シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。
- 2012.02.06 タフさが身上・第3話
- 2012.02.06 タフさが身上・第2話
- 2012.02.06 タフさが身上・第1話
- 2012.02.06 留守番始末記・第3話
- 2012.02.06 留守番始末記・第2話
さて、翌日は始業式。会長さんの家から揃って登校した私たちは気が気ではありませんでした。会長さんが教頭先生とデートだなんて正気でしょうか? 教頭先生がEDだという事実も大概でしたが、それがデートして治るとでも…? 全然思考が纏まらないまま放課後になって「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお部屋に行くと…。
「かみお~ん♪ ブルーが待ってるよ!」
ニコニコ顔の「そるじゃぁ・ぶるぅ」が迎えてくれて、テーブルの上にはリボンがかかった平たい箱。包装紙には嫌というほど見覚えが…。昨日、教頭先生にお届けに行った紅白縞が入っていたのと同じものです。サイズは小さめですけども。
「やあ。…その顔だと見当がついたようだね」
会長さんがニッコリ笑いました。
「これはいわゆる手土産ってヤツ。やっぱりデートに誘うからには手ぶらってわけにもいかないし」
「…そうか?」
首を傾げたのはキース君です。
「手土産なんぞは要らんと思うが…」
「うん、普通ならね。でもさ、ハーレイは自信喪失中だし…。デートに引っ張り出すってだけでも至難の業だと思うんだ。だから手土産。ついでにEDの特効薬も兼ねている」
「「「…???」」」
ありゃ。ただのプレゼントではないのでしょうか? EDの特効薬ってことは中身は健康食品とか? 会長さんは自信たっぷりな顔で「特効薬さ」と繰り返して。
「ぶるぅ、手形パワーの出番だよ。みんなに披露してあげて」
「オッケー!」
元気一杯に答えた「そるじゃぁ・ぶるぅ」の小さな手から青いサイオンが迸りました。その光が箱を包んだかと思うと、フワリと宙に取り出されたのは紅白縞のトランクス。やっぱり中身はアレでしたか~! けれど会長さんは人差し指をチッチッと左右に振って。
「いつものヤツとは違うんだな。昨日届けたのはコットンだけど、こっちは素材がシルクでね。もちろん値段も高くなってる。…ぶるぅ、手形は見えないタイプで」
「うん、分かった! 合格ストラップと同じヤツだね」
紅白縞の前開きの辺りに赤い手形がポンっ! と押されて吸い込まれるように消えました。えっと…今のって合格手形? 前にソルジャーが押させたヤツみたいに夜の試験の合格アイテム? それなら確かにEDに効くかもしれませんけど、試験をするなら試験問題とか採点係が必須なのでは…。
「…ん? もしかして何か誤解したとか?」
会長さんが私たちをグルリと見渡して。
「トランクスに押させはしたけど、前にブルーが押させてたのと効果は全然別物だよ? ハーレイ相手に夜の試験をする気も無いし、そっちのパワーをあげる気も無い。…これは単なる合格グッズで、言い換えるなら勝負パンツだ」
「…あいつも勝負パンツだと言っていたが?」
キース君の指摘に会長さんは。
「そうだったかもね。だけど本当に違うんだってば、使い方だって全く違う。…それじゃハーレイを誘いに行くよ、明日は楽しくデートしなくちゃ」
「ちょっと待て! 俺たちも一緒に行けって言うのか?」
「当然だろ? デートもみんなで行くんだからさ、誘いに行くのも同じだってば」
さあ早く、と促された私たちは諦めるしかありませんでした。その間に「そるじゃぁ・ぶるぅ」がシルクだという紅白縞をきちんと畳んで瞬間移動で箱の中へと戻しています。開封しなくても中身に細工をし放題とは便利ですけど、あれを一体どうするのでしょう…?
トランクスのお届け行列ならぬ『デートのお誘い行列』は箱を抱えた会長さんを先頭にして教頭室へと向かいました。始業式の日の放課後だけに生徒は誰も残っていません。好奇の視線を浴びることなく本館に入り、会長さんが教頭室の扉をノックして…。
「失礼します」
ゾロゾロと入って行くと教頭先生は羽ペンを手にして上の空。魂が抜けているようです。
「…ハーレイ? 落ち込んでる所を悪いんだけど」
会長さんの声に教頭先生はハッと我に返って。
「ブルー!? どうした、何か用事か?」
「その様子だと諦め切れないみたいだねえ……。昨日言ったこと、後悔してる?」
「いや…。お前には幸せになって欲しいし、私ではお前に相応しくない。そう分かってはいるのだが…。すまん、吹っ切れるまでに少し時間がかかりそうだ」
溜息をつく教頭先生。そりゃそうでしょう、三百年以上も想い続けた会長さんをそう簡単に諦められるわけがありません。会長さんは「やっぱりねえ…」と呟き、教頭先生と机を挟んで向き合うと。
「そんなことじゃないかと思って、気持ちの整理を手伝いに来たんだ。…一度だけぼくとデートをしてみないかい?」
「…デート…?」
信じられない、といった表情の教頭先生に会長さんはパチンとウインクしてみせて。
「気持ちに区切りをつけるためにさ、さよならのデート。…もちろんぼく一人では付き合えないし、後ろの連中が一緒だけども…。どう? 明日、みんなでドリームワールド」
「さよならの…デート?」
「そうだよ。最初で最後のデートというのも粋だろう? ぼく一筋で頑張ってきたハーレイに感謝の気持ちをこめて、赤字覚悟の大決算。ちゃんと手土産も持って来たんだ」
はい、と会長さんは例の箱を机に置きました。
「…これは…?」
「いつもプレゼントしていた紅白縞だよ。昨日の口ぶりじゃ紅白縞を貰うのも最後になると覚悟してたようだし、お別れに一枚贈ろうかと…。コットンじゃなくてシルクなんだ。明日のデートに履いて来て」
「…そうか、最後の一枚か…」
しんみりとする教頭先生。自分から別れ話を切り出したとはいえ、未練たらたらなのでしょう。それでも贈られた箱を手に取り、押し頂いて。
「ありがとう、ブルー…。気にかけてくれて感謝する。しかし、デートなど…。お前は本当にかまわないのか? 私はお前に相応しくないと言った筈だが」
「分かってないね。さよならデートって言ったじゃないか。最後に楽しい思い出を作って、その後キッパリ別れるんだよ。それなら諦めがつくだろう?」
「…そうかもしれんが…」
「そういものだよ。明日は一日付き合って。…あ、その紅白縞を忘れないでね」
ぼくからの最後のプレゼント、と念を押した会長さんに教頭先生は「うむ」と素直に頷きました。
「最初で最後のデートだからな…。お前の望み通りにしよう。シルクか…。少し照れる気もするが」
「きっと肌触りがいいと思うよ、気持ちよく別れたい日にもってこいだ。だけどデートはデートなんだし、明日は大いに楽しまなくちゃ。待ち合わせはドリームワールドの正面ゲートの所でいいよね」
あそこが一番分かりやすい、と会長さんは待ち合わせの時間を伝えると。
「じゃあ、また明日。…他のみんなは無視していいから、たっぷりしっかり、さよならデート」
またね、と軽く手を振る会長さんを教頭先生が名残惜しそうに見詰めています。あんな調子じゃ「さよなら」どころか別れる気持ちになれないんじゃあ……と思いましたが、会長さんの狙いはED治療。教頭先生に別れ話を破棄させるためにデートだなんて言い出したんですし、効果は既に出始めてますか…?
「ふふ、成功。ハーレイはアレを履く気満々」
会長さんが満足そうに口にしたのは「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお部屋に戻ってから。教頭室の方角を眺め、サイオンで様子を見ているようです。
「手触りの方も気に入ったらしいね。…だからと言って今後もシルクを贈るつもりはないけどさ。武骨な男はコットンで十分、シルクなんかは勿体ないよ。一度限りの贅沢品だ」
「えっと…」
ジョミー君が口を挟みました。
「あれってどういう効果があるの? それに、さよならデートって何?」
「さよならデートはただの方便。普通にデートって言ってやっても良かったんだけど、それじゃハーレイが舞い上がっちゃうから面白くない。別れ話を強調しながら誘う所に醍醐味がある。恩着せがましく誘わなくっちゃ」
デートに引っ張り出すことに意味があるのだ、と会長さんは強調しました。
「それもドリームワールド限定。他の場所では効果がない。…こう言えば手形を押させた理由が分かるかな?」
「「「???」」」
いいえ、全然? 揃って首を横に振った私たちに会長さんは苦笑して。
「勝負パンツだって言ったじゃないか。でもって行き先がドリームワールド。…あそこの名物は絶叫マシーンだ。ここまで言われてもまだ分からない?」
「…あ…」
もしかして、と声を上げたのはシロエ君。
「絶叫マシーン克服用の手形を押させていたんですか? 教頭先生、スピードが苦手でしたよね?」
「ご名答。…フォトウェディングでおびき出されて、ゼルに拉致されていただろう? ぼくに騙されたショックで天国から地獄、そこへサイドカーで爆走されたのが心の傷になったらしいよ。ぼくに近付くと酷い目に遭う…と思ったと言うか、ハーレイ自身に自覚は無いけど、身体の方はそう理解した」
だからED、と会長さんは断言しました。
「早い話が心因性だ。治療するには苦手なスピードをぼくと一緒に克服するのが一番お手軽。…ぼくに近付いても大丈夫だと身体が判断するからね。そういうわけでドリームワールド! 絶叫マシーン乗り放題!」
「で、でも…」
シロエ君が言いにくそうに。
「教頭先生が絶叫マシーンに乗りますか? 嫌だと言って逃げそうですが」
「最初で最後のデートだよ? ぼくのお願いを聞けないようでは男じゃないさ。ハーレイだって最後のデートで無様な真似はしたくないだろう。意地でも絶叫マシーンに耐えてみせる、と悲壮な決意をする筈だ。それがハーレイの自信に繋がる」
ホントは手形パワーが無ければ確実に気絶なんだけど、と会長さんはニヤリと笑って。
「でもハーレイはそんなこととは知らないし? 自分が履いてきた紅白縞が効いただなんて思いもせずに一気に自信を取り戻すのさ。そしてEDも完治する…、と」
「なるほどな…」
一理ある、とキース君が頷いています。
「教頭先生には自信を持って頂きたいし、明日のデートは文句を言わずに同行しよう。さっきみたいに意気消沈なさっている姿を見ると弟子として心が痛むからな」
「ありがとう、キース。みんなも分かってくれるよね?」
「ええ、まあ…」
シロエ君が同意し、サム君が。
「ライバルが減るのは嬉しいけども、教頭先生、気の毒だしな。いいぜ、俺も喜んで協力する」
ジョミー君や私たちも会長さんのプランを承諾しました。明日はドリームワールドの正面ゲートに集合です。教頭先生と会長さんのデートの真の目的はED治療。なんとも情けないデートですけど、教頭先生は夢にも御存知ないというのが笑えると言えば笑えるかも…?
そして、さよならデートの日。私たちがドリームワールドのゲートで待っていると教頭先生がいそいそやって来ました。デートが終わったら会長さんとお別れなのだと承知していても、逸る心は抑えられないみたいです。
「すまん、ブルー。…待たせたか?」
「平気だよ。ぼく一人ってわけじゃないしね。…で、アレは履いてきてくれたんだ?」
教頭先生の股間の辺りに視線を向ける会長さんに、教頭先生は頭を掻いて。
「お前の最後のプレゼントだしな。朝一番で風呂に入って履き換えた。…シルクはなかなかいい感じだぞ」
「そうだろうね。ハーレイにはちょっと勿体ないけど」
猫に小判、とクスクス笑う会長さん。
「おい、こら! 今のはいったいどういう意味だ!」
「分不相応って言ってるんだよ。豚に真珠とか色々言うよね」
クスクスクス…と笑いを零す会長さんを教頭先生は眩しそうに眺めています。そんな教頭先生の手を会長さんがキュッと握って。
「それじゃ早速デートしようか。ここの定番は…まずはアレかな」
会長さんが指差したのはドリームワールドの中でも一番走行距離が長いジェットコースター。スピードの方も最高なソレに教頭先生は蒼白になり、絶対無理だと反対しました。
「私はスピードに弱いんだ! お前に迷惑をかけてはいかんし、ジョミーたちと乗ってきなさい。そうだ、ぶるぅも身長制限に引っ掛かるだろう? 私がぶるぅの面倒を見よう」
「えーっ!?」
異を唱えたのは「そるじゃぁ・ぶるぅ」。
「ぼく、面倒なんか見てくれなくても平気だもん! それにハーレイ、デートなんでしょ? ブルーと一緒にいてあげないとダメなんだよ。ブルーがフィシスとデートしてる時はそうだもん! ブルー、フィシスを一人になんかしないもん!」
本当にそう思っているのか、会長さんに言い含められたのか。懸命に主張する「そるじゃぁ・ぶるぅ」の姿に会長さんは微笑んで…。
「ハーレイ、ぶるぅもこう言ってるよ? 小さな子供に気を遣わせちゃいけないねえ…。さあ、行こう。ぼくは絶叫マシーンが大好きなんだ。それとも…ぼくと乗るのは嫌?」
だったら他の誰かと乗るよ、と会長さんは私たちの方を振り向きました。
「ハーレイはぼくの隣は嫌らしい。仕方ない、ハーレイの横にはキースかシロエが乗りたまえ。ぼくの隣は誰にしようかな、やっぱりスウェナとかみゆがいいかな? 女の子と乗るのが王道だよね」
「お、おい…」
掠れた声の教頭先生。
「どうしても乗らないといけないのか?」
「ん? 決まってるじゃないか、デートだよ? だけど隣は嫌だって言うし、他の誰かと座ればいい。ハーレイも女の子の隣がいいのかな?」
「そ、そんなことは…! 同じ乗るならお前の隣が…」
「なんだ、だったらそう言えばいいのに」
素直じゃないね、と会長さんの腕が教頭先生の腕に回されて…。
「ぼくに恥ずかしい思いをさせたくなければ、気絶しないよう頑張って。気絶したって介抱してはあげるけどね。最初で最後のデートなんだし、ちゃんと面倒見てあげるよ」
大丈夫、と教頭先生を引っ張ってゆく会長さん。私たちもゾロゾロと続き、「そるじゃぁ・ぶるぅ」も乗り場までついて来ます。教頭先生は私たちの分のチケットも買ってくれ、青ざめた顔で列に並んで…やがて私たちの順番が。
「かみお~ん♪ 行ってらっしゃ~い!」
遙か下の方から「そるじゃぁ・ぶるぅ」が手を振っているのが見えました。教頭先生は会長さんと並んで先頭に乗り、その後ろにキース君とシロエ君、サム君とマツカ君、スウェナちゃんと私、ジョミー君はジャンケンに負けたので五人グループで来ていた高校生の男子の一人と…。
カタン、カタン、カタン…とコースターが上ってゆきます。アルテメシアの街が一望できる地点まで上がり、そこから急降下して加速しながら上昇と下降を繰り返しつつ、ループも含めた長いコースを延々と走るわけですが…。
「教頭先生、震えてるわよ?」
スウェナちゃんが声を潜めて囁きました。
「本当にアレが効くのかしら? 効かなかったら…」
「多分、効くんじゃないのかなぁ? ぶるぅも自信満々だったし」
効くといいよね、と願っているのは誰もが同じ。教頭先生の自信回復とED完治の命運を賭けてコースターは走り出しました。絶叫マシーンは好きですけども、加速している真っ最中に他人のことまで考える余裕はありません。下って上って、宙返りして、スウェナちゃんとキャーキャー悲鳴を上げて…。
「「「…あ……」」」
スピードが落ちてきた時、私たちが見たのはドッシリと落ち着いて会長さんの隣に収まっている教頭先生。勝負パンツは効いたのです。これでED克服ですか? 教頭先生、自分に自信を取り戻せますか~?
