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シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。

カテゴリー「ハレブル」の記事一覧

「ハーレイの写真、ちゃんとしたのが欲しいんだけどな…」
 ブルーは勉強机の前に座って一枚のプリントを眺めていた。月に一回、学校から貰うお知らせを兼ねた学校便り。行事の写真なども載っているから、保存する価値は充分にあるのだけれど。この五月号だけはブルーにとっては特別だった。
 貰ったその日がハーレイと出会った五月三日の月曜日。朝のホームルームで配られたそれを何も考えずに鞄に仕舞った。家に帰ってゆっくり読めばいいと思った。
 ところがその後、古典の授業の新しい教師としてハーレイが現れ、ブルーは大量出血を起こす。聖痕現象と診断された、前の生での最期に負った傷と同じ場所からの大量出血。それと同時に前の生での記憶も戻って、ハーレイも前世の記憶を取り戻した。
 慌ただしく日々が過ぎてゆく中で、忘れかけていた学校便り。ふと思い出して取り出してみて、其処にハーレイの写真を見付けた。転任教師の着任を知らせる小さな記事と小さな写真。
 正面を向いたハーレイの写真はカラーではなくて、肌の色はもちろん、瞳の色さえ分からない。そうした記事に使う写真だから笑顔でもなく、スーツ姿で真面目な顔をしたハーレイ。
 それでも一枚きりの大切な大切なハーレイの写真。学校便りの五月号はブルーの宝物になった。机の引き出しにきちんと入れて、こうして取り出してはハーレイを想う。
「…前のハーレイの写真も無いしね…」
 十四歳になったばかりのブルーと違って、ハーレイはキャプテン・ハーレイだった頃とそっくり同じな姿だったから、前世の写真でもあれば良かった。
 教科書に載っている写真は如何にもキャプテンといった風情で、ブルーが好きな表情ではない。ならば、とキャプテン・ハーレイの写真集を探しに出掛けたが、それは存在しなかった。仕方なく前世の自分の写真集を片っ端から調べたのに…。
(…どのハーレイにもソルジャー・ブルーがセットだなんて!)
 ブルーが気に入った写真の中のキャプテン・ハーレイはソルジャー・ブルーと対だった。一目で恋人同士と分かる写真ではなかったけれども、ブルーには簡単に分かってしまう。
 素敵な表情をしたキャプテン・ハーレイはソルジャー・ブルーのもので、小さな自分は手も足も出ない。見ているだけで腹立たしいから、写真集は一冊も買わずに帰った。
 そんなわけで、ブルーが持っているハーレイの写真は学校便りの五月号だけ。歴史の教科書にもキャプテン・ハーレイは載っているけれど、それよりは断然、今のハーレイ。



(…学校便りでもいいんだけれど…)
 無いよりは遙かにいいんだけれど、とブルーは深い溜息をつく。
 同じ写真ならカラー写真のハーレイがいい。教師らしい顔のハーレイよりも普段の表情がずっといい。そういう写真が欲しかった。
「…失敗しちゃったんだよね…」
 ハーレイと再会して直ぐに二人一緒に写せば良かった。再会記念の写真だったら二人で写すのが自然なのだし、両親もきっと快くカメラのシャッターを切ってくれただろう。
 けれどもブルーは記念写真の撮影どころか、再会出来たハーレイに夢中で甘えっ放しで過ごしてしまって、気付けばとうに記念撮影に相応しい時期が過ぎ去っていた。
 今となっては二人で写せる機会が無いし、かといってハーレイ単独の写真を撮らせて貰って机の上に飾っていたなら、それを見た両親に何事なのかと思われそうだ。学校便りのように引き出しに仕舞う手もあると言っても、写したのなら堂々と飾っておきたいし…。
(そうだ、ハーレイの誕生日!)
 八月の二十八日で、まだ夏休みの真っ最中。両親にもちゃんと言ってあるから、夕食の席で皆でお祝いする予定。その時に記念撮影を…、と考えたけれど。
(…ひょっとして、パパとママも一緒に写っちゃう?)
 誕生日祝いの席なのだから「みんな一緒に」と賑やかな写真になりそうだった。それはブルーが欲しい写真とは少し違うし、机の上に飾れはしても複雑な気分になるだろう。
(このまま、ずっとハーレイの写真は無しかも…)
 いつかチャンスが巡って来るかもしれなかったが、それがいつだか分からない。
 今のハーレイの写真が欲しいのに。自分が一緒に写っていたなら、もっといいのに…。



「…あいつの写真は無いからなあ…」
 前のあいつなら、此処にあるのに。
 ハーレイの書斎の机の引き出し。其処に一冊のソルジャー・ブルーの写真集。
 真正面を向いたソルジャー・ブルーの一番有名な写真が表紙で、タイトルは『追憶』。
 サイオンの青い尾を曳いてメギドへと飛ぶ前世のブルーの最後の飛翔で始まる最終章は、人類軍が撮影していた映像から起こした写真で埋められていた。爆発するメギドの閃光が最後の写真。
 キャプテン・ハーレイだった頃には知りもしなかったブルーの最期。
 小さなブルーが口にするまでは、キースに何発も撃たれたことさえ知らなかった。メギドを破壊しに飛んだブルーが何処を翔け、どんな光景の中で逝ったのかすらも。
 ソルジャー・ブルーだったブルーの命が潰えるまでを記録した写真に、メギドの中へ入り込んだ後のブルーの姿は無いのだけれど。監視カメラごと失われたから無いのだけれども、最後に写ったメギドの爆発と共にブルーの身体はこの世から消えた。
 その瞬間までブルーが生きていたのか、息絶えていたのか、それもハーレイには分からない。
 分かることはただ、ブルーが独りきりで逝ってしまったこと。最期まで持っていたかったというハーレイの温もりを失くしてしまって、暗い宇宙でたった一人で、青い閃光に消えてしまった。
 数々の写真が突き付けて来た事実があまりに悲しく、声を上げて泣いた。あの日の自分の記憶に囚われ、ブルーを失くしてしまったと泣いた。
 それほどに辛い最終章を持った本だが、目に触れない場所に押し込めることはしたくなかった。前の生で守れなかった分を埋め合わせるかのように、こうして引き出しに仕舞ってある。
 一日に一度は座る机と、其処で書く日記。引き出しを開けて日記を出せば、其処から『追憶』が姿を現す。ハーレイの日記を上掛けにして眠る写真集。それを開けば前の生でのブルーに会える。
「…前のあいつの写真だったら、此処に何枚もあるんだが…」
 今のあいつの写真は一枚も無いな、と小さなブルーを思い浮かべた。



 再会した時に記念に写すべきだった。しかし迂闊にもそれを忘れた。再会出来た喜びに酔って、甘えて来るブルーをただ抱き締めて。
 小さなブルーの命の温もりを確かめ続けて、気付けば時が過ぎ去っていた。記念撮影をするのに相応しい時期を逃してしまった。もしも早くに気付いていたなら、二人一緒に写せたものを。
 理由をつけてブルーの写真を撮るというのも考えたけれど、それではブルーが可哀相だ。きっとブルーもハーレイの写真を欲しがるだろうが、ブルーはそれを飾れない。一人暮らしの自分だけがブルーの写真を飾って、小さなブルーはハーレイの写真を隠し持つのが精一杯。
 それでは本当に可哀相だし、堂々と飾れない写真を隠し持たせることはブルーの両親に対しても申し訳ない。いつかはブルーへの想いを打ち明けねば、と思ってはいるが、今は後ろめたいことをしたくはない。
(…学校のデータベースに写真はあるんだが…)
 ブルーの在籍を示す証明写真。とはいえ、生徒の写真を引き出して持つのもどうかと思う。誰も気付きはしないのだろうが、教師としてすべきことではない。
 けれど、ブルーの写真が欲しい。
 十四歳の小さなブルーの写真が欲しい。出来ることなら、自分も一緒に写ったものが…。



 お互い、知らずに同じ思いを抱き合って。
 夏休みも今日で終わるという日に、ハーレイは普段通りにブルーの家へと向かった。二人一緒に過ごせる平日は八月三十一日で最後。次の機会は冬休みに入るまで訪れない。
 ブルーが首を長くして待っているだろうと出掛けてゆけば、二階の部屋で迎えてくれたブルーは母の足音が階下に消えるなり、この世の終わりのような顔つきになった。
 何ごとなのかと慌てたハーレイの耳に消え入りそうな声で届いた言葉は、マーマレード。
 ハーレイの両親がブルーのためにと持たせてくれた、実家の庭で採れた夏ミカンの実で作られたマーマレードの大きな瓶。昨日、ブルーに渡してやった。
 ハーレイがいずれブルーを伴侶に迎えるのだと話したからこそ、両親はマーマレードをブルーに贈ったのだけれど、その事実をブルーの両親には明かせない。だからブルーの母には日頃の礼だと言っておいたし、ブルーもそれは承知していた。
 とはいえ、ブルーにしてみれば自分が貰った宝物にも等しいマーマレードだったのだろう。その大切なマーマレードを自分よりも先に両親が開けて食べ始めていたことがショックだったらしい。
 ブルーの部屋から庭で一番大きな木の下の白いテーブルと椅子に移動してからも、悲しげな顔でマーマレードに関する悲劇を懸命に訴えるブルーが可愛らしくて、可笑しくて。
 因縁のマーマレードが盛られたガラスの器に木漏れ日が降る中、焼き立てのスコーンをブルーと二人で食べながら話した。
 ブルーのためのマーマレードなら、また実家から貰ってくるから、と。ハーレイの両親は小さなブルーがお気に入りだから、いくらでも分けてくれるだろう、と。
 ブルーの機嫌がようやく直って、弾けるような笑顔になった頃。
「うん、いい笑顔になったな、お前。…それじゃ一枚、撮るとしようか」
「えっ?」
 キョトンとするブルーに、ハーレイは片目をパチンと瞑ってみせた。
「記念写真さ、俺たちが初めての夏休みを一緒に過ごした記念だ。一枚も写真を撮ってないだろ、せっかく地球で再会したのに」
 お母さんにシャッターをお願いしよう、と言ってから、とっておきの言葉を付け加える。
「俺の腕にしがみ付いて写してもいいぞ? ただし、恋人としてじゃないからな。あくまで憧れのハーレイ先生と、だ。そういう写真を撮った教え子なら大勢いるさ」
「ホント?」
「本当だ。柔道と水泳の教え子からすれば、俺はスポーツ選手並みの扱いになるらしい」
 その感覚でなら腕にしがみ付くことを許可する、と聞かされたブルーの背中に翼があったなら、空に舞い上がっていたかもしれない。本当に飛んで行きそうなほどに、小さなブルーは狂喜した。



「ねえ、ハーレイ。しがみ付くのって、どっちの腕?」
「左腕だな。俺の利き手を封じてどうする、右腕は空けておいてくれ」
「分かった! ハーレイの左側に立てばいいんだね!」
 持って来たカメラを取りに行こうと立ち上がったハーレイの腕に「ちょっと練習!」とブルーが飛び付いて来た。それを「こらっ!」と振り払ってハーレイは庭を横切り、玄関を入る。其処に居たブルーの母に声を掛けてから二階に上がり、置いてあった荷物の中からカメラを出して。
「すみません、お手数をお掛けしますが…」
 シャッターをお願いします、と頼むとブルーの母は「ええ」と頷いて庭に出て来た。
 日射しがまだまだ強い季節だから、撮るのなら木陰。白いテーブルと椅子のある木の下の日陰がちょうど良さそうで、ハーレイとブルーは其処に並んだ。
 母がカメラ越しに光の加減などを確かめ、「その辺りかしら」とニッコリ微笑む。
「それじゃ、撮るわよ?」
「ママ、待って!」
 ブルーがハーレイの左腕に両腕でギュッと抱き付き、「撮っていいよ」と笑顔で叫んだ。
 憧れのスポーツ選手と記念写真を撮る少年のようなポーズで、身長の差もそれを思わせる。母は笑ってシャッターを切った。可愛い一人息子を撮る母の顔で、頼まれるままに何度も、何度も。
 同じポーズで軽く十枚は撮っただろうか。ハーレイがカメラを受け取りに行って、ブルーの母も交えて三人でデータを調べて、いい写真だと確認した。
 穏やかな笑顔で立つハーレイと、その左腕に抱き付いた明るい笑顔のブルー。
 再会してから初めて二人で過ごした夏休みの記念にと撮った写真は、まさに最高傑作だった。



