シャングリラ学園シリーズのアーカイブです。 ハレブル別館も併設しております。
- 2012.01.17 デート大作戦 第3話
- 2012.01.17 デート大作戦 第2話
- 2012.01.17 デート大作戦 第1話
- 2012.01.17 それぞれの愛 第3話
- 2012.01.17 それぞれの愛 第2話
全身の筋肉痛に加えて疲労が激しく蓄積されたエロドクター。それでも夕食を終えると会長さんの肩にしっかり腕を回してスイートルームに引き上げてきました。その執念は流石としか…。私たちの食事はとっくに済んで、お皿もテーブルも片付いています。隣室の模様は「そるじゃぁ・ぶるぅ」が中継をしていましたが…。
「…ブルー。お楽しみはこれからですよ」
エロドクターがニヤリと笑いました。
「まずはバスルームに行きましょうか。あなたもサッパリしたいでしょう? さあ」
そう言って会長さんの手を取り、バスルームへと促します。どうやら一緒に入るつもりのようで、会長さんの顔が引き攣りました。
「ちょ、ちょっと待って! お風呂なら一人で入れるから!」
「…あなたはそうかもしれませんがね。私は年寄りなんですよ。介助して下さって当然ではないかと思いますが…。背中を流したり、他にも色々」
年配者呼ばわりしたでしょう、と意地の悪い笑みを浮かべるドクター。
「それにバスルームはなかなか楽しい場所ですよ? バスタブの中で…というのも燃えるものです」
「…………。生憎、ぼくは初心者なんだ。慣れないことは御免蒙る。湯あたりするのも嫌だしね」
なんとか切り返した会長さんに、ドクターはチッと舌打ちをして。
「では、慣れてから…ということにしておきましょう。一から教えて差し上げますよ、まずはベッドでゆっくりと…ね。二人の夜はこれからですし、あなたが慣れたらバスルームの方で楽しみましょうか。で、どうします? 先にシャワーを浴びますか? それともベッドへ…?」
「…ぼくはシャワーを浴びたいな。今日はたっぷり遊んだから」
「時間稼ぎというわけですか…。いいでしょう、私はあっちの部屋でシャワーを浴びます。その方が時間に無駄がない。スイートルームはこういう時に便利ですね」
部屋が沢山ありますから、とドクターは得意顔でした。言われてみれば私たちの部屋にもバスルームは複数あったりします。ドクターがそこまで計算してスイートルームを予約したのなら天晴れとしか…。会長さんは不機嫌そうにバスルームに向かおうとしたのですが。
「お待ちなさい。…シャワーを浴びたら着るものはこれを」
ドクターがラッピングされた箱を会長さんに渡します。
「せっかくですから私好みの装いをして頂きたい。バスローブというのもそそられますが、そちらはバスルームでのお楽しみの後でよろしいでしょう。…いいですね、これを着るのも利子の内です」
「…利子は支払ったと思うんだけど…?」
「デートだけで私を満足させられるとでも…? 一年間も待ったのですから期待の方も膨らむんです」
「……………」
憮然としている会長さんの手にチュッと口付けるエロドクター。
「ふふ、相変わらず滑らかな肌をしておいでですね。では、また後で…」
ドクターは悠然と別室に向かい、会長さんも箱を抱えてバスルームへ。私たちが見ている中継画面は今は無人のリビングです。この後いったいどうなるのでしょう? 救出に向かうのだったら早い内がいいと思うんですが…。と、口を開いたのはキース君。
「ぶるぅ、今の間に隣の部屋に入り込めるか? この様子だと待機していた方が良さそうだ。ノルディのヤツめ、身体のダメージは大きいくせに全く口が減らんからな。油断してたらどうなるか…」
「隣の部屋に? えっと…シールドで隠れて、だよね?」
大丈夫だよ、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」。私たちは急いで一ヶ所に集まり、青いサイオンに包まれて…フワッと身体が浮き上がったと思う間もなく隣の部屋に移っていました。広いリビングの隅っこの方に隠れていると、やって来たのはエロドクター。バスローブだけを羽織っています。
「まだですか、ブルー? いつまでも待たせていると着替えを手伝いに行きますよ?」
「『お断りだ!!!』」
思念波と声が同時に響き、バスルームに通じる扉がカチャリと開いて。
「「「!!!」」」
現れた会長さんの姿に私たちは目をむきました。え、えっと…。足首まで届くワインレッドの艶やかな生地に、足の付け根まで入った深いスリット。ソルジャーの正装に似た立襟と、身体に隙間なくフィットしたライン…。これってチャイナドレスとか言いませんか? 独特の飾りボタンと華やかな刺繍はどう見ても…。
「お似合いですよ、ブルー。…ネグリジェとどちらにしようか迷いましたが、あなたのサイズを知っているからには誂えたドレスの方がいいでしょう? おいでなさい」
エロドクターは会長さんの腰に腕を回してグッと引き寄せ、筋肉痛をものともせずにベッドルームへ。…ヤバいです、これは相当にヤバかったりして~!?
ベッドルームには大きくて立派なベッドがありました。ドクターは会長さんをベッドの縁に腰掛けさせて…。
「初心者だとか仰いましたね。ええ、そうでしょうとも…。いつもハーレイを煙に巻いて遊んでらっしゃいますが、あなたは男とは経験が無い。そのくらいは一目で分かりますよ。ですが、それも今夜でおしまいです。みっちり仕込んで差し上げますとも」
「…付き合うのは今夜だけだと言った筈だよ」
会長さんがドクターを睨みましたが。
「さあ、どうでしょうね? あなたの方が私無しではいられなくなる…ということもありますよ。ハーレイの悔しがる顔が見えるようです。私にあなたを掻っ攫われて…ね」
言うなりドクターは会長さんをベッドに押し倒し、唇を深く重ねたのですが…会長さんは全く抵抗しませんでした。前にドクターの家で襲われた時もそうでしたけど、抗えないと言うべきか。ドクターのテクニックに翻弄されて逆らう意思さえ無くなるのだと会長さんに聞きましたっけ。
「キース、やばいよ!」
ジョミー君がシールドの中で叫びます。
「と、止めなくちゃ…。ドクターを止めないとブルーが危ない!」
「分かってる。…だが俺たちが乱入するのは最後の手段だ。下手に乱入してしまったら借金を返す計画が…」
「そりゃそうだけど! でも…でも、ブルーが…」
騒ぎ立てるジョミー君の隣では、サム君が拳を震わせて耐えていました。
「くっそぉ…。殴りたい、今すぐ殴ってやりたいぜ! だけど…俺が出て行ったらまた利子が…」
ドクターは唇を離すとカニ攻撃で傷めつけられた震える指でドレスのボタンに手をかけます。襟元のボタンが外され、白い首筋が覗いても…会長さんは目尻をほんのりと染めて微かに身体を震わせただけ。魂が抜けているのでしょう。
「もう待てませんよ、キース先輩!」
シロエ君が絶叫しました。
「乱入しましょう、このままじゃ会長がエロドクターに…」
「…うう……。畜生、あいつの思考さえ読めればな…。限界が近いのかどうか、それさえ分かれば…」
唇を噛むキース君。会長さんは胸元をはだけられ、エロドクターが筋肉痛に顔を顰めながらも白い身体を撫で回したり口付けたり。もう危険なんてものじゃありません。乱入するしか道はない…と誰もが思ったのですが。
「えっとね、真っ白になってるみたい」
「「「は?」」」
無邪気な声の主は「そるじゃぁ・ぶるぅ」でした。ベッドの上で起こっている惨事を全く理解していないだけに、冷静に観察していたようです。首を傾げて私たちの顔を見上げながら…。
「あのね、ブルー、頭の中が真っ白だよ。限界ってブルーのことだよね? とっくに突破しちゃってるけど」
「…限界突破…。いや、そうじゃなくて!」
キース君が「そるじゃぁ・ぶるぅ」の肩をガシッと掴んで。
「ぶるぅ、お前ならエロ……いや、ノルディの思考が読める筈だな!? 細かいことはどうでもいいからヤツの心を読んでくれ。ノルディはまだまだ余裕があるのか? それとも疲れて限界なのか?」
「…えっ? えっと…。なんだか凄く楽しそう。甘くて眩暈がしそうだとか…いい匂いだとか…。変なの、お菓子なんか食べてないのに」
それは会長さんの味だろう…と頭を抱える私たち。何も知らない「そるじゃぁ・ぶるぅ」は意味不明なアヤシイ言葉も含めてドクターの思考を次々と語り、会長さんは上半身を完全に脱がされた上にスリットから手を入れられて…。
「ダメだ、行くぞ!」
キース君が拳を握り締めて踏み出そうとした時、「そるじゃぁ・ぶるぅ」が。
「…うーん、天国……」
次の瞬間、ドクターの身体がガクリと崩れ落ちました。会長さんの胸元に顔を埋めて動きません。喋り続けていた「そるじゃぁ・ぶるぅ」もピタリと黙って、1分、2分……。
「寝ちゃったみたい」
夢を見てるよ、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」。
「…えっとね……なんだか変な夢だよ、ノルディとブルーが…」
「読まなくていいっ!!!」
キース君がガバッと「そるじゃぁ・ぶるぅ」の両眼を塞ぎ、シロエ君が耳を押さえます。私たちもベッドと「そるじゃぁ・ぶるぅ」との間に割って入って余計な物を遮断しました。エロドクターの妄想が爆発している恐ろしい夢を子供に見せてはいけませんから。
それからどのくらい経ったでしょうか。シールドの中で騒いでいた私たちの耳に聞こえてきたのは…。
「……重い……。ノルディをどけてくれないかな?」
「「「ブルー!?」」」
サム君が、キース君が…ジョミー君が声を上げました。会長さんがベッドから手招きしています。
「もうシールドは要らないよ。ノルディは朝まで目覚めやしない。疲れ切ってグッスリだ。…作戦成功」
だからどけて、と会長さんは身体の上のエロドクターをさも邪魔そうに指差しましたが。
「…そのまま耐えてろ」
気の毒だがな、と溜息をつくキース君。
「その格好で朝まで耐えてこそ説得力があるってもんだ。…あんたの上で爆睡したという証拠になる」
「…そりゃそうだけど……。ノルディ、けっこう重いんだよ」
会長さんはブツブツ文句を言っています。喉元過ぎれば何とやら…。食べられてしまうことを思えば、エロドクターの体重なんて問題じゃないと思うんですけど。会長さんの白い肌には赤い花びらのようなキスマークが幾つも散らされ、それをつけられた記憶は定かではないと言うんですから、本当に危機一髪でした。会長さんは溜息をついて。
「…悔しいけれどノルディのテクニックは確かだったよ。指を傷めた上に筋肉痛で腕も満足に動かせないのに、キスだけでぼくを追い詰めるなんて…。舌も傷めつけておくべきだったな」
「そこまでやったら日を改められていたと思うぞ」
キース君が言い、サム君が。
「ブルーが無事でよかったぜ。俺、心配で心配で…。エロドクターを殴りたいけど、それをやったら俺たちの計画がバレちゃうし…」
「気持ちだけで嬉しいよ、サム。ノルディは…このまま放っておくしかないか」
重たいけれど、と苦笑している会長さん。朝まで下敷きにされていたのでは身体が痺れてしまうかも…。私たちは会長さんとエロドクターをベッドに残して「そるじゃぁ・ぶるぅ」の瞬間移動で隣の部屋に帰りました。万一の場合に備えて男の子たちが交代で寝ずの番をしましたけれど、ドクターは朝まで爆睡で…。
「……最低だね、ノルディ」
ルームサービスの朝食を食べていた私たちは会長さんの思念を合図に再び中継を見ています。目覚めたばかりのエロドクターをチャイナドレスの会長さんが詰っていました。もちろんボタンをきちんと留めて、皺もサイオンで伸ばしみたい。
「今まで沢山の女の子と付き合ったけれど……デートでどんなに疲れ果てても途中で寝るなんて失礼な真似はしたことがないよ。散々ぼくを口説いてたくせに結果がこれか…。君にとっては遊びの相手というわけだ。真剣だったら寝ないだろうし」
「誤解です! 私は本気であなたのことを…」
「うん、本気でぼくの身体だけを愛している…ってことなんだろうね。とにかく約束の一晩は過ぎた。これで借金は返したよ。あのネタでは二度と脅せないから、そのつもりでいてくれたまえ。…それじゃ」
さよなら、と会長さんの姿が消えて。
「ただいま。…心配かけてごめん。みんなのお蔭で無事だったよ」
部屋の中央に現れた会長さんはチャイナドレスのままでした。どうして着替えていないんでしょう? 私たちの視線に会長さんはクスッと笑って。
「あ、これ? せっかくだからサムに見せたいと思ってさ。…ノルディが誂えるくらいなんだし、サムならグッとくるかなぁ…って。どうかな、サム? 似合ってる?」
「……う、うん……」
似合ってる、というサム君の言葉は口の中でモゴモゴと消えました。ついでに耳まで真っ赤です。会長さんはチャイナドレスが気に入ったのか、チェックアウトの時間になるまで着替えようとはしませんでした。エロドクターに散々な目に遭わされたのとドレスとは別モノらしいです。このタフさこそが会長さんの真骨頂かも。
「…ノルディはとっくに引き払ったよ」
元の服に戻った会長さんがニッコリ笑って言いました。
「だから堂々とチェックアウトしても安心さ。さあ、帰ろうか。お昼はぼくの家で慰労会にしよう」
何が食べたい? と尋ねる会長さんは元気一杯、素敵な笑顔。エロドクターは自分の家で身体中に湿布を貼って落ち込んでいるという話でしたが、知ったことではないですよねえ?
