シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。
- 2012.03.05 ゆく年くる年・第1話
- 2012.02.13 俗人たちの宴・第3話
- 2012.02.13 俗人たちの宴・第2話
- 2012.02.13 俗人たちの宴・第1話
- 2012.02.06 足りない面子・第3話
先生方からのお歳暮、『お願いチケット』を使い終わって一日経って…今日は早くも大晦日です。昨日はジョミー君たちも家で大掃除の手伝いに追われてましたし、私も漏れなく大掃除。ママが「明日は総仕上げよ!」と言ってましたから、今日も夕方まで大掃除かな? 早く日が暮れるといいんだけど、と眠い目を擦りながら起きて行くと。
「ソルジャーから電話があったわよ?」
ママがフレンチトーストを焼きながら振り向きました。
「キース君の家へ除夜の鐘を撞きに行くのは聞いていたけど、それは夕方からだったでしょう? ソルジャーがね、午前中に元老寺まで来て下さい…って。それと今夜は元老寺の宿坊に泊めて下さるらしいわよ」
「え? それ、ホント?」
「とにかく早めに用意をしてね。元老寺まではパパが車で送るらしいし…。あ、パパ! 送ってったきり逃げ出さないでよ、大掃除って言うとすぐにサボリたがるんだから!」
パパが生返事をしています。会長さんのお誘いは本当らしく、朝食を食べている間にジョミー君たちから確認の思念が送られてきました。全員の家に電話がかかったみたいです。キース君とも連絡を取り、集合時間は午前十時に決定し…。急いで用意しなくっちゃ! お泊まり用の荷物を持ってパパの車で元老寺に着くと、山門の石段下にジョミー君たちが集合済みで。
「おはよう! 急に泊まりって何なんだろうね?」
首を傾げるジョミー君。会長さんの意図は分かっていませんでした。キース君からも「とにかく来い」としか聞いてませんし、宿坊に行けばいいのかな? と、山門にキース君が姿を現して。
「何をしている、十時集合と言っただろうが!」
「「「………」」」
キース君は墨染めの衣に坊主頭。えっと……自慢の長髪は? 道場はとっくに終わりましたし、先日のパーティーの時は普通の髪型でしたけど? 私たちの遠慮ない視線に気付いたキース君は。
「此処を何処だと思っている? 俺の家だぞ、親父が何かとうるさいんだ! 住職の資格も取ったし、卒業したら副住職になると決まっているからな…。もうこれからは坊主頭でいいだろう、と!」
あちゃ~…。キース君が「会長さんから貰ったカツラ」と誤魔化して自前の髪に戻れる時間は自分の部屋にいる時だけになってしまったらしいです。心から気の毒に思いましたが、私たちがどうこう出来る問題ではなく…。
「分かったか! だったら俺の足を引っ張らないよう気を付けてくれ。…特にジョミーだ」
「えっ、ぼく?」
「他に誰がいるというんだ? お前とサムは檀家さんにもお披露目済みだし、見苦しい真似はしないようにな。…おっと、こんな所で話していると檀家さんの目に留まりかねない。中に入るぞ」
山門の向こうに消えるキース君。私たちは揃って山門をくぐり、境内を横切って宿坊へ連れて行かれました。元老寺の宿坊は年末年始は休業ですけど、私たちのために特別に開けてくれたそうです。そういえば、こういう特別扱いって特別生になって一年目の大晦日にもあったような…?
「ふん、今頃になって思い出したか」
キース君が以前のケースをヒソヒソ語り合う私たちに向かって呆れ顔で。
「そこまで見事に忘れるとはな…。その調子だとブルーのことも綺麗サッパリ忘却の彼方か? ブルーとぶるぅはとっくの昔に来ているんだが」
「「「えぇっ!?」」」
「おふくろが庫裏でもてなしている。だが、お前たちも無事に着いたことだし、この先は俺の仕事だな。…荷物を置いたら一緒に来い」
行くぞ、と庫裏に繋がる渡り廊下を指差すキース君。私たちは大慌てで指定された部屋に荷物を放り込み、キース君の後ろに続きました。まさか会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」が一足先に来ていようとは…。このお泊まり会、ただでは済まない予感がします。大晦日まで波乱になるとは夢にも思っていませんでしたよ~!
アルテメシアは年末寒波で厳しい冷え込み。元老寺の宿坊と庫裏は部屋こそ暖房が効いてますけど、廊下はけっこう冷えるものです。部屋にコートを置いてきたのを後悔しながら案内された先は立派な座敷。『南無阿弥陀仏』の軸が掛かった床の間を背にした会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」が着物姿のイライザさんと和やかに談笑していましたが…。
「やあ、みんな来たね」
笑顔で手を振る会長さんは、イライザさんに。
「キースが来たから、こっちはいいよ。今日は忙しいんだろう? ぼくたちは好きにやらせて貰うし」
「ありがとうございます。ろくにおもてなしも出来なくて申し訳ないのですけれど…」
失礼します、と深く一礼したイライザさんは、私たちにも会釈してから廊下へと出てゆきました。入れ替わりに座敷に入ると会長さんが手招きして。
「こっち、こっち。ほら、机の上にお菓子もあるしね」
「かみお~ん♪ 美味しいお饅頭だよ? こないだのケーキもとっても美味しかったけど!」
あ。このお座敷ってキース君が道場を終えた日にお祝いをした部屋じゃないですか! あの時は隣の部屋との間の襖なんかを外してしまって大きな広間になっていたので印象がガラリと違いますけど、床の間の飾りに覚えがあります。お祝いの宴では床の間の前に「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお誕生日用の巨大ケーキが置かれてましたが…。
「ふふ、ここはキースのお祝いに使った部屋さ。あの日はサムとジョミーのお披露目もしたし、そういう意味でも此処がいいかと思ってね」
「「「???」」」
「今夜は除夜の鐘撞きがあるし、年が明けたら修正会もある」
「「「シュショウエ…?」」」
「ぼくが除夜の鐘を撞きに来た年にみんなで出たのを忘れたのかい? 新年最初のお勤めだよ。熱心な檀家さんは毎年来てるし、今度の修正会はキースが一人前になって初めての行事になるからねえ…。檀家さんが大勢来るらしいんだ。デビューには丁度いいだろう?」
ああ、なるほど。キース君がお坊さんとして正式にデビューするのに相応しい場所というわけですか! それで私たちも呼ばれたのだな、と素直に納得したのですけど、会長さんの言葉はまだ終わってはいませんでした。
「…そういうわけだから、サムとジョミーは此処でみっちり特訓だね」
「「えっ!?」」
サム君とジョミー君が同時に声を上げ、私たちも仰天しました。何が一体「そういうわけ」? それに特訓って何をすると?
「元老寺デビューに向けて特訓! 除夜の鐘撞きのお手伝いが前哨戦で、修正会ではお坊さんの卵として頑張る姿を見て貰うんだ。…そうは言っても修正会で読むようなお経はサムにも教えていないしね…。サイオンで教えるというのもアレだし、一応形だけってことで」
お経本を前にして合掌しているだけでいい、と会長さんは続けました。
「ただし本堂に座るからには、お坊さんらしくしておかないと。立ち居振る舞いにも作法があるんだ。全部はとても覚えられないし、檀家さんもそこまで見ないだろう。合掌さえ形になればそれでいいかな」
「ちょ、ちょっと待ってよ!」
ジョミー君が必死の形相で会長さんを遮って。
「なんでそういう話になるわけ? ぼくが得度させられたことはパパにもママにも言っていないし、急にそんなこと言われても…」
「じゃあ、御両親の了解を得ればいいのかい?」
携帯電話をポケットから取り出す会長さん。
「君は内緒にしたいようだし、黙っておいてあげたんだけどね…。ソルジャーとして御両親の承諾を得ようかな? お坊さんとして本格的に仕込みたいから、元老寺デビューに賛成してくれ…って」
「うわーっ、やめてーっ!!!」
それだけはやめて、とジョミー君は涙目でした。シャングリラ・プロジェクトで仲間になった私たちのパパとママはソルジャーの命令となれば承諾するのは間違いなし。ジョミー君の元老寺デビューの話なんかもアッサリ通るに決まってるわけで、そうなってしまえば会長さんの思惑通りにお坊さん修行の人生が…。
「やめてあげてもいいけどさ。…ちゃんと真面目にデビューするなら」
「します、しますってば! デビューでもお手伝いでも何でもやらせて頂きます~!」
土下座せんばかりのジョミー君に、会長さんは満足そうに。
「よし。…それじゃキースの出番だね。あ、その前にサムとジョミーにプレゼントだ。ぶるぅ、出してあげて」
「オッケー!」
脇に置いてあった風呂敷包みを「そるじゃぁ・ぶるぅ」が二人の前に運びました。結び目を解いた「そるじゃぁ・ぶるぅ」が取り出したものは…。
「「「うわぁ…」」」
きちんと畳まれた墨染めの衣、その上に輪袈裟。それに真っ白な着物に足袋に…。要するにお坊さんの衣装一式が出てきたわけです。会長さんはサム君とジョミー君にニッコリ明るく微笑みかけて。
「二人とも、それに着替えてきたまえ。学園祭の時に練習したから着られるだろう? 坊主カフェで…ね」
キース君がズイと進み出ました。
「着替えはこっちだ。座敷は更衣室ではないからな」
早くしろ、と急き立てられてジョミー君は泣きそうです。お坊さんの衣装までついてくるとは夢にも思わなかったのでしょう。サム君の方は心得たもので法衣を抱えていそいそと…。会長さんとの公認カップルを名乗り、朝のお勤めをしに会長さんの家に行くのがデート代わりのサム君ですから、デビューするのが嬉しいんでしょうね。
法衣に着替えた二人がキース君に連れられて戻って来ると、会長さんは頭の天辺から足の爪先まで視線を何度も往復させてチェックして…。
「うん、着付けの方は及第点かな。…キース、君が手伝ったんだろう?」
「もちろんだ。サムだけだったら見ていられるが、ジョミーの方は心許ない。あんな着方じゃすぐに崩れる。…まったく、学園祭で覚えたことは右から左へ抜けたのか?」
「だって!」
覚える気なんかなかったし、と膨れっ面のジョミー君ですが、会長さんは。
「そう言われてもねえ…。あの時点で君は得度を済ませてたんだし、少しは自覚を持たないと。…でないと法衣を着て貰う機会をドカンと増やすよ? アドス和尚は協力的だし…。あ、噂をすれば」
ドスドスドス…と重たい足音が近付いてきて襖がカラリと開きました。
「御挨拶が遅くなりまして…。倅がお世話になっております」
廊下に平伏しているアドス和尚を会長さんが招き入れて。
「どうだい、サムとジョミーの出来は? 修正会に出して貰えそうかな?」
「それはもう…。銀青様の仰せでしたら喜んで」
「銀青の名では呼ばないでくれって何度も言ったと思うけど? でも、せっかく呼んでくれたんだから、銀青として君にお願いがある」
会長さんは改まった顔できちんと正座し、アドス和尚を見据えると。
「他でもない、キースの髪型の件でちょっと…ね。坊主頭を続けるようにと言ったんだって?」
「はい。春には大学を出て副住職になるわけですし、そうなりますと坊主頭にしませんと。それまでの間だけ髪を伸ばしてもロクな長さにはなりますまい。でしたらスッキリ坊主頭を続ける方がよろしいかと…。檀家さんの目もございますしな」
「それなんだけどさ。…キースに剃髪の義務は無いよね、今の本山の方針で行くと。大学で必要な単位を取得してから伝宗伝戒道場に入った場合は普通よりも一段階上の位が取れる。そうでない人は位が上がるまで坊主頭を続ける義務があるけど、キースはそれに該当しない」
「…はあ…。まあ、そういうことになっておりますなぁ…」
渋々頷くアドス和尚。そっか、キース君には坊主頭にしておく義務は無いんですね。会長さんはクッと喉を鳴らしてアドス和尚に。
「随分前にも話しただろう? 無理強いするのは良くないよ。キースが自分から坊主頭を希望だったら問題ないけど、そうじゃない。…それに剃髪義務も無いのに、坊主頭にさせるのかい? 形に囚われるのも煩悩の内だ。檀家さんへの見栄を気にしちゃ仏弟子失格」
広い心を持たなくちゃ、と滾々と諭す会長さん。
「第一、ぼくの髪を御覧よ。璃慕恩院までキースの出迎えに行った時だって剃っていないし、ぼくは長年このスタイルだ。…この髪型だと有難くないと思うわけ? だったら銀青様と呼んだりせずに呼び捨てにすればいいじゃないか」
「そ、そのような恐れ多いことは…!」
「だったら君は何に敬意を払ってるんだい? 今は衣も着ていないから見た目は普通の高校生だよ?」
「どのような姿をしておいででも、銀青様は銀青様ですし…」
アドス和尚が大きな身体を縮めるようにして言い訳すると、会長さんは「そこなんだよね」と微笑んで。
「今、どんな姿をしていても…って言っただろう? キースだって同じことさ。坊主頭でも長髪のままでも、キースの人となりは変わらない。…坊主頭でないと副住職としての値打ちが無いとか、威厳が無いとか思うんだったら、それは間違い。キースに人望と実力があれば長髪でも務まると思うけどねえ?」
「そんなものでしょうか…」
「形ばかりに囚われていては物の本質を見失う。…君自身が坊主頭に誇りを持つのは良いことだけど、その価値観を押し付けるのは頂けないな。…今夜の除夜の鐘撞きと明日の修正会、キースにカツラを被らせるのはどうだろう? ぼくもこの髪で出るんだからね、檀家さんに文句は言わせないよ」
会長さんは銀色の髪を指差すと。
「この髪でキースの露払いをする。髪の毛は急には伸びないからね、今夜はカツラで間に合わすとして…。いずれは自前の髪の毛で! お盆までには綺麗に伸びるさ。あの長髪がキースのスタイルってことで許してやって欲しいんだ。…それが銀青としてのお願い」
「………。承知いたしました…。お教え、心に留めておきます。心から許せる境地に至るまでには年数が掛かるかと存じますが…」
「それでいい。腹を立てないのも修行の一つだ、大いに努力してくれたまえ。…というわけだから、キース」
すぐにカツラを被っておいで、と会長さんに言われてキース君はポカンとしていましたが。
「…聞こえなかった? お父さんは長髪を許可してくれたよ。お父さんの気が変わらない内に既成事実を作るんだね。…ほら、カツラを」
「は、はいっ! ありがとうございます!」
キース君は畳に額を擦り付け、大急ぎでお座敷を出てゆきました。暫く経って戻って来た時にはカツラではなく自慢の長髪。坊主頭の方がサイオニック・ドリームだったことを全く知らないアドス和尚は…。
「そういえば銀青様が下さったカツラでしたな、倅のは。…仕方ございません、これも修行と思って耐えます。キース、銀青様に感謝するのじゃぞ。そしてしっかりお手伝いをな」
では、と深く頭を下げたアドス和尚は除夜の鐘と修正会の準備に行ってしまって、残されたのは法衣のサム君、ジョミー君、そして目出度く長髪に戻ったキース君と私たち。キース君は会長さんに何度も御礼を言っていますが、ジョミー君たちはどうなるのでしょう? お坊さんスタイルで何をしろと…?