 写真撮影を終えてブルーの部屋へ引き揚げ、昼食を食べて。ブルーの母が食後のお茶のセットを置いていった後で、ハーレイは再びカメラを出した。ブルーと二人で写した写真を詳細に調べて、「これにするか」と選んだ写真をその場で二枚、プリントしてテーブルの空いた所に並べる。
 そして自分の荷物の中から二つの包みを取り出した。
「ほら、ブルー。好きな方を選べ。…まあ、どっちでも中身は同じなんだが」
 四角くて平たい箱を包んだ包装紙とリボン。ブルーはそれに見覚えがあった。ハーレイの誕生日プレゼントに羽根ペンを買おうと出掛けて行った百貨店の包装紙とリボン。
 羽根ペンはブルーの予算ではとても買えない値段で、それでも諦め切れなくて。悩んでいたのをハーレイに見抜かれ、ハーレイと二人で買うことになった。ブルーは予定していた金額を支払い、残りはハーレイが払った羽根ペン。
 二人で選んだ白い羽根ペンをハーレイが買いに行き、誕生日に持って来て、ブルーがハーレイに羽根ペンの箱を手渡した。それが八月二十八日のこと。
 ハーレイは羽根ペンを買うためにあの百貨店へ行ったわけだが、羽根ペンの箱を包んでいたのと同じ包装紙とリボンがかかった二つの箱は何なのだろう?
 首を捻るブルーにハーレイが「いいから、一つ選んで開けろ」と箱を指差す。
「…うん」
 手近な方の箱をブルーが選ぶと、もう一つをハーレイが手に取ったから。
(…開けていいんだよね?)
 リボンをほどいて包装紙を剥がし、出て来た箱を開けてみた。
「あっ…!」
 箱の中に、写真にぴったりのサイズのフォトフレーム。ハーレイの分は、と目をやれば同じ物が箱に収まっていた。飴色をした木製のフォトフレーム。如何にもハーレイが好みそうな、触れれば手に馴染む優しい素材。素朴だけれども温かみのある、木で作られたフォトフレーム。



「羽根ペンを買いに行った時にな、こいつも一緒に買って来たんだ」
 ハーレイが自分の分のフォトフレームを示して言った。
「俺たちの写真ってヤツは無かったからな。…夏休みの記念に撮ろうと思った。そして二人で一枚ずつ持とうと思ったんだ」
 同じデザインのフォトフレームに入れて、俺とお前とで一枚ずつ…な。
 嫌だったか?
「…ううん」
 問われたブルーは「ううん」と首を左右に振った。
「ハーレイの写真、持っていないし…。それにハーレイとお揃いの物って、シャングリラの写真集しか持っていないから…。お揃いの写真とフォトフレームなんて、ぼく、考えもしなかったよ」
 とても嬉しい、とブルーが微笑むと、ハーレイは「そうか」と頷いて。
「…こいつは俺の我儘でもあるんだがな。お前の写真が欲しかったんだ。どうせだったら、お前と二人で写ったヤツが」
 最高の写真が手に入った、と喜ぶハーレイにブルーは「ぼくも」と笑みを湛える。
「ぼくもこの写真が欲しかったよ。…ううん、ハーレイだけの写真でもいいから欲しかったんだ。それで前のハーレイの写真を探しに本屋さんまで行ったのに…。いいな、と思ったハーレイの写真には前のぼくが必ず一緒に居たから…」
 腹が立ったから買わなかった、と白状した。ソルジャー・ブルーとセットのハーレイがどんなに素敵でも、其処に一緒に写っている前の自分が余計なのだ、と。
「でも、良かった…。この写真なら今のぼくだし、このハーレイはぼくのだよね」
「そりゃあ、俺はお前の恋人だしな? しかしだ、前の自分に腹が立つとは…。凄いな、お前」
 ちょっとお前を見直したぞ、とハーレイが笑う。
 小さな子供だとばかり思っていたのに、一人前に嫉妬もするのか、と。
「だがなあ、子供は子供だな? ソルジャー・ブルーもお前なんだぞ。そこで前世を懐かしまずに嫉妬して怒る所がなあ…。アレだ、鏡に映った自分に喧嘩を吹っかける子猫みたいだよな」
「子猫!?」
 酷い、とブルーは唇を尖らせたけれど、その顔つきが子供だと更なる笑いを誘っただけだった。鏡の中の自分と喧嘩を始める銀色の毛皮の小さな子猫。一人前に毛を逆立てていても、鏡の相手は決して喧嘩を買ってくれない。傍目にはただ面白いだけで、写真を撮られるのが関の山だと。



「……子猫だなんて…」
 膨れるブルーの頭をハーレイが「いいじゃないか」とポンポンと叩く。
「そういう所も俺は可愛いと思うがな? そして、此処に写ったお前も可愛い」
 実にいい写真だ、とハーレイは庭で撮った写真を惚れぼれと眺め、一枚をブルーに手渡した。
「お前の分だ。フォトフレームが気に入ったんなら、入れてやってくれ」
「うん」
 ブルーが木製のそれを裏返して写真を入れる間に、ハーレイも自分のフォトフレームを裏返し、もう一枚の写真をセットしてみて。
「よし、こうすると写真だけよりいい感じだな」
 うん、とテーブルにフォトフレームを置いて眺めるハーレイ。ブルーも自分の分を隣に並べて、お揃いのフォトフレームに同じ写真が収まったものが二つ揃った。
 背の高いハーレイと、その左腕にギュッと抱き付いた小さなブルーが写った写真。
「ねえ、ハーレイ。…こんな写真は今のぼくたちしか撮れないね。ぼくが小さいっていう意味じゃなくって、ぼくが大きくなってからでも」
「…そうだな、前の俺たちには無理だったな」
 誰にも仲を明かせなかった秘密の恋人同士だったから。
 けれど今度はいくらでも撮れる。今はまだ教師と生徒ということになっているから、記念写真も写しそびれたままで今日まで来てしまった二人だけれど。
 憧れの先生と生徒で良ければ、これから先も何枚だって写せるだろう。
 いつか結婚出来た時には、もっともっと沢山の写真を好きな時に写してゆけるだろう。



「ふふっ、フォトフレームまでお揃いだもんね」
 貰っちゃった、と笑みを零すブルーにハーレイが「ああ」と頷き返して。
「お母さんにフォトフレームはどうしたんだ、と訊かれた時には記念に貰ったと言っておけ。俺がタダ飯を食わせて貰っている分、マーマレードくらいじゃ足りないからな。これはオマケだ」
「オマケなの?」
「そういうことにしておくだけだ。本音は俺からのプレゼントだがな、マーマレードがお前用だと言えないのと同じでコイツもマズイ」
 まだ早過ぎる、とハーレイは困ったような笑顔になった。
「俺はお前と一緒に写った写真が欲しくて、フォトフレームも同じのにしたくてコソコソ計画していたわけだが、お前のお母さんたちには言えんだろうが。いいか、あくまでオマケだからな」
「うん、分かった。夏休みの記念写真とオマケなんだね」
「そういうことだ」
 しかし本当はお揃いなんだぞ、と付け加えることをハーレイは忘れはしなかった。
「今日からは同じ写真とお揃いのフォトフレームを眺めて暮らすわけだな、お前も俺も」
「…うん。ありがとう、ハーレイ。…大事にするよ」
「そうしてくれると俺も嬉しい。そうだ、お前のマーマレードな。ちゃんとおふくろたちに言っておいてやるさ、お前が一番に食べ損なって悲しがってた、ってな」
 そして貰って来てやるから、とブルーと「約束だぞ」と小指を絡める。
「俺の未来の結婚相手のお前用に山ほど貰って来てやるさ。だから惜しがらずにどんどん食べろ。でないと大きくなれないからな」
「うん。…うん、ハーレイ…」
 大好きだよ、とブルーは小指を絡めたままで並んだ二つのフォトフレームをそっと見詰めた。
 今日からはお揃いのフォトフレーム。
 片方はハーレイの家に行ってしまうけれど、ブルーの部屋にも全く同じものがある。
 フォトフレームの中の写真はこれから色々と変わっていくのか、またハーレイが理由を見付けてフォトフレームごと増やしてゆくのか。
 幸せな写真が何枚も増えて、いつかフォトフレームは二人で一つしか要らなくなる。
 一番最初のそういう写真は、きっと二人の結婚式。
 二人で一つしか要らなくなったフォトフレームを家に飾って、ハーレイと二人で歩いてゆく。
 前の生では叶わなかった幸せな未来へ、しっかりと手を繋ぎ、握り合って…。




         二人の記念写真・了


※ブルーとハーレイの記念写真。前世では写すチャンスさえも無かったツーショットです。
 今度は堂々と飾ってもかまわない世界。お揃いのフォトフレームに写真を入れて…。
 ←拍手して下さる方は、こちらからv
 ←聖痕シリーズの書き下ろしショートは、こちらv






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 ハーレイが研修に出掛けて学校に来なかった日の帰り道。ブルーは家とは逆の方向へ行くバスに乗って、町の中心部に出て来ていた。
(…今日はハーレイ、来てくれないしね)
 平日でも仕事が早く終わると家を訪ねて来てくれるハーレイ。しかし研修の日は遅くなることをブルーは知っていたし、今日がそうだと分かっていたため最初から寄り道を予定していた。母にもきちんと言って来たから時間の方は大丈夫だ。
(えーっと…)
 目指す場所は書店。前にハーレイがシャングリラの写真集を見付けて買って来た店。本が好きなブルーも以前から何度も来ているけれども、前世の記憶を取り戻してからは初めてだった。ビルの入口を入って、真っ直ぐに歴史関連のコーナーへ。
 其処へ向かう途中ですれ違った年上の女生徒のグループが肘でつつき合ってブルーを見ている。聞こえて来る「ソルジャー・ブルー」の名前。似ているだとか、そっくりだとか。
(…仕方ないよ、本人なんだもの!)
 脹れっ面になりかかったら「可愛い!」と叫ぶ声まで聞こえた。
(見世物じゃないし!)
 このせいだ、と辿り着いたコーナーの棚に並べられた写真集の表紙を睨む。売れ筋の本は表紙が見えるように陳列してあり、其処に諸悪の根源が居た。
 一番有名な前の生でのブルーの写真。真正面を向いたソルジャー・ブルー。
 ソルジャー・ブルーといえばこの写真、と誰もが知っている一枚なのだが、ブルー自身にはいつ撮られたのか記憶が無かった。こんな顔をしてカメラに向かった覚えは無いから、連続した映像の中の一瞬を抜き出したものなのだろうが…。
(…どうせ当分、こんな顔にはなれないし!)
 前世の自分と同じくらいに育たなくては、こういう大人びた顔にはならない。この顔になるまでハーレイとキスも出来はしないし、見ているだけで恨めしくなる。こんな顔には用事は無い。



