シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。
- 2012.03.26 気合を入れて・第3話
- 2012.03.26 気合を入れて・第2話
- 2012.03.26 気合を入れて・第1話
- 2012.03.05 ゆく年くる年・第3話
- 2012.03.05 ゆく年くる年・第2話
ソルジャーの腕をしっかり掴んで校内を駆け抜けてゆく会長さん。私たちと「そるじゃぁ・ぶるぅ」もシールドの中に入ったままで懸命に走り、生徒会室の壁をすり抜けて奥の部屋へと飛び込んで…。ゼイゼイと肩で息をしながら絨毯やソファに座っていると、「そるじゃぁ・ぶるぅ」が水を持ってきてくれました。流石、子供は元気です。
「大丈夫? えとえと、飲み物はコーヒー? それとも紅茶?」
「ぼくはココア。砂糖とミルクたっぷりでお願いするよ」
一番に口を開いたのはソルジャーでした。会長さんがキッと柳眉を吊り上げ、ソルジャーの顔を睨み付けて。
「ココアだって? 煎じ薬でもお釣りが来るよ。よくもハーレイのズボンなんかを…!」
「なかなかスリリングだっただろう? 君も少しはときめいたかな?」
「変態にしか見えないってば!」
あれじゃ痴漢で露出狂だ、と毒づいている会長さん。心臓に悪かったみたいですけど、それでもソルジャーの存在が他の人たちにバレないように、しっかりサイオンで誤魔化しながら校内を走っていたらしく…。
「だいたい君は迷惑なんだよ、今は大事な時期なのに! ハーレイの機嫌を損ねちゃったら試験問題は手に入らないし、そうなっていたらどう責任を取るつもりなのさ?」
「え? 盗み出したら終わりだろう? 金庫の中くらいチョロイものだよ」
そんなことより、とソルジャーは至極真面目な顔で。
「さっきのハーレイなんだけどね。あそこで褌を締めてないってことは、どういう時に褌なんだい?」
「ハーレイの褌は水泳限定! 基本は古式泳法を披露する時のコスチュームだけど、シャングリラ学園の水泳大会では締めていることが多いかな。けっこう女の子に人気があるんだ、男らしいということでさ」
「……男らしい…ねえ? つまり、やっぱり褌効果はあるってわけか」
更に何か言いかけるソルジャーを会長さんが片手で制して。
「シッ、静かに! 試験問題をゲット出来たらコピーを取らなきゃいけないんだ。リオが行っていいですか、と聞いてきたから渡してくる」
会長さんは試験問題が入った書類袋を抱えて壁の向こうの生徒会室へと出てゆきました。その間に「そるじゃぁ・ぶるぅ」が好みの飲み物を用意してくれ、シナモンを効かせたアップルケーキも…。ソルジャーのココアにはホイップクリームまで入っています。この厚遇っぷりは「そるじゃぁ・ぶるぅ」なりの気配りに違いありません。
「うん、美味しい! クリームなんか頼んでないのに気が利くねえ」
「ケーキもお代わりあるからね! それに今夜は御馳走するから、あんまりブルーを苛めないでよ」
「それとこれとは話が別!」
キッパリ言い切るソルジャーに「そるじゃぁ・ぶるぅ」がガックリと肩を落とした所へ会長さんが戻って来て。
「ぶるぅまで苛めているのかい? ぼくを痴漢に遭わせただけでは足りないって?」
「ハーレイの下着くらいは見慣れてるだろ! ぼくは真剣に気になってるんだ。褌には本当に効果があるのか、その辺がね。…こっちのハーレイの褌姿が女の子たちに人気があるなら、やっぱり締めると男らしくなれるというわけか…。だったらヘタレも直りそうなのに…」
深い吐息をつくソルジャー。
「ぼくのハーレイは何がダメだったというんだろう? せっかく褌を締めさせたのに、ヘタレ直しどころか逆なんだけど…」
普段の生活までヘタレになった、とソルジャーは顔を顰めました。
「ブリッジ勤務を抜け出す時まであるんだよ! 抜け出してぼくの所へ来るならいいけど、部屋に戻って褌の締め直しじゃねえ…。褌って解けやすいんだって?」
すぐ緩むらしい、と言うソルジャーに、私たちは顔を見合わせるばかり。褌って簡単に解けるものでしたっけ? 少なくとも教頭先生の六尺褌は、会長さんや「そるじゃぁ・ぶるぅ」がサイオンで外した時以外には解けたことがない筈ですが…?
ソルジャーがキャプテン用に買って帰ったのは六尺褌。下着売り場で貰った締め方の図解を参考にしてキッチリ締めたらしいのですけど、これがなかなか曲者で…。
「上手く締めないとアウターに響くし、それどころか勤務の途中で解けてくるし…。よっぽど気持ちが落ち着かないのか、ヘタレ具合がより酷くなった。神経性の腸炎じゃないかと疑ってるクルーもいるようだ。ブラウなんかは面と向かって「またトイレかい?」と言ってるしね」
「「「………」」」
それは酷い、と私たちも絶句しました。会長さんは額を押さえて頭痛を堪えているようでしたが…。
「ゆるフンって言葉があるんだよ。…君は知らないと思うけどさ」
「…ゆるフン?」
「そう、ゆるフン。フンというのは褌の略。そしてゆるフンの意味は、褌の締め方がゆるいこと。そこから転じて、心構えのいいかげんなこと、気持ちのたるんでいることをそう言うんだよ。ついでに、その状態にある人のことも指している。君のハーレイはまさにそれだね」
ヘタレたんならそうだろう、と会長さんは指摘しました。
「褌を締めて頑張るべき所が逆なんだったら、ゆるフンというのが相応しい。…つまり体質に合わなかったというわけだ。もう褌は諦めたまえ」
「嫌だ! そんな言葉を聞いてしまったら、余計に諦め切れないよ! 褌をギュッと締められたなら男らしくなるかもしれないんだろう? ぼくは絶対、諦めないから」
「でも、解けちゃうんだから諦めるしかないと思うけど? 締め方が悪いのかもしれないけどね」
あれは結構難しいらしい、と会長さん。
「締め方をハーレイの頭の中から失敬するというのもアリかな、諦めたくないと言うのなら。…サイオンで情報を盗み出すのは得意だろう? それを君のハーレイに叩き込んだら六尺褌もバッチリかも…」
「うーん…。それも手ではあるけど、こっちのハーレイのヘタレも一緒に貰っちゃいそうな気がするなぁ…。あ、そうだ!」
ソルジャーはポンと両手を打って。
「前に見せてもらったカタログ、褌が色々載っていたよね? 六尺でなくてもいいわけだ。…アウターに響かないヤツで、締め方も簡単な褌というのは無いのかな?」
「えっ? そりゃあ……無いことはないだろうけど…」
カタログじゃちょっと分からないよ、と会長さんが答え、キース君が。
「そういえば道場に来ていたヤツが手作り褌を締めてたな。気合を入れるために自分で縫ったとか、自分専用だからジャストフィットだとか、そういう話を…」
「へえ…。手作りなのかい?」
興味津々のソルジャーはキース君を真っ直ぐ見詰めて。
「その褌って六尺褌じゃなさそうだね。アレは一本の布だったし…。君が見たソレはアウターに響きそうだった? そうでもない?」
「道場では衣だったから、本当かどうかは知らないが……そいつが言うには普通のズボンでも大丈夫だという話だったな。紐を結ぶ場所を調節すればオッケーだとか」
「紐を結ぶ…。ということは六尺よりも簡単なのかな?」
「ああ。見た目はTバックに近いものがある」
上手く説明できないが…、と言うキース君の言葉を聞いたソルジャーは。
「ブルー、この前のカタログは? あれに載ってるヤツなのかも…。もう一度見せてよ」
「え? ま、まあ……いいけどね」
フッと空中にカタログが現れ、それをソルジャーがキース君の前に差し出して。
「君が言うヤツはどれなんだい? 載ってるかな?」
「………。確か名前を聞いてたような…。ビジュアル的にはこの辺なんだが……。そうだ、これだ!」
キース君が指差したのは六尺褌の胴に回す部分を一本の紐にしたような褌。そして名前は…。
「「「クロネコフンドシ…?」」」
なんですか、この宅配便みたいな変な名前は? けれどカタログには『黒猫褌』としっかり書かれています。ソルジャーは嬉々とした表情でキース君に。
「ありがとう、黒猫褌と言うんだね? これでハーレイにジャストフィットの褌を作るのも夢じゃない。…で、どうやって作るんだって? これには載ってないようだけど…」
君は当然知ってるだろう、と訊かれたキース君は「申し訳ない」と頭を下げて。
「すまん。俺は興味が無かったもので…作り方までは聞いてないんだ」
「聞いてない!? じゃあ、その人にメールか電話で…」
「アドレスも交換しなかった。個人情報についてはうるさいからなぁ、名簿にも多分、名前しか無い」
「き、君ってヤツは…」
ワナワナと震えたソルジャーはキース君を怒鳴りつけ、「使えないヤツ!」と掴みかからんばかりです。キース君、迂闊なことを言ったばかりにソルジャーに締められてしまうのかな…?
黒猫褌の作り方を習ってこなかったキース君に対するソルジャーの怒りは激烈でした。罵倒されまくったキース君は泣く泣く会長さんに「パソコンを借りてもいいか?」と許可を貰ってカタカタと…。えっと、アドレス交換はしなかったんじゃあ? あれ? 使ってるのは検索エンジン?
「…よし。最初からこうすれば良かったんだな」
あったぞ、とキース君が示した画面には褌を締めた男性の写真と『黒猫褌の作り方』の文字が出ていました。
「型紙は此処をクリック、と…。ん…?」
表示されたのは一本の紐と、長四角の布が大小2枚。寸法などは載っていません。ソルジャーがキース君を押し退けるようにして画面を眺め、「なるほどねえ…」と頷いて。
「そうか、寸法は実際に測ってみろと書いてある。立体的に仕上げるから、何パターンかを試作してから更にベストなサイズを目指す…、と。つまりハーレイのサイズを測らなきゃいけないわけだ」
それからソルジャーは少し考え込んでいましたが…。
「そうだ、今年のバレンタインデーのプレゼントは手作りの黒猫褌にしよう! もちろん協力してくれるよねえ、ぼくは縫い物が得意じゃないから」
嬉しそうに宣言したソルジャーに、会長さんがすかさず突っ込みました。
「ぶるぅは貸してあげないからね! 去年のバレンタインデーにハーレイから手編みのセーターをプレゼントされた恨みは忘れてないんだ。あれは君がハーレイをそそのかしたせいで、お蔭でぼくは酷い目に…」
「大丈夫。ぶるぅに縫って貰おうなんて思ってないから! 縫い方の指導をお願い出来ればそれで充分。ここに書いてある意味がぼくにはイマイチ分かってないし…」
難しそうだ、と画面を覗き込むソルジャーの横から「そるじゃぁ・ぶるぅ」が「どれどれ?」と可愛い指で文字をなぞって…。
「これならブルーでも縫えると思うよ? 花嫁修業に来ていた時に直線縫いは教えたでしょ? 基本はそれだし、後は返し縫いをしっかりすれば…」
「ありがとう、ぶるぅ。君はホントにいい子だよね。…それと、こっちのハーレイの協力が要るな」
「「ハーレイ?」」
「「「教頭先生!?」」」
会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」、それに私たちの声が重なりました。いったい何を協力させると…? ソルジャーは人差し指を立て、「決まってるじゃないか」とニヤリと笑って。
「バレンタインデーのプレゼントだよ? サプライズでなきゃ意味がない。それまでは六尺褌で頑張らせておいて、ジャストフィットな手作り褌をプレゼント! これで褌を締めてかかれなければ男じゃないね」
バレンタインデーには緊褌一番、四十八手の仕切り直し! とソルジャーは思い切り燃えています。ちょ、ちょっと待って。サプライズなのにジャストフィットな褌プレゼントで、教頭先生の協力が要るって、まさか…。
「そのまさかさ」
きっとこっちのハーレイも喜ぶよ、とソルジャーは自信満々でした。
「外見も服のサイズも、こっちのハーレイとぼくのハーレイは全く同じだ。だから採寸はこっちの世界のハーレイで! お願いしたいのは褌モデルさ」
「「「!!!」」」
えらいことになった、と誰もが声も出ませんでしたが、ソルジャーは一人ウキウキと。
「試験期間中はハーレイも色々と忙しそうだし、終わった頃にまた来るよ。そしたら褌モデルをお願いするのに付き添いと口添えの方をよろしく」
じゃあね、と軽く右手を振ってソルジャーは帰ってしまいました。…褌モデルって……教頭先生で採寸だなんて、教頭先生、それこそ鼻血で失血死では…?