「さてと…。キースの未来はこれで安泰。トレードマークは長髪だね。ぼくと並ぶと映えそうだろう? 今のままではダメだけどさ」
衣の色に差があり過ぎる、と会長さんは笑いました。
「早く緋の衣になってくれると嬉しいな。サムとジョミーも期待してるけど、長髪ってほどの長さは無いし…。ぼくとセットで目立つんだったらキースが一番! あ、サム、これは外見だけの問題だから気にしないで。さっきアドス和尚にも言ってただろう、形に囚われちゃいけない…ってね」
会長さんはサム君へのフォローも忘れません。流石は公認カップルです。けれど元老寺でのデビューについては譲れない面があるようで…。
「見た目も一応、大切なんだよ。姿形の問題じゃなくて礼儀作法は重要だ。お坊さんとしてやっていくためには尊敬される立ち居振る舞いが出来ないとね…。今からそれを頑張って貰う。さっきも言ってた合掌の稽古。これが案外、大変なのさ。…そうだよね、キース?」
「ああ。…俺も親父に厳しくしごかれた。大学から行った研修会では在家出身のヤツらが泣かされてたな」
「それじゃ経験者に任せるよ。君はもう弟子を取ってもいい身なんだし、サムとジョミーを様になるよう指導したまえ」
「いいのか? 俺は手抜きはしない主義だが」
ビシバシいくぞ、とキース君に問われた会長さんは。
「それでオッケー。とにかく合掌を徹底的にね。あれが坊主の基本だからさ」
「承知した」
ジョミー君が「ひぃっ!」と悲鳴を上げましたけど、会長さんは涼しい顔。そしてサム君はやる気満々です。やがてサム君とジョミー君は『南無阿弥陀仏』の掛け軸の前に正座させられ、合掌するよう促されて…。
「いいか、とにかくお念仏だ。声が嗄れるまでやれとは言わん。声は少々小さくてもいい、続けることが肝心なんだ。それと合掌! 掌はピタリと合わせておけよ」
始めっ、とキース君が号令を掛け、二人はお念仏を唱え始めました。それから間もなくイライザさんが「頑張ってらっしゃるわね」と顔を覗かせ、昼食タイム。ここで一旦休憩です。キース君のヘアスタイルが元に戻ったことを喜びながらワイワイ賑やかに御飯を食べて、それが終わるとサム君とジョミー君はまたお念仏。
「ジョミー! もぞもぞ動くんじゃない、正座を崩すな!」
キース君がジョミー君の足を扇子でピシャリと叩き、ジョミー君の背筋がピンと伸びます。サム君の方は朝のお勤めに通っているだけあって慣れたもの。キース君も「直さなくても大丈夫だな」なんて言っていますが、対照的なのがジョミー君で…。あ、またキース君がイライラと扇子を握ってますよ!
「しごきの必須アイテムなんだよ」
会長さんが言い終える前に、キース君は合掌しているジョミー君の両手の間にズボッ! と閉じた扇子を突っ込みました。
「また掌が開いてる! 掌をピッタリ合わせておけ、と何度言ったら分かるんだ!」
「だ、だって…。正座してるから足が痛くて、手まで集中できないよ!」
「言い訳は要らん! 背筋を伸ばしてお念仏だ! それが出来んのでは修正会に出せん!」
ピシャリ、とジョミー君の肩や背中を扇子で叩くキース君。赤い骨の扇子は朱扇と言ってお坊さんがいつも持っているそうなのですが、会長さんに言わせれば「しごきに必須」のアイテムらしく…。サム君はともかく、ジョミー君にはトラウマになりそうな扇子です。ジョミー君、除夜の鐘までにお坊さんらしくなれるのかな?
鬼コーチと化したキース君に朱扇で叩かれ、掌の間に突っ込まれ…。ついでに足も痺れまくったようですけども、日がとっぷりと暮れる頃にはジョミー君の合掌もなんとか形になりました。サム君は更に一歩進んで立ち方、歩き方などの特訓を受け、会長さんに褒めて貰って嬉しそうです。
「うん、これで修正会はバッチリだね。サムはなかなか筋がいいよ」
それに比べてジョミーときたら…、と会長さんは呆れ顔。
「あんなレベルじゃお彼岸の手伝いなんかは出来そうもないし、不肖の弟子にも程がある。璃慕恩院の修行体験ツアーだけではダメなのかな? やっぱり本格的に研修を受けさせた方がいいのかなぁ…」
「そうだな。あれなら徹底的に教えて貰える」
いいかもしれん、とキース君が応じ、サム君が。
「えっ、研修って…研修会かよ? あれって必要な講義の単位が無いとダメなんじゃあ…」
「残念ながらそうなんだよね」
そこが問題、と会長さん。
「ぼくのコネでゴリ押しできないこともないけど、弟子のレベルを問われてるのも同然だしねえ…。サムならともかく、ジョミーはキツイ。ぼくも生き恥はかきたくないし、キースにお願いするしかないか…」
「形に囚われるとか、そういう以前の問題だしな」
キース君が深い溜息をついて。
「分かった。副住職になったら、折を見てウチでも修行させよう。あんたの家での朝のお勤めにも出ないそうだし、もっと本格的なのをやらせてやる。御本尊様の前でキッチリとな」
「え…。ぼくに此処まで来いってこと!?」
「決まってるだろう。それが嫌ならブルーの家で頑張ることだな、サムは嬉しくないかもしれんが」
朝のデートが無くなるし…、とキース君は言いましたけど、サム君は「ブルーが喜ぶのなら気にしないぜ」とニコニコ顔。
「ジョミー、俺と一緒に頑張ろうぜ! まずは除夜の鐘と修正会だよな」
「だから、なんでそういうことになるのさ~!」
ジョミー君の叫びはサラッと無視され、早めの夕食が済むと年越しの準備が本格化。除夜の鐘を撞きに来る人のために甘酒のお接待もあったりしますし、イライザさんもお手伝いのおばさんたちも大忙しです。サム君とジョミー君はキース君に連れられて本堂へ行ってしまいました。今年最後のお勤めだとか。えっと…。会長さんは行かなくってもいいのかな?
「ぼくは除夜の鐘撞きからでいいんだよ。いくら高僧でも出ずっぱりでは値打ちが無い。ぼくの出番は除夜の鐘の百八回目と、撞き終わりだけさ。前に来た時もそうだっただろう?」
言われてみればそうでした。会長さんが元老寺の除夜の鐘に招待された時、撞いていたのは古い年を送る百八回目と、回数無制限で撞ける元老寺の除夜の鐘の締め括り。あの夜はキース君の法名をイライザさんがアッサリとバラして凄い騒ぎになりましたっけ。あれから二年の月日が流れて、キース君は立派なお坊さんに。今夜デビューするジョミー君とサム君が一人前のお坊さんになる日はまだまだ先になりそうですが…。
「キースも此処まで頑張ったんだ。百年もあればジョミーだってきっとなんとかなるさ」
なることを希望、と会長さん。やがて夜が更けてくると境内には除夜の鐘目当ての人が並び始めて、私たちも例年どおりその行列に加わりましたが、会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」は関係者向けのテントに行くので別行動です。それに毎年一緒に並んだサム君とジョミー君も今夜は墨染めの衣で関係者席で…。
「ぼくたち、年を取らないって言われてますけど……しっかり時は流れてますよね」
シロエ君が冴え冴えとした冬の夜空を見上げました。
「年が明けて春になったら、キース先輩、副住職になれるんですよ? 初めてみんなで此処に来た時は、お坊さんなんか絶対嫌だって言っていたのが嘘みたいです」
「そうね…。あの頃は特別生でもなかったのよね、私たち」
スウェナちゃんが応じ、マツカ君が。
「毎年みんなで此処に来られるっていうのが凄いですよ。特別生にならなかったら進路もバラバラだったでしょうし…。ぼくは会長に感謝してます。きっと誰よりもぼくたちのことを考えてくれる人でしょうから」
キースの髪型のことだって…、と続けるマツカ君。会長さんはいつも好き放題に見えますけれど、大切な局面では必ずフォローしてくれます。高僧ゆえなのか、ソルジャーとしての使命感なのか、それは分かりませんけれど…。寒さに震えながら行列して除夜の鐘を撞き、甘酒のお接待のテントに入って間もなく、隣の関係者用テントから緋の衣を纏った会長さんが鐘楼の方へ向かいました。
「「「あ…」」」
二年前の除夜の鐘で会長さんのお供に付いたのは「そるじゃぁ・ぶるぅ」。しかし今夜はキース君が先導役なのは同じでしたが、ジョミー君とサム君が墨染めの衣で会長さんのお供をしています。鐘楼に上がった会長さんが撞木の綱を握り、百八回目の鐘が厳かに夜気を震わせて…。新しい年が明けました。あけましておめでとうございます。ジョミー君、サム君、元老寺デビューおめでとう!
キース君の寝言に端を発した「同じ言葉を繰り返させて癖にする」案。お願いチケットが有効な間は教頭先生がそれしか言えないようにしてしまおうというのですけど、提案したのがソルジャーだけに用心せずにはいられません。どうせロクでもない言葉であろう、と誰もが予想していました。けれど…。
「……喜んで……?」
ソルジャーの言葉を鸚鵡返しに口にしたのは会長さんです。
「まさかと思うけど、それなのかい? 君が思い付いた名台詞って…?」
「もちろんさ。なかなか素敵な言葉だろう?」
得意げな笑みを浮かべるソルジャー。
「何を言われても、ハイ、喜んで! 注文取りにはもってこいだと思うけどねえ?」
「…やっぱり元ネタはアレなんだ…」
会長さんが頭を抱え、私たちもようやく何処で「喜んで!」という声を聞いたか思い出しつつありました。チェーン店の居酒屋さんです。未成年の私たちですが、会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」はそんなことにはお構いなし。居酒屋メニューが食べたくなれば引っ張って行かれることも度々で…。でもソルジャーと一緒に出掛けた記憶は無いんですけど…? 首を傾げる私たちに、会長さんが。
「ブルーは何度も行ってるんだよ。ぼくの家に泊まりに来たら居酒屋は必須みたいでさ…。君たちが一緒じゃお酒はあまり飲めないだろう? だからお供はぼくとぶるぅで」
「そういうこと。地球のお酒は美味しいからねえ…。やっぱり水がいいのかな? ぼくの世界じゃ超のつく高級品みたいなヤツを居酒屋価格で思う存分飲めるというのは嬉しいよ。ブルーにも遠慮しなくて済むし」
「ふうん? ノルディに高いワインをたかっているのも君だよね? …まあいいけどさ」
どうやらソルジャーは私たちの世界のお酒に目が無いようです。エロドクターと食事に行くのも案外お酒が目当てかも…? そんなソルジャーが居酒屋チェーンで覚えた台詞が「喜んで!」で…。
「絶対いいと思うんだよ」
ソルジャーは改めて力説しました。
「何を言われても「喜んで!」。繰り返していれば洗脳される。とんでもないことを命令されても「喜んで!」と答えた後では従うしかないし、そうでなくても『お願いチケット』はお願いを聞いて貰えるものなんだろう?」
「…常識の範囲内で、と書いてあるけど?」
会長さんはチケットを取り出し、裏の注意書きを示しながら。
「風紀の乱れに繋がるものや、社会通念上どうかと思われることには従いません…とも書いてある。判断するのは対象にされた教師だそうだよ。つまりハーレイが決めることだ」
「だったら、やっぱり例の台詞で縛りをかけておかなくちゃ! 従えません、と言われる前に「喜んで!」と言わせておけばバッチリだってば」
「…君のチケットじゃないんだよ? ぼくたちが使うヤツなんだから、妙な命令をされてはねえ…。パーティーの裏方がいなくなるじゃないか」
難色を示す会長さんに、ソルジャーは。
「でも面白いと思わないかい? 何を頼まれても「喜んで!」と言ってくれるんだよ? 君が嫌ならぼくは大人しくゲストしてるし、君が遊べばいいじゃないか」
「……うーん……?」
考え込んでいた会長さんですが、根っからの悪戯好きだけに「教頭先生で遊びたい」気持ちを抑えつけるのは無理だったらしく。
「やってみようかな、そのアイデア。…ハーレイの口癖が「喜んで!」になったら楽しそうだ。せっかく家事を溜めたことだし、喜んで働いて貰おうか」
返事は爽やかに元気よく、と会長さんはやる気でした。教頭先生、無理難題を押し付けられなきゃいいのですけど、ソルジャーが大人しくしていると言った以上は大丈夫…かな?
怪しげな案が練られている間に「そるじゃぁ・ぶるぅ」がパンケーキとソーセージを焼き、スープとサラダもダイニングのテーブルに並びました。卵料理の注文を取った「そるじゃぁ・ぶるぅ」はスクランブルエッグやオムレツを仕上げ、アヒルちゃんパジャマに着替えてきて…。
「フライパンとか放ってきたけど、いいんだよね? もうすぐハーレイ来るもんね」
「うん。今日のハーレイは何でも喜んでやってくれる筈だよ、そう決まったし。お願いチケットは全員に使う権利があるから、ぶるぅもジョミーたちも大いに使ってくれたまえ」
えっと。頷いちゃってもいいんでしょうか? 会長さんが「返事は?」と私たち全員を見詰めています。
「喜んで!」
景気良く返事したのはジョミー君でした。私たちはプッと吹き出し、それもいいかな、と笑い合ってから。
「「「喜んで!!!」」」
「いい返事だよね。ハーレイにもそんな調子で大いに頑張って貰わなくちゃ」
掃除に洗濯、皿洗い…と指折り数える会長さん。リビングには布団が敷きっ放しになっていますし、キース君が使ったゲストルームも放置のままです。教頭先生、到着したら掃除が最初のお仕事でしょうか? と、ピンポーンとチャイムの音が響いて。
「かみお~ん♪」
飛び出して行った「そるじゃぁ・ぶるぅ」が教頭先生を連れて戻って来ました。外は寒かったらしく、教頭先生は厚手のコートを手にしています。
「十時からというので少し早めに来たのだが…。ぶるぅは今日はアヒルなんだな」
「可愛いだろう? ただ、あの格好で家事をするのは無理があってね…。そうでなくても今日はぶるぅの誕生日とクリスマスの仕切り直しになってるからさ、裏方をお願いしようってわけ」
会長さんの言葉に教頭先生は「分かっている」と頷いて。
「そのつもりでちゃんと用意してきた。コートは玄関に掛けておこうかと思ったのだが、あそこはゲスト用だしな…」
「心得てるね。使用人がゲスト用のコート掛けを使うのは頂けない。君の居場所はキッチンだ。ゲストルームが勿体無いよ」
会長さんがビシッとキッチンの方を指差し、教頭先生はコートを抱えて消えました。それから間もなく伝わって来たのは動揺の思念。教頭先生、キッチンに山と積み上げられたお皿やお鍋を見つけたに違いありません。それでも会長さんは涼しい顔でパンケーキを頬張り、ソルジャーも我関せずとサラダを口に運んでいます。やがてダイニングの扉がキィッと開いて…。
「さて、十時だ。まずはキッチンの片付けからか?」
「「「!!!」」」
入って来た教頭先生の姿に私たちは思い切り目を剥いていました。さっきはセーターとズボンだったと思うのですが、その上に着込んでいるのは白い割烹着。頭にはバンダナならぬ三角巾で、こちらも同じく真っ白です。なんですか、この格好は? 板前さんとは違うようですし、お手伝いさんのつもりでしょうか?
