シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。
フィットネスクラブで恐ろしい話を聞いてしまった私たち。数学同好会が男子シンクロの秘密特訓をしていることをウッカリ喋ってしまったが最後、ジョミー君やキース君たちも学園祭で男子シンクロを披露しなければいけないのです。絶対に口に出さないように頑張り続けて日は過ぎて…。
「諸君、おはよう」
グレイブ先生が不機嫌な顔で登場しました。教室の一番後ろには会長さんの机が増えています。出席を取ったグレイブ先生はプリントを配り、そこには『校外学習のお知らせ』の文字が。
「残念なことに、またまた授業時間が潰れるのだよ。来週、校外学習がある。諸君には楽しいお出かけだろうが、私は残念でたまらない。…まあ、私ごときが学校行事を左右できる筈もないのだがな」
そんなグレイブ先生を他所にクラスメイトはプリントを眺めて喜んでいます。行き先は水族館で一日自由行動ですから、授業より楽しいに決まってますし! 会長さんはプリントを鞄に仕舞い、1時間目が始まる前にさっさと姿を消してしまって終礼にも出てきませんでした。次に会えたのは「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお部屋です。
「やあ。今日も勉強お疲れ様」
先に食べてるよ、と会長さんが指差したのはヨーグルトケーキ。私たちの分も「そるじゃぁ・ぶるぅ」がいそいそと用意してくれて…。
「かみお~ん♪ 来週は水族館だよね! ぼくも行くんだ♪」
今年もちゃっかり申し込み済みらしいです。イルカが大好きな「そるじゃぁ・ぶるぅ」は楽しみでたまらない様子。去年はショーに出てましたけど、今年も何かするのかな?
「えっとね、今年は見るだけだって。…でもイルカさんと握手は出来るよね」
頑張って一番に並んでいれば、と張り切る姿はとても可愛く、私たちは今年もイルカショーをメインに見学することになりそうでした。三回目ともなれば水族館もお馴染みですし、珍しい魚が増えたという話も聞いてませんし…。
「今年はキースもみんなと一緒に来られそうだね」
会長さんの言葉にキース君は「ああ」と大きく頷きました。
「おかげさまで法務基礎の方は順調だしな。去年は焦っていたかもしれん。…入学したてで余裕がなくて」
「ふふ、一年経って大学生らしさが身についたかな? 朝のお勤めなんていうのは最低限をこなしていればいいんだよ。君の場合は毎朝家でもやってるわけだし、必要な単位が取れさえすれば問題はない」
「…先輩たちにもそう言われた。適当に手を抜かないと持たないぞ…とな」
だから今年はサボッてみる、とキース君。去年のキース君は大学で行われる朝のお勤めに出席しなければならないから、と水族館には現地集合だったのでした。その御縁でキース君の大学を見学しに行ったのもいい思い出です。あれから一年経ったんですねえ…。
「ところで、キース」
改まった口調の会長さん。
「法務基礎が順調ってことは、この秋は最初の道場入りだね。サイオニック・ドリームは全然ダメだし、このまま行くとショートカットにするしかないか…」
「………」
沈黙が落ち、キース君はポケットからコンパクトミラーを取り出しました。銀色の蓋に四つ葉のクローバーが彫られたそれは会長さんからの贈り物。この鏡に映るキース君の姿はもれなく坊主頭に見える仕掛けになっています。キース君はミラーを開けて覗き込み、パチンと閉めて。
「…まだ夏休みが間にあるしな。努力を惜しむつもりはない。ジョミーと違って俺の場合は切実なんだ」
「えっ、ぼく? ぼくはお坊さんになんかならないし!」
知らないよ、と言うジョミー君はキース君と一緒に坊主頭に見せかける練習をする仲ですけど、進歩は全くありませんでした。キース君の方は少しずつ坊主頭をキープできる時間が増えて5分の壁をようやく越えた所です。秋に控える道場入りにはショートカットが条件なのだと前から聞いてはいましたが…キース君、大丈夫なんでしょうか?
「ジョミーは無視して俺は頑張る。…このヘアスタイルを死守してみせるぞ。でないとブルーに何をされるか…」
「分かってるじゃないか。銀青として考えるんなら無理やり坊主は却下だけども……ただのブルーとなれば話は別でね。嫌がる君を坊主にするのは楽しそうだし、君のお父さんも喜ぶだろうし…」
指で鋏を真似る会長さんは悪戯小僧の顔でした。キース君がサイオニック・ドリームをモノに出来なかった場合は道場入りに合わせてショートカットどころか坊主頭にしてしまうかも…。秋までは長いようですけども、会長さんや「そるじゃぁ・ぶるぅ」、それにソルジャーや「ぶるぅ」なんかと遊んでいればアッと言う間に日が経ちます。今日だってすぐに帰る時間で…。
「じゃあ、また明日ね」
「かみお~ん♪ また来てね!」
会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」に見送られて影の生徒会室を出る私たち。今日のおやつも大満足の味でした。この部屋を溜まり場にして2年以上になりますけれど、ホントに素敵なお部屋ですよね。
そして校外学習の日。1年A組のバスには当然のように会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」が乗り込んで来て、キース君も学校に集合で……水族館に着くと即、自由時間。会長さんはアルトちゃんとrちゃんを呼び止め、ラッピングされた包みを手渡しています。
「なんだ、あれは?」
首を傾げるキース君にシロエ君が。
「ぶるぅのマカロンじゃないでしょうか。去年も渡していましたし」
「…マカロン?」
「思い出のプレゼントだとか何とか言って、会長が持って来たんです。…先輩、去年は後から合流しましたしねえ…。現場は目撃してないでしょう?」
「…思い出のプレゼントだと? どうしてそこでマカロンなんだ」
分からんぞ、とキース君が言った所へ会長さんが戻ってきて。
「そうか、キースは知らないのか…。アルトさんたちへの最初のプレゼントっていうのがね、此処で渡したマカロンなんだ。君たちが普通の1年生だった時のことさ。…思い出の場所で思い出のプレセントを渡すと言うのは基本だろう? 今年はアルトさんたちも特別生になってくれたし、思いをこめてプレゼント」
凝った入れ物を用意してきたらしいのですが、詳しい話は内緒だそうです。アルトちゃんたち、幸せそうな笑顔でしたし、イニシャル入りとかの特注品になってるのかな…?
「だから内緒。君たちとレディーじゃ待遇が違う」
教えないよ、と会長さんは唇の端に笑みを刻んでみせました。
「ぼくの大事なレディーたちには紳士の顔でいなくちゃね。…悪戯好きはもうバレてるし、治そうって気にもならないけどさ。…で? 一番に見るのはイルカショーかな?」
「かみお~ん♪ 先に行ってるね!」
イルカさんと握手するんだもん、と駆け出していく「そるじゃぁ・ぶるぅ」。私たちもゲートをくぐってイルカショーのスタジアムに行き、去年の大騒動を思い返しながらショーを見て…。会長さんがゼル先生とドルフィン・ウェディングをやらかしたスタジアムでは今年もイルカたちが飛び跳ねています。
「…平和だね…」
ジョミー君が漏らした言葉に私たちは頷き合いました。イルカと握手した「そるじゃぁ・ぶるぅ」は大喜びでしたし、スタジアムの入口に掲示されたショータイムに貸切の文字はありません。今年の校外学習は平穏無事に終わりそうだ、と向かった先はメインの建物。クリスマス・シーズンにはサンタに扮したダイバーが現れたりする大水槽はジンベエザメが目玉でした。
「あれ? 何か配っているのかな…?」
並んでるよ、とジョミー君が指差した先には行列が。シャングリラ学園の生徒が連なっていますけど…。
「えっと…? 運だめしって書いてありますよ?」
マツカ君に言われて目を凝らすと入口の傍に看板があり、そこから列が始まっていました。でも…運だめしって何でしょう? 私たちの視線はごくごく自然に会長さんの方へ…。
「百聞は一見に如かず。並んでみればいいじゃないか」
せっかくだから、と微笑む会長さんに連れられて最後尾につくと、看板の横に置かれた机に真っ白な亀が沢山置かれています。陶器製らしき小さな亀で、順番が来ると一個選べるようでした。
「亀の甲羅に名前を書いて下さいね」
係の女性の説明によると、亀のお腹に貼られたシールの下にマークがついているのだとか。そのマークに当たり外れがあるそうですけど、今すぐ分かるというわけじゃなくて…。
「大水槽に入れるんですよ。それをダイバーが回収してからシールを剥がす仕組みです。シャングリラ学園の生徒さん限定で先着百名様となっております」
亀は残り少なくなっていましたが、私たちの分は十分に数がありました。話を聞くと無料でしたし、一個ずつ選んで名前を書き入れ、係の人に手渡してから建物の中へ。あんなイベントをしてるってことは大水槽の中にダイバーが出現するのは確実です。当たり外れも気になりますけど、亀の回収も見たいかな…。
「あれって何が当たるのかしら?」
スウェナちゃんの問いにサム君が首を捻って。
「何だろう? ブルーは当然知ってる…んだよな?」
「残念ながら知らないんだ。亀イベントをやるって所までしか…。賞品はゼルに丸投げしたから」
「「「ゼル先生!?」」」
「うん。…もうすぐ分かるさ、なぜゼルなのか」
大水槽の周囲を取り巻く通路をゆっくり下って他の水槽も見学しながら歩いていると、不意にアナウンスが入りました。
「只今からダイバーによるイベントを始めさせて頂きます。大水槽に亀の置物を百個沈めてダイバーが素潜りで回収します。大水槽の深さは十メートルとなっておりまして…」
「素潜りなのか…」
大変そうだな、とキース君が言い、私たちも横に聳える大水槽を見上げました。ごくごく普通のスタイルのダイバーが泳ぎ出てきて亀の置物をばら撒いています。百個の亀があちこちに沈むとダイバーは水槽の外に姿を消して…。
「それでは素潜りダイバーを御紹介させて頂きましょう。…シャングリラ学園教頭、ウィリアム・ハーレイ先生です。どうぞ拍手でお迎え下さい!」
「「「えぇぇっ!?」」」
教頭先生がダイバーですって? それも素潜りダイバーだなんて、いったい何がどうなってるの~?
大水槽が見える場所には人が集まり始めていました。シャングリラ学園の生徒以外に一般客の姿もあります。平日ですから少なめとはいえ、親子連れとかカップルとか…。
「ハーレイは素潜りが得意なんだよ」
会長さんが大水槽を覗き込みながら言いました。
「古式泳法の達人なのは知ってるだろう? 今日は流石に褌ってわけにはいかないけれど、十メートルくらいの深さはハーレイにとっては何でもないんだ。だから安心して見ていたまえ」
「…ゼル先生は何処で関わる? あんたの説明を是非聞きたいが」
キース君の疑問を会長さんはサラッと無視して。
「あ、ほら…出てきたよ、素潜りダイバーが」
「「「!!!」」」
遥か上の水中に現れた教頭先生を目にした瞬間、私たちは声を失いました。逞しい身体の教頭先生が見事な泳ぎで水槽の底を目指して潜ってゆきます。今、私たちの前を通過して下の方へとスイスイと…。
「……お、おい……」
震える指でキース君が水槽を指し、会長さんをひたと見詰めて。
「本当にいいのか、これで!? 止めるヤツは誰もいなかったのか!?」
「言っただろう、ゼルが関わってる…って。ゼルはあれでも長老なんだ。長老が一枚噛んでるってことは止めたい人がいないってことさ」
「「「…………」」」
私たちは茫然と大水槽を眺めました。教頭先生は一度目の潜水で回収した亀を水面に運び、待機していた係員に渡したようです。ジンベエザメや無数の魚の間を縫って再び底へと向かっていますが、滑らかなフォームは素潜り名人どころではなく、どちらかといえば芸当でした。教頭先生には足が無かったのです。代わりに大きな魚の尾が…。ショッキングピンクの人魚の尻尾が……。
「どうだい、素敵な人魚だろう? あの尻尾、水に入ればちゃんと泳げるって言ったよね。…ゼルもさ、最初は反対してたんだけど、恨みを買うと後が怖いねえ…。アルトさんたちの件、まだ根に持っていたらしい。お祭り騒ぎってことでOKが出たんだ、今日のイベント」
「「「お祭り騒ぎ…?」」」
「うん。一般の人がもっとシャングリラ学園に親しみを持ってくれるといいな、っていう意味合いで企画した。学園祭の時の花魁行列みたいなものさ。教頭自らコスプレだもんね。…ほら、あちこちでウケている」
大水槽を覗き込んでいる生徒も一般の人もお腹を抱えて笑っていました。教頭先生は大真面目な顔でせっせと亀を集めていますが、ショッキングピンクの尻尾は隠せません。両手で水を掻き、下半身をくねらせて水槽の中を泳ぐ姿は人魚そのもの。撫で付けた髪が乱れないのはサイオンかな…?
「違うよ、ゼラチンで固めてるんだ。シンクロの選手みたいにね」
「「「シンクロ…?」」」
それは聞き覚えのある単語でした。会長さんったら余程シンクロがお気に入りですか…?
