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シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。

カテゴリー「シャングリラ学園・番外編」の記事一覧

男子の部に最初に出場すると決まった1年A組。何をさせられるのか分からない男子が騒ぎ始めましたが、キングサーモンもオヒョウも運ばれてくる様子はありません。釣竿だって出てきませんし…準備に手間取っているのでしょうか? 運び込むのも大変なほど凄い大物が届くとか…?
「クジラって寒い海にもいるんだっけ?」
一番クジを引いてしまったジョミー君が心配そうに言い、キース君が。
「…考えたくないが、北極にもいる。角が生えたヤツも北極の筈だ」
「も、もしかして…一本角の…」
「ああ、イッカクだ。正確には角じゃなくって牙だがな」
「そ、それって…釣るの、難しそうだね…」
「餌は普通にイカとか魚だったと思うぞ。ただ、あの角がどう影響するか…」
釣りの獲物は一本角のクジラかも、という噂は瞬く間にプールサイドに広がり、みんなが固唾を飲んで見守っている中、ブラウ先生がマイクを握りました。
「さあ、お待ちかねの男子の競技を発表するよ! 男子の方は釣りじゃない。男は男らしく、しっかり泳いでもらおうじゃないか。名付けて夏の寒中水泳!」
「「「えぇぇっ!?」」」
悲鳴に似たどよめきが起こり、男子の顔色が変わります。寒中水泳って…このプールで…?
「えぇっ、じゃないよ。さっきリレーって言ったじゃないか。嫌ならクラスごと棄権するんだね。まぁ、水は冷たいし、片手だろうが片足だろうが、水に漬ければ出場したとカウントしよう。ただし、競うのは制限時間内に泳いだ距離だ。一番長い距離を泳いだクラスが優勝だよ」
クラスの男子全員が出場すれば、誰が何メートル泳ごうが、何回泳ごうが構わない…とブラウ先生。
「泳いだ後は寒いからね、あっちにテントを用意した。ストーブもあるし、ぜんざいもある。風邪を引かないよう、十分に温まってから応援場所に帰ること。それじゃ一番のクラスは準備して。どてらは自分の順番が来るまで羽織ってていいよ」
「……嘘……」
あんまりだ、とジョミー君が嘆きました。
「無茶苦茶だよ、あんな寒そうなプールで泳ぐなんて!」
「ブルーが出場禁止になるわけですよね…」
溜息をつくシロエ君。厚い氷を切って作られたプールは見るからに冷たそうな色をしています。震え上がっている男子でしたが、その中にやたら元気なのが一人。
「かみお~ん♪ やっぱりぼくが一番でいいの? 釣りじゃなかったし、お料理でもないけど」
「「「ぶるぅ!?」」」
寒くないのか、とみんなに質問された「そるじゃぁ・ぶるぅ」はケロリとした顔で。
「ん~とね、ぼくも冷たいと思うよ。だからシールドするんだもん。シールドしちゃえば平気だもんね」
「「「シールド!?」」」
なんだそれは、と首を傾げる男の子たちに会長さんが。
「ぶるぅの力の一つだよ。見えない膜のようなもので身体を包み込んでしまうんだ。氷水はもちろん、真空でも平気。だから、ぶるぅは問題ないけれど…君たちはどうする? 手足を漬けるだけっていうんじゃ楽しくないね」
ここは泳いでくれなくちゃ、と他人事のように言ってますけど…。そうか、女子の部なんだから他人事でしたっけ。スクール水着の恨みをこんな所で晴らす気ですか?

寒中水泳と知って青ざめている男子を他所に、会長さんが手を上げました。
「ブラウ先生、質問です!」
「なんだい?」
「プールに入れるのは一人だけですか? 最初からずっと入りっぱなしのメンバーがいてもいいですか?」
「…ふぅん?」
ブラウ先生は1年A組の男子をぐるっと見渡し、会長さんに視線を戻して。
「それは愉快な話だねぇ。ずっと浸かっていたいっていう酔狂なのがいるわけか。オッケー、全然問題ないよ。要はクラスの男子全員が水に入ればいいんだからさ」
「分かりました。…ありがとうございます」
会長さんは男子の方を振り向き、「そうだって」と微笑みました。
「ぶるぅのシールドは一緒にいる人にも有効なんだ。寒いのが嫌なら、ぶるぅを背負って泳ぎたまえ。そうすれば寒さを防ぐことができる」
「「「マジで!?」」」
「ぼくは嘘なんかつかないよ。…ね、ぶるぅ?」
「うん! みんな、ぼくをおんぶして泳いでくれるの? 楽しそう!」
大はしゃぎの「そるじゃぁ・ぶるぅ」を連れて男子は氷の上の特設プールに向かうことになりましたが…。
「「「寒っ!!!」」」
ラクダ色のシャツやズボンを脱ぐと、やっぱり寒いみたいです。どてらだけを着て裸足で氷に踏み出すと「寒い、冷たい」と泣き言が…。けれど「そるじゃぁ・ぶるぅ」だけは、どてらも着ずにピョンピョン跳ねて御機嫌です。
「ぼく、いっちば~ん! それにおんぶで泳ぐんだ♪」
男子が特設プールの端に並ぶと、シド先生がダウンジャケット姿でホイッスルを持ち、氷の上に現れました。
「用意はいいか? いきなり飛び込むのは身体に悪い。自分の番が近づいたら前もってプールに入っておくのがいいと思うぞ。では、一番の生徒は前に出て」
「かみお~ん♪」
元気よく進み出た「そるじゃぁ・ぶるぅ」が氷のプールの端に立ちます。
「ぼくね、飛び込んでも全然平気! ね、ね、時間はいっぱいあるんだよね?」
「そうだな。普通に泳げば全員が一往復して、更に自信のある者が何往復か出来るだけの時間は取ってある」
「やったぁ! じゃあ、ぼく、何回か泳げるね。みんなと約束したんだもん」
エヘンと胸を張る「そるじゃぁ・ぶるぅ」は、クラス全員が泳いだ後に制限時間が来るまで一人で泳ぐという計画になっていました。シド先生のホイッスルが鳴って。
「かみお~ん!」
ザッパーン! と飛び込んだ小さな身体が凄いスピードで泳いでゆきます。アッと言う間に向こう側に着き、折り返してくる中、プールの縁に近づいたのはジョミー君。一番クジを引いた責任を取らされ、本当に「そるじゃぁ・ぶるぅ」を背負えば大丈夫なのかを調べるための人身御供にされたのでした。恐る恐るプールに右手を突っ込み、慌てた様子で引っ込めています。
「大丈夫かしら、ジョミー? …凄く冷たそうよ」
心配顔のスウェナちゃん。ジョミー君の右手は真っ赤でしたが、「そるじゃぁ・ぶるぅ」が戻ってきたのでエイッとどてらを脱ぎ捨てました。そこへ泳ぎ着いた「そるじゃぁ・ぶるぅ」が氷の縁に手を掛けて。
「ジョミーの番だよ! ほら、こっち!」
「わぁっ!!」
ドボン! ジョミー君は見えない力に引かれたように水中に落ち、背中に「そるじゃぁ・ぶるぅ」を乗せる形で浮かび上がって泳ぎ出します。冷たさなんか平気に見えるのはシールドのおかげ…?
「ぶるぅのシールド、凄いだろう?」
会長さんがニッコリ笑って特設プールを指差しました。
「1年A組の男子は全員、無事に往復できる筈だよ。…中には強情なのもいそうだけども」
「「「???」」」
「キースとシロエ。…キースは柔道部の意地でシールド無しで泳ぐんじゃないかな。キースがそうすれば、負けず嫌いのシロエもそうする。うちのクラスで本物の寒中水泳を見せてくれそうなのは、あの二人だね」
ジョミー君は見事に泳ぎ切り、安全を確認した男子たちが次々と「そるじゃぁ・ぶるぅ」を背負って泳ぎます。もっとも「そるじゃぁ・ぶるぅ」が離れた途端にシールドが切れ、寒さが襲ってくるようですけど。…ジョミー君たちはテントの中で服を着込んでストーブにあたり、おぜんざいを啜っていました。そうこうする内にキース君の番が来て…。
「ぶるぅ、俺にお前は必要ない」
そこで見ていろ、と格好よく飛び込むキース君。水が冷たいせいか普段よりもスピードが落ち、肌も赤くなっているのに、ちゃんと泳いでターンして…。戻ってきたキース君と入れ替わりに飛び込んだのはシロエ君でした。こちらも一人で泳ぐと言い切り、「そるじゃぁ・ぶるぅ」はつまらなそうにプールに浮かんでいます。
「キース君もシロエ君も、すご~い!」
「かっこいいわよね」
キャアキャア騒ぐ女の子たち。会長さんは憮然とした顔で…。
「ぼくだって泳ごうと思えば泳げるのにさ。ちぇっ、それなのに女子だなんて」
会長さんの場合はシールドを張って泳ぐのでは…と思いましたが、スウェナちゃんも私も黙っていました。アルトちゃんとrちゃんは「身体を大事にして下さい」と心から心配している様子。…そう簡単にくたばるような人じゃないですよ、と言ってあげても、二人とも信じはしないでしょうねえ…。

シロエ君の後、残りの男子が「そるじゃぁ・ぶるぅ」を背負って泳いでも時間はたっぷりありました。寒さ知らずの「そるじゃぁ・ぶるぅ」は終了の合図のホイッスルが鳴るまで、何度もプールを往復してからテントに走って行きましたけど、お目当てはおぜんざいだったみたいです。そんな1年A組に敵うクラスがあるわけもなく…。
「なんだよ、順番に手を漬けているだけじゃないか」
「俺たちの手前、棄権だけはしたくないってことだろうぜ」
みっともない、と他のクラスを指差して笑う男子たち。自分たちだって「そるじゃぁ・ぶるぅ」がいなければ泳げなかったくせに、喉元過ぎればなんとやら…です。果敢に泳ぐ人は運動部の人か特別生。特別生は恐らくシールド効果でしょう。とはいうものの、その人たちも一往復が限界で…。
「競技終了!」
ホイッスルが鳴り、ブラウ先生が進み出ました。男子の部は1年A組の勝利。学年一位も学園一位もゲットです。
「おめでとう、1年A組は男子も女子も見事学園一位だよ! 今年の学園一位の副賞は先生方との雪合戦だ」
「「「雪合戦!?」」」
驚いている私たちの前で、職員さんたちが大量の雪を運んで来ました。
「プールから切り出した氷で作った人工雪さ。これを1年A組の生徒全員と、先生チームとでぶつけ合う。特にルールは設けないから、勝ち負けも無し。ただ楽しめばいいんだけども、落ちないように注意しとくれ」
特設プールの周囲に落下防止のロープが張られて、氷の上に人工雪が撒かれます。これは手袋が役立ちそう! 穴釣り用に開けられた穴も丁寧に埋められ、私たちは思いがけないイベントにワクワクしながら準備が整うのを待ちました。フカフカの人工雪はかなりの量がありそうです。それを見ながら会長さんが。
「先生チームとの戦いとなると、雪玉は多いほど有利だよねぇ? よし、ぶるぅとぼくが雪玉を作る。君たちは投げるのに専念したまえ。勝ち負け無しでも、先生方を圧倒したいと思うだろう?」
それはもちろん、と一斉に頷くクラスメイト。
「ぼくたちの雪玉はスペシャルだよ。出来上がりを楽しみにしててほしいな」
自信たっぷりな会長さん。やがて氷のプールは水面を残して白い雪で埋まり、対戦相手の先生方の登場です。教頭先生、シド先生、グレイブ先生、ゼル先生…。もちろんブラウ先生やミシェル先生も。マイク担当はエラ先生に代わりました。
「1年A組の皆さん、用意はいいですか? 草鞋を履くのを忘れないようにして下さいね。雪合戦は二十分間です。興味の無い人は雪だるまを作っていてもいいですよ。その場合は参加していないことを示すために帽子をかぶっていて下さい」
帽子はこちら、と黄色い帽子を積み上げた机を示されましたが、取りに行く人はいませんでした。全員、やる気満々です。会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」特製のスペシャル雪玉の威力はどんなものでしょう?
「あらかじめ作れるわけじゃないから、最初は自力で戦って。…完成したら合図をするよ」
会長さんが雪玉の製造場所に決めたのは特設プールのすぐ隣。運び込まれた雪の残りを積み上げた山があったのです。エラ先生の「はじめっ!」の声で、私たちは雪で埋まったプールの上に飛び出しました。

全校生徒の声援の中、激しく雪玉が飛び交います。足元の雪を丸めては投げ、丸めては投げ…。先生方の方が少人数の筈なのに圧倒されてしまいそうなのは、よほど要領がいいのでしょうか。
「かみお~ん♪ 雪玉の用意、できたよ!」
大きな声に呼ばれて行くと、雪玉が山盛りになっています。みんな早速、それを掴んで投げ付けると…。
「「「わぁっ!!」」」
避けそこなった先生方に当たった雪玉が炸裂し、派手に白いものが飛び散りました。雪煙というヤツです。どんな作り方なのか分かりませんけど、当たるとしばらく視界を妨害できるみたい。先生方からの攻撃は止み、一方的に私たちが攻め始めます。雪玉は次々に補充され、もう楽しくてたまりません。
「あっちじゃ、あっちで雪玉を作っておるぞ!」
ゼル先生の悲鳴が上がりましたが、もう先生方は雪玉を作る余裕も無いようでした。屈み込んで雪を握ろうとすると、すかさず雪玉が飛び込んできて視界が真っ白になってしまうのですから。…ん? グレイブ先生がいない…?
「そこだぁーっ!!!」
グレイブ先生の叫び声が響き、雪玉製造基地に人影が乱入するのが見えました。
「反則だろ、グレイブ!」
「やかましい! 雪玉さえ使えば反則ではない!」
会長さんとグレイブ先生が言い争った次の瞬間、凄まじい雪煙が上がります。どうやらグレイブ先生は会長さんのスペシャル雪玉を盗みに入ったようでした。
「おい、やばいぞ!」
「俺たちの雪玉を盗られてたまるかーっ!!」
「かみお~ん!」
たちまち雪玉製造基地の周囲が戦場になり、大乱闘の合間を縫って「そるじゃぁ・ぶるぅ」が追加の雪玉を転がしてきます。雪煙で何がなんだか分からないまま、この辺りだと見当をつけた所へ雪玉を投げまくる私たち。先生方は雪玉製造基地を制圧すべく、じりじりと包囲網を狭めていました。と、その時…。
「あっ!?」
「ブルーっ!?」
会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」の声が聞こえ、落下防止用のロープが外れて宙に。投げ出された会長さんの身体がプールに向かって落ちてゆきます。
「「「きゃあぁぁ!!!」」」
「ブルーっっっ!!!」
激しい水音と飛沫が上がり、もうダメだ…と思ったのですが。会長さんは水に落ちてはいませんでした。代わりに落ちた……いえ、飛び込んだのは教頭先生。両腕でしっかりと会長さんを抱え、濡れないように支えています。
「おぉっ、ハーレイ、よくやった!」
ゼル先生が嬉しそうに叫び、シド先生とグレイブ先生が会長さんを助け上げました。雪合戦はもちろん中止。会長さんは乱闘の最中に足を滑らせてしまったらしいのです。
「ブルーが落っこちなくて良かったよ」
なにしろ身体が弱いんだから、とブラウ先生。
「で、ハーレイ。…あんた、いつまで我慢大会してるんだい? 殊勲賞なのは分かったからさ、さっさと上がって着替えてきな」
「………」
「なんだい、動けないっていうんじゃないだろうね? え? なんだって?」
ブラウ先生が屈み込み、他の先生方も教頭先生の近くに寄って行って…。それから間もなく担架が運び込まれ、プールから引っ張り上げられた教頭先生は会場の外へ搬送されてゆきました。いったい何が起きたのでしょう? 負傷だとしか知らされないまま、表彰式が済み、人騒がせな水泳大会は無事に終了したのでした。

