シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。
- 2012.02.06 足りない面子・第2話
- 2012.02.06 足りない面子・第1話
- 2012.02.06 役立つ専門家・第3話
- 2012.02.06 役立つ専門家・第2話
- 2012.02.06 役立つ専門家・第1話
それから間もなくキース君の道場入りの日がやって来ました。朝早くに璃慕恩院へ出発だったので私たちは見送りに行っていません。でも会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」はまだ暗い内に元老寺に行き、キース君が出発するのを見届けてきたそうで…。放課後の「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお部屋はキース君の話題で持ちきりでした。
「サイオニック・ドリームは完璧だったよ。何処から見ても立派な坊主頭さ」
会長さんが褒めています。
「道場は三週間もあるからねえ…。その間には髪も伸びるし、頭を剃る日も決まっている。でもキースは上手くやると思うよ、なにしろ人生が懸かってるから」
「キース先輩、とうとう本物のお坊さんになるわけですか…」
シロエ君が感慨深げに。
「お寺だけは絶対継がないって言っていたのに、こうですもんねえ…。もしも会長に出会わなかったら、先輩、どうなっていたんでしょう? 今頃は法律家目指して猛勉強でもしてたでしょうか?」
「いや。…ぼくはキースの背中を押したに過ぎないよ。キースは責任感が強いだろう? 元老寺と檀家さんを見捨てるなんて出来っこないさ。別の道に進んでいても方向転換してたと思う。どう転んでも坊主だよ」
それがお似合い、と会長さんは微笑んでいます。
「さてと、キースは今日から修行三昧! 一に勤行、二に勤行、三に講義の日々なわけ。サムとジョミーが行った修行体験ツアーと同じ建物での寝起きになるけど、条件は遙かに厳しいよ。この寒いのに暖房は無いし、外部との接触は一切禁止。テレビも新聞もダメなんだ。帰って来る頃には浦島だね」
「「「………」」」
会長さんの説明に私たちは声を失いました。どんな重大ニュースがあっても道場には決して伝わらないとか。もちろん携帯電話もネットも禁止。それでも私たちには思念波という連絡手段がありますけれど、キース君は思念波を拒否したそうで…。
「修行に専念したいんだってさ。ぼくの時はぶるぅが寂しがるから少しは使っていたんだけどね…。そういうわけでキースとは三週間の間、お別れだ。カタブツのことは忘れて楽しくいこうよ。まずは期末試験の打ち上げからかな?」
会長さんは「そるじゃぁ・ぶるぅ」が差し出すグルメマップを手に取り、「何処へ行きたい?」と尋ねてきます。キース君がいない間に期末試験があるのでした。特別生は出席義務が無く、成績も一切問われないので、キース君が追試を受けたりすることはありません。ついでに打ち上げパーティーは試験を受けた者の特権です。
「えっと…。何にしようかな?」
ジョミー君が呟くと、「そるじゃぁ・ぶるぅ」が最近行ったお店の話を次々と…。何処も美味しそうで目移りしますが、冬はやっぱりお鍋でしょうか? 寒い道場で修行しているキース君には悪いですけど…。
「ふうん? キースに遠慮しないって意味ではフォンデュなんかもオススメかもね」
これ、と会長さんが指差したのはチーズフォンデュのお店でした。
「修行僧にはチーズなんかはもっての他! 匂いがキツイし、精進料理にチーズは無いし…。なによりカロリーの高さが魅力だ。キースは三食、粗食なんだし」
「かみお~ん♪ 此処のお店は美味しいよ! フォンデュの他にもメニューが色々揃ってるしね」
みんなで食べに行きたいなぁ、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」も乗り気です。お値段がちょっと張りますけども、打ち上げパーティーの費用は会長さんが教頭先生から毟り取るのが定番で…。よーし、期末試験の最終日にはチーズフォンデュを食べに行こうっと!
キース君不在の期末試験は1年A組の教室に会長さんを迎えて何事もなく終了しました。五日間の試験期間中、会長さんはクラスメイトの試験をサポート。全員満点間違いなしとあって、誰もが「そるじゃぁ・ぶるぅ」に大感謝です。会長さんの能力は今も秘密になってますから、満点は「そるじゃぁ・ぶるぅ」の不思議パワーのお蔭と言われているのでした。
「会長、ありがとうございました!」
「そるじゃぁ・ぶるぅに宜しく伝えて下さいね!」
御礼です、とお菓子を渡す女子なんかもいて、会長さんは大人気。みんなでワイワイ騒いでいると教室の扉がガラリと開いて…。
「諸君、静粛に!」
カツカツと靴音も高くグレイブ先生が入って来ました。
「試験が終わって羽根を伸ばしたい気分は分かるが、ほどほどにな。…今日は放課後のパトロール隊も出るのだぞ。調子に乗りすぎて生徒手帳を没収されないよう、気をつけたまえ」
グレイブ先生はツイと眼鏡を押し上げて。
「二学期はまだ終わっていない。終業式の前日までは授業が続く。授業内容は三学期の試験で問われるのだから、祭り気分は早めに抜いておくのだな」
「「「……はーい……」」」
シャングリラ学園では期末試験が終わった後も数日間の授業がありました。でもそんなことは特別生には関係なし! 終礼が済むと会長さんを先頭に教頭室まで押し掛けて行き、お馴染みになった熨斗袋を受け取って…。
「ありがとう、ハーレイ。いつも悪いね」
会長さんの言葉に、教頭先生が穏やかな笑みで。
「それだけあれば足りるだろう? 足りなかったら私の名前でツケにしておけばいいからな。…ところでキースは元気なのか?」
「さあ? 思念波も拒否すると言っていたから放置してある。昨日は雪が積もったからねえ、霜焼けが出来ていたりするかも…。ぼくたちは今日はチーズフォンデュで温まるんだ」
じゃあね、と手を振る会長さん。以前は打ち上げパーティーの費用を毟り取るのにひと騒ぎあったものですけれど、最近は至極平和です。どういう心境の変化でしょうか?
「えっ、特にこれといって理由はないけど…」
打ち上げパーティーのお店に行ってからジョミー君に尋ねられた会長さんはブロッコリーをフォークに刺しながら。
「あえて言うなら、刺激は充分に足りてるから…って所かな。ほら、ブルーが来たりするだろう? ハーレイを巻き込むことも多いもんねえ…。あのドタバタを上回る悪戯は簡単には思い付かないよ。パーティーの費用を毟り取れればそれで満足」
なるほど。確かにソルジャーが出入りするようになってから、教頭先生は受難続きです。先日だってキャプテンが弟子入りしてきて大変でしたし、「ぶるぅ」のママを決める騒ぎに巻き込まれたりもしましたし…。どれも会長さん単独では成し遂げられない悪戯だけに、満足感も大きいのかもしれません。とは言うものの…。
「あ、これも追加にしようかな? 予算オーバーだけど構わないよね」
会長さんはワインリストを手にしていました。目をつけたのは一番高いワインです。私たちはチーズフォンデュの特上コースを注文した上、男の子たちが骨付きステーキとかまで食べているのに、この上、ワイン。悪戯しなくても会長さんは教頭先生の財布に大ダメージを食らわせずにはいられませんか、そうですか…。
「キースは今頃、布団の中かな」
食べて騒いで盛り上がった後、会長さんが腕の時計を眺めています。時間は九時半を回った所でした。道場では五時半起床で九時半就寝。キース君は外界との境は障子一枚という寒いお堂でガタガタ震えているのかも…。
「多分ね。さっきから雪になってるようだし、明日もたっぷり積もりそうだ」
サイオンで外を探っていたらしい会長さん。
「せっかくフォンデュで温まったのに、身体が冷えては元も子もない。タクシーを呼んで貰おうよ。大丈夫、現金は残しておいて足りない分はツケにするから」
うひゃあ、タクシー代まで教頭先生の負担ですか! それでも教頭先生は会長さんにベタ惚れですから、「仕方ないな」と苦笑しながら喜んで払ってしまうんでしょうねえ…。
道場で寒さと戦うキース君の努力を嘲笑うように雪の舞う日が続きました。この分ではホワイト・クリスマスかもしれません。キース君の様子も分からないまま、今日はいよいよ終業式です。講堂で校長先生の長い挨拶を聞き、教頭先生から冬休みの生活の注意があって…。
「クリスマスに正月と楽しい行事が目白押しだが、シャングリラ学園の生徒として節度ある生活をするように。校則もきちんと順守すること。私からの注意は以上だ。…ブラウ先生、続きをよろしく」
「あいよ」
代わってマイクの前に進み出たのはブラウ先生。
「さて。1年生は知らない子たちも多いだろうけど、シャングリラ学園には数年前から恒例の行事があるんだよ。名付けて『先生からのお歳暮』だ」
ワッと歓声が上がりました。初めてお歳暮が出たのは私たちが普通の1年生だった年のこと。その時は「先生が一日みっちり勉強をみてくれる」のが売りの『お手伝い券』というものでしたが、会長さんが逆手に取って教頭先生を「お手伝いさん扱い」にしてしまい…。その結果、お歳暮は翌年から生徒が喜ぶ内容のものに変わったのです。
「今年のお歳暮は貰って嬉しい『お願いチケット』ということになった。大晦日とクリスマス、三が日を除く冬休み期間中に使用可能だ」
「「「お願いチケット…?」」」
「その名の通りさ。貰った生徒は好きな先生を指名して午前十時から午後三時まで、何でもお願いを聞いて貰える。勉強を教えて貰うのも良し、大掃除を手伝って貰うのも良し。…チケット1枚で一名から十名まで利用できるよ。ただし! チケットは男女別に各1枚だけだ」
「「「えぇっ!?」」」
「ええっ、じゃないっ! このチケットは特別なんだ。一名でも利用できると言っただろう? 憧れの先生とデートするのに使ってもいい」
「「「!!!」」」
この一言の効果は絶大でした。ブーイングは瞬時に収まり、みんなの瞳が輝いています。女子に人気のシド先生や、男子に人気のミシェル先生、まりぃ先生。そんな名前が囁き交わされ、ブラウ先生は「正直だねぇ」と呆れた顔で。
「一応、注意しておこう。一名での利用で相手の先生が異性の場合は、支障の出ない範囲で監視要員がつくからね。だけど、それでも充分だろ?」
「「「充分でーす!!!」」」
全校生徒が元気よく答え、私たち七人グループの視線は会長さんの方へ。会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」は朝から1年A組に来ていたのです。もちろんお歳暮目当てだったに決まってますよね、この展開じゃあ…。
『まあね。だけど独占する気は無いよ。ぶるぅを使えば女子のチケットも手に入るけど、どうせグループ利用だしねえ? 女子のチケットは女子に譲るさ』
どんなお歳暮か分からないから二人で来たのだ、と会長さん。すると今年も争奪戦にサイオンは関係ないのかな? サイオン使用禁止な場合は「そるじゃぁ・ぶるぅ」はお留守番になる筈ですし…。
『それも知らない。あ、争奪方法の発表かな?』
シド先生が長さ二十センチほどの棒を持ってきてブラウ先生に渡しました。ブラウ先生はそれを頭上に掲げてみせて。
「いいかい、今年はこの棒をゲットした生徒が勝者になる。争奪戦の会場はこの講堂だ。後ろを仕切って椅子を撤去し、真っ暗にしてから棒を投げ込む」
「「「???」」」
「準備があるから後ろ半分の生徒は前に出な。さあさあ、さっさと立った、立った!」
職員さんが講堂を仕切る作業を始め、椅子の撤去が始まります。前半分に全校生徒が集まった状態は窮屈でしたが、ブラウ先生は気にしていません。
「この程度で狭いなんて言っていたんじゃ、始める前から負け戦だよ? 後ろ半分のスペース全部を使おうってわけじゃないからね。もう半分に仕切るんだ。つまりスペースは講堂全体の四分の一さ」
げ。四分の一って、今いるスペースの半分ですか? そこに全校生徒を詰め込むですって…? ざわめいている会場に向かってブラウ先生は。
「落ち着きな! 真っ暗にすると言っただろう? そんな所へ男子と女子を一緒に詰めるような真似はしないよ。男子と女子は入れ替え制だ。そして、真っ暗な中で棒を探すのは嗅覚だけが頼りなのさ。これは見本だけど、本物の棒には思い切り香が焚きしめてある。匂いを頼りに探すんだね」
ゲットした生徒は講堂を出て、入口の横で待機している先生に棒を渡せばいいそうです。しかし…。
「棒は1本だけしか無い。ゲットした生徒の手から奪い取るのも争奪戦の醍醐味さ。無事に講堂の外に出るまで、棒が自分のものになる保証は無いんだ。見つける方も奪い取る方も頑張るんだね」
健闘を祈る、とブラウ先生がマイクから離れると同時に響いてきたのはサイオンを持つ仲間だけに聞こえるブラウ先生の思念。
『特別生のみんなに注意しとこう。争奪戦でサイオンを使うと反則だよ? 棒にはサイオンの検知装置を仕込んでおいた。誰のサイオンが関与したかも瞬時に分かる。反則技でゲットしたってバレるんだから、正々堂々と勝ち抜きな!』
あちゃ~…。これはマズイです。会長さんなら真っ暗な中でも楽勝だろうと思ってたのに…。案の定、会長さんは「やられた…」と額を押さえていました。
『仕方ない。幸か不幸か女子の部が先になるようだから、ぶるぅに様子を探らせてみよう。どんな感じか見極めてから作戦を練るさ』
会長さんの思念の通り、争奪戦は女子が先だとブラウ先生からの発表が…。困惑しているスウェナちゃんと私に、会長さんは。
「大丈夫だよ、棒をゲットしてこいとは言わないからさ。ぶるぅ、二人をガードしてあげて。押し潰されたりしないようにね」
「かみお~ん♪ 任せといて!」
そっちにはサイオンを使えるよね、と思念で確認している「そるじゃぁ・ぶるぅ」。棒にサイオンを向けることがなければいいのですから、シールドは多分大丈夫でしょう。でも…押し潰されるって、そんなにハードな争奪戦に…? 女子の団体だけに平気じゃないかと思いますけど、どうなのかな…?
女子の部を控え、スウェナちゃんと一緒に「そるじゃぁ・ぶるぅ」を連れて移動した争奪戦の専用スペースは思った以上に狭い空間でした。講堂の後ろ半分の、そのまた半分。女子全員がそこに入るとギュウギュウ詰めに近いものがあります。そんな中で交わされている会話は…。
「やっぱりシド先生を一人占めがいいなぁ…」
「何言ってるのよ、協力しなくちゃ無理だって! それにさ、一対一のデートでなければ監視の先生、来ないんでしょ? そっちの方が絶対お得!」
「そっかぁ、その方が気楽かなぁ?」
「決まってるじゃないの! ここは組むのよ、団結力で勝ち抜くのよ!」
そう来ましたか! あちこちで即席のグループが幾つも組まれているようです。スウェナちゃんが私の方を見て。
「どうするの? 会長さんは様子を見るだけでいいって言っていたけど、一か八かやってみる?」
「うーん…。やってみないと分からないしね? 頑張ってみよう!」
二人で頷き合った所で会場の灯りが消されました。うわっ、真っ暗闇ですよ! 自分の手も見えていないんですけど、出口は何処? あ、非常灯が見えています。棒をゲットしたらあそこに走ればいいんですね…って、真っ暗な中を? 他の生徒も「暗い」「見えない」と騒いでいる中、突然に。
「いくよ!」
ブラウ先生の声が聞こえて天井に近い窓が一瞬だけ開き、何かが落ちてくる気配。そして強烈なお香の匂いが…。キャーッと黄色い悲鳴が上がって、誰かが棒を手にしたようです。途端に周囲の空気がザワッと動いて。
「あっち、あっちよ!」
「向こうよね!?」
最初に声が聞こえた方へと人が殺到し始めました。スウェナちゃんも私も巻き込まれるように押されています。大変、小さな「そるじゃぁ・ぶるぅ」は踏み潰されていないでしょうか?
