シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。
- 2012.01.17 農場夢草子 第2話
- 2012.01.17 農場夢草子 第1話
- 2012.01.17 始まりは甘く 第3話
- 2012.01.17 始まりは甘く 第2話
- 2012.01.17 始まりは甘く 第1話
いきなり降ってきたテラズ様と呼ばれる謎の物体。キース君の読経は木魚を交えて続いています。二人の女性職員さんの内、テラズ様を握った人が天井を指差しながらおもむろに口を開きました。
「君たち、何か悪戯したの? これが勝手に落ちてくる筈はないんだけれど」
「してないよ!」
ジョミー君が叫びます。一番近い場所に落ちてきただけに、最悪にマズイ立場でした。
「ぼくがココアを飲もうとしたら、上からゴトッと落ちて来たんだ。もうちょっと横に落ちてたらカップが割れてしまったかも…」
「ぼくも見ていた。ジョミーは何もしていない」
会長さんがスプーンでココアをかき混ぜます。
「そしてぼくたちも無関係だ。…だいたい、テラズ様っていうのは何なんだい? 初めて見ると思うんだけど」
「…えっと…」
職員さんたちは顔を見合わせ、それから会長さんを見て。
「ソルジャー、ご存じなかったんですか? ここの古顔は全員知ってることなんですが」
「そう言われても…。ぼくは農場には滅多に来ないし」
「この建物と深い関係があるんですけど、ご存じないということでしたら農場長を呼びましょうか?」
「それじゃ、お願いしようかな。もうすぐキースのお経も終わる」
分かりました、と手が空いている職員さんが管理棟に内線電話をかけ始めます。キース君はキンキンと甲高い音がする叩き鉦を派手に打ち鳴らし、やおら姿勢を正してお念仏を朗々と唱え、数珠をジャラジャラ擦り合わせると深く一礼して私たちの方に向き直りました。
「…なんだ、早速ティータイムか? 雑音がするとは思っていたが、お念仏を唱えるヤツが一人もいないとは嘆かわしいな」
「雑音? そんなのを感じてる間はまだまだダメだね。無我の境地で読経しないと」
緋の衣までの道は遠いよ、と会長さん。キース君は「違いない」と苦笑してテーブルの方にやって来ましたが、そこへ農場長さんが駆け込んできて…。
「テラズ様が落ちて来たって!?」
「は?」
さっきからの騒動を知らないキース君は怪訝な顔。女性職員さんと私たちは、農場長さんとキース君に謎の物体が落ちてきた経過を改めて説明し、誓って何もやってはいないと身の潔白を主張しました。代表は無論、会長さんです。
「本当だよ。キースのお勤めが終わるまでお茶でも飲んで待っていよう、って…。ぶるぅがココアを入れたんだ。お菓子はテーブルの上に置いてあったし、ココアとカップも出ていたし…。その他の物は触っていない。もちろんサイオンも使ってないさ」
冷蔵庫にケーキが入っているのも知らなかったよ、と会長さん。
「で、その物体の正体は何? テラズ様なんて初耳だ」
「…そうですか…」
農場長さんはフウと溜息をつき、女性職員さんが手渡した謎の物体をテーブルの真ん中に丁重に安置しました。
「では、最初からお話し致しましょう。百年以上も昔のことなのですが…」
チラリと会長さんを眺め、農場長さんは椅子に腰掛けます。キース君も女性職員さんたちもテーブルを囲み、思わぬところでマザー農場の昔話が語られ始めたのでした。
マザー農場が出来たのはシャングリラ学園の創立と同じ頃。最初は学園の食堂に農作物や牛乳などを納入していたそうです。やがてシャングリラ号の建造が始まり、それに合わせて農場の規模も大きくなって、シャングリラ号の完成記念に一般の人も泊まれる施設を作ろうという話になって…。
「そして出来たのが、この建物というわけです。改装したりはしていますけど、基本は建てられた頃と殆ど変わっていませんよ。…ブルー、まさかお忘れになってしまわれたとか?」
「言われてみればそうだったかなぁ…」
「…あなたは船の方に夢中でらっしゃいましたからね。あちらには専用のお部屋もありますし」
「うん、青の間は大好きだよ」
マンションの寝室も似た雰囲気にしてあるんだ、と会長さんは微笑みます。
「それで、この建物とテラズ様とやらは何か関係があるのかい?」
「大ありです! でなきゃ走って来ませんよ。テラズ様は棟上げの時に屋根裏に納めたヤツなんですから」
「「「えっ?」」」
会長さんも私たちも目を丸くして謎の物体を見詰めました。しばらくしてから会長さんが。
「これを棟上げの時に屋根裏に…? 普通は御幣じゃないのかい? 扇なんかの飾りがついた…」
「そうです。もちろん御幣がメインなのですが、テラズ様は棟梁のこだわりでして…」
「こだわり?」
「ええ。ご相談させて頂きましたよ、あなたには。ブルーではなくソルジャーとして」
聞いてらっしゃらなかったようですね、と農場長さんは額を押さえます。
「最後まで話を聞かない内からオッケーだなんて仰って…。本当の本当にいいんですか、と何度も念を押しましたのに」
「ぼくは上棟式には出ていないから、細かい話は知らないよ。要するにテラズ様っていうのは、御幣のオマケみたいな物なんだろう」
「まあそうです。上棟式では御幣の他に鏡や櫛といった女性の七つ道具を入れた袋を納めたりするのはご存じですね? 地方によって色々と違うようですが、この建物を建てた棟梁の出身地では女性の人形を納める習慣があったそうでして…」
「ふうん、女性の人形ねえ…」
それでテラズ様を納めたのか、と会長さん。
「かなりユニークな造形だけど、女性の姿には違いない。郷土人形か何かかな?」
「違います! 本当に右から左へ聞き流してしまわれたのですね、あれほど真面目に相談したのに…。テラズ様は郷土人形なんかじゃなくて趣味ですよ。棟梁の趣味の手作り人形ですよ!」
「「「手作り人形?」」」
センス悪っ! と誰かが呟きます。そうですよねぇ…上棟式で納めるんなら、もっと綺麗なお人形とか…可愛いのとか…。棟梁になれるくらいの人なんですから、大工の腕は確かでしょう。それなら手先も器用でしょうし、その気さえあればもっとマトモな人形だって…。
「センスの問題じゃありません。テラズ様は棟梁の芸術が爆発しているだけで、それ自体は別にいいんです。問題はモデルが実在の人物だったということで…」
だからあれほど言ったのに…、と農場長さんは派手な溜息を吐き出しました。
「その人形には棟梁のファン魂が籠もっているんです。当時、絶大な人気を誇ったダンスユニットがありましてね。お寺の跡を継ぐ立場の女性ばかりで結成したから、名前がテラズ。九人のメンバーは名前を隠してナンバーで呼ばれ、棟梁はそれのナンバー・ファイブ……五番の女性が好きだったそうで」
ほら、ここに、と農場長さんがテラズ様とやらの顔のすぐ下を指差します。そこには赤で『5』という数字が。
「棟梁は自分が建てた建物にファン魂を籠めた人形を納めてみたかったんです。けれど、承知してくれる御施主様が出て来なくって…。まあ、普通は誰でも断るでしょうね。承知したのはウチだけですよ。棟梁が引退した後、そう言って御礼に来ましたから!」
あなたが適当に返事をするからこうなるんです、と嘆く農場長さんでしたが、会長さんはクスッと笑って。
「いいじゃないか、結果的に人助けになったわけだろう? テラズ様の意味はそれで分かった。正確にはテラズ・ナンバー・ファイブ様なんだね」
「ああっ、フルネームで呼ぶのはおやめ下さい! みんなテラズ様としか言わないんですよ」
人形を納めるのを見ていた仲間たちは複雑な心境だったのですから、と農場長さん。そりゃあ…棟梁のファン魂が籠もった人形なんて、誰だって遠慮したいですもんねぇ…。
テラズ様という名前の謎は解けました。けれど屋根裏に納められた人形が何故ここに? 農場長さんは会長さんの顔を窺い、天井を見て。
「何もしていないのに落ちてきたとは…。どこにも穴は見当たりませんし、建物に何か問題が起こるかもしれないという警告でしょうか?」
「そうかもしれない。基礎とかにガタが来てるとか…。業者に点検を頼むべきだろうな」
「すぐに電話をいたしましょう。テラズ様は屋根裏に戻しておきます」
よいしょ、と立ち上がった農場長さんは、テラズ様を大切そうに両手で持って出て行きました。ファン魂の発露とはいえ、今となっては上棟式に納められたお人形です。粗略には扱えないということでしょう。女性職員さんたちも昼食の用意をしてくるから、と厨房の方へ。
「…知らなかったよ、あんなのが屋根裏にあっただなんて。シャングリラ号にも何か乗っかってるかもしれないな」
誰かの趣味の人形とかが、と会長さん。
「船霊様はどうしましょう、と真面目な顔で言った仲間がいたんだよね」
「「「ふなだま…さま?」」」
「そう、船霊様。航海の安全を願ってお祀りする神様さ。どう返事したのか覚えていない。…ぼくが知らないだけでシャングリラ号にも人形が乗っているのかも…。船霊様は柱の下とか機関室に置く人形や御札のことだと聞いてるから、今度ハーレイに訊こうかな」
キャプテンだしね、と会長さんは笑っています。シャングリラ号にまで変な人形があったとしたら、それも会長さんの責任ってことでいいのでしょうか。まあ、ファン魂を籠めたがる人がそうそういるとも思えませんが…。
「ところで、キース」
さっきから黙ったままのキース君に会長さんが水を向けました。
「いつもの元気はどうしたんだい? ぼくの適当な返事のせいで妙な人形を奉納されて、シャングリラ号にまで似たようなものが乗っているかもしれないんだよ? よくソルジャーが務まるもんだ、とか突っ込んでくれなきゃ面白くない。それとも何か気になることでも…?」
ああ、と手を打つ会長さん。
「思い出したよ、テラズのこと! ずいぶん昔で忘れてたけど、ナンバー・ファイブって凄い美人で…」
「待て!」
キース君が血相を変えて会長さんを遮りましたが…。
「そう、君のお母さんにそっくりなんだ。出身地は確かアルテメシアの…」
「わーっ!!!」
言うなぁぁぁ、という叫びを他所に会長さんは続きを思念波に乗せて。
『璃募恩院と関係のあるお寺。そこまでしか聞いていなかったけど、キースの慌てっぷりから推測するに…多分、乃阿山・元老寺だね』
「「「えぇぇっ!?」」」
「うわぁーっ!!」
頭を抱えるキース君。どうやら図星だったみたいです。会長さんはクックッと必死に笑いを堪えながら。
「テラズ様が落っこちてきた理由が分かったよ。孫…じゃなくて、曾孫? 玄孫? それとも玄孫の孫くらいかな? とにかく自分の子孫の子供が来てくれたのが嬉しかった、と。お経を唱える声で気付いて、姿を見たくて落ちて来たんだ」
「そ…そうなの?」
ジョミー君が目を丸くしている間に、会長さんは内線電話で農場長さんを呼び出して。
「あのね、さっきのテラズ様の話なんだけど…」
落っこちてきた理由は別の所にあるようだ、と説明すると受話器をカチャリと置きました。
「ふふ、すごくビックリしていたよ。でも業者さんの点検はいい機会だから、近い内にお願いするってさ。で、どうする、キース? これからテラズ様を屋根裏に戻すらしいんだけど、その前に会いに行ってくる?」
「…………」
「素直じゃないね。君の御先祖様なんだよ? ほら、もう戻しに来たから行ってきたまえ」
梯子を担いだ若い男性が農場長さんと一緒に階段の方へ行くのが見えます。キース君は無言で立ち上がり、農場長さんたちを追って駆け出しました。テラズ様がキース君の御先祖様の女性だったとは…。お母さんにそっくりってことは、キース君のパパはもしかして…?