「…おかしいか? 合宿で使うものなのだが…」
「「「合宿…?」」」
それって柔道部とかの合宿ですか? キース君たち柔道部三人組に視線を移すと、慌ててそっぽを向かれました。会長さんがクスクス笑いながら。
「ふふ、キースたちには藪蛇だったね。柔道部の合宿では料理もキッチリ仕込まれるから、当番になったら割烹着! ハーレイは衛生面にも厳しいんだ。髪の毛が料理に入らないよう、三角巾も必要不可欠。でもって指導役のハーレイ自身も手本を示すために同じ格好で監督するのさ」
合宿始めの数日間は…、と会長さん。そっか、キース君たちも合宿になると割烹着と三角巾で調理場に…。ちょっと想像できませんけど。
「おい」
私たちが凝視しているとキース君が不快そうに。
「…断っておくが、料理当番は下級生の仕事なんだ。俺たちも一年生の時はやったが、特別生になったら免除になった。いつまで経っても一年生から進級しないわけだしな。…まさか万年、料理当番ともいかないだろうが」
「そうなの?」
でも…、とジョミー君が教頭先生の方を眺めて。
「教頭先生は毎年これでしょ? キースは心が痛まないんだ?」
「うっ…。そ、それはだな…」
「指導役とはそうしたものだ。私は全く気にならないが?」
衛生第一、と教頭先生が穏やかな笑みを浮かべています。
「キッチンが不衛生なことになっているな。どうせ私に仕事をさせようと昨夜から放置したのだろうが、もう片付けてもいいだろう?」
「そうだねえ…」
会長さんが首を捻って。
「でも、その前にリビングかな? 布団が敷きっ放しなんだ。それと、お願いの一つ目をよろしく。チケットの有効期間中、返事は全て「喜んで」に統一して貰う」
「…なんだと?」
「聞こえなかった? 喜んで、って言ったんだよ。居酒屋でよくやってるじゃないか。何を言われても「喜んで!」。…口にしていいのはそれだけだ」
「ま、待て! それでは細かい意思の伝達が…」
目を白黒とさせる教頭先生でしたが、会長さんは容赦なく。
「意思の疎通は要らないのさ。君は何でも「喜んで!」と答えればそれでオッケー。それ以外のことを口にした時は罰ゲームだよ」
「…罰ゲーム?」
「そう。まずセーターを脱いで貰おうかな? 次がワイシャツで、その次がベルト? とにかく1枚ずつ脱いで貰うから」
会長さんの言葉に教頭先生は真っ青になり、ソルジャーが楽しげに手を叩いて。
「いいね、それ。失敗が続けば最終的に裸エプロンか…。そうならないよう頑張りたまえ。ぼくは大いに期待してるけど」
「…うう…。ブルー、本当にそうなるのか?」
「くどい。とにかく今から午後三時まで! 返事は、ハーレイ?」
「よ、喜んで!」
教頭先生は直立不動で叫びました。罰ゲームまでついちゃいましたが、今から午後の三時まで。「喜んで」としか答えられない教頭先生、無事に仕事が出来るのでしょうか…?
「まずはリビングの片付けをお願いしたいんだ」
会長さんが白い割烹着に三角巾の教頭先生の前で『お願いチケット』をヒラヒラさせます。
「それと一番端のゲストルームでキースが寝てたし、そっちの方もお願いするよ。リビングの布団は和室で乾燥機をかけてから納戸に入れて。…シーツと布団カバーと枕カバーは洗濯して、糊つけしてからアイロンかけを」
「この天気にか!?」
教頭先生が驚くのも無理はありません。窓の外は雪が降っていました。風花なんてレベルではなく、本格的な雪模様です。こんな天気にシーツや布団カバーを洗濯したって乾かないのではと思うのですが…。
「ハーレイ。…セーターを脱いでくれるかな?」
「なに?」
「ワイシャツもだね」
「お、おい…!」
矢継ぎ早な会長さんの言葉に教頭先生は慌てふためき、ソルジャーがクスクス笑いながら。
「今のでベルトも消えたかな? 君の返事は「喜んで!」だよ。…もう忘れた?」
「うっ…。よ、喜んで…」
悄然と割烹着を脱ぎにかかった教頭先生ですが、制止したのは会長さんです。
「ちょっと待った! こんなスピードで脱がれたんでは余興にならない。今のは警告ってことで無しにしておく。ただし次は無いからそのつもりで。…返事は?」
「喜んで!」
「よし、合格。で、お願いの続きだけども…。シーツとか布団カバーは家の中で干すのは無理がある。晴れた日でもベランダが一杯になってしまうし、そういう大物は地下に専用のランドリーと乾燥スペースがあるんだよ。そっちに運んで乾かしてからアイロンかけだ」
場所は此処、と思念で伝達したらしい会長さんに、教頭先生は「喜んで」と答え、出て行こうとするその背中に。
「さっきみたいな失敗を続けていたら、布団カバーを回収するまでに裸エプロンになっちゃうからね? そうなったとしても許しはしないし、その格好で地下まで行って取って来て貰う。…覚悟しといて」
「喜んで…」
泣きが入った声を残して仕事に向かう教頭先生。「喜んで」の威力は絶大でした。たとえ裸エプロン姿になったとしても、教頭先生は地下のランドリーまで下りて行かなくてはならないのです。嫌だと叫ぶことは許されませんし、「喜んで」と泣きの涙で出掛けるしか…。まあ、「喜んで」以外の言葉を言わなきゃ大丈夫という話もありますけど。
「ね、なかなかに楽しいだろう?」
ソルジャーが会長さんに笑い掛け、二人はサイオンでリビングの様子を窺って…。
「うん、いいね。ブツブツ文句を言ってるのかと思ったけれど、自分で自分を洗脳中って所かな」
こんな感じ、と会長さんが思念で私たちに伝えてきたのは布団を片付けている教頭先生の作業風景。せっせとカバーを外して積み上げ、布団も畳んで運びやすいように纏めていますが、掛け声の代わりに繰り返しているのは「喜んで」です。「よいしょ」の代わりに「喜んで!」。これって何処かで聞かされたような…?
「行住座臥にも念仏の行。…よいしょの代わりにお念仏、ってね」
会長さんがニヤリと笑いました。
「キースは三日でお念仏が身体に染みついたけど、ハーレイの方はどうだろう? 「よいしょ」の代わりに「喜んで」、と頑張ってるのは評価できるな。よほど裸エプロンが嫌らしい。割烹着まで用意したのに、そういうオチではキツイだろうしねえ…」
「普通は裸エプロンなんか避けたいだろう? 君はやらせているけどさ」
既に何度か、とソルジャーが言い、会長さんは。
「だけどハーレイ、何度やられても懲りないんだよ。惚れた弱みと言うのかな? でも、それなりに学習はしてるらしくって…。今日は裏方をお願いしたから、変な格好をさせられる前にと自衛に出た」
「「「えっ?」」」
「あの割烹着と三角巾さ。あれならキースたち以外には笑いが取れるし、使用人らしく見えるしね。ぼくがメイド服とかを用意してたら「自前の服がありますから」と断るつもりだったみたいだよ」
「「「………」」」
あれは捨て身の衣装でしたか! せっかく其処まで用心したのに、罰ゲームを食らえば裸エプロンならぬ裸割烹着にされてしまうとは…。そうならないよう「喜んで」を唱え続ける教頭先生は天晴れでした。シーツや布団カバーを抱え上げ、ランドリーに向かうにも「喜んで」。和室に運び込んで並べた布団に乾燥機をセットするにも「喜んで」…。
「ハーレイ、次はダイニングとキッチンの方を頼むよ、お昼になったらパーティー料理が届くんだ」
忙しく廊下を往復している教頭先生に、会長さんが声を掛けると。
「喜んで!」
掃除機を手にした教頭先生はテキパキとリビングの椅子やテーブルを整え、私たちの居場所を作りました。ダイニングから移動するのを見計らって朝食のお皿をキッチンへ運び、せっせと洗っているようです。お気の毒としか言えませんけど、『お願いチケット』で裏方を引き受けた以上、頑張って頂くしかないですよね…。
一人暮らしが長い教頭先生、家事はベテランの域に達しています。それでも十人分の布団やお皿を片付けた上に掃除するのは大変らしく、パーティー料理が届いた時間にはキッチンでお皿洗いの真っ最中。チャイムの音で会長さんがマンションの入口のロックを解除し、それから玄関のチャイムが鳴って…。
「ハーレイ、料理が届いたみたいだけど!」
「喜んで!」
会長さんがキッチンに向かって声を張り上げ、教頭先生が駆けて来ました。
「じゃあ、玄関で受け取ってくれるかい? それからダイニングで見栄えするようセッティングを…ね」
「喜んで!」
勢いよく飛び出して行った教頭先生はケータリングの業者が差し出す伝票にハンコを頼まれ、そのままの調子で「喜んで」と応じています。私たちは吹き出してしまいましたが、教頭先生は大真面目でした。業者さんも変だとは思わなかったようで、パーティー料理が入ったケースを次から次へと運び入れて…。
「へえ…。けっこう綺麗に出来てるじゃないか」
ダイニングのテーブルをチェックした会長さんが感嘆の声を上げましたけど、教頭先生は「喜んで」と椅子を引いて会長さんを座らせただけ。うーん、洗脳の効果があったようです。以前だったら絶対ここで「そうか?」と嬉しそうに答えて墓穴を掘った筈なんですが…。
「ターキーのソースはこれだったっけ? クランベリーとグレービーで頼んであったと思うんだけど」
「喜んで!」
ソース入れを二つ、サッと押し出す教頭先生。心得たもので、ソース入れの脇には業者さんがソースを入れてきた器についていたらしい札がきちんと添えてあります。会長さんはウッと詰まって、それから大皿に載ったローストターキーを指差して。
「三切れほど切って。ソース、ぼくの好みは分かるよね?」
「喜んで!」
げっ。教頭先生、会長さんの好みのソースを知っているのでしょうか? 仮に知っていたとしたって、この流れでは…。
『そうさ、どっちのソースを選んでもハズレ。…セーターくらいは是非とも脱いで欲しいじゃないか』
会長さんの思念が届き、私たちは額を押さえました。悪戯好きの会長さんは罰ゲームをやらせたくなったのです。ソースの説明で「喜んで」以外の言葉を言わせるつもりが失敗したので、今度は好みのソースを選ばせようというわけですが…。
「…えっと…」
会長さんの前にはお皿が二枚置かれていました。どちらにも切り分けられたターキーが載せられ、片方のお皿にはクランベリーソース、もう片方にはグレービーソース。教頭先生は会長さんの脇に控えて、不要なお皿を下げられるよう隙なくスタンバイしています。キース君がプッと吹き出し、ソルジャーがさも可笑しそうに。
「どうやら君の負けみたいだねえ? 手を伸ばした方のソースが君の好みというわけだ。要らない方はハーレイにサッと下げられて終わりなのさ。…ハーレイ、ぼくはどっちも食べてみたいし、残った方をくれるかな?」
「喜んで!」
「…分かったよ、ぼくの負けだよ、ハーレイ。…クランベリーソースで」
「喜んで!」
教頭先生はクランベリーソースのターキーのお皿を会長さんの食べやすい位置にセットし、グレービーソースの方をソルジャーの前に運ぶとテーブルの端まで移動して待機。後は会長さんや「そるじゃぁ・ぶるぅ」が好き放題に料理の取り分けを頼み、私たちも促されるままに便乗して…。
「ハーレイ、そろそろシーツが乾いたと思うんだ。取り込んできてアイロンかけを…ね。こっちは好きにやってるから」
「喜んで!」
そそくさとランドリーへ向かう教頭先生の足取りは軽快でした。会長さんの罰ゲームに引っ掛かることなく頑張り続けて、時計は二時を回っています。洗濯物の片付けが終わる頃には三時になるでしょうし、お願いチケットの効き目はそこで終了。
「あーあ…。あそこまで洗脳されやすいとは思わなかったよ。掃除洗濯の合間にブツブツ唱えてただけのことはある。あれじゃ寝言も「喜んで!」かもね。…つまらないなぁ、失敗すると思ったのに」
不満そうな会長さんは山のような洗濯物を抱えた教頭先生が戻って来た所へ労いの言葉をかけ、アイロンかけが終わって時間があったら一緒に料理を食べるように…と言ったのですが。
「喜んで!」
満面の笑みの教頭先生はそれ以外は口にしませんでした。いつもだったら「いいのか?」くらいは言っただろうと思うのですけど…。もっと遠慮したんじゃないかとも思うんですけど、「喜んで」の洗脳、恐るべし…。
そしてチケットの制限時間が残り十分となった段階で教頭先生はパーティーのテーブルにやって来ました。割烹着と三角巾が少々場違いですが、この格好でパーティーに…? 私たちの視線を浴びた会長さんが「取っていいよ」と言うと、教頭先生は「喜んで!」と割烹着を脱ぎ、三角巾も畳んでしまって…。
「ハーレイ、今日は裏方、ご苦労様。ぶるぅもアヒルちゃんパジャマを満喫できたし、いいパーティーになったと思う。まだまだ料理も残ってるから、食べてってくれていいけれど……三時まではチケットが有効だからね?」
「喜んで!」
会長さんに御礼を言う代わりに「喜んで!」と返した教頭先生。全く御礼になってませんが、洗脳効果はバッチリです。割烹着を脱いでしまった今となっては裸エプロンも無いのでしょうし、私たちもちょっと拍子抜け。…いやいや、元々パーティーの裏方をお願いするという平和利用が目的だったんでしたっけ。これで平穏に終わるんですから、良しとするのが一番です。
「教頭先生、これもどうぞ」
キース君たちがお勧め料理を取り分けて渡し、時間はゆったり流れていって……十分間はアッと言う間。あと数秒で三時になる、という時です。
「時間延長してもいいかな? 君にしか頼めないことがあるんで、一時間だけ」
声を上げたのはソルジャーでした。私たちは「えぇっ!?」と叫びましたが、教頭先生は威勢よく。
「喜んで!」
「ありがとう」
ソルジャーがニッコリ微笑んだのと、壁の時計が三時を指したのはほぼ同時。…まさかの延長戦ですか? そんな姑息な手を使ってまで、ソルジャーは何をやりたいと? いえ、その前に延長戦は果たして有効…?
「ブルー!!!」
会長さんが柳眉を吊り上げ、ソルジャーに食ってかかりました。
「時間延長ってどういうつもりさ!? お願いチケットには三時までって…!」
「だから延長したんじゃないか。君が自分で言っただろう? そのチケットは君たちのもので、ぼくには使う権利が無い…って。仕方ないから大人しくしてた。今から一時間はぼくのものだ。ハーレイは確かにいいと言ったよ、ねえ、ハーレイ?」
「喜んで!」
言ってしまってから教頭先生は慌てて口を押さえましたが、時既に遅しというヤツです。ソルジャーは唇を舌先でゆっくりと舐め、値踏みするような目で教頭先生を見詰めながら。
「喜んで、って言ってくれたし、遠慮しないで頼んじゃおうかな? ハーレイ、君は柔軟性には自信がある?」
「…一応は…」
「セーター、脱いで」
ビシリと短く告げるソルジャー。教頭先生が固まっていると「手伝おうか?」と妖しい瞳で。
「時間延長なら「喜んで」としか言っちゃいけないと思うんだ。罰ゲームの方も当然有効。…もちろん脱いでくれるよね?」
「…よ……喜んで…」
教頭先生は蛇に睨まれた蛙に等しく、脱がざるを得ない状況に。会長さんが止めに入ってもソルジャーは聞く耳を持っていません。
「ぼくがゲットした時間延長で、罰ゲーム権もぼくに移ったと思うけど? 第一、ぼくの提案なんだよ、「喜んで!」って台詞はね。…君は充分楽しんだんだし、お裾分けしてくれていいだろう?」
「そ、それは……時と場合によると……」
「大丈夫、ごく簡単なことだから! これをね、予行演習しておきたくてさ…。ぼくのハーレイはヘタレてるから、選べないだろうと思うんだ。身体が柔らかくないと無理なのもあるし、どんな感じか絡みだけでも…」
ね? とソルジャーが宙に取り出したのは何かが描かれた極彩色の紙でした。
「ハーレイにも悪い話じゃないと思うよ。将来、きっと役に立つ。もちろん答えは「喜んで!」しか無いわけだけど」
ソルジャーが教頭先生に紙を広げて見せていると。
「お待ち下さい!!!」
いきなり空間がグニャリと歪み、現れたのはキャプテンです。な、なんでキャプテンが来るんですか~!