会長さんを襲った危難が去って、また学校が始まって…木曜日は学園を挙げての『かるた大会』。今年も温水プールで百人一首の下の句が書かれた取り札の奪い合いです。1年A組はクラス対抗試合を勝ち抜き、学年1位のクラスが戦う首位決定戦を勝ち抜いて…。
「学園1位! 1年A組!」
司会のブラウ先生の声がプールサイドに響きました。学園1位の副賞は…クラス担任と指名された先生とが演じる寸劇。グレイブ先生が『かるた大会』の開催を告げた時にはクラスメイトは副賞を知らなかったんですけども…。
「やった、1位だ!」
「これで先輩たちにも顔が立つな!」
あちこちで肩を叩き合って喜ぶ男子たち。女子も小躍りしています。私たちが喋ったわけではなくて、アルトちゃんとrちゃんが喋ってしまったわけでもなくて…。クラス全員が副賞の中身を知っているのは先輩たちのせいでした。先輩というのは去年の1年生と2年生。私たちの卒業を祝って送りだしてくれ、今も学園にいる生徒。その人たちが入れ替わり立ち替わり「1位を目指せ」と激励に来ていたのです。
「「「A組! A組!!」」」
プールサイドから高らかに上がるA組コール。誰もが思い切り期待していました。去年はグレイブ先生と教頭先生が爆笑モノのバレエを披露しましたが、さて、今年は…? クラスを優勝に導いたのは会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」の見事な連携。寸劇に出る先生の指名権を会長さんに委ねることは競技前から決定済みです。
「さあさあ、かるた大会は終わりだよ!」
早く着替えな、とブラウ先生が皆を促しています。表彰式はA組コールの中で終了しており、職員さんが片付けをしに出てきましたが、誰もがこの後の催しを知っているのでドキドキワクワク。ブラウ先生が苦笑しながらマイクを握り直しました。
「終わりだって言っているのに聞いてない子は放って行くよ? この後、会場は講堂へ移る。講堂の中は水着禁止だ。いいかい、さっさと着替えること! そして1年A組の代表は先生を一人指名しておくれ!」
ワッとプールサイドが湧き立ち、会長さんが手を挙げます。
「1年A組は教頭先生を指名させて頂きます!」
シナリオどおりの進行でした。先輩たちが希望したのは教頭先生を指名すること。それと、もう一つ…。
「オッケー! ハーレイ、御指名だよ」
ブラウ先生が教頭先生に向かってウインクしてから。
「さて、副賞は指名された先生とクラス担任による寸劇だ。希望の演目があった場合はご注文にも応じることになっている。1年A組、希望はあるかい?」
またしても大歓声が上がりました。先輩たちの期待を一身に背負った会長さんがブラウ先生の側まで行ってコソコソ耳打ちしています。ブラウ先生は去年同様、散々笑い転げた挙句に…。
「よーし、今年も面白いことになりそうだ。見たい生徒は全員着替え! 1年A組には講堂の一番前の特等席を用意するから思う存分楽しんどくれ!」
「「「はーい!!!」」」
1年A組だけでなく、全校生徒が返事しました。ハードな水中かるた大会の疲れも吹っ飛ぶ勢いです。着替えのために飛び出していく皆は足取りも軽く、それは私たち1年A組も同様で…。
「やりましたね、1位!」
会長さんに声をかける人もいれば、取り札を頑張って運んだ「そるじゃぁ・ぶるぅ」の頭を撫でている人もいます。
エロドクターに振り回されたのは遠い日々。会長さんは御機嫌でした。だって教頭先生が…。いえいえ、それは舞台の幕が上がってからのお楽しみです。
「…本当にあれでいいのかしら…」
更衣室で着替えているとスウェナちゃんが声をかけてきました。
「会長さんは平気だって言ってるけれど、みんなの期待を裏切るのよ? …多分」
「うーん…。裏切ってないと言えば嘘になるけど、半分くらいは応えてるんだし…いいんじゃないかな?」
でも本当は少し心配だったりします。先輩たちの希望の演目を会長さんは実現する気満々ですし、抜かりなく準備もしたのですが…なんといっても会長さん。おまけにエロドクターに付き纏われたせいで溜まったストレスを発散しようと考えたから大変で…って、この話は内緒でしたっけ。講堂に着くとジョミー君たちが最前列から呼んでいます。
「おーい、こっち、こっち! 席、取っといたよ!」
会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」は最前列の真ん中に座っていました。私たちはその両側です。全校生徒が着席しても舞台の幕は下りたまま。まだリハーサル中なのでしょう。去年と違って舞台からは全く音が聞こえてきません。ブラウ先生がマイク片手に登場すると客席が一気にざわめいて。
「こら、静かに! その様子じゃあバレてるようだが、今年の演目を発表するよ。…ハーレイとグレイブ、二人の花魁の舞踊ショーだ!」
「待ってましたーっ!!!」
あちこちから景気のいい声が飛びます。先輩たちの注文はコレ。学園祭で教頭先生が披露していた花魁道中が人気を博して、こういう結果になったのでした。グレイブ先生は道連れです。…ただし会長さんが聞き届けたのは…ストレス解消で半分だけ。ブラウ先生がマイクを握って。
「始める前に断っておこう。花魁といえば白塗りだけどね、ブルー…いや、生徒会長からの注文がついてメイクは口紅だけなんだ。ハーレイの肌の色とグレイブの眼鏡を生かしたいらしい」
「「「ええぇっ!?」」」
ひどい、とブーイングの嵐が巻き起こりました。ほーら、言わんこっちゃない…。ブラウ先生は負けじと声を張り上げます。
「それと花魁の衣装は重くて舞に向いてないから黒子がつくよ。衣装を整えるために必要だからと生徒会長が言ってきた。黒子は職員さんたちだからね、幕が上がったら盛大な拍手で迎えてあげとくれ! 返事は!?」
「「「はーい…」」」
逆らったら舞踊ショー自体が吹っ飛びそうだと思ったものか、ブーイングはピタリと止みました。スピーカーから琴と三味線の音が流れて幕がスルスル上がっていきます。舞台中央にスポットライトがパッと当たって。
「いよっ、学園一っ!!!」
威勢のいい掛け声はシド先生。それを合図に拍手が起こり、同時に笑いも広がっていたり…。華やかな花魁の衣装と鬘を着けた教頭先生とグレイブ先生はどこから見ても仮装大会。白塗りメイクをしていない顔に真っ赤な口紅だけを塗りたくられると、なんとも凄い破壊力です。グレイブ先生は眼鏡が光ってますし…。
「「「わははははは!!!」」」
さっきのブーイングが嘘だったように二人の姿は大ウケでした。会長さんが自信たっぷりだったのも頷けます。教頭先生とグレイブ先生は黒子を従えて舞い始めました。袖を翻してゆったりと…玄人はだしの艶やかさで。
とんでもないメイクも帳消しになりそうな美しい舞。黒子の職員さんたちが袖や裾に気を配りながら忙しく舞台を駆け回ります。先輩たちは笑えるネタとして注文した事実をすっかり忘れて二人の舞に見入っていました。…と、いきなり音楽がプツリと途切れ、続いて流れ出したのは…。
「「「えぇぇっ!?」」」
大音響のハワイアン・メロディー、『アロハオエ』。花魁の舞踊ショーには不似合いすぎる音楽です。皆が呆気にとられる間に、目にも止まらぬ動きをしたのは黒子さんたち。教頭先生とグレイブ先生の帯がスルスルと解かれ、花魁の衣装と鬘がパッと外れて。
「「「!!!!!」」」
二人は裸の胸にココナッツで出来た大きな丸いブラジャーを着け、腰には緑の葉っぱを編んだティーリーフスカート…いわゆる『腰みの』。当然、手足もむき出しです。首からオレンジのレイが下げられ、髪には真っ赤なハイビスカスが…。その格好で腰をくねらせ、音楽に合わせて踊り出したからたまりません。
「「「ぶわははははは!!!」」」
講堂中が爆笑に包まれ、ブラウ先生が必死に笑いを堪えながら。
「ここから先はフラダンスだよ。拍手が多けりゃアンコールもある。どうだい、みんな気に入ったかい?」
割れんばかりの拍手が起こり、教頭先生とグレイブ先生はしなやかに腕を、腰を大きく振ってフラダンスを優雅に踊っています。ええ、腕前は最高でした。花魁の舞もこのフラダンスも、達人のコツをサイオンでまるっとコピーしたもの。リハーサルを数回すれば、あとは身体能力の問題だけで…。
「ふふ、思った以上の出来だよね」
会長さんが舞台を見上げて満足そうに頷きました。
「ハーレイもグレイブもバレエをキッチリ身につけてるし、かなりやれると踏んでたけれど…アマチュアの域を超えてるかな」
去年の『かるた大会』の副賞でバレエを踊らされた教頭先生とグレイブ先生。謝恩会ではゼル先生とミシェル先生も加わって『四羽の白鳥』を披露してくれたのですが、その後も先生方はバレエのレッスンを続けています。しかし踊りが上手であっても、この傑作なコスチュームは…。
「…ぶるぅが頑張って作ったんだよ」
「「「は?」」」
会長さんの謎の言葉に私たちは首を傾げました。花魁の衣装は面倒だから業者に発注するとか言っていたのに「そるじゃぁ・ぶるぅ」が何を作ったと? あの丸っこいココナッツ・ブラ? ココナッツをぶった切って刳り抜いただけの黒光りするブラジャーは笑えるものがありますが…。
「違う、違う。腰みのを編んでくれたんだ。ウエストが普通サイズの女性で必要な葉っぱが120枚。だったらハーレイは何枚だろうね? 葉っぱの芯を抜いて茎を削って…1枚ずつ編んで。初心者は丸一日もかかるそうだよ。ぶるぅは1時間ちょっとで作り上げた。熟練者並みの器用さってこと」
力作だよ、と笑う会長さん。先輩たちからリクエストされた花魁の舞をフラダンスに変えてしまった悪人ですが、怒っている生徒は誰もいません。花魁からフラダンサーへの早変りは実に見事でしたし、白塗りメイクが無かった理由も今となっては明白です。フラダンスには真っ赤な口紅しか塗っていない顔が映えるってもので…。
「…ウケていますね…」
シロエ君が呟き、キース君が。
「ウケるだろうさ、フラダンスだぜ? ブルー、アンコールは何回までだ?」
「ブラウに訊いたら制限時間は無いってさ。でも、適当な所で撮影タイムに切り替わるんだ。あ、ほら…ブラウが出てきた」
ブラウ先生が記念撮影の希望者を募集し始めました。フラガール姿の教頭先生とグレイブ先生を囲んでの思い出のショット。1年A組はもちろん全員参加です。みんな笑顔でハイ、ポーズ! と、その瞬間に会長さんと「そるじゃぁ・ぶるぅ」の衣装がパッと変わってビックリ仰天。
「かみお~ん♪」
ポーズをキメている「そるじゃぁ・ぶるぅ」はミニサイズの腰みのを着けて、ココナッツ・ブラはありませんけどオレンジのレイ、髪には真っ赤なハイビスカス。教頭先生たちとお揃いです。会長さんはワインレッドのチャイナドレスに刺繍入りの黒い繻子の靴を履き、白い羽扇まで持っていたからたまりません。記念撮影は大幅な時間延長となり、写真屋さんも大忙しで…。
「楽しかったね、かるた大会!」
いつもの服に戻った「そるじゃぁ・ぶるぅ」がピョンピョン飛び跳ねて喜んでいます。会長さんはチャイナドレスのままでした。これで終礼に出る気でしょうか? エロドクター所縁の品を着用するほど復活したのは嬉しいですけど、もしかして…フラダンスはストレス解消ではなく、ただの悪戯? なんだかとってもありそうな話。教頭先生、グレイブ先生、今日はありがとうございました~!
エロドクターにデートを申し込まれた会長さん。デートの後にはドクターと二人きりで大人の時間を過ごさなくてはいけないのですが、キース君は嫌がっている会長さんに申し込みを受けるようにと進言しました。蛇のようにしつこいドクターに借りを作るとロクなことにならない、というのです。
「いいか、ブルー。ドクターに会ったら約束するんだ。付き合うのは一晩だけだ、とな。その一晩をどう使おうとドクターの勝手というわけだが…寝てしまった場合は仕切り直しのチャンスは無い。だから爆睡させて逃げ切るんだ。同じベッドで一晩耐えてろ」
「……ノルディと……?」
ブルッと肩を震わせる会長さんにキース君は。
「修行だと思って耐えるんだな。思い切り爆睡してるようなら抜け出してもいいかもしれないが…朝にはちゃんとベッドに戻れよ」
「…本当にそんなに上手くいくかな…?」
「それは保証できん。いざとなったら投げ飛ばすって手もあるだろう? あんたは教頭先生だって投げたんだからな、護身術とやらで」
「……ノルディはテクニシャンだって言った筈だよ。実際、キスされただけで身動きできなくなっちゃったし…」
危険すぎる、と会長さんは渋い顔です。けれど借りを返さない限りは利子は膨らむ一方で…。キース君は腕組みをして考え込んでいましたが。
「そうか! 俺たちがボディーガードにつけばいいんだ。それなら万一の場合も対処できる」
閃いた、と言うキース君に会長さんは首を横に振って。
「…ノルディは二人きりで、と言っている。君たちがついてきたって叩き出されるのが関の山だ」
「あんた、大事なことを忘れていないか? いつも俺たちを見えないギャラリーにして遊んでるだろう? ぶるぅに頼めばバレないように潜入出来るし、いざという時は助けられるさ」
それは素晴らしい案でした。もっとも私たちの方も大人の時間なデートコースに巻き込まれてしまうわけですが…会長さんの身の安全には代えられません。会長さんも今度は納得したようで…。
「分かった…。ノルディの申し出を受けてみるよ。確かに逃げ回ったところで借金がかさむ一方だし…清算した方がいいんだろうね。みんなにも迷惑をかけてしまうけど、土曜日はよろしくお願いするよ」
「ああ、気にせずに任せとけって」
キース君が親指を立ててニッと笑い、私たちは土曜日は会長さんのマンションにお泊まりすることになりました。でも本当の行先は…。
「ブルー、エロドクターの思考は読めるか? 俺たちの待機場所を決めるためにも、夜は何処へ行こうと考えてるのか分かった方が有難いんだが」
キース君の問いに会長さんは嫌そうに顔を顰めながらも瞳を閉じて少し集中していたようです。しかし…。
「駄目だ…。ノルディの心の中は土曜日については妄想だらけで、見ているだけでムカムカしてくる。ノルディの家ではなさそうだけど、ただ漠然とホテルとしか…。ラブホテルの線は無さそうだけどね」
高級なのが好みだから、と吐き捨てるように言う会長さん。うーん、行先は謎ですか…。まあ、ラブホテルでないならいいでしょう。十八歳未満の子供の団体がラブホテルの中に潜入するのは如何なものかと思われますし。…しかも「そるじゃぁ・ぶるぅ」つきです。それから私たちはあれこれとプランを練り始めました。ドクターが疲れ果てるデートコースって何があるかな…?