「大丈夫だったじゃないか、ハーレイ」
会長さんが教頭先生と並んで降りて来ました。教頭先生は「うむ…」と曖昧な返事をして。
「お前の隣で無様な真似は見せられないと思ったが…。恥をかかせずに済んで良かった」
「根性を出せば苦手くらいは克服できるってことじゃないかな? 自信がついた所で次に行ってみようか」
「まだ乗るのか…?」
「当然だろ? せっかくのデートなんだし全部乗らなきゃ!」
次はアレ、と強引に引き摺って行かれながらも教頭先生は嬉しそうでした。夕方までかかって全部の絶叫マシーンを制覇して…。
「ありがとう、ブルー…。楽しかった。お前とのいい思い出が出来て、私は本当に幸せ者だ」
会長さんの両手を握って優しく微笑む教頭先生。
「いいか、お前も幸せになるんだぞ。…素晴らしい相手が現れることを祈っている」
「要らないってば、ぼくは結婚する気はないんだからさ。フィシスはぼくの女神だけれど、女神には結婚なんて俗っぽいことは似合わないし…」
「…そうなのか…? お前には幸せになって欲しいのだがな…」
「くどいよ、ハーレイ。…今日はありがとう。だけど…。さよなら、なんだね」
教頭先生を見上げる赤い瞳に、教頭先生は「そうだな」と短く答えを返して。
「お前に相応しい人を見つけてくれ。…幸せにな、ブルー…」
また学校で、と告げて教頭先生は帰ってゆきました。その背中はとても寂しげでしたが、本当にこれでいいのでしょうか? 思い切り別れ話が成立したって気がしますけど…。
「…いいんだよ、あれで」
会長さんが遠ざかってゆく教頭先生を見送りながら言いました。
「まだ自分でも気付いてないしね、EDの元凶が消え失せたことは。夜になるまで分からないままさ、今夜もハーレイを観察しよう」
明日は日曜だし泊まって行って、と会長さん。あちゃ~、またしてもこのパターンですか…。
ドリームワールドでの費用は全額教頭先生持ちでした。夕食は会長さんの奢りで中華料理を食べ、それから家に瞬間移動で送って貰って、お泊まり用の荷物を持って会長さんのマンションへ。教頭先生の観察会が始まるまではリビングで今日の思い出話に花が咲き…。
「教頭先生、スピードは平気になったわけ?」
ジョミー君が尋ねました。
「あんなにあちこち連れ回したのに平気だったよ、逆落としとかもあったのにさ。それともブルーがプレゼントしてた勝負パンツが無いと無理だとか?」
「無理だろうねえ…」
しかも期限切れ、と会長さんが応じます。
「ぼくが欲しいのはオモチャであって、それ以上は求めていないんだ。速い乗り物が苦手というのを克服されては面白くない。だから勝負パンツに押した手形は今日の夕方が有効期限」
「「「えぇっ!?」」」
期限付きとは知りませんでした。けれど会長さんは「当然だろう?」と片目を瞑って。
「ぶるぅの手形は期限付きのも無期限もある。だけど今回は期限付き。だってシルクの紅白縞だよ? 特別な品だって分かってるんだし、ハーレイが今後も勝負パンツに使わないという保証は無い。だったら期限を付けとかなくちゃ。…そしてハーレイには思い込みだけでスピードを克服できる力量は無い」
あれは根っからのヘタレだから、と嘲笑している会長さん。
「そのくせに今日のデートで自信回復したようだ。…そろそろ発情するんじゃないかな、ぼくとの甘い思い出を胸にベッドルームに行ったようだし…。ぶるぅ!」
「かみお~ん♪」
会長さんの合図で中継画面が出現しました。パジャマ姿の教頭先生がベッドの縁に腰掛けています。その手には会長さんの花嫁姿の写真があって…。
「ブルー…。お前を幸せにしてやりたかったな…。今日のお前は本当に楽しそうだった。あんな風に私の隣でいつも笑顔でいてくれたなら…」
愛していた、と繰り返していた教頭先生の声が不意に止まって。
「…これは…。もしや、やり直すことが出来るのか…?」
写真をベッドサイドのテーブルに置いた教頭先生は会長さんの抱き枕を引き寄せ、グッと両腕で抱き締めて。
「おお…! もう駄目なのかと思っていたが…。ブルー…!」
ガバッと抱き枕の上に覆い被さる教頭先生。この光景は前にも何度か目にしたことがありました。会長さんがクッと喉を鳴らして、「そるじゃぁ・ぶるぅ」に。
「もういいよ、ぶるぅ。…これ以上見ててもいつもと同じだ」
「…そうなの? ハーレイ、治ったの?」
「うん。だからもう心が泣いてないだろ?」
「あ、ホントだ! ブルー、凄いね! ノルディでも治せなかったんでしょ?」
EDって何か分からないけど…と言う「そるじゃぁ・ぶるぅ」は会長さんの手腕に感動している様子です。それは私たちも同じでした。EDが治った教頭先生、また暑苦しく会長さんにアタックし始めることでしょうけど、あのままフェードアウトされるよりかはいいですよ、きっと!
絶叫マシーンで遊び倒した疲れもあって、その夜は誰もが早々と沈没。気持ちよく爆睡していると突然チャイムが鳴り響いて…。あれは玄関のチャイムです。眠い目を擦りながら時計を見れば朝の7時ではありませんか! こんな早くからいったい誰が…?
「…うるさいなぁ…」
不機嫌そうな会長さんの声が聞こえて、玄関に向かう小さな足音がトコトコと。扉を開ける音に続いて…。
「かみお~ん♪ ブルー、お客様! ハーレイが来たよ!」
「ハーレイ!?」
会長さんの悲鳴に近い叫びに私たちの意識も瞬時に覚醒。慌てて着替えて飛び出してゆくと、会長さんが廊下に立っていました。
「…来ちゃったよ…。昨日の今日でもう来るなんて…。って言うか、どうやってウチの玄関まで!」
下のロックを開けてないのに、とブツブツ呟く会長さんの所に「そるじゃぁ・ぶるぅ」が飛び跳ねてきて。
「見て、見て、ブルー! 窓の下が凄いことになってる!」
「「「窓の下?」」」
なんのこっちゃ、と言われるままに見下ろした私たちの視界に飛び込んできたのは真紅に染まったマンションの庭。会長さんが真っ青な顔で…。
「…全部薔薇だ…。庭一面に真っ赤な薔薇って……まさか…」
「ハーレイだよ?」
凄いでしょ、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」。
「あのね、管理人さんの許可は貰ってあるって言ってるけど? それでね、ブルーにプロポーズしたくて、入口のロックを開けて貰って上がって来たって…」
「「「!!!」」」
そういえばこのマンションには仲間しか住んでいないのでした。管理人さんだって仲間です。シャングリラ号のキャプテンである教頭先生の指示が下れば入口を開けるくらいはするでしょう。それにしたって一面の薔薇って……プロポーズって、正気ですか? などと皆でパニックに陥っている内に…。
「おはよう、ブルー。返事が無いから勝手に入らせて貰ったが…」
「「「………」」」
真紅の薔薇の花束を抱えた教頭先生が立っていました。
「ブルー、幸せになってくれと言ったが、やはりお前を幸せにするのは私しかないと思ってな。…だが、さよならを言った後ではプロポーズからやり直さねば格好がつかん。…三百年分の想いをこめて庭一面の薔薇を贈ってみたが、どうだ、気に入って貰えただろうか?」
「…き、気に入るも何も……目立ち過ぎだし…」
生き恥だよ! という会長さんの叫びは無視されました。
「そう照れるな。私がお前を嫁に欲しいと言っているのは仲間内では有名だろう? このくらいしても問題はない。…改めてお前にプロポーズしよう。ブルー、いつまででも待っているから、是非とも嫁に来てほしい」
まずは花束を受け取ってくれ、と押し付けられた会長さんが目を白黒とさせながら。
「あのさ…。ハーレイ? プロポーズするのは勝手だけれど、望みが無いって分かってる? ぼくがウェディング・ドレスをオーダーしたのは前のドレスが駄目になったからで…」
「そうだったのか?」
「ブルーが駄目にしちゃったんだよ! 勝手に持ち出して、あっちのハーレイの前で着て見せて…後は想像つくだろう? だからさ、望みがあるような間柄だったらドレスを買って貰った直後に悪戯なんかは…って、うわっ!」
会長さんは教頭先生にしっかり抱き締められていました。
「ブルー…。望みがなくても愛している。私にはお前しか見えんのだ。いつか私のためにドレスを…」
「うるさーいっ!!!」
パシッ! と青いサイオンの光が走って教頭先生は弾き飛ばされ、更に瞬間移動で薔薇だらけの庭のド真ん中まで飛ばされて…。
「そこの薔薇!」
会長さんが窓から身を乗り出すと。
「全部キッチリ回収してよね、みっともないから! そして有効活用すること、ぼくがマザー農場に連絡しとく!」
香油にするとか色々と…、と毒づいて窓をピシャリと閉め切り、会長さんは「効きすぎた…」と青息吐息。
「ハーレイが元気になるといいな、とは思ったけどさ。なんでいきなりプロポーズまで突っ走るわけ? おまけに庭一面に真紅の薔薇って、どう考えても馬鹿の極みで…」
「それでこそオモチャと言えるんだろうが」
キース君が突っ込みました。
「あんたの意表を突くようなことをやってくれた方がいいんじゃないのか? たまにはオモチャの逆襲というのも面白い。…返り討ちに遭ったようだがな」
気の毒に…、と見下ろすキース君の視線の先では教頭先生がせっせと薔薇を集めていました。会長さんに贈ったつもりが「みっともない」だの「生き恥」だのと罵倒された挙句、回収させられて資源扱い。あれだけの薔薇を買おうと思えば金額も半端ではないのでしょうに…。それを指摘した私たちに、会長さんはフンと鼻を鳴らして。
「EDの治療代だと思えばいいさ。ぼくが勝負パンツを渡してデートに誘っていなかったなら、あのまま一生EDだったかもしれないんだよ? それに比べれば薔薇くらい…。そうだよね、ぶるぅ?」
「んーと…。毎日心が泣いてるよりかは治った方が断然いいよね! でも、薔薇の花、凄く沢山…」
こっちの薔薇はジャムにしようっと、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」が薔薇の花束を抱えます。
「無農薬の薔薇みたい。きっと美味しいジャムが出来るよ♪」
楽しみにしててね、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」は無邪気な笑顔。えっと…教頭先生の想いが詰まった薔薇から作ったジャムは砂を吐くほど甘いんでしょうか? ともあれ、教頭先生は自信回復、EDも完治。これからも会長さんの良いオモチャとして壊れず、めげずに強く生きてって下さいです~!
青月印のトランクスが入った箱を掲げた「そるじゃぁ・ぶるぅ」を先頭にして私たちは本館に向かいました。目指すはいつもの教頭室です。幸い今日は誰にも出会わずに済んで、会長さんが重厚な扉をノックして…。
「失礼します」
扉を開けて入る会長さんの後ろに私たちも続きました。教頭先生は例によって羽ペンで書類のチェック中。
「いつものヤツを持ってきたよ、ハーレイ」
「あ、ああ…。すまんな」
あれ? 教頭先生、微笑んでますが…ちょっと元気が無いような…? 会長さんも気付いたらしく、トランクスの箱を机に置くと首を捻って。
「ハーレイ? あまり嬉しそうに見えないんだけど、青月印は飽きたのかい? 次から別のにした方がいい?」
「い、いや…別にそういうわけでは…」
「でも…。いつもなら手放しで喜ぶじゃないか。ひょっとしてまだ引き摺ってる? …フォトウェディングで騙されたのを」
「………」
教頭先生は複雑な顔。会長さんとフォトウェディングだと喜んでいたらゼル先生に通報されて、サイドカーで拉致されたのはつい先日のことでした。スピードに弱い教頭先生はもちろん気絶し、春休みの残り期間を寝込んでいたとかいないとか…。
「そうか、やっぱり引き摺ってるんだ。ゼルのバイクは速いからねえ…。それともフォトウェディングが夢に終わったから傷ついたかな? ぼくは満足したんだけども」
新しいドレスも手に入ったし、と会長さんは楽しげです。
「でね、これがホテルで写した写真。…君にプレゼントしようと思って」
はい、と差し出された台紙つきの立派な写真が数枚。教頭先生は眉間に皺を寄せたのですが…。
「要らないんなら持って帰るよ? ぼくの花嫁姿を見たくないんだ? 君がスポンサーになったドレスがどんなヤツかも気にならない?」
「う、うむ…。そうだな、お前の花嫁姿だったな」
「そうだよ。見たくないなら回収するけど」
「いや…。プロが写した写真は見たい。私には所詮高嶺の花だが」
「は?」
怪訝そうな会長さん。私たちも同じでした。高嶺の花って何なのでしょう? 写真はプレゼントだって言っているのに、いったい何に手が届かないと…? 教頭先生はフウと溜息をついて写真の表紙をめくりました。そこにはブーケを手にした会長さんの輝くような花嫁姿が…。
「…綺麗なものだな…。叶うものなら是非見たかった」
「気が向いたら披露するかもね。今度のドレスは特注品だし…。他の写真も見てみてよ」
凄いんだから、と促された教頭先生は次の写真を広げます。場所を変えてカメラに収まる会長さんは艶やかとしか言いようがなく、教頭先生も魂を奪われた様子。
「ね、いいだろう? いろんな所で写したんだ。…それで最後が自信作でさ」
「ほほう…」
促されるままに数枚の写真を見終えた教頭先生の前にスッと押し出された最後の一枚。それを手に取った教頭先生の笑顔がピシッと凍りついて…。
「………」
「チャペルと言えば新郎なんだよ」
会長さんが指差す写真はチャペルで写したものでした。
「だけど肝心の新郎不在で、どうにもこうにもならないじゃないか。…仕方ないから集合写真で」
「…………」
「一人に決めても良かったんだけど、せっかくだから賑やかに…と思ったんだよ。ホテルに訊いたら貸衣装のサイズも揃っていたし」
ねえ? と私たちに同意を求める会長さん。写真の中では花嫁姿の会長さんをジョミー君たち男子五人が囲んでいました。全員、白いタキシードです。カメラマンの的確な指示で、誰もが見事な新郎スマイル。あの写真、撮るまでが大変でしたっけ…。
フォトウェディングなのに新郎が姿を消してしまって、カメラマンは勿論、ホテルの係も大混乱。そこへ会長さんが持ち掛けた案が新郎の代理を立てることです。私たちはサム君を推したのですけど、サム君は照れるわ、恥ずかしがるわで動きません。じゃあ誰が、と揉めた挙句に男子五人が全員で…。
「ハーレイ、君の意見はどうかな?」
会長さんが固まっている教頭先生に尋ねます。
「誰が一番ぼくの新郎らしいと思う? ぼくの考えではこの辺かなぁ…って」
白い指先が示しているのはサム君でした。
「他のみんなも捨て難いけど、サムの笑顔は親しみが持てる。こう、幸せにするぞ…って気概が見えると思うんだよね」
「…そうかもしれんな…。やはりお前を幸せに出来る男が一番か…」
「えっ?」
「幸せになれる相手でないとな、と言ったんだ」
深い溜息をつく教頭先生。さっきの高嶺の花発言といい、今日はなんだか変みたいです。いつもなら会長さんとの結婚話に燃え上がりこそすれ、他の誰かを持ち上げるようなことは決して言わない筈ですが…? 会長さんも不思議に思ったらしく。
「ハーレイ、それって本気で言ってる? ぼくの相手にサムがいいって?」
「…サムと決まったわけではないが……幸せになって欲しいだけだ」
教頭先生は咳払いをして視線を窓に向けました。これは本格的に変です。私たちは顔を見合わせ、会長さんは教頭先生の顔の前で手をヒラヒラと振ってみせて。
「えっと…ハーレイ? 念のために聞くけど、今、正気?」
「…ああ。残念ながら…な。…どうやら私はお前に相応しくないらしい」
残念だが…、と教頭先生は繰り返しました。
「私では幸せにしてやれん。他の誰かに託すしかない」
「ちょ、ちょっと…。どうしたらそういう話になるわけ? 騙されたのがそんなにショック? あれくらい、いつものことだろう?」
「そうかもしれんが…。とにかく私は駄目なのだ。この写真は有難く貰っておくが、お前を嫁に貰うことは出来ん。そんな男に尽くさなくてもいいんだぞ? トランクスを貰うのもこれが最後になるのだろうな」
今までとても幸せだった、と教頭先生は会長さんに御礼を言って。
「行きなさい。…そしていい相手を見つけるんだぞ。私も心から祝福しよう」
「…それ、本気?」
「至って本気で至って正気だ。…すまん、私が笑っていられる間に帰ってくれ」
教頭先生は優しい笑顔を向けていましたが、明らかに無理をしています。微かに感じ取れる思念は乱れて今にも泣き出しそうで…。
「…分かったよ。じゃあね、ハーレイ」
会長さんがクルリと踵を返し、私たちも慌てて続きました。扉が閉まる直前にチラリと見えた教頭先生は俯いていて表情は分かりませんでしたけど、絶望感だけはヒシヒシと…。いったい何があったのでしょう? 会長さんを諦めるなんて……他の誰かと幸せになれって、悪いものでも食べましたか?