「よりにもよって手作り褌ときたよ…」
どうしよう、と大きな溜息を吐き出したのは会長さんです。入試が終わったらソルジャーが来るのは確実でした。手作り褌の縫い方を「そるじゃぁ・ぶるぅ」が指導するのは許せるとしても、問題は褌モデルの方。教頭先生で採寸しないとジャストサイズの黒猫褌は作れないわけで…。
「ハーレイに褌モデルが務まるのかな? しかもブルーのあの口ぶりだと、本当にジャストフィットなヤツを求めて何度も採寸しそうだし…。あんな所を採寸だなんて、ハーレイ、絶対鼻血だってば」
「プロ根性でなんとかならないのか?」
キース君が提案しました。
「あんた、今でも教頭先生に全身エステをやらせてるだろう? 確かエステをやってる間はプロのエステティシャンに徹しているから鼻血は出ないと言っていたな? その要領で今度もなんとか…。どう転んでも褌モデルは避けられそうにないだろう?」
「それってどんなプロなのさ? 褌モデルなんて聞いたこともないよ」
プロ根性を持った相手が見つからない、と会長さん。
「本物のモデルはポージングするだけだしねえ…。褌カタログのモデルも同じだ。…触られることなんか想定してない。そしてブルーは百パーセント、アヤシイ動きを見せると思う」
「「「………」」」
「わざと触るとか、撫でるとか。…そういう接触にも冷静に対処できるプロって人種に心当たりが無くはないけれど…。そんなプロ根性をハーレイに仕込んじゃったら今度はぼくが危ないんだ」
え? それってどういうプロ? 首を傾げる私たちに、会長さんは「言葉くらいなら通じるか…」とボソリと小さく呟いてから。
「アダルトメディアの男優だったら何をされても平気だろうね。でもハーレイをそんなプロには出来ないだろう?」
げげっ、アダルト男優ですか! 確かに意味は分かります。その職業なら大抵のことは平然と流していられるでしょうが、教頭先生がそんなもののプロになってしまったら…。
「ね、分かるだろう? ヘタレが直るどころの騒ぎじゃないんだ。プロ根性でもってぼくを落とそうと頑張られたら、如何なぼくでも太刀打ちできない」
「…なるほどな…」
プロ根性は無理だったか、と遠い目になるキース君。会長さんは「そうなんだよ」と頷いて。
「だけど鼻血で倒れられたら、それはそれでブルーのいいオモチャだし…。採寸の間くらいは踏ん張れるように何か打つ手を考えないと。…ブルーがハーレイをオモチャにしたらロクなことにはならないんだ」
意識の下に変な情報を送り込むとか、と言われて私たちもピンと来ました。今までにソルジャーがやらかしたことといったら、教頭先生の頭の中に十八歳未満お断りな画像や映像をせっせとプレゼントすることで…。それはマズイ、と私たちは顔面蒼白です。
「ハーレイには鼻血を出して倒れることなく褌モデルをキッチリ務めて貰うしかない。プロ根性は使えないとして、他に何か…。あーあ、どうしてこの忙しい時期に頭の痛いことになるんだか…」
合格グッズの売上にだって響きそうだ、と会長さんは頭を抱えていました。べらぼうに高いグッズや試験問題を売り捌くには営業スマイルが必須ですけど、スマイルな気分じゃないみたいです。それでも当日になったら爽やかな笑顔を見せるんでしょうねえ…。
私たちの心配などにはお構いなしに時間は流れ、入試は終わってしまいました。入試の間は一般生徒も特別生もお休みですから、登校したのは合格グッズ販売をする会長さんとリオさん、フィシスさんだけ。売上の方は合格ストラップが値上げにも関わらず早々に完売、試験問題のコピーも完売。お騒がせグッズな『パンドラの箱』も好評だったということです。
「…だけど今年も注文を全部こなした人は出なかったねえ…」
注文3つ目くらいで挫折、と会長さん。パンドラの箱は普通のクーラーボックスですけど、蓋を開けると注文が書かれた紙が出てくる仕組みになっていました。その注文は「そるじゃぁ・ぶるぅ」の欲望と言われ、注文を全てこなせば補欠合格の奇跡が起こるというのです。私がこれで合格した話は有名で…。
「みゆが最後の合格者っていう記録は今年も更新されなかったね」
銭湯の男湯、とジョミー君が言い、たちまち起こる大爆笑。私が買ったパンドラの箱から出てきた最後の注文は「この箱を銭湯の男湯の脱衣場に置いてね」というヤツでした。パパの帽子とコートで男装して出掛けた決死の努力は補欠合格で報われましたが、この時期になると必ず笑いの種になるのが玉に瑕かも…。
「やあ。今日もとっても楽しそうだね」
降ってわいた声に瞬時に凍りつくティータイム。紫のマントを翻してソルジャーが姿を現しました。もちろん此処は「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお部屋です。まさか早速やって来るとは…! せめて明日かと思っていたのに…。
「善は急げと言うだろう? バレンタインデーまでに仕上げるためには頑張って縫わなきゃいけないし…。ぼくは縫い物が苦手なんだよ」
改めて言われなくてもソルジャーが裁縫に向いていないのは周知の事実。教頭先生がギックリ腰になった時に「花嫁修業をするから」と押し掛けてきて、紅白縞のトランクスの綻びを繕うために「そるじゃぁ・ぶるぅ」が縫い物の指導をしたのですけど、直線縫いをマスターするのに一晩かかっていたような…。
「急いでやって来たわけだけど、ハーレイに褌モデルは頼めそうかな? 君たちも一緒にお願いをしてくれるんだよね? ダメなら一人で交渉に…」
「ちゃんと方法は考えてある!」
だから一人で突っ走るな、と会長さんが釘を刺しました。
「今からみんなで出掛けよう。…ただしブルーは行きも帰りもシールドの中! 教頭室でだけ出ることを許す。分かってるだろうけど、君の存在は…」
「秘密なんだよね、SD体制の存在が知れて皆が不安にならないように。…それはいいから、褌モデル! ぼくのハーレイは今日も褌が解けちゃったんだ。ゆるフンだっけか、とにかくヘタレ。胃痛持ちなのは有名だったけど、ついに腸まで弱くなったと噂になってる」
「「「………」」」
キャプテンは気の毒なことになってしまったみたいです。神経性の腸炎だという情けない噂が広まったようで、不名誉な噂を打ち消すためには解けにくい黒猫褌が必須。…ソルジャーが褌を断念すれば全て円満解決ですけど、そうするつもりは無いらしく…。
「バレンタインデーには黒猫褌! ぼくの手作りでジャストフィットで、おまけに解ける心配も無い。ハーレイにとっては良いことずくめのプレゼントだと思わないかい?」
緊褌一番、四十八手に再挑戦だ! とソルジャーは至極御機嫌です。しかし黒猫褌プレゼントには教頭先生の協力が…。会長さんはどんな方法を考案したというのでしょう? まさかサイオンで自由を奪って無理やり採寸……なんて強引な手段じゃないでしょうね…?
戦々恐々で出掛けて行った教頭室。会長さんが扉をノックし、「失礼します」と私たちを連れて中に入ると、ソルジャーがシールドを解きました。笑顔だった教頭先生の顔が引き攣り、不安そうな声で。
「なんだ、今頃? 試験問題のコピーに不備でもあったか…?」
「…ううん、そっちはバッチリだったよ。今日はそれとは別件で……バレンタインデーのことなんだけど」
「バレンタインデー?」
「うん。ブルーがあっちのハーレイにプレゼントをしたいらしくてねえ…。手作りにチャレンジするらしい。それで君の協力が必要なんだ」
会長さんはニッコリ笑って。
「ブルーが作りたいのはジャストフィットの下着なんだよ。君が採寸させてくれたら、ぼくも御礼に手作り下着をプレゼントしよう。…採寸するのはブルーだけどね」
「手作り下着? アンダーシャツか?」
「違うよ。…紅白縞の代わりになるヤツ」
「…!!!」
ウッと呻いて鼻を押さえる教頭先生。早くも鼻血の危機のようです。けれど会長さんは喉をクッと鳴らして。
「鼻血は禁止! ぶっ倒れるのも禁止だからね? ブルーがジャストサイズの黒猫褌を縫い上げるまでに一度も鼻血を出さなかったら、ぼくも下着をプレゼントする。だけど約束を守れなかったら、今後は紅白縞も無いから」
「な、なんだと?」
「聞こえなかった? 紅白縞も二度とあげないって言ってるんだよ。それが嫌なら早速モデルをして貰おうか。…ぶるぅ、ブルーに採寸の仕方を教えてあげて。今日はとりあえず服の上から」
「オッケー♪」
メジャーを取り出した「そるじゃぁ・ぶるぅ」がソルジャーに渡して測り方を教え、ソルジャーは教頭先生の胴回りを測り始めます。それをメモして、次に測るのは…。
「足、開いて」
測れないよ、とソルジャーが促し、心持ち足を開いた教頭先生のデリケートな場所からお尻にかけてをメジャーがくぐって、ソルジャーの手も。教頭先生は既に耳まで真っ赤でした。いつもだったら鼻血がツーッと出るパターンです。しかし…。
「ありがとう、ハーレイ。とりあえず今日はこれでおしまい」
出来上がったら試着をよろしく、とソルジャーが微笑みかけるまで教頭先生は耐え抜きました。会長さんからの手作り下着プレゼントという大きな飴玉。それに加えて紅白縞が貰えなくなるかもしれない、という厳しいムチが鼻血を止めたみたいです。確かに凄い名案ですけど、本当にこれでいいのかな…。
「ん? いいんだよ、鼻血を回避できればね」
手作り下着は楽勝だから、と教頭室の前の廊下でクスクスと笑う会長さん。
「ブルー、褌モデルは確保してあげたんだから頑張りたまえ。この先は君の努力次第だ」
まずは型紙作りから…、という一声でソルジャーの黒猫褌作りが始まりました。「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお部屋に戻って何パターンかの型紙を作り、今日はそこまで。明日から裁断と縫い物ですよ~!
四十八手を楽しむためには緊褌一番、と結論付けているソルジャーは褌作りに燃える日々。シャングリラ学園ではバレンタインデーを控えて温室にチョコレートの滝が現れ、華やいだ雰囲気が漂っています。そんな日々の合間を縫って教頭室を訪ねるソルジャーがやることと言えば…。
「今回のヤツはどうだろう? ちょっと頼むよ」
はい、と渡された真っ赤な黒猫褌の試作品を持って仮眠室に消える教頭先生。戻って来る時にはそれをTバックよろしくキリリと締めて、もちろん毛脛が丸出しで…。
「うーん、もうちょっと余裕がある方がいい? この辺とかキツイ感じがするよね」
パンパンだ、とソルジャーが触っているのは非常にデリケートな部分でしたが、教頭先生は鼻血をグッと堪えていました。頭の中では会長さんの手作り下着が踊っているに違いありません。そんな毎日が暫く続いて…。
「やった! これでサイズは完璧だよね」
バッチリ完成、とソルジャーが狂喜したのはバレンタインデーを二日後に控えた放課後のこと。教頭先生が締めた黒猫褌は今までにないフィット感で大事な所を覆っています。
「ハーレイ、協力に感謝するよ。後はコレに使った型紙で新しいのを縫い上げて…と。これでぼくのハーレイのヘタレも直る。バレンタインデーには四十八手に再チャレンジだ!」
「は?」
褌モデルで緊張していた教頭先生には四十八手は通じなかったようでした。任務終了でホッとしたのか、ソルジャーに「良かったですね」なんて声をかけてますし、まあ、その方が平和でいいかな…。
「ありがとう。君たちのお蔭で素晴らしいバレンタインデーになりそうだよ。当日までに何枚くらい縫えるかな? この型紙も大事にしなくちゃ。…ブルーもハーレイに素敵なヤツを贈ってあげて」
褌モデルを頑張ったしね、とニッコリ笑ってソルジャーは帰ってゆきました。会心の出来の黒猫褌で本当にヘタレが直るのかどうか、非常に怪しい気がしますけど。…それに会長さんも、バレンタインデーはどうする気なんだか…。教頭先生に手作り下着って、嘘八百で実はなんにも贈らないとか、「そるじゃぁ・ぶるぅ」が作ったヤツを自作だと言って渡すとか…?
「ふふ、知りたい? ぼくも真面目に縫ったんだよ」
約束はきちんと守らなくちゃね、と会長さんが奥の部屋から「そるじゃぁ・ぶるぅ」に持って来させたのは…。
「……確かに下着には間違いないが……」
洋服にはちょっと無理があり過ぎないか、とキース君が指摘し、ジョミー君が。
「だよねえ…。ぼくもズボンにこれは無理だよ」
法衣の時には使わされたけど、と呆れた顔で眺めるソレは腰巻でした。会長さんが真心をこめて縫い上げたと自慢するだけあって綺麗に縫い目が揃っていますが、教頭先生に使う機会は無さそうです。着物を着ればいいんでしょうけど、それでも肌に直接触れるというわけでなし…。
「期待は外れるものなんだよ」
あっちのハーレイは知らないけれど、と会長さんは涼しい顔。
「バレンタインデーには手作り下着をプレゼント! ハーレイは黒猫褌を貰えるものだと思い込んでる。それを言われたらコレを出すのさ」
見た目はそっくりさんだしね、と会長さんが取り出したのはショッキングピンクのレースで出来たTバック。これも手作りらしいのです。ソルジャーが採寸した数字は活用しなくちゃ、とニヤニヤしている会長さん。教頭先生、こんな下着をプレゼントされて幸せ気分になれるでしょうか?
「いいじゃないか、ブルーが作った褌と違って見返りは要求されないんだから。…バレンタインデーに四十八手を頑張らされたんじゃ本末転倒」
バレンタインデーは貰う日であってプレゼントをする日などではない、とキッパリ言い切る会長さん。教頭先生に試着をさせて楽しむつもりみたいです。気の毒な教頭先生、身体を張って会長さんに笑いをプレゼントですか…。バレンタインデーに乾杯!
かるた大会の副賞で教頭先生とゼル先生との力士姿と初っ切りを拝んだ私たち。土俵での攻防戦を楽しんだ後に待ち受けていたのは怒りに燃えたソルジャーでした。相撲に恨みがあるようです。エロドクターに貰った四十八手がどうこうと因縁をつけて来たんですけど、そもそも四十八手って何…? 相撲の決まり手じゃないなんて…。
「君たちが見ていた初っ切りだっけ? あれは反則技の応酬だってね? だったらノルディがくれた四十八手もマトモにやっても意味無いのかな? 反則でないと楽しめないとか?」
ソルジャーが詰め寄った相手は会長さん。四十八手といえば相撲の決まり手だとしか知らない私たちでは話にならないと思ったのでしょう。会長さんはウッと言葉に詰まって目を白黒とさせていましたが…。
「ブルー、ここじゃアレだから奥の部屋へ行こう。十八歳未満お断りの団体様がいるんだからね」
「それが何さ? とっくに十八歳になっているだろ、精神がついていかないだけで。…たまにはキワドイ話も聞かせた方がいいんじゃないかな、まりぃ先生とやらのイラストとレベルは大して変わらないんだし!」
言うなりソルジャーが宙に取り出したのは何かが描かれた極彩色の紙。テーブルの上に広げようとするのを会長さんが必死になって止めにかかります。
「それを出すのはダメだってば! いくらなんでも子供には刺激が強すぎる! ぶるぅだっているんだよ?」
「ぶるぅ? 小さすぎるから分かりゃしないさ、裸の絵だな、って思うだけだよ」
「「「………」」」
ソルジャーが握っている紙に描かれているものが何か、ほぼ想像がつきました。いわゆるエロいイラストでしょう。それがどう四十八手になるのかはイマイチ分かりませんけども…。顔を見合わせている私たちに気付いた会長さんが溜息をついて。
「…あーあ、この子たちにも分かったようだよ、君が持ち込んだのが何なのか。…とにかくそれは片付けたまえ。早い話が、四十八手が上手くいかなかったというわけだね?」
「上手くいかないなんてレベルじゃないよ! ハーレイったら、てんで使えなかった。「喜んで!」としか言えない状況だった時でさえダメだったから、姫初めの方がどうなったかは簡単に想像できるだろ?」
あ。「喜んで!」しか言えなかった時というのは去年の暮れのパーティーでのこと。教頭先生相手にそういう縛りの遊びをしていて、ソルジャーが勝手に時間延長をして…。そこへキャプテンが乱入してきて、「喜んで!」の縛りを引き継いだのです。ソルジャーは四十八手を試しまくると意気込んで帰っていきましたっけ…。
「とにかくハーレイはヘタレなんだ。あれもダメだし、これもダメ。いったいどれならいいと言うんだ、と四十八手が描かれた紙を突き付けたって脂汗を流して「すみません」としか言わないし!」
「それは「喜んで!」の時も同じだったのかい?」
会長さんが恐る恐る口を挟むと、ソルジャーは。
「あっちの方がまだマシだったね。「喜んで!」としか言えないだろう、一応努力はしたようだ。だけど姫初めは逃げ腰でさ…。絶対ハーレイだって楽しめる筈だと思ったんだけど? なんと言ってもノルディのオススメ」
「………。無理があったんじゃないのかな? 四十八手は男同士は想定してないと思うんだ」
ああ、なるほど。これで確信が持てました。ソルジャーがエロドクターから貰ったという紙にはエロチックな絵が描かれていたのに違いありません。四十八手と言うほどですから、恐らく四十八種類くらいの男女のヤツが。…ソルジャーはそれをキャプテンと一緒に再現しようとして失敗したと…。そりゃ怒るわ、と私たちは顔を見合わせたのですが。
「ノルディがそんなヘマをするとでも?」
フン、と鼻を鳴らしたソルジャーはさっきの紙をバッとテーブルに広げました。げげっ、これって男同士の絡み合い? ひいふうみい……確かに四十八組くらいあるような…?