『大丈夫だよ、ちゃんとシールド張ってるから! みゆとスウェナもシールド要る?』
え、えっと。どうしようかな、と思うよりも先に圧迫感が消え失せて。
『危なそうだし、張っちゃった。ブルーがそうしてあげなさいって。だって…』
凄いことになってるみたい、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」が思念で送ってくれたのは暗闇の中で争奪戦を繰り広げている女子生徒たちの映像でした。棒の奪い合いをしているようですが、棒を持っているのは一人しかいない筈なのに……なんで数ヶ所で激しい争奪戦が?
『移り香ってヤツの仕業だね』
会長さんの思念が流れてきました。
『相当に強烈な香を焚きしめたらしい。一度でも手にしたら最後、匂いが取れないみたいだよ。匂いだけを頼りに探しているから、一度掴んだら目標にされて人が殺到するってわけ。災難だよね』
君たちはやめておきたまえ、と会長さんはスウェナちゃんと私に退避命令を出し、壁際の安全地帯に避難させると。
『ぶるぅに付き添いをさせて良かった。でないと確実に潰されていたよ、棒を取りに行こうと思ってただろう? 棒は男子の部でぼくが頂く。…大体の作戦は立てられたしね。身体を張っての偵察、お疲れ様』
後は任せて、と会長さんは言ってますけど、サイオン禁止なのに果たして勝ち目はあるのでしょうか? あっ、非常口の扉が開きました。女子生徒が一人走り出てゆき、会場に満ちる大きな溜息。歓声を上げる一部の生徒は勝者の生徒と同じグループなのでしょう。『お願いチケット』、どの先生に使うのかな? アルトちゃんでもrちゃんでもなかったですから、教頭先生ではないのでしょうねえ…。
会場から出た女子生徒たちは髪はクシャクシャ、制服も皺くちゃ。けっこう悲惨な姿ですけど、そこで出たのはシャングリラ学園ならではの救済策。ブラウ先生がマイクを握って…。
「ありゃりゃ、やっぱりズタボロだねえ…。ちょうどいいや、ぶるぅが来てるし頼んであげよう。ぶるぅ、直してあげられるね?」
「かみお~ん♪」
パアァッと青い光が走って、女子の制服の皺はたちまち綺麗になりました。スウェナちゃんと私の分も。髪の毛の方は自分で直すしかないようですけど、それくらいは体育の時にもやっていますし…。さて、この後は男子の部。会場の空気を入れ替える間の待ち時間に会長さんたちの所へ行くと、作戦会議の真っ最中です。
「とにかく棒を掴むしかない。そこが肝心」
会長さんは真剣な顔で車座になったジョミー君たちに。
「さっきの女子の部をぶるぅの中継で見ただろう? 頭の中に流したとはいえ、映像は鮮明だったと思うよ。一度でも棒を掴むと匂いが移ってしまうから……その移り香を囮に仕立てる」
「「「え?」」」
「とにかく一度は掴むんだ。それから四方に散ればいい。本物が何処にあるのか悟られないようにして、本物を持った一人を逃がす。適任なのは…」
ジョミーかな、と会長さんは思念で呟き、ジョミー君の驚きの声をサイオンで見事に隠蔽すると。
『いいね、棒を握った状態じゃ思念波は一切使えない。棒を掴めた人は声で味方を探すこと! 応援頼む、と叫ぶんだ。ジョミーはその声を頼りに棒を貰って逃げるんだよ。でも、棒を受け取りに来たのがジョミーかどうかが真っ暗な中では分からないしね…。ジョミー、棒を貰う時は「キースの分も頑張ろう!」と叫びたまえ』
そう叫んだら一直線に扉へ走れ、と会長さんは命じました。それ以外の人は囮になるために「応援頼む」と叫んでいる人に近付き、棒を握って香りを移して好きな方向に逃げるのだそうです。言い出しっぺの会長さんもそれは同じで…。
『本当はぼくが華麗に駆け抜けたいけど、万一のことを考えると足の速さでジョミーなんだよね。大丈夫だとは思うけどさ、もしもジョミーが棒を誰かに奪われた時は「かみお~ん♪」と叫んでくれるかな?』
それを合図に作戦を最初から仕切り直し、と会長さん。うーん、「かみお~ん♪」と来ましたか! その合図なら間違えようもありませんけど、叫ばされる立場のジョミー君にしてみれば恥ずかしいのでは…。
『やだよ、そんなの叫びたくないよ! 意地でも逃げ切る!』
ああ、やっぱり。ジョミー君の闘志に火が点きました。この勢いならいけそうです。やがて男子が会場の中へ誘導されて、スウェナちゃんと私は「そるじゃぁ・ぶるぅ」の小さな手を片方ずつ握って中継待ち。一般生徒が大勢いますから、中継画面は出せません。意識に直接、映像を流してくれるのだとか。ドキドキしているとブラウ先生が。
「いくよ!」
棒が真っ暗な会場に投げられ、争奪戦が始まりました。会長さんやジョミー君たちは一ヶ所に固まらずに散っていたので、棒が投げ込まれた場所に近かったサム君が群がる男子生徒を押し退け、かき分け、見事にゲット。
「応援頼む!」
サム君の声で集まった会長さんたちの中からジョミー君の「キースの分も頑張ろう!」の声が響いて、その頃には囮になった会長さんやマツカ君たちが他の場所で揉みくちゃにされていて…。ジョミー君は棒を掴んで懸命に走り出しました。サム君が反対の方向へと逃げ、みんなの注意を引きつけています。仕切り直しにならないように、と懸命に祈るスウェナちゃんと私と「そるじゃぁ・ぶるぅ」。
「もらったー!」
バァン! と非常口の扉を押し開け、ジョミー君が飛び出してゆき、『お願いチケット』をゲットする権利は私たちのものになりました。それから「そるじゃぁ・ぶるぅ」がヨレヨレになった男子生徒の制服をサイオンで元通りの状態に直して…。
「おめでとう、諸君」
教頭先生が『お願いチケット』を五人組の女子生徒の代表一人と、ジョミー君とに手渡します。
「有効期限は冬休み中だ。頑張って入手したチケットなのだし、よく考えて使いなさい。…それでは、みんなも良い冬休みを過ごすように」
これで二学期はおしまいでした。教室に戻って終礼をして、後は「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお部屋へと…。チケットはジョミー君がしっかり握っています。
「えっと…。これってブルーが使うんだよね?」
テーブルの上にチケットを置くジョミー君。
「チケットを貰う時に全員の名前を書いてきたけど、ホントはブルーが使うものでしょ? どう使う気かは知らないけどさ」
「分かってるじゃないか、ジョミー」
ニッコリ笑う会長さん。
「使う相手もとっくに分かっているんだろう? でもね、チケットはまだ使えない。キースの分も頑張ろう、って叫ばせたのは合図じゃなくて本心なんだよ。キースがいたら全力で戦ってくれたと思う。…そのキースがお歳暮ゲットも何も知らずに修行中なのに使えるとでも?」
使えないよ、と会長さんは繰り返しました。
「チケットは大事に残しておこう。それよりもキースを気にかけてあげなくちゃね。クリスマスの日には道場が終わる。…チケットを使うのはそれからだよ。このお香だってお寺と無縁じゃないわけだしさ」
まだ部屋の中に漂っている棒の残り香は、会長さんの解説によると龍脳香という香にズコウ…『塗香』と書くお寺で使うお香をブレンドしたものらしいです。そういえば校外学習で行った恵須出井寺で写経をする前に、お清めのために手に摺り込んだ粉のお香と何処か香りが似ているような…?
「さっきの棒の争奪戦はね、とあるお寺でやってる行事にヒントを得ていたみたいだよ。もっとも本物は男子限定、冬の最中に褌一丁でやるから裸祭りと呼ばれてるけど」
男子の部が褌でなくて良かったよね、と会長さんは伸びをしています。もしも褌だと言われていたら会長さんは逃げたのでしょうか? 絶対そうに決まっている、と私たちは肘でつつき合い。その場合はジョミー君たちが頑張らされて、会長さんにチケットを巻き上げられて…。ともあれ、今年もお歳暮ゲットです。使い道に不安が残りますけど、貰い損ねるよりマシですよね…?
ソルジャーとキャプテンの脱マンネリに振り回されている間に街はすっかりクリスマス気分。今年も残り1ヶ月と少しとなれば気持ちも浮き立つというものです。クリスマスは「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお誕生日ですし、前日のイブは会長さんの家でクリスマス・パーティーがあるのでしょうし…。放課後の「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお部屋で、そういう話題で盛り上がっていると。
「あ。悪いが、俺は今年はパスだ」
「「「えぇっ!?」」」
キース君の言葉に驚く私たち。クリスマス・パーティーをパスって何事? ひょっとして「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお誕生日パーティーも…?
「すまん、そこはどうしても調整できないんだ。俺の分も目一杯楽しんでくれ」
「そんなぁ…」
悲しそうな顔の「そるじゃぁ・ぶるぅ」。
「クリスマス・パーティーもクリスマスもダメなの? ぼくのお誕生日パーティー、来てくれないの?」
「俺も残念なんだがな…。しかし、俺だって」
「…でも…。最後のお誕生日だったのに…」
肩を落とした「そるじゃぁ・ぶるぅ」は本当に悲しそうでした。
「ぼく、今年で5歳になっちゃうから…。来年のクリスマスには卵の中だと思うんだ。ブルーには「クリスマスの日に起こしてね」って言ってあるけど、上手くいくかどうか分からないしね」
「そうなのか? その気になれば一晩で孵化できるんだと聞いてるが?」
キース君が尋ねると「そるじゃぁ・ぶるぅ」は。
「うん…。それはそうなんだけど…。でも、卵になる前に風邪を引いちゃったりしたらダメかもしれない。病気の時ってぐっすり寝るでしょ? 起こされたって聞こえないかも…」
卵ってそういうものなんですか? 今一つよく分かりません。でも「そるじゃぁ・ぶるぅ」が今年で5歳になるのは事実。決して6歳にはならず、卵に戻って0歳からやり直すというのは以前から確かに聞いていました。だったらクリスマスにお誕生日を祝える最後のチャンスかもしれない今年は盛大にお祝いしてあげないと…。
「キース、なんとか都合つけろよ」
そう言ったのはサム君です。
「ぶるぅのことだから、来年だって上手くいくかもしれねえけどさ。…もしも失敗してしまったら、誕生日がズレてしまうんだぜ? クリスマス・イブにパーティーやって、サンタクロースにプレゼントを貰って、目が覚めたら自分の誕生日だっていう嬉しいこと尽くしが最後になるかも、って言われても平気なのかよ、お前?」
「…いや、それは…」
「相手は小さな子供なんだし、ちゃんと祝ってやるのが筋だろ? そうでなくても、俺たち、ぶるぅには色々世話になってるもんな」
「それは俺にも分かっているさ。…だがな、今回ばかりは流石にちょっと…」
無理なんだ、とキース君は「そるじゃぁ・ぶるぅ」に頭を下げて。
「本当にすまん。どうしても都合をつけられないんだ。…去年みたいに日程をずらしてくれないか? クリスマスが済んだらなんとかなる。パーティー自体は俺もやりたい」
「そっか、去年は日を変えてたっけ…。それでもいいかな、やっぱりみんなで集まりたいもん」
楽しいもんね、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」は納得してくれた様子です。去年は会長さんが「久しぶりに内輪でクリスマスを祝いたい」と言い出して、フィシスさんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」と三人きりのクリスマスでした。私たちは日を改めて集まり、ソルジャーと「ぶるぅ」も加えて賑やかに仮装パーティーを…。
「ぼくもその案でいいと思うよ」
会長さんが頷きました。
「ぶるぅ、今年のクリスマスはキースの人生が懸かっているんだ。去年はすっかり忘れていてさ、クリスマス・パーティーの日をずらしてしまった。ごめんよ、ぶるぅ…。去年も今年もみんなで祝ってあげられなくて」
「…ううん、だったら来年頑張る! クリスマスの日がお誕生日になればいいんだもんね、早寝早起きして風邪引かないように気をつけてれば大丈夫だよ」
健気に答える「そるじゃぁ・ぶるぅ」はクリスマスが誕生日というのが癖になってしまったみたいです。今までは特に決まった誕生日は無く、6年ごとに気紛れに変わっていたようですけれど…。ん? 「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお誕生日に気を取られてサラッと流してしまいましたが、会長さんはなんて言いましたっけ? 今年のクリスマスにはキース君の人生が懸かっているって、どういう意味…?
「ああ、ひょっとして誰も知らないのかな?」
会長さんが私たちをグルリと見渡して。
「そのまんまの意味だよ、クリスマスにはキースの人生が懸かっている。つまり住職になれるかどうかがクリスマスに決まるということさ」
「「「えぇっ!?」」」
キース君の道場入りが暮れだというのは知ってましたが、よりにもよってクリスマス? それじゃ今年のクリスマス・シーズンはキース君は不在なんですか…?