「おい」
キース君が会長さんを睨み付けたのは「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお部屋に戻ってからです。どう考えても教頭先生の様子は変でした。そしてそういう時は大概、会長さんが何か関係しているわけで…。
「あんた、教頭先生に何をしたんだ? 精神的に相当参っているようだったが」
「何をって言われても…。サイドカーでドライブさせただけだよ」
「とてもそうとは思えんぞ。ドライブ自体は二度目じゃないか」
「まあね。…でも、ぼくも正直、困ってるんだ」
このままじゃオモチャが無くなってしまう、と会長さんは大真面目でした。
「ぼくにベタ惚れで追いかけてくるから楽しめるけど、追いかけてこなきゃ意味ないし! そりゃあ…結婚する気は無いけど、諦められたら面白くない」
「…そういうものか?」
「うん。このままアッサリ身を引かれたら、悪戯も仕掛けられないよ。ハーレイの良さは往生際の悪さにあるんだ。何をされても諦めないから笑えるわけで、大人の余裕を見せられたんでは楽しみの欠片もありゃしないってば」
それはそうかも、と私たちも納得です。会長さん一筋に突っ走っている教頭先生だからこそ、会長さんの悪戯の数々が光るのであって。…一歩下がって見守られたのでは、悪戯は空振りに終わるでしょう。教頭先生、ひょっとして疲れてしまいましたか? 悪戯に付き合い続けて心が保たなくなったとか…?
「うーん…。ある意味、それはあるかも」
会長さんが吐息をついて。
「疲れているのか、心因性か…。原因としてはどっちもアリだ。一時的なものじゃないかとは思うけどねえ…」
「「「は?」」」
話が全く見えません。勝手に喋って完結されても困るんですけど、会長さんには事情が分かっているのでしょうか? 教頭室では会長さんも教頭先生の正気を疑っていましたが…。
「ああ、ごめん。…ちょっとね、ハーレイの心を読んでみたんだ。だって納得いかないじゃないか、幸せになれって言われてもさ。……でも原因がトンデモすぎて」
「なんだ、それは?」
分からんぞ、とキース君が突っ込み、ジョミー君が。
「原因って何? ひょっとしてあの写真とか?」
「…まさか」
そんなしおらしい相手ではない、と苦笑している会長さん。
「新郎役が五人どころか一万人でも諦めやしないよ、通常ならね。…でも今は違う。このままだったら永遠に諦めモードかも…。なにしろ自信喪失中だし」
「「「自信喪失?」」」
私たちは耳を疑いました。教頭先生が自信喪失だなんて、俄かには信じられません。諦めの悪さはピカイチと言うか、懲りるという言葉を知らないと言うか……思い込んだら一直線の教頭先生が自信喪失? それで会長さんに他の誰かと幸せになれと言ったんですか?
「そういうことさ。今のハーレイは人並み以下で、スタートラインにも立てっこない。そこまで転落しちゃったわけ」
「転落って…なんで?」
ジョミー君が疑問をぶつけました。
「なんで、どこから、どうやって? だいたいブルーと結婚したいって言ってる人って、教頭先生だけじゃない?」
「……俺の立場はどうなるんだよ……」
恨みがましい声でサム君が割り込み、首を竦めるジョミー君。
「ご、ごめん…。でもさ、サムは「好き」ってだけだよね。結婚までは考えてないと思うんだけど」
「まあな。俺たちって歳を取らないらしいし、そのせいかなぁ…。ブルーと結婚できたらいいな、って思いはしてもその先が想像つかねえんだよ」
夢は結婚式までなのだ、とサム君は頬を赤らめています。会長さんと結婚できたらそれだけで満足、それ以上は何も望まないとか…。つまりアレです、大人の時間は必要ないっていうわけで…。
「だからさ、俺もブルーと結婚する資格は無いんだろうな。…残念だけどブルーはとっくに大人なんだし…」
肩を落とすサム君に、会長さんが微笑みかけて。
「そんな所も好きだよ、サム。…ハーレイと違って暑苦しくない。そのハーレイが暑苦しさを失ってるのが今なんだけどね」
「「「???」」」
「分からないかな、暑苦しさで? 人並み以下まで転落中で、加えて暑苦しさが無い。ぼくと結婚するだけの資格も無い。…スタートラインにも立てっこないって言ったよね?」
「お、おい…。それって、まさか…」
キース君が口をパクパクさせていますが、私も含めて他は全員、思い当たる節が皆無でした。教頭先生に何があったと言うのでしょう? ジョミー君が訊いた「なんで、どこから、どうやって」の三つがまるで見当もつきません。会長さんがクッと喉を鳴らして。
「流石キースは大学生だ。それも今年で三年目か…。色々知識が増えたようだね。そう、君の考えで当たっているよ。…他のみんなは分からないようだし、ズバリ説明してあげよう」
「あっ、おい! 待て、他の連中は…!」
遮ろうとしたキース君に会長さんがパチンと片目を瞑ってみせて。
「万年十八歳未満お断り…だよね。君もその中に入っていると思ったけれど? 大丈夫だって、知識だけなら問題ないさ。実際の歳は十八歳になってるんだし」
会長さんが言うとおり、私たちは十八歳になっていました。外見も中身も1年生の時から全く成長していませんけど、十八歳は十八歳です。えっと……だから何? 教頭先生の自信喪失と私たちの歳にどう関係が…?
「ハーレイはね…。EDになってしまったらしい」
そのせいで自信喪失中、と会長さんは教頭室の方角を指差して。
「早い話が役立たずってこと。結婚どころの話じゃないよね、まずは治療が必要だ」
「「「………」」」
EDという聞き慣れない単語の意味するものがスムーズに頭に浮かんできたのは会長さんのサイオンのせいか、はたまたサイオン能力が多少向上したお蔭でキース君の思考が読めたのか。ともあれ、教頭先生の窮状は把握できました。それは確かに結婚以前の問題ですよ~!
私たちは五分間くらい固まっていたと思います。教頭先生は三百年以上も会長さんを想い続けて童貞街道まっしぐら。なのに会長さんへの想いは熱く激しく、一方的にせっせと頑張り続けてきた筈で…。特にソルジャーが現れてからは修行に行って挫折してみたり、鼻血を噴いて失神したりと現役ならではの情けない道を爆走中。なのに突然EDですって? 教頭先生にいったい何が…?
「なんで、どこから、どうやって…だっけ? ジョミー?」
会長さんがジョミー君の質問を蒸し返しました。
「どこから、の答えは分かっただろう? スタートラインに立とうと思えばEDを治してこないとね。残る二つはEDになった原因ってヤツだ。これが色々難しくって…。直接的にはサイドカーでのドライブだろうと思うんだけど、心因性なのか疲労なのかがハッキリしない」
「…あれ以来なのか?」
キース君が胡乱な目を向け、シロエ君が。
「でも…。初詣で願掛けしまくった時も同じ目に遭っていましたよ? あの時は大丈夫だったんでしょう?」
「あの時は…ね。それが今回はダメだったらしい。だからハーレイにも自信が無いんだ、ドライブが原因と決めつけるだけの。…ついでに相談した相手が悪かった」
教頭先生はパニックになってドクター・ノルディに電話をかけたらしいのです。ところが相手は会長さんを狙うエロドクター。真面目に相談に乗ろうともせず、原因は加齢だと答えたとか。
「加齢ですか…」
酷いですね、とシロエ君が首を振りました。
「ゼル先生なんか今も現役らしいじゃないですか。教頭先生が歳のせいだなんて、いくらなんでも酷過ぎるでしょう」
医者の言葉とも思えませんよ、とシロエ君は憤慨したのですけど、会長さんは。
「だから相手が悪かったって言っただろう? ノルディはぼくを狙っているから、ハーレイは目の上のタンコブなんだ。ぼくと結婚したがっているハーレイがいるとチャンスが減ると思ってる。…ぼくを手に入れるチャンスがね」
「まあ、間違ってはいないんじゃないか?」
キース君が口を挟みます。
「教頭先生はあんたを守ろうと必死に頑張ってきたからなあ…。とは言え、結婚できなくなったとしてもだ、エロドクターにあんたを渡しはしないと思うんだが」
「そうなんだよね。ぼくがノルディを嫌ってる以上、全力で排除にかかるだろう。ノルディも全然分かってないねえ…」
馬鹿なんだから、と毒づいている会長さん。でも……お医者さんに見放されてしまった教頭先生、EDを治療できるんでしょうか? エロドクターの他にお医者さんは…?
「ノルディの病院の専門科を受診すればいいと思うんだけどさ」
予約を取って、と会長さんはドクター・ノルディの病院の説明をしてくれました。サイオンを持つ私たちの仲間だけでなく、一般人も受け入れる大きな総合病院。勿論EDの専門医もいて、エロドクターに邪魔をされずに受診するのも簡単で…。
「でもね…。マズイことにハーレイの教え子なんだよ、そのお医者さんが」
「じゃあ、ぼくたちの仲間なわけ?」
ジョミー君の問いに会長さんは。
「仲間もいるし、普通の人も混じってる。ただ、不幸な事に全員揃ってシャングリラ学園の卒業生。教え子の所に行ってEDの治療はキツイよね、うん。特にハーレイは独身なだけに、治療なんかしてどうするんだって痛くもない腹を探られそうだ。EDの原因を調べるにしても、恥ずかしい話をしなきゃならない」
誰とは明らかにしないとしても振られた話は必須だし…、と会長さんは続けます。
「つまりハーレイが気軽に相談できる医者は皆無なんだよ。そりゃあ……一般の病院って手もあるけれど、難しいよね、色々と。そっちだと原因が加齢だった場合は診断不可能ってことになるから。だって外見がアレなんだしさ」
「「「………」」」
教頭先生、万事休す。このままEDが治らなければ、会長さんに妙な悪戯を仕掛けられることは無くなりますけど、きっと寂しいことでしょう。それに会長さんもオモチャが無くなって退屈しちゃって、いったい何をしでかすか…。グレイブ先生が特別手当を貰っているのをいいことにして、今度はそっちで遊ぶとか?
「…グレイブじゃ面白くないんだよね…」
誰の思考が零れていたのか、会長さんが呟きました。
「オモチャの身上は踏んでも蹴っても壊れないタフさと、諦めの悪さ。…グレイブも確かに楽しめるけど、ぼくに惚れてるわけではないし…。そうなると悪戯にも限度があるし」
やっぱりハーレイで遊びたい、と会長さんの諦めの悪さもピカイチでした。
「EDが治れば今までどおりにオモチャにできる。…陰で暖かく見守られるよりも暑苦しい方がよっぽどいいさ。決めた、EDを何とかしよう」
「なんとかするって…あんたは医者か?」
キース君の問いに会長さんはニヤリと笑って。
「医者でなくても解決できるよ、心因性のヤツだったらね。サイオンで心を解きほぐしてやれば簡単だ。疲労の方なら時間が経てば治るだろうし、一応、原因を探ってみようか」
「えっ、探るって…?」
どうするの、とジョミー君が言い終える前に会長さんが口を開きました。
「今夜はぼくの家に泊まって貰うよ。…ハーレイの夜の生活を覗き見しないといけないからね。ぼく一人では気分が滅入るし、ぶるぅじゃ意味が分かってないし…。さあ、急いで家に連絡する!」
げげっ。とんでもない展開になっちゃいました。でも断ったら恐ろしいことになりそうです。私たちは仕方なく家に電話を入れました。会長さんがソルジャーであると知れている今、お泊まり会に異議を唱える家族はありません。これって、いいのか悪いのか…。ソルジャーが悪戯好きというのは多分信じてくれないでしょうが。
突然決まったお泊まり会。私たちは瞬間移動で自分の家に送って貰って荷物を整え、会長さんの家まで瞬間移動。パパやママたちが仲間だからこそ出来ることです。キース君なんかはお土産を持たされて戻ってきました。檀家さんに貰ったという焼き菓子の詰め合わせは夕食の後にみんなで食べて…。
「ぶるぅ、ハーレイの様子はどうだい?」
リビングにいた私たちの前で会長さんが尋ねました。
「えっとね、さっきお風呂に入りに行って…。あ、帰ってきた」
これからテレビを見るみたい、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」が答えると…。
「天気予報とニュースだけだね、ハーレイが見るつもりなのは。それが終わったら寝るらしい。…ぶるぅ、中継をよろしく頼むよ」
「オッケー!」
無邪気な子供の「そるじゃぁ・ぶるぅ」は大人の事情はサッパリです。中継していても意味は分かっていないのですけど、今夜の教頭先生は普段と状況が違いました。EDだという教頭先生、どんな夜を過ごしているのやら…。やがて始まった中継画面で教頭先生はテレビを消すと大きな溜息。
「これがブルーの花嫁姿か…」
会長さんがプレゼントした写真を取り出し、一番のお気に入りらしい一枚を穴が開くほど眺めた後で。
「本当だったら隣に私が立っていた筈なのだな…。いや、最初から可能性はゼロだったか…。ブルーにその気は無かったのだし、ゼルまで呼んであったからには悪戯目当てに決まっているしな」
それでも生で見たかった…、と苦しげに呟いた教頭先生は写真を抱えて寝室へ。独身生活には大きすぎるベッドの上に転がっているのは、会長さんの写真がプリントされた抱き枕です。教頭先生はベッドに腰掛け、会長さんの花嫁姿の写真を再びじっと見詰めて…。
「ブルー…。お前と結婚したかった。お前を嫁に欲しかったのに、私は資格を失くしたようだ。どうやら歳を取り過ぎたらしい。ゼルは未だに現役なのにな。ははははは………鍛えようのない部分だと言うが、どうしてこうなってしまったんだろうな…」
乾いた声で笑ってはいても、顔は笑っていませんでした。眉間に刻まれた皺も深くなり、苦しげに呻くと写真をベッドサイドのテーブルに置いて横になります。そして両手で会長さんの抱き枕を引き寄せて…。
「…添い寝だけしか出来ん男では、お前と結婚するのは無理だ…。もっと修行をするべきだった。あっちのブルーに何度も誘われていたのにな。…自業自得と言うべきか…。ブルー…」
愛していた、と抱き枕にキスを落とす教頭先生。以前だったらそこから色々あったのですが、教頭先生は枕を腕に抱えてブツブツと泣き言を繰り返しながら眠りに落ちてしまいました。これは本当にEDです。会長さんは原因を探り出すことが出来たのでしょうか…?
