャーは二本の指をビシッと立てて。
「ハーレイがお風呂に入るのを躊躇うという毛の生え方なんだよ? この目で見ないと一生の損! それに現状を把握できたら全部剃るべきか育毛すべきか、はたまたお風呂に入るべきか否か、適切な助言をしてあげられるかもしれないし!」
ここは一発、見学ツアー! とブチ上げたソルジャーを止められる人はいませんでした。いえ、止めるだけ無駄と誰もが諦めの境地というのが正しいのかもしれません。…教頭先生には気の毒ですけど、ソルジャーが教頭室まで出掛けて行ったら覚悟を決めてズボンを脱いで下さいです…。
ツーフィンガーとやらを見物する気満々のソルジャーは教頭室の様子を窺い、教頭先生が書類と格闘していることを確認してから。
「よし、仕事は暫く片付きそうにないね。出掛けて行っても逃亡の心配は無さそうだ」
「…逃がすつもりも無いくせに」
会長さんが大きな溜息をつき、ソルジャーにヒラヒラと右手を振って。
「さっさと見学とやらに行ってきたまえ、ハーレイが素直に要求を飲むかどうかは知らないけどね」
「聞き入れられなきゃ脱がすまでさ。じゃ、そういうことで…。とりあえず、ぼくはシールドに入って行った方がいいんだろうねえ?」
まだ生徒たちが残っているし、と言うソルジャーは校内の様子もチェック済み。紫のマントに白と銀なソルジャーの正装は会長さんの仮装衣装として披露されたこともありましたけど、その格好で出歩かれるよりはシールドの中の方が無難です。ソルジャーの目的が目的だけに、会長さんは制服を貸す気も無いのでしょうし…。
「是非シールドでお願いするよ」
案の定、会長さんは素っ気なく答えて生徒会室に繋がる壁を指差すと。
「ぼくの制服は貸さないからね! シールドに入ってコッソリ出掛けて、用が済んだら直帰だよ。此処には戻ってこなくていいから」
「え?」
キョトンと赤い瞳を見開くソルジャー。
「此処に戻らないって、どうする気だい? この後に何か予定でもあった?」
「は?」
今度は会長さんが目を丸くする番でした。
「どうするも何も、別に予定は無いけれど? でも君を交えてのティータイムを続けるつもりは無いね」
「河岸を変えると言うのかい? まあ、せっかくのツーフィンガーだし、それを肴に居酒屋とかで盛り上がるのも楽しそうかな」
「ちょ、ちょっと…」
会長さんがソルジャーの話を遮り、不安そうな表情で。
「もしかして、見学ツアーは君が単独で行くんじゃないとか? ぼくたちも一緒に参加しろと?」
「決まってるじゃないか、ツアーだよ?」
お一人様で行ってどうする、というソルジャーの返事にウッと仰け反る私たち。教頭室まで一緒に行けと? でもって教頭先生のツーフィンガーとやらを拝観しろと? そ、そんなことを言われましても…。教頭先生が恥ずかしがるとかそういう以前に、ツーフィンガーな部分がマズイんですけど!