どてらと縁の切れた放課後、「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお部屋に顔を揃えた私たち。寒中水泳を披露したキース君とシロエ君も元気一杯で宇治金時を食べています。プールは凍っていましたけれど、外はしっかり暑いんですから。
「結局、教頭先生はどうなったんだ?」
首を傾げるキース君。今日は部活の無い日ですけど、明日からの柔道部の稽古を思えば心配になりもするでしょう。
「どうって…運ばれていったじゃないか。まりぃ先生の付き添いで」
会長さんの答えにキース君の顔が険しくなります。
「まりぃ先生が…付き添い? すると保健室ではないんだな」
「うん。まりぃ先生、応急処置に悩んでいたよ。冷やせばいいのか、温めればいいのか…って。保健室には珍しいからねぇ、ギックリ腰は」
「「「ギックリ腰!?」」」
「そう。とりあえずノルディの病院に運ばれて行った」
後はお任せ、と会長さん。
「しばらく安静にするしかないだろう。柔道部の指導は無理だと思うよ」
「ギックリ腰って…教頭先生ほどの人が…」
信じられない、と呟くキース君。日頃、筋肉を鍛えている教頭先生が会長さんを受け止めたくらいでギックリ腰になる筈がないと言うのです。
「うーん…。そう言われると責任を感じちゃうな。…素直に落ちていればよかった」
「「「は?」」」
落っこちたんだと思いましたが、違うんでしょうか? 会長さんは苦笑しながら。
「落ちかけたのは確かだよ。…でも、あんな冷たいプールに落ちたら間違いなく風邪を引くだろう? シールドを張って濡れるのを防ぐか、水に落ちるのを食い止めるか。それで落ちない方を選んだ。ぶるぅに助けて貰ったんだ、と言うつもりでね」
「「「落ちない方?」」」
「サイオンで宙に浮いたんだよ。そこへハーレイが飛び込んできた。ぼくを受け止める気で身がまえたのに、ぼくの体重が消えてたら…どうなると思う? 筋肉は全て空回り。おまけに水は氷のようだし、ギックリ腰になるのも無理はない。…申し訳ないことをしたかな」
なんと! 教頭先生、これではまるで犬死にです。いえ、死んだわけではありませんけど…。
「君たちも犬死にだと思うかい? ちょっと気の毒すぎただろうか」
「難しいところだな…」
キース君が考え込み、ジョミー君が。
「犬死にだとは思わないよ。ゼル先生たちも誉めてたんだし、ブルーを助けて正解でしょ?」
「だけど必要なかったんです。…ぼくは犬死にだと思いますが」
シロエ君も加わり、サム君は…。
「俺なら犬死にでも気にしないなぁ。ブルーが無事で良かった、って思うだけでさ」
流石はサム君。教頭先生と同じ目に遭っても、後悔したりはしないのでしょう。会長さんは空になった宇治金時の器をじっと見詰めていましたが…。
「ハーレイが好きでやったことだし、放っておこうと思ったけれど…。ぶるぅ、今日からハーレイの家に行ってくれるかな? ギックリ腰だと家事をするのも大変そうだ」
「オッケー! でも、ブルーは?」
「ぼくは一人でも大丈夫。いざとなったらフィシスもいるし」
「そうだね。じゃあ、ぼく、お手伝いに行く!」
何が要るかなぁ、とメモをし始める「そるじゃぁ・ぶるぅ」。会長さんったら、なんだかんだと苛めていても、教頭先生を大事に思ってはいるんですねぇ。

翌日、教頭先生は欠勤でした。ギックリ腰だと噂が広まり、意外な事にアルトちゃんが涙目です。ファンだったらしく、寮に戻って秘伝の塗り薬を取って来ました。届けてあげて下さい、と渡されたものの、どうしたら…?
「おや、珍しいものを持ってるね」
会長さんが塗り薬の瓶に目を留めたのは「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお部屋です。終礼が済んで行ってみると、お部屋の主はいませんでした。
「ぶるぅはハーレイの所だよ。みんなでお見舞いに行こうと思ってたんだ。ぼくが一人でハーレイの家に行くのは止められてるから…。その薬もお見舞いの品なのかな?」
「アルトちゃんの家に伝わる秘伝の薬らしいです」
「いいね、ハーレイが喜ぶよ。花屋さんに注文した花も入荷してるし、バッチリだ」
柔道部三人組も揃っているので、私たちはすぐに出発しました。バスで教頭先生の家の近くまで行って、花屋さんに寄って、教頭先生の家に着くと「そるじゃぁ・ぶるぅ」が門扉を開けてくれて。
「かみお~ん♪ ハーレイ、ベッドから全然動けないんだ」
「そうみたいだね。だからお見舞い」
会長さんが先頭に立って二階の寝室に向かいます。教頭先生は本当に寝込んでいました。
「こんにちは、ハーレイ。…昨日は、その…ぼくのせいで…」
「ブルー…。わざわざ見舞いに来てくれたのか?」
「うん。これ、ぼくの気持ち。暑い時期でも、ある所にはあるものだね」
ベッドサイドに置かれたものはシクラメンの鉢植えでした。キース君が必死になって止めたのですが、会長さんは譲らなかったのです。「鉢植えは根があって、寝付く。シクラメンは死苦に通じるから駄目だって言うんだろ? そこがいいんだ」と。
「はい、シクラメンの花言葉。…ハーレイ、こういうのには疎そうだし」
会長さんが渡したカードを開いた教頭先生は感無量でした。
「そうか、はにかみ・内気…切ない私の愛を受けて下さい…か…。冗談だと分かっていても嬉しいものだな」
「ふふ、鉢植えでも喜ぶんだ」
「何か言ったか?」
「ううん、なんにも。…それより、ギックリ腰に効く塗り薬を貰ってきたんだよ」
アルトちゃん秘伝の塗り薬の瓶を取り出した会長さんは、赤い瞳を悪戯っぽく輝かせて。
「ぼくが塗ってあげる。そんな状態じゃ塗れないだろ?」
よいしょ、と布団を剥がれた教頭先生は耳まで真っ赤になりました。
「ちょ、ちょっと待て、ブルー! その薬は何処に塗るものなんだ?」
「患部に決まっているじゃないか。ギックリ腰だから腰だよね。…あ、女の子は外に出てて。トランクスを脱がさなきゃいけないから」
スウェナちゃんと私が外に出た後、扉の向こうで何があったのかは知りません。防音なので全く聞こえなかったのです。再び呼び込まれた時、教頭先生は脂汗を浮かべてベッドの上で唸っていました。
「…おかしいなぁ…。ちゃんと薬を塗ったのに」
部屋の中には怪しげな匂いが満ちています。ジョミー君たちの話によると、塗り薬はこの世のものとも思えない悪臭を伴っていたらしいのですが、薬には違いない筈ですし…教頭先生は何故苦しんで…?
「あんたが無茶な動きをさせたんじゃないか!」
キース君の怒鳴り声を会長さんはサラッと聞き流して。
「あれはハーレイが悪いんだ。ぼくは薬を塗っているだけだったのに、一人で勝手に盛り上がった挙句に鼻血まで出してしまうんだからさ」
ねぇ? と妖艶な笑みを浮かべる会長さん。
「治るまで毎日、塗りに来た方が良さそうだね。なんなら入浴も手伝おうか? 隅から隅まで洗ってあげるよ」
教頭先生の返事は返ってきませんでした。腰が相当痛むようです。塗り薬の効果が出てきたとしても、今日のような調子で薬を塗りに来られたのでは、全てが元の木阿弥に…。けれど会長さんは気にする風もなく、満足した顔で微笑みました。
「人の役に立つって気持ちいいよね。鼻血が出るほど喜んでくれたし、明日もお見舞いに来る事にするよ。家事はぶるぅに任せておいて、ぼくは塗り薬を塗ってあげるんだ。治ってきたら、お風呂にも入れてあげなくちゃ。ぼく一人だと危険すぎるから、誰かに手伝ってもらって…ね」
視線の先にいたキース君とジョミー君が慌てて首を横に振りましたが、会長さんは知らん顔。こうと決めたら譲らないのが会長さんのやり方ですし、お風呂はともかく、塗り薬は決定事項でしょう。ギックリ腰は全治1、2週間らしいのですけど、なんだかそれよりも長引きそうな…。
「じゃあ、今日はこれで帰るから。ぶるぅ、ハーレイをよろしく頼むよ。シクラメンの世話も忘れずにね」
「うん! ぼく、頑張る♪」
まだ呻いている教頭先生に軽く手を振って、会長さんは寝室の扉を閉めました。アルトちゃん秘伝の塗り薬、とんでもない使われ方をしちゃいましたが、いいんでしょうか?
「大丈夫だよ。あの薬、効き目は確かなようだ。…悪化したように見えてるけれど、明日にはグッと痛みが和らぐと思う。それにハーレイがいい思いをしたのも確かな事実さ。天国と地獄は紙一重…ってね」
クスクスクス、と笑う会長さん。いい思いって…やっぱり塗り薬を塗ってる間に色々と…? どこまでも悪戯好きな会長さんが贈ったお見舞いの花はシクラメン。おまけにしっかり鉢植えですけど、花言葉で騙されちゃった教頭先生、心から感激していそうです。ギックリ腰になった甲斐があった、なんて思っていたら可哀想すぎて涙もの。教頭先生、一日も早く腰を治して学校に復帰して下さ~い!




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水泳大会の女子の部に会長さんを登録する、というグレイブ先生の企みは見事に成功しました。スウェナちゃんと私が買いに行ったスクール水着は無駄にならなかったわけですが…会長さんは浮かない顔。柔道部の部活も終わった放課後、「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお部屋で何度も溜息をついています。今日のおやつのサマープディングも食べ終わってはいませんでした。
「ブルー、気分が悪いんじゃないよな?」
「平気だよ、サム。…ぼくにかまわずに食べてていいから」
柔道部三人組が来たので「そるじゃぁ・ぶるぅ」がタコ焼きを作り始めました。焼き上がった分からソースを塗って食べるんですけど、会長さんはまだサマープディングをつついていて…。
「…イメージっていうのは大切だよね」
「「「は?」」」
意味不明な言葉に首を傾げる私たち。
「シャングリラ学園一の美形で通してきたのに、お笑いキャラにされちゃいそうだ」
「…もしかして……水着?」
ジョミー君が尋ねると、会長さんは深い溜息をついて。
「うん。昨日、スウェナたちが買ってくれたヤツを着てみたんだけど、なんていうか……。もう最悪」
「ええっ、そんなことないよ!」
似合ってたよ、と明るい笑顔の「そるじゃぁ・ぶるぅ」。
「背が高いから、かっこいいもん。なのにブルーは嫌がっちゃって、ゼッケンに名前も書かないんだよ」
ダメだよね、と言われましたが、ここで頷いていいものかどうか。私たちが顔を見合わせていると、会長さんは額を押さえました。
「…ゼッケンに名前…ね…。帰ったら書くよ、もう逃げられないし…。まったく、なんで女子用のスクール水着なんかを…」
「女子なんだから仕方ないだろう」
キース君がニヤリと笑って。
「それとも他の水着で出るか? 女子用しか許可は下りんと思うがな」
「…直訴に行ったらブラウに言われた」
あんまりだ、と不満そうな顔の会長さん。水泳大会はブラウ先生が担当しているようです。
「女子としてエントリーした以上、女子用の水着しか許可しないってさ。それも学校指定のヤツ。おまけに笑いながら言ったんだ。…どうしても目立ちたいんならビキニも特別に許してやるよ、って!」
「「「ビキニ!?」」」
えっと…。男性用の競泳水着じゃないですよね。ブラウ先生、お茶目すぎです。会長さんは心底、憂鬱そうに。
「…シャングリラ・ジゴロ・ブルーも終わりかな…。いくらなんでも、あの水着じゃあ…」
「大丈夫だって! 俺、ブルーのこと大好きだし」
サム君が懸命に慰める横で、キース君たちが必死に笑いを堪えていました。身内からしてこの有様では、当日が思いやられます。会長さんには気の毒ですけど、多分、私も笑うだろうなぁ…。