晴天を祈り続けた運命の土曜日は朝から見事な快晴でした。かなり風が冷たいですが、子供は風の子、元気な子。こんな天気を待っていた私たちは会長さんのマンションに行き、お泊まり用の荷物を置いてから揃ってアルテメシア公園の入口へ。ドクターは…高級そうなコートを着込んで余裕たっぷりに待っていました。
「ブルー、来て下さって嬉しいですよ。お友達もお揃いのようですし…まずは昼食といきましょうか。何か食べたいものなどは…? 無ければ馴染みの店にお連れしますよ」
どうぞ皆さんもご一緒に、とドクターが提案したのはアルテメシアでも最高級と評判の高いレストラン。お金持ちだけあって太っ腹です。けれど会長さんの返答は…。
「ぼくはカニが食べたいな。ほら、カニは今が美味しい時期だから…。カニすきなんかいいかなぁ、って」
「カニですか。いいでしょう、すぐそこに店もありますし」
先に立って歩き出すドクターの背中に私たちはガッツポーズ。そうとも知らないドクターはすぐに振り返って会長さんを手招きしました。
「そうそう、忘れるところでした。デートですからね…。ブルー、ほら…腕を」
「分かったよ。恋人らしくしろってことだろ?」
ブツブツ文句を言いながらも会長さんはドクターが差し出した腕に自分の腕をからませます。それを見ていた「そるじゃぁ・ぶるぅ」が。
「ふうん…。フィシスとデートしてる時とは違うみたい。ブルーが掴まる方なんだ? ドクターとデートするのを嫌がってたのは、いつもみたいにいかないからかな? 好みが違うって言ってたし…」
「早い話がそんなとこだな」
そう答えたのはキース君。子供らしい発想にほのぼのとした空気が広がりますが、のんびりしている暇はありません。公園前の通り沿いにあるカニ料理店に入った私たちは広い御座敷に通されました。もちろん会長さんとドクターも同じ部屋です。ドクターは人数分のカニすきコースを注文してから私たちを見回して。
「ブルーが緊張し切ってしまうとデートを楽しめませんからね…。あなたたちは刺身のツマのようなものです。ブルーのリラックスした姿を満喫するための添え物ですから、私とブルーのデートの時間を大いに盛り上げて下さいよ。ブルーが笑顔でいてくれるなら、あなたたちの遊興費は全額負担いたしますとも」
好きなだけ食べて遊んで下さい、とドクターは下心たっぷりの顔をしていました。そうこなくっちゃ、と心で頷く私たち。間もなく沢山のカニが運ばれてきます。戦闘開始の合図でした。誰もが無言になりがちな料理……それがカニ。エロドクターにトークの時間を与えないよう選択された究極のメニュー。そんな中、ポツリと会長さんが。
「…やっぱりカニはぶるぅに限るね…」
「なんですって?」
聞き咎めたドクターに会長さんはカニの身をほじる手を休めて。
「カニを食べたいって思ったけれど、こんなに面倒だったなんて…。いつもはぶるぅがカニをほじってくれるんだ。ぼくは食べているだけで済むんだよね。でも……デートの最中にぶるぅに頼むのは気が引けるし…」
もう食べるのをやめようかな、と呟く会長さんのガラ入れには空になったカニの足が一本だけ。いくらなんでも少なすぎです。ドクターも私たちも「そるじゃぁ・ぶるぅ」も遥かに沢山食べているのに…。当然ドクターも同じ考えに至りました。
「それだけしか食べていないのですか? …私としたことがウッカリしていました。ぶるぅに任せたのでは確かにデートが台無しですし、私がほじって差し上げましょう。遠慮なく食べたいものを言って下さい」
ドクターの申し出に会長さんは嬉しそうに顔を輝かせると。
「いいのかい? じゃあ、そこの爪と…その足と。でね、その次に食べたいヤツが…」
水を得た魚のようにカニを食べまくる会長さん。実はかなりの量が「そるじゃぁ・ぶるぅ」の器に転送されていたりするんですけど、ドクターは気付きませんでした。会長さんの御機嫌を取ろうと一所懸命にカニをほじって、追加注文されたカニもほじって……相当に疲れたんじゃないかと思います。でもドクターは満足そうに。
「ブルー、沢山食べて下さいましたね。話をする時間があまり取れなかったのが残念ですが、あなたには栄養をつけておいて頂かないと…。今夜はそう簡単に寝てもらっては困りますから」
舌なめずりをするドクターがどんな夜を夢見ているかは分かりませんが、ロクなものではなさそうです。けれど食事を済ませて店を出る時、お会計をするドクターの指は…。
「やったね、キースの計算どおり!」
会長さんの肩に腕を回して先を行くドクターから少し離れて歩きながら、ジョミー君がクスッと笑いました。
「やっぱり毛ガニが効いたのかなあ? それとも花咲きガニの方なのかな?」
「…それと大量のカニほじりとのコンボだろう」
指先が痛そうだった上に震えていたぜ、とキース君。
「専門は外科だと聞いていたから手先は器用な筈なんだ。持久力もあると思うが、メスを持つのとカニとは違う。おまけに毛ガニと花咲きガニは力を入れてほじろうとすると皮膚にダメージを食らうからな。…よくやった、ぶるぅ」
「わーい、ぼく、役に立てたんだ? 良かったぁ…」
ニコニコ顔の「そるじゃぁ・ぶるぅ」に割り当てられた役目は「カニの身が殻から外れにくくなるように」サイオンで力をかけることでした。そんなこととは知らないドクター、通常の十倍以上の努力をしながらカニをほじっていたわけです。おまけに会長さんがほじらせた量は半端ではなく、ドクター自慢の器用な指はかなり損なわれた勘定で…。
「これで指は封じられたというわけですか」
流石は先輩、とシロエ君。カニ料理を食べに行くというのはキース君の発案でした。エロドクターのテクニックとやらは指が思い通りに動かなくなると相当に落ちる筈だ、と会長さんが言ったことから出て来たのがカニ。ついでにあんまり喋らなくても済みますし。…とりあえず妨害工作第一弾は成功です。
お腹一杯になった私たちが次に繰り出した作戦は…。
「ブルー、俺たち、腹ごなしの運動がてらボートに乗ろうと思うんだ」
エロドクターに肩を抱かれた会長さんに追いついてそう言ったのはサム君でした。
「ホントはブルーと乗りたいんだけど、そういうわけにはいかないし…。ブルーはドクターと他の所に行くんだろ? また後でメールするから、合流場所を教えてくれよな」
じゃあ、と名残惜しそうな顔のサム君。…サム君が会長さんに恋をしていることをドクターは先刻ご承知です。春の健康診断の時にドクターの魔手から会長さんを守ろうとシールドまで張ってみせたサム君。あの時、ドクターはサム君の恋は本物じゃないと看破しましたが、実はどっこい、サム君の恋は本物で…。その後のサム君の様子からして百戦錬磨のドクターが気付いていない筈はないのでした。
「…ブルーと乗りたいだとは厚かましい。今はデートの最中なのに、気を利かせたらどうですか」
案の定、ドクターは不機嫌そうにサム君を睨み付けましたが。
「ボートに乗るんだ? 楽しそうだね」
会長さんが花のような笑みを浮かべました。
「ちょっと風が冷たいけれど、お天気もいいし…。冬の最中にボートっていうのは若さの特権ってヤツだよね。ぶるぅも一緒に行くんだろう? 羨ましいな、ぼくたちはこれから美術館なんだ。…年配向けのデートコースの定番さ」
つまらないけどまた後で、と手を振ってみせる会長さん。私たちは元気よく手を振り返すとアルテメシア公園の奥に向かって駆け出しました。目指すはボート遊びができる池。美術館はその池がよく見える位置に建っています。会長さんが年配向けのデートコースと口にしたことでドクターはカチンときたでしょうか?
「ふふふ、さっきのドクターの顔!」
シロエ君が笑い出したのは会長さんたちから見えない場所まで一気に走った後でした。この先は木立の中をゆっくり歩いて、池に着いたらボートに乗って…という計画です。
「ええ、明らかに怒ってましたよ。露骨な表情はしてませんけど」
その辺りは大人ならではですね、とマツカ君。若者だの年配だのと会長さんが口にした言葉はドクターの神経を派手に逆なでしたようです。キース君がフッと小さく笑って。
「…あの様子なら引っかかってくれると思うぜ、多分…な。駄目でもブルーが上手くやるさ。さあ、俺たちはボート遊びだ」
「私、ちゃんと貼るカイロを用意して来たのよ。みんなも要る?」
スウェナちゃんがバッグから出したカイロを有難く受け取ったのはジョミー君とサム君、それに私。柔道部三人組は鍛えているので要らないと言い、「そるじゃぁ・ぶるぅ」は服の素材が耐熱・耐寒仕様なのだとか。辿り着いた池にボートは沢山ありましたけど、乗っている人はいませんでした。そりゃそうでしょう、まだ一月の上旬ですから。
「じゃあ予定通りに4隻でいくか」
キース君の指示に従って私たちは二人一組でボートに乗り込みました。ジョミー君とサム君で1隻。キース君のボートにスウェナちゃん。シロエ君のボートに私で、マツカ君のボートに「そるじゃぁ・ぶるぅ」。漕ぎ手は柔道部三人組と…ジョミー君とサム君は交代制です。一列になって池の真ん中に漕ぎ出し、ゆったりと円を描いて回っていると…。
「あっ、ブルーだ!」
指差したのは「そるじゃぁ・ぶるぅ」。池のほとりで会長さんが大きく手を振り、ドクターと並んで見物しています。このまま美術館へ行かれてしまったら作戦失敗。キース君たちはさも楽しそうにボートを操り、スウェナちゃんと私と「そるじゃぁ・ぶるぅ」は会長さんの方に向かって手を振ってみたり、両手で丸を作ってみたりと「気持ちいいよ」とアピールし続け…。
「よし、かかった!」
ニヤリと笑うキース君。会長さんがボート乗り場に出てきて、ドクターがボートの料金を支払っているようです。池におびき出したらこっちのもの。
「ぶるぅ、今度もしっかり頼むぞ」
「かみお~ん!!!」
キース君の声に雄叫びで応えた「そるじゃぁ・ぶるぅ」の今度の役目は…。
「…やっぱり若いって凄いよねえ…」
進む速さが全然違うよ、と会長さんがドクターの漕ぐボートから声をかけてきました。ドクターのボートが池の真ん中に来るまでには相当な時間がかかったのです。漕ぐのが下手だというわけではなく、オールが物凄く重かった筈。「そるじゃぁ・ぶるぅ」がサイオンで水の抵抗を五倍に上げていたのでした。もちろん今も。それを承知で会長さんは…。
「君たちが楽しそうだったから、ぼくも乗りたいって言ったんだけど…。年寄りの冷や水ってこのことなのかな。こんなに進むのが遅いんだもの、君たちのボートと競争なんかは無理だろうね。せっかくだから速さを競いたかったのに…。そうだ、君たちで競争する? ボート乗り場まで帰る速さを競うんだ」
「おう、いいぜ!」
元気よく応じたのはサム君です。
「ジョミー、漕ぐのは俺に任せてくれよ。ブルーにいいとこ見せたいんだ! キースたちには負けないぜ」
「なんだと!? シロエ、マツカ、柔道部の意地を見せてやれ!」
キース君が「行くぞ!」と先頭を切って漕ぎ始めました。ただし速度は…ゆっくりです。全力で漕いでいるように見せて、実は…ゆっくり。シロエ君とマツカ君も同じでした。その横をサム君のボートが悠々と追い越し、会長さんがサム君に声援を送り始めます。
「頑張って、サム! その速さなら余裕で一位さ!」
デートの最中に恋敵を応援されたドクターはすぐにブチ切れました。会長さんに向かって怒る代わりにサム君への敵愾心をボウボウに燃やし、猛然とボートを漕いで必死に追いかけてきています。けれど水の抵抗はしっかり五倍。私たちのボートは怪しまれない程度に速度を落とし、嘲笑うように僅差で進んで…。
「やったー!!」
一位だぜ、とサム君が拳を突き上げ、ジョミー君がパチパチと拍手。遅れてゴールインしたキース君たちもサム君の健闘を称えて拍手し、乗っていただけの私たちも「凄い」と拍手喝采です。会長さんを乗せたドクターのボートはゴールの手前で引き離されて、かなり遅れてのゴールインでした。
「…うーん、ノルディには無理があったかなあ…」
肩で息をしているドクターを眺めて会長さんが首を傾げます。
「ぼくより百歳近く若いんだから、まだまだいけると思ったけれど…肉体年齢と実年齢は別ってことか。あんなに距離が開いちゃうなんて、なんだかちょっと悔しいな。…リベンジしたくなってきたよ」
「「「リベンジ?」」」
シナリオ通りの展開でしたが、私たちは素直に驚いてみせて…。
「そう、リベンジ」
会長さんが指差す先には白鳥のペダルボートがありました。
「あれで競争しないかい? ボートは腕で勝負だけれど、今度は足で…さ。二人で漕ぐからさっきと結果が違うかも。…もちろん君たちがよければ…だけどね」
「その勝負、乗った!」
思う所だ、とキース君が受けて立ち、私たちもワイワイはしゃいで「勝負しよう」と盛り上がり…。会長さんはドクターを赤い瞳でチラリと見遣って。
「…ねえ、ノルディ。ぼくと一緒に雪辱戦をしてくれないかな? 負けっぱなしじゃ悲しいじゃないか。せっかくデートに出てきたのにさ……若い連中にボロ負けだなんて」
「……今度はサムを応援したりはしないでしょうね?」
腕の筋肉を揉みほぐしながら顔を顰めているドクターに、会長さんはとても綺麗に微笑んで。
「やらないよ。だって今度はぼくも勝負をするんだからさ。…ペダルボートは二人で漕がなきゃ進まないからね。で、どうする? やらないんなら年寄りらしく美術館に…」
「やりますとも!」
ドクターは憤然と言い放ちました。会長さんはそんなドクターを上手に宥めにかかります。
「そんなに怒らなくっても…。不本意ながらペダルボートは恋人同士で乗るってケースも多いんだよね。今日のデートの記念にすれば? ぼくとの共同作業だなんて、二度と機会は無いと思うな」
「…………。そういうことなら頑張りましょう。あの憎たらしい小僧めに今度こそ勝ってやらなければ!」
闘魂に火が点いたドクターは早速ペダルボートのレンタル料を私たちの分まで支払い、正々堂々と勝負しようと申し出たのですが…。
「…大丈夫かい? 足がふらついているようだけど…」
会長さんと一緒に乗ったドクターを襲ったものは「そるじゃぁ・ぶるぅ」のサイオンによる通常の十倍のペダルへの負荷。軽やかにペダルを漕ぐ会長さんの手前、「重い」と言えるわけもなく……懸命に漕いで結果は4位。ビリになったのはマツカ君と「そるじゃぁ・ぶるぅ」の組み合わせでした。
「くっ…。子供にしか勝てなかったとは…」
歯噛みしているドクターの隣で会長さんは必死に笑いを噛み殺しています。最下位が「そるじゃぁ・ぶるぅ」組なのはヤラセでもなんでもない…ように見えますけれど、「そるじゃぁ・ぶるぅ」はサイオンが使えますから子供といえども大人並み。本当のところは怪しまれないように勝ちを譲っただけなのでした。岸に上がったドクターの足は明らかに力が入らないようで…。
「ノルディ。まさかと思うけど…筋肉痛とか起こしてる?」
会長さんの問いにドクターは即座に「いいえ」と答えました。
「普段は車で移動してますからね。馴れない動きはどうも苦手で…。さて、次は何処へ行きましょうか? 美術館は年寄り向けでつまらないとか聞こえましたが…?」
「年配向けって言ったんだよ。でも、そうだねえ…。選べるんなら美術館より絶叫マシンの方がいいかな。ドリームワールドに新しいアトラクションが出来たんだ。まだ乗ってないし、ぜひ乗りたい」
「……今度はドリームワールドですか……」
苦虫を噛み潰したような表情のドクターに会長さんは顔を曇らせて…。
「駄目かな? お子様向けのデートコースは趣味に合わない? 嫌だって言うなら美術館でもいいけれど」
「いえ、行きましょう。ただしバスではなくてタクシーですよ? あなたには私と二人きりで乗って頂きます」
「…車内での痴漢行為はお断りだからね」
「痴漢行為ではありません。愛の証と言って下さい」
ドクターはスケベ根性丸出しでした。私たちはタクシー乗り場に向かい、分乗してドリームワールドへ。会長さんは車内で太腿を撫で回されたらしいのですが、忍の一字で耐えたとか。借金を返さないと利子が膨らむだけですもの。
ドリームワールドで遊びまくって、冬の短い日が暮れて…。私たちはドクターに追い払われてしまいました。夕食から先は会長さんとドクターの二人だけの世界が始まるのです。けれどタイプ・ブルーな会長さんが大人しくしているわけがなく…。
『…行先はホテル・アルテメシア。部屋は最上階のスイートだってさ』
会長さんがドクターに連れられてタクシーに乗り込んだ直後に思念波が全員に伝わりました。ドクターもサイオンを持っているのに、傍受されずに送れる所が会長さんの凄さです。
「やっぱりホテル・アルテメシアか…。高級志向のあいつらしいぜ」
