シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。
- 2012.02.06 休暇と夏旅情・第2話
- 2012.02.06 休暇と夏旅情・第1話
- 2012.02.06 思い出の七月・第3話
- 2012.02.06 思い出の七月・第2話
- 2012.02.06 思い出の七月・第1話
マザー農場の夏祭りが済むと今度は海への旅行でした。ソルジャーと「ぶるぅ」が来ませんように、との願いも空しく、アルテメシア駅の集合場所には会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」に連れられた二人が当然のように現れて…。
「おはよう。今年もよろしく頼むよ」
「かみお~ん♪ よろしくね!」
ガックリ肩を落とした私たちの前にやって来たのは教頭先生。
「すまん、すまん、私が最後か。…まだ時間には余裕があると思ったのだが」
「その考えは甘いよ、ハーレイ」
会長さんが突き放すように。
「今は旅行に人気のシーズン! もちろん駅弁も大人気だ。目当てのお弁当を買い逃しちゃったら悲しいよねえ、誰だって。…と、言うわけで…」
財布、と会長さんは教頭先生を指差しました。
「遅刻のお詫びに全員分のお弁当と飲み物代を負担すること! さあ、売り切れない内に買いに行こうか」
「「わーい!!」」
歓声を上げて駆け出したのは「そるじゃぁ・ぶるぅ」と「ぶるぅ」です。私たちも会長さんに促されて駅弁売り場へ。
「思い切り高いのを頼むといいよ。ほら、ステーキ弁当なんかが美味しそうだ」
「で、でも…」
ジョミー君が遠慮し、キース君は幕の内弁当を注文しようとしたのですが。
「えっと、ステーキ弁当を7個。…みゆとスウェナもそれでいいよね?」
会長さんは勝手に決めてしまいました。い、いいんでしょうか、ステーキ弁当…。ファミレスのランチが2回ほど食べられそうな値段ですけど! ん? 7個? なんだか数が合わないような…。
「はい、君たちの分」
お弁当が入った袋を受け取るように言われた時点で気が付きました。会長さんたちの分が無いのです。教頭先生は既に格安のお弁当の方を向いてますから構わないとして、会長さんやソルジャーは? 売り場で一番高かったのはステーキ弁当なんですが…。
「ん? ああ、ぼくたちの分のお弁当?」
会長さんはニコッと笑って売り場の女性に。
「予約していたブルーだけども」
特製弁当4人前、と会長さんが告げた店の名前は有名な高級料亭でした。店員さんが奥から運んできたのは店名と紋が入った風呂敷包み。あそこって駅弁、あったんですか!? 仰天している私たちの間でマツカ君が。
「注文に応じて作るんですよ、行楽弁当みたいなものですね」
「流石マツカは詳しいね。君の分も頼めばよかったかな?」
風呂敷包みを受け取りながら尋ねる会長さんに、マツカ君は慌てて手を振って。
「い、いえ、ぼくは…! 普通のお弁当で充分です…」
申し訳ないですし、と教頭先生を見遣るマツカ君。教頭先生は見るからに不安そうな顔で店員さんに向き合うと。
「…そこの一番安い弁当を一つ。それと…」
飲み物は? と訊かれた私たちはペットボトルのお茶を注文しました。けれど会長さんとソルジャーは…。
「あれがけっこう美味しいんだよ」
「なるほどね。このお弁当にも合うのかな?」
「もちろん。ねえ、ハーレイ? 君はお酒が好きだったよね? 未成年の代わりによろしく」
お勧めはあれ、と会長さんが示す銘酒の小瓶を2本も買う羽目になった教頭先生。特製弁当と違って値札がきちんとついていますが、飲み物にしては高すぎです。どうなるんだろう、とドキドキの私たちの前で教頭先生は自分用のお茶と、「そるじゃぁ・ぶるぅ」と「ぶるぅ」が選んだ飲み物を注文し…。
「これで全部だな? では、会計を頼めるだろうか」
「ありがとうございます!」
店員さんが計算を終えて示した価格はそれは素晴らしいものでした。財布を取り出し、苦々しい顔で支払いを済ませる教頭先生。その後ろでは会長さんが満足そうに微笑んでいます。先日のカンタブリアへの旅で私たちの旅費を負担してくれた人と同一人物とは思えませんけど、やっぱり会長さんはこうでなければ…という気もしました。ついに私も末期でしょうか?
例年どおりマツカ君が貸し切ってくれた電車の車内は気分も快適。ワイワイ騒いで、お昼前にはお弁当を広げて…。会長さんたちの特製弁当は二段重ねで、蒔絵が施された漆塗りの器に入っています。器も相当高いのでしょう。教頭先生、初っ端からお気の毒としか…。
「いいんだってば、覚悟の上だろ?」
会長さんが格安弁当な教頭先生の手元を覗き込んで。
「ぼくと一緒に旅するからには、物入りなのは当然だよねえ? いくらマツカの別荘行きでも、出来る範囲は大人が負担しなくっちゃ。…ありがとう、ハーレイ、お弁当もお酒も美味しいよ」
「そうか…。それならいい」
穏やかな笑みを浮かべる教頭先生の懐の深さは流石でした。豪華弁当もお酒も自分のお腹には入らないのに、会長さんのためなら許せますか! ソルジャーと「ぶるぅ」の分まで払わされてもオッケーですか…。
「愛されてるねえ、相変わらず」
ソルジャーが銘酒の小瓶を傾けて。
「ハーレイと一緒に旅行っていいよね、ぼくには無縁な世界だし…。一昨年の夏に一晩だけ君のハーレイが入れ替わってくれたけど、あの時は本当に幸せだったな」
「「「………」」」
私たちは言葉に詰まりました。好き放題に見えるソルジャーですけど、本当はそうではありません。自分の世界に戻れば厳しい現実が待っていますし、この瞬間だって異常があったら戻れるようにと意識の一部を常に研ぎ澄ましているわけで…。そんなソルジャーとキャプテンが揃って旅行をするというのは夢のまた夢。
「またハーレイとこっちの世界で過ごしたいね、って…あれから何度も話してたんだ。ひょっとしたら、この夏はそれが実現するかもしれない」
「「「えぇっ!?」」」
「まだ確定じゃないんだけども…。今、ぼくたちの世界は平穏でね。ハーレイも特別休暇を取れる可能性が出てきたんだよ。それでさ…」
マツカ、とソルジャーは呼び掛けました。
「君の別荘、途中から一人増えても大丈夫かな? そこのハーレイそっくりの人が」
「え? ええ…。人数は問題ありませんけど…」
「大丈夫、見た目の方なら操作は出来る。もう一人ゲストが増えた、というだけの認識で深く追求させないようにするのは得意さ。じゃあ、ハーレイを呼んでもいいんだね?」
「かまいませんよ」
任せて下さい、と頷くマツカ君。私たちは「ダメーッ!」と叫びかけたのですけど、ソルジャーとキャプテンが揃って私たちの世界で過ごせる機会は少ないのでした。何か騒ぎが起こるかも…、なんて曖昧な理由で潰してしまうのは人でなしというものです。
「無事に休暇が取れるといいね」
会長さんが微笑み、教頭先生がソルジャーに柔らかい視線を向けて。
「私もお祈りしてますよ。…休暇は長く取れそうですか?」
「ぼくとハーレイの二人となると二泊三日が限度かな。…残念だけどそれが限界」
ぶるぅがもう少し使えればねえ…、とソルジャーは溜息をつきました。
「サイオン全開だと3分間しか持たないだろう? ぼくの代わりに置いておくには心許ない。まあ、だからこそ一緒に出て来ちゃっても誰も文句を言わないんだけど」
「どうせ3分間だもん! 子供だから仕方ないんだもん!」
プウッと膨れてしまった「ぶるぅ」の頬をソルジャーが指でピンと弾いて。
「分かってるってば。いてくれるだけで助かってるよ、だからそんなに膨れない! ほら、お酒」
「かみお~ん♪」
待ってましたとばかりに銘酒の小瓶を引っ手繰った「ぶるぅ」でしたが。
「………。ブルー、これって空っぽだよ?」
「香りだけでも嬉しいだろう? 地球のお酒は格別だよね」
「ひどーい!!!」
お~ん、と泣き出した「ぶるぅ」に会長さんが少し残っていた自分のお酒を渡しています。私たちを乗せた電車は順調に走り、お昼過ぎにマツカ君の別荘の最寄りの駅に到着しました。迎えのマイクロバスに乗り込み、海沿いの豪華な別荘へ。今年もお世話になりますよ~!
お馴染みの執事さんが出迎えてくれた別荘で私たちが最初にしたのは部屋割のチェック。去年は教頭先生にダブルベッドの部屋が割り当てられてしまい、最終日に大荒れしたのです。幸い、今年はマツカ君が手配をしてくれたようで教頭先生の部屋は普通でした。
「なんだ、つまらない…」
そう言ったのは勿論ソルジャー。
「今年も絶対ダブルベッドだと思ったのにさ。…ブルーだって期待していたんだろ?」
「…まあね」
君とは全く違う意味で、と会長さん。
「去年は君に引っ掻き回されて散々だったし、今年はリベンジしようかと…。押し掛けてオモチャにしようと思っていたのに、これじゃダメだね」
「…来てくれないのか?」
教頭先生の残念そうな声音に会長さんは。
「オモチャにするって宣言されても来てほしいわけ? だったら意地でも来てあげないよ、それはそれでオモチャになるもんね。…毎日ぼくと顔を合わせて、寝るのも同じ屋根の下。なのに何一つ起こらない! 無視し続けるのも楽しいものさ」
「いいね、それ。だったらぼくも放っておこう」
寂しく一人で寝てるといいよ、とソルジャーが横から割り込みました。
「ぼくのハーレイが無事に休暇をゲット出来たら、思い切り見せつけてあげるから。…知ってるんだよ、君がぼくの写真をオカズにしていることくらいはね。あわよくば…とも思ってるだろう? 残念でした、今回は一切手出ししないよ」
ヘタレ直しの手伝いもしない、と言い切るソルジャー。私たちは躍り上がらんばかりでした。会長さんが教頭先生を旅のお供に指名して以来、今年はどんな大惨事が…と誰もが気が気じゃなかったのです。しかもソルジャーと「ぶるぅ」がいるんですから、どう転んでも騒ぎになるのは間違いないと覚悟していて…。
「良かった、今年は平穏そうだ」
しみじみ呟くキース君。去年は教頭先生とダブルベッドで相部屋にされ、最後の夜にソルジャーの悪戯でバニーちゃんの衣装を着せられた上で教頭先生にセクハラまがいの濃厚な接触をされたのです。教頭先生はキース君を会長さんだと勘違いしていたみたいですけど。
「…すまん、去年は迷惑をかけた」
申し訳なさそうに頭を下げる教頭先生に、キース君は「気にしてません」と笑顔で返して。
「そこのブルーが悪いというのは分かってますから! きっと今年は大丈夫ですよ」
「……そうだな……」
歯切れの悪い教頭先生の心の中は会長さんへの未練で一杯でした。どうしてそんなことが分かるのかって? これだけ心が零れていれば、サイオンのレベルがヒヨコ程度の私たちでも感じ取れますって!
会長さんとソルジャーは宣言通りに過ごしました。教頭先生は色っぽい意味では見事に無視され、完全に便利屋扱いです。ビーチへ行く時の荷物持ちやら、海辺でのバーベキュー用の食材調達。素潜り名人の教頭先生、ソルジャーが「アワビが食べたい」と言えばアワビを、会長さんが「サザエ!」と言えばサザエを採りに何度も海へと。それでも嬉しそうに出掛けてゆくのが健気と言うか何と言うか…。
「ふふ、今日も充実してたよね」
夕食を終えた会長さんが大きく伸びをしています。私たちは別荘の二階の広間でのんびりゆったり過ごしていました。教頭先生は美味しそうにビールを飲んでいますし、テーブルの上にはお菓子がたっぷり。男の子たちは更にピザまで頼んでいたり…。今日は教頭先生の先導で遠泳に行っていましたから。
「ぼくたちもボートで一緒に行けばよかったかな? ずいぶん遠くまで行ったようだし」
待ってる間が退屈だった、と会長さん。スウェナちゃんと私、それにソルジャーと「ぶるぅ」、会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」は遠泳は遠慮したのでした。かき氷を食べたりトウモロコシを焼いたりしてましたけど、食材調達係がいないとバーベキューの楽しさは半減で…。
「そのボートって誰が漕ぐのさ? ぶるぅたちには絶対無理だし、女の子にも漕がせられないよ」
ぼくも絶対御免だからね、とソルジャーが口を尖らせ、会長さんが。
「そうか、漕がなきゃいけないんだよね…。これだけの人数がいたらぼくだって嫌だ。待ってて正解。…誰かさんと違って肉体労働は向いていないし」
意味ありげな視線の先にいた教頭先生が苦笑しながら。
「なんだ、ボートに乗りたいのか? だったらいつでも漕いでやるぞ」
「ふうん? それじゃ今日の遠泳コースをボートで辿って貰おうかなぁ? ブルーもぶるぅも、スウェナたちも乗せて。…ハーレイの力なら漕げるんじゃないの?」
「やってやれないことはないが…。交代要員が欲しいところだな」
「じゃあ、ジョミーたちを泳がせといてさ。…ハーレイがへばったら交替で漕いで貰うとか?」
ジョミー君たちの顔が青ざめ、「無理、無理!」と両手で×印を作っています。遠泳の途中でボートに上がって漕ぎ手と交替なんて無茶としか言いようがありません。そんな案が通ったら大変とばかりにキース君も「俺にも無理です!」と叫んでいますし、ボートは諦めさせなくちゃ!
「…ん?」
騒ぎになりかけた広間でソルジャーが首を傾げました。明らかに意識が別方向に向いてるようです。ボート騒動は瞬時に収まり、会長さんが。
「ブルー? どうかした?」
「あ、ごめん。…今、ハーレイの手が空いたんで打ち合わせをね。明日から休暇が取れるらしい。予定通りの二泊三日で、ぼくたちの滞在最終日まで」
「「「!!!」」」
ついにキャプテン登場ですか! 息を飲む私たちの中からマツカ君が。
「よかったですね。…それじゃ早速、お部屋の手配をさせますから」
「ダブルベッドでお願いしたいな、せっかくだから。…ぼくの部屋は今までどおりで。ぶるぅが好きに使うからね」
「分かりました。御到着は何時頃でしょう? ひょっとして直接、この別荘へ?」
そうですよね、とマツカ君。ソルジャーやキャプテンは時空を越えてやって来るので、瞬間移動みたいなものです。キャプテンもビーチか何処かへ直接姿を現すのでしょう。ところが…。
「ああ、それだけどね」
ソルジャーは楽しそうに瞳を煌めかせて。
「ハーレイも旅をしてみたいらしい。一昨年に帰りだけ乗った電車が忘れられないみたいでさ…。可能だったらアルテメシアから電車に乗って一人で此処まで来たいそうだよ」
「なるほどねえ…」
初めての一人旅か、と会長さんが教頭先生の方を見遣って。
「聞いたかい、ハーレイ? こっちの世界で一人で電車に乗りたいらしいよ、君も協力してあげたら? あっちのハーレイに君の服を貸すのは当然だけど、旅をするなら荷物も要るよね。貸す予定の服を教えてくれたらぼくが荷物に纏めるからさ」
「…そうだな、手ぶらで旅というのは寂しいな。私も協力することにしよう」
「いいのかい?」
ソルジャーは嬉しげに会長さんと教頭先生を交互に見詰め、それからパチンと指を鳴らすと。
「「「!!?」」」
青い光がパァッと溢れて出現したのはキャプテンでした。えっと…。いきなり来ちゃったんですか? 一人旅がどうとかいうのは話をしていただけなんですか?
「こんばんは。突然お邪魔して申し訳ございません」
深々とお辞儀したキャプテンの休暇は、まだ始まってはいませんでした。今日の勤務が終わって自室に引き揚げた所だそうで、明日の朝に休暇中の指示をしてから特別休暇に入るのだとか。
「私が電車に乗りたいと申しましたら、ブルーが打ち合わせに来るようにと…。電車というのはそんなに難しい乗り物ですか?」
「え? 別に難しくは…。ねえ?」
ジョミー君が首を捻り、キース君が。
「行き先を決めて切符さえ買えば、子供一人でも乗れますよ。そちらの世界には無いんですか?」
「いえ、同じような乗り物はありますが…。ブルー、打ち合わせは不要なのでは?」
「お金」
ソルジャーが鋭く指摘しました。
「君はお金を持ってるのかい? 切符を買うにはこちらの世界のお金が必要。駅までは迎えを頼むとしてもね、アルテメシアから此処までの乗車賃が要るんだよ」
「…そうでした…。すみません、電車は諦めます。あまり御迷惑をおかけするわけには…」
滞在費だけでもマツカ君の丸抱えですから、キャプテンの言葉は尤もでした。けれど。
「お金ならぼくが持ってるんだよ」
ほらね、とソルジャーが宙に取り出したのは何枚かのお札。慌てて財布を探る教頭先生に、ソルジャーは軽くウインクして。
「盗っちゃいないよ、これはヘソクリ。色々と便利に用立ててくれるお金持ちの知り合いは持つものだよね」
「「ま、まさか…」」
教頭先生と会長さんの声が重なり、ニヤリと笑ってみせるソルジャー。
「そのまさかさ。ノルディはね、ぼくが食事に付き合ってあげるとお小遣いをたっぷりくれるんだ。余った分を持って帰って貯めておいたら、電車代くらい軽く出せるわけ。だけど財布は持ってない」
特に必要無かったから、と説明するソルジャーに教頭先生が。
「でしたら財布はお貸ししますよ。服なども今日の間に渡しましょうか?」
「それもあってハーレイを呼んだんだよね。荷物一式渡しておいたら、明日はアルテメシアの駅に移動させれば完了だし…。ハーレイ、こっちのハーレイに借りたい物をお願いすれば? ブルーが纏めてくれるそうだよ」
自分のペースで話を進めるソルジャーでしたが、財布や着替えや旅行鞄など、キャプテンの一人旅に必要なグッズはそれから間もなく揃いました。キャプテンは荷物を抱えて一旦自分の世界に帰り、明日、ソルジャーにアルテメシア駅まで送って貰うことに…。
「それだけあったらお弁当なんかも買えるだろう? 駅に着いたらタクシーがあるし、迎えの車は要らないよね。その方が気楽でいいと思うな」
「ありがとうございます…」
感極まった様子のキャプテンに、更にソルジャーが渡したものは。
「はい、これ。一人旅にはこれも必須だ」
「「「………」」」
今度こそ私たちは目が点でした。ヘソクリは理解の範疇でしたが、なんでソルジャーが携帯を持ってるんですか! まるで必要ないものなのに…。
「ノルディにおねだりしちゃったのさ。休暇を取れそうなことが分かった時点で、ハーレイと色々話をしてて…。電車に乗りたいようだったから、それなら携帯が必要だろうと」
「思念波で充分だと思うけど?」
会長さんの冷たい口調に、ソルジャーは「分かってないね」と肩を竦めて。
「君たちだって普段は思念波を使わないだろ? 君やぶるぅは使ってるかもしれないけれど、そこの子たちは使っていない。もちろん君のハーレイも…だ。郷に入りては郷に従え。…一人旅の間くらいは普通の連絡手段を使わなきゃ」
そしてソルジャーは自分用だというキャプテンのとペアの携帯を取り出し、使い方のレクチャーを始めたのですが…。キャプテンはメールをマスターすることが出来ませんでした。不器用すぎて文字が打てないのです。通話専用となった携帯を持たされたキャプテンは自分の世界に帰って行って…。
「お部屋の手配をしておきましたよ」
マツカ君が戻ってきました。キャプテンが帰ってすぐに執事さんの所へ行って、明日から増えるゲストについて話をしてきたみたいです。それから私たちはキャプテンが乗る予定の電車のダイヤを確認したり、用意周到なソルジャーの態度を突っ込んだり。
「なんで携帯までねだってくるのさ、ノルディなんかに!」
会長さんが詰ると教頭先生が。
「私に仰って下されば用意させて頂きましたのに…。安い買い物とは申しませんが、ブルーの身の安全を考え合わせるとそれくらいのことは…」
「ああ、ノルディはブルーに御執心だからねえ。お蔭でぼくも美味しい思いが出来るんだけど」
婚約指輪も貰っちゃったし、とソルジャーはニヤニヤしています。
「現地妻募集の時に貰ったアレね、やっぱり値打ち物だったよ。ぼくの世界で鑑定に出したら凄い値段がついたんだ。売っちゃおうかと思ったけれど、いつか切実に困った時に売ろうかなぁ、って。…地球産の宝石は本当に希少価値なのさ」
しかも非加熱のピジョン・ブラッド、とソルジャーが自慢している指輪はエロドクターからプレゼントされたものでした。元々はドクターが会長さんのために買った指輪でしたが、今はソルジャーが持っています。
「ノルディは本当に気前がいいし、後腐れのない付き合いが出来て気に入ってるんだ。ハーレイとぼくとで使いたい、って言っているのに嫉妬もせずに携帯を買ってくれたしねえ…。なかなか出来ないことだと思うよ」
「遊び人っていうのはそんなものだよ!」
会長さんが柳眉を吊り上げ声を荒げても、教頭先生が溜息をついても、ソルジャーの耳には入っていません。明日から始まるキャプテンとの休暇で頭が一杯になっているようで…。
「駅弁はどれがお勧めだと思う? やっぱりステーキ弁当かなあ? 特製お弁当は今からじゃ手配が間に合わないよね」
「…あれは三日以上前までに要予約!」
不機嫌そうな会長さんがピシャリとはね付け、「そるじゃぁ・ぶるぅ」が。
「えっとね、ステーキ弁当もいいけど、精進弁当も美味しいんだよ! ステーキはそっちの世界にもあるでしょ? 精進弁当は無いんじゃない?」
「ベジタリアン用のお弁当かい?」
「えっと……お寺で出てくるお料理でね、お肉とかを使ってないのに栄養があるの! お坊さんの修行って厳しいんだけど、このお料理を食べれば乗り切れるんだよ」
「ふうん? じゃあ、食べたらヘタレも直るかな? 修行用の料理と聞いたら見逃せないね。こっちの世界でも夜は存分に楽しみたいし…。早速連絡しておこう。どんなビジュアル?」
よし、とキャプテンに思念で連絡しているソルジャー。荷物一式と携帯電話を持ったキャプテンは精進弁当を買って電車に乗ることになりそうです。
「…キャプテンが乗る電車って、ぼくたちが乗ったのと同じだよね?」
お昼過ぎに着くヤツ、とジョミー君が言い、サム君が。
「だよな。俺たちがゆっくりしてられるのって、明日の昼までってことになるのか?」
「逆にのんびり出来るようになるかもしれませんよ? ソルジャーが静かになってくれれば」
希望的観測というヤツですけども、とシロエ君。
「キャプテンと部屋に籠ってくれれば万々歳だな」
キース君の言葉に会長さんが。
「…そっちには期待していない。ハーレイが来たら見せつけるって宣言してたのを忘れたのかい? あからさまにイチャつかれるか、アヤシイ台詞を吐きまくるか…。とにかく!」
会長さんはソルジャーにビシッと指を突き付けました。
「マツカにダブルベッドの手配をさせたりしていたけどね、その程度で止めて貰おうか。この子たちは万年十八歳未満お断りだって前から何度も言ってるだろう! 君たちの休暇には協力するから、ぼくたちに迷惑をかけないように努力して。…ただし、ハーレイはどうでもいい」
「了解」
ソルジャーは大きく頷いて。
「ハーレイ以外に配慮しとけばいいんだね? それじゃ明日からよろしく頼むよ、ぼくのハーレイが増えるから。ぶるぅ、お前もいい子にすること!」
「分かった、大人の時間なんだね!」
無邪気に答える「ぶるぅ」の声に私たちは床にめり込みました。教頭先生も溜息をつきつつ、眉間の皺を揉んでいます。キャプテンの一人旅が無事に終わったら大人の時間の始まりですか? 見ざる聞かざるで知らないふりをしていられればいいんですけど…。おっと、その前に一人旅! キャプテン、電車に乗り遅れないで下さいね~!
会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」が生まれた伝説の島、アルタミラ。その島が火山の噴火で海に沈んだ日に行われる灯籠流しに参加した私たちの旅はいつもと全く別物でした。二泊三日も会長さんと一緒にいたのに、なんの騒ぎも悪戯も無し。こんなことは一度も無かっただけに、すっかり調子が狂ってしまって…。
「本当にこれでいいのかな?」
ジョミー君が首を傾げたのは旅から数日経った朝。私たちは会長さんのマンションに近いバス停に集まり、キース君に注目しています。キース君の手には袱紗包みが。
「一応、親父に確認してみた。子供が出すなら十分だろうと言っていたぞ」
「そっか、それなら安心だよね」
袱紗包みの中身は『御本尊前』と書かれた熨斗袋。旅の費用を会長さんに負担してもらっただけに、何か御礼を…と相談した末にこういう結果に落ち着きました。お小遣いを出し合ってなんとか工面したお札が一枚。本当は三枚にしたかったのですが、夏休みはこれからが本番だと思うと思い切った額は出せません。二枚という案も出ましたけれど、まあ一枚でいいんじゃないかと…。
「じゃあ、行くか」
キース君を先頭にして私たちはマンションに向かい、入口のロックを開けて貰ってエレベーターで最上階へ。玄関のチャイムを鳴らすまでもなく扉が中から開けられて…。
「かみお~ん♪ いらっしゃい!」
「おはよう。時間どおりだね」
出迎えてくれた会長さんにキース君が袱紗包みを差し出しました。
「この間は世話になった。…少ないんだが、俺たちの気持ちだ」
「え? 気を遣ってもらわなくても…」
「そういうわけにはいかんだろう。阿弥陀様の前にお供えしてくれ」
「お参りに来てくれるだけで良かったのにさ。それも言い出したのは君たちだったし」
要らないよ、と押し返す会長さんにキース君は強引に熨斗袋を押し付け、それから私たちは中に入って阿弥陀様のある和室へと。会長さんの家族の人たちに改めてお参りさせて欲しい、と申し入れたらこういうことになったのでした。
「見ての通り、位牌の類は無いんだけどね。そういうのは全部お任せしてある」
和室には阿弥陀様の御厨子や仏具がありましたけど、言われてみれば御位牌は一つも置かれていません。会長さんの家族の人には戒名とかは無いのかな? キース君が代表で尋ねると、会長さんは。
「この前に行ったカンタブリアの称念寺を覚えているだろう? アルタミラを一番最初に供養しておられた御住職が戒名をつけて下さった。位牌も作って下さったんで、そのままお世話になっているのさ」
「それで回向料を届けていたのか…」
「まあね。島に住んでた他の人の縁者も今は一人も残ってないから…全員の分をお願いするわけ」
称念寺はアルタミラで亡くなった人の御位牌を幾つか預かっているのだそうです。そうだったのか、と改めてしんみりしていると。
「ほら、お参りに来てくれたんだろう? 早く済ませて食事にしよう」
ぶるぅが朝粥を用意してるよ、と促されて私たちは阿弥陀様の前に座りました。お経はキース君とサム君に任せておいて、唱和したのはお念仏だけ。それでも会長さんは嬉しかったようで…。
「ありがとう。ぼくの家族も喜ぶよ。カンタブリアに連れて行ったのは間違ってなかったみたいだね」
「…すっかり調子が狂ったけどな」
キース君の遠慮のない言葉を会長さんはサラッと右から左に流し、ダイニングの方へと歩いていきます。朝粥って言ってましたし、食事としてはハズレかも…と思ったのですが。
「本格的じゃないですか!」
マツカ君が驚きの声を上げました。えっ、なになに? お粥だけではないようですけど、何が凄いの?
「えっと…。父と何度か行ったんですけど、有名な老舗料亭のメニューですよ」
それだけを食べに朝早くから出掛ける人があるんです、とマツカ君。そのメニューをそっくり再現したらしい「そるじゃぁ・ぶるぅ」は得意そうです。炊き合わせや蒸し魚、白和えなどが並んでいる中、一番の目玉は二つに切られた卵だとか。
「美味しい!」
「半熟でもないし、固ゆでってわけでもないね。その中間…?」
「これが朝粥の名物なんです。作るのは難しいらしいんですけど…」
凄いですね、とマツカ君が手放しで褒めています。本当に美味しい卵でした。お粥の方もいい味ですし、こんな朝食、たまにはいいかも…。
食事の後はリビングに移って夏休みの過ごし方の計画。まだまだ休みは続くのですから、少なくとも海には行かなくては! 今年もマツカ君が別荘を用意してくれるのです。
「ああ、それだけどね」
会長さんが手帳を広げて。
「今年もブルーが来るんだってさ。…断ったらノルディの別荘に泊まりに行くって脅してきたし、ブルーとぶるぅは確実に来るよ」
「「「………」」」
「ただし希望が無いこともない。ぼくたちが行く日程に合わせてブルーの休暇が取れなかったらおしまいだ。…多分無理だと思うけどさ」
希望の日にちを言ってたから、と会長さんが挙げてきたのは来週からの一週間。残念なことに誰もが暇な時期でした。断る口実が無いのです。これは諦めるしかない、と別荘行きはそこに決定。早速マツカ君が執事さんに電話をかけようとした所へ。
「あ、ハーレイもお願いしたいんだ」
ニッコリ笑う会長さん。
「毎年、なんだかんだでハーレイも行っているだろう? だからいないと物足りなくて…。一応、ハーレイにも訊いてはみたんだ。ブルーとぶるぅが一緒に来るけど、それでも今年も来たいかい、って。…そしたら、あれだけ散々な目に遭ってるくせに来たいらしいよ」
懲りないねえ、と会長さんは笑っていますが、教頭先生は会長さん一筋三百年以上。会長さんと旅行に行ける機会を見逃すわけがありません。教頭先生とソルジャーが揃うとなると心配ですけど、先日の旅が平穏だったツケが回ってきたと思っておくしかないでしょう。
「それじゃ海に行くのはその日だとして…」
会長さんはマツカ君が手配を終えるのを待って切り出しました。
「その前に夏祭りに行くのはどうかな? マザー農場でやるんだけども」
「「「マザー農場?」」」
そんなお祭りは初耳でした。シャングリラ学園と密接な関係のあるマザー農場ですが、普段は広く一般の人を受け入れています。夏祭りなんかをやってるとしたら話題になりそうですけども…。
「ああ、お祭りと言っても内輪なんだよ。前に話さなかったっけ? シャングリラ号の大規模な乗員交替は夏休み中にあるんだってこと」
「「「???」」」
「忘れちゃった? 君たちが入学した年の納涼お化け大会で脅かしてたのが、交替を終えて戻ったクルー。そんな話を教えたことがある筈だよ」
そう聞いて思い出しました。納涼お化け大会はサイオニック・ドリームなどで様々な仕掛けが施されていて、半端ではなく怖かったのです。当時の私たちはサイオンという言葉も知らない頃でしたから、ただただ不気味でしたっけ。後になって聞けば、脅かす役目は宇宙での勤務を終えたクルーに人気だという話で…。
「思い出した? それでね、乗員交替はもうすぐなんだ。勤務期間は基本が一年。その間に何度か地球に戻りはするけど、長期滞在は出来ないし…。つまり乗り込むクルーの送別会かな、夏祭りは」
露店なんかも出るんだよ、と会長さんが取り出したのはチケットの束。
「これはソルジャーとしてのぼくが配るチケット。乗り込むクルーと関係者向けに作っているんだ。露店とかが全部タダになる。功労者にも配ってるから、はい、君たちに」
「「「え?」」」
「さっきお供えをくれただろう? その御礼さ」
海老で鯛を釣るとはこのことでしょうか? お供えした金額は頭割にすると微々たるもの。露店のタコ焼きを3皿も買えばゼロになります。露店が全部タダになるチケットの方が絶対高いと思うんですが…。いいのかな、と顔を見合わせていると。
「いいんだってば、ぼくがあげるって言うんだしね。その代わり、もう少しだけ思い出話に付き合ってもらうことになるけど」
夏祭りに行くなら予備知識は必須、と会長さんは微笑みました。
「シャングリラ号のクルーの送別会だよ? 仲間のことを全く知らずに参加してると恥をかくかも…。そうでなくてもソルジャーの友達ってことで注目されているからね」
クスクスクス…と笑う会長さん。えっと、思い出話って…? アルタミラの他にもまだ色々とあるんですか?
ソファに座り直した私たちに「そるじゃぁ・ぶるぅ」が冷たい飲み物とカラフルなゼリーを運んできました。花の形のゼリーですけど、中身がムースになっています。色によって味が違うのだそうで、早速始まるジャンケン勝負。ううっ、負けた…。欲しかった薔薇のはスウェナちゃんに持っていかれました。
「ぶるぅのお菓子は大人気だね」
会長さんがウインクして。
「思い出話はぶるぅのことから始めよう。ぼくの一番最初の仲間で、シャングリラ学園のマスコット。そして最強のタイプ・ブルー…。ぶるぅは今年何歳になるか知っている?」
「え、えっと…」
即答できた人はいませんでした。お誕生日パーティーには何度も出てますけれど、ケーキの蝋燭はいつも1本だからです。キース君が指を折って数え、天井を仰いで数え直して。
「…記憶違いでなければ5歳…じゃないかと…」
「うん、正解」
よくできました、と会長さん。
「ぶるぅは今年のクリスマスで5歳。…毎年1歳だと主張してるけど、卵から孵って5年目になるのは事実なんだ。それから、これは覚えてる? ぶるぅは決して6歳にならないっていう話」
「「「あ…」」」
そっちは何度も聞いています。卵から生まれた「そるじゃぁ・ぶるぅ」は6歳の誕生日を迎える前に卵に戻り、また0歳からやり直す、と。今年で5歳になるということは、来年のクリスマスまでに「そるじゃぁ・ぶるぅ」は卵に戻ってしまうのでした。そうなると何が起こるんでしょう…? 心配になった私たちに、会長さんは。
「記憶は全部引き継がれるから問題ない。それは分かるよね? ただ、ぶるぅが暫くいなくなる。ぼくは思念で会話できるけど、君たちはちょっと無理かもしれない」
「ごめんね、卵の中って思念が届きにくくって…」
普段はそうでもないんだけど、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」。青い卵に化けた姿は今までに何度か目にしています。その時は普通の生徒にも届くレベルの思念波を使っていましたけれど、本格的な卵になると違うのかな…?
「えっとね、最初は眠くなるんだよ」
眠くて仕方なくなるのだ、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」は教えてくれました。眠気に逆らえなくなると卵になって、フィシスさんが作ったクッションの上で孵化するまで眠っているのだそうです。フィシスさんの前はエラ先生が作っていたというクッションは会長さんの思念が残り易いらしく、安心して眠っていられるとか…。
「ぼくね、卵に戻るとお誕生日が変わるんだ。ずっとそうだったし、それでいいやと思ってたけど…。次のお誕生日もクリスマスがいいな、って」
みんなと楽しく遊べるもん、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」はニッコリ笑って。
「だから頑張るね、クリスマスの朝に間に合うように! 眠くなるのも我慢するんだ♪」
「そういうことに決めたらしいよ」
会長さんの言葉を聞くなり、キース君が。
「決めたって…。ぶるぅの意思でなんとかなるのか? 簡単にどうこう出来るんだったら誕生日が統一されていそうだが」
「…普通ならね。だけどぶるぅは子供なんだ」
大人の考えは通用しない、と会長さんは人差し指を立ててみせると。
「今までは誕生日にしたい日が無かった。この期間だけは卵になれない、という時があっただけで…。卒業式と入学式にはぶるぅがいないといけないからね、そこさえ外せば良かったんだよ。だからぶるぅは気紛れに卵に戻ってやり直してた。でも今回は…違うんだってさ」
「あのね、クリスマス・パーティーの次の日がお誕生日でしょ? みんなお祝いしに来てくれるし、この日が一番良さそうだなぁ…って。ブルー、クリスマスの朝は絶対起こしてね!」
「「「起こす!?」」」
そんなことが可能なのか、と私たちは驚きましたが、会長さんは孵化する時の目覚まし役を引き受けることもあるそうで…。
「ぶるぅがクリスマスには起きると言うならそうするまでさ。たとえ卵に戻ったのがイブの夜でもね」
「「「イブ?」」」
それってまさかクリスマス・イブではないでしょうね? いくらなんでも一夜で孵化するとは思えませんし…。けれど会長さんはチッチッと指を左右に振って。
「ぶるぅが卵に戻るのは大人になりたくないからさ。…6歳になれば学校に行くし、ぶるぅにとってはそれは子供じゃないらしい。6歳までにリセットしたくて卵に戻っているだけだからね、思い切り深く眠ってしまえば一晩で孵化してもいいんだってば」
「「「……一晩……」」」
呆然とする私たち。短くても一ヵ月くらいは「そるじゃぁ・ぶるぅ」に会えなくなるのだと思っていたのに、最短の場合は一晩ですか! ホッとしたような、馬鹿にされたような、なんとも複雑な気分です。でもでも、これは仲間の間ではきっと常識なのでしょう。今まで全く知らなかっただけに、会長さんに感謝しなくっちゃ!
「ぶるぅが初めて卵に戻ったのは二人で旅をしていた時でね」
あの時はとても驚いたよ、と会長さんは語り始めました。アルタミラを失くした会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」は宿屋に住み込んで働きながらお金を貯めて、それから二人で旅に出て…。そんなある夜、「眠くなっちゃった」と寝床に入った「そるじゃぁ・ぶるぅ」は青い卵に。
「…話しかけても返事しないし、何処から見ても卵だし…。アルタミラでぶるぅの卵が孵化するまでにはかなりかかった。だから長く待たないと駄目なんだろう、と思うと涙が出てね…。だって、今度こそ一人ぼっちじゃないか。ぶるぅの卵が孵るまでは、さ」
会長さんは旅を続ける気力も失くして泣きながら眠ってしまったそうです。ところが翌朝、卵は見事にパカッと割れて。
「おはよう、ブルー、って言うんだよ。どうしたの、って心配そうに訊かれて泣いていることに気がついた。あの時、ぼくは決意したんだ。ぶるぅと二人も気楽でいいけど、仲間がいるなら探さなきゃ…って」
それからの会長さんは宿に泊まる度に思念波を方向を定めずに送り、仲間を集めようと頑張って…。
「最初に呼び掛けに応えてくれたのがハーレイだった。…思念波でぼくたちの宿を伝えて、次の日に来てくれるよう頼んだんだよ。ぶるぅと二人でワクワクしながら待ってたっけね。そうだよね、ぶるぅ?」
「うん! ブルーが友達が来るよ、って教えてくれたから楽しみで…。どんな人かなぁ、って色々お話してたんだ」
え。友達? 仲間じゃなくって友達ですか? 凄く若そうな感じですけど、教頭先生、昔は私たちとあまり変わらなかったとか? そりゃあ…最初から今の外見なわけがないですが…。私たちは教頭先生の少年時代を懸命に想像してみました。でも…。
「普通は想像つかないよねえ?」
ぼくにも無理、と会長さんが必死に笑いを堪えながら。
「ぼくたちも誤解していたんだよ。仲間はきっと同い年くらいで、同じ力を持ってるだろう…って。だってさ、ぼくもぶるぅも力は同じで、二人とも年を取らないし…。それが普通だと思うじゃないか」
「……違ったわけ?」
ジョミー君の問いに、会長さんは。
「宿の食堂で待っていたのに入ってくるのは大人ばかりで、夕方になってもぼくの仲間は現れない。おかしいね、って話をしていて、朝からずっと居座ってる人に気がついた。ウドンとか天丼とかをお代わりしながら粘ってるんだ。待ち合わせするには変な場所だし、もしかして…と思念を送ったら振り向いた」
「それが教頭先生ですか?」
シロエ君が言い、会長さんが。
「…残念ながらそうだったんだよ。そりゃ今よりは若かったけど、どこから見ても立派な大人さ。声を掛けたら真っ赤になって、ガチガチに緊張しちゃってね。…かなり後になってからやっと気付いた。あの瞬間に一目惚れしたらしい」
「「「………」」」
「ハーレイは外見どおりの年上だった。だけどサイオンは遙かに弱くて、もちろん瞬間移動も出来ない。それでも仲間探しの旅をするなら一緒に行く、と言ってくれたし、大人がいれば用心棒になるからね。…そして三人での旅が始まったわけ」
そこにゼル先生が加わったのは数年後。ゼル先生は教頭先生より少し年上で、身体の弱い弟さんがいたので出会ってすぐに旅に誘ったら「今は行けない」と断られたとか。その後、旅先に「弟が危篤になった」と手紙が届いて、大急ぎでゼル先生の家を訪ねると…。
「…ぼくたちが駆けつけた時、ゼルの弟は……ハンスって名前だったんだけど、もう口も利けない状態で…。ゼルは大声で泣いていた。目を開けてくれ、頼む、ってね。そしたらぶるぅが可哀想だって泣きだして……力を分けてあげたいよう、って」
「だって可哀想だったんだもん…。ゼルに言いたいことがあるのに声が出ない、って心で泣いてたんだもん…。だから力をあげられるかな、って触ったんだよ。そしたら…」
小さな手がハンスさんの身体に触れた瞬間、青い光が溢れたそうです。一瞬浮かんだ赤い手形が吸い込まれるように消え失せた時、ハンスさんは目を開けて若き日のゼル先生に「俺はいいから兄貴は旅に行ってくれ」と言い、眠るように息を引き取ったとか。
「それがぶるぅの最初の手形。…ハンスの葬儀を終えたゼルが旅の仲間に加わった後、ヒルマンやエラやブラウに会って……アルテメシアまで来たんだよ。そろそろ腰を落ち着けようって話になって、家を借りてさ。ぼくとぶるぅ以外は大人だったし、稼ぐには塾でも開こうかって」
「…それがシャングリラ学園になったわけか」
キース君の言葉に、会長さんは頷いて。
「みんなサイオンを持ってるからね、専門知識を仕入れてくるのはお手の物だろ? いい先生がいるって評判になって、生徒も増えて…。そんな頃に校長と知り合った。校長のサイオンは遅咲きだったし、理事長もそうだ。二人ともアルテメシアの有力者でさ、私財をポンと寄付してくれて、シャングリラ学園が出来たわけ」
それから後はトントン拍子、と会長さんは微笑みました。学校は順調に大きくなって仲間の数も少しずつ増え、特別生なんて制度も出来て、その裏でシャングリラ号まで建造して…。マザー農場はシャングリラ学園で使う食材を調達するためと、仲間たちの就職場所とを兼ねて作られた施設だそうです。
会長さんの思い出話はスケールの大きなものでした。シャングリラ学園創立秘話と言ってもいいような話です。ちなみにゼル先生の弟さんを一時的に持ち直させたという「そるじゃぁ・ぶるぅ」の手形パワーは、会長さんのサイオンと同じで次第にパワーアップしていって……今では因子の無い人にサイオンを与えることが可能なレベル。
「だけどやっぱり子供なんだよ」
無邪気なものさ、と会長さんが笑っています。思い出話から数日が経ち、私たちはマザー農場で夕方から開催される夏祭り会場に来ていました。チケットが無くても顔パスだという「そるじゃぁ・ぶるぅ」は金魚すくいに綿飴に…、とお祭り気分を満喫中。
「かみお~ん♪ あっちにグレイブがいるよ!」
トコトコと駆けてきた「そるじゃぁ・ぶるぅ」が指差す先には浴衣姿のグレイブ先生とミシェル先生。どうやら射的をしているようです。今日のマザー農場は夕方以降は仲間だけしか入れませんし、先生たちがいてもおかしくないかも…。二人とも射的の達人みたいですね。
「あれってサイオン使ってるよね?」
ジョミー君がグレイブ先生たちの腕前を見ながら言ったのですが。
「使用禁止に決まってるだろう」
会長さんがアッサリ否定しました。
「いくらクルーの送別会でも、サイオンのレベルは色々だから仲間内でも使用は禁止。グレイブたちの腕は本物さ。大学時代に射撃をやっていたらしい」
「「「………」」」
グレイブ先生夫妻の意外な特技に私たちはビックリ仰天。会長さんの思い出話も衝撃でしたが、仲間しかいない場所というのも意外な発見があるものです。粋な浴衣で金魚すくいに興じるエラ先生とか! 生ビールのジョッキを掲げて乾杯中の人たちはシャングリラ号に乗り込んで行くメンバーだとかで、会長さんもその輪に引っ張り込まれて…。
「やっぱりブルーってソルジャーなんだね…」
しみじみと呟くジョミー君に、キース君が。
「そのようだな。…あいつが高僧でソルジャーだなんて、何度言われても目にしていても、さっぱりピンとこなかったんだが……ちょっと見直す気になった。悪戯してない時のあいつは俺たちには想像もつかない程の重荷を背負っているのかもしれん。アルタミラにしても、シャングリラ学園のことにしても…」
「そうだよなあ…」
寂しげな声はサム君でした。
「俺、ブルーに色々よくしてもらって、すっかり舞い上がっていたけどさ…。俺にブルーの恋人なんかを名乗る資格があるのかな? 公認カップルって冗談なんじゃあ…」
「大丈夫ですってば、サム先輩は!」
きちんと贔屓されていますし、とシロエ君が背中を叩きました。
「資格が無いならとっくの昔にオモチャにされてると思いますよ。将来有望だとかそういうことも絶対言ってはくれないでしょうし…。って、そういえば…」
シロエ君は首を捻って。
「ここってマザー農場ですよね? ジョミー先輩、来ちゃってよかったんですか? 会長がテラズ様のことを思い出したらおしまいなんじゃあ…」
「げっ!」
やばい、と叫んだジョミー君。テラズ様というのはマザー農場の宿泊棟の屋根裏に納められた上棟式の人形でした。付喪神になっていたのを会長さんが鎮めたのですが、このテラズ様、何故かジョミー君に惚れてしまって、ジョミー君が仏門に入る妨げにならないよう成仏したという因縁があり…。
「ど、どうしよう…。ぶるぅに頼んで家へ送って貰おうかな? 逃げるが勝ちって言うもんね…」
キョロキョロと見回すジョミー君ですが、「そるじゃぁ・ぶるぅ」は露店巡りを終えてグルメ三昧しに行ったのか姿が見えませんでした。宿泊棟の食堂でバイキングをやっているのです。宿泊棟に行けば「そるじゃぁ・ぶるぅ」は捕まるでしょうが、そこにはもれなくテラズ様が…。
「やばい、やばいよ、宿泊棟には行けないし…。ブルーがあっちで盛り上がっててくれれば安心だけど…」
会長さんは今期に乗り込むクルーに囲まれて私たちを忘れているようです。もう一押し、と縋るような瞳のジョミー君が発見したのは遅れてやって来た教頭先生。ジョミー君はキャプテンの制服で颯爽と歩く教頭先生を捕まえて…。
「えっと、ブルーはあそこです! お願いします!」
「…何をだ?」
「とにかく頑張って欲しいんです!!!」
「………? よく分からないが、努力しよう。ブルーに会えるのは嬉しいしな」
支離滅裂なジョミー君に背中を押された教頭先生が会長さんに熱烈なプロポーズをしたのは数分後のこと。怒り心頭の会長さんがジョミー君を引き摺って宿泊棟に向かったのは当然の結果でした。…ジョミー君、今日の所はテラズ様のためにお念仏を唱えさせられるだけで済みましたけど、いつかは絶対、仏門行きですよね…。
昔、沖合にアルタミラがあったという町、カンタブリア。温泉旅館での一夜が明けると海の幸がふんだんに使われた朝食が並び、会長さんや男の子たちは朝風呂にも入ってきたとかで温泉気分を満喫しているみたい。二泊三日の旅行ですから、今日はゆっくり観光かな? あまり見る場所、無さそうですけど。
「朝ご飯が済んだら出掛けるからね」
会長さんの言葉に頷く私たち。今回の旅のスポンサーは会長さんですし、そうでなくてもカンタブリアの名所なんかはサッパリです。朝食を終えて宿の外に出ると、雲ひとつない夏空でした。
「泳ぎたくなるお天気だよね」
ジョミー君が水着を持って来るべきだったとぼやいています。けれど会長さんはクスッと笑って。
「海水浴の予定は無いから、水着の用意とは言わなかったよ? この辺りには海水浴場が少ないんだ。広い砂浜が無いんだよね。地元の人が泳ぐ程度の小さいのしか…。それに今日は地元の人は海に入らない日になってるし」
漁もお休み、と言われて漁港の方を見下ろしてみると漁船が停泊しています。漁火漁の船は夜しか出漁しないとしても、海があるからには夜の漁だけではないでしょう。確かに休漁日っぽいですけども、休漁日だと海に入るのも禁止ですか?
「漁業権とかの関係かな。海に潜って貝を採るのも漁の内さ」
会長さんに言われて納得しかけた私たちですが。
「…ふふ、君たちは実に素直でいいね。今日は何の日か、もう忘れちゃった? 7月28日だけは海に入るなって言われてるんだよ、三百年ほど昔から…ね」
「「「あ…」」」
今日はアルタミラが海に沈んでしまった日。その日に海に入るのが禁じられているということは…。
「そう、海に入るとアルタミラで亡くなった人たちの霊に引っ張り込まれる。船の場合も同じことさ。だから地元の人は漁に出ないし、アルタミラがあった辺りの漁業権はカンタブリアの漁協が押さえているからね…。今夜は漁火も見えない筈だよ、他の地区の船も来ないから」
「それであんたが供養に来たのか?」
キース君の問いに、会長さんは「まあね」と曖昧な笑みを浮かべて。
「本当の所は引っ張り込むような霊はいないよ、とっくの昔に。だけどアルタミラの記憶が消えてしまうのは悲しいじゃないか。だから地元の人が自粛してくれる間は甘えておくのもいいかなぁ…って。これから行くのもそういう所」
会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」は温泉街を奥へと向かい、完全に民家ばかりになっても更に奥へと歩いていきます。裏山に突き当たりそうになった所で道は山沿いに折れ、家は無くなってしまいました。いったい何処へ、と私たちが小声で話し合っていると…。
「ほら、見えてきた。あそこだよ」
温泉街よりも一段高くなった海を見晴らせる場所に建っていたのはお寺でした。観光寺院には見えませんけど、そこそこ立派な佇まいです。山門には『称念寺』と書かれた看板が掛けられていて、キース君が。
「ここも俺たちと同じ宗派か?」
「うん。この名前だと分かりやすいよね。100%とは言えないけどさ」
称念という言葉には『南無阿弥陀仏と唱える』との意味があるのだそうです。璃慕恩院は南無阿弥陀仏のお寺ですから、称念寺を名乗るお寺は会長さんやキース君と同じ宗派の確率が高いらしいんですけど、南無阿弥陀仏と唱える宗派は他にもあって…。
「あそこの開祖は璃慕恩院で修行したんだよ。だからあっちもお念仏なんだ」
かなり毛色が違うけどね、と会長さん。
「とにかく、ぼくは璃慕恩院。この称念寺も璃慕恩院。アルタミラが栄えていた頃から此処にあった。…来てごらん」
会長さんに連れられて入った境内の一角に見上げるような自然石の石碑がありました。歳月を経た石ならではの風格があり、表面に大きく彫られているのは『アルタミラ供養塔』の文字。いつの間にか「そるじゃぁ・ぶるぅ」が白百合の花束を抱えていて…。
「はい、ブルー」
「ありがとう」
花束を受け取った会長さんは供養塔の前にそれを供えて両手を合わせ、「そるじゃぁ・ぶるぅ」も小さな両手を合わせています。キース君とサム君も神妙な顔で合掌中。私たちも慌てて拝みました。えっと…南無阿弥陀仏でいいんですよね?
会長さんが供養塔に向かって唱えたのはお念仏だけではありませんでした。長くて難解なお経でしたが、キース君が淀みなく唱和したのは流石というか…。読経を終えた会長さんは百合の花束を指差して。
「フィシスが用意してくれたんだよ。ぶるぅはそれを取り寄せただけさ」
「「「え?」」」
「暑い時期だし、朝一番に仕入れた花が最高だよね。カンタブリアにも花屋はあるけど、フィシスが引き受けてくれるならその方がいい。なんと言ってもぼくの女神だ」
アルタミラの記憶も持っているから、と会長さんは得意そうです。フィシスさんは先祖のものらしいアルタミラの記憶を受け継いでいて、それを会長さんに見せてあげることが出来るのでした。だからこそ会長さんはガニメデ地方の何処かの町に生まれたフィシスさんをシャングリラ学園に連れてきたわけで…。
「おい」
キース君が会長さんに尋ねました。
「供養の旅に連れてくるのは本当に俺たちで良かったのか? フィシスさんとか、長老の先生方とか、相応しい人がいるだろうに」
「みんな何度か来てるんだよ。…君たちはぼくの初めてのクラスメイトだってハーレイたちも言ってるだろう? 友達には見せておきたいじゃないか、ぼくの故郷を」
海に沈んでしまった島だけどね、と水平線の彼方を見詰める会長さん。この供養塔にお参りするのが今回の旅の目的でしょうか? これなら確かに夜の間に瞬間移動で来れば済むことです。花束を供えて、お経を上げて…。でも、お寺の人は誰がやっているのか知ってるのかな?
「次はあっち」
私の疑問を読み取ったように会長さんが庫裏を指差しました。
「御挨拶をしておかないとね。ぼくの用事はこっちなんだ。花束よりもずっと大切」
そう言った会長さんの手には袱紗包みが。スタスタと庫裏まで歩いて行って声をかけると、白い髭の老僧が法衣を纏って現れて。
「これはこれは…。昼間においでになるのは何年ぶりになりますかのう?」
「いつも夜中に邪魔してごめんよ。今年は上手く時間が取れた。後ろの連中はぼくの友達」
「ほほう…。それでは、お仲間ですかな?」
「うん。そうでなければ連れて来ないよ」
事情を知っているらしい老僧に、会長さんは袱紗包みから厚い熨斗袋を取り出すと。
「今年も宜しくお願いするね。…いつも供養塔を守ってくれてありがとう」
「いえいえ、当然のことをしているまでで…。このようなお気遣いは御無用ですのに」
「ぼくにとっても当然のことさ。続けられる間は届けに来るよ」
「私どもも頑張ってお守りさせて頂きます。せがれと孫は夜の準備に出ておりまして…」
御挨拶も出来ませんで、と恐縮している老僧に、会長さんは「かまわないよ」と微笑みかけて。
「畏まられると困っちゃうな。一番最初にお世話になったのはぼくの方だし、その時の御恩は忘れてないし…。アルタミラの供養を続けてくれるお寺があるのも嬉しいからね」
ありがとう、と頭を下げた会長さんは、老僧が「どうぞ中へ」と言うのも聞かずにクルリと踵を返しました。
「ぼくの用事はこれでおしまい。…暑い最中にウロウロすると疲れちゃうから帰ろうか」
庫裏を離れた会長さんは、もう一度アルタミラ供養塔に手を合わせてからお寺の門を出てゆきます。此処へ来た目的はさっきの熨斗袋だったようですけども、あれの中身って、やっぱりお金…? 温泉街へと戻る途中で私たちがヒソヒソ話し合っていると。
「お金の話はしないで欲しいな、回向を頼んだだけだから。…ぼくがわざわざ頼まなくても、お寺の行事になってるけどね」
毎年7月28日の夜にアルタミラ供養の法要が執り行われているのだそうです。
「ぼくも昔はそんな行事は知らなかったよ。…ぶるぅと二人きりになってしまって、食べていくのが精一杯で。お金を貯めて旅に出てから、命日に合わせてカンタブリアに来てみたら…さっきのお寺の当時の御住職が供養の船を出していたんだ」
後でゆっくり話してあげる、という会長さんが帰り道に立ち寄ったのは昨日のお菓子の店でした。私たちも今は由来を知っているので、また食べられるのは大歓迎。会長さんに勧められるままに丸い形のと、好みのサイズに切り分けるのとを買って貰って、いざ宿へ。…夏の海に来て海水浴が無しというのは残念ですけど、アルタミラが沈んだ日だというなら遠慮するのが筋ですよね。
昼食は会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお気に入りだという宿のレストランの鉄板焼き。新鮮なアワビやホタテがとても美味しく、カンタブリアに来た目的を思わず忘れてしまいそう! 会長さんもアルタミラの話ではなく普通の話題をしてますし…。けれど、食事を終えて会長さんの部屋に集まった所でキース君が。
「人目も無いから、もういいだろう。…あんたが届けた回向料は半端じゃなかったと思うがな。俺たちの旅の費用も出してると言うし、そこまでする理由を知りたいんだが」
「…回向料はお世話になっているから。旅の費用を負担したのは、思い出話をしたかったからさ。…ぼくがどうして仏の道に足を踏み入れることになったのか……とかね」
「「「えぇっ!?」」」
回向料はともかく、会長さんが出家したことに理由があるとは驚きでした。単に面白そうだったから、なんて言っていたのに、実は動機があったんですか? 顔を見合わせる私たちに、会長さんは苦笑しながら。
「もう話してもいい頃だろう? いくらサイオンが使えるとはいえ、生半可な覚悟で修行は出来ない。キースが住職の位を取るための道場入りも迫っているし、そろそろ話しておかないとね。それに…」
アルタミラを知って貰いたかった、と会長さんは続けました。
「ぼくとぶるぅがアルタミラを失くしてから、何年くらい後のことだったかな…。まだハーレイとは出会ってなくて、二人で旅を続けてた。一度アルタミラの跡に行ってみようかって話になって、どうせなら7月28日に…と思ってさ。その頃にカンタブリアに来たら、7月28日だけは船は出せないって言われたんだよ」
「船を沈められるんですよね?」
シロエ君が窓の外の海に視線をやって。
「それって作り話でしょう? もし本当なら、話題の心霊スポットですよ」
「…今も続いているならね」
会長さんの答えに私たちは仰天しました。まさか本当に幽霊が? 海に出た船は本当に沈められたとか…?
「沈められた船は多かったんだ。7月28日に限らず、アルタミラがあった辺りで網を入れた船が沈むわけ。漁をしていた船じゃなくって財宝目当ての船なんだけど」
アルタミラは豊かな島でしたから、金銀財宝が引っ掛かるかも、と考えた不届き者がいたのだそうです。船の漕ぎ手にカンタブリアの人が雇われていたことも多く、そのためにアルタミラが沈んだ7月28日だけは漁に出ても駄目だと言われ始めて…。
「ぼくもぶるぅもビックリしたよ。それが本当なら、尚のこと…アルタミラへ行かなきゃいけないじゃないか。船を沈めるってことは島の住人が成仏してない証拠だしね。船が駄目なら瞬間移動で、とも考えた。だけどアルタミラに行って、何が出来る? お念仏くらいは唱えられるけど、それでなんとか出来るのか…って」
会長さんがカンタブリアの宿で悩んでいた時、耳にしたのが一隻だけ出航するという噂。さっき行ってきた称念寺の住職を乗せた供養の船が7月28日の夜に港を出るというのです。
「当時の御住職はアルタミラが沈んで以来、毎年、船を出していたのさ。君たちも供養塔を見ただろう? あれを建立したのもその人。…それを聞いて、ぼくは急いでお寺に行った。ぶるぅと一緒に船に乗せて貰えませんか…って頼みにね」
アルタミラの生き残りだと語った会長さんの願いを住職は快く聞き入れてくれ、会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」は夜に出航した船で沖合へ。住職がお経を上げ、乗り組んだ人たちが幾つもの灯籠を海に浮かべてゆくのを会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」は静かに見ていたそうなのですが…。
「お経を唱え終わった御住職が、ぼくたちを振り向いて言ったんだ。…おいでになっていますよ、とね」
「「「は?」」」
「ぼくにもぶるぅにも見えなかったけど、両親たちの霊が来ていたらしい。あの噴火から逃れていたとは思わなくって、ぼくたちのことが心配で……それが心残りになって成仏できずにいたんだってさ。無事に会えたからもういいんだ、って喜んでるって言われてもね…。見えないだなんて悲しいじゃないか」
会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」は住職が示す辺りを必死に探したらしいのですけど、家族の姿は見えないまま。住職に促されてお念仏を唱えた時に、微かな光が空に向かって昇ってゆくのを目にしただけで…。
「お浄土に旅立って行かれましたよ、と言われて無性に涙が出た。どうして会えなかったんだろう…って。ぼくにもそういう力があったら、最後に姿を見られたのにね。声だってきっと聞けたと思う。それが悔しくて悲しくてさ…。サイオンなんか役に立たない、あんな力が欲しい…って」
そう思ったのが最初かな、と会長さんは深い溜息をつきました。
「それからも何度かアルタミラ供養の船に乗ったよ。御住職は毎年、何人もの霊を成仏させているようだった。自分の命がある間に全部の霊をお浄土へ送って差し上げなければ、と口癖のように言っておられてね…。だけど相変わらず、ぼくには何も見えなくて。…これはサイオンの問題じゃないな、と確信した」
その頃には既にシャングリラ学園の基礎が出来つつあって、サイオンを持った仲間も集まり始めていたそうです。けれど死んだ人の霊が見える仲間は一人もおらず、会長さんの力も年々強くなっていたのに霊は一つも見えはせず…。
「だから御住職に尋ねたんだよ。その力は生まれつきですか…って。そしたら修行を積んだお蔭だと教えて下さって、アルタミラの供養をしたいのだったら喜んで力になりますよ…とも仰った。結局、ぼくが悩んでる間に、アルタミラの人たちは全部成仏しちゃったけども」
出遅れちゃった、と肩を竦める会長さん。アルタミラ供養の船が出ることはなくなり、港で行われる法要と灯籠流しがそれに代わったそうなのですが、家族の霊をその目で見送れなかったことと住職の言葉は会長さんの心の中に消えずにずっと残っていて…。
「御住職が隠居なさった時にやっと決心がついたんだ。あの力をぼくも身に付けよう…って。サイオンだけでは補えないものがこの世にあるってことだろう? 手に入れればきっと役に立つ。そう思ったから御住職に頼んで、仏門に入ることにした」
そうやって今のぼくがいるわけ、と会長さんは微笑みました。
「家族の霊も、アルタミラの御近所さんの霊も送ってあげられなかったけれど…。あの世で幸せに暮らして欲しいし、そのためには供養しないとね。だから毎年、回向料だけは届けに来るんだ」
自分で回向に出向くのが一番だけど、と会長さんは言っていますが、私たちと夏休みを満喫してればそれは出来ない相談でしょう。夏休みの方を取るのが如何にもと言うか、なんと言うか…。会長さんらしいと言ってしまえばそれまでですけど。
思いもよらない会長さんの出家の動機に私たちは暫く無言でした。そんなに深い理由があるとは誰も想像しなかったでしょう。キース君ですら腕組みをして難しい顔。
「…あんた、なんで今まで黙っていたんだ」
俺だって誤解していたんだぞ、とキース君は食ってかかりました。
「銀青様の話は残っているがな、何故仏門に入られたのかは今もハッキリしていないんだぞ? お寺に御縁のある人だった、ということだけしか分からない。だから、あんたが面白そうだったから修行してみたら高僧になれた、と言っていたのを本気で信じてしまったじゃないか!」
「それだと何か不都合でも?」
会長さんの問いに、キース君は。
「大いにある! サイオンさえ強かったら簡単に高僧になれるんだな、と俺は思っていたんだぞ! 残念ながら俺はタイプ・イエローらしいが、場合によってはタイプ・ブルーを凌ぐ力が出せるというから思い切り期待してたのに…。あんたのさっきの話からして、サイオンと修行は関係ないと?」
「全く無いとは言わないよ。修行でズルをしたこともあるし、何よりも髪の毛を誤魔化すのがね…。ぼくは一度も坊主頭にしたことがないと言っただろう?」
ねえ? と私たちを見回す会長さん。その話は何度も耳にしています。女の子を口説くのに髪の毛はポイントが高いとか何とか、色々と…。うんうん、と頷いているとキース君が。
「それくらいのことは俺でも分かる! カナリアさんの道場入りでは役に立ったし、サイオンは確かに便利なものだ。だが、その程度のものなのか? 仏の道を極める上では俺も親父も同じ立場か!?」
「君の父上は仲間になったと思ったけどな」
会長さんの鋭い指摘に、キース君はグッと詰まって。
「し、しかし…! 親父は思念波も操れないし、俺の方が断然有利なのかと…。もしかして、俺よりも先に出家している親父の方が高僧になるのは早いのか!?」
「順番から言えばそうなるねえ…」
のんびりした口調の会長さん。
「お寺の世界は年功序列。よほど優れた部分が無ければ大抜擢とかは無いわけだし? 君のお父さんも頑張ってるし、順調に位が上がっていけば君よりも先に緋の衣だ」
「…くっそぉ…。俺が親父に負けるのか?!」
「勝ち負けの問題じゃなくて、そういうものだと言ってるんだよ。ただし、君の努力次第で流れは大きく変わるだろうね。ぼくという大先達もいるんだからさ、がむしゃらに修行してみたら? 丸坊主になって頑張ってみれば凄い成果が出る……かもしれない」
「憶測で話を進めるなぁ!」
騙されないぞ、とキース君は眉を吊り上げています。けれど会長さんが高僧なのは疑いようもない真実で…。
「ぼくの言葉を信じるも良し、信じないも良し。坊主頭の件はともかく、努力は大いに関係するよ。後は本人の素質かな…。その点で言えば君よりもサムに分があるね。なんと言っても霊感有りだ」
会長さんに視線を向けられたサム君は…。
「そ、そりゃあ…。見えちゃったことはあるけど、見ようと思って見えるモノでもないわけで…。ど、どうなのかな? 修行したら見えるようになるのかな…」
「多分ぼくよりは早いと思うよ。キースと一緒に…って言うのは無理だし、ジョミーと一緒に本格的に修行してみる? キースはスタートが早かったしね」
お寺の息子だったから、と会長さん。サム君が今から努力したってキース君には追いつけません。でも、それは住職の資格を得るまでの話。そこから先は努力次第で…。
「どうだい、ジョミー? サムと高僧を目指すかい?」
会長さんに話を振られてジョミー君は震え上がりました。
「い、嫌だってば、お坊さんなんて! …ぼくは普通でいいんだから! 供養する人も特にいないし!」
「そりゃあ、直接はいないだろうねえ…。御両親も御健在だし、シャングリラ・プロジェクトに賛成して下さった今となっては君と一緒に長生きだし。でもね、世の中には色々と…。それに君はタイプ・ブルーで、素質はあると思うんだけどな」
「絶対イヤだーっ!!!」
アルタミラなんて知ったことか、とジョミー君は真っ青です。この流れでいくと会長さんのペースに巻き込まれて危険な道へと進まされるのは明白でした。今日は7月28日、会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」の故郷が海に消えた日で…。会長さんの思い出話にほだされていると、仏門行きになってしまう可能性が高いんですよね。
ジョミー君はアルタミラから伝わったお菓子をおやつに食べる間も「仏門入りは嫌だ」と騒いでいました。会長さんも「仕方ないね」と諦め切った様子です。キース君はサイオンが修行に役立たないと知ってショックを受けていましたけれど、会長さんが仏門を志した理由が真っ当なものだと分かったことは嬉しいようで…。
「灯籠流しは今でもやっているんだな。あんたは行くのか?」
フロントで貰ったというチラシを見ているキース君。アルタミラの供養から始まった灯籠流しはいつの頃からかカンタブリアの先祖供養の意味合いも兼ねて港で行われるようになったそうです。二千もの灯籠を流すというので見物に行く宿泊客も多く、この旅館からもマイクロバスでの送迎が…。
「せっかく7月28日に来たんだしね。もちろん行こうと思っているよ。…実は送迎も頼んであるんだ」
この宿を予約した時からね、と会長さんはウインクして。
「観光客が飛び入りで灯籠を頼むのは禁止だけれど、予め頼んでおけば流せる仕組み。なんと言っても先祖供養だ。だから人数分、お願いしてある」
「「「えぇっ!?」」」
「本当は……ぼくの家族に見せたいんだよね、ぼくと一緒に灯籠を流してくれる友達が沢山できました…って。そりゃ、ぼくだって高僧だしさ…。わざわざ灯籠なんか流さなくても、ちゃんと報告済みなんだけど…」
でもね、と会長さんは窓越しに海を眺めながら。
「アルタミラが海に沈んだ日だから、特別なことをしたいじゃないか。フィシスがシャングリラ学園に来てくれた時にはフィシスを連れて来たんだよ。…フィシスはそれからも何度も来てるし、ハーレイだって…長老のゼルたちとセットではあるけど何度か来てる。ぼくの家族に会わせたい人を連れて来る所なんだよ、此処は」
「「「………」」」
そう言われると誰も断れませんでした。さっきまで大騒ぎしていたジョミー君ですら、しんみりとした顔をしています。そんなこんなで、夕食を終えた私たちは暗くなった宿の前から貸し切りのマイクロバスに乗り込んで…。
「かみお~ん♪ こっち、こっち!」
港に着くと「そるじゃぁ・ぶるぅ」が岸壁にある灯籠の受付場所へ連れて行ってくれました。会長さんが頼んだ灯籠を受け取って一基ずつ私たちに渡してくれます。蝋燭が灯った灯籠には『先祖供養』の文字と、何やら難しい謎の記号が。
「ああ、それか?」
キース君が首を捻っている私たちに。
「梵字だな。卒塔婆とかに書いてあるだろう? これはキリーク、阿弥陀如来を指す文字だ」
「ふうん…南無阿弥陀仏の代わりなわけ?」
灯籠を検分しているジョミー君に、会長さんが満足そうに。
「身も蓋もない言い方だけど、そんなとこかな。君も分かってきているようで嬉しいよ。…シーッ、こんな所で大声で喚かないように」
注目の的になっちゃうよ、と注意されてジョミー君はゴクリと声を飲み込みましたが、「お坊さんなんて嫌だ!」と叫びたかったに違いありません。とはいえ、会長さんに託された灯籠の重みは誰もが感じ取っていて…。
「これって、ちゃんと届くんでしょうか?」
シロエ君が揺らめく蝋燭の焔を見詰め、マツカ君が。
「ええ、多分…。そうですよね、キース?」
「…お浄土に、だよな? 届くものだと言われている。そうでなければ俺たち坊主の意味が無い」
ブルーの家族に届けるとなると大仕事だが、とキース君。
「なにしろ戒名も謎だからな…。迷子探しをするようなものだ。それでも確実に届けてこその坊主なんだが、俺にはそこまで出来る自信が無いし…。今日の所は本職の力に頼るとするさ。あっちで読経が始まるようだぞ」
昼間に訪ねた称念寺の老僧と、その息子さんとお孫さんらしきお坊さんたちが岸壁に設えられた祭壇で厳かにお経を読み始めました。それを合図に灯籠が次々に海へと浮かべられてゆきます。会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」も一基ずつ抱えていた灯籠を海に下ろして…。
「ほら、君たちも。…ぼくの家族にって思ってくれるのなら、アルタミラはあっち」
会長さんは真っ暗な海の彼方を指差しました。昨夜は沢山あった漁火が一つも見あたりません。本当に海に出てはいけない日だったのだ、と私たちは改めて思い知らされ、海に消えた島を思いながら。
「「「………」」」
浮かべた灯籠に両手を合わせて、そっと心で『南無阿弥陀仏』と唱えましたが、正式には十回でしたっけ? キース君とサム君が小声で唱えているのを聞くとそうみたいです。スウェナちゃんやマツカ君、シロエ君、あんなに文句を言い続けていたジョミー君も静かに両手を合わせていました。
「…ありがとう。ぼくの家族も喜ぶと思う」
きっと届くよ、と会長さんが柔らかい笑みを浮かべてみせて。
「ぶるぅ、みんなが浮かべてくれた灯籠をアルタミラまで運ぼうか。こんなに沢山浮かんでいるんだ、少しくらい減っても分からないさ」
「そうだね! 今日は波も無いもん、沖でもきっと大丈夫だね」
そんな言葉が交わされた次の瞬間、私が浮かべた灯籠がフッと海の上から消え失せて…他のみんなの灯籠も。
『…ごらん、あそこに浮かんでるから。…あれがアルタミラのあった場所』
会長さんの思念と一緒に遙か沖合に揺れる九つの灯籠がフワリと脳裏を掠めてゆきます。それは会長さんがサイオンで中継してくれたもの。私たちの力では捉えられない、遠い遠い距離を越えてきた光。
『みんなを連れて来られて良かった。ぼくとぶるぅが生まれた島はもう無いけれど、ぼくの家族に紹介できて良かったよ。…会いに来てくれてありがとう。やっぱり直接会わせたいしね』
それには今夜、この場所でないと…、と続く会長さんの思念に、灯籠の灯が滲みました。スウェナちゃんもそっと涙を拭っています。会長さんに言われるままに軽い気持ちで来たミステリー・ツアーの最後の夜は灯籠流し。明日はアルテメシアに戻りますけど、会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」が生まれた島の名前がいつまでも残りますように…。小さな小さな港町のこと、決して忘れはしませんからね~!
夏休み初日はカラオケで明けてしまいました。そこから会長さんのマンションに行き、お昼過ぎまで全員爆睡。昼食は「そるじゃぁ・ぶるぅ」が手際よくアスパラガスとホタテの冷製パスタを作ってくれて、食べ終えた所でリビングに移り…。
「さてと…」
会長さんが手帳を取り出し、柔道部三人組に合宿の日程を尋ねてから。
「やっぱり今年も一週間、と。じゃあ、この間にジョミーとサムは璃慕恩院だね」
「えぇっ!?」
ジョミー君が悲鳴を上げて。
「今年も行くの? 一週間も…?」
「決まってるだろう。この前、老師も仰ったじゃないか。君の将来も期待できそうだ…って」
「だけど!」
「文句を言うなら恵須出井寺に放り込むよ? 居士林道場、忘れてないよね?」
会長さんが口にしたのは、教頭先生が騙されて修行する羽目になった厳しい道場の名前でした。
「あそこは一ヵ月前までに要予約だけど、それは指導役のお坊さんを確保しなくちゃいけないからで…。夏休み中は道場入りを希望する人が途切れないから、一人くらいは予約無しでも押し込める。サムは璃慕恩院、ジョミーは居士林道場でどう?」
「わわっ! ぼ、ぼくも璃慕恩院でいいから! 恵須出井寺より断然いいし!」
あたふたとするジョミー君の姿に、会長さんは満足そうに。
「璃慕恩院の良さを分かってくれて嬉しいよ。今年は作法も覚えてくれると嬉しいな。一週間で出来る範囲は知れてるけどさ」
頑張って、と激励されてジョミー君はガックリ肩を落としています。璃慕恩院での夏の修行は今年で三度目。サム君は会長さんに弟子入りしただけあって修行もやる気満々ですけど、ジョミー君は未だに仏門入りを回避したくて、逃げたくて…。
「本当に猫に小判だな…」
キース君が深い溜息。
「璃慕恩院で一週間も修行できるなんて贅沢なんだぞ? お前も行ったから知ってるだろうが、素人は二泊三日が限度だ。そこを特別に延長なんだし、ブルーに感謝しないとな」
「ぼくはお坊さんなんか目指してないから有難迷惑!」
なんで毎年修行なんか…、とジョミー君は膨れっ面です。会長さんは手帳にジョミー君とサム君の修行日程を書き込み、それからカレンダーを見て。
「…えっと。みんな今月の末は暇かな?」
「「「え?」」」
「柔道部の強化合宿とジョミーたちの修行は重なってるから、それが終わった後のことさ。もしも時間が空いているなら、連れて行きたい所があって」
「「「………」」」
私たちは一様に押し黙りました。こういう流れは危険です。会長さんが主導権を握った場合はロクな結果になりはしない、と私たちは既に学習済み。何処へ行くのか知りませんけど、断固お断りしなくては!
「…すまん、俺は墓回向を手伝わないと」
キース君が真っ先に断り、ジョミー君はカレンダーを睨んでから。
「えっと…。パパと海釣りに行こうかなぁ、って言っていたのがその辺かな? まだ日程は決まってないけど」
ぼくも、私も…、と私たちは決まってもいない予定を口にしたのですが。
「…要するに全員、暇なわけだね」
会長さんは意にも介さず、カレンダーの方を指差して。
「無駄な抵抗はやめたまえ。それに今度は迷惑をかけるつもりはない。…だから一緒に旅行に行こう。27日から二泊三日だ。費用は全額、ぼくが持つから」
「「「えぇぇっ!?」」」
自分のお金は使わないのが会長さんのポリシーです。なのに全額負担ですって? いよいよもって不吉な予感。旅行って何処へ行くんでしょうか? けれど…。
「ミステリー・ツアーってことにしといてくれないかな? 当日になったらちゃんと話すよ。アルテメシア駅の中央改札前に朝の8時に集合。荷物は普通の旅行のつもりで用意して」
特に必要なものはない、と会長さんは強引に決めてしまいました。行き先不明のミステリー・ツアーは旅行会社が広告を出したりしてますけども、そういうのに参加するのかな…?
柔道部の強化合宿は夏休みに入ってすぐでした。ジョミー君とサム君も修行に行ってしまい、スウェナちゃんと私が残されましたが、会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」がプールなどに誘ってくれたので暇を持て余すこともなく…。ジョミー君たちが帰って来る日は「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお部屋に先回りをしてお出迎えです。
「かみお~ん♪ お帰りなさい!」
大変だった? と「そるじゃぁ・ぶるぅ」がオムライスのお皿を並べました。ジョミー君は精進料理ばかりの日々だっただけに歓声を上げ、スプーンを握って食べ始めます。サム君は合掌して何やら唱えていますが、修行生活の名残でしょうか? 柔道部三人組の方も礼儀正しく「いただきます」。そういえば合宿、厳しいんですよね。
「みんな、旅行は覚えてる?」
明後日だよ、と会長さん。
「アルテメシア駅に集合するのを忘れないで。…来なかった場合は瞬間移動で強制的に連行するから」
切符も宿も手配したのだ、と会長さんは逃亡を許してくれませんでした。行き先はやはり話して貰えず、一緒に旅に出る「そるじゃぁ・ぶるぅ」も「秘密だもん」を繰り返すだけ。切符と宿を手配済みってことは旅行会社は無関係…?
「ツアーじゃないよ。プランを立てたのはぼくだから」
会長さんの言葉にジョミー君が。
「そうだったの? それじゃお土産とかは無し? ツアーだったら色々つくのに…」
「地元の銘菓をお持ち帰りとか、そういうのかい? 無いね」
バッサリ切り捨てる会長さん。えっと…旅行会社のツアーじゃないのにミステリー・ツアーって何でしょう? 私たちが首を傾げていると、会長さんは。
「大丈夫、明後日になれば全部分かるさ。話しておいてもいいんだけれど、それじゃ面白みが無いからね。心配しなくても悪戯とかは仕掛けてないよ。バーストは一度で沢山だ」
「「「………」」」
バーストと言えばサイオン・バースト。会長さんにからかわれたキース君がサイオン・バーストを起こして「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお部屋を吹っ飛ばしたのは去年の夏のことでした。もっとも、会長さんがキース君をバーストさせたのは計算ずくで、そのお蔭でキース君はサイオニック・ドリームを操れるようになったのですが…。
「…おい」
キース君が低い声で。
「俺のバーストを引き合いに出すってことは、誰かに何かを仕掛けるつもりか? 例えばジョミーが坊主になりたい気持ちになるとか」
「…ジョミーが坊主?」
それは考えていなかった、と会長さん。
「でも…。ちょっといいかもしれないね。ジョミーがその気になってくれたら美談だし」
「ちょ、なんでぼくが!!!」
藪蛇だよ、とジョミー君はキース君に掴みかからんばかりです。ジョミー君がお坊さんになりたい気持ちになるかもしれないミステリー・ツアーって、もしかして行き先は何処かのお寺? 二泊三日で修行とか…? 私たちは口々に尋ねましたが、答えはやっぱり「秘密」でした。それでも行くしかないんでしょうねえ…。
そして7月27日の朝8時。旅行用の荷物を提げてアルテメシア駅の中央改札前に行くと、もうジョミー君たちが来ていました。電光掲示板に表示された電車の案内を見ているようです。
「あ、おはよう!」
こっち、こっち…と手招きされて、合流して。電光掲示板をみんなと一緒に眺めましたが、会長さんが切符を予約したのがどの電車かは分かりません。そもそも東へ行くのか西へ行くのか、それとも北か、はたまた南か。謎だよね、と考え込んでいると「かみお~ん♪」と元気な声がして。
「おはよう! みんな来てたんだぁ!」
トコトコと駆けてきたのはリュックを背負った「そるじゃぁ・ぶるぅ」。その後ろから会長さんが足早に近付いてきます。
「やあ、全員ちゃんと集まったね。はい、切符」
渡された切符に私たちは仰天しました。行き先の駅名がありますけれど、これって思い切り遠いのでは?
「片道5時間以上かかるよ。だから駅弁を買っておいで」
車内販売もあるけどね、と言われた私たちは大急ぎで駅弁や飲物を買い込み、改札を通ってホームへと。滑り込んで来た特急に乗り、鉄路を真っ直ぐ北へ向かって…。目指す駅に着くのは午後2時です。
「えっと…」
走り始めた電車の中でジョミー君が口を開きました。
「なんでぼくたちしか乗っていないの? これって貸し切り?」
「そういうわけでもないんだけれど…。元々お客の少ない時期だし、他の車両に乗りたくなるようにサイオンでちょっと細工をね。前と後ろを見てきてごらん」
会長さんがクスッと笑い、ジョミー君が前後の車両を見に行って。
「前と後ろはけっこう人が乗ってたよ。…でもさ、貸し切りだったらマツカに頼めば良かったのに。いつも海に行く時にはそうしてるよね」
「…今回はぼくが費用を負担するって言っただろう? だからマツカには頼めない。それでも貸し切り状態にしたかったんだよ、ぼくたちの行き先の関係でね」
「「「???」」」
話がさっぱり見えません。ミステリー・ツアーだとは聞いてましたが、行き先に何か問題が…? 下車する駅はガニメデ地方の中心で…って、あれ? ガニメデと言えば確か…。切符を見詰める私たちに会長さんが。
「気がついた? ガニメデはフィシスが育った場所だよ。そして目的地はその駅じゃない。そこからローカル線に乗り換えて終点で降りる。…駅の名前はカンタブリア」
「「「カンタブリア?」」」
聞いたことがあるような、無かったような響きです。会長さんは「知らないかな」と笑みを浮かべて。
「カンタブリアは海沿いの小さな町なんだ。ずっとずっと昔、カンタブリアの沖にアルタミラという島があったんだけど」
「「「!!!」」」
アルタミラの方は有名でした。三百年ほど前に火山の噴火で一夜の内に消えた伝説の島。会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」が生まれた場所だと聞いてますけど、ひょっとしてミステリー・ツアーの行き先は…。
「おい、アルタミラに行くって言うのか?」
キース君の問いに会長さんは。
「まさか。…いくらぼくでも時を飛び越える力は無いよ。アルタミラは三百年以上昔に消えた島だし、そこへは行けない。でもね…。明日はアルタミラが地上から姿を消した日なんだ」
アルタミラは7月28日の夜に海に沈んでしまったそうです。じゃあ、会長さんはその日に合わせてカンタブリアへ…? 私たちが口々に訊くと、会長さんは頷いて。
「アルタミラとカンタブリアはセットみたいなものだったんだよ。アルタミラがどんな島だったのか、少しくらいは知ってるかい?」
えっと。一晩で海に沈んだ島で、会長さんの生まれ故郷で…。その他に何かありましたっけ? 記憶の中を探っていると、キース君が。
「貿易で栄えた島らしいな。あんたがアルタミラの出身だと聞いて、少し調べてみたんだが……あまり資料が残っていない。島と一緒に吹っ飛んだのか?」
「違うよ。…アルタミラの資料は最初から作られていないんだ。正確な地図も描かれていない。大切なことは全部口伝さ」
「口伝だと? それで資料が少ないのか…。だが、そこまでして隠した理由は何だ?」
「外交政策とでも言うのかな? アルタミラは金の輸出をしてたんだけど、島に鉱山は一つも無かった。それでも大量の金が運び出されて、外国の船が沢山来てたね。…そして他の国の人たちはアルタミラから金が採れると信じてたんだ」
金山の本当の所在地を知られないよう、金はカンタブリアの港から小舟でアルタミラへ運ばれたのだ、と会長さんは語りました。いわゆる隠し金山というヤツです。
「アルタミラが沈んでから数年も経たない内に金は採れなくなってしまった。だから代わりの港は要らなくなって、カンタブリアも見かけどおりの漁港になってしまったわけさ。ただ、温泉が出るからね…。それと冬場は蟹が獲れるし、そこそこ人は来るってわけ」
なるほど。カンタブリアの名は、温泉か蟹か、どっちかのツアー広告で目にしたことがあるのかも…。アルタミラとセットだったとはビックリですけど、温泉があるなら楽しみですよね。
会長さんが行き先を伏せていたのは「その方がスリリングだから」という、ごく単純な理由でした。貸し切り状態の車内で駅弁やお菓子を食べながらアルタミラの話を沢山聞いて…。他の乗客がいると思い出話はしにくいでしょうし、サイオンで細工したのも納得です。5時間以上も電車に揺られ、乗り換えたローカル線の乗客は私たちだけ。海が見えてくるとそこが終点のカンタブリアで。
「ほら、着いたよ。忘れ物をしないようにね」
会長さんに促されて降り立ったのはホームが2つしか無い小さな駅。駅舎の前には今夜の宿のマイクロバスが来ていました。会長さんの定宿らしく、「そるじゃぁ・ぶるぅ」が勝手知ったる様子で一番前に乗り込みます。バスは海沿いを走り、高台にある温泉街へと入っていって…。
「へえ…。田舎にしては大きいよね」
ジョミー君が旅館の立派な建物を見上げ、サム君が前庭の小川に手を突っ込んで。
「温泉だぜ! 湯気が立ってるとは思ったけどさ。あっ、あそこに足湯があるのか…」
「本物の源泉かけ流しだよ」
いいだろう、と会長さん。敷地内に源泉があるのだそうです。客室のお風呂も勿論、温泉。お部屋に案内されて荷物を置いて、会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」が泊まるお部屋へ出掛けてゆくと…。
「朝からずっと電車だったし、運動がてら街に出ようよ。持ってきたお菓子も食べ飽きただろ? 温泉饅頭は今ひとつ芸が無いしね」
会長さんは鉢に盛られたお饅頭には手もつけないで部屋を出てゆきます。温泉饅頭でも別にいいのですけど、運動不足は確かでした。会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」に案内して貰って少し歩くのがベストでしょう。
「ずっと昔の温泉街はあっちの方にあったんだよ」
会長さんが教えてくれた場所は漁港のそばに広がる平地でした。カンタブリアの駅の近くですけど、建物は少ししかありません。駅に近い方が便利そうなのに、どうして離れた高台に? ジョミー君も同じことを考えたらしく。
「なんでこっちに移したの? 温泉が涸れたわけじゃないよね」
見下ろす先には一目で温泉と分かる水蒸気が幾筋も立ち昇っています。駅が後から出来たにしたって、道路も海沿いがメインのようですし…。温泉街って街道沿いに発展するのが王道では? 私たちの疑問に、会長さんは「確かにね」と答えてから。
「あっちにも温泉を使った施設はあるけど、宿泊施設と民家はこっちさ。…地形をよく見て考えたまえ。カンタブリアは天然の港なんだ。手を加えたのは岸壁くらいさ。アルタミラは水平線の辺りにあったんだけど、そこで火山が大噴火したらどうなると思う?」
「「「あ…」」」
頭に浮かんだ言葉は『津波』。島が丸ごと吹っ飛んだほどの爆発ですから、もちろん津波も来たでしょう。キース君が「津波か…」と呟き、会長さんが。
「それで正解。津波ですっかり流されちゃって、高台に再建したってわけさ。温泉はあちこちに湧き出してるし、少し不便でも安全な場所がいいだろう? アルタミラと違ってこっちで人死には無かったけども」
カンタブリアの人たちは噴火の音で目覚めて外に出、海の水が引いて行くのに気付いて高台に避難したそうです。お蔭で津波の被害は家や船だけで済んだのですが、アルタミラの方は誰一人として助からなくて。
「…ぼくが来たのは明日が祥月命日だから。毎年、7月28日には来るようにしてる」
「え?」
ジョミー君が首を傾げました。
「毎年って…。去年とかは来ていないよね? 去年はキースがバーストしちゃったせいで元老寺にいたし、一昨年はレンコン掘ってたし…。その前の年はマツカの山の別荘だよ」
言われてみればそうでした。7月の末に会長さんがカンタブリアまで足を運ぶ時間は無かった筈です。けれど会長さんは可笑しそうにクッと喉を鳴らして。
「ぼくを誰だと思ってるのさ? 瞬間移動はお手の物だよ。衛星軌道上から地球にだって飛べるというのに、カンタブリアまで飛べないとでも? いつも君たちが寝てる間に来ていたんだよ。ぼくの用事はすぐ済むからね」
「「「用事?」」」
「それは明日になったら教えてあげる。今はとりあえず…名物のお菓子で腹ごしらえかな」
「温泉饅頭は芸が無いとか言ってなかったか?」
キース君が突っ込みましたが、会長さんは。
「まあね。だけど温泉饅頭を買いに行くとは言っていないよ、他にも色々あるだろう? お煎餅とか」
「鉱泉煎餅か…」
温泉街には付き物だよな、と土産物屋の看板を見上げるキース君。そっか、鉱泉煎餅ですか…。あれって薄くて軽いですけど、腹ごしらえって言うほどの量を食べるとなったら何枚くらい?
会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」は温泉街をどんどん奥へと歩いていきます。鉱泉煎餅なんて何処で買っても同じだと思っていましたけれど、こだわりのお店があるのでしょうか? 土産物屋さんは次第に減って民家が増えてきましたが…。
「カンタブリアに来たら、やっぱり此処だね」
会長さんが立ち止まったのは古色蒼然としたお店でした。看板には今にも消えそうな『アルタミラ本舗』という文字が。ほんのり漂う甘い匂いは鉱泉煎餅とは違うような…。
「この店で作っているお菓子は一種類だけ。三百年前と同じレシピで延々と作り続けてる」
「「「三百年!?」」」
「そうさ。アルタミラのレシピを受け継いでるんだ。ね、ぶるぅ?」
「うん! このお店でしか買えないもんね♪」
暖簾をくぐる二人に続いてお店に入ると、古びたショーケースに沢山の焼き菓子が入っていました。これってパンかな、それともパイ? どちらにも見えるお菓子です。丸型が基本みたいなんですけども、大きな四角い天板で焼いてそのまま並べてあるものも…。会長さんがクルリと振り向き、私たちに。
「どれにする? 丸いのでもいいし、その大きなのを好みのサイズに切って貰ってもいいんだけれど」
そう訊かれても、初めて目にするお菓子なだけに味の見当がつきません。試食とかって無いんでしょうか? どうしたものかと悩んでいると、会長さんが「ああ、そうか」と納得した風で。
「そこのを切って貰えるかな? 一口ずつの試食サイズで」
店番のお婆さんがナイフでお菓子をカットしてくれ、爪楊枝をつけてくれました。うーん、この断面はやっぱりパイ? でも…パンのようにも見えますし…。あ、甘い。でもって後味がほんのり塩味! 表面のカラメリゼがまた美味しくて……層になった生地に挟まれている砕いたナッツも絶品です。
「どう? 気に入った?」
会長さんの問いにマツカ君が。
「クイニーアマンに似てますね。これがアルタミラのお菓子ですか?」
「うん。他にも色々あったけれども、お祝い事にはこれだった。このお菓子、アルタミラの月って名前で商標登録してるんだってさ」
あまり知られてないけれど、と会長さん。地元の人がおやつや手土産に買っていくだけで、支店なんかも無いのだそうです。会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」は丸型のお菓子を人数分と、少し小さめにカットしたものを幾つか買って紙の袋に入れて貰って…。
「これでおやつはOKだよね。宿に帰ってゆっくり食べよう。夕食までには時間があるから」
歩き始めた会長さんは御機嫌でした。あのお菓子がお気に入りなのでしょう。…ん? さっきマツカ君はなんて言いましたっけ? クイニーアマン…。そう、確かにクイニーアマンにそっくりです。クイニーアマンにナッツは入っていませんけれど。…でもって何かが引っかかるような…?
旅館に戻った私たちは、会長さんの部屋で買ってきたお菓子を食べ始めました。会長さんのポケットマネーでお菓子を食べるのは初めてかも…。いつも教頭先生のお金を毟り取ってる人ですから! 今回の旅行費用も実はしっかり巻き上げたとか? 私の疑問が顔に出たのか、会長さんは「信用ないなぁ」と苦笑して。
「お菓子のお金も旅行費用も本当にぼくが出すんだってば。…アルタミラ絡みでハーレイからお金を毟ったんでは供養にならない。ぼくが自分で出さないとね」
「…供養? 本気で慰霊の旅だったのか?」
キース君の問いに会長さんは。
「君までぼくを疑うんだ? 明日が祥月命日だって話したのに…。ジョミーが仏の道に目覚めるような旅になるといいね、とも言った筈だよ。ぼくは本当に供養のために此処へ来た。…君たちを連れてきたのは昔話をしたい気持ちになったから…かな。今度ばかりは悪戯する気は無いんだよね」
会長さんは至極真面目でした。海の幸たっぷりの夕食の時もアルタミラの話をしてくれただけで、悪戯の気配はまるで無し。教頭先生に電話かメールで何かするかと思ったのですが、そっちの方も完全放置。ただ、フィシスさんにだけはメールを打っているようです。あれ? フィシスさんって…。あ、そうか!
「ん? どうしたんだい?」
いきなり「あっ!」と声を上げた私を会長さんが見詰め、みんなも怪訝そうな顔。私はスウェナちゃんに視線を向けて…。
「さっきのお菓子! フィシスさんの家に伝わっているアルタミラのお菓子って、あれじゃない?」
「え?」
一瞬キョトンとしたスウェナちゃんでしたが、すぐに分かってくれたようです。
「そういえば…。クイニーアマンに似たお菓子だって言ってたわよね。会長さんのお誕生日とバレンタインデーにだけ作ってる、って」
「そう、それ! フィシスさんの家ではお祝い事の時に作ってたんでしょ? 会長さんもさっきのお店でそんな話を…」
スウェナちゃんと私の会話にジョミー君が「何、何?」と割り込み、キース君たちも。フィシスさんの家に伝わるお菓子の話を耳にしたのは特別生になる前のことでした。バレンタインデーに会長さんに渡すチョコレートをフィシスさんが一緒に選んでくれて、帰り道でお茶を御馳走になって…。
「でね、その時に教えて貰ったの。フィシスさんは会長さんのために特別なお菓子を作るんだ、って。あのお菓子がそれだと思うんだけど」
「なるほどな…。あいつがわざわざ買いに行くんだ、同じ菓子でも不思議ではない」
キース君がそう言った時、会長さんが「当たり」と微笑みました。
「さっきのお菓子は女王様のパンって呼ばれてた。ナッツの女王のピスタチオが入っていただろう? ピスタチオは昔は高価な輸入品でさ…」
それでお祝い事の時しか作らなかった、と会長さんは懐かしそうに。
「ナッツ入りじゃないクイニーアマンはいつでもお店にあったんだけど、それとは別に特注するか、手間暇かけて家で作るか。女王様のパンはアルタミラのお菓子屋さんがバクラバをヒントに考案したんだ」
バクラバは薄いパイ生地を何層も重ねた間に砕いたナッツを挟んだお菓子。シロップがたっぷりかけられていて凄く甘い、と会長さんは教えてくれました。バクラバもクイニーアマンも遠い国の船がアルタミラに伝えたものなのです。
「アルタミラは豊かな島だった。海に沈んでしまうなんてね…」
あれから何年経ったんだろう、と窓の外を眺める会長さん。暗い海には漁火が幾つも灯っていました。アルタミラがこの世界から消え失せたのは三百年以上昔の7月28日の夜のこと。祥月命日の明日、会長さんは何をするのでしょうか? ジョミー君が仏の道に目覚めるかもって言ってましたし、いわゆる法要というヤツですか…?
別の世界から来たソルジャーのせいでドキドキだった期末試験も無事に終わって、今日はいよいよ終業式。去年は学校中に氷柱が並べられていて壮観でしたが、今年は何が起こるのでしょう? ジョミー君たちとバス停で待ち合わせてから学校の方まで来てみると…。
「…また狸か?」
キース君が柵と生垣の向こうを指差しました。木々の間に丸っこいシルエットが見えています。また狸か、という台詞には根拠があって、私たちが普通の1年生だった時に迎えたシャングリラ学園初の終業式の日は学校中が信楽焼の狸に埋め尽くされるという出来事が…。
「狸かな?」
ジョミー君が屈み込んで柵の間から矯めつ眇めつ。
「…狸っぽいけど、ピンク色だよ? ピンクのヤツってあったっけ?」
「メスじゃねえのか?」
そう言ったのはサム君でした。
「メスの狸もいるじゃねえかよ、ピンク色ならメスだって!」
「そっか。だったら狸で決まりだね」
納得した様子のジョミー君。今年は信楽焼の狸が再登場したみたいです。先生方のネタが尽きたのか、それとも何年か毎に同じパターンが回ってくるのか。そういえば信楽焼の狸が出たのは4年前ですし、経験者は既に全員卒業しました。私たちの一番最初の同級生は今は大学で頑張っています。
「金なら1個で銀なら5個か…」
キース君が呟き、スウェナちゃんが。
「その辺は変えてくるかもしれないわよ? 狸の色だって違うんだもの」
「なるほどな。どっちにしてもブルーが怪しい店を出すのは同じだろうが」
「「「あー…」」」
そうだったね、と溜息をつく私たち。シャングリラ学園の夏休みには変わった制度がありました。終業式で発表されるアイテムをゲットしてきた生徒は宿題が免除されるのです。アイテムは毎年変更されて、入手方法も勿論変更。『金なら1個で銀なら5個』は必要な狸の数でした。去年はおみくじ形式で氷柱の中にクジを結んだ花の枝。その当たりクジを販売するべく店を出したのが会長さんで…。
「ぼくたち、今年もお手伝いですか…」
ゲンナリした顔のシロエ君にキース君が。
「教頭室も忘れるなよ? あいつはアイテムを手に入れるために教頭先生を脅すからな」
「「「………」」」
私たちは青々と茂った枝越しに見える本館へ視線を向けました。そこには教頭室があります。今日も行くことになるのだろう、と諦め切った気持ちでトボトボと歩き、正門で門衛のおじさんたちに頭を下げて構内へ。蝉の合唱が降ってくる中、足を踏み入れた前庭には…。
「…狸…じゃない?」
「違うようだな…」
何だこれは、とジョミー君とキース君が並べられたものを見下ろしています。ピンク色のそれは耳が尖っていて狸の耳ではありません。どちらかと言えば猫ですけども、下半身安定型のコロンとした体形はちょっと狸に似ているかも?
「猫じゃないでしょうか?」
マツカ君が座り込んで陶器製の置物を検分しながら。
「狸に首輪はつかないでしょう? それにこの耳はどう見ても…」
猫ですよ、というマツカ君の意見に反対する人は皆無でした。ニッコリ笑顔を現したらしい糸のような目と愛嬌のある口と顔立ち、真っ赤な首輪。座りのいい二頭身の身体は流行りの『ゆるキャラ』を目指したのかな?
「招き猫と言うより貯金箱ですね」
シロエ君の指摘に私たちはプッと吹き出しました。猫の置物は招き猫が定番ですけど、この置物は手を両脇につけています。丸っこい外見と相まって貯金箱というのがお似合いかも。登校してくる生徒たちがズラリと並んだ猫の置物に驚いている中、私たちはピンクの猫を撫で回して。
「金を入れる穴は開いていないな」
大真面目に言ったキース君に「貯金箱なわけないし!」と口々に突っ込み、今年のアイテムは金の猫と銀の猫なのだろうと笑い合ってから教室に向かったのでした。
宿題免除アイテムが狸だった年と同じで校舎の中にも猫、猫、猫。狸の時と違っているのはどの猫も両手でヒョイと持てるサイズに統一されていることでしょうか。サイズ的にもちょっと大きめの貯金箱です。…お金を入れる穴は開いてませんが。教室の中にも置かれたピンクの猫に、「あれは何か」とクラスメイトが尋ねに来ます。
「先生が説明すると思うよ」
ジョミー君が答え、入学前から私たちの存在を知っていたという男子生徒に。
「先輩から何も聞いていないの?」
「うん。とにかく1年A組だったらツイてるんだ、って話しか…」
彼の先輩は私たちの嘗ての同級生でした。その先輩から聞かされた話は多いようですけど、宿題免除のアイテムについては何も知らないみたいです。私たちは顔を見合わせ、アイテムの話は黙秘することに決めました。せっかくのラッキーアイテムですもの、種明かししない方が嬉しいですよね。そして…。
「諸君、おはよう」
グレイブ先生が靴音も高く登場すると教卓の上にドリルやプリントをドカンと積み上げます。
「明日から楽しい夏休みだが、これは私からのプレゼントだ。二学期の始業式の日に必ず提出するように。忘れた場合は数学のドリルが1冊加算される」
「「「えぇぇっ!?」」」
「ええっ、ではない! 学生の本分は勉強だ! 試験の度に楽をしているのを忘れたか? 夏休みこそ懸命に学び、実力で満点が取れる自分を目指したまえ。…ただし…。我が校には実に嘆かわしい制度がある。私は廃止を提案し続け、去年は折衷案を採用させることに成功したが…そこまでだった」
残念だよ、とグレイブ先生。去年のおみくじ形式はグレイブ先生の発案でした。
「我が校には宿題免除の制度があるのだ。とあるアイテムを入手した生徒は宿題を全て免除される」
おおっ、と湧き立つクラス一同。グレイブ先生は舌打ちをして…。
「やはりこの制度は大人気か。去年、私が実施したものは先生方にも不評でな…。被害を蒙った生徒が今年も在学しているからと埋め合わせをすることに決定した。アイテムは例年よりも多めに出る」
何故そうなったかを説明されてクラスメイトは青ざめました。去年のおみくじは大吉ならば宿題免除、大凶だったら宿題加算。大凶の生徒が大吉の生徒を上回るという悲劇に終わった結果、グレイブ先生は職員会議で叱られたのです。
「そういうわけで今年はアイテムが増やされた。例年の十倍という異例の数だ。アイテムが何かは終業式で発表される。…せいぜい頑張ってゲットしたまえ」
私は制度に反対だが、と繰り返してからグレイブ先生は私たちを引き連れて終業式が行われる講堂へと出発しました。去年のおみくじで大吉が殆ど出なかったのは会長さんがサイオンで細工していたからなんですけど、それは私たちしか知りません。その黒幕の会長さんは宿題免除のアイテムを高額で販売する店を中庭に…。あれ?
『…ブルー、いないよ?』
ジョミー君が思念波を送ってきたのは中庭の脇を通る時。去年はここに机を置いて「そるじゃぁ・ぶるぅ」と出店の準備をしてたんですけど…。
『今年は場所を変えたんじゃないか?』
もっと人目につく所に、とキース君が応じた途端に。
『出店の予定はないんだけれど?』
会長さんの思念が届きました。
『あんなにアイテムを増やされたんでは店を出しても儲からない。自力でゲットできちゃうからね。…だから今年はのんびりするさ。君たちもぶるぅの部屋へおいでよ』
アイテムなんか要らないだろう、と会長さん。特別生に宿題は出ませんから、アイテムは必要ないのでした。けれどアイテム探しが終了しないと終礼の時間にならないわけで…。会長さんがアイテムの店を出さないのなら教頭室へ連れて行かれる心配なんかはありません。よーし、今年は「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお部屋で終礼までの時間を潰そうっと!
「金と銀とじゃなかったんだね」
ジョミー君が大きく伸びをしています。私たちは終業式の後、「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお部屋に入って涼んでいました。特別生を除く全校生徒は今頃アイテム探しでしょう。教頭先生が発表したアイテムはやはりピンクの猫に纏わるものでしたけれど…。
「あの猫に入っているなんてなあ…」
ビックリしたぜ、とサム君がオレンジジュースをお代わりしながら。
「だけどあんなに沢山あったら、当たりの猫を見つけ出すのが大変だよな」
「端から開ければ解決だよ。ぼくの出番は一切なし」
つまらないや、と会長さんがアイスティーのグラスを指で弾いて。
「いつもの十倍にされちゃっただろう? ぼくの店に買いに来るお客よりも自力でゲットがきっと多数さ。そんな状態で高い値段はつけられない。だからといってこの暑いのに特別価格で奉仕するのも御免だし…。今年は見送ることにした」
「でも…猫は簡単には開かないんだよ?」
マンゴー・ラッシーをかき混ぜているジョミー君。
「教頭先生が言ってたじゃないか。首輪についてる金色の鈴を七回左右に回すんだ、って。右と左の回数の組み合わせが正しい時だけ、首がパカッと外れるんでしょ?」
「そして間違っていたら数の設定はリセットだったな」
しかもランダムに切り替わる、とキース君がジョミー君の言葉を継いで。
「教頭先生は簡単に見本を開けて見せていたが、そんなに上手くいくものだろうか? 右か左かに七回だぞ。右の次が同じ右なのか、左なのか。そもそも最初は右なのか? 組み合わせの数は半端じゃないぞ」
「そも正解が分かりませんしね。全部が同じじゃないんでしょう?」
シロエ君も首を捻っています。
「ゼル先生が設定したって言ってましたし、正解の数も山ほどですよ。その正解もリセットされたら変わるとなると……これは相当大変かも」
「平気、平気」
その内に開くさ、と会長さんは呑気でした。
「ハーレイはそう言ったかもしれないけどね、あれは一応、言ってるだけ。簡単に開いちゃったんでは有難味が無いし、脅しが入っているんだよ。本当はリセットに上限がある。確か十回だったかな? その辺で数の組み合わせが何であろうと猫の頭は外れる仕掛けだ」
「「「………」」」
なーんだ、そういう仕組みでしたか…。それなら確かに会長さんの出番はありません。いくら猫の数が多いと言っても生徒も大勢いるんですから人海戦術というヤツです。当たりの猫を誰が開けるかが運なのであって、アイテム自体は制限時間内に殆ど発見されるでしょう。もしかしたら全部出ちゃうかも?
「あーあ、今年は楽勝かぁ…」
つまんないの、とジョミー君が愚痴ってますけど、アイテムゲットが大変だったら会長さんの出番です。そうなると私たちも駆り出された上、教頭室に同行させられて悪戯の片棒を担がされるのは必定で…。
「ジョミー、平和が一番なんだぞ?」
ブルーが出店をしたらどうする、とキース君に指摘されたジョミー君は。
「あっ、そうか! 今の、取り消し! 楽勝でいいよ!」
「おやおや…。ぼくも嫌われたよね」
そう言いつつも会長さんは笑っています。その隣では「そるじゃぁ・ぶるぅ」がピンクの猫を撫でていました。可愛いビジュアルが気に入ったらしく、教頭先生に頼んで1個貰ってきたのだそうです。もちろんサイオンで中を確認して、アイテム入りではない猫を。
「可愛いよね、これ。中にお菓子を入れようかなぁ?」
クッキーとか、と楽しそうな「そるじゃぁ・ぶるぅ」に会長さんが。
「そうだね。中は意外にひんやりしてるし、キャンディーなんかもいいかもしれない。分けて貰えて良かったね、ぶるぅ」
「うん! アヒルちゃんもいいけど、この猫も好き!」
御機嫌で猫の置物と向き合う「そるじゃぁ・ぶるぅ」はとても微笑ましく、私たちの気分もほのぼのです。今年の宿題免除アイテムも忘れられないものになりそう! ピンクの猫をみんなで触って「笑顔がぶるぅに似ているね」などとワイワイ賑やかに騒いでいると…。
「「「???」」」
聞き慣れないメロディが流れてきました。アイテム探しの終了時間はいつものようにベルで知らせる筈ですが…。と、会長さんがソファから立ち上がって。
「ぼくだ、どうした?」
会長さんの手には今まで一度も鳴ったことのない「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお部屋の電話の受話器。レトロな形をしていますから飾りだとばかり思っていました。けれどそうではなかったようです。会長さんは電話の向こうと真剣な口調で言葉を交わすと受話器を置いて。
「…事故だ」
「「「えっ!?」」」
アイテムゲットの途中で事故が!? 猫が爆発しちゃったとか? けれど陶器の猫ですし…。慌ただしく飛び出して行った会長さんを私たちは慌てて追い掛けました。後ろから「そるじゃぁ・ぶるぅ」もついて来ています。事故って…。まさか学校の中で事故なんて…。
『誰かバーストしちゃったとか?』
ジョミー君が送ってきた思念に私たちの背筋がゾクリとしました。シャングリラ学園に入学してから事故が起こったのは一度きり。去年の夏休みにキース君がサイオン・バーストを起こして「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお部屋を吹っ飛ばした事故。まさか、まさかね…。会長さんが駆けてゆく先は本館です。どうかバーストではありませんように、と祈るような気持ちで私たちは走るだけでした。
本館の奥に設けられた教職員用の休憩室。会長さんはそこに飛び込み、扉は開け放たれたまま。私たちはその部屋に入ったことはありません。どうしたものか、と恐る恐る部屋に近付いていくと…。
「すまん」
ゼル先生の声が中から聞こえてきました。
「…本当にすまん。わしに悪気は無かったんじゃ…」
「当然だろうね」
悪気があったら最悪だよ、と会長さんが罵っています。えっと…事故って、ゼル先生がやったんですか? 構内を自転車で威勢よく駆け抜ける姿をよく見ますけど、生徒の誰かをはねちゃったとか? 私たちが顔を見合わせていると会長さんが扉の奥からヒョイと覗いて。
「何をコソコソしてるのさ? 入っておいでよ、みんなもぶるぅも」
「し、しかし…」
事故じゃないのか? と尋ねたキース君に「事故だけどさ」と返した会長さんは。
「君たちが想像しているような事故じゃない。アイテムゲットで起こった事故には間違いないけど、被害者は生徒全員だから」
「大変じゃないか!」
キース君が叫びましたが、会長さんは苦笑して。
「まだ大事故にはなってない。その前になんとか揉み消してくれ、というわけさ。もう教師にはバレてるけども…。電話してきたのはハーレイだったし、あの電話は緊急回線だしね」
会長さんに呼び入れられた休憩室にはゼル先生の他に教頭先生、ヒルマン先生、エラ先生にブラウ先生。いわゆる長老の先生方がズラリと顔を揃えていました。テーブルを囲む先生方の下座でゼル先生が縮こまっていて、その前には不似合いなピンクの猫。
「…その猫が事故を起こしたんだよ」
フンと鼻を鳴らす会長さん。
「不具合なんてレベルじゃない。アイテムゲット開始から1時間以上も経っているのに、どうして誰も気付かないのさ? 職務怠慢としか言いようがないね」
「…いや、だから…」
教頭先生がハンカチで額の汗を拭いながら。
「今年のアイテムはゲットして即、提出するようなものではないし…。制限時間終了の時点でゲットしていた生徒の数だけ宿題免除ということで…」
「それで?」
「だからチェックしていなかった。皆、順調にアイテムをゲットしているものだと…」
「で、どうなっているか確認もせずに涼しい部屋で休憩してた、と。…事故に気付いたのは誰だったっけ?」
シドだ、とヒルマン先生が答えました。
「グラウンドの横を通ったら猫が全部そのままだったそうでね。…開けた猫をわざわざ閉めたりしないだろうから、そこにいた生徒に尋ねてみたら何度やっても開かないらしい。十回試せば開く筈だし、妙に思って挑戦させたら十回やっても開かなかった、と」
「プログラムが間違っていたってことは?」
会長さんの問いにエラ先生が。
「ありません。…これも本当なら開く筈なのです。十回試しましたから」
テーブルの上のピンクの猫をブラウ先生が掴み、頭をキュッと捻ったのですが、首は外れませんでした。さっき「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお部屋で触っていた猫は簡単にパカッと開いたんですけど…。
「ほらね、全然開かないのさ。プログラムはゼルが確認したし、これで開かない筈がない。でも開かないし…」
そこでハーレイが言ったんだよ、とブラウ先生。
「ぶるぅが1個持ってった、ってね。可愛いからって1個貰って、その場で開けて喜んでたって。だったら確かに猫は開くんだ。…だけど誰にも開けられなくて、開けられたのはぶるぅだけ。ひょっとして、とゼルを問い詰めてみたら案の定だ」
「…すまん!」
この通りじゃ、とゼル先生はペコペコ頭を下げました。
「あれだけの数の猫に細工するのは大変じゃから、そのぅ…。ちょこっと、お神酒をな…。そしたら気分が大きくなって、簡単に開けられてたまるかい、と…」
「…タイプ・イエローの馬鹿力か…」
会長さんがフウと大きな溜息をついて。
「去年の夏はキースがバースト、今年はゼルがやらかすとはね。…貸して」
猫を手に取った会長さんは苦も無くパカッと開けてしまうと。
「これは確かに大事故だよ。どの猫も絶対開けられないと保証する。…いや、そんなのを保証されても困るかな? とにかく開けられないのは間違いないね。タイプ・イエローの力は場合によってはタイプ・ブルーに匹敵する。そのサイオンでもって蓋をされたらどうにもこうにもならないさ」
今年のアイテムは該当者なし、と冷たく言い切る会長さんに先生方は揃って頭を下げて。
「そこをなんとかして欲しいのだ!」
「頼むよ、アイテムが出てこなかったら生徒たちだって困るだろ?」
「お願いです、ブルー! ゼルには責任を取らせますわ」
懇願する先生方に会長さんは。
「責任ねえ…。そんなのどうでもいいんだけれど? 問題はお神酒気分で事故を起こすような気の緩みの方。サイオンの存在はまだ公にしていない。…この学校でも力があるのはぶるぅだけってことになっているよね」
「「「も、申し訳ございません…」」」
会長さんはソルジャーの貌をしていました。先生方は真っ青になり、平謝りに謝って…。あっ、今のベルの音はもしかして…?
「…時間終了」
会長さんが短く告げて壁の時計をピシッと指します。アイテムゲットの時間は終わってしまったのでした。それじゃ猫は? 学校中に溢れ返っていたピンクの猫は? 例年の十倍の数を用意したという宿題免除のアイテムは…? ゼル先生が床にへたり込み、先生方も呆然とその場に立ち尽くす中で。
「大丈夫。猫はギリギリで幾つか開いたよ、最後まで諦めなかった粘り強い生徒に感謝したまえ」
ゆっくりと踵を返す会長さん。
「サイオンを公にできない以上、この方法しかないだろう? 最後の最後まで猫を離さなかった子たちが持っていたのを全部開いた。ただし、開けようとチャレンジしていた子たちの分の猫だけだけどね。いくらなんでも勝手に開いたらおかしいし…。アイテムが入った猫が幾つあったかは君たちが確認するといい」
ぼくが干渉するのはここまで、と会長さんが休憩室を出てゆきます。先生方は会長さんの背中に向かって深くお辞儀し、私たちは終礼に間に合うように教室に戻れと会長さんに言われ…。会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」が生徒会室の方へ行くのと別れて歩く道にもピンクの猫が一杯でした。サイオンで開かなくなっていたとは、とんでもない事故もあるものですねえ…。
結局、宿題免除アイテムをゲットできた生徒は例年と同じくらいの数で終わったみたいです。けれど私たちのクラスにも該当者がいて、小躍りしながら『宿題免除』と書かれた紙をグレイブ先生に渡していました。例年の十倍のアイテムを用意したからいいですけども、もしも十倍じゃなかったら…。
「去年以上の大惨事だね」
該当者無し、と会長さんが繰り返したのは放課後のこと。私たちは「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお部屋に来ています。テーブルの上にはチーズ風味のクリーミーなアイスケーキが。ブルーベリーのソースも絶品! テーブルの真ん中にはピンクの猫が置かれていて…。
「ああいうことになってたんならアイテムの店を出せばよかった。去年以上に儲かったよ、きっと」
猫を開けられないんだから、と会長さん。でも…アイテムは数を決めて売ってませんでしたか? 他の生徒に行き渡らないといけないからとか、そういう理由で…。そこをキース君に指摘された会長さんは。
「そりゃあ、最初は限定品で売り出すさ。ぼくだってまさか事故とは思わないしね。…そして事故だと分かった時点で追加でドカンと売り出すわけ。普通は後になるほど値が下がるけど、出ないとなれば話は別だ。前売りの方が安いというのは世間一般の常識だろう?」
そう来たか、と私たちは頭を抱えました。長老の先生方にサイオンがどうのと厳しいことを言っていた人と同一人物とは思えません。最初から会長さんが出店してれば、先生方は緊急回線で連絡しなくても思念波かメールで伝えるだけで丸く収めてもらえたのでは…? 私たちがそう尋ねると。
「まあね。その場は上手く切り抜けてあげるさ、アイテムを追加で売り出すんなら儲けの方も大きいし。…だけど、事故は許してあげないよ? それなりの形で厳重注意だ。サイオンはまだ公には出来ないんだから」
そのためにぶるぅがいるんだよ、と会長さんはウインクしました。
「見ての通りの小さな子供でシャングリラ学園のマスコット。座敷童子みたいなものだと思われてるから、不思議な力を持っていたって誰も追究しないしね。サイオンを普通の人たち相手に使っていいのはぶるぅだけさ。…なのにゼルは今回、使ってしまった。だから事故だと報告されたし、緊急回線が使われたわけ」
アイテムを手に入れられる生徒がいなくなるからというだけではない、と会長さんはピンクの猫を手に取って。
「ぼくもウッカリしていたかもね。ぶるぅが欲しいと言い出した時にきちんとチェックをするべきだった。そしたらゼルのサイオンに気付いて、先回りして解除出来たんだろうに…。ぶるぅ、これを最初に開けていた時、蓋が固いと思わなかった?」
「ううん、ジャムの瓶とか、最初は全部固いものでしょ? だからそういうものなんだなぁ、って」
ちっとも不思議じゃなかったよ、とニコニコ笑顔の「そるじゃぁ・ぶるぅ」は何も分かっていませんでした。ゼル先生がやらかしたことの重大性も、それが事故だと言われる理由も。…でも、だからこその「そるじゃぁ・ぶるぅ」。サイオンという秘密の力を自由に使えて愛されて…。
「ねえねえ、明日から夏休みでしょ?」
何処か行こうよ、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」は大はしゃぎ。会長さんが「ぶるぅには敵わないね」と微笑んで。
「今夜はゼルを締め上げようかと思ってたけど、ハーレイたちに任せておこう。ソルジャーなんて堅苦しいのは御免蒙る。…それじゃ一学期も終わったことだし、カラオケにでも出掛けようか。ゼルの責任追及で手いっぱいだから多分パトロールは無いと思うよ」
オールでも絶対大丈夫、と断言されて私たちは大歓声。早速家にメールを入れて、会長さんの家に泊まると大嘘をついて…。会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」、大学生のキース君の三人以外は初めてのオール、朝まで歌って歌いまくって夏休み初日の日の出をみんなでキッチリ見届けますよ~!