「えーっと…」
 ぐるりと見渡した歴史書コーナー。写真集ばかりを集めた棚で一番目立つのが前の生のブルー。もちろんジョミーの写真集もあるし、キースのもある。トォニィのまでがあるというのに…。
(…やっぱり無いや…)
 探している人の名前を冠した写真集は何処にも無かった。下調べをしたから出ていないらしいと知っていたけれど、自分の目で確認したかった。もしかしたら、と。
(…なんで無いわけ?)
 写真集の棚から視線を移せば、其処にはズラリと航宙日誌が詰め込まれている。シャングリラのキャプテンだったハーレイが欠かさず付けていた毎日の日誌。超一級の歴史資料となった日誌は、文庫版からハーレイの筆跡をそっくり写し取った研究者向けの複製品まで揃っているのに。
(航宙日誌は山ほどあるのに、写真集は一冊も出てないなんて…)
 片手落ちだよ、とブルーは深い溜息をついた。
(…ハーレイ、人気が無いのかな…)
 ブルーにはそうは思えない。前の生でのブルーの恋人、キャプテン・ハーレイ。シャングリラの舵を握っていたハーレイは威厳があったし、人望もあった。それなのに何故、ハーレイの写真集は一冊も存在しないのか。
(出せば売れると思うんだけどな…)
 真剣にそう考えるブルーは現実が見えていなかった。ハーレイよりは青年の姿のジョミーの方がモテただろうとは思うけれども、ブルーの認識はその程度。自分自身がハーレイを誰よりも好きで愛していたから、他の人の目にも素敵に映ると信じていた。
 ゆえに全く気付いてはいない。そのハーレイには写真集を出して貰えるほどの華が無いことに。



(…ハーレイの写真集が欲しいのに…)
 ハーレイの写真が欲しかった。
 ブルーが持っているハーレイの写真はたった一枚。転任教師の着任を知らせる学校便りに載った小さなモノクロ写真しか無い、今のハーレイ。
 キャプテン・ハーレイだった頃のハーレイなら教科書にあるが、それでは足りない。自分だけのハーレイの写真が欲しい。
 前のハーレイの写真でもかまわないから。どうせハーレイは前とそっくりだから。
 そう思ってやって来たというのに、ハーレイの写真集は無いなんて…。
 航宙日誌に入っている写真は教科書のと同じ。如何にもキャプテンといった風情のお堅い表情。キャプテン・ハーレイの写真の定番中の定番。
(…どれもコレだよ…)
 何冊もの航宙日誌を開いてみたが、ブルーの求めるハーレイの写真は其処には無かった。
(もしかしたらジョミーの写真集に入っているとか?)
 ジョミーと一緒に写っていないか、と端から開いて探したけれども、相手はジョミーの写真集。其処に長老たちの姿は全く無かった。もっと年若い世代の者たちがジョミーと共に収まっている。どれを開いてみても同じで、ハーレイは参考写真のみ。定番中の定番の写真。



(…うーん……)
 ジョミーの写真集に写っていない以上は、前の生での自分の名がついた写真集を開いてみるしか無かった。これならば確実にハーレイが写っているだろう。
 例の真正面を向いた自分が表紙の一冊を取って、ページを捲った。何処かにきっと…。
(いた…!)
 胸がドキンと高鳴ったけれど、穏やかな顔のハーレイの隣に余計な人物。ハーレイの視線を独占している前の生の自分、ソルジャー・ブルー。
 いかめしい顔つきのハーレイではなくて、大好きな優しい表情なのに。定番中の定番の写真とは違うハーレイの本来の姿が其処に在るのに、鳶色の瞳は写真集を広げるブルーを見てはくれない。ハーレイの視線の先には別の人物が居る。
(うー……)
 よりにもよって、前の生の自分が恋のライバル。
 小さなブルーよりもずっと大人の、ハーレイと本物の恋人同士だったソルジャー・ブルー。どう頑張ってもブルーは勝てない。大好きなハーレイの鳶色の瞳はブルーの方を向いてはくれない。
(なんだか悔しい…)
 悔しいというより腹が立つ。
 ミュウの長、ソルジャーの貌をして涼しげに立つソルジャー・ブルー。けれど隣にはハーレイがいる。穏やかにブルーを見詰めるハーレイ。
 誰も気付きはしないけれども、ブルーには分かる。並んだ二人は恋人同士。大好きでたまらないハーレイを我が物顔で一人占めしているソルジャー・ブルー。これは非常に腹立たしい。
(もっとマシな写真が欲しいんだけど…)
 写真集のページをパラリと捲って、「あっ!」と思わず息を飲む。
 柔和な笑顔のキャプテン・ハーレイ。横顔だけれど、この顔が好きだ。
 それなのにハーレイの視線が向けられた先に、恋敵。しっかりと前の自分が居た。
(…あんまりだよ…)
 どうして自分まで写っているのか、と文句を言っても始まらない。これはソルジャー・ブルーを収めた写真集であって、ハーレイの方が明らかにオマケなのだから。
(…もっと他のは?)
 手にした写真集を最後まで調べたブルーは次の一冊を手に取った。ソルジャー・ブルーの写真集ならば呆れるほどに何冊もある。きっと何処かに自分の求めるハーレイが、と頑張ってみることにした。いくらなんでも全部探せば一枚くらいはあるだろう。
 憎々しいソルジャー・ブルーがハーレイと一緒に写っていようが、それを帳消しに出来る一枚。ブルーの意に適うハーレイの写真が一枚くらいは、きっと何処かに…。



(これは合格…、っと)
 心の中でそう呟いて、ハーレイが写っていなかった写真集を元の棚に戻す。片っぱしから調べる間にブルーの頭に妙な基準が出来つつあった。
 探しているものはハーレイが写った写真なのだが、そうした写真にはもれなく前の自分がつく。ハーレイと本物の恋人同士だったソルジャー・ブルー。今のブルーには手が届かない大人の身体を持ったソルジャー・ブルーがハーレイと一緒に写っているのだ。
 ハーレイの表情が好ましいものであればあるほど、沸々と怒りがこみ上げて来る。どうして隣に自分ではなくてソルジャー・ブルーが澄ました顔で写っているのか、と。大好きなハーレイを奪うソルジャー・ブルーに腹が立つから、写真集の中にハーレイの姿が一枚も無いとホッとした。
 ハーレイを連れていないソルジャー・ブルーの写真集は怒りを覚えないから合格。連れていれば当然不合格だが、そのハーレイが良い表情なら購入するかどうかの検討の対象で補欠扱い。
 合格、不合格、それから補欠。
 そういう基準でソルジャー・ブルーの写真集を分類してゆく小さなブルーは記憶力が良く、特に目印を設けなくても補欠がどれかはしっかり覚えた。
 ソルジャー・ブルーの写真集は数多いだけに、調べ終えるまでに一時間近くかかっただろうか。ようやく作業を済ませたブルーは補欠扱いの写真集を纏めて籠に丁寧に入れた。
(…重い……)
 写真集は紙の質が良いから、並みの本より遙かに重い。それが何冊も詰まった籠はブルーの細い腕にズシリときたけれど、棚の前では比較しながら選べないから仕方ない。重たい籠を引っ提げて歩き、フロアの中央に設えられたテーブルへ。
 其処は購入前の本を広げて読める場所。コーヒーや紅茶、ジュースといった飲み物を購入すれば誰でも座れて、本を買うべきか買わざるべきかを好きなだけ検討出来る場所。
 もちろん買わずに帰っても良い。飲み物の代金が一種の立ち読み料金だから。



 ソルジャー・ブルーの写真集を山のように詰めた籠を運んで行ったブルーは椅子を確保し、次にオレンジジュースを買った。冷たいジュースをストローで一口、腕の疲れが取れた気がする。籠の中身をテーブルに積み上げ、どれにしようかと広げては眺めた。
(こっちはコレで、こっちのがコレで…)
 どの写真集にもハーレイが居る。キャプテンの制服を着た前の生のハーレイ。少し厳しい表情もいいし、柔らかな笑みも捨て難い。どのハーレイもブルーの目には魅力的だし、素敵に映る。
(…どれもいいよね…)
 とてもハーレイらしい表情。そういうハーレイが写った本ばかりを選んだのだから、決め難い。どれか一冊、と思いはしても選べない。
(…こっちより、こっち? でも、さっきのとコレとなら…)
 何冊ものソルジャー・ブルーの写真集をテーブルに並べ、検討を続ける小さなブルー。
 買ったジュースも飲むのを忘れて見入っているブルーは格好の広告塔だった。なにしろ顔立ちがソルジャー・ブルーの少年時代にそっくりなのだし、人目を惹かない筈が無い。
 「ソルジャー・ブルー」だの「凄く可愛い!」だのという声が交わされ、ソルジャー・ブルーの写真集を探しに歴史書のコーナーへ足を運ぶ客の多いこと。ブルーが合格と不合格に分類して棚に戻した写真集はもちろん、補欠扱いで検討中の本に代わって補充された本も次々と売れた。
 しかし広告塔になっているブルーの頭の中では…。
(…なんで、ぼく抜きのハーレイって無いの!?)
 素敵なハーレイの写真は一枚残らずソルジャー・ブルーだった自分がセット。ハーレイの表情がブルーの気に入れば入るほど、対になったソルジャー・ブルーの存在が目障りでたまらない。
 今のハーレイが自分を見てくれるような瞳がソルジャー・ブルーに向いていることが気に障る。どうして自分を見てくれないのかと苛ついてしまう。
 写真の中のハーレイがこちらを向くことは無いし、その視線の先のソルジャー・ブルーは前世の自分だと頭では分かっているのだけれども、感情がそれについていかない。
(ハーレイがぼくを見てくれないなんて…!)
 ソルジャー・ブルーを見てるだなんて、と前の生の自分に対してこみ上げてくる理不尽な怒りを抑え切れない。
 前の自分に嫉妬するだなんて、愚かにもほどがあるけれど。
 馬鹿馬鹿しいにもほどがあるのだけれども、どうにもこうにも我慢がならない。
 ハーレイがこういう表情を向ける相手が自分以外の人間だなんて、それが前世の自分であってもあんまりだ。この写真が自分の所有物ならハサミでジョキジョキと切ってしまって、余計な人間が写った部分を屑籠に放り込みたいくらいに。居なかったことにしたいくらいに…。



 見れば見るほど腹が立ってくる、キャプテン・ハーレイと前世の自分のツーショット。ブルーが素敵だと思うハーレイの写真には必ず、ソルジャー・ブルーが写っている。ハーレイのいい表情を引き出せる恋人、ソルジャー・ブルー。前世の自分が居るからこそのハーレイの顔。
(…仕方ないんだけど…。本当に仕方ないんだけど…!)
 恋敵なソルジャー・ブルーがくっついていてもいいから素敵なハーレイの写真が載った写真集を買うか、見る度に腹が立つだろうから買わずに帰るか。
 散々悩んで、悩み続けて、ブルーはとうとう負けを認めざるを得なかった。ソルジャー・ブルーだった自分に今の小さな自分は勝てない。ハーレイと本物の恋人同士だったソルジャー・ブルーに敵う筈が無い。素敵な表情をしたハーレイの写真はどれもこれもソルジャー・ブルーのもので…。
(やっぱりやめた!)
 買うもんか、とブルーは氷がとっくに溶けてしまったオレンジジュースをストローで一息に吸い上げ、写真集を全部、籠の中へと詰め直した。椅子から立ち上がり、係の店員に「買いません」と告げればそれでおしまい。重たい籠を運んで行かずとも、係員が棚に戻してくれる。
 籠を運んでゆく係員が向かう歴史書コーナー。其処がソルジャー・ブルーの写真集の定位置。
 ブルーには無い、ハーレイと本物の恋人同士になれる身体を持った忌々しくて憎い恋敵。あんなヤツの写真集なんか、と心の中で「ベーッ!」と舌を出す。
 貴重なお小遣いを使って写真集なんか買ってやるもんか。
 ハーレイの写真は欲しいけれども、あんなヤツの写真集なんか買ってやらない。
 教科書に載ったキャプテン・ハーレイの写真があれば充分、それと学校便りの写真。モノクロの小さな写真でも今のハーレイの写真なのだし、そっちの方がよっぽど値打ちがあるってば…!