キース君が苦笑する横でケータイを取り出すマツカ君。執事さんに電話を入れて何やら話していましたが…。
「オッケーです。隣の部屋を押さえました。とりあえず荷物を取りに帰りましょうか?」
「荷物は運んであげられるよ?」
そう言ったのは「そるじゃぁ・ぶるぅ」。
「そんなことよりブルーが心配。…ドクターに攫われちゃったんでしょ?」
子供なりに事態を理解しつつあるようです。追っかけなくちゃ、と慌て始めた「そるじゃぁ・ぶるぅ」を落ち着かせてから私たちは荷物を瞬間移動で取り寄せて貰い、タクシーでホテル・アルテメシアに着きました。その頃には会長さんからの二度目の思念が届いていて…。
『今はレストランで食事中。ノルディったら筋肉痛で腕も足も痛むみたいだよ。ついでに指の感覚も鈍ってる。カニ作戦は大当たりだった。…ぶるぅに隠してもらって見に来る? それとも中継してもらう?』
愉快でたまらない、という感情が伝わってきます。豪華なスイート・ルームに案内された私たちは見物に行くか中継にするかで悩みましたが。
「触らぬ神に祟りなし…って言いますよ?」
ここは中継で、とシロエ君。それもそうかもしれません。お腹も減って来ましたし…。
「ルームサービスを頼みましょうか? 中継を見ながら食べられますよ」
マツカ君の言葉で夕食はルームサービスに決定しました。人が何度も出入りするのは面倒なので、コースではなく好みの料理を適当に。ステーキやらフカひれラーメンやら、てんでバラバラな注文でしたが一度に届くのが一流ホテルならではです。「そるじゃぁ・ぶるぅ」はグルメなくせにお子様ランチ。
「ここのお子様ランチは美味しいんだよ? えっと…中継を始めてもいい?」
私たちが頷くと「そるじゃぁ・ぶるぅ」はハンバーグを頬張りながら大きな窓を指差しました。
「あそこに映すね。…えっとね、ブルーが心配かけてごめんね…って。攫われちゃったのかと思ったけれど、酷い目には遭ってないみたい」
映し出された会長さんはドクターと向かい合わせに座り、ナイフとフォークを優雅に使ってお食事中。対するドクターの手つきは妙にぎこちなく、手元も少し震えています。
『見てくれているみたいだね。…ずいぶん酷い有様だろう? さっきはワインのグラスを床に落として割ったんだよ。筋肉痛に加えて疲労。ドリームワールドで遊びまくったのがトドメを刺したって所かな』
クスクスクス…と会長さんの笑う思念が届きました。私たちと会長さんにあちらこちらと引っ張り回され、疲労困憊のエロドクター。デートは食事でおしまいで…残るは大人の時間のみ。会長さんは逃げ切れるのか、救助部隊の突入か。夜はいよいよこれからです…。
闇鍋に、家出してきたソルジャーに…と賑やかだった始業式。その次の日は健康診断がありました。シャングリラ学園恒例の『かるた大会』に備えるためです。去年は「かるた大会なのに何故、健康診断?」と不思議でしたが、かるた大会は温水プールで開催される『水中かるた大会』だったりします。健康診断はプール対策というわけでした。今日も1年A組の教室の一番後ろに机が増えて…。
「やあ、おはよう」
会長さんが「そるじゃぁ・ぶるぅ」と一緒にやって来ました。
「かみお~ん♪ かるた大会もよろしくね!」
最強の助っ人の登場にクラスメイトの大歓声が巻き起こります。そこへガラリと扉が開いて。
「諸君、おはよう。…またブルーか…」
苦虫を噛み潰したような顔のグレイブ先生。
「…かるた大会を狙って来たのだろうが、学園1位など取らなくてもいい! 学園1位で十分だ。三学期だからな、学生の本分である勉学に励むのが望ましい。諸君もじきに2年生だ」
グレイブ先生が学園1位を敬遠するのには立派な理由があるわけですが、クラスメイトはまだ知りません。けれど学園1位を取る気満々、「はーい!」と元気に返事しています。グレイブ先生は舌打ちをして出席を取り、それからすぐに健康診断。皆が体操服に着替えた中で、会長さんだけはいつもの水色の検査服でした。
「…まりぃ先生も飽きないよね。そろそろ体操服を許可してくれてもいいのにさ」
そう言いつつも、まんざらではなさそうな会長さん。体操服では見た目の色気が足りないことを百も承知ということでしょう。健康診断は女子が先なので、スウェナちゃんと私は「そるじゃぁ・ぶるぅ」を連れて保健室へと出かけました。
「あらぁ~! ぶるぅちゃん、いらっしゃい!」
まりぃ先生は喜色満面。一部の男子生徒からセクハラ養護教諭と恐れられるまりぃ先生は「そるじゃぁ・ぶるぅ」を健康診断の度にバスルームに連れ込み、念入りに洗いまくります。どう考えても子供に対するセクハラですが、当の「そるじゃぁ・ぶるぅ」が大喜びとあっては告発することも出来ないわけで…。
「ぶるぅちゃん、今日もセクハラをして欲しいのかしら?」
「うん! せくはらの時間、大好きだよ♪」
「はいはい。じゃあ、ヒルマン先生に代わって貰うわね」
まりぃ先生はウキウキと内線でヒルマン先生に健康診断の代理を頼み、「そるじゃぁ・ぶるぅ」と手を繋いで保健室の奥の特別室へ。スウェナちゃんと私も道連れです。まりぃ先生が会長さんを引っ張り込むために用意したという特別室には大きなベッドやソファが置かれた部屋とバスルームとがありました。まりぃ先生と「そるじゃぁ・ぶるぅ」がバスルームに消えた後、取り残された私たちは…。
「ねえ。前から気になっていたんだけど」
スウェナちゃんが指差したのは天井の隅の方でした。そこには綺麗な形のライトがポウッと灯っています。
「えっ? ああ、あれ…。なんだっけ、アールヌーヴォー様式だっけ? アンティークかなぁ?」
「多分ね。まりぃ先生、理事長さんの親戚でしょ? 特別室を作らせてしまうくらいなんだし、インテリアもこだわってるんだと思うわ。でもね…私が気になってるのはそこじゃなくって…あの陰の壁よ」
キラッと光るモノがあるでしょ、とスウェナちゃん。言われてみれば小さな円形のモノがあるような…?
「あれって…隠しカメラじゃないかしら。…時間はまだまだ大丈夫よね?」
スウェナちゃんは一人用のソファを引っ張っていって壁際に据え、背もたれの上に立って伸び上がりました。しばらくライトの周囲をチェックしてからストンと降りると…。
「…やっぱりカメラのレンズだったわ。本体は壁の中に仕込んであって、壁を開けて取り外しができるみたいよ」
「じゃ、じゃあ……。まりぃ先生、あのカメラで…」
私たちは真っ赤になって顔を見合せます。この特別室は会長さんが授業をサボッた時に利用する部屋。まりぃ先生にサイオニック・ドリームで大人の時間な夢を見せておいて、自分はベッドで昼寝するのだと前々から聞いていたのですが…。隠しカメラがあるってことは、昼寝じゃなくて大人の時間を楽しんでるってことなのでは…?
「まりぃ先生、そんなの録画していったい何に…」
「さ、さあ…」
大人ってよく分からない、と頭を抱えた私たちはソファを元に戻すことをすっかり忘却していました。
やがてバスルームの扉が開き、まりぃ先生と「そるじゃぁ・ぶるぅ」が出てきたのですが。
「…んまあ……。いけない子たちねえ」
バスローブを羽織ったまりぃ先生の第一声はこれでした。
「隠しカメラに気付いたのね? …大人の時間を覗こうだなんて、あなたたちには早過ぎてよ。あ、ぶるぅちゃんには関係ないの。さあ、お洋服を着ましょうねえ」
真っ裸でホカホカと湯気を立てている「そるじゃぁ・ぶるぅ」に手際よく下着と体操服を着せるまりぃ先生。セクハラの意味も知らない「そるじゃぁ・ぶるぅ」は御機嫌でニコニコしています。
「まりぃ先生、せくはら、ありがと~! またしてね」
「そうねえ、次の健康診断の時も来てくれたらね」
大人の女性の魅力溢れるまりぃ先生はバスローブを脱ぎ、服と白衣を身につけながら。
「そこのいけない子猫ちゃんたち。…あなたたちが見つけたカメラはねぇ…。ちょっと壊れているみたい」
「「え?」」
「この部屋に変な磁場でもあるのかしら? カメラは故障していないのに、全然録画できないの。残念だわぁ…。イラストの参考にしたいのにね」
「「は!?」」
イラストって…参考って…なに? まさかの妄想イラストですか!? まりぃ先生はバチンとウインクして。
「生徒会長のあ~んな姿やこ~んな姿を資料にできたら、もっとイラストに深みが出るでしょ? なのに録画ができないなんて…。春休みになったら業者に点検して貰わなきゃ」
あーあ…。まりぃ先生ときたら、大人の時間と妄想イラストは別の次元のモノらしいです。録画できないのは会長さんがサイオンで妨害しているからでしょうけど、隠しカメラがあっただなんて…。でも会長さんが妨害するのはサイオニック・ドリームだとバレるから? …それとも本当は楽しんでるけど、イラストの参考にされたくないから…? う~ん、考え始めたらドツボのような…。
「さあさあ、ぶるぅちゃんの貸し切り時間はおしまいよ。センセ、お仕事に戻らなきゃ。…教室に帰ったら、生徒会長に保健室に来なさいって言っといてね」
まりぃ先生は「生徒会長は私が診断しなくちゃいけないのよ」と持論を唱え、私たちは大人しく頷きました。これも毎度のことなんです。会長さんにだけ検査服を着せて楽しんでいるまりぃ先生、会長さんの健康診断を終えたら特別室でサイオニック・ドリームとも知らずに大人の時間を…。
「それじゃよろしく頼んだわよ」
ガチャリ、と保健室へと通じる扉が開くと。
「まりぃ先生、その子たちの貧血は治ったのかね?」
温厚なヒルマン先生が振り返ります。まりぃ先生はスウェナちゃんと私の具合が悪い、と嘘をついてヒルマン先生を呼んだのでした。
「お陰様ですっかり治りましたわ。…それで、次はブルーの番なんですけれど…あの子も身体が弱いですから…」
「ああ、いつも気分が悪くなるようじゃな」
「すみませ~ん。ヒルマン先生には代理ばっかりお願いしちゃって…」
まりぃ先生とヒルマン先生のお馴染みの会話の横をすり抜け、私たちと「そるじゃぁ・ぶるぅ」は1年A組に帰りました。男子の健康診断はとっくに終わり、会長さんだけが手持無沙汰に座っています。
「…やっとぼくの番が来たみたいだね。…じゃあ、行ってくるよ」
「行ってらっしゃ~い!」
笑顔で手を振る「そるじゃぁ・ぶるぅ」の頭を撫でて会長さんは保健室へ。見送りを済ませた「そるじゃぁ・ぶるぅ」は役目は終わったとばかりに帰ってしまい、会長さんも二度と帰ってはこず…。これもよくあるパターンです。要は1年A組に二人の籍がありさえすればいいんですから。
終礼が終わると私たち七人グループは「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお部屋へ向かいました。今日は柔道部の部活は朝練だけなので最初から全員集合です。
「昨日みたいにソルジャーがいるんじゃないだろうな…」
キース君が眉を寄せ、シロエ君が。
「休暇がどうとかって言っていたじゃないですか。いませんよ、きっと」
「また家出したってこともあるぞ? ブルーもそうだが、あいつの思考回路もサッパリ謎だ」
それを聞いたサム君がムッと口を尖らせて…。
「ブルーが謎ってどういう意味だよ! 変人みたいに聞こえるじゃないか」
「…すまん、言い方が悪かった。凡人には考えもつかないことをやるって意味で…」
慌てて取り繕ったキース君の言葉をサム君は好意的に解釈したらしく。
「そうだよな! ホントにブルーって凄いよなぁ…。俺の気持ちも分かってくれるし、もう最高の人だって!」
ノロケを聞かされながら生徒会室に着き、壁の紋章に触れて「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお部屋に入ると…。
「かみお~ん…」
あれ? 「そるじゃぁ・ぶるぅ」、ちょっと元気がないような…? ソファに座っている会長さんも顔色が悪いみたいです。挨拶もしてくれませんし…。
「…あのね、みんなが来るのを待ってたんだよ」
困ってるんだ、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」が俯き加減で言いました。
「…ブルーがね……元気が全然なくなっちゃって、なんだか様子がおかしくて…。病気だったらどうしよう…」
「「「病気!?」」」
「うん。熱は測ってみたんだけれど、ないみたい。…でも、遊びに行きたくないっていうのは変だよね?」
「遊び…?」
誰かブルーを誘ったのか、とキース君が尋ねましたが誘った人はいませんでした。フィシスさんとのデートでしょうか? デートに行きたくないとなったら、それは相当に重症かも…。
「そうだよね? やっぱりデートが嫌って変だよねえ…」
デートは楽しい筈だもの、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」は困惑顔です。会長さんは黙ったままで、テーブルに置かれた紅茶とチーズケーキも手つかずで…。
「おい、具合でも悪いのか?」
キース君が会長さんの隣に座って顔を覗き込み、反対側にはサム君が座ります。心配する二人に会長さんの答えは返ってきません。キース君は溜息をついて「そるじゃぁ・ぶるぅ」に尋ねました。
「…ぶるぅ、いつからこうなんだ? 健康診断に出かける前は元気だったが…」
「えっとね、朝は元気だったよ。でもね、ここへ帰って来た時には元気がなくて、デートに行きたくないんだって」
おかしいんだよ、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」。キース君も首を捻って。
「…健康診断を受けたら様子が変になったというわけか。そしてデートに行きたくない…と。問診で引っ掛かったとか? 虚弱体質だと聞いてはいるし、当分の間は安静に…と言われたのかもしれないな」
なるほど、と私たちは頷きました。デートの経験はありませんけど、座ってお茶を飲むだけのものではないでしょう。少しは歩いたりもするのでしょうし、フィシスさんとのデートともなれば会長さんのことですから…色々と尽くしまくりたいかもしれません。ん? ひょっとしてもっと他にも…? 私と同じ考えに至ったらしく、キース君が首を捻りました。
「俺は経験がないから分からんが…。安静に、と言われた場合は夜の運動も控えるものか?」
「そ、そうなのかな…?」
そうかも、とジョミー君が頬を赤らめ、「そるじゃぁ・ぶるぅ」はキョトンとして。
「夜の運動ってなぁに?」
「俺たちにも何かよく分からん。…大人の時間と言えば分かるか?」
キース君の機転に「そるじゃぁ・ぶるぅ」は納得しました。
「うん、分かった! そっか、ブルー、大人の時間はダメだって言われちゃったんだ…。それじゃデートどころじゃないよねぇ…。ブルーの大事な時間だもの」
でも心配、と顔を曇らせる「そるじゃぁ・ぶるぅ」。
「ねえねえ、キース、それって治すの大変なの? お食事とかはどうするのかなぁ…」
「栄養のある物を食わせておけばいいんじゃないか? その内に自然に治るだろう。病院へ行けと言われたのなら話は別だが、それなら紙を渡される筈だ。ブルーは紙を持ってたか?」
そうでした。健康診断で引っ掛かった人は要チェックと書かれた紙を渡されます。それを家へ持って帰って、該当する項目を専門に診る病院を受診するわけで…。「そるじゃぁ・ぶるぅ」は少し考えてから「紙は無かった」と答えました。
「ブルー、なんにも持ってなかったよ。…あ、違う、違う。お手紙を持って帰って来たんだ」
「「「手紙!?」」」
それは要チェックの上をいく代物でした。病院に持参するための紹介状です。明らかに病気らしき人に渡されるもので、会長さんがそれを受け取ったのなら落ち込むのも無理はありません。三百年以上も生きてきた会長さんを診察できる病院といえば1ヶ所だけしかないのですから。
「……ぶるぅ…。それは確かにデートどころではないと思うぞ」
キース君が深い溜息をつきました。
「大人の時間がどうこう以前の問題だ。ドクター・ノルディの出番じゃな……」
「…そうなんだ…」
知らなかったよ、と「そるじゃぁ・ぶるぅ」は黙り込んでいる会長さんに視線を向けて。
「よく分からないけど、デートっていうのがダメってことだね。…ドクターとデートじゃ最悪なんだ?」
「「「ドクター!?」」」
引っくり返った私たちの声に「そるじゃぁ・ぶるぅ」は頷きました。
「うん。ブルーがデートするのはノルディだよ? そのお手紙を貰ってきてからブルーの様子が変なんだけど…」
「「「…………」」」
私たちの目は点になっていたと思います。会長さんとドクターが…デート。いったい何がどうなってるの~!?