「ふふ、最初からシンクロなんて全然関係なかったのさ。数学同好会と男子シンクロの話も真っ赤な嘘。フィットネスクラブに入会したのはハーレイ人魚を泳がせたかったからなんだよ。水族館でのデビュー目指して特訓してた。あそこには深いプールがあるから」
飛び込み用のね、とウインクしている会長さん。じゃあ、仲間を導いていると聞かされたのは…。
「ハーレイ以外に誰がいると? 特訓はけっこう骨が折れたよ、人魚の尻尾を装着するのが大変で」
あれにはTバックの下着が必須だから、と会長さんは教頭先生との攻防戦を語っています。それにしても人魚の尻尾って、本当に泳げるんですねえ…。
「もちろんさ。でなけりゃ特注しないってば。…素潜りが上手な人でなければそうそう上手くはいかないけども」
訓練はとてもハードなものだったとか。毎日プールで練習させられた教頭先生、ついに貧血でぶっ倒れたのが球技大会のお礼参りだと聞かされてしまい、会長さんをジト目で睨む私たち。でも…。
「いいんだってば。ハーレイはとても幸せだったんだ。ぶるぅは居たけど、ぼくとプールで二人きり。いそいそと練習に通ってきたし、Tバックの件を除けば文句は何も言わなかったし…」
無問題、とニッコリ笑った会長さんの後ろを教頭先生人魚がスーッと泳いでいきました。亀の回収は終わったらしく、アナウンスの後、大水槽の中を一周してから水面へ。割れんばかりの拍手に送られ、ショッキングピンクの尻尾の人魚は元来た陸へと戻ったのでした。
「あんた、つくづく無茶苦茶やるな…」
キース君がそう言ったのは大水槽の建物を後にしてから。私たちは亀の置物入りの紙袋を提げ、昼食を食べにイルカショーのスタジアムの方へ向かっていました。もちろん「そるじゃぁ・ぶるぅ」のリクエストです。会長さんは先を行く「そるじゃぁ・ぶるぅ」に手を振りながら微笑んで…。
「無茶苦茶? 別にそうでもないだろう? ぼくの独断でやったんじゃないし、学校絡みのイベントだよ。…ぼくたちの亀はハズレだったけど、当たりの子たちは大喜びだ」
「「「………」」」
そうでした。教頭先生が回収した亀はシールを剥がされ、建物の出口でテーブルに並んでいたのです。自分の亀を受け取る時に当たりの人には景品が…。亀のお腹に『玉手箱』の文字が一等賞の大当たり。『乙姫』が二等で三等が『浦島』、ハズレは『亀』。私たち七人グループは亀、会長さんも「そるじゃぁ・ぶるぅ」も亀マークで…。
「ぼくたちが並んだ時には当たりの亀は無かったんだよ」
残念そうな会長さん。タイプ・ブルーだけにシールの下のマークが見えてたみたいです。ゼル先生に丸投げしたといいう景品が豪華な物だっただけに、惜しい気持ちがあるのでしょう。アルトちゃんとrちゃんも亀マークだったらしいのですが、教頭先生が回収してくれた亀というだけではしゃいでいるのを目撃済み。人魚姿で泳ぐのを見てもファン魂は健在でした。
「…アルトさんたちも目が覚めるかと思ったけれどダメだったな…」
そっちも残念、と会長さんは零しています。ゼル先生が教頭先生人魚の披露にGOサインを出した理由はアルトちゃんたちが船長服の教頭先生に見惚れてしまったせいだというのに、二人は何も知らないままで亀を貰って大喜び。会長さんに首ったけなのとは別のベクトルで教頭先生に惚れたのでしょうが、女心って謎ですよねえ…。
「別にハーレイが好きでもいいんだけどさ。…人魚姫を見ても幻滅どころか大喜びだよ? やっぱり自信を失くしそうだ」
「だったらブルーも人魚になれば?」
とんでもないことを口にしたジョミー君はサム君に後ろから首を締められ、イルカプールに突き落とすぞと脅されて…。
「ごめん、サム! ブルーの悪口を言ったわけじゃ…。言わない、二度と言わないってば!」
必死に謝るジョミー君。会長さんはクスクスと笑い、サム君に優しく微笑みかけて。
「ありがとう、サム。…人魚に変身は流石にちょっと…ね。お笑いはハーレイだけで十分。そうそう、シンクロの技も知識としては持ってるけれど演技することは出来ないよ? 男子シンクロの話は全部大嘘」
「ぶるぅは?」
やってたわよね、とスウェナちゃんが尋ねると…。
「ああ、ぶるぅの技は本物だよ。ハーレイの特訓中に退屈だろうと提案したらすぐにマスターしちゃったのさ」
「うん! 全部サイオンで覚えたんだ♪」
楽しいんだよ、と様々な技を指折り数える「そるじゃぁ・ぶるぅ」。イルカプールを見下ろしながらの昼食タイムは賑やかに過ぎていきました。そのまま午後のショーを楽しみ、次は何処を見学しようかとみんなで相談していると…。
「おい。ぶるぅがいないぞ」
キース君の声でスタジアムを見回した私たちの視界に見慣れた姿はありませんでした。イルカプールにも見当たりません。まさか迷子になっちゃったとか…?
「平気だよ。ここで待ってれば戻って来るさ、いざとなったら思念波もあるし」
大丈夫、と会長さんは昼寝モードに入っています。会長さんがそう言う以上、下手に騒ぐだけ無駄なんでしょうか? 何か気になるショーを見つけて行っちゃったのかもしれませんし…。
「…俺たちものんびり待たせて貰うか」
キース君が言い、シロエ君が。
「そうしましょう。サンドイッチも沢山残っていますよ」
大きな保冷バッグの中には「そるじゃぁ・ぶるぅ」が作ってきてくれたサンドイッチが入っていました。他にも特製の焼き菓子なんかが詰まっています。スタジアムに陣取った私たちが去年のドルフィン・ウェディングの話なんかをしながらのんびり「そるじゃぁ・ぶるぅ」の帰りを待っていると…。
「かみお~ん♪」
「あっ、ぶるぅだ!」
帰ってきたよ、と声がした方を見たジョミー君がポカンと口を開けて固まっています。なになに、何か変なもの見たの?
「かみお~ん♪」
バッシャーン、とイルカプールの水面が弾け、「そるじゃぁ・ぶるぅ」が飛び出しました。空中高く躍り上がって宙返りをして水の中へと消えた姿を、私たちは唖然と見ているだけ。ステージに係員が出てきてイルカショーの音楽が高らかに響き渡ります。えっと…今年はショーに出ないって聞いたのに……イルカと握手するだけだって聞いていたのに、それも大嘘だったんですか~!?
「ん? …イルカショーの時間かい?」
昼寝をしていた会長さんが目をこすりながら起き上がります。赤い瞳が私たちを見渡して…。
「なんだ、全員固まってるんだ? ぶるぅがイルカと遊ぶ機会を見逃す筈がないだろう。今年のショーにぼくは出ないけど、いいステージになると思っているよ」
会長さんの言葉を裏付けるようにステージに立った係員の男性が叫びました。
「ドルフィン・スタジアムへようこそ、皆さん! 只今からのショーには素敵なゲストが出てくれます。…シャングリラ学園から来てくれました、そるじゃぁ・ぶるぅ君です!」
「かみお~ん♪」
イルカと一緒に飛び出してきた「そるじゃぁ・ぶるぅ」。そこまでは去年と同じでした。しかし小さな「そるじゃぁ・ぶるぅ」はいつものマントを着けていません。いえ、マントは去年も無かったような…。でもでも、去年はきちんと銀色の服を…。今年も銀色と言えば銀色ですけど、それは銀色の鱗と尻尾。
「…なんでぶるぅが人魚なのさ…」
聞いてないよ、とジョミー君。幼児体型の「そるじゃぁ・ぶるぅ」は銀色の人魚の尻尾をつけてイルカに混じって泳いでいました。サイオンで補助しているのでしょうか、イルカそっくりに尾びれで水面を進んでみたり、華麗に宙に舞い上がったり。
「シンクロの方が良かったかい? シンクロはイルカショーにはイマイチ映えない技なんだよ。人間としての見せ場はあるけど、イルカとの一体感がない。その点、人魚はバッチリだよね。同じ水棲哺乳類だし」
パチパチパチ…と拍手している会長さん。そりゃあ確かに水棲哺乳類という括りでいったら人魚もイルカも同じですが…って、人魚って実在してましたっけ?
「細かいことは言わぬが花さ。…スタジアムをごらんよ、大ウケじゃないか」
「「「………」」」
観客は大喝采でした。写真を撮っている人もいますし、携帯で仲間を呼ぶ人もいます。トレーナーの合図に合わせてイルカたちと同じ演技をしている小さな人魚は大人気。スタジアムは間もなく満員になり、立ち見の人まで出始めました。そこへ係員の人が声を大きく張り上げて…。
「ここでスペシャル・ゲストをお呼びしましょう! シャングリラ学園から来て下さった教頭のウィリアム・ハーレイ先生です!」
ギョッと息を飲む私たち。教頭先生は何処から登場するのでしょう? 去年のようにステージの袖から粛々と…な筈があるわけなかったですよね…。イルカプールから舞い上がった二匹目の人魚は褐色の肌にショッキングピンクの立派な尻尾。逞しい人魚が加わったことでスタジアムは爆笑の渦に包まれ、あちこちでフラッシュが光りました。
「どうだい? 本物の人魚姫だよ」
絵本じゃなくて、と会長さんが笑っています。人魚姫絵本で散々笑い転げた私たちでも予想だにしないこの光景。ふと気がつくとスタジアムにはゼル先生が来ていました。他にもバスでは見かけなかったブラウ先生やエラ先生が…。いいんでしょうか、こんなことで? シャングリラ学園の恥なのでは…?
「いいんだよ。親しみやすい学園目指してハーレイにはとことん踊ってもらうさ」
クスクスクス…と笑いを洩らす会長さん。
「やたらと長寿な生徒や先生で知られた学園なんだし、もっと垣根を低くしなきゃね。教頭自ら身体を張って笑いを取りに行くんだよ? 笑う門には福来る。とっても素敵な校風じゃないか」
「し、しかし……」
あんまりだぞ、とキース君が反論する声はゼル先生のヤジに消されました。
「いいぞハーレイ、もっとやれい!!!」
頑張らんかい、と囃し立てるゼル先生は心の底から楽しそう。演技している「そるじゃぁ・ぶるぅ」も楽しそうですが、果たして教頭先生は…? ゼラチンで固めた髪を乱さず、笑顔でイルカと跳ねてますけど、心境は…?
「…さあねえ…。シンクロは表情も演技の内だから」
その辺はシンクロが基本なんだ、と会長さんは得意顔です。シンクロも叩き込まれたらしい教頭先生人魚の動きは「そるじゃぁ・ぶるぅ」がサイオンで助けているのだそうで…。
「ハーレイの尻尾はTバックを履いてテープで接着してるんだけどね、ぶるぅの方はノーパンなんだ。後で楽屋を見に行くかい? きっとぶるぅも喜ぶよ」
「…教頭先生もいるんだろう?」
その手に乗るか、と悪態をつくキース君。人魚ショーは大歓声の中でフィナーレとなり、アンコールの声が巻き起こりました。シャングリラ学園の生徒も一般の人も手を叩いての大合唱です。
「かみお~ん♪」
高く舞い上がった「そるじゃぁ・ぶるぅ」と教頭先生はピタリと息が合っていました。この日のために積み重ねられた会長さんとの秘密の特訓。一度限りのショータイムなのか、いつか再演されるのか…。シャングリラ号の青の間でなら出来そうだな、とも思いましたけど「それだけはないよ」と会長さんから入った思念。
『やっぱり最低限の品位は保っておかないとね。今日のショーも写真には写らないよう細工してあるんだ、サイオンで。…大水槽でのイベントの方も』
だから流出は有り得ない、と会長さんは微笑んでいます。
『噂になるだけで十分だろう? シャングリラ学園の教頭は愉快な人だ…って。サイオンを持たない普通の人にも身近な学校でありたいと願い続けて三百年だよ? 実際そのようになっているけど、たまには羽目を外したいよね』
ハーレイも、と続ける会長さん。…そうは言っても教頭先生、羽目を外したかったんでしょうか? 外させられたとしか思えませんけど、実際の所はどうだったのか…。楽屋訪問をせずに帰った私たちには答えは謎のままでした。水族館からの帰りのバスは教頭先生の話でもちきりです。タクシーで帰宅したという教頭先生、顔で笑って心で泣いてのショーだったのか、笑顔で福は呼べたのか…。機会があったらきっと聞かせて下さいね~!
会長さんが参加した中間テストで1年A組は学園1位に輝きました。大満足のグレイブ先生ですが、楽は苦の種、苦は楽の種。待っていたのは名物の球技大会です。男女別にドッジボールで戦い、学年1位の他に学園1位も争うこの大会は…学園1位がとんだ曲者。球技大会の開催を告げたグレイブ先生は神経質そうに眼鏡を押し上げ…。
「諸君、学生の本分は勉学だ。むろん私は1位が好きだが、体格差で劣る上の学年と無理に争う必要はない。学年1位で良しとしておく。…その分の体力は翌日からの授業に備えて温存したまえ」
分かったな、と念を押すグレイブ先生の視線は教室の一番後ろに向けられています。今朝、増えたばかりのその机には会長さんが座っていました。机の上には「そるじゃぁ・ぶるぅ」が腰掛けていたり…。
「ブルー、お前は虚弱体質だ。決して無茶をしてはいかんぞ。…諸君、明日は健康診断がある。体操服を用意して登校するように」
では、と朝のホームルームが終了すると会長さんは早速サボリに行ってしまって二度と帰って来ませんでした。もちろん「そるじゃぁ・ぶるぅ」もです。でも二人とも翌日の健康診断にはきちんと出てきて「そるじゃぁ・ぶるぅ」は女子と一緒に保健室へ。ヒルマン先生を代理に立てたまりぃ先生にお風呂に入れて貰って上機嫌です。
「かみお~ん♪ せくはら、気持ちいいよね」
保健室の奥の特別室でバスルームから出てきた「そるじゃぁ・ぶるぅ」は全身ホカホカ。相変わらずバスタイムをセクハラだと思ってますけど、まりぃ先生が好き好んでやっている以上はやっぱりセクハラ? 念入りに洗いまくっているようですし、「ぶるぅちゃんのお肌はぷにぷによねぇ」なんて言ってますから怪しいかも…。そして。
「お帰り。やっとぼくの番だね」
会長さんが水色の検査服を着て保健室へと出掛けて行きます。一人だけ体操服でないことといい、まりぃ先生が念入りに時間をかけることといい…会長さんも特別扱い。セクハラではなく会長さんが特別室でまりぃ先生にサービスしているらしいのですが、サイオニック・ドリームなのか更に踏み込んだ大人の時間なのかは分かりません。そんなこんなで球技大会当日が来て…。
「諸君、おはよう」
ジャージ姿で教室に現れたグレイブ先生はもう一度釘を刺しました。
「いいな、学園1位にはならなくていい。学年1位は狙って欲しいが、くれぐれも無理をしないように。…我が学園のドッジボールはハードだからな」
内野が一人もいなくなるまで勝負するのがシャングリラ学園流のドッジボールのルールです。身体への負担が大きいから、とグレイブ先生は私たちを心配してくれているのですけど…。
「ぼくが来たからには大丈夫だよ」
教室の一番後ろで上がった涼やかな声。振り返ったクラスメイトに向かって会長さんが微笑みました。
「確かにぼくは虚弱だけれど、試合の合間に休んでおけば回復する。女子チームにはぶるぅがいるしね、学年1位も学園1位も1年A組が手に入れるのさ」
大歓声の中、グレイブ先生は口をへの字に曲げています。みんなは会長さんを讃えているので気付きませんが、グレイブ先生、握った拳が震えていたり…。球技大会で学園1位を獲得すると副賞としてついてくるのが『お礼参り』。日頃の鬱憤晴らしに先生の中から一人を選んでボールをぶつけ放題という恐ろしい行事なのでした。入学したての1年生は誰一人として知りませんけど…。
「みんな、グレイブ先生のために頑張ろう! 目指せ学園1位の座だよ」
会長さんの言葉にクラス全員が奮い立ち、勝利を誓うとグランド目指して走り出します。グレイブ先生は苦々しい顔で私たち七人グループと会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」を見つめました。
「…お前たち。今年もお礼参りをやらかす気か?」
「決まってるだろう」
答えを返したのは会長さん。
「年に一度のチャンスだからね。…ぼくはハーレイをボコボコにするのが気に入ったんだ」
「………。お礼参りは連帯責任があるのだぞ! 私も一蓮托生なのだ!」
唇を噛むグレイブ先生。『お礼参り』では指名された先生へのお詫びの意味で、ボールをぶつけるクラスの担任もコートに入ると決まっていました。指名された先生と二人きりの内野。そこへボールの集中攻撃。
「…そういう決まりになってるしねえ…。伝統ある由緒正しい行事じゃないか」
会長さんは澄ました顔。
「連帯責任が嫌なら一人で全部かぶってみるかい? 指名されたのが君だった場合、内野は一人ということになる。…それもなかなか面白そうだ」
「……そ、そ……それは……」
「嫌だろう? じゃあ諦めてハーレイと二人でボコられるんだね。二人で分ければ打ち身も減るって」
制限時間があるんだから、とウインクしている会長さん。…気の毒なグレイブ先生は去年と一昨年に続いて今年も巻き添え確定でした。
球技大会が始まると会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」は大活躍。二人とも運動神経が抜群ですし、サイオンも使っているようですし…気持ちいいくらいに次々アウトを取っていきます。1年A組は学年1位になり、更に2年、3年の1位のクラスと戦って…学園1位。表彰式で初めて『お礼参り』の存在を知ったクラスメイトは仰天しました。
「そうか…。それでグレイブ先生は学園1位にならなくていいと…」
「だけどなんだか面白そうだわ」
「でもさ、誰を指名するかが問題だよな」
あちこちから聞こえる名前の中ではゼル先生が圧倒的多数を誇っていました。頑固な上にキレ易いので積もる恨みがあるのでしょう。しかし…。
「ちょっといいかな?」
割り込んだのは今日の功労者である会長さんです。
「…ゼルにお礼参りをしたいって人が多いけれども、君たちが勝てたのはぶるぅとぼくが頑張った結果だと思わないかい? ぼくはゼルじゃない人を指名したくて1年A組に来たんだよね」
「「「???」」」
「ぼくの担任は実は教頭先生なんだ。ぼくのクラスにはぼく一人だけ。A組とかB組とかの呼び名もないし、球技大会も一人じゃ出場できないし……だから君たちと一緒に出たのさ。これからもテストでぶるぅの御利益が欲しいと言うなら、お礼参りの指名権を譲って欲しいんだけど」
それは究極の脅しでした。指名権を渡さなかったら会長さんは二度と1年A組に来ない、と言うのです。つい先日の中間試験で美味しい思いをしているクラスメイトは真っ青になってアッサリ陥落。指名権を得た会長さんは前に進み出、よく通る声で宣言しました。
「1年A組は全員一致で教頭先生を指名させて頂きます!」
おおっ、とどよめく全校生徒。2年生にも3年生にも会長さんの『お礼参り』に参加した元1年A組の生徒が混じっていますし、そうでない上級生も全員が目撃してたのですから騒ぎ出すのも当然で…。はやし立てる野次馬の群れがコートを取り巻き、教頭先生とグレイブ先生が出てきました。先生側の外野は今年もシド先生が務めるようです。
「1年A組、準備はいいかい?」
司会役のブラウ先生が改めてルールの説明を始めます。
「制限時間は7分間だ。お礼参りとして攻撃するのはアウトにならない頭だけさ。…ま、うっかり他の所に激突したってアウトは取らない決まりだけどね。でもA組の生徒は違うよ? 当たったらアウトで外野に出る。そして外野から攻撃する、と。分かったかい?」
「「「はーい!!!」」」
みんなで元気よく返事をするとホイッスルが鳴り、お礼参りタイムの始まりです。教頭先生もグレイブ先生も必死に逃げ回っているのですけど、ボールは遠慮なくボコボコと…。それに対してA組の方はボールが避けて通るというか、誰もアウトになりません。さては「そるじゃぁ・ぶるぅ」かな?