 ぷりぷりと怒りながら書店を後にし、帰ってゆくブルーは夢にも思いはしなかった。
 ハーレイの写真が一枚も載っていないから合格、とテーブルに持って行きもしないで棚に戻した写真集。その中の一冊、「もうこの先は見なくてもいいや」とメギドの写真で始まる章を開かずに終わった『追憶』というタイトルの写真集をハーレイが買って持っていることを。
 自分が見ずに終わった章がソルジャー・ブルーの最後の飛翔からメギドの爆発までの写真で構成された悲しすぎる章で、ハーレイが夜更けの書斎で独り号泣したことを。
 ソルジャー・ブルーの一番有名な写真が表紙になった『追憶』。
 その『追憶』がハーレイの書斎の机の引き出しの中で、ハーレイの日記を上掛けのようにそっと被せられ、温かな想いに優しく守られていることを……。



 家とは反対方向の町の中心部まで出掛けて行って、帰りがすっかり遅くなったブルー。寄り道の成果は無かったどころか、前世の自分に嫉妬した挙句に腹が立ったというだけだった。
 ハーレイの写真は手に入らなくて、結局、今も学校便りの小さなモノクロ写真を見ている。学校便りは一人一枚、失くしたら二度と手に入らない。だから大切に仕舞ってあるのだけれど。
(なんでハーレイの写真集って一冊も無いんだろう……)
 今のハーレイは古典の教師で、水泳と柔道の腕が凄くてもプロの選手になったわけではないから写真集が無いのも分かる。しかしキャプテン・ハーレイだったらシャングリラの初代のキャプテンなのだし、写真集があっても良さそうなのに…。
(…ソルジャーとか国家主席とか…。トップでないと写真集は売れないのかな?)
 きっとそうだ、と小さなブルーは考える。
 前世の自分も、ジョミーもトォニィもソルジャーであり、キースは国家主席。歴史書コーナーに写真集があった四人の共通項はトップの地位に立っていたこと。
(ハーレイはシャングリラのキャプテンだったけど、トップじゃなくて二番手だしね…)
 いくら偉くても二番手では本が売れないのだろう、と理解し、納得する。そうでなければ沢山の航宙日誌が歴史書コーナーに並ぶキャプテン・ハーレイの写真集が出版されないわけがない。
(ハーレイ、かっこいいんだけどなあ…。かっこよくてもトップじゃないからダメなんだ…)
 ハーレイの写真集が欲しかったのに、と溜息をつく十四歳の小さなブルー。
 恋は盲目という有名な言葉を小さなブルーは思い付きさえしなかった。
 キャプテン・ハーレイの写真集を作った所でニーズが無いことに気付きもしない。
 写真集を出して貰うには華が無いことも、渋くはあっても地味に過ぎるということにも。
 何故ならハーレイはブルーにとっては最高だから。
 前の生でも今の生でも、誰よりも大好きなハーレイだから。
 そしてブルーは今日も学校便りを見詰める。
 一枚きりの小さな小さなモノクロ写真の、着任を知らせる記事に刷られたハーレイを…。




         写真が欲しくて・了


※前の自分に嫉妬してしまって、前のハーレイの写真を手に入れられなかったブルーです。
 可哀相ですけど、傍で見ている分には可愛い姿かも…?
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「…現代に生まれた君たちには想像も出来ないと思うのだが…」
 この前置きで始まったハーレイの授業はクラス中の興味を引き付けた。
 通信技術が発達した今の時代にも存在している手紙なるもの。投函用のポストに入れれば遠くの星にもちゃんと届くし、絵葉書だって旅の記念として人気。最先端の通信手段よりもかなり時間はかかるけれども、レトロな通信方法として愛されている手紙のシステム。
 ところがSD体制以前どころか、もっと遠い遙かな昔のこと。
 自分たちが住んでいる地域に日本という小さな島国があって、その国の固有の文字が出来てから間も無い頃。なんと其処では互いに手紙をやり取りするだけで恋が出来たと言うではないか。
 顔も見ないで、ただ手紙だけ。それで恋など出来たのだろうか?



「先生! 思念を手紙に乗せておくんですね!」
 したり顔で発言した生徒は「君は授業を聞いていたのか?」とハーレイに一笑されてしまった。
 そんな時代にサイオンなど無い。手紙に思念を乗せる、すなわち残留思念として籠めることなど誰も出来はしない。籠められるものは、あくまで真心。それに…。
「香りだな。香りと言っても香水じゃないぞ? 香と言ってだ、香りの素になる自然素材で出来た香料を燃やして色々な香りを出していたんだ」
 詳しく説明をするとこれだけで時間が終わりそうだから興味のある者は自分で調べろ、と授業は更に先へと進む。
 手紙に籠められた香りで書き手の人柄が分かる。お洒落な人か、奥ゆかしい人か。
 それから手紙が書かれた紙の色と種類。色は季節に応じて選ぶのが基本。違う色を重ねて意味を持たせたりも出来、どんな色かで教養が知れる。紙の種類にも人柄が出る。
 手紙には花の枝なども添えて出すもので、これまた人柄と教養が知れる。
 一番最後に、書き手の文字。書かれた文字と手紙の文面から、書いた人の姿を思い浮かべる。
「どんな趣味の持ち主か、どういう性格の人なのか。…どうだ、手紙だけで充分伝わるだろう?」
 これだけあれば、とハーレイが教室の前にあるボードを示す。のびのびとしたハーレイの文字。
「いいか、紙の色と種類と、香りと花だ。それに書き手の文字と文章。これで伝わる」
「本当ですか?」
「もちろん、時には思い違いもあったわけだが…。味わい深い時代だろうが」
 せっかく授業で習った知識。一世一代のラブレターを出す時にでも役立ててみろ、とハーレイは手紙の書き方をボードを指しながら繰り返した。熱心にノートを書く生徒たち。
「ちなみに、この授業をやった時には何処の学校でも色つきの紙のセットがよく売れるそうだ。ただし、実際にそいつを使ってラブレターを書き、成功した例は知らないからな」
 十年以上も教師をしてるが一つも知らん、とオチがついたから、大爆笑の渦に包まれたけれど。



「…買って来ちゃった…」
 その日の夜、ブルーの部屋の勉強机の上には、色とりどりの紙のセットがあった。学校の売店で買って来たセット。本来は美術の授業で使うためのもので、今のところ美術で使う予定など無い。
 つまりは今日のハーレイの授業。色とりどりの紙のセットとはおよそ無縁な古典の授業が思わぬ所で購買意欲を刺激した。
 ハーレイが授業で言ったとおりに、売店の本日の人気商品。ランチに出掛けた食堂の隣に売店があって、ブルーのクラスの生徒が挙って押し掛けていた。男子も女子も、次から次へと。
 いつも昼食を一緒に食べるランチ仲間も買っていたから、ブルーも買った。ランチ仲間は食堂で「買ってはみたけど、いつ使うんだ、コレ」と笑い合っていたし、ブルーも笑った。
 ラブレターを書くには早過ぎる年頃の自分たち。
 十八歳で結婚することは出来るけれども、平均寿命が三百歳を軽く超える時代、十四歳といえばまだまだ幼い。SD体制の頃は十四歳で成人検査などと言ったらしいが、今の時代は成人どころか子供時代の延長線上だ。
「いやもう、ホントにいつ使うんだよ?」
「ハーレイ先生が言っていたのって、これじゃねえのか? 成功例は知らねえってヤツ」
「そ、そうか…。使う前にすっかり忘れちまって、出さないってこともあるよな、うんうん」
 出さないのでは成功するわけがない、と大笑いした。
 飛ぶように売れていた色紙セットは引き出しの中で忘れ去られるか、はたまた美術の授業で使うことになった時、「あった、あった」と引っ張り出されて本来の用途で使用されるか。ハーレイのお勧めのラブレターとやらには使われないまま終わるのだろう、と。



「…みんなは使い道、ホントに無さそうだったんだけど…」
 クラスのみんなが我も我もと買い込んでいた色紙セット。ブルーが知る限り、買わなかった子は多分いないと思う。それほどに売れていたのだけれども、色紙セットを買ったクラスメイトたちにラブレターを書いて渡す相手はいないだろう。
 恋に恋するお年頃とさえ呼べないクラスメイトたち。恋よりも先に遊びに夢中で、男子も女子も互いを意識してさえいない。子供が身体だけ大きくなった、と表現するのが相応しそうだ。身体が大きくなったと言っても、そちらもまだまだ大人になるには程遠いのだが…。
 けれどブルーは皆とは違う。
 名実共に学年で一番のチビだけれども、中身が皆とは全く違う。三百歳を超えるまで生きた前の生での記憶があったし、前世ではちゃんと恋人がいた。ラブレターを書いて渡すどころか、キスを交わして身も心も固く結ばれた正真正銘の恋人同士。
 だからブルーは恋を知っているし、その恋人とも生まれ変わって出会うことが出来た。キスさえ出来ない仲だけれども、再会して今も恋人同士。
 ラブレターを書いて渡したい人がブルーにはいる。
 今日の授業でそのラブレターの話をしていた、褐色の肌の古典の教師。大好きでたまらない前の生からのブルーの恋人。
 そう、ハーレイにラブレターを書いて届けてみたい。
 習ったばかりの知識を使って、書き手の人柄が伝わると聞いた遠い昔のラブレターを…。



「んーと…」
 まずはラブレターを書くための紙の色を選ぶ所から。
 ハーレイの授業では紙の種類も大切なのだと教わったけれど、色つきの紙のセットに収められた紙は一種類だけ。色が違うだけで厚みも手触りもまるで同じだし、気にしなくても大丈夫だろう。ハーレイは自分がこの種の授業をした日は、これが売れると言ったのだから。
「季節に合わせて選ぶんだよね?」
 基本は季節に応じた色。今の季節なら何色だろう、と考えたけれど。
(…ハーレイ、確か教養って言った…)
 選んだ色で教養が知れるなら、細かい決まりがあるのだろう。ハーレイが挙げた例は桜だった。白と赤とを重ねれば、桜。同じ桜でも赤と緑や、赤と濃い赤、白と桃色もあったと思う。そんなに色々あるというのに、例に挙がったのは桜だけで。
「…今の季節って、何色なわけ?」
 調べようにも、色の決まりの約束事を何と呼ぶのか習わなかった。これでは如何にブルーの頭が良くても手も足も出ない。季節に応じた色なるものが選べない。
(季節の色が分からないってことは…)
 ラブレターの紙は自分らしい色にすべきだろう。手紙は人柄を表すものだし、ブルーが書いたと一目で分かって貰えそうな色。
「…やっぱり白と紫かな?」
 今のブルーにシンボルカラーは存在しないが、前世なら白と紫だった。
 ミュウの長だったソルジャー・ブルー。紫のマントと白い上着はブルーだけが着た組み合わせ。同じソルジャーでもジョミーのマントは赤であったし、白と紫がブルーの色だ。
「白と紫の紙に書いたら分かるよね、うん」
 手紙を読むのはハーレイだから。
 ソルジャー・ブルーだった頃のブルーを支えてくれたハーレイだから。
「えっと…」
 白と紫の紙を一枚ずつ出して、眺めてみて。
 紫よりも白い紙の方が書かれた文字が読みやすそうだ、とラブレターを書く紙は白に決定。白い紙の下に紫を添えて、ソルジャー・ブルーらしい色の取り合わせ。
(これで良し…、っと)
 ラブレターを綴る紙は決まった。でも、直ぐに書くのは恥ずかしいから、他に必要なアイテムを全部決めてから書くことにしよう…。