「そう、キースのお父さんは婿養子なんだ。テラズを結成していた御先祖様もお坊さんと結婚した。いずれ婿養子を迎えて寺を継がなきゃ、っていう立場の女性がストレス解消のために踊っていたのがテラズなんだよ」
美人揃いでダンスもプロ級だったけどね、と会長さん。
「テラズのナンバー・ファイブっていえば、一番ファンが多かったかな。キースのお母さんも美人だろう? あの人にそっくりの美人だったのに、それを人形にしたのがテラズ様とは…。芸術ってサッパリ分からないや」
あんな不細工な顔じゃないよ、と会長さんは不満そうです。妙な人形が屋根裏に納められている件については、特に気にしてないみたい。それくらいのことで文句を言ってちゃソルジャーは務まらないのかもしれませんけど、納められたことにも気付いてなかったソルジャーというのは問題有りかも…。
昼食はカレーライスでした。農場長さんたちと一緒に屋根裏に登らせてもらったというキース君も帰ってきて、みんなで食事。屋根裏には太い立派な梁が何本も通っていたそうです。そこの太い柱の一つに御幣が祀られ、テラズ様は隣に置かれた木箱の中に入れてきたとか…。
「えっ、あれって箱に入ってたわけ?」
ジョミー君がスプーンで天井を指しました。
「すり抜けてきたのは天井だけかと思ってたけど、箱まで抜けてきちゃったんだ…。よっぽどキースを見たかったんだね」
「…そうらしいな…」
非常識な、とキース君。
「俺の声が聞こえたからって、納められた場所を抜けてくるのはどうかと思うぞ。それじゃ守護神失格だ」
建物を守る目的以外で持ち場を離れるべきではない、と苦い顔のキース君に会長さんが。
「御先祖様を悪く言うものじゃないよ。それよりも出会えた御縁を喜びたまえ。…君のお母さんを見た時、誰かに似てると思ったけれど…テラズのナンバー・ファイブとはね。とてもダンスが上手だったよ。ね、ぶるぅ?」
「えっと…そうだっけ? ぼく、テラズのダンスは覚えてないや。だって、つまらなかったんだもん」
着ぐるみショーの方がいい、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」は子供らしいことを言っています。でもテラズの舞台は百年も昔。うっかり忘れてしまいがちですけど、「そるじゃぁ・ぶるぅ」は会長さんより十数年後に卵から生まれ、三百年以上も子供の姿で生き続けているんでしたっけ。六年ごとに卵に戻って、孵化し直して、また六年…。そんな「そるじゃぁ・ぶるぅ」を見守ってきたのがマザー農場の仲間たちです。
「カレーライスのおかわりはいかが?」
女性職員さんがニコニコ顔で男の子たちのお皿にカレーを盛り付け、スウェナちゃんと私にはデザートのプリン。
「テラズ様にはビックリしたわ。…あなたのお祖母様がテラズ・ナンバー・ファイブですって?」
「…祖母じゃなくって曾祖母です」
「あら、ごめんなさい! そうねぇ、百年も前ですものね」
農場暮らしは時間の感覚が鈍ってダメね、と自分の頭をコツンと叩く職員さん。見た目は三十代ですけれど、管理棟の平均年齢は二百歳を超えると会長さんが言ってましたし、二百歳くらいかもしれません。もう一人の職員さんも似たり寄ったりの外見です。二人ともテラズをよく覚えていて、夕食の時には管理棟のコレクションから選んだという音楽を聴かせてくれました。
「これこれ、この曲がテラズの十八番よ!」
「息がピタリと合ってたのよねぇ。惚れ惚れするようなダンスだったわ」
ライブラリーに映像も残ってる筈よ、と職員さんたち。明日は一緒に探しましょう、と熱意溢れる瞳です。でもキース君は…。
「…探さなくていいです。俺の決意が鈍りますから」
「「決意?」」
なあに、それ? と職員さん。
「俺、実は坊主になりたくなくて…両親に反抗してたんです。その頃、両親に何か言われる度に曾祖母とテラズのことを引き合いに出して、俺もやりたいようにやる、って…」
「あら。今は仏様まで持って来るほど熱心に修行してるのに…。分かったわ、テラズの話は終わりにしましょう」
テラズ様のお蔭で懐かしい話が出来て楽しかった、と職員さんたちは笑顔でした。キース君の御先祖様の意外な過去は私たちにとっても格好のネタで、シロエ君なんかは…。
「先輩も大学でバンドを組んだらどうですか? お坊さんですし、ボーズとか。音響機器メーカーの名前みたいでカッコいいですよ」
「その名のバンドは俺の先輩がやっている。…あと、ライバルのソーズもな」
「「「そうず???」」」
「坊主の位だ。僧の都と書いてソウズと読むんだ」
両方ともライブハウスで派手にやってるらしいです。そのライブハウスの名前が祇園精舎で、ライブとセットで説法会もあるのだとか。お坊さんの世界って意外に奥が深いんですねぇ…。
夕食が済むとキース君は夜のお勤めを始めました。またテラズ様が落っこちてきたらどうしよう、と私たちはドキドキです。けれど何事も起こらないまま読経は終わり、それから後はお風呂に入って、また食堂に集まってワイワイと…。ふと窓の向こうの管理棟を見ると、灯りが消えて真っ暗でした。
「農場は朝が早いからね」
就寝時間も早いんだ、と会長さんが窓のカーテンを閉めに行きます。
「ぼくたちも規則正しい生活とやらをしてみようか。たまには早く寝るのもいいだろ?」
いつもなら起きている時間でしたが、郷に入りては郷に従え。私たちは二階の部屋に帰っておとなしく寝ることにしました。灯りを消してスウェナちゃんとしばらく話していたものの、引き込まれるように夢の中。そこへコトリ、と微かな音が…。
(???)
また何処かでコトン、と小さな音。耳を澄ますと、また…コトン。階段の方から聞こえてきますが、これってやっぱり夢なのかなぁ? あ、また…コトン。音はだんだん近づいてきます。まるで階段を上ってるみたい…。コトン、コトリ、コトン。トン、トン…。階段を上り切って、今度は廊下? コトリ、コトリ…。
(止まった…)
カチャ、カチャ、と金属が触れ合う音がします。あの音はひょっとして鍵穴の…? と、キィィッと扉が軋んで……コトン、コトリ、コトン。音が部屋の中に入って来ました。これって夢? それとも現実? 恐る恐る目を開けて床の方を見ると光が一筋。廊下の光が差し込んでいるってことは、扉が開いているわけで…。扉は寝る前に確かに鍵をかけてた筈で…。
(夢だ、夢に決まってる! テラズ様が落ちてきたりしたから、興奮しちゃって変な夢を…)
コトン、コトリ、トン、コトリ…。奇妙な音は部屋をぐるりと一周すると、扉の向こうに消えました。キィッと音がして部屋は再び真っ暗に。コトン、コトン、コトン……カチャ、カチャ。キィィッ。隣の部屋の扉でしょうか? 隣は誰の部屋だったかな、と考えながら眠りに落ちていって…。
「うわぁぁぁっ!!!」
凄まじい悲鳴が響き渡ったのは太陽が燦々と輝く朝でした。ドタドタドタ…と廊下を走る足音が二人分。
「なんだよ、これ!」
「待てよ、ジョミー! 落ち着けってば!」
バン、バン、と扉を激しく叩く音が聞こえて、怒鳴り声が。
「開けろ! 開けろよ、キース!」
いったい何の騒ぎでしょう? スウェナちゃんも眠そうに目を擦っています。二人で扉から廊下を覗くと、ジョミー君がパジャマのままでキース君たちの部屋の扉を叩いていました。その横ではサム君が同じくパジャマ姿でオロオロと…。
「開けろってば!」
ドンッ! とジョミー君が扉を蹴飛ばし、扉がキィッと中から開いて。
「……朝っぱらからうるさいヤツだ」
身支度を整えたキース君が不機嫌そうな顔を覗かせます。
「着替えもせずに何をやってる? どけ、俺は朝のお勤めがあるんだからな」
「お勤めが何さ!」
ジョミー君が声を張り上げました。
「迷子になった御先祖様も探せないくせに、ろくな坊主になれっこないよ! これってキースの曾祖母さんだろ!」
グイ、とジョミー君が突き出した手に握られたものはテラズ様。夜明けと共にまた出ましたか…?
「…それで喧嘩になったってわけだ」
会長さんの前にバツが悪そうに座っているのはキース君とジョミー君でした。廊下で取っ組み合いをしそうになった二人をサム君とマツカ君が止め、シロエ君は会長さんを呼びに走ったというわけです。会長さんはとっくに起きていたらしく、キース君に朝のお勤めをさせて、ジョミー君には着替えをさせて…今は食堂で事情聴取の真っ最中。
「要するに、テラズ様が何故かジョミーの部屋にあった…と」
「部屋じゃなくって枕元だよ。おまけに声が聞こえたんだ」
「声?」
「うん。夢だったかもしれないけれど、見つけた…って」
その前にコトン、コトンと何かが近付いてくる音を確かに聞いた、とジョミー君は言いました。
「あの音はきっとテラズ様だよ。テラズ様がキースを探してたんだ。で、真っ暗だったから、ぼくとキースを間違えて…」
「その音ならぼくも聞きましたよ」
手を挙げたのはシロエ君。
「夜中に入ってきたみたいです。扉がキィッと開く音がして、それから部屋中をコトリ、コトリと…。夢だと思ってたんですけども」
「そういえば…」
ぼくも聞きました、とマツカ君が頷きます。続いてスウェナちゃんが手を挙げ、そして私とサム君も…。
「なんだ、殆ど全員じゃないか」
会長さんが呆れた様子でキース君を眺め、「君は?」と訊くと。
「…ネズミかな、と…。よく考えたら、ネズミにしては妙に硬そうな足音だったが」
「なるほどね。ぼくとぶるぅも変な音を聞いた。ついでに音の正体も見た。そうだね、ぶるぅ?」
「うん! ジョミーの部屋で止まっちゃったから、ぼくのお部屋には来てないけれど…テラズ様が跳ねてたよ。コトン、コトン、って一生懸命」
「「「ひぃぃっ!!」」」
思わず絶叫しちゃったものの、テラズ様はキース君の曾お祖母様です。しまった…と思った瞬間、シロエ君がパッと頭を下げて。
「すみません! つい、動転しちゃって…。先輩の曾お祖母様なのに失礼しました!」
「い、いや…。謝ってもらうようなことでは…。しかし、何故…」
どうして歩き回るんだ、とキース君が呻くように言った時。
「それはキースのせいではないよ」
会長さんがテーブルに置かれたテラズ様を指先で弾きました。
「ついでに言うなら、キースの曾お祖母様とテラズ様とは別物だ。テラズ様はテラズ様。早い話が付喪神さ」
「「「つくもがみ…?」」」
「そう。歳月を経た道具なんかが化けるヤツ。…ぼくは昨日から気付いてたけど、テラズ様の由来が傑作すぎて愉快だったから黙っていることに決めたんだ」
「なんだって…?」
キース君が眉を寄せ、拳をグッと握り締めて。
「…あんたってヤツは…! 俺は本当に曾お祖母様だと思ったんだぞ! 俺だけじゃない、農場長さんも職員さんも、みんなコロッと騙されて…」
「騙されたねえ」
のんびりと答える会長さん。
「でも、バレたんだからいいじゃないか。これから後が問題だけど」
「後…?」
「うん。実に困った話だけれど、テラズ様はジョミーに一目惚れらしい」
「「「ええぇっ!?」」」
全員の声が見事に揃って裏返りました。一目惚れ…。テラズ様がジョミー君に一目惚れ…。それって、どういう意味なんですか~!?
今年もシャングリラ学園に収穫祭の季節がやって来ました。おっと、その前に恒例の薪拾いがあります。収穫祭を主催してくれるマザー農場の冬の暖房用に薪を集める大事な労働。グレイブ先生が日程を発表した朝、教室の後ろには当然のように会長さんの机がありました。
「では諸君、薪拾いは明後日だ。服装はジャージ、弁当持参で来るように。それから、特別生の諸君」
ん? 私たちに何か用事があるのでしょうか。
「諸君はマザー農場に泊まり込んで収穫祭の準備を手伝うことになっている。詳しいことは放課後、改めて説明するから終礼の後も残っていたまえ」
「「「えっ?」」」
「えっ、ではない。はい、と元気よく返事をしないか!」
「「「はいっ!!」
よろしい、と満足そうに笑ってグレイブ先生は出てゆきました。会長さんもガタンと立ち上がります。
「じゃ、ぼくもこれで。…終礼までには戻ってくるよ」
今日は古典の授業は無いし、とサボリまっしぐらの会長さんを止められる人はありません。会長さんが授業に出るか出ないかは、教頭先生の授業の有無にかかっているとハッキリ分かっているんですから。
「収穫祭の準備って、何?」
ジョミー君の素朴な疑問に、キース君が腕組みをします。
「なんだろうな? 去年は食って遊んだだけだし、特に準備が必要だとは思えんが」
「そうよねえ。マザー農場って普段からジンギスカンとかやっているもの」
人手が要るとは思えないわ、とスウェナちゃん。答えを知っていそうな会長さんは逃げちゃいましたし、終礼を待つしかないわけで…。会長さんが「そるじゃぁ・ぶるぅ」を連れて戻ってきたのは本当に終礼の直前でした。グレイブ先生が「ぶるぅもか…」と舌打ちをして。
「まあいい、特別生と後ろの二人。…後で私について来い」
終礼が済むと、グレイブ先生は鞄を持った私たちを連れて会議室のある建物の方に向かいました。てっきり数学科の準備室に行くんだとばかり思ってましたが…。小会議室の扉をノックするグレイブ先生。
「あいよ、開いてるよ」
入りな、と顔を覗かせたのは意外な事にブラウ先生でした。ヒルマン先生も中にいます。
「御苦労だったね、グレイブ。入りたまえ」
グレイブ先生と私たちは会議室に入り、示された椅子に腰掛けました。これから此処でいったい何が…?
「収穫祭は知っているね」
温厚な笑顔のヒルマン先生がゆったりと口を開きます。
「君たちも去年体験したろう? とても和やかな催しだ。特別生になった生徒は最初の年に収穫祭の裏方をすることになっている。…今年はブルーとぶるぅも来ているようだが、目的は物見遊山かね?」
「もちろん」
会長さんが悪びれもせずに答えました。ヒルマン先生が苦笑し、グレイブ先生は「私の指導が至りませんで…」と小さくなります。その肩をブラウ先生がバンと叩いて。
「気にするこたぁ無いさ。ブルーはいつもこうなんだから」
ソルジャーだしね、と豪快に笑うブラウ先生。…ソルジャーって…その肩書きが学校で出てくることは無い筈です。
顔を見合わせる私たちにブラウ先生がウインクしました。
「よーし、なかなかカンがいい。それじゃ本題に入ろうかねぇ。頼むよ、ヒルマン」
本題? 本題って…収穫祭の話じゃなかったんですか?
グレイブ先生がスクリーンを用意し、地図が投影されました。えっと…この地図はアルテメシア…?
「いいかね、ここが学校だ。マザー農場はここになる」
点線で囲まれた部分がそうだ、とヒルマン先生。酪農や農業を手広くやっているマザー農場はかなり広いのが分かります。グレイブ先生が機械を操作するとマザー農場の端に青い点が浮かび、そこから道を辿るかのように青い線がぐんぐん延びて行って…。ブラウ先生が私たちの方を向きました。
「どうだい、この道、覚えてるかい? 春にシャングリラ号へ出掛けた時に…」
「「「あぁっ!?」」」
そういえば…。進路相談会だと言われてブラウ先生と一緒に向かった宇宙クジラことシャングリラ号。そこまでの往復に使ったシャトルの発着場はシャングリラ学園の私有地でしたが、今から思えば私有地のゲートに着くまでにマザー農場の脇を通っていきましたっけ。
「思い出してくれたみたいだね。シャングリラ学園所有の空港が、ここ。提携しているマザー農場が…ここ。繋がりが無いわけないだろう? ヒルマン、説明の方を頼むよ」
「ああ。…君たちはシャングリラ号で三日間ほど過ごしたわけだが、もちろん農園も見学したね?」
「「「はい…」」」
「けっこう。シャングリラ号は宇宙船だけに、食料は自給自足が原則だ。地球に戻ってきた時に保存食や嗜好品を積み込むものの、食材は可能な限り船内で賄うことになっている。…マザー農場はそのためのサポートセンターになっているのだよ」
野菜の品種改良や栽培技術の開発、家畜の繁殖・交配などが主な仕事だ、とヒルマン先生は言いました。
「もちろん表向きは普通の農場と変わらない。収益事業として一般公開もされてはいるが、農場で働いているのは我々の仲間ばかりでね。仲間だけで構成された集団の生活を見るのも楽しいだろうと、特別生の一年目はマザー農場での宿泊体験がある。収穫祭の裏方というのは建前だよ」
「手っ取り早く言えば合宿だね。仲間と暮らして、ついでにシャングリラ号をサポートしている農場の実態も見て貰う。これが気に入ってマザー農場に就職した子も多いんだ。そうだね、グレイブ?」
ブラウ先生がニッコリ笑います。
「え、ええ…。私の後輩にもそういうケースがありましたね」
お前たちはどうか知らんが、と眼鏡を押し上げるグレイブ先生。
「とにかく薪拾いの次の日からマザー農場に泊まり込んでもらうことになる。収穫祭の日もそのまま泊まりだ。家に帰れるのは後片付けを済ませた後だな。各自、そのつもりで荷物を用意するように」
なんと! 収穫祭の裏方ではなく合宿でしたか。マザー農場がシャングリラ号と繋がっていたとは驚きです。でも会長さんはソルジャーとして来るのではなく、遊び目的みたいですけど…。
「先生、質問があるのですが」
キース君が手を上げました。おやっ、という顔のヒルマン先生。
「どうしたね? 何か納得のいかないことでも?」
「いえ、そうではなくて…。マザー農場から大学に行ってもいいですか? 朝の間だけでいいんです」
「朝だけ?」
「はい。実は法務基礎の…朝のお勤めが集中期間に入っているので、できるだけ出席するようにと」
本山からのお達しなんです、と頭を下げるキース君。先生たちは顔を見合わせ、ヒルマン先生が髭を撫でながら「ふむ」と頷いて。
「いいだろう、特別に許可しよう。ただし農場の人たちに迷惑をかけてはいかん。送り迎えをすると言ってくれても、公共の交通機関を使って自分で往復するのだよ」
「はい! ありがとうございます」
キース君が返事した時、黙って聞いていた会長さんが「待って」と割って入りました。
「せっかくの合宿中に大学へ行くのは頂けないな。ぼくが本山に連絡するから、お勤めは農場でやりたまえ」
「え?」
怪訝な顔のキース君。会長さんは微笑んで…。
「ぼくが何者かは知ってるだろう? 合宿中の君の勤行は毎朝ぼくが指導する、と本山に言えば問題ない。むしろ評価が上がるくらいだ。なんといっても伝説の高僧だからね。そうだろう、ヒルマン、ブラウ? それにグレイブも」
これで決定、と会長さんはケータイを取り出して誰かに電話しています。相手は璃慕恩院の人みたいですし、夏休みに会った一番偉いお坊さんかな…?