いよいよ水泳大会当日。グレイブ先生の激励を受けた1年A組はプール館に向かいました。まずは割り当てられた更衣室で着替えです。流石に会長さんは男子更衣室に行きましたけど、グレイブ先生からは「着替えを終えたら女子更衣室の前で合流するように」との指示が。
「…会長さん、まさか私たちみたいな水着ってことはないわよねえ…」
「うん、ないと思う」
「でもさ、女子で登録している人が男子の格好でもかまわないわけ?」
女子更衣室の中は無責任な会話で賑やかでした。真実を知っているスウェナちゃんと私は、この後の阿鼻叫喚を覚悟しながら着替えを終えて、みんなと一緒に廊下に出ます。会長さんはまだ来ていません。…あれだけ嫌がっていたんですから、登場が遅くなるのも無理ないですけど…って、ええぇっ!?
「やあ、お待たせ。…ちょっと着替えに手間取っちゃって」
廊下の角を曲がって現れた会長さんは水着姿ではありませんでした。足首まである紫に銀の縁取りのロングスカートで、同じ生地の幅広の布が胸の前を通ってゆったりと左の肩の後ろに垂れていて…。
「きゃーっ、素敵! それ、サリーって言うんですよね!?」
「お似合いですぅ~!」
キャーキャー騒ぎ出す女の子たち。サリーって…なんでまた…。
「綺麗だろ、これ? シルクなんだ。ぼくも必死で考えたんだけど、スクール水着をカバーできる女性用の上着って無いんだよねぇ。パレオじゃお笑いにしかならないのさ」
だからこれ、と得意そうな会長さんの右の肩と左脇には紺色のスクール水着の片鱗が覗いています。
「ペチコートの代わりにベルトを巻いているんだよ。そこに挟み込んで着てるってわけ。解けば一枚の布なんだから、文句は言われないと思うな。特大のストールなんです、って答えればいいし…。虚弱体質の特権だね」
会長さんは完全に開き直っていました。女の子たちはサリーの着付けや布の長さを質問しては黄色い悲鳴を上げています。スクール水着、現時点では隠しおおせているようですけど、この先は? 競技が始まったらどうにもならないと思うんですけど、それはその時だというのでしょうか。
『少しでも人目につくのを遅らせたいのさ。…好きで着ている水着じゃないし』
届いた思念は相当に泣きが入っているようでした。けれど会長さんは笑顔で女の子たちに応じています。シャングリラ・ジゴロ・ブルーの名前に恥じない愛想を振り撒く会長さんを囲んで、私たちは水泳大会の会場になるプールに出かけていったのですが…。
「あら。…ずいぶん派手な水着ですね、ブルー」
入口の左右に受付があり、声をかけたのはエラ先生。男子はシド先生が受付です。
「水着じゃありません。身体を冷やすとダメだと思って、特大のストールを用意しました」
「まあ…。日頃の心掛けがいいのかしら? 今日は確かに身体を冷やさないのが一番ですよ」
はい、とエラ先生が大きな袋を会長さんに差し出しました。
「皆さんもクラスと名前を言って下さいね。これを渡さないといけませんから」
「…何、これ?」
袋を抱えた会長さんの問いに、エラ先生が。
「会場に入れば、すぐ分かりますよ。男子にも用意してあります」
言われて男子の受付を見ると、ジョミー君が袋を受け取っているところでした。受付の後ろには袋が山積み。名前を名乗ると職員さんが同じ名前が書かれた袋を捜して先生に渡すみたいです。会長さんは袋を抱え直して、私たちの方を振り向きました。
「よく分からないけど、要るみたいだよ。大丈夫、そんなに重くはないから」
スウェナちゃんが先に袋を受け取り、続いて私も貰ったのですが…大きさの割に軽いものです。何が入っているんでしょう? クラス全員に行き渡った所で、シド先生が入口の扉に手をかけました。
「いいか、立ち止まらないで急いで入場するんだぞ。ここは開け放し厳禁だからな」
「「「はーい!!!」」」
二列に並ばされた私たちは元気に返事し、扉が左右に開きます。途端に凄い冷気が吹き出して来て…。
「「「寒っ!!!」」」
なんじゃこりゃ、と効き過ぎの冷房に文句を言いつつ駆け込んでいくと、扉の向こうは信じられない光景でした。

水泳大会が行われるシャングリラ学園自慢の屋内プールは五十メートル。幅は二十メートルあるんですけど、プールは影も形も無くて、代わりに広がっていたものは…。
「「「氷っ!?」」」
真っ白に凍りついた四角い水面が鈍い光を放っていました。効き過ぎとしか思えない冷房は氷を溶かさないためだったのです。先に入場していた生徒たちの格好がまた珍妙で…。
「ほらほら、さっさと服を着な!」
ブラウ先生がマイク片手に呼びかけます。先生方はジャージの上にお揃いのダウンジャケットを羽織り、プールサイドの生徒たちは綿入れ半纏…俗に言う『どてら』姿ではありませんか!
「受付で袋を貰ったろう? そこに一式入ってるよ。身体を冷やしちゃいけないからね。あんたたちのクラスの応援場所は端から二番目」
私たちは1年A組と書かれたブロックに走り、袋の中身を取り出しました。どてらの他にラクダ色のシャツ、ダボダボのキルティングのズボン、分厚い二本指の靴下、手袋とマフラーが入っています。
「…正直言ってダサイですね」
シロエ君がこぼしましたが、他に着るものはありません。半端ではない冷房の中、水着だけでいたら確実に風邪を引くでしょう。どてらは男子が青色、女子が赤色の縞柄で、ズボンはモンペみたいな紺色の絣模様。ラクダ色のシャツは腹巻が似合いそうな代物です。
「…風邪は万病の元って言うしね…」
会長さんが上半身に纏ったサリーで器用に水着を隠しながらシャツを身に着け、赤いどてらを羽織ります。私たちが着替える間に会長さんはズボンを履いてサリーを床に落としました。
「この格好でもスクール水着よりかはグッと粋だと思っちゃうな。それにしても、まさか氷とはね」
寒すぎるよ、とサリーを身体に巻きつける会長さん。もちろん靴下と手袋、マフラーも身に着けています。
「ダイオウイカって寒い海にもいるのかな…?」
青いどてらのジョミー君が一面の氷と化したプールを眺め、キース君が。
「いるかもしれんが、このプールにはいないと思うぞ。わざわざ凍結させたからには、ダイオウイカの線は無いと見た。…きっとろくでもないことが…。寒中水泳をやらせる気なのか? 凍ったプールで」
寒中水泳! それはあまりにあんまりな…。けれど水泳大会ですし…。
「このために立ち入り禁止にしてたんですね…」
マツカ君が呟き、どてら姿の「そるじゃぁ・ぶるぅ」がピョンピョン飛び跳ねてはしゃいでいます。
「かみお~ん♪ なんだかスケートできそう! ね、ね、ブルー、ちょっと滑ってきてもいい?」
「ダメだよ、ぶるぅ。もうすぐ始まるみたいだ」
最後のクラスが着替え終わると職員さんが座布団と膝かけを配って回り、ブラウ先生が進み出ました。
「よーし、行き渡ったみたいだね。プールサイドは冷えるから、みんな座布団に座っておくれ。水泳大会を始める前に、まずは校長先生のご挨拶だ」
モコモコに着膨れた校長先生は短い開会の挨拶をして、さっさと出て行ってしまいます。ブラウ先生が再びマイクを握り、先生方が左右にズラリと並んで…。
「さあ、水泳大会の始まりだ! 今年はいつもと一味違うよ。午前中は女子の競技で、午後が男子。ご覧のとおりのプールだからね、競技もちょっと普通じゃない。まずは女子の部、スタートといこうか。おっと、その前に準備が要る。よろしく頼むよ」
教頭先生とゼル先生、シド先生にグレイブ先生…と男の先生方と職員さんたちが姿を消して、すぐに戻ってきたのですが…。
「「「えぇぇっ!?」」」
先生方が手にしていたのは一メートルを超える金属製の奇妙な形の棒でした。先の方に螺旋状のドリルがついていて、反対側は握りのついたハンドルになっています。あれって、なに…?
「あははは、みんな驚いたかい? 本格派アイスドリルの性能をよく見ておくれ」
凍りついたプールの上に散らばった先生たちがドリルの先を氷に当てて、ハンドルを回し始めました。グルングルンとドリルが氷に食い込んでいきます。人力で氷に穴を開けようというわけですが、それでいったいどうしろと…?

直径十五センチくらいの丸い穴があちこちに開くと、その横に折り畳み式の小さな椅子が据えられました。先生方がプールサイドに戻るとブラウ先生がウインクして。
「これで準備はオッケーだ。そろそろ分かってる子もいるんじゃないかい? あんたたちの代わりにオモチャのワカサギが泳いでくれる。女子の競技は穴釣りだよ」
ほら、とブラウ先生は銀色に光る小さな魚のオモチャをバケツの中から取り出します。
「今からこれを放すからね。このワカサギは精巧なロボットだから、本物のワカサギ釣りの気分を楽しめる。運が良ければ食いついてくれるし、ダメなら坊主。坊主の意味は分かるかい? まるで釣れないっていうことさ。クラスごとに制限時間を設けて、時間内に多く釣り上げたクラスが勝ちになる」
学年ごとの一位と学園一位は釣果で決まる、というわけです。寒中水泳じゃなくて良かったぁ…。
「釣る順番はクジ引きだよ。クラス代表はこっちにおいで」
会長さんが赤いどてらの上にサリーをストールのように羽織って、クジ引きに出かけてゆきました。その間にシド先生とグレイブ先生がバケツ何杯ものワカサギのオモチャを氷の穴に放しています。
「ダイオウイカはいないみたいですね」
シロエ君が言い、キース君が頷いて。
「そうだな。そんなヤツがいたら、オモチャでも食ってしまうだろうし…。だが、釣り大会とは驚いた」
「水泳だと思っていましたもんね」
男子は何を釣るのだろう、とジョミー君とサム君も加わって首を捻る中、会長さんが戻って来ました。
「うちのクラスは最後だってさ。有難いよね、目標の数字がハッキリしてて」
それまでの最高記録より一匹でも多く釣ればいいんだから、とニコニコ顔です。一番最後を引けるよう、クジに細工をしたに違いありません。そうこうする内に競技が始まり、最初のクラスが氷の上に出陣しました。靴下の上から滑り止めの草鞋を履いて、釣竿の他に小さなバケツ。しかし…。
「変だなぁ…。全然釣れていないぜ?」
サム君が首を傾げます。バケツ何十杯ものワカサギのオモチャを放していたのに、まだ一匹も釣れていません。制限時間は残り五分ほど。四分、三分…。
「はい、そこまで!」
ブラウ先生がホイッスルを吹き、空っぽのバケツを下げた女の子たちがプールサイドに上がって来ました。
「運が無かったみたいだねぇ。じゃあ、次のクラスにいってみようか」
二番目のクラスもダメダメでした。会長さん、もしかして細工してたりするのでしょうか。膝かけをして座っている会長さんを見ると、赤い瞳が悪戯っぽく輝いて。
『ちょっとだけね。回遊するコースを穴から外れた場所にしたんだ』
ぼくの力は知られてないから内緒だよ、と会長さん。
『ぼくたちの番が来た時は入れ食い状態にしてあげる。でも、それはぶるぅの御利益ってことにするからね』
何度もブラウ先生のホイッスルが響き、他のクラスの釣果は坊主だったり、ほんの少ししか釣れなかったりと散々です。いよいよ私たちの番になり、靴下の上から草鞋を履いたところで会長さんが。
「いいかい、これは運が良くなるおまじない。ぶるぅの赤い手形の御利益は全員知っているだろう? 氷にペタンと押して貰えば大漁間違い無しなんだけど、それじゃ反則になっちゃうし…。第一、ぶるぅは男子の部だし。だから、あくまでおまじないだよ」
知りたい人は手を上げて、と言われた私たちは一斉に手を上げていました。
「分かった。ぶるぅの決め台詞は知ってるね? かみお~ん♪ は元々、カミング・ホームの意味なんだ。それにあやかって、ワカサギのオモチャにカミング・ホームと呼びかけよう。バケツの家に帰っておいで、って。きっと沢山釣れると思うよ。全員が穴の縁に座ったところで、元気一杯叫んでごらん。かみお~ん♪ ってね」
「「「はいっ!!!」」」
バケツと釣竿を手にした私たちは氷の上に出てゆき、それぞれ好きな穴の縁に陣取ると、会長さんの合図を待って。
「「「かみお~ん!!!」」」
なんだなんだ、とざわめいているプールサイドの生徒たち。それにかまわず釣り糸を垂れ、アッという間にあっちこっちで…。
「釣れた!」
「私も釣れた!」
文字通りの入れ食い状態となり、バケツはたちまち一杯です。職員さんや先生方が新しいバケツを持ってきてくれ、釣って釣って釣りまくって…1年A組は女子の部で文句なしの学年一位、学園一位になったのでした。競技が終わった氷の上ではシド先生とグレイブ先生が穴の中にホースを突っ込み、ワカサギのオモチャの残りを回収中。ブラウ先生が午前の部の終了を告げ、お弁当タイムが始まりました。

「釣り大会で助かったよ。水着姿を見られずに済んだし、シャングリラ・ジゴロ・ブルーの面子が保てた」
豪華な「そるじゃぁ・ぶるぅ」特製お弁当を食べながら会長さんが微笑みます。
「いくらぼくでも、あんな水着を着ている所を見られちゃね…。女の子を口説き始めたら思い出し笑いをされそうでさ」
「あんた、よっぽど嫌だったんだな」
先生方が寒さ対策用に配ってくれた豚汁を啜るキース君。
「更衣室でサリーを取り出した時はビックリしたぞ。…こいつ、サリーで更衣室の隅を区切って、その中で着替えてやがったんだ。で、俺たちが着替え終わったら早く出て行けとうるさくて…。結局、あんたの水着姿を目にしたヤツはいないってわけか」
出てきた時はサリーを着てたし、とキース君が言うとサム君が。
「ブルーがあんなに嫌がってるのに、見たいだなんて悪趣味だぜ。お前が女子の部だったらどうするんだよ。堂々とスクール水着を着て歩くのかよ?」
「そ、それは…遠慮したい…」
「ほら見ろ! ブルーだってグレイブ先生に言われなかったら絶対着ないさ」
「…すまん…」
申し訳ない、と頭を下げたキース君ですが、思い出したように顔を上げて。
「そういえばブルーは男子の部に参加できないから女子の部なんだよな。…俺たちは何をさせられるんだ?」
「やっぱり釣りじゃないでしょうか」
シロエ君が即答します。
「もっと、こう…ハードな相手を釣り上げるとか。力勝負で、負けたらドボンといくようなのを」
「負けたらドボン、か。…それは確かにブルーには無理かもしれないな。凍ったプールに落っこちたんじゃ、虚弱体質には命取りかも…」
「そう簡単に死ぬような人じゃないですけどね。でなきゃ三百年も生きられませんよ」
違いない、とキース君が笑った時。
「あれ?」
ジョミー君がプールの端っこの方を指差しました。
「あそこ…。先生たち、何をするんだろう?」
プールサイドに立っていたのは教頭先生とシド先生。二人ともチェーンソーを担いでいます。足元は長靴でガッチリ固め、ゴーグルを着けているようですが…。
「「「???」」」
気付いた生徒がザワザワし始める中、二人は氷の上に踏み出して行って、チェーンソーのエンジンを作動させます。ブルン、ブルンと重低音が響き、チュイーン…と動き始めたチェーンソーの刃が当てられた先は…。
「「「えぇっ!?」」」
ガリガリガリッ、と氷が飛び散り、穴釣り用に開けられていた穴にチェーンソーが食い込みました。ガガガガガ…と凄い音をさせて、教頭先生とシド先生がプールの氷を切ってゆきます。切り取られて放り出された氷の塊をグレイブ先生が拾って運搬用の橇のようなものに乗せていますが、氷の厚さは三十センチ以上ありそうでした。
「チェーンソーって氷も切れるんだ…」
感心しているジョミー君。教頭先生たちは氷を切っては引き上げ、そして運んでプールの穴はどんどん大きく…。
「ほらね、大物釣りなんですよ」
シロエ君が得意そうに言いました。
「女子は穴釣りサイズですけど、男子は釣堀サイズなんです。何を釣らせてくれるんでしょうね?」
「ブルーが引っ張り込まれそうなほどの獲物となると…。しかも氷の下だしな…」
考え込んでいるキース君に、マツカ君が。
「キングサーモンじゃないでしょうか。…畳サイズのオヒョウも有り得ますよ」
「そうだな…。その辺りが一番怪しいな」
氷の釣堀は順調に拡大してゆき、お弁当タイムが終わる頃にはプールの中央に四角い穴が開いていました。幅が五メートル、長さが二十五メートルくらい。元が五十メートルのプールですから、一回り小さなプールが氷の中に出来上がったような感じです。この大きさからして、男子が釣るのはやっぱりオヒョウかキングサーモン…?