 今日のハーレイの授業で習った遠い昔のラブレター。
 大切な要素は紙の色と種類、香りに花。紙が決まれば次は香りの出番だけれど。
「…香りで書き手が分かるんだよね?」
 これは困った、とブルーは小さな頭を抱えた。
 自分らしい香りなど思い付かない。それにソルジャー・ブルーだった自分と今の自分では違うと思う。ハーレイもそんなことを口にしていた。ハーレイの大きな身体に甘えている時、ハーレイはよく笑っている。同じ甘さでも全然違う、と。
 ハーレイに言わせれば、ブルーの身体は甘い香りがするらしい。前の生でも、今の生でも。
 ただ、甘い香りの種類が全く違うらしくて、今のブルーは「お菓子の匂い」。いつもハーレイと二人で食べているような、お菓子の香りがするのだと聞いた。ふんわりと甘いお菓子の香り。
(…前のぼくって、どんな甘さ?)
 お菓子の香りでないことは確か。しかし、これという香りに心当たりが無い。香水の類はつけていなかったし、ボディーソープも甘い香りではなかったような気がするし…。
(ハーレイにきちんと訊けば良かった…)
 まさに後悔先に立たず。あのラブレターの授業の後では、どんな香りかを訊けば目的が知れるというもの。ラブレターの書き手を匂わせるどころか、届ける前に知られてしまう。
(お菓子の匂いでも、ぼくだって分かる…?)
 白と紫の手紙にお菓子の匂い。前の生のブルーを表す色に、今の自分の香りの取り合わせ。些か似合わない気もするけれども、どちらも自分には違いないのだし…。
「お菓子の匂いがいいのかな?」
 子供っぽくても、それが今の生での自分の香り。この際、お菓子でいい気もしてきた。
(…お菓子も色々あるんだけれど…)
 どれにしようか、と迷う暇もなく閃いた。ハーレイの大好きなパウンドケーキ。母が焼くそれがハーレイの一番好きなお菓子で、一度だけ家に招かれた時も焼いて貰って持って出掛けた。
(パウンドケーキの匂いがいいよね、ハーレイの好きなパウンドケーキ)
 まさか本物のパウンドケーキの欠片を手紙に付けられはしないし、パウンドケーキを紙に包んで香りを移すわけにもいかない。仕方ないから、後で母に訊いてみることにした。
 パウンドケーキに使うであろうエッセンス。それを訊き出して、手紙に一滴。
(うん、パウンドケーキの匂いになるよね)
 今の自分の香りだというお菓子の香り。ハーレイの好きなお菓子が一番いい。



 ここまで決まれば、残るは花だけ。けれども、これまた難問だった。
(今の季節で、ぼくらしい花…)
 どういう意味で自分らしいと言えばいいのか。自分に似合う花という意味か、自分を連想させる花という意味か。どちらでも多分正解だろうが、それにしたって難しい。
(…白い花かな?)
 ソルジャー・ブルーだった頃には白い花が似合うとよく言われた。マントの色は紫だったのに、白い花。シャングリラにいた子供たちが被せてくれる花冠も白いクローバーのことが多かった。
(アルビノだったから白だよね、きっと)
 そうは思うが、今の自分に白い花が似合うという気がしない。白いクローバーの花冠なら今でも何とかなりそうだけれど、白い百合や薔薇を手にした姿が絵になるだろうか?
(…前のぼくなら「貰ったんだな」って感じだけれど…。今だと誰かにあげる前かな)
 自分が貰った花ではなくて、誰かに贈るための花。どうもそういう気がしてならない。そうした気持ちを抱くからには、今の自分に似つかわしい花ではないということ。
(どうしよう…。今のぼく、白い花とは違うみたい…)
 香りも前の生とは違って甘いお菓子の匂いなのだから、似合う花も違ってくるのだろう。前世の自分なら白だったけれど、今はいったい何色なのか。
(花なんか貰ったことないし…)
 今の生では一度も貰った覚えが無い上、花に譬えられたことも無かった。
(…それに、ハーレイにも花は貰わなかったし…)
 前の生で花を貰っていたなら、その花を添えればブルーが書いた手紙なのだと気付いてくれると思うけれども、生憎と花は貰っていない。誰にも内緒の仲だったから、花を貰えはしなかった。
「…花がこんなに難しいなんて…」
 いっそ自分に似合わなくても白い花で、と考えてみた。手紙は白と紫なのだし、前の自分が着ていた色。それなら白い花でもいい。ソルジャー・ブルーだったら白い花が似合う。
「よし!」
 白にしよう、と決断を下し、何の花にするかという段になって。
(…あれ?)
 花を添えた白と紫の手紙。
 選んだ花の種類によっては急がないと萎れてしまいそうなそれを、どうやってハーレイの家まで届ければいいというのだろうか?



(えーっと…)
 手紙を送るなら投函用のポストに入れるか、配達員の人に託すか。そしてハーレイの家へと届くわけだが、花を添えた手紙なんて聞いたことがない。配達の対象になるかどうかも分からない。
(授業では、なんて言ってたっけ…)
 SD体制の時代よりも遠い昔のラブレター。今のような配達制度が無かった時代。
(んーと、んーと…)
 手紙を書いたら、花の枝を添えて、お使いの人が届けにゆく。専門の配達機関ではなく、自分の家だけの配達係。小さな男の子が持って行ったり、大人だったり。
 ハーレイの授業ではそう言っていた。ということは、ブルーの場合は…。
(パパかママなの!?)
 自分の家だけの配達係と呼べそうな人は両親だけしかいなかった。
 頑張ってハーレイ宛のラブレターを書いて、花を添えて両親のどちらかに…?
(ダメダメダメ~~~っ!)
 父も母も不思議な顔をしながら届けてくれるかもしれないけれども、もしもハーレイに教わったようなラブレターの書き方を両親が知っていたならば…。
 ブルーが想いを籠めて書いた手紙がラブレターだと両親にバレる。ハーレイに恋していることがバレる。手紙を開いて中を読まずとも、ブルーはハーレイが好きなのだと。
(それは困るよ…!)
 とっても困る、とブルーは泣きそうな気持ちになった。
(ママにもパパにも頼めないよ…!)
 あれこれ考えて、何の花を添えるか決めたら後は書くだけだったラブレター。
 文章はまだ練っていなかったけれど、出すつもりだったラブレター。
 ハーレイに出したくて色とりどりの紙のセットを買ったのに…。
(この手紙、ハーレイに届けられないよ…!)
 習ったばかりの遠い昔のラブレター。
 大好きなハーレイに白と紫の紙で、パウンドケーキの香りをつけて、白い花を添えて。ブルーが書いたと分かる手紙をそっと届けたかったのに…。
(……送れないなんて……)
 ガックリと項垂れる小さなブルーは、ラブレターを書けずに終わりそうだったけれど。



「…買っちまったな…」
 俺としたことが、とハーレイが書斎で苦笑する。机の上には色とりどりの紙のセットがあった。
 自分は授業で話したけれども、ブルーは果たして色紙のセットを買っただろうか?
(…どうなったんだかな?)
 何かといえばキスを強請ってくる小さなブルー。
 ハーレイと早く本物の恋人同士になりたいと願う小さなブルー。
 小さな身体で心も幼いブルーだけれども、ラブレターと聞けば勇んで買いに行きそうだ。
(しかしだ、相手はブルーだしな?)
 買っていたとしても、可愛い手紙はきっと届きはしないだろう。
 ハーレイの家まで朝早い内に、ラブレターをポストに入れに来られるブルーじゃないから。
 瞬間移動が出来たとしても、そんな度胸は無さそうだから。
(手紙を届けてくれる人が無い、と気付いてショックで終わるんだろうな)
 ハーレイはクックッと喉を鳴らして笑った。
 そのハーレイのラブレターもまた、書いたとしても届ける方法が無いのだけれど。
(…あいつのパパとママにバレちまったら大変だしな?)
 それでもブルーが小さな頭を悩ませていそうな気がしてくるから、ハーレイも椅子に深く座ってラブレターの書き方を考えてみる。
 自分が出すなら前の生での制服の色と、マントの色とを重ねてみようか。
 香りは前世でも好きだった酒。合成だった酒の代わりに、今度は本物の酒を一滴。
(さて、添える花は何にするかな…)
 今の季節なら…、と古典の教師としての知識と、前の生の記憶とを混ぜながらハーレイも悩む。
(…俺に相応しい花と言ってもなあ…)
 前の生では木彫りをしていたし、この際、花より木の枝でもいい。
 それもまたいい、とハーレイの唇に微笑みが浮かぶ。
 ブルーに送ってやりたいけれども、送れはしないラブレター。
 そしてブルーからもラブレターは来ない。来ないけれども、ブルーならきっと…。
(うん、絶対に考えていたな、大真面目にな)
 どんなラブレターだったのか、訊いてみたいけれど。
 ブルーは脹れっ面になるだろうから、尋ねる代わりに想像してみる。
 選びそうな紙は白と紫。それだけは多分、間違いない。
 小さくてもブルーはブルーだから。前の生から愛し続けた、白と紫が似合うブルーだから…。




          恋文・了


※ブルーとハーレイ、お互い、書いてみたくても書けないものがラブレターです。
 教師と生徒の間柄では、流石にちょっと…。素敵な恋文、いつか出せるといいですよね。
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 大好きなシャングリラの写真集。ブルーのお小遣いでは買えない値段の豪華版。先にハーレイが買っていて、見せて貰って気に入ったから父に強請って買って貰った。
 懐かしいシャングリラを収めた写真集だから好きなのだけれど、好きな理由はもう一つあった。ハーレイが持っているものと全く同じ写真集。つまりお揃い。
(…ハーレイも今頃、見てるといいな)
 ぼくとお揃いの写真集、とブルーはハーレイの書斎を思い浮かべる。一度だけハーレイの家まで遊びに行った時に覗いた書斎。落ち着いた雰囲気がシャングリラに在ったハーレイの部屋に何処か似ていた。壁紙も家具もまるで違うのに、「ハーレイの部屋だ」と感じたものだ。
 その書斎の机でハーレイも写真集を見ているだろうか。ブルーとハーレイの、現時点ではたった一つのお揃いの持ち物。お揃いなのだ、と考えるだけで幸せになれる。
(…シャングリラかあ…)
 ページを捲って白く優美な船を眺めた。
 ブルーが守った白い船。ハーレイが舵を握っていた船。
 白い鯨のようだった船を、人類軍はモビー・ディックと呼んだ。遠い昔の『白鯨』という小説に出てくる巨大な白いマッコウクジラ。
(本当に鯨そっくりだものね)
 前世のブルーは本物の鯨を肉眼で見たことが無かったけれども、よく似ているとは思っていた。人類軍がモビー・ディックと名付けた頃にはブルーは深い眠りの中に居て、その名を知った時には人生の終わりがもう見えていた。
 シャングリラの格納庫で対峙したキース。彼の心を覗き込んだ時、モビー・ディックという名も見付けた。彼を取り逃がした後、トォニィと共に搬送されたメディカル・ルーム。其処のベッドに横たわりながら思ったものだ。
 人類から見たシャングリラもまた、白い鯨に見えるのかと。同じ鯨に見えると言うなら、やはりミュウと人類とは少し違うだけの兄弟なのだと。
 いつかはきっと、手を取り合える。そういう時が必ず来ると思ったけれども、その日まで自分は生きてはいない。恐らくはこのナスカで終わる。逃がしたキースが齎すであろう災いからミュウの未来を守るためだけに、自分の命は終わるのだろう…。
 ブルーの悲しい予感は当たって、メギドを沈めて前の生での命は尽きた。
 けれど後悔はしていない。白い鯨を守れたから。シャングリラを守って逝ったのだから…。



(…あの船にはハーレイも乗ってたんだよ)
 最期まで持っていたかったハーレイの温もりを失くしてしまって凍えた右の手が冷たかったし、独りぼっちになってしまったと、独りきりで逝くのだと泣きながら死んだ。
 それでもハーレイが乗っている船は無事に遠くへ飛べたであろうと、ハーレイには自分の分まで生きて欲しいと願いながらの最期でもあった。
 ハーレイと二人、幸せな時を過ごさせてくれたシャングリラ。楽園という名の白い船が地球まで行けるようにと、青い地球に辿り着けるようにと、そう祈ることも忘れなかった。
 独りぼっちの最期だったけれど、皆が幸せであるようにと…。
(シャングリラは地球に行けたんだよね)
 その地球は青くなかったとはいえ、白いシャングリラは辿り着いた。其処からミュウと人類との手を取り合っての歴史が始まり、今では人は皆、ミュウとなった。
 死の星だった地球は再生を遂げて、役目を終えた白い鯨も遙かな時の彼方へと消えた。ブルーが守った懐かしい船。シャングリラはもう記録の中にしか存在しない。映像や写真は残っていても、あの白い鯨を肉眼で見ることはもう叶わない。
(でも……)
 ブルーは写真集のページをパラリと捲った。
 宇宙空間に浮かぶシャングリラ。忘れようもない白い船体。
(…見たような気がするんだけどなあ、シャングリラを…)
 前の生ではなく、今の生で。夢の中ではなく、何処かで、確かに。
 自分の前世がソルジャー・ブルーだったことなど知りもしなかった幼い頃に、目にしたと思う。
 今よりもずうっと小さかった頃、記憶すらも曖昧な幼児だった頃に。