思わぬ事態に私たちは軽くパニックに陥りました。キース君は道場入りを控えてはいても、髪は自慢の長髪のまま。ですから三週間という修行期間は聞いていたものの、それがいつから始まるのかなんて誰も気にしていなかったのです。去年の秋にはカナリアさんこと光明寺でも三週間の修行がありましたし…。
「カナリアさんのと今度のは違うよ」
まるで違う、と会長さん。
「…カナリアさんの時は昼間は大学に行って講義だったし、ちゃんと日常と接点があった。高飛びにだって連れ出せただろう? ほら、みんなで行った焼肉の店! だけど今度は高飛びは無理だ。いくらぼくでもキースの将来を棒に振ることは出来ないさ」
「え、ブルーでも連れ出せないの?」
ジョミー君の問いに会長さんは。
「うん。伝宗伝戒道場は一番大切な道場だからね、遊び気分でちょっかいを出せるものじゃないんだ。…君も得度を済ませたわけだし、将来に向けてきちんと覚えておくといい。この道場は住職の資格を貰って一人前のお坊さんになるのに必要不可欠。それだけに条件が厳しいんだ。なにしろ三日寝込むと下山だからねえ」
「「「ゲザン?」」」
なんですか、それは? 専門用語らしいですけど…。
「山を下りると書くんだよ。璃慕恩院が山奥だからって意味ではなくて、平地にあっても下山になる。山というのはお寺のことさ。…つまりね、お寺から放り出されると言えばいいかな。修行がチャラになっちゃうわけ。だから健康管理も大切! 三日寝込めばアウトなんだし」
言い訳は一切通用しない、と厳しい顔の会長さん。
「三週間の間、行事や講義がギッシリ詰まっているんだよ。寝込むってことは大切な修行を休んだ上に重要な行事や講義を落とすってこと。不眠不休で取り戻すにしても、それが可能とされるのが三日。…限度を超えて寝込むようなら修行を終える資格が無いと判定される。そうだよね、キース?」
「ああ。…だが、これでも昔よりはマシになったと言われているな」
「ぼくの時代は寝込んだら下山だったしね。…三日だなんて猶予は無かった。ついでに道場に入れるチャンスは一生の間に一度きり! 下山させられてもリベンジは出来なかったんだ」
それで泣きを見た知り合いも多い、と会長さんは話してくれました。
「何年も修行を積んで一所懸命頑張ったのに、道場で寝込んで人生を棒に振った人をぼくは何人も見てきたさ。今は下山になっても再チャレンジが認められてる。…とはいえ、本来は一生に一度の道場だからね。人生が懸かっていると言っても決して大げさではないと思うな」
「俺も一度で決めるつもりだ。下山になったら本山の記録に残るからな…。不名誉なことはしたくない。それに、あんたが一度でクリアしたと思うと負けてはいられん」
キース君の目標は会長さんと同じ緋の法衣。最高位のお坊さんを目指すんだったら、経歴に傷がつくのは避けたいでしょう。きっとキッチリ修行をこなして帰ってくると思うんですけど、その道場って一体いつから…?
「十二月の四日から二十五日までだよ」
会長さんが教えてくれました。
「つまり最終日がクリスマスなわけ。どう考えてもクリスマス・パーティーは無理だし、ぶるぅの誕生日だって祝いに来るには無理があるねえ…。道場が終わったその日はお祝いだから」
「「「お祝い?」」」
「そう、お祝い。一人前のお坊さんになれました、っていう目出度い日だろう? 前にも言ったよ、熱心な檀家さんがいるお寺だと璃慕恩院まで迎えにやって来る…ってね。元老寺も多分そうじゃないかな」
どう? と訊かれたキース君は。
「親父が色々やってるようだ。檀家さんにも期待されてるし、出迎え部隊は来そうだな」
「ほらね。…ぶるぅの誕生日を祝うどころじゃないんだよ。キースの方が祝って貰う立場なわけ」
元老寺を挙げての大宴会、と会長さん。そっか、それならクリスマス・パーティーと「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお誕生日パーティーは日を改めるしかないですよね。ちょっぴり残念ではありますけれど、キース君が一人前のお坊さんになったのを祝う日ならば、やはりそちらが最優先です…。
「すまないな、ぶるぅ。せっかく5歳の誕生日なのに」
キース君が謝ると「そるじゃぁ・ぶるぅ」は「仕方ないよね」とニッコリ笑いました。
「お坊さんになるための道場なんでしょ? だったら無理は言えないもん…。ブルーが道場に行った時はね、ぼくも留守番してたんだ。一緒にお寺に住んでいたけど、道場には行っちゃダメだって言われちゃって…。だから他のお坊さんたちと暮らしていたよ」
「ぼくはシャングリラ学園に帰ってもいいって言ったんだけどねえ…。ぶるぅは意外に頑固だった」
「だって! ブルーの傍にいたかったんだもん! お寺にいたら顔を見られるチャンスがあるもん…」
会長さんが講義を受けている道場から本堂などへ移動する時に姿を見られるのが嬉しかった、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」。お寺に住み込んでいたとは聞いてましたが、なんとも殊勝な話です。と、キース君が首を傾げて。
「おい、姿を見られるチャンスと言ったな? お前、璃慕恩院に住んでいたのか?」
「そうだよ? 言わなかったっけ?」
「聞いていない。…そういえば銀青様が修行なさったのは璃慕恩院だと教わったっけな。冷静に考えたことは無かったが……璃慕恩院で修行出来るのはごく少数のエリートだけだ。ぶるぅみたいな子供連れで住み込みの修行が可能だったなんて、どんなエリートだったんだ…」
想像もつかん、と呻くキース君に会長さんが。
「ほら、ぼくはこれでもタイプ・ブルーだしねえ? 経典を丸暗記するくらいのことは朝飯前だ。璃慕恩院の高僧たちの知識だって瞬時にコピー出来るし、そんなのが入門を願い出てきたらどうなると思う? 本来だったら師僧はカンタブリアの称念寺の御住職になるんだけれど、あっさり覆されちゃった」
璃慕恩院は会長さんを手許に置いて修行させようと当時の一番偉いお坊さんの弟子にし、そのまま住み込ませたらしいのです。会長さんは師僧になったお坊さんの身の回りの世話をしながら修行を積んで、伝宗伝戒道場に行って…。
「住職の資格を貰ってからも色々と勉強を続けたよ。恵須出井寺で修行したのもその頃のことさ。…キース、君は何処まで出来るだろうね? ぼくの時代とはシステムも違うし、真面目にノルマをこなしさえすれば緋の衣は貰えるわけだけど…。それに見合った力がつくかは別問題だ」
「あんたの読みではサムとジョミーに才能があるという話だな。俺については何も言わんし、さぞかし無能ということだろうが…」
「無能とまでは言っていないよ。生まれつきの資質はともかくとして、今の君にはサイオンがある。サイオンと法力に明らかな因果関係は無いけど、まるで無いとも言い切れない。人の心の声が聞こえるというのは凄いことだ。それだけでも法話に深みが出るさ」
努力したまえ、と会長さんは微笑んで。
「君はまだ若いし、サイオンがあるから寿命も長い。仏の道を極めていくのに才能の有無は問われないよ。頑張ろうという姿勢が大切。…大学も卒業するんだろう?」
「……知っていたのか……」
「まあね」
地獄耳だし、とウインクしてみせる会長さん。えっと…大学を卒業するって、そりゃあもちろん…キース君は大学の卒業資格が欲しくて二年間の専修コースではなく普通の学生生活を……って、えぇぇっ!? まさか四年間じゃなくて三年で大学を出るつもりですか? 今度の春に卒業ですか…?
「き、キース先輩…」
シロエ君が掠れた声で。
「卒業って、今度の三月ですか? 大学はまだもう一年あると思うんですけど…」
「普通ならな。だが、俺を誰だと思っている? 必要な単位は全部揃えた。卒論の方も万全だ。お前が飛び級をしてシャングリラ学園に入ったように、俺も同期生より一足お先に卒業させて貰うだけだ」
ニヤリと笑うキース君にシロエ君は「負けた…」と呟いて。
「あーあ…。こんなことなら、ぼくも大学に行くべきでしたよ。どうせ成長しないんだから、と特別生をすることに決めましたけど、先輩みたいに大学と二足の草鞋で走っておけば良かったです。そしたら学士号を貰えましたよね」
「…言っておくが、俺は学士と言っても仏教だぞ? とりあえず璃慕恩院ではエリートコースに入る資格をゲットできるが、一般社会では役に立たんな。それに大学を出たかどうかというのは、長い目で見れば大して意味は無いんじゃないのか?」
「………。そうかもしれません。ついでに先輩と真っ向勝負をするんだったら、同じ大学の同じ学科へ飛び込まないと公正な結果が出ませんね。……ぼくは流石に仏教はちょっと」
全く興味が持てません、とシロエ君は溜息をつきました。
「先輩との勝負は柔道だけにしておきますよ。…仏教の方で勝負するのはサム先輩とジョミー先輩にお任せします。…でも…。なんで三年で卒業を? 四年間みっちり学ぶというのも良さそうですが…?」
「最初はそのつもりだったんだがな。…気が変わった。あの学校にいると堕落しそうだ」
「「「えっ?」」」
耳を疑う私たち。キース君は仏の道を追求しようと専門の大学に行った筈ですが、学校に問題アリですか? 経営母体の璃慕恩院が手綱をしっかり握っていると思うんですけど、それで堕落ってどういうこと…?
キース君の大学は璃慕恩院の宗門校。お坊さんをしている教授も多くて、璃慕恩院とは切っても切れない関係です。全寮制で二年学べば伝宗伝戒道場への道が開ける専修コースもあるというのに、在籍していると堕落しそうだとは意味不明でした。長くいれば居るほど仏弟子としての自覚が高まるんなら分かるんですけど…。
「…キース、その言い方では名誉棄損になっちゃうよ」
会長さんが苦笑しながら。
「学校自体には何の問題も無いだろう? 問題があるのは君の方だ。万年十八歳未満お断りの君が大学生活を送ろうっていうのが間違いなんだよ、そもそもは……ね」
「う……。それはそうかもしれないが…。しかしだな…」
「妻帯禁止は昔の話。今のお寺は堂々と世襲制の所が多いと思うけど? 君だって最初の頃に言ったじゃないか。万年十八歳未満お断りで成長しないと嫁が貰えないから困る、って」
「あ、そういえば…」
言っていたよね、とジョミー君。私たちも覚えていました。会長さんから私たちは成長が既に止まっていると聞かされ、精神面でも本当の大人にはなり切れないと告げられた時のキース君の台詞です。会長さんは「年を取らない上に妻帯しないお坊さんというのはポイントが高いよ」と笑ってましたっけ。…キース君、後継者問題で大学の中で浮いちゃいましたか?
「…平たく言えばそういうことだね」
無理もないけど、と会長さん。
「キースの成長は高校一年生の段階で止まったままだ。大学に入った時点では周囲との差は二年ほどだし、同期生も高校を出たばかりだから大差は無い。でも大学には四年生まであるんだよ。三年生ともなれば立派な大人だ。その大人たちとサークル活動なんかを一緒にしてれば、一年生もたちまち成長するよね」
一年生の五月頃には新歓コンパ、その内に合コンなんかも始まるのだそうで…。
「実際、キースはよく頑張ったよ。ぶるぅの部屋で君たちと遊んだ後で大学の仲間と飲みに行く日も多いだろう? お酒の方は外見がコレだから飲まないとしても、話にはついていかなくちゃ。…そして話題は往々にして年相応に流れるもの」
「「「………???」」」
「大学生の旬の話題は男女関係! 誰が好みだとか、そういう話をしている間はいいけれど…。得てして中身は過激になる。男子ばかりで飲みに行ったら最悪だよね。酔った勢いでパルテノンの路地裏の店に流れちゃうことも多くてさ…」
えっと。パルテノンといえば会長さんに何度も連れてって貰った高級料亭が並ぶ花街です。舞妓さんや芸妓さんが行き交う華やかな場所ですが、路地裏の方は……風俗店とかいう怪しげな店が軒を連ねるネオン街。私たちには無関係だと思っていたのに、キース君はとっくの昔に足を踏み入れていましたか!
「すげえ…。お前、行ってたのかよ…」
サム君がポカンと口を開け、ジョミー君が。
「え、えっと…。キース、もしかして教頭先生よりも進んでるわけ? なんか大人…」
「ですよね、ぼくも驚きました」
ビックリです、とシロエ君が言えば、マツカ君も。
「…大学生って凄いんですね…。それも社会勉強の一環ですよね」
男の子たちは異口同音にキース君を褒め、スウェナちゃんと私は身の置き所が無い感じ。大人の時間を楽しんでるのは会長さんだけだと思ってたのに………って、キース君?
「おい、お前ら!」
バンッ! とテーブルを叩いてキース君が腰を浮かせました。
「誰が行ったと言っている! 俺は毎回、そうなる前に撤収なんだ!」
「「「は?」」」
「付き合いが悪いと言われてるがな、興味が無いものは仕方なかろう! 店の前まで連行されても逃げ帰るのが俺の流儀だ。だから大学にいると堕落しそうだと言っただろうが!」
勝手に話を進めるな、とキース君は息を荒げています。…そっか、万年十八歳未満お断りが見事に裏目に出ちゃいましたか…。大学の仲間の話題に置き去りにされ、遊びに行っても途中でサヨナラ。それがキース君の限界なのに、何度も何度も誘われるとなると…。
「分かったか! あの連中にはついていけん。いずれ嫁を貰って寺を継ごうという連中だ、自然なことだと分かってはいても、それは理屈の上だけで…。俺はほとほと愛想が尽きた」
疲れたんだ、とキース君はソファにぐったり沈み込んで。
「…そういうわけで俺は大学を出ることにした。卒業しても聴講には行けるし、気になる講義はそっちで受ける。元々、大学に行った目的は伝宗伝戒道場だったんだしな、これさえ終わればもう用は無い」
「そうだね」
会長さんが応じました。
「君の大学で必要な単位を取得してから道場に行けば、普通に道場に入った人より一段階上の位が貰える。他の方法ではこれは無理だ。…スタート地点で一段階上の位を持てるのは大きな魅力さ」
緋の衣への道が早くなる、と会長さんはサム君とジョミー君の方に視線を向けて。
「キースは君たちよりも一足早くスタートを切る。でも、そこから先は才能と腕が必要だ。…君たちが追いついて追い越して行くのも決して無理なことではないさ。頑張るんだね」
「おう!」
「……えっと……それって拒否権なし…?」
何処までも対照的なサム君とジョミー君でした。この二人とキース君、どっちが先に緋の衣まで辿り着くのか、外野にはちょっと分かりませんねえ…。
そんなこんなで、キース君の道場入りまで日は僅か。クリスマスまでの楽しい期間が丸ごと道場で吹っ飛ぶだなんて、誰も思っていませんでした。そりゃあ…キース君は前から覚悟をしてたでしょうけど…。お坊さんの世界とクリスマスとは無関係ですから、仕方ないんでしょうけれど…。
「いや、それがな…。仕方ないでは済まないようだ」
キース君が苦笑いして。
「クリスマスど真ん中の期間だろう? 将来のアテが外れて泣いているヤツも沢山いる」
「「「???」」」
「俺たちの未来は坊主だからな、寺の娘が嫁に来るということはあっても一般人はなかなか来ない。坊主頭になってからでは絶望的だ。…そうなる前に嫁を捕まえようと努力するヤツが多いんだが…。その嫁候補が今度の道場入りで大量に離脱したようだぞ」
「それってクリスマスの日に遊べないから?」
ジョミー君の素朴な疑問にキース君は「まあな」と笑って。
「遊べない…と言うか、一緒に過ごせない分にはまだいいんだ。社会人になって仕事を始めたら予定が合わないこともあるだろうしな。…だが、クリスマスには坊主頭で璃慕恩院、というのは非常にマズイ。漠然と未来は坊主の嫁だと思ってはいても、先のことまで考える女性は少ないらしい。なのにいきなりシビアな事実が…」
「「「シビア?」」」
「坊主の世界にクリスマスは無い。今どきは子供のためにクリスマス・ツリーを飾る寺も多いが、葬式が入ればそれで終わりだ。クリスマス・ケーキと御馳走の代わりに通夜というのは普通の女性にはまず耐えられん。…自分の彼氏がクリスマスを坊主頭で道場で過ごす、と聞いて一気に現実に目覚めるようだぜ」
「「「………」」」
大いに有り得る話でした。今年のクリスマスが潰れる分には「また来年」と思えますけど、お坊さんのお嫁さんになれば来年も再来年もその次の年も、クリスマスなんか吹っ飛んじゃうかもしれないのです。それに気付いたら逃げたくなっても仕方ないと言うか、当然と言うか…。
「そっかぁ…。お誕生日パーティーが流れるくらいは仕方ないよね」
今年だけだもん、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」。
「来年はみんなで遊べるだろうし、ぼく、頑張る! 新しいお誕生日もクリスマスだったら、ずっとクリスマスにお誕生日パーティーできるもん! そうだよね、ブルー?」
「…そうだね、キースがお葬式やお通夜に呼ばれなかったらね。でも、卒業したら副住職になるんだっけ? そうなるとクリスマスを確保するのは難しそうかな?」
会長さんの問いに、キース君はニッと笑って。
「その辺りのことに抜かりは無い。副住職として寺の仕事をするようになっても、シャングリラ学園が最優先だと言ってある。…親父もおふくろもシャングリラ・プロジェクトのお蔭で隠居生活とは無縁なわけだし、やりたいようにやらせて貰うさ」
「頼もしいねえ。…じゃあ来年は宜しく頼むよ、ぶるぅはクリスマスに誕生日パーティーをしたいらしいから。今年のクリスマスは残念だけど、立派なお坊さんになって帰っておいで」
「もちろんだ。暖冬にならなかったのは誤算だったが、俺は彼女に逃げられたわけじゃないからな…。精神的には参っていないし、三週間を根性で耐え抜くまでだ。サムとジョミーの先達として頑張ってくる」
「おう! 土産話を楽しみにしてるぜ」
「ちょ、ちょっと! ぼくはまだ…」
乗り気で握手するサム君と、腰が引けているジョミー君。そんな二人に「行ってくるぜ」とウインクするキース君に、お坊さんの道への悩みは微塵も見られませんでした。道場入りの前日までは普通に学校に来るそうですし、元老寺の副住職になれる資格のゲット目指して走り抜くのみ…といった心境でしょうか? とうとう此処までやって来ました。キース君、道場、頑張って~!