「はい、ちゃんと頼んでおいたよ、キースのこと。本山から大学に電話してくれるそうだ。よかったね」
「………」
キース君の顔は複雑でした。それから持ち物が書かれた紙を貰って、会議室を出て「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお部屋へと。話題はもちろん合宿のこと。会長さんも「そるじゃぁ・ぶるぅ」もマザー農場に泊まるのは久しぶりで、最後に泊まったのはフィシスさんが特別生になった時なんだそうです。
「じゃあ、フィシスさんも農場のお手伝いをしたんですか?」
シロエ君がガナッシュケーキを頬張りながら尋ねました。柔道部三人組、今日の部活は遅くなったのでパスだとか。教頭先生の直接指導が目当ての特別生ですし、パスしても主将に怒られることはないんですって。
「フィシスはぼくの女神だよ? いくらお遊び程度と言っても、仕事なんかをさせるとでも?」
バカバカしい、と会長さん。
「生徒会の仕事はさせてるじゃないか」
キース君が突っ込みましたが、会長さんは涼しい顔で。
「あれはいいんだ。フィシスがぼくの役に立ちたい、って望んでしていることだから。それに実務は殆どリオだよ。有能な書記がいるっていうのは心強いね」
「…あんた、生徒会の仕事をしたことあるのか?」
「入試問題の横流しはやっているじゃないか。あれはぼくにしかできないんだ。問題を管理してるのはハーレイだからね。…後、大事なのは人気取りかな。全校生徒の人望を集めておかないと」
入試問題の横流し…。頭を抱える私たちですが、会長さんは気にしていませんでした。
「そんなことより、合宿中の話だけれど。キースの朝のお勤めを監督するのは構わないとして、問題は仏様なんだ。マザー農場にはお仏壇が無い。お勤めをするには仏様が必須だし…。どうだい、サム? 君が拝んでいる阿弥陀様をキースに貸してあげてくれないかな?」
「阿弥陀様って、あの黄金の?」
「そう。ちゃんと御厨子も誂えてあるし、合宿の間だけ…ね。それともキースが自分で用意する?」
「………」
キース君は顎に手を当て、考え込んでいましたが…。
「俺の家にも阿弥陀様は何体かあるが、大きいしな…。サムの阿弥陀様を貸してもらうか。かまわないか、サム?」
「ああ、いいぜ。それに俺だけの阿弥陀様ってわけでもないし」
ジョミーにも拝む権利はあるんだもんな、と大真面目なサム君に、ジョミー君が震え上がって。
「ち、違うってば! ぼくは阿弥陀様なんかに用事はないよ。ブルーが勝手に決めたんじゃないか!」
「ぼくはジョミーを買ってるんだよ。タイプ・ブルーの君なら、修行すればきっと名僧に…」
「いやだーっっっ!!!」
すったもんだの言い争いの末、キース君はサム君専用の阿弥陀様を借りることになりました。阿弥陀様に失礼がないよう、マザー農場へは会長さんが瞬間移動で運ぶことに。農場の人が全員サイオンを持つ仲間だっていうのは、こういう時に便利です。
「マザー農場は楽しいよ。君たちは去年のジンギスカンしか知らないけれど、食事がとても美味しいんだ。仲間のみんなも親切だしね、きっと素敵な合宿になる。ね、ぶるぅ?」
「うん! ぼくも楽しみ。お料理、手伝わせてもらおうかな? お客さんになっちゃおうかな? 悩んじゃうよ~」
ワクワクしちゃう、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」は目を輝かせて持ち物が書かれた紙を見ています。
「ぼく、去年は薪拾いに行かなかったけど、今年は頑張って拾うのもいいね。拾った薪はブルーに持ってもらえばいいんだもん!」
薪拾い用の袋は「そるじゃぁ・ぶるぅ」にはサイズが大きすぎるのです。会長さんが「持ってあげるよ」と言うと「そるじゃぁ・ぶるぅ」は大喜び。今年は薪拾いも賑やかかも…。
アルテメシア公園の裏山での薪拾いは平穏無事に終わりました。去年は会長さんが幻覚を起こすキノコのベニテングダケを集めてましたけど、今回は怪しい動きは全く無し。運搬用の丈夫なトートバッグに薪を集めていただけです。小さな「そるじゃぁ・ぶるぅ」も立派な薪を沢山拾って会長さんに運んでもらって大満足。お昼は温かい具だくさんのシチューを保温鍋に入れて出してくれましたし…。そして翌朝。
「おはよう。みんな早いね」
校庭に集まっていた私たちの前に会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」が現れました。会長さんはボストンバッグ、「そるじゃぁ・ぶるぅ」は背中のリュックに荷物を詰めているようです。校庭には全校生徒が拾った薪が山と積まれていて、もうすぐマザー農場の人がトラックで取りに来る筈でした。私たちを運んでくれるマイクロバスも一緒に来る事になっていますけど、薪は私たちがトラックの荷台に積むのでしょうか?
「おはよう! みんな揃っているな」
爽やかな声がしてラフな服装のシド先生がやって来ました。後ろには教頭先生の姿もあります。普段の開門時間より一時間も早いんですし、見送りなんて無いんだとばかり思ってましたが…行先が行先だけに学校行事より重要なのかもしれません。間もなく三台のトラックが校庭に入ってきて…。
「おはようございます。マザー農場から薪を取りに伺いました」
トラックから若い男性が二人ずつ降り、教頭先生とシド先生に挨拶をします。そして会長さんに向き直って…。
「ソルジャー、御無沙汰しております。今日は農場にお越し頂けるそうで…」
「ブルーでいい。いつも言っているだろう?」
「しかし…」
特別生もお連れですし、と言う人たちに会長さんは「ぼくは引率の先生じゃないよ」と片目を瞑ってみせました。
「この子たちは友達なんだ。ぼくをソルジャー扱いするなら、もう一人特別扱いして貰わないと。なにしろタイプ・ブルーだからね、その一人は」
「……ぶるぅですか?」
「違う、違う。誰とは言わないけれど、この子たちの中にタイプ・ブルーが一人いるのさ。ぼくの身に何か起こった時にはソルジャーになってもおかしくない。…でも特別生一年目の子にペコペコしたくはないだろう?」
「いえ、それは…ご命令とあらば」
最敬礼する六人に会長さんは「やれやれ」と大袈裟に肩をすくめて。
「シャングリラ号で過ごした時間が長い連中はこれだから…。ご命令も何もありゃしないよ。どうしても、って言うなら命令しよう。ぼくを特別扱いしないこと。…ソルジャーってヤツは肩が凝るんだ」
「「は、はいっ!!」」
「もっと自然に。でないと悪戯させてもらうよ、腕によりをかけて」
「そ、それは…」
勘弁して下さい、と叫ぶお兄さんたち。会長さんの悪戯好きはマザー農場でも知られてるとか…? ともかく妙な脅しのお蔭で、それ以後はソルジャー扱いがなくなりました。お兄さんたちはシド先生と親しいらしく、陽気に笑い合いながら一緒に薪を荷台に積み込んでいます。教頭先生はスーツですから手伝いません。
「ふむ…。順調だな」
ブルーの手伝いは要らないようだ、と作業を見守る教頭先生。
「そうだね。ぼくの出番は無さそうだ。…ハーレイ、わざわざ見送りに来たのはジョミーたちのため? それとも、ぼくのためだって自惚れててもいいのかな?」
「…馬鹿!」
皆に聞こえる、と教頭先生は頬を赤らめています。そっか、本当なら見送りはシド先生だけだったというわけですね。教頭先生、会長さんを見送りたくて早めに学校に来たのでしょう。会長さんのスクール水着のアルバムを二種類も作っていても、やっぱり純情なんですねぇ…。やがて薪の積み込みが終わり、私たちは校門で待機していたマザー牧場のマイクロバスへ。
「ソルジャー、お待ちしておりました」
「ぼく、その呼び方は好きじゃないんだ。なんか責任重大そうでさ」
またしても運転手のお兄さんと会長さんの攻防戦が繰り広げられ、会長さんの圧勝です。特別生の一人だと主張する会長さんが「そるじゃぁ・ぶるぅ」を連れて乗り込み、私たち七人が乗るとマイクロバスは発車しました。後ろには薪を積んだトラックが続き、教頭先生とシド先生が手を振っています。いよいよマザー農場へ出発ですよ!
市街地を抜け、牧草地や畑や果樹園が広がるマザー農場の門をくぐると、去年の収穫祭でジンギスカンをやった広場が見えます。マイクロバスとトラックの列は更に奥へ進み、立派な山小屋風の建物が建っている場所で停まりました。木造ですけど、かなり大きな建物です。車が停まると男女合わせて二十人ほどが現れて…。
「「「ようこそ、マザー農場へ!」」」
楽しんでいって下さいね、と笑顔いっぱいの人たちは会長さんを特別扱いしませんでした。みんなサイオンを持つ仲間だけあって、外見と実年齢が一致していないみたいです。
「ここの人たちはぼくをソルジャーとは呼ばないよ。管理棟の平均年齢は二百歳を超えているもんね」
会長さんがニッコリ笑うと、男性陣から「それは女性に失礼でしょう!」とすかさず突っ込みが入ります。女性陣は黄色い悲鳴を上げてますから、ここでも会長さんは大人気だということでしょう。なんといってもシャングリラ・ジゴロ・ブルーです。口説かれた人が混じっていても何の不思議もないわけで…。
「ブルーが御一緒ですし、説明は必要ないでしょうか? 宿舎はあちらになりますが…」
農場長だと自己紹介した初老の男性が指差したのは管理棟の隣の二階建ての木造建築。こちらもやっぱり山小屋風です。
「農場体験用の宿泊施設さ」
会長さんが説明役を引き継ぎました。
「普段は一般のお客さんたちを受け入れてるけど、合宿中はぼくたちの貸し切り。部屋数は十分にあるし、お風呂も各部屋についてるよ。食事は一階の食堂で。…暖炉があって、薪はそこで使うんだ。管理棟でも使うけどね」
「ホントに暖房用だったんだ…」
ジョミー君の言葉に職員さんたちがワッと笑って。
「全館が薪ってわけじゃないですよ」
「暖炉のある部屋で使うんです。薪ストーブも使いますけど、普通のストーブもありますから!」
要するに薪は「農場らしさ」を演出するアイテムだったみたいです。いまどき薪で暖房だなんて、変わってるなと思ってましたが…。
「じゃあ、部屋の方に行ってもいいかな? 薪運びは後で手伝うよ」
会長さんの言葉に農場長さんが微笑んで。
「薪は皆で運んでおきます。ゆっくり寛いで下されば…」
「そう? じゃあ、一つお願いがあるんだけれど。食堂に私物を置いてもかまわないかな?」
「私物…?」
「うん。彼に必要なものなんだよね」
指差されたのはキース君でした。
「彼はお坊さんの卵で、毎朝、阿弥陀様を拝むのが日課。だから仏像を置きたくて」
「なるほど…。宿泊用の部屋には置けそうな棚が無いですね。仏様には向いていないというわけですか」
「そうなんだ。ぼくも坊主の端くれだから、やっぱりきちんとしておきたいし」
「合宿中も毎朝お勤めとは…。お坊さんになるのも大変ですねえ」
頑張って、と農場長さんがキース君の肩を叩きました。
「食堂は自由に使って下さい。ここの連中は早起きですから、朝のお勤めに参加するかもしれませんね」
では、と管理棟に引き上げていく職員さんたち。思念波で会話はしませんでしたが、仲間だと実感できているのはサイオンのせいかもしれません。
宿舎には女性が二人ついてきました。部屋を割り振り、食事時間などを教えてくれて「用があれば一階の管理室にいるから」と親切です。全員、部屋は二階でスウェナちゃんと私は階段に一番近い部屋。柔道部三人組で一部屋、ジョミー君とサム君で一部屋、会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」で一部屋。荷物を置いて一階に降りると…。
「この上でいいのかい、キース?」
食堂で会長さんが作りつけの戸棚を指差しています。戸棚の高さは暖炉くらい。会長さんの横では立派な厨子が宙に浮いていて、「そるじゃぁ・ぶるぅ」の手には錦の布が…。阿弥陀様の設置場所を相談している様子です。私たちが覗き込むと、キース君が声をかけてきました。
「サムを呼んできてくれないか? 俺たちは此処でいいと思うが、あいつの阿弥陀様だしな」
「「はーい!!」」
急いで戻ると、みんな揃って階段を降りてくる所でした。食堂に入ってきたサム君たちは宙に浮いた厨子にまずビックリし、それからサム君が置き場所の説明を聞いて承諾し…。
「ぶるぅ、ここでいいんだってさ。布を敷いて」
「オッケ~♪」
棚の上に「そるじゃぁ・ぶるぅ」が赤い錦を広げ、その上に厨子が置かれます。キース君がポケットから小さな容器を出し、手のひらの上でひと振りすると、たちまち周りが抹香臭く…。あれって七味入れじゃないですよねぇ?