 今の生の記憶に微かに残った白い船。それを見たのは何処だったろうか?
(…いつだったのかも分からないよ…)
 ブルーは懸命に記憶を辿る。せっかく端っこを掴んだのだから、白いシャングリラを手繰り寄せたい。何処で見たのか、何処でシャングリラに出会ったのかを思い出したい。
 本物のシャングリラでないことだけは確かだけれども、今のブルーには懐かしい船。前の生での記憶と重なる、今の生で見たシャングリラ。あのシャングリラを何処で見たろう?
(…遊園地かな?)
 あそこで白いシャングリラの姿を見た。そう、はっきりと思い出せる。
 シャングリラは今の歴史の中では一番有名で人気の高い宇宙船。今は無い白い鯨に誰もが憧れ、一度は乗ってみたいと願う。ゆえに遊園地ではシャングリラは定番の乗り物だった。
 小さな子供向けのコースターにも使われていたし、大人向けのスリリングな遊具の類もあった。もちろんブルーもシャングリラに乗ったことがある。
(でも、あれじゃないよ…)
 あんな風に決まったコースなどに縛られた乗り物ではなくて、もっと広い場所で。もっと自由に翔けるシャングリラの姿を見かけたと思う。
(…白くて、何処までも走って行ったよ…)
 そう、シャングリラは走っていた。自由自在に右へ左へと、ずっと遠くまで走って行った。
(んーと…。えーっと…)
 青い青い空の下、真っ白に輝くシャングリラ。気持ち良さそうに青い波を切って、まるで本物の白い鯨が泳ぐみたいに…。
(そうだ!)
 思い出した、とブルーは顔を輝かせた。
 小さな頃に両親と出掛けた青い海。シャングリラには其処で出会ったのだ。



 父と母に連れられ、二人が漕いでくれるペダルボートで海に出た。海水浴場と隣り合っていた、波の静かな湾だったと思う。小さかったブルーは両親の間にチョコンと座って周りを見ていた。
 小さすぎた足はペダルに全く届かなかったし、届いたとしても漕ぐ力が無い。だからチョコンとシートに腰掛け、漕ぎ出した海を眺めていた。水平線まで広がる海。青くてキラキラ輝く海。
 ゆらゆらとペダルボートを揺する波は優しく、船酔いしたりはしなかった。はしゃぎながら海を進んでいたら、白いシャングリラがやって来た。背中に五、六人の人を乗っけて、エンジンのついた小さな船に曳かれて。
 海水浴に来た若者たち。歓声を上げる男女を白い背に乗せ、白い鯨は海を走った。波に揺られて上下しながら、あるいは左右に急にカーブを切りながら。
(…うん、本当にシャングリラだった…)
 本物の地球の海に浮かんだシャングリラ。
 幼いブルーが見たシャングリラは、今から思えばバナナボートの一種だろう。バナナボートなら後にも何度も目にしたけれども、シャングリラはあの一度だけ。
 あれは確かにバナナではなく、白い鯨でシャングリラだった。
 多分、変わり種のバナナボート。ありきたりの形ではつまらないからと作られたのか、持ち主の趣味を反映したか。どうして出来たのか分からないけれど、シャングリラの形のバナナボート。
 あのシャングリラは今も何処かにあるのだろうか。
 水泳が好きで海へも泳ぎに出掛けるというハーレイは見たことがあるのだろうか?
 とてもよく出来たシャングリラの形のバナナボートは、青い海で気持ち良さそうだった。
 本物のシャングリラが在った間には地球に青い海は戻って来なくて、シャングリラは青く澄んだ海を知らない。けれどシャングリラが青い地球の海に下りていたなら、あんな風に波間に浮かんだだろう。文字通り白い鯨のように。自分たちも人類もそう見立てていた、本物の白い鯨のように。
(…ぼくが見たのって、バナナボートのシャングリラだったんだ…)
 幼かったブルーが覚えていたのは珍しかったからなのだろうか。
 それとも記憶が戻る前から「シャングリラだ」と何処かで気付いていたのだろうか?
 バナナボートのシャングリラ。
 前の自分が守った白い船にそっくりな形をした乗り物。
 楽しそうに笑う人たちを乗せて、真っ青な海を走って行った。
 そんなシャングリラを見ることが出来て良かったと思う。ミュウの命を守るために在る箱舟ではなく、遊具になったシャングリラ。遊園地のシャングリラも悪くないけれど、船はやっぱり青い海が似合う。波を切って走る白いシャングリラは、本当に幸せそうだったから…。



 まだ小さかった頃に出会ったバナナボートのシャングリラ。
 ブルーはほんの小さな子供だったけれど、二十三歳も年上のハーレイは一人前の大人だった筈。もしも見たならきっと覚えていることだろう、とハーレイが家にやって来た時に尋ねてみた。
「ねえ、ハーレイ。…バナナボートって知ってるよね?」
「知ってるが…。バナナボートがどうかしたか?」
 ブルーの部屋でテーブルを挟んで向かい合わせに座って、怪訝そうな顔をしているハーレイ。
「えっとね…。小さい頃に海で見たんだ、シャングリラの形のバナナボートを。…ハーレイも見たことあるのかなあ、って思ったから…。ハーレイ、知ってる?」
「ああ、そういえば…。あったな、俺も海で見かけた」
 乗ったことは無いが、とハーレイの鳶色の瞳が懐かしそうな光を湛えた。
「お前もあれを見てたのか。…うん、実によく出来たシャングリラだったな」
「今もあるの?」
「いや、最近は見てないな…。人気はあったが、バナナボートとしては不出来だしな? 安定した乗り物はバナナボートの本来の姿じゃないってことだ」
 バナナボートは乗っかった客を振り落としてこそだ、とハーレイは笑う。背中に乗せた人たちを落とさずに走っていたシャングリラはバナナボートの邪道なのだ、と。
「バナナボートに乗ったからには落っこちないとな? 形が気に入って乗った客でも、また乗るとなったら落っこちる方を選ぶだろうさ。リピーターを掴めないバナナボートってヤツだ」
「そっか…。新しいのを作らなかったんだね、きっと」
「多分な。現役の間はよく見かけたから、間違いなく人気はあったんだろうが」
 普通のバナナボートが二人くらいしか乗せていない時でも、定員一杯に乗せて走っていたというシャングリラの形のバナナボート。今は無いらしいと聞くと少し寂しい。
「シャングリラ、なくなっちゃったんだ…。ちょっと残念…」
「おいおい、お前はどのみち乗れないだろうが。落ちなくても波はかぶるんだぞ」
 ブルーの弱く生まれた身体は水の世界と相性が悪い。プールに十分を超えて浸かっていることは厳禁だったし、海でも同じだ。波を全身に浴びるバナナボートで海に乗り出すことは難しい。
「そうなんだけど…。乗りたかったな、海に浮かんでるシャングリラ…」
 幼い頃の記憶に残った、青い海を走るシャングリラ。
 あの船に乗って走りたかった、とブルーは思う。前の生では辿り着けなかった地球の海の上を、白いシャングリラで走りたかった。
 ブルーが守った白い船。ハーレイが舵を握っていた船。
 そのシャングリラと同じ形の、真っ白なバナナボートに乗って……。



(乗りたかったんだけどな、シャングリラに…)
 今もあるのなら、あれに乗って海に出たかった。けれどハーレイは見かけないと言うし、とうに引退して普通の黄色いバナナボートが代わりに走っているのだろう。
(…いつかハーレイと海に行けるようになったら、一緒に乗ってみたかったのに…)
 そう、乗るのならハーレイと一緒。シャングリラは二人で乗っていた船。他にも大勢乗っていたけれど、二人で暮らした懐かしい船。あの白い船で地球へ行くのだと思っていた。
(…地球には来られたんだけど…。もうシャングリラは無かっただなんて…)
 ハーレイと二人、生まれ変わって来た世界では長い長い時が経ち過ぎていた。青く蘇った地球が在った代わりに、白い鯨は無くなっていた。シャングリラを地球の海に浮かべたくても、何処にも残っていはしない。シャングリラで地球の海には行けない…。
(ハーレイが連れてってくれる筈だったのに…。地球に……)
 前の生でハーレイは何度もブルーに誓った。この船でブルーを地球に連れてゆくと。ハーレイの手を振りほどいてメギドに飛んでしまったブルー。そうしてブルーがいなくなっても、ハーレイは白い鯨を地球まで運んだ。ブルーの最後の言葉を守って、白い鯨を運んで行った。
(…ハーレイはちゃんと守ったんだよ、ぼくとの約束。…ぼくが勝手にいなくなっただけで…)
 どうせ地球までは持たない命だと悟ってはいたが、シャングリラに乗っていさえしたなら、魂は地球に着けただろう。ハーレイの懐に優しく抱かれて地球まで運んで貰えただろう。
 その地球は青くなかったけれど。澄んだ水の星はあの時代には死に絶えていたのだけれど…。
(…シャングリラで地球に辿り着けても青い海が無くて、海があったらシャングリラが無くて…)
 地球の青い海と白いシャングリラは並び立たないものらしい。
 バナナボートのシャングリラならば存在出来たが、それも今は無く、在ったとしてもブルーには乗れないらしい乗り物。
(ぼくって地球の海と相性、最悪?)
 あんなに焦がれた地球だったのに、いざ着いてみたらこの有様。両親が漕ぐペダルボートとか、引っ張ってくれた浮き輪とか。海に関するブルーの思い出は「おんぶに抱っこ」なものばかりで。
(いつかハーレイと海に行っても、そうなっちゃうのかな?)
 ブルーはろくに泳げはしないし、海に入っていられる時間も短い。水泳が得意と聞くハーレイにすれば、些か厄介な連れかもしれない。二人で海を楽しめる道はあるのだろうか?
(んーと…)
 何か無いかな、と思った途端に閃いた。ハーレイはキャプテン・ハーレイだった…!



(そうだ、ハーレイはキャプテンだっけ!)
 シャングリラのキャプテンだったハーレイ。キャプテンといえば船長のことで、海に浮かぶ船も宇宙船でも船長は船を動かせる人。
 地球の青い海に白いシャングリラは無理だけれども、代わりの船ならいくらでもある。そういう船で海に出るなら、ブルーだってハーレイに付き合える。バナナボートのシャングリラは水飛沫で濡れてしまうから乗れないけれど、普通の船なら濡れはしないし…。
「ハーレイ、船の運転って出来る?」
 ブルーは赤い瞳を煌めかせた。運転という言葉は変だったろうか?
「船?」
「うん、海に浮かんでる船のことだよ。ハーレイが運転出来るんだったら乗せて欲しいな」
「…生憎とそれは出来ないんだが…。俺の免許は車だけでな」
「ええっ? ハーレイ、車しか乗れないの?」
 まさか、とブルーは驚いた。巨大なシャングリラを動かしていたキャプテン・ハーレイが車しか運転出来ないだなんて、俄かには信じられなかったが、そういえば自分も似たようなもの。前世と同じタイプ・ブルーのくせに、サイオンの扱いは不器用としか言えないし…。
「車の免許だけで悪かったな。…しかしだ、免許と言うだけだったら今の俺の方が上なんだが? 車の免許でもあるだけマシだ。前の俺は全くの無免許だったぞ」
「あっ…!」
「思い出したか? 若い連中にはとても言えんな、キャプテンは実は無免許です、とはな」
「そ、そういえば、無免許だったっけ…」
 シャングリラにも免許というものはあった。シャングリラの操舵は試験をパスしたクルー以外は出来なかったし、それが出来たのはごく少数の優秀な者。機関部なども同じだったが、ブリッジで彼らを指揮する長老たちは試験をパスしていなかった。
 アルタミラからの決死の脱出行。船を扱う術など誰も知りはせず、データベースに有った手順を実行しただけ。飛び立った後もそれは同じで、日々の積み重ねで操船を覚え、ついには船の改造が出来るレベルにまで到達した。
 シャングリラはそうやって出来たけれども、キャプテンだったハーレイも機関長のゼルも、他の面々も現場で叩き上げた揺るぎない技術を持っていただけ。後進の育成のために試験制度を設けた時も受験したりはしなかった。ゆえにキャプテンが無免許になってしまったわけで…。
「ハ、ハーレイ…。それ、最後まで内緒だったんだよね?」
「もちろんだ。航宙日誌にも書いていないぞ」
 誰も知らん、とハーレイが笑い、ブルーも笑った。
 シャングリラの偉大な初代キャプテン、キャプテン・ハーレイは無免許運転だった、と。