「ぶるぅが先程、これでいいのかと訊きに来まして…。そのゲーム、私が引き継ぎます! 喜んでとしか申しませんから、どうか私に御命令を…」
「ふうん? じゃあ、早速今から始めるけど? 本当に後悔しないんだろうね?」
「喜んで!!」
即答したキャプテンにソルジャーは極彩色の紙を突き付け、ニッコリと。
「ノルディに貰った四十八手というヤツなんだ。姫初めに楽しまれては如何ですか、と言ってたねえ…」
「…姫初め?」
「上着を脱いで貰おうか。…お前のことだから失敗続きは目に見えている。パンツまで脱がされてしまうのが先か、目ぼしい四十八手を見つけて雪崩れ込むのが先になるか…。続きはあっちに帰ってからだ」
「…よ、喜んで…???」
ソルジャーは狐に抓まれたような顔のキャプテンの腕を掴むと、私たちにパチンとウインクしました。
「ありがとう、パーティー、楽しかったよ。思いがけずハーレイも飛び込んできたし、こっちのハーレイはお役御免だ。次に会うのは来年かな? 良いお年を」
じゃあね、とソルジャーとキャプテンは消え失せ、残された私たちですが…。あれ? 教頭先生、鼻血ですか? 会長さんも心なしか顔が赤いような…?
「えっと…」
ジョミー君が首を捻って。
「姫初めって何のことなの? 四十八手は確か相撲の決まり手だよね? なんだかサッパリ分からないけど、お願いチケットはソルジャーの役に立ったわけ?」
あ、それは私も知りたいです! 姫初めとか、四十八手とか、誰か説明してくれないかな…。と、会長さんが教頭先生を振り返って。
「ハーレイ、ここは君に任せた。教師らしく生徒に解説したまえ、ブルーが残した謎の言葉を」
「喜んで! …って、おい、ブルー! お前、教師に何をやらせる!」
あらら。教育上良くない話でしょうか? もしかして大人の時間の専門用語…? それならそれでいいですけども、「喜んで!」の縛りの恐ろしさだけはバッチリ分かった私たち。ソルジャーに縛りをかけられてしまったキャプテンの今後が心配です。行住座臥にも念仏の行ならぬ「喜んで!」。キャプテン、ブリッジでウッカリ言わなきゃいいんですけど…。
「さあねえ…。キースの寝言の例もあるから、絶対無事とは言い切れないなぁ。まあ、こっちのハーレイで余計なことを試されなくって良かったよ。後は野となれ山となれ…ってね」
お願いチケットはこれでおしまい、と会長さんが教頭先生に使用済みのを渡しています。教頭先生、裏にサインしながら「喜んで!」と言ってしまって頭を掻いて笑っていたり…。午前十時から午後三時まで言わされ続けて染みついたらしい「喜んで!」。これから同じ運命を辿るキャプテンはどうなるのでしょう? 姫初めだとか四十八手だとか、どっちも楽しいことなのかな? 喜んで出来るものならいいな、と思いますけど、会長さんも教頭先生も教えてくれないみたいですから、キャプテンの御無事をお祈りしてます…。
道場の寒さで霜焼けになってしまったキース君は、お泊まり会で初の一人部屋を希望でした。理由は言えないらしいのですが、そこへ現れたのがソルジャーです。霜焼けの特効薬を届けに来たとかで、好意を有難く頂くかどうかが難しいところ。なにしろ相手はソルジャーですし…。
「それ、本当に効くのかい?」
会長さんの質問に、ソルジャーは「当然だろう」と答えると。
「偽薬なんか持ってこないよ。思い切り恩を売っておかないと明日のパーティーに出られないしね?」
「「「………」」」
やっぱりそれが目当てだったか、と私たちは額を押さえました。ソルジャーは無類のイベント好きです。自分の世界でもシャングリラ中を巻き込んで色々やっているそうですから、パーティーと聞けば参加したくなるのでしょう。去年も一昨年も一緒にクリスマス・パーティーをしましたし…。
「ぼくが来ると何か不都合でも? 料理は多めに注文してたと思ったけどな。そうだよね、ブルー?」
「……君のために増やしたわけではないんだけれど? 食べ盛りの子たちが揃っているんだ、余裕を持たせておくのは常識」
「そんなものかな? でもね、本当にこれは効くんだよ」
ソルジャーは軟膏入りのチューブを弄びながら。
「キースの道場は余程寒かったみたいだね。建物の中にいるのに霜焼けだなんて、どんな修行をしたんだい? こっちの世界も暖房とかの設備はきちんとあるんだろうに」
ぼくの世界ほどには進んでないけど、と言うソルジャーにキース君が。
「設備があっても使えないんだ! いや、使わせて貰えないと言うべきか…。道場で甘えは許されない。どんなに寒くても暖房は無しだ。ただ、今年は寒波が強かったから、手まで霜焼けなヤツが続出で…」
俺もそうだが、と両手を差し出すキース君。その手はいつもより指が太めで、暖房で血行が良くなったせいか痒くてたまらないのだそうです。逆に冷えると痛みが酷くて…。
「手が霜焼けになってしまうと、道場での修行に支障が出る。掃除なんかは全く斟酌してくれないが、お勤めの方が問題でな。…お経本を持って本堂までの長い廊下を歩く間に、手指が痺れて取り落とすヤツが何人も出た。吹きっ晒しの廊下だったから、寒風がモロに吹き付けるんだ」
璃慕恩院の廊下や渡り廊下は先日見て来たばかりです。最後のお勤めに向かうキース君の手が真っ赤になっていましたっけ。あんな環境では霜焼けの痛みでお経本を落とすのも無理はありません。しかし…。
「坊主がお経本を床に落とすなど、本来あってはならないことだ。おまけに落としたお経本をウッカリ踏んだヤツまでいてな。もちろん罰礼をやらされるんだが、そんなヤツらが続出しては御本尊様に申し訳が立たん。…そういうわけで、お経本の落下を防ごうと手火鉢の使用が許可された」
「なんだい、それは?」
首を傾げたのはソルジャーです。火鉢は私たちの世界でも滅多にお目にかかれませんから、ソルジャーは知らなくて当然でした。会長さんが「こんなのだよ」と思念でイメージを伝えたようで…。
「ああ、なるほど。随分と原始的な暖房だけど、それでも無いよりマシなんだろうね?」
「使用時間は厳しく制限されていたがな。火鉢は一度火を熾したら炭さえマメに継ぎ足していれば一日中でも使えるんだ。ただし、俺たちの場合はお勤めの前に手を炙るだけ! 時間になったら部屋の中に火鉢を運んでくれるが、それ以外の時は火鉢は廊下に出されていた」
何の役にも立ちはしない、とキース君は顔を顰めました。修行仲間は「火鉢でアルテメシアの空気を温めている」と陰口を叩いていたようです。それでも火鉢が用意されただけマシというもので…。
「本来、道場で暖房は一切禁止だ。お経本を踏むような失礼が無ければ手火鉢も出ては来なかっただろう。…だがな、お勤めの前だけ手を温めていいと言われても…。一時的に血行が良くなるだけで冷えたら元の木阿弥だ。お蔭で未だに痛いし痒いし、足は真っ赤に腫れてるし…」
「だから薬を分けてあげると言ったじゃないか」
これ、とチューブを示すソルジャー。
「効き目の方は保証付きだよ。アルタミラの研究施設で何度もお世話になったしねえ」
「「「は?」」」
「人体実験をされていたって話しただろう? 高温の部屋に放り込まれたり、とてつもなく寒いケージに入れられたりさ。…で、実験を続けるためには治療もしなくちゃいけないわけで…。低温でダメージを受けた皮膚にはコレが一番! ぼくの身体で治験した分、色々改良されたのさ」
これでも一応人間だし、とソルジャーは笑顔だったりします。悲惨な過去を語っているのに…。
「薬の効果を確認するのに動物実験だけではちょっとね…。その点、ミュウなら遠慮しないで人体実験できるしさ。極寒の惑星で資源を採掘したりするから、ぼくたちの世界に霜焼けの薬は必須なんだよ。ついでにミュウは虚弱体質が多い。そんなミュウでも一晩で治る特効薬!」
ぼくの身体で証明済み、とソルジャーはキース君にチューブを手渡しました。
「とりあえず今、塗ってみたら? 君の身体は健康そうだし、痒みが収まるのも早いと思う。数時間あれば綺麗に治るさ、お風呂に入ったら塗り直さないといけないけどね」
「………。俺がこれを貰ってしまうと、あんたがパーティーに来るわけだよな?」
「心配しなくても、薬は口実。来てしまったからにはパーティーが終わるまで居座るよ。君が薬を突き返したって帰るつもりは無いってわけ。…それとも君たちはSD体制下で迫害されているぼくを追い出すとでも? パーティーに出たいと言ってるのに?」
「「「………」」」
ソルジャーの言葉は『お願い』ではなくて脅しでした。人体実験やSD体制の話を持ち出されると断れる人はいないのです。明日のパーティー、大荒れにならなきゃいいんですけど…。
会長さんの家に居座る権利を得たソルジャーは早速おやつを食べ始めました。夜食用に「そるじゃぁ・ぶるぅ」が作っておいたリンゴのクラフティです。服の方も会長さんのを勝手に借りて着替えていますし、こうなったらもう諦めるしか…。
「どうだい、キース? 霜焼けの具合は」
「あ、ああ…。随分マシになったな。礼を言う」
頭を下げるキース君。ソルジャーが持参した薬の効果は抜群らしく、私たちの世界の薬では引かなかった痒みが消えて、腫れだって引いてきています。手なんかすっかり元通りですし、腫れ上がっていた足も今では「少しだけ腫れている」程度。
「ほらね、効果があっただろう? これで一人部屋にする必要は無いと思うけどな」
「え? い、いや、それは…」
「霜焼けが治っても一人部屋かい? その調子なら寝るまでに治りそうだけど…。多分、一時間もかからないよ。まだ寝る予定はないんだろ?」
健康で頑丈な身体は治りも早い、と感心しているソルジャーによると、この薬は即効性が売りだそうです。ソルジャーの世界で『ミュウ』と呼ばれるサイオンを持った仲間は虚弱な人が多いので治癒には一晩かかりますけど、普通の人間なら数時間。つまりキース君でも数時間あれば充分なわけで…。
「布団に入る前には治るし、いつもの相部屋でいいじゃないか。霜焼けが完治するまで一人部屋を希望だったよね?」
「…それはだな…。確かに霜焼けが治るまでとは言ったんだが…」
口籠っているキース君に、会長さんが。
「物事を正確に伝えないから、困ったことになるんだよ。道場での体験を引き摺ってる間は相部屋は無理だとスッパリ言えばいいのにさ。…理由もきちんと説明してね」
「…………」
キース君は応えませんでした。代わりにソルジャーがクスクス笑いながら。
「そんな話もしてたっけね。相部屋だと何かが起こるんだっけ? ぜひ聞きたいな、君と相部屋になると恐ろしいことになるかもしれない…っていう面白そうな話の真相をさ」
「…霜焼けの薬は感謝している。だが、俺は一人部屋に隔離されるべきなんだ。同室になったヤツに迷惑をかけてしまってからでは遅い。誰だって安眠したいだろう?」
「言えないってわけか。…だったら一人部屋も相部屋も無しというのはどうだろう? リビングは広いし、全員ここで雑魚寝ってことで! この際だから女子も一緒にしちゃおうよ。間に何かを置けばいいだろ」
こんなのとか、とソルジャーが瞬間移動で取り寄せたのは和室にあった大きな屏風。会長さんと親交のある名僧たちが詠んだ和歌の貼り雑ぜ屏風です。ソルジャーはそれをリビングに設置し、「これでOK」と頷いて。
「こうしておけば間仕切りになる。後は布団を運べばバッチリ! どう思う、ブルー?」
「うーん…。悪い案ではない……かもね。キースと相部屋になる楽しさは分かち合った方がいいかもしれない。ついでに此処で雑魚寝となったら、お客様用の布団を出してこなくっちゃ。ベッド用のを転用したんじゃ寝心地が悪いし、この人数が使った布団をハーレイ一人で片付けするのは重労働だ」
よし、と会長さんは指を鳴らしました。
「ブルーの案に乗ることにする。今夜は全員、キースと相部屋! クラフティを食べ終えたら布団を運ぶよ。お客さんに備えて和室用の布団も二十組ほどあるからね」
「ちょっと待て! お、俺の立場は…」
キース君が叫びましたが、会長さんはニッコリ笑って。
「決まってるだろう、掃除係さ。さっきから掃除に燃えてたんだし、布団を運ぶ前にリビングの床を綺麗にね。此処に布団を敷くとなったら、やっぱり掃除をしておかないと…。布団を汚すと大変なんだ。カバーを外して洗ったくらいじゃ落ちない汚れもあるからさ」
よろしくね、と肩を叩かれたキース君は逆らう気力も失せたようです。そんなキース君と相部屋になると何が起こるのか分かりませんが、全員揃って相部屋というのは初体験。間仕切りの屏風もあることですし、今夜は眠りに落ちてしまうまでワイワイ賑やかに騒ごうかな?
夜食が済んだ後、私たちは一旦ゲストルームに引き揚げました。各部屋にバスルームがついているので、ゆったり入ってパジャマに着替え。その間にキース君がリビングを掃除し、会長さんが瞬間移動で布団を運んでいる筈です。スウェナちゃんと私がフィシスさんのガウンを羽織ってリビングに戻ると、ズラリと布団が敷かれていて…。
「かみお~ん♪ みゆとスウェナはこっちだからね! ぼくも一緒だよ」
こっちこっち、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」が呼んでいます。アヒルちゃんパジャマは明日のために取っておくのだそうで、今は普通の子供パジャマ。土鍋の代わりに子供布団が屏風の横に延べてありました。
「ブルーがね、女の子の方にいてあげなさい…って。人数が多い方が楽しいでしょ?」
それはそうかもしれません。スウェナちゃんと二人きりより、三人の方が面白そう。男子の方はソルジャーも入れて七人ですし、人数の差があり過ぎですもの。…こうして寝場所は分かれたものの、眠くなるまでは男子のスペースに出掛けて行って雑談したりトランプをしたり。最後は枕投げまで始まって…。
「やれやれ、屏風をサイオンでガードする羽目になるとはねえ…」
派手だったよね、と会長さん。男子のスペースの布団は踏みまくられてグチャグチャでした。それをなんとか寝られる程度に整え直し、部屋中に飛んだ枕を拾い集めて、消灯時間。スウェナちゃんと私と「そるじゃぁ・ぶるぅ」が屏風で仕切ったスペースに戻ると、誰からともなく「おやすみ」の声が上がって電気が消され…。
(…………)
ぐおーっ、と早速イビキが聞こえてきます。これって「そるじゃぁ・ぶるぅ」でしょうね。子供のくせにイビキのボリュームは一人前。あっちのイビキはサム君かな? まだ喋ってるのは会長さんとソルジャーで…。んーと……んーと……。ダメだ、眠いや…。
(……あれ……?)