蜂の巣をつついたような騒ぎの中で「そるじゃぁ・ぶるぅ」が紅茶とチーズケーキを配りました。会長さんの冷めた紅茶も淹れ替えられて、サム君が砂糖を入れながら…。
「ブルー? いったいどうしたんだよ。さっきの話、本当か? ドクターとデートがどうとか…って」
ほら、と差し出されたカップに会長さんの手がようやく動いて。
「…ありがとう……サム」
吐息をついた会長さんは温かい紅茶で喉を潤し、サム君の顔を見詰めます。サム君が照れたように笑うと、会長さんは俯いて。
「…サムとなら楽しくデート出来そうなのに、よりにもよってノルディだなんて…。もう時効だと思っていたのに、一年分の利子までつくって言われても…」
「…利子?」
キース君が聞き咎めました。
「一年分の利子がつくだと? おい、ひょっとして…あの話か? 去年、あんたがノルディに無理矢理……そのぅ、とんでもない目に遭わされそうに…」
「「「!!!」」」
私たちの脳裏に蘇る記憶。それは去年の『かるた大会』を控えて健康診断があった日のこと。たまたまシャングリラ学園を訪ねてきたドクター・ノルディと私たちが初遭遇した日に起こった事件で、会長さんは危うくドクターに食べられそうになったのでした。確か会長さんが以前から「キスマークをつけることが出来たら抱かせてやる」とドクターをからかっていたのが原因で…。
「…そう、あの時の約束さ」
会長さんはやっと心が落ち着いたのか、少しずつ話し始めました。
「健康診断を受けに行ったら、突然ノルディが入って来たんだ。どうやら保健室が見える所にいたらしい」
「…ストーカーだね…」
ジョミー君の素直な意見を否定する人はいませんでした。会長さんは更に続けて。
「ノルディはヒルマンやまりぃ先生に挨拶をして、ぼくに手紙を手渡した。健康診断が終わったら読んで下さいね…とだけ言って、それっきり。もう学校の中にはいない」
自分の病院に帰ってしまったらしいです。シャングリラ学園に現れた目的は会長さんに手紙を渡すこと。それで問題の手紙というのは…?
「ほら、まりぃ先生にサービスしなくちゃいけないだろう? 特別室でまりぃ先生に夢を見せながら休憩してて…ベッドに寝転がって手紙を開けたら、とんでもないことが書いてあった。…読んでいいよ」
口に出すのもムカつくから、と会長さんが手紙を取り出します。いかにも高級そうな洒落た封筒に入っていたのは、ドクターの名前が端の方に浮き彫りになった特注品の便箋でした。最初に目を通したキース君の顔が引き攣り、次に手にしたサム君が激怒し…といった具合で回覧された文面は…。
『あれから一年経ちましたね。まさか約束をお忘れになってはいないでしょう? 一年も待ったのですから利子がつくのは当然かと…。今週の土曜日、利子として私とデートして下さい。お友達も御一緒でかまいませんよ。ただし夜は二人きりで…。お昼前にアルテメシア公園の入口でお待ちしております』
他にも理解不能な言葉が並べてあったのですが、要約すればこんな所です。会長さんにデートをしろと強要した上、夜は二人きりで…というのは一年前の約束どおり大人の時間に付き合えという意味。おまけに手紙の最後には脅し文句が書き添えられていたのでした。先送りにすればするほど利子が膨らんでいきますよ…と。
「…でも、ブルー…。それってデートのお誘いでしょ?」
無邪気な瞳で首を傾げたのは、幼い「そるじゃぁ・ぶるぅ」でした。
「ブルー、デートは大好きなのに、ノルディとデートじゃ気に入らないの? デートって二人で遊ぶことでしょ?」
「「「………」」」
素朴な疑問に私たちは顔を見合わせ、会長さんは複雑そう。と、「そるじゃぁ・ぶるぅ」はポンと手を打って。
「分かったぁ! ノルディ、おじさんだから遊びたい場所がブルーと全然違うんだ? 大人の人はパルテノンとかで遊ぶんだって聞いたもの! 何して遊ぶのか知らないけれど」
そうだよね、と勢い込む「そるじゃぁ・ぶるぅ」の小さな銀色の頭を会長さんがクシャリと撫でて呟きました。
「まあ……そんな感じで合ってるかな。ノルディがしたいと思うデートとぼくの好みは全く違う。ぶるぅ、デートは相手によって楽しくもなるし、嫌なものにもなるんだよ。…ノルディとデートはしたくないな…。でも断ったら来年はもっと凄いことに…」
どうしよう、と苦悩している会長さん。教頭先生の力は借りられません。ドクターはしっかり釘を刺したのでした。『ハーレイを連れて来たら利子は十倍に膨らみますよ』と。
会長さんをデートに誘ったエロドクターの究極の目的は大人の時間。デートには友達を連れて来てもいい、と寛大な所を見せていますが、夜になったら早々に追い払ってホテルか自宅へ会長さんを引っ張り込んで…。会長さんが逃げ出したなら、利子が膨らんでまた来年。
「おい。…借金は早めに返した方がいいと思うぞ」
言いにくいことをズバッと言ったのはキース君でした。
「このまま逃げてもロクな結果にならんだろう。さっさとデートして約束を果たせ」
「ちょっ……キース!!」
ガタン! とサム君が立ち上がります。
「お前、なんてことを言うんだよ! デートじゃなくて約束の方が問題なんだぜ!? 約束を果たすって意味、分かってんのか?」
「…分かってるさ。だが、それを果たさないと何年経っても追いかけられて、下手な真似をしたら力ずくでも…」
私たちの背筋に冷たいものが走りました。エロドクターなら会長さんに薬を盛って自由を奪いかねません。職業が職業だけに危ない薬はお手のもの。動けなくなったらもうおしまいで、会長さんもそれを考えて酷く落ち込んでいるのでしょう。でも…。
「…ブルー、逃げている場合じゃないぞ」
キース君はとても冷静でした。
「俺はあんたのためを思って言っている。この問題は逃げているだけでは解決しない。今回の件を片付けたって、ドクターはしつこく出てくるだろうが……明確な借りはこれだけなんだ。まず、この借金を綺麗にする。そうすれば強気に出ることもできる」
けれど会長さんは溜息をついて。
「…それが出来れば苦労はないよ…。言っただろう? ノルディにサイオニック・ドリームは通用しない。つまり…ぼくが本当に約束を果たさない限り、借りは返せないということなんだ」
「あんたらしくもなく弱気だな」
似合わないぜ、とキース君。
「サイオニック・ドリームが効かないという話は聞いてる。だが、本当に効かないのか? あんただけでは無理かもしれない。ぶるぅもタイプ・ブルーではあるが、子供だから力は借りられない。…そうだな?」
「ああ。…怪しい夢を見せるんだからね、ぶるぅを巻き込みたくはないんだよ」
だから無理、と会長さんは話が見えなくてキョトンとしている「そるじゃぁ・ぶるぅ」を眺めます。キース君はフッと笑って私たちを指差しました。
「じゃあ、俺たちは何のためにいるんだ? 俺たちだってサイオンがある。思念波で話すのが精一杯だが、ぶるぅにサポートして貰えたら相当な力が出せるんじゃないか? きっとあんたの役に立てるさ」
「「「えぇぇっ!?」」」
驚いたのは私たちでした。やったこともないサイオニック・ドリームを…会長さんの力も効かないというドクター相手にぶつけろと!? 会長さんも赤い瞳を見開いて。
「そ、そりゃあ…。もしかしたら可能なのかもしれないけれど…。ノルディにサイオニック・ドリームが効かない理由は全く謎だし、ぼくとは違うパターンの思念波を持つ君たちの力だったら効くのかも…」
「だろう?」
自信たっぷりにニヤリとしてみせるキース君。
「俺たちのサイオンを集結させれば、ドクターに素晴らしい夢を見せてやれるかもしれないんだぜ? ただし、その方法は両刃の剣だ。首尾よく夢を見せられた場合、ドクターはあんたを手に入れたという自信を持つ。…そうなれば今まで以上に付きまとわれる」
「……そうだろうね……」
会長さんが溜息混じりに呟きましたが、キース君は悠然と紅茶を飲み干して。
「だから俺たちの出番なんだ。サイオニック・ドリームは使わない。仮説として言ってみただけのことだ。実際にやるのは妨害工作。…ドクターは俺たちがデートについてきてもいいと言っている。お言葉に甘えてお供するさ。要は夜までにエロドクターが疲れ果てればいいわけだ」
「…疲れ果てる…?」
怪訝そうな顔の会長さん。私たちだって同じでした。夜までにドクターが疲れ果てたらどうなると…? キース君は私たちをグルッと見渡して。
「エロドクターの目的は夜のお楽しみにあるんだろう? その時、ドクターが爆睡しても…それはドクターの自己責任だな? ブルー、あんたに罪はない。ドクターが爆睡している横で寝ていろ。朝になったら借金はチャラだ。…そうだろう、みんな?」
「「「………」」」
私たちはポカンとしていました。なんとも危険で、かつ大胆な解決策です。そんなに上手くいくんでしょうか? でも借金は早い間に返すのが吉。これは検討する価値あるかも~?
バラエティー豊かな…と言えば聞こえはいいですが、どう見てもセクシーすぎる女性用下着が詰まった箱。ソルジャーからのプレゼントの箱が机の上に置かれているのを教頭先生は呆然と眺めていました。贈り主のソルジャーは箱の中身を次々に取り出し「どうだい?」と得意げに見せびらかします。
「ぼくたちの世界じゃ、そう簡単に買い出しになんか行けないからね。楽しかったよ、あれこれ選んで買うのはさ。…あれ? じゃあハーレイはどうやって手に入れていたんだろう? ぼくに贈ってくれたヤツ…」
船から出ない筈なんだけど、とソルジャーは首を傾げました。あちらのキャプテンは船を預かる責任者なので常にシャングリラにいるのだそうです。
「もしかしたら救出部隊に頼んだのかな? それとも服飾部の連中に特注したとか…?」
恥ずかしいヤツ、とソルジャーは舌打ちしたのですが。
「つまり愛されてるってことだろ?」
会長さんが突っ込みました。
「誰かに買ってきてくれって頼み込むのも、作ってくれって頼むのも…とても度胸が要ると思うよ。どう考えても普通に使う代物じゃないし」
「甘い!」
すかさず返すソルジャー。
「ハーレイはね、ぼくとの仲がバレバレなことを知らないんだ。長老たちも他の仲間も大抵知ってることなんだけど…バレていないと思い込んでる。だから買い物をお願いするのも、特注品を発注するのも大したことではない筈だよ。…仲間の誰かが欲しがっている…ってキャプテンの立場で言うだけだから」
「「「は?」」」
声を上げたのは全員でした。なんでキャプテンという要職にある人が仲間の代理で下着の注文? それは欲しいと思ってる人が直接言うべきことなのでは…? ソルジャーはクッと笑って教頭先生を眺めました。顔を真っ赤にした教頭先生は今も硬直しています。
「…こっちのハーレイはどういう仕事をやっているのか知らないけどさ。ぼくの世界のキャプテンはとても多忙なんだよ。シャングリラに関する様々な事案がハーレイの所に持ち込まれる。船の航行に関することから、果てはトイレの改修工事の企画まで。…救出部隊の最高責任者もハーレイだ。でね、救出部隊が出る時には…」
余裕があればシャングリラの中では調達できない品物などを入手するのだ、とソルジャーは教えてくれました。救出部隊の任務はサイオンに目覚めた子供や目覚めそうな子供の救出ですが、調査のために潜入している場合も多いそうです。潜入中は普通の人間に紛れているので買い物なども出来るのだとか。
「そういう折に買ってもらう物を取りまとめるのもハーレイの仕事。仲間たちもそれを知っているから、たまに陳情があるらしい。どうしても欲しい品物がある…ってね。下着もそういうヤツの一つだとしらを切るのは簡単なのさ、物品入手の報告を受けるのもハーレイだから。…御苦労と言って受け取ってしまえば終わりなんだよ」
服飾部に特注するのも同じ理由で楽勝なのだ、と語るソルジャー。
「要するに度胸は全く必要ない。…あれはぼくへの愛じゃなくって単なるスケベ心だね」
「「「………」」」
「で、ハーレイ? 君はぼくのことをどう思う…? スケベ心でもいいんだけどさ」
教頭先生をチラリと見遣ってソルジャーは笑みを浮かべました。
「この下着を買うのは苦労したよ。ほら、ぼくはお金を持ってないだろ? ブルーに買ってもらうしかないのに、ブルーは凄く嫌がるし…。どうしてもダメならノルディに頼む、って言ってやっとオッケーしてもらった」
そりゃそうだろう、と溜息をつく私たち。あんな下着を買うと言われた会長さんがお金を出すわけないのです。しかも教頭先生にプレゼントするためとあっては頑なに拒絶しそうなのですが、エロドクターの名を持ち出されたら逆らえないのも無理はなく…。ソルジャーときたら、家出中のくせにどこまで強気に出るんだか。おまけに教頭先生で遊ぶ気満々。
「どうだい、どれが気に入った? 君のブルーは絶対に履いてくれないだろうね。でも、ぼくは別だ。正直に言ってごらんよ、履いて見せてあげるからさ」
遠慮せずに、とソルジャーは制服の襟元に手をかけます。ひぃぃっ、この場でストリップですか~!?
