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シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。

カテゴリー「シャングリラ学園・番外編」の記事一覧

シャングリラ学園の入試会場で試験問題のコピーを販売するのが会長さんの年中行事。コピーは教頭先生から貰うのが常で、交換条件として耳掃除をしてあげることになっています。今年も耳掃除をしに出発しようとしていた所へ現れたのはソルジャーでした。
「ぼくが行ったっていいだろう? 試験問題を貰うだけだし」
会長さんの代わりに行くのだ、と言い張るソルジャーですが、そうは問屋が卸しません。
「ダメだってば! ハーレイは最初からぼくがお目当てなんだよ。身代わりなんかは即バレるし! 却下」
すげない会長さんの言葉に、ソルジャーは唇を尖らせました。
「そうなんだ? 効き目が切れる勝負パンツなんかを掴ませたくせに、謝罪も無ければ誠意も無いと?」
「なんで謝罪が必要なのさ! 君が勝手に勘違いして勝負パンツだと決めちゃったんだろ、ぶるぅの手形はあれで完璧だったんだ! 効果の持続を希望するなら紅白縞を脱がせないようにすればいい。それでオッケー」
どんな試験も最高点で合格だ、と会長さんは自信満々。ソルジャーはチッと舌打ちをして…。
「やっぱりそうか…。もしかしたらとは思ったんだけど、あんなのを履いたままのハーレイの相手はご免こうむる。紅白縞が気に入ってるのは君の世界のハーレイじゃないか! だから君の代わりに耳掃除をして、他にも色々サービスを…」
「却下!」
そう繰り返した会長さんは「そるじゃぁ・ぶるぅ」にシールドを張るように言って私たち七人グループを付き添いにすると教頭室へ。お得意の『見えないギャラリー』とはちょっと違ってボディーガードみたいなものです。文句を言い続けていたソルジャーもシールドに隠れてついて来ているのが気になりますが、追い払えないものは仕方なく…。
本館の奥の教頭室に着き、扉をノックする会長さん。
「…失礼します」
扉を開けると教頭先生が嬉しそうな顔で出迎えました。
「来たか。試験問題のコピーは揃えておいたぞ、ちゃんと金庫に入れてある」
「そうこなくっちゃ。…で、もちろんいつものサービスだよね?」
「あ、ああ…」
教頭先生は照れ隠しのように頭を掻くと、仮眠室に続く扉を開けて。
「よろしく頼む。…今日を楽しみにしていたからな、しばらく耳の掃除はしていないんだ」
「相変わらずだねえ…。耳掃除はマメにしといた方がいいんじゃないかと思うんだけど」
「そう言うな。年に一度のチャンスなんだぞ」
堂々とお前の膝枕だ、と教頭先生は鼻の下を伸ばしています。そして会長さんの肩を抱き寄せ、仮眠室へと入って行くのを私たちはコッソリ追い掛けました。もちろんソルジャーもコソコソと…。

「用意できたよ? いつでもどうぞ」
大きなベッドの上に座った会長さんが教頭先生に微笑みかけると、教頭先生は上着を脱いでネクタイを緩め、会長さんの膝枕でゴロンと転がって。
「落ち着くな…。年に一度だなどと言わずに、私の嫁になってくれれば…」
「君の辞書には懲りるって言葉が無いのかい? ゼルのバイクで結婚祈願の絵馬とかを回収させられただろう、あれが答えだって知ってるくせに」
「そう言われてもな…。諦め切れるものではない。お前一筋三百年だ」
気が変わるのを待っている、と続ける教頭先生を会長さんはサラッと無視して手際良く耳掃除を始めました。教頭先生はうっとりと目を閉じ、まずは左でお次が右耳。終わると会長さんは耳元に唇を寄せてフッと軽く息を吹きかけて…。
「はい、おしまい。約束通り試験問題を貰って行くよ」
「そう急ぐな。もう少しだけこうしていてくれ」
せめて5分、と未練がましい教頭先生。会長さんは腕時計でキッチリ時間を計ると「終了!」と告げて教頭先生の頭をどけようとしたのですが。
「…おい。本当にこれで終わりなのか?」
「決まってるだろ、試験問題のコピーを貰う代わりに耳掃除! そういう約束になっているんだと思ったけどな」
「…いや、しかし…。もっとこう、オプションとでも言うのだろうか、オマケの類は…?」
「なんでオマケを期待するのか理解に苦しむ所だけれど? お正月から派手に迷惑かけられたんだよ、こっちはね。ゼルのバイクは怖かったんだろ? もう一度あの目に遭いたいと?」
いつでもゼルを呼べるけれども、と会長さんは教頭先生を睨み付けます。
「すまん、願掛けは私も必死だったんだ。いつまで待ってもお前は嫁に来てくれないし、そこへあの本を見たものだから…。ゼルのバイクは勘弁してくれ。寿命が縮んだどころではない」
「やっぱりねえ…。なのにどうしてオプションなのさ。ぼくがサービスするとでも?」
「…して貰えると思ったんだが…。そのぅ……色々と、状況的に」
「えっ? 厚かましいにも程があるよ。バイクで市中引き回しの刑にしたっていうのに、状況的に何だって?」
理解不可能、と呆れた顔の会長さんに教頭先生は膝枕から起き上がって…。
「…去年はサービスしてくれただろう、チャイナドレスで」
「ああ、あれね。でもさ、あれは去年限定のスペシャル・コースで、今年は何も用意してない」
「嘘だろう? 確かに用意をしたと聞いたぞ、仮装パーティーの衣装を誂えた時に」
「はぁ?」
目を丸くする会長さん。仮装パーティーと言えば年末にやったヤツですけども、会長さんの仮装は悪代官。あんな格好で耳掃除をして欲しかったとは、教頭先生も酔狂としか…。会長さんもポカンとしています。
「…悪代官が好みだったんだ…。本当に趣味が悪いね、ハーレイ。まあ、それくらいなら聞いてあげないでもないけどさ」
青いサイオンがパァッと走って会長さんの制服がキンキラキンの悪代官に変わりました。
「着替えたよ? 悪代官なら帯回しとかがいいのかな? 帯はないからベルトでいいよね」
「ち、違う! それではなくてもっと別の…。他にもオーダーしていた筈だぞ、店長からちゃんと聞いたんだ!」
「店長から…? ああ、それじゃ天使の衣装の方か。ブルーの魔天使もぼくの注文ってことにしてたし」
ブルーの存在は明かせないから、と会長さん。
「あれなら確かに君の好みに合うかもね。それじゃ早速…」
着替えをしようとサイオンを立ち昇らせた会長さんですが、それを止めたのは教頭先生。
「違う! …いや、焦らされるのは構わないのだが……私が見たいのはそれではないと分かるだろう? 注文したのはお前なんだし」
「…分からないよ? 他にどんな衣装があるって言うのさ、注文したのは二つだけだし! だったらこれは要らないね」
元の制服に戻った会長さんに教頭先生は熱い視線を送って…。
「そう照れるな。私が衣装を誂えに行ったら、店長が「最近これが流行りですね」と言ったんだ。ノルディが大量に注文したようだが、それとは別にお前の注文も入った、とな」
「え…。もしかして、それって…」
会長さんが言葉に詰まり、シールドの中の私たちも息を飲みました。教頭先生が誂えた流行りの衣装で、エロドクターが大量に注文していて、会長さんからの注文もあった衣装と言えばアレだけです。絶句している会長さんを教頭先生が期待に満ちた目で眺めていますし、これは間違いなくアレしかなくて…。
「…ハーレイ…。念のために訊くけど、その衣装ってウサギかい? 仮装パーティーでハーレイが着てた?」
「もちろんそうだ」
即座に頷く教頭先生。
「お前がオーダーしたということは期待をしてもいいんだろう? 耳掃除の時に着てくれるのかと思っていたが、そうではなかったようだしな…。いつ披露してくれるんだ? 試験問題を渡せばいいのか?」
「…………」
思い切り誤解されてしまった会長さんは目を白黒とさせていました。バニーちゃんの衣装を注文したのは会長さんならぬソルジャーです。今年の試験問題ゲットは会長さんのバニーちゃんスタイルが必須とか? 会長さんは教頭先生の大暴走を恐れてましたが、こんな形で出て来ましたか~! これじゃ私たちには対処のしようがありません。…と、ソルジャーのシールドがフッと解かれて。
「お邪魔してるよ」
「!!?」
突然の闖入者に仰天している教頭先生にソルジャーはスタスタと歩み寄りました。
「話は全部聞かせて貰った。…あの衣装、ぼくが注文したんだよね」
ブルーのサイズで、とニッコリ微笑むソルジャーですけど、ここで着替えるつもりでしょうか? ソルジャーがバニーちゃんスタイルを披露してくれれば試験問題ゲットですか…?

相変わらずシールドの中の私たちを他所に、ソルジャーは教頭先生に軽く片目を瞑ってみせて。
「君が知らないのも無理ないさ。あの衣装はノルディがとても気に入っててねえ…。キースが着たのを見せてやったらハマッたらしい。それでジョミーやシロエたちにも無理やり着せてコンテストなんかをしちゃったわけ。その時にぼくも便乗させてもらって注文を…ね」
ブルーの名前で、とソルジャーは悪びれもせずに語っています。
「なかなかセクシーだから愛用させて貰ってるけど、ブルーは決して着たがらない。ぼくが強引に着せちゃった時はブチ切れてたねえ」
「……着せた……?」
ソルジャーの言葉を教頭先生は聞き逃しませんでした。呆然としていたくせに流石というか何と言うか…。ソルジャーはクッと喉を鳴らして。
「うん、着せた。こないだの仮装パーティーで君が失神しちゃった後でブルーたちにフレンチ・カンカンを踊らせたんだよ、あの格好で。…残念だったね、失神してて」
「………」
その時の教頭先生の残念そうな顔と言ったら! ソルジャーは更に続けました。
「君はブルーにあれを着せたくてたまらないんだろ? ぼくの写真もオカズにしてるし、ぼくで良ければ着替えてあげてもいいんだけどさ。…でもね、生憎とぼくは機嫌が悪いんだ。何もかも全部、紅白縞が悪いんだけど!」
「は?」
「紅白縞だよ、君の愛用の青月印! ぶるぅに手形を押してもらって勝負パンツにしたというのに、脱いだら効果が切れるだなんて…。なんでパンツまでヘタレなのさ!」
「…???」
話に全然ついていけない教頭先生。ソルジャーは立て板に水の勢いでまくし立て、夜の試験がどうのこうのと具体的な試験内容まで話し始めたからたまりません。私たちには意味が不明でしたが、教頭先生はウッと呻いて鼻にティッシュを詰めています。そんな教頭先生にソルジャーは…。
「そういうわけで、君にはサービスしたくないんだ。どちらかと言えば罪滅ぼしにサービスして欲しいくらいだよ。…あ、それもいいかな、ベッドもあるしさ。どう、ハーレイ? ぼくと一回やってみる?」
「ブルーっ!!!」
会長さんが怒鳴り、凄い勢いでソルジャーの腕を引っ張ると。
「そんなサービスはしなくていいっ! 試験問題のコピーを貰うには耳掃除だけと決まってるんだ! 変な前例を作られちゃったら困るだろう! 君はさっさと帰りたまえ!」
「…やれやれ、頭が固いんだから…。ハーレイ、君はいいのかい? 例の衣装を見られなくっても試験問題をブルーに渡すと?」
「……元々そういう約束ですから……」
教頭先生は鼻の付け根を摘んで止血しながら仮眠室を出、教頭室の金庫の奥から大きな封筒を取り出しました。
「今年の試験問題のコピーだ。…全科目分揃っている」
「ありがとう、ハーレイ。君が約束を守る男で良かったよ。分相応って言葉もあるしね、高望みはしない方がいい」
それが賢明、と会長さんは封筒を受け取り、試験問題を確認すると…。
「うん、完璧。来年もよろしくお願いするよ、生徒会の重要な資金源だ。それじゃブルーは連れて帰るから」
今日はこれまで、と立ち去ろうとした会長さんをソルジャーが後ろから引き止めて。
「ちょっと待った! 君のハーレイに少しくらいは希望をあげてもいいんじゃないかな」
「希望?」
「そう、希望。ぼくでも君でもどっちでもいいから例の格好をナマで見るのが夢なんだろう? どう、ハーレイ? ぼくの言うことは間違ってるかい?」
肯定する代わりに耳まで一気に真っ赤になった教頭先生。再び鼻血が噴き出したのか、慌ててティッシュを鷲掴んでいます。ソルジャーは教頭先生を赤い瞳で真っ直ぐ見詰めて。
「大当たりだったみたいだね。…君にチャンスをあげたくなるよ、モノにするかどうかは君次第だけど」
「…チャンス…ですか?」
「そのとおり。こんな方法はどうかな、ハーレイ…?」
ソルジャーの提案に教頭先生は一も二も無く頷きました。えっと…本当にいいんでしょうか、そんな条件を出しちゃって…? 口を挟もうとした会長さんはソルジャーに阻まれ、怪しげな案を飲む羽目に。試験問題は今年も入手できましたけど、会長さん、無事に済むのかな…。