どのくらい眠っていたのか、ふと目を覚ますと部屋の中はまだ真っ暗でした。何か聞こえたと思ったんですけど、気のせいかな? 闇を揺らす音はイビキだけです。夢だったのかも、と瞼を閉じると。
「…………ブ……」
(……?)
「ブ、………ブ……」
あれれ? やっぱり誰か起きてる?
「…ナ…………ブ、…ム………ブ…」
これは誰かの寝言でしょうか? 歌のように聞こえないことも…。
「………ブ、…ム……ダブ、ナムアミダブ…」
え。ナムアミダブって…お念仏!? なんで夜中にお念仏が? 会長さんの家に『出る』という噂は聞きませんけど、もしかしなくても出るんですか? これって心霊現象ですか? 低くブツブツと繰り返される南無阿弥陀仏はなんとも不気味で、私は頭から布団を被りました。それでも聞こえるお念仏。
(ど、どうしよう…。このまま寝ちゃったら祟られるよね? 聞いただけでも祟られちゃうとか? 悪霊退散の呪文とかってあったっけ?)
キース君に習っておくべきだった、とガタガタ震える私でしたが南無阿弥陀仏は止みません。ふと気がつくとスウェナちゃんも隣で震えている様子。スウェナちゃんばかりか「そるじゃぁ・ぶるぅ」も。
(うわぁぁん、これって夢じゃないんだ! 出るって話をしてくれていたら、リビングなんかで寝なかったのに~!)
けれど後悔先に立たず。地縛霊だか悪霊なんだか知りませんけど、伝説の高僧である会長さんの家に出る霊となれば半端なものではないでしょう。弱い霊ならとっくの昔に会長さんが成仏させてる筈ですし…。
(会長さん、起きてくれないかな? サム君も霊感あるって話なんだし、こんな時くらい起きてくれても…。キース君だって一人前のお坊さんになったんだから、起きたっていいと思うんだけど~!)
パニックに陥りそうな私と、震えまくっているスウェナちゃんたち。南無阿弥陀仏の声は今や朗々とリビングに響いています。もうダメかも…。私たち全員、祟られちゃうかも…。だ、誰か…。誰か、助けて~!
「喝!!!」
会長さんの気合が迸り、ピタリと止まったお念仏。そして代わりに…。
「いたたた…。くっそぉ、いきなり何しやがる…」
「…御挨拶だね、キース・アニアン」
部屋に煌々と電気が灯って、おっかなびっくり屏風の陰から顔を出してみると会長さんがスックと立っていました。足元にはキース君が転がっており、痛そうに肩を押さえて呻いています。ジョミー君たちは布団の上に起き上がっていて青ざめた顔をしていますから、お念仏の声を聞いたのでしょう。…で、霊は? お念仏をしていた霊は…?
「南無阿弥陀仏なら退治したよ」
会長さんが軽く両手をはたきながら。
「さて、ブルー? 狸寝入りはやめたまえ。…君の提案で雑魚寝にしたら、こういう結果になったんだけど?」
「…君だって承知していたくせに」
面倒そうに布団から出てきたソルジャーはクックッと喉の奥で笑っています。
「キースが一人部屋を希望だってこと、言い出したのは君だよねえ? 君は最初から知っていたんだ。キースには寝言でお念仏を唱える癖がついている…ってね」
「「「キース!!?」」」
「「キース君?」」
男の子たちと女子組の叫びが重なりました。あのお念仏はキース君? どうして寝言でお念仏を…?
「………すまん」
本当にすまん、とキース君は布団の上で土下座を繰り返しました。お念仏の声を心霊現象だと勘違いしたのは会長さんとソルジャーを除く全員で、その誰もが怖い思いをしたのですから土下座は当然の成り行きです。暗闇に流れるお念仏なんて、知らずに聞いたら怪談以外の何ものでもなく…。
「キースってさぁ…」
ジョミー君がシロエ君の顔を見詰めて。
「前から寝言はアレなわけ? シロエは付き合い、長いんだよね?」
「あんなの、ぼくも初めてですよ! ですから先輩だとは気が付かなくて、てっきり霊が出たんだとばかり…。マツカ先輩も知りませんよね?」
「…少なくとも、ぼくが相部屋の時は一度も聞いていませんね。柔道部の合宿の時にも無かったですし…。そもそも、キースが寝言だなんて全く記憶に無いんですけど」
いつも静かな寝息だけです、とマツカ君とシロエ君は証言しました。ジョミー君とサム君も、キース君との相部屋の時に寝言の記憶は無いそうです。それほど静かに寝ている人が今日に限ってお念仏とは…。
「だから一人部屋にしておいてくれと言ったのに…」
「理由を説明しないからだよ。予めちゃんと申告してれば同じことをやったとしても退治されてはいないだろうに」
怖がる人がいないんだから、と会長さんがキース君を冷たい瞳で見下ろして。
「霜焼けの次は青アザになってしまうかもね? 手加減はしたつもりだけれど、肩に一発お見舞いしたから。…きちんと全てを打ち明けていたら、揺すって起こしてあげたのに」
会長さんはキース君に手刀を食らわせたのでした。キース君は痛みで飛び起き、私たちを震え上がらせたお念仏の声も同時に止んだというわけです。
「こうなった以上、隠しておいても無駄だよ、キース。みんなは生きた心地もしなかったんだし、人騒がせな寝言に至った原因ってヤツを明らかにするのが筋だろうね。…でないと誰も納得しないさ」
さあ早く、と急き立てられたキース君は観念したように口を開きました。
「………。あれは道場の後遺症で……」
「「「後遺症?」」」
「そうなんだ。あの道場には俺と同じような状態に陥ったヤツが沢山いた。ブルーがそれに気付いていたのは経験者だからか、覗き見をしていたせいかは知らないが…。とにかく道場で三週間も修行してると寝言まで念仏になるらしい。寝言を言う癖が無かったヤツでも、寝ている間に南無阿弥陀仏だ」
そんなことってあるのでしょうか? 現実に耳にしたこととはいえ、今一つ信じられない思いで私たちが顔を見合わせていると。
「キースの言うことは本当だよ」
割り込んだのは会長さんです。
「行住座臥にも念仏の行、という言葉があってね」
「「「ギョウジュウザガ…?」」」
なんですか、それは? きっと専門用語でしょうが…。
「歩いている時も、立っている時も、座っていても眠っていても、どんな時でもお念仏! これがぼくたちの宗派の開祖のお言葉。修行を積んだお坊さんになると、「よいしょ」の代わりに「南無阿弥陀仏」の境地なんだ。ぼくはそこまで抹香臭くなりたくないから、適当に手を抜いているんだけどさ」
でないと女性にモテないし、と余計な一言を付け加えながら会長さんは続けました。
「とにかく道場ではその精神を徹底的に叩き込まれる。来る日も来る日も念仏三昧、ただひたすらにお念仏だ。要領のいい人はクチパクで済ませていたりするけど、真面目な人は声が嗄れてもお念仏! もちろんキースも大真面目だった。そうやって南無阿弥陀仏を続けていると、三日目頃からアヤシイ寝言が…。そうだよね、キース?」
「…初めて自分の寝言で目が覚めた時は仰天したな。なにしろ南無阿弥陀仏だし…。おまけに大広間のあっちこっちで念仏を唱える声がするんだ。どいつもこいつも熟睡しながら念仏だぞ? あれは一種の洗脳に近い」
キース君たちは百数十人が同じ大広間で寝起きしていたらしいのですが、その中のかなりの人数が夜な夜な寝言でお念仏。毎日々々、一心不乱に唱え続けた結果でしょう。そんな道場を終えた今でも、キース君は寝言でお念仏を唱える癖が抜けなくて…。
「…三学期が始まる頃には流石に元に戻るだろうと…。霜焼けも治るのに時間がかかりそうだし、霜焼けが治ったら相部屋にするつもりだったんだ。…夜中に念仏を聞かされて喜ぶヤツがいると思うか? 気味の悪い夢を見るかもしれんし、目が覚めたって騒音なんだぞ」
大音量だからな、と項垂れているキース君。あのお念仏は寝言とは思えないほどの大きな声にまでなったのですから、騒音の内に入るでしょう。でも、それ以前にアレは怖かったです。ソルジャーが雑魚寝だなんて言い出さなければ朝まで安眠出来たのに…。
「とにかく俺が悪かった。またやらかしたら申し訳ないし、別の部屋で一人で寝ることにする」
しおしおと去ってゆくキース君を引き止める人はいませんでした。雑魚寝の提案者だったソルジャーも我関せずと布団の中。そういえばソルジャーは騒ぎを起こすのが好きだったっけ、と今更ながらに気付きましたが、背筋が寒くなる体験ってヤツは夏場にお願いしたかったです…。
翌朝、私たちが起き出したのは朝の九時過ぎ。キース君の寝言騒ぎで少々寝不足気味でしたけど、十時に教頭先生が来るというので会長さんに起こされたのです。
「おはよう。ハーレイが来るまでに着替えくらいはしておかなくちゃね? あ、布団はそのまま放っておいて。片付けはハーレイがするんだからさ」
仕事は多ければ多いほどいい、という悪魔の笑みで脳味噌が一気に覚醒しました。午前十時から午後三時まで有効だという『お願いチケット』。今日はチケットを行使する日で、教頭先生が私たちのパーティーの裏方で…。
「かみお~ん♪ おはよう、キース! 霜焼け、治った?」
「ああ。痒みも痛みも無くなった」
ゲストルームから身支度を整えて出てきたキース君はソルジャーに特効薬の御礼を言って深々と頭を下げています。お念仏な寝言で遊ばれたのに御礼というのは礼儀正しいキース君ならではの美点でした。そんな姿にソルジャーは「敵わないね」と苦笑して。
「改めて御礼を言われてしまうと、謝らざるを得ないじゃないか。…君で遊んで悪かったよ。だけど大いに参考になった。同じ言葉を繰り返していると癖になるのは使えそうだ」
「「「は?」」」
「口癖になってしまうんだろう? これは応用が利くと思うね。ぼくのハーレイはヘタレてるから、愛の言葉もロクに言ってはくれないんだけど…強制的に繰り返させたら癖になるんじゃないのかな。ブリッジクルーとかの前でもポロッと言ったら最高だよ」
「「「………」」」
それは流石にマズイんじゃあ……と私たちは一様に押し黙りました。ソルジャーとキャプテンの仲はとっくにバレバレらしいですけど、ブリッジで愛の言葉を言わせるというのはシャングリラ号の士気に関わりそうです。そういう遊びは青の間かキャプテンの部屋かに留めておくのが一番では…?
「黙ってるってことは賛成できないって意味なのかな? 楽しそうだと思うんだけど…。だったらこっちのハーレイはどう? これから来るって話なんだし、遊ばせてもらっても問題ないよね?」
ぼくもパーティーのゲストなんだし、とソルジャーは胸を張っています。えっと、そういう展開ですか? お願いチケットは私たちが根性でゲットしたもので、ソルジャーは関係ないんですけど…。教頭先生で遊ぶにしたって、お願いチケットの範囲内でしか遊べないんじゃないかと思うんですけど~!
「名案を思い付いたんだよ。お念仏みたいに単純明快、これを使えばハーレイで遊び放題になる名台詞! お願いチケットが使える間はハーレイはこれしか言えないという縛りをかけたら素敵じゃないかと」
聞きたいだろう? と微笑むソルジャーに会長さんが。
「…危ない台詞じゃないだろうね? その手の言葉はお断りだよ。それを承知の上でだったら聞きたいな」
「喜んで」
ゴクリと唾を飲む私たち。さて、教頭先生に言わせたい台詞とは何なのでしょう? ソルジャーはニヤニヤしています。え? もしかしなくても今のがソレ…? そういえば威勢よく「喜んで!」と響き渡る声を何処かで耳にしたような…?
キース君が璃慕恩院での伝宗伝戒道場を終えたクリスマスから三日目、仕事納めの二十八日。私たち特別生七人グループはアルテメシアの街の中心部にある繁華街に来ていました。今夜は会長さんの家でお泊まり会があり、今日と明日とでクリスマスパーティーと「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお誕生日パーティーの仕切り直しをするのです。
「えっとね…」
スウェナちゃんがメモを取り出して。
「そこのデパートの子供用品フロアへ行けばいいのよ。ラッピングもちゃんと頼んでおいたし」
「ぶるぅ、喜んでくれるかな?」
ジョミー君の言葉にキース君が首を傾げます。
「今年は何を注文したんだ? 俺は全く聞いていないが」
「あ、そっか。キースは道場だったっけ…。スウェナ、写真まだある?」
「もちろんよ」
はい、とスウェナちゃんがキース君に渡したのは子供用パジャマのカタログでした。正確には乳幼児用で、ウサギやライオン、クマなどの着ぐるみタイプがズラリと並んでいます。その中で丸をつけてあるのが私たちの注文の品。黄色いアヒルの着ぐるみで…。
「凝ってるな。ちゃんと足先までアヒルの足の着ぐるみなのか」
「ちょっといいでしょ? 袖だって翼の形になってるのよね」
スウェナちゃんの言う通り、袖はアヒルの翼です。頭に被るフードの部分もクチバシがくっついていて、すっぽり被れば可愛いアヒルの出来上がり。アヒルちゃんが大好きな「そるじゃぁ・ぶるぅ」のためにスウェナちゃんが見つけてきたもので…。
「今年は仮装パーティーじゃないみたいだけど、ぶるぅ、こういうのも好きそうだもの。きっと似合うと思うわよ」
「すまないな。任せっぱなしにしてしまって」
「いいのよ、お勘定は割り勘だから! というわけで、集金するわね。みんな、財布を用意して」
デパートの一階ロビーで集金を済ませたスウェナちゃんを先頭に私たちは子供用品フロアに向かい、首尾よくパジャマをゲットしました。ラッピングの仕上げにリボンの結び目に付けて貰ったのも黄色い小さなアヒルちゃん。荷物持ちはシロエ君が引き受けてくれ、いざ会長さんのマンションへ…とデパートを出てバス停に行こうとした所で。
「悪いが、寄り道をしてもいいだろうか?」
真剣な顔のキース君。えっと…何か用事でもあるのでしょうか? 私たちが頷くと、キース君は「感謝する」と頭を下げて、傍にあったハンバーガーのチェーン店に入って行くではありませんか!
「「「えぇっ!?」」」
「何をビックリしてるんだ? 俺が奢るから、好きなのを好きなだけ食べてくれ」
そう言ったキース君はカウンターで注文を始めています。今日の昼食は「そるじゃぁ・ぶるぅ」が用意してくれている筈なんですけど、どうして此処でハンバーガーを? うーん、サッパリ分かりません。でも…。
「奢りだったら食べなくっちゃね!」
海老バーガーにしようっと、とジョミー君が宣言し、ドリンクメニューを物色中。なるほど、確かに食べなきゃ損なのかも? とはいえ、「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお料理の方も楽しみですし…。スウェナちゃんと私はホットアップルパイとジュースだけにしておきました。その間にキース君の注文の品も出来上がったようで…。
「二階の席が空いてるらしいぜ。先に行ってる」
テーブルは確保しておくから、と階段を上がってゆくキース君のトレイの上にはダブルクォーターパウンダーにフライドポテトのLサイズ。食べ盛りの男の子ですし、あれだけ食べても昼食に差し支えはないんでしょうけど、何故お昼前にハンバーガー…? 首を捻りまくった私たちが二階に上がると、キース君はアッサリと。
「食べたかったからに決まっているだろう。…レシートを出せ、払ってやるから」
清算を終えると、キース君は早速クォーターパウンダーに齧り付きました。
「美味い! これこそ娑婆の味だな」
「「「娑婆の味…?」」」
「ああ。道場での自由時間は少なかったが、道場を終えたら食いたいモノを語り合うことが多かったんだ。スペアリブだとかステーキだとか、みんな色々言ってたぞ。…ダブルクォーターパウンダーは俺が羅列した中の一つだったし、見てしまったら食いたいじゃないか」
あの写真、とキース君が指差す先には店の表にあったのと同じポスターが貼られています。みんなの分を奢る羽目になっても食べたいだなんて、どれほど飢えていたんでしょう? 娑婆の味とか言ってますけど、刑務所帰りに匹敵するほど道場の食事は酷かったのかな…?