「…ん? みんな、青い顔してどうしたんだい? ああ、ハーレイのアソコのことなら女子限定でモザイクをかけてあげるから! 他の子たちは問題無いだろ、男同士だしね」
柔道部なんかは合宿に行けば裸の付き合い、とソルジャーはクスクス笑っています。そりゃそうなのかもしれませんけど、モザイクだけで万事解決というわけでは…。教頭先生は合宿のお風呂で悩んでしまうほどツーフィンガーが嫌なのですし、見学ツアーを組んで訪問されたら大人しくズボンを脱ぐどころでは…。
「いいんだってば、そのツーフィンガーにどう対処すべきか助言するためのツアーだよ? ぐずぐずしてるとハーレイの仕事が終わってしまうし、急がないと」
さあ行くよ、とソルジャーが会長さんの腕をガシッと掴んで。
「ぼくはシールドに入って行くから、君が嫌なら強制連行! 傍目には君が一人で歩いているようにしか見えないよねえ? 抵抗してると大いに目立つよ。そこの子たちも行列を組んでお供してるし」
「わ、分かったよ! 自分の足で歩いて行けばいいんだろう!」
会長さんはソルジャーの手を振り払い、私たちの方へと振り向くと。
「…ごめん。ブルーは一旦こうと決めたら絶対引かないタイプだってこと、君たちだって知ってるだろう? ぼくがハーレイに悪戯したせいで巻き込んじゃって申し訳ないけど、見学ツアーに来てくれるかな?」
「………。俺たちに選択権は無いと思うが」
どう考えても逃げられん、とキース君が早々に白旗を。ソルジャーは満足そうに微笑み、シールドを発動させました。ツーフィンガーの見学ツアー、教頭室を目指して出発です~。
重い足取りで中庭を抜け、本館に入ってお馴染みの重厚な扉の前に着くと会長さんが扉をノック。何も知らない教頭先生が「どうぞ」と返事しています。声の調子が弾んでいるのは会長さんの思わぬ訪問に心躍らせているからでしょう。
「…失礼します」
会長さんが扉を開けると、教頭先生は満面の笑み。後ろにゾロゾロ連なっている私たちのことも大して気にならないみたい。
「よく来てくれたな。やっぱり今日はラッキーデーだ」
嬉しそうに言う教頭先生の姿に、会長さんの言葉が頭の中に蘇りました。会長さんと朝の挨拶を交わせた時は教頭先生にとってラッキーデー。どんな悩みを抱えていたって幸せ一杯というヤツです。でも本当に今日はラッキーデーなんでしょうか? 私たちが微妙な気持ちになった所でソルジャーがパッとシールドを解いて。
「こんにちは。…朝にブルーと挨拶出来たらラッキーデーだと言うのかい? だったら、ぼくは? 放課後にぼくと挨拶出来たらどうなるわけ?」
「こ、これは…。ようこそいらっしゃいました。おいでになることに気が付かなくてすみません」
慌てて謝る教頭先生に、ソルジャーは。
「そんなに謝ってくれなくても…。気付かないのは無理ないよ。だけど悪いと思ってるんなら、お願いを聞いて欲しいんだけど」
「お願い…ですか? お小遣いがお入り用だとか?」
「まさか。そっちはノルディで間に合っている。…君に見せて欲しいものがあってね」
「は…?」
意図が掴めない教頭先生にソルジャーがズイと近付いて。
「まず、立って」
「はあ…」
書き物をしていた教頭先生は素直に立ち上がり、言われるままにソルジャーと向かい合います。身長の差が大きいですから、当然、ソルジャーを見下ろす形。ソルジャーはニヤリと唇の端を吊り上げて…。
「ぼくはツーフィンガーを見たいんだよ」
「「「!!!」」」
直球勝負なソルジャーの台詞に教頭先生も私たちも声を失くしてしまいましたが。
「ズボンの上から覗き見したんじゃ、押さえつけられた状態の毛しか分からなくってねえ…。脱いだらどんな風に見えるか、それが気になって気になって。…だからズボンと紅白縞を下ろして見せて欲しいんだけど」
「そ、それは……こんな場所では……」
額にビッシリ汗を浮かべる教頭先生。ソルジャーはクッと喉を鳴らすと、仮眠室の扉に目をやって。
「じゃあ、あそこならいいのかな? ぼくと二人きりなら脱げると言うなら特別にサービスさせて貰うよ」
「…サービス…?」
「うん。ぼくが手ずから脱がせてあげて、それからベッドで手取り足取り、あれこれレクチャー」
「………!!!」
教頭先生は瞬時に耳まで真っ赤に。ソルジャーが言うレクチャーとやらを想像しただけでコレなんですから、脱がされたら鼻血でダウンでしょう。とはいえ、ソルジャーと教頭先生を二人きりにしたら何が起こるか考えたくもありません。…って、ソルジャー?