『かみお~ん♪ ブルーに頼まれたんだ! えっとね、去年も一昨年もアルトさんが当たっちゃったから…』
みんなにシールドしてるんだよ、と思念波で私たちに伝えた「そるじゃぁ・ぶるぅ」は小さな身体でボールを受け止め、凄いスピードで投げ返しています。その一発が教頭先生の顔面めがけて直撃して…。
「「「あぁっ!?」」」
巨体がグラリと揺らいだかと思うと、教頭先生はコートにバタリと倒れていました。ホイッスルが鳴り、まりぃ先生が救護テントから走って来ます。もしかして私たち、やり過ぎちゃった…?
「大丈夫よ、貧血みたいなものね」
鬼の霍乱、と告げるまりぃ先生。お礼参りは中止でしょうか? あと3分ほど残っていますが…。
「ハーレイは退場させるしかないね」
不甲斐ない、とブラウ先生が腕組みをして仁王立ち。
「こないだから金欠だとかでロクな食事をしてないせいだろ、貧血なんて。…お礼参りの途中でダウンだなんてカッコ悪いったらありゃしない。仕方ない、別の誰かを指名しとくれ」
「「「えぇっ!?」」」
いいんですか、と口々に尋ねるクラスメイトにブラウ先生はバチンと片目を瞑ってみせて。
「年に一度の名物だからね、逃げちゃ教師の名がすたる。…誰か候補はいるのかい? いないんだったらグレイブ一人で…」
「「「ゼル先生!!!」」」
会長さんに指名権を召し上げられたクラスメイトの叫びが一気に爆発しました。渋々コートに入ってきたゼル先生の頭めがけてボールが乱れ飛び、大喝采の内に『お礼参り』は無事終了。…うーん、今年の球技大会も白熱していて凄かったような…。
放課後、私たちは揃って「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお部屋に出掛けてクレープ・パーティー。イチゴにバナナ、カスタードクリームにオレンジソースとバリエーション豊かに楽しんでいると…。
「あれっ?」
ジョミー君が床に屈み込み、カードのようなものを拾い上げて。
「はい。落としたよ、ブルー」
「ありがとう」
受け取ろうと手を伸ばした会長さんの前でジョミー君の目がカードに釘付けになっていました。
「……ジョミー?」
「えっ? あ、ああ…。ごめん、ちょっとビックリしちゃって…」
意外だった、と言いながらカードを渡すジョミー君。あのカードに何か問題が…? 誰もがジョミー君と会長さんを見比べています。会長さんはクスクスと笑い、胸ポケットに入れようとしていたカードをテーブルの上に置きました。…えぇっ!? これってフィットネスクラブの会員証!?
「…うーん、そんなに似合ってないかな?」
コクコクと頷く私たち。虚弱体質の会長さんがフィットネスクラブへ何をしに? 護身術を習ったことがあるとは聞いてましたし、その技で教頭先生を投げ飛ばしたのも見ましたけれど……また何か習おうと思ってますか? それとも身体を鍛えるとか?
「よく見てよ。これでもVIP会員だから」
「「「………」」」
確かにVIP会員です。スポーツ好きとも思えないのに、なんでまた…。
「そのクラブね…。実はぼくたちの仲間が経営してるんだ。おかげで仲間専用の時間帯と枠がある。申請すれば誰でも入会できるってわけ」
「で、あんたは何を企んでるんだ?」
単刀直入に切り出したのはキース君でした。
「あんたと会ってから3年目だが、フィットネスクラブに通ってるなんて話は聞いていないぞ。会員証を見せびらかすように落としてみたり、裏があるとしか思えないが」
「…裏なんてないさ。入会したのが最近なだけで」
ね、ぶるぅ? と同意を求める会長さん。
「うん! あのね、ぼくも一緒に通ってるんだ。プールで泳ぐの楽しいよ!」
広くて貸切、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」はニコニコ顔です。
「そうだ、みんなも行ってみる? 仲間だったら会員にならなくっても泳げるし…。ねえ、ブルー?」
「みんなで? それもいいかもしれないね。たまにはそういう場所で泳ぐのも」
レジャー施設のプールに行くのも楽しいけれど、と会長さん。フィットネスクラブのプールって何かが違うんでしょうか? インストラクターがついてくるとか?
「ぼくが行く時間は特に何もないよ、変わったことは…ね。そろそろ暑くなってきてるし、週末にでも泳ぎに行こうか」
どうやら裏は無さそうでした。会長さんは「そるじゃぁ・ぶるぅ」と思う存分泳いでみたくて入会したと言っていますし、仲間の経営する施設ともなればソルジャーである会長さんはVIPの中のVIPですし……普通の施設のプールよりかは色々融通が利くのでしょう。
「フィットネスクラブか…。前から興味はあったんだがな」
キース君の一言が決め手になって私たちもプールに行ってみることに。その時間帯はプールだけでなく、他の施設も優先的に使えるのだとか。
「ジムなんか面白そうだよね」
鍛えようかな、とジョミー君がパンフを眺めています。
「おいおい、会員になる気かよ? 三日坊主がオチだって!」
混ぜっ返したサム君にジョミー君が食ってかかって、更にキース君がからかって…。収拾がつかなくなった所で会長さんがパンパンと手を打ち合わせました。
「最初はプールでいいだろう? ぼくもプールしか行っていないし、他の施設は知らないんだ。興味があるなら折を見て紹介してあげるから」
分かったね、と言われて頷くジョミー君たち。そういうわけで金曜日の授業が終わった後にフィットネスクラブへ出掛けることになりました。どんな所かな、このクラブ? スイミング・スクールもやっているので飛び込み用のプールとかもあるようですけど、楽しく泳げるプールだといいな…。
会長さんがVIP会員になったフィットネスクラブはアルテメシアではメジャーなクラブで、送迎用のマイクロバスが走っているのをよく見かけます。そのバスが金曜日の放課後、シャングリラ学園の校門前にやって来ました。乗客は私たち七人グループと会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」。クラブに着くとプールのフロアは本当に私たちだけの貸切で…。
「ほらね、言ってたとおりだろう? ぼくが通う時は貸切なんだ。元々、仲間専用の時間帯だし」
水着に着替えた会長さんがプールに飛び込み、綺麗なフォームで泳ぎ出します。私たちもプールを楽しみ、「そるじゃぁ・ぶるぅ」は浮輪をつけて浮かんでみたり、飛び込み台から深いプールに飛び込んでみたり。
「かみお~ん♪」
宙返りしながらダイブしていく「そるじゃぁ・ぶるぅ」は飛び込みの選手みたいでした。会長さんも気持ちよさそうに泳いでいますし、VIP会員になっただけの価値はありそうです。ソルジャーだけにVIP料金どころか一銭も払ってないのでしょうけど。
「…VIP会員って高いんだろうね…」
ジョミー君も同じことを考えていたようです。私たちはプールサイドで会長さんの泳ぎを眺めていました。
「あいつのことだ、ビタ一文払っていないと思うぞ」
ソルジャーに請求書なんか怖くて出せるか、とキース君。シロエ君もそれに同意しましたが…。
「呼んだかい?」
「「「うわっ!?」」」
いきなり背後に会長さんが出現したからたまりません。男の子たちは大パニック。スウェナちゃんと私は口をパクパク。…多分サイオンを使ったのでしょう、会長さんは髪まですっかり乾いています。
「せっかく来たのにもう泳ぐのをやめたんだ? まあ、ぼくもそろそろ限界だけど」
疲れちゃった、とプールサイドの椅子に座ると「そるじゃぁ・ぶるぅ」がスポーツドリンクを持って走って来ました。こちらはペタペタと濡れた足跡がついているのが可愛かったり…。会長さんは喉を潤し、私たちをぐるりと見渡して。
「君たちが想像しているとおり、会費は払ってないんだよ。…ソルジャーだからっていうのもあるけど、趣味と実益を兼ねているから」
「「「実益?」」」
「うん。…ソルジャーとして仲間をここで導いている。この時間はまだ来てないけどさ」
早すぎるから、と壁の時計を見る会長さん。そういえばまだ夕方です。いつもだったら「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお部屋で遊んでいる最中といった所でしょうか。…じゃあ、今日もこれからその仲間が…?
「今日は来ないよ、君たちと遊ぶ約束をしているからね。この後はみんなで串カツだろう?」
「そっか…」
来ないんだ、と残念そうに呟くジョミー君。仲間だの導くだのと気になる言葉を口にされては誰もが同じ心境でしょうが…。ええ、私だって残念ですとも!
「…誰が来るのか知りたいかい?」
会長さんの問いに私たちは揃って頷きました。ソルジャーの立場の会長さんが、プールで仲間にどんな指導を…?
「まずパスカル」
え。パスカルって……あの特別生のパスカル先輩?
「それにボナール、それからセルジュとジルベールと…他にも色々」
「…数学同好会の連中じゃないか」
他は知らんが、とキース君が返すと会長さんは唇に笑みを刻んで。
「そうだよ、基本は数学同好会。君たちが知らない名前の方は数学同好会のOBというか、元メンバーだった連中というか…。とにかく全員、特別生の男子ばかりさ。今は特訓の真っ最中でね」
「特訓って…?」
何さ、と首を傾げたジョミー君に会長さんは真面目な顔で。
「…シンクロ」
「「「シンクロ!?」」」
私たちの脳裏を掠めたものはシンクロナイズドスイミング。あちこちの高校で流行りだという男子ばかりのシンクロでしたが、いくらなんでも見当違い。きっとサイオンをシンクロさせて何かしようというのでしょう。プールを使うのにもきっと理由が…。
「言っておくけど、そっちのシンクロじゃないからね」
「「「え?」」」
そっちって、どっち? 混乱しかけた私たちの横から駈け出していったのは「そるじゃぁ・ぶるぅ」。
「かみお~ん♪」
タタタ…とプールサイドを走り抜けた「そるじゃぁ・ぶるぅ」は勢いよく水に飛び込みました。スイスイ泳いで潜ったかと思うとヌッと片足が突き出して…。
「あれがシンクロ」
会長さんがニッコリ微笑み、「そるじゃぁ・ぶるぅ」は器用に演技を続けています。ええ、シンクロナイズドスイミングの…。じゃあ、数学同好会のメンバーと元メンバーがプールで特訓してるのは……会長さんが指導しているというシンクロは…。
「シンクロナイズドスイミングさ。…いわゆる男子シンクロってヤツ」
「「「!!!」」」
全員の目が点になっていたと思います。なんでソルジャーがそんな指導を? そもそも数学同好会が何故に男子のシンクロなんかを…?
「…学園祭に向けての布石なんだよ」
脱力しきってへたり込んでいる私たちに会長さんは淡々と説明をし始めました。数学同好会が常に存亡の危機にあること。思い切った会員獲得のために学園祭で男子シンクロを披露し、目立ちたがりの有望な男子生徒や男子目当ての女子を呼び込もうと計画していること…。
「パスカルたちだけでは足りないからね、元メンバーにも召集をかけたらしいんだ。相当えげつない手を使って無理やり集めたみたいだけれど、連中はよく頑張っている。学園祭さえ無事に終われば晴れて自由の身になれるんだし」
「…何故ソルジャーが必要なんだ?」
キース君の冷静な突っ込みに会長さんはクスッと笑って。
「えげつない手の一つっていうのがソルジャーの名前なんだよね。男子シンクロはぼくの発案ってことになってる。会員減少に歯止めをかけたい、との相談を受けて提案した…と。それともう一つ重要なのはシンクロの技かな」
「「「技?」」」
「そう。仲間同士ならサイオンで一瞬の内に技の伝達が可能だけれど、仲間の中に男子シンクロの技を持つ者はいなかった。…だったら地道に練習するか、でなきゃ普通の人間が持つ技を盗み出すしか道は無いけど……普通の人間から技をまるっと頂戴できる能力っていうのはタイプ・ブルーにしか無いものらしくて」
ゆえに自分が指導係になったのだ、と会長さんが眺める先では「そるじゃぁ・ぶるぅ」が一人でシンクロを続けていました。では、あの技も会長さんが…?