「いったい何を考えてるのさ!」
会長さんの雷が落ちたのは「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお部屋に戻った直後でした。試験問題のコピーをチェックし、リオさんにコピーさせる枚数などを封筒の表に書き込みながらも怒りは全く収まりません。
「バレンタインデーが何だって!? それとぼくとは全然関係ないだろう!」
「あると思うけど? 毎年派手にやってるじゃないか、この学校は。ぼくは去年からしか知らないけれど、バレンタインデーにチョコのやり取りをしない生徒は礼法室でお説教だって?」
そうだよね、と尋ねられた私たちは揃って頷きました。シャングリラ学園のバレンタインデーとホワイトデーはとにかく派手な行事です。バレンタインデー前には温室の噴水がチョコレートの滝になるくらいですし…。ソルジャーは我が意を得たりと得意そうに。
「だからさ、バレンタインデーを利用しない手は無いんだってば。去年の君はハーレイに自分をプレゼントしてたっけね? チョコレート・スパで」
「…そうだけど…? あの時も君が乱入してきて大変だった」
「細かいことは気にしない! それでさ、君はバレンタインデーってどういう日だと思ってる? チョコを貰う日? それとも贈る日?」
「貰う日に決まっているだろう!」
シャングリラ・ジゴロ・ブルーなんだし、とキッパリ言い切る会長さん。けれどソルジャーはクスッと笑って…。
「それは女の子限定だよね? ハーレイにはプレゼントする方だ。甘いものが苦手なハーレイ相手にチョコを贈って、嫌らがせをする日なんだろう?」
「……それは……そうだけど……」
「だからさ、そこが間違ってるって! ぼくの世界じゃバレンタインデーのチョコは貰うものだ。ぼくは甘いお菓子が大好物だし、もちろんチョコも例外じゃない。今年もこっちの世界で沢山買おうと思ってる。…それとは別にスペシャルなチョコをハーレイから貰うのが楽しみでさ…」
「「「え?」」」
これには私たち全員が驚きました。去年のバレンタインデーに現れたソルジャーは「身も心もハーレイのためのチョコになるのだ」とか言ってチョコレート・スパを受けていたような…? だったらソルジャーもチョコを贈る方で、貰う方ではないのでは…?
「ああ、チョコレート・スパのことかい? その辺は臨機応変に…。ぼくだってハーレイにチョコをプレゼントすることはあるからね。でもハーレイからチョコを貰うのは格別なんだ。なんと言っても手作りだから」
「「「えぇぇっ!?」」」
あのキャプテンが…手作りチョコ!? それもソルジャーにプレゼントするためにチョコを手作り…?
「そうなんだ。甘いものは天敵ってくらいに苦手なくせに頑張ってるんだよ、毎年ね。最初の頃はチョコの匂いが厨房に充満しただけで倒れてた。宇宙服を着てチャレンジしたりと苦節何年になるんだっけか…。未だに甘いものはダメなんだけど、腕前の方は上がったよ、うん」
なんとか食べられる物体になった、とソルジャーは面白そうに話していますが、これって惚気と言うのでしょうか? あちらのキャプテンがソルジャーのために決死の努力を惜しまないことは分かりました。けれどもそれと教頭先生とバレンタインデーがどう繋がると…?
「こっちのハーレイもバレンタインデーにはブルーのために尽くすべきだと言ってるんだよ。惚れてるんなら貰うだけではダメだってことを知らなくちゃ。…それでさっきの条件を出した」
「…バレンタインデーにぼくを喜ばせることが出来たらハーレイの夢を叶えるって…?」
地を這うような声で会長さんがソルジャーの言葉を引き継ぎました。
「なんだか都合良く勘違いされていそうな条件だけど、君が黙っていろって言うから…。あんな話を持ち掛けちゃって本気にされたらどうするのさ! ぼくにバニーの衣装を着ろと? でもってハーレイの相手をしろと!?」
「いいじゃないか、バレンタインデーの趣旨には沿ってるんだし…。贈るのはチョコと決まっているわけじゃない。他の品物もアリなんだからさ、今年のプレゼントはバニーちゃんスタイルの君ってことで」
「よくない! 言い出したのは君なんだから、君が着て見せればいいだろう!」
「…そうかもねえ…」
そっちの方がいいかもしれない、とソルジャーはニヤリと笑みを浮かべて。
「勝負パンツでヘタレたハーレイには愛想が尽きたし、バレンタインデーはこっちの世界で過ごそうかな? 毎年、特別休暇だからさ。…うん、マンネリなハーレイに付き合うよりかは、そっちの方が楽しめそうだ」
君のハーレイに期待している、と言ってソルジャーは姿を消しました。会長さんを喜ばせるなんてことが教頭先生に出来るんでしょうか? いやいや、ここは一発、手作りチョコで一本釣りとか…? それとも大人の時間な超絶技巧で…って、それって私たちには全く想像つきませんけど、教頭先生にも無理ですよねえ…。

引っ掻き回すだけ引っ掻き回してソルジャーが帰ってしまった後には試験問題のコピーが残されました。会長さんはリオさんを呼んでコピーを渡し、必要な枚数だけコピーを取って販売用に仕分けするよう指図しています。そしてリオさんが出て行った後で…。
「……やられた……」
ぐったりと脱力している会長さん。試験問題はゲットできましたけど……教頭先生の大暴走も無かったですけど、問題なのはこれから先。バレンタインデー当日に向けて教頭先生が暴走するのは目に見えています。会長さんを喜ばせることが出来れば、バニーちゃんな会長さんだかソルジャーだかをナマで見られると言うのですから。
「ブルーにあの格好をさせるにしたって、その前にハーレイが思い切りアタックしてくるのか…」
「…そういうことになるんだろうな…」
キース君が応じました。
「バレンタインデーという縛りがある以上、そうそう無茶はしないだろうが……プレゼント攻勢に出るのは間違いないぞ。どんなプレゼントなのかが問題なんだが」
「ブルーさえ絡んでいなかったなら、普通にチョコだと思うんだけど…。なにしろブルーが絡んでるから、チョコで済んだら御の字だよね」
ブルーは前科があり過ぎるから、と会長さんは深い溜息をつきました。
「出来ればチョコを希望だけれど、覚悟しといた方がいいかな。セクシー・ランジェリーとか、そういったヤツ」
「…そういえば教頭先生も前科持ちだな…」
その点では、とキース君が呻き、ジョミー君が。
「ぼくが騙されて着ちゃったヤツもあったよねえ…。マツカの山の別荘でさ」
「そうそう、なんかカードがついてて!」
思い出したぜ、と叫ぶサム君。
「青いスケスケの変なヤツだろ? これを着たあなたを見てみたいとかってカードに書いてあったんだ」
「…ハーレイの匂いがついてたカードだよね?」
覚えてるよ、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」が銀色の頭を小さく傾げて。
「あんな洋服、ブルー、絶対着ないのに…。時々プレゼントしてくるんだよ、なんでかなあ?」
「…ぶるぅ、子供は知らなくってもいいんだよ」
会長さんがフウと吐息を吐き出して。
「ジョミーが着ちゃったベビードールかぁ…。そう言えばマツカにも貸し出したっけね、ハーレイが贈って寄越した真っ赤なヤツを。…そろそろトチ狂ってもおかしくないかな。年数的にはまだまだ安全圏なんだけど、ブルーがウロウロしているからねえ…。予定よりかなり早まったとしても仕方がない」
「あれって周期があったのか!?」
キース君の問いに「まあね」と頷く会長さん。
「発情期ってわけでもないだろうけど、だいたい五年から十年くらいの間隔かな。その時期を過ぎれば至って平穏、せいぜいプロポーズ止まりってところ。ぼくから何かを仕掛けない限り、ハーレイからは手出ししてこない。なんと言ってもヘタレだからさ」
「「「………」」」
教頭先生のヘタレっぷりは私たちもよく知る所です。たまに会長さんに仕掛けられても見事に玉砕、決して先へは進めません。私たちが初めてシャングリラ号に乗り込んだ時の青の間での騒ぎに去年の春の婚前旅行と、会長さんのからかいっぷりも半端ではないわけですが…。自分から仕掛けるのは大好きなくせに、仕掛けられるのは苦手だと…?
「決まってるじゃないか」
零れていたのは私の思考か、それとも他の誰かのものなのか。会長さんは忌々しげに紅茶のカップを指でカチンと弾きました。
「あの手のヤツは主導権を握っているから楽しいんだ。ブルーが出てくると主導権を奪われちゃうし、そうでなくてもハーレイから一方的に気持ちをぶつけられるのはストーカーじみてて嫌なんだってば。アルテメシア中に絵馬を奉納されちゃったのがいい例だ」
「じゃあ、ゼル先生に言いつけたらどう?」
ジョミー君の案に会長さんは即座に首を左右に振って。
「それはできない。…ゼルにはブルーの存在を明かしていないし、話がややこしくなるだけだ。ハーレイがチョコで済ませることを祈るよ、どうせ突っぱねるんだから。…後はブルーの欲求不満が解消してれば安心だけど、ぶるぅの手形を押せそうなもので使えるヤツってあったっけ…」
事の起こりはそれなんだから、と会長さんは悩んでいます。試験合格間違いなしのパワーを秘めた不思議な手形がソルジャーの『夜の試験』とやらに効いたら一番いいんですけど…。
「おい。ぶるぅは巻き込まないんじゃなかったのか?」
ドスの効いた声でキース君が言い、シロエ君が。
「そうですよ。そんなアイテムを開発したら、もうソルジャーが入り浸りですよ! そっちの方は放っておいて、バレンタインデー対策を頑張りましょう。こんなものでは嬉しくない、って却下しちゃえばいいわけですし!」
「だよな。…満足できる結果が出なけりゃ、例の衣装は要らないもんな」
俺のブルーに着させるもんか、とサム君が拳を握り締めています。教頭先生がバレンタインデーに何をやらかすにしても、会長さんが大満足なものでなければ努力は無意味になるのでした。それに万一、着なくてはならない事態に陥った時には、ソルジャーを煽って着せてしまえば会長さんは着なくて済むわけで…。
「そうだね…。ブルーに着せればいいんだよね。見た目はぼくと同じなんだし」
「言い出したのはソルジャーですよ? それで問題ありませんってば」
大丈夫です、とシロエ君が強い瞳で答えました。教頭先生がアタックしてきても全て却下という方向で私たちの意見は纏まり、それでダメなら後始末はソルジャーに丸投げするということになり…。バレンタインデーはこれで安心ですよね? その前に入試がありますけども、試験問題は今頃リオさんがコピー済み。今年も商売繁盛ですよ~!



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シャングリラ学園に入試の季節がやって来ました。今年も会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」は合格グッズ販売の準備に勤しんでいます。試験に落ちない風水お守りと謳った「そるじゃぁ・ぶるぅ」の手形パワー入り天然石のストラップとか、以前私がお世話になった格安グッズの『パンドラの箱』と呼ばれるクーラーボックスとか。
「できたぁ!」
やっと完成、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」がストラップをテーブルの上の箱に入れました。天然石のビーズへの手形押しに始まるストラップ作りもこれで終了。会長さんが「ご苦労さま」と言い終えない内に「そるじゃぁ・ぶるぅ」はキッチンの方へ走って行って…。
「みんな、お待たせ~! ごめんね、毎日おやつも作らなくって」
今日もケーキ屋さんのだけれど、と運ばれて来たのはバラエティー豊かなケーキが盛られた大皿でした。飲み物も先に用意してくれていたのを温かいものと取り換えてくれて、久しぶりにのんびりみんなでティータイムです。昨日までは「そるじゃぁ・ぶるぅ」が作業中だったため、なんとなく誰もが遠慮がちで…。
「今年も無事に完成か…」
キース君がストラップの箱から1個取り出して眺めています。
「これにぶるぅの手形パワーが入っているというのが凄い。入試でいい点が取れるんだろう? そういえば前にアルトさんとrさん用に特別製のを作っていたな。…卒業までの全部の試験で満点が取れるとかなんとか言って」
「ああ、あれね」
答えたのは会長さんでした。
「あの時点ではアルトさんたちは仲間になってなかったし…。特別生になれるっていうのをフライングで話すのは許されないし、かといって…大切な女性を不安にさせるのはマズイじゃないか。だからプレゼントしたんだけれど、結局、必要無かったね。ぼくたちと同じ1年A組になっちゃったから」
「あんたが裏で手を回したんだと思ってたんだが、違うのか? クラス編成くらい簡単だろう」
キース君の問いに会長さんはアッサリ頷いて。
「ご名答。アルトさんたちに仲間になって欲しかったから、君たちと同じクラスにしといた。そしてその後は…みんなも知ってるとおりの展開。これから先もアルトさんたちも君たちも1年A組が定位置だよ」
「それってグレイブ先生も?」
ジョミー君が尋ねましたが、今度はすぐに答えは返らず…。
「どうだろうね。…クラス担任は先生方が決めるんだ。1年A組が鬼門だってことはバレバレなんだし、誰もが避けそうな気がするよ」
だから謎、と会長さんは肩を竦めて。
「担任もぼくが決められるんなら、ぜひハーレイにお願いしたいな。教頭だから無理だとか言って断られるのは目に見えてるけど、ハーレイが担任になってくれたら愉快なクラスになるのにねえ…」
「しかし本当に無理なんだろう?」
教頭だから、とキース君。
「そうなんだよ。例外的にぼくだけを担任している特殊な立場。…いっそ教頭をクビになったらどうだろうとも思ったけれど、シャングリラ号のキャプテンである以上は教頭で決まりなんだよね」
つまらないや、と会長さんは不満そうです。けれど教頭先生の立ち位置が重要なことは私たちにも分かっていました。会長さんへのセクハラ事件で謹慎処分に処された時の長老会議で色々と事情を聞きましたから…。
「教頭のままでいいじゃないか。今でも十分あんたのオモチャだ」
キース君の鋭い指摘に私たちはプッと吹き出し、それからは「もしも教頭先生が1年A組の担任になったらどうなるか」という馬鹿話に花が咲きました。シャングリラ学園は今日も平和です。ストラップ作りも終わりましたし、入試まではまだ一週間以上ありますし…。外は雪でも「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお部屋はポカポカ、こんな冬の日もいいものですよね。

翌日から受験生の下見のために校内が開放されました。休み時間には校舎の中でも受験生の姿を見かけます。私たちにもそんな時代がありましたっけ。サム君と私は下見に来ていて「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお部屋に迷い込み、サム君は「頭を噛んで貰えば合格する」という噂を信じて噛んで貰うために「そるじゃぁ・ぶるぅ」を殴ってしまい、私はお部屋の豪華さからして大金持ちの生徒なのかと思ったという…。
「ごめんな、ぶるぅ。殴ってしまって…」
サム君がまた謝っています。殴られた本人は気にしていないのに、もう何度目の謝罪でしょうか。「そるじゃぁ・ぶるぅ」は「大丈夫だったもん♪」とニコニコ笑ってアーモンドクリームパイの切り分け中。甘い香りで美味しそう!
「うん、本当に美味しそうだね」
いい所に来た、と聞こえた声に私たちは一斉に顔を上げました。
「「「!!!」」」
「こんにちは。ぼくにも一切れ貰えるかな? あ、ぶるぅの分もあると嬉しいけれど」
当然のように空いたソファに腰を下ろしたのは紫のマントを着けたソルジャー。ま、また来ちゃったんですか、この人は! いい所も何も、最初からパイを狙っていたのに決まっています。
「君に一切れ、ぶるぅに一切れ。…ダメだなんてケチは言わないけどさ」
会長さんが切り分けたパイをお皿に載せてソルジャーに渡し、「そるじゃぁ・ぶるぅ」はキッチンから持ち帰り用の箱を取って来ました。詰められたパイはアッという間に姿を消して「ぶるぅ」の所へ運ばれたようです。
「美味しいね、これ。ぶるぅもとっても喜んでるよ」
一口でペロリだ、と笑うソルジャー。大食漢の「ぶるぅ」にかかると一切れは一口サイズでした。もしもこちらに来ていたならば、お代わりも要求したでしょう。ソルジャーだけでも私たちの取り分が減るのに「ぶるぅ」まで来たら大変ですよ…。
「でね、今日はお願いがあって来たんだけれど」
パイを食べ終えたソルジャーは大皿に残っている分をチラチラ見ながら口を開きました。あの目は明らかに残りのパイを意識しています。
「…お願い? パイのお代わりかい?」
どうぞ、と会長さんがソルジャーのお皿に素早くパイを載せたのですが。
「気が利くねえ。…だけどパイとは別件なんだ」
「だったら食べなきゃいいだろう! 物を頼もうっていう態度には全然見えないんだけど?」
「お菓子には目が無いんだよ。君だってよく知ってるくせに」
まずは食べよう、とソルジャーはお代わりのパイにフォークを突き刺して黙々と…。お願いって何を頼む気でしょう? パイじゃないならチョコレートとか? そろそろバレンタインデーのシーズン入りではありますけれど…。確か去年もデパートの特設売り場のカタログを持って来ていた覚えがあります。
「ふうん…。今年もチョコを頼みに来たとか?」
そう言ったのは会長さん。けれどソルジャーは首を横に振り、「ごちそうさま」とフォークを置いて。
「チョコも欲しいけど、それとは違う。頼みたいのは手形なんだ」
「「「手形?」」」
「そう、手形。ぶるぅが押してたあの手形だよ」
こないだビーズに押していたよね、とソルジャーは膝を乗りだしました。えっと…合格グッズを希望だなんて、ソルジャー、何か試験を受けるんですか? ソルジャーの世界のことはサッパリですけど、あちらの世界のシャングリラ号ではソルジャーに対する試験があるとか…?
「そんなもの、何に使うのさ?」
必要だとは思えないけど、と会長さんが聞き返します。
「ソルジャーに試験なんかは無い筈だ。クルーの試験で使う気だったらお勧めしないよ、実力がつくわけじゃないからね。あれはあくまで一時的なものだ」
「そのくらいのことは知ってるさ。でも…販売用の手形はそういうものかもしれないけれど、本物はもっと効力がある。そこの三人がその証拠だ」
ソルジャーが指差したのはキース君とサム君、スウェナちゃんでした。
「その三人は最初からサイオンを持っていたわけじゃないと聞いている。フィシスだってそうだ。…ぶるぅが手形を押した人間はサイオンを持ち、ぼくの世界で言うミュウになるんだと思ったけどな」
「…誰かミュウにしたい人間でも…?」
不安そうな顔の会長さん。
「だとしても、ぶるぅは貸せないよ。その人間を連れて来たまえ。君の世界は特殊な場所だし、そんな所で人間の住む場所に子供のぶるぅを行かせたくない」
危険すぎる、と眉を寄せる会長さんにソルジャーは再び首を横に振って。
「違う、違う。そういうのだったら自力でなんとかしてみるさ。そうじゃなくって、ぶるぅならではの手形の力を借りたいんだ。試験に合格させることが出来て、普通の人間をミュウにも出来る。だったら夜の試験なんかもドーンとオッケーなんじゃないかと」
「…は?」
「夜の試験さ。試験官はぼくで、受験するのはハーレイなんだ」
「「「えぇっ!?」」」
なんですか、それは? ひょっとしなくても大人の時間のお話ですか…? 大混乱の私たちにソルジャーはニッコリ微笑んで。
「十分通じたみたいだね。最近、またまたマンネリ気味でさ…。こういう時こそヌカロクだって思うんだけど、ハーレイが薬を飲みたがらない。だから手形パワーに縋りたくって」
それなら自然で問題なし! とソルジャーはキッパリ言い切りました。夜の試験に手形パワーって…そんなのホントにアリなんですか~?