「…なるほど、それでハンバーガーをねえ…」
会長さんが可笑しそうに私たちを眺め回したのは一時間ほど後のこと。ついさっきマンションの最上階に到着し、ダイニングに案内された私たちの前では一人用の鍋からホカホカと湯気が上がっています。深い鍋の中には詰め物をした小さめの鶏が丸ごと入れられ、白いスープが満たされていて…。
「かみお~ん♪ サムゲタン、じっくり煮込んであるんだよ! 栄養たっぷりで胃に優しいし、キースのお昼御飯に丁度いいかなって思ったんだけど…。ハンバーガーが食べられるんなら他のにすれば良かったかなぁ?」
「いや、俺は…。ポスターの誘惑に負けたってだけで、美味いものなら何でもいいんだ」
頂きます、と合掌をするキース君。私たちも元気一杯に唱和し、柔らかく煮込まれた鶏をお箸でつつき始めました。鶏肉に小皿に盛られた粗塩をつけて食べるのが本場のやり方。詰め物の栗やナツメや高麗人参、もち米などはスープと一緒にスプーンで掬って…。うん、美味しい! ハンバーガーより断然こっちだと思うんですが…。
「キースが娑婆で食べたかった料理のラインナップにサムゲタンは入ってなかったようだよ」
思い付きもしなかったらしい、と会長さん。
「単調な精進料理しか食べていないと、凝った料理は頭に浮かんでこないのさ。…思い出せないと言った方が正しいかな? 食事に関しちゃ刑務所の方がまだマシだろうねえ」
「「「え?」」」
「知らないのかい? 刑務所の食事が不味かったのは昔の話。最近じゃ和洋中と何でもござれで、肉も魚も食べられる。飽きないようにメニューも工夫されてるし…。だけどキースが行ってた道場の方はそうじゃない。精進な上にワンパターンときた。…えっと、大根ステーキだっけ?」
水を向けられたキース君はムスッとして。
「…そいつの名前は聞きたくもない。皆も今頃は綺麗サッパリ忘れているさ」
「そうなのかな? 仮にも大根ステーキだよ? ステーキを食べたいって人は多かったよねえ」
「だから陰口を叩くんじゃないか! 来る日も来る日も出て来やがるから大根ステーキと呼ばれてただけで、あれはステーキなんかじゃない!」
あれっ、大根ステーキっていうのは大根のソテーじゃないのでしょうか? 味付けをして香ばしく焼いた大根なんかを思い浮かべていたんですけど…。お料理上手の「そるじゃぁ・ぶるぅ」も不思議そうにキョトンとしています。
「大根ステーキ、ちゃんとレシピが出回ってるよ? たまに作るけど、コンソメで煮込んでおくのがコツなんだよね。味がしみたらバターとお醤油でカリッとソテー! お肉と違ってカロリー低めのヘルシーメニューで人気があるんだ。…あれもステーキだと思うんだけど…」
お豆腐ステーキなんかもあるでしょ、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」。ほらね、やっぱり大根ステーキというお料理があるじゃないですか! けれどキース君は「甘いな」と眉間に皺を寄せて。
「精進料理にコンソメは不可だ。鰹節も煮干しも使えないんだぞ? 醤油はともかくバターが駄目だし、そんな環境でぶるぅが言ってる大根ステーキが作れるとでも? …あれはな…、誰が言い出したのかは記憶に無いが、これが大根ステーキだったら…という願望から出た因縁の名だ」
「「「因縁?」」」
「ああ。大根ステーキと呼んでやるから成仏してくれ、という俺たちの気持ちが籠っていた。成仏したら二度と出ないし、別のメニューになるだろう? それくらい何度も出てきた料理だ。…食事といえば大根ステーキ! その正体はステーキどころかアッサリ味の大根の煮付け」
田楽味噌すら付かなかった、とキース君は顔を顰めました。薄味の大根の煮付けがメインディッシュで、それとタクアン、お味噌汁。飽きるほど繰り返された挙句に『大根ステーキ』と渾名がつけられ、成仏してくれと言われていたとは凄いです。御飯のお代わりは自由だったそうですけども、おかずがそこまでワンパターンでは…。
「あれで飯を食うのは三杯くらいが限界だった。ふりかけも海苔も置いてなかったし、せめて塩でもあったなら…。こんな風にな」
キース君はサムゲタンの柔らかく解れる鶏肉に小皿の塩を付け、口に含んで味わって。
「サムゲタンか…。娑婆には美味い料理が溢れ返っているというのに、大根ステーキしか食っていないと思い出せなくなるんだぜ? 辛うじて記憶に残った料理も、道場が終わって食べに行ったら食えなかったという話が多い。あの道場は俺たちの胃を精進料理向けに無理やり変えてしまうんだろうな」
「え、そうなの? でも…。さっき、美味しそうに食べてたじゃない」
ジョミー君がハンバーガー店での出来事を指摘しましたが、キース君は。
「三日も経てば胃袋も勘を取り戻すさ。…昨日までなら普通のハンバーガーが限界だったという気がするぞ。一緒に道場に行った同期のヤツらが打ち上げパーティーをやったらしいが、ビール1杯で泥酔したとか、焼肉の匂いで胸やけしたとか…。終わったその日に行くからだ」
その点、俺は恵まれていた……とキース君。
「親父が祝いの席を設けてなければ、俺も打ち上げに行ってただろう。食えないなんて落とし穴があるとは思いもしないし、親父も先輩も全く教えてくれなかったし…。それでも親父は経験者だから、食えそうな料理を揃えてくれた。リハビリ用のメニューだったようだな、今から思えば」
「あの料理は確かに絶品だったね」
会長さんが相槌を打ちました。
「見た目も素材もゴージャスなのに、味はあっさり上品で…。三週間も精進料理だけで過ごした君の胃袋に負担をかけない優しい料理! アドス和尚とイライザさんの気配りが分かるメニューだったよ。…ぶるぅのバースデーケーキはどうしようもなかったみたいだけれど」
「ケーキだけにな…。祝い事だし、と思って食ったが胃にもたれたぞ。俺の祝いの席なのに…」
ちゃっかり便乗しやがって、と文句を言いつつ、キース君は嬉しそうです。私たちが璃慕恩院まで出迎えに繰り出したことや、ジョミー君とサム君が元老寺の檀家さんたちに『未来のお坊さん候補』と紹介されたことが心強かったと語っていますし、一人前のお坊さんとしてやっていくには人との絆が大切なのだと自覚したとか…?
昼食を終えた私たちは「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお手伝いがてら食器などを片付け、リビングに移動してプレゼントの包みを取り出しました。代表のキース君から包みを渡された「そるじゃぁ・ぶるぅ」はワクワクしながら包装紙を開け、中のパジャマを広げてみて…。
「わぁ、アヒルちゃんだぁ! これ、パジャマなの? 着てみてもいい?」
もちろん、と答えると「そるじゃぁ・ぶるぅ」はサイオンを使って一瞬の内にアヒルちゃんパジャマに大変身! 黄色い翼に水かきのついた平たい足。クチバシつきのフードを被って得意そうな姿は可愛すぎです。
「似合ってるよ、ぶるぅ」
アヒルちゃんだね、と会長さん。
「せっかくだから明日のパーティーもその格好で出てみるかい? 仮装パーティーじゃなくても可愛いアヒルは大歓迎だ」
「え、でも…。このパジャマだと動きにくいよ? 袖だってこんな形だし…。上からエプロン着られないから、お皿を洗うにはタスキが要るよね」
「ぶるぅが家事をするんだったら、動きやすさも大事だけどさ。心配しなくても大丈夫だよ、明日は助っ人を呼べばいいんだ。…ほら、これ。忘れてた?」
会長さんがテーブルに置いたものは。
「「「!!!」」」
「…なんだ、これは?」
キース君以外の全員が息を飲みました。すっかり忘れていましたけれど、こういうヤツがありましたっけ…。
「おい、お願いチケットなんて俺は初耳だぞ? 午前十時から午後三時まで有効です…って、こんなモノを何処で手に入れた? そもそも使い方がサッパリ分からないんだが」
矢継ぎ早に質問してくるキース君に、会長さんが。
「身体を張ってゲットしてきた先生方からのお歳暮だよ。キースの分まで頑張ろう、ってね。もうあの時は大変で…」
こんな感じ、と思念で情報を伝達されたらしいキース君は唖然呆然。
「俺が道場に行ってる間にそんな行事があったのか…。で、手に入れたのはともかくとして、それを使ってどうするつもりだ? 明日のパーティーの助っ人に…と聞こえたんだが?」
「そうだよ。ぶるぅの誕生日とクリスマスを一緒に祝おうというのが明日のパーティーの目的なんだし、ぶるぅは主役。大好きなアヒルちゃんになれるパジャマを着せてあげたいと思わないかい? パジャマでは家事が出来ないとなれば、助っ人を呼ぶのが一番だよね」
これを活用する時だ、と会長さんは『お願いチケット』を右手の中指と人差し指の間に挟んでヒラヒラさせて。
「午前十時から午後三時まで。パーティーを楽しむには充分だろう? 使い道を色々考えてたけど、ぶるぅを家事から解放するのもいいかもしれない。…それでどうかな?」
えっと。お願いチケットは指名した先生がお願いを聞いてくれるというのが売りでした。パーティーの裏方をお願いしたって全く問題ないでしょう。会長さんがどう使うのかと心配していたチケットですが、「そるじゃぁ・ぶるぅ」を家事から解放するというなら平和利用と言えますよね?
「…ぼくは賛成」
ジョミー君が右手を上げ、シロエ君たちが続きました。スウェナちゃんと私も頷き、最後にキース君が「そうだな」と短く呟いて。
「ぶるぅの誕生日とクリスマスを当日に祝い損なったのは俺が留守にしていたせいだしな…。仕切り直しになってしまった分、ぶるぅには存分に楽しんで貰うのが筋だろう。アヒルちゃんパジャマを着ていられるよう、家事は助っ人に任せるべきだ」
「じゃあ、決まりだね?」
会長さんはニッコリ微笑み、チケットの裏に書かれた注意書きをチェックすると。
「学校への届け出は特に必要ないらしい。…指名された先生が任務終了後に校長先生に業務報告するようだ。休日出勤みたいなもので特別手当が出るんだろうね。だったら遠慮なく行使しなくちゃ。…さてと、ハーレイは明日は暇かな?」
あぁぁぁぁ。やっぱり教頭先生ですか! 会長さんは早速、教頭先生に電話をかけて交渉開始。首尾よく明日のチケットの使用許可を得ると、満足そうに受話器を置いて。
「これでオッケー。パーティーの裏方はハーレイだ。…お手伝い券を思い出すよね、あの時みたいに家事を沢山溜め込んじゃおうか? 掃除も片付けも一切合財放置とかさ」
「「「………」」」
お歳暮が今の形式になった元凶の事件が『お手伝い券』。あの悪夢を再び教頭先生に味わわせようという会長さんは鬼でした。けれど、その程度のことで済むのであれば充分に平和利用です。きっと今頃、教頭先生もパーティーの裏方で済んで良かったと胸を撫でおろしているのでしょうし…。とりあえず今夜は焼肉パーティー! 教頭先生に洗わせる食器はそんなに多くはならない…かも?
お願いチケットの使い道を決めた会長さんは家事を溜め込み始めました。ティータイムに使ったお皿や茶器がキッチンのテーブルに放置されたのが最初です。お菓子の食べこぼしも放っておこうとしたのですけど、こちらの方はキース君が「耐えられない」と言い出して…。
「ぶるぅに掃除をさせられないのなら俺がやる! なに、掃除機は禁止だと? だったらアレだ、コロコロだ! カーペットクリーナーと言うんだったか、アレは何処だ!?」
キース君が探し始めたのはコロコロ転がして掃除する粘着式の道具です。家事万能で綺麗好きな「そるじゃぁ・ぶるぅ」は何かあるとサッと取り出して掃除しますし、この家の何処かにある筈ですが…。
「…コロコロなら此処にあるけどねえ?」
あちこちの戸棚などを開けまくっているキース君に、会長さんが溜息をついてコロコロを宙に取り出しました。
「掃除道具一式は奥の納戸に収納されてる。お客様の目に触れにくい場所に仕舞っておくのは常識だよ。…でも、なんで掃除にこだわるんだい? 食べこぼしくらい放っておいてもゴの字は出ないさ、普段は綺麗にしているからね」
「ゴキブリが出るか出ないかは関係ない。掃除はきちんとしておくべきだ、と言っているんだ。…道場では掃除も修行の内だったからな、割り当ての場所が汚れていたら罰礼が…」
「「「ばつらい?」」」
なんですか、それは? 罰とつくからには失敗を償うための罰ゲームみたいなものでしょうけど、校外学習で行った恵須出井寺の座禅みたいに棒でビシバシ叩かれるとか…? 会長さんとキース君の宗派に荒行は無いと聞いていたのに、この様子では存在するとか…? キース君が掃除をせずにはいられなくなるほど怖い何かが…?
「罰礼か…。そういえばあったね、そんなものが」
懐かしいなぁ、と会長さん。
「今でも派手にやってるわけか。百回かな? それとも千回?」
「…三百回だ」
キース君が苦々しい顔で吐き捨て、会長さんからコロコロを奪い取って掃除を始めます。床に膝をついて丹念に絨毯をコロコロやっているキース君を横目に、会長さんが。
「ぼくの頃よりも甘くなったね、三百回なら。…千回なんて普通にあったし、数千回でも文句は言えない時代だったし…。まあ、ぼくは一度も食らったことはないけどさ」
「ブルー、罰礼って何なんだよ?」
サム君の問いに、会長さんはニヤリと笑って。
「五体投地は知ってるだろう? 南無阿弥陀仏に合わせて立ったり座ったりするヤツさ。…あれを何百回、何千回とやるのが罰礼。…サムとジョミーは五体投地を体験済みだし、みゆとスウェナにも璃慕恩院でぶるぅが見本を見せたよね? マツカとシロエ用に分かりやすく言うなら、ヒンズースクワットに土下座をプラスって感じかな」
「「「!!!」」」
げげっ。掃除を疎かにすれば五体投地を三百回とは…。キース君が掃除に燃える筈です。焼肉パーティーの後もキース君はダイニングやキッチンの床を一人で掃除し、放置されたのは食器だけ。えっ、「そるじゃぁ・ぶるぅ」はどうしたのかって? 会長さんが家事は不要と言い切った以上、家事をしないのが『いい子』の条件。アヒルちゃんパジャマ姿でのんびりしてます。
「よし。いい感じに溜まってきたよね、食器がさ」
キッチンのテーブルに山と積まれたお皿を数える会長さん。焼肉パーティーはバラエティー豊かなタレが用意され、それぞれのタレに合わせてお皿の数も増えたのです。教頭先生、片付けだけでも大変そうなのに、明日はパーティーの裏方まで。ひょっとして料理もさせるとか…? 私たちが顔を見合わせていると、会長さんは。
「…料理はとっくに注文済みさ。素人料理じゃパーティー気分になれないだろう? ぶるぅの誕生日とクリスマスパーティーの仕切り直しだよ? 味も見た目も豪華でないとね」
ハーレイの料理は地味なんだ、と言われてみれば確かにそうかも…。特別生になって初めてのお歳暮で教頭先生の家に泊まりに行く権利を貰いましたが、あの時の料理はビーフストロガノフとピロシキでした。しかも教頭先生は「これが精一杯」だと自分で言っていたのです。
「思い出してくれた? パーティー料理には向いてないのさ、ハーレイの料理。…明日は思い切り皿洗いと裏方で苛めなくっちゃ。そうそう、ゲストルームの掃除なんかもやらせようかな? キースもそのくらいなら放置出来るだろ?」
「………。それは命令か?」
「そうなるね。ゲストルームは朝、起きてきたら戻る必要は無いんだし…。キッチンやリビングほどには気にならないと思うんだ。…あ、そういえば君は今回、一人部屋を希望だったかな?」
「「「一人部屋!?」」」
アッと驚く私たち。会長さんの家でのお泊まり会で一人部屋というのは過去に一度も無いのです。それにキース君、一人部屋を希望だなんて言っていないと思うんですけど…?