「塗香だよ」
会長さんが笑いました。
「「「ずこう?」」」
「身を清めるための香の粉末。あれを手に塗るか、お焼香するか、手を洗うか。…仏様に触れる前の必須条件」
そうなんだ…、と呟く私たちの前でキース君は厨子に一礼し、恭しく扉を開けました。中には黄金の阿弥陀様。埋蔵金を掘りに行って見つけた阿弥陀様です。キース君は会長さんが宙に取り出すお線香立てや蝋燭立てを棚にセットし、鐘や木魚も揃えてもらって、食堂の椅子を引っ張ってきて…数珠をまさぐり、鐘をチーン、と。
「お経を読むのに半時間はかかるよ。あっちでお茶でも飲んでいようか」
会長さんが言い、「そるじゃぁ・ぶるぅ」が備え付けのカップにココアを入れてくれました。テーブルの上には焼き菓子が盛られた器もあります。キース君を放ってくつろいでいると…。
「うわっ!」
ジョミー君が仰け反り、ゴトン!と鈍い音が。
「な、なに? いきなり上から…」
天井を見上げるジョミー君のカップの横に奇妙な物が落ちていました。長さ二十センチほどの雫型の黒い物体です。コロコロと左右に揺れてますけど、こんなものが一体どこから?
「なんだろう、これ? 天井に吊るしてあったのかな?」
ジョミー君が黒い物体をコロンと裏返すと…。
「「「ぎゃっ!」」」
黒一色だと思った物体の裏側には女性の顔がありました。角ばった白い顔はなんとも奇妙で、赤い目は左右がアンバランス。人形みたいなモノでしょうか? それともコケシ? 誰もが絶句している所に、さっきの女性職員さん二人が入って来ました。
「お経の声が聞こえてきたから来てみたの。いい声してると思うわよ」
「で、君たちはお茶ってわけね」
冷蔵庫の中にケーキもあるのよ、と近付いてきた二人の足がピタリと止まって。
「そ、それは…」
「そこにあるのは…」
二人の視線は奇妙な顔の物体に釘付けになり、同時にバッと駆け寄ると…。
「「テラズさまっ!?」」
叫んで掴み上げ、逆さにしたり裏返したりと仔細に検分しています。
「「「てらず…さま…???」」」
なんじゃそりゃ、と首を傾げる私たち。この物体の名前でしょうか? 我関せずと読経を続けるキース君の声が朗々と響く中、二人の職員さんは私たちをグルリと見回しました。私たち、何かマズイことでもやらかしましたか? 謎の物体は勝手に落ちてきたんですけど、私たちのせいにされちゃってますか~!?
会長さんのマンションに来てから早くも二時間。陽が暮れてきたというのに、エロドクターと一緒に消えてしまったソルジャーの行方は杳として知れませんでした。最初の内はショックで呆然としていた会長さんも、流石に普段の調子を取り戻して不機嫌そうに時計を気にしています。
「…ぶるぅ、ブルーはまだ何も言ってこないのかい?」
「うん。ハーレイに帰りは遅くなるよ、って言っていたから、まだまだ平気じゃないのかなぁ?」
のんびりとした声で答える「ぶるぅ」。
「晩御飯、御馳走してくれるんでしょ? ぼく、楽しみにしてるんだ」
「……晩御飯ね……」
会長さんはフゥと溜息をつき、リビングで「ぶるぅ」や「そるじゃぁ・ぶるぅ」とトランプをしていた私たちに向かって尋ねました。
「せっかく君たちも来てくれたんだし、ゴージャスなのを御馳走したいところなんだけど…ゴージャスでなくてもかまわないかな? 思い切り普段通りでも?」
「「「え?」」」
普段通りの食事といっても「そるじゃぁ・ぶるぅ」が作る食事はいつも美味しくて絶品です。わざわざ念を押されなくても、文句を言う人はいないでしょうに…。
「それがね…。本当に何の捻りもないメニューなんだ。ブルーが学食気分で食事したいって言ったから」
「なんで学食?」
ジョミー君の問いに会長さんは肩をすくめて。
「…こないだのゼル特製のせいさ。ブルー、けっこう気に入ったらしい。それで学食に興味が出てきて、学食の人気メニューを食べてみたいって言うんだよ。でも、ぼくと入れ替わるのはもう御免だし、ぶるぅにメニューだけ再現してもらって今日の夕食にしよう、って…」
「なんだ、学食の定食か」
キース君がニッと笑いました。
「同じ定食でも、ぶるぅが作れば味が違うかもしれないな。俺はそいつで構わないぜ」
「俺も! 急に押しかけてきちゃったんだし、御馳走なんてどうでもいいや」
それよりもブルーが心配だ、とサム君が会長さんを眺めます。この場合、ブルーというのはソルジャーでしょうか?
「ブルーのヤツ、いったい何処へ行ったんだろう? ブルーに迷惑かけたりしたら許さないぜ」
「無理無理、勝てっこありませんよ」
シロエ君がズバッとキツイ言葉を口にしました。
「言葉で敵う相手じゃないし、おまけにタイプ・ブルーなんです。殴りかかっても無駄ですってば。…それに、あなたは殴れるんですか? ブルーと同じ顔をした人を」
「…うう…。それは…。でも、本当にブルーを困らせたら…一発くらい…」
グッと拳を握るサム君に、会長さんが柔らかく微笑んで。
「その気持ちだけで嬉しいよ、サム。…だけどブルーを殴っちゃいけない。ぼくに弟子入りしたんだろう? 立派なお坊さんを目指すんだったら、暴力は控えた方がいい。慈悲の心は大切なんだ」
「…でも…」
「慈悲っていうのをひらたく言えば、いつくしみと思いやり。他の人に安らぎを与え、悩みや苦しみに同情して解決してあげようと努力するのが慈悲の実践。殴ったりしたら安らぎどころか、苦痛を与えてしまうだろう? だからブルーを殴るなんてことは仏様の教えに反するのさ」
暴力反対、と会長さんが言った時です。玄関のチャイムが鳴って、「そるじゃぁ・ぶるぅ」が走って行って…。
「かみお~ん♪ お帰りなさい! みんなリビングで待ってるよ!」
「ただいま。…まだ門限ってわけじゃないよね?」
大きな花束を抱えたソルジャーはとても御機嫌でした。綺麗にラッピングされた真紅の薔薇の花束です。贈り主はどう考えてもエロドクターしかいないでしょうねぇ…。
「どう? 素敵な花束だろう。帰りに買ってくれたんだ。わざわざ花屋に寄ってくれてさ」
ドクターの車で送って貰って帰って来たというソルジャーは花束を大切そうにソファの一つに置きました。
「シャングリラでも花は栽培しているけれど、ハーレイは度胸が無いからね…。こんな花束、一度も貰ったことがない。ぼくにプレゼントするんだって言えば、好きなだけ切って貰えるだろうに」
「うん、ハーレイってヘタレだもんね」
相槌を打った「ぶるぅ」もおかしそうに笑っています。あちらのキャプテンはソルジャーと両想いですが、ヘタレは教頭先生の専売特許ではないようでした。会長さんは花束を不快そうに眺め、それからソルジャーに視線を移して。
「その紙袋は? それもノルディからのプレゼント?」
「これ? これはプレゼントとは違うんだ」
ソルジャーは提げていた紙袋を得意げに掲げて見せました。
「ぼくの労働の対価だよ。見る?」
ほら、と取り出して広げられたものは…。
「「「!!!」」」
私たちの目は点になってしまっていたと思います。ソルジャーが手にしているのは紺色の女子用スクール水着でした。ゼッケンこそついていませんけれど、シャングリラ学園指定の見慣れたヤツです。そう、この間、会長さんが教頭室で着ていた水着と同型の…。会長さんがワナワナと震えだし、信じられないといった表情で。
「…ブルー…。そ、それはいったい…」
「ん? 見てのとおりの水着だよ。ノルディに買って貰ったんだ」
「「「えぇっ!?」」」
私たちの声は完全に引っくり返ってしまいました。エロドクターが何故に水着を…。しかも労働の対価だなんて、ソルジャーは何をしてきたんですか! 会長さんの顔が引き攣る様子をソルジャーは面白そうに見ています。
「ノルディに買って貰ったっていうのがダメなのかい? でも、ぼくはこっちの世界で使えるお金を持っていないし…ブルーに買って貰おうとしたら使い道を言わなくちゃいけないし。使い道を言ったら絶対ダメだって断るだろう? ぼくのハーレイに水着姿を見せたいなんて、君は断るに決まってる」
「……見せるだけではないだろうしね……」
憮然として答える会長さんに、ソルジャーは喉の奥でクッと笑って。
「ご名答。君の水着姿がとても煽情的だったから、ぼくも着てみたくなったんだ。ハーレイに見せたら喜んでくれると思うんだよね。いつもと違った刺激的な時間が過ごせそうだし、そのためには水着を手に入れないと…。ぼくの世界にもあるのかな、と一応探してはいたんだけどさ」
見付ける前にエロドクターに会ったんだ、とソルジャーは得意そうに言いました。
「お金持ちだって分かっているし、好みも分かっているからね…。ブルーのふりをして挨拶しながら思念で尋ねてみたんだよ。水着を買ってくれるんだったら、少し付き合ってもいいけれど…って」
「つ、付き合うって…」
青ざめる会長さんにかまわず、ソルジャーは戦利品の水着を見せびらかします。
「水着って聞いただけでノルディったら目の色を変えちゃってさ。仲間と出かける予定はあっさりキャンセル。それから二人でタクシーに乗って…。どんな水着だ、って聞かれて答えたら大喜びで行先を決めて、ちゃんとお店に連れてってくれた」
「…まさか学校のすぐ近くの…?」
会長さんの声は震えていました。学校指定の水着を扱っているお店にソルジャーとドクターが出かけたのなら、会長さんの立場はマズイなんてものじゃありません。水泳大会用の水着を買いに行くのが嫌でスウェナちゃんと私を代理に立てたのに、瓜二つのソルジャーに出かけられては、顔を知っている店員さんなら明らかに変態扱いで…。
「ううん、ノルディが別の店にしておこう、って。アルテメシアには同じ水着を使ってる学校が沢山あるんだってね。ここならブルーが来ることはない、とか言ってたよ。んーと…場所はよく知らないけれど…」
ソルジャーが口にした店名は聞き覚えのないものでした。とはいえ、そこでサイズを測って女子用を…? 私たちの頭の中では『変態』の二文字がグルグル回っています。
「サイズなんか測ってないよ」
思考を読まれたのか、考えが零れ放題だったのか。ホッと息をついた所へ、ソルジャーがニッコリ微笑んで。
「ブルーのデータはノルディの頭に全部入っているんだってさ。迷いもせずに水着を選んで、ちゃんとお金を払ってくれた。店員さんはぼくが着るとは夢にも思っていないだろうね」
「「「………」」」
会長さんのサイズはエロドクターの頭の中…。エロドクターはもちろん派手に妄想したでしょう。ソルジャーが欲しがっている水着ですし、欲しがるからには着るわけで…。も、もしかしてソルジャーは…エロドクターに水着姿を…? 労働の対価とか付き合うだとか、アヤシイことを言ってましたけど…。
呆然としている私たちの前でソルジャーは水着を丁寧に畳み、紙袋に入れて花束の横に置きました。
「ふふ、いいものが手に入った。今夜はハーレイと楽しめそうだ。本物を目にしちゃったら仏頂面はできないさ」
仏頂面…? あちらのキャプテンはヘタレ以前にカタブツですか? それに本物って…どういうこと?