「ちょ、ちょっと…。ブルー…」
念のために確認したいんだけど、と言う会長さんの声は震えていました。そりゃそうでしょう、小さな子供の「そるじゃぁ・ぶるぅ」の力を使って大人の時間をどうこうなんて無茶苦茶すぎます。
「…夜の試験対策にぶるぅの手形を使いたいって言うのかい? 本当に?」
「そうだけど? 内容はともかく試験は試験だ。試験に落ちないパワーがあるなら是非貰いたいね、ぶるぅの手形を」
「で、でも……あのストラップは普通の試験対策グッズで、そっち方面のパワーは無いよ?」
「分かってるさ。だからきちんと用意してきた」
このとおり、とソルジャーが宙に取り出したのはデパートの包装紙に包まれた箱でした。ソルジャーは包装紙をベリベリと剥がし、箱の蓋を開けて中からパッと…。
「「「!!!」」」
「ほらね、青月印の紅白縞! 君のハーレイがこだわってるから同じヤツにしてみたんだよ。あ、お金はちゃんと払ってきたから! チョコを沢山買いたいって言ったらノルディがたっぷりくれたんだ」
ソルジャーはエロドクターからお小遣いをせしめては何かと購入しているようです。お金持ちで遊び人なドクターは、会長さんそっくりのソルジャーがランチやディナーに付き合っただけでポンと大金を渡す傾向が…。今日のお金もそうやって手に入れてきたのでしょう。…会長さんは額を押さえて呻きながら。
「…またノルディか…。そうやって財布代わりに使っていると、その内にとことん付き合う羽目になると思うよ」
「ぼくなら別に気にしないけど? それにぼくのハーレイにもいい薬になる。ヘタレてばかりじゃ浮気するよ、ってね。それよりも、これ」
紅白縞のトランクスを両手で持ってヒラヒラさせるソルジャー。
「ここに手形が欲しいんだ。勝負パンツって言うんだろう?」
「「「………」」」
それは何かが違うような気がしましたが、万年十八歳未満お断りだなんて呼ばれているだけに正確なことは分かりません。ソルジャーは箱の中から紅白縞を五枚も取り出し、「そるじゃぁ・ぶるぅ」に渡しました。
「分かるかい? 合格手形の要領でこう、ポンポンと押してくれるかな?」
「え? え、えっと…。パンツを履いて試験をするの?」
「そんな感じだと思ってくれれば…。さっきから話を聞いてただろう? ぼくのハーレイが試験に合格出来ますように、って力を籠めてこの辺にポンと」
ソルジャーがトランクスの前開きの辺りを示すと、「そるじゃぁ・ぶるぅ」は素直にコクリと頷きました。
「分かった! ぼく、頑張る。パンツに押したことはないけど、試験合格でいいんだよね?」
「うん。出来れば最高点でお願いしておきたいな」
「オッケー!」
小さな右手が紅白縞のトランクスにペタリと押し付けられて、久しぶりに見る赤い手形がくっきりと。白抜きで「そるじゃぁ・ぶるぅ」の文字と猫の足形のような落款風の模様が入っています。不思議な事に紅い縞の上に押された部分でも白が鮮やかに浮き出していて…。
「これでいい?」
「そうだね、とてもいい感じだ。その調子で全部に押してくれれば…」
残り四枚、とソルジャーが言い終わらない内に仕事の早い「そるじゃぁ・ぶるぅ」はポンポンポン…と手形を押していました。ソルジャーは手形の模様つきになったトランクスを満足そうに箱に戻すと立ち上がって。
「ありがとう。とりあえずは五枚あればいいかな。足りなくなったらまた頼むから」
「いつでもオッケー! ハーレイが最高点で試験に受かりますように」
何も知らない「そるじゃぁ・ぶるぅ」は手形パワーを本気でトランクスに入れてしまったようでした。試験とは何か、最高点とは何のことかも分かっていない小さな子なのに、とんでもないことをさせられちゃって…。しかも本人は合格ストラップと同じ次元だと認識しているみたいです。ソルジャーったら、心が痛んだりはしないんでしょうか?
「よーし、これでマンネリ脱出だ! それじゃ、またね」
軽く手を振ってソルジャーは姿を消しました。脱マンネリ用の紅白縞が入った箱をしっかりと持って…。残された私たちは暫くポカンと口を開けていたのですが。
「おい!」
沈黙を破ったのはキース君でした。
「あんなことさせていいと思うのか、本当に? ぶるぅは小さな子供なんだぞ!」
会長さんの襟元に掴みかかりそうな勢いで激しく詰め寄るキース君。
「絶対あいつはまたやって来る。味を占めたら何度でもだ。ぶるぅの力を本人が理解できない目的のために使わせるのは間違ってるとは思わないのか!?」
「…思わないけど?」
「貴様…!!!」
ブチ切れそうになったキース君の背中を「そるじゃぁ・ぶるぅ」がトントンと叩き、振り返ったキース君に泣きそうな顔で。
「お願い、ブルーをいじめないで! ブルー、なんにも悪くないから!」
「なんだと? 俺はお前のためにと思ってだな…。お前だってわけの分からない試験なんかに力を使いたくないだろう?」
「え…。でも…。でもね、それっていつものことだし!」
「はぁ?」
間抜けな声を上げたキース君に「そるじゃぁ・ぶるぅ」は「本当だもん」と呟くと…。
「あのね、ぼく、試験合格の力は持っているけど、試験の中身は知らないよ? みんなが受けてる試験の問題、見たって意味は分からないもん。…だからさっき押してた手形が何の試験に使われるのかも分からなくって当たり前だし、それでも手形のパワーはあるし!」
だから絶対大丈夫、と胸を張られるとキース君も怒る気力が失せたようです。
「…そうか…。ぶるぅがいいなら仕方ないかもな…。また押してくれって頼みに来たら押すんだよな?」
「うん! ブルーもダメって言ってないしね。いけないことはブルーがダメって言うんだよ」
「そうなのか…。ぶるぅ、お前はいい子だよな」
強く生きろよ、とキース君が銀色の頭を撫でます。ソルジャーはきっとまた押しかけてくるでしょう。貴重な手形パワーを紅白縞のトランクスなんかに使われるのは癪ですけども、「そるじゃぁ・ぶるぅ」が納得の上で押しているなら誰も文句は言えませんよね…。

アーモンドクリームパイはまだ何切れか残っていました。いつものようにジャンケンで分け、ソルジャーに全部掻っ攫われなかったことを喜んでいると。
「ところで、さっきの手形だけどね」
蒸し返すように口を開いたのは会長さん。
「あれを押したぶるぅの力は完璧だったし、手形パワーはパーフェクトだ。…でもさ、本当に効くと思うかい?」
「「「え?」」」
「効かないだろうとぼくは思うよ、ブルーに美意識というものがあれば」
「「「美意識?」」」
なんですか、それは? ソルジャーの美意識と手形パワーがどう繋がると? 会長さんはクスクスと笑い、ジャンケンに勝ってゲットしたアーモンドパイをフォークでつつきながら。
「十八歳未満お断りの団体様でも知識はそこそこあるだろう? 手形パワーは紅白縞に宿ってるんだよ、試験合格のパワーは…ね。ブルーがどんな試験をするつもりかは知らないけれど、あっちのハーレイが試験に合格するには紅白縞が欠かせない。…つまり、どこまで行っても紅白縞がついてくるんだ」
「それって…もしかしなくても脱げないってこと?」
ズバリ尋ねたのはジョミー君でした。会長さんはニヤリと意地悪い笑みを浮かべて…。
「そういうこと。…試験合格には紅白縞! 最高点を目指すんだったら絶対必要不可欠なんだよ、ぶるぅの手形を押したアレがね。脱いでしまったら御利益の方もそこでおしまい」
「お、おい…。それは相当マズイんじゃないか?」
危ないぞ、とキース君。
「盛り上がった所でパワー切れだなんて、それこそヘタレの極め付けとか言わないか? あいつはヘタレが嫌いなんじゃあ…」
「流石は大学生、十八歳未満お断りでも知識はきちんと入っているね。君が言うとおりの道を辿ると思うよ、手形パワーに頼った結果は。…まあ、ブルーはなんだかんだ言ってもヘタレなハーレイが好きみたいだし、破局にはならないと思うけどさ」
「じゃ、じゃあ……」
オロオロとした声でシロエ君が口を挟みました。
「ソルジャーが怒鳴り込んでくるんじゃないですか? 手形パワーは効かなかった、って」
「そんなこともあるかもしれないねえ…」
会長さんは他人事のように言い、心配そうな顔をしている「そるじゃぁ・ぶるぅ」に微笑みかけて。
「大丈夫だよ、ぶるぅ。お前の手形に問題があったわけじゃない。使い方を間違えているブルーの方が悪いのさ。どうしても夜の試験に手形パワーを使いたいなら、あっちのハーレイ本人に押すか、でなければ…。おっと、十八歳未満お断りの団体様がいるんだっけね」
後はご想像にお任せするよ、と誤魔化されてしまった私たち。けれど『ご想像にお任せ』とやらのアイテムに手形を押させるつもりは会長さんには無いそうです。ですから多分、大人の時間に使用する何かなのでしょう。
「そういうわけだし、ブルーが言ってた勝負パンツは効果なし。怒鳴り込まれてもブルーのミスを指摘してやれば済む話だから、ぶるぅに手形を押させたのさ。…ぼくだって善悪の分別はあるよ、子供を巻き込まない程度にはね」
「…そうだったのか…。怒ったりして悪かった」
すまん、と頭を下げるキース君に会長さんは。
「いいんだよ、ぶるぅのために色々考えてくれたんだろう? あの段階では仕方ないよね、何も説明していなかったし…。その調子でこれからも正義の味方でいて欲しいな。それでこそ未来の高僧だ」
「うっ…。言わないでくれ、俺はまだ心に傷が残って…!」
髪の毛を押さえるキース君はやっと五分刈りスタイルの名残を脱却できたばかりでした。つい先日まで家での朝晩の勤行の時はサイオニック・ドリームで短めの髪を演出していたのです。道場で三週間過ごした間の五分刈りスタイルはキース君の心に相当な傷を残したようで…。
「やれやれ、本当に切ったわけじゃないのに心の傷か…。それじゃ今年の道場入りはどうなるだろうねえ」
今度こそ坊主頭だよ、と会長さんに指摘されてキース君は低く呻いています。手形やらサイオニック・ドリームやらと不思議な力が入り乱れているのが私たちの日々ですけれど、これがまた慣れれば楽しいもので…。特別生になって良かったです。今度の入試でも新しい仲間が入ってくるかも…?

入試を控えての最大の行事は今年も試験問題のゲットでした。先生方は例年通り「試験問題が流出するか否か」で密かに賭けをしているそうです。試験問題ゲットといえば会長さんの独断場。責任者である教頭先生の所に試験問題が揃う日を待ち、教頭先生が用意したコピーを貰いに行くわけですが…。
「それじゃ今年も行ってくるよ」
用意が出来たみたいだし、と会長さんが「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお部屋のソファから立ち上がったのは試験を数日後に控えた放課後。
「でね、付き添いを頼めるかな? 去年みたいにシールドの中で」
「「「え?」」」
「去年サービスしちゃったせいでハーレイが期待してるんだ。今年は何をしてくれるのか…って」
「何を…って、条件は耳掃除と決まっているんだろう?」
そう聞いてるぞ、とキース君が言い、サム君が。
「だよな、他には…って、アレのことか! ほら、去年ブルーが着ていたチャイナ・ドレス!」
「思い出してくれて嬉しいよ、サム。…もしかしてサムもあの格好が好きだった?」
会長さんの問いにサム君は耳まで真っ赤になって。
「そ、そりゃあ…まあ……綺麗だなぁって…。もちろんブルーは何を着てても綺麗だけど!」
「ありがとう。そんなわけでね、あのハーレイが期待の余りに暴走する危険性がある。だから君たちに付き添いを…」
そこまで会長さんが言った所で部屋の空気がユラリと揺れて不穏な気配が広がりました。
「………楽しそうだねえ………」
物凄く恨みがましい声と共に現れたのは他ならぬソルジャー。ひえぇっ、よりにもよってこのタイミングで怒鳴り込みですか! 来るならもっと他の日に……せめて明日とか明後日とか…。
「…今日だから意味があるんじゃないか。もっと早くに来ちゃおうかとも思ったけどさ。だって、これ!」
不機嫌極まりない顔のソルジャーが取り出したのは紅白縞のトランクス。バサリと床に叩きつけるように投げられたそれを私たちは蒼白になって見ていました。やっぱり会長さんが言っていたとおり、手形パワーは途中で切れてしまったようです。って言うより、このトランクスって…あちらの世界のキャプテンが履いた使用済み…?
「安心して。それは新品だから」
まだ一回も使っていない、とソルジャーは憎々しげにトランクスを睨み付けています。
「手形パワーは確かに効いたよ、勝負パンツは完璧だった。だけどさ、それを脱いだ途端に無効だなんて! 獣みたいに凄かったハーレイがいきなりトーンダウンだよ? しらけるなんてレベルじゃなくて!」
「…ぶるぅの手形パワーはそういうものだよ、確認しなかった君がいけない」
会長さんが切り返しました。
「勝手に決め付けて手形を押させて、思い通りにならないからって苦情を言いに来られてもねえ…。それよりも今日は忙しいんだ。さっさと帰ってくれないかな?」
「忙しいことくらい知ってるよ。耳掃除の日だろ、去年見学したから覚えてる。だからその日を狙って来たんだ。ぼくのハーレイがヘタレたお蔭で脱マンネリは大失敗さ。鬱憤晴らしに君のハーレイと遊ぼうかと…。君の代わりにぼくが行く」
「「「えぇぇっ!?」」」
「要はハーレイの耳掃除をして試験問題のコピーを貰えばいいんだろう? ぼくならブルーに出来ないサービスも色々出来るし、そうするつもりだったんだ。そしたらブルーが付き添い募集とか言ってるし…。ちょうどいいじゃないか、付き添いつきで君が行くより最初からぼくが行った方が」
何かと被害が少ないと思う、とソルジャーは主張し始めました。でも本当にそうなんでしょうか? 手形つきトランクスで当てが外れたソルジャーだけに、余計に危ない気がするんですが…?