「ぶるぅは違うよ。ぶるぅもタイプ・ブルーだからね、ぼくと一緒に技を盗んで面白がってやってるだけ。理屈で言えば男子シンクロはぼくでも可能だ。…ただし身体がついていかない」
虚弱体質だし…と言う会長さんを私たちは不審の眼差しで見詰めていました。本当は演技できるのでは? 笑い物になりたくないので出来ないと言っているだけなのでは…?
「…バレちゃったか。でもね、長時間は無理だと思う。せいぜい1分程度かな、うん。…あれは体力が必要なんだよ。ああ見えてハードなスポーツなんだ」
可能だけども絶対やってみたくない、と会長さんは「そるじゃぁ・ぶるぅ」の見事なシンクロを見ています。数学同好会のメンバーたちには会長さんがサイオンで技を教えて、プールサイドから思念波で檄を飛ばすのだとか。
「思念波はとても便利だよ。水の中でもよく伝わるし、演技している仲間同士もピタリと呼吸を合わせられる。…学園祭を楽しみにしたまえ、男子シンクロは必見だ」
「「「………」」」
なんだか凄い展開になってるようです。ソルジャーまで担ぎ出しての特訓だなんて、アルトちゃんとrちゃんも練習について来ているのでしょうか? 女子は出番がありませんからマネージャーでもしているのかな?
「アルトさんとrさんには内緒だってさ。まだまだ完成してないからね、呆れて退部でもされたら困るんだそうだ。芸の域まで到達してからカミングアウトをするらしいよ」
アルトちゃんたちにも秘密の内に涙ぐましい特訓を…。数学同好会の人たちを見る目が変わりそうです。でも会長さんは「絶対話しちゃいけないよ」と厳しく告げて、更に意識にブロックをかけてしまったみたい。
「よし。…これで君たちが知っていることは誰にもバレずに隠しておける。後はその口が余計なことを喋らなければ大丈夫だ。もしも喋ったら記憶操作が必要になるから相応の罰を受けてもらうよ」
「「「………罰?」」」
「目には目を…って言うだろう? 君たちの口から秘密がバレたら、君たちにも同じ特訓をする。学園祭では君たちと数学同好会がプールで技を競うんだ。どっちのシンクロが優れているか、観客の反応が楽しみだよね」
「お、おい…!」
ちょっと待て、とキース君が必死の形相で会長さんを遮りました。
「バレるのは誰からかなんて分からないぞ! 女子からバレても男子シンクロをやらされるのか? 俺たちが女子の分の罰を引っ被るのか!?」
「当然じゃないか」
傲然と言い放つ会長さん。い、いいのかな……男子に罪を被せるなんて……。うろたえているスウェナちゃんと私に会長さんは穏やかに微笑みかけて。
「男子たるもの、女子に対してはナイトでなきゃね。…ぼくはいつでもフィシスやアルトさんたちの身代わりになる用意があるよ? それにさ、ドジを踏んだら君たちに累が及ぶって思ってた方がスウェナたちだって慎重になる。…それでも秘密が漏れちゃった時は運命だと思って諦めたまえ」
男らしく、とキース君たちをビシリと指差し、会長さんは更衣室へと消えました。私たちも着替えを済ませ、予定通りに串カツ店へ。男子シンクロの件は誰も口にせず、ひたすら秘密を守り抜こうと決意を新たにしているようです。この状態が学園祭のシーズンまで続くと思うと泣きそうでした。ジョミー君が会員証を拾わなかったら…。フィットネスクラブに行かなかったら…。後悔先に立たずですけど、号泣しても許されますか…?
教頭先生が会長さんの写真がついた抱き枕をゲットしてから日は過ぎて…中間試験がやって来ました。1位がお好きなグレイブ先生のために1年A組が一丸となって目指すは学年1位の座です。私たちはもう慣れっこになってましたけどテストの間は教室の一番後ろに机が増えて…。
「おはよう。テスト中はぼくも1年A組だからよろしくね」
会長さんの挨拶に女子が黄色い悲鳴を上げます。男子は教科書とノート片手に質問三昧。
「俺、一応ヤマはかけたんですけど…外していても大丈夫ですか?」
「この公式がどうしても覚えられなくて…。このままいくと白紙になってしまいそうです。それでもなんとかなりますか?」
全員に満点を約束している会長さん。初めてのみんなが信じられないのも無理はありません。会長さんはニッコリ笑って答えました。
「心配なんか要らないよ。ぶるぅの御利益って言っただろう? テストが始まればすぐに分かるさ、君たちは全員満点だ。あ、ほら…グレイブが来た」
カツカツと軍人のような靴音を響かせてやって来たのはグレイブ先生。出席を取り、眼鏡をツイと押し上げて…試験初日は数学から。グレイブ先生の担当科目だけあって気合の入った難問揃いの筈ですが…。
「やったー! 全部解けたぜ、この俺が!」
「凄いご利益ね…。そるじゃぁ・ぶるぅってホントに効くんだ…」
解答用紙を回収したグレイブ先生が出て行った後、クラスメイトは大感激。涙ぐむ子もいたりして…。こんな調子で三日間の試験が無事に終わって、私たち七人グループは会長さんと一緒に「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお部屋に向かいました。
「かみお~ん♪ みんな、お疲れ様! お昼御飯が出来てるよ」
お腹空いたでしょ、とすぐに出てくる石焼ビビンバ。わかめスープもついています。賑やかに食べていると会長さんが。
「みんな、荷物はちゃんと用意してきた? 今から運ぼうと思うんだけど」
そうでした。今日は金曜日なので打ち上げパーティーの後は会長さんの家でお泊まり会という予定。荷物は会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」が私たちの家から瞬間移動で直接運んでくれるというので持たずに登校したのです。会長さんは一人ずつ荷物の置き場所を尋ね、自分の家のゲストルームへ移動させていたようですが…。
「はい、おしまい。それじゃ軍資金を貰いに行こうか」
教頭室へ、と先頭に立って部屋を出ていく会長さん。私たちは戦々恐々として会長さんに続きました。なにしろ特別生一年目の三学期の試験の後はとんでもないことになりましたから…。教頭先生を打ち上げに誘って、会長さんが仕掛けた野球拳。身ぐるみ剥がれた教頭先生が辿った末路は思い出したくもありません。
「…なんだ、心配してるんだ? 今日はハーレイは誘わないから大丈夫だよ」
用があるのはお金だけ、と本館に入って教頭室の重厚な扉を軽くノックする会長さん。
「失礼します」
扉を開いて入って行くと教頭先生はテストの採点中でした。
「おお、来たか。今日は多めに入れておいたぞ」
教頭先生が取り出した熨斗袋を受け取った会長さんは中身を数えて冷たい口調で。
「足りないよ。今日は鉄板焼きを食べに行くんだ、いい肉が出ているらしいんだよね。ほら、最高と噂の高いラスコー産の。…だからさ、あとこれだけほど貰わないと」
会長さんが出した指の数に教頭先生は青ざめました。
「ちょ、ちょっと待て、それは高すぎるだろう! 私は今は金欠で…」
「ふうん? ああ、麻雀で負けたのか。でも財布には入っているよ、ちょうどそれくらいの額のお金が」
「こ、この金はゼルに返すんだ! 負けが込みすぎて手持ちの金では足りなくて…今日中に返さないと十一の利子が…」
「「「トイチ?」」」
初めて聞いた耳慣れない単語をつい復唱する私たち。会長さんはクスクスおかしそうに笑っています。
「十日で1割の利子ってことさ。ゼルはけっこうがめついからね」
「分かっているなら勘弁してくれ! その金が無いと生活費が……私の食費が…」
「お金なら口座にあるだろう? キャプテンの給料が入った筈だよ、それに比べたらはした金さ」
そう言いながら財布を出すよう脅しをかける会長さん。
「払ってくれないんなら長老たちに言いつけるよ? ぼくに無理やりポーズを取らせて抱き枕用の写真を撮った…って。教え子に対する猥褻行為で謹慎処分は間違いない。…どうしようかな、ゼルに言うのが一番かな?」
「…………」
教頭先生は眉間を押さえ、深くなった皺を指で何度も揉んで…。
「…やむを得ん…。今月は耐乏生活だな」
懐から出した財布は会長さんにお金を渡すと本当に空になりました。嬉々としてお札を数えた会長さんはそれを熨斗袋に突っ込み、クルリと鮮やかに回れ右。
「ありがとう、ハーレイ。それじゃ、またね」
バタンと閉まった扉の向こうで教頭先生が気落ちしているのが分かります。特別生のヒヨコといえども、二年目にもなれば少しはサイオンで感じ取れるのかもしれません。でも、いいのかな…トイチの利子…。
「いいんだってば。ハーレイはぼくに惚れてるんだし、ぼくが使えば有効利用。麻雀の賭け金なんかよりずっと素敵さ」
平気、平気…と会長さん。まあ確かに、いざとなったらキャプテンとしてのお給料だってあるのです。それを使わずに貯金しているのは会長さんとの結婚生活に備えてのこと。そこから少し持ち出してくれば済む話ですし、放っておいてもいいですよね…?
打ち上げパーティーは個室でゴージャスに鉄板焼き。生産者の名前がついたラスコー産のお肉はとても美味しく、舌が肥えている会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」も大満足の味でした。たっぷり食べてタクシーで会長さんのマンションに行くと、ゲストルームにちゃんとお泊まり用の荷物があります。お風呂に入ってリラックスして、みんなでリビングに集まって…。
「かみお~ん♪ お待たせ! 梅シロップ寒天だよ」
フルーツたっぷりの器を配ってくれる「そるじゃぁ・ぶるぅ」。梅シロップはマザー農場で採れた無農薬の梅を漬け込んだ秘蔵の品で、セットで梅酒もあるのだそうです。会長さんの前に置かれたグラスがそうかな? 私たちはどう転んでも未成年なので梅シロップのソーダ割りですが…。ジョミー君たちはパジャマ姿で、スウェナちゃんと私はパジャマにガウン。
「結局、いつも借りちゃうのよね」
素敵だから、とスウェナちゃんが言うのはガウンのこと。フィシスさん用のガウンを借りて羽織るのがスウェナちゃんと私のお泊まりスタイル。お姫様のドレスみたいなガウンが沢山置かれているので、ついつい借りてしまうのでした。だって憧れるじゃないですか…繊細なレースやゴージャスな刺繍。
「女の子って好きだよねえ…。そういうのが」
レースびらびら、とジョミー君が笑ってますけど、この気持ちは男の子には理解不能だからいいんです。スウェナちゃんが借りてきたのはミントグリーンのシルクのガウンで襟や袖口にレースがたっぷり。私のもレースをあしらったローズピンクでしたが、キース君がスウェナちゃんをまじまじと見て…。
「おい、その色って…似てないか?」
「えっ? 何に?」
キョトンとしているスウェナちゃん。ここへは制服で来たんですからスウェナちゃんの私服はまだ見ていません。下のパジャマは水色ですし、いったい何に似ていると…? キース君は「いや…」と言葉を濁し、気のせいだろうと付け加えました。
「冷静に考えてみたら別物だしな。…とっくに処分している筈だ」
「「「処分?」」」
穏やかでない響きに首を傾げる私たち。一番に口を開いたのはジョミー君でした。
「処分って何さ? 何が似ていて、なんで似ていたら処分なのさ?」
「い、いや…だから……気のせいだろうと…」
モゴモゴと呟くキース君ですが、あまりにもらしくない歯切れの悪さに誰もが疑問を募らせるだけ。そこへ…。
「キースが似ていると言っているのはコレだろう?」
割って入った会長さんが取り出したのはシルクのパジャマ。スウェナちゃんのガウンとそっくり同じの色合いをしたミントグリーンのそのパジャマには嫌というほど見覚えが…。
「「「!!!」」」
キース君がウッと息を飲み、私たちも目が真ん円です。これって教頭先生にプレゼントされてしまった抱き枕の写真に使ったパジャマと同じなのでは…? 色もデザインもそっくりですし…。
「…アレなんだよね、残念ながら…」
会長さんは大きな溜息をついてパジャマを広げてみせました。
「例の写真と同じヤツだよ、まだ何枚も新品がある。…撮影に使われたヤツは捨てちゃったけど、残りは諦めて着るしかないんだ」
え。キース君の言葉を思い出すまでもなく、会長さんが抱き枕の写真に使われたパジャマを処分しないわけがありません。現にそうしたようですけれど、同じデザインのを残しておいて着るしかないとは一体どうして? もしかして凄く高価でレアもののパジャマだったとか…?
「うーん…。レアものというのが正しいかな。なにしろ二度と手に入らないし…。初売りっていうのはお正月しかないものだろ?」
「「「初売り?」」」
ますますもって訳が分からなくなってきました。初売りで買ったパジャマがどうレアだと? 縁起物だから処分できないとかそういうのですか…?
「………フィシスのラッキーカラーなんだよ」
「「「は?」」」
「だからさ、フィシスの今年のラッキーカラーがミントグリーンだって占いに出て…二人で初売りに行って買って来たんだ、パジャマとネグリジェ。スウェナが着ているガウンもね。…ほら、フィシスはぼくの女神だし……ラッキーカラーが幸運を呼ぶなら手伝いたいと思うじゃないか」
それで自分もミントグリーンのパジャマにした、と会長さん。フィシスさんは運気が上がりそうな日や大切な時はラッキーカラーを身に着けるのが習慣だとか。そういえば今年の親睦ダンスパーティーのワルツで着ていたドレスもミントグリーンでしたっけ…。
「夜は二人で一つになるだろ? お揃いの色のパジャマがいいんだ。フィシスが言うには初売りで買った品物には更にパワーがあるとかで…。事情はどうあれ、捨てちゃうなんて出来ないよ」
「…正直に言えばいいんじゃないのか?」
キース君が腕組みをして真面目な顔で尋ねます。
「フィシスさんもあっちのブルーを知ってるんだし…悪戯されて抱き枕の写真に使われた、と言ってしまえば着ずに済むかもしれないぞ。なんと言っても教頭先生が大事にしている抱き枕だしな」
「…もう言った。話したんだけど通じなかったよ、フィシスはとても純情だから…」
女神だしね、と会長さんは苦笑いして。
「ノルディがぼくを狙っているのを理解できないって前に話さなかったっけ? それと同じでハーレイのこともフィシスは全然分からなくってね…。ぼくを大切にしてくれる人だと信じている。だから抱き枕の絵柄にされたと言ってもニッコリ笑って…よかったわね、って。ぶるぅと同じレベルなんだよ」
「えっ、なあに? ぼく、何かした? そっか、ハーレイにあげたブルーのぬいぐるみだね!」
コーティングしてあげたもんね、と胸を張っている「そるじゃぁ・ぶるぅ」。…気の毒な会長さんは理解されない悲哀を背負ってミントグリーンのパジャマを着続けるしかないようです。でもフィシスさんのためなら我慢するなんて、やっぱり女神は別格ですねえ…。
それから私たちはトランプをしたりしてワイワイ騒いで、夜が更けても元気一杯。誰もゲストルームに引き上げないまま遊んでいると、休憩していたシロエ君が壁際の棚に目を留めて…。
「あれ? これって…」
視線の先には淡いピンクの背表紙の本がありました。本棚ですから本があるのは当然ですけど、シロエ君、どうかしたのかな? 顔を近づけてまじまじと観察しているようです。何か珍しい本なのでしょうか?