脱マンネリを目指すキャプテンが教頭先生に弟子入りしてから数日が経った金曜日。私たちは会長さんに招待されてお泊まり会に来ていました。柔道部三人組の部活が終わるのを待って「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお部屋から瞬間移動で会長さんのマンションへ。夕食までリビングでティータイムです。
「教頭先生はどうなってるの?」
ジョミー君がスコーンを頬張りながら尋ねると、会長さんが。
「毎日報告してるだろ? 至って順調…だと思いたい。キャプテン相手に妄想談義を繰り広げる日々さ。馬鹿じゃないかって気がするけれど、キャプテンには新鮮なネタらしいよ」
「そうなんだ…。あ、そういえばネタって言われて思い出したけど、マグロってどういう意味なわけ?」
あっ、それは私も知りたいです! キース君たちも「教えろ」と連呼し、会長さんは苦い表情で。
「あまり言いたくないんだけどねえ…。とはいえ、好奇心の塊の君たちだ。教えなければ思い出した勢いでネット検索を始めるだろうし、この際だからバラしておくか。…マグロというのはベッドの中で何もしない女性のことだよ」
「「「…???」」」
「分からないならそれでいいさ。ノリが悪いとでも言えばいいかな、パートナーにはつまらないわけ。だからキャプテンもマグロ呼ばわりされたんだ。ノリが悪くてつまらない、って部分は共通だしね」
なるほど。今一つ分からない部分もありますけれど、マグロというのは不名誉な称号みたいです。キャプテンは脱マンネリとマグロの汚名返上のために頑張っているというわけですか…。今日も教頭先生の帰宅時間に合わせて教えを請いに来る筈ですし、会長さん企画のお泊まり会は講義の模様を覗き見するのが目的かな?
「まあね」
面白いじゃないか、と会長さん。
「ぼくとぶるぅしか見ていないのは勿体無い。せっかくだから見学したまえ、なかなか笑える光景だよ。…おっと、夕食の支度が出来たようだ」
「かみお~ん♪ 今夜はカリフラワーのクリームパスタとズワイガニのリゾット! この季節はやっぱりカニだもんね」
美味しいよ、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」がヒョッコリ顔を覗かせます。私たちはダイニングに移動し、熱々のパスタとリゾットに舌鼓。その間に教頭先生が帰宅したらしく…。
「うん、ハーレイも帰ってきたから、もうすぐキャプテンが来ると思うな」
会長さんはサイオンで様子を窺い、「そるじゃぁ・ぶるぅ」に。
「食事が終わったら中継をしてくれるかい? 今日のデザートは何だっけ?」
「チョコレートのババロアだよ。あっちのブルーが来そうでしょ? ブルー、甘いものが大好きだもん」
その言葉が終わらない内に。
「ありがとう、ぶるぅ。心遣いが嬉しいな」
空間が揺れてソルジャーが姿を現し、空いた椅子にゆったり腰掛けて。
「今、ハーレイを送ってきたんだ。今日はこっちも賑やかだからね、遊びに来ないという手はない。…覗き見しようとしてるんだって? ぼくも一緒に見学したいな」
いつもシャングリラから見ていたけどさ、とソルジャーはとても楽しそうです。えっと……こんな面子でいいのでしょうか? けれど無邪気な子供の「そるじゃぁ・ぶるぅ」は大喜びでデザートのお皿を配っていますし、とりあえず見学会を始めるより他は無さそうですよね…。
デザートを食べ終えた私たちはリビングに移り、「そるじゃぁ・ぶるぅ」が早速中継を始めました。壁の一部をスクリーン代わりに映し出されたのは教頭先生の家のキッチン。そこでは教頭先生が夕食の支度の真っ最中で、キャプテンが手元を覗き込んでいます。
「いいですか? 茶碗蒸しは火加減が大事でしてね。…ブルーはお寺で修行していたことがありますから、あっさりした料理も好きだと思うのですよ。私から毟り取る時は主に焼肉パーティーですが」
「はあ…。しかし、私のブルーは食事よりもデザートの方が好物で…」
「そうでしょうか? こちらの世界にいらした時には美味しそうに沢山召し上がっておられますよ。…地球の食材で作ったものなら、お好みなのではないですか?」
どうぞ、と味見用の器を差し出す教頭先生。
「味噌汁はシンプルに見えて、なかなか奥が深いのです。昆布と鰹で出汁を引くのが命ですね。どちらも海から採れるものですし、地球の恵みがたっぷりですよ」
「確かにブルーは地球に憧れているようですが…。味噌汁だの茶碗蒸しだのと手料理を振舞うのは何か間違っていませんか? 料理は作って貰うものでは?」
怪訝そうなキャプテンに、教頭先生は炊き上がったご飯を盛り付けながら。
「それは基本というヤツですね。結婚生活においては、料理は作って貰うものです。私もブルーが料理を作って待っていてくれたら嬉しいですし、それだけで食が進むでしょうが…。あなたのお話を伺った感じでは、そちらのブルーは料理をしそうにありません。そこで逆転の発想です」
「………?」
「休日などは妻に代わって料理を作る、という男性が増えていましてね。料理上手な男はモテるそうです。…あなたがブルーのために腕を揮えば、それだけで雰囲気が変わりますよ。想像なさってみて下さい。ご自分で作った料理を並べて「如何ですか?」と尋ねる姿を」
「……それは……かなり勇気が要りそうですが……」
腰が引けているキャプテンを他所に、手早く食卓に料理を並べる教頭先生。
「勇気が要ると仰いますか? 愛されていれば、少々料理の腕が拙くても許されると私は思いますが…。失敗作を「美味しい」と言って貰えたりすれば万々歳です。こんな料理でも美味しいと言ってくれるのか、と一気に愛が深まりますよ。会心の出来の料理だったら尚更ですね」
「……そういうものですか……」
「そうですとも。あなたのブルーが料理を作ってくれないのなら、あなたの方から! 料理一つで新鮮な日になりますよ。昨日までに申し上げた通り、食べる間のコミニュケーションも大切でして…」
「しかし…。ブルーは間違っても私に手ずから食べさせてくれるような性格では…」
どちらかと言えば逆なのです、と深い吐息を吐き出すキャプテン。
「好き嫌いの激しいブルーに食事させるのに、どれほど苦労したことか…。「君が食べさせてくれるんなら」と言われたことも一度や二度では…」
「でしたら、なおのこと手料理コースはお勧めですよ。あなたが食べさせてあげる側なのでしょう? 「美味しいですよ」と自信作をブルーの口許に運ぶ…。渋々口を開いたブルーの表情が花のように綻び、「美味しい!」と嬉しそうに微笑んでくれる…。どうですか? もう、その場で抱き締めて押し倒したいような気がしませんか?」
「…それは確かに……」
キャプテンが大きく頷き、教頭先生は『手料理コース』を巡る妄想タイムに突入しました。手料理は愛情を籠めて丁寧に…だとか、食事しながら互いに足を絡めたりして気分を高めてゆくのもいいそうだ……とか。教頭先生、思い切り熱く語っています。三百年越しの片想いなだけに、夢は大きく果てしなく…ですね。
「…教師としては理想的だね、本当に」
ソルジャーがボソリと呟きました。教頭先生の妄想は暴走中で、食卓の上に会長さんを押し倒して心ゆくまで味わいたいと身振りも交えて熱弁中。
「ぼくのハーレイにあの情熱があったなら…。ぼくを釣るために料理を作って、食べてる途中でテーブルの上に押し倒すほどの甲斐性があれば最高だよね。だけど、習った知識は役立てなくちゃ意味ないし!」
「え? まだ習い始めたばかりじゃないか」
会長さんの言葉に、ソルジャーは。
「君だって覗き見しているんだから知っているだろ、今までの授業内容は? バスタイムの講義は既に一通り終わった筈だ」
「あ、ああ…。それが何か?」
「教わったことはちゃんと実践して欲しい。君のハーレイは「二人で一緒にお風呂に入って、君の身体をくまなく洗って」手触りを堪能したいんだっけね。そのままコトに及ぶのも良し、恥ずかしがる君に自分の背中を流して貰って、それからベッドに行くのも良し…。実に充実したバスタイムだよ」
「実行するにはスキルが足りないと思うけどねえ…」
途中で鼻血を噴いて終わりだ、と会長さんは中継画面の教頭先生を横目で眺めて笑っています。しかしソルジャーは大真面目な顔で。
「鼻血を出すほど刺激的だっていうことじゃないか! ハーレイがあれを教わって来た日は、とっても期待してたんだ。きっとバスルームに引っ張り込まれて、あの大きな手で頭の天辺から足の先までじっくり洗われちゃうんだろうな…って。なのにベッドでいつもと同じ!」
「…そりゃあ、急には無理だと思うよ」
「だからきちんと誘ったってば! 二人でシャワーを浴びよう、って。…ハーレイはちゃんとくっついて来たし、これは成果が見られそうだ…と思ったのにさ。ぼくを洗ってくれるどころか、逆になんだか萎縮しちゃって…。やっぱり順序を間違えたかな? ぼくが先にハーレイの背中を洗おうとしたのが悪かった…とか?」
ソルジャーに背中を流されたキャプテンは真っ赤になって俯いてしまい、第2ラウンドとやらに突入する代わりにバスルームから飛び出して行ったらしいのです。戻って来た時にはバスローブをきちんと着込んでいて…。
「今夜はここまでにしておきましょう、って言ったんだ! 変だな、と思って心を読んだら「駄目だ、私には出来そうもない」ってパニック状態。…ぼくを洗うことも出来ないだなんて、どれほどヘタレで役立たずなのさ!」
「…えっと…。鼻血の危機ではないんだよね?」
会長さんが疑問を投げかけ、頷くソルジャー。
「うん、鼻血を恐れて洗わなかったわけではないよ。…なにしろ根っからマグロだからねえ、ぼくの身体を洗うなんてこと、考えたこともなかったらしい。どうすればいいのか分からなくなって困っているのに、ぼくが背中を洗っただろう? 催促されたと焦ったようだね。…それでパニック」
情けない、と吐き捨てるソルジャー。
「あんな調子じゃ今日の講義も意味ないよ。手料理までは頑張れるかもしれないけれど、その後がダメだ。…ぼくをテーブルに押し倒すだって? 無理無理、ハーレイには絶対無理!」
絶望的だね、とソルジャーが嘆いているとも知らず、教頭先生はせっせと妄想談義を続けています。話題はいつの間にやら『究極の夢』に移ったらしく、中継画面の向こうの教頭先生が熱い瞳で。
「やはりブルーを嫁に貰うには『頼れる男』になるしかないと思うのですよ。とはいえブルーはタイプ・ブルーで、大抵のことはサイオンで片がつきますし…。そう簡単に私を頼ってはくれません。けれどチャンスが全く無いとは言えないわけで、その日に備えて柔道などを頑張っている次第です」
「頼れる男…ですか…。それは私にも難しそうで…」
キャプテンが相槌を打っています。
「なにしろ戦闘といえばブルーが一人で出て行くような状態ですしね。私はキャプテンですから戦闘機に乗ってブルーを援護するわけにもいかず、サイオンキャノンも専属の砲撃手がおりますし…。船の指揮を執るしか能の無い男が頼れる男と言えるかどうか…」
「私よりマシじゃないですか? あなたのブルーは船を預かるキャプテンとして、あなたを信頼していると思いますよ。…それに比べて私ときたら、せいぜい虫よけ程度にしか…。ノルディに迫られた時に頼ってくれただけなのですがね、あれは嬉しいものでした」
教頭先生はエロドクターから会長さんを守った武勇伝を話し始めました。会長さんの身体目当てのエロドクターに飲み比べで勝って、撃退した時のエピソードです。キャプテンは感動の面持ちで聞き入って…。
「そんな話があったのですか。ブルーを守る機会があったとは羨ましい。…いえ、私もずっと昔には色々と…。ですが、最近は守れるチャンスも無くなりました。そういう機会が訪れたなら、頼れる男になれるのでしょうか?」
「…恐らくは。しかし、あなたの世界でそういう事態に陥ったなら、それどころではないのでは? 文字通り命懸けの戦闘になってしまうでしょうし」
「そうですね…。頼れる男と見て貰うのは諦めるしか無さそうですね。…こんな私がブルーをリードするのは、夢のまた夢というわけですか…」
頑張っているつもりなのですが、とキャプテンは肩を落としています。諦めムードを漂わせていたんじゃ、脱マンネリとマグロの汚名を返上するのは難しそうだと思うんですけど…。
「もうギブアップとは呆れたねえ…」
ソルジャーが「ぶるぅ、終わっていいよ」と合図し、中継画面が消え失せました。やれやれ、やっと解放です。妙な講義を見せられたって私たちには何の利益も…、って、え、何ですって? ソルジャーが悪戯っぽい笑みを浮かべています。
「ん? だから、ハーレイの夢を叶えてあげようかなぁ…って言ったんだけど?」
「「「夢?」」」
「そう。頼れる男っていう自信がついたら、マグロを返上できるかもね。マンネリからも抜け出せちゃうし、これは一石二鳥かも…」
ちょっと相談に行ってくる、と言うなりソルジャーは姿を消しました。相談するって、いったい誰に…?