「ブルーの水着写真を撮った日にね…」
誰もが同じ疑問を持っていたのか、ソルジャーが口を開きます。
「定時報告に来たハーレイに訊いたんだ。ブルーの水着姿を見てきたけれど、お前もぼくの水着姿を見たいかい、って。そしたら青の間で水泳でもなさるおつもりですか、とつれなくて。…おまけに床を水浸しにするのは困ります、だって。そうだよね、ぶるぅ?」
「うん。ハーレイ、いつもブルーが散らかした床の掃除をしてるもんねぇ…」
「とにかく、ハーレイは水着に興味を示さなかった。…ぼくも思念で画像を送ろうとまでは思わなかった。そんな手間をかけるよりかは、実物を見せてやるのが効果的だ。いつもと違うシチュエーションだとヘタレでも燃えてくれるだろうし」
水着を手に入れられて良かった、とソルジャーは満足そうですが…。
「…ブルー…。ちょっと聞くけど、労働って?」
会長さんの目は完全に据わっていました。
「ノルディのヤツに水着を買わせて、それから何を付き合ったわけ? ずいぶん帰りが遅かったよね」
「無粋なことを聞くんだね。…まぁいいけど」
ソルジャーはソファに腰掛け、焦らすように大きく伸びをしてから。
「ノルディに頼まれて写真のモデル。水着を欲しがった理由を聞くから、ブルーが着たのを見たって答えたら案の定、見たいって言い出してさ。でもブルーの水着姿は絶対無理だし、ぼくに着てくれって言うんだよね。ついでに写真も撮っていいか、って。…こっちのハーレイより遥かに積極的で貪欲だ」
「「「………」」」
教頭先生は会長さんの水着写真を撮ろうとは思いもしませんでしたっけ。それでソルジャーが代わりに撮るという傍迷惑な行為に及んだわけですが…エロドクターは最初から写真を希望でしたか。しかもソルジャーはそれに応えてきたのですから、とんでもない写真を色々撮られていそうです。会長さんは額を押さえて「やられた…」と呻くように呟きました。
「よりにもよってノルディの前で水着なんか…。本当にモデルだけで済んだんだろうね?」
「帰るのが遅いって言いたいわけ? あの水着、洗濯済みなんだ。使用人の女の人がちゃんと洗って乾かしてくれた。待ってる間に口説かれたけど、水着写真で十分だろうって突っぱねたよ。…ブルー相手では撮れそうもないショットを沢山撮らせてあげたし」
こんな感じ、と思念で伝えられてきたソルジャーの姿はエロドクターの視点でした。ソファやら床やら、あちこちでポーズを取るソルジャー。ベッドで撮ったものまであります。しかし何より凄かったのは、肩紐を片方ずらすどころか水着で覆われた部分は腰のあたりだけ、というヤツで…。
「ブルーっ!!!」
真っ赤になった会長さんが激怒するのをソルジャーは涼しい顔で受け流しました。
「どうしたのさ? あの格好の何処が問題だって? 水着って普通はああいうのだろ、ぼくも君も男なんだから」
「…そ、それは……。それは…そうだけど…」
やり過ぎだ、と嘆く会長さん。けれどソルジャーは意にも介さず、薔薇の花束を手に取って。
「いいじゃないか、あれ以上のことはしてないし。でもエロドクターは流石だね。気が変わったらおいでなさい、って花束を買ってくれたんだ。この薔薇の花を散らしたベッドで楽しいことをしませんか…って。誘い文句としては最高だよ。早速活用させて貰おう、今夜ハーレイと青の間で。…だけど…」
まずは食事、とソルジャーは笑顔を向けました。
「学食の人気メニューをぶるぅが作ってくれるんだよね? どんなのかな?」
あぁぁ、ソルジャーときたら、会長さんに申し訳ないとは毛ほども思っていないようです。念願のスクール水着とオマケの薔薇の花束までゲットしてきて上機嫌ですが、会長さんはソファに沈没していました。
ソルジャーと「ぶるぅ」が加わった会長さんの家での夕食会。いえ、正確には私たちの方が後から決まったゲストです。なのでお手伝いしようと「そるじゃぁ・ぶるぅ」に申し出たものの、いつものように「一人で平気!」と元気に言われ、リビングで座って待つだけでした。ソルジャーはエロドクターの家での撮影会の様子を楽しそうに話し、会長さんは溜息の連続です。
「…ブルー、次から欲しいものが出来たらぼくに頼んでくれないかな。その方が心臓に良さそうだ」
「そうかな? じゃあ、こんなのも買ってくれるわけ?」
「!!!」
会長さんがソファからズルッと滑り落ちそうになりました。
「ど、どこで…。そんな情報、いったい何処から…」
「エロドクターの頭の中に山ほど入っていたけれど? あ、紅紐はリボンで代用できるかな? だけど他のは難しそうだ。欲しいって言ったら買ってくれる?」
「断る!!」
柳眉を吊り上げる会長さん。エロドクターの頭の中には何が詰まっていたのでしょう? どうせロクでもないモノでしょうが…十八歳未満お断りの映像かな? 興味津々の私たちに会長さんは「覗き見禁止」と釘を刺して。
「ブルー、この子たちにその情報を流したりしたら本気で怒るよ。…もう十分に怒ってるけど、より酷いことになるからね!」
覚悟しといて、と指先に青いサイオンの光を浮かべます。
「ほら、やっぱり買ってくれないじゃないか。…ノルディなら買ってくれると思うよ、ぼくが欲しいと言いさえすればね。君がハーレイを財布代わりにしているみたいに、ぼくもノルディを財布に任命しようかな」
「ブルー!!」
「冗談だよ。…君のハーレイは見返りを要求しないけれども、ノルディはかなり強欲そうだ。利子がつくとか何とか言って理不尽なことをさせそうだろ?」
身体を売る気は全然無いし、と笑いを含んだ声のソルジャー。この調子なら売る気はなくても、大人の時間を楽しみに行ってしまうかも…。なんといっても前科一犯。ソルジャーの世界に出かけたドクターを手玉に取って遊んだ事件は今でも忘れられません。あの時は大変な騒ぎでしたが…。
「かみお~ん♪ ご飯、できたよ!」
ダイニングに来てね、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」が顔を覗かせました。今日の夕食はソルジャーのリクエストで学食の人気メニューです。ソルジャーも頼みごとをするんだったら、こういう罪の無いものにすれば何の問題も起こらないのに…。
ダイニングに入ってゆくと香ばしい匂いがしていました。テーブルにズラリと並んでいるのは…。
「わぁ、カツ丼だ!」
ジョミー君が声を上げ、マツカ君が。
「人気メニューのランキングではいつも上位に入ってますね」
「豚カツ定食とどっちにしようか悩んだんだけど、ブルーがカツ丼の方が学生らしくていいだろう、って。豚カツはちゃんと揚げたてだよ! お味噌汁が欲しい人は言ってね」
学食だとお味噌汁は別料金だし、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」が注文を取りに回ります。大食漢の「ぶるぅ」の席にはカツ丼を特盛りにした土鍋がドカンと置かれていました。そして会長さんが恩着せがましく…。
「ブルー、君は夕食抜きの刑にしたい所だけれど、君のリクエストだからやめておく。ぼくの慈悲の心に感謝したまえ。ついでに慈悲を思い出させたサムにも感謝してほしいな」
「サムに…?」
「ぼくの代わりに心配したり怒ったり…。サムは君の行動次第によっては殴ろうとまで思ったらしいよ。とりあえず食事の前に、君の勝手な行動について謝罪の言葉がほしいんだけど」
会長さんが促しましたが、ソルジャーはクスッと笑っただけでした。
「謝るって? ぼくが? この世界での悪戯は大目に見てもらえるんだと思ったけれど…?」
「「「………」」」
やっぱり、と溜息をつく私たち。会長さんには気の毒ですが、ソルジャーが謝るなんて絶対に有り得ないでしょう。
腹を立てるだけ労力の無駄というものです。そんなことより晩御飯ですよ!
「「「いただきまーす!」」」
カツ丼は卵フワフワ、カツの衣はサクサクで…中のお肉がとっても柔らか。料理上手の「そるじゃぁ・ぶるぅ」の腕は確かで、学食のカツ丼よりもずっと美味しく出来ていました。ソルジャーは嬉しそうに食べていますし、「ぶるぅ」はガツガツと豪快に…。男の子たちがお代わりをして楽しい時間が過ぎてゆく内に、会長さんの怒りも解けたみたいです。
「ブルー、デザートも食べて帰るよね? 学食にデザートメニューは無いけど」
「無いのかい? それじゃ、こないだのゼル特製は?」
「あれは幻の隠しメニューさ。ここは学食じゃないからデザートがあるよ。ブルーはデザート大好きだものね」
「うん。…お菓子ばかり食べて、ってよくハーレイに叱られる」
あちらの世界ではソルジャーは食が細いのだとか。その分を「ぶるぅ」が食べているのかもしれません。夕食が終わると「そるじゃぁ・ぶるぅ」がテーブルを片付け、注文を取り始めました。
「えっとね、アイスクリームとフルーツ蜜豆、どっちがいい? フルーツパフェも作れるよ」
アイスだ、パフェだ、蜜豆だ…と乱れ飛ぶ注文を聞き終えた「そるじゃぁ・ぶるぅ」がキッチンに消え、やがてワゴンを押してきて…。
「お待たせ~! はい、蜜豆。ジョミーがアイスで、シロエがパフェで、ぶるぅもパフェで…」
全部配り終わったテーブルの上で、ソルジャーの前だけが空白でした。
「あれ? ぼくの分は?」
「ごめんね、ちょっと時間がかかるんだ」
そう言いながら「そるじゃぁ・ぶるぅ」は自分の席でフルーツパフェを食べ始めます。ソルジャーが何を注文したかは知りませんけど、他のが全て出来ているのに一人分だけ後回しなんて…。もしかして「デザートおあずけ」が会長さん流の復讐だとか?
「…食べていけって誘ったくせに出さないだなんて! これはぼくへの嫌がらせかい?」
不満そうなソルジャーに会長さんが微笑みかけて。
「まさか。君には特製のデザートを御馳走しようと思っているよ? ただ、一度冷ましてから持って来るんで、少し時間がかかるんだよね」
「「「は?」」」
一度冷ましてから…? 私たちは首を傾げました。注文を取っていた中にそんなデザートはありません。冷やし固めるデザートの種類は多いですけど、いったいどんなスペシャルが…?
みんながデザートを食べ終えた後、「そるじゃぁ・ぶるぅ」が空いた器を片付けに行き、お盆を手にして戻って来ました。
「かみお~ん♪ 今日のスペシャル、豚かつパフェだよ!」
ドンッ! とソルジャーの前に置かれたものは、フルーツパフェの器の縁に切り分けた豚カツを何枚も突き刺したような代物でした。豚カツで縁取りされたフルーツパフェ、と表現すればいいのでしょうか。
「揚げたての豚カツだとアイスが融けるし、ちょっと待ってて貰ったんだ。一度作ってみたかったけど、ゲテモノだから諦めてたら…ブルーが作っていいよ、って」
「…ゲテモノ…」
愕然とするソルジャーに会長さんが勝ち誇った顔で。
「そう決めつけたものでもないよ? ぼくたちが卒業旅行で回ったソレイド地方の、とある地域の名物でね。ぶるぅはテレビで見て作りたがっていたし、君に出してみることにした。ノルディなんかを誘った罰だ。食べ終わるまで帰さないから、そのつもりで」
「「「うわぁ……」」」
あまりにも凄い復讐に、私たちは震え上がりました。会長さんは深く静かに怒り狂っていたようです。
「あ、君のぶるぅに食べさせるのはダメだからね。君が食べなくちゃ意味がない。いいかい、それの食べ方は…」
まずトンカツを持って、アイスとフルーツを一緒に乗せて、生クリームもつけて…とレクチャーを始める会長さん。聞くだに恐ろしい食べ方ですが、食べ切らないとソルジャーは…。と、サイオンの青い光がパァッと散って。
「しまった!」
会長さんが叫び、私たちもソルジャーは逃げたものだと思いました。ところが…。
「逃げないよ。要はぼくが食べればいいんだろう? …ハーレイ」
こちらへ、とソルジャーに腕を引かれて入れ替わりに椅子に腰掛けたのは船長服の教頭先生。いえ、補聴器をしていますから…この人はソルジャーの世界のキャプテン!?
「ハーレイ、これを食べないとぼくは帰して貰えないそうだ。理由は説明したとおり。頑張って食べてくれたまえ」
「は、はい…」
サイオンで説明を受けたらしいキャプテンが豚カツを一切れ手に取ります。
「ブルー! 代理は認めないよ!」
会長さんが叫びましたが、ソルジャーは平然とした顔で。
「ハーレイとぼくは一心同体なんだよね。だからハーレイはぼくでもある。…認めないって言うんだったら、一心同体ぶりを証明するよ。君のベッドを拝借して…ね」
「………」
「沈黙ってことは代理を認めてくれるんだ? ハーレイは甘いものが苦手だけれど、ぼくのためなら食べてくれる。そうだよね? 早く済ませて帰ろう、ハーレイ。御褒美はちゃんと用意してあるし」
スクール水着と薔薇いっぱいのベッドだよ、とソルジャーは甘く囁きましたが、キャプテンの方はそれどころではありません。眉間に皺を寄せ、苦悶の表情で豚かつパフェを食べるキャプテン。大盛りのパフェはすぐに無くなり、青い光が部屋を覆って…。
「じゃあね、今日は楽しかったよ。また来るから」
さよなら、という声が届いて、ソルジャーの姿は光の向こうに消えました。キャプテンと「ぶるぅ」の姿も消えて、リビングにあった薔薇の花束とスクール水着入りの紙袋も…。
「…逃げられたな」
キース君が苦笑し、「そるじゃぁ・ぶるぅ」は残念そう。豚かつパフェの感想を聞きたかったらしいのです。会長さんも悔しそうに宙を見つめていましたが…。
「よし、決めた」
「「「えっ?」」」
「ぼくもハーレイに豚かつパフェを食べさせよう。ぼくを好きだって言うんだったら、食べてくれると思うんだよね。そしたらパフェの感想が聞けるし、水着の写真の仕返しもできる。一石二鳥だと思わないかい?」
パァァッと青い光が走って、現れたのは教頭先生。手には食べかけの親子丼とお箸を持っています。
「こんばんは、ハーレイ。食べて欲しいものがあるんだけれど」
ニコニコと笑う会長さんを止められる人はいませんでした。それどころかソルジャーが来ていたと聞いた教頭先生がうっかり笑みを浮かべたばかりに、一杯の予定だった豚かつパフェが三杯に増殖することに…。
「ブルーの名前を聞いた途端にイヤラシイ顔をしただろう? ぼくの写真で美味しい思いをしたんだったら、豚かつパフェも美味しく食べてくれなくちゃ。甘いものは苦手だなんて言わせないよ」
丸飲みせずに味わって、とクスクス笑う会長さん。教頭先生はアイスと生クリームまみれの豚カツを口に運んで呻き声を上げ、パフェの部分をスプーンで掬い…。
「頼む、これ以上は勘弁してくれ…!」
「まだ一杯目の半分じゃないか。リピーターも多い名物らしいし、三杯食べたら病みつきになるかもしれないよ。ぜひ感想を聞きたいな。ね、ぶるぅ?」
「うん! 食べ終わったら教えてね。お料理雑誌に投稿するんだ」
レポート用紙を持った「そるじゃぁ・ぶるぅ」は好奇心の塊でした。ゼル先生の特製お菓子からデザート・バイキングに進み、締め括りが豚かつパフェなんて…誰が想像できたでしょう? 巻き込まれてしまった教頭先生、完食するしかありません。ソルジャーとキャプテンは水着と薔薇の甘い時間を過ごしに帰っていったというのに、教頭先生には甘いパフェ。同じパフェを食べたキャプテンが貰う御褒美のことは、知らない方が幸せですよね…。
いきなり乱入してきたソルジャーに水着姿を撮影されて、固まってしまった会長さん。更にデジカメを持ち出された上に撮影会だなどと物騒な単語を口にされては、たまったものではありません。顔を引き攣らせて制服に戻ろうとしたようですが…。
「おっと。逃げるのはナシだからね」
サイオンの光が立ち昇ったと思う間もなく、ソルジャーが会長さんの腕を掴みました。青い光は封じられてしまい、会長さんは水着のまま。