かるた大会に向けての準備は健康診断で始まりました。まりぃ先生の独断場です。今回も「そるじゃぁ・ぶるぅ」は保健室の奥の特別室のお風呂でセクハラと称して洗って貰い、会長さんは体操服の集団の中でたった一人の検査服で…。もちろん会長さんの健康診断は特別扱い、終わった後も教室には二度と戻って来ません。
「まりぃ先生も好きだよなぁ…」
サム君が深い溜息をつくのをキース君が効き咎めて。
「シッ! クラスの連中が誤解するぞ。ブルーはただのサボリってことになっているんだ」
「そりゃそうだけど…」
やっぱり嫌だ、とブツブツ文句を言うサム君。会長さんはまりぃ先生に大人の時間なサイオニック・ドリームを見せ、特別室のベッドルームでゆったり昼寝をしているのでした。サム君は会長さんと公認カップルを名乗ってますから、そんな関係が嫌なのです。まりぃ先生が会長さんに手出ししたがるのも不満なわけで…。
「いいじゃないの。まりぃ先生の愛は歪んでるのよ?」
ズバッと真実を口にしたのはスウェナちゃんでした。えっ、クラスメイトに聞かれないかって? 教室の隅に固まってますから小声で話せば大丈夫です。スウェナちゃんは更に続けて。
「教頭先生と会長さんとか、シド先生と会長さんとか…変な絵ばっかり描いてるんだし、放っておいても問題ないわ。それよりも今は教頭先生の方が心配よ。…思い切り誤解してるんだから」
「「「………」」」
会長さんに結婚をほのめかされた教頭先生はすっかり舞い上がってしまっています。トレードマークの眉間の皺も消えるのでは、と思えるほどにニコニコ笑顔で過ごしていますし、授業中も視線が自然に教室の後ろに向いていました。そこに会長さんの机は無いのに、つい気になってしまうようです。
「…ブルー、どうする気なんだろう?」
ジョミー君が言い、シロエ君が。
「宣言してたじゃないですか。いつかたっぷり御礼をする…って。かるた大会も利用するんだって言ってましたし、きっと寸劇で晒し者にするつもりなんですよ」
かるた大会で学園一位になったクラスは副賞として先生による寸劇を注文できるのでした。会長さんが1年A組に来た最初の年は教頭先生とグレイブ先生が『白鳥の湖』のハイライトを踊り、去年は同じ二人が花魁の舞とフラダンスを…。
「寸劇くらいで礼になるのか?」
首を捻ったのはキース君。
「毎年派手にやらかしてるのは認めるけどな、本当にそれでブルーが納得するかは分からんぞ」
「でも…。その程度だと思っておくのが健康的だと思いますが」
マツカ君がおずおずと口を開きました。
「ぼくたちがあれこれ心配したって無駄ですよ。ブルーはやると言ったらやる人ですし、まず止めようが無いんです。何をしでかすかと気を揉むよりは、寸劇で済むと思った方が…」
「なるほど。…それも一理ある」
胃が痛くなっても困るだけだ、とキース君が頭に手をやって。
「それにストレスで十円ハゲになるのも困る。親父にカツラだと言って誤魔化す生活もそろそろ終わりに近いというのに、ここでハゲたら元も子も無い。…ブルーのことは忘れておこう。なるようにしかならんからな」
「そうだね…。ぼくも十円ハゲはちょっと困るし」
ブルーに坊主頭にされちゃう、とジョミー君が金色の髪を引っ張りました。
「ぼくをお坊さんにするって話は諦めてないみたいだし…。十円ハゲになったりしたらチャンスとばかりに剃られちゃうよ」
「確かにな。…忘れておくのが良さそうだ。この話はこれで終わりにするぞ」
キース君の一声で私たちは席に戻って授業の準備。健康診断の日でも授業はしっかりあるものですから、会長さんがサボるんですよね…。

こうして迎えた新年恒例、水中かるた大会の日。私たちは水着に着替えてシャングリラ学園自慢の温水プールへ向かいました。今年も百人一首の下の句が書かれたビート板もどきの奪い合いです。会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」の見事なタッグで1年A組は難なく学園一位をゲット。
「おめでとう、学園一位は1年A組!」
ブラウ先生が宣言しました。
「副賞はクラス担任と、それとは別に指名された教師一人の寸劇だ。さあ、誰にする?」
ゴクリと唾を飲み込む私たち。会長さんはクラス全員に尋ねて指名権を獲得すると、良く通る声で叫びました。
「教頭先生を指名します!」
ああ、やっぱり…。闇鍋の時は指名しないで愛の形だとか言ってましたけど、ついに本性が出たようです。教頭先生の方はと見れば、引き攣った顔をするかと思えばさにあらず。穏やかな笑みを浮かべて会長さんを眺めています。もしかして愛の前には寸劇なんて何の障害にもなりませんか? 会長さんの楽しみのために身体を張ろうと思ってますか…?
『まあね。きちんと根回ししておいたんだ』
私たちの頭の中に響いてきたのは会長さんの思念波でした。
『そしてこれだけじゃ終わらない。…ちゃんと協力者も作ってあるし』
『『『協力者!?』』』
思念の叫びをサラッと無視して、会長さんはブラウ先生に呼びかけました。
「すみません、今年はルールを変えてもいいですか? 1年A組は三年連続で勝ち続けてます。グレイブ先生も三年連続で巻き添えを食う羽目になります。…担任の先生が巻き添えになる行事は今年はこれが最後ですから、最後くらいはお休みさせてあげたいんですが…」
「おや、そうかい?」
ブラウ先生が首を傾げて。
「…言われてみれば球技大会の御礼参りも連帯責任だったっけねえ。ついこないだの闇鍋もそうだ。…でもね、寸劇の方はどうするんだい? ハーレイ一人でいいのかい?」
「その件ですが、ゼル先生にお願いをしてあったんです。1年A組が学園一位を取ったら、グレイブ先生の代理をしてほしい…って」
「へえ…。代理とはまた酔狂だねえ。そうなるとこれはゼル次第か…」
視線を向けられたゼル先生は腕組みをして「うむ」と頷きました。
「確かに話は聞いておる。代理で出るのに異存は無い」
「よーし、決まりだ! 今年の寸劇はハーレイとゼルがやってくれるよ。さあさあ、みんな着替えて講堂の方へ移動しな!」
ブラウ先生の号令で生徒はワッと更衣室へ。私たちも急いで着替えて講堂に行き、一番前に用意されていた1年A組用の特等席に陣取って…。
「協力者ってゼル先生?」
ジョミー君が小声で囁きます。
「…そうだろうな。何がどう協力者なのか謎だらけだが」
寸劇と言えばお笑いだろう、とキース君。会長さんの復讐劇に協力するには寸劇はあまりに不似合いです。教頭先生と共演する以上、ゼル先生だって晒し者だか笑い者だかになるのは決定済みなのですから…。それが証拠に寸劇を見るのは今年初めてな1年生以外はドキドキワクワク。何が始まるのかと舞台を注視しています。
「ほら、君たちも注目、注目!」
始まるよ、と会長さんが私たちに声を掛けました。ブラウ先生がマイクを握って幕の下りた舞台のすぐ前に立って。
「準備が出来たみたいだよ。さあ、盛大な拍手で迎えておくれ! 今年の寸劇はハーレイとゼルで二人羽織だ!」
「「「えぇぇっ!?」」」
二人羽織ときましたか! それは全く想定外です。協力者って…協力者って、確かにこれなら協力者かも…。

全校生徒が拍手する中、舞台の上に登場したのは普段よりも更に大柄になった羽織袴の教頭先生。大きな座布団に正座していますが、羽織の中にゼル先生が隠れているのは明らかでした。そこへシド先生が抱えてきたのは大きな寿司桶。えっと…ちらし寿司でも食べるんですか? 二人羽織ではいかにも大変そうですが…。
「違うよ、あれは寿司桶じゃない」
「「「え?」」」
じゃあ何ですか、と尋ねるよりも早くブラウ先生が解説しました。
「見たことのある生徒もいるかと思うんだけどね、桶の中身はお寿司じゃないんだ。ソレイド名物、たらいうどんさ。たらい…と言うか、あの桶一杯にうどんが入っているわけだ。で、あれが麺つゆ」
シド先生がお椀を運んできました。お箸が添えられ、薬味が入った鉢も置かれて…。
「それじゃ寸劇の楽しみ方を説明しよう」
よく聞きな、とブラウ先生がウインクします。
「今からハーレイがうどんを食べる。…食べ終えるまでが寸劇だ。だけどね、二人羽織で食べるわけだから手を動かすのはゼルになるのさ。ゼルは当然、前が見えない。みんなで上手に誘導しないと大変なことになっちゃうよ」
「「「………」」」
これは責任重大です。そして会長さんがゼル先生を巻き込んだ理由も薄々分かってきたような気が…。寿司桶一杯のうどんを食べ終えるまでに教頭先生がどんな目に遭うかは容易に想像できました。教頭先生、恋愛成就と結婚祈願を頑張ったばかりに、笑い者な上に大惨事ですか~!
「さあいくよ。二人羽織でたらいうどん、始めっ!」
ブラウ先生の合図でゼル先生の手がお箸をしっかり握りました。
「先生、薬味は左の方で~す!」
「ネギが全然入ってません! もっと入れないと美味しくないで~す!」
無責任な声が飛び交い、うどんを啜る段階になると野次や歓声は一層大きく…。
「もっと上! もっと上です!」
「教頭先生の口に入らないです、もっと上!」
心得た、とばかりに上がったゼル先生の手が教頭先生の鼻にグイとうどんを突っ込みました。ウッと仰け反る教頭先生。けれどブラウ先生は容赦しません。
「ハーレイ、そのまま啜った、啜った! 食べ終わるまでは許さないよ。ズズッと一気にいっちまいな!」
げげっ。いくらなんでも鼻からうどんは無理じゃないかと思うんですけど…。
「そうでもないよ」
大丈夫、と会長さんの声がして。
「ぶるぅ、打ち合わせどおりよろしくね。ハーレイの鼻から、たらいうどんだ」
「かみお~ん♪」
パアッと迸る青いサイオン。いったい何がどうなったのか、教頭先生は鼻からズズッと太いうどんを啜りました。みんなの拍手喝采の中、ゼル先生は次から次へと鼻にうどんを突っ込んでいます。教頭先生はそれをズルズルと…。
『…あれって転送してるわけ?』
瞬間移動で、とジョミー君が他の生徒に聞こえないよう思念波を送って寄越しました。なるほど、それなら納得です。けれど会長さんから返った答えは…。
『まさか。軽い暗示をかけてやったのさ、鼻からうどんを啜るってことに抵抗感が無くなるように。…これで完食間違いなし! 鼻からうどんをマスターしたら宴会芸にも困らないよね』
クルーの交流会で実演したら大人気だ、と会長さんは上機嫌です。全校生徒にもウケてますからいいんでしょうけど、恋愛成就と結婚祈願に鼻からうどんで仕返しですか? ゼル先生に頼み込んでまで二人羽織って、グレイブ先生でもよかったのでは…?
『ゼルにしたのは理由があるんだ。いずれ分かるさ。…それよりも今は二人羽織! もっと笑って楽しまないと』
もっと上! と声を張り上げる会長さん。教頭先生は寿司桶一杯のうどんの九割以上を鼻から啜らされ、麺つゆで顔をグシャグシャにしながら真っ赤な顔で食べ終えて…。二人羽織のままでお辞儀をするとスルスルと幕が下りました。途端にドターン! と大きな音が…。
「あ、倒れちゃった」
大丈夫かな? と心配そうな「そるじゃぁ・ぶるぅ」は、子供だけあって罪悪感をまるで感じていませんでした。それにしたって鼻からうどん…。教頭先生、お気の毒としか言いようがない結末です。会長さんに復讐されて笑い者な上、肉体的にも大打撃。これに懲りたら恋愛成就も結婚祈願も二度と願掛けしないが吉でしょうねえ…。