 無免許だったキャプテン・ハーレイ。
 あの時代だったから、あの真っ白なシャングリラだったから、それで通った。
 けれど今ではそうはいかないし、船の免許を持たないハーレイに船に乗せては貰えない。
(でも、乗りたいよ…。本物の海で、ハーレイと船に…)
 シャングリラが無いなら、普通の船でもかまわないから。
 それなのに普通の船はハーレイには無理で、バナナボートのシャングリラが今も現役で在ったとしたってブルーはバナナボートに乗れない。二人揃って船に乗るにはどうすれば…。
(えーっと、えーっと…)
 ハーレイと一緒に乗れる船、と懸命に考えていたら思い出した。バナナボートのシャングリラと出会った、両親と乗っていたペダルボート。あれならば乗れる。足でペダルを漕ぐだけのボート。
「そうだ、ペダルボートに乗ろうよ、ハーレイ!」
 ブルーは赤い瞳を輝かせた。
「あれなら小さなぼくでも乗れたよ、パパとママに漕いで貰って乗ってた! ハーレイと乗る時は自分で漕げるし、あれに乗って地球の海を見ようよ!」
 本物の地球の青い海だよ、とハーレイに強請る。いつか自分が大きくなったら、ペダルボートで青い海の上に漕ぎ出したい、と。
「…ペダルボートって…。二人で漕ぐアレか!?」
 ハーレイは目を白黒とさせたが、ブルーは「うん」と笑顔で頷く。
「二人で乗れる船、あれしか無いでしょ?」
「あ、あれはだな…! 大人が乗る時は恋人同士とか、そういうのが定番の乗り物で…!」
「ぼくたち、恋人同士だよ? あっ、その頃にはちゃんと結婚してるかも!」
 ブルーはますます乗りたくなった。恋人同士で乗る乗り物なら、なおのこと大好きなハーレイと二人で乗って地球の海へと漕ぎ出したい。前の生で辿り着けなかった海へ、今度は二人でペダルを漕いで。そう、白いシャングリラを二人で地球まで運んで行こうとしたように。
 ブルーが守った白い船。ハーレイが舵を握っていた船。
 白いシャングリラの代わりにペダルボートを二人で漕いで、本物の地球の青い海の上を…。



「…参ったな……」
 ペダルボートは恥ずかしいんだが、とハーレイが呻く。
「せめて普通のボートにしてくれ、それなら俺が漕いでやるから」
「…あれは免許は要らないの?」
「要らんさ、ゴムボートに免許は要らんだろうが」
 ボートにしよう、と提案されてブルーは少し考えてみる。
 青い海の上へと出てゆけるのなら、小さなボートも悪くない。しかもハーレイが漕ぐと言う。
(二人でペダルを漕ぐのもいいけど、漕いで貰うのもいいかもね…)
 キャプテン・ハーレイが操る船なら、それはシャングリラと変わらない。小さな小さなボートであっても、ハーレイが舵を握る船。ハーレイの意のままに動いてゆく船。
「ボートでもいいよ」
 それでいいよ、とブルーはニッコリ微笑んだ。
「ハーレイがキャプテンで船長なんだね、その時には」
「そうなるな。…だったら周りに人が居なけりゃ久しぶりにやるか、面舵いっぱーい、と」
「うんっ! ぼくたちだけのシャングリラだよね」
「二人だけだな、うん、間違いない」
 シャングリラを二人で独占なんだな、とハーレイが嬉しそうな笑みを浮かべた。
「…お前を地球まで連れて行きたかった。今度こそ夢が叶うらしいな、貸しボートだがな」
「それでも、ぼくたちのシャングリラだよ」
「ああ。…いつか乗ろうな、俺とお前と二人だけでな」
「約束だよ? ボートのシャングリラで海に出ようね、青い青い海へ…」
 小さかった頃に見たバナナボートのシャングリラ。
 楽しそうに笑う人たちを乗せて、気持ち良さそうだった真っ白なシャングリラ。
 ぼくがハーレイと乗ってゆくボートも、あのシャングリラみたいに幸せに溢れているんだろう。
 だって、ハーレイと二人だから。
 二人だけのためにあるシャングリラに乗って、ぼくたちは海に出るんだから。
 前の生から焦がれ続けた青い地球の海へ、ハーレイがシャングリラの舵を握って……。




          青い海のボート・了


※幼かった日にブルーが見ていた、バナナボートのシャングリラ。今は平和な時代です。
 そしてキャプテン・ハーレイは実は無免許、古き良き時代と言っていいやら悪いやら…。
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 ベッドに入る前のひと時、ブルーはパジャマ姿でベッドの端に腰掛けていた。特に何をしようというわけでもなく、ただのんびりと座っているだけ。こういう時間もけっこう好きだ。
 頭の中に浮かんでは消える、脈絡も意味も無い思考。流れゆくままに流されていけば、いつしか懐かしい思い出に辿り着いたりもする。それは前世のものであったり、今の生でのものだったり。
 こうした時に思い出すことは幸せな記憶ばかりだったし、眠る前にぴったりの過ごし方。今日も心を解き放っていたら、ふと唇から零れ出した歌。
「ゆりかごの歌をカナリヤが歌うよ…」
 少し歌ってみて、ブルーは頬を緩ませた。
 幼い頃に聞いた子守唄。母が歌ってくれていた歌。心がじんわりと温かくなる。
 ブルーのお気に入りだった歌。眠る前には母にせがんで何度も繰り返し歌って貰った。
(…ふふっ)
 好きだったよね、と歌詞の続きを思い出していたのだけれど。
「……あれっ?」
 何処かで確かにこの歌を聞いた。
 母が歌っていた子守唄。けれど歌声は母ではなかった。父の声でもない子守唄。
(…なんで?)
 母の声でも父の声でもない子守唄。ブルーが好きだった「ゆりかごの歌」。
 お気に入りのそれを、誰が歌ってくれたのだろう?
(ママじゃなかった…。パパでもなかった…。誰だったの?)
 いくら考えても思い出せない。とても懐かしい歌声なのに、誰のものだか思い出せない。
(…ぼくに子守唄を歌ってくれるような人って、誰がいたっけ?)
 親戚の誰かだったのかな、と幾つもの顔を思い浮かべた。
 遠い所に住んでいるから滅多に会えない祖父母や親戚たち。たまに訪ねて来てくれる時は沢山のお土産を持って来てくれるし、誰もがブルーを可愛がってくれる。
 けれど子守唄が記憶に残っているほど、長い滞在だっただろうか?
(…んーと…)
 ブルーは覚えていないけれども、もしかしたら祖母が居てくれた時期があったかもしれない。
 生まれつき身体が弱かったブルー。すぐに熱を出したりする子供だったから、母一人では世話が大変だろうと泊まり込んでくれていたかもしれない。
 その時に聞いた子守唄かも、と幸せを見付けた気持ちになった。
 両親の他にもブルーが大好きな歌を歌って寝かせてくれた人があったのだ、と。



 次の日、ブルーは朝食の席で両親に尋ねてみた。小さい頃に聞いた子守唄。それを歌ってくれていたのは母方の祖母か、それとも父方の祖母だったのかと。
「…おばあちゃんたちか? そりゃあ、泊まりには来ていたが…」
「そんなに長くは居なかったわよね?」
 それに、と両親は首を傾げた。小さかったブルーは祖父母たちが来ると大喜びで、あやして貰うことや遊んで貰うことが大好きで。もう御機嫌で過ごした末に、疲れてぐっすり眠っていた、と。
「子守唄なんか要らなかったぞ、おばあちゃんたちが来ていた時は」
「そうよね、いつだって朝までぐっすりだったわ」
 子守唄の出番は一度も無かった、と二人は口を揃える。この家でブルーにあの子守唄を聞かせていたのは自分たちだけで、祖父母も他の親戚たちも歌って聞かせる機会は無かった、と。
「…じゃあ、ぼくが覚えてた子守唄って…。誰だったの?」
「幼稚園の先生じゃないの?」
 母が柔らかな笑顔で答えた。
「お昼寝の時間があった頃もあるでしょ、きっとその時よ」
「そうだな、幼稚園に入りたての頃は昼寝の時間があったしな?」
 先生だろう、と父も頷く。言われてみれば微かにそういう記憶があった。昼御飯を済ませた後に少し遊んで、それから昼寝。他の子たちと並んで眠った。先生たちが部屋で見守っていた。
(あの時なの…かな?)
 そうなのかな、と納得して朝食を終えたのだけれど。
 答えを貰って一度は満足したのだけれども、その夜にベッドに入ろうとしたら、記憶の彼方からまたあの子守唄が聞こえて来た。思い浮かぶままに小さな声で歌ってみる。
「…ゆりかごの歌をカナリヤが歌うよ…」
 懐かしい、懐かしい子守唄。
 大好きだった「ゆりかごの歌」。
(…違うよ、幼稚園の先生の歌じゃなかったよ…)
 幼稚園では別の歌だった。「ゆりかごの歌」も時にはあったかもしれないけれども、懐かしいと思うほどに繰り返し聞いてはいなかった。
 ならば、あの歌は誰が歌っていたのだろう?
 祖母だったのかと思ったくらいに、何度も何度も歌って貰った「ゆりかごの歌」。
 誰があの歌をブルーに歌ってくれたのだろう…?



(…もしかして、もっと前だったとか…?)
 自分には前世の記憶がある。今よりももっともっと、遠い遠い昔の記憶。ソルジャー・ブルーと呼ばれていた頃の記憶に刻まれた歌なのだろうか?
(……あの歌、ママの歌だったの?)
 その顔すらも覚えてはいないソルジャー・ブルーだった自分の養父母。成人検査が記憶を奪ってしまった。おぼろげながらも残った筈の記憶も、アルタミラの研究所時代に失くしてしまった。
 マザー・システムが消してしまった記憶に在ったブルーの養父母。生きていた間には見ることも叶わなかったデータを、前世のハーレイが目にしていた。アルテメシアを落とした時に手に入れたデータの中に在った、と今のブルーに教えてくれた。
 遙かな時を越えて生まれ変わっても、ハーレイが覚えていた記録。ブルーの養父母の顔と名前。育った家のデータもあった。それをブルーはサイオンで伝達して貰ったから、今なら前の母の顔も姿も分かる。
(ママが歌ってくれてたのかな…?)
 優しそうだったソルジャー・ブルーの養母。その母が歌っていたかもしれない。
 ブルーが大好きな「ゆりかごの歌」。
 今の両親に心当たりが無いというなら、母かもしれない。
(…でも、声が思い出せないよ、ママ……)
 ハーレイが伝えてくれたデータに音声は含まれていなかったから。
 それに記憶の中の「ゆりかごの歌」は、その歌い手が女性か男性かさえも判然としない。
 母の声さえ思い出せたら、母の歌だと気付けたのかもしれないのに。ブルーを寝かしつける母の歌声を思い出せたかもしれないのに…。
「…ゆりかごの歌をカナリヤが歌うよ…」
 歌ってみても思い出せない。とても懐かしい歌声なのに、女性とも男性とも分からない声。
(…ママの歌だった? それともパパ…?)
 前の生でも「ゆりかごの歌」で眠っていたのなら、思い出したかった。記憶から消えてしまった養父母だけれど、二人に心で伝えたかった。
 ぼくは今でも幸せだよ、と。今のぼくも「ゆりかごの歌」が好きだったよ、と…。
(…でも……)
 養父母が歌ってくれた子守唄。そんなデータ、ハーレイだってきっと持ってはいない。データを蓄積していたマザー・システムにとっては意味を成さないデータだから。
 懐かしい、懐かしい「ゆりかごの歌」。
(でも、シャングリラには「ゆりかごの歌」は無かったよ…)
 ソルジャー・ブルーの記憶には無い。シャングリラの保育セクションで歌われた子守唄はまるで違うもの。SD体制の下で作られた、もっと新しい子守唄だった…。