「…ぶるぅ、もういい」
会長さんの合図で中継画面が消え失せ、「そるじゃぁ・ぶるぅ」が会長さんを見上げました。
「ブルー…。なんだかハーレイ、可哀想だよ? 心が泣いてたみたいだけど…」
「泣いていたね。ぼくと結婚できなくなったのがショックなんだよ。…どう転んでも結婚する気にはならないけれど、あんなハーレイも見たくはないかな」
諦めの悪いハーレイが好きだから、と会長さんは「そるじゃぁ・ぶるぅ」の頭を撫でて。
「可哀想だと思うんだったら、力を貸してくれるかい? ハーレイが自信を取り戻すには手形のパワーが必要なんだ」
「えっ、手形? 何に使うの?」
「ハーレイとデート」
「「「えぇぇっ!?」」」
会長さんがサラリと告げた言葉に私たちは仰天しました。EDの治療に手形パワーというのも謎ですが、そこで出てくるのが何故デート? そもそもデートにどうして手形が要るんでしょう? いえ、それよりも会長さんが教頭先生とデートだなんて…。
「…そんなにビックリしなくても…。ハーレイとデートって、そんなに意外?」
「意外に決まっているだろう!」
何をする気だ、とキース君が叫びましたが、会長さんは平然と。
「デートと言ったらデートだってば。普通のデートと違う点があるなら、一対一じゃないってことかな? ほら、ハーレイの家に一人で行ってはいけないって言われているからねえ…。もちろんデートも一人じゃダメだろ、どう考えても」
だから君たちも付き合って、と告げられた私たちは絶句しました。会長さんと教頭先生のデートだけでも大概なのに、一緒にゾロゾロ連なって行けと? けれど会長さんは一人で決めてしまっていて…。
「デートするのは明後日の土曜。ハーレイは明日の放課後に誘うよ、始業式が終わってからね。…そういうわけで、明後日はよろしく」
もう遅いから寝る時間、と宣言されてしまい、思念波での連絡も取れないようにシールドされて消灯時間。教頭先生はEDになるわ、会長さんはデートだなんて言い出すわ…。頭の中がグルグルしますが、しっかり寝ないと負けそうです。明日は始業式で、明後日がデート。デートと手形とED治療の関連性が未だに全然分かりません~!
教頭先生が会長さんに騙されてしまったフォトウェディング。それから数日経った4月7日はシャングリラ学園の入学式です。私たちにとっては四度目、特別生としても三度目の入学式になるわけですが、ここはやっぱり出席しなくちゃ! と言うより、新しいクラスメイトと顔合わせをしておかないと…。桜が咲く中、学校に着くとジョミー君たちが正門前に集まっていました。
「おはよう! みんな来てるよ」
ジョミー君は今日も元気一杯。
「今年も記念写真、撮る? 毎年おんなじ面子だけれど」
「一応、撮っておくことにするか。おふくろにカメラを持たされたんだ」
親馬鹿だよな、とカメラを取り出すキース君。私たちは『シャングリラ学園入学式』と書かれた看板を囲んで記念撮影をし、それから講堂に向かいました。言わずと知れた入学式の会場です。保護者と一緒の新入生が大多数の中、最前列に陣取って…。
「ぼくたち、今年もA組になるんだよね? 特別生はクラス固定って聞いてるし」
ジョミー君の問いにシロエ君が。
「その筈ですよ。でも担任は分からないんだって会長が言ってましたっけ。グレイブ先生じゃなくなるのかも…」
「ゼル先生とか? それってキツそう…」
頑固そうだよ、とジョミー君が頭を抱えています。けれどゼル先生は面倒見の良さで人気の先生。ゼル先生でも楽しいかも、と思ったのですが…。
「エラ先生だったらどうするよ?」
サム君の言葉に私たちはピキンと固まりました。風紀の鬼のエラ先生に当たったが最後、地獄に違いありません。いくら特別生であっても、きっと容赦なくビシバシと…。
「それって困る! ブルーでも太刀打ちできなさそうだよ」
弱気になったジョミー君にマツカ君が同調して。
「ですよねえ…。いくら会長でもエラ先生が女性な以上は過激な真似は出来ないでしょうし」
「うわー…。ブルー、顔を出さなくなったりして? エラ先生じゃ何も楽しくないもんね」
御礼参りとか寸劇とか、とジョミー君が挙げる数々の行事はクラス担任を巻き添えにするのが基本でした。グレイブ先生だからこそ無茶できましたが、エラ先生では無理そうです。同じ女性でもブラウ先生なら、あるいはなんとかなるのかも?
「…シド先生なんかどうかしら?」
スウェナちゃんの意見はジョミー君に却下されました。
「ダメダメ、スウェナ、分かってないし! シド先生は男子にも女子にも人気あるしさ、オモチャにしたら恨まれそうだよ。…一人じゃ校内歩けないって!」
「そのとおりだな」
分かる、分かる…とキース君が頷いています。
「やはり俺たちのクラス担任はグレイブ先生が最適だろう。まあ、ブルーが一切出てこないのなら誰になっても平気だろうが…。おっと、そろそろ始まるか?」
壇上に先生方が現れました。並べられた椅子に順に座ってゆき、一番最後に校長先生の登場です。シド先生の司会で式は順調に進んでいって…。
「それでは、本日のスペシャル・ゲストをご紹介させて頂きます。シャングリラ学園のマスコット、そるじゃぁ・ぶるぅ君です!」
運ばれてきたのは大きな土鍋。蓋が取られて「そるじゃぁ・ぶるぅ」が飛び出してくると会場に広がる驚きの声。そりゃそうでしょう、土鍋だけでもインパクト大なのに中から子供が現れるなんて…。校長先生が「そるじゃぁ・ぶるぅ」の紹介をして、御利益パワーに与るための三本締めとなりました。これも毎年変わらないよね…と、眺めていると。
『居眠るな、仲間たち!』
突然響いた思念の主は会長さん。入学式恒例の仲間に宛てたメッセージです。私たちは顔を見合わせ、会場内を見回して…。
『今年は誰か来るのかなあ?』
ジョミー君の思念に『分からない』と返す私たち。新しい仲間は歓迎ですけど、そうなると「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお部屋に入り浸るわけにはいかなくなりそう。誰も来なければ今年も一年遊び放題! そっちの方が断然いいよね、と思念を交わしていた所へ…。
『あっらー、生徒限定なのぉ!?』
まりぃ先生の声ならぬ思念が流れて来ました。
『酷いわ、酷いわ! 私もぶるぅちゃんのお部屋で遊びたいわぁ…』
壇上で澄ました顔のまりぃ先生、心穏やかではないようです。会長さんの思念がそれをぶった切って。
『申し訳ないけど生徒限定。ぶるぅの部屋は教師は一切立入禁止になってるからね』
『そうじゃ、そうじゃ! だいたい今は入学式の最中じゃぞ?』
静粛に、とゼル先生が注意し、ヒルマン先生も宥めにかかっています。これは退屈しないかも…。先生方の思念波でのやり取りなんて、今まで見たことないですからね。春休みのサイオン強化合宿、効果があったみたいですよ~!
入学式が終わるとクラス発表。掲示板に貼り出された名簿をチェックしに行くと、私たちは今年も1年A組でした。教室の位置も変わりませんし、お馴染みの部屋に揃って移動し、今年の担任は誰だろう…と先刻までの話の続き。掲示板には例によって『担任は見てのお楽しみ』の一文があったからです。
「グレイブ先生が絶対いいって!」
サム君がそう主張するのは会長さんに会いたいからに決まっていました。他の先生だと会長さんは遊びに来そうにありません。会長さんにベタ惚れのサム君としては少しでも長く会長さんと一緒にいたいのです。
「落ち着け、サム」
キース君がサム君の肩をポンと叩いて。
「他の生徒が引いてるぞ? そうでなくても俺たちは浮いているからな。アルトとrを見習った方が…」
「「「あ…」」」
誰もがすっかり忘れていました、新しいクラスメイトの存在を! アルトちゃんたちは新入生の女の子たちと楽しそうに話しているというのに、私たちときたら毎度のグループで一致団結、見事にクラスから浮いてるわけで…。やばい、と気付いても時既に遅し。何人かの生徒がこっちに注目しています。
「えーっと…今から散っても無駄だよね?」
ジョミー君が溜息をついた所へ、新入生の男子二人組がやって来ました。
「あのぅ…。もしかしてジョミー先輩ですか?」
「えっ、ぼく? そうだけど…。もしかして何処かで会ったかなあ?」
サッカー部の練習試合に出ることがあるジョミー君は顔を知られている方です。練習試合限定とはいえ、他校の生徒やその応援に来ている人に覚えられていても不思議はなくて…。けれど二人組の男子は「いいえ」と首を振りました。
「ぼくたち、先輩に聞いたんです。先輩って言っても…」
「小学校の先輩で、中学時代は重なってなくて…」
歳がちょっと離れてますから、と二人組。
「でも小さい頃から遊んでましたし、家が近いせいで今も仲良くして貰ってます。ぼくたちがシャングリラ学園に行くって言ったら「1年A組になれるといいな」って」
「先輩、今年卒業したんですよ。1年A組でジョミー先輩たちと一緒だったって言ってました」
聞かされた名前には嫌というほど心当たりがありました。私たちの一番最初のクラスメイトの一人です。会長さんが繰り出す悪戯の数々に率先してついて行ってた悪ガキ男子。私たちのことをどんな風に話したんでしょう? わざわざ声を掛けにくるってことは、クラスで番を張っているとかそういう系の…?
「えっと…そちらがキース先輩ですよね、柔道部の」
「それにシロエ先輩、マツカ先輩、サム先輩…。女子がスウェナ先輩、みゆ先輩」
男の子たちは続けました。
「1年A組の生徒になれたら、この七人がいる筈だ…って先輩が教えてくれたんです。一年間よろしくお願いします!」
「お世話になります!」
「「「はぁ?」」」
なんのこっちゃ、と首を傾げる私たちの周囲に集まってくる他のクラスメイト。男子二人組は得々として事情を説明し始めました。1年A組には特別生の七人グループがいて、その七人がいれば「そるじゃぁ・ぶるぅ」の御利益パワーに与れる…と。入学式で「そるじゃぁ・ぶるぅ」を見てきたばかりのクラスメイトは一斉に…。
「御利益パワーって?」
「どんなことが出来るんですか?」
「特別生って何なんですか?」
たちまち始まる質問攻め。いったいどれから答えたものか、と戸惑っていると教室の扉がガラリと開いて。
「やかましい!!」
カツカツカツ…と響く足音、しかめっ面。現れたのは他ならぬグレイブ先生でした。あぁぁ、やっぱりこう来ましたか! サム君は嬉しそうですけども…。
「入学早々、騒ぎたてるとはいい度胸だな。私は1年A組の担任、グレイブ・マードック。グレイブ先生と呼んでくれたまえ。…そもそも騒ぎの原因は何だ? どうやら諸君のせいらしいが…?」
ジロリと睨まれ、首を竦める私たち。グレイブ先生は「まあいい」と舌打ちをして名簿を取り出し、前から順に名前を呼んで座席と照らし合わせると。
「さっきの騒ぎからして既に諸君は知っているようだが、このクラスには特別生と呼ばれる連中がいる。彼らには出席義務も無ければ成績も不問だ。空気のようなものだと思って無視したまえ。そして私には私のやり方がある。まずは諸君の日頃の努力の成果を見たい。今から実力テストをする!」
「「「えぇぇっ!?」」」
「私の担当は数学だ。中学校で真面目に勉強していれば解ける問題ばかりだぞ。正解が七割以下の生徒は補習をするからそのつもりで」
問題が裏返しにされて配られ、パニック状態になった教室の後ろの扉がカラカラと…。
「ごめん、ごめん。…遅くなっちゃった」
入って来たのは会長さん。銀色の髪に赤い瞳、超絶美形の会長さんにクラスの視線が集中する中、会長さんはスタスタと教卓の前まで行くと。
「例によって実力テストだって? 君の机を借りるよ、グレイブ。ぼくも仲間になりたいからねえ」
「また来たのか…」
「うん。でも、まずは自己紹介をしなくっちゃ」
会長さんはグレイブ先生を押しのけて教卓を占拠し、良く通る声で。
「初めまして、1年A組のみんな。…ぼくはシャングリラ学園の生徒会長をやってるブルー。ついでに特別生でもある。三百年以上在籍している生徒の噂を知っている子もいるだろう。それがぼくだ」
どよめきが上がりましたが、さっき話しかけてきていた男子二人は全く驚いていませんでした。元1年A組だった先輩から聞いていたのでしょう。けれど大多数の生徒はビックリ仰天、会長さんの顔を見詰めています。
「ぼくには決まったクラスが無い。1年A組に混ぜてくれるなら、この一年間、君たちの力になろう。入学式でそるじゃぁ・ぶるぅを見ただろう? ぶるぅの御利益パワーで定期試験は全て満点とか、そういうお得なヤツなんだけど」
「「「満点!?」」」
「そう、満点。今から始まる実力テストにも効果があるよ。…混ぜてくれる? それとも…」
会長さんが言い終えない内に「混ざって下さーい!」の声があちこちで…。会長さんは満足そうな笑みを浮かべてグレイブ先生の椅子に座りました。
「じゃあ、一年間よろしくね。グレイブ、ぼくにも問題を」
「そう来るだろうと思っていたのだ! お前に渡せる問題は無い。今後の定期試験はともかく、実力テストは実力テストだ。お前に引っ掻き回されたのでは皆の実力が分からんからな」
フフンと笑うグレイブ先生。これは大番狂わせです。会長さんの分の問題が無いと正解をクラスメイトの意識の下に送り込むことが出来ません。
『これってヤバイ…?』
ジョミー君の思念波が届き、キース君が。
『いや、あいつなら俺たちの分の問題を読み取るくらいは簡単だろう。だが、しかし……ぶるぅパワーを主張するなら問題が無いとマズイのか?』
『そうじゃないですか? ぶるぅの力を借りられるというのを毎年売りにしてるんですから』
まずいですよ、とシロエ君が青ざめ、グレイブ先生は勝ち誇った顔。
「どうする、ブルー? お前が問題を見られない以上、ぶるぅの力は借りられない。…私の勝ちだな。では、諸君。今から三十分間だ。…はじめっ!」
あちゃ~。大変なことになってしまいました。会長さん自身に力があるのは秘密です。バレても問題ないんじゃないかと思いますけど、今まで内緒になってましたし…。
『そうなんだよね』
頭の中に流れてきたのは会長さんの思念。
『ぼくのサイオンは出来れば秘密にしておきたい。三百年以上生きているって件はともかく、他は普通でいたいんだ。だから試験問題が無いと困るんだけど…。さて、どうするか…』
視線を上げると会長さんは教卓に頬杖をついて手持無沙汰に座っていました。グレイブ先生が作った実力テストは、会長さんに長年知識をフォローしてもらった私たちには楽勝ですけど、クラスメイトには難問みたい。聞こえてくるのは溜息ばかりでペンを走らせる人は皆無のようです。ここで「そるじゃぁ・ぶるぅ」の御利益パワーを見せられなければ会長さんの立場が危ういのでは…?