「まさか、ぶるぅじゃないだろうね?」
心配そうな会長さん。
「頼れるキャプテンを演出するためにシャングリラを危機に晒すつもりだとか? …そこまでしないと思いたいけど、ぶるぅと組んだら可能なのかも…」
「「「………」」」
私たちも急に不安になってきました。脱マンネリなら笑い話で済みますけれど、あちらの世界のシャングリラ号を巻き込むとなると事態は非常に深刻です。ソルジャーは何処に行ったんでしょう…?
「ごめん、ごめん。…心配かけちゃったみたいだね」
ソルジャーが戻って来たのは半時間くらい経ってからでした。
「大丈夫だよ、ぼくの世界を巻き込んだりはしないから! ノルディも乗り気になってくれたし、ハーレイに自信をつけさせなくちゃ」
「「「えぇっ!?」」」
ノルディって、もしかしなくてもエロドクター? キャプテンを頼れる男に仕上げるためにはドクターの協力が必要ですか? なんだか嫌な予感がしますが、それって一体、どんな計画…?
教頭先生の夢は会長さんから見て『頼れる男』になるということ。その夢にはキャプテンも心惹かれたようでしたけど、現実問題として実現不可能と判断した上、ソルジャーをリードするのも夢のまた夢と白旗を上げてしまいました。そんなキャプテンを奮い立たせるべく、ソルジャーが思い付いたのは…。
「要するに、ハーレイがぼくを救出できればいいんだろう? そしたら頼れる男になれるし、自分にもグンと自信が持てる。…ちょっとノルディに監禁されてくるよ」
「「「監禁!?」」」
「うん。こっちのハーレイは身体を張ってブルーを守り抜いたんだよね? ぼくのハーレイにも頑張って貰う。ドジを踏んだぼくをノルディの魔手から救い出すんだ。ドラマチックだと思わないかい?」
ソルジャーがクスッと笑って放った思念は…。
『…ごめん、ハーレイ。ちょっと悪戯が過ぎちゃって…。ノルディの家に来てるんだけど、思い切り賭けに負けたんだ。一時間以内に君が助けに現れなければ、ぼくは食べられてしまうらしいよ』
「「「!!?」」」
『『なんですって!?』』
私たちの声なき悲鳴に、教頭先生とキャプテンの思念が重なりました。ソルジャーはわざと思念を揺らして。
『そういう条件の賭けだったから、ぼくは気にしてないんだけれど…一応、言っておこうかなぁ、って。ぼくをノルディに渡したくないなら、一時間以内に助けに来て。…あ……。そろそろ薬が回ってきたかな』
『薬!?』
キャプテンの思念の叫びにソルジャーは。
『そう、薬。…ほら、一種類だけ、ぼくに効くヤツがあっただろう…? アレを賭けて遊んで…いた…んだよね…。も…う……普通じゃ…なくな……』
『ブルー!!!』
絶叫に近いキャプテンの思念に、ソルジャーは応えませんでした。代わりに私たちに向かって微笑みかけると。
「さて、どうする? ぼくは催淫剤を打たれてノルディの家にいるらしい。もちろんこれからノルディの家に行くんだけれど、君たちも一緒についてくる? 色々と遊べる仕掛けがあるみたいだよ、落とし穴とか」
「「「落とし穴!?」」」
「玄関ホールにあるんだってさ。隠し扉とか、他にも色々…。ぼくのハーレイはノルディの家が何処にあるのか分かっちゃいないし、こっちのハーレイが案内することになるんだろうね。とはいえ、こっちのハーレイは玄関ホールで脱落かな?」
落とし穴が待ち受けてるし…、とソルジャーは会長さんに視線を向けると。
「で、どう? 君のハーレイから何か言ってきた? ぼくには感じ取れないけれど」
「…いや。今はノルディの家へ行こうと車のキーを探してる。パニックに陥ると普段の場所に置いてあっても見えないらしいね。ぼくに連絡してこないのも、多分それどころじゃないからだろう。…ん? 今頃ぼくを思い出したか…。呼んでいるけど、どうすれば…?」
「返事しないのが一番だよ。そしたら勝手に勘違いする。君も一緒に監禁されてて、連絡も取れない状態だとか…。そうなれば玄関ホールで脱落している場合じゃないね」
根性で落とし穴から這い上がるよ、とソルジャーはクスクス笑っています。さて、会長さんはどうするのでしょう? ソルジャーの陰謀をすっぱ抜くのか、教頭先生をオモチャにするべくエロドクターの家へお出掛けなのか…?
『ブルー、何処にいる!? ブルー!!!』
私たちにも届くレベルで響いた教頭先生の思念を、会長さんは無視しました。続いて電話が鳴り出しましたが、会長さんは受話器を取ろうとした「そるじゃぁ・ぶるぅ」を制止すると。
「楽しそうだから放っておこう。だけどノルディの家に乗り込む勇気は無い…かな。安全圏から見物するのが一番だ。あ、ジョミーたちは行きたければ一緒に行ってもいいけれど」
カラクリ屋敷で遊べるチャンス、と言われましたが、教頭先生とキャプテンを落とし穴に落っことしたりするのはちょっと…。いえ、本当はやってみたいんですけど、それよりも…。
「ふふ、ぼくがやりたいんじゃないかって? サイオンでバッチリ遠隔操作、って?」
会長さんが「分かってるじゃないか」とウインクをして、ソルジャーに。
「というわけで、カラクリの方はぼくに任せてくれるかな? あ、君のハーレイを窮地に追い込むのは自分でやってみたいかい?」
「もちろんさ。ハードルは高い方がいい! そうだ、ハーレイたちがゴールに辿り着いたら遊びに来るだろ、君たちも?」
「うん、フィナーレは見届けるよ」
クスクスクス…と赤い瞳が煌めき交わし、ソルジャーはエロドクターの家へ瞬間移動で飛びました。早速「そるじゃぁ・ぶるぅ」が中継してくれ、エロドクターとソルジャーがお酒とおつまみ持参で寝室に立て籠ったのを見せてくれます。二人の前には屋敷の様子をモニターしている画面があって…。
「よし、ハーレイも出発したようだ。ぼくも一緒に監禁されたと思い込んでしまって焦っているよ。一時間以内に助け出さないと食べられるんだと信じてる。…馬鹿だよねえ、ぼくはブルーと違って危険な賭けはしないのに」
「「「………」」」
それは違うだろう、と心で突っ込みを入れる私たち。教頭先生が飲み比べでエロドクターを撃退しなければならなくなったのは、会長さんが「キスマークをつけることが出来たら抱かせてやる」なんてことを迂闊に口にしたせいなんですけど…。ともあれ、キャプテンを『頼れる男』に仕立てる作戦、スタートです~!
教頭先生の愛車が猛スピードでドクターの屋敷に到着した時点で残り時間は四十分。車を門の前に放置した教頭先生とキャプテンは二人がかりで門扉を乗り越え、玄関へと走り出しました。扉を開けた途端に会長さんのサイオンがカラクリを操り、落とし穴が二人を飲み込みましたが…。
「わっ、なんで脱出できちゃうわけ…?」
ジョミー君がポカンと口を開け、キース君も呆然としています。落とし穴はかなり深くて壁面もツルツル。落ちたら最後、這い上がれそうにはありません。
「…ブルーがサイオンで補助している。ハーレイたちは気付いていないけどね」
会長さんが首を竦めて。
「ブルーはキャプテンを『頼れる男』に仕立てたいから、火事場の馬鹿力を演出したらしいよ。他のカラクリも使う気満々、ついでに大いに手を貸す予定。…結局、リードするのはブルーってことか…。これでキャプテンが自信をつけても、ブルーが優位に立つ状態に変わりはないと思うんだけど」
「そうですよねえ…。結局マグロから抜け出せないんじゃないですか?」
容赦ない問いはシロエ君。会長さんは「そうなるね」と答え、ソルジャーの許へと急ぐキャプテンと教頭先生を地下の迷路に迷い込ませたり、隠し部屋の中に閉じ込めてみたりとサイオンで小細工を楽しんでいます。ソルジャーの方はカラクリで弄びつつ救いの手も差し伸べ、気紛れに遊んでいるそうで…。
「残り五分か…。玄関ホールに戻ったようだし、落とし穴にドスンともう一回かな」
会長さんが呟いた時。
『もういいよ。時間切れだと頼れる男が台無しだろう? フィナーレだ。みんな揃って遊びにおいで』
ソルジャーからの思念が届き、私たちは会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」の瞬間移動でエロドクターの寝室に移りました。そこへ教頭先生とキャプテンが飛び込んできて…。
「「ブルー!!!」」」
教頭先生は私たちなど眼中になく、会長さんの許へと一直線。キャプテンはといえば、ソルジャーと並んでソファに腰掛けていたエロドクターの顎にアッパーを…。ソルジャーが咄嗟にシールドを張らなかったら、ドクターの顎は砕けていたかもしれません。
「ブルー! 何故こんな男を庇うのですか!」
「えっ、だって…。賭けの話を持ち出したのは、ぼくなんだし…」
そうだよね? とソルジャーに視線を向けられたドクターは。
「…ふふ、今の一発はお見事でしたよ。これで自信をお持ちになれれば良いのですがねえ…。そうでしょう、ブルー?」
「うん、愛されてるって実感したかな。…ありがとう、ハーレイ。ぼくは無事だよ」
頑張ったよね、と微笑むソルジャーにキャプテンはハッと我に返って。
「く、薬は…? ブルー、薬を打たれたのでは…?」
「ああ、薬? 中和剤を打ったから平気だよ、と言いたいんだけど…。まだ抜け切ってはいないかな…? せっかくノルディとヤるんだからね、やっぱり正気でいたいじゃないか。だから一時間後には効果が切れるように中和剤を…、って…。ハーレイ…?」
嘘八百を並べ立てるソルジャーをキャプテンは強く抱き寄せ、その耳元に。
「あなたが無事で…良かった…。どうなることかと…。もう本当に、どうなることかと…!」
「…ハーレイ…?」
「申し訳ございません…。私が講義を受けている間に退屈なさったのでしょう? マグロと呼ばれても仕方ない男と自覚していますが、それでも他の男にあなたを奪われるのは……どうしても…」
耐えられません、と絞り出すように言ったキャプテンにパチパチパチ…と拍手を送ったのはドクターです。
「素晴らしい。それでこそ男というものですよ。…短期間でよく学ばれましたね。紹介状を書いた甲斐がございました。…殴られた件は心意気に免じてチャラにしておいて差し上げますとも、ブルーとはお医者さんごっこを楽しむ仲ですから」
「………! も、もしかして、この騒ぎは…」
芝居ですか? と問い掛けたキャプテンの唇をソルジャーの唇が塞ぎました。万年十八歳未満お断りの団体の目には濃厚すぎる深いキスの後、ソルジャーは目尻を薄赤く染めて。
「野暮なことは言いっこなしだよ。…それより、続き。まだ…薬が抜け切っていない気がしてさ…。今日も色々教わったんだろ? ねえ…?」
ぼくは手料理よりもハーレイの方が食べたいな…、という言葉を残してソルジャーとキャプテンは自分の世界へ帰ってしまったみたいです。これで脱マンネリとマグロの件は解決したことになるんでしょうか? キャプテンが頼れる男に成長したとは思えませんけど…。リードする側もソルジャーのままって感じですけど…。
「うーん、多少はマシなのかな?」
誰の心が零れていたのか、会長さんが教頭先生の腕を振りほどきながら首を捻って。
「あの勢いが続くようならブルーをリードできるかも…。だけどハーレイとは別のベクトルでヘタレだからねえ、保って数日、それが限界って気がするよ。多分ノルディは殴られ損さ」
ハーレイもババを引いただけ、と会長さんに笑われ、教頭先生はようやく勘違いをしていたことに気付いたようです。会長さんは一連の騒ぎを楽しんでいただけなのだと。それなのに…。
「ブルー、心配したんだぞ? お前はノルディが苦手だからな。…ほら、こんな所に長居は無用だ。みんなと一緒に帰りなさい」
風邪を引くぞ、と気遣う教頭先生にエロドクターが舌打ちしています。キャプテンに殴られた埋め合わせを会長さんで…、と目論んでいたのかもしれません。私たちは教頭先生に一礼してからサイオンの青い光に包まれました。『あ、お帰りになる前に…』
エロドクターが思念を送って寄越し、会長さんの家のリビングに戻った私たちの前に舞い落ちたものはソルジャーとキャプテン用に作られたカルテ。
『倦怠期問題は無事に解決したようですし、ブルーに届けて頂けますか? 急にお帰りになりましたから、渡しそびれてしまったのですよ。私の所には別のカルテがありますからねえ…』
どうぞよろしく、とドクターの思念は切れました。別のカルテって、ソルジャーのキスマークの位置を記録してある例のヤツ…? ソルジャーにカラクリ屋敷を貸したドクター、キャプテンのアッパーも食らいましたし、色々と貸しが増えてそう。お医者さんごっこがエスカレートしませんように、と心の底から祈りますです~!
いきなり押し掛けてきて大人の時間のマンネリを解消したい、と言い出したソルジャー。あちらの世界のドクター・ノルディには倦怠期だと診断されただけで全く相談に乗って貰えず、私たちの世界のエロドクターを頼ってきたのです。キャプテンと共に受診するソルジャーには私たちまで付き合わされて…。
「…倦怠期だと言われたのですか?」
ドクターは大真面目な顔でソルジャーに向かって問い掛けました。
「失礼ですが、最近はどんな具合です? 一緒に過ごす時間がグンと減ったとか、一緒にいても楽しくないとか…。夜の時間も大切ですね。回数は?」
「てんでダメだね。ヌカロクなんて夢のまた夢」
またヌカロクが出て来ました。これってどういう意味なんでしょう? よくソルジャーが口にしますけど、私たちには分かりません。けれどエロドクターにはちゃんと通じて…。
「ヌカロクですか? それはまた…。日頃は随分とお楽しみだったようですね。それが減ったと仰るので? その程度なら問題なさそうですが…。セックスレスではないわけですし」
「「「………」」」
セックスレスは私たちでも分かります。真っ赤になっている私たちの前で、ソルジャーが。
「ああ、回数というのはそっちのことかい? そっちだったら毎日かな。…たまにハーレイが忙しくって来られない日もあるけどさ。…そういう時にはハーレイの部屋まで押し掛けるんだけど、イビキをかいて寝てたりしたら興醒めだね。無理に起こしてもおざなりで…」
「ああ、だいたいのことは分かりました」
エロドクターはカルテに何やら書き込んでから。
「要するに本当にマンネリだというだけなのですね、問題は…。倦怠期とは少し違うという気がします。失礼ながら、あなたの世界のドクターは細かい事情を全く御存知ないらしい。包み隠さず全部お話しになりましたか?」
「ぼくとしては話しても全然平気だけども、ハーレイがとても嫌がるものでね。…マンネリだとだけ言ったんだ。つまらないんだ、とも言ったかな」
「なるほど。では、その辺りで勘違いをなさったのでしょう。セックスがつまらないのは倦怠期の典型的な症状です。…それが酷くなるとセックスレスになるわけですが、あなたは単につまらないだけで、セックス自体を止めるつもりは全く無い…と」
「無いね」
赤裸々な会話が繰り広げられ、私たちは泣きそうでした。万年十八歳未満お断りと言われながらも十八歳にはなってますけど、それとこれとは別物です。大人の時間は私たちの理解の範疇外。つまらないとか、マンネリだとか、そんな話にはついていけません。なのにドクターもソルジャーも私たちを気にする風も無く…。
「では、私の所にいらした理由はマンネリから抜け出す方法を知りたいというだけですか? よろしかったらお手伝いさせて頂きますが」
「ありがとう。…ん? 手伝いと言ったかい? 相談じゃなくて?」
「ええ。脱マンネリには刺激が一番です。僭越ながら、私もお手伝いさせて頂きますよ。…三人でというのはお試しになったことがないのでは?」
「3Pか…。それは流石に経験が無い。うん、刺激的なのは間違いないよ」
ゾクゾクしてきた、と答えるソルジャーの瞳は好奇心に溢れていました。えっと、3Pって何でしたっけ?