「…えっと……会長?」
「ん? 気になる本でも見つかったかい?」
好きなのを出して読んでもいいよ、と会長さんが答えを返すとシロエ君は「でも…」と口ごもって。
「いいんですか、本当に? この本のタイトル、人魚姫って書いてあるんですけど…」
「なんだ、それか。 読みたいんだったら好きにしたまえ」
「…でも……会長の分はないんだって聞いたような…」
え。会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」を除いた全員の視線がシロエ君に集まりました。淡いピンクの背表紙の本で、タイトルが人魚姫。そして会長さんの分がない本といえば、もしかしてあの…人魚姫絵本? 連休にシャングリラ号へ遊びに行った時、ゼル先生が口止め料代わりに読ませてくれた爆笑モノの…?
「…ぼくの分の本も出来たんだよ」
不本意ながら、と会長さん。それじゃやっぱりあの本は…? 会長さんは棚の所へ行き、シロエ君が見ていた本を引っ張り出して私たちの方へ戻って来ました。シロエ君も後ろにくっついています。私たちの真ん中にトンと置かれた淡いピンクの装丁の本は記憶の中の…絵本そのもの。
「気持ち悪いから要らないって言ってたのに……なんで?」
ジョミー君の問いに会長さんはフウと吐息をついて。
「…フィシスが欲しがったから増刷したのさ。フィシスが持ってるとなったらペアで持ちたくなるじゃないか。だから自分の分も作った。…フィシスはブラウに見せて貰って羨ましくなったらしいんだ」
「…けっこう悪趣味なんですね…」
意外でした、と言うシロエ君に会長さんは顔をしかめて。
「違うよ、中身の問題じゃない。…長老しか持っていないというのがフィシスが残念がった点。自分は長老たちほど長い年数をぼくと一緒に生きていない、と寂しそうにしていることがあるからね…。本の中身はどうでもいいんだ、フィシスにとっては。長老たちと同じに扱われたい、と願っただけ」
「…それにしたって…」
人魚姫だぜ、とキース君が呆れています。フィシスさんの天然っぷりは先刻も聞かされましたけれども、女神ともなれば心もドーンと広くなるとか…? この絵本を欲しいと思うだなんて…。
「…君たち、フィシスを馬鹿にしてるだろう? でも君たちも他人のことを言えた義理かい? 読みたくてたまらないくせに」
「「「!!!」」」
ギクッ。おずおずと顔を見合わせる私たちの瞳は好奇心を隠し切れていませんでした。ゼル先生に見せて貰った人魚姫絵本は凄かったですし、ここでなら誰に遠慮もせずに笑い転げられるというものですが…。シャングリラ号の機関部で見た時も散々笑いましたけど。
「ほらね、やっぱり読みたがってる。…フィシスにきちんと謝るんなら読ませてあげるよ、その絵本。あ、いきなり謝られてもフィシスも困ってしまうだろうし……とりあえず、ぼくに謝っておきたまえ」
「「「…はーい…」」」
ごめんなさい、と私たちは頭を下げました。天然だろうがズレていようが、フィシスさんは会長さんの女神です。しかも美人で占いも出来て、優しくてとても賢い人で…。
「そのくらいでいいよ、フィシスの素晴らしさを分かっているならそれでいい。はい、どうぞ。…ぼくの特製人魚姫絵本、第二版」
ズイと押し出された絵本を囲んで車座になった私たち。ページをめくる係をジャンケンで決め、正面に陣取ったジョミー君が。
「それじゃ開けるね。ページをめくりたい時は合図して」
淡いピンクの表紙がめくられ、褐色の肌にショッキングピンクの尻尾を持った人魚姫の写真が現れました。海面に突き出た岩に座ってウットリ手鏡を眺めています。髪に貝殻の冠を飾った教頭先生…いえ、人魚姫のロマンティックな恋と冒険が次のページから始まりますよ~!
会長さんの力作の人魚姫絵本は私たちが撮影した写真を元に背景などを合成した上、文章を添えたオリジナル。もちろんストーリーだっていわゆる『人魚姫』とは全く違っているのでした。どんなのかって? えっと、それは…。
「うぷぷぷ…。何回見ても笑えるよな、これ」
サム君が笑いを堪えているのは人魚姫と王子様の出会いのシーン。お城の舞踏会で踊っているのは魚、さかな、サカナ。鯛やヒラメが舞い踊る中、逞しい人魚姫が恋をするのは立派なマグロの王子様です。二百キロを超える本マグロですが、カッコ書きで「刺身にすれば二千人分」と添えてあるのが会長さんのセンス。
「うん、お刺身は余計だよねえ…」
ロマンティックが台無しだよ、と言いつつジョミー君が笑うとキース君が。
「いや、伏線は大事だぞ? 刺身はベストな選択だ」
分かり易いからな、との言葉に誰もが納得。マグロといえばお刺身が身近ですものね。…人魚姫と王子様はデートを重ね、今日は海面に近い明るい海へ。語らっている所に泳いできたのは金色のイワシ。金で出来たイワシではなく、アルビノのイワシなのですが…人魚姫は物珍しさに瞳がキラキラ。そこで王子様は金のイワシを捕まえようと…。
「マグロだものねえ…。咥えるしかないっていうのは分かるんだけど」
悲惨よね、とスウェナちゃん。マグロの一本釣り漁法の中に「まずイワシを釣る」方法があるのだそうで、釣ったイワシを泳がせておいてマグロの餌にするのです。…王子様が人魚姫にプレゼントしたくて咥えたイワシは釣り用の餌で…。
「これ、これ! ここの写真の人たち、今頃クシャミしてるんじゃないの?」
ジョミー君がめくった絵本の中では笑顔のおじさんが二人がかりで王子様を船に引き上げていました。船の周りを泳ぎ回る人魚姫には気付いていません。驚き慌てる人魚姫と大漁を喜ぶ漁師たちとの表情のかけ離れっぷりが最高で…。教頭先生の焦った顔は撮影会では撮ってませんし、会長さんが他の写真を合成して作り上げたのでしょう。
「この辺りまで来ると気の毒としか…。し、しかし…」
笑いが止まらん、とキース君が目尻に涙を滲ませ、誰もが笑い転げています。マグロを釣り上げた漁師が一番にすることは活け締めですが、太くて鋭いキリのような道具を構えた瞬間、おじさんの腕にヒットしたのは大きな尾びれ。王子様の尾びれではなくショッキングピンクの尾びれです。
「…だ、誰なんだろうね、このおじさんたち…」
ジョミー君が笑いながら指差しているのは船の上でダウンしている二人のおじさん。船に躍り込んだ人魚姫は大乱闘の末に王子様を無事に救い出し、いそいそと海に帰るのですけど…逞しい尾びれで殴られまくったおじさんたちの写真は何処から…?
「釣りバカ日誌ってウェブサイトだよ」
会長さんが口にしたのは釣り好きの二人組が運営しているというサイトの名前。マグロの一本釣りにも何度か挑戦していて、成功例ももちろん沢山。ダウンした図は二人揃って日射病に倒れた時のだそうです。
「画像はご自由にお持ち下さいって書いてあったから貰って来たのさ。まさか人魚と格闘したとは夢にも思ってないだろうけど…。あ、のけぞってる写真はイカ釣りのヤツ。墨を吐くだろ、だから色々と笑える写真が多くてさ」
「…イカなのか…。人魚よりかはまだマシだろうな」
キース君が呟き、マツカ君が。
「当然ですよ。人魚を釣ったら殴られますって」
凶器は尻尾だけですけれど、と肩を竦めるマツカ君。教頭先生人魚の写真撮影で撮ったポーズに格闘技のが無かったせいか、人魚姫の武器はショッキングピンクの尾びれでした。…漁師たちを殴り倒した人魚姫に王子様は改めて惚れ直し……ハッピーエンドの結婚式。二百キロのマグロと頬を染めた人魚姫のキスが感動のラストシーンです。
「「「うぷぷぷぷぷ…」」」
堪えていた笑いが一気に噴き出し、私たちは人魚姫絵本を囲んで床をバンバン叩いていました。会長さんったら奥付ページに鉄火巻きの写真を添えているのです。ページの下には鉄火巻きを頬張る教頭先生の写真がしっかりバッチリ載せてあったり…。船長服を着ていますから、クルーの交流会か何かの写真でしょう。
「その写真ね、ハーレイのアルバムから拝借してきてスキャナで取り込んだんだけど…元の写真だと隣にゼルたちが写ってる。長老だったら笑える仕掛けさ、見た瞬間にピンとくるしね」
「「「!!!」」」
どこまで凝った絵本なんだか…。マグロとのキスで終わった愛の物語の奥付ページに鉄火巻き。しかも教頭先生が鉄火巻きを食べる写真とセットだなんて…この人魚姫絵本、本当にハッピーエンドでしょうか? 王子様は鉄火巻きになったのでは…?
「それはない、ない。人魚姫と王子様は末永く幸せに暮らしました…って書いてあるだろ? 鉄火巻きの写真は遊び心さ。それにハーレイ、マグロが好きだし」
「「「えぇっ!?」」」
私たちの頭に浮かんだものは食材としてのマグロではなく魚の方のマグロでした。人魚姫絵本に頭の中まで毒されていたみたいです。教頭先生とマグロがラブラブな図を連想してしまい、再起不能になりかけていたり…。
「違うってば。ハーレイが好きなのは食べる方だよ、鉄火巻きとかお刺身とか…。マグロといえばカルパッチョなんかも美味しいよね」
自分のやらかしたことを棚上げにしてクスクス笑いの会長さん。
「ぶるぅ、明日のお昼は手巻き寿司にしようか、美味しいマグロを買ってきて」
「かみお~ん♪ じゃあ、朝一番に行かないとね!」
もうすぐ市場が開いちゃうよ、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」が壁の時計を見ています。朝の4時から始まる市に間に合うように出掛けるつもりらしいのですが…いつ寝るんでしょう、子供なのに…。
「ぶるぅもタイプ・ブルーだからね、市場には瞬間移動で出掛けるのさ。帰りも同じ。買い物をして帰ってきてから土鍋でぐっすり眠れば十分。…さてと、ぼくも一緒に行こうかな」
買いたいものが沢山あるし、と会長さんは着替えに行ってしまいました。パジャマで市場は無理ですしね。人魚姫絵本で笑い続けた私たちは睡魔に捕らわれかかっています。
「眠くなってきたね…」
「ええ、流石に…」
4時ですもんね、とジョミー君とシロエ君が言葉を交わし、私たちはゲストルームに引き揚げることに。入れ替わりに会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」が朝市に向かって出発です。二人がいつの間に帰って来たのかも知らず、ぐっすり眠って目を覚ますと…お昼。手巻き寿司パーティーの始まりでした。
「それじゃ、1学期後半の前途を祝して…」
会長さんが音頭を取って、みんなでウーロン茶のグラスを掲げて…。
「「「かんぱーい!!!」」」
今日は土曜日、明後日からは1学期の授業の後半です。祝した前途にロクでもないことが待っているのか、それとも楽しい毎日なのか。…いいえ、よくよく考えてみれば楽しくないことってありましたっけ? きっとこの先にも素敵でワクワクする出来事が…。会長さんも「そるじゃぁ・ぶるぅ」もジョミー君たちも、これからの日々もよろしくです~!
教頭先生の家に届いてしまった抱き枕。サイオンで遠くを見ることが出来ない私たちにはサッパリ様子が分かりませんが、教頭先生は荷物を受け取ったみたいです。憮然としている会長さんを横目で見ながらソルジャーが「そるじゃぁ・ぶるぅ」の頭にポンと手を置いて。
「みんなに中継してあげてくれるかな? ハーレイが何をしてるか見物しなくちゃ」
「オッケー! えっとね、あの壁を見てて」
小さな手がリビングの一角を示すと、浮かび上がった中継画面。教頭先生が家の玄関を入った所で大きな包みを抱えていました。
「…ブルーから荷物か…。何も話は聞いていないが…」
差出人の名前を確認している教頭先生。送り状を読んでいた視線がピタリと止まって…。
「抱き枕だと!?」
信じられん、と包みと送り状の品物の名前を交互に眺めまくった教頭先生は独自の結論に至ったらしく、包みを運んだ先は寝室ならぬリビングでした。
「これはブルーの悪戯だな。…私がブルーの写真を使った抱き枕を作りたがったのはバレている。期待させておいてガックリさせる魂胆だろう。あいつのことだ、何処かで見ているに違いないが…」
その手に乗るか、と教頭先生はコーヒーを淹れにキッチンへ。お気に入りの豆を挽き、サーバーを温め、のんびり手順を楽しんでいます。香り高い一杯が出来上がるとカップを持ってリビングに戻り、ソファに立てかけてあった抱き枕の包みと向かい合う形で腰掛けて。
「ふむ…。どうしたものかな、この枕を? 男性向けの絵柄の枕を寄越したに決まっているが、コーヒーで心も落ち着いたことだし、残念だが私は驚かん」
あらら。教頭先生、中身を誤解しているようです。ソルジャーも想定外だったらしく、その顔は実に不満そう。
「なんで好意を疑うのさ! 本物のブルーの写真の抱き枕なのに…。ねえ、ぶるぅだってそう思うだろ?」
「いつもの御礼に作ったのにね…。ハーレイ、ブルーが大好きだから」
素直で無邪気な「そるじゃぁ・ぶるぅ」は抱き枕が日頃の御礼に作られた品だとソルジャーに騙されたままでした。教頭先生の会長さんに対する熱い想いも全く理解していないので、抱き枕イコール会長さんのぬいぐるみという感覚です。まあ、私たちだってつい先日まで同じような勘違いをしてましたから…笑える立場ではないのですけど。教頭先生はコーヒーを飲み干し、やおら包みに近付くと…。
「さてと、中身を見てみるか。…この大きさは特注品だな。私の体格に合わせてきたのか? 使い心地だけは良さそうだ。怪しいカバーは捨ててしまって新しいのを作ればいいし」
ベリベリと包装紙を剥がし始める教頭先生にソルジャーは唇を尖らせています。
「新しいカバーを作るだって!? 自分じゃ注文できそうにないから代わりに作ってあげたのに…。なんだ、ヘタレじゃないじゃないか」
つまらない、とソルジャーが零すと「そるじゃぁ・ぶるぅ」が。
「…ん~と…。カバーってハーレイの手作りカバーのことだと思うよ、トランクスのカバー」
え。トランクスのカバーって…何? 私たちの視線が「そるじゃぁ・ぶるぅ」に集まりました。もしかしなくてもトランクスってアレですか? 青月印の紅白縞…?