「十分経過! どうした、さっぱり進んでおらんぞ! そんな問題も解けんのか?」
補習だな、とグレイブ先生が教卓を指でコツコツ叩いています。その後も時間は無情に流れて…。
「残り五分だ! つまらないミスが無いよう、よく見直しておくように!」
「「「………」」」
見直すも何も、クラスメイトが総崩れなことは気配で察知できました。もうダメだ、とジョミー君たちが嘆きの思念波を送ってきます。ジョミー君を知っていた男子生徒二人の期待を裏切り、クラスメイトが会長さんに抱いた期待も微塵に砕けてしまいそう。今年の1年A組は初日から躓いてしまうのでしょうか…?
試験終了、とグレイブ先生が告げると同時に阿鼻叫喚の1年A組。やはり大半が白紙でした。回答欄が全部埋まった人は特別生の他には一人もおらず、グレイブ先生は集めた解答用紙をめくってニヤリと笑うと。
「ほほう…。これは全員補習のようだな、一応採点してみるが。補習はクラブ見学などで授業が無い期間の放課後を充てる。一日二時間、みっちりと…だ」
げげっ、補習が二時間ですか! 会長さんの約束は? 実力テストも大丈夫だって言い切ったのに…。クラスメイトは泣きそうですし、これじゃ会長さんは大嘘つきに……と思った時。
「かみお~ん♪」
パアッと青い光が走って教卓の横に「そるじゃぁ・ぶるぅ」が出現しました。クルクルクル…と宙返りしてストンと降り立ち、「こんにちは!」と満面の笑顔。
「えっと、えっとね、ぼく、ぶるぅ! 入学式で会ったでしょ? ぼくも1年A組の仲間になりたいなぁ…って。ブルーが困っていたから急いで来たの! テスト、満点にしてあげられるよ♪」
「「「満点?」」」
白紙のテストをどうやって、と疑問だらけのクラスメイトに「そるじゃぁ・ぶるぅ」は右手を高く差し上げて。
「右手のパワーはパーフェクト! ぼくが手形を押しちゃうだけで、どんなテストも満点なんだよ。すぐにパパッと押しちゃうからね」
言うなり教卓の上の解答用紙をサッと引ったくり、手形を押しまくる「そるじゃぁ・ぶるぅ」。グレイブ先生が呆気に取られている間に全部の用紙に赤い手形が…。
「な、何をする! これでは実力テストの意味が…」
我に返ったグレイブ先生が叫びましたが「そるじゃぁ・ぶるぅ」はニコニコと。
「だって、ブルーが約束したもん。嘘をつくのはいけないんだもん! そうだよね、ブルー?」
「ありがとう、ぶるぅ。いい子だね。…というわけで全員満点」
安心して、と会長さんは手形の押された用紙をグレイブ先生に差し出して。
「文句があるなら聞いてあげるけど? その場合はもれなく黒い手形とセットだけども」
「…く、黒……」
言葉を失うグレイブ先生。黒い手形はダメの印で「そるじゃぁ・ぶるぅ」の左手から出ます。これを人間の身体に押すと、アンラッキーなことが次から次へと湧いてくるとか来ないとか…。「そるじゃぁ・ぶるぅ」は左手を構え、グレイブ先生は会長さんと睨み合ったまま激しく火花を散らしたのですが。
「…くそっ、またしても私の負けか…。仕方ない、実力テストはクラス全員合格とする!」
わぁっ、と大きな歓声が上がり、会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」に惜しみない拍手が送られます。グレイブ先生は仏頂面で終礼を済ませ、ブツブツと文句を呟きながら立ち去る羽目に…。こうして今年も会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」は1年A組に仲間入りを果たし、新学期のスタートが切られたのでした。
「…さてと。みんなも家に帰ったことだし、ぶるぅの部屋に移ろうか?」
会長さんが言い出したのは、手形パワーで窮地を脱したクラスメイトたちが学校を出た後のこと。あれ? 今年の新入生が来るのでは? 新しい仲間にメッセージを送っていましたし…。まりぃ先生が反応しちゃってゼル先生たちが困ってましたよ?
「新しい仲間は今年もいないよ」
だから平気、と先に立って歩き出す会長さん。今年もいないって…去年も誰もいなかったのに…? 生徒会室に到着しても、待っている生徒は誰もいません。会長さんは壁の紋章に手を当て、隠された部屋に消えて行きます。
「今年も新しい人は来ないわけ…?」
ジョミー君が校章と同じ形の紋章を眺め、サム君が。
「新しい面子がいないって嬉しいじゃねえか。今年も俺たちの溜まり場にできるぜ」
もちろんブルーも独占できる、と言わなくても顔に書いてあります。サム君はホントに嬉しそう。新しい仲間が来てしまったら「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお部屋を明け渡さなくてはダメかもですし、会長さんだって忙しくなってしまうでしょうし…。公認カップルを名乗るサム君には避けたい状況なのでした。
「そっか、サムのためには良かったかもね。ブルーと一緒にいられるし」
デートもできていないけど、と笑うジョミー君にサム君は「かまわねえよ」と気にしない風。会長さんの家での朝のお勤めがデート代わりというわけです。今朝も行っていたようですし…。
「おい、いつまで立ち話をしている気だ?」
先に入るぞ、とキース君が壁を通り抜け、私たちも慌てて続きました。一足お先にお部屋に戻った「そるじゃぁ・ぶるぅ」の元気な声が迎えてくれます。
「かみお~ん♪ みんな、今年もよろしくね!」
入学式のお祝いケーキ、と桜色のクリームをたっぷり使った桜のケーキが切り分けられて賑やかに始まる新年度最初のティーパーティー。新しい仲間はやはり本当に来ないようです。
「なんで今年も新しい仲間が来ないんだ?」
メッセージはちゃんと流れてたのに、とキース君が訊くと会長さんは。
「去年も言ったと思うけど? 新しい仲間がいてもいなくても、あのメッセージは流すんだ。そして新しい仲間は滅多に来ないと教えた筈だよ、君たちの年が特別なだけ。それに今年はシャングリラ・プロジェクトで一気に仲間が増えたしね…。君たちの御両親が揃って仲間になったんだから」
「あ、ああ…。そうだっけな。どうも今一つ実感がない」
キース君の気持ちは私たちにも分かりました。パパやママたちがサイオンを持ったと言っても、思念波も操れないレベルです。連絡手段に思念波は使えず、今までどおり電話にメール。家での会話にサイオンの話が出てきていたのもシャングリラ号から戻ってきてすぐの頃だけで…。
「それでいいんだよ。急ぐ必要は何も無いしさ」
普通が一番、と会長さんが微笑みます。
「君たちだってゆっくりだったろ? 入学式でまりぃ先生の思念波を捉えていたようだけど、あれは去年じゃ拾えないレベル。まりぃ先生の思念波は初心者レベルで、これから先も期待できない」
「…期待できない…? なんだ、それは」
キース君の問いに会長さんはクスッと笑って。
「まりぃ先生の趣味は濃すぎるからね、思念波の扱いに長けてもらうと困るんだ。覗き見とかが得意になったら大変じゃないか」
「「「………」」」
その先は言われなくても明白でした。会長さんの悪戯だとか、教頭先生の夜の時間とかを覗き見されたら一大事です。きっと妄想に拍車がかかってイラストどころか突撃レポート、果ては写真の隠し撮り…。頭を抱える私たちの姿に会長さんは「困るだろ?」と繰り返して。
「ぼくの平和な日常のためにも、危険な力は伸ばさない! まりぃ先生には悪いけれども、力をブロックしておこうかと…。あ、表向きは「期待できない」ってことにしておくんだから口外無用」
分かったね? と念を押されて私たちは頷きました。まりぃ先生が暴走したら巻き込まれるのは確実ですし、平穏な学園生活を送りたければ触らぬ神に祟りなしです。
ワイワイ賑やかに盛り上がる内に、話題になったのはグレイブ先生。1年A組の担任はグレイブ先生と決まったわけではない、と聞いていたように思ったのですが…。
「ああ、グレイブね。…特別手当に釣られたようだよ」
会長さんが片目を瞑りました。
「職員会議で揉めたんだ。1年A組の特別生は固定してるし、もれなくぼくとぶるぅが来るし…。担任すればババを引くって分かってるだけに希望者ゼロ。クジ引きで決めるって話まで出た」
「「「………」」」
先生方の腰が引けるほど最悪でしたか、1年A組。ところで特別手当って…?
「絶対に酷い目に遭うのが分かってるから、危険手当と言うべきか…。具体的な金額は知らないけれど、相当な額が加算されるらしい。グレイブはそれに飛びついたんだよ。愛妻家なのは知ってるだろう? ミシェル先生に貢ぐためには特別手当が手っ取り早い」
残業しなくても毎月出るし、と会長さん。
「そういうわけでグレイブは全部覚悟の上ってことになる。今年も派手にやらせて貰うよ、遠慮しなくていいんだしね」
「あんたのオモチャ手当ってわけか?」
キース君の鋭い突っ込みに、会長さんは「そうとも言うね」と涼しい顔。
「でもさ、グレイブじゃオモチャにするには物足りない。オモチャはやっぱり頑丈でなくちゃ。踏んでも蹴っても壊れないタフさがオモチャの身上」
「おい、タフさって…」
途中で消えたキース君の言葉を会長さんは正確に読み取りました。
「もちろんハーレイに決まってるじゃないか。タフで頑丈、おまけに懲りることがない。…分かってるんなら出発するよ、新学期の初日はコレなんだから。…ぶるぅ!」
「かみお~ん♪」
勢いよく走って行った「そるじゃぁ・ぶるぅ」が奥の部屋から抱えてきたのはリボンがかかった平たい箱。綺麗サッパリ忘れてましたが、新学期と言えばこの箱で…。
「そうさ、青月印の紅白縞を5枚だよ。待ちくたびれているだろうから、急いで届けに行かなくちゃ。今日はオマケもついてるし」
ほら、と会長さんが取り出したのは立派な台紙つきの写真でした。ホテル・アルテメシアでのフォトウェディングの写真です。
「ハーレイは持っていないんだよ。ぼくの家にだけ送ってくれるように手配したから。…だって、新郎は逃げちゃったし? 恥をかかされた花嫁としては当然取るべき行動だよね」
「「「………」」」
逃げたんじゃなくて拉致られたのでは、と喉まで出かかった声を私たちは辛うじて飲み下しました。こんな写真をプレゼントされて教頭先生が喜ぶでしょうか? でも青月印の紅白縞とセットだったらいいのかな? 新学期と言えば紅白縞。トランクスのお届け行列、教頭室に向かって出発です~!
シャングリラ・プロジェクトのお留守番を兼ねて申し渡されたサイオン強化合宿。初日からソルジャーに乱入されて散々でしたが、二日目からは順調でした。キース君の指導の下、朝夕のお勤めの他にも何度も勤行。合間に掃除や洗濯をして、お皿も洗って片付けて…。三度の食事は柔道部三人組の担当です。
「よし。今日はスケジュールを守れたな」
バッチリだ、とキース君は会長さんが貼って行ったスケジュール表を眺めて満足そう。明日の夜には会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」が戻ってきます。サイオンや集中力が向上したかと質問されたらサッパリですけど、生活態度がきちんとしてれば文句は言われないでしょう。お勤めだって真面目にやっていますしね。
「いいか、お十念は忘れるなよ?」
キース君が念を押します。お十念とは「南無阿弥陀仏」を続けて十回唱えるもので、八回目まで同じ調子で唱えた後に息継ぎをして、九回目を丁寧に、十回目はお辞儀しながら重々しく長く「南無阿弥陀仏」。これが基本の『き』なのだとかで、何度も練習させられました。お念仏を三度唱える間に五体投地するサンショウライ……『三唱礼』というのもミッチリと。
「三唱礼は本物の坊主でもスクワットだなんて言うヤツがいるほどハードなヤツだし、お前たちの出来が今一つでも仕方ない。だが、お十念は唱えるだけだ。間違えるなんて許されないぞ」
特にお前、と名指しされたのはジョミー君でした。
「お前は集中力が無い! 息継ぎの場所を何度間違えたら気が済むんだ? どうしても覚えられないのなら合掌した手で数えておけと言ってるだろうが!」
右手の親指から順に力を入れる形で数えて左手の中指まで来たら息継ぎ、とキース君は何度も指導しているのですが、ジョミー君は未だに覚えません。璃慕恩院での修行体験ツアーの時もダメだったのだ、とサム君が証言しています。根っからお念仏に向いてないのか、お念仏アレルギーなのか…。
「覚えられないんだから仕方ないよ」
ジョミー君は頬を膨らませて不満そう。
「だってさ、お坊さんになる気は無いし、そんなの別に覚えなくても生きて行くのに困らないし!」
「いや、困る! 少なくとも明日は困ると思うぞ、ブルーがチェックをするだろうしな。俺たち全員、連帯責任になったらどうしてくれる? 合宿延長にしたいのか?」
キース君に凄まれ、私たちにジロリと睨まれ、ジョミー君は肩を竦めました。
「わ、分かったよ…。えっと、八回目で息継ぎだよね? 明日は間違えないように練習するよ、合宿延長になったら大変だし…」
「分かればいい。ブルーの指導でお勤めとなれば厳しいぞ? 三唱礼を三千回とか言い渡されても文句は言えん」
そういう修行もあるんだからな、とキース君に告げられて私たちの背筋が寒くなります。あのスクワットもどきを三千回もやらされた日には足腰立たなくなりそうな気が…。とにかく合宿も残り一日、会長さんが帰って来るまでにジョミー君の性根を叩き直して頑張り抜くしかありませんよね?