午後の部の開始を控えて、プールサイドでは様々な憶測が飛び交っていました。大物を釣り上げたクラスが優勝だとか、釣り上げた獲物を完食したクラスが優勝だとか。食べ方の方も鍋とか刺身とか、果ては料理対決説まで飛び出す始末。そんな中、マイクを持って現れたブラウ先生は…。
「みんな、お昼はちゃんと食べたかい? 豚汁で温まってくれたかい? 午後は男子の競技だよ。男子も女子の時と同じでクラスごとの記録を比較する」
おおっ、と歓声が上がりました。釣りの成果か、はたまた早食い大会か。どちらにせよ大物釣りは確実ですし、何を釣らせてくれるのだろう、と男子は期待に顔を輝かせて種目の発表を待っています。
「競技会場はさっき先生方が作ってくれた特設プールだ。クラスごとに制限時間を設けて、その間にリレーをしてもらう」
「「「リレー?」」」
一斉に釣るのではなく、順番に竿を握るようです。体力勝負の大物釣りならではの発想かも…。竿の手渡しに失敗したら獲物が逃げることもありそうですし、難しいかもしれません。
「いいかい、チームワークが大切だよ。無理だと思ったら早めに次に譲ってもいいし、どこで交代するかは特に決めない。制限時間内に全員が最低一回ずつ出場してればオッケーだ。もちろん棄権も許されるよ。ただしクラス単位で…だけどね」
「「「えぇっ!?」」」
クラス単位で棄権となれば順位争いの資格を失くします。それほどのリスクを伴う大物釣りとは、いったいどういう種目なのやら…。
「とにかく早めに釣り上げて食う! それしかないな」
「待て、本当に食えるのか? ゲテモノってことも考えられるぞ」
「全員が最低一回だよな。釣りの腕はともかく、胃袋に自信のあるヤツを後に回した方がいい」
ワイワイと大騒ぎになるプールサイド。もちろん1年A組も例外ではなく…。
「ぶるぅは料理が上手いって聞くし、料理要員で残しておこう」
「いや、先に釣らせた方がいい。あいつなら一発で釣り上げそうだし、食えないような料理が出来たとしても、作り直してくれるかも…」
どうなんだ、と聞かれた「そるじゃぁ・ぶるぅ」はニッコリ笑って答えました。
「釣りもお料理も両方できるよ? ぼく、自分より重い魚も釣れちゃうし。サイオンがあるもん」
「「「サイオン?」」」
「ぶるぅの不思議な力のことさ」
会長さんが説明すると、男の子たちは「そるじゃぁ・ぶるぅ」を一番手にしようと決めたようです。他のクラスもジャンケンなどで順番を決めにかかったところへブラウ先生が。
「うんうん、大いに盛り上がってるね。でも、まず出場順を決めておくれよ。クジ引きはこっち」
1年A組からはクジ運に強いジョミー君が選ばれました。颯爽と出かけて行って引いてきたクジは…。
「………。ごめん。一番を引いちゃった」
「「「一番っ!?」」」
釣り堀に潜む対戦相手も分からないのに一番だとは、マズイなんてもんじゃありません。料理対決であったとしても、料理上手の「そるじゃぁ・ぶるぅ」の調理法を見られちゃったら、後のクラスは更にアレンジするでしょう。これは絶体絶命かも~!




教頭先生のお見合い騒動でドタバタした二学期初めの騒ぎも忘れる九月半ば。登校してみると、教室の一番後ろに机が一つ増えていました。会長さんが来るということです。間もなく現れた会長さんは「そるじゃぁ・ぶるぅ」とサム君を連れていて…。
「やあ、おはよう。サムはなかなか筋がいいよ。香偈なんかもう完璧だね」
「こうげ?」
聞き返したのはジョミー君。サム君は今朝も会長さんの家で阿弥陀様を拝んできたようです。
「お勤めの一番最初に唱えるんだよ。知りたかったら次からジョミーも一緒にどうだい? ぶるぅ特製の朝御飯もつくし…。今朝はチョンボッチュクだったんだ」
「…???」
「アワビ粥さ。栄養満点で美味しいだろ?」
アワビ粥! それなら焼肉を食べに出かけた時に「そるじゃぁ・ぶるぅ」に勧められて食べたことがあります。いいなぁ、サム君。羨ましいなぁ…。どうやら全員が同じことを思ったらしく、会長さんはクスクス笑い出しました。
「ダメだよ、ぼくの家はお寺じゃないからね。みんな揃って押しかけられたら抹香臭くなるじゃないか。朝のお勤めを習いたいならキースの大学でやればいい。ぼくの紹介なら大丈夫」
「あんた、俺に面倒事を押しつけたいのか? まぁ、朝飯がつくわけじゃないし、誰も来ないと思うがな」
キース君の言葉に一斉に頷く私たち。お勤めなんかは別にどうでもいいんです。美味しい朝御飯が魅力的だっただけなんですが、会長さんに資質を認めて貰えない身では無理みたい…。そういえば何故、会長さんが来ているんでしょう? 抜き打ちテストでもあるのでしょうか。と、カツカツと足音が響いてきました。
「諸君、おはよう」
ガラッと教室の扉を開けて入ってきたのはグレイブ先生。
「やはりブルーが来ているな。今日は諸君にお知らせがある。明日は健康診断だ」
「「「健康診断?」」」
「うむ。来週、恒例の水泳大会をすることになった。健康診断は球技大会の前にもやったし、内容は分かっているだろう。明日は体操服を持参して登校するように」
なるほど。それで「そるじゃぁ・ぶるぅ」も来てるんですね。球技大会では女子に混ざって大活躍をしてくれましたし、水泳大会でも去年みたいに助っ人をしてくれるのでしょう。水泳大会といえば男子は酷い目に遭わされるんでしたっけ…。
「またサメかよ…」
サム君の呟きに、隣の席の男子が反応しました。
「サメ? サメって、なんだ!?」
「当日になれば分かりますよ」
冷静な声はシロエ君。
「この学校の水泳大会、一筋縄ではいかないんです。でもブルーがいるから大丈夫だと思いますけど…。去年、ぼくとサムはクラスが別だったんで、とんでもない目に遭わされました」
ザワザワとクラス中がざわめき始めましたが、グレイブ先生が教卓をバンと叩いて。
「静粛に! 特別生諸君、去年の思い出を語るのは自由時間にするように。とにかく明日は健康診断。いいな!」
「「「はーい!!」」」
朝のホームルームが終わると、会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」は姿を消してしまいました。私たちはクラスメイトに尋ねられるままに去年の水泳大会の内容を話し、留年組のアルトちゃんとrちゃんも加わります。女の子たちはホッとした様子でしたが、男の子たちは震え上がって「このクラスでよかった…」と何度も繰り返したのでした。

放課後はいつものように「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお部屋で過ごす私たち。柔道部三人組は部活に出かけ、サム君は会長さんの隣に座って幸せそうにチョコレートパフェを食べています。会長さんに弟子入りしたとはいうものの、普段の生活では上下関係は無いようでした。賑やかにおしゃべりしている内に「そるじゃぁ・ぶるぅ」がお好み焼きの用意を始め、やがてキース君たちがやって来て…。
「かみお~ん♪ お好み焼きとチョコレートパフェ、どっちが先?」
「「「パフェ!!!」」」
暑いからな、とキース君たち。まだまだ残暑が厳しいんです。
「ホント、いつまでも暑いよねぇ…。こんな日はプールに飛び込みたいって思っちゃうよ」
でも今年の水泳の授業は終わっちゃったし、とジョミー君。
「市営プールもアルテメシア公園のプールも営業が終わりましたよね。屋外の分は」
暑い日は開けてくれてもいいのに、というシロエ君の意見に、私たちは全面的に賛成でした。シャングリラ学園のプールは屋内ですが、管理上の問題だとかで授業以外は使えません。それ以外の時間に泳ぎたければ水泳部に入るしかないのですけど、それも面倒な話です。
「そういえば…」
マツカ君が人差し指を顎に当てて、ちょっと考え込みながら。
「ここへ来る途中で掲示板を見たら、変な張り紙がありましたよ」
「「「張り紙?」」」
「ええ。…ぼくもチラッと見ただけなんで、あまり自信がないんですけど…」
プールのある建物への生徒の立ち入りを禁止する、と書いてあったとマツカ君は言いました。
「立ち入り禁止だと? …それは物騒な話だな」
キース君がパフェを食べ終え、お好み焼きをつつきながら。
「去年はサメを用意してきたが、直前に運び込んだだけでプールは普通に使えたぞ。主将に頼まれて水泳部に伝言に行ったんだから間違いない」
あれは水泳大会の前日だった、と記憶力抜群のキース君。先生方が水泳大会の用意に来ているのを見たのだそうです。だったら確かな話ですよね。
「その張り紙は去年もあったかもしれないわよ、気付かなかっただけで。水泳部の生徒は入れるのかもしれないし」
スウェナちゃんが言い、私たちは会長さんの方を見ました。三百年も在籍している会長さんはシャングリラ学園の生き字引ですから。
「どうなんだ、ブルー? マツカが言う張り紙は毎年のことか? 掲示板は毎日見ていたつもりだったが」
キース君の問いに、会長さんは首を左右に振りました。
「ううん、そんなのは見たことが無い。…えっと…。そうだね、マツカの言う通りだ」
本当に張り紙がある、と不思議そうな顔をする会長さん。
「何故だろう? プールを使う部活は当分の間、市営施設の方に場所を移すと書いてあるよ」
「「「えぇっ!?」」」
シャングリラ学園には男子と女子、それぞれの水泳部の他にシンクロナイズドスイミングなどのクラブもあります。ですから専用のプールを幾つも備えた立派な建物があるわけですが…その建物が立ち入り禁止?
「…水泳大会のためですよね…」
声が震えているのはシロエ君でした。去年は1年A組の生徒じゃなかったせいで、同じクラスだったサム君ともどもサメに噛み付かれているのです。サメの歯は削ってありましたからケガは全くしてませんけど、手足をガブリとやられた恐怖は半端なものではなかったらしく…。
「プールを閉鎖して何を飼おうっていうんですか! 今年はダイオウイカなんですか!?」
「ダイオウイカは無いだろう」
巻き付かれたら命が無いぞ、とキース君。
「マッコウクジラを絞め殺せるほどのイカだからな。いくらなんでも…」
「小型版かもしれないよ」
ジョミー君が言い、キース君がウッと顔を引き攣らせて。
「小型なら…あり得るか…。ダイオウイカは深海に住むイカだし、サメみたいに簡単にプールには馴染めないだろう。水族館で少しずつ減圧してきたヤツが仕上げ段階に入ったのか…?」
私たちの頭の中には巨大イカが暴れる光景が浮かんでいました。サメよりも遥かに始末が悪そうです。会長さん、今年は巨大イカを相手に戦うことになるのでしょうか…?
「…何をやらかすつもりなのかな。楽しみだね、ぶるぅ」
のんびりとお好み焼きを食べる会長さんは、水泳大会で何が起こるかは知らないのだと言いました。
「サイオンで探るのは簡単だけど、知らない方が楽しいしね。イカでもいいし、タコでもいいよ。ぼくたちの力を封じ込められるような凄い相手がいるわけないし」
会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」は最強のサイオンを持つタイプ・ブルー。下調べをしない方がスリルがある、と言い切るような人なんですから、ダイオウイカが出てきたとしても軽くあしらってくれるのでしょう。私たちはプール閉鎖の原因を深く考えないことに決めました。

次の日は、グレイブ先生の予告どおりに健康診断。体操服のクラスメイトたちの中で会長さんだけが水色の検査服を着ています。まずは女子からということで私たちは「そるじゃぁ・ぶるぅ」を連れて保健室へ向かいました。まりぃ先生は今日も絶好調。
「あらぁ、ぶるぅちゃん! 今度はしっかり調べなくっちゃ。女の子に混じってるけど、男の子なのよね?」
「うん! ぼく、本当は男の子だよ。でも、水泳大会では女の子なんだ♪」
「ホントのホントに男の子かしら? とっても大事なことなのよぉ~」
とかなんとか言って、まりぃ先生は「そるじゃぁ・ぶるぅ」を特別室へ引っ張り込みます。もちろんヒルマン先生に代理を頼んで。スウェナちゃんと私は大慌てで追いかけ、いつものように閉じ込められてしまいました。
「私たち、結局こうなる運命なのよね…」
「球技大会の時もそうだったもんね…」
まりぃ先生と「そるじゃぁ・ぶるぅ」は特別室の奥のバスルーム。防音のせいで物音ひとつ聞こえませんが、「そるじゃぁ・ぶるぅ」はセクハラだと信じてバスタイムを楽しんでいる筈です。まぁ…「そるじゃぁ・ぶるぅ」が喜んでるだけで、冷静に考えてみればセクハラなのかもしれませんけど。やがてフニャフニャになった「そるじゃぁ・ぶるぅ」が真っ裸で出てきて、まりぃ先生が手際よく体操服を着せてくれました。
「さぁ、ぶるぅちゃんの健康診断はこれでおしまい。お次はブルーを呼んで来てね」
ヒラヒラと手を振るまりぃ先生。私たちはヒルマン先生が健康診断をしている保健室をすり抜け、会長さんを呼びにA組の教室に戻って…。
「やっとぼくの番? ぶるぅ、今日も楽しかったみたいだね」
「楽しくて気持ちよかったよ! ブルーも遊んでくるんでしょ?」
「そのつもり。どんなサービスをしようかなぁ…」
意味深な台詞を口にして出かけて行った会長さんが戻ってきたのは一時間以上も経ってからでした。悪びれもせずに検査服のまま教室を横切り、ロッカーから制服を出して更衣室へ。それっきり姿を消すのだろうと思ったのですが、意外なことに真面目に授業を受けています。今日は教頭先生の古典は無いんですけど…。
「午後は雪でも降るんじゃないか?」
お昼休みにそう言ったのはキース君です。私たちは食堂でランチを食べていました。
「雪? ぼくが授業に出てるからかい?」
「そうだ。ぶるぅはとっくに逃げ出したのに、あんたが残っているとはな」
「…ちょっと気になることがあるのさ」
会長さんはランチセットのポテトサラダをフォークの先でつついています。
「え? いつもの味だと思うけど」
「ジョミー、ぼくが気にしてるのはポテトサラダの味じゃない」
ハンバーグの味でもないけどね、と会長さん。
「健康診断が気になるんだ。…まりぃ先生、いつもと様子が違ったような…」
「武勇伝ならお断りだぞ」
キース君の突っ込みに、会長さんは首を左右に振って。
「違うんだ、そっちのことじゃない。まりぃ先生、ちゃんと健康診断と問診もしているんだよ。それがね…どうも引っかかる。だから終礼までいようと思うんだけど」
「病院送りにされそうなのか?」
「…分からない…。もしそうなったら、頼むよ、キース」
私たちの心臓がドクンと飛び跳ねました。病院送りとなれば待っているのはエロドクターです。三百年以上も生きている会長さんを診られる病院はドクター・ノルディが院長をしている総合病院しかないのですから。そんなことになったら大変だ、と午後の授業を受けている間、私たちは気が気ではありませんでした。会長さんったら、こういう時こそサイオンで事情を探るべきだと思うんですけど~!
『それは反則。ぼくだってスリルを楽しみたいし』
聞こえてきた思念で後ろを振り向くと、会長さんが笑顔で手を振っています。
『プールが閉鎖になった理由を調べていないのと理由は同じさ。それより、君が気を付けた方がいい』
え? と思った次の瞬間。
「そこ! よそ見するなと言ったじゃろうが!」
ゼル先生の怒声が響き、黒板消しが飛んで来ました。私の机に見事にヒットし、もうもうとチョークの煙が上がります。生徒に直接当たらない限り体罰ではないというのがゼル先生の持論で、居合道八段の腕前にモノを言わせてチョークなどが飛ぶのはいつものこと。私は床に落ちた黒板消しを拾って届けに行かねばなりませんでした。特別生の身で黒板消しとは、恥ずかしすぎて情けないかも…。