「気が変わった」
ストンと床に膝をついたソルジャーが教頭先生のベルトに手をかけ、鮮やかな手つきでシュッと引き抜き、続いてズボンのジッパーを…。
「二人きりっていうのもいいけど、見られてる方が興奮するよね。最近はぼくとハーレイの仲は至極円満、ぼくから御奉仕ってことも多いんだ。…せっかくだから腕前を披露しようかな」
絶好のチャンス到来! とソルジャーは教頭先生のズボンを下ろそうとしたのですけど、間一髪で会長さんがソルジャーをドンと体当たりで弾き飛ばして。
「余計なことはしなくていいっ!」
「いたたた…。これからが盛り上がる所なのに!」
「それが余計だと言ってるんだよ! 要は見られればいいんだろう!」
次の瞬間、教頭先生のズボンと紅白縞はストンと床に滑り落ちていました。会長さんがサイオンでやったようです。教頭先生は大慌てで両手で前を隠しましたが、それより前に見えてしまったツーフィンガー。…大事な部分はモザイクでしたけど、指二本分は目に焼き付いてしまいましたよ…。
「…思った以上に凄かったね、アレ」
ソルジャーがのんびりと口にしたのは私たちが逃げ帰って来た「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお部屋です。ズボンと紅白縞が脱げ落ちた教頭先生を放置したまま、会長さんはソルジャーの首根っこを掴んで教頭室から飛び出して遁走。私たちと「そるじゃぁ・ぶるぅ」も必死に走って後をも見ずに…。
「凄いも何も…。君がアヤシイことを言うから、ぼくが脱がせる羽目になったのがキツイんだけど」
心の傷になりそうだ、と会長さんがぼやきましたが。
「そう? 君もハーレイに悪戯するのは大好きじゃないか。真っ裸で校内一周とかさ」
「あれはサイオニック・ドリームで服を着せてた! ぶるぅも首からぶら下げていたし、ハーレイが堂々と歩いてたから問題ないし!」
会長さんとソルジャーが言い争っているのは以前の悪戯のことでした。会長さんが教頭先生の失敗をネタに、お詫び行脚をしろと迫って真っ裸で校内一周の刑。教頭先生、靴と靴下だけを履いた状態で「そるじゃぁ・ぶるぅ」人魚を首にぶら下げ、学校中を歩いたという…。
「傍目には服を着ているように見えていたかもしれないけどねえ…」
覗き見してみれば素っ裸、とソルジャーは楽しげに思い出し笑いをしています。ソルジャーと会長さんは共に最強のサイオンを持つタイプ・ブルーですけど、経験値の差でソルジャーの方が力が上。それだけに会長さんのサイオニック・ドリームを見破るくらいはソルジャーにとっては朝飯前で…。
「あの素っ裸の時にツーフィンガーって状態だったら、きっと倍ほど笑えたと思う。なにしろ幅が指二本! おまけに長さを揃えて刈り込んであるし」
クスクスクス…とソルジャーの笑いは止まりません。教頭先生の大事な部分に残された毛は切り揃えられていたのです。お蔭で輪郭がボケることもなく、とても見事な長方形。お風呂に入るのを躊躇うわけだ、と誰もが納得するしかなくて。
「あれは本当に何か対策を考えないとマズイよねえ…。あそこまでインパクトがあるとは思わなかった。君の悪戯も大概だよ、うん」
ソルジャーでさえもマズイと思うツーフィンガー。それを実現させてしまった会長さんの方も、現物を目にして脱力中です。
「まさか切り揃えてあるなんて…。本当に身だしなみだったんだ…」
「百聞は一見に如かずと言ったろ? 見学ツアーを企画したぼくに感謝の言葉が欲しいくらいさ。…でも、ハーレイはどうするんだろう? そうだ、サイオニック・ドリームは?」
それで何とか誤魔化せるのでは、とソルジャーは提案したのですが。