「…キース、一人部屋って、どういうわけで?」
尋ねたのはジョミー君でした。男の子たちは全部で五人。基本はジョミー君とサム君で一部屋、柔道部三人組で一部屋ですけど、ジャンケンやクジで部屋割を変えていることもあります。ゲストルームが多いですから一人部屋は可能でしたが、賑やかなのが好きな男の子たちは一人部屋どころか五人部屋を作っていることも…。なのにキース君が一人部屋を希望となれば、訝しむのも当然でしょう。
「……それが……。俺にも色々と事情があって……」
話したくない、と黙り込んでしまうキース君にシロエ君が。
「…事情があるってことは、本当に一人部屋を希望なんですよね? どうしたんですか、キース先輩? 先輩らしくありませんよ」
「らしくない…か。それはそうかもしれないが…」
だが、とキース君は言葉を切って。
「みんなに迷惑をかけたくないんだ。俺と相部屋になってしまうと恐ろしいことになる……かもしれない」
「「「は?」」」
「ブルーには筒抜けになってるようだが、道場での三週間が俺には色濃く染みついている。霜焼けだって未だに治っていないし、この霜焼けが完治するまでは誰かと同室というのはちょっと…」
え。霜焼けが治らない間は一人部屋を希望って、そんな理由がアリですか? 霜焼けって何か発作がありましたっけ? 痛いか痒いかの二者択一だと思ってましたが、痛いのと痒いのが酷くなったら無意識に飛び起きて暴れ出すとか…?
「……キース、みんなに勘違いされてるみたいだよ? 霜焼けのせいで一人部屋だ…って。霜焼けの発作って聞いたこともないけど、そういうモノでも起こすのかい、君は?」
会長さんがクスクス笑っています。
「物事は正確に伝えないとね。…霜焼けが治る頃まで道場の体験を引き摺ったままになりそうだ、って思ってるだけの話だろう?」
「あ、ああ…。まあ……。そういうことになるんだろうな」
とにかく今は相部屋というのはマズイんだ、とキース君が繰り返した時。
「…ふうん? 相部屋だと何が起こるわけ?」
気になるよねえ、という声が聞こえて空気が揺れて。
「こんばんは。キース、道場終了おめでとう」
フワリと姿を現したのは紫のマントのソルジャーでした。
「君たちの世界にはいつもお世話になっているから、御礼代わりに霜焼けの薬を分けてあげようと思ってね。これを塗っておけば一晩で治る。痛みも痒みも収まる筈だし、一人部屋だなんて寂しいことを言っていないで相部屋にすれば?」
医学が進んだ世界ならではの特効薬、と軟膏らしきチューブを手にしたソルジャーが近付いてきます。霜焼けの薬を届けにだなんて、本当にそれが目的でしょうか? 特効薬と引き換えに明日のパーティーに参加する気でやって来たとか、如何にもありそうな話でした。…なんと言っても相手はソルジャー。特効薬を受け取るべきか、突き返すべきか、そこが問題ですけども………キース君の霜焼けは特効薬が要るほど重症ですか?
先生からのお歳暮の『お願いチケット』をゲットして迎えた冬休み。けれどキース君はまだ道場から帰っては来ず、私たちは会長さんの家に招かれました。クリスマス・パーティーの前倒しというわけでもないだろうに、と出掛けてゆくと「そるじゃぁ・ぶるぅ」がニコニコ笑顔で。
「かみお~ん♪ ちょっと早いけど、お昼御飯が出来てるよ! 熱い内に食べてね」
ダイニングのテーブルに並んでいたのは「そるじゃぁ・ぶるぅ」お得意のハヤシオムライス。トロトロの半熟卵がたまりません。みんなで早速パクついていると、会長さんが。
「美味しいよねえ、炊きたて御飯ってさ。…キースは毎日、御飯の温かさに感謝する日々」
「「「は?」」」
「道場には暖房が一切無いって言ってるだろう? 貼るカイロだって使えない。今年は何度も雪が降ってるし、璃慕恩院の寒さは半端じゃないよ。そんな中での修行道場で温かいものは食事だけ! だけど精進料理のおかずは冷めてる。お味噌汁だって冷めやすいしね…。御飯の温かさが身にしみるのさ」
それは厳しい、と私たちは自分のお皿を眺めました。ハヤシオムライスは焼き立ての卵にふんわり包まれ、中の御飯も熱々です。部屋には暖房が効いていますし、おしゃべりしながら食べていたって簡単に冷めはしませんけれど……もしも暖房が無かったら? 出来たてのヤツじゃなかったら…?
「キースってさあ…」
ジョミー君がスプーンでソースと半熟卵を混ぜながら。
「精進料理しか食べていないんだよね? もしかしなくても痩せてたりする? 冷めたおかずじゃ食事もイマイチ進まないよね」
「……ジョミー……」
会長さんが呆れたように。
「道場の食事にお代わりがあると思うのかい? 今の言い方だとそう聞こえるけど?」
「えっ、無いの!? ぼくとサムとが行ったヤツだとお代わりするのは自由だったよ、薄味で美味しくなかったけどさ。…そうだよね、サム?」
「うん。飯でも何でも好きに食わせて貰えたよな」
お腹が空くし、とサム君が応じましたが、会長さんは。
「それは修行体験ツアーだからだよ。高校生までの子供向けだし、育ち盛りに食事の量を制限するのは可哀想だろ? だけどキースの道場は違う。食事も修行の内なんだ。お代わり出来るのは御飯だけさ。自分を律することを覚えないとね」
「「「………」」」
「だから道場は当たり外れが大きいんだよ。食事内容は寒い年でも暖かい年でも変わらない。つまりカロリーを多めに摂るには御飯しか無いってわけなんだけど、今年みたいな寒波ではねえ…。エネルギーの消費量がグンと上がると思わないかい? おかずの量が増えない以上、御飯を詰め込むにも限度があるし」
えっと。それってキース君が激ヤセしてるって意味なんでしょうか? いくら柔道で鍛えていたって、食事の量が足りないのならマズイかも…? 私たちが顔を見合わせていると、会長さんがクッと笑って。
「体重はそんなに減らないんだよ、必要最低限の栄養は取れるようになっているからね。…ただ、カロリー不足は血行不良を招くんだ。手足の末端にモロに出る。つまり霜焼け。キースも苦労しているようだよ」
あちゃ~。キース君、霜焼けになりましたか! ん? 会長さんが知ってるってことは、道場を覗き見してるとか? それとも璃慕恩院の老師とのコネで情報が逐一入ってくるとか…? 会長さんは悪戯っ子の笑みを浮かべて。
「覗き見してるに決まってるだろう? キースは思念波も拒否してるけど、ぼくには関係ないことだしね。…それでさ、今度の日曜日がクリスマス! 道場が終わる日なんだよ。みんなで璃慕恩院まで出迎えに行ってあげたいな。そしたら元老寺での祝賀会にも混ぜて貰える」
「「「祝賀会?」」」
「そう。アドス和尚が色々と計画してるってキースが言っていたじゃないか。…お迎えに出掛ける交渉をしに、食事が終わったら元老寺! きっと喜んで貰えるさ」
「「「えぇっ!?」」」
私たちの悲鳴は綺麗にスルーされました。クリスマス・パーティーと「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお誕生日パーティーの仕切り直しを相談するのだと信じていたのに、元老寺? クリスマスにはキース君を迎えに璃慕恩院まで出掛けるだなんて、絶対何かが間違っていると思うんですけど~!
元老寺はアルテメシア郊外の山麓にあるお寺でした。そこから更に山奥へ行くと璃慕恩院に辿り着きます。この好立地のお蔭で元老寺の除夜の鐘撞きは人気らしいのですが、まだ大晦日ではありません。それに今はキース君も留守で、なんだか敷居が高いような…。けれど会長さんは遠慮などとは無関係。
「敷居が高い? ぼくを誰だと思っているのさ」
分乗してきたタクシーから元老寺の山門前に降り立った会長さんは石段をスタスタ上ってゆきます。早くおいで、と手招きされては逆らえる筈もないわけで…。一直線に庫裏に向かった会長さんはインターフォンを押しました。間もなくドスドスと足音が聞こえ、庫裏の扉がガラリと開いて…。
「これはこれは…。ようこそお越し下さいました」
墨染めの衣のアドス和尚が会長さんに深々と頭を下げます。
「昨夜お電話を頂戴しまして、イライザとお待ちしておったのですが…。もしや倅が御迷惑でも?」
「まさか。キースはよくやってるよ、霜焼けに悩まされてるみたいだけれど。…今日はそのことで相談に」
「は? 霜焼けが酷いのですか?」
「いくらぼくでも霜焼けまではフォローしないよ。…それより此処も寒いんだけど」
さっきから雪がチラチラ舞っています。アドス和尚は「失礼しました」と謝りながら私たちを奥へ案内しました。広いお座敷は暖房が心地よく、イライザさんが熱いお茶とお菓子を運んできます。会長さんは畏まっているアドス和尚とイライザさんに。
「そんなに恐縮されてもねえ…。今日は銀青として来たわけじゃないし、もちろんソルジャーの方でもない。キースの友人として扱ってくれると嬉しいな。実はね、道場の終わる日に皆で迎えに行きたいんだよ」
「迎え…と仰いますと?」
キョトンとしているアドス和尚に、会長さんは可笑しそうに。
「決まってるじゃないか、文字通りさ。元老寺からは檀家さんも迎えに出るんだろう? それとは別にシャングリラ学園の生徒会長として迎えてやりたい。一応、長老たちにも打診はしたよ。学校行事とは関係ないけど名前を出しても構わないか、って」
「名前…ですか?」
「そう。せっかくだから幟を持って行きたいしね。…元老寺からの許可が下りたら作れるようにお願いしてある。それで、どうかな? ぼくたちも迎えに行ってもいいのかい? 祝賀会の手配は済んでるみたいだけれど」
「あ…! こ、これは大変な失礼を…」
アドス和尚の額に大量の汗が噴き出しました。
「ぎ、銀青様には倅がお世話になっているというのに、お招きするのを忘れるとは…。これ、イライザ! 大至急、追加の手配をするんじゃ! 皆さんでお迎えに行って下さるのじゃから、八人分でな」
「はい!」
慌てて立ち上がるイライザさんに、会長さんが。
「ちょっと待って。…ここの近くにケーキ屋さんはあるのかな?」
「ケーキ屋さん…ですか?」
「うん。その日はぶるぅの誕生日でね、パーティーをする予定だったんだ。だけどキースが出掛けてるから中止になった。…別の日に仕切り直しをするつもりだけど、小さな子供にお預けっていうのは酷じゃないか。ケーキだけでも用意したくて…。もちろんお金はぼくが払うよ」
「いえ、そんな…! お誕生日とは存じ上げなくて…。ケーキは用意させて頂きますわ。大きい方がよろしいですわね?」
特注します、とイライザさんはお座敷を出てゆきました。会長さんったら、祝賀会にこの人数を押し込んだ上にケーキまで…。どうせ最初から自分でお金を払うつもりはないのでしょうけど。
『決まってるじゃないか。特別扱いは大いに活用しないとね。…ぶるぅのバースデーケーキも確保できたし、目標達成!』
そんな思念を送って寄越した会長さんはアドス和尚と打ち合わせをして…。
「じゃあ、当日は璃慕恩院で合流って形でいいね。ぼくはもちろん衣で行くけど、サムとジョミーはどうしよう? 二人とも得度してるんだ。輪袈裟だけでも着けさせようか?」
「な、なんと…。お二人とも得度なさいましたか! では、いずれは倅を助けて頂けるので…?」
「それもいいかもしれないね。だったら輪袈裟は装備ってことで」
ジョミー君が抗議の声を上げかけましたが、会長さんはサクッと無視。クリスマスの日は璃慕恩院までキース君を迎えに行くことが決定しました。アドス和尚とイライザさんは緋の衣の会長さんが来てくれるとあって大感激です。今年のクリスマスは抹香臭くなりそうですけど、キース君にとってはお目出度い日ですし、仕方ないかな…。
キース君の祝賀会への出席権を勝ち取った会長さんは御機嫌でした。御自慢の緋の衣だって披露出来ますし、璃慕恩院でも目立てます。そんなことになっているとはキース君は夢にも思わないでしょうが、会長さん曰く、私たちの出迎え部隊は非常に値打ちがあるのだそうで…。
「考えてもごらんよ、緋の衣だよ? 高僧が出迎えに来ることは普通は無いんだ。孫が可愛いお爺さんが頑張る程度で、そういうケースは滅多に無い。おまけにぼくは見た目がコレ。この若さで緋の衣とくれば、お坊さんならピンと来るさ。あれが伝説の…って」
言われてみれば会長さんは存在自体が伝説です。年を取らない高僧として璃慕恩院では有名で…。特別生になってすぐに出掛けたキース君の大学でも噂を知っている学生さんがいましたし、本職のお坊さんなら尚更でしょう。その伝説の高僧がキース君の出迎え部隊。これは注目されそうですよ~!