「自分で水着を着たんだろう? 慌てることはないと思うな。…よく似合ってるし」
「君が写真を撮るっていうから! 一枚撮ったら十分じゃないか!」
「十分じゃないと思うけど。そうだよね、ハーレイ?」
視線を向けられた教頭先生は答えることができません。頷いたら撮影会に突入しちゃって会長さんが怒るのですし、否定すればソルジャーが怒りそう。どちらを選んでもロクな結果にならないような…。ソルジャーはクスクスと笑い、会長さんの腕から手を放して。
「ぼくとぶるぅの分の料金を支払ってもらう代わりなんだから、ぼくの写真でもいいのかな。ブルー、そんなに嫌なんだったら君が撮影係をしたまえ。ぼくがモデルをするからさ」
「「「ええっ!?」」」
今度はソルジャーがスクール水着を!? そっくり同じ姿ですからサイズは問題ないでしょうけど、なんとも思い切った提案です。
「あ、そうか…。君たちもいたんだっけ。女の子はちょっとマズイかもね」
は? 女の子だと何か問題が…? 首を傾げるスウェナちゃんと私に、ソルジャーは「分からない?」と微笑みかけてマントの端を手に取りました。
「せっかくモデルをしようっていうのに、同じ格好じゃつまらないだろう? ブルーが水着で迫ったんなら、ぼくも対抗しなくっちゃ。…ストリップなんかどうかと思って」
「「「ストリップ!?」」」
「そう。…こっちのハーレイは見たこと無いと思うんだよね、ソルジャー服を脱いでいくところ」
うっ、と短い呻き声が聞こえました。教頭先生がティッシュで鼻を押さえています。
「ふふ、やっぱり一度も見たことないんだ。そりゃそうだろうね、ブルーは君の前で脱ぐ必要なんかないんだから。…ぼくと違って。で、ハーレイ。君はどっちの写真が欲しい? ブルーの水着か、ぼくのストリップか」
どっちでもいいよ、と楽しそうなソルジャーでしたが、会長さんがキッと赤い瞳で睨み付けて。
「水着の撮影会でいいっ! ストリップなんかお断りだし、撮影係にされるのも嫌だ!」
「なるほどね。じゃ、君の水着姿の撮影会だ。ぼくの指示通りに動いてもらうよ、選んだのは君の方なんだからさ」
「………分かった………」
教頭先生の意向とはまるで関係なく、撮影会が始まることになりました。
「この部屋って鍵がかかるよね? 閉めておいた方がいいと思うな、誰か来ちゃったらハーレイの立場がまずくなる。謹慎処分を食らったことがあるんだろう?」
ソルジャーの言葉を受けてキース君が鍵を閉めに行きます。教頭先生は不安と期待が入り混じった複雑な顔で見ているだけ。もしかしてストリップの方が好みだったとか? そういえばソルジャーの全身エステをさせられたことがありましたっけねぇ…。
デジカメを持ったソルジャーは会長さんを部屋の真ん中に立たせ、微笑むようにと言いました。
「違う! もっと自然に笑わなきゃ。ここは教頭室じゃなくて砂浜だよ。そんな感じで…。うん、いいね」
何枚か撮影しながら回り込んで…。
「ちょっ、ブルー! どこ撮ってるのさ!」
「サービスショット。気にしない、気にしない」
次は座って、と指差したのは応接セット。一人掛けのソファに会長さんを腰掛けさせると、肩膝を抱えてポーズを取るよう命じます。ポーズを変えて何枚か写し、大きなソファに移動して…。
「…まるで水着グラビアの撮影会だな」
溜息をつくキース君。ソルジャーは完全に面白がっているようでした。サム君の顔は真っ赤で、教頭先生は咳払いをしたり窓の方へと目を逸らしたり。
「ブルー! そのポーズだけは嫌だってば!」
「じゃあ、交替してぼくがストリップを…」
「……それは……」
困る、と呟く会長さんは教頭先生の机に上らされ、膝を曲げて両足を開いたセクシーなポーズを取らされて…。
「オッケー、いいのが沢山撮れた。最後に一枚、特別サービスしておかないと。…ブルー、肩紐」
「え?」
「だから肩紐。右でも左でもいいから、片方だけ少し落として欲しいんだよね」
「……!!」
唖然とする会長さんにソルジャーがツカツカと歩み寄り、スクール水着の肩紐に指をかけます。
「そう、こんな風に」
「!!!」
「いいから、そのままニッコリ笑って。もっと艶やかに、艶めかしく…ね。無理? ふふ、その顔もいいな」
シャッターが切られ、屈辱のあまり真っ赤になった会長さんを捉えたようです。ソルジャーは撮影した写真を全て確認してから、会長さんに。
「お疲れ様。着替えていいよ」
安堵した瞬間の会長さんの笑顔をソルジャーは逃がしませんでした。肩紐が片方ずり落ちた姿で幸せそうに微笑む会長さんのバストショット。どうやら最高傑作らしく、私たちに「見てごらん」と自慢して回ります。
「…ブルー……」
地を這うような声がし、制服に戻った会長さんが柳眉を吊り上げて怒っていました。
「その写真、全部どうする気なのさ! とんでもないのが一杯あるよね」
「もちろん君のハーレイにプレゼント。…おっと、消せないようにプロテクトしておかないと」
青い光がデジカメを包み、ソルジャーはそれを教頭先生の手に押し付けて。
「はい、お宝画像がドッサリだよ。プリントするも良し、業者に頼んで写真集を作るも良し。ブルーにデータを消去されないよう、ちゃんと細工をしといたからね。…ぼくとぶるぅのデザート・バイキングの料金、これで足りると思うんだけど」
「え、ええ…」
締まりのない顔で照れ笑いしながら財布を取り出す教頭先生。
「二人分…と。どうぞ楽しんでいらして下さい」
「悪いね、ハーレイ」
「なんでブルーに渡すのさ!」
ソルジャーが手を伸ばすより早く、会長さんが叫びました。
「デザート・バイキングに行こうって言い出したのは、ぼくたちだよ。ぼくたちの分は!? ブルーの分もぼくが預かる!」
「…しかし写真を撮ってもらって…」
「水着を着たのはぼくなんだからね! ブルーたちの分を足して、これだけ。さっさと出して。水着はたっぷり楽しんだだろ、写真も山ほど貰ったんだし」
会長さんに毟り取られて、教頭先生の財布にお札は残りませんでした。追加の二人分がトドメを刺したみたいです。ソルジャーは「ぶるぅと一緒に土曜日に来るから」と言い残して消え、会長さんは写真のデータを消去しようと必死になっていましたが…。
「…ダメだ、ケータイの方も消せない。…ハーレイ、言っておくけど、その写真が表沙汰になったら謹慎だよ」
「そうだろうな。しかし、この写真は大切に持っておきたいのだが」
「消せない以上、仕方ないけど…。写真集を作らせたら学校にバラしてやるからね。ついでに慰謝料も取り立てるから。デザート・バイキングくらいじゃ済まないよ」
行こう、と私たちを促す会長さん。首尾よく軍資金は手に入れましたが、ずいぶん計算が狂ったような…?
不機嫌な会長さんを先頭に「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお部屋に入ると、そこに先客が座っていました。
「やあ、ブルー。さっきはモデルお疲れさま」
ニコニコと笑うソルジャーの前には胡桃のタルトとカヌレが載ったお皿があります。どちらのお菓子も食べかけで…。
「美味しいね、これ。ぼくの世界のゼルは料理がとても上手いんだけど、こっちのゼルの腕もなかなか…」
「…それは?」
不審そうな会長さん。ゼル先生の特製お菓子は完売になった筈でした。ソルジャーはクスッと小さく笑って。
「ハーレイの部屋に配られた分を失敬したんだ。君のハーレイも甘い物は好きじゃないだろう? ちゃんと手紙を置いてきたよ、御馳走様って」
「帰ったんだと思ってたのに…」
額を押さえる会長さんですが、ソルジャーは全く気にしません。
「なんだ、帰ってほしかったんだ? 言いたいことがあるかと思って来てあげたのに。…ぶるぅ、紅茶を貰えるかな? エラ秘蔵でなくてもかまわないよ」
「オッケー! みんなも飲むよね」
キッチンに走った「そるじゃぁ・ぶるぅ」が紅茶を運んでくるまでの間、ソルジャーは悠然と胡桃のタルトを食べています。会長さんはソルジャーをキッと睨んで…。
「いったい、いつから見てたのさ! 君が来るって分かっていたら、水着なんか着たりしなかったのに!」
「しばらく来なかったから油断してた? ハーレイのギックリ腰で色々と大変そうだったしね、ぶるぅも看病に行ったきりでさ。…そんな時にお邪魔するのは悪いと思って」
だけど時々見てたんだ、と悪びれもせずに言うソルジャー。どうやら水泳大会の少し前からソルジャーは私たちの世界に来ていなかったみたいです。そのくせに会長さんが水泳大会で女子の部だったことも知ってるんですから、タイプ・ブルーって凄いかも。
「君が家で水着を試着してたのも知ってるよ。似合わないって怒ってたけど、ぼくにはそうは見えなかったな。そしたらハーレイに見せるって言い出したから、ちょっと悪戯してみたくなって。…デザート・バイキングにも行きたかったし」
デザートが食べ放題になるんだよね、とソルジャーの瞳が輝いています。そこへ「そるじゃぁ・ぶるぅ」が人数分の紅茶のカップを運んで来ました。
「ブルー、デザート大好きだもんね。ぶるぅも一緒に来るんでしょ? 楽しみだなぁ!」
「ぶるぅも喜んで来ると思うよ。…ブルー、いい加減に機嫌を直したら? せっかくの美味しい紅茶なのに」
ねぇ? と優雅にカップを傾けるソルジャー。胡桃のタルトはすっかり無くなり、カヌレも最後の一口です。ゼル先生こだわりのお菓子をゆっくり味わってフォークを置いたソルジャーに、会長さんが溜息をついて。
「…最初からデザート・バイキングに行きたいって名乗り出てくれた方が良かったな。そしたら別の策を考えたんだ。ハーレイから毟り取るにしてもね」
「水着写真がそんなにショック? …だったらハーレイの記憶を書き換えて…写真もぼくのと置き換えようよ」
「普通の写真じゃなくてストリップだろ? カメラマンをするのも嫌だ…」
「あれも嫌、これも嫌って言っていたんじゃソルジャーは務まらないと思うけどな。まぁ、ぼくとは住んでる世界が違うし、それでいいのかもしれないけどさ」
ソルジャーの言葉は最高の殺し文句でした。ソルジャーが住む世界の厳しさを知っている会長さんは、これを言われると逆らえません。死と隣り合わせで生きているソルジャーが羽を伸ばせるのが私たちの世界です。悪戯されても大目に見るしかないわけで…。
「…分かった…。水着の写真は諦める。でも、あんなポーズはもう御免だよ」
「そう? ぼくがこの世界をまだ知らなかった頃、かなり大胆なことをしてたじゃないか。白いぴったりしたアンダーを着てさ」
「なんでそれを!?」
「ハーレイの心が零れてた。…君の写真を撮ってた時にね」
あーあ、白ぴちアンダー事件がソルジャーにバレてしまいましたか…。まりぃ先生が特注してきた身体の線がはっきりと出る白いアンダーを着て、教頭先生の机の上で妖しいポーズを次から次へと決めまくっていた会長さんの姿は今も瞳に焼きついています。
「あれに比べたら今日の写真なんて可愛いものだよ。ああ、写真に残ったことが許せない? いいじゃないか、写真集が出るわけじゃないし」
それじゃ土曜日にね、とソルジャーは立ち上がりました。
「ぶるぅを連れて遊びに来るよ。ありがとう、今日は楽しかったな」
ばいばい、と手を振ってフッと姿が見えなくなります。会長さんはもう何を言う気力もないのか、ぐったりとソファに身体を沈めたままで、紅茶を飲もうともしませんでした。
突然現れたソルジャーのせいでケチがついたデザート・バイキング。言いだしっぺのスウェナちゃんは責任を感じて落ち込んでしまったのですが、翌日登校するとスウェナちゃんの机の上に「昨日は心配かけてごめんね」とメッセージがついた可愛いクッキーの包みが一つ。そして放課後「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお部屋に行くと会長さんは見事に立ち直っていました。
「スウェナ、ごめんね。君を落ち込ませるつもりはなかったんだ。それに、ぼくならもう大丈夫」
細かいことを気にしていたら人生楽しくないだろう、と微笑む顔はいつもどおりで…。
「キースたちが来てるってことは、今日もハーレイは柔道部の指導を欠席、と…。教頭室で仕事中と言えば聞こえはいいけど、いったいどんな仕事だろうねぇ?」
「「「???」」」
「昨日の写真をどう整理するか、妄想が尽きないみたいだよ。プリントアウトしたのをどう並べるか、あれこれ楽しく悩んでいるんだ。きわどいショットを集めて夜のお供に…なんて、脳内バラ色」
得々と説明する会長さんにキース君が。
「あんたはそれでかまわないのか? データはともかく、プリントアウトしたヤツなら一瞬で消せると思うんだが」
「最初は消そうと思ってたけど、面白いから放っとく。覗き見してたら笑えてきてさ…。ヘタレのくせに夜のお供っていうのが泣かせるじゃないか。完成を楽しみにしておくさ」
「「「………」」」
そういえばこういう人だった、と呆れ果てた顔の私たち。スウェナちゃんには「そるじゃぁ・ぶるぅ」が特別に焼いたパウンドケーキのお土産もあって、ソルジャーが巻き起こした騒動は平穏無事に収束です。そして土曜日がやって来て…。
「かみお~ん♪ みんな、お待たせ!」
待ち合わせ場所に決めたホテル・アルテメシアのロビーに「そるじゃぁ・ぶるぅ」が駆けてきました。後ろに「ぶるぅ」が続いています。もちろん会長さんと、会長さんの私服を借りたソルジャーも。…えっと、今日の二人はシャツのデザインが違うんですね。二人の見分けがついた所で私たちはエレベーターに乗り、トップラウンジへ。予約しておいたので窓際の眺めのいい席です。
「ふぅん、素敵な所だね。君のハーレイに感謝しなくっちゃ」
「君が強引に来たんだけどね…」
ぶるぅまで連れて、と言う会長さんにソルジャーは「だって楽しそうだったし」と答え、早速ケーキを何種類も取って来ました。お皿の中身を眺めた「そるじゃぁ・ぶるぅ」が食べる順番を指南しています。
「あのね、これは最後にした方がいいよ。重たいケーキを最初の方で食べてしまうと負けなんだ」
「負け?」
「お腹一杯になって、食べられなくなったらおしまいだからね。それが負け。沢山食べるにはバランスが大事なんだから!」
でも「ぶるぅ」には関係ないね、と眺める先では「ぶるぅ」が次から次へとお皿ごと食べそうな勢いで試食中。そう、試食中なのです、全種類を! どれが美味しいか見定めてから本格的に食べるそうですけれど、試食というレベルではありません。どう見ても普通サイズのものばかり…。
「あいつ一人で俺たち全員の元が取れるな」
キース君の言葉に、違いない、と頷く私たち。でも「ぶるぅ」ばかりに任せていては、来た甲斐が無いというものです。ジョミー君たちも、負けじとケーキを取って来ました。スウェナちゃんと私は全種類を制覇しようと、小さめのケーキを選んでたりして…。会長さんはマイペースです。
「そうそう、こないだの写真だけれど」
シャーベットが何種類か盛られたお皿を前にして、会長さんが微笑みました。
「ハーレイがアルバムを完成させたんだ。こんな感じで」
他のお客さんから見えない所で宙からパッと取り出したのは…。
「「「えぇっ!?」」」
淡く優しいピンク色の表紙にセピア色のリボンがかかったように見えるデザイン。リボンの部分は薔薇の写真がレイアウトされているようですけど、私たちが驚いたのは表紙に刷られた文字でした。
「HAPPY WEDDING DAY…」
誰かが棒読みで呟きます。それはどう見てもウェディングアルバムそのもので…。
「笑っちゃうだろ? こんなの買って来たんだよ。それで中身はこうなってるわけ」
ほら、とページをめくってゆく会長さん。そこには会長さんの水着写真が大切に貼られていますが、乙女チックに見えるのは気のせいでしょうか?