「ブルー!!!」
会長さんが紙を引ったくり、荒っぽく畳んでソルジャーにグイと押しつけて。
「なんてことするのさ! 口で言えば済むことだろう!?」
「ぼくは怒っているんだよ。君たちだけが相撲の世界を楽しんだなんて許せないね。…お詫びに教えて欲しいんだけど、やっぱりこっちの四十八手も反則でないと楽しめないわけ?」
「…男同士は知らないけどさ…」
諦めたように頭を振った会長さんは。
「普通のヤツだと楽しめるよ? ぼくも試したことはあるしね。…ノルディがそれを渡したんなら、ノルディも経験済みだと思う。反則技が必要なことはない筈だ。ぼくが思うに、君のハーレイの努力が足りないだけじゃないかと」
「努力…?」
「そう、努力。それと根性ってところかな。四十八手はなかなかに大胆なヤツが多いからねえ、ヘタレだと実践するのは難しいかも…。褌を締め直してかかるくらいの覚悟が要るかと」
「フンドシ…?」
なんだい、それは? とソルジャーが首を傾げました。通じなかったみたいです。そっか、文化が違うんだっけ…。
会長さんが言いたかった言葉は緊褌一番。意味は「気を引き締め、充分な覚悟をもって事に当たること」だと国語の授業で習いましたが、ソルジャーの世界には褌自体が無いのかな? 四十八手の恨みも吹っ飛んだのか、キョトンとしているソルジャーに向かって会長さんが。
「ほら、ハーレイが泳ぐ時に締めている布があるだろう? あれが褌」
「えっと…。あまり見たことないけど、赤いアレかな? それを締めてると何か違ってくるのかい?」
「モノが布だけに、普通の下着とは違うらしいね。ギュッと締め直すと気合が入ると言われているよ。だから褌を締め直してかかるっていうのはさ…」
緊褌一番という言葉について説明されたソルジャーは「ふうん…」と納得したようで。
「君の言いたいことは分かった。つまりハーレイに足りないモノは褌なんだね?」
「「「は?」」」
なんでそういう流れになるのだ、と誰もが呆れ返りましたが、ソルジャーの方は大真面目でした。
「だって、気合が入るんだろう? だったら褌を締めてかかれば覚悟の方も決まるかと…。こっちの世界じゃそういう時に褌をするんじゃないのかい?」
「えーっと……」
視線を泳がせた会長さんの瞳がキース君の所でピタリと止まって。
「ああ、まあ……そういうこともあるかもね。…キース、伝宗伝戒道場には褌の人がいたんじゃないかい?」
へ? こないだの道場に褌の人が? お坊さんになるための道場なのに…? 何故、と訝しむ私たちを他所に、キース君は「いた」と頷きました。
「褌組はけっこういたな。まさしく緊褌一番ってヤツだ」
「「「???」」」
「それくらいの覚悟で道場に来たという自分に対する決意表明。普段の生活で使う下着じゃないだろう?」
「そういうこと」
会長さんがニッコリ笑って。
「お坊さんの正装は衣だからね、褌を愛用している年配の人も多いんだ。専用の通販カタログもあるよ」
はい、と会長さんが宙に取り出して見せたのは作務衣と足袋の通販カタログ。こんな通販があるんですか…? 仰天している私たちの前に会長さんは次々と…。
「お寺グッズの通販はとても充実してるんだ。これが仏具でこっちが法衣、それから袈裟。仏具だけでも凄い量だろ?」
ドカンと積み上げられた通販カタログは元老寺のアドス和尚の部屋から拝借したのだそうです。私たちは当初の目的も話題も忘れて通販カタログに興味津々。仏像から木魚、本堂の飾りに至るまで買えないものは無さそうで…。
「こっちに梵鐘のページもあるよ。やろうと思えば通販だけでお寺の全てを揃えるのも可能」
会長さんは得々として説明をしてくれました。お寺の本山が多いアルテメシアは仏具のお店も沢山あるので直接お店に行けますけれど、地方ではそうはいきません。蝋燭やお香を買うためだけに遠い街まで出掛けてゆくのも大変ですから通販が発達したのだそうで…。
「最近じゃネットで注文できるお店もあるのさ。お寺専用の会計ソフトとか、戒名の管理ソフトもあるし…。キースも確か使えるんだよね?」
「まあな。だが、俺の家では卒塔婆をプリンターで印刷するような真似はしないぞ。ちゃんと手書きだ」
手が足りない時はバイトを頼むし、とキース君。そっか、最近では卒塔婆の文字までプリンターですか…。会長さんが出してくれたカタログの中に専用プリンターが載っています。プリンターの下に専用レールみたいなのがあって、そこに卒塔婆を乗っけるみたい。ちょっとした卒塔婆印刷工場? 通販カタログ、面白過ぎ~! ソルジャーもあれこれとページをめくっていましたが…。
「あ、そうだ。お寺もいいけど、褌のカタログってどれだっけ?」
「これだよ。ほら、こんな感じで」
「「「!!!」」」
会長さんが広げた作務衣と足袋のカタログの末尾の方に存在していた褌のページ。筋肉がしっかりついたモデルさんが仁王立ちのポーズでデカデカと写り、『男は黙って越中ふんどし!』の謳い文句が入っていたり…。
「…ハーレイのヤツとは違うみたいだけど?」
「あれは六尺。こっちだね」
会長さんがパラパラとページを繰ってゆきます。なんとまあ、褌だけでも種類が沢山あるようで…。ソルジャーは「異文化はよく分からない」と混乱しつつも、褌が重要なアイテムだというのはしっかり把握したみたいです。えっ、どうしてそれが分かるのかって? だって…。
「お勧めはやっぱり六尺なのかい?」
越中じゃなくて、と言うソルジャーに会長さんが。
「ハーレイは六尺を愛用してるね。水泳にしか使わないっていうのもあるけど、やっぱり締めたって感じがするのは六尺じゃないかと思うんだ」
なんと言っても布一本、と会長さんに聞かされたソルジャーは…。
「じゃあ、これ。六尺ってヤツを買いたいんだけど、通販、お願い出来るかな? お金はもちろんぼくが出すから」
「どうする気なのさ?」
「ハーレイに締めさせて気合を入れて貰うんだ。届いたら連絡よろしく頼むよ、また取りに来る」
ひぃぃっ! またソルジャーが来るんですって? 通販じゃなくてデパートとかには無いのでしょうか? と、「そるじゃぁ・ぶるぅ」がソルジャーのマントを引っ張って。
「これならデパートで売ってるよ? 言わないと出してもらえないけど…。一緒に行く?」
「えっ、買えるのかい?」
「うん! ぼく、ハーレイの紅白縞を買いに行くから知ってるんだよ」
エヘンと胸を張った「そるじゃぁ・ぶるぅ」は次の瞬間、ソルジャーに拉致されてしまっていました。行き先は恐らくデパートです。褌を買えば四十八手とやらが上手くいくのかどうかはともかく、ソルジャーがお帰りになったというのは喜ぶべきことで…。
「えっと…。ぶるぅは大丈夫かなぁ?」
ジョミー君が首を捻っています。会長さんはクスクス笑いながら。
「ぶるぅなら心配無用だよ。楽しそうに下着売り場に向かっているさ。役に立てるのが嬉しいんだろうね」
会長さんが思念波で伝えてくれた映像の中では「そるじゃぁ・ぶるぅ」が踊るような足取りで跳ねていました。後ろに続くのはサイオンで服装を誤魔化しているソルジャーです。会長さんの私服っぽく見える姿ですけど、会長さんは特に気にしていない風で…。
「ぼくが褌を買ったところで誰にバレるってわけでもないし…。あれでブルーが満足するならいいんだよ。これで暫く静かになるさ」
あっちのハーレイのヘタレが褌を締めて直るといいね、と会長さん。そんな簡単なモノではないとは思いますけど、今日の所は逃げ切れたかな…?
デパートに行ったソルジャーは「そるじゃぁ・ぶるぅ」に案内されて六尺褌を買って帰ったそうです。色々な柄があったらしいのですが、ソルジャーのチョイスは生成りとのこと。締め方を描いた紙もつけて貰ってのお買い上げですから、当分はヘタレ直しに燃えている筈で…。そんな話が交わされてから数日経って始まったのは入試の準備期間でした。
「ごめんね、おやつ作れなくって…」
忙しくなるから、と謝る「そるじゃぁ・ぶるぅ」の前にはズラリ並んだ天然石のビーズ。このビーズに必勝パワーのこもった右手の赤い手形を押して、合格ストラップに仕上げるのです。私たちに手伝えることは何も無いので、いつもの手作りおやつの代わりに市販のケーキを頬張りながら見物するだけ。
「よいしょっと」
ペタン! と押された赤い手形はビーズに吸い込まれてすぐ見えなくなり、次のビーズにまたペタン! 会長さんはフィシスさんとリオさんを呼んで今年の戦略を練っています。『パンドラの箱』の名前で売り出すクーラーボックスを何個にするか、とか、ストラップの値段を値上げすべきか据え置くべきか…など。
「そろそろ値上げしてもいいんじゃないかと思うんだ。長いこと据え置きだったしねえ…。その間に世間じゃ風水グッズの値段がウナギ上りになってるし」
データを示す会長さんは珍しく仕事をしています。いつもだったら生徒会の仕事はフィシスさんとリオさんに丸投げなのに、入試の時だけはまるで別人。合格グッズの販売にも自ら出てゆきますし、よほどこの期間が好きなのでしょう。そして今年も私たちは…。
「ダメダメ、販売員には使えないよ」
手伝いを申し出たキース君は会長さんにアッサリ断られました。
「例年、フィシスとリオとぼくだけでやっているんだからね。…フィシスたちが来る前はどうだったかって? ぼくが一人で細々と…。その頃はパンドラの箱もストラップも扱っていなかったんだ」
売っていたのは試験問題の写しだけ、と微笑んでいる会長さん。
「ハーレイが手書きで作成していた時代もあった。もちろん部数が限られるから高価でねえ…。それでもちゃんと売れたって所が凄いだろう? え、ぼくが自分で写さないのかって? 嫌だよ、そんな面倒なこと」
手が疲れる、と大袈裟に肩を竦める会長さん。要するに教頭先生は遙か昔から試験問題を漏洩していたようです。対価は今も昔も変わらないそうで、つまりは例の耳掃除…? えっと、もうフィシスさんとリオさんは部屋にいませんから聞いてもいいかな…?
「耳掃除のことならフィシスは知ってるよ? もちろんリオも」
ハーレイがぼくに惚れているのはバレバレだから、と会長さんはウインクしました。
「二人とも現場は見たことないけど、交換条件がそれだというのは言ってある。ついでにぼくの娯楽だともね。嫌々やってるわけじゃないし」
「「「………」」」
あの耳掃除は会長さんの娯楽でしたか! 決して報われない教頭先生への年に一度のサービスデーだと思っていたのに…。頭を抱える私たちに、会長さんは。
「そんなの決まっているじゃないか。なんでハーレイにサービスしなくちゃいけないんだい? あの耳掃除で舞い上がっちゃうのが楽しいんだよ。来年こそは…、と決意を新たにするハーレイを見るのが面白くてねえ」
進展するわけないのにさ、と鼻で笑う会長さんはまさしく鬼。今年はいったい何を仕掛けるというのやら…。
「え? 今年は特に予定は無いよ? たまには普通に耳掃除だけって年にするのもいいだろう? 幸い、ブルーも出て来ないしさ」
そういえば去年も一昨年もソルジャーが教頭室について来たのです。一昨年は見学していただけでしたけど、去年は途中から乱入したので話がおかしな方向へ。試験問題のコピーは無事にゲット出来たのですが、バレンタインデーに向けての妙な約束を勝手に交わされてしまったという…。
「ブルーはあれからこっちに来ないし、多分、あっちのハーレイのヘタレ直しに夢中だと思う。鬼の居ぬ間になんとやら…ってね。このままブルーが出て来ないようにと祈ってて」
「「「はーい!」」」
祈って通じる相手ではないと分かってはいます。けれどやっぱり神頼み! 今年の試験問題ゲットにも私たちは付き合わされるのでしょうし、平和が一番いいんですから…。
シャングリラ学園の入試が迫ると先生方も超多忙。そんな中、先生方のお楽しみといえば賭博でした。試験問題が流出するか否かを賭けるというのがド顰蹙ですが、三百年以上も在籍している生徒会長やら、それを教える先生方がズラリと揃う学園ならではの行事かも?
「今年も懲りずにやってるよ。例によってハーレイは蚊帳の外だけど」
クスクスクス…と笑いを漏らす会長さん。私たちは「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお部屋でのんびり放課後を過ごしています。会長さんがゼル先生の引き出しから拝借したという賭けの表には先生方の予想と賭け金の額が書き込まれていて、どうやら今年はブラウ先生が大穴狙い…?
「毎年流出してるからねえ、しない方にこれだけの額を賭けるというのは大勝負だ。ブラウには悪いけど、今年も問題は流出させて貰おうかな」
賭けの表を瞬間移動でゼル先生の机に返した会長さんはゆっくりとソファから立ち上がりました。
「ハーレイの所に試験問題が揃ったようだよ。ブルーも来ないし、今日は絶好の試験問題入手日和! 君たちも見学しにおいで。…長年お供について来たんだ、君たちがいないと張り合いがない」
「張り合いって…。おい、俺たちは何なんだ?」
キース君の問いに、会長さんは。
「もちろんギャラリー。最近、ブルーのせいで色々と調子が狂いっぱなしだったしさ…。ギャラリーを連れてお出掛けするのは久しぶりかな? ぶるぅ、頼むよ」
「オッケー! シールドしとけばいいんだよね?」
パァァッと青い光が溢れて、私たちは「そるじゃぁ・ぶるぅ」のシールドの中。会長さんが大好きな『見えないギャラリー』というヤツです。ソルジャー抜きでのこういうパターンは本当に久しぶりでした。耳掃除の見学くらいだったら特に問題ありませんから、付き合う方も気楽なもの。会長さんの後ろに続いて教頭室へと行列して…。
「失礼します」
会長さんが教頭室の扉をノックし、スルリと滑り込みました。私たちも一緒ですけど、教頭先生は気付いていません。会長さんの顔を見るなり、嬉しそうな笑みを浮かべて…。
「来たのか。…お前一人だけか?」
「決まってるだろう? 試験問題のコピーを貰うには条件が…ね。あんな姿を他の連中には見られたくないさ」
「…去年はブルーが来ていたようだが?」
「今年はいないよ。ブルーはぼくも遠慮したいし。…そんなことより、ほら、早く」
でないとぼくの気が変わるよ、と仮眠室に続く扉を開ける会長さん。教頭先生はいそいそと仮眠室に入り、会長さんが大きなベッドの上に座って右手に竹の耳かきを…。それから後は毎年お馴染みの光景でした。会長さんの膝枕で耳掃除をして貰う教頭先生は幸せそうで、傍目にはとてもお似合いです。
『何処がお似合いなんだって?』
会長さんの思念にビクンと首を竦めたのは私だけではありませんでした。シールドの中でバツが悪そうな顔をしているのはサム君と「そるじゃぁ・ぶるぅ」を除いた全員。会長さんと公認カップルを名乗るサム君がお似合いだなんて思うわけがなく、小さな子供の「そるじゃぁ・ぶるぅ」もおんなじで…。なんだ、やっぱりお似合いなんじゃないですか!