「ブルー!!!」
会長さんの怒鳴り声が響き、ソルジャーの手が止まりました。
「いい加減にしないと叩き出すからね! この子たちの前でストリップなんか許さないよ!」
「…ストリップ? 心外だな…。ちゃんと下着は着けるんだから、水着みたいなものじゃないか」
ねぇ? と私たちを見回すソルジャー。教頭先生は相も変わらず硬直中です。
「ぼくの水着は夏休みに披露してるんだよ? ちょっとデザインが変わるだけさ。じゃ、そういうことで」
「ブルーっ!!」
「気にしない、気にしない。…それとも君が履きたいのかい? だったら君に譲るけど」
「………!!」
真っ青になって首を横に振る会長さん。ソルジャーはクスッと笑って制服の上着をゆっくりと脱ぎ始めたのですが…。
「ま、待って下さい!」
叫んだのは教頭先生でした。
「…私はそんなつもりでは…。そんなことをなさったら、あなたの世界のキャプテンに何とお詫びをすればいいのか…」
顔を赤らめながらも懸命に説得にかかる教頭先生。けれどソルジャーは鼻で笑って。
「家出中だって言ったじゃないか。ぼくの希望は浮気なんだ。…ぼくのハーレイがショックを受けてくれれば本望さ。君もまんざらでもなさそうだし…。やっぱり身体は正直だよね」
ソルジャーの視線の先は追うまでもなく分かりました。教頭先生が私たちに背中を向けたからです。
「こ、これは……た、単なる生理的現象で…」
「…そう?」
「そうです!」
「残念。…いい機会だと思ったんだけど、出直した方が良さそうだね」
大袈裟な溜息をつくと、ソルジャーは制服の上着をきちんと直して襟元までピッタリ留めました。
「今日のところはこれで帰るよ。…話を強引に進め過ぎても何かとこじれる元になるから」
「…は?」
不審そうな顔で振り向く教頭先生。ソルジャーはニッコリ微笑んで…。
「そこの下着の話だよ。…ぼくはそれを着けた姿を是非とも君に見てもらいたい。今の遣り取り、全部ぶるぅに中継させて、ぼくのハーレイに見せていたんだ。ハーレイは凄く焦っていたよ、ぼくが本気で脱ぐんじゃないか…って。でも浮気にはまだまだ足りない。仕切り直しに期待している」
また来るから、とソルジャーはウインクしてみせました。
「じゃあ、今回は失礼するよ。…その下着、大事に預かっておいて。夜のお供には…物足りないかな、ぼくが使ったヤツじゃないしね。御希望とあれば履いてあげても…」
「い、いえ…」
結構です、と言った教頭先生が鼻をティッシュで押さえます。どうやら鼻血の危機らしいですが…。
「ティッシュなんかより下着の方が柔らかくて具合がいいんじゃないかな? ぼくの姿を思い浮かべて下着で鼻を覆うといいよ。鼻血の痕が目立たないのは黒いヤツだと思うんだけど」
「…………」
ソルジャーの余計な言葉で教頭先生の鼻の血管は呆気なく切れてしまいました。必死にティッシュを詰める姿は何回見ても間抜けです。つい見てしまう私たちを会長さんが追い立てて…。
「帰るよ、ブルーの気が変わらない内に! ほらほら、さっさと部屋から出るっ!」
「そうだってさ。またね、ハーレイ」
親しげに手を振るソルジャーの腕を会長さんが引っ張ります。教頭先生は両方の鼻にティッシュを詰めて机の横に立っていました。机の上には紅白縞のトランクスの箱と、ソルジャーが贈ったとんでもない箱。教頭先生、御迷惑かけてすみません~!
教頭室から「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお部屋に戻った会長さんは、シールドを解いたソルジャーを睨み付けました。
「仕切り直しってどういう意味さ? プレゼントしてからかうだけだって言ってたじゃないか!」
「…言ったかなぁ?」
忘れちゃったよ、とソファに座って大きく伸びをするソルジャー。会長さんはソルジャーを睨んだままで続けます。
「確かに言った! なのにストリップまでしようとするし、仕切り直しだなんて言い出すし…。いったい君は何を考えているんだか…」
「浮気するんだって言ってるじゃないか。君も記憶力が落ちたのかい? …ソルジャーのくせに」
「落ちてないっ!!」
柳眉を吊り上げる会長さんに、ソルジャーはすっかり冷めた『午後の紅茶』が入った湯飲みを差し出しました。
「これでも飲んで落ち着きたまえ。…気に入らない? ぶるぅ、悪いけど飲み物を…」
「かみお~ん♪」
キッチンに駆けていった「そるじゃぁ・ぶるぅ」が人数分のココアのカップを運んできます。何種類ものクッキーが盛られたお皿も。ソルジャーは私たちをソファに座らせ、得々として浮気計画を語り始めました。
「…とにかく、ぼくはハーレイに思い切り反省して貰いたいんだ。ヘタをしたらぼくを永遠に失うかも…と思わせてみたい。下着を着けてみせるくらいじゃ生ぬるいね。きちんと浮気しなくっちゃ」
「「「………」」」
私たちは答えられませんでした。きわどい下着を贈られただけで鼻血を出すような教頭先生。童貞疑惑も晴れていませんし、そんなヘタレな教頭先生とどうやって浮気するんでしょう? 絶望的だと思うんですけど…。
「君たちが考えていることは正しいよ。こっちのハーレイはとことんヘタレで浮気は望めそうもない。でも、浮気じゃなくて本気だったらどうなると思う…?」
「「「本気!?」」」
なんですか、それは? 会長さんも驚いて赤い瞳を見開いています。ソルジャーはクスクスと笑い、クッキーを齧ってココアを飲んで。
「…浮気だと思っているからハーレイは動けないんだよね。ぼくの世界のハーレイに遠慮しちゃって何も出来ない。だけど浮気じゃなかったら…? 結婚話をちらつかせたらどうなるかな?」
「…け、結婚って…」
会長さんの声が上ずり、ソルジャーは赤い瞳を煌めかせて。
「君のハーレイが夢を見ている結婚だよ。君の代わりにぼくが結婚するってこと。婚約指輪もあるみたいだし、問題ないと思うんだけど。…結婚を前提としたお付き合いなら、きっとハーレイも大胆になるさ。そうそう、夏休み明けには結婚話を回避するために君に婚約を頼んでたっけね、ハーレイは」
「…う……。で、でも…」
結婚なんて、と会長さんは渋い顔です。
「嘘だとバレるに決まってるよ。…変にハーレイを刺激しないで欲しいんだけど…。ぼくの記憶力を証明するために言わせてもらえば、ハーレイがあの指輪をぼくに贈ろうとして持って来たのは一年前の今日だったんだ。…正確には今日の日付じゃなくて、三学期の初日って意味だけれどさ」
「へえ…。一周年ってことなんだ。それはいいや」
記念日だよね、とソルジャーはとても嬉しそうです。
「君のハーレイが婚約指輪を用意してから今日で一年だとは思わなかったよ。その記念すべき日に、ぼくが結婚を申し出る。うん、最高のシチュエーションだ。よし、決めた。…今夜ハーレイに告白しよう」
「「「えぇっ!?」」」
驚愕する私たちにソルジャーは悪戯っぽく微笑んで。
「君たちも何が起こるか知りたいだろう? 家に連絡しておきたまえ、今夜は遅くなります…ってね」
「ブルー!!!」
会長さんの叫びをソルジャーはサラッと無視しました。
「十八歳未満お断りの件は覚えているから安心して。そして君たちはギャラリーってヤツだ。ブルーに何度もやられているって聞いてるよ。ハーレイからは見えない形でぼくと一緒にくればいい。…どうかな?」
どうかな、って言われても…。ソルジャーに私たちを逃がす気がないのは明白でした。頼みの綱の会長さんは苦虫を噛み潰したような顔をしています。
「…ごめん。ぼくとブルーの力に差は全く無い筈なんだけど……経験値が違いすぎるんだ。ブルーが君たちを引っ張っていくと決めた以上は逆らえない。ぶるぅの力を借りても無理だ。…本当にごめん」
深々と頭を下げられてしまい、私たちの退路は断たれました。こうなったら仕方ありません。何が起こるのか分かりませんけど、今夜は『見えないギャラリー』です。それぞれの家にメールや電話で連絡しつつ、私たちは泣きそうな気分でした。ソルジャーが教頭先生に…浮気するために告白ですって? もしも大人の時間に突入したら、私たち、無事に帰れるでしょうか…。
夕食は会長さんのマンションで「そるじゃぁ・ぶるぅ」特製パエリア。急に押しかけてしまったというのに手抜きしないのは流石です。食べている間はすっかりしっかり状況を忘れていたのですが…。
「後片付けも済んだようだし、そろそろ行こうか」
ソルジャーが立ち上がり、借り物の会長さんのセーターからソルジャーの正装に着替えました。何故ソルジャーの服を…? と皆が疑問に思った所へ。
「この姿でないと説得力に欠けるんだ。…ぶるぅ、ギャラリーのみんなにシールドを張ってくれるかな? ぼくが張ってもいいんだけれど、ハーレイといい雰囲気になったら集中力が切れるかも…」
「オッケー!」
大人の話が理解不能な「そるじゃぁ・ぶるぅ」は無邪気な笑顔で答えました。ソルジャーは会長さんの方に視線を向けて。
「…君はどうする? シールドで姿を消すのもいいし、ぼくと一緒に来てもいいけど」
「一緒に行く! いざとなったら身体を張って止めないと…。ハーレイが君と深い仲になるのは困るんだ!」
「身体を張って…か。ぼくと途中で入れ替わる気かい? 深い仲になるのは自分でないと嫌だってこと?」
「違う!! ハーレイが味を占めたら困るって言っているんだってば!」
それだけは嫌だ、と叫ぶ会長さんにソルジャーが「分かってるよ」と答えた次の瞬間。青い光がパアッと走って、私たちの身体が浮き上がりました。瞬間移動させられた先は…。
「ブルー!?」
リビングのソファに寝そべっていた教頭先生がガバッと身体を起こします。
「それにブルーまで…。どうなさいました?」
見えないギャラリーの私たちには気付かないまま、教頭先生は会長さんとソルジャーに歩み寄りました。ソルジャーが普段からは考えられない真剣な顔で。
「…昼間はごめん。どうしても君に謝っておきたくて…」
「あ、ああ…。あのことでしたらお気になさらず。ブルーも何かと仕掛けてきますから、馴れていますよ」
教頭先生はソルジャーの服装を見て穏やかな笑みを浮かべました。
「家出中だと伺ったので少し心配していたのですが…。お帰りになるようですね。お気をつけて」
また会いましょう、と差し出された手をソルジャーは両手でギュッと握って。
「…違うんだ、ハーレイ。帰るつもりで来たんじゃない。…この服は……君と真面目に話をしたいと思ったから…。遊びに来ているブルーではなくて、ソルジャーとして」
「……ソルジャーとして……?」
「うん」
怪訝そうな顔の教頭先生を見上げて、ソルジャーは深く頷きました。
「…君も知っているだろう? ぼくの世界がどんな所か。ぼくのハーレイは何度もぼくに逃げろと言った。君たちが暮らすこの世界に行って幸せに…と。ぼくが家出したのはそのことで喧嘩になったからだ。ぼくがいなくても平気なのか、と言ったらハーレイは平気だと言った。…ぼくがいなくても平気だなんて酷いよね」
「…それで家出を…? ですが、キャプテンはあなたを大切に思うあまりに手放そうとしておられるのでは…」
コロッと騙された教頭先生はソルジャーとキャプテンの仲を元に戻そうと試みましたが、ソルジャーは綺麗に聞き流して。
「いいんだ、ハーレイ。…それでね、ぼくも考えた。こっちの世界で生きていくことが出来るのか…って。ぼくはハーレイなしでは生きられない。だから離れることも出来ない…。そう思ってた。そしたらブルーから聞いたんだ。…君がブルーにプロポーズしてから今日で一年になるんだって?」
「え、ええ…。お恥ずかしい話ですが」
ご存じのとおり振られたんです、と苦笑している教頭先生。その手を握るソルジャーの手にグッと力が籠もりました。
「…ハーレイ。…ぼくじゃ…駄目かな?」
「は?」
眼を見開いた教頭先生をソルジャーの赤い瞳がじっと見詰めて。
「その…。ブルーの代わりに、ぼくを貰ってくれないかな…って。君が結婚してくれるんなら、ぼくはこっちの世界で生きる。ハーレイが側にいてくれるんなら寂しくないと思うんだ。…だから…ぼくを貰ってほしい」
「…ブルー…?」
思いがけない言葉に戸惑っている教頭先生の背中にソルジャーは両腕を回しました。
「ぼくはソルジャーである自分を捨てる。…君が結婚してくれるんなら、ぼくの世界には帰らない…!」
「……ブルー……」
教頭先生の頭の中は混乱しているようでした。ソルジャーに結婚話を持ちかけられても、教頭先生が愛しているのは会長さんです。けれどソルジャーを拒絶するのは死の危険と隣り合わせな世界へ追い返すのと同じこと。そしてソルジャーが平和な世界で暮らせるように結婚すれば、会長さんと瓜二つの身体が手に入るわけで…。
「…やっぱり駄目かな? 君はブルーしか愛せない…?」
「い、いえ…。そのぅ、あまりにも……急な話なものですから…」
口ごもっている教頭先生。ソルジャーはスッと教頭先生の身体から離れ、クスッと小さく笑ってみせて。
「ふふ、ぼくの命がどうこう…っていうのは反則だよね。その件は横へ置いといて…本当にブルーでなくちゃ駄目なのかい? ぼくなら君を存分に楽しませることができるんだけど…。こんな風に」
ソルジャーの肩からマントがバサリと落ちました。さっきまでとは全く違った挑発的な表情です。
「「「!!!」」」
私たちが仰天している間ににソルジャーは銀色の飾りがついた上着を脱ぎ捨て、ブーツを脱いで手袋を捨てて…。
「どう、ハーレイ? 君が見たかった姿だろう…?」
アンダーウェアまで脱いでしまったソルジャーが身に着けているのは、教頭室で見せびらかしていた真っ白なフリルひらひらの下着だけ。愛用品とは思えませんし、わざわざ履いたに決まっています。教頭先生の鼻から赤い筋がツーッと流れましたが、ソルジャーは妖艶に微笑んで。
「ハーレイ、試しに抱いてごらんよ。気に入ったなら結婚しよう。…結婚を決めるかどうかのお試しだから遠慮は無用さ。…ぼくのハーレイも文句は言わない」
「………」
呆然としている教頭先生。ですが視線はしっかり釘付けです。
「…ねえ、欲しくてたまらないんだろう? 自分に正直におなりよ、ハーレイ」
ソルジャーが教頭先生の胸に身体を預けた時。
「ブルー!!!」
絶叫と共に青い光が迸りました。げげっ、教頭先生がもう一人!? いえ、あの服装は…キャプテンの制服とあの補聴器は…。ひええ、ソルジャーの世界のキャプテン登場!?