『…まりぃ先生が描いてただろう、妄想イラスト』
会長さんの苦々しげな思念が私たちの脳内を横切り、頭に浮かんだのは会長さんと教頭先生とエロドクターが絡み合っている激しいイラスト。そうか、3Pってアレなんですねえ…、って、えぇぇっ!? 私たちは顔面蒼白になり、会長さんは柳眉を吊り上げています。きっと怒鳴りたい気持ちなのでしょうが、ここで割り込んだら巻き込まれそうな可能性大。3Pならぬ4Pにされてしまわないよう、じっと我慢というわけですか…。
「では、三人で楽しみましょうか」
エロドクターがニッと笑って。
「つまらない気分が解消すること請け合いですよ。御存知のように私のベッドはキングサイズですし、あちらでゆっくり…。こちらのブルーも連れて行きたい所なのですが、これだけの数のボディーガードに固められては無理でしょうねえ」
「お断りだよ!」
会長さんが叫び、私たちの方を振り向きました。
「どうやら解決したようだ。付き添い終了。さあ、帰ろうか。…良かったね、ブルー。君は好きなだけ楽しめば?」
やれやれ、やっと終わりましたか。ソルジャーとエロドクターがどうなろうと私たちの知ったことでは…って、あれ? いいんですか、会長さん? エロドクターがソルジャーを食べてしまうことになるんですけど…? キース君も同じことに気付いたらしく、会長さんの腕を掴んで。
「おい、あんた何かを間違えてないか? キャプテンはともかく、ソルジャーは見た目があんたと全く同じなんだぞ? 変な下心つきの解決策ってコレじゃないかと思うんだが」
「……あ……」
みるみる青ざめた会長さんは「前言撤回!」と厳しい口調で。
「その策はちょっと許可できないな。…ノルディが君で味を占めたら、ぼくの危険も一気に増す。別の方法を考えて貰わないと困るんだけど」
「…うん、実はぼくも名案とまでは思っていないよ」
意外なことにソルジャーが素直に賛同しました。
「今日の所はそれで楽しく過ごせたとしても、その後は? まさか毎日、三人で…ってわけにもいかないし。ぼくが求めているのは刺激だけではないんだよね」
ハーレイとの二人の時間が大切、とソルジャーはキャプテンを見詰めてから。
「ぼくはハーレイに満足させて欲しいんだ。うっかり流されそうになっちゃったけど、二人きりで楽しめそうな方法というのは無いのかい? …どうだろう、ノルディ?」
赤い瞳がドクターの方に向けられます。…会長さんが恐れた3Pとやらは中止になったようですけども、今度は何が出てくるのかな…?
せっかくの提案を蹴られたエロドクターは非常に残念そうでした。背中にデカデカと「もう少しだったのに…」の書き文字を背負っているのがクッキリ見えます。とはいえ、そこは腐っても医者。コホンと一つ咳払いをして、「そうですねえ…」と真剣に考え始め、5分ばかり経った頃。
「そうそう、ウッカリしていましたが…」
視線を上げたドクターがキャプテンに。
「先程からブルーばかりが話しているので、すっかり忘れておりましたよ。いえ、本物の倦怠期ではなさそうだと思って、迂闊なことを致しました。…セックスの問題は非常にデリケートなものでしてね。パートナーの意向というのも無視できません。…あなたの方は如何ですか?」
「は?」
いきなり話を振られてキャプテンはキョトンとしています。ドクターは「やっぱり…」と短く呟いて。
「もしかしなくても、つまらないと感じているのはブルーだけではありませんか? あなたの方は現状に不満があるとは思えませんが、その辺のことはどうでしょう?」
「え? あ、ああ…。そうですね、私は特に不満などは…」
「…やはりそうですか…」
ドクターはフウと溜息をつきました。
「どうやら原因はあなたにあるようです。ブルーはセックスがマンネリだと言い、あなたは不満は無いと仰る。つまり、あなただけが満足していてブルーの方は物足りない、と」
「そ、そんな…。私は自分だけ満足しようだなどと、そんな思い上がったことは…!」
キャプテンはアタフタと椅子から立ち上がらんばかりに慌てふためいて。
「本当です、私はいつもブルーのためを思って…! 妙な薬は確かにあまり飲みたくないので、ヌカロクを求められると困るのですが……それでも月に一度は応えるようにしておりますし…」
「求められるので月に一度、というわけですね。…あなたが毎日のように壊れるほどに求めすぎて、ブルーが断る日が月に一度なら分かるのですが…。セックスの主導権はブルーが握っているとお見受けしました。違いますか?」
「…………」
額に脂汗を浮かべるキャプテン。ドクターは「やれやれ」と首を左右に振り、「いけませんねえ…」と呆れた声で。
「いいですか、ブルーは受け身なのですよ? ですからブルーがマグロだというなら分かります。ところがブルーの話を聞いた感じではあなたがマグロじゃないですか」
「わ、私は決してマグロなどでは…!」
「うん、マグロなのかもしれないね」
ソルジャーは納得したようですけども、マグロって何のことでしょう? 魚のマグロではないですよね? ジョミー君たちにもマグロの意味は分からないらしく、私たちは顔を見合わせるだけ。会長さんの解説も今度はありませんでした。マグロって…なに? そんな私たちを置き去りにして会話は淡々と続いてゆきます。
「ハーレイは確かにマグロっぽいよ。…言われなければ薬も飲まない、ぼくの方からお願いしなけりゃ第二ラウンドが無いこともある。衝動のままに思いっきり…って、そういうことは滅多にないかも。それも薬を使った時だけ」
理性を失ったキャプテンは滅多に見られないのだ、とソルジャーは唇を尖らせました。
「やることはやっているけど、ノルディの言うとおりマグロと大して変わりないね。…マグロが相手じゃマンネリになるのも無理ないか…」
「そうでしょう? そこが問題なのです」
大きく頷くエロドクター。
「理性を失うことすら恐れるようでは、さぞかしマンネリなのでしょうねえ…。いえ、私も自分のペースで楽しみたいので理性は残しておくタイプですが、その分、テクニックで埋め合わせするようにしておりますよ? 私の技で相手が乱れるのを見るのは楽しいものです。ですが、この様子ですと、ブルーが乱れるなどということは…」
「うん。そっちの方も滅多にないよ」
つまらないんだ、とソルジャーがキャプテンを横目で眺めながら。
「何もかも忘れて快楽だけに溺れたい時ってあるじゃないか。だけどハーレイには伝わらないしね、ぼくの方から積極的に打って出るしかないってわけ。…誘惑するのはいつもぼくだ」
「それは立派なマグロですねえ…」
身体の方も大きいですが、とエロドクター。
「お身体のサイズに見合った御立派なモノをお持ちなのでしょうが、マグロでは宝の持ち腐れです。誘うのは常にブルーですか…。いやはや、なんとも情けない」
「だろう? 場所もシチュエーションもリードするのはぼくなんだよ。おまけに断られちゃうことも珍しくない。青の間か、ハーレイの部屋か、その二択しか無くってね…。たまには別の場所にするっていうのも燃えるだろうと思うんだけどな」
「先日の鏡張りですか?」
「ああ、あのラブホテルは最高だったね。君の助言に感謝してるよ」
あれから二度ほど泊まりに出掛けた、とソルジャーは笑みを浮かべましたが。
「でもね、こっちの世界へ泊まりに来るのはまた別だ。ぼくは自分の世界で楽しみたい。…シャングリラにも色々と穴場はあるんだよ。深夜の展望室には誰も来ないし、格納庫のシャトルも良さそうだ。ハーレイは人が来たらどうするんだって言うんだけれど、人が来るかもしれない場所って素敵だよねえ?」
「もちろんです。深夜の公園などもお好みなのではないですか? あそこにも死角はございますから」
「分かってくれる? 何度も誘っているんだけどなあ…」
ダメなんだよ、と嘆くソルジャー。キャプテンの方は大きな身体を縮めるようにして所在無げに椅子に座っています。エロドクターとソルジャーはキャプテンをマグロだと決め付け、その方向で脱マンネリの策を練ることにしたようでした。でも、マグロって何なのでしょうね…?
「いいですか。…単刀直入に申し上げますが」
エロドクターがキャプテンの方へ向き直ったのは、当人を無視したマグロ談義が大いに盛り上がった後のこと。キャプテンが恐る恐るといった様子で「はあ…」と返事を返すと、ドクターは。
「あなたに足りないのは積極性です。ブルーをリードするのは自分だ、という気概が感じられません。受け身のブルーに主導権を渡してどうするのです? そんな調子だからマンネリだのマグロだのと詰られるのですよ」
「しかし…。しかし、ブルーはソルジャーで…」
「それが何だと言うんです? ならばあなたが受け身になればよろしいでしょう」
「…い、いや……それは…」
困る、と呻くキャプテンの姿で思い出したのは「ぶるぅ」のママの座の押し付け合い。キャプテンが受け身というのは考えたくもありません。ソルジャーも本音は同じですからドクターを止めに入りました。
「ハーレイが受け身というのはちょっと嫌だな。それくらいならマグロでいいよ。…ノルディ、名案を思い付いたんなら脱線しないでサクサクと…」
「そうですか? どうにも不甲斐ないものですから、ついつい言いたくなるのですが…。ブルー、あなたもハーレイのヘタレっぷりに慣れてしまっておられるのですね。マグロでいいだなどと仰っていると脱マンネリは不可能ですよ?」
「うーん…。でも方法はあるんだよね?」
「…甚だ不本意なのですけどねえ…」
ドクターは大袈裟に肩を竦めてみせながら。
「同じヘタレでも、自分がブルーをリードしてゆくのだと心意気だけは立派な男がおりますでしょう? あそこに弟子入りしてはどうかと」
「「「はぁ?」」」
ソルジャーとキャプテンばかりか、私たちも声を上げていました。心意気だけは立派な男って、ひょっとして教頭先生のこと…? ソルジャーが瞳を大きく見開いて。
「…それって…。もしかしなくても、こっちの世界のハーレイかい?」
「ええ。御存知のとおり、ブルーを想い続けて三百年の筋金入り。しかも童貞、ヘタレっぷりでは右に出る者はおりません。…ですが、いつかブルーを嫁にするのだと思い込んでいるだけあって、ブルーのオモチャにされてはいても、夢は大きく果てしなく……です」
「それはまあ……そうかもしれないね。あそこで花嫁修業をしたこともあるし。そういえば、あれはハーレイも乗り気だったんだっけ」
思い出した、と手を打つソルジャー。球技大会でギックリ腰になった教頭先生のお世話をするのだ、とソルジャーが乗り込んできた事件があったのでした。あの時もエロドクターと結託してロクでもないことをしていましたが…。エロドクターは我が意を得たり、と頷いて。
「あなたのハーレイが乗り気だったのは、自分がリードする立場になれるかもしれないと思ったからでしょうね。そこが大事な所です。…こちらのハーレイはブルーをリードしたくて堪らず、あれこれ夢を見ています。あなたのハーレイがその夢を学んで実践したら……何が起こると思いますか?」
「え? え、えっと……どうだろう? 結婚式かな?」
「結婚式はお嫌いですか?」
「まさか! 結婚したんだ、ってシャングリラ中に宣言出来たら幸せだろうって時々思うよ。…ハーレイの性格からして諦めてるけど」
残念だよね、と漏らすソルジャーにドクターは。
「そうでしょう? あなたが諦めている結婚式を夢見ているのが、こちらの世界のハーレイです。もちろん結婚生活の方も抜かりなく準備しておりますし…。ですから学ぶことは多いと思いますよ」
「あ! 新婚グッズに憧れたって、ハーレイ、自分で言ってたっけ!」
そうだよね? と念を押されて、キャプテンは頬を赤らめました。以前、人魚の姿で泳ぎまくる『ハーレイズ』を結成させられた時、教頭先生とそういう話をしていたのだと聞いています。エロドクターは「それは結構」と相槌を打ち、キャプテンに。
「そういう下地があるのでしたら大丈夫でしょう。ぜひハーレイから結婚生活の極意を学んで下さい。脱マンネリにはマグロのままではいけません。リードするぞ、と頑張らなければ…。そうすれば日々、新鮮ですよ」
もっと積極的にアプローチを! とエロドクターはキャプテンを煽り、教頭先生宛に紹介状を書いたのでした。
「…私がお手伝いしたかったのですけどねえ…。ブルーの望みでは仕方ありません。円満解決を願っていますよ、落ち着かれましたら私のこともお忘れなく」
いつでもお待ちしております、とソルジャーの手に恭しく口付けをするエロドクター。紹介状を持ったキャプテンを囲むようにして私たちはドクターと別れ、青いサイオンの光に包まれました。目指すは教頭先生の家。リビングで寛いでらっしゃるそうです。いきなり大人数でお邪魔しちゃったら御迷惑かな…?