『だ・か・ら! 似合ってるわけないだろう? ハーレイが一人でデレデレしてるだけだよ』
教頭先生には届かない思念を送って寄越す会長さん。耳掃除が終わると教頭先生は会長さんをギュッと抱き締め、温もりを暫く味わってから。
「…ありがとう、ブルー。これが契約だと分かってはいても…嬉しいものだな。いつかはお前に嫁に来て欲しいが、今も気持ちは変わらないのか?」
「生憎、そっちの趣味は無くてね。このサービスが精一杯さ」
「……そうか……」
残念だ、と身体を離した教頭先生は仮眠室を出て、教頭室の金庫の中から書類袋を取り出しました。
「今年の試験問題だ。好きなだけコピーするといい」
「ありがとう、ハーレイ。また来年もよろしく頼むよ、期待してるから。…これはサービス」
会長さんが伸び上がり、教頭先生の首に腕を絡めて頬に軽いキス。教頭先生はたちまち耳まで真っ赤になってしまい、会長さんが可笑しそうに。
「ふふ、耳かきの後には抱き締められても、キスの不意打ちには弱いんだ? 実はちょっぴり心配だったりしたんだけどねえ、赤いパンツだって言われたりしたらどうしようかと」
「………!!!」
今度こそ教頭先生は鼻血が出そうな顔でした。赤いパンツとは会長さんが闇鍋で八百長を頼んだ御礼にプレゼントした赤いトランクス。それは究極の勝負パンツで、会長さんを落とす自信がついたら履くヤツで…。
「やっぱりまだまだ履けないよね? 赤パンツなんて…って、………ハーレイ?」
教頭先生がカチャカチャとベルトを外しています。まさか、ズボンの下には赤パンツ? 覚悟の程を披露しようと脱ぎにかかっていたりして…?
「ちょ、ちょっと、ハーレイ…! もしかして赤いパンツを履いてきたとか…? ぼ、ぼくは試験問題を貰いに来ただけで……今日は全然心の準備が…!」
会長さんの悲鳴などお構いなしに教頭先生はジッパーを下げ、会長さんの絶叫が響き渡りました。
「だ、誰か…! ち、ち、痴漢が~っ!!」
もしかしてこれってヤバイんでしょうか? 会長さん、完全にパニクっちゃってる…?
恐慌状態に陥った会長さんは「逃げる」という選択肢が思い浮かばないようでした。ヘタレの筈の教頭先生が実力行使に及ぶだなんて私たちでもビックリですし、会長さんがパニックなのも無理ないですけど…。でも、さっきまで真っ赤になってた教頭先生がいきなりズボンを下ろすだなんて…って、あれ? 赤パンツじゃない…?
「…なんだ、話が違うじゃないか」
教頭室の空気が揺れて、紫のマントのソルジャーが姿を現しました。
「いつもどおりの紅白縞とは残念だね。こういう時には褌なんだと思ったけどな。…せっかく劇的に演出したのに、脱がせたら普通のトランクスかぁ…」
「「ブルー!?」」
教頭先生と会長さんの声が重なり、ソルジャーがクッと喉を鳴らして。
「ハーレイにズボンを脱ぐような度胸があるわけないだろ、ぼくがサイオンで操っただけさ。…というわけで、もう履いていいよ。ベルトもきちんと元通りにね」
アタフタとジッパーを上げ、ベルトを締める教頭先生。会長さんは試験問題が入った書類袋をしっかりと抱え直してソルジャーの方に向き直ると。
「急に出てきてどういうつもりさ!? 褌がいったいどうしたって?」
「君が教えてくれたんじゃないか。緊褌一番って言葉をね」
だから確かめに来てみたのだ、とソルジャーは悪びれもせずに言い放ちました。
「耳掃除をして貰う時のハーレイは一番度胸が据わっているみたいだし、やっぱり秘密は褌かなぁ…って。でも褌じゃなかったのか…。もしかして褌を締めたらもっとパワーが出たりするとか?」
あちゃ~…。ソルジャーはまだ褌にこだわってた上、実地調査に来ましたか! 会長さんの顔がサーッと青ざめ、ソルジャーの腕をグイと掴むと。
「ハーレイ、問題は貰っていくからね! 今の騒ぎは忘れておくのが身のためだよ!」
「なんだと? お、おい、ブルー?」
焦りまくっている教頭先生の声を無視して、会長さんは廊下に飛び出してゆきます。私たちも慌てて追いかけるしかありませんでした。教頭先生が赤パンツじゃなかったことはラッキーでしたが、褌のことを綺麗に忘れてくれるでしょうか? それよりもソルジャーが何しに来たのか、そっちの方が心配です~!
シャングリラ学園の三学期は行事が目白押しでした。特別生は卒業式までしか登校しなくていいんですけど……そもそも出席義務も無いんですけど、年度の終わりは卒業式が目安です。それまでの間に入試にバレンタインデーと学校絡みの行事があって、かるた大会なんていうものも…。
「ふふ。今年はどんなのにしようかなぁ?」
会長さんがニヤニヤ笑っているのは放課後の「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお部屋。一昨日に新春かるた大会の開催発表があり、今日は健康診断だったのです。え、なんで健康診断かって? シャングリラ学園名物のかるた大会は実は水中かるた大会。温水とはいえプールに入るので健康診断は欠かせません。
「かみお~ん♪ おやつ、出来たよ!」
揚げたてだよ、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」が運んで来たのはピッツァフリッタ。最近人気の揚げピザです。中身はカルボナーラソースだそうで、1人前サイズの半円形に仕上がっているのが嬉しいところ。私たちは早速手を伸ばし、サクサクの生地と熱々の中身に舌鼓を打ち始めました。
「まりぃ先生、今日も絶好調だったよね…」
あればっかりは治りそうもないね、とジョミー君が言えば、キース君が。
「無理だろう。正式に俺たちの仲間になってから一年経ってもアレではなぁ…。ブルーがソルジャーなことも承知の上で好き放題だし、不治の病だ」
溜息をつくキース君。まりぃ先生は今日も会長さんを特別室に連れ込んだ上に、男の子たちにはセクハラまがいの健康診断を繰り広げたそうで、不治の病とは言い得て妙かも。会長さんは我関せずとピッツァフリッタを齧りながら。
「別にいいじゃないか、減るもんじゃなし。それより、かるた大会の方が問題だよ。優勝は1年A組が頂くとして、副賞を何にしようかなぁ…って。去年の二人羽織はウケていたよね」
「ああ、あれな…」
教頭先生は気の毒だったが、とキース君。かるた大会で優勝すると副賞で先生方による寸劇というのがついてきます。去年は教頭先生とゼル先生の二人羽織で、教頭先生はゼル先生の手で鼻の穴からウドンを啜らされたのでした。見ていてかなり笑えましたけど、ウドンを食べ終えた教頭先生はバッタリ倒れてましたっけ…。
「去年のはハーレイへの仕返しも兼ねていたから無茶できたけど、今年は言いがかりをつけられないし…。初詣で何かやらかしてくれたら良かったのにさ」
心置きなく悪戯出来た、と会長さんはブツブツと…。けれど教頭先生がドジを踏まなくても悪戯するのが会長さんです。今度も絶対に何かやる、と私たちは確信していました。そして案の定…。
「やっぱりさ、みんなで楽しめて笑えてこその寸劇だよね? ついでに勝利の喜びを分かち合えたら最高かも…。ほら、ずっと1年A組が勝利を収めてきているわけだし、他のクラスは美味しい思いをしてないだろう?」
何やら思い付いたらしい会長さんですが、他のクラスにも美味しい思い…って、そんなの果たして可能でしょうか? 寸劇は優勝したクラスが先生を一人指名し、その先生とクラス担任とで指定した演目をやってくれる仕組みになっています。他のクラスが入り込む余地は無さそうですけど…。
「うん、普通に考えたらそれは無理だね」
会長さんはあっさり認めました。
「君たちが言うとおり、優勝の副賞は1年A組の特権だ。でもさ、寸劇の内容によっては細工を施す余地があるかも…。ちょっと相談に行ってくる」
アッという間に会長さんの姿が消えて、取り残された私たち。会長さんは何処へ行ったのでしょう?
「ブルーだったら職員室だよ。えっとね…」
何か言い掛けた「そるじゃぁ・ぶるぅ」でしたが、急にピクンと硬直して。
「ごめん、ごめんね…。ブルーが内緒にしときなさい、って。だからなんにも言えないや…」
ごめんなさい、と繰り返した「そるじゃぁ・ぶるぅ」は「お詫びに」とピッツァフリッタの追加を揚げてくれました。今度はトマトソースとモッツアレラチーズ、ハムも入って先のとは全く別の味わいです。会長さんは職員室に行ったきりで戻りませんし、えーい、会長さんの分も貰っちゃえー!
会長さんが職員室でどんな相談をしたのか分からないまま、かるた大会の日がやって来ました。かるた大会は男女合同ですから、会長さんも「そるじゃぁ・ぶるぅ」も一緒にプールで戦います。女子で登録した「そるじゃぁ・ぶるぅ」はスクール水着が可愛くて…。
「さあ、シャングリラ学園名物かるた大会を始めるよ!」
司会のブラウ先生が叫び、クラス対抗形式の試合がスタート! かるた大会と呼ばれていますが、その実態はプール中に散らばった百人一首の取り札を奪い合うというハードなものです。取り札は発泡スチロールの大きな板で、それを所定の場所まで運んで行かないと取ったことにはなりません。
「「「がんばれー!!!」」」
プールサイドから囃し立てる声が響き、プールの中では第一試合の1年B組とE組が激しい水飛沫を上げていました。取り札を手にした生徒から取り札を奪い取るには「水をかけまくって進路と視界を妨害する」のがお約束。飛沫にやられて手を放したら札はたちまち掻っ攫われます。
「おーっと、今ので5人目だ! お手つきで無効!」
ブラウ先生の声が飛び、プールサイドから飛び込んだシド先生が取り札をプールの中央に戻しに行って…。
「じゃあ、今の札は後から読み直しだね。ハーレイ、次を頼むよ」
「分かった。では…。村雨の~、露もまだひぬ槙の葉に~」
「はいっ!!!」
男子生徒が高々と掲げた大きな札には「霧たちのぼる秋の夕暮れ」の文字。それを運ぼうと泳ぎ始めた彼はたちまち水飛沫に襲われ、またしても「お手つき!」の警告が響き渡りました。取り札をゴール地点に運ぶまでに敵味方を合わせて4人までが手にすることは許されますけど、それを超えると「お手つき」扱い。札は最初から読み直しです。試合は長引き、終わった頃には勝者も敗者もヘトヘトで…。
「では、次の試合! 1年A組とC組、プールに入って!」
ブラウ先生に促された私たちは次々とプールに飛び込みました。勝つための作戦は会長さんから伝授済みです。自分の近くにある取り札をしっかり頭に叩き込んでおいて、読み上げられたら、即、掲げること。これが勝利のコツでした。教頭先生が朗々と最初の札を読み上げて…。
「恋すてふ~、我が名はまだき立ちにけり~」
「はいっ!」
A組の男子が「人しれずこそ思いそめしか」と書かれた札を頭上に掲げた瞬間、プールの真ん中に立った会長さんがサッと両手を前に差し出すと。
「かみお~ん♪」
会長さんの隣にいた「そるじゃぁ・ぶるぅ」が組まれた両手を足場にして空中高く飛び上がりました。そのままピョーンと大勢の頭の上を飛び越えて行き、取り札を持った男子の傍らにドボンと着水。
「任せといてね!」
浮力抜群の札を受け取った「そるじゃぁ・ぶるぅ」は水中に潜り、底すれすれの深さをスイスイと…。潜られてしまうと水飛沫攻撃は効きません。けれど踏みつけたりしたら反則ですし、対戦相手のC組生徒は歯噛みするばかり。並みの力では沈められない札をサイオンで軽々と沈めた「そるじゃぁ・ぶるぅ」はプールを泳ぎ切り、プールサイドの所定の位置へ…。
「「「やったー!!!」」」
A組全員の歓声の中、次の札が読み上げられます。物凄い速さで会長さんの所へ戻った「そるじゃぁ・ぶるぅ」が取り札を掲げたA組生徒の所へ飛び込んで行って、この取り札もA組のもの。そんな調子で試合は進み、C組に一枚の札も渡さないまま1年A組の圧勝でした。もちろん続く数々の試合も。
「優勝! 1年A組!」
ブラウ先生の宣言に踊り上がるクラスメイトたち。続いて表彰式が始まり、会長さんが代表で賞状を受け取った所でブラウ先生が。
「さて、優勝したクラスには副賞がある。先生方による寸劇だ! 好きな先生を一人、指名しとくれ」
「えっと。…ぼくが決めてもいいのかな?」
振り返った会長さんにクラス全員が「かまいませーん!」と答え、会長さんは。
「教頭先生を指名します。それと、グレイブ先生が巻き込まれることは最初から決定してますし……協力者として他の先生が来て下さると嬉しいのですが」
「ふうん? それじゃ去年みたいに代理が立つというわけかい?」
楽しそうに返すブラウ先生。そういえば去年のゼル先生はグレイブ先生の代理でしたっけ…。けれど会長さんは「いいえ」と首を左右に振って。
「グレイブ先生には出て頂きます。グレイブ先生の補佐役の人が欲しいんです。…先生方さえよろしければ、ですが」
「よし。わしが出よう」
名乗りを上げたのはゼル先生でした。
「去年もグレイブの代理で出たからのぅ…。どうじゃ、わしでは不満かな?」
「ありがとうございます、ゼル先生!」
会長さんが深々とお辞儀し、協力者の参加が決まりました。さてと、それじゃ着替えて寸劇を見るために講堂へ…、って、あれ? 講堂へ移動するんじゃないんですか? 会長さんに耳打ちされたブラウ先生が全校生徒に指図したのは体育館の別フロア。
「着替えを済ませたら地下2階だよ! いいね?」
「「「はぁ?」」」
ざわめきがプールサイドに広がってゆきます。地下2階って何がありましたっけ? えーっと、えーっと…。まあいいや、後でキース君たちに聞いてみようっと!
「…本当に土俵だったんだ…」
制服に戻った私はポカンと口を開けていました。キース君たちに教えられてはいたんですけど、聞くと見るでは大違い。隣ではスウェナちゃんが同じように呆気に取られています。更衣室から一緒に来た「そるじゃぁ・ぶるぅ」は知っていたらしく、当然という顔でスタスタ歩いていきますが…。
「おーい、こっち、こっち!」
「かみお~ん♪」
ジョミー君たちが手招きしていて、「そるじゃぁ・ぶるぅ」が駆け出しました。体育館の地下2階には天井の高い広大な部屋。そのド真ん中に設けられているのは土俵です。シャングリラ学園に相撲部があるのは知ってましたが、こんな立派な専用スペースを持っていようとは…。
「ふふ、資金だけは潤沢にあるからね」
土俵際の座布団に陣取っていた会長さんが微笑みました。1年A組に与えられたのは升席と呼ばれる土俵際の特等席。他の席にも座布団が敷かれ、本格的な相撲見物が出来そうな雰囲気になっています。もしかして今年の寸劇って、相撲だったりするんでしょうか?
「そういうこと」
パチンとウインクをする会長さん。
「そして他のクラスの生徒たちと勝利の喜びを分かち合うための仕掛けも相撲ならでは! ほら、出てきた、出てきた」
チョーン、チョーン…という拍子木の音が響いて、職員さんたちが行列しながら入って来ました。土俵へ向かう職員さんたちの手には『シャングリラ学園』と書かれた幟が。あのデザインって大相撲で懸賞金を出す企業とかが土俵で披露する懸賞幟ってヤツなのでは…? と、ブラウ先生が土俵の下に現れて。
「さあさあ、寸劇の前にお知らせだ! 今、土俵の上を回ってる幟がどういう意味かは分かるかい? 今年の寸劇は相撲ってことになったんだけど、取組には懸賞がつくんだよ。生徒会長の提案で学食のランチ券が出されるのさ」
「「「???」」」
「資金源は先生方のカンパだからね、そんなに沢山出るわけじゃない。そこで全員に相撲賭博をしてもらう。西か東か、どっちが勝つかに賭けるんだ。的中させた生徒に賞品を分配するってことさ。今から用紙を配るから」
職員さんたちが土俵上で幟を掲げている中、先生方が用紙を配りに来ました。もちろん一人一枚ですけど、なんですか、これは? 大相撲の星取表に似た代物です。西と東に分かれた空欄が上から下までズラズラと…。取組をするのは一組だけの筈なんですが?