「うん。ハーレイはね、ブルーがプレゼントしたトランクスの使い古しを抱き枕のカバーにリフォームしてる…って前に説明しなかったっけ? 忘れちゃった…?」
「「「………」」」
記憶を遡ってみる私たち。そういえば初めてトランクスのお届け物に付き合わされた1年生の夏休み明けにそんな話を聞いた気がします。それっきり二度と思い出しもせず、実物を目にしたこともないので綺麗に忘れていましたが…。
「…トランクスで抱き枕…? それはなんとも悪趣味だねえ…」
自分が履いてたヤツだろう、とソルジャーが顔を顰めます。けれど「そるじゃぁ・ぶるぅ」はキョトンとして。
「だってブルーがあげたヤツだよ? 大事に使うって素敵なことだと思うけど…」
「そうかなあ? まあ、ブルーがくれたって所がハーレイにはポイント高いんだろうね。でも今日のプレゼントはもっと凄いし、もうトランクスのカバーは要らなくなるよ」
念願のブルーの抱き枕、と中継画面に見入るソルジャー。教頭先生は外側の茶色い包装紙と保護用のシートを丁寧に剥がし、お店のロゴ入りのグリーンの紙に貼られた熨斗紙を眺めました。
「御礼、ときたか…。いったい何の御礼やら。…男性向けは要らんのだがな」
よいしょ、と紙を解きにかかった教頭先生はピキンと固まり、たちまち顔が真っ赤になって…。
「…こ、これは…まさか…」
ブルー? と微かに動いた唇の形。包装紙の下から覗いていたのは会長さんの顔写真でした。
それから後の教頭先生は笑えるほどのドキドキっぷりで、壊れ物を扱うように包装紙をそーっと剥がしていって…。途中でウッと短く呻くと鼻にティッシュを詰め込みました。
「いかん、いかん。…うっかり汚しては大変だからな。どんなつもりでくれたにしても、この写真はブルーに間違いない。…もう一人の方より初々しいし…」
私たちはソルジャーの方を見、ソルジャーはフンと鼻を鳴らして。
「失礼なヤツ! ぼくの何処がスレてるって? 恥じらいが無いなんてことはないよね、そうだろう?」
「「「………」」」
同意を求められても私たちの気持ちは真逆。ソルジャーにはいつもとんでもない目に遭わされてますし、初々しさに欠けているのは事実でしょう。会長さんは不機嫌そうにしていましたが、教頭先生は包みを剥がし終わって感無量でした。
「………ブルー………」
ギュウッと抱き締め、頬ずりをして、その質感を堪能して…。
「ああ、まるでブルーがこの腕の中にいるようだ…。もう悪戯でもかまわんな。これを抱いて寝ている間に坊主頭にされるとしても、今夜はこれでいい夢を…」
教頭先生は抱き枕を大切そうに抱えて階段を上がり、寝室のベッドに置きました。会長さんの身長を再現しただけあって枕はかなり大きめですけど、教頭先生のベッドも立派ですから決して狭くはなりません。なんといっても会長さんとの新婚生活を夢見て購入されたベッドです。抱き枕にそっと布団を被せた教頭先生は足取りも軽く廊下の方へ…。
「もういいよ、ぶるぅ。お疲れ様」
ソルジャーの声で中継画面がフッと消え失せ、私たちはリビングで茫然自失。念願の抱き枕を手に入れた教頭先生、どんな夜を過ごすつもりでしょう? そして抱き枕のモデルにされた会長さんは…?
「どうだい、ハーレイの喜ぶ顔を見た感想は? 本当に君が好きなんだねえ…」
あてられちゃうよ、とソルジャーがクスクス笑っています。
「あの枕を抱いて寝られるんなら坊主頭にされても構わないそうだ。だからといってさせないけどね、このぼくが」
ソルジャーは会長さんの右手を掴み、動きを封じてみせました。
「ぼくは君のハーレイに同情したからあの抱き枕を注文した。君の名前で発注したけど、君が文句を言わないように資金もちゃんと用立ててきたし」
ほらね、とソルジャーが宙に取り出したのは紙封筒。中身のお札を何度か数えて会長さんに手渡します。会長さんは反射的に受け取ってからハッと息を飲んで。
「ちょっと待った! このお金っていったい何処から…? まさか…」
「ノルディがぼくにくれたんだよ」
「「「!!!」」」
しれっと言ってのけたソルジャーに私たちは仰け反りましたが、当のソルジャーは涼しい顔で。
「あ、抱き枕のことは言ってないから。…こっちの世界で遊びたいけどお金がなくて、とお願いしただけ。何をするのかなんて無粋なことは訊かれなかったよ、遊び慣れてるせいなのかな? 機会があれば食事でも…と言って気前よくくれた」
だからランチに付き合ったよ、とソルジャーはニッコリ笑っています。会長さんは呆れながらもお金を数えて封筒に戻し、奥に片付けに行きました。抱き枕の代金を支払う羽目に陥るよりは、エロドクターのお金といえども有難く貰うということでしょう。それから私たちはおやつを食べて、夕食は「そるじゃぁ・ぶるぅ」が腕をふるった伊勢海老のポワレに骨付き仔羊のオーブン焼きに…。
「やっぱり地球の食材はいいね」
美味しいよ、とご機嫌で食事を終えたソルジャーの前にはデザートのティラミスのお代わりが。
「みんなも栄養つけた方がいいよ、今夜も覗き見しなくっちゃね。ほら、ハーレイと抱き枕の…さ」
きっと楽しい夜になるから、と教頭先生の家の方角を眺めるソルジャー。えっと…また覗き見をするんですか? 教頭先生と会長さんの写真がついた抱き枕の夜を観察しようと言うんですか…?
お泊まり会の夜は更けて…リビングで寛いでいるとソルジャーが「始まるよ」と囁きました。合図された「そるじゃぁ・ぶるぅ」が壁に映し出したのは教頭先生の家の寝室。お風呂上りらしき教頭先生がパジャマ姿でベッドに近付き、抱き枕に被せてあった布団を剥いで…。
「…ブルー…」
会長さんの写真が見える程度に照明を落とした部屋のベッドの上で、教頭先生は抱き枕を強く抱き締めます。誘うような表情の会長さんの姿に口付け、のしかかって足を絡ませて…。
「ふふ。ちゃんと発情できるじゃないか」
役立たずってわけでもないね、と笑みを浮かべているソルジャー。会長さんはパジャマの上から浴衣を着込んでガードを固めているんですけど、ソルジャーの方はパジャマだけ。それも抱き枕の写真に使ったのと同じミントグリーンのシルクだったり…。気持ち悪くはないんでしょうか?
「まさか。だってハーレイだよ、ぼくのハーレイと寸分違わない身体じゃないか。気持ち悪いなんて思いやしないし、それどころか…熱くなってきたかな」
ゾクゾクする、と言うソルジャーの頬には赤みがさしています。その姿が青い光を放って…。
「「「!!!」」」
抱き枕から会長さんの写真が抜け出し、しなやかな腕を教頭先生の逞しい背中に巻き付けました。
「…ねえ、ハーレイ…」
甘やかな声が教頭先生を呼び、私たちは中継画面の前で硬直状態。ソルジャーの姿は見当たりません。ということは、抱き枕の中から抜け出したのはソルジャーその人。ベッドの下に落ちた抱き枕に写真は印刷されていますし、サイオニック・ドリームだったのでしょう。教頭先生も仰天したらしく、暫し固まっていましたが…。
「……ブルー……?」
恐る恐る問いかけた教頭先生に会長さんのふりをしたソルジャーはコクリと頷いてみせて。
「うん。そう、ぼくだよ、ハーレイ…」
「ブルー…!」
ソルジャーの演技が上手かったのか、薄暗かったせいなのか。教頭先生は写真どおりのパジャマを身に着けたソルジャーをギュッと両腕で抱くと…。
「どうしてお前が…? あんなに嫌がっていた筈のお前が…」
「分からない? 恩返しだよ、いつもお世話になっているから」
「恩返し…?」
何かが変だ、と感じたらしい教頭先生。プレゼントの抱き枕に御礼の熨斗はかかっていても、流石に話が旨すぎます。教頭先生はソルジャーからパッと離れて、髪の毛に手を…。
「…ハーレイ? どうかした…?」
潤んだ瞳のソルジャーに、教頭先生はベッドの上で後ずさりながら。
「い、いや…。お、お前らしくないな、と思って…」
「そうだろうね」
キラリとソルジャーの瞳が輝き、身体を起こすと教頭先生に抱き付いたからたまりません。教頭先生はソルジャーに強く引っ張られてベッドに沈み、ソルジャーはその下敷きに…。
「ブルー! や、やめてくれ、私は坊主頭は…!」
「坊主頭って…まだブルーだと思ってる? 確かにぼくもブルーだけれど、坊主の資格は持ってないから君の頭は剃れないよ」
人違いさ、とソルジャーは教頭先生をしっかり捕まえたままで。
「こんなミスは初めてだよね。…抱き枕でよほど余裕を失くした? あの写真は君のブルーに間違いないし、ぼくが着ているパジャマは写真と同じ。欲情してたら目も曇るかな?」
「な、何故…。何故あなたが…」
「何故来たのかって?」
ソルジャーは慌てふためく教頭先生の首に腕を回して…。
「だから恩返しに来たんだってば。…薬を買ってくれただろう? スッポンが入った高い薬を。あれね、とっても役立ってるんだ。それでお礼にお手伝いをしようと思って…。筆おろしの」
筆おろし? それって何のことでしょう? 私たちは顔を見合わせ、互いに首を捻りました。会長さんの苦い顔つきからしてロクでもない意味の言葉かな? 教頭先生も耳まで真っ赤になってますけど、私たちには分かりません。ソルジャーは更に言葉を続けて。
「…ぼくの身体で筆おろし。恩返しにいいと思わない? 童貞のままじゃブルーは落とせやしないよ、シャングリラ・ジゴロ・ブルーだからね。筆おろしが済んだらぼくを相手に場数を踏んでいけばいい。ノルディみたいなテクニシャンになればブルーも落ちるさ」
キスひとつでね、と熱い吐息を漏らすソルジャー。
「おいでよ、ハーレイ。ブルーだって下手くそな君より上手な方が喜ぶと思う。だから…」
来て、とソルジャーは教頭先生の耳に唇を寄せましたが…。
「…………」
教頭先生はソルジャーの腕を掴んで解き、身体を離して自分のパジャマを整えています。
「なんで? ぼくは君が童貞なのが気の毒だからブルーの代わりに…」
「…あなたのハーレイはどうなります?」
「いいんだってば、あんなヘタレは!」
放っといても問題ないし、とソルジャーが言い募っても教頭先生は応じません。ベッドから降り、抱き枕をそっと抱えると…。
「私にはこれで十分です。ブルーを想っているだけで幸せですから」
「それもぼくがプレゼントしたんだけれど? スクール水着の写真よりもずっと素敵だろう?」
「…そうなのですか? ならば尚更、お礼なんかは頂けません。この抱き枕があれば独り寝くらい…」
ブルーと一緒に寝られますしね、と抱き枕に頬ずりをする教頭先生。会長さんが「おえっ」と呻き、「そるじゃぁ・ぶるぅ」がニコニコ顔で。
「よかったね、ブルー! ハーレイ、とっても喜んでるよ。ブルーの大きなぬいぐるみ♪」
「……聞きたくない……」
頭痛がする、と会長さんは頭を抱えています。ソルジャーは教頭先生のベッドの上で膨れっ面。本当に大人の時間を繰り広げる気だったのかどうかは分かりませんが、教頭先生が退けてくれたお蔭でまずはめでたし、めでたし…でしょうか?
「…ところで、ブルー」
抱き枕を寝室の椅子に立てかけた教頭先生はソルジャーの方に向き直りました。
「この枕はあなたからのプレゼントだと伺いましたが、ブルーの…こちらの世界のブルーの名前を騙ったのですか? ここに印刷されているブルーの写真はどうやって…?」
「ブルーからのプレゼントを装うことは騙ったことになる…のかな? 欲しかったんだろう、抱き枕。ブルーには色々と言ってやったんだ。君の一生のお願いくらい、聞いてあげても良かったのに…って。写真はそれの副産物さ」
「…あれをご存じだったのですか…」
恥ずかしそうに視線を落とす教頭先生。ソルジャーはクックッと笑い、「見ていたからね」と軽くウインク。
「福引大会の景品が抱き枕だなんて素敵じゃないか。それも抱き枕はブルー本人。君の他にも希望者が大勢いたようだけど、ブルーの狙いは悪戯で……君を坊主頭にすると脅してみたかっただけ。君そっくりの恋人を持つ身としては悲しくなるよ。しかも君が童貞だなんて聞いてしまうと…」
「…その話は何処で…?」
「えっと…」
ソルジャーは少し考え、それから瞳を私たちの方へと向けて。
「ぶるぅ、みんなをハーレイの家へ!」
「かみお~ん♪」
げげっ。ソルジャーと「そるじゃぁ・ぶるぅ」の青いサイオンがシンクロしたかと思うと、私たちは教頭先生の寝室にドサリと放り出されていました。会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」も一緒です。仰天している教頭先生にソルジャーが鮮やかに微笑んで…。
「この子たちから聞いたんだ。いや、読み取った…と言うべきかな? それを肯定したのはブルー」
「…………」
教頭先生は言葉を失い、私たちは申し訳ない気持ちで一杯でした。童貞なのは秘密だったに決まっています。それがとっくにバレていたとは情けないでは済まないでしょうし…。一方、会長さんはパジャマの上から着込んだ浴衣の襟元を掻き合わせ、警戒心を隠していません。ソルジャーは会長さんの肩をポンと叩くと…。
「怖がらなくても平気だってば。ハーレイに君を襲うほどの度胸はないよ、抱き枕の相手が精一杯さ。…なんといっても童貞だもんね。ぼくがせっかく来てあげたのに童貞を捨てる勇気もないし。…そうだろ、ハーレイ?」
「………」
「あ、ブルー相手なら話は別かな? でもさ、経験値ゼロじゃいくら一生のお願いでもねえ…。男同士は難しいんだ。ブルーが痛い目に遭わされるのは、ぼくとしても…ちょっと困る」
けっこうブルーを気に入ってるし、とソルジャーは会長さんの頬にそっと触れて。
「ブルーには幸せになって欲しいんだ。君が相手ならなおのこと…ね。だから気が変わったらいつでも言って。君の練習に付き合うよ」
そして何処からか取り出したものは…。
「「「あっ!!!」」」
私たちの声が重なりました。ソルジャーの手のひらに載っていたのは赤い錦のお守り袋。そのお守りには嫌というほど見覚えが…。凝視している私たちの姿にソルジャーはクスッと小さく笑って。
「やっぱり気付いたみたいだね。…ハーレイ、これを知ってるかい?」
「い、いえ…。なんですか、それは?」
ありゃ。教頭先生、知らないんですか? あのお守りは会長さんがポケットに入れて持ち歩いているシャングリラ・ジゴロ・ブルーの必須アイテムだと思うのですが…。会長さんがフウと溜息をつきました。
「知るわけないだろ、ハーレイが。…だって童貞なんだから」
「……ブルー……」
そう何回も言わないでくれ、と嘆く教頭先生の手にソルジャーがお守りを押し付けて。
「そんな君のためのお役立ちグッズさ、このお守りは。…本物は君のブルーが女の子を口説くのに使ってるヤツで、中にぶるぅの手形を押した紙が入っているんだそうだ。そのお守りを窓に吊るすとブルーが忍んでいく仕掛け」
「な…なんですって!?」
「おっと、ブルーにお説教するなら、またの機会にお願いするよ。で、こっちのヤツはぼくがぶるぅに袋だけ分けて貰ったお守りなんだ。形さえあればぼくには十分。…君が練習したくなったら窓に吊るしてみるといい。ぼくが相手をしに来るからさ」
はい、と渡されたお守り袋が教頭先生の手で揺れていました。会長さんは真っ青になり、私たちも血の気が引いて行くのが分かります。…こんなアイテムを出されちゃったら、教頭先生、いつかフラッと吊るすのでは…。抱き枕だけで十分だなんて言ってはいても、心が迷ってしまうのでは…?