「教頭先生、ちょっと可哀想すぎなかった…?」
ジョミー君が言ったのはその日の放課後。場所はもちろん「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお部屋です。けれど会長さんは澄ました顔で。
「いいんだってば、寸劇に出るって言うのはちゃんと納得してたんだから。…ちょっと演目が違ったけどさ」
「「「は?」」」
演目が…って二人羽織に決まっていたわけじゃないんですか? 他のものだと大嘘をついて出場を決意させたとか…? だったらそれは極悪なのでは…。
「そうかなぁ? 二人羽織とフレンチ・カンカン、どっちの方が酷いと思う?」
ねえ? と尋ねる会長さんにキース君が震える声で。
「おい…。まさかと思うが、二人羽織じゃなかった場合はフレンチ・カンカンだったのか?」
「うん。ハーレイはそっちだと思っていたんだよ。ゼルと二人でフレンチ・カンカン、衣装はもちろんバニーちゃんで」
「「「………」」」
あまりのことに私たちは絶句していました。二人羽織も大概ですけど、バニーちゃんスタイルでフレンチ・カンカンも相当にキツイものがあります。しかもゼル先生までそのスタイルだと思っていたとは、教頭先生、どこまでおめでたいんだか…。
「ハーレイが騙されたのはゼルが体力自慢だからさ。外見よりも身体能力は遥かに若いって言っただろう? バレエだって踊れるんだよ、フレンチ・カンカンくらいは問題ない、ない」
それよりも、と身体を乗りだす会長さん。
「協力者をゼルにした理由を知りたくないかい? あと少ししたらゼルの家に行こうと思うんだけど」
「「「え…?」」」
ゼル先生の家にですか? そこに行ったら理由が分かると…?
「そうじゃなくって、後始末さ。ハーレイがアルテメシア中に恋愛成就と結婚祈願の願掛けをした落とし前はつけてもらわないとね。たらいうどんを鼻から食べてもらったくらいで満足すると思ってるわけじゃないだろう?」
「あんたってヤツは…」
どこまでタチが悪いんだ、とキース君が頭を抱えています。けれど会長さんは気にも留めずに。
「ハーレイの家に一人で行ってはいけない…って一番最初に言い出したのはゼルなんだ。ぼくを本気で色々心配してくれてるし、今回のことも相談したのさ。…ゼルが闇鍋でぶっ倒れた日にお見舞いに行って、ハーレイを指名しなかった理由を説明して…ね」
「理由って……それも適当にデッチ上げたのか?」
キース君の問いに会長さんは。
「デッチ上げたなんて人聞きの悪い…。ぼくはハーレイに恋愛祈願をされて困っているって言っただけだよ、正直にね。それがあるから闇鍋で指名するのが怖かったってゼルに話しただけなんだけど」
「だったら寸劇はどうなるんだ! 怖いどころじゃないだろうが!」
「それとこれとは次元が別。去年の闇鍋、ハーレイは完食しただろう? ぼくの手料理も同然だとか、恐ろしい妄想を繰り広げながら。…その辺のことも含めてゼルに言ったら、ハーレイには罰が必要だ…って。そう言うだろうと思っていたから、その後のことはトントン拍子」
二人羽織でたらいうどん、と会長さんはペロリと舌を出しました。
「だからグレイブじゃなくてゼルだったんだ。…グレイブは長老じゃないからねえ…。ああも容赦なく鼻からうどんの刑は執行できないよ。ついでにハーレイに寸劇はフレンチ・カンカンなんだと嘘をついたのもゼルなのさ。…ぼくの頼みで」
ゼル先生は教頭先生にこう言ったのだそうです。バニーちゃんスタイルでフレンチ・カンカンを披露し、全校生徒の笑いを取ろう…と。
「そしてついでに、こう言った。…学園祭ではジョミーたちが踊っていたけど、ぼくだけがタキシード姿だったのは残念だった気もするな…と。ハーレイはとても残念そうな顔をしながら頷いたらしいよ、ぼくの思惑どおりにね」
教頭先生のスケベ心を見抜いてしまったゼル先生は非常に頭に来たのだとか。おかげで二人羽織だけでは罰が軽すぎると思ったらしく、これから更にお仕置きを…。
「それを見届けに行こうってわけ。…どうする? ゼルの家まで一緒に行く?」
嫌と言っても来て貰うけど、と会長さんはソファから立ち上がりました。
「鞄は家まで瞬間移動で送っておくよ。ついでにゼルの家にも瞬間移動でパパッとね。…ぶるぅ!」
「かみお~ん♪」
青いサイオンの光が走って、私たちの身体がフワリと宙に浮く感覚があって…。気が付くとそこは芝生でした。いつの間にか日が暮れていたらしく、薄暗い庭の奥から大きな犬が走ってきます。
「やあ、久しぶり。元気にしてた?」
駆け寄って来た二頭の犬の頭を会長さんがポンポンと叩き、ポケットから骨の形のガムを出して。
「こっちがヤス一号で、こっちが二号。警察犬の訓練なんかも受けてるんだよ」
優秀なんだ、とガムを咥えさせてから玄関に向かう会長さん。前に聞かされたとおり、ゼル先生の家も大きいです。これから此処で何が始まるのか、私たちはハラハラしながら扉をくぐったのでした。

ゼル先生は広い和室で私たちを迎えてくれました。剣道と居合の達人だけあって床の間に刀が飾ってあります。掛軸は渋い墨書ですけど、あれって意味があるのでしょうか?
「ふむ、掛軸が気になるか? なかなかに目が高いのう」
全員が掛軸を見ていたようです。ゼル先生は御機嫌で解説をしてくれました。
「昔、二刀流で有名な剣豪が知り合いにおってな…。わしらの方が長生きじゃから、とっくにあの世に行きおったんじゃが、そやつの作じゃ。戦気、寒流月を帯びて澄むこと鏡の如し、と書かれておる。敵の動きを己の心の鏡に映し出すことが戦いに臨む心構え…と言ったところか」
今日という日に相応しい、と胸を張っているゼル先生。
「じきにハーレイがやって来おる。わしらの大事なソルジャーに懸想しまくった挙句、結婚を迫るとは不届きな…。刀の錆にしてくれるわい!」
「別にそこまでしなくていいから」
あれでも一応キャプテンだし、と会長さんが苦笑しています。
「ハーレイの代わりのキャプテンとなると人材がね…。とにかく、ぼくには結婚する気がないとハッキリ言うのを聞いててくれれば十分だってば。…何かと夢を見ているようだし」
「「「………」」」
会長さんときたら、自分で夢を持たせたくせに…。非難するような私たちの目を会長さんは完全に見ないふりでした。やがて玄関の方でチャイムが鳴って、ゼル先生が出てゆきます。教頭先生、どんな顔をしてこの部屋にやって来るのでしょう?
「ハーレイ、今日は大事な話があるんじゃ」
「分かっている。…ブルーのことだと聞いては来たが…」
緊張するな、と教頭先生の声が聞こえてきます。廊下を歩く足音が近付き、和室の襖がカラリと開いて…。
「!!?」
「こんばんは、ハーレイ」
教頭先生が立ち竦んだのと、会長さんが微笑んだのとは同時でした。教頭先生、会長さんがいるとは知らなかったみたいです。玄関先に私たちの靴がズラリと並んでいたのに、間抜けと言うか何と言うか…。あ、学校指定の靴でしたから、見慣れてしまった先生にすれば空気みたいなものなのかも?
「な、な……なんでお前が…」
口をパクパクさせる教頭先生に、会長さんはニッコリ微笑みかけて。
「この間の返事をしに来たんだよ。ゼルに立ち合いを頼もうと思って場所を借りてる。…そうそう、今日は寸劇、ご苦労さま。鼻からうどんも素敵だよね」
「…そうか…? そう言われると悪い気はせんな」
頬を赤らめる教頭先生。会長さんったら、この期に及んでまだ言いますか! けれど甘い雰囲気に冷水を浴びせるように口を開いたのはゼル先生です。
「いい加減にせんかい、ハーレイ! ブルーが精一杯のお世辞を言っておるのが何故分からん? 鼻からうどんを啜るようなヤツに惚れる馬鹿者はおらんわい。…そうじゃな、ブルー?」
「うん。…ぼく一人だと言いにくいからゼルにも聞いてほしくてさ…。アルテメシア中で願掛けをしたハーレイの気持ちは分かるけれども、受け取れない。…それに、あんな絵馬とかが奉納されたままっていうのも耐えられないんだ、怖くって…。だって…もしもハーレイの願いがうっかり叶ってしまったら…」
「ブルー、それ以上は言わんでいいわい」
わしには分かる、とゼル先生が会長さんの肩を叩きました。会長さんは表情が見えないように俯いています。絶対、悪戯っぽい笑みを浮かべているに決まっていますが、それと気付かないのがゼル先生で…。
「ハーレイ、お前は全く気付いておらんが、ブルーは怯えておるんじゃぞ! 闇鍋でお前を指名しなかったのもそのせいじゃ。手料理感覚で完食されたら困ると思っておったらしい。…寸劇の方は……まあ、仕返しじゃな」
わしという味方がついておるから、とゼル先生は教頭先生を睨み付けて。
「つまりじゃ。…アルテメシア中に奉納したという絵馬を回収してもらう。まじないの類も白紙に戻せ。ブルーに聞いたが、柳の枝をおみくじで結び合わせるとか色々やって回ったそうじゃな?」
「そ、それは……ブルーを困らせようというつもりは…!」
「つもりがあろうと無かろうと同じじゃ! 行くぞハーレイ、少し待っておれ!」
そう言って廊下に消えたゼル先生は数分後にドスドスと足音を立てて戻ってきました。背筋をピンと伸ばしたその姿は…。
「ゼ、ゼル…! わ、私は速い乗り物は…!」
「やかましいわい!」
黒い革のライダースーツに黒い手袋、フルフェイスの黒いヘルメット。伝説のライダー、『過激なる爆撃手』となったゼル先生が教頭先生の腕を掴んで引きずってゆくのを私たちは呆然と見ているばかり。
「ブルー、戸締りを頼んだぞ! 絵馬の類は今夜の内に責任を持ってハーレイに全部回収させる。もう結婚なんぞせんでいいのじゃ、このゼルが万事引き受けたわい!」
そんな言葉が聞こえてきた後、響いてきたのは凄い爆音。自慢のバイクのエンジンをかけたらしいです。続いて野太い悲鳴が聞こえ、バイクの音が猛烈な勢いで遠ざかっていって…。ヤス一号と二号が暫く激しく吠えていましたが、それも静まってすっかり静かになりました。…教頭先生、どうなっちゃったの…?

「ふふ。…ハーレイの手で回収か」
ゼル先生の家の玄関に内側から鍵を掛けた会長さんはクスクスおかしそうに笑っています。私たちは既に靴を履き、後は会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」に瞬間移動で家まで送って貰うだけでした。ライダースーツのゼル先生に拉致されてしまった教頭先生の行方は分かりません。
「…今までの流れで分からないかな? ほら、こんな感じ」
会長さんが思念で送って寄越した映像は夜更けの街を疾走してゆく大型バイク。跨っているのはゼル先生で、サイドカーには教頭先生がヘルメット無しで乗っていました。いえ、乗っていると言うよりは必死にしがみついている、と表現した方が正しいでしょうか?普段は綺麗に撫で付けている髪も風に煽られて滅茶苦茶で…。
「な、なんなんだ、これは…?」
何処から見ても公道だが、とキース君が顔を顰めて。
「ヘルメット無しは道交法違反になるんじゃないのか? 第一、教頭先生が…」
「半分白目を剥いてるって?」
気にしない、と会長さんが受け流しました。
「ハーレイったらシャングリラ号のキャプテンなんかをやってるくせに、スピードにてんで弱いんだ。絶叫マシンなんかは大の苦手さ。だからお仕置きにサイドカーに乗せることにした。ノーヘルの方はバレないよ、うん」
サイオンでちゃんと細工してある、と自信満々の会長さん。
「ぼくたちが初詣で辿った経路を逆に回るよう、ゼルにマップを渡しておいた。あの手の願掛けを無効にするには逆回り! でもってハーレイ自身が絵馬の類を外しに行けば願を掛けられた神様とかにも失礼がなくていいからねえ。スピード狂のゼルのバイクで震え上がりながら回るといいさ」
「…たっぷり御礼ってこのことだったの…?」
ジョミー君の問いに会長さんは。
「まあね。最初はどうしようかと色々悩んでいたんだけども、やっぱり相手の苦手な部分を突いてやるのが最高じゃないか。ついでに絵馬も始末できるし、今年も一年スッキリだ。ぼく自身の手じゃ消せないんだって言っただろう?」
これでも一応、高僧だから…と笑みを浮かべる会長さん。
「それにさ、鼻からうどんを啜るっていう二人羽織の宴会芸もマスターさせたし、ハーレイとゼルはいいコンビだよ。ハーレイには是非サイドカーの魅力にハマってほしいな、自分でバイクを運転しろとは言わないからさ。男の魅力はママチャリじゃなくてスピードの出る乗り物にあると思わないかい?」
「…それでママチャリを馬鹿にしてたのか?」
教頭先生のガレージの、と言ったキース君に会長さんは頷いて。
「そういうこと。ぼくと結婚だなんて言い出す前に自分自身を知らないとね。ママチャリなんかに二人乗りより、ぼくならゼルのバイクを選ぶさ。タンデムもいいし、サイドカーでも大歓迎。…ハーレイ、その辺を全然分かってないよ。何が家庭的な雰囲気だって? ママチャリは出来る男が乗ってこそだし!」
センスの無さは致命的だ、と徹底的にこき下ろしている会長さん。どうやら教頭先生よりはゼル先生の方が男の魅力があるようです。それでこそパルテノンの夜の帝王というわけですが、この調子では教頭先生、今年も前途多難そう。今頃は多分、心臓が止まりそうな思いでアルテメシアの街を疾走中で…。
「大丈夫、ゼルの運転は確かだからね。ハーレイが気絶したって振り落とすことは絶対ないよ」
太鼓判を押す会長さんにシロエ君が。
「ちょ、ちょっと…。もしかしてシートベルトもしてないんですか?」
「当たり前だろ、着用義務は無いんだからさ」
しがみついていれば問題なし、と再び思念で見せて貰った中継画像の教頭先生は口から泡を噴いていました。えっと…気絶しちゃっているのでは? しがみつく以前の問題なのでは…?
「これくらいしないと罰にならない。ゼルだってちゃんと分かっているよ。…この先の山道が楽しくなるのに、気絶するとは残念だねえ」
ロング・ロング・ワインディングロード、と会長さんが言っているのは丑の刻参りで知られた神社に向かう山道でした。私たちが辿った道を逆に回るなら一番最初はあの神社。教頭先生、私たちは家に帰りますけど、真夜中のツーリングからの無事の御帰還、心からお祈り申し上げます…。