突然飛び込んできたキャプテンはソルジャーを教頭先生の胸から引き剥がし、落ちていたマントを拾って着せかけるとガバッとその場に平伏して…。
「ブルー、申し訳ありませんでした! 今後は心を尽くして頑張りますから、このような真似は…」
「我慢の限界…というわけか。いいだろう、許すことにする」
身体をマントで覆ったソルジャーがソファに腰掛け、傲然と言い放ちます。
「お前が限界に来たら送ってよこせ、とぶるぅに言ったが、乱入するのが早すぎだ。まだまだこれからだったのに」
「…そ、そんなことを言われましても…。このままいったら大変なことに…」
「だからお前はヘタレなんだ! もう少しくらい待てないのか!」
腹が立つ、とソルジャーはキャプテンを睨みました。
「ぼくの楽しみを台無しにして…。まだ一枚しか試してないのに」
は? まだ一枚って…もしかして? ソルジャーは勢いよくソファから立ち上がって。
「せっかく買った下着だよ? 履いてみたいと思うじゃないか! こっちのハーレイにも見せつけたいし、お前の限界も試したかった。どれを履いた時に飛び込んでくるか、ぼくは楽しみにしてたんだ。…でも、来てしまったものは仕方ない。中継じゃなくて直に見るんだな」
不穏な笑みを浮かべるソルジャー。
「…今から順に履き替えていく。だが、これはこっちのハーレイに贈ったもので、お前のためのものじゃない。…お前はそこで黙って見ていろ、どんな格好をしたとしてもだ!」
ソルジャーはバッとマントを投げ捨て、フリルひらひらの下着一枚で仁王立ちになりました。その足元に現れたのは教頭先生にプレゼントした下着詰め合わせセットの箱。よいしょ、と屈み込んだソルジャーはヒョウ柄の下着と紫のTバックとを手に持って…。
「さてと、どっちにしようかな? ブルー、君はどっちが似合うと思う?」
「どっちも却下だ! さっさと服を…」
「選べないって言うんだね? だったら紫にしてみよう。マントの色とお揃いだ」
勝手に決めてしまったソルジャーはTバックを広げて箱の中に置き、おもむろに白いフリルに手をかけます。ま、まさかサイオンで一瞬で履き替えるんじゃなくて、手作業で…? ひぃぃっ、ソルジャー、それ以上は…! と、転がるように走り出たのはキャプテンでした。
「ブルー!!」
勢い余って足がもつれたらしく、ドスンと重い音が響いてソルジャーはキャプテンの下敷きに。
「何するのさ!」
罵倒しまくるソルジャーでしたが、キャプテンは華奢な身体を抱え込んで…。
「…ブルー、これ以上はもう耐えられません。あなたは遊び感覚でしょうが、私にとっては拷問です。…ましてや私そっくりとはいえ、他の男に嫁ぐだなどと……冗談だとは分かっていても、この身が裂かれそうでした」
「………それで?」
不機嫌そうなソルジャーですけど、赤い瞳は怒っていません。キャプテンは更に続けました。
「お願いです。私にもう一度チャンスを下さい。…今度こそ満足して頂けるよう、休暇の残りは全力で…」
「…ぼくが感じる場所を覚えられもしないお前がか?」
「……それは…あなたに酔って溺れてしまって、それどころではなかったからです!」
ソルジャーの喉がクッと音を立て、おかしそうに笑い始めて、キャプテンの髪をクシャリと撫でて。
「よくできました。…最初からそうだと言えばいいのに、誤魔化したから怒ったんだよ。ヘタレなことはバレてるんだから隠さなくても良かったのにさ。…帰ろう、ハーレイ。ぼくの服を拾ってくれるかい?」
キャプテンが拾い集めた服をソルジャーは丁寧に身に着け、最後にマントをバサリと羽織って。
「家出は終わりだ。…後はよろしく」
フッとソルジャーとキャプテンの姿が消え失せ、残ったのは人騒がせな下着の箱。フリルひらひらの白いヤツだけはソルジャーが着けて帰ったようですが…。ポカンとしている教頭先生の前で会長さんが箱に両手を突っ込み、ヒョウ柄と紫のTバックを取り出すとヒラヒラと振って見せました。
「残念だったね、この二枚。…もうちょっとで履いて貰えたのにさ」
「い、いや…」
教頭先生は鼻にティッシュを詰めた姿で耳まで真っ赤に染まっています。
「そう? まあ、次の機会が絶対に無いとは言い切れないし、大事に取っておくといい。それにサイズはぼくと同じだ。箱一杯の下着をベッドに並べて妄想するのもいいと思うよ。紅白縞より役に立つだろ? じゃあね、おやすみ、ハーレイ、いい夢を」
パアッと青い光が溢れて、浮遊感から抜け出た時には会長さんのマンションで…。私たちはソルジャーとキャプテンの痴話喧嘩の巻き添えにされたみたいです。誰もがガックリ脱力中。元気がいいのは「そるじゃぁ・ぶるぅ」だけでした。
「ね、ね、ブルー。あのね、これ、ブルーからプレゼントだって。…さっき、ぶるぅが送ってきたんだ」
「…ぶるぅから?」
何だろう、と箱を受け取る会長さん。箱のサイズはトランクスが入っていた箱に似ています。私たちが覗き込む中、リボンをほどいて箱を開いた会長さんは…。
「ぶるぅ、ゴミの日に出しといて! ブルーの趣味がよく分かった!!」
ヒラリと床にメッセージカードが落ちました。そこにはソルジャーが書いた綺麗な文字が…。
『青月印も良かったけれど、君にはシャングリラ印が似合うと思う。夜着と下着とセットでどうぞ』
えっ、どんなのが入ってたかって? 会長さんは広げることすらしませんでしたし、デザインの方は分かりません。会長さんの瞳の色によく似合いそうなワインレッドだったのは確かですけど、細かい部分は思い出したら負けでしょう。…ゴミに出すより教頭先生の家に送ってリサイクル……なんていうのは反則ですよね。教頭先生、闇鍋とソルジャーの下着姿と、どちらがお好みに合いましたか…?
影の生徒会室に勝手に入り込んでいたソルジャーは会長さんの制服を着ているばかりか、おやつまで食べていたようでした。テーブルの上に空になったお皿とフォークが乗っかっています。えっと…お皿に残った破片からして今日のおやつはアップルパイかな?
「残念でした。今日のはパンプキンパイ。…美味しかったよ」
ついつい三切れも食べちゃった、とソルジャーはとても満足そう。いつもは「そるじゃぁ・ぶるぅ」に任せっきりで上げ膳据え膳のソルジャーですけど、誰もいなければ自分でパイを切るようです。それも三切れも…。
「…ブルー…」
会長さんの目が据わっていました。声のトーンも普段より低く、怒っているのが分かります。あああ、やっぱりキレちゃいましたよ、元から機嫌が悪かったのに…! でもソルジャーは悠然として。
「なんだい? あんまり怖い顔をすると、せっかくの美人が台無しだよ」
「同じ顔じゃないか! それよりイカサマしただろう!? しらばっくれても無駄だからね!」
は? イカサマって…何でしょう? ジョミー君たちも怪訝そうです。会長さんはソルジャーをビシッと指差し、私たちの方を振り返りました。
「さっきの闇鍋、変だっただろう? 完食できるわけがないのにハーレイは全部平らげた。おかげで君たちが貰う筈だったお年玉もパアになってしまった。分かるかい? その黒幕がブルーなんだよ!」
「「「えぇっ!?」」」
話が全く見えませんでした。ソルジャーが私たちよりも先に「そるじゃぁ・ぶるぅ」のお部屋に入っていたのは確かですけど、それとさっきの闇鍋の間にいったいどんな関係が…?
「ぼくはブルーと賭けをしてたんだ」
イライラとした表情で会長さんはソファにドサリと腰掛け、「お茶!」と一声叫びました。ポカンと立ち尽くしていた「そるじゃぁ・ぶるぅ」が大慌てでキッチンに走っていきます。会長さんは私たちにも座るように言い、間もなく人数分のパンプキンパイと紅茶のカップがワゴンに載せられて出て来たのですが…。
「ぶるぅ、ブルーの分はいいから」
引っ込めて、と冷たい声音の会長さん。
「…酷いな…。紅茶は自分で淹れるのが面倒だったから飲んでないんだ。パンプキンパイだってもっと食べたい」
「じゃあ、これで」
不満を述べたソルジャーの前にドンと置かれたのは『午後の紅茶』と書かれた缶紅茶でした。
「学食前の自販機から瞬間移動で貰ってきた。ちゃんとお金も入れておいたし、ホットだから十分熱い筈だよ」
「缶入りなんか美味しくないし!」
前に飲んだらイマイチだった、とソルジャーは顔を顰めます。
「そんな紅茶じゃ、シャングリラの食堂と変わらない。せっかく遊びに来てるんだからさ…地球らしく葉っぱで淹れてほしいな。香りからして全然違う」
「………誰が遊びに来てるんだって………?」
地を這うような会長さんの声に、私たちは思わず首を竦めていました。これは相当に不機嫌です。会長さんはキッチンから瞬間移動でティーカップならぬ特大の湯飲みを取り寄せ、缶紅茶の蓋をプシュッと開けると中身を無造作に注ぎ入れて。
「はい、ブルー。…君にはこれで十分だろう? 贅沢を言える立場なのかい、家出中のくせに!」
「「「家出中!??」」」
それはとんでもない言葉でした。…ソルジャーが…家出中…? シャングリラを放ってきたんですか? まさか…あちらの世界のキャプテンの願いを聞き入れ、自分が生きてきた世界を捨てて私たちの世界へ逃げてきたとか…?
あまりのことに私たちの表情は硬くなっていたのだと思います。突然ソルジャーがおかしそうに笑い出し、会長さんがハッと息を飲んで。
「違う、違う! ブルーが家出中っていうのは一時的なことで…お試しでぼくたちの世界に亡命中とか、そういう風なものでもなくて! 転がり込んで来ただけなんだよ、一昨日の夜に! ぼくがフィシスと……そのぅ…」
「ベッドインしようとしてた時にね」
悪びれもせずにバラすソルジャー。私たちが耳まで赤くなっている間に会長さんは慌てふためき、ソルジャーの前にティーカップがコトリと置かれました。パンプキンパイが載ったお皿もです。
「もうそれ以上は言わなくていいっ! …とにかくブルーはぼくの都合も考えないで一方的に押しかけてきて、当分の間ここに泊まるって…。ぶるぅはシャングリラに置いてきたらしい」
「万が一ってこともあるからね。三分間しか保たないとはいえ、ぶるぅだってタイプ・ブルーだ。ぼくが駆け付けるまでの間くらいはシャングリラを余裕で守れるさ」
心強い留守番なんだ、とソルジャーは紅茶のカップを傾けます。
「書き置きもぶるぅに預けてきたし、後はハーレイが反省するまでこっちでのんびり暮らすってわけ」
「「「……???」」」
あちらのキャプテンが反省…ですって? ソルジャーとキャプテンは相思相愛、ちょっとキャプテンがヘタレですけど仲はとっても良かった筈です。もしかして喧嘩でもしましたか…? それともキャプテンが何かヘマでも…? 私たちの顔一杯に『?』マークが出ていたらしく、ソルジャーはクッと喉を鳴らして。
「どうしよう、ブルー? この子たちは家出の理由を知りたそうだ。話しちゃっても構わないかな」
「……十八歳未満お断りな話は禁止。常識で許される範囲内でだけ答えたまえ」
会長さんは腕組みをしてソルジャーに睨みを効かせています。家出の原因は大人の時間と何か関係あるのでしょうか…? ソルジャーは軽く咳払いをして紅茶のカップを受け皿に置くと、指先で縁を弾きました。
「…話すと長くなるんだけどね。クリスマスにぼくがフェイクタトゥーを入れて貰ったのを覚えているかい?」
私たちはコクリと頷きました。ソルジャーが教頭先生を呼び出して背中に薔薇や蝶を描かせたことは記憶に新しい事件です。描いて貰ったお返しに…とソルジャーに筆で染料を塗られた教頭先生が失神して床に倒れたのも。
「あのタトゥーは役に立ったんだよ。最初ハーレイは気が付かなくて―――それを聞いても分かるだろう? ぼくの背中まで手が回らないほど、ハーレイは余裕がないんだってこと。…終わった後はバスルームに連れてってくれるんだけどね、その時にやっと気付いたのさ」
凄い剣幕で叱られたよ、とソルジャーはクスクス笑っています。
「なんてことをするんですか、って眉間の皺が三倍に増えた。染み一つない肌だったのに…とか、消すのはとても大変なのに…とか嘆かれちゃうと心が痛むね。たとえ本物でも皮膚を移植すれば消えるんだけど、ソルジャーという立場にいると不要不急の手術は出来ない。…つまり本物の刺青だったら消してる暇はないってことだ」
「「「………」」」
「だからハーレイは泣きそうだった。偽物だよ、と教えてやったらへたり込んださ。で、何のためにそんなものを…と聞いてきたから答えてやって、それからは君たちの想像どおり」
フェイクタトゥーが一週間ほど経って消え失せるまで、ソルジャーは存分に大人の時間を楽しんでいたらしいです。でも問題はその後のことで…。
「…ミュウは記憶に優れているんだ。君たちも記憶力はいいんじゃないかな」
「え? えっと…」
ソルジャーの問いに私たちは顔を見合わせ、キース君とシロエ君以外は曖昧な言葉を返しました。試験の度に会長さんのお世話になっているんですから、記憶力がいい筈ありません。ソルジャーは「ふぅん?」と首を傾げて。
「そうか、サイオンが完全に活性化してはいないのか…。とにかくミュウは記憶したことをそう簡単には忘れない。ハーレイもそうだと思ってた。キャプテンを任せるくらいだからね、並みのミュウより凄いと信じていたんだけれど…。ぼくはハーレイという男を買い被ってしまっていたらしい」
情けない、と深い溜息を吐き出すソルジャー。
「ほら、新年になっただろう? シャングリラでもニューイヤー・パーティーとか色々とイベントが多くてさ。ハーレイと二人きりで楽しむための特別休暇は一昨日までお預けになってたんだよ。ようやく取れた今年初めての休暇なんだから、ぼくがどれほど期待してたか分かるだろう?」
あまり分かりたくありませんでしたが、否定するとロクでもない目に遭わされそうです。黙り込んでいるのを肯定の意味だと取ったソルジャーは立て板に水の勢いで続けました。
「ハーレイはいそいそと青の間にやって来た。そして二人で熱くなれると思ってたのに…背中を愛してくれないんだよ! もちろんぼくは促した。ハーレイもそれに従ってくれた。そこまでは上手くいっていたのさ。なのに……なのにハーレイときたら、肝心のぼくが感じる場所を綺麗サッパリ忘れてたんだ!!」
侮辱するにも程がある、とソルジャーは眉を吊り上げて…。
「フェイクタトゥーがあった間は確かに愛してくれていたのに…消えてしまったら感じる所が分からなくなってしまったなんて、覚える努力をしてなかったってことだろう!? 記憶力がいい筈なのに忘れるなんて最低だよ。誠意も愛も無いって証拠だ。そんな男の欲望なんかに付き合ってやる義務はない!」
それでシャングリラを飛び出してきた、と拳を握り締めるソルジャー。特別休暇の期間中は帰らないのだと息巻いています。…家出の理由はよく分かりました。でも闇鍋の結果とソルジャーの家出の関係は? 会長さんはイカサマだとか賭けがどうとか言ってましたが、これじゃ全然分かりませんよ~!