 人間が地球しか知らなかった頃に生まれたという「ゆりかごの歌」。
 今の世界では広く知られていて、ブルーの両親も歌ってくれた。だからブルーのお気に入り。
 けれど前世でブルーが暮らしたシャングリラでは、それを知る者が誰もいなかった。
 子守唄が必要な小さな子供を保護するようになって保育セクションが設けられたが、其処で働く若いミュウたちが聞き覚えていた子守唄は全て新しいもの。SD体制に入ってから作られた新しい子守唄が歌われていて、「ゆりかごの歌」は何処にも無かった。
 ブルーの記憶にある「ゆりかごの歌」が母の歌なら、その時代にはまだ歌われていたのだろう。いつしか廃れて新しい歌と入れ替わってしまい、シャングリラまでは伝わらなかった。
 だからブルーは前の生では聞かなかったし、今の今まで忘れていた。
 母が歌ってくれていたなら、その母に。父も歌ってくれていたなら、養父母たちに伝えたい。
 自分は地球で幸せだからと、小さな頃には「ゆりかごの歌」で眠っていたのだと…。



「ゆりかごの歌をカナリヤがう歌うよ…」
 庭で一番大きな木の下に据えられた白いテーブルと椅子。
 其処にハーレイと座っていた時、ふと浮かんだから歌ってみた。木漏れ日の下で、初めだけを。
 何の気なしに歌っただけなのに、何故かハーレイがギョッとしている。
(なんで?)
 自分はそんなに音痴だったろうか、と一瞬焦ったが、音楽の成績は悪くない。皆の前で歌うのは苦手だけれども、苦手なだけで下手ではない。合唱部に入らないかと勧められたこともあったし、クラスの合唱でソロを担当したこともある。
(普段の声より高かったかな?)
 きっとそうだ、とブルーは思った。今のブルーの声はボーイソプラノ。歌う時には話す時よりも高くなるから、ハーレイはビックリしたかもしれない。
「ごめん、ハーレイ。…ぼくの声、ちょっと高すぎちゃった?」
「い、いや…。そういうわけではないんだが…。その歌がな」
 聞き覚えのある歌だったから、と答えが返った。
 シャングリラが在った時代と違って、今では有名な「ゆりかごの歌」。ハーレイもこの子守唄を聞いて眠っていたのだろうか。耳に残る歌声とは違った声で、驚いた顔になったのだろうか。
 だからブルーは問い掛けてみる。
「ハーレイの子守唄もこれだったの?」
「あ、ああ…。まあ……な」
 ハーレイはそう返事したけれど、なんだか妙に歯切れが悪い。
(…何か変だ…)
 ブルーが歌った「ゆりかごの歌」にギョッとした顔を見せたハーレイ。懐かしい子守唄を聞いただけなら、あんな顔にはならないと思う。ブルーの声が変だったのなら分かるけれども、どうやらそうではないようだったし…。
(…「ゆりかごの歌」でビックリしてたんだよね?)
 もしかしたら、と一つの可能性がブルーの中から浮かび上がった。
 歌い手すらも思い出せない、遠い遠い記憶の彼方に在る懐かしい「ゆりかごの歌」。
(もしかしたら…)
 ハーレイは知っているのだろうか?
 誰があの歌を歌っていたのか、誰がブルーに聞かせたのかを。



「…ねえ、ハーレイ」
 ブルーは不自然に目を逸らしているハーレイの名を呼び、視線を合わせた。
「さっきの「ゆりかごの歌」なんだけど…。誰かがぼくに歌ってたんだよ、今のパパともママとも違って、おばあちゃんたちでもないんだって。…ハーレイ、もしかして知ってるの?」
 誰がぼくに「ゆりかごの歌」を歌っていたのか。
 そう問い掛けたブルーは、ハーレイの答えに期待した。もしかしたら前世の母のデータが残っていたかもしれないから。あの子守唄を歌っていたと、記録されていたかもしれないから…。
「前のぼくのママが歌ってくれたの? ママの歌なの?」
 ブルーの瞳に母への思慕があったのだろう。ハーレイは暫し沈黙してから「すまん」とブルーに頭を下げた。
「…すまない、ブルー。…お前、覚えていたんだな…」
「なんで謝るの?」
「お前が思っているような暖かい記憶じゃないからだ。…あれはお前のママじゃないんだ」
 俺だ、とハーレイが再び謝る。
「…お前が覚えていた「ゆりかごの歌」。…そいつは俺が歌っていたんだ」
「ええっ!?」
 まさかハーレイだとは思わなかった。けれど記憶の中の歌を手繰ってみれば、ハーレイの面影が見える気もする。性別さえも判然としなかった歌い手の声に、ハーレイの声が被さる気がする。
「…で、でも…。「ゆりかごの歌」だよ、ハーレイ? あれはシャングリラに無い歌だったよ?」
 前の生では一度も聞かなかった歌。
 養父母が歌ってくれていたとしても、記憶から抜け落ちてしまった歌。
 保育セクションの者たちも知らず、ソルジャーだったブルーの耳には入ることさえ無かった歌。
 それをハーレイが知っていたとは思えない。
 何故、と瞳を丸くするブルーに、ハーレイは「お前が眠っていた間のことさ」と語り始めた。
「お前が長い眠りに就いて、その間に俺たちはナスカまで行った。…あそこで自然出産で生まれたトォニィのために、本当の生まれ方をした赤ん坊のためにと古い子守唄を探したんだ」
 母親の胎内から生まれた子だから、そういう時代の歌を探した、と。
 シャングリラのデータベースには昔の歌も沢山入っていたから、ハーレイたちはSD体制以前の古い子守唄を幾つも見付けた。その中の一つが「ゆりかごの歌」。
 保育セクションの者たちは古い子守唄を覚えて歌って、ナスカで生まれた子たちを育てた。
 全てはブルーが眠りに就いていた間の出来事で、ブルーが知らないのも当然なのだ、と。



 ナスカで生まれた子供たちのために探し出された古い子守唄。
 何曲もの歌が歌われた中で、トォニィのお気に入りだった歌が「ゆりかごの歌」。
 トォニィは一番最初に生まれた子だから、誰もがトォニィをあやしたがった。トォニィを産んだカリナも、父のユウイも、周りの者たちも「ゆりかごの歌」を何度も歌った。
 赤い星、ナスカの空の下で流れた優しい優しい子守唄。
 いつしかハーレイも覚えてしまった。
 小さな小さな新しい命を寝かしつける時に歌う、優しい言葉の繰り返しの歌。
 ゆりかごと、カナリヤと、それから、それから…。
 そうして眠り続けるブルーのベッドの側に座って、その歌を歌い聞かせていた。
 毎夜、青の間を訪れる度に。
 上掛けの下のブルーの手を取り、深い眠りの底に居るブルーに届くようにと。
 ゆりかごの歌をカナリヤが歌うよ…。
 ……ねんねこ、ねんねこ、ねんねこよ……。



「…そうだったんだ……」
 ハーレイが歌ってくれていたんだ、とブルーは目の前の恋人を見詰めた。
「前のママかと思ってた。…だけどハーレイだったんだ…」
「だからすまんと謝っただろう。…勘違いさせて悪かった」
 すまん、とハーレイはまたも頭を下げたけれども。
「なんで謝るの? ぼくはハーレイで嬉しかったよ」
 顔も忘れてしまったママより、絶対ハーレイの方がいい。…ハーレイの子守唄がいい。
 ぼくは眠りっ放しで聞き損ねたけど、それでも何処かで聞いていたんだ。
 君の声だけは聞こえていたから。遠すぎて意味までは分からないことが多かったけれど、君の声だということだけは感じ取れたし、幸せだった。
 そんな風にして聞いてたんだね、君が歌っていた「ゆりかごの歌」。
 全然知らない歌だったから、君の歌だと分からずに聞いて、それでも覚えていたんだね…。
 歌っている声が君の声だったから。
 どんな時にでも感じ取れていた、大好きな君の声だったから…。



 前の生でハーレイが何度も歌ってくれていたのに、それと気付かずに終わってしまった子守唄。
 あれはハーレイの歌だったのだ、と知ったからもう一度聞きたくなった。
 ハーレイが歌う「ゆりかごの歌」を、補聴器が要らない新しい生の自分の耳で。
 木漏れ日の下、ブルーは赤い瞳を煌めかせながらハーレイに強請る。
「ねえ、ハーレイ。ゆりかごの歌を歌ってみてよ」
「う、歌うって…。此処でか!?」
 ブルーの部屋の中ならともかく、日射しが明るい庭の真ん中。こんな所では雰囲気が出ない、とハーレイは必死に逃げを打つけれど、ブルーに諦める気は微塵も無かった。
「ちゃんと雰囲気にぴったりだよ? ほら、上には大きな木の枝もあるし、木ねずみが出そう」
 ゆりかごの綱を木ねずみが揺するよ…。
 それが三番の歌詞なんだから、とブルーが言えば、ハーレイが木の枝を指差して。
「この木は枇杷の木じゃないぞ? 二番はゆりかごの上に枇杷の実が揺れるよと歌うだろうが」
 そして四番は黄色い月だ、と懸命に反論し続けたものの、ハーレイは結局、ブルーに甘い。今はまだ小さなブルーだけれども、ハーレイの大切な恋人だから。
 前の生から愛し続けて、愛しくてたまらない恋人だから…。
「…仕方ないな…。一回だけだぞ」
「うんっ!」
 ブルーが行儀よく座って耳を傾ける中、ハーレイは照れながら歌い始めた。
「ゆりかごの歌をカナリヤが歌うよ…」
(…そうだ、この声だ)
 遠い記憶の中にある声。育ての母かと思っていた声。
 眠りの底に居たブルーの耳元で、この声が確かに歌っていた。
 大好きでたまらないハーレイの声。…その声だけは常に感じ取ることが出来た、低くて穏やかなハーレイの声…。
 記憶の彼方の懐かしい歌と、ハーレイの子守唄とが重なる。
「ゆりかごの綱を木ねずみが揺するよ…」
 ねんねこ、ねんねこ、ねんねこよ……。



(…ああ、ハーレイ…。そうだね、あの歌、君の声だね……)
 君の歌だね…。
 ブルーの耳に心地よく響く、懐かしい遠い子守唄。
 小さな頃に大好きだった「ゆりかごの歌」を、前の生でも聞いていた。
 眠り続けるブルーの枕元で、ハーレイが歌ってくれていた。
 その同じ声が今、ブルーのために歌ってくれる。
 大好きな声で、大好きだった歌を。
 今の生でもお気に入りだった「ゆりかごの歌」を。
「ゆりかごの夢に黄色い月がかかるよ…」
 ねんねこ、ねんねこ、ねんねこよ……。
 そうっと歌い終えたハーレイは、少し恥ずかしそうだったけれど。
 ブルーは「ゆりかごの歌」に思いを馳せる。
 大好きなハーレイが歌ってくれた「ゆりかごの歌」。
 いつか黄色いお月さまの下で、ハーレイの「ゆりかごの歌」を聴きたい。
 その時はゆりかごの中じゃなくって、ハーレイと二人で眠るベッドで……。




          ゆりかごの歌・了


※キャプテン・ハーレイが歌った「ゆりかごの歌」。前のブルーの耳に届いていたのです。
 同じ歌が今も好きだったブルー。大切な人のことは、生まれ変わっても忘れません。
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