「それじゃ書き方を説明しよう。…用紙は見てのとおりの星取表だ。勝つと思う方が白い丸、負けと思う方には黒い丸さ。そして八百長なしの賭博だからね、西と東に誰が出るかは分からない。ついでに何回勝負するかも謎なんだ。これだと思う回数分だけ白丸と黒丸を書き込んでおくれ」
「「「えぇぇっ!?」」」
「制限時間いっぱい、何度でも勝負するんだよ。だから取組の回数は不明。分かったら急いで書き込むこと! 幟が引っ込んだら用紙を回収するからね。クラスと名前を書くのを忘れないように」
星取表には鉛筆もセットでついていました。土俵の上では幟を持った職員さんたちが再びゆっくり回り始めます。回り終わったら土俵を下りて退場するのは確実で…。
「えっと…。ど、どうしよう、これってどう書けば…」
悩んでいるジョミー君の横で会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」がサラサラと鉛筆を走らせています。参考にしようと覗き込んでみたら、二人の予想はバラバラでした。これじゃ話になりません。んーと、三試合くらいでいいのかな? でもって白丸と黒丸は適当に…、と。
「おい、どう書いた?」
キース君の声で皆の予想を出し合ってみれば結果はまるで不揃いで…。そうこうする内に幟が引っ込み、用紙は回収されました。誰か一人くらいは当たるといいね、と言い合っていると会長さんが。
「ある意味、非常に公平なんだよ。西と東が誰になるのか、ぶるぅとぼくにも分からない。土俵に出てくる直前にクジ引きで決めるようにしておいたから」
「「「………」」」
「でないと面白くないだろう? ぼくがどういう予想を書いたか、ハーレイに伝えるつもりもないし…。つまり一切、八百長無しさ。ぼくの予想が当たるといいな」
「やだやだ、ぼくが当てるんだもん!」
頑張って書いたんだもん、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」がゴネている中、ブラウ先生の思念波が。
『特別生に警告しとく。土俵に上がった力士に思念波で八百長を頼むのは禁止! 土俵の俵にサイオン検知装置を組み込んである。思念波で連絡を試みた生徒の星取表は破り捨てることになってるからね』
あちゃ~…。会長さんも「そるじゃぁ・ぶるぅ」も本当に八百長できないようです。教頭先生とグレイブ先生の取組、一方的に教頭先生の勝ちだと思うんですけど、どっちが東か分からない以上、白丸と黒丸を適当に配分するしかありませんでした…。って、ええっ!?
全校生徒が騒ぎ立てる中、登場したのはグレイブ先生。しかし力士の姿ではなく、派手な色合いの着物と袴で頭に烏帽子、手には軍配。あれって行司の装束では…。それじゃ力士はいったい誰が…、と誰もが顔を見合わせているとグレイブ先生が土俵に上がって。
「ひがぁ~しぃ~、ハーレイ~山ぁ~。にぃ~しぃ~、ゼルの~海ぃ~」
「「「!!!」」」
黒のマワシをキリリと締めた教頭先生とゼル先生が現れ、土俵の上に揃いました。ま、まさかゼル先生が力士とは…! 剣道七段、居合道八段を誇るだけあって、実は脱いだら凄いんです、と言わんばかりの筋肉ですが……それでも教頭先生に勝てるようには見えません。しまった、東に白丸で統一しとけばよかったかなぁ?
「そうでもないよ?」
私の心が零れていたのか、会長さんがニッコリ笑いました。
「この勝負、本当に読めないんだ。まあ、見ていればすぐに分かるさ」
力士になった教頭先生とゼル先生は本物の力士よろしく土俵に塩を撒き、腰を低くして見合ってから早速激突したのですけど、ゼル先生がいきなり繰り出した技はラリアット。教頭先生は勢いよく転がり、思い切り土がついています。あのぅ……今のは勝ち星に含まれますか? ラリアットって反則なのでは?
「はいはい、一戦目はゼルの勝ちだね」
西に白星、とブラウ先生が声を張り上げています。そ、そんなぁ…。軍配は? グレイブ先生の判断は? えっ、なんですって?
「只今の決まり手は~、ラリアット、ラリアット~。本来なら反則負けの所を格別の情けをもって取り直しぃ~」
見合って、見合って、とグレイブ先生がゼル先生たちに促しました。教頭先生は塩を取りに行き、山盛りに掬ってギュウギュウ固めて、ゼル先生が塩を撒こうと振り返った所へ顔面めがけて思いっきり…。
「おい」
キース君が会長さんを見据えながら。
「もしかしなくても初っ切りか? なんでもアリというアレなのか?」
「うん。でも打ち合わせは一切やってないから」
どうなるか全く分からない、と会長さんはワクワクしている様子です。えっと…ショッキリって何ですか?
「知らないかな? 元々は相撲の決まり手の四十八手や禁じ手を紹介するためのパフォーマンスみたいなものでね、最近では禁じ手がメインの見世物なんだよ。相撲の技にも限られてないし…。あ、出た」
パッコーン! と小気味いい音がしてゼル先生のハゲ頭に柄杓の一撃が決まりました。教頭先生が力水用の柄杓で殴ったのです。ゼル先生は負けじと力水の桶を持ち上げ、グビグビと飲んで、教頭先生の顔をめがけて勢いよくプーッ! と。そして目潰しを食らった教頭先生に向かって飛び蹴りをしたからたまりません。
「ゼルの~海ぃ~」
教頭先生は土俵下に転がり落ちていました。取り直し、と宣言するグレイブ先生の前でゼル先生はガッツポーズです。ブラウ先生によると今のもゼル先生の白星だとか。うーん、西に連続で白星が二つ。この段階で私は賭けから脱落決定でした。二つ目は東に白丸をつけたのです。こんな勝負だと分かっていたらもっと…、って、会長さんでも読めないんでしたっけ。
「そうなんだよ。反則技ならゼルの圧勝だと踏んでたんだけど、西か東かが謎だったしねえ…」
そもそも何回取組があるかも不明だし、と会長さん。反則上等の取組はゼル先生が圧倒的に上でした。教頭先生も力水の桶を投げ付けたりして頑張っていますが、どうしても遠慮があるようです。その点、ゼル先生は全く容赦というものが無く…。
「だからグレイブではダメなんだよ。ハーレイと同等の立場で、しかも負けていないほどの人物となるとゼルしかいない。ちゃんと根回ししてあったのさ、この計画を思い付いた時からね」
ハーレイだけは蚊帳の外だったけど、と会長さんは土俵の方を見詰めています。教頭先生とゼル先生が繰り広げる初っ切りもどきは全校生徒に大ウケでした。賭けの行方よりも試合内容が気になるらしく、ゼル先生に決めてほしい技を連呼している男子生徒もいたりして…。あっ、ゼル先生が後ろから教頭先生の腰にタックルを!
「「「うわぁぁぁっ!?」」」
ズーン…、と教頭先生が土俵に頭から沈み、軍配を差し上げるグレイブ先生。ジャーマンスープレックスが見事に決まり、そこでブラウ先生が立ち上がって。
「制限時間終了!」
「ゼルの~海ぃ~~~」
グレイブ先生が勝ち名乗りを上げ、教頭先生がグレイブ先生の頭から烏帽子を叩き落として土俵を去っていきました。負けた力士が行司の烏帽子を叩き落とすのが初っ切りの約束事なのだ、と会長さんが教えてくれます。ゼル先生が懸賞の目録を受け取った所で私たちの賭博の結果も発表になり、的中させた生徒は三名だけ。
「あーあ…」
外れちゃった、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」は残念そう。会長さんも私たちもハズレでした。いえ、全校生徒の大多数がハズレだったわけですけども、賭博と初っ切りは楽しめたようで、的中させた生徒がゼル先生から目録を貰うと盛大な拍手が沸き起こります。今年の寸劇は会長さんのお蔭で素敵な見世物になったかも…。
その日の放課後、「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお部屋は相撲の話題で盛り上がりました。教頭先生が演目は初っ切りだと予め知らされていたら結果は違っていただろうか、とか、遠慮なく反則技を繰り出していたら勝てただろうに……とか。そんな中、会長さんが呟いたのは。
「サイオン検知装置を仕掛けてくるとは思わなかったな。ぼくは八百長しないと約束したから、そういうのは無いと思ってたのに…。冷静に考えてみれば特別生ってヤツが参加してる以上、必要な措置ではあるんだけどね」
つまらない、と唇を尖らせている会長さん。
「せっかく相撲を取るんだからさ…。おまけに反則負けもしない初っ切りなんだし、本物の相撲でやったら負けになるっていうのをグレイブがどう裁くのかを見たかったな」
「「「は?」」」
「マワシだよ。取組中にマワシが解けたら負けなんだ。…でも反則オッケーな初っ切りだろう、格別の情けをもって結び直してから取り直し、って言ってくれるかと思ってさ。解く気満々で楽しみにしてたのに、あの土俵が…」
ガッカリだよ、と嘆く会長さんにキース君が。
「教頭先生のマワシを解く気だったな? あんたが仕掛けていたら教頭先生は恥ずかしい思いをなさっただろうし、結果オーライといった所か…。あんたが気付かなくって良かったぜ」
「何に?」
「サイオン検知装置の意味だ。サイオンで関与したのがバレても星取表を破り捨てられるだけだろう? あんたが学食のランチ券ごときに執着するわけがないからな。…星取表を破かれるのを承知でやるんだったらサイオンでマワシは解けたんだ」
「あっ…」
そうだったのか、と頭を抱える会長さんに私たちは一斉に笑い出しました。悪戯大好きな会長さんですが、今回は初っ切りもどきに熱中した余りに冷静さを欠いていたようです。もしも教頭先生のマワシが解けていたならどうなったのかな…?
「え? グレイブが取り直しって言ったとしたら放置だけども、そこで取組終了だとか言い出した時は座布団投げに決まっているだろ? そのために座布団を用意させておいたのに…」
ツイてなかった、と自分の迂闊さを呪う会長さんですが、教頭先生の心の平安を考えるとマワシが無事で良かったです。全校生徒の前でマワシが解けてしまったのでは気の毒ですし…。それでもちょっと見たかったかも、と思ってしまうのはジョミー君たちも共通のようで。
「座布団投げかぁ…。一回やってみたいよね、あれ」
「だよなぁ。次があったら投げようぜ!」
ジョミー君とサム君が言い、シロエ君も来年に期待している様子。会長さんは「来年も相撲だと芸が無いよ」と苦笑していますが、やりたかったな、座布団投げ…。と、みんなでワイワイ騒いでいると。
「………楽しそうだねえ………」
部屋の空気がユラリと揺れて、紫のマントが翻りました。
「今日はみんなで相撲見物だったんだって? ハーレイが力士で」
現れたのはソルジャーです。視線が据わっているように見えるのは気のせいでしょうか? 会長さんが空いた席を勧め、「そるじゃぁ・ぶるぅ」が胡桃のタルトを切り分けてきて差し出すと…。
「ノルディがね、四十八手の図解を「姫初めにどうぞ」って渡してくれた時に教えてくれたんだ。あれのネタ元は相撲だってね? ぼくが四十八手を楽しめなかったのに、こっちじゃ相撲見物か…」
「ちょ、ちょっと、ブルー!」
十八歳未満お断りの団体様だよ、と会長さんが青ざめています。四十八手に姫初め…って、暮れにソルジャーがキャプテン相手にどうこう言っていたような…。キャプテンはまたしても何か失敗したのでしょうか? でもってソルジャーが深く静かに怒っているとか?
「相撲見物を楽しんだんなら、こっちのフォローもお願いしたいな。ぼくは頭に来てるんだ。四十八手って楽しいものだと思ったんだけど?」
ソルジャーは爆発寸前でした。うわぁ~ん、こんな恐ろしいオチになるなら寸劇で初っ切りなんか無かった方が良かったかも…。これって藪蛇と言うんですよね…?
元老寺で初詣デビューをする羽目になったジョミー君とサム君は頑張りました。元日は昼食タイムを挟んだだけで残りの時間は午後三時までずっと本堂でお子様係。初詣に来た檀家さんの子供にお菓子を渡す役目です。檀家さんが途切れた時しか正座を崩せないハードさの中、なんとか二人は務め上げて……。
「あーあ、ホントに酷い目に遭っちゃった」
ジョミー君が文句を言っていますが、今日は三が日の最終日。昨日はジョミー君もサム君も家でゆっくり休んでいたのに、恨みは尽きないみたいです。いえ、サム君の方は恨みは全く無いようですけど。だって…。
「何いってんだよ、ジョミー。全部ブルーのお蔭じゃないか、まだ本山に届けも出さない内から法要だとか初詣とか…。経験は多めに積んでおいた方がいいんだぜ? この先の修行で差がつくってさ」
「どういう意味?」
「だから色々と基礎の所で。…ほら、キースなんかは生まれも育ちもお寺だろう? 子供の頃からお経も読めるし、衣も自然に着こなしてるし…。衣の畳み方一つ取っても、慣れているのと初心者とではビックリするほど違うらしいぜ。チャンスはモノにしなくちゃな」
次の機会があったらいいな、とサム君は期待している様子。会長さんと公認カップルを名乗るサム君だけに、会長さんの立派な弟子にならくては…という自覚も多分、大きいのでしょう。それに比べてジョミー君ときたら…。
「次の機会なんて要らないよ! お彼岸も棚経も御免だってば!」
「やかましい!」
怒鳴りつけたのはキース君です。
「お前には仏弟子の自覚が無いようだな。俺も偉そうなことは言えんが、そういつまでも反抗できるものでもないぞ。文句ばっかり言い続けてると、いずれブルーが実力行使に…」
「えっ、そ、それはちょっと…」
「そう思うんなら大人しくしてろ。食べ歩きの予定がお寺巡りになったらどうするんだ」
「「「………」」」
それだけは御免蒙りたい、と私たちの視線がジョミー君に集中しました。今日は会長さんが約束してくれた初詣と食べ歩きの日なのです。私たち七人グループはアルテメシア大神宮に近い地下鉄駅に集合していて、会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」の到着待ち。去年の初詣が御利益スポット巡りにすり替わっただけに、今年はきちんと初詣を…!