テレビを見ていた教頭先生は、突然現れた私たちの姿に腰を抜かさんばかりにビックリ仰天。それでも手早く人数分の飲み物を用意してくれたのが凄いです。会長さんは「ダテに独身生活、長くないから」なんて笑ってますけど、いいんでしょうか? キャプテンは脱マンネリのために弟子入り志願で、紹介状まで持ってるんですが…。
『いいんだってば。弟子入りするのはキャプテンだしね。…これが逆なら悲劇だけどさ。いや、喜劇かな?』
教頭先生が軽食を作りに行っている間に会長さんが思念でコソコソと。
『前にキャプテンから結婚生活のためのテクニックを伝授されてオーバーヒートしちゃった事件があっただろう? ハーレイは教えることは出来ても学べないよ。ヘタレで童貞、キャパシティが足りなさすぎる』
だから絶対大丈夫、と会長さんの思念は笑いを含んでいます。教頭先生がキャプテンに伝授されたのは大人の時間のテクニックでしたが、あまりにも刺激が強すぎたのか、鼻血を噴いて倒れてしまい、教わった知識も綺麗サッパリ吹っ飛んで消えてしまったのでした。ソルジャーの注文の『ハーレイズ』に付き合わされた御礼に貰った知識だったのに…。
「さて、ハーレイはどうするのかな? 弟子入りを断るような真似はしないと思うけどねえ…」
会長さんが声に出してそう言った時、教頭先生が焼きおにぎりとタラコのカナッペを運んで来ました。
「すみません、ロクな食材が無かったもので…。ところで、弟子入りと聞こえましたが、そういう御用でいらしたのですか?」
「そうなるかな」
返事したのはソルジャーです。教頭先生は「えっ」と一瞬、絶句して。
「まさか、あなたが柔道を…? 断ることはしませんけども、私の指導は厳しいですよ。柔道に関しては手加減と手抜きはしない主義ですから」
「違う、違う。弟子入りするのはハーレイなんだ」
「はあ…?」
「それに柔道を習うわけでもない。紹介状を持ってきたから読んでみて。…ほら、ハーレイ」
ソルジャーに促されたキャプテンが差し出す紹介状を受け取った教頭先生の眉間の皺が深くなります。
「…ドクター・ノルディ…?」
「本物の紹介状だよ、医者としてのね。内容はちょっとアレだけど…」
「………???」
封筒を開け、中身を読んだ教頭先生の表情は実に複雑でした。そりゃそうでしょう、ソルジャーとキャプテンの大人の時間を円満にするために協力しろと言うのですから! マンネリ以前に童貞一直線の教頭先生には気の毒としか言いようがありません。…しかし。
「分かりました。…私でよければ御相談に乗らせて頂きましょう」
「「「えぇっ!?」」」
てっきり断るものだと思い込んでいた私たち。教頭先生って太っ腹なんだ…。
「断るわけにはいかんだろうが」
教頭先生は穏やかな笑みで。
「紹介してきたのはノルディだぞ? いくらブルーが嫁に来てくれない寂しい独身者だと言っても、自分が惨めになりそうだからと断ったりしたらどうなると思う? ここぞとばかりにノルディが何をやらかすか…。場合によってはブルーの方にもとばっちりが行きそうでな」
うわわ、流石は教頭先生! 童貞生活三百年でも3Pと4Pの危機を見抜きましたか…。会長さんは「鋭いね」と教頭先生を褒め、紹介状は正当なものだと説明してから。
「そういうわけで、指導をお願いしたいんだ。…ただし! ブルーの脱マンネリの手伝いをしたからと言って、ぼくを落とせるとは思わないように。ぼくは嫁入りする気は無いしね」
「そうだろうな。だが、お前に頼みごとをされると悪い気はせん。それだけで充分、満足だ」
にこやかに笑う教頭先生の言葉に、ソルジャーが。
「…なるほどねえ…。ぼくがハーレイに頼みごとをすると、確かに聞いては貰えるけれど……「満足だ」なんて台詞、一度も聞いたことが無いかもしれない。これがリードする側の余裕ってヤツかな? ぼくのハーレイには大いに学んで貰わないとね」
「努力します…」
項垂れるキャプテンは如何にも自信が無さそうでした。そんなキャプテンに教頭先生は「大丈夫ですよ」と声を掛けて。
「要はブルーを嫁に貰った時の私の理想をお教えすれば良いのでしょう? なに、簡単なことばかりです。…ですが、お仕事のスケジュールもおありでしょうし…。その辺のことはどうすれば? 私は学校から帰った後と、土日はいつでも空いていますが」
「ああ、それね」
ソルジャーが代わりに答えました。
「ぼくのハーレイもスケジュールは似たようなものなんだ。ブリッジ勤務が終わったら君の家までぼくが送るよ。帰りの方も適当に…。とりあえず今日は顔合わせってことで、本格的には明日からどうかな?」
「かまいませんよ。…それでは明日から、ブルーを嫁に迎えたつもりで御指導させて頂きます。お役に立てればいいのですが…」
「普段通りの妄想炸裂でいいんだよ」
会長さんが横から割り込んで。
「紹介状に書いてあっただろう? ブルーはリードされる生活をしてみたいんだ。君の夢は仕事から帰ってきたら笑顔のぼくが出迎えてくれて、「食事にする? それとも先にお風呂にする?」って尋ねてくれることなんだろう? フリルひらひらのエプロン姿で」
「う…。ま、まあ……。そういうことだ」
「でもって食事よりも先に食べてしまいたいのが、ぼくだっけ? 二人で一緒にお風呂に入って…。おっと、いけない。授業の内容を先取りしたら教えることが無くなっちゃうよね。理想のバスタイムとか、食事とか。色々と細かく教えてあげて」
脱マンネリは大切だから、と会長さんに耳元で囁かれて、教頭先生は慌てて鼻をティッシュで押さえています。とことん初心な教頭先生と、やることだけはやっているのにソルジャーに努力が足りないと詰られているキャプテンと。こんな二人が師匠と弟子で、本当にソルジャーの希望の脱マンネリになるのでしょうか…?
「ハーレイ、明日から頑張るんだね。お前の成長に期待している」
ソルジャーは偉そうに言い放つと、教頭先生に「頼んだよ」とニッコリ微笑みかけました。
「ハーレイの教育が上手くいったら、ぼくからの御礼がある…かもしれない。こっちのブルーが邪魔しに飛び込んで来なければ…ね」
「余計なことはしなくていいっ!」
会長さんの怒鳴り声にソルジャーはクスッと小さく笑って。
「ハーレイ、御礼は要らないそうだよ。…じゃあ、今日の所は帰ろうか。こっちのノルディに相談に来て良かったよねえ。…お前がマグロと言われなくなったら、ぼくの人生バラ色だろうなぁ」
そしたら家出もしなくて済むし、とキャプテンの手を軽く握ってソルジャーは姿を消しました。えっと、これからどうなっちゃうの? 今夜は遅いので会長さんが家に泊めてくれると言っていますが、明日からの教頭先生とキャプテンの師弟関係が心配です。教頭先生、ちゃんと指導が出来るのでしょうか? それにマグロって、結局、何? お寿司が食べたくなってきました。夜食にマグロの漬け丼っていうのも良さそうですよね~!
坊主カフェやら教頭先生の剃髪ショーやら、坊主一色だった学園祭が終わると空気は初冬。紅葉便りの季節です。来月にはキース君の伝宗伝戒道場入りも控えていますし、暖房が無いという過酷な道場だけに「暖冬になるといいね」と皆で話題にしてたのですけど…。
「残念だったねえ、キース」
会長さんが家から持ってきた朝刊の1面を指差しました。
「恵須出井寺で初雪だってさ。平年よりも1週間ほど早いようだし、来月は寒くなりそうだよ」
「…気が滅入るから言わないでくれ。最近は朝晩も冷え込むしな」
もう考えないことにした、とコーヒーを啜るキース君。私たちはいつものように「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお部屋に集まっています。柔道部三人組は部活を終えてからの合流で、焼きそばを平らげてからマロンパイでティータイム。
「先輩に聞いた話なんだが、道場で何が辛いと言って夜の寒さが半端ないらしい。昼間は修行に打ち込んでいるから気にならなくても、布団に入ると一人だしな。もちろん私語は厳禁だ。…畳から冷気が這い上がって来て眠るまで時間がかかるんだとさ」
「「「………」」」
それはなんとも寒そうだ、と私たちは身体を震わせました。寝床の中は暖かいものだと思っているのに、身体の下から冷えるだなんて…。シールドでなんとかならないのかな?
「キースには無理だね」
冷たく突き放す会長さん。
「サイオン・シールドは目的に合わせて使い分けが必要なんだ。姿を隠すとか、衝撃を防ぐとか、周囲の空気を遮断するとか。つまり微細なコントロールが欠かせないわけ。そこまでの力はキースには無いよ」
「俺も頑張ってはみたんだが…。どうも才能が無いようだ」
諦めて霜焼けになってくる、とキース君は溜息をついています。霜焼けは道場の名物だそうで…。
「まあいいさ。いずれはサムもジョミーも行くだろ? 一足お先に体験してくる」
「ちょ、ちょっと待ってよ、なんでぼくが!」
ジョミー君が慌てていますが、キース君の方は心得たもの。
「何を今更…。ブルーの弟子になったんだろうが。本山に届けは出ていなくても、今や立派な仏弟子だ。正式な坊主になるのに大学は必要ないんだぞ? 決められた量の修行をこなせば伝宗伝戒道場に行ける」
「そうだぜ、ジョミー」
サム君が横から割り込みました。
「璃慕恩院でも定期的にやってるらしいし、本格的にやりたいんならキースの大学に特別コースがあるんだってさ。大学の授業とは関係なしに坊主目指してまっしぐら! ただ、全寮制で2年みたいだけど」
「全寮制…? なんだよ、それ…」
真っ青になったジョミー君に、キース君が。
「ああ、そういうコースも存在するな。大学の卒業資格は貰えないんだが、2年の間みっちり学べば伝宗伝戒道場に行ける。ある意味、最短コースとも言うか…。俺は大学も卒業したかったから、普通に大学生だがな」
「……2年……」
青ざめているジョミー君ですが、キース君は楽しそうに。
「他にも1年で終わる専修コースがあるんだぜ。通信教育講座もある。だが、人気は2年コースだな。仏教の聖地への研修旅行なんかも行けるし、なにより坊主に専念できる。寮では法衣か作務衣を着用、男子は丸刈りが鉄則なんだ」
「丸刈り…?」
「当然だろうが。坊主専門コースだぞ? 6時起床で講義の合間にお勤めに掃除、勉強会。…どうだ、サムと一緒に行ってみないか?」
ニヤニヤしているキース君ですが、全寮制だとシャングリラ学園はどうなるんでしょう? 二足の草鞋は難しいのでは…? その心配を払拭したのは会長さんです。
「そうだね、サムと二人で行ってみるかい? 紹介状なら書いてあげるよ、入試は無くて条件は得度だけだから。…シャングリラ学園の方は休学扱いにするのもいいし、暇な時だけ顔を出すって形にしても問題ない。欠席大王のジルベールなんかは一度も来ない年もあるしさ」
「…で、でも…。全寮制だとサムが困るよ? ブルーに会えなくなっちゃうじゃないか」
「そっちの方は任せといてよ。面会に行けば済む話だ」
毎日でもね、と悪戯っぽく笑う会長さん。
「ぼくは璃慕恩院にもキースの大学にも顔が利く。ついでに寮は二人部屋だ。ジョミーとサムを相部屋にすれば、夜中にコッソリ遊びに行っても誰にも見咎められないし!」
「なるほど。…あんたならシールドも完璧だから、他の連中にはバレないだろうな」
キース君が相槌を打ち、ジョミー君は泣きそうな顔で。
「待ってよ、サムも乗り気なわけ? 全寮制とか本気なわけ…?」
「え? 俺はまだ何も決めてないけど…」
どうしようかなぁ、とサム君が首を捻っています。
「毎年、夏に璃慕恩院とかカナリアさんとかで集中講座があるらしいんだ。三週間って言ったかな? それを三年間ほどこなして、試験を受けて合格すれば伝宗伝戒道場に行けるみたいだし…。シャングリラ学園に通いながら坊主を目指すならコレがいいかな、って」
「うわぁ…。勘弁してよ、ぼくは坊主は嫌なんだってば!」
「得度しただろ? 俺と一緒に頑張ろうぜ」
まずは朝一番のお勤めから、とサム君に勧誘されて逃げ腰になるジョミー君。会長さんの家での朝のお勤めに一度も出掛けていないのだそうで、お坊さんへの道は遠そうですねえ…。
そうやってワイワイ騒いでいると、不意に空気が揺らめいて。
「こんにちは」
紫のマントが翻り、ソルジャーが姿を現しました。
「今日も賑やかにやってるね。えっと、ぼくのおやつは…」
「かみお~ん♪ いらっしゃい!」
お客様だぁ、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」がキッチンの方へ駆けてゆきます。戻ってきた手にはマロンパイとティーセットを載せたお盆が…。
「いつも悪いね。うん、今日のおやつも美味しそうだ」
ソルジャーは勝手知ったる他人の家とばかりにソファに腰掛け、マロンパイにフォークを入れながら。
「お坊さんの話に花が咲いていたようだけど、ハーレイは結局どうなったわけ? 学園祭でブルーに坊主頭にされてしまって、お金でカタをつけたんだろう?」
「まあね」
思い出し笑いをしている会長さん。
「後夜祭が終わったら勝手に元に戻ると思ってたらしい。なのに家に帰ってもそのままだから、ぼくに電話をかけてきたんだ。それで思い切り吹っかけてやった」
会長さんは「すぐに戻すなら幾ら、一日なら幾ら…」とボッタクリな価格を告げたのです。教頭先生は泣き泣き最高価格を支払い、元に戻して貰ったのですが…。
「ぼくが受け取ったお金は御布施だからね、ついでに法名をプレゼントしようとしたら断られちゃった。ジョミーですら得度したというのに、まだまだ覚悟が足りないらしい」
「そうか…。やっぱりお坊さんにはならないんだ?」
「うん。往生際だけは悪いからね」
ヘタレだから、と溜息をつく会長さんにソルジャーは。
「君一筋に三百年で、童貞まっしぐらのハーレイですら色々と詰めが甘いってわけか…。だったら仕方ないのかなぁ? ぼくのハーレイがマンネリ街道一直線でも」
「「「は?」」」
いきなり飛躍した話に私たちは首を傾げました。マンネリという単語は耳にタコが出来るほど聞かされてますが、またまた何か問題が…? ソルジャー、家出してきたとか…?