チャイムが鳴ってゼル先生が出てゆくと「そるじゃぁ・ぶるぅ」がヒョッコリ姿を現しました。会長さんの机にチョコンと腰をおろした所でグレイブ先生が来て終礼です。
「諸君、来週の水泳大会だが…。健康診断の結果、ブルーは出場不可になった」
「「「えぇぇっ!?」」」
教室中が引っくり返るような悲鳴が上がり、特に男子は上を下への大騒ぎ。会長さんが出られないのでは、男子は確実に大惨事です。プール館閉鎖の事実は既に知れ渡っていて、ダイオウイカが潜んでいるという噂が学園中に広まっているのでした。
「俺たち、いったいどうなるんだよ!」
「イカって吸盤あるんだよな? 吸い付かれたらメッチャ痛いんだよな!?」
「うわぁぁぁ、俺も出場不可になりたい~!!」
絶叫する男子をグレイブ先生はぐるりと見渡し、眼鏡をツイと押し上げました。
「落ち着け、諸君。ブルーが出場できないのには厳然とした理由がある。ブルーは身体が丈夫ではない。いわゆる虚弱体質だ。よって今回の水泳大会の男子の部に出場することは許可できん」
うわぁぁ、とか「もうダメだぁぁ」とか叫びまくっている男の子たち。気持ちはとってもよく分かります。落ち着けと言われたところで、落ち着けるわけがないでしょう。しかしグレイブ先生は…。
「ええい、やかましい! 落ち着けと言ったら黙らないか!」
バンッ! と出席簿で思い切り教卓を殴り付けて。
「私だってブルーが出場不可になったのはショックなのだ。ブルーとぶるぅ…。この二人さえいれば、我がA組が余裕で一位の筈だった。何度も言うように私は一位が大好きだ。学年一位はもちろんのこと、学園一位なら最高だ。たとえ罰ゲームが待っていようとも…」
球技大会名物『お礼参り』を思い出したらしく、先生はグッと拳を握ります。
「タコ殴りにされることになろうとも、やはり私は一位が好きだ! 諸君、私は一位を獲得して欲しい。そのためにもブルーは必要不可欠な貴重な戦力だったのだが…。健康診断で外されるとは…。だが!」
ビシィ、と先生が指差したのは会長さんの机でした。
「我々にはまだ、ぶるぅがいる。ブルーが駄目なら、ぶるぅが出場すればよいのだ!!」
「「「ぶるぅ!??」」」
「かみお~ん♪」
元気よく叫ぶなり「そるじゃぁ・ぶるぅ」は飛び上がって後ろ宙返りをし、机の上にストンと着地しました。
「ブルーが帰ってこないから迎えに来たんだけど、正解だった? ぼく、役に立つ?」
「もちろんだとも!」
グレイブ先生は感激した様子で日焼けした顔を輝かせます。
「ぶるぅ、君に頼みがある。水泳大会に男の子として出てくれたまえ。まりぃ先生の許可も出ている。本人が男だと言うなら男子の部に出場してもいい…とな」
「そっかぁ! それで何度も男の子よね、って言ってたんだね。ぼく、今度は女の子じゃなくて男の子なんだぁ!」
わーい、と喜んで飛び跳ねる「そるじゃぁ・ぶるぅ」。
「決まったな。諸君、これで安心できるだろう。男子の部には、そるじゃぁ・ぶるぅが出場する」
「「「やったーっっっ!!!」」」
割れんばかりの拍手が起こり、「ダイオウイカでも平気だぜ!」と気勢を上げる男子たち。私もホッとしましたけれど、何か忘れているような…?

男の子だぁ、と浮かれて跳ね回る「そるじゃぁ・ぶるぅ」が手拍子に乗って踊り始め、十八番の『かみほー♪』を歌いながら教室を一周し終わった時。グレイブ先生がパンパンと手を叩きました。
「諸君、静粛に!」
けれど熱狂は収まらず、先生は再び出席簿で教卓を殴り付けねばなりませんでした。
「静かにしろと言ったら静かにせんか! ヒヨコどもめが!!」
ピタリと騒ぎが止み、シーンと静まり返る教室。先生はコホンと咳払いをして。
「諸君は何か重大なことを忘れていないか?」
「「「???」」」
「おめでたいヤツらだ。まったくもって、おめでたい。…ぶるぅの出場で男子の一位は安泰だろう。だが、女子の部はどうなるのかね?」
「「「あぁっ!!!」」」
忘れてた、という悲鳴が上がり、今度は女子が頭を抱える番でした。球技大会で助けてくれた「そるじゃぁ・ぶるぅ」。去年の水泳大会での活躍ぶりも知られています。その「そるじゃぁ・ぶるぅ」が男子の部に引き抜かれてしまった以上、女子は自力で頑張り抜くしかないわけで…。
「すみません!」
アルトちゃんが立ち上がって頭を下げました。
「ごめんなさい、先生! 一位は無理だと思います!」
「私もです! 先生、本当にごめんなさい!」
立ち上がったのはrちゃん。二人ともグレイブ先生が顧問の数学同好会に所属してますから、一位が取れなくて申し訳ないという気持ちが他の子たちより強いのでしょう。特別生で二回目の担任をして貰っている私も謝った方がいいのかも…。スウェナちゃんと私は顔を見合わせ、同時に立ち上がりました。
「「ごめんなさい、先生! 一位は無理です!」」
「「「ごめんなさい、先生!!!」」」
他の女の子たちも自分の席で机に頭を擦りつけています。グレイブ先生はクッと笑って。
「そう決めつけることもあるまい。…万が一ということもある」
「「「でも!!!」」」
無理なんです、と更に頭を下げたのですが…。
「君たちの自信はその程度かね。駄目だと決めてかかってどうする。奇跡を起こしてみせるくらいの気概が無くては、私のクラスとも思えんな」
「「「…奇跡…」」」
それこそ無理というものです。自慢ではありませんけど、今年の1年A組は去年以上にヘタレでした。去年のA組だったらまだしも、今のクラスでは万に一つの望みすらも…。グレイブ先生、自分のクラスの実力をちゃんと分かってらっしゃいますか?
「そうか、奇跡は起こせんのか。…本当に諸君はまだまだヒヨコだ。いいか、奇跡が起こせないなら、起こるようにしてやればいい。実に簡単な理屈だよ、諸君」
グレイブ先生は軍人のようにカッと踵を打ち合わせて。
「では、私が奇跡を起こしてやろう。…女子の部に一人、助っ人を入れる。ブルー、お前は今回は女子だ」
「「「えぇぇっ!?」」」
会長さんが女子ですって!? あまりの展開に誰もがついていけませんでした。会長さんも赤い瞳を見開いてポカンとしています。
「ブルー、返事は?」
「…は……。は…い…?」
「もっとハキハキ返事をせんかっ! それとも異議を唱えるのかね?」
「い、いいえ…。分かりました…」
よろしい、と笑みを浮かべるグレイブ先生。
「では、水泳大会には女子として参加するように。これでA組は一位に決まりだ」
とんでもない決定を下したグレイブ先生は「届け出は私がやっておく」と言って終礼を済ませ、悠々と去ってゆきました。会長さんが女子の部だなんて、果たして許可が下りるのでしょうか…。

「…参ったな…。ぼくが女子なんて」
どうしよう、と呟く会長さんの前にドンと置かれたのはフルーツフラッペ。私たちは「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお部屋に来ていました。柔道部三人組も今日の部活はサボリだそうです。グレイブ先生の決断で受けた衝撃が抜けない私たちを他所に「そるじゃぁ・ぶるぅ」は御機嫌でした。
「水泳大会、凄く楽しみ! ぼく、頑張ってダイオウイカと戦うんだ♪ どんなのかなぁ、ダイオウイカって? ブルーは女の子になるんだよね」
「…そういうことに…なるみたいだね…」
「ね、ね、水着も用意しなくちゃ! ぼく、学校のは女の子用しか持っていないよ。今日、買いに行く?」
「……そうだね……」
会長さんは思い切り遠い目をしていました。学校指定の水着を扱っているお店は近所にあるのですけど、「そるじゃぁ・ぶるぅ」の水着はともかく、会長さんはどんな顔をして水着を買えばいいのやら…。
「あんたがスクール水着を買いに行くのか…。一つ間違えたら変態だな」
キース君の指摘に会長さんがガックリと肩を落として。
「やっぱり普通はそうだよね…。かといってサムに頼むわけにもいかないし…」
「フィシスさんに頼めばいいと思うぜ」
「それだけは避けたいんだよ、サム。…ぼくの心は繊細なんだ」
心臓に毛が生えているような会長さんですが、恋人にスクール水着を買ってもらうのは嫌みたい。並みの女装とは違いすぎるだけに、気持ちは分からないでもないかも…。
「スウェナとみゆに頼んでみれば?」
ニコニコ笑顔で言い放ったのはジョミー君でした。
「女の子だから問題ないし、サイズが違っても他の子からの頼まれ物だと思うだろうし」
「そうだよな! スウェナたちならオッケーだぜ、ブルー。お金を渡して頼んでしまえよ」
サム君も大いに乗り気です。そりゃあ…この際、水着を買いに行くくらいなら…。
「よーし、決まり! えっと、ブルーのサイズってどうなるんだっけ」
「女子用水着は身長の他に胸囲と腰囲よ」
スウェナちゃんが答え、「そるじゃぁ・ぶるぅ」が奥の部屋からメジャーを取ってきて測ります。それをサム君がメモに書いてくれ、会長さんがお金をくれて…スウェナちゃんと私は帰宅途中に水着を買いに寄ることに。買った水着は会長さんが瞬間移動で自分の家に運ぶそうです。
「まりぃ先生、ぼくが女の子みたいだって繰り返してたのは、これだったのか…。いつもだと、綺麗ねぇ…って言うだけだから変だと思っていたんだけれど…」
健康診断と問診で「女の子みたい」を連発されたという会長さんの末路は「水泳大会に女子として参加」することでした。まりぃ先生がそういう発言をしていたのなら、グレイブ先生の無茶な申請も通りそうです。会長さんのウェディング・ドレス姿は何度も見てきましたけど、スクール水着は似合うのかな…?




教頭先生がお見合いをする日は今週の土曜。その話を知った翌日、私たちは寝不足の頭で登校しました。夜遅くまでメールや電話、思念波も交えて色々と話していたからです。お見合いを覗き見に行こう、と言い出した会長さんは我関せずと眠ってしまって連絡途絶。そして1年A組の教室にも会長さんの姿はありませんでした。
「ブルー、来ないね…」
ジョミー君が教室の後ろを眺めます。机が増えていないからには、会長さんは来る気も無いのでしょう。私たちは居眠りしながら授業を受けて、終礼が済むと「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお部屋へ急ぎました。柔道部三人組も一緒です。今日は部活は無いんでしょうか?
「教頭先生、朝練に来なかったんですよ」
そう言ったのはシロエ君。
「今週は柔道部の指導を休ませてもらう、ということなんです。教頭先生の指導が受けられないんじゃ、部活に出ても張り合いが…」
「ああ。だから俺たちも今日は休んで、昨日の話の続きをしようと」
キース君が相槌を打って、マツカ君も頷きます。教頭先生が柔道部を休む理由は、お見合いを強制されてショックを受けているからでしょうか?
「多分な。ブルーなら色々と情報を集めているだろう」
入るぞ、と先に立って壁を抜けてゆくキース君。私たちも急いで続くと…。
「かみお~ん♪ 今日はオヤツは後なんだって」
迎えてくれた「そるじゃぁ・ぶるぅ」が会長さんの方を向きました。会長さんはソファに座って微笑んでいます。
「ハーレイに呼ばれているんだよ。全員揃ったら教頭室へ来いってさ」
「「「えっ…」」」
教頭先生が私たち全員に用事だなんて、いったい何事? もしかして昨日の食事代のことで…? お会計は会長さんがやっていたので金額はサッパリ分かりませんけど、教頭先生の名前でツケにしたのは確かです。大目玉を食らったらどうしましょう…。
「大丈夫。食事代の件なのは間違いないけど、叱られることはない筈だ。どちらかと言えば泣きつかれる方」
「泣きつかれる…だと?」
何故、と首を傾げてからアッと息を飲むキース君。
「まさか俺たちの食事代のせいで、財布が空になったんじゃないだろうな? 返せと言われても俺は赤貧だぞ。大学との両立が精一杯で、バイトしている暇がないんだ」
「ぼくたちだってバイトしてないよ! どうしよう、お小遣い少ないのに…」
ジョミー君が叫び、私たちは真っ青です。いつも「そるじゃぁ・ぶるぅ」が色々と御馳走してくれるので飲食費こそ要りませんけど、お小遣いの額は誰もが少額。夏休みの旅行だってマツカ君がいなければ実現できっこないプランでした。みんなの視線は自然とマツカ君の方向に…。
「いいですよ。そういうことなら、ぼくがお支払いさせて頂きます」
財布を出そうとするマツカ君を止めたのは会長さんでした。
「違うんだ、マツカ。…お金で片がつく問題じゃない。教頭室へ行ってみれば分かる」
行くよ、と立ち上がる会長さん。私たちは慌てて続きました。もちろん「そるじゃぁ・ぶるぅ」も一緒です。食事代の件で教頭先生に泣きつかれる…って、何でしょう? しかもお金で片がつかない問題って…?