あちらのキャプテンに書き置きを残してソルジャーは家出を敢行中。家出中のソルジャーの様子は留守番の「ぶるぅ」がキャプテンに時々中継するのだそうです。キャプテンはソルジャーの不在を誰にも明かせず、青の間で一人しょんぼりしながら、それを見ているとかいないとか…。
「反省しろ、って書いてきたからね…。たっぷり反省して貰わないと。ぼくをどれだけ必要としてるか、嫌と言うほど思い知らせてやるつもりなんだ」
ソルジャーは紅茶を一気に飲み干し、会長さんの方を見ました。
「とりあえず、ぼくは君との賭けに勝利を収めた。約束通りにさせてもらうよ」
「イカサマだろ! この部屋にいてもハーレイの身体を操るくらいは朝飯前の筈なんだ。ぼくにだって出来る。人を操ることはしたくないから、滅多に力を使わないけど」
人差し指の先に青いサイオンの光を灯してみせる会長さん。どうやら二人は教頭先生が闇鍋を完食できるかどうかの賭けをしていたみたいです。
「イカサマなんかしやしないさ。…ただ、ぼくには結果が見えてたからね…。だから賭けようって提案したし、乗ったのは君だ。誓って言うけど、ぼくに予知能力は無い」
ソルジャーの言葉に会長さんは赤い瞳を燃え上がらせて。
「大嘘つき! 予知能力が無いんだったら、なんで結果が分かるのさ! 公平に…って君が言うから、ぼくはフィシスに相談してない。自分を信じて賭けをしたのに、負ける筈のない条件で負けた。原因は二つしか考えられない。君が予知能力を隠しているか、でなければハーレイを操ったかだ」
「…本当に君はおめでたいね。全く気付いていないってわけだ。致命的なミスを犯したことに」
「えっ…?」
鼻で笑われた会長さんの瞳が大きく見開かれます。致命的なミスって何でしょう…? ソルジャーは勝ち誇ったような笑みを浮かべて空のティーカップを示しました。
「いいかい、これが鍋だとする。いろんな食べ物が放り込まれて凄まじいことになってるけれど、今の段階では例の缶詰も青いゼリーも入っていない。…この鍋から掬って食べるんだったら、君のハーレイがどこまで保ったか…。多分、早々にギブアップだ」
「だったら!」
もっと凄いことになっていたモノを食べられるわけがないじゃないか、と会長さんは怒り出します。私たちもそう思ったのですが、ソルジャーはカップの中に角砂糖を一個ポトンと入れて。
「これがシュールストレミングだ。君のぶるぅが缶詰を開けていたんだからね、入れさせたのは君だと馬鹿でも分かる。しかも匂いが凄いんだろう? 実際、嗅いでみて後悔したよ。…それからこれがゼリーってとこかな」
ソルジャーがティーポットから紅茶を注ぐと角砂糖はすぐに溶け始めました。
「あんな恐ろしい色になるんだ、皆が黙っている筈がない。実際、悲鳴が上がっていたし…有り得ない色に変わったことは目隠ししてても耳が教えてくれるだろう。そしてゼリーを入れたのが誰か、ハーレイには分かっていたと思うよ。あれだけ君を想っていれば気配や足音で気が付くものさ」
「…そ、そうかな…」
ストーカーじゃあるまいし、と会長さんは言ったのですが、ソルジャーは譲りませんでした。
「おまけにぶるぅも一緒だった。子供は一人しかいないんだから、鈴を付けて歩いているようなものだろう? 鍋の色を青くしたのは君だ。…酷い匂いにしたのも…ね」
ソルジャーは角砂糖入りの紅茶をスプーンでかき混ぜ、すっかり溶けたのを確認してから…。
「それまでの鍋は何が何だか分からなかった。だけど最終的に出来上がった鍋は君の努力の集大成。酷い匂いで凄い色でも、匂いも色も鍋の隅々にまで行き渡ってる。どこを取っても何を掬っても、君の手が加わっているっていうわけさ。…言わば手料理みたいなものかな」
「「「……手料理……」」」
恐ろしい例えに私たちも会長さんも、ただ呆然とするばかり。ソルジャーは紅茶を口に含むと「うん、美味しい」と微笑みました。
「やっぱり地球の紅茶はいいね。…君のハーレイも似たようなことを思った筈だ。たとえゲテモノ料理であっても、愛する君が心をこめて作ってくれた料理なんだよ? 次の機会があるかどうかも分からないんだし、残さないよう努力しなくちゃ」
「……そんなことって……」
青ざめている会長さんにソルジャーはパチンとウインクして。
「それだけ君を愛しているのさ、君の世界のハーレイは。…羨ましいな、ぼくなんか家出中なのに」
あてられちゃうよ、と笑うソルジャー。会長さんは作戦ミスを認めざるを得ない状況でした。教頭先生が恐怖の闇鍋を完食したのが会長さんへの愛ゆえだとは、なんとも凄い話です。ソルジャーとの賭けに負けてしまった会長さんには、罰ゲームとかがあるのでしょうか…?
「…さてと。イカサマの疑いが晴れたからには、約束を守ってくれるんだろうね?」
散々文句を言われたんだし…とソルジャーが会長さんを見詰めます。
「…そ、それは……仕方ないけど…」
会長さんが答えると、ソルジャーはニッコリ笑って空中に箱を取り出しました。綺麗にラッピングされてリボンがかかった平たい箱。なんだか嫌な予感がしてきたような…。
「ふふ、新学期恒例のお届け物が下着だなんて…君も罪作りなことをする」
「「「!!!」」」
私たちの脳裏に紅白縞のトランクスの画像が蘇ります。新学期を迎えるごとに青月印の紅白縞を五枚。それが会長さんから教頭先生へのプレゼントですが、もしや今回はソルジャーがそれを手渡す役を…? あの箱はどう見ても会長さんが買っているのと同じデパートのものですし…。けれどソルジャーは会長さんに「君の分は?」と促しました。
「早く行こうよ。約束通り、ぼくはハーレイの部屋に着くまでシールドを張って姿を隠す。…これを受け取った時のハーレイの顔が楽しみだな」
「…悪趣味だって思うけど…」
ブツブツと呟きながら会長さんは「そるじゃぁ・ぶるぅ」に平たい箱を持って来させます。いつもの包装紙に綺麗なリボン。…ん? どうして箱が二つも…? ソルジャーも教頭先生にトランクスを贈るつもりでしょうか?
「まあね」
ソルジャーは悪戯っぽく微笑みました。
「ぼくの様子はぶるぅを通して中継できるって言っただろう? ハーレイには悔しがってもらうさ、ぼくがこっちのハーレイに下着をプレゼントする所を見せて…ね。ブルーとの賭けに勝ったらプレゼントしに行く約束をしてた。自慢するような話じゃないけど、ぼくはハーレイに下着を贈ったことがないんだ。…どちらかと言えば贈られる方」
女性用らしき下着や夜着を貰ってしまった経験がある、と語るソルジャー。どんな代物を受け取ったのか非常に気になる所でしたが、ストップをかけたのは会長さんです。
「十八歳未満の子供相手に余計な話はしなくていいっ!」
「それを言うなら君の方こそ、今まで色々やってるくせにさ」
「ぼくのは全部悪戯だ。君と違ってノーマルだから」
しれっとしている会長さんに私たちは額を押さえ、今日の受難を覚悟しました。トランクスを届けに行って無事に済んだ例がありません。おまけに今回はソルジャーというオマケつき。何かが起こるに決まっています。会長さんとソルジャーはそれぞれの箱を抱えて立ち上がりました。
「…ブルー、くれぐれも言っておくけど、この子たちは全員お子様だから…」
「分かってるってば。でも君のハーレイの反応までは責任持てないって言わせてもらうよ」
「……ハーレイだしね……」
その件については諦めている、と溜息をつく会長さん。私たちと「そるじゃぁ・ぶるぅ」は行列を組んで会長さんの後ろに続き、教頭室へと出発しました。ソルジャーはシールドで姿を隠して会長さんの隣あたりにいるようです。あああ、トランクスのお届け物が二人前。紅白縞が十枚だなんて、悪夢だとしか思えませんよぅ~!
教頭室の扉の前に到着するとソルジャーはシールドを解きました。廊下に人影が無かったからです。会長さんが扉をノックし、「失礼します」と入って行って…私たちもゾロゾロと。あれ? なんだか香ばしい匂い…。
「こんにちは、ハーレイ。口直しかい?」
「まあな。あれを食った後、夕食まで何も食わずにいるのは正直きつい」
教頭先生の机の上には空になった鰻重の器が乗っかっています。学食にはないメニューですから、教職員と特別生専用のラウンジからの出前でしょう。
「ブルーの愛が詰まってはいても、食べ物の域を超えてたからねえ」
クスクスクス…と笑うソルジャー。教頭先生はソルジャーを眺め、「どうして此処に?」と不思議そうです。
「それがね、ちょっと訳ありで。ぼくの世界で何かあったわけではないんだけれど」
心配無用、と微笑んでみせてソルジャーは教頭先生に。
「闇鍋を食べる所をぶるぅの部屋から見ていたよ。あんなゲテモノを完食だなんて、本当にブルーが好きなんだ? 愛する人が作ってくれたら不味い料理も美味しく思えるらしいけど」
「ええ。ブルーが悪戯で作ったとはいえ、食べ残したらきっと後悔します。ブルーの手料理を食べるというのは私の夢の一つですから」
強烈な匂いと色を作り出したのが会長さんだと教頭先生はやはり気付いていました。ついでに会長さんの手料理を食べた経験は一度も無いようです。…いえ、あるのかもしれませんけど、会長さんをお嫁さんにして毎日手料理を食べたいものだと壮大な夢を描いているとか…? ソルジャーは「ほらね」と会長さんに片目を瞑ってみせました。
「ぼくが言ったとおりだっただろう? 口直しに鰻重を食べてはいても、ハーレイの気分はパラダイスなんだ。もっと盛り上げてあげなくっちゃ。プレゼントを持って来たんだろう?」
「う、うん…」
会長さんは複雑な顔でトランクスが入った箱を教頭先生の机に置いて。
「いつもの青月印が五枚。紅白縞で良かったんだよね、新作も沢山出ていたけれど」
「すまんな。…これが届かない内は新学期を迎えた気がしない」
紅白縞も気に入っている、と教頭先生は穏やかな笑みを浮かべました。
「お前とお揃いなのだろう? お前が新作に乗り換えたんなら話は別だが、そうでないならこれがいい」
お人好しの教頭先生はまだ騙されているようです。会長さんは黒白縞も青白縞も履いたりしない筈なんですけど。そこへソルジャーが進み出てきて、持っていた箱を差し出して。
「これはぼくからのプレゼント。…開けてみて?」
「は…?」
両手で受け取った教頭先生が怪訝そうに首を捻ります。
「いいから、いいから。きっと気に入ると思うんだ。紅白縞よりオシャレだしね」
「…………下着ですか?」
「うん。ダメかな、ぼくのプレゼントは受け取れない?」
「そういうわけでは…。いや、しかし…」
流石にちょっと、と教頭先生は箱をソルジャーの方へ押し戻しました。
「ブルーと一緒にお買いになったものなのでしょうが、渡す相手をお間違えでは? あなたの世界のキャプテンが今の光景をご覧になったら、さぞ衝撃を受けられるかと…。キャプテン用に同じものを買っておられるとしても、私に贈るのはよくありません」
「よくないからプレゼントしてるんじゃないか」
ソルジャーは唇を尖らせ、教頭先生に箱を押し付けながら。
「家出中だと言っただろう? 実はハーレイのせいなんだ。ぼくは静かに怒っているのさ、浮気をしたくなるほどに…ね」
「「「浮気!?」」」
成り行きを見守っていた私たちの声が引っくり返りました。教頭先生も驚いています。ソルジャーは教頭先生に箱を開けるようにと言いましたけれど、この状況で教頭先生が開けられるわけがありません。ただでさえもヘタレなだけに口をパクパクさせるばかりで身体は見事に硬直中です。
「…相変わらずのヘタレっぷりだね。ぼくの浮気に付き合いたいとか思わないわけ? 君の大事なブルーと同じ身体に同じ顔だよ? 君さえよければブルーの家に泊まるのをやめて、君のベッドに引っ越ししてもいいんだけれど」
「………」
教頭先生の顔がみるみる真っ赤になっていきます。会長さんそっくりのソルジャーに浮気だのベッドに引っ越しだのと言われたのでは、たまったものではないでしょう。身体は固まってしまってますけど、脳味噌はきっとトロトロです。下手をすれば鼻血がツーッと垂れるかも…。でもソルジャーは全くお構いなしでした。
「何も言ってはくれないんだ? それとも感極まって言葉も出ない? だったらプレゼントを貰ってくれてもいいと思うな。恥ずかしくて開けられないみたいだし、代わりにぼくが開けてあげよう」
ソルジャーは教頭先生の手から箱を取り返すと机に置いてリボンをほどき、包装紙を剥いで…。
「ほら、ぼくからのプレゼント。…どれが一番好みなのかな?」
「「「!!!」」」
箱の蓋が取られた瞬間、私たちの目が点になりました。中身は紅白の縞ではなくて色とりどりの布の洪水。これはいったい何なのでしょう?
「どうだい? スタンダードなところで白。…王道のレースとフリルだけれど」
ソルジャーが箱の中から取り出したものはフリルひらひらの物体でした。乙女チックなレースの下着を教頭先生に贈ってどうしろと…? 紅白縞も悪趣味ですがフリルとレースには及びません。あんなモノが教頭先生の逞しい腰に…。おええっ、と誰かの思念が伝わってきます。うう、私だって吐きそうかも…。
「…違うんだな、これが」
楽しげな声がしてソルジャーがフリルの塊を両手でパッと広げました。…あれ? 教頭先生が履くにはサイズが小さいような…? いえ、あの手のヤツは思いもよらない伸縮性があるのが常でしたっけ。広げられるとフリルが余計に悪目立ちします。ソルジャー、お願いですからそんな視覚の暴力は…って、えぇぇっ!?
「ぼくが履くんだ」
信じられない言葉がソルジャーの唇から零れました。
「ハーレイ、君はどれがいい? 好みのヤツを履いてあげるよ、せっかくだから楽しまなくちゃね」
Tバックにヒョウ柄、レースも色々…とソルジャーの手が箱の中身をかき混ぜています。全部ソルジャー用ですか? それを教頭先生にプレゼントしてどうする気ですか、この家出中のソルジャーは~!?