「いや、今回は家出じゃないんだ」
誰の思考が零れていたのか、ソルジャーは苦笑しています。
「毎回々々、家出ばかりじゃ芸が無いしね。それも一つのマンネリってヤツだ。…この前、ぶるぅを預かって貰った時のことは覚えているだろう?」
「ああ、あれな…」
キース君の視線が遠くなって。
「子供だと思って放っておいたら酷い目に遭った。あいつは元気にやってるのか?」
「お蔭様で。こっちにも何度か遊びに来てるし、ゲームの方も楽しんでるよ。だけど悪戯は止まないね。…覗きだけはやらないように厳しく言ってあるけれど」
ソルジャーとキャプテンの大人の時間を覗き見した「ぶるぅ」を預かる羽目に陥った記憶は私たちの中でも鮮明です。悪戯禁止と言われてストレスが溜まった「ぶるぅ」がやらかした悪戯は、自分が覗き見した大人の時間をDVDに記録するというヤツで…。
「ぶるぅを預かって貰ったことは有意義だった」
大いに役に立った、と続けるソルジャー。
「持って帰ったDVDは青の間で再生可能に出来たし、あれでハーレイを教育したんだ。マンネリから抜け出せないなら、せめてサービスに努めるように…って」
「そこまで!」
会長さんが遮りましたが、ソルジャーはチラリと横目で見ただけ。
「いいじゃないか、別に実演するわけじゃなし! 万年十八歳未満お断りの団体様だとは聞いているけど、実年齢は十八歳になってるよねえ? 性教育なんてモノもあるんだし、聞くだけなら特に問題ないさ」
でね、とソルジャーは言葉を続けて。
「ハーレイは真面目に頑張った。あの映像を再生しながらやるというのは刺激的だね。あんなに燃えるシチュエーションは鏡張りの部屋以来かな? とにかく素敵で、大満足で…。そこまでは良かったんだけど」
「「「???」」」
「…過ぎたるは及ばざるが如し、っていうのは本当だったよ。ハーレイときたら、あの映像を流しさえすればぼくが喜ぶと思ったらしい。来る日も来る日も映像つきっていうのはちょっとね…。それを指摘したら平謝りで、映像はそれっきり流さなくなった。そして中身はマンネリだ」
つまらないんだ、とソルジャーは唇を尖らせました。
「ぼくとしては毎日とまでは言わないから、たまには刺激が欲しいんだよ。マンネリから抜け出せなくても、こう、ちょっとした遊び心とか…。それでノルディの所へ行った」
「「「えぇっ!?」」」
腰が抜けそうになる私たち。よりにもよってエロドクターの所へ、ですか…? が、ソルジャーは慌てて手を振って。
「違う、違う。ノルディはノルディでも同じ名前の別人さ。…ぼくのシャングリラのドクターだよ」
「「「………」」」
ああ良かった…。そのドクターなら安心です。仕事の虫だと聞いてますから! ソルジャーは「そうなんだよ」と頷いて。
「誰にも聞かれたくない話があるから、と頼んだら時間を空けてくれた。それでハーレイと二人で出掛けて行ったんだけど、仕事の虫じゃ話にならないねえ…」
事務的すぎる、と嘆くソルジャー。
「ノルディはぼくとハーレイの事情を知っているんだ。だから脱マンネリに知恵を貸してくれるかと思えば、いとも簡単に言ってのけた。倦怠期ってヤツですね…って」
会長さんがプッと吹き出し、キース君も笑いを堪えています。倦怠期って…やっぱり私の考えた意味で合ってるみたい。ジョミー君たちも複雑な顔。ソルジャーは「笑い事じゃないよ!」と声を荒げて。
「とにかくノルディはダメだった。男女間の倦怠期における解決法をつらつらと述べて、挙句になんて言ったと思う? …男同士の倦怠期についてはデータが無いので、被験者になって頂けると嬉しいのですが…って!」
今度こそ会長さんは可笑しそうに笑い出しました。私もついつい笑いがこみ上げてきて、もう止めるのも難しくって…。ソルジャーの世界のドクター・ノルディは最高かも~!
散々笑って笑い転げて、涙まで溢れ始めた頃。…物凄い殺気で我に返ると、ソルジャーが射殺しそうな瞳で私たちを見詰めています。
「…所詮やっぱり他人事か…。こんなことなら事前承諾なんかを貰いに来るんじゃなかったかな?」
「あ…。ごめん」
会長さんが素直に謝り、私たちにも謝るようにと促してから。
「事前承諾って何のことさ? 話がサッパリ見えないんだけど…?」
「今までの流れで分からないかな? ぼくはマンネリで悩んでるんだよ。ハーレイを連れてわざわざ相談に行くくらいにね」
無駄だったけど、と盛大な溜息を吐き出すソルジャー。
「ぼくの世界のノルディ相手じゃ話にならないことは分かった。…だったら相談相手を変更するしかないだろう? ぶるぅのストレスを的確に診断してくれたノルディは信頼できる」
え。それってまさかのエロドクター? 目が点になった私たちにソルジャーはフンと鼻を鳴らして。
「こっちのノルディはテクニシャンだと自負しているし、百戦錬磨のツワモノだしね。ぼくとハーレイの倦怠期とやらにも相応の助言をしてくれそうだ。…それで相談に行こうと思ったんだけど、ブルーの承諾が必要かなぁ…って」
「…なんで?」
怪訝そうな会長さんに、ソルジャーは心底呆れた風で。
「えっと…。危機感が無いとは天晴れだねえ? こっちのノルディは君に御執心で、そのお蔭でぼくも美味しい思いをしているんだよ? そんなぼくがパートナーも一緒だとはいえ、とてもデリケートな相談をしに行くんだけれど? …あのノルディが提示してくる解決策が下心ゼロと言い切れるかい?」
「「「………」」」
それはヤバイ、と私たちも遅まきながら気が付きました。なんと言ってもエロドクターです。ソルジャーとキャプテンのためと言いつつ、自分にも利益がありそうな策を練らないとは断言できないわけで…。
「今頃やっと気付いたわけ? まあいいけどね、それならそれで勝手に行くから」
「え?」
会長さんが赤い瞳を見開いて。
「勝手に…って、初めからそういうつもりなんじゃあ? ぼくが止めても行くんだろう?」
「君の承諾を貰いに来たって言ったじゃないか。…心配だったら付き合ってくれればいいんだよ。そこの子たちも一緒にね」
ソルジャーは唇を笑みの形に吊り上げました。
「ぼくのハーレイも連れて行くけど、ハーレイに遠慮は無用だから! どうせ元からヘタレなんだし、ギャラリーが山ほど居並ぶ前で診断を受けて貰うつもりさ。とても素敵な見世物だろう?」
「…見世物って…」
それはあまりに酷過ぎるのでは、という会長さんの言葉は無視されました。
「ハーレイのマンネリは今に始まったことじゃないんだよ? ぼくが家出をしてきたのだって一度や二度じゃないだろう? 本当はハーレイを叩き出したい所だけれど、キャプテンを船から放り出したら大変なことになるからねえ…」
ヒラのクルーなら良かったのに、とソルジャーは肩を竦めていますが、何かとお騒がせでトラブルメーカーなソルジャーのお相手が普通のクルーに務まるとは思えません。だからこそキャプテンが恋人なのでは…と思うのですけど、余計なお世話ってヤツなんでしょうか? 私たちが顔を見合わせていると、ソルジャーは。
「そういうわけで、ぼくのハーレイを呼んでもいいかな? ついでにノルディに診療の予約を入れたいんだけど、君たちも一緒についてくる? それともぼくとハーレイだけで…」
「ついて行く!」
間髪を入れずに叫んだのは会長さんでした。
「さっきは真面目な相談に行くんだと思っていたけど、急に不安になってきた。君のハーレイを見世物だなんて言い出すしね…。そこへノルディだ。君とノルディが揃うとロクなことにならない。…診療の予約は取ってあげるから、ぼくも一緒に…」
「ついでにそこの子たちもね。ブルーのボディーガードなんだろう?」
ソルジャーに訊かれて、頷かざるを得ない私たち。サム君だけは会長さんのためなら火でも水でも気にしませんけど…。こうしてエロドクターの診療所へのお出掛けが決まり、会長さんが予約の電話を入れました。ソルジャーの名前は出さずに、です。エロドクターが何か勘違いをしてそうですけど、知ったことではないですよねえ?
それから間もなく「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお部屋に呼び出されたのはソルジャーの世界のキャプテンです。船長服のキャプテンは周囲を見回し、私たちがズラリと居並ぶ光景に首を傾げて。
「…ソルジャー、極秘のお呼び出しだと伺いましたが…?」
「極秘だよ? ゼルたちにも秘密にしてあるしね。ああ、シャングリラのことなら大丈夫だ。ぶるぅが青の間で頑張っている」
いざとなったら連絡が来るよ、とソルジャーは澄ましていますが、キャプテンの方はそれどころではないようで…。
「せ、先日の件の続きなのでは…? 行き先が違うようなのですが…」
「だから、これから行くんじゃないか。そうそう、予約はこっちのブルーがしてくれた。君からも御礼を言いたまえ」
「…御礼……ですか…?」
キャプテンは見事に固まりました。言動から察するに、キャプテンはエロドクターの診療所へ相談に行くものと思っていたようです。なのに違う場所に呼ばれ、あまつさえ診療の予約は会長さんが入れたとなると、プライバシーも何もあったものではありません。顔面蒼白のキャプテンに、ソルジャーがクッと喉を鳴らして。
「心配しなくても、ブルーは予約を入れただけだよ。こっちのノルディは誰を診るのかも知らないから」
「そ、そうなのですか? …すみません、お手数をおかけしました」
深々と頭を下げたキャプテンでしたが、ソルジャーは容赦なく追い打ちを。
「ノルディは何も知らないけどね、ここの連中は全部知っている。ついでに診療所にも付き添ってくれることになっているから、覚悟しといて」
ぐえっ、と短い悲鳴が聞こえてきたのは気のせいではないと思います。キャプテンは脂汗を流しながら必死に付き添いを断ろうとしたのですけど、ソルジャーが許すわけがなく…。
「旅の恥はかき捨てって言うだろう? ここは究極の旅先だ。どんな恥をかいてもシャングリラの皆には絶対バレない。君のセックスがマンネリだとか、しょっちゅう飽きられて家出されてるとか、そういうことはとっくの昔にこっちの世界じゃバレバレなんだよ。恥の上塗りの一枚や二枚、気にしなくっても問題なし!」
キャプテンはガックリ項垂れ、眉間の皺を揉んでいます。こんな調子でエロドクターの診療所に乗り込んで行ったら、どんな展開になるのやら…。気の毒としか言いようのない状況でした。けれども時間は止まることなく、「そるじゃぁ・ぶるぅ」が早めの夕食を用意してくれ、食欲の無いキャプテン以外はピラフやシチューを詰め込んで…。
「そろそろかな?」
壁の時計を眺めるソルジャー。
「この面子だと、タクシーよりも一気に飛ぶのが一番だよね?」
「えっと…」
会長さんがサイオンで診療所の様子を探ってから。
「うん、受付の人もスタッフもいない。予約を入れたのはぼくなんだから、そうするだろうと思ってたけどさ。情報撹乱の必要もないし、瞬間移動も問題ないね」
「よし! それじゃ行こうか。ハーレイ、専門家の質問には包み隠さず答えること! でないと正確な診断結果が出ないから。…ブルーとぶるぅはそこの子たちを連れてくんだよね?」
あぁぁぁぁ。私たちには逃げる機会もありませんでした。元気一杯な「かみお~ん♪」の雄叫びを合図に青いサイオンの光が溢れ、身体を包む浮遊感。万事休すってこのことですか~!
「…これはこれは」
驚きました、とエロドクターが両手を広げて立っています。私たちは瞬間移動で待合室に飛び込み、会長さんがサム君に護衛されながらソルジャーの方を指差して。
「電話じゃ話が長くなるから省略したんだ。…診察を受けるのはぼくじゃない。そこのブルーとハーレイだよ」
「おや。…それは少々残念ですね。とはいえ、ブルーを診察できるというのも嬉しいものです。お医者さんごっこしかやったことがありませんのでねえ…」
「「「お医者さんごっこ!?」」」
私たちの声が引っくり返り、ソルジャーがペロリと舌を出して。
「ちょっとだけね。食事に付き合うだけじゃ物足りないって時もあるとは思わないかい? あ、心配しなくてもホテルとかには行っていないよ、本物の病院があるんだからさ」
「「「………」」」
どんなお医者さんごっこなんだか知りたくもない、と頭を抱える私たちの前にエロドクターが奥からカルテを持ってきました。
「どうです、ご覧になりますか? これがブルーのカルテですが…。お遊びですから、キスマークの場所を記録してあるだけですけどね。それも上半身限定です」
「そういうこと。お医者さんごっこの正体はコレ」
見る? とカルテを受け取ってヒラヒラさせるソルジャーでしたが、見たがる人がいる筈もなく…。キャプテンなんかは真っ赤になって俯いています。そりゃそうでしょう、自分とソルジャーの間の秘密を記録されていたというのですから。
「ほほう…。そちらのハーレイにお会いするのは初めてですが、こちらのハーレイに負けず劣らず、ヘタレでらっしゃるようですねえ…。お医者さんごっこなど可愛いものではありませんか。キスマークを見られて困ることでも…?」
明らかに面白がっているエロドクターは、実はキャプテンと初対面ではありません。ドクターは記憶を失くしてますけど、その昔、ソルジャーを食べようとしてあちらの世界に乗り込んだ時、ソルジャーに一服盛られた挙句にキャプテンにヤられてしまった不幸な過去が。ですからキャプテンはもっと強気に出られるんだと思いますけど、違うのかな?
『無理、無理! ぼくの命令でやったことだし、そこに至るまでの事情も知っているからねえ…。こっちのノルディには敵うわけないよ、なんと言ってもヘタレだから!』
ソルジャーの思念に解説されて、私たちはキャプテンの負けを確信せざるを得ませんでした。エロドクターはそんなキャプテンとソルジャーを診察室へ促し、並んで椅子に腰掛けさせて。
「…さて、本日はどうなさいました? そちらの世界にも私そっくりのドクターがいたと思うのですが、お役に立てなかったのですか? それとも、お医者さんごっこのカルテが必要になったとか…?」
意味深な笑みを浮かべるエロドクターに、ソルジャーが。
「お医者さんごっこで作ったカルテねえ…。案外それもいいかもしれない。…ただし、ハーレイがお医者さんになり切れないと意味が無いけど」
「「「は?」」」
ドクターもキャプテンも、私たちも首を捻りました。お医者さんごっこが何ですって?
「なんて言えばいいのかな? そういうプレイも新鮮かな、って…。ハーレイがぼくにキスマークをつけながら、丹念にカルテに記録する。そういえば、お医者さんごっこはしたことなかった」
思い付きもしなかったよ、とソルジャーは一人で納得してから。
「ノルディ、君に折り入って相談がある。…ぼくとハーレイのプライベートに関わることで、外に漏らしたくないからよろしく頼むよ」
「守秘義務…というヤツですか? それにしては付き添いの数がやたらと多いようですが…? ぶるぅはともかく、他の皆さんはどうするのです?」
「かまわないのさ、ギャラリーだから。ぼくのシャングリラに知れ渡らなければいいんだしね。…ぼくの世界のノルディにも相談したんだけれど、全く話にならなくてさ。それでこっちに来ることに…」
ソルジャーはキャプテンの肩をポンと叩いて。
「ハーレイ、さっきのカルテごときで赤くなるとは情けないねえ…。脱マンネリの相談に乗って貰うんだろう? アドバイスに耳を傾けなくちゃ」
「脱…マンネリ…ですか?」
ポカンとしているエロドクターに、ソルジャーはパチンとウインクをして。
「そうなんだ。ぼくの世界のノルディは倦怠期だと診断した。…この状態から脱出するにはどうすればいい? 名案を期待しているよ」
瞳を輝かせているソルジャーと、大きな身体を縮こまらせているキャプテンと。…エロドクターは何と答えを返すのでしょうか? 万年十八歳未満お断りでも理解できればいいのですけど、分からない方が幸せかな…?