「あちこちに花のシールなんか貼っちゃってさ。どこまで夢を見てるんだか…。たかがスクール水着の写真で」
「じゃあ、この次はぼくがストリップを…」
「しなくていいっ! ちゃんと別バージョンもあるんだから」
次に出てきたのは表紙が真紅のバラの写真で埋め尽くされたアルバムです。そっちの方は…。
「…へえ…。ヘタレにしては頑張ったね」
ソルジャーがクスッと笑い、サム君は耳まで真っ赤になりました。ジョミー君たちも恥ずかしそう。きわどいショットばかりを集めたアルバムは、会長さん曰く「夜のお供」バージョンだそうです。
「この二冊。ハーレイの家宝らしいよ、ぼくが嫁入りしてくる日まで…ね。無くなったら騒ぐだろうから返しておこう」
フッとアルバムが消え失せた後、会長さんとソルジャーは先日の撮影会の話で盛り上がっています。会長さんったら、本当に立ち直りを果たしていたんですねぇ…。
デザート・バイキングは「ぶるぅ」の一人勝ちでした。とはいうものの、美味しいケーキやアイスクリームなどを好きなだけ食べて、みんな幸せ気分です。教頭先生から奪い取ったお金で支払いを済ませ、下のロビーに降りた時。
「あっ!」
会長さんが小さな悲鳴を上げてサム君の後ろに隠れました。
「ん? どうしたんだよ、ブルー?」
サム君と私たちが視線の先を追うと、おじさまの団体がロビーにたむろしています。見知った顔は無いようですが…って、あれはもしかしてエロドクター!?
「…医師会の集まりがあったらしいな」
「そうみたいですね」
キース君とシロエ君がロビーの案内板に目を止めました。宴会場の一つに『アルテメシア医師会』と書かれています。エロ…いえ、ドクター・ノルディはそれに出席して、これから二次会にでも行くのでしょう。会長さんに目をつけているドクターだけに、いると気付かれたらマズイかも。私たちは会長さんを隠すようにしてコソコソと歩き出しました。ところが…。
「ちょっと行ってくる。ぶるぅをよろしく」
ソルジャーがスッと列から離れます。
「ちょっ…。ブルー!?」
会長さんが止める間もなく、ソルジャーはエロドクターがいる方へ真っ直ぐ行って、声を掛けて、エロドクターが振り向いて…。
「おい、やばいんじゃないか?」
キース君に言われるまでもなく、私たちの頭の中では警報が鳴り響いていました。エロドクターはソルジャーをロビーの椅子に座らせ、医師仲間を送り出しに出かけて行った様子です。つまり二次会には行かない、と…。
「ど、どうしよう…。ブルーはいったい…」
会長さんはパニックでした。この状態でエロドクターに傍受されずにソルジャーにだけ思念で呼びかけるような高等技術、私たちにはありません。それが出来そうな会長さんは真っ青ですし、どうしたら…。
「ブルーと連絡とればいいの?」
ツンツン、と私たちの服を引っ張ったのは「ぶるぅ」でした。
「そ、そうだ! お前ならブルーだけに思念を送れるな?」
キース君の問いに「ぶるぅ」は「うん!」と頷きます。
「よし。じゃあ、頼む。…いいか、ブルーにこう言ってくれ。すぐにこっちへ戻って来い…とな」
「オッケー♪」
通路の奥に隠れた私たちの間から「ぶるぅ」はソルジャーに思念で呼び掛け、振り向いて。
「帰らないって言ってるよ。…っていうか、先に帰って…って言ってるんだけど」
「「「え?」」」
何ごと? と思った私たちの頭にソルジャーの思念が響きました。
『君たちは先に帰ってて。ぼくは少し遊びたいから、ぶるぅを連れて帰っていてよ』
用が済んだらブルーの家に帰るから、と告げたソルジャーは一方的に思念を切ってしまったらしく、「ぶるぅ」がショボンとした顔で…。
「ブルー、遊びに行くんだって。ぼくが連れてってもらえないってことは、これから大人の時間なのかなぁ?」
「「「大人の時間!?」」」
思わず叫んでしまって口を押さえる私たち。それには全く気付かない風で、「ぶるぅ」はつまらなそうに俯いています。
「いいなぁ、きっと大人の時間だよね。今、ノルディと一緒に出て行ったもん」
「「「出て行った!?」」」
「うん」
タクシーに乗って行ったよ、と「ぶるぅ」はロビーの方を指差しました。ジョミー君が「ぼく、見てくる!」と走って行って、慌てた様子で戻ってきて。
「いなかった…。ソルジャーもドクターも何処にもいないよ!」
「「「えぇぇっ!?」」」
それから後は上を下への大騒ぎです。会長さんは顔面蒼白になり、ソルジャーの行方を探すどころではありません。キース君は入口にいたドアマンを捕まえ、ソルジャーとエロドクターが二人でタクシーに乗り込んだことを確認してから「ぶるぅ」にソルジャーの思念を追うよう頼んだのですが…。
「んとね…。ぼくにも分からないや。ブルーが遮蔽しちゃうと追っかけることはできないんだ。ごめんね」
いいなぁ、と「ぶるぅ」はドアの向こうを眺めています。
「何処へ遊びに行ったんだろう? ブルーが大人の時間だよって言ってる場所は、シャングリラだと青の間なんだよね。後はキャプテンの部屋くらいかなぁ…。でも、ここはシャングリラの中じゃなくって地球だし! 海に行った時のお部屋みたいに、色々な所があって楽しそう」
海へ行った時というのはマツカ君の別荘のことでしょう。ソルジャーの世界のキャプテンが教頭先生のふりをして、ソルジャーと過ごしてましたっけ。きっと「ぶるぅ」は大人の時間だから、と二人に言われて納得して一人で寝たのでしょうが…。
「ぶるぅ、ぼくの家でブルーが帰るの待っていようよ!」
ブルーも気分悪そうだから、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」が言いました。
「みんなも一緒に来てくれるでしょ? ぶるぅが退屈しちゃわないよう、トランプとかしてみんなで遊ぼう」
そう言われると断れません。会長さんのことも心配ですし、何よりソルジャーが気がかりです。私たちは教頭先生から巻き上げたお金の残りでタクシーに乗り、会長さんのマンションに移動することに決めました。ソルジャーったら、いったい何処へ、何をしに…? 本当に大人の時間だったら、会長さんは再起不可能かも…。
水泳大会から十日が経って、教頭先生が復帰しました。「そるじゃぁ・ぶるぅ」の介護とアルトちゃんの薬のお蔭でギックリ腰はすっかり治ったようです。欠勤中の古典の授業は他の科目が振替えられていたので、今日の1年A組は欠勤の埋め合わせに古典の授業が二時間続き。午後はまるっと古典なんです。授業開始から十五分ほど過ぎた頃…。
「やあ」
ガラッと前の扉が開いて、会長さんが入って来ました。眉間に皺を寄せる教頭先生。
「ブルー。…遅刻なら後ろの方から入りなさい」
「授業を受けに来たんじゃないよ。サム、今からちょっと出かけないかい? あ、もちろんジョミーたちも、みんな揃って。アルトさんとrさんも一緒においで」
「「「え?」」」
「いいから、いいから」
サボッてしまおう、と順番に机を回って勧誘する会長さんを教頭先生が睨み付けて。
「ブルー。授業中だと分かっているのか?」
「分かってるよ。特別生は出席の有無を問われない。…アルトさんとrさんは何故か留年しちゃっただけで、古典の成績は去年ので十分進級できる。問題はないと思うけど」
「………。それでサボリのお誘いか。私の授業を狙って来るとはいい度胸だな」
「狙ったわけじゃないってば。たまたま時間が重なったんだ」
そう言いながら会長さんは「おいで」と手招きしています。サム君がガタンと立ち上がり、それを合図に私たち七人グループは全員サボリを決意しました。アルトちゃんとrちゃんも。
「おいっ、授業中だぞ!」
「終礼までには戻ってくるから大丈夫」
全員が教室を出ると、会長さんがピシャリと扉を閉めました。教頭先生は諦めたらしく、ザワついているクラスメイトを一喝する声が聞こえます。えっと…鞄は置いてきちゃいましたが、これから何処へ行くんでしょう? 会長さんは微笑んで指を三本立てました。
「ハーレイが復帰してから、今日で三日目。素敵な所へ案内するよ」
「……教頭室か?」
キース君の問いに、会長さんは首を左右に振って。
「残念。場所としては普通なんだよね。お昼休みに君たちが行ってた所」
「「「学食?」」」
「正解。この時間でなきゃダメなんだ」
先に立って歩き出す会長さん。学食なら、つい半時間ほど前までいた場所ですが、変わった様子はありませんでした。みんな不思議そうな顔をしています。アルトちゃんとrちゃんに至っては狐につままれたような感じですけど、いったい何があるんでしょうか?
学食にゾロゾロと入ってゆくと、テーブルも椅子もガラ空きでした。生徒の姿はありません。会長さんは真っ直ぐカウンターに向かい、女性の職員さんに金色のチケットを差し出しました。
「ゼル特製とエラ秘蔵。全員分ね。あ、それと…」
「かみお~ん♪」
クルッと宙返りをして「そるじゃぁ・ぶるぅ」が現れ、ちょこんと隣に並びます。
「ぶるぅの分も。ぼくたち、あっちのテーブルにいるから」
「十一人前ですね。…特製セット、入りま~す!」
チケットを手にした職員さんが厨房に消え、私たちは学食の一番大きなテーブルを囲んで腰掛けました。会長さんは得意そうに…。
「ぼくのおごりだよ。サボッた甲斐はあると思うな。滅多に出ない隠しメニューさ」
「「「隠しメニュー?」」」
「うん。ゼル特製って言っただろう? ゼルの気が向いた時だけ出てくるんだ。エラの秘蔵のお茶とセットでね。ついでに特別生しか注文できない。注文するには条件が一つ」
「あの金色のチケットのこと?」
ジョミー君が尋ねると、会長さんは「あれは違うよ」と答えました。
「さっきのチケットは学食のタダ券みたいなものさ。在籍年数に応じて配られる一種の金券だ。五十年目から貰えるようになってて、年数によって色が違う。最初は赤、百年で緑、百五十年で銀、二百年で金になる。赤と金では価値が全然違うんだ。ゼル特製とエラ秘蔵のセットは、赤だと一枚で一人前だね」
「ふうん…」
金のチケットは十一人前の注文が出来るようです。半端な人数ですし、本当はもっと沢山いけるのかも。そもそも定価はどのくらい…? 私たちの疑問を見抜いたように会長さんが。
「ゼル特製のセットの値段はランチにすれば五人前だよ。ちょっとした喫茶店のケーキセットが食べられるだろう? その値段で出すのがゼルのプライド。それだけ腕に自信があるんだ。幻の料理長って渾名がつくほど料理が上手い。ゼル特製を注文できる条件は…」
「味覚ですか?」
シロエ君が言いました。
「利き酒…は学校でやるのはマズそうですし、紅茶のテイスティングとか…。何かそういう試験があって、合格した人だけが注文する資格を貰えるとか?」
おぉっ、なるほど! その可能性はありそうです。ゼル先生が「わしの料理は味覚オンチには食わせんぞ!」と叫ぶ姿が目に浮かんでくるようでした。会長さんはクスッと笑って。
「そんなシステムも楽しいかもね。でも、残念ながら違うんだ。…注文できる条件は、そのメニューが出ていることに気付くこと。これが案外、難しい。ほら、他には誰も来てないだろう? 今日のは分かり易かったのに」
昨日から生地を作ってたしね、と会長さん。
「ぼくたちが食べ始めたら、何人か来るんじゃないかと思うよ。これだけの人数が揃っていれば気配も派手だ。それにゼル特製は隠しメニューで幻のメニュー。食べたというだけで自慢できるし」
「へえ…。どんなのかな?」
サム君が興味津々でカウンターの方を眺めています。やがて奥から学食ではお目にかかったことのないワゴンがカラカラと押されてきて…。
「お待たせいたしました。本日のゼル先生特製と、エラ先生秘蔵のお茶でございます」
テーブルの上に胡桃のタルトが載ったお皿が並べられ、ティーカップと花の香りの紅茶がたっぷり入ったポット。最後に真中に置かれた大皿にはカヌレが山盛りになっていました。
「すげえ…」
ポカンと口を開けているサム君。
「これを全部、ゼル先生が?」
「そうだよ。昨日から作っていたのはカヌレの方。生地を丸一日、寝かせておかないといけないんだって。そしてカヌレの方が実はレアもの」
会長さんが自分のお皿に取り分け、サム君の分も取り分けながら。
「素朴なお菓子で誤魔化しがきかないから、って言っててね。最高の材料が手に入らないと作らない。ハーレイ、いい時にギックリ腰になったみたいだ」
「「「は?」」」
ゼル先生のお菓子作りと、教頭先生のギックリ腰。両者にどんな関係があると…?
「ゼルがお菓子を作る気になったのは、ハーレイのギックリ腰のせいなのさ。ハーレイが出勤してきて、迷惑をかけたお詫びに…って配った焼き菓子セットが好評でね。ゼルも久しぶりに腕を揮いたくなったってわけ。このお菓子は先生方にも配られるし」
「焼き菓子勝負か…」
キース君が苦笑しています。ゼル先生ったら、大真面目かつ真剣にお菓子を作っていたんでしょうね。
「ゼルは負けん気が強いからねぇ。…ハーレイのギックリ腰のお蔭で出たメニューだから、アルトさんたちも誘ったんだよ。アルトさんの塗り薬は効果絶大だったから」
げふっ、と咳き込む私たち。会長さんが教頭先生に直接薬を塗りに行ったのを見たのは初日だけですけれど、その後も毎日、お見舞いと称してせっせと通っていたんです。「ぶるぅがいるから一人じゃないよ」なんて言ってましたが、どんな悪さをしていたのやら…。何も知らないアルトちゃんたちはキョトンとした顔。
「ああ、気にしないで。薬の匂いを思い出してしまったんだろう」
効きそうな匂いの薬だよね、と会長さん。悪臭としか思えませんでしたが、ものは言いようというヤツです。そうこうしている間に学食にはチラホラと生徒が現れ始め、ゼル先生の特製セットが次々と…。
「ほらね、お客が来始めただろう? ぼくたちの宣伝効果絶大」
会長さんは得意そうです。きっとサイオンで分かるのでしょうが、私たちがゼル先生の特製メニューに自力で気付けるようになるのは、いったい何年先のことやら…。
「このお茶もね、エラが自分でブレンドしてるんだ。その中からゼルが作ったお菓子に合うのを選んでくれる。特別生なら一度はゼル特製とエラ秘蔵を味わっておかなくちゃ。まあ、向こう五十年ほどは実費だけども」
うーん…。サボッた上に実費。私たちにはまだまだハードルが高そうです。アルトちゃんたちは「私たち、特別生じゃないんですけど」と言い、会長さんに「今日は特別」とウインクされて幸せ一杯。お菓子と紅茶を楽しみながら時間を過ごして、終礼が始まる少し前に教室に戻ると、教頭先生の姿はとっくにありませんでした。じきにカツカツと足音が響いてきて…。
「諸君、今日も一日、よく頑張った。特に問題も無かったようだな」
午後の授業を丸々サボッた私たちですが、グレイブ先生からのお咎めは無し。教頭先生、やろうと思えば出席簿に事実を書いたメモを挟んでおけた筈なのに、見逃してくれたみたいです。えっ、特別生だから問題ないって? 授業中に抜け出していくのは流石にマズイと思いますけど。それにアルトちゃんたちは特別生ではないんですよ?