教頭室に着くと分厚い扉を会長さんが軽くノックし、返事を待たずにガチャリと開けて。
「失礼します」
ゾロゾロと入って行った私たち。教頭先生はいつものように羽根ペンで書きものをしていましたが…。
「おお、みんな来たか。…ブルー、私の名前で飲み食いしたのはこの連中か?」
「そうだけど?」
わわっ、やっぱり叱られるかも! 首をすくめた私たちを教頭先生はじっと眺めて。
「昨夜したたかに飲んで、帰ろうとしたら言われたんだ。お隣の分の御勘定もお願いします、とな。…何のことかと思ったのだが、ブルーのサインがしてあった。隣の部屋で何をしていた?」
「「「………」」」
覗き見だなんて言えません。心で冷や汗を流していると、会長さんがしれっとした顔で答えました。
「ハーレイが考えているとおりだよ。ぼくたち全員で覗き見してた。ね、ぶるぅ?」
「うん! えっと、えっとね…ドーテーってなぁに?」
ひゃぁぁ! なんてことを、と叫ぶ間もなく「そるじゃぁ・ぶるぅ」は更に重ねて尋ねます。
「ドーテーだからお見合いするんでしょ? それ、なぁに? ブルーに聞いたら、本人に聞くのが一番だよって言われたんだけど…」
教頭先生は頬を真っ赤に染め、続いてサーッと青ざめて…。
「…何もかも聞いていたんだな…? それもお前たち全員で…」
「うん! みんな一緒に聞いてたよ。で、ドーテーってどんなものなの?」
「……私には関係ないことだ。その話はゼルのでっち上げだ」
「えっ、ハーレイってドーテーじゃないの?」
ポカンと口を開ける「そるじゃぁ・ぶるぅ」に教頭先生は重々しく頷いてみせました。
「ああ、違う。…だから意味は教えてやれないな。どうしても気になるのなら、後でブルーに聞いてみなさい」
「そっか…。じゃあ、そうする!」
素直に信じた「そるじゃぁ・ぶるぅ」。けれど私たちは疑わしい目で教頭先生を見るばかり。教頭先生は咳払いをして財布の中から一枚の紙を取り出します。
「これが昨夜の領収書だ。一番高いコースを頼んだらしいな。おまけに覗き見していたとくれば、見物料も請求できる。ぜひ支払ってもらいたい」
ひぇぇ! ゼロが並んだ領収書を見せられ、私たちは顔面蒼白。その上、見物料なんて…。マツカ君に頼るしかないじゃないですか! けれど会長さんは平然と。
「ハーレイ、言葉遣いが間違ってるよ。支払ってもらいたい、じゃなくて支払え、だろう。依頼じゃなくて命令形。それに支払いはお金じゃないよね。お金で済むならそうしたいけど…。マツカ、払ってくれるかな」
「あっ、はい!」
ポケットから財布を取り出すマツカ君に会長さんが領収書を見せ、教頭先生に向かってウインクしました。
「じゃあ、現金で清算しよう。見物料の他に慰謝料も上乗せしてくれていい。合計いくら?」
「ま、待て! 金ではなくて労働で…」
「「「労働!?」」」
とんでもない言葉に呆然とする私たち。あのゼロの数の分、どう働けと…?
「………見合いをブチ壊してもらいたい」
教頭先生は「頼む」と頭を下げ、机に頭を擦りつけるようにして言ったのでした。
「お前たちなら角が立たん。覗き見していたなら、私の窮地が分かるだろう? 昨日の食事代は私が負担する。だから見合いをブチ壊してくれ」

お見合いを…ブチ壊す? 乱入でもしろと言うのでしょうか。でも、そんなことをしたら私たちが処分されそうです。いくら未成年の団体だといっても、ホテルで騒げばつまみ出される可能性大。おまけに理事長が同席しているのに、どうしろと…? シャングリラ学園の学生だとバレたら最後、特別生でも停学とか…。
「やだね」
会長さんがプイッと顔を背けました。
「なんでぼくたちが働かなくちゃいけないのさ。食事代も見物料も慰謝料も、耳を揃えて払っておくよ。…マツカ」
「はいっ! えっと、食事代が…」
ひい、ふう…とお札を数え始めるマツカ君。教頭先生は慌てて止めに入りました。
「マツカ、財布を片付けてくれ! 働けなどと言った私が悪かった。食事はおごる。おごってやるから、私の見合いを…。お願いだ、ブルー!」
「………。命令の次はお願いかい?」
「お前たちにしか頼めないんだ。このままでは結婚させられてしまう。…覗いていたのなら知ってるだろう? 理事長の紹介となれば、そう簡単には断れない。おまけに断る理由が無い」
条件が揃いすぎている、と眉間に皺を寄せる教頭先生。
「まりぃ先生とは親しくさせて貰ってるからな…。それにサイオンこそ目覚めていないが、因子を持っているのも確かだ。私のブルーに対する気持ちも承知の上での申し出とくれば、承諾するしかないだろうが」
「相性がいいのは認めるんだ?」
会長さんの問いに、教頭先生は「うむ」と答えて俯きました。
「お前も知っているだろう? お前の写真や似顔絵を何度もプレゼントしてくれた。気前がよくて優しい人だ」
「似顔絵ねえ…。エロい絵を沢山貰ったんじゃないの?」
「………」
気まずい沈黙が流れたものの、教頭先生は気を取り直して。
「とにかく、まりぃ先生が乗り気で理事長が絡んでいるからな…。断る理由が見つからない以上、見合いをしたらトントン拍子に結婚が決まりそうなんだ。…ブルー、私はお前を忘れたくない」
「忘れなくてもいいじゃないか。まりぃ先生は承知なんだろ? 今までと何も変わらないよ」
「………。お前なら、そうかもしれないな。だが、私はお前のようにはいかない。結婚とは家庭を持つことだ。妻は大切にしてやりたいし、子供が生まれれば父親として愛情を注いでやりたいし。…本当は…ブルー、お前を嫁に貰って、ぶるぅを子供にしたかったんだが…そういうこともいつか忘れてしまうのだろう」
それが現実というものだ、と寂しそうに微笑む教頭先生。会長さんの悪戯を笑って許せる懐の広い先生ですから、いい旦那様になれるでしょう。奥さんや子供に囲まれる内に、会長さんを忘れてしまっても全く不思議はありません。
「……そうか、ハーレイがぼくを忘れちゃったら、もう悪戯ができなくなるんだ」
それは困る、と会長さんが不穏な言葉を口にしました。
「三百年も馴染んだオモチャがいなくなるのは面白くないな。…分かった、お見合いが成功しなければいいんだね? 全力でブチ壊してみるよ。まだまだ遊び足りないし」
「…オモチャというのが悲しいが…。お前にかまってもらえるのなら、オモチャでも満足すべきだろうな」
よろしく頼む、と繰り返す教頭先生に別れを告げて、私たちは「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお部屋に向かって一直線。今日のおやつのナタデココ入り杏仁豆腐を楽しみながら、お見合い壊しのプランを練り始めたのでした。

そして土曜日、お見合い当日。私たちは会長さんのマンションに集合し、「そるじゃぁ・ぶるぅ」と会長さんのシールドに入ってホテル・アルテメシアへ瞬間移動。いつもの『見えないギャラリー』となってメインダイニングの個室に潜入すると、理事長とヒルマン先生、まりぃ先生、そして教頭先生がテーブルを囲んで食事中でした。
「まりぃはハーレイ先生にぞっこんでしてな」
白い髭の理事長が目を細め、まりぃ先生と教頭先生を交互に眺めて笑みを浮かべます。まりぃ先生はフェミニンなワンピースを着て、とても清楚に見えました。かぶっている猫は半端な数ではないでしょう。
「ハーレイ先生の結婚相手を探している、という話をしたら、まりぃが名乗りを上げまして…。結婚なんぞに興味は無いと思っていたのに、女心というのは分からんものです」
「いやいや、学園に来られた時から仲は良さそうに思えましたよ」
そう言ったのはヒルマン先生。
「親睦ダンスパーティーでのタンゴは実に見事でした。今から思えば運命の赤い糸というヤツですかな」
こんな調子で談笑する理事長とヒルマン先生の間で、教頭先生はカチンコチンです。まりぃ先生は教頭先生に話しかけたり、微笑みかけたりと積極的。やっぱり本当に結婚志願?
「うーん、ハーレイには気の毒だけど…まりぃ先生はその気だね」
シールドの中で会長さんが呟きました。
「まりぃ先生が本気でないなら、お見合いを壊す必要も無いと思ったのにさ。この展開だと、ぼくらの出番になりそうだ。…帰ろう、準備しなくっちゃ」
マンションに戻った私たちは「そるじゃぁ・ぶるぅ」特製のピザとパスタで腹ごしらえ。食事が済むと会長さんは部屋へ着替えに出かけて行って…。
「どうかな?」
サラサラという衣ずれの音と共に現れたのは花嫁姿の会長さん。ゼル先生とのドルフィン・ウェディングでも着ていた、お馴染みの豪華なドレスです。家事万能の「そるじゃぁ・ぶるぅ」がきちんとお手入れしているらしく、今も新品同様でした。真珠のティアラと長いベールを着けた会長さんはリビングのソファに腰掛けます。
「ハーレイ、打ち合わせ通りにタクシーでこっちへ向かっているよ。まりぃ先生には悪いけれども、ぼくのオモチャを譲る気はないし」
教頭先生は「本当にブルーの存在を許せるかどうか、自分の気持ちを確かめて欲しい」とまりぃ先生に注文をつけ、会長さんの家に連れてくることになっていました。間もなく玄関のチャイムが鳴って。
「かみお~ん♪ ブルーが待ってるよ!」
「あらぁ、ぶるぅちゃん! 今日もいい子ねぇ」
まりぃ先生の弾んだ声が近づいてきて、リビングのドアが開きます。教頭先生が「どうぞ」とドアを押さえて、まりぃ先生を中へ通した瞬間。
「ハーレイ!!」
花嫁姿の会長さんが教頭先生めがけて駆け寄り、そのまま胸に飛び込みました。
「いやだよ、ハーレイ…。ずっと、ずっと考えてた。結婚するって聞いた時から、ずっと考え続けていたんだ。本当にそれでいいのかって。今日は祝福するつもりだった。でも、できない…。やっぱりできない。ぼくはハーレイと結婚する気はないけれど…ハーレイが他の誰かと結婚するのは嫌なんだ!」
「ブルー…。それでドレスを着てくれたのか?」
戸惑いながらも会長さんをそっと抱き締める教頭先生。
「うん。ハーレイのためにウェディング・ドレスを着るのはぼくだけでいい。ハーレイに下着を買ってあげるのも、ぼく一人だけでいたいんだよ」
切ない表情をする会長さんに、まりぃ先生が怪訝そうな顔を向けました。
「…えっと。ウェディング・ドレスはともかくとして、下着っていうのは何かしら…?」
「ぼくがハーレイに贈ってる下着。今も履いてると思うんだけど…。ぶるぅ!」
「かみお~ん♪」
ダッと飛び出した「そるじゃぁ・ぶるぅ」が教頭先生の腰の辺りにポンッと両手でタッチした途端、青い光がパァッと走って…。
「うわぁっ!!」
教頭先生のベルトがスルリと外れ、ズボンがストンとずり落ちて…。会長さんが素早く身体を離した後には、上半身だけをスーツで決めた教頭先生が紅白縞のトランクスを履き、呆然と立っていたのでした。

「……あらら……」
まりぃ先生の目が大きく見開かれ、視線の先には紅白縞。教頭先生はハッと我に返り、アタフタと床に屈み込んで。
「…と…とんだ失礼を…」
落っこちたズボンを引き上げようとしたのですけど、ズボンは床に貼りついたように動きません。会長さんがサイオンで押さえているみたい。真っ赤になって焦る教頭先生を他所に、まりぃ先生が私たちを見回します。
「…ぶるぅちゃんの悪戯かしら? それとも計画の内なのかしら?」
「「「えっ?」」」
「私、ブルーに会うために来たのよね。なのに大勢揃っているし、なんだかちょっと変じゃない? ブルーがハーレイ先生の結婚を阻止したいんなら、ブルーだけいれば済むことよ。…そうでしょ?」
「「「………」」」
まりぃ先生の言うとおりでした。私たちが此処にいるのは、花嫁姿の会長さんを見た教頭先生が不埒な真似をしでかした時に備えるためで、ボディーガードみたいなものなんです。会長さんは「ハーレイは大根役者だから」と一切の計画を教えておらず、ただマンションに呼んだだけ。これでは確かに場合によっては危険です。
「私が思うに、この計画は二段構えね。まずブルーが結婚反対を叫ぶでしょ? それで私を動揺させておいて、第二弾として幻滅作戦を繰り出すという予定だったんじゃないかしら」
ズボンと格闘中の教頭先生は何も耳に入っていないようでした。まりぃ先生の方が冷静な上、この状況を楽しんでいます。紅白縞のトランクスをまじまじと眺め、それから会長さんに微笑みかけて。
「本当にあなたのプレゼントなの? 私には理解不能なセンスだけれど、ハーレイ先生を愛してるのね」
「…え?」
「私は愛だと思うわよ。それも屈折した愛ね。自分に惚れ抜いている人に下着を贈る…。それも普通の人が見たなら笑うしかない悪趣味なのを贈るというのは、独占欲の裏返しよ。自分以外の人の前では脱いで欲しくないという願望が裏に隠されてるの」
「………」
妄想の大爆発に絶句している会長さん。サイオンの集中が途切れたらしく、床から剥がれたズボンを教頭先生が必死の形相で履いて。
「ブルー! なんてことをするんだ、女性の前で!!」
「いいんですのよ。私、全然、気にしませんわ」
ニッコリ笑うまりぃ先生。
「意外な一面が分かって嬉しいんですの。紅白縞…。それもブルーのプレゼントを大事に履いてらっしゃるなんて、心温まるお話ですわ。こんなに思い合っていらっしゃるのに、お邪魔をしてはいけませんわね」
「は?」
「お見合いの話。ハーレイ先生となら素敵な結婚生活が送れそうだと思ったんですけど、先生は結婚なさりたくないのでしょ? だからお見合いをブチ壊そうと、ブルーたちを引っ張り出した。…先生、ブルーも先生のことを愛してるんだと思いますわよ」
まりぃ先生は会長さんの歪んだ愛情とやらについて熱弁を奮い始めました。会長さんが口を挟もうとする度に「いいの、いいのよ、分かってるから」と軽くいなして、延々と自説を唱えまくったその果てに…。
「ブルーは自覚していないのが泣けますわ。でも、確かに愛は存在しますの。どなたがハーレイ先生の結婚話を言い出されたのか知りませんけど、そんな計画は滅ぼさなくては。愛し合う二人を引き裂くなんて最低です。トップバッターが私だったのは天の声。不肖まりぃが結婚計画を闇に葬って差し上げますわ!」
メラメラと炎を背負って拳を握り締めるまりぃ先生。
「ハーレイ先生、私にお任せ下さいな。ハーレイ先生とブルーのイラストを好きなだけ描ける結婚生活を夢見た私も馬鹿でしたの。ブルーにその気は無いんだと思って、ハーレイ先生の全てを堪能しながら色々描いて楽しもうと…。
けれど、両想いなら身を引きますわ。…ただ、その前にデートの続きを」
お芝居のチケットを買って下さっているんでしょ、と教頭先生の袖を引っ張ります。
「え、ええ…。お好きだと聞いたものですから」
「ブルーに雰囲気が似てるんですのよ。ハーレイ先生は女形はお好き?」
花魁姿が絶品ですの、とキャーキャーはしゃぎ立てながら、まりぃ先生は教頭先生と腕を組んで劇場に出かけていきました。…えっと、これからどうなるんでしょう…?