翌朝、私たちはスケジュールどおりに早起きをして朝のお勤めに励みました。ジョミー君のお十念が形になるまで付き合ったので朝食が少し遅れましたが、その分を掃除の時間に取り戻そうとスウェナちゃんと私はキッチンでせっせとお皿を洗って片付けて……マツカ君も今朝は掃除を担当です。三日分の総決算とあって掃除は念入り、男の子たちは一所懸命。
「換気扇も洗っておこう。昨日揚げものをしたからな」
キース君が先頭に立ってキッチンも磨き上げ、家中すっかりピカピカに…と言いたいのですが、家事万能の「そるじゃぁ・ぶるぅ」は毎日がこのレベルです。会長さんのチェックに引っ掛かってはたまりませんから、私たちは家のあちこちを指差し確認。
「バスルームよし、キッチンよし! ダイニングもリビングもここまでやればいいだろう」
責任感溢れるキース君の最終確認が終わり、一息入れたらまたお勤めの時間です。でもその前にリフレッシュ、と私たちは紅茶やコーヒーを淹れてダイニングに集まり、しばし雑談。シャングリラ号はそろそろワープをする頃でしょうか?
「ワープには早いんじゃないですか?」
あれは時空間を越えるんですよ、とシロエ君が言いました。
「長距離ワープで一気に飛ぶなら、まだまだ余裕がありますってば。デモンストレーションを兼ねてるでしょうし、絶対長距離ワープをしますよ」
「そうだな、俺もそう思う。シャングリラ号の性能を思い切りアピールしたいだろうしな」
短距離ワープでは有難味が無い、とキース君も頷いています。だとしたらパパやママたちは今も宇宙の彼方なわけで、太陽系に戻って来るのはお昼過ぎかな…?
「それくらいの時間になると思うよ」
「「「!!?」」」
いきなり割って入った声に私たちは息を飲みました。優雅に翻る紫のマント、銀色の髪に赤い瞳。会長さんったら一足お先に地球に帰ってきましたか!?
「…あーあ、綺麗に忘れてるし…。そこまでぼくが邪魔だったわけ?」
やれやれ、と露骨な溜息をつかれて私たちは今度は顔面蒼白。そうでした、ソルジャーが最終日の朝に来るとかなんとか言い残していたんでしたっけ。でも…とっくに朝じゃないんですけど? お昼前とまでは言いませんけど、朝と呼ぶには遅すぎです。
「仕方ないだろ、ぼくにも都合があったんだよ。これでも頑張ったんだけど…」
「早起きをか?」
キース君が投げた冷たい言葉にソルジャーは「ううん」と首を左右に振って。
「起きるのはきちんと起きたんだ。なにしろハーレイは休暇中ではないからねえ…。ブリッジに行く前に食事もしなくちゃいけないわけだし、引き止めておくにも限度があるさ」
「「「………」」」
アヤシイ方向に行きそうな話に私たちは眉を顰めましたが、そっちの方がまだマシだったと思います。ソルジャーが宙にフワリと取り出した物は会長さんのウェディング・ドレス一式で…。
「ぼくは本当に頑張ったんだよ、ハーレイだって努力した。だけどドレスなんて扱い慣れないものだから……どうにもこうにもならなくって。ベールはこれで大丈夫かな?」
差し出された純白のレースのベールは特に問題ないようでした。真珠のティアラも問題なし。ところが肝心のドレスの方は長いトレーンもドレス本体も皺だらけになり、見るも無残としか言いようがなく…。いったいどういう扱いをしたらこんな状態になるのでしょう? なのにソルジャーはいけしゃあしゃあと。
「ぼくのシャングリラにも服飾部はちゃんとあるんだよ。そこに任せれば直せたんじゃないかと思うんだけど、船の備品じゃないウェディング・ドレスを持ち込むのはちょっと問題が…ね。ぼくは全然気にしないのに、ハーレイがやたら渋るんだ。ぼくと結婚式を挙げたと勘違いされたくないらしい。結婚してるも同然なのにさ」
「…それで?」
キース君の地を這うような声が真っ直ぐソルジャーに向けられました。
「勝手にドレスを持ち出した挙句、皺になりましたで済むと思うか!? 俺たちが悪戯したんです、と嘘をついてもブルーの雷は避けられないぞ!」
「だから来るのが遅れたんだよ、なんとか直そうとしたんだってば。ハーレイが服飾部からアイロンをコッソリ持ってきたけど、ぼくもハーレイも器用と言うには程遠かった」
「「「………」」」
床に広げられたドレスは私たちの手に負えるものではなさそうでした。レースたっぷりで真珠がふんだんに鏤められた生地をどう扱えばいいのでしょう? いつも「そるじゃぁ・ぶるぅ」がお手入れをしているのですけど、お手入れマニュアルが置いてあるとは思えません。ああ、なんだってこんなことに…。
「まさかここまで繊細だとは思わなくってさ」
非難の視線を一身に浴びたソルジャーが口を開きました。
「ウェディング・ドレスを借りたからにはハーレイに見せてやりたいじゃないか。もちろんとても喜ばれたよ、根がヘタレだとは思えないほど情熱的なキスもしてくれた。…それで、つい…」
「つい…?」
先を促したキース君にソルジャーが返した答えは衝撃的なものでした。
「倒れ込むようにベッドに…ね。ドレスが借りてきたヤツだというのは二人揃って忘れ果ててた。朝になってから気がついたけど、とっくに手遅れだったんだ。ぼくとハーレイの体重がかかったままで数時間だし」
私たちは完全に声を失い、しわくちゃのドレスを見下ろすばかり。よりにもよって大人の時間に使われた事実を隠蔽することは可能でしょうか? よく見てみれば皺だけでなく汚れまで…。これってどうにか出来るんですか?
お勤めの時間になったのですが、ドレスの方が優先でした。会長さんにバレないように修復するには専門の業者さんに一任するしかなさそうです。去年の暮れの仮装パーティーでお世話になったお店に頼むという案が出ましたけれど、サイオンを持つ仲間のお店なだけに会長さんにバレるかも…。
「うーん…。あそこならやってくれそうなのに…」
ダメかぁ、と発案者のジョミー君が項垂れ、マツカ君がおずおずと。
「ぼくの母が贔屓にしている店で直せると思います。ただ、ここに取りに来て貰うのはマズイですよね…。このマンション、住んでいるのは仲間ばかりで普通のマンションじゃないみたいですし」
「仕方ない。…マツカ、お前に任せる」
キース君が決然と顔を上げました。
「合宿中に抜け出したことはバレないように取り繕うから、それを持って直しに行ってきてくれ。夜にはブルーが戻って来るから夕方までに間に合うようにな。…出来るか?」
「え、えっと…。ちょっと待って下さいね」
マツカ君は携帯を取り出し、執事さんに電話してから更に何処かに電話して…。
「大至急でやってくれるそうです。迎えの車も頼みましたし、ちょっと抜けさせて頂きますね。あ、修理代は大丈夫ですよ、ぼくが払っておきますから」
「ふうん…」
ありがとうを言う前にソルジャーが感心したように。
「マツカの家がお金持ちなことは知っているけど、ノルディよりも便利に使えるかな? 今度からマツカに頼もうかなぁ、こっちで何か買いたい時は」
「調子に乗るな!」
誰のせいだと思ってるんだ、とキース君が声を荒げます。けれどソルジャーには馬耳東風で、二人が言い争いをしている間にマツカ君はウェディング・ドレスを大きな紙袋に入れて出発しました。それから半時間も経たない内にキース君の携帯にマツカ君から電話があって…。
「助かった…。5時頃までには直せるそうだ。ブルーは夜まで戻ってこないし、後は俺たちさえ黙っていれば問題ない。あんたには消えて貰おうか」
余計なことを言いそうだから、とソルジャーを指差すキース君。
「いいのかい? ぼくが初日に現れたことはブルーにバレているんだけども?」
「追い返したと言えば済むことだ。追い返したのは事実だからな、大問題を起こしてくれたが…。よくもドレスを持ち出しやがって!」
「じゃあ、緋の衣の方が良かったのかな?」
「言うなぁぁぁ!!!」
そっちだったらブチ殺す、と凄い剣幕で怒鳴るキース君はまるで鬼神のようでした。ソルジャーは長居をしても面白くないと考えたのか、フッと姿が消え失せて…。
「…撃退したか?」
ゼイゼイと肩で息をするキース君に、家のあちこちを調べて回ったジョミー君たちが。
「うん、大丈夫。帰ったと思う」
「クッキーの箱が影も形もありませんよ。やられました…」
朝は確かにあったのに、とシロエ君が嘆きましたが、ソルジャーに居座られた時のリスクに比べればクッキーなんて被害の内に入りません。そりゃあ…「そるじゃぁ・ぶるぅ」がお取り寄せしておいてくれた有名店のクッキーだけに、未練はかなりありますけども…。とはいえ、気を取り直してお勤めを始める私たち。マツカ君がいなかったことを誤魔化すためにも精進あるのみ!
シャングリラ号の地球帰還は午後5時という予定でした。パパやママは衛星軌道上から専用空港にシャトルで降下し、夜7時には帰宅する筈です。会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」はそれよりも遅くなると言ってましたし、恐らく9時を回るのでしょう。私たちはマツカ君の帰りを待ちわびながら午後もお勤め三昧です。
「やはりサイオンまでは無理だったか…」
キース君が残念そうに呟いたのはマツカ君から「今、車に乗りました」と携帯に電話が入った直後。私たちのサイオン強化合宿は名ばかりに終わる気配が濃厚です。会長さんも期待してはいないでしょうけど、問題は…。
「何がバレたらマズイって?」
「「「!!?」」」
ギョッとして振り返った私たちの背後に立っていたのはソルジャーでした。お勤めを終えて夕食までの休憩時間をリビングで過ごしていたというのに、またまた邪魔をしに来ましたか! キース君が一気にブチ切れ、トゲのある声で。
「しらばっくれるな、全部あんたのせいだろうが! マツカだってまだ出掛けてるんだぞ!」
「………。そういえばマツカが見当たらないね」
ソルジャーはキョロキョロと周囲を見渡し、首を傾げて。
「合宿中は不要不急の外出は禁止じゃないかと思ったけどな? で、マツカは?」
「やかましい! さっき電話があったばかりだ、今から戻りますってな!」
「…えっと…。話がさっぱり見えないんだけど?」
いったい何があったんだい、と怪訝そうなソルジャーの隣にパァッと青い光が走って。
「かみお~ん♪」
ピョコンと姿を現したのは「ぶるぅ」でした。げげっ、なんだって「ぶるぅ」までが…、と思った時。
「ただいまぁ! みんな、元気にしてた?」
お土産だよ、とニコニコ笑顔の「ぶるぅ」の手にはホールケーキが入っていそうな大きな紙箱。どうして「ぶるぅ」がこんなものを? それに「ただいま」って、どういうこと…?
「どうしたの、みんな変な顔して…。これね、ゼルが作ってくれたんだ! みんなの合宿の打ち上げパーティーに使えるようにって材料も持ち込みで頑張ってたよ♪」
え。合宿の打ち上げパーティーがなんですって? ゼルって…ソルジャーの世界にいるというゼルではなくてゼル先生のことですか? それじゃ「ただいま」と現れたのは「ぶるぅ」ではなく「そるじゃぁ・ぶるぅ」? キース君が怒鳴り付けた相手はソルジャーではなくて会長さん…?
「「「………」」」
もしかしたら、と私たちが恐ろしい予感に青ざめた瞬間、玄関のドアが開いてバタバタと廊下を走る足音が…。
「遅くなりましたぁ!」
衣装ケースを両手で抱え、息を切らして掛け込んで来たマツカ君。
「お帰り、マツカ。…なんだか大荷物みたいだけれど、抜け出して何処に行ってたんだい?」
今は合宿の最中だよね、と壁のスケジュール表を指したソルジャーの後ろでユラリと空間が揺らめいて。
「…ごめん、急いだんだけど間に合わなかった」
ちょっと昼寝をしすぎちゃって、と眠そうに瞬く赤い瞳。それじゃ、こっちがソルジャーですか? さっきから私たちの前に立っていたのはソルジャーじゃなくて会長さんで…。もしかして全部バレました? 抜き打ちチェックとか合宿延長とかそういう以前に、とんでもなくヤバイ展開なのでは…?
「…それでこういう結果になった、と……」
ソルジャーの正装から私服に着替えた会長さんが思い切り顔を顰めました。会長さんの前にはマツカ君が抱えて戻った衣装ケースとウェディング・ドレス。あまりにも突然過ぎた会長さんの帰還にパニックを起こした私たちの思考は隠すどころかダダ漏れになり、全てが見事に白日の下に…。
「…すまん。俺の監督不行き届きだ」
キース君が土下座し、私たちもリビングの床に正座でひたすら頭を下げたのですが。
「まさかここまでやられるとはね…。ブルーがひょっこり出てきたからには何か起こると思っていたけど、よりにもよってぼくのドレスを…」
「いいじゃないか、有効活用してあげたんだし。あのままじゃ宝の持ち腐れだよ」
せっかく素敵なドレスなのに、とソルジャーが割って入りました。
「やっぱりドレスのお蔭なのかな? ハーレイも熱くて激しかったね。君も大いに活用したまえ、君のハーレイなら一発で落ちるさ」
「落としたいわけないだろう! それじゃハーレイの思う壺だし、第一、君がベッドで使ったドレスをぼくが返して欲しがるとでも? マツカ、直してくれたのを申し訳ないけど、そのドレスは捨てることにするから」
「えぇっ? 捨てるんだったらぼくにくれても…」
勿体無い、とソルジャーが止めにかかります。
「そのドレス、とても着心地がいいし、ウェディング・ドレスは持っていないし…。くれないのなら今度ノルディに頼んじゃうよ? 同じデザインで作りたいから注文して、って」
「なんだって!? ノルディにウェディング・ドレスを買わせちゃったら終わりじゃないか! いくら君でも無事には済まない」
「無事に済まない、大いに結構。…ぼくはノルディでも気にならないし?」
いつでもOK、と余裕たっぷりのソルジャーに会長さんは頭を抱え、降参するしかありませんでした。こうしてマツカ君が直してきたドレスはソルジャーに譲られ、ソルジャーは至極ご機嫌で。
「シャングリラ・プロジェクトは無事に終わったみたいだね。君が予定より早く帰れるほどに」
「元々この時間に帰って来るつもりだったんだ。地球まで戻ればソルジャーとしての仕事は無いし、衛星軌道上からの瞬間移動もたまにはやってみたいしね。…それで合宿の抜き打ちチェックをと思っていたのに、君のお蔭で合宿どころかメチャクチャじゃないか」
「「「………」」」
改めて指摘されなくっても、私たちの合宿は大失敗です。サイオンは向上せず、スケジュールは守れず、挙句の果てに会長さんの大事なドレスをソルジャーに掻っ攫われて大人の時間に使われて…。どう考えても合宿延長は免れません。打ち上げパーティーのためにゼル先生がケーキを作ってくれたのに…。パパやママたちが仲間になって、プロジェクト成功を祝う筈だったのに…。
「…まあいいか…」
仕方ないや、と会長さんが溜息をついて。
「ブルーが乱入してきた割には頑張ったようだし、今夜は打ち上げパーティーにしよう。お勤めや掃除をきちんとしたのは分かるしね。ぶるぅ、いつもの店に電話して。パーティー料理を九人分だ」
「え? 一人分足りないよ?」
「ブルーの分かい? ドレスをあげたから食事は無しだ」
それでいいよね、と笑う会長さんにソルジャーが「食事はいいけどデザートは欲しい」と主張し、結局、料理は十人分に。強化合宿最後の夜はゼル先生特製のパッションフルーツケーキも加えて賑やかな食卓になりました。シャングリラ・プロジェクトは無事に終了、パパやママたちからも「帰って来たよ」とメールや電話が…。私たちは会長さんに御礼を言って、夜更けまで盛り上がったのでした。
そして翌朝。泊まっていったソルジャーも交えてダイニングで朝食を食べていると会長さんの携帯電話が鳴って。
「ああ、おはよう。…うん、うん…。そうなんだ。だからね、次の土曜日かなぁって」
「「「???」」」
楽しそうに話をしている電話の相手は分かりません。けれどソルジャーが必死に笑いを堪えています。なんだろう、と思っている間に電話は切れて、会長さんが。
「ぼくのお気に入りのドレスをブルーに譲ってしまったからね…。代わりのドレスを誂えることにしたんだよ。今日、仮縫いに行ってくるんだ」
「なるほど…。出来上がるのが土曜日なのか」
キース君が頷き、シロエ君が。
「ずいぶん仕事が早いですけど、仮装パーティーの時のお店ですか?」
「違うよ、あそこのオートクチュール部門の方さ。いわば本店。値段もとってもゴージャスだけど、スポンサーは確保したから」
「「「スポンサー?」」」
「土曜日になれば分かると思うよ。ドレスのお披露目も兼ねて瞬間移動で招待するから、午前十時にはきちんと服を着ているようにね」
でないとパジャマやジャージで外出だ、と申し渡されて私たちは慌てて「はいっ!」と返事をしました。会長さんの新作ドレスも気になりますが、それよりも我が身が大事です。土曜日は寝過ごさないようにしなくっちゃ! 朝食を終えたソルジャーはドレスを貰って帰っていって、私たちも自分の家に帰って…。
パパやママたちは以前と変わりませんでした。シャングリラ号やサイオンという新しい話題は増えましたけど、その他はいつも通りです。温泉旅行に行っていたことになっているので明日はお土産を配るのだとか。ジョミー君やキース君たちの家でも普段と全く同じだそうで、パパやママたちが仲間になった有難味が分かってくるのは何年も先かもしれません。だって私たち、いつまでも年を取らない子供ですから。
春休みを楽しく過ごしている間に土曜日が来て、会長さんが言っていた午前十時。アルテメシア公園に集まっていた私たち七人グループは突然青い光に包まれ、フワリと瞬間移動していました。周囲に人がいたんですけど、今の、見つからなかったでしょうか?
