シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。
- 2012.02.06 汚れなき悪戯・第1話
- 2012.02.06 試練を越えて・第3話
- 2012.02.06 試練を越えて・第2話
- 2012.02.06 試練を越えて・第1話
- 2012.02.06 休暇と夏旅情・第3話
シャングリラ学園では水泳大会が終わると次の話題は収穫祭と学園祭です。収穫祭は学校ではなくてマザー農場での行事ですけど、ジンギスカンの食べ放題やら農場体験やらが大人気。学園祭の方は去年公開した「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお部屋が今も話題で、今年はどうなるのかと噂されていたり…。
「ねえ、今年も公開しちゃうわけ?」
どうするの、とジョミー君が尋ねたのは放課後のこと。今日のおやつは木の実のキャラメルタルトでした。アーモンドにクルミ、様々なナッツがたっぷりです。話を振られた会長さんは「さあ?」とフォークで自分のタルトをつつきながら。
「学園祭まではまだ日もあるし、正直、なんにも考えてない。去年みたいに必要性に迫られてるわけでもないからねえ…。今年入学した1年生はぶるぅの部屋なんか見ていないしさ。吹っ飛んだのは去年のことだし」
「………すまん」
頭を下げたのはキース君です。
「俺がバーストしたばっかりに…。しかも個人的な悩みのせいで」
「そうだったねえ。うんうん、君以外には実にバカバカしい悩みだったよ」
情けない、と会長さん。
「君が素直に坊主頭を受け入れていれば、あんな細工は必要なかった。サイオニック・ドリームを操るのに必要なサイオンを引き出すためだったとはいえ、大いに高くついたよね。…まあ、保険で修理は出来たけどさ」
キース君は坊主頭になるのが嫌で、サイオニック・ドリームで誤魔化せないかと頑張った挙句、会長さんにつつかれて起こしたバーストが切っ掛けで全面的に解決したのでした。ただし今でもサイオニック・ドリームは坊主頭に見せかけること限定でしか使えないらしいですけども。
「…ところで、キース。ぶるぅの部屋のことはともかく…」
どうするんだい、と会長さんが尋ねました。
「今年の暮れには伝宗伝戒道場だろう? 準備の方は順調なのかな?」
「「「…デンシュウデンカイ…?」」」
なんですか、それは? 道場と名前がついてるからには、前から何度も話題に出ている道場を指しているようですが…。
「ああ、それはね…」
会長さんがニッコリ微笑みました。
「伝は伝える、宗は宗教の宗で、戒は戒律の戒と書くんだ。この道場を無事に終えたら、キースは本物のお坊さんになれるんだよ。今までは見習いみたいなものかな、一人じゃ何も出来ないしね」
「え? 色々やっているじゃない」
月参りとか墓回向とか、とジョミー君。仏の道は嫌だと言う割に覚えているのは毎年の修行体験ツアーのせいでしょうか? 会長さんは満足そうに頷いて。
「なるほど、キースの動向は気にしてるわけだ。…いずれは君も通る道だし、チェックしておくのはいいことだね」
「ち、違うってば! だってキースとは付き合い長いし、しょっちゅう聞いてりゃ覚えるよ!」
「ふうん? 確かにキースは熱心にお寺を手伝ってるから、必然的に話題になるか…。まあいい、そういうことにしといてあげよう」
それはともかく、と会長さんは私たちの方に向き直って。
「月参りだの墓回向だのは、得度……お坊さんになる儀式だけどね、それを済ませて修行をしてれば一応なんとか出来るんだ。お経が読めれば問題ない。だけどお寺を預かるとなると話は別だ。住職の資格が必要になる。ついでに伝宗伝戒道場をクリアしないと、お葬式を出すこともできないんだよ」
「「「???」」」
「そうか、キースはアドス和尚の手伝いでお葬式もやっているからねえ…。勘違いするのも無理ないか。引導を渡すって言葉を知ってるかい? トドメの一撃みたいな意味で使われてるけど、本来はお坊さんの言葉なんだよ。亡くなった人の俗世への未練を断ち切り、あの世へ導く手順を指すのさ」
「簡単に言えばそういうことだな」
キース君が応じ、会長さんは更に続けて。
「この手順がまた複雑でね。そのために必要な知識と資格を伝宗伝戒道場で授からないと、一人前のお坊さんになれないわけ。つまりキースはまだまだヒヨコ」
頑張らないとね、と発破をかけられ、キース君は。
「言われなくても準備はしている。先輩たちの体験談も聞いたりしてるし、親父にも色々教わってるし…。勉学の面で不安は無い。…問題はあそこの環境だな」
厳しいんだ、とキース君は珍しく弱音を吐きました。
「外との境は障子一枚、それで暖房は一切無し! もちろんカイロは使えないから、霜焼けが痛くて泣きたくなるとか夜は凍えて眠れないとか…。サイオン・シールドが使えたらな、と何度も思っているんだが…」
「シールドまでは面倒見ないよ」
会長さんが素っ気なく言い、キース君は「そうだろうな」と呟いて。
「これでも努力はしてるんだ。それなのにコツが全く掴めん。…駄目だった時は諦めて霜焼けだな」
「そうしたまえ」
暖冬になるといいね、と会長さん。私たちも無責任に「暖冬だといいね」を連発しながらキース君を応援しました。そうか、いよいよ道場入りが近付きましたか…。去年のカナリアさんこと光明寺の修行道場も大変だったみたいですけど、今度はその比じゃないのかな?
ワイワイ賑やかに騒ぎ立てながら会長さんから得た情報では、伝宗伝戒道場は完全に外部から切り離された世界のようです。カナリアさんでやった高飛びという名の外出なんかはもっての他。家族とも一切連絡が取れず、道場が終わる日にはお寺によっては家族の他に檀家さんまでがお迎えに来るというのですから凄いかも…。
「それだけ期待されてるんだよ」
会長さんがキース君を見遣りながら。
「正式にお寺の跡継ぎになるんだからね、檀家さんだって気合が入る。キースも檀家さんやアドス和尚の期待に応えて立派に修行をやり遂げないと…。剃髪しない分、人並み以上に!」
「…分かっている…」
この期に及んでもキース君は髪の毛を守り通す気でした。カナリアさんの道場の時と同じで会長さんに貰ったカツラだと周囲を誤魔化し、長髪をキープしようというのです。まあ、伝説の高僧の会長さんも剃髪したことがないのですから、私たちも突っ込んだりはしませんけども。
「髪の毛の分は頑張るさ。俺の目標は緋の衣だしな」
そのためにも道場をクリアしないと、と拳を握るキース君。そこへ…。
「こんにちは。今日も盛り上がっているようだね」
紫のマントが優雅に翻り、ソルジャーが姿を現しました。
「ちょっとお願いがあるんだけども、時間、いいかな?」
「「「は?」」」
「時間あるかな、って聞いてるんだよ。見たところでは暇そうだけど」
「え? あ、ああ…。まあ…」
会長さんが答えた所でソルジャーは。
「ありがとう。時間があるなら話が早い、と」
よいしょ、と掛け声をかけて伸ばされたソルジャーの右手の先で空間が揺らめき、続いて悲鳴が。
「やだやだ、やだーっ! ごめんなさいって言ってるのにーっ!!!」
「「「ぶるぅ?」」」
嫌と言うほど聞き覚えのある声は「ぶるぅ」です。けれど姿は見えては来ずに、空間を挟んで引っ張り合いになっている模様。
「うるさくしちゃって申し訳ない。悪いけど、三分間ほど我慢して」
「「「………」」」
三分間。それはサイオン全開の「ぶるぅ」が持ちこたえられる時間の限界でした。まるでカップ麺みたいですけど、本当に三分間しか持たないのです。キャーキャーと騒ぐ「ぶるぅ」の様子に「そるじゃぁ・ぶるぅ」が不安そうに。
「ねえねえ、ぶるぅ、どうしちゃったの?」
「ん?」
ソルジャーは見えない空間の向こうを引っ張りながら。
「じきに分かるさ、ぶるぅが来れば…ね。それにしても往生際が悪いったら…。時間切れになったら体力もゼロって自覚が無いようだ。いいのかい、ぶるぅ、もうすぐ三分経ちそうだけど」
「いやーーーっ!!!」
そこで三分経過したらしく、「ぶるぅ」がドサリと絨毯の上に落ちて来ました。駆け寄った「そるじゃぁ・ぶるぅ」が覗き込みましたけど、どうやら意識が無いようです。体力がゼロになるまで抵抗していた「ぶるぅ」が何をしでかしたのか、何が「いや」で「ごめんなさい」だったのか、分かるのはもう少し先ですかねえ…?
サイオンと体力を使い果たしてしまった「ぶるぅ」はクッタリと床に伸びていました。それをソルジャーが抱え上げてソファに放り出し、両手をパンパンと軽くはたいて。
「やれやれ、手間のかかる…。とはいえ、持って三分間だから! そんなに迷惑はかけないと思う」
「もう充分にかかったってば!」
うるさかった、と会長さん。けれどソルジャーは聞いているのかいないのか…。
「美味しそうなタルトじゃないか。ぼくの分もある?」
「うん!」
待っててね、とキッチンに走って行く「そるじゃぁ・ぶるぅ」をソルジャーは「いい子だよね」と見送って。
「いいお手本もついてることだし、ぶるぅも刺激になるだろう。これを機会に悪戯が減るとぼくも嬉しい」
「「「は?」」」
話が全く見えません。さっきまでの「ごめんなさい」と何か関係あるんでしょうか?
「ぶるぅを預かって欲しいんだよ。一ヵ月とまでは言わないからさ」
「「「えぇぇっ!?」」」
預かるって…なんで? そもそも誰に「ぶるぅ」を預けると? ビックリ仰天の私たちにソルジャーは。
「ぼくたちの事情を知っている人にしか頼めないから、お願いしたい。ぼくの世界では駄目なんだ。こっちの世界でも誰の家でもいいってわけではないんだけども…。ブルーかハーレイか……どっちも駄目ならノルディの家だね」
その三人、とソルジャーが言い終えるのと「そるじゃぁ・ぶるぅ」が戻ってきたのは同時でした。ちゃんと「ぶるぅ」の分のタルトまで用意してきた「そるじゃぁ・ぶるぅ」は「どうしたの?」と首を傾げて。
「えっ、ぶるぅをこっちの世界で預かるの? お客様はいつでも歓迎だけど、ぶるぅ、嫌がっていなかったっけ?」
「嫌がってたさ。だからサイオンを使い果たすまで無駄な抵抗をしたってわけ。まったく、子供ってヤツはこれだから…」
ブツブツと文句を言っているソルジャー。
「こっちの世界でいい子にしてろ、って言っただけなのに嫌だ嫌だって大騒ぎなんだ。青の間のカーテンの支柱にしがみ付いて離れないから引っ張り合いになっちゃった。どうせサイオンでは勝てないのにねえ?」
馬鹿じゃなかろうか、とソルジャーは「ぶるぅ」の額を指でピンと弾いて。
「さてと、目を覚ますまで待ってると夜になりそうだから起きて貰うとしようかな。…ぶるぅ!」
青いサイオンが「ぶるぅ」を包み込み、吸い込まれるように消えた次の瞬間。
「ごめんなさいーっ!!!」
大声で叫んで「ぶるぅ」がガバッと飛び起きました。
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい! もうしないから捨てないでようーっ!」
え、捨てる? 不穏な言葉に私たちの視線がソルジャーの方へと集中します。ソルジャーは困ったように肩を竦めて…。
「捨てるとまでは言っていないと思うんだけどねえ? ちょっと訳ありでぶるぅを遠ざけておく必要があるから、こっちの世界に預けに来たってだけなのに…」
「ぼくは返事をしていないけど?」
会長さんがソルジャーをジロリと睨んで。
「ノルディは論外だから放っておくとして、ぼくかハーレイにぶるぅを預かれと言うんだろう? どうして急にそんな話に? それに本人が嫌がってるのに…」
「ぼくの世界では駄目なんだよ」
ソルジャーは先刻と同じ台詞を繰り返しました。
「ぼくたちの世界はシャングリラの中だけだってこと、知ってるよね? シャングリラの外でも大丈夫な世界だったら船の外に放り出すだけでいいんだけれど、そういうわけにはいかなくて…。だから、こっち」
ぶるぅにも馴染みのある世界だし、とソルジャーは「ぶるぅ」の頭を小突いています。その「ぶるぅ」は酷くしょげた様子で、しょんぼり座っているんですけど…。
「…ごめんなさいって言ってるのに…。それでもダメ…?」
「ぼくが駄目だと言ったら駄目だ」
ソルジャーはピシャリと冷たく言い切り、私たちをグルリと見渡して。
「好奇心旺盛すぎたんだよ。…いや、そもそもの原因はブルーにあると言うべきか…。前にぶるぅに余計な講義をしただろう? あのせいで不幸な展開になった」
「「「???」」」
余計な講義って何でしょう? 会長さん、何かやりましたっけ…?
ソルジャーが何を言っているのか把握できた人は皆無でした。名指しされた会長さんですら首を捻っている有様です。そんな私たちを他所にソルジャーは黙々とタルトを頬張り、「御馳走様」と紅茶で口を潤してから。
「木の実のタルトっていうのがタイムリーだよね、木の実には花が必須だし……そもそも花が咲いただけでは実はならないし! ブルー、忘れたとは言わせないよ。ぶるぅに花に例えて御立派な講義をしてくれたよね?」
「「「………」」」
私たちの背筋に冷たい汗が流れました。花と実の話で講義といえば、前に「ぶるぅ」が自分のママはソルジャーなのかキャプテンなのかと悩んでいた時に会長さんが教えた保健体育の授業です。あのせいで何か問題が? 不幸な展開って聞きましたけど、再びパパ・ママ戦争だとか…? ざわめく私たちにソルジャーは。
「パパ・ママ戦争が勃発したならまだいいさ。ぼくとハーレイの間で決着をつければ済む問題だ。…まあ、ぼくはママにはなりたくないからハーレイがママになるだけだけど」
おえっ、と誰かの呻き声が。あちらの世界のキャプテンがシャングリラ号の女性クルーの制服を着た姿を思い浮かべてしまったのでしょう。そう言う私も軽く目眩が…。ソルジャーはフンと鼻を鳴らしてふんぞり返ると。
「とにかく、ママはハーレイなんだ。ぶるぅもそれで納得した。…でもさ、ぶるぅは好奇心の塊と言ってもいいくらいだから、ライブラリで色々調べたらしい。そしたら疑問が湧き上がってきて、やっぱりママはぼくじゃないかと思い始めて…」
それだけなら罪は軽いんだけど、とソルジャーは溜息をつきました。
「一度気になると確かめずにはいられないのが子供ならでは。…ぶるぅは覗きに抵抗が無いし、こっちのハーレイがぼくの世界にヘタレ直しの修行に来た時に妙な知識を仕入れた挙句に、見られていると燃えると思い込んじゃってそのままだし…。ぼくは訂正したのにさ」
「間違えてないもん!」
即座に反論する「ぶるぅ」。
「ブルーは見られていても平気で、ハーレイは見られると意気消沈でしょ? だから隠れていたんだもん! ブルーにバレているのは知っていたけど、ハーレイにバレなきゃいいんだもん! それで問題なかったもん!」
「確かに問題なかったさ。見てる分には何一つ…ね」
無いのかい! と心で突っ込む私たち。話の流れからして「ぶるぅ」はソルジャーとキャプテンの大人の時間を覗き見していたようなのですが…? ソルジャーはクスッと小さく笑って。
「万年十八歳未満お断りの団体様でも大体のことは分かるようだね。あ、こっちのぶるぅは分からないかな? うん、分からなくてもかまわないよ。ぼくのぶるぅが普通じゃないだけ。…そしてぼくのぶるぅは発想の方も普通じゃなかった」
「隠し撮りでもしたのかい?」
揶揄するような会長さんに、ソルジャーは「いっそそれでも良かったかもね」と頷くと。
「記録って部分については正解なんだよ、今の言葉は。…隠し撮りの方が直接的だし、アダルトメディアなんてモノもあるから、却ってそっちの方がいいかも…。再生するだけで興奮できると思わないかい?」
「ストップ!」
それ以上は禁止、と会長さんが声を荒げました。ソルジャーは「でも…」と「ぶるぅ」を振り返って。
「話すと長い話なんだよ。アダルトメディアは置いとくとしても、ぶるぅが何をやらかしたのかは知る必要があるだろう? 預かってくれって頼んでるんだし」
「だから何をさ?」
「ぶるぅが預けられるに至った理由のことさ。…まさか嫌とは言わないよね?」
「それは理由によりけりだよ」
一方的な押し付けと押し売りの類はお断り、と返した会長さんにソルジャーは…。
「ぼくのハーレイが意気消沈なんだ。ぶるぅを見ると急に鼓動が速くなったり、胃が痛んだりするらしい。おかげでぼくたちの関係に大いに支障を来たしている。ぶるぅがいなくてもいるんじゃないかと疑念が拭えず、ヌカロクどころか勃たなくて…」
またまたアヤシイ方向に走り始めたソルジャーの話。会長さんがストップをかけても今度は止まりませんでした。
「そりゃ、ぼくだって悪いことをしたとは思っているよ? でもさ、マンネリの日々にストップをかけるにはチャンスじゃないかと考えたりもしちゃうよね? 記録がキッチリあるんだし! そういう点では及第点だよ、ぶるぅがやってたこと自体はさ」
滔々と話し続けるソルジャー。何が及第点で記録なんだかサッパリですけど、「ぶるぅ」が何かを記録したのはどうやら間違いなさそうです。好奇心旺盛で覗きも平気でやらかす「ぶるぅ」。けれどキャプテンが意気消沈で大人の時間に影響が…、って、「ぶるぅ」はいったい何をやったの?
私たちはソルジャーと「ぶるぅ」を交互に見比べ、お互いに肘でつつき合い。万年十八歳未満お断りでは想像に限界がありますけども、「ぶるぅ」のせいでキャプテンがEDになってしまったとか…?
「それに近いね」
誰かの思念を読み取ったらしいソルジャーがクッと喉を鳴らして。
「でもって、もっと正確に言えば、ぶるぅ一人のせいでもない。ぼくにも責任の一端はある。ぶるぅの記録を悪用したと受け取られても仕方ないかも…」
「「「悪用した?」」」
「うん。実際にしたのは校正とでも言うのかな? …これなんだけど」
ソルジャーが宙に一冊の本を取り出しました。茶色い革の表紙に金の飾り模様が入った渋い感じの装丁です。でもタイトルが無いような…?
「これはね、シャングリラ特製の仕様でハーレイ専用になっているんだ。ハーレイは毎日欠かさず航宙日誌をつけている。そのために作られた特別なヤツで、それの予備を拝借したんだけども…。これならハーレイの目に付きやすいし、航宙日誌ともすり替えられるし」
そこが肝心、とニヤリと笑うソルジャー。
「じゃあ、少しだけ読んでみるね。…○月×日、定刻に青の間に到着。いつもと同じ。第二ラウンドはブルーの希望でバスルームで」
えっ、ちょっと待って! ソルジャーは何を読んでるんですか?
「○月×日。到着が少し遅れる。いつもと同じ。…○月×日、定刻に青の間到着。いつもと同じ。…どう、何を読んでいるのか分かったかな?」
「も、もしかして…」
会長さんが掠れた声を絞り出しました。
「君とハーレイの記録とか? いつも通りだとか第二ラウンドとか…」
「当たり」
ソルジャーは本をパタリと閉じて。
「ぶるぅは毎日覗きをしては結果をメモしていたんだよ。「いつもと同じ」と書いたんじゃなくて「ブルーがママ役」と書いてたんだけどね。ママ役が積もり積もっていくんで疑惑はどんどん深まる一方。だから覗きも熱心になるし、ぼくも流石に気になってくる。…そのせいでメモに気がついたんだ」
最初は全然知らなかった、とソルジャーは苦笑しています。
「それでね、せっかくメモが残ってる以上、ハーレイに己のマンネリっぷりを自覚して貰うのもいいかなぁ…って。だけどぼくには地道な作業は向かないし…。それでぶるぅにメモをきちんと清書するよう指示したわけ。新品のハーレイ専用日誌を渡して、ハーレイっぽい文体で簡潔に、って」
ソルジャーは「ぶるぅ」の覗きとメモ書きを叱りつけた後、お詫びの印に清書作業をするよう命令した、と言い放ちました。
「ぼくがママ役って毎日記録していたんだよ? あれだけパパだと言ったのにねえ? ハーレイのママ宣言だって聞いたのにねえ? ぼくの言葉を信じない子はお仕置きされても仕方ない。…ママどころかパパまでいなくなるぞ、と脅して日誌を書かせたんだ」
これがタイトル、とソルジャーが広げてみせた内表紙には綺麗な文字でデカデカと『キャプテン・ハーレイ房中日誌』。えっと…房中って、キャプテン、独房にでも入れられました? 顔を見合わせる私たちに、会長さんがフウと吐息を吐き出して。
「独房の方がマシってものさ。房中というのは分かりやすく言えばベッドの中」
「「「………」」」
凄いタイトルもあったものです。航宙日誌に引っ掛けてあるのでしょうけど、このタイトルは「ぶるぅ」の字には見えません。ソルジャーが「あ、気がついた?」と笑みを浮かべて。
「これだけはぼくが書いたんだ。でもってハーレイの航宙日誌とすり替えておいて、部屋に遊びに行ったわけ。ハーレイの勤務が終わってすぐにね。…ハーレイは日誌を書いてからしか青の間に来ないし、ぼくの相手もしてくれない。だから後ろでニヤニヤ見てた」
日誌を書こうと広げたキャプテンは「ぶるぅ」の下手くそな字で書かれた中身を悪戯書きだと思ったそうです。そしてソルジャーに「見て下さい、この悪戯を!」と言った所でタイトルを指摘され、それから中身を強制的に読まされて…。
「マンネリの日々が分かるだろう、って言ってやったら脂汗を流していたよ。ぶるぅに観察日記をつけられたことが相当ショックだったんだろうね。マンネリを反省して脱マンネリに励んでくれるかと思っていたのに、その場で胃なんか押さえちゃってさ…」
その夜、キャプテンは胃薬を飲んで寝込んでしまい、ソルジャーと大人の時間を過ごすどころではなかったとか。それから後も青の間に来る度に「ぶるぅは何処です?」と警戒しまくり、やたら周囲を気にしまくった結果、何もかもがおざなりになってしまって…。
「でも、おざなりな内はまだ良かった。今じゃ、ぶるぅの影に怯えて全く役に立たないし! ぶるぅは青の間に立入禁止にしたと言っても信じていないし、もう、どうしたらいいんだか…。あれこれ考えまくった結果がぶるぅをこっちに預けることだ。シャングリラにいなけりゃ覗きの心配は無いんだからね」
ハーレイが落ち着くまで預かってくれ、とソルジャーは「ぶるぅ」の頭をポンと叩いて。
「悪戯と大食いは絶対禁止と言ってある。ついでだから、いい子になるよう躾けの方もお願いできると嬉しいな。あ、もちろん逆に使ってくれてもいいよ? ハーレイの家に預けて色々な知識を伝授させても構わない。その辺は好きにしてくれていいから。…ぶるぅ、ぼくがいいと言うまでシャングリラには戻らないこと!」
「え? えぇっ?」
「捨てるとは言っていないだろう! こっちの世界で大いにしごいてもらうといい。料理や掃除を習うのも良し、なんて言ったっけ……お勤めだっけ? サムがブルーに教えて貰っているお経なんかを一緒に読むのもいいかもね。とにかく、ぼくはハーレイとの関係修復に忙しい。パパもママも失いたくないならシャングリラには一切立入禁止!」
じゃあね、とソルジャーは一方的に告げて姿を消してしまいました。取り残された「ぶるぅ」は涙目です。
「ど、どうしよう…」
会長さんが心底困り果てた声で。
「ブルーの扱いには慣れているけど、ぶるぅだけ置いて行かれても…。明日には引き取りに来てくれるかな?」
一日では絶対無理だろう、と私たちは首を左右に振りました。ソルジャーでさえも扱いかねて放り出されてしまったらしい「ぶるぅ」ですけど、私たちの手に負えるんでしょうか? お願いですから一刻も早く回収しに来て下さいです~!
お弁当タイムが終わるといよいよ午後の部。男子リレーの時間です。今度はどんな種目が来るのか、誰もが戦々恐々ですが…。競技再開を告げるブラウ先生の声は軽快でした。
「さてと、食事と休憩でゆっくり時間を取ったことだし、ウォーミングアップは万全だね? まずは改めてストレッチだ。特に男子は充分身体をほぐしておくれ。足がつっても知らないよ」
ジャージ姿の教頭先生やシド先生たちと一緒にストレッチをして、それから始まる競技の説明。ブラウ先生はマイクを握って楽しそうに。
「午前中にも言ってたとおり、男子もタイムを競って貰う。全学年で一番いいタイムを出したクラスが学園一位だ。女子の部の学園一位は決定してるし、そっちのタイムを考慮した上で真の学園一位を選ぶってことになるんだけども…。男子のリレーは模範演技が必要だろうね」
「「「模範演技?」」」
なんですか、それは? 水泳に模範も何もあったものでは…、と首を傾げる全校生徒。もしかしてフォームも審査されるのでしょうか? 泳ぎ方がなっていないと減点とか?
「模範演技は文字通りだよ。よく見ておきな。頼むよ、ハーレイ!」
颯爽と登場したのは教頭先生。ジャージは脱いでしまったらしく、逞しい身体に赤い褌をキリリと締めています。ひぃぃっ、今年も褌ですか! マツカ君の海の別荘では普通の水着だったのに…。けれど女子には意外と人気。かっこいい、と叫んでいる子もチラホラと…。アルトちゃんは勿論見とれてますし! そんな中、教頭先生はプールにドボンと飛び込みました。
「さあ、ここからが肝心だ。男子リレーに必要なモノは…。シド!」
「「「???」」」
タッと駆け寄ったシド先生が教頭先生に手渡したのは奇妙なモノ。閉じた蛇の目傘のように見えるんですけど、気のせいかな…? けれど教頭先生がバッと開いたのは本物の蛇の目傘でした。紺の地色に白い蛇の目模様が鮮やかです。ブラウ先生はポカンとしている全校生徒に。
「今年の水泳大会のテーマは古式泳法だったのさ。女子の着衣水泳も古式泳法に含まれる。職員会議では甲冑を着て泳ぐって案も出てたんだけど、そうなると必然的に男子の競技だ。女子に相応しい競技がなくなるってことで普通の着衣水泳になった」
何処が普通だったんだ、と溜息を洩らす女子生徒。セーラー服に磯桶ですよ? そりゃあ…甲冑よりかはマシですけども! ん? だったら男子の蛇の目傘は何に使うの? フィシスさんの占いに出た「試練と不本意」がフッと頭を掠めました。もしかして男子、試練だか不本意だかが降りかかるとか…?
「古式泳法には色々あってね、開いた傘を濡らさないように掲げて泳ぐのもその一つ。ハーレイは古式泳法の達人だから、見本をしっかり見ておきな」
教頭先生は開いた傘を左手に持ってスイスイと泳ぎ出しました。右手で水を掻き、足も上手に使っています。傘は傾きもせずに見事に直立。
「おいおい、無茶だぜ、あんなの普通に出来るかよ!」
「無理! 俺には絶対無理!」
騒ぎ始める男子を他所に教頭先生はコースを泳ぎ切り、向こう側のプールサイドに軽くタッチして戻って来ます。もちろん傘を掲げたままで。ブラウ先生は可笑しそうに笑いながら。
「無理だって声が大多数だね。もちろん素人には難しいってことは承知の上さ。傘は濡れても大丈夫なように作ってあるし、畳んで泳いでも構わない。ただしペナルティーは取られるよ? 傘を掲げてコースを一往復ってのが一人分のノルマになるんだ。傘を掲げていられなかった時間は加算されるから気をつけるように」
「「「………」」」
やべえ、という声があちこちで。しかも模範演技はこれで終わりではなかったのです。教頭先生がスタート地点に戻った所でシド先生が何か差し出して…。
「アンカーにはもう一つ、やって貰うべきことがある。ハーレイ、アンカーの分の演技を!」
傘を掲げた教頭先生は右手にも何か握っていました。これは益々泳ぎにくそう! 向こう側まで行って戻って来る途中でブラウ先生が。
「右手まで塞がると困る、というなら口に咥える手もあるよ。そっちの方はペナルティーにはならないからね」
教頭先生が右手に持っていたモノを素早く口に咥えました。あの細い棒状のアイテムは何…? みんなも見当がつかないようです。スタート地点近くまで戻った教頭先生はアイテムを右手に握り直して、その右手が水中へ。傘は直立しています……って、えぇぇっ!?
「すげえ…」
「あれをやれってか!?」
右手だけで水を掻いている教頭先生の両足は金色の扇子を水面に掲げていたのでした。扇子は綺麗に広げられていて、ブラウ先生が。
「アンカーにはゴールの手前で足で扇子を掲げて貰う。扇子は足の指で開くのが理想だけれども、難しかったら手で補助してもいいからね。…ただし傘が水に浸かったらペナルティーだよ? そこの所を忘れないように! ご苦労様、ハーレイ」
教頭先生は扇子を支えていた足を水中に下ろし、プールの中にすっくと立って扇子と傘を畳みました。割れんばかりの拍手喝采が女子から贈られ、男子は既にお通夜ムード。
「…どうしろってんだ、あんなアンカー…」
「傘の段階でもうダメだって…」
ガックリと項垂れている男子たち。けれど無情にも1年生男子に呼び出しがかかり、競技スタートみたいです…。
「確かに不本意で試練だったよ。フィシスの占いは常に正しい」
うんうん、と頷いている会長さん。
「ぼくが男子に入っていたら間違いなくアンカーになっちゃうからねえ…。傘はともかく、足で扇子は御免蒙る。
あんな曲芸もどきじゃセーラー服といい勝負だ。男子でも女子でも今年は受難だったのか…」
シャングリラ・ジゴロ・ブルーのイメージを激しく損なう、と会長さんは嘆きつつも。
「だけど女子の部にしといてまだマシだった。うっかり女子の部を回避しといて曲芸が来たら大ショックだよ。ぶるぅ、アンカーは任せていいんだよね?」
「うん! 傘と扇子でしょ? 平気、平気♪」
他のみんなも補助しなくっちゃ、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」はやる気満々。会長さんもジョミー君やキース君たちの肩を叩いて。
「君たちはハーレイに古式泳法を習ってたよね? 傘を掲げて泳ぐくらいは出来るだろう?」
「え? あんなのは習ってないけど!」
ジョミー君が即答し、キース君が。
「俺たちが教わったのは型だけなんだぞ? それがどうやったらあんな芸になると!?」
「うーん…。応用なんだと思うけど…何処がどうとは、ぼくにも説明できないなぁ…」
習ってないし、と会長さんは首を捻っていましたが。
『そうか、そういう時のサイオンか! ぶるぅ、ちょっとハーレイから泳ぎ方を盗んでおいで』
「泳ぎ方?」
『シッ、静かに! とにかくハーレイの所に行ってさっきの泳ぎのテクニックを…』
「かみお~ん♪」
それなら扇子も完璧だね、という思念を残して「そるじゃぁ・ぶるぅ」は教頭先生の方へと走って行きました。
「ねえねえ、さっきの凄かったね! やって見せてよ、足で扇子!」
「ん? そろそろリレーの開始時間だと思うのだが…」
実演タイムはおしまいだ、と返す教頭先生に「ハーレイのケチ!」と飛びかかった「そるじゃぁ・ぶるぅ」は軽く払いのけられて終わったものの。
『バッチリだよ! どうやって泳ぐのか盗んじゃったぁ!』
トコトコと戻ってきた「そるじゃぁ・ぶるぅ」は得意顔でジョミー君たちの背中に次々とタッチ。
『これで完璧! サイオンがあるって便利だよね。他のみんなにも教えられたら楽なんだけど……サイオンが無いと伝わらないし…』
仕方ないから傘だけフォロー、と言う「そるじゃぁ・ぶるぅ」はジョミー君たちに泳ぎのテクニックをサイオンで伝授したようでした。去年の水泳大会での人魚泳法と同じ理屈です。これでジョミー君やキース君たちは完璧に泳ぎ切れる筈! まあ、身体能力の問題もあるのでサム君あたりはヤバイかもですけど。そうこうする内にブラウ先生が。
「1年生男子、集合時間を過ぎてるよ! さっさと並ぶ!」
他のクラスも戦略を練るのに夢中になって集合が遅れたみたいです。1年A組はジョミー君たちが泳げるらしいと聞いて大喜び。アンカーまで上手く繋げるようにと順番を決めてスタート地点へ。シド先生のホイッスルが鳴り、最初に飛び込んだのはキース君でした。
「すげえ…」
「傘を持ってあのスピードかよ!」
紺の蛇の目傘を掲げたキース君は普通に泳ぐのと変わらない速度で進んでいきます。他のクラスはと言えば、傘を持て余して畳んでしまったり、開いた傘を引きずるようにして泳いでいたりとペナルティーがつくのは確定。キース君が次の生徒に傘を渡した時点で他のクラスとは既に間が開いていました。
「落とすなよー!」
「その調子、その調子!」
引き継いだのは普通の生徒でしたが「そるじゃぁ・ぶるぅ」がサイオンで傘を支えているので、泳ぎの方さえ安定すれば特に問題ありません。開いた傘は濡れることもなく無事に次へと繋がれました。そしてジョミー君やシロエ君、マツカ君、サム君といったサイオンで泳ぎ方をマスターしたメンバーが更に他のクラスを引き離してゆき、ついにアンカーの「そるじゃぁ・ぶるぅ」の出番です。
「行ってくるねー♪」
小さな身体には大きすぎる傘を左手に持った「そるじゃぁ・ぶるぅ」は右手に扇子をしっかりと握り、足だけで水を掻いてスイスイと。教頭先生が見せた模範演技に負けていません。サイオンで技を盗むのは会長さんの得意技かと思ってましたが「そるじゃぁ・ぶるぅ」も得意なようです。コースを一往復して戻ってくると小さな足指に扇子を挟んで、両足だけで大きく広げて…。
「かみお~ん♪ いっちば~ん!」
金色の扇子が見事に掲げられ、ホイッスルが鳴りました。
「一位! 1年A組!」
他のクラスはまだ半分以上の生徒がスタートを切れていない状態。1年A組、一人勝ちです。これは学園一位の方もバッチリしっかり頂きですよね! それにしてもフィシスさんの占い、まさか的中しちゃうとは…。会長さんがアンカーで扇子を広げる係になっていた場合、不本意だの試練だのと文句を言うのは間違いなし。「そるじゃぁ・ぶるぅ」ですから可愛いですけど、会長さんなら悲喜劇です…。
蛇の目傘を持っての水中リレーはとても時間がかかりました。おまけにアンカーに課せられた「足で扇子」のハードルが高く、男子の部は思い切り長引いて…。ええ、左手に傘を持ったままで両足で扇子を掲げるというのは難しいなんてレベルじゃないのでした。
「…あれって右手でしか水を掻けないってことだよな…」
「うん。古式泳法って物凄い技があるんだなぁ…」
悪戦苦闘する3年生のアンカーたちに1年A組の男子は同情しきり。そしてキース君たちに「あの技は可能か?」と尋ねています。傘を持っての泳ぎが教頭先生の披露した型にそっくりでしたから、出来ると思われたのでしょう。他の男子はクロールもどきに平泳ぎもどきと統一がとれていませんでしたし…。
「…傘はなんとか形になったが、扇子の方は分からんな」
キース君が答えました。
「片方の手が使えない状態でも泳げるように鍛練するのが古式泳法というヤツだ。両方の手を空けておくのもあるんだぞ。テレビとかで見たことはないか、泳ぎながら板に文字を書くのを? 俺たちは教頭先生に古式泳法を教わったからな、その応用で傘はいけたが…」
扇子はちょっと無理な気がする、とキース君。
「足まで封じる泳ぎ方は習ってないんだ。ぶるぅは両手両足が塞がっていても泳げるんじゃないかと思うんだがな。…どうなんだ、ぶるぅ?」
「んーと…。浮かんでいればいいんだよね? でもって進めばいいんでしょ? 両手に傘で両足に扇子でも大丈夫だよ!」
サイオンがあるもん、と口にしなかったのは流石です。小さな子供の「そるじゃぁ・ぶるぅ」ですけど、サイオンという言葉を出してはいけない場所はきちんと心得ているのでした。サイオンを知らないクラスメイトたちは不思議パワーの凄さを改めて知らされ、いいクラスに入ったと大感激。やがて3年生の最後のアンカーが大量の水を飲んで咳込みながらもゴールインして…。
「競技終了!」
高らかにホイッスルが鳴り響きました。さあ、この後は表彰式です。学園一位は男女ともに1年A組で間違いなし。つまり1年A組が正真正銘の学園一位に決定でした。校長先生が再び現れ、挨拶があって、教頭先生が会長さんに表彰状を手渡して…。
「1年A組の諸君、学園一位おめでとう。健闘を称えて教師一同からプレゼントがある」
「「「プレゼント?」」」
そういえば学園一位には素敵な副賞があったのでした。先生方との対戦型だったり、指名制で何か出来たり色々と…。今年は何が出てくるのかな? 教頭先生はコホンと軽く咳払いをして。
「プレゼントの説明はブラウ先生がして下さる。後は諸君の運次第だな」
「「「…???」」」
運次第? それってどんなプレゼントなの? 当たり外れがあるってこと? それとも先生方との対戦型で、負け戦の場合は罰ゲームとか? 私たちは顔を見合わせ、どうしたものかと肘でつつき合いました。妙な副賞なら辞退した方がマシかもしれないと思ったからです。しかし…。
「それじゃ説明を始めるよ!」
ブラウ先生の陽気な声にゴクリと唾を飲む私たち。うん、辞退はいつでも出来ますよね。どんな中身か聞いてからでもきっと遅くはないでしょう。
「お楽しみの副賞だけど、女子のリレーでゲットしてきたホタテ貝はまだ持ってるね?」
「「「え?」」」
「そのホタテ貝が副賞なのさ。1年A組は沢山ゲット出来たようだし、それだけチャンスも多くなる。今年の副賞は借り物競走! ホタテ貝にお題が入っているんだ」
「「「えぇぇっ!?」」」
私たちの視線はプールサイドに放置していた布製の袋に釘付けでした。女子のみんなと会長さんが1個ずつ拾って磯桶に入れて運んだホタテ貝。記念品にくれたのだろう、と思ってましたし、持ち上げた時の重さからして生の貝ではなさそうだったので完璧に忘れていたんですけど…。
「合図があったらホタテ貝を1個ずつ開けていくのがルールだよ。ただし全部にお題が入っているとは限らない。ハズレの貝もけっこうあるんだ。そしてお題の入った貝があったら特別席まで持参すること!」
特別席とは先生方のいる場所のことです。お題はそこで読み上げられて、1年A組は一致団結してお題クリアに取り組むことに…、って、それの何処が副賞ですか? たちまち起こるブーイングの嵐にブラウ先生は。
「いいから話は最後まで聞きな! お題と言っても色々あるんだ。1年A組が拾った貝に当たりがあるかどうかは知らない。ただし当たりの貝があったら……学食で一週間、好きなメニューを食べ放題とか」
そういうお題も入っているのだ、とウインクしているブラウ先生。
「ちなみに今のお題は、こういう風に書かれている。…学食で一週間の間、好きなメニューを好きなだけ奢ってくれる校長先生を連れてくること、ってね」
おおっ、とどよめく全校生徒。
「もっとも校長先生が素直に借り物になってくれるかどうかは分からないわけだ。そんな感じでお題は様々。一つこなせば次の貝を開けてお題をゲットする権利が与えられる。いいお題が入った貝を持ってるかどうか、そこまで辿り着けるかどうかが運なんだよ」
頑張りな、とブラウ先生は発破をかけてきました。
「制限時間は三十分間! それだけあったら充分だろう? 作戦会議も必要ないね。開始と終了はホイッスルで合図する。さあ、スタンバイしな、1年A組!」
私たちはホタテ貝を詰めた袋を取り巻き、合図があったら袋の中身をブチまけられるようにスタンバイ。会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」がついてるんですし、お題ゲットは楽勝ですよね!
『やばい…』
会長さんのそんな思念が流れてきたのはワクワクとホイッスルが鳴るのを待っていた時でした。
『え?』
思念を返したのはジョミー君。何がヤバイというんでしょう?
『ホタテ貝だよ。サイオンで中を覗こうとしたら叱られた。失格にするよ、とブラウの思念が思いっきり』
どうやら仕掛けがしてあるようだ、と会長さんは残念そうです。ホタテ貝にはサイオン検知システムが組み込まれているらしく、サイオンを使うと特別席でランプが点灯する仕組み。会長さん宛にブラウ先生が送って寄越したという思念によると、ランプが点いた後で持ち込んだお題はカンニング扱いで無効なのだそうです。
『『『…そんなぁ…』』』
殺生な、と私たちの思念がハモった所へブラウ先生の声が。
「そうそう、言い忘れてたけど、お題の中にはそれっぽく見えてもネタなのがある。ネタのお題を持ち込んだ時は無効だよ? 無効とされたらすぐに次のお題ゲットに取りかかること!」
うわー…。サイオンを公に出来ないからって、こういう封じ方がありましたか! ネタかどうかなんて一般の生徒には分からないのですから、会長さんがサイオンで真っ当なお題をゲットしてもランプ点灯でネタ扱いされて即、無効。これは真面目にホタテ貝と格闘するしかありません。お題、お題…。その前にお題が入った貝があるのかどうかが問題ですけど。
「準備はいいね? はじめっ!」
ブラウ先生の掛け声と共にシド先生のホイッスルが響き、会長さんがホタテ貝の詰まった袋を逆さにしました。バラバラと転がり出てきたホタテ貝を開ける係も、皆の期待を一身に背負った会長さんです。まさかサイオンが使えないなんてクラスメイトは気付きませんし、会長さんならきっと何かをやらかしてくれると瞳がキラキラ。
「え、えっと…。この貝は…、と…」
会長さんがパカッと開けた1個目の貝は空っぽでした。それでも誰もガッカリしないのが期待の大きさを示しています。2個目も空っぽ、3個目も空。けれどサクサク開けてますからクラスメイトは作業だと思っているわけで…。
『どうしよう、全部ハズレだったら…。ある意味、これも試練で不本意だよね?』
フィシスの占いは当たりすぎ、と会長さんの思念には泣きが入りつつありましたが…。
「出た!」
6個目のホタテ貝から折り畳まれた紙片が現れ、それを持った男子が特別席へとダッシュして。
「お題、出ました!」
早速ブラウ先生が紙片を開き、全校生徒の前で読み上げられた最初のお題は。
「ゼル先生と自転車に二人乗りしてプールサイドを一周すること!」
「「「えぇぇっ!?」」」
「えぇっ、じゃない! 制限時間内に幾つこなすかで運が決まると言ったろう! ここで終わりにしたくなければゼルの自転車を取ってきな!」
自転車置き場は校内のあちこちにありますけれど、ゼル先生が何処に自転車を置いているかはその日の気分。これはマズイな、と私たちは青ざめましたが。
「かみお~ん♪」
元気一杯の雄叫びと共にボワンとプールサイドに出現したのはゼル先生の自転車でした。あっ、そうか! お題ゲットはサイオン禁止でしたけれども、その後は…。
「ぶるぅ、上出来!」
会長さんに褒められた「そるじゃぁ・ぶるぅ」は小さな身体で自転車を押して特別席の前まで行くと。
「乗せてよ、ゼル~! 乗せてくれないと走れないもん! ぼくじゃ自転車こげないもん!」
「そ、そうじゃな…。乗れ!」
颯爽と自転車に跨ったゼル先生の後ろに「そるじゃぁ・ぶるぅ」がチョコンと乗っかり、自転車は猛スピードで走り始めました。荒っぽい運転にも「そるじゃぁ・ぶるぅ」は全く動じず、手を離したり逆立ちしたり。ゼル先生の方も遠慮は無用とばかりに最後はウイリー、ゴールと共に「そるじゃぁ・ぶるぅ」が宙返りを決めて…。1個目のお題は無事に終了。でも、こんな調子で美味しいお題は見つかるのでしょうか?
「「「お・だ・い! お・だ・い!」」」
ゼル先生のウイリーに興奮した全校生徒が熱狂のエールを送っています。どうせ自分たちが貰えないなら楽しめるお題が見たい気持ちは分かりますけど、副賞を貰った1年A組としては学食で食べ放題とかそういう方が…、って、またハズレですか、会長さん…。試練に不本意、お疲れ様です…。
ホタテ貝はハズレが続いていました。やっと当たったと思ったらお題は「グレイブ先生の結婚指輪」ときたものです。拳を握り締めて抜かせまいとするグレイブ先生との攻防の末、「そるじゃぁ・ぶるぅ」の不思議パワーならぬサイオンでゲットできましたけど、残り時間は十五分間に。私たちが得するお題は無いのでしょうか? 1年A組、運は全くゼロだとか…?
「出た!」
今度も変なお題で無ければいいけど、と会長さんが取り出した紙片を特別席に届ける男子生徒。ブラウ先生は紙片を開いて。
「職員専用食堂のステーキランチをクラス全員にプレゼント! 太っ腹なヒルマン先生を特別席まで連れてくること!」
わぁっ、と上がる大歓声。学食の食べ放題もいいですけども、ステーキランチも魅力です。しかも職員専用食堂! 一般生徒は立ち入り禁止の食堂ですから、これは出前のことでしょう。そして運のいいことにヒルマン先生は特別席からそう遠くない救護用のスペースに座っていました。数人の男子生徒が駆け出して行って、ヒルマン先生を強制連行。1年A組、ステーキランチをゲットです!
「やりましたね、会長!」
「ホタテ、残りは7個ですか…。ぶるぅパワーで凄いのが出るといいんですけど!」
期待してます、と頬を紅潮させるクラスの面々。会長さんは貝を次々に開け、残り2個になった時点でまたお題が。今度こそ学食で食べ放題、と特別席に走って行った男子生徒を前に読み上げられた文章は…。
「教頭先生とお姫様抱っこでプールサイドを一周すること!」
「「「!!!」」」
凄いお題もあったものです。ゼル先生と自転車に二人乗りの方がマシだと誰もが思いました。けれどここでお題を投げたら残り2個のホタテ貝が無駄に…。どうするんだ、と固まっているクラスメイトたちと、無責任に「お題」コールを繰り返している全校生徒。
「あ、あのぅ…」
小さな声はアルトちゃんでした。
「そのお題、私が行こうと思います…」
「待って、私が行く!」
絶対私、と割って入ったのはrちゃん。すっかり忘れていましたけれど、この二人、教頭先生のファンでしたっけ。二人の出現にクラスメイトは大喜びで、「ジャンケンで決めろ」となったのですが。
「駄目だ」
会長さんが進み出ました。
「冷静に状況を考えたまえ。アルトさんもrさんも水着なんだよ? ハーレイはジャージを着ているけれども、あの下はまだ赤褌だ。そんな輩に水着の女子をお姫様抱っこさせようだなんて、それが紳士のすることかい? 他の女子でも同じだよね」
「…あんた、男子に行けというのか?」
震える声はキース君。こんな展開になった場合に貧乏クジを引かされるのはキース君とかジョミー君になる可能性が高いのでした。けれど会長さんはニッコリ笑って。
「女の子に危険な真似をさせるくらいなら、ぼくが行く」
『「「えぇっ!?」」』
私たちの思念とクラスメイトの悲鳴が入り乱れる中、会長さんはスタスタと特別席の前まで行って。
「ご指名だよ、ハーレイ。ぼくとお姫様抱っこでプールサイドを一周して貰おうか」
「…お前と…か…?」
動揺している教頭先生の姿を全校生徒は「なんで男と?」と驚いている、と捉えたようです。まさか会長さんに惚れているとは知らないでしょうし、当然ですけど。しかし会長さん、試練と不本意の総仕上げにしてはあまりにも自虐的すぎる気が…。本当にそれでいいんですか?
「急ぐんだよ、ハーレイ。ぼくは時間が勿体無い」
「う、うむ…。確かにそうだな」
では行こう、と教頭先生が特別席から出てきた途端に。
「「「うわぁっ!?」」」
生徒はおろか、先生方の声まで引っくり返っていました。
「えっ、ハーレイとお姫様抱っこで一周だろ? 何か問題あるのかい?」
あろうことか、会長さんは教頭先生を軽々とお姫様抱っこで持ち上げているではありませんか! もちろんサイオンを使っているのでしょうけど、そんな気配は微塵も見せずに。
「ぶるぅパワーでハーレイも楽々運べます、ってね。ぼくも男だ、お姫様抱っこはされる方よりする方がいい。ゴツイ男は好みじゃないけど、残りのお題は捨て難いから。…ふふ、この格好は記念写真が欲しいかな」
カメラを構えた記録係に微笑みかけると、会長さんは教頭先生を抱えて早足で歩き始めました。再び沸き起こる「お題」コールに教頭先生は身も世も無さそうな顔で大きな身体を縮めています。そりゃそうでしょう、華奢な会長さんにお姫様抱っこされたのでは笑い物ですし、おまけに会長さんは三百年越しの片想いの相手なのですから。
「「「お・だ・い! お・だ・い!」」」
割れんばかりの拍手の中で会長さんはプールサイドを一周すると、教頭先生を特別席の前へと放り投げました。その投げっぷりがまた力士もかくやという豪快な投げで、記録係のカメラのフラッシュが光っています。あの投げに私怨が入っていたと思うのは私だけではないでしょう。
『あんた、けっこう無茶苦茶やるな』
キース君の思念に会長さんは。
『そうかな? 普段からこうだと思うけど? あのお題、どうやらハーレイが書いたようだし』
夢と妄想がてんこ盛り、と毒づきながら会長さんが開けた最後のホタテ貝から、学食で一週間食べ放題なお題が出たのは試練と不本意を見事に切り抜けた会長さんへの御褒美なのかもしれません。えっ、校長先生はちゃんと捕まえられたのか、って? お姫様抱っこと投げを見せられた後では先生方も逃げるなんて馬鹿はしませんとも! 会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」の不思議パワーで1年A組、大勝利。打ち上げは職員専用食堂のステーキランチで決定です~!
教頭先生のリフォームの夢が砕け散ってから数日後。シャングリラ学園に恒例の健康診断の日がやって来ました。二学期最初の行事と言えば水泳大会、それに備えて健康チェック! 例によって会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」が1年A組に姿を現し、まりぃ先生は保健室で好き放題をやらかして…。ええ、「そるじゃぁ・ぶるぅ」をお風呂に入れて洗いまくることと、会長さんを特別室に引っ張り込んで遊ぶことです。
「…ブルー、結局、また逃げたわけ?」
ジョミー君が昼休みの学食で冷やし中華を啜りながら言いました。
「あれっきり戻ってこないもんね。他のクラスの健康診断はちゃんと続いていたみたいだし…」
「ヒルマン先生の代理もとっくの昔に終わったようだな」
休み時間に廊下で見かけた、とキース君。
「今日は教頭先生の授業も無いし、ブルーには退屈なだけだろう。ぶるぅもとっくに部屋に戻ったし、二人で楽しく昼飯だろうさ」
「ぶるぅのご飯かぁ…。きっと御馳走なんだろうね」
絶対手抜きはしないから、と羨ましそうなジョミー君。私たちは会長さんたちの今日の昼食風景を想像しつつ賑やかにお昼御飯を食べて、それから午後の授業を終えて…。さて終礼、という頃になってやって来たのは会長さんです。
「やあ、退屈な授業は終わった? もうすぐグレイブが来る筈だよね」
会長さんは教室の一番後ろに増えている机まで行くと椅子にストンと座りました。
「帰ってくる予定は無かったんだけど、ハーレイからメールが来たんだよ。終礼にはきちんと出ておくように、って。まったく……終礼で何があるっていうのさ、特になんにも聞いてないのに」
「水泳大会のことじゃないか?」
多分、と廊下の方を眺めるキース君。
「あんた、去年は女子で登録しただろう? それも自分で言い出したんだ。その前の年はグレイブ先生が女子に強制登録したよな。…だから今年も女子か男子か決めておかないとダメなんだろう」
「…ぼくは今年は普通だってば! 健康診断も男子で受けたし…」
「それは毎年のことだろうが」
「………。まあね」
だけど今年は絶対、男子! と会長さんが主張している所へグレイブ先生が入って来て。
「静粛に! まったく、どうして毎日うるさいのか…。いい加減にしたまえ」
ギロリと睨まれ、クラスメイトはたちまち静かになりました。騒いでいたのは私たちだけではなかったのです。グレイブ先生は教室を見渡し、全員揃っているのを確認すると。
「それでは改めて水泳大会について告知しておく。開催は予定通りに来週だ。冷たいものの食べ過ぎで欠席などという情けない事態にならないように体調管理に注意したまえ。……それから、ブルー」
「えっ?」
ぼく? と首を傾げる会長さんに、グレイブ先生は出席簿の間から一枚の紙を取り出して。
「お前は今年はどっちなのだ? 女子か、男子か、どちらに登録すればいいのか確認するよう言われたのだが…。女子にするなら去年と同じく特例で男子用水着の着用を許可する。一応、これが許可証だ」
「………?」
会長さんは不思議そうな顔で教卓まで行き、許可証とやらを確認すると。
「どうやら本物みたいだね…。こんなのが用意してあるってことは女子での登録がお勧めなわけ? 体力不足で男子の部は無理とか?」
「私に訊かれても答えられんな。女子か男子か、それだけを確認してこいと指示された」
どっちだ? と尋ねられた会長さんは。
「ちょっとタイム! フィシスに占ってもらってくるから」
「それは禁止だ。お前の意思で決めるように、との通達だからな」
「…………」
『思念波でコンタクトを取ろうとしても無駄だぞ、ブルー。フィシスのクラスには連絡済みだ』
グレイブ先生の思念波が届き、それに続いてフィシスさんの軽やかな思念波が。
『一応、占ってみましたわ。どちらでも変わらないみたいですわよ』
お好きにどうぞ、とフィシスさん。会長さんは思わぬ事態に戸惑っていたようですけども…。
「分かった。ぼくも男だ、初志貫徹で男子の部で」
「では許可証は破棄していいのだな?」
「あっ!」
許可証を破り捨てようとしたグレイブ先生の手を会長さんが引っ掴みました。
「なんだ、やっぱり女子にするのか?」
「え、えっと…。どうしよう…。許可証が出てるってことは女子にした方が安全なのかな?」
「答えられんと言っている」
「…………」
会長さんは腕組みをして悩み、その果てに。
「…君子危うきに近寄らず。転ばぬ先の杖とも言うし、女子にしとくよ」
「決定だな? では、ぶるぅを男子で登録しておく。水泳大会では頑張るように」
カツンと踵を鳴らしたグレイブ先生が終礼を終えて立ち去った後の教室は上を下への大騒ぎでした。会長さんが女子で登録したんですから、そりゃ誰だって驚きますよねえ…。
好奇心旺盛なクラスメイトたちから解放されて「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお部屋に辿り着いたのはかなり時間が経ってから。今日のおやつはアイスカスタードとイチゴのミルフィーユ仕立てで、板状に凍らせたカスタードクリームにイチゴと生クリームが挟まっています。
「ねえねえ、ブルー、なんで女子の部にしちゃったの?」
今年は男子だって言ってたのに、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」。会長さんは溜息をついて許可証の話を始めました。
「長老全員の署名がついていたんだよ。あんなのを用意してくるってことは、男子で登録したら後悔する羽目になるのかも…と思ってさ。だってハーレイの名前まで…。ぼくが復讐するとしたら矛先が向くのはハーレイだ。そうされないよう、逃げを打ったって気がしてならない」
「だったら男子でよかったんじゃないか?」
突っ込んだのはキース君です。
「とんでもない結果になったら復讐するだけのことだろう? わざわざ女子にしなくても…」
「復讐だけの問題ならね」
会長さんは「忘れたのかい?」と男子全員を見回して。
「去年は人魚リレーをやらされただろう? あんな格好は御免蒙る。シャングリラ・ジゴロ・ブルーの美意識が許さないんだ。あの手の種目で来られちゃったら目も当てられない」
だから女子、と会長さんはアイスティーをストローでかき混ぜながら。
「男子用の水着が許可されるんなら、ぼくは女子でも気にならない。女の子たちにも感謝されるし、見せ場もあるしね。…だけど……今年は女子の部も何か問題があるのかな?」
分からないや、と会長さんが首を傾げた所へ壁を通り抜けて入って来たのは…。
「お邪魔だったかしら?」
フィシスさんが柔らかく微笑んでいます。私たちは慌てて席を移動し、会長さんの隣を空けました。これはいつものお約束。フィシスさんは滅多に来ませんけれども、会長さんの女神なだけに隣に座るのは決まり事です。フィシスさんがソファに腰掛けると「そるじゃぁ・ぶるぅ」がすぐにお菓子を運んで…。
「かみお~ん♪ ブルーとお約束?」
「いいえ、そうじゃないの。…ブルー、さっきの話だけれど…」
フィシスさんが鞄の中から取り出したのは小さな箱。愛用のタロットカードが入った箱です。白く華奢な手が箱の蓋を開けて…。
「占い禁止と聞かされたから、本格的には無理だったわ。だから1枚だけ引いてみたの。そしたら出たのがこのカードよ。…吊られた男」
「「「???」」」
木から逆さに吊り下げられた男が描かれたカードの意味は読めません。フィシスさんはそれをテーブルに置き、クルリと回転させました。
「タロットカードに正位置と逆位置があるのは知ってるでしょう? カードの上下が入れ換わるとカードの意味も変わるわ。そうなんだけれど……今回は少し問題があって」
慌てていたので正位置も逆位置も考える余裕が無かったのだ、とフィシスさん。箱から出したカードを手に持ったままシャッフルもせずに1枚引いて、結論を導き出そうとしたそうですが…。
「どちらが上だか分からないまま占うのは無責任かも、とは思ったのよ。…でも正位置でも逆位置でも意味は大して変わらないから、多分間違いない筈だわ」
「…フィシス」
会長さんがゴクリと唾を飲み込んで。
「これの意味は? カードには何通りもの意味がある筈だ。君はそれを読み取るのにも長けている。…どういう結果が出たと言うんだ?」
「…試練に耐える、よ。逆位置だったら不本意な仕事をさせられる」
「「「………」」」
確かに正位置でも逆位置でも意味は変わらないかもしれません。えっと…女子と男子と、どっちが試練でどっちが不本意な仕事なんでしょう? どう転んでもロクなことにはならないような…。それとも会長さん限定の占いであって、その他大勢には関係ないとか? 肘でつつき合う私たちの姿にフィシスさんはクスッと笑って。
「私が占ったのはブルーの運命。あなたたちとは関係ないわ」
安心してね、と微笑まれたものの、フィシスさんは水泳大会には毎年参加していません。虚弱体質だとかで見学専門、先生方と同じ特設席から応援するか、大会そのものを欠席か…の二者択一。つまり女子の部が試練であってもフィシスさんには無関係だということで…。
「そうね、自分が参加しない分、少し気の緩みがあったかも…。正位置なのか逆位置なのかが分からないなんて占い師として失格だわ。…それで謝っておこうと思って。ごめんなさい、ブルー…」
「気にすることはないさ。決めたのはぼくだ」
大丈夫、と会長さんがフィシスさんの肩を抱き寄せ、髪を優しく撫で始めます。こうなるとすぐに二人の世界に入ってしまって、私たちは放置されるのがいつものパターン。水泳大会、どうなるのかな…?
会長さん限定とはいえ嬉しくない予測が占いに出た水泳大会。私たちは毎日掲示板をチェックし、プールの実情を知る水泳部員からも情報収集していました。けれど何の手がかりも得られないまま当日になり、体育館のロッカー室で水着に着替えて会長さんと合流して…。
「水泳大会も学園一位を取らなきゃね」
頑張らなくちゃ、とウインクする会長さんに黄色い悲鳴を上げるクラスメイトたち。アルトちゃんとrちゃんも熱い視線で会長さんを見詰めています。二人は時々会長さんに連れられてフィットネスクラブのプールに行っているそうで…。
「ねえ、本当に占いに出たの?」
小声で囁くアルトちゃんに、スウェナちゃんが。
「出ちゃったのよ。カードも見せて貰ったわ」
「女子が試練じゃないといいなぁ…」
不本意も嫌だけど、とrちゃん。会長さんは二人にもしっかり話したみたいです。そりゃあ、寮のお部屋にコッソリ忍んで行くんですから、話したくなる気持ちは分かりますけど…。ヒソヒソ言葉を交わしている間にシャングリラ学園自慢の屋内プールがあるフロアに着き、入口の受付が目に入りました。
「ん?」
会長さんが受付係の先生方に目を止めて。
「個別に袋を渡してる…? ひょっとして凍結プールの登場かな?」
凍結プールとは一昨年の水泳大会の会場になった凍ったプール。もちろん会場も寒くなるので防寒着に、と入口でドテラなどが配布されたのでした。もしかして悪夢再びですか? でも、あの年はプールを凍らせるために水泳部とかもプールが使えず、掲示板には立入禁止の張り紙が…。
「掲示板に張り紙は無かったわよ?」
スウェナちゃんが言い、会長さんも首を捻っています。とにかく袋を受け取らなくちゃ、と行列に並んだのですが…。あれ? 男子は行列無しですか? 受付もしないようですけれど…?
「さあさあ、女子は並んだ、並んだ!」
景気のいい声はブラウ先生。
「受付でクラスと名前を名乗って袋を貰わないと参加できないよ? 袋を開けるのは競技の説明があってから! それまでに開けたら失格だからね」
サイオンで中身を見るのも禁止、と思念波での注意もついてきました。競技の説明があるまで開封不可で、男子は袋を貰っていない所をみると防寒具ではなさそうです。実際に袋を受け取ってみても中が何かは見当もつかず、会長さんも敢えてチェックはしていないようで…。
「なんだろうね、これ? 試練なのかな、不本意なのかな?」
袋を軽く揺すってみている会長さん。プールは凍結してはいなくて、ごくごく普通のプールでした。私たちはプールサイドの1年A組に割り当てられた場所に集結。ジョミー君たちも「そるじゃぁ・ぶるぅ」を連れてやって来て…。
「フィシスさん、今年は欠席ですか?」
シロエ君が特設席の方に目をやり、サム君が。
「…そうらしいぜ。俺さ、今朝もブルーの家まで朝のお勤めに行ったんだけどさ…。お勤めが終わって朝飯を食ってたらフィシスさんが来て、占いの結果が心配で…って」
サム君の話によると、フィシスさんはあれから何度も占いをしたらしいのです。すると決まったように『吊られた男』のカードが出てきて、正位置だったり逆位置だったり。気紛れに変わる結果をフィシスさんは気に病んでしまい、水泳大会を見届ける勇気が無くなったとかで…。
「流石ブルーは優しいよな。…フィシスさん、それでも頑張って登校するって言ってたんだけど、ブルーが休むようにって説き伏せてさ。気晴らしに、って高級スパの予約を入れてた。でもってタクシーを呼んで乗せてたぜ」
フィシスさんは今日は一日ホテルのスパでエステに食事、とリラックス出来るプランを組んでもらったようです。しかも仕事が休みだという仲間の女性とホテルで合流、女同士で楽しい休日。会長さんのフィシスさんへの気配りっぷりは半端ではありませんでした。
「自分が試練に不本意な日でも女神は別か…」
天晴れだな、とキース君。
「試練と不本意はブルー限定にして欲しいんだが、なにしろウチの学校だからな…」
「だよね、ぼくたちも試練に不本意だよね」
きっと、と続けるジョミー君の嘆きは私たち全員に共通です。水泳大会は女子の部が先にスタートですけど、試練と出るか不本意と出るか、もう心配でたまりません~!
水泳大会は校長先生の開会宣言で幕を開けました。ジャージ姿の教頭先生が心構えを説き、全校生徒と一緒に軽くストレッチ。それが終わるとブラウ先生がマイクを握って…。
「よーし、準備はオッケーだね? 水泳大会は今年も全学年でタイムを競う形式になった」
「「「えぇぇっ!?」」」
「男女別のリレーでタイムを比較し、学年一位と学園一位を決定する。だから決勝も準決勝もないわけさ。泳ぐのが一度で済むから助かるだろ?」
だから全力で泳ぐこと、とブラウ先生は楽しそうです。
「まずは女子の部のスタートだけど、ただ泳ぐってわけじゃない。日頃の生活に役立つように着衣水泳を取り入れてみることにした」
「「「着衣水泳?」」」
なんですか、それは? キョトンとしている全校生徒にブラウ先生は。
「こう暑いとね、水難事故が多いんだ。泳ぐつもりで海や湖に入ったんならマシだけれども、そうじゃないケースも少なくない。ボートから落ちたりすることもある。そういう時に邪魔になるのが服なのさ。身体に纏わりつくから上手く泳げず、最悪の場合は溺れてしまう」
「「「………」」」
「そんな事故を防ぐために着衣水泳……服を着たまま泳ぐ授業を取り入れる学校が増えている。我が校でも、着衣水泳を体験しといて貰おうかと…。女子には袋が渡してあるね? 開けてごらん」
私たちは急いで袋を開けてみました。出てきたものは……セーラー服の上下。上は長袖、スカートは膝下くらいのプリーツで……どういうセンスか、ブラウスどころかスカートまでが真っ白です。色があるのは襟のラインとスカーフの色の水色くらい。
「上下とも白っていうのは一応意味があるんだよ」
ブラウ先生が得意げに。
「海女っていうのを知ってるかい? 女のお坊さんじゃなくて海の女と書く。海に潜って貝や海藻を採るのが仕事さ。最近じゃウエットスーツが普通だけどね、昔は専用の着物があったんだ。つまり着衣水泳のプロってわけで、その着物の色が上下とも白! それに敬意を表してみた」
地方によっては白じゃない場所もあるんだけども、と付け加えてからブラウ先生は。
「女子は水着の上からその服を着て泳ぐこと! もちろん溺れちゃシャレにならないから浮き輪は用意してあるよ」
これ、と掲げられたアイテムを見て私たちは大ショック。あれの何処が浮き輪ですって…?
「おや、風呂桶だと思っているのかい? これは磯桶。海女さんが海で使う大事なアイテム。これを浮きにして漁をする場所まで泳ぐのさ。ついでに採った獲物も入れられる。海で失くさないよう命綱がついているんだよ。…みんなにはこの桶をリレーしてもらう」
桶を受け取ったら命綱を腰に結ぶこと、とブラウ先生は説明しました。
「それと浮き輪に頼っていたんじゃ泳ぐ練習にならないからね、磯桶を引っ張って泳ぐ形式になる。もう泳げない、という場合のみ磯桶に掴まって泳いでもいい。ただし磯桶に掴まって泳いだ時間はペナルティとして加算されるからね」
きちんと計測しているから、とブラウ先生が指差す先ではシド先生と職員さんたちがストップウォッチを握っていました。つまり磯桶とやらを利用して泳げば、いくら速く泳いでいけてもマイナスにしかならないのです。着衣水泳なんかしたことないのに、えらいことになってきましたよ…。しかも。
「せっかく磯桶を用意したんだ、やっぱり獲物も採らないと! 頼むよ、ゼル!」
「おう!」
ゼル先生が数人の職員さんを従えてプールサイドに走ってきます。全員の手には大きな籠。その中から次々と掴み出したのはどう見てもホタテ貝でした。それをポイポイとプールの中へと投げていますが、あれが獲物というヤツですか?
「適当に投げてるように見えるだろうけど、ちゃんと狙って投げているんだ。全部のコースに行き渡るようになっているから、自分のコースを泳ぐ途中で必ず1個拾うこと! ただし無理して溺れちゃいけないからね、拾えそうにない時は諦めてもいい」
その代わりにペナルティとしてタイムを加算、とブラウ先生。コースを一往復する間にホタテ貝を1個拾って磯桶に入れてくるのがリレーの基本みたいです。なんだかハードそうなんですけど、1年A組、大丈夫かな…?
「……試練と不本意がダブルで来たかも……」
会長さんが呟いたのは説明が終わった直後でした。リレーは1年生から順に泳ぐので、既に準備時間に入っています。会長さんは支給されたセーラー服を矯めつ眇めつしていました。
「ウェディングドレスとか花魁だったら楽しく着られるっていうものだけど、セーラー服は……。ぼくにこれを着ろと? 今から男子に変更っていうのは無理だろうねえ?」
「…多分な…」
無茶ってもんだろ、とキース君。
「そのセーラー服は体型に合わせて配られてるし、仮に変更できたとしてもだ…。ぶるぅに着られると思うのか、それが?」
「……ブカブカだろうね……」
「途中で脱げたら着衣水泳にならなくなるから、ペナルティを食らってしまうんじゃないか? あんたの勝手でクラスに迷惑をかけてもいいと?」
「…やっぱり試練と不本意のダブルか…」
ブツブツと不満を撒き散らしながらも会長さんはセーラー服を身に着けました。うわわ、けっこう似合ってるかも! 教頭先生が熱い視線を向けているのが分かります。ひょっとしてこれが見たくて特例の許可証にサインしたとか? 他の長老の先生方は悪戯心でのサインでしょうけど…。
「かみお~ん♪ ブルー、頑張ってね!」
無邪気な「そるじゃぁ・ぶるぅ」の声援に送られ、私たちはスタート地点へと。会長さんは開き直ったらしく、セーラー服姿でクラスメイトに作戦の説明に回っています。
「いいかい、服が重いと感じるようでも焦らないこと! ぼくたちにはぶるぅの不思議パワーがついている。普通に泳げる腕があったら溺れないよ。磯桶に頼る必要はない。とにかく確実に貝を1個拾って磯桶に入れるのを忘れずに」
他はぶるぅがフォローする、と太鼓判を押した会長さんはアンカーで泳ぐみたいです。他の順番は普段の水泳のタイムで決めて、最初に泳ぐ子が磯桶に取り付けられたロープの端を腰に結んでプールの中へ。シド先生のホイッスルが鳴り、着衣水泳リレーがスタートしました。
「「「頑張れー!!!」」」
男の子たちと「そるじゃぁ・ぶるぅ」が応援する声が聞こえてきます。セーラー服で泳ぐのはやはり難しいのか、普段のようにはいかない様子。それでも1年A組は確実に他のクラスを引き離し始めていました。
『サイオンで水の抵抗を減らしてる。ついでに浮力も補助しているのさ』
磯桶不要、と会長さんの思念が伝わってくるのと泳いでいた子がスイッと潜るのとは同時でした。
『いいタイミングで潜れるように意識の下に指示を出したんだ。…ほら、貝を持って上がってきたよ』
ホタテ貝をポイと磯桶に入れたトップバッターの子は、磯桶に縋ることなく戻ってきました。他のクラスは磯桶に掴まっていたり、遅れていたり。私たちのクラスは一人の脱落者もなく順調に進み、私の番が回ってきて…。泳ぎにくいな、と思った途端にフワリと感じるサイオンの補助。会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」が一緒にやっているようでした。
『はい、そこで潜って貝を拾って。…うん、その調子』
頑張って、と会長さんの思念に指示され、私も見事にホタテ貝ゲット! スウェナちゃんやアルトちゃん、rちゃんたちも無事に泳ぎ切り、最後に会長さんが泳ぎ始めて…。会長さんの速さは半端ではなく、セーラー服と早く縁を切りたい気持ちが切実に感じられました。プールから上がればセーラー服とはサヨナラなのです。濡れて重たいだけなんですから、さっさと脱いで所定の位置まで届けに行けばそれでおしまい。
「1位! 1年A組!」
シド先生のホイッスルが響き、ブラウ先生が宣言します。ゴールした会長さんは水の滴るセーラー服を邪魔そうに脱ぎ捨て、磯桶からホタテ貝を取り出しました。他のクラスは未だプールで悪戦苦闘中。ホタテ貝を拾えなかった子も多いらしくて、スタート地点に積み上げられたホタテ貝の数も圧倒的に1年A組の勝ち。
「ふふ、このタイムなら学園一位は間違いないね」
セーラー服を返しに行っていた会長さんが戻って来ました。私たちはブラウ先生がくれた袋にホタテ貝を詰め込み、意気揚々と男の子たちが待つプールサイドへ。着衣泳法はよほどハードルが高かったのか、1年生はおろか2年生も3年生もロクなタイムが出ませんでした。女子の部が終わったのはお昼前。そこまで時間がかかったのです。
「で、試練と不本意のダブルでいいのか?」
キース君が会長さんに確認したのはプールサイドでのお弁当タイム。「そるじゃぁ・ぶるぅ」が腕を揮ったサンドイッチを頬張りながら会長さんが頷いて。
「…どう考えてもダブルだろ? セーラー服の何処が不本意じゃないと? それを着て泳げっていうのが試練以外の何だと言うのさ」
フィシスの占いはよく当たる、と会長さん。
「あんな姿をフィシスに見せずに済んで良かったよ。…とりあえずメールしておこうかな、ぼくは大丈夫だから楽しんでおいで…って」
えっと、携帯は…、とサイオンでロッカー室に置いた携帯を操作中らしい会長さん。カードが告げた試練と不本意は本当に会長さん限定イベントだったのでしょうか? それにしては着衣水泳、試練だった気がするんですけど…男の子たちには不本意なことが待っているとか、そういうオチではないんでしょうね?
会長さんの故郷を偲ぶ旅行に、マツカ君の海の別荘への旅。盛りだくさんだった夏休みが終わって、今日は二学期の始業式です。まだまだ蝉もしぶとく鳴いていますし、暑さの方も絶好調。校長先生からは夏休み気分を払拭するよう訓示があって、グレイブ先生も夏休みの宿題を集めた後で「だらけないように」と厳しく注意。学生の本分は勉強なのだと言われても……特別生には関係ないかな?
「かみお~ん♪ 始業式、お疲れ様!」
「やあ。相変わらず退屈な日だったようだね」
終礼が済んで影の生徒会室へ行くと会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」が迎えてくれます。夏休み中は殆ど縁の無い部屋でしたけど、授業のある日は此処が私たちの溜まり場で…。
「はい、冷製パスタ、生ハムのバジルクリームソース! しっかり栄養つけなくちゃね」
夏バテするよ、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」。早めのお昼ご飯に私たちは大喜びで飛び付きました。クリーミーなソースにバジルの風味が効いたパスタは絶品です。
「夏バテと言えばさぁ…」
ジョミー君が思い出したように。
「大丈夫だったのかな、倒れちゃった人。ほら、納涼お化け大会の時の…」
「「「あ…」」」
すっかり忘れてましたけれども、夏休みの締め括りは納涼お化け大会でした。普通の1年生だった時に参加したきり一度も出ていなかったのですが、今年は行ってみることに。マザー農場の夏祭りでシャングリラ号に乗り込んで行くクルーの人たちに会いましたから、勤務を終えたクルーたちにも会ってみたいと思ったのです。
「彼ならピンピンしているよ?」
平気だってば、と会長さん。
「張り切りすぎちゃったみたいだね。空調の効いたシャングリラ号と、蒸し暑い墓地とは違うのにさ…。そうでなくてもサイオニック・ドリームは使い慣れていないと消耗するんだ」
「そういうものか? 俺には特に自覚は無いが」
キース君が首を傾げると、会長さんは。
「君の場合は切実だからね。坊主頭に見せかけること限定とはいえ、プロの領域に入っているよ。だけど普通に生活してるとサイオニック・ドリームの出番は無いだろ? 力加減が掴めないのは仕方ない」
納涼お化け大会で倒れてしまった人というのは、シャングリラ号での一年間の勤務を終えて地球に戻ったクルーの一人。墓地に潜んでサイオニック・ドリームを操り、やって来る生徒を脅かす役目は交替後のクルーに人気でした。私たちは裏方を務めるクルーの人たちと仲良くなって仕事ぶりを見せて貰ったのですが…。
「今年の夏は暑すぎるのよね」
スウェナちゃんがパスタにソースを絡めながら。
「夜も涼しくならないんだもの。お化け大会で脅かされる方は涼しくなれても、脅かす方は大変だわ」
「それでも裏方、人気だったよ?」
あんな仕組みだなんて知らなかった、とジョミー君。普通の1年生だった頃の私たちはサイオンもサイオニック・ドリームも知らず、本物のお化けが出たとしか思えない状況に悲鳴を上げまくっていたのです。スウェナちゃんと私は「そるじゃぁ・ぶるぅ」を連れていたお蔭でコースをクリア出来ましたけど、男の子たちは途中でリタイヤ。つまりそれほど怖かった、と…。
「ぼくもいつかはやってみたいな、脅かす係」
瞳を煌めかせるジョミー君に、会長さんが。
「まだそれどころじゃないだろう? サイオニック・ドリームは既に操れなくなっていると見たけど? …キースが完璧にマスターしてから一度も訓練してないし…。出来るかどうか試してごらん」
始めっ、と会長さんが手を叩きましたが、何も起こりませんでした。
「「「………」」」
私たちはジョミー君の髪に注目中。以前だったらキース君と同じく坊主頭に見せかけられた筈なのですけど、明るい金髪が光を弾いているばかり。
「…どうやらダメになったようだね」
元の木阿弥、と冷たい口調で引導を渡す会長さん。
「仏門に入る時には綺麗に頭を剃りたまえ。二度とコツを教えるつもりはないし」
「えっ、そんな…。なんでぼくだけ!? キースは上手に誤魔化してるのに!」
「ふうん? 仏弟子になる覚悟はあるんだね。嬉しいよ、ジョミー」
「ち、違うってば! 今のは言葉のアヤってヤツで…!」
そんな気は無い、と絶叫しているジョミー君の姿に笑い転げる私たち。シャングリラ学園は今日も平和でした。そう、昼食を食べ終えるまでは…。
パスタの後はのんびりしてからティータイム、とばかりに冷たい飲み物で寛いでいると、会長さんが「また忘れてるし…」と呟きました。
「新学期と言えばこの行事、って何度言ったら覚えるんだい? ぶるぅ!」
「かみお~ん♪」
奥の部屋から「そるじゃぁ・ぶるぅ」が運んできたのはリボンがかかった平たい箱。中には何が入っているのか、嫌でも分かるというものです。せっかく今まで忘れていたのに、やはり今学期も逃げられませんか! 箱の中身は青月印の紅白縞のトランクス五枚。会長さんが教頭先生に新学期を迎える度に贈るもので…。
「その顔つきだと、思い出してくれたみたいだね。行くよ、ハーレイがお待ちかねだ」
「「「はーい…」」」
仕方なく立ち上がる私たちを引き連れ、教頭室に向かう会長さん。トランクスのお届け行列の先頭は箱を掲げた「そるじゃぁ・ぶるぅ」で、私たちはそのお供です。日差しが眩しい構内を歩き、本館の奥の重厚な扉の前まで行くと…。
「失礼します」
会長さんが扉をノックし、返事を待ってガチャリと開けて。
「お待たせ、ハーレイ。いつものヤツを持ってきたよ」
青月印の紅白縞、と会長さんは箱を教頭先生の机の上に置きました。
「一学期にシルクのを1枚プレゼントしたから、期待してたかもしれないけどね…。残念ながらコットンのが5枚。君のお尻に贅沢をさせる必要はない」
「…そういうものか?」
苦い顔をする教頭先生に、会長さんはフンと鼻を鳴らして。
「不満だったら箱ごと引き取らせて貰うけど? シルクのを自分で買えばいいだろ」
「い、いや…。私にはこれは特別なもので…」
教頭先生は慌てて箱を手元に引き寄せ、押し頂くと。
「有難く頂戴させて貰おう。…お前からのプレゼントというだけで嬉しいからな」
「なるほどね。でもさ、さっきの顔は頂けないな。…こ~んなだったよ」
ね? と会長さんは「そるじゃぁ・ぶるぅ」の可愛い額を両手でギュッと寄せ、皺を作って。
「こんな感じで眉間に皺! そりゃ、普段から皺はあるけど、それよりずっと深かった!」
「…そうか?」
「そう! その皺、癖になってるとはいえ、年々深くなってないかい? メモを挟んでも落ちなさそうだよ」
試してみよう、と机の上からメモ用紙を取った会長さんは教頭先生の眉間の皺に押し付けてみて。
「さっきみたいにギュッと寄せて! …ほらね、やっぱり落ちないじゃないか」
「……お前……」
皺に挟まったメモがハラリと落ちて、教頭先生は世にも情けなそうな顔。
「挟めと言ったのはお前だぞ? いくら私でも普段はそこまで…」
「ううん、気が付いてないだけだって! 今更皺取りの整形をしろとは言わないけどねえ…。もっとにこやかな顔をするよう心がけたら? それだけで人生変わると思うよ。笑う門には福来る、ってね」
ほら、と会長さんが宙に取り出したのは卓上用の鏡でした。シンプルなのは私も持ってますけど、凝ったフレームの綺麗なヤツです。会長さんの趣味でしょうか?
「フィシスのをちょっと借りてきた。これをさ、こんな風に机に置いて、と…」
教頭先生から覗き込める位置に鏡を据えた会長さんは。
「コールセンターに鏡を据えてる会社があるんだってさ。お客様には笑顔で応対! それがきちんと出来てるかどうか、各自が鏡でチェックするんだ。君もそうすれば少しは皺が…。どう? 鏡に向かってスマイル、スマイル!」
「………。今一つ落ち着かんのだが…」
「そうかな? それはもしかして…鏡のせい?」
教頭先生の背後に回り込んだ会長さんが肩越しに顔を覗かせた途端、教頭先生は「うわっ!」と派手に仰け反りました。えっ、なんで? 会長さん、怖い顔とかはしてませんけど…?
「ふふ、やっぱり鏡のせいなんだ?」
クスクスクス…と笑いを漏らす会長さん。
「ぼくが鏡に映ると困る。…そうなんだろう?」
「…ご、誤解だ! 誓って何も疾しいことは…!!」
「疾しいこと…ねえ? 語るに落ちるってヤツだよ、ハーレイ。…とりあえず鏡は返しておこう。ぼくの大事な女神が穢れる」
卓上ミラーがフッと消え失せ、会長さんは眼光鋭く教頭先生を睨み付けると。
「さあ、白状して貰おうか。鏡で妄想したのは何? ぼくの姿には間違いないね。…それからこれも!」
机の抽斗から会長さんが引っ張り出したのは分厚い何かのカタログでした。それをドスンと机に投げ出し、声を荒げて。
「こっちも説明よろしく頼むよ。その子たちにも分かるようにね、ぶるぅは無理かもしれないけれど!」
子供だから、と会長さん。えっと…ぶるぅには理解不能かもしれない何かですか? そして理由が「子供だから」って、嫌な予感しかしないんですけど~!
「そのぅ…。リフォームをしようかと思って…」
教頭先生は蚊の鳴くような声で答えました。なるほど、カタログの一冊は内装とかのヤツみたいです。教頭先生の家は古くなってはいませんけれど、気分を変えたくなったのでしょうか?
「リフォームね…。それも寝室限定の、だろ?」
会長さんが指先でイライラと叩いているのはベッドのカタログ。
「しかもとってもマニアックだ。付箋までつけて買う気満々、どんな顔して行く気なんだか…」
ショールームに、と言った会長さんはカタログをバッと開きました。付箋が付けられたページに載っていたのは…。
「「「!!!」」」
「百聞は一見に如かず。この子たちにも一発で通じたみたいだね」
カタログの写真は色こそ全く違いましたが、見覚えのあるものでした。マツカ君の別荘に行った時、電車を間違えたキャプテンが泊まってしまったラブホテル。そこにあった円形ベッドというヤツです。…こんなベッド、普通に売られていたんですか? 仰天する私たちに会長さんはクスッと笑って。
「形が似てるっていうだけじゃなくて、これは回転ベッドだよ? ラブホテルに設置するのが禁止なだけで、一般向けには売られてるんだ。リクライニング機能もついている。ショールームじゃ子供に人気の品なんだよね」
「…子供?」
思わず訊き返したキース君に、会長さんは。
「うん、子供。回転するのが楽しいらしくて、回りながら本を読んだりゲームをしたり…。ぶるぅも気に入りそうなベッドだ。だけど、ぶるぅを遊ばせるために買おうってわけじゃなさそうだねえ? 残念だね、ぶるぅ」
「えっ、違うの? 回るベッドって楽しそうなのに…」
遊んでみたい、と教頭先生を見詰める「そるじゃぁ・ぶるぅ」はソルジャーがラブホテルに押し掛けていった理由をサッパリ理解していませんでした。会長さんは「ぶるぅが遊びたいってさ」と教頭先生に視線を向けて。
「子供は無邪気でいいよね、ハーレイ? ぶるぅのオモチャに買うんだったら、ぼくも文句は言わないけどさ…。実際の所はそうじゃない。回転ベッドを置くだけだったらリフォームは特に必要ないんだ。…問題はそっち。ぼくの姿が鏡に映ると心臓に悪いリフォームなんだろ?」
「…そ…それは……」
「ハッキリ言ってあげようか? やりたいリフォームは鏡張りだ、って!」
「「「鏡張り!!?」」」
私たちの声は裏返っていたと思います。鏡張りって…例のラブホテルがそうだったという壁や天井が鏡の部屋? 顔を見合わせ、肘でつつき合う私たちに会長さんは大きく頷いてみせて。
「そう、その考えで合っている。ハーレイときたら、寝室の壁と天井を鏡張りにしたくてリフォーム計画を練ってるんだよ。個人の家で鏡張りにするのは何の問題も無いからね。…つまり自宅でラブホ計画!」
「「「………」」」
ラブホがラブホテルの略だというのは分かります。鏡張りの寝室に回転ベッドって、教頭先生、正気ですか? 今のラブホテルでは作れない仕様の部屋だと聞きましたけど、そんなものを作ってどうすると…?
「…ブルーがハーレイに送った写真で目覚めたらしいよ」
会長さんは吐き捨てるように言いました。
「あの時の携帯は壊れたけれど、ハーレイの記憶には写真がしっかり残ってる。当然、ぼくにも読み取れるわけ。あれを撮ったのはあっちの世界のハーレイなのかと思ったけれど、あのハーレイもヘタレだし…。多分ブルーがサイオンで携帯を操作して写したヤツだろうね。あっちもこっちもブルーだらけ」
鏡が複雑に反射し合って山ほどソルジャーが写っていたのだ、と会長さん。しかもソルジャーは服など勿論着ていなくって…。
「ハーレイはあれを再現してみたいらしい。鏡張りの寝室にぼくを連れ込んでどうする気なのか知らないけどね。…回転ベッドもそれと同じさ。ブルーが絶賛していたせいで、ぼくが喜ぶと思ってるんだ。…そうだろ、ハーレイ?」
「………」
「沈黙は何よりの証拠ってね。確かに回転ベッドは嫌いじゃないけど…。でも、ぼくもそれに関してはレベルはぶるぅと同じなんだ」
回転するのが楽しいだけ、と会長さんはウインクしました。
「流行ってた頃に行ってたけどさ、回るベッドであれこれするのは趣味じゃなかった。だからのんびり寝転んでただけ。…いろんなタイプがあったんだよね、全盛期には。どんなベッドを置いているのか探索するのは面白かったよ。それでグレイブを陥れたこともあったっけ」
「「「えっ?」」」
「だからさ、グレイブはミシェルと付き合っていたし、そういうホテルにも行きたいわけ。何処がいいのか悩んでるのが分かったからね、意識の下にちょっと情報を…。で、回転しながら天井近くまで昇っていくベッドを置いてるホテルを紹介したのさ。…グレイブ、高所恐怖症だろ?」
グレイブ先生がどうなったのかは容易に想像がつきました。回転ベッド、恐るべしです。けれど「そるじゃぁ・ぶるぅ」は遊園地のアトラクションみたいに受け止めたらしく…。
「そんなのがあるの? ハーレイ、買うんだったら天井まで昇っていくベッドがいいなぁ、とっても楽しそうだもん!」
乗り物みたい、と叫ぶ「そるじゃぁ・ぶるぅ」は本当に何も分かっていませんでした。鏡張りだってミラーハウス感覚に決まっています。教頭先生のリフォーム計画、ラブホどころか遊園地では…?
リフォームのカタログを前に項垂れている教頭先生。会長さんには喜んで貰えず、期待に溢れた目で見ているのは「そるじゃぁ・ぶるぅ」なのですから。会長さんは呆れたように溜息をつき、「皺!」と教頭先生の眉間を指差して。
「また皺が深くなってるし! 妄想するのは勝手だけどね、リフォームしたらぼくが来るとでも思ってる? そういうリフォームは君みたいなヘタレには敷居が高いって知っていた?」
もれなく自分も映るんだよ、と会長さんは指摘しました。
「回転ベッドは置いとくとして、鏡張り! ぼくが沢山映れば嬉しいだろうけど、君の姿だって映るんだ。ブルーが送って寄越した写真はブルーしか映らないようにしてあっただけさ。…自分が映りまくった鏡があっても出来そうなわけ? 何もなくてもヘタレな君が…?」
「………」
教頭先生の眉間の皺が一層深くなりました。会長さんはクッと笑って「無理だろうね」と可笑しそうに。
「でもさ、せっかくだからリフォームするのもいいかもしれない。鏡張りにすれば普段から自分を客観的に見られるし…。たとえば、これ」
紅白縞が入った箱をポンポンと叩く会長さん。
「寝室というのは着替える場所だ。君がどういう順番で服を着るのか知らないけどね、だらしない格好をしてれば一発で鏡に映るから! お風呂上がりにトランクス一枚でうろつくタイプは好きじゃないんだ。自分の家だと思ってリラックスしてやっているのは知ってるんだよ? 百年の恋も醒めるってヤツだ」
そもそも恋はしてないけれど、と会長さんは冷たい笑み。
「それに抱き枕もあったっけね。印刷されたぼくを相手に色々やっているのも映るよ? きっと空しくなるだろうねえ、一人で何をやってるのか…って」
そこで会長さんは「ああ」と両手を打ち合わせて。
「相手がいないから空しいわけだ。リフォームが出来たら、あっちのブルーを呼べばいい。どうせ呼んだってオモチャにされるだけだろうけど、そこそこ遊んでくれると思うよ。…なにしろ、ぶるぅのパパだしねえ?」
え。ぶるぅのパパって……それって確か……。青ざめる私たちに、会長さんは。
「そうさ、ブルーはハーレイ相手に突っ込むことが出来るわけ。せっかくのラブホ計画なんだし、ブルーと楽しく過ごせばいい。鏡張りも回転ベッドも経験済みのブルーだからこそ、色々教えてくれるかも…。ぼくを招待するのは実地で知識を入れてからだね。…名案だろう?」
「…し、しかし……。あのブルーは……」
「危険って自覚はあるわけだ? あの時の記憶は消していないし、下手をすれば自分がヤられる方だってことは分かってるもんねえ…。それじゃ知識の仕入れ方を変える? 鑑賞しながらお勉強」
「「「鑑賞?」」」
なんじゃそりゃ、と誰もが思ったのですが…。
「ブルーに部屋を貸すんだよ」
会長さんは事も無げに言い放ちました。
「鏡張りと回転ベッドが気に入ったって言ってたし…。青の間に導入したいらしいじゃないか。でも実際には不可能だろうし、君がそういう部屋を作れば喜んでハーレイと泊まりに来るよ。君は隠しカメラでも仕掛けて二人を観察すればいい。下手なアダルト番組なんかより刺激的でいいと思うけどな」
勉強にもなって一石二鳥、と会長さんは得意そうです。
「そうだ、マジックミラーの方がいいかも! クローゼットの扉をマジックミラーに取り換えるのはどうだろう? えっと…。そうそう、これだね」
カタログをめくった会長さんが見つけ出したのはマジックミラーのページでした。本来は間仕切りなんかに使うようですが、特注すれば扉などにも加工できます。部屋の側からは鏡に見えて、クローゼットの中から覗けば透明なガラスになる仕組み。…つまり覗き用の部屋を作るというわけですか…。
「ブルーなら覗かれていても平気だよ。あっちのハーレイはダメだろうけど、覗かれてるってバレさえしなけりゃ大丈夫だし…。よし、決まった。鏡張りと回転ベッドのリフォーム、許可しよう。ブルーもきっと喜ぶだろうし、ぶるぅは回転ベッドで遊んでみたいらしいしね」
天井まで昇るタイプとなると…、とカタログに書かれたオプションをチェックしている会長さん。教頭先生の自宅の寝室をラブホ化計画、会長さん主導でゴーサインですか?
最初の間は教頭先生は思い切り腰が引けていました。クローゼットにマジックミラーはマズイと思ったらしいのです。けれど会長さんに「知識を仕入れるチャンスだから」と強く言われて、だんだんその気になってきたようで…。
「私がきちんと知識をつけたら、お前が嫁に来てくれるのか?」
「さあね? その時の気分によるかな。だけど知識は仕入れておいて損はしないよ、ヘタレも直しておかないと…。クローゼットの中で鼻血と戦いながら頑張るといい」
ティッシュを箱ごと抱えて隠れること、と会長さんにそそのかされた教頭先生、素直にコクコク頷いています。そして会長さんと一緒に回転ベッドや専用のマットレスなどを選び、後は実行に移すだけ。予算の方も教頭先生のキャプテン貯金からドカンと出すことが決定して…。
「うん、完璧。これでブルーも大喜びだ。マジックミラーはブルーには教えていいんだよね?」
「そうだな。流石に黙って覗きをするのはどうも…。お前から伝えておいてくれ」
「了解」
会長さんはニッコリ綺麗に微笑んで。
「それじゃ改装計画ってことで、長老会議を招集しなくちゃ」
「「「長老会議!?」」」
なんですか、それは? 長老会議と言えばサイオンや仲間に関する重要な事を決定するための機関では? 何故に教頭先生の私的なリフォームに長老会議…?
「え、だって。…キャプテンとソルジャーが共同で練った計画だよ? しかもキャプテンの私邸の改装。これが重要事項ではないと?」
とても重要だと思うんだけど、と会長さんは大真面目な顔。
「ぼくとハーレイが企画した以上、仲間の福利厚生にも役立てないとね。…天井まで昇る回転ベッドと鏡張りの部屋はどう考えても娯楽用だ。あっちの世界のブルーだけでなく、希望する仲間に貸し出してこそのキャプテンだろう? まさか私物化しないよね?」
そんな心の狭いこと、と瞳を向けられた教頭先生はウッと詰まって。
「こ………こ、公共のスペースという扱いなのか?」
「もちろん。君が出資して仲間の娯楽に役立てるなんて素敵じゃないか。昔あのタイプのベッドで大失敗をしたグレイブなんかが喜ぶかもね、リベンジのチャンスがやって来た…って」
高所恐怖症を克服しようと頑張ってるし、と会長さんは内線電話に手を伸ばすと。
「とりあえず会議は明日でいいかな、今日はエラが早めに帰るみたいだし。…招集してから書類を作って、提出して…と。あ、もしもし、ゼル?」
「ブルー!!!」
教頭先生が凄い勢いで受話器を引ったくり、電話の向こうのゼル先生に。
「すまない、ブルーが悪戯を…。そ、そうじゃない、私は何も…。い、いや、だから…。待ってくれ、ゼル!」
ツーッツーッと響く、切れてしまった電話の音。会長さんがトランクス入りの箱を手に取り、「武士の情け」と肩目を瞑って。
「君の家に送ってあげるよ、この箱だけはね。ぼくがプレゼントしてると知れると何かとマズイし…。後は自分で頑張って」
さあ逃げるよ、と会長さんは踵を返して教頭室を飛び出しました。私たちと「そるじゃぁ・ぶるぅ」も慌てて続き、廊下を少し走った所で反対側から駆けつけてきたゼル先生と出くわして…。
「どうしたんじゃ、ブルー! ハーレイの部屋で何があった?」
「新学期の挨拶に行ったら、寝室をリフォームしたい、って色々相談をされたんだ。ジョミーたちがいるから大丈夫だと思っていたのに、どんどん危ない方向に…」
「危ないじゃと?」
「うん。鏡張りの部屋がどうとか、マジックミラーにしようとか…。おまけに回転ベッドまで買うって言い出して…。ぶるぅが遊ぶためのベッドだと勘違いしたのも悪かったんだろうね」
ゼル先生の顔がみるみる憤怒の形相に変わり。
「鏡張りに回転ベッドじゃと!? おのれハーレイ、血迷ったか! 安心せい、ブルー、しっかり締め上げておくからな!」
任せておけ、と凄い勢いで教頭室に駆け込んで行くゼル先生を会長さんはペロリと舌を出して見送ると…。
「これでハーレイの妄想は終わり。カタログとかは目につくように広げといたし、思い切り絞られて懲りるといいよ。…なにが鏡張りに回転ベッドさ、扱えもしないヘタレのくせに」
「えぇっ、遊べるお部屋は作れないの?」
残念、と名残惜しそうな「そるじゃぁ・ぶるぅ」を連れて帰ってゆく私たちの後ろで聞こえた悲鳴とドタバタ逃げ回る激しい足音。教頭先生、とんでもない目に遭ってらっしゃるみたいです。新学期早々、お気の毒としか言えませんけど、トランクスの箱が発見されなかっただけでもマシと思って下さいね~!
休暇を取って別荘ライフに合流することが決まったキャプテン。電車で旅をしてみたいとかで、アルテメシアから一人でやって来る予定です。小さな子供でも電車や飛行機で一人旅をしている御時世、特に心配は要らないでしょう。休暇の始まりは別荘ライフも残り二泊三日という日の朝。
「おはよう」
ソルジャーが朝食を摂りに一階の食堂に現れました。後ろに「ぶるぅ」もくっついています。
「ハーレイは休暇中の引き継ぎを済ませてこっちに来たよ。せっかくだからバスにも乗るって言うんでね…。こっちのハーレイの家の近くまで送っておいた」
「バスですか?」
教頭先生が首を捻って。
「あそこのバス停は少々分かりにくいんです。いや、場所がどうこうと言うんじゃなくて、路線の方が…。同じアルテメシア行きのバスでも直通のバスと迂回して行くバスとがあって、かかる時間が違うんですよ。路線図を見て下されば分かるのですが…」
「へえ…。そんなことになっていたんだ?」
どれでも乗れると思っていたよ、とソルジャーがオレンジジュースに手を伸ばして。
「アルテメシア駅に行くバスに乗ればいいんだとだけ言っといたけど、説明不足だったかな? だけど普通は確認するよね、初めて乗ろうってバスだもんね。キャプテンたる者、慎重でないと」
そこがハーレイの長所で短所、とソルジャーはパンケーキを切り分けています。
「大胆さってヤツも時には必要だと思わないかい? あらゆる面で慎重すぎるとヘタレになってしまうんだよね。本人も胃薬が手放せないし、ぼくも何かと物足りなくて…」
「ストップ!」
そこまで、と会長さんが止めに入りました。
「朝っぱらからアヤシイ話は困るんだよ。夜は勝手にすればいいから、せめて昼間は健全に!」
「分かったってば。…ハーレイも楽しく旅をしていることだし、ぼくも思い切り遊んでおこう。どうせ昼過ぎまで着かないんだから、今日もお昼はバーベキューかな?」
「そうだね。昨日は食材調達係が遠泳に行ってて留守だったから、海の幸がイマイチ充実してなくて…。やっぱり採れたてのサザエにアワビ!」
頑張って、と教頭先生に微笑みかける会長さん。教頭先生は「任せておけ」と御機嫌です。会長さんに貢ぐためなら何度でも潜る気なのでしょう。素潜りはキース君とシロエ君も随分得意になりましたから、今日の食材は大いに期待できそうでした。
「よし、今日は魚も獲ってみるか」
教頭先生がキース君たちに視線を向けて。
「この間、要領を教えただろう? みんなに食べて貰うためにも色々捕まえてみないとな」
「いいですね!」
即答したのはシロエ君。
「この前は逃げられましたけれども、今日は絶対捕まえます!」
「え、なに、何? 何に逃げられたって?」
ジョミー君が好奇心満々で尋ねると…。
「イカですよ」
「えっ、イカ? 教頭先生とキースが捕まえていたと思ったけどな」
「ですから、ぼくは逃げられたんです! ジョミー先輩、知ってましたか? イカって自分の姿の形に墨を吐き出して逃げるんですよ」
驚きました、と語るシロエ君の顔は悔しそうです。この調子なら今日はイカや魚を沢山獲ってくれるかも…。お料理大好き「そるじゃぁ・ぶるぅ」は食堂の人に色々注文していました。藻塩に岩塩、お塩だけでも沢山種類があるようです。
「あのね、新鮮なお魚だったらお塩だけでも美味しいんだよ! せっかくだから食べ比べなくちゃ♪」
ハーブ入りのオイルもいいよね、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」はニコニコ顔。今日のビーチにも美味しい香りが漂いそう! キャプテンが到着してもバーベキューパーティーは続行かな?
明るい日差しの海で泳いで、ビーチで遊んでバーベキュー。どうしてもイセエビが食べたくなった「そるじゃぁ・ぶるぅ」が反則技のサイオンで何処かの海から捕まえてきたのには全員が拍手喝采でした。獲れたてのイセエビを豪快に焼いて食べるだなんて楽しすぎです。そんなこんなで時間はアッと言う間に過ぎて…。
「あれ?」
ソルジャーがふと思い出したように。
「今、何時だっけ?」
「えっと…?」
誰も腕時計なんか付けていません。会長さんがパラソルの下に置いていた荷物から携帯を出して。
「3時5分前。そろそろおやつの時間かな? カキ氷もいいけど、ソフトクリームも捨て難いかも…」
どちらのおやつも別荘の人に頼んで届けて貰うのは同じ。マツカ君が「何にします?」と注文取りを始めましたが…。
「おかしいなぁ…」
ソルジャーが別荘の方を見ながら首を傾げて。
「とっくの昔に着いてる頃だと思うんだ。駅にタクシーが無かったのかな?」
「「「あ…」」」
今の今まで忘れていました。キャプテンが一人で乗った電車が到着している筈なのです。駅に着くのが1時半。そして駅から別荘までは車でそれほどかからない距離で…。
「えっと…。迎えの車を出しましょうか?」
マツカ君が言いましたけれど、ソルジャーは。
「連絡も無いし、放っておこう。こういう時に使うようにって携帯を渡してあるんだからね。タクシーが来るまでボーッと突っ立って待ってればいいさ、ヘタレを直すいい機会だ」
この暑さだし、と笑うソルジャー。
「シャングリラの中じゃ夏の暑さは味わえない。そりゃあ昔は人体実験とか色々あったし、とんでもない暑さの部屋にも入れられたけどさ…。それもすっかり昔の話。快適な温度調整に慣れたハーレイには暑さと戦ってもらおうか」
過酷だった時代の話をサラリと済ませて、ソルジャーはソフトクリームを注文しました。今日のお勧めはブルーベリーとホワイトチョコ。ソルジャーは迷わずダブルです。会長さんはホワイトチョコで、「そるじゃぁ・ぶるぅ」と「ぶるぅ」はミルク味のカキ氷にホワイトチョコのクリームをトッピングして貰うことに。
「それ、いいね!」
ぼくもそれ、とジョミー君が手を挙げ、スウェナちゃんと私も便乗しました。キース君たちは何にすべきか迷っています。「この際だから全部混ぜたら?」とは会長さんの爆弾発言。
「綺麗に盛り付けたパフェみたいに見えるカキ氷をね、スプーンでグチャグチャに混ぜて食べようって国もあるんだよ。…冗談じゃなくて本当だってば! パッピンスって言うんだけども」
「「「パッピンス?」」」
「そう。君たちも好きなビビンバの国のカキ氷さ。ビビンバだって思い切り混ぜて食べるよね? それとおんなじ」
「「「………」」」
凄い食文化もあったものだ、と呆然とする私たちの頭からキャプテンの件はストンと抜け落ちてしまいました。誰がパッピンスに挑戦するかで男の子たちがジャンケンになり、負けてしまったのはキース君です。
「頑張れー!!!」
「もっと混ぜて、もっと混ぜて!!!」
豪華に盛られた三種類のクリームにパイナップルやイチゴのスライス。ベースはミルク味のカキ氷という代物を、キース君はスプーンでヤケクソになってかき混ぜ中。どう見ても食べ物というより残飯ですけど、あれを食べるのは酷でしょうねえ…。
「おい、どうしたんだ? 意外にいけるぞ」
食わず嫌いは良くなかったな、と口にするキース君に背中を向けて私たちは自分のアイスやカキ氷に集中していました。だって、見た目は大切です。かき混ぜられたパッピンスを食べてる人なんか見たら、食欲、一気に落ちますってば…。
賑やかに遊びまくった私たちがキャプテンのことを思い出したのは夕方になってからでした。別荘の方へと引き揚げてくると、出迎えてくれた執事さんが「お客様の御到着は遅れるのですか?」と尋ねたのです。
「「「え…?」」」
「予定の時間にお見えになりませんでしたから、もしやタクシーが無いのでは…、と迎えを出させて頂きました。ですが、駅には誰もおいでにならなかった、と運転手が…」
「……着いてないわけ……?」
まさか、と顔色を変えるソルジャー。慌てた様子で携帯電話を取り出しましたが、不在着信は無いようです。もちろんメールが来る筈もなく…。
「どうしたんだろう? 何かあったなら電話してくると思うんだけど…」
「ブルー、落ち着いて」
会長さんが声をかけました。
「此処で騒いでても仕方ない。とにかく中へ。…話はそれから」
私たちはお風呂に入るように言われ、会長さんはソルジャーと教頭先生、それに「ぶるぅ」と「そるじゃぁ・ぶるぅ」を連れて二階の広間へ。…まさかキャプテンが行方不明になるなんて…。電車に乗り遅れてしまったとかならいいんだけれど、と心配です。大慌てでお風呂に入って広間に急ぐと、会長さんたちもお風呂と着替えを済ませた後で。
「…乗り越しちゃったらしいよ、電車を」
会長さんが苦笑しています。
「ほら、海の景色が綺麗だろう? この辺りはずっと海が見えるし、見とれてる内に時間が経っていたらしい」
「まったく…。ヘタレを通り越して馬鹿だって気がしてきたよ」
あそこまで間抜けとは思わなかった、とソルジャーが携帯を弄りながら。
「ブルーに言われて電話したのに出ないしさ…。いっそ思念で、って思った所でやっと出たんだ。精進弁当とお酒でリラックスしたのも悪かったんだろうね。電車の中で見事に爆睡。…それで言うことがさ、此処は何処でしょう? と来た日にはさ…」
「まだ乗ってたわけ?」
ポカンと口を開けるジョミー君。私たちが乗ってきた電車の終着駅は遙か彼方です。もしかしてキャプテン、終点まで乗って行っちゃいましたか…? ソルジャーは「乗ってるんだよ、今もまだ」と溜息をついて。
「とにかく降りろって言ったんだけど、どうやら終点まで降りられる駅が無いらしい。迎えに行こうかとも思ったけれど、これも修行の内かもね。自力でこっち行きの電車を探して来て貰うさ。流石にタクシーは無くなるだろうし、駅までは車を出すしかないけど」
「えっと…」
マツカ君が電車のダイヤを検索しながら。
「こっち方面へ向かう最後の特急に間に合う時間には到着しますね。乗車賃の方は大丈夫ですか?」
「ちゃんと多めに渡してある。後は自力で頑張るだけだね」
ヘタレ克服、とソルジャーは携帯をソファへと放り投げました。
「よほどの困難に直面するまで連絡は不可と言っといた。だから電話がかかってくるのは駅に到着する頃さ。今度こそ一人旅を無事に完結させて欲しいな。まったく、子供じゃないんだから…。ねえ、ぶるぅ?」
「ハーレイ、時々失敗するよねえ…。キャプテンの仕事は完璧だけど」
「そっちの方で失敗されたら大惨事だ。どうしてキャプテンは務まってるのに、ぼくの恋人としてはダメなのかなぁ?」
それはソルジャーが多くを要求し過ぎなんじゃあ…、と誰もが思ったようですけども、口に出す人はいませんでした。とにかくキャプテンの到着時間は予定よりかなり遅れそうです。夕食にも無論、間に合いません。でも無事は確認されましたから、後は着くのを待つだけですよね。
ゲストが増えることを見越して別荘のシェフが腕を揮った豪華な夕食は私たちの胃袋に収まりました。キャプテンの分だった料理は大食漢の「ぶるぅ」がペロリと平らげ、無駄になってしまうこともなく…。食事が済むといつもの広間でキャプテンの話題に花が咲きます。
「今頃はどの辺にいるのかな?」
「二つ手前くらいの駅だと思うぞ、ほら、此処に」
ジョミー君とキース君がパソコン画面の時刻表などを検証しながら。
「駅弁もいいのが買えてるといいね、絶対お腹が空くだろうし」
「あそこの駅だと…ふく飯か。ふく寿司もそこそこ美味いと聞いたな」
「…ふく? それって何?」
「知らないのか? ふくというのはフグのことだが」
ああ、フグでしたか! キース君が検索して見せてくれた画面にはフグの絵が描かれたお弁当が。この世界に疎いキャプテンがフグ弁当を買えたのかどうかは分かりませんけど、お弁当は買っているでしょう。そしてソルジャーが待つ別荘があるこの駅へ向けて鉄路を走っている筈です。それから間もなく、ソファの上でソルジャーの携帯が鳴って…。
「来た、来た。もうちょっと後になるかと思ったけれども、ギリギリまでは待てなかったか」
ヘタレだけに心細いんだろう、と言いつつソルジャーは思い切り長く放置してから。
「…ぼくだ。…え? どうしたって?」
ソルジャーの声が厳しいものに変わりました。到着を知らせる電話じゃないのでしょうか? 何か車内でトラブルでも…? と、ソルジャーがマツカ君に視線を向けて。
「妙な駅に着いたと言っているんだ。…ハーレイはまた間違えたのかい?」
「…妙な駅…ですか? 駅名は?」
「ちょっと待って。ハーレイ、駅の名前はなんて? 分かった、とにかく訊いてみる」
此処らしい、と告げられた駅名はまるで聞き覚えの無いものでした。けれど会長さんとマツカ君が二人して顔を見合わせて。
「それってド田舎…」
「ローカル線の乗り替え駅ですよ!」
山地のド真ん中ですよ、と青ざめているマツカ君。
「まさか降りちゃったんですか? こんな時間じゃ次の電車は…。それにそこから此処への直通電車は日に一本しか…」
「…要するにまたしても間違えたわけだね、ハーレイは」
ソルジャーは電話の向こうのキャプテンと喧嘩腰でやり取りしてから振り向いて。
「最初から間違えて乗ったみたいだ。ホームを確認しなかったらしい。…それに暗いから窓の外にも注意してなくて、様子がおかしいから慌てて降りた、と」
慣れないキャプテンは駅のホームの案内板を中途半端に見ていたようです。恐らく隣のホームから発車する電車に誤って乗ってしまったのでしょう。会長さんがド田舎と呼んだ駅ではキャプテンの乗ってきた電車が実質上の終電でした。
「…それでこれからどうするって? ふうん? まあ、ぼくはどうでもいいけどね…。この代償は高くつくよ? せっかくの休暇を一日無駄にしたわけだから。うん、うん…。じゃあ、また明日」
電話を切ったソルジャーはフウと大きな溜息をついて。
「迎えに来てくれって言うかと思えば、ホテルがあるから泊まります…だってさ。郷に入りては郷に従えとは言ったけれども、TPOってものがあるだろう! ぼくに寂しく一人寝しろって? 地球の夜に期待してたのに…」
せっかく手配したダブルベッド、とソルジャーはブツブツ文句を言っています。そんなソルジャーには気の毒でしたが、目の毒としか言いようのない大人の時間もどきを繰り広げられなくて済んだのは有難いかもしれません。まあ、その分、明日は凄そうですけど…。と、再びソルジャーの携帯が鳴り始めました。
「今度は何さ? おやすみの電話だったらキレてやる!」
勢いよく電話に出たソルジャーが「はぁ?」と間抜けな声を上げて。
「それはちょっと…。ぼくにも全然分からないや。地球にはそんなホテルがあるわけ?」
聞いたこともない、とソルジャーは私たちをグルリと見渡すと。
「フロントに人がいないと言っているんだ。人の気配はあるらしいけど、呼んでも誰も出てこない…って」
「営業してないってことじゃないのか?」
キース君が冷静に突っ込みましたが。
「ううん、営業中らしい。空き室あります、って表示もあるって。なのにフロントは空っぽで…。え、なんて? ああ、それで選ぶのかもしれないね。…選べた? 了解。…そうか、最先端の形式なのかも…。それじゃ、おやすみ」
今度こそ二度とかけてくるな、と携帯をソファに叩きつけるソルジャー。とりあえずキャプテンのホテルは確保できたようです。これで今夜は一安心…、と。
キャプテンと休暇を過ごす当てが外れたソルジャーは怒り心頭でした。マツカ君に明日の電車を検索させて、間違いなくそれに乗れるようメモを書いています。
「メールが使えたら問題ないのに、ハーレイときたら…。このくらいの反則、許されるよね? ぼくがこのメモを送りつけても迎えに来いとは言わないんだろうな、どうしようもなく気が利かないし…。明日の夜はたっぷりサービスして貰わなくっちゃ気が済まないや」
末尾に大きく『ハーレイの馬鹿!』と書き添えたメモを仕上げたソルジャーは内容に誤りが無いかを私たちに確認させながら。
「こんな間抜けにホテルだなんて勿体無いよね、野宿で充分って気がするけども…。この暑さなら風邪を引く心配もないし、駅のベンチで寝させりゃよかった」
「…それは駅員さんに追い出されるよ」
大真面目に答える会長さん。ソルジャーはフンと鼻を鳴らして「勿体無い」と繰り返しました。
「よりにもよって全部オートのホテルなんだよ? パネルで部屋を選ぶんだってさ。部屋を選んでボタンを押したら、横にあったエレベーターの扉が開いたらしい。…フロントに人がいなくても全部自動で済む仕掛け。きっと最先端だよね」
「「「…???」」」
そんな変わった仕組みのホテルは耳にしたことがありません。どんな小さなホテルであってもフロントに人はいるもので…。旅館のフロントも同じです。民宿とかは別ですけども、そもフロントが無いですし…。あれ? 会長さん、どうかしましたか? 額を押さえているようですが…?
「…ブルー? 何処か具合でも…って、そうか! あれがそうだったのか、なるほどね…」
クスクスクス…とソルジャーが可笑しそうに笑い出しました。
「ふふ、ハーレイがチェックインしたのは普通のホテルじゃないんだってさ。ぼくも流石に知らなかったよ、ノルディと行っておけばよかったかな? 誘われたことはあるんだけどねえ、ラブホテル」
「「「ラブホテル!?」」」
「そういうこと。こっちのハーレイは縁が無いから知らないようだね。…だけどブルーは経験済み、と。ぼくがノルディに聞いた話じゃ、下手なホテルより充実したのが最近の流行りらしいけど…。昔の方が趣きがあって楽しめたってね? 今じゃ作れないタイプの部屋があるとか…」
そんな話をされた所で私たちにはサッパリです。けれどソルジャーはさっきのメモをギュッと握って意識を集中しているようで…。
「やった、当たりだ! 流石ハーレイ」
「「「は?」」」
「鏡張りだよ、ノルディが言ってた伝説の部屋! 田舎に行けば残ってますよ、と聞いていたから探ってみたら…。凄いや、壁も天井も全部鏡がビッシリと…。これはもう押し掛けて行くしかないよね、ほら、こんな感じ」
有無を言わさず送り込まれた映像の中ではキャプテンが所在なさげに座っていました。椅子ではなくてショッキングピンクの大きなベッドで、円形ベッドとでも言うのでしょうか? 何処が頭やら足許なのやら、見当もつかないベッドです。天井と壁は全面鏡で、キャプテンとベッドがあちこちに映り込んでいて…。
「あのベッド、多分、回転するよ。これもノルディに聞いたんだけど、何十年か前に法律で禁止になるまで鏡張りの部屋と回転ベッドはラブホテルの定番だったんだってさ。今じゃ根性で改装し続けてるホテルか、地方の寂れたホテルくらいにしか残ってないっていう話。…その伝説のホテルが出たか…」
怪我の功名、と唇に笑みを浮かべた次の瞬間、ソルジャーの姿は消えていました。もちろんメモも残っていません。ついでにソルジャーの携帯電話も…。
「ねえねえ、ラブホテルってどういうホテル?」
初めて聞くよ、と不思議そうな「ぶるぅ」に会長さんが「大人の時間の専用ホテル」と答えているのがとても遠くに聞こえます。万年十八歳未満お断りでもラブホテルという単語くらいは知っていました。そっか、そういう仕組みでチェックインする場所なんですねえ…って、そんなことを覚えてどうしろと?
一人旅で大失敗をしたキャプテンでしたが、ソルジャーとの地球での特別休暇は結果的には大当たり。別荘から瞬間移動で消えたソルジャーが戻ってきたのは翌日の朝で、何食わぬ顔でいつもの食堂に現れて。
「おはよう。ハーレイは昼前に駅に着くから」
今度こそ間違えない筈だ、と言うソルジャーはキャプテンに電車の時間や出発するホームを書きつけた昨夜のメモを渡したそうです。
「ハーレイの馬鹿って書いてた部分は消したよ。だってさ、ハーレイが電車を間違えて乗らなかったら普通にダブルベッドの夜だしねえ? 鏡張りの部屋も凄かったけど、回転ベッドも良かったなぁ…。青の間に採用したいくらいだ」
どちらもね、と満足し切った顔のソルジャー。
「あんなホテルを見つけちゃったら連泊しないのは勿体無い! と思ったけれど、あそこは海が見えないんだ。思い切り山の中だしさ…。だから今夜は此処で過ごすよ、地球での休暇は海が無いとね」
水の星を満喫しなくては、と言ったソルジャーでしたが、昨夜うっかり楽しみすぎて海には入れないのだと嘆いています。
「…一昨年と同じだよ。痕をつけるな、って注意するのを忘れてた。注意してても無駄だったかもしれないけどさ…。鏡張りって興奮するんだ。あっちにもこっちにもハーレイとぼくが映ってる。肌の色が違うってことは分かってたけど、あんな風に見えるものなんだ…って」
「ブルー!!!」
会長さんが声を荒げましたが、ソルジャーは全く気にしていません。今度は回転ベッドの魅力について語りたいらしく、赤い瞳を煌めかせる姿にキース君が深い溜息をついて。
「…悪いが、俺たちには難しすぎて分からないんだ。そういう話はブルーにしてくれ。…行くぞ、今日も浜辺でバーベキューだ」
「かみお~ん♪ イセエビ、焼こうね!」
美味しかったもん、と飛び跳ねる「そるじゃぁ・ぶるぅ」を連れて私たちは食堂を後にしました。残っているのは会長さんとソルジャーと「ぶるぅ」、それにソルジャーに引き止められた教頭先生。部屋に戻って水着に着替え、ビーチへ向かおうとしていた所で食堂の方から執事さんの声が…。
「教頭先生、倒れちゃった?」
ジョミー君が言い、キース君が。
「鼻血がどうとか聞こえてくるしな…。今日のバーベキューの食材調達は俺とシロエにかかってくるのか…」
「腕の見せ所ですよ、キース先輩! キャプテンが着くまでに沢山獲って、教頭先生に褒めて頂きましょう!」
今日こそイカを捕まえます、とシロエ君は気合が入っていました。教頭先生に素潜りの腕を認めて貰おうと頑張った二人は魚も貝も、念願のイカも捕まえてきて…。
「うん、美味しい! やっぱり地球の休暇は海だね」
ソルジャーが水着姿のキャプテンに焼きたてのサザエを勧めています。海に入れないソルジャーはシャツを着込んでいましたけれど、御機嫌の方は上々でした。キャプテンが別荘に到着した時も玄関まで迎えに行ったのです。
「ハーレイ、初めての一人旅、お疲れ様。素敵なホテルに連れてってくれたし、遅刻の件は不問にしとくよ。…だけど海に入れないのは残念だよね…。休暇は明日で終わりになるのに、それまでに痕は消えないだろうし」
「…すみません、ブルー…。海を楽しみにしてらっしゃったのに」
「うん。ハーレイと海で泳ぎたいな、って思ってた。…海かぁ…。もっと泳いでおけば良かったなぁ…」
来年の夏まで機会は無さそう、とソルジャーはジョミー君たちが海に入ってゆくのを羨ましそうに見ていましたが。
「…そうだ、ボートだ! 昨日、ブルーとそういう話をしてたんだよね。ボートだったら海に出られる。こっちのハーレイが交代要員がいてくれたなら…って言ったんだっけ」
そうだよね? と水を向けられた教頭先生は。
「この人数で!? それはあまりに無茶なのでは…。あなたとブルーと、ぶるぅが二人。それにスウェナとみゆで6人、漕ぎ手が二人で合計8人…。どうしても、と仰るのなら4人乗りのボートを2隻ですね。あなたのハーレイが漕げるのならば……ですが」
「漕いでもらうさ。遅刻の件は不問にするけど、海に入れない方は諦め切れない。…マツカ、ボートを手配してくれる? ハーレイは漕ぎ方を習っておいて」
サイオンでね、とソルジャーは片目を瞑りました。
「携帯電話しか使えないのも楽しかったし、とっても役に立ったけど…。やっぱりミュウには思念波が馴染む。あの携帯は思い出の品に取っておくのが一番さ」
沢山写真も撮ったしね、と自慢するソルジャーの携帯にどんな画像が入っているのか、知りたくもありませんでした。鏡張りの部屋や回転ベッドを撮りまくったに決まっています。スウェナちゃんと私が頬を赤らめて俯いていると、ソルジャーは「やっぱり分かる?」と微笑んで。
「ノルディにも記念に一枚送っておいたよ。すぐに返信してきた所が凄いよね。…私の知識がお役に立って光栄です、って。メールも出来ないハーレイなんかとは雲泥の差だ。あ、こっちのハーレイは使えるんだっけ」
君にも一枚あげようか? と訊かれて教頭先生は大慌て。
「け、けっこうです! それより、ボートの用意が出来たようですよ。行きましょうか」
「そう? 残念」
せっかく素敵な写真なのにねえ、とソルジャーが携帯をコッソリ操作するのをスウェナちゃんと私は確かに見ました。教頭先生が漕いでくれるボートに乗り込んだのはスウェナちゃんと私と「そるじゃぁ・ぶるぅ」。キャプテンのボートにはソルジャーと会長さんと「ぶるぅ」が乗って海に出て…。
「おーい、こっちだよー!」
ジョミー君が泳ぎながら手を振っています。男の子たちが遠泳していたコースは相当に距離のあるものでした。別荘ライフは明日の午前中まで。この一週間、毎日遊んで騒ぎまくって…。
「ふむ。サイオンで伝えた程度であれだけ漕げれば立派なものだな」
教頭先生がキャプテンの腕前に感心しています。ボートの上では会長さんとソルジャーが口論してましたけど、昨日の今日ではそれも当然。どうせ理解不能な言葉の応酬だろう、と対岸の火事を眺めてボート遊びを楽しんで…。教頭先生が鼻血で派手にぶっ倒れたのは別荘ライフ最後の夜でした。はずみで吹っ飛んで壊れてしまった携帯電話にどんな画像が届いたのかは、ソルジャーしか知らないみたいですよ~!