「…このお守りで……あなたが……?」
「うん。ぼくのハーレイも大好きだけど、君の相手を優先するよ。ぼくたちは最近マンネリ気味だし、童貞の君を仕込むというのも面白そうだ。それを聞いたらぼくのハーレイも焦って励んでくれるだろうしね」
脱・マンネリ! と拳をグッと握るソルジャー。教頭先生はお守り袋をじっと見つめていましたが…。
「お返しします」
「…え?」
「お返しします、と言ったんです。気遣って下さるのは嬉しいですが、やはり私はブルーを愛していますので…。ブルーが望んでいるならともかく、そうでないのに練習するなど…。ましてブルーそっくりのあなたに相手をお願いするなど、ブルーへの想いを裏切るようで…」
出来ません、と頭を垂れる教頭先生。
「ですからこれはお返しします。…私には必要ありません。どうぞ燃やしてしまって下さい、タイプ・ブルーのサイオンで」
「…いいのかい? 二度目は無いかもしれないよ」
「本当に必要ありませんから」
「…じゃあ…仕方ないね」
ポウッと青い焔が上がってお守りは消えてしまいました。ソルジャーの手には灰も残らず、赤い瞳が教頭先生をじっと見据えて…。
「君にはぼくは要らないらしい。せいぜいブルーと仲良くしたまえ、まずは抱き枕で練習からだね。いいかい、自分だけが気持ち良くなっていたんじゃダメなんだ。ブルーに喜んで貰えなかったら嫌われちゃうから頑張って」
じゃあね、と別れの言葉を短く告げてソルジャーの青いサイオンが迸ります。そこに「そるじゃぁ・ぶるぅ」のサイオンが重なり、私たちは再び空間を越えて会長さんの家に戻ったのでした。
やがてリビングで始まったのは懺悔大会。教頭先生が童貞なことを知っている、とバレてしまったのをどうするべきか…。柔道部三人組にとっては特に深刻な問題です。
「…困った…」
呟いたのはキース君。
「教頭先生が何であろうが、尊敬する気持ちは変わらない。そもそも前から知っていたしな…。しかし俺たちが知っていると先生にバレてしまったのでは…師弟関係にヒビが入りそうで…」
「そうですよね…。知ってて馬鹿にしてたのか、って思われるかもしれません」
大変ですよ、とシロエ君が言い、マツカ君も暗い顔。そもそも余計な知識を仕入れた上に後生大事に持っていたのが悪いんです。会長さんに記憶を消してもらっていたなら、こんなことにはならなかったのに…。私たちの懺悔と反省を聞いていたソルジャーが「消せば?」と口を挟みました。
「都合の悪い記憶だったら消してしまえばいいんだよ。…だけど消すのは君たちのじゃない。ハーレイの方さ。…ほら、エロドクターの人形の記憶をブルーが消していただろう? あの時みたいに消しちゃえばいい。君たちに童貞だって知られたことをね」
簡単さ、と微笑むソルジャー。けれど会長さんは今夜は動く気分になれないと言い、記憶の操作は「そるじゃぁ・ぶるぅ」が代理で出かけて行きました。何も知らない子供ですけど、おつかい気分でトコトコと…。
「かみお~ん♪ ちゃんと消したよ、ハーレイの記憶! でも、ドーテーって何のこと? ハーレイ、とっても気にしてたけど」
「小さな子供は知らなくってもいいんだよ」
大人の話、とソルジャーが小さな銀色の頭を撫でてやりながら。
「ところでハーレイはどうしてた? ちゃんとぬいぐるみを持っていたかい?」
「うん! 大事に抱っこして寝ていたよ。あのままじゃ涎で汚れちゃいそうだし、サイオンでコーティングしてあげちゃった」
「「「コーティング?」」」
なんじゃそりゃ、と首を傾げる私たちの横で会長さんがソファにめり込んで呻いています。
「ぶるぅ…。アフターケアまでしなくっても…」
「ううん、ダメだよ、出来ることはきちんとしなくっちゃ! ハーレイ、ブルーが好きなんだから……なのに結婚してあげないんだから、ぬいぐるみは丈夫な方がいいでしょ?」
力説している「そるじゃぁ・ぶるぅ」。コーティングというのはサイオンで表面を覆って傷や汚れがつかないようにガッチリ保護する技術だそうです。会長さんの写真がプリントされた抱き枕は耐久性が飛躍的に増してしまったわけで…。
「ぶるぅ、いいことをしてあげたね。これでハーレイも頑張れる」
脱・童貞は目の前だ、とソルジャーがエールを送っているのも知らずに教頭先生は夢の中。そういえば夢なのに一線を越えられなかった事件なんかもありましたっけ。あれは1年生の秋のこと。収穫祭前の薪拾いで会長さんがベニテングダケを集めて作った幻覚剤。思い通りの夢が見られるというそれを教頭先生に一服盛って…。
「ふうん…。夢でも鼻血で沈没するのか」
ヘタレMAX、とソルジャーがケラケラ笑っています。
「確かに抱き枕だけで十分かもね、君のハーレイ。ぬいぐるみを抱いて寝ているだけで昇天しそうな夢を見てるし…。あ、昇天した」
「「「………」」」
ソルジャーは教頭先生の夢を探っていたようです。夢の中で会長さんを抱き締めていた教頭先生、そのままウットリ寝てしまったとか…。会長さんの膝枕で。
「あの調子じゃこれは使えそうもないね」
そう言ったソルジャーの手に現れたのはジルナイトで出来たソルジャー人形。
「やっぱり扱えるのはぼくのハーレイだけってことか…。君のハーレイを仕込む計画は断られたし、脱・マンネリはこの人形で努力させよう。…ブリッジのハーレイに人形を使って悪戯するのも楽しいけどね」
やっちゃったんだ、と武勇伝を語るソルジャー。
「ハーレイったら落ち着いて歩いてたつもりだろうけど、右手と右足が一緒に出てたよ。で、ブリッジを出るなりトイレにダッシュ」
思い出し笑いをするソルジャーはまたも人形遊び中。キャプテンが気の毒になってきました。この罪作りな人形よりは抱き枕の方がまだマシです。教頭先生が何をやっても会長さんの身は絶対安全。コーティングまでされちゃいましたし、大事に使えば一生モノかも? 教頭先生、童貞の件は喋りませんから、抱き枕だけで満足していて下さいね~!
教頭先生が欲しがっているという会長さんの写真がプリントされた抱き枕。私たちの無知が災いした結果、ソルジャーがその抱き枕をオーダーすると言い出しました。贈り主は誰にする気か分かりませんが、とにかく作ろうというのです。そのための写真を撮り下ろそうと私たちまで会長さんのマンションに移動させられ、ソルジャーはあれこれ思案中。
「う~ん、やっぱりパジャマ姿がいいのかな? 抱き枕はベッドで使うモノだしねえ…」
リビングのソファに陣取ったソルジャーの手には淡い水色のコットンパジャマとミントグリーンのシルクのパジャマ。会長さんの寝室から勝手に引っ張り出してきたのです。ソファの上にはバスローブなんかも置かれていたり…。
「どう思う、ブルー? 君のハーレイはパジャマとバスローブ、どっちにときめくタイプかな?」
「…ぼくが知るわけないだろう!」
不機嫌極まりない会長さんはそっぽを向いて膨れっ面。どう転んでもアヤシイ写真を撮られることに変わりないですし、下手に逆らったらソルジャーは更に調子に乗りそうですし…。会長さんに出来る抵抗はこれが限界みたいでした。一方、ソルジャーは嬉々として私たちに尋ねてきます。
「ねえ、ハーレイが鼻血を出すのはどんな時? ブルーの肌の露出が多い時かな、それともポーズによったりする? どれを優先するのがいいのか、ぼくも悩んでいるんだけれど」
「……好きにしてくれ……」
キース君がフウと吐息をついて扉の方を眺めました。夕食を作りに行った「そるじゃぁ・ぶるぅ」は私たちに紅茶とパウンドケーキを運んできたきり、キッチンに籠って戻って来ません。
「教頭先生の鼻血のことなら、ぶるぅが詳しいと思うんだがな。なんといっても三百年以上の付き合いの筈だ。…それとも子供の感覚だから全然当てにならないのか?」
「ならないねえ…」
当然だろう、とソルジャーは呆れた表情です。
「ぶるぅの記憶を遡っても無駄だと思うよ、その時々のビックリ感が鮮明に残っているだけさ。…ぼくのぶるぅがませているのは知ってるだろう? でも、そのぶるぅでも分かっていない。どんな時にぼくのハーレイがそそられるのかとか、噴火寸前になっちゃうのかとか…そういうことはね」
「そうなのか?」
「残念ながら、そうなんだ。ぼくとハーレイの気分が盛り上がってきてもベッドの脇で無邪気に遊んでいたりする。これから大人の時間だから、と言い聞かせないと土鍋に入ってくれないし…。子持ちはけっこう大変なんだよ」
あちらの「ぶるぅ」はソルジャーとキャプテンが温めた卵から孵ったのだそうで、「ぼくにはパパが二人いるんだ」というのが自慢の種。つまりソルジャーとキャプテンは「ぶるぅ」の両親も同然でした。そんな二人の大人の時間を邪魔しないよう躾けられた「ぶるぅ」がおませになっても仕方ないと言えば仕方ないかも…。ソルジャーは子育てと教育方針を語り、それから私たちに矛先を向けて。
「…こっちのぶるぅに質問するより、君たちの方が断然詳しい。ハーレイの好みのブルーはどれかな? アンケート方式で行ってみようか」
「「「えぇっ!?」」」
質問する暇も与えられずに頭の中に飛び込んでくる雑多なイメージ。会長さんの制服姿に浴衣にパジャマに、チャイナドレスにウェディング・ドレス。いったい何が起きてるのでしょう? アンケートって聞きましたけど、それらしき要素は無いような…。
「終わったよ、ご協力ありがとう。とても貴重なデータが取れた」
満足そうに頷くソルジャー。私たち、何に協力したんでしょうか? もしも会長さんを追い詰めるような情報を漏らしたとしたら、恨まれちゃうかもしれません。えっと、ソルジャー…今のって何かの実験ですか?
「下手にあれこれ細工するより、制服かパジャマがいいみたいだね。ハーレイの鼻血率とブルーの服装に因果関係は特に無さそうだ。…君たちの記憶を見た限りでは」
ちょっと意外、とソルジャーが苦笑しています。私たちの記憶って…さっきのアレで読まれちゃったの?
「まあね。記憶を全部ってわけではなくて、ぼくが知っているブルーの服装を君たちの意識に送り込みながら…同時にハーレイのビジョンを流した。でもハーレイの方は一瞬ずつで、それを見た瞬間の君たちの反応を読み取ったのさ。…こっちの世界のハーレイときたら、どんなブルーにでもときめくんだねえ…。ホントに純情」
そりゃそうでしょう。教頭先生は会長さんを想い続けて三百年です。しかも報われない片想いだけに、想いは募っていくばかり。…でも良かったぁ……私たちの頭の中に妙な情報が入ってなくて。
「最初から期待はしてないよ。だから直接記憶を見たんだ。…さてと、この先が問題で…。制服とパジャマ、どっちにしようか? ハーレイが作りたかった抱き枕はスクール水着の写真だけどさ、普段に妄想しているブルーは圧倒的に制服とパジャマ。さっき見たから間違いない」
「「「見た!?」」」
「うん。ハーレイの心を読み取るくらいは離れていても簡単なんだよ、特に遮蔽もされてないしね。…で、ハーレイの妄想の中のブルーは昼間は制服、夜だとパジャマ。パジャマの方はかなり願望が入ってるのか形が一定しないけど……制服の方は安定してる。ここはやっぱり制服かな?」
「「「………」」」
尋ねられても困ります。教頭先生の妄想の中身は間違いなくきっと大人の時間。抱き枕の販売サイトで目にした絵柄を考えてみるに、カバーに写真をプリントするならキワドイ方がいいのでしょうが……そんな選択を『万年十八歳未満お断り』なんて渾名を付けられた私たちに任せようというのが無理ってもので!
「撮影助手に聞いても無駄か…。じゃ、ブルー。…君はどっちがいいと思う? 制服の君を脱がせる方が教師としてはそそられるのかな? パジャマ姿も捨て難いけど、教師と生徒が盛り上がりそう?」
「……不可って選択肢は無いんだよね? オーダーの話を無かったことにするっていうのも?」
「一切なし。…君が撮影を拒否した場合はスクール水着の写真を使う」
抱き枕のカタログをヒラヒラさせるソルジャーを、会長さんは上目遣いで恨めしそうに見ていましたが…。
「じゃあ、パジャマ。制服は却下」
「なんで? 制服の方がウケそうなのに…」
「絶対イヤだ! ぼくは制服を着て学校に行っているんだよ? いわば普段着。それを見る度に欲情されたら困るじゃないか、ぼくもハーレイも! それとも君はハーレイに恥をかかせたいとか? 可哀想だとか言ってたくせに。学校でウッカリ欲情したら場合によっては惨めなんだ」
教職員用のトイレの個室に駆け込むとか、と会長さん。ソルジャーにもその状況は分かったらしく、「ああ…」と曖昧に微笑んで。
「仮眠室の奥ならともかく、共同トイレの個室に籠って孤独に噴火は悲しいかもね。それじゃパジャマにしておこう。…ハーレイが燃えそうなのは身体のラインが出やすいヤツかな?」
このシルクとか…、と柔らかい薄手のパジャマを広げるソルジャー。撮影会はゲストルームのベッドを使ってすることになり、カメラやライトが運び込まれて私たちはソルジャーに顎で使われ、会長さんはパジャマに着替えさせられて様々なポーズを取る羽目に…。私たちが万年十八歳未満お断りの団体な件は微塵も考慮されませんでした。
「だってさ、見本の絵柄は見ただろう? 君たちだって色々と気になる年頃なんだし、大人の世界を少しくらいは覗いてみたって問題ないよね。それにサムなんかは…ほら、顔が赤い」
役得、役得…とサム君をからかって遊ぶソルジャー。結局、撮影には二時間近くかかってしまい、「そるじゃぁ・ぶるぅ」が作ってくれた特製ポテトクリームコロッケや海老コロッケを温めなおして遅い夕食。ソルジャーがこだわりまくらなかったら、出来たてを食べられた筈なんですが。
「ごめん、ごめん。…だけどパジャマから覗いた肌の見え方ひとつで印象が変わっちゃうんだよ。より色っぽく、艶っぽく! ハーレイを喜ばせるには最大限の努力をしないと」
とてもいい写真が撮れただろう、とソルジャーはプリントアウトした写真をズラリ並べて上機嫌。
「サムも記念に1枚どう? 撮影助手のお礼代わりに持ってっていいよ」
「えっ? えっ…。お、俺…? お、俺は…別に、ブルーにそんな…」
「ヨコシマな目では見ていないって? そういえば弟子入りしてたんだっけね」
ソルジャーはクスクスと笑い、会長さんをチラリと眺めて。
「ブルー、君の遊び友達と弟子は実に優秀な子たちだよ。これだけ写真を見せびらかしても誰一人としてトイレに消えない。撮影中も生真面目だったし…。でもハーレイはどうだろうねえ? 出来上がる日が楽しみだな」
選び抜かれた写真データはネット経由で抱き枕を扱うお店に送られてしまった後でした。注文主は会長さんで、贈り主の名も会長さん。お届け先は教頭先生の自宅です。ソルジャーは抱き枕が届く日に遊びに来るとか恐ろしいことを言ってますけど…。
「みんな、今日はお疲れ様。ぼくはブルーの家に泊めて貰おうと思うんだけど、君たちも泊まっていかないかい? せっかくだから話もしたいし」
勝手に仕切り始めるソルジャーの横で「そるじゃぁ・ぶるぅ」が。
「お泊まりするの? だったら荷物は運んであげるよ、みんなの家に置いてあるヤツ」
パジャマも着替えも歯ブラシも…、とニコニコされると誰もがついつい頷きます。明日も学校はありますけれど、お泊まりしたっていいですよね?