「大丈夫だよ。情報操作に抜かりはないさ。ね、ぶるぅ?」
「かみお~ん♪ 見て見て、ブルー、綺麗でしょ?」
会長さんは雪のように白いドレスを纏って長いベールを被っています。今度のドレスも長いトレーンで形は前のとよく似ていますが、レースは遥かに細かなもので鏤められた真珠の数も桁違い。お値段が張るというのも頷けました。ところで、ここって何処なんでしょう? 贅沢な造りのお部屋ですけど…。
「一応、新婦控え室だよ」
「「「えぇっ!?」」」
なんですか、それは? 控え室って……しかも新婦って…?
「フォトウェディングを申し込んだから、いろんな場所で写真を撮って貰うのさ。分からないかな、いつものホテル・アルテメシアだってば」
「「「………」」」
私たちがポカンとしている間にメイクの人やカメラマンが来て、白薔薇がメインのブーケを手にした会長さんはホテルのあちこちで記念写真を撮っています。いつの間にやらソルジャーも会長さんの私服で現れ、面白そうに見学中。でもスポンサーは? あの高そうなドレスの代金を払おうという奇特な人は…?
「ほら、あそこ」
ソルジャーに教えられて吹き抜けの手摺りから見下ろしたロビーに教頭先生が立っていました。白いタキシードを着て、時計を眺めているようです。
「ブルーとフォトウェディングを挙げられるって持ち掛けられて、二つ返事でOKしたのさ。ドレスの代金もフォトウェディングの料金の方も全部ハーレイ持ちなんだけど……。そろそろかな?」
「「「は?」」」
何が? と尋ねようとするよりも早く、ロビーに踏み込んで来た黒い人影。小柄ながらも威圧感溢れるその風体に周囲の視線が集まります。黒い革のライダースーツに小脇に抱えたフルフェイスの黒いヘルメット。あれは『過激なる爆撃手』ことゼル先生ではありませんか!
「見つけたぞ、ハーレイ!」
空気を震わせる怒声が吹き抜けの上まで響いてきました。
「ブルーが電話を寄越した時には、まさかと思うておったのじゃが…。ホテルの方に確認したら本当にお前の名前で申し込みがしてあった。ブルーと結婚できないからと思い詰めたあまりにフォトウェディングとは厚かましい! もう一度思い知らせてくれるわ、タキシードで街をパレードせいっ!」
サイドカーがお前を待っておるぞ、とゼル先生は教頭先生を引き摺ってズンズン歩いていきます。会長さんが記念撮影を中断してクスクス笑いながら見送っていますが、教頭先生が気付く筈もなく…。
「誤解だ、ゼル! 私は……私は本当にブルーに頼まれて…!」
「やかましいわい! さあ、行くぞ!!!」
会長さんに騙された教頭先生を待っているのはサイドカーでの爆走でした。スピードに弱い教頭先生、またまた気絶するのかも…。
「今日のサイドカーは空き缶つきだよ、結婚式で車の後ろにつけるヤツ」
楽しげに笑う会長さん。
「ゼルのセンスもなかなかだ。市中引き回しを昼間にやるなら出来るだけ派手な方がいい」
「ふうん? こっちの世界じゃ面白いことをやるんだね」
空き缶か…とソルジャーの瞳がロビーを出てゆく二人の姿を追っています。新郎は拉致されてしまいましたが、フォトウェディングの方は続行でした。純白のドレスでホテルの中を歩く会長さんは注目の的で、溜息混じりの女性も多数。…そんな中でソルジャーが吐息をついて。
「あーあ、今回もハーレイは貧乏クジか…。万に一つくらいは望みがあるかと思ったけどな」
「どう考えても無理だろう。だいたい、あんたがドレスをダメにしたせいで教頭先生はあんな目に…」
気の毒な、とキース君が責めてもソルジャーはまるで気にしていません。ドレスを誂えさせた会長さんにも罪の意識は無いようです。教頭先生、新年度も前途多難そう。シャングリラ・プロジェクトという大仕事を終えたキャプテンなのに、私たち、恩を仇で返してしまいましたか? ソルジャーにドレスを奪われなければこんな悲惨な結末には…。
「や、やめてくれ、ゼル! 濡れ衣だぁぁぁーっ!!!」
バイクの爆音と共に届いた教頭先生の野太い悲鳴。疾走してゆくサイドカーつき大型バイク。サイオンで中継してくれたのは小さな「そるじゃぁ・ぶるぅ」でした。
「かみお~ん♪ みんな合宿、頑張ったんだね! サイオンのレベルを少し落としてみたんだけれど、いつもみたいに届いたでしょ?」
集中力がついたんだよ、とニコニコしている「そるじゃぁ・ぶるぅ」。大荒れだった強化合宿、成果はあったみたいです。パパやママたちが仲間になって、私たちのサイオンも僅かに向上。会長さんもソルジャーもウェディング・ドレスをゲットしましたし、一応、めでたし、めでたしですか? 影の立役者な教頭先生には心からお詫びを申し上げます…。
サイオン強化合宿が始まった途端、抜き打ち検査に登場したのは会長さん。シャングリラ号での肩書どおりソルジャーの正装をしていますけど、中身はいつもと同じでした。ダイニングの自分の席に悠然と座り、いきなり無茶な注文を…。いくら「そるじゃぁ・ぶるぅ」のレシピノートがあるにしたって、そんな料理が可能でしょうか?
「えっと…リコッタチーズのパンケーキって…」
アレだよね、とジョミー君が会長さんに確認しました。
「ぶるぅが時々作ってくれるフワフワのヤツだと思うんだけど、あんなのキースに作れるの?」
「さあね? 真剣にやれば出来るだろう。もちろんフレンチトーストの方も」
そう言いながら壁の時計に目をやる会長さん。シャングリラ号の出発時刻まで1時間弱しかありません。出航の時にソルジャーの仕事は無いのですから、乗り遅れないよう戻ればいいだけのことなんですけど……それにしたって…。
「なんだい? みんな顔色があまり良くないけれど?」
「「「………」」」
私たちは一様に押し黙りました。会長さんのせいだなんて言おうものなら墓穴です。ここはキース君の料理の腕に全てを賭けるしかないでしょう。もしも焦げたパンケーキが出来たりしたら合宿延長…? やけに時間が長く感じられ、時計の秒針もゆっくりとしか回らないように見えましたが…。
「出来たぞ、フレンチトーストだ」
キース君が香ばしい香りが漂うお皿を運んできました。
「オレンジとへーゼルナッツ入りだったな? なんとか形になったと思うが」
「ふうん? 見た目の方はまあまあか…。次はパンケーキを頑張って」
一足お先に頂くよ、とフォークを手にする会長さんに私たちの心臓は今にも破裂しそうです。ここで「不味い」と言われちゃったら一体何が起こるのか…。キース君はパンケーキを作りにキッチンに戻り、入れ替わりにマツカ君とシロエ君が私たちの朝食をワゴンに乗せて入ってきて。
「どうぞ、簡単なものですけれど」
「会長もスープとサラダは要りますよね?」
手際良く並べるシロエ君に会長さんは鷹揚に頷き、フレンチトーストは合格点に達した模様。マツカ君が私たちにも先に食べればいい、と言ってくれるのですけど、難関であろうパンケーキを思うと朝食気分ではありませんでした。キース君、上手く作れるのかな…。シロエ君とマツカ君も気を揉んでいる様子です。
「ぼくたち、キース先輩を手伝ってきます!」
「その方がいいですよね」
出て行こうとした二人に会長さんが。
「手伝いが必要なほど時間はかからないと思うよ、パンケーキ。素早く仕上げるのがコツなんだってさ」
「それはぶるぅだからなんじゃあ…」
家事万能、と複雑な顔をするジョミー君。なにしろキース君の場合は初めて作る料理なのです。どうなるのだろう、と心配のあまり食事が喉を通りません。スープも卵料理も冷めちゃいそう…と思った時。
「これでいいのか?」
トレイを持ったキース君の姿に私たちは大歓声でした。お皿の上には「そるじゃぁ・ぶるぅ」お得意のリコッタチーズのパンケーキ。ハニーコームバターも添えられ、焼き色だって完璧です。
「やっぱりやれば出来るじゃないか。…味もぶるぅに負けないといいね」
「正直、自信は無いんだが…。メレンゲを加えた後の混ぜ加減が掴めなかったんだ。混ぜ過ぎない、と書かれていたが、ぶるぅと俺では腕の力に差があり過ぎる」
「ああ、そうか。でも…」
パンケーキを一切れ口に運んだ会長さんはニッコリ笑って。
「いい出来だ。このレシピ、貰って帰ろうかな? ゼルなら作ってくれるかも」
「「「は?」」」
なんでゼル先生の名前が出るのでしょう? それにレシピって…貰うも何もレシピは「そるじゃぁ・ぶるぅ」のものなのです。会長さんならコピーを取り放題ですし、第一、ゼル先生よりも「そるじゃぁ・ぶるぅ」の方が上手に作れると思うんですが…。けれど会長さんは可笑しそうに。
「ぶるぅは料理は作れないよ? だって食べるの専門だから。…ここまで言っても分からないかな?」
「「「えぇっ!?」」」
も、もしかして……もしかしなくても、ここに居るのは会長さんではなかったとか? 食べるの専門の「ぶるぅ」と言えば別の世界に居たような…。
「…やっと気付いたか…。ずいぶん時間がかかったよね」
クスクスクス…と零れる笑いを堪えているのは紛うことなきソルジャーでした。私たち、思い切り騙されましたか? フレンチトーストとパンケーキを作ったキース君の努力はすっかり水の泡なんですか~?
「ふふ、シャングリラ号は出発したよ。ブルーが歯噛みしていたけれど、そんなの知ったことじゃないしね」
ぼくは全く無関係、とソルジャーは大きく伸びをして。
「さてと、着替えてこようかな。ソルジャーの服は堅苦しくてさ。ついでにこれも必要ないし」
記憶装置を兼ねた補聴器を無造作に外してしまうソルジャー。私たちの世界では外しているのが基本ですけど、ソルジャーの世界では着けていないとマズイのだそうです。様々な音や情報を拾い過ぎてしまって頭が混乱するのだとか…。私たちの世界は雑音は無いに等しいらしく、サイオンで聴力を補っていれば補聴器要らずというわけです。
「ブルーの服を借りてくるよ。君たちは食事してから後片付け…と」
後はよろしく、とソルジャーは行ってしまいました。時計の針はシャングリラ号の出発時刻を過ぎています。会長さんはソルジャーの乱入に気付いたものの、打つ手が無かったのでしょう。思念波での連絡も来ませんでしたし、これは会長さんによる抜き打ち検査よりもマズイ事態になりましたか? まさかソルジャーまで合宿するとか言い出したりはしないでしょうね…?
「おい、やばいぞ」
潜めた声はキース君でした。
「よりにもよってあいつが来るとは思わなかった。…絶対ブルーだと思ったんだが…」
「ぼくもです。会長そっくりに見えましたしね」
溜息をつくシロエ君。
「余計なことさえ喋らなかったら区別がつかないってことですか…。そりゃ、冷静に考えてみれば最初から普段のペースですよね。いきなり出てきて食べたいものをビシッと注文するなんて」
「そうなんだ。あいつはそういうヤツだったんだが、俺はブルーが抜き打ち検査に来たんだとばかり…」
「誰だってそう考えますよ、あの状況じゃあ…。現に全員、騙されてたんじゃないですか?」
シロエ君の問いに私たちは揃って頷き、サム君が。
「情けないけど、俺にも全然分からなかった…。一度も間違えたことがないのに!」
大ショックだ、とサム君は頭をポカポカ殴っています。会長さんと公認カップルを名乗っているのに間違えたのでは衝撃はかなり大きいでしょう。けれど問題は間違えたとかそういう次元の話ではなく…。
「あいつ、居座るつもりじゃないだろうな?」
キース君の言葉が終わらない内にジョミー君が悲鳴を上げていました。
「えぇっ!? そんなの困るよ、ブルーは知っているんでしょ? ソルジャーが家に来ちゃったこと…」
「そのようだな。ブルーにも想定外の客なんだろうが、追い出さないとヤバそうだぜ。俺たちの合宿の規律が乱れる。現にスケジュールがもう狂ったぞ。この時間には後片付けを終えて掃除なんだ」
「「「………」」」
壁に貼られたスケジュール表と時計を見比べ、私たちは顔面蒼白。食べる手がお留守になっていたせいで食事も終わっていなかったのです。だからといって食べ残すなんて合宿で許される筈もなく…。
「とにかく急いで食ってしまおう。遅れは早めに取り戻さないと、午前中のお勤めが出来なくなるぞ」
さあ急げ、とキース君に号令されて食事をかき込み、スウェナちゃんと私がお皿を洗ってマツカ君が拭いてくれ、他のメンバーは掃除です。ところが…。
「開けてもらおう、掃除中だ!」
キース君の怒号が響き渡りました。慌ててキッチンから飛び出してみると、一番奥のゲストルームの扉をキース君がドンドンと叩き、ジョミー君が掃除機を持って途方に暮れた様子です。そこはソルジャーが泊まりに来た時に使っている部屋。この雰囲気は…立て籠もり中? 掃除出来ないと会長さんが帰ってきた時、私たちがとっても困るんですけど…。
「うるさいねえ…」
やがてカチャリと扉が開いてソルジャーが顔を出しました。会長さんの私服どころかバスローブという格好ですが、午前中からシャワーですか?