一年の計は元旦にあり。恋愛成就の御利益を求めて元日にアルテメシア中の御利益スポットを回り倒した教頭先生は会長さんとの結婚を心の底から夢見ていました。そこへ会長さんが年始回りだと訪ねて来たのですから、早速御利益があったとばかりに大喜びで大感激。会長さんのお供をしてきた私たちの方はちょっと心配なんですけども…。
「ねえねえ、ブルー」
賑やかな新年パーティーの最中に声を掛けたのは「そるじゃぁ・ぶるぅ」。
「ホントにハーレイと結婚するの?」
「さあ、どうだろう? ぶるぅはそうしてほしいのかい?」
問い返された「そるじゃぁ・ぶるぅ」は嬉しそうにコクリと頷いて。
「えっとね、ブルーがハーレイと結婚したら、ハーレイがぼくのパパになるでしょ? 毎日遊んでもらえるし!」
「なるほどねえ…。でもさ、結婚は色々大変なんだよ」
今までのようにはいかなくなるし、と会長さんは「そるじゃぁ・ぶるぅ」の頭を優しく撫でました。
「ハーレイと一緒に暮らすんだから、ここに引っ越ししなくちゃね。そうなるとフィシスやジョミーたちを呼んでくるのも難しくなる。お泊まりなんかはまず無理だ。…なにしろ部屋の数が足りない」
「えっ…」
「考えてごらん? ぼくたちの家はゲストルームが沢山あるけど、ここには無いよ。去年、お歳暮で泊めてもらっただろう? あの時は何処で寝てたんだっけ?」
「そっか…」
ガックリと肩を落として「そるじゃぁ・ぶるぅ」はしょげています。お歳暮でゲットした一泊二日の宿泊券でしたが、男子はリビングに布団を敷いて雑魚寝でした。スウェナちゃんと私は一部屋もらいましたけど…。つまり会長さんが教頭先生と結婚したら、お泊まり会は無くなるのです。…まあ、会長さんと教頭先生が大人の時間を過ごしている家に泊まるというのも複雑かな…?
「ブルー。お前の家は今のままでもいいんじゃないか?」
口を挟んだのは教頭先生。
「あそこはソルジャーであるお前のための家だろう? あのマンションに住んでいるのも仲間ばかりだし、残しておいて息抜きに使うというのはどうだ?」
「そりゃね…。家賃を払ってるわけでもないし、家出用に置いておくのもいいかな」
「「「家出用!?」」」
なんですか、それは? 話の展開についていけずに置いてきぼりだった私たちも、この言葉には反応しました。家出って…「実家に帰らせて頂きます」っていうアレですか? 会長さんはクスクス笑いながら。
「そう、家出用。理不尽な扱いを受けたと思ったら、即、家出。やっぱり独身が最高だからね。…それにフィシスも引っ張りこめるし」
この家じゃちょっと、と会長さんは肩を竦めてみせました。
「ぼくの女神にハーレイのベッドを使わせるのは最低だろう? かと言ってゲストルームは一つしかないし、ベッドはシングルサイズだし…。そうでなくても友達を全員泊められない家じゃ、ぶるぅも退屈しちゃいそうだ」
「…結婚とフィシスは別物なのか?」
教頭先生の問いに、会長さんはさも当然といった顔で。
「もちろんさ。フィシスと別れるつもりは無いし、シャングリラ・ジゴロ・ブルーの名前を返上しようって気も無いよ。それが嫌なら結婚の件は諦めるんだね」
「…い、いや…。お前の自由は尊重する」
だから是非とも嫁に来てくれ、と土下座せんばかりの教頭先生。会長さんは「どうしようかな…」と人差し指を顎に当てて考えていましたが。
「そう簡単に結論を出せる問題じゃないし、しばらく時間をくれるかな? それと、この家も見て回りたい。住み心地とかを確認したいし」
「ああ…。それは一向に構わんが…。よく考えて返事をくれ」
急がなくてもいいんだぞ、と教頭先生が言い終えるなり、会長さんはスッと立ち上がって私たちの方を振り向きました。
「いいんだってさ。それじゃ見学して回ろうか、ハーレイの家を」
「「「えっ!?」」」
教頭先生と私たちは同時に叫んでいたのですけど、会長さんは気にも留めずに。
「ハーレイ、君はリビングに残ってて。…普段の暮らしを見ておきたいから、余計な気遣いは無用にね」
行くよ、と廊下に出てゆく会長さんを私たちは慌てて追い掛けました。教頭先生の家には何度も来ていますけど、見学会なんて初めてですよ~!

一人暮らしには大きすぎる、と評されている教頭先生の家は会長さんとの結婚に備えて申し込んだという世帯用。実を言えば長老の先生方も独身のくせに大きな家に住んでいるらしいのですが、会長さんに言わせれば…。
「長老ともなれば威厳も要るし、仲間を呼んでホームパーティーをすることもある。ほら、ゼルなんかはシャングリラ号の機関長だし、ブラウは航海長だしね…。クルーが気軽に集まれるように大きな家は必須なのさ」
エラ先生やヒルマン先生もシャングリラ号の重鎮ですし、それなりの家が要るのだそうです。だったらキャプテンな教頭先生が立派な家に住んでいたって問題ないと思うのですが…。
「うーん、ハーレイは公私をきちんと分けるしねえ…。クルーの交流会の他にも色々と集まりはあるんだけども、この家を使うことはない。…公私を分けると言えば聞こえはいいけど、将来、ぼくと結婚した時、邪魔をされたくないらしいんだ」
「「「………」」」
教頭先生の徹底ぶりに私たちは声もありませんでした。そりゃあ確かに会長さんはソルジャーですから、そんな人を奥さんにしているキャプテンの家じゃクルーの人も寛げないかもしれませんけど、教頭先生がそこまで気を回すとは思えません。単に会長さんとの愛の巣を聖域にしたいだけでしょう。
「さてと。…そんなハーレイの夢と妄想の空間、その一」
会長さんが開けた扉の先はバスルーム。洗面所と脱衣所を兼ねたスペースがゆったりと取られ、そこから更に扉を開けて…。
「君たちが泊まりに来た時は片付けてあったけど、普段はこういう感じなんだよ」
広いバスルームの中にはお風呂オモチャがありました。桶に入ったアヒルにラッコ、カッパなんかはどういう趣味?
「…あれはブルーのプレゼントさ。ずっと前に、あっちのぶるぅが配達したって言ってたろう? ぼくそっくりのブルーが愛用していたお風呂の友というのがいいらしい。時々、浮かべて妄想してる」
妄想の中身は聞くまでもなく分かりました。ソルジャーは何かといえばストリップもどきを披露しますし、春休みに行った温泉旅行ではタオル一枚で誘惑したりもしていましたし…。お風呂オモチャを浮かべていれば蘇る記憶が数々あるに決まっています。ついでにシャンプーなどのボトルも多数揃っているようですが…?
「ぼくがいつ泊まりに来てもいいように用意しているみたいだよ。期限もきちんとチェックしていて、期限切れになりそうだったらハーレイが使うらしいんだ」
似合わないよね、と会長さんが指差すボトルは全部フローラル系の香りでした。会長さんってそんなの使ってるんですか? 薔薇の香りのシャンプーとか…? 唖然とする私たちの顔に、会長さんは苦笑して。
「まさか。エステでは使うこともあるけど、薔薇の香りを男が纏ってどうするのさ。…これはハーレイの思い込み。ぼくには花の香りが似合うと勝手に決めて選んでいるんだ」
えっと…。どう言えばいいのか分かりませんが、教頭先生の思考はかなり偏っているようです。一事が万事そんな調子で、家の中には妄想グッズが溢れていました。会長さんのお泊まり用のシルクのバスローブとか、レースひらひらのガウンとか。極め付けはやはりベッドルームで…。

「これも願掛けの一つらしいよ」
会長さんが指差したのはソルジャーの特注品の抱き枕でした。ミントグリーンのパジャマ姿の会長さんの写真がプリントされたヤツですけども、何故か赤い糸が巻かれています。願掛けと言えばアルテメシア中の神社やお寺に散在している恋愛成就と結婚祈願の絵馬とかのことだと思いましたが、この糸も…?
「結ばれる運命の二人の小指は赤い糸で繋がっていると言うだろう? それでハーレイが思い付いたらしい。糸の端っこを自分の小指に結んで寝るのさ」
「「「………」」」
なんとも乙女な発想でした。それなのにベッドサイドのテーブルには会長さんの女子用スクール水着姿の写真やら、バニーちゃんの格好をしたソルジャーのセクシーショットが置かれていたり…。会長さんはフウと溜息をつき、今度は枕を持ち上げました。抱き枕ではなく、頭の下に敷く枕です。
「ほらね、ここにも」
そこにはウェディング・ドレス姿の会長さんの写真がありました。折れたり皺にならないようにラミネート加工されているのが流石です。会長さんのドレス姿はあちこちで披露されてますから、教頭先生もしっかり入手したのでしょう。まりぃ先生に作って貰った等身大のポスターなんかも飾られてますし…。
「こんな調子で願掛け三昧、今年こそ…って思ってるんだ。ぼくはどうしたらいいと思う?」
「えっ…。結婚するんじゃなかったの?」
そう言ったのはジョミー君でした。キース君が「馬鹿か、お前は」とジョミー君の頭を小突いて、サム君が。
「ブルーがそんなことするわけないだろ! 第一、俺はどうなるんだよ!」
会長さんと公認カップルなサム君はまさに怒り心頭。けれどジョミー君は首を傾げて…。
「でもさあ…。ブルー、巡礼にはパワーがあるって言ってなかった? 教頭先生の絵馬とかだって処分してないし、てっきり結婚するのかと…。今はそういう気分じゃなくても、将来的には結婚するとか」
「…あのね、ジョミー…。ぼくは一応、高僧だよ? そう簡単には呪縛されない」
されてたまるか、と会長さんはベッドルームを見回しています。
「こんな所で好き放題に妄想している男なんかは御免蒙る。だけどせっかく願掛けしたんだし、御礼はたっぷりしないとね」
「「「御礼?」」」
「そう、御礼。当分は夢を見ててもらうさ。でもね…」
百年の恋も覚めそうだけど、と一番最後に連れて行かれたのはダイニングでした。教頭先生が片付いていないと言った部屋です。なるほど、洗っていない食器やお鍋が散らかっていて、お世辞にも綺麗とは言えません。
「…元日の願掛けツアーで力尽きたらしい。そのまま寝正月をしていたんだよ、ハーレイは。…寝ている分には部屋も汚れないし、ぼくの抱き枕と小指の糸で繋がってるしで一石二鳥。…こういう男とだけは結婚したくないと思わないかい?」
最低最悪、と顔を顰める会長さん。なのに教頭先生が待つリビングに戻るとそんな気配は微塵も見せず、たっぷりとお年玉なんかを搾り取ってからタクシーを呼んでもらって綺麗な笑顔で。
「ありがとう、ハーレイ。急に押しかけて邪魔したね。また新学期に会えるのを楽しみにしてる」
「私もだ。…その時に返事を聞かせてくれると嬉しいが…」
急がないとか言っていたくせに、教頭先生も気が急くようです。会長さんはニッコリ笑って…。
「考えておくよ。君の気持ちは受け取ったから」
じゃあね、とタクシーに乗り込む会長さん。日はとっぷりと暮れていたので、会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」はそのまま家へ。私たちも会長さんの家へは寄らずにタクシーで自宅へ直行でした。妙に疲れる初詣でしたが、この後、いったいどうなるんでしょう…?

そして迎えた三学期。始業式の日は恒例のお雑煮食べ比べ大会です。これを勝ち抜くと指名した先生に闇鍋を食べさせることが出来るというので去年も一昨年も会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」が私たちのクラスにやって来ました。もちろん今年も1年A組の一番後ろに机が増えて…。
「かみお~ん♪」
「やあ。あれから元気にしてた?」
にこやかな笑みを浮かべる会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」は普段と変わりませんでした。教頭先生の願掛け三昧への復讐戦に燃えているのかと思ったのですが…。
「おい」
キース君が会長さんに声を掛けました。
「去年はあんたが俺たちの分も食材を用意したんだっけな。なのに今年は根回しは無しか?」
「うん」
それが何か? と会長さん。闇鍋の存在は大っぴらには言われてませんが、先輩からの口コミなどで知っている人も勿論います。それ以外の生徒も『食材を一品持参するように』との通達に応じて色々持ってくるのですけど、去年の私たち七人グループは会長さんが送って寄越した悪臭缶詰、シュールストレミングなるものを持たされました。今年も覚悟してたんですが…。
「あんたが何もしないというのが気にかかる。…何か企んでいるんだろう?」
キース君の重ねての問いを会長さんは聞き流して。
「ぼくは今年はホンオフェなんだ。…エイを壺に入れて発酵させたヤツで、アンモニア臭が凄いんだよ」
だから密閉、と示されたのは机の下のクーラーボックス。あぁぁ、今年もこのパターンですか! 「そるじゃぁ・ぶるぅ」はチェダーチーズを発酵させたエピキュアーチーズとかいう缶詰を用意したらしいです。このチーズ、普通はさほどでもないそうですが、缶詰はとても臭いのだそうで…。
「君たちは普通の食べ物だろ? 今年はそれほど悲惨なことにはならないよ」
「…しかし…」
闇鍋には違いない、と言うキース君は一味唐辛子を持ってきていました。ジョミー君は納豆、サム君は汁粉ドリンク、シロエ君が糠漬け、マツカ君は辛子明太子。スウェナちゃんがクリームシチューのルーで私はチリドレッシングの大瓶です。去年に比べて統一性が全くない分、より酷い結果になりそうですが…。
「平気だってば。それに今年は…」
蓋を開けてのお楽しみ、とウインクしている会長さん。私たちはドキドキしながら始業式の会場に行き、退屈な校長先生の訓話を聞いてからお雑煮食べ比べ大会へ。会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」は食べて食べて食べまくりました。正確に言えば会長さんの分は「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお椀に瞬間移動で転送されているんですけど。
「勝者! 1年A組!」
司会のブラウ先生の声が響いて、1年A組は男子、女子とも学園一位。これで闇鍋を食べさせる先生の指名権が手に入ったわけで、会長さんが。
「ぼくとぶるぅが頑張ったんだし、ぼくたちが指名させてもらうよ。ぼくはゼル」
えぇっ!? 教頭先生じゃないんですか…? でも…ぶるぅも指名するんですよね?
「かみお~ん♪ ぼくは今年もシド!」
「「「えぇぇっ!?」」」
引っくり返った声は私たち七人グループだけではありませんでした。去年、一昨年と一緒に戦った元1年A組の生徒全員が驚いています。会長さんが教頭先生を指名しないなんて…どういうこと?
「たまには番狂わせもいいじゃないか。グレイブは毎年やるわけだしね」
担任だから、と涼しい顔の会長さんの真意は読めませんでした。闇鍋大会は勝者のクラスの担任も出る決まりです。グレイブ先生は三年連続で出場となり、悪臭を湛えた鍋にギブアップ。ゼル先生とシド先生も完食は出来ず、今年は生徒側の勝利でした。お年玉に、と1年A組の生徒全員に学食の食券が配られて…。
「会長、今年もよろしくお願いします!」
クラスメイトに囲まれた会長さんは「そるじゃぁ・ぶるぅ」と並んで笑顔。
「そうだね、もう三学期しか残ってないけど、今年もよろしく」
試験はぶるぅのパワーにお任せ、と会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」は新学期早々大人気でした。けれど不安を隠し切れない私たち七人グループです。何かある…。教頭先生が指名されなかった裏には絶対何かがありそうな予感…。