「わ、分かったよ! お寺巡りはぼくも嫌だし…」
大人しくしてる、とジョミー君が誓った所へ元気一杯の声が響きました。
「かみお~ん♪ みんな、お待たせ!」
トコトコと「そるじゃぁ・ぶるぅ」が走って来ます。その後ろからは会長さんが笑顔で手を振り、「遅くなってごめん」と近付いて来て。
「時間どおりのつもりだったけど、みんな早いね。食べ歩きはそんなに魅力的かな?」
「「「はーい!」」」
揃って答える私たち。なんと言っても「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお勧めコースなんですもの! でも、その前に初詣。アルテメシア大神宮に向けて出発です~。
三が日も最終日とはいえ、初詣の人気スポットであるアルテメシア大神宮は混んでいました。参道には露店がズラリと並び、「そるじゃぁ・ぶるぅ」が早速買い食いしています。けれど「買い食いはお参りを済ませてから」が会長さんの方針ですから、私たちは横目で眺めるだけで拝殿へ。
「さて、今年こそしっかりお参りしなくちゃね」
会長さんがお賽銭を入れ、鈴をガラガラと鳴らして柏手を打って……私たちも真面目にお参り。もちろん絵馬も奉納しました。去年の騒ぎを覚えているのでかなりドキドキでしたけれども、今年は教頭先生の怪しげな絵馬は無いようです。チェックしていた会長さんが「よし」と大きく頷いて。
「ハーレイは去年で懲りたらしいよ。ゼルのサイドカーで爆走させたのは正解だったね。今年も絵馬は書いているけど、あの程度なら問題ないさ」
ほら、と指差された先には絵馬が鈴なり。教頭先生の絵馬は見当たりません。キョロキョロしている私たちに気付いた会長さんは。
「そうか、君たちの力では見つからないか…。こんな感じで」
サイオンで伝えてくれた映像の絵馬には達筆な文字で『心願成就』と書かれていました。会長さんとの結婚祈願もキッチリ含まれているのでしょうが、去年のような願掛けよりはまだマシというわけでしょう。今年の初詣は平穏無事に終わり、ジョミー君たちは露店でフランクフルトや串カツを買って満足そうです。
「食べ歩きに行くって分かっていても、やっぱり買わずにいられないよね」
美味しいもん、とジョミー君。食べ盛りの男の子たちには露店から漂う匂いがたまらないようで、境内を出るまでに誰もが三種類くらいは食べたでしょうか。スウェナちゃんと私は鯛焼きを買っただけでしたけれど。…さあ、この後は食べ歩き! グルメ大好き「そるじゃぁ・ぶるぅ」は何処へ連れて行ってくれるのかな?
「えっとね…。まだお昼にはちょっと早いし、ランチタイムまで色々食べながら待つのもいいよね」
座ってお話するのがいいでしょ、と路線バスに乗り込む「そるじゃぁ・ぶるぅ」。バスの中が初詣の人たちで混んでいたので、これから行く先も庶民的なお店だと思い込んでいたのですが…。
「……ここですか?」
シロエ君がポカンと口を開けています。バスを降りたのは花街で名高いパルテノン。その外れに建つ石造りのどっしりした建物が「そるじゃぁ・ぶるぅ」の目的地でした。えっと……これって高級中華料理屋さんでは? お小遣い、足りそうにないんですけど…。って言うより、一品料理も無理そうですけど!
「ここの小籠包は美味しいよ! ランチタイムまでは点心なんだ♪ 早い時間から開けてくれるのが嬉しいよね」
スタスタと入って行く「そるじゃぁ・ぶるぅ」。うわぁ~ん、お年玉が全額吹っ飛んじゃいそうです~! と、会長さんがパチンとウインクして。
「大丈夫だよ、スポンサーは確保する予定。ぼくが立て替えて払っておくから、好きなだけ飲み食いするといい」
「「「………」」」
スポンサーを確保ですって? なんだか嫌な予感がします。とはいえ、せっかく此処まで来ながら食べ歩きを断念するというのも悲しすぎますし、遠慮しないで食べちゃおうかな? …ジョミー君たちも気持ちは同じらしくて。
「…スポンサーって教頭先生かな?」
「どう考えてもそうでしょうね」
気の毒に…、と言い合いながらも足はしっかり店内へ。奥の個室に案内されてクッションの効いた椅子に座ると、サッとメニューが出て来ました。見た目にも素敵な点心の写真が並んでいます。私たちは歓声を上げ、それっきりスポンサーのことは綺麗サッパリ忘れてしまって…。
「でね、ランチはこれがいいと思うんだ♪」
フカヒレ姿煮コース、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」が指差したのは点心をあれこれ食べまくった後。既に金額は半端じゃないことになっていると思われましたが、コース料理の料金の方も大概でした。でも…。
「フカヒレもお勧めだけど、海老のチリソースと牛肉のオイスターソース煮もいけるんだよね。三つとも入ってるのはこのコースだし、これにしようよ」
ね? とニコニコ顔の「そるじゃぁ・ぶるぅ」。私たちに異議がある筈もなく、そのままコース料理に雪崩れ込み…。前菜の盛り合わせから炒飯に至るまで、実に充実したお料理でした。デザートも点心メニューには載っていなかった白キクラゲとパパイヤの白ワイン蒸し。誰もが満足したのですけど。
「かみお~ん♪ 次も行こうね!」
せっかく食べ歩きに来たんだもん、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」が飛び跳ねています。…美味しいものは別腹とはいえ、そんなに食べてもいいのかな? 教頭先生の顔がチラリと頭を掠めましたが、誘惑には勝てませんでした。
そういうわけで、私たちは楽しく食べ歩き。午後はスイーツを攻略しまくり、夕食はエスニック料理のお店へ。不思議な風味の豆のスープやムール貝のピラフ詰め、スパイスの効いたシシケバブなどなど、お値段もかなりゴージャスです。デザートは甘いライスプディング!
「どう? ぶるぅのお勧め、美味しかった?」
会長さんに尋ねられるまでもなく、私たちは御機嫌でした。キース君なんかは道場での精進料理生活が長かっただけに感動の域に入ってますし…。チャイのお代わりをしながらのんびり粘って、話題も楽しくあれこれと。…ん? そういえばフィシスさんはどうしたのでしょう? 会長さん、昨日しかフリーだった日が無いような…?
「ああ、フィシスかい?」
心配ないよ、と会長さんは微笑みました。
「年末年始は元老寺に行くことに決めていたから、フィシスは旅行中なんだ。ブラウたちと一緒に温泉とグルメ。女性ばかりで旅というのも楽しいらしいね。今日は薬膳つきのエステコースだと言ってたかな?」
なるほど、フィシスさんはグルメと温泉三昧でしたか! ブラウ先生たちと一緒だったら安心ですし、会長さんが呑気に遊んでいるのも納得です。その会長さんはチャイを三杯お代わりしてからボーイさんを呼んでお会計をして…。
「それじゃスポンサーの所へ行こうか。あ、タクシーの領収書を貰うのを忘れないでね」
「「「!!!」」」
ひぃぃっ、私たちまで行くんですか? それにタクシーの領収書って……タクシー代まで払わせるとか?
「当然だろう? 大丈夫、気前よく払ってくれるよ、ぼくが年始に行くんだからさ」
あぁぁぁぁ。やっぱりスポンサーは教頭先生に違いありません。案の定、タクシー乗り場に行った会長さんがドライバーに指示した行き先は教頭先生の家の辺りで、私たちも有無を言わさず他のタクシーに乗せられて…。
「お客さん、着きましたよ」
教頭先生の家の前に横付けされたタクシーに支払ったお金は会長さんが貸してくれたもの。スウェナちゃんが領収書を受け取り、サム君、ジョミー君と私は車を降りました。後ろの車からは柔道部三人組が降り立ち、会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」は既にインターフォンを押しています。奥でピンポーン、とチャイムが鳴って…。
「どなたですか?」
「ぼくだけど? あけましておめでとう、ハーレイ」
会長さんが言い終えるなり玄関の扉が勢いよく開き、教頭先生が飛び出してきました。私たちの姿に気付いて少しガッカリしたようですけど、立ち直りの早さはピカイチで…。
「そうか、年始に来てくれたのか。あけましておめでとう。寒かっただろう? 遠慮しないで入ってくれ」
教頭先生は私たちをリビングに招き入れ、温かい飲み物とクッキーを出してくれました。
「晩飯はもう食べたのか? まだなら何か出前でも取るが」
お寿司やピザの宅配メニューを広げる教頭先生に、会長さんが。
「ありがとう。でも、夕食はとうに済ませたんだ。なにしろ午前中からひたすら食べているからね」
「…ひたすら…?」
「うん。キースが暮れに道場に行っていただろう? 精進料理ばかりで三週間も過ごしたキースの慰労会を兼ねて食べ歩き! ぶるぅのお気に入りの店をハシゴしてたら凄い散財になっちゃった。もちろん払ってくれるよね?」
これ、と会長さんが渡した領収書にはタクシーの分も含まれています。チェックし始めた教頭先生の眉間の皺がたちまち深くなり、それから電卓を持ってきて…。
「なんだ、これは? こんなに出したら今月の私の生活費が…」
「食費を削ればいいじゃないか。それと新年会は全部欠席だね。麻雀の会も休めばいいし、そうするのが嫌なら暮れのボーナスを使えばいい。どうせ残してあるんだろう?」
寂しい独身人生だから、と会長さんは笑っています。
「それにね、ぼくたちの食べ歩き代を支払って損はしないと思う。払ってくれるなら始業式の日に素敵な思いが出来るかも…」
「プロポーズを受けてくれるのか?」
教頭先生の瞳が輝きましたが、会長さんは。
「残念ながら、プロポーズだけは受けられないや。でも、紅白縞を届ける時に何か一品つく…かもしれない」
ニッコリ微笑む会長さん。
「その辺の相談も兼ねて来たんだよ。…今年の闇鍋はヤラセでどうかな?」
「「「ヤラセ?」」」
教頭先生も驚きましたが、私たちもビックリでした。闇鍋って三学期の始業式恒例のアレですよね? 闇鍋でヤラセって、いったい何事…?
「あれもマンネリ化してきたんだよね」
会長さんが紅茶のカップを口に運びながら言いました。
「去年は君を闇鍋メンバーから外したけれど、そうでなければ展開は大体読めるだろう? 君にとってはあの闇鍋はぼくの手料理なんだっけ? 不味くても完食しなくちゃ損だ、と真剣に思ってるんだよねえ?」
「…まあな。お前は何も作ってくれんし、そうなるとあの鍋くらいしか…」
「それが困るって言ってるんだよ。君に完食されてしまうと、闇鍋勝負は教師陣の勝ちってことになる。…生徒が勝ったら貰える筈のお年玉チケットがパアになるんだ。正直言ってそれは避けたい」
お年玉は貰ってなんぼ、と会長さんは指摘して。
「たかが学食のタダ券でもね、貰える方には嬉しいんだよ。闇鍋で教師をへこませるだけじゃ物足りないってことなのさ。…君には完食して欲しくない」
「だったら私を指名しなければいいだろう?」
「そうなるとぼくがつまらないんだ。去年の闇鍋でよく分かった。怪しい鍋は君に味見して貰わなきゃ! たとえ手料理だと思っていたって味の不味さは変わらないだろう? だから君には是非食べさせたい」
だけど完食されても困る、と繰り返した会長さんに、教頭先生が恐る恐るといった風で。
「…さっき言ってたヤラセはそれか? 私に途中でギブアップしろと?」
「そういうこと」
察しが良くて助かるよ、と会長さんはティーカップに残った紅茶をスプーンで混ぜて。
「どうせ怪しい闇鍋なんだ、ギブアップしてもおかしくないだろ? それでも沢山食べさせたいし、最後の一口だけを残してギブアップ! この八百長を受けてくれた上に、今日の食べ歩き代を出してくれたら……紅白縞に一品増やしてあげてもいいよ」
「本当か?」
身を乗り出した教頭先生に、会長さんは「正直だねえ」と苦笑して。
「一品増えるのが何になるかはサプライズ! 紅白縞が5枚から6枚に増えるだけかもしれないけれど、増えた1枚がぼくの好意だ。…どうする? ぼくの好意を受ける? それとも…」
「受けるに決まっているだろう!」
教頭先生は財布を取り出し、お札を数え始めました。それだけでは足りなかったらしく、二階の寝室まで行って大事なヘソクリだか虎の子だかも付け足して…。
「ブルー、計算してみてくれ。これで足りると思うのだが…」
「ん? えっと…」
ひい、ふう、みい…とお札を数えた会長さんは電卓を借り、領収書を「そるじゃぁ・ぶるぅ」に読み上げさせて計算します。それからキース君にもう一度電卓を叩かせ、金額に間違いがないのを確認してから。
「ありがとう、ハーレイ。君ならきっと払ってくれると信じていたよ。…お釣りは貰っておいていいよね、細かいことは言いっこなしで。大好きだよ」
げげっ、その一言は反則でしょう! 教頭先生は真っ赤になって「うむ…」と曖昧に頷いています。大金を毟り取った会長さんは「さてと」とソファから立ち上がると。
「夜も遅いし、今日はこの辺で失礼するね。この子たちは此処から直接家に送っていいだろう? じゃあ、ヤラセの話を忘れないで。…一口だけ残してギブアップだよ」
約束を守れば一品追加、と念を押した会長さんに、教頭先生は「分かっている」と答えました。
「お前からの贈り物を受け取るためなら、八百長だろうがヤラセだろうが気にしてはいられないからな。始業式を楽しみにしているぞ、ブルー」
「トランクスが1枚増えるだけかもしれないけどね? でも大切な勝負下着だ、多めに持ってて損は無いだろ?」
「ああ。…あれは私の取っておきだ」
教頭先生が会長さんから貰った紅白縞を大切にしていることは私たちも知っています。球技大会の時に履いて来て、破れそうになった紅白縞を庇ってギックリ腰になった程なのですから! トランクス1枚かもしれない贈り物に釣られてヤラセをすると約束した上、食べ歩き代も肩代わりした教頭先生、凄すぎるかも…。
『恋は盲目って言うんだよ』
会長さんが教頭先生には届かない思念波で伝えてきました。
『このおめでたさを利用しないって手はないさ。今年の闇鍋はヤラセで決まり! これから家に送ってあげるけれども、ハーレイに御礼を言わなくちゃね。ぼくと一緒に大きな声で、御馳走様…って』
そっか、会長さんが毟ったとはいえ、食べ歩いたのは私たちも同じです。会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」が教頭先生にペコリと頭を下げるのに合わせて私たちも深々とお辞儀しました。教頭先生、御馳走様~!