「だろう?」
会長さんは得意そうです。私たちは元老寺から引き揚げ、会長さんの家のリビングでティータイム中。ケーキに焼き菓子、クッキーなどはイライザさんが持たせてくれたもので、「そるじゃぁ・ぶるぅ」のバースデーケーキを特注したケーキ屋さんが元老寺に届けにきたのでした。
「キースにとって道場が終わる日は晴れ舞台! 盛大に迎えてあげなくちゃ。間違っても坊主頭を笑ったりしちゃいけないよ。…元老寺の跡取りとして丁重にお迎えするのが筋さ。サムとジョミーは輪袈裟を忘れずに持ってくること!」
「…どうしても着けなきゃダメなわけ?」
ジョミー君は心底嫌そうですけど、会長さんは事も無げに。
「得度したんだから、それくらいは…ね。得度なんかしてない人でも、お寺の仕事を引き受けたりすると輪袈裟を着けるよ? そうそう、わざと忘れて来たって無駄だから! 瞬間移動で取り寄せるまでだ」
「…分かったよ…」
気の毒なジョミー君はクリスマスの日に輪袈裟姿を披露することになってしまいました。学園祭でやってた坊主カフェでのお坊さん姿に比べれば輪袈裟くらいは可愛いものだと思うのですけど、お寺の行事に巻き込まれるのは御免みたいです。けれど…。
「ジョミー、元老寺での祝賀会では君のお披露目もするからね。まだ見習いだけど将来的にはキースの力になるってことで」
「えぇっ!?」
「アドス和尚が期待していたのを忘れたのかい? キースを助けてくれるのか、って訊いてたじゃないか。君もサムもお寺の息子じゃないから、元老寺にコネをつけておくのも良さそうだ。うん、我ながら名案だよ」
これで二人の未来は安泰、と会長さん。
「普通の家に生まれた人がお坊さんになった時に何が困るって、就職先さ。もちろん普通の仕事ならある。会社員でも先生でもね。…だけどお寺の求人はとても少ない。見つかっても檀家さんもいない小さなお寺の住職だったり、苦労することが多いのさ。その点、元老寺となれば安心だ」
宿坊もやってるくらいの安定経営、と会長さんは微笑んで。
「それにキースもアドス和尚も年を取らない。…ジョミーもサムも同じだよね? 年を取らないお坊さんが四人もいるってことになったら評判も高くなると思うよ。新しい檀家さんだって増えそうじゃないか。元老寺は今より栄えるさ」
「ぼくはお坊さんになる気はないんだってば!」
ジョミー君が叫びましたが、会長さんはジロリと睨み付けて。
「その台詞、元老寺の檀家さんたちの前で言ったら許さないよ。キースのお祝いの席が白けるだろう? 大人しく黙って聞いていれば良し、そうでなければ…。ぼくがその気になったら君を本物のお寺に放り込むくらいは朝飯前だ。シャングリラ学園は休学だね」
住み込みの修行と伝宗伝戒道場を終えるまで戻って来るな、と言われてジョミー君は震え上がりました。会長さんに逆らったら最後、お坊さんコース一直線になるのですから。
「わ、分かったよ…。大人しくするよ」
「分かればいい。まあ、百年後くらいには立派なお坊さんになっててくれると嬉しいけども。…サムと一緒に修行するのが一番だろうと思うんだけどねえ…。どう思う、サム?」
「えっ? そりゃ俺だってジョミーが同期だと何かと心強いけど…。でもジョミーだしなぁ…」
そう簡単には修行を始めそうにない、とサム君は諦め口調です。そりゃそうでしょう、ジョミー君ときたら、強制的に得度させられてから未だに一度も会長さんの家での朝のお勤めに出ないのですから。そんなジョミー君まで輪袈裟を着けてのキース君のお出迎えとは、本当にハレの日なんですねえ…。
道場が終わる前日はクリスマス・イブ。会長さんの家ではフィシスさんを招いてのクリスマス・パーティーが開かれたものと思われます。招かれなかった私たちはファミレスで食事をしてからカラオケに繰り出し、楽しく騒いでいましたけれど。
『いい加減に家に帰らないと明日は早いよ?』
会長さんからの思念波が届き、カラオケは早々にお開きになってしまいました。道場での最後の儀式が始まるのは午前九時半。お迎え部隊はそれまでに璃慕恩院に着かないといけないのです。ですから会長さんのマンション前に朝の八時に集合で…。クリスマスのイルミネーションが輝く街に名残は尽きませんでしたけど、遅刻なんかをしようものなら大惨事。
「あーあ、明日になったらお坊さんだってバレるのかぁ…」
悲しげに呟くジョミー君に、シロエ君が。
「大丈夫ですよ、そのくらい! キース先輩だって逆らい続けて長かったですし、ジョミー先輩はお寺の跡取りじゃないわけですし…。お坊さんなんて名前だけだって開き直ればいいんですよ」
「そっか。キースでも反抗してたんだもんね、ぼくにも逆らう権利はあるよね!」
ジョミー君は勢いづきましたが、マツカ君が遠慮がちな声で。
「でも……明日は逆らわない方がいいですよ? 元老寺の檀家さんの前でそれを言ったら会長が…」
「そ、そうだっけ…。お寺に放り込むって言われたんだっけ…」
ヤバイ、と肩を竦めるジョミー君の背中をサム君がバン! と叩きました。
「いいじゃねえかよ、お寺でもさ。俺は全然気にしてないから、年明け早々に修行に出されてもかまわないぜ? 一緒に行ってやるよ」
「…ふうん? サムはブルーに会えなくなっても平気なんだ…」
ジョミー君の言葉にウッと詰まるサム君。
「ちょ、ちょっと待ってくれよ! そ、そうだよな、修行に行ったらブルーとお別れなんだよな…。お、俺、まだそこまで決心できてないし! ジョミー、明日は余計なことを言うんじゃないぞ!」
分かったな、と念を押すサム君は、ジョミー君よりは仏道修行に熱心でしたが、どうやら下心の方が大きいようです。会長さんと公認カップルを名乗るようになって三年近く、デートの代わりに朝のお勤めに行くのですから健全なのか健気なのか…。サム君もジョミー君も住職の資格をゲットするまでの道は遠そうでした。でも…。
「キースのヤツ、ついに取っちまうんだなぁ…。住職の資格」
サム君が夜空から落ちてくる雪を感慨深げに見上げます。
「毎日九時半就寝だっけ? もう寝る準備をしてるよなぁ…。明日はお勤めと秘密の教えを伝授される儀式だけだってブルーが言ってたし、修行は全部済んだってことか。あいつ、すげえよ」
「…そうだね。自分で選んだ道だもんね…」
やり遂げたよね、とジョミー君。私たちは特別生を三年近くやってきたというだけですけど、同じ三年の間にキース君は大学に行って、明日には一人前のお坊さんになるのでした。そう考えると出迎えに行くのが当然だという気がしてくるから不思議です。クリスマス・イブもパーティーも無しで頑張っているキース君の道場、今夜は冷え込みが厳しくならないといいな…。
翌朝、アルテメシアの街は雪にすっぽり覆われました。璃慕恩院のある山の方角も真っ白です。そんな中、会長さんのマンションに行くと、駐車場で「そるじゃぁ・ぶるぅ」が嬉しそうに跳ねていて…。
「かみお~ん♪ 見て、見て!」
サンタさんに貰ったんだ、と顔を輝かせる「そるじゃぁ・ぶるぅ」の胸元で揺れているのはアヒルちゃんのペンダント。小さな両手では包み込めないサイズですからペンダントにしては大きめかも? 朝日と雪の光を反射してキラキラ、ピカピカ光っています。
「これね、動くとピカピカ光るんだって! ほら、ピョーンって跳ねるとよく光るでしょ?」
あ、確かに。それでさっきから跳ねていたのか、と私たちは素直に納得です。元気一杯の子供にピッタリのプレゼントでした。それを用意したらしい会長さんは八時ちょうどに緋の衣を着て駐車場に姿を現し、隅の方で時間待ちをしていたタクシーが脇に停まります。
「やあ、おはよう。みんな時間どおりだね。サムとジョミーは輪袈裟は持ってる?」
「おう!」
「う、うん…」
「よろしい。それじゃタクシーに分かれて乗って。璃慕恩院は寒そうだよねえ。世間じゃホワイト・クリスマスだけど、キースの霜焼けには酷だったろうな」
会長さんはクスクスクス…と笑いながら貼るカイロを配ってくれました。璃慕恩院の辺りは昼間でも予想気温が2℃なのだそうです。タクシーに乗り込み、元老寺の近くを通って山に入ると雪は一層深くなって…。
「うわぁ~、寒っ!」
耳が千切れそう、とジョミー君が悲鳴を上げたのは璃慕恩院の山門前。会長さんが山門を見上げ、周囲の様子を見回しながら。
「この寒さだと境内で待つというのは厳しいかな? とりあえず最後の儀式に行くのを見送ってから、あっちの会館に避難しようか」
参拝者用の広い駐車場の隣に鉄筋の三階建ての建物が。宿坊だそうで、出迎え部隊も何組も泊まっているようです。アドス和尚や檀家の人たちは既に本堂前でキース君の登場を待っているとか。
「こっち、こっち。うわぁ…。けっこう人が来てるね」
雪景色の中、大きな本堂の前に大勢の人が集まっています。墨染めの衣のお坊さんや輪袈裟を着けた人が何人もいて、アドス和尚らしき後ろ姿も最前列に。サム君とジョミー君が慌てて輪袈裟を着けた所へ…。
「どうぞ、こちらへ」
何処からか現れた若いお坊さんが会長さんに声を掛けました。
「老師が中へどうぞと申しております。…暖房も用意してございますので」
うわぁ、出た! 出ましたよ、会長さんの緋の衣の威力ってヤツが! 暖房つきとはラッキーな…。私たちは関係者以外立ち入り禁止な雰囲気の入口から奥へ通され、暖かい部屋に案内されて。
「そこの窓から本堂へ向かう列が見られます。…ごゆっくりどうぞ。お帰りはお好きに、と老師から仰せつかっております」
「すまないね。…じゃあ、帰りは勝手に帰るから」
ありがとう、と会長さんが言うと、お坊さんは心得たように姿を消しました。暖房が効いた和室の机にはポットが置かれ、「そるじゃぁ・ぶるぅ」が早速お茶を淹れ始めます。お饅頭も用意されていて至れり尽くせり。会長さんは満足そうに…。
「来るとは言っておかなかったけど、キースが道場に入ったことを老師は知っているからねえ…。ぼくが来るかも、と用意してたか。…持つべきものは友達だよね」
以心伝心、と会長さんはお茶を啜って。
「うん、美味しい。温かいお茶は嬉しいよね。…さてと、そろそろキースが来るかな」
廊下の彼方からお念仏の唱和が聞こえてきます。会長さんに手招きされて廊下を覗ける窓の方へ行くと、お坊さんの行列がやって来るのが見えました。墨染めの衣に茶色の袈裟。きちんと合掌して姿勢よく歩くお坊さんたちの中にキース君も混じっているのでしょうけど、この距離ではちょっと分からないかも…。
「分からないかな? 先頭から二人目がキースだよ。まあ、あの頭だと無理もないか…」
「「「えぇっ!?」」」
あのツルツル頭がキース君? 前から二人目って言われても…。本当かな、と疑っていた私たちですが、近付いてくるとそれは確かにキース君。真剣そのものの表情は普段とはまるで違っていました。一人前のお坊さんになろうというのですから、そうでないと有難味が無いですけれど。
「本堂で秘密の教えを伝授されれば、お坊さんとして一人立ちできる。…アドス和尚たちは本堂の前でそれを見守ってるってわけ。この寒い中をご苦労様だね、霜焼けキースには負けるけれども」
あの足袋の下は真っ赤だよ、と会長さんがキース君の足許を指差します。そんな気配を微塵も見せないキース君は流石でした。今だって雪がちらついてるのに、手を真っ赤にして合掌して…。行列が本堂の方に消えると会長さんは大きく伸びをし、お饅頭に手を伸ばしました。璃慕恩院御用達のお菓子で、一般販売は無いのだとか。そういうことなら食べなきゃ損、損。うん、皮と粒餡が絶品です~!
本堂での儀式を終えたキース君は再び行列をして部屋の横を通ってゆきました。この後、開祖様の像がある御影堂にお参りをして、解散になるらしいです。会長さんによるとアドス和尚たちも境内を歩いて御影堂の方に移動したとか。
「ぼくたちの出番は解散式の後なのさ。ぶるぅ、幟の用意はいいかい?」
「うん! ぼくが持つのがいいのかなぁ?」
よいしょ、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」が宙に取り出した紺の幟には『シャングリラ学園』の文字が大きく染め抜かれています。元老寺の檀家さんたちは同じく紺地に『元老寺檀信徒一同』と染め抜いた幟を用意したそうで、キース君が解散式を終えて寝泊りしていた建物を出る時、二つの幟が掲げられる予定。
「幟はシロエに頼もうかな? サムとジョミーは横で合掌」
会長さんの鶴の一声で幟はシロエ君の手に。私たちは時間を見計らって暖かい部屋を出、会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」の案内で迷うことなく元の入口に戻りました。それから雪が融けない境内を移動し、アドス和尚や檀家さんたちと合流して…。
「そろそろ出てくるようですぞ」
アドス和尚の声で檀家さんが幟を掲げました。シロエ君も『シャングリラ学園』の幟を掲げ、やがて建物の扉が開いて…。
「あっ、キースだ! かみお~ん♪ こっち、こっち!」
小さな子供の「そるじゃぁ・ぶるぅ」が飛び跳ねていても叱る人は誰もありません。胸元のアヒルちゃんを揺らして駆けてゆく先には坊主頭で墨染めの衣のキース君が…。無事に修行を終え、住職の資格を手にしたキース君に会長さんが静かに歩み寄りました。
「おめでとう、キース。…よくやったね。みんなで迎えに来たんだよ」
祝賀会が目当てだったなんて匂わせもしない会長さんに、キース君の目尻に光るものが。
「来てくれたのか…。色々あったが、あんたのお蔭で俺は此処まで頑張れた。…感謝している。ありがとう」
深く頭を下げるキース君を檀家さんたちが取り巻いて。
「キース坊ちゃん、おめでとうございます!」
「おめでとうございます、若和尚。よく頑張って下さいました」
口々にお祝いを述べながら檀家さんたちは幟を掲げ、山門の方へと向かいます。他にも出迎え部隊はいましたけれど、緋の衣のお坊さんが混じったグループは皆無でした。どのグループの主役のお坊さんもキース君を羨ましそうに眺めていたり…。
『ほらね、言ってたとおりだろう? 出迎えに来ただけの値打はあるのさ、今日の主役はキースだよ』
会長さんの思念波で初めて気が付きましたが、璃慕恩院の広報役のお坊さんたちが私たちを撮影しています。全国のお寺に配る広報誌に写真が載るのだそうで、サム君とジョミー君の輪袈裟姿も全国区。これで二人もお坊さんデビューを果たしたことになるのでしょうか?
『まだまだだね。輪袈裟だけなら檀家さんだって着けてるじゃないか』
あ、そうか。幟を持ったおじさんだって輪袈裟だし…。
『二人のデビューはキースの祝賀会場さ。まあ、ジョミーがバーストしても困るし、いずれは…って話をしておくだけにするけれど』
それに主役はあくまでキース、と会長さんは謙虚でした。祝賀会の御馳走と「そるじゃぁ・ぶるぅ」のバースデーケーキをゲットしただけで充分だということなのかな? えっ、なんですって?
「今の、聞こえなかったかな? ぶるぅのケーキはイライザさんが特注してくれてウェディングケーキ並みのサイズになったし、御馳走の方は…」
会長さんが口にした店の名前に私たちは目が点でした。アルテメシアでも指折りの高級料亭ですけど、其処の仕出しを八人分も追加させたんですか? おまけに「そるじゃぁ・ぶるぅ」の誕生日を祝うケーキまで…。これで主役がキース君だなんて、舌先三寸としか思えませんが…?
『心外な。…キースにはこれから出世街道を走って貰う。広報誌に写真が載るのは最初の一歩という所かな。璃慕恩院でのお役が付いたら元老寺の方も忙しくなるし、そこをジョミーとサムとでサポート。色々と気配りしてあげるんだ、御馳走くらいは安いものだよ』
目指せエリート! と会長さんはブチ上げています。檀家さんに囲まれているキース君には聞こえていないようですけども、本当に出世できるのでしょうか? でも、とりあえず住職の資格ゲットです。キース君、未来の高僧目指して頑張って~!