教頭先生が柔道部の稽古に復帰していないので、終礼が済むと柔道部三人組も欠けることなく「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお部屋に出かけました。会長さんにアルトちゃんたちからの御礼の言葉を伝え、ソファに座ると奥からワゴンが出てきます。
「かみお~ん♪ 美味しかったね、ゼルのお菓子! ぼくも焼き菓子で勝負するんだ!」
ワゴンの上には洋酒が並び、「そるじゃぁ・ぶるぅ」がオレンジの皮をクルクルと剥いて…今日のお菓子はクレープ・シュゼット。お部屋を暗くしてブランデーの炎を眺める趣向はまさに「お菓子を焼く」ものですが、これって焼き菓子でしたっけ? 「そるじゃぁ・ぶるぅ」に尋ねてみると…。
「違うよ。でも焼いてるし、綺麗だし! みんなお菓子をたっぷり食べた後だし、軽めの量で勝負するならこれだよね。それともベイクド・アラスカの方が食べでがあって良かったかなぁ?」
要するに「燃えるデザート」をやってみたかったみたいです。
「そういえば…クレープ・シュゼットって、お店で食べると高いらしいわよ」
スウェナちゃんが温かいクレープを口に運びながら言いました。
「この前、雑誌で見つけてビックリしちゃった! ケーキセットより高かったのよね」
「えっ、そうなの?」
知らなかった、とジョミー君。私だってビックリです。ここで時々食べているので、まさかそんなに高いとは…。
「洋酒の値段もあるけど、どちらかといえば人件費かな」
会長さんがワゴンの方を指差しました。
「注文が入ってクレープを焼く。そこまではいいとして、その後が…ね。オレンジを剥いてジュースを搾って、洋酒と混ぜて…クレープにたっぷり浸み込むまでフライパンを動かしてなくちゃならない。それからフランベして切り分けて…。全部をお客様の前でやるんだからさ」
高くもなるよ、と言われてみれば納得です。贅沢なお菓子だったんですねぇ…。スウェナちゃんが雑誌で見たのはホテル・アルテメシアに入っているレストランの特集記事だったとか。まりぃ先生と教頭先生のお見合いの時に忍び込んだ高級レストランもその一つです。
「トップラウンジのデザート・バイキングが美味しそうだなぁ…って見てたのよ」
「美味しいよ?」
すかさず「そるじゃぁ・ぶるぅ」が言いました。
「ぼく、ブルーと何回も行ってるもん。…なんだか行きたくなってきちゃった。ねえ、ブルー、今度みんなで食べに行こうよ」
「みんなで…かい?」
「うん! きっと楽しいと思うんだけど」
みんなでデザート・バイキング! とっても素敵な提案です。でも…。
「スウェナ、それっていくらするの?」
ジョミー君が言い、スウェナちゃんが答えた値段に私たちは一気に肩を落として。
「ダメだぁ…」
「ちょっと高すぎますよ。もっと安い所は無いんですか?」
シロエ君の現実的な意見に頷きそうになった時。
「いいじゃないか、スウェナの行きたい所にすれば」
割り込んだのは会長さんでした。
「ぼくも久しぶりに食べたくなったよ。あそこのケーキは美味しいんだ。…今度の土曜日なんかどう? お金は……そうだね、笑わないって約束するなら簡単に調達できるけど」
「えっ?」
「ハーレイに払ってもらえばいい。…知ってるんだ、ハーレイの望み」
ニヤリと笑う会長さんが良からぬことを企んでいるのは容易に想像できました。けれど「笑わないと約束するなら」って、どういう意味…?
「ハーレイは水泳大会が心残りでたまらないんだよ。ぼくが女子の部だって聞いた時から、ずっと妄想していたらしい。スクール水着姿のぼくを…ね。実際に泳がないことは分かっていたし、防寒着を身に着けるまでの間に見ようと思って待っていたのさ。だけど、実際は見られなかった」
そうでした。会長さんはサリーで水着を隠してしまって、誰にも見せなかったんです。
「だから水着姿を見せると言えばイチコロで財布を出すと思うよ。…ぼくも恥を晒すからには、ハーレイが鼻の下を伸ばす姿をみんなに見せたい気もするし…。どうする? 笑わないと約束できる?」
「「「…………」」」
私たちは額を押さえました。会長さんの女子用スクール水着姿。笑わずにいられるかどうか、正直、自信がありません。せめて参考資料でもあれば…。
「写真は撮ってないからね。多分、こんな感じ」
はい、と会長さんが取り出したのは、スクール水着姿の会長さんのカラーイラストでした。まりぃ、とサインがしてあります。…またしても、まりぃ先生ですか…。
水着姿の会長さんの絵は特に変わったポーズでもなく、スラリとした身体に紺色の水着は意外なことに似合っていました。
「思ったほど変じゃありませんね…」
シロエ君が呟き、サム君が。
「変って言うより似合ってるぜ? …あ、ブルーは怒るかもしれないけど…」
「レスリング選手みたいだな」
冷静な意見はキース君。
「あっ、ホントだ! レスリングの選手って、なんかこういう服だよね!」
「言われてみれば似ていますね」
ジョミー君とマツカ君が頷きます。スウェナちゃんも「そうね」と相槌を打ち、私は似合っていると思った理由が分かってホッと一息。まりぃ先生に毒されたわけじゃなかったんです。
「レスリング選手…ね。ちょっと足が露出しすぎてる気もするけれど」
「大丈夫だって、ブルー!」
サム君がグッと拳を握りました。
「なぁ、みんなだってそう思うだろ? 笑ったりなんかしないよな?」
「そうだな…。デザート・バイキングの金が目当てでなくても、笑うなと言われれば笑わないだけの自信はあるな」
腕組みをするキース君。
「しかし、だからといって…。やるのか、本気で?」
「今ので一気にやる気になった」
ふふ、と悪戯っぽい笑みを浮かべる会長さんは妙な自信に溢れています。
「それ、まりぃ先生がハーレイのお見舞い用に描いたイラストをコピーしてきたヤツなんだ。自分で鏡に映した時はアウトだと思っていたんだけどね…。こうして見ると案外おかしくないな、って。みんなに見せても笑われなかったし、これはやらなきゃ損だろう?」
前に着た白ぴちアンダーみたいに煽情的な服でもないし、とイラストを改めて披露してから会長さんは立ち上がりました。
「よし、決めた。…水着をネタにハーレイから軍資金を毟り取る! 土曜日はデザート・バイキングだ。いいかい、笑った人は自腹で参加にするからね」
「「「はいっ!!!」」」
思わず最敬礼をしてしまった私たちと「そるじゃぁ・ぶるぅ」を引き連れ、会長さんは教頭室へ。重厚な扉をノックして…。
「失礼します」
足を踏み入れた会長さんに、教頭先生は苦笑しました。
「なんだ、今頃になって謝りに来たのか? お前がサボリの勧誘に来たことも、後ろの連中が抜け出したことも、グレイブには一切話してないぞ。私は何も見なかった。だから謝る必要は無いが」
あっ…。サボリのことを忘れてました。もしかして、恩を仇で返しに来ちゃいましたか?
やばい、まずい…と顔を見合わせる私たち。けれど会長さんは意にも介さず、机の方へ近付いていって。
「サボリの勧誘をして悪かったなんて思ってないよ。ぼくたち、ゼル特製を食べに行ったんだ。アルトさんとrさんを連れてったのは、ギックリ腰の薬の御礼なんだけど…。アルトさんちの薬だったし、アルトさんとrさんとは親友だしね」
「そうか、ゼル特製が目当てだったなら時間中に抜け出さないと品切れになるな。アルトには薬の恩がある。御礼に焼き菓子セットは送っておいたが、ゼル特製を食べさせてやってくれたのか。ありがとう、ブルー」
何も知らない教頭先生は、会長さんが報告に来たのだと思ったようです。にこやかに微笑む教頭先生に会長さんが言い出したことは…。
「ゼル特製、とっても美味しかったよ。…でね、ぶるぅの部屋で話をしていて、今度の土曜日にデザート・バイキングを食べに行きたいな、ってことになっちゃって…。ホテル・アルテメシアのトップラウンジでやってるんだよ」
「それで?」
「ぼくたち、それに行きたいんだ。九人分だから代金が…」
これだけ、と言葉と指で示す会長さん。
「もちろん出してくれるよね? だってハーレイは気前がいいし」
「ま、待ってくれ! 今は駄目だ。欠勤して迷惑をかけた先生方に配った菓子の代金が馬鹿にならなくて…」
「でも財布は空にはなっていないよ」
「勝手に覗くな!」
スーツの上から財布を押さえる教頭先生に、会長さんがニッコリ微笑みかけて。
「まあ、色々と…入り用だとは思うんだけど。もしも御馳走してくれるなら、水着を着て見せてあげてもいいよ?」
「水着?」
「そう、水着。…水泳大会の時、期待しただろ? ぼくのスクール水着姿」
うっ、と短い声が聞こえて教頭先生が鼻を押さえました。
「まりぃ先生にお見舞いのイラストを貰ってたよね。その目で見たいと思わない? 今ならボディーガードも大勢いるし、特別に着たってかまわないけど」
「…ほ…本当なのか…?」
「うん。嫌だって言ったら、それはそれで…」
ペロリと唇を舐める会長さんは妖艶でした。教頭先生が断ったとしても水着を着るに決まっています。そして最悪なシナリオを練って教頭先生を陥れた上、お財布の中身を無理やりに…。今まで何度も繰り返されたパターンです。もちろん教頭先生が気付かない筈はないわけで…。
「…わ、分かった…。要らないと言っても着てみせる気だな? ならば私からお願いしよう」
「そうこなくちゃ。じゃあ、ちょっと待ってね。あ、その前に…。みんな、念の為にもう一度。笑った人は自分の参加費を負担するんだよ」
「「「はいっ!」」」
赤い瞳でジロリと睨まれ、私たちは慌てて姿勢を正しました。パァッと青いサイオンの光が輝き、制服だった会長さんの姿が再び現れた時は…。
おおっ、という教頭先生の声が聞こえた気がします。会長さんはスラリとした身体に紺色のスクール水着を着て、裸足で絨毯の上に立っていました。胸のゼッケンには綺麗な字で『1年A組』『ブルー』と書かれ、本気で出場する覚悟だったことが明らかに…。
「どう? 本物を見られた感想は?」
クスクスと笑う会長さんにスクール水着は思った以上にお似合いでした。一人くらいは笑うだろうと思っていたのに、誰もが黙って見ています。サム君は少し頬を染め、教頭先生は感無量。
「ふふ、感激して声も出ないんだ? でも目の保養にはなっただろう? デザート・バイキングの代金なんて安いものだよ。せっかくだからクルッと回ってあげようか」
その場で優雅に回ってみせる会長さん。教頭先生の喉がゴクリと鳴って、会長さんは楽しそうに。
「サービスにもう一回だけ、ゆっくり回ってみせてあげるね」
しなやかな白い手足を伸ばして見せつけながらクルリと回り、ポーズを決めて止まってみせて。
「はい、おしまい。デザート・バイキングを九人前でよろしくね。アンコールは…」
無いよ、と朗らかに告げた瞬間、ケータイカメラのシャッター音が響いて、同時に声が。
「二人追加」
「「「ブルー!?」」」
会長さんとサム君、それに教頭先生が叫んだのは会長さんの名前ではなく、瓜二つのそっくりさんの名前でした。
「「「…ソルジャー…?」」」
呆然としている私たちの前で、紫のマントを着けたソルジャーが右手にケータイを構えています。
「うん、我ながらうまく撮れた」
満足そうに頷く姿に、教頭先生がアッと息を飲み、スーツのあちこちに手を突っ込んで…。
「な、無いっ! ケータイが無い! も、もしかして、そのケータイは…」
「君のだけど?」
ソルジャーは悠然と答え、「見る?」と私たちに画面を向けました。そこにはスクール水着で微笑む会長さんの上半身が…。
「とりあえず待ち受けに設定しといた。でも、これだけじゃ君は物足りないと思うんだ。えっと…」
口をパクパクさせている教頭先生の横を通り過ぎ、机の引出しを開けて取り出したのはデジタルカメラ。慣れた手つきで操作してからクスッとおかしそうに笑って。
「なんだ、ブルーの隠し撮りが沢山あるかと思ってたのに…ほんの数枚、それも顔立ちも分からないほどか。ぼくが活用してあげよう。そうそう、デザート・バイキングに行くんだって? ぼくとぶるぅも行きたいな。甘いデザートには目が無くてさ。二人追加でお願いするよ」
「「「………」」」
誰も言葉が出てきません。ソルジャーはデジカメを机に置くと、そこに置きっぱなしだったケータイを手に取り、教頭先生にさっきの画像を見せて。
「君には決して撮れない写真だ。ブルーは撮影禁止と言ってないのに、君は撮ろうとも思わなかった。だから代わりに撮ったんだけど、ぼくとぶるぅのデザート・バイキングの費用はこれで足りるかな。…足りないよね?」
勝手に決め付けたソルジャーはケータイを教頭先生のポケットに戻し、デジカメを手にして言いました。
「二人分の参加費代わりに、ぼくがブルーを激写する。さあ、撮影会を始めようか」
予想もしない人物の登場に加え、とんでもない展開になってしまってついていけない会長さんと私たち。もちろん教頭先生もです。いったいこれから、どうなっちゃうの~!?