「水もお湯も使い放題なのが地球の魅力の一つだよ。シャングリラでは量に限りがあるからね。で、この部屋を掃除に来たんだって? 生憎、ぼくは片付けるのが大の苦手で、掃除はもっと苦手なんだ。散らかっている方が気分が落ち着く」
「やかましい!!!」
合宿の責任者であるキース君は既にキレそうでした。
「風呂に入ったんなら身体を拭くのが常識だ! よくも水浸しにしやがって…。おまけに菓子まで食べ散らかして袋を床に捨てておくのが貴様の流儀か!?」
「そうだけど?」
悪びれもせずに答えるソルジャーの背後には濡れた床と水を吸った絨毯。それに焼き菓子の袋を破ったものが点々と散在しています。…ひょっとしてソルジャーって、いつもこういう人なんですか…? 呆然とする私たちを見てソルジャーはクスクスと笑い始めました。
「そうか、そうだったのか…。今まではぶるぅが掃除していたから知らないんだね、ぼくの癖? これを機会に覚えておいてよ、三日間お世話になるからさ」
「「「えぇぇっ!?」」」
やっぱり三日間ですか! 合宿期間中、ソルジャーつき。これは赤点確定かも~!
渋るソルジャーを部屋から追い出し、なんとか掃除を終えた時にはジョミー君たちは疲労困憊。床を拭いたり絨毯を乾かしたりと、とんでもなく手間がかかったようです。元凶になったソルジャーはと言えば、リビングのソファで昼寝中。えっと…合宿中の生活態度にソルジャーの分は含まれますか? だったら叩き起こしてキリキリ働かせないとダメなんですけど…。
「あいつのことは放っておこう」
廊下からリビングの中を窺いながらキース君が小声で言いました。
「まさかブルーもヤツのことまで責任を持てとは言わんだろう。それよりも今はお勤めだ。今日の午前中で一通りの作法を覚えてもらう」
さあ行くぞ、と先頭に立って阿弥陀様が安置された和室へ足を進めるキース君。中に入るとサム君が御線香と蝋燭に火を点け、お焼香用の台が出て来ました。あのぅ……お焼香って、法事ですか? 疑わしげな私たちの目に、キース君はフンと鼻を鳴らして。
「お焼香はお勤めの基本だ。法事に限ったことではない。去年の夏にブルーがゼル先生と仏前結婚式の真似をした時にもお焼香をしてただろうが」
「あ、そっか。…璃慕恩院でもやってたっけ」
忘れてたよ、と頭をかいているジョミー君。あれだけ修行に行かされたのに忘れるというのが天晴れです。ジョミー君をお坊さんにしたがっている会長さんには気の毒ですが、やはり適性の問題があるような…。それともそれを乗り越えてこそ、真の仏弟子と言えるとか…? キース君は淡々と準備万端整えると。
「いいか、お焼香の作法と言うのはだな…。三本の指で摘んだお香を押し頂いて…」
やってみろ、と名指しされたシロエ君がぎこちなくお焼香をしている所へスウッと風が吹いてきて。
「楽しそうなことをやってるねえ。それがお勤め?」
スケジュール表にあったよね、と襖を開けて現れたのは他ならぬソルジャーその人でした。
「ブルーはさ、ぼくが遊びに来ている時には全然お勤めをしないんだ。だから本物を見るのは初めてなんだよ。覗き見は何度もやっているけど、流石に匂いは分からなくって…。変な匂いがするんだね」
「変とはなんだ、変とは!」
キース君の声が荒くなります。
「恐れ多くも仏様が召し上がる御馳走なんだぞ、お香の香りは! それに身を清めるという意味もある。邪魔をしないで貰おうか」
「ぼくはイベントが大好きなんだよ」
間髪を入れず答えるソルジャー。
「君たちがお勤めをするっていうから遊びに来たんだ、どんなものかと思ってね。面白そうならぼくのシャングリラでもやりたいじゃないか。SD体制前の古い記録にはお勤めが載っているんだよ」
「「「………」」」
ソルジャーに何を言っても無駄だということは分かりました。だったら飽きて出て行ってくれるのを期待するしかありません。キース君は自分の座布団とお経本をソルジャーに譲り、一番後ろに座って真似をするよう指示したのですが…。
「その前に、服」
「は?」
意味不明なソルジャーの台詞に首を傾げるキース君。私たちだって同じでした。お勤めと服に何か関係ありますか?
「ぼくは形から入りたいんだ」
ソルジャーは重ねて続けました。
「ブルーがお勤めをしている時には着物って言うんだったかな……独特のヤツを着てるじゃないか。あれを着ないと気分が乗らない。だけど着方が分からなくってさ」
「なんだと?」
「ほら、赤い着物と四角い布みたいなのを着てるだろう? せっかくだからアレを着たいと思うんだよね。キースだって色は違うけど同じ衣装を着てるというのは知ってるよ。ブルーの留守に是非とも着方を教えて欲しい。ブルー、絶対に着せてくれないんだ」
「当たり前だろう!!!」
超特大の雷を落としてキース君は怒り心頭でした。
「あれは誰でも着ていいっていうモノじゃない! 俺だって着られるようになるまでに何年かかるか…。親父だってまだ無理なんだぞ! コスプレ感覚で着られてたまるか!」
「でもさ、ぼくに似合いそうだよ? ほら、瞳の色がコレだろう? ブルーが着ても良く映える。そうだ、ハーレイにも見せたいな。ストイックな感じが最高だよね」
「き、き、貴様……。緋の衣をなんだと思ってやがる! よりにもよってハーレイに見せてやりたいだと!? さっさと出て行け、部屋が穢れる!!!」
そう叫ぶなりキース君は阿弥陀様の御厨子の前にあった白い毛を束ねて柄をつけた法具を掴み、バッサバッサと振り回しました。えっと…なんて言うんでしたっけ、あれ? ほっす…。ホッス? そう、払子とか言うヤツです。ソルジャーは肩を竦めて部屋を出て行き、私たちは威儀を正してお勤めを…。スケジュールは遅れに遅れてしまい、お昼御飯にありつけたのは予定より2時間遅れでした。
午後もお勤め、休憩を挟んで更にお勤め。ソルジャーは緋の衣を着られないのが不満らしくて部屋に籠って出て来ません。おやつと食事には顔を出すのが癪ですけども、触らぬ神に祟り無しです。柔道部三人組が腕を揮ってくれた夕食の席にも当然のようにやって来て…。
「これが柔道部特製カレーってヤツなのかい? けっこういけるね」
「本当はニンニクが入るんだがな、お勤めが必須の修行中にはニンニクなんぞはもっての外だ」
キース君たちの説明によると、本物の柔道部特製カレーはニンニクの素揚げが入るのだそうです。それと牛すね肉とをじっくり煮込んで、更にフルーツの甘味を生かした味わいたっぷりのスタミナ食。フルーティーでコクのあるカレーはニンニク抜きでも十分美味しいものでした。夕食が終わると後片付けをして再びお勤め。ソルジャーは部屋に籠ってアイスを食べていたようですが…。
「あーあ、疲れた…。一日目なのにもうクタクタだよ」
ジョミー君が泣きごとを口にしたのは就寝前のほんの僅かな自由時間。ソルジャーという予期せぬ訪問者が転がり込んだお蔭で私たちの仕事は倍増でした。お勤めの間は部屋から一歩も出てこないのは助かりますけど、その間に部屋を好き放題に散らかすのです。ソルジャーが部屋から出てくる度に掃除してゴミを片付けて…。
「ぶるぅってホントに凄かったんだな…」
サム君が吐息をつきました。
「あっちのブルーが散らかした部屋をいつも綺麗にしてたんだもんな。それも一人で」
「ぼくたちは五人ですもんね…」
それでも手抜きになっちゃいますよ、とマツカ君。ソルジャーの部屋の掃除係は男の子たちと決まっていました。スウェナちゃんと私も手伝おうとしたのですけど、二度目の掃除に入った時にソルジャーが裸でベッドに寝ていたそうで…。ソルジャーの裸は流石に遠慮したいです。ストリップもどきは何度も見せられているんですけどね。
「ぼくたちの努力ってブルーに評価して貰えるの? それともスケジュールを守れなかったって時点でアウト?」
ジョミー君がぶつけた素朴な疑問に私たちは慄きました。会長さんが作ってくれたスケジュール表とは大きな時差が生じています。本当は寝る前の自由時間が一時間も取られていたのに、今は就寝時間より二時間も遅れて日付が変わる直前でした。
「どうだろうな…。今も見ていてくれればいいが」
俺たちの汗と涙の合宿ぶりを、とキース君が言った所でリビングのドアが廊下側から開けられて。
「ブルーは何も見てないよ」
パジャマ姿のソルジャーがポップコーンの袋を提げて入って来ました。ソルジャー好みのキャラメル味です。キッチンの棚から勝手に失敬したのでしょう。
「ブルーがこの部屋を見ていられたのはシャングリラ号が出航するまで。その後は辛うじてワープ直前までチラチラ見られていたようだけど、そこから先は全然ダメだね」
「「「えっ…」」」
「やっぱりスキルが足りないようだ。ぼくの世界を覗くことだって、ぼくのサイオンとシンクロしないと無理みたいだし…。同じタイプ・ブルーでも経験値が違うと差が大きいよ。ついでに言うなら、ぼくには今のブルーの様子は手に取るように分かるけどねえ?」
青の間でぶるぅと一緒に悩んでいるよ、と笑うソルジャー。
「ぼくが現れたのは知っているから、その後ぼくが元の世界に帰って行ったか、居座ってるのか悩み中だ。誰かに確かめて貰おうとしても人材が一人もいないわけだし」
「「「………」」」
そうでした。ソルジャーの存在を知っているのは教頭先生とフィシスさん、それにドクター・ノルディの三人だけ。その三人はシャングリラ号に乗って行ってしまい、地球には誰も残っていないのです。
「そうそう、覗いたついでに教えてあげよう。シャングリラ・プロジェクトの方は順調だ。君たちの御両親はサイオンを分けてもらって仲間になってる。ソルジャーとしてのブルーにも会って、明日は昼食を一緒に摂るようだよ」
良かったね、と言われましたが、なんだか複雑な気持ちになります。パパやママたちが無事に宇宙を旅しているのは嬉しいですけど、私たちの今の状況は悲惨。しかもソルジャーは最終日まで居座る気で…。
「ブルーの能力が不足してる分、中継要員は必要なのかと思ったけども……要らないのかな?」
通信機器も無いんだよね、とソルジャーがリビングを見回しました。
「正確に言えば通信用の器材はこの部屋の中にあるんだけれど…。君たちが存在を知らないってことは必要ないっていう意味だ。あくまでソルジャーのための設備らしいね」
スクリーンとか、と指摘されて思い出したのは会長さんが窓をスクリーンに変えてシャングリラ号を見せてくれたこと。何処から見ても普通の大きなガラス窓なのに、あの時は確かにスクリーンでした。ソルジャーによると他にも色々あるのだそうです。ただ、シャングリラ号から出来るのは呼び出しだけで、部屋の様子は見られないとか。
「そういうわけで、ぼくが居座っているかどうかもブルーには不明。ブルーは悩むし、君たちは心底迷惑そうだし、帰った方がいいのかなぁ?」
えっ、帰る? 今、帰るって言いましたか? 私たちの歓喜は素直に顔に出たようです。ソルジャーは苦笑し、「やっぱり邪魔か…」と呟いて。
「そこまで露骨に喜ばれると複雑だよね。仕方ない、合宿のお供は諦めるよ。だけど鬼の居ぬ間になんとやら…って言うだろう? ブルーの自慢の服を拝借しよう」
「なにぃ!?」
キース君が目をむきました。
「ダメだ、あれだけは絶対に貸せん! あれの貸し出しと引き換えに帰ると言うなら断固阻止する! 明日は何でも注文どおりの料理と菓子を作ってやるから勘弁してくれ!」
このとおりだ、と土下座して絨毯に額を擦りつけているキース君。会長さんの留守に緋色の衣を持ち出され、しかもあちらの世界のキャプテンの前で着て見せられたら大変です。曲がりなりにも高僧である会長さんの大切な物なのですから。
「残念だけど、君の料理じゃイマイチ魅力が無いんだよね。ぶるぅの腕には及ばない。…朝のパンケーキもそれなりって所の味だったしさ」
「し、しかし…! あの衣装だけは…」
ダメなんだ、と必死に食い下がるキース君。ソルジャーは赤い瞳を悪戯っぽく煌めかせると、唇に笑みを浮かべてみせて。
「心配しなくてもアレを借りようとは思ってないよ。着方を教えて貰えなかったし、君の心を読み取ることは可能だけども、そこまでやって着たいモノでもないからね。…ぼくが借りたいのは赤じゃなくって白の方」
「「「白???」」」
そんな色の服、ありましたっけ? 誰もがキョトンとしている中でソルジャーがスッと指差したのは壁際に置かれた本棚でした。
「あそこにブルーのウェディング・アルバムがあるだろう? ドルフィン・ウェディングの時に作ったヤツ」
「「「あ…」」」
ドルフィン・ウェディングというのは一昨年の校外学習の時に水族館で会長さんとゼル先生が挙式していたショーのこと。教頭先生に見せつけるためにアルバムなんかも作ってましたが、そのアルバムと『白』の単語が意味するものは…。
「そう、ブルー愛用のウェディング・ドレスさ。あれなら間違いなくハーレイにウケる。ティアラとベールもセットで借りよう」
「ちょっと待て!!!」
止めに入ったキース君の叫びは綺麗サッパリ無視されました。
「じゃあ、借りていくね。合宿は明後日までだっけ? あ、日付が変わっちゃったから明日までかな。最終日の朝には返しに来るから何も心配しなくていいよ」
ブルーには絶対バレやしないし、とソルジャーは自信満々です。でも本当に? 本当にバレずに済むんでしょうか? そもそもドレスの収納場所って何処だったっけ、とウッカリ意識が逸れた間にソルジャーは姿を消していました。ドレスも一緒に消えたのかどうか、私たちには確かめようもありません。
「…ドレスってさぁ…」
ブルーの寝室にあったのかな? とジョミー君が尋ねましたが、答えられる人はいませんでした。キース君はといえば血相を変えて廊下に飛び出して行ったのですけど…。
「…良かった、衣は無事だったようだ。あれだけは保管場所が分かるからな」
クローゼットではなく専用の箪笥が必要だから、とホッと息をつくキース君の姿に私たちも一安心。緋色の衣が消え失せるよりはドレスの方がマシでしょう。元々が会長さんのオモチャみたいなものなんですし、それさえ貸せば合宿に邪魔が入らないなら、この際、口を噤んでおけば…。
「黙っておけばバレないよね?」
「うん、多分」
大丈夫だと思っておこう、と私たちは前向きに考えました。会長さんは今頃シャングリラ号と共に二十光年の彼方です。合宿を無事に済ませて御褒美パーティーをゲットするためにも、ソルジャーには帰って貰った方が断然おトク。明日からはスケジュール通りにきちんと過ごして、明後日の夜にはパーティーですよ~!