「…ダメだね。ハーレイにサイオニック・ドリームの才能は無い」
致命的に器用さに欠ける、と会長さんが言えば、ソルジャーが。
「そうなのかい? そこのキースだって使えるじゃないか。ただし髪の毛限定で…って、それで充分乗り切れそうだよ? ツーフィンガーの部分限定のサイオニック・ドリームをハーレイがマスターすればいいんだ」
おおっ! 流石は経験豊富なソルジャーです。キース君の髪の毛のことなんか忘れてましたが、言われてみれば写真にまで写るレベルの高度なサイオニック・ドリームを使いこなしてるんでしたっけ…。ジョミー君だって外見だけなら坊主頭に見せられますし、坊主頭が出来るのだったら逆だって勿論可能ですよね。
「なるほどな…。俺の髪の毛と同じ理屈か」
いいかもしれん、とキース君。
「教頭先生なら少し練習すれば使えるようになるんじゃないか? ブルー、あんたが責任を持って指導するのが筋だと思うぞ。元はと言えばあんたのせいだし」
「…サイオニック・ドリームねえ…。解決策としては名案だけど、使えないものは使えないよ。ハーレイには才能が無いって言っただろう?」
「だったら俺やジョミーの時みたいにだな、サイオンをそっち方面に向けて活性化させればいいと思うが」
ひぃぃっ、それってサイオン・バーストを起こさせるって意味じゃないですか! 会長さんに任せておけば安全だとは分かっていてもサイオン・バーストは物騒です。下手をしたら三途の川を渡ってしまう結果になると聞いていますし、ツーフィンガー如きでそこまでのことをしなくても…。
「ハーレイの悩みは軽すぎるんだよ」
会長さんがキース君に返し、ホッと息をつく私たち。ですよね、ツーフィンガーなんて坊主頭に比べれば遙かにマシというものです。永久脱毛したわけじゃなし、いずれは伸びてきますって! なのに、会長さんが続けた言葉は…。
「サイオン・バーストで解決するなら手を貸したっていいんだけどね。…ハーレイは切羽詰まっていないんだ。あの格好でお風呂に入るか入らざるべきかをウジウジ悩んでいるだけだろう? それじゃバーストは起こらない。キースとジョミーは切実に追い詰められていたから可能だったのさ」
「そうか、サイオン・バースト自体が起こせないのか…」
仕方ないな、とキース君が溜息をつき、ソルジャーが。
「サイオニック・ドリームが使えないのなら地道に育毛するしかないね。それともブルーがフォローする? ハーレイがお風呂に入る時には毛があるように見せかけるとか」
「ぼくにそこまでする義務は無いし! ハーレイが自分で努力すべきだ」
「努力すべきと言ってもねえ…。努力したら毛が伸びるのかい? あ、そうだ。専門家に聞けば早いかも!」
「「「専門家?」」」
誰のことか、と問われる前にソルジャーはパチンとウインクしました。
「身体のことなら医者だろう? 育毛剤だって効くのを知っているかもしれない。この際だからハーレイを連れてノルディの所に行ってみようよ」
「「「ドクター・ノルディ!?」」」
いきなり出て来たエロドクターの名に私たちの声が引っくり返り、会長さんはポカンと口を開けたまま。けれどソルジャーは素晴らしいことを思い付いたという風に。
「ぼくの世界に劇的に伸びる育毛剤は無いけど、こっちの世界は違うかも! ほら、ヌカロクに役立つ漢方薬があったりするから、もしかしたら…。あの漢方薬はぼくの世界じゃ作れないんだ。材料が入手出来ないからね」
所変われば品変わる、とソルジャーは本気モードでした。確かにツーフィンガーを拝んで助言をどうこうとは言ってましたが、エロドクターに相談だなんて何か間違っていませんか…?