「…参ったな…」
花嫁姿の会長さんはソファに突っ伏して脱力中。
「どうしてあんな話になるのさ。ぼくがハーレイを好きだって…? そりゃ、からかうと楽しいけれど…」
「だから愛情の裏返しだろ」
すかさず突っ込みを入れるキース君。
「ちやほやされるのは大好きなんだし、歪んだ愛というヤツだろう。あんたが女に幻滅したら、消去法で教頭先生が一番最後に残るんじゃないか?」
「…どんな女性でもハーレイよりかはマシだと思う…」
「その格好で何を言っても説得力は全く無いぞ。何処から見ても輿入れ前の花嫁だ」
「…分かってるけど動く気もしない…」
サイオンを使う気にもなれない、という会長さんのドレスを脱がせて着替えさせたのは「そるじゃぁ・ぶるぅ」とサム君でした。サム君は会長さんに弟子入りしたので、手伝う義務があるのだそうです。着替えの間、スウェナちゃんと私はリビングの外に出ていましたが、着替えが済んで戻ってみるとサム君は頬を染めていました。会長さんったら、本当にサム君にだけは甘いんですから…。
「まりぃ先生、どうするのかな?」
ジョミー君が首を傾げます。
「闇に葬るとか言ってたけれど、そんなに簡単に出来るものなの?」
「…まりぃ先生ならやってのけるさ」
ようやく立ち直った会長さんが座り直して言いました。
「ハーレイには不名誉なことになるけど絶対確実、二度と縁談は持ち上がらない」
「「「???」」」
「さっきサイオンで探ったんだ。芝居を見た後、二人は夕食を食べて別れる予定になっている。でも、まりぃ先生は二人でホテルに出かけたことにする気らしいね」
「「「ホテル!?」」」
ホテルって…まりぃ先生と教頭先生が…? それってバーに行くとかじゃなくて…。
「うん。バーじゃなくって、部屋の方。そこでやることは一つだけれど、できなかったらどうなると思う?」
クスッと笑う会長さん。
「まりぃ先生は保健室の先生だから、色々と知識があるんだよね。今夜の内にヒルマンの所に報告が届く。ハーレイ
は結婚よりも先に治療しないといけません…って」
「「「治療?」」」
「そう。EDの」
「「「いーでぃー???」」」
聞き慣れない言葉にオウム返しの私たち。会長さんは悪戯っぽい笑みを浮かべて。
「男性として役に立たないっていう意味さ。それじゃ結婚できないだろ? ヒルマンたちも治療してまで結婚しろとは言わない筈だ。結婚話はこれで立ち消え」
「じゃあ、あんたへの強姦未遂は…」
キース君の問いに「未遂だからね」と会長さん。
「未遂だった以上、EDかどうかは分からないんだし問題ないよ。まりぃ先生とのお見合いをブチ壊しても次がくるだろうと思ってたけど、もう安心だ。これからもハーレイをオモチャにできる」
「つくづく歪んだ愛情だな…」
「愛じゃないっ!」
からかうのが楽しいだけなんだ、と会長さんは懸命に主張しています。確かに愛は無さそうですが、三百年以上の付き合いだけに歪んだ何かはあるのかも…。

まりぃ先生は宣言通り、教頭先生の結婚計画を闇に葬り去りました。教頭先生の所に山ほどあった結婚相談所への登録はゼル先生が全て抹消し、届いていたプロフィールも送り返してしまったようです。まりぃ先生との縁談は、まりぃ先生の方から「私にはもったいない方ですので」と断りがあったらしいのですが…。
「ブルー、お前は何か聞いていないか?」
教頭先生が私たち全員を教頭室に呼び出し、不思議そうな顔で尋ねました。
「まりぃ先生が結婚話が持ち上がらないようにしてくれたのは間違いない。それはいいんだが、どうも変でな」
「………何が?」
「ゼルたちの私を見る目が変なのだ。こう、妙に優しい眼差しというか…。ブラウには「強く生きな」と肩を叩かれたし、ヒルマンは「いつでも相談に乗るよ」と言った」
何のことだろう、と首を捻っている教頭先生。童貞の次はEDのレッテルを貼られたなんていう事実を知ったら、いったいどんな反応が…? でも会長さんは知らん顔。
「さあ?…ぼくは何も聞かされていないけど…。ぶるぅ、お前も知らないよね?」
「うん、知らない」
童貞って何? と前に叫んだ「そるじゃぁ・ぶるぅ」は今度は沈黙を守りました。会長さんを見ると肩が微かに震えています。きっと口止めをしておいた上で笑いを堪えているのでしょう。
「…やっぱり知っているんだな? 教えてくれ、ブルー! 気になって夜も眠れないんだ」
「大丈夫、そのうち疲れて眠れるってば。どうしても気になるんなら、まりぃ先生に直接聞くのがいいと思うよ」
新作のイラストも出来たようだし、と艶やかに微笑む会長さん。
「タイトルは『歪んだ愛』だってさ。ぼくを紅紐で縛って吊るす絵らしいね。確かに歪んだ愛情だ。…言っとくけれど、ぼくは縛られるのも吊るされるのも御免だから」
じゃあね、と踵を返す会長さんに私たちも続いて出てゆきます。教頭先生、まりぃ先生の所へ行くんでしょうか? 行ったとしてもEDのレッテルは剥がれないような気がするんですが…。まりぃ先生は歪んだ愛を守る決意でEDの噂を流したのですし、撤回したら降ってくるのは結婚話。教頭先生、二度と縁談を持ち込まれないよう、ED判定を食らっておくのが最上の策だと思いますよ~!




ゼル先生が教頭先生を呼び出したのはアルテメシアきっての花街、パルテノンにある料亭でした。花街といってもピンからキリまで。高級料亭が並ぶ華やかな街の裏へ一歩入ると怪しげな風俗店があったりしますし、私たちには馴染みの薄い場所です。会長さんが予約を入れたお店は表通りの料亭の一つ。タクシーで乗り付けたものの、女将の出迎えにちょっとアタフタ。会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」は馴れた様子でスタスタと入っていきますが…。
「い、いいのかな…。高そうだよ、ここ」
ジョミー君がキョロキョロと周りを見回し、マツカ君が。
「パルテノンなら普通ですよ。紹介が無いと入れないお店もありますし」
「ああ、そういう店も多いからな」
頷いたのはキース君。
「ここは親父もよく使うんだ。俺も何度か来たことがあるが、パルテノンでは普通とはいえ…俺たち全員が飲み食いした分を無断で教頭先生にツケるというのは…」
その言葉が終わる前に御座敷に通された私たち。今まで何度も教頭先生のお金で飲食してきたものの、今回ばかりは流石にマズイ気がします。だって了解を得てきたわけではないんですし。
「いいんだってば。座って、座って」
上座の座布団に陣取った会長さんが促しました。
「結婚話を断るために婚約してくれ、なんて侮辱じゃないか。請求書を見て青ざめてもらうさ」
「「「…………」」」
こういう時の会長さんには逆らうだけ無駄というものです。私たちは立派な机を囲んで座り、サム君は会長さんのお隣に。隣といえば、ゼル先生はもう来てるのでしょうか?
「ゼルたちなら先に来ているよ。ちなみに、こっち」
会長さんが指差した方は土壁でした。これでは音も聞こえませんし、覗き見どころではなさそうです。
「…何も聞こえてきませんね…」
シロエ君が机の上にあったコップを壁に当てて聞き耳を立て、首を左右に振りました。
「ああ、そんなんじゃ無理だろうね。ちゃんとサイオンを使わなきゃ」
「「「えぇっ!?」」」
絶対無理! と叫んだ所へ最初の料理が運ばれてきました。「先付だよ」と会長さん。綺麗に盛りつけられたお皿に、なんだか緊張しちゃいます。仲居さんが姿を消すまで、私たちの視線は料理と壁とを行ったり来たり。襖が閉まると会長さんがクスッと小さく笑いました。
「そろそろ始まるみたいだよ。君たちのサイオンをぼくと同調させるから…少しの間、心を空にして。いいかい、目は閉じないで…そう、そして視線をゆっくり壁に…」
ゆっくりと…壁に…? 誘われるままに眺めた先で壁がスーッと透けるように薄れ、その向こうに見えた光景は…。
「「「ヒルマン先生!?」」」
教頭先生を呼び出したのはゼル先生だと思っていたのに、ヒルマン先生も座っています。机の上には既に料理が並んでいますが、女性の姿はありません。お見合いだったら女の人もいるのでは?
「………おい」
キース君が低い低い声で。
「見合いのようには見えないぞ。あんた、騙したんじゃないだろうな?」
「…お見合いだなんて誰が言った?」
悪戯っぽい笑みを浮かべる会長さん。あれ? お見合いを覗きに来たんじゃ…?
「違うよ、ハーレイが絞られる所を見に来たんだよ。これからみっちり二人がかりで…。さあ、もう声だって聞き取れるだろう? 覗き見しながら楽しく食べよう」
確かに隣の部屋の会話が聞き取れるようになっていました。大画面のテレビを前にして食事するような感覚ですが、とりあえず先付を食べようかな…。

ゼル先生とヒルマン先生は教頭先生を下座に座らせ、お銚子も何本か出ています。ゼル先生はお酒が入って上機嫌でした。
「どうじゃ、ハーレイ。気に入った女性が少しはおったか? 男でないと駄目かと思うて、その方面も当たっておいたぞ」
「…そ…それが……その……」
首をすくめる教頭先生。ヒルマン先生が「やれやれ」と溜息をついて。
「やはりブルーしか目に入らんかね? 困ったものだ」
「まったくじゃ。挙句の果てに不祥事なんぞを起こしおって…。ブルーに本気で抵抗されたら、アバラの二、三本は折れとるぞ。いや、いっそ折られとった方が良かったかもしれん」
そうすれば目が覚めるじゃろうて、とゼル先生は自慢の髭をしごきました。
「いつまでも夢を追いかけとるから、人生が上手くいかんのじゃ。現実に目を向けんかい! ブルーはお前を見向きもせんし、ここらで真面目に考えんと…」
「私もゼルに同感だね。いつまでもブルーしか見ていないから妙な未練が残るのだよ。ブルーと結婚したいと言っているからには独身主義ではないのだろう? 最初から駄目だと切って捨てずに、色々な人と会ってはどうかね」
ヒルマン先生が相槌を打ち、結婚について持論を展開し始めます。このお二人も独身だったと思うのですが、自分たちのことは棚上げですか?
「ああ、ゼルたちは構わないんだ」
私たちの疑問を読み取ったらしい会長さんが前菜の八幡巻をお箸でつまんで言いました。
「ゼルもヒルマンも独身だけど、パートナーはいるんだよね。エラもブラウもそれなりに…。結婚しないのは独身人生が気楽だからっていうことらしいよ」
「だったら教頭先生に結婚しろと説教するのは大きなお世話ってヤツなんじゃないか?」
キース君が尋ねましたが、会長さんは微笑んで…。
「ううん、全然。ハーレイは事情が事情だからね」
「でも結婚って…。簡単にいくとは思えないわ」
スウェナちゃんが首を傾げます。
「私たち、普通の人とは違うでしょう? ゼル先生が申し込んでた結婚相談所って有名な所ばかりだけれど、私たちみたいな人ばかりを扱う専門コースもあるのかしら?」
あ。それは失念してました。普段サイオンを意識して使わないので忘れがちですが、私たちは年を取りません。うっかり普通の人と恋に落ちたらどうなるんでしょう?
「専門コースなんかあるわけないよ。ぼくたちは特別に扱われているわけじゃないしね」
事も無げに答える会長さん。
「ただサイオンがあって寿命が長い、ってだけで問題もなく生活してる。普通の人に恋をしたって大丈夫。そのいい例がぼくとフィシスだ。ね、ぶるぅ?」
「うん!」
元気一杯に右手を挙げる「そるじゃぁ・ぶるぅ」。そういえばフィシスさんはサイオンを最初から持っていたわけではない、と聞きましたっけ。会長さんが一目惚れして、「そるじゃぁ・ぶるぅ」に頼んで赤い手形を押してもらって、自分の仲間にしたんです。スウェナちゃんたちのサイオンだって、入学式の日に赤い手形で…。
「なるほどな。俺たちみたいにぶるぅの手形を押してしまえばいいわけか」
キース君が頷き、壁の向こうを眺めながら。
「…つまり教頭先生の気に入る相手がありさえすれば、結婚に障害は無いわけだ。しかし、自分たちは気楽な独身人生のくせに、教頭先生には結婚しろって…。相当に無理があると思うが」
「そう言うだけの理由があるのさ。覗き見してれば分かると思うな。あ、ほら、次の料理が来たよ」
お吸物とお刺身のお皿が運ばれて来ました。ゼル先生たちのお部屋の方は、お料理よりもお酒優先みたいです。またお銚子が追加されましたが、教頭先生は盃がさっぱり進みません。やっぱり話題のせいなのでしょうね。