シャングリラ学園特別生になった時から私たちの家族は不思議事情に慣れていました。突然のお泊まりになっても驚きませんし、家から荷物が消えても平気。それぞれが必要なものをイメージすると「そるじゃぁ・ぶるぅ」が瞬間移動で運んでくれて、アッという間にお泊まりグッズの出来上がりです。ゲストルームもすっかりお馴染み。
「かみお~ん♪ お夜食に小籠包を作ったよ! シュウマイもあるから沢山食べてね」
リビングに蒸籠が運び込まれて、杏仁豆腐にオーギョーチ。熱々の点心と冷たいスイーツを楽しんでいると…。
「あっ、いけない。…忘れてた」
ソルジャーが声を上げ、宙に視線を泳がせます。赤い瞳はリビングではなく遥か彼方を見ている模様。ソルジャーの世界に何か用事があるのでしょうか? ひょっとして重大な会議をすっぽかして遊びに来てしまったとか…? 会長さんがソルジャーを見据え、冷たい声音で。
「君の世界に用があるなら帰りたまえ。夜食とデザートは持ち帰り用に詰めさせるから」
「…帰らなきゃいけないような用事じゃないよ。忘れてたのは夜の約束」
「約束?」
「そう、ハーレイと約束してたんだ。今夜は早く仕事が終わりそうだ、ってハーレイが連絡を入れてきたから…。うーん、待ちぼうけを食わせちゃったか」
どうやらソルジャーの世界のキャプテンは青の間で待っているようです。それを聞いた会長さんは喜色満面で「そるじゃぁ・ぶるぅ」に。
「小籠包とシュウマイを詰めてあげて。デザートは…あっちのハーレイも甘いものは苦手みたいだし、一人前でいいだろう」
急いでね、と言ったところでストップをかけたのはソルジャーでした。
「帰るだなんて決めつけないでくれるかな? ハーレイとの時間も大切だけど、一回くらいすっぽかしても特に困りはしないんだ。…なんといってもマンネリ気味だし」
「「「マンネリ?」」」
首を傾げる私たちに向かってソルジャーは大きく頷きました。
「そうなんだよね。いつもと同じでいつものコース。ぼくから何か言わない限りは変わり映えのしない時間なんだ。それはそれでいいんだけども、すっぽかされたら次回は励んでくれるかも…。また出版部に企画させよう。脱・マンネリの特集号を」
うんと過激な中身がいいな、と意味深な言葉を呟くソルジャー。大人の時間に関する特集を組んだ出版物を発行させる気なのでしょうが、私たちには無関係です。会長さんも苦虫を噛み潰したような顔で睨んでいるのに、ソルジャーはまるで気にしていません。それどころか待たされているキャプテンを空間を越えて観察しながらクスクス笑って楽しそう。
「ぶるぅにからかわれて焦っているよ。捨てられたの? とか、飽きられたの? って。…倦怠期にはありがちだよね、とも言われてる。ふふ、今こそアレの出番かな。まだ一回も試してないけど」
ソルジャーの手に青いサイオンの光が集まり、空間が揺れてパッと出現したものは…。
「ね? ぼくも作ってみたんだよ。いいだろう、ぼくの特製ハーレイ人形」
「「「!!!」」」
それは鈍い金色に光るキャプテンの像。サイオンを伝えやすい性質を持ったジルナイトとかいう鉱石を混ぜた合金製の人形です。同じ素材で出来た教頭先生がモデルの人魚の像が棚の上に今も載ってたりして…。ソルジャーは会長さんの健康診断の時にドクター・ノルディをモデルに人形を作り、そのノウハウを持っていました。
「ハーレイを待たせるだけじゃつまらないしね…。ちょっとサービスしておこう。まずは伝言」
瞳を閉じて思念を送っているらしいソルジャー。キャプテン宛だとばかり思っていたら、なんと相手は「ぶるぅ」でした。
「土鍋に入って蓋をするよう言ったんだ。今からハーレイが独演会をするからね、って」
「「「独演会!?」」」
「一人でやるなら独演会だろ? で、ハーレイには今から伝える。人形遊びを始めるよ、とね」
人形の話はしてあるのだ、とソルジャーは得意そうでした。
「二人の時間を盛り上げるためのオモチャなんだと教えておいたさ。お互いに写真を撮り合いっこして、ぼくが人形を完成させて……ぼくの人形はハーレイにあげて、ぼくはハーレイのを持っている。…ふふ、ハーレイったら人形は二体セットで使うものだと思い込んでるみたいだね。そうだ、君たちにも見せてあげよう」
私たちの頭の中にキャプテンの姿が浮かびました。青の間の大きなベッドにポツンと腰掛け、所在なげに宙を見上げています。そしてソルジャーの笑いを含んだ思念がフワリと…。
『ハーレイ、この間ぼくが作った人形だけど、あれはセットじゃないんだよ。単体で遊ぶものなのさ。…お前の人形はぼくが今ここに持っている。さてと、どこから遊んでほしい?』
ビクン、と震えるキャプテンの身体。ソルジャーの悪戯な指がキャプテンの像の表面をなぞっていました。キャプテンの像はエロドクターの像と一緒で一糸纏わぬ姿です。ベッドに座ったキャプテンの息遣いはたちまち荒くなり、頬がみるみる赤らんで…。
『どう? 人形遊びをされる気分は。人形を触ると感覚がお前に伝わるんだ。…このままぼくにイかせてほしい? それともバスルームで孤独に噴火? そうそう、ギャラリーが見ているからね。もう一人のぼくと、その友達が7人ほどで別の世界から君の様子を眺めてる』
キャプテンの顔がサーッと青ざめ、ベッドからバッと立ち上がるなり奥に隠されたプライベートエリアへまっしぐら。ソルジャーはおかしそうに笑い転げて人形をツンツンつついています。
「…もう君たちには見えなくなったし、何をやっても許されるよねえ? 今、ハーレイの噴火をお手伝い中。とても元気のいい活火山でさ、マグマがグツグツ煮え滾ってる。…うん、なかなかに具合がいいね、この人形」
今度ハーレイがブリッジに出ている時に試してみよう、とソルジャーは至極ご満悦でした。ちなみにキャプテンの部屋にあるというソルジャーがモデルの人形の方も、ソルジャーの身体とシンクロ可能だそうですが…。それを口にしたソルジャーの瞳がキラリと輝き、ポンと手を打つと。
「思い付いたよ、脱・マンネリ! …次に二人で過ごす時にはハーレイに人形遊びをして貰おう。ぼくを満足させられるまで人形だけしか触らせない。いくら求めても応じはしないし、辛けりゃ一人で噴火だね。もちろん服なんか着てあげないさ。欲情しながらじっくりしっかり、人形遊びを頑張らせるんだ」
楽しいことになりそうだよね、とソルジャーは意地の悪い笑みを浮かべています。あちらのキャプテンも教頭先生には及ばないもののヘタレには違いないですし…出来るんでしょうか、人形遊び…。
「ブルー!!! また君は子供相手に余計なことを…」
会長さんの怒りを他所に、ソルジャーはキャプテン人形で延々と遊び続けています。バスルームのキャプテンがどうなったのか、脱マンネリはどうなるのか……と私たちの頭の中はグルグル混乱状態でした。夜も遅いし、もう寝ようかな? 寝ちゃった方がいいんですよね、明日も学校ありますし……。
会長さんの家から寝不足気味で登校した日から十日ほど経った土曜日の午後。私たちは再び会長さんの家のリビングに揃っていました。お泊まり用の荷物持参で準備万端、お昼のハヤシオムライスも最高の出来。お天気も良く、なべてこの世はこともなし…と言いたい所ですけれど。
「…やっぱり発送されちゃったわけ?」
食後の紅茶を口にしながらジョミー君が尋ねました。相手はパソコンの前の会長さんです。
「発送したとメールが来てる。まだ配達完了の通知はないけど…指定時間と今日のハーレイの予定からして、もう間違いなく今日中に…」
口ごもる会長さんが見詰めているのはソルジャーが会長さんの名前でオーダーをかけた抱き枕の行方。パジャマ姿で誘うように横たわる会長さんの写真がプリントされた特注品の抱き枕は無事に出来上がったとメールが届き、今日、プレゼント用に包装されて教頭先生の家に配達されるのでした。
「…何度もキャンセルしようとしたのに無理だったからね…。もう止められるわけがない」
溜息をつく会長さん。キャンセルにトライする会長さんを私たちは何度も目撃していました。放課後に「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお部屋に行くと、会長さんがパソコン相手に必死に格闘していたのです。キャンセル用のフォームもあるのにログインしても何も起こらず、とうとう今日に至ったわけで…。もちろん電話も不通でした。
「ブルーが邪魔をしてたんだろう。勝手にキャンセルされないように」
とっても乗り気だったから、と会長さんは浮かない顔。そこへ空間がユラリと揺れて、現れたのは当のソルジャー。
「こんにちは。約束通り見届けに来たよ、抱き枕を手に入れたハーレイをさ」
紫のマントが翻ったかと思うと、ソルジャーは会長さんの私服にちゃっかり着替えています。パソコン画面を覗き込みながら、喉の奥でクッと笑うソルジャー。
「ぼくがハーレイのために注文したのに、キャンセルしようとしてたんだ? 無理、無理、君には出来っこないよ。こういうシステムにサイオンを使って侵入したことないだろう? 注文する時に何重にもブロックしておいたから、万が一、君が気が付いたって筒抜けだけどね……ぼくにはさ」
ネットも電話も自由自在に操れるから、とソルジャーは余裕綽々でした。
「どうしてもキャンセルしたかったんなら、直接出向けばよかったんだよ。そこまではぼくも手を回してない。…でも恥ずかしくて無理だったろうね、君の写真でオーダーしてるし」
出掛けて行けば赤っ恥をかくだけだから、と見本の写真を取り出すソルジャー。ミントグリーンのパジャマで横たわる会長さんの胸元や脚が煽情的に露出している一枚です。潤んだ瞳と薄く開いた桜色の唇が実に色っぽく、この写真を使った抱き枕のオーダーをキャンセルするために製造元に顔を出すのは恥ずかしいなんてレベルでは…。
「ほらね、返す言葉もないだろう? いいじゃないか、君のハーレイの三百年越しの愛に応えて抱き枕くらいプレゼントしても」
喜んでくれるに違いないよ、とソルジャーは自信満々です。配達指定の時間までにはあと少し。教頭先生は在宅中で、抱き枕を積んだ宅配便の車は順調に走っているのだとか。
「…おい、もしかして見物に行く気じゃないだろうな?」
険しい目をするキース君。私たちは教頭先生の狂喜する様子を会長さんの家からサイオンの中継で見る予定ですが…。ソルジャーは「まさか」と一笑に伏し、教頭先生の家の方角を指差しました。
「見に行ったんじゃダメじゃないか。ブルーからのプレゼントってことになってるんだよ? ハーレイは悪戯かもしれないと思うだろうけど、抱き枕には違いない。おまけに素敵な写真付きだ。誘惑に勝てずに行動を起こしてくれると見たね。…それを邪魔しちゃ気の毒だよ」
ハーレイのために作ったんだし、とソルジャーは力説しています。報われない教頭先生がよほど憐れに見えたのでしょうが、抱き枕なんかで報われるのかな…?
「千里の道も一歩から。まずは抱き枕の夢を叶える! それがハーレイが報われるための第一歩。着実に歩みを重ねていけば、いつかブルーが落ちる…かもしれない」
無責任に言い放ったソルジャーはポウッと青いサイオンの光を灯して。
「…抱き枕を気に入ってくれるようなら、これを貸してもいいかなあ…って。ハーレイの部屋から拝借するんだ」
「「「え?」」」
教頭先生の家から何を…? と青い光を注視すると。
「あ、ごめん。ぼくのハーレイの持ち物なんだ、こっちはね。…見てごらん」
光の中に浮かんでいたのは淡く透けている人形でした。青に邪魔されて本当の色が分かりませんけど、もしかして、これはジルナイト? ジルナイトで出来た像なんですか…?
「そうだよ。ぼくとハーレイがペアで作った像の片割れで、ぼくの人形。脱・マンネリを目指してハーレイが修行に使ってる。…だけどヘタレには荷が重すぎて」
実は昨夜も孤独に噴火、とソルジャーは溜息をつきました。
「ぼくが感じる場所も満足に覚えられないヘタレだってことは知ってるだろう? 人形を使って間接的に…というシチュエーションだけでマグマが噴出するらしい。ぼくが少しでも悶えたが最後、ドカンと一発大噴火なんだ」
「「「………」」」
ソルジャーの言いたいことは理解できますが、大人の時間は意味不明です。キャプテンが苦労しているらしい、と漠然と伝わってくるだけで…。で、キャプテンですら手に負えないというソルジャー人形を教頭先生に渡してどうしろと?
「抱き枕は所詮、枕だからねえ…。抱き締めても何が起こるわけじゃなし、報われないままで切ないかな、と。だったらブルーそっくりの人形を撫でて擦って、ぼくが目の前で喘いであげて…」
「却下!!」
会長さんが激しい怒りに燃えていました。ジルナイトの像は一種の幻影だったらしくて、会長さんの一喝と同時に雲散霧消したみたい。会長さんは幻影があった辺りの空間にサイオンの青い火花を散らし、ソルジャーをキッと睨み付けて。
「ぼくが許すのは抱き枕まで! 君の人形をハーレイに渡したりしたら承知しないよ、大変なことになるんだからさ! ハーレイの妄想を実現されたら迷惑なんだ、君が責任を取ると言っても許さない!」
責任の取り方が問題だから、と激怒している会長さん。と、そこでソルジャーが「シッ!」と唇を押さえました。
「…例の抱き枕が届いたらしいよ。今、ハーレイがハンコを押してる」
たちまち凍り付くその場の空気。教頭先生、現時点では中身を知らずにハンコを押してる筈ですが…これから一体、どうなっちゃうの? ソルジャーが特注しちゃった枕を会長さんからの贈り物と信じて抱いて、一人でウットリ昇天ですか~?