食べ歩きの翌日以降もドリームワールドに行ったりしている間に冬休みは終わり、今日はいよいよ始業式。1年A組の教室の後ろに机が増えて、会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」の登場です。会長さんたちがやって来る日は何かが起こると学習済みのクラスメイトの期待の中で始業式が済み、始まったのはお雑煮食べ比べ大会で…。
「すげえ、会長、どうしてあんなに食べられるんだ?」
「ぶるぅの方は不思議パワーがあるとしてもなぁ…」
理解不能だ、と見守っているクラスメイトたちはとうの昔にギブアップ。なにしろシャングリラ学園のお雑煮食べ比べ大会のお雑煮はお腹にたまる白味噌仕立てで、一度に大量に食べるというのはキツイのです。それを凄い勢いでお代わりし続けているのが会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」。
『あれってブルーは食べてないんだよね?』
未だに騙されちゃうんだけども、とジョミー君が思念波で尋ねてきます。
『そうらしいな。俺にもサッパリ掴めないが…』
キース君が首を捻って会長さんの方を見詰め、私たちも意識を集中してみましたが、今年もカラクリは把握不可能でした。前に会長さんが説明してくれた話によると、食べたふりをしてお椀の中身を「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお椀に瞬間移動させているらしいんですけど。…つまり「そるじゃぁ・ぶるぅ」が会長さんの分も食べているわけです。
『なんにしたって底抜けですよ、ぶるぅの胃袋』
桁外れです、とシロエ君。そのスペシャルな胃袋のお蔭で「そるじゃぁ・ぶるぅ」はグルメ三昧、先日の食べ歩きの案内役を務めたほどの舌の持ち主になったんですから、底抜けだろうが特に問題は…。おっと、会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」が自分のお椀に蓋をしました。充分な量を食べ切ったということでしょう。そして…。
「勝者! 1年A組!」
ブラウ先生の声が会場に響き渡って、1年A組、見事に優勝。さあ、この後は闇鍋です。会長さんが教頭先生を指名し、「そるじゃぁ・ぶるぅ」は去年と同じくシド先生。そこに担任のグレイブ先生を加え、この三人が闇鍋の挑戦者ということになりました。
「そうか、闇鍋だったのか…」
「どおりで変なメールが来たわけだよなぁ、学校から…」
始業式前に指示されたとおり「これだ、と思う食べ物を一品」用意してきたクラスメイトたち。みんな色々な食品を持っていますが、私たち七人グループはヤラセになると知っていたので、教頭先生が苦手だという甘い食べ物で統一しました。
「この店のチョコは甘いんですよ。特別に大きいのを作らせました」
マツカ君がビッグサイズの板チョコを取り出せば、スウェナちゃんはチョコレートケーキを丸ごと一個。キース君が特大のボタモチで、シロエ君はメイプルシロップの1リットルサイズ。ジョミー君は蜂蜜の大瓶を抱えていますし、サム君はグラニュー糖を1キロです。この人たちに比べれば私の苺ジャムなんて可愛いものかと…。
「ふふ、ハーレイの苦手で統一したんだ? 素敵だね」
ぼくはこれ、と会長さんが持っているのはお好み焼き用のソースでした。それも業務用の巨大ボトルです。その隣では「そるじゃぁ・ぶるぅ」が同じく業務用のマヨネーズを…。
「ハーレイはお好み焼きがけっこう好きだし、食べる時にはマヨネーズをかけているんだよね。その大好きな味が闇鍋に化けたらどうなるかなぁ…と思ってさ。どうせヤラセなんだし、カオスな味の方がいいだろ?」
教頭先生たちは目隠しをされて会場になる校庭の隅に座っていました。グラウンドの中央では大きな鍋が煮え滾っています。今年は豚骨ベースでしたが、其処へクラスメイトが持ち寄ったクリームパンとかメンチカツとか、私たちが用意した甘い物とか、会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお好み焼きセットとかが放り込まれて…。
「「「………」」」
固唾を飲んで見守っている全校生徒の前で教頭先生たちにお椀が配られ、目隠しが外され、いざ、チャレンジ! シド先生は一口で逃げ出し、グレイブ先生が二口目で逃げ出し…。それでも教頭先生は黙々とお椀の中身を食べていました。年に一度だけ食べられるという会長さんの手料理ですもの、頑張る気持ちは分からないでもありません。でも、ヤラセは? ギブアップする約束は…?
「………」
教頭先生がお箸を置いて無言で右手を上げ、ギブアップしたのは残り一口まで食べた時。1年A組は教師チームに勝利を収め、お年玉の学食のタダ券をゲットしました。クラスメイト一同、大喜びです。教頭先生、ヤラセをやり遂げちゃったんですけど、会長さんは本当に一品つけるのかな…?
「つけると言ったら本当につけるさ。騙すわけにもいかないしね」
その辺はきちんとしておかなくちゃ、と会長さんが言い切ったのは放課後の「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお部屋でした。始業式の日には教頭先生に紅白縞のトランクスを5枚、届けに行くのがお約束です。いつも付き合わされているので私たちも諦めの境地ですけど、気がかりなのは「一品つける」という件で…。
「食べ歩き代を毟り取った上に、闇鍋のヤラセ。対価にするなら何がいいかと色々考えてみたんだけれど…。やっぱりハーレイが喜ぶものが一番だとは思わないかい? きっと感激してくれるさ。…ぶるぅ!」
「かみお~ん♪」
奥の部屋から運ばれて来たのは紅白縞が5枚入ったお馴染みの箱。その上に小さめの箱が乗っかっています。どちらも同じ包装紙とリボンですけど、もしかして追加は紅白縞の6枚目? コソコソと囁き合う私たちに、会長さんは。
「いいから、さっさとついて来る! ハーレイが箱を開けてくれれば何を贈ったか分かるだろう?」
「「「はーい…」」」
トランクスのお届け行列が教頭室に辿り着いたのはそれからすぐ。会長さんが重厚な扉をノックし、「失礼します」と私たちを連れて部屋の中へと滑り込んで。
「ハーレイ、いつものヤツを届けに来たよ。それと、こっちはヤラセの御礼。食べ歩きで御馳走になった分の御礼も兼ねているんだ。…開けてみて」
「開けていいのか?」
「もちろん。説明もしなきゃいけないしね」
「「「???」」」
説明って何のことでしょう? 教頭先生も怪訝そうな顔で小さいほうの箱のリボンを解いて包装紙を取り、蓋を開けると、其処には真っ赤な布切れが。えっと……あれってハンカチか何か? それにしても派手な色ですが…。
「広げてみないと分からないよ? ほら、ハーレイ」
「………?」
布を広げた教頭先生が固まりました。それは紅白縞ならぬ真っ赤な色のトランクス。会長さんったら何を考えているんでしょうか?
「それも青月印なんだよ。紅白縞と同じメーカー」
素敵だろう、とクスクス笑う会長さん。
「健康長寿の赤パンツだってさ。生涯現役を目指すんだったら1枚は持ちたいパンツだよねえ? あ、君は生涯現役以前に童貞だっけか…」
「わ、私にこれをどうしろと…」
「履くんだよ。ぼくが贈った紅白縞を勝負パンツにしてるんだろう? だから究極の勝負パンツに赤パンツ! それを履くのは本当の意味での勝負の時さ」
分かるかい? と会長さんは教頭先生にウインクして。
「ぼくをモノにしたくて頑張ってるけど、未だにどうにもならないよねえ? 童貞生活三百年以上! ぼくをモノに出来るだけの自信がついたら赤いパンツを履けばいい。でもってぼくに囁くのさ。…今日の私は赤パンツだ、とね。そうすれば…」
話に応じないでもない…、と会長さんが耳元に顔を寄せて囁いた途端に教頭先生の鼻からツーッと赤い筋が。耳まで真っ赤に染まった教頭先生、赤いパンツを握ったままで仰向けにドターン! と倒れてしまって…。
「…あーあ、想像しただけで限界だったか。だけど、いい夢は見られそうだよね?」
究極の夢の赤パンツ、と可笑しそうに笑う会長さんに、キース君が。
「あんた、分かっててやってるだろう? あんなモノを何処で手に入れた!」
「何処って……普通にデパートの下着売り場で。赤いパンツは健康長寿って本当に書いてあったんだよ。フィシスと見つけて大笑いして、これはハーレイに贈らなくっちゃ…と思ってね。だけどいいネタが浮かばなくって、今日まで持ち越しになっていたわけ。さて、ハーレイにアレを履くだけの度胸があるかな?」
「「「………」」」
無理だろう、と誰もが心の底から思っていました。けれど会長さんは赤いパンツを回収する気は無いようで…。
「高みへのステップというのは大事なんだよ。それはジョミーとサムとの修行も同じさ。…ハーレイも高僧を目指すくらいの覚悟で頑張ったなら、赤いパンツが履けるかもしれない」
ジョミーたちが立派なお坊さんになるのが先か、ハーレイの赤いパンツが先か…、と会長さんは楽しそうです。えっと、そんな調子でいいんでしょうか? ジョミー君とサム君は仏弟子として少しずつ着実に進んでいますし、教頭先生だってもしかしたら…。
「大丈夫だよ、ヘタレだから。赤いパンツなんて絶対履けない」
テクニックを磨く機会も無いしね、と失神している教頭先生を見下ろしている会長さん。今年も初っ端から悲惨なことになりましたけど、教頭先生、本年もよろしくお願いします~!
元老寺の除夜の鐘は午前一時まで続きました。百八回という数にこだわらず、撞きたい人は何人でもどうぞ…というのが人気の秘密。とはいえ、無制限にしておくとご近所さんに迷惑ですから、午前一時までに撞き終えられる人数までを受け入れます。墨染めの衣のジョミー君とサム君は行列の整理もお手伝いして…。
「今年も最後は会長ですか…」
シロエ君が鐘楼の方を眺めました。私たちは寒さを避けて甘酒のお接待用のテントで粘っているわけですが、会長さんが緋の衣の袖を翻し、キース君の先導で鐘楼へ向かっています。お供は今度もジョミー君とサム君。一般の人が鐘を撞き終えた後で、会長さんが締めの鐘を厳かに一回、ゴーン…と撞いて。
「えっと…。これで終わりになるのよね?」
スウェナちゃんが石油ストーブで手を温めながら言ったのですが、残念ながら終わりではありませんでした。甘酒のお鍋を掻き混ぜていたイライザさんが「次は本堂ですよ」と微笑んで。
「すぐに修正会が始まりますから。…あ、お迎えがいらしたみたい」
「やあ、お待たせ」
会長さんがテントに顔を覗かせました。
「いよいよサムとジョミーの本格的なデビューだよ。さあ、本堂の方に行こうか」
「「「はーい…」」」
数年前の修正会を思い出した私たちの声は沈んでいたと思います。あの時は正座がキツくて、とても辛かったのでした。けれど会長さんはスタスタと歩き始めていますし、キース君も「早くしろ!」と呼んでいますし、ジョミー君とサム君は大人しく本堂に向かっていますし…。
「どうやら行くしかないみたいですね」
溜息をつくシロエ君。
「マツカ先輩とぼくは正座には慣れてますけど、本堂はやっぱり緊張しますよ。それに今回は檀家さんも多いそうですし…。キース先輩に恥をかかせないよう、精一杯頑張ってお勤めしましょう」
「そうですね…。お念仏くらいは唱えた方がいいですよね」
マツカ君が応じた所へ会長さんの思念が届きました。
『ぐずぐずしない! ついでに言うと、修正会は新年を迎えて国家安泰から檀家さんの幸せまでをお祈りしようって行事だからね。せいぜい真面目に務めるように』
ひぃぃっ、そんな大層な
行事でしたか! 前に出た時は檀家さんの数も少なかったですし、一年の始まりのお勤めくらいに思ってましたが…。会長さんのクスクスと笑う気配が伝わり、更に追加が。
『付け加えるなら、坊主にとっては反省会も兼ねているのさ。一年間の過ちを振り返って反省し、新年の目標を胸に修行の成就を祈るってわけ。…だから修正会という名前になるんだ。サムとジョミーには大いに頑張って貰わないとね』
二人とも修行はこれからだから、と会長さん。サム君はともかく、ジョミー君には気の毒そうな行事でした。修行の成就なんて祈りたくもないだろうと思うのですが、法衣まで着せられた今となっては形だけでも手を合わせるしかないわけで…。
「あーあ、ジョミー先輩、完全にババを引いちゃいましたね」
シロエ君が星空を仰ぎ、マツカ君が。
「ここまで来ちゃったら仕方ないですよ。…ぼくは父と一緒に仕事をすることになってますから大丈夫ですけど、シロエ先輩は気を付けた方がいいのでは…?」
「え、何にですか?」
「…会長ですよ。もっと仏弟子を増やしたいとか、如何にも会長が言い出しそうで…」
げげっ。シロエ君はピキンと固まり、スウェナちゃんと私は吹き出しました。柔道以外にこれといった目標は無いシロエ君。会長さんにロックオンされたら逃げ切るのは多分無理でしょうねえ…。
「さっきの話は忘れて下さい」と繰り返すシロエ君に曖昧な返事をしながら向かった本堂には、お正月らしく五色の幕が。檀家さんたちが次々と入ってゆきます。私たちも靴を脱ぎ、階段を上がって中を覗くと、なんと椅子席ではありませんか! これはラッキー、と小躍りしそうになったのに。
「お前たちはあっちだ」
入口に立っていたキース君が指差したのは座布団がズラリと並んだ場所。えっ、椅子席ではないんですか? キース君は「当然だろう」と冷たい顔です。
「今年は檀家さんが大勢来て下さるから椅子席を用意しただけだ。足の悪いお年寄りには正座はキツイ。普段の法事とかでも椅子席を置いているんだぞ? だが、お前たちは正座だな」
若いんだから真面目にやれ、と言われてしまってスウェナちゃんと私は涙目でした。せめて正座用の補助椅子を…、と思ったんですけど、私たちの席には用意されておらず。
「悪いが、親父の方針なんだ。檀家さんでもないお前たちには厳しくやれと言われたんでな。…じゃあ、俺は行くぞ」
キース君は本堂の奥に入ってしまいました。仕方なく座布団に正座していると、お数珠を手にした檀家さんたちで椅子席も正座用の座布団の方も満員に…。これはなかなか壮観です。前に参加した修正会の時は檀家さんなんて数えるほどしかいなかったように記憶してますし、キース君が住職の資格を取った効果は凄いかも…。
「あ。サム先輩が出て来ましたよ」
シロエ君の視線の先に墨染めの衣のサム君が。続いてジョミー君が本堂の奥から出てきて、御本尊様の前で深く一礼。キース君の厳しい特訓の成果か、そこそこ形になっています。それから二人は脇に退き、お経本が置かれた机を前にして座りました。続いて鐘がカーンと鳴って、キース君とアドス和尚と会長さんが現れて…。
『あら。会長さんがお経を読むの?』
スウェナちゃんが思念波で尋ねてきました。緋色の衣の会長さんが御本尊様の正面に座り、深々とお辞儀しています。前の時はアドス和尚が主役を務めていたのですが…。
『スペシャル・サービスだって言ってたよ?』
「「「!!?」」」
いつの間にか私たちの隣に「そるじゃぁ・ぶるぅ」がチョコンと正座していました。座布団が一枚余っていると思っていたのは「そるじゃぁ・ぶるぅ」用でしたか!
『あのね、キースのために檀家さんが大勢来るから、サービスだって! ブルーがやると法要の格って言ったかなぁ…? それが上がるし、サムとジョミーもデビューするしね。ブルー、サムたちのお師僧さんでしょ?』
うわー…。新年早々、抹香臭い展開です。とはいえ、会長さんが法要をするのを見るのは初めてでした。お経を唱えたり、御自慢の緋の衣とやらを見せびらかすのは何度も目にしてきましたけれど、本格的なのは一度も見せてくれなくて…。まあ、そんな機会が無かったと言えばそれまでですが。
『『『……本当にお坊さんなんだ……』』』
流れるような所作でお経が書かれた巻物やお経本を扱い、鐘と木魚を叩き続ける会長さん。もちろん読経する声は淀みなく…。檀家さんたちの方を窺ってみると、有難そうに合掌しながら涙を流している人もいます。うーん、スペシャル・サービス、恐るべし。キース君の値打ちも修正会で一段とアップするに違いありません。
『ね、凄いでしょ? ブルー、お経が上手なんだよ』
高僧だしね、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」はニコニコ顔。アドス和尚とキース君も一緒に読経していましたが、サム君とジョミー君は合掌しているだけでした。それでも本堂で華麗なるデビューを果たしたことには違いなく…。来年は此処にシロエ君が混ざっていなければいいが、と心配ですけど、こればっかりはまるで読めませんよねえ?
修正会が終わって檀家さんたちを見送った後は庫裏に移って慰労会ならぬ新年会。正座で痺れた足の痛みも吹っ飛ぶ御馳走がズラリと並んでいます。キース君とアドス和尚は法衣でしたが、会長さんとサム君、ジョミー君たちは私服に戻って寛ぎモード。
「やっと終わったー!」
肩が凝った、とジョミー君が首をコキコキと鳴らし、サム君も腕を伸ばして万歳のポーズでストレッチ中。流石のサム君も本物の法要は緊張しちゃったみたいです。けれど会長さんは高僧だけあって、あれだけのお経を読んだ後でも普段と全く変わりなく…。
「ぶるぅ、そっちのサラダを取ってくれるかな? それとローストチキンも頼むよ」
「オッケー!」
美味しそうだもんね、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」は自分のお皿にも取り分けています。イライザさんがお給仕を申し出たのですけど、会長さんは「好きにやるから」と笑顔で辞退し、新年会は無礼講に…。そんな中でも会長さんはアドス和尚に御礼を言うのを忘れません。
「色々と無理を言って悪かったね。不肖の弟子を除夜の鐘と修正会なんかに出させてくれてありがとう。…二人とも、まだ正式な届けも出していないのにさ」
「いえいえ、とんでもございません。私どもの方こそ、修正会をお勤め頂いて、なんと御礼を申したらよいか…。これで倅も檀家さんの覚えがグンとめでたくなりますでしょう。いやいや、本当にありがたいことで…」
アドス和尚とイライザさんは会長さんに何度も感謝の言葉を述べて、キース君にも頭を下げさせて…。会長さんの緋色の衣パワーは絶大でした。サム君とジョミー君も檀家さんたちにガッツリ覚えられたに決まっています。今回で味をしめた会長さんが調子に乗らなきゃいいんですけど…。
「ん? なんだって? ぼくがどうかした?」
鮭のマリネを頬張っていた会長さんに振り返られて、私は思わず飛び上がりそうになりました。ヤバイ、ヤバイです! これ以上考えたら読まれちゃう~!
「おやおや、軽くパニックなのかい? シロエがどうかしたのかな?」
ぎゃー!!! 読まれた、読まれちゃいましたよ! ごめん、シロエ君…。本当にごめん…。
「ふうん? キーワードはどうやらシロエらしいねえ…。さてと、ぼくが調子に乗ったらどうなるんだい? シロエ」
「え? …え、えっとですね…」
今度はシロエ君がパニックでした。なにしろ頭がいい人ですから、私の様子と会長さんの今の言葉で状況を把握したみたいです。シロエ君は何と返事をするのでしょう? 返事しなくても相手はタイプ・ブルーの会長さんだけに、アッサリ心を読まれてしまって終わりでしょうけど。
「そ、そのぅ……。次は危なかったりするのかなぁ…と…。マツカは安全圏みたいですし…」
「はあ?」
怪訝そうな顔の会長さんに、シロエ君は覚悟を決めたようです。グッと拳を握り締めると、一息に。
「ですから、次はぼくの番になるのかな、と! サム先輩もジョミー先輩もデビューを果たしてしまいましたし、新しい仏弟子候補にロックオンされるのはぼくじゃないかと…!」
血を吐くような叫びが元老寺の広い座敷に響き渡りました。
「「「………」」」
シンと静まり返った空気。…言っちゃった…。言い切りましたよ、シロエ君! キース君がポカンと口を開け、サム君とジョミー君も唖然呆然としています。シロエ君、ごめんね、私が余計なことを考えちゃったりしなければ…。と、会長さんがプッと吹き出し、可笑しそうに笑い転げながら。
「そうか、そういう話になってたわけか…。ぼくが新しい仏弟子をねえ?」
「笑い事じゃあないですよ!」
ぼくには人生の一大事です、とシロエ君が食ってかかりましたが。
「おやおや、出家したいのかい? そういうことなら改めて相談に乗るけれど?」
まだクスクスと笑い続けている会長さん。
「生憎、ぼくの直弟子は只今満員御礼でね。まだ本山にも届け出てないし、これからじっくり仕込まなくっちゃいけないんだ。…その後でよければ弟子にしてもいいけど、待ち時間が何年になるか見当がまるでつかないなぁ…。急ぐんだったら他を紹介するよ」
「………他?」
「うん。璃慕恩院の老師に誰か探してもらってもいいし、ぼくの知り合いのツテもある。…どんな師僧が好みなのかな? 厳しいタイプか、穏やかな人か。それに住まいの問題もあるね」
会長さんは指を折って。
「とりあえずアルテメシアから通える範囲で入門するなら、すぐに受け入れてくれそうな人は五人くらいって所かな。無理を言えば二人くらいは増えるかと…。アルテメシアにこだわらないなら受け入れ先はもっと増えるよ」
「ちょ、ちょっと…。通える範囲とかって何なんですか!」
「だから、お師僧さんの住んでる所。…得度するのは簡単だけど、その後のことが重要なんだよ。キースみたいに大学に行くか、お師僧さんのお寺で修行を積んでから研修会で単位を貰うか、どっちかでないと伝宗伝戒道場に行けない仕組みでねえ…。せっかく出家するんだったら、やっぱり住職にならないと」
それでこそ一人前の坊主だ、と会長さんは畳みかけます。
「つまり、坊主が弟子を取るには相当な覚悟が要るんだよ。弟子が一人前になるまで指導しなくちゃいけないわけだし、もちろん学問だけじゃいけない。生き方全般その他諸々、まるごと面倒みなくっちゃ。…今のところ、ぼくはジョミーとサムとで手一杯なんだ」
特にジョミーは手が掛かる、と深い溜息をついた会長さんは。
「…で、どうする? 順番待ち? それとも他の誰かに弟子入りする?」
「け、けっこうですっ!!!」
シロエ君は即答しました。
「ぼくは出家は考えてません! 今のまんまで充分です!」
「なんだ、残念」
徳の高い知り合いが沢山いるのに…、と会長さんは笑ってますけど、本気じゃないのは見て取れました。良かったぁ…。シロエ君、出家コースは回避です。その分、サム君とジョミー君とが頑張ることになるのでしょうが、これ以上お坊さんが増えるというのも困りますから、まずはめでたし、めでたしですよね。
シロエ君の出家話で大いに盛り上がった新年会は午前三時にお開きとなり、私たちは宿坊の部屋に戻りました。これから徹夜で騒いで初日の出を拝むつもりでしたが、送って来てくれたキース君が。
「サムとジョミーは徹夜しないで寝た方がいいぞ。檀家さんの前で居眠りされたら大変だからな」
「「え?」」
二人はキョトンとしています。私たちもキース君の言葉の意味が掴めず、首を傾げてしまったのですが。
「さっき親父が言ったんだ。二人とも檀家さんには披露済みだし、除夜の鐘にも修正会にも出たし、次は初詣デビューだぞ、とな」
「「「初詣デビュー?」」」
「そうだ。元日には檀家さんが初詣に来る。それをお迎えして挨拶するのも寺の重要な行事なんだ。本堂に座ってお相手するんだが、去年までは俺がお子様係だった。それをサムとジョミーに頼もうか…と」
「「「お子様係?」」」
なんですか、それは? 初詣に来た子供の遊び相手でもするのかな? キース君は「お子様係じゃ通じないか」と苦笑して。
「初詣に来て下さった檀家さんの子供にお菓子を渡すのがお子様係だ。俺がやっても構わないんだが、せっかく人手があるんだから……と親父が、な。檀家さんにも顔を覚えて貰えるわけだし、やった方がいいぞ」
「えっと…」
ジョミー君が恐る恐るといった風で。
「それってやっぱり衣なわけ? あれを着なくちゃダメなわけ?」
「当然だろう。あれは坊主の正装だ!」
キース君が力説すると、会長さんがその横から。
「アドス和尚は気が利くね。初詣デビューまでOKだなんて、ホントに懐が深い人だよ。…せっかくの御好意だ、サムもジョミーもお受けしたまえ。…ところで、キース」
「なんだ?」
「ジョミーたちが初詣デビューをしている間、ぼくたちも引き続き滞在していていいのかな? 弟子がきちんと仕事をこなしているかは気になるからねえ…。ああ、食事とかのことは気にせずに」
ピザか何かの出前でも取るよ、と会長さんは言ったのですが、キース君は。
「そっちの方も心配無用だ。親父もおふくろもごゆっくりどうぞと言っていた。飯は手伝いの人が作るし、のんびり過ごしていってくれ。……俺は本堂で座りっ放しになるから、あんたの相手は出来ないがな」
「手配済みとは嬉しいね。それじゃゆっくりさせて貰うよ。サムとジョミーはお子様係を頑張りたまえ。これは師僧としての命令」
拒否権無し、とピシャリと言うと、会長さんは「消灯だ」と時計を示して。
「他のみんなが騒いでいたらサムもジョミーも寝られない。元老寺の檀家さんの前で弟子が居眠りしたらみっともないし、アドス和尚にも迷惑がかかる。さっさと布団に入るんだね。初日の出には間に合うように起こしてあげるよ、ぼくもぶるぅも早起きするのは得意だからさ」
「「「はーい…」」」
徹夜する気満々だった私たちはスゴスゴと与えられた部屋に引き揚げました。同じ初詣ならお寺なんかより神社の方がいいんですけど…。アルテメシア大神宮みたいに露店が並んで賑やかなヤツがいいんですけど、今年の初詣は元老寺の御本尊様にお参りですか、そうですか…。
電気を消して布団を被ってからもスウェナちゃんと私は小声でブツブツと文句。本当だったら初日の出を拝んで、朝ご飯を食べたら元老寺とはサヨナラだった筈なのです。初詣に来た檀家さんの応対をするキース君を残してアルテメシアの繁華街に出て、「そるじゃぁ・ぶるぅ」お勧めコースで食べ歩きの予定だったのに…。
「でもね…」
スウェナちゃんが声を潜めて言いました。
「会長さんは最初から全部、計算済みだったんじゃないかしら? キースはついこの間まで道場で修行してたのよ。お祝いの宴会とクリスマスの仕切り直しはしたけれど……食べ歩きなんてやっていないし、キースが行きたがりそうなイベントでしょ? それをキース抜きでやると思う?」
「うーん、言われてみればそうかも…。じゃあ、食べ歩きはリベンジのチャンスがあるのかなぁ?」
「そうだといいわね。ぶるぅのお勧めは外れたことがないものね…」
期待しときましょ、と囁くスウェナちゃん。それから暫く話している内に瞼が重くなり、暖かい布団をすっぽり被って……次に聞こえたのは「そるじゃぁ・ぶるぅ」の声でした。
「かみお~ん♪ あけましておめでとう! 起床、起床ーっ!!!」
廊下を走る足音がパタパタと響き、窓の障子がうっすら明るくなっています。そうだ、初日の出を拝まなきゃ! 大急ぎで顔を洗って身支度をして飛び出して行くと、耳が千切れるような寒さで…。でもジョミー君たちも会長さんも、キース君一家も山門に集合していました。昇る朝日に両手を合わせて、お辞儀をすれば心もスッキリ。今年もいい年になりますように、とお願いの方も抜かりなしです。
「さあさあ、お雑煮の用意が出来ていますよ」
おせちも沢山召し上がってね、とイライザさん。私たちは歓声を上げ、庫裏のお座敷で熱々のお雑煮と豪華おせちを頂きました。でも、その後は…。
「さあ、お勤めに参りますぞ」
うわーん、新年早々、アドス和尚のお勤め攻撃! そりゃあ年明けすぐから修正会なんかもやっちゃいましたし、今更お勤めの一つや二つ…って、えっ、サム君とジョミー君は法衣を着なくちゃいけないんですか?
「当たり前だろうが」
キース君が冷たく言い放ちました。
「今、何時だと思っている? お勤めが済んだ頃には檀家さんが初詣に来るんだぞ? ブルーは最初から初詣の席に出る気も無いから、そのままで問題ないんだが…。サムとジョミーはお子様係をやるんだろう? 着替えに戻る暇は無い。分かったらさっさと着替えてこいっ!」
昨日のお作法の鬼コーチさながら、朱扇でビシッと襖を示すキース君。そう、キース君とアドス和尚は初日の出を拝みに出てきた時から衣なのです。イライザさんも、もちろん着物。考えてみればアドス和尚とイライザさんの洋服姿って一度も見たこと無いですよねえ…。
本堂でのお勤めは暖房がまだ効いていなかったせいで身体がけっこう冷えました。それでもコートは禁止です。お線香の香りが漂い、やっと暖かい空気が満ちてきた頃にはお勤め終了。痺れた足を擦っていると、キース君がサム君とジョミー君に「おい、手伝え」と声をかけています。三人は本堂の奥の方に消えて…。
「「「えぇっ!?」」」
キース君たちが運んできた物に私たちは目が点でした。コタツ櫓にコタツ布団。三人は御本尊様に失礼にならない辺りにコタツを設置し、周りに座布団を敷いています。ほ、本堂にコタツって…。これって、なに?
「見て分からんのか? 初詣用だ」
此処が親父で、此処が俺…、と座布団を指差すキース君。次は座机が運び込まれて、コタツの隣に据えられました。それからコタツの上にお屠蘇が置かれ、小さな陶器の杯がチョコンと。座机の脇には大量のお菓子。お饅頭やお煎餅といったものではなく、子供が好きそうなスナック菓子です。
「親父と俺はコタツで檀家さんのお相手をする。サムとジョミーはそっちに控えろ。子供さんが来たらお菓子を渡すのを忘れんようにな」
それと檀家さんには丁寧にお辞儀を、と指導しているキース君。アドス和尚は腕組みをしながら頷いています。そっか、もうすぐ初詣が始まるんだ…。
「そういうこと」
会長さんがニッコリ微笑みました。
「ぼくたちは邪魔になるから宿坊の方へ戻っていよう。イライザさんがおやつを用意してくれてるよ。…じゃあ、サムとジョミーは頑張ってね」
バイバイ、と軽く手を振る会長さんにサム君が「おう!」と元気よく答え、ジョミー君は肩を落としています。その肩にキース君の朱扇がピシッと叩き込まれて、背筋を伸ばすジョミー君。なんとも先行き不安ですけど、初詣デビューですから檀家さんたちに恥を晒さないようにして貰わないと…。
「大丈夫だよ、きちんと飴を与えておいたし」
会長さんがウインクしたのは宿坊の広間に戻ってから。
「今日の初詣デビューが上手くいったら、日を改めてぶるぅのお勧め食べ歩きコース! アルテメシア大神宮への初詣もセットでついてくる。去年は散々な初詣だったけど、今年はどうやら大丈夫そうだ」
ハーレイも懲りたみたいだし…、とクスッと笑う会長さん。去年の初詣は教頭先生が会長さんとの結婚祈願の願掛けをしまくったせいで妙な展開になったのでした。けれど今年も元老寺なんかに来ちゃったせいで変な流れになっているような…?
「お寺で元日を迎えたからには初詣デビューもアリだろう? おや、始まったようだ。ぶるぅ、頼むよ」
「オッケー!」
壁に現れた中継画面。本堂を訪れたお爺さんをアドス和尚がコタツに招き、キース君がお屠蘇を注いでいます。一緒に来ていたお孫さんにはサム君が笑顔でスナック菓子を…。ジョミー君も姿勢よく座っていますし、飴玉効果はバッチリといった所でしょうか。
「あんな感じで午後の三時頃まで初詣かな? サムもジョミーもいい経験が出来そうだ。檀家さんの初詣は世間話や人生相談も兼ねているからねえ…。机上の学問も大切だけど、一番いいのは現場なんだよ」
この調子でいつかはお盆の棚経も! と会長さんは燃えていました。駆け出しのお坊さんは年齢とは無関係に『小僧さん』になるのだそうで、サム君もジョミー君も小僧さん。
「棚経にお供するのが作法を覚える早道かな? アドス和尚につくのがいいか、キースについて行くのがいいか…。うん、どっちにも小僧さん一人がお供につくのがオシャレかも…。ジョミーはキースにつけるべきだと思うかい?」
まだまだ先の話だけどね、と言いつつも会長さんは楽しそうでした。初詣デビューまで果たしてしまったサム君とジョミー君が棚経に出るのは何年先になるのでしょう? それまでの間にも事あるごとに抹香臭くなりそうですけど、お坊さんがこれ以上増えることだけは無いというのは嬉しいかも…。シロエ君もマツカ君も、今の調子で出家コースに巻き込まれないよう逃げおおせてね~!