「いいかね、ハーレイ」
ヒルマン先生が教頭先生にお銚子を勧め、自分の盃にもトクトク注いで。
「ブルーを追って三百年だよ。いくら一途に思い詰めても不毛すぎると思うのだが」
「そうじゃ、そうじゃ! しかもブルーは女たらしで好き放題にやっとるのじゃぞ。在校生にも手を出しとるし、いい加減に諦めて他を見んかい!」
あらら。アルトちゃんとrちゃんの件、学校にバレているようです。それとも他にも何人か…? 会長さんに非難の目を向ける私たちでしたが、当の本人は平然と…。
「ぼくの女好きは有名だしね。いちいち表沙汰にしてたら、相手の子たちが困るだろう? シャングリラ学園では男女の深い仲がバレると退学なんだよ。だけどソルジャーのぼくを退学になんて出来っこないし、男の方がお咎め無し
で女の子だけが退学なんて、どう考えても不公平じゃないか」
「あんた、どこまで悪人なんだ」
キース君が睨み付けても会長さんは動じません。
「悪人、ぼくは大いに結構。でなきゃシャングリラ・ジゴロ・ブルーの名が泣く」
「「「………」」」
これだから、と溜息をつく私たち。お刺身の次は夏野菜の煮物にスープジュレをかけたものでした。仲居さんは私たちが隣の部屋を覗き見していることには気付きません。もちろん教頭先生たちも。壁の向こうでヒルマン先生が軽く溜息をつきました。
「ハーレイ、君が一向に諦めないから、ブルーの魅力がどれほどのものか、実は調べてみたのだよ。私やゼルには理解できない妖しい色香でもあるのか、とね」
「…調べた…?」
教頭先生が顔を強張らせ、私たちも「えっ」と息を飲みます。会長さんったら、知らない間に呼び出しを受けていたのでしょうか。それに調べるって、どうやって? まさかエロドクターが協力を…?
「ああ、誤解しないよう言っておこう。ブルーを調べたわけじゃない」
ヒルマン先生の言葉に、教頭先生と私たちは胸を撫で下ろしました。
「蛇の道はヘビ、と言うだろう。ノルディに尋ねることも考えたのだが、ノルディもブルーにぞっこんだからね。冷静な分析は難しそうだ、と判断した。そこでボナールを呼んだのだよ」
ボナール…って、数学同好会のボナール先輩のことでしょうか? そっちの趣味があるとは知りませんでした。会長さんは可笑しそうに。
「なんだ、噂を知らないんだね。ボナールは君たちと同じ特別生だけど、在籍年数は百年を超える。グレイブと同期みたいなものかな。そして筋金入りの美少年好き。永遠の恋人は欠席大王のジルベールだと言ってるくせに、一方的な片想い。…ジルベールの方が振り向かないんだ」
教頭先生の報われなさを思い出してしまうプロフィールです。でも教頭先生とは決定的な違いがある、と会長さんは指摘しました。
「ボナールは気に入った子を寮に引っ張り込んでは、よろしくやって楽しんでるよ。ジルベールにベタ惚れしてても、それとこれとは別らしい。だけどハーレイは遊び相手もいないんだよね」
言われてみれば教頭先生は美少年はおろか、女っ気すらも無さそうです。会長さんに愛想を尽かされないよう、自重しているのかもしれません。隣の部屋ではヒルマン先生が続きを話し始めていました。
「ボナールにブルーをどう思う、と尋ねてみたら即答だった。あれはダメです、と断言したよ。その手の趣味の持ち主ならば誰もが惚れそうな外見なのだが、脈無しなのも分かるらしいね。アタックするのは余程の馬鹿か、恋に不馴れなヤツだろう…と」
「わしも聞いておった。ハーレイ、遥か年下の生徒ごときに馬鹿と言われてどうするんじゃ!」
「…………」
教頭先生の背中が小さく縮こまります。ゼル先生が「飲め!」とお酒を注ぎました。
「いいか、馬鹿ならばまだマシじゃわい。しかしお前は恋に馴れとらんヤツなんじゃ! わしが知らんと思っておるのか? お前はまるで経験が無い。それこそお子様レベルじゃろうが!」
お子様レベル? もしかしなくても教頭先生、恋愛経験ゼロだとか…?

とにかく飲め、と教頭先生に盃を押しつけるゼル先生とヒルマン先生。ゼル先生が「うひひひ」と下卑た笑いを漏らして。
「ハーレイ、お前、ブルーに惚れ込んだせいで、まだ誰一人として付き合ったことがないじゃろう? 男も女も見向きもせずにブルーを追って三百年。これではいかんとわしは思うぞ。のう、ヒルマン?」
「ああ。男の方はともかくとして、女性の一人も知らないのでは…。いや、知人がいないという意味じゃないよ。俗に言うところの、その…なんというか…」
「ええい、じれったい! そういうのはズバッと言わんかい! 三百年以上も生きてきとって、その図体で…童貞じゃとは、情けなさすぎて涙も出んわ!」
「「「!!!」」」
教頭先生が…なんですって? 下品を通り越した驚愕の内容に、私たちは食べかけの鮎や田楽をお箸からポトリと取り落としました。いくらなんでもそんなことが…。いえ、何かといえば鼻血を出している教頭先生、そうであっても不思議では…。
「やっぱり君たちも驚くよねぇ」
笑いを堪えながら教頭先生の方を指差す会長さん。
「でも本当のことなんだ。ハーレイは誰とも経験なし。経験値ゼロっていうヤツさ。文字通りお子様レベルなわけ。パートナーを作って楽しむ甲斐性も持っていないんだから、結婚しろってことじゃないかな」
「……そうなのか……」
キース君が呆然とした顔で呟き、壁の向こうではゼル先生が。
「ほれ見ろ、何も言えんじゃろう! 強姦未遂で謹慎を食らったのは何故じゃと思う? 日頃から溜まっておるからじゃ! そういうのは他で発散しとかんかい! 柔道くらいでは足りんのじゃ!」
「まったくゼルの言うとおりだよ。色々とそういう店もあるのに…」
「……教師が…そんな店に行くのは……」
しどろもどろの教頭先生。そういうお店って…えっと…このお店の近くの路地裏とかにある、その手のお店のことですよね? 顔を見合わせる私たちに「大当たり」と会長さんが頷きました。確かに先生方が出入りするのはまずそうですが、ゼル先生は実に堂々としたもので…。
「いちいち気にしてられるかい! 生徒の父兄と顔を合わせようが、向こうも同じ穴のムジナじゃぞ。お互いに見ないふりをするのが礼儀なんじゃ。わしの若い頃はパルテノンの夜の帝王と呼ばれたもんじゃが、お前ときたら三百年も…。その図体は飾り物か!?」
情けない、と盃を傾けるゼル先生。パルテノンの夜の帝王だなんて、凄い武勇伝を聞いちゃったような気がします。会長さんは今度も「嘘じゃないよ」と微笑みました。
「ゼルはけっこうモテたんだ。そして目標は生涯現役。…ハーレイ、圧倒的に形勢不利だな」
ゼル先生は教頭先生を罵倒しまくり、その間に私たちは焼玉葱のスープ煮からメインディッシュらしき牛ステーキに移っています。「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお墨付きだけに、確かに美味しいお料理でした。隣の部屋のお皿は手つかずのままで下げられるものも多いんですけど。
「ゼル、そのくらいで許してやりたまえ」
肝心の話が流れてしまう、とヒルマン先生が割って入りました。
「…ハーレイ、私も考えたのだがね。君のようなタイプに風俗店は向かないだろう。しかし今のままでは、また不祥事を起こさないとも限らない。発散できる相手を作るべきだよ。だが、割り切って付き合えるパートナーを持つというのも君には少し荷が重そうだし…。どうかね、きちんと手順を踏んでみるのは」
「………?」
意味が分からない、という表情の教頭先生。ヒルマン先生は咳払いをして。
「さっきから何度も話したように、君には結婚が向いている。結婚相談所に頼るのもいいが、昔ながらの口利きという方法も…。お見合いをしてみないかね? いや、ぜひとも一度してみるべきだ」
お見合いですって? 教頭先生が童貞だった、と知った衝撃があまりに大きく、お見合いの話など忘れ去っていた私たち。結婚相談所に申し込みをしたのがゼル先生なら、口利き担当がヒルマン先生…? 強姦未遂事件が会長さんの狂言だと知らない先生方は既に暴走し始めています。…まさか本気でお見合いを?

「ハーレイ、これはチャンスなのだよ」
ヒルマン先生が身を乗り出して、教頭先生の盃にお酒を注ぎました。
「君が…そのぅ、誰とも付き合わずに過ごしてきた理由は、ブルーだろう。…ブルー以外の誰かと付き合う、あるいは誰かと遊んだ後ではブルーに愛を語る資格は無いと、そう考えていないかね?」
「……まぁ…そうだが……」
盃に視線を落としてボソボソと呟く教頭先生。ヒルマン先生は大きく頷き、「飲みたまえ」と微笑んで。
「ハーレイ、その考えが間違いだ。君は一途にブルーを想い続けて、よそ見もせずに三百年だが…ブルーの方はどうだった? フィシスという相手が出来た今でも女好きの性分は直らない。ブルーはそういう人間だ。万が一、君の想いを受け入れたとしても、君の過去をほじくり返してとやかく言いはしないだろう。だから安心して気の合う相手を探すといい」
それにはお見合いが一番だ、とヒルマン先生は自信満々でした。
「ハーレイ、素晴らしい人を見つけて身を固めたまえ。なあに、結婚したって浮気はできる。浮気は男の甲斐性だ。もしもブルーが振り向いたなら、存分に浮気すればいい。しかしボナールの分析によれば、ブルーは追っても無駄だそうだし…。君が幸せを掴む早道は結婚にあると私は思うね」
「そうじゃ、そうじゃ! 結婚すればブルーのことなぞ、憑き物が落ちたようにコロッと忘れてしまうわい。行け、ハーレイ! 見事結婚に持ち込むんじゃ!」
応援しとるぞ、とゼル先生が手酌で盃を飲み干して。
「ハーレイの未来に乾杯ーっ! シャングリラ・ジゴロ・ブルーを追い越せーっ!」
うーん、ゼル先生、かなり出来上がってきています。ヒルマン先生が困ったような笑顔を向けて。
「ブルーを追い越せとまでは言わないがね…。結婚すれば誰はばかることなく、欲求不満を解消できる。ゼルの言うとおり、ブルーのことを忘れられるかもしれないよ。…そうでなくても、これは非常に条件のいい縁談だ」
縁談! やはりヒルマン先生には手持ちの牌があったようです。私たちはいつの間にか酢の物も食べ終え、止椀と御飯、香の物が机に並んでいました。みんな御椀やお箸を持った手をピタリと止めて、聞き耳を立てているのが分かります。ヒルマン先生、どんな縁談を調達してきたというのでしょう?
「これは理事長直々の紹介でね」
理事長という言葉に顔を引き攣らせる教頭先生。シャングリラ号のキャプテンを務める教頭先生は本来、ソルジャーである会長さんに次いで二番目に偉い立場の筈なんですが、その肩書きはシャングリラ学園の中では役に立たないようでした。会長さんが生徒会長として先生方に指導される立場なのと同じで、教頭先生の上には校長先生や理事長が…というわけです。その理事長の紹介となれば、無視したら最後お給料とかにも響きそうで…。
「……理事長からか……」
苦渋に満ちた声の教頭先生に、ヒルマン先生はニッコリ笑って。
「ああ、理事長だ。気に入らなければ会った後で断ればいいが、悪い話ではないと思うよ。実に気立てのいいお嬢さんでね」
「…そう言われても困るのだが…」
「話は最後まで聞きたまえ。あちら様は君のブルーへの想いを承知で、お会いしたいとおっしゃっている」
「「「えぇっ!??」」」
教頭先生と私たちの叫びは同時でした。ヒルマン先生は驚き慌てる教頭先生に盃を勧め、その隣からゼル先生が。
「いい人じゃぞ! 結婚してもブルーを想い続けてかまわない、と言っとるんじゃからな。こんな良縁はそうそう無いわい。会うんじゃ、ハーレイ! 会って結婚に漕ぎ付けるんじゃ!」
「……しかし……」
「ええい、じれったい! 知らん人ではないというに!」
ゼル先生が机をバン! と叩きました。
「ヒルマン、さっさと言わんかい! もったいつけても仕方なかろう!」
「うむ。…実はな…」
ヒルマン先生が鞄から見合い写真と釣書を取り出し、教頭先生に差し出しながら。
「お相手というのは保健室のまりぃ先生なのだよ」
「「「!!!」」」
とんでもない名前に私たちは御椀をひっくり返すところでした。
「君とは去年の親睦ダンスパーティーでタンゴのパートナーを組んで以来の付き合いだというから、親しみが持てる相手だろう。ブルーのことを知っていたのは驚きだったが…」
本当にいい話だと思う、と繰り返すヒルマン先生と、「ハーレイの前途を祝して乾杯!」と叫んでは盃を重ねるゼル先生。まだまだ盛り上がりそうな隣の部屋を他所に、私たちの前にはデザートの果物のお皿が並びました。
「…教頭先生とお見合いだなんて…。まりぃ先生、本気なのかな?」
ジョミー君の疑問に、会長さんが。
「本気だよ。少なくとも、お見合いをしようって程度には」
「…少なくとも…? なんだ、それは」
キース君が不審そうに眉を寄せます。
「うん、だからね…。お見合いする気は満々だけど、本当に結婚したいのかどうか分からない。ゼルがハーレイを呼び出す、って話を聞いてサイオンで探ってみたら、まりぃ先生の件に行きついた。でも、まりぃ先生の心が読めないんだ。お見合いを控えてハイになってて、心の中がハートマークで埋まっちゃってる」
そして隣の部屋の中では…。
「というわけで、ハーレイ」
姿勢を正したヒルマン先生が改まった口調で言いました。
「今週の土曜日にホテル・アルテメシアに席を設けた。まずは会うだけ会ってみたまえ。私と理事長も同席するが、食事の後は二人で過ごしてみればいい。映画に行くも良し、芝居も良し。…そうそう、まりぃ先生は今評判の女形の舞台が好きらしいね」
「…そこまで話が決まっているのか…」
「ああ。君が来なければ、私と理事長、まりぃ先生の三人でランチだ。後でどうなっても私は知らんよ」
突き放すようなヒルマン先生の言葉にゼル先生が「減俸じゃ!」と囃し立てます。進退極まった教頭先生はお銚子を掴み、ヤケ酒を呷り始めました。会長さんは楽しそうに見ていましたが…。
「ふふ、独身最後の夜じゃあるまいし、あんなに飲まなくってもいいのにね。そろそろ、ぼくらはお開きにしよう。サイオン中継はこれでおしまい」
スゥッと壁が視界を閉ざし、隣の部屋が見えなくなります。会長さんは私たちに「土曜日だよ」と言いました。
「ハーレイのお見合い、やっぱり覗き見しなくっちゃ。今度の土曜日、空けておくこと。今日はすっかり遅くなったし、表へ出たら瞬間移動で家まで送るよ。…お見合い見物、楽しみだな。あのハーレイがどうするか…」
気の毒な教頭先生の名前で食事代をツケにした会長さんは、「そるじゃぁ・ぶるぅ」と一緒に私たちを一人ずつ家に送ってくれました。女の子優先でスウェナちゃんの次に送り出された私ですけど…なんだか色々ありすぎちゃって、今夜はロクに眠れないかも~!




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