終礼に現れたグレイブ先生は闇鍋ショックで足取りが少しふらついていました。ゼル先生は保健室で寝込んでいるそうですが、シド先生はミネラルウォーターを一気飲みして復活済みです。
「…諸君、来週は新春かるた大会だ。その前に健康診断もあるから、体操服を持参するのを忘れないように」
かるた大会とはシャングリラ学園名物の水中かるた大会です。告知を終えたグレイブ先生は胃の辺りを押さえながらヨロヨロと出てゆき、今日は解散。私たちは「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお部屋へ向かいました。
「かみお~ん♪ 闇鍋、とっても楽しかったね!」
去年ほど臭くなかったけれど、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」は御機嫌です。会長さんも至極満足そうで…。
「ゼルが倒れるとは思わなかったな。いったい何が効いたんだろう? 年寄りだけに一味唐辛子とかチリドレッシングは効きそうだけど、外見と中身が一致してないのがゼルだしねえ…」
高血圧の心配はない、と会長さんは教えてくれました。
「ぼくたちの仲間は基本的に歳を取らないだろう? ゼルの場合は本人の好みか何かは知らないけれど、外見だけがああなった。それでいて中身は若い連中と変わってないから始末が悪い。パルテノンの夜の帝王も実は現役だったりするし、バイク乗りで過激なる爆撃手なんて呼ばれてるのも体力自慢の結果なんだよ」
内臓も筋肉も三十代並み、下手をすれば二十代かも…と聞かされた私たちはビックリ仰天。お年寄りだと思ってましたが、それは見た目の方だけでしたか…。まあ、お年寄りに闇鍋を食べさせて倒れられるよりかは安心ですけど。
「…だからね、ゼルのお見舞いとかは特に必要ないんだよ。そもそも年齢の問題があれば闇鍋に参加してないし…。毎回ハーレイじゃ楽しくないだろ、闇鍋もさ」
「そうだな。それに去年は失敗したしな」
キース君が突っ込みました。
「あんたの手料理だとかなんとか言って完食されて、俺たちの方が負けたんだ。お蔭でお年玉を貰い損ねた」
「…そういうこともあったっけね。だけど今年はその教訓を踏まえたってわけじゃ全然ないから! たまにはハーレイ以外もいいなって思い付いたってだけだから!」
そこを勘違いしないように、と会長さんはキッチリ釘を刺して。
「で、ハーレイと言えば新学期だ。…分かってるね?」
「「「は?」」」
会長さんが何を言いたいのか、私たちにはサッパリでした。お雑煮食べ比べ大会も闇鍋も終わりましたし、第一、とっくに放課後です。教頭先生の出番なんかは無いのでは…?
「……また忘れてるし……」
あからさまな溜息をつく会長さん。
「よっぽど忘れたいんだろうとは思うけれども、そろそろ覚えてくれないかな? 新学期はこれで始まるんだから…。ぶるぅ!」
「かみお~ん♪」
奥の部屋に走って行った「そるじゃぁ・ぶるぅ」が箱を抱えて戻って来ます。リボンのかかった平たい箱を見た瞬間に全員が思い出しました。新学期を迎える度に「そるじゃぁ・ぶるぅ」が買い出しに行って、会長さんが教頭室までわざわざ届けに出掛ける品。そうです、あれは青月印の…。
「やっと分かったみたいだね。青月印の紅白縞のトランクスだ。ハーレイが首を長くして待ってる五枚を届けに行くから、ついて来て」
「お、おい…」
震える声はキース君。
「いいのか、そんなのを届けに行って? 万が一にも誤解されたら…」
「誤解って何を?」
「教頭先生、返事を待つと言ったじゃないか。……そのぅ……あんたとの結婚の…」
言い難そうなキース君に、会長さんはクスッと笑って。
「その手の誤解なら大いに結構。…いつかたっぷり御礼をするって言っただろう? 今日はまだ御礼はしないんだけどね、伏線は張っておかないと」
「「「伏線…?」」」
なんですか、それは? けれど会長さんは答えてはくれず、いつものようにトランクスのお届け行列が出発しました。一番先頭で「そるじゃぁ・ぶるぅ」が箱を掲げてピョンピョン飛び跳ね、そのすぐ後ろに会長さん。私たちは諦め切った表情でゾロゾロ連なってついてゆきます。ああ、どうして毎回こんなことに…。

中庭を横切り、本館に入って教頭室のすぐ前へ。会長さんが重厚な扉をノックし、「失礼します」と声を掛けると弾んだ声が返ってきました。うわぁ、やっぱり教頭先生、思い切り期待してますよ~! 会長さんの合図で「そるじゃぁ・ぶるぅ」が扉を押し開け、私たちが揃って中に入ると、教頭先生の顔に失望の色が。
「…なんだ、お前一人じゃなかったのか…」
「えっ? 今日はいつものヤツを持ってきただけだし、みんながいるのも当然だろ? 最近ずっと一緒に来てるよ」
会長さんは「そるじゃぁ・ぶるぅ」からトランクスの箱を受け取り、机の上に置きました。
「はい、青月印の紅白縞を五枚。大事に履いてくれるよね?」
「う、うむ…。すまんな、いずれは自分で買うから」
「自分でって…今も自分で買ってるじゃないか、五枚じゃとても足りないからって」
「それはそうだが…」
教頭先生は口ごもりながら、頬を微かに赤くして。
「結婚したらトランクスは全部自分で買う。お前と買い物に行けるわけだし、見立てて欲しいものが他に色々…」
「スーツとか? ネクタイとか? そんなのもいいね」
艶やかに微笑む会長さん。
「例の返事はもう少し待って欲しいんだけど、ちゃんと前向きに考えてるよ。今日の闇鍋がその証拠。…ハーレイを指名しなかっただろう? ぼくの気持ちだと思って欲しいな。…結婚するかもしれない人を酷い目には遭わせられないし」
「……ブルー……」
感極まって涙ぐんでいる教頭先生に軽く手を振り、会長さんは「またね」と教頭室を後にしました。いいんでしょうか、あんな台詞を言っちゃって…。まさか本気とも思えませんが、闇鍋に教頭先生を指名しなかったのは事実です。ハラハラドキドキの私たちを連れて「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお部屋に戻った会長さんは…。
「これでよし。ハーレイの誤解と期待はMAXだよね」
ぼくとの結婚生活に向けて、と唇に笑みが浮かびました。
「恋愛成就に結婚祈願、アルテメシア中の神社仏閣に願掛けをした罪は重いよ。ぼくが修行を積んでなければ危なかったかもしれないんだし…」
「おい、そこまでのパワーは無いだろう? あの本にあった巡拝マップは最近できた代物だぞ。全部を回ったからと言っても絶大な効果があるわけが…」
キース君が冷静な意見を述べたのですが、会長さんは聞いていませんでした。
「御利益なんていうのはね、本人があると信じていれば十分なんだよ。イワシの頭も信心からって言うだろう? ぼくを呪縛して結婚しようと企んでいたハーレイにはそれ相応の御礼をしなくちゃ気が済まない。…そのためだったら闇鍋くらいは諦めるさ」
年に一回の娯楽でもね、と言い切った会長さんの本気に私たちの背筋が凍りました。教頭先生、頑張って願を掛けたばかりに闇鍋の比じゃない災難が待っていそうです。会長さんが何をする気か知りませんけど、かるた大会で仕返ししようというのでしょうか? そう言えば学園一位の副賞は…。
「ん? かるた大会の副賞かい?」
思考が零れてしまったらしく、会長さんが訊き返します。
「そういうものもあったっけね。…そうだね、それもいいかもしれない」
使えそうだ、と会長さんは「そるじゃぁ・ぶるぅ」と顔を見合わせ、コクリと大きく頷いて。
「決めた、かるた大会も活用しよう。ぶるぅ、頑張ってくれるかい?」
「かみお~ん♪ かるた大会、楽しいもんね!」
今年もブルーと勝利をゲット! と「そるじゃぁ・ぶるぅ」は燃えていました。でもジョミー君たちは真っ青です。
あの様子からして副賞のことを考えたのは私だけではないようですが、かるた大会、どうなるのでしょう? 教頭先生に結婚祈願をされてしまった会長さんの復讐の幕が上がるんですか~?



教頭先生のバニーちゃんやら、ソルジャーにバニーちゃんにされてしまったジョミー君たちの『かみほー♪』なフレンチ・カンカンやら。私たちが楽しみにしていた「そるじゃぁ・ぶるぅ」と「ぶるぅ」の誕生日パーティーを兼ねた仮装パーティーはウサギだらけで終わりました。いえ、教頭先生はいいのです。問題はジョミー君たちで…。
「あれって本当に写真とか撮られてないんだよね?」
ジョミー君が会長さんに念を押したのは新年早々のことでした。とはいえ、お正月も今日で三日目、三が日の最終日というヤツです。
「大丈夫だよ。ブルーにきちんと確認したし、万一こっそり撮ってたりしたら二度と家には泊めてやらないって脅したから。もう本当にブルーったら…」
思い出しても腹が立つ、と会長さんは悔しそう。会長さんはタイプ・ブルーと呼ばれる最強のサイオンの持ち主で、力はソルジャーと互角の筈なのですが…経験値の差が大きすぎるらしく、ソルジャーの本気には勝てません。ですからバニーちゃんの衣装を着せられた上、フレンチ・カンカンまで踊らされる羽目になったわけで…。
「でもハーレイに見られなかったのは幸いだった。鼻血体質も便利なものだね」
「まあな。教頭先生、あの後、結局どうなったんだ?」
キース君が尋ねました。ソルジャーの悪戯で興奮してしまった教頭先生、鼻血を噴いてぶっ倒れたまま、バニーちゃんのダンスは見られず仕舞い。踊りは『かみほー♪』をフルコーラスで三回分もあったのですけど、教頭先生の意識はついに戻りませんでした。ソルジャーのサイオンによる束縛を逃れた会長さんは踊り終えた直後に教頭先生を瞬間移動で飛ばしてしまって…。
「ハーレイかい? ぼくが家まで送り届けたのは知ってるだろう? 明くる日の夜に凄く申し訳なさそうな顔で忘れ物のスーツを取りに来たよ。それと車と」
「「「………」」」
なんて気の毒な教頭先生! スーツは忘れ物などではなく、バニーちゃんの仮装に着替えた時にゲストルームに置いてあったものです。車だって自分で運転してきたのですし、失神しなかったならスーツを着込んで車に乗って無事に家へと帰れたものを…。
「気の毒なのはぼくたちだって同じだろう?」
同情なんか必要ない、と会長さんは唇を尖らせました。
「バニーちゃんの格好でフレンチ・カンカンをさせられたんだよ? ぶるぅは喜んで一緒に踊ってたけど、他は全員イヤだった筈だ。…ぶるぅの誕生日パーティーだったし、ぶるぅが楽しめたんならいいんだけどさ」
それでもあれは忘れたい、と額を押さえる会長さん。
「君たちはキースの家で除夜の鐘をついて厄祓いしてきたんだっけね。…でも、除夜の鐘は厄祓いアイテムじゃないってことに気付いてた?」
「えっ、違うの!?」
ジョミー君が心底驚いた顔をし、キース君が。
「だから何度も言ったのに…。除夜の鐘は人間が持っている百八の煩悩を落として新年を迎えるためのものだ。煩悩は祓えても厄祓いは出来ん」
「ダメなんですか? 会長までダメだって言うってことはダメなんですよね…」
ちょっとは効くと思ってたのに、とブツブツ呟くシロエ君。私も少しくらいは効果があると期待しましたし、他のみんなもそうでした。サッパリと厄を落として今年こそ平和な一年を! と心をこめて鐘を撞いたのに…。
「除夜の鐘では効果がないから初詣だよ」
そのために集合したんじゃないか、と会長さんがニッコリ笑いました。
「もちろんメインは遊ぶことだけど、お参りしといて損はしないさ。しっかり拝んでおきたまえ。ぼくは元日にもフィシスと行ってきたんだけどね。そして昨日はいつもの初売り」
フィシスさんのお供で福袋も沢山買ったのだ、と会長さんは嬉しそうです。二人きりで行ったわけではなくて「そるじゃぁ・ぶるぅ」も一緒に行ったそうですが…。そんな話をしながら私たちは集合場所のアルテメシア公園からてくてく歩いてアルテメシア大神宮へ。だんだん人が多くなってきます。道路は渋滞してますし…。
「やっぱり今日も混んでるか…」
元日ほどではないけれど、と会長さんが「そるじゃぁ・ぶるぅ」にはぐれないよう声をかけて。
「行くよ。あ、露店は帰りに寄るものだからね? お参りしてからが礼儀だよ。ぶるぅは子供だから構わないけど」
「「「はーい…」」」
渋々返事する私たちを他所に「そるじゃぁ・ぶるぅ」はお面と風船をゲットしています。きっとこの先、綿飴なんかも…。うう、子供って羨ましいかも…。

広い境内を人波に押されながら進んで、人で一杯の本殿でお賽銭を入れ、柏手を打って参拝終了。次は露店だ、とばかりに男の子たちが流れてゆくのを会長さんが呼び止めました。
「ちょっと待った! 絵馬は奉納しないのかい?」
「えー? あれって効果あるの?」
どうでもいいし、と行きかけるジョミー君に声をかけたのはサム君です。
「おい、ブルーが言ってくれてるんだぜ? 真面目にやれよ」
「効きっこないじゃないか、あっちのブルーに! それに高いし!」
ぼくはパス、と頬を膨らませるジョミー君。確かに別の世界の人間であるソルジャー相手にはあまり効果が無さそうです。けれど絵馬はソルジャー除けと限ったものではないわけで…。
「ふむ…。俺も一応、書いておくか」
キース君が早速申し込みに行き、サム君とシロエ君、マツカ君も。書いている文字を見ると柔道の上達祈願とか心願成就とか、ごくごく普通。スウェナちゃんと私は悩みましたが、ここはやっぱり心願成就! ジョミー君も結局サッカー上達祈願で絵馬を奉納することに。
「この辺でいいかな?」
同じやるなら目立つ所に、と背伸びしているジョミー君。私たちも思い思いの場所に奉納しましたが、会長さんは?
「ぼくは元日に書いたんだよ。…それじゃ行こうか、露店で何か買いたいんだろ?」
「買いたいじゃなくて早く食べたい!」
正直に叫ぶジョミー君の胃袋は焼きそばやフランクフルトを要求しているらしいです。寒いですから温かいものを食べたくなるのは誰もが同じ。さて…、と歩き出した所で会長さんの足が止まりました。
「…ごめん。少し待ってて」
スタスタと戻った会長さんは山と奉納されている絵馬をじっと見詰めていましたが…。
「……やられた……」
見るからに不快そうな顔で私たちの方に来た会長さんが「ほら」と思念波でイメージを送ってきました。
「わぁっ!?」
「なんですか、これは?」
口々に騒ぐ私たちに、会長さんは沈鬱な声で。
「見てのとおりさ、ハーレイの絵馬だ。…フィシスと来た時には気付かなかったし、ぼくたちより後に来たんだろう。たいしたサイオンも無いタイプ・グリーンの割に残留思念が物凄い。…これは半端な覚悟じゃないね」
教頭先生が奉納したという絵馬には『恋愛成就』と達筆な文字が躍っています。会長さんによれば他の絵馬に隠れて外からは見えないらしいのですが、一番上の右端あたりにあるそうで…。
「どうやら此処だけじゃないようだ。…予定変更、初詣スポット巡りをしなくっちゃ」
「「「えぇっ!?」」」
露店で買い食いは中止ですか? お腹も減って来たんですけど~!
「あ、そうか…。まずは腹ごしらえってことか。腹が減っては戦が出来ぬと言うからねえ…。いいよ、好きなだけ買い食いしたまえ。これから回る場所は一部を除いて露店がない」
初詣スポットとはいえメジャーな所ばかりじゃないから、と指を折っている会長さん。もしかして教頭先生、あちこちに絵馬を奉納しまくりましたか? 会長さんったら、恋愛成就と書かれた絵馬を探し出しては闇に葬るつもりとか…?
「…いや。仮にも奉納されているものを闇に葬るのは流石にちょっと…ね」
出来れば消し去りたいんだけども、と会長さんは苦い顔です。お正月から妙な展開になってきましたよ…。さっき厄祓いをお願いしてきたばっかりなのに、新手の厄の登場ですか?

お好み焼きに串カツ、ホットドッグ。あれこれと食べた私たちはアルテメシア大神宮を出て、少し離れたタクシー乗り場に行きました。この辺りでは車は順調に流れています。会長さんが先頭の三台のドライバーに声を掛け、行き先をあれこれ指示してから。
「いいよ、乗って。今日は貸し切りにしておいた。ぼくとぶるぅで一台、君たちは後ろの二台の車に」
「「「はーい…」」」
ジョミー君とサム君、スウェナちゃんと私の四人が会長さんの次の車に乗り込み、柔道部三人組が三台目に乗ると先頭のタクシーが走り出して続く車も次々と。えっと…何処へ行くんでしょう? 運転手さんは心得た顔でハンドルを握り、会長さんのタクシーの後ろにピタリとくっついています。この道は確か…。
「まっすぐ行ったらあそこだよな? 最近派手に宣伝してる…」
サム君が言うのは縁結びで知られた神社でした。元々はそのすぐそばのお寺が観光名所だったのですが、いつの間にやら小さな神社が御利益絶大と評判なのです。教頭先生が怪しげな絵馬を奉納するなら一番に選びそうな所かも…。案の定、タクシーが滑り込んだのは神社に近い駐車場。会長さんは私たちを引き連れ、ごった返している境内に行って…。
「ほら、あそこに」
見てごらん、と思念波で誘導された先には沢山の絵馬。今度はサイオンを同調させてくれているらしく、私たちの目でも重なった絵馬を透かして問題のモノが見えました。
「…ブルーと結婚できますように…?」
恋愛成就と書かれた横の文字をサム君が声に出して読み上げて…。
「冗談じゃねえよ! なんであんなの書いてるんだよ!」
サム君が怒るのも無理はありません。アルテメシア大神宮では恋愛成就だけでしたから…。会長さんが溜息をつき、サム君の肩をポンと叩いて。
「…ここは縁結び専門の神様だからね、結婚したい相手が決まってる人は具体的に書いておかないと…。恋愛成就と書いただけでは他の人とくっついてしまう可能性がある」
「だったらそれでいいじゃねえかよ、ブルーに特定しなくってもさ!」
「ハーレイのお目当てはぼくなんだってば。…行くよ、次」
タクシーに戻るのだと思っていたのに、会長さんが向かったのは神社に近いお寺の山門。ついでに初詣というわけでしょうか? 会長さんとは宗派が違いますけど、細かいことを言っていたのでは神社にもお参り出来ませんし…。お寺は観光客で賑わっています。会長さんは山門をくぐり、脇の小さなお堂に行って…。
「……ここもしっかり祈願済みか」
「「「は?」」」
そこにあるのは小さな祠。お地蔵様が祀ってあるだけで絵馬の類は見当たりませんが…?
「分からないかな、お地蔵様の視線の先が問題なんだよ」
会長さんが指差した先にはアルテメシア公園の広大な緑が見えていました。それがいったいどうしたと…?
「ここからじゃよく見えないけれど、あの方向にぼくの家がある。…このお地蔵様は変わっていてね」
祠に一礼した会長さんが不思議な呪文を三回唱え、お地蔵様の頭をスッと両手で抱えて。
「今のは地蔵菩薩の御真言。…ハーレイも多分唱えたと思うよ、舌を噛みそうになりながら…さ。このお地蔵様、首がグルリと回るんだ」
「「「あ!」」」
本当に首が360度クルリと回転する仕様でした。
「…おん、かかかび、さんまえい、そわか」
さっきの呪文を唱えた会長さんはお地蔵様の首を違う方向に向けてしまって。
「これでよし。…これは首振り地蔵と言ってね。お地蔵様の首を好きな人の家や、願い事のある方向へ向けて祈願するんだ。ハーレイが来た後、誰も参拝しなかったのか、それともハーレイの残留思念が勝ったのか。…とにかく別の方向へ向けたがる人が無かったらしい。厄介だよね」
「やっぱり結婚祈願なわけか?」
キース君の問いに、会長さんは頷いて。
「うん。この調子であちこち根性で回ったようだよ、それを今から虱潰し」
「「「………」」」
教頭先生、何ヶ所で願を掛けたのでしょうか? タクシーはアルテメシア中を走り回って、私たちは教頭先生が残しまくった祈願の痕跡を巡りました。恋愛成就のスポットなんかとは全く無縁に暮らしてるだけに、新鮮と言えば新鮮ですけど…。

お寺や神社をタクシーで幾つも回る中には意外なものや珍しいものが色々と。枝が地面に擦れるほどに長く垂れた柳の木が印象的なお寺では…。
「ここで縁結びを祈願する人は、二本の柳の枝をおみくじで一つに結ぶんだよ。ハーレイが結んだヤツはこれだね」
眺めているだけの会長さんにジョミー君が。
「外さないの?」
「それはマズイと言っただろう? 一応、願が掛かってるんだし、ここの仏様に失礼になる。…さっきの首振り地蔵みたいに誰でも次の願を掛けられるんなら問題ないけど」
外したいけどね、と舌打ちをする会長さんは悔しそうでした。更に何ヶ所か巡ってから行った大きな神社には二本の木が一つに繋がって一本に見える御神木が祀られていて、そこに教頭先生の絵馬が。
「連理のサカキさ。サカキは賢い木と書くんだ。比翼の鳥、連理の枝って言葉を知ってるかい? 天に在りては願わくは比翼の鳥と作らん、地に在りては願わくは連理の枝と為らん。…二本の木が絡み合って一本になっているから永遠の愛の象徴でね…。この御神木にお願いすれば、もう究極の縁結び」
えっと。教頭先生、願掛けに燃えているようです。あっちもこっちも絵馬だらけ。アルテメシア郊外の山奥にある別の神社にもしっかりと絵馬が奉納されていて…。
「…ここって丑の刻参りじゃなかったっけ?」
そう聞いてるよ、と首を傾げるジョミー君に私たちも同感でした。今でも藁人形がよく見つかると耳にしている神社ですけど…?
「違う、違う。悪縁を切って良縁を結ぶ。遥か昔から縁結びで知られた神社だったんだよ、本当は…ね。しかし、ここまで来るとは執念だよねえ…。この山道を来たわけだから」
ねえ? と会長さんが見下ろしているのはアルテメシアの市街地でした。かなり離れた山奥なのでアルテメシア公園が何処にあるのかもよく分かりません。だいたい人家が殆ど無いような山奥ですけど、教頭先生、相当気合が入ってますよね…。
「さてと、この神社でハーレイの足跡巡りはおしまいかな。ずいぶん沢山回ったけれども、お疲れ様。…お腹も空いてきたと思うし、そろそろ街に戻ろうか」
「「「さんせーい!」」」
私たちは再びタクシーに乗り込み、元来た道をアルテメシアへ。市街地に入り、会長さんのマンションが見えて来ましたが…。
「「あれっ?」」
ジョミー君とサム君が同時に声を上げ、通過してしまったマンションの方を振り返ります。行き先は会長さんが決めていましたし、もしかして何処か飲食店にでも行くのでしょうか?
「…え? あの道って…」
会長さんを乗せたタクシーが右折し、住宅街に入りました。私たちの車も続き、幾つか角を曲がった果てに。
「「「………」」」
「お客さん、着きましたよ」
タクシーのドアが開けられたのは嫌と言うほど見慣れた家の前でした。会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」が先に降りて走り去るタクシーに手を振っています。ということは……此処が最終目的地ですか! どうしろと、と顔を見合わせつつタクシーを降りると私たちの車も行ってしまって、続いて降り立つキース君たち。…なるようにしかならないだろうと思いますけど、よりにもよってこう来ましたか…。

「どうしたんだい? 新年の行事と言えば初詣と年始回りだろう?」
ニッコリ微笑む会長さんが門扉の横のインターホンを押そうとしています。初詣はたっぷりしてきましたけど、年始回りは想定外。しかもこの家には…って、時既に遅く。
「どなたですか?」
インターホンから響いてきたのは教頭先生の声でした。
「ぼくだけど? あけましておめでとう、ハーレイ」
「………!」
息を飲む気配がしてプツリと音が切れ、すぐにガチャリと玄関の扉が開け放たれて…。
「…なんだ、お前だけではなかったのか…」
あからさまにガックリきている教頭先生。会長さんはクスクスと笑い、私たちの方を振り返りながら。
「ぼく一人ってことは有り得ないって前から言っているだろう? ゼルたちに厳しく止められてるんだ、ハーレイの家に一人で行ってはいけない…ってね。ぶるぅが一緒か、でなきゃ友達を連れてくるか。…どっちかでなけりゃ年始回りなんて、とてもとても」
「年始回り…?」
「そう。もっとも回ると言っても此処だけだから…単なる年始の挨拶かな? もちろん入っていいんだろう?」
「あ、ああ…。散らかっているが…」
教頭先生は門扉を開けて私たちを入れてくれました。
「お邪魔しまぁ~す♪」
一人前の挨拶をして玄関に向かって跳ねて行くのは「そるじゃぁ・ぶるぅ」。
「待て、待て、ぶるぅ! 真っ直ぐリビングに行くんだぞ! ダイニングはまだ片付いてなくて…」
「かみお~ん♪」
ピョーンと家に飛び込んで行った「そるじゃぁ・ぶるぅ」を追い掛けていく教頭先生。年末の大掃除はきちんとしたのでしょうが、元日は初詣ならぬ願掛け巡りに走り回っていた筈ですし、もしかしたら散らかりっぷりが半端じゃないのかもしれません。洗ってない食器が山積みとか…。これは御馳走もあんまり期待できないかもです。
「大丈夫だってば、食事の方は…ね」
保証する、と会長さんが太鼓判を押しました。
「ぼくの家で宴会しようと思って、ぶるぅと一緒に用意したんだ。おせち料理をたっぷりと…。それを運ぶから問題ないよ。それよりも…」
あそこ、と会長さんが指差したのはガレージでした。教頭先生の愛車が停まってますけど、それが何か?
「車じゃなくって、その奥さ。…自転車が入っているだろう?」
「ああ、あれな…」
ママチャリか、とキース君はちょっと意外そう。柔道十段の教頭先生にママチャリはあまり似合いません。もっとかっこいいのにすればいいのに…、と誰もが思ったのですが。
「どうもああいうのが好きらしいよ。家庭的な雰囲気を演出したいらしいんだ」
結婚してもいないくせにね、とフンと鼻を鳴らす会長さん。
「ハーレイが元日に乗っていたのはあの自転車さ。あれでアルテメシア中を走り回って、山道まで上って行ったってわけ。…もう根性としか言いようがない」
「「「自転車で!?」」」
タクシーの走行距離を思い返して私たちは目が点でした。おまけに最後に行った丑の刻参りで知られた神社への道は急な上り坂で、あれを自転車を漕いで上って行くのはキツそうです。…その分、帰りは楽でしょうけど…。
「理想は自分の足で歩いて回ることなんだけど、それじゃ一日で回り切れない。歩いて回れる範囲にするか、御利益を求めて全部のスポットを制覇するか。…そこで選んだのが全部のスポット。車では御利益が無さそうだから自転車にしたってことらしいね」
まさに執念、と肩を竦めて会長さんは玄関に入っていきました。恋愛成就だの結婚祈願だのと書きつけた絵馬を奉納しまくっていた教頭先生の家に押し掛けるなんて正気でしょうか? まあ、いざとなったらキース君たちもいるわけですし、ドクター・ノルディの家に行くよりマシだと思って入るしかないか…。

教頭先生の家の広いリビングは綺麗に片付けられていました。私たちは「あけましておめでとうございます」と年始回りらしく挨拶をして、それから会長さんが瞬間移動でおせち料理が詰まった重箱を沢山取り寄せて…。
「ハーレイ、お酒はないのかい?」
せっかくだから、と会長さんが言いましたけど、未成年が多数ということで飲酒は却下。梅シロップで我慢しろ、と教頭先生が出してくれたのは自作なのだそうです。この雰囲気は「そるじゃぁ・ぶるぅ」と「ぶるぅ」の誕生日パーティーの時よりアットホームでいい感じかも…、と思い始めた頃のこと。
「ところで、ハーレイ」
会長さんが改まった口調で切り出しました。
「今年の書き初めはかなり気合が入っていたね」
「書き初め…?」
なんのことだ、と怪訝そうな顔の教頭先生。会長さんは「見たよ」と悪戯っぽい笑みを浮かべて。
「ほら、アルテメシア大神宮さ。みんなで初詣に行ったんだけど、絵馬を奉納しようとしたら君の書き初めを見付けちゃって」
「…み……見たのか、あれを?」
教頭先生は耳まで赤くなり、ゴホンと軽く咳払い。
「…あ、あれはだな…、そのぅ…なんと言うか………新年くらい夢を見たかったと言うか…」
「今年の抱負とかではなくて?」
「そ、そこまでは……そこまでとんでもないことは…!」
焦りまくる教頭先生に会長さんは。
「なんだ、残念」
「…残念?」
鸚鵡返しに訊き返した教頭先生の前に会長さんが一冊の本を差し出しました。
「これ。…最近流行りの本だよね? 君の寝室から拝借したけど」
「……そ、それは……」
タラリと冷や汗を垂らす教頭先生。本の表紙に書かれた文字は『アルテメシアの御利益さん』です。恋に金運、商売繁盛、ありとあらゆる御利益スポットを網羅していると派手な帯までかかったもの。会長さんは本のページをパラパラとめくり、とある部分を開いてみせて…。
「恋愛成就の御利益スポット一覧表と巡拝マップ。全部に丸がつけてあるのは回ったって意味じゃないのかい?」
「い、いや……その…いつか回れたらいいなと言うか、一度は巡拝したいと言うか…」
「…素直じゃないねえ…」
会長さんは軽く溜息をつき、巡拝マップを指で辿って。
「ここがアルテメシア大神宮だ。出発点もここになってるよね。次がこっちで、その次が…。時計回りにアルテメシアをぐるっと回って、一番最後に山に入って、ここが終点。…実はぼくたち、全部回ってみたんだけれど?」
タクシーで、と付け加えるのを会長さんは忘れませんでした。
「一年の計は元旦にあり。…その勢いで全部根性で回ったくせに隠すんだ? それも自転車で頑張ったのに…ね。そんなのじゃ恋は成就しないよ? 君の熱意を確認したから少しは気にかけてあげたのに」
だから年始の挨拶回り、と会長さんは綺麗な笑顔を見せました。
「あれだけ恋愛成就と結婚祈願を書き初めされたら、いくらぼくでも心が動く。君の巡拝の足跡を辿ったタクシー代を払ってくれたら、もっと気持ちが傾く…かもね」
「本当か?」
教頭先生の上ずった声に、会長さんは軽く小首を傾げてみせて。
「信じないならそれでもいいけど、巡礼の旅にはけっこうパワーがあるんだよ? そして御利益を頂戴するには元日というのは最高だ。…今年こそ、と思ったのなら、まずは自分を信じないとね」
「もしかして……結婚……してくれる…のか?」
「君の誠意と熱意によるかな。なにしろタクシーを三台貸し切ったからねえ、新年早々、痛い出費だ」
「いくらだったんだ、タクシー代は? 遠慮はいらんぞ」
私が出そう、と財布を取り出す教頭先生。その頬は赤く染まっていました。まさか会長さん、本気で教頭先生の熱意にほだされちゃいましたか…? それだけは無いと思いますけど、教頭先生はその気のようです。御利益スポットを回り倒せば会長さんとの恋愛成就って、世の中、